#寛永寺弁天堂
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上野夜景~ 今はまだ 来週の今頃はもうこの辺りも乱れ飛んだ酔客達で満たされてる事だろう…。特に今年は抑圧から解放された春だけに…。なるべく近づかない様にしよう。 Goodnight friends. #上野 #上野夜景 #寛永寺 #寛永寺弁天堂 #弁天堂 #不忍池 #不忍池弁天堂 #大寒桜 #夜桜 #ueno #uenonightview #kaneijitemple #bentendotemple #shinobazupond #蓮っ葉はいない #ハルカロス #来週は酔っ払いの溜まり場 (Shinobazu Pond) https://www.instagram.com/p/Cpu2r_XP6Ge/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【かいわいの時】慶長十一年(1606)十二月十三日:秀頼、生国魂神社を再建(大阪市史編纂所)
家康は、豊臣家の財力を失わせるため、故太閤秀吉の菩提をとむらうためなどと称し、秀頼に対して、さかんに寺社の造営・修復を勧めた(略)当時、秀頼が造営・修復した寺社など方広寺大仏殿、誉田八幡宮、四天王寺、東寺金堂、石清水八幡宮、生国魂神社、勝尾寺、中山寺、叡福寺太子堂、観心寺金堂、常光寺庫裏、宇治橋、鞍馬寺など(柏原市「玉手山物語」)。※原文ママ
石山本願寺建立の際には、この生国魂神社を隣接地に遷座して建立したとも言われるが、だとするならば石山本願寺は生国魂神社の最初の鎮座地に存在したことになる。また、近年の研究によれば石山本願寺は豊臣期の大阪城の詰之丸に存在したとの説もあるが、これがも��事実ならば、生国魂神社の最初の鎮座地は豊臣期の詰之丸付近に相当する、現在の天守閣周辺ということになる。 戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を造営し、天正13年(1585年)に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである(いくたま夏祭りみこし会)。
(写真)『摂津名所図会 巻之三』より「生玉神社 其二」(スミソニアン蔵)。
江戸時代には、豊臣秀頼により造営された社殿が慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による兵火で焼失したが、江戸幕府により社殿は再興され、社領300石も安堵された。寛永-正保期(1624 - 1648年)の「摂津国高帳」によれば、その社領地は下難波村(現在の浪速区)にあった。また5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院は、黄金若干を当社に寄進したという。『摂津名所図会』では、当時の境内の様子や走馬神事の様子などが描かれている。幕末の『浪花百景』にも絵馬堂、弁天池が選ばれている。弘化2年(1845年)には、社殿の造替がなされた《略》1912年(明治45年)1月には「南の大火」により社殿を焼失し、1913年(大正2年)11月に再建された。しかし1945年(昭和20年)3月13日・14日の第1回大阪大空襲により再び焼失した。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列され、翌1949年(昭和24年)7月に本殿が再建されるも、1950年(昭和25年)9月のジェーン台風で倒壊してしまった。その後、1956年(昭和31年)4月に鉄筋コンクリート造で再建された(ウィキペディア)。
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「名残りの紅葉」が大森寺さんで楽しめました。 【大森寺】(だいしんじ)《1》尾張徳川家菩提寺 ご近所の神社仏閣参拝 2022年12月12日(月) 名古屋市守山区弁天が丘809番地 https://youtu.be/Qpybwhn_XiE 山門から中門への参道の紅葉がなかなか綺麗で最後の紅葉を堪能できました。 山号:興旧山 宗派:浄土宗 本尊:阿弥陀如来 創建年:1637年 開山:信誉上人 開基:徳川光友 正式名:興旧山歓喜院大森寺 【由緒】 寛永14年(1637年)、尾張二代藩主徳川光友が、生母乾の方(歓喜院)の菩提を弔うため、江戸小石川の伝通院内に創建した。 寛文元年(1661年)、乾の方の出身地である大森 に移転した。裏山の墓地に歓喜院の墓がある。 中門に掲げられた山号の額は光友の筆である。 明照殿は、二十世住職で東海中学校初代校長でもあった武田芳淳が建中寺塔頭正信院の本堂を移築して旧校舎としていたものを、再び移築したものである。 明治8年(1875年)の火災で、創建以来の建物は消失したが、平成26年(2014年)に本堂を再建した。 2022年11月15日(火) https://youtu.be/wwdO3lNEbv4 #大森寺 #尾張徳川家菩提寺 #徳川光友公 #歓喜院 #大森・金城学院前駅 #金城学院大学 #ご近所の神社仏閣参拝 #紅葉 #名残りの紅葉 (大森寺) https://www.instagram.com/p/CmDsXhZP6Br/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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各地句会報
花鳥誌 令和3年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年2月3日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
帯の色白と黒との寒稽古 世詩明 初夢や逆夢にして安堵せり 同 受話器より来る熱燗の酔ひつぷり 清女 もう雪も落ちついたかとココア飲む 同 湯のたぎる薬罐の音の冬支度 誠 ゆつくりとガラスを滑る霙かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月4日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句
寒の明け空の青さのどこまでも 柏葉 雪の舞ふ上へ下へと北陸路 喜代子 寒戻り雄島は浪に翻弄す 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
祈る人白く光らせ春の寺 小鳥 壺菫傾ぐ黄昏の密会 季凜 饅頭屋の幟ぱたぱた春疾風 美智子 嬰児へ春の揺籃なりしかな 順子 寒紅や鏡の中の女たち きみよ 春を描く赤で縁取る黄土色 千種 ギャルソンのベストの在庫春埃 荘吉 バーの椅子冬日も遊��道具街 荘吉 春潮のかをる手をもて貝洗ふ 順子 ペンダントはづして春の風邪に寝る 光子 黄泉の国へとラビリンスめく雪間 眞理子 オキーフとゴッホの黄なる春の蝶 伊豫 ロマノフ朝語る早春のため息 慶月 仲見世の半分閉ぢて亀鳴けり 梓渕
岡田順子選 特選句
江戸つ子へ黄水仙咲く格子窓 光子 春の日の跳ねたりしつつ神田川 小鳥 壺菫傾ぐ黄昏の密会 季凜 吾輩は道具街の猫日脚伸ぶ 荘吉 春浅き野へと黄衣の遊行僧 慶月 花瓶売れざり春の日を黄昏れて 俊樹 笊は受く春の日差や道具街 季凛 菜の花や主のゐない家に棲み 伊豫 大方は縁なき道具街うらら 秋尚 隠れ耶蘇語る窓辺の余寒かな はるか 遣り手婆春画を鬻ぎつつ春眠 俊樹 黄塵万丈浅草に人沸き出す 梓渕 産土の海光を背に絵踏せり 光子 生国を刻みし墓へ梅香る 慶月 祈る人白く光らせ春の寺 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
散歩みち犬に吠えられ日脚伸ぶ 三四郎 子等はしやぐ声の大作雪だるま みす枝 寝るだけに戻りし部屋の虎落笛 ただし 初詣巫女の化粧の濃かりけり 世詩明 贔屓目にみても毛皮の似合はざる 上嶋昭子 大氷柱剣のごとく堂宇守る 時江 崖の上に耐へて咲きたる水仙花 久子 神杉に裂けし傷あり斑雪 時江 風花の散華の中を柩ゆく 信子 湯たんぽを母の温もる如く抱く さよ子 廃屋の雪の声きく真暗がり ただし 嚏して饒舌の人黙りけり 三四郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月9日 萩花鳥句会
住所録ゐぬ人ばかり春時雨 祐子 降り立てばカルスト台地草萌ゆる 美恵子 春まだ来産卵仕掛ける川漁師 健雄 春時雨ビニール傘に裂け目あり 吉之 下萌えて平幕力士の賜杯かな 陽子 雪雫八分音符と四分音符 ゆかり 微睡の草木起こせし春時雨 明子 面接の練習の声寒明くる 克弘
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令和3年2月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
護摩焚きの煙の深き節分会 あけみ 節分や子の夢に出る方相氏 登美子 節分や炒豆撒いて稽古終ふ 令子 車窓には雪しろの山々続く あけみ 大雪も奮闘えち鉄動き出す 紀子 野兎の駈けし跡あり野辺深し 同 ひらがなの娘の手紙春隣 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
白杖の突けば凍土鼓動して 都 磯竈海女と蜑との声太く 益恵 獣園の柵に並ぶ子草青む 栄子 春の雪店はいつものビートルズ 佐代子 日脚伸ぶ明るき方へ人も鳥も 都 寒木瓜の棘の交差に交差して 悦子 白髭を撫で庭を掃く春隣 幸子 寒月へ町定位置に静もりて 都 春雷や酒供はりて力士像 宇太郎 さよならと筆置く音に落椿 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月13日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
人生は借り物かしら春一番 修子 日の永き台所にて聖書読む 同 永く生きすぎた気もして春の風 同 どの家も砦のやうに雪積みて 寛子 街路樹の上に余寒の空低し 同 針供養叔母は短気でお人好し のりこ 掌に一滴春の化粧水 岬月
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
ひたすらに鶴は鶴とし凍つるのみ 雪 寒鴉申し合はせしごと啼かず 同 観念をしたる如くに大枯木 同 温石に温石と云ふ石の貌 同 薄氷や着物をつまみ避け乍ら 千代子 深々と音消し積もる真夜の雪 同 春炬燵くの字しの字の混み合へり みす枝 ランドセルに筆箱入れて春を待つ 同 銀の波揺らし川辺の猫柳 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
薄氷の割れて漂ひ重ね合ひ 千加江 数独に挑んで老の春を待つ 清女 節分や柱時計がつと止る 啓子 薄氷を張り尽したる法の池 泰俊 鴬や何か賑やかなる甍 同 凍て鶴として人の世を凍つるのみ 雪 華やかに古りし虹屋の桐火桶 同 凍て様も金輪際や檻の鶴 同 人の世の枷を解かれし古火桶 同 寒鴉啼くを忘れてゐはせぬか 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月19日 さゞれ会 坊城俊樹選 特選句
冴え返る言葉の綾に躓きて 雪 勿体なや冬籠りにも厭きしとは 同 乾杯の種の尽きたるちやんちやんこ 同 うららかや犬が好みの猫まんま 清女 虹屋へと二月礼者の関西弁 千代子 水仙の花に折鶴遊ばせり 希 路地裏を斜めに走るうかれ猫 啓子 水尾も無く流れのまゝの鴨滑る 天空
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
飄々とした人の訃や冬の果 佑天 学舎の武張りて遠く春の富士 圭魚 アトリエに遺せし絵の具冴返る ゆう子 シスターの病むや余寒の廊長�� 和子 手の皺の翳は目立ちて春を待つ ます江 存分に椿の落ちて椿寺 佑天 堂裏の日溜り豊か落椿 圭魚
栗林圭魚選 特選句
よき喫茶閉ぢし通りの余寒かな 慶月 磐座の裳裾にこぞる蕗の薹 幸風 菰踏めば春泥ぬると動きたる 三無 朝光の瀬音そびらに蘆の角 幸風 アトリエに遺せし絵の具冴返る ゆう子 寺領ひっそり孕猫つとのそりゆく 文英 細波の煌めき尖る浅き春 斉 シスターの病むや余寒の廊長し 和子 春みかづき童話の色の夜の街 和子 春光や眉毛一本づつ描く 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年2月22日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
二度三度黙の呼び鈴冴返る 一涓 遠き日の武原はんの風花す 同 雪掻きて掻きて怨嗟を紛らせり 同 佐保姫来式部の像の辺りより 同 古里ぞ遠海鳴りも温石も 雪 其の頃はへつつひ二つ竈猫 同 お駄賃は袋のお菓子春の風 上嶋昭子 アプレゲールと言はれし卒寿日向ぼこ 同 春一番絵馬カタカタと恋の宮 信子 夕焼けを少し暈して春の色 紀代美 春着着しより梵妻の顔となる 中山昭子 水仙や少女一心勉学す みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
東風に扉を開けよ羽衣なびくまで 美穂 面影のちよと夫似なる古ひひな 千代 波音のままに揺蕩ふ若布かな 桂 大津絵の鬼の飛び出す春の雷 喜和 梟の吾を呼びたる父祖の山 千代 遠き目でみる耶蘇浦の若布船 かおり 薄氷を踏むもふまぬも人の道 睦子 冬灯しらじら明けの裏酒場 勝利 恋猫の敗れ幣履のごとく消ゆ 伸子 その沖は霞み衣桁の陣羽織 由紀子 寂しらの汀に寄する若布かな 久美子 浮かみくる七色の泡春の池 愛 集落を貫く碧き雪解川 由紀子 タンデムで若布を買ひに島日和 美穂 結ひ髪のほろほろ解けて絵踏かな かおり 紙漉の若き水ほどよく躍る 佐和 蹼に薄氷つきしまま歩む 睦子 星辰の恵みに育つ若布かな 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
なかみち句会(投句のみ) 栗林圭魚選 特選句
探梅の坂より駅を見渡せり 貴薫 焼山の命の早さ確かめり ます江 風尖りをれど遠山霞みをり 怜 枝影の網目ぼんやり春の土 秋尚 受診日や梅林抜けて隣り駅 せつこ 料峭の森覚ましゆく水の音 三無 野焼見る怪しくはやる気持あり あき子 日を浴びて胸張��如し犬ふぐり せつこ 青海苔を採って沖には白い波 史空 梅林や古木の幹に力あり 迪子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ��゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑��轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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春休みこども寺子屋 ②
徳川15代将軍墓所参拝巡りフィールドワーク
~寛永寺・開山堂・上野東照宮編
2日目は上野恩賜公園の寛永寺周辺散策です。
寛永寺を開山されたのは江戸初期に活躍された天台宗の天海和尚(慈眼大師)です。
天海和尚は比叡山が信長に焼き討ちをされて再興された方です。
参拝する前に開山堂にご挨拶です。
両大師のもう一人が平安時代に活躍された良源和尚(慈恵大師)です。
この和尚さんは別名、鬼大師と言われ、当時疫病が流行ったころに鬼となり疫病を退散させたという伝説が語り継がれております。
ちょうどお釈迦様のお誕生日、花まつりでしたので甘茶をみんなで順番に掛けてあげました。
寛永寺といえば東の比叡山というくらいに滋賀県の琵琶湖や竹生島に見立て作られています。
不忍池の蓮や各所に桜を植えることで天海和尚は平穏平和で安らかな時代を表現したかったのでしょう。
幕末の戊辰戦争、上野戦争にてもともとは公園内の噴水のところにありましたが、焼失してしまいました。
今の本堂は川越の喜多院から移築したものです。
徳川家 5代 将軍綱吉の霊廟への勅使門跡です。
この奥の敷地に8代将軍吉宗の墓所があります。
コロナ禍により現在拝観中止になっており、子供達にはグーグルマップで位置だけ確認してもらいました。
ほかにも将軍の墓所があったのですが、
第二次世界大戦で空襲に遭い、焼失です。
寛永寺の隣に谷中霊園があります。
その中には15代将軍慶喜の墓所があります。
慶喜は神道でしたので、お墓の形が丸い円盤です。
渋沢栄一翁が寛永寺の総代でしたので
��君のお葬式を寛永寺で行いました。
渋沢栄一翁の墓所です。
ものすごく大きく、お墓の前は昨年大河ドラマだったせいか、
公園へと整備されておりました。
上野東照宮です。
江戸の皆様が日光へ参拝できない方のために作ったお宮です。
上野東照宮はまず黄金色の装飾に圧倒されます。
一つ一つ極め細やかなつくりと色彩は江戸の平和を象徴してます。
4月限定のご朱印です。
華やかですね。
旧寛永寺五重塔。とにかく桜の時期は見事な景観です。
東京国立博物館の前です。
つい先日までポンペイ展と5月8日まで六波羅蜜寺の空也展が開催しております。
高学年や中学生になったら、皆と一緒に行きたいですね。
さて、昼食後に国立科学博物館へ行って参りました。
日本館と地球館です。
ちょうどポケモン化石展がやっておりましたので
カセキポケモンと古生物の骨格を比較したかったのですが、
ものすごい人気で事前に予約が取れませんでした。
すべてインターネット予約の方のみの拝観なのです。
残念ですが、出口付近にあった恐竜同士で記念撮影です。
神秘的な地球の原石ですね。
プレシオサウルスの化石。体長は2メートル超える程度の大きさと言われますが、目の前の化石はじゅうぶん圧倒されますね。
1億3500万年~1億2000万年前(ジュラ紀前期)
ここからたくさんの動物が出てきます。
3時間フルに国立科学博物館でした。
もっともっと見たいところがありまして
まだ上野恩賜公園内は弁天堂や上野大仏、清水観音堂があります。
楽しみはまた後にとっておいて帰宅です。
今回のこども寺子屋社会科見学は楽しいだけでなく、
事前に学習をしてきたので
更に知識と好奇心が膨らみ、
新たな楽しみ方を模索できたのかと思います。
今流行のご朱印を各所でいただき、
家に持ち帰り、
ご家族の皆様で思い出話に花を咲かせてもらいたいと思います。
また、実際江戸時代を学校で学ぶ時が来たら
たとえ内容は忘れてしまっても
龍興寺の和尚や引率の尾澤さん、まなちゃんとみんなでコロナ禍の中
旅しながら、みんなで協力して行けたことを思い出して、
不安を希望に変えて、未来を切り開いていってもらいたいと思います。
引率の尾澤さん、まなちゃん、
こども寺子屋の皆さんと
保護者の皆様にはいつもご理解とご協力、
誠にありがとうございました。
今後もよろしくお願い申し上げます。
こども寺子屋 保科基晴
次回、こども寺子屋 ③ 徳川15代将軍墓所参拝巡りフィールドワーク ~世界遺産の日光東照宮・輪王寺・二荒山神社 完結編へつづく
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\本日、特別公開中/ 📸光清寺庭園 [ 京都市上京区 ] Koseiji Temple Garden, Kyoto ーー皇族・伏見宮家や岩倉家ゆかりの寺院に #重森三玲 が作庭した枯山水庭園“心月庭”“心和の庭”。絵馬“浮かれ猫”🐈の伝説も。 ........ 「心和山 光清寺」は江戸時代初期の1669年(寛文9年)に伏見宮貞致親王が生母・慈眼院殿心和光清尼公のために創建された寺院。 境内には現代に重森三玲が作庭した #枯山水庭園 “心月庭”“心和の庭”があります。 . @pupil_hitomin_1103 さんから「8月のお盆時期に特別公開がありますよ」と教えていただいて再訪。なお今年は本日8月16日のみの公開でした。 いつもの開門時間通りなら17時までは開いてるかな。お近くの方はぜひ〜。 . 元は拝観不可の非公開寺院と認識していたのですが、3月に通りかかった時に「勝手門が開いている時間なら入っていいですよ」とお聞きし、それ以来何度かあの辺を通りかかった時に庭園を隙間から眺めています。 . 鑑賞可能な重森三玲の庭園は玄関前の“心月庭”と、本堂前の石庭“心和の庭”。 作庭年代は1966年(昭和41年)、氏が70歳の時。作庭年代が近いもので言うと丹波篠山の『住吉神社 住之江の庭』なのですが、実は昨日篠山のこの庭園も2年半ぶりに訪れました。こちらも近日紹介〜。 . “心月庭”のような高めの盛り土をモルタルで固めた庭園表現、本では見たことあったし存在は認識していたけど、実物見るのは初めてかも。 本堂前の“心和の庭”は普段は門が閉ざされています。斜め、正面から見るとこういう感じなんだなー! . 白砂の中に苔の築山と阿波の青石が配された���ザ・重森三玲庭園。別で“心字庭”とも書かれている通り心の字を表した枯山水庭園なのだけど、それを���頭におくと奥の竹垣も“心”をデフォルメして表したものなのかな?と感じる。 . 非観光寺院ですが、江戸時代に伏見宮貞致親王の子・伏見宮邦永親王により再建され、伏見宮家との縁から宮準門跡という寺格をほこり、境内にある弁天堂(鎮守玉照神社)は伏見宮邸から遷座されたもの。また岩倉具視を輩出した公家・岩倉家の菩提寺でもあり、岩倉恒具などの墓所もあります。 “浮かれ猫”の絵馬もかわいい。人気商売の方のお参り先に。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/koseiji-temple-kyoto-%e5%85%89%e6%b8%85%e5%af%ba%e5%ba%ad%e5%9c%92/ ーーーーーーーー #japanesegarden #japanesegardens #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #японскийсад #zengarden #kyotogarden #kyototemple #japantemple #visitkyoto #japanarchitecture #japanesearchitecture #庭園 #日本庭園 #京都庭園 #京都 #京都市 #kyoto #mireishigemori #shigemorimirei #非公開庭園 #secretgarden #枯山水 #karesansui #おにわさん #oniwasan (光清寺) https://www.instagram.com/p/CD8GowHJhvc/?igshid=j8s1rirwl33a
#重森三玲#枯山水庭園#japanesegarden#japanesegardens#jardinjaponais#japanischergarten#jardinjapones#jardimjapones#японскийсад#zengarden#kyotogarden#kyototemple#japantemple#visitkyoto#japanarchitecture#japanesearchitecture#庭園#日本庭園#京都庭園#京都#京都市#kyoto#mireishigemori#shigemorimirei#非公開庭園#secretgarden#枯山水#karesansui#おにわさん#oniwasan
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◆往生(おうじょう)
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◆往生(おうじょう) 往生はいろんな場面に使う。 説明出来無い「往生こいた」「往生した」こんな事。 何となく解って使っているのだろうけど自分では説明できない。 こんな言葉は他にも沢山有る。 日本語とはこういうものだと最近では理解している。 言葉の数 その使い方 外国から見たら理解出来ないはず。 英語で否定��ノーを肯定の意味に使っている。 英語が出来無いのでニコニコで字幕入りの映画をよく見る。 見ていて最近何となく判って来たこと。 その場の雰囲気で理解しないと行けないことは多い。 立ち往生 立ったままの姿勢で死ぬことで「弁慶の立ち往生」くらいしか使わない。 「吹雪で汽車が立ち往生する」 「壇上で立ち往生する」コレなどの使い方はよく使う。
諦め付かない時よく往生際が悪くなる。 大往生することもシバシバ。 仏教用語が生活には沢山生きている。 コレもそのひとつである。 ◆大往生(だいおうじょう)大辞泉 [名](スル)少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。また、りっぱな死に方であること。 「大往生を遂げる」 ◆おう‐じょう【往生】 大辞泉 [名](スル) 1.仏語。現世を去って仏の浄土に生まれること。特に、極楽浄土に往(い)って生まれ変わること。 2.死ぬこと。「大―を遂げる」 3.あきらめて、行動などをやめ、おとなしくすること。「もう観念して、往生しろよ」 4.どうにもしようがなく、困り果てること。閉口。「自転車がパンクして往生した」 5.「圧状(おうじょう)2」に同じ。「無理往生」 ◆おうじょう‐ぎわ〔ワウジヤウぎは〕【往生際】 大辞泉 1.死に際。 2.ついにあきらめなければならなくなった時の態度や決断力。「往生際が悪い」 ◆おう‐じょう【圧状】 大辞泉 1.脅しつけて強制的に書かせた文書。 「乞素(こっそ)―と申して政道にも用ひず」〈盛衰記・二三〉 2.無理に押しつけて同意させること。当て字で「往生」とも書く。→往生(おうじょう)尽(ず)くめした ◆往生尽くめ(読み)オウジョウズクメ デジ��ル大辞泉の解説 不本意なことを強制的に承諾させること。 「遺言だと云うのを楯に取って―にして貰った」〈柳浪・骨ぬすみ〉 ・大辞林 第三版の解説 脅して無理に承知させること。 「月給引上を-に承知させる/社会百面相 魯庵」 ◆往生(おうじょう)の関連 仏教用語 今も生きている言葉は多い。 ◆往生 - Wikipedia http://bit.ly/AA6acG 往生(おうじょう)とは、大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。 現実の仏である釈迦牟尼世尊のいない現在、いかに仏の指導を得て、成仏の保証を得るかと考えたところから希求された。 様々な浄土への往生があるが、一般的には阿弥陀仏の浄土とされている極楽への往生を言う。 これは極楽往生(ごくらくおうじょう)といわれ、往とは極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事で、浄土への化生は蓮華化生という。 化生とは生きものの生まれ方を胎生・卵生・湿生・化生と四種に分けた四生(ししょう)の中の一つ。 1.胎生 人間や獣のように母の胎(からだ)から生まれる事 2.卵生 鳥類のように卵から生まれる事 3.湿生 虫のように湿気の中から生まれるもの 4.化生 過去の業(ごう)の力で化成して生まれること。天人など 極楽浄土への往生は、そこに生まれる業の力で化生すると言う。蓮華化生とは極楽浄土の蓮華の中に化生するという意味。 ◆大乗仏教(だいじょうぶっきょう、Mahāyāna Buddhism)http://bit.ly/zuZXMB 伝統的に、ユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の分派のひとつ。 自身の成仏を求めるにあたって、まず苦の中にある全ての生き物たち(一切衆生)を救いたいという心、つまり大乗の観点で限定された菩提心を起こすことを条件とし、この「利他行」の精神を大乗仏教と部派仏教とを区別する指標とする。 ◆往生要集(おうじょうようしゅう)http://bit.ly/x3Zksk 比叡山中、横川(よかわ)の恵心院に隠遁していた源信[1]が、寛和元年(985年)に、浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなる。 死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎を創る。 また、この書物で説かれた厭離穢土、欣求浄土の精神は貴族・庶民らにも普及し、後の文学思想にも大きな影響を与えた。 また、その末文によっても知られる��うに、本書が撰述された直後に、北宋台州の居士で周文徳という人物が、本書を持って天台山国清寺に至り、中国の僧俗多数の尊信を受け、会昌の廃仏以来、唐末五代の混乱によって散佚した教法を、中国の地で復活させる機縁となったことが特筆される。 ◆成仏(じょうぶつ)http://bit.ly/zlvSUs 仏教用語で、悟りを開いて仏陀になることを指す。成仏への捉え方は宗派によって異なる。 ◆仏陀(ブッダ、梵:बुद्ध buddha)http://bit.ly/ArkAHl 仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。 buddha はサンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。 ◆阿弥陀如来(あみだにょらい)http://bit.ly/x74NCY 大乗仏教の如来の一つである。梵名は「アミターバ」(अमिताभ Amitābha[amitaabha])、あるいは「アミターユス」 (अमितायुस् [amitaayus])といい、それを「阿弥陀」と音写する。「阿弥陀仏」ともいい、また略して「弥陀仏」ともいう。 ◆如来 (にょらい)http://bit.ly/xCOAJC 仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称。 元になったサンスクリット語のतथागत(tathāgata タタ-ガタ)は、「真如(tathā タタ-)から来るもの、真如へと去っていくもの」という意味である。これが漢訳されて如去如来や如来如去となり、さらに縮まって如来となった。音写である多陀阿伽陀(ただあがだ)も同じ意味である。 ◆サンスクリット (梵: संस्कृत; saṃskṛta, Sanskrit) http://bit.ly/sfutpr 古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語。 現在の母語話者は少ないが、インドでは憲法で認知された22の公用語の一つである。 宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語であり、その権威は現在も大きい。 日本では、一般には言語であることを明示して「サンスクリット語」と呼ばれる。 また、古くは梵語(ぼんご、ブラフマンの言葉)とも呼ばれた。 なお、日本における仏教関連の辞典や書物では skt などと略称される。 ◆真如(しんにょ、tathata、 bhUtatathatA भूततथता)http://bit.ly/z7FAEH 「あるがままであること」という意味があり、真理のことを指す。 金剛般若経 のサンスクリット本に出て、「真如性」と訳されている。 「真」とは真実、「如」とは如常の意味である。 諸法の体性虚妄を離れて真実であるから真といい、常��であり不変不改であるから如と言うとされる。 真如はまた、自性清浄心、仏性、法身、如来蔵、実相、法界、法性、円成実性と同体異名であるとされる。 ◆極楽(ごくらく、Skt:sukhaavatii)http://bit.ly/x3cpfT 阿弥陀仏の浄土であり、サンスクリット語「スクヮーヴァティー」は「スクヮー」(sukhaa)に「ヴァト」(vat)を加えたもので「幸福のあるところ」「幸福にみちみちてあるところ」の意味。 須呵摩提(しゅかまだい)、蘇珂嚩帝(そかばってい)、須摩提(しゅまだい)、須摩題などと音表され、安楽、極楽、妙楽などと訳出された。 『阿弥陀経』には「衆苦あることなく、ただ諸楽を受くるが故に極楽と名づく」というが、梵蔵文では、衆苦を身心の諸々の苦といい、諸楽を楽の材料というから、極楽とは身心が共に苦を離れていて、幸福の材料だけがあるところの意味。 ◆極楽往生(ゴクラクオウジョウ)とは - コトバンク [名](スル) 1 極楽に生まれ変わること。 2 安らかに死ぬこと。「極楽往生を遂げる」 ◆ 極楽往生の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典 ごくらく-おうじょう【極楽往生】 死んだ後に極楽浄土に生まれ変わること。また、安らかに死ぬこと。▽仏教語。「極楽」は「極楽浄土」の略。西方に向かって十万億土を過ぎた彼方にあって、阿弥陀仏あみだぶつがいるとされるまったく苦しみのない安楽の世界。「往生」は死ぬこと。「往生極楽おうじょうごくらく」ともいう。 用例 まあ齢としに不足はないからねえ。勝負に勝って死んだんだから極楽往生ですな。<有吉佐和子・恍惚の人> 類語 浄土往生じょうどおうじょう 活用形 〈―スル〉 ◆幸福(こうふく、英:Happiness)http://bit.ly/zpkxkE 心が満ち足りていること。幸せとも。 ◆四生(ししよう)http://bit.ly/xROvPH 仏教における生物の分類方法で、その出生方法によって4つに分類したものである。 なお、胎卵湿化、卵胎湿化ともいうことがある。 四生の分類 ・胎生(たいしょう) 母親の胎内から出生するもの。 ・卵生(らんしょう) 卵からふ化するもの。 ・湿生(しっしょう) 湿気の中から出生するもの(虫など)。 ・化生(けしょう) 胎生・卵生ではなく、業により忽然と出生するもの。 ◆輪廻転生(りんねてんせい、りんねてんしょう)http://bit.ly/AsKpbg 1.輪廻のこと。 2.転生のこと。 3.1と2をあわせた言い方。 転生輪廻(てんしょうりんね)とも言い、死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。ヒンドゥー教や仏教などインド哲学・東洋思想において顕著だが、古代のエジプトやギリシャ(オルペウス教、ピタゴラス教団、プラトン)など世界の各地に見られる。 輪廻転生観が存在しないイスラム教においても、��ラウィー派やドゥルーズ派等は輪廻転生の考え方を持つ。 「輪廻」と「転生」の二つの概念は重なるところも多く、「輪廻転生」の一語で語られる場合も多い。この世に帰ってくる形態の範囲の違いによって使い分けられることが多く、輪廻は動物などの形で転生する場合も含み(六道など)、転生の一語のみの用法は人間の形に限った輪廻転生(チベット仏教の化身ラマなど)を指すニュアンスで使われることが多いといえる。 また、キリスト教などにおける「復活」の概念は「一度限りの転生」と見なすことも出来よう。 ただし、復活の場合はより狭く、生前と同じ人格を保ったままの転生である。 ◆業(ごう)http://bit.ly/xXklc3 仏教の基本的概念である梵: कर्मन् (karman) を意訳したもの。サンスクリットの動詞の「クリ」(kR)の現在分詞である「カルマット」(karmat)より転じカルマンとなった名詞で、「行為」を意味する。 業はその善悪に応じて果報を生じ、死によっても失われず、輪廻転生に伴って、アートマンに代々伝えられると考えられた。 アートマンを認めない無我の立場をとる思想では、心の流れ(心相続)に付随するものとされた。 中国、日本の思想にも影響を与える。「ウパニシャッド」にもその思想は現れ、のちに一種の運命論となった。 ◆ブラフマン(ब्रह्मन् brahman)http://bit.ly/zlJmBl ヒンドゥー教またはインド哲学における宇宙の根本原理。自己の中心であるアートマンは、ブラフマンと同一(等価)であるとされる(梵我一如)。 ◆アートマン(आत्मन् Ātman)http://bit.ly/A1K8sH ヴェーダの宗教で使われる用語で、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。真我とも訳される。 ◆梵我一如(ぼんがいちにょ)http://bit.ly/wDjNAQ 梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。 古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。 不二一元論ともいう。 ◆ヴェーダ(梵: वेद 、Veda) 紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称。 「ヴェーダ」とは、元々「知識」の意である。 バラモン教の聖典で、バラモン教を起源として後世成立したいわゆるヴェーダの宗教群にも多大な影響を与えている。 長い時間をかけて口述や議論を受けて来たものが、後世になって書き留められ、記録されたものである。 「ヴェーダ詠唱の伝統」は、ユネスコ��形文化遺産保護条約の発効以前の2003年に「傑作の宣言」がなされ「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、世界無形遺産に登録されることが事実上確定していたが、2009年9月の第1回登録で正式に登録された。 ◆ヴェーダの宗教 (Vedic Religions) http://bit.ly/yB9Zgd 古代インドの聖典であるヴェーダ群を起源とする宗教(単一神教)で、英国人の名づけたバラモン教(Brahmanism、ブラフミンの宗教)がこれである。 ◆バラモン教(婆羅門教、ブラフマン教、Brahmanism)http://bit.ly/w4GzIO 古代インドの民族宗教を指す。ヴェーダなどの聖典を持つ。 ◆バラモン http://bit.ly/xyudDN インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。 サンスクリット原語のブラーフマナ (braahmaNa ब्राह्मण)が漢字に音写された婆羅門を片仮名書きしたものであり、正確なサンスクリット語形ではない。 ブラーフマナとは古代インド哲学で宇宙の根本原理を指すブラフマンから派生した形容詞転じて名詞。つまり「ブラフマンに属する(階級)」の意味である。ブラフミン( Brahmin )ともいう。 ◆民族宗教(みんぞくしゅうきょう)http://bit.ly/xVJaSF 一部の民族の範囲内で伝播し、広まっていく宗教。民間信仰とは異なる。
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七福神巡り、多くの参拝者にぎわう 県内各地15カ所を紹介 七つの災難が免れ、七つの幸福が授かる
埼玉新聞 https://this.kiji.is/452623335831651425?c=39546741839462401 参拝すると七つの災難が免れ、七つの幸福が授かるといわれる七福神。県内各地にも恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊の七福神巡りが設けられ、新年になると多くの参拝者でにぎわう。中にはスタンプラリー形式や甘酒の無料配布など、楽しみながら巡れるところも。新春のまちの空気を感じながら巡り、健康や長寿などを願ってみては。 ■三郷七福神 厄除け銀杏がお出迎え 三郷市内の全24寺院が参加する三郷七福神めぐり。「彦成めぐり」「八木郷戸ケ崎めぐり」「早稲田めぐり」と三つのコースがあるのは全国的にも珍しく、ウオーキングを兼ねて歩いて回る人も。彦成コースの安養院境内には、樹齢600年の「厄除大銀杏」の大木があり、その銀杏の実を正月に食べれば1年間災いから逃れられるとされている。 来年1月1日~7日までの7日間は七福神めぐりスタンプラリーを実��。スタンプ台紙は各寺院で販売している。 問い合わせは、三郷市観光協会事務局の市商工観光課(電話048・930・7721)へ。 ■日光街道すぎと七福神 料理や買い物ツアーも すぎと七福神は東武線杉戸高野台、東武動物公園、姫宮駅を拠点に、古利根川に沿いに福正院、永福寺、全長寺、宝性院、延命院、来迎院、馬頭院を巡る。 七福神巡りと共にうなぎや和菓子、そばや地酒など、地元のグルメを楽しんでほしい。年明けにはガイドと料理、ショッピングを盛り込んだ七福神ツアーも。来年1月19、26の両日は徒歩で(参加費1人2千円)、2月2日はタクシーで(同4千円)で。 問い合わせは、すぎと七福神事務局宝性院(電話0480・32・0342)か、杉戸町観光協会(電話0480・32・3719)へ。 ■くりはし八福神 ふるさと自慢のコース 通常の七福神に吉祥天を加えた「くりはし八福神」。コースは埼玉ふるさと自慢100選に入選し、年明けのJRの「駅からハイキング」にも指定されている。 約10キロ2時間半ほど、平坦で気軽に楽しめる点が人気だ。JR宇都宮線、東武日光線栗橋駅を起点終点に、栗橋宿の街並み、昔ながらの田園地帯を歩く。足を延ばして、八坂神社や栗橋関所跡碑、静御前墓所など、地域の名所・旧跡を訪れることもできる。御朱印押印期間は来年1月3日~15日午前9時~午後4時。 問い合わせは、久喜市観光協会(電話0480・21・8632)へ。 ■草加宿七福神 宝船も加えた寺社巡る 日光街道の宿場町として栄えた旧町地区にある7カ所の七福神に宝船を加えた8カ所の寺社を巡る。歴史情緒あふれる町並みを歩きながら、布袋尊の回向院や毘沙門天の東福寺など、七福神巡りを楽しむ。 来年1月1日~7日までスタンプラリーを実施。スタンプ台紙は各寺社のほか、草加駅構内、市物産観光・情報センターで配布する。開催時間は午前9時~午後4時まで。1日はお休み処草加宿神明庵で、3日は東福寺境内でいずれも午前10時から甘酒の配布を行う(なくなり次第終了)。 問い合わせは、草加市観光協会事務局の市文化観光課(電話048・922・0151)へ。 ■小江戸川越七福神 蔵造りの街並み味わう 小江戸川越七福神はJR、東武の川越駅や川越市駅を起点にするコースがある。全行程は約6キロ。途中には蔵造りの街並みや時の鐘、菓子屋横丁などがあり、至るところで江戸情緒や城下町の面影を感じながら回ることができる。 7カ所全ての寺には、地中に埋められた甕(かめ)の中に水滴音を反響させてその音を楽しむ「水琴��(すいきんくつ)」を設置。それぞれの音の違いを楽しむこともできる。絵馬など、オリジナル七福神グッズの販売も行われている。 問い合わせは、小江戸川越七福神霊場会(電話049・222・6151)へ。 ■武蔵野七福神 台紙手に日帰りコース 飯能、入間、所沢市の寺社を巡る七福神。武蔵野の自然を満喫しながら電車、バスを上手に乗りこなし、日帰りで回れるコースとなっている。 効率よく七福神を巡るなら、円泉寺(福禄寿)から飯能恵比寿神社(恵比寿)、観音寺(寿老人)、浄心寺(毘沙門天)と飯能市内の寺社を回り、入間市の円照寺(弁財天)、長泉寺(大黒天)、所沢市の山口観音(布袋尊)へと参拝するのがモデルコース。 台紙の色紙にご朱印(1回100円)を集めながら7寺社を巡るのも楽しい。 問い合わせは、山口観音(電話04・2922・4258)へ。 ■与野七福神 開運願う仮装パレード 与野七福神は、さいたま市中央区の本町通り周辺を徒歩約2時間で巡る人気コース。日光街道岩槻への脇往還の宿場として栄えた街の名残を今も感じられる。 同区本町東の氷川神社(福禄寿)をスタート。冬至祭で知られる一山神社(恵比寿神)から天祖神社(寿老神)、御嶽社(弁財天)、円乗院(大黒天)、円福寺(布袋尊)、鈴谷大堂(毘沙門天)でゴールする。各寺社の押印受付は元日~3日の午前9時~午後4時。3日午前11時半からは「七福神仮装パレード」も行われる。 問い合わせは、与野七福神奉賛会の岩崎さん(電話048・853・9798)へ。 ■武蔵越生七福神 梅の郷で甘酒たしなむ 「梅の里」として知られる越生町。武蔵越生七福神は越生駅の西側一帯に点在する。起伏に富んだ約13キロのコースは、豊かな自然を体感しながら七つの寺院を巡る趣向だ。周辺には越生梅林や自然休養村センターもある。 来年1月4日に開催される「新春武蔵越生七福神めぐり」は法恩寺を出発し、全洞院までを巡る。ゴール会場の東上閣駐車場では甘酒の無料配布や福引を楽しむことができるほか、干支(えと)のオリジナル缶バッジがプレゼントされる。 問い合わせは、越生町産業観光課(電話049・292・3121)へ。 ■武州川口七福神 早春をつげる安行寒桜 川口市で七福神と言えば、外せないのが安行原の深い緑に隠れた密蔵院(川口駅東口から峯八幡行バスで終点下車)の大黒天だ。 550年の歴史を誇り、本尊は平安時代の地蔵菩薩という。堂々とした黒門は幕末の江戸で薩摩藩のものを移築したと伝える。本堂への真っすぐの石畳を歩けば歴史の空気を感じることができる。早春に咲く安行寒桜でも名高い。 武州川口七福神は密蔵院のほか、戸塚の西光院(弁財天)、東本郷の傑伝寺(恵比寿様)、元郷の正覚寺(布袋様)、本町の錫杖寺(福禄寿)、南町の吉祥院(毘沙門)、宮町の正眼寺(寿老人)。ともに地域との絆、歴史を誇る。 問い合わせは、川口観光物産協会(電話048・228・2111)へ。 ■武州本庄七福神 徒歩3時間で全て巡回 武州本庄七福神はJR本庄駅北口に点在する10寺院に設置。銭洗い弁財天は慈恩寺、大正院、佛母寺の3カ所、大黒尊天は城立寺と普寛霊場の2カ所にそれぞれある。 全工程は約4キロで、3時間もあれば徒歩で巡れる。本庄駅から大正院(銭洗い弁財天)―円心寺(福禄寿)―開善寺(布袋尊)―慈恩寺(銭洗い弁財天)―普寛霊場(大黒尊天)―安養院(毘沙門天)―佛母寺(銭洗い弁財天)―金鑚神社(恵比須尊)―泉林寺(寿老人)―城立寺(大黒尊天)を巡るコースがお薦め。 問い合わせは、本庄市観光協会(電話0495・25・1174)へ。 ■深谷七福神 北から南へ市内を横断 深谷七福神は、旧深谷市内を南北に横断しているのが特徴。どの寺にも秋の七草が植えられている。 JR深谷駅を起点とする全工程は約22キロ。距離が長いので、車やバスを利用する人が多い。同駅出発なら瑠璃光寺(大黒天・ハギ)―泉光寺(恵比寿天・オミナエシ)―正伝院(毘沙門天・クズ)―惣持寺(弁財天・オバナ)―全久院(寿老人・フジバカマ)―宝泉寺(福禄寿・キキョウ)―一乗寺(布袋尊・ナデシコ)と北から南下するのはいかがでしょうか。 問い合わせは、瑠璃光寺(電話048・571・1945)へ。 ■秩父七福神 1市4町、根強い人気 秩父七福神は秩父札所34カ所観音霊場とは異なる古刹(こさつ)寺院で構成され、秩父、長瀞、皆野、小鹿野、横瀬の1市4町に点在し、総距離は約56・1キロ。歴史は40年以上で、根強い人気を誇る。 熊谷方面からは今月8日にシンボルの「多行松」が伐採された長瀞の総持寺(福禄寿)が出発点。皆野の大浜円福寺(大黒天)、小鹿野の鳳林寺(毘沙門天)と続く。秩父は田村円福寺(寿老人)、惣円寺(弁財天)、金仙寺(布袋尊)の3カ所で、横瀬の東林寺(恵比寿)が最後だ。 問い合わせは、秩父七福神会事務所の総持寺(電話0494・66・2665)へ。 ■武州寄居七福神 露座に光る豪快な存在 武州寄居七福神は寄居町の寄居、用土、男衾駅周辺の5カ寺にある。ご神体を露座で祭り、御像の大きいのが特徴。各寺でご朱印を集められ、色紙は千円で授与されている。 一回り約25キロ。存在感あるのが蓮光寺の布袋尊で高さ約4・5メートル(台座含める)、幅約3メートルと豪快な笑顔で福を招き、福禄寿も設置。極楽寺は高さ約3メートル(同)の毘沙門天と高さ約2・7メートル(同)の弁財天がある。 ほかの七福神は恵比寿神(常楽寺)、寿老尊(長昌寺)、大黒天(常光寺)。 問い合わせは、寄居町観光協会(電話048・581・3012)へ。 ■行田忍城下七福神 名所旧跡を一緒に堪能 「行田忍城下七福神」は1周約20キロ。忍城址や埼玉古墳群など、行田の名所旧跡を見学しながら楽しみたい。 花で有名な遍照院(福禄寿)、難病封じの行田八幡神社(大黒天)、大仏様の大長寺(毘沙門天)、縁起の良い寺名の宝積寺(恵比寿)、三重塔がある成就院(寿老人)、弘法大師作の弁財天を祭る遍性���、利根大堰(ぜき)近くの興徳寺(布袋尊)で構成。七福神絵図(千円)は7寺社で、スタンプ巡り用の宝船台紙(200円)は行田八幡神社、大長寺、成就院、興徳寺、遍照院で販売している。 問い合わせは、連絡事務所の「忍藩堂」(電話048・577・8058)へ。 ■北本七福神 日本一のおみくじ好評 2015年9月に北本市高尾の阿弥陀堂に布袋尊が建立され、七福神がそろった。「北本七福神」はJR北本駅をスタート。ゴールまでの行程約12・8キロのお薦め散策コースがある。 寿老人が祭られている須賀神社では、日本一大きいとされる八角形のおみくじが300円で引ける。このおみくじを目当てに来る人は多い。 1月13日午前9時半~午後3時まで、新春「北本七福神めぐり」が行われる。各所でのご朱印は300円。スタンプラリーは無料で、スタンプを7個集めると先着800人に記念品がもらえる。 また各所ではおしるこや、まんじゅうなどのおもてなしがある。 問い合わせは、北本市観光協会(電話048・591・1473)へ。 埼玉新聞 https://this.kiji.is/452623335831651425?c=39546741839462401
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光悦寺さんの入口を警備中のガードマンさんに「向かいの妙見さんの紅葉は綺麗だよ、無料だし」と教えていただきました。 皇城北方鎮護 岩戸妙見宮 (鷹峯の妙見さん) 清雲山 圓成寺【京都の紅葉と神社仏閣】 2022年11月25日(金) https://youtu.be/vsQucOJJGxk 圓成寺さんの紅葉は素晴らしかったです。 本当に綺麗で見応え充分、京都でもトップクラスのような。 ただ、「山内の写真撮影は禁ず」とのことでしたので山内の写真はホームページやネットなどからいただきました。 観光寺院で無いので拝観料は特に無いですが、本殿などの参拝はお賽銭として気持ちだけは。 圓成寺ホームページより 『当山は、清雲山 圓成寺と号し、皇城北方鎮護の開運北辰尊星岩戸妙見大菩薩をお祀りするお寺です。 妙見大菩薩は、玄武神・鎮宅霊符神・尊星王とも称され、北極星と北斗七星を神格化した菩薩で仏教はもとより神道・儒教・道教・陰陽道などの諸宗教においても衆星の王・神仙の中の仙・菩薩の大将として厚く信仰されてきました。 平安京には王城鎮護の四方妙見があり、天皇は正月元旦の四方拝で妙見尊星に一年の安穏を祈られました。特に平安京の大極殿から北に位置する鷹ヶ峰一帯��山々は『北山』と呼ばれる聖地であり、北山の霊巌寺の妙見堂には三月三日と九月九日に宮中から献灯の儀(御燈会)が行われていました。 開山圓成院日任上人は、岩戸妙見大菩薩現出の霊夢を受け、寛永七年(1630年)、永く廃れ忘れられていたこの由緒ある妙見霊場を法華勧請をもって再興され、当山を開かれました。 当山の妙見堂は、古墳状の石室造りであり、内陣の岩窟内には、右手に破邪の剣、左手に白蛇を握り、頭上に北斗七星をいただき霊亀の背上に立つ六尺余の妙見大菩薩の石像が、白雲弁才天女と七面大明神を脇士とし、安置されています。 妙見大菩薩はすべての運気を支配する大菩薩であり、天下の泰平と人々の開運厄除・諸願成就の祈りが捧げられており、当山は「鷹峯の妙見さん」「岩戸の妙見さま」と称され、また洛陽十二支妙見の「『亥』の妙見さま」として信仰を集めております。』 #圓成寺 #鷹峯の妙見さん #妙見大菩薩 #京都 #紅葉 (圓成寺) https://www.instagram.com/p/CldspFPv02M/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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5月の各地句会報
平成29年5月の特選句
坊城俊樹選
栗林圭魚選 栗林眞知子選 岡田順子選
平成29年5月1日
鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
手漕にて渡る川岸浜豌豆 すみ子
牡丹に重たき雨や誰も来ず 悦子
洞穴に蛙の鳴くや行者みち 美智子
花は葉に一足早にモノクロに 悦子
靴脱げば踝眩し四月尽 悦子
村挙げて菖蒲葺くなり本庄屋 益恵
今日までは春の三日月滲みゐる 都
春深し帆立の稚貝など買うて 幸子
若葉風露店に金平糖を売る 都
そら豆の莢まだ空を向いてゐて 和子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月2日
さくら花鳥句会
栗林眞知子選 特選句
背が少し伸びし少年夏に入る 登美子
ほほゑみて席ゆづられて麦の秋 令子
楠若葉柏手杜によく響�� 寿子
薄青き空惜春の月の出づ 紀子
駆け下りる螺旋階段風薫る 登美子
春惜むこほろぎ橋の渓の音 光子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月6日
零の会
坊城俊樹選 特選句
シスターの俯いて去る夏日影 含香
グレースケリー佇ちしか大躑躅の陰 慶月
神木は石の肌なり若葉風 鯨
公家の踏む松の落葉も下屋敷 千種
行人のやうに胸突坂を汗 眞知子
神木のこのただならぬ木下闇 佑天
蜷の道椿山荘へ迷ひける 瑠璃
夏落葉ひとりとなれば音をたて 光子
横切りし蜥蜴の腹の息づかひ 久子
ひよんの笛吹きて穴より南風 ラズリ
砂糖壺の白き肌舐む蠅太し 和子
黒塗りの待てり躑躅の車寄せ はるか
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月7日
県民会館花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
人の世の綾を生き抜き永き日を 龍聲
鯉幟本家分家の競ふごと 文子
春星として潤まずに居れぬ星 雪
夏の星汐入川に突き刺さり 龍聲
春泥の犬の足跡ある廊下 清女
桐の花高きに咲かせ婿の来る 千代子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月8日
なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
岩礁のあらがへるらし卯波散る 有有
喉もとにきちんと新茶のこく届く 聰
夕映えの富士に相模の卯波立つ 迪子
新茶汲む湑む一滴待つしじま 和魚
沖の船見え隠れして卯波寄す せつこ
好物の鱚の天婦羅浅草寺 貴薫
揚げたての鱚の天婦羅そり美しき 三無
診察室湯呑みに冷めし新茶かな 美貴
遠浅の浜の卯波のゆるゆると 貴薫
連絡船卯波蹴りたて出港す 和魚
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月8日
武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
藤房の花粉まみれの羽音かな 昭子
決断を迫られてゐる薄ごろも 昭女
母恋ふはいつもこの頃著莪の雨 昭子
花散るや永久に伏目の観世音 雪
揚雲雀空の碧さへ見失ひ 越堂
雨脚もさみどりとなり麦は穂に のぶ子
惜春の月あり星を散りばめて ミチ子
鳥雲に飼はれし鶴の長き脚 雪
噴水を集合場所にして散りぬ 昭女
囀りに囀り重ね奥の院 のぶ子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月9日
萩花鳥句会
城山に夏めく雲や牛蛙 小勇
兄戦死草笛の土手たもとほり 祐子
花みかん殊更匂ふ夜でありし 孝士
兄のまねして草笛を唇に 美恵子
瞬発のフォルテの音色草の笛 健雄
五線譜を抜けて彼方へ燕ゆく 吉之
老木に色めきだちし桐の花 陽子
珍しく今年の立夏夏らしく 晴子
葦原へ鳴き尽さんと行々子 圭三
初節句主役を脇に宴かな 克弘
平成29年5月11日
三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
つばめ二羽筋交ふ早さ飛ぶ早さ 喜代子
いつか来ていつか去りゆく春の雲 牧羊
更衣して胸元の風新た 牧羊
娘等の更衣なる有るや無し 喜代子
九頭竜の空に波なし飛燕来る 牧羊
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月12日
芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
二部合唱新緑をぬけ空に舞ふ 孝子
新緑の樹々の上なる飛行雲 久美子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月13日
枡形句会
栗林圭魚選 特選句
朴の葉の脈やはらかし豆御飯 鯨
懸り藤紫の風吹き渡る 多美女
花水木はらはら紅となり毀れ 陽子
乱鶯や多摩の雨脚強くして 鯨
紫雲英田や線路の果てに波の白 多美女
オレンジのクレーン吸ひ込む夏霞 亜栄子
母の日や母在すことに尽きるなり 文英
庭先に亡き人植ゑし翁草 教子
石仏の潤む半眼若葉雨 百合子
眼頭のあつくなる日よ母の日は 三無
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月16日
伊藤柏翠俳句記念館
坊城俊樹選 特選句
朝湯してゐる間に田植ゑすんでをり 清女
一人ゐて胸おもき日は野に遊ぶ 阿希
母の日に母となりたる孫見舞ふ 霞牛
伊勢神楽もう来る頃や麦の秋 文子
弁慶の洗濯岩へ卯浪寄す 文子
母の日に森田愛子の遺墨見に 文子
炎昼に女歩けば靴減らし 世詩明
初つばめ村に何かを持ちくれし 世詩明
更衣女ばかりが若やげり 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月17日
福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
駅頭を手庇で出る街薄暑 越堂
薫風に高層ビルの磨かるる 牧羊
更衣してより肌の目覚めけり 世詩明
越前の窯場の幾つ風薫る 昭子
透けるもの纏つてみたく更衣 昭子
城址なる母校の跡や風薫る よしのり
更衣笑ひ上戸であるらしく 松陰
日には日の月には月の牡丹の香雪
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月21日
鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
羊歯茂る中に二つの甕の墓 ただし
白き色最も燃えてゐるつつじ 雪
一人居に慣れて一人の春惜む 雪
母の日の遺句反芻し忌を修す 一涓
FMを聴き春愁のひとしほに 一涓
一点のやがて点なす蟻の道 スヱ子
蛇を見しより走り根の動くごと みす枝
藤の房地に触れなんと風揺らす 信子
母の日の黄なるリボンの使ひみち 昭子
牡丹寺ここにも朝倉供養塔 越堂
首と顔日焼したれど皺だらけ 世詩明
青田風北より吹けば幟上ぐ 世詩明
香水をつけたる人の座の隣る 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月21日
風月句会
坊城俊樹選 特選句
後ろより夏蝶降りて手に触れず 和子
すだ椎の作る果てなき木下闇 佑天
白金の長者の裔は山法師 鯨
結び葉や坊城俊樹向うから 公世
丸き膝胸に抱へて蟻の列 和子
夏蝶の無数に椎の影高く 炳子
青蔦を纏へばさらにくねる松 眞知子
青鷺の微睡む沼に染められて 文英
くちなはや水一切を沼として 鯨
土塁より先は根の国青葉闇 佑天
(順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
記憶消すごとく零るる花うつぎ 秋尚
青鷺の狙ひ定めし首たたむ 千種
椋大樹初夏の空くねり取る 秋尚
木漏れ日の探しあてたる蛇いちご 三無
黄菖蒲の水面に溶かし消えぬ色 秋尚
根の搦み入りて土塁の木下闇 野衣
いただきを蝶の世界へ森五月 千種
青蔦を纏へばさらにくねる松 眞知子
ちよと触れて交はす伝言蟻の列 眞理子
夏蝶のもつれるほかはなかりけり 公世
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月25日
九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
夏の蝶もつれて風を結びをり 豊子
風薫る遠の朝廷の野に佇ちて 初子
鮎釣の鋼立ちなる影法師 佐和
雨多き女人高野や著莪の花 郁子
草笛の音と帰るや昏き道 かおり
生きるものなべて躓く青嵐 朝子
寂光をまとひ新樹の鐘を撞く 朝子
新樹晴幹を叩けば嚶嚶と 朝子
ペダル踏むマーガレットの白のせて 孝子
くれなゐを重ね生るる薔薇の香 かおり
波頭月を押し上げ麦の秋 由紀子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月28日
花鳥月例会
坊城俊樹選 特選句
渕は根の国へ通うて蓮浮葉 順子
靖国に現れ消えて夏の蝶 含香
あぢさゐの毬小さくして供華となる 佑天
神池のあちこち磨き水馬 含香
あぢさゐの蒼き多佳子の忌なりけり 公世
擬ひ物めいて常盤木若葉照る 野衣
九段坂雲の峰まで上りたる 佑天
黒を著てきて紫陽花の径ゆく 順子
緑蔭に香具師の幻来てをりぬ 梓渕
内陣へ倚る緑蔭の湿りかな 野衣
(順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
高音の口笛小意気業平忌 ゆう子
万緑の爆発にある大鳥居 俊樹
神苑の果ての水音蜻蛉生る 眞知子
見上げたる新樹の風の銀色に 悠紀子
神殿の柱ほつそり緑さす 千種
翻る蓮の浮葉へ雲流る 政江
零戦の皮膚薄すぎて梅雨に入る 俊樹
英霊は静かに佇ちて木下闇 佑天
麦秋やカーブ大きく空のバス ゆう子
英霊の眠る社にまたも夏 清流
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月
花鳥さざれ会
坊城���樹選 特選句
観音に都忘れと木洩日と 秋野風
飛魚や吾も元少年飛行兵 匠
白鷺のすつくと佇つや田植歌 天空
観世音おだやかにして五月晴 松陰
園児等の遊戯の時間蝶の昼 越堂
天鵞絨のやうな静けさ五月闇 千代子
忘れ鎌錆びて出て来る木下闇 清女
(順不同 特選句のみ掲載)
4月の句会(追記)
平成29年4月5日
立待花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
うららかな犬の鼾を聞き昼餉 清女
石仏の頰に手を触れ春惜しむ ただし
耕して土の匂ひを豊かにす ただし
夜桜や狐は友と円居して 誠
黄塵や日輪影を薄くせり 越堂
日野堤銀輪軽快菜花道 幸只
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月8日
札幌花鳥会
坊城俊樹選 特選句
入学の母乗り継ぎし連絡船 晶子
火の山の火口は見えず春の雲 晶子
亀鳴くや南の島のキャデラック 晶子
雪洞の点りて鬼女も花に酌む 岬月
母許の道のり深き百千鳥 岬月
虚子よりも生きて忌日を修しけり 秀夫
あたたかや水に落ちたる雲の影 寛子
大試験終へほろ苦き缶コーヒー のりこ
(順不同 特選句のみ掲載)
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#不忍池弁天堂 にて。#角大師 の #お札 のお話から、#東叡山 #東叡山寛永寺 の謂れまで詳しくお聞かせいただく。#融通守銭 も#ありがとうございます #蓮 #不忍池 #快晴 #風あり #月曜日 #上野公園 #最高 #散歩 #散歩日和 #初夏 #laghetto #uenopark #ueno #loto #acqua #fogliediloto #lunedì #passaggio #inizioestate #giappone #japan #hanamaruxyz #yukikokigoshi #島嶼見聞録
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【巡る記・六拾五:上野編④護国院】
1625年、寛永寺開山と同時に最初の子院として、天海の命を受けた開基正順(江の島弁財天の生まれ変わりという言い伝えがあるとか。。)により、当時の寛永寺本坊裏手に建立された護国院。1630年、天海により釈迦三尊像を安置した釈迦堂が建立され、護国院はその別当寺となる。釈迦堂は当寺境内第一の大建築物だった。その釈迦堂で1639年、大阪城落城から25年に豊臣・徳川両軍の霊をともらう法要が行われ、その功績により三代将軍家光より、鎌倉時代の画家・藤原信実作と伝わる大国天画像が奉納さる。これ以来護国院大国天として信仰を集め、谷中七福神のひとつになっている。1651年、四代将軍家綱の霊廟建立のため北寄りに移築。1709年には五代将軍綱吉霊廟建立のために現在の位置に移転。さらに1927年、現在の上野高校創立にあたり境内半分を譲渡、本堂を現在の位置に移した。
護国院入り口。
手水舎
本堂。移築移築で、おつかれさまです。
本堂内も拝見させていただき、御朱印を書いてくださるであろう机もあったのですが、誰もおらず。。また機会があったら伺います。
写真を撮らなかったけど、本堂脇の庫裏の一階部分は1927年竣工、岡田信一郎設計による和風建築で、登録有形文化財だそうです。
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今日の一枚 -Today's Photo- 20150404
「御堂を見守る」 "The cherry tree which rises so that a temple may be watched."
Photo:Ueno Kaneiji Temple,Tokyo
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さすがに二代藩主の徳川光友公が創建した尾張徳川家菩提寺だけあってなかなか立派なお寺。 【大森寺】(だいしんじ) ご近所の神社仏閣参拝 2022年11月15日(火) 道路を挟んだ向かいが名鉄瀬戸線の大森・金城学院前駅の北改札口で、隣接して金城学院大学があります。 https://youtu.be/wwdO3lNEbv4 【大森寺とは】大森寺ホームページより 『興舊山(こうきゅうざん)歓喜院(かんぎいん)大森寺(だいしんじ)は尾張二代藩主徳川光友公の生母である歓喜院(かんぎいん)(お尉(じょう)の方(かた))様の菩提と徳川家御一門を弔うため寛文元年(1661)に創建されました。 大森村を訪れた初代藩主徳川義直公に見初められ、二代藩主、光友公を産んだお尉(じょう)の方(かた)様の菩提を弔うことから、良縁・縁結び、子の無事成長・立身出世・健康長寿のご利益寺院として、また、学業・合格の祈願寺としても親しまれています。』 山号:興旧山 宗派:浄土宗 本尊:阿弥陀如来 創建年:1637年 開山:信誉上人 開基:徳川光友 正式名:興旧山歓喜院大森寺 所在地:名古屋市守山区弁天が丘809番地 【由緒】 寛永14年(1637年)、尾張二代藩主徳川光友が、生母乾の方(歓喜院)の菩提を弔うため、江戸小石川の伝通院内に創建した。 寛文元年(1661年)、乾の方の出身地である大森 に移転した。裏山の墓地に歓喜院の墓がある。 中門に掲げられた山号の額は光友の筆である。 明照殿は、二十世住職で東海中学校初代校長でもあった武田芳淳が建中寺塔頭正信院の本堂を移築して旧校舎としていたものを、再び移築したものである。 明治8年(1875年)の火災で、創建以来の建物は消失したが、平成26年(2014年)に本堂を再建した。 #大森寺 #尾張徳川家菩提寺 #徳川光友公 #歓喜院 #大森・金城学院前駅 #金城学院大学 #ご近所の神社仏閣をまわって戻るどまだ (大森寺) https://www.instagram.com/p/Ck-UH-ovLay/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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