#寝坊したのは秘密
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筆者の友人の女性との話題で、女友達が妊活に苦労していて大変そうみたいな話をよく聞く。身の回りの男性もすでに既婚者となるなか独身を貫く筆者にはおおよそ無縁な話であるが、女性の子供が欲しいながら恵まれなかったという話に相槌を打つのである。 しかし教養として知る話として、不妊の原因の半分は男性にあると言われている。子供ができないことにヒステリックになる背景に、男性が他人事になって検���もしてくれないと聞く。プライドはわかるが検査はした方がいいと思った。 それはそうとして、そもそも諸君は自身の精子を見たことがあるだろうか。毎日出している白いやつと言えば半分は合っているのだが、実は精子は白くないのを知っているだろうか。そもそも毎日向き合っているものを知らずして他人に押し付けてよいものなのだろうか。 「精子は青い」そう教えてくれたのは、高校の保健の先生だった。高校生とはいえ筆者の性の目覚めは遅めだったので、当時はフーンというくらいに聞いていたが、大人になって不妊治療だとか性教育とかそんな単語が現れると、ふと思い出すのであった。 そんな中、あるネットニュースで「精子観察キット」というものが紹介されていた。スマホのカメラに顕微鏡のようなレンズを取り付けて精子を可視化できるのだという。興味が湧いたが、それを読んだ当時はそんなものを買う度胸はなかった。 転機が訪れたのは2020年、新型コロナウイルスのワクチン接種が始まった頃。 「ワクチンを接種すると精子の質が落ちて不妊になる」という噂話がSNSを駆け巡った。今後これを読む人のために補足をすると、今でこそワクチンデマと一蹴されるこうした根拠のない医療情報が、当時は社会問題になったのである。そんな中、コロナ対策チームはよく頑張ってくれたと思う。 人類の新たな危機と言える新型コロナに対抗すべく、一個人としてできることをやらなくてはならない。そんな使命感に駆られた筆者は、自らの精子を精子検査キットで観察し、ワクチン接種の前後で精子がどう変わるのかを調べてみることにした。 まずはキットの選定が重要だ。童貞の筆者は知らなかったのでここで啓発しておくと、コンドームや精子検査キットはアダルトショップで買うものではなく、妊娠検査薬などと一緒にドラッグストアに普通に並んでいる。当時はリクルートが発売していたSeemというサービス(サービス終了)と、TENGAが提供していたメンズルーペという商品があった。試しに両方買ってみることにした。レジに持っていくとスッと茶封筒にしまってくれ、こんな配慮サービスがあるのかと驚いた。化粧品の充実したドラッグストアだとレジ前に女性が多いので少し勇気がいるが、気になるならペットボトルでも買ってカゴに混ぜておけば良いのだ。 いずれも箱の中には精液採取用の道具とレンズが付いている。これをスマホカメラに装着し、レンズに精液を垂らすと、カメラに精子が映る。この動画をサーバーに送ると、精子を画像認識し、精子の数と、よく泳ぐ精子の割合を示してくれるのである。 性教育をあまり受けてこなかった人のために補足すると、精液は精子のほかに前立腺など様々な液が合わさってできていて、射精直後は粘り気の強い塊になっていて、一丸となって送り込まれる。そして時間が経過すると透明でサラサラになり、卵子めがけて泳ぐ精子を助ける潤滑剤となるのである。つまり、活発に泳ぐ精子を見るためには、精液を30分ほど放置してサラサラにしなくてはならない。 ところが実家暮らしの筆者にとってこの作業は困難を極めた。筆者の部屋にはわりと気軽に家族が会話しに来訪するので、普段はトイレでこっそり致している。ということで、部屋で致そうとすると緊張して奮い立たないし、隠しておくにしてもビクビクしている。ビクビクしているゆとりもないのだ。偶然もらったお菓子の空缶があったので、そこに隠して放置する。サラサラになった精液をスポイトでレンズに注入すると、精子が見える。測定上の注意事項として、最近のスマホのレンズは大きいので、ここに傷がついていても飛蚊症のようになり綺麗に映らないので注意が必要だ。そしてLED照明など点滅する照明を顕微鏡のライトにするとチカチカしてとても見るに耐えないので、ライトにも気を配る必要がある。 ドキドキの対面である。精子の姿がスマホに映った。Seemのレンズで見た精子は、確かに青かった……。 早速精子を動画に撮り、サーバーに送ると、しばらくしてその結果が送られてくる。筆者の精液には1mlあたり2400万の精子がいて、そのうち活きているのは6割という結果だった。TENGAメンズルーペには精液採取のカップに目盛がついていて、量を測ることができた。測ってみると5〜6mlの範囲に収まっている。これも保険の教科書通りだった。基準はWHOが定めているので気になった人はググってみて欲しい。 ワクチン接種は筆者にとって地獄であった。腕はパンパンになり、高熱が出て1週間寝込んだ。精子は熱に弱いので、この熱では死んでしまうのかもしれないと思った。しかし少し落ち着いてから測定してみると、4200万匹、運動率は6割でほぼ倍増である。減るどころか増えているではないか。色々考察してみたが、夏の筆者は繁忙期で、寝ても覚めても仕事していた。これがワクチンの熱で1週間寝たきりになったことで、睡眠不足が改善されて精子が増えたのではないかという仮説に至った。 2回目の接種でもためしたが、寝込んだ後に精子を調べると精子の濃度が高くなることがわかった。そして年末の繁忙期にも試してみたところ、この時期になると精子の運動量が2割程度に落ち込むので��る。主観的な意見と言わざるを得ないが、精子が疲労のバロメーターになっているように感じられた。 つまり、我々は日常的に精液を放出しているつもりでも、その中にいる精子は健康状態……たかが寝不足程度でも、日々増減したり、中身がほぼ死滅していたりするのである。女性は月に一度しか妊活のチャンスがないと言われるが、一方で男性にも毎日チャンスがあるわけではないということをこの実験は示した。 自分の身体にこんな秘密が隠されていたとは思わず、外出自粛の間、メンズルーペを使って精子を調べることに没頭した。画面の中で精子たちは、腕時計の中で動く歯車のようにピコピコと機敏に動いている。そうやって頭を振りながら泳ぐ精子たちを観察しているうちに考えたことがある。それは 「女性だけが命を宿すことができるというが、男性だって命を宿している」ということだ。 精子は人体で最も小さい細胞であるが、父親の遺伝子を母親に届けるという役割のために泳ぎ回っている。確かに赤ん坊は女性から生まれるが、この精子たちもその命の構成要素の一つだ。精子は生きていた。この目ではっきり見たのだ。 顕微鏡に注いだ精液は、スマホで観察するために照明に照らされ、蒸発しやすくなる。その中を泳いでいる精子がどうなるか知っているだろうか。だんだん身動きが取れなくなり、必死に尻尾を振りながら息絶えていき、やがてレンズにはさっきまで活発だった精子たちの死骸が映るのである。いくら単細胞とはいえ、ふだんトイレに流していた命の源を直視すると、少し堪えるものがある。 卵子が受精する瞬間を奇跡とか神秘とか称する教育ビデオは学校でも見てきた。確かに命は尊いものだ。ただ精子を一人称とすれば、彼らは生きた状態で放たれるとも限らず、その行先もゴミ箱やトイレやゴムの中かもしれない。生涯に1兆匹生み出されながら、ヒトとして生を受けるのは数匹である。1匹や、0匹かもしれない。生存競争にすら立てなかった精子の生き様を見て、掴んだ命に誇りを持って生きていこうと思った。本当は身近な人にこそこういう話をしたいが、頭のおかしい人だと思われたらどうしようという思いで二の足を踏む。誰かに届くことを願って、ネットに垂れ流しておこうと思った。 さて、それぞれのサービスの違いだが、Seemは1回3000円という結構お高い装置だったが、鮮明に精子が泳ぐ様子を眺めることができた。いっぽうTENGAメンズルーペは1500円で4回分というお買得な商品だが、そのせいか鮮明さでは少し劣るところがあると思う。しかし安いので、定期的に精液チェックをするにはもってこいである。 それとは別に、ロートが精子観察用のレンズを売っているそうで、ピント調節もできる高性能なものらしく、大いに興味を抱いている。しかしこれが通販でしか買えないらしいので、家族にバレないように買う方法を探している。 最近はスマホのカメラがAIで画像を補完するようになり、精子の動きがカメラの古典的な画像処理なのかAIの補完なのかわからなくなってしまったようで、いい映像が撮れない。この影響か、テンガもついに解析サービスをやめてしまって、目視で精子を見るアプリと化した。なのでこの手法で手軽に判定することはもう叶わず、定量的な評価をするには泌尿器科に行かなくてはならない。だが1500円ほどで精子が見れるので、一度は自分の目で我が子の泳ぐ姿を見る経験をしてもいいのではないかと思う。 というか、妊活する男性にとってはこれこそがチントレであろう。精子は簡単に弱る。せっかくなら自分の精子の動きから戦闘力とか算出して遊ぶゲームとか作ったら楽しそうだなんて妄想すらする。流石にゲームは難しいかもしれないが、少なくともただ排泄する粘液と思わず、自分の生み出す命と気軽に向き合ってみてもいいじゃないか、という気がした。
精子観察キットを使ってみて感じたこと
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世の中は空前のサウナブームらしい。各種情報メディアを駆使して街の銭湯にたどり着いた全国の猛者たちが昼夜問わず約50 - 120 ℃の高温室内で肌を触れ合わせる姿を想像してゾッとしない訳がない。合言葉は「整いました」とのことで、僕はこれを珍奇サウナ偏愛者による「型に嵌ったフロー」と誤読して勝手に溜飲を下げている。チンコだけに、風呂だけに。これはなにもサウナ好きを揶揄しているのではない。むしろ彼らは街の銭湯の隆盛に大いに貢献している。そんなサウナブームを皮切りにして、いまでは銭湯での音楽ライブやDJイベント、更にレコードや書籍を販売する催事までもが行われて、みな一様にそれなりの賑わいをみせているようだ。この数年で銭湯を舞台にしたMVや楽曲がどれだけ製作されたことだろう。これについても、関わった人たちは広義の意味でのリノベーションに一役買っている。公共性の再編とでも形容しておこうか。因みにカセットテープレーベル”Ital.”を主催するケイタくんはサウナ好きではなく、古参にして無類の(ただの)風呂好きである。とある書籍の記述により誤解を招いている可能性があったので、一応。かくいう僕も幼少期に住んでいた家の並びに銭湯があったので週の半分くらいは利用していた。お尻に石鹸を塗りたくって誰が一番速く床を滑ることができるかを競い合う「尻軽レース」に挑戦したり、友人とタッグを組んで肩車をする、もしくは自力で壁をよじ登って女湯を覗くなどの愚行三昧で、いずれも店主にこっぴどく叱られた。16-18歳の頃にはいまも豊津駅の近くにある福助温泉で深夜の清掃アルバイトもさせてもらっていた。誰もいない時間帯の業務目的とは言え、禁断の女湯に足を踏み入れるのは、性欲みなぎる多感な時期の男子として、当たり前にドギマギした記憶がある。ロッカーの片隅に置き去りにされた下着を見つけたときは興奮を抑えきれなかった。いま思い返せば老婆が使用している類の肌色のそれであったが、当時の自分としては貧相な妄想に薪をくべるものであれば、なんでも良かったのだ。バイト終わりにはトイレにこもって自身の陰茎を握り締めた。そんな日の翌朝は決まって寝坊してしまい、定刻の登校に間に合わなかった。そういう小さな欲望の積み重ねが、人を大人にするのだ。僕はいまでも家族で福助温泉に通っている。番台では当時と変わらぬ寡黙な女将さんが節目がちに帳面を捲っている。いまも昔もこの人に向かって性器をさらしているかと思うと、未熟な僕は今更ながらに不思議な感慨に浸ってしまう。女将さん、俺はちゃんとやれただろうか?やるべきこと、果たすべきことを全うできましたか?女将さんは大人になった僕を認識している筈だが、なにも言わない。もともと極端に口数の少ない方だったので、僕の方からも敢えて話題を持ち出すこともない。30年前、父親と一緒に股間を露わにしていた僕がいつしか父親になり、今度は自分の息子たちと共に股間を露わにしている。女将さんはすべてを見て、知っている。心底かなわないと思う。数十年間ずっと変わらぬ姿勢でペンを握る女将さんの手許にある帳面、あそこに世界の秘密、いや、もっと言えば「世紀の発見」がしたためられているのではないかと勘繰らせるほどの圧倒的な寡黙。安易に適温を求めてはならない。静寂の裏側で、湯は激しく沸いている。
もう一件、自分が子どもの頃から足繁く通い、お世話になっていた近所の銭湯、新泉温泉があったのだが、昨年惜しくも閉館してしまった。電気風呂の横に鯉が泳ぐ大きな水槽があって、息子たちも一番のお気に入りだったので、残念で仕方がない。隆盛と没落。この世の均衡が保たれたことなど、かつて一度もなかった筈だ。そもそもフロー(風呂)強者が言うほど簡単に物事が整う訳がない。新泉温泉の最終営業日、もちろん親子で最後の湯に浸かりに行った。しかしそんな日に限って長男がロッカーの鍵を紛失してしまい、浴室や脱衣場を血眼になって探し回るも見つからない。僕ら家族の異変に気がついた店主やその場にいたお客さんも誰が言い出すともなく、一緒になって鍵を探してくれた。床を這いずって探しているうちに銭湯の老朽を伴う歴史が手のひらを通じて伝わってくる。今日限りでもうこの場所には通うことができないことがわかっているので、自ずと込み上げてくるものがあった。鍵は古びた体重計の裏側から発見された。その瞬間、店主以外の全員が全裸のまま快哉を叫びハイタッチした。長男もほっと胸を撫で下ろしていた。これこそが裸の付き合いというものだ。帰り際、息子たちは自分たちで描いた新泉温泉の絵と手紙を店主に手渡した。僕は「実は子どもの頃から通っていたんです」と伝えると店主は「わかってたよ、自転���屋さんのとこの」と言ってくれた。適温を求めてはならない。いつだって現実は血反吐が出るほど残酷だ。それでも僕たちは新泉温泉の湯を忘れない。店主はその日の入浴料を受け取らなかった。
このように僕個人にとっても銭湯には様々な思い入れがあり、いまでも大好きな場所に変わりはないが、それは昨今のサウナブームとはまったく関係がないし、死んでも「整いました」とか言いたくない。そもそもが自分の性器を他者にさらすことも、他者によってさらされた性器を目の当たりにすることも得意ではない。むしろはっきりと苦手だ。世の男性の数だけ多種多様な性器が存在する。サイズ、形状、カラーバリエーション、味、ニオイ等々、どれをとってもふたつとして同じものがない。股の間にぶら下がっているという設置条件がこれまた滑稽で、あのルックスのあの人にあんな性器が、とか、あのガタイのあの人にあんな性器が……みたいな、得たくもない新規情報が視覚を通して脳内に流し込まれるので、煩わしいことこの上ない。挨拶を交わす程度だった近隣の人々とばったり銭湯で遭遇してしまったら、その日を境にして、顔を合わせるたびに性器が脳裏にチラついてしまう。実際に息子の同級生の父親数名と銭湯でチンコの鉢合わせしてしまったのだが、以降、なかなかパパたちのチンコの造形を払拭できなくなる。これはまさに不慮の追突事故、ごっチンコというやつだ。会社員時代、憧れの上司と出張先で入浴を共にする機会があったのだが、どちらかと言えば華奢に分類されるであろう上司の股間には目を覆いたくなるくらいに巨大なふたつのフグリがblah blah blah、いや垂れ下がっていたのだ。洗髪の際にバスチェアに腰掛けておられたが、信じられないことに巨大すぎるフグリはべちゃりと床に接地していた。以来、上司がどれほどの正論を振りかざそうが、客先でのプレゼン時に切れ味鋭くポインターを振り回そうが、どうしたってスラックスの内側で窒息しかけているであろう巨大なフグリを想起してしまう。程なく僕は退職した。とにかく性器というのにはそこにあるが故に素通りすることが難しく、極めて厄介なシロモノである。それが「ない」ことで逆に「有して」しまう諸問題と真摯に向き合ったOBATA LEOの最新作『目下茫洋』は、数多あるフェミニズム関連のテキストとは一線を画する。あまりにグロテスクでおぞましい、だからこそ美しいなどという常套句を粉砕する「弱さ」に貫かれた思考の遍歴。貫く我々♂ではなく、貫かれる♀の身体から滴る分泌液で書かれた紋様のようで、誌面に一定の形状で留められている訳ではない。読む者の素養に左右されるようにして、その形状は刻一刻と微細に変化するだろう。こちらは無数に排泄するが、あちらはたったひとつで対峙している。なにも戦地は彼の地だけではない。戦場は僕やあなたのすぐそばで、いまもネバっこく股を開けている。
臍の下に埋め込まれた爆弾を抉りとるための努力を続けながら、同時にあるのかわからない最終地点に向けて爆弾を運ぶ。本当は抉り取ることはできないとわかっていても、背骨を曲げて運び続けることが、すなわち生きることになっている。『目下茫洋』
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day 2.
2/16 金曜日
寝不足もあったし、隣に居てくれたから最高の目覚め。あんなぐっすり寝たのいつぶり?ってレベルで安眠。そして目が覚めて大吾が隣に居て。……もちろん幸せMAX。可愛らしく微笑んで俺のこと呼ぶ声も愛おしい。チェックアウトが15時とゆっくりなはずなのに、結局ギリギリまで、ね。幸せな時間を過ごしちゃった。てへ。
ホテルを出てから、元から計画してた所には行けないねってなり、ふらっとショッピングモールに行って見て回ったり。俺が行きたかったお菓子屋さんに行って、一生懸命にお菓子選んでる姿を何枚…ん?何十枚も撮ってたり。時間までまったり、ゆったりと過ごせたんじゃないでしょうか。
夜は友達と泊まる大吾を駅まで送り届けて。手振る君を引き止めたくて仕方なかった気持ちを押し殺し��俺は帰った。寂しいなー……なんて思いながら帰って、酒飲も。って意気込んでたんだけどさ。大吾から連絡が来て、ちょっと訳ありで友達と泊まれなくなったと。そんなの一人に出来ないし、したくなかったからさ。気付いたら風呂上がりびしょ濡れのまま家飛び出してて君の所に向かってた。
正直、ちょっと不安だったり心配が大きかったけど、また逢えたって内心嬉しかったのは秘密。
その日予約してたホテルに一人で泊まる。なんて言うもんだから、…まあ俺もお邪魔しちゃった。ごめんね。離れたくなかったんだ。
用事も白紙になったって聞いて、じゃあ俺と居て欲しい。……なんてさ。今考えて見れば押し付けちゃったかなーって反省。予想外にまた一緒に泊まったけど、寝付くまで抱き締めててあげればよかったね。ごめんな。
ハプニングがあったその日の夜も、君とキスをして俺は素敵な夜になりました。甘えん坊な君が俺は大好きだと痛感したよ。
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泉に戻ることを望む者は、流れに抗して泳がなくてはならない
[東ドイツ ある家族の物語] P.265
しかし日本は、国を失ったことはないでしょう
[また、桜の国で]P.115
今、僕の国では、未だかつてないほどに、武士道や大和魂という言葉が使われているよ。でもね、覚えておくと良い。濫用される時は必ず、言葉は正しい使い方をされていない。
[また、桜の国で]P.482
誤解せんで欲しいが、資本主義が勝利するわけではないぞ。敵を見失った資本主義は、これまた果てしなくモラルを失っていく。どんな形で崩壊するのか、それとも再生できるのか。
[プラハの春 下]P.366
犠牲者を追悼する際、たとえ何百万単位で数えられたとしても、彼らは個人であり、集団ではないと覚えておかねばならない。どのような形であれ、殺された人々を集団として記憶しようとするのは死者を否定し、還元し、再び消滅させてしまう行為である。まさに犠牲者を殺害した人たちの思うつぼなのだ。さもなくば記念碑は忘却と否定の文化に取り込まれてしまう。私たちが忘れてしまうのは単純に忘れた方が楽だからであるが、不安や恐怖の時代にそれをしてしまっては無責任である。忘却は無知に自由な支配を許すことになる。つまるところ、心に留めておきたい歴史が何であるのか、あるいは過去を意図的に消そうとする理由は一体何か内省してみれば、私たち自身が何者であるのかが見えてこよう。
[ポスト・ヨーロッパ 共産主義後をどう生き抜くか]PP.214-215
あたしはずっと歴史を教えてきたけど、歴史上の出来事のどれひとつをとってもわたしたちが最後まで知っていることってありません。経験したどれをとっても。真実のすべてを......
[戦争は女の顔をしていない]P.46
僅か十日のあいだに、日本の国民はこれだけの大きな自由を奪い去られたのだ。
[風にそよぐ葦(上)]P.199
そしてこの動乱の時代には、すべての愛情が悲劇の原因になるのだ。裏切られなかった愛情がどこにあるだろう。悲劇をもたらさなかった愛情がどこにあるだろう。人間と人間のつながりが、兵役法だの徴用令だの動員規定だの、その他無数の法令によってばらばらに切りはなされ、愛情の幸福はその根底を失ってしまった。
[風にそよぐ葦(下)]PP.76-77
榕子は日の丸の旗が嫌いであった。それは残忍きわまる国家権力の象徴であった。ここ数年来、国家とは国民の不幸の象徴ではなかったかろうか。良人を奪い子を奪い富を奪い食を奪い、あらゆる生活の根底を破壊し去ったものはこの日の丸の旗であった。
[風にそよぐ葦(下)]P.93
道徳も義理も人情も、そういう美しいものはすべて生きるための邪魔ものであった。
[風にそよぐ葦(下)]P.198
国家が国民に要求する犠牲がその極限に達し、その極限を過ぎて、血をすすり肉を啖い尽してから、戦争指導者と重臣たちとはようやく降伏を決意した、それまでは決断がつかなかったのだ。
[風にそよぐ葦(下)]P.271
古今の歴史は、為政者たちの暴政や侵略者たちの暴虐による人間の悲劇を、幾つとなく記録しているが、どれほど凶暴な力に打ちたおされても、それが人間の本質的な姿を変えることはできなかった。ヒトラーやムッソリーニや東条が、あのなさけ容赦ない強制と圧迫とを加えてみても、ついに蹂躙することのできなかった(人間の最後の自由)というものがあるのだ。ソヴィエトの圧制者たちがあれほどの秘密警察と懲罰主義とをもって、幾度か血の粛清を行なって見ても、どうしても奪い去ることのできなかったスラヴ人の自由というものがあるのだ。全体主義者たちが最後につきあたるものは、この、人間が人間であるという真実であるに違いない。自分の思考をもち、自分の欲望をもち、自分の理想をいだき自分の幸福を求める、人間としてのその本質的な希望は、国際関係が緊迫してきた現代の社会ではほとんど許されなくなってしまった。しかし、最後に残るただ一つの自由は、拒否するという意志に於いて表現されるのではあるまいか。
[風にそよぐ葦(下)]PP.464-465
しかし、どんな時代が来ても、人間の心の奥底にある、孤独感というか、一人きりでは生きて行けない、誰かを愛し、誰かを信じないでは居られない、そういう本質的な弱さ、・・・弱さと言ってもいいだろうね。・・・そういうものの美しさを信じることはできるんだよ。
[風にそよぐ葦(下)]P.536
私は罰を受けている・・・でもどうして?もしかして、人を殺したから?時々そんなふうに思います。年をとると、昔より時間がたくさんあって・・・あれこれ考えてしまう。自分の十字架を背負って行くんです。毎朝、ひざまずいて、窓の外を眺める。みんなのことをお願いするの。すべてを。夫を恨んではいないわ。許しました。彼のために祈ります。責めません。私が女の子を産んだ時、彼はしげしげと眺めて、すこし一緒にいたんだけど、非難の言葉を残して出て行ったんです。「まともな女なら戦争なんか行かないさ。銃撃を覚えるだって?だからまともな赤ん坊を産めないんだ」私は彼のために祈るの。もしかして彼の言うとおりかもしれない。そう思うことにする......これは私の罪なんだって......私はこの世で何よりも祖国を愛していた。私は愛していたんです。誰にこんなことをいま話せます?自分の娘......あの子にだけ......私が戦争の思い出話をすると、あの子はおとぎ話を聞いているんだと思ってるんです。子供用のおとぎ話を。子供のおそろしいおとぎ話を。
[戦争は女の顔をしていない]P.369
スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して。
[戦争は女の顔をしていない]PP.430-431
だって、人間の命って、天の恵みなんだよ。偉大な恵さ。人間がどうにかできるようなものじゃないんだから......。
[戦争は女の顔をしていない]PP.480-481
「本当の親か、本当の子かなんてことはね、誰にもわかりゃしないんだよ」良太郎は仕事に戻りながら、いかにもやわらかに云った、「お互いにこれが自分のとうちゃんだ、これはおれの子だって、しんから底から思えばそれが本当の親子なのさ、もしもこんどまたそんなことを云う者がいたら、おまえたちのほうからきき返してごらんーーおまえはどうなんだって」
[季節のない街]P.276
「おてんとさまばっかり追いかけるなよ」
何のことなのか理解出来ず、私は父を見た。七十年生きてきて、ようやく判ったのだと父はつづけた。自分��、日の当たっているところを見て、いつも慌ててそこへ移った。けれども、辿り着くと、そこに日は当たっていず、暗い影になっている。また焦って走る。行き着いて、やれやれと思ったら、たちまち影に包まれる。振り返ったら、さっきまで自分のいた場所に日が当たっている。しまったとあと戻りしても同じことだ。
[血の騒ぎを聴け]P.23
私は深夜、寝つけなくて、無数の映像と無数の音楽について考えた。どのような映像の彼方にも見えないものがあり、いかなる音楽からも聴こえないものがある。それを立ちあがらせるのが言語ではないか。文学は、終わるどころか、これから真の力を発揮する時代に入る。そう確信して、夜明け近くまで起きていた。文学が負けるのではない。虚無や時代への迎合というらくな階段を昇り降りし、訳知り顔に民衆をなめる作家や編集者が負けるのだ。
[血の騒ぎを聴け]P.47
文学が、結局は、死と恋に集約されざるを得ないのは、その哀しみと、そこから得るものが、数学の試験のように、一プラス一イコールニとはならないからであり、いかなる言葉を尽くしても、自分の心を表現することができないからであり、「別れ」が、なぜか個々人の人間のグラスを、ほんの少し大きくしてくれるからである。
[血の騒ぎを聴け]PP.287-288
われわれが実際に建設しているのは、投機を行うための都市であって、人々が住むための都市ではない。
[反資本主義]P.107
人が受け取ることのできる他人のあり方などほんの断片であり、一個人の持つ複雑な内面の全てを推し量ることなど決してできない。
[歌われなかった海賊へ]PP.362-363
王や神は書く必要がない。その存在は自己自身のうちで絶対的に充実しており、他者との関係を必要としない。王は書くことなく語る主体であって、自分の声をただ書きとらせるだけなのだ。
[デリダ]P.73
「一者」への結集は、「他の他者たち」に対してのみならず、「自己における他者たち」に対しても「暴力」となる。
[デリダ]P.293
そういう生まれつきの能を持ってる人間でも、自分ひとりだけじゃあなんにもできやしない、能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない幾十人という人間が、眼に見えない力をかしているんだよ。
[さぶ]P.291
この世から背徳や罪悪を無くすことはできないかもしれない。しかし、それらの大部分が貧困と無智からきているとすれば、少なくとも貧困と無智を克服するような努力がはらわれなければならない筈だ。(略)「世の中は絶えず動いている、農、工、商、学問、すべてが休みなく、前へ前へと進んでいる、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない、ーだが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ、いま富栄えている者よりも、貧困な無智のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来に希望が持てるように思えるのだ」
[赤ひげ診療所] P.178
見た眼に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
[赤ひげ診療所]P.298
「……そういう人たちと別れ、戦地から戻って日銀に復職したら、なんだか妙にシャクにさわってむかむかしてきたんだな。わが身が大事のエリートが威張りくさって、トラックでわたしが一緒に働いたような、学歴のない人たちが、ここでもやっぱり下っ端として馬鹿にされて理不尽な目にあっている。こりゃなんだ、戦争は終わったのに、何も変わっていないじゃないか、と」「わたしはトラック島で部下だった工員たちに救われていた部分がずいぶんあった。そんなかれらが価値のないものとして否定されて、軍人より先に死んでいかなきゃいけないのが戦争だった。同じことが、まさにわが職場で行われているとわたしの目には映った。こりゃあ黙って見過ごしちゃいかん、と思ったんだな。大げさに聞こえるかもしれないが、それはわたしなりの、死者への責任でもあったんだ」
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]PP.60-61
彼らにとっての祈りとは、死者を自分の裡に住まわせてこの世を生きる、その生き方そのものではないかと思った。→デリダの幽霊
[昭和二十年夏、僕は兵士だった]P.121
われわれの歴史だって、いつか、誰かによって演じられたものなのかもしれない。そしてわれわれは、その時と同じような敗北に向かって、同じような手で、コマを進めているのかもしれない。このベラミとそっくりのきちんとしておとなしい男が、かつては、象牙海岸で黒人狩りをおこない、ハイチやルイジアナへ船で運び、その途中、船倉でくたばるものはくたばるにまかせていたこともあり得る。そのベラミには、当時なんの悪気もなかったのである。いつの時代でも、ベラミには悪気はなかった。だから、始末にこまるのである。
[山椒魚戦争] PP.242-243
市民であることとは、市民をケアすることでもあり、民主主義そのものをケアすることである。
[ケアリング・デモクラシー] P.ⅻ
「巡礼だ、巡礼だ」暗い土堤を家のほうへ歩きながら、私は昂奮をしずめるために、声にだして呟いた、「苦しみつつはたらけ」それはそのころ私の絶望や失意を救ってくれた唯一の本、ストリンドベリイの「青巻」に書かれている章句の一であった、「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
[青べか物語] -留さんと女 P.317
私は若くて阿保だったから女の絶望や不幸が情事と悦楽にひりひりした辛味をそえてくれ���気配だけをむさぼっていた。甘さは苦みと手を携えて進んでいかなければ完成されないが、そうと知るにはおびただしい自身を殺さねばなるまい。当時の私は自身を殺さないでおいて、貪慾だけに没頭していたのだ。
[夏の闇] P.58
私は自身すら愛していないのかもしれない。女のいうとおりだ。自己愛をとおして女を愛することもできないのだ。私は自身におびえ、ひしがれていて、何かを構築するよりは捨てることで自身に憑かれている。
[夏の闇] P.207
東は暗くて広く、西は明るくて広かった。けれど、止まったり、かけぬけたり、おりていく背も見ず、乗ってくる顔も見ず、暗いのが明るくなり、明るいのが暗くなるのを、固い板にもたれて凝視していると、東も、西も、けじめがつかなくなった。あちらも、こちらも、わからなくなった。走っているのか、止まっているのかも、わからなくなった。明日の朝、十時だ。
[夏の闇] P.
一〇〇メートルか一五〇メートルくらいのものである。たったそれだけ離れるともう人は夜店の空気銃におとされる人形と同じに見えてくる。渇望がびくぴくうごいた。面白半分で私は人を殺し、そのあと銃をおいて、何のやましさもおぼえずに昼寝ができそうだった。たった一〇〇メートル離れただけでビールの缶でもあけるように私は引金がひけそうだ。それは人殺しではない。それはぜったい罪ではなく、罰ももうけない。とつぜん確信があっあ。かなたの人物もまた私に向かっておなじ心をうごかしているにちがいない。この道具は虚弱だ。殺人罪すら犯せぬ。
[輝ける闇] P.50
使命は時間がたつと解釈が変わってしまう。だけど匂いは変わりませんよ。汗の匂いは汗の匂いだし、パパイヤの匂いはパパイヤの匂いだ。あれはあまり匂いませんけどね。匂いは消えないし、変わらない。そういう匂いがある。消えないような匂いを書きたいんです。使命も匂いをたてますからね。
[輝ける闇] PP.108-109
南でも北でも人びとは政治された。或る哲学者の悲痛な饒舌に私は従いたい。人びとは資格も知識も徳もない輩によって、きびしく監視され、検査され、スパイされ、指揮され、法律をつくられ、規制され、枠にはめられ、教育され、説教され、吟味され、評価され、判定され、難詰され、断罪された。
[輝ける闇] PP.140〜141
青年はやせこけて、首が細く、とまどったようにうなだれて口をとがらしていた。シャツがよごれたズボンのうえにはみだし、はだしの足が土によごれていた。誰かが叫んだ。一〇人の憲兵の一〇挺のカービン銃が、一人の子供を射った。子供は膝を崩した。胸、腹、腿、にいくつもの小さな、黒い穴があいた。それぞれの穴からゆっくりと鮮血が流れだし、細い糸のような川となって腿を浸し、舗石へし���たった。少年はうなだれたまま声なく首を右に、左に、ゆっくりとふった。将校が近づいて回転式拳銃をぬき、こめかみに一発射ちこんだ。血が右のこめかみからほとばしった。少年は崩れおち、柱から縄で吊され、うごかなくなった。頬と首が真紅の血に浸り、血は長い糸をひいて鼻から頭から錘のように舗石へ堕ちていった。記者やカメラ・マンたちが靴音をたてて走り、棺のまわりに群れて閃光をとばしあった。
[輝ける闇] P.181
わしらはキリスト教国の人間なのに汝の敵を愛せよという言葉を忘れてしもうた。それもはずかしいのじゃ。国の連中も毎日の生活にいそがしゅうてな。税金が上がったり、物価が上がったり、徴兵カードが来たときだけ本気になる。自分に関係ないことは誰も、何も、気にしよらんのだ、いまはそういう時代じゃ。恥を知らん時代じゃ
[輝ける闇] P.216
飛行場には飛行機が一台もなくて滑走路に芋畑をつくり、その芋からアルコールをとって飛行機をとばすのだと将校たちは中学生に真摯、激烈な演説をした。私は仲間といっしょに腹をかかえて笑いころげたが、その愚劣と一日も早く玉砕したいという憧れとは矛盾しなかった。むしろ愚劣を知れば知るだけそれは昂進していくようですらあった。
[輝ける闇] P.231
けれどわかったのは殺されたくなければ殺せということだけだった。 → 戦争の論理(フーコー)
[輝ける闇] P.281
人と人のあいだの最も人間らしい関係は静けさなのだということも知った。
[わたしは英国王に給仕した] P.190
この意味で、他者に対する暴力とは自分自身に対する暴力であって、このことが明らかになるのは、暴力とは私たちの社会的世界である、あるいはそうであるべき生者の相互依存を攻撃するものだ、と私たちが認識するときなのである。
[非暴力の力](ジュディス・バトラー)P.33
他方で、哀悼可能性の基準は、移民の諸人口はそもそも哀悼可能ではない、という仕方でこれらの決定へと組み込まれている。私たちは、哀悼され得ない人々を失うことはできない。彼らは喪失を超えたもの、既に失われたもの、決して生きたことのないもの、決して生きる資格を与えられたことのないものとして扱われているのだ。
[非暴力の力] P.128
世界は分断されている。「知らない」とか、「関係ない」とか、「敵だから」とか、いろんな認識での壁で分断されている。この関係の断絶は、ぼくらの倫理性を麻痺させる。人を殺すことだって、人が殺されているのを無視することだって、できてしまう。だからこそ、他者に向き合い、その姿にみすがらを映しながら、いろんな「つながり」を回復する必要がある。
[うしろめたさの人類学] P.20
ぼくらの手で変えられる社会のありさまに目を向ける。世の中を動かす「権力」や「構造」、「制度」といったものは、とても強大で強力だけれども、まずはそのすべてをその「せい」にすることをやめてみる。(中略)社会の現実は、ぼくらが日々、いろんな人と関わり合うなかでつくりだしている。あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、なにを投げかけ、受けとめるのか。そこに「わたし」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。
[うしろめたさの人類学] PP.77,83-84
社会の格差を是正したり、公平さを回復したりすることは国の仕事だとされる。個人や企業は市場で稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。世の中はこうしてできあがっている。だから自分には直接関係ない、と。この「あたりまえ」の市場と国家の境界の線の引き方が、公平さをつくりだす「わたし」の役割をみえなくしている。
[うしろめたさの人類学] P.178
ファシズムをうけ入れたものはすべての人の心の襞にひそむ感情である。中心的な持続的な人格が崩壊して瞬間だけがあり、本能の親和力を蔑んで、不浸透性への野望だけに窒息する衝動である。自己を他者から切り離し、省察と内面凝視に赴いて帰らず、その不毛を知ってついに自分を他者から見られるままの存在としてしか機能を意識できなくなる。(中略)この人間の原子化の時代にある私たちの不断の日常の感覚である。(中略)この時期の世界ほど、人間が過去に対するときほど、現在と未来に対して賢くなり得ない原則をさらけだしたものはほかにない。日本についてはいうまでもないことだ。
[過去と未来の国々] PP.228-229
心に感じる苦しみやつらさは人間が人間として正常な状態にないことから生じて、そのことを僕達に知らせてくれるものだ。そして、僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来どういうものであるべきかということを、しっかりと心に捕えることが出来る。
[君たちはどう生きるか] P.252
満員列車がやがて平野の夏のかなたからやってきた。車内の人ひどはみんな日本の無条件降伏を知っているようであったが、怒号する人もなく、嗚咽にむせぶ人もなかった。疎外荷物や、魚の罐や、イモの風呂敷包みや、バケツ、七輪、ふとん、リックサックなどのなかで人びとはおしひしがれ、体を折ったり、曲げたりして、ときどき吐息をついたりしながら窓から射しこむはげしい日光に煮られておとなしく苦しんでいるだけであった。
ただ人びとは汗ばんで苦しんでいた。ただ"夏"だけがあった。
ナンナン、ナンナン南京さん 南京さんの言葉は南京言葉
かけっぱなしにしてあったラジオがとつぜんうたいはじめた。 明るく、朗らかで、清潔な、少女たちの合唱であった。
ふと母が怪訝そうに顔をあげた。 「ええのんかいな、こんな歌うとて」 彼女は困惑したようにつぶやいた。 「戦争に負けたのに支那人のことかろこうて、こんな歌うとて、ええのんかいな。南京さんやなんて…」
ラジオは明るく、朗らかに、清潔に中国を侮辱しつづけた。
[青い月曜日] PP.174-177
ーわしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひらいてわしは旅する。(中略)知者は行動を考えることによって生きるのでもなく、行動をおえた時考えるのだろうことを考えることによって生きるものでもなく、行動そのものによって生きるのだ
[気流の鳴る音] P.34
日本社会にはどうやら大きな変化があったらしかった。怜悧で、確実で、逸脱を知らない、時計のように平安で冷酷なものが主役として登場したのだ。まだ焼跡はいたるところにあった。しかしいたるところに家やビルが建ちはじめていた。商人たちは戸外で叫ばなくなった。闇市は市場となった。物や食品はいくらでもあふれ、人びとははそれを並べることよりは飾ることに心を砕いていた。新聞や雑誌に登場する知識人たちの声はたちあがるまえにすわることを考える姿勢を匂わせた。
[青い月曜日] P.412
〈外の世界〉から来たものや帰ってきたものが、その内面の世界を共有することなしにたんに外面からながめられるとき、それはこの世界の秩序へのたんなるスキャンダルとして、すなわち欠如や違和として存在する。いいかえれば痴者、あるいは狂者として対他存在する。
[気流の鳴る音] P.77
今日の世界状況のなかでは知識人に残された選択の道は、三通りあるように思われます。それは共犯か臆病か拷問です。もしかしたら、第四の道が残っているかもしれません。自分の精神的規範を裏切らないこと。いかなる状況の下でも、いかなる抑圧にも自分のなかにある絶対的な明確な視野をもった精神を否定しないこと。このなかに、唯一、精神のかけがえのない自由と高貴さがあります。
[カレル・チャペックの警告] PP.67-68
私たちに代わって行動し決定する全権をその一枚の投票権で与えるというのは、そう些細なことではありません。もし人物によって決定しようとするのだったら、単に言葉によってではなく、誰が何をしたかによってもその人物を考えてもらいたい。政治を耳だけで判断しないこと。
[カレル・チャペックの警告] PP.101-102
行動の「意味」がその行動の結果へと外化してたてられるとき、それは行動そのものを意味深いものとするための媒介として把握され、意味��ふたたび行動に内化するのでないかぎり、行動それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。生きることの「意味」がその何らかの「成果」へと外化してたてられるとき、この生活の「目標」は生そのものを豊饒化するための媒介として把握され、意味がふたたび生きることに内在化するのでないかぎり、生それ自体はその意味を疎外された空虚なものとなる。
[気流の鳴る音] P.151
いっさいの価値が空しくなったとき、かえって鮮烈によみがえってくる価値というものがある。
[気流の鳴る音]P.210
恐ろしいのは、このような集団的残虐行為を見てもほとんど苦痛も軽蔑も感じなくなる、それどころか、そのうち今日の全世界の状況をみても恐怖も反感も感じなくなくなるのではないかということである。(中略)犯罪は犯罪であり、常に犯罪として宣告され、また未来においても宣告されるだろうことが、執拗に繰り返されなければならない。(中略)無関心な沈黙は悪しき行為である。それは悪逆非道な行為にたいする共犯である。だから、私たちは人類社会の大きな連帯から離反せずに、せめてこの共犯だけは犯さないように、精一杯、心を引き締めていよう。
[カレル・チャペックの警告]PP.140-141(1938)
あなたはいったい今日、今、この瞬間を生きていて?
[クリスタ・Tの追想] P.129
はるみの心中事件に於て、彼が烈しく憎み、それと対立したのは、妻のはるみでもなければ、如月雅彦でもなかった。それはこの事件に対する世間の眼であった。自分以外の人々の眼であった。あの日の、潮岬の、そこだけが小さい波の立ち騒いでいた一区域の海面の情景を見たことも、考えたこともない人々の眼であった。親も、兄弟も、友人も全部含めた自分以外のあらゆる人人の眼であった。それらの無数の眼が形成している、真実とは無縁で、そのくせそれを押し包み流してしまう傲岸などす黒い大きい流れであった。
[黯い潮]P.343
職業の偉大さは、もしかすると、まず第一に、それが人と人とを親和させる点にあるかもしれない。真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。物質上の財宝だけを追うて働くことは、われとわが牢獄を築くことになる。人はそこへ孤独の自分を閉じこめる結果になる、生きるに値する何ものをも購うことのできない灰の銭をいだいて。
[人間の土地]P.46
敗戦当夜、食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし、夕食をととのえない女性がいただろうか。他の日とおなじく、女性は、食事をととのえた。この無言の姿勢の中に、平和運動の根がある。
[身ぶりとしての抵抗]P.12
アナキズムが人間の習慣の中になかばうもれている思想として特色をもつものだとすれば、思想としてのアナキズムが静かな仮死状態でもなく激発して別のものに転化するのでもなく、生きつづけてゆくためには、それを支えるかくれた部分が大切だということだ。そのかくれた部分は、個人のパースナリティーであり、集団の人間関係であり、無意識の習慣をふくめての社会の伝統である。(略)結局は能率的な軍隊の形式にゆきつくような近代化に対抗するためには、その近代化から派生した人道主義的な抽象観念をもって対抗するのでは足りない。国家のになう近代に全体として向き合うような別の場所にたつことが、持久力ある抵抗のために必要である。
[身ぶりとしての抵抗]PP.19-20/29
言葉が人を動かすとき、その言葉は水源に痕跡をのこさない。
[身ぶりとしての抵抗]P.88
人口は、統治=政府を前にして自分たちが望んでいることについて意識しているが、同時に、ひとからするようにさせられていることについては無意識なのです
「フーコー・コレクション6 生政治・統治」 P.267
知識をもち、状況についての見通しをもつ人が、かならずしも状況打開のために行動をおこすものでないことを、まず確認したい。(中略)知識と感覚と行動とをつなぐ回路をどのようにして自分の中に設計できるか。そういう回路の見とり図をかくことだけでなく、実行の方向にふみだすことが大切だ。知識と感覚・行動が絶縁している場合、人は、大極的に見て権力者のいうなりにあやつられる。
「身ぶりとしての抵抗」 PP.184-185
人間の本然は、はてしてどこに宿っているのだろうか?本然というものは、立証されるものではない。もしオレンジの木が、この土地で、そして他の土地ではなしに、丈夫な根を張り、多くの実を結ぶとしたら、この土地が、オレンジの本然なのだ。もしこの宗教が、この修練が、この価値の標準が、この活動形態が、そしてそれのみが、人間に、あの充実感を与え、彼の心の中に知られずにいた王者を解放するに役立つとしたら、それはこの価値の標準が、この修練が、この生活形態が、人間の本然だからだ。(中略)本然というものは、けっして自己を証拠立てるものではなくて、物事を単純化するためのものなのだ。(中略)つまり、ぼくらは解放されたいのだ。つるはしをひと打ち打ちこむ者は、自分のそのつるはしのひと打ちに、一つの意味があることを知りたく願う。しかも徒刑囚を侮辱する徒刑囚のつるはしのひと打ちは、探検者を偉大ならしむる探検者のつるはしひと打ちとは、全然別ものだ。つるはしの打ちこまれる所に、必ずしも徒刑場が存在するわけではない。行為の中に醜さがあるのではない。それを打ちこむ者を、人間の協同体に結びつけもしなければ、また意味をなさないつるはしが打ちこまれる所にこそ、徒刑場は存在するのだ。しかもぼくらは、そのような徒刑場からのがれたい念願の者だ。現在、ヨーロッパには、二億の意味をもたない人間が更生しようと待望している。工業が、彼らを、農民としての伝統から引き離し、黒い貨車の列が混雑している集散駅のような、これら巨大なユダヤ人居留地の中へしめこんでしまった。労働者街の奥で、彼らは、目ざめを待っている。他のある人たちは、先駆者のよろこびも、宗教者のよろこびも、学者としてのよろこびも、すべて禁じられたあらゆる職業の歯車に巻きこまれている。人は信じたものだった、彼らを偉大ならしむるには、ただ彼らに服を着せ、食を与え、彼らの欲求のすべてを満足させるだけで足りると。こうして人は、いつとはなしに、彼らのうちに、クルトリーヌふうな小市民を、村の政治家を、内生活のゼロな技術者を、作ってしまった。人は彼らに教育は与えるが、修養は与えない、教養の意味を、もっぱら公式を鵜呑みにすることだと信ずるような厄介な意見が行われることになる。技術学校の劣等生でも、自然やそこに行われる法則についてなら、デカルトや、パスカル以上のことを知っている。だがはたして、彼に、あの二人と同じほどの精神力があるだろうか?
「人間の土地」(サン=テグジュペリ)
実行力の伴わない知識、社会的に個人の能力を高めざる知識、これらのただ知ることで終る知識は恒に必ず人間をスポイルするだけだ
「寝ぼけ署長」 P.242
ひとは、外と内との二者択一を脱して、境界に立つべきなのだ。批判とは、まさしく限界の分析であり、限界についての反省なのだ。
「フーコー・コレクション6 生政治・統治」P.385
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「ペット」にまつわる驚愕の秘密を大公開!
### ペットに関する楽しくて元気なトリビア集 ペットは私たちの生活に彩りを添え、無限の楽しさを提供してくれる存在です。そんなペットに関する面白い雑学をたっぷりご紹介します。さあ、驚きと楽しさに溢れたペットの世界を覗いてみましょう! 1. **犬の嗅覚は人間の約40倍!** 犬は驚くほどの嗅覚を持ち、私たち人間の約40倍の嗅覚能力があります。これを活かして、警察犬や救助犬が活躍しています。彼らは人間では感知できない匂いを追いかけて、大切な役割を果たしています。 2. **猫は24時間のうち、約16時間を睡眠に費やす** 猫はプロの寝坊助! 一日のほとんどを寝て過ごし、必要に応じて短い時間でエネルギーを充電します。これが彼らの狩猟本能と関係しているのかもしれません。 3.…
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遥の日 20241024.
連日やらなければいけないことが多すぎて腹立たしい。今日はオフなのだが、夜は授業だ。完全なオフはもう存在しないので自分が決めた時間がオフになる。今日は昼から「地面師たち」の続きを少し見て、だらだら過ごした。授業までには時間があるが、来年度の仕事のための履歴書作成と週末の研究会の準備、明日の授業の準備と山積みだ。明日は義母になる人とも初めて会うことになっている。入籍日が近づいている。今は不吉な話も聞きたくないし、感情的���リソースを他者(何かにつけて不確定な要素を多分に持ち合わせる存在)のためにあまり割きたくない。考えることをこれ以上増やすのも無理。今月頭に大学が始まった時点でもうそれくらいの���ャパになっていたけど、いよいよ無理だなと昨日寝る前に思った。相手のなかに、「信用に欠ける」と判断できる要素を発見するたびに、自分の心の温度も冷めていくのがよくわかる。冷静とはそういう状態のことを言う。優しさとは限定性のなかでこそその本質を発揮するものだ。これでいい、と割り切って生きていくしかない。無理だから。
先日、某P国から帰国したばかりの親友がうちに泊まりにきた。会ってちゃんと話せるような時間はわずかだったものの、楽しかった。お互いの婚姻届の証人欄に自分の名前を書き合った(友達は新しい苗字で初めて署名してくれた)。親友は贈り物までちゃんと準備してくれていて、手紙まで付いていた(私も彼氏も完全に手ぶらではずかしかった)。友情というものも、一個人の精神性と同様に、ある種の「悟り」にむかっているとは私の懇意にしているお坊さんの教えであるが、それを改めて痛感した所存。大学に入学して、第2外国語の授業でたまたま彼女に出会ったわけだが、そのあと私が自分の所属しているサークルに彼女を勧誘して、留学から帰ってきてからは一緒に住むことにもなった。私は自分の口の軽さがもたらす災いを少しでも減らすために、口の堅い彼女を信じて、彼女にだけすべてを話すことで発散するようにしていた。秘密を守りきれない責任感のなさも許してくれたことが嬉しかった。私が他人に「やさしい」言葉をかけれるようになったのも彼女のおかげである。お腹が痛くてバイト休みますと連絡してきた後輩に対する、第一声「大丈夫?」は彼女から学んだ知恵だった。そういう言葉の使い方も知らなかった私が、社会に溶け込めるようになったのは冗談抜きで彼女が身近にいてくれたからだと思う。考えてみると本当にいろんなことがあったが、一生のご縁だと思うと感慨深くなる、そんな瞬間だった。結婚おめでとう。ここで書いたところで届かないとは思うが。お互い良い相手が見つかってよかった。神に感謝。
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#寝かし付けのプロ。俺専属の寝かし付けの人です!!
いやあ、あの。昨日の事は忘れてください。まーーーじ恥ずかしい!!!寝る前なんて、誰にも見られてなかったのに……!!悔しい。けど、安心させるの上手いのが悪いよネ。まんまと、寝付きました。ええ、フジ工房です。しっかりね、寝坊しました。アッ、これは俺のせい��す。翔太くん、お初でしたネ。ほんとにお初?ってぐらい、話弾んだわあ。なんか、ほんと普段言えないよーな事をポロポロ言っちゃったよね。惚気…なんて、しちゃってサ。やべえわ!聞き出すの、うめえわ!!!!秘密のお話、沢山したネ。俺の事ほぼ全部知っちゃってさあ??初回から7時間近く話しちゃってさあ??俺も寝落ちしちゃってさあ???やーなこった!!モテ男の、安眠通話堪んねー!!お金、払います。マジ、気持ち良く寝れた。…なんか、ここだけ聞くとねえ……??ちょっと、危ない関係みたいな、そんな事ないですもんねえ?ただの、俺の旦那さんなだけなんで。任せてください。スプラやろ!だったのに、スプラしたの三十分くらいなのほんとおもろい。ほぼ話してたね。なんだろうなあ、無言があっても落ち着く。になる人でした。あの、昨日も何度も言いましたけど初通話ですよネ???前世では家族かなんかだったんですか???話してて思ったのは、やっぱ俺が審査しなきゃだなあ。と。翔太くんの子と狙ってる子は、俺がチェックします。審査員の目を通ってから、告白してくださーい。なんたって、俺ナンバー2なんで。ハイ、通してください。んでさ、お互い可愛いって言われ慣れてないけど言うタイプの人間じゃナイッスカァ??だから、どもってんのおもろかったよね。「 フジくんかわいー。」 『 えっ、ちょ、もう!何言ってるんですかあ!ガーッ、惚れた……!』 なんて言う、アホみたいな会話にも乗ってくれちゃうの、好きです。お互いの話す価値観が合致したからさ、もうメンヘラ並みに追いメするんで。任せて下さい。『 ねえ、どこにいるの?誰といるの?浮気?浮気なんでショ!!……結婚したのか、俺以外の奴と…。』 って、言うからネ。忙しい期間抜けたみたいで、またこれから沢山話せるって思ったら嬉しくて仕方ないよ。翔太くんと俺のペースで、仲良くなってこーね。まあもう仲良しだけどネ!?!はー、二日連続翔太くんを独占出来るとか……幸せか???まあ、今もうめちゃ眠いんだけどネ!!ヤバいね!?大丈夫かなァ!?!いびきとかかいてなかった!?かいてたよね!?!ねー!!ヤダヤダ!!!
【 翔太くんの恋愛話の時の俺。】
「 て、感じなんだよね。」
『 はあ?潰す?潰すべ。いや、うわ。無いわ。マジ無理。』
「 ねえ、笑う。変な所はいる。」
『 翔太くん傷つける奴は許せないっすわ、殺っていい?』
『 今後あったら言ってください。自分殺れます。』
「 そうだね、フジくん��審査してもらわなくちゃね。」
「 なんか審査って面接みたいだね??」
『 そうねえ、…俺が面接しに行ってもいいですか??』
#本当に初通話ですか??
#沼男×酒カスたらしの貴重な対決。
#圧倒的に、俺が負けてます。
#幸せな恋愛しましょう、四年後までに。
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「虚無への供物」中井英夫 2251
第二章
25皺だらけの眼01
亜利夫や八田皓吉は、再三、警察に呼ばれたみたいですが、結局、単純な過失死として処理したようです。 まあ、完璧とも言えるような密室ですからね。 昭和三十年に「ドミニカ糖事件」の周某がガス中毒で変死している。 ガスが犯罪に利用されることはまれだというのが捜査常識であったとあります。 ここにも書かれているように、ガス禍が起こり始めたのは翌三十一年からで、 ジャーナリズムも中毒死に敏感になり紙面の扱いも派手になったとあります。 周某が変死したのも、実際には、昭和三十一年のことですから、 今回のこの橙二郎の死に対して、その影響があったかどうかは分かりませんね。
亜利夫は、必死に頭を絞ったがわからなかった。が、奇妙な異次元のワンダランドを通り抜けたら“再会”するみたいです。 ちまり、犯罪だということなんでしょう。 どうなるのか、楽しみですね。
氷沼家には片付けなければならない問題が山積しているとあります。 その一つが、緑司の後始末です。それに関係しているのは、内縁の妻の圭子、病院長、それに吉村夫妻です。 院長というのは、小肥りの血色のいい顔つやで、やたら大袈裟に手を振り回して話をする癖のある型通りちょび髭を生やした町医者タイプ。 吉村という男は、薄あばたの顔に色眼鏡をかけ香具師風な柄のわるいところもあるが、女房ともどもひどく律儀な気質らしい。 圭子は、色白の肌がひどく荒れて眼の下に透き通るような青い隈(くま)の浮かんでいるのが自堕落な印象であるそうです。
藤木田老人の推理では、緑司は圭子が帝王切開のあげくに死んでしまい、予期して入院させておいた吉村の女房の子供を多額の金で緑司に仕立て上げ、 その秘密を紅司に気づかれたために鴻巣玄次をそそのかして殺したのだという話でした。 しかも、圭子は、郷里の四国に緑司と暮らしたいと言っているのです。 だから、実際には、見当違いだったようだとまとめています。
まあ、これは調べればすぐわかることでしょうから、余り突っ込まなくてもいい話なんでしょう。
その後、緑司の病気について触れられていますが、これは、神秘的な感じを与えたかったのかもしれませんが、滑稽さを与えるだけで完全に失敗だと思います。 それとも、これが何かの伏線にでもなるのでしょうか?
ちなみに、緑司さんの眼は夜になると猫みたいに光りだすらしいです。 例えとして『ミドウィッチ・カックー』の少年さながらといってますね。 ジョン・ウィンダム原作のSF小説「呪われた村」を映画化したSFホラー映画「未知空間の恐怖/光る眼」のことでしょう。 日本での公開は、1961年ですから、この部分は、作者の意見ってことなんでしょう。
で、 膠腫(こうしゅ)という病気で、目玉が固くなってエンド��豆みたいに緑色の皺だらけの粒になるっていてます。 実際、視神経膠腫という病気があって、小児に多いようです。 緑色の細胞が優位に増殖し、緑色の細胞が脳腫瘍を形成するみたいです。 まあ、目玉がエンドウ豆みたいに緑色の皺だらけの粒になるっていうのは、大げさに言ったんでしょう。
蒼司は、緑司をだしにしてエメラルドを取り込もうなどとは考えていなかったと橙二郎を擁護します。 むしろ、医者である自分が紫司郎兄さんの色彩の研究を引き継いではどうだろうか? 薬草のことしか知らないけれども植物の知識は多少有るから、それが疎遠だった兄貴への供養だと思うとです。 しかも、緑司と言う名前にしてはどうかと言ったのは、蒼司だというのです。
それで、橙二郎は、緑司が生まれることが、氷沼家を再興できるかできると思いこむようになり、 万一の場合は、赤ん坊を取り換えてでも僕の前にだけはめでたく緑司が生まれたように取り繕ろおうと思っていたようです。
それを吉村がすっかり打ち明けて相談に来て、承知していたんですが、 それほどまで氷沼家のことを考えてくれるならと思って黙っていたのだそうです。
藤木田老人は、橙二郎の話には懐疑的ですが、 さらに、蒼司は氷沼家にはエメラルドもダイヤもルビーも無いといいます。 だから、橙二郎がどうやってもエメラルドを手入れることはできないと。 蒼司が、橙二郎をかばっているように感じますが、この話は、本当なんでしょうか? それにしても、氷沼家には宝石が無いということは、それが理由で事件が起きることもないということですね。
橙二郎は、妙な星占いに凝っていて西洋にあるやつに中国の運命学をまぜたような特殊なもので、 緑司の主星(ロード)はペガサス座のなんとかで、つねに紅司の星に左右されている。 ただ、藍ちゃんの星が強くてそばにいれば大丈夫だと信じているようだと。
で、紅司の死んだ晩は緑司にとっての最悪日で天中殺、フランス語で“虚無”とおなじ“ネアン”というんだそうですが、 夜の十時半だかにどうしても藍ちゃんにそばにいて貰わなければ赤ん坊が危ないという気持ちで大声で呼び立てたというんです。
天中殺とは、算命学という中国で生まれた占術の用語で、エネルギーが停滞する時期のことだそうです。
確かに、紅司の死んだ晩、橙二郎は藍ちゃんを呼び立てていますね。 取ってつけたような理由ですけどこのせいだったのでしょうか? とにかく、橙二郎を犯人呼ばわりするのだけはやめてくれと、蒼司がいいます。
亜利夫は、紅司と橙二郎の死は全く見かけ通りの病死と過失死に過ぎないのかと考えますが、 これはどうなんでしょう。 だとすると、この小説は何か?ってことになります。
結局、緑司は吉村夫妻が予定通り引き取って四国へ連れ帰り、圭子とは相応の金で別れ話がつきます。 名探偵藤木田老人も長い間陣取っていたホテルを引き払って新潟へ帰っていきました。 “アラビク”での推理比べでは一番���相に近かった。 まもなく本物のセイタカ童子やら不動明王やらに会うことなるが、何もかも知っておったと伝えてくれ。 という、この藤木田老人が残した言葉が気になりますね、
場面変わって、 一週間ほど経って、やっと熱も引いたからという催促で久生のところに、亜利夫と藍ちゃんがきています。 事件後何回か概略の報告だけはしておいた亜利夫だが、 久生は、やっぱりガスでの殺人が起きたと妙に納得しています。 橙二郎さんが絶対にストーブを付けっぱなしで寝たりはしなかったという証明をする必要が有るといいます。
で、藍ちゃんが言っていた書斎にあるはずはないものとはなにかと問います。 藍ちゃんは、それは、凶器だと答えますね。
凶器といえばガスですか?
つづく
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ヤナホド習作小話:あの頃からずっと
※ヤーナ(魔術によるご都合ふたなり化)×ホドリック小話ですが、作中ホドリックさんがヤーナさんに挿入する場面がございます一応ご注意を。
ユニコーンオーバーロード、ヤーナさん加入時の「ホドリック坊や」呼びがぶっ刺さった結果の妄想の産物。 ホドリックさんが幼い頃ヤーナさんに色々されてたらって妄想です。 妄想爆発してしまったのでまずは昇華昇華。 ゲームはヤーナさん加入してサブをこなしてる段階+親密度会話①を聞いただけで、本編全然すすめてないので、今後目も当てられなくなる可能性があります…。 ただ、今書けるものを書いておきたかったので投稿します。
2024年4月25日
以下↓小話です
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「ホドリック殿、今夜の夜警は我等が担当しますので、お休み下さい」 「ああ、ありがとう」 ホドリックは守備兵として駐屯している街に用意された部屋に入ると槍と盾を壁に立てかけ、鎧を外していく。 インナー姿になった時背後から急に声を掛けられた。 「随分と逞しくなったものじゃないか」 「や、ヤーナ様!? いつの間に」 驚いたホドリックが振り返ると、そこには魔術師のヤーナがにっこりと笑って佇んでいた。 部屋のドアの鍵は閉めたはず、とホドリックが考えているとヤーナが小さく笑う。 「魔術でちょっと、ね? ふふん…あのホドリック坊やが、随分立派になったもんだ」 上下インナー姿のホドリックの全身をじっくり眺めてから、ヤーナが帽子とマントを外し近くにあった机に放ると、ホドリックへにじり寄る。 思わずホドリックが後退りして距離を取るが、気づけはベッドまで追い詰められそれ以上距離を開けられなくなる。 「な、何か急用でもありましたか?」 努めて平常を装うが、露出の多いヤーナへ視線を向けていることが憚られ、目が泳いでしまう。 「あんたに会いに来たのさ」 「やめてください。目のやり場に困ります…」 眼の前に迫るヤーナの体からホドリックが目をそらす。 「そうだね、ここもこんなにしてるし?」 「ヤーナ様!!戯れが過ぎます!」 身体に密着したインナーは、股間の膨らみが嫌でもわかってしまう。 それに細い指を這わせながらヤーナがホドリックに体を押し付けた。 「筆下ろししてやったのが懐かしいねぇ。 童貞も、処女も、あの時貰い受けたのがついこの間のようだよ」 「や、やーな、さま…っ」 胸を密着させて顔を近づけて話すヤーナにホドリックはされるがままだった。 大きな体を縮めて抵抗するでもなく、ぎゅっと目を瞑っている。 「大きくなっても坊やのままだね。体だけ大きくなったのかい?」 「そんな……ん…」 ヤーナの手がホドリックの頬に添えられ軽く唇を重ねると、ホドリックの頭を引き寄せて額を合わせる。 「あれから随分経つね。 あたし以外にこの身体を開いたりしたのかい?」 「っ!?…その…」 「……怒りゃしないよ。そんな立場でもないしね」 言い難そうなホドリックにヤーナが促すと、深呼吸をしてからホドリックが口を開いた。 「お聞きになったと思いますが…私は10年もの間、支配の術で操られ、ゼノイラ帝国の騎士として働いていました…その間の記憶が無く…」 「それで?」 「使われていた、様なのですが、覚えていなくて…」 「なっ!?」 どんっという音がし、ヤーナがホドリックをベッドへうつ伏せに押し倒した。 「見せて、今すぐ」 ベッドへ四つん這いにさせて尻を自分に向けさせると、下半身のインナーと下着をずりおろし、尻を露出させる。 「あ、や、ヤーナ様、やめてく���さいっ!」 使い込まれた後孔を見て、ヤーナが頭を抱える。 「こんなに使い込まれてるのに、あんたはなんにも覚えてないのかい?ほんとに?」 「っ、は、はい!嘘ではありませんっ、本当に思い出せないのです…」 「こんなじゃ身体が疼く事もあっただろう?まさか……」 ヤーナがどこからか取り出した小瓶のふたを開けると、どろっとした液体を指に垂らし、指をホドリックの後孔に入れる。 「ひっ」 ホドリックが異物感に思わず枕を抱き寄せて顔を伏せる。 「身体が疼いて、使い込まれてた事に気づいたのかい?」 「!!───…」 ヤーナの言葉に体を強張らせた後、ホドリックが頷いた。 「これは、かなりよろしくやってたみたいだねぇ、簡単に解れていくよ」 「ひぅ、あ、やーな、さま、やめっ、あっ、あ、あ」 「こんな小娘の指で大の男がひぃひぃ言って…。 いつまでもわたしの可愛いホドリック坊やだよ」 解す指の本数を増やしながら、ヤーナが話しかける。 「あれから……まあ空白の10年はともかく、誰かに慰めてもらわなかったのかい? 解放軍には良さそうな男が選り取り見取りなのに?」 「誓って、そんなことは、していませんっ」 「流石に女は買ったことは有るだろう?」 「付き合いで…、でも、その…」 「満足できなかった?」 ビクッとホドリックの体が固まる。 「わ、私は──」 「なら自分で慰めていたのかい?」 後孔を解す指はそのままに、ヤーナがホドリックの顔を覗き込むと耳まで真っ赤になっていた。 「誰に抱かれるところを想像して慰めていたんだい?」 ホドリックはヤーナの目を見て、何か言おうとして、目をそらし泣きそうな顔で枕に顔を伏せて隠れてしまう。 「ぃ、いじわるを、しないで、くだ、さい…」 「嗚呼。ほんとに��んたは、可愛いねぇ」 ヤーナが腰の装飾を外し下着を脱ぐ。 小さく何かを呟くと下腹部に陰茎が生えた。 それを解れたホドリックの後孔にあてがう。 「これだけ頑丈な体なんだ、少しばかり乱暴に抱いても問題ないね?」 ホドリックが枕に顔を埋めたまま何度も頷く。 「はは、かわいいよ、ホドリック坊や…」 ぐっと先端を埋め、ゆっくりとすべてを中に収めると、徐々に大きく腰を使いだす。 「ん、ふぁ、あ、あ!!、っつ、や、やぁな、さまっ」 「ふふ、気持ちよさそうだね、いいのかい?」 挿入したままホドリックの体勢を仰向けに変えさえると、脚を肩にかけて覆いかぶさり、体を二つ折りにする。 「きもち、いいっ、です───ふかっ、や、ぅ!!はげし、あっ、ああっ!!やーなさま!あ、あ、ひぁっ」 「いい声で鳴いておくれ、ホドリック」 ホドリックに顔を寄せてヤーナが呟くと、必死に目を閉じて手で口を覆っていたホドリックが目を見開いてヤーナと目が合う。 そのまま激しく挿入をされ奥をがんがん攻められてホドリックの身体が痙攣する。 「っ───んん゛っ!!!!」 自身の陰茎から吐き出された精液が、体勢の所為でホドリックの顔にかかった。 「まだいけるだろう?付き合っておくれ」 ホドリックの顔に付いた精液を指で拭いながら呟いたヤーナの言葉に、ホドリックが息を切らしながら頷いて応えた。 「綺麗にしてくれるかい?」 ホドリックからずるりと抜いた陰茎を膝立ちでヤーナが示すと、ホドリックが顔を真っ赤にしながらこくりと頷いて体を起こす。 恐る恐るという手つきで精液で汚れたそれに手を添えると舐めていく。 口いっぱいに頬張っても収まらないそれを手でも扱き、片手はヤーナの秘部に伸びる。 ぐっしょり濡れたそこに指を這わせ、一本ずつ埋めていき、中を刺激していく。 「…ん。上手だ。入れてみるかい?」 「は、はい…っ」 ホドリックの返事にヤーナが笑うと、ベッドに寝転がり脚を開く。 「おいで」 ヤーナの秘部にホドリックは自分の陰茎をゆっくり入れていく。 「あ、はっ…やーな、さま…」 「大きくなったね。奥に届いて………ん。ぁ、っ…そう、そこっ」 「ふっ、ふっ、ぅ、あ!!」 中で達したホドリックが両腕をついたまま荒い呼吸をしていると、見上げるヤーナがホドリックの額の汗を指で拭う。 「まだまだ、出せるみたいだね。どっちがいい? これでかき回してほしいか、ここをかき回したいか」 「それは」 「ホドリック坊やの好きな方をしてあげるよ?」 「や、やーなさま…」 ホドリックがヤーナから陰茎を引き抜くと、起立するヤーナのそれにキスをすると咥える。 「ふっ…ん、これを、くだ…さい…」 「──そんな、おねだりされたら、たっぷり気持ちよくしてあげないとね」 体を起こしたヤーナが手を伸ばしホドリックの頬や頭を撫でると、ホドリックの顔が一層赤くなった。
* * *
朝、窓から差し込む日差しでホドリックが目を覚ました。 ベッドから体を起こそうとしても身体が重く起き上がらず、視線を落とすと胸の上にその原因を見つけた。 「(ヤーナ様…?──そうだ、昨日…)」 ホドリックの厚い胸の上でうつ伏せて気持ちよさそうに寝ているヤーナに、昨夜のことを思い出��てホドリックが赤面する。 「(……あの頃からずっとあなたの事をお慕いしておりました…)」 ヤーナの背中に手を添えて、もう片手は頬を撫でると抱き寄せる。 髪に小さくキスをするとホドリックが噛み締めるように息を吐いた。 「(日が昇っているようだが、もう少しこのまま眠っていても、許されるだろうか…)」 いつもなら朝の鍛錬に出ている時間だが、今日はもう少しこのまま温かい体温を味わっていることにした。
「あっ………」 「ん?どうしたホドリック坊、顔を覆って」 「や、ヤーナ様、すみません。背中に、爪の痕が…」 「嗚呼、あれか」 「クレリックを………呼びますか?」 「いや、いいよ。 あんな可愛くしがみつかれちゃね、嬉しい痕だよ」 「────っ、すみません…折角若返った体に傷をつけてしまいました…」 「大丈夫さ。マントで隠れるし」 「でも…」 「気にしすぎだよ、あんたはそういうところが……… じゃあ、痕が残らないようにこの薬を塗ってくれるかい」 「は、はいっ、喜んで」
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vol.09 23.1115
どうも!
ひとまず懺悔、、
先週のtumblrうまく表示されておらず( )になっています。あとでもう一度表示させて頂きますので暫しお待ちください…
御無礼を…お許しくださいまし
あ、遡って読んでくれたらなお、嬉しいです。
はあと
さて、そんなことより
寒いです。
布団から出れないですね。朝、布団がひんやりしてて悲しいです
マフラーとかはないので、寒いです。
家はあります。
ご心配なく。
ちなみに某筋肉からはネックウォーマーとかしてそう。某チェックマークのと言われました。
たしかに高校生くらいまではしてました(笑)
なんかもこもことか着るタイプではないので、ロンTに高校時代のズボンで生活してます。
補足 服あります。
今週もあえて嬉しいです!
先週のが表示されてないので内容を変更してお送りしております!
前置き、また長いです。すみません。
‐ 𝙢𝙖𝙞𝙣 𝙨𝙪𝙗𝙟𝙚𝙘𝙩 ‐
最近足がはやくなった。寝起きがとてもいい。 記憶力が良くなった。
最近はいいこと続きなんです。
脱不憫。危ない誤字って婦人になるとこでした。
ここは不憫なんかーい。
はい。
最近足が早いんです。終電逃さなくなりました。絶対乗れちゃうんですよ。(強行突破している)
コーナーで差をつけろ!は履いておりません。
たしかに階段で差をつけてます。3段飛ばしで降りてます。
地元が割と遠いため終電が早い 、僕の地域。
そう、だから寝坊もできないんです。
なのに最近は起きなきゃいけない時間のアラーム前に起きます(二度寝する)
流石に運がいい。
アイスも当たり棒が出ました。
ちなみにアイスは一口しか食べて��いのに当たりました。
はい。落としたんですよね。不憫復活
でもそんなことを一つずつ覚えて置けるくらい記憶力がいい。
この前はうちのメンバーが屋台を出す夢を見ました。スーパーで売ってるようなわたあめを割り箸に刺して800円で売ってました。
なのに20分も並んでました。
その横で誰も並ばないベビーカステラを作ってました。
変な夢ですよね。
でもくだらないことでも記憶できちゃうんです。なんででしょう?
睡眠はあまり取ってません。
でも、くだらないことでも覚えて置けるってかなり幸せなことなのかもと思います。
好きなことを覚えるのは簡単だし嫌いなことが覚えられないようにできてるのに。くだらないけどきっとしあわせだから覚えてるのかも。なんて。
でも嫌なことだって忘れられないんですよね。
僕は別れた恋人を名前別フォルダに保存して画面いっぱいにフォルダ散らかしてるんですよね。(整理しろ)
上書き保存がなかなかできないんです。大事に大事に取っとく。嫌な思い出なのに掘り返しては僕が悪かったかも。なんて思ったりもしたりして(笑)
でも、最近はやめました。
その過去よりもいいものを上書き保存できるように塗り替えれるようになりました。
成長が止まらない。
それはつまり?これからも好ご期待ってこと。
何が言いたいかあまりよくわからなかった?
じゃあ秘密!ってことで(笑)
来週もあいにきて、あいたい。
なんてね。
じゃ、
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2023/10/3 火曜日
今日は月が牡牛座から双子座へと変わります。月が双子座に入るのは、午後2時3分。
今日は月が多くの天体とアスペクトを取ります。月以外の天体の9個中、6個。笑
今日は感情的に多くのことが起こりそう。
まず牡牛座の月と獅子座の金星がスクエアと、月と天王星のコンジャンクション、海王星とセクスタイル。このアスペクトたちは朝ごろに起きます。起床して好きな朝ごはんが食べれなかったような感じでしょうか。服装が決まらなくて寝坊しそうとか。自分の好きなものと自分の感情のすり合わせに齟齬が起きる感じ。
天王星と合でもあるので、割と感情的には焦燥感もあるかもしれません。結構キツイ感じかなとおもいますが、海王星とセクスタイルのアスペクトもあります。ここは一旦落ち着いて「まぁまぁ」と水に流すような感じで受け流し、理想の自分像を思い出してリラックスできるようゆったりやりましょう。
お昼頃になると少し雰囲気は変わってきます。
月が冥王星とトラインを組みます。冥王星は一番遠くて影響力の強い星です。死と再生を司る星で、極端な結果をもたらしがちですが、その最強の星がトライン���月と角度を組むので、割と感情は安定してきそう。朝うまくいかなくても、再生してくるでしょう。
しかし、この星は「裏の意思」を表す星でもあります。再生力として事象が出なかった場合、何かの秘密を知ることがあるかもしれません。表に出てこない隠れた裏の意思なので、知ると動揺したり、落ち着かなくなる可能性があります。しかし、そこでショックを受けたとしても、うまく自分を立て直そうという気持ちさえ持てば、そのまま立ち直れないということはないでしょう。冥王星の強い力をうまく利用してみる訓練と思って立ち向かってみましょう。動揺しても立ち直れるはずです。
月が星座を双子座へと移動して、夕方頃から土星とスクエアを組みます。好奇心の強い双子座は知識や思考に興味を持ちますが、感情を司る魚座の土星が制限をかけるような感じ。SNSなどを触っていても何故か心が晴れなかったり、なかなか明るい気分とはいかなさそうです。しかし、今日は月が水星とトラインを組む一日なので、今日の感情と得た知識はうまく連携させて進む方向などを確認できそう。
まとめると、今日は気分的に浮き沈みはとても激しい。浮上したかと思ったらまた沈むような感じで、なかなか気分的に安定しません。常に感情をあらゆる面で刺激されそうです。今日をうまく乗り越える鍵は情報や知識でしょうか。今日得た知識や情報で感情をある程度整理する努力をしましょう。日記で自分の感情を記すのもおすすめ。感情を言葉にしたりすることで、SNSで共感してくれる人が現れるかもしれませんし、自分がSNSでタメになる情報を手に入れる可能性があります。大変な一日ですが、こんな日もあります😅
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映画『儀式』
Amazon Primeで大島渚監督の映画『儀式』(1971)を見ました。
「古い」、「若い」と思いました。「登場人物たちはみな非常に複雑な人間で、小難しいことばかり言っている」とも思いました。そして「そこがいい!」と思いました。
私は大昔、この映画をビデオで見たはずですが、ほとんど記憶にありません。でも改めて見ると傑作です。
物語は主人公のマスオ(河原崎健三)がテルミチなる人物から電報を受け取り、リツコ(賀来敦子)と東京からはるか南の島へ行こうとしているところから始まります。
マスオはリツコに「僕たちの関係は何なのだろう」と言います。リツコは「親戚の人。結婚式やお葬式の時にだけあう関係」と答えます。
そこからマスオとリツコの旅を縦糸に、マスオやリツコやテルミチが出席した葬式や結婚式を横糸にして、彼らの物語が語られます。
タイトルの『儀式』とはそういう意味ーー親戚が集まる結婚式やお葬式を意味しているわけです。
マスオは子どもの頃、母親と命からがら満州から引き上げ、財界の大物である祖父・桜田の家に身を寄せ、そこで桜田(佐藤慶)や祖母(乙羽信子)、いとこのテルミチ、リツコ、タダシやリツコの母でマスオの叔母に当たるセツコ(小山明子)と一緒に暮らすことになります。
マスオは母親と満州を去ったとき、まだ赤ん坊だった弟を葬った、弟はまだ息があったのに土の中に埋めた、今でもその息遣いが聞こえると言って地面に耳を当てます。
リツコやタダシも興味を持ち地面に耳を当てますが、当然ながら何も聞こえません。マスオより一つ年上のテルミチは「この話は誰にもしてはいけない。リツコやタダシも誰にも言うな」と言います。
次の「儀式」はマスオの母親の葬式ーー19歳になり一高で野球をしているマスオは野球の全国大会に出場していたため母親の死に目に遭うことができませんでした。
彼はバットやグローブを燃やして、もう野球はやめると言います。そこへ叔母のセツコが現れ、マスオが成人したら渡してくれと言われたと言って、父親の遺書を渡します。
するとそこへ祖父・桜田が現れます。桜田はマスオを下がらせ、セツコと二人で話をします。その話の中で一家の秘密が少しずつわかってきます。
もともとマスオの父親とセツコは恋仲で結婚するつもりでした。しかし、桜田は結婚に反対し二人の仲を裂いたばかりか、セツコを自分の愛人にしてしまいました。
マスオの父親は別の女性と結婚し満州に渡り、マスオが生まれました。しかし、父親は定期的にセツコと会っていたようです。そういう事情があったからマスオの父親は自殺を決意したとき(なぜ自殺したのかこの段階ではまだわかりませんが、映画の終盤では天皇の人間宣言にショックを受けて自殺したということが明かされます)セツコに遺書を託したわけです。
桜田は「最後の決着をつけようじゃないか」と言って、セツコを仰向けにして喪服の着物の裾に手を入れます。
この映画の紹介によく使われる場面ですが、実に官能的な場面です。
マスオはその場面を隠れて見ています。マスオはセツコに恋心を抱いているのですが、それでも飛び込んでいく勇気はありません。するとそこへ今度はテルミチ(中村敦夫)が現れます。
テルミチは襖を開けて中に入り、「お祖父さん、これが教育の始まりですか」と言います。桜田は「お前にはわからんだろうが、ある教育の終わりなんだ」と答えます。テルミチは「ではここで見学させていただきます」と言って座り込みます。
いやあ、名場面、名台詞ですね。
桜田はセツコの着物を脱がそうとしますが、セツコはその手を振り払い、自分から着物を脱ごうとします。それを見た桜田は「これをもって決着としようか」と言って部屋を出ていきます。
テルミチは横たわったセツコに近づき「僕の最初の先生になってください」と言い、二人は体を交わします。
二重の意味でたまらない場面です。一つはその匂い立つような官能美ですが、もう一つはそれを見ているであろうマスオの心中の葛藤ーーマスオがしたかったことをテルミチにされてしまったというその気持ちを思えば、たまらないものがあります。
いかん、この調子で書き続けるといつまで経っても終わりません。少し端折ることにしましょう。
そのあとの「儀式」は、叔父(小松方正)の結婚式ーーこの叔父は共産主義者という設定で、��婦(原知佐子)もそうなのでしょう、座敷でみんなが一人ずつ歌を披露していく場面でインターナショナルを歌います。
それほど大事な場面ではありませんが、原知佐子が若くかわいらしく、私は好きでしたが、それはともかくその夜、マスオ、テルミチ、タダシが部屋で呑んでいるところにリツコがやってきて、母親つまりセツコが死にたがっていると言います。
戦犯として中国で抑留されていた父親を殺したがっているタダシが日本刀を持って部屋を出たあと、マスオとテルミチはリツコと一緒に布団に入ります。
「え? なぜ?」と思わないではないですが、まあわからないでもありません。若い頃はそういうことがあるものです。私も似たような経験はあります。
しかし、マスオは何もできません。セツコが死にたがっているというのが気になるのでしょうか、彼は布団を出てセツコの部屋へ行きます。
セツコは眠っています。マスオはずっとセツコの寝顔を見ています。やがて目を覚ましたセツコは「死にたいなんて言ってません」、「リツコが適当なことを言ったんでしょう」と言います。
すごすごと部屋に引き上げてきたマスオはそこでテルミチとリツコが同じ布団ですやすや眠っているのを見つけます。二人は肉体関係を持ったということでしょうね。ここでもマスオのしたかったことをテルミチがしてしまったわけです。
翌朝、裏の山でセツコの死体が見つかります。彼女の体には前夜タダシが持ち出した日本刀が深々と刺さっています。何が起きたのかはわかりませんが、桜田は自殺として処理します。
次の「儀式」はマスオの結婚式ーーマスオは桜田が選んだ相手と結婚するのですが、花嫁は盲腸炎で急遽入院、なんと花嫁抜きで結婚式をします。財形の大物である桜田は要人たちを式に招いているので、今更中止にはできないということなのですが、その滑稽なことと言ったら……
タダシはその頃警察官になっています。右翼革命を目指すタダシは披露宴で檄文を朗読しようとして取り押さえられ、ホテルを出るとき交通事故に遭い死んでしまいます。
その夜は花嫁抜きの初夜でありタダシの通夜でもあります。泣き続けるタダシの父親(渡辺文雄)の横で、枕に羽織を着せ花嫁に見立て抱こうとしたり、棺桶からタダシの遺体を出し、上半身裸になって棺桶に入り、さらにリツコの手を引っ張って棺桶の中に入れようとしたりするマスオの姿は、異常といえばこれほど異常なものはありません。
えーっとそれから桜田の葬式があって(マスオは心ならずも喪主になります)、ようやくマスオとリツコは目的地の孤島につきます。
そこでようやくマスオが受け取った電報の文面が明かされます。そこには「テルミチシス」テルミチ」とあります。つまりテルミチ自身が自分の死を知らせる電報をマスオに送ったのです。
そこからは……まあ、いいや。決して悪い終わり方ではないのですが、それまでがあまりにすごすぎたので、個人的にはこのラストには不満が残ります。
とはいえ、この映画が傑作であることに変わりはありません。
昔の私はどうしてこのよさがわからなかったんだろう。歳をとって少しは賢くなったということなんでしょうか。
『儀式』は素晴らしい映画です。ぜひご覧下さい。
追記: ふと思ったのですが、昨日ぼろかすに貶したサルトルの『アルトナの幽閉者』とこの『儀式』は、戦後の社会を財界の大物とその家族の観点から描いている点、非常に複雑なイプセン風の家庭劇である点で似ていますね。 それなのになぜ私は『アルトナの幽閉者』を嫌い、『儀式』を高く評価するのかな。きっと私にとって『アルトナの幽閉者』は家庭劇として成立していないが、『儀式』は見事なまでに成立しているということなのでしょうね。 それに加えて、常に先を越され、人生の傍観者でしかなかったマスオに自分自身の姿を見たからかもしれません。
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俺の弟、森家の次男坊森愁斗。好きなとことか可愛いところとか、言い出したらほんときりがないくらいに愛おしくて大切な弟。愁斗が何しても何言っても可愛いなー!って思っちゃうのは今までもこれからも絶対変わんない自信ある。家族だから、弟だから、はそうなんだけど多分愁斗だから。毎日毎日飽きるくらいに愁斗好きだよーって伝えても、ちょっとあしらうフリして実はちゃんと嬉しそうで。そんなとこが俺からしたらすっごい可愛いし、小さい頃から分かってるから愁斗の隠した気持ちが感じ取れて。勝手にそれでにやにやしちゃう。寂しいって素直に言わないけど、実は寂しがってるとこだとか。愁斗はみんなにすきーって、可愛いとこ前面に出してるの兄ちゃんとしては嫉妬しないって言ったら嘘になる。けど、それより本当に周りに愁斗が愛されてることが嬉しいんだよ。あーこの愁斗の優しさ、可愛さ伝わってるんだなあって大事にして貰ってんだなあと思うと、兄ちゃんは誇らしいです。俺の弟、こんなに愛されちゃうやつなんだなーって。でも間違いなく俺がいーちばん愁斗の可愛いところも素敵なところも知ってるし、俺がいちばん愁斗が大好きだよ。兄だもん、いつだってどんな時だって誰よりも愁斗の味方で愁斗の幸せを願ってる。愁斗のこと考えながらスーパー行ったり、愁斗に似合いそうだなーって思いながら洋服見たり、愁斗にこれ歌って欲しいなーって色んな歌聞いたり、愁斗とハモリたいなーって思いながらカラオケにいたり。日常の片隅にはぜったい愁斗がいて、愁斗なにしてるかなー愁斗頑張ってるかなー、って毎日思ってる。そんくらい俺は愁斗が大好きで、愁斗で溢れてる毎日で。これからも変えるつもりはないし、もっと増えてけー!って思ってる。これからもおかえりーって愁斗出迎えて、愁斗に俺の話聞いてもらって、たまには俺もうんうんって愁斗の話聞いて、愁斗お風呂入んなー!ってお世話して、愁斗寝ちゃったのーってお姫様抱っこしてお布団運んで。寒そうだなーって俺の毛布かけたり、俺が代わりに抱き枕になったり。疲れて爆睡してる愁斗に、今日も頑張ったねーってなでなでして。あ、これは秘密ね愁斗恥ずかしがるから。ちゃんと朝は、愁斗が起きるまで俺が付き添って。そんな日常をこれからも俺は大事に大事にしていきたいと思ってるよ。どう?俺の愁斗愛は伝わったかなー、伝わりきらないかなー。これからもできるだけ長く、愁斗の兄で居させてね。ずっとふたりで生きていこうね。
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「生活」に関するワクワク性格診断と深層心理の秘密!楽しさと面白さが詰まった診断結果とは?
生活の中には小さな選択が大きな結果をもたらすことがあります。今日は、あなたの「生活」に関する選択肢を通じて、ちょっとした性格診断を行ってみましょう!思わず笑ってしまうような、意外な視点からの深層心理診断。では、リラックスして、心を開いて進んでいきましょう! さて、面白い雑学から始めますよ。実は、私たちが日々何気なく行っている「朝ごはん」ですが、日本では「朝ごはんを食べない」と答えた人が約30%もいるって知っていましたか?それが何を意味するかというと、朝の時間を大切にする人、もしくは寝坊の常習犯かもしれません!また、朝食を食べる人は、一日の仕事のパフォーマンスが良いという研究結果もあり、朝食が心と体に与える影響は計り知れません。さあ、そんな生活の一部を選ぶ選択肢に進んでみましょう! あなたは、A: 「毎朝、パンとコーヒーを楽しむタイプ」か、B:…
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新月の1/6、スタジオ移転記念 ヨガリレーに参加してきました🧘♂️ Mヨガteacher勢揃い、濃厚で、めっちゃ楽しかったです😊 . 新しいスタジオ、とっても居心地いいです♥️ ドキドキの中、今夜、レギュラークラスを担当したのですが、明かりを落とし、間接照明だけにすると、それはそれは特別な空間︎💕︎ その写真をお見せできなくて残念💧 . こちらで、明日からの毎週月曜19時から「アロマヨガ」を開催します🌹✨ どなたさまも大歓迎です🕉 . #寝坊したのは秘密 #バス時間間違えた #絶賛病み上がり #レイキ体験 #aromayoga #yoga (M YOGA) https://www.instagram.com/p/BsS06h4A1uF/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=3s7c7jahicit
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Aさんへ 22
Aさんへ
Aさんこんにちは
先日のパワームーン……スーパームーンでしたでしょうか?
ご覧になられましたか?
美しかったです
ムーンの周りをぐるりと雲が囲い、その雲がわたしにはドラゴンにしか見えず……オレンジみのムーンに、ドラゴン
心中で「この世はでっかい宝島……シェンロン……」と呟いたのは言わずもがなです
Aさんにもスーパームーンのパワーがどうか届きますように
Sより
*********
『正常性バイアス vol.ティラミス』
多分、男はガトーショコラ。いや、さてはあのフォルムはフォンダンショコラか。底辺に血の色に近いソースが見える気がする。リョウは目を細める。夜は乱視の乱れが強くなる。ともあれ女はかき氷。
ラーメン丼と見紛うほどの、しかし、ラーメン丼とするには底の浅い、小ぶりな乳房のようにゆるやかな曲線の大きな純白の陶器に盛られたかき氷は緑色であるから恐らくは抹茶であろうと見当をつける。
それがもし、万が一、ピスタチオかもしくはずんだであるならば自分もタカシも潔くイチゴにするであろう。
リョウは、隣のテーブルの男女のそれらを数秒ながめたあとラミネートされたメニューの
『復活!台湾風かき氷♪フワッフワ!♪夏だけの期間限定!こだわりのフレーバーは全8種類♪』
をひととおりをその細部までをながめながらコーヒーカップに手を添える。イチゴもいいが、
『今夏から♪新登場~♪』
らしいティラミスが捨てがたい。かき氷でティラミスを味覚表現する攻めの姿勢に俄然興味が湧く。
ふつふつ湧いた興味のあと、呼び水的必然さでソノコのティラミスを思い出す。容赦なくティラミスのフォルムが、白い楕円の皿が、華奢なデザートフォークが、味覚の記憶が鮮明によみがえる。
(あいつはうまかった。)
3人の夜。ソノコがつくった
「はじめてつくったの。試作にして集大成。大成功。」
春がふんだんに盛り込まれた炊き込みご飯をおかわりし満腹をかかえてソファーに転がると、
「これは常連。常連史上最高の出来よ。」
とティラミスがのった皿を、芸術品を扱う所作で丁寧にテーブルに置いた。
ロングタイムアゴー。かなり、もう何年も何十年も前のことに思えるほどとても昔の、また、タカシが生きていたころの3人のグッドメモリー。タカシの人生に必要不可欠かつ必然的な最後のピースとしてソノコがパチンと加わった日々の最中、いつかの夜。
そのピースは、リョウが自分のなかにある唯一の空白を埋めるべくピースであることに気づきはじめてしまった最中、いつかの夜。
彼女史上最高のティラミスを満腹直後に早食いファイターの勢いで完食し、締めに、皿の隅によけておいた彩りのミントを噛み砕いた。想像通りの青臭い清涼感が口内を充満した。ティラミスの余韻はあっけなく消えた。とっぷり浸っていた余韻の消滅があまりに淋しく、口直しの口直しをすべくティラミスのおかわりを依頼した。無論、ミント不要の旨をソノコにきっちり伝えた。
丁寧に抽出されたのであろう香り高いコーヒーのフレーバー。生クリームとマスカルポーネ。には
「秘密の配合」
でサワークリームを混ぜていること。アルコールを一切摂らないリョウが
「酔っぱらわない程度」
ほんの気持ち程度のリキュールが含まれており、その正体はコアントローで
「オレンジとコーヒーのタッグは最強であることを数年前に発見した」
と、誰からも聞かれていない秘密を自ら暴露していた。全粒粉にめがないという彼女がつくるティラミスはボトムがスポンジではなく、全粒粉ビスケットだった。
ソノコが作るデザート類の共通項であるごく控えめな甘さ。食べる度に丼で食べたいと思った。ソノコの料理の最大の特徴は「食べはじめると改めて食欲が増す。」で「食べれば食べるほど、もっともっとと食欲を刺激する。」であり、食べ終わる頃には「またこれ食べたいからまたつくって。」の腹になるのだった。つまり、ソノコの手料理はひとを元気にした。
かき氷のメニューを見つめながらコーヒーカップを唇に当て喉を潤すだけのためにひとくち飲み込む。ぬるい。そしてただぬるいだけではない。くそまずい。
コーヒーの真価はひとくちめではなく残りわずかになった終末に問われるのだとつくづく思う。
*
ナッツ類はギリギリ、豆類は完全アウトとし、唯一、枝豆の塩ゆでをビールのあてにする(噛むとガリガリ音をたてるほどの塩味つよめ。しかも茹でたてではなく一度きちんと冷やしたもの。)のだけは好んでいたタカシが豆由来のずんだ団子を、
「江戸時代の民衆はなぜ茹でてわざわざ潰してこれをわざ、わざ甘味に。」
と、鮮やかな緑と白の連結を忌々しげに見下ろしていた風景を思い出す。
定番のあんこやごま、みたらしの他に、色とりどりのトリッキーとしか言いようのないカラフルな団子を山ほど買い込んできたソノコがダイニングテーブルいっぱいに
「今日はおだんごランチよ。」
と団子を並べ、飲むように頬張り、嬉々としてモグモグする彼女の横でずんだの発祥を調べはじめ
「ごはんのときに携帯やめて。」
と注意されていた兄を思い出す。
大人しく携帯電話をテーブルに置き苦笑する兄の表情までを思いだし、そして、それ以降の三人の風景を思い出すことはやめる。過去ではなく今現在の、ぬるくまずいコーヒーに意識を集中させ思い出を消す。現実に軸足をおく。ハートフルなグッドメモリーが現在の自分を支え、温め、前進する活力となるにはそれなりの時間を要する。もしくはグッドメモリーを上書きすべくベリーグッドメモリーをクリエイトする必要がある。当然、思い出すことをやめようとする抗いの力が働いているうちは自分を支えず温めず活力とはなり得ないし、そもそも自分の脳内か、もしくは心中ではひとつひとつのメモリーごとひとつひとつのフォルダに保管されている。それらはPDFして完結している。だから上書きのしようがないことをリョウはちゃんと認識している。すなわちお手上げ。上書きではなく新たなフォルダをクリエイトするしかない。
(クリエイトしたところで……)
吐き出したため息でぬるい琥珀の水面が揺れる。
(ケーキ。)
腕時計で時間を確認し、この時間なら選択の余地はなくコンビニで手にいれるしかないとおもう。
(だいぶ増えたな。)
いつも仕事帰りに寄るコンビニのデザート類が陳列する場所。
ショートケーキが真夏に売っているのだろうかと、シュークリームやあんみつなども思い浮かべてはみるもののやはり誕生日といえばショートケーキであろうと、純白と赤のコントラストのあと、再度腕時計を見下ろす。いたわりの気持ちで銀色の無数の傷を見つめる。
久々、改めてまじまじ観察してみると細かな傷がずいぶん増えたことに気づく。タカシから贈られたタカシとお揃いの、銀色の、文字盤が白の日付が時々狂う日本製の腕時計。今夜の日付は◯月◯日。正確な日付を確認する。世界で一番大切だったひとの誕生日。
大切なものを大切なものとしながら、そのくせ扱いが雑、気遣いは皆無であるとかつて「つった魚に餌をやらない。」と非難してきた女がいたが、そうではない。しかし、それは違うそうじゃないと反論したところで反論を理路整然と正論まがいの暴論に仕立てたところで納得してくれる女はこの広い世界のどこにもいないとおもう。いるはずがない。ここは荒野なのだから。荒野なのだから仕方がない。
(荒野。)
胸のなかだけで言葉にした荒野。の、ひび割れた枯渇の響き。なのにどうしても心には火が灯る。否応なしに温まる。たったひとつの些細なグッドメモリーによって。些細でありながら枯渇をいとも簡単に超越する。おき火となる。
「甘えてるのよねー。
すきなひとに自分をぜーんぶさらけ出して全身全霊、全力で甘えてる。
甘えることはリョウくんにとってきっと最上級の愛情表現なのよね。
さあ包容して許容してって。これが俺なんだからって全力で甘えん坊してる。
リョウくんみたいなひとを子供みたいなひとねって片づけてしまえば簡単だけど子供って賢くて打算的よ。愛されていることを知っている子供の甘えは確信犯的なただの確認作業に過ぎないから。
リョウくんの甘えは打算も計算もない。損得勘定もない。
純度100%の甘え。
そんな風に甘えられて受け入れることができたら女性はきっと女冥利に尽きるでしょうね。でも、
こんなおれをいらないならこっちから願い下げだー、くらいに強がって。ほんとはそーんなに強くないんでしょうしデリケートでナイーブなのにねー。
でもきっと、それらをぜんぶぜんぶひっくるめてリョウくんなのよ。」
***
ロングロングタイムアゴー。タカシに、
「リョウくんさ、いい加減にしなさいよ。わがまま過ぎやしないか。」
と、声音とは裏腹に笑みのない兄らしい表情で男を隠しながら、なにかしらの言動か行動を叱られたときだ。
深夜。化粧をおとしパジャマ姿でアイスクリームを食べながら寝しなにダイニングテーブルで新聞を読んでいたソノコの声。歌うような、滑らかな柔らかな声、言葉。
(そうだ。あのときだ。)
思い出す。口の内側を強く噛み笑いを堪える。
タカシの部屋でいつものように、ソノコがつくった夕食をたべソノコが当時気に入っていたイランイラン含有の入浴剤が大量に投入された乳白色の風呂につかり、危うく溺れそうになるほどの長風呂からあがり、放出した汗に比して唾でさえ一滴も残っていない喉のまま髪を乾かす余力もなく、仕方ないそろそろ帰るか。とごく軽くソファーに座った。ソノコが、
「はい、どうぞ。」
冷えたジャスミンティーを差し出した。
一息に飲み干した。底を天井に向けると氷が雪崩れた。
「いっきのみ。もう一杯のむ?」
無言で首をふり、結露したグラスをソノコに戻した。グラスを受け取り、ダイニングテーブルに戻ると新聞の続きを眠そうに読み始めた。
体験したことのない快適さが極まると、未知と遭遇した衝撃が高じて非日常に感じるのだと知った。
山奥の滝とか、神社や教会。湯気のたつ生まれたての赤ん坊との対面。だいすきな人の腕のなかでウトウトしてそのまま眠ること。入眠の直前「もうこのまま死んでもひとつも後悔はない。」と思うこと。限りなく透明に近いもの、こと、ひと。
見るものの濁りや淀みを一掃する存在感を、風呂上がりのそばかすが丸見えの素顔を、つるつる光る額と目尻近くのほくろを、兄を、兄のうしろのキッチンカウンターに置かれた
『みみまでふ~んわりのしっとりやわらか生食パン』
8枚切りをみた。2袋。
*
風呂にはいる前リョウは眠気覚ましにジャスミンティーを飲むため冷蔵庫をあけた。
黄色と橙色の(橙色のほうをみて「トムとジェリー。」とつぶやいた。食器を洗っていたソノコは背中を向けたまま真摯な声で「それね。わかるわ。」と応答した。)チーズ、トマトときゅうり、(水槽のやつ。)と思いながら水草のような草が入ったプラスチックパックを手に取り確認するとディルとあった。レタス、サワークリーム。生クリーム、こしあんの瓶、未開封の粒マスタード、未開封のほうじ茶バター、ボールにはいった卵サラダとポテトサラダたちが明朝の出番を待ち鎮座していた。
*
食パンと、冷蔵庫にスタンバイする食材に気持ちを奪われたまま、新聞を読むソノコをソファーから見つめた。帰りたくないと地団駄をふむ代わりに、ソファーに転がるとリョウは長く息を吐く。
明日の朝はサンドイッチ。
とても久々で懐かしくもあるワクワク感にリョウは包まれた。そのワクワク度合いはたとえば、
遠足の前夜
夏休みが始まる日。ではなく夏休み初日の前夜。でもなく夏休み初日の前々夜。つまり「明日は終業式。給食ないから午前中でおわり。そして明後日から夏休みだ。」
とても久々に腹の底からなにかしらの力強い、とはいえ名前をしらないワクワク感が吐き気をもよおすほどにわきあった。衝動的なワクワクに覆われた。ワクワクにひとしきり包まれたあと本格的に急速に眠くなった。
眠くなったことを口実に、
「やっぱり泊まるからソファーをベッドにしてくれ。」
と、俺にもアイスをくれと、アイスじゃなくて愛でもいい。やっぱりジャスミンティーもう一杯と軽口を叩いた時だった。タカシが珍しく苛つきを隠しきれぬ表情で「リョウくんさ、」と口をひらいた。夕飯のとき、
「お泊まり久々。忙しかったものね。」
とソノコが嬉しそうに隣のタカシに笑ったことを、ソノコの嬉しさの何十倍かの嬉しさであろうタカシが、思慮が深そうでいてわかりやすい男の浅はかであろう意味で何百倍もの嬉しさを控えめに、
「うん。」
だけで表現し微笑み返したことを、久々のお泊まりに相応しい湿度の高い艶のある笑顔であったことをリョウは「やっぱり泊まる」と発した時にはすっかり忘れていた。
*
忘れたふりをしたことを思い出す。
再度口の内側を噛む。眉根をひそめる。カップの底が透けて見える残りわずかのぬるい琥珀色を一口すする。ぬるくてまずくてとても苦い。そして残少。まるで俺の人生そのもの。目の前の女は息継ぎもせず喋り続ける。きっとこの女はクロールが早いだろうと、リョウは呆れではなく尊敬を込め女の話に頷く。
頷きながら隣の男女がガトーショコラらしきものとかき氷を交換し、楽しそうに幸せそうに笑っている様をみる。あっちの女も息継ぎなしにクロールを早く泳ぎそうだと思う。溶け始めたかき氷を見る。羨ましいと妬む気持ちさえ枯れている。ぬるくてまずくて苦い。自分には最高にお似合いだと思う。
*
急遽、1グラムも空気を呼まず「やっぱり泊まるから」とわずか1トンほどのわがままを告げた弟への兄からの至極当然な指摘を「わがままじゃないし。」と口には出さず触れ腐れていたリョウは
「甘えてるのよねー。」
から始まったソノコの言葉を息を止めて聞いた。
言葉を発することはできず、ただ、寝そべった姿勢のまま顔だけを捻り、兄を素通りして、ダイニングテーブルで新聞を読むひとの横顔だけを見つめた。
柔らかく滑らか。清らか。
兄弟が作り出す尖った空気を和ませるためかそれともただの、まっさらな、ソノコの。
リョウは、ソノコを見つめながら日本酒の瓶を思い出した。2日ほど前、岩手へ旅行にいってきたという一回り以上年齢が上の先輩から「なかなか手に入らない希少品。」だと、恭しく渡された土産の日本酒の瓶。ほとんど透明に近い水色の瓶。ラベルの大吟醸の文字。
ソノコを見つめ声と言葉を聞き、なぜか思い出した。
タカシの最後のピースは、そのひとは、自分��してみても最後のピースで、ただのなんてことのない事実としてそれは荒野に凛と咲くたった一輪だった。
***
年季のいった兄とお揃いの腕時計をそっと指で撫でる。傷をなで、ごめんなと胸のなかだけで呟き、しかし、誰に対しなんのための謝罪であるのか、ごめんと謝るわりに許されること願っているのか、決して許されるわけがないと諦めているのか自分の真意は一瞬で蒸発する。
「ねえ。大丈夫?聞いてる?ていうか笑ってるよね。大丈夫?お疲れです?」
向かいに座る女の尖りを含有する声にハッとし、
「ごめん。」
慌てて指を腕時計からコーヒーカップに移す。空っぽ。ため息を辛うじて飲み込む。疲れる。とても疲れる、疲れた。どうやら自分は生きることの全てに疲れているのではないかとおもう。しかしまさか「大丈夫?」と問う女に「大丈夫だけれど疲れた。」と答えるわけにもいかずリョウは、
「大丈夫。」
とだけ答え頷く。
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