#寛永寺五重塔
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jr ueno station #jr東日本 #上野駅 #山手線 #京浜東北線 #上野東照宮ぼたん苑 #寛永寺清水観音堂 #上野弁財天 #寛永寺五重塔 #jr_east #ueno_station #yamanote_line #keihintohoku_line #ueno_tohsyohgu #peony_garden #kaneiji_temple ✱牡丹を見たいと言うカミサンの見守り隊で上野公園へ。 https://www.instagram.com/p/Cpgcfl1vcF3/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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過保護と、自立
大田区は、随分と創価学会員がいる。
環境、それが区民殆ど創価学会みたいな状況を作ったのかもしれない。
徳川幕府の罪悪、士農工商というカースト。
そこには、“穢多非人”という、言われのない差別発生回路が、仕組まれていた…
大田区こそ、被差別部落、そして敗戦寸前まで、
「戦争万歳」
の、町だった。
なんてことはない、武器下請け業者の町だったゆえ。
そして終戦を迎える。
原爆投下の少し前、アメリカはサイパンという攻撃拠点を得て、
1945年3月9日〜10日、
東京大空襲…
死者なんと、10万人…
私の居る大田区の人々は、そんな悲劇を体験した…
家もない…
食べ物もない…
勿論お金も、全て何もない…
そんな時、人はどうするだろう?
ただ天を仰ぎ、祈るしかない…
復興、再出発に向けて、人々は、協力なしには、先に進めない。
池上本門寺には、力道山も埋葬されている。
玉音放送があり、ポツダム宣言受諾、敗戦日本の庶民に希望を与えたのは何か?
そう…
街頭テレビ。
まさに、大田区体育館、力道山は、体の大きな外国人を、空手チョップでやっつける…
さて、
日蓮。
日蓮は、鎌倉時代に、法華経を開祖したそうな。
鎌倉時代と言えば、“禅宗”まっさかりw
つまり、己を律して、座禅を組む、内観する、そんな流れの中、
「南無妙法蓮華経を唱えれば、皆救われる」
それが、日蓮宗。
池上さんとは、日蓮を支持した金持ち。
そして、日蓮が病気療養で茨城に向かう途中、今の池上本門寺で息を引き取った。
これは本���に、ルターの宗教改革そっくりだw🙂
ルターの宗教改革の背景、それはローマカトリック教会が売り捌いた、“免罪符”。
《免罪符さえあれば、どんな罪人も救われる!》
として、ルターの居たドイツにて、乱売騒ぎとなった…
日蓮の200年くらい後の、神聖ローマ帝国の話。
ローマカトリック教会は腐敗し、堕落し、お金を使い〘レオ10世による贖宥状〙さえ買えば、あらゆる罪は許されるというw🤣✨
さて、
一方日蓮。
鎌倉時代、
《南無妙法蓮華経さえ唱えれば、救われる》
、禅宗のような厳しさがなく、わかりやすい。
そして、日蓮の、強引さ、過激さ。
他の宗教を徹底批判、幕府に、そして朝廷に、「法華経に改宗せよ」、と迫る。
日蓮は、「外国が攻めてきて、日本は滅びる」という予言もした。
最初は相手にされなかった日蓮は、元寇により、各方面から着目される。
その日蓮の縁の地、大田区。
創価学会は、「我々は日蓮正宗だ」と主張するが、破門されてるw🤣
55年体制崩壊、あの頃、
「日本は政教分離なのに、創価学会は堂々と“公明党”を掲げている!」
、そんな批判は沢山あり、今のように、当たり前に創価学会が政治に口出しするなど、考えられない時代だった…
大田区の人々が広く知る、日蓮入滅の大田区。
そして、単なる利益団体の創価学会が、あたかも日蓮と直接的に関係あるかのごとく、物凄い勢いで信者を集めた。
簡単に言えば、
創価学会とは詐欺団体だw🤣
パソコンのプリンターで作った御札を、数万円で売ったり、仏壇を法外な値段で売りつけたり、信者は餌にしかなっていない…
だが、
親が創価学会、或いは地域丸ごと創価学会、人間関係上、抜けられない、結果、大田区丸ごと創価学会、SDGsみたいな惨状となったわけだw🤣✨
さて、本題に戻りたいw
過保護と、自立
、過保護とはつまり、
《親と子の同化》
を指す。
「おまえは俺の子供だ!だから、おまえは俺のコピーだ!」
、それが同化だ。
コピーな訳だから、自由意志など認めないw🤣
親の言う事を聞き、親の示す道を進め!、って訳だ。
そして、親が年老いたら、親の面倒を見ろ!、その代わり、財産はやる!
これが、大日本過保護帝国なわけだw🤣🤣🤣✨😎🥸💨
じゃあ、新しく生まれる生命は?
何も新しい物は生まれず、何も新しい意見も、文化も、生まれない。
今までやってきた事をひたすら踏襲し、その《維持》だけを考える…
つまり、
搾取する側に都合の良い、奴隷ファーム製造システムが、過保護であるw🥸💨🤣✨
わかるだろうか?🤣
さて、
万教帰一を、知って欲しい。
5教合一という、世界紅卍。
何かしらの真摯な信者が入会条件の、フリーメイソン。
そして、カオダイ教。
万教帰一。
全ての宗教は、一つである…
当たり前やん、
宗教とは、家畜育成インフラストラクチャーだよw🤣✨😎
おかしいと思いませんか?
有名な宗教たちは、一つだ、一つだと叫ぶ中、
ヴェーダ、ヨガ、ウパニシャッド、禅宗だけ、除外されてるんです…
つまり何か?
国家という概念自体、選民思想そのものです。
つまり、国民、市民、臣民、庶民には、自立させないというねw🤣✌️
アセンション。
私達もれなく幸せになるには、私達もれなく、自立する必要がある。
フローレンス.スコーヴェルシンさん。
私達には、“表層意識”、“潜在意識”、それだけではなく、“超意識”があると、説く。
それこそが、キリストが示した道、
許すという事。
許す、許容、寛大さ、これこそが、超意識の扉を開きます。
宗教とは、人間の“潜在意識”に働きかける。
だから、だから信者は、色々不思議な体験も出来るが、《カルマ》因果応報から、逃れられない…
しかし、許すことにより、許される…
つまり、普通な��出来ない、《リセット》を可能にする、それが許す、寛大さだ。
だからキリストの示した技、病気が治る、つまり、許された。
死者が生き返る、リセットされた…
現状もそう。
誰か支配者がいて、誰か搾取され続ける。
奴隷の歴史は、とてつもなく、長い…
それを終わりにするのが、アセンションだ。
しかし、ニューソートだの、生長の家だの、馬鹿どものトンチンカンな解釈により、アセンションは随分遅れてしまったw🤣🤣🤣✨
艱難辛苦を愛で越した者だけが、本当のアセンションの意味を、紐解ける。
艱難辛苦を金やら、憎しみやら、戦いで越した者は、永遠にアセンションに辿り着かない。
生きるとは、己を知る事である。
己を、愛する事である。
己を愛し輝き始め、お互いがお互いを、照らす。
他力本願では、駄目、他力本願=宗教ですw🤣
私達に必要なのは、
己を知る、ヨガ、禅宗。
逃げる必要は、もう無いw✨
己を知れば知るほど、他人をも知ってゆく。
自己否定を強いる毒親に、逆に子供であるあなたが教えてあげて下さい。
親という字を良く見て下さい。
木に、立って、見てるんです、親。
つまり、ケツを拭いてやる必要が無くなれば、見ていてあげて下さい。
子供は、決して親のコピーではありません。
血肉をあげたんです。
「なんで!?じゃあ親は損ばかりじゃないか!」
…馬鹿を言うな。
今親であるあなたも、その親から血肉をわけて貰ったんだ。
今の立場でのぼせ上がり、あなたはあなたの親から貰ったものまで、最初から自分のものみたいに考えてる。
だから、子供をコピーだと思える。
さあ、簡単で、難しい扉が開きます。
己を知れ。
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旧寛永寺五重の塔。 元々上野東照宮だが神仏分離のあおりで何だかんだ現在上野動物園の敷地内に姿をとどめている。 #上野東照宮 #Shrine #旧寛永寺五重塔 https://goo.gl/FM7LrR #神社巡拝家 (上野東照宫)
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寛永寺五重塔 この間、台東区出身・育ちの写真家、須賀一さんの写真集「上野公園」を見た。その中に日暮れの頃に撮られた寛永寺五重塔の写真があったが、どっかの古都ではなく、東京にある景色だと一瞬信じていなかった。それに魅了され、上野公園の中で寛永寺五重塔を撮れるポイントを見つけ、今まで馴染んだ古都風で撮ってみた。今まで奈良に行くと、斑鳩三塔や興福寺の五重塔など、いくつかの塔を撮ってきたが、東京の塔は初めてだった。 . 撮影日:2020.08.14 . The Five-Storied Pagoda of Kanei-ji Temple, Tokyo. . #写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい #カメラ好きな人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界 #東京 #寛永寺 #五重塔 #上野公園 #Tokyo #beautifuljapan #lovers_amazing_group #tokyocameraclub #total_shot #sorakataphoto #raw_japan #bestjapanpics #photo_jpn #japan_photogroup #bestphoto_japan #japan_inside #5minjapan #japan_bestpic_ #1x_japan #IGersJP #special_spot_ #total_asia #loves_united_asia #ig_shotz_asia #tv_asia #total_silhouettes (上野公園) https://www.instagram.com/p/CEvgfhlAXWk/?igshid=1ihxt19tyztx1
#写真好きな人と繋がりたい#写真撮ってる人と繋がりたい#カメラ好きな人と繋がりたい#ファインダー越しの私の世界#東京#寛永寺#五重塔#上野公園#tokyo#beautifuljapan#lovers_amazing_group#tokyocameraclub#total_shot#sorakataphoto#raw_japan#bestjapanpics#photo_jpn#japan_photogroup#bestphoto_japan#japan_inside#5minjapan#japan_bestpic_#1x_japan#igersjp#special_spot_#total_asia#loves_united_asia#ig_shotz_asia#tv_asia#total_silhouettes
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旧東叡山寛永寺五重塔 by m-louis .® Via Flickr: Dec 18, 2021 at 11:00, Tokyo 上野
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The pagoda in Kan’eiji temple by NaokiTakei
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📸随心院庭園 [ 京都市山科区 ] Zuishinin Temple Garden, Kyoto の写真・記事を更新しました。 ーー平安時代の女流歌人 #小野小町 や“五摂家”九条家/二条家 / 一条家ゆかりの門跡寺院の苔の美しい庭園。国指定史跡。 ...... 「随心院」は京都市の南東部、地下鉄東西線・小野駅🚇の程近くにある真言宗善通寺派の大本山寺院。 皇室ゆかりの門跡寺院であり、重要文化財の襖絵や仏像の数々を所蔵するほか境内が国指定史跡。平安時代の女流歌人・小野小町ゆかりのお寺としても知られます。 . 実は訪れたことがなかった隨心院。2021年秋に初めて拝観しました! . 山科区の小野地区。この地は小野妹子や小野小町など公卿・貴族を輩出した“小野氏”の一族が拠点とした地とされ、隋心院には小野小町ゆかりの化粧井戸や小町文塚が残されています。 . 随心院は元々は平安時代の991年(正暦2年)に仁海僧正👨🦲が開山となり創建された『牛皮山 曼荼羅寺』の塔頭として建立されたのがはじまり。 この仁海という人は弘法大師空海も祈雨をした洛中の『神泉苑』に於いて9回も雨を降らすことに成功し“雨僧正”の異名をとった方☔️ . 鎌倉時代の1229年に時の後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り『隨心院門跡』とも称されるようになり、江戸時代以降には“五摂家”の一条家・二条家・九条家の出身者が入寺し門跡寺院としての歴史を重ねました。 . その建築について。鎌倉以前のものは承久の乱や応仁の乱で焼失🔥し、現在のお寺の姿は桃山時代の1599年に入った関白・九条兼孝の次男で24代目住職・増孝により再興されたもの。それもあってか寺紋は九条家の“九条藤紋”が使われています🟣 . 本堂は再興の際に建立された桃山時代の建築。本堂前の表書院と大玄関、賓客のための薬医門が江戸初期の寛永年間の建���で、いずれも江戸幕府二代目将軍・徳川秀忠の義娘で九条家に嫁いだ天真院尼の寄進。 その他、総門と庫裏は江戸時代中期の1753年(宝暦3年)に二条家の御殿から移築されたもの。 続く。 ・・・・・・・・ 🔗おにわさん紹介記事: https://oniwa.garden/zuishinin-temple-kyoto/ ーーーーーーーー #庭園 #日本庭園 #庭院 #庭园 #京都庭園 #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #zengarden #japanarchitect #japandesign #kyotojapan #beautifulkyoto #beautifuljapan #jardinjaponais #japanischergarten #jardinjapones #jardimjapones #kyototemple #kyoto #建築デザイン #そうだ京都行こう #京都紅葉 #真言宗 #五摂家 #国指定史跡 #おにわさん (随心院) https://www.instagram.com/p/CZzVsDsPvPP/?utm_medium=tumblr
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【福井県謡曲古跡めぐり若狭/嶺南編】11箇所目 番外編その4 2021/3/18
八幡神社の能舞台
《福井県小浜市小浜男山》
境内社名 大神宮、若宮神社、高良神社、稲荷神社、粟島神社、天満神社、船玉神社、三輪神社、松尾神社、大山祗神社、六月祓神社、彦狭智神社、姫宮神社、秋葉神社
旧社格 県社
主な祭典 放生祭
御祭神
應神天皇
神功皇后
多紀理比賣神
多紀都比賣神
市伎島比賣神
由 緒
創立年代不詳。『続日本紀』神護景雲4年(770)8月庚寅朔日・若狭国目従七位下伊勢朝臣諸人、内舎人大初位下佐伯宿禰老を勅使として、若狭彦神八幡神宮に鹿毛馬1疋を奉らしむと見える。
『八幡考』(伴信友著)では、この記録は当社のことであると考証し、創建あるいは前年の神護景雲3年とも考えられると述べている。
文永2年(1265)の『太田文』には八幡宮2町2反小浜とある。
応永2年(1395)8月、国主左京大夫一色詮範が大鳥居を再建し、同7年6月に神殿を造営、遷宮の儀に若狭税所代海部衛門五郎理泰勅使となる。
同12年、大鳥居倒壊のため、とくに税所代阿部新三郎忠俊、勅使となって祭礼が行われ、流鏑馬なども奉納された。
大永元年(1521)11月の多宝塔供養の勧進状が現存している。
天文7年(1538)守護武田信豊が太刀(銘吉入道宗長)一振(市文化財指定)を奉納し、同17年に大鳥居を再建するなど、歴代の国主も篤い尊敬を寄せたが、永禄2年(1559)9月朔日松永久秀の乱によって社殿は、炎上し、由緒記等多くの文書が焼失した。
天正3年(1575)丹羽長秀が当国を領有し、禁制を下して代々の国主これに順った。
天正13年(1585)の丹羽長重の禁制状が現存する最古のものである。
天正20年(1592)国主浅野長政の子長継・族臣家次・朝鮮出陣を前に一族の武運を祈り神殿を造営。
この時の神官渡辺氏は浅野家の長の家を賜わり、渡辺左近長良と名乗ったという。
また、社地が城郭に接近していたため、社を後瀬山の北麓に遷したが、慶長年間(1596~1614)に、国主京極高次が旧知に復した。
寛永11年(1634)���井氏が若狭を領し、正保元年(1644)酒井忠勝公が拝殿を造営した。
寛文7年(1667)に酒井忠直が漂着した蛮檣の環鉄で太刀(銘近江守久道=市文化財指定)一振を造らせ奉納した。
同年紫宸殿の御簾を下賜され殿中に懸げた。
元文(1736~)の頃より幕末にかけて、町内の氏子がそれぞれの職業の守護神として、松尾社〔酒屋〕彦狭智社〔桶屋〕などを奉斎した。
明治2年には菊の御紋章を勅許されて、神紋を「菊花に対い鳩」と定めた。
明治9年には郷社、同15年には県社に列格。
氏子崇敬者の信仰益々篤く、20年毎に屋根葺替・社殿修築を伴う式年大祭が厳修され続けている。
例大祭には「八幡神社ほ放生会」(市無形文化財指定)が執行され、大太鼓・神楽・山車・神輿の他に、武州川越から伝えられた獅子舞も奉納される。
これは、若狭地方最大の祭礼である。
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<飛鳥時代> 1 大 化 645 大化の改新 2 白 雉 663 白村江の戦い 3 朱 鳥 672 壬申の乱 4 大 宝 694 藤原京に遷都 5 慶 雲 701 大宝律令制定 <奈良時代> 6 和 銅 710 平城京に遷都 7 霊 亀 712 古事記が完成 8 養 老 720 日本書紀完成 9 神 亀 723 三世一身の法 10 天 平 729 光明子が皇后に 11 天平感宝 741 国分寺建立の詔 12 天平勝宝 743 墾田永年私財法 13 天平宝字 752 ���大寺大仏開眼 14 天平神護 754 唐から鑑真来日 15 神護景雲 ― 「万葉集」成立 16 宝 亀 781 桓武天皇が即位 17 天 応 784 長岡京に遷都 <平安時代> 18 延 暦 794 平安京に遷都 19 大 同 802 坂上田村麻呂東征 20 弘 仁 804 最澄、空海が唐へ 21 天 長 806 最澄、天台宗開く 22 承 和 810 唐招提寺五重塔 23 嘉 祥 816 検非違使を設置 24 仁 寿 823 空海、真言宗開く 25 斉 衡 860 石清水八幡宮創建 26 天 安 866 応天門の変 27 貞 観 869 貞観の大地震 28 元 慶 878 元慶の乱 29 仁 和 888 仁和寺金堂建立 30 寛 平 894 遣唐使を廃止 31 昌 泰 ― 平仮名が現れる 32 延 喜 901 菅原道真が失脚 33 延 長 905 古今和歌集編纂 34 承 平 935 平将門の乱 35 天 慶 939 藤原純友の乱 36 天 暦 947 北野天満宮建立 37 天 徳 949 村上天皇の親政 38 応 和 955 後撰和歌集成立 39 康 保 968 東大寺?興福寺 40 安 和 969 安和の変 41 天 禄 ― 浄土教が流行 42 天 延 974 道綱の母「蜻蛉日記」 43 貞 元 ― 日宋貿易始まる 44 天 元 984 最古医術書「医心方」 45 永 観 985 源信「往生要集」 46 寛 和 ― 「日本往生極楽記」 47 永 延 987 宋の商人が来日 48 永 祚 988 尾張国郡司百姓等解 49 正 暦 990 藤原道隆摂政に 50 長 徳 ― 清少納言「枕草子」 51 長 保 ― 紫式部「源氏物語」 52 寛 弘 ― 「和泉式部日記」 53 長 和 ― 拾遺和歌集成立 54 寛 仁 1016 藤原道長摂政に 55 治 安 1019 刀伊の入寇 56 万 寿 1027 藤原道長が死去 57 長 元 1028 平忠常の乱 58 長 暦 1036 後朱雀天皇即位 59 長 久 1040 長久の荘園整理令 60 寛 徳 1047 浄瑠璃寺が創建 61 永 承 1051 前九年の合戦 62 天 喜 1053 平等院鳳凰堂完成 63 康 平 1063 源頼義鎌倉に八幡宮 64 治 暦 ― 孝標の女「更級日記」 65 延 久 1069 延久の荘園整理令 66 承 保 1075 延暦寺?円城寺 67 承 暦 ― 末法思想の流行 68 永 保 1083 後三年の合戦 69 応 徳 1086 白河上皇の院政 70 寛 治 ― 熊野信仰が盛んに 71 嘉 保 1095 北面の武士設置 72 永 長 1105 平泉に中尊寺建立 73 承 徳 1107 源義親の乱 74 康 和 ― 今昔物語集 75 長 治 ― 源氏物語絵��� 76 嘉 承 77 天 仁 78 天 永 79 永 久 80 元 永 81 保 安 82 天 治 83 大 治 84 天 承 85 長 承 86 保 延 87 永 治 88 康 治 89 天 養 90 久 安 91 仁 平 92 久 寿 93 保 元 94 平 治 95 永 暦 1152 平清盛厳島神社修復 96 応 保 1156 保元の乱 97 長 寛 1159 平治の乱 98 永 万 1160 源頼朝伊豆配流 99 仁 安 1167 平清盛が太政大臣 100 嘉 応 1169 後白河上皇が出家 101 承 安 1171 清盛の娘徳子入内 102 安 元 1175 法然が浄土宗開く 103 治 承 1180 源頼朝伊豆で挙兵 104 養 和 1181 清盛が熱病で死去 105 寿 永 1183 倶利伽羅峠の戦い 106 元 暦 1185 壇ノ浦で平氏滅亡 107 文 治 1189 源義経討たれる 108 建 久 1192 頼朝鎌倉に幕府 <鎌倉時代> 109 正 治 1195 東大寺大仏再建 110 建 仁 1199 頼朝53歳で死す 111 元 久 1202 源頼家が征夷大将軍 112 建 永 1203 北条時政執権就任 113 承 元 1204 頼家が暗殺される 114 建 暦 1205 新古今和歌集完成 115 健 保 1212 鴨長明「方丈記」 116 承 久 1213 源実朝「金槐和歌集」 117 貞 応 1219 実朝暗殺、源氏断絶 118 元 仁 1221 承久の乱 119 嘉 禄 1224 親鸞、浄土真宗開く 120 安 貞 1227 道元、曹洞宗伝える 121 寛 喜 1231 寛喜の大飢饉 122 貞 永 1232 御成敗式目制定 123 天 福 ― 京都で猿楽流行 124 文 暦 1235 小倉百人一首 125 嘉 禎 1235 霧島連峰が大噴火 126 暦 仁 1239 人身売買を禁止 127 延 応 1242 「東関紀行」完成 128 仁 治 1244 越前に永平寺建立 129 寛 元 ― 琵琶法師「平家物語」 130 宝 治 1247 宝治合戦 131 建 長 1253 日蓮、日蓮宗開く 132 康 元 1255 東福寺創建される 133 正 嘉 1259 正嘉の大飢饉 134 正 元 1261 日蓮が伊豆に配流 135 文 応 1268 北条時宗執権就任 136 弘 長 1269 モンゴル使者来着 137 文 永 1274 文永の役 138 建 治 1276 博多湾岸に防塁設置 139 弘 安 1281 弘安の役 140 正 応 1285 霜月騒動 141 永 仁 1293 鎮西探題を設置 142 正 安 1297 永仁の徳政令 143 乾 元 144 嘉 元 145 徳 治 146 延 慶 147 応 長 148 正 和 149 文 保 150 元 応 151 元 享 1321 院政を廃止 152 正 中 1324 正中の変 153 嘉 暦 1324 大徳寺創建される 154 元 徳 1330 兼好法師、徒然草 <南北朝時代> 南 元 弘 1331 楠木正成が挙兵 南 建 武 1332 後醍醐天皇流刑 南 延 元 1333 鎌倉幕府が滅亡 南 興 国 1336 湊川の戦い 南 正 平 1338 足利尊氏が征夷大将軍 南 建 徳 1339 後醍醐天皇が没す 南 文 中 1368 足利義満が3代将軍 南 天 授 ― 太平記 南 弘 和 ― 義経記 南 元 中 1391 明徳の乱 北 正 慶 北 暦 応 北 康 永 北 貞 和 北 観 応 北 文 和 北 延 文 北 康 安 北 貞 治 北 応 安 北 永 和 北 康 暦 北 永 徳 北 至 徳 北 嘉 慶 北 康 応 <室町~戦国時代> 181 明 徳 1392 南北朝が合体 182 応 永 1397 金閣寺造営 183 正 長 1399 応永の乱 184 永 享 1419 応永の外寇 185 嘉 吉 1428 正長の徳政一揆 186 文 安 1438 永享の乱 187 宝 徳 1441 足利義教殺害 188 享 徳 1454 享徳の乱 189 康 正 1456 応仁の乱 190 長 禄 1482 銀閣寺造営 191 寛 正 1488 加賀で一向一揆 192 文 正 1493 明応の政変 193 応 仁 1543 鉄砲伝来 194 文 明 1549 ザビエル布教 195 長 享 1553 川中島の戦い 196 延 徳 1560 桶狭間の戦い 197 明 応 1568 織田信長が入京 198 文 亀 1573 室町幕府滅亡 199 永 正 200 大 永 201 享 禄 202 天 文 203 弘 治 204 永 禄 205 元 亀 <安土桃山時代> 206 天 正 1582 本能寺の変 207 文 禄 1600 関ヶ原の戦い <江戸時代> 208 慶 長 1603 徳川家康江戸幕府開く 209 元 和 1614 大阪冬の陣 210 寛 永 1615 大阪夏の陣 211 正 保 1633 鎖国が始まる 212 慶 安 1635 参勤交代制 213 承 応 1636 長崎に出島完成 214 明 暦 1637 島原・天草一揆 215 万 治 1651 由井正雪の乱 216 寛 文 1685 生類憐れみの令 217 延 宝 1702 赤穂事件 218 天 和 1732 享保の飢饉 219 貞 享 1774 解体新書出版 220 元 禄 1782 天明の飢饉 221 宝 永 1783 浅間山大噴火 222 正 徳 1787 天明の打ち壊し 223 享 保 1825 異国船打払令 224 元 文 1828 シーボルト事件 225 寛 保 1833 天保の飢饉 226 延 享 東海道五十三次完成 227 寛 延 1837 大塩の乱 228 宝 暦 1841 天保の改革 229 明 和 1853 ペリー浦賀来航 230 安 永 1854 日米和親条約 231 天 明 1858 日米修好通商条約 232 寛 永 安政の大獄 233 享 和 1860 桜田門外の変 234 文 化 1864 禁門の変 235 文 政 1866 薩長同盟の密約 236 天 保 237 弘 化 238 嘉 永 239 安 政 240 万 延 1867 坂本龍馬暗殺 241 文 久 大政奉還 242 元 治 1868 鳥羽伏見の戦い 243 慶 応 江戸城無血���城 <近現代> 244 明 治 1904 日露戦争 245 大 正 1914 第1次世界大戦 246 昭 和 1945 太平洋戦争終戦 247 平 成 2011 東日本大震災
248番目の新元号発表 大化から平成まで一覧(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
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春休みこども寺子屋 ②
徳川15代将軍墓所参拝巡りフィールドワーク
~寛永寺・開山堂・上野東照宮編
2日目は上野恩賜公園の寛永寺周辺散策です。
寛永寺を開山されたのは江戸初期に活躍された天台宗の天海和尚(慈眼大師)です。
天海和尚は比叡山が信長に焼き討ちをされて再興された方です。
参拝する前に開山堂にご挨拶です。
両大師のもう一人が平安時代に活躍された良源和尚(慈恵大師)です。
この和尚さんは別名、鬼大師と言われ、当時疫病が流行ったころに鬼となり疫病を退散させたという伝説が語り継がれております。
ちょうどお釈迦様のお誕生日、花まつりでしたので甘茶をみんなで順番に掛けてあげました。
寛永寺といえば東の比叡山というくらいに滋賀県の琵琶湖や竹生島に見立て作られています。
不忍池の蓮や各所に桜を植えることで天海和尚は平穏平和で安らかな時代を表現したかったのでしょう。
幕末の戊辰戦争、上野戦争にてもともとは公園内の噴水のところにありましたが、焼失してしまいました。
今の本堂は川越の喜多院から移築したものです。
徳川家 5代 将軍綱吉の霊廟への勅使門跡です。
この奥の敷地に8代将軍吉宗の墓所があります。
コロナ禍により現在拝観中止になっており、子供達にはグーグルマップで位置だけ確認してもらいました。
ほかにも将軍の墓所があったのですが、
第二次世界大戦で空襲に遭い、焼失です。
寛永寺の隣に谷中霊園があります。
その中には15代将軍慶喜の墓所があります。
慶喜は神道でしたので、お墓の形が丸い円盤です。
渋沢栄一翁が寛永寺の総代でしたので
主君のお葬式を寛永寺で行いました。
渋沢栄一翁の墓所です。
ものすごく大きく、お墓の前は昨年大河ドラマだったせいか、
公園へと整備されておりました。
上野東照宮です。
江戸の皆様が日光へ参拝できない方のために作ったお宮です。
上野東照宮はまず黄金色の装飾に圧倒されます。
一つ一つ極め細やかなつくりと色彩は江戸の平和を象徴してます。
4月限定のご朱印です。
華やかですね。
旧寛永寺五重塔。とにかく桜の時期は見事な景観です。
東京国立博物館の前です。
つい先日までポンペイ展と5月8日まで六波羅蜜寺の空也展が開催しております。
高学年や中学生になったら、皆と一緒に行きたいですね。
さて、昼食後に国立科学博物館へ行って参りました。
日本館と地球館です。
ちょうどポケモン化石展がやっておりましたので
カセキポケモンと古生物の骨格を比較したかったのですが、
ものすごい人気で事前に予約が取れませんでした。
すべてインターネット予約の方のみの拝観なのです。
残念ですが、出口付近にあった恐竜同士で記念撮影です。
神秘的な地球の原石ですね。
プレシオサウルスの化石。体長は2メートル超える程度の大きさと言われますが、目の前の化石はじゅうぶん圧倒されますね。
1億3500万年~1億2000万年前(ジュラ紀前期)
ここからたくさんの動物が出てきます。
3時間フルに国立科学博物館でした。
もっともっと見たいところがありまして
まだ上野恩賜公園内は弁天堂や上野大仏、清水観音堂があります。
楽しみはまた後にとっておいて帰宅です。
今回のこども寺子屋社会科見学は楽しいだけでなく、
事前に学習をしてきたので
更に知識と好奇心が膨らみ、
新たな楽しみ方を模索できたのかと思います。
今流行のご朱印を各所でいただき、
家に持ち帰り、
ご家族の皆様で思い出話に花を咲かせてもらいたいと思います。
また、実際江戸時代を学校で学ぶ時が来たら
たとえ内容は忘れてしまっても
龍興寺の和尚や引率の尾澤さん、まなちゃんとみんなでコロナ禍の中
旅しながら、みんなで協力して行けたことを思い出して、
不安を希望に変えて、未来を切り開いていってもらいたいと思います。
引率の尾澤さん、まなちゃん、
こども寺子屋の皆さんと
保護者の皆様にはいつもご理解とご協力、
誠にありがとうございました。
今後もよろしくお願い申し上げます。
こども寺子屋 保科基晴
次回、こども寺子屋 ③ 徳川15代将軍墓所参拝巡りフィールドワーク ~世界遺産の日光東照宮・輪王寺・二荒山神社 完結編へつづく
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旧東叡山寛永寺五重塔 (Ueno Park) https://www.instagram.com/p/CW42vbsh_2j/?utm_medium=tumblr
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【かいわいの時】天正十七年(1589)六月二十二日:秀吉、四天王寺に修復料米5000石を寄進(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。当時被遺是 米五千石之事 肝要候也 可精人事 其方請取造営 六月廿二日(朱印) 天王寺 秋野(「豊臣秀吉朱印状」大阪市指定文化財)。
秀吉が四天王寺へ米五千石を遣わし秋野坊*へ造営に精を入れるように命じたもの。年紀不明ですが、『天王寺年表』では天正十七年としています。*秋野坊(あきのぼう)西門の北にあり。当寺、公文所三綱職と号して、世々一山衛護の家なり(『摂津名所図会 2』)。石山合戦の際に四天王寺が焼失したことは間違いなく、天正四年五月十日に正親町天皇が再興に尽力を図るように四天王寺の執行に命じた綸旨が残る。この時の被害の状況は明らかではないが、豊臣秀吉が四天王寺再建を計画して記した「四天王寺造営目録」*には、中心伽藍をはじめ主要な堂宇が列挙されていることから、相当な被害を受けたものだと考えられる。天正四年に焼亡後の再興の経過は明らかではないが、いくつかの秀吉の朱印状やその他の文書が四天王寺に残る(木村展子)。「四天王寺の慶長再建について」(神戸大学美術史研究会『美術史論集 9』2009所収)より。*別紙跋文に文禄三年(1594)とあります。本紙には、金堂・講堂・太子堂・六時堂・食堂・五重塔・仁王門・南大門・西門・万塔院・鐘楼・求聞持堂の12棟について、再建に必要な費用と担当奉行について記されています。
「米の絶対価値不変の法則」*により、米5000石(1589)=13億5千万円(現在)。『造営目録』や『多聞院日記』(1478~1618)などから、この費用は五重塔の新築費用だったと思われますが、秀頼の時代になって、五重塔は額田部の額安寺から移建されており(足立康1935)、減額された可能性があります。目録にある12棟合計では、1万7000(別に5000石)。単位を「貫」とみれば、17000貫+5000石=45億9000万円+13億5000万円=59億4000万円。秀頼まで引き継がれた復興事業の総費用は、こんなもんでは済まなかったようにも思えます。
*当会では、江戸時代を通じて米の絶対価値(1石=27万円・2003現在)は変わらなかったとする「米の絶対価値不変の法則」を採用しています。また、中世(室町~戦国)は物価が比較的安定していたことや、明治初期は俸給を石高で表していたことなどから、この法則を室町~明治初期まで拡張しています。たとえば、戦国大名である長宗我部元親・盛親親子が1597年5月10日(慶長2年3月24日)に制定発布した分国法『長曾我部元親百箇條』には、諸職人の手間賃(最低賃金)として「上手者」が京枡籾7升、「中者」が京枡籾5升、「下手者」が京枡籾3升とされています(豊臣石垣コラム「金箔押しの手間賃」による)。法則によれば、7升=0.07石=18900円(上手者)、3升=0.03石=8100円(下手者)となります。また、この法則により、その時々の米価をみることで、当時の貨幣価値を知ることができます。たとえば、江戸初期まで米1石がおおむね1000文(1貫文)前後で推移していたことから、1石≒1000文(中世)≒27万円(現在)が成り立ちます。いささか乱暴なようですが、1496年の京の臨川寺、大徳寺などでの番匠(大工)の日当が100文(鈴木公雄『貨幣の地域史』による)≒27000円であったことから、妥当な範囲と思われます。
(写真)「天王寺」。『蘆分船』1675(筑波大学附属図書館蔵)より 石の鳥井ハ忍性といふ沙門、永仁二年に是を立られしとかや。さらば此鳥井ハ極楽浄土の東門の中心にあたるといへり。西門に二王を立られるへきに、南大門に立らるる事ハ、太子末代にいたりて補陀洛山に通ひ給ふゆへに、南大門にたてられけると也(一無軒道治)。
石鳥居は、寛文七年(1667)2回目の顕落があり、寛文九年(1669)ほぼ現在のように修補が出來上りました。
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5月の各地句会報
平成29年5月の特選句
坊城俊樹選
栗林圭魚選 栗林眞知子選 岡田順子選
平成29年5月1日
鳥取花鳥会
岡田順子選 特選句
手漕にて渡る川岸浜豌豆 すみ子
牡丹に重たき雨や誰も来ず 悦子
洞穴に蛙の鳴くや行者みち 美智子
花は葉に一足早にモノクロに 悦子
靴脱げば踝眩し四月尽 悦子
村挙げて菖蒲葺くなり本庄屋 益恵
今日までは春の三日月滲みゐる 都
春深し帆立の稚貝など買うて 幸子
若葉風露店に金平糖を売る 都
そら豆の莢まだ空を向いてゐて 和子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月2日
さくら花鳥句会
栗林眞知子選 特選句
背が少し伸びし少年夏に入る 登美子
ほほゑみて席ゆづられて麦の秋 令子
楠若葉柏手杜によく響く 寿子
薄青き空惜春の月の出づ 紀子
駆け下りる螺旋階段風薫る 登美子
春惜むこほろぎ橋の渓の音 光子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月6日
零の会
坊城俊樹選 特選句
シスターの俯いて去る夏日影 含香
グレースケリー佇ちしか大躑躅の陰 慶月
神木は石の肌なり若葉風 鯨
公家の踏む松の落葉も下屋敷 千種
行人のやうに胸突坂を汗 眞知子
神木のこのただならぬ木下闇 佑天
蜷の道椿山荘へ迷ひける 瑠璃
夏落葉ひとりとなれば音をたて 光子
横切りし蜥蜴の腹の息づかひ 久子
ひよんの笛吹きて穴より南風 ラズリ
砂糖壺の白き肌舐む蠅太し 和子
黒塗りの待てり躑躅の車寄せ はるか
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月7日
県民会館花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
人の世の綾を生き抜き永き日を 龍聲
鯉幟本家分家の競ふごと 文子
春星として潤まずに居れぬ星 雪
夏の星汐入川に突き刺さり 龍聲
春泥の犬の足跡ある廊下 清女
桐の花高きに咲かせ婿の来る 千代子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月8日
なかみち句会
栗林圭魚選 特選句
岩礁のあらがへるらし卯波散る 有有
喉もとにきちんと新茶のこく届く 聰
夕映えの富士に相模の卯波立つ 迪子
新茶汲む湑む一滴待つしじま 和魚
沖の船見え隠れして卯波寄す せつこ
好物の鱚の天婦羅浅草寺 貴薫
揚げたての鱚の天婦羅そり美しき 三無
診察室湯呑みに冷めし新茶かな 美貴
遠浅の浜の卯波のゆるゆると 貴薫
連絡船卯波蹴りたて出港す 和魚
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月8日
武生花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
藤房の花粉まみれの羽音かな 昭子
決断を迫られてゐる薄ごろも 昭女
母恋ふはいつもこの頃著莪の雨 昭子
花散るや永久に伏目の観世音 雪
揚雲雀空の碧さへ見失ひ 越堂
雨脚もさみどりとなり麦は穂に のぶ子
惜春の月あり星を散りばめて ミチ子
鳥雲に飼はれし鶴の長き脚 雪
噴水を集合場所にして散りぬ 昭女
囀りに囀り重ね奥の院 のぶ子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月9日
萩花鳥句会
城山に夏めく雲や牛蛙 小勇
兄戦死草笛の土手たもとほり 祐子
花みかん殊更匂ふ夜でありし 孝士
兄のまねして草笛を唇に 美恵子
瞬発のフォルテの音色草の笛 健雄
五線譜を抜けて彼方へ燕ゆく 吉之
老木に色めきだちし桐の花 陽子
珍しく今年の立夏夏らしく 晴子
葦原へ鳴き尽さんと行々子 圭三
初節句主役を脇に宴かな 克弘
平成29年5月11日
三日の月句会
坊城俊樹選 特選句
つばめ二羽筋交ふ早さ飛ぶ早さ 喜代子
いつか来ていつか去りゆく春の雲 牧羊
更衣して胸元の風新た 牧羊
娘等の更衣なる有るや無し 喜代子
九頭竜の空に波なし飛燕来る 牧羊
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月12日
芦原花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
二部合唱新緑をぬけ空に舞ふ 孝子
新緑の樹々の上なる飛行雲 久美子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月13日
枡形句会
栗林圭魚選 特選句
朴の葉の脈やはらかし豆御飯 鯨
懸り藤紫の風吹き渡る 多美女
花水木はらはら紅となり毀れ 陽子
乱鶯や多摩の雨脚強くして 鯨
紫雲英田や線路の果てに波の白 多美女
オレンジのクレーン吸ひ込む夏霞 亜栄子
母の日や母在��ことに尽きるなり 文英
庭先に亡き人植ゑし翁草 教子
石仏の潤む半眼若葉雨 百合子
眼頭のあつくなる日よ母の日は 三無
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月16日
伊藤柏翠俳句記念館
坊城俊樹選 特選句
朝湯してゐる間に田植ゑすんでをり 清女
一人ゐて胸おもき日は野に遊ぶ 阿希
母の日に母となりたる孫見舞ふ 霞牛
伊勢神楽もう来る頃や麦の秋 文子
弁慶の洗濯岩へ卯浪寄す 文子
母の日に森田愛子の遺墨見に 文子
炎昼に女歩けば靴減らし 世詩明
初つばめ村に何かを持ちくれし 世詩明
更衣女ばかりが若やげり 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月17日
福井花鳥句会
坊城俊樹選 特選句
駅頭を手庇で出る街薄暑 越堂
薫風に高層ビルの磨かるる 牧羊
更衣してより肌の目覚めけり 世詩明
越前の窯場の幾つ風薫る 昭子
透けるもの纏つてみたく更衣 昭子
城址なる母校の跡や風薫る よしのり
更衣笑ひ上戸であるらしく 松陰
日には日の月には月の牡丹の香雪
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月21日
鯖江花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
羊歯茂る中に二つの甕の墓 ただし
白き色最も燃えてゐるつつじ 雪
一人居に慣れて一人の春惜む 雪
母の日の遺句反芻し忌を修す 一涓
FMを聴き春愁のひとしほに 一涓
一点のやがて点なす蟻の道 スヱ子
蛇を見しより走り根の動くごと みす枝
藤の房地に触れなんと風揺らす 信子
母の日の黄なるリボンの使ひみち 昭子
牡丹寺ここにも朝倉供養塔 越堂
首と顔日焼したれど皺だらけ 世詩明
青田風北より吹けば幟上ぐ 世詩明
香水をつけたる人の座の隣る 世詩明
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月21日
風月句会
坊城俊樹選 特選句
後ろより夏蝶降りて手に触れず 和子
すだ椎の作る果てなき木下闇 佑天
白金の長者の裔は山法師 鯨
結び葉や坊城俊樹向うから 公世
丸き膝胸に抱へて蟻の列 和子
夏蝶の無数に椎の影高く���炳子
青蔦を纏へばさらにくねる松 眞知子
青鷺の微睡む沼に染められて 文英
くちなはや水一切を沼として 鯨
土塁より先は根の国青葉闇 佑天
(順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
記憶消すごとく零るる花うつぎ 秋尚
青鷺の狙ひ定めし首たたむ 千種
椋大樹初夏の空くねり取る 秋尚
木漏れ日の探しあてたる蛇いちご 三無
黄菖蒲の水面に溶かし消えぬ色 秋尚
根の搦み入りて土塁の木下闇 野衣
いただきを蝶の世界へ森五月 千種
青蔦を纏へばさらにくねる松 眞知子
ちよと触れて交はす伝言蟻の列 眞理子
夏蝶のもつれるほかはなかりけり 公世
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月25日
九州花鳥会
坊城俊樹選 特選句
夏の蝶もつれて風を結びをり 豊子
風薫る遠の朝廷の野に佇ちて 初子
鮎釣の鋼立ちなる影法師 佐和
雨多き女人高野や著莪の花 郁子
草笛の音と帰るや昏き道 かおり
生きるものなべて躓く青嵐 朝子
寂光をまとひ新樹の鐘を撞く 朝子
新樹晴幹を叩けば嚶嚶と 朝子
ペダル踏むマーガレットの白のせて 孝子
くれなゐを重ね生るる薔薇の香 かおり
波頭月を押し上げ麦の秋 由紀子
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月28日
花鳥月例会
坊城俊樹選 特選句
渕は根の国へ通うて蓮浮葉 順子
靖国に現れ消えて夏の蝶 含香
あぢさゐの毬小さくして供華となる 佑天
神池のあちこち磨き水馬 含香
あぢさゐの蒼き多佳子の忌なりけり 公世
擬ひ物めいて常盤木若葉照る 野衣
九段坂雲の峰まで上りたる 佑天
黒を著てきて紫陽花の径ゆく 順子
緑蔭に香具師の幻来てをりぬ 梓渕
内陣へ倚る緑蔭の湿りかな 野衣
(順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句
高音の口笛小意気業平忌 ゆう子
万緑の爆発にある大鳥居 俊樹
神苑の果ての水音蜻蛉生る 眞知子
見上げたる新樹の風の銀色に 悠紀子
神殿の柱ほつそり緑さす 千種
翻る蓮の浮葉へ雲流る 政江
零戦の皮膚薄すぎて梅雨に入る 俊樹
英霊は静かに佇ちて木下闇 佑天
麦秋やカーブ大きく空のバス ゆう子
英霊の眠る社にまたも夏 清流
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年5月
花鳥さざれ会
坊城俊樹選 特選句
観音に都忘れと木洩日と 秋野風
飛魚や吾も元少年飛行兵 匠
白鷺のすつくと佇つや田植歌 天空
観世音おだやかにして五月晴 松陰
園児等の遊戯の時間蝶の昼 越堂
天鵞絨のやうな静けさ五月闇 千代子
忘れ鎌錆びて出て来る木下闇 清女
(順不同 特選句のみ掲載)
4月の句会(追記)
平成29年4月5日
立待花鳥俳句会
坊城俊樹選 特選句
うららかな犬の鼾を聞き昼餉 清女
石仏の頰に手を触れ春惜しむ ただし
耕して土の匂ひを豊かにす ただし
夜桜や狐は友と円居して 誠
黄塵や日輪影を薄くせり 越堂
日野堤銀輪軽快菜花道 幸只
(順不同 特選句のみ掲載)
平成29年4月8日
札幌花鳥会
坊城俊樹選 特選句
入学の母乗り継ぎし連絡船 晶子
火の山の火口は見えず春の雲 晶子
亀鳴くや南の島のキャデラック 晶子
雪洞の点りて鬼女も花に酌む 岬月
母許の道のり深き百千鳥 岬月
虚子よりも生きて忌日を修しけり 秀夫
あたたかや水に落ちたる雲の影 寛子
大試験終へほろ苦き缶コーヒー のりこ
(順不同 特選句のみ掲載)
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