#オデッサから隣のモルドバへ
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)11月28日(木曜日)
通巻第8525号
ディープステーツの後退。EUとNATO主要加盟国に衝撃
ルーマニア選挙、保守が第一党に! 左翼連合は真っ青
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モルドバは親西派が辛勝した。原因は距離感からだろう。ウクライナに隣接するとは言えば、西部オデッサは戦闘現場から遠い。ともかくEUブラッセル本部は安堵した。
ジョージア(グルジア)は逆に親モスクワ派が辛勝し、国内は抗議デモの嵐となった。欧州各紙は「背後にロシアの工作があった」などの陰謀論を展開し、ジョージア国民のロシア回帰という感情と現状認識の変化を伝えなかった。ジョージアは地政学的観点から、国益を考えれば西側へ近づきNATOに加盟などすると、「ウクライナの二の舞」になる懸念が拡がった。なにしろジョージア人の誇りはスターリンだ。
ルーマニアは「第二のハンガリー」となるか。
ルーマニアは旧東欧、かつては「ローマ帝国の末裔」、モルトバは、ソ連にもぎ取られたが、ルーマニア連邦への復帰がふさわしいと考えている人がおおい。
ルーマニア大統領選挙の第一回の投票は11月24日に行われた。キャンペーン中に何千もの偽アカウントでフェイク情報が飛び交い、これは中国系のTIKTOKが背後で操作したのだとして、一部の議員はCEOの中国人を欧州議会に召還せよと要求した。
なぜなら保守政治家が、それも無名の泡沫候補が突然トップに躍り出たからだ。「超国家主義者」「極右」「親ロシア」とされる政治家、カリン・ジョルジェスクが第1回投票で第一位となったため衝撃が走った。
11月24日の投票率はおよそ53%だった。無所属で事前世論調査ではランク外だったカリン・ジョルジェスクが突然、23%でトップ、中道の「ルーマニア救出同盟」(USR)エレナ・ラスコーニ(女性)は19%だった。連立与党で中道左派「社会民主党」(PSD)で現職首相のイオン=マルチェル・チョラクの第一位が確実視されていた。事前には「ルーマニア統一同盟」(AUR)のジョルジュ・シミオン氏が追い上げていた。
ところがランク外だったジョルジェスクの突然のトップと、不人気といわれたラスコーニの躍進はEU全体に衝撃を運んだ。
ジョルジェスクは、国立持続可能開発センターの所長、環境省や外務省、国連、民間シンクタンク・ローマクラブなどで要職を務めた。
二位につけたラスコーニは親欧米的な外交政策を示しており、汚職撲滅や国防費増、ウクライナの継続支援を公約として掲げ、選挙開始前には米国やカナダに住むディアスポラ(移民)に積極的に投票を呼びかけた。勝利すれば初の女性大統領となる。
12月1日には上下両院選挙が実施される。
▼極左からみれば中間の政治家は「極右」になる。尺度の原点が違うから
例によって欧州の左翼メディアが規定する「極右」とは国益を優先させ、グローバリズムは妖しいと主張する政治家を意味する。保守台頭がよほど癪に障るのだろう。
しかしフランスでドイツで保守政党が比較第一位となり、第二回投票で二位と三位連合で保守系を抑えて逆転させ、連立を組むというパターンがある。
マクロン仏大統領も、ショルツ独首相のそうした脆弱は左翼連立で成立しており、選挙の仕組みが異なるオランダ、オーストリア、イタリアでは保守政権である
左翼は「TikTokキャンペーンが如何にして無名の候補者を第一位にいきなり押し上げた」と、もっぱら責任を他に転嫁する性癖がある。ルーアニア大統領選挙の第2回投票は12月8日に行われる。
EUの左翼メディア、すなわちディープステーツのプロパガンダマシンは、「ルーマニアの出来事はEU全体への警鐘だ。過激化と偽情報��欧州全土で起こり、有害な結果をもたらす可能性がある」と自らの不人気を棚に上げて「過激派」「右翼」「有害」「危険」などと保守の台頭をレッテル貼りに余念が無い。
しかしロシアや他の国家主体の関与を示す証拠はない。中国のバイトダンスが所有するTikTokはアメリカで禁止令がでている。バイデンは2025年1月19日までにアメリカ企業への売却を命令したが、トランプはTIKTOK擁護だから、どうなるか混沌としてきた。
EUでも痛烈に批判されており2023年、マクロン大統領はTikTokを「一見無害」で、ユーザーの間で「本当の中毒」を引き起こす原因だと呼んだ。
ルーマニアのカリン・ジョルジェスクはハンガリーのオルバン首相と同様に、ロシアに理解をしめし、EUブラッセル本部を批判し、トランプ支持であり、グローバリズムへ懐疑的である。つまり脱炭素、LGBT、環境保護などの諸問題でトランプに共鳴する。トランプ現象は世界共通となった。
西側でディープステーツの影響力が大幅に後退しているのである。
▼ロシアではエリツィン記念館を閉鎖しろの声が
ロシアでは反プーチン精力は極めて少数だが、西側メディアが反体制派などを誇大評価するので勘違いしている人が多い。
最近もこういう話がある。
エカテリンブルク市にエリツィン前大統領の記念館が建設されたのは2015年だった。
ソ連崩壊を導きロシアを民主主義国家としたゴルバチョフ、その路線を引き継いだエリツィンの業績を評価し、歴史ミュージアムとして立派な建物となり、設備も大型スクリーン、映画室など近代的設備が整った。見学者もそこそこあった。
これを「彼らは祖国への『犯罪者』だ。記念館などとんでもない、閉館せよ」と唱えているのが、ニーナ・オスタコワ国会議員等で、さては、プーチン別働隊かと言われる。
プーチンの底堅い支持率は、反西欧、反グローバリズム、ロシア第一にある。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)3月9日(木曜日)
通巻第7665号 <前日発行>
ジョージアで暴動、モルドバに戦雲が兆す
ウクライナ戦争の余波、米国は傍観を決め込んだ
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3月7日、カフカスのジョージアの首都トビリシで暴動が発生した。旧グルジアである。
これは���国から資金を受けた団体を規制する法案を議会が審議可決したことに反対するもので、数千人規模のデモ隊の一部が過激化し、警察に火炎瓶や石を投げつけた。
警察は催涙ガスで鎮圧した。議会には親ロシア派が多く、またロシアの若者がウクライナ戦争への徴兵忌避で相当数がジョージアに移住している。
同法案は外国から20%以上の資金拠出を受けた団体に「外国エージェント」としての登録を義務付けるもので、違反した場合、罰金が科される。
ずばり標的はジョージ・ソロスだ。
しかし親欧派のズラビシビリ大統領は、この法案が議会を通過したら拒否権を発動すると言明している。
ジョージアはソ連から独立後、政争が絶えず初代大統領の詩人ガムサフルージアは独裁者と批判されてチェチェンに逃亡中に暗殺された。
二代目はソ連時代の外相だったシュワルナゼ。三代目は臨時代行で、四代目が米国帰りの実業家サアカシビリだった。
ところが2008年のオセチア、アブハジア戦争にロシアの介入を招き、サアカシビリは二階に上がってはしごを外されて格好となってウクライナへ逃亡、なぜかウクライナのオデッサ知事におさまった。ポロシェンコ政権は彼を優遇したかとおもえば、気が変わって国外追放した。またウクナイナに入国すると、こんどはゼレンスキー大統領から改革委員会の議長に指名された。
その後、サアカシビリはジョージアに帰国したが、拘束され現在裁判中である。
ウクライナに隣接するモルドバも戦雲が立ちこめている。
もとよりモルドバ東部に旧ソ連が残した東欧最大の弾薬庫があるため、ここ���含めた沿ドニエステル『自治区』にロシア軍が1500名駐屯している。
この「沿ドニエストル共和国」を自称する地区にはロシア系住民が多く、モルドバからの分離独立を宣言している。構造的にはウクライナ東部のドンバス、ルガンスク地方と同じである。
筆者のモルドバの強烈な印象。(ここはルーマニアだな)。
▲ロシアが介入の余地はあるか?
ロシア国防省は2月23日、「ウクライナがモルドバ周辺に兵力を集め、武力での挑発を準備している」とする声名を発表した。これは弾薬不足に陥ったロシア軍が沿ドニエストルの弾薬庫を確保するためのプロパガンダだろう。
米ワシントン・ポストは2月21日の論説で「ロシアのプーチン大統領はウクライナで手いっぱいだが、戦果を示すためにモルドバに侵攻する可能性が懸念される」と唱えた。米国は傍観する姿勢を示唆している。
モルドバは2020年の大統領選で、親ロ派のドドンが敗れ、親欧米派のサンドゥ元首相が勝利した。サンドゥ大統領は「ロシアが反政権デモに乗じてクーデター(政権転覆)を画策している」と発言した。
首都キシナウ(キシニョフ)では反政権デモが頻発し、ウクライナのマイダン革命前夜の状況に似てきたとする分析もある。マイダン革命では親ロシア派のヤヌコビッチ大統領を糾弾したが、背後にあって資金提供したのはジョージ・ソロス。先頭にたってデモを鼓吹していたのがヌーランド(現在のバイデン政権下で国務次官)だった。
★なお筆者のモルドバ、ジョージア、ウクライナを含む旧ソ連圏30ケ国旅行記は『日本が全体主義に陥る日』(ビジネス社)に写真多数とともに収録されています。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)2月28日(月曜日)
通巻7236号 <前日発行>
ウクライナ残留ユダヤ人、モルドバへ「エクソダス」
オデッサからとなりのモルドバで待機、エルサレムへ帰還
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エルサレムポスト(2月26日)によれば、ウクライナ西南部の港湾都市オデッサから、戦争の難を逃れてモルドバへ避難した在留ユダヤ人はおよそ一万人(ほかに3万3000人がウクライナ各地に居住)が、近くエルサレムへ帰還する。
(以下は拙著『日本が全体主義に陥いる日』(ビジネス社)のモルドバの章の縮約。すでに7219号でウクライナ取材記を、7223号でベラルーシ紀行を再録した。本編は、シリーズ第三弾)。
▼モルドバは社会主義計画経済の残滓、繁栄にはまだまだ遠い
モルドバの首都キシニウ空港に降り立った。
朝日に輝く光景のなか、管制塔のほか高い建物がなく、まるで片田舎の小さな飛行場。日本の米子鬼太郎空港や小松空港よりこじんまりとしている。通関してロビーに出ても、両替所もない。
(これって国際空港か?)
予約していたコスモスホテルへタクシーで向かうが、道路は埃っぽく、街路樹が排ガスや土埃をかぶって黄色く汚れている。
鉄道駅前は古着や、何に使うのか不明の金具、部品などをこまごまと並べた露店がいくつも店開きしている。ショッピングセンターの入った近代的ビルの斜め前、二十二階建てのコスモスホテルは、規模とは裏腹に旅客が少なく、照明も薄暗い。
しかもこのホテルでも両替はできず、ボーイが隣のビルの両替所まで案内してくれた。待たせていたタクシーに現地通貨(ルーマニアと同じくレイ)で運賃1500円を支払った。すぐさまシャワーで旅の埃を落として着替えをして、ようやくさっぱりと落ち着いた。成田からイスタンブール空港で乗り換えた。十八時間の長旅だ。
キシニウの街並みはソ連時代の計画経済の名残か、碁盤の目のように縦横はきっちりしている。
しかし建物はと言えば旧式のいかめしいビルがあるかと思うと、隣は瀟洒なガラス張りのレストラン、とても計画的には見えない。カジノが至る所にあって、二十四時間スーパー、怪しげなストリップ劇場、入れ墨専門店が軒を並べ、寒い国にこそ需要がありそうなマッサージの店は少なく、目抜き通りには女性向けの美容室も見かけない。異常な環境である。
▼豪華なレストランもあれば、ホームレスも。町は埃だらけ
物価が安いので欧米からの観光客は結構多い。そうした人々と行きかうのだが、中国人、韓国人には滅多に出会わない。日本人とは全く会わない。それなのにあちこちに寿司バアがある。世界的に健康食として寿司が静かなブームになっている。
一日目の夕食としてグルジア料理でもと目抜き通りから一歩奥まった、中庭が緑に囲まれている店を選んだ。
屋外の席に陣取ったが、隣では着飾った男女が騒々しいパーティ。何かと思えば一歳の子供の誕生日を祝う若夫婦が、友人たちを招待した一団だった。ロシアの新興財閥のような、結構豊かな階層がモルドバにも出現している。
ほかにビジネス客、常連客とアメリカ人の老夫婦らもめずらしいものを見るような目でこのパーティを眺めていた。旧共産党幹部らの国営企業民営化のどさくさに紛れての汚職が絶えない。加えて、こうした所得格差も社会的憤懣となってくすぶっているのだろう。
凱旋門の中心に大統領府、市庁舎、議会前にはテント村が出現している。泊まり込みでハンガーストライキを続けるグループをよく見かけた。
同じ場所で憩う市民もいる。キシニウ市内で一番大きな公園は初代国王シュテファン大公を記念するもので、そういえばモルドバ通貨のデザインはすべてこの国王の肖像をあしらっている。キシニウの目抜き通りの名称もシュテファン・チェル・マレ通りだ。国会ビルを取り囲む緑豊かな公園の、日陰のベンチにはのんびりと憩う老人たち、テキストをひろげる学生に混ざってカップルが肩を寄せ合っている。その横をスケボーの少年らが勢いよく走り抜け、近くのアイスクリーム屋に殺到していた。
こんな光景を眺めていて、戦争の傷跡がほとんど見当たらないことに気が付いた。
中古市、骨董市などを覗くと旧ソ連時代のバッジ、軍帽、ブレジネフのバッジまで売っている。そのとなりの店にはドナルド・トランプのマトリョーシカが客待ち顔で鎮座する。
▼EU加盟をロシアが阻止
モルドバはEU加盟を政治目標にしている。ところがこれを不快とするロシアから、モルドバ産ワインの輸入禁止などの嫌がらせを受け、ガスパイプラインを止めると脅されたりするので、なかなか前進させることができないのである。
「モルドバ語」と表記される言語も実態はルーマニア語であり、国旗はと言えば中央にオーロックス(牛の原種)が描かれてはいるが、ルーマニアそっくりの青・黄・赤の三色旗。ロシア語族は沿ドニエステルを中心に11%程度。
モルドバは価値紊乱の真っただ中、文化の多様化という混乱の様相を見せていた。
モルドバ国民の悲願は将来のルーマニアとの合邦にあるが、ロシアは絶対反対である。
モルドバの西側はルーマニア人の居住する農業地帯で、モルドバワインは世界的に有名、多くのモルドバ国民はルーマニアへの復帰を望み、言語もルーマニア語を話す。
モルドバはながらくルーマニアと一緒で元の名前は「ベッサラビア」。2018年にはベッサラビア誕生百周年の記念行事も予定されている。
第一次世界大戦でベッサラビアはソ連により分割され、モルドバはソ連圏に編入された。
まさにその東西冷戦の残滓がまだ居残り、微妙なバランスの中、政治的な綱渡りを演じているのがモルドバ共和国だ。親西側を鮮明にはしつつも、もう一歩踏み切れないもどかしさ、すぐ東がウクライナだからだ。
モルドバの安定はウクライナ情勢の帰結に深く連動しており、EUが全面支援には踏み切れない理由付けにもなっている。プーチンは沿ドニステルの武装勢力と、ルーマニア国内のプロ・ロシア政党、ならびにモルドバ国内のロシア工作員を通じて一連の地下工作を展開するからだ。
しかしモルドバは経済的に行く詰まり、繁栄にはほど遠く、かつ国内政治はプロ・ロシアの政党がまた力をもっており、国民の意識調査では西側への傾斜があきらかではあっても、法体系と治安制度から、多数派には達しない。
そのうえロシアのクリミア併合とウクライナの混乱を目撃すれば、急激な政治的路線変更はロシアの介入をまねくことを極度に警戒しているからだ。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)5月13日(金曜日)
通巻第7331号
戦局次第では、次に「ウクライナ・ドミノ」が起こる危険性
セルビアはコソボ奪回、アルメニアはナゴルノ・カラバフの失地回復
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ロシア軍のオデッサ攻撃が始まったため、隣国のモルドバは極度の軍事緊張に包まれた。
オデッサはウクライナ南西部の港町で商業繁栄、西側と変わらない都心部、立派なオペラ座やプーシキン文学館もある。
次に侵攻される可能性が高いモルドバは、国内のドニエステル東岸にロシア軍1500名が駐屯し「ロシア系住民を守っている」。
ロシアと長い国境を接するフィンランドはNATOへの加盟を本格化させ、プーチン政権に衝撃を与えた。フィンランドのマリア首相は5月11日に訪日し、岸田首相と会見した。NATO加盟は確定的ととれる発言をした。どちらかといえば左翼系、LGBTQ支持の女性宰相とて、いざ国防となればドイツの極左「緑の党」が国防力強化をいうほどに安���保障には敏感である。
5月11日、コソボのトニカ・ゲルヴァラ外相がイスラエルを訪問した。
エルサレムにコソボ大使館を開設したほど親イスラエル路線のコソボは、アルバニア系住民が多くイスラムである。にも関わらず、世界遺産はふたつのセルビア正教の教会である。そしてセルビア系住民は去り(27万がセルビアに避難した)、農地も農家も空き地、空屋が目立つ。
コソボにはNATO軍が駐屯している。世界遺産の警備に付いたのはイタリア兵だ。
セルビアはバルカンの覇者だった。
チトーが死んでバルカン半島全体が戦火に包まれ、結局、ユーロスラビア連邦は七つの国に分裂した。NATOが介入してセルバアを空爆した。セルビアの指導者ミロセビッチ、カラジッチは国際法廷にひきづりだされた。
コソボ独立から12年、コソボ独立戦争を率いた「コソボ解放軍」の指導者サチが初代大統領となったが、2020年に突如辞任した。戦争時の虐殺が明瞭となり、国際法廷で無懲懲役判決が出そうな状況だからだ。コソボ独立を承認しない国はロシアを筆頭に中国など、セルビアはいまでも「コソボ・メトヒア自治州」と呼んで奪還を狙っており、そのためかどうか、最近でも中国がセルビアに大量の武器を輸送した。
コソボの首都プリシュティナにはマザ-・テレサ記念館もあり、町並みは綺麗になってアルバニア人の天下となった。人口は178万人。失業率25%、多くの若者はEU諸国へ出稼ぎにでている。
マザ-・テレサの両親はアルバニア人とルーマニア人で、現在は北マケドニアのスコピオに生まれた(当時は「コソボ州」)。彼女はカソリックだった。
アルメニアとアゼルバイジャンの第二次ナゴルノ・カラバフ紛争はロシアが仲介し、アルメニアは大幅に領土(40%)を削られて停戦に合意した。ロシア軍が「平和維持軍」として駐屯している。
もしロシア軍が去れば、アルメニアは軍事作戦を展開し、「第三次ナゴルノ・カラバフ紛争」が勃発する可能性が強い。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)2月24日(木曜日)
通巻7229号
ロシア軍、ウクライナ東部に「侵攻」。西側は一斉に非難し制裁を表明したが
米軍もNATO軍も軍事介入はできず、口先非難で傍観。効果が妖しい「制裁」。
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ロシア軍がウクライナ東部に侵攻した。
ドネツク自治州、ルガンスク自治区はロシアに隣接しロシア人住民が多数派だから、独立国家として認める方向にある。
問題は、戦火がウクライナ全土に拡大するか、どうか。
欧米は一斉に非難し、日本も制裁を発表したが、一番困っているのは、おそらくドイツである。数兆円を投じたノルドストリーム2が工事中断、展望が真っ暗になったからだ。ドイツは「承認手続きをしばしペンディングにする」としたが、工事中止は口にしていない。
ほくそ笑むのはカタール、UAE、そして最大の裨益国はアメリカ。ガス輸出の代替がこれから始まる。
このロシアの軍事行動は、過去の類似パターンに酷似している。
まず思い出すのがチェチェンとイングーシ争乱である。欧米は「ロシア国内の争乱」として傍観した。ロシア軍が介入するのも、独立過激派がテロ戦争をしかけたからだ。
チェチェン人とイングーシ人は、そもそも同じ民族でイスラム教徒スーフィズムを信仰する。スターリンが共和国を廃止して、民��隔離政策を実施し、多くをシベリアに追いやって以後、状況は複雑化していた。
1990年に独立を宣言し、94年にエリツィンが介入して紛争は激化した。なにしろイスラム過激派ゆえにテロが頻発、政治家の暗殺が続き99年には連続爆破テロ、大量避難民がでた(一部のテロ事件はロシアの演出を狙った自作自演説がある)。
けっきょく、1999年にロシア軍が再介入し治安を維持してきたが、政情は依然として不安定。治安悪化のまま。過激派の一部はシリアへ「出張」した。
2008年のグルジア戦争は、グルジア国内の自治区がグルジアからの「独立」を希求した国内国とグルジア(その後、国名をジョージアと改称)との領土戦争である。
二つに分けて考えられる。
(A)南オセチア(南オセチア・アラニア共和国)
91年に「グルジアから独立」を宣言した山岳地帯の自治区で、ジョージア領内にあって独立が認められず、ジョージア軍が武力介入した。そこにロシア軍が介入し、独立国として扱われる。(プーチンが2008年8月8日の北京五輪出席のその日にロシア軍が侵攻した)。
(B)アブハジア共和国の紛争も、上記の南オセチアに連動する。これらを外交承認した国はロシア、ニカラグア、ベネズエラ、シリア等のロシア傀儡国家。そして国際社会が独立国家とは認めていないアブハジア、ルガンスク、ドネツク等の紛争地域も(政府を名乗って)承認した。ガガウス共和国(モルドバ沿ドニエステル)などがお互いに「傷の舐め合い」を演じたが、国際的にはいずれも「未承認国家」として扱われる。
▼クリミアの併合
クリミア併合は2014年、ヤルタ会談のリバーティア宮殿を含む地域と、軍港として有名なセバストポリにロシア軍が進軍して「ロシアに編入された」。
そして1954年のフルシチョフのクリミア割譲を「無効」としたうえで、クリミア、セバストポリ、ロシア三国が署名した。「住民投票の結果であり、西側の批判は根拠希薄」とプーチンは言いつくろい、西側の制裁に中国も同調的だった。
ついで起こったのも旧ソ連を構成したカフカスのアルメニアとアゼルバイジャンである。お互いが「飛び地」を巡って、これまでもにらみ合ってきた。ジョージアに加えて、カフカスのほかの二カ国も複雑怪奇なのである。
ナヒチバンとナゴルノカラバフ戦争はどうなったのか? ロシア軍はアルメニア、アゼルバイジャン戦争に「平和維持部隊」を派遣し紛争を終結。アルメニアはナゴルノの三分の一を失った。人口35万の98%はアゼルバイジャン人である。住民の���思は独立か、アゼルバイジャンへの帰属だから、住民自決を原則として、ロシアが主導権を取った。
将来、同様な火種を抱えるのはモルドバ領内の沿ドニエステル自治区(オデッサに隣接)だ。
2006年、アブハジア共和国、南オセチア共和国、沿ドニエストル共和国の3か国の「大統領」が共同声明をだし「共同体���設立を宣言。アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)も参加した。沿ドニエステル自治区にはロシア兵1500人の兵力が駐留している。四年ほど前に、筆者がモルドバからバスでウクライナのオデッサへ向かったことがある。沿ドニエステル自治州を迂回するため、たいそう時間がかかったものだった。
▼旧ユーゴスラビアの分離独立を、なぜ西側は支援したのか?
バルカンの分離独立戦争では、「独立」を指向した旧ユーゴ連邦の「国内国」が次々と隣国との国教を巡り、軍事衝突が大規模となった。ついに旧ユーゴスラビアは七つの「独立国家」となって分解した。スロベニア、クロアチア、ボスニアヘツェゴビナ、セルビア、コソボ、モンテネグロ、北マケドニア。バルカン半島には、もう一つユーゴに加わらなかったアルバニアがある。
こうした事態の出来はNATOの失敗ではなかったのか。
米軍は上空五千メートルから「介入」した。ベオグラード空爆では国防省ビルなどが残骸となった。日本大使館のとなりにあった中国大使館も「誤爆」された。
結果、セルビアだけが悪役となって「民族の英雄」とされたミロセビッチ、カラジッチが国際法廷で裁かれた。
こうした措置にユーゴスラビアの首都を置いたセルビアが反発し、ロシアとの関係を強化した。セルビアのジェノサイドだけが悪かったのか。ではクロアチアやボスニアの残虐行為が不問とされたのは、矛盾していないのか。
そしてこの紛争では想定外に「コソボ」が独立という奇妙な結末となった。このとき西側は「コソボ独立」を支持し、支援したのである。現在もコソボの治安を護っているのはNATO軍である。最大の裨益はアルバニア。なぜならコソボにいつの間にかセルビア人が激減して、アルバニア系が多数派となっていたからだ。
つまりコソボ独立を「民族自決」の原則で支援したわけだから、それならドネツク、ルガンスク自治州の「独立」を西側は認めなければ矛盾ではないのだろうか?
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