#妙国寺庭園
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Myokokuji Temple Garden by 電脳工房撮影 (2003)
妙国寺庭園
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初夏に旅する上越・北信濃 - 長野・松代
初夏の長野 善光寺と松代を散策してみた。
上越妙高で一泊した翌日は、えちごトキめき鉄道 妙高はねうまライン、しなの鉄道 北しなの線を乗り継ぎ長野へ。
長野に来たら善光寺、と言いつつ今回 初めての参拝。観光客でにぎわう参道を抜けて本堂へ。東日本最大級の国宝木造建築の壮大さに感服。本堂脇には昨年の御開帳の際にも話題となった回向柱と年月を重ね朽ち始めた歴代の回向柱を見学。巨大な本堂前に設置されている映像のイメージしかなかったもので、実際にそのものを見ると想像以上に大きいものなのだなと認識しました。
長野駅に戻り、バスを乗り換え目指すは松代。真田氏の治めた松代の城下には、松代城址をはじめ藩校 文武学校、真田邸等が雰囲気のよく集まるエリア。 まずは松代城址。真田昌幸の長男であり、信繁(幸村)の兄として知られる初代 藩主 真田信之が大坂の陣ののちに移封、明治維新まで居城とした城の跡。 二の丸から本丸にかかる太鼓門前橋が有名なのですが。。。現在 橋の架け替え工事中でした。相変わらずタイミングのよくない私でした。お天気だけには恵まれ、快晴のもと北信濃の山々に囲まれた城郭を写真に収めてみる。
お城の脇を抜け、松代藩の藩校 文武学校へ。比較的 江戸時代末期に建築された藩校、明治維新後も学校として利用されていたということで、当時の建築物がそのまま残っている貴重な遺構。広い敷地内、歴史を刻んだ木の床を踏みしめながら歩を進める。隣接する真田邸と合わせて趣のある建物と庭園に心和ます。既に夏日でしたが、昔ながらの風通りの良い作りの室内は心地の良い温度感。
長野駅と松代の間は大体30分に1本程度のバスが運行。ちょっと時間が空くので、竹風堂の店舗に併設されたお茶屋さんでクリーム栗あんみつをいただきながら小休止。火照ったからだに冷たいあんみつで冷まし、温かいお茶とあわせてほっと一息、美味でした。
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園 子温(その しおん、 1961年〈昭和36年〉12月18日 - )は、日本の映画監督・脚本家。愛知県豊川市出身[3][4]。 来歴 出生から高校 1961年(昭和36年)、愛知県豊川市生まれ[3][4]。父である園音巳は英語を教えていた愛知大学の教授であった[1]。豊川小学校、豊川東部中学校を卒業[4]。とても厳格な家庭で育った反動で17歳の時に実家を飛び出し、上京したとされるが[1]、豊橋東高校は卒業している[4]。17歳で詩人デビューし、『ユリイカ』と『現代詩手帖』に詩が掲載された。 大学入学以降 映画監督として活動する以前は漫画家志望でもあり、法政大学入学後、20歳の時に出版社に漫画の持ち込みを行うも「まだ他人の気持ちがよく判らないんじゃないかな」と言われボツを喰らう[5]。 その後、リベンジのため本を読み漁り、映画を年間何百本と鑑賞したことがきっかけで8mm映画を撮り始める。 1986年、8mm映画『俺は園子温だ!』がぴあフィルムフェスティバル(PFF)入選。翌年、8mm映画『男の花道』でグランプリを受賞[4]。 1990年、ぴあフィルムフェスティバルスカラシップ作品として制作された16mm映画『自転車吐息』は、第41回ベルリン映画祭正式招待された[4]。 1993年、『部屋』を制作。翌年、サンダンス映画祭審査員特別賞を受賞。 『桂子ですけど』(1996年)、『風』(1998年、通産省制作)など、映画制作を続ける。 一方、街頭詩パフォーマンス「東京ガガガ」を主宰する。4000人のパフォーマーが渋谷のストリートで展開。このドキュメントを収めたジャン=ジャック・ベネックスのテレビ番組はフランスで視聴率40パーセントを超える。 ファッションデザイナー荒川真一郎とのプロデュース、短編『0cm4』(1999年)を上映した。 1994年3月10日〜17日、吉祥寺バウスシアター全館を貸し切り「園子温降臨祭」を開催。 1995年、100時間に及ぶ素材からなる大長編映画『BAD FILM』制作に取りかかる(2012年完成)。 2000年、『うつしみ』を制作、劇場公開。 2001年、『自殺サークル』を公開。新宿武蔵野館における過去最高の観客動員数となった。カナダファンタ映画祭(ファンタジア2003)にて“観客賞”を獲得。同時に“今年、最も優れた映画に贈る賞”も獲得。2002年度日本映画プロフェッショナル大賞第10位 。 2002年、『HAZARD』という ニューヨークを舞台にオダギリジョー扮する不良青年の青春映画を制作した。 2003年、前作に続けてオダギリ、田中哲司、村上淳、市川実和子等が出演した『夢の中へ』を制作。さらに同年、宮崎ますみ主演でR18指定の家族劇『奇妙なサーカス』を制作。 2006年『紀子の食卓』を公開。第40回カルロヴィヴァリ映画祭・コンペティション部門の“特別表彰賞”と、国際シネマクラブ連盟による“ドン・キホーテ賞”を受賞。また韓国で開催された第10回プチョン国際ファンタスティック映画祭コンペティション部門の観客賞と主演女優賞受賞した。 2007年、テレビ朝日系ドラマ『時効警察』に監督として参加した。 2008年、『愛のむきだし』を公開。第9回(2008年)東京フィルメックスにおいて観客の投票によって選出される「アニエスベー・アワード」を受賞。第59回(2009年)ベルリン映画祭に出品され、「カリガリ賞」「国際批評家連盟賞」を受賞した[4]。続く『ちゃんと伝える』では故郷・豊川を舞台にした。 2011年、『冷たい熱帯魚』を公開。第67回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門に正式出品した[4]。さらに同年『恋の罪』を公開。 結婚以後 2011年10月23日、監督した映画『冷たい熱帯魚』『恋の罪』に出演した神楽坂恵と婚約した旨が報じられた。結婚以降も妻の神楽坂を多くの自身の作品に出演させている。 2012年、『ヒミズ』を公開。古谷実の同名漫画を映画化で映画監督と脚本を担当した。園にとって、初の漫画原作物の映画化担当であった。第68回ヴェネチア国際映画祭コンペティションに出品され、主演の染谷将太、二階堂ふみが「最優秀新人俳優賞(マルチェロ・マストロヤンニ賞)」を受賞した[4]。 10月、原発事故を描いた『希望の国』を公開。 第37回トロント国際映画祭にて「NETPAC アジア最優秀映画賞」を受賞。主演の夏八木勲は第63回芸術選奨・文部科学大臣賞並びに第67回毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した。 2013年4月、テレビ東京系ドラマ『みんな!エスパーだよ!』にて総合監督を務めた。同月、「芸人」宣言をし舞台デビュー。9月、『地獄でなぜ悪い』を公開。 第70回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門に正式出品された[4]。第38回トロント国際映画祭では、ミッドナイト・マッドネス部門観客賞を受賞[4]。 2014年6月、小説「毛深い闇」を河出書房新社より出版。8月、井上三太原作の『TOKYO TRIBE』を公開。11月、雑誌「GQ JAPAN」が「GQ MEN OF THE YEAR 2014」を受賞した。 2015年5月、和久井健原作、綾野剛主演で『新宿スワン』を公開。園作品最大のヒットを記録。同年6月、「魂の集大成」と謳ったSFファンタジー怪獣映画『ラブ&ピース』を公開。第5回北京国際映画祭にて日本映画として初の出品作になった。カナダ・モントリオールの第19回ファンタジア国際映画祭では観客賞を受賞したものの[4]、翌2016年公開されて81億円の興収を出した『シン・ゴジラ』と同じ長谷川博己主演の映画であるが興収は5300万円であった[6]。 2015年7月、山田悠介の原作にオリジナル要素を加えた『リアル鬼ごっこ』を公開。第19回ファンタジア国際映画祭にて最優秀作品賞(シュバル・ノワール賞)、審査員特別賞を受賞した[4]。スペイン・マラガ・ファンタスティック映画祭では最優秀作品賞と特殊効果賞を受賞[4]。 同年9月、テレビドラマシリーズも監督(3人)と脚本(4人)の一人として担当した『みんな!エスパーだよ!』の映画化時には、脚本を田中眞一と共に[7]、監督は一人で務め、全面愛知県の東三河でロケしている[4][7]。 2015年7月、初の個展「ひそひそ星」展を開催。同時期にワタリウム美術館オン・サンデーズにて絵本「ラブ&ピース」の原画展も開催。9月、Chim↑Pom発案の「Don’t Follow the Wind」展(ワタリウム美術館)にて映像インスタレーションを発表した。 2015年に地元の「とよかわ広報大使」に就任する[4]。 2016年4月、美術館では初の個展、園子温展「ひそひそ星」をワタリウム美術館にて開催。5月、第40回トロント国際映画祭にてNETPAC賞(最優秀アジア映画賞)を受賞した『ひそひそ星』を劇場公開する。大島新監督のドキュメンタリー映画「園子温という生きもの」が公開される。 心筋梗塞による入院以後 2019年2月7日、心筋梗塞を発症し、病院に救急搬送され手術を受ける[8]。同月21日、退院[9]。6月25日、「Netflixオリジナル作品祭」に出席し、病後初めて公の場に姿を見せた[10]。 2021年10月8日、ハリウッド初挑戦となる映画である、『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』が公開された[11]。ニコラス・ケイジを主演として起用し、2019年に撮影を終えていた『エッシャー通りの赤いポスト』のワークショップ参加者も多数参加した作品である。 2021年12月25日、原点回帰のインディーズ作品として2019年に撮影が完了していた『エッシャー通りの赤いポスト』が公開された[12]。51名の無名役者が参加するワークショップで制作された映画作品であり、出演者が店舗や路上で宣伝活動やチケットの手売りを行ったり、関東の複数のミニシアターで多数回の舞台挨拶も行った。 性加害報道以後 詳細は「#不祥事」を参照 2022年3月、セクハラ・性行為強要を告発される。(#不祥事参照) 2022年11月7日、SmartFLASHが報じたところによると、12月20日から上映される『もしかして、ヒューヒュー』にて、偽名を用いて脚本を担当したと、妻であり事務所社長でもある神楽坂が取材に応じている[13]。 人物 洋画好き 著書によれば幼少期・少年期から映画好きであり、それも洋画ばかり見ていた。少年期から好きな作品にアメリカンニューシネマのアーサー・ペン『俺たちに明日はない』『左利きの拳銃』やフランス映画のジャン・ギャバン主演『望郷』や『ジャンヌ・ダルク裁判』にフランソワ・トリュフォー作品、1960年代までのアメリカ映画はかなり見ていたと述べている。好きな監督にウィリアム・ワイラーやイ��リアのヴィットリオ・デ・シーカ、好きな役者・スターにジョン・ウェイン、リチャード・ウィドマークやジャン・ギャバン、アラン・ドロン、ソフィア・ローレン、リリアン・ギッシュ、ポール・ニューマン、イングリッド・バーグマンなどを挙げ、とりわけイングリッド・バーグマンとは本気で結婚したいほど好きな思いを抱いていたという[14]。 出演したラジオ『スカパー! 日曜シネマテーク』でルネ・クレマン監督のフランスの反戦映画の名作『禁じられた遊び』を好きな映画に挙げ、「この映画は小学生の時にテレビで見ました。当時はほぼ毎日、地上波で夜9時から映画番組があって、ゴダールやトリュフォーすらも放送していたんです。家族で『ウルトラマン』を見た後にゴダールを見るなんて、今ではちょっと信じられないですよね(笑)」と述べている[15]。 深作作品・格好良いヤクザ好き また別の回のラジオ『スカパー!日曜シネマテーク』では深作欣二監督の『仁義なき戦い』を選んでおり「深作監督とお話する機会はなかったんですが、僕にとっては心の師匠。映画を作る時は常に深作監督のことが頭にあり、『地獄でなぜ悪い』でも「深作警察署」が登場したり、『仁義なき戦い』の音楽が流れたりします。それくらいずっと憧れてきた、影響を受けてきた監督です。」「ヤクザ映画なんですが、実は深作監督も菅原文太さんもすごく真面目なタイプで、ヤクザに対して距離感を持っている人です。でも実はそれがヤクザが格好良く描ける秘訣。コッポラが『ゴッドファーザー』を撮った時も同じで、ヤクザやマフィアをまったくリスペクトしてない人が撮ると、客観的に描けるので格好良くなるんです。」と評している[16]。 主張 ジャパニーズアニメ嫌悪 2016年は「近年稀に見る邦画の当たり年と言われた本年」と呼ばれたが、そのなかでも話題を一手に集めたのは、新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』と、庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』の二作品であり、『君の名は。』は年間興行収入ランキング1位の251.7億円、『シン・ゴジラ』は3位であるが、例年なら邦画興行収入で首位となるレベルの81億円を記録する大ヒットとなった。しかし、園子温は2016年12月9日に、「糞ジャパアニメ、すべて死ね。」「あとよ、怪獣映画のリメイクで儲けたクズどもも。」「二度と怪獣映画のリメイクごときで現代の311を語るな、クズども」、と下記の島国辺境ツイートと共に四時間にわたって連続で罵倒のツイートをした[17]。後に上記のツイートは削除された。ネット上では『シン・ゴジラ』と同じ長谷川博己を主演で前年に撮られた自身の怪獣映画『ラブ&ピース』が興収5300万円だったことから、「園が嫉妬のあまり中2病を発症させた」と園を批判するツイート��殺到した[6]。 ただし、インターネットメディアリテラは園による『君の名は。』『シン・ゴジラ』批判について、「まさに正論だと思うが、しかし、こうした意見はしょせん異端に過ぎない。」と賛意的な報道をした[6]。 護憲・SEALDS支持 自民党が2016年の参院選で改憲を現実のモノにしようとしているとして、2015年9月11日に安倍晋三内閣における特定秘密保護法・集団的自衛権行使容認への反対や護憲、「従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力の結集」を訴える『TAKE BACK DEMOCRACY(民主主義を取り戻せ)#本当に止める SEALDs 5時間SPECIAL!!!!!』に、磯部涼(司会)、SEALDs、中野晃一上智大学教授、日本学術会議の廣渡清吾前会長らと共に出演した[18]。 2016年12月に上記のジャパニーズアニメーションへの批判の際に、「評論家のための評論しやすい映画ばかり。狙ってんのかお互い癒着して。革命家も産めない肉体のない言葉、、乾いた言葉を。」「去年見たSEALDSの何倍も何倍も薄めた小さなセカイ系とやら。セカイ系の正体は地球上の規模じゃねえ。このセカイの小さな島国辺境の、空想されたせ・・か・・い・・やめろ。」とツイートしている[6]。 批判 宇野維正はキネマ旬報にて、2021年12月に園が映画監督を務めた「エッシャー通りの赤いポスト」について、「現実から浮遊したスモールワールドで若い女優が暴れ回り、反体制的なイメージと戯れる」という園子温自身のシグネチャー・モデルに回帰した作品で5段階中星1という完全否定的な評価をしている。園の帰属する「日本のサブカル村」についても演者も含んだ村内で互いに誉め合っている2010年以前と変わっておらず、園の作品は客観性の徹底的な欠如はずっとそのままであるとし、「ここまでの作家的増長の責任は、本人よりもそれを看過してきた業界にあるのではないか」と業界を含めた批判をした[19]。 園子温作品の著名なファン・友人 ファンであり友人である著名な者として、水道橋博士[20]や『映画秘宝』を創刊した映画評論家・コラムニストの町山智浩が知られる。町山は2009年のベスト10を選んだ際に、園の『愛のむきだし』を一位に選んだ。同年に日本で公開されたクリント・イーストウッド監督・主演『グラン・トリノ』を二位にして「『グラン・トリノ』は『愛のむき出し』を見るまで一位の作品」「どちらも(『グラン・トリノ』と『愛のむきだし』)「不在の聖母」を描いた作品。」と評した[21]。水道橋博士とは��交が深く[22]、お笑いライブを二人で開催したりしている[23]。水道橋博士は園子温を「映画監督として圧倒的に天才」と絶賛している[24]。他に園と親交が深い友人として、茂木健一郎、会田誠[25]、宮台真司がいる。宮台はあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」に対する批判意見への反論に友人・園子温の作品を例にあげ、「そもそもアートは心に傷を付ける。心を回復させる娯楽とは違う」「こうした基本的なことでさえ、行政、政治家、そして市民までもが分かっていないことに驚きました」と開催を擁護している[26]。 2009年のキネマ旬報のオールタイムベストの日本映画編のアンケートにおいて、熊切和嘉は自身のベスト10に園の『紀子の食卓』を選んでいる。熊切は『紀子の食卓』を鑑賞した日の夜に興奮のあまり園に電話をし、「あの妹役(吉高由里子)って誰ですか!?」と直接聞いたと述べている[27]。 不祥事 2022年3月、『週刊文春』による性加害告発の流れが起きている中、日本人ハリウッド俳優で映画『硫黄島からの手紙』等に出演した松崎悠希が、Twitterにてアクターズヴィジョンのワークショップにおける園のセクハラ・性行為強要を告発。被害者は何十人もいるとしている[28]。告発後、アクターズヴィジョンは園のワークショップ映画第二弾に向けて行われる予定だったオーディションの中止を発表した[28]。 4月1日、園の制作プロダクション「シオンプロダクション」のホームページで謝罪コメントを掲載。「事実関係を整理して、改めて発表いたします」としている[29]。 4月4日、「週刊女性PRIME」が園の性加害を出演女優らが告発した記事を掲載。[30]。週刊女性PRIMEが園に電話取材を行ったところ性加害疑惑について否認。電話口を代わった女性から文書での質問を要求されたため対応したものの、期限までの回答はなかった[30]。 4月6日、「週刊女性PRIME」の報道を受けて園が謝罪文を発表。関係者や作品の視聴者にお騒がせしたことを謝罪し、監督として今後の在り方を見直したいと記した。一方で性加害の報道内容については事実と異なる点が多く、自分以外の関係者にも迷惑が掛かっていることを考慮し、法的措置をとる姿勢を示した[31]。その後、5月18日付で『週刊女性』を発行する主婦と生活社を相手取り、損害賠償や謝罪広告、ネット上の記事の削除を求める訴訟を東京地方裁判所に起こした[32]。 12月27日、主婦と生活社が『週刊女性』2022年4月5日発売号および4月12日発売号の記事と同一内容の「週刊女性PRIME」のインターネット上の記事を全文削除することを受け入れ、裁判上の和解により解決した[33][34]。 作品 映画監督作品 LOVE SONG(1984年、劇場未公開) 俺は園子温だ!(1985年、劇場未公開) 愛(1986年、劇場未公開) 男の花道(1986年、劇場未公開) 決戦!女子寮対男子寮(1988年、劇場未公開) 自転車吐息(1990年5月12日) 部屋 THE ROOM(1993年10月23日) BAD FILM(1995年当時未完、2012年完成。Hi-8撮影によるオリジナルビデオ。2015年1月6日DVD発売) 桂子ですけど(1997年2月8日) 男�� -THE MAN-(1998年10月31日) 0cm4(パリコレクションバージョン)(1999年7月14日) うつしみ(1999年12月18日)[35] ある秘かなる壺たち(2000年2月7日)- 公開時のタイトルは「性戯の達人 女体壺さぐり」 風(2001年1月27日。製作は1998年。16mmフィルム作品) 父の日(2001年、劇場未公開) 自殺サークル(2002年3月9日) プロムナイト(2002年、未完) ノーパンツ・ガールズ 大人になったら(2005年11月12日。製作は2004年) 夢の中へ(2005年6月11日) Strange Circus 奇妙なサーカス(2005年12月24日) 紀子の食卓(2006年9月23日) HAZARD(2006年11月11日。製作は2002年) 気球クラブ、その後(2006年12月23日) エクステ(2007年2月17日) 愛のむきだし(2009年1月31日) Make the last wish(2008年、未完) ちゃんと伝える(2009年8月22日) 冷たい熱帯魚(2011年1月29日) 恋の罪(2011年11月12日) ヒミズ(2012年1月14日) 希望の国(2012年10月20日) 地獄でなぜ悪い(2013年9月28日) TOKYO TRIBE(2014年8月30日) 新宿スワン(2015年5月30日) ラブ&ピース(2015年6月27日) リアル鬼ごっこ(2015年7月11日) 映画 みんな! エスパーだよ!(2015年9月4日) MADLY(2016年4月14日) ひそひそ星(2016年5月14日) 新宿スワンII(2017年1月21日) アンチポルノ(2017年1月28日) クソ野郎と美しき世界「ピアニストを撃つな!」(2018年4月6日) 愛なき森で叫べ(2019年10月11日、Netflix) 緊急事態宣言「孤独な19時」(2020年8月28日、Amazon Prime Video) プリズナーズ・オブ・ゴーストランド(2021年10月8日、ハリウッドデビュー作品) エッシャー通りの赤いポスト(2021年12月25日) テレビドラマ 時効警察 第4話 (2006年2月3日) 「犯人の575は崖の上」 第6話 (2006年2月17日)「恋の時効は2月14日であるか否かはあなた次第」 帰ってきた時効警察 第3話 (2007年4月27日)「えっ!? 真犯人は霧山くん!?」 第6話 (2007年5月18日) 「青春に時効があるか否かは熊本さん次第!」 みんな!エスパーだよ! - 総合監督 第7話・番外編では自らもカメオ出演 第1話 (2013年4月12日) 「なんで僕に超能力だん?バス停の風、大作戦!」 第6話 (2013年5月24日) 「エスパー抗争勃発?縛られたあの娘を救え、大作戦!」 第7話 (2013年5月31日) 「禁断のコーヒー!?"セクシー女"大量生産を止めろ、大作戦!」 第10話 (2013年6月21日) 「(最終章・序)恋の罪!?モーニングコーヒーはあなたと!」 第11話 (2013年6月28日) 「(最終章・破)時は来た!善と悪の最終決戦…チームエスパー解散!?」 第12話 (2013年7月5日) 「(最終回・青春の夢)僕が世界を救うんだ!ワンワンワン大作戦!?」 番外編〜エスパー、都へ行く���(2015年4月3日) ビデオ・オン・デマンド 東京ヴァンパイアホテル(2017年6月16日配信開始、Amazonプライム・ビデオ) 愛なき森で叫べ:Deep Cut(2020年、NetFlix) ミュージックビデオ Mail Me / 桃井はるこ (2000年) 書籍 『自殺サークル 完全版』(2002年4月 河出書房新社 / 2013年9月 河出文庫) 『夢の中へ』(2005年 幻冬舎) 『愛のむきだし』(2008年12月 小学館 / 2012年1月 小学館文庫) 『希望の国』(2012年9月 リトルモア) 『非道に生きる』(2012年10月 朝日出版社) 『けもの道を笑って歩け』(2013年9月 ぱる出版) 『毛深い闇』(2014年6月 河出書房新社) 『受け入れない』(2015年6月 中経出版) 受賞歴 映画賞 俺は園子温だ! ぴあフィルムフェスティバル入選 男の花道 ぴあフィルムフェスティバル入選 自転車吐息 第4回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)スカラシップ作品 第41回ベルリン映画祭フォーラム部門正式出品 部屋 THE ROOM サンダンス映画祭 in Tokyo 審査員特別賞 自殺サークル 第7回ファンタジア国際映画祭(カナダ) 画期的映画部門観客賞・画期的映画賞審査員賞 StrangeCircus奇妙なサーカス 第56回ベルリン国際映画祭フォーラム部門 ベルリナー・ツァイトゥング紙・新聞読者審査賞 第10回ファンタジア国際映画祭(カナダ) グランプリ・最優秀主演女優賞(宮崎ますみ) 紀子の食卓 第40回カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭 特別表彰 国際シネクラブ連盟(FICC)ドン・キホーテ賞 第10回プチョン国際ファンタスティック映画祭 観客賞・主演女優賞(吹石一恵) 第28回ヨコハマ映画祭 最優秀新人賞(吉高由里子) 気球クラブ、その後 第16回日本映画批評家大賞審査員特別監督賞 エクステ 第3回オースティン・ファンタスティック映画祭 ホラー審査員賞 愛のむきだし 第59回ベルリン国際映画祭フォーラム部門 カリガリ賞・国際批評家連盟賞 第11回バルセロナ・アジア映画祭 観客賞 第13回ファンタジア国際映画祭(カナダ) 審査員特別賞・最優秀主演女優賞(満島ひかり)・観客賞(アジア映画部門金賞・革新的映画部門金賞) 第8回ニューヨーク・アジアンフィルムフェスティバル グランプリ 第13回プチョン国際ファンタスティック映画祭 NETPAC賞特別賞(満島ひかり、安藤サクラ) 第9回東京フィルメックス アニエスベー・アワード(観客賞) 第34回報知映画賞 最優秀新人女優賞(満島ひかり) 第64回毎日映画コンクール 監督賞・スポニチグランプリ新人賞(西島隆弘、満島ひかり) 第83回キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞(満島ひかり)・新人男優賞(西島隆弘) 第31回ヨコハマ映画祭 助演女優賞(安藤サクラ)・最優秀新人賞(満島ひかり) 第14回日本インターネット映画大賞 新人賞(満島ひかり) 冷たい熱帯魚 第67回ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ・コンペティション部門正式出品 第43回シッチェス・カタロニア国際映画祭 カーサ・アジア最優秀作品賞 ファンタスティック・フェスト2010 ファンタスティック部門 長編部門脚本賞 第13回ドーヴィル・アジア映画祭 批評家賞 第15回ファンタジア国際映画祭(カナダ) 観客賞(アジア映画部門金賞) 第35回日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞(でんでん) 第54回ブルーリボン賞 作品賞 第66回毎日映画コンクール 男優助演賞(でんでん) 第36回報知映画賞 作品賞・���演男優賞(でんでん) 第21回東京スポーツ大賞 作品賞・監督賞・助演男優賞(でんでん) 第85回キネマ旬報ベスト・テン 監督賞・助演男優賞(でんでん) 第33回ヨコハマ映画祭 監督賞・助演男優賞(でんでん) 第16回日本インターネット映画大賞 作品賞・監督賞・助演男優賞(でんでん) 恋の罪 第64回カンヌ国際映画祭監督週間正式出品 第44回シッチェス・カタロニア国際映画祭 カーサ・アジア最優秀作品賞 第85回キネマ旬報ベスト・テン 監督賞 第16回日本インターネット映画大賞 監督賞 ヒミズ 第68回ヴェネチア国際映画祭 マルチェロ・マストロヤンニ賞(染谷将太、二階堂ふみ) 第14回ドーヴィル・アジア映画祭 批評家賞 第30回ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭オービットコンペティション部門 グランプリ 2012年映画芸術日本映画ワーストテン2位 希望の国 第37回トロント国際映画祭 NETPACアジア最優秀映画賞 第86回キネマ旬報ベスト・テン日本映画9位[36] 2012年映画芸術日本映画ワーストテン1位 地獄でなぜ悪い 第38回トロント国際映画祭ミッドナイト・マッドネス部門 観客賞 ファンタスティック・フェスト2013 ガットバスターコメディー部門 作品賞・監督賞 リアル鬼ごっこ 第19回ファンタジア国際映画祭 最優秀作品賞(シュバル・ノワール賞)/審査員特別賞/最優秀女優賞(トリンドル玲奈)[37] ひそひそ星 第40回トロント国際映画祭 NETPACアジア最優秀映画賞[38] 映画賞以外 GQ MEN OF THE YEAR 2014(2014年)[39] 出演 テレビ スタジオパークからこんにちは(2011年12月20日、NHK総合) 園子温ケーブルテレビ実験室(2013年4月 - 2013年9月、ケーブルテレビJCN) アウトデラックス(2013年8月22日、フジテレビ) 有吉ジャポン(2013年11月8日、TBS) 100秒博士アカデミー(2013年12月3日・10日、TBS) ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!(2013年12月21日、テレビ朝日) さんまのまんま(2014年3月8日、関西テレビ) 言いにくいことをハッキリ言うTV(2014年3月31日、テレビ朝日系列) 踊る!さんま御殿!!(2014年4月15日、日本テレビ) 竹山ロックンロール(2014年5月10日・17日・24日、テレビ埼玉・千葉テレビ・tvk・サンテレビ) たかじんNOマネー(2014年5月17日、読売テレビ) 情熱大陸(2014年6月15日、TBS) ダウンタウンDX(2014年6月26日、読売テレビ) ゴロウ・デラックス(2014年7月17日、TBS) ニノさん(2014年8月3日・10日、日本テレビ) - 「だって男の子だもん」回 ゲスト キン肉マン THE LOST LEGEND(2021年10月8日 - 12月10日、WOWOW) - 本人 役 ラジオ 園子温のズバリ!ラジオ(2013年1月25日、ニッポン放送) スカパー!日曜シネマテーク 特別版(2014年5月5日、TOKYO FM) ドキュメンタリー映画 園子温という生きもの(大島新監督 2016年) 伝記 速水由紀子『悪魔のDNA 園子温』祥伝社、2013年 参考文献 東方出版『KAMINOGE』vol.64 家賃3部作 園子温監督による実際の事件をベースとした3シリーズ 冷たい熱帯魚 - 1993年に埼玉県熊谷市で発生した埼玉愛犬家連続殺人事件がベースとなっている映画である。 恋の罪 - 1997年に東京都で発生した東電OL殺人事件がベースとなっている映画である。 愛なき森で叫べ - 2002年から福岡県北九州市で発生した北九州監禁殺人事件がベースとなっている映画である。 関連項目 サブカル[19] Category:園子温の監督映画 日本の映画監督一覧 脚注 [脚注の使い方] ^ a b c “厳しいを通り越して異常!? 園子温の「犬神家の一族」みたいな実家とは”. AERA dot.. (2016年5月16日) 2020年7月29日閲覧。 ^ 園子温 12月公開映画に「脚本・山本孝之」でステルス復帰!妻・神楽坂恵も“偽名”は「事実」と認める FLASH ^ a b c “愛知)園子温監督の復帰作品、豊橋市でロケ”. 朝日新聞DIGITAL. (2019年8月12日) 2020年7月29日閲覧。 ^ a b c d e f g h i j k l m n o p とよかわ広報大使 - 園子温氏の紹介 - 豊川市公式HP ^ 『月刊漫画ガロ』(青林堂)1996年4月号 ^ a b c d “園子温が『シン・ゴジラ』『君の名は。』を罵倒!「金儲け映画ごときで3.11を安易に暗喩にした���るな」 (2016年12月18日)”. エキサイトニュース. 2022年4月4日閲覧。 ^ a b https://sgttx-sp.mobile.tv-tokyo.co.jp/static/html/bangumi/esper/introduction.php テレビ東京 ^ “園子温監督、心筋梗塞で入院し手術、命に別条なし”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年2月7日) 2019年2月7日閲覧。 ^ “園子温監督が退院「これからも作品をつくり続けます」 事務所通じコメント”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年2月21日) 2019年2月21日閲覧。 ^ “園子温監督 心筋梗塞後、初の公の場で「1回死んでよみがえって来ました」”. デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2019年6月25日) 2019年6月25日閲覧。 ^ “映画『プリズナーズ・オブ・ゴーストランド』”. bitters.co.jp. 2022年2月7日閲覧。 ^ “映画『エッシャー通りの赤いポスト』オフィシャルサイト”. 映画『エッシャー通りの赤いポスト』オフィシャルサイト. 2022年2月7日閲覧。 ^ bw.asuka (2022年11月7日). “園子温の “ステルス復帰” に「セコすぎる」の声声声…神楽坂恵の言い分にも苦言”. Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]. 2022年11月8日閲覧。 ^ 『非道に生きる』(2012年10月 朝日出版社)13p-16p ^ http://www.tfm.co.jp/movie/index.php?itemid=79809&catid=1737 ^ https://web.archive.org/web/20140222062821/http://www.tfm.co.jp/movie/index.php?itemid=69985 ^ “園子温監督、過去には「糞ジャパアニメ、すべて死ね」ツイッターで暴言事件も | リアルライブ”. archive.ph (2022年4月9日). 2022年4月10日閲覧。 ^ “DOMMUNE PROGRAM INFORMATION 2015/09/01 (火)”. DOMMUNE. 2022年4月4日閲覧。 ^ a b “映画鑑賞記録サービス KINENOTE|キネマ旬報社”. www.kinenote.com. 2022年4月4日閲覧。 ^ “水道橋博士が語る、天才・園子温監督の生き様 | CINRA”. www.cinra.net. 2022年4月4日閲覧。 ^ 『映画秘宝』2010年3月号 ^ “水道橋博士、園子温監督のモノマネで「地獄」を体験”. ORICON NEWS. 2022年4月4日閲覧。 ^ Inc, Natasha. “園子温が芸人デビュー、水道橋博士とお笑いライブ開催”. お笑いナタリー. 2022年4月4日閲覧。 ^ “水道橋博士が語る、天才・園子温監督の生き様 | CINRA”. www.cinra.net. 2022年4月4日閲覧。 ^ “1億円突破!園子温監督『地獄でなぜ悪い』を茂木健一郎、会田誠、水道橋博士がヒットの秘密を分析!”. シネマトゥデイ. 2022年4月4日閲覧。 “大ヒットを記念するトークショーに園子温監督が登場。日ごろから親交の深い脳科学者・茂木健一郎氏、現代美術家・会田誠氏、お笑いタレントの水道橋博士とともに、ジョークと毒舌、ときには会場を煙に巻くような過激なトークを繰り広げた。” ^ “そもそもアートは誰かの心を傷つける。宮台真司さん 「生半可な覚悟で見に行けば不快になって当然です」”. ハフポスト (2019年12月30日). 2022年4月4日閲覧。 ^ 「キネマ旬報オールタイムベスト 映画遺産200」。2009。同書57pの熊切のアンケートより ^ a b “日本人ハリウッド俳優、園子温監督のセクハラ告発「知り合いは身体を要求された」被害者は何十人も?”. リアルライブ (リアルライブ). (2022年3月31日) 2022年3月31日閲覧。 ^ “性加害報道の園子温監督 制作プロが謝罪【全文】 11年に20歳下出演女優と結婚”. デイリースポーツ (デイリースポーツ). (2022年4月5日) 2022年4月5日閲覧。 ^ a b “園子温の性加害を出演女優らが告発!「主演にはだいたい手を出した」と豪��する大物監督の“卑劣な要求””. 週刊女性PRIME (主婦と生活社). (2022年4月4日) 2022年4月4日閲覧。 ^ “園子温監督、性加害疑惑報道を受け直筆謝罪文を発表「今後のあり方を見直したい」「事実と異なる点が多く…」法的措置とる姿勢も”. 中日スポーツ (中日新聞社). (2022年4月6日) 2022年4月6日閲覧。 ^ “園子温監督、週刊女性側を提訴 「性行為強要」の記事「事実異なる」”. 朝日新聞デジタル (2022年5月19日). 2022年8月9日閲覧。 ^ “園子温監督が「週刊女性」記事巡り出版社と和解 性行為強要の記事を削除”. 産経ニュース. 産経デジタル (2024年2月1日). 2024年2月1日閲覧。 ^ “園子温氏、“性加害疑惑”週刊誌訴訟で和解を報告「記事は全文削除されております」【コメント全文】”. ORICON NEWS. oricon ME (2024年2月1日). 2024年2月1日閲覧。 ^ “公式ホームページ” 2022年9月6日閲覧。 ^ “2012年・第86回キネマ旬報 ベスト・テン”. キネマ旬報社. 2018-08-07m閲覧。 ^ “トリンドル玲奈に最優秀女優賞!初主演『リアル鬼ごっこ』が作品賞含む3部門受賞の快挙!”. シネマトゥデイ (2015年8月6日). 2015年9月22日閲覧。 ^ “園子温監督が夫婦で作った『ひそひそ星』がトロントでNETPAC賞受賞!【第40回トロント国際映画祭】”. シアターガイド (2015年9月21日). 2015年9月24日閲覧。 ^ “GQ MEN OF THE YEAR 2014”. GQ JAPAN (2014年11月20日). 2014年11月21日閲覧。
園子温 - Wikipedia
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📸依水園・寧楽美術館 / Isuien Garden, Nara ③ ——奈良の紅葉庭園ならここ!🍁世界遺産・東大寺の南大門や若草山〜春日山の借景も美しい、奈良で最高級の日本庭園。 裏千家12代 #又妙斎 宗室が設計の茶室や茶庭も含む江戸時代〜明治時代の庭園は国指定文化財(国指定名勝)。お食事や『寧楽美術館』でのアート鑑賞も🖼 奈良���依水園の紹介は☟ https://oniwa.garden/isuien-garden-nara-autum/ ...... 続き。 ■茶室“挺秀軒”〜“清秀庵”〜茶庭 前園から後園へと至る途中には2つの茶室と露地庭園があります。 まずと小川べりに建つ茅葺屋根の四畳半の茶室“挺秀軒”(ていしゅうけん)。こちらは前園と築いた清須美道清が“三秀亭”と同時に煎茶室🍵として建てたもの。 . 小川と編笠門を隔てた先にある茶室が“清秀庵”。この茶席“又隠席”を写した四畳半茶室は明治時代にこの庭園のオーナーとなり“後園”を造園した関藤次郎の時代、1900年(明治33年)に茶道裏千家12代目宗匠・又妙斎の設計指導の下で建築。 . 清秀庵の造営にあわせて挺秀軒も待合風に改築され、あわせてこれらの茶室の周囲の茶庭(露地)も又妙斎宗室の設計により作庭されました。 現在の園路ではこの両茶室の間の石橋は渡っちゃダメで行き来できないけれど、本来はこの2つの茶室と庭園がセットの空間。 . ■前園 今の順路は最後に前園。 古くは『興福寺』に関連する別業(別荘)の跡地だった場所に、江戸時代初期の延宝年間(1670年代)に麻織物「奈良晒」を扱う御用商人・清須美道清が造営した別邸をルーツとします。 . 池泉回遊式庭園のほとりに建つ茅葺屋根の“三秀亭”は庭園と同時に建築された主屋で(明治時代に数寄屋風に改築)、現在は園内のレストラン/お食事処として利用されています🥢 屋内からは庭園越しに若草山の借景が! . 昭和初期(1939年)に神戸で海運業⚓️を営んでいた中村準策が関家より依水園を買い受け、現在見られる庭園に整備。 1969年に『寧楽美術館』が開館し、中村準策/中村準一/中村準佑の三代が収集した茶道具・陶器など、神戸大空襲を免れた美術品2,000点超が所蔵・展示されています。建築設計は東畑謙三。 . 冬・晩春・晩夏とそれぞれの季節に訪れてきて、どの季節に訪れても素晴らしいなと思ってきたけど…紅葉の季節はやはり一��と素晴らしかった!(紅葉以外の時期もぜひ) . 奈良・依水園の紹介は☟ https://oniwa.garden/isuien-garden-nara-autum/ - - - - - - - - #庭園 #日本庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #奈良庭園 #奈良紅葉 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #naragarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #landscapedesign #nara #奈良 #庭院 #庭园 #茶庭 #露地 #露地庭 #茶室 #借景 #文化財 #文化財庭園 #裏千家 #おにわさん (公財)名勝依水園・寧楽美術館) https://www.instagram.com/p/ClQdRdMvPTq/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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五百羅漢 石彫刻 念佛宗無量壽寺総本山「佛教之王堂」仏教美術 兵庫県加東市 The Five Hundred Arahats Park The Buddhist Art of Nenbutsushu Life-sized stone statues of 500 arhats, disciples of Lord Buddha, scattered in the vast site named the Five Hundred Arhats Park, were carved by Mr. She Guo Ping, a living national treasure of China. 概略 中華人民共和国、工芸美術大師・の等身大オリジナルの五百人の石像羅漢(佛弟子)が配された広大な庭園。 五百羅漢とは、本来、二千五百年前、釈尊御入滅直後に開かれた、第一回結集(経典編纂会議)に参集した五百人の佛弟子をいう。 五百人の羅漢が問答し、瞑想にふけり、楽器を奏でる等々、各人各様の自然な姿の独創的芸術表現は、釈尊御在世の当時を彷彿とさせる。 なだらかな緑の起伏の中、五百羅漢像の間を遊歩道が縫うように走り、佛教が天竺(インド)から唐土(中国)を経て東方東漸、日本に渡った、シルクロードの終着駅「奈良」の若草山を想起させる。 南門をくぐり、湖畔をあるけば、ほどなく、緑の芝生に木漏れ日がきらめく、美しい公園が見えてくる。 石畳の散策道と点在する木立に、演出された、なだらかな丘陵の中に、絶妙のバランスで配された数々の石像は、中国人間国宝 佘國平佛師制作制作による五百羅漢像であり、二千五百年前、天竺にて釈尊の薫陶を受け、悟りを開いた五百人の弟子���ちの様子が、鮮やかに描き出されている。 どれ一つとして同じ顔はなく、口角泡を飛ばし、議論に熱中する者、じっと目を閉じ、沈思黙考する者、あるいは楽器を奏で、余興を演じる者など、まさに、息づかいが聞こえてきそうな臨場感は、訪れる者に、その場の一員になったような錯覚をもたらす。 釈尊のご入滅後、十大弟子の筆頭であった摩訶迦葉尊者(まかかしょうそんじゃ)は、それまで各人の記憶の中にしかなかった釈尊の教えを、後世にまで伝え残す必要があると考えられた。 そこで、インド各地に散らばっていた釈尊の弟子たちを、王舎城(おうしゃじょう)郊外に招集し、佛典編集会議を行った。出席者は、選りすぐられた五百人。 そこでは、真の友たちが在りし日の釈尊を偲び、ある者は笑い、ある者は泣き、悲喜こもごもの思い出に耽りながら、昼夜を忘れて語り合ったはず。 この世に平和と安寧をもたらすために、珠玉の教えを伝えんとした往時の五百人の熱意は、二千五百年の時空を超えて、シルクロードの終着駅、ここ大和の地において結集し、世界の佛教徒の参詣を、今や遅しと待ち受けている。
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"イチ"をめぐって:『犬王』作中における当道座の拠点どこやねん問題
劇場アニメーション『犬王』のいわゆる「聖地」のひとつに挙げられる当道職屋敷址。仏光寺通に面する洛央小学校の敷地内にその碑はある。のだが、この「職屋敷跡」は近世のものらしい。では中世、殊に『犬王』の舞台と思われる1370年代の当道座の拠点はどこか。インターネットで拾える情報がやや錯綜していると感じたので整理しておきたい。
関連スポットの地図を作りました。ていうかこれが伝わればだいぶ満足です。Google Mapもあるよ(https://maps.app.goo.gl/Qqe48CYHHGXKvGSi9?g_st=i)。
はじまりのイチ:『犬王』の時代の当道座はどこにあったか
まずこの問題、手がかりになる情報の多くは兵藤裕己『平家物語の歴史と芸能』(吉川弘文館、2000年)から得ることができます。岩波新書『琵琶法師』で『犬王』ファンにはおなじみの兵藤先生の単著! 現在は入手困難ぽいのででっかい図書館とか駆使して読もう。特に関連するのは以下の箇所。
第一部 第一章「覚一本の伝来―源氏将軍家の芸能―」pp.8-30(初出:「覚一本平家物語の伝来をめぐって」『平家琵琶―語りと音楽』ひつじ書房、1993年)
第二部 第三章「当道の形成と再編―琵琶法師・市・時衆―」pp.157-173(初出:「琵琶法師・市・時衆」『一遍聖絵を読み解く』吉川弘文館、1999年)
こちらを参考にすると、結論からいえば『犬王』の時代の当道座(一方派)の拠点は平安京の東市周辺だったとみてよさそう。『琵琶法師』でも言及されているように、『梁塵秘抄異本口伝集』巻十四にみえる「さめうしの盲目ども」のエピソードから、仁安年間(1166-69)の段階で東市北辺にあたる佐女牛小路付近を拠点とする琵琶法師の集団が形成されていたとみられる。その後、明石覚一を派祖とする一方派の拠点がどこに置かれたかははっきりしないけど、定一の次の代の総検校・慶一の在名が"塩小路慶一"(塩小路は東市の南辺)であることから、この頃まではまだ東市周辺に彼らの拠点があったと考えられるようです。
さらに絞り込むなら、以下は私の推測ですが、『犬王』の時代には、東市周辺でも佐女牛側(北側)ではなく塩小路側(南側)が拠点だったのではなかろうか。すなわち、先に触れた慶一の在名が塩小路であることに加え、(1)律令制の衰退とともに東市は廃れ、その東南側、七条大路と町尻小路の交差点付近を中心とする"七条町"に商工業地帯が展開すること、(2)空也と一遍が布教をおこない市屋道場・金光寺となったのは東市の南半であること(参考:リーフレット京都No.65「東西の市」)などをふまえると、慶一よりも前の世代から、一方の拠点は市の南側に移動していたと考えてよさそう。
ということで、『犬王』の時代の当道座の拠点は京都駅の北西から西本願寺の南側にかけて…くらいの場所と考えておくのがよ��のではないでしょうか。(東市の位置はおおむね現在の西本願寺にあたるわけですが、2022年10月に西本願寺で『平家物語 犬王の巻』の朗読イベントやったのエモすぎません?!)
イチの痕跡:佐女牛八幡と市姫神社
現在の西本願寺周辺には当道座そのものの痕跡は残らないけれど、東市と周辺の人々に思いを馳せることができる場所はいくつかある。ここでは兵藤の『琵琶法師』でも言及がある佐女牛八幡と市姫神社に焦点をあてたい。
「さめうしの盲目ども」の拠点とみられる佐女牛八幡=若宮八幡は、東市から北東に位置する。源頼義(八幡太郎義家の父)がその邸内に営んだことに始まり、以降、源氏の氏神として深い信仰を集めた。豊臣秀吉の京都改造によって五条坂に移ったが、旧地にも小さな"若宮八幡宮"が再建されている(写真)。移転先の五条の若宮八幡には足利義満寄進の手水鉢が残る。
ほかに「佐女牛」の名を残すスポットとしては、やはり源頼義の邸内にあったとされる佐女牛井(さめがい)がある。京の名水に数えられた井戸らしいけど、第二次世界大戦後に埋められ、西本願寺の北側、堀川通沿いに跡地の碑が立つ。また、西本願寺の北西にある緑のタイルが印象的な"井筒佐女牛ビル"5階には風俗博物館が入る。平安貴族の復元衣装や人形展示が見られるけど、日祝休館でタイミングによっては長期休館もあるので���意。
市姫神社は東市に祀られた市の守護神。やはり秀吉の京都改造で河原町五条に移っている(市比賣神社)。旧地は西本願寺の寺域になっており何も残らないけど、JR山陰線を越えて西側、京都中央卸売市場の付近にも"市姫神社"がある。これは何なんやと思ったら、中央卸売市場の開設にあたって市比賣神社から分祀されているらしい。現代の市もお守りされているの、なんかいいですね。
移転先、五条の市姫社は女人厄除で有名で、マンションと一体化した入口も面白い。その西側には、やはり東市で空也と一遍が活動した市屋道場に端を発する市中山金光寺がある。非公開寺院。市姫神社とセットでこの地に移転しているわけで、東市と時衆の関係の深さがわかる。
京都観光Navi「若宮八幡」
フィールドミュージアム京都「佐女牛井跡」
京都観光Navi「市比賣神社」
その後のイチ:浄教寺と当道職屋敷跡
この文章の早い段階で、いや中世の当道座って浄教寺にあったんちゃうんかい、と思った方もいらっしゃると思うので、当道座の拠点が近世の職屋敷跡、仏光寺の北に移るまでの歩みも整理しておきたい。
兵藤の『平家物語の歴史と芸能』では、永享4年(1432)に「惣検校城存」が錦小路富小路の東頬に屋敷地を賜ったこと(『室町家御内所案』巻下)、永享9年(1437)に慶一の後を継いだ井口相一��「山法師戒浄」の屋敷を賜ったことを挙げ、15世紀初めには四条・五条の町地区へと移ったとしている。(ただ、城存は「城」の字からみて八坂方だろうし、山法師戒浄がどんな人で屋敷がどこにあったかまでは私は調べられていないです...。)
また、『職代記』には応仁の乱の際に当道の文書類が浄教寺で失われたという記載があるそうで、この頃には浄教寺に座務期間がおかれていたとされている。現在の浄教寺は四条寺町にあるけれど、これもやっぱり秀吉の京都改造で移ってきたもので、その前の所在地は五条東洞院。浄教寺は元は平重盛が小松殿に営んだ燈籠堂に端を発すると伝えられ、五条東洞院には"燈籠町"の地名が残る。なお、本来の重盛の燈籠堂は『平家物語』巻三にもあるとおり東山の小松谷にあった。現在、七条のフォーシーズンズホテル敷地内となっている"積翠園"は小松殿の庭園遺構であるとか。
近世の当道職屋敷は、微妙な位置の変化はありつつも基本的には仏光寺の北にあったらしい(職屋敷址の碑は写真の植え込みのなかにあり)。絵図から位置が抑えられるのが寛永14年(1637)から。このあたりは以下の梅田論文に詳しいです。
梅田千尋2008「近世京都惣検校職屋敷の構造」『世界人権問題研究センター研究紀要』
なお、この論文では、永禄11年(1567)の当道座宛ての禁制文書の宛先が「四条かんこく惣けんぎやう町」となっていることから、戦国期には四条の函谷鉾町が拠点だったのではという指摘もされてる。
さて、ここまでつらつら書いてきましたが、『犬王』作中での描かれ方をみると、ラストの友有疾走シーンが四条室町っぽい(通りの描写の参考にしたと思われる国立歴史民俗博物館の復元ジオラマがここ。洛中洛外図屏風が描かれた頃の繁華街)ので、イメージとしては四条の街なかに位置していると捉えてもいいんじゃないかなと思います。平安・中世の東市周辺にしても、中世後半〜近世の四条・五条にしても色んな人がごちゃごちゃいて新しい音楽が生まれるのにふさわしい場所だったことは確かそう。私は劇場アニメーション『犬王』の、都市の物語でもあるところが大好きです。
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足利義満と金閣寺:極楽浄土の世界への扉
足利義満が描いた極楽浄土の世界、それが金閣寺です。鹿苑寺とも呼ばれるこの寺院は、相国寺の塔頭寺院の一つであり、その美しい舎利殿「金閣」で知られています。元々は室町幕府三代将軍・足利義満が鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を譲り受け、建てたもので、庭園と建築は極楽浄土を現し、北山文化の舞台として栄えました。本稿では、足利義満の生涯や金閣寺の歴史を紐解きながら、その魅力を探求してみましょう。
足利義満の背景と金閣寺の誕生
足利義満はどのような経緯で生まれ、金閣寺を創建したのでしょうか?その背景と共に金閣寺の誕生を探ってみましょう。
足利義満は、延文三年(1358)に足利二代将軍義詮と良子の娘良子として生まれました。南北両朝の抗争が続く中、康安元年には義満がたった3歳の時に京都が攻められ、父・義詮は近江へ逃れることになります。その際、義満は建仁寺の蘭洲良芳のもとへ逃れ、五日間かくまわれた後、播州白旗城の赤松則祐の���に送られました。その後、義満は無事に京都に帰還し、天龍寺において住持・春屋妙葩から受衣しています。
義満は11歳で将軍職を継ぎますが、父の遺言により細川頼之の補佐を受けながら成長し、地方の有力な守護大名を制御して将軍としての地位を確立していきました。そして応安四年(1371)には室町北小路に幕府を移し、「花の御所」と称される美しい室町第を完成させました。
足利義満の生い立ちと大胆な行動により、金閣寺は誕生しました。その美しい舎利殿は極楽浄土を象徴し、後世に響く寺院となるのでした。
金閣寺とその美しい舎利殿
金閣寺はどのような特徴を持ち、極楽浄土を表現しているのでしょうか?その美しい舎利殿について探ってみましょう。
金閣寺は正式には鹿苑寺と呼ばれ、足利三代将軍義満が造営した山荘・北山殿が母胎となっています。舎利殿である金閣が特に有名であり、その美しさと格式により一般的には金閣寺と呼ばれるようになりました。宗派としては臨済宗相国寺派に属し、その名は足利義満の法号である鹿苑院殿に由来します。この名は、お釈迦さまが初めて説法された鹿野苑に因んでいます。
金閣寺の舎利殿は、極楽浄土を現し、美しい庭園と建築が調和した姿で称賛されています。一休禅師の父である後小松天皇や、中国との貿易を盛んにして文化の発展に寄与するなど、歴史的にも重要な舞台であり、北山文化の中心となりました。
金閣寺は美しい舎利殿が特徴であり、極楽浄土を象徴する寺院です。歴史的背景からもその重要性が伺えます。
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むっつ
6/1 意外と早く起きる。ふとギターを弾いたら曲ができそう。 割と暗い歌詞になりそう。そういう気持ちはないけれど。 夕方に役所へ。 うむうむ、という診断結果。いつもの通り。だから困るんだよ、という。 6/2 ラーメンを一袋食べるのがつらくなる。たまに。糖質過多になるので。 体がだるくなっていたが夜になってまともな食事をしたら回復した。やっぱり大事だな。 買い物いかないとまた食べるものがない...。
6/3 ちょっと疲れが出始めている。 夕方に役所へ行く。 とある診断をしたけど、やっぱ、向いてねーとなる。 本当にやる気ないよな。というかもうそういうあれが考えられない。
6/4 作業して買い物に行く。 最近、百貨店でいいのに当たらないな。相変わらず人が多い。
6/5 今日はものごっつうまいラーメンとホットケーキを食べられたのでよかった。 途中でものごっつい建築を見たのだけど、その設計がもしかして、とある女優さんのおじいさまなのかも。 偶然なんだけど、情報が一致していてびっくりしている。 コントが始まるを見た。俳優はやっぱ、声だよな…と何度も思う。 仲野太賀さんってなんであんないいんだろうな。 6/6 眠れなかったのでこのまま生活の矯正を図る。 モーニングに行った。やっと、マクドナルドのハッシュドポテトを食べられた。うまい。 その後、買い物などに行き、明日への準備。 これが日曜日にできると大きい。 おかえりモネを最新回まで見たんだけど、やっぱ、震災のことはきっつい。と、同時にあまちゃん、ラジオを思い出す。 刈谷友衣子さん、なにしてんだろうな…。 6/7 起きてから洗い物などをしてでかける。 信号待ちや電車の連絡など交通運がなかった。 地元へ帰る。 もう街を客観的にしか見えなくてもうここは自分の街じゃないんだって思った。 距離の問題じゃないんだな。 剪定をとてもした。これが仕事になればなあ。 猫が元気だった。 マクドがいい感じに空いててよかったなー。さすが。こんくらい空いてたらいいよな。 6/8 作業。作業。でおわり。 ミートソースのパスタのおいしい作り方をやっと発見したかも。 6/9 さくさく制作。 6/10 さくさく制作2。 というか忘れてしまったDayだろ。
6/11 上本町という街に初めて行く。フレッシュネス、サブウェイと揃ってて、当たり前のようにマクド、モスもあって最高の街だった。 あれは夢の街だったのかい?と問うほど。 駅がそのものがでかい。ここなら奈良にすぐ行けそう。 少し地方都市に来た気持ちになる。多分、古いままで止まってるからだ。 駅横のホテルの建物がなんだか良くて、植栽の紫陽花も綺麗だった。 調べてみたら村野藤吾の設計じゃないですか。そりゃ良い感じのはず。 中も入ってみたいなー。 目的のひとつの焼肉へ行く。地理的に言えば、鶴橋の外れと言った方が正しいか。 これがうんまい。地元でたまに行く焼肉屋の本店なんだけど、ここも咳がゆったりしてよかった。 あと、冷麺がうまいのもいいなー。食べ切れるか心配だったけど、大丈夫だった。 その後は街を散歩。南下いしたら学校いっぱいある住宅地で静かだった。 これが大阪?と思うほど。少し外れた閑静な住宅街みたいな印象。 綺麗な団地があって、あれ、ここ住めるならめっちゃええやんとなりました。 さらに歩いてたら四天王寺に遭遇。 存在は知ってたけど、初めて来た。広かった。亀がいっぱいいたのは気持ち悪かったけど。 今日初めて、もしくは6月初めての客ちゃうか?っていうくらい人がいない庭園を拝���する。 ここがまた良かった。夏のような日差しに木々が青い蔭を作ってくれてとても日本的、禅のような気持ちになり清々しい気持ちになった。 やっぱり、庭は人の心を豊かにするね。 四天王寺を満喫して出ようと思ったら、すぐ横の高校生たちがわんさか。 今の街に住んでたら高校生は見かけるものの匿名的というかどこどこ高校とかわからないから実態が捉えられないんだけど、こうしてわかるとここに通ってたらどんな生活なんだろうか、と想像が少し浮かんでいい。いや、実態は全然わからないんだけど。 (天王寺とかで遊んで帰るんだろうかとか。) そんなことを考えつつ、行きたかったカフェへ。 お洒落かつカフェラテも好みのもので良かった。思ってたより天王寺駅から離れてたので人もそこまでいなかった。 機会があればまた来たい。 自然と一心寺が近かったので、婆ちゃんの墓参りに行く。全然来れてなかったからなー。 前回来たの10年前くらいちゃうか、という。全然、祖母の記憶がないんだけどね。 今度からちゃんと来よう。 また、歩き出して上町台地の坂を堪能する。 大阪市内は坂が少ない地形なので街中の坂は貴重。3つ4つほど上り下りする。 実際あったら、面倒だけど散歩としてはとても良い。 トータルして3時間近く街歩きして足が疲れた。 短めの靴下を履いていて靴擦れした。 もうそんな季節か。 ということで新垣結衣さん、お誕生日おめでとうございます。
6/12 バーガーを食べに行く。うまい。 結局、歩いて戻ってしまう。 スーパーでパイナップルを買う。パイナップルってなんであんなおいしいんだろうな。 好きな果物は?と問われた時には「パイナップル」と答えてるけど、いまいち共感を得ないんだよな。 梨のおいしさが逆にわからん。 パイナップルの良さといえば、お菓子とかジュースとかの加工品でもその感じがブレないところ。 果物によってはこれが?という味がある。果物の個体別にしても。 パイナップルにはそれがない。安定してる。果物公務員。 「安定した職業に就きなさい」と言われたらパイナップル農家になろうと思う。
6/13 ドラムの編集。といえば、かっこいいがいわゆる打ち込みというやつをする。 うんうん、いい感じ。プラグインのフリーのドラムもなかなかいいやん。 多分、こんな使い方しないって使い方をしてる。 かなり完成に近づいた。 息抜きに別の曲を作る。1時間ほどで骨格は出来上がる。 骨格があってないようなもんだけど。それがアンビエント。
6/14 ひさしぶりにアコギに弦を張る。弦を張るという作業が昔から苦手。 いつも、どっちにペグを回すんだっけ?となる。多分、今回は合ってる。 ただ、やり出したら無心でできるというのもある。 弦を張ってから録音。忘れてた。 このギター、めちゃくちゃ弦高が高いんだった。たまに別の人のギターを弾いて驚く。 こんなに弾きやすいのか、と。多分、弦高が高いギターしか弾いてきてない。 おかげで録音にちょっと苦労。 でも、やっぱ、アコギにしてよかったかも。 ということで、エレキで弾いていたギターは公式に別の曲に使える。加工はする。ジャムみたいだな。 他の曲も即興的に弾いてみる。弾き終わってから、かなり集中していたことに気づく。 ゾーンに入っているのかも。ギター弾くときの集中力ってすごいもんね。 上手ではないけど、独自性は獲得しつつあるのかなあ。それだといいんだけど。 キング��ブコントの会を途中まで見る。キャンプでのシソンヌ じろうさんとさまぁ〜ず 大竹さんの掛け合いが良かったなー。 こんなに相性いいんだ��て思った。大竹さんの哀愁の表情が秀逸すぎた。 ダウンタウン 松本さん作のおめでとうはさすが、という印象。 「あの頃」のごっつを思い出してしまう感じ。演出が小松さんだからか。それを今のメンツでされていた。 ちょっとチョコプラ感も感じたけど、逆なのか。チョコプラがっぽいのか。
6/15 この日記をまとめて書く。 日記を書くということがいかに大事かまた痛感する。 よりニュアンスを伝えるために書くならば、「ツッゥー!」(痛)だ。 そのくらい大事。がん保険くらい大事。めちゃめちゃ大事。 大事MANブラザーズバンドも「逃げ出さないこと 日記を書くこと」と歌っていた気がする。 とりあえず、1曲当てて、その20年後くらいにその曲に年号つけて再リリースしたい。 作業の日々。あらゆるものが形になってきつつある。 大豆田とわ子と三人の元夫の最終回を見る。最高最高最高でした。 このドラマを超えるものってもう出てこないんじゃないか、っていうくらいに。 ドラマを作る側の人間だったらもう圧倒的敗北感に苛まれて辞めちゃうんじゃないか。 役者の「声」というものがやっぱり重要。なんだろうね。 これは自分の中の研究テーマのひとつなんだよな。 役所に行って、珍しい名字の人に会った。 こんなにかわいい名字あるんだ。 鈴木福くんと芦田愛菜ちゃんが歌ってあれが名字。
6/16 引き続き役所。自分がやってる音楽について説明するのはいっつも「ぽかーん」とされるから面倒。 聞くわりに食いつかないし、ぽかーんとされるだけでなんか嫌な気持ちになるからやめたい。 当たり障りのない、思ってたような感じになり終了。 おかげで疲れてしまった。嫌だなあ。こういうのを避けたいんだよな。
6/17 作業したり買い物したり。事務作業をぽつぽつ。 プラグインを買ったりした。これでギターの録音が割と充実するはず。 徐々にプラグインとかが増えてきた。 寝ようと横になっているときに架空の会社名を考えて思いついた。 架空の組織図なんかも作ったりしている。
6/18 たまった洗い物をする。キムチはおいしいんだけど、汚れがすごよいね。 韓国料理とか中華料理を主に食べている方ってどういう洗い方してるんだろう。 キムチとチャーシューを食べるのがめっちゃおいしくてこれはビール飲みたくなるなっていうさすがに気持ちがわかる。 ビール飲める方だったら最高だよな、これ。 100分de名著の三島由紀夫の金閣寺が興味深かった。 三島の最後の自決のwikiを見ていたら、やっぱ空虚だなって思った。 全然、「美」じゃないなって。死をかけて訴えたことが野次でほとんど聞こえなかったって厳しすぎるでしょ。 ���声器とかを使わなかったからというものあるかもしれないけど。 介錯もスっといってないみたいでよりつらいな、と。 父はリアルタイムで知ってるはずだし、今度聞いてみよう。 その流れで調べてた三島の映画がきっかけで井浦新さんがエンドロールにアルファベットが並ぶのはどうか、という思いからから本名に改名したのにエンドロールのBGMが洋楽で驚いたっていう話にめちゃくちゃ笑った。 そんなことある? しかも大監督の映画なのに。空虚だな〜。笑
6/19 ちょっと手直しとか。なんとか。 音のバランス決めるのに時間がかかった。 というか一部だけソフトが言うことを聞いてくれなくてこまった。 操作方法が間違ってるのかなと、別のトラックで同様の作業をしたらすんなり。 なぜか、ピンポイントでだめで大きく時間をロスした。
6/20 やっと、マントッツォなるものを食べる。いろんなバリエーションがありそう。 まっちゃんねる、すごかったー。笑った。 昨日してた作業を再び。やり直し。良い感じかも。
6/21 朝から役所へ。すんなり終わって買い物へ。 いろいろ買って帰る。飯作り第一弾。 一旦、終えて今日から始まった好きな冷やしラーメンを食べに行く。 冷やしいりこそば、絶品でした。おいしい。冷やしはすごいよね。 帰ってきてラジオを聴きながら飯作りに没頭。 オードリーのANN、クミさん最高でした。本当に素敵な方だなー。 テレビ千鳥の一周だけバイキングがおもしろすぎた! ギャラクシー賞、取ってほしい。 バイキングであんなにおもしろくなるなんてなー。 企画の発想がすごい。 バイキングに行きたくなった!
6/22 曲の調整が終わり。EPの作曲部分が終了。 一応、予定通りに間に合った。 意外と調整の時間がかかった。 で、から、ジャケットとか視覚的なデザイン作業。 だいたい、頭で組み立ててたものを出すだけだったから割とすぐにできた。よかった。 漠然としていたコンセプトを書き出す。 項目は決めてるけれど、やっぱり書き出すと長くなる。
6/23 ひたすら、ミックスとかマスタリング的な作業。 10こくらい作ってようやくこれでいいかもというのができる。 1番最初のものと比べると段違い。 長い時間かけてよかった。 冷やしすだちそばを食べる。 すだちと冷やしが相性抜群。うまい。 冷やしの場合ってけっこう塩が多めでも良いのかな。 また、ちょっと冷やしの研究しないとな。
6/24 書類を準備したり、あれこれ。 文章を書こうとするも思いつかなくて困った。 が、なんとか思いついて書く。書けた。 6/25 talk talkという曲を出しました。
6/26 体がだるおも…。ぐったりして遅れて前職の方々と会う。楽しく話した。 その後、役所。うーん、無駄な時間だった。あれであれか〜。って思っちゃった。
6/27 うどんを食べに行く。めちゃくちゃうまかった。が、これがのちに響いた。帰ってきて寝てしまった。頭痛も招いた気がする。 さらにかき氷を食べた。
6/28 夏の終わりのためのEPが完成。 めちゃくちゃ売れてほしい。 bandcampのアーティストガイドがいつの間にか変わっていた。うう、これはつらいことになったな。 買い物をいろいろして、今週はこれでかなり持ちそうだ。
6/29 少し止まっていた作業を再開。 うーん、微妙に進んだり進まなかったり。 変な時間に寝ちゃって寝るまでに時間がかかった。 しかし、そのおかげで新たな作品の構想を思いつく。少ない音数のミニアルバムにしたいな。
6/30 どうしようか作業に悩む。 とりあえず、一旦、おしまいにして後の作業でいい方向にもっていけるようにする。 とんかつはうまいね。
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菅原道真が遊びもしなければ家庭も省みない勉強一代男として学の分野で君臨せんとするまさにそのとき、わずか16歳にして大貴族藤原の息子、藤原時平が出現する。この男、権門の子弟ということで日本版科挙も受けずに参内するという裏口っぷりを発揮する(が、政治は不可解なものだから���このシステムも実はここぞというときには機能することもあるのだな、と後でおれは気付く仕組みだ)。 発揮するのは良いのだが、当時、女がすなる和歌で恋歌ばかり詠むに長け、あっちに美女がいればあっちへ出向き、こっちに美女がいればこっちに出向き、歌を贈ってはねんごろになるという堕落者である。親父のコネで出仕したのは良いけれど、どう考えてもあそびをせんとや生まれけむな男である。 一方、道真は毎日漢文を読みあさり、勉強しまくり、家族を顧みず、という生活。それでも和歌に心を動かされることもあるが、ひらがなで書かれたものをいちいち漢字で書きなおすという硬骨ぶりを発揮する。真の漢は漢字を使い、ひらがななどでは文章をなさないのだ、という確固たる信念あり。 さて、官僚はときどき配置換えをすることで、見識をむりやり広めたり妙な縄張りを作れないようにしたりすることは、平安時代でも行われていたわけで、菅原道真も四国の長官に赴任することになる。 そこで驚いた。住民はみんなぼろを着て、字(道真にとっては漢字のこと)も読めずもちろん書けず、どこかへふらふらいなくなってしまう。 律令制度は土地を国家が持ち人頭税を徴収することを基礎としているから、食えなければ逃げるしかないからだ。 これはいかん、と菅原道真は考える。 農業を育成するには、土地に人を縛る必要があり、土地に縛られていれば逆に落ち着いて文化を甘受することもできる。つまり、律令制度には致命的な欠陥がある。つまり、人頭税だ。(戸籍制度が適当だから逃げられる時代はその致命的欠陥は国家にとっての問題ではあるが、戸籍制度ががっちり組まれるとその致命的欠陥は国民のものとなるのだろうな、と恐怖を覚えたりもするのであるが、それは余談と予断) こういうときこそ、中国に聴け、と菅原道真は考える。拝外主義者である(ひらがなを絶対使わないわけだ��) かくして都へ戻って遣唐使を出そうといろいろ進めていくと、中国の情報が入ってくる。黄巣の乱というのがまきおこっていて中国の政治状況がおかしくなっているらしい。 うむ、律令制度の本家もだめなのか。 愕然とする道真。 しかし、学があるということは良いことだ。 自ら新たな政治の枠組みをついに考えだす。 それが、地代だ。すでに荘園の萌芽があるが(班田収受の法から時代もたっているわけだし)、それを利用し、土地に税金をかければ良いのではないか。 さっそく建白書を作り新たな税制を作り、人頭税を廃止し…… そこに貴族が猛然と抗議をするのは当然であるが、そうは言っても国家存亡の危機にまで実は国家財政が傾いているので、そのあたりはなあなあにできそうではある。 しかし、道真改革に対して、猛然と反旗を翻したのは他ならぬ部下の官僚たちであった。なんと、学問の王様の道真ともあろうお方が、われらが模範たる先進国、中国由来の律令制度を否定するとは、四国でおかしな食い物でも食ったのであろうか? かくして日本で最初の公務員によるゼネストが敢行されてしまい政務がストップしてしまう。 予算審議の最中に政治の空白が生まれる状況の始まりである。 官僚がそっぽを向いてしまうとどうにもならないので、それまで女遊びが過ぎるとして軽く見られていた藤原時平(道真の右大臣と並んで左大臣になっていはいるが遊んでばかりいるので誰からも相手にされていなかった)にみんなの注目が集まる。国家存亡の危機なのはさすがに殿上人にもわかっている。下級役人にもわかっている。 さて時平も困った。 が、女心を自在に操るまでに至ったこの男、状況把握のセンスがある。 とりあえず、まとめると ・人頭税をやめて土地に税をかけるべき(学問の神様の結論なのだから正しいと考えるべきだ) ・先進国中国由来の律令制度を変えるということは、官僚たちの知的基盤、あるいはアイデンティティの破壊となるので、それは不可能だ(というか実際に政務が滞っている) つまりジレンマですな。 しかし、と、時平は考える。これがジレンマになるのは、後者の代表が前者を持ちだすことの不整合に由来しているのではなかろうか? そこでまずは道真に退場を願うことにして、うまいこと九州へ追い出した。ストを打っていた官僚たちも、土地に税をかけられることに戦いていた貴族たちも大喜び。 再び、しかし今度は時平を中心に政務が回り始める。 しかし、と、時平は頭を悩ます。へたすると結局道真と同じわだちを踏むことになるからだ。いずれにしても、道真改革は実行しなければならないわけで。いくら自分が大貴族の御曹司といったって、部下の官僚がストを打ったら手も足もでないのは、あの誰もが尊敬する道真が手も足も出なくなったことから明らかだ。 そこで、しょうがないので打開策を探るために勉強をしていてふと気付く。この漢字の塊のような文書群が、官僚たちを中国万歳、先進国の成果を後進国は受け入れていればよいのだ、という安易な考え方のもとになっているのではないか? っていうか自分の国のことは自分の頭で考えろよ常考。 そういえば、故郷のお寺の教えに、やまとことばはことだまでどうしたといかいうのがあったが、じっさいのところ、われわれがはなすことばとかくことば、これのかいりがかんりょうたちに、みょうなこていかんねんをうえつけていると、かていしよう。 そんな仮定ができるのは、この男が恋歌ばかりを作っていて、試験勉強のために漢文を詰め込まなかったからだろう。つまるところ、時平は他の官僚や大臣と異なり、漢字にも中国にもこれっぽちも未練はないし自身のアイデンティティもないのだ。 まずは、この国はこの国、やまとのくにだということを世に示すことから始めよう。そうすれば自ずと道は開けるに違いない。 そこで、天皇に歌はいいですよいいですよと吹き込み(おそらく財政問題のこともあり、醍醐天皇と時平は共同戦線を張っていたのは間違いないだろうと思う。道真追放にも醍醐天皇が積極的にかかわっていたようでもあるし)、歌集の作成の許可を取り付ける。次に、下級役人の中でも特にばかにされまくっている平仮名遣いを集めてきた。紀貫之たちだ。 まあ、というわけで、おれはひらがなで歌われる歌の良さを広く世に問うことにした。おまえらがんばれ。 なんと、自分たちの文学に初めてお墨付きを得られるとは! 紀貫之たちは感動してさっそく歌探しの旅に出る。足かけ3年かけて地方の旧家に残る文書やら木簡やらから歌をいっぱい集めてきた。 しかし、困りましたぞ、と貫之たち。 何が? と時平。 出てくる歌はみな、恋の歌ばかり。これではかっこがつきません。 うーん、と時平。恋の歌は良いものだが、確かにそれでは、説得力がないなぁ。やまとのくにはこいのくに、というわけにはいかんだろうし。 おおそうじゃ、と時平は面々を見て気づく。おまえらが作ればいいじゃん。 なんと、われらが作った歌をわれらが選んで載せて良いのですか? だって、おまえらしかいないじゃん。 大感激した紀貫之たちは、歌詠みの本領発揮しまくる。ひらがなだからこそ可能な掛け言葉やらおのまとぺやらを駆使して、季節の歌やら風景の歌やらを作りまくる。 かくして、古今和歌集が完成した。 おお、これは読みやすい、と天皇も大感激。 さて、欽定の歌集とあれば、これこそ我が国の文化の道標、それまで漢文にあらずんば文にあらず、とひらがなをバカにしていた貴族も官僚もみな古今和歌集を読み、ひらがなに親しむ。いやぁ、恋とは良いものですな、いやいや季節のうつろうさまもまた良いものですよ、という調子だ。 いや、わたしは漢文以外は文とは認めませぬというのは、官場においては新しき文化の風潮に乗れぬ愚か者ということとなった。 さらにこの文化風は吹きまくり、寝殿造りのような建築分野、十二単のようなファッション分野にまでおよび、国風文化とまで呼ばれるまでに至った。 さて、諸君、我が国の財政は危機に瀕しているのはみなさん先刻御承知の通りだ。律令制度はしょせん外国の制度に過ぎぬ。我が国には我が国の美しい文化があり、それにみあった制度があるべきではなかろうか? うむ、そうかも知れませぬの。 かくして、時平は無事、律令制度からのランディングに成功したのであった。 そのころ、九州の地で道真は辞世の歌を七言律詩で書いていた。
日々の破片
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📸依水園・寧楽美術館 / Isuien Garden, Nara ——奈良の紅葉庭園ならここ!📸世界遺産・東大寺の南大門や若草山〜春日山の借景も美しい、奈良で最高級の日本庭園。 裏千家12代 #又妙斎 宗室が設計の茶室や茶庭も含む江戸時代〜明治時代の庭園は国指定文化財(国指定名勝)。お食事や『寧楽美術館』でのアート鑑賞も。 ...... 続き。山々を正面を見て手前には歴史的な和風建築が2つ。 まずは茅葺/兜造り屋根の“氷心亭”。こちらが後園とあわせて造営された後園のメインの建築で、後園に面した広間は裏千家“寒雲亭”の写し、また床の間は京都『桂離宮』の書院の一部を模しているとか。 . かつてはこの中で茶会や詩歌の会が催されていたそうですが、現在もこの場でお抹茶をいただきながら後園を眺めることができます🍵 . 氷心亭と並んで建つのが“柳生堂”。柳生宗矩が有名な剣豪・柳生一族の菩提寺『芳徳寺』にあった安土桃山時代からの歴史をもつお堂で、明治時代に取り壊しの危機にあったところを関藤次郎が購入し、この地に移築されました。 . もう一つ歴史があるものが柳生堂の正面あたりにある半月のような大きな石。これはかつて東大寺にそびえた七重の塔“西塔”の基礎(礎石)だったと伝わる、古い石造物。こちらも使われなくなっていたものを関藤次郎が購入し園内に移設、庭園の一部になっています。 なお同じく東大寺の礎石だったと呼ばれる石が大阪の『太閤園』にあります。 続く。 . 奈良・依水園の紹介は☟ https://oniwa.garden/isuien-garden-nara-autum/ - - - - - - - - #庭園 #日本庭園 #建築デザイン #ランドスケープ #奈良庭園 #奈良紅葉 #japanesegarden #japanesegardens #kyotogarden #naragarden #zengarden #beautifuljapan #japanesearchitecture #japanarchitecture #japanarchitect #japandesign #jardinjaponais #jardinjapones #japanischergarten #jardimjapones #landscapedesign #nara #奈良 #庭院 #庭园 #日本建築 #文化財庭園 #美術館 #おにわさん (Isui-en) https://www.instagram.com/p/ClPvd9TvBPR/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#又妙斎#庭園#日本庭園#建築デザイン#ランドスケープ#奈良庭園#奈良紅葉#japanesegarden#japanesegardens#kyotogarden#naragarden#zengarden#beautifuljapan#japanesearchitecture#japanarchitecture#japanarchitect#japandesign#jardinjaponais#jardinjapones#japanischergarten#jardimjapones#landscapedesign#nara#奈良#庭院#庭园#日本建築#文化財庭園#美術館#おにわさん
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菅原道真が遊びもしなければ家庭も省みない勉強一代男として学の分野で君臨せんとするまさにそのとき、わずか16歳にして大貴族藤原の息子、藤原時 平が出現する。この男、権門の子弟ということで日本版科挙も受けずに参内するという裏口っぷりを発揮する(が、政治は不可解なものだから、このシステムも 実はここぞというときには機能することもあるのだな、と後でおれは気付く仕組みだ)。
発揮するのは良いのだが、当時、女がすなる和歌で恋歌ばかり詠むに長け、あっちに美女がいればあっちへ出向き、こっちに美女がいればこっちに出向 き、歌を贈ってはねんごろになるという堕落者である。親父のコネで出仕したのは良いけれど、どう考えてもあそびをせんとや生まれけむな男である。
一方、道真は毎日漢文を読みあさり、勉強しまくり、家族を顧みず、という生活。それでも和歌に心を動かされることもあるが、ひらがなで書かれたもの をいちいち漢字で書きなおすという硬骨ぶりを発揮する。真の漢は漢字を使い、ひらがななどでは文章をなさないのだ、という確固たる信念あり。
さて、官僚はときどき配置換えをすることで、見識をむりやり広めたり妙な縄張りを作れないようにしたりすることは、平安時代でも行われていたわけで、菅原道真も四国の長官に赴任することになる。
そこで驚いた。住民はみんなぼろを着て、字(道真にとっては漢字のこと)も読めずもちろん書けず、どこかへふらふらいなくなってしまう。
律令制度は土地を国家が持ち人頭税を徴収することを基礎としているから、食えなければ逃げるしかないからだ。
これはいかん、と菅原道真は考える。
農業を育成するには、土地に人を縛る必要があり、土地に縛られていれば逆に落ち着いて文化を甘受することもできる。つまり、律令制度には致命的な欠 陥がある。つまり、人頭税だ。(戸籍制度が適当だから逃げられる時代はその致命的欠陥は国家にとっての問題ではあるが、戸籍制度ががっちり組まれるとその 致命的欠陥は国民のものとなるのだろうな、と恐怖を覚えたりもするのであるが、それは余談と予断)
こういうときこそ、中国に聴け、と菅原道真は考える。拝外主義者である(ひらがなを絶対使わないわけだし)
かくして都へ戻って遣唐使を出そうといろいろ進めていくと、中国の情報が入ってくる。黄巣の乱というのがまきおこっていて中国の政治状況がおかしくなっているらしい。
うむ、律令制度の本家もだめなのか。
愕然とする道真。
しかし、学があるということは良いことだ。
自ら新たな政治の枠組みをついに考えだす。
それが、地代だ。すでに荘園の萌芽があるが(班田収受の法から時代もたっているわけだし)、それを利用し、土地に税金をかければ良いのではないか。
さっそく建白書を作り新たな税制を作り、人頭税を廃止し……
そこに貴族が猛然と抗議をするのは当然であるが、そうは言っても国家存亡の危機にまで実は国家財政が傾いているので、そのあたりはなあなあにできそうではある。
しかし、道真改革に対して、猛然と反旗を翻したのは他ならぬ部下の官僚たちであった。なんと、学問の王様の道真ともあろうお方が、われらが模範たる先進国、中国由来の律令制度を否定するとは、四国でおかしな食い物でも食ったのであろうか?
かくして日本で最初の公務員によるゼネストが敢行されてしまい政務がストップしてしまう。
予算審議の最中に政治の空白が生まれる状況の始まりである。
官僚がそっぽを向いてしまうとどうにもならないので、それまで女遊びが過ぎるとして軽く見られていた藤原時平(道真の右大臣と並んで左大臣になって いはいるが遊んでばかりいるので誰からも相手にされていなかった)にみんなの注目が集まる。国家存亡の危機なのはさすがに殿上人にもわかっている。下級役 人にもわかっている。
さて時平も困った。
が、女心を自在に操るまでに至ったこの男、状況把握のセンスがある。
とりあえず、まとめると
・人頭税をやめて土地に税をかけるべき(学問の神様の結論なのだから正しいと考えるべきだ)
・先進国中国由来の律令制度を変えるということは、官僚たちの知的基盤、あるいはアイデンティティの破壊となるので、それは不可能だ(というか実際に政務が滞っている)
つまりジレンマですな。
しかし、と、時平は考える。これがジレンマになるのは、後者の代表が前者を持ちだすことの不整合に由来しているのではなかろうか?
そこでまずは道真に退場を願うことにして、うまいこと九州へ追い出した。ストを打っていた官僚たちも、土地に税をかけられることに戦いていた貴族たちも大喜び。
再び、しかし今度は時平を中心に政務が回り始める。
しかし、と、時平は頭を悩ます。へたすると結局道真と同じわだちを踏むことになるからだ。いずれにしても、道真改革は実行しなければならないわけ で。いくら自分が大貴族の御曹司といったって、部下の官僚がストを打ったら手も足もでないのは、あの誰もが尊敬する道真が手も足も出なくなったことから明 らかだ。
そこで、しょうがないので打開策を探るために勉強をしていてふと気付く。この漢字の塊のような文書群が、官僚たちを中国万歳、先進国の成果を後進国 は受け入れていればよいのだ、という安易な考え方のもとになっているのではないか? っていうか自分の国のことは自分の頭で考えろよ常考。
そういえば、故郷のお寺の教えに、やまとことばはことだまでどうしたといかいうのがあったが、じっさいのところ、われわれがはなすことばとかくことば、これのかいりがかんりょうたちに、みょうなこていかんねんをうえつけていると、かていしよう。
そんな仮定ができるのは、この男が恋歌ばかりを作っていて、試験勉強のために漢文を詰め込まなかったからだろう。つまるところ、時平は他の官僚や大臣と異なり、漢字にも中国にもこれっぽちも未練はないし自身のアイデンティティもないのだ。
まずは、この国はこの国、やまとのくにだということを世に示すことから始めよう。そうすれば自ずと道は開けるに違いない。
そこで、天皇に歌はいいですよいいですよと吹き込み(おそらく財政問題のこともあり、醍醐天皇と時平は共同戦線を張っていたのは間違いないだろうと 思う。道真追放にも醍醐天皇が積極的にかかわっていたようでもあるし)、歌集の作成の許可を取り付ける。次に、下級役人の中でも特にばかにされまくってい る平仮名遣いを集めてきた。紀貫之たちだ。
まあ、というわけで、おれはひらがなで歌われる歌の良さを広く世に問うことにした。おまえらがんばれ。
なんと、自分たちの文学に初めてお墨付きを得られるとは! 紀貫之たちは感動してさっそく歌探しの旅に出る。足かけ3年かけて地方の旧家に残る文書やら木簡やらから歌をいっぱい集めてきた。
しかし、困りましたぞ、と貫之たち。
何が? と時平。
出てくる歌はみな、恋の歌ばかり。これではかっこがつきません。
うーん、と時平。恋の歌は良いものだが、確かにそれでは、説得力がないなぁ。やまとのくにはこいのくに、というわけにはいかんだろうし。
おおそうじゃ、と時平は面々を見て気づく。おまえらが作ればいいじゃん。
なんと、われらが作った歌をわれらが選んで載せて良いのですか?
だって、おまえらしかいないじゃん。
大感激した紀貫之たちは、歌詠���の本領発揮しまくる。ひらがなだからこそ可能な掛け言葉やらおのまとぺやらを駆使して、季節の歌やら風景の歌やらを作りまくる。
かくして、古今和歌集が完成した。
おお、これは読みやすい、と天皇も大感激。
さて、欽定の歌集とあれば、これこそ我が国の文化の道標、それまで漢文にあらずんば文にあらず、とひらがなをバカにしていた貴族も官僚もみな古今和 歌集を読み、ひらがなに親しむ。いやぁ、恋とは良いものですな、いやいや季節のうつろうさまもまた良いものですよ、という調子だ。
いや、わたしは漢文以外は文とは認めませぬというのは、官場においては新しき文化の風潮に乗れぬ愚か者ということとなった。
さらにこの文化風は吹きまくり、寝殿造りのような建築分野、十二単のようなファッション分野にまでおよび、国風文化とまで呼ばれるまでに至った。
さて、諸君、我が国の財政は危機に瀕しているのはみなさん先刻御承知の通りだ。律令制度はしょせん外国の制度に過ぎぬ。我が国には我が国の美しい文化があり、それにみあった制度があるべきではなかろうか?
うむ、そうかも知れませぬの。
かくして、時平は無事、律令制度からのランディングに成功したのであった。
そのころ、九州の地で道真は辞世の歌を七言律詩で書いていた。
” - 文化大革命 - L’eclat des jours(2008-10-09)
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『ソウルメイツin中華街』
※あくまで二次創作であります。公式とは違いますので設定等変わっている所もあると思いますのでご注意くださいませ。
ACTORS二次創作ショートノベル
『ソウルメイツin中華街』
よく晴れた休日。陽太は珍しくスライヴセントラルを出て中華街まで来ていた。東門を出た後、近くを走るバスに乗ればすぐに中華街までたどり着く。人で溢れかえる賑わいの中、約束どおり延平門前で待ち合わせをしている。
普段スライヴセントラルから出る事が滅多にない陽太にとって中華街は初めてで、その賑わいが第七学区の商店街など比べ物にならない事に圧倒されていた。そしてこれまたお誘いなど初めての相手がもうすぐやってくる。陽太はまわりの風景を楽しみながらも、その待ち人を今か今かとそわそわしていた。
「遅れてすまん! ちょっと寝坊しちまった」
同じ路線のバスから降りてきた赤い髪の天翔学園の生徒が陽太のもとに駆け寄る。
「円城寺くんこんにちは!」
「ソウルメイトよ!」
待ち合わせ相手は三毛だった。三毛が陽太を誘って中華街に来るというのは珍しい話だが、彼を誘って出かけるというならば目的はひとつしかない。もちろんメンダコのマーチの購入である。よほど楽しみなのかテンションがいつもより高い。
「休日に誘って悪かったね」
「大丈夫だよ。僕も円城寺くんに誘ってもらって嬉しいよ」
「誘うなら陽太しかいないからね」
「本当に……中華街ってすごいね! こんなに人がいっぱいいるなんて。あと建物も独特でびっくりだよ」
陽太は嬉しそうにキョロキョロと辺りを見回した。
「陽太は中華街初めて?」
「うん。まだこっち来てからそこまで経ってないしね。特区の中をいろいろ散策するだけで手一杯かなぁ」
「ほかの学区まで見回ろうとするならかなり広いし時間かかるしなぁ」
「そうなんだよねぇ」
「じゃあとりあえず行く?」
「あ、そういや円城寺くんが教えてくれたメンダコのマーチ限定版ってどんななの?」
「中華街限定メンたん四聖獣バージョンな。白虎、朱雀、青龍、玄武を模したモンたんらしい」
「へぇ~面白いね」
「そんなに作ってないって噂だから今日中に買えないともう二度と手に入るかわかんねぇってさ」
「じゃあ急いで買いに行かないと……甲斐くんは待たなくていいの? 一緒に来ると思ってたんだけど」
「あいつは来ないよ。今家庭科室に篭ってカレー作ってる。新作思いついたとか言ってたな」
「休日なのに!?」
「カレーの事になると見境なくなるからな。ああなると完成するまで出てこないね」
「甲斐くんのカレー好きは筋金入りだね」
「ほんと意味わかんねぇ。美味いからいいけど」
「あはは」
「よしいこうか」
「うん。中華街って結構広いの?」
「それなりにね。だけどここはしょっちゅう来てるしそこそこ詳しいから案内は任せてよ」
「じゃあ僕は円城寺くんに付いていくよ!」
陽太と三毛のふたりは揚々と中華街に突入。人の群れを掻き分けながら、目的の品が売っている店に向かって歩いていく。赤と緑と金を基調にした装飾を施された大小の建物が並び、どの店にも多くの観光客が出入りしている。
キョロキョロとしている陽太を引率しながら三毛は細い路地に入っていく。その道は店の前に置かれた置物や荷物で溢れており、すれ違うだけでも窮屈そうだが、表通りに比べればかなり空いていた。
「三毛くんこっちでいいの? すごい道だなぁ」
「ああ、ここ抜けるのが近道なんだよ」
「こんな狭い道にもお店が並んでるんだねぇ。独特な匂いがするよ」
「ああ、それは八角の匂いだな。この路地は料理店向けの食材なんか売ってるんだ」
「へぇ。詳しいんだね」
「ここらに甲斐がカレーのスパイス買いに来てるんだよ」
「カレーなのに中華街なの?」
「東南アジア系の食材も揃ってるマーケットなんだってさ。そういうのならここに何でもあるって言ってたな」
「へぇ~面白いね!」
「この道抜けたらすぐの店だよ」
そういいながら三毛は路地から出た先の大通りに出ると、一際ひとだかりが出来ている土産店を指差した。その店には金の文字でドラゴンチャイナと英語で書かれた黒い看板がかかっており、店内にはさまざまな雑貨が所狭しと並んでいる。
「うわ人がいっぱい」
「ちょっとこれヤバいかも。売り切れてるやつあるかもしれない」
三毛は慌てて店に入り、限定版メンダコのマーチが置いてある場所を探す。 陽太も間もなく販売コーナーにたどり着いたが、そこでは三毛がしてやられたという顔をしていたため、よろしくない事になっていたのにすぐ気が付いた。
「三毛くんあった?」
「予想外だよ。玄武バージョンしか置いてない」
「あらら残念だったね」
「こんな速攻で売り切れると思ってなかったんだけどね。でもほかにも売ってる店はあるからまわってみよう」
「そうだね! コンプリート目指して頑張ろうね!」
そうしてふたりは残りの限定版を探すため中華街散策をはじめた。三毛は残りを見つけるため真剣な顔で探しまわるが、陽太は楽しくて仕方がないようで目新しいものを発見するたびに立ち止まり、三毛との距離が広がると急いで着いていくという事を繰り返した。
「陽太ぁ迷子になるなよ~」
「あ、ごめんね円城寺くん」
遅れ気味に歩いていた陽太が、謝りながら三毛に駆け寄る。
「中華街は初めてだとテーマパークみたいでわくわくするよな」
「そうなんだよね! 見た事ないものばかりでびっくりだよ」
「はは、それだけで誘ったかいがあったね」
「ホントありがとうね! でも残りまだ見つからないんでしょ? 僕はいいから円城寺くんが好きなように探してよ」
「たぶん、あそこに行けばまだあると思うんだよなぁ……あ、ここだここ」
三毛が陽太を先導しながらたどり着いたところには、土産屋ではあるが随分とこじんまりしていてあまり客入りがない店があった。
「この店、限定土産よく置いてるんだけどなぜかみんな知らないんだよね」
「詳しいねぇ」
「前に出た中華街限定版もここで買えたんだよ。でも必ず置いてあると限らないから」
「あるといいなぁ」
「えっと……メンダコのマーチは……お、あったよ!」
店に入った三毛はレジ横に置いてあった限定版メンダコのマーチを手に取った。彼の予想通りここにはそこそこの数が残っていたのだった。しかし満足する様子はなく、むしろ困ったような顔をする。
「よかったねこんなにたくさん残ってたよ」
「いやまだ一種類残ってる。朱雀と白虎はあったんだけど青龍がない」
「じゃあ限定版探しは続行だね」
「そうだね。ここまで来て諦めるなんて無理だよな」
「今度はどっちのほう探すの?」
「見つからないのに妙に嬉しそうだね」
三毛は陽太の反応にすこし笑ってしまう。
「あ、ごめんなさい」
「いやいいよ。揃ったら陽太の中華街散策も終わっちゃうしね。まだ見てまわりたいんでしょ?」
「あはは円城寺くんにはお見通しだね」
「見つかって時間残ってたら、今度は陽太の行きたい所いこう」
「ほんと!? ありがとう!」
「お願い聞いてもらってるんだし。当然だよ」
「僕も限定版欲しいから気にしないでね。そう思ってくれたから今日誘ってくれたんでしょ?」
「……さすがソウルメイトだけあるな!」
感動した三毛は照れる陽太の手をがっちり握ったのだった。
そしてふたりは引き続き、最後に残った限定版を探すため通りを練り歩いた。すでに目星を付けていた店はまわり切ってしまったため手当たり次第店内を覗いていく。
しかし望み薄の店しか残ってないためどこも当たり前のように置いておらず、かなり時間をかけて探したものの見つかることはなかった。
「さすがに足が痛いな……ちょっと休もうか」
中華街を隅々探しまわったためすっかり疲れてしまったふたりは、通りの中ほどにあった公園にて休憩する事にした。公園には中華風の東屋がありそこのベンチに腰掛ける。
「街の中にこんなところがあるんだね」
「ここで遊んだりするときはだいたいこの場所で休憩するんだよね」
「中華街って面白いねぇ。外国に来たみたい」
「陽太……見付けられなくて申し訳ない。さすがに諦めるしかないか。はぁ~コンプしたかった」
「人気あるからしょうがないよ。3種類買えただけで僕は大満足だよ!」
「陽太が寄ってみたいとこある? まだちょっと時間あるし」
「もう十分だよ。いっぱい見てまわったからね」
「じゃあ甘いもんでも食べて帰ろうか」
「うん。ゴマ団子とか食べたいなぁ。あ、月餅お土産に買ってこうかな?」
「そうだね。甲斐にも買っといてやるか……おっ!?」
「スイーツの名を言う聞き覚えのある声がすると思ったら円城寺ではないか。それに光司も一緒か」
三毛が立ち上がろうとすると、背の高い長髪を束ねた男性が近づいてくるのに気付く。そして彼はふたりが何か言おうとする前に話しかけてきた。
「鳴子くんじゃない?」
「こんにちは! こんなところで偶然だね!」
「新作スイーツのチェックをしに来たんだが、お前たちも食べに来たのか?」
「目的は別のものだったんだけど買えなかったから甘いものを食べて帰ろうかと思ってね」
「ふむ。何を買おうとしてたんだ? スイーツの事なら協力できるかもしれない」
「僕らはメンダコのマーチの中華街限定版を買いに来たんだよ」
「今日発売の四聖獣バージョンなんだけどもう売り切れててね」
「ん? そのスイーツなら今朝買っているぞ」
「マジか!?」
「ああ。今回の限定版は杏仁豆腐味ということだからな。気になっていたから朝一で入手したぞ」
郁は鞄の中からメンダコのマーチを取り出し取り出しベンチに置く。それを見た三毛の目が見開く。
「ああああ青龍メンたん!」
三毛がパッケージに書かれた絵に激しく反応した。それもそのはず、郁が買ったメンダコのマーチは、いくら探しても見つけられなかった最後の一種類だったのだ。
「ん? もしかしてこのキーホルダー目的だったのか? ならあげるよ。俺はスイーツにしか興味がないからな」
「サンクス! 恩に着る!」
「円城寺くんよかったね。これでコンプできたぁ」
「いや、これは陽太が貰っておいてよ。メンたん好きなんだし」
「でも……一生懸命探したのは円城寺くんだから」
「なんだふたりとも欲しかったのか。それを早く言ってくれ。同じものがあるかもしれない」
郁はまた鞄をまさぐるとメンダコのマーチを何個か追加で並べる。そして期待を込めて見つめていると、ふたつめの青龍メンたん入りの箱が出てきた。
「よっしゃ! もう一個あった!」
思わずガッツポーズする三毛。
「これでふたりともコンプできたね! 鳴子くん��りがとうね!」
「よかったな。ならそのお祝いに俺と新作スイーツを食べに行かないか? 味は保証するぞ」
満面の笑みを浮かべたふたりの姿に満足したか、にやりとする郁。
「ああ! ぜひ行こう」
完全に元気を取り戻した三毛がそう応え、3人となった一行は足取り軽く公園を後にしたのだった。
END
前回に引き続き三毛がまた登場しましたが、もともと陽太と三毛のエピソードを書こうと思っていたことの方が先でして、前回の三毛登場がイレギュラーなんですよ。ソウルメイトというぐらいの仲なのにそれをクローズアップしたエピソードって自分が手がけた頃はなかったですからね。三毛を地の口調にしようか迷ったのですが時系列が適当なのでそこはやめときました。ただ、時間が経てば間違いなく素を出せる関係になれるでしょうね。
また郁が休日にスイーツ探訪するのもエピソードとして書いてみたいものだったのでミックスしてみました。郁と陽太三毛がどのぐらい交流していたのかってのは当時見せてなかったと思います。なので軽い友人程度には互いを知っている程度のポジションにしてみました。まぁ二次創作ですから何でも出来ます(笑)
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番外編〜金沢旅行〜2日目
9/15/2022(木)
金沢旅行記録2日目編
個人的な話ですが、私は旅行の初日がインターンシップの日程と被っていたため、2日目からの参加でした。
インターンで疲れた状態でそのまま夜行バスに飛び乗るのはキツい。 ということで優雅に新幹線を利用しました。(始発だったので4:30起き)
始発に乗ったので、9時前には金沢駅に到着!都内からのアクセスを非常に便利だなと身をもって感じました。
<金沢旅行2日目>
私はアナログ班、かつ1人チームでした。(前回記事参照) 着いてからしばらくメンバーに会えなかったのは、少し寂しかったですが、遅れて来た分楽しみながら有益な情報を得ることができたら良いな、と思いながら出発!
#1 兼六園〜朝食なのか昼食なのか、、、
駅に到着後、荷物を預けてから早速バスに乗車。アナログということで完全ノープランで行動してみることにしました。最初は無難に1番有名な兼六園を目指すことに、
最寄りのバス停で降車すると、(バスの路線図で簡単に降りる場所がわかる)果たしてどこに向かえば良いのか状態でしたが、ここで発見。
街のあらゆるポイントに地図が!
携帯のマップなどを使わなくても迷うことなく現地に到着。
見渡す限り広がる緑に満ちた光景で自然と心はリラックス不可避。迷路級に広くてたくさんの通路があるのですが、探検気分で楽しむこともできますし、その先の光景一つ一つに感銘を受けました。また、海外の観光客や結婚式の前撮りなど訪問の目的も様々なようで。気づけば1時間以上夢中で散策していました。
時間は、10時半を回る頃。ここで日本男児。
「お腹がすいた、、、」
そう。朝四時半起きからの約4時間に及ぶ電車移動。そして到着後即散策。のストップで移動を重ねていたため、昼を待たずして、空腹が���って来ました。人間の三大欲求の一つである食欲に逆らうことはできず、次の目的地へ。
そしてバス乗り込みたどり着いたのは、
「近江町市場」a.k.a金沢の台所
平日のまだ朝だというのに市場内は大勢の観光客で大賑わい。様々な海の幸が並ぶお店が混在しているので、非常にお店のチョイスに困ってしまう、、、
しかし、私には訪問前からずっと目をつけていたお店が。
https://youtu.be/pP_v88RH7Qc
こちらの動画の後半出てくる「もりもり寿し」に2年近くずっと行きたいと思っていました!!念願、
値段は少し弾んだものの、人生で1番と言っても過言ではない美味しさに感動、
果たしてこれ以外を寿司と呼んで良いのか、、、、
#2 厨二病大歓喜の忍者寺〜金沢建築館
※写真撮れなかったです
こちらも前から行ってみたいなと思っていた忍者寺。 正式名称は「妙立寺」ですが、まるで忍者が住んでいるのではないかと思わせるような様々な仕掛けがあることからこのような異名がついたのだとか。
予約なしで見学ツアーに参加することは難しいらしいのですが、私は幸運にも少しの待ちで参加できることに。
寺内に仕掛けられたあらゆるトラップや隠れ場所などに心の底から感動しました。これを見て興奮しない男がいるのだろうか、、、、、
次に訪れたのは、忍者寺の近くで発見した金沢建築館に行ってみることに。
当日は、木造建築に関する展示が開催されており、細かい設計が施された木造建築の模型に感銘を受けました。(先ほどの忍者寺といい、童心を非常に揺さぶられている)
#3 鈴木大拙館〜石川県立美術館
次に向かったのは、金沢出身の仏教哲学者である鈴木大拙氏の功績についての展示がされている鈴木大拙館へ。
一見哲学という言葉のような固い施設なのかと考えていたが、石垣や水景などの美しい景色も堪能することができました。無駄のない自然の殺風景を一望して、「これが哲学か、」となりました。(たぶん違う)
館内を出て経路を進んでみるとその先に庭園のようなものを発見。誰もいなかった上に、陽の光もあまり当たらないことから少し不気味なようにも感じられましたが、それも見どころの一部かもしれません。また、すぐ横がラジオ局であることから、現代と昔のアシンメトリーのような光景も楽しむことができます。
さらに奥へと進んでみると、滝を発見。この滝の水は、辰巳用水と呼ばれ、防火のために犀川の水を引いて造られ、当時、徳川幕府との関係が険悪だったため、戦時の飲料水確保の意図もあったともいわれているようです。(金沢旅物語より)
https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10175.html
滝を上から撮るというなかなかない画��。
#4 2日目の終わり〜石川県立美術館〜夕飯
滝と並行した階段を登って先に進むと、美術館を発見。この美術館は、国宝《色絵雉香炉》や古九谷の名品など加賀藩ゆかりの古美術と、石川の作家を中心とする近現代の油彩画・日本画・彫刻・工芸品を常設展示する地方色豊かな美術館です。(石川県立美術館より)
https://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/
ただの美術館ではなく、金沢や石川県の特徴の美術文化を存分に楽しむことができることから、美術にあまり関心がない私もついつい見入ってしまいました。
時刻は、もう夕方。早朝からノンストップで移動を続けていた体がそろそろ悲鳴を上げたのでホテルに向かうことに。
そして肝心の夕飯なのですが、金沢で有名な味噌ラーメンのお店が宿泊先のすぐ近くにあるということでラーメンマニアの私(初出し情報)は、行かざるを得ませんでした。
麺屋「大河」さん
味噌ラーメンが看板メニューだというのに、まぜそばの誘惑に負けて後者をチョイス。あまりの美味しさに椅子から崩れ落ちるところでした。あまりに美味しかったので、お土産用のラーメンを帰りに購入して自宅で食べたのですが、そちらも非常に美味で、2玉すぐに完食してしまいました。
私の金沢旅行2日目は、こ��な感じでした。デジタルデバイスに頼らず、弾丸で様々な場所を巡ってみるのも新たな出会いの宝庫だな、と身をもって感じた1日でした。
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柿泥棒
いま住んでいる賃貸アパートの隣に、旧家の風格漂う立派な家が建っている。広い敷地でブルーベリー農園を営んでいる。虫除けの青い網でこしらえられた小屋の中で幾本ものブルーベリーの木が列をなして植わっているのが、うちのベランダからよく見渡せる。
休日の朝に欄干に布団を干していると、ラジオの音らしいくぐもった人声が、調子外れの音楽に混じってこちらまで聞こえてくる。見ると、遠くで白茶けた麦わら帽子がせわしく動いている。ブルーベリー農園の旦那が農作業にいそしむのである。
農園の奥には野球場にあるような背の高いフェンスがある。これを隔てて向こうに市立中学校があるらしい。ラジオの音に、部活動の休日練習だろうか、金属バットの球を打つ音と球児らの掛け声が加わると、いよいよ長閑である。
農園と賃貸アパートとの境には、幹から大きくねじ曲がった柿の木が一本生えている。ちょうどこの柿の木に接する二階の角の部屋を借りているものだから、ベランダに出るたびにふと目に入ってくる。梢に山ほど実った柿の実は、はじめは青くて固そうだったが、ここ二た月ほどでだんだんと鮮やかな朱に色づいてきた。
「借景」という言葉がある。お寺の庭などで敷地外の山々の景色などを庭の景色の一つとしてしまう方法のことをいうそうだが、隣家のこの柿の木も我が安アパートにしてみれば贅沢な借景である。
九月も半ばだったか、ある晩に僕は近所の西友で売れ残った線香花火を買ってきて、一緒に住んでいる彼女と二人してアパートのベランダで楽しんでいた。吹く風はすでに少し冷たく、手元で揺れる線香花火はずいぶん寂しく頼りなげたった。
買っただけの花火がもう尽きようという頃に、ふと、目に飛び込んできたのが例の柿の実である。
朝見る柿の実は、あざやかな朱の色をよく晴れた空に点じて、ただしみじみと秋の喜びを心に灯してくれるばかりである。だが夜見る柿の実は、暗闇にうっすらと光を放つ朱い珠玉のように妖しく美しいのだ。
「この柿の実を、とって食ったら、美味いだろうね」
夜の暗闇が、柿の実の美しさが人の心を泥棒にしたものだろうか。
「そんなことばかり言って」
彼女が、勧めるでもたしなめるでもないように答えて、その日はそれきりになった。
だが、暗がりに浮かぶ朱い柿の実の影像は、妙な粘り気を帯びたように心の中に消えずに残った。そして、少しの水流で湖底の澱が巻き上がるように、事あるごとに脳裡に再生されるのである。
そうしてもう十一月に入っていた。
ある寒い夜、僕はちょっと早いが炬燵を出してきて、焼酎のお湯割りをひとりで飲んでいた。その時期彼女は帰省していて家に居なかった。
本を読むには酔いが回りすぎており、つまみもろくに用意していなかったので妙に手持ち無沙汰になった。
(あの柿の実を、とって食ったら、美味いだろうな)
いつの間にか僕は心の裡でそういう風に独りごちながら酒をちびちび啜っていた。
常識的には、他人の家の柿の木から実をもぎとるのは盗みに当たりそうである。しかし、木の枝はほしいままに伸びて敷地の境界を冒している。そういう意味では、自分で自分の敷地の柿の実をただとって食うのにすぎないのではないか。
あるいは蘇東坡という中国の昔の詩人はこういうことを言っている。すべて自然の産物は造物主のはたらきによって産み出されたのだから、ある意味で人はこれらを何一つ我が物にできないともいえるし、また翻って、なんでもかんでも所有しているともいえるのだと。これを「造物者の無尽蔵」というそうである。
(なるほど、造物者の無尽蔵か。すると、山も川も、可憐な花も、燃えるような夕日も、そしてあの小さな朱い柿の実も、すべてこれ誰のものでもなく、また同時に俺のものでもあるというわけだなァ。さすがに、蘇東坡はえらい)
酔っていい気になって屁理屈をこね、僕は揚々とベランダへ躍り出た。夜気はいよいよ冷たく、幾顆もの柿の朱の輝きはいっそう冴え返って夜の暗幕に点々と火を灯している。
──ところが、すぐに気がつくのだが、どの実をとろうとしても、意外にあと少しというところで手が届かないのである。指先でほんの少し触れることはできるが、もぎ取るにはあと数十センチ遠い。
思わずむきになって欄干に身を乗り出し、しばらく頑張ってみるものの、足元が少しふらついていることもあって危ない。段々、ほんの少しの間違いで落っこちるのではないか、ということが怖くなってきて、そうなるともう、ダメなのだ。
惜しいかな! 怖さで酔いも冷め果てた。すっかり白けて風呂にも入らず寝た。
翌朝、布団を干そうとしてベランダへ出ると嫌でも柿の木が目に入る。
簡単にとれそうに見えたんだがなあ、と恨めしいような思いで眺める。そうして驚いた。
──夜の暗闇のせいで気づけなかったのだろうか、どの柿の実もすでによく熟れてわずかに崩れてきており、しかもほとんどの実の天辺に、鋭く抉られたような穴が空いているのである。先にもう食われているのである。
梢でうるさく鳴き交わす種々の鳥のほうが、造物者の無尽蔵を享けるに一枚上手だったということだ。
〈鳥どもに先越されたり柿泥棒〉
その晩赴いた酒席で、僕は大学時代の後輩にすぐに事の顛末を話した。しかも、自作の俳句まで披露して得意でいると、
「平成も終わろうという年に、あんたは何やってんですか」
と呆れられた。それもそうだと思った。
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