#小田急相模原
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nobu-izakaya · 1 year ago
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秋の希少珍味 #鮭の白子
はやくも秋に美味しい鮭の白子焼き が登場です!
鮭の白子はコスパもよく
お酒との相性抜群なので!おつまみにオススメです!
鮭の白子の味が濃厚でうまい!最高のつまみに 日本酒が進む〜!限定ですのでお早めにお願いします!
#旬鮮酒場NOBU #白子焼き
#白子 #海鮮 #海鮮居酒屋
#おださが #おださがグルメ
#小田急相模原 #相模原お店大賞受賞店
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cafetsumuri · 2 years ago
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今日から、季節のフレンチトーストはチェリー&ピスタチオです!!
初夏をイメージし手作りました。アメリカンな色合いで、見た目もうきうき!
自家製カスタードとはちみつを併せてあまーいひとときをどうぞ♫
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dk-dc · 1 year ago
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my-b-side-life-aii · 9 months ago
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相模鉄道 大和 相模大塚 E233系 ニセアカシア ふれあいの森 大和市
富士フィルム X-H1 XF23mmF1.4R
※近隣の店舗にて購入:マクドナルドのビックマック※
ニセアカシア、小田急の伊勢原8号踏切でも撮ったなぁ。
See you.
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maple1998 · 8 months ago
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沦为男高的玩物(一)
收拾屋子这天,翻出来太多左躲右闪差点摔倒,搬东西的时候一个不稳就向前猛踢了两步,一只小背心从从撞到墙壁的匣子里震了出来,盖子上满是灰尘,但一段遥远的记忆还是同脚趾的刺痛感一同灌入了我的脑海,那是虎子的背心。
我叫汪臣,23岁,身高170,属于精瘦的类型,是一名高中教师。我出生的那个肖县城地处偏远,那时候父母在乡下种地,大一点的孩子就被送到城里读书,是寄宿制,同时被送来的还有邻居小虎。小虎喜欢调皮捣蛋没少挨骂,我们邻里关系好,小虎又比我大一岁,经常带着我挨家挨户的玩捉迷藏,后来慢慢的没意思了就变成捉弄我,有一次他跟我说要送我一个大礼,但不好一次给我,先给我一半,我以为是什么,打开纸箱一看,是昨天马路上被压断的那条蛇……
一年大旱,收成不好,小虎8岁,已经到了他上小学的年纪,家里帮了他家很多忙,他妈妈很不好意思,又实在觉得他缺乏管教,就决定推迟一年,和我一起上学,让我有个照顾。我真的会感谢老天的安排,当天晚上就计算好了最优路线,只要那一年小虎一捉弄我,我就跑去告状。但小虎倒是很一反常态,像突然长大了,没有再捉弄过我,反而经常送很多吃的给我,我们的关系就像一旁荒废又捡拾起来的田地,去学校的路上我第一次叫了他一声虎哥,而这声哥却让这场友谊一点点变了质。
诸如他帮我拎书包,然后说,臣啊,我有力气吧;体育课结束了,他就凑过来,臣啊, 我腹肌上都是汗,你看。天知道他怎么觉醒的这些东西,而我傻兮兮的,什么都不懂。有天他拉着我往小树林跑,说找到一个松鼠窝,我真好骗,乐呵呵就跟着去了。
-虎哥,在哪呢?-等下就到了。但他并没有往深处走,而是慢慢向我靠近,把我顶在了树干上,夕阳很温暖,小虎的一半头发被林间和风吹动泛起金色,胳膊上的汗沾在我的脖子上,有些凉凉的,我愣住了,他的嘴唇就这样贴了上来,但谁也没张开嘴,然后我竟然一时冲动用手摸向了他的下体,不知道我当时是怎么想的,与想象中不同的是摸到的手感并不柔软,反而有很硬,我从顶部一点点滑向根部,又摸上来,这才回过神发现他气息变得很急促,也很乱,刚想把手抽回来却被按了回去,然后他又亲了过来。-虎哥,松鼠呢?他没说话。童年的记忆大概就是如此,午后,淡淡的荷尔蒙和野草的气味,温暖又有些坚硬的触感。
第二天,我喝了口冲好的咖啡,准备去上课,昨天夜里梦见了太多不堪入目的情节,头痛的很。早上又被坚硬的下体疼醒,哎,好想要啊,一想到被大吊抽脸就硬的不行。班里大部分学生都很安分,除了后排个别的男生。下课后回到办公室一个女生悄悄跑过来告诉我有男生总开我的黄色玩笑,我当即把那个最调皮的程肖叫了过来,他比较早熟,长相很帅,是我喜欢的类型,但该训话还是要训的,还没等我开口,他反倒先递过来一张纸条,“我在小软件上看到老师的照片了”后面还有一个id大茄子爸爸,我脑子轰的一下,我说怎么上课时总看到他在笑,而且有点不怀好意。因为前些天我在动态发了一张自拍,就有一人找我聊天。他发了张照片,是一个型男,我来了兴致,最后就发了张全裸的跪姿给他,就是这个id!原来是网上的假照,这下完了。
我把他带到旁边小办公室的隔间,-你想怎么样,程肖却不紧不慢的凑过来,-没想到老师平日里有模有样,实际上是个骚货啊。骚货,一听到这个词我的心就开始狂跳不止,我是骚货么?做的时候是被这么叫过,但光天化日之下被自己的学生说是骚货,还是太震惊了,害怕,还是兴奋?就在震惊之余,我才发现自己竟然有一点勃起了,-没想到老师这么骚啊,光是这样就忍不住了,嗯?我刚想挡住就被他一把抓住手腕按在墙上,力道大的有些疼,我神情复杂的看着他充满戏谑的眼睛,竟说不出话。-晚上来我家里,来了就什么事也没有。说完他就走了,而我仍有些惊魂未定。
下了班,我在办公室茫然的坐着,脑海中不断回想这他在我耳边说的两个字,骚货。心里面五味杂陈,下面却一直硬的不行,我是最后一个才敢走的,是啊,我确实是一个骚货,一想到程肖帅气的脸和他扣住我手腕的坚实的肌肉,就难以思考,刚出校门走到拐角,不知道该怎么办时,软件突然响了,那个id大茄子爸爸突然发来消息,-老师,犯什么傻呢,我的大鸡巴都硬的不行了,并配了一张坐在我工位上露出鸡巴的图片,他竟然!就在这时,一辆汽车停在了旁边,下来的正是程肖,他爸爸是一家公司的老板,偶尔开车来接他。-老师!我来啦,说好的今天帮我补习,就一起坐车去我家吧。说完不忘了借身体遮挡捏了我的屁股一下,汗流浃背说的就是现在吧,-听说我家儿子在学校比较调皮,您平时辛苦了,孩子嘛,该教训就得教训,还好现在知道学习了,老师您多关照啊。他爸爸倒是很谦逊随和,我只好赶紧附和,有一搭没一搭的聊。还好这小子没什么别的动作。
下车之后到了一个高档小区,程肖自己一套房,他家人一套,不愧是有钱人。-老师,怕你不来,特意去办公室找你,还专车接你,没想到你在外面发愣,是不是一想到晚上要被我玩就走不动路了啊。-程肖,你别太过分,学生就是要好好学习,别因为……,话还没说完,程肖开了他家的门,却把我留下了外面,-把衣服裤子都脱了,然后敲门进来,身上有一件我就把你的照片发出去。-你!-你什么你,认清自己骚货的身份,今晚就教你怎么好好伺候男人。他说的每一个字都重重的冲击着我的神经,我竟又不争气的勃起了。是啊,骚货,我记起来了,我是骚货,小虎也这么说过我,是什么时候呢。
走廊里的每一种声音都令我心惊胆战,��豫再三,我还是照他的话做了,刚要按下门铃,他就开门把我拉了进来,然后抢过衣服扔在了外面!-程肖,你这是干什么?-老师,来了不会还想跑吧,我家里也没别的衣服,并且一会儿就会有人把衣服收走,你就老老实实呆着吧。
本来就脑袋空空,现在更是不知道如何脱身。-而且看你脱衣服的样子我就忍不住了,老师的内裤前边怎么都湿透了啊,老师也很想要吧,真是个骚货。他一边说一边脱着自己的衣服,身体上的肌肉非常匀称,小腹上一撮毛一直延申到下面,下体的毛又从三角裤的边上支棱出来,勃起的鸡巴把内裤顶了起来,尖端黏黏的液体让布料变得半透明,隐隐露出马眼的形状。和自己现在发蔫的体毛和小了不止一半的鸡巴比起来,实在是太诱人了,我忘乎所以的盯着,咽了一大口口水。-舔。此刻他的声音也充满了诱惑,我就像是一个心甘情愿的木偶,甘愿摆出最放荡的样子。
反正也逃不了,就算是自己的学生又怎么样,现在的我就是一个渴望大鸡巴的骚货而已,只要现在就好,过了今天就当什么也没发生。不如好好享受吧。啪!一个耳光扇了过来,-愣着干什么,跪下,好好的舔我的鸡巴,骚货!我的双腿几乎是难以支撑一般跪下了,颤抖着伸出舌头,粘液散发的雄臭就像一根丝线,把我紧紧拉住。-好…好的。啪!又一个耳光,我的两边脸都火辣辣的,但现在高度紧张的神经只让我觉得麻木。-骚货!你在舔谁的鸡巴,你就是来给爹玩的,自己先享受上了?叫爸爸!爬过来,磕三个头,然后爬起来舔!他的声音比刚才还大。
他转过身大步走到沙发上坐下,用余光扫着我下贱的姿态,他的鸡巴又跳动了几下。我不知道他为什么突然对我发难,不照做不高兴,但照做了也不行,我不知道他一个高中生为什么会用那种软件,又是从哪学来的这些,但是现在都不重要了,我想舔他的大鸡巴。我的四肢好像都不是自己的了,我必须按照他说的做,叫他爸爸,并且不能表现出多余的渴望,我是他的玩物,服从他才能获得我想要的。
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kennak · 2 years ago
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ジャニーが同性愛者(真性の少年性愛者、児童性愛者)であり、事務所に所属する男性タレントに対して性的児童虐待(同性愛行為の強要)を行っているとの話は、1960年代から散発的に繰り返し報道されてきた。 まず、駐留米軍の「在日軍事援助顧問団 (MAAGJ)」に勤務していた頃(1958年~1966年)から、外交官ナンバーの車(クライスラー)で新宿・花園神社の界隈に繰り出し、「ケニー」、「L」、「牛若丸」といったゲイバーで遊んでいたこと、更に新宿駅南口で網を張り、田舎から出てきた少年たちに声をかけては、常宿の「相模屋」(1泊600円のベッドハウス)に連れ込んでいたことを、当時のゲイ仲間・原吾一が、著書『二丁目のジャニーズ』シリーズで明かしている。 ジャニー喜多川が最初に手がけたタレントは「ジャニーズ」の4名(真家ひろみ、飯野おさみ、あおい輝彦、中谷良)で、当初は池袋の芸能学校「新芸能学院」に所属させていたが、学院内にてジャニーが15名の男子生徒たちに性的児童虐待行為をしていたことが発覚。 オーナーの名和太郎学院長(本名:高橋幸吉。2000年6月7日に急性心不全で逝去。81歳没)はジャニーを1964年6月28日付で解雇した。 しかしジャニーが、ジャニーズの4名も一緒に引き連れて出て行ってしまったためにトラブルとなり、ジャニーらが所属中の授業料やスタジオ使用料、食費など270万円を求めて学院長がジャニーを提訴し、裁判へと発展した (通称:ホモセクハラ裁判)。 なお、当時のジャニーは在日軍事援助顧問団(MAAGJ)に在籍する下士官事務職員として、米国軍人および外交官の立場にあったが、新芸能学院との騒動は「MAAGJの公務の範囲外の職業活動」で起こった問題であるため、「外交関係に関するウィーン条約」(日本では1964年6月8日に発行)の第31条1項による外交特権「外交官は接受国の刑事・民事・行政裁判権からの免除を享有する」の対象から漏れ、訴えられた。 この裁判は長期化し、1964年から実に4年に渡って行われた。 ジャニーズの4名も実際に証言台に立っており、その証言記録は『女性自身』(1967年9月25日号)、『ジャニーズの逆襲』(データハウス刊)、『ジャニーズスキャンダル調書』(鹿砦社刊)にて再現されている。 『週刊サンケイ』(1965年3月29日号)でも「ジャニーズ騒動 “ジャニーズ��売り出しのかげに」として5ページの記事が組まれた他、ル��ライターの竹中労も、著書『タレント帝国 芸能プロの内幕』(1968年7月、現代書房)の中で「ジャニーズ解散・始末記」と題してジャニーの性加害について言及した (当書はその後、初代ジャニーズを管理していた渡辺プロダクションの渡邊美佐の圧力で販売停止)。 なお、『ジャニーズスキャンダル調書』では「同性愛」という表現自体を否定しており、ホモセクハラである以上、「性的虐待」、善意に表現しても「少年愛」であるとしている。 『週刊現代』(1981年4月30日号、講談社)にて、「『たのきんトリオ』で大当たり アイドル育成で評判の喜多川姉弟の異能」と題し、ジャーナリストの元木昌彦がジャニーの性趣向問題について言及。 (直後、ジャニーの姉のメリー喜多川から編集部に「今後、講談社には一切うちのタレントを出さない」と猛クレームが入り、元木は処分として『週刊現代』から『婦人倶楽部』の部署へと異動させられた。 この件については、『週刊文春』(1981年5月28日号、文藝春秋)でも、「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」と題して報じられた。 なお、ジャニーの性的児童虐待についてメリーは、「弟は病気なんだからしょうがないでしょ!」と言ってずっと放任していた) 雑誌『噂の眞相』(1983年11月号)が、「ホモの館」と題してジャニーズ事務所の合宿所の写真を公開。 元所属タレントの告発も相次いだ。 元フォーリーブスの北公次は『光GENJIへ』(1988年12月)、 元ジューク・ボックスの小谷純とやなせかおるは『さらば ! ! 光GENJIへ』(1989年9月)、 元ジャニーズの中谷良は『ジャニーズの逆襲』(1989年10月)、 元ジャニーズJr.の平本淳也は『ジャニーズのすべて ~ 少年愛の館』(1996年4月)、 豊川誕は『ひとりぼっちの旅立ち ~ 元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(1997年3月)、 山崎正人は『SMAPへ』(2005年3月)をそれぞれ上梓。 タレントの生殺与奪の全権を握るジャニーの性的要求を受け入れなければ、仕事を与えられずに干されてしまうという実態が明るみに出た。 中でも『SMAPへ』は、ジャニーが行っていた性行為の内容について最も細かく具体的に描写しており、少年に肛門性交を強要していたことも明かしている。 同じく元Jr.の蓬田利久も、漫画『Jr.メモリーズ ~もしも記憶が確かなら~』(竹書房の漫画雑誌『本当にあった愉快な話』シリーズに掲載。著:柏屋コッコ、2014年1月~2015年4月)に取材協力する形で暴露している。 ジャニーは肛門性交時にノグゼマスキンクリーム、メンソレータム、ベビーローションなどを愛用しており、少年隊もラジオ番組で、錦織一清が「ジャニーさんと言えばメンソレータム思い出すなぁ・・・」、東山紀之は「合宿所はいつもメンソレータムの匂いがしてた」など、分かる人には分かるギリギリの発言をしている。 元Jr.の星英徳も、ジャニー喜多川の死後になってネット配信で、「ただのJr.だった自分ですら、何十回もやられた。 ジャニーさんが特に好んだのは、小中学生の段階のJr.。 時には平日の朝から学校を休んで合宿所に来いと呼び出され、マンツーマンで性行為を受けた。 その最中は、当時付き合ってた彼女のことを毎回必死に頭で思い描きながら耐えてた。 メジャーデビューしたメンバーは必ず全員やられている。 必ずです! 全員やられてる! そもそも断ったらデビュー出来ない」と幾度も打ち明け、ジャニーによる性被害や当時の事務所内での異常な状況を説明した。 ジャニーズの出身者以外からも、浜村淳が関西ローカルのラジオ番組『ありがとう浜村淳です』(MBSラジオ)の中でジャニーのことを「あのホモのおっさん」と発言したり、ミュージシャンのジーザス花園が、2009年発表の自作曲『ジャニー&メリー』で、AV監督の村西とおるもブログやTwitterで糾弾している。 ジャニーに対する感謝、愛情が誰よりも強いことで知られるKinKi Kidsの堂本剛(児童劇団の子役出身)は、小学5年生の段階で子役活動を辞め、一旦芸能界を引退していたが、姉による他薦でジャニーズのエンターテイ��メントの世界に触れ、自分もスターになって成功したいという感情が芽生える。 しかし成功するためには、まだ幼い小学6年生の段階からジャニーの性的な行為を耐え忍ぶしかなく、剛が中学2年生の14歳の時に奈良県から東京の合宿所に正式に転居してからは、ジャニーの性行為は更に過熱していった。 当時剛と非常に親しい関係にあった元Jr.の星英徳も、「剛は普通のJr.たちとは違うレベルの性行為をジャニーさんから受けていて、そのことにいつも悩んでた。剛が病んじゃったのはジャニーさんが原因」と、2021年6月25日の深夜にツイキャス配信で証言した。 剛にしてみれば、確かにジャニーには芸能界で大成功させて貰って感謝はしているものの、幼い頃から異常すぎる性体験を強いられ、自分の心と体を捨て去るという代償を払わされてきた訳であり、更に人一倍��細な性格がゆえ、15歳からは芸能活動へのストレスも相まってパニック障害を抱えるようになり、長年に渡って自殺を考えるほどに苦しんだ時期が続いた。 自分で選んだ道ではあるし、ストックホルム症候群、トラウマボンド(トラウマティック・ボンディング)、グルーミングなどの効果によって、ジャニーに対して大きな感謝はしつつも、もしジャニーと出会わなければ、こんなにも苦しい思いをすることは無かった、という愛憎が入り混じった複雑な感情から、剛の自作曲『美しく在る為に』は、ジャニーへの思いや、芸能活動への葛藤が描かれた曲だと、一部のファンの間では解釈されている。 その歌詞の一部には、 「あたしが悪いなんて 云わせないの あなたが悪いなんて 云う筈がないの 人は勝手だったもの 何時も勝手だったもの 美しく在る為に 勝手だったもの」とある。 [1] 元光GENJIの諸星和己も、2016年11月6日放送のバラエティ番組『にけつッ ! !』(日本テレビ)に出演した際、千原ジュニアとの会話でジャニーについて、 千原 「数年後に大スターになると見抜くその力よ」 諸星 「違う違う、たまたま、たまたま」 千原 「先見の明がすごいんでしょ?」 諸星 「僕の考えだと、“結果論”だね。 あの人(ジャニー喜多川)の目がいいとか、見抜く力がすごいとか、“全く”無い!」 と断じ、ジャニーに対する世間の過大評価に異を唱えた。 そして番組の最後では、「ジャニーの感性はね、あれホ〇だから!」と締めくくった。 ジャニーについてはよく、「少年の10年後の成長した顔が見えていた」などと評されてしまうことがあるが、それは間違い。 確かに子供の頃は冴えない平凡な顔をした者が、美容整形なども踏まえて将来二枚目に化けたパターンもあるが、その一方、小さい頃は可愛かったのに、成長と共にどんどん劣化してしまったパターンも少なくない。 そもそも、テレビなどで頻繁に同じタレントの顔を目にしていれば、視聴者の目はその顔に慣れていく訳だから、マイナス面はどんどん軽減されていく。 ジャニーが持っていたのは権力と財力であって、人の10年後の顔はおろか、人の本質や将来を見抜けるような特殊能力、神通力は存在しない。 ジャニーは将来を予見して採用していたのではなく、ただ単に、今その瞬間の“自分の好み”の少年、個人的に性欲を感じる“ヤりたい相手”を選んでいただけであり、その少年がたまたまスターになるかならないかは、諸星が述べた通り、後からついてきた“結果論”に過ぎない。 ジャニーに���人的に嫌われれば、いくらスター性や才能がある者であっても捨てられるし、ジャニーに個人的に好かれれば、スター性の無い者であっても権力と財力でメディアにゴリ推しされ、結果、誰でも人気者になれた。 こうした、ジャニーの個人的な好み、機嫌だけで全てが操作・決定される、非常に特殊で独裁的な事務所だったため、多くのスターを製造した一方、本当に将来有望だったはずの多くの才能も死んでいった。 なお諸星はこの放送の一ヶ月後の2016年12月2日に大沢樹生と共に開催したトークライブでも、ステージ上で「俺が何で結婚しないか? ホモだから。 ジャニーみたいなものだから」と発言し、ジャニーを茶化している (諸星自身がゲイであるという部分は自虐による冗談であり、諸星はゲイではない)。 1988年~1989年にかけ、月刊誌『噂の眞相』もこの問題を数回取り上げた。 しかしジャニーズ側は、「『噂の眞相』という雑誌はこの世に存在しないもの」という姿勢を貫いていたため、全く相手にされることは無かった。 週刊誌『FOCUS』(1989年8月11日号、 新潮社)に、ジャニー喜多川が合宿所で撮影した田原俊彦の全裸のポラロイド写真が流出掲載される。 1999年10月28日号から2000年2月17日号にかけ、『週刊文春』がジャニーズ事務所に対する糾弾を14回に渡ってキャンペーンとしてシリーズ掲載。 ジャニーが所属タレントに対してセクハラ・児童虐待を行い、事務所内では未成年所属タレントの喫煙や飲酒が日常的に黙認されていると報道し、約15名もの元ジャニーズJr.が取材に協力した。 出版元である文藝春秋は、他の大手出版社と違ってジャニーズ事務所との癒着や影響力が皆無に等しかったために出来たことだった。 【キャンペーン開始の引き金的な記事】 江木俊夫 公判で元アイドルが「ジャニーズ」批判 (1999年10月7日号) 【14回のキャンペーン】 青山孝 元フォーリーブス衝撃の告発 芸能界のモンスター「ジャニーズ事務所」の非道 TVも新聞も絶対報じない (1999年10月28日号・p252~255) ジャニーズの少年たちが耐える「おぞましい」環境 元メンバーが告発 「芸能界のモンスター」追及第2弾 (1999年11月4日号・p190~193) ジャニーズの少年たちが「悪魔の館」合宿所で 「芸能界のモンスター」追及第3弾 強いられる“行為” スクーブグラビア ジャニーズ「喫煙常習」の証拠写真 (1999年11月11日号・p26~29)[1] テレビ局が封印したジャニーズの少年たち集団万引き事件 追及キャンペーン4 マスコミはなぜ恐れるのか (1999年11月18日号・p188~191) ジャニー喜多川は関西の少年たちを「ホテル」に呼び出す 追及第5弾 芸能界のモンスター (1999年11月25日号・p188~191)[1] ジャニーズOBが決起! ホモセクハラの犠牲者たち 芸能界のモンスター追及第6弾 (1999年12月2日号・p195~197) 小誌だけが知っているジャニー喜多川「絶体絶命」 追及第7弾 (1999年12月9日号・p179~181)[1] ジャニーズ人気スターの「恋人」が脅された! 追及第8弾 (1999年12月16日号・p185~187) ジャニー喜多川殿 ユー、法廷に立てますか? 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(2000年5月4日・11日合併号・p180~181) 大手メディアがこの性的児童虐待問題をこれほどまでに取り上げたのは1960年代以来初めてのことで、その波紋は大きく、自民党衆議院議員・阪上善秀(後の宝塚市長)も、2000年4月13日にこの問題を衆議院で取り上げた [注 6]。 1999年11月、ジャニー側は名誉毀損であるとして文藝春秋を訴え、1億700万円(ジャニーズ事務所に対し5350万円、ジャニー喜多川に対し5350万円)の損害賠償と謝罪広告1回を求める民事訴訟を起こした。 2002年3月27日、東京地裁の一審判決では、「高度の信用性を認めがたい。 証人の証言はたやすく信用できない点を残している」としてジャニー側が勝訴し、東京地裁は文藝春秋に対し、ジャニーへ440万円、ジャニーズ事務所へ440万円の、計880万円の損害賠償を命じた (井上哲男裁判長)。 文春側はこれを不服として東京高裁に控訴。 これに対抗するかのようにジャニー側も控訴。 2003年7月15日の二審判決では、ジャニーの性的児童虐待に関する記述について、 「喜多川が少年らに対しセクハラ行為をしたとの各証言はこれを信用することができ、喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったり、デビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである」 と結論づけられ、ジャニー側の性的児童虐待行為を認定 (矢崎秀一裁判長)。 このため、性的児童虐待部分のジャニー側の勝訴は取り消され、損害賠償額はジャニーへ60万円、ジャニーズ事務所へ60万円の、計120万円に減額された。 ジャニー側は損害賠償額を不服として最高裁に上告したが、2004年2月24日に棄却され (藤田宙靖裁判長)、120万円��損害賠償と性的児童虐待行為認定が確定した。[1]、[2] しかし各芸能マスコミは、一審の880万円から120万円に減額された事実だけをベタ記事で書いて済ませ、「性的児童虐待が認められた」という肝心の部分は書かなかった。 この問題について、懐疑主義団体「JAPAN SKEPTICS」の機関誌『NEWSLETTER 53号』にて、当時同会の副会長だった草野直樹が批判。 「マスコミの誤りというのは、『間違ったことを報じる』だけでなく、『必要なことを報じない』ことも含まれる。 そして後者の多くは、いくつかの『タブー』に縛られていることが原因になっている。 報道におけるタブーのベールを抜いた報道には、オカルト・疑似科学の類と同様に騙されないようにしよう」と訴えた。 芸能評論家の肥留間正明も、「芸能界でホモセクハラが裁判になったのは異例。 真実と認められたのも初めてで、これは社会的な事件」と語っている。 また、ニューヨーク・タイムズや、イギリスの新聞・オブザーバーなどの海外メディアも大々的に取り上げ、この問題をタブー視するなどして真実を報道しない卑怯で腰抜けな日本のマスメディアの姿勢、体質を批判した。 以後もジャニーズ事務所と文藝春秋は対立。 2006年に『武士の一分』が映画化された際、ジャニーズは文春文庫で発売されている藤沢周平の原作本の帯に、主演の木村拓哉の写真の使用を一切許可しない、という対抗措置を取っている。 また、木村が工藤静香と結婚した際にも、会見への週刊文春の参加を禁じた。 そのため、文春側は巻頭グラビアで白紙ページに木村とインタビュアーの輪郭のみを描き、ジャニーズによるメディア統制であると非難した。 2010年3月14日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「新約・ジャニーズ暴露本」開始。 2018年6月6日、サイゾーウーマンにてシリーズ連載「いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道」開始。 2019年7月9日にジャニーが逝去。 その際、テレビや雑誌など、日本の主要メディアではジャニーを賛美する歯の浮くような美辞麗句のみが並べられ、まるでジャニーを聖人君子かのように崇め奉った。
ジャニー喜多川 - ジャニーズ百科事典
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lgbtqromance · 11 months ago
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军体梦魘
秦勇是陆军中尉,在部队待了有快五年了,早前在省体校练田径,进了部队因为有体育特长,被安排搞军体,还兼军区足球队前锋。由於平时要训练和比赛,基本上很少有时间外出,今年才有人给介绍了个女友。这次好不容易得到休假,陪女友回成都的老家一趟。
女友家里倒是挺宽敞,只有老爸、老妈,因为是暑期,女友读大二的弟弟也从学校返校在家。一家人都挺热情,看来对秦勇印象不错。说来也是,185的个头,魁梧粗壮、肌肉雄伟的运动员身材,浓眉虎目,阳刚帅气的面庞,秦勇往人群中一站,还是很打眼的。
晚饭的时候,女友的老爸一个劲的劝秦勇喝酒,说是北方人又是部队的,想考察秦勇的��量。其实秦勇虽然看上去挺壮,恰恰酒量很菜,硬著头皮喝了五六杯,就有点晕了,这时女友的弟弟,看上去乖乖的不会喝酒似的小伙,居然接著又敬秦勇三杯,这下彻底坐不住了。秦勇勉强站起来告个罪,女友和他弟上来把秦勇给扶进了房间。秦勇往床上一倒,不一刻就人事不省了。
睡著睡著就做梦了,好像是自己光著身子躺在水里,身边好多鱼在咬著自己,又痒又疼,呼吸也呼吸不了,一急就有些醒了。但是因为喝了太多酒的原因,昏昏沉沉迷迷糊糊很不清醒,像是半梦半醒。现在已经是盛夏,成都的天气十分炎热,哪怕是晚上,身体仍然是烘烤般地热。秦勇发现自己的T恤已经脱掉了,光著上身,长裤似乎也脱了,腰间只搭了一条毛巾。秦勇微微睁下眼,窗外远远的路灯和微光照进来,看得不是很清。
这时,秦勇忽然感觉腿上有一种悉悉娑娑的感觉,沿著大腿漫延。秦勇腿毛比较重,所以对这种感觉特別明显,但是因为头晕乎乎地,也不想去弄明白,感觉还是在梦里。接著,这种感觉从左腿又漫延到右腿,像是一只虫子在腿上爬,向著大腿深处爬去。
忽然,秦勇感觉大腿內侧有块热乎乎的东西贴在了那里,然后慢慢移动,然后又有一块热乎乎的东西在秦勇另一条腿上摸索,秦勇隱隱约约感觉那是一双手,热乎乎地,轻轻地在秦勇的两条腿上滑动抚摸。难道是……会是女友吗?虽然跟女友认识有半年了,但是只是牵牵手,只有一次,在电影院里看电影时,女友摸到了秦勇的下身,也就那么一次,总的说她是个本份的女人,一般不会那么大胆。但是不然还会是谁呢……
但这种感觉很舒服,特別是酒精的作用让秦勇一会清醒一会迷糊,感觉那双手热乎乎地从大腿外侧摸到內侧,秦勇还不知道让人抚摸是这样一种感觉。一会,那种感觉著大腿深处渐渐挺进,在敏感的大腿內侧轻轻摩娑。忽然,这支手顺著两腿间的缝隙慢慢攀上了秦勇的下身,似乎停了一下,然后,这支手隔著內裤覆盖在秦勇的阴囊的上面。
秦勇感觉像是个暖炉在给睾丸加温,热热的,过了一会,开始轻轻地抚摸秦勇的蛋。因为在部队要运动,秦勇穿的內裤都是弹力很好很薄的窄內裤,所以这支手可以轻易地把秦勇的睾丸抓在手里把玩,像是中老年人手里玩的健身球一般揉搓……
在这种舒服的快感与理智的纠缠中,秦勇稍微动了一下,感觉全身痠痛,秦勇很少会喝这么多酒的。秦勇心里猜想这是谁啊,要么就是在做著一个梦……如果不是女友,秦勇不敢想下去了。这时,这支手忽然停了,房间里仍然笼在雾里一般,像是什么也没有发生过……过了一会,秦勇又迷糊起来,昏昏沉沉呼吸也越来越粗……
这时,下身忽然又被什么触动。还是那支手,隔著內裤,这次在轻轻地触按秦勇的阴茎。秦勇平时一般会把阴茎贴著小腹放,因为比一般人要大一些,都挺起的时候快到肚脐了,这样放睡觉早上起床的时候阴茎不会把裤子撑得老高,毕竟在部队不是单人宿舍。
那支手隔著內裤轻轻按住秦勇的阴茎,两个手指头夹住了秦勇的龟头,隨著秦勇的呼吸一鬆一紧把秦勇的龟头捏扁,又鬆开。秦勇极力想克制住龟头传来的那种刺激感,但阴茎在这样的捏弄中却渐渐涨大,贴著小腹充盈肿胀起来。
然后那支手沿著阴茎的轮廓上下抚摸,用手指贴著阴茎的腹面凸起的尿道上下抚摸,每当划过龟头的下方的时候,一种瞬间的快感几乎会让秦勇的阴茎颤抖收缩一下。秦勇儘量把呼吸调整得像是打呼一样,让人知道自己已经醒来简直不堪想像……
在一支手抚弄阴茎的时候,另外一支手轻轻搭到了秦勇的胸口,沿著胸肌的外沿抚摸著,似乎是在感受突起的胸肌的形状,顺著向下摸到秦勇平坦结实的小腹,然后又捏住了秦勇的乳头,轻轻揉按。
忽然,秦勇感觉是潮润的嘴贴上了胸口,轻轻地含住了乳头啜吸了一下,痒酥酥麻酥酥的感觉直传到小腹去。接著,另一边的乳头也被轻轻吸了一口,然后舌头分別在自己的两个乳头上轮流吮吸。从阴茎上传来的快感跟乳头上的快感交织在小腹的下面,让秦勇不知道如何是好。
接著湿滑的舌头从秦勇的胸肌中间的乳沟慢慢往下舔,到了腹沟,又沿著腹肌的轮廓一点点地勾勒。舌头接著越过肚脐,舔到秦勇的下腹部,在內裤低低的裤腰边上游弋,与秦勇勃起的阳具只有一线之隔。秦勇的阴茎这时已经被揉摸得涨大到要突出內裤了,难受之极,龟头那地方已经有种粘湿的感觉。
这时,抚弄秦勇阴茎的那支手忽然提起秦勇的內裤,轻轻往下一拉,秦勇的阴茎突兀地一下子蹦了出来,由於是臀部和粗壮的大腿压著內裤,这支手只能把秦勇的內裤拉到大腿根的地方,但是秦勇感到自己的整个阳具和两个蛋都已经暴露到了空气中,有点凉凉的……突然,一支手握住了秦勇硬得发胀的阴茎茎桿,秦勇几乎要呼出声来。
在部队虽然有时洗澡时战友开玩笑也会互相抓对方的鸡鸡,但是像这样处於阳亢状態下被人给握住可从来没有过,秦勇全身的血��都像是往阴茎流去,感觉阴茎上的血管在那支手里突突跳动。接著,一张热哄哄的嘴又贴住了秦勇的阴囊,一吸,秦勇的一颗睾丸立刻被吸到了嘴里,被湿滑的舌头左右搅动,让秦勇在兴奋中又伴著一点恐惧,因为睾丸被嘴吸得远离了秦勇的身体,像是睾丸要被吃进別人肚里一般。
在这颗睾丸被吸扯得有点疼的时候,被放了出来,秦勇还没回过劲来,另一个睾丸又被吸进了嘴里,这样一左一右吸了又放,过了一会,这张嘴狠命地贴住秦勇的阴囊使劲一吸,两个蛋都被含到了嘴里,显然还不能適应两颗这么大的睾丸都包进去,秦勇的睾丸甚至碰到了牙齿,秦勇感觉睾丸都要被咬进吃掉。
在秦勇茎桿上握著的那支手开始上下地滑动起来,刚开始还有一点点干涩,没几下就湿滑起来,秦勇的龟头像是流下了大量的液体,越来越多,甚至流到了阴囊。这支手控制著秦勇全身的神经,每动一下都涌起强烈的快感衝向秦勇的后脑,秦勇的阴茎就像是秦勇的一个开关,他被这支手给控制住了。这时,秦勇的两个蛋终於被吐了出来,湿湿地贴在档下面,立该被手又抓住揉搓。
突然,秦勇感觉龟头被嘴给含了进去,一下子没入了大半。「啊~~~」秦勇像是被电流给击中一般,一下子麻到了脚心,两腿都蹦直了。终於忍不住呻吟了一声,秦勇已经无法掩饰自己的感受。这张嘴含住秦勇的龟头,舌尖就在龟头的冠状沟边缘打转,电麻般的感觉一阵阵地传在向秦勇脚心,秦勇觉得两腿都在打颤,呼吸声越来越重,已经不能把持自己。
一会,秦勇的龟头被吐了出来,舌头从秦勇的阴囊开始往上舔,沿著阴茎腹面鼓起的尿道往上舔到龟头,再把龟头和茎桿一下子含进去,再吐出来,一支手同时揉弄著秦勇的两个睾丸。秦勇长这么大,哪里受过这种刺激,感觉阴茎硬得像铁棍一般颤动。
每次秦勇的龟头被含进去,秦勇都忍不住要把上身微坐起来再躺下去,伴著粗重的喘息,像是坐仰臥起坐一般。这种快感,伴著大脑里的一点酒精,一阵阵把秦勇推向云端,全身酥麻,阴茎已经涨到极限,马上就要交待了。
不行,秦勇心想自己的第一次不能这样糊里糊途地交待了。秦勇在龟头被吐出来的时候,身体向右一横,一下挪开了两腿。没想到更糟糕的事情发生了。秦勇的两腿一下悬空垂下,头和手则向床的另一边垂下去。
原来秦勇因为酒醉,睡得本来就是歪斜的,这样一转,头和脚就落空了。还好小床本来不高,秦勇的脚刚好触到地面。这样变成了秦勇的小腿和头在床外,身体横担在床上,下身反而成反弓型地向上突出。
秦勇还没来得及调整姿势,秦勇的龟头又一次被握住,吞进嘴里,阴茎的大半都被吃了进去。然后那双手把秦勇的內裤扯到了小腿,滑落下去,秦勇竟然被剥光了。因为要掌握平衡,秦勇的两脚分开踮在地上,秦勇感觉两腿中间站了一个人,秦勇无法將两腿併拢。
这样的姿势,阴茎被含著嘴里,快感比刚才还要强烈,这张嘴就含住秦勇的阴茎下下迅速地抽起起来,一支手捏住秦勇的两个蛋,另外一支手在两腿间的缝隙里向下探去,湿湿地在秦勇的肛门附近打圈,又湿又痒又麻。
秦勇的意识越来越模糊,剩下的只有从下身传来的快感衝击著秦勇的神经,秦勇像是投降一般,任由被抚弄著。突然下身轻轻一疼,一根手指好像捅进了秦勇的身体,秦勇甚至感觉得到这只手指在自己的身体里面抠摸肠壁。但是秦勇已经不能反抗,因为阴茎在那张热热的嘴里已经被磨缀得快要崩溃。
「啊~啊~~啊~~~」,秦勇憋住低低哼了几声,感觉全身的每个细胞都要涨开了一般,龟头麻到了顶点。「啊~~~~~~」秦勇的精关终於守不住,精液猛烈爆发出来。秦勇感觉浑身都在电击般地痉挛抽动,一道,又一道,连续十几下,有一种倾泄般的爽快,好一会才射完了。全射到了嘴里……
过了一会,那张嘴吮完最后一柱喷出的精液,终於放开了秦勇的阴茎。秦勇把腿收回到床上,调正了姿势,感觉全身轻飘飘的,翻了个身,斜爬在了床上。一条腿弯曲起来,盖住了下身,只剩下粗重的喘息。
但是事情並没有这样完。那双手上来轻轻按住了秦勇的两腰,舌头又开始从秦勇的肩背舔起,顺著背脊轻吻下去,一路吻到了臀部。尽情地抚摸著、亲吻著秦勇的臀部。
这时,秦勇爬著的臀部被两只手使劲扒开,那条舌头顺著屁缝一下滑到秦勇的肛门,像条湿滑的泥鰍在肛门打转,舌尖柔软地舔弄著秦勇的后门,把秦勇的后面弄得又温暖又舒適。
接著,那条舌头伴隨著两手掰开的动作,使劲往秦勇的肛门里面顶,秦勇紧张得牙齿都咬紧了,一会,感觉肛门被舌尖浅浅地舔了进去,舒服得身体都不是自己的了,「呼~~噢~~」秦勇禁不住又重重地喘息起来。
一会,又换成了手指在秦勇的肛门附近揉按,像条蚯蚓一样往里面钻,秦勇感觉肛门一紧,微微一疼,手指滑溜溜地捅进了秦勇的后面。那支手指就在秦勇的身体里面前后滑动,还上下左右地搅动秦勇的直肠。
这时,另一支手顺著屁缝下去,从秦勇爬著的身下粗鲁地掏出了秦勇的两个睾丸。把秦勇的两个大睾丸向后扯到了肛门附近,毫不爱惜地揉捏,甚至用手在睾丸连接根部的地方用拳头握成束状,把睾丸挤到拳头的一面,像是要把睾丸给挤出阴囊一般,另一边则用两个指头捏住秦勇阴茎粗壮的根部,秦勇刚刚软下去的阴茎压在小腹下渐渐又硬胀了起来。
身体被手指掏进去的屈辱感让秦勇有些不太適应,毕竟秦勇是个军人啊。秦勇使劲把身体翻成正面朝上,那支手就迅速撤离了秦勇的下面。但秦勇刚翻过身来,硬起来的阴茎又被抓在了手里,立该就被嘴含住吮吸。然后,舌头环绕著秦勇的龟头滑动,手在茎桿上快速上下套弄,另一支手还在玩弄著秦勇的睪丸。
不一会,秦勇又被弄得慾火焚身,两腿不断地扭动来缓解那种竭精而出的快感,但是几分钟就受不住,「噢~~~」秦勇全身突然蹦紧,一股又一股,又是十几股精液不可遏制的喷出!全射进了那张嘴里,秦勇听到了吞嚥的声音。
这一下秦勇感觉像是要被吸乾了一般,两腿分开摊在床上软绵绵地。这就样过了好一会,酒精好像又涌进了大脑一般,昏昏沉沉的感觉再度袭来,深深的倦意把秦勇带入不知名的黑暗…
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tswm237 · 7 months ago
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Sagamihara 欅@小田急相模原「山椒塩らーめん」¥1100/「昆布水つけ麺」¥1350(128杯目)
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marimukuchi · 3 months ago
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まさかの映画情報
なんとfeather shuttles foreverとmukuchiの曲を映画で使っていただいています!
渋谷龍監督による『人魚のうた』です。
ストーリーはなんとマリ(mukuchi)が主人公?の話です。といっても私が出演したり制作に関与したわけではないのですが、私を原案にしてストーリーが作られたそうです。一応フィクションであることはここに強調します!
お近くの方はぜひご覧ください。
🟡『人魚のうた』上映情報🔵
●第25回TAMA NEW WAVE「ある視点」部門
2024年11月16日(土) 16:00〜16:45
@ベルブホール
(〒206-0025 東京都多摩市永山1-5
小田急多摩線/京王相模原線「永山駅」より徒歩2分
ベルブ永山5階)
映画祭HP
https://tamaeiga.org/2024/newwave/
●アイドル映画to個性派映画no映画祭2024
2024年12月21日(土) 14:40〜15:25
@シネマハウス大塚
(〒170-0002 東京都豊島区巣鴨4-7-4-101
折戸通り 都立文京高校正門前 / JR大塚駅北口より徒歩7分)
映画祭HP
https://aidolekosei2024.amebaownd.com/
●第22回はままつ映画祭
2025年1月25日(土) 時間未定
@木下惠介記念館
(〒432-8025 静岡��浜松市中央区栄町3番地の1
浜松駅より徒歩15分)
映画祭HP
https://www.hamamatsu-eigasai.org/
#tamanewwave
#アイドル映画to個性派映画no映画祭
#はままつ映画祭
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shirasuphoto · 2 years ago
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#あの保存車両を撮る No.22
ロマンスカーミュージアム 小田急7000形7003号車
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もう一度,そう言ってしまう特急電車
 5年前の2018年7月.この日を持ってある車両の定期列車の運用が終了し,いよいよラストランが近づこうとしていた.一度は新形式と同じカラーリングに変え新たな伝統をつくったが,かつての伝統を蘇らせようと最後はデビュー当時のカラーリングに戻し走りっていた.久しぶりに見るとつい懐かしいと言ってしまうほど,平成を駆け抜けた最後の昭和の特急電車なのだから.その車両が海老名に保存されている小田急7000形だ.  凹凸が少ないスッキリした前面は,先代の3100形と比べると新しい印象だ.よくこの車両を撮っていたが,前面を間近に見るのは博物館に来てからなので,あの頃撮れなかった角度から何度も撮っていた.  新鮮な気持ちで前面を撮るが,目の前の展望席を眺めるといろいろ蘇ってくる.あの座席に一度は座りたいと羨んだり,LSE同士の並びを撮ろうと展望席近くから眺めたり.そんな懐かしさは遠くからしか眺めることは出来ないが,いつかはあのロマンスにもう一度乗りたいな.
ロマンスカーミュージアム ◆休館日 第2,第4 火曜日 ◆入館料 大人 900円 ◆最寄り駅 小田急小田原線・相鉄本線・JR東日本相模線 海老名
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ari0921 · 1 year ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)9月22日(金曜日)
    通巻第7920号 
〜書評〜
 金正恩の正妻と妾たちと、その子供たちはいま
  反体制の地下運動が大規模に展開され、金は身内の叛乱を極度に懼れている
  ♪
西岡力『狂った隣国  金正恩・北朝鮮の真実』(ワック)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
 北の「核坊や」を手なずけようと、トランプ前大統領は三回、金正恩と会談した。
初回は世界的なセンセーションとなったが、2018年6月12日、シンガポールの離れ島のリゾートで開催された。このときは挨拶ていどのジャブの応酬。余興かどうか、金正恩は夜に日本人観光客で賑わったマリーナ・ベイサンズ・ホテルのバアラウンジに突如現れた。同ホテルはカジノでも有名。
 弐回目の会談は2019年2月28日、ベトナムの首都ハノイのメトロポールホテルで開催された。米側は核の全廃と引き替えに経済制裁を解除するとしたが、北は応ぜず、物別れに終わった。合意はなく、ボルトン補佐官は「会談は失敗だった」とした。
 
 参回目は同年6月30日、南北朝鮮の境界線、板門店で開催され、やはりこれという成果はなかった。
ただし三回の会談を通じて、金正恩なる人物が意外に国際情勢に詳しく、アメリカの情報を把握しているという事実だった。彼はスイスに留学経験があり、そのとき派遣された世話役の玄松雪が愛妾となって子をなした。玄松雪は労働党宣伝扇動部副部長で金正恩の随行秘書だった。
 平壌の奥の院では正妻の李雪柱(歌手出身)と玄松雪との間に見えない対立がある。ほかに金正恩の子をなした側室に呂シム(在日帰国者。ピアニスト)と金玉珠(歌手)がいる。
本書で西岡氏は、系図を用いながら、まずこの金王朝の大奥内部の人脈を精密に描いた。これだけでも読む価値が高い。
さてトランプ金正恩会談の根回しに密かに精力的に動いたのはポンペオCIA長官(後の国務長官)だった。
 初回会談の根回しは、2018年にCIA長官だったマイク・ポンペオが極秘訪朝し、次いで同年5月9日にも訪問したときに公となった。2000年のオルブライト国務長官以来、18年��りの米国の高官訪問で、このときは人質の米国人三人が開放された。
 このポンペオ・金正恩会談でトランプとの会談が実行に移された。
 ポンペオの回想録に拠れば、「中国共産党は、北朝鮮が在韓米軍撤退を望んでいると米国に伝えている」と説明。正恩氏は笑って机をたたき「中国人はうそつきだ」と大声を上げ、「中国は朝鮮半島をチベットや新疆ウイグル自治区のように扱えるように米軍撤退の必要を主張する」と語ったという。
 このやりとりから、ポンペオは朝鮮半島で米軍がミサイルや地上戦力を強化しても北朝鮮は気にしないと判断したという。また金正恩はポンペオに向かって、「あなたが姿を現すとは思わなかった。あなたが私を殺そうとしてきたのを知っている」と語りかけ、ポンペオは「私はまだあなたを殺そうとしている」と冗談で応じた。
 その後、バイデン政権となって米朝の対話は途絶え、金正恩は無謀な核実験、ミサイル試射、ICBM発射実験を繰り返した。
 とくに日本の防衛白書が北朝鮮の核戦力を「小型核をミサイルに装填する技術をすでに保有しているとみられる」と分析し、岸田政権は『安保三文書』で確認した。事態は深刻な安全保障上の脅威である。
にもかかわらず日本のメディアはこの切迫した軍事状況を熱心に伝えない。
 米国に届くICBMを保持した以上、米国の核戦略と世界の軍の再配置の必要性が産まれ、日本や韓国を守るはずの「核の傘」は破れ傘となった。韓国が独自の核武装を打ち出したことは主権国家としては当然であり、日本の体たらくとは対照的である。
ユン大統領は過去の歴代反日馬鹿「ダイトウリョウ」たちとは異なって、ちゃんと国際情勢を見極め、また反日など後ろ向きの政治姿勢から離れて、したたかな力量をしめすようになった。
この点でユン韓国大統領は端倪すべからざる政治家になりつつあるのではないか。
トランプ・金正恩会談からはやくも四年を閲し、米朝の対話が断絶したのはコロナ禍、そしてウクライナ戦争による。しかしバイデン政権の熱意が中途半端なことが原因だろう。
 この間、何が起きていたか。
現地事情に通暁し、多くの情報通をと交流のある西岡氏が、空白の期間の謎に挑んだ。金王朝は内部がガタガタで、飢えに対して国民の不満が露呈しており、また軍に備蓄していた国家備蓄食糧の放出を決断したところ、すでに軍隊で食べてしまった後だった。ロシア��武器供与するために備蓄兵器を点検してみれば、殆どが錆びて、使えない旧式のものだった。そこで新型の自動小銃十万丁を手配した。
暗殺を懼れる金はボディガート部隊を増やし、影武者を十人抱えて、そのうえ極度の肥満による心臓発作と不眠症になやまされているともいう。
 9月初旬、金正恩は特別列車でロシア極東へ向かい、プーチンと会談した。
 その内容は北の武器在庫の供与、また北東アジア軍事バランスを潰��するためのミサイル実験などと引き替えに食糧援助にある。報道では「食糧は足りている」と金正恩が余裕を見せたことになっている。この肥満総書記は芝居もうまいのか。
 金正恩の秘密資金は朝鮮総連の資金がとまり、外貨が枯渇している。「これまで40~50億ドルだった39号資金がほぼ無くなった」(81p)
 食糧不足に悩む北朝鮮は在外高官に食糧23万トンの調達を秘密指令したが集まらないばかりか在外公館のスタッフは給与ももらえず自給体制、なかにはサウナの三助のアルバイトで糊口を凌いでいる。
 「中国には繰り返し緊急食糧支援を要請したが、無償支援は断られた」(63p)
プーチンは朝鮮戦争でのソ連の参戦を、はじめて認め『血の友誼』を強調している。2023年7月27日の「『戦勝』70年記念式典」にプーチンの特使として平城いりしたシェイグ国防相はプーチンのメッセージを持参した。
 そこには「戦闘飛行を遂行した飛行士を含むソ連の軍人も、朝鮮の愛国者と肩を組んで闘いながら敵の撃滅に重みのある寄与をした」(104p)と明記されていた。
はじめてソ連の朝鮮戦争参戦をみとめたのだ。
 そしてシェイグは金正恩に10万の兵力の派遣を要請したという。 
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nobu-izakaya · 2 years ago
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旬鮮酒場NOBUの
大人気メニュー
最高のお肉を使ってます!
国産和牛A5ランクの焼肉丼!
お肉入荷!霜降りいい感じ!
ぜひお試しください(*^^*)
Shunsen Sakaba NOBU
Popular menu
We use the best meat!
Yakiniku rice bowl with domestic Japanese beef A5 rank!
Meat in stock! Marbled good feeling!
Please try it (*^^*)
#旬鮮酒場nobu  
#海鮮居酒屋 #居酒屋  #居酒屋ノブ #nobu
#食べログ #相模原 #相模原お店大賞受賞店 #小田急相模原 #サウザンロード
#グルメ #うまい #google
#美味しい #肉 #おださが
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stationpic01 · 2 years ago
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2019.2.2 Sagamai-Ono Station 小田急電鉄 小田原線/江ノ島線 相模大野駅
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nccwa · 1 year ago
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【海外文轩】杨秋生小说 | 走出Google Map 的魔咒
Original 杨秋生 海外文轩 2023-12-04 08:07 Posted on 美国
她竟然在Google Map 的街景图里看到他。
她是个自雇会计师,那段时间她每天固定要去两个地方,中间有一个小时的空档。两个地方蛮近的,如果办完第一件事回家,大概也只能休息10分钟,又得出门了。她就想,不晓得两个地方附近有没有什么公园,或者有树荫可以遮蔽烈阳的地方?就趁那个空档时间走完每天规定自己的一万步。
于是她利用Google Map 的卫星图一路寻找看看。
她发现那儿附近有一片新兴的住宅区,外围规划了��弯曲曲的步道,步道边上种了一棵又一棵苍苍郁郁长得相当繁茂的树,正合她的心意。但卫星图是从空中俯瞰往下照的,看不出实地走过住家的模样,于是将卫星图转为街景图。这一转,清晰的马路与房舍立刻映入眼帘,真实地让人身历其境。她的手指不断地顺着像是新开发的社区步道一段一段滑过去,整个社区规划得极好,房子设计也很新颖。滑着滑着,她居然看到一个年轻的妈妈牵着一个小女孩,像是正在过马路。她像发现了新大陆似地,兴致一来,重新回到原始设定地图,找了一个公园,再转换成街景,竟然看到一群年轻人正在公园聚会,如此传真,她似乎都能感受到公园里热闹的气气氛了。
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Google Map卫星图
她像着了魔似地,打入自己家的门牌号码,想看看自己家在Google Map里是什么样子?
她看到了她那辆看起来像新的一样的丰田卡罗拉孤伶伶地停在车道,靠马路的白色围牆上攀爬着开得正盛的亚当玫瑰,衬托着翠绿的草坪十分美丽。
她不由���起他。
自从她对隔壁街道一家白围牆上攀爬着美丽的亚当玫瑰赞口不绝后,他便将前院靠马路的草坪产去一大片,搭上矮围牆,每隔几尺种上一棵带着仙气的亚当玫瑰。几年下来,玫瑰越开越盛,那道花牆成为他们那条街最美丽的风景,见证着他们的爱情。
她以为她已将他封尘在记忆的深处里了,而面对着Google Map 里她家的屋子,一切如此真实,彷彿触手可及。她忍不住将手按在她称之为「爱庐」的精致屋子,不停地放大、放大、放大,想看能不能在窗口边捕捉到他的身影。
寻找他的身影的念头像一块石头,丢入她已然平静的心湖,激起一圈又一圈的涟漪。过去的记忆瞬间翻江倒海而来,一股极为难受的情绪堵住胸口,眼泪掉了出来。
她自来是没有什么方向观念的,往往转个弯,就不知道东南西北。而他的脑袋就是一个GPS,根本不需要任何的帮助,一定能够顺利找到目的地。
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Google Map街景图
他宠着她,只要她想到那里,他就开车带她去。后来她上班,他陪着她从家里到公司好几趟,确定她记住了来回的路线,才让她自己开车去上班。
她顺势依赖着他,感觉她是世界上最幸福的人。
日子就像他脑袋中的GPS,轨道从来没有出错过,而命运却让她错过了所有的轨道。
那年夏天,热浪来袭,夜里她忽然惊醒,屋外像有什么窸窸窣窣的声音,听起来像风吹着叶子的声音,也有一点像刚下起豆大雨珠的声音。床边他的位子是空的。她想应该已经是深夜了,夜里有时他睡一觉会醒来,便起身到书房打开电脑做点事,累了,再回来睡个回笼觉。她一时也睡不着,下了床,穿过走道,打算也到书房。走到一半,却看到紧邻餐厅的家庭间有着微弱的灯光透出来。
家里的灯都是可调整亮度的,调到那么微弱的光线,感觉上很不寻常。
她悄悄走过去,停在门口,伸个头往里望——她清楚地看见他坐在沙发上的一角发着呆。原来他并没有开灯,而是外头满月的光透过偌大的玻璃窗照了进来。分明是夏天,月光却带着寒气,让他看起来像冰雕出来似的。
她一下子什么事明白了。
他喜欢小孩子,她也是。
虽然他是独生子,即使婆婆没事就要叨上几句,可是他从来不催她,给她最大的自由选择。
她太爱他了,婚后倒是一心准备着迎接属于他们两个的新生命。
可是,一个月又一个月,他们都错过机会。
送子娘娘似乎忘了他们的存在,五年过去了,婆婆的脸越来越难看,说出的话也越来越恶毒,连他都缓和不了,他们只好约着去看不孕症医生。
妳动过卵巢巧克力囊肿的切除手术吧?
当医生这样问她的时候,她的心一震。
那是好久以前的事了。
青春期时候,她每个月到了固定时间都痛不欲生,需要请假,妈妈带她去看医生,检查出两侧卵巢都有大到必须开刀切除的巧克力囊肿。医生信誓旦旦地说,经痛、经期不规则、经血量增加、骨盆疼痛都是不可避免的,有可能日后会导致经血逆流引起骨盆腔炎,甚至蔓延到腹膜引起致命腹膜炎,只有开刀一途。腹腔镜手术伤口很小,复原也快,刀到病除,不影响卵巢功能的运作,仍具有生育能力。那时光听到肿瘤都吓到了,若还会引起腹膜炎,更令人不安,既然还能生育,便顺了医生的建议。
妳的卵巢功能已经衰退得很严重了,妳知道吗?
眼前医生推了推鼻樑上的眼镜,试着用最温柔的语气对她说。
她看到他的��刷地像诊疗室的牆壁一样白。
那怎么办?他急切地问。
只有人工受孕了。医生说。
她像掉入地狱,有种被欺骗、不得超生的感觉。当年开刀的时候,医生分明告诉她,她仍将拥有生育能力啊。医生说的是事实,可是没告诉她,生育的机率却是非常非常低。
回家的路上,两人都没说话。
他们转往中医诊疗,期待经由中医治疗或许可以自然受孕。
她一喝中药就干呕,呕至眼泪都流出来。每次婆婆来看她干呕都以为她怀孕了,她也想这样欺骗自己。
日子变成只剩下羞辱和痛苦,没有欢愉。
拖了一年,她感觉虚耗的不只是珍贵的适孕黄金期,一直引以为傲如鱼得水的悠然自适,滋养着对方的婚姻,不知不觉紧绷起来。她觉得自己像一只随着水温加高的水煮青蛙。他们自来无所不谈,没事就爱腻在一起;尤其睡前总喜欢说说笑笑打闹嬉戏一番再相拥安心睡去,而现在,两人总是各怀着心事安安静静地躺着。有时她想挨过去贴着他温暖的身子,却觉得一道无形的牆卡在两人中间。她好想和他说说话,却找不回熟悉亲密的感觉,疏离感越来越强,让她觉得他似乎越来越陌生了,话到唇边,就让棉被覆盖着,重重地压在身上沉沉睡去。他的个性原本就温和随和不挑剔,很容易就会忽略他的感受。生活一路下来都是以彼此习惯的方式进行,被医生宣判无期徒刑后,她感觉即是两人摸得到相互的身体,却触及不到彼此的灵魂。有时她不免想,他们完美的婚姻,会不会只是她一厢情愿的幻觉,自始至终她是活在灵魂伴侣美满婚姻的幻觉里?而真正的他,心灵已经走远了?
他们又回去看不孕症医生。
妳的卵巢更老化了,再不做人工受孕,最终只能借卵了。医生凝重地提出警告说。
她的心跌到又深又黑的井里,冰透的水在她的鼻尖沉浮。
借卵?那生出的孩子就不是她和他的骨肉了!不行,绝对不行!
于是,他们开始了更痛苦的身心煎熬的周期。
不同医院求诊,飞行里数足够绕地球一圈,7次取卵,4次移植、流产,超过三百针,身心具是千疮百孔,无止无尽的幻灭⋯⋯
她轻悄悄地走回卧房,斜靠枕上,空洞的眼神,空了的灵魂,如一座暗黑的没有生命的凋像。
他一直到天亮都没有回到床上来。
她听到车库门开启又关掉,她才走出卧室。
他从来都不会这样的,一股蚀心痛楚席捲而来。她走到书房,将书架上所有的孕妇须知、育儿书全都扫进侧院的回收桶。
她颓坐地上,感觉人生走到了尽头。
她需要新鲜空气。
关上门,离开让她窒息的屋子,独自走到沿溪林荫步道。
她家离这个健行步道很近,穿过几条短短的马路就到了。
如果没有特别的事,他们每天清晨都会走一趟。沿路每一栋房子,甚至每一棵树都如此熟悉,她不需要去寻找记忆,闭着眼睛她似乎都能看到她与他手牵着手的影子在前面引领着着她。
很快地进入长长步道中最美的一段,两侧虽然多是杂树,却也长得枝叶繁茂,高大参天,形成绿色天然拱门。健行的人并不多,幽静的林荫小路苍郁凉爽,一扫夏日燠热与烦躁。
一阵风吹来,阳光透过枝叶隙缝洒下来,叶子泛着金光,岁月如此静好。她怔怔地站在那儿,竟有着恍如隔世的感觉。
穿过绿木拱门是另外一番粗放的风景,走着走着就听到了溪水的声音。
干旱了几年,经过冬天与春天两季十多次的大气河侵袭,干涸了的溪水满了上来。走到溪水汇集处,一对绿头野鸭子悠游水中。最早她看到有着亮丽颜色,成双成对形影不离的野生绿头鸭子,还误以为是鸳鸯。后来才知道旧金山湾区只要有溪流,几乎就能看到绿头鸭子。她每次看到水中成双鸭子相守相随不离不弃,心情都特别好,总要看着鸭子远去了才继续前行,他便站在旁边静静地伴着她。
他们两个都是喜欢宅在家的人,结婚几年还老爱腻在一起。即使他在书房里忙着上班时间没有做完的工作,她也不会自个儿看电视。她买了一个比较精致的复古沙发躺椅,听着他忙着敲键盘的熟悉声音,觉得很安心,拿本书在旁边读着。
他们也有过不愉快的时候,意见相左,又称不上吵架或者抬杠的时候,就是沉默相待。两人都不说话,还背对背待在同一个房间里看书。彼此都知道,这样的冷战,说穿了,就是一种惩罚,对自己,也是对对方。熬上几天,他开始露出受苦的表情,她就没有办法拗下去,随便找个什么理由对着空气自言自语,他就极力高声回答,震碎了卡在彼此之间稀薄的玻璃牆。
她要的就是这么一小块,彼此相知相爱的方寸之地。
而今天早上的不告而别,已不是斗嘴或者冷战的级别了,带着决绝的意味。
原来婚姻不能只有爱。
她意识到她一直守护的方寸之地,已经崩裂了。看着她仍然视为鸳鸯的绿头鸭子,酸甜苦辣的心情瞬间翻腾,那撕心之感千回百转,她只觉柔肠寸断,痛楚难当。
再走几步,只见一只白鹭鸶孤独地伫立溪中。
她一直很喜欢体态轻盈纤细优雅的白鹭鸶,一直以为白鹭鸶就像鸳鸯一样,一定是成双成对的。后来才知道白鹭鸶孤眠在草泽之间,卓然特立在潺潺泉石之上,有着怡然独立的特质,而非总是双宿双飞。
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形单影只白鹭鸶
特立独行的白鹭鸶总那么优雅孤高不群,像正在思考的哲学家。她每次看到经久站立不动的白鹭鸶,都很想知道牠在想些什么?见白鹭鸶溪边孤影,就会心生怜悯——为什么牠们喜欢离群索居,而不是双宿双飞?永远显得如此孤单,正如现在的她。
她落寞地独行,走着想着,不知不觉已远离林荫,右边出现广袤平原,极力望去目之所及是平缓起伏的层层山脉,充满原始风味;而左边是一大片如竞技场上斗得你死我活,充满不眠不休竞争的高科技谷歌公司。
两边呈现着完全迥异的面貌,她站在分岔点,突然觉得就像她走在婚姻的分界线上,一边是只能拼命,和婆婆、和命运竞赛,近乎绝望的挣扎,无止无休令人喘不过气;一边是自然风光,是她习惯的��归自然的悠然天地。
她该回到婚姻继续与婆婆、命运纠缠?还是自我放逐?
他是个无可挑剔的温和男人,但她知道他骨子里最深处有种不轻易妥协的别扭,除了对她。十年婚姻最初的甜蜜与相依在后来求子屡战屡败的挫败磨下来,所有的温柔与温情消耗殆尽,她曾从他的眼睛看到愤怒、哀伤、挣扎与绝望。站在分岔口,她意识到他们最终走到了婚姻的分界点。
        未来他会选择哪一条路?
事情是怎么发生的,到现在她都没有办法理清楚。
只记得从步道回去后就决定放他一条生路。
是谁说的?以不爱为爱。
当她跟他谈起离婚的事情的时候,她感觉到他全身颤慄不已——其实她自己也是。她的内心充满了恐惧——对即将失去他的恐惧、对未来的日子里头没有他的恐惧。她的泪水已经急涌上来,可是她没有让一滴眼泪掉下来。是的,她会失去他,将来的日子里,再也不会有他⋯⋯
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亚当玫瑰
他离开后,她生了一场大病,姊姊来看护她,直骂她傻。
傻呀,她自己也知道。
她对他有深深的眷恋,她相信,即使他离开,对她仍然深深地眷恋着。
她在这个屋子里已经住了五年,他搬离开后,她原本是想卖掉这栋房子的,生怕触景生情,但是她最后还是选择留下房子,不只是因为屋子里一物一角都载满了她与他的回忆,她舍不得把这些甜蜜的感觉,从她的生命中剔除开来,最终淡忘成为模煳的记忆。在她的心底,她没有真正的放掉他,或许,还期盼着他会回来看看她?
他离开后,她才发现屋子显得特别宽广而空旷。一到夜晚,整个屋子寂静无声。偶尔一阵风吹过来,她似乎都可以听到松针落地的声音。她有时候会想,如果他死了,她还可以带着他栽种过的玫瑰花去墓园看他。而他只是离开,她却可能永远再见不到他。但她又不希望他死掉,至少知道他在一个不知道的地方好好地活着。
冬天夜晚来得早,窗外的景色一暗,她就心慌。她把家里所有的窗帘关得密密严严的,再把全家的灯都打开,到处亮亮的。
她只能呆呆地坐着,哪儿都没有地方去。
那时她没换床,还深深地眷恋着他留在床上的气味,躺在加州特大号床,那熟悉的气味帮她度过了无尽的孤独黑夜。      
而后来,她每��看着那空着的半张床,就像看见一个黑洞,她似乎就要掉进黑洞里头去了。
她终于将那张床也丢了,买了一张单人床,空间一下子大了许多。她买了一张大椅子,衣服脱下来也不拿去洗,就堆在椅子上,带点乱糟糟的味道,看起来像是有两个人住着似的。
她对各式各样的气味非常敏感,衣服被太阳晒过的味道,是一种居家安心的感觉;电锅里的饭快要煮好的时候,总让黄粱一梦变得真实起来。他的枕头套才不过几天就会飘出淡淡的油味来,她一边叨,一边也觉得有着熟悉的气味,生活充满了流动的气息。
气息随着他远离的时日久了也渐渐淡下来,连捕捉记忆都开始觉得困难。她思念他到再也没有办法遏止的狂乱的地步的时候,她就拿出纸笔来写信,一封又一封没有办法投递的信。
最初她有时会想,哪天下班回家时,他会不会出现在他们曾经拥有最美丽的回忆之处?屋子里的这个女人,曾是他最深深的爱恋?
偶尔走过他们常去的咖啡馆,有几次她以为看到了他。事后总忍不住嘲笑自己,世界上至少有一半的年轻人会像他那样穿着牛仔裤,上面着上一件看似随意却相当讲究的T 恤。
时间久了,她其实也知道,他是不会来的,也不可能不期而遇的,但是她就是不肯放掉这个念头。他曾经如此爱着她,他怎么可能就舍她而去呢?她还相信着他坚贞的爱情,就如同太阳每天早上一定会从东方升起,会照亮她的窗台。
她有一回,相信她是哭着睡着的。她做了一个梦,梦见她在海边,忽然见到他从远方奔过来,一路哭喊着:贝贝被海浪卷走了,贝贝被海浪卷走了!
贝贝是他们刚开始尝试着要孩子的时候,为孩子先取的名字。
她惊醒过来,吓出一声冷汗,心脏砰砰跳个不停。她不知道为什么会做这样的梦?有好长一段时间这个梦一直如影随形地跟着她,从来没有离去过。她只觉得痛,痛到没有办法再痛了,反倒在深渊里一点一点慢慢苏醒活过来。
她终于相信他是不会出现在她的世界里了,那已经是很久很久以后了。
她突然悲哀起来,世界上像她这样在空等中打发一辈子的女人有多少?她是不是就这样终其一生地等待永远不会再回来的爱情,日复一日、年复一年,直到头发斑白,眼睛再也看不清前面的路⋯⋯
往事一幕一幕清晰如昨,她整个陷在google map 里——听说他其实住得并不远,就在隔壁城市,她发了疯似地,开始一条一条马路寻找。地图、卫星图,街景图来回切换,彻夜未眠,无止无休地滑着地图。
终于那辆她熟悉得不能再熟悉的宝蓝色第八代的雪弗兰跑车,就出现在离她家只有三里路的一个小小社区里的一栋康斗的车道前——那绝不会有第二辆。
她将街景放大,是了,是他的车子,虽然车牌经过处理一片模煳,但她一眼就认出车尾右边保险杠他贴上的Keep Tahoe Blue贴纸。原来他真住得这么近!她的眼泪掉了下来——咫尺却天涯!
看来驾驶座车门是开的,她猜想应该是他刚坐上驾驶座上,将公事包放在乘客座,左脚还在车外尚未收回车内的那一瞬间,被谷歌拍摄街景的车瞬间拍下。她赶紧将地图放大,偏偏谷歌是从车子的背后微右的角度拍摄的,虽看得到车门是打开的,却无法看到她想像中还露在车外的左脚,而后车窗深深的树影与绚丽阳光经过光学透镜的折射,半幽深半模煳,将他与她完全隔了开来!
她决定亲眼去看看。
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海的尽头
她将街景图转回地图,起身,拿了纸笔,准备画出一张自己看得懂的地图,决定天一亮,她就要去寻找那栋精致的小屋。
她对于看地图一直有着极端的困难,她自小没有东南西北的概念,只有前行、右转、左转与往回走的观念,不认路,却记得每段路的建筑和地标。去哪儿,她都会画一张从家里出门一路只往前行、右转与左转属于她自己的地图。他老是笑她画的地图和日本人一样,连警察画出的案发现场地图都只有主要建筑,没有东南西北、没有街名。一瞬间,她的眼角热了,视线也模煳起来——他们的生活中曾经有过这么多的甜美记忆。曾经一起经历、拥有过的时光一旦变成记忆,她就往往卡在真实与虚幻之中,不知身在何处?不知何去何从?
她一边对着手机的地图,方向转来转去地画着,一边想着,我会看到他从门口出来,坐上爱车,微开的车窗仍然流溢出来着断人衷肠的二胡乐曲吗?
他头发长了还没去理发店修剪吗?
想着想着,她的心脏怦怦跳得厉害。
三里路,像开了一辈子。
她将车停在路口的转角处,隐身在路边的大树干后面,时不时瞥一眼。
终于,车库门打开了,他提着惯用的公事包从里头走了出来。
她的手湿了,没办法去抹额头滴下来的汗。经过眼角,流到唇边,咸咸的。
远远地看他,身形没什么变,但带着些微疲倦的面容上有着愉悦的光彩,很奇怪的组合。她想着,从来没有看过这样的他。才不过几年,就变出一个她从来没有见过的样子!
哔哔两声,车灯闪了几下,他打开驾驶座,坐上车,将公事包放到乘客的座位上,所有的动作还是和以前一个样子。
她的心剧烈地跳动起来,真想从大树后头奔过去,从后头用双手紧紧地环抱着他——她从来没有像现在这个时候这样后悔让他离开!
咫尺天涯,曾经如此亲密,竟成陌路。
一个绑着马尾巴脸上浮着笑意的年轻女人从灯已灭了的微暗的车库走出来。与其说她是女人,不如说她更像个女孩子。纤细的身材,长手长脚,像她年轻的时候。连绑着的还在晃动的马尾巴、宽松的纯棉浅蓝色格子衬衫、帅气的牛仔裤都一样,有几秒钟,她以为是她和他到了另外一个平行宇宙。
他对着马尾女孩(应该是他新娶的太太吧?)露出她已久违的怜爱表情。他说了些什么,只见马尾女孩低下头,双手摸着扁平的小腹,浅浅地笑着,眼角漾满幸福。
她的心像是受到很大的撞击,几乎要跌坐在地上。
心,一点一点往最深处痛起来。她撇过脸,地上有了豆大的水滴。
她慌乱地奔离,差一点就被路边凸出来的一块树根绊倒,大拇趾痛彻心扉。
她头上发热,身子却觉得很冷,那冷,就像有一次他们到密西根,去看人家冰钓,她好奇央求人家让她摸一下冰块缺口的水有多冰?那冰,冰到心脏都要停止跳动了,瞬间一股像被火烧似地感觉直窜手掌。冰与火在那一刻没有了界线。
她想起他们陷入深深恋情的时候,她与他最喜欢的一首汉乐府《上邪》,两人高兴起来眼里只有对方,轻轻地吟着:
上邪!我欲与君相知,长命无绝衰。
山无陵,江水为竭,冬雷震震,夏雨雪,天地合,乃敢与君绝。
文字错落相间,读起来特别有味道,注入了忠贞不二、澎湃热血,像是用生命铸就的爱情。20年,她从青春豆蔻走到充满疑惑的不惑,心头守着的不就是这一纯美情爱吗?
他,人早已走远,她还在反反覆覆地追思着过去。
她到现在都跨不过去这个坎,她不知道他是怎么跨过去的?
她的心好痛,整个人像被劈成两半,灵魂都没有了安置处。意识到了原来她是用整个生命去爱他;而曾经这么爱她的他,自己却只是他生命的一部分。
踽踽独行,阳光将她的影子拉得老长,孤独地像个寂寞的灵魂。她呆呆地站在那儿,意识到属于她最刻骨铭心、最重要最精华的人生已成了过去——他在她的生命中将永远缺席了。
她反复思索,当时二话不说还他自由,到底是不是她真正的心意、真正的爱?她对他这样深刻的爱,他知道吗?她总是一次又一次地回想那天夜里他一个人呆坐在窗边的景象,现在想起来也许事情并不是突然发生的,恐怕是一点一点已经埋伏在他们各自的心底了。
她连他的车从她旁边驶过去,她都没有发现。
她曾读过一段话:平静地接受消失与死亡是一种沉静的修行。
很多事情,只能靠幻想安慰自己吧,贪图变成真实,绝对会变成一种灾难。
回到车上,她打开引擎,车子缓缓前行,最后停在步道入口的路边。
她下了车,进入阳光尚未渗入树林的那段步道。
树荫有点深,她快步走着。旁边稠密的杂树林里是没有晨曦与黄昏的,只有白天与黑夜。在阳光不足的浓密树林里,一切都不透明,显得有些阴森而鬼魅,让她一时分不清过去、现在与未来。她的思绪与记忆虚实交错,彼此折叠着。
她越走越快,想快速穿过这段向来最爱的林荫小道。
终于听到水声,她的心稍稍平静下来。经过大气河与炸弹气旋的夹击,泛滥溢出去的溪水特别澄澈,绿树倒影清晰可鉴,像是反过来生长似的。白云在水里缓缓地移动着——折射着相同的景象。
溪水如镜,她停伫下来,发现溪水之上与溪水水下如此相像,虚实难分。
曾经生活过、拥有过的,到底算实,还是算虚呢?
她忽然觉得那段相倚相靠的日子远去了,远到像是上辈子的事情了。
她继续向前行,走到更宽的湍急处,好几棵被风吹倒的树七横八斜地卧在水中,溪底落叶枝枒交缠。
原来大自然有自己的消长,她忽然了悟了。
小径没有终点,走着走着,穿过从前走过的分岔点,继续前行,两边再也没有房舍。
她看到了海,左前方。
她沿着小径向左弯过去,沿着海边步道走,出现了湿地。
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海陆交界湿地
她忽然发现,以前一直以为的“海的尽头”是在岸边眺望大海极目最终之处,而现在站在海与陆地的交会之处,才意识到大海与陆地的交界湿地,才是大海的尽头。一大片一大片的沼泽地与小池塘、水道上都可看到各种水鸭子、加拿大雁、鹭鸶、鹈鸪或悠游或栖息其间。振翅高飞的鸟在海阔天空中自由飞翔。水中映着白云,点点水鸟、鹭鸶觅食——原来生命可以如此丰富而缤纷。
海的尽头,原来近在眼前,正是生命的源头!
她一直以为她的悲哀,就像海看不到尽头一样,现在她忽然明白了,她的心底涌上一股热直冲眼角,鼻头酸了起来。
向���而生,就是重生,她忽然懂了⋯⋯
(文中插图由作者提供)
~完~
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kennak · 5 months ago
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○日時 平成28年10月31日(月)16:00~18:00 ○場所 TKP新橋カンファレンスセンター ホール3A (東京都港区西新橋1丁目15-1 大手町建物田村町ビル3階) ○出席者 (構成員等) 山本輝之座長、岩崎俊雄、久保野恵美子、田中正博、中原由美、平田豊明、松田ひろし、 松本俊彦、村上優、森隆夫 、森祐司、日野博愛、久保厚子、萩原勝己、桐原尚之、 小幡恭弘、松田ひろし、田村綾子、窪田彰 (関係省庁等) 堀江裕     厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長、 朝川知昭   厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部企画課長、 内山博之   厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部障害福祉課長 、 田原克志   厚生労働省社会・援護局精神・障害保健課長、 石垣健彦   厚生労働省社会・援護局福祉基盤課長、 河邉正和   厚生労働省医薬・生活衛生局監視指導・麻薬対策課薬物取締調整官、 坂本大輔   内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官(障害者施策担当)、 今福章二   務省保護局総務課長、 矢崎正子   法務省刑事局付、 高須一弘   警察庁生活安全局生活安全企画課長、 河原雄介   警察庁刑事局刑事企画課刑事指導室長、 和田勝行   文部科学省初等中等教育局健康教育・食育課長、 森下平    文部科学省初等中等教育局特別支援教育課特別支援教育企画官、 佐久間信哉 神奈川県保健福祉局長、 熊坂誠    相模原市健康福祉局長 ○議事 ○山本座長 それでは、定刻となりましたので、ただいまから第7回「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」を開催いたします。構成員の皆様方におかれましては、御多忙のところ御参集いただきまして誠にありがとうございます。  では、まず初めに本日の出欠状況について事務局からお願いいたします。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長 事務局でございます。本日は、構成員の皆様全員が御出席となっております。事務局からは以上でございます。 ○山本座長  どうもありがとうございます。それでは、続きまして、事務局から資料の確認をお願いいたします。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長 資料の確認をさせていただきます。座席表、クリップ留めの資料がございまして、資料1から資料10となっております。それぞれの関係団体ヒアリングの出席者名簿や関係団体からの提出資料でございます。青いドッチファイルがございますけれども、これは前回までの資料でございます。このほか別冊といたしまして、全国手をつなぐ育成会連合会から資料が配付をされております。 以上について足りない資料がございましたら、事務局までお申しつけください。 ○山本座長 ありがとうございました。それでは、以上をもちまして撮影については終了とさせていただきます。また、本日は関係団体の皆様からのヒアリングを行いますので、議事は公開とさせていただきます。  それでは、議事に入ります。本日は、関係団体の皆様からのヒアリングを行います。まず、社会福祉法人日本身体障害者団体連合会から御発言をお願いいたします。よろしくお願いいたします。 ○森参考人 日本身体障害者団体連合会の森と申します。今日は、本来ならば阿部会長が来て御説明するところでございましたが、私が代わりに説明させていただきます。  お手元に資料2「相模原市の障害者施設津久井やまゆり園における事件について」ということでございまして、本年7月26日に神奈川県相模原市の障害者施設津久井やまゆり園において19名もの尊い命と二十数名の方が負傷されるという悲惨な事件が起きたことについて、二度とこのようなことが起こらないよう、事件の真相の究明をしていただくとともに、精神障害に対する偏見、無理解が広がらないようにすることが緊急の課題であると考えております。  また、同施設を建て直すという話がございまして、財政的支援並びに新たな施設ができるまでの間、入居者の住まいの確保や事件による心的外傷後ストレスの疑いのある職員の方などに対して適切なケアを、関係する方々や地元の自治体と連携して、しっかりと取り組んでいただきたいと思っております。  なお、障害者の権利条約が批准され、そして、本年4月から障害者差別解消法が施行されたわけでございまして、このようなときにこのような悲しい事件があったということ、大変残念だと思っておりますが、これを機会といたしまして、障害のある人もない人も分け隔てることない、共生社会の実現に国を挙げて邁進していただきたいと思っております。  以上でございます。 ○山本座長 どうもありがとうございました。私から事前に、各団体10分以内で御発言をいただくよう、よろしくお願い申し上げます。  ありがとうございました。それでは、続きまして、全国身体障害者施設協議会から御発言をお願いいたします。 ○日野参考人 身体障害者施設協議会の日野でございます。  今日はこのようなヒアリングの場を設けていただきまして、心から感謝を申し上げたいと思います。お手元の資料3に私たちの協議会のヒアリングの資料をつけておりますので、その朗読とポイントのみ説明をさせていただきたいと思います。  身体障害者施設協議会は、全国で約510施設の団体でございまして、医療的なケアの高い方を含めた重度の身体障害者の方に対する施設支援と、それから地域で生活されている方、在宅の方、相互に対する生活支援というものを身障協の姿勢として謳って、今日まで事業を継続してまいりました。  4点について述べさせていただきますけれども、今回の事件を契機に、障害のある方への偏見が助長されたり、施設と地域との関係を閉ざすことにつながりかねない過度な施設管理体制整備と行政指導等が先行しないよう、地域と一体となった開かれた社会福祉施設づくりが不可欠です。折しも国は地域共生社会の実現を目指しており、そうした社会の実現に向けた関係施策に係る御配慮をお願いいたしますということで、ここで申し上げたいのは、過度な施設管理体制ということで、外部からの侵入防止を強化する余り、例えば施錠をしっかりしろとかいう通知が来ておりますけれども、そういったことを過度にやりますと、万が一災害が発生したときに、避難に時間がかかったり、あるいは避難経路の確保の妨げになったりとかいうことがございますので、ここで申し上げたいことは、防犯と防災は一体化して取り組んでいかな��てはいけないということが重要ではないかと思っております。  2つ目でございます。障害のある方への支援のための高い志とスキルを持つ職員がいつまでも働き続けることができるよう、人材確保・育成・定着に向けた職場環境の改善及び施設職員の処遇改善に向けた取り組みが推進されるよう、お力添えをお願いいたします。また、抜本的な職員配置基準の見直しにより、施設利用者の安全・安心につながる夜間の職員配置体制の強化に向けた施策検討が推進されるようお願いいたしますということで、まずは施設内の職員体制を整備することが重要だろうと思います。職員の配置基準であるとか、夜間職員体制の見直しが必要ではないかと考えております。  3つ目についてでございます。共生社会の実現に向けては、幼少期の教育、学校教育において、正しい人権感覚と知識を養う必要があり、障害者福祉施設を積極的に活用するなど地域における福祉教育の推進につきまして、御検討いただきますようお願いいたしますということで、やはり福祉教育の重要さを申し上げておりますが、これはそれぞれ行政とか社会福祉法人が別個にやるのではなくて、やはり一体的に取り組んでいくことが重要ではないかと思います。  4つ目、最後でございますけれども、平成28年度補正予算において、障害福祉サービス等の防犯対策の強化に関して示されておりますが、まさに社会福祉施設における防犯対策は喫緊の課題であり、早期の対応をお願いしたいと思っています。また、補正予算成立前に施設独自で実施した防犯対策についても、補助対象とするなど柔軟な対応が可能となるようお願いをいたしますということで、やはり早急な対応を図らなくてはいけないということで、施設によってはこの事件が発生した直後から既にそれぞれの施設で防犯強化体制に取り組んでいる法人が多いわけですけれども、通知では成立する前に取り組んだ事業は補助の対象にならないということになっておりますが、ぜひこれも補助の対象としていただきたいということと、もう一つは、取り組み方が自治体によって多少違うのではないかということも聞いておりますので、ぜひ統一した実施をお願いしたいと思います。  以上です。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、全国手をつなぐ育成会連合会から御発言をお願いいたします。 ○久保参考人 全国手をつなぐ育成会連合会の久保でございます。  本日はこのような場を設けていただきまして、まことにありがとうございます。  私どもの意見書としましては、資料4に出させていただいております。私どもは、障害の程度にかかわらず、各ライフステージに応じた適切な支援の基で安心して暮らせることを願っておりまして、共生社会の実現を求めております。本事件の検証及び再発防止に関する提案が、誰もが安心して暮らしていける社会の構築につながることを願っております。  1番目の精神鑑定の結果と当該施設の検証結果を反映していただきたいという要望でございますけれども、現在、容疑者への精神鑑定が行われておりまして、結果が1月ぐらいに出るとも聞いております。具体的な情報は今、私たちの中にはないと思っておりますし、容疑者が措置入院していたという事実と事件との因果関係が今もってはっきりとしていないという状態でございます。その中で、中間報告で焦点化された措置入院ですけれども、その鑑定の結果次第では、事件と距離感のある、そんなまとめになりはしないかということを危惧しております。  容疑者は、予告文を用いてその思いを世間に示したわけでございますけれども、書かれた内容とか本人の粗暴な振る舞いというのがありまして、結果として措置入院での対応となりましたけれども、本来、本当に措置入院の対応が適切であったのかどうかということも少し疑問視をしております。結果として、そんな対応をすべきではなかったのかなという思いもしております。いずれにしろ判断が困難だったこのような事例につきまして、当時の司法とか行政、医療、福祉を検証して、関わりが難しい人、対応の困難な方とされている方に、医療に託されがちな人の支援について、地域の関係機関が谷間を埋めつつ、本当の意味での連携がきちんと図れて、対応策が示されるように検討を深めていただきたいと思っております。その際、誤解とか偏見が生じないように御配慮いただきたいと思います。  皆さんのお手元に、私どもの方でコピーをしました「知ってほしい・知っておきたい-知的障害者と『警察』-」ということで、警察向けの冊子を私どもの会でつくっております。要は、すぐに犯人と思うというのではなくて、少し対応の困難な方に向けて、各方面で特性を御理解いただきたいなという思いがありまして、こういう冊子をつくらせていただいておりますので、こういうものもいろいろな方面で御活用いただいて、御理解いただけたらなと思っております。  そして、防犯対策ですけれども、中間報告の取りまとめの時点では情報が余り得られていないために、内部犯行を前提にしての検討がきちんとなされていないのではないかという感覚を持っておりまして、神奈川県では、まずやまゆりの報告書が出まして、今、神奈川県の方でやまゆり事件の検証委員会が設置されているとも聞いております。そこでまた結果が出てくるとも思いますので、この事件の検証が行われていますので、そうしたことの結果を少し踏まえながら、ここでも検討していただく必要があるのかなとも思っております。容疑者の犯行声明にどう対応したのかとか、離職後の容疑者をどのように犯行予告に備えてきたのかとかいった具体的な情報が十分に得られていないように感じておりますので、防犯対策の強化の経緯と結果への評価を踏まえて、今後の全国の施設への防犯対策としての検討を行っていただきたいなと思っております。  また、防犯を行う職員へのケアという点でも、職員同士の人間関係とかその辺のところも重要でありまして、職員の人間関係の中でその職員の特性だとか人柄みたいなものも分かってまいりますし、いろいろな情報が得られるだろうと思っております。これらの情報を得て、今後の対策として職員体制、施設職員の処遇とか、そういうことを検討していただきたいなと思っております。  2番の再発防止のことですけれども、これからの対応について段階的に整理していただきたいと思っておりまして、私どもは第3回の会議にも意見書として提出をさせていただいておりますけれども、2つの課題を踏まえての具体策が必要であると考えておりまして、1つ目は、事件の事実から抽出された「対策」。2つ目は、事件の事実そのものには関わらないものの、背景として考えられる課題を解決していくための「政策」が必要ではないかと思っておりまして、下のほうに対策と政策という形でずっと書かせていただいております。新たに書かせていただいたこととか、今までに意見書として出させていただいたこととか、いろいろ混ぜておりますけれども、お読みいただけたらと思います。  先ほどからも意見がありますように、共生の社会を目指して障害者への理解とか偏見をなくしていくという部分では、やはり育成会としましても、学校教育が重要な役割を果たすと思っておりまして、ぜひ学校教育の中で教科の一つのようにしながら、子供たちに多様性を認める共生の社会をつくっていくのだということで強く意識をつけていただきたいなと思っております。  具体的に今回示させていただきましたけれども、そういうことも含めて、未着手のものもございますので、さらに深く、広く御検討いただきたいと思っております。  今回の事件が社会的に与えたダメージは大変大きなものがありまして、私どもの会のほうにも、障害のある御本人や御家族から、怖いとか、自分の隣にいる支援者が信用できないとか、外に出られないとかいろいろな声が届いております。今もまだぽつぽつと届いている状態でございますので、本人や家族については本当に深く深く心に傷をつけたなと思っておりますし、それをまた一生懸命支援しようとしてくれている職員の方のところにも、心に傷をつけた事件であったと思っております。  そういう意味でも、この間違った発言を徹底的に払拭していけるような共生社会の実現を目指していけるような、そんな要因が必要だと思いますので、事件及びその影響に躊躇することなく、お互いに人格と個性を尊重しながら共生する社会の構築に向けて、私たちみんなが着実に歩みを進めていくことが実現できるような検討の報告書をつくっていただくことを強く期待しております。  どうもありがとうございました。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、公益財団法人日本知的障害者福祉協会から御発言をお願いいたします。 ○萩原参考人 日本知的障害者福祉協会の危機管理委員会委員長を務めております萩原と申します。  当協会につきましては、知的障害福祉サービスを提供する施設・事業所の集まりでございますけれども、1934年が設立になっております。82年を迎えておりますが、会員数が本日現在6,215施設・事業所、そのうち施設入所支援を行う会員数が1,575施設となっております。この1,575施設の中には、津久井やまゆり園も含まれてございます。本日、私どもの方といたしましては、中間報告、中間の取りまとめに対応する意見として、何点か報告させていただきたいと思っております。  まず、精神医療の対応についての検証が進んでいると思いますけれども、この植松容疑者が犯行に至る、障害者は死ぬべきだという思想を抱くに至った要因などの検証解明といったものが必要と考えております。今後、裁判などで明らかになっていくと考えられますが、さらに時間をかけた中で、なぜこのような思想を抱くに至ったのかといったようなところの解明をお願いしたいと思っております。  それから、検証内容には入っておりませんが、障害者なんて要らないといった言葉がストレートに報道されましたことで、その言葉が印象づけられ、支援現場では、「私は要らないのでしょうか」と利用者が支援者に相談された方の例もございます。知的障害のある方への配慮ある報道のあり方について、御検討いただきたいと考えております。  それから、施設における防犯対策でございますが、施設においては従前から、夜勤の職員について法令上の最低基準が決められております。仮にこの知的障害者関係施設が基準以上に夜間対応を手厚くしたとしても、重度の障害者への対応などさまざまな支援がある中で、侵入者への警戒や対処には限界がございます。各施設におきましては、既に防犯対策の研修会あるいは設備の整備といったようなところに検討や着手しているところがありますけれども、実際にそういった対応についても限界がございます。今回のように犯行予告があった場合には、警察の対応が強く望まれるところだと考えております。  それから、施設における防犯対策に関する今後の検討課題という中に、設備面のみによる一律の対応には限界があるため、地域住民との連携など、いわゆるソフト面での対策も具体的に示すことが課題であると記載されております。この件については、私どもといたしましても賛同いたします。これまで知的障害関係施設におきましては、利用者の地域での生活を支援するために、地域に根差し、地域に開かれた施設であること、そして、これこそが共生社会の原点であるとの理念を持って活動してまいりました。このような事件が起きたからといって逆行するわけにはまいりません。報告書にあるように、地域住民との連携など、いわゆるソフト面での対策を具体的に示すことは重要と考えますので、早急に着手をお願いいたします。先進的なモデル事例などを収集される場合につきましては、御協力もさせていただきたいと考えております。  また、この中間取りまとめが出された翌日、9月15日に発出されました「社会福祉施設等における防犯に係る安全の確保について」、「社会福祉施設等における点検項目」、これが地方自治体におきまして指導項目としてひとり歩きしないように徹底していただくことも、あわせてお願いいたします。  最後になりますが、今回の事件によって、障害者の方々への偏見や差別が助長されるようなことは断じてあってはいけません。全ての人々がお互いの人格と個性を尊重し合い、共生できる社会を実現していく。そのための具体的な行動として、国民に向け、障害者差別を解消するために、人権意識を醸成するために啓発を早急に進めていただきたいとお願いいたします。  以上でございます。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、全国「精神病」者集団から御発言をお願いいたします。 ○桐原参考人 全国「精神病」者集団の桐原です。  本日は、このような場に呼んでくださり、心より感謝を申し上げます。  このたびの相模原の障害者施設で発生した連続殺人事件で亡くなられた方々に心から御冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々が一日も早く回復されることを願っております。  私たちは、精神障害の当事者の全国組織ですので、精神障害の当事者という立場から、以下4点の意見を述べたいと思います。  まず1点目です。あらゆる事実の精査というふうに書かれているのですが、幾つかの重要な論点が中間取りまとめでは検証されていないのではないかと感じます。1つ目は、職員の採用基準についてです。このような行動を起こしてしまった職員を採用してしまった施設の採用基準を検証すべきではないかと思います。  2つ目は、教育・労働・安全衛生等の労働実態です。例えば職場の上司や同僚に相談することができたかなど、そうしたことを通じて技術の向上とか人材育成ができていたのかなど、そういった労働実態についての検証がされるべきではないかと思います。  3点目は、施設の提供するサービスの内容についての検証です。例えば意思の表出が困難な重度障害者が狙われたと聞いているのですけれども、こうした人たちの意思決定や意思疎通、コミュニケーションの支援というものがどれぐらいなされたかということに関心を持っています。そういった人でも意思を読み取れる職員がいて、読み取られることによってその人は意思を持った、人格を持った個人なのだと周囲に認識されると思います。そうした支援がされていなかったがために容疑者のような「生きていてもしかたない」という認識に至ったのかもしれないわけですし、意思疎通の支援がどれぐらいされているかなどの検証が必要ではないかと思います。  職員に対する研修ですが、第2回検討チームで一定されてはいるのですけれども、先ほど言った意思疎通の支援に関する研修がされていたかどうかということが検証されているかどうかが中間取りまとめを読んでもよくわからないので、これは検証が必要ではないかと思います。  そして、警察官通報を初めとする警察の対応について、この検証ももう少し、特に捜査方法や施設への情報提供、警職法判断や精神保健福祉法に基づく通報、こういったことが妥当であったかどうかといったことを検証しなければならないのではないかと思います。  続いて、2点目のほうですけれども、中間取りまとめで問題に思った点です。  主に今回の件は、検証が措置入院の入院や解除、施設の防犯といったところに重きが置かれているわけなのですけれども、しかし、これは余りにも精神保健医療福祉の検証・検討に偏重した枠組みではないかと思います。特に措置入院になったということは精神障害者という要件を満たして措置入院になるわけですので、容疑者に何らかの精神障害があったのだということは、それはそのようになるだろうと思うのですけれども、その疾病や障害と事件時の行為の因果関係に関する検証というものがされていないのです。これは刑事事件における精神鑑定を根拠に置かなければならないので、精神鑑定を待ってからでなかったら、本来これは��証できないのではないかと思います。  だけれども、再発防止策という形で措置入院解除後のフォローアップに対する関心が非常に高い。そのような中間取りまとめのつくりになっておりますので、精神障害による行為を抑止するための措置入院という形でなければ筋が通らなくなるので、そうなると容疑者の犯行時の障害の状態と行為との因果関係の検証、証明が必要になると考えます。しかし、この中間取りまとめは検証、証明がされておらず、容疑者に精神障害があったという事実をもって措置入院に対する関心が書かれてしまっている点で問題があると思います。  今までもこういった精神保健上の問題という形で社会的に取り扱われた事件は、往々にして責任能力ありというふうにされる傾向にあります。本件もやはりそうした可能性があるので、そこは慎重に検討されなければならないのではないかと考えます。  あと、警察官通報に関して、警職法の通報なのですけれども、どうしてもこれを法律の手続にのっとってやったら問題がないというのは、法律の手続にのっとっているから法律上問題ないことにはなるのですけれども、警察官がどのような必要性を判断して警察官通報にしたのかとか、警察官側が必要とした根拠について、それが妥当であるか、妥当ではないのかといったことの検証も必要ではないかと思います。こういったことをしなければ、広く恣意性というのは許容されていきます。法律の手続に従ってなされた手続は妥当であったものとして処理されるきらいがありますけれども、そこについてはもう一歩踏み込んで検証が必要ではないかと思います。  それから、神奈川県警の方で具体的に結束バンドで職員を縛るだとか、外部との連絡を取れなくするとか、抹殺したあとは自首するとか、そういったことを書いた衆議院議長宛ての容疑者が作成した手紙があるのですけれども、これを施設側、かながわ共同会に神奈川県警が見せていなかったということが報道されたり、議会で質疑されていたりしています。神奈川県警は、事件の発生予防という観点から、逆に危機感を失わせる結果になるのではないかということで、事態の危険性を正確に理解していただけるようにその内容を口頭で説明したのだと、だから手紙そのものを示すことは必ずしも適切ではないのだということで、見せなかったと報道されています。  ですが、明らかに犯行の方法などを事細かに書かれているわけなので、この神奈川県警の見立てというものが果たして本当に妥当だったのか、否、妥当ではなかったから実際に事件が起きて、施設側は対応できなかったわけですから、この点に関しては踏み込んだ評価が必要であろうと思います。そうでなければ現場の職員は、手紙を見せられずに情報共有がないまま防犯対策の責任だけを負わされることになるので、施設側の努力だけに解決の糸口を求めていくと、そういう解決策の筋書きになってしまいます。警察官のそのときの手紙を見せないという判断が妥当であったかどうかということを検証しなければならないのではないかと思います。  3点目ですけれども、これは実際に再発防止策という形で期待を寄せられている継続支援チームと多機能垂直型統合診療所についての私たちが思っていることについてです。  まず、兵庫県で実際に実施されている継続支援チームについては、兵庫の精神障害者の団体と協力して独自に調査した結果、次のような事実がわかってきました。精神科救急の輪番を組んでいて、その日当番だった病院が、あまり評判がよくない病院で、そこにたまたま救急で入院した。入院して、その後、継続支援の対象になって、通院自体をかなり厳密に管理されてしまって、逆にしんどいということで体調を崩した人がいるということと、それから、かなり他害防止のための監視という部分が強いので、そのあたりで監視されているということで体調を崩して入院を繰り返したりとか、そういった人がいるので、実際の面でも慎重に考えられなければならないと思います。  多機能垂直型統合診療所に関しては、これもやはり福祉のマターに対して精神科医が非常に入りやすくなってしまうということと、その大きな権限を持って精神障害者の地域生活に常に医師の目がつきまとってしまうことで窮屈なものになるのではないかと懸念します。  4点目は、措置入院見直しについてとか、犯罪防止機能の強化といったことに対して一般論なのですけれども、措置入院解除の検証というものは非常に力点が置かれているのですが、再発防止策として措置入院解除後の過度に管理的な干渉がなされるのではないかと私たちは危惧しています。そういう意味では、こうしたやり方には反対しています。地域の精神障害者は、報道でそういう事件があって、精神障害の犯行というふうに報道されたことによって体調を崩す者がいますし、検討チームの報道を耳にして、自分も措置入院にされてしまうのではないかと、そうやっておびえている人もいます。ですので、その部分については慎重に進められるようにお願いしたいと思っています。  精神保健医療福祉の問題という形で総括されてしまうことによって、結果として私たち精神障害者の実際の生活が規制されていく法制度になり得る状況にあるので、精神保健医療福祉を犯罪の防止のための策にすることに対しては、強く反対します。  ありがとうございます。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、公益社団法人全国精神保健福祉会連合会から御発言をお願いいたします。 ○小幡参考人 本日はヒアリングの機会をいただきまして、ありがとうございます。本来ですと、理事長の本條が発言するところなのですが、別件の会議が重なっておりますので、私、小幡のほうからかわって発言させていただきます。  私どもの団体は、精神障害者の家族会を中心とした団体・組織になっております。私たちとしては、今回の再発防止策の検討は必要なことだとは思っておりますけれども、今回の中間まとめ、また、この間の報道や、各団体さんからもるる発言いただいているところですけれども、このことが精神科医療全般の措置入院やそういったところに偏重しがちなところについては危惧を持っております。そういった意味では、予防拘禁的な機能や犯罪予防というような部分がしっかり押さえられるのであれば、別途対策も必要かと思っているところです。ただし、今回の再発防止策の中では、これに関するところがかなりまとめられておりますので、危惧されるところも含めて当会として意見を述べていきたいと思っております。  容疑者の特異な考え方というのは、精神の症状から発生するとは私たちは考えておりません。そういったことで治療で治るものではないとすれば、この入院措置、いろいろな対応というのは一時的な対応手段でしかなくて、本来の解決というところの糸口をともすると見失ってしまうようなことになりはしないかと思っています。  既に国のほうでは、これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会というものが設置されておりまして、当会からも構成員に入っておりますけれども、そちらのほうで保護入院等の非自発的入院と措置入院というのは本来連動するものと思います���で、関連があるのであれば、そこの部分をしっかりそちらの検討会のほうにも盛りつけていけるような方策が必要ではないかと思っております。  それから、今回の防犯対策としての救命というところを本当に区別していかないと、元職員の犯行であるとなれば、幾ら防犯策をとっても内部的なところからの観点というのは網羅されていないところがありますので、盲点として残ってしまうのではないかと思います。退院後のフォローアップにつきましても、精神疾患の患者さんということであれば、いろいろな方策がもちろんとられるわけですけれども、入院中からの退院支援に向けての取り組み、ここに支援者の参加を、専門員などを含めてですけれども、必須としていただきたい。  それから、地域の訪問支援の拠点というものに圏域をどう定めるかということはあると思いますけれども、小回りのきく小規模な拠点、区域にして、ここにも多職種、いろいろな目が入るようなチーム編成を築いていただきたいと思っております。  地域生活に移った後は、治療の中断、今回はそれに当たるところもあるかとは思うのですけれども、ここにどうアクセスしていくのか。また、家族とは今回、容疑者の方は一緒に暮らされていなかったところもありますが、そういった背景がどこから生まれているのか。精神の特性等にもし起因するところがあるとすれば、医療中断がないように、また急性期に陥らないようにしていくというところは、本人のみの対応ではなくて、本人を取り巻く家族やそういったところに関する医療へのアクセスの方法についてもつぶさに見ていかないといけないのではないか。そういったところでは、診療報酬との兼ね合い等も出てくるのではないかと思っております。  また、今回、容疑者の友人等もいろいろ変調を感じ取っていたりというようなこともあったようですけれども、そういった意味では相談をする窓口をきめ細かに、また、どんなものもたらい回しにせず、ワンステップでそのことを受けとめ、関係機関等につながっていくというようなサービス体制も整えていくことが求められているかと思っています。  また、いろいろな事件が起きたときに対応するには、国や行政等のかかわりももちろん必要でしょうけれども、当事者や家族会等が、なぜそういったこと至ってしまったのかというところで独自に情報を入手し、介入していけるようなシステムを自治体等の後押しをもってできていくということがあるといいのではないかと思っています。  それから、今回、容疑者が緊急措置入院になったときの状況は余り詳しくわからない部分があると思うのですけれども、措置入院になったときの身体拘束等が広がってきているというような背景を見たときに、例えば一般的な緊急措置入院になった場合と、今回の容疑者が措置入院になったときの受け入れや治療方針を立てるときの差異というのは逆になかったのかどうか。特異な事件としては扱われるのだけれども、ほかの状況と比べたときにどうだったのかというところは私たちも情報を得られないところがありますので、そういう観点から検証するのであれば、他の類似事件等も含めて比較対照が必要だと思いますし、現在、事件とは直接関係のない状況であっても、措置入院や緊急措置入院、また保護入院の実態というものもたださないと、明確な対策はとれないのではないかと思っております。  いずれにしましても、精神疾患、精神医療のところに偏重しない検証というものを進めていただきたいですし、今回の事件は防犯をしても内部から起こさせてしまえば、それは対応のしようがないという部分もありますので、こういった点については、より掘り下げて検証いただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。 ○山本座長 どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、公益社団法人日本精神科病院協会から御発言をお願いいたします。 ○松田構成員 資料7です。私、構成員ですけれども、たまたま日本精神科病院協会の役員ですので、その立場で今、お話しさせていただきます。  声明を日精協で出しました。その中で、終わりのほうですが、今回の事件でさまざまな立場から多くの意見表明や議論がなされていますが、日常的に措置入院患者を受け入れている日本精神科病院協会としては、今後二度とこのような悲惨な事件が生じないように、十分に人権擁護に配慮した措置解除後のフォローアップ体制の充実を含め、制度の見直しが早急に必要であると考えます。そして、今回の事件が地域移行の流れを阻害し、精神障害者への偏見を助長することのないように、そして、精神障害者と地域がともに安心かつ安全な生活を実現するために、各団体の団結が望まれますということです。  次のところには、今度、私どもの会長の意見が書かれています。その最後の方で、途中は飛ばしますが、再発防止を目的に治療・改善を行うための保安処分の検討や、医療監察法の対象者を治療可能な精神障害者のみに限定してよいのか。本来は司法モデルであるべき案件を安易に医療モデルとすることで、精神科病院に責任を押しつけてはいないかといった根本的な検討が求められているような気がしてならない。病院はあくまでも治療の場です。それを司法の考えを導入するというのはなかなか難しい。今回の事件に関しても、司法の側の検討をぜひお願いしたいと思っています。  以上です。 ○山本座長  どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、公益社団法人日本精神保健福祉士協会から御発言をお願いいたします。 ○田村参考人  公益社団法人日本精神保健福祉士協会副会長の田村と申します。よろしくお願いいたします。  資料8に従いまして、私どもの協会の意見を述べさせていただきます。  また、その前に、今回の事件におきまして被害に遭われた全ての方々に対して、慰めがありますようにお祈りしたいと思います。また、この検討会におきまし���、先生方が熱心に御議論くださっていることと、本日こういう機会を頂戴いたしましたことに感謝申し上げます。  それでは、資料8に従いまして述べさせていただきます。  私どもの団体は、精神障害者の社会的復権と福祉の向上ということに取り組んでおります専門職の団体であります。  まず1点目、幅広い見地から事件を検証し、再発防止策を検討すべきです。事件発生後の早い段階でこの検討チームが設定されたこと、そして、措置入院制度の見直しが規定のことかのように議論が進んでいることに、本日も幾つかの団体の方が御意見をおっしゃっていますけれども、私どもも違和感、そして危機感を強く覚えております。こうした類似の事件の再犯防止のために最も重要なことは、生きるに値する命とそうでない命といったものを選別するような差別思想、これといかに私たちが闘うかということの検討が必要だと思います。その意味では、政府としてもその方策を議論する必要があると考えます。  また、そのためにも、今回の事件の刑事司法における対応の検証と課題抽出が欠かせないと考えます。  2点目です。本協会としましては、精神科医療や措置入院制度のあり方及び退院後の継続的な支援のあり方を今回の事件の再発防止策として論ずることに反対いたします。これも他の方々も述べられていますが、被疑者の措置入院歴あるいは精神障害ということと、今回の事件との因果関係は明らかになっていないと思います。そういう中で、措置入院制度の見直しを検討することは、あたかも犯罪の再発防止の機能を精神科医療が担うということを肯定しているように映ってしまいます。精神科医療の守備範囲というのは、あくまでも精神疾患のある人への適切な医療の提供であります。その一端を担う措置入院制度におきましても、極端な差別思想に基づく行動をとる方、そういった方を取り締まるような治安機能はあり得ないと考えます。  また、私どもソーシャルワーカーである精神保健福祉士は、基本的に御本人中心の支援を行う立場にありますので、社会防衛のために私たちの支援が機能するということは直接的にはあり得ません。  3点目です。改めてノーマライゼーションやインクルーシブな社会の実現に向けた取り組みを推進すべきです。日本における障害者入所施設の入居者の方あるいはその御家族は、本当に幸せな日々を送っていらっしゃるのでしょうか。今回亡くなられた方々のお名前も公表されなかったということ一つとっても、その人生がどのようなものだったのかということを想像させられます。たとえ障害を持って生まれてこられたとしても、地域社会から排除されることなく幸せな人生を送れるような社会づくりが本当に必要だと思います。そのためにも、財源を伴った社会保障の充実は欠かせません。国としては、生存権の保障ということを貫く姿勢を今こそ見せていただきたいと考えます。  また、改めまして、福祉専門職や研究・教育者が差別思想というものに対峙できるような共生思想を再構築し、広く啓発することも重要な使命であると考えております。  4点目です。福祉人材の確保と育成方法について見直すべきです。今回の事件と障害者施設が置かれている状況やそこに従事する福祉労働者の実情等を切り離して考えることはできません。福祉人材を養成する教育現場においては、人権教育を一層充実させること、また、一定の資質を備えた人材を雇用できるだけの待遇を確保すること、そして、福祉現場での教育研修体制を充実させること、これらが一体的に図られる必要があると考えます。  5点目です。私どもソーシャルワーカーとして、本事件の被疑者をもしも私たちの支援対象であるクライエントと捉える場合に、その時間と費用の保障ということが必要であると考えます。もし本事件の被疑者に精神保健福祉士として支援介入するとしたら、もちろんこれは医療の対象とは限らず、福祉的な支援の対象ということを多く含んでおりますが、長時間をかけて援助関係を形成するということ、そして、この方が持っている心の闇に入り込みながら詳細なアセスメントを行うということ、その上で御本人の不満や不充足感といったものがどういったところから起こってきているのか、その根源を探ること。そして、この方がどういう生き方をしていきたいと考えているのか。そういった生き方探しに伴奏するようなソーシャルワークの関わりが必要となります。  こういった支援を丁寧に行うことを考えますと、仮に例えば今回のように措置入院でしたけれども、そういった短期間に限定される、そして強制的な治療の場においては、この関係形成においた支援は不可能と思います。また、これをもし成し得ようとしましたならば、制度的、経済的な裏づけなしには行うことは困難と考えます。  以上の5点を総括させていただいた上で、措置入院制度のあり方ということに関しましては、特に措置解除の判断やその後の通院など強制医療提供の部分に特化して議論が矮小化してはならないと思います。警察官通報のあり方、措置診察件数の都道府県格差を初めとした措置入院に至る過程の検証も含め、現在厚労省に設置されております、これからの精神保健福祉医療のあり方に関する検討会、こちらで精神保健福祉法の改正の検討がなされているところですので、そちらにおいて議論すべき事項であると考えております。  このため、私どもの協会としましては、そちらの方へ措置入院制度のあり方に関する具体的な意見提出をしたいと考えていることを申し添えて、本日の意見とさせていただきます。  なお、添付は私どもの協会で2度にわたって、今回の事件とそのことについての報道等に関しまして見解を出させていただいておりますので、御参照いただければ幸いです。  以上です。 ○山本座長  どうもありがとうございました。  それでは、続きまして、日本多機能型精神科診療所研究会代表世話人、窪田彰氏から御発言をお願いいたします。 ○窪田参考人  今日は発言の機会をいただき、ありがとうございます。  今回の事件で亡くなられた方々の御冥福をお祈りしたいと思います。  さて、私は、今回の事件の本人が措置入院として適切であったかどうかについては、詳しく知るものはでありません。ただ、今回のことで気づかされた措置入院後の地域支援体制の乏しさ等について意見を述べさせていただきたいと思います。  医療保護入院では、退院後にケア会議が位置づけられている一方で、措置入院においては退院後の支援を検討するケア会議すら求められていないのが現状です。  私は、精神科診療所を開業している精神科医師で、日本多機能型精神科診療所研究会の代表世話人をしております。日本の精神科医療は、入院ばかりに頼らない地域ケアがなかなか実現できていないことが問題だと思っています。そのためには、重い課題を持つ患者さんを地域で支援できる包括的精神科外来医療チームを生み出していかなければならないと考えています。この考えに至った道筋と今後の方向性について述べさせていただきます。  それでは、1枚目のスライドに移ります。  東京の下町は、精神科病床が極端に少ない地域で、1978年に日本で最初の精神科救急病棟がこの錦糸町の都立墨東病院に生まれました。このときに私は着任しています。都立墨東病院の30床の入院病床は、日本一の短期入院期間を誇っていましたが、当時は退院後の治療継続支援もリハビリテーション支援もなく、日が経つにしたがって、再発再入院患者さんが増えてきたのです。このような経緯から、退院後の再発再入院を少なくするためには医療の継続支援が必要であり、同時に、地域に当事者たちの心の拠り所になる拠点も必要だと考えました。  そこで、周囲から寄附を集めて、当事者たちが自由に利用できる「友の家」と名づけた部屋を墨東病院の近くの町の中につくりました。その後、それらを支援し、継続的な医療を提供するために、1986年に錦糸町に精神科診療所を開業しました。墨田区等の行政や地域の医療・福祉機関との連携を構築し、必要な地域資源を立ち上げるなど、様々な活動をしているうちに30年の歳月がたちました。必要に応じて必要なサービスを提供できる体制を整えていくことによって、気がついてみると、まだ不十分ながらも重い課題を持った患者さんのための地域ケア体制ができてきました。  2枚目のスライドに移ります。  入院ばかりに頼らない地域での生活を支援していくためには、まず、重い課題を持った患者さんを外来で支援できなくては始まりません。重い課題を持った患者さんとは、この表のように例示できます。措置入院後とか、長期入院後とか、刑務所出所後とか、そういった課題を持った方たちがおられます。また、重い課題を持った患者とは、この表のほかにも、急性期の激しい病状を示す患者さんも短期的には含まれます。正直に言えば、重い課題を持った方たちを当院で診なくてはいけないとの制度はありませんから、本音のところではつらいなと時には思うこともあります。しかし、重い課題を持った方こそ手厚い支援が必要であるにもかかわらず、そのような患者さんを積極的に診療する医療機関は非常に限られており、当院では何とか診てまいりました。  今後は、市町村からの委託事業等により、何らかの責任と公的役割を認められたほうが、覚悟して実施ができるように思っています。  次のスライド、3番目に行きます。  当院の通院患者さんの特徴をグラフでお示しします。左側の円グラフのように、当院は統合失調症の患者さんが半分近くを占めています。鬱病や神経症圏の患者さんが多い一般的な精神科診療所と比較すると、当院は比較的重い患者さんが多いことが特徴です。  右側の円グラフは、当院でのフォローアップ期間を示しています。当院では、10年以上治療継続している方が40%以上を占めており、多くの方に長期の継続支援をしていることがお分かりいただけると思います。さらに、スライドには示しておりませんが、最近のある水曜日を急遽調べたところ、その日の私の外来患者さん69名中、措置入院経験者が6名、医療監察法通院処遇中の患者さんが2名、刑務所経験者が3名、拘置所経験者1名、計12名が重い課題を持った患者さんでした。刑務所経験者3名のうち2人は違法薬物の使用経験があります。この方たちは、外来通院につながっているという意味で成功例です。問題は、通院治療中に中断し、再三の電話連絡をしても応じない、つまりは継続支援からドロップアウトしてしまう方たちが問題としてあると思います。  4番目のスライドに移ります。  これは現在の当院の実践を図にしたものです。赤い字の箇所は診療報酬外のサービスで、ボランティアになっています。当院の特徴は、外来で医師の診察に加えて精神保健福祉士などのコメディカル職員も個別面接や家族支援を行い、ケースマネジャーとしての調整役を担っていることです。このことが毎日夕刻に開かれている院内ミーティングでのアセスメント等の検討時にチーム医療の重要な要の役割を果たしています。  精神科デイケアは、リハビリテーションへの入り口の役割とともに、人間関係が苦手な患者さんが安心できる環境で仲間に出会える場の役割があります。訪問看護や訪問診療、往診といったアウトリーチ支援を行うことによって、外来で通ってくるのが難しい方への医療継続支援等、ある程度の危機対応が可能になります。また、患者さんが実際に生活する場を見ることで、より本人のニーズに即した包括的な支援を行えることも、アウトリーチ支援の利点です。このようなアウトリーチ支援を当院は1カ月間に合計400件ほど行っています。ケア会議は、行政や入院中の精神科病院の職員との協議を行う大切な場ですが、ほとんどの活動は持ち出しで、報酬はありません。  5番目のスライドに移ります。  この図は、錦糸町の地域精神保健マップです。地域全体で精神障害のある人々を支えるために、顔の見える連携を構築しようと考えています。このようにサービス拠点が地域に点在して町に溶け込んでいる、町に散らばっているところがうちの特徴です。住みなれた地域でサービスを受けられることが特徴です。区役所やスカイツリーで患者さんがデイケア等でつくった作品を販売するなど、さまざまな活動を通して地域住民の精神障害者への理解も促進されてきたと感じています。このような地域に根差した活動や支援の提供を通じた地域共生社会の実現が、私たちの目指しているところです。  次に、6番目のスライドに移ります。  医療機関では提供困難なサービスについて考えてみます。当院では、このように創意工夫をして実践してきましたが、それでも力の及ばないことがあります。以下にあるような方々には支援が大変に困難なものです。  第1には、引きこもり等で初診すら困難で、もしくは受診拒否の方への治療導入。  2番目には、重い課題を持った患者さんが受診を中断・拒否している場合です。私たちは、患者さんの自己決定権を尊重しつつも、患者さん及び周囲の人々の生命、健康、生活を守るための支援をしていきたいと考えていますが、現実には難しい問題が多いのです。治療契約が成立しな���患者に対しては、たとえアウトリーチ支援が可能な体制があっても、強制的な治療提供はできず、手を出せないのが現状です。できれば措置入院などの強制力を発動するために、入院にならないうちに地域で見守りを続けて孤立を防ぎ、根気よく働きかけることにより関係性を構築し、本人が納得した上で外来治療への導入もしくは再開することが望ましいと思っています。そのためには、公的な事業委託のような診療報酬とは違った仕組みで当事者を見守り、関わっていける枠組みが必要と考えています。  さらに第3には、薬物依存症等の濃厚なケースマネジメントを必要としている場合でもケースマネジャーが実施するサービスは現状では診療報酬の対象外であります。これらの課題は市町村から医療機関への業務委託が制度化されれば、地域への責任が生まれ、公的役割を果たすことができます。  7番目のスライドに移ります。  ここで、通常の医療機関では対応困難な方たちの医療継続支援の提供方法について提案したいと思います。  市町村からの医療継続支援については、2つの方法があると思っています。一つは、この図の右側の部分で、市町村が直接支援として保健師等の力で支援する現状のスタイルです。もう一つは、図の左側の部分、民間医療機関に業務委託をする案です。市町村の役割と責任の一部を実際に外来診療を行っている医療機関に業務委託することにより、民間医療機関でも市町村の保健師等と協力しながら一定の役割と責任を果たすことを可能にするのです。つまり、通常の診療では対応困難な患者にも、温かな見守りによる孤立防止や十分な時間をかけた関係づくりや必要時の危機介入ができるようにするのです。仮にこのような医療拠点を意欲のある外来医療機関、つまり、全体の精神科外来の約10%が引き受けてくれれば、全国に500から600カ所ができると思います。  すなわち人口10万から20万に対し1カ所程度ができてくれれば、継続的な医療支援が機能しやすくなると思います。例えば措置患者さんの退院前にケア会議を開き、その後の支援を行う場合を考えてみます。東京都は、人口当たりの措置入院が最も多い自治体の一つですが、例えば人口26万人の私がいる墨田区では、年間では二十数人が措置入院しています。月に直して言えば月に2人程度ですから、1つの機関で十分対応可能と考えられます。そして、このシステムの透明性を確保するためには、各都道府県単位の精神保健センターがモニタリング機能を担うようにすれば良いと考えています。  8番目のスライドに移ります。  次に、個人の生活・価値観を尊重した医療継続支援を実現するための条件について触れたいと思います。  第1には、医療機関が適切なアセスメント、ケースマネジメント、24時間365日のミクロ救急等を実施することです。手厚い支援が必要な人には、さまざまな医療資源や福祉資源を活用し、多機関との連携を密に行うことが必要となってきますので、それらのサービスの連携、構築のためのケースマネジメントが支援の鍵になります。そして、病状や生活状況が改善したときには、定期的アセスメントにより、逆にサービスを減らしていくということも必要になってきます。  第2には、外来医療の充実です。入院医療中心から地域中心へという国の方向性が明確に示されていますが、残念ながら、外来医療の診療報酬は従来と変わらず手薄なままです。デイケア、アウトリーチ、多職種によるケア等の外来医療全般の質の底上げが必要だと思います。  3番目はスライドのとおりです。  第4には、自治体の実情に応じて、民間医療機関への業務委託をすることにより、官民協働で包括的地域ケアを提供することです。これにより、地域共生社会の実現を果たしていけると考えています。  最後の9番目のスライドになります。  このように、市町村単位で民間医療機関への業務委託による官民協働の体制が実現すれば、カナダやイギリスやイタリア等の先進諸国と同様に、日本にも地域に責任を持ち、重い課題のある患者さんにも対応可能な精神科外来医療拠点が生まれます。ここに多機能で包括的な精神科外来医療チームを形成して、人口10万から20万人に1カ所の地域精神保健センターを日本にも創設する必要があるのではないかと考えています。  以上です。 ○山本座長  どうもありがとうございました。  それでは、田原課長、よろしくお願いします。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長  事務局でございます。  追加資料を今、配付させていただきたいと思います。全国手をつなぐ育成会連合会から冊子が届きましたので、お手元にお配りいたします。  以上でございます。 ○山本座長  どうもありがとうございました。  それでは、そのほか本日御発言いただいた方々から、もし追加の御発言があれば承りたいと思うのですが、いかがでしょうか。  どうぞ。 ○日野参考人  身体障害者施設協議会でございます。  他の団体の方とは、施設という視点から若干違う意見を申し上げたいと思うのですが、今回の事件について、協議会としていろいろな意見が出たのですが、侵入防止という観点から考察しますと、まず第1は、敷地内への侵入防止策をいかに図るかということと、2つ目は、建物内、要するに利用者の方が生活をされている居住空間への侵入防止策をいかに図っていくかということと、3つ目が、今回の事件のように建物内に侵入された場合にどう対応していくかという、この3つの視点から、私たちの協議会は具体的にこれから取り組んでいかなくてはいけない重要な課題だと思っています。  もう一つは、今回の事件が元職員であったということは、やはり重視しなくてはいけないということで、特異なケースではあるにしても、今、職場環境改善ということも先ほど申し上げましたけれども、職員のメンタルヘルスケアというものをしっかり取り組むことが、職員の資質の向上にもつながると思っていますので、その部分だけ追加をさせていただきました。 ○山本座長  ありがとうございます。  他はいかがでしょうか。  どうぞ。 ○久保参考人  今、お手元に配っていただきました9月号の「手をつなぐ」という冊子ですけれども、私ども、先ほどのお話の中でも意見を言わせていただいたのですが、知的障害の方だけではなく、精神障害の方や身体障害の方からもお声をたくさんいただいておりまして、助けてほしいというような意見とか、今の報道されていることが障害のある人たちや家族から見るとマイナスのイメージばかりになってしまっているというのがあるのです。それで私たちは、もっと前向きに、みんなと家族や仲間と本当に明るく前向きに元気に生きている、こういう人たちのことを、障害のある人たちのところに余り関心を持っていない方も含めて、この人たちの命がなくていいものでしょうかというので発信をしたいなと思って、9月号を出させていただきました。  みんなマイナスイメージで、怖がって助けてほしいという声が聞こえてきますので、前向きに生活をしていけるような、そんな活動の一つとしてこの9月号をやらせていただいていますので、報道関係にはそういうところに御注意いただきたいという気持ちもありまして、今日提供させていただきました。よろしくお願いします。 ○山本座長  ありがとうございました。  その他いかがでございますか。よろしいでしょうか。  それでは、本日御発言いただきました各団体の方々、本当にどうもありがとうございました。御礼申し上げます。  それでは、各団体からのこれまでの御発言を踏まえまして、御質問、御意見があればお願いしたいと思います。いかがでしょうか。  田中構成員、どうぞ。 ○田中構成員  育成会連合会としても2つ要望させていただいておりますけれども、1つは、本人の精神鑑定がどのような進捗状況になっているのかということと、この会をどのように進めていくのかということについて、今日意見提出をしていただいた団体からも、そこを踏まえての検討が必要ではないかとされておりましたので、神奈川県での検証委員会の動きと、精神鑑定についての見通しはどのようになっているのかについて、お答えいただける方がいればお願いしたいと思います。 ○山本座長  ありがとうございます。  今の点に関しましては、神奈川県のほうはいかがですか。 ○神奈川県保健福祉局長  神奈川県の保健福祉局長の佐久間です。  今日は大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。  私どもでやっております、先ほど団体の方からも検証委員会のお話を具体的に出していただきましたけれども、厚労省のチームと余りほどなく設置をさせていただいて、主に事実関係をどう認定していくかということと、それに対してどういう課題があったのか、課題に対する対応はどうすべきかと、こういった視点で検証をやらせていただいております。  もちろん第三者による検証委員会でございますので、私ども事務局がいつ出るとはなかなか言いにくいのですが、今の見通しですと、最終的なある程度のまとまりある報告、レポートというのは11月中にいただけるのではないかと受けとめてございます。  以上でございます。 ○山本座長  ありがとうございました。  田中構成員、よろしいですか。 ○田中構成員  であるとして、この会がいつ結論を得るのかということと、幾つかの団体や私たちから要望した精神鑑定も含めて検証につなげるということについて、事務局としての見通しについてもお聞きしたいと思います。 ○山本座長  事務局、よろしいですか。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長  精神鑑定の方の見通しは、まだ我々も十分承知はしておりませんが、この検証チームの再発防止策については、秋頃にまとめるということで申し上げておりました。大体11月中を念頭に置いていたものでございますので、神奈川県の検証の状況なども念頭に置きながら、この場でのいろいろな意見集約を見て、再発防止策がまとめられるように進めていきたいと考えております。 ○山本座長  ありがとうございました。  田中構成員、どうぞ。 ○田中構成員  団体からの意見としても強く上がっておりましたし、私も構成員としては2つの結論を待ってから検証報告を出したほうが、いろいろ指摘されたことに対してもバランスよく答えていくことになるのではないかと思いますので、11月ごろに報告書を出すという見通しを立てた時期とかなり情報が変わってきておりますので、もう一度そこは再考していただきたいと意見としては述べさせていただきます。 ○山本座長  この点につきましては、今の御意見をいただきまして、ちょっと検討させていただきたいと思います。  他はいかがでしょうか。もう田中構成員はよろしいですか。 ○田中構成員  今の件1つです。 ○山本座長  他はいかがでしょうか。  平田構成員、どうぞ。 ○平田構成員  今の精神鑑定との関わりについては、何回目かの会議で私も指摘したと思うのです。やはり鑑定の結果といいますか、被疑者の病理と事件との関係が解明されなければ、結論を急ぐべきではないという話をしたつもりなのです。ただ、それが確定するのを待つということになると、最高裁まで行ってしまう可能性がありまして、いつなのか見通しがつかないという事情もありますので、制度的な問題に限ってこの検証委員会で取りまとめるということはあってもよいかなと私は考えているのです。  ただし、鑑定結果が出たところで、もう一度そこに焦点を絞った検討会は再開すべきではないかと、ここで述べさせていただきたいと思います。 ○山本座長  ありがとうございます。  その点について、松田構成員、いかがですか。 ○松田構成員  全く同じ意見です。 ○山本座長  ありがとうございます。  村上先生、どうぞ。 ○村上構成員  確かに精神鑑定の結果を待って、それからというのが一つの正論ではあるのですが、私はちょっと違った観点でお話をさせていただきたいと思います。  医療監察法ができました池田小学校事件の場合にも、要するに彼がこれまで医療を受けてきた経過を検討されて、そして、医療監察法という制度がスタートいたしました。制度が発足したときには随分反対意見も多かったと思います。ですが、ああいう不幸な事件をきっかけとして、医療としては、松田先生は司法モデルとおっしゃいましたが、あれは司法モデルを取り入れてはいるけれども、病院そのものは医療モデルで動いております。そういう意味での展開を考えてみますと、今回の措置入院という状況の中で、措置入院個々に関して、そのときに医師がどのように判断をしたのかに関しては、実際に診てきていただいた先生も含め、我々もいろいろ書類を読ませていただいた関係も含めた上で検討をさせていただきました。  ですから、確かに精神鑑定というのは、とどのつまり最後の結論はこれでしたという正解みたいなものがあるのだけれども、我々は全て正解を知った後に判断をしているわけではない。日常臨床というのは、そのときその場で状況を含めて判断をしております。その上で我々が陥りやすい落とし穴があったり、我々が用心しなければいけないことだったり、我々が準備しなければいけないということは、現時点でもしっかり論議はできるし、提案はできると思っております。  何度も申しますが、池田小学校のときの事件に関しては、岡江先生が、亡くなられる直前ですけれども、鑑定書を公にされました。お読みになった方もおられると思います。その鑑定書の中は、最終的には情性欠如の精神病質、パーソナリティー・ディスオーダーという判断なのですけれども、読み方によれば、もっといろいろな議論ができそうなものでした。  あれは一審でほぼ確定して、控訴したものもすぐ取り下げましたから一審で確定して刑が執行されましたけれども、不幸な事件を契機にして、でき上がった制度というのは必ずしも間違いではなかったと私は思っております。 ○山本座長  ありがとうございます。  今の点について、いかがですか。  座長でございますが、私も中間取りまとめの際にも申し上げましたけれども、鑑定の結果が出るまでは相当時間がかかるわけです。しかも、我々は検証におきまして課題を抽出したわけですから、その課題につきまして制度的に再発防止策を出すというのは義務だと思います。そして、これは秋頃までを目処に出すということを公にしておりますので、そういうことで再発防止策を出していくという方向で堅持したいと思います。それでよろしいでしょうか。  松田先生。 ○松田構成員  それで全く問題ないです。ただ、先ほどから皆さんの意見の中に、措置入院とかそのあり方を検討しているかのような御発言がありましたが、そういうことは一切ありません。この事案に関してどうなのかということをやっていますので、それに対して今、再発防止をどうしたらいいかということに特化しています。措置入院はこうあるべきだなどという上から目線の議論は一切していないということをお伝えしたいと思います。 ○山本座長  ありがとうございました。  他はいかがでしょうか。  松本先生、どうぞ。 ○松本構成員  私も今回の事件をきっかけにして、質の高い地域精神保健福祉のサービスが実現できればいいなと思っているのですが、その中で、きょう窪田先生に御指摘していただいた、本当にだんだん地域中心の精神科医療になっているのだけれども、診療報酬は本当に入院中心についていて、外来などではやせ細った形で支えている現実がありますし、地域保健の行政サービスのほうも年々人員的には厳しくなってきて、直接住民を支援するというよりは、役所仕事になっていってしまっているという現状があるなと思っています。  その中で、今日は窪田先生の御紹介された内容にちょっと関心を持ったのですけれども、2点ほど質問させていただければと思います。もしわかればということなのですけれども、現状の日本の中で、多機能垂直型のこのサービスをやっている医療機関というのがどのぐらいあるのか。例えば実態として、そういったところが担えるぐらいの潜在的な数があるのかどうかということが1点。  もう一点、私自身は薬物依存症を専門とする精神科医なのですけれども、本当になかなか医療機関が少なくて苦慮しているのですが、例えば行政から一定の委託費があ��ば診られるのか、あるいは診るだけのソフト面というか、職員のスキルなどは高められる可能性はあるのか。この2点について御意見をいただければと思います。 ○山本座長  ありがとうございます。  では、窪田先生、お願いします。 ○窪田参考人  御質問ありがとうございました。  まず、名前なのですが、今、垂直まで言うと余りにも長いのと、多少の概念の混乱がありますので、多機能型精神科診療所と言っています。それに相当する今回のようなきちんと地域でケアできる体制を持った医療機関がどれだけあるかといいますと、もしこれが制度として発足したときには、診療所レベルでは恐らく50から多くて100ヶ所くらいだと思います。日本中の精神科診療所でデイケアを持っているところは大体多機能になっているのです。それが約450件です。その中で重い患者たちを責任を持って診ると手を挙げる精神科診療所は、恐らく3分の1から4分の1というところだと思います。  これが始まったときには、精神科病院の外来で多機能になっているところは随分全国的にありますので、そこが中心的に担っていただいて、都市部については多機能型の診療所がやるというような現実的な形になると思います。それから、公立病院や総合病院でもそういったことが担える病院は幾つもあるだろうと思いますから、日本の総力を合わせて500~600カ所できてくるのではないかと思っています。  実際の力についてはどうかということを言われると、たしかに能力的にはまだばらつきがあります。少なくともデイケアをやっているところはスタッフが10人以上いますが、当院や幾つかの力をこめて実践しているところは50人を超える職員がいる診療所が増えてきています。全体を見れば、まだ研修も必要ですし、これがもし委託を受けることになれば、責任を持って薬物依存の患者を診療所も診なければいけないし、そのことについての研修もしなければいけないと思っているところです。  ありがとうございました。 ○山本座長  ありがとうございました。  松本先生、よろしいですか。 ○松本構成員  はい。 ○山本座長  他、いかがでございましょうか。  岩崎構成員、どうぞ。 ○岩崎構成員  私、再発防止ということに関連して言えば、先ほど育成会あるいは身障協の会長さんからお話がありましたように、教育の必要性というのは大変大事だと考えておりまして、文科省でもカリキュラム編成の際にそのような努力をしていきたいという前向きな回答をいただいております。  私が知る限りでは、平成の1桁の時代には、福祉の教育モデル校みたいなものがあって、学校教育の中でインクルーシブ社会の創設に向けた検討が行われていたのですけれども、このところは余り聞かれなくなってきた。ということは一般化してきたということで、評価すべきなのかもしれませんけれども、子供たちにとってはそういう機会に接することがなくなったということで、ぜひ団体としても御活躍をお願いしたいと私個人的に思っております。  それから、日野会長から出た中で、防犯対策と防災対策は一体的にしていくべきではないかという御発言をいただきました。私、初めてこういうことを聞いたのですけれども、今回出されました4課長通知の防犯に関する通知と、これまで行われてきた防災対策の中で示唆に富むようなお話があればお伺いしたいと思ったのです。  といいますのは、今回の防犯対策について、ちょっと細か過ぎるのではないかとか、幾つかの批判を各種別からお話しいただいているものですから、もしあれでしたら、身障協としてどんなお考えかも含めて。 ○日野参考人  岩崎構成員のほうからおっしゃったこと、教育の話は本当に重要だろうと思いますので、協議会としても、ライフステージに沿った教育というのが必要なので、教育委員会と社会福祉法人と一体的に取り組むことが必要だろうと思っております。  それから、防犯対策につきましては、示された通知とかでちょっと表現が過度な体制整備をしないようにとお願いしていますけれども、例えばある団体、先日の別のところのヒアリングでおっしゃったのは、防犯カメラを設置するということについては人権の問題、例えば監視をされるとかいうこともあるので控えていただきたいという御意見があったのです。それは身障協としては、外に向けての監視カメラであれば特に問題ないのではないかと思っておりますけれども、やはり一番危惧するのは施錠のところです。施錠の方法もいろいろあるのですが、例えば外から今回の場合はハンマーか何かでガラスを割って、そこから解除して侵入した。そのことであれば、例えば割れにくいようなビニールを窓ガラスに張るとか、そういう方法をとれば、例えばハンマー等でガラスを割るにしたって時間がかかるし、音がしますので、それは職員が気づくと思うのです。その程度であれば問題ないのですが、何カ所も施錠するとかいうことに関しては、先ほど申し上げました防災、万が一災害があったときに避難に時間がかかる。避難経路の確保ということを含めて一体的に検討しなくてはいけないのではないでしょうかということで発言をさせていただいたということです。 ○山本座長  岩崎構成員、よろしいですか。  ほかはいかがでございましょうか。  部長、どうぞ。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部長  ありがとうございます。  防犯と防災ということで、社会から閉じた施設にならないようにというのは、どの委員からも共通して出ている話でございまして、私どものほうも通知の中で、地域と一体となった開かれた社会福祉施設となることと、防犯に係る安全確保がなされた社会福祉施設となることの両立を図るために、日ごろから利用者が地域に出て活動するということ。それから、地域開放など地域の関係者との交流に向けた諸活動について、防犯に係る安全確保に留意しつつ、これまで以上に積極的に取り組むことが重要で、また、利用者の自由を不当に制限したり、災害発生時の避難に支障が出たりすることのないように留意するということを書かせていただいております。  そうはいうものの、また改める必要があるのではないかという御示唆、御提言がありましたら、またお聞かせいただければと思います。 ○山本座長 ありがとうございました。  そのほか、いかがでございましょうか。  どうぞ。 ○松本構成員  先ほどの多機能型クリニックの話の続きなのですけれども、今、なかなか公的機関で地域のサポートをするマンパワーが少ない中で、こういう民間のそういったところに委託するというのは一つのアイデアだなと思う一方で、本日、全国「精神病」者集団の方がプレゼンテーションしてくれた中に、やはり医療の抱え込みみたいな感じになるのではないかという、それも確かに危惧すべきことかなと思っていて、先生のクリニックなどは本当に地域に根差してやっているのですけれども、地域によってはかなり病院で抱え込んでいるなという感じもある。  多分、その解決策の一つとして先生が提案された中で、市区町村などとの人的な交流であるとか、精神保健センターのモニタリングみたいなことを添えられたのかなと思っているのですけれども、どうでしょうか。やはりこれが医療の抱え込みとかになって、それは私もとても危惧すべきことなのかなと思っているのです。 ○窪田参考人  ありがとうございます。  これまでの日本の精神科診療所を考えますと、余りにも非力だった。医者と事務の2人しかいない。これで一体、重い人たちを地域で支えられるのかという、とても無力な状況があったと思います。やっと最近はデイケアができ、訪問ができて、他職種多機能になり一定の力を持てるようになってきたのです。さらに近年では、障害福祉サービスのほうも障害者自立支援法ができてから株式会社も実践する時代ですから、医療機関も包括的ケアや垂直統合型と言うなど、一つの医療チームでしっかり支援する必要があります。重い急性期の状況にある人たちについては、とにかく相当力を込めないと支え切れない。医師が外来で10分間程度面接するだけでよくなるかというと、それだけでは無理です。地域の中で様々な力を統合していく必要があります。しかし、日本の現状はまさに個々ばらばらです。たくさん地域に福祉施設はあるのだけれども、どれもみな別々の法人がやっていて、チームになっていないのです。これが日本が諸外国に遅れをとっている面だと思っています。重い人をサポートするときには、多職種による多機能の連携をチームとしてやっていく必要があります。そのためには、一つの医療法人でチームとしての実践をしっかりやらなければいけないと思っています。  ですから、一定程度の安定を見たら、そこからは福祉レベルに移すことを私は水平連携と言っていますが、力を込めるときには力を込めてやる。そして、一定程度安定したら地域の福祉の人たちにお任せしていくということが必要です。一つの医療法人だけで抱え込まないことは大事だし、開かれた場である必要がありますが最初の急性期のときには力を集中して対処しなければならないわけですから、最初の大変なところは医療チームがしっかりと支えて、そして一定程度よくなったら、より広い範囲の中で見ていくという構造が必要と思います。今までの日本にはこのような医療ケアが無さ過ぎたのではないか思います。 ○山本座長  私からも1点よろしいですか。  これは継続的支援を行う場合、期限とかはどのようにされているのでしょうか。それと、行われていることについて、もし課題を感じていることがあられたら、ちょっと挙げていただければ非常にありがたいのですが。 ��窪田参考人  特に統合失調症の方については、現状で言えば、やはり再発予防が大事ですから、5年、10年と長いお付き合いになるのはやむを得ないと思っています。ただ、かなり力を込めてサポートする、これもかなり個人差がありますね。本当に数週間で急性期を立ち直る人もいれば、引きこもった状況からやっと友達ができて、人の輪の中に入っていけるのに10年かかる人もいますから、何とも期間については一概には言えないと思います。ただ、評価を定期的に行って、不必要な支援は減らしていくという作業がいると思っています。  現状で我々のクリニックで困っているのは、例えば家を探しに不動産屋さんへ行っても、それは診療報酬にならない。仕事を探しにソーシャルワーカーがハローワークに行っても、これもボランティアにしかならない。そろそろ退院だから来てくださいねと、当院のスタッフが精神病院のケア会議に行っても、これも診療報酬にならない。全部持ち出しでボランティアではなかなかやれないのです。そういった生活支援の活動に対して経済的な手当がつく必要があります。  逆に言えば、私の提案の中にある地域精神保健センターをというのは、そこに2人でも3人でも自由に動けるコメディカルがいてくれれば、個々の活動のたびに診療報酬にしばられずに動けます。例えば八王子の病院に地域移行のケア会議が必要な患者がいれば飛んでいくし、地域で困っている人がいれば夜でも飛んでいくことができます。さまざまな応援ができる。そういう自由に動ける人手がいないというのが実は一番困っているところです。 ○山本座長  ありがとうございました。  これは民間委託をするのも一つお考えだということですが、そういう場合でも情報提供の問題とかがあると思うのですが、何かその点についてお考えはございますか。 ○窪田参考人  情報提供というのは、病院との間ですか。 ○山本座長  要するに病院との間です。市町村から。 ○窪田参考人  例えば現在入院中の患者さんで、退院してから当院の外来へつなげる必要があったとき、こちらはその患者さんがもともと当院に通院中の患者さんならば、ケア会議に行くことはオー���ーだけれども、今まで当院にかかったことがない人だと、情報提供上の問題が起きてきますね。それが区からの委託を受けて当院が責任を持って退院促進もやってくださいと言われていて、公的な契約関係があれば、情報の共有は可能になるのではないかと思っています。 ○山本座長  その辺はちょっと制度的な検討が必要だと思いますね。ありがとうございます。 ○窪田参考人  そうですね。それから、民間であることのよさは、やはりローコスト・ハイパフォーマンスでできる。アメリカも精神保健センターができたけれども、どんどんNPOに委託になっていると聞き及んでいます。そういう委託の良さがあると思っています。 ○山本座長  大変貴重な御意見をいただきました。ありがとうございました。座長のほうからいろいろすみません。  では、松田先生。 ○松田構成員  窪田先生に引き続き質問で申し訳ないですが、先生のような意思ある人がきちんとやるというのは大事なのだけれども、やはりどこかでポシャっちゃうのではないかという心配があるのです。そこら辺のところは地域力のアップ、地域での治療共同体でもいいし、福祉共同体でもいいし、生活共同体、そういったものを同時に考えていかないといけない。そこら辺の運動とか活動をどうリンクさせるかという問題があるのだけれども、そこら辺はどうお考えですか。 ○窪田参考人  ありがとうございます。  当然そこが中心になれば、その医療機関の周辺の、例えば障害福祉サービスとも水平連携していかなければいけない。ただ、そこが委託を受けて一つのリーダーシップを発揮できれば、周辺の支援機関と一緒にケア会議を開くことが可能になります。今のところ現状で言えば、当方のクリニックはクリニックとしてやっているだけで、言うなれば八百屋さんと何の変わりもないのです。当院が周辺に呼びかけて一緒にケア会議を開こうなどという権限も何もないわけです。でも、そういうことをやれる、少なくとも言い出しっぺになれるような権限を与えてくれると、もうちょっと地域がうまく連携してやれるようになると思っています。 ○山本座長  松田先生、よろしいでしょうか。 ○松田構成員  はい。 ○山本座長  それでは、いかがでございましょうか。  また私からで申しわけないのですけれども、幾つかの団体の方から、警察の取り組みといいますか、警察官行政についての検証ということが指摘されておりますが、これに関しては、警察のほうではこの事件に対する対応として検証とかを行っているのでしょうか。どうぞ。 ○警察庁生活安全局生活安全企画課長  警察庁の生活安全課長でございます。  こちらの考え方としましては、チームに参画して一緒に検討させていただいているという理解でおります。 ○山本座長  特に内部ではされていない。 ○警察庁生活安全局生活安全企画課長  内部というか、もちろんこの検証チームがありますので、それにその都度、上司等に諮って相談申し上げておりますので、そういう意味では検討はしているところでございます。 ○山本座長  わかりました。  神奈川県のほうは、警察についての検証はいかがですか。 ○神奈川県保健福祉局長  神奈川県の検証委員会のほうにも県警本部の生安の総務課長さんに常時御出席いただいて、当然秘密会でやっております関係もあって、さまざまな資料でありますとか、いろいろな状況説明でありますとか、非常に丁寧にやっていただいて、今、そのおかげで非常に検証がはかどっているという面はございます。 ○山本座長  神奈川県では検証がはかどっているわけですね。 ○神奈川県保健福祉局長  おかげさまをもちまして。 ○山本座長  わかりました。  どうぞ。 ○窪田参考人  松田先生からの御質問で、だめなところはどうするのかというお話を思い出しました。委託したけれども、ちゃんとした成果を上げないところについてはどうするかについてです。自分が考えているのは、5年ごとに見直しをすることです。それぞれのところについてちゃんとやれているのか、そういったことを県の精神保健センターがモニタリングする。もしくは各自治体、市町村が委託を5年ごとに再契約をするというような形にすることによって、ちゃんと機能していないところは他に替わってもらうという道があるのではないかと思います。  恐らくこれが制度としてスタートすれば、かなりやる気になるところが出てくるのではないかと私は思います。逆に言えば、一つの地域で2つも3つもやりたいと言ったらどうするのかということがありますから、何年かごとに再契約し直すという制度が必要になってくるのではないかと思っています。 ○山本座長  ありがとうございました。  松田先生、よろしゅうございますか。  村上先生、どうぞ。 ○村上構成員  先ほど山本先生からも出たのですけれども、この間、私もグレーゾーンという表現で、これは警察が扱うべき事案なのか、医療が扱うべき事案なのかという、要するにはっきりとしない領域についてお話を伺いました。私自身、例えば日常臨床の中でも、当院は窪田先生のところと似ているのか、多機能型病院と言っていいぐらい問題な方ばかりがお見えになりまして、ほとんど警察の方がお連れになります。診断もやはり多様です。基本的には、すっきりと統合失調症という方はほぼおられません。多かれ少なかれ事件的なことを起こしておられます。  やはり我々自身も悩むのですね。多分この方を引き受けられた病院も悩まれたと思うのです。悩まれた経過はよくいろいろなところで調べていただいたものを見て、そのように悩んだけれども、やはりこれは受けようと思っておられたということは随分我々自身も共感を持って追跡ができるわけです。ただ、この悩んだ過程に関して我々は共有できない。  日常臨床はそういうことで、お巡りさんが連れてこられるので、お巡りさんとはすごく仲がいいわけですけれども、悩んだときに、この意見の交換がどれぐらいできるかということが、やはりこういう難しい場面に対応するような病院は必ず必要になってくるので、ぜひ警察のほうも、悩んでいただきたいというのはおかしい話ですけれども、悩んでいただいて、そこの悩みの部分は共有していただきたい。その結果において、我々医療が引き受ける場合もあれば、お戻ししてそれは司法といいますか警察の方で対応する場面もあるのだろうと思いますが、その領域があるのだということは、非常に難しい場面をどのようにマネージしていくかにとって非常に重要なポイントになるのだろうと思います。よろしくお願いしたいと思います。 ○山本座長  ありがとうございます。  田中構成員、どうぞ。 ○田中構成員  私も窪田さんにお聞きしたいのですけれども、プレゼンテーション資料の中の6ページの「行政からの業務委託により対応可能に」という文言は、4ページの図全体に対しての提案なのかなと理解しているのです。今日お話しいただいた精神の分野の医療の伴った対応ということになるわけですけれども、ケースマネジャーと相談支援専門員がかかわる分野は、3障害だけではなく発達障害、難病にも広がった状況ですので、業務委託に関してのウエートは、ソーシャルワーク的に動く相談支援専門員を指しているのか、医療的な背景を伴っていることに対して業務委託と御提案なのかということについて御意見をお聞きしたいと思います。 ○山本座長  窪田先生、お願いいたします。 ○窪田参考人  ありがとうございます。  やはりチームとしては一部のソーシャルワーカーだけの業務というわけにいかないと思うのです。包括的なコミュニティーケアという意味では、この医療法人の中の医者もソーシャルワーカーも心理も看護も、それから周辺にある訪問看護ステーションとか、就労移行支援事業所とか、様々なところが一体的に機能していく必要があると思っています。  ただ、一般外来では鬱病や不眠症の人も大勢来ていますから、そちらについては直接かかわらないでしょう。より重層的な多機能な支援が必要な人たちを対象にしたセクションになっていくと思っています。 ○山本座長  よろしいですか。 ○田中構成員  一言だけ。私たちの提案としても、対応が難しい方の特性を理解した見通しを見立てていくということが非常に重要だと思っていますので、この一体的な機能について、窪田さんからの提案を受けて、今後の対策の中で強めていただければということで、今の御意見ですとなかなか分かちがたい部分があるということだったかと思いますけれども、これを参考にして、ぜひ何らかの形になるように検討、報告にも反映していただければと思いますし、政策にも取り込んでいただければと思っての意見表明です。  以上でございます。 ○窪田参考人  ありがとうございます。 ○山本座長  ちょっと話が飛んでしまったのですが、先ほど村上先生から御指摘いただいた点につきまして、警察からいかがでしょうか。 ○警察庁生活安全局生活安全企画課長  村上先生は以前からおっしゃっておられることは認識しておりますので、その趣旨は理解しているつもりではありますけれども、警察側も決して悩んでいないわけではありませんで、以前、ちょっと今数字を思い出せませんけれども、保護した中でも全て23条通報しているわけではないというお話もさせていただいたかと思います。あくまで23条におきましては、精神障害のために自身を傷つけ、または他人に害を及ぼすおそれがある、自傷他害のおそれがあると認められる者を発見したときは直ちにその旨を最寄りの保健所長を経て都道府県知事に通報しなければならないとございますので、そういう意味では真面目にやらせていただいているところでございますので、また導き等、よろしくお願いしたいと思う次第でございます。 ○山本座長  村上先生、よろしいですか。 ○村上構成員  そういう関係性をつくるのに、日々、我々、日常的には警察の方と連携をとってきて、やっと信頼関係ができてくるというプロセスがございます。だから、警察の方も一生懸命されていることは十分承知しているのですが、ただ、何回も言うように、グレーゾーンというかはっきりと判断が出ないような、幾ら専門家が見てもたった1~2時間の世界では信頼がつかない場面があって、そこだけで何かの決定を出さないといけないわけですから、そういうときにお互いの意見交換がフリーにできるようなことは非常に重要なのだと。精神鑑定で結論が出てくるのは、入ってくる情報量の桁が3つ違うぐらいの情報量の中で診断をしたり判断をするわけですけれども、実際の診療というのはもっと生きている状況の中で、時々刻々の中で判断するわけですから、お互いに100%正解な答えを出しているわけではないというところを共有していただければと思いました。 ○山本座長  ふだんからの密接なコミュニケートというものは必要だと思うのですが、今後そういう具体策みたいなもの、村上先生、ございますか。 ○村上構成員  私、司法精神学を専門としているので、私がまいりましてからそういう非常に難しい患者さんに関して、かなり丁寧なケア会議を開かせていただいて、その中に警察の方がお入りになることもあるし、それから、先ほどお話ししましたように、ほぼ問題な患者さんは地域にある意味ではそのままいます。問題が起こるたびに余り有効な手が打てずにおります。そこが少し医療という観点で入ることについて、私のほうからも手を出したところ、警察の方もすっかりと、それこそ対話ができるようになったというプロセスがございます。だから、医療とこういう困難な方の処遇に関することは、やはりお互いの歩み寄りなのだと思います。  それは例えば児相も出てくるし、保健所も出てくるし、相談機関も出てくるわけですが、やはり一番判断の難しいところは、手つかずにあるということの事実なのです。この事実を我々が認めて、何か手をそこに出していかないといけない。多分今回の相模原のケースだって、手を出し始めるとそんなに簡単にいかない。単に寄り添うといっても、非常に二面性があってどのように判断するのかわからない局面が多分あったのだろうと。そういう非常に難しい局面にある方が実際に地域に多くおられるということ、そこを我々はどのように医療なのか、司法なのか、対話をしていくということが重要なのではないかと思いました。 ○山本座長  ありがとうございました。  ほかはいかがでしょうか。  中原構成員、どうぞ。時間がありませんので、済みませんが簡単に。 ○中原構成員  今の村上先生のお話の中に出てきた警察との情報共有というのは、保健所としても一番大事なところだと思っておりまして、要は地域で保健所とそれぞれの地域の警察がきちんとそのような意見を共有できるような関係性をつくる。それもまた各全国の保健所の役割だと思っています。  司法のほうでも、そういったところを十分に認識していただけるように意識していただければと思っておりますので、これは警察の方にお願いです。よろしくお願いいたします。 ○山本座長  ありがとうございました。  警察の方、今の点について何かございますか。 ○警察庁生活安全局生活安全企画課長  私自身も先週、座長に御一緒させていただいて兵庫の取り組みを拝聴してまいりましたので、そうした形で保健師の先生方、あるいはお医者様方とのつながりというか連携が必要だと思っております。  ただ、余りこちらから言って、各いろいろなところがあろうかと思いますので、構築というのは一朝一夕には難しいのかなという気もしているところでございます。 ○山本座長  ありがとうございました。  最後に、幾つかの団体から障害者に対する差別や偏見をなくす教育が必要だと、そういう体制をとっていくのが政府として非常に重要なのだという御指摘がございましたが、これについて、文科省か、内閣府のほうがよろしいですか。何かちょっとこの取り組みについてお話ししていただけますか。 ○内閣府政策統括官(共生社会政策担当)付参事官(障害者施策担当)  内閣府でございます。  この事件、内閣府の取り組みということで申しますと、9月20日、第5回のこの場でも申し上げたことでございますけれども、うちの加藤大臣もやまゆり園を訪問するといったようなこと、それから、神奈川県との共催で障害者差別解消地域フォーラムに出席して、命の尊さ、あるいは共生社会の重要性ということで発信したところでございます。  内閣府のホームページでも、やまゆり事件に対する取り組みということで特設ページを設けまして、いろいろな取り組みについて一覧できるようにしております。それとともに、あと1カ月ちょっとたちますと障害者基本法で決められている障害者週間というものがあるのですけれども、今年は12月2日に内閣府でやることにしております。そういう中でも、改めて命の尊さについて考えるという形で、原点に立ち返ったようなテーマでパネルディスカッションのようなことも行うといったことで、いろいろな形で、今、久保会長もおっしゃっていましたけれども、とにかく当事者がいて、その家族がいて、お互いすごく大事な存在としているのだという、みんながある意味当たり前、本来それが当たり前だというようなところを一人一人の命の尊厳ということとあわせて発信することができればと考えております。  内閣府としては以上でございます。 ○山本座長  文科省、いかがですか。 ○文部科学省初等中等教育局特別支援教育課特別支援教育企画官  文部科学省でございます。  障害者理解の教育につきましては、実はこの会議の場でも折々重要性を指摘されておりまして、私ども、これから努めていきたいと思っております。  委員の皆様には繰り返しになってしまうのですけれども、現在の学習指導要領においても、障害者についての理解ということでいろいろな場面で障害のある子供たちと一緒に学習をしたりする場面を設けたり、あるいは道徳であるとか社会科の中で勉強するというのも盛り込まれていますけれども、現在、学習指導要領全体を見直しておりますので、その中でさらにとりわけ今度の改訂は、次のオリンピック・パラリンピックが東京であるタイミングでもございますので、それに合わせて障害者への理解等の充実をしていきたいと思っております。  1点、先ほど学校のモデル事業のような御指摘がありましたけれども、現在もそういったことをやっておりまして、現在、私どもで行っているのが、心のバリアフリー推進事業という通称で呼んでいますけれども、特別支援学校等において障害のある子供たちと障害のない子供と交流する場を設け、スポーツを題材にして、例えばパラリンピアンを呼んできて講座を聞くとか、障害者スポーツを一緒にやるとか、そういった場面を活用して行う委託事業をしているところです。  今、概算要求ではそこに文化の事業についても使えるように活用しようと思っていまして、これからもこうした形で事業を進めていきたいと思っています。 ○山本座長  よろしくお願いしたいと思います。  それでは、時間になりましたので、本日の議論はここまでとさせていただきたいと思います。  最後に、事務局から今後の日程などについて御説明をお願いいたします。 ○厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部精神・障害保健課長  次回の日程につきましては、追って御連絡をしたいと考えております。  また、先週24日、兵庫県の取り組みの視察をしておりますけれども、その内容につきましては、次回説明をしたいと考えております。  配付した資料のうち、ドッチファイルにつきましては、机の上に置いていただきたいと思います。  事務局からは以上です。 ○山本座長  ありがとうございました。  本日はお忙しい中、長時間にわたりありがとうございました。  また、各団体の方には、貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございました。  それでは、これをもちまして、第7回「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」を閉会したいと思います。どうも長時間にわたりありがとうございました。 (了)
相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム(第7回)議事録(2016年10月31日)|厚生労働省
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lgbtqromance · 1 year ago
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我与哥哥还有我的砲友
我在台湾中部某个农业大城读大学,这边人不多,当然同志可能更少。
某次,我在聊天室上认识一位27岁的大哥哥,虽然聊天室都是聊情色,几句之后觉得他挺有意思的,我们换了LINE之后便开始谈心。他向我坦承他上聊天室的目的并不是约人,而是怀疑他逼会约人,所以上来勘查。由于他先前在台北念书工作,是因为交了一个逼所以搬来这个城镇,在附近的工厂当储备干部。谈话相当投机,于是我们便以兄弟互称,有几次他下班也送消夜给我,颇为贴心,当下觉得非常幸运的是有个有点像张孝全那型的MAN哥这麽疼我,而也并不像谣传的一样有兄弟姦情,他往往只是跟我说他自己的故事跟鼓励我求学及生活要认真。
某天,我在聊天室上面约了一个还蛮可爱的0号弟,年纪25比我还大,但像是高中生的皮肤,适中的身材还有有肉的翘臀,完全是个高中生模样。第一次我们约在操场的厕所,他光是坐在我的屌上摇晃,我不到5分钟就缴械,他也随着高潮。
由于我住宿舍,之后,我们约了好几次野外。在无人草皮,在系馆阳台,在田地中间,还有次最夸张的直接在半夜的网球场中央,我对他没有特殊的感情,因为他也不多话,爽完就离开。半个月后,也许是学生时期比较没防备心,他说他有去验,很安全,要我也去验,我也安全。所以我们便当了无套的固砲。拔掉套子后更能感受到他丰厚的肉壁下温暖的夹杀。于是我们持续的大概两至三天会约一次,很固定的跟对方发洩,也有几次他说他家没有人,我去他家,火热的做爱并且内射在他体内,没有多馀的谈天就回到学校。
我有跟我哥说,我有这样一个砲友,虽然没有描述得很详细,但有跟他说我们都会野外做爱。哥��笑说我实在太夸张,也叮嘱我要注意性爱安全。我把跟这个砲友无套的事情跟他讲的时候,他还打了一下我的头,叫我不要那麽阿呆。哥也跟我说,最近他逼都不跟他做爱,而且爱上去我们学校游泳,他怀疑是去约人,但又不疑有他。
某天,我一样在我砲友家做爱,这天经历特别旺盛,不仅先内射了一发在他体内,拔出来之后又随着他一起打出第二发射在他肚子跟脸上,由于我的体质射的本来就比较多,几乎高出正常人三倍的量,第二发仍可以射的他浑身都是。事后看他累得睡着,而我要赶着上课所以先急忙着走人。
当晚,没想到才刚下课,就收到我哥传简讯跟我说,他心碎了。我问他原因,他说他今天身体不太舒服下午请了特休回家,发现他逼没有穿衣服躺在床上,屋内浓浓的精液味。走近一看身上都还是未乾的精液,他逼惊醒辩说是在打手枪,可是身上的量多到不是他逼平常的量,然后他逼裸身站起来,一道白浊的精液就随着大腿沿线而下,他立刻要他转身,没想到他手指往肛门一伸一摸,凑过来鼻子旁边闻,他逼菊花内满满是他人的精液。
当下,我在想世界上不会这麽巧合,虽然我没有跟他叙述过我砲友的模样,他也没跟我说过他逼的长相,但该不会这麽阴错阳差。我砲友就是哥哥的逼?于是我要他传照片给我看,果然世上无有不巧。我干了一个半月的砲友就是哥哥的男朋友。突然间一阵慌乱上心头,到底该不该直接说。当我还在犹豫的时候,我的手指不听话的敲出了对不起三个字,哥问我为什麽要道歉。
我拨了通电话给他跟他说”哥,这阵子,我说的砲友就是你男朋友,对不起,我不知道。”电话另一端无声了半宿,哥问我说”下课了吗?晚点一起吃晚餐好吗?”于是我们约在学校后门。
一小时候,哥骑车到了后门���我原本很担心他会不会一气之下对我做出甚麽暴力行为,但我想,那也是报应。果然,他机车一下,就是往我冲过来,正当我防御姿势都做好的时候,我感受到的不是迎头痛击,是一阵温暖。
哥抱住我说”好险是你,不然我会崩溃”。
我们骑车到一家比较大,别人听不到我们说甚麽的简餐店,哥的表情看起来平静,我只顾低着头。
“别一副对不起我的样子,错不在你”哥有点笑意的这麽说。
“可是我做错了”我当然感到愧疚。
“我刚刚跟他好好沟通了,他说,我做爱的方式常常太粗暴,而且大小有点超过他的负荷程度,他爱我,但一年多以来他也忍着下来,可是还是有难解的慾望无法沟通,我一直都很自以为我身材好,屌又大就可以满足别人,其实我也有问题”哥这麽说。
“但无套我实在是无法接受,但知道是你而且只有跟你之后,我又觉得安心了”哥歪了歪脸接了这句。
“我…”我实在是羞愧得无地自容。
“你甚麽你要不是你射那麽多我也不会发现,你的量有点夸张,从里面流出来简直氾滥我都看傻眼了”哥继续歪脸说着这句。
“ㄚㄚㄚㄚㄚ……………”我只能大叫。
“你说,我记得你是不分对不对,之前,你知道我为什麽疼你吗?当然因为也很欣赏你,但我做人有原则,所以不会碰你,而今我跟我逼说好原谅他的条件就是…”哥这麽问。
“就是甚麽??”我想该不会跟我有关吧。
“就是我也可以跟你做爱”哥邪恶的说出这句。
我张大嘴巴不知道该怎麽回答……………
“刚刚看到他浑身精液的时候,看到他后面流出一堆其他男人精液的时候,我脑袋都一片空白了,我在这个地方没有其他朋友,只有跟你聊得来,你跟我说对不起的时候我以为你知情背叛我对你的好,一度火烧到快爆炸,但是你说你不知道,我也确信你无从得知,我逼听到我跟你认识的时候他也吓到,但是知道是你之后我反而平静了下来”哥哥这麽说着。
“我没想到你在操场,在阳台,在草皮间干的是我逼,我还记得你跟我说你上个礼拜在学校侧门干他的时候还差点被骑车经过的人看到,在阳台上干他的时候射太多进去还流到地上忘记擦被同学踩到”哥一边回忆我跟他说的片段,我真的只想找的洞鑽。
“我也是男人,我很色,我也要你。”他很坚定的看着我,但是没有怒意。
“哥哥说甚麽我就做甚麽,对不起啦。”我还是不敢直视他,他笑一笑拍了我的头,温柔地跟平常一样。
“吃饱了吗?走吧,去我家。”哥哥起身这麽说。
“可是,你逼,不在吗,我觉得好尴尬”我这麽问着。
“他上晚班12点才下班,我已经跟他知会过,要我原谅他的方式,就是这种方法”哥边这麽说,我搭上哥哥的机车。
回到了下午我大爆发的那个房间,我来过四次,却不知道这是哥跟她男朋友共同生活的空间。
“紧张个屁喔,你不是来过。”哥哥嘲笑我的窘样。
“靠夭喔,我又不知道这是你家。”我扭过头去有点像小朋友的尴尬说着。
突然,哥对我做的是完全没做过的动作,平常他送消夜给我会拍拍我的头,或是大大力的抱我,但没有想现在这样,是轻轻的,环着腰的抱着,手还伸进了我衣服的里面摸了我的腰间肉。
“其实我也有想过当坏人阿,怎麽可能没有,我是不分,我逼是纯0,之前听你的说法你几乎每次都把我逼干到服服贴贴的,你又长的年轻帅气。早就想干你不说,没想到你干人比我还厉害,听完多想跟你狠狠的互干上一场”哥的表情很坏,那种淫荡的坏,可是显得比平常更帅,完全没看过他这个模样。
突然间嘴唇就凑上来,一阵深吻后身上的衣物渐渐的退去,直到两个人一丝不挂。但是当哥哥摸到我屌的时候上面有两小块卫生纸。
“这该不会是,下午,留下来的吧…”哥哥这麽问着…
“ㄟ下午我赶着上课,只有用卫生纸擦”我又继续尴尬的这麽说了。
“所以你的屌上面现在有我B穴里面的体液跟你自己乾掉的洨,干,好淫荡”哥边这麽说边蹲下一口把他含住。
“靠,用口水润滑后还滑滑咸咸的,这真的是我逼的味道,平常我很爱帮他舔菊花,他的体液就这个味道”哥继续这麽描述着,可是我的屌听到这些淫荡的情境竟然硬到不能自己。
“15公分,上翘屌,形状那麽好看,龟头都露出来了,又硬成这样,干,不要说我家那个,我都想让你大干一场”哥哥边吃边说”但现在要让我消气,我要先干你一顿”
他把我的头压下至他的跨间,我只能说哥哥算是老天眷顾的宠儿,健美的身形,明显的胸腹肌。19公分剑拔弩张的直屌,没有爆露的青筋,乾淨又割的完美无瑕的包皮,比我在网站上看过任何一支屌都还好看。我试图完整的含下,但仍有一隻手的掌握却已经顶到我的喉头。只能说可能每天都吃牛排会想吐,或是天生不太爱牛排,有男朋友屌如此还要去偷吃,我砲友是傻了傻了。才舔没几下,哥就把我屁股转向他的位置,抹上润滑液用手指试探。
其实虽然我是不分,实际上我在当0号的部分倒是重口味,每每遇到不过14~15的屌要干我的时候我是不会痛,但也没感觉,还要假叫浪费时间。生平大概也只有前任男友17快18公分的屌每次都能顶住我的爽点,然后边打边射。
哥哥试图放松我的后庭直到三根手指可以进入,我转头看他在自己屌上也抹上大量KY,就打算长驱直入。
“哥,你不戴套吗?”我这麽问着不是怕哥髒,是怕我自己不乾淨他介意。
“你他妈的跟我逼爽成这样,我跟你们同进退。”才说完,他就把头部整个放了进来。
不知道是因为愧疚造成兴奋感,许久没被干的我竟然丝毫感觉不到痛楚,直到哥哥的弟弟整根没入,我都没有丝毫不适感。
“干,你很强,我逼我都要放好久才能放整根进去,你竟然一下子就吃下去”边说,哥试图摇动他的腰部,没想到第一下就是猛顶。我知道他逼为什麽不喜欢,因为正常人都要时间习惯,即使我只有15公分,也不能这样乱来的对待0号。何况是19公分的神器。但是我的体质特异,我之所以没有得到大0号的封号,是因为我干人技术也了得,干射不少男男老幼。跟我不很熟的人还以为我是功力高超的纯1,但不知道我只吃大屌,只被猛干。哥这麽一乱来,加上他比我前逼还长的长度,直接命中我的兴奋点。
“干,好爽好爽。”没想到哥才顶了十来下,我整个身体就已经开始酥麻,前列腺液开始从屌前面涌出,没想到下午射了两发,还能如此多汁。哥似乎也看出我是真爽不是假应付,因为我掩饰不了因兴奋而颤抖的脚,还有完全不躲避的后庭。身为一个1号很重要的讯息是,如果0号有点闪躲你的突刺,或是被往前撞了没有回到原本的位置准备下一次的撞击,那就是他在假爽。
“没想到你连被干的技术都了得,干,第一次干人觉得那麽爽”哥哥奋力的暴力的扭动他的腰,只能说他的腰力是相当惊人的,虽然没有那种巧劲,但每一下都是尽全力猛撞,拔出然后猛撞,19公分的屌就这样消失只留龟头然后又瞬间填满身体。甚麽九浅一深哥哥完全不懂,每一下都是全力出击,像是不把对方插死善不干休。偏偏我就吃这套。
而当哥从背后换成正面姿势的时候,他看到我涌出的前列腺液,也惊呼了一下。没想到他正面不断撞击下,前列腺液更是像涌泉一般每撞几下就又流出一些,造成他更大力更兴奋的攻击。每一下撞击都响彻房间,我第一次遇到一个体力几乎是猛爆的TOP,这真的不是常人可以应付。没想到这样的姿势三分钟后,我涌出的感觉突然大幅度的增幅,但过程我完全没打手枪,没想到涌出的感觉就这麽爬升到了顶点,我大叫甚至来不及大叫,在哥的撞击声中我射出了白浊的精液。哥看到我高潮的模样,用更快的加速撞了十来下,也吼出了性感的叫声,我知道他也出来了,就这样出来在我的身体里面。
两个人都喘息着无法抑止,除了抱着对方以外没有其他反应,哥的屌还在我体内,硬度还没退下,我能感觉到我被顶撞的点也还没退,被哥的屌顶着仍感到一阵酥麻。
“我第一次干人干到这麽用力尽兴,你都没有闪躲,我只能说,爽翻天”哥哥这麽说。
“我第一次被无手干射,你要我多解释甚麽吗?”我突然害羞了起来。
两个人一起大笑,突然我的歉疚也消退了许多。此时哥叫我手勾住他的脖子,脚勾住腰。把我整个用火车便当的姿势?了起来。
“走吧,洗澡去囉,下午没洗澡的髒小鬼”哥又摸摸我的头,跟以往不同的是他多用了他的屌在我体内顶了一下,让我春叫了一声。直到到了浴室才把我放下。
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