#四ツ谷無限
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最近ここの店ハマってます 四谷にある むげん 明日の金曜日 ここでランチ会やるからきてけろー 12時30すぎからでぇす ゲストに 北海道参院選出馬した キャシー石井さんが来ますわよ #四谷グルメ #四谷ランチ #四ツ谷グルメ #四ツ谷ランチ #キャシー石井 #キャシィ石井 #キャシィー石井 #四谷無限 #四谷むげん #四ツ谷無限 https://www.instagram.com/p/CoKgGOtJuy9/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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「け」の存在と私
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以前勤めていた企業のイベントで過去を振り返る企画があり自分の若かりし日の写真を同僚に見てもらったところ頭髪がふさふさしていて驚かれたものです。
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「ケ」と言えばカタカナで「け」と読みますが漢字で「市ヶ谷」だと「が」と読みますね。さらにややこしいのがJRとメトロの駅は大きい「ケ」で都営の方は小さい「ヶ」ですね。
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他にもあったり無かったりするのが「ツ」の文字「四ツ谷駅」はあるのに「四谷三丁目駅」だと「ツ」がありませんね。それでも四ツ谷駅にあるこの店は「ツ」がありませんね。
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というわけで本日のディナーは #かつれつ四谷たけだ です。実は代替わりする前の洋食エリーゼには月に1−2回くらい通っていましたが勤務地が変わり3年半ぶり2度目です。
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しかも前回は洋食エリーゼのメニューを期間限定で楽しめるということなので、この店ならではのメニューを味わうのは意外にも初めてです。
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頼んだのは��板メニューの #カキバター焼定食 (130g)です。平日の夜なら比較的入りやすいかなと思っていましたが、50分程で入店。料理が来たのはさらに13分後でした。
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盛り付けられた皿を見れば1時間の並びの疲れが吹き飛ぶような大ぶりの #牡蠣 のビジュアルにノックアウトです。
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濃厚な醤油バターのソースと表面を軽くコーティングされた大きめで存在感のある牡蠣を噛み締めた瞬間にほど走る旨みが口いっぱいに広がります。
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生牡蠣、焼がき、カキフライ。今まで生まれて来てさまざまな形で味わって来ましたが、個人的には牡蠣を頂くための味付けとしての最適解な気がします。
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決め手となるソースの味わいは唯一無二と言って間違いありません。最初キャベツはドレッシングでいただいていましたが、後半は牡蠣のソースで食べるのがいいと思いました。
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左端にある #ベーコン もいい味わいでご飯が進みます。壺漬けの沢庵でご飯を食べるのもいいのですが、メインディッシュだけで十分に白米が進む味わいですね。
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牡蠣を増量している人が意外と多いなと思ったのと、トッピングしている人も多かったので、自分も次回は色々とトッピングして食べてみたいなと思いました。
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#四ツ谷ディナー #四ツ谷ランチ #四ツ谷グルメ #四ツ谷洋食 #とa2cg
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696:底名無し沼さん (ワッチョイ ddbb-zkkm):[sage]:2024/01/06(土) 12:40:11.06 ID:IY5+ip4d0
カツヒコさんが奥多摩の山に逝ったきり行方不明だって
701:底名無し沼さん (ワッチョイ 61fa-AVCI):[sage]:2024/01/06(土) 13:44:56.08 ID:DYxUHgsP0
>>696
事故ったのは確実だよね
なんか情報ないのかな?
697:底名無し沼さん (ワッチョイ 6ddd-LLm/):[sage]:2024/01/06(土) 12:51:49.76 ID:qp4w8Obk0
カツヒコってホームレス登山家の先駆者じゃん!
702:底名無し沼さん (ワッチョイ 190f-gxUC):[sage]:2024/01/06(土) 14:28:36.05 ID:Ht0pQ5dn0
登山素人なんで教えてほしいんですが、2日に帰る予定が配信も途絶え、出社もせず、昨日、会社が家族に連絡して捜索願いの流れらしいです
この場合って、直接目撃した人からの通報でもなければ、わざわざ警察が山を捜索するなんてことはないのでしょうか?
760:底名無し沼さん (ワッチョイ dff3-zynb):2024/01/08(月) 17:58:02.64 ID:a98F5DMk0
>>702
そういう輩は、行きあたりばったりの発作的な思いつきで行動する致命的な悪癖が染み付いていて、本人自身がハッキリ決めてないんだから当たり前だけど、予め家族とかにどこの山にどういう日程で登るとかを伝えてなくて、漠然と山に登って何日頃に帰るとかし���伝えようとしない例が多すぎる。
また、当然の流れで、登山口に予定を書いた届けを残すという真っ当なこともしない場合が多い。
「どこを捜索すれば良いか?そもそも本当に山に登ったのか?」など警察が推理捜査できる根拠とかがありえないんだから、何もしようがない
ほとんど全くいきなり失踪して失踪した日時さえもハッキリとは分からない者に等しい。
「山」だからって日本全国の山を縦横無尽に渡り歩いて探せなんて通るわけがない。
先年の新潟の親子遭難でも、どこだかハッキリしない山の中から帰るという電話があって、しかし待っても帰らないというのでやっと騒ぎになって、要領を得ない爺さんの言で捜索隊が違うコースを探したけど、騒ぎになった関係でそれらしい目撃談が出て来てやっと絞れて、しかし見つからず、後にとんでもなく外れた谷底で発見。
もし目撃談である程度絞れなかったら、たまたま沢登りの人とかが見つけでもしない限り、そのまま発見もされずにいる可能性大。
703:底名無し沼さん (アウアウウー Saa5-jGIn):[sage]:2024/01/06(土) 14:40:53.47 ID:LLcv7+z4a
>>702
しんのすけか知らんけど、コースや山域が分かっていて遭難捜索願い出したらやってくれると想う
民間捜索を依頼するという手もある
707:底名無し沼さん (ワッチョイ 190f-gxUC):[sage]:2024/01/06(土) 16:50:01.91 ID:Ht0pQ5dn0
>>703
レスありがとうございます
いずれにせよ、素人目でも初動が遅すぎた感があり朗報はないように思っています
カツヒコ氏はどうしようもないクズなところも多々ありましたが、配信歴と定期性だけは突出してたので驚いています
もしなにかありましたらカツヒコスレまでお願いします
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/hage/1704145345/
709:底名無し沼さん (アウアウウー Saa5-jGIn):[sage]:2024/01/06(土) 18:14:56.99 ID:TBk1GTcMa
>>707
なんだ、その知らん人の話か
わからないからちゃんとアンカー付けてね
712:底名無し沼さん (スッップ Sd62-zIl4):2024/01/06(土) 20:26:46.84 ID:026csOSbd
>>707
向こうのスレ見たけど、鷹ノ巣山に登ると発信してて、ルートは浅間尾根なのは確かなのかな?
スレにあった最後の配信動画とかいうのに写ってる神社はたしかに浅間尾根途中の浅間神社に似てる。
http://tokyo-tozan.com/tozan/okutamagoya/3.php
尾根を登りきったとこに鷹ノ巣避難小屋があって東に行くと鷹ノ巣山。
704:底名無し沼さん (ワッチョイ c6b3-jGIn):[sage]:2024/01/06(土) 14:51:45.18 ID:dMQU+jst0
Youtubeが12月29日で止まってるね。
でもこの人そんな難しい山には��かないよね?
715:底名無し沼さん (ワッチョイ b1e6-JKp6):2024/01/06(土) 21:27:37.99 ID:PNDllBtq0
レス読んだだけだが、峰谷から上がって三条下山で三泊四日というのは??
鷹ノ巣・山荘or山頂・三条で刻む余裕を持った予定だったのだろうか?
それともどこぞの寄り道を加えていたのかな?
718:底名無し沼さん (ワッチョイ b1e6-JKp6):2024/01/06(土) 21:56:29.18 ID:PNDllBtq0
一般道のトラブルとしたら、三条ダルミの下降や石尾根の巻道での滑落が心配だな
722:底名無し沼さん (ワッチョイ df8a-NF1f):2024/01/07(日) 16:16:21.84 ID:cU584grV0
範囲広いね
727:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f64-tUMm):2024/01/07(日) 21:55:27.62 ID:1Ka2pZUn0
カツヒコさんはよく闇テンするから避難小屋にはいってないかもしれない
728:底名無し沼さん (スップ Sd1f-FHFU):[sage]:2024/01/07(日) 23:12:44.08 ID:Ji9FV38wd
>>727
ヤミテンしてても誰が目撃してるでしょう。それにあれだけ異様なオーラある人ならすれ違ったら記憶に残るだろう。
恐らく配信終わった浅間神社から鷹の巣避難小屋の途中で滑落か道迷いしたんだろう。
729:底名無し沼さん (ワッチョイ df6d-/C01):2024/01/07(日) 23:20:56.25 ID:y78Ztd0h0
浅間神社から避難小屋までなら、避難小屋直前のトラバースがちょっと細くて谷が深いくらい。
自分はキノコ栽培場とモノレールがなんか印象に残ってるw
730:底名無し沼さん (ワッチョイ dfed-1hsR):[sage]:2024/01/07(日) 23:45:16.19 ID:sdtZ4CTv0
去年11月の頭に峰谷から鷹ノ巣に登ったけどキノコ栽培のあたりは紅葉が綺麗だったな
基本道迷いしようがないくらいの一本道だと思うけど、尾根が広がったところとか勘違いするか?
735:底名無し沼さん (ワッチョイ df92-4QlN):2024/01/08(月) 03:34:43.70 ID:+48Q9fOW0
>>730
じゃないの?
こないだ道がわかりにくかった、って言ってた人に2人くらい会ったし
736:底名無し沼さん (ワッチョイ df6d-/C01):2024/01/08(月) 11:51:26.87 ID:2rJOQOKZ0
>>730
あそこ紅葉きれいだよね
避難小屋にノートとか無かったっけ
なにか書いてたりしないか
731:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f09-L4XV):2024/01/08(月) 00:00:10.78 ID:H71+mgJw0
鷹の巣・雲取・三条なら3泊4日もいらんだろ。
3泊4日で動ける範囲は広すぎる。
ツイッター(X)で捜索の呼びかけすれば人数集まると思うよ。私も何回か参加したことあるし。
732:底名無し沼さん (ドコグロ MM8f-dypv):[sage]:2024/01/08(月) 00:02:36.97 ID:rMmYU0uyM
過去の動画ちらっと見たけどジーンズにポロシャツにスニーカーでとても登山経験あるように思えない
ましてや普段トレーニングの形跡ゼロ、チビデブハゲの三重苦に加えて20キロ担いで3泊4日?超人か?
733:底名無し沼さん (ワッチョイ dff9-vNrU):[sage]:2024/01/08(月) 01:31:52.87 ID:kxra/5wy0
熊に襲われた可能性。
一本道とはいえ単独では心細いところだし。
734:底名無し沼さん (ワッチョイ df8a-NF1f):2024/01/08(月) 01:57:41.56 ID:UilhnT9o0
鷹ノ巣、雲取、三条で1泊ずつすれば3泊4日にはなるか
鷹ノ巣から七ツ石までで落ちたのかなぁ
737:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f09-L4XV):2024/01/08(月) 12:18:42.87 ID:H71+mgJw0
>>734
そうか。鷹の巣・雲取・三条で各1泊って発想はなかった。ザックが重くなるから泊は三条だけだと思い込んでわ。
738:底名無し沼さん (ワッチョイ dfed-1hsR):[sage]:2024/01/08(月) 13:04:49.01 ID:Mq2XOg+V0
去年だか大月のあたりでお姉さんが沢登りで行方不明になってるとかで妹が探していたら
怪我で連絡取れなかっただけでアパート戻ってたというのがあったと思うけど
そんな感じで、鷹ノ巣の登りで敗退、風邪で寝込んでるだけだったとかだと良いんだけどね
744:底名無し沼さん (ワッチョイ 7f13-HdSI):2024/01/08(月) 14:54:11.92 ID:M+XoMvtF0
松崎勝彦という
アウトドアyoutuberが音信不通なのですが
山で見かけた方いないでしょうか
https://youtu.be/59Uz7Gved3E?si=58ntbHx00HhDwEUH
748:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f09-L4XV):2024/01/08(月) 15:47:01.99 ID:H71+mgJw0
>>744
身内か関係者が探してくれって言ってくれれば探しに行くよ。
746:底名無し沼さん (ワッチョイ dfed-1hsR):[sage]:2024/01/08(月) 15:24:52.33 ID:Mq2XOg+V0
>>744
>>707あたりから話題の人と違うの?ざっと読んだら分かるけど今のところ情報無いみたいよ
747:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f09-L4XV):2024/01/08(月) 15:45:46.33 ID:H71+mgJw0
>>746
707あたりから話題なのはカツヒコさんだから
松崎勝彦氏が濃厚かもね。
749:底名無し沼さん (ワッチョイ 7f8c-ipwt):2024/01/08(月) 15:50:24.48 ID:58qC0c410
この人毎日配信してたからね
それがこれから登り始めるという配信を最後に一週間以上消息を絶った
遭難したかスマホなんかの配信機材を失って配信できなくなったかのどっちかなのはほぼ確か
750:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f09-L4XV):2024/01/08(月) 15:54:40.52 ID:H71+mgJw0
鷹の巣・雲取・三条を探すのかなりの労力だから
行方不明って確証が欲しいをだよ。
751:底名無し沼さん (ワッチョイ 7f5a-k8Y7):2024/01/08(月) 15:58:21.54 ID:vKXGKa2w0
>>750
カツヒコスレによると5日に会社に連絡した人がいて会社に来ていないとの話
754:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f09-L4XV):2024/01/08(月) 16:17:18.46 ID:H71+mgJw0
>>751
会社の同僚や友達でも良いから探してくれと言ってほしいんだよなー。そもそも奥多摩で遭難じゃない可能性もあるわけだし。探して欲しいと言われて探した結果が徒労でも探したのが無駄だとは思わないんだが、行方不明なんだかも分からず動いて空振りだと疲れるんだよなぁ。
752:底名無し沼さん (ワッチョイ 7f8c-ipwt):2024/01/08(月) 15:58:31.95 ID:58qC0c410
浅間神社で登り始めるって配信してそれ以降配信してないから初日宿泊予定の鷹巣小屋にすらたどりついてないんじゃないかって言われてるね
753:底名無し沼さん (ワッチョイ 5fab-FHFU):[sage]:2024/01/08(月) 16:00:55.81 ID:i60dBTt10
目撃情報が無いのなら鷹の巣避難小屋に付くまでに滑落した可能性高いだろ
757:底名無し沼さん (ワッチョイ dfed-1hsR):[sage]:2024/01/08(月) 16:34:15.38 ID:Mq2XOg+V0
カツヒコって人はyamapにも山行載せてるっぽい
冬場も同じルートで登って鷹ノ巣小屋に泊まったり、近くで闇テンしてるみたいだから道迷いの線は消えたかな
758:底名無し沼さん (ワントンキン MM0f-tUMm):2024/01/08(月) 16:46:56.53 ID:mvGpdFgaM
浅間尾根を登ったなら、椎茸栽培してて安定した道が多い。
避難小屋手前で滑落しそうなのは、小屋から少し降りた水場の付近だけか。
759:底名無し沼さん (スッップ Sd9f-/C01):2024/01/08(月) 16:53:18.34 ID:Rnvzk0lPd
YAMAPで30日以降の浅間尾根で検索したけど、特に変わった情報はないね
避難小屋に寄った人もいるけど特になし
761:底名無し沼さん (ワッチョイ 7f21-j834):2024/01/08(月) 18:34:33.43 ID:I/8lomXw0
配信機材抱えてれば目立ちそうなもんだが
765:底名無し沼さん (ワッチョイ fffc-FHFU):[sage]:2024/01/08(月) 20:02:26.53 ID:1xffVzAy0
>>761
すれ違えば間違いなく印象に残る。
ということは、鷹ノ巣につく前に何処かで滑落。それも運悪く長い距離滑落したと思われ。
763:底名無し沼さん (ワッチョイ df03-L4XV):2024/01/08(月) 19:15:20.85 ID:t+3R7nn20
奥多摩の行方不明で3回捜索に行った経験あるけどどれも身内か近いしい人がツイッター(X)で捜索を呼びかけていたからなぁ。
764:底名無し沼さん (ワッチョイ fffc-FHFU):[sage]:2024/01/08(月) 20:00:42.22 ID:1xffVzAy0
鳩の巣のあれが1番あれだったな。
766:底名無し沼さん (ワッチョイ 7f8c-ipwt):2024/01/08(月) 20:04:30.50 ID:58qC0c410
この人がカツヒコの職場に連絡したらしい
「会社にも来ていない。今まで欠勤した事は1度もない。自宅への連絡も全くつかない。予約していたキャンプ場にも連絡なく来ていない。社長が捜索願を警察に出している。配信が止まっていることも把握している。何か情報があれば連絡ください」
https://x.com/yuuma_nakade/status/1744286645099356665?s=20
768:底名無し沼さん (ワッチョイ df5f-L4XV):2024/01/08(月) 20:21:57.58 ID:SaayTZx70
鳩の巣は皆んなが振り回されたな。宗教絡みの大学生はまだ見つかってないんだっけ。
772:底名無し沼さん (アウアウウー Saa3-FLox):2024/01/08(月) 21:35:17.72 ID:yhv1YKfBa
>>768
大学生のは亡くなってた筈。身長が低いのを気に病んでキリスト教系のカルトにハマって山籠りって流れてだったね。
774:底名無し沼さん (ワッチョイ df6b-L4XV):2024/01/08(月) 22:30:06.13 ID:7AzqaZaD0
>>772
大学生、亡くなっていたんですね。
合掌。
773:底名無し沼さん (ワッチョイ 5f47-em7C):2024/01/08(月) 22:12:13.21 ID:MAhcc+200
大学生ってのは丹波山村付近で行方不明になった事件のこと?
もう何年前だっけ
779:底名無し沼さん (ワッチョイ df6b-L4XV):2024/01/08(月) 22:56:44.13 ID:7AzqaZaD0
>>773
コロナ前だから4年近く前?
781:底名無し沼さん (ワッチョイ dfbd-Fssb):2024/01/09(火) 03:14:02.25 ID:7XOW51T40
大学生はまだ見つかってなかったのか。
何年も経つよね。
山中での遭難なら
確実に一般登山道��バリエーションから外れてるな。
784:底名無し沼さん (ワッチョイ dfd6-HqWt):2024/01/09(火) 08:31:15.00 ID:uO7c0Eoh0
ちょっとアレな人ではあるけどちゃんと働いて自分の稼ぎで1人で暮らしてるわけだからね
その辺の変なYouTuberや配信者よりはよっぽどまとも
791:底名無し沼さん (スプープ Sd9f-Ww67):[sage]:2024/01/09(火) 11:38:11.17 ID:GgXCHOAzd
最後の配信
https://www.youtube.com/watch?v=SX36vWq8bRA
今日からね
さんぎゅうさんぎゅういち
1日2日とね三泊四日で奥多摩行ってます
792:底名無し沼さん (ワッチョイ dfbb-gxrN):[sage]:2024/01/09(火) 11:44:07.61 ID:h9NNY2980
雲取山荘には辿り着いてないみたいだから
浅間神社~雲取山荘の間で何かあったと思われる
鷹ノ巣山避難小屋でテント泊配信が無いから
浅間神社~避難小屋の間の線が強い
242 名前:毛無しさん[sage] 投稿日:2024/01/08(月) 01:08:28.88 ID:7Cmrp8jm
12月29日の動画見直してどうにかルートを聞き取った
30日 鷹ノ巣避難小屋
31日 雲取山荘(予約なし)
元旦 三条の湯(予約あり)
2日 下山
すべてテント泊予定
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/hage/1704145345/259
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/hage/1704145345/276
793:底名無し沼さん (ワントンキン MMdf-URQ2):[sage]:2024/01/09(火) 12:00:40.44 ID:sLhEzSNKM
鷹の巣避難小屋近くの水場の下はボウズ谷と言うんだな。
この谷から詰めれば大体わかるのかね。
でもこのあたりは奥多摩山岳救助隊とかにお願いしないと二次遭難が起きそう。
794:底名無し沼さん (ワッチョイ dff9-vNrU):[sage]:2024/01/09(火) 12:01:12.19 ID:apI2OzLA0
盗聴断念したから恥ずかしくてアップしなくなっただけだろ。
ほんとに遭難してるなら家族が通報してニュースになってる。
797:底名無し沼さん (スプープ Sd9f-Ww67):[sage]:2024/01/09(火) 12:11:07.47 ID:GgXCHOAzd
>>794
「会社にも来ていない。今まで欠勤した事は1度もない。自宅への連絡も全くつかない。予約していたキャンプ場にも連絡なく来ていない。社長が捜索願を警察に出している。配信が止まっていることも把握している。何か情報があれば連絡ください」
https://x.com/yuuma_nakade/status/1744286645099356665?s=20
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久々のオールナイト開催について(タイラ)
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ご無沙汰しております、平です。 お変わりありませんでしょうか、と聞くのもはばかられるような変化の半年ですが、その中でも皆様が心身ともに健やかでありますようにと願っております。 Paradeもコロナが本格化した3月以降、時短開催だったり、配信だったり、と色々試行錯誤しながらやってきました。 そして今月からまたオールナイト開催を復活させることにしました。 この決断には色んな状況が複合的に絡まりあっているので、あくまで個人的な考え方ですが、��はり一番大きかったのはお世話になっている会場である渋谷Organ Barからのリクエストがあったことです。 やはり時短での開催は単純に短くなった分、主に経済的に会場に負担をかけてしまっているのは分かっていました。 ただ自分個人としてもParade全体としても色々な環境や考えがある中で、長時間のパーティーをやるのは内容的にもコロナ禍という状況を鑑みても正直自信が無かったというのが本音かと思います。 とはいえ、会場から「朝までやってほしい」というリクエストがあった時に、どうすれば出来るか、という事を考えると、今までParadeがあまりやってこなかったチャレンジも出来るのかもという前向きな気持ちも湧きました。 (それは遊びに来てくれるお客さんが新しいマナーを守りながらポジティブに遊んでくれるんだなという信頼感や会場の感染対策の配慮の実感もベースにあったと思います。) コロナを正しく怖がりながら、どうステップアップしていくか、という事を考えた時に、まず決めたことは「全員集まらなくてもいい」という事です。 前述のように様々な状況がある中で、逆に言えば全員集まれる事の方がイレギュラーかもしれません。 そこは月々の状況で臨機応変に考えられればと思います。 ※今回は西村道男とRIHOは終電前までの参加です。 なので最悪毎回欠員が出る、という前提で、年内はゲストをお呼びして、力を貸していただく事にもしました。 こちらのゲストも色々な状況下をご理解いただける方にお声がけできればと思っています。 今回はやまださん発案でTrigger Happyのお二人とex 新宿Be-Wave / 現ラブエイジア四ツ谷の天野さんをお呼びする事にしました。 Trigger Happyは新宿ローリングストーンからのある種兄妹パーティー。 ストーン閉店後はBe-Waveに拠点を移し、Be-Waveの閉店で現在は次の案を練っている状況かと思います。 二人は深夜に並びで2時間やってもらう予定です。 少しでも「久々のTrigger Happy感」を感じて貰えたら嬉しいです。 天野さんは元Be-Waveの店長であり、現在はラブエイジア四ツ谷というタイ料理店をオープンされて、お忙しい中を無理言ってFOODで出て頂く事になりました。Trigger Happyとセットで、というのもストーリーがあるかなと個人的には思っています。 ハコやパーティーはもちろん打ち上げ花火のように一過性のものでもありますが、それと同時に連続性を持つコミュニティーという性質もあると思います。 予期せぬ形で一度空白が出来てしまったそれが、少しでも埋まる日になりますようにという願いもあります。 最後に、感染対策はこちらも考えますし、遊びに来て出さる皆様にもご協力をお願いできればと思います。 特に予約等は取りませんが、最悪の場合入場制限もありますので、その時はご了承頂ければと思います。 久しぶりのオールナイトで、終わった後の自分の気持ちはどうなっているのかまだ想像がつかない部分もあります。 「やってよかった」で終われるようにもちろん努力をしますが、皆様のご協力も当然必要です。 遊びのプロな皆さん、信頼しておりますので! 今週金曜日は渋谷Organ Barで、終電まででも、朝まででも。 お待ちしております! (タイラ)
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土呂久鉱害事件に関する覚書
(2002年1月22日成稿)
土呂久鉱害事件に関する覚書
宮崎県高千穂町の土呂久鉱山における亜砒酸製造に伴う慢性砒素中毒症は、大正期から戦後に至る長期にわたって継続した鉱害であったにもかかわらず、被害地域が僻遠の山村であったため長らくその存在が知られず、鉱山の閉山から10年近くたってから地元の教師の告発によって実態が初めて認知された特異な公害である。慢性砒素中毒症が4大公害病に続く指定公害病でありながら、現在あまり顧みられることが少ないことも考慮し、本稿では土呂久鉱害の経過を追うことで、近代日本社会の「闇」の一端に切り込みたい。
(1)土呂久鉱山の成立(1920-1933) 宮崎県岩戸村(現・高千穂町)の土呂久鉱山は、貞享年間(1684-1687)に銀山としてスタートしたものの、近代に入ってからは事実上休山状態であった。しかし、1920年、当時佐伯近郊の木浦鉱山で亜砒酸製造を行っていた鉱山師の宮城正一が土呂久鉱山から亜砒鉄鉱を採掘し、土呂久で亜砒酸の精錬を開始したことで一変した。日本の亜砒酸生産は第1次世界大戦期にドイツに代わる形で急成長し、主にアメリカに輸出されて綿花栽培の害虫駆除剤の原料などに使われていた。ところで、宮城が港町で交通の利便な佐伯から山間の土呂久へ移ったのには理由があった。地方紙『佐伯新聞』1917年4月29日付に次のような記事がある。
「懸案となり居りし当町字灘鳥越にある亜砒酸製造所の煙毒問題は今回所主宮城正一が農民に対して損害賠償をなし且つ製造所を移転する事となり、兎も角も一段落を告げるに至った」
宮城は煙害により地元住民から補償と立ち退きを要求されていたのである。つまり宮城は佐伯を追われ、亜砒酸製造が甚大な鉱害をもたらすことを知りながら土呂久へ移転したのであった。
亜砒酸は昇華点の193℃を境にして固体から気体へ、気体から固体へ変化する。この性質を利用し、亜砒鉄鋼を焙焼して砒素分を亜砒酸ガスとして���出させ、ガスを昇華点以下の空間に導き固体に戻して亜砒酸の結晶を採取する。当時、亜砒酸生産量全国一の足尾銅山では、銅の精錬の際に煙に含まれる亜砒酸をコットレル集塵器で回収する方法が採られていたが、土呂久にはそのような設備はなく、煙突に藁の覆いを被せるだけで、砒素を空気中に撒き散らし放題であった。そのため早くも1923年には亜砒酸による農業被害が地元で問題にあった。5月に行われた土呂久の部落自治組織「和合会」総会は鉱山側に「完全ナル設備ヲナシ事業ヲナサレン事」を要求することを決した。これに対し、宮城に代わって経営者となっていた川田平三郎は、1ヵ月50円の「交付金」を和合会に支払うことに応じたが、その見返りとして鉱山へ操業に必要な材料を提供することを求めた。鉱山側は要求を逆手にとったのである。
その後鉱害は甚だしくなり、特に牛馬の奇病が相次いだ。1925年、和合会は岩戸村長の甲斐徳次郎に対策を要求し、甲斐は西臼杵郡畜産組合の獣医である池田実と鈴木日恵に奇病で死んだ牛の解剖と鉱害の調査を依頼した。4月7日、鈴木は警察官立ち会いのもと解剖を行い、「連続セル有害物ノ中毒ニアラサルヤノ疑ヲ深カラシムルモノナリ」との所見を示した。甲斐はこの牛の内臓を宮崎県警察部衛生課に持参し、鑑定を依頼したが、県側は解剖後に内蔵へ亜砒酸が混入した可能性を理由に鉱害を否定し、現地調査を行ったものの調査結果を隠蔽した。一方、池田は「岩戸村土呂久放牧場及土呂久亜砒酸鉱山ヲ見テ」と題する報告をまとめた。池田報告は当時の土呂久の実状を生々しく伝えている。
「二、三十年モ経過シタ植林ノ杉ガ萎縮シテ成長ガ止リ、或ハ枯死シテ赤葉味又竹林ハ殆ンド枯死シ」 「妙齢ノ婦女ノ声ハ塩枯声デ顔色如何ニモ蒼白デアル、久敷出稼デ居ル人ノ顔面ハ恰モ天刑病患者ノ様ニ浮腫」 「山川ノ水ハ清ク澄ミ渡ッテ居ルガ、川中ノ石ハ赤色ニ汚レテ、三年前迄居タ魚類ハ今ハ一尾モ見ヘヌ」 「今ハ椎茸ノ発生デ忙シカラネバナラヌノニ、何ノ果報カ、此地ノ重要物産デアル椎茸ノ原���ヲミレバ、椎茸一ツ見ヘヌ。土呂久名物ノ蜂蜜モ、今ハ穴巣ヲ止ムルノミ」 「小鳥類ガ畑ノ中ニ死ンデ落チテ居ル事ハ年中ノ事で、何時デモ死ンダ小鳥ヲ畑ノ中ヨリ拾ッテ見セル事ガ出来ル」
この池田報告は1972年に高千穂町史編纂室で発見されるまで封殺された。
鉱害が拡大・悪化するに従い、農業では生計を立てられなくなった人々は鉱山で働くようになった。しかし、亜砒酸による健康被害は鉱山労働者に最も顕著であり、皮膚の亜砒負け、色素沈着、黒皮症、角膜炎、結膜炎、喘息、気管支炎、肝硬変などの症状に見舞われた。健康悪化に耐えられずに鉱山を辞め帰農する人も少なくなかったが、農業被害は増大するばかりで生活できず、結局収入を得るために再び鉱山に戻らざるをえなかった。あるいは椎茸の生えなくなった木を木材として鉱山に売却したり、完全に農業ができなくなった土地を鉱山に売却するという例もあった。鉱害はむしろ鉱山の事業を拡大する動因になったのである。
また被害と加害の重層性も深刻であった。鉱山の地主であった佐藤喜右衛門は鉱山から地代を得るのみならず、自ら採掘を請け負い、地元住民を労働者として勧誘し、鉱害に苦しむ農民からは加害者として忌避された。しかし、一方で彼は鉱山のすぐ近くに住んでいたために砒素中毒症に罹り、1930年から32年の2年間に彼の一家7人のうち自身を含む5人が病死した。部落で鉱山から収益を受ける者が増えるに従い、鉱害反対の足並みは崩れていった。
(2)土呂久鉱山の展開と終焉(1933-1962) 大戦景気によって始動した亜砒酸製造は、戦後不況によって急速に不振になった。1926年にはアメリカの綿花不況のあおりで生産量が激減し、土呂久鉱山も生産中止・事業縮小に追い込まれた。一方、1930年代になると、航空機の材料の国産化をねらう中島飛行機が錫を求めて土呂久に目をつけた。1931年、中島門吉(中島知久平の弟)が一部の鉱業権を獲得し、33年には中島商事鉱山部が土呂久鉱山のすべての経営権を取得した(後に岩戸鉱山株式会社設立)。
中島は当初亜砒酸よりも錫を重視し、1936年に錫精錬の反射炉を建設したが、この反射炉は錫から分離された砒素分が煙とともに空気中に飛散するという杜撰な代物であった。翌年、和合会は反射炉の煙害防止を鉱山側に要求し、その結果遊煙タンクが作られたが、煙害対策とは名ばかりで、実際はこれを利用して亜砒酸の採取が行われたため、鉱害はむしろ悪化した。また、経営者が変わったことにより192��年の交付金契約は無効となり、中島が和合会に亜砒酸1箱精製につき12銭の補償金を支払う新契約が結ばれたが、旧契約に比べて被害者が受け取る金額は事実上半減し、しかも補償金の分配を巡り和合会内部で対立が発生した。さらに1937年の岩戸村会議員選挙で、中島側は鉱山の会計係長を出馬させ、鉱山労働者を買収した結果、中島系候補が当選し、和合会系の現職は落選した。明治以来、土呂久出身者が議席を失ったのは初めてであった。鉱山は地方自治をも破壊したのである。
中島傘下となって土呂久鉱山は拡大し、最盛期には約400人の労働者が働いた。特に1930年代末頃から亜砒酸は毒ガスの原料として需要が急増した。「黄二号」ことルイサイト、「赤一号」ことジフェニール・シアン・アルシンが亜砒酸を元に作られ中国戦線に送られた。深まる亜砒酸鉱害に対し、ついに1941年和合会は鉱山との契約破棄を決定した。福岡鉱山監督局は和合会に説明を求め、代表6名が福岡へ行き亜砒酸製造の中止を申請したが、監督局の担当者は「非常時には、部落のひとつやふたつつぶれても鉱山が残ればよい」と言い放ったという。結局1941年11月選鉱場の火災により土呂久鉱山は休山し、所有権も中島から国策会社へ移行した。
土呂久鉱山は戦後1948年、銅や鉛などの採掘を再開した。再び鉱業権を獲得した中島鉱山(旧岩戸鉱山)は亜砒酸製造の再開を計画した。和合会は再開反対を決議したが、宮崎県と岩戸村の斡旋により、1954年、鉱山から和合会への協力金支払を条件に改良焙焼炉建設に同意した。土呂久婦人会は岩戸村に抗議したが、村長伊木竹喜は「鉱山のおかげで、岩戸村には鉱産税がはいりよる」と取り合わなかったという。
鉱山がその後、1958年7月の坑内出水事故により一時休山を余儀なくされ、翌年には住友金属鉱山が中島を事実上買収したが、往時の活性を取り戻すことができず、1962年経営不振により閉山した。その間も鉱害は続き、1959年には和合会が高千穂町(岩戸村吸収)に亜砒酸製造施設の廃止を陳情した。しかし、ついに閉山まで鉱害はやむことがなかった。
(3)土呂久鉱害の告発(1970- ) 1970年、宮崎県高城町の四家鉱山で集中豪雨により鉱滓堆積場のダムが決壊し、砒素を含む鉱毒が河川へ流出するという事故が起き、宮崎県は急遽県内の休廃止鉱山の調査を行った。調査の結果、土呂久川から飲料水基準の2倍の砒素が検出された。同年12月、土呂久在住の佐藤鶴江は、岐阜のカドミウム汚染の報道を聞いて不安を抱き、宮崎地方法務局高千穂支局の人権相談に鉱毒被害を訴えた。支局は土呂久鉱山跡を調査し、彼女に鉱毒被害の事実申立書を発行したが、法務局は専門医による因果関係の証明がないことを理由に申立書を留置した。またしても行政によって鉱害は隠蔽されたのである。
一方、高千穂町立岩戸小学校教諭の斎藤正健は、妻が土呂久出身であったことから鉱害の事実を知り、同僚とともに土呂久全世帯を対象に鉱害調査を行った。斎藤らの調査は1971年11月、宮崎県教職員組合の教研集会で報告され、新聞報道により全国的に注目された。斎藤報告は、①1913-1971年に死亡した92名の平均寿命は39歳である、②土呂久全住民の34%が呼吸器をはじめ疾患に罹っている、③土呂久の児童の体位は劣っている上に眼病が目立つ、④スギの年輪は鉱山創業期に生長が阻害されている、という驚くべき内容であった。大正期以来の鉱害がこの時はじめて公表されたのである。
土呂久住民に不安が高まる中、宮崎県は県医師会に委託して住民の一斉健康診断を実施したが、慢性砒素中毒症に認定されたのは7名だけで、県の土呂久地区社会医学的専門委員会も健康被害と亜砒酸製造との関係性を「現在の知見では十分に説明ができない」と肯定しなかった。宮崎県知事黒木博は住友金属鉱山と認定患者に補償斡旋を提案し、1972年12月、両者間に補償協定が結ばれたが、住友の法的責任には一切触れず、補償金額は平均240万円にとどまり、しかも将来の請求権放棄を定めていた。県側は患者との交渉を外部との接触を絶った密室で行い、十分な説明をしないまま患者に調印を強要した。その後、黒木は新たな認定患者に対しても同じ内容の補償斡旋を5次にわたって続けた。しかも県は斡旋受諾者に対して公害健康被害補償法による給付を含む公的給付を中止するという「いやがらせ」まで行った。知事斡旋は補償額を抑制し、被害者の口を封じることがねらいであった。
1973年、環境庁は慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定したが、認定要件を皮膚障害に限定し、内臓疾患を認めなかったため、多くの被害者が認定されなかった。一方でこの頃から県外の医師による自主検診が相次いだ。同年2月には名古屋大学医学部講師大橋邦和が、74年には太田武夫ら岡山大学医学部衛生学教室が、75年5月には熊本大学体質医学研究所の堀田宣之が住民への自主検診を行った。堀田は10月にも同僚の原田正純らとともに1週間にわたる大規模な自主検診を行った。これらの検診結果は環境庁の認定要件とは裏腹に、砒素中毒による障害が皮膚に限らず、呼吸器や循環器などの内臓にまで広がっていることを示していた。
1975年12月、5人の患者と1遺族が住友金属��損害賠償を求め宮崎地裁延岡支部に提訴した(第1次訴訟)。続く76年11月には第2次、77年12月には第3次、78年3月には第4次の訴訟が起こった。土呂久訴訟最大の問題は、1次的に賠償責任を有する鉱山師も中島鉱山もすでに存在せず、被告の住友が正式に鉱業権を得たのが閉山後の1967年で、住友自体は亜砒酸製造を行っていないことにあった。住友側は全面的に争い、訴訟は長期化し、高齢の原告が相次いで死亡していった。1984年3月に下された第1次訴訟の1審判決は「土呂久地区という山間の狭隘な一地域社会が、そのただ中ともいえる場所での本件鉱山操業により、大気、水、土壌のすべてにわたって砒素汚染され、本件被害者らはその中で居住、生活することにより、長期間にわたって四六時中間断なく、且つ経気道、経口、経皮、複合的に砒素曝露を受けたもので」あると土呂久鉱害を正確に認め、鉱業不実施を以って鉱業権者の賠償責任は免責されず、鉱業法115条の時効規定も適用されないことを理由に住友へ損害賠償を命じる画期的な内容であった。
しかし、この1審判決をピークに土呂久鉱害は急速に風化していった。既に1980年頃には被害者の支援組織「土呂久・松尾等鉱害の被害者を守る会」が財政難による活動停滞に陥っていた。また、支援運動の中心であった総評系労組が「反公害」から「反原発」へシフトしつつあり土呂久鉱害への関心は相対的に低下した。1979年、補償斡旋を続けた黒木が受託収賄容疑で逮捕され知事を辞職し、翌年、後継知事松形祐尭は公害認定を巡る行政不服審査で県が敗訴したのを機に被害者へ公式に謝罪したが、依然として知事斡旋受諾者への公健法給付を認めなかった。一方、訴訟は住友の控訴により続き、1988年の控訴審判決は住友の賠償責任を認めたものの、補償額から公健法給付を差し引くよう命じる後退したものだった。住友はさらに上告したため、原告弁護団はついに水面下の和解交渉を行った。原告の高齢化と最高裁の状況を踏まえた苦渋の判断であった。1990年10月最高裁で原告と被告の一括和解が成立したが、住友の法的責任には触れず、賠償義務を否定し、公健法給付とは別に「見舞金」総額4億6475万円(1審判決の仮執行金と同額)を支払うという内容だった。1審判決も控訴審判決も被告の法的責任を認定したにもかかわらず、原告は訴訟の長期化に耐えることができずに訴訟自体には敗北したといえよう。
(4)総括 土呂久鉱山は、日本経済の工業化が急速に進展した第1次世界大戦期に始まり、戦間期の停滞を挟んで、15年戦争期には新興財閥の手で重化学工業の一端を担わされ、そして高度経済成長の開始により終焉した。その歴史は終始日本���本主義の発展過程に強く制約されたと言えよう。故に土呂久鉱害事件は局地的な鉱害ではあるものの、鉱山の杜撰な鉱害対策、鉱山への抵抗と依存の間で揺れる地域社会、一貫して公害の存在を隠蔽し民衆の声を潰した行政、公害反対運動の党派的分裂等々、近代日本の鉱害の一般的特筆を余すところなく有している。そしてついに根本的解決には至らず、現在も土呂久の自然が回復していないことは、鉱害が過去の問題ではなく、依然として現在的問題であることを示していよう。
《引用・参照文献》 斎藤正健「土呂久公害の告発とその後」Ⅰ-Ⅲ 『歴史地理教育』211、212、214号 1973年 川原一之『口伝 亜砒焼き谷』岩波書店 1980年 川原一之「土呂久鉱毒史」『田中正造と足尾鉱毒事件研究』5号 1982年 土呂久を記録する会編『記録・土呂久』本多企画 1993年
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_________________ 🍜:特撰 並 🏠:横浜らーめん龍馬(四谷)  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 【今日のランチクローザー】 久しぶりのチャレンジは失敗となり、カキフライでも食べようかと思い四ツ谷へ。って、やっておりませんやん。真横のyeah系へ。やわめオーダーからの… . ちゃっくどぉ〜ん!! . ゴリゴリなとんこつに角立ち抑えめのタレでスープ。油はデフォで多めな感じ。ガッツリとパンチの効いたスープで好みより。サービス無限ライスも嬉しい。 それにしても、立ち食いスタイルはなかなか落ち着かないな(笑) #ジオタグ無し https://www.instagram.com/p/BtNDfNWA7Ja/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=9svftiwa2six
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2018心に残る食べものたち〈社会人篇2〉
気付いたら1月も後半に差し掛かっているのだけど、、
2018年7月以降を振り返ろう。
7/14 丸千葉
東東京の名居酒屋として名高い丸千葉は、言わずもがな最高だった。
やっちゃんと呼ばれお客さんから愛されるおじちゃんが 満席の客席を見事に回すのだけど、その様子を 「やっちゃん劇場」と名付ける人もいるほどだからそりゃもうすごい。
私はその劇場を動画に収めようとしたら、 嫌味なくさらっと注意された。
私は少し恥ずかしくなったけど、 そういうことはきちんと 承諾を受けてからやるべきだなと反省したのだった。
食べものはもちろん完璧にうまい。
厨房を覗くと白い割烹着に身を包んだ料理人たちが せっせと作っているんだからそのうまさに納得するよね。
予約必須の間違いない良店とはまさにここだから、 酒好きは必ず行くのよ。
7/16 path
この日は、奇跡としかいいようのないことが 私の身に降りかかってくらくらしたな。
このサンドイッチは、 そんな体験中に賄いでいただいたもの。
まずpathのサンドイッチを無料でたいらげている 自分がなんかよく理解できず嬉しくも緊張していたのを��えている。
しかもはちゃめちゃにうまいからもう この世に生まれてきて良かった… としみじみするくらい幸せだったのだ。
憧れの人、私の人生に大きな種を植えてくれた人
そんな人と一緒に何かの作業ができるなんて 人生捨てたもんじゃないなと 22歳にして強く強く感じたのだった。
7/17 (NO) RAISIN SANDWICH
第一声はみなさん 「ピャ〜〜〜〜〜〜」 だったのではないでしょうか。
予約開始と同時に売り切れる幻のレーズンサンドが なぜ私の目の前にあるのか誰か説明してほしい。
開封してから夜寝るのも朝起きるのも帰宅するのも楽しみで 毎日大切に大切に食べていた。
実は、私も平野さん同様レーズンが苦手で 銘菓 マルセイのレーズンサンドすら、 頂いてもお母さんに食べさせていたほどだった。
これを食べてからレーズン嫌いが治った訳ではないが、 レーズンサンドへの概念が確実に変わった。
path後藤さんによるそれは、 本来のそれではなく もはや新しい何かなのではないか、とさえ考えてしまう。
新しい概念を更新していく 平野さん、後藤さん、田部井さんによるこのプロジェクト 一生ついてゆく所存です。
7/20 火弖ル
ホテルの前にある火弖ル(ほてる)
そのままお持ち帰りできる店 とかなんとか、どこかで読んだが、超健全。
料理のクオリティ高いし、それを主張していない感じがまた良い。
ここは「鰯の海苔巻き」が有名らしく頼んでみると、
なんだこの美しい断面は…
日本酒に合わせて、食べたい。
先日読んだ日本酒特集の雑誌に、 「口内調味」という言葉が度々出てきて興味深かった。
日本食は口の中でお米とお味噌汁などを混ぜて食べる文化で、 日本酒も同じくそうあっても良いのではないかと言う。
料理を邪魔しないとかではなく、 ペアリングを楽しむ日本酒の飲み方。
誰かGEM by Moto行こう?
7/21 MOON mica takahashi COFFEE SALON
参宮橋のあの狭いお店が私は好きだったけど、 四ツ谷の雑居ビルも悪くない。
店内の雰囲気は健在で、 いつまでもゆっくりしてってくださいと言われているかのような 居心地の良さ。
店主のミカさんのキャラクターも最高に良くて、 クラスのリーダー的存在でみんなの憧れの的だったんだろうな と勝手に妄想している。
ここの食べものはどれも愛を感じる美味しさで、 ピークあたりに行くと基本売り切れのものがある。
かなり暑い日に頼んだアイスコーヒーは、ハッとするほど美味しかった。
ああ、食べたくなってきた。
7/28 ブラッスリー ジョンティ
フランスのアルザス地方の料理
感想は、パスタのおかゆだ…
本来、メインではなく、料理の付け合わせとして食べるものらしい。
今年は、面白い食体験をたくさんしたいなあ。
8/2 宵の実
私は吉祥寺OLなもので、 毎日このようなランチを食べております。
嘘です。
ほぼ毎日、コンビニのおにぎりや味噌汁ですが、 たまにはこんなお洒落に贅沢をしたりもします。
体に良くていろんなものをたくさん食べられるもの(鍋とか)が 基本大好きなのですが、これもその類!
写真だと雑に見えるけど、 乗っているもの全てがこだわっていてうまい。
これぞ夢のプレートだ〜と一人で感動した、 ある日のお昼休憩。
8/13 季まま亭
私の母は、伊豆大島という東京都の島出身で 毎年夏に帰省するのがお決まりみたいになっている。
大島にはいくつか喫茶店があって、 毎年暇つぶしに行くのだが、 その一つがここ、季まま亭。
初めて行ったとき、 ジブリの「思い出のマーニー」に出てくる あの一軒家にすごく似ていると思った。
店内は全部木。まさに山小屋みたい。 でも天井が高くて、清潔感があって、 私はこのお店がかなり好き。
しかもこの明日葉ピラフ(明日葉は大島の名産)が、 たまらなくうまいのなんの。
季節の野菜カレーも 想像を超えるクオリティで出てくるから 大島も実はかなりすごいのよ。
8/18 trois
深く話が合う友人と背伸びした食事を。
社会人になったからと言って、 行くお店は庶民的なお店がほとんどで 正直学生の頃と変わらない(会社の人との交流もほぼゼロなので…)。
仕事以外でもなかなか食にお金を(私ほど)使う友人もおらず、 悶々とすることは正直多い。
だから、少し背伸びしたお店に行ける友人は大変貴重なもので、 ここにはそんな食の友人と思い切って行ってみたのだ。
冷めても冷めても美味しいお肉に 桃と山羊のチーズ、ワインを飲んだりなんかして 将来の話に花を咲かせたっけ。
お金はポコーンと一夜でなくなるのだけど、 そうやって大人の階段を一段づつ登るのです。
9/9 World Meatball Classic
ミートボールの専門店で、 スウェーデン風のミートボールを。
こってりなブラウンソースに たっぷりのマッシュポテトは、かなり胃に重く、 この量で胃もたれになりそうだった…
それにジャムを添えて食べるスウェーデン強い。
いつか行きたいな。
9/15 コリント
私はもう若くない…と痛感した日。
移転目前の築地はひどい人で、 愛養、やじ満を諦めて早々に築地場外へ避難。
そういえば近くにやばいパンケーキ屋さんがあることを思い出し、 フルーツのそれを注文。
パンケーキはもっちりしっとりで 大変美味しゅうだったが、 もりもりのフルーツやバターの甘さにやられ 私としたことがかなり残してしまった。
大学を卒業したあたりから 自分の胃の限界を感じることが増えた。
こうやって歳をとるのか…
9/16 按田餃子
ラゲーライスをどうしても食べたくて、 1時間半ほど並んだよ…
按田優子さん著「たすかる料理」のトークショーで いろんな話を聞いた後に食べたので、 より美味しく感じた気がする。
これだけ有名で、新しさを強烈に感じるお店なのに 実は非常にゆる〜いのも このお店の最大の魅力なのかもしれない。
ルーツが吉野家だったり、 ラゲーライスはカレーライスみたいに 片手で食べれて体にいいもの→キクラゲ入れよう という発想から生まれていたり、
超面白い。
「助けたい包みたい按田餃子でございます」
最高。
9/29 愛群
愛の群れ と書いて愛群(アイチュン)
まさにそんな場所でした。
優しすぎる味付けの豚バラ御飯の後に 茶越しで入れたジャスミン茶を注いでくれる。
「これなんのお茶だと思う?」 と、ちょっといたずらっぽく聞かれたり、 少し空いてくると常連さんとお店のおばちゃん達が 座りながらなんでもない世間話をしていた。
横浜の中華街にこんな愛っぽいお店があるなんてなあ。
次は、フクロウがいるらしい中華屋に行くんだ。
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10月以降次に行きます〜
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さっそくサボりまくっていて何がなんだか覚えてない日々が続く。
とりあえず今日と、覚えてる限りの昨日より前について書く。
今日はすごく天気がいい。晴れているし気温も暖かい。コートじゃなくてジャケットをして、スカートから素足に風が吹いてくる。多分だけど、夜にすごく寒い思いをする。3月5日は春の始まりに制定。今は晴れた日差しを浴びながら中央線。いつも降りている四ツ谷をスルーして御茶ノ水へ向かっている。
神田のサウナラボのイベントに行く。数日やるうちの中でも今日はレディース貸切だから普段は男女に分かれているサウナを行き来できるらしい。平常営業時も水曜日は男女入れ替えだからどちらも行ったことあるけど、3時間の間どっちもいけるならせっかくだし行こうかなって思った。あとなんかイベントっぽいことやるみたいだし。
サウナといえばこの間田沼と西荻窪のルーフトップへ行った。駅前にできたばかりの新しいサウナ施設だけどHPから滲み出るチープさからなんか行くのを避けていた。
この話は後で細かくnoteとかに書くことにしよう、なんかこのブログにはジャンル違いだ。
西荻窪にはいっぱいいいお店があるのにカレー食べたさにシューベルにいつも行ってしまう。でもお酒も美味しいのでつい急いで飲んでしまって、知らない人の会話に割り込んでしまって最悪だった。いつまでも若者気分でいてはいけないと思うし、老害になってもいけない。メンタルは自分で律していくこと……。
最近まるで自炊に身が入らず、というのも繁忙期でいつもより業務の緊迫感がすごいから残業時間自体はそこまでないものの毎日殺伐としたキモチで帰る頃にはすっかり元気を無くしているからだ。もう少し体力つけよう。歩いてなさすぎ。
2月の終わりにまきちゃんと一緒に大宮で遊んだんだけど、すんごいすんごい楽しかったんだよね。大宮で遊んだのなんて初めてだった���ど。まきちゃんが恐竜を見たい?って言ったから?鉄道博物館に行った。なんで?
理由はいろいろあるけど全部コロナが悪い。緩やかな収束を祈りつつ、大宮はよかった。
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ここで下書きは途切れていた。継続は大事なのでまたこれからも頑張って暇な時に書く。
はてなブログにちょっと書いてたけど違和感があったので結局tumblrに移行しました。
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instagram
7と私
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今いるオフィスは雑居ビルなのですが地下には何も無いはずなのに何人かの大人が定期的に訪れているのが不思議に思って聞いてみたら喫煙所になっているそうです。
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喫煙所と言えば、かつて喫煙をしていた時は電子タバコがなかった時代なので、セブンスターという紙巻きタバコを愛用しておりました。
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セブンと言えばブラッド・ピットが主演した映画でしたがキリスト教の七つの大罪に準えた連続殺人の話で自分が見た映画の中で後味の悪いランキングの上位でしたね。
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同じセブンでもいい映画だなと思ったのは”The Magnificent Seven”で日本映画の「七人の侍」をリメイクしたことで有名ですが邦題はこちらの七人でしたね。
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というわけで本日のランチは #こうや #支那そば屋こうや です。早足で行けば四ツ谷ランチも可能だということがわかり、やって来ました。
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頼んだのは #雲呑麺 #わんたんめん です。ランチ時で混み合っているので時間がかかるかなと思えば5分ほどで提供されました。
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まずは #麺 を頂きます。中細の白っぽいちぢれ麺は、あまり見かけませんね。サッパリとしながらも旨みが感じられる塩味のスープに良く合う食感です。
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メインの具材である #ワンタン #雲呑 は激しい戦いの末つぶれてしまった柔道家の耳かと思うくらいの存在感。肉がたっぷり入っていて、食べた時の弾力もいい感じ。
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そして #チャーシュー が素晴らしい感じ。柔らかくて脂ののり具合がまさにベスト。いっぱい入っているメンマの食感もいいですね。
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たっぷりの青ネギと海苔の味わいもいいですね。シンプルな見た目なのに後を引く味わいが、じんわりと心が暖かくなる荒野の七人のようですね。
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夏限定のメニューや夜は居酒屋になる感じも含めて気になるので、また近々お邪魔したいですね。
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#四ツ谷ランチ #四ツ谷グルメ #四ツ谷ラーメン #四ツ谷らーめん #四ツ谷中華 #四ツ谷中華料理 #四ツ谷町中華 #麺スタグラム #とa2cg
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あの日踏み外したレールの向こう側に
時々、「私はこんなにも真面目に生きているのに」と思うことがある。そして時々、「こんなにも適当に生きているのだから当然か」と思うことがある。昼夜いつでも何かを考えながら22年間生きてきたけれど、何か好ましい答えを見つけられた事は未だない。何もない。私には何もない。何もないけれど、こうして文章を紡ぐことが好きで、物語を作ることが好きだから、それを続けようと思った。真面目に続けてみようと思った。適当に、続けてみようと思った。衝動的に紡ぐ文字。それでも今日は、ほんの少しだけ真面目に紡いでみようと思う。縦糸と横糸の隙間がなるべく生まれないように。いつもよりも少しだけ伝えたいと、分かって欲しいと祈りながら紡いでいこうと思う。これは私のエゴだ。エゴでしかない。私は、最強で単純で最低な奴なのだ。
世の中には、たくさんのモノが溢れている。多くの目を引く美しいモノや、誰の目にもつかない小さくて見窄らしいモノまで。その一つも見落とさずに、無関心にならずに生きていたいと思うから、私は生きるのが楽しい。その瞬間だけをただ、唯一楽しいと感じる。あの日、四ツ谷の地下のだだっ広いスタジオで、あの子が振り付けを間違えて、私以外誰も気が付いてないであろうその些細な間違いにあの子自身が小さくはにかんだことを、私は今��も鮮明に覚えている。その瞬間、私はあの子を愛おしいと思った。普段は凛としている彼女が、ほんの少し照れた顔で舌を出してから、誰も彼女の間違いに気がついていないことに安堵する一連の仕草が堪らなく���おしかった。今でも、愛おしいと思っている。 3年前から、彼女は私の片割れのように傍にいた。私は一つ年上の彼女のことを出会ったときから好ましく思っていたし、彼女も一つ年下で生意気な私のことをはじめから慕ってくれていた。吐き溜めのような環境でダンスを続け、共に理不尽な出来事に怒り、喜ばしい出来事には共に笑い合った。いつだって彼女は私の傍にいたし、私は彼女の傍にいた。 あの頃持っていた限りでの金や時間や感情、それら何もかもを犠牲にしてステージに立っていた。最後の曲が終わり私がステージの中心でマイクを握って「ありがとうございました」と叫んだあと舞台裏で待っていた彼女と数分間に渡って交わした抱擁に、劣情は何もなかった。衣装の布地が汗ばんだ首元に張り付いても、私が彼女の剥き出しの肩に生暖かい涙をボロボロと溢しても、痛いほどの力で私の背中に回っていた腕のこと。忘れてしまえた方がいいのに、私は温度ごとまるごと忘れられずにいる。何もかもが、私の中で止まっている。霞んだ景色も、向かい合った彼女も顔を歪ませて泣いていたことも。私の中だけで止まっている。 2年前、彼女が私に渡した手紙は何度探しても見つからない。見つからなすぎて、もしかしたらなかったのかもしれないとすら思っている。唯、私への労いと葛藤と愛でしかない言葉が紡がれた手紙。見つからないなら見つからない方がいいのかもしれない。飲み会の途中で彼女が不意に手紙を取り出したこと。「絶対家で読んで」と笑っていたこと。耐えきれずに始発の中で読んだこと、内容。いつだって彼女は私の傍にいたのに、その時の私はそれに気付けていなかった。気付けていなかったのだと、その時に気が付いた。 1年前、私は彼女に手紙を渡して、彼女は私に手紙を渡した。こちらは今でも大切に保管してある。この時はもう、私は戻れない場所にいた。1年前にはなかった新たな葛藤、わざと距離を置くようにした一年間でお互いに見えるようになったもの。私は近付きすぎたことで見えなくなっていたものたちに触れて、それらが結果的に彼女の大切さを教えてくれたのだと思って止まなかった。そして、彼女からの手紙にそれと同じことが書いてあったとき、私は言葉を失った。「離れたことで大切さに気がつくなんて、皮肉なことだと思いました。」そう紡がれた文字を見て、私は怖くなった。彼女と共依存のように過ごした2年前のこと、そこから抜け出すためにお互いに距離を取ろうとしていたこと、結局距離を取ったところで手放すことができなかったこと。 一つ年上の彼女は、私を置いて社会へと飛び立った。チャンスだと思った。彼女は、私の知らないところで知らない人と幸せになってくれればいい。見えないところで、徐々に私の知らない人になっ��しまえばいい。私が知る限り恋人も恋愛経験もない彼女を籠の鳥の如く囲っていたのは、ほかでもない私自身なのだ。分かっていて、3年間そうし続けた。 最後のステージが終わった日、打ち上げの帰り道、衣装が入った大きな荷物を抱えながら「これが最後だ」���思っていた。大勢の中で二人だけで話すことも、酔ったふりをして彼女に触れることも、全てが最後だと思えば何でも言えるような気がしていた。しかし、現実の私はそんなに無鉄砲じゃない。いつものように、彼女から少し離れた場所で彼女と彼女を含んだ大勢と話して、「またね」と別れた。彼女のためだけに作った振付と曲。それを、みんなのためを装って披露する。そんなことしかできない。私は、そんなことしかできないのだ。 会わなければ、きっと無くなるだろう。少なくとも、彼女の中から私が無くなってくれればいい。あの頃あったあんなこと。青春。友情。そんなふうに思っていてくれればなお嬉しい。あの日、振付を間違えてはにかんだ彼女を偶然見てから、こうして何にもならない文章を紡いでいる今まで、私は毎秒泣きたくなるほど彼女を愛している。無責任に、ここだけならば無責任に言わせてほしい。誰よりも、何よりも、もし彼女を苦しめる何者かがいるのなら私が全部やっつけてしまいたいぐらいには、彼女を愛している。だから、彼女には私のことを忘れてほしい。そして、私の知らない誰かと幸せになってくれればいい。 そう思うのは嘘じゃないはずなのに、私は今でも夢を見る。また彼女と二人で街を歩く夢。彼女の手を握る夢とその先。 だから、何にもならないこの思いを、私は文章にぶつける。馬鹿正直に紡いだこの文章が、遠くにいる知らない誰かの心を揺さぶることを願って、私は文字を産み出し続ける。心と体の恥部を晒して、あの頃ステージの上から身体中で叫んだ衝動を、今は文字に起こす。 愛がなんだ。私は、最強で単純で最低な奴なのだ。
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海南島記
一日目
海南の空は螺鈿色に湿っていた。私が海口(ハイコウ)に到着したのは夕暮れ時で、それは街が最も騒がしくなる時間帯であった。空港から延びる道路にはわずかの隙間も空けずに車が並び、クラクションがひっきりなしに鳴らされる。私が乗る車も同様、運転手がそれに負けじと鳴らす、詰める、怒鳴る。その横を、日本で言う「原付」型の電動自転車が列をなして通り過ぎ、屋台では店番の女が電話に向かって何事か喚き散らす。笠を被って自転車に乗る果物売り、地べたに座り込む男たち、商店の前で遊ぶ子ら、通りを行き交う人々、その生活のすべてが喧騒に満ちていた。ただ、亜熱帯特有のねっとりとした甘ったるい空気と、何とも言えない暖色の空がそれらを包み込むことで、雑多な街にも不思議な円みがあった。
渋滞とともにのろのろと市街中心部へ移動し、ホテルにチェックインする。その後レストランで夕食だ。円卓でイノブタ、ハト、ガチョウ、アヒル、空心菜、牡蠣、麺など様々な中華料理を食べた。アヒルが一番うまかった。小ぶりな茶碗に入った白飯は日本のものと大差なかったが、箸は先が尖っておらず、さながら細い木の棒のようだった。たらふく食べた後はしばし町をぶらついた。ぎらつくネオンが私の目を刺す。やはり中国だ。見慣れない漢字が多く、一部は読めるが発音ができない。サービスセンターを意味する「服務中心」など、簡単なものだけわかった。まるでパラレ��ワールドに迷い込んだかのような感覚に陥る。幹線道路沿いを歩いていったが、ほとんどの店が夜遅くまで開いていた。というより、商売っ気がなく売れないので、起きている間中開けているというべきか。店内の黄色がかった薄暗さは、ちょうどそこで働く人の肌の色に似ていた。なんとなく遠い昔を思わせるような、谷崎潤一郎が言うところの「玉(ぎょく)」の色だろうか。その前を電動自転車が歩道も車道も関係なく我が物顔で走り回る。さらに逆走もする。無音なので普通に危ない。そういえば昼間には子供が三人乗りしていた。もちろんバイクも走ってはいるが、それに比べて数が少ない。この電動自転車の普及のせいで、島民の肥満化も問題になっているとか。
ホテルに戻った。ナントカ大酒店という名前だ。中国のホテルは飲食屋でもないのに「飯店」とか「酒店」とかいう。食事は「菜」というそうだ。部屋はかなり広かった。バスルームも綺麗だ。そのぶん値段も高いが。煙草を吸ってから、中に置いてあった「椰树」という名のかすかに甘いミネラルウォーターを口に含み、バスローブにくるまって寝た。
二日目
ホテルの朝食はバイキング形式だった。色々食べたが、フォーのような麺が一番気に入った。言えばその場で茹でてくれる。パクチーやピーナッツ、味噌、細切り肉を入れて食べるのだが、うまいので2回もおかわりした。この日は会合に陪席してから、レクチャーの記録写真撮影を行った。同行者、というよりも随行させていただいている方々とともに壇上で紹介されたのは想定外で、分不相応の扱いに緊張をする。昼飯を済ませ、会議を継続。仕事を終え、地域の様子を見に行く。巨大なアパートの共用部分で麻雀やおしゃべりに興じる老人たち。なかなか活気があった。しばらく歩き、萬緑園という緑地公園へ。民主・富強・文明・和谐・自由……というスローガンが書かれた看板や文字のモニュメントを道中のあちこちで見かけた。主張が強い。道には、おそらく春節用に建てられた大きなオブジェが打ち捨てられていた。赤地に黄色い文字。読めそうで読めない。張りぼてがむき出しになっている。そこには何か私を強く惹きつけるものがあった。置いてけぼりになるのも構わず、しばらくじっと眺めていた。そしてふと周りを見渡せば、街中の色んなものが赤かった。共産主義社会を肌で感じた午後だ。
夕食を取るため、小さな島に渡る。めちゃくちゃに広いレストランだった。歓迎会などというやさしい表��で済めばよかったのだが、やはり例によって白酒の洗礼を受けることに。乾杯の発声と同時に全員のショットグラスが空になる。一瞬、咽喉が焼けるように熱くなるが、後味に不思議な爽やかさがある。乾杯はこれで終わりではない。今度は全員の席を回り、向こうは歓迎の挨拶代わりに、こちらは謝意を込めて一杯また一杯と飲み干す。そして、隣り合った人々とはこれを気の済むまで繰り返し、会話の折々に煙草を勧め合うのだ。私は下戸なのでこの儀式にはほとほと参ったが、なんとか六~七杯で勘弁してもらい、青島啤酒に切り替えて難を逃れた(逃れてない)。そうして一息入れようと、もらった煙草に火を付けた。フィルターには「珍品」と書かれていた。
ちなみに、こちらでは食事の初め、各々の小皿に醤油を注ぎ、輪切りの唐辛子、パクチー、刻んだニンニクを入れ、金柑のような小さい柑橘類を搾って好みの調味料をつくる。味の足りないものはそれで補うのだ。ウズラのまる茹でやら海藻入りのすっぱいスープやら、ヤギ、豚、鶏、特産のピーナッツ等が出てきた。全部うまかったが、酒を飲んで以降は味もヘッタクレもなかった。赤くなった私の顔を見て、皆はしきりにスープを飲めと言った。帰りのことは良く覚えていない。とにかく酔っていた。日本人には酒が飲めない人が多いらしいね?と聞かれ、それは私だと返す。白酒はきついが花のような香りがしたと言うと褒められた。ホテルに戻って「中華」という煙草を買い、部屋で吸った。うまくはないが、旅行中はこれで足りるだろう。腹が膨れて苦しかったが、落ち着くために茶を一杯飲んで寝た。
旅について思う。自分をポケットに入れて旅に出る。旅する身体には普段とは違った意識が宿る。というのも、見知らぬ土地を歩く時、 人は積極的に自身の位置を探ることで、次なる一歩、それもその場において適切な一歩を踏まねばならないからだ。個人的な目的を設定し、それを達成するために地図を広げ、標識を読み、道を尋ね、馴染みのない言語文化に全身を投じて彷徨う。それはまだ見ぬ自分への巡礼なのだ。……
三日目
朝に海南島の田舎、澄萬(チェンマイ)に移動。昼から飲むことに。横に座った男がやたらと酒を勧めてきたが、聞けば現地の医者だという。飲めないという言い訳はなぜか通じない。野郎ばかりの狭くむさくるしい部屋で豚とヤギの鍋をつついた。あまりに大量の肉。山ほどパクチーを食べ、ビールも飲んだ。途中、福山(フーシャン)珈琲に立ち寄ってブレイク。コンデンスミルクを大量に入れて飲むのが東南アジア流だ。少々粉っぽく、八ツ橋のような味がした。亜熱帯気候の海南は日中ずっと暑いので、昼休みが2時間半ほどもあるらしい。そのせいか、福山珈琲館にいた客はしばしの休憩でくつろいでいると言うよりも、椅子の上にグダーっと伸びてひたすらダラダラしている印象を受けた。
ここの環境は良い意味で適当で大らかだ。どこでもタバコが吸えたり、店員がお釣りをちょろまかしたり、交通警官が飲酒運転を黙認していたり、原付が歩道を走っていたり、日本で生活している自分からするとありえないことが多い。しかし、人々は皆楽しそうで、私自身も日本のように気疲れすることは少なかったように思う。なんというか、町中に散らばった漢字の看板も相まって、そこには古き良き時代という言葉がぴったりな気がした。人々と同じように、ほんの少しだけ歩く速度をゆるめるだけで、普段とは違った景色や時間の流れを味わえることに気づく。せかせかした日々を送る私たちだが、ふと立ち止まって空を見上げたり、仕事中でも遠くの緑を眺めたりしてみるといいのかもしれない。忙しくとも気持ちだけはゆっくりいこう。
次の目的地までの移動中トイレに立ち寄ったが、小便器の前にはこう書かれていた。「向前一小歩 文明一大歩」。世界中どこでもメッセージは同じなのだ。ちなみにこちらのトイレでは紙を流してはいけないことになっている。簡単に詰まるからだ。使用済みのものは目の前のくずかごに入れる。紙がない場合、シャワーヘッドが壁にかかっていることがあるが、言わずもがなそれで洗えという意味だ。そして、紙もシャワーもない場合は、単に絶望だ。一度そういうトイレに遭遇したが、同行者からティッシュをもらって助かった。日頃からカミに感謝しよう。
昼過ぎに、福山近くの黄竹村へ。家々の扉には旧正月の名残で倒福がかかっていた。家の前でおしゃべりをする高齢の女性たち。子供もおり、のどかな雰囲気だった。しばしの滞在の後、海南島の最高峰である五指山近くの町へ向かう。午後四時。運転手が中華ポップをガンガンかけながら飛ばすので車内からは悲鳴に近い声が上がったそうだが、私は心地よく眠っていたので知らない。目を覚ますと山道に入るところだった。道幅が狭くなるものの、相変わらず運転は荒い。と、右前方の道端で巨大なタンクローリーが横倒しになっているのが見えた。崖がごっそりとえぐれており、デペイズマンかと思うほどすごい絵だった。警察はまだおらず、運転手と見られる男が乗員とともに困り果てた顔をしていた。これは大事故だ。と思う間もなく、私たちはビュンと通り過ぎた。運転手はあまり驚いていなかった。���っと日常茶飯なのだろう。私たちは無事に山を越えられるだろうか。
日が暮れてきた。相変わらずくねくねとした山道だが、車同士が容赦ないスピードですれ違う。出発から二時間が経とうとしていた。さっきから少し車のスピード���落ちてきたように思う。安全運転にシフトチェンジしたのかと安心するも、何か変な音がすると運転手が言い出す。確かに坂続きで馬力がなくなってきているようだ。そうこうするうちにヘッドライトの先だけが道となり、不安を抱えたまま夜へと乗り入れる。なんとかなるだろうと思っていたものの、いよいよ異音が大きくなる。そうして急カーブに差し掛かったところで、車は静かに止まった。一度降りて様子を見るのかと思いきや、最初の悪い予感が的中する。どうやら故障したようだ。同乗者がすぐに助けを呼んでくれたが、町からは相当な距離がある。途方にくれた。とりあえずあたりの木の枝を折って車の周辺に置くことで停止表示板の代わりにし、安全確保のため路肩に避難する。蚊がぶんぶんとうるさい。聞けば、ここらへんの蚊は昔マラリアを持っていたらしい。今ではもう終息したそうだが、やはり気は抜けない。手を振り回したり、煙草を吸って身体に吹きかけたり、タイガーバームを塗ったりした。そんな絶望的状況から約一時間半後に救援車が到着。なんとか闇のジャングルから脱することができたが、運転手はレッカーを待たねばならない。後から聞けば、彼が帰着できたのは午前零時を超えてからだったそうだ。
さて、私たちが五指山麓の町に着いたころには午後九時を回っていた。出発してからざっと五時間以上かかったことになる。ホテルにチェックインして部屋のカードキーを受け取ったが、錠の反応がなかった。フロントで入れない旨を伝えようとしたが、スタッフは困った顔をしている。仕方なく紙とペンで偽中国語筆談を試みようとしたところ、英語の通じるスタッフが一人いたのでなんとか解決できた。こちらではほとんど英語が通じない上に、たいてい中国人と勘違いされるせいで怪訝な顔をされる。海外からの観光客が少ないせいか。
レストランで遅い夕食を取る。ここでもやはり白酒だ。終わることのない乾杯に、謝謝!と杯で応える。もうどうにでもなれといった感じだ。だがやはり途中で青島に変え、限界がきたので最後には茶を飲んでいた。薬酒のような茶色い酒も飲んだが、口に合わなかった。料理は、薄いオムレツ、ヤギ、鶏、菜心、ピーナッツなどが出た。炒め物を口にした時、ゴリッという音がしたので出してみると、それは鶏の頭だった。くちばしも付いている。トサカだけ噛みちぎって食べた。脂っぽい。食べられるものは何でも食べるんだなと思った。こちらに来てからは毎食、食べきれないほどの量で料理が出てくる。残すのは嫌なので無理にでも詰め込もうとしたが胃袋には限界というものがある。食後にしゃっくりが止まらなくなった私に、同行者は、これはもてなしの表現であり中国の文化であると教えてくれた。また、皆食事中に煙草を吸い、互いに勧め合っていたが、それも慣習であることを知った。灰皿がない席では、吸い殻は床に捨てていた。相手方のうち一人が酔いつぶれたので、助っ人にホテルまで送ってもらった。べろべろになりながらも、貰った煙草に火を点け、人間の生について考えた。
四日目
朝、ホテル近くの市場を見に行く。果物を売っていたり、路上で占いをしていたりと、活気がある。道では放し飼いにされた犬がじゃれあっていた。檳榔売りもいて、歩道にこびりついた血のような赤い点々はそれが吐き捨てられた跡だった。町を出発し、五指山中へ。五指山市は中国で唯一の貧困都市で、特に山間部の村が貧しいということを聞く。途中で車を降りると、山頂が雲に隠れているのが見えた。少数民族である黎族(リー族)の村へ赴く。同行者が、土地の名物だという竹筒入りの炊き込みご飯を村人から買っていた。熱帯植物の生い茂る山道を進む。家々の扉には未だ福(倒れていない福)の赤い紙が掛かっている。途中、飯屋に立ち寄りイノブタと菜心を食べる。村は最近観光開発が進んだことで、麓と展望台をバスがひっきりなしに往復しており、ラフティング等のアトラクション施設もあった。鶏は放し飼いにされていて至る所にいたが、人の姿はほとんどなかった。仕事のために山を降りているのだろうか。家の前には農具が散らばっていたり、材木や乾物、ぼろぼろのトラックが置かれていたりする。乱雑ではあるが、今の日本が忘れてしまった、アジアの穏やかな昼間があった。
山を降り、昨夜と同じレストランで夕食。白酒はそこそこにして、後はビールで勘弁してもらえた。こちらの熟鮓を食べさせてもらう。少々クセはあるが、日本のものと似ている。日本酒があればいいのにと思った。豚のしゃぶしゃぶのようなものと海藻入りのスープを食べる。スープは酸っぱく、辛い。しかしトムヤムクンとはまた違う。味わったことのない味。料理は全体的に油が多く、それでコクを出しているといった印象だ。日本でいうダシの代わりだろうか。食後、オーナーのトウさんが身振り手振りで電話番号を教えろと言ってきた。また連絡するから、とのこと。連絡をくれたとしてもどうやってコミュニケーションを取れば良いのかわからなかったが、なんとなく面白かったので、番号を名刺に書いて交換した。トウさんは人の良さそうな兄ちゃんで、たぶん同い年くらいだ。奥さんも子供もいて、手伝い半分世話半分で店内をうろうろしていた。
腹ごなしに町をぶらつく。最初に比べ、黄色い街灯やネオンも心地良くなった。明日で最後かと思うと少し寂しい。カバン一つで来たが、叶うなら滞在を延長したいと思った。名残惜しさを噛み締めつつ、橋から川を眺める。紫、赤、白、黄の灯りが水面に反射し、サイケデリックに揺らめいていた。
五日目
朝、昨日買った竹筒入りのご飯と鳥の足の唐揚げを食べる。うまい。五指山からまたも五時間かけて海口へ戻り、海口の旧市街を見に行く。石畳が敷いてあり、ヨーロッパの古い都市を思わせる町並みに驚く。ここは文革でも破壊を免れたそうだ。洋風の建物を良く見ると、その壁に書かれた文字が全て中国語なので不思議な印象を受ける。中洋折衷だ。なぜか道端のいろんな場所にココナッツが置いてあった。特産超市(スーパー)には民芸品とともにドリアンが並んでいた。資料館で町のジオラマや歴史年表を見た後、昼飯に豚の内臓入りの麺を食べた。地元ではポピュラーな料理だ。こちらに来てから食べ過ぎのせいで顔がむくんだ。体重も2kg増えた。しかし飯がうまいのだから仕方ない。好き嫌いが少なくて良かったと思う。
海南の気温は2月でも30℃近くあったが、この日は雨が降り10℃台まで冷え込んだ。私はシャツにジャケットを羽織って終日過ごしたが、町ではダウンを着た人をよく見かけた。どうやら、一年中春のような気候のせいで海南人は寒さにかなり敏感なようだ。滞在初日、厚手の服を売っているお店の前を通りがかった時には、こんなもの一体誰が買うんだと思っていたが、案外需要があるもんだなとそこで納得した次第だ。
さて、もう日本に帰らねばならない。海口の空港で土産を買った。真空パック入りのサラダチキンのような鳩肉と鶏足の揚げ物だ。店員に英語で値段を聞くとなぜか爆笑された。無言でレジに表示された数字を指差す。別の店で煙草も買ったが、無愛想なジェスチャーで釣りがないと言われた。面倒なのでいらないと答える。行きと同じく広州経由の便に乗る。海南よ、さようなら。飛行機の中で、萬緑園に放置されていた、夢の跡のような春節の残骸を思い出した。
後記
この旅行記は、平成29年2月20日~24日の出来事を、約一年の期間を経てから綴ったものである。旅の主な目的は仕事であったため、内容には多少のフィクションも含まれている。
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nilfinity - [ゼロと無限大] (Live от 2020.6.18, 四ツ谷OUTBREAK) Читать дальше..
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2019年・夏【復路】
【はじめに】
8月16日、5時起床。眠い。いよいよ性春18禁ひとり旅の再開である。どうせ起きれないからと昨夜カーチャンに叩き起こしていただけるよう依頼しておいたのが吉と出た。その上、朝飯まで用意してくださったものですから、頭が下がって地面に食い込んでいるのでございます。さて、本日東京まで帰るなどと、はたまた無計画を企てているのだが、あれま、にわかにドデカい台風が近付いているではありませんか。にわかに、というより直撃も直撃、大打撃である。果たして今日中に東京に着くのか甚だ疑問。その上、途中どこかで観光をしようとしているのだから呑気なものである。皆様、台風にはお気を付けて。
そんなこんなで朝から忙しなくドタバ��していた。実は、7時2分発のJRに乗ろうとしたら案の定運転取りやめだったのだ(はははは)。家を出る際に親父が、駅まで車で送ってってやるよ、と言うので甘えさせていただいたのだが、駅に着いた瞬間見知らぬオバチャン(復路オバチャン1人目)が、運休やで、と。結局再び車に乗り込んで、もう少し先の大きな駅(こちらは列車が動いていた)まで連れて行ってもらうことに。大変とても助かったのでした。親父さん、ありがとさんです。いや、車で送ってなかったらどうするつもりだったのよ、はははは、と突っ込まれましたが、どうするつもりもなかったんですね、コレが。スミマセンねえ。止まってたらいつまでも待つつもりだったんですよ。
さて、時刻は7時22分。汽車(電車ではなく汽車なのよね)は問題なく走り始めて、ひとまず智頭を目指します。智頭からは急行を使って上郡まで出てしまうのです。ところが、どうやら上郡から走る山陽本線が止まっているらしいのだ。アレ、旅は終わりかな?どうすんのかな?どうするつもりもございません。待つか、進むか、その時に考えるのです。早朝からだらっと、ぐだっと、性春18禁ひとり旅、復路の始まりです。
【1】
旅と銘打っているものの、汽車に乗っているだけの時間が続くので暇で仕方ないのだ。気休め程度に外を眺めて紛らわすが風景も田んぼ、畑のド田舎である。鳥でもいねえかなあ(移りゆく風景における楽しみがこの程度である)、と眺め続けていると、急に自然に溶け込み切れない大手ドラッグストアが目に入ったのである。場に相応しくないドラッグストアは一瞬で通り過ぎてしまったので、幻だったかもしれない。ドラッグで幻覚とは嫌にサイケデリックな響きである。
しかし、こんなところにこんなものが、という事象は結構見掛けるもので、田舎道中のコンビニなんかはよく気に掛かる。家族でシフトを回しているようか小さなディスカウント酒屋などは別にして、コンビニが一軒ぽつりと建っているのをちょこちょこと目にすると(田んぼの横に、である)、頭を悩ませる。コンビニといえば在庫を持たない形態なのだから、密集させてトラックで回りながら補充という運営ではなかろうか(違うかもしれん)。こんなところに建てていては、効率よく回れないのでは、はてさて。経済だの何だのには疎いので詳しい話は分からんが、田舎のぽつりとしたコンビ二は誰が何を買うのか、どう儲かっているか不思議なものである。田んぼの横っちょのコンビニでサトウのごはんをチンできるようなら皮肉なものである(皮肉ではないか)。下手すりゃ鍬や鋤、はたまた唐箕なんてものまで売っているのではないか、と妙な期待すらしてしまうのであった。海の近くのコンビニに水着やら浮き輪やら売っているのと、きっと至って同様である。
【2】
ポーッと汽笛を鳴らし、列車は智頭へと到着する。車窓から眺める風景は相も変わらず田んぼ、田んぼである。列車を降り、ぼうっと歩いていると知らず知らずの内に閑散としたホームに立っていた。あれま、このホーム違いますねえ、と調べると、反対側のホームの奥の方に(遠い!)乗るべき列車が到着しているではないか。ただでさえ台風で遅れている汽車・電車、一本乗れなければ命取りである。ぜひ、気を抜かないでいただきたい。
さて、無事に可愛らしいワンマン列車へ乗車することができた。ここから暫し1時間ほどの暇である。何をすることもない、一旦眠りに就くとする。グー。
いつの間にやら上郡に着いていた。上郡まで、一切遅延することなく無事に旅が進んでいる。出発から既に2時間、台風は日本列島に沿ってゆったり北上。追われる形で姫路に逃げることとなる。姫路まで無事に抜けてしまえば追い付かれることはないようだ。どっかで遊んで時間を使いすぎなければ。そんなこんなで、途中に再度京都に寄ろうとも考えたのだが断念した(というより、よい電車がなかった)。一日で鳥取・東京間を走ろうと思うと列車も限られているのだ。今回は旅行というより台風から無事逃れられるかの闘争なのである。ちょっとでも降りて休んでいると時間がなくなってしまうので、京都を諦める英断を下したのであった。
【3】
名古屋まで降りない、と決めて10時7分。網干に着いた。一度降りるか、姫路で降りるか。降りる選択をしている私がいるのである。おしっこが漏れそうなのである。トイレ休憩というものを一切忘れてしまっていたのである(なんと!)。ダダ漏れはヤバイ。あと10分すれば姫路に着く、そして外を見てみればあっと驚け、日本晴れではないか。もう台風来ないんじゃね?名古屋まで一切降りないのも何ですし、一回降りてもいいんじゃないの?と思った次第でございます。非常に迷っている。非常に迷っているのである。というのも、姫路で快速に乗ってしまうと、米原まで2時間半乗車し続けるのである。東京までの旅を尿意に左右されるとは思わず、苦悩している(漏れそう、という苦悩も含め)。
結局ここまで書いて、次の駅で降りることにした。つまり姫路で一休みである。というのも、実は先程列車内で人が倒れ急停車した関係で、乗り換えようと思っていた列車への乗り換えが難しくなったのだ。熱中症だろうか。女性の回復を祈り、私も自身の健康のため(膀胱炎にならないように)姫路を目指すのであった。
と、ここまで書いて何やらまた事件。またまた列車が急停車したではないか。どうやら非常ボタンが押されたようである。車掌さんたちが満員電車の中を掻き分け、助けを求めた方を探す。夏だしなあ、そりゃ体調崩すよなあ、とぼんやり待っていると周りから溜息が聞こえてくる。まあ、数分の間に2回も止められれば気持ちはわからんでもないが。別によいではないか、おしっこを我慢し続けている私がよいと言っているのだから(限界である)。兎にも角にも、乗ろうと思っていた列車は既に出てしまっている。さて、1時間。性春18禁ひとり旅、急遽姫路の地に降り立つことになったのであった。
【4】
実は、前回のひとり旅でも姫路に立ち寄っていた。トイレ休憩がてら姫路城でも見に行こうかと下車したが、ちょいと寄って行く程度には姫路城までなかなか距離があったのだった。今回も姫路城へ立ち寄るかなあ、と思いつつ、そうは言っても台風が追いかけているのである。長居はできない。15時ごろに名古屋に着くよう調整してテキトーに散歩することにした。時間、僅か30分程度。
さて、フラフラ歩いていれば何かしら見付かるだろうと散策したのだが、びっくりする。何もない。自身ド田舎に生まれ、それ以下はないと知っているから敢えて言うが、姫路駅周辺もなかなかのものである(失敬)。チェーン店はいくらか見付かるが、旅行先の昼食である。ある程度のものは食いたいが、本当に店がないのである。特に入りたい店が見付からないまんま、時間が過ぎる。何か食いたい気分。お昼時。腹が減った。仕方なく駅に戻るとパッと目に入ったのは吉野家。え〜、ここまで来て吉野家食うのか〜。しかし腹が減った。減っているのだ。姫路で食うのは、まさかの牛丼である。牛丼を頼む。紅生姜を乗せる。茶を飲む。食い終わる。さて、もうすぐ列車が来る時刻である。おしっこをして、牛丼を食うなど、この一連を姫路で行う必要があったのだろうか。大変遺憾である(にっこり)。
食ったのが牛丼だろうが、吉野家だろうが、ひとまず腹が満たされたこと自体には大変満足した。姫路から神戸線新快速に乗り、米原を目指す。この間、2時間半である。14時到着まで、はて、どう時間を潰したものか。幸い鳥取にて、書籍をいくつか買い足していた。この辺りを読み潰している内に、どうせ寝てしまうのだろう。グー。
意外と寝なかった。ずっと起きている。書を読み、アイフォンをぽちぽち触っている内に米原に着いてしまった。
【5】
この2時間何もなかったのか、というと何もなかったわけではないのだが、往路のからあげクン事件ほどの衝撃があったかどうか、と言えば至ってフツーの旅を送ってしまった(しまった?)のだった。只今米原を出て、大垣へ。大垣からいよいよ名古屋へ向かう。結局姫路で観光できず、京都で降りることができず、旅とは何なのか考え直さざるを得ないポンコツ旅行になってしまっているので名古屋で挽回を、という寸法である。しかし、名古屋にいられるのも1時間程度。あんまり時間ないので目的なく散策するのはやめにして、この前の旅で立ち寄った喫茶に再度寄ろうと思う(呑気なことを書いている最中、列車は関ヶ原の地を通っている)。
割とどうでもよいが、事は深刻。列車の中が暴力的に暑い。局所的酷暑である(言いにくい)。冷房がブチ壊れているのか、窓際だからなのか、眠たいからなのか、身体が火照っている。多めに水分を取るが、その分汗ばみ気持ちが悪い。サウナ状態の列車の中へろへろになっているのだが、同じ列車に乗る小さな子どもたちはワイワイとおしゃべりをして盛り上がっているのである。身体の構造が違うのか、年齢か、夏休みパワーなのか(夏休みパワーなら、こうして旅を満喫している私が授かってもおかしくないようなものだが)。どうあれ、私のパワーは既に枯渇している。夏休みの使者は次世代に託し、この酷暑の中、死なない程度に��寝をしようと試みるのだった。
車内、ポカリスエットを飲んでいる人を見掛け、無性にそれを飲みたくなった。夏である。
【6】
乗り換えた(ポカリを買った)。万歳、涼しい車両である。大垣より、名古屋を目指して30分。もうそろそろ名古屋めしに辿り着くのであった(吉野家め)。それにしても、鳥取を出て早7時間。景色は相変わらず田んぼである。途中、京都やら大阪やらを経由したはずなのだが、果てしなく田んぼが広がっているのである。日本のほとんどは田んぼで完成しているのであった(テキトー)。そして到着、名古屋。駅改札を出て、地下鉄へ。矢場町へと移動しようコーヒーの旨い店を知っているのだ、はははは、向かおうか。いえ、その前にちゃんと昼めしを食おうではないか(吉野家め)。
矢場町に向かう地下鉄。まずは栄を目指すのだが、間違えて伏見で降りてしまった(しまった!)。どうしようもないので、伏見から目当ての喫茶まで歩いて行くことに。その道中、あのスガキヤがあるらしいので寄ることにした。皆様は知っているだろうか、ラーメンフォークで有名なあのスガキヤである。一度行ったことのある人なら分かるだろうが、メニューにクリームぜんざいのあるラーメン屋なのである。というのも、スガキヤはそもそも甘味処から始まっているらしいのだ。元々あんみつだの何だの甘味を出していた店がラーメンを出したら売れてしまったとかなんとか。その名残で今でもメニューにぜんざいだの、ソフトクリームだのが並んでいるらしい。さて、スガキヤでラーメンを頼んで啜る。大し���旨いもんではない(失敬)。しかし、懐かしいというか何というか、マズイとも言い難い素朴な食べ物でいる。駄菓子感覚の値段故か、はてさて。結局名古屋めし、といっても菓子のような食事をしてしまったのだった。吉野家とスガキヤを食って旅が終わりとは、何とも虚しく寂しい気持ちである。さて、このぽっかり空いた心を埋める、絶品のコーヒーを知っているのだ。牛丼、ラーメンを忘れさせるそれを目指して残り数メートル、てこてこと進むのであった。
【7】
目当ての喫茶へ。ここは、BAPEやAVIREXが並ぶ通りにあるくせに、妙に洒落ている隠れ家なのである。入店、カウンターの向こうではミルクとコーヒーの層を丁寧に作り上げるオッチャンと、煙草を吹かしながら客を捌くネーチャンが並ぶ。さて、運ばれて来たのは白と黒に別れた私に似つかわしくないお洒落コーヒーである。先程までスガキヤラーメンを啜っていたなどは、ぜひ店員さんにはお伝えしないでいただきたい。
暫し休憩、そう長くは休めない。20分後には出なければ静岡までの移動に支障が出る。やっぱり1日で鳥取・東京間を渡るには無理があるなあ(旅について記録するにも、何一つ面白いことが起こらないなあ)など、反省しつつ、諦めつつ。大して休まることもなく、次の列車に乗り込むべく、店をでるのであった。
名古屋駅へ戻る道中、名古屋の女性は化粧の仕方が似ているなあ、など甚だどうでもよいことを考えていた。しかし、実際何かが同じ気がするのである。私は化粧だのメイクだの(化粧とメイクは同じか)には疎いので何が一体どうなのか全体分からないのだが、きっと何かがあるだろう、と踏んでいるのである。ぜひ、その道のお偉い方(誰だ?)に検証していただきたいものである。
【8】
名古屋から浜松、浜松から静岡に向かう。性春18禁ひとり旅は、鈍行で行く帰省の旅である。この「鈍行で行く」を最大限感じられるのが、静岡県を横断する、この瞬間なのである。鈍行で行けば分かる、静岡の長さ。一説には日本列島の4分の1を占めるなどと言われている(感覚的には割と正しい)。ここから東京までもうどこかに立ち寄ることはない。とあれば、後は本でも読みながら時間を潰すだけである。鳥取で数冊本を仕入れておいて助かった。なんとか場を繋ぐことはできそうである。
そんなこんなで静岡、熱海、品川と来た。この間ひたすら本を読んでいたら、あっという間に着いてしまったのだ。久方振りの東京である。と言っても一週間すら経っていないのだが。こんなに早く帰って来たのに、こんなに長く感じるのは、実家にいた時間どうのこうのではなく、この道中の長さであろう。しかし、この復路、書き溜めてはみたものの、往路に比べて何も起こらなかったのである。列車から降りることができなければ、こうなるのは当然であった。無念。
本当に何も起こらなかったなあ、というか、疲れ切っていたのか何かを探そうとすらしなかった。この旅は復路に何かを求めても仕方ないのかもしれん。往路に色々と起こり過ぎたことも問題である。こうして呆気なく、この度の「性春18禁」は幕を閉じる。やけにオバチャン多めだったこの旅、しかしピークはマックが壊れたことだったのではないだろうか、などと少々心配事を抱えている。そう言えば道中何を食ったかなあ、と振り返り、牛丼とラーメンで腹を満たしていたことを思い出す。これでは夏の身体に悪いなあ、と帰り道、コンビニで気休め程度の青汁を買ったのであった。グー。
【おわりに】
そして、翌日である。お家に帰るまでが、という文句はあるが、翌日まで旅を記録する意味があるだろうか(果たして、これは旅だろうか)。実は余った青春18きっぷを売りに来たのである。新宿の某金券屋で換金をすると、5200円になった。7000円程度で性春の旅を謳歌したことになる(値段相応ではあったが)。新宿に馳せ参じた私にはやらねばならぬことがある。マックを迎えに行くのだ。さて、丸の内線を乗り継いで。余程の便意に襲われぬ限り、はたまた余程タイ風焼きそばを食いたくならぬ限り(まずない)。四ツ谷は素通りするであろう。
「性春18禁ひとり旅」。往路、復路思い返して、まあ大して地獄でもなかったかなあ、と思いつつ。地獄の対義は天国ではなく、日常だよなあ、などと妙に感傷に浸りつつ。今年の夏を、ある程度は、謳歌したのであった。(完)
フチダフチコ
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生きる場所あるいは身体
玄関を開けると肌にのしかかる梅雨明けの湿気。「みんみん」よりも「ビービー」と微振動がじんわり突き刺さるような蝉の鳴き声。この街に初めて来た2か月前の晴れの日と違うのはその重さ。
私は過去1年半で実に5回の引っ越しを経験している。 1回目:2018年2月。独立してからの自分の仕事や生活全てに致命的な違和感を持って、身辺整理のため2年ほど住んだ桜新町のアパートを出て南横浜実家に戻った時。 2回目:2018年7月。実家生活に耐えられなくて、すぐに引っ越せる等々力のシェアハウスに引っ越した時。線路が真横にあって、終電後も走る回送電車や始発の振動、木造越しの暑さに体の疲れが取れなかった。 3回目:2018年11月。恋人と住むことになって、ひとまず相手の四ツ谷と神楽坂の間の家に全財産とともに転がり込んだ時。狭かったけれど新宿サザンタワーのライトアップと、ビル群の上に広がる空がすごく好きだった。 4回目:2018年12月。水天宮前、隅田川真横のマ��ションの11階。和室とその先のベランダからの眺望、時々鳴くカモメや同じ階で挨拶するおばさんに癒される。 5回目:2019年6月。5月に内見していたいくつかの家のうち、6月頭の11日間のホテル放浪生活中に経済的にも自営業という身分的で唯一契約を進めることができた、品川の外れにある7平米の小さなシェアハウスの部屋。日当たりは悪いし狭いし、全く干渉しあわない「同居人」たちと一つ屋根の下にいるのもなかなか奇妙なものだけれど真っ白な床と壁が心身を壊した自分にとってはちょうどいい。
算命学の占いで見てもらった時、私は引越や転勤を一度や二度では済ませない強力な移動の星のもとに生まれていると言われたことがあった。どうりで最初に一人暮らしをはじめた20歳以来、自分で選んで住んだ家の中で2年以上過ごしたのは桜新町のアパートだけだ。 もうしばらくは引っ越さないつもりで今の家にいたけれど、事情が事情だっただけに当初の盲目が醒めはじめたようで、新生活40日ほどにしてすでに新しい家に引っ越したくなっている。思えば桜新町生活以来、自分ひとりだけのための居住空間というものにすっかりご無沙汰している。どうも平均的な人間以上に「自分だけの空間」というのを欲するよう。
この5回の引越しをするごとに私は自分の全財産をどんどん減らしている。今の家に来るときは、頭も体もまともに動かず判断力も鈍った状況で友達に実家の車を出してもらってそこにあらゆる家財を積んだ。 車に乗り切らず、前の家に残していったのは掃除機(モップがあれば大体のフローリングは綺麗になる)アイロン台(かけようと思えば台無しでできる)3列の本棚x2(床における)割と気に入ってた木製のゴミ箱、あとは何かあったかな。さらに新居に越してからポリプロピレン収納箱やへたったフェローズのバンカーボックスが美しくなくて処分し、こんまりさながらに心のときめかない服や本をブックオフに7000円分売り払い、職業柄異常にコレクションしてしまう印刷物や資料のアーカイブも心を無にして処分した。備え付けの収納やベッドの下に入れてしまえば7平米ライフもなかなかスッキリできるものだ。 今現在不要であるものごとに無自覚すぎた自分の投影が身体を循環するように、処分や掃除を進めるごとに前を向けるようになった。
引っ越してから増えたのは、これまでにとても少なかった化粧品やスキンケア商品。ワックスも高校生ぶりに買った。最近化粧品メーカーの案件を受けたことがきっかけでリサーチ名目で購入していたらいつのまにか人生の楽しみになっていた。CCクリームとアイブロウと口紅1本あればなんとかなってた自分にこんなに毎日の選択肢が広がるのかと、今更女性の醍醐味を存分に味わってる。かわいいは作れるとはいうけれど、顔つきの選択肢を持てるなんて魔法のような特権が女性のインフラにあるって小さな奇跡を今更ながら。 精神快復と新たに欲する[仕事]のために必要な本もわずか40日間で10冊増えた。川上未映子のエッセイ2冊、鷲田清一、三木成夫、知人でもある菅原敏さんの詩集、サイコパス、空き家問題、インスタグラムの視覚文化論、やまとことば、Magazine BのRepetto号。
囲まれる物理に自分を見出そうとしたり、あるいはその逆で自分の状態を囲まれる物理に投影する心理感覚はみんな持ってるものなんだろうか。囲まれてるものがとびき���男臭くてもふんわりキャピッとしている女性とかいたりするもの?少なくとも自分はどうしても皮膚の外に広がる世界との循環相似関係を無意識に築く傾向にあるみたいです。かといって全てを手にすることはできない。欲しがる時ほど手に入らないことを今回思い知った。この部屋はとても狭いし日当たりも悪いけれど、今の自分が心の髄で必要としているものしかない。できる限り自分の身体そのものに近いものだけを周りに置く、自分を知る旅のためにかえる場所。
そう言いながらまた今年のうちに引っ越してしまったりして。
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��ろとろ・どるちぇ イチゴえっち編:Drama CD 碟評
*此篇標註為好孩子閱讀警告標章
你和製藥公司營業部門的結城直哉(CV:四ツ谷サイダー)是同期進公司同樣隸屬營業部的同事,半年前開始瞞著周遭的人秘密交往著。一天,不喜歡吃草莓的結城卻必須應酬客戶跟他們一起去吃草莓甜點吃到飽。結城決定藉助你的力量幫他一起克服他對草莓的恐懼!? “每當你吃草莓的時候就會想起我了吧…”
大口吃下這張Juicy 甜美的馬甲碟!美味的肉,傻白甜三觀正的設定。花式吃草莓(唸做啪啪啪),讓我喊喊四谷大法好~一邊啪一邊吃草莓不打緊,第二滾還玩上了草莓果醬,介個挺有趣。 劇情我就想說一句,啪啪啪求婚狂魔又來一發,我總算是看清堀川娘的浪漫了。俺と結婚しよう?うん?返事は?(活塞運動ing) 瞬間跳戲到佐和C91好嗎?你沒看錯,劇本娘就是以高能沒節操著稱的堀川ごぼこ,とろとろ・どるちぇ系列跟以前的 床ドン! SONG♪ 系列是少數她筆下的傻白甜劇本,但是這次的花式玩食物題材真的棒!(拇指) 日常生活中的小刺激。
跟大家一起吃草莓的是我們的勞模-四ツ谷サイダー,穩定在馬甲碟界耕耘的四谷大法,曾經的KING OF 馬甲碟,現在則是穩定在海裡支援這塊市場。聽他聽那麼久,他跟佐和算是馬甲碟CV中非常versatile的,出演過的年齡層跟男主角設定的範圍很廣,作品數又多,而且音質實屬女性大眾都會喜歡的洗鍊帥哥音。這次比較驚奇的是,他這碟的聲線讓我想起了初彼エッチ的悟小哥,年輕的同輩音,肉食系的出演,勾起了我不少回憶(我已經是坐坑裡久了的老淑女)。插刀說一句,這碟四谷的腎好,淑女小夥伴們手下留情啊,請不要再說他早X了,就算早X也是劇本娘的鍋好嗎(笑哭) 確實早期的四谷馬甲碟真的有不少需要補腎的漢子。
那麼大家把草莓準備好了嗎?一起大口咬下紅豔多汁的四谷汽水吧!
1 家で待ってて
看一眼1:53的音軌,很好,這很堀川。唯一可以稱上是“劇情”的一軌。堀川娘:憋說廢話,快上車,老司機要發車了囉嗦什麼?一開始女主跟結城在公司的休息間碰到,沒有槽點的一陣閒聊,女主是個能幹的女sales,結城對這點也很自豪,然後他就跑到女主耳邊說要女主下班回家等他過去,因為他有事情要拜託女主幫忙。
四谷耳語hin牙白,有種偷偷交往的偷情感!聽得我一陣腰軟(你撐著點啊喂)
2イチゴの香り
下班之後結城買了草莓來到女主家,說到自己不喜歡吃草莓,但是被客戶邀請一起去吃草莓甜點的吃到飽很煩惱,所以想跟女主一起克服這個恐懼。女主一邊洗草莓他就一邊靠過來了(臥槽) 你們好好吃草莓啦!一陣虐狗的互餵草莓,兩個人一人吃一半的草莓然後啾啾啾,冷冷的狗糧打在我的臉上(痛著並快樂著的趕腳) 一邊展現了四谷高超的親親技能,我已經捂著心口倒下了。馬甲碟自然是不會好好吃草莓的(工口意味),草莓的汁就開始從女主嘴邊流下,流到脖子上,然後就完美脫掉衣服了呵呵呵。吃草莓吃一吃變成吃 “草莓味”的女主了?我以為你是來克服草莓恐懼症的啊喂!好久沒被四谷大法這樣prpr,我不禁doki了起來,純情又汙的風格真是欲罷不能。總之各種親親舔舔,大家自行體會一下,重點是女主一邊 “被吃” 一邊上面的嘴吃著草莓…女主顯然有點busy。本番腎好,女主先丟了一次,男主才OO。主要是SE的水聲給個大好評很帶感,Staff加雞腿。
官能場面點評:四谷的功夫你不能質疑,配上後製的SE聽得我老臉一紅,日常碟還能玩出肉香花樣,好吃好吃。最喜歡他糯糯的聲音在耳邊說話在耳邊喘啦,有種迷濛的感覺挺殺的。Back位一本滿足,感覺女主跟他都很沉迷其中,最後我只想說,喂喂喂!說好的吃草莓呢?(不能槽這點)
3 真剣だからこそ
不能說是劇情的短音軌再來一發。在那之後,一天結城跟女主一起回家,說起了之前的應酬進行的很順利,克服了草莓的恐懼。話一落就正面碰到公司的同事,兩個人的關係就曝光了。他們兩個人至今都是瞞著公司周圍的人交往,但是現在被撞見了,結城也就順其自然承認了。總之沒什麼槽點。
4 離さないよ
長音軌當然不會什麼事情都沒發生,馬甲碟你開玩笑?就因為兩個人的關係就此曝光了,結城一回到家就控制不住自己撲倒女主了(果然肉食性啊)。本來都還是說著兩個人也不能這樣一直瞞下去之類的云云,然後是突如其來的求婚告白!?我沒想到啊,我還沒準備好啊,少女的心(?)受到了一萬點的攻擊,四谷求婚的聲音太蘇了。說到以前覺得秘密交往很刺激,但是現在不想再瞞下去了,想要獨占女主。強欲反差萌超好吃(手動二哈) 還自爆在公司看到女主常常在腦子裡各種OOXX幻想(老司機簡直),所以就一秒化身泰迪了(微笑)
“我們結婚吧?你的回答呢?” 突然發現堀川娘這是愛用的台詞,HIT數有點高。突然出戲到ゲスおと☆千束友靖(手動打臉自己) 然後一定要一邊啪一邊說…真是堀川娘鍾情的浪漫情節。
然後是玩草莓果醬,水聲SE依舊非常高能,咕啾咕啾的very牙白,四谷還一邊舔食一邊玩女主可餘裕了,就是要女主答應跟他結婚,港真我好像喜歡上這種一邊啪一邊求婚的橋段了,Oh no被堀川娘收買了。
本篇最後總結一下堀川ごぼこ筆下傻白甜劇本的定番萌點:1高能啪啪水聲SE 2啪啪啪求婚 3 生入中出 (對的,聽過不少她的碟,我從沒聽過她筆下的男主戴過套) Bonus:CD結尾最後一定要來一段懷舊風的BGM (胡說八道)
ステラワース特典 『会社えっち』
跟公司的人報告完兩個人要結婚的消息之後就把持不住在公司來了一發(窩的媽) 公開關係之後也不要這樣放飛自我好吧?小倆口?然後就在會議室裡開始開戰了。怎搞的覺得最近聽到的特點都是Office Play,重覆有點高啊。不禁懷疑Office Play發生的機率到底有多少?純粹YY還是大家都這麼偷偷來?細思極恐的一個細節。把女主壓在桌子上做,對堀川娘來說大概是小菜一碟(偷笑)
公式通販特典『ドライブえっち』
算是有劇情的夜景約會,結城跟女主兩個人開車到他們第一次告白跟接吻的地方看夜景。各種膩歪情話我就不說了,大家自己聽。然後開車開到一半,結城已經把持不住了,把車停路邊之後就如同標題一樣car震了。咦?這好像是我第一次聽四谷car震?反正不是重點,那個急吼吼的語氣簡直要命@~@ 然後在車內滾也是各種肉食強欲,還說跟女主結婚之後事態可能會更嚴重,更加欲求不滿要女主(怎麼突然泰迪重症了啊?) 我總覺得這個特典的水聲特別濃…高能節奏。完事了之後說下次我們一起去看星星吧,噢好浪漫呦(棒讀) 下次大概可以期待青jian了***無縫連結茶介男ともだち的星空デート特典。
總評,吃肉吃的一本滿足的日常碟(眼神渙散) 堀川娘這個花式食物系列我看好啊,日常設定卻是稍微刺激的滾床戲碼大好!劇本基本上沒有什麼劇情(實話),了解背景設定跟男女主角的關係就差不多了,剩下來就是放寬心吃肉吧。四谷老司機,車很會飆,已經被他吃得七葷八素��(眼睛冒星星) 最後科普一下Title的心機,イチゴえっち=Strawberry Sex,在英文的俗語中是指非日常的狂野激情(斜眼) 一般用上手銬、繩子、鞭子都可以算進這個範圍,但是不等同也不侷限於S/M。
最後藉文尾感謝阿遙姑娘的四谷小草莓實碟(比心) 我愛這個小短腿(X) 最後自爆聽碟時因為手邊沒有草莓可以吃,所以用了草莓味的香水替代。Canmake的Make Me Happy香水,Sugar Berry型,非常好吃的一隻香水。
前調:清新綠調
中調:草莓、藍莓、覆盆子
後調:砂糖香
趕腳自己聽馬甲碟已經到了一個新的層次了,不只是耳朵,連嗅覺也要顧及啊。我還真是越來越老司機了(心生恐懼) 其實馬甲碟這麼會玩,以後出個香水背景的系列啊,順便帶上一隻迷你香水啊(5ml或10ml就夠了啊),我覺得會賣啊,全齡那邊不就出過Dolly Ozone系列了嗎?然而Dolly Ozone沒有香水不開心,艾瑪Club Cup:6 都可以附帶小玩具了香水算神馬!我好想去當馬甲碟的企劃啊OMG。
拉回來,推薦大家還是先吃四谷小草莓吧。
推薦指數:8/10
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動画の後書き
こんにちは。
今回はこの記事投稿時点で投稿している動画の後書きというかライナーノーツ的なやつを気が向いたので書いていきます。
先に言っておきます。全ての動画、再生コメントマイリス本当に嬉しいです。ありがとうございました。MMDでは本当にたくさんのものをお借りしました。ありがとうございました。 ○ 【FFMMD】 シャルル 【ラグナとスコール】 https://nico.ms/sm31085700 初MMD動画です。が、MMD部分はスタバで買収した蛍さんにやってもらい、自分は編集だけしてます。
蛍さんへのオーダーは「1番ラグナさん、2番スコールさん(一瞬だけラグナさん)、最後花畑で2人にしてくれ」だけでした。蛍さんはこのとき原作知らなかったので「モデルを読み込んだら便所サンダルだったんだけどwwwww」って言ってました。
動画説明文にも書いた『「此処には誰もいない」 「ええ、そうね」』という歌詞がこの2人でなら無限に解釈できる、その熱で作った動画です。
まあ元々原曲が好きという理由もあるのですが、それは全部の動画に共通して言えることです。
今見れば拙さばかりが引っかかってあまり見返せないですね。嫌いではないのですが。
バルーンさんの曲は夕染と愛及屋烏と迷ってトピアリーガチ推しです。でも動画投稿バトル曲ではどうせrapport推しなんだろと思われるかもしれないんですが、軽忽救済待醜一片夾竹桃もわたしのアールも強過ぎますね。 ○ 【Fate/MMD】 カルデアでハッピーシンセサイザ 【ドクター+α】 https://nico.ms/sm31272196 蛍さんが作ったMMDを「遊ばせてくれ! 違った、編集させてくれ!」って言って編集させてもらった動画です。 なのでMMD部分は自分は何もしていないです。が、「1番のステージどうしよう?」と相談されて「ナーサリーの宝具みたいなのが良い」って答えた結果ああなりました。教育番組感ある…確かに…。
画面上下に入っている色は歌詞を見えやすくするために入れているのですが、1番2番のサビ以外は丁度歌っているボカロ、ルカさんぐみちゃんの色と同じになりました。丁度補色だったし。やったね。
ラスサビでロマニ1人のところで画面が揺れているのはロマニの限界のつもりで勝手にやったことなのですが、蛍さんには何も突っ込まれなかったですね。良いのか…。 ○ 【手描きディシディア】 ドーナツホール 【1番だけ】 https://nico.ms/sm31331947 手描き動画です。ドーナツホールMADとか100人中120人が考えるに決まってますね。
支部にも書いたか忘れましたが、配役について。1番は12回目も秩序だった13回目、2番が12回目、Cメロが12と13で陣営が違う人、最後13回目、ってなる感じでした。
1番、12回目も秩序だった13回目は「いつからこんなに思い出せない記憶があったか」覚えてないです。なので「バイバイもう永遠に会えないね」なんです。
これがこの動画を作った理由なのですが、2番、12回目にとって、「死なない想いがあるとするなら それで僕らは安心なのか」。いや絶対そんなことはないはずなんです。
確かに12回目は残りのメンバーに託しはしましたが、それで想いは死なないとしても、安心で満足とは違うと思います。それが自分の解釈です。それでも「バイバイもう永遠に会えないね」なんですけどね。
1番頑張ったところはフォントです。オニオンとジタンさんと他のみんなと体格が一緒だったりあちこちおかしいのですが許してください。vita立ち上げてDDFFのギャラリーか何かでキャラモデルをぐりぐり回し見ながら描いたので、プレイ時間が一気に48時間くらい増えました。草。
ハチさんの曲は…もう自分がボカロにハマるきっかけの一つがマトリョシカだったりするので規格外ですね。それでも言うなら恋人のランジェ推しです。砂の惑星を聴くと死にます。 ○ 【FFMMD】 雨とペトラ 【スコール】 https://nico.ms/sm32233445 これもスタバで買収した蛍さんにMMDやってもらいました。オーダーは「このステージでこのモーションで踊らせてサビで雨降らせて」だけだったはずです。
1番頑張ったのは境界線のところで、あれで本当に線を引いて上から紫色?を被せていて以降そのままなのですが、目立たないですね。
笑い飛ばしてくれ!で被っている色も原曲動画リスペクトです。 ○ 【FFMMD】 昨日をうまく生きられなかった私達はきっと明日もうまく生きられない。 【FF8】 https://nico.ms/sm32756026 FF8の発売19周年と1週間記念動画です。19周年に合わせて出せよって話ですが、19周年当日に思いついて作りだしたので多分無理でした。
そしてこれが自分で動かした初MMD動画です。色々お借りしましたが、もう全部自分です。初めてがモーション流し込みじゃないとか頭おかしいですね。本当はこの一つ後に作った作品を先に作ってMMDに慣れてから作ろうかとも考えたんですが、作りたすぎて作っちゃいました。
単純に原曲を最初聴いた瞬間から大好き過ぎて、繰り返し聴いている内に思いついたから作った動画です。
長くなりますが行きましょう。
最初に出て来るアルファベットには意味は無いので気にしなくていいです。
ラグナ編としてスコールさんはラグナさんの「過去」を生きた瞬間、スコールはミシア城に行って「未来」を生きなきゃいけないのです。
1番サビが自分が真っ先に思い浮かんだ光景です。だからこそ迷わずサムネにしました。
ダンスパーティーで降った流星のようにきらきらした思い出も確かに閉まっておいたはずなのに、自分を占めていたはずなのに、スコールさんは取りこぼしてしまいます。幼少期のものも、ガーデンに入ってからのものも。ゲームスタート後の思い出がどうか代わりにスコールさんを満たしますように。そういう感じでゲーム画面をうっすら重ねています。
バスケットゴールのシーンはトラビアガーデンのつもりです。「自分はみんなについて行けない」そんな傷に必死になるのも若いなあと思います。
島の海辺のシーンは石の家の海岸のつもりです。戦うために自分を成す記憶を失っていく、それでも笑って戦いに行く、そんな大きな傷に気づいていて剣を取るのです。
動画説明文にも書きましたが、「報いも救いも何もいらないわ」これほど相応しい言葉はないと思います。自分がFF8で1番大好きなところは、自分たちの愛を達成するついでに世界を救うところです(個人の解釈です)。世界を救いはしますが、欲しかったのは報いなんかでも救いなんかでもなく、ただ一緒にいられる現在だけなんです。エモい。
「始まることも終わることもない」世界でスコールさんは生きています。パラレルワールドか何かで繰り返しているので。
これを作っている最中、これほど創作意欲掻き立てられて興奮することはないと思いました。興奮し過ぎて寝れないし1週間ぶっ続けで作ったので死ぬかと思いました。いやドーナツホールのときも割と死にかけましたが。
そんな感じでMMDガチの初心者が死にそうになりながら作った動画です。見返して引っかかる部分もやっぱりありますが、もうこれを超える動画は作れないなあと自分は思います。
HaTaさんの曲は本当にどれもすごいです。この曲ガチ推しで、「予め失われた君たちへ」、この後もう一つ出て来る曲、「私は足りないでいっぱい」も推しではあるんですけど、どうあがいても「ここを過ぎて悲しみの街」が強過ぎます。最強です。お前絶対ステロタイパー目当てで買っただろって言われたら否定出来ないんですけど。 ○ 【FFMMD】 嗤うマネキン 【スコール】 https://nico.ms/sm32881516 ただただ原曲推しなので作りました。『普段は考えないような「ことも今は」』のところのカメラモーションがくっっっそ好きです。
動画制作って割と音ゲーなところがあるんですが、今回は特に歌詞を出すタイミングだけでなく消すタイミングも原曲動画に合わせたので実質作業量2倍、死ぬかと思いました。
MI8kさんの曲は本当に格好良いです。十三番目のハスキング、バスケットワーム、もぬけのからだ、シルバーワープ、絶対的少年値推しで投稿曲ならラブ&デストロイ最推しです。カラオケで歌うと休みがなかなか無い。ただプライマルスケルツォが強過ぎます勝てないです。THE BADはいいぞ。 ○ 【FFMMD】 SNOBBISM 【スコール】 https://nico.ms/sm34056081 好きな曲に格好良いモーションがついたら踊らせたくなりました。だから歌詞とか全然合ってないですすみません。
Neruさんの曲は、またそれかって感じなんですけどyamaji kill you最推しです。あんなん笑っちゃう。
少年少女カメレオンシンプトム、小生劇場、洗脳推しです。ただ今まで企業の依頼以外ではリンレンしか使ってこなかったNeruさんが初めてミクさんを使ったそれ僕は別格だと思います。Neruさんのミクさん像が好きです。 ○ 【手描きFF8】 くたばろうぜ 【8親子】 https://nico.ms/sm34579311 ○ 【手描きFF8】 くたばろうぜ 【フルver】 https://nico.ms/sm36263452 手書きトレス動画です。何となく8親子にくたばろうぜ体操を踊っていただきたかった。ただそれだけなので歌詞と本当に合ってないです。8親子が弱者なわけがないんだよなあ…。
それでも「折角のFF8発売20周年にニコ動に1つも動画が上がってなかったら寂し過ぎる」って思って作りました。それがショートバージョン。丸4日で出来ました。
あのオチをやりたかったのでフルを作るかってなって1年後に作ったのがフルバージョンです。
ラグナさんは原曲から1ミリもトレス変えてません。違和感無し、すごい。スコールさんはめちゃめちゃ表情変えました。違和感ありすぎて。ただラスサビだけは変えてないので違和感がすごいです。髪やベルトが伸び縮みしたり、ファスナーが消えたり現れたりするのは本当にすみません。
オチですが、最後の最後、原曲では2人共がバテるんですが、この手書きトレス動画でバテるのはラグナさんだけです。当たり前だよなあ? それをやりたいがためだけの3分強の盛大な前振りでした。なので原曲動画も見てみてください。 ○ 【Fate/MMD】 ビターチョコデコレーション 【アヴェンジャー】 https://nico.ms/sm34985452 兎角言わずにたんと召し上がれ(泥)
Fateのキャラには本当にこの曲が合う奴がいっぱいいると思います。士郎とか、もう既にありますがロマニとか。
この動画内には無いですが2番の歌詞「君センスあるよ」のところが、バゼットとのことを考えると刺さるなあと思ってアンリを選びました。なのでタイトルには真名ではなくアヴェンジャーと入れてます。FGOではなくホロウの彼なんだという意味で。本当は真名入れた方が特定できて良いんだろうなとは考えたのですが。
色ずれが綺麗に出てるところがお気に入りです。ホロウは いいぞ。 ○ 【FFMMD】 とても素敵な六月でした 【5889】 https://nico.ms/sm35379440 原曲が大好きなんです。あとこの踊ってみたも本当に格好良いんです。作る理由はそれだけで十分でした。
これも色ずれが綺麗に出ててテンション上がります。後はラスサビの明るさが目に刺さるように、それ以外の部分は暗くなるようにしています。
ちょくちょく上に薄ら重ねている色を変えて雰囲気を変えたりもしています。紫とか紺とか重ねると楽しい。ただサビのところは色を重ねず、暗くしただけなので、1番本来の色に近いです。歌詞が1カ所だけフェードで変わっているのはそのせいです。サビとサビ以外では色調が違うのをフェードで変化させたから。MMDとかMMEを動かすのが苦手すぎてAviUtlで遊びがちです。
Eightさんの曲は四ツ谷さんによろしくとサイコとコバルトブルーを叩き潰したような笑みでと迷って天使マディと最終電車最推しです。いいぞ。 ○ 【MMD】 アンヘル 【DOD】 https://nico.ms/sm35495571 こんなんDODファンかつボカロ厨なら100人中120人が考える。そんな発想が10割みたいな動画です。
モデルが凛々しくてテンション上がります。「嗚呼」のところのモーションが好きなんですけど、カイムさんがやると舌が見えるのがばちくそ好みです。
最初のステージの背後にあるのは彼岸花。花言葉は情熱、独立、再会、あきらめ、悲しい思い出、思うはあなた一人、また会う日を楽しみに、だそうです。つまりはそういうことです。 ○ 【手描きLAL】 ヒューマとニズム<対話篇> https://nico.ms/sm35494920 LAL25周年動画です。そんなときに何も動画が上がってなかったら寂しいじゃんって作りました。ただもう線画が嫌い過ぎて線画をサボり、色塗りも面倒なのでモノクロにしたという、色々とアレではあります。
ただ歌詞が合うって思ってコンテ描いたのですが、タイトルからしてヒューマとニズム、ヒューマニズムって、LALのテーマとぴったり過ぎて草。まあ自分は哲学とかはよく分からないんですが。
・幕末編 隣人を助けよ、って言われてもおぼろ丸にとっての隣人は坂本龍馬(抜け忍ルート)なのか、ハヤテ(忍ルート)なのか、どちらなので���ょうか。プレイヤー次第ですね。
・SF編 次々に死んでしまった乗組員たちは悔いがあったとか無かったとか感じられたのでしょうか。「我思わぬ故に我なし」、「顧みる私はねぇ?どこにいるの?」この船の名前、最終的にロボット対システムとなるこの編に相応しいと思いました。
・功夫編 誰を選んでも主人公1人は取り残されてしまうので「置いてかないで」っていうのは合うなあと。3人の師範の誰にとっても老師は標だっただろうと思います。それでもレイを選んだのは、1番それを待っていたのではないかなと勝手に思ったからです。あと多分、このMADを作るにあたって1番真っ先に思いついたパートはここです。
・原始編 愛を歌うパートに相応しいのは原始編だろうと。ポゴとべるは支え合うことで愛を知ります。対称的にざきのようなクー族は神様という支えを失った瞬間立てなくなってしまいます、どうしようもなくなってしまいます。
ただそこからざきは咆哮を上げ一緒に戦ってくれるのが胸熱。今までの強固な価値観をかなぐり捨てて変わるキャラ、滅茶苦茶大好きです。FF10のワッカとか、零式のトレイとか。
・「浪漫に満ちた美しい人間!」「欺瞞に満ちた愚かしい人間!」このハモリが嵌る奴がオルステッド以上にいるだろうか。勇者だとオルステッドを称えた人間も、魔王だと詰った人間も、全て同じ人間なのです。
2サビが終わった後からCメロの間まで、膝を抱えたオルステッドはピュアオディオを見ながら描きました。あと最初ラスサビだけ作る予定だったので、ここを1番最初に描いてます。結局自分が見たかったので頑張ってフル作ったのですが。
ラスサビ直前一枚絵主人公8人分は、最終編スタート時の場所にみんないます。オルステッドだけは顔が見えています。
最後の歌詞、「世界はだから空なんだ」、ゲームスタート時の真っさらな世界を、ゲームを進めて踏み慣らしていく。「世界が一つじゃ物足りない」なんて言って。歌詞とLALがリンクしているんじゃないかなあと思いました。
ただオルステッドを救えるのはウラヌスと例の子どもだと思うんだけどなあ…アリシアとストレイボウ描いたけどさあ…。 ○ 【FFMMD】 ニビイロドロウレ 【スコール】 https://nico.ms/sm35732441 曲が格好良すぎる。というかツミキさんの曲全曲良いです。
投稿時間から察するに「明日休みだ! 動画作ろ!」って帰宅した深夜から早朝までぶっ続けで作業してたら「出来ちゃった!」って投稿した動画だと思います。確かアンヘルもそうだった。
本当に動画制作って楽しすぎてやめどきが無くて、作り始めたらノンストップになっちゃいます。それはそれで良いんですが割と命が削れる行為なので、そんなぽんぽん挑む気になれないという。0か1かしかない思考の自分が悪いんですが。
ツミキさんの曲は本当どれも格好良い。グラウンドゼロも良かったです。でもZEROtoONEではトラフィック・ジャム推しでもあります。 ○ 【FFMMD】 スロウダウナー 【スコール】 https://nico.ms/sm36039642 またZEROtoONE参加者曲だ…(小声)。曲が格好良い、好き、ダンスモーションも良い、動画を作る理由には十分過ぎます。
ステージはバラムガーデン、エスタ、アルティミシア城、EDのつもりで選んでます。分かりにくい。「昨日を上手く〜」でもそういう場所のつもりでステージを選んでいるのに、全然違うステージをDLする羽目になったのは面白いですね。
世界が終わる日、人類最後にスコールさんがやっと愛を知ったところで、返ってくることはないのです。
アルティミシア城から人類最初の日、過去の石の家に飛んだって、そこにスコールさんの記憶は無いのです。そこにスコールさんの生きる資格などないのです。
九十九回一人で泣いたスコールさんも、あの不毛の地を抜けた後にもう泣くことなどないのです。次の一つはないのです。そんな感じです。
やっとMMEを勉強して雰囲気が良い感じの動画になりました。ただどうやってもスコールさん自身の影がどっか行ったまま戻ってこなかったです。どうしよう。
いつもステージを変えるときにはシーンチェンジを入れていたのですが、今回は入れてないです。この動画はその方が綺麗ですね。意外と違和感無くてびっくりしました。
ろくろさんの曲はこの曲最推しですが、DADARUMAも好きです。 そんな感じでした。こんな文章に興味がある人がいるのかは分かりませんが、ただひたすらに自己満足のために書きました。
ここまで読んで頂いた方、動画を見ていただいた方、偉大なる制作者様方、本当にありがとうございました。
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