#夫婦時間
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神社⛩
今年は日本の文化を見直そう‼️と個人目標を立てています❣️
着物生活も着々と進めています。これはまた詳しく⁉️お知らせしますね‼️
今日は神社のお話⛩
お参りをして御朱印をいただいていますが、どんな神社なのかを夫・遊くんとちょっぴり勉強したりしつつ巡っています😊
日本では八百万の神というくらいで、たくさんの神様がいらっしゃいます。
神社に行くとすぅーっと空気が澄んでいるように感じる時があります。
そんな時に自然のいろんなものにも神様が宿っているのかな。と思ったりします。
私は神社に行くと、神様にぜーんぶ見通されてる気がするので、自分の悪いところ⁉️気をつけようと思っていてなかなか実行できてないことなど思い出しては反省します。
しっかり頑張ろう!と毎回思いますが、人間とは弱いもので「またやってしまった」と毎回反省したりもしています。
繰り返して、少しづつ良くなっていきたいです。
御朱印を集め始めると色々と楽しくなってきています‼️季節限定だったり、ARなど特色があったりで知らなかった世界だなと思い、遊くんとお勉強しつつ楽しんでいます😊
こんな本も買いました⛩
日本に住んでいる日本人の私たちの知らない日本がまだまだいっぱいあるので、古き良きを見直して現代の生活に取り入れていきたいと思っています😊
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本日の17時半で仕事納めとなります♪ 年明けは3日から、通常通り9~17時半の営業となります🎍 本年も皆様には格別の御厚情を賜り、心より感謝申し上げます😊 今年は品質向上の為の大きな設備投資ができた、充実した年でした😆これも一重に飲み手の皆様が応援して下さるおかげであります🎵来年も現状に甘んじることなく感動して頂ける味わい、お酒造りを夫婦二人で続けて参りたいと思います🙇♀️🙇 来年も引き続き変わらぬご愛顧の程、よろしくお願い申し上げます🙇どうぞよいお年をお迎え下さいませ🙇♀️ #創業1853年 #始まりが伝統になる一滴入魂の蔵 #岩清水の如く澄んだ味わい #理屈抜きで美味しい個性ある日本酒 #ワイングラスで美味しい日本酒 #食事とのペアリングを意識した酒造り #麹割合を変化させた酒造り #低アルコール日本酒 #無濾過生原酒 #完熟麹 #完熟醪 #じっくりと時間をかけて #丁寧にていねいに #テロワール #減農薬栽培米 #減化学肥料栽培米 #井戸水 #超軟水 #日本一生産量の少ない酒蔵 #夫婦二人で醸す #厳しい品質管理 #マイナス5度で瓶貯蔵 (井賀屋酒造場) https://www.instagram.com/p/Cm0ESi7yUvP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#創業1853年#始まりが伝統になる一滴入魂の蔵#岩清水の如く澄んだ味わい#理屈抜きで美味しい個性ある日���酒#ワイングラスで美味しい日本酒#食事とのペアリングを意識した酒造り#麹割合を変化させた酒造り#低アルコール日本酒#無濾過生原酒#完熟麹#完熟醪#じっくりと時間をかけて#丁寧にていねいに#テロワール#減農薬栽培米#減化学肥料栽培米#井戸水#超軟水#日本一生産量の少ない酒蔵#夫婦二人で醸す#厳しい品質管理#マイナス5度で瓶貯蔵
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2024/11/25 所用で過ぎる休日
前回の休みには合間の時間に山に登りお風呂に行き自分を満たした。今日の休みは良い天気だけど保険屋と会ったりリビングのエアコンが壊れたので見に行ったり、食品含め日用品の必要な買い物に行ったり。やらなければならないことに埋め尽くされている。所用の隙間時間に前回の休みの振り返り。
その日は朝からやらなければならない最低限のことを済ませ、送迎時間の合間を自由時間に当てた。その間5時間と換算。どこを歩こうか、今回はいつもの海方面じゃないところへ行きたい。湿地から続く山にしたい。帰りにはお風呂屋さんへ行きたい。
それを叶えるべくタイムスケジュールを組む。往復の移動時間1時間、歩くのに2時間、お風呂で2時間の計5時間!
現地に到着して、���に入る前に湿原も少し散策。平日でもリュックを背負った年配の方々が多い。湿地の植物も全然詳しく無いけれどこの小さな白い花?はなんとなく湿原というイメージ。赤とんぼやバッタもいる。
遊歩道から少しずつ登り始める。朝から登る人が多いのか、くだってくる人たちと挨拶を交わす。
40分程登ると開けた場所に出る。山帰来の雌株に久しぶりに遭遇した。雄株はよく見かけるが雌株自体少ないように思う。こんなにもふくよかな山帰来の実はなかなか見ない。とても可愛らしい。海辺の野葡萄の実もそうだけれど、海や山の中の野生の実たちはまるまるとしていてよく育っている。
途中のちょっとした休憩のできる場所で登ってきた女性と話をした。雨上がりの今日みたいな日は富士山が見えるかなと思って、とのこと。
そう。ここに登るとタイミング良ければ富士山が見えるのだ。雨上がりの晴れではあるが、この日は富士山の方角に雲が多く残���ながら見えない、とすれ違ったご夫婦から聞いたところだった。それを伝えると「じゃあ今日はそこまで行くのやめよう、これから予定もあるから」 と女性は言った。数日後のもっとハードな山登りの為のリハビリ的に今日はここに登ってきたそうだ。
そんなことを女性と話していると、一人年配の男性が登ってきた。女性が、富士山が見えるポイントまで案内してもらえませんか?と声をかけてくれた。男性は快く受けてくれて、私が想像してる場所かなとは思ったけれど案内してもらうことにした。
出会う人たちは常連さんも多く、男性の話によるとそれなりに派閥のようなものもあるらしい。山登りも大変だなと思う。
トキリマメの黒くてつやつやしているのがかわいい。
湖とその向こうに海が見える。
案内してもらった男性にお礼を言い別れた。私もその後の予定が詰まっているので山をくだる。登る時はあちこち見ながら登るけれど、降りる時は足元に気を取られてあまりあちこち見られない。そのせいかあっという間にくだった気分になる。
その後は行きたかったお風呂屋さんへ。そこの炭酸泉と塩サウナが好きだ。外にある炭酸泉に浸かるとお湯を抜けた太陽の光がゆらゆらと肌に映ってきれいだなと思う。炭酸の泡が肌を離れぽつぽつと湯面にのぼっていく様子も単調な繰り返しなのに見ていて飽きない。
日々もやもやとすることも多いけれど、せっせと動かした体をきれいにして、広い湯船に浸かり、塩サウナで肌がつるつるになって身も心もすっかりつるぴかになったし癒された。
満足してまた日常の生活に戻る。しあわせだなと思う。
#diary#日常#日記#雑記#日常写真#photograph#photography#雑感#思うこと#写真日記#photooftheday#Japan#japanese#landscape#daily photo#nature
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Japanese Vocabulary... Again ヽ(・ω・)ノ
1 . 過程 (かてい): process, course, mechanism (彼はボート作りの過程を説明した)
2. 宴会 (えんかい): banquet, reception, feast (宴: うたげ, エン )
3. びしょ濡れ (びしょぬれ): sopping wet, sodden, soaked
4. 典型 (てんけい): typical example, exemplar (典型的: てんけいてき: typical, representative, model)
5. 水入らずで (みずいらずで): privately; with outsiders barred; en famille (親子や夫婦など身内で他者を交えないこと。 親しい間柄に邪魔が入ることのない状態)
6. 余分 (よぶん): extra, excess, surplus (その仕事のおかげで彼は月に六万円余分の収入がある)
7. 弁償 (べんしょう): compensation, reimbursement
8. 採用 (さいよう): 1. use, adoption (of a technique, idea, etc.) (私たちの高校では新しい教授法を採用することにした), 2. to employ, recruit
9. 邁進 (まいしん): pushing forward, striving towards, working devotedly towards something (仕事や勉学を「頑張る」という意味で、「学問に邁進する」「勇往邁進」などの言い回しで用いられることが多い)
10. 節約 (せつやく): economizing, saving (mostly money but also time, energy etc), (その機械で、あなたは多くの時間と労力を節約できます。)
11. 製造 (せいぞう): manufacture, production (ウラニウムは原子力製造に用いられる。)
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よく聞く言葉に
沈黙の時間が苦痛でない人は大切な人というのは、男女間夫婦間だけでなく長く付き合いのある友人にも当てはまります。
楽しい無駄な時間を過ごせる人はそうそう出会えないですから。
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有兩件事你永遠不必去追逐:真正的朋友和真愛。
Two things you have never to chase : True friends and True love.
-Mandy Hale-
I have something to say . . . (我有話想說 . . .)
我們都知道在這世上喜歡一個人又不犯法,即使你已有家室:老婆、先生和孩子。重點是在道德和良心允許的範籌內,行使正當友誼的權利。並且你得知道如何挑選正直且成熟的對象,既不會干擾你的婚姻生活,而能給予彼此成長和助力。不過,我相信能遇到這樣條件之人,少之又少。lol (如果你深入接觸的人比你堆的沙子還多,那可不是開玩笑。XD)
We all know that it is not illegal to like someone in this world, even if you already have a family: wife, husband and children. The focus is on exercising the right to legitimate friendship within the limits permitted by morality and conscience. And you have to know how to choose an "upright and mature friends" who will not interfere with your married life, but can give each other growth and help. However, I believe that there are very few people who can meet such conditions. lol (It's no joke if you have deep contact with more people than you have piled sand. XD)
And, in addition (並且,此外)
Recently, there have been a few good friends who have interacted with me on Tumblr for more than a year, or even longer. I am not entirely aware of your other sideblogs, especially young guys asking to see my photos, and of course they're not asking for photos of me wearing clothes… ha! Absolutely impossible. 🙄😅 In fact, my personal social experienced has made me a very tolerant old woman. It's not saying this myself. You have to actually get along with me to know that because they are similar in age to my son and daughter, so I cherish their friendship even more, especially the beautiful life still longer for them. The Chinese call it: "忘年之交" (the mean similar that : get on like a house on fire "see eye to eye with someone", when your friendship between different generations. also much older than my age friends as same meanings. )
Again, I don't set to make many friends on Tumblr here, and there're very few people I interact with. The number of people we sent private messages to was probably less than the number of times I go to a bar to drink in a month. lol The posts I share here are almost like writing a diary every day and records of my recent study of various majors. It is not for popularity, nor does it want to attract attention. Of course, except for the posts showing my leather art creations, the craftsmanship is my Most of the motivation to stay alive and rest of life.
Usually I don't have ideas about personal photos gonna send to you via private message for "friendship", it with "lover" very different to me. Just like now, when you randomly see a post by me and can put a smiling on your face, this is a beautiful friendship. If you happen to see it, it's fine when you don't like it. You don't need to use too much emotions. if that way Oftenly one party will be hurt, and time will tell everything about the feelings you hold in your heart, whether you believe it or not.
Sincerely, above.
I wish you a happy family, a loving couple, a prosperous career, good health and peace!
Your another mom & an old Sis Lan~*
《最近有幾個好朋友在Tumblr上和我互動了一年多,甚至更長。我不太了解你其他的次要博客,尤其是年輕人要求看我的照片,當然他們不是要我穿衣服的照片……哈!絕對不可能。🙄😅 其實,我的個人社會經歷它造就我成為一個包容性很強的老女人,這話不是我自己說的,你得實際和我相處過就知道;正因你們的年紀和我的兒子和女兒相仿,所以我更珍惜你們的友誼,中國人稱之為:『忘年之交』。(當兩者年紀差距甚大,但心靈和思想可以相契者。)
再說一次,我並不想在 Tumblr 上交很多朋友,彼此有互動者很少,曾經私訊者應當比一個月去酒吧喝酒次數還要少。 lol 我在這裡的貼文分享幾乎像每天寫日記和近日研讀各類專業科目的記錄,不是為了人氣,也沒要吸引人注意,當然若是展示我的皮革藝術創作的作品貼文除外,工藝是我活下去的大部分的動力和生活的全部。
我沒有照片可以私訊傳給你們,就像現在若是你隨機性看到,能夠博君一笑,這便是美好的友情;你若剛巧看到不喜歡也很好,你不需要動用太多的情感。那樣往往有一方會受傷;放在心上的感情,時間會說明一切,無論你信不信。此致,以上。
祝福你們的家庭美滿、夫婦相親相愛和事業精進、健康平安! 》
well said 👇 Truth. I agree. 5 5 5 🙌 xoxo
"Friendship often ends in love. But love in friendship; never. "
-C. C. Colton-
PS. It was then dating with my friend at coffee shop across street of my studio in Chinese new year 2010. 😱 OMG! 14 years ago lol I dyed my hair color was popular in Asian at the time. and later I never dye hair color. Because it is meaningless, whether for fashion or to comfort yourself, hair colored does not prove your ability, but your brain do. 🤓
If I dye my hair again, it might be for fun, or perhaps I get to remarry/get carried away by impulse and he's dying hairs also, both do same for funs. I guess so. hahaha 🤸🤸♀️🤸♂️
#answered#don't ask for my nude photos anyway#when i would reply your text in messages#showed you're my friends in the world seriously till you delete me#chu lan#fine craft artist#朱蘭皮藝#leather art artist#true friends & true love#mandy hale#friendship often ends in love. but love in friendship; never 😏#c. c. colton#真知灼見#insights into relationships#14 years ago dyed hairs 🙃#be yourself#beautiful life#💐 thanks for your friendships 🙂 🙏
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6/8(土)
気を張る6連勤明けだったのでおもしろいほど寝られた。体も水を吸ったように重い。
14時過ぎに少しだけ持ち直してお花屋さんへ行く。白い紫陽花と、レモンイエローのカラーと、お店のお姉さんにオススメされたなんだか分からない白い蕾のついたグリーンを買う。お花の名前は覚えられてもグリーンの名前は全く覚えられない。なぜならグリーンは好みではないから。
お家に帰ってこれは寝ておいた方が良さそうなだるさだなと思ったのでまた昼寝だか夜寝だか中途半端な時間に2時間ほど眠る。初夏の光を浴びながら眠るのは心地よい。午睡とはいい言葉。
21時におばあちゃんから電話があって、明日曽孫達がじゃがいも堀りに来るから礼ちゃんも来るかと誘われ、甥姪会いたさに二つ返事をして電話を切った後、芋掘りできるような服も靴も無いことに気づく。私は一張羅しかもたないと決めているのだ。急いでユニクロとGUをGoogleマップで検索してみるも、全て閉店していて、ですよねーと思いながら眠りについた。明日開店と同時にユニクロかGUに駆け込もう。
6/9(日)
朝5時半に起きたら昨日買った紫陽花が既に萎れててショック。水切りが上手にできてなかったのだろうか。気を取り直して、スキンケアを入念にし、ラジオ体操第一も第二も踊る。毎回迷うのだけどラジオ体操は踊るであっているのだろうか。する?
ちなみに大人になってからラジオ体操第二をやったことない人、ぜひやってほしい。三半規管めちゃくちゃになって目眩が起きるプログラムになっている。
最近の私は超健康なので夜は22時半には寝て、5時半には起きている。休みの日も。その代わり休みの日は15時までならどれだけお昼寝しても良いスタイルだ。
朝一の予約でマツエクサロンへ行って、お姉さんと筋トレをするなら夜よりも朝という話を聞いて激しく同意した。お風呂上がりのマッサージとか推奨されてるけど、夜はとにかくお風呂上がり以降の工程が多いから、プラスアルファは継続できない。体動かす系は朝に限ると思っている。気持ちもすっきりするし目が覚めるし。
マツエクを終えた後、おばあちゃんに今から服と靴買って向かうと言ったら、一式貸してくれるとのこと。ありがたい。
おばあちゃんの家に着いたら既にカッパを着た甥と姪が待ち構えていて小さい子供のカッパ姿ってなんてカワイイんだろうとときめく。
ジャガイモは面白いぐらい獲れた。私は田舎生まれ田舎育ちで甥姪と同じように収穫を手伝ってきた身なので変な色の芋虫も大きいミミズも何も怖くなく、子どもと一緒にはしゃげてよかった。ゾッとする昆虫、クジャクヤママユぐらいだと思う。
おばあちゃんの作ったお昼ご飯を食べて、甥と姪とオセロをやる。兄がひたすら私の容姿をいじってきて、兄って兄にしておくには本当に本当に嫌なヤツだよなあとしみじみ傷つく。
紫陽花が一日で枯れた話をしたらおばあちゃんが庭の立派な紫陽花を一輪切ってくれた。義��も便乗してあれもこれもと色んな品種を切ってもらっていた。残ったおかずも好きなだけ持って帰りなと言われたので、義姉から先にどうぞと譲ったら大量にあったエビフライ全部持ち替えられてウケた。私に残されたおかずはからあげ2個。あの兄が選ぶ女。そしてあんな性悪男と上手くやれてる女。娘が2人もいるのに信じられないような言葉で妹の容姿を野次る旦那と一緒に笑ってられる女。なんてお似合いな夫婦なんだろう。
図書館で借りていたムーミンの返却期限が迫っていたので本を返して続きを借りる。
いい歳して容姿批判ぐらいで傷つくのもどうかと思うけど今朝見た紫陽花のように気分が萎れてしまったのでさっさと寝る。
6/10(月)
急遽先輩と約束してた飲みをドタキャンされ朝から萎える。仕方ない理由だとしても飲む気分でいたから。
でもまあ1人で飲みに行けばいっかとさっさと仕事を終えて飲みに行く。仕事終わりのビールってなんでこんなにおいしいんだろう。1人だど飲むペースが早くなるので千鳥足で帰る。本当に人って酔っ払うと千鳥足になるんだな。
家に着いて、勢いのままシャワーを浴びる。本当は服用中なのでお酒を飲んではいけないのだけど、酔っ払った頭で飲んでも良さそうな薬だけピックする。
お酒のせいか体がぽかぽか熱くてクーラー21度にして寝る。3時ぐらいに震えながら目が覚めた。
6/11(火)
縁を切るために京都へ行こうと諸々予約したけど、縁切り参りは今までくらってきた代償が大きすぎるので予定を変えてオススメしてもらった苔寺へ。方向音痴すぎてやっとの思いでバスに乗るも、バスの中がびっくりするぐらいうるさくてびっくりした。例えばクラブやフェスなんかなら声を出していきたいけど、公共交通機関や美術館は多少静かじゃなきゃ嫌派である。外国の方ならしょうがないかなと思うけど聞こえる言語は全部日本語だった。イヤホンを耳に突っ込み、エンドレスでHidetake Takayamaを流しておく。まあきっとみんな嵐山で降りるんだろうなと思ったら終点の苔寺まで一緒で、マジ?静かにできる?と心配になった。
写経もお寺も素晴らしかったのだけれど、基本道が狭いので道の真ん中で一眼とか構えられるとげんなりしてしまう。私が嫌いなもの、暑さ、人混み、乗り換え、道の真ん中で立ち止まる人、容姿弄りがおもしろいと思ってる人、エビフライを��んぶもって帰る人、である。
私は写真を全然撮らないし、写真���はなく記憶に残しておきたい派なので、人がいないスポットを見つけてはほう、っと立ち止まる。絵画を見るような感覚。
ピリピリ音を鳴らした携帯で仕事の対応を結構大きな声でしていたおじいちゃんのことを、隣のベンチに座っていたたぶんヨーロッパ系の女性が電話終わるまでサングラスを少しずらしておじいちゃんをじっと見つめていたのが良かった。彼女の隣に座っていた多分旦那さんは目を閉じ瞑想をしているようで、これが正しい苔寺の楽しみ方だろうなと思う。次来る時は絶対朝一でくると誓う。
せっかくなので近くの鈴虫寺にも寄る。平日だからか私が苔寺を人の3倍ぐらいのスピードで回ったからなのか分からないけどあまり待たずすんなりと前の方に座れた。
人が待ってると思うと緊張してあんまり上手にお願い出来なかったけど、お礼参りに来る時は絶対タクシーで来ようと誓った。
あんまり食欲ないなあと思いつつ、朝から水以外とってなかったので前から気になってたお店へ行ってみる。カウンター席に通されたけど、店員さん達がマジであけすけな話をしてて笑った。定食はほっこりおいしく体が喜んでる、と思った。
本当はもっとゆっくり京都を堪能する予定だったのだけど、とにかく暑いし人は多いしでほとほとに疲れ予定よりうんと早い新幹線に乗って帰る。人身事故が多発し、結局名古屋で足止めを食らったけど、重いの我慢してムーミンの小説もってきてよかったな〜と思いながらムーミンを読んだり寝たり自由に電車内で過ごす。結局電車が動いたのは1時間半後だった。
一度コロナがはじまったばかりの頃、縁切りしたすぎて京都へ行ったけどめちゃくちゃ空いててよかったな。静かな時に行きたい。静かな京都なんて存在しないだろうけど。
後輩の結婚報告を受けて、もう年下も結婚していく年齢になったのだなあとしみじみした。
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安���事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の���告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名は「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、��在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取���に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる��圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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ワンピース‼️
遅ればせながら、ワンピース FILM REDを見て来ました‼️
本当にかっこよかったです❣️
夫・遊くんに以前から「ワンピースを読んでくれ」と言われてはや数年。
一度、よしと思って読み始め30巻くらいまで読みました。で休憩中でした🤣
小説は読むのにどうしてワンピース読んでくれないの⁉️といつも聞かれて、読むねーと言いつつ数ヶ月。
映画は遊くんは1人で映画に行き🎬蘭丸くんはいとこちゃんたちと観に行き。
私は行く予定なかったんですが、遊くんが来場者プレゼントがまた配られるって‼️と少年のようにはしゃいでいるし、蘭丸は保育園に行く時ルフィーの麦わら帽子をかぶって行くという2人のワンピース熱に心を動かされて急遽映画に行くことに✨✨✨
感想はカッコいい!みんなカッコいい‼️です。
特にシャンクスには“様”をつけていいのでは⁉️と思うかっこよさ。
私はサンジが好きです。どんな時もレディに優しい❣️
ストーリーも熱かったり深かったりと。
これは漫画の続きを読まなければと思いました🤣
辛抱強く⁉️私のワンピース熱に火がつく❤️🔥まで頑張った遊くんの勝ちだね😆
少しづつワンピースの世界をちらつかせ、ちょっとづつワンピースフィギュアが増えたり、音楽を聴かせたりと小さな努力が実ってワンピースっていまいち没頭できない〜と思っていましたが、角度を変えて映画から入ったら🎬ワンピースの世界観がきら✨きら✨と見えて来ました❣️
遊くんと蘭丸くんがワンピースについて熱く語ってくる姿は本当に可愛いのです❤️
これからは一緒に語ろうね✨
またひと��宝物が増えました❤️
シャンクスにはやっぱり“様”をつけたほうがいいと思う‼️(笑)シャンクス様‼️ うん。
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GOWARINGO2023の添麹【日本酒を造る際、3日間に分けて水・麹・蒸し米を容器に混ぜ合わせて入れていきます。その1日目の麹】が完成しました♪ 狙いは総ハゼ❗米の表面も中心も白い菌糸が伸びた状態を目指しました🌾 新米の状態を見極めながらの麹造りの割には良い出来映えです🎶 良い麹の見極め方として、純白であること・弾力があること・香りが華やかであること・麹を割ると中まで菌糸が食い込んでいること・輪郭がシッカリと出ていること・食べると上品な旨味があること等々ありますが、どれもまずまずといったところ😊 次回の麹造りは年明けからスタートとなりますが、蒸し加減や菌糸をより深く伸ばす為の水分と温度と酸素コントロールを意識しながら頑張ります🎵 #完熟麹 #時間をかけてじっくりと #丁寧にていねいに #完熟醪 #始まりが伝統になる一滴入魂の蔵 #創業1853年 #夫婦二人で醸す #日本一生産量の少ない酒蔵 #食事とのペアリングを意識した酒造り #麹割合を変化させた酒造り #低アルコール日本酒 #無濾過生原酒 #リッチ&ピュア #岩清水の如く澄んだ味わい #香りは食事の邪魔をしない様に上品に薫る #理屈抜きで美味しい個性ある日本酒 #テロワール #減農薬栽培米 #井戸水 #厳しい品質管理 #マイナス5度で貯蔵 (井賀屋酒造場) https://www.instagram.com/p/Cmgvzc8ycqt/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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29/06/2024
去年の秋の伊勢海老lunch以来の訪問になった阿久根市のCafe Soaproot🍴 オーナーも私たちの顔を覚えていてくれてありがたい限りです🙏
この日は数日前から取れ始めたアジフライのlunchをいただきました😋
約30~40分運転して川内駅で弟と合流👀 この週末、里帰りしてくれることになり、川内駅で弟と合流、再会もそこそこに「いつもの」場所に移動です笑
名もなき小さなケーキ店🐰
先週からメロンフェアを開催していて、前回断念していたメロンタルト(左)とメロン・ヴェリーヌ(右)をめでたく購入♡
弟はというと…
ティラミス・リュクスに興味があったそうで、こちらをいただいていました。弟曰く、食べやすくて美味しかったそうです。
2年前の夏、居酒屋の間借り時代の頃に一度訪問しているので、びっくりしていました。
最後はさつま��に。
母が弟にマンゴーを食べさせたい🔥❕ と言い出し、急遽、当日の朝に私が徳丸屋さんに電話して、昨日から販売開始になったさつま町産のマンゴータルトを取り置きしてもらいました🥭 因みに弟はマンゴーは食べれるけれど、好物という程ではないそうです💧
今年もマンゴーの季節になりました✨
こちらも数日前から販売が始まったJar sweetsシリーズのマンゴープリン🥭 この日は散々食べて、夕食を食べるのに一苦労でした笑
✂✂✂✂
知り合いのマンゴー農家の方のおススメで、去年まで訪問していたご夫婦で経営しているケーキ屋さん。 東京でも有名から店舗のオーナーシェフの片腕だった人が跡継ぎのために九州に帰ってきて経営しているので味は間違いなく美味しいです。 農家の方の紹介ということで当初は良くしてもらっていましたが、タイミングが合わずに去年の夏、久しぶりに訪問してみたら、店頭に立っている奥様の何様状態に唖然。 *後でG●●gle様の口コミ笑を読んだら、人によって接客態度が違うみたいで、私以外にも同様の意見が多数あってびっくり。
私は「お客様が神様です」なんていう発想は微塵もありませんし、むしろ迷惑な発想だと思っています。 店も客も対等であるべきと思っています。 ただ、あのお店の、あの接客に対して、私たちのお金は落としたくない…。 なので、今年は行っていないし、行こうとう気持ちにもなりません。
そして美味しいというのは個人の主観が入るので、私にとっては味が濃すぎる、砂糖が多いなどでも、そういった味を好む人もいるわけで。 接客が良かったら私は行かなくても、そういった味を好む人達には紹介しています。
人によってはやんわりでも注意する人がいるけれど、他人の私が言ったところで相手にどう響くのは分からないので、黙って引く、そして行かない手法をとるのが私。 人間関係もこんな感じで引いていったりしています。 省エネな人間関係の保ち方をしています。
最後は私の愚痴みたいになってしまいました🙏💦
#備忘録#photography#reminder#japan#kyushu#kagoshima#美味しさは正義です#スイーツには夢がないとダメ#sweets#akune#lunch#Cafe Soaproot#🐟#satsumasendai#名もなき小さなケーキ店#namonaki_okashiya#satsuma#徳丸屋#tokumaruya
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Legends and myths about trees
Celtic beliefs in trees (15)
H for Huath (Hawthorn) - May 13th - June 9th
“May tree - Sixth month of the Celtic tree calendar (Ref)”
colour: midnight blue; Gem: lapis lazuli; Gender: female; Patrons: Olwen, Blodeuedd, Chaldean, Humen, Selene, Virgin Mary; Symbols: love + marriage, fertility + birth, reproduction, heart
The short, thorny, graceful hawthorn. The slender hawthorn trunk and branches twist as the years go by. In winter they are particularly beautiful, standing clinging to misty wildernesses and craggy rocky outcrops, or clustered on open ranges of hills that their appearance is spectacular. Leaves and flowers appear simultaneously in May, signalling the change of season from spring to summer. Hawthorn flowers bloom in clusters, so that at the height of spring, rows of white froth run across the fields and mountains, a scene aptly captured by the English writer H. E. Bates as 'the fluffy cream floating in May'.
In spring, when the hawthorn flowers are in full bloom, the air releases a musky, sweet, rich fragrance all around. Small round berries turn burgundy in autumn.
In Ireland, hawthorn is still cherished as a magical tree protected by the fairy kingdom. Tradition has it that if you cut down a single hawthorn tree standing alone in a field or burial mound, you will lose your livestock and household possessions.
Hawthorn trees protect wells and springs as fairy trees. The beautiful flowers of hawthorn are also said to deliver prayers to the heavens. Even today, many people tie rags and other items to hawthorn trees standing near wells and springs, wishing for good luck or that their love will reach the person they love.
Before Christianity, hawthorn was the supreme fertility symbol and at the May Festival, people confided their love, danced to their heart's content and made love in the woods. Among the Celts, spring was the season for marriage, and it was customary to bring a bouquet of hawthorn flowers to weddings to ensure that the couple would be blessed with children.
In Britain, the earliest known hawthorn goddess was Olwen ('white footprints'), a woman of courage, wit and beauty. The well-known mythological tale of Culhwch and Olwen, in which King Arthur's cousin, Culhwch, overcame 40 impossible tasks that seemed virtually unattainable set out by Olwen's father, the giant king, Yspaddaden, and marry his beloved Olwen.
As the beautiful, white hawthorn flowers opened, people celebrated the power of nature and love to bring new life into the world and marvelled at the miracles of sexual activity, pregnancy and childbirth. For the Celts, sexual activity, pregnancy and childbirth were not something to be ashamed of, but an essential part of life and a sacred expression that one could love.
木にまつわる伝説・神話
ケルト人の樹木の信仰 (15)
HはHuath (サンザシ) - 5月13日 - 6月9日
『5月の木〜 ケルトの木の暦(参照)の第6月』
色: ミッドナイト・ブルー; 宝石: ラピスラズリ; 性: 女性; 守護神: オルェン、ブロダイウェズ、カルデア、ヒュメン、セレネ、聖母マリア; シンボル: 愛+結婚、豊穣+出産、生殖、心臓
背丈が低くとげをもった優雅なサンザシ。ほっそりとしたサンザシの幹や枝は、年が経つにつれてねじれていく。冬になるとその姿は特に美しく、霧の立ち込めた荒野や、ごつごつとした岩の露頭にしがみつくように立つ姿、また広々と連なる丘に群れをなしている様子は、見事というより他はない。葉と花は5月に同時に姿を現し、春から夏に季節が変わることを知らせている。サンザシの花は群れを成して咲くことから、春の盛り、白い泡立ちの列が野山を縦横に走り、その様子を英国人作家のH・E・ベイツは、「五月に浮かび上がるふわふわしたクリーム」と的確に表現している。
春、サンザシの花が満開になると、麝香 (じゃこう)のような甘く濃厚な香りがあたり一面に放たれる。小さな丸い実は、秋になるとワインレッドに変わる。
アイルランドでは今もなお、サンザシは妖精の国に守られた魔法の木として大切にされている。野原や埋葬塚に一本だけぽつんと立っているサンザシの木を切ると家畜を失うか家財を無くすという伝承もある。
サンザシは妖精の木として、井戸や泉を守っている。また、サンザシの美しい花は祈りを天まで届けてくれるという。現在でも井戸や泉のそばに立つサンザシには、幸運が訪れるますように、あるいは好きな人に思いが届きますようにと願う大勢の人々が、布きれや品物を結び付けている。
キリスト教以前は、サンザシは最高の豊穣のシンボルであり、5月祭には、人々は愛を打ち明け、心ゆくまで踊り明かし、森で愛を交わした。ケルト人の間で春は結婚の季節であり、夫婦が子宝に恵まれるように、結婚式にはサンザシの花束を持っていく習慣があった。
英国では、サンザシの女神として最も古くから知られているのが、勇気と機転と美貌の持ち主、オルェン (‘白い足跡’の意)。アーサー王の従兄弟であるキルフーフが、オルェンの父である巨人の王アスパザデンが課した事実上達成不可能と思われる40の無理難題を克服し、愛するオルウェンと結婚した神話『キルフーフとオルェン』がよく知られている。
美しく、そして白いサンザシの花が開くと、人々は、新しい命を宿す自然と愛の力を祝福し、性の営み、妊娠、出産という奇蹟に驚きの声を上げた。ケルト人にとって、性行為や妊娠、出産は恥ずべきことではなく、人生になくてはならない大切な一部であり、人は愛することができるということの神聖な表現であった。
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2024/11/14
気付いたら妊娠して4ヶ月になっていた。夏に実家に帰省して田舎のクソ野郎どもに、子供はまだなのお?と聞かれた後すぐのことだった。
ツワリがひどく、今まである程度満足いくまでやれていた仕事が自分の納得いくまでできず、自己肯定感がダダ下がりで、毎日半べそをかいている。思い返せば幸せなことに私は今まで健康そのものだった。寝込んだ記憶もないし特別病んでしまった記憶もない。そんな経験不足の私が1ヶ月以上体調不良が続いてるので堪えるのもわかる。
こんなしんどくて、仕事はろくにできなくて、満足いく日々を全く過ごせてない中、今は出生前診断の結果を待っている。陽性だったら堕ろすことを夫婦で話し合って決めている。陽性の結果を受け、中期中絶するところまでは一気に進められると思う。そこに迷いはひとつもない。ただ中期中絶をした後に私は果たして立ち直れるのか不安だ。また社会復帰できるのか、辛い妊活を再開しようという気になるのか、少ないながら報告した人たちにはどう伝えようか。最近は中期中絶後のことばかり考えるようになっている。子の心配ではなく自分の心配かと、こんな時でも自分ファーストかと、自分で自分に呆れるが、これが私だから。自分の悩みは自分が1番尊重してあげるべきだと思う。
妊娠してから本当に脆くなった。週数相当の発達を調べ見比べては肝を冷やし、生活費や保険の見直しを早急に行い、住まいの改善を行い、育休後の保育園、障害があった場合の療育、支援等、色んなことを調べて、常に何かにくらっている。妊活している時から考えておけばよかったんだろうけどやはり当事者にならないと身が入らない。今の所残念ながら幸せなマタニティライフは夢のまた夢のような気がする。
準備できるならなるべく準備しておきたい、できることは事前に確認したい、そんな気持ちが働いてしまって、自分が辛くなることをわざわざ想定することが多くなった。PMだからリスクとクリティカルパスを考えてしまう癖が抜けないのか…?とかバカみたいなことも考えてしまう。出生前診断の結果が出たらボチボチ周りの友達にも頼ろうと思っているから、今が1番精神的に不安定になってしまうと思う。あと数週間耐えて、少しで良いから、妊娠できた喜びや、これから子供と過ごす日々に幸せを感じたい。
あともう少し、もう少しだ。辛いけど耐えよう。
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2024.11.25 14:25
離婚の話が出てから、ずっと話を聞いてもらっている友達と電話をした
小学校からの友達で、夫が恋人だったときからわたしの話をずっと聞いてくれているから、なんとなく今までのことも頭に入った状態で、客観的に聞いてくれてとてもありがたい
わたしがいけなかったこと、それでもしかたがなかったこと、かといってその仕方なさに甘んじて元気になりすぎないこと、奉仕しすぎないこと、たくさん言ってくれて、かつわたしの気持ちを静かに聞いてくれた
この日記に、夫との喧嘩や嬉しかったことを記しておいて本当によかった
なぜわたしが夫と向き合わずに、自分だけが頑張ればいいと暴走し始めたのか、
暴走してから、夫は変化していっていたのに、わたしがどれだけ無視していたか、今読み返すとよくわかる。
夫は、数年遅れで私が求める人生プランに合わせようと変化してくれていた。わたしが求めていたときは、怒鳴って否定して飛び出して…と散々だったから、わたしはとっくに諦めていた。
諦めすぎていたから、夫の優先度を上げりなかった。
頑張って変化しただろうに、その頃にはわたしが夫をみていなくて、どれだけ苦しい思いをさせてしまったんだろう
俺は変わったのに、私が気づかず家に帰ってこないというのは、寂しかっただろうと想像する。でも体感したことがないから、想像しかできない。きっと想像以上に、ずっと苦しさがあるんだと思う。
わたしが���いて謝ると、わたしが悪いわけではない、お互い一生懸命頑張った結果だから仕方ない、君のことを受け入れてくれる人はいるし、お互いやり直せるタイミングだから、やり直した方がいいんだ、と何回も言う
やっと、この意味が理解できてきたような気がする
夫は、わたしがいない間、少なくとも1年間はこれを考え続けているから、何歩も先を行ったことを言っているんだと思う。
たしかに、私は完全に割り切って、夫に求めることと自分でカバーすることを決め切っていた。だから夫の声は届かないし、これで子供ができたとしても、私の価値観で育てようとして、それができなければ実家に逃げ込んでもっと家族を苦しめたかもしれない。
子供がいなかったにしても、お互いがお互いを見ていない、冷めた夫婦としてなんの発展もしなかったかもしれない
だとしたら、まだお互いを思いやれる気持ちが残っている今、この関係を終わりにすべきだったんだということは理解ができてきたし、
私が反省してやり直したいという思いはあるけど、それはせずにリセットして、やるならで会い直すくらいの方がよいというのも肌で感じてきた
違う人と会ってみたいという気持ちもなんとなく理解できてきた
お互い変えなきゃいけないことがあるだろうとぼそっと言っていたけど、たしかにそれは、今のままよりも別の人の方が気付けるかもしれないし、変えなくても受け入れてくれる人がいるなら、その方がいいんだろう
それでも、7年間も一緒にいて、私を大事に思い続けて変わってくれた夫の存在はかけがえがなくて、とても大切にだし、何年も夫の声を無視して虚しい思いをさせてしまったことは本当に申し訳ない。夫の変化に気づければ、お互いの理想が合致してきていたから、とても幸せだったかもしれないのに。
そんな可能性を私が潰してしまったことは変わりないから、
あと数ヶ月一緒にいられるなら、夫が1番安らぐ、幸せに満たされる時間になるようにしたい。
悲しんで泣くことを続けても、夫が優しくしなければいけなくて体力を使わせてしまうから、
そんな風にもさせたくない。
夫がくれた、私が受け止めて元気になる時間をちゃんと無駄にせずに、
お互いを理解し切って、嫌いにならず、応援し合える関係でお互いを送り出せることが、今私が目標にすべきことだと思った
まだまだ理解しあえていないことがある。
この日記に書いていたケンカのこと、家を買った時の気持ち、夫の変化のときの気持ちなど、まだまだ知りたいことが出てきた
今まで全然対話をしなかった分、全部対話ができたらと思う。もしまた一緒になるとしたら、その対話がないとダメだろうし、対話をするなら今なんだという気がする
別れのことはまだ想像できていないし、いざその日がきたらきっとまた寂しさで苦しむのだろうけど、
今は、最初の混乱からはようやく気持ちが落ち着いてきたような気がする
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2023年9月5日に開催された「慰安婦問題をめぐる韓日合同シンポジウム」と6日の慰安婦像傍の街頭集会は、日韓の真実勢力がソウルに結集して声を挙げる記念すべきイベントとなりました。
シンポジウムが行われたコリア・プレスセンターでは、横断幕に日の丸が、開会時には君が代が斉唱されました。近年プレスセンターでこういったことは有り得な��ったそうです。
また、6日の街頭活動は、正義連(旧・挺対協)水曜デモよりもさらに慰安婦像の近くで、正義連より参加者が多く賑やかに行われました。
2019年12月金柄憲氏、李宇衍氏らが、同じ場所で慰安婦像撤去の街頭活動を始めたときは小さな日の丸を持っていただけで、罵倒され妨害にあったそうです。
この日は青空をバックに大きな韓国旗と日章旗が翻り、参加者は韓日の小旗を振って声を挙げました。
<シンポジウム資料>
当日配布されたプログラム・資料冊子(韓国語・日本語併記)
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_siryo.pdf
シンポジウム パワーポイントPDF
・第一部
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/1.pdf
・第二部
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2.pdf
西岡力 (麗澤大学特任教授)発表原稿
・日本語版
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_nishioka_jp.pdf
・韓国語版
http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2023/09/2023.9.5_symposium_nishioka_kr.pdf
************************************************************************
<日韓真実勢力 共同声明>
【 PDF版 】
2023年9月6日 ソウル
日韓真実勢力一同
2023년 9월 6일
한일진실세력 일동
慰安婦問題のウソと戦う日韓真実勢力共同声明
위안부 문제의 거짓말과 싸우는 한일 진실 세력 공동 성명
慰安婦は日本軍が管理した公娼だった。貧困のために両親が受け取った前渡し金を返済するために売春に従事した女性たちだった。その時代を生きた日本人、韓国人はそのことをよく知っていた。
위안부는 일본군이 관리한 공창이었다. 빈곤 때문에 부모님이 받은 전차금을 상환하기 위해 매춘에 종사한 여성들이었다. 그 시대를 살았던 한국인, 일본인은 그것을 잘 알고 있었다.
南労党出身の在日朝鮮人共産主義者はこう語っていた。「故郷の済州島の村では早く夫を亡くした未亡人が村の若い娘を連れて中国で慰安所を経営し、大変カネを儲けた。そこで、村人たちはこぞって家の娘も慰安所で働かせて欲しいとその女性に頼み、多数が金儲けのために慰安婦になっていた」
남노당 출신인 재일조선인 공산주의자는 이렇게 말했다. “나의 고향 제주도 마을에서는 일찍이 남편을 잃은 과부가 마을의 젊은 여성들을 데리고 중국으로 건너가 위안소를 운영해 많은 돈을 ���었다. 그래서 마을 사람들은 모두 자기 집안의 딸도 위안소에서 일하게 해달라고 그 여자에게 부탁했고, 다수가 돈벌이를 위해 위안부가 되었다.”
だから、反日政策を進めた李承晩政権も日本との国交正常化交渉で慰安婦への補償は求めていない。
그래서 반일정책을 추진한 이승만 정권도 일본과의 국교정상화협상에서 위안부에 대한 보상은 요구하지 않았다.
私たちは昨年に東京で、そして昨日ソウルで「慰安婦問題をめぐる日韓合同シンポジウム」を開催して、以上のような歴史的真実を確認した。
우리는 지난해 도쿄에서 그리고 어제 서울에서 ‘위안부 문제를 둘러싼 한일합동 심포지엄’을 개최해 이상과 같은 역사적 진실을 확인했다.
ではなぜ、慰安婦は公娼ではなく、日本軍に強制連行され、性的奉仕を強要された性奴隷だという、ウソが拡散し、日韓関係を悪化させてきたのか。
그렇다면 왜 위안부는 공창이 아니라 일본군에 강제 연행되어 성적 봉사를 강요받은 성노예라는 거짓말이 확산되어 한일관계를 악화시켜 왔는가.
その元凶は、強制連行、性奴隷説を広めていった日本と韓国の嘘つき勢力だ。日本の朝日新聞が職業的嘘つきである吉田清治の強制連行ウソ証言を繰り返し大きく報道した。日本人活動家が韓国で元慰安婦らを探し、日本政府を訴える裁判を起こした。原告の元慰安婦は強制連行されたとは言っていなかったのに、その証言を捏造したのも朝日だ。
그 원흉은 강제연행, 성노예설을 퍼뜨려 나간 한국과 일본의 거짓말 세력이다. 일본의 아사히신문이 직업적 거짓말쟁이인 요시다 세이지의 강제연행 허위증언을 반복적으로 크게 보도했다. 일본인 활동가가 한국에서 전위안부들을 찾아다니며 일본 정부를 상대로 재판을 일으켰다. 원고인 전위안부들는 강제연행되었다고는 말하지 않았는데, 그들의 증언을 날조한 것도 아사히 신문이다.
そして挺対協と遺族会という韓国の二大反日団体が日本発のこのウソを韓国で大々的にひろめた。それを韓国の新聞、テレビが第二の独立運動であるかのように大きく報じた。そして見逃せないのは日韓の嘘つき勢力が北朝鮮と緊密な連携をとっていたことだ。今回、正義連の元理事長の国会議員と現理事長が東京で北朝鮮の手先である朝総連の行事に出たことがそのことを象徴している。
그리고 정대협과 유족회라는 한국의 양대 반일단체가 일본발의 이 거짓말을 한국에서 대대적으로 확산시켰다. 그것을 한국의 신문, TV가 제2의 독립운동인 것처럼 크게 보도했다. 그리고 놓칠 수 없는 것은 한일의 거짓말 세력이 북한과 긴밀한 연계를 취하고 있었다는 것이다. 최근에 정의연의 전 이사장이자 국회의원인 유미향과 현 정의연 이사장인 이나영이 도쿄에서 북한의 앞잡이인 조총련의 행사에 참석한 것이 이를 상징하고 있다.
ところが、日本と韓国の真実勢力は民族感情などのためなかなか協力することが出来なかった。日本では30年間、真実勢力が戦いを続け、朝日が吉田証言をウソだと認めて過去の記事を取り消すところまでいたった。韓国でも、2019年からここ、慰安婦像のすぐ横で「慰安婦は売春婦」「慰安婦像撤去」を叫ぶ韓国の真実勢力が反撃を開始した。そしてついに昨年と今年、東京とソウルで日韓の真実勢力が合同シンポジウムを開催することが出来た。
그런데 한국과 일본의 진실세력은 민족감정 등을 이유로 좀처럼 협력할 수 없었다. 일본에서는 지난 30년간 진실세력이 싸움을 이어가, 아사히 신문이 요시다 세이지의 증언을 거짓말이라고 인정해 과거의 기사를 철회하기까지 이르렀다. 한국에서도 2019년부터 이곳 위안부상 바로 옆에서 ‘위안부는 매춘부’, ‘위안부상 철거’를 외치는 한국의 진실세력이 반격을 시작했다. 그리고 마침내 지난해와 올해 도쿄와 서울에서 한일의 진실세력이 합동 심포지엄을 개최하기에 이르렀다.
ここで私たちは宣言する。日韓の真実勢力が力を合わせて、日本、韓国、北朝鮮の嘘つき勢力の陰謀と工作を暴露し、彼ら、彼女らの責任を追求する。韓国と全世界に立てられたウソの象徴である慰安婦像を必ず撤去させる。
여기서 우리는 선언한다. 한일의 진실세력이 힘을 합쳐 일본, 한국, 북한의 거짓말 세력의 음모와 공작을 폭로하고, 그들의 책임을 계속해서 추구할 것이다. 한국과 전 세계에 세워진 거짓말의 상징인 위안부상을 반드시 철거시킬 것이다.
以上
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Letter from Kondo Isami dated May 20, Genji 1 (June 23, 1864) to Nakajima Jirobei (中島次郎兵).
The second line from the left reads, "Male sexuality is popular" (男色流行).
Original letter
(本文略) 尚々、御家内中様御尊父始メ御勇猛之至奉恐賀候。陳者尊兄健次郎様事市ヶ谷辺江御縁談之由、恐悦至極奉存候。 次ニ下拙義も素□愚魯身不顧尽忠報国有志御募リ相成、然馬合之局中ヲ預リ、州鄙客申述頻ニ心配致ゆへ□哉意外多病相成、依而去二月肥後守殿□なるへく温泉致候様、依之罷越候処僅七八日ニ而俄ニ 肥後守殿御役替ニ付飛脚到来、其夜五十丁十六里帰京致候。 併相応度候哉当節大丈夫ニ相成候間、御懸念可被下候間敷、且乍憚一統様暫時処公然様奉願上候。 一、扨先年府中宿おいて御同様始楼登リ、妄戯仕事時々思ひ出申候。就而者当節婦人戯候事聊無之。局中頻ニ男色流行仕候。尚帰府之上申上度。以上
Translation
(Text omitted) I would like to express my heartfelt gratitude to all of you, including your dear father, for your bravery. I am very pleased to hear of your older brother Kenjiro's marriage proposal and move to the Ichigaya area. Next, I have been recruiting volunteers to repay the nation with loyalty without regard for my own life, and have been entrusted with the affairs of bureaucrats. I've had too many worries on my mind and I have been unexpectedly very ill. Last February, Higo-no-kami-dono asked me to visit a hot spring, so I did. After just 7 or 8 days, a courier suddenly arrived with news of Higo-no-kami-dono's change of position, so overnight I returned to Kyoto at a distance of 50 blocks and 16 ri [16 hour walk]. At the same time, I would like to express my sincere gratitude to you for your concern. For the time being, I can only offer my best wishes. Now, I sometimes recall that last year when I was in Fuchu, we visited brothels and indulged in raunchy games. In that regard, people no longer play around with the ladies these days. Male sexuality is popular frequently throughout the headquarters. I would like to mention this to you upon my return to my home province. That is all.
Commentary
In the main text (omitted), he writes that he was disappointed in the Shinsengumi's position and its role, and that he considered disbanding the group, but was consoled, and so on. [T/N: This was before Ikedaya]
In the postscript, in addition to congratulating the Nakajima family on their happy event, he wrote that he had fallen ill due to hard work and went to a hot spring for treatment, as recommended by Katamori, but after about a week, Katamori informs him that he was to be reassigned to a different position. It is written that he returned to Kyoto, sick and beaten.
He then fondly remembers how they used to indulge in "raunchy games" together at a brothel in Fuchu, and tells them that these days there is no such thing as playing with women at all, and that "danshoku" (male sexuality) is prevalent within the Shinsengumi.
(source: www.toshizo.com)
Translator Notes
Instead of interpreting it as Kondo complaining about the prevalence of male sexuality, doesn't it sound like he's actually trying to convince Nakajima to go for male prostitutes together next time?
"I know we used to play around with women, but no one does that anymore. Here at the Shinsengumi HQ, we do male love all the time. Just something I wanted you to know before I visit you ;)" 😂
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