#宇田友音
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実写版『聖闘士星矢THE BEGINNING』の主人公、実写版『ONE PIECE』のZORO役で国際的な人気俳優となった #新田真剣佑 と #田中泯 が主演する、日本の隠れた政財界の黒幕“フクロウ”を描いたシリアス連続ドラマ #フクロウと呼ばれた男 https://x.com/takigawa_w/status/1790397107632996456?s=46&t=8Vf8aUwk_B-ZbQ5UAGv05w フクロウは真夜中であっても、いつでも見える目ですべてを見ている。 70歳のカリスマ・大神龍太郎 (田中泯) には4人の子どもがいる。 長男の一郎 (#安藤政信) は頼りなく、妻とも不仲で、銀座のホステスを愛人にしていた。父の影響から脱するため、父から資金を借りずに新しい高級レストランを計画していた。 しっかり者の長女・由美子 (#長谷川京子) は、イケメン商社マンの夫との間に二人の子どもをもうけ、一見幸せそうに見えたが、夫は由美子に隠れて (メジャーリーグの有名選手の通訳とは別の) 裏取引をしていた。 父親とうまくいかない次男・龍(新田真剣佑) は、アメリカ留学後、家族に連絡せずに小さなNPO法人で働くために帰国。ある日、龍は公園でジョギング中に美しいアメリカ人女性と出会い、携帯電話が道に落ちて壊れてしまう。龍は弁償すると約束し、女性の連絡先を聞くと、女性は龍に「記者」と書かれた名刺を渡す。 シンガーソングライターを目指す末次女・理沙子 (#中田青渚) はすでに25歳だが、天性��歌声と作詞作曲の才能を持ち、メジャーデビューが期待されていた。理沙子は父・龍太郎に夢を語るが、龍太郎は理沙子が芸能界の闇に飲み込まれるのではないかと恐れる。 ある夜、次期首相候補・竹内 (#中村雅俊) の息子が酒席での喧嘩の末に殺される。息子には薬物疑惑もあった。犯人は捕まったが、刑務所で「自殺」してしまう。 全体的にクールなテイストでシリアスな展開。政治家のスキャンダル、一郎の愛人、由美子の夫の破滅的な取引、美人記者と付き合い始めた龍、夢に向かって突き進む理沙子など、それぞれの人生が生き生きと描かれる。 龍太郎の妻・京子を演じる #萬田久子 の抑えた演技が光る。 東京のクラブ (ホステスのいる方)のシーンを木村多江がホステス役で演じることで、よりリアルさが増している。 龍太郎が情報源として重視するホステス役の #木村多江 は、実際に東京のクラブで働いているかのような臨場感がある。 「フクロウと呼ばれた男」が他のドラマと違うのは、大げさな演技や大げさな音楽を使わずに、家族の葛藤を真剣に描いていることだ。 日本のドラマにありがちな大げさな音楽や大げさな演技、大げさな (意味不明の) ジョークもないし、日本でスキャンダルを起こした有名芸能事務所の男性タレントもいないし、下手な歌やダンスを披露する数十人の女性アイドルグループからの女性キャストもいない。 それだけに、フクロウのカリスマ・黒幕・大神龍太郎とその家族の生き方を冷静に観察できる。 本物のフクロウに天敵がいるように、「フクロウ」を狙う天敵も多く登場する。 これまでのエピソードを注意深く見てきた人なら、後半の一連の出来事にショックを受けるかもしれない。 シリーズのクライマックスは、衝撃的な出来事の連続で、次のシーズンが待ち遠しくなる。政治や金融の世界に巻き込まれた家族の複雑な生活を垣間見ることができるドラマを探している人は必見だ。 セカンドシーズンが待ち遠しい。 ■エグゼクティブ・プロデューサー&脚本:#デビッドシン(『#時をかける愛』) ■演出:#森義隆(『#宇宙兄弟』)、#石井裕也(『#船を編む』)、#松本優作(『#Winny』) #長塚京三 #益岡徹 #大友康平 #原田美枝子 #池田良
#長塚京三#木村多江#大友康平#kuromaru#davidshin#mackenyuarata#mackenyu#mintanaka#houseofowl#フクロウと呼ばれた男#新田真剣佑#真剣佑#田中泯#萬田久子#長谷川京子#安藤政信#中村雅俊#原田美枝子#池田良#中田青渚#デビッドシン#黒幕#フクロウ
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(昔の日記です、お気に入りの文章教えてくれたらモチベになります……)
日記
その日は朝からジョギングをした。いつも昼過ぎぐらいに起きていたから、朝8時の街のざわめきがあんなにも違和感なく受け入れられていることに驚いた。結局少し走っただけでくたくたになってしまった。川を眺めながら、ゆっくり、ゆっくり歩いて帰る。鈍色の川だった。1週間に1回くらい、いままで生きたすべての生きものの屍が、地を踏む私の足裏のずっと奥底にしずんでいることを思い出して、不思議な気持ちになる。恐竜もそう、目に見えない小さな微生物も灰ほどの大きさになって光景の一部にちゃんと溶けている。そのことに深く安心して、わたしは好きな人たちのことをちゃんと思い浮かべられる。調べたら、紀元前5万年前から今までに誕生した人間を合わせると、1082億人もいるらしい。1082億人もの人間たちが流した血を、蓄えた知恵を、つないでいった命のことを考える。丘丘を越える風や、夜と花との匂いに触れると、結局いつもそんな想いに辿り着く。昼からは医療脱毛の予約が入っていた。ほぼ素っ裸になって赤い水性ペンで体のあちこちに線を引かれて、ぱちぱちした熱くて痛い光に耐える。わたしの褐色の身体だっていつかあの、深いところにある脆い、目に見えない、灰になってしまうのになあ。電車に揺られながら、ゴミ溜めに差す光を見つめていた。小説の中の、「眼を傷つけるほど鮮明に」という表現を気に入ったので、メモに残す。細い雲が花嫁の白いヴェールのように空に広がっている。なんだか浮かれていた。アルバイト先で出勤打刻を入力して、都合よくふたりきりになった同期の男の子に思っていることをべらべらしゃべってしまった。なんかもう誰に何を思われるとか誰かと何かをくらべるとかそういう事柄に鈍くなっている。バイト前に控え室に入るといっつもからだをじろじろみてくるあの人、ふと見たら私の足を見つめてて、それ以来マジで無理になっちゃった。なんかたまたま目に入る情報の引きのわるさに自分でもびっくりしちゃうの。街歩いてたらちょうどだれかが小便してたり、ちょうどネズミが裏路地からでてきたり、恋人と上手くいってない時にインスタを覗けばちょうどだれかの記念日だったり、そういうの。でもこのあいだ西加奈子の白いしるしっていう本を読んだんだけど、富士山に関係している話で、それでたまたまわたしも来月山梨に行くの。こういう「ちょ��とラッキー」みたいな軽くてふわふわした柔らかな偶然が、積み上げられたいやーな記憶を許してくれる。こんなことを永遠に喋っていて、性格が悪いと思われるかもと不安だったけど、その人の方がわたしよりも5億倍くらい性格が悪かったので、あとはふたりでお偉い人が休憩から戻ってくるまでげらげら笑った。その夜はなんだかお酒でも飲みたかった。それで全て忘れ去るのは惜しいけれど。読まなきゃいけない本よりも読みたい本を読もう。学ばなきゃいけないことよりも、からっぽにみえる毎日のしずけさに意味を見出したい。恋人に別れを告げたのは自分なのに、会ったら触りたくなっちゃった。そういうこともあるよねー
無題
この人でいい、じゃなくて、「この人がいい」という感覚と大事にしていきたいと思う。4連勤目、ありがとうの一言も言えない禿げたひとたちにへらへら愛想を振りまく。やさしさに見返りを求めてはいけないなんてほんとうに馬鹿げている。わたしは自分に見合う対価をいつだって求めてるし、それを与えることこそが相手への敬意を表明する最適な手段だとずっと信じている。なんかもう無理、みんなキモイ。足裏も首も肩も痛い。インターネットばかり眺めていたら、夕陽の映る海も連なる山々も消費するものの1つに思えてきて、相当心が疲れているんだなあと自負する。色欲も皆無で、今ならどんなイケメンであろうと抱かれない自信があるくらい。言葉にできない日々こそ尊いのか、はたまた言葉に値しないものなんて、記憶されるに値しないものものなんてその程度なのか。通り過ぎた過去と進むべき未来の間で、ただ棒立ちしている。ただ、減っていくフォロワーの数値を眺める。わたしがその人の人生からいなくなる瞬間に、前よりもなんかすこしだけほっとする。
無題
ふと、あーこんな文章書くのやめて男子高校生のフリして架空の日記をつらつら綴っていきたいなーなんてことを思った。好きな女の子が教室に入ってくるあの瞬間に世界の色が変わって、空間がぐわんと無音で一新するかんじとか、廊下にひびきわたる古びたオルガンの重低音。蛇口から溢れる生きものみたいな水に顔をうずめて、あつい夏をのりきる。シャトラルランのアナウンスに合わせて、きゅっきゅと靴が床の光沢を擦る。太陽はギラギラ照って、それと同じ純度でみんなの肌が光る。時間にゴールテープがあったら、あと何回わたしはそれを切っていけるのだろう。いまはもっぱら実家暮らしを卒業したいと思っているけれど、いつか女であることを卒業したいと思う日がくるのかもしれないしそういう不確かなことばかりで全部うごている。ガガーリンの「地球は青かった」という台詞は有名だけれど、あれ、ほんとうは「地球は青いヴェールをまとった花嫁のようだった」と言ったとする説もあるらしい。わたしたちみんな青いヴェールをまとった花嫁のように生きていきたい。不確かで不透明な身体、心、ちいさな葛藤や、変化、醜さを直視する必要なんて全くないんだ。
無題
黒いワンピースを大学に着て行ったら、先輩に黒が似合うと褒められた。わたしが可愛げなく「黒なんて誰でも似合う無難な色じゃないですか」と返すと、黒が似合う人ってほんとうは2割ほどしかいないらしいよと言う。でも先輩、黒いウェディングドレスなんてどこにもないじゃないですか。
とことんついていない日が続いている。空きコマにカラオケに立ち寄ったら、店員の不手際によってひどく待たされた。しかも音質がぼろぼろで、もうなにを歌っても音痴に聞こえてしまって、さいごのほうは泣きながら宇多田ヒカルを歌っていた。やることが多すぎて、依頼書添削の通知が深夜2時にきたりする。ぜんぶやめたい。
大学の学祭実行委員をやっているのだけど、新規統括が決まった。これから新規が入ってくる中で、だれがどういう立ち回りをするか。新規統括の下にチームリーダーも2人いて、みんな多分わたしと同じくらい忙しいのに同じチームの人のタスク管理まで把握しているし、守らないといけない表記基準もちゃんとおぼえている。人の振り見て我が振り直せっていう諺、あったなあ。今は等身大にきこえる。
無題
ぽつぽつとした雨の音が家をまあるく包みこむ。包丁で水気の多い野菜を切る音やテレビの雑音を絡めながら一つの線になってゆく音の波に赤ん坊のように心を揺らされる。ときどき、だれかに肌で肌に触れてほしくなるときもあるけれどなんとか平気。朝起きて、しわしわになった白いベッドシーツになぜだか生きていたことの証を感じとって、朝からふわふわした気持ちだった。成り行きから友人と文通をすることになった。最近は眼鏡がこわれて、イヤホンをなくして、ほかにも不運だと思うことが何件かあった。それでもどんどんに綺麗になっていく自分のうつくしさや、河川敷でからだを動かした後の汗ばんだ首元を冷やす風、そういうものにその都度救われていく。文章を書くのだって、すこし書かないだけでとびきり下手になったような感じだけどこうやって振り子のようにあちこちをいったりきたりして自分の居場所を掴んでいくと妥協できるようになった。わたしもほんとうは妥協を信仰とよびたいよ。書くの難しい、日記の練習。
反逆
朝から訳あって母と銀行に行かなくちゃいけなくなった。暑くて全部が嫌だった。道すがら、誤って小銭を何枚か落としてしまって困っていたのだけど、母はそれにすら気付かず歩く足を止めなかった。一度も振りかえらないまま。その瞬間、ああこのひとはこういう人なんだ、と思った。あなたが母親としてすべきことは娘の束縛でもスケジュールの管理でもなくて、隣に立ってあげることなんじゃないの?って、込み上げてくる怒りを必死に押し殺す。もうどうでもいい。わたしは宗教がきらいなわけではなくて、それに付随する人間の因縁がしぬほどきらいなのだと気がついた。
昨晩、大学の唯一の男友達とたらふくごはんをたべた。ありじはやさしいから全人類が惚れる、これまじ、と言われて心がほかほかした。「俺はさー親の束縛とかあんまなくて。朝帰りとかしても、母親、いつもと変わらずに何食べる?って聞いてくれるんよ。あーうどん、あったかいの、っていうと隣でつくってくれてさー」みたいな話を聞いて、母になる日がきてもこなくても何よりも大事にすべきなのってそういうあったかさ、優しさであってほしい。テーブルにあった占いボックスみたいなのに100円いれたら、吉と書かれたうすっぺらい紙がでてきた。ラッキーカラー青。次髪染めるならブルーブラックかな、そう思った。ちなみに男友達は「緑の人」って認識されたいらしくて、いつも緑の服着ててまじでおもしろい。
新宿駅は夜でも、バチバチに光っていた。帰宅して、そのあとは元恋人の友達と夜通し通話した。間にしょうもない下ネタをいいながら、ほぼ恋の話。エロい台詞を言わせたりして、ゲラゲラ笑った。毎日筋トレしてたら、足が細くなって、気持ちも前向きになった。でも、朝起きたら元恋人のインスタに載ってた私の写真が削除されていて、気持ち的には2度目の失恋だった。一度、私にもプライドがあるし元彼に連絡とかしたくない、と言ったとき、じゃあそのプライドを最後まで突き通しなよと言われたのでわたしはほんとうに最後まで突き通した。こんな美人でやさしい女を振るとかまじで勿体ねーっていう強さをおかずに生活を食ってるよ、ほんとうにすきだったんだ。
無題
高校時代、すごく仲のよかった友人にはじめての恋人ができた。このあいだ新歓合宿にいったの、といって見せてくれた写真、ほんとうにどれも眩しかった。わたしは大学に気の置けない友人が数人しかいないし、おまけについこのあいだ振られた身なので正直心の底から同じ目線でよろこぶことができなくてとてもつらい。ほんとうにいちばん救われて、いちばん好きな友達だったからこそなおさら。というか、さいきんずーっと無気力で、与えられる日々を過ごすというか半ば消化するような感覚でうけとめている。こうやってみんなそれぞれ離れてい��のだとおもうとすごくさみしい。彼女にとって、わたしにとって一番だった関係性が、いつしかくずれてしまうのではないか、もう崩れてしまっているよでは無いか。そんなことをかんがえる。気休めにカフェでチャイティーラテを頼んだんだけどクソまずい、救われない。じぶん、はじめて付き合ったとき、どういう気持ちだったっけ。わたしの人生だからわたしがきちんとそこに価値や意味を与えないといけないのに、横たわって天井ばかり見て、挙げ句の果てに他人に妬みすら覚えてしまうのってすごく阿呆らしい。うらやまし��な〜〜〜結婚するのかな〜握っていた手を手放されてしまったわたしにとっては、彼女が今一番求められているという状況は嬉しくもあり、うらやましくもある。海を背景に男の子と裸足で駆けだしたりするのって幻じゃなく存在するんだ。なんでこうもひとと比べてしまうのかわからない、何でそんなに上手くいくんだろう、なんでわたしだけこんなに不運で、こんなに寂しくて、こんなにつらいんだろう。だれしもが闇を抱えているのにそれを無視して、わたしだけ、わたしだけ、と卑屈に叫んでいるからバチが当たったのかな。去年、彼女とふたりで予備校へむかうとき、「はじめて」って片道切符だよね、なんてことを話した日もあったのに。もうほとんど大学に馴染むとか、ともだちつくるとか、学チカとかぜんぶぜんぶ諦めて、必要だけどこころの栄養にならないものは先送りにして隅に追いやって、ただひたすら本読んだり映画見たり、観葉植物に囲まれた生活をおくりたい。天気がいい日にはフラッと海に行って、そこにひとりでいるひとがいたら話しかけるとか、そういうところから心を元あった場所に置き直す努力をしないとこのままいちばんうつくしいとおもっている10代が終わってしまうなんてあまりに耐えられない。余裕がなさすぎるから5,000円の寿司料理を食べにいきたい。花を生けたい。北海道の僻地へ一人旅したい、新潟の温泉とか和歌山の麦畑とか。ちっちゃなドラゴンをこころに飼いたい、人差し指くらいの蛇のタトゥーを掘りたい。意地悪な天使みたいな女の子になりたいし、やさしい悪魔みたいな男の子に好かれたい。バイトでお客様の身分証をみてそのひとの住所とか名前とか生年月日を手入力するんだけどなんか、その作業をするたびに不思議な気持ちになる。当たり前のようにみんな違う名前で、違う日に生まれて、違う人生をおくっている。世の中わたしがしらないことで成り立っている。わたしは頑張っている、がんばることなどなにもないはずなのに頑張らないといけないことがとてもつらいけど、人生そういうもんですか?
無題
大切な人たちはこれからわたし以外のひとたちにも大切にされてゆく、でも。私はどうだろうか?なんてことを考えながら天井を眺めている。2限が終わってから、駅で待ち合わせて委員会のメンバーとはじめて会って昼食を食べた。そのあと用事があったけれど時間が余っていたので学校へ戻ったら、さっきの授業で同じ教室にいた女の子ふたりが外のベンチでたのしそうに話していた。雨ニモマケズ課題ニモマケズ。積み重なる焦燥感。積み重なると言うより色味が強調されてる感じ、わたしだけモノトーンの世界に取り残されている。木々がわさわさ揺れる。ともだちも好きな男もいなくなったときのために、ずーっと居たくなるサイコーの部屋をつくるぞ!と思って、観葉植物とプロジェクターとイエローのベッドカバーセットをポチる。ありったけのエネルギーをつかって見栄を張っているだけで、けして強くはない。気を緩めば赤ん坊のようになみだがぼろぼろでてくる。努力しているのだ。うつくしい写真を撮ろう。恋人はいるけど上手くいってるのか上手くいってないのかよくわかんない、けれど以前のように自分のことを犠牲にすることは少なくなった。今はわたしの相手をするのを面倒くさいと思う人に割く時間なんて1ミリもないと思っているし、だったら一人でしらないひとと酒を飲む方がまだマシ。外に出ればいくらでも拓けた空が存在していて、孤高になりきっているかのように風が吹く。汗をかけば涙なんて用無しだし、歩いて歩いて歩きまくれば、一瞬くらいは生きててよかったと思えるものが転がっているはずで、じぶんはそれを受け止めるのに値すると思っている。もうすぐ19になる。自分に時間を割くこと、自分への愛を惜しみたくない。だれかに想って貰うこと、だれかを想うことにはいつだって悲しみが伴うから、それをちゃんと受け入れられるくらいに。
無題
なんでわたしはふつーに生きていけないんだろうってずっと思っていた。母も父も日本の恵まれた環境でわたしを育ててくれたは良いものの、父は英語主体の企業に勤めていて、母に関しては日本語は流暢に喋れるものの読み書きは未だに不自由。小さい頃から携帯電話の契約書も学校の書類もすべて弟の分までわたしがこなしていた。想像してみて欲しい、12歳の少女が契約書の堅苦しい日本語を解読している様子。みんなが両親に綺麗な字で書いたもらった保護者会やPTAとかの同意書の中で、ひとり浮かないように1文字書くのに1分かけて、わたしの字とバレないように普段は字の汚い女の子を演出していた。日本人の集団に馴染むのが早かったのは、それくらい妥協や諦めを得るのがひとよりもはやかったということ。まわりの大人はみんな神様について話したがっていた。かみさまってなんだろう?かみさまなのに、自分でなんでもできるのに、なんで人間なんかにこだわるんだろう?さみしいのかな?なんて思っていたけれど、「かみさまは全能なので寂しいなどとは思わないのよ、許しを乞いなさい」そう言われてしまった。わたしのやさしさも、ときにはだれかにとって、間違いとなっ��しまうことを知った。自分のことを、昔も今もとてもやさしいと思っている。けれどそれは人に優しく接することで自分は善良な人だと信じたいだけなのだと最近思う。自分は世界から優しくされるべきだ、人に愛されるべきだと、自分のことを肯定したかった。インターネットをはじめたばかりの頃、世界には寂しい人間がこんなにたくさんいるんだと知って、それが救いだった。たくさんの言葉を綴ったけど、こわくなって一度ぜんぶ捨てた。だれかたったひとりでいいから、わたしも心底愛されたい。川のせせらぎや木々の息吹、風のあおさ、若い緑の匂い、花々、流れゆく時間のうつくしさ。ぜんぶかみさまの化身だと思っていて、それらに愛されていると感じていた。けれど高校に入ると、みんなひたすら楽しそうだった。好きな男の子に抱きしめられたり、友達と夜遅くまでどんちゃん騒ぎしたり、じぶんの美しいからだを隠さず、美しいということを魅せることによってつたえる。ずーっと日に当てず、布で覆っていた髪の毛は、日焼けすることなく漆黒を纏って光っている。みてほしい、ふれてほしい、わたしを認めて欲しい、そういう思いだけがぐらぐらと心のなかで揺れていた。お父さんお母さんにわかってたまるかとおもう、自分たちは宗教や厳しいしきたりが当たり前で誘惑の少ない世界で育ったからそれを受け入れられるのが自然だっただけで、わたしと同じ目線に立てないくせに、立とうとしないくせに、守るとか成長させるとか文化だからとかいう理由でほんとうの自分を確かめたりそれを探すためにいろいろな経験をする機会をくれなかった。そもそも自分が天国に入りたいからという理由で、ひとの地獄にも気がつけない、もしくは与えているってとてもわたしよりも罪深い、そうおもってしまう。あーなんか愚痴みたいになっちゃった。生まれた瞬間から取り憑かれている呪いに終止符は打てない。もう戻れないと思ってしまった。きのう、大学のゼミの友人と、みんなで花火をして、夜の11時半に帰った。お酒とか飲むとすごく気持ちが楽になってなんでも話せて皆んなでわらって過去の苦悩をともにして、すごく幸せだった。風が髪の毛をおもしろおかしく靡かせて首元をくすぐる。愛してくれる男の子もいる。頼りないし馬鹿だし女心ひとつもわかってないところもあるけど、それでもわたしの置かれていた宗教のこと、いっぱい知ってくれようとして、受け入れてくれて、ふたりのわたしをどちらも同等に扱ってくれる。友達は何も言わなかった。わたしが変わってしまっても、それに負い目を感じていても、ただただそこにいるわたしをみてくれた。みんなに、日々にだきしめられることのあたたかさを前よりもちかくかんじる。すぐそこにあったかい塊がたくさんある、本当はたまにすごくこわくなるけど、一人ぼっちになることとかいつかしんでしまうことは避けられないことかもしれないけど、それでも美しい日々を美しいものだと受け入れて生きていくこと、かみさまを理由にくるしいと喚いていたときよりも、自分はもっとこの世界が好きになった。どうか許してほしい。わたしがほんとうにやさしいの、いちばんしっているでしょう。人のことをすぐに疑うくらいなら心���信じてあげたほうがいい。今の自分を成り立たせるために、自分の一部を犠牲にしているかもしれない人も、それゆえに必死に暴れている感情に戸惑っている人も、みんなほんとうはとても素直で優しくてすてきなのだと思う。わたしは気付く、気づいてあげられる。寂しいときもうれしいときも、誰よりも貴方の元へまっすぐに走っていく。
無題
容赦なくどばどば目の奥に垂れ流れてくるブルーライト、過呼吸気味に泣き続ける夜もあと数年したら体力的に出来無くなりそうだから早く早く歳をとりたい。夜の3時なのに目を閉じても眠れなくて全身の血液が逆流しそうなくらいからだが強張っている。もうここ2週間くらい学校行ってない、なにしてるかというと家のカーペットのど真ん中でプリン食べながらフランス語の授業受けてる。同じ大学の女の子が、大学にはBBQかスノボかフットサルがやりたいようなやつしかいない。わたしは坊主か髪色がショッキングピンクのやつとしかともだちになりたくない、みたいなことを言っていて、そういうのってなんか違うし、かなしいとおもった。でも、こうやってかなしくなったりさみしくなったりするのを全て五月病として片付けてサヨナラできるから5月はわりと気に入っている、どれくらい好きかというと6月と10月の次くらいに好きかもしれない。「五月病」の仮面を被った鬱憤とした鈍色の塊が街中を苛ましているの、なんだかどきどきするから毎日赤い口紅をつけている。いつ悲劇に見舞われても良いように。ピエロみたいな足取りでときどき水たまりをばしゃばしゃしながら走り続けた、足元の花も日付もその日の占い結果も、あなたとのLINEのトーク画面も、日に日にぜんぶ気にかけなくなってゆく。手をつないでいた、自分の中にいた幼い少女が夢の中で喪服を着てた。あなただけは離れないで、と思って、でも、目を覚ましてもあなたに連絡は取らなかった。
無題
今日こそ、と意気込んでキーボードの上で指を交差させながらものがたりを紡ごうとするたび、これまで触れてきたいくつもの眩いことばがぶわっと一気に蘇ってわたしを刺してくる。おまえにはなにも書けないなにも残されていないおまえはなにもかなしんでいない。奥へ奥へとひきずりこまれる。誰も彼もが各々の光を持ち寄って、目の前の道はもう見えないところのほうが少なくなってしまったくらいに隅から隅まであかるい。どんなふうでも在ることのできたそれがほんとうのほんとうに空洞であったと気づいて、でももう泣けない。詩はどのように湧き出てくるんだろうか。音も色も。炭酸がシュワシュワするとか松ぼっくりの形とかどんぐりを拾い集めたりしたときのこと、もうわすれてしまったみたいに、世界がまぶたを1ミリ閉じた、それだけのことかもしれないのにその僅かなエッセンスがこんなにもわたしを主人公たらしめていたのかと途方もない気持ちをおぼえる。サンタクロースがいないとわかった瞬間��クリスマスへのあこがれが半減するのとおんなじようなさみしさをずーっとここさいきん噛み締めている。シシュンキが芸の才能の全盛期だからだろうか、おとなになればいままでずっと見えなかったものがわかって、もっと色鮮やかに日々を過ごせるのかと想像していた。外でガラス瓶ががらがらからからこんこんうるさい。布団の端っこ、握りしめすぎてすごくやわらかくなって、あたらしいパソコンも使いこなせるようになった。かなしいかなしいとおもうけれど、そのこと自体になんの揺らぎも感じなくて、かなしさがより加速するだけ、日々をヒビと書いていた頃があったのをおもいだした。ヒビをいれてゆく、ヒビがふえてゆく、日々。
無題
晴れて大学生になることができて、数日後に入学式を控えている。でもほんとうはもう大学やめたいくらい友達ができるのか不安すぎて、毎晩寝る前に泣いてしまう。このあいだ新入生交流会があったとき、教室に入ったら女の子が皆んな似たような淡いお洋服を着ているし、髪の毛が丁寧に整えられていて、かわいくて、おんなじような雰囲気で、インターネットでつながって和気藹々とはなしているひとたちもいて、自分は見かけが日本人じゃないから声もかけられないし、声をかけようと思っても(わたしこんなに目立つし、びっくりさせちゃうかもしれないし、迷惑かな...)とか考えちゃってすごくこわくて。ツイッターに勇気出して何か投���しても、だれからも反応が来ないとそれもまた不安になってすぐに削除してしまう。これからずーっとこんなかんじで、高校のときみたいに心から打ち解ける友達なんて一生出逢えないのかもしれないとか思っちゃってさみしくて涙がぼたぼたでてくる。おおきいキャンパスの中を新歓のために端から端までひたすら歩いて、すっごくつかれた。新鮮といえば聞こえはいいけど、わからないことだらけで自分からなにか行動を起こすのをいちいち億劫にかんじてしまう。大学の中でも明るい人が多い、キラキラした男女が多い、と言われているような学部で、自分もそこに馴染めるかな、と思うとつらくなっちゃう。全然おもってたのとちがう、こんなの。これからどうしよう
無題
冗談抜きで毎晩泣いてしまう、ただそれが今はいちばん正しいことのように思えるからそうしている。
通知表をなくしてしまったので家中を捜したけれど見つからなかった。それで明日先生に怒られる予定だから今更のほほんと眠ることもできないでいる。たかがそれだけ、という言葉で収まることではなくて、何度もこうやってモノを無くしておいて一切学ばない自分に腹が立っている。
忙しくて皆んなの文章を読む時間がなかった、そうしたら自分のブログも読んでもらえなくなっちゃった。
今日も頑張ったと自分を愛でてあげることができない。
なにもこんなにかなしいことばかりを書きたいわけじゃなくて、むかしみたいに空が綺麗だったとか友達と一緒にひるやすみにフルーツジュースを飲んだこととか、長らく話して��かった同級生と体育の時間でペアになってキャッチボールができたとか、予備校での先生のプチ話が面白かったとか、そういうちいさな喜びはあるけれど、夜になると感情の波が音を立てて自分の中でせめぎあう。その狭間で、わたしがいちばん好きだったわたしがぎゅうぎゅうに押しつぶされて捻り絞られて塩辛い水で溺れてしまうの。
こんなことを書いておいて浪人でもしたらどうしよう。恋人とでんわしていると本当にくるしくなってしまって、すごく嬉しいはずなのに全然喜べなくなってしまった。逢えないのに、逢えないのにそんなことするの、逢えないんだからこうしてほしい、とかそういう自分の身勝手な思いが本当に申し訳なくてくるしい。好きだからお勉強のことを応援したいのに、すきだから逢いたいし、好きだからそれを同時に我慢しないといけないものとひどく重たく捉えてしまって、すきだから嫌いになりたくないという一心で自分のもやもやした気持ちに無理やり蓋をする。会える距離にいる人たちの並んでいる姿を見て落ち込んでしまうけど、わたしはわたしのすべきことがあるし、それは彼もそうだから割り切るしかないこともあるのだとおもう。
金平糖
わたしがいくら誰かを呪って恨んでも、紙がその言葉で埋まるほどクソクソクソと書き殴っても、結局のところ現実ではその人を愛する人たちが存在していて、そして当人もまた違う誰かを愛しながら日々に幸福を見出すのだから、本当に一番かわいそうなのはわたしだけかもしれないなんて思った。だれかのことを考えて途方もなく苛立つ自分がいちばん自分を不幸たらしめている。駅前にあるでっかい木がゆらゆら揺れる。ゆうがた、眠くなったので勉強道具を片付けて喫茶店をあとにした。暑さで足取りが重くなりつつもすこしずつ歩く、踏んでいるのが蝉の死骸か大きな枯れ葉かの区別もつかない。黒い蝶々をみてから不運続きだ。だれもわたしが泣いてるなんて気づかなくて、錆び付いた車輪を引きずりながらどこにいるかもわからない恋人のことをかんがえる。遠くなった。夕陽を後ろにわたしの影だけが前に長く長く、大きく伸びて、前方を歩く少年が気付かずに頭にあたる部分を何度も踏みつぶす。美しいものにはある種の残虐さがあることを信じて、祈りとかいう逃避を繰り返している。大丈夫?と聞かないで欲しい、大丈夫じゃないから。もう誰にも自分のことを見て欲しくない。ただ自分だけは自分のことを大丈夫だと信じてあげたくて文章を書くという行為をしている。
雨が降っている。雨が降り続けてくれればいいのに、そうしたらわたしもそれを偶然だという言葉でもって割り切ることができるのに。点滅の中に放り出されて、その明暗に目眩を覚えながら自分の行き先もまともにわからずにただただ進んでいるだけのまいにち
不在
かみさまが見つからない。登録していた音楽ストーリーミングサービスが解約されていた。昼から夜まで建物のなかに閉じ込められて、夕焼けをゆっくり眺めることもなくなった。映画館の薄暗い照明と大きな音にこわくなっても、恋人の手を握ることができない。かみさまがいない。なにもかもを投げ捨てた結果、罪悪感から今更おかあさんにありがとうと言うこともできない。ずっと、信仰という名の呪いの渦の中にいる。小さい頃からこの世の中のものはすべて神さまが創ったんだと信じていて、でもさいきんはそのせいで自分の行動が制限されるのがとても憎々しかった。どれもこれも、神さまのせい、親のせい、うまれたせい、というふうにずっと側にあって救われてきたものを突き放すことそれ自体にとても苦痛を覚えるのに、脳味噌が勝手にそういう思考をして勝手にくるしんでいる。挙げ句の果てには同級生に推薦入試のネタに利用される。こんな家でていきたい、と思っても行くアテはひとつもない。お金もない。お金を自力で稼ごうとする活力もない。どんなにわたしがぜんぶ無かったことにしたくて信仰を罪で上書きしようと、依然として実在していようがしてまいが神さまというものはわたしの中にあって、そうか。これはそういう呪いなんだ、と思う。もうだめなんだと。恋も音楽も言葉も、性別も家族も、見た目も才能も過去も、ぜんぶ同じ容量で「呪い」として全人類に等しく降り注いでくれたならいいのに。抜け出せない世界を抱えるもの同士、ふたりでいっそのこと呪いをかけあってしまいたい、それなら呪いだって愛に変わるのかもしれない、とそういう陳腐な妄想でしか漠然とした淋しさを消費できない。さみしい。唯一の居場所を自ら捨てて、こんどはどこにも居場所がないとさみしくて涙を流す。こういう呪いが不思議と人生という物語の大きな軸になっていって、結局さいごにはその「呪い」自体に自らを救われる、なんていちばん美しい結末を享受できる人は一体どれくらいいるのだろう。迷信。もう剥ぎ取ることのできない仮面。うつくしかったわたしの心は嘘を重ねる毎に醜くコーティングされ続けて、今ではもうすべてのものが何かに縛りつけられているみたいに、目の前の光景はわたしになにも応えてくれなくなった。何をどうしたら正解なのか、どうしようどうしようと悩み続けた末にその苦しさを世界のほうが背負ってしまったのかもしれない。うつくしいという言葉に収まりきれずに溢れでて、胸をぎゅうっと締め付けるもの。瞬きを忘れるくらいにずっと見ていたいと思えるもの。一切のものを捨ててでもいいからその気高さに近付いたいと願わずにはいられないもの。そういった、どうしても拭えない不安感をやさしく抱き締めてくれる愛がほんとうは色々なところにあるはずなのに、以前に美しいと思っていたものをもう同じように美しいと思えない。花というのは揺り籠から墓場まで人の生活を彩るものだ、というようなことを太宰治が書いていた。「孤独は花だから。美しいものを寂しくしないように、そのまま纏えるほどの強さを身につけていけますように」 と綺麗な言葉で文章を終わることができない。不完全でも愛してください。底無しの未来に水をあげて。
無題
ここ四日間くらい先��の頑張りが底をついたのかぐったりしてしまって勉強にあまり手がつかない。殺してほしい。まいにち死にたい。がんばっても報われないひとだっているし、大して頑張らなくてもおいしいとこを掻っ攫っていくことができる人もいるんだろうなとおもうと泣いちゃう。東京という概念が巨大化して人を貪っている。東京って、日本ってこんなに高校生いたんだ、と思う。餌にされてしまうことの恐怖を突きつけられている。だれかの優越感を満たすための餌としてその努力を利用されてしまう未来がみえる、こんなこと言ったらまた考えすぎだってみんなに怒られちゃうけど。風が吹かないとその音がわからない風鈴みたいにわたしのなかのいちばん美しいところも、もしかしたら誰かに傷つけられて大きくその心を揺さぶられるまでわからないのかもしれないなんて気休めにぼんやり考える。夏という言葉が都合よくあちらこちらで使われるようになって、ぜんぶみんな夏のせいにするようになったから、たぶんもうほんとうの夏はもうやってこない。夏は遠くて遠くて悲しいくらいに鮮やかで到底手の届かないモノだと信じていたかった、それが今やだれかの快楽の理由付けにされてしまっているのだからもっと惨め。わたしがこうして夏を文章のネタにしているのと同じくらい惨め。おかあさんが泣いている姿とか勉強を理由にインスタグラムを更新しない友人の笑顔とか彼氏がわたしを抱きしめるときのつよさとか、そういうだれも知らないであろうものの美しさを、わたしだけが一瞬ひらりとわかるとき、そういうのがほんもののしあわせなんだろうと思う。もうあと半年とちょっと経ってしまえばわたしのこれからの人生の枠組みはもうほとんど決まった、という体で毎日がすすんでいく。日本は学歴社会だから大学名は重要だよと声を揃えて言われ続けて、今でもまだその現実を黒く塗りつぶして無かったことにしている。はやくぜんぶ死んじゃえばいい。アーメン。
魔法のトンネル
18歳になりました、という投稿をするつもりだったけれど、合間合間に想いの丈を綴っているうちに月を跨いでしまった。この期に及んで未だ梅雨を引きずっているかんじの毎日で、最後に晴れた日がいつだったかも忘れた。君のいない世界なんて夏休みのない8月のようだ、といつか野田洋次郎が歌っていたのを思い出して現実になりつつある言葉の並びに少しどきりとする。大学受験まであと半年くらい。アルコールでささくれが目立つ指。これから1年後、自分の居場所を全く想像できないことに対して残る不安感。この一年の間でとても大切な人ができて、その人が居るから今年はだれかと祝福メッセージやプレゼントの数を比べて露骨に落ち込むこともなかった。こんなままではいけないと思うけれど、これでもかというほど甘えてしまう。彼から電話がかかってこないまま気がついたら零時、開きっぱなしの参考書。ベッドから机の上の山を見あげる。もう流れるような文章も書けなくなった。ただ、机元を照らすためだけに付けた光が部屋中に行き届きすべてのものを���わにするように、自分のために費やした諦めとかいう努力がいつか私の人生全体を明るく縁取りますように。そう期待することしかできない。
朝、きまってこの時期の朝の。とりわけまぶたが重くて視界がぼやけているとき、雨音と扇風機の回転音の違いを聞き分けられないままなんだかもう一度眠ってしまいたくなる感覚になる。自分の憂鬱な気持ちをすべて代弁してくれているかのように完璧な美しさを崩すことなく泣いてくれる空、ずっと梅雨が好きだった。17歳。強いのか弱いのかわからない外圧をずっと肌身に感じながらも良くここまで頑張れてこれたと思う。強まったり弱まったりを繰り返しながら着実にわたしの内側を蝕んでいくもの。どんな記憶であれ時間が経てば薄れていってしまい、曖昧に濁した言葉でしか文章を綴れない。降って、降って、降りつもってゆくのはけして愛や幸せではなかった。幸せが一方で加速させる理想や願望、それによる劣等感、幸せでなくなる恐怖、あるいは幸福それ自体への疑いも、ぜんぶずっと祈っていればいつか大丈夫になるとおもっていた。そうした形での正しさしか知らなかった。
歳を重ねるにつれて特別なものが増えていくけれど、それらはなにもさいしょから特別だったわけじゃなくて、くるしくなったり嬉しくなったりするたびに複雑に絡まっていたものの辻褄があって少しずつ真っ直ぐな一本の線になっていく感覚に近い。最初はちいさな不幸から始まったことが最後にはたくさんの愛に囲まれて光になっていくと半年前ちょうど失恋したあとに書いた。たぶんきっとそういうことだとおもう。そういうことだとおもいたい。消化しきれない劣等感を抱えながら、それでもそれをだれかの優越感の餌にされてしまうのが気持ち悪くていつも満足げに振る舞っていた。小学6年生の頃、布団に包まって壁に手を当てながら(世界のどこにいても良いから今だけ運命の男の子が壁の向こう側で同じように手を合わせてくれていたらいいのにな、)とか祈っていた。アスファルトに浮かぶ白線が血脈のように都市に光を流し込んでいく、わたしはひとりで遠くまでこれるようになった。
誕生日当日、晴れた土曜日。
だれもわたしのことを知らないということがいちばん幸せだった。
となりには愛おしい恋人がいて、いっしょにタピオカを飲んだり服をみたり歌を歌ったりした。街中ですれ違う人はだれもわたしがブログをやってるなんて思わないし、人生で殆どはじめてに近いことをしているとも思わない。そういうのってとても気持ちが楽で良いなと思った。信頼している人たちに過度に期待をされること、責任を半分こするのに疲れてしまった。一緒に悪者になってほしかった。わたしがなにをしても、それがいちばん正しいことかのように大丈夫だよと諭してくれるだけで、それは救いになれるはずだった。おかあさんに喜んで欲しいから、友達に見限られたくないから、だれにも落胆されたくないから、とかいう言い分を勝手に作って勝手にくるしんでいる。ほんとうは静かでいられる関係性が好きだけれど学校の友人はみんなはしゃぐのが好きだから求められているものをそれらしく纏う。両親は善良な人だけれど時折意味不明な束縛をするので面倒くさい、わたしも普通の日本人の女の子みたいに生きてみたかったと思ってしまうことにすら罪悪感を感じる。信仰というのはとても美しい行為だと思うけれど、本来は人を救うはずであるものが「救われる」「罰せられる」という境界線においてときどき人をひどく苦しめてしまうのでとても扱いにくい。救いを見出すはずの宗教によって苦しめられるのはちがうよ、と友達に言われたことがある。大学生になったらぜったい一人暮らしをしたいとおもった。伸ばせと言われ続けてきた髪も思い切り切りたいし、慎ましいふりをするのもやめたい。わたしほんとうは男の子に抱きしめられたこともあるの。けれどそんなことを言えば両親をがっかりさせてしまうから、遠いところで一人で植物とか猫とかに囲まれてひっそりと生きていたい。
かみさまに対する信仰心が薄れても、小さな嘘に罪悪感を覚えなくなっても、男の子と関係性を持ったことがなかった自分自身を忘れても、文章が書けなくなっても、友達と疎遠になってしまっても、病気で人がたくさん死んでも、普通に生活が続いていくことにときおり悲しくなる。それくらいわたしは案外どうでも良いとおもってることが多いんだと感じてもっと悲しくなる。あっちへいったり、こっちへきたり、あるいは戻ったり、そういうのを繰り返していたら、もう戻れないところまできてしまったみたい。あるかどうかも分からない未来のことや、だれかとその過去を背比べしてそれに一喜一憂していたこと、ぜんぶだいじょうぶになればいいなとおもう。ぜんぶ抱きしめてぜんぶ愛してあげられたらどんなにいいだろうとおもう。わたしには愛しているものが沢山あるし、わたしもだれかにきっと愛されている。最近見かけなかったので死んだのかなと思っていた野良猫を今朝ひさしぶりに見かけて胸がきゅうっとなった。汚いものに沢山触れてきたわたしの手はもう美しい手じゃないけどそんな手のひらの中でも心地良さそうに包まれているちいさなその頭が愛おしくてなんども撫でる。純粋でなくなってしまうのがずっとこわかった。ううん。たぶん純粋だと思われなくなってしまうのがこわかった。
続きを書きたいけどあしたも学校があって、さすがにちょっとねむい。悪者になっても大丈夫だから、わたしはわたしのそばにいるし、君のそばにはわたしの愛してるきみがいるからだいじょうぶ。特定の誰かじゃないよ、みんなが幸せになれますように。
n(atsu)
線路が控えめな緑に縁取られていて夏を感じた。でんしゃがいつもより大きく揺れるな、とおもった。ひさしぶりに乗るから余計にそう感じるのか、ほんとうにいつもより大きく揺れているのかは良くわからなかった。塾へ着いたら体温検査をされた。世の中の非現実味は薄れていくけれど、それでもやっぱりまだどこかふわふわしているかんじがする。ふわふわ、という言葉は抽象度が高くて便利だと思う。白黒はっきりつけることで正義を実感している人間って意外と多いのかもしれないし、わたしも気付いていないだけで実際はそういうところがあるのかもしれない。燕が雛に餌をやっている様子と、健気に咲いている向日葵と、それに加えてマスクの内側の皮膚が熱気を帯びていく感覚。去年、男の子と花火を見��行って、わたしの中での鮮度の高い美しい夏はそこでずっと止まっている、あるいはもうほとんど完結されたようなかんじ。塾が終わってから本屋へ寄ると、同い年くらいの背の高い男の子が絵馬の形をした紙に合格祈願を書いてちいさな箱へ投じていた。わたしも流されてペンと紙を持ったけれど、多神教じゃないんだよなあと思ってやめた。わたしはわたしが信じている神様にもまだこわくて合格できますようになんて言えていない。いつだってこわいものから救ってくれるものが神様なのに、自分勝手に生きていながら窮地に追い込まれたときだけ救いを求めるのは割りが合わないと思う。好きな人と一緒に昼間から眠りたい。神聖な場所で祝福された心を持つ人に祈りを唱えてもらいたい。突然変異で雪が降ってほしい。騒音の全てを吸収して、それで全てなかったことかのように水になって溶けていってしまうの。指輪が欲しい。細いやつ、宝石はなくていいし装飾もなくて良いから。涙を拭う手に宿る愛があれば、だれかにゆるされたという証が指にあれば、虚無感を紛らわせるための画面スクロールも、劣等感を埋めるために耳触りの良い言葉を連ねる必要性も、不確かな焦りも薄まるかもしれない。というのも最近また得体の知れないストレスに悩まされていて、今日もすこしだけ泣いてしまった。すべてあなたの心の持ちようで変わるの、薬はなにも解決してくれないよ、と母にはそう言われて、それでもっとかなしくなった。そういうことじゃないの。模試を受けるにしても勉強した量に等しい成績が出なかったら、とか、到達点は同じでもそこまでの努力の過程に差があるだけで劣等感をかんじてしまう。まいにち頑張りたいのに思うように脳みそとからだが動かなくて悶えている。わたしは自分を高めることで自分は大切に扱われるべき美しい人間なのだという確信が欲しいだけで、それほどまでにきっとわたしの内側にある自分への愛や期待値というのは年齢とともに他人任せになっていって、諦めや、未来の自分の幸せに対する責任を負いきれないという言い訳や、ときおり世界から拒絶をされているかのように感じられた幼い頃の傷ついたこころがぜんぶガチガチに固まったしこりのようなものがずっとあるみたい。もっと自分で自分のことを愛してあげられますように。今、世界ではいろいろなことが起きていて、それに対して声をあげないという選択が道徳的ではないと非難されてしまうことがあるらしいけれど、関心を持たないということもひとつの意味のある心の持ちようだし、それをやさしさと捉える人もいるのに、とてもやりきれない。恋人が「みんなつらいけど、ありじはつらいの」と言ってくれたことがとても救いだった。だれかの不幸と自分の不幸を秤にかけるということにやっぱりわたしはある種の違和感を覚えるし、たとえそこに差があっても自分のことを放棄してまでだれかのために立ち上がることは少しちがうと思う。そうして切り捨てたものが何らかの拍子にいつか今度は自分自身を殺すかもしれないし、自分の身近で大切な人を傷つけるかもしれないし。わたしはわたしを取り巻く世界をたいせつにできたらいいなと思う。足取りが軽くなれば、もっと遠くへといける��しょう。だいすきなひとが苦しんでいたらすぐに駆けつけられるし、わたしはそういう風に愛される女の子になりたいから沢山のことを頑張っている。月が変わったのでカレンダーをめくったら、「涙は人生のお師匠さん」という言葉の周りにたくさんの滴のイラストが描かれていた。扇風機をつけると、紙がパタパタ揺れる。がんばる。わたしの愛する人たちが沢山愛されますように。
どれほど遠いところに行こうと試みても
どこか気持ちがもやもやしてやりきれなかったので少しばかり走りに行こうと洗面所の前に立ってコンタクトレンズをつける。泣くまいとしていたけれど、使用期限切れだとも知らずにレンズを瞳に上にのせた瞬間、意志とは関係なく勝手になみだがぼろぼろでてきて焦る。ずっと我慢していた涙ももしかしたらそのなかに紛れていたのかもしれない、濡れた睫毛やすこし充血した白目を見るといつもどこかほっとした。
世界は絶えず美しくて、じぶんなんかがその大きな器の中で堂々と情けない顔をしているというのがなんだか滑稽に思えてきた、と昨日は日記に書いたけどやっぱりそう思えない。うまれる、しぬ、という表現がコピーペーストされてできた世界線。どうしてもくるしくなってしまう、くるしいものを見ないようにと目に覆いを被せて生きているからたまに世界を直視したときにあまりの眩しさになにもみえなくなってしまう。
結局のところ、きっとわたしはなににでもなれるし、なににでもなれた。わたしはわたしが望みさえすれば、家をでていくことも、うまれながらにして与えられた名前を捨てることも、今つながりを保っている関係性を断つことも、信仰を捨てることも、自分のからだを誰かに売ることも、求められてそれに応えることも、アカウントを削除することも、つらい勉強に身を投じることなく大学に行くことも、自分自身やそれに関係する人々をきずつけることもできてしまう。その可能性についてぼんやりかんがえていた。
考えてみればあまりにも不安定なわたしは、なににでもなってしまいかねない自分というものとずっと一緒にあるいてきたように思う。自分というものの一部をわざと切り離してあえて失うことを選んだり、あるいは舐められないよう努力をして立派なものに築きあげたりする過程でしか自分が自分であることをたしかめられなかった。欲を我慢しなさい、謙虚な姿勢で生きていきなさい、と幼い頃から教えられてきたことの反動がまさに今起きていてつらい。人間は生まれたままの姿こそもっとも美しい、醜い人間というのはひとりもいなくて、そしてだれもが平等に愛されるに値する、といった程度の言葉ではこの漠然とした不安感は解消されなくなってしまった。
あなたがいちばん大切にしていて、且つあなたをあなたらしくさせているものはなに?という質問をともだちがインスタグラムで公開して回答を募集していた。わたしは今までずっと恋愛をすることでしか自分を保てなかったの、という彼女の文句もまた同様に等しくまぶしいものだということに当人は気付いていないかもしれない。膨大な情報のなかで、なにをほんとうに掬いとるべきなのかわからずにいつまで彷徨い続けるのだろうかという不安を抱えている。たすけてほしい。毎晩、たすけて、たすけて、と寝る前に心の中で念じるようにしていて、そうして眠りにつくとなんだかほんとうにたすかったような感じがする。
というのも、なんとなく、という世界線を生きること自体あまりに物事を都合よく解釈していていらいらするので、とうとうまともに祈ることすらできなくなってしまったのだ。はずかしい。わたしは決して善良な人間ではないのに、善良な人間の中で同じ言葉を唱えていることに一種のはずかしさを覚える。
無題
一年前までは、死ね、クソ、うざ、という言葉にほんとうに値する人間や事物などなくて、物事のすべては捉え方なのだと、主観で世界の全てを決めつけてはいけない、美しくいなければいけない、という考えがあったからわたしはほんとうに一度もそういった言葉を使わなかったし使えなかった。それなのに今や抵抗が少なくなってしまって思いたくなくても大事な人たちにいらっとしたときや精神が弱っているときに反射的に汚い言葉が脳裏に浮かんでしまってやりきれない。過去をふり返るとき、その足跡がどれだけ美しくても、長く歩き続けてきたとしても、結局その先にあるのが地獄だったら意味がないでしょう。
外に出ても風は一切吹いていなかった。頬に染み付いたなみだの生温さは消えず、水面の揺れもしずかだったので川が川じゃなくてアスファルトみたいに冷たく感じられて、音もない夜にわたしは勝手にひとりぽつんと取り残されてる感覚だった。
それでも良いこともあった。このあいだ、雨が降った日にふとした好奇心で自分のうまれた日の天候を調べたら、わたしがうまれたその日も東京では雨が降っていたらしいとわかったこと。た��さんの雨粒のなかにも一粒くらい当時のものも紛れているのかなあ、と思った。たとえ同じ形をしたものが数多くあっても、情報量の多さのなかで下敷きになってしまうようなほんの些細なことでも、わたしはわたしのことを愛してくれているものをがんばって見つけ出したい。そしてそう思っているのと同じくらい、同時に心の奥のほうでは常にだれかに見つけて欲しいと思っている。わたしが失ってしまったわたしの美しさを見つけてほしい。もう誰にも傷付けられないように。もう自分のことを傷つけなくて済むように。愛せますように。
無題
あ〜もうわたしなんも勝てないな〜って思って泣きそう。勝てないものがおおすぎる。受験生なのに自分の欲に打ち勝って勉強に励むことすら怠ってしまって、他人と比べることでしか自分を測れないからだれかが頑張っているすがたをみても素直に応援できない自分がいてくやしい。みんな守りたいものをちゃんと守って、それをつよみにしているのに、わたしはなにかを失うことでしか自分が満たされていたことを実感できなかった。捨ててしまった欠片をひとつひとつ集めようと、かがんで地面を這っている惨めな姿を誰かに見られたらどうしよう。だれよりもきらきらした世界をしっているつもりで、かみさまからも愛されているつもりで、たくさんの人がずっとそばで応援してくれていることに対してそれ相応の結果や愛を返せているつもりだった。だけどぜんぜんそんなことなかった、そんなことなかったのにそれでも絶えず世界も人も優しくて美しくて眩しくて純度が高いので薄汚れた言葉をもってしまったわたしにはもう直視できないんじゃないかと挑戦することすらこわくてできない。わたしの写真や文章がだれかに���い影響を与えていたらそれはうれしいけど、それでわたしだけのものだったわたしの一部が他の誰かのものになってしまうのは少しだけ悔しい。ブルースクリーン越しに奪うこと、奪われることに慣れてしまった。わたしは結局わたしだけみてほしいと思っていて、それがわたしの幼さで弱さなのだと思う。弱さも強さも武器になるうるけど、ほんとうに強い人はちゃんと矛先を向ける対象を選ぶことができるから目の前の道をどんどん拓いていけるけど、弱いままのわたしはずっと自分の胸に矛先を向けているからだめで、自分を窮地に追い込んではじめて大切なものに気がつくことができる。「わたしが失ってしまったものをありじちゃんは大切にしていてすごいと思うし、これからもそれを守り抜いてほしい」とメッセージをいただいたことがあるけど、わたしが彼女の立場だったら同じようなことは決して言えないだろうと思う。きっと、ずるいなあ、と思ってしまう。ずるい。わたしもあなたみたいになりたかった、と。なりたい自分に到達できずに足掻いている途中であたらしい自分が形成されたとして、それはむしろなりたい自分とは真逆な人間なわけだから、その歪さを美しいと褒められても全くうれしいと思えない。やっぱりでも今日だけ美しいといってほしい。今日だけ慰めてほしい。そろそろぴえんって言葉つかっちゃいそう。
愛?
さいきん日常の何気ない瞬間において、いいなあ、とたくさん感じたけどその都度いちいちメモに起こしていないので内容はほとんどわすれた。なのでブログを更新できないし、あと二ヶ月も経たぬうちに十八になってしまうからせめて可愛げのあることなんかを少しくらい書きたかったのに状況が状況なので仕方ない。毎朝オンラインで出席確認があるんだけど昨日は二度寝して出られなかったし、このあいだ試しに大学の過去問を解いたら点数はだめだめだった。一日だけ夜に恋人に電話で弾き語りをしてあげた。ぜんぶ壊れちゃうならさいしょから手を伸ばさなきゃよかったってことを話したら、あのね、ちがうの、持っていたっていう事実がとてもたいせつなの、さいしょから持ってるのと持ってないのじゃちがうでしょ?わかる?と諭された。そうかもしれない。怠惰に怠惰を上書きするように生きている。こめかみに銃口を押し付けられて脅され怯えるようにして、つきまとってくる色々な事実から目を背けている。こんな具合に漠然とした不安感がうんぬんかんぬんとダラダラ書いているけどほんとうはそれなりに幸せで充実した生活をしているからいつかバチが当たってしまいそう。歳上の彼氏と別れた友達の女の子が、今頃煙草でわたしの肝臓ぼろぼろなんだろうなあ、もっと自分のことを大事にしてあげたかった、と裏垢で溢していたけど、きっと彼女にだって彼の影響で自分のモノが形を変えていく過程に幸福を覚えていた瞬間もそれ自体に救われたこともあったんだと思う。ただ薄暗くふちをなぞっていかないと未来への期待値があまりにも高すぎて落とし穴にハマってしまいそうでこわいからみんな可哀想ぶっている。たぶんどこにも事実なんていうものはほんとは存在などしていなくて、みんなが情報を選んだり捨てたりしているだけで、人間が数値にしたり名前をつけたりしながら記録をしているだけで、���もかもを取っ払ったら、あ、でも、そうなったらわたしはどうなっちゃうんだろう、なんてことをずっとぼんやり考えている。二か月くらい前にだいすきな友達といっしょに塾へと向かう道を歩きながら、わたしたち卒業までにいつか絶対この道で泣くと思うって笑いながら話していた。今ごろ存在していたかもしれない日と流していたかもしれない涙とあったかもしれない出逢い。そういうので世界が動いているのかもしれないと思うと心がふにゃあってなって泣きそうになる。この足を踏んでいるところのずっと奥に埋れてしまったいくつもの歴史に救われている。その後、小さなレストランで二人分のサンドイッチを頼んだ。ずっと憧れていた女の子にはやっぱりなれなかった。一度「憧れの女の子のフリをする」アカウントをつくろうとしたけど苦しくなってやめた。新作の化粧品と知恵袋での大学受験生の相談事と参考書のレビュー調べだけでほとんど埋まっている検索履歴欄の隅っこに追いやられてしまったいちばん綺麗なわたしを誰かに拾って欲しかった。少しくらい未来をあきらめても人生は終了しないけど単純にそこでわたしの自己肯定感は終了するし、わたしがいちばん大事にしたかったわたしも死んじゃうから、ねえ、わたしは大好きなみんなのことも自分のことも美しさを表現することもぜんぶあきらめないからみんなもわたしのことあきらめないでってインスタの裏垢に書いたあと、電気を消して寝た。許されない愛だけが輝いている。ずっと輝いている。いつか校庭を一面石灰の白に染めて北国の雪景色みたいにして、雨で偽物の冬が消えてしまう前にわたしたちは濡れながらキスをするの。安っぽい映画みたいに物語の順番をぐちゃぐちゃにして今よりももっときれいなところに走っていきたい。“なにも決定的なことが起きていないようなのに、いつしか死が準備されてしまっている、日常という戦場” において、好きな人にお願いだから死なないで、一人にしないで、と一方的に伝える行為がとても無責任だということだとはわかっているけど、ただ、それがわたしの知っている方法の中でいちばん確実にあなたの心を殺せるものだからゆるしてほしいと思った。しんだら身体の隅々まで洗って、痛かったところを撫でて、さいごにわたしの名前の由来になっている花の香りを墓石につけてあげる。あなたの歪みにはじめて触れた日、わたしはあなたのいちばん美しいところをみたようなかんじがして、それがとくべつで嬉しかった。まるかったり、とがっていたり、硬かったり、やわらかかったり、ざらざらしてたり、さらさらしてたりするの。生きているだけで美しいという言葉はみんな戯言だと笑って受け流すのに、しぬことになると急になんか真面目な顔をするからやになっちゃうよね。写真を撮ることを知らなかった頃のわたしはたぶんほんとうの写真家だったし、まだロックミュージックを知らなかった頃、わたしのロックスターはずっとわたしでしかなかったし、文学を知らなかった頃に感じていた世界とおなじ色合いの世界をわたしはもう見れない。そういうものだから、もしかしたら死ぬことなんて知らなかった頃、わたしたちもずっと死んでいたのかもしれない。それでたぶん今でもその頃の残像が残ってるのかもしれない。逃げて逃げて逃げた先で待っているから、そこでまた逢えますように。
無題
あこがれている女の子たちがみんな色白で華奢なことにむかついている。だれかを真似して美味しいところだけを盗むことは誰にでも出来るんだけど、でもそうじゃなくて、彼女たちがもっているものは彼女たちにしかもつことを許されていない域にある圧倒的なものだからくやしくて泣いてる。その子たちがフォローしているアカウントを全部フォローしたら同じ世界を見れるかもと思ったけどやめた。きっとわたしよりもいろんなものを見て感じて聞いて愛してたくさん傷ついてきたんだろうなあ、と思う。自分と向き合うのはとてもくるしくて、美しいものに触れることで浮き彫りになる絶望もまたするどくて、それでも躊躇いなく自分の内側にあるものを外にだして整えてまたぐちゃぐちゃにしていくの。そういう工程を何度もじっくりしずかにしてきたのかもしれない。お世辞にも美しいとは言えないものでも、美しい人がすればそれはたちまちに美しくなってしまう。ずるいなあ、十七年かけて見つけたものが諦めとかいう単なる逃げだとしたらやりきれない。頑張れるかなあ、がんばりたいなあ、って言うのたぶん二千回くらい繰り返しているけれど、こんなわたしもすこしずつちゃんと踏み出していて、前に比べたら痩せてメイクもするようになって結構垢抜けたし、何も書けないと言いながら泣き喚いてブログのアカウントを消すこともなくなった。ワンクリックで消えてしまった昔のわたしの言葉には相応の墓場もないけれど、だれかの支えや救いやたのしみになれたことが嬉しい。文章なんて手軽なもので誰でも書けるものだけど、誰でも、の中で、わたしのを読んでくれている人がいるのだという事実がうれしい。きっとでも綺麗事抜きでほんとうはだれでも特別で、特別じゃない人はいないんだろうけど、すべて目に見える数字として統計されてしまう今だからこそ他人からの評価やさまざまな人たちからの好意や自分は愛されているのだという確信の多さがそのひとの輪郭をなぞって、より濃くして、いわゆる個性と呼ばれる類のものを形成していくのかもしれない。くやしいし皮肉だけどそれを掻き分けていくのが、生きるということかもしれないし、あるいは自傷行為なのかもしれないし、わかんないけどわたしだけは自分の味方であれるように努力していけたらと思う。たとえ負け犬でも遠吠えできる余裕と気力があるうちはまだ勝ってる、たぶん
無題
きのう、河原まで自転車で走った。昼間の明るい時間帯に行くのはとても久しぶりだった。最近はストレスで奇行に走る人がいるらしいから夜に外に出るのはやめて、と母に言われた。テレビをつけてもスマートフォンのスクリーンをいくらスクロールしても、そこに有るのは饒舌に討論を繰り返す人間と、それに対する第三者からの警告、といったような感じだし、鬱々としていたのでちょうど良かったかもしれない。運動用にだぼっとしたパーカーを着て、弟のサドルがすこし硬い自転車を借りた。前方から吹いてくる強い風に服がぴたっと身体に張り付��ので、はずかしくなってペダルを踏む力を強くする。桜の木はもうどこにも見当たらず、小さな花びらだけがコンクリート上にまばらに散らばっていた。空は青くて、高くて、鳥が群れてそこを飛んでいて、それをわたしが見ていて、だけどわたしのことは誰も知らないの。そしてわたしだって誰のことも知らない。その事実がいちばんやさしくて、それでいていちばん淋しいから美しいと思う。川の水面が光を受けてきらきらと煌めいているのを眺めるのが好き。光りの粒がたくさんあって、見る場所によってそれが大きくなったり小さくなったり近くなったり遠くなったりしてかわいいの。昼間は白く光るのに、夕方になると今度はピンク色になったり朱色になったりするからもっとかわいい。塔屋看板にペンキを塗装する業者の人。頭上を走るモノレール。走る犬。投げられたフリスビー、野球ボール。ふうっと口をすぼめてたんぽぽの綿毛を飛ばす子どもたち。うっすら川のにおいがして、うれしくなって少しのあいだ草原の上に横になった。草ってこんな柔らかいんだって思った。オレンジ色ってこんなにオレンジ色だったんだ、とか、鳥が一斉に空へ飛び立つときにパタパタと羽根の動く音が聞こえて、しゃぼん玉が弾ける瞬間にせっけんの匂いがして、英単語帳をしばらく眺めていたんだけどすぐに閉じて空のずっと奥の方をみてた。いつもはうざったい太陽の残像でさえ愛おしく思えてし���うなあ、どうなるんだろうなあ、これから、って思った。わたしが掬い取っている現実はきっとほんとうの世界のほんの一部でしかないから、救われますようになんて偉そうなことは言えない。だけど、たかが数日間外に出ていなかっただけなのに一人でこんなにも大袈裟に感動している。すこしくらい見返りを求めてもいい気がしてくる。
頭ぐわんぐわんする
現実に翻弄されている人間を嘲笑うかのようにして桜が我関せずと言わんばかりに堂々と咲き誇っているので、なんだかすこしだけ愉快な気持ちになった。白い四角形を顔の表面に貼り付けながら、それでも歩く足を止めない人間の行く末をかんがえると何もかもがいやになってしまうけれど絶望の輪郭をみんなでかじって食べていけば、なんとも名付けようのない不器用な形をした詩のような世界ができあがるのかもしれない。今日くそみたいなじじいがくそみたいな眼差しでこちらをみてきたので睨み返してやったんだけど、どれだけそうして自分の弱さを繕うように強がっていても彼には変わらずに愛するものがあって彼を救いにしている人もたくさんいて、そのことがなんだか、それだけがなんだかそのときのわたしの苛立ちの唯一の誤魔化しだった。だからわたしは彼を刺殺さないし、彼もわたしを殴り倒さない。そういうのって、大事なんだろうなあと思いながら電車の広告の文字を追っている。ちなみになにも頭には入ってこない。あたたかい毛布にくるまっていると誰かに抱きしめられているかんじがするから心地がよくて、すこしだけ唇を尖らせる真似をする。まぶたをあと何回閉じれば。何回綴じれば。いいんですか。コンクリートジャングルと自転車のサドルとスカイツリーの心臓。あ、と思う頃にはもうすでに全てが遅くなっていて後悔をするけど、あ、と再び思うと今度は以前のそれよりもより大きな幸せに満たされていることに気がつく。竹刀を持った少年たちが夜になると川辺に集まっていつもその刀を縦に振っている。わたしはたいして歌を歌うことも上手ではないし、勉強も大してできないし、顔だって凸凹している。けれどそれでも真っ直ぐに生きていけるかな。生きていきたいね。終末感の漂う世界をみることで、わたしは独りですこしだけ安心できた。終りがあることに赦される。本当は衝動のまま洗面所にあるハサミで髪の毛を思い切り切ってみたいし、派手な髪色にして東京の真ん中を歩きたい。それでも晴れることのない憂鬱を自分の中の非道徳的な理想に想いを馳せることで誤魔化してみたり、寂しいと思わなくても好きな人を自分の家に泊めて隣でぴったりからだを重ねながら長い夜を過ごしたい。そういうのをだらだらとしたいだけなのに、そういうのをするのにも勇気や妥協や諦めが必要らしい。がんばるよ。すこしずつ。
無題
まいにち予備校の自習室にいっていたら、自習室でしか勉強したくないからだになった。いままで宗教上の理由で髪の毛を隠してきたけど、大学生になったらボブにして染めて街を堂々と歩いてみたい、し、そうしてみる。たくさんあそびたい、だれになにをどう言われようと自分のしたかったことを一つずつしていきたい。親といっしょに暮らしていたら、わたしの「非」はぜんぶ彼らの責任になってしまうけど(これもちょっとおかしい話だけどそう考えている人は多いみたい)一人で暮らしだとわたしのしたことは全部わたしの責任になるらしいので、最近は常に逃げ出したい。思春期や若さを理由にしてどこか遠くへ逃げてしまうことは何もわるくない。ぜんぜんわるくない。寧ろそうするべきだとも思っている。一度離れ離れになることで改めて気付かされることや見えてくるものなんてたくさんあるし、それに加えて黒猫を相棒に迎えいれることがきまって、その子といっしょにふたりで(猫だから「人」ではないけど)暮らすことが決まったのでどきどきしている。もう失うものはない気がして、でもそれは自分がなにも持っていないからではなくて、幸せなことにたくさんのものを持っているからだということに最近気がつきました。毎日走ろうと思ってる、思ってるというか走っている。たくさんがんばって可愛くなるので、そのときがきたら誰かデートしてね
無題
つまらない文章しか書けなくなった。いや、そんなことはないんだけど、もしかしたら面白い文章を書かなくちゃと思うことがなくなっただけなのかもしれないけど、それでも書かずにはいられないほど心を動かされるものとかそれをさせてしまうくらいにわたしの大切なものをかき乱した嵐のような愛とか、水みたいにさらさらしてる美しい光景の数々とか、光とか風とか、なんかそういうの、そういうのに自分のからだとかこころを預けるのがこわくなってしまった。あっちへいったりこっちへいったり、そうしているうちに自分を見失いそうでこわい。だけど反面、もう自分のことで苦しまなくていいようにいっそのこと自分の存在とは程遠いなにかに染まってしま��たい。自分らしい自分なんて本当は存在しないのだとわかっていながらもそういったくだらない不安感をおぼえてしまう。というのも、たくさんの言葉とか音楽に触れているうちに、どんどん自分が感化に感化を重ねて変わっていっているのが自分でもわかっていて、だからもう昔書いていた文章は書けないし、昔捉えていた景色の感触も思い出せない。わたしが考えていることはすでに誰かが思いついていることで、でもだからといってその価値が下がるとかそういうことではないんだけど、時折それがすごくさみしくなる。なにかを表現することで、表現したくないなにかを誤魔化してきた自分が浮き彫りにされているようでとてもくるしくなる。ほんとうのわたしを認めてほしい、などと思うけど、同時にわたしのなにが貴様にわかるんだ、とも思う。自分のほんとうはどうしたいのかという気持ちをうまく掬いとってあげられないのがくやしい。思春期ってそういうものなのかなあ、こうやってぐるぐる変な渦に巻き込まれて、いつも自分だけど自分ではないなにかとすれすれになりながらもがいている。いちばん近いはずなのに、いちばん掴めない。なのに影みたいにしてどこまでもひっついてくるので厄介で。むかしの自分かもしれないし、認めたくない自分かもしれない。いずれにせよ、世界に翻弄されがちな自分の絶望や幸福を言葉や写真などに起こして大袈裟にしてみせる一連の行為に疲れてしまった。わたしはわたしに自分のことを認めてさせてあげたかったのだと思う。あなたの感じていることは言葉にされるに値することだと、慰めてあげたかったのだと。でも今はこうして文章を書くことで、言葉に残さなかったなにかが消えてしまいそうでこわいと思ってる。写真を撮ることで、写真に残さなかったなにかを裏切るような感じがしてこわい。それともそれはただ口実で、ほんとうはほんとうに一切のことに無関心になってしまったのかなあ。全てのことをどうでもいいと投げやりにしてしまうことで、失うものを少なくしたかったのかもしれない。そうすることがずっと強さだと思ってたけど、今もそう思っているところはあるけど、誰かにわたしのぜんぶを決めて欲しいなと思うけど、でも自分でちゃんとえらんでいきたいね。突き抜けたわたしの弱さを、考えすぎたよという言葉で突き放すひとたちはいたけど、それをわたしのいちばんの強さだと肯定してくれたひとは少なかった。考えすぎてしまうこと一般的にみていいことではないかもしれない。たしかにわたしは考えることで現実から目を背けているし、考えることであたかも自分が真っ当に生きていることを正当化しているし、考えることであなたに連絡したい気持ちやあなたに抱いてほしい気持ちを誤魔化しているけどそれがなんかいいなあっておもう。それがなんか、ちょっと可愛いというか、なんか人間味に溢れて嫌いになれない。ぐだぐだ空白を消費しているうちに、どうにもやりきれなくなって深夜にワンピース一枚でそとへ飛びだしたことがあって、そのとき足のくるぶしから太ももの内側へとひっつく夜の風のつめたさに今も慰められている。変わりたくない、と思うけど変わっていく自分を受け止めてあげられるだけの気持ちの余裕やそのかわりになにかを手放す強さとかそういうのを育てていかなくちゃいけないのだと思う。ちょっとだけかなしいけど、もしかしたらそれができた頃には、また遠い昔に出会えていた感動にまたはじめて「あたらしく」出会えるかもしれないと思うとちょっと頑張ってみようという気持ちになる。長々書いたけど自分でも一貫性がないことにくすりとしてしまう。ただの自分語り、あとでたぶん消しちゃうのでこれを���めた人はラッキー。あしたいいことがあるかもしれないね。
無題
ふわふわと遠いどこかを彷徨っているかんじで、それがちょっとだけ気持ち良かったり、気持ち悪かったり、こわかったり、かなしかったりした。一日中そんな調子だったのでひどくつかれた。わけわからないウイルスのせいで色々な部活の大会や練習が取りやめになった。期末試験もなくなって、これから空白の一か月間。放課後あちこちからだれかのすすり泣きとそれを優しく諭す声がきこえてきて、わたしは失うものなどなにもないのに、なにかを失ったような気分で、これを書いている今でさえ少し泣きそうで指が震えている。頑張って頑張ってさいごまで努力を続けてきたのに、こんなにも呆気なく終わってしまったことが悲しい。このままドミノ倒しみたいにたくさんの報道が、たくさんのだれかの涙が、自分の知らないところで募り続けていくことをかんがえただけでなんだか胸が空っぽになる。大した努力をしていないわたしが悲しむようなことでもないのかもしれないけど、それでもわたしは努力をしている友達の姿がだいすきだし、みんなの泣いている姿をみるのがつらかった。反面、涙を流せるほどの熱量をなにかに注いだ覚えもないことが余計にこころを空っぽにさせた。すこしだけ、この、世界がゆるやかにくずれていく様子に好奇心を覚えて胸が高鳴った瞬間もあったけど、やっぱりもっと美しいのがいいね。やさしいほうがいい。さいきん文章書いてなさすぎていかにも日記みたいな日記になりました。ぜんぶ大丈夫になりますように。
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白夜(劇場実習発表版)
演出空間コース 2年 劇場実習発表
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原作:フョードル・ドストエフスキー (小沼文彦訳よりアダプテーション)
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僕はもう、自分の人生に罪を冒したって悩まなくても済むかもしれない。
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主人公の青年は、サンクトペテルブルクに引っ越してから8年、友人が一人もできず、夢想的で孤独な生活を送っていた。白夜のある晩、橋のたもとで、ある少女に出会い彼の日常は鮮やかになっていく。孤独だった 2 人は、互いに惹かれあい、会う度に気持ちは高まっていく。しかし、実は少女には婚約者がいた。夢のような淡い恋心が芽生え始めたころ、彼の想いは淡く散ってしまう。 青年は少女との出会いを心から喜び、感謝し、誠実に関わろうと努める。それでも少女は青年の前から去ってしまう。そのとき彼は何を思うのだろう。
今夏、名古屋芸術大学内で上演された授業製作作品を、西文化小劇場にて劇場実習発表版として上演。
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開演日時
2025年1月17日(金)16:00
※開演30分前より開場 ※上演時間 約60分 ※終演後トークあり ※場内車いす席あり ※全席自由 ※未就学児入場不可
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料金無料、ご予約不要(全席自由)
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会場
名古屋市西文化小劇場 (名古屋市西区花の木2-18-23)
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出演
宇津 舞衣子(音楽領域 音楽総合コース2年) 安尾 琢杜(舞台芸術領域 プロデュースコース2年)
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照明・音響・美術・制作
舞台芸術領域 2年生(3期生)
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「白夜」の主人公は、あまりにも人間らしい。
夢想家である彼は、考え込み、想像し、思い上がったと思えば、悲観し、皮肉り、絶望する。そして、今日という日を懸命に生きていくのだ。
この作品の中で、彼は沢山の感情を吐露する。それは、人の素晴らしさだけでなく、人の残酷さ、世の中の無情さによるものでもある。
私達も彼と同様、理不尽な出来事に苛まれる時がある。等身大の人間である彼と共に過ごすこの物語は、あなたの心にも重なることがあるのではないだろうか。
世界は変わっていくものであり、そこには失うことや捨てることへの不安よりも強い期待がそこかしこに溢れている。若々しい期待は、ほとんど場合、期待通りの結果にはならない。その世界の中で私達はどう生きれば良いのか。
世界の若者の多くが、これまでに心の病を経験していると言われる現代。だから私達は、この今の時代に「白夜」という作品を通し、「あなたが抱えるものはあなただけのものではない」ということを伝えたい。そんな自分を、他者を、そして世の中を赦せたのなら、あなたの世界はより一層健やかなものになるだろう。
舞台芸術領域 プロデュースコース 3期生
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構成・演出:鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(2012・フランス)。2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員(2015〜)。名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真:松原豊
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照明協力:今井歩
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指導教員:
石黒諭、岡野憲右、鳴海康平
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宣伝美術:橋本純司
フライヤービジュアル:イ ロイ
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
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お問い合わせ:
名古屋市西文化小劇場 tel / 052-523-0080〈9:00~20:00〉 ※日曜・���日は17:00まで。年末年始(12/29~1/3)、月曜日休館(月曜が祝休日の時はその直後の休日でない日)
名古屋芸術大学 舞台芸術領域 mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
主催: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域 共催:公益財団法人 名古屋市文化振興事業団[西文化小劇場]
協力:名古屋芸術大学 音楽領域音楽総合コース
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だって、こんな生活、罪ですよ。
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2024.10.13
映画『HAPPYEND』を見る。父の時代の学生運動のような雰囲気と、街の風景のクールな切り取り、存在感があり重厚な音楽の使い方から愛しいものとしてのテクノの使い方まで大変気に入り、今度会う人に渡そうと映画のパンフレットを2冊買う。その人と行った歌舞伎町時代のLIQUIDROOM、どんどん登らされた階段。小中学生の時に自分がした差別、あの分かっていなさ、別れた友人、まだ近くにいる人たち。
2024.10.14
銀座エルメスで内藤礼『生まれておいで 生きておいで』、ガラスの建築に細いテグスや色のついた毛糸が映える。日が落ちて小さなビーズが空間に溶けていくような時間に見るのも素敵だと思う。檜の「座」で鏡の前にいる小さな人を眺める。「世界に秘密を送り返す」を見つけるのは楽しい。黒目と同じだけの鏡、私の秘密と世界の秘密。今年の展示は上野・銀座ともに少し賑やかな雰囲気、外にいる小さい人たちや色とりどりの光の色を網膜に写してきたような展示。でも相変わらず目が慣れるまで何も見えてこない。銀座にはBillie Eilishもあったので嬉しくなる。
GINZA SIXのヤノベケンジ・スペースキャットと、ポーラアネックスでマティスを見てから歩行者天国で夜になっていく空を眺めた。小さい頃は銀座の初売りに家族で来ていたので、郷愁がある。地元に帰るよりも少しあたたかい気持ち、昔の銀座は磯部焼きのお餅を売っていたりしました。東京の楽しいところ。
2024.10.18
荷造り、指のネイル塗り。足は昨日塗り済み。年始の青森旅行時、2泊3日の持ち物リストを作成し、機内持ち込み可サイズのキャリーに入れ参照可能にしたところ、旅行のめんどくさい気持ちが軽減された。コンタクトや基礎化粧品・メイク用品のリスト、常備薬、安心できる着替えの量。持ち物が少ない人間にはなれそうにない。日常から多い。部屋に「読んでいない本」が多いと落ち着くような人間は持ち物少ない人になれない。
2024.10.19
早起きして羽田空港。8:30くらいに着いたらまだ眺めのいいカフェが開いておらず、とりあえず飛行機が見える屋上に行く。このあと雨が降るはずの曇り空からいきなり太陽が照り出して暑くなり、自販機でマカダミアのセブンティーンアイスを買い、食べる。突然の早朝外アイス。飛行機が整列し、飛び立つところをぼんやりと眺める。飛行機は綺麗。昨夜寝る前にKindleで『マイ・シスター、シリアルキラー』を買って「空港ではミステリー小説だろう」と浮かれて眠ったのに、100分de名著のサルトルを読み進める。実存主義を何も分かっていないことをこっそりとカバーしたい。すみませんでした。
10:15飛行機離陸。サンドイッチをぱくぱく食べたあとKindleを手に持ったまま眠ってしまい、11:55宇部空港着。
宇部空港、国内線のロビーは小さく、友人にすぐ会う。トンネルを抜ける時、窓が曇り、薄緑色の空間に虹色の天井のライトと車のライトがたくさん向かって来て流れる。動画を撮影しながら「綺麗くない?」と言うと「綺麗だけど本当は危ない」と言われる。かけるべきワイパーをしないで待っていてくれたんだと思う。
友人のソウルフードであるうどんの「どんどん」で天ぷら肉うどん、わかめのおにぎりを食べる。うどんは柔らかく、つゆが甘い。ネギが盛り放題。東京でパッと食べるうどんははなまる系になるので四国的であり、うどんのコシにもつゆにも違いがある。美味しい。
私は山口市のYCAMのことしか調べずに行ったので連れて行ってもらう。三宅唱監督の『ワイルドツアー』で見た場所だ。『ワイルドツアー』のポスターで見た正面玄関を見に芝生を横切ったが、芝生は雨でぐずぐずだった。でも全部楽しい。
広くて静かで素敵な図書館があり、心の底から羨ましい。小さな映画館もあり、途中入場できるか聞いたおじいちゃんが、「途中からだからタダにならない?」と言っていたがタダにはなっていなかった。一応言ってみた感が可愛らしい範囲。
YCAM内にあるのかと思っていたら違う倉庫にスペースのあった大友良英さんらの「without records」を見に行く。レコードの外された古いポータブルレコードプレーヤーのスピーカーから何がしかのノイズ音が鳴る。可愛い音のもの、大きく響く音のもの。木製や黄ばんだプラスチックの、もう存在しない電機メーカーの、それぞれのプレーヤーの回転を眺めて耳を澄ませてしばらくいると、たくさんのプレーヤーが大きな音で共鳴を始める。ずっと大きい音だと聞いていられないけれど、じっと待ってから大きな音が始まると嬉しくなる。プログラムの偶然でも、「盛り上がりだ」と思う。
山口県の道路はとても綺麗で(政治力)、道路の横は森がずっと続く。���とは農地だっただろう場所にも緑がどんどん増えている。私が映画で見るロードムービーはアメリカのものが多く、あちらで人の手が入っていない土地は平らな荒野で、日本の(少なくとも山口県の)土は放っておくとすぐに「森」になるのだ、ということを初めて実感する。本当の森の中にひらけた視界は無く、車でどんどん行けるような場所には絶対にならない。私がよく散歩をする所ですら、有料のグラウンドやイベント用の芝生でない場所には細い道を覆い隠す雑草がモコモコと飛び出して道がなくなってゆく。そして唐突に刈られて草の匂いだけを残す。私が「刈られたな」と思っているところも、誰かが何らかのスケジュールで刈ってくれているのだ。
山口県の日本海側の街では中原昌也と金子みすゞがそこかしこにドンとある。
災害から直っていないために路線が短くなっているローカルの汽車(電車じゃない、電車じゃないのか!)に乗って夜ご飯へ。終電が18:04。霧雨、暴風。一瞬傘をさすも無意味。
焼き鳥に挟まっているネギはタマネギで、つきだしは「けんちょう」という煮物だった。美味しい。砂肝、普段全然好きじゃないのに美味しかった。少し街の端っこへ行くとたまに道に鹿がいるらしく、夜見ると突然道路に木が生えているのかと思ったら鹿の角、ということになり怖いらしい。『悪は存在しない』のことを思う。
2024.10.20
雨は止んでいてよかった。海と山。暴風。人が入れるように少しだけ整えられた森に入り、キノコを眺める。
元乃隅神社、123基の鳥居をくぐり階段を降りて海の近くへ。暴風でiPhoneを構えてもぶれて、波は岩場を越え海の水を浴びる。鳥居の上にある賽銭箱に小銭を投げたけれど届くわけもない。車に戻ると唇がしょっぱかった。
山と海を眺めてとても素敵なギャラリー&カフェに。古い建物の改装で残された立派な梁、屋根の上部から太陽光が取り込まれるようになっていて素晴らしい建築。葉っぱに乗せられたおにぎりと金木犀のゼリーを食べる。美味しい。
更に山と海を眺めて角島へ。長い長い橋を通って島。古い灯台、暴風の神社。曇天の荒れた海も美しいと思う、恐ろしい風や崖を体感としてしっかりと知らない。構えたカメラも風でぶれるし、油断すると足元もふらつく風、窓につく塩の結晶。
山と海を眺めて香月泰男美術館へ。友人が見て良い展示だったからもう一度来て見せてくれたのだ。
全然知らなかったけれど、本当に素晴らしい絵だった。油彩なのだけど、質感が岩絵具のようで、フレームの内側に茶色のあやふやな四角が残っているのがとても良い。
フレーミングする、バチッと切り取ってしまう乱暴さ��ら離れて、両手の人差し指と親指で四角を作って取り出したようなまなざしになる。
山口県の日本海側の山と畑と空の景色、荒い波、夜の静けさや月と雲、霧の色を見てから美術館へ連れて来てもらえたから色と色の境目の奥行きを知る。柿はずっしりと重く、花は鮮やかだ。香月泰男やシベリア抑留から帰ってきた画家で、この前読んだ『夜と霧』の暗さと冷たさを思い返した。絵の具箱を枕にして日本へ帰る画家が抱えていた希望、そのあとの色彩。
夕飯は友人の知り合いのハンバーガー屋さんへ。衝撃のうまさ。高校生の時に初めて食べたバーガーキングの玉ねぎの旨さ以来の衝撃、20年ぶりだ。そんなことがあるのか。
2024.10.21
晴天。海は穏やかで、深い青、テート美術館展で見たあの大きな横長の絵みたい。初めて見た海の光。
海と山を眺めて秋吉台へ。洞窟は時間がかかるので丘を散策、最高。
風光明媚な場所にしっかりとした情熱が無かったけれど、「好きな場所だから」と連れていってもらえる美しい場所は、友人が何度も見るたびに「好きだなぁ」と思っただろう何かが分かり、それは私が毎日毎日夕陽を眺めて「まだ飽きない」と思っている気持ちととても近く、感激する。
今までの観光旅行で一番素敵だった。
道々で「このあと窓を見て」と教えてもらい、味わう。
ススキが風に揺れて、黄色い花がずっとある。山が光で色を変え、岩に質感がある。
山口市、常栄寺、坂本龍一さんのインスタレーション。お寺の庭園が見られる場所の天井にスピーカーが吊るされ、シンセサイザーの音を演奏しているのは色々な都市の木の生体信号だ。鳥の声や風の音と展示の音は区別されない。砂利を踏む音、遠くから聞こえる今日の予定。豊かなグラデーションの苔に赤い葉っぱが落ちる。
宇部空港はエヴァの激推しだった。庵野さん、私も劇場で見届けましたよ。
行きの飛行機は揺れたけれど、帰りは穏やかに到着、家までの交通路がギリギリだったため爆走、滑り込む。
東京の車の1時間と山口の1時間は違う。
何人かの山口出身の友人が通った空と道と海と山の色を知ることができてとても嬉しい。
「好きな場所」「好きな風景」ってどういうものなんだろう。
私が通う場所、好きな建築、好きな季節と夕陽。あの人が大切にしている場所に吹く風、日が落ちる時刻が少し違う、友人のいる場所。
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大きな地震が来て、生活がある日突然なくなってしまうかもしれない。教えてよ。人は死んだら愛も死んじゃうんですか?
聴いてる音楽、根掘り葉掘り聴きたくなっちゃう。へぇ、君はこんな音楽を聴いているんだね。って。私はこんな音楽が好きだよ。あなたにも聴いてほしいな。
深夜のFMラジオ 緑がはっきりした低い山 シーツの冷たい部分 ぬいぐるみ 花柄のワンピース 横断歩道の白いところだけ踏んで歩こ。
宇多田ヒカルのfirst loveと椎名林檎の無罪モラトリアムはわたしが産まれた年にリリースされたんだよ。
ピンク色のネイルが一本折れたとき、もう女の子じゃなくなった気がした。人伝に聞く私��話なんかより、今目の前で生きてる私を見て欲しい。バイバイ長かった怖い��。また生きていてもいいんだね。世の中は大抵綺麗なものばかりが見つけられてしまうけれど、私は傷付いてしまって、汚れたものこそそっと大切に思いたい。
家族友達好きな人、例え離れた場所に住んでいてもおんなじ月を見てる。せっかくですし、世界が終わっちゃう日までずっと仲良しでいて。
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伊勢神宮へ 酔いと音の古殿地
先日、友人のピアニストであるふじいさんと伊勢神宮に行った。初めて観光地で昼間からお酒をのむということをし、今までの観光のなかでいちばん心地よく頭のまわらなさ、とてもよい小旅行だった。またわたしは偶然、京都の伏見と混号になっている伊勢特集のブラタモリを所持しており、これが今回とても役に立った。前の週に予習として読んだときは(ふ〜ん、)というくらいだったが、伊勢までの電車の中で読むと既に実感を伴い、(知識にも入れどきってもんがあるのよ〜)となった。わたしの人生初のお伊勢参りは午前中だったからか観光地としては非常にちょうど良いくらいの人の多さ(多くなく)で、曇り雨予報もお伊勢参り中は全く降られることなくとても良かった。神宮のつくりと見かけ、また観光地としての佇まいはとても美しく、気高く、tidyな賢さのある観光地であった。おおきく見ていてうれしかったポイントとしてはふたつある。
ひとつめは古殿地のシステム。古殿地というのは、伊勢神宮は20年毎に1回式年遷宮という正殿を筆頭にいくつかの社殿を真横にそっくりそのまま建て替えるということをする。古殿地とはそのための土地、要するにholyな空き地である。この20年を節目にして建て替えられるというのは飛鳥時代の620年あたりからで、ここまでのべ62回の造り替えが行われてきたそうだ。社殿に使われる装具品なども全て作りなおされるので、伊勢神宮はトラディショナルだが常に新しいということである。して、それの何がよかったのかというと、完成された社殿に開発できるスペースが常にあると言う状態がこの神宮の格式の高さだと思えたからだ。これをふじいさんに伝えようと思ったときに何に例えると良いだろうかと参道を歩きながら考えた。大抵いつもこういう感動を伝えやすいのはエンジニアの友人であるカイくんで、彼だったらプログラ��ング、書ききったコードにあらかじめバッファを残すやり方とかそういうものがありそうだな、、とか思ったが、その辺のプログラミングの素養がわたしにはないし、プログラミングに例えてもわたしもふじいさんも納得感が薄い感じ〜となりそうと思うと、ピアノのスケールに例えられる気がした。スケールというのは順当に並んだ音階のこと、単純言うとドレミファソラシドという音列(これはCメジャースケール)のことで、これをたとえば片手で1オクターブ分のスケールを引くときには、(右手で弾く場合)15音に対して指は5本しかないので運指を少し工夫する必要がある。ドレミまで123(親指から番号を振り)の指で引きファの音で指を潜らせて1の指で引いてやると次のドまでの音階を残った2345の指で弾いてやることができる。これを左手で行うと(小指から逆順に番号を振り)5432/1321の運指でありここまではとても美しいシステム、指の運びだなとわたしは思うのだが、わたしが気にしているのは2オクターブ以上引くときの運指である。音の始めはいずれにしても1の指からなのだが1オクターブ上のドに辿り着く指はいずれも345の流れである。つまり2オクターブ以上引くときには間で指を潜らせたり跨がせる所作をさらに加えて行う必要がある。具体的には右手の場合は123/1234/123/12345。左手だと54321/321/321/4321となる。このときの右手の運指に問題がある。1オクターブ引き切る前に2オクターブ目のスケールに向かうための運指の変化があるのだ。つまり1オクターブのスケールを弾くときと2オクターブ引くときの指を流れが違う。1オクターブ弾き切ってから(ア!もう1オクターブいきたいかも)にシステムとしては対応できていない。というようなことをつい先日スケールの練習をしているときにそういうことを考えていたことを思い出した。たとえばクラシックではそんな場面はあまりないかもしれないが、たとえばジャズでインプロビゼーションなどするのであれば土壇場でもう一音階上がりたいという場面があってもおかしくないのではと想像したのだ。前置きが長くなったが、どこまでも上がり下がりする音階をつくるためには一般的な運指ではなくあらかじめ次の音階に上がれる「音(指)の古殿地」が必要かもしれないということ。それを彼女に話すと、よくそんなこと思いつくと言ったあと、でもそういった場合たとえばペダルを併用したりもう一方の手でカバーを入れたりして澱みなく繋ぎ直す方法もあると教えてくれて、わたしはとても愉快になった。ふじいさんはとてもピアノが上手いし、いつも話を聞いているとピアノに対しての甘えのない人だ。そしてこの彼女がシステムを超えるためのアドホックな技巧があること、またそう言ったときの(おそらく演奏というものは必ずしもそういうことではない)というような毅然とした態度に、わたしは増してわくわくした。
ふたつめは終点の標識。伊勢神宮には愛知から名古屋を経由し国道23号線をずっと走ってくると伊勢神宮までたどり着くことができ、そこには国道23号の終わりがある。標識の23の文字の下には白地に黒文字で終点と書かれており、ことは内務省より「東京より伊勢宗廟に達する路線」 として国道9号が指定されたのが1885年、1920年には旧道路法に基づく変更にのり国道1号となり名実ともに日本を代表する幹線道路だったわけだが、終戦後に再び何度かの道路改正があり、一級二級といった区別がなくなり今の一般国道23号線になったのは1965年のことだそうだ。この終点の標識ひとつとっても、当時からの伊勢神宮の位の高さが伺える。神宮としてあり続けるために観光面においても、御司という平安から明治の初めにかけて多くいた伊勢神宮への参拝のための旅行コンシェルジュのような存在や、江戸の街並みを再現したおはらい町など、伊勢神宮の気高さは街全体がつくってきたのだ。そして終点もそのひとつ。観光地が維持されながらも同時にアップデートされていく一端を見れてとてもうれしい心持ちであった。なんといっても「終点」 というのが良い、目的地のなかでも終点と言われてしまえば(真に目指す必要のある場所だ!)と思うのも頷ける。
とりあえず外宮と内宮を見て周り、初お伊勢参りとしては十分及第点だろうといったところで、そのまま横に流れ、おはらい町へ。てこね寿司を食べようと思ったが、ふじいさんがそんなに乗り気ではないように思われたので、とりあえずコロッケのおいしいという店でコロッケとメンチカツを頼んだタイミングで、焼酎をのもうと言われ2号をふたりで飲んだら、すごくきれいに酩酊。わたしは観光地ではいつも専ら学習モチベーションが高く、神宮でも、最高な巨木!美しい五十鈴川。気高き社殿群と、直感的には伊勢の空気に触れつつもしばしばブラタモリを開いてはふむふむしていたお昼まで、初めて旅行先の外でしっかり酔っ払いとても愉快であった。神宮に行く前に伊勢うどんを食べたこともあり、めちゃくちゃ腹減りという感じでもなく、すっかり機嫌の良いわたしたちは観光地とはおおよそ関係の希薄そうなアイスクリームを食べ、こちらは子供サイズというひと巻きかふた巻きほど少ないのが大きさのものがあり、一個は多いが、というニーズにぴったりであった。その後は本店の赤福を食べ、ふじいさんの友人の谷さんいわくお土産の赤福とは一線を画すとの前情報であったが、たしかに、食感においていつもの赤福より餅が柔く、餡も心なしかみずみずしいように感じられた。このあたりでは少し酔いが覚めてきて、非常にちょうど良さではあったが、良さのもう一段上、更なる心地よさへの高みに想像がはたらき(酔いの古殿地)、別のお店であともう一杯だけ日本酒をのむと、それはなんとも贅沢な昼の心地であった。そうこうしているとおおよそ帰路に着く時間に近づいてきていたので、わたしのリクエストでバスで宇治山田駅へと向かう。かく宇治山田駅もお伊勢参りの後援として一役買っている重要な場所である。1931年に建てられたこのモダン調の駅舎は近鉄電車、大阪のなんばから宇治山田駅間を2時間ほどで繋いでおり、関西から参拝にくるひとの多くが利用するルートのひとつである。ちなみにブラタモリには駅舎のテラコッタ色のタイルが印象的であると書かれていたのだが、わたしが見る限りではどこにテラコッタ色のタイルはなく(見つけられず)、それは少し悔やまれたが、しかしそんなことはどうでも良いと思わせるほどのサプライズがあった。なんと宇治山田駅にはストリートピアノなるものが設置されていたのだ。開けた構内には普段であればちょっとピアノ弾くか迷うくらいのひとの多さがあったが、ここで追い日本酒がほどよく効いていたのもあり、純粋に突如現れたグランドピアノにテンションがあがった。思いもしないタイミングでふじいさんの演奏を直に聴くことができるのがうれしい。確実に演奏家として彼女の方がはるかに上手に弾くだろうと思ったので、先に私から演奏する。すこし音をならすと、非常に良い調律というか鍵盤の硬さで(あとでピアノの写真を見返すとYAMAHAであった)、初見でこんなに手に馴染むピアノがめずらしく、また酔いも助けてわたしはとても良いモチベーションで演奏できた。楽しく弾くことができたし聴き手からしても楽しさ〜という演奏になっていたように思う。あとからあれはBLUE GIANTの2巻でダイが、「音楽はいいな〜音楽はスゲェな〜を吹きます」 のシーンの心持ちだった。それからふじいさんの演奏。連弾用に椅子が二脚あり横に座って聴いたのだが、彼女の演奏はとても流暢で、酔いのなか、彼女としてはどんな出来だったのかは分からないが、とても軽やかで流れのある水を撫でているような心地よさ、砕けたいうにはいささか繊細な粒子の細かいフランクな音でとてもよかった。彼女の手の動きは見ていてもおもしろかったし、途中からは音楽に身を委ねて目を瞑って聴いたのであった。彼女は2曲(だったと思う)弾いてくれ、一曲はラヴェルだと言っていた(もう一曲はなんだったんだろう)そのあとは少しだけふたりでポロポロと弾いたり弾かなかったりした。あらためてとても良い旅であった。
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『是那些小小的相信,撐起了整個星系的運作。使我白晝有光,夜晚有星。』
End of 2023, I will always love you like a darling.
普羅 - Remember Summer Days / 杏里
路邊王 - Winter Wonderland / 小野麗莎
もり- Love You Here & Now / 李權哲, Robot Swing, 凌元耕
Ming - Bittersweet (feat. LeeHi) / LeeHi, MINGYU, WONWOO
Smo - 髒手指 / 我很懂禮貌,可我不交朋友
Ula! - Protect Me From Myself / 深白色二人組
㊙️ 歪み観音· 女殺油地獄ଲ(⁃̗̀̂❍⃓ˑ̫❍⃓⁃̠́̂)ଲ - Goodbye for Now / P.O.D.
傑 - 出賣 / 周傳雄
月球上的腳印 - MajiでKoiする5秒前 / GING NANG BOYZ
91金歹命 - 怎樣歌 / 伍佰
陳襄 - 人间萤火 / 夏日入侵企画
海德格 - 幻聽 / 莫文蔚
Dan - 努力活著 / 趙傳, 劉沁
阿倫 - 最好的時光 / 安溥
米奇寶包 - 黑夜盡頭 / 黃立行
念 - 島嶼天光 / 滅火器
根 - 裂縫中的陽光 / 林俊傑
挫組青年㍿ - 擱淺的人 / 康士坦丁的變化球
Eva - NANANA / GOT7
真賀田四季春 - Pure Imagination (from "Wonka") / Jeremy Holland-SmithTimothée Chalamet
徵友中的大安切洛帝 - This Is The Life / Amy Macdonald
青春的尾巴是長在前面的 - Zombie / The Cranberries
屋馬燒肉 - 裸の勇者 / Vaundy
小海 - 鮮花 - 现场 / 回春丹
CC - All Day All Night / babychair
源仔 - 八 / 草東沒有派對
念 - 給女兒 / 滅火器
元 - 水漫金山寺 / 裁缝铺
普羅 - Can't Help Falling in Love / Elvis Presley
Karen - Nothing's gonna hurt us / LÜCY
軟芭樂 - 現在就讓我走 / 宇宙人
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2024年6月13日木曜日
病院の待合室にて20
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(2)
まだ13時過ぎなんだけど。楽しいのになぜか時間が過ぎないという、最高なような不気味なような現象が起こっていた。でも大丈夫。鳴門といえば渦潮だから。まだ渦潮見てないから。徳島と淡路島を結ぶ大鳴門橋、その橋の中がトンネルのようにくり抜かれており、そこに遊歩道が作られていて、鳴門の渦潮に徒歩で近づく事ができる、その名も『渦の道』。そこに行くことにした。私は多分行くの3回目ぐらい。結構好きな観光スポット。たくさん歩けるし。渦が見えるかもしれないし(満潮とか干潮とかちゃんと渦が出るタイミングを狙わないと見えない事が多い)。
渦の道に車で向かっている道中では、私達はフィッシュマンズの話をしていた。Tくんは中学生の頃からフィッシュマンズを聞いていて、これは私の当時の感覚だと相当早かったように思う。私たちが13歳から15歳というと、1997年から99年に当たる。フィッシュマンズにとっては、『宇宙 日本 世田谷』、『8月の現状』、『ゆらめき IN THE AIR』、男達の別れツアー、佐藤さんの逝去、そしてライブ盤『98. 12. 28 男達の別れ』という激動の3年である。今でもありありと思い出せるTくんの部屋には、フィッシュマンズのCDが何枚か置かれていて、私は『ゆらめき IN THE AIR』や『宇宙 日本 世田谷』のジャケットを見て、かっこよいと思ったりしていた。私はTくんに、最近フィッシュマンズが海外で高く評価されていて、音楽の食べログことRate Your Musicでも『男達の別れ』が金字塔のように扱われていたり、ついこないだもPitchforkのSunday Reviewで『ロングシーズン』が採り上げられていたんだよ、と早口でまくし立てていた。どうして早口になったかというと、こんな話ができる人はあんまりいなくて(でもよく考えると今も私の友達でいてくれてる人は、多分この話みんなできる)嬉しくなっちゃったから。Tくんはそういったことを全然知らなかったが、東京から福岡までの飛行機の中で『ロングシーズン』を聞いていたらしい。無意識で世界とシンクロしていく人間。ホンモノとはこういう人のことを言うのだと思う。
youtube
「そのピッチフォークのレビューでね、「走ってる…」のところが”Driving…”って訳されてたの。あれって車の歌だったの気づいてた?よく考えたら夕暮れ時を二人で走って東京の街のスミからスミまで行かないよね」
「気づいてなかった!そっか」
Tくんに「どうしてフィッシュマンズ聞くようになったの?」と尋ねてみた。きっかけは、彼がかつて好きだった女の子、彼がバンドをやってる時に歌にまでした女の子が、フィッシュマンズを好きだったことだという。Tくんは最初に『Neo Yankees’ Holiday』を買ったらしく、一枚目としてはまあnice choiceだと思うのだが、その女の子は「まあ、あれもいいよねー」ぐらいの感じだったらしい。Tくんがすばらしくnice choiceであるためには、いわゆる世田谷三部作に手を出さなくてはいけなかったのだった。そして私はこの話を聞きながら、こんな素敵な話は、当然むかし一度聞いたことがあったのを思い出していた。でもそんなことは言い出せずにいたし、こんな話は何度聞いたって素敵なのでよかった。
渦巻は巻いてるのか巻いてないのかよく分からなかった。私が行く時はいつも、巻いてるのか巻いてないのかわからない状態である事が多い。時間とか潮の満ち引きとか考えず、適当に行ってるからだと思う。橋をその内側から見るのも、私は楽しいから大丈夫なのだが、相当歩いたので疲れてしまった。もう一箇所、鳴門には霊山寺という四国八十八箇所巡礼の一番札所であるお寺があり、そこも観光名所として有名なのだが、疲れてしまったので、行くかどうかを決める会議が私とTくんとで開かれた。そして、入るかどうかは別として、ドライブがてら行ってみようとなった。なんとなく高速に乗りたかったので、鳴門北ICから板野ICまで乗ろうと思った。せっかくだから音楽をかけようと思い、Apple Musicで、『はじめてのフィッシュマンズ』というプレイリストを掛けた。一曲目は『いかれたBaby』だった。やっぱり初めて買うフィッシュマンズは『Neo Yankees’ Holiday』で全然いいと思った。ほとんど誰も走っていない高速に、少し傾いてきた陽の光が射して、そこに音楽が混ざって気持ちよかった。鳴門の街のスミからスミまで、僕ら半分夢の中…もちろん運転中だから完全覚醒中だったけども。Tくんを無傷で東京に帰す事も運転手としての責務である。
高松道を降りて、霊山寺に着くまでの間に少しだけ、音楽ではなく、Tくんの私生活について話す時間があった。その内容については当然ここに書く事は出来ない。唯一言えることと言えば、Tくんは本当にエンターテイナーだということだけである。
霊山寺に来たのは私個人としては2回目だけれど、記憶よりこじんまりとしていたので、車から降りて参拝することにした。霊山寺は天井から多数の灯籠が吊ってあるのがとにかく綺麗でかっこよいのですが、それをTくんに見てもらえてよかった。ここは八十八箇所巡礼の一番札所なので、RPGの最初の町のように、お遍路さんになるための装備品、白衣や輪袈裟や遍路笠や金剛杖や納経帳などが全て揃えられるお店があり、入って眺めていると、「僕、数珠とか持ってないんだよね」と言って、Tくんが数珠を買おうとしていた。お店の中なのであんまり言えなかったが、数珠はいちばん安価なもので1600円くらいして、上は8000円くらいするものもあり、私は「高くない?」と思っていた。「数珠は��い方がいい。法事の���値観ではそう定義されています」みたいのは聞いたことがないけど、まあ本人が納得してたらいいか。Tくんはいちばん安価ではあるがしっかりしていると思しき数珠(数珠の審美眼など私にあるわけないけど)を購入していた。法事の度に私と四国のことを思い出すか、あっけなく失くすかのどちらかになるだろう。
午後三時を過ぎたので、本日宿泊予定のビジネスホテルにチェックインすることが可能になった。ホテルは徳島市内にあって、ここから三十分くらい。いったん。いったんチェックインしてみようか。しなくてはならないことを早めにやって、気持ちに余裕を蓄えていこうじゃないか。ホテルまでの道中では、Tくんがやっていたバンドについての話をしたと思う。彼らが発表したCDやCD‐Rのうち、私が一番好きなのは最初のミニアルバムである『ワンダフルまたはフレッシュ』、二番目に好きなのはその次のミニアルバムの『ギターでおしゃべり』という作品で、初めてこれらの音源を聞いた私は感動のあまり、この二枚の解説を頼まれもしないのに書き上げ、それがバンドのウェブサイトで公開されるということがあった(追記:改めて思い返すと、一枚目の『ワンダフルまたはフレッシュ』には解説を書いていないような気がしてきた。二枚目の全曲解説は書きました。これは間違いありません)。私はあの解説を書いたことを、どちらかと言えば良かったことだったと思っているが、割と最近になって、解説を書くのではなく、バンドにインタビューをした方が良かったのかもしれないと思ったのだった。なぜなら例えば、私が彼らのレパートリーで一番好きなのは、最初のミニアルバム所収の『湯河原で男女』という曲だが、このマジカルな曲をどうやって書き、どうやってアレンジし、どうやって録音したのか、ということをあいつらは絶対忘れてしまっているからだった。そういうことをつぶさに訊いて、記録に残しておけば良かった。誰のために?もちろん私のためにである。他の人も読みたかったら勝手に読めばいいと思うけど。一応車の中でTくんに『湯河原で男女』を書いた時のことを訊いてみたが、やっぱりあんまり覚えていなかった。しかし、彼自身のこの曲についての解釈と、自分自身の作家性への分析のようなものが聞けたので、それは嬉しかった。それをここで書いてもいいのだが、彼のバンドは一応現在「曲作り中」であるらしいので(12年くらい曲作り中みたいです)、万が一の時のために書かないでおく。なんか種明かしっぽくなりそうだから。他にも『国鉄に乗って』という曲を書いた時の大変面白いエピソードなどを聞けたので、ファンの私は大満足だった。まあ話に夢中になって、途中かなり道を間違えたりしたが、言わなかったので多分ばれてないと思う。土地勘のない人とするドライブにはこういう好都合な面がある。あと売るほど時間があるから大丈夫。時間の叩き売り。持ってけ時間泥棒。
つづく
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友多聞
H:傳達知識,快樂是友多聞的益處。友多聞也讓你成為「語言的富翁」。
「獨學而無友,則孤陋而寡聞。」強調友多聞的重要性。另外友多聞帶來教學相長的效應,《禮記.學記》:「是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰「教學相長」也。」尤其「人人都是一本書」,
甚至「人人身上都是一個時代」教你一句建言,警語也是受用無窮。學無止境,終身學習。20240604W2
多聞
解釋:
見聞廣博,增廣聞見。《論語.季氏》:「友直、友諒、友多聞,益矣!」三國魏.何晏〈景福殿賦〉:「故將廣智,必先多聞。」
增廣見聞知識。《文明小史》第一五回:「橫豎我們這趟出門,乃是為著增長見識,於學問有益的事。」也作「增長見聞」。
學問淵博
淵,淵深。博,廣博。學問淵博謂學識豐富。如:「他溫文儒雅,學問淵博,是學術界所公認的大學者。」
學識淵博,意思是指學識深而且廣。
見多識廣
見聞廣泛,學識淵博。《鏡花緣》第四四回:「多九公本是久慣江湖,見多識廣,每逢談到海外風景,竟是滔滔不絕。」《文明小史》第三四回:「只因常常出外遊學,見多識廣,知識也漸漸開通。」
知識淵博的相似詞
博學多識 學識豐富 博學多才 知識豐富 學識淵博 淵博 知識廣博 博學多聞 博學 學識廣博 博古通今 博聞強識 學富五車 淵博的知識 學問淵博 淵博知識 博學睿智 上知天文下知地理 通古博今 淵博的學識 博覽群書 學識 博學廣識 見識廣博 淵博學識 談吐不凡 博聞多識 學養深厚 通曉古今 學識深厚
淵博
精深廣博。
晉 葛洪 《抱樸子·崇教》:“是以遐覽淵博者,曠代而時有;面墻之徒,比肩而接武也。” 宋 蘇軾 《東坡志林·記講筵》:“卿講義淵博,多所發揮,良深嘉嘆。” 清 昭槤 《嘯亭雜錄·純廟博雅》:“ 純廟 天縱聰慧,攬讀淵博。” 柔石 《二月》二:“你學問是淵博的,哥哥常是談起你。”
百科解釋
淵,精深;博,廣博。淵博:精深而廣博,形容知識廣且深,博學多才。晉 葛洪《抱樸子·崇教》:“是以遐覽淵博者,曠代而時有;面墻之徒,比肩而接武也。”
中台山:
《論語》說:「以文會友,以友輔仁。」結交朋友是很重要的事。我們在社會上要懂得交好的朋友、親近善知識。
維基文庫:
論語季氏篇
孔子曰:「益者三友,損者三友。���直,友諒,友多聞,益矣。友便辟,友善柔,友便佞,損矣。」
孔子說:「有益的朋友有三種,有害的朋友有三種。與正直的人交朋友、與誠實的人交朋友、與見多識廣的人交朋友,有益處;與走邪門歪道的人交朋友、與讒媚奉迎的人交朋友、與花言巧語的人交朋友,有害處。」
星雲大師
所謂:「友直、友諒、友多聞。」朋友之間要耿直真誠,要能相互諒解,要互通知識、要理念相投,還要能雪中送炭,這才是善友。
釋星雲
僧人
釋星雲(1927年8月19日[2]—2023年2月5日[3]),俗名李國深,法名悟徹,法字今覺,法號星雲[註 1],筆名趙無任[4]。生於江蘇江都,童年出家,漢傳佛教比丘及學者,為臨濟宗第四十八代傳人,同時也是佛光山開山宗長(方丈)、國際佛光會創辦人暨榮譽總會長、世界佛教徒友誼會榮譽會長[5],被尊稱星雲大師[1]。
「獨學而無友,則孤陋而寡聞」真正的益友是能夠讓我們擺脫孤陋寡聞的處境。
「數位遊牧」,以遠距的方式工作,並同時周遊不同的國家和城市。
一種是自己去搞清楚,從自己的經驗、觀察中學習。另一種就是向別人學習,學習別人已經搞清楚
或者正在搞清楚的東西。
「真正高明的人,就是能夠借重別人的智慧,來使自己不受矇蔽的人。」——蘇格拉底
「腳步不停,不一定是前進;閉目深思,不一定是停頓。」
通過艱苦的學習,使自己成為「語言的富翁」。
景福殿賦
作者:何晏《文選》卷11
姊妹計劃: 數據項
大哉惟魏,世有哲聖。武創元基,文集大命。皆體天作制,順時立政。至於帝皇,遂重熙而累盛。遠則襲陰陽之自然,近則本人物之至情。上則崇稽古之弘道,下則闡長世之善經。庶事既康,天秩孔明。故載祀二三,而國富刑清。歲三月,東巡狩,至於許昌。望祠山川,考時度方。存問高年,率民耕桑。越六月既望,林鍾紀律,大火昏正。桑梓繁廡,大雨時行。三事九司,宏儒碩生。感乎溽暑之伊鬱,而慮性命之所平。惟岷越之不靜,寤征行之未寧。
乃昌言曰:「昔在蕭公,暨於孫卿。皆先識博覽,明允篤誠。莫不以為不壯不麗,不足以一民而重威靈。不飭不美,不足以訓後而永厥成。故當時享其功利,後世賴其英聲。且許昌者,乃大運之攸戾,圖讖之所旌。苟德義其如斯,夫何宮室之勿營?」帝曰:「俞哉!」玄輅既駕,輕裘斯御。乃命有司,禮儀是具。審量日力,詳度費務。鳩經始之黎民,輯農功之暇豫。因東師之獻捷,就海孽之賄賂。立景福之秘殿,備皇居之制度。
爾乃豐層覆之耽耽,建高基之堂堂。羅疏柱之汩越,肅坻鄂之鏘鏘。飛櫩翼以軒翥,反宇䡾以高驤。流羽毛之威蕤,垂環玭之琳琅。參旗九旒,從風飄揚。皓皓旰旰,丹彩煌煌。故其華表,則鎬鎬鑠鑠,赫奕章灼,若日月之麗天也。其奧秘則蘙蔽曖昧,髣彿退概,若幽星之纚連也。既櫛比而攢集,又宏璉以豐敞。兼苞博落,不常一象。遠而望之,若摛朱霞而耀天文;迫而察之,若仰崇山而戴垂雲。羌瑰瑋以壯麗,紛彧彧其難分,此其大較也。若乃高甍崔嵬,飛宇承霓。綿蠻黮䨴,隨雲融泄。鳥企山峙,若翔若滯。峨峨嶪嶪,罔識所屆。雖離朱之至精,猶眩曜而不能昭晰也。
爾乃開南端之豁達,張筍虡之輪豳。華鍾杌其高懸,悍獸仡以儷陳。體洪剛之猛毅,聲訇𥉻其若震爰有遐狄,鐐質輪菌。坐高門之側堂,彰聖主之威神。芸若充庭,槐楓被宸。綴以萬年,綷以紫榛。或以嘉名取寵,或以美材見珍。結實商秋,敷華青春。藹藹萋萋,馥馥芬芬。爾其結構,則脩梁彩制,下褰上奇。桁梧複疊,勢合形離。赩如宛虹,赫如奔螭。南距陽榮,北極幽崖。任重道遠,厥庸孔多。
於是列髹彤之繡桷,垂琬琰之文璫。蝹若神龍之登降,灼若明月之流光。爰有禁楄,勒分翼張。承以陽馬,接以員方。斑間賦白,疏密有章。飛枊鳥踴,雙轅是荷。赴險凌虛,獵捷相加。皎皎白間,離離列錢。晨光內照,流景外烻。烈若鉤星在漢,煥若雲梁承天。騧徙增錯,轉縣成郛。茄蔤倒植,吐被芙蕖。繚以藻井,編以綷疏;紅葩𦾏𦁛,丹綺離婁菡萏赩翕,纖縟紛敷。繁飾累巧,不可勝書。
於是蘭栭積重,窶數矩設。櫼櫨各落以相承,欒栱夭蟜而交結。金楹齊列,玉舄承跋。青瑣銀鋪,是為閨闥。雙枚既脩,重桴乃飾。㮰梠緣邊,周流四極。侯衛之班,藩服之職。溫房承其東序,涼室處其西偏。開建陽則朱炎豔,啟金光則清風臻。故冬不淒寒,夏無炎燀。鈞調中適,可以永年。墉垣碭基,其光昭昭。周制白盛,今也惟縹。落帶金釭,此焉二等。明珠翠羽,往往而在。欽先王之允塞,悅重華之無為。命共工使作繢,明五采之彰施。圖象古昔,以當���規。椒房之列,是準是儀。觀虞姬之容止,知治國之佞臣。見姜後之解珮,寤前世之所遵。賢鍾離之讜言,懿楚樊之退身。嘉班妾之辭輦,偉孟母之擇鄰。故將廣智,必先多聞。多聞多雜,多雜眩真。不眩焉在,在乎擇人。故將立德,必先近仁。欲此禮之不諐,是以盡乎行道之先民。朝觀夕覽,何與書紳?
若乃階除連延,蕭曼雲征。櫺檻邳張,鉤錯矩成。楯類騰蛇,槢似瓊英。如螭之蟠,如虯之停。玄軒交登,光藻昭明。騶虞承獻,素質仁形。彰天瑞之休顯,照遠戎之來庭。陰堂承北,方軒九戶。右個清宴,西東其宇。連以永寧,安昌臨圃。遂及百子,後宮攸處。處之斯何,窈窕淑女。思齊徽音,聿求多祜。其祜伊何,宜爾子孫。克明克哲,克聰克敏。永錫難老,兆民賴止。於南則有承光前殿,賦政之宮。納賢用能,詢道求中。疆理宇宙,甄陶國風。雲行雨施,品物咸融。其西則有左墄右平,講肄之場。二六對陳,殿翼相當。僻脫承便,蓋象戎兵。察解言歸,譬諸政刑。將以行令,豈唯娛情。鎮以崇臺,寔曰永始。複閣重闈,猖狂是俟。京庾之儲,無物不有。不虞之戒。於是焉取。
爾乃建凌雲之層盤,浚虞淵之靈沼。清露瀼瀼,淥水浩浩。樹以嘉木,植以芳草。悠悠玄魚,曤曤白鳥。沈浮翱翔,樂我皇道。若乃虯龍灌注,溝洫交流。陸設殿館,水方輕舟。篁棲鵾鷺,瀨戲鰋鮋豐侔淮海,富賑山丘。叢集委積,焉可殫籌?雖咸池之壯觀,夫何足以比讎?
於是碣以高昌崇觀,表以建城峻廬。岧嶢岑立,崔嵬巒居。飛閣干雲,浮堦乘虛。遙目九野,遠覽長圖。頫眺三市,孰有誰無?睹農人之耘耔,亮稼穡之艱難。惟饗年之豐寡,思無逸之所歎。感物衆而思深,因居高而慮危。惟天德之不易,懼世俗之難知。觀器械之良窳,察俗化之誠偽。瞻貴賤之所在,悟政刑之夷陂。亦所以省風助教,豈惟盤樂而崇侈靡?屯坊列署,三十有二。星居宿陳,綺錯鱗比。辛壬癸甲,為之名秩。房室齊均,堂庭如一。出此入彼,欲反忘術。惟工匠之多端,固萬變之不窮。物無難而不知,乃與造化乎比隆。讎天地以開基,並列宿而作制。制無細而不協於規景,作無微而不違於水臬故其增構如積,植木如林。區連域絕,葉比枝分。離背別趣,駢田胥附。縱橫踰延,各有攸注。公輸荒其規矩,匠石不知其所斲。既窮巧於規摹,何彩章之未殫。爾乃文以朱綠,飾以碧丹。點以銀黃,爍以琅玕。光明熠爚,文彩璘班。清風萃而成響,朝日曜而增鮮。雖崑崙之靈宮,將何以乎侈旃。規矩既應乎天地,舉措又順乎四時。是以六合元亨,九有雍熙。家懷克讓之風,人詠康哉之詩。莫不優游以自得,故淡泊而無所思。歷列辟而論功,無今日之至治彼吳蜀之湮滅,固可翹足而待之。
然而聖上猶孜孜靡忒,求天下之所以自悟。招忠正之士,開公直之路。想周公之昔戒,慕咎繇之典謨。除無用之官,省生事之故。絕流遁之繁禮,反民情於太素。故能翔岐陽之鳴鳳,納虞氏之白環。蒼龍覿於陂塘,龜書出於河源。醴泉涌於池圃,靈芝生於丘園。總神靈之貺祐,集華夏之至歡。方四三皇而六五帝,曾何周夏之足言!
孤陋寡聞
《禮記.學記》
大學之法,禁於未發之謂豫,當其可之謂時,不陵節而施之謂孫,相觀而善之謂摩。此四者,教之所由興也。發然後禁,則扞格而不勝。時過然後學,則勤苦而難成。雜施而不孫,則壞亂而不脩。獨學而無友,則孤陋而寡聞。燕朋逆其師。燕辟廢其學。此六者,教之所由廢也。
《禮記.學記》:「獨學而無友,則孤陋而寡聞。」(源)
《抱朴子.外篇.自敘》:「年十六,始讀《孝經》、《論語》、《詩》、《易》,貧乏無以遠尋師友,孤陋寡聞,明淺思短,大義多所不通。」
《朱子語類.卷一一七.朱子.訓門人五》:「淳稟曰:『伏承教誨,深覺大欠下學工夫。恐遐陬僻郡,孤陋寡聞,易致差迷,無從就正。望賜下學說一段,以為朝夕取準。』」
元.馬致遠《陳摶高臥》第二折:「若做官後每日價行眠立盹,休休休,枉笑殺凌煙閣上人,有這般疏庸愚鈍,孤陋寡聞。」
《三國演義》第一○回:「某孤陋寡聞,不足當公之薦。」
《鏡花緣》第一六回:「不瞞二位大賢說,這叫作『臨時抱佛腳』,也是我們讀書人通病,何況他們孤陋寡聞的幼女哩。」
寡聞少見
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
《漢書.卷八一.匡張孔馬傳.匡衡》:「蓋聰明疏通者戒於大察,寡聞少見者戒於雍蔽。」
寡聞陋見
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
明.胡翰〈羅文質公集敘〉:「以寡聞陋見論前人之道德,其亦過矣!」
寡見鮮聞
猶「孤陋寡聞」。見「孤陋寡聞」條。
漢.王褒〈四子講德論〉:「俚人不識,寡見尠(鮮)聞;曩從末路,望聽玉音,竊動心焉。敢問所歌何詩,請聞其說。」
獨自學習而沒有朋友一起切磋、研討,就會造成學識淺陋而見聞不廣。 對朋友怠慢就違背了師長的教導;一旦言行偏差,就會荒廢了自己的學業。
獨學而無友,則孤陋而寡聞
獨學:指獨自學習,不瞭解外部動向。獨自學習,無人切磋,則孤陋寡聞。形容孤偏鄙陋,見聞不多。有井底之蛙含義。
原因: 朋友是你瞭解外部世界的橋樑,也是你不斷完善自己的標尺。一個人學習,而不接觸外部環境是行不通的。只有與朋友共同學習,集思廣益、取長補短,才能彌補自身的缺憾,並獲得更多知識。
中文名
獨學而無友,則孤陋而寡聞
出處
《禮記·學記》
類型
古文
作者
戴聖
出處
出處:《禮記·學記》:“獨學而無友,則孤陋而寡聞。”
釋義:如果學習中缺乏學友之間的交流切磋,就必然會導致知識狹隘,見識短淺。其中,“而”錶轉折的作用。
教學相長
教與學互相增長。指通過教授、學習,不但能使學生得到進步,而且教師本身的水準也可藉此提高。語出《禮記.學記》。
雖有嘉肴,弗食,不知其旨也;雖有至道,弗學,不知其善也。是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強1>也,故曰「教學相長2>」也。
《禮記.學記》:「是故學然後知不足,教然後知困。知不足,然後能自反也;知困,然後能自強也,故曰『教學相長』也。」(源)
《韓詩外傳》卷三:「雖有善道,不學不達其功,故學然後知不足,教然後知不究。不足,故自愧而勉;不究,故盡師而熟。由此觀之,則教學相長也。」
明.王守仁〈教條示龍場諸生.責善〉:「使吾而是也,因得以明其是;吾而非也,因得以去其非:蓋教學相長也。」
《兒女英雄傳》第一八回:「我那解悶的本領都被公子學去了,那裡再尋甚麼新色的去?我們『教學相長』,公子有甚麼本領?何不也指點我的一件?彼此頑起來,倒也解悶。
人人都是一本書
每個人都是獨特的,每個人都是值得欣賞的,
閱讀每個人的故事,獲得成長的養分。
人人身上都是一個時代(全新增訂版)
作者:陳柔���
語言:繁體中文
出版社:麥田
出版日期:2016/10/06
目錄
◎新版序──陳柔縉
一‧人的日本時代
1 人人身上都是一個時代
2 跑啊!林和
3 王永慶的兩百圓有多大
〈附表:台籍前輩企業家出生年與學歷〉
4 辜家豪門鑽石失竊記
5 台灣最貴單身漢
6 巴黎唯一的台灣人
7 神祕的第一位台灣人車主
8 名門公子日本浪漫遊
9 美國鳥人到台灣
10 明治元勳欠錢記
11 禁吃大蒜迎親王
二‧愛與死事件簿
1 戀愛?亂愛!
2 台灣人殉情記
3 少年仔愛看電梯小姐
4 煙草女工眼裡的蔣介石
〈附表:1930年代煙草女工的世界〉
5 懷念的鐵路便當
〈附表:1914年台灣鐵路便當〉
6 烤鴨該怎麼吃
7 愛鄉愛土全民票選台灣八景
8 1933年雙十國慶在台北
9 鐵達尼船難消息在台灣
10 豪華世界郵輪初體驗
〈附表:日治時期世界觀光郵輪來台概況〉
11 英語演講比賽前先獎盃奉還
12 車牌暗藏魔鬼
13 那時候的公車會「犁田」
14 颱風來了會缺鹽
15 火災的關鍵詞
16 打開日本時代的鉛筆盒
17 考上醫校回頭嗆校長
18 修學旅行遇見明治天皇
19 捨不得不愛的農曆年
20 老藥房的推銷術
三.古典罪與罰
1 怪怪小偷和大盜
2 日本時代也有毒品?
3 盜賊拔刀海上來
4 偷車賊最愛的作案地點
5 好膽賭博要鞭刑
6 來看富豪斬雞頭發毒誓
四.療癒系台灣史
1 那些年動物惹的禍
2 最佳療癒系之小鴨物語
3 小象闖進高級料亭了
4 猛雄藏了十個月的祕密
5 狗狗的日本時代
6 不是端午也能划龍舟
7 人間無處不花火
8 上陽明山不看櫻花
9 為路樹繫上第一張身分證
五‧地的時光垂直線
1 台灣銀行重返上海
2 東京火車站的呼吼
3 早稻田的咖啡店
4 松泉閣給的問號與答案
5 第一波青春壯遊
6 第三國人
7 撫臺街洋樓身世之謎
◎附錄【日本時代台灣物價水準概況】
參考資料
圖片來源
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各地句会報
花鳥誌 令和6年5月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年2月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
立春を待たずに友は旅立ちし 喜代子 習はしの鰈供へる初天神 由季子 在さらば百寿の母と春を待つ 同 春遅々と言へども今日の日差しかな 都 橋桁に渦を巻きつつ雪解水 同 盆梅の一輪ごとにときめきぬ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
飴切りの音高らかに春を待つ 和子 風船消ゆ宝珠の上の青空へ 慶月 天を突く手が手が福豆を欲す 光子 葬頭河の婆万年を寒く座す 光子 飴切りのビートを刻み追儺の日 いづみ 虚無なるは節分の達磨の眼 緋路 老いてなほ鬼をやらふといふことを 千種 恵方向く沓の爪先光らせて 光子 とんがらし売る正面に福豆も 和子 錫杖をつき仏性は春を待つ 小鳥
岡田順子選 特選句
厄落し葬頭河婆をねんごろに はるか 柊挿す住吉屋にも勝手口 眞理子 豆を打つ墨染のぞく腕つぷし 千種 奪衣婆の春とて闇の中笑ふ 俊樹 亀鳴けば八角五重の塔軋む 俊樹 節分や赤い屋台に赤い香具師 緋路 錫の音待春の鼓膜にも 緋路 飴切りのトントコトンに地虫出づ 風頭
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ものゝふの声は怒涛に実朝忌 かおり 実朝忌由比のとどろきのみ残る 睦子 久女忌の空は火色にゆふぐれて かおり やはらかな風をスケッチ春を待つ 成子 実朝の忌あり五山の揺るぎなし ���穂 歌詠みは嘘がお上手実朝忌 たかし 死せし魚白くかたどり寒月光 かおり 実朝忌早き目覚めの谷戸十戸 久美子 寒月や薄墨となるパールピアス かおり 寒月に壁の落書のそゝり立つ 同 ふはとキスこの梅が香をわたくしす 美穂 昃れば古色をつくす蓮の骨 睦子 寒禽の過り裸婦像歪みたる かおり 人呑みし海ごつごつと寒の雨 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
両の手をあふるるあくび山笑ふ 美智子 春浅し絵馬結ふ紐のからくれなゐ 都 鰐口に心願ありて涅槃西風 宇太郎 柊挿す一人暮しに負けまじと 悦子 寒晴や日頃の憂さをみな空へ 佐代子 師の苦言心にとめて初硯 すみ子 この町を砕かんばかり月冴ゆる 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月10日 枡形句会
春菊をどさつと鍋に入れ仕上ぐ 白陶 落ちる時知りたるやうに紅椿 三無 装ひは少し明るめ寒明ける 和代 一品は底の春菊夕餉とす 多美女 中子師の縁の作詞冬の能登 百合子
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令和5年2月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
料峭の石橋渡る音響く 三無 苔厚き老杉の根に残る雪 あき子 羽広げ鴨の背にぶく薄光り のりこ 春まだき耀へる日の風を連れ 三無 吟行や二月の空は青淡き 和魚 春めきて日向の土の柔らかく 三無 春の陽を川面に溜めてゆく流れ 貴薫
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
古暦焚くパリの下町も焚く 昭子 豆撒や内なる鬼を宥めつつ みす枝 落日にして寒菊の色深し 世詩明 被災地の家もひれ伏し虎落笛 ただし 裸婦像の息づく如く雪の果 世詩明 雪吊の縄にも疲れ見えにけり 英美子 ありし日の娘を偲び雛飾る みす枝 それぞれの何か秘めたる卒業子 世詩明 今生の山河に満つる初明り 時江 九頭竜の河口に余寒残しをり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
春立つや電車もステップ踏み走る 紀子 薄氷を横目に見つつ急く朝 裕子 商店街バレンタインの日の匂ひ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月13日 萩花鳥会
白梅と紅梅狭庭にうらうらと 祐子 熱燗で泣けたあの唄亜紀絶唱 健雄 如月の青空のこころ乗り移る 俊文 春の霜とぎ汁そつと庭に撒き ゆかり うすらひを踏むが如くの孫受験 恒雄 透きとほる窓辺の瓶や冬の朝 吉之 身に纏う衣減らざり春浅し 明子 躙り口扇子置く手に零れ梅 美恵子
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令和5年2月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
越前の雪の生みたる雪女 雪 又次の嚔こらへてをりし顔 同 一としきり一羽の鴉寒復習 同 横顔の考へてゐる寒鴉 同 老いて尚たぎる血のあり恵方道 真喜栄 節分会華を添へたる芸者衆 同 白山の空より寒の明け来たり かづを 紅梅や盗まれさうな嬰児抱く みす枝 老犬の鼾すこやか春を待つ 清女 佐保姫やまづ能登の地に舞ひ来たれ 嘉和 収骨の如月の手は震へつつ 玲子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月16日 さきたま花鳥句会
煮凝を箸で揺らしつ酒を酌む 月惑 春一番ドミノ倒しの駐輪場 八草 雪残る路肩を選りて歩く子ら 裕章 春立つや蠢く気配絵馬の文字 紀花 朽木根に残してあがる春の雪 孝江 見舞ふ友見送る窓の老の春 ふゆ子 鼓一打合図に開始鬼やらひ ふじ穂 スクワット立春の影のびちぢみ 康子 匂ひ来し空に溶けたる梅真白 彩香 生みたてと書きて商ふ寒卵 みのり 寿司桶の箍光りたる弥生かな 良江 春泥や卒寿の叔母の赤き靴 珪子
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令和5年2月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
��門を白く散らして梅の寺 斉 俯ける金縷梅の香や山門に 芙佐子 恋の猫山内忍び振り返る 斉 日溜りに小さき影なし猫の恋 白陶 腰かけて白きオブジェの暖かし 久子 鳥もまた盛んなるかな猫の恋 白陶
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
撫で牛に梅の香纏ふ天満宮 笑子〃 白梅の五感震はす香の微か 千加江 真夜の雪寝る間の怖さ知るまいの 令子 銀色の光ほころび猫柳 啓子 復興や春一丁目一番地 数幸 紅梅の謂を僧の懇ろに 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
一羽には一羽の矜持寒鴉 雪 憶却の先立つてゐるちやんちやんこ 同 煮凝りや良き酒飲めて子煩悩 同 来し方を語り語らず大冬木 同 此の人の思ひも寄りぬ大嚏 同 初春の遥か見据ゑ左内像 一涓 熱燗や聞きしに勝る泣き上戸 同 己がじし火と糧守りて雪に棲む 同 灯もせば懐古の御ん目古雛 同 もう少し聞きたいことも女正月 昭子 冬日向ふと一病を忘れけり 同 瀬の音にむつくりむくり蕗の薹 みす枝 夜中まで騒めき続く春一番 やすえ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年2月 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
寒紅や良きも悪しきも父に似し 雪 退屈をひつかけてゐるちやんちやんこ 同 春立つや千手千眼観世音 同 路地路地に国府の名残り春の雪 同 節分会葵の御紋許されて 同 越前の夜こそ哀し雪女 同 瓔珞に鐘の一打にある余寒 清女 能登地震声を大にし鬼は外 数幸 春塵や古刹の裏の道具小屋 泰俊 蕗の薹顔出し山を動かしぬ 啓子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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https://music.apple.com/jp/album/%E6%98%A5%E3%81%A0%E3%81%AA/1562063387?i=1562063405
Friday,Apr19
最近夢ばかり見る。今日の夢は覚えていない、悪夢だったことは覚えている。すっきり起きられない、毎日低気圧なのかと疑う。起きて辛ラーメンを食べた。牛乳で作るとおいしい。職場のおばさんにもらった金箔入りのインスタントコーヒーは薄かった。ひと口飲んでシンクに流してしまう。そういえば今日で定期が切れる。池袋に行くまででかなり疲れてしまう、遠出が苦しい。最近よく埼京線は遅れている。風が強いせいだ。電車の中でFishmansの宇宙日本世田谷のアルバムを聴いてたら本当に落ち込んできて、急いでaikoを聴いた。家を出る前に飲んだたった3mgの薬で一日中眠くて、夢の中を彷徨った。情緒がどう考えてみても不安定だ。怒ったり諦めたり強がったり悲観的になったり、している。全然ついていけない。おばさんに「子ども騙し」と言われながらキャンディーをもらって、ポケットに隠した。持ってきた昨日のホットケーキをSPEC見ながら食べる。ホットケーキは作りたてがいちばんおいしい。戸田恵梨香はどうしようもなくかわいい。仕事をしたのを覚えていない。電話の音で起きるくらい意識が飛んでいた。なんか頭も痛かった。早く帰ってゆっくりしたい。思い出したように本日休演を聴いてる。NewDaysで買える大分県産のコーヒー牛乳を電車の中で飲んでる。
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https://music.apple.com/jp/album/%E5%BE%85%E3%81%A3%E3%81%A6/1076760045?i=1076760274
Saturday,Apr20
昨日は三月の動画をiPhoneに転送してから眠った。なかなかの量がある、走り回っていた証拠だ。全然すっきり起きられない。昨日の夜、朝から野菜を食べようと思っていた夢は打ち砕かれた。生野菜をおいしく食べる飽きない好きなドレッシングに出会いたい。定期が切れるのを忘れていた、ベッドの上で急いで定期を更新する。電車の中で隣の人が熟睡していた。熟睡している人が隣にいると、気が気でない。正直大嫌いだ。職場に行く前にミスドに行って、人から貰ったミスドのクーポンを使い果たした。プラリネがかかったやつ、美味しかった。今日はなんだかほぼ座っているだけで終わってしまった。最近小さな虫が多い、怖い。明日朝早い。スタバの甘くて温かい飲み物が飲みたい。思い出して樂円天国聴いた、よかった。ファミマの餃子食べた。三月の動画をInstagramにアップして、スーパーにパイナップル缶を買いに行く。皿洗ってお風呂入ってパイナップル缶を食べる。深夜のキッチンについて書きたい。夜は休日の願望が増えていく。最近買った歯磨き粉は小豆みたいな色してた。
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https://music.apple.com/jp/album/%E4%BF%A1%E5%8F%B7/1317707832?i=1317707850
Sunday,Apr21
寝つくのが遅くて、朝早かったから寝不足。コーヒー淹れて昨日のミスドの残りとほうれん草炒めたやつ、ベーコンチーズエッグ作って食べる。今日は夜に人に会う約束があるから、珍しく職場に行く前に化粧してたら電車の時間がやばかった。カーディガン家に忘れて土足で家に入る、駅まで走る。駅まで走ったのは去年の六月に引っ越してきてから初めてだった。電車と女子更衣室で、友だちに借りた川上弘美二冊目を読み終える。よかった。仕事、何も分からないなりに誰にも聞けない環境で自分の中で頭を働かせてたらいつの間にか勝手に色んなことを理解したようだ。今日話した17歳の女の子は快活でかわいらしかった。帰り際に21連勤目の上司に四月の感謝と雑談をされる。絶対に辞めようと思っていたのに、調子が狂った。雨が降りそう。気圧が下がって眠い。職場の近くで中華丼食べて渋谷に行く。湘南新宿ラインの四人掛けボックス席の向かいに座る女の子は、自由な手つきでチップスターを食べている。友だちが到着するまで時間がある、渋谷から根津美術館の方に向かってaiko聴きながら歩いた。aikoはやっぱりすごすぎる。マークシティの近くの居酒屋に行く。磯辺揚げおいしかった。友だちと家に帰る、山手線の中で嫌いな食べ物の話をする。家の前の銭湯に行く。友だちが近所の銭湯に一緒にいるのは心強すぎた。今日はたまたまお楽しみ湯で、黒い泡風呂みたいな日だった。嬉しい。ミストサウナの中で、銭湯に行くと働いてたこと全部忘れる、山手線も埼京線も、駅の乗り換えも、全部嘘なんじゃないかと思えてくるという話をした。分かってもらえた、やっぱりそうなのかもしれない。お風呂から上がって、ロッカーの上に並べてある食器やラックにかかってる服について番台のおばさんに尋ねたら、近所の人による無料フリマだった。木でできた箸置きと蝶々のスカーフ、蒼井優みたいなスカートを貰った。おばさんはいつも通り「おやすみなさい」と言ってくれた。銭湯の前に適当に置いてた傘を盗まれた。うちからビニール傘が消えた。雨の中歩いて家帰る。玄関で傘を干して、危険ゴミや燃えるゴミを一緒に出してもらう。これで粉々に割れた鏡や、勝手に割れた皿なんかと別れられる。アイス食べて少しお酒飲んだ。カラオケ行こ!途中まで野次飛ばしながら見た。わたしは狂児みたいな男の子が好き。ライチ光クラブ読みたい。武蔵新田の中華屋にも行く。
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Persona 3 FES Official Fanbook pages 148-149 transcription.
用語集
Glossary of PERSONA 3 & PERSONA 3 FES
甘味処 小豆あらい
【Y編/場所名】
巌戸台商店街にある甘味処。コミュニティのイベントで何人かの友人と入ることになるが、店内の様子は残念ながら不明。とりあえず男女共に人気の店らしいので、味もなかなかなのだろう。店頭に飾られた “小豆ちゃん” というマスコットキャラクターがトレードマーク。店名の “小豆洗い” とは有名な妖怪の名前が由来。“小豆とぎ” とも呼ばれ、川のほとりで小豆を洗いつつ「小豆とごうか、人とって喰おか、シャカシャカシャカ」と不気味な歌を歌うといわれる。基本的に音のみの妖怪だが、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』では、目が大きな痩せた小男という姿で描かれている。新潟や福島、長野といった大きな水系がある地に伝わる例が多いが、東京でも江戸時代に某旗本家の炊事場で音を立てたという記録があり、ほぼ本州全域に分布する妖怪話である。
アルカナ
【共通/基本設定】
タロットカードの種類を表わす言葉。本来はラテン語で “神秘” という意味で、18~19世紀ごろにタロットを占い用として使用するようになり、カード1枚ごとに隠された意味を見出すようになってからこの言葉が使われるようになった。1組のタロット78枚中、寓意画を描いた絵札22枚を大アルカナ、それ以外の56枚を小アルカナと呼んで区別する。小アルカナのほうは、さらにソード、ワンド、カップ、ペンタクルの4つの組 (スート) に分けられ、さらに各スートは1から10までの数札と、ペイジ、ナイト、クイーン、キングの人物札4枚に分類される。一般的なタロット占いでは大アルカナのカードだけを使うものがメジャーだが、実際には56枚の小アルカナそれぞれにも隠された意味があり、本来は78枚の全カードを使用するのが正式なものとなっている。ちなみに、小アルカナのタロットが現在のトランプの原型といわれるが、実際にはトランプが先にあってタロットの原型になったという説や、そもそもトランプとタロットの発生はまったく無関係という説もあり、その正しいところは判明していない。
アルダナ
【Y編/バトル】
塔シヴァと女教皇パールバティによるミックスレイド。技名の由来は、性的信仰 (シャクティズム) を伝える聖典『カーマ・スートラ』に記された言葉 “アルダナーリーシュバラ”。これは “半身が女性のシヴァ神” という意味で、シヴァとパールバティとの合体によって両性具有神となり、宇宙創造のシンボルとなったものである。
伊織順平アワー
【Y編/イベント・6月1日】
学校にウワサとして流れた怨霊話を寮で説明するときに、順平が始めた小芝居。おそらく、怪談で有名な某タレントの語りを意識したものであると思われる。ただ順平の語りは、発音が良すぎてやや怖さに欠ける。本家のように、もっとボソボソと囁くような声でやれば完璧。
伊織の叫び声
【Y編/会話・5月17日】
試験前になると、自室から聞こえてくる。上の階にいる女子や、さらに上の作戦室にいる美鶴にまで聞こえているようなので、相当なボリュームの叫び声なのだろう。苦情が出ないのが不思議なくらいだ。もしかして他人の勉強の邪魔をしようという順平の策略なのかも?
幾月修司
【Y編/人物】
最初は月光館学園の理事長と紹介されるが、実は桐条でシャドウとペルソナを研究していた技術者であり、特別課外活動部の顧問である。昼行灯的なのん気さを持ち、周囲が凍りつくほどの冷たいダジャレを連発するのが好き。だが、さらにその姿すらも世間をごまかすためのもので、シャドウ研究を始めた桐条鴻悦の遺志を継ぎ、ひそかに滅びを召喚する宣告者 “デス” を捜し求めていた。10年前の事故時点では、さほど高い地位にはいなかったが、率先して事故の後処理を行なうことで信頼を得て、桐条家現当主である桐条武治の右腕的存在となっている。入寮直後に主人公のペルソナ暴走を見て、10年来追い求めていたデスを発見したことに 気付き、滅びを招くための儀式を密かに進めていた。最終的に死の儀式は失敗し、幾月は天文台から墜落して死亡。ただし、その遺体は未確認である。恐ろしい計画を誰にも気付かれずに遂行したところから、終末思想という滅びの狂気に蝕まれていたように言われているが、監視カメライベントで見られる一生懸命にダジャレを考案する様子を見ると、ダジャレ好きという部分だけは演技ではない愛すべき幾月の一部分であったと思われる。
イゴール
【共通/人物】
ベルベットルームの主で、この世界で唯一ペルソナ合体を行なえる存在。メアリー・シェリー原作の小説『フランケンシュタイン』に登場する召使い、イゴールが名前のルーツとなっている。極端に長い鼻を持ち、『ペルソナ』シリーズをとおして徐々に長くなっているのでは?との疑惑がある。ちなみに相方のエリザベスの名前の由来も、主のイゴールと同じく『フランケンシュタイン』から。ただしこちらは、小説版ではなくハリウッド映画版。シリーズ2作目として作られた『フランケンシュタインの花嫁」に登場する、女性型人造人間の名前から取られている。
「以上、ナビでした」
【Y編/イベント・4月7日】
ゲーム冒頭、登校時に主人公を案内してくれたゆかりが、別れ際に言ったセリフ。入寮直後にはやや硬かった態度が柔らかくなり、ちょっと無邪気で子供っぽく見える瞬間である。戦闘時のナビは美鶴と風花の役目となっているが、ゆかりのこの口調でナビをしてもらいたかったかも?
痛いの痛いの、飛んでけー!
【Y編/テレビ・4月9日ほか】
テレビ番組『偶然見かけたこんな人』で、レポーターのトリッシュが使う決めゼリフ。トリッシュはペルソナシリーズの『女神異聞録ペルソナ』と『ペルソナ2 罪』および『ペルソナ2 罰」で、回復施設を営む妖精として登場していたのだが、そのときの挨拶がこの「痛いの痛いの⋯⋯」だったわけだ。ちなみに『偶然見かけたこんな人』で紹介される街の人は、みな前作・前々作の登場人物となっていて、しかもその人物の誕生日に現われるようになっている。興味がある人はチェックしてみよう。
一期一会
【A編/イベント】
真田が順平との出会いをそう表現した。とくに言葉の使い方として誤りがあるというわけではないが、そもそも一期一会とは “誰かとの出会いは、それが最初で最後のつもりで誠意を尽くさねばならない” という意味の茶道で使われていた言葉。むしろ真田たちにとっては、主人公や荒垣との関係において、この言葉を使うべきかもしれない。
稲荷社
【Y編/場所名】
長鳴神社にある稲荷社。小さい社だが、近所に住むお年寄りたちはマジメに拝んでいるようで、お供え物のイナリ寿司が常に置かれている。ここで祈ると、さまざまな効果があるらしいが、何が起こるか祈ってみないとわからないのが玉に瑕だ。
犬語ホンヤク機能
【Y編/イベント・7月29日】
順平が評して言った、アイギスの特殊能力。監視カメライベントでは荒垣もそう言っている。もしかしてアイギスの製品仕様書に、“犬語翻訳機能 (オプション)”とでも書いてあるのだろうか?アイギスが言うには、高次な精神を持つ生き物は、言葉ではなくイメージを発することができ、それを読み取っているのだとか。人間にもあった能力だが、言葉に頼ることで失ったらしい。もちろん、メティスも同様のことが可能。
「今ならお買い得であります」
【Y編/会話・8月1日】
自分のペルソナの長所をアピールするアイギスが言った。本当に買えるものなら買いたいと思う ユーザー��少なくないだろう。ちなみにフィギュアなら、壽屋から 「ペルソナ3 アイギス 1/7スケールPVC塗装済み完成品」(6,090円/原型師:新居興介) が2007年8月に発売。また2007年10月にも、アルターから「ペルソナ3 アイギス 1/8スケールPVC塗装済み完成品」(6,090円/原型師:齊藤史樹) が発売される予定。
妹ちゃん
【A編/人物】
順平がメティスを呼ぶときの呼び方。いろいろとオリジナルなニックネームをつける順平にしては、ちょっと手抜きっぽいかも。やはり多少、壁を感じていたのだろう。
要らない苦しみ
【Y編/イベント・11月21日】
チドリが順平にもたらされたと言い、彼を遠ざけようとした。順平のことを考えると胸が苦しくなるとは、どう考えても恋愛感情なのだが、チドリがそんな経験のないまま成長してしまったが故の悲劇である。ただ、恋だとわかっていても苦しいものなので、彼女の気持ちもわからなくもない。
イレギュラー
【Y編/基本設定】
タルタロス外で出てくるシャドウ。ゲーム中の主人公たちは知らないが、そもそもシャドウは人間の中から発生するため、すべてのシャドウは発生時点においてはイレギュラーとなる。ただ、その瞬間を捕捉されることが少ないため、シャドウはタルタロス内にいる、という状態になっているだけである。ゲーム中に確認されたイレギュラーは、まずコロマルが神社で戦ったものがそうだが、それ以外では天田の母が死んだ晩に出たシャドウも同様である。
巌戸台分寮
【共通/場所名】
月光館学園の学生が入る寮。学校からやや離れた巌戸台地区にある。本来、学生寮は男女別であるのが原則だが、ここだけは特別課外活動部の拠点という関係から男女共用。またその成り立ちに関しても、妙に内装が広く豪華だったり学生寮には相応しくないとも思えるカウンターバーがある点からわかる通り、元はホテルとして使われていた建物だったという裏設定がある。なお、ゲーム中には台所や風呂が見当たらないが、じつは奥にあるドアから行ける場所にそういった施設がある ことがドラマCDでの描写から明らかになっている。
ヴァルホル
【Y編/バトル】
皇帝オーディンと剛毅ヴァルキリーによるミックスレイドで、仲間ひとりを3ターン完全無敵にする技。“ヴァルホル” とは別名で “ヴァルハラ”。古ノルド語で “戦死者の館” という意味となり、戦争で命を落とした戦士の魂がヴァルキリーによって集められ、オーディンの居城となるこの場所で不死の戦士として来たるべき終末に備えると言われる。
ウインナーコーヒー
【Y編/会話・8月1日】
天田は真剣にウインナーコーヒーが何かということを知らず、コーヒーにウインナーソーセージを入れるのだと勘違いし、からかわないで下さいと文句を言っていた。なんて可愛いんだ、コイツは。
ウエストすっきり低周波パット
【Y編/監視カメラ】
風花が時価ネットたなかで密かに買ったというダイエット用品。低周波を流して起こる筋肉の痙攣によって、強制的に腹筋を動かして脂肪を燃焼させるという仕組み⋯⋯かと思ったら、お腹がビクビクするのがメチャクチャくすぐったくて、笑いをこらえることで腹筋を鍛えるようになっているようだ。また、タイマーロックでもついているのか、一度装着するとしばらく外せないという構造的欠陥を持つ。ちなみに、これをつけて悶絶して苦しむ風花の声を、部屋の外で聞いた美鶴は、気まずそうに「気にせず続けてくれ」と言うが、いったい何をやっていると勘違いしたのだろう?
受付のオバチャン
【Y編/会話・9月28日】
順平が言うには「オレとチドリの仲を阻む、思わぬ伏兵」。ふたりの関係やその他を、根掘り葉掘り聞いてくるらしい。順平の表現を借りると、“オレとチドリの聖域に、イボつき健康サンダルで踏み込んで” くるとか。何やら戦う気満々だが、順平レベルでは返り討ちにあうのがオチだろう。
海丑
【Y編/場所名】
巌戸台の複合ビルに入っている牛丼チェーン店。真田のお気に入りの店で、彼は外で食料をテイクアウトする場合、ここの牛丼しか買ってこないとか。ただしプロテインと同時摂取するという、牛丼好きならずとも目を背けたくなる食べ方をする。それより減量が必要なボクサーとして、栄養の取りすぎが心配だが大丈夫だろうか?
裏口
【Y編/場所名】
入寮直後、大型シャドウに寮を襲撃されたイベントの際、主人公を連れたゆかりが最初に脱出しようとした扉。1階の奥に存在するが、普段は開けることができない。ただ、ゲーム中には用がないからこのドアの先には行かないだけで、実際はみんなが利用する厨房と風呂がこの先にあるらしい。プレイヤーが操作していないあいだに、主人公も食事に入浴にと利用しているに違いない。
占いゲーム
【Y編/場所名】
ゲームパニックにあるゲームで、1回2000円。ドクター・エドガーによる怪しげな占い、と説明されるが、もしやこのドクター・エドガーとは某学園の保健教諭のことかも⋯⋯?占いを行なうと装備ペルソナの魔力がアップする効能があり、このへんの怪しさも江戸川説の根拠となっている。
ウワサ
【Y編/イベント・4月7日】
ゲーム冒頭で流れた、主人公とゆかりが付き合ってるとのウワサ。転校初日の登校時にゆかりに付き添ってもらったのが原因である。その後ゆかりが入寮時の影時間の件について、「昨夜のこと言ってないよね」とわざわざ自分から学校で漏らしたせいで、きっとウワサに拍車がかかってしまったのだと思われる。
運命と言う名のフォーチュン
【Y編/コミュ】
鳥海先生の隠者コミュ後日談で、英語の寺内が言う。インド人の旦那と出会ったのが、運命という名のフォーチュンだったらしい。日本語がおかしいというか、英語がおかしいというか、いつもはツッコミを入れられる側の鳥海先生をして、「“頭痛が痛い” よりビックリだわ⋯」とツッコませしむ発言である。なお、珍しくセリフが多いこのイベントで、寺内先生はここぞとばかりに名言を連発する。「素晴らしい発想のチェンジ」、「私にもセイム体験あります」など必見。
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白夜
AP_2023 / 名古屋芸術大学 舞台芸術領域2年 演劇公演(プロジェクトワーク3)
原作:フョードル・ドストエフスキー (小沼文彦訳よりアダプテーション)
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僕はもう、自分の人生に罪を冒したって悩まなくても済むかもしれない。
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主人公の青年は、サンクトペテルブルクに引っ越してから8年、友人が一人もできず、夢想的で孤独な生活を送っていた。白夜のある晩、橋のたもとで、ある少女に出会い彼の日常は鮮やかになっていく。孤独だった 2 人は、互いに惹かれあい、会う度に気持ちは高まっていく。しかし、実は少女には婚約者がいた。夢のような淡い恋心が芽生え始めたころ、彼の想いは淡く散ってしまう。 青年は少女との出会いを心から喜び、感謝し、誠実に関わろうと努める。それでも少女は青年の前から去ってしまう。そのとき彼は何を思うのだろう。
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開演日時
2024年7月13日(土)11:00、14:30※
※両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ※当日券は若干枚発行予定です。
※受付開始・開場は、各公演30分前より ※上演時間45分(予定・途中休憩なし) ※駐車場あり ※場内車いすスペースあり ※未就学児入場不可 ※全席自由
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料金:無料
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会場
名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館スタジオ 愛知県北名古屋市熊之庄古井281
公演当日受付場所:東キャンパス 1号館 1階ロビー
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ご予約(オンライン受付) https://forms.gle/mUviZedostUTAMHa9
●両回ともに予定枚数に達したため予約受付を終了いたしました。 ●当日券は若干枚発行予定です。
※予約開始 6月7日(金)12:00 ※定員に達し次第、予約受付は終了となります。 ※演出の都合上、開演後はすぐに入場できない場合があります。
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出演
宇津 舞衣子(音楽領域 音楽総合コース2年) 安尾 琢杜(舞台芸術領域 プロデュースコース2年)
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「白夜」の主人公は、あまりにも人間らしい。
夢想家である彼は、考え込み、想像し、思い上がったと思えば、悲観し、皮肉り、絶望する。そして、今日という日を懸命に生きていくのだ。
この作品の中で、彼は沢山の感情を吐露する。それは、人の素晴らしさだけでなく、人の残酷さ、世の中の無情さによるものでもある。
私達も彼と同様、理不尽な出来事に苛まれる時がある。等身大の人間である彼と共に過ごすこの物語は、あなたの心にも重なることがあるのではないだろうか。
世界は変わっていくものであり、そこには失うことや捨てることへの不安よりも強い期待がそこかしこに溢れている。若々しい期待は、ほとんど場合、期待通りの結果にはならない。その世界の中で私達はどう生きれば良いのか。
世界の若者の多くが、これまでに心の病を経験していると言われる現代。だから私達は、この今の時代に「白夜」という作品を通し、「あなたが抱えるものはあなただけのものではない」ということを伝えたい。そんな自分を、他者を、そして世の中を赦せたのなら、あなたの世界はより一層健やかなものになるだろう。
舞台芸術領域 プロデュースコース 3期生
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構成・演出:鳴海康平
第七劇場、代表・演出家。Théâtre de Belleville、芸術監督。早稲田大学在籍中の1999年に劇団を設立。これまで国内25都市、海外5ヶ国11都市で作品を上演。ポーラ美術振興財団在外研修員(2012・フランス)。2014年、三重県津市美里町に拠点を移設。民間劇場 Théâtre de Belleville を開設。愛知県芸術劇場主催 AAF戯曲賞審査員(2015〜)。名古屋芸術大学 舞台芸術領域准教授(2021〜)。
写真:松原豊
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制作(舞台プロデュースコース)
安尾琢杜、山田葵衣、石川大海(演出補) 今泉舞音、遠藤美帆、岡部創太 河合仁衣菜、齋藤寧々、田中蒼真 松本千花、蓑原楓子、萬敬祐
音響(演出空間コース[音響])
上之未来、奥田颯杜、松木千夏
照明(演出空間コース[照明])
浅野羽菜、大橋知世、何采沂 桂川栞吏、新名里彩、野本恭可 深作百花、水谷莉子、三宅梨世 山田瑞希
美術(舞台美術コース)
大下女神、岡本愛結、後藤歩栞 坂倉しずの、白井友菜、諏訪天音 髙橋杏奈、田中杏果、丁奕文 成瀬葉菜音、花瀬由珠、坂梨々愛 間瀬美紀、松本莉歩、武藤彩花 村松真琉子、山下心響、吉川治希 吉田翠里
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照明協力
イ ロイ、今井歩、上本瑞和 酒井優、佐藤星希、鈴木日奈子 関楓奈、松浦萌衣、三浦琴葉 宮原羽菜
音響協力
夏目依吹、橋村怜央、二木陽菜 松木花水実、中根美咲
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指導教員:
梶田美香、鳴海康平、浅井信好 石黒諭、山口剛、神谷怜奈
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宣伝美術:橋本純司
フライヤービジュアル:イ ロイ
フライヤーPDF 表 / 裏
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名古屋芸術大学 舞台芸術領域について
「あなたが舞台をつくる」をコンセプトに、舞台芸術作品を製作・上演するための知識と技術を専門的に学ぶことのできるカリキュラムで、未来の舞台芸術シーンをけん引する人材の育成をおこなう。
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X / @NUA_AP instagram / nua_ap
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主催・お問い合わせ: 名古屋芸術大学 舞台芸術領域
mail / [email protected] tel / 090-6798-8035(平日10:00〜17:00)
協力:名古屋芸術大学 音楽領域音楽総合コース
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だって、こんな生活、罪ですよ。
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6/6火 @高円寺無力無善寺 https://muzenji.web.fc2.com 杉並区高円寺南3-67-1
開場18時 開演18時半 千円(ドリンク付き) ・イリュージョン:謎の超能力者戸田 ・actあいうえお順 興宮咲月 終末亭落太郎 Dr.stutter ZOOZOOZ(志田しずく・チームまどんなちゃん(まどんなZ) ・さそり監督杯ラップバトル 参加: 久我寛生/SURUGA LEE 魔ゼルな はたけやま 他 ・筆談マッチング時間 参加: ゐ忌レ・ゐ忌レ友人 他 ===時間の予定=== 18:30開場 18:31~魔ゼルな規犬 18:45~謎の催眠術師戸田 19:20~終末亭落太郎 19:50~興宮咲月 20:20~ZOOZOOZ(志田しずく・チームまどんなちゃん 20:50~筆談マッチング時間 参加: ゐ忌レ 他 21:40~Dr.stutter 22:10~さそり監督杯!ラップバトル ==出演者詳細===== 「ゐ忌レ」 https://twitter.com/tatumihijikata1 http://id42.fm-p.jp/354/kmfdmno3/ ノイズ、絵、人形制作 自主イベント「新迷信」主催 自主レーベル「夏ゴミ屋敷CD-R」 映画と音��と絵と暗黒舞踏等が好きです 元、睡寂舞踏家、夜勤、くそリプ対応保証、 自らの罪を認め贖罪をしていきます。(月)(火)休み。悪人
「 興宮咲月」 https://twitter.com/satsuki_okimiya https://www.tiktok.com/@satsuki_okimiya?lang=ja-JP 駆け出しの裏路地系シンガーソングライター。 高円寺のライブハウス、無力無善寺にて始動。 1st single 「RUBY〜爛れた情欲」制作中。
「久我寛生 / SURUGA LEE」 https://twitter.com/surugalee https://www.instagram.com/surugalee/ 新橋サイファーに6年程通っている氷結おじさんです / Trackmaker+Vocalist / 2022年2月16日の活動終了()とは / #ハム太郎水着 #15分サイファー
「ジーコ内山・さそり@魔女のマイノリティ監督さそり」 https://twitter.com/sasorikantoku 大川興業のみんなでやるネタの多くは! ジーコ内山さんが作ってました! "個人映画作家さそり監督の柴田千紘、藤田あずさ、 百恵、アラレ王、岬万泰、ぬの川まなみ、魔ゼルな規犬 出演新作『魔女のマイノリティ』 https://youtu.be/20ZvyH9bolU 新作『ブッダマン』近日公開! 鳥肌実魂のアソコ、アーバンギャルド天才馬鹿 http://amzn.to/aNLimh
「志田しずく(しーちゃん)」 https://twitter.com/pururun_shizuku 志田しずくだよ!絶対にしーちゃんってよんでね! 弾き語りと アイドルとユニット活動をしている服飾大学生だよ ・https://twitter.com/nijiiro_jam ・https://twitter.com/notgoodgirls_ 色んなライブハウスに出没するよ! 無善寺毎月第4日曜日レギュラー出演! とってもかわいいんだからねー!
「終末亭落太郎」 https://twitter.com/merry_menace UNDIE MERRY MENACE、宇和川竜太 / K殻都市 https://twitter.com/Kshellcity のgt.vo/ 東京電波クラブ https://twitter.com/denpa_kakusan /ポスダダ迷景主��(ミラジュイズム)
「チームまどんなちゃん(まどんなZ)」 https://twitter.com/nekonyanheart 多岐にわたってクリエイティブ♬なぞポップ ♬DTM♬作詞作曲♬うんちLINEスタンプ、 うんちアニメ💩邪念が多いねんサブスク配信してます! ラママでワンマンありがとうございました♡🥳✨🍒# うんち4コマ ユニット⏩ZOOZOOZ https://twitter.com/notgoodgirls_
「Dr.stutter」 https://twitter.com/doctor_stutter ドクター・スタッター 日曜音楽家。 【バンド】the nines、inibura、東京ブラジャー 【ラップ】キリシタン大名(活動停止中)
「謎の超能力者戸田」 https://twitter.com/ecoecoazarachi https://t.co/UUiLnpGBHL 謎の超能力者戸田です。 銀河系に住むオセロ七段。 催眠、気功、伝授できます 「催眠サークル人間失格」の代表。 http://blog.livedoor.jp/mesmerism99/ 有料noteあります https://note.com/todatomoya111
「はたけやま」 https://twitter.com/elbowjoe14567 土日祝日限定で音楽やります。 新しいものをつくりたい Bandcamp→ https://hatakeyama.bandcamp.com/album/destination Soundcloud(デモ置場)→ https://soundcloud.app.
「魔ゼルな規犬」 https://mazelnakiken1.wixsite.com/mazelnakiken 魔ゼルな規犬@UUcYqD04WdFKeSu は 街中での広報担当のシマウマ と 生きた超能力ドール @ndkwandsk と 広告モデルの青砥撫子 の 三名によるV系バンド あと 野生の生きた飛ぶタイプの虫 全部がメンバー (英語表記: ㎜∀Ζё∟μИÅК↑Ж∃∩)
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JASON KAHN 福岡ライブ
JASON KAHN 福岡ライブ
---------------------------------- JASON KAHN/山内桂/cicadelia/薄力小麦子
日時:2023年10月4日(水)open 19:00/start 19:30 料金:¥2,000+要1ドリンクオーダー 場所:IAF SHOP* 福岡市中央区薬院3-7-19 2F TEL:090-5475-5326(佐藤) http://iafshop.tumblr.com/
主催: http://www.deterra8.com/
【出演】 JASON KAHN(USA) https://jasonkahn.net/ 山内桂 https://salmosax.com/ cicadelia https://cicadelia.bandcamp.com/music 薄力小麦子 https://zassoken.bandcamp.com/music
【ジェイソン・カーン】アーティスト、ミュージシャン、ライター。チューリッヒ在住。日本では1990年代半ばから何度も演奏しているが、2014年以来の来日となる。過去には、秋山徹次、杉本拓、中村としまる、オーブ、川崎ウタ、レテ、無量塔誠二郎、中卓史、直嶋岳史、大城誠、Sachiko M、渋谷慶一郎、角田俊也、宇波拓、山本高広、山内桂、大友良英など、多くの日本人アーティストと共演している。今回のツアーでカーンは、回路の流れの中に自分の身体を置くカオス的なフィードバック・システムを使い、エレクトロニクスを駆使する。モジュラー・シンセサイザーのオープン・リードを手で掴んで回路を作ったり壊したりし、シンセサイザーをオーバーロードさせたり、瞬間的に崩壊させたりする。様々なコンタクトマイク、電磁誘導器、ミキシングボードを介したシンセサイザー自身の出力が、シンセサイザーのパラメーターを変調するために使われる。その結果、非常にダイナミックなシステムになり、しばしばコントロールが難しくなるが、アコースティック楽器のような、しかし電子楽器のような、素晴らしい表現力が可能になる。コンサート中のライブ・ラジオ・キャプチャーと、演奏スペースとその周辺で事前に録音されたフィールド・レコーディングが、各コンサートのさらなる素材となる。結局のところ、これらの公演は基本的にサイト・スペシフィックな作品であり、物理的な意味でも、そこにある音という意味でも、手元にある空間を使って即興的に行われる。音楽が即興であるだけでなく、使用される素材が演奏されるそれぞれの空間に直接関係しているため、演奏は毎回異なる。 ----------------------------------
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2023.7.23sun_tokyo
お昼過ぎに起床。昨日のバーベキューの疲れを引きずっている。 チャイムの音で目覚めたような気がしたが、ドアを開けても誰もいなかった。
部屋の模様替えや仕事を軽く済ませたのち、30分ほど歩いて荻窪駅へ向かう。
16時ごろ、歌人の友人たち(宇田川美実・篠原治哉・鈴木黒目)と合流。 数日前に「荻窪最強の自販機を探すので来てください」と言われ、「さっぱりわからんが行くしかないよなあ!」と元気よく返事したのである。
ーーー
早々に出くわした、1L飲料と「ふるんふるんQoo」のみを扱う癖(くせ)自販機。 古めかしい取り出し口に1kgの物体が落ちるのはすこし怖い。
ときどき見かけるニュータイプのゴミ箱(右)は、周囲が荒れにくい形状でラブリー。 看板がちょうど治安の分水嶺になっていた。
なぜか新旧デザインが並ぶカルピスソーダ。 経緯についてあれこれ想像して言い合う。
一時期の「ヤクルト1000」ブームで品薄が相次ぐ中、この自販機にだけは依然として在庫があったらしい。
自販機に隠れる自販機。 マウンテンデューが100円(安い!)なのも相まって、隠しコンテンツ感が強かった。
「これが置かれて以来ドアは一度も開かれていないということ……初歩的なことだよ」と、シャーロック・空き缶・ホームズ。
初めて入る「古書かいた」がかなり好みで、本を数冊購入。 紙袋っておれめっちゃ好きだなー。
道中で見つけた「ご自由にお持ちください」の椅子を、ちょうどよく椅子を探していた宇田川宅へ運んで小休憩。
今回もっとも異質な存在感を放っていたのが、なんでもない顔でコカコーラ自販機の横に並��インディーズの自販機(左)。
ぶどう・もも・オレンジ等とだけ書かれている、ジュースのイデアたち。 さらには「金目鯛飯膳」「金華鯖飯膳」、990円のクラフトビネガーなど、常識では考えられないラインナップを惜しげもなく披露する。
右のデザインに合わせてそれっぽい画像を用意したと思われる、左の森のありえないガビガビさをひとしきり面白がる。
ーーー
19時ごろ、歌人の武田ひかがさらに合流。 「大きい公園に行きたい」というオーダーを受け、石神井公園まで片道1時間ほど散歩することに。
ポップな「けいさつをよびます!」が愛おしい。
ボクシングジムの隣の店名が「こぶし」であるうつくしさ。 芋づる式に、神保町のカレー屋「パンチマハル」を思い浮かべる。
「今から飲食店を見つけるたびにカウントして、10個目のお店に絶対入りましょう」と、鈴木黒目の楽しげな提案。 初めて入店した「福しん」の餃子サブスクは、理論上30日間で540個もの餃子を無料にし得る。
石神井池に50年前からあるらしい「聖衣」という石像。 遠目に見るとその不確かさが恐ろしく、近づくと高さが5.6mもあって普通に恐ろしい。
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改札で3人を見送り、宇田川美実と歩いて帰る。 かれこれ3年ほどの付き合いになる我々は、お互いにちょうど人生の転機を迎えている。
冗談混じりに「To Be, or SUPER TO BE(生きるか、めちゃくちゃ全力で生きるか)」みたいなことを言ったら、ほんとにそうだよね、と力強く頷いてくれた。 せっかくなので、おれたちはSUPER TO BEでやっていきます。
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この日は16km歩いたみたいです。我々は散歩が大好き。
-プロフィール- 夜夜中さりとて 24歳 東京 ライター・歌人・DJ Instagram:https://www.instagram.com/superrocketspeed/ Twitter:https://twitter.com/yorusari HP:https://yorusari.studio.site
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