#変態帽子職人
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長々と「ゴーストワールド」考
私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。��らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされる���ともない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスターフッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 ���ーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは��に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り��いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
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余花に吉兆
1. 友人あるいは恋人のようなことを始めたら、もっと分かり合えて親密な空気だとか柔らかな信頼みたいなものが生まれるかと予想していたが、俺らの空間は特段何かが変化することもなく、近すぎず遠すぎずの関係が果てなく伸びていくのみだった。 大切なものを手のひらに閉じ込めるような日々だった。彼の大きな体は存在感だけでもどこか騒々しかったが、無音より心地よかったのだ。
うずたかく積もった瓦礫がようやく街から消える頃、俺は人生初の無職デビューを飾った。事務所は畳んだし復興支援委員会の任期も終わった。警察や公安、行政から相変わらず着信や不定期な依頼はあれど、様々な方面からの誘いを断り所属する場所がなくなった俺はぼんやりと初夏を迎えることとなった。 無職になりまして。とセントラルの定期通院の帰り、待ち合わせた居酒屋で焼き鳥をかじりながら言うと彼は呆けた顔で俺を見た。エアコンの効きが悪いのか、妙に蒸し暑くてふたりとも首筋にじんわり汗が滲んでいる。 「お前が?」 「はい。しばらくゆっくりしてから次のこと考えようと思って」 「お前にそんな発想があったとは」 「どういう意味ですか」 「休もうという発想が。いつも忙しく働いとったろーが。そもそも趣味や休みの過ごし方をお前の口から聞いたことがない」 「それ元SKたちにも言われましたわーー。人を仕事人間みたく言わんでくださいよまあその通りですけど。今までやれなかったこと全部やったろ、と思ってたんですけど10日で飽きました。福岡いる��どうしても街の様子気になっちゃうしホークスだ〜〜♡ て言われるし、どっか旅行でも行けばって言われるんすけど全然そんな気になんないんすよ。来月には引きこもりになってるかもしれねっす」 そしたら会いに来てくださいね♡ と言ったら、彼は釈然としないような、そして何かに耐えるような、そんな顔をした。 店を出ると強い風が頬を打った。まだほんのわずか残っていた春の気配が吹き飛んでいく。じゃあ、と手をあげかけたところでデカい手が伸びてきて顎を掴まれた。「飲み直すぞ、うちで」「ひゃい?」かくて俺はそのままタクシーに突っ込まれ(この人と乗る後部座席は超狭い)、轟邸へお持ち帰りされることとなった。
暗闇の中でうずくまる恐竜みたいな日本家屋。数奇屋門と玄関の間だけで俺の1LDKがすっぽり入りそう。靴を揃えて上り框に足をかけると今度は首根っこを掴まれた。連行されるヴィランそのままの格好で俺は廊下を引き摺られ居間の隣室へ放り込まれる。今夜は何もかも展開が早い。「なになに? 俺には心に決めた人がいるんですけど⁉︎」「使え」「は?」 「この部屋を好きなように使え。しばらく置いてやる」 「もしかしてあなた相当酔ってますね⁉︎」 「あれくらいで酔わん。お前が、ヒーロー・ホークスが行くところがないなんて、そんなことがあってたまるか」 畳に手をついて振り仰ぐ。廊下から部屋に差し込む灯りは畳の目まではっきりと映し出しているけれど、彼の表情は逆光でわからない。 「俺、宵っぱりの朝寝坊ですよ」 「生活習慣までとやかく言わん。風呂を沸かしたら呼びに来てやるからそれまで好きにしてろ」 けれど俺が呼ばれることはなく、様子を見に行くと彼は居間で寝落ちていたのでやっぱり酔っていたのだと思う。デカい体を引きずって寝室に突っ込んだ。風呂は勝手に借りた。
酔ってはいたものの彼の意思はしっかり昨晩にあったようで、そして俺も福岡に帰る気が全くおきなかったので、出会い頭の事故のように俺の下宿生活は始まった。 「うちにあるものは何でも好きに使え」なるありがたいお言葉に甘えて俺は巣作りを開始した。足りないものはAmazonで買った。徹夜でゲームしたりママチャリで街をぶ��ついたり(帽子をかぶってれば誰も俺に気づかなかった)ワンピース一気読みしたり豚肉ばかり使う彼からキッチンの主権を奪いそのまま自炊にハマったりもした。誰を守る必要もなく、誰かを気にかける必要もない。誰を満足させる必要もなかった。彼が出かける時間に俺は寝ていたし夕飯も好きな時間に��べていたので下宿より居候の方が正確だったかも知れない。誰かとひとつ屋根の下で暮らすことへの不安はすぐ消えた。早起きの彼がたてる足音や湯を使うボイラー音、帰宅時の開錠の音。そんな他人の気配が俺の輪郭を確かにしていったからだ。 ヒーローを引退した彼は事務所を売却したのち警備会社の相談役に収まっていたがしょっちゅう現場に呼ばれるらしく、出勤はともかく帰り時間はまちまちだった。まあわかる。治安維持に携わっていて彼に一目置いていない人間はまずない(治安を乱す側はなおさらだ)。「防犯ブザーのように使われる」とぼやいていたが、その横顔にはおのれの前線を持つものの矜持があった。どうしてか俺は嬉しい気持ちでそれを見ていた。
2. ある夜、俺は玄関で彼のサンダルを履き外へ出た。引き戸を開けると明るい星空が広がっていて、それが妙に親しかった。縁側に腰掛けてぼんやり彼方を眺めると星の中に人工衛星が瞬いている。ほとんどの民家の明かりは消えていて、夜は少し湿りそして深かった。紫陽花だけが夜露に濡れて光っていた。 知らない街なのに、他人の家なのに、帰らんと、とは微塵も思わなかった。俺はここにいる。知らない場所に身ひとつで放り出されてもここに帰ってくる。呼吸をするたびに心と体がぴったりと張り付いていった。 気配を感じて振り返ると、あの人がスウェットのまま革靴を引っ掛けて玄関から出てくるところだった。 「風邪をひくぞ」と言われ何も答えずにいると犬か猫みたいにみたいに抱えられ、家の中に連れ戻された。 それからほとんど毎夜、雨でも降らない限り俺は外に出て彼方を眺めた。そうすると彼は必ずやってきて俺を連れ戻した。ある夜「一緒に寝てください」と言ったら彼は呆れたように俺を見下ろして「お前の部屋でか」と言った。そうかあそこは俺の部屋なのか。「あなたの部屋がいいです」と言ったら視線がかちあい、耳の奥で殺虫器に触れた虫が弾け飛ぶみたいな音がして、目が眩んだ。 「そんで、同じ布団で」 「正気に戻ってからセクハラだとか騒ぐなよ」 彼の布団にすっぽりおさまると目が冴えた。やっぱこの人なんか変。そんで今日の俺はもっと変。分厚い背中に額をあてて深く息を吸った。おっさんの匂いがして、めちゃくちゃ温かくて、甘くて甘くて甘くて足指の先まで痺れる一方で自分で言い出したことなのに緊張で腹の奥が捻じ切れそうだった。 彼の寝息と一緒に家全体が呼吸をしている。眠れないまま昨夜のことを思い出す。俺が風呂に入ろうとして廊下を行くと、居間で本を読んでいた彼が弾かれたように顔を上げた。その視線に斥力のようなものを感じた俺は「お風呂行ってきまぁす」となるべく軽薄な声で答えた。���秒前まであんな強い目をしていたくせに、今はもう血の気の失せた無表情で俺を見上げている。妙に腹が立って彼の前にしゃがみ込んだ。「一緒に入ります?」「バカか」「ねえエンデヴァーさん。嫌なこととか調子悪くなることあったら話してください。ひとりで抱え込むとろくなことないですよ。俺がそれなりに役立つこと、あなた知ってるでしょ?」 「知ったような顔をするな」 「俺はド他人ですが、孤独や後悔についてはほんの少し知っていますよ」 真正面から言い切ると、そうだな、と素っ気なく呟き、それきり黙り込んだ。俺ももう何も言わなかった。 ここは過ごすほどに大きさを実感する家だ。そこかしこに家族の不在が沈澱している。それはあまりに濃密で、他人の俺でさえ時々足をとられそうになる。昨日は家族で食事をしてきたという彼は、あの時俺の足音に何を望んだのだろう。 いつぞやは地獄の家族会議に乱入したが、俺だって常なら他人の柔らかな場所に踏み入るのは遠慮したいたちだ。けれどあの無表情な彼をまた見るくらいなら軽薄に笑うほうがずっとマシだった。これから先もそう振る舞う。 きんとした寂しさと、額の先の背中を抱いて困らせてやりたい怒り。そんなものが夜の中に混ざり合わないまま流れ出していく。
3. 涼しい夜にビールを飲みながら居間で野球を眺めていたら、風呂上がりの彼に「ホークス」と呼ばれた。 「その呼び方そろそろやめません? 俺もう引退してるんすよ。俺はニートを満喫している自分のことも嫌いじゃないですが、この状態で呼ばれるとホークスの名前がかわいそうになります、さすがに」「お前も俺のことをヒーロー名で呼ぶだろうが」「じゃあ、え……んじさんて呼びますから」「なぜ照れるんだそこで」「うっさいですよ。俺、けーご。啓吾って呼んでくださいよほら」「……ご」「ハイ聞こえないもう一回」「け、けいご」「あんただって言えないじゃないですかあ!」 ビールを掲げて笑ったら意趣返しとばかりに缶を奪われ飲み干された。勇ましく上下する喉仏。「それラスト一本なんすけどお」「みりんでも飲んでろ。それでお前、明日付き合え」「はあ」「どうせ暇だろ」「ニート舐めんでくださいよ」 翌日、俺らは炎司さんの運転で出かけた。彼の運転は意外に流れに乗るタイプで、俺はゆっくり流れていく景色を眺めるふりをしてその横顔を盗み見ていた。「見過ぎだ。そんなに心配しなくてもこの車は衝突回避がついている」秒でバレた。 「そろそろどこいくか教えてくださいよ」 「そば屋」 はあ、と困惑して聞き返したら、炎司さんはそんなに遠くないから大丈夫だ、とまたしてもピンぼけなフォローで答えた。やがて商業施設が消え、国道沿いには田園風景が広がり出した。山が視界から消え始めた頃よう���く海に向かっているのだと気づく。 車は結局小一時間走ったところで、ひなびたそば屋の駐車場で止まった。周りには民家がまばらに立ち並ぶのみで道路脇には雑草が生い茂っている。 テレビで旅番組を眺めているじいさん以外に客はいなかった。俺はざるそばをすすりながら、炎司さんが細かな箸使いで月見そばの玉子を崩すのを眺めていた。 「左手で箸持つの随分上手ですね、もともと右利きでしょ?」 「左右均等に体を使うために昔からトレーニングしていたから、ある程度は使える」 「すげえ。あなたのストイックさ、そこまでいくとバカか変態ですね」 「お前だって同じだろう」 俺は箸を右から左に持ち替えて、行儀悪く鳴らした。 「んふふ。俺、トップランカーになるやつってバカか天才しかいねえ、って思うんすよ。俺はバカ、あなたもバカ、ジーニストさんも俺的にはバカの類です」 「あの頃のトップ3全員バカか。日本が地図から消えなくてよかったな」 そばを食べて店を出ると潮の匂いが鼻を掠めた。「海が近いですね?」「海といっても漁港だ。少し歩いた先にある」漁港まで歩くことにした。砂利道を進んでいると背後から車がやってきたので、俺は道路側を歩いていた炎司さんの反対側へ移動した。 潮の香りが一層強くなって小さな漁港が現れた。護岸には数隻の船が揺れるのみで無人だった。フードや帽子で顔を隠さなくて済むのは楽でいい。俺が護岸に登って腰掛けると彼も隣にやってきてコンクリートにあぐらをかいた。 「なんで連れてきてくれたんですか。そば食いたかったからってわけじゃないでしょ」 海水の表面がかすかに波立って揺れている。潮騒を聞きながら、俺の心も騒がしくなっていた。こんな風に人と海を眺めるのは初めてだったのだ。 「俺を家に連れてきたのも、なんでまた」 「……お前が何かしらの岐路に立たされているように見えたからだ」 「俺の剛翼がなくなったから気ィ使ってくれました?」 甘い潮風にシャツの裾が膨らむ。もう有翼個性用の服を探す必要も服に鋏を入れる必要も無くなった俺の背中。会う人会う人、俺の目より斜め45度上あたりを見てぐしゃりと顔を歪める。あの家で怠惰な日々を過ごす中で、それがじわじわ自分を削っていたことに気づいた。 剛翼なる俺の身体の延長線。俺の宇宙には剛翼分の空白がぽっかり空いていて、けれどその空白にどんな色がついているかは未だわからない。知れぬまま外からそれは悲しい寂しい哀れとラベリングされるものだから、時々もうそれでいいわと思ってしまう。借り物の悲しさでしかないというのに。 「俺より先に仲間が悲しんでくれて。ツクヨミなんか自分のせいだって泣くんですよかわいいでしょ。みんながみんな悲壮な顔してくれるも���だから、正直自分ではまだわかんなくて。感情が戻ってこない。明日悲しくなるかもしれないし、一生このままかも。 あなたも、俺がかわいそうだと思います?」 「いいや」 なんのためらいもなかった。 「ないんかい」 「そんなことを思う暇があったら一本でも多く電話をして瓦礫の受け入れ先を探す。福岡と違ってこの辺はまだ残っとるんだ。それから今日のそばはおれが食いたかっただけだ」 「つめたい!」 「というかお前そんなこと考えとったのか。そして随分甘やかされとるな、以前のお前ならAFOと戦って死ななかっただけ褒めてほしいとか、ヒーローが暇を持て余す世の中と引き換えなら安いもんだと、そう言うだろう。随分腑抜けたな。周囲が優しいなんて今のうちだけだ、世の中甘くないぞ、きちんと将来のことを考えろ」 「ここで説教かます⁉︎ さっきまでの優しい空気は!」 「そんなもの俺に期待するな」 潮風で乱れる前髪をそのままにして、うっとり海に目を細めながらポエムった10秒前の自分を絞め殺したい。 彼は笑っているのか怒っているのか、それともただ眩しいだけなのかよく分からない複雑な顔をする。なお現在の俺は真剣に入水を検討している。 「ただ、自分だけではどうしようもないときはあるのは俺にもわかる。そんな時に手を…… 手を添えてくれる誰かがいるだけで前に進める時がある。お前が俺に教えてくれたことだ」 「ちょ〜〜勝手。あなたに助けてもらわなくても、俺にはもっと頼りたい人がいるかもしれないじゃないですか」 「そんな者がいるならもうとっくにうちを出ていってるだろう。ド他人だが、俺も孤独や後悔をほんの少しは知っている」 波音が高くなり、背後で低木の群れが強い海風に葉擦れの音を響かせた。 勝手だ、勝手すぎる。家に連れてきてニートさせてあまつさえ同衾まで許しといて、いいとこで落として最後はそんなことを言うのか。俺が牛乳嫌いなのいつまでたっても覚えんくせにそんな言葉は一語一句覚えているなんて悪魔かよ。 俺にも考えがある、寝落ちたあんたを運んだ部屋で見た、読みかけのハードカバーに挟まれた赤い羽根。懐かしい俺のゴミ。そんなものを後生大事にとっとくなんてセンチメンタルにもほどがある。エンデヴァーがずいぶん可愛いことするじゃないですか。あんた結構俺のこと好きですよね気づかれてないとでも思ってんすか。そう言ってやりたいが、さっき勝手に演目を始めて爆死したことで俺の繊細な心は瀕死である。ささいなことで誘爆して焼け野原になる。そんなときにこんな危ういこと言える勇気、ちょっとない。 「……さっきのそば、炎司さんの奢りなら天ぷらつけとけばよかったっす」 「その減らず口がきけなくなったら多少は憐れんでやる」 骨髄に徹した恨みを込めて肩パンをした。土嚢みたいな体は少しも揺らがなかった。
車に向かって、ふたりで歩き出す。影は昨日より濃く短い。彼が歩くたびに揺れる右袖の影が時々、剛翼の分だけ小さくなった俺の影に混じりまた離れていく。 「ん」 炎司さんが手でひさしを作り空を見上げ、声をあげる。その視線を追うと太陽の周りに虹がかかっていた。日傘。 「吉兆だ」
4. 何もなくとも俺の日々は続く。南中角度は高くなる一方だし天気予報も真夏日予報を告げ始める。 SNSをほとんど見なくなった。ひとりの時はテレビもつけず漫画も読まず、映画だけを時々観た。炎司さんと夜に食卓を囲む日が増えた。今日の出来事を話せと騒ぎ聞けば聞いたで質問攻めをする俺に、今思えば彼は根気よく付き合ってくれたように思う。
気温もほどよい夕方。庭に七輪を置き、組んだ木炭に着火剤を絞り出して火をつける。静かに熱を増していく炭を眺めながら、熾火になるまで雑誌を縛ったり遊び道具を整理した。これは明日の資源ごみ、これは保留、これは2、3日中にメルカリで売れんかな。今や俺の私物は衣類にゲーム、唐突にハマった釣り道具はては原付に及んでいた。牡丹に唐獅子、猿に絵馬、ニートに郊外庭付き一戸建てだ。福岡では10日で暇を持て余したというのに今じゃ芋ジャージ着て庭で七輪BBQを満喫している。 炭がほの赤く輝き出すころに引き戸の音が聞こえ、俺は網に枝豆をのせた。 「今日は早いですね〜〜おかえりなさい」 「お前、無職が板につきすぎじゃないか?」 「まだビール開けてないんで大目に見てください」 家に上がった彼はジャージ姿でビールを携えて帰ってきた。右の太ももには「3-B 轟」の文字。夏雄くんの高校ジャージだ、炎司さんは洗濯物を溜めた時や庭仕事の時なんかにこれを着る。そのパツパツオモシ��絵面がツボに入り「最先端すぎる」と笑ったら「お前も着たいのか?」とショートくんと夏雄くんの中学ジャージを渡され、以来俺はこの衣類に堕落している。遊びにきたジーニストさんが芋ジャージで迎えた俺たちを見てくずおれていた。翌々日ストレッチデニムのセットアップが届いた(死ぬほど着心地がよかった)。 焼き色のついた枝豆を噛み潰す。甘やかな青さが口の中に広がっていく。 「福岡帰りますわ、ぼちぼち」 彼の手からぽとりとイカの干物が落っこちた。砂利の上に不時着したそれにビールをかけて砂を流し、網の上に戻してやる。ついでにねぎまを並べていく。 「……暇にも飽きたか」 「いや全然、あと1年はニートできます余裕で」 ぬるい風と草いきれが���筋をくすぐり、生垣の向こうを犬の声が通り過ぎていく。いつも通りのなんでもない夕方だ。そんななんでもなさの中、現役の頃は晩酌なんてしなかっただろう炎司さんが俺とビールを開けている。俺らはずいぶん遠くまで来た。 「福岡県警のトップが今年変わったんですけど、首脳部も一新されて方針も変わったらしくて、ヒーローとの連携が上手くいってないらしいんすよね。警察にもヒーローにも顔がきいて暇な奴がいると便利っぽいんで、ちょっと働いてくるっす。そんで、俺のオモチャなんですけど」整理した道具たちに目をやる。「手間かけて悪いんですが処分してくれませんか?」 「……どれも、まだ使えるだろう」 「はあ。リサイクルショップに集荷予約入れていいです?」 「そうじゃない。処分する必要はないと言ってるんだ」 的外れと知っていてなお、真っ当なことを言おうとする融通のきかなさ。その真顔を見て俺この人のこと好きだな、と思う。子どものまま老成したような始末の悪さまで。 「それは荷物置きっぱにしてていいからまたいつでも来いよってことでしょーーか」 「……好きにしろ」 唸るような声はかすかに怒気をはらんでいる。さっきまで進んでたビールは全然減ってないしイカはそろそろ炭になるけどいいんだろうか。ビール缶の汗が彼の指をつたい、玉砂利の上にいびつな模様をつくっていく。 「じゃあお言葉に甘えて。それとツクヨミが独立するってんで、事務所の立ち上げ手伝ってほしいって言われてるんすよ、なんでちょくちょくこっちに滞在するので引き続きよろしくお願いします具体的には来月また来ます♡」 「それを先に言え‼︎」 今度こそ本物の怒りが俺の頬を焦がした。具体的には炎司さんの首から上が燃え上がった。七輪みたいに慎ましくない、エンデヴァーのヘルフレイム。詫びながら彼の目元の皺を数えた。青い瞳にはいつも通りに疲労や苛立ち、自己嫌悪が薄い膜を張っている。今日も現場に呼ばれたんかな。ヒーロースーツを着なくなっても、誰かのために走り回る姿は俺の知ったエンデヴァーだった。腕がなくなろうが個性を使わなかろうが、エンデヴァーを許さぬ市民に罵倒されようが。だから俺も個性なくてもできることをやってみっかな、と思えたのだ。ここを離れ衆目に晒されることに、不安がないわけではないけれど。 疲れたらここに帰ってまたあの部屋で布団かぶって寝ればいい。家全体から、やんわり同意の気配が響くのを感じる。同意が言いすぎだとしたら俺を許容する何か。俺のねぐら、呼吸する恐竜の懐の。 「その……なんだ、頑張れ」 「アザーース」 帰属していた場所だとか、背にあった剛翼だとか。そんなものがごっそりなくなった体は薄弱で心もとない。だから何だ、と思う。俺はまだ変わる。 空があわあわと頼りない色合いで暮れていく。隣にしゃが���だ炎司さんの手が俺の背に添えられた。翼の付根があったあたりにじわりと熱が広がり、そのまま軽く背を押されて心臓が跳ねる。 「来月はそば打ちでもしましょうね」 短い肯定が手のひらの振動から伝わる。新たな命を吹き込まれる俺の隣で、炭がぱちりと爆ぜた。
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【12月の2回目の合同練習会を行いました】
12月24日(土)、25日(日)と福島市で合同練習会を行いました。 冒頭の写真は練習会場としてお世話になっている、 福島民報さんによる来年3月の定期演奏会紹介記事企画のために、 初日の昼にそろっていたメンバーでの集合写真撮影の脇からのワンカットです。
1日目は指揮の栁澤寿男さんによる合奏練習です。 演奏会のメインの楽曲であるマーラーの交響曲第5番に時間をかけて取り組みました。
年末の疲労蓄積のためか途中極端に休憩している人も。 起こさないように気を使ってシャッターを切りました。
もちろん掲載は本人の了承済みです! ですが、名前はあ��て出しません!!
遅れてきた団員は、まずはひとり影練してからパートに迷惑をかけないように入ると殊勝な心構えです。
しかし、そのトロンボーンパートは栁澤さんからもっと頑張ってと発破をかけられたものですから、福島事務局の竹田学さんがデスクを横に置いての指導です。
「あ〜、難しい」という吹き出しが見えそうな様子。
栁澤さんからは全体的に曲が体に入っていないのではとのご指摘。パート譜だけでなく、スコアを見ながら曲を聴き込んで、曲を流しながらでも練習するようにして欲しいとのご指導でした。
ファゴットの長田悠季さんが管の先にボール紙をつけて吹いていました。 通常の最低音の半音下を拭くための対策なのですが、 白い部分にデザイン上のいろいろな工夫ができそうです。
ホルンパートは現時点で栁澤さんから及第点との評価。
起きてます。
何しろトランペットのソロからはじまる楽曲ですから大変そうです。
団員のみなさん���年明けからはチケットの先行発売もはじまり、本番まであっという間です。今から曲を変えることはできませんから、この冬休みにしっかりと練習に励んでくださいね。
今期は全体でヴィオラは3人のみ。 今日は武澤智哉くんのみが演奏で、栁澤さんからもよく頑張ってたとの高評価。 来春には某楽器メーカーの研究開発職として入社が決まり、 最後の定期演奏会への気合いを感じました。 遠き日の直前合宿初日に大遅刻の失態からの名誉大挽回で頼もしい限り。
この日、OGの佐藤実夢さんからは気の利いた差し入れのプレゼントをいただきました。
なんと立派になられたことか! 卒団して4年経っても、忘れずにこのきめ細やかな気遣いをありがとうございました。
この日はクリスマス・イブだけあって赤緑白を身にまとった団員が複数名いましたので、クリスマスカラーの記録写真を撮ってみました。
緑色のトレーナーの背後は叫んでいました。
メリー・フクスマス!
貼ってあったチラシは、こちら地元FTVジュニアのニューイヤーコンサートでした。
翌日は12月25日の日曜日。
前日はなかなかうまく吹けず落ち込み気味だった福島の大学1年生、トロンボーンの海津洸太くんが、サンタ帽を被って朝からハイテンション。 人生にはその回復力が重要だ!
メリー・フクスマス!(2回目ですが、ウケていますか?)
2日目は、東京フィルハーモニー交響楽団さんが派遣してくださった講師の先生方によるパート練習、セクション練習、いわゆるパー練、セク練の日曜日となりました。
木管セクションは福島民報ホールから徒歩15分の白百合幼稚園をお借りして、フルート奏者の名雪裕伸さんのご指導を受けました。
あとは福島民放本社3階の各所を使っての練習です。 ヴィオラは重光明愛さん。
前日に比べ出力は2倍!
セカンドヴァイオリンは大谷真結子さん。
ファーストヴァイオリンは二宮純さん。
金管セクションはチューバ奏者の大塚哲也さん。
コントラバス��黒木岩寿さん。
チェロは竹林良さん。
打楽器セクションは高野和彦さん。
マンツーマンの個別指導が贅沢!
そして、こちらにも。
昼休みに突入にも関わらず、コンサートミストレス渡邉真浩さんによる家庭教師のト●イ並みの個別指導。
かと思いきや。
先生が帰られたあとも、渡邉真浩ヴァイオリン教室が絶賛開催。 頼りにならない事務局の大人は、ウケない冗談を飛ばしていれば済む、この頼りになり過ぎる団員たちに安心する年末でございます。
とはいえ、団員の良い子たちには大事なことなので繰り返しますと、 とにかくマーラーの5番、 曲をよく聴いてよく練習してくださいね。
良い年末年始をお過ごしください!
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2024年10月25日 12時00分 サイバーセキュリティ最大の脆弱性は「人間」、ヒューマンエラーを防ぐ3つの戦略とは? 悪質なハッカーが狙っているのはPCやシステムの脆弱(ぜいじゃく)性に限らず、人間の心の隙や人為的ミスに付け込んだソーシャル・エンジニアリングなどもセキュリティの重大な脅威となっており、ある調査ではデータ侵害の原因の68%はヒューマンエラーだったことが判明しています。人間の存在がサイバーセキュリティ最大の弱点となっている問題に対処する方法について、認証技術の専門家が解説しました。 Human error is the weakest link in the cyber security chain. Here are 3 ways to fix it https://theconversation.com/human-error-is-the-weakest-link-in-the-cyber-security-chain-here-are-3-ways-to-fix-it-241459 ◆ヒューマンエラーの本質を知る オーストラリア・メルボルン大学コンピューティングおよび情報システム学部の上級研究員であるJongkil Jay Jeong氏によると、サイバーセキュリティの分野では、ヒューマンエラーは大きく2つに分けられるとのこと。 1つ目は「スキルベースのエラー」で、これは日常的な作業中、特に注意力が散漫になっているときに好発します。 例えば、ある人が職場のPCのバックアップを忘れたとします。その人は、バックアップの方法もバックアップの必要性も知っていましたが、早く帰宅しなければならない用事や、山積みになっている返信待ちメールなどでバックアップにまで気が回りませんでした。 もし、このタイミングでサイバー攻撃が発生すると、データを復旧する手段がありません。そのため、ランサムウェアなどでデータが人質に取られてしまうと、ハッカーにゆすられてしまうことになります。これがスキルベースのエラーです。 2つ目は「知識ベースのエラー」で、これは経験が浅くて重要な知識が不足している場合や、特定のルールに従わなかった場合に発生するサイバーセキュリティ上のミスです。 例えば、見知らぬ連絡先から届いたメールを不用心にクリ��クしてしまうと、そこからマルウェアがシステムに侵入してハッキングされ、金銭を奪われたりデータをかすめ取られたりするリスクとなります。これが、知識ベースのエラーです。 ◆なぜ従来のアプローチでは不十分なのか? こうしたヒューマンエラーを防ぐため、政府やさまざまな団体がセキュリティ教育に多額の投資を行ってきましたが、必ずしも効果的とは言えませんでした。その理由のひとつは、「テクノロジー中心の画一的なアプローチをとっていたため」だと、Jeong氏は指摘しています。 従来の教育プログラムの多くは、パスワード管理の改善や多要素認証などの技術的側面に依存していることがよくありました。そのため、人間の心理や行動原理に根ざした問題の改善は軽視されがちだったとのこと。 テクノロジーに頼らず、行動を変えることで大きな成果を挙げた事例として、Jeong氏はオーストラリアとニュージーランドで展開された日焼け防止キャンペーンの「Slip, Slop, Slap運動」を挙げています。長袖のシャツやラッシュガードを着る(Slip)、日焼け止めを塗る(Slop)、帽子をかぶる(Slap)の3つを呼びかけたこのシンプルなキャンペーンが始まってからの40年で、両国における悪性黒色腫(メラノーマ)の発生は大幅に減少しました。 Jeong氏は「『人間の行動を変えるには、意識を高めるための継続的な投資が必要』だという原則は、サイバーセキュリティ教育にも当てはまります。人々がベストプラクティスを知っているからといって、それが実行されるとは限りません。特に、優先事項や時間的なプレッシャーに負われている場合はなおさらです」と述べました。 また、オーストラリア政府は2024年10月に、企業と政府機関の情報共有を強化したり、スマートデバイスのセキュリティ基準を定めたりすることを盛り込んだ包括的なサイバーセキュリティ法案を発表していますが、これも技術的側面と手順的側面に焦点が当てられています。 一方、アメリカは人間中心のアプローチに目を向けており、2023年12月に国家科学技術会議(NSTC)が打ち出した(PDFファイル)連邦サイバーセキュリティ研究開発戦略計画には「情報技術システムの設計、運用、セキュリティを決定する上では、人々のニーズ、動機、行動、能力を最優先とした人間中心のアプローチをより重視する必要があります」と記されています。 ◆人間中心のサイバーセキュリティの3つのルール 人間中心のアプローチを採用して、サイバーセキュリティにおけるヒューマンエラーの問題に対処するにはどうすればいいのかについて、Jeong氏は最新の知見に基づいた以下��3つの戦略を提唱しました。 1.認知負荷を最小限に抑えること サイバーセキュリティは、できるだけ直感的かつ簡単に実践できるよう設計する必要があります。またトレーニングプログラムは、複雑な概念を簡素化してセキュリティの実践を日常のワークフローにシームレスに組み込めるようにすることに重点を置くべきとのことです。 2.サイバーセキュリティに対する前向きな姿勢を育てること セキュリティ教育では、恐怖戦術ではなく、優れたサイバーセキュリティの慣行を実践することの肯定的な成果を強調する必要があります。そうすることで、サイバーセキュリティに関する行動を見直すモチベーションが生まれます。 3.長期的な視点を取り入れること 行動や態度を変えるのに必要なのは、単発のイベントではなく継続的なプロセスです。というのも、サイバーセキュリティ教育は継続的に行う必要があり、進化する脅威に対抗するためには定期的なアップデートが欠かせないからです。 Jeong氏は「要するに、真にセキュアなデジタル環境の構築には、総合的なアプローチが必要だということです。ロバストな、つまり強固なテクノロジーや健全なポリシーも��切ですが、最も重要なのは十分な教育を受けたセキュリティ意識の高い人材の確保です。ヒューマンエラーが起きる背景を深く理解できれば、人間の性質に合わせて機能する、より効果的なトレーニングプログラムやセキュリティ計画を設計できるでしょう」と述べました。
サイバーセキュリティ最大の脆弱性は「人間」、ヒューマンエラーを防ぐ3つの戦略とは? - GIGAZINE
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セロニアス・モンクの「underground」というアルバム
ジャズピアニストのセロニアス・モンクの「underground」というアルバムのジャケットには、まずは地下室らしき暗い部屋、ホコリっぽいアップライトピアノ、ワインが何本かと、飲みかけのワインとグラスが鍵盤の端っこに、座ってピアノを引きながらタバコを吸い、独特のモンク帽を被っている人物はセロニアス・モンクだろう。とても長い銃を持っている。左前には果物とグラスに飲み物(ピアノに置かれているワインの色とは違う)、手榴弾、傍聴機(?)、左後ろには敵、しかもある程度高官ぽい歳の取り方をしたおじさんが制服を着て縛られている。後ろにはナチスの旗が垂れ下がっている。一番後ろに女性がモンクの三分の一ぐらいの銃を持ちながらこっちを見ている。入り口の扉はチューリップ(?)のステンドグラスがはめ込まれている。
このアルバムがモンクの最後のオリジナルアルバムということになるらしい。ジャケットとしては、やはりナチス的な何かのレジスタンス、抵抗運動を、いささか子っぽい形ではあるが、表現しているのだろう。このアルバムの三曲目、「Raise Four」では、ピアノのテーマの部分が同じフレーズを繰り返すというもの。周りがちゃんとしているだけにとても不思議に聞こえるし、駄々っ子みたいにも聞こえるし、笑けてしまうというか。そういえばモンクが、モンクのためのビックバンドを従えて演奏してるレコードでも、モンクはビックバンドのビックバンドらしい演奏から変にあぶれるようなピアノを弾いていた。ビックバンドの演奏を均整の取れた、と言っていいのかはわからないけれど、少なくともみんなで目指すハーモーニみたいなのはあるとして、モンクは自由に、というよりも、その場につい紛れ込んじゃってどうしよう、でも鳴らしとくしかない、みたいな風に弾いていた。とんでもない場所に着て、場違いな感じ、それがとてもおもしろい。
つい先月、先々月ぐらいまで、確実に存在したと思われる、唐田えりかという女優がいる。彼女がすごいなと思ったのは、『寝ても覚めても』ももちろんすごいが、何とってもソニー損保のCMだろう。透明感、透明感と言われているが、あれは透明感というものではない。CMでキャストが、エキストラからおそらくスタッフまで、CMの枠組みをキッチリと作っているのだが、その中で唐田さんのふるまい、声のトーン、表情のテンションが全然違い、ものすごく浮きまくっているように見える。一番すごいのは、人々に元気と勇気を与え続けている女性ハーモニーボーカルグループ、Little Glee Monsterと共演したCMだ。全力投球でハモり、自分にこの仕事を与えてくれてありがとうございます、私たちめちゃくちゃ頑張ってますよ!ということがものすごく伝わってくる音楽をバックに、唐田さんは「(保険料は)はしるぶんだけ!」とすごく自由に、というよりも、CMのやる気に満ちた現場の雰囲気に飲まれることなく、自分のやりたいテンションを維持しながらやりたいことをやっている。もしかして何も考えてないのか?と思った時もあるが、多分そんなことはない。これは、モンクに通じる何かなのではないか?まさかレジスタンスとか、そんなことを考えている訳ではないだろうが…。
ともかく、モンクの場合、ある種場違いな自分のピアノを何らかのレジスタンスとして捉えていったのだろうか。周りの雰囲気を受け取らず、別に無茶苦茶をするつもりもないが、弾かないところは弾かず、ボイコットする時はし、発展させない時は発展させず、周りにちょっかいをかけるように変な音を加えて変なハーモニーにしたり、弾くときはアホみたいに、過剰なほど弾くなど。このような身振り、振る舞いをモンクは最終的に「underground」にした。
そもそもの話だが、音楽に歴史があるとして、連綿と続くものがあるとして、技術的なことや組織的なものや派閥やジャンルが形成されているとして、それは別に悪いことではなく、そういうものがないと、メチャクチャだとお互いのコミュニケーション自体がとれずに、バベルの塔の伝説のように、全ての人が別々の言葉をしゃべりだすと機能不全になってしまう、その反面、全ての人はどうしても別々の言葉をしゃべるしかないようなものでもあるのだが。とにかく、同じ語彙、同じ枠組み、同じパフォーマンスを共有して何かを構築していくという人間の営為において、音楽はかなり手っ取り早い方だし、そこには何かしらの熟練さがある人が優位であることは間違いない。優位というのは、意識的なコミュニケーションのカードが多くなる、という程度の話だが。といっても、そこで僕は、何か人には自分の中でこれは言わなければいけない、ということがあるということを言いたいわけではない。「何か人には自分の中でこれは言わなければいけない」問題が発生する時とはどんな時だろう。例えば、職場で、パソコンでの文字起こしを生業にしている人が、昨今の色々な事情で、会社に来れない時、「テレワークが可能なのは原理的に可能なのはわかるが、あなたはアルバイトなので、テレワークではなく、休んでくれ」と上司に言われた時、何とかテレワークをさせるように他の上司に働きかける行動、これは「何か人には自分の中でこれは言わなければいけない」という状況に当てはまると思う。仕事に関すること、生活に関すること、人権に関すること、何か存亡に関することに、「何か人には自分の中でこれは言わなければいけない」ことが起こる。これを音楽に敷衍させると、自分の中のエゴみたいなものと同一視されてしまうことがあるが、ちょっと違う、ということを見極めないと、音楽の中でうまくコミュニケーションができないことがあるかもしれない。この中で僕が、「うまくコミュニケーションができない」というのは、例えば、誰か一人ものすごい仕切り屋がいて、プレイヤーに色々指示を出しまくり、他のプレイヤーからの発言はしづらい雰囲気を醸し出す、とか、そういう状況も含まれる。つまり、各々が別の言語をしゃべ��ざるを得ない性質があるのと、「何か人には自分の中でこれは言わなければいけない」という状態には、あまり相関関係がない、ということだ。
みんなと何か一つの枠組みを持った曲をとりあえずやってみて、それぞれのメンバーの気持ちや体調や環境を反映させた身振りとしての音を聴きながら、それに反応して乗っかって行き、ドライブする時にはドライブし、音を出す必要がない時は待ち、できた間を尊重し、動き出したらそれに乗ってみたり、でもあえて全然違うことをしてみたり、友達の家に泊まったら朝になってて、車で駅まで送ってくれる、まさにその車に乗っている時に、空を見上げるとものすごくいい天気でものすごくいい青空、このまま三浦半島の城ヶ崎まで行きたいな。「あ、行きます⤴️?」本当ですか?本当に三浦大根ばかりが一面を覆っていたその三浦の丘を越えると、岩礁がどこまでも海に突き出している城ヶ島にたどり着き、10メートルはある岩礁には波のためのスロープがあり、そこをガンガン登ってきて僕たちの足元で弾けるその波の動きは、テレビで見た火山の溶岩の動きと全く同じで、私たちは地球(ガイヤ)に住んでいる、というのを確信したし、そこの漁港の前の定食屋で食べたマグロ定食がものすごい厚切りでびっくりするほどおいしかった。友達の分は僕が払って、それをここまでの交通費ということにした。win-win。
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アウシュビッツ、ビルケナウへの旅は大変心理的に重いものだったが、それを少し軽やかにしてくれた旅の友達に恵まれた。シンガポールから家族旅行に来ていた5人組。その内一人Joel君は、プロダクトデザインを大学で教えていて、日本好き。博士論文は、カワイイとプロダクトデザインで、日本のデザインがカワイイに基づいている事をネタの一つにしたらしい。チャンギからドバイ経由で、ワルシャワ、プラハ、ブダペスト、ウィーンと周る二週間の旅らしい。もの静かな、いかにもインテリのお父さんと、ニコニコしたお母さんとその人の妹、息子とその友人。PJの御家族達と、香港や韓国、北海道旅行へ行った事を思い出す。いわゆる中華系のアジア各地へ逃げていったメインランド中国の人々は、温かく、おしゃべりで食いしん坊。共産圏中国人の個人主義、内向き同族主義とは全く異なる。ワシはおおらかな中華系が好きだ。Joelは11月に富士マラソンを走ってから青森へ旅行へ行くらしい。日本で再会する約束をする。
もう一人は、インド系アメリカ人でIBMに勤めるBarvie伯父さん。グジャラート出身で、12歳で家族と渡米したらしい。たまたまバスで隣に座り、アウシュビッツの後の、重く沈んだ嫌な気持ちを紛らわせるために話しかけて、意気投合。ずーーーーっとおしゃべりし、お互いにマシンガントーク。今年の春スキーをシャモニーにしに行ったなど、もうやばいほど話が尽きない。ので、ツアー後、彼の滞在最終日に朝食を共にすることになる。
あー。。。ドイツ入った途端に、電車が遅延していく。そして、ワシの嫌いなドイツ語なのに、なぜか意味が分かるようなったワシ。不思議な感覚。でも、ドイツとは、ワシはあまり相性が良くない事を改めて確認。冷酷で冷淡。ルールを勝手に作って、それに従わせて、従わないと制裁する。ドイツ法といえばドイツ法だが、全く融通の効かない頑なさは、無智であればあるほど、権力に近づけるシステムでもある。そして身勝手で周りが見えず、自分の都合や感情ばかりを重視するので協調性という言葉が彼らの辞書には無い。いや、正確にはありますよ。。。なにせ、ユダヤ人撲滅のために協調行動取れるしね。
とにかく、身勝手にルールを作り出し、それに従わないと、身勝手にいじめたり、文句言ったり、自分がおかしいのかもと勝手に嘆いてみたり。ドイツ人は面倒臭い。イザベルさんというサンプルを身近に見ているので、精神構造が良く分かってきた。そして、よっぽどの上流階級とでもないと、普通の人々は粗野で野暮なので、側に来られるのも迷惑である。まずは父親の職業でも聞き出さない限り、ワシは相手が博士でも信頼しない。逆に、相手がコックであっても、親の職業次第で友達になれる。日本は均質ではあるけれど、日本の場合は言葉遣いや態度でおおよそ、その方のお里を知ることができる。
ワシは、今回の旅で、アメリカがパックスアメリカーナである必然性を、Barvie伯父さんと議論しながら痛感した。ドイツは、日本よりも生産性は高いが、周辺国からは嫌われているので、余計に金で顔を引っ叩く感じでユーロ圏から恩恵を受けている。ヒットラーの頃から続くこの社会構造を思うと、気持ち悪さしかない国だ。周辺国から嫌われて当然とも思う。島国のひねた貧乏集団である陸軍の人々でもない限り、ドイツなんか憧れの対象にならなかっただろう。海軍は船作るから金かかりますねん。。。ドイツのド根性物語に脱帽するが、ワシは根性だけじゃ、行ける先も大したものじゃないわなぁと思う。家や血筋を大事にする人々を周りに見ると、そうしたものを軽視する人々こそヤバいと思ったりもする。
ベルリンでの乗り換え成功。遅延した分、乗り換える列車も遅延。実にドイツのホコリは笑えるし、ドイツ好きを豪語できるツワモノに、ワシは心底脱帽する。そう、お里が識れますことよ、と言ってのけよう。ワシならドイツ語喋りたいなら、オーストリアに行きますざんす。ダンケ。
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愛すべきポンコツキャラ達の狂想曲――双葉陽『ばーがー・ふぉー・ゆー!』
ばーがー・ふぉー・ゆー! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
posted with AmaQuick at 2023.12.24
双葉陽(著) 芳文社 (2023-11-27)
Amazon.co.jpで詳細を見る
今年最後の取り上げる作品はきららMAXで連載中の作品、双葉陽さんの『ばーがー・ふぉー・ゆー!』です。
本作の主人公にして笑いの肝であるのが春原(すのはら)こむぎです。第1話の時点で休みの日にはベットに入ったままソーシャルゲームでひたすらハ���スコアを目指しています。プレイしているゲームも人気作品ではなく、マイナーで旬の過ぎたハンバーガー店で店員になるゲームで、登場キャラのピ・来栖というキャラに熱を上げている感じです。部活もせずに友達もなし。勉強に力を入れているわけでもない。
学校で友達を作ろうと試みますが、そのやり方がイタイことこの上ない。ハンバーガーの帽子をかぶって注目を浴びようとする行為には厨二病の症状が見受けられます。自分が思い入れのあるものは他者も同様に価値を認めていると思い込む。自他の境界があいまいな思春期にやらかす案件です。こむぎというキャラが今までの人生で友達関係を作れなかったことが容易に想像できるのです。
これらのこむぎの持つザンネン要素は埒外なものではなく、人が誰しも経験するザンネン要素をカリカチュアライズしたものです。読者はこむぎというキャラに共感や理解を持つことができます。さらに妹のまいにこむぎを肯定させることによりネガティブ感を軽減させる演出もしています。肯定させるだけでなくこむぎがアクションを起こさせるきっかけも同時にまいに言わせているのが秀逸です。
第1話目で描かれるこむぎは家族という一切遠慮のない相手に見せる地のキャラと、人間関係を構築できていない相手に対する素っ頓狂なキャラの二つを見せています。
紆余曲折の後にこむぎはモグモグバーガーでバイトをすることになります。職場での仲間という関係を得たこむぎが新しいキャラを見せます。毒舌キャラです。
モグモグバーガーの立地は吉祥寺駅のすぐそばです。そのおしゃれ街・吉祥寺に恐れおののくこむぎの発言です。
ナチュラルに町田を下に見ている発言です。神奈川県との関係でネタにされる町田市というのが下敷きに毒舌ですね。ネタにされることが多い町田ですが、街の持つスペックの高さはかなりのものであるとフォローしておきます。
仕事仲間という関係性を構築したとはいえ、まだぎこちなさを見せる中でこの毒舌発言をしてくるのです。コメディリリーフとして大変良い仕事をしています。さらに関係性が深くなるとこの歯に衣着せぬ、身もふたもない発言をこむぎはします。
病気で休んでいる人の家に行っているのにもかかわらずこの発言と行動。第1話で友達を作ろうと迷走しまくっていたこむぎにこの対応をさせること自体が、作品全体を通しての笑いにもなっています。ちなみにこむぎがこの塩対応するのにはちゃんとした理由があるのです。
こむぎは第1話目のエピソードで人間関係の構築が下手であることが描かれています。それが一度仲間の輪に入ったらかなり踏み込んだ関係を作っていく、かなりオタク気質の強いキャラクターです。オタクにありがちなキャラクター性に、共感や親近感を覚えるのも魅力の一つではないでしょうか。
もう一つこの作品での面白さの肝はこむぎと他のキャラクターの関係性の変化です。そのキャラクターは小浦零(こうられい)です。こむぎに次ぐサブヒロインのポジションで、同じくバイトをしている兄の透が大好きな女の子です。お兄ちゃん大好きっこですが、その感情は天井知らずというか底が抜けているというか、なかなかの業があります。
先ほどこむぎが病気の男性を放置して帰ろうとしたエピソードを紹介しましたが、放置された男性が透なのです。看病なんかしているところを零に見られたらめんどくさいことになる。それ故の発言と行動だったのです。それほど度を越したブラコンの零ですが、こむぎをバイトに誘ったきっかけを作ったキャラでもあります。登場時は先輩としてこむぎを引っ張っていましたが、実はこむぎより一月早く入っただけで、新人研修も未だに合格していない状態で、こむぎよりポンコツだったのです。
こむぎにド直球に失礼なことを思われています。
零のポンコツが判明したことによりこむぎとの関係が変化します。こむぎにツッコミを入れていた零がボケにまわることになるのです。そしてボケレベルはこむぎを超えていきます。こむぎと零の二人がボケを担当することで笑いのバリエーションが増えるのです。
『ばーがー・ふぉー・ゆー!』ではキャラクターのポンコツ具合が魅力になっています。「愛すべきバカ」という表現がありますが、この作品では「愛すべきポンコツ」といったところでしょうか。ポンコツ部分ではあるけどそれが良さでもあるという描き方がされているのでコメディとして
秀逸な作品となっています。
(量産型砂ネズミ)
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画像出典 芳文社『ばーがー・ふぉー・ゆー!』1巻 P10,P13,P11,P31,P111,P20,P43 掲載順
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雨濡れ色のペトル残響 雨請い 諦観
大変換のときの円城寺吾郎について
act.1
それが起きた日は、吾郎はたまたま仕事が休みだった。
彼は普段通りに、気ままに、カラコロと下駄を鳴らして大通りを歩いていた。ド派手なアロハシャツに袖を通し、磨いたようなスキンヘッドにお気に入りのパナマ帽をかぶせ、薄紫のサングラスを掛ければ、彼流のお洒落の完成だ。道ゆく人は、彼にぶつかることなくその通り道を開けていく。それが日常であった。きっと、彼の周囲にいる誰も彼もがこの日常が不変で、この後に起きるものへの、恐怖も怒りも嘆きも持っていなかったのは確かだろう。
それが起きた正確な時間を吾郎は覚えていない。太陽が隠れて、雨雲が広がり、薄暗さとヒヤリとした風が通り過ぎた後に、ポツポツと降り始めたそれ。雨だったのか、何だったのかよくわからない。感触はどう考えも、水のそれのようだった。
誰かが悲鳴を上げたと彼は記憶している。男も女も関係なしに、ただただ嘆きと恐怖で満ち溢れた声が、あちらこちらから聞こえていたと思う。
逃げろと叫んでいた。
屋根のある場所へ急げ、とも。
雨にうたれながらも、円城寺吾郎は交差点のど真ん中で、立ち尽くしていた。
雨か雨でないのか分からぬそれに侵された人々が、いや、人々だけでなくありとあらゆるものが侵され、呑まれ、化けて、崩れ去っていくその様を彼は眺めいていた。
試しに崩れ去ったものーー人だったのか、それとも車だったのか、何か他のものなのかは分からないーーの一部をつまみ上げてみれば、それは文字だった。
はて、何故に文字と吾郎は首を傾げる。彼はこの事象に心当たりはなかった。この事象が、自身に何の関係があるのかもわかっていなかった。ただ一つ確かだったのは、彼自身はこの雨で崩れる存在ではなかったということだ。
彼はいつの間にか変わってしまった服の色を見て、ため息を吐く。
「この服、気に入ってたんだがなぁ」
真っ赤なアロハシャツは真っ黒に変わっており、そこに描かれたパイナップルはそれなりに映えた。あくまで、それなりに、だ。パナマ帽だって、下駄だって、淡い色をしていたというのに黒に変わっている。
「まぁ、しょうがない、しょうがない。未知の事象だ、服の色くらい変わっておかしくはねぇな。これはこれで、良いってことよ」
そんじゃあ、行こうかね、と彼はようやくその場から離れた。周囲には、彼以外誰もいなかった。
act.2
崩壊までの時間稼ぎでしかないのは、避難している人々にとっては十分承知のことだろう。だが、とりあえずは状況を整理できるだけの時間が欲しかったのだ。その選択を、吾郎は否定しない。彼だって、考えるための時間と物資と場所が必要だった。
百貨店は大型で、例え周囲があの妙な雨にうたれたとしても、全てが侵食されるまでの時間は十分にある。店内には服も食料もある程度揃っていて、近頃はキャンプ道具やスポーツ用品、生活用品を売っているエリアもある。まさに、一時避難にはうってつけの場所だった。
どうにかあの雨から逃れた人々から、ここで起きている事象を聞いたのか。客も、店員も皆が皆困惑のままに留まり続けている。本当か嘘か、判断がつかないのだ。
入り口付近でうずくまっているのは、大半が外から中へ避難してきている人々で、けれど中には雨に侵食されて「死にたくない」と言って崩れていく者たちもいた。その様子を元々室内にいた人間たちは、黙って見ていることしかできなかった。
「なぁ、この緊急事態だぁ。まずは、水を拭くためのタオルかなんかをくれねぇか」
悲嘆の声を、怨嗟の呟きを零す避難者たちの中で、吾郎は百貨店の警備員に言った。
警備員はその目で茫然としながら、何の対処もできずに外の様子を見ていたからか、吾郎の言葉にハッとなった。そうして、もたもたとしながらも腰につけた無線機で、救助を要請したのである。
ようやく吾郎たちが濡れ鼠を脱した頃には、百貨店内ではいくつもの放送が流れ、何度も繰り返されたはずの災害時下訓練の通りにーーけれど、おそらく想定していた以上に鈍い動きでーーとりあえずの誘導と籠城の体制が整っていた。次いで、外の様子があちらこちらからやってくる。それは、従業員用休憩室のテレビだったり、キャンプ用品売り場にあるラジオだったり、警備室の小型テレビや、個々人が持っている携帯電話だったりから、ひっきりなしに届く。
要領を得ない、けれど街の様子を映し出し報道するそれらからの情報をまとめるのならば、この雨はいくつもの場所で降っており、その範囲は拡大していること。雨にうたれたものは、例外なく文字と化すこと。原因��不明、目下調査中。政府や行政は、未知の事象に対し、混乱しきっていること。それでも、雨が降る中に取り残された人々を救助をしなければいけないとは、誰もが口にしていた。どうやって、の部分は全く触れられていなかったが。
それだけだった。
何度も何度も、同じ報道が繰り返されることに、吾郎は飽きた。
そうして、一番初めに声を掛けた警備員と世間話をすることに決めたのだった。
「なぁ」
「……ああ、あんたか」
じわじわと崩れ始めた入り口付近で、何の意味があるのか分からない警備をし続ける男は、吾郎を見て、少し緊張を緩めたようだった。お喋りとすることで気を紛らわせたかったのかもしれないし、その相手が来たことで現実逃避ができると踏んだのかもしれない。
「このあたりの地図って持ってねぇか?」
「地図? 何に使うんだ」
「なぁに、雨が今どこまで降ってるのか確認しようとしただけさ」
吾郎の質問に警備員は何かに気付いたのか。ニヤリと笑って、ちょっと待ってくれと返す。
「なら、この地区全体のやつがいいだろう。インフォメーションセンターにあるはずだ」
「話が早いねぇ、助かるわ」
トントンと進む話に互いに笑う。けれど、警備員は今度は憂いた顔をした。
「……時間がないかもしれないからな」
「なんだ、警備員さんも気づいてんのか」
「誰も彼もが気付いてるよ。必死になって、それを否定しようとしてるだけだ」
場合によっては、上の人間も来るが大丈夫か? という問いかけに、その方がより話が早いと吾郎は返した。
警備員は「少しの間警備をよろしくな」と告げて、その場を離れた。
結局、吾郎は呼び出されることとなった。そして、いくつかの職種の人間たちもまた、同様に呼び出されることとなる。
拡大し続ける雨雲、削られ続ける建物、差別なく文字化する事象、混乱する政府、限られた食料とくれば、次にやってくるのは助けがこないと確定した瞬間の、残された人間たちの生存競争だ。その際には、この訳���わからない現象でなく、人間同士の争いで死者が出るだろう。
それは、おそらく一部の人間たちは気付いている。そして、実はそんなにも時間の余裕がないことも。
報道やネットの力を使って判った雨雲の範囲を確認した吾郎���、他の大人たちは渋い顔をした。籠城線か、それとも脱出か。その判断が厳しい場所に、この百貨店はあったためだ。
「差別なく文字化することで、おそらく障害物はゼロだ。……代わりに、屋根の類も全くねぇだろうが」
「そうでしょうね」
百貨店の支配人や、その他の役職を担う大人たちは、吾郎の言葉に頷いた。吾郎以外にも、この辺りの地理に詳しいタクシー運転手や、休暇中の警官や公務員たちに大学教授などが集っている。この場にはいないが、医療従事者たちは落ち着かない人々を宥めていたし、保育士や教師もまた大人たちの不安を感じ取った子供たちをあやしていた。ここまで統率がとれたのは、奇跡に近いだろう、と吾郎は思っている。そして、この奇跡が長く続かないこともよく理解していた。
「目視での観察でしかないんですが、コンクリートの壁が崩壊するまでの時間はこちらです。建物の総面積を資料から算出しまして、そこから計算すると、数日は保たないかもしれません」
「半分以上文字化しかけた車での実験しかできなかったんですが、乗用車の崩壊まではこれくらいの時間が必要と思われます。天井の崩壊をどうやって止めるかが、鍵かと思います」
「地下駐車場への雨水の侵入は、シェルターで一定時間は稼げますが、シェルターが崩壊したら間違いなく全てやられます」
「去年の台風で使った、土嚢袋の残りはなかったか? あれをうまく使えばもう少し持つかもしれない」
「わかりました。早速警備に連絡しますね」
ぽんぽんと交わされる作戦会議。そして、具体化するタイムリミットと絶望的な状況に刻一刻と近づく現状。
「正直、この場で言うことではないと重々承知していますが、今にも叫びたいほどに最悪な現状ですね」
鉄面皮な支配人の言葉に、誰もが疲れた表情で非難した。そんなことはわかっていると言わんばかりに。だが、吾郎だけは大袈裟な仕草で、それを肯定する。
「おうおう、そんなものさ。こんな大災害にかち合えば、誰だって叫びたくなるだろうよ。この場じゃ、あんただって迷える子羊だ。俺だってそうさ。不安は言っちまいな、そんでその不安を認めちまいな。諦めちまえば、開き直れる。開き直れば、前を向けるんだよ」
バシンと支配人の肩を吾郎は叩く。支配人は吾郎よりも圧倒的に年上だったが、それでも彼は態度を誰が相手でも変えなかった。
派手なアロハシャツに、サングラス、パナマ帽はこの場では脱いでいるが、それゆえにスキンヘッドは眩しいくらいだ。どうみても、カタギの人間には思えない。それが、妙な具合で彼の説得力を増した。
「そんで。今、どの程度の人間がここに避難してるんだ?」
「把握している限りは、おそらく8千人くらいかと。とはいえ、近隣の小型店舗に避難した人々が続々とここに集っているので、さらに増えている可能性があります。あと全て従業員含めた数ですが、従業員の数の数十倍はお客様がいますので、誘導には注意が必要です」
「なるほどなぁ……脱出は諦めた方がいいかもしれねぇ」
その人数は無理だと誰だって分かる。だが、その人数が篭城するだけの余裕は同じくない。
「さすがに数千人規模ですと、車の数からして足りませんし……食料も同様です」
「分かってらぁ。だから時間がねえって、誰もが気付いてるんだろうよ。脱出組は、単純に言えば斥候だ。脱出ルートの開拓。それさえできれば、外からの救出も可能かもしれねえ。警察に消防あとは自衛隊か、どの程度動いてるんだ」
「警察とはどうにか連絡がつきました。役所も同様です」
「脱出組の確保と、その後の救助に動いてもらえそうか」
「合流できれば……ですが」
「ハッ、助かるためには諦めるしかねぇだろ。諦めて、どうにか合流するルートを開拓するしかねぇんだ。腹括ろうぜ」
吾郎のその言葉で、誰もが決意したようだった。
act.3
携帯電話の充電を確認し、互いの連絡先を交換する。慣れない通話用アプリに戸惑ったのは、吾郎を含めたそこそこ年配の人間たちだけだった。学生らしき青年たちはその様子に苦笑いを浮かべ、対し吾郎は「しょうがねーだろ」と肩を竦める。
彼は青年たちが選んでくれたインカムを耳につけた。
「あー、あー、テステス。聞こえてるかー?」
聞こえてる、大丈夫だ、こっちダメだ、誰か原因わかるかー?、店員さーんとあちらこちらでやりとりが生まれる。
ここ最近の百貨店は、電子機器の類も充実しており、必要な機材はそこから調達した。ここぞとばかりに自分好みのを物色する青年たちに「逞しいですね」と店員は笑う。その背後では、できる限り雨を防ぐためのレインコートや帽子、マスクなどをもった衣料品売り場の店員が佇んでいた。
「あー、そんじゃあ30分後に地下駐車場に集合な」
互いに互いの健闘を祈りながらも、吾郎は一人先に進む。
待ってくださいよアニキぃ、と調子のいい声が彼の後ろからしたが、吾郎は「うるせーよ、諦めて覚悟決められたら来い」と一喝して進む。「じゃあ、また後で」と告げる彼らの、賑やかで騒がしいくらいの年頃の青年たちの腕や足が、少しばかり震えていたのを誰一人指摘することはなかった。
再三、無理をする必要はないことが説明された。
体力的な問題で、脱出組は年若い面々となる。吾郎や他の体力自慢の中年たちに比べて、彼らには前途がある。その前途をむやみに危険に晒すことに、年配者になればなるほど言い得ぬ苦い思いがあった。
それでも、一部をのぞいて青年たちは覚悟を決めたようだった。そして決めきれなかった者もまた、見送りへは来られたようだった。そんな彼らへの労いを、彼らの人生の先輩たちが担っていることが警備員から知らされる。
「彼らは臆病者と罵られることを危惧したようですが……それが、正しいときもあります」
「命が惜しいのは、誰だって同じだろうよ」
「……正直、息子と同じくらいの年頃の彼らに、こうしたことを背負わせることが苦痛です。どうにかできないかとも思いますが、自分が行っても足手まといでしょう」
「だろうなぁ」
吾郎の正直な感想に、地下駐車場の警備員は笑った。
「あなたのような人がいてくれて助かりました。そうでなくては、きっと篭城戦の末の自滅しか私たちに道はなかった」
「それは全部済んでから、俺以外の誰かに言ってくれぇ。むず痒くてしょうがねぇ」
「結果の分からない今だからこそ、言える謝辞です」
「違いねぇ」
別れの言葉が青年たちの間で交わされる。激励の言葉もまた渡されたし、労いの言葉も同様だ。
「それじゃあ、行くぞ」
吾郎の掛け声に、青年たちは「はい!」と力強く答えた。
脱出経路は3ルート。使用する車は3台。それぞれ限界まで車を使い進行、車がダメになったところから通りを走り抜けることになる。できる限りの最短ルートを算出したが、どのようになっているのかは未知数である。��斜によっては、この雨が一箇所に止まっていることも想定できた。
だからこその斥候役である。
エンジン音が響く車内、誰も彼もが無言である。
地下駐車場のシャッターがじわじわと開く。車の車高分まで開かれた時に、警備員がGOの合図を出した。踏み込まれるアクセル、動き出す車。一気に明るくなる風景だったが、水滴がフロントに叩きつけられ、雨音が車内に響いた。
道路には何もなかった。何もないので、最大限のスピードで駆け抜ける。雨が降っているためにカーブはできる限り避けた。だが、それでもじわじわとフロントは文字へと変化していく。
「限界がくる、全員伏せてろ! 車が止まったら真っ直ぐに走れ!」
吾郎は自分が文字にならないことを確信していた。だからこそ、助手席には誰も乗せずに、後部座席に青年たちを避難させた。ギリギリまでスピードを出し、フロントから雨が振り込もうがお構いなしに進み、そうしてエンジンすらダメになり止まるまで彼らは耐え続けた。
タイヤが文字と化し、車が進むことができなくなった瞬間に、彼らは走り出す。
ゴーグルで、マスクで、帽子で、手袋で、服で、レインコートで必死に雨から身を守りながらも、彼らは走り続ける。すでに雨の降らない境界は目視できた。
吾郎は行けと叫んだ。青年たちは応と返した。
じりじりと装備は文字と化していく。頭を突き出し、前のめりの姿勢になり、彼らは走る走る走る。
もう少しだ、と声をかけるのは境界の先で待機していた警察や消防の面々だろう。すぐさま雨を拭き取れるように、大判のタオルを広げている。
誰も彼もが限界までスピードを出して走っていた。
後少し、後少しだ、と最後尾を走っている吾郎は思った。既に一人が無事に到達しているのが見える。あと二人、吾郎を入れて三人。後少しだ、と彼が思った時に、一人が転んだ。最悪なことに、そのまま水溜りに倒れ込んでしまった。
まだ走っている青年が、後ろを振り向こうとするのを吾郎が怒鳴って止める。
吾郎は、歯を食いしばって倒れ込んだ青年を火事場の馬鹿力と言わんばかりに抱え上げて、走り続けた。自分のどこに、こんな力があったのかと驚くくらいに軽々と肩に担ぎ、そうして境界をくぐり抜けたのである。
待機していた人々は、すぐさま彼らの濡れた衣服を剥ぎ取り、水を拭いとっていった。
だが、転んでしまった青年を受け持った人々から、くぐもった悲鳴があがる。
一緒に走り抜けた青年たちは、無事か、どうなんだと騒いでいるが、もう動くことはできなくてその場に座り込んでいた。対し吾郎は水を拭うと、転んでしまった青年の元に足を進めた。周囲が止めようとするも、彼が睨めば動きが止まる。
「……頑張ったなぁ」
偉いよ、出れたんだぜ、と吾郎が慰めるように青年の頭を撫でた。彼の顔は文字と化し、その侵食は進み続ける。表情は分からない、目も口も鼻もなくなったそれは、確かに最期を迎えようとしていた。
「……かあさん」
微かに吐き出された青年の最期の言葉を聞き遂げた吾郎は、動かなくなった彼にゆっくりと両手を合わせ、合掌した。その仕草で悟ったのか、二人の青年が声を荒げて泣き喚く。恥も外聞もなく泣く彼らを、誰が咎められようか。彼らを慰めるべく、別室へと案内する周囲の人々は、鎮痛な表情を浮かべながらも、残った吾郎に説明を求めた。
一頻り祈った彼は、その要請に従った。
act.4
辿った道のり、避難している人数、現地にある装備・備品、掛かった時間や、実験とも言い切れない実験の結果を吾郎は告げる。それらを元に、自衛隊や消防隊が救出作戦を立てていった。
ようやく動き出せそうだ、と隊長格と思わしき人が呟く。
「走行は分厚ければ分厚いほど、良さそうだ。あと、その人数の避難となると列車でも通した方がいいかもしれないな。あるいは危険だが下水道あたり……雨水管を避ければ行けるか」
「列車って線路はどうするんでぇ?」
「なんだ、新幹線の移送を知らないのか。あれの要領で、車体を道にすればいいだろう」
「なるほど、スケールのでかい話だ」
「あとは、許可をもらえるかどうかなんだが」
「車両はどっから持ってくるんで?」
「ツテは心当たりがある」
「へぇ、趣味はもしや鉄道?」
そうだと返す男に、吾郎はこんな状況でなければ話をしてみたかったと言う。
趣味を語る人間は面白い。特に吾郎などが知りもしない知識を大量に持っている面々の語りは、聞いていて興味深い。が、現���は諦めるしかなさそうだ。
「じゃあ、あとは任せますぜぇ」
「ああ……あんたのお陰で大分話が進んだ。後日、感謝状が出るレベルだ」
「……そんな紙切れいらん」
「そう言わないでくれよ」
じゃあな、と吾郎は部屋を後にする。部屋の外に待機していた救急隊員が、彼を病院に送ると申し出た。
「一緒に脱出した二人は?」
「彼らも病院へ向かいました。どこの病院へ、は守秘義務のために言えませんが」
「休めりゃ、どこだっていいさ。あいつらは頑張った」
「あなたも、です。お話している限りは問題なさそうですが、流石にこの状況下です。一旦、診察を受けましょう」
どうぞこちらへ、と案内されて、吾郎は大人しく従った。
だが結局のところ病院へ運ばれ、簡単な問診をしている間に、あの雨によるライフラインが壊滅。停電や水道の停止、その他通信網や非常電源の起動などへ向けて病院内が慌ただしくなった隙をついて、彼は一人姿を消したのである。
そこから先は、転げ落ちるように全て悪い方向へ走った、と吾郎は今では思う。
雨は容赦無く全てを飲み込み、文字とした。政府は事実上機能せず、人々も多くがその雨に溶けて消えることとなる。
吾郎は諦観していた。
雨雲が拡大し続け、容赦無く振り続けるなかで、いずれ吾郎のような存在以外がどのような行動をとるか自明の理だったのだ。それでも、彼は諦めながらも、諦めたが故に前を向きたかった。あの百貨店にいた人々がどうなったのか、彼は知らない。助けが間に合ったのか、間に合わなかったのか、希望を抱けたのか、絶望に沈んだのか、彼は確かめるのが怖かった。
「諦めようか、何もかも。今は諦めて、これからを考えようか」
そう呟いて彼は歩み続ける。きっと、彼だけではない、この雨の中で活動できる存在を探すことにした。
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January 12 2023
「太陽では育たない、激しい雹と雷だけが私を育てる」
高校三年生の頃、大阪市の天王寺にかつてあった美術大学予備校に、大学合格までの一年間だけ通っていました。
予備校で唯一の先生は、名門公立美大の日本画科を首席で卒業されていて、自ら「俺は日本で一番厳しい予備校教師や!」と豪語されていました。
他の予備校のことは知りませんが、指導内容を振り返ると、その言葉は決して嘘や虚勢ではなかったと思います。
生徒には女子もいたので、体を殴る蹴るなどの直接的な暴行はありませんでしたが、毎日、大声で罵倒したり、机や壁を蹴ったり殴ったり、心臓をえぐるような皮肉を言っておられました。
教室は広くはなかったですが、先生が怒る時以外はいつも静まり返っていて、入室すると胃がキリキリ痛むような緊張感がありました。生徒が泣き出すのはよくある光景で、なかにはトイレで嘔吐したり、気絶してしまう人もいたようです。勿論退学していく人も多かったす。結果を出せなかった卒業生もそうでしたが、退学した人は後に、先生から「あいつはヘタレ」などと陰口を言われるのが当然でした。
あと教室が地下にあったので、私はいつも地獄巡りだと思って通学していました。
私なんかは教室のなかで一番デッサンが下手だったので、さんざん辛酸を舐めました。 「デッサンをする時は、首にナイフを突きつけられていると思え」「制限時間に完成しないと刺されて死ぬぞ」という言葉が今でも脳裏に焼きついています。鉛筆デッサンが時間内に仕上がらなかった場合、生徒に黒の極太マジックペンで大きくバツ印を描かせて、正面の壁に貼り付けさせるルールを課すこともありました。
それでも私は一度も退学したいと思ったことがありませんでした。当時はその気持ちを言語化することができませんでしたが、厳しいところに身を置くことが、自己の成長につながると本能的に感じたからだと今になって思います。実際、理性よりも本能が役立つことが多いです。
私は今でも先生に本当に感謝しています。今も昔も私にはなんの取り柄もありませんが、少なくとも高校生の自分に存在した誇大妄想や根拠のない自信をさっぱり取り払ってくれました。何より、現実をありのままに見る大切さを身をもって知りました。
今も私の心にはあの頃の先生がいて、たびたび叱って正気に戻してくれたり、ときどき励ましてくれたりします。
現在の話になりますが、先生はすでに予備校を退職されていて、九州地方で画家として活動されています。卒業後、私は一度だけ先生の個展にお伺いしたことがあります。予備校教師の時と比べて、先生はさらにお痩せになられていましたが、饒舌で快活なお姿は相変わらずだなとほっとしました。勿論、作品の温度も高く、現実の辛さをありのままに捉えている人だと改めて脱帽しました。
そのような少しだけ苛烈な経験もあり、いざ大学に入ると、終身雇用で自分の保身しか考えていない教授、セクハラ似非講師、不勉強で無気力な同級生、そのひとたちの態度や作品が、気持ち悪いほど生ぬるく濁った雰囲気を醸し出していて、私は辟易して彼らを避けるためにいつも独りでいました。
あれから15年以上経ったので、私も色々な人と出会い、正直先生よりも厳格で結果のためには手段を選ばない指導者にもあったことがあります。先生は自身で語られたように、結局、魂を悪魔に売ることはなかったようです。個人的には映画「Wiplash」のフレッチャー教授みたいに、人間性を捨て去り、真顔でパイプ椅子を掴んで、高速で投げつけてくださっても良かったのではと思います。勿論、椅子がもったいないので、出来の悪い私には投げつけてもらえるだけの価値はありませんが。
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. 1st Order Hat🐯 thx @nozomi_kurokawa #変態帽子職人 #orderhat #hat #帽子 #tigers #阪神タイガース #阪神 #猛虎 #イチにカケル #peace #✌ (Tokyo Japan) https://www.instagram.com/p/CfG8pshrlj4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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【3話】 大麻を所持していたのに警察に捕まらなかったときのレポ 【大麻取り締まられレポ】
応援要請で駆けつけたパトカーが4台到着した。4台分の赤灯の光を見るとさすがに圧倒されて、スマホを持つ手が震えてくる。
僕は助手席に座ったまま、意味もないのにスマホで警官の顔を撮影しつつ「警察手帳を見せてください」としつこく迫っている。
その警官も警官で、さっさと手帳を見せればいいのに「あとで見せます」「“あとで”は“あと”です」などと憎たらしく口を濁している。
不毛な問答を続けていると、パトカーからは計10人くらいの警官が降りてきた。中にはMPD(警視庁)と印字された帽子を被った女性警官もいた。鑑識っぽい感じだ。
↑なんのまぐれか女性警官は六角精児に似ていた
応援で駆けつけた警官らは、現場にいた警官に事情を聞くと、各自デジカメで車の写真を撮ったり、事情聴取をしたりしていた。
プッシャーのANIは、警官に大麻の所有者か疑われたようで「はぁ!?知らねえよ!俺のじゃねえよ!!」と真夜中の閑静な住宅街にもかかわらず、大声で叫んでいる。
一緒に着いてきた友達の吉岡は、警官に何を聞かれても「いや~」とか「さあ~」とか言いながら首をかしげていた。
僕の方には、鑑識の女とカメラを持った警官がやってきて、助手席の下に落ちている大麻の入ったパケを僕に指差すよう命令し、その写真を何枚か撮っていた。
写真を撮っている間、鑑識の女は「これ本当にあなたのじゃないのね?」と聞いてきたので、僕が「はい、ちがいます」と答えると、
鑑識の女は僕が答え終わるやいなや、「あ、そう。じゃあ今から予試験するから。こっち来て」などとうざい口調で指示してきた。
それから身体検査などを挟んだ後に、緑色の植物片の簡易鑑定が行われることになった。僕らは鑑識の女の元に集められ、その周りを警官らが囲った。
僕は陽性反応が出て逮捕が決定する瞬間を動画に残しておこうと思い、震える手で再び動画をまわしだした。
準備が整うと、鑑識の女は検査キットの説明を始めた。検査キットは大まかに言うと、試薬入りのキャップの中に大麻の成分を入れて振ると紫色になり、大麻でなければ色がつかないという代物である。
鑑識の女はピンセットで大麻をひとかけら摘��もうとするが、不器用なのか中々摘まめない様子で、摘まむのに3分くらいかかっていた。
それから鑑識の女はなんとか摘まんだ大麻を、2段階の工程を加えて溶液にし、紫色に発色するか否かの結果が出る試薬入りのキャップにその溶液を移そうとする。
根が不安症にできている僕は、この結果次第では人生が終わるかのように思えて、極度に息を凝らしてキャップを見つめていた。
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キャップの溶液は限りなく透明に近い青色だった。
僕はこの色が何を指すのかわからず、呆然としていた。鑑識の女はかなり動揺した様子で「嘘でしょ?」と首をかしげて言っていた。
周りの警官も「簡易検査だから、こういうこともあるんだよね…」と呟いたり、大麻が入ったパケを指でつまんでじっと眺めたりしていた。
僕はまだ困惑していたが、周りの警官のあからさまにがっかりしたムードを見るかぎり、どうやら逮捕は免れたことはわかった。
(しかしどうしてだろう…? これ“大麻”なんだけど…)
検査キットがよっぽどポンコツなのか、鑑識の女がよっぽど不器用だからなのか。理由はわからないが、兎に角安心��た。
僕は人生でも一二を争う緊張が一気にほどけて、放心状態で立ち尽くした。鑑識の女は悔しそうに「これは本鑑定に出すから、証拠品として提出してもらうね」などと言っていた。
僕は茫然と小さな勝利を噛み締めていた。…するとすぐさま警官のひとりが、「車の中は全部調べたの?」などと言いやがった。再び緊張が走る。
僕は(運転席と助手席の間にある大麻はこの際いいとして、“曲げ玉”だけはどうか見つからないでくれ…)と祈っていた。
というのも曲げ玉(MDMA×LSD)は麻薬取締法の適用となり、大麻取締法よりも罪が重くなるからだ。
すると職質の時にいた警官が、「運転席と助手席は調べましたよ」と言ってくれたので、僕はついニヤけてしまった。
が、しかしその警官は「そうなんですね」などと空返事をして、結局車の中を調べ出した。さらに他の警官もそれに便乗して調べ出す。
僕は祈りをやめて立ち尽くし、何十秒後かに起こる悲劇をじっと待っていると、すぐに「ありましたー」という歓声が聞こえた。
声のした方を見ると、警官が嬉しそうに大麻の入ったパケを掲げていた。するとまたすぐに、別の警官が「もう一個ありましたー」とか言って大麻の入った別のパケを掲げている。
所持していた大麻がすべて見つかってしまった。
鑑識の女は息を吹き返し、さっきまでのうざい口調で「はいじゃあこれも全部予試験して、大麻か大麻じゃないか調べるから。3人ともまたここに集まってー」などと饒舌に喋りだした。
不幸中の幸いなことに、車を捜索していた警官らも、予試験が始まるので一旦捜索を中止していた。
そうして再度予試験が始まったが、僕には一つ懸念があった。今回の大麻は、たまたま車に落ちていたのを僕がネコババしたものであり、見るからにさっきの大麻とは品種が違うのである。
品種が違えば検査の結果も変わるかもしれないし、さっきは検査をミスっていただけかもしれない。どう転ぶか本当にわからない。
僕は不安から精神の防衛機制が働いたのか、(なんか、リスキーなギャンブルみたいでおもしろい)という感覚になった。
そうして発色の結果が出るまでの1分間、鑑識の女は試薬入りのキャップを振り続ける。
僕はその間、精神をひりつかせながらも(行け!行け!行け!)などと完全にギャンブルの要領でこの鑑定の行方を見守っていた。
結果は無色透明だった。現行犯逮捕がかかった賭けに勝っただけに、ドーパミンがどぱどぱに分泌されて気持ちがよかった。
鑑識の女はまたも反応が出ずにしょんぼりしていた。それから、もう一つの大麻が入ったパケも予試験をしたが、やはり反応は出なかった。
ほかの警官も、反応が出ないなら意味がないとばかりに諦めムードになっていて、車内を調べるのをほどほどにやめていた。
そうして警官らは10分ほどかけて、なにかしらの話し合いや手続きを終えると、
僕の元にひとりの警官が寄ってきて「今から警察署に行って、ちょっと話聞いてもいいかな?」と聞いてきたので、僕は素直に従ってパトカーに乗った。
その頃野次馬が集まっていて、野次馬らはパトカーに乗る僕を軽蔑するような目で見てきた。僕は任意の善意でパトカーに乗ってあげているのに。
そしたらANIは、その野次馬を蹴散らすように「何みてんだよ!?!?見せもんじゃねえぞ?!!?」などと吠えていて、野次馬はそそくさと退散していた。僕はかなりスカッとした。
それから吉岡は別のパトカーに乗り、ANIは警官同行で自分の車に乗りこみ、一行は警察署に向かった。
警察署に向かっている道中、僕は自分の悪運の強さに酔いしれて、すっかりいい気になっていた。この後“本鑑定”があるのも忘れるほどに。
.
つづく
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)2月28日(月曜日)
通巻7236号 <前日発行>
ウクライナ残留ユダヤ人、モルドバへ「エクソダス」
オデッサからとなりのモルドバで待機、エルサレムへ帰還
*********************************
エルサレムポスト(2月26日)によれば、ウクライナ西南部の港湾都市オデッサから、戦争の難を逃れてモルドバへ避難した在留ユダヤ人はおよそ一万人(ほかに3万3000人がウクライナ各地に居住)が、近くエルサレムへ帰還する。
(以下は拙著『日本が全体主義に陥いる日』(ビジネス社)のモルドバの章の縮約。すでに7219号でウクライナ取材記を、7223号でベラルーシ紀行を再録した。本編は、シリーズ第三弾)。
▼モルドバは社会主義計画経済の残滓、繁栄にはまだまだ遠い
モルドバの首都キシニウ空港に降り立った。
朝日に輝く光景のなか、管制塔のほか高い建物がなく、まるで片田舎の小さな飛行場。日本の米子鬼太郎空港や小松空港よりこじんまりとしている。通関してロビーに出ても、両替所もない。
(これって国際空港か?)
予約していたコスモスホテルへタクシーで向かうが、道路は埃っぽく、街路樹が排ガスや土埃をかぶって黄色く汚れている。
鉄道駅前は古着や、何に使うのか不明の金具、部品などをこまごまと並べた露店がいくつも店開きしている。ショッピングセンターの入った近代的ビルの斜め前、二十二階建てのコスモスホテルは、規模とは裏腹に旅客が少なく、照明も薄暗い。
しかもこのホテルでも両替はできず、ボーイが隣のビルの両替所まで案内してくれた。待たせていたタクシーに現地通貨(ルーマニアと同じくレイ)で運賃1500円を支払った。すぐさまシャワーで旅の埃を落として着替えをして、ようやくさっぱりと落ち着いた。成田からイスタンブール空港で乗り換えた。十八時間の長旅だ。
キシニウの街並みはソ連時代の計画経済の名残か、碁盤の目のように縦横はきっちりしている。
しかし建物はと言えば旧式のいかめしいビルがあるかと思うと、隣は瀟洒なガラス張りのレストラン、とても計画的には見えない。カジノが至る所にあって、二十四時間スーパー、怪しげなストリップ劇場、入れ墨専門店が軒を並べ、寒い国にこそ需要がありそうなマッサージの店は少なく、目抜き通りには女性向けの美容室も見かけない。異常な環境である。
▼豪華なレストランもあれば、ホームレスも。町は埃だらけ
物価が安いので欧米からの観光客は結構多い。そうした人々と行きかうのだが、中国人、韓国人には滅多に出会わない。日本人とは全く会わない。それなのにあちこちに寿司バアがある。世界的に健康食として寿司が静かなブームになっている。
一日目の夕食としてグルジア料理でもと目抜き通りから一歩奥まった、中庭が緑に囲まれている店を選んだ。
屋外の席に陣取ったが、隣では着飾った男女が騒々しいパーティ。何かと思えば一歳の子供の誕生日を祝う若夫婦が、友人たちを招待した一団だった。ロシアの新興財閥のような、結構豊かな階層がモルドバにも出現している。
ほかにビジネス客、常連客とアメリカ人の老夫婦らもめずらしいものを見るような目でこのパーティを眺めていた。旧共産党幹部らの国営企業民営化のどさくさに紛れての汚職が絶えない。加えて、こうした所得格差も社会的憤懣となってくすぶっているのだろう。
凱旋門の中心に大統領府、市庁舎、議会前にはテント村が出現している。泊まり込みでハンガーストライキを続けるグループをよく見かけた。
同じ場所で憩う市民もいる。キシニウ市内で一番大きな公園は初代国王シュテファン大公を記念するもので、そういえばモルドバ通貨のデザインはすべてこの国王の肖像をあしらっている。キシニウの目抜き通りの名称もシュテファン・チェル・マレ通りだ。国会ビルを取り囲む緑豊かな公園の、日陰のベンチにはのんびりと憩う老人たち、テキストをひろげる学生に混ざってカップルが肩を寄せ合っている。その横をスケボーの少年らが勢いよく走り抜け、近くのアイスクリーム屋に殺到していた。
こんな光景を眺めていて、戦争の傷跡がほとんど見当たらないことに気が付いた。
中古市、骨董市などを覗くと旧ソ連時代のバッジ、軍帽、ブレジネフのバッジまで売っている。そのとなりの店にはドナルド・トランプのマトリョーシカが客待ち顔で鎮座する。
▼EU加盟をロシアが阻止
モルドバはEU加盟を政治目標にしている。ところがこれを不快とするロシアから、モルドバ産ワインの輸入禁止などの嫌がらせを受け、ガスパイプラインを止めると脅されたりするので、なかなか前進させることができないのである。
「モルドバ語」と表記される言語も実態はルーマニア語であり、国旗はと言えば中央にオーロックス(牛の原種)が描かれてはいるが、ルーマニアそっくりの青・黄・赤の三色旗。ロシア語族は沿ドニエステルを中心に11%程度。
モルドバは価値紊乱の真っただ中、文化の多様化という混乱の様相を見せていた。
モルドバ国民の悲願は将来のルーマニアとの合邦にあるが、ロシアは絶対反対である。
モルドバの西側はルーマニア人の居住する農業地帯で、モルドバワインは世界的に有名、多くのモルドバ国民はルーマニアへの復帰を望み、言語もルーマニア語を話す。
モルドバはながらくルーマニアと一緒で元の名前は「ベッサラビア」。2018年にはベッサラビア誕生百周年の記念行事も予定されている。
第一次世界大戦でベッサラビアはソ連により分割され、モルドバはソ連圏に編入された。
まさにその東西冷戦の残滓がまだ居残り、微妙なバランスの中、政治的な綱渡りを演じているのがモルドバ共和国だ。親西側を鮮明にはしつつも、もう一歩踏み切れないもどかしさ、すぐ東がウクライナだからだ。
モルドバの安定はウクライナ情勢の帰結に深く連動しており、EUが全面支援には踏み切れない理由付けにもなっている。プーチンは沿ドニステルの武装勢力と、ルーマニア国内のプロ・ロシア政党、ならびにモルドバ国内のロシア工作員を通じて一連の地下工作を展開するからだ。
しかしモルドバは経済的に行く詰まり、繁栄にはほど遠く、かつ国内政治はプロ・ロシアの政党がまた力をもっており、国民の意識調査では西側への傾斜があきらかではあっても、法体系と治安制度から、多数派には達しない。
そのうえロシアのクリミア併合とウクライナの混乱を目撃すれば、急激な政治的路線変更はロシアの介入をまねくことを極度に警戒しているからだ。
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「次室士官心得」 (練習艦隊作成、昭和14年5月) 第1 艦内生活一般心得 1、次室士官は、一艦の軍規・風紀の根源たることを自覚し、青年の特徴元気と熱、純 真さを忘れずに大いにやれ。 2、士官としての品位を常に保ち、高潔なる自己の修養はもちろん、厳正なる態度・動 作に心掛け、功利打算を脱却して清廉潔白なる気品を��うことは、武人のもっとも 大切なる修業なり。 3 宏量大度、精神爽快なるべし。狭量は軍隊の一致を破り、陰欝は士気を沮喪せし む。忙しい艦務の中に伸び伸びした気分を忘れるな。細心なるはもちろん必要なる も、「コセコセ」することは禁物なり。 4 礼儀正しく、敬礼は厳格にせよ。次室士官は「自分は海軍士官の最下位で、何に も知らぬのである」と心得、譲る心がけが必要だ。親しき仲にも礼儀を守り、上の 人の顔を立てよ。よからあしかれ、とにかく「ケプガン(次室士官室の長)を立てよ。 5 旺盛なる責任観念の中に常に生きよ。これは士官としての最大要素の一つだ。命令を下し、もしくはこれを伝達す る場合はは、必ずその遂行を見届け、ここに初めてその責任を果したるものと心得べし。 5 犠牲的精神を発揮せよ、大いに縁の下の力持ちとなれ。 6 次室士官時代はこれからが本当の勉強時代、一人前になり、わがことなれりと思うは大の間違いなり。 7、次室士官時代はこれからが本当の勉強時代、一人前にをり、わがことなれりと思うは大の間違いなり。公私を誤 りたるくそ勉強は、われらの欲せざるところなれども、学術方面に技術方面に、修練しなければならぬところ多し。 いそがしく艦務に追われてこれをないがしろにするときは、悔いを釆すときあり。忙しいあいだにこそ、緊張裡に修 業はできるものなり。寸暇の利用につとむべし。 つねに研究問題を持て。平素において、つねに一個の研究問題を自分にて定め、これにたいし成果の捕捉につと め、一纏めとなりたるところにてこれを記しおき、ひとつひとつ種々の問題にたいしてかくのごとくしおき、後となり てふたたびこれにつきて研究し、気づきたることを追加訂正し、保存しおく習慣をつくれば、物事にたいする思考力 の養成となるのみならず、思わざる参考資料をつくり得るものなり。 8、少し艦務に習熟し、己が力量に自信を持つころとなると、先輩の思慮円熟をるが、かえって愚と見ゆるとき来るこ とあるべし、これすなわち、慢心の危機にのぞみたるなり。この慢心を断絶せず、増長に任じ人を侮り、自ら軽ん ずるときは、技術・学芸ともに退歩し、ついには陋劣の小人たるに終わるべし。 9、おずおずしていては、何もできない。図々しいのも不可なるも、さりとて、おずおずするのはなお見苦しい。信ずる ところをはきはき行なって行くのは、われわれにとり、もっとも必要である。 10、何事にも骨惜L誤をしてはならない。乗艦当時はさほどでもないが、少し馴れて来ると、とかく骨惜しみをするよう になる。当直にも、分隊事務にも、骨惜しみをしてはならない。いかなるときでも、進んでやる心がけか必要だ。身 体を汚すのを忌避するようでは、もうおしまいである。 11、青年士官は、バネ仕掛けのように、働かなくてはならない。上官に呼ばれたときには、すぐ駆け足で近づき、敬 礼、命を受け終わらば一礼し、ただちにその実行に着手するごとくあるべし。 12、上官の命は、気持よく笑顔をもって受け、即刻実行せよ。いかなる困難があろうと、せっかくの上陸ができなか ろうと、命を果たし、「や、御苦労」と言われたときの愉快きはなんと言えぬ。 13、不関旗(他船と行動をともにせず、または、行動をともにできないことを意味する信号旗。転じてそっぽを向くこと をいう)を揚げるな。一生懸命にやったことについて、きびしく叱られたり、平常からわだかまりがあったりして、不 関旗を揚げるというようなことが間々ありがちだが、これれは慎むべきことだ。自惚があまり強過ぎるからである。 不平を言う前に已れをかえりみよ。わが慢心増長の鼻を挫け、叱られるうちが花だ。叱って下さる人もなくなった ら、もう見放されたのだ。叱られたなら、無条件に有難いと思って間違いはない。どうでも良いと思うなら、だれが 余計な憎まれ口を叩かんやである。意見があったら、陰で「ぷつぷつ」いわずに、順序をへて意見具申をなせ。こ れが用いらるるといなとは別問題。用いられなくとも、不平をいわず、命令には絶対服従すべきことはいうまでもな し。 14、昼間は諸作業の監督巡視、事務は夜間に行なうくらいにすべし。事務のいそがしいときでも、午前午後かならず 1回は、受け特ちの部を巡視すべし。 15、「事件即決」の「モツトー」をもって、物事の処理に心がくべし。「明日やろう」と思うていると、結局、何もやらずに 沢山の仕事を残し、仕事に追われるようになる。要するに、仕事を「リード」せよ。 16、なすべき仕事をたくさん背負いながら、いそがしい、いそがしいといわず片づければ、案外、容易にできるもので ある。 17、物事は入念にやれ。委任されたる仕事を「ラフ」(ぞんぎい〕にやるのは、その人を侮辱するものである。ついに は信用を失い、人が仕事をまかせぬようになる。また、青年士官の仕事は、むずかしくて出来ないというようなも のはない。努力してやれば、たいていのことはできる。 18、「シーマンライク」(船乗りらしい)の修養を必要とす。動作は「スマート」なれ。1分1秒の差が、結果に大影響を あたえること多し。 19、海軍は、頭の鋭敏な人を要するとともに、忠実にして努力精励の人を望む。一般海軍常識に通ずることが肝要、 かかることは一朝一夕にはできぬ。常々から心がけおけ。 20 要領がよいという言葉もよく聞くが、あまりよい言葉ではない。人前で働き、陰でずべる類いの人に対する尊称 である。吾人はまして裏表があってはならぬ。つねに正々堂々と���らねばならぬ。 21、毎日各室に回覧する書類(板挟み)は、かならず目を通し捺印せよ。行動作業や当直や人事に関するもので、 直接必要なる事項が沢山ある。必要なことは手帖に抜き書きしておけ。これをよく見ておらぬために、当直勤務 を間違っていたり、大切な書類の提出期目を誤ったりすることがある。 22、手帖、「パイプ」は、つねに持っておれ。これを自分にもっとも便利よきごとく工夫するとよい。 23、上官に提出する書類は、かならず自分で直接差し出すようにせよ。上官の机の上に放置し、はなはだしいのは 従兵をして持参させるような不心得のものが間々ある。これは上官に対し失礼であるばかりでなく、場合により ては質問されるかも知れず、訂正きれるかも知れぬ。この点、疎にしてはならない。 24、提出書類は早目に完成して提出せよ。提出期口ぎりぎり一ぱい、あるいは催促さるごときは恥であり、また間違 いを生ずるもとである。艦長・副長・分隊長らの捺印を乞うとき、無断で捺印してはいけない。また、捺印を乞う 事項について質問されても、まごつかぬよう準備調査して行くことが必要。捺印を乞うべき場所を開いておくか、 または紙を挾むかして分かりやすく準備し、「艦長、何に御印をいただきます」と申し出て、もし艦長から、「捺して 行け」と言われたときは、自分で捺して、「御印をいただきました」ととどけて引き下がる。印箱の蓋を開け放しに して出ることのないように、小さいことだが注意しなければならぬ。 25、軍艦旗の揚げ降ろしには、かならず上甲板に出て拝せよ。 26、何につけても、分相応ということを忘れるな。次室士官は次室士官として、候補生は候補生として。少尉、中尉、 各分あり。 27、煙草盆の折り椅子には腰をおろすな。次室士官は腰かけである。 28、煙草盆のところで腰かけているとき、上官が来られたならば立って敬礼せよ。 29、機動艇はもちろん、汽車、電車の中、講話場において、上級者が来られたならば、ただちに立って席を譲れ。知 らぬ顔しているのはもっとも不可。 30、出入港の際は、かならず受け持ちの場所におるようにせよ。出港用意の号音に驚いて飛び出すようでは心がけ が悪い。 31、諸整列があらかじめ分かっているとき、次室士官は、下士官兵より先にその場所にあるごとくせ。 32、何か変わったことが起こったとき、あるいは何となく変わったことが起こったらしいと思われるときは、昼夜を問わ ず第1番に飛び出してみよ。 33、艦内で種々の競技が行なわれたり、または演芸会など催される際、士官はなるべく出て見ること。下士官兵が 一生懸命にやっているときに、士官は勝手に遊んでおるというようなことでは面白くない。 34、短艇に乗るときは、上の人より遅れぬように、早くから乗っておること。もし遅れて乗るような場合には、「失礼い たしました」と上の人に断わらねばならぬ。自分の用意が遅れて定期(軍艦と陸上の間を往復し、定時にそれら を発着する汽艇のこと)を待たすごときは、もってのほである。かかるときは断然やめて次ぎを待つべし。 短艇より上がる場合には、上長を先にするこというまでもなし。同じ次室士官内でも、先任者を先にせよ。 35、舷門は一艦の玄開口なり。その出入りに際しては、服装をととのえ、番兵の職権を尊重せよ。雨天でないとき、 雨衣や引回しを着たまま出入りしたり、答礼を欠くもの往々あり、注意せよ。 第2 次室の生活について 1、我をはるな。自分の主張が間遠っていると気づけば、片意地をはらす、あっさりとあらためよ。 我をはる人が1人でもおると、次室の空気は破壊される。 2、朝起きたならば、ただちに挨拶せよ。これが室内に明るき空気を漂わす第一誘因だ。3、次室 にはそれぞれ特有の気風かある。よきも悪きもある。悪い点のみ見て、憤慨してのみいては ならない。神様の集まりではないから、悪い点もあるであろう。かかるときは、確固たる信念と決心をもって自己を修め、自然に同僚を善化せよ。 4、上下の区別を、はっきりとせよ、親しき仲にも礼儀をまもれ。自分のことばかり考え、他人のことをかえりみないよ うな精神は、団体生活には禁物。自分の仕事をよくやると同時に、他人の仕事にも理解を持ち便宜をあたえよ。 5、同じ「クラス」のものが、3人も4人も同じ艦に乗り組んだならば、その中の先任者を立てよ。「クラス」のものが、次 室内で党をつくるのはよろしくない。全員の和衷協力はもっとも肝要なり。利己主義は唾棄すべし。 6、健康にはとくに留意し、若気にまかせての不摂生は禁物。健全なる身体なくては、充分をる御奉公で出来ず。忠 孝の道にそむく。 7、当直割りのことで文句をいうな。定められた通り、どしどしやれ。病気等で困っている人のためには、進んで当直を 代わってやるぺきだ。 8、食事に関して、人に不愉快な感じを抱かしむるごとき言語を慎め。たとえば、人が黙って食事をしておるとき、調理 がまずいといって割烹を呼びつけ、責めるがごときは遠慮せよ。また、会話などには、精練きれた話題を選べ。 9、次室内に、1人しかめ面をして、ふてくされているものがあると、次室全体に暗い影ができる。1人愉快で朗らかな 人がいると、次室内が明るくなる。 10、病気に羅ったときは、すぐ先任者に知らせておけ。休業になったら(病気という程度ではないが(身体の具合い が悪いので、その作業を休むこと)先任者にとどけるとともに、分隊長にとどけ、副長にお願いして、職務に関する ことは、他の次室士官に頼んでおけ。 11、次室内のごとく多数の人がいるところでは、どうしても乱雑になりがちである。重要な書類が見えなくなったとか 帽子がないとかいってわめきたてることのないように、つねに心がけなければならぬ。自分がやり放しにして、従 兵を怒鳴ったり、他人に不愉快の思いをきせることは慎むべきである。 12、暑いとき、公室内で仕事をするのに、上衣をとるくらいは差し支えないが、シャツまで脱いで裸になるごときは、 はをはだしき不作法である。 13、食事のときは、かならず軍装を着すべし。事業服のまま食卓についてはならぬ。いそがしいときには、上衣だけ でも軍装に着換えて食卓につくことになっている。 14、次室士官はいそがしいので一律にはいかないが、原則としては、一同が食卓について次室長(ケプガソ)がはじ めて箸をとるべきものである。食卓について、従兵が自分のところへ先に給仕しても、先任の人から給仕せしむる ごとく命すべきだ。古参の人が待っているのに、自分からはじめるのは礼儀でない。 15、入浴も先任順をまもること。水泳とか武技など行をったときは別だが、その他の場合は遠慮すべきものだ。 16 古参の人が、「ソファー」に寝転んでいるのを見て、それを真似してはいけない。休むときても、腰をかけたまま、 居眠りをするぐらいの程度にするがよい。 17、次室内における言語においても気品を失うな。他の人に不快な念を生ぜしむべき行為、風態をなさず、また下士 官兵考課表等に関することを軽々しく口にするな。ふしだらなことも、人秘に関することも、従兵を介して兵員室に 伝わりがちのものである。士官の威信もなにも、あったものでない。 18、趣味として碁や将棋は悪くないが、これに熱中すると、とかく、尻が重くなりやすい。趣味と公務は、はっきり区��� をつけて、けっして公務を疎にするようなことがあってはならぬ。 19、お互いに、他の立場を考えてやれ。自分のいそがしい最中に、仕事のない人が寝ているのを見ると、非難した いような感情が起こるものだが、度量を宏く持って、それぞれの人の立場に理解と同情を持つことが肝要。 20、従兵は従僕にあらず。当直、その他の教練作業にも出て、士官の食事の給仕や、身辺の世話までするのであ るからということを、よく承知しておらねばならぬ。あまり無理な用事は、言いつけないようにせよ。自分の身辺の ことは、なるべく自分で処理せよ、従兵が手助けしてくれたら、その分だけ公務に精励すべきである。釣床を釣っ てくれ、食事の給仕をしてくれるのを有難いと思うのは束の間、生徒・候補生時代のことを忘れてしまって、傲然と 従兵を呼んで、ちょっと新聞をとるにも、自分のものを探すにもこれを使うごときは、わがみずからの品位を下げゆ く所以である。また、従兵を「ボーイ」と呼ぶな。21、夜遅くまで、酒を飲んで騒いだり、大声で従兵を怒鳴ったりす ることは慎め。 21、課業時のほかに、かならず出て行くべきものに、銃器手入れ、武器手入れに、受け持ち短艇の揚げ卸しがある 第3 転勤より着任まで 1、転勤命令に接したならば、なるべく早く赴任せよ。1日も早く新勤務につくことが肝 要。退艦したならば、ただちに最短距離をもって赴任せよ、道草を食うな。 2、「立つ鳥は後を濁さず」仕事は全部片づけておき、申し継ぎは万遺漏なくやれ。申し 継ぐべき後任者の来ないときは、明細に中し継ぎを記註しおき、これを確実に託し おけ。 3、退艦の際は、適宜のとき、司令官に伺候し、艦長・副長以下各室をまわり挨拶せよ4、新たに着任すべき艦の役務、所在、主要職員の名は、前もって心得おけ。 5、退艦・着任は、普通の場合、通常礼装なり。 6、荷物は早目に発送し、着任してもなお荷物が到着せぬ、というようなことのないようにせよ。手荷物として送れば、早目に着く。 7、着任せば、ただちに荷物の整理をなせ。 8、着任すべき艦の名を記入したる名刺を、あらかじめ数枚用意しおき、着任予定日時を艦長に打電しおくがよい。 9、着任すべき艦の所在に赴任したるとき、その艦がおらぬとき、たとえば急に出動した後に赴任したようなと時は、 所在鎮守府、要港部等に出頭して、その指示を受けよ。さらにまた、その地より他に旅行するを要するときは、証 明書をもらって行け。 10、着任したならば、当直将校に名刺を差し出し、「ただいま着任いたしました」ととどけること。当(副)将校は副長に 副長は艦長のところに案内して下さるのが普通である。副長から艦長のところへつれて行かれ、それから次室 長が案内して各室に挨拶に行く。艦の都合のよいとき、乗員一同に対して、副長から紹介される。艦内配置は、 副長、あるいは艦長から申し渡される。 11、各室を一巡したならば、着物を着換えて、ひとわたり艦内を巡って艦内の大体を大体を見よ。 12、配置の申し継ぎは、実地にあたって、納得の行くごとく確実綿密に行なえ。いったん、引き継いだ以上、全責任 は自己に移るのだ。とくに人事の取り扱いは、引き継いだ当時が一番危険、ひと通り当たってみることが肝要だ。 なかんずく叙勲の計算は、なるべく早くやっておけ。 13、着任した日はもちろんのこと、1週間は、毎夜巡検に随行するごとく心得よ。乗艦早々から、「上陸をお願い致し ます」などは、もってのほかである。 14、転勤せば、なるべく早く、前艦の艦長、副長、機関長、分隊長およびそれぞれ各室に、乗艦中の御厚意を謝す る礼状を出すことを忘れてはならぬ。 第4 乗艦後ただちになすべき事項 1、ただちに部署・内規を借り受け、熟読して速やかに艦内一般に通暁せよ。 2、総員起床前より上甲板に出で、他の副直将校の艦務遂行ぶりを見学せよ。2、3日、当直ぶりを注意して見てお れば、その艦の当直勤務の大要は分かる。しかして、練習艦隊にて修得せるところを基礎とし、その艦にもっとも 適合せる当直をなすことができる。 3、艦内旅行は、なるぺく速やかに、寸暇を利用して乗艦後すぐになせ。 4、乗艦して1ヵ月が経過したならば、隅々まで知悉し、分離員はもちろん、他分隊といえども、主たる下士官の氏名 は、承知するごとく心がけよ。 第5上陸について 1、上陸は控え目にせよ。吾人が艦内にあるということが、職責を尽くすということの大部である。職務を捨ておいて 上陸することは、もってのほかである。状況により、一律にはいえぬが、分隊長がおられぬときは、分隊士が残る ようにせよ。 2、上陸するのがあたかも権利であるかのように、「副長、上陸します」というべきでない。「副長、上陸をお願いしま す」といえ。 3、若いときには、上陸するよりも艦内の方が面白い、というようにならなけれぱならない。また、上陸するときは、自 分の仕事を終わって、さっぱりした気分で、のびのびと大いに浩然の気を養え。 4、上陸は、別科後よりお願いし、最終定期にて帰艦するようにせよ。出港前夜は、かならず艦内にて寝るようにせよ。上陸する場合には、副長と己れの従属する士官の許可をえ、同室者に願い、当直将校にお願いして行くのが慣例 である。この場合、「上陸をお願い致します」というのが普通、同僚に対しては単に、「願います」という。この「願い ます」という言葉は、簡にして意味深長、なかなか重宝なものである。すなわち、この場合には、上陸を願うのと、 上陸後の留守中のことをよろしく頼む、という両様の意味をふくんでいる。用意のよい人は、さらに関係ある准士 官、あるいは分隊先任下士官に知らせて出て行く。帰艦したならば、出る時と同様にとどければよい。たたし、夜 遅く帰艦して、上官の寝てしまった後は、この限りでない。士宮室にある札を裏返すようになっている艦では、か ならず自分でこれを返すことを忘れぬごとく注意せよ。 6、病気等で休んでいたとき、癒ったからとてすぐ上陸するごときは、分別がたらぬ。休んだ後なら、仕事もたまってお ろう、遠慮ということが大切だ。 7、休暇から帰ったとき、帰艦の旨をとどけたら、第1に留守中の自分の仕事および艦内の状況にひと通り目を通せ。 着物を着換え、受け持ちの場所を回って見て、不左中の書類をひと通り目を通す心がけが必要である。 8、休暇をいただくとき、その前後に日曜、または公暇日をつけて、規定時日以上に休暇するというがごときは、もっと も青年士官らしくない。 9、職務の前には、上陸も休暇もない、というのが士官たる態度である。転勤した場合、前所轄から休暇の移牒があ ることがあるけれども、新所轄の職務の関係ではいただけないことが多い。副長から、移牒休暇で帰れといわる れば、いただいてもよいけれども、自分から申し出るごときことは、けっしてあってはならぬ。 第6部下指導について 1、つねに至誠を基礎とし、熱と意気をもって国家保護の大任を担当する干城の築造者たることを心がけよ。「功は部下に譲り、部下の過ちは 自から負うは、西郷南洲翁が教えしところなり。「先憂後楽」とは味わうべき言であって、部下統御の機微なる心理も、かかるところにある統御者たるわれわれ士官は、つねにこの心がけが必要である。石炭 積みなど苦しい作業のときには、士官は最後に帰るようつとめ、寒い ときに海水を浴びながら作業したる者には、風呂や衛生酒を世話してやれ。部下につとめて接近して下情に通せよ。しかし、部下を狎れしむるは、もっとも不可、注意すべきである。 2、何事も「ショート・サーキット」(短絡という英語から転じて、経由すべきところを省略して、命令を下し、または報告する海軍用語)を慎め。い ちじは便利の上うたが、非常なる悪結果を齋らす。たとえば、分隊士を抜きにして分隊長が、直接先任下士官に命じたとしたら、分隊士たる者いかなる感を生ずるか。これは一例だか、かならず順序をへて命 を受け、または下すということが必要なり。 3、「率先躬行」部下を率い、次室士官は部下の模範たることが必要だ。物事をなすにもつねに衆に先じ、難事と見ば、 真っ先にこれに当たり、けっして人後におくれざる覚悟あるべし。また、自分ができないからといって、部下に強制 しないのはよくない。部下の機嫌をとるがごときは絶対禁物である。 4、兵員の悪きところあらば、その場で遠慮なく叱咤せよ。温情主義は絶対禁物。しかし、叱責するときは、場所と相 手とを見でなせ。正直小心の若い兵員を厳酷な言葉で叱りつけるとか、また、下士官を兵員の前で叱責するなど は、百害あって一利なしと知れ。 5、世の中は、なんでも「ワソグランス」(一目見)で評価してはならぬ。だれにも長所あり、短所あり。長所さえ見てい れば、どんな人でも悪く見えない。また、これだけの雅量が必要である。 6、部下を持っても、そうである。まずその箆所を探すに先だち、長所を見出すにつとめることが肝要。賞を先にし罰を 後にするは、古来の名訓なり。分隊事務は、部下統御の根底である。叙勲、善行章(海軍の兵籍に人ってから3 年間、品行方正・勤務精励な兵にたいし善行章一線があたえられ、その後、3年ごとに同様一線あてをくわえる。 勇敢な行為などがあった場合、特別善行章が付与される)等はとくに慎重にやれ。また、一身上のことまで、立ち 入って面倒を見てやるように心がけよ。分隊員の入院患者は、ときどき見舞ってやるという親切が必要だ。 第7 その他一般 1、服装は端正なれ。汚れ作業を行なう場合のほかは、とくに清潔端正なるものを用いよ。帽子がまがっていたり、「 カラー」が不揃いのまま飛び出していたり、靴下がだらりと下がっていたり、いちじるしく雛の寄った服を着けている と、いかにもだらしなく見える。その人の人格を疑いたくなる。 2、靴下をつけずに靴を穿いたり、「ズボン」の後の「ビジヨウ」がつけてなかったり、あるいはだらりとしていたり、下着 をつけず素肌に夏服・事業服をつけたりするな。 3 平服をつくるもの一概に非難すべきではいが、必要なる制服が充分に整っておらぬのに平服などつくるのは本末 顛倒である。制服その他、御奉公に必要をる服装属具等なにひとつ欠くるところなく揃えてなお余裕あらば、平服 をつくるという程度にせよ。平服をつくるならば、落ちついて上品な上等のものを選べ。無闇に派手な、流行の尖 端でもいきそうな服を着ている青年士官を見ると、歯の浮くような気がする���「ネクタイ」や帽子、靴、「ワイシャツ」 「カラー」「カフス」の釦まで、各人の好みによることではあろうが、まず上品で調和を得るをもって第1とすべきであ る。 4、靴下もあまりケパケパしいのは下品である。服と靴とに調和する色合いのものを用いよ。縞の靴下等は、なるべく はかぬこと、事業服に縞の靴下等はもってのほかだ。 5、いちばん目立って見えるのは、「カラー」と「カフス」の汚れである、注意せよ。また、「カフス」の下から、シャツの 出ているのもおかしいものである。 6、羅針艦橋の右舷階梯は、副長以上の使用さるべきものなり。艦橋に上がったら、敬礼を忘れるな。 7 陸上において飲食するときは、かならず一流のところに入れ。どこの軍港においても、士官の出入りするところと、 下士官兵の出入りするところは確然たる区別がある。もし、2流以下のところに出入りして飲食、または酒の上で 上官たるの態度を失し、体面を汚すようなことがあったら、一般士官の体面に関する重大をることだ。 8、クラスのためには、全力を尽くし一致団結せよ。 9、汽車は2等(戦前には1、2、3等の区分があった)に乗れ。金銭に対しては恬淡なれ。節約はもちろんだが、吝薔 に陥らぬよう注意肝心。 10、常に慎独を「モットー」として、進みたきものである。是非弁別の判断に迷い、自分を忘却せるかのごとき振舞い は、吾人の組せざるところである。
hiramayoihi.com/Yh_ronbun_dainiji_seinenshikankyouikugen.htm
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2021年10月1日(金)
今日から10月、私の職場(私立女子大学)では対面授業が再開された。規模の大きいところではオンライン中心のところが多いが、小規模校であることやリモートが困難な実習系授業が多いこともあっての判断である。私の場合には教養科目の授業のみという契約なので、会議や打合せなどもなく、密な空間に身を置くことはほとんどない。今日も今日とて、授業が終わればさっさと帰るのだ。FFを楽しみたいがためではないよ、念のため。
5時30分起床。
日誌書く。
温玉煮麺+ヨーグルト+豆乳。
洗濯1回。
次男のおにぎりはツレアイが、私は2人分の弁当用意して、ツレアイの職場経由で出勤。
9月のタイムカード整理。
今日から帽子を変えたので、自撮りして各種アイコンを秋バージョンに変更。
2限「情報社会と倫理」の準備、レジュメは既にアップしているので、授業進行を再確認。何しろ、2か月ぶりの対面授業なので声がちゃんと出るかどうか心配。
第1回はリモート授業、簡単な動画を視聴するだけの課題であった。今日は、「情報社会」を理解するための基礎知識として、「コンピュータとインターネットの史的展開」を概説。評価対象とする授業最後のミニレポート、今日のテーマは「SNSの利用について」。
授業後に、大学コンソーシアム大阪の単位互換制度を活用した他大学の学生1人にメールシステム・Classroomの使い方を指導。
部屋に戻り、ミニレポートの整理・出欠状況を記録してから弁当を頂く。
生協に注文した本が届いたので受取に、途中iPhoneにこんな通知が届いた。そうか、財布と鍵にAirTagを付けているのだが、身につけずに離れるとこんな風になるのか。
届いた本はこれ、Twitterで話題になっていたのだがネットでは全て品切れ・入荷待ち状態、頭の体操に利用することにする。
早めに退出、R171に入ったところでオドメーターが9,000kmを記録、この車では1年と2週間となる。以前なら月に1,000km以上走るのが当たり前だったが、コロナの影響がこんなところにも現れている。
9月の燃費を確認、大半が自宅とツレアイの職場との往復、数字が悪くなるのも仕方ない。
月曜日の「社会貢献論」の第1回課題は今日の17時50分が締切、提出物をチェックする。学生には「課題を受け取った」というコメントを返すので、結構時間がかかる。
夕飯を考えようと、冷蔵庫をチェック、さんだかん燻製工房のソーセージの賞味期限が近いこと、調味料の中に未開封の焼肉のタレ(賞味期限は過ぎている)があったので、久しぶりに焼肉と決定。
西大路七条・ライフまで買物、肉、ニンジン、キャベツ。
焼き野菜はあまり好きではないので、無水ミネストローネを別に付ける。
ツレアイが買い物して帰宅、今週も本当にお疲れさま、🍶🍷。
風呂の順番を待つ間にFFを進める、何処まで行ったかという判断が出来ぬままに夢の中へ。
就寝時刻は・・・わからない。
久しぶりの10,000歩越え、水分は2,000ml。
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映画『同級生マイナス』 〜自分はただのニワトリだったのだ〜
2020年 台湾 原題:同学麦娜絲、英題:Classmates Minus 監督:ホアン・シンヤオ 脚本:ホアン・シンヤオ 撮影:中島長雄 音楽:コウ・レンチェン、エディ・サイ 出演:チョン・レンシュオ(鄭人碩)、リ��・グアンティン(劉冠廷)、リン・ナドウ(納豆)、シー・ミンシュアイ(施名帥)
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小学生の頃に想像していた30-40代の大人って、もっとかっこよくて落ち着いているものでしたが、年をとってみるとそうでも無いということを実感してしまうのは僕だけではないでしょう。思春期以降、人格なんてほとんど変わらず、ちょっと社会性が身についた程度で、根幹は中学生からそんなに進歩している気がしない自分。また30-40代って人生も折り返しに差し掛かってくる頃であり、もう自分がしがみつきたいあの頃には引き返せないというタイミングでもある気がします。そんな中年期を迎える手前の気持ちを描いた素晴らしい映画が今回紹介する台湾映画『同級生マイナス』です。
台湾の映画はそんなに見たことがないのですが、太台本屋(tai-tai books)のTwitterでオススメされていたので、何となく観てみたのですが、自分が思っていた以上に刺さる映画でした。
あらすじ
芽が出ない映画監督ミンティエン(シー・ミンシュアイ)、安定した仕事に就けずいつも金に困っているカン(リン・ナドウ)、保険会社へ勤務しているが昇進できないでいるチェン(チョン・レンシュオ)、吃音症があり病気の祖母を養っている紙細工職人のビージエ(リウ・グアンティン)。高校時代から仲間だった4人の同級生たちは、大人になっても変わらず集まる仲である。やがてミンティエンは政治家に推薦されて選挙に出ることになり、カンは役所の仕事を通して高校時代に憧れていた女子と再開する。チェンは突然結婚することになり、ビージエは余命短い祖母を喜ばせるため結婚相手を探し始める。中年期を迎えつつある彼らはそれぞれの問題にぶつかる中で、人生の不安や自分の無力さにぶち当たることになる・・・。
引用元
ホアン・シンヤオ監督のユーモラスな味付けが素晴らしい
この映画は非常にユーモアあふれる演出が特徴的です。
冒頭、ホアン・シンヤオ監督自らのナレーションで、前作『大仏+』(2017)の後、どういう経緯でこの映画を作ることになったのかを、軽妙に語りだすところから映画は始まります。どうやら本作は実在する監督の同級生たちをモデルに作られているようです。劇中、適宜監督のナレーションが入り登場人物達の補足説明を行うんですが、そのナレーションが登場人物たちに寄り添うような優しい目線で語られるのは、監督が実在の同級生と重ね合わせているからかもしれません。
映画『大仏+』予告編
幻想的な画作りも特徴的です。すごく生活感のある描写が続くし、観ていて辛い場面もあるんですが、突然、夢と現実の境目のようなファンタジー性のある表現が盛り込まれます。あの世からの使者が見えたり、急にムードに合わせてライティングが変わったり、なんかバカっぽいんだけど、浮いた感じにはならず妙な心地よさがあるんです。ビージエが作る紙細工の作品もどことなくファンタジー性を帯びています。本当に起こっていることなのかどうか曖昧にする表現を敢えて採用していると思われる部分がちらほらあります。それによって人生のハードな現実の中にも、本人だけが感じる、ふと立ち上がる尊い瞬間を観客が共有できるような気分にさせられるのです。
本作は全体的にこのような現実から乖離しそうな映像表現を介して、監督のユニークな感性と登場人物への温かい視点が感じられるんですよね。ラストの映画と現実の境が崩れるようなメタフィクション演出は笑えるけど、監督の同級生たちへの強い思いも垣間見える演出でした。ちょいちょい挟む軽いギャグシーンもクスっと笑えて面白い。ホアン・シンヤオ監督、かなりボンクラな匂いがプンプンします。
一番強烈だったのは、“とある日本の有名人”が登場する場面ですね。いきなり本人役で登場するので本当にびっくりして、開いた口が塞がらなかったです。ちゃんと日本語で喋ります。気になる方は是非ご覧ください。度肝を抜かれました。
ホアン・シンヤオ監督は、初の長編映画『大仏+』で金馬奨(台湾のアカデミー賞みたいなもの)の新人監督賞をはじめ主要5部門を受賞した、注目の台湾人映画監督。といっても僕は『大仏+』は観たことがないのですが。本作で大変興味を持ったので今後も注目したい監督の一人になりました。ちなみにどうやら監督の作品は過去作合わせてすべて同一世界線上の物語で、同じ登場人物が出てきているようで、ホアン・シンヤオ・ユニバースが形成されているということですね!まるで『アンブレイカブル』『スプリット』『ミスター・ガラス』で自分の作品でユニバース化したM・ナイト・シャマラン監督みたいです。
映画『アンブレイカブル』予告編 映画『スプリット』予告編 映画『ミスター・ガラス』予告編
引用元
面白おかしくも切ない、中年を迎えつつある男たちの物語
中年クライシスという言い方はあんまり適切じゃないかもしれないですが、本作は青春時代を引きずりつつ大人になってしまった男たちが、中年を迎えるに当たり次第に自分の人生の限界を感じ始める物語です。そのあたりも非常に胸に響いた要素です。僕は30代半ばで、この映画の登場人物達に近い世代です。結婚��て子供も生まれ、仕事も中堅どころとして色々任せてもらえる一方で、20代の頃はもっと開けていていろんな可能性を感じていたのに、その感覚がだいぶ薄れて自分の到達可能な範囲が少しずつ実感できてくる時期です。そんな僕に向かってズンズン迫ってくるテーマでした。
この映画で僕が特に共感したのはチェンとカンです。
引用元
チェンは保険会社で長く働いているけど、昇進できず、同級生が上司という立場。決して無能だったり要領が悪いわけではなく、むしろ仕事はできる方なんですが、さっさと仕事して定時に帰ると逆に熱意がないと評価をされたりします。また結婚までする心づもりはなかった恋人が、妊娠してしまい突然結婚に踏み切らざるを得ない状況になるなど、彼が進みたいと思う方向や正しいと思う方向が必ずしもうまく行かず、予期していなかった出来事で進む方向が変わってしまうことが続き、自分の意志とは別にだんだん自分の先が決まってしまうような不安感に襲われるのです。結婚披露宴で大勢の人に祝福されているのに、披露宴の裏で物悲しい表情を浮かべるチェンはとても印象的でした。その感覚、理解できます(注:別に自分の家庭に不満があるわけではないですよ!)。
そんなチェンが最後に取る行動に対して監督のナレーションはこのように言及します
(宇宙の始まりが混沌であったと同様に、人生において���時間をかけて求めようとする答えは、それ自体が混沌なのかもしれない。
いろいろ考えるけど、結局何が正解なのかも分からない、混沌としているけどそれが人生だよね、そういうことですね。
引用元
カンは実は高校生の頃に出会ってから、ずっと想い続けてきた、マイナスという呼び名の女の子がいました(変なネーミングですが)。仕事もなかなか安定せず、お金に困っているなか、役所の調査員として市民の住居へ伺って調査を行う仕事を得るのですが、その仕事の過程で偶然マイナスと再会してしまい、再び彼女への想いが全開になって居ても立ってもいられなくなってしまうのです。しかし現在の彼女の状況に複雑な気持ちを隠せないカン。この状態も理解できます。昔好きだった女の子は自分の中で神格化と言ってもいいくらい美化されて思い出に残っていたりするので、僕もカンと同じ状況であれば同じようになるかもしれません。そんなカンがどのような行動に出るのかは、映画を見てみてください。そしてそれがどのように着地したのかは最後まで描かず、本当はどうなったのか、そもそも現実ですら無かったのかもしれないとすら思えるような曖昧な表現にした点も良かった。そしてそれに対して監督のナレーションが語ることも納得。僕はこの場面、号泣してしまいました。花束みたいな恋ではなく、枯れ木に咲いた一輪の花のような恋でした。
思い出は思い出のまま、自分の脳内にそっとしまっておくほうが良いこともあるということです。
引用元
最後に
長々と書きましたが、全員のエピソードが本当に味わい甲斐があって素晴らしいです。中年期を迎えるにあたって、各々が各々でもがいているし、そうやって悪あがきしながらも少しずつ自分を前に進めていくのが人生なんだなと思わせてくれる、人間讃歌の映画でした。
選挙活動に入って以後のミンティエンについては、流石にちょっと解せない部分もありますが、それも含めて人生ってダサくて、かっこ悪くて、それでも素敵だし面白い、そして切ないなあと感じました。最後は決して甘くないビターな着地で、なんとも言えない味わいを残す映画です。
そして最後まで現実と映画の世界とをクロスさせてくるホアン・シンヤオ監督に脱帽。間違いなく、今後も面白い映画を生み出してくれるであろう、楽しみな監督です。
あと音楽も良かったです。一昔前の、今はちょっとダサいと感じるようなロックの楽曲が採用されているのですが、この面白くも物悲しい物語にフィットしていました。少しネット上でサントラ情報を探してみたのですが、今の所見当たらない。。。
最後のナレーションでこんなフレーズがあります
自分の背中には翼があり、努力すれば高く飛べると信じていたのだ。けれど40歳も過ぎれば徐々に気づく。“自分はただのニワトリだった”と・・・。
これは決して諦めに振り切った投げやりな意味合いでは無いと思います。高く飛べないことが人生の意味を低めるわけではない、ニワトリだと気づくことは一つのステップであり、その先も自分なりの素敵な人生は続くんですよという想いが背後にあると僕は感じています。
今後も何度と無く思い出したり、見返すであろう作品になりました。観てよかった、ありがとう!
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