#山形カフェ巡り
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横浜山手のレアな電話ボックス
前回はエリスマン邸を少しご紹介しました。今回は、その近くにあるレアな電話ボックスのご紹介がしたいです📞
この電話ボックス、六角形の灯台��ような形が特徴で😊
春は上に桜が咲きますが、先日はほとんど葉桜でした。
横に通ってるのが、山手本通りです。神奈中バスも通ってます🚌
この公衆電話は、明治23年(1890)に横浜-東京間でスタートした電話業務の…
100年記念に1990年に設置されたものです。
「自働電話」と大きく書かれているのは、昔、公衆電話は自働電話と呼ばれていたからだそうです。
公衆電話自体が貴重な存在になってきている時代ですが、とくにこの公衆電話は貴重な存在に思えます。
さて。
電話ボックスの横に通る山手本通りあたりには、西洋館がいっぱいあり、開港当時は外国人の住宅街でもあったそうで。
私自身は、数年前、ここから歩いて20分くらいの唐沢というところで暮らしてました。
家から歩いて中華街や元町などに行く時に、この山手本通りを通ってました。
この電話ボックスの前もよく通ってましたし、土日になるとスケッチをする人が多く、そういう眺めにも心を癒されました。
ここの電話ボックスがあるのは、元町公園というところです。
実際に行ってみるとわかるのですが、なんだかこの辺は、ちょっと空気が違いまして…
ものすごく静寂でゆっくりとした空気が流れています。
この電話ボックスの後ろ側に前記事で書いたエリスマン邸があります。
エリスマン邸の向かい側にえの木ていがあります。
えの木ていの隣に山手234番館があります。ちょうどこの電話ボックスの向かい側です。
地図で表示するとこんな感じです。
実際の地図はこちらです。
山手234番館は、外国人向けの集合住宅だったそうです。今でいうと、アパートのような位置づけでしょうか。
そう考えると、やはりこの辺一帯は外国人が住むところだったように思えます。
実は、住んでいた時にこの辺りの歴史を調べてました。
その中で印象的なことが一つありました。
それは、この辺りの外国人の活動エリアは、「住むところ」「ショッピングや食べるところ」「働くところ」「遊ぶところ」の4つに分かれていた話です。
・住むところ:レアな電話ボックスがあるあたり
・働くところ:山下公園あたり
・ショッピングや食べるところ:元町ショッピングストリートあたり
・遊ぶところ:ハマスタ付近や関内あたり
横浜スタジアムがある場所は、昔は遊郭だったらしいので、あの辺一体は遊ぶところだったようですね。
だから、あのあたりは今でもそういう空気があるなぁと感じます。
伊勢佐木長者町とかも、なかなかな空気で、嫌いではないです。
青江美奈さんの伊勢佐木町ブルースのところですね。
おとなりの桜木町あたりにも、似たような空気の飲み屋街の野毛とかありますけれども、ちょっとまた違うのです。
た��ん、歴史が違うのですね。
さて、話を戻しますが。
外国人の住むところ以外の活動エリアは、全て坂を降りたところにあるので、仕事や遊びやショッピングなどで毎日通っていたとなると、すごいなー😲と思いますね。
だって、ものすごい坂ですよ。
わたしなんて、楽したい派なので、エスカレーターで上がってましたから笑。アメリカ山公園と元町中華街駅が直結してるところから上がってました。
エレベーターもあるので便利です。
エスカレーターがあるところはエアコンも効いてて、途中にベンチまで置いてくれてるので、暑い時とかよく休んでましたね😊
ま、熱中症対策の一つです☀️💦
石川町は、ほんとうに面白い街でした。昔の横浜が残ってます。日本らしい昔の横浜と外国風の昔の横浜がわかる街です。
2023/04/17
19:12
カナリヤ響子
#横浜#横浜観光#横浜市#山手#西洋館#眺め#景色#beautifulview#日記#beautifulphoto#yokohama#japan#レトロ#レトロデザイン#レトロ建築#歴史#カメラ#カメラのある生活
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2024年3月5日
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昭和50年代 広島市写真展(広島テレビ)
昭和50年代と現在の広島を比較し、変遷をたどる写真展が、きょうから広島市内で始まりました。
カープが初優勝した1975年。山陽新幹線の岡山・博多間が開業し、「カープの優勝は新幹線のおかげ」とも語られました。
旧日本銀行広島支店では、広島市が大きく発展した昭和50年代の街並みと現在を比較する写真、およそ170枚を展示しています。
会場には1981年に撮影された巨大な空中写真も展示。訪れた人たちは現在のマツダスタジアムの近くにあった貨物駅などを見ながらかつての景色を懐かしんでいました。
「ほとんど見たことがある写真団塊の世代ですからちょうど」
写真展は、今月10日まで開かれています。
減少する街の書店、国が本格的支援へ…読書イベント・カフェギャラリーなど個性的な取り組み後押し(読売新聞)
全国で減少する街の書店について、経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を5日設置し、初の本格的支援に乗り出す。書店は本や雑誌を売ることを通し、地域文化を振興する重要拠点と位置づける。読書イベントやカフェギャラリーの運営など、個性ある取り組みを後押しする方策を検討する。
経産省によると、プロジェクトチームは映画や音楽、文芸などを扱うコンテンツ産業課に事務局を置く。キャッシュレス決済の推進や中小企業支援を担当する部署も参加し、部局横断型で事業内容の議論や調査を進める。
今後、経産省の担当者らと書店や出版関係者による車座ヒアリングの開催を予定。非効率な出版流通の改善や店舗運営におけるデジタル技術活用の必要性など課題を把握する。店主が一冊ずつ良書を選んで入荷し、店のサイトやSNS上で紹介する個人書店や、カフェや文具店を併設し魅力的な読書空間を作る書店チェーンなど優れた事例を共有し、支援策の参考にする。
街の書店は、インターネットの普及による紙の出版物の不振やネット書店の伸長により苦境が続く。日本出版インフラセンターによると、2013年に全国1万5602店あった書店の総店舗数は、22年に1万1495店に減った。
一般財団法人・出版文化産業振興財団(東京)の調査によると、全国の市区町村のうち、地域に書店が一つもない無書店自治体はおよそ4分の1にのぼる。本や雑誌を直接手に取って購入できない人が増える深刻な状況となっている。
本と出会う機会喪失に深刻な危機感
経済産業省が大臣直属の「書店振興プロジェクトチーム」を設置する背景には、街の書店が減り、多くの人がリアルな空間で未知の本と出会う機会を失っていることへの深刻な危機感がある。全国の自治体のうち約4分の1はすでに書店がなく、実際に地域による文化格差は生まれている。
世界経済のグローバル化が進む中、経産省は、映画や音楽をはじめコンテンツ産業の振興を掲げる。「経済が成熟する中で、自国のサービスや商品が海外で勝ち抜くには、文化による新たな付加価値をつけることが必要」と語る。だが文化の基盤である活字や本に人々が広く触れる環境がなければ、新たな魅力的な発想は生まれないだろう。
韓国では、日本の文化庁やスポーツ庁などにあたる文化体育観光省管轄の「韓国出版文化産業振興院」が中核になって支援事業を担当。独立系書店と呼ばれる中小の書店が活気づく。
東京都文京区で街の書店「往来堂書店」を営む笈入(おいり)建志さん(53)は、「雑誌が売れた頃は、お客が定期的に街の書店を訪れる習慣があった。今は2000年頃に比べ、お客は7~8割になった感覚だ」と語る。人々が本を買いに店に立ち寄るきっかけを作るため、トークイベントや読書会などを開く工夫をしている。
各地の書店には、優れた選書眼や読書イベントの経験を持つ書店員たちがいる。まずは、現場から優れた事例を集め、何ができるのか国や民間の垣根を越えて知恵を絞りたい。(文化部 小杉千尋)
西川立一(ラディック代表/流通ジャーナリスト/マーケティングプランナー)
見解 街の書店の苦境は、稼ぎ頭だった週刊誌などの雑誌の衰退や漫画の電子本の台頭も要因で、それに店主の高齢化による廃業や後継者不足で店舗数の減少が加速化した。
一方で、若い人を中心に特色ある書店の出店も盛んになりつつあり、紀伊国屋書店をはじめとする大手は堅調で、大型のショッピングモールには書店が必ずと言ってある。
経産省の「書店振興プロジェクトチーム」の設置は、遅まきながらの感もあるが支援は必要だ。ただ、官主導での取り組みだけではなく、地域の人たちがどれだけ書店を必要としているか、そのため主体的に何ができ、何をするのかが求められている。
中井彰人(株式会社nakaja lab 代表取締役/流通アナリスト)
見解 生き残って頑張っている街の書店は、イベントやSNS発信によって文化の灯を消さぬよう努力をしている。しかし、書籍小売業が苦しいのは、本が売れなくなったことに加えて、本がある程度売れたとしても、粗利率が低く抑えられているため(2割強)、収益の確保が難しく、持続するのが困難なことにある。この解決策を見つけたのが、ヴィレッジヴァンガードである。今は店舗を広げすぎて業績が苦しい状態ではあるが、かつて、ヴィレヴァンは、総売上の6割以上を雑貨で構成することで、読んでもらいたい本の売場(売上の3割弱)を維持することに成功した(2002年時点のデータ)。この時の同社の雑貨粗利率36%、本は21%であり、これで事業としての持続可能性を構成していたのである。書店支援は単に予算を流し込むのではなく、書店が事業として収益確保するため、商材やサービス及び、自立的ビジネスモデル開拓の支援に、重点を置いてほしい。
「書店」10年間で764社が倒産や廃業で消えた(東京商工リサーチ 3月10日)
「書店」倒産、休廃業・解散、新設法人 社数推移(1-12月)
書店運営会社(以下、書店)の市場退出が止まらない。2014年以降、書店は倒産・休廃業が新設法人を上回る状態が続き、10年間で764社が市場から退出した。店舗数の減少も続いている。経済産業省は3月5日、「書店振興プロジェクトチーム」を立ち上げ、支援意向を示すが、ネット書店や電子書籍に押された書店の減少に歯止めがかかっていない。
書店の倒産 ピークは太洋社破産の2016年
書店の倒産(負債1,000万円以上)は、2014年から2023年の10年間で140社に及ぶ。
ピークの2016年は25社発生した。2016年は、出版取次の(株)太洋社(千代田区)が自主廃業の方針から一転して3月に破産を申請した。連鎖する形で同月30日までに18社の書店が、次々と倒産や廃業に追い込まれた。書店の経営環境が厳しさを増し、書籍を卸す取次店の業績悪化も深刻な時期だった。
その後、書店の倒産は一進一退が続き、コロナ禍では資金繰り支援や巣ごもり需要などを背景に、倒産は減少に転じた。2021年、2022年の倒産は各5社と小康状態にあったが、支援縮小や特需が一巡した2023年は一気に13社と2.6倍に急増した。
書店の休廃業・解散が高止まり
倒産以外で事業を停止した休廃業・解散も分析した。太洋社が破産した2016年の休廃業・解散は63社(前年比28.5%増)と急増。その後も増勢をたどり、2018年は78社、2019年は77社と高水準が続いた。
コロナ禍では倒産と同様、休廃業・解散も減少したが、60社前後で高止まり状態にある。
倒産と休廃業・解散の合計は、ピークの2019年に101社に達した。コロナ禍では減少したが、2023年は67社に微増し、過去10年間で764社が市場から退出している。
書店は8年連続で純減
一方、書店の新設法人は、2013年が81社だった。2013年の倒産と休廃業・解散の合計は75社で、書店は6社の純増だった。
ところが、新設数の減少から2014年は8社の純減に転じ、2019年は56社まで純減が拡大した。コロナ禍の2022年も21社の純減で、2014年から8年連続で純減が続いている。
電子書籍が浸透し、書店の存在が揺らいでいる。店舗で目当ての本を探す楽しみや、知らない本との出会いも、書店の減少で失われつつある。書店の復活には“待ちの営業”から客足を向かせる創意工夫への転換と同時に、国や出版社の継続的な支援が必要だ。
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ���5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう��
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手���つっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰��おける祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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2023年タイの旅
カンチャナブリ編
27日はカンチャナブリにタイのHOTTEST2人と一泊旅行。その前に一泊にスーツケースは邪魔だから、カンチャナブリから戻ってきてから泊まるホテルにスーツケースを預かってもらう事にした。そのホテルがこちら。Buddy Boysが撮影したSukosol Hotel (どこまでもヲタな私)最初に泊まったホテルと違って一応五つ星。でもびっくりするほどはお高くない。しかも空港に行くエリアリンク駅近。
タイの友達はこのホテルまで迎えにきてくれた。
いざカンチャナブリに出発!カンチャナブリへは車で約3時間。バンコク周辺にもゴルフ場はたくさんあるの��なぜカンチャナブリまでもゴルフの撮影に行ったのか?謎、とタイペン皆言う。しかもかなり夜遅く11時くらいに出発したらしい。すると真夜中についたわけ?私らは昼ごはんを向こうで食べようという計画。
途中、ニックンのマラソン映画、Seven Something を撮影した橋を渡り1人で盛り上がる私。
映画は見たけど実物は初。
カンチャナブリ到着後は「戦場にかける橋」の橋が見える水上レストランでランチ。コロナで観光客が少ないせいか、橋がばっちり見える席確保。食事が終わった後は1日数本しか来ない列車が橋を渡るところも見れた。列車が橋を渡る最中も観光客はその橋の端にいた😱
私らもその直後に橋を端から端まで歩いてみる。
天気はいいし暑くないし最高の季節。
ホテルはリゾートホテル。この日は満室。ほぼ欧米人。川辺の夕焼けに��される。
遅めのランチにカフェ巡りもして、夕飯入るのか?でもBuddy Boysの行ったムー��タレストランにはなんとしても行かねばならぬ!ムーガタ初体験にワクワク。かなり遅い時間にムーガタレストランへ。間違いなくここだった。
ムーガタは食べ放題。材料をテーブルに運び、焼いて、タレにつけて食べる。野菜は山型になってる鉄板の周りにぐるっとある溝に出し汁をいれて鍋のように食べる。材料がなくなったらまた取りに行き、焼いて/鍋にして、食べる。行ったり来たり、食べたり、なかなか忙しい。けど、みんなでワイワイ楽しい食事。豚肉だけだと、一人199バーツで食べ放題、飲み放題。かなりのお得感。
ムーガタにちなんだタイ語講座も受ける。よく焼けてるはマイマイ。焼けてないもマイマイ。書くと違うけど、発音は全く一緒だと😂
ご参考��でに↓↓
Buddy Boysが行ったナイトマーケットにも行った。(それぞれのプレゼントを探してたあのマーケット)ここは駐車が難しいだろうからと、ホテルからサリンという乗り物で送ってもらう。サリンはバイク版トゥクトゥク。カンチャナブリではよく見かけた。普通の三輪トゥクトゥクよりずっとスリリング。坂道とかジェットコースター並み。興奮してたのは私だけ(当たり前)夜市では私らはもっぱら食べ物の屋台ばっかり見てたw 虫は無視。
こうして最初の夜は更け、トリプルルームでまったり過ごす。TVつけたらドラマにバイフーンが出てて、ひとしきりNineが告白した話で盛り上がる。夜は熟睡の3人でした。
翌日も晴天。少し冷んやりするくらいの朝。今日はこの巨大な木を目指してドライブ開始。ここにはこの巨大木しかないのに、それなりにお土産店もある。
私が呑気にニックンが好きなお菓子を見つけて立ち食いしてたら、運転してくれてる友達がなにやら軍人さんと長いこと話してる。どうしたのかと思ったら、ガス欠に気づいたと。あいにく近くにはガソリンスタンドはないらしい。が、ここの駐車場の入口の雑貨屋でガソリンが買えるという情報をゲット。行ってみると、見かけは全く普通の雑貨屋。でもガソリンはあった!コーラのペットボトルで持って来たぞ。これぞ究極のリッター売り😂タイ人の友達もこれは初めての体験だと。
とりあえずこれでガソリンスタンドまで持たせる。が、その正規のガソリンスタンドはどこだ?交番見つけて寄ったけど、お巡りさんはパトロール中なのか?��抜けのから。困ってたら、近くで右折待ちしてたバイクのお兄ちゃん見つけて聞くと、ちょうどそっちの方行くからついてこいとガソリンスタンドまで先導してくれた。ガソリンスタンドに着くと、お兄さんはおトイレに入り、颯爽とバイクで走り去った。なんとイケメンな。
おかげでワットタムスワまで行けま��た!
最後、バンコクへの帰り道にあるレストランで遅めのランチ。これが掘り炬燵みたいになってる席の下は鯉の生簀。涼しいけど、足ぶらぶらさせてたら時々飛びついてくる(笑)ここで食べたガパオはマジで美味しかった!
カンチャナブリに一泊し、ムーガタ食べて、ランチx2 カフェx2、さあ、しめてハウマッチ?ガソリン代込みで正解は1人1850バーツ!(7100円) 安すぎます。運転ありがとう。会計係さんもありがとう。私?何もしてない。予約から日程まで全てお任せでした。
次回はニックンが家族旅行したカオヤイに行こう!と約束して別れました。
タイ滞在も残り2日となりました。(えっ、まだ続く?)
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サッポロ珈琲感覚㉘~カフェ バニラ~
コーヒー屋さんに15年以上関わってきた経験と 趣味としてもカフェ巡りが好きなことを活かし 札幌の素敵なカフェを紹介させていただくサッポロ珈琲感覚 第28弾�� 今回ご紹介させていただくのは、 札幌市中央区旭ヶ丘エリアにあるcaffe vanilla(カフェ バニラ)さんです♪
コーヒー屋さんに15年以上関わってきた経験と趣味としてもカフェ巡りが好きなことを活かし札幌の素敵なカフェを紹介させていただくサッポロ珈琲感覚 第28弾。 今回ご紹介させていただくのは、札幌市中央区旭ヶ丘エリアにあるcaffe vanilla(カフェ バニラ)さんです♪ 藻岩山のふもとにある伏見稲荷神社に行こうと思ったのがきっかけで、地図で近くのカフェを探してたら見つけたのがこちらのお店。琴似方面から自転車で35分程と書かれていたので、地形のことなど何も気にせずに自転車で向かい、最後は案内を無視してショートカットしようとしたら、とんでもない角度の坂に遭遇し、真夏の日差し照りつける中、汗だくで辿り着いたのでした(笑) Flower Space…
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四日目に予定していたツアーに行く。アフリカプレートとユーラシアプレートの出会うモロッコ、イタリアは地震が多い。そして、北アフリカのアトラス山脈は、プレート運動によるもの。非常に複雑なプレートなのだ。ちなみに4167mの北アフリカ最高峰のツブカル山近辺では、冬はスキーもできるざます。嫌、ワシはスキー好きだけど、ここにはスキーでは来ないけどね。
そこでワシが見たいのは、ズバリ、プレート運動である。我ながら、なんとマニアックなんだろう。流石、学生時代に地理学者の高木先生と251と言われた国土地理院の25000分の1縮尺地形図を持って藤沢近辺歩きまくったり、ネパールまで一緒に行っただけあるざます。まだ紙の地図の時代。等高線を赤鉛筆でなぞったりして、標高毎の土地利用を見たり、土地利用から地質を推測したりと楽しかった。高木先生は、慶應退官後どっかの大学の学長やってたけど、先生なら当然だろうと思う良い先生だった。そこで、渓谷巡りしながら、アイットベンハドゥというカスバを目指す。カスバとは、アラビア語で城塞、城砦を指す。
一緒に行くのは、ベルギーのリエージュから来た若い夫婦。こんなに乾燥しているのに、嫁は粘度の高そうな鼻水を何度もかんでいた。ワシなんか、乾燥しすぎて鼻粘膜から鼻血が出る上に、勝手に修復活動しているから、ともすると、鼻の奥の粘膜部分にできてしまう巨大鼻くそで窒息しそうになる。鼻かんでも出てこないざます。ので、ベルギー人が羨ましい。ベムでさえ棒よだれタレなさそうな勢いの乾燥度合いの中、さすがエウロッパ人の粘液体質である。感動。ツアーガイド兼運転手のお兄ちゃんには、早々とワシがフラ語をわかっている事がバレる。細かな、例えば地震とかいう単語は知らないけれど、文脈でおおよその予測はつく。だんだんと、フラ語でしか説明されなくなる。汗。
アイットベンハドゥを目指し、午前中は、ツブカル山側の渓谷。山並みが美しい。感動的に不毛な大地。人々は、オリーブやアルガンなどを育てて、羊飼いなどをしながら生計を立てているらしい。でも、段々と都会に楽な仕事と現金収入を求めて出稼ぎに行っているらしい。道路建設や、昨年9月もマラケシュで大規模地震があったが、復旧工事などが地元である間は、生活が潤うのだとか。現金収入を手にしてしまうと、元の生活に戻れなくなるのは世の常なんだなぁ。福島の祖母の家の周りの急速なにわか金持ち達の家々を思い出す。日本は、豊かである。こちらは、家は壊れたまま、未だにテント生活しながら、干し煉���と干し草と土で固めた家を、少しずつ、自分の手で再建している。神戸と東北震災の差異を感じたものだったが、ここまで来ると、政府なんてあって無きが如くである。などと思いつつ、絶景を堪能。
午前中にアイットベンハドゥに到着。世界遺産。そして、映画の撮影地でもある。アラビアのロレンスを撮影したのはここ。その後、ハリウッドはここからまだ南下するワルザザートに撮影所を作っている。多くの観光客は、そちらへ行くらしいが、ワシ一切興味無し。入場料払って撮影所に行くのは、太秦でさえ行かないんだから、モロッコで行くわけないでしょ。
太秦といえば、コロナ中に、母を連れて、憧れのトロッコに乗りに行ったっけ。ワシは、予約無しでトロッコに乗れた事に、感動。と同時に、子供の頃、信楽で買ってもらったタヌキを思い出さされるタヌキだらけの駅を通り、タヌキ熱にかかってしまった。今年、久しぶりに車で関西に帰る途中、憧れの信楽タヌキをまたゲット。前回の、つぶらなお目々に惚れて買った子は割れてしまったので、母が随分と前に捨てちゃったのよね。
アイットベンハドゥです。手前は、川。橋もあるのだが通行料を取るらしいので、鴨川のように飛び石になっている無料の渡し場を通って、暑い中、ワシ、頑張って、上のぴょこんとなっている丘の上まで、城塞都市を通り抜けながら、登山。あのぴょこんとなっている所には、攻められた時用の食料が置いてあります。今は半壊になっていました。このカスバには、まだまだ人が生活していて、世界遺産だから、土産物屋とカフェ、ホテルだらけ。ホコリっぽく暑い。けど、おまけに迷路です。
ワシ、道がホウキで封鎖されているので、戸惑っていると、中からこす���からい感じのババァが出てきて、その道通れない。我が家を抜けてこっち通れ。近道あるよ。1ユーロに当たる10ディルハム払え。という。マジかーと思ったが、もう今さら戻る気にすらならないよ。何段階段登ったんだよと愚痴り、お金を払う。もっと最悪な事に、近道という道は、確かに近道だが、上からペットボトルなどのゴミが流れる、いわゆる砂防のような砂利道斜面。膝悪いワシには最悪。ゴミを避けながら、滑り落ちないように、足場を確保しつつ、たまには手もついて、必死に登る。一歩滑ったら、そのまま崖である。冷や汗出まくりだけど、暑い。ワシ、山登りしてて良かった。普通の人なら、無理レベルだと思う位に、斜度がきついし滑る。
興味深くお宅拝見できたのは良かった。水が来ているのだ。どうやって水を上げているのか、不明。気になる。けど、カスバの頂上には何も水関係の施設がなかったので、多分、下から川の水をポンプで汲上げしているのだろう。面白い事に、郵便も届くらしく、玄関と思しきドアの横には、郵便ポストもある。中は、分厚い壁のために、嘘みたいにひんやりと涼しい。そして冬は暖かいのだという。やっぱ壁の分厚さによる断熱だよなーとワシは思う。ドイツとか北欧の家も、壁分厚いもん。日本の薄壁に断熱ウール入れて、断熱してまーすってやっぱ、どう考えてもなんちゃってだろう。ワシは、ワシの部屋のクーラーをママが買い替えてくれたので、国士舘柔道部出身のおッちゃんの工事の一部始終を詳らかに観察したが、これで断熱って、騙されてるーと思ったっけ。
パッシブソーラーハウスの典型として出てくるモロッコの住宅。壁分厚く、中にパティオを作って水を流すので、適度な湿度が保たれ、冬温かく夏涼しいと、建築学の本で読んだ通り。昔の人の方が賢い。風土に合った建築を作っている。え、まてよ。日本は、なぜあそこまで寒さに耐えなくちゃいけない家なんだ。。。東北の家の中にある蔵、内蔵は温かそうだけど、あれが持てるのは金持ちだけだしなぁ。。。オンドル無いし。辛すぎやろ。ワシ、暑いのも寒いのも苦手な段ボール箱の箱入り姫様ですねん。
昼食は道中の村でタジン鍋。ワシ、下痢中なので、控えめに食べる。帰路は、アトラス山脈側の渓谷。運転手が、急遽、古代からの塩田に連れて行ってくれた。白いのは塩。雨が降ると、地面から滲み出て、塩田になるらしい。舐めてみると、とても優しい塩だった。昔、この辺り一帯は海。それがユーラシア大陸とぶつかって��起している。道端の土産物屋では、アンモナイトに三葉虫などの化石がたくさん売られている。感動しているのは、当然ワシだけ。ベルギー人夫妻の感動ポイントは、良く分からない。向こうも、ワシがなぜ、sel de fleurと大騒ぎしておるのか、さっぱり意味不明だっただろう。ここは、昔、海韃靼だよと言っても、アホにな何も通じない。アホってマジで救いようない。
この上の写真を観ているだけだと、完璧に、アルゼンチンのサルタ、フフイの感じ。ワシ、地球の活動に感動。地球は生きとる。そして、美しい。人間の無知なんて、ここでは、笑いものにすらならない。無知な奴は死ぬだけ。ラクダのキャラバンに必ず一頭はロバをつけるのは、ラクダは水分なら何でも飲んでしまうらしいが、ロバは危険な鉱物が入った水は飲まないらしい。なんなら緊急時、ラクダのオシッコでさえ貴重な水分源になるキャラバン隊にとって、ラクダが飲めるからと言って、オシッコ活用しなきゃいけない時にラクダちゃんの身体がろ過した危険鉱物をいただく訳には行かないのだ。だから、まずはロバに水を飲むか確かめさせてから、人間もラクダも水を飲むらしい。いやぁ、侮れないぞ。ロバ。
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② UOZU trip
一泊二日の富山旅行。楽しかったよ~!! 特急電車にゆられ片道3時間…。 川沿いを走ったので、きれいな川やごつごつの岩や巨大なダムが見られたよ。
富山駅で友達ぽましーと合流! ブラックラー��ンの元祖のお店でお昼を食べた。
めっちゃ味濃かったんだけど、不思議と食べてる内に気にならなくなって、分厚いチャーシューはトロトロなところもあって美味しかったし、ぶつ切りのネギがアクセントになってあっという間にたいらげてしまった。太麺も良き…。
そのあと魚津水族館へ!
ちょうどアザラシの餌やりタイムで芸も披露してくれてかわいかった。 大きな魚が泳ぐ巨大水槽は圧巻だったし、世界初の水中アクリルトンネルもきれいだった。 リュウグウノツカイの標本もすごかったよ。
川辺の生き物や深海魚、爬虫類コーナーもあった。時々説明パネルにスタッフの魚を食べた感想が載っていて、こぢんまりしてるけどとてもステキな水族館だった!
その後ず~っと行きたかったお土産屋、真珠コーナーへ。 とんでもない空間だった…。とにかく物量がすごい。 あとフロッキー人形のかわいさ。友達の代行やお土産選びを済ませて、自分の買い物タイム。めっちゃ悩んだけど、ほしいものはちゃんと選べたと思う!鉱石がめちゃくちゃあったんだけど、今持ってる子たちを大切にしよう…と思ってほとんど見なかった。しっかり時間をかけて(ぽましーを1時間待たせて)買い物できたのに、まだ見てないところあったかな~と不安になったりする量でした。また行こう。
そのあと夕飯を食べて、夕日を眺めに海岸へ。 とんかつ屋、めちゃくちゃ美味しかった~。港町に来たのに一度も魚料理食べなかったのおもしろい。でもアパホテルの朝食バイキングでサバの塩焼き4切れくらい食べたからオッケー!
防波堤にのぼって、夕日が沈んで薄暗くなるまでずっと海を眺めていた。 静かですごくきれいだったよ。月も浮かんでいたし。 その後ホテルまで送ってくれた紳士ぽましーと解散。
翌日は魚津埋没林博物館と散策! 真珠コーナーでミラたん(魚津市のゆるキャラ)グッズを漁るのすっかり忘れて後悔してたんだけど、魚津駅前を通ったら観光案内所を見つけてミラたんグッズを購入できた!ミラたんマークが入ったシャツを着た職員さんが親切でここで買えてよかったな~と思った。
2000年前の埋没林はものすごい迫力だったよ…。上から覗き込んだ時、ものすごく怖かった。地下から見ても。でも生で見られてよかった。水槽がそのまま地下水と繋がっているから、時々空気の泡が��かんでいくのが幻想的だった。
そのあとは併設されてるキニナルカフェでフルーツゼリーソフトクリームプリンという夢のようなおやつを食したよ。 (かわいいイエローの紙袋は観光案内所の職員さんがプレゼントしてくれたの)
博物館の一番上は展望台になってて、望遠鏡で海を眺めたよ。
博物館を出て、海沿いを歩きながらてんこ水の井戸や米騒動発祥の地を巡り、富山に戻るため西魚津駅へ。 電車が来るまで時間があったので、近くのカフェで休憩。ブルーハワイなソーダ美味しかった.。o○
カフェを出て、駅のホームで電車を待ちながら地球儀を聴いていた。
富山駅に戻り、お土産屋で家族や友達へのお土産を購入し、帰りの電車に乗った。 最高の旅だった。ぽましーに感謝。魚津に感謝。 また行きたいよ~。今度は海鮮食べたい!レンタサイクルでおでかけもしたい。 旅って超楽しいんだね。もっとあちこちでかけよう。 日常に戻ってきた時はなんか終わっちゃったな…って寂しい気持ちあったけど、日常があるから非日常があるんだよな。 今度はどこに行こうかな。西日本ありだな。 心身気をつけつつ、労働をこなし、生活を続けるぞ~。 ここまで読んでくれてありがとう! みんなも元気でいてね。
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ハイパー越境観光案内所『INTA-NET』 / 京都三条の路地奥
▼『INTA-NET』が目指す、新しい観光の形
はじめまして。『INTA-NET』運営チームです。
私たちは、時代・コミュニティ・文化圏の境界線を超える、「ハイパー越境」な観光を実践する “観光案内所” を、京都の三条京阪につくります。
『INTA-NET』は、カフェ/Bar、ショップ、ラジオスペースを持ち、かつてのインターネット掲示板のように、その日居合わせた人と交流を楽しんだり、京都でオススメの場所や集まりについて情報交換する空間です。
かつて2000年代前後のインターネットは、世間の常識にうまく馴染めない人たちの「逃げ場」でした。掲示板でのやりとりや、個人サイトが張り巡らされたハイパーリンクのなかで、ゆるい連帯感で集まった人たちが交流していました。
キュレーションされていない、カオスな情報で溢れていたあの頃。インターネットはいつだって、私たちの物足りない日常を満たしてくれる、新しい出会いと発見がある場所でした。
私たちがつくる観光案内所は、いわば掲示板のスレッド。
そこから先にどんな物語が生まれるかは、訪れる人次第です。
誰もが立ち寄れて、それぞれが知っている京都について語り合い、旅の遍歴(ストーリー)を集積する。
たまたま出会った人と語り合い、一緒に街歩きするなかで、普通の観光ではアクセスできない街の「境界線の先」を探していく。
私たちは、そんな場所をつくります。
▼誰が運営しているのか
私たちはこれまで、台湾・台北でアートスペースの運営や、世界各国の”カワイイ”をキュレーションしたポップアップなどを行ってきました。
まずは、鈴木宏明と神明竜平が共同代表を務める「スーパーゴリラパワー合同会社」。
2019年、台湾・台北にアートスペース『空屋』をオープン。これまで台湾と日本のアーティストの橋渡しとなる展示などの企画を実施・受け入れしてきました。
空屋を起点に今後もアジアのネットワークを広げて、『INTA-NET』でコンテンツをお披露目していく予定です。
台北のアートスペース『空屋』
続いて、「越境カワイイ」を提唱し、世界各国でのキュレーションや商品販売を行うクリエイターチーム・メンメイズ-menmeiz-
menmeizビジュアル(by moe_magmag)
世界中の「カワイイ」をディグり、これまでラフォーレ原宿やSHIBUYA TSUTAYA、阪急うめだなどでポップアップショップを開催し、今回の『INTA-NET』が初のリアル店舗展開となります。
阪急梅田ポップアップの様子
▼なぜ京都なのか?
私たちはこれまで、台湾や韓国、タイ、インドネシアなどのアジア圏に関心を持ち、活動をしてきました。
毎月のように飛行機に乗り、新たなスポットで現地の人と交流していましたが、それができなくなった2020年。 改めて日本に興味を持ち、京都に焦点を当て、街の人たちやお店と交流を続けてきました。
そのなかで気づいたことがあります。
京都には、普通の観光では垣間見れない文化や歴史が、地下水脈のように流れているのです。
数百年前の鴨川の様子
戦後大きく変わる国を憂い、西部講堂や吉田寮で起こった学生運動。
文豪たちが夜な夜な集い、議論を交わした居酒屋。
名だたる著名人が遊びに来る、一見様お断りの舞妓や芸妓の世界。
先人たちの文化に誇りを持ち、伝統を守りながら生きる人々。
『四畳半神話大系』や『鴨川ホルモー』で描かれるような、歴史とファンタジー入り混じる世界観も、京都から生まれています。
さまざまな時代・コミュニティ・文化が混在する京都で、「境界線」を超える観光の在り方を探っていきたい。まずはリアルな場所を京都につくり、その可能性を追求していきます。
京都の夜は次元を超えた境界線の先に行けそうな気がします
▼店舗について
『INTA-NET』の建築にあたり、建築家の甲津多聞氏と、都市研究家の清山陽平氏に、今回の空間を設計していただきました。
(建築設計テーマ企画書を、SlideShareにて公開しています。画像をクリック、もしくはこちらのリンクから飛びます。)
観光案内所の、具体的な用途は以下です。
①カフェ&BAR
『INTA-NET』の一階では、アジア各国のドリンクや、お酒を提供する予定です。みんながゆるっと集まり、旅の想い出や、ひとりひとりの遍歴を語るスペースをつくります。ここは貸し切りでイベントも開催可能です。
②ショップ・ギャラリー
また一階では、menmeizをはじめとするクリエイターやグッズ、また世界各国からキュレーションした音楽やブランドなどをスーベニアとして展開・販売します。またギャラリーとして、京都や海外アーティストの展示も実施。日本文化の発信元と言える京都から、世界をつなぐ新たなカルチャーを創り、広めていきます。
③観光案内所
『INTA-NET』を運営するなかで発見した、オススメの場所やコミュニティを紹介するツアーをつくります。また、運営メンバーはアジア各国と繋がりが深く、台湾・韓国・インドネシア等と提携したツアーも展開予定です。*1
④ラジオスペース
お店の二階にはラジオスペースを配置。「これからの観光」をテーマに、京都の街や観光に詳しい人たちを招待し、Podcast等で発信を行う予定です。
また紹介制でラジオスペースにフリーアドレス席を使える仲間を集めていく予定です。
ちなみに、「観光案内所」としてはこんな企画を考えています。*1
・伏見・旧遊郭地帯を巡る旅
・狩猟体験
・左京区カウンターカルチャー会
・山寺修行/座禅体験
・台湾のディープなツーリズム紹介
・インドネシアのオルタナティブスペース紹介
…などなど。ツアーを企画したい人と、京都で遊びたい人をプラットフォームとしてマッチングしていきます。
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堅気
Wednesday 26 March 2014
朝8時半に起きた真観。昨夜は中々寝付けず寝れたのは4時過ぎだった。昨日の起床時間から考えると24時間起きていた計算になる。10時少し前真観は学校に着いた。今日は、講師会議の日。会議の前キャリアセンターの方と立ち話をする真観。真観の生徒の1人がつい先日卒業してまだ間もないのに就職先を辞めてしまった。本人からも連絡が入っていたが辞めた理由をキャリアセンターの方からも知りたかった。理由は、2つあったが就職先の厳しさに耐えられなかった様だ。残念だがその生徒とは授業で1年間付き合った訳だから彼の言い分も理解している。
講師会議は、最初全体で行われその後各学科に別れて行われた。当然様々な議題が持ち上がり会議は進められた。真観は、自分の受け持つ授業でのプレゼン強化を訴えた。訴える以上どうプレゼン強化に工夫をするか真観に大きな課題が出来た。会���は約20人ほどの講師が出席した。
会議の後、真観は、オフィスに戻った。一息ついてから新宿駅に向かった。今日は、元生徒でタイ人のEがタイから来日していて会う約束があったからだ。真観は提案した4時の約束に自分が少し遅れる形でEと再会。Eは、美しいガールフレンドと一緒にいた。カフェに入ってお互いのことを話した。Eとは日本語で話せるがEのガールフレンドとは英語で話した。Eがカメラマンとして活躍していることを聞き嬉しく思う真観。Eは、真観のクラスではなかったが卒業後茶畑庵にも来たし交友をFacebookで繋げて来た。
6時のバスに乗り静岡に帰る真観。昨日寝れなかった分バスの中では少しだが寝ることが出来た。バスが御殿場に着くと雨が激しく降っていた。駐車場にワーゲンのT2をパロった軽自動車が停まっていた。この様なタイプの車は禅寺の近くにも1台あるのだが本家本元のワーゲン社はどう思っているのだろうか?がっちりワーゲン社のロゴマークも車に付いている。でも今夜見たこの車はしっかりとカスタマイズしていてその費用は大きいなと思った。だからパロッた車だがそれなりに完成されていた。日本独特の文化だと思う。
茶畑庵に戻ると即効シャワーを浴びた。すぐにでも布団に入って寝たかったが昨日からの流れの影響なのか眠くなくパソコンの前に坐りFacebookに「Today's Fashion」を載せた。写真のUPは簡単だが一緒にUPする文章も考えて作成していたら時間が掛かった。時間は掛かるが文章をどう組み立てるかを考えるのは楽しい。
Today’s Fashion (Facebookより) #26032014
今日は、学校の講師会議に出席したハルオ。講師会議の前に学校全体の講師が一同に集まって学校長から今期についての方針を聞いた。学校の学科は写真学科を含めて10学科ありその講師一同となると200人を超える数。アートを主軸とした学校であるからか個性的なキャラの濃〜い講師の方々が沢山いた。一段落してから雑談をした時ある講師の方が『堅気には見えない講師の方沢山いましたよね〜』続けて『松谷先生(ハルオ)も堅気には・・・』と冗談(いい意味で)で言われた。ハルオは自分で堅気とは言わないが堅気でないとも言わない、と思った。(苦笑)はてはて堅気とは?
その後新宿駅西口改札で4年ぶりに元生徒(2010年卒)のエッカチャイと再会。エッカチャイは美しいガールフレンドと一緒にいた。ハルオは、彼に「Today’s Fashion」の撮影をお願いした。さてどこで?と考えた末近くの交番の前がいいと思い決行!タイ、バンコクでカメラマンとして活躍するエッカチャイはハルオのリクエスト(交番前、人を極力入れない、お巡りさんと一緒に)を見事に応えた。
そこで一句 「交番に_背を向け立つは_堅気かな_それとも否や_表現者かな」 おそまつでした。 — Claudia Mikaiさん、他2人と新宿西口にいます。
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2023年11月3、4、5日(金土日)
いずれも晴れ。平日のつまらなさに疲弊しておりせっかくの三連休も別にバイクに乗らなくて良いか……みたいな無気力感でいっぱいでしたが、とりあえず無理な気持ちになったら帰ってくればいいやというゆるい感じで木曜夜に出発。休日朝、東京を脱出する高速道路はどこも渋滞するので。沼津まで走って快活クラブで一泊。人生3回目のネカフェで初宿泊、思っていたよりだいぶ快適です。夜に出るツーリングで活用していきたい……。 11月3日(金) というわけで金曜は沼津スタート。国道一号線をトコトコ走って西へ。高速道路は怖いしつまらないので、下道を使う余裕のあるツーリングは本当に素晴らしい。国道もツマランという意見もありますが、わたしは結構好きです。渋滞してなければ。道の駅もあるし。 浜名湖辺りは海すれすれを走る自動車専用道路で、信号もなく快適でした。なにより景色がよい!あのへんは東名からの景色も好きです。長い橋と海とを見渡して山に入っていくあの感じ。山にホテルが見え隠れしているところも旅感があって好き。国道からだと長い砂浜が渥美半島まで断続的に繋がっているのがわかって面白かったです。 それから伊良湖岬まで走って伊勢湾フェリーで鳥羽に渡りました。最終フェリーに間に合って良かった……港で船を待ちながら日没。 11月4日(土) 6時に起きて出発!と思っていましたが案の定起床失敗。8時前くらいに走り出して伊勢神宮にお参りしました。といってもいきなり内宮に乗りつけるという無法ぶり。すみません忙しない観光客で……。というかまあまあ朝なのに宇治橋最寄りの駐車場は既に満車、1時間待ちの渋滞でした。すごい。四輪の渋滞を尻目にバイクは余裕の駐車。二輪車万歳。早起きが苦手なひとは二輪車に乗るといいと思います。 赤福本店も食券購入が少し並んでいるだけで助かりました。できたての赤福、口のなかで餡と餅との区別がつかないくらいやわらかくて「いままで食べてきた赤福はちょっと固くなっていたんだ……」と悟りました。仕方ないね。 有料の伊勢志摩スカイラインはもちろん、パールロードなど鳥羽・伊勢・志摩の道はどこも素晴らしく気持ちが良かったです。広いし、高低差やくねくねも面白いし、景色もいいし。地元民はめちゃくちゃ飛ばすけど……。ともやま公園というところから英虞湾を眺めましたが、入り組んだ地形と穏やかな湾と街が素敵でした。 この日はフェリーを諦め、亀山に宿泊。関宿という東海道の宿場町にあるホテルに泊まりました。 11月5日(日) ぼちぼち東京に帰り始める。関宿は「東海道関宿街道まつり」が行われていました。街道沿いの古民家カフェで朝食を食べていたところ、山車が通っていくのを見られたのでたいへんラッキーでした。マイクロバスから降りてくる武者や甲賀忍者たちも。旧街道の宿場町を巡るツーリングとか楽しそうだなあと思いました。もう寒くなるので、また次のシーズンですね……。 四日市から高速道路に乗り、えっちらおっちら東京を目指して走りました。今日もよく晴れていて、下りの薩埵トンネルを抜けたときの景色は最高でした。寒い時期は富士山がよく見えて嬉しい。由比PAに止まるのは時間的に諦めましたが、結局御殿場あたりで渋滞していたので東名を降り、山中湖から道志みちを経由して都内に帰りました。もう夕暮れにさしかかっていて、橙や藍色に染まる富士山がほんとうに美しかったです。ラッキー。山中湖の紅葉もライトアップされていて綺麗でした。伊勢鳥羽はまだあまり紅葉していなかったので、やっと秋を感じられたなあ……。ラッキー。 木曜夜のテンションの低さはなんだったのか、やっぱりツーリングは出発してしまえばすごく楽しいなと思いました。今回はお天気もずっと良かったし。バイクの運転、楽しいです。次回もご安全に!
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旅日記の二日目!今月終わるまでに書き切らんと…
旅行二日目は一番の目的であるペンションクヌルプへ行く日。チェックイン可能な15時以降に白馬入りするとして、まずは朝起きて朝ごはん。ビュッフェスタイルの朝食はどこのホテルでもいいものです。メニューの中には特産品の蕎麦、野沢菜があってあとはベーシックに卵焼きやらウインナーやら定番モノが並んでいて、その中でも良かったのはスムージーでしたね!野菜系と果実系があって、ベリースムージーを二杯飲みました。リンゴジュースも飲んだので果糖モリモリ接種しちまいましたね。でも爽やかな味で美味しかったー!
ご飯を食べたあとはチェックアウトし、午後の電車までは松本城を観に行くことにしました。松本駅から徒歩15分くらいってことで、アクセスとっても良し。割と気温が暑かったので汗だくになりながら歩きましたが、着いて初めて見たお城は想像していたよりも断然よかった!堀とか石垣とか、あと漆の白塗りっぷりとか、現代に至るまで修復はされてるものの歴史観あって感慨深かった。そんな興味なかったはずなのに、結構ウキウキで天守閣まで登ったよね。階段急すぎてアスレチックやってる気分だったけど、それはそれでいい運動になりました。お土産屋で手毬の形の最中買ったり、周辺の街並み観るだけでもとっても風情あってよかったなぁ。惜しむらくはど平日で周辺の店全然やってなかったことかな…いろいろお店巡りしたかった。
そんでもって四柱神社寄ったり、そのあとは名物のお蕎麦を食べたり。お蕎麦屋さんは無限にありすぎて一旦カフェで小休止しながらお店ネットで吟味して行きました。蕎麦の食べ比べセットがあるということでそば処種村さんへ。二種類のそばが盛られた食べ比べセットは、まず塩で食べてみて勧められて食べてみました。うん、よくわからん。二種の蕎麦も蕎麦の品種が違うとのことで、確かに割と味は違ったんですが、まあ蕎麦だな…って感想になっちゃいました。多分蕎麦そんな通じゃねンだわ、私。
そんなこんなで蕎麦自体はまあ…って感じでしたが、何気なく飲んだお冷のお水がめっちゃ美味しいことに気づきまして。テーブルにあったピッチャーに8割は入っていただろう水を思わず3割りくらいがぶ飲みしました。なんかこう、爽やかというか、雑味がないというか…清廉で喉越し?のいいお水でした。文句なく名水!!水で感動することなんてそうそうないのでカルチャーショックでした!
そんなこんなで松本を満喫してからいざ白馬村へ。一時間半くらい電車に乗ってようやく着いた白馬駅は松本市と比べるとだいぶ寂れてました。平日だしね。スキーシーズンだったら賑わっていたのかもしれない。
駅から電話して送迎に来てもらい、ドキワクしながら車で揺られること約10分。山奥にポツンと建つクヌルプに到着!外観だけでテンション上がる!招かれるままペンションに入り宿帳記入したら説明と部屋の鍵をもらう。調べたら真理の部屋でしたね。(最初美樹本さんの部屋だと思ってた)そして客は私一人。めっちゃペンション静かやった…
建物自体はかなり年数たってると思うんだけど、手入れがしっかりされていてあまりボロい感じはなかったです。木の香りやポプリの香りがあらゆるところでして、ログハウスってなんかいいなーと、ホテルでは味わえない感じに感動。
そして荷物置いならすわ自由!となり、まずはペンション探索。(という名の写真撮影)ゲームで見た!ここで春子さんが死んでた!!とか内心で盛り上がりながらバシャバシャと写真を収める私。誰かとはしゃぎたかった…と足音さえも響きそうな静かなペンション内で思う私。割と、いやかなり心細かったです。ひ、人気がねぇ…。
一通りペンション内を周ったところで、せっかくだし近くの温泉行くか〜と外に行くことに。おびなたの湯という野外に作られた温泉施設があると調べておいたのでそれもまた乙なるかなといざ山道へ。これがですね、17時回った曇天の天候だと薄暗くてですね…道は全然見えるけど冷え込んでるし、獣飛び出してきそうな道だったんでちょっと怖かったです。大体5分〜7分くらいで温泉に着き、ヨボヨボのおじーちゃん店員にお金を払って入浴へ。
中は5人で満員になりそうな小さい脱衣所に鍵付きのロッカーあり。あとは洗面台も一つだけ。そこで脱いだらガラス戸一枚越しに大きめの浴槽がこれまたひとつだけ。洗い場は3つか4つか。なのでシーズンは混雑必至そうでした。ここに関してはど平日閉店間際が功を奏してほぼ貸切状態に。閉店になる間際まで思う存分お湯を堪能しました。
温泉自体は北海道にもいろいろあるわけですが、このおびなたの湯は強アルカリ泉らしく湯当たりがトロッとした心地です。美肌の湯なんてよく聞く謳い文句でしたが、これが今までにないくらいツルツルになりまして。古い角質溶かしてくれてるんだなー!とペンションに戻ってから足裏を触ってめっちゃ実感しました。ここはまた行きたいと思うお湯でした。
そんなこんなで芯までポカポカになり、ペンションに帰ることに。が、この帰り道が行きよりめっちゃ暗くなっててめちゃ怖でした。街灯のない山道はヤバい。車来たら河村亜希よろしくひき逃げされそうでしたわ。歩き続けてペンションの明かりが見えたときの安心感と言ったら、雪中行軍の透と真理の気持ちでしたね。やっと辿り着いた!っていう。
戻ってきて18時半近くなっていたので、次は楽しみにしていたご飯の時間。クチコミどれ見ても美味しいって書かれてるからハードル上がってたんですが、これがホントに美味しくて。フレンチのコースなんだけど、家庭的な感じで分かりやすく美味しいというか…どれも土地のもの使ってるんだろーなーってメニューで味わい深かったです。そして量がちゃんとあったおかげでお腹いっぱいに。お肉めっちゃでかかった。フレンチだとひとくちふたくちくらいの大きさってのがよくあるので嬉しい裏切りでした。サイドで頼んだカモミールティーもめっちゃオシャレだし花の香りすごくしてうま〜!と声を上げたかった!何もかも美味しかったなー。
ご飯の後は談話室でコミュニティノート見たり書いたり…そして今度はクヌルプのお風呂に入ったり。そんなことしてたら夜は深まり今夜12時になりました。夜のペンションも撮らなきゃといそいそと部屋を出たんですけどね、2階から見下ろした景色が想像より怖くなってね…写真一枚だけ撮ってさっさと寝ることにしました。
そしてその後、疲れているはずなのに眠れないという永い夜を過ごすことに…ずーっとゴロゴロして、多分2時くらいまで寝れなかったです。やっぱ怖かったんだろうか、私。
三日目につづく!
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7月21日(木)
おはようございます☀️
【LA2023フリーマーケット編】
フリーマーケットは主に日曜日に開催!ロサンゼルスに関して言うなれば、
●第1日曜日はパサデナ・シティカレッジ・フリーマーケット
●第2日曜日は大人気のローズボウル(アメリカ最大級)
●第3日曜日はこちらも人気、ロングビーチアンティークマーケット
あたりが人気で、
●第4日曜日は…あれれ?
自分達が行くのは第4週目の日曜日! 大小問わなければ各地で小さいフリーマーケットは毎週やっているのだが、大きなフリマは無い🥲
そんな中『トパンガ・ヴィンテージマーケット』と『トーランス・アンティーク・ストリートフェア』が比較的人気なんじゃないかと思い、いつも海外買い付けに行ってるような人達に聞いてみたが、『第3日曜日が終わったら帰国するので行った事無いです!』そりゃ買い付けに行くんだから、大きいフリーマーケットに行かないと割に合わないよね!
LAに住んでた友達に聞くと、トーランスはよく行ったけど、トパンガは行った事はない!との事。当たりかハズレか、とりあえず確認するためにも強行Wフリーマーケットへ出発💨
トパンガのビンテージマーケット開催は7時から!5時半に起き、6時過ぎに出発、予定通り7時前に到着!トパンガはロサンゼルスの北西部サンフェルナンドバレー地区にあり、
車で30分〜40分ぐらい。ビンテージマーケットはピアス大学の駐車場で開催されていて、すでに沢山の車が停まっている!急げ💨入場料を払って、いざトレジャーハンティング開始‼︎
規模は小さいけど、面白い物はありそうな雰囲気…💓1周回るのに2時間ぐらい、200ブースぐらいは出店しているそう!
お目当ての物にはそうそう巡り会えないが、例えばビッグボーイの人形が10ドルであったり、パイレックスの食器や、古いオモチャの車、メイソンジャーやティン缶など。ヴィンテージマーケットと銘打ってやっているだけあって、会場全体がそんな雰囲気。
古いブリキのパイ皿を見つけ、1枚5ドル。2人で5枚買うからディスカウントしてくれる?って出店者のお爺ちゃんに聞くと、オロオロ、オロオロ。結局お婆ちゃんが出てきて『これ以上は安く出来ないわ!』『このパイ皿は、私のお母さんのキッチンから出てきたから、おそらく1920年代から40年代の物よ!』『昔ヘルムズってベーカリーがあってね、そこからいつもいい匂いがしてたの!』と昔話が始まる…と言った感じで、トパンガ・ヴィンテージマーケットはローカルばかりのほのぼのした雰囲気のフリーマーケット。
ちなみにヘルムズ・ベーカリーを調べてみると、1931年にオープンし、オリンピックの公式ベーカリーだったよう���今は閉店しているが、建物は残されているそう。当時は有名だったんでしょうね!
次は宿の近くの街トーランスまで一気に戻り『トーランス・アンティーク・ストリートフェア』へ‼︎ 10時に到着。こちらも200近いブースが、街の一角に並び、周辺にはレストランやカフェがあったり!
全部が全部アンティークという訳ではないが、チラホラお宝が眠るブースが!といっても、私にとってのお宝だから大した物ではないが😅アンティークのキッチン雑貨狙い。まとめて買えば値引き交渉もしてくれるし、1ドルぐらいからでも買える物もあるので楽しい❣️
鋳物で出来たロブスター🦞の鍋敷に一目惚れ!裏には作られた街の名前だろう、シャロン・マサチューセッツと書かれている。25ドル、値段交渉したけど、『ロブスター🦞ものは人気があってコレクターが多いの!これはまけられないわ!』なんてやり取りがまた楽しい!🦞もちろんGET❣️
大きなフリーマーケットには行けなかったけど、個人で楽しむならどちらも十分楽しめる内容でしたよ!これからもアメリカに旅行する時は必ず日曜日を絡ませて、フリーマーケット巡りはやめられないなぁ…😍
帰り道、トーランスの1947年から続く老舗甘味何処フォスターズフリーズ(ソフトクリーム屋)で休憩!アメリカに移住したタムケンさんも最近来てましたよ!ちゃ〜😜
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【お客様へ】
⚠️お席のご予約はお受けしておりません。店内のご利用は、ご来店頂きました順番にご案内しておりますので、来られましたら必ずスタッフにお声がけ下さい。
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テイクアウトはお電話にてご注文承ります。☎️078-986-1237 です!事前のご注文でお引渡しもスムーズです。※タイミングでお時間が少しかかる場合もございます。ご了承下さい。
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当日のご予約は、開店前の朝9時からお電話にてご注文承ります。当日ご来店頂いてからのご注文はかなりお時間がかかる場合もございますのでご注意下さい。
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⚠️ハンバーガーはお引き渡し後、1時間以内にお召し上がり下さいね!
パイ・ケーキ類は速やかに冷蔵庫で保管し、当日中にお召し上がり下さい。
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【本日のクッキー】
・カウボーイクッキー
・ハワイアンクッキー
・m&mチョコレートクッキー
の3種類。
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【本日のパイandケーキ】
・チョコレートパイ
・ライムパイ
・オレオチーズケーキ
・チェリーパイ
・ソルティーハニーパイ
・ハワイアンパイ
の6種類!
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大阪・神戸旅振り返り
この週末、彼女に会いに久しぶりに関西に戻ったので、記録として更新する。
2023.6.3
10時過ぎ、バスが梅田に到着。前日までの梅雨を感じるような天気から一転、カラッと晴れ渡った快晴日和だった。
彼女と合流し、適当に時間を潰してランチへ向かう。まだ兵庫に住んでいた時、よく彼女や友人と行っていた 「路地裏食堂 マチュナガ」。いつもディナータイムに利用していたので、昼の利用は初めてだった。
名前の通り、中崎町の細い路地道を進んだ先にある小さなお店。すべての料理が丁寧に作られていて何を頼んでも抜群に美味しい。私はタコライス、彼女はデミチキンカツを頼んだ。相変わらずの味に2人で唸りながら綺麗に料理を平らげ、お店を後にする。
梅田に戻りがてら、友人が働くカフェへ顔を出しに行った。その日彼女がいるかは不明だったが、一か八か店内を覗くと変わらぬ姿で働く友人の姿が見えたので入店。注文したドリンクを待っている間、軽口を交わした。今度はドリンクカウンター越しでは話せないことを話そう、とご飯の約束を取り付ける。
今回の宿泊先は中津だったので、ホテルに荷物を預けた後は念願のスキマへ。開放的な空間に、魅力的なレザープロダクトが秩序を持って並べられていた。元々アッセンブルバッグのSサイズを目的にしていたが、残念ながら全て売り切れ。その後接客についてくれたお兄さんのサンダルが気になり試着するも、即買いできる値段ではなかったので写真を撮って名刺と品番控えを貰い退店。気になるものがありすぎたので、一旦頭を冷やして次回迎えに行く。
夜はホテル近くの大衆イタリアン 「ブドウヤ」 へ。目玉のアンチョビポテトやハラミステーキのほか、ライスコロッケや山芋のトマトソース焼きといった小皿を少しずつ頼み、腹を満たしていく。店員さんも皆愛想が良く、最初はコワモテだなと思った店主さんは、最後に「美味しかった!」 と伝えるとにっこり笑ってくれた。ファンになりそう。
お腹いっぱいのまま、夜の中津を散歩する。昼は茹だるようだった暑さも、夜にはダラダラ歩くのにうってつけの気温になっていた。中津に訪れるのは今回が初だったが、再開発され整備された空間と、昔ながらの下町の空気が混ぜ合っていて個人的にとても好みでした。次はこういう街に住んでみたい。
2023.6.4
前もってこの日は神戸に行くと決めていたので、早起きして大阪を退く。前日の時点からランチは中華にしよう!と相談し、事前にピックアップしたお店候補から選ばれたのは元町 「はらぺこ飯店」
口コミには 開店と同時にかなりの行列ができると記載されていたので気持ち早足で向かい、運良く2番目で入店。私は魯肉飯、彼女は中華カレーを注文。私はアジア料理のスパイシーな香りや味付けが大好きなのだが、ここのお店の魯肉飯は日本人の口に合わせたマイルドな味付けでとても食べやすかった。スパイスが苦手な彼女にも好評。店内も綺麗で量もたっぷり、友人各位に勧めたいお店である。
その後向かった1番の目的にしていた本屋さんが臨時休業していたので、元町のブルーボトルにてプランを練り直す。前々からブルーボトルのノラフロートが飲みたい!と騒いでいたので、落ち込む私に気を利かせた彼女が提案してくれたのである。彼女は少食なのに、私のデカ胃に付き合わせてすまんね…と思いながらお言葉に甘える。
気を取り直し、第2目的の古本屋 「荒野」 へ。明るい木調の店内には絶版本から割と最近出版された本まで、ジャンルを問わず様々な古本が綺麗に陳列されていた。欲しかった池井戸潤の民王があったので迷わず手に取り店内を巡回していると、足元に1981年に京都で行われたマティス展の図録が並べられてあるのに気づく。少しページを捲ると、当時のチケットが挟まっていた。ちょうど東京のマティス展を諦めたばかりという個人的状況も相まり、居てもたってもいられず池井戸潤と合わせてレジに持っていく。
続いて、花隈の「本の栞」 へ。ここはサラ本がメインだけれど、ところどころ古書もあるので本棚に目を巡らすのがとても楽しい。ここでも、かつて開催された狩野永徳展の図録を見つけ、桃山文化の華美で豪奢な芸術にめっぽう弱い私はこれも連れて帰りそうになったが、あまりの分厚さと重量に慄いたので泣く泣く棚に戻した。その他、詩集や歌集、エッセイやzineといった比較的モダンな品揃えを指でなぞり、最終的に木下龍也の歌集か韓国文学で迷った挙句、田舎ではアクセスしづらいクィア作品 チョ・ウリ著「私の彼女と女友達」 を購入した。会計の際、店員のお姉さんの二の腕にクレーらしきタトゥーが入っていることに気づいたが、声をかけられなかったのが心残り。
本を買うときは出版元に還元されるようなるべく本屋を利用するように心がけているものの、前の持ち主に心を寄せたり、発刊当時の情景を想像したり、古本屋でしか味わえない付加価値が好きでやめられない。ここら辺のバランスを上手く取っていきたい。
ここまで読んでくれた人ならもうお察しかと思うが、今回の旅は私の行きたいところにすべて彼女が付き添ってくれる形でプランニングされている。二日間の歩数は計3万歩。よく歩きよく食べ、好きな店やものに触れまくった2日間だった。一言も文句を言わず、最後まで付き合ってくれた彼女、ありがとう。おかげで楽しい関西旅になりました。
また仲良しになれて嬉しい、とあなたは何度も伝えてくれるけれど、私の失敗や失態に飽くせず見離さず、常に心強く側にいてくれてるあなたには感謝してもしきれないです。
次は来月、東京で会いましょう。スパシーバ
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4/6。朝の7時頃に八重洲に到着した。流石に早すぎるので東京駅を眺めたり皇居に行ったり、近くのベンチで本を読んだり周辺の建築巡りをしたりして時間をつぶした。けれどよくない寒さが続いていたことと、先に疲れてしまっては意味がないとカフェに入ることにした。どこのカフェを覗いてもスーツを着たお客さんばかりで入ることを歓迎されていないようだったから、割と歩いて地下にあるスタバで外国人の観光客と混ざってほうじ茶の紅茶を飲みつつ、ジワジワと心を圧迫していた課題を終わらせた。東京を歩く人々の雰囲気が怖い。何故か私の居場所がこの地にはないことを強烈に感じた。
恵比寿駅で落ち合い、夏以来の友人と再会。東京都写真美術館に行き、深瀬昌久の展示を観た。写真を鑑賞することに慣れておらず、どこか浮ついた気持ちで眺めていたけれど、洋子の写真がどれも魅力的で気づけばじっくり鑑賞していた。家族写真を裸で撮ったりしていて変な家族だったけれど、様になっていた。
恵比寿駅に戻り、中目黒と代官山の蔦屋書店をはしごした。中目黒で「愛するということ」という本をお勧めされて購入。私が今、読まなければいけないと思った。代官山では写真集のコーナーに入り浸った。川内さんの「うたたね」が欲しくなったけれど、金銭的な理由と決定となる購買意欲がなく今回は見送った。マンガも映画も雑誌も絵本も充実していて、流石日本で一番大きな蔦屋書店だなと思った。かっこいい。友人2人目と合流。1人は大学との面談があるため一時帰宅。
電車に乗り渋谷へ。あまり好きではない街だった。とにかく人が多い。ルミナリエや梅田駅とは違う、ただ単に雑多とした人混みが好きではないことに気づいた。お好み焼きとビールを食らう。
下北沢に着き、パチンコを少し打ってから再度友人と合流。古着屋や本屋に寄ったり、たい焼きを食べたりしてから下駄を履いた友人の友人と出会い、みんなでミレーの枕子さんのライブへ行った。
枕子さんに出会った。やはりお顔が綺麗で、すとんとした細身の大人っぽいワンピースにアジア風のパンプスを履いていた。私には似合わない。何故か新芽で涙が出た。元恋人への些細な未練が感じられたからかもしれない。羨ましさと普通にこの曲が好きな気持ちが複雑に混ざる。目を何度か合わせてくれたことも嬉しい。少しだけ話したけれど、私のことは認知していないようで安心した。申し訳ないだなんて思わないけど、私は胸を張っていられる立場でもない。これからもただのファンとして目立たずにいようと思う。
みんなで沖縄料理を食べ、解散。メイクを直し、香水をつけ、電車で以前好きだった人の待つ上野へと向かった。上野についてからもお手洗いの時間をもらって汚いスマホカバーを外したり、髪に香水をつけたりした。他の人にならここまでしないだろう。好きだという感情ではなく、幻滅されるかもしれない要素を少しでもなくしたかったように思う。改札を出ると、木の下の煉瓦の花壇に座っているその人を見つけた。挨拶をした。背が高くて、大きくて、大人びた雰囲気の人だった。表情が読みにくい。
途中のコンビニでビールとアイスを買った。最近はビールが好きだから、サッポロ黒ラベルをお勧めされて買った。その人はお茶割りを買っていた。家に向かいながら開けて乾杯して飲む。何を話していたかは覚えていないけれど、途中に現れたこども図書館が怖くて良かった。
マンションについて家にあがらせてもらった。何度も見たことのある風景だった。想像していたよりもこぢんまりとしているように見えたのは、グランドピアノがあったせいだろう。男性の家にしては綺麗で、でも綺麗すぎないところが良かった。家賃は10万弱。
お酒を楽しみながら色んなことを話した。元恋人が待っていたように感じたこと、その人のことを思い出してネット弁慶なんて言葉を使��ていたこと、新芽を最後に歌ったことなんかを報告した。報告してどうなるわけでもないけれど、その人が元恋人に対してどう思っているのか知りたかったのと、そんな話題を出すことで私が自分に対して牽制していたのかもしれない。自分のための目的を持った問いにいやらしさを感じた。聞きたいことは沢山あるんですけど、と言いながら看護学生としての生活はどうですか、と問われた。全然興味ないだろ、と思いつつ厳しいことを色々話す。元恋人も看護師であることを教えてもらった。職業で勝つことができなくて悔しい。音楽の話もした。gateballersを教えてもらった。きっと私は好きになると思う。音楽業界の薬物事情なんかを酒の肴にしていたら盛り上がりすぎてあっという間にお酒を飲み干してしまった。黒霧島と紅茶を割ったお酒を作ってくれた。お香も焚いてくれた。間接照明だけで明るさを保っている部屋だから、不自然な白さはなく、夜の自然な重みを感じる。換気扇の元にあるオレンジの四角いライトが味わい深い。私の目の前にいるのがあの頃すごく好きだった人だということにふと感動した。顔を見る。たしかにその顔だ。万人受けではないその造形ひとつひとつが彫刻のように綺麗だと思った。
ギターを弾いて、歌を歌ってほしいと頼まれたから、その人が作った歌を歌った。コードのノートを見せるとストーカーじゃんと笑われた。コードが色々と違っていることに気づいた彼は、私にボールペンを渡してくれ、上から訂正をかけた。本当のコードを知っているのは私と元恋人くらいだろうか。私のノートをじっくりと読んで楽しそうにしていた。ランダムに開いたページの歌を歌ってもらおう、と言い出し、開いたところは「愛は花、君はその種子」だった。知らね〜と笑うけれど、歌い出したらそれって元々英語の歌だよね?と驚いていた。私の歌を聴きながらベランダに出て煙草を吸っている、時折弾いている私の写真を撮っていた。それが何故かすごく嬉しかった。私が歌っていると一緒に歌ってくれた。いつもより控えめな声で、だけど丁寧にビブラートを響かせていて、この人の歌が一番好きだったことを思い出した。一緒に歌えるなんて、以前自分が密かに抱いていた夢がこうして叶ったことが嬉しい。私たちの声は相性がいい。
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クラッシックな雰囲気の中で炭火焙煎珈琲と自家製ケーキをゆっくりいただける老舗純喫茶の「かふぇあっぷる」さん☕️ 美味しいグァテマラとチーズケーキを、村木キャメラマンといただきました❗️さすが村木キャメラマンは素晴らしいお店を知っていらっしゃいます。グルメフォトグラファーで、東京グルメ情報盛り沢山です。 @junmayusan 人形町交差点、駅A5番出口からすぐ、かふぇ あっぷるは創業1982年、30年以上近隣のコーヒー好きに愛され続けてきた喫茶店です。 マスターが丁寧にハンドドリップで淹れてくれるコーヒーは最高に豊かな香り、グァテマラですが、スッキリ甘く芳醇でした❗️ チーズケーキは、パイ生地に挟まれた濃厚なレアチーズと乳脂肪超高めの純生クリーム🐄 ケーキ皿もカップもロイヤルコペンハーゲンでいただきました❗️器が素晴らしいと、より一層美味しいですね❗️ カウンター奥の棚には、ロイヤルコペンハーゲン、柿右衛門、マイセン、ジノリ、ヘレンド、高級カップが並びます。人形町に佇む素敵な喫茶店です。 #カフェアップル#かふぇあっぷる #人形町グルメ #人形町カフェ#人形町喫茶店#洋食器#洋食器好き #人形町あっぷる#村木まゆみ#純喫茶#人形町カフェ巡り #ロイヤルコペンハーゲン#荒川リリー#コーヒーのある暮らし #純喫茶巡り (かふぇ あっぷる) https://www.instagram.com/p/CoYaWEvyL0L/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#カフェアップル#かふぇあっぷる#人形町グルメ#人形町カフェ#人形町喫茶店#洋食器#洋食器好き#人形町あっぷる#村木まゆみ#純喫茶#人形町カフェ巡り#ロイヤルコペンハーゲン#荒川リリー#コーヒーのある暮らし#純喫茶巡り
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今日の東京は、快晴。7日の今日は1年の無病息災を願って七草粥を食べる方もいらっしゃるでしょう。7といえば、先日家族と一緒に初めて深川七福神巡りをして参りました。ぶらぶらと下町を散策しながら指定されたお寺や神社を訪問し、各所で神様のお顔の形をした鈴を集めるのも楽しかったですし、途中で真言宗豊山派のお寺を見つけて迫力満点のえんま様を拝んだり、橋のたもとで出来立てのお団子を頬張ったりしながらのあっという間の2時間でした。他にも七福神巡りを開催している地域がたくさんあるみたいなので、来年もやる予定です。(写真上)
昨日は今年最初のマスタークラスがありました。お元気そうな生徒さん達と一緒にまずはチューニングから…ということで、お正月遊びと題して『ミディアムゲーム』に興じました。1月に私が開催するすべてのアウェアネスクラスでこのゲームをする予定です。(写真下)
巷には推しグッズなどが溢れていますが、私も最近せっせと『推し活』に励んでいます。私の推しは『空海』さんです!知れば知るほど奥深く、好奇心を刺激される世界です。今年はまずサントリー美術館で開催中の『京都・智積院の名宝』展に行って参りました。智積院(ちしゃくいん)は寺号を根来寺(ねごろじ)とする真言宗智山派の総本山です。真言宗の中興の祖である興教大師覚鑁(こうぎょうだいしかくばん)が創建した寺院で、去年の12月12日に奥之院で行われた覚鑁の御命日の法要に偶然参列して以来、いつか訪ねてみたいと思っていた場所でした。その想いが伝わったのでしょうか、早速展覧会の情報が入ってきたのです。
会場内、比較的年齢層の高い入場客に混ざってフランス語がチラホラ聞こえてきます。高野山を訪れた時も、フランス人の観光客の多さに気づいていました。フランス人が経営するカフェがあったり、高野山駅へ向かうケーブルカーの車内アナウンスにもフランス語がありました。どうしてフランス人は高野山に惹かれるのでしょうか?まさか、フランスを意味する漢字が『仏』だからという訳ではないでしょう。そういえば、昔パリを訪れた時にメトロの車内でフランス人のおじさんから「私は仏教徒です」と突然声をかけられ、それを証明する(?)指輪を見せられたこともあったし、フランスに『KOOKAÏ 』(クーカイ)という名前のアパレルブランドもあるし…と疑問は膨らむばかりです。
昨日のマスタークラスでは、今年の目標をアファーメーションをしていただきました。私もいくつか掲げて、指導霊に報告しています。四国を巡礼するお遍路さんの笠に同行二人(どうぎょうににん)と書かれているのは、道中いつも空海さんと一緒にいるという意味だそうです。スピリチュアリズムでは、スピリットガイドがその役割を担ってくださっています。いつもそばで見守ってくださっている大いなる存在に感謝し、その期待に応えられるように今年も前進して行きたいです。
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