#唐津市厳木町
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【佐賀】唐津「豆腐料理かわしま(川島豆腐店)」
【朝メシまで。】200年以上も愛される究極豆腐『豆腐料理かわしま(川島豆腐店)』極上朝メシを出す店 2024/8/14放送 佐賀県唐津市京町1775 #朝メシまで。 #児嶋一哉 #ウエンツ瑛士 #室井滋 #木村多江 詳しく見る↓
唐津駅「日本料理 川島」 食べログでcheck! 江戸時代から続く伝統技法で作り上げる「ざる豆腐」を味わえるお店 単なる豆腐店にとどまらず、日本料理店としてもその名を馳せ、ミシュランガイドにも掲載されるなど、国内外から食通が集まる名店として知られている。創業以来、地元産の厳選された大豆を使用し、昔ながらの手法で丁寧に作られた豆腐は、驚くほど滑らかで、大豆本来の風味を凝縮している。 その豆腐をふんだんに使用した料理の数々は、まさに芸術品。 特に、朝ごはんでいただける「ざる豆腐」は、できたての温かい豆腐を、特製の醤油でいただくシンプルな一品だが、 その奥深い味わいは、一度食べたら忘れられない絶品だという。 【石橋、薪を焚べる 川島豆腐店】ざる豆腐はうまさを残すという発想から生まれた #川島義政…
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地元ではありきたりな撮影スポットにて③ #厳木 #厳木町 #きゅうらぎ #唐津市 #唐津市厳木町 #佐賀県 #佐賀県唐津市 #風景 #風景写真 #故郷 #地元 #α7Ⅱ #sel24105g #佐賀カメラ部 #田舎 #saga #karatsu #kyuragi https://www.instagram.com/p/CAyxOZCHM7z/?igshid=15c4u0ix7tss1
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我が #うめ吉 初披露なう 昨秋(もしくは初冬か) #ヤフオク を介し譲って頂いたが家族バレが怖く😱 実に一年近くずっと某引き出しに隠していた。 うめ吉作者 #中島潔 は佐賀県東松浦郡厳木町(現・唐津市)ゆえ嘗て其も最早思い出せない昔💦唯一度だけ #道の駅厳木風のふるさと館 に立ち寄り時、うめ吉 #あやか (雌��でうめ吉の仲間とも恋人ともいう存在)のぬいぐるみが各種あったものの、生憎その日持ち合わせが…な者には結局一匹も連れて帰る事ならず[つд者]時は流れた。 平成-令和改元前後して #ネットサーフィン ならぬ「Instagramサーフィン」⁉︎を愉しむ私に屡々忘れかけていたうめ吉やあやかの印象的な #ぬい撮り ショットが多々眼に飛び込んだ。よりによって昨春の #stayhome 週間前後(汗)思い立って #道の駅厳木 に来店前に電話したが、うめ吉・あやかは数年前に取扱終了_| ̄|○の回答。(道の駅厳木結局行かず) 次に(我が某ド田舎は玩具店は閉店滅亡☠️)近隣の街の玩具屋〜 #デッドストック を持ってそうな老舗メインに〜を当たったがいずれも在庫なし。 ネットでメーカーが #オリエンタルトーイ と知りオ社のホムペとFacebookに打診もなしの礫 (後にさるInstagramerよりオ社は平成終盤に人気・売上下降低迷を鑑み、うめ吉・あやかの製造を終了していたと教示を頂いた[つд者][つдと][作дと] オ社昨今の一押しは #あべのハルカス #あべのべあ らしい) 小さくて良いので形が絶妙でコンディション良好なうめ吉が一匹で十分だからどうしても欲しくなり、夏から秋にかけヤフオクをマーク( #ヤフーショッピング #楽天市場 #amazon もウォッチしたが気にいる案件がなかったり、家族バレが回避出来る発送方法じゃなく断念)しやっと手に入れたこの子。出品者様には只々感謝しかない。 家族に急の土曜出社と嘘をつき(コラ!) 未明からの原因不明の胃の違和感(過日かかりつけ医から胃は正常も #逆流性食道炎 を指摘され投薬されるも昨夜分を飲み忘れ💦)を堪え #筥崎珈琲 への買い出しと、時間が有ればだが #長浜公園 の #アマビエ ( #コロナまじですかん の吹き出し💬でおなじみの、 #ぴえん 🥺顔の #アマビエ様 )にも再開したい…と再び #緊急事態宣言 逆戻り前夜の福岡市へ向かう。 余談 厳木町の名士・著名人と言えば昔は中島潔先生だったのに今じゃ #おほしんたろう @ohoshintaro だもんなぁ… ┓[´作д者]┏ ┓[作д者`]┏ (Fukuoka-shi, Fukuoka, Japan) https://www.instagram.com/p/CSQOV25FVFx/?utm_medium=tumblr
#うめ吉#ヤフオク#中島潔#道の駅厳木風のふるさと館#あやか#ネットサーフィン#ぬい撮り#stayhome#道の駅厳木#デッドストック#オリエンタルトーイ#あべのハルカス#あべのべあ#ヤフーショッピング#楽天市場#amazon#逆流性食道炎#筥崎珈琲#長浜公園#アマビエ#コロナまじですかん#ぴえん#アマビエ様#緊急事態宣言#おほしんたろう
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種苗法改正案に対し立憲民主党は安定の大反対!日本学術会議のことより、日本の農家を守ってください!種や苗木の海外への無断持ち出しを制限する法律に反対する怪!!
2020.11.18
通常国会から継続審議になっていた種苗法改正案。臨時国会の衆院農水委員会で、無事に採択に至り。賛成多数で可決された。
我国の農家が苦労して作った新しい品種が、海外に流出することを防ぐためにも必要だった種苗法改正案。
この種苗法改正案のように、今国会では、重要法案が目白押しだ。それにも関わらず、口を開けば、日本学術会議と発する野党。重要法案に対する野党の姿勢は、一向に国民に対して伝わってこない。
我国の農業を守ることよりも、日本学術会議を優先する野党。日本学術会議の問題で政府批判を強めいている立憲民主党は、種苗法改正案についても案の定、反対した。
重要法案に対しての姿勢を、国民には伝えず、日本学術会議に夢中になる立憲民主党は、国政政党としての資格はない。
種苗法改正案の継続審議に上がった怒りの声!
ネット上の声に押される形になった通常国会での種苗法改正案。ネット上の声に対して、江藤拓農水大臣(当時)は、「不要不急の法律というが、権利を守ることについて一刻の猶予もならない」と改正案の意義について語っていた。(参考)
改正案の意義については、海外流出事案を懸念している佐賀県の担当者が指摘し、そして継続審議になったことについて、農家からは批判的な声が上がっていた。
県が開発したイチゴの新品種「いちごさん」は昨年11月と今年1月に唐津市で、今年4月には伊万里市で盗難被害に遭い、5月には白石町で盗難被害が発覚した。県外や海外への流出は確認されていないが、対策は待ったなしだ。県はいちごさんかどうかを素早く判定するDNA鑑定法を開発するなど手を打つが、現行法では限界がある。
県園芸課の担当者は許諾制導入による事務手続きや費用負担増などは課題だとしつつも「持ち出しを制限できる規定の創設には意味がある」と評価していた。
今回の継続審議には農家から怒りの声も上がる。ある福岡県のイチゴ農家の男性は「国内市場の競争は厳しく、輸出も同じだ。敵に塩を送っているような制度の穴をふさがないことは怠慢だ」と語った。
引用元 種苗法改正案継続審議に怒りの声 新品種盗難続発で九州の農家「制度に穴」
新種の種苗を持ち出される危険に晒されている当事者からは一定の評価を得、そして制定が待ち望まれた種苗法改正案。この種苗法改正案が、臨時国会��審議入りし、17日に衆院の農水委員会で賛成多数で採択された。
農家を守る種苗法改正案を農水委員会が賛成多数で可決!
農家らが開発に尽力している新品種。この努力の結晶とも言える新品種の海外への流出を規制することが、種苗法改正案の主目的だ。
通常国会から継続審議となっていたが、今国会で成立の目途がたった。
種苗法の改正案は、新しい品種として国に登録された果物などの種や苗木が海外に流出するのを防ぐため、開発者が栽培地域を限定できるようにするほか、農家が種や苗を増やす際に開発者の許諾が必要になることなどが盛り込まれています。
17日の衆議院農林水産委員会では、一部の規定の施行期日を改める修正を行ったうえで、改正案の採決が行われ、賛成多数で可決されました。
合わせて付帯決議も可決され、改正によって、農家が新しい品種を利用しにくくならないように種や苗木が適正価格で安定的に供給されるような施策を講じることや、農家に対して制度見直しの内容について丁寧に説明することなどが盛り込まれました。
引用元 種苗法改正案 衆院農水委で賛成多数で可決
この種苗法改正案にまたもや反対の姿勢を示したのが、立憲民主党だ。立憲民主党は修正協議をしたようだが、結局はいつも通りの反対だ。(参考)
メディアの怠慢も目に余る。我国の農家を守るために、重要な種苗法改正案を全くもって報じていない。前国会では反対の意見ばかり報道し、廃案を煽った実績も見過ごせない。
メディアも立憲民主党も日本学術会議に専念してばかりなのだ。農家の生活よりも、一部の学者の任命が大事なのだ。
臨時国会が召集され、国民生活に重要な関わりがある法案がいくつも審議されている。それらに関心を持たない野党はもちろん、それを報じないメディアも同罪だ。
一日も早く、利己的な野党、そしてこうした酷いメディアが消え去ることを願いたい。
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深川怪談2017 「お化けの棲家」お化け詳細情報
2017年8月20日、深川江戸資料館夜間特別開館「お化けの棲家」終了致しました。ご来場の皆様、ありがとうございました!今年の江戸の町並みに潜んでいた妖怪は全部で17箇所、以下のようなものがおりました。
1.「鍋の付喪神(つくもがみ)」…八百屋の台所 2.「ハサミの付喪神(つくもがみ)」…舂米屋の座敷、箪笥の上 3.「五徳猫(ごとくねこ)」…舂米屋の座敷、長火鉢の前 4.「河童(かっぱ)」…猪牙舟の船縁*深川に伝承あり 5.「毛羽毛現(けうけげん)」…船宿「相模屋」の中庭、手水鉢の横 6.「傘化け(かさばけ)」…船宿「升田屋」の玄関 7.「がんばり入道(がんばりにゅうどう)」…船宿「升田屋」の便所、便壺の中 8.「三つ目小僧」…火の見櫓の下*深川に伝承あり 9.「深川の海坊主」…火の見櫓の裏、掘割の上*深川に伝承あり 10.「なき茶釜」…水茶屋の茶釜の上*深川に伝承あり 11.「蔵鬼女」…舂米屋の土蔵、階段裏*本所に伝承あり 12.「しょうけら」…長屋「於し津」の屋根、明かり取りの窓の上 13.「かいなで」…長屋共同便所、便壺の中 14.「家鳴り(やなり)」…長屋「木場の���挽き職人 大吉」の床下 15.「木枕」…長屋「舂米屋の職人 秀次」の部屋*深川に伝承あり 16.「狂骨(きょうこつ)」…長屋井戸の中 17.管狐(くだぎつね)」…お稲���さんの祠横 以上、17カ所でした! いかがでしたでしょうか?アンケート等で「潜んでいた妖怪の解説を」というご要望が多数ございましたので、追記させていただきます。(『日本妖怪大辞典』村上健司編著角川書店版他より)
1.+2. 付喪神(つくもがみ) 九十九神とも表記される。室町時代の『付喪神絵巻』によれば『陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を化かす是を付喪神と号といへり』という巻頭の文がある。煤祓で捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だが、古来日本では器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。『絵画に見えたる妖怪』吉川観方 ちなみに、これらの付喪神は深川江戸資料館の壊れて廃棄処分になった展示物を再利用して作られています。展示物を粗末に扱って壊せば妖怪となる?!実物に触れる体感展示がこちらの資料館の売りではありますが、化けて出ぬよう大切に扱っていただきたいものです。
3.五徳猫(ごとくねこ)
五徳猫は鳥山石燕の『図画百器徒然袋』に尾が二つに分かれた猫又の姿として描かれており、[七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者といいしためしもあれば、この猫もいかなることか忘れけんと、夢の中におもひぬ]とある。『鳥山石燕 図画百鬼夜行』の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画『百鬼夜行絵巻』に描かれた五徳を頭に載せた妖怪をモデルとし、内容は『徒然袋』にある『平家物語』の作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の��徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫は、このエピソードと囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された妖怪なのであろう。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
4.河童(かっぱ)*深川に伝承あり 全国各地でいう水の妖怪。河童という呼称は関東地方の方言カワッパが語源だと言われている。地方によりさまざまなよび名があり、大別すると、水神を思わせる名前の系列、子供の姿を強調した名前の系列、動物の名前に近い名前の系列、その他の計4つに分けられる。 水神系には、東北地方のメドチ、北海道のミンツチなどがあり、子供の姿系には、関東地方のカッパ、カワランベ、九州地方のガラッパなどが入る。動物系には、中国四国地方のエンコウ(猿猴)、北陸地方のカブソ(川獺)、カワッソーなどが挙げられる。その他、特定の信仰に関わるものとしてのヒョウスベ、祇園坊主(ぎおんぼうず)、身体の特徴からのサンボン、テガワラなどと、上記3つの系列に入らないものがある。 姿形についても、地方によって相違があり、頭に皿が無いものや、人間の赤ん坊のようなもの、亀やすっぽんのようなものと、実にさまざまに伝えられている。 起源についても、草人形から河童になったとする説、水神が信仰の対象から外されて零落して河童になったとする説、アジア大陸から渡来して土着したとする説など諸説ある。 人に憑く、物に変化する、人間の作業の手伝いをするなど、地方ごとに河童の特徴は異なるが、ほぼ共通していることは、大の相撲好きであることと、胡瓜(きゅうり)などの夏野菜や人間の肝、尻子玉が好物だということだろう。 人間の肝をこのむというのは、昔の人たちの観察力によるものらしい。溺死した死体は腹が膨れて肛門がポカンと開いてしまうといわれる。このようなひどい姿を見て、河童が手を入れて内蔵を引き出したと人々は想像したのだろうといわれている。河童の凶暴性は水難事故の恐ろしさに起因するといっても過言ではないようである。また、相撲や胡瓜を好むのは、河童が水神としての性格を有していたことにほかならない。かつての相撲は神事であり、���午の節句や七夕あたりに行われ、東西の土地の代表者が豊凶をかけて争った。相撲は神と精霊との争いを表しているともいわれ、神が水の精霊を打ち負かすことにより、農耕に欠かせない水の供給を約束させるのだという。胡瓜などの初なりの野菜も、水信仰に欠かせない供物だった。このことからみても、河童が水神として信仰の対象になっていたと考えられる。 古(いにしえ)の水に対する信仰と、近代までの民間信仰とが複雑に絡み合い、無数の枝葉にわかれているので、一口に河童は稿であるとはいえないのが現状だろう。 深川ではカッパは、仙台堀と木場の2箇所で捕獲されていたという。仙台堀では伊達候の蔵屋敷で河童を撃ち殺して塩漬けにしたという。仔細は、伊達候の屋敷では子供がよく水難事故に遭う。怪しむべしということで、堀の内、淵ともいえるところを堰き止めて水を干したところ、泥を潜って風のように早い何かがいて、ようやく鉄砲で撃ち仕留めたという。木場入舟町では、この辺の川で水に入ると引っ張り込むものがいる。木場のいなせな兄いが捕らえてみると河童。この水辺の者には、二度と悪さをしないと詫び証文を書かせて手判を押させて許したという。(『河童の世界』石川純一郎、『河童』大島建彦編、『神話伝説辞典』朝倉治彦・井之口章次・岡野弘彦・松前健編、『総合日本民族語彙』『民俗学研究所編、『日本未確認生物辞典』笹間良彦、『日本妖怪変化語彙』日野巌・日野綏彦、『耳袋』根岸鎮衛)
5.毛羽毛現(けうけげん) 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』にけむくじゃらの妖怪として描かれたもので、[毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふか。或は稀有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなればなりとぞ]とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陜西省陰県の西の空獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため山に逃げ込んだ。そのとき谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと『列仙伝』にある。 この毛羽毛現は家の周辺でじめじめ��た場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖怪のようである。(『鳥山石燕 画図百鬼夜行』高田衞監修・稲田篤信・田中直日編)
6.傘化け(かさばけ) 一つ目あるいは二つの目がついた傘から日本の腕が伸び、一本足でぴょんぴょん跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(『妖怪学入門』阿部主計)
7. がんばり入道(がんばりにゅうどう) 加牟波理入道(がんばりにゅうどう)雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の『図画百鬼夜行』には、便所の脇で口から鳥を吐くにゅうどう姿の妖怪として描かれており、[大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道ホトトギス」と唱ふれば、妖怪を見ざるよし、世俗のしる処也。]とある。 松浦静山の『甲子夜話』では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、その頭を取って左の袖に入れてまた取り出すと、頭は小判に変化するなどの記述がある。「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異に会わない、というのは江戸時代に言われた俗信だが、この呪文は良い効果を生む場合と禍を呼ぶ場合があるようで『諺苑』には、大晦日にこの諺を思い出せば不詳なりと書かれている。 村上健司著『日本妖怪大辞典』より「加牟波理入道」の項より抜粋
8.三つ目小僧(みつめこぞう)*深川に伝承あり 「海からの声」明治33年永代町生まれの伊東進一郎さんの談話 十二、三才の時でしたね。釣りに行っての帰り、お台場を通る頃には暗くなっちゃう。そうすると、「オーイ、オーイ」と声が聞こえるんです。だんだん近づいてくると、船頭が「口を聞くんじゃない」と言って、用意してきた、底の抜けた杓とか土瓶の底のないやつをほおるんです。そうすると、みんな沈めたと思って、声が聞こえなくなる。永代橋に来ると、みんなホッとしましたね。海坊主だとか、海で死んだ人の怨念だとか言われましたけど、今考えてもわからないです。 それから、人魂を永代二丁目のところでみました。もう一人いたんですけど、片っ方は腰抜かしちゃった。まだ���ります。うちのおばあちゃんが、渋沢倉庫の横の河岸っぷちの柳の植わっているところから。川を見ている女の人に「ねえさん、何やってるんだ」と言ったら、のっぺらぼうなので、腰抜かして、熱出して、しばらくして死んじゃった。背中からおんぶされて、みたら三つ目小僧だって、そういうの本当にあったんです。 (江東ふるさと文庫『古老が語る江東区のよもやま話』より)
9.深川の海坊主(うみぼうず)*深川に伝承あり これは、母から聞いたものだが、深川一帯では桑名屋徳蔵が有名であったらしい。彼は深川の何処かの掘割の岸で廻船問屋をやっていた。若い衆の数も多く、繁盛していた。ある年のおおみそか、大事なお客から今夜中に荷を運んで欲しいという伝言があった。だが、深川のあたりでは大晦日の夜はあの世のご先祖様たちが、お盆とお同じように家へ帰って家族と元旦の雑煮を祝うと信じられていた。こういうわけで、川で死んだ人の霊も水から上がって来るので、その邪魔をしてはならないと、大晦日の夜は船を出すのを厳禁していた。 徳蔵は日頃恩になっているお得意だから、そんな迷信に構っちゃいられないと考えたが。若い衆はみんな休みを取って出払っていたので、若い女房の止めるのも聞かずに船を出した。 ところが、しばらく漕いで行くと、川いっぱいに大きな山がぬーっとせり上がってきた。豪胆な徳蔵は「しゃらくせえ真似をしやがる」と叫んで、その山へまともに船をぶっつけた。その途端に、山はスーッと煙のように消え徳蔵はなお船を進めて行った。が、今度は舳先の川面に大きな海坊主が現れてケタケタと笑った。海坊主とは、首から上が目も鼻もない真っ赤な大入道で、胴体はこれも真っ赤なマントをきたような血の袋が水の上ににょきっと立ち上がっていたらしい。徳蔵は舳先に走って行って海坊主を棹で叩きのめした。海坊主はぎゃっと言って、血しぶきをあげながら川の底へ沈んでいった。だがそれをきっかけに、船のまわりに大小の海坊主がニョキニョキ現れて、声を揃えてケタケタと笑った。徳蔵は夢中になって駆け回り、片っ端から海坊主を叩きのめした。 その頃、留守宅では女房が急に癪を起こして苦しみ始めた。幸いにも表の通りから按摩の笛が聞こえてきたので、子供に呼ばせた。按摩は鍼を打たなければいけないといって、たくさんの鍼を畳の上に並べた。女房は按摩がいい男なのに安心して鍼を打たせたが、鍼を打つた��に血がパッと天井に跳ね上がり、梁の上で小さな海坊主になってケタケタト笑った。仕舞いには梁の端から端まで海坊主が並んでしまった。 徳蔵が仕事を終えて帰ってきた時には、女房は全身の血を失って白蝋のようなむくろになっていた。 田辺貞之助『江東昔話』より
10.心行寺のなき茶釜(なきちゃがま)*深川に伝承あり 『深川心行寺の泣き茶釜』 文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られている。 群馬県館林の茂林寺の話が有名だが、江東区深川二丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したという。 『新饌東京名所図会』の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅及び文福茶釜(泣き茶釜と称す)とあり」 とある。また、小説家の泉鏡花も『深川浅景』の中でこの茶釜を紹介している。 残念ながら関東大震災(1923)で泣き茶釜は、他の什宝と共に消失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が化けたとされる同名が残るのみである。文福茶釜という名前の由来は煮えたぎる湯の音がそう聞こえるという説や福を分けるという説がある。
11.「蔵鬼女」*本所に伝承あり 『十方庵遊歴雑記』「本所数原氏石庫の妖怪」に載る話 本所二つ目の相生町と緑町との境にある横町に、数原宗得(すはらそうとく)という五百石二十人扶持の御典医が住んでいた。 屋敷には石でできた立派な蔵があったのだが、蔵の中で尿意を我慢すると小女や小坊主、傘お化け、大ダルマ、鬼女、牛馬など、色々な妖怪が出現した。 また、近くで火災がある時は、夜に蔵の中で鉄棒を引いて歩く音がした。音が聞こえて家の者が用心していると、必ず近くで火災が発生し、数原家だけは火災の難を逃れた。 ある時、近隣で出火があり、道具類を蔵の中へしまおうとしていたところ、人手が足りずに困っていると、蔵の中から髪を振り乱した女の妖怪が現れ、積まれた品々を蔵の中へと運び入れた。この時も、数原家は類焼を免れた。
12.「しょうけら」 鳥山石燕『図画百鬼夜行』に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、ショウケラは庚申(こうしん)信仰に関係したものといわれる。庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわれ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策として、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さないようにした。また、こ��による害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我や土へねぬぞねたかぞねたかじねぬば」との呪文もつたわっている。石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。(『衛鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
13.かいなで 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事も無いが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談という物だが、類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校で便所を使うことは無いだろうから、節分のよるという条件が焼失してしまったのだろう。しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび)(何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、本妻がそれを妬み、旧暦正月15日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は、日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響をうけていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。新潟県柏崎市では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山野理夫の『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「紙くれ紙くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月まではまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えている。便所神の祭りで、紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろうか、白い紙よろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、変化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というよになり、より妖怪化がすすんでいったようである。 島根県出雲市の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデというが、氏子がこの日夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるかもしれない。(『総合日本民族語彙』民俗学研究所編、『日本民族辞典』大塚民族学会編、『現代民話考七 学校』松谷みよ子、『民間伝承』通巻173号「厠神とタカガミと」川端豊彦)
14.家鳴(やなり) 家鳴は鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれたものだが、(石燕は鳴家と表記)、特に解説はつけられていない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の『画図百鬼夜行』では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。昔はなんでも無いのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのしわざだと考えたようである。 小泉八雲は「化け物の歌」の中で、[ヤナリといふ語の…それは地震中、家屋の震動する音を意味するとだけ我々に語って…その薄気味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居たもので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また)ヤナリと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像していたものである]と述べ、『狂歌百物語』に記載された[床の間に活けし立ち木も倒れけり やなり���山の動く掛け軸]という歌を紹介している。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編、『小泉八雲全集』第7巻)
15,木枕(きまくら) 昔三十三間堂近くに、住むと病気になる空き家があった。その家の持仏堂にあった木枕が妖をなすとわかり、荼毘にふしたら屍を焼いたのと同じ臭気がし、完全に焼けるまでの時間は人一人を焼き尽くす時間と同じくらいかかったという。
16.狂骨(きょうこつ) 鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に井戸から立ち上がる骸骨姿で描かれているもので、【狂骨は井戸の中の骨なり。世の諺(ことわざ)に甚だし事をきやうこつといふも、このうらみのはなはだしきよりいふならん】と解説されている。肉の落ち尽くした白骨をきょう骨といい、神奈川県津久井郡では、すっとんきょうなけたたましいことをキョーコツナイと言う。狂骨という妖怪の伝承は無い事から、石燕が言葉遊びから創作したものと思われる。(『鳥山石燕 図画百鬼夜行』高田衛監修・稲田篤信・田中直日編)
17.管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる。個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地で言われることで、これは管狐をつかって他家から金や品物を集めているからだなどと���う。また、一旦は裕福になるが、管狐は大食漢で、しかも75匹に増えるので、やがては食いつぶされるといわれている。同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐がかってに行動して金品を集めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐��場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山(きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏はそれを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていること悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、一旦竹筒から抜け出た狐を再び元に戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令するものがいないので、人に憑くことはないという。(『日本の憑き物』石塚尊俊、『民間信仰辞典』桜井徳太郎編、『日本狐付き資料集成』金子準二編著)
館内配置図はこちら。
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62019 ペパーミント デー はんかと二十日の語呂合わせ 最近のおいら 唐津市厳木町前区長 積立金1500万円着服 金あるんだね https://www.instagram.com/p/By5-1I6g2Pl/?igshid=b1p9ssqveawb
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第3章ヤオハンからの教訓①
〈メモ〉ヤオハンは1930(昭和5)年に熱海市で創業した青果商「八百半」をルーツにする。高度経済成長期に県内を中心としたチヱーン展開に乗り出し、71(昭和46)年に海外第1号のブラジルに進出。以降、欧米や東南アジアで事業を拡大した。97(平成9)年のヤオハンジャパンの会社更生手続き開始とともに海外事業から一旦撤退。2002(平成14)年に更生手続きが終結し、マックスバリュ東海に社名を変更した。現在はスーパー約150店を運営する。
世界戦略の足跡今なお
バブルが崩壊し、後に「失われた20年」と呼ばれる長期不況のまっただ中だった1997(平成9)年9月18日。流通業で当時、戦後最大級の経営破綻が起きた。熱海市を発祥とする総合スーパーの「ヤオハン」。国際流通グループへの成長と転落、そしてどん底から成し遂げられた再建劇は、平成の経済の激しい浮き沈みとも重なり、企業経営の在り方を今に問い掛ける。
◇
近代的な高層ビ��が立ち並び、多くの人々が行き交う中国・上海の浦東地区。中心部にそびえる10階建ての巨大な百貨店に、緑色の地球儀と「YAOHAN」の白抜き文字を組み合わせたロゴマークが掲げられていた。
95(平成7)年12月20日に開業した「上海第一ヤオハン」。ヤオハンの世界戦略を象徴する店舗だった。破綻後、合弁相手に引き継がれ、屋号はそのまま残った。現在も高級ブランドや家電、食品売り場などが入り、買い物客でにぎわう。
ヤオハンの転換点は昭和の後期。国���は流通戦国時代を迎えていた。大手がしのぎを削る中、県内を地盤とする中堅スーパーが他地域へ入り込む余地はなかった。活路を見いだしたのが海外だった。
「ヤオハンは流通業界のソニーになる」。当時のトップ和田一夫(89)は同時期に海外で成功したソニーをよく引き合いに出し、社員に将来ビジョンを語った。
戦略は当たった。日本が平成に入った頃には、各地で地球儀マークの大型量販店が存在感を放った。マレーシアでの事業を担当した畔上啓(65)は「皆が必死で働いた」と社内の熱気も懐かしむ。
世界最大級の売り場面積10万8千平万㍍を誇った上海第一ヤオハンは集大成ともされた。オープン初日は107万人が訪れ、「売り場に立つ場所がないほどだった」。開店時から定年退職まで約20年間勤めた宋淡生(63)は盛況ぶりを鮮明に記憶する。「流通王」「時代の寵児(ちょうじ)」。ヤオハンは国内外から賛辞を浴び、絶頂を極めた。
ところが、足元では崩壊が始まっていた。96(平成8)年11月、国内事業を担うグループ中核のヤオハンジャパンの資金繰りの悪化が表面化した。会社更生法の適用申請はわずか10カ月後。坂道を転げ落ちるようだった。
バブルの終焉(しゅうえん)で売り上げは低迷し、資金調達のために大量発行した転換社債などの償還難に陥ったことが、破綻の一因になった。上海第一ヤオハンも、成功の象徴から過剰投資の象徴へと評価が一転した。
一方で、上海の近代化をけん引し、地元住民は今なおその名に親しみを込める。商品の管理方法や顧客サービスは手本となり、「中国の店作りを変えた」=開業に携わった林樹森(56)=。売り上げは毎年のように上海トップを維持し続ける。経済がグローバル化する時代の先駆者として確かな足跡を残したのも、また事実��った。
(敬称略)
【静新平成31年1月17日(木)朝刊】
ヤオハンからの教訓②
〈メモ〉ヤオハンジャパンの資金繰り悪化が表面化したのは1996(平成8)年11月29日。12月以降、取引業者800社に仕入れ代金の支払期日の延長を要請したり、リストラなどの経営改善策を相次いで打ち出したりした。97(平成9)年5月には県内外の主力16店舗をダイエー系列のセイフーに売却。しかし、経営状況は回復せず、9月18日に静岡地裁に会社更生法の適用を申請した。地裁は12月18日、更生手続きの開始を決定した。
更生法水面下の模累
冷え込む雇用に危機感
絶対的存在として君臨していた経営トップに、部下が意見をぶつけるのは異例だった。1997(平成9)年夏、ヤオハンジャパンの取締役会。一部の役員が会長の和田一夫(89)に会社更生法の適用申請の決断を促した。
「このまま時間だけが過ぎたら、大混乱になります」「死ぬにしても、死に際はきれいにしましょうよ」
「一応準備だけしてくれ」と応じた和田。言葉の端々に自力での再建を諦めない気持ちをにじませたというが、流れは決まった。
和田にとっては唐突に映る進言だったが、一部の役員たちは5月から水面下でひそかに申請書類の作成を進めていた。日増しに悪化する経営状況に、危機感が高まっていた。
平成初期まで小売業者が更生法を使った例はほとんどなかった。なぜそこに目を付けたのか。元役員の男性は「要は社員をどう守るかだった」と明かす。
当時、県内の有効求人倍率は1・0倍を割る年が続いていた。企業が人手不足に悩む現在とは正反対の冷え切った雇用環境。清算となれば「多くの社員が路頭に迷う恐れがあった」。
だからこそ、会社を消滅させずに済む更生手続きに懸けた。ただ、裁判所が再建困難と判断し、受理しなければ破産は免れない。準備作業は「祈るような気持ち」で続いた。
労働組合も更生手続きを視野にスポンサーを探した。ヤオハンユニオン中央執行委員長だった鷹野佐喜雄(73)はダイエーや後に支援を受けるジャスコ川現イオン"に直接、間接的に接触した。
既に夏の賞与支給が再三引き延ばされ、社内に動揺が広がっていた。一部の役員が適用申請の準備をしているのは耳に入っていた。協力を打診されたわけではなかったが、「あうんの呼吸みたいなものがあった」。共通していたのは雇用維持への責任感だった。
御殿場市内などの店舗に勤めた男性(48)は、破綻前後の混乱や人員削減といった局面で二人一人の社員が難しい人生の選択を迫られたはず」と想像を巡らせる。会社は存続したものの、将来への不安が拭えずに去っていった社員も多かった。
元役員の男性は、こうした社員や迷惑をかけた取引先への「申し訳なさ」を今なお抱える。一方で、残る決断をした社員たちが再建を果たしてくれたことへの「うれしさ」もある。結果的に自分たちが更生法を模索しなければ、その後の歴史は大きく変わっていた。鷹野も近所の店舗で破綻前からの顔なじみの社員らが頑張る姿を見るたび、「あの(更生法の)選択で良かつたのだろう」と思う。(敬称略)
【静新平成31年1月18日(金)】
ヤオハンからの教訓③
どん底での事業継続
「信用」こそが再建の鍵
〈メモ〉ヤオハンジャパンの発行した転換社債は、社債が債務不履行(デフォルト)を起こした国内初の例とされる。未償還残高は370億円で、「無記名の公募債だから、誰が権利者なのかがこちらにも分からなかった。この社債処理が最も大変だった」と瀬戸英雄弁護士。管財人団は窮余の策として額面の10%で買い取る方針を示し、発行額の90%以上の約1万人が申し込んだ。社債権者が先に確定したことで、その後の更生手続きのスピードが上がった。
ヤオハンジャパンが静岡地裁に会社更生法の適用を申請してからおよそ半月後の1997(平成9)年9月末。保全管理人代理だった弁護士の瀬戸英雄(71)=後に法律管財人代理=は、千葉市幕張のジャスコ=現イオン=本社で当時会長の岡田卓也と向き合った。
「協刀を得られればありがたい」。切り出したのはヤオハンへの支援要請。1週間後にジャスコが受け入れ、再建が動きだした。
経営破綻後、多くの取引業者が商品を引き揚げた。店舗には「ほぼ何もなく、本当にひどい状態だった」と瀬戸。事業継続の最初の課題はその販売商品の確保で、手元にほとんど残っていなかった仕入れの代金を「当然ジャスコが出してくれる」とばかり思っていた。
ところが、岡田が始めたのは資金の提供ではなく、自らが前面に立っての取引業者への電話攻勢だった。
「うちがヤオハンを応援するので、ぜひ商品を入れてほしい」「決済は保証する」効果は絶大だった。安心感を抱いた業者から商品が次々届き、客足も回復。店に活気が戻り、資金繰りは瞬く間に改善した。瀬戸は「信用」こそが再建の鍵だと気付かされた。
バブル崩壊やリーマン・ショックで大企業の不倒神話が崩れた平成。先駆けだったヤオハンでのこうした経験は、瀬戸にとってその後携わることになる第一ホテルやマイカルといった大型の破綻処理でも「大いに役立った」。
例えば、企業再生支援機構の企業再生支援委員長として陣頭に立った日本航空の再建。政府に公的支援を表明��せたり、機構が巨額の融資枠を用意したりしたのは、安全・快適・確実な運航の継続に対する利用客の信用不安を解消するため。本質は「岡田さんがやったのと同じことだった」と明かす。
もう一つ、ジャスコが「うまかった」のはヤオハン社員の士気を高める気遣いだった。ジャスコが支援を決めた理由を瀬戸は、「手薄だった静岡や神奈川を埋めるために、ヤオハンの商圏を欲しかったこと」だと考えている。傘下に組み込む事実上の吸収。ただ、その「飲み込み方には節度があった」。社員が主体となって努力したことが「再建を進める上でやはり、一番大きかった」と振り返る。
債権者の理解も重なり、更生計画案は2000(平成12)年3月2日、静岡地裁に認可された。数日後に沼津市で開かれた慰労会。社員たちが「皆で出し合ったお金で買いました」と贈ってくれた感謝のボールペンを、瀬戸は今も大切にする。
(敬称略)
【静新平成31年1月19日(土)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓④
粉飾決算事件
〈メモ〉ヤオハンジャパンの粉飾決算事件で商法、証券取引法違反の罪に問われた元社長に対し、静岡地裁は1999(平成11)年3月31日、懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。損失をペーパー会社に飛ばしたり、架空の利益を計上するなどの経理操作を繰り返したりして、96(平成8)年3月期決算と同年9月中間決算を粉飾して計13億8500万円余りを違法に配当したと認定した。元社長は控訴せず、判決が確定した。
社会が求めた責任追及
1998(平成10)年の年明け、県東部が大雪に見舞われた日だった。会社更生手続き中のヤオハンジャパン本部(沼津市岡宮)で県警の捜査員約10人と法律管財人の弁護士山崎源三が落ち合った。この日から捜査員らは空き部屋に詰め、任意提出された資料の分析などを進めた。そして10カ月後の11月9口]、商法違反(違法配当)容疑で元社長らを逮捕した。県警が初めて手掛けた粉飾決算事件だった。
端緒は"現場"にあった。94(平成6)年に県警の財務捜査官第1号として、公認会計士から転身した杉本茂(59)。97(平成9)年夏、それまで担当した事件が一段落し、ゆっくりと休んでいたさなかだった。
自宅に近いヤオハンへ久しぶりに買い物に行くと、ナショナルブランドの旦用品が棚から消えていた。「変だな」と思った。その後も足を運ぶたびに商品は減る一方。最後は生鮮品だけになり、ヤオハンは経営破綻した。
店舗で覚えた違和感が拭えず、清算貸借対照表や財務諸表を入手して見比べた。整合性がとれない短期貸付金など「おかしな数字」がすぐ目に付いた。資料収集を続けて書類を作り、11月には上司に捜査を進言。山崎に会う許可も得て、協力の依頼に向かった。
再建に取り組む側からすれば、事件化は足かせとなる可能性がある。「ある種の賭け」だったが、山崎は「ぜひやってほしい」と応じた。旧経営陣にけじめを付けてもらわなければ、再出発はできないー。杉本は山崎のそうした覚悟を感じた。地道な捜査の末、県警は破綻前のヤオハンが大量に発行していた転換社債などの財務制限条項が動機の一つとなり、抵触しないように黒字を装う粉飾が行われた実態を解明。金融機関からではなく、市場から直接資金を調達するという当時は異質だったヤオハンの手法への注目も重なり、全国的な成果を残した。
一方、苦労も多かつた。「違法配当を立件した先例がなく、完全に演えき法での捜査だった」と杉本。捜査員たちにとっても身近な存在の企業だっただけに士気は高かったが、大きな決断を求められる局面では組織が慎重になり、足踏みした。
何より、バブル崩壊後の景気の低迷や閉塞(へいそく)感で、企業の犯罪や不祥事に対する責任追及を世の中が強く求める時代になっていた。
ヤオハン事件もそうした「平成の風潮」にあり、重圧を感じながら、「経営者の負う責任とは一体何だろうか」と常に考えさせられた。終結した時に抱いたのは「解放感」。達成感を得たのはしばらく先だったという。
(敬称略)
【静新平成31年1月20日(日)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓⑤
倒産の経験次代へ
<メモ>2002(平成14)年の会社更生手続きの終結とともに、現社名に変更して再出発
したマックスバリュ(MV)東海。地域密着型スーパーの運営に特化し、破綻から4年半
という当時は異例の速さで再建を完了させた。04(平成16)年7月には東証2部への再上場も果たした。18(平成30)年2月期の連結営業収益は2256億円。19年9月にはMV中部との経営統合を予定する。
顧客第一流通業の原点
平成最後の年の瀬となった2018(平成30)年12月末、富士市のマックスバリュ(MV)富士八幡町店。同店で40年間働いている岡根谷勝代(73)は、笑顔で商晶を手に取る買い物客の姿を見ながらヤオハン時代の約20年前に思いをはせた。
1997(平成9)年秋の会社更生法の適用申請後、「一気に商品が減った。切なく、泣きながら働いた」。それでも、身近な"台所"を住民や取引先は見捨てなかった。納品物の中に「頑張ってください」とのメッセージを見つけた。「こんなにありがたいことはない」。涙をぬぐい気持ちを奮い立たせた。
営業本部長の内山一美(70)=後のMV東海初代社長=に沼津市の原町店から電話が入ったのは同じころ。「『商品納入を求める署名運動���したい』とお客さんが言ってくれている」との内容だった。
顧客を巻き込んで業者に圧力をかけるような形は「本末転倒」だと考え、最初は止めたが、再三の申し入れに折れた。運動は他店にも広がり、瞬く間に9万人分が集まった。
海外展開や大型店への傾注の裏で、改修投資が後回しにされるなど破綻前はないがしろになっていた足元の店舗。そこに「流通業の原点」はあった。今に続く企業理念「何よりもお客さまの利益を優先しよう」はこの時の経験から生まれた。
意欲的な社員の存在も大きかった。「自分たちの力で再建したから足腰が強くなった」と振り返るのは、内山と同じくヤオハン生え抜きの神尾啓治MV東海現社長(61)。地域に合った店づくりのため、実情に詳しいパートの意見も生かした。
ジャスコ=現イオン=傘下で再建してからは、「松菱マート」や「ジョイフル東海」「キミサワ」といった地場スーパーを吸収。小売業の再編が激しかった平成の時代に、される側と仕掛ける側の両方の立場になった。
経営悪化で商品が入らない、かつての自分たちの姿と重なる買収先もあった。苦しさが分かるからこそ「上から目線」にならず、短期間の融合を実現できた。
MV東海の各店舗に「源」という冊子がある。倒産後に顧客から寄せられた励ましや叱責(しつせき)がまとめられている。内山は社長時代、入社式や新店舗開設時に冊子も使いながら倒産の出来事を伝え続けた。ただ、当時からの社員は15%にまで減った。「忘れた時に同じ過ちを繰り返しかねない」と風化に危機感を抱く。
その思いを引き継ぐ神尾。「お客さまに助けられて再スタートを切れた。恩返しするのがわれわれの使命」と常に肝に銘じている。(敬称略)
【静新平成31年1月21日(月)朝刊】
第3章ヤオハンからの教訓⑥完
創業家消えぬ自責
〈メモ〉民間調査会社の帝国データバンク静岡支店によると、1989(平成元)年から2018(平成30)年までの県内企業の倒産(任意1法的整理)件数は約8700件だった。発生時の負債額が300億円を超えたのは11件11000億円以上はヤオハンジャパン(約1600億円)を含めて2件。バブル崩壊後の1990年代前半~2000年代初め、リーマン・ショックと東日本大震災の影響を受けた08~14年が年間300件前後の高い水準で推移した。
経営者の資質問い続け
2018(平成30)年11月下旬、中国・上海の上海第一ヤオハンを数年ぶりに訪れた河合和子(59)は、繁栄の象徴だった緑色の地球儀マークを間近にしてさまざまな思いを交錯させた。ヤオハングループを率いた和田一夫(89)の長女。店が地元住民たちに今も親しまれていることに感謝しながらも、破綻を招いた創業家の一員として社員、顧客、取引先への自責の念は消えない。「経宮者に求められる資質とは何か」を自問自答し続ける。
ヤオハンを国際流通グループへと成長させながら、破綻を回避できなかった和田。その経営手法は功罪を残した。社員教育を担当した土屋高徳(93)は「決断力があった」と言い切る。台湾などで勤務経験のある北京在住の元社員の男性(52)は積極的な海外進出など「方向性は間違っていなかった」と話す。
対照的に「付度(そんたく)の連続で誰もノーと言えなかった」と振り返るのは、上海在住の元社員安田太郎(48)。強すぎるリーダーシップゆえに物一言えぬ雰囲気が社内に広がっていたと明かす。
ヤオハンが倒産した同じ年、国内では山一証券や北海道拓殖銀行といった名門企業が次々倒れた。県内でも後に松菱や中部銀行といった老舗が消えた。
企業の不祥事も相次ぎ、トップが深々と頭を下げる光景が繰り返された平成。その度に経営者の資質や責任が問われ、コーポレートガバナンス(企業統治)やCSR(企業の社会的責任)といった言葉も注目された。社会の一員としての役割を見失った企業は市場から厳しく評価され、時に容赦なく退場を迫られる時代になった。
ヤオハン破綻の理由も「バブルの崩壊による急激な環境変化」という見方の一方、「冒険主義」「放漫経営」などと指摘された。
破綻後、しばらくして経営コンサルタント業や講演活動を始めた和田。その様子をそばで見てきた河合は、海外戦略などの先見性を認めつつも、「成功が目を曇らせた」と冷静に分析する。熱海の小さな商店のころからヤオハンが大事にしてきた「顧客・社員の幸せあっての会社の発展」という理念。父はいつしかそれを置き去りにし、会社を大きくすることだけにまい進したー。そこに、根本原因があったのだと思う。
ヤオハンの社名が消えて約20年。元社員や取引先から時折、あの出来事を人生のバネにしているという前向きな声を聞くと救われたような気持ちになる。一方で「人生を狂わされ、今でも許せないという人がいるのも当たり前」と受け止める。
会社を経営する貴任はそれだけ重い。だからこそ、「周りの意見に耳を傾け、存続させるための努力を惜しまないことが重要」。父の失敗が残した教訓を、ヤオハンの経験とともに次世代の経営者に伝えることこそ、これからの役割だと胸に秘めている。(敬称略)(経済部・関本豪、東部総局・中川琳が担当しました)
【静新平成31年1月22日(火)朝刊】
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地元ではありきたりな撮影スポットにて② #厳木 #厳木町 #きゅうらぎ #唐津市 #唐津市厳木町 #佐賀県 #佐賀県唐津市 #風景 #風景写真 #故郷 #地元 #α7Ⅱ #sel24105g #佐賀カメラ部 #田舎 #saga #karatsu #kyuragi https://www.instagram.com/p/CAw-tXdnAu6/?igshid=e6cihl19nv4l
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佐賀県唐津市厳木町の環境芸術の森が一般公開されていますよ。 インスタ映えスポットとして話題になっていて秋のみの一般公開を春にも実施することになったんだとか。 入場料は高校生以上500円で5月5日まで公開されているのでぜひ行かれてくださいね。 tags[佐賀県] https://ift.tt/2rh3YZv
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《イベント情報》 Koji Watanabe がつくる イタリア🇮🇹料理とワイン🍷の夕べ
4月27月(金)楓では4回目となり、 一年半振りの開催です。
イタリア滞在25年で現在唐津市在住 彫刻家で京都精華大学非常勤講師の 渡辺浩二氏に再び腕を振るって頂きました。
氏曰く「料理は、ストレス解消になって とても楽しい‼︎」と言われ、
食材、食器やグラス🥂等全て持ち込みで 遠方からの来水巻で恐縮しながらも ホッと胸を撫で下ろしてしまいました。
今回のメニューは、 ✳︎モルタデッラ(ハム)の栗パウダー掛け カプレーゼ添え ✳︎サルシッチャ(腸詰)ラデッシュ添え ✳︎玉ねぎのスープ ✳︎木の子と挽肉のパスタ ✳︎魚貝のリゾット、カラスミパウダー掛け ✳︎鴨のゴルゴンゾーラソース添え サルティンボッカ(牛肉と生ハムと ソーセージ)林檎とレーズンのマリネ添え 薩摩芋、レンコン、ズッキーニ ✳︎ティラミスとクレーマ、コーヒー
以上7皿で渡辺氏の愛情たっぷりで なかなか味わえない本場イタリア🇮🇹の 家庭料理を厳選されたワイン🍷を 頂きながら楽しみました。
皆さん終始笑顔で歓談がとても弾み、 最高の食事会となりました💕
渡辺浩二シェフ、ご参加の皆様 ありがとうございました🙇♀️
Home made 精進 楓 Tel 090-6502-1673 Mail [email protected] http://FunatsuMieko.tumblr.com
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相知厳木斎場
[ 公営斎場 ]
名 称 相知厳木斎場 読み方 おうちきゅうらぎさいじょう 所 在 地 佐賀県唐津市相知町町切353-2 電話番号 0955-63-2327 交通案内 JR唐津線「岩屋駅」から800m 駐車場 100台 開場時間 8:30 – 17:00 受付時間 8:30 – 17:00 入場時間 – 休館日 1月1日・1月2日
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火葬料金 区 分 市 内 市 外 大人[13歳以上] 10,000 円 80,000 円 小人[13歳以下] 6,000 円 48,000 円 死産児 3,000 円 24,000 円 市内料金で利用できる条件
「市内」とは、死亡者にあってはその死亡時、住民基本台帳法(昭和42年法律第81号)に基づく本市の住民基本台帳に記録されている場合をいう。死産児にあつては…
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地元ではありきたりな撮影スポットにて① #厳木 #厳木町 #きゅうらぎ #唐津市 #唐津市厳木町 #佐賀県 #佐賀県唐津市 #風景 #風景写真 #故郷 #地元 #α7Ⅱ #sel24105g #佐賀カメラ部 #田舎 #saga #karatsu #kyuragi https://www.instagram.com/p/CAuwfFOHR3J/?igshid=1txg1gjzzn4m7
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厳木ダムの周りをひたすら歩く! 遊歩道が見事に崩れていて、残念でした。 意外と、地元に限って行ったことがない場所が多いので、地元散策の時間もとりたいなと! #厳木町 #厳木 #きゅうらぎ #風のふるさと #ダム #ダム周辺 #佐賀県道37号線 #厳木富士線 #土砂崩れ #天山発電所 #揚水発電 #水力発電 #唐津市 #唐津市厳木町 #自然 (厳木ダム) https://www.instagram.com/p/B8aPNaxnlG3/?igshid=8wuyy1xlfbr6
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安定して前回の投稿の続き。 車ではなかなか撮ることのできない景色。 歩き旅の魅力にこの辺りで気づきました📷 #佐賀県 #佐賀 #佐賀市 #唐津市 #唐津市厳木町 #厳木町 #厳木 #佐賀を歩く #徒歩旅 #佐賀県道37号線 #厳木富士線 #九州自然歩道 #天川 #厳木第二発電所 (Karatsu, Saga) https://www.instagram.com/p/B8WMrAKH6fm/?igshid=68orpjgxnd6p
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さらにさらに前回の投稿の続き。 ようやく唐津市に入りました。 折り返し地点が見えて一息。 後はひたすら下ります。 #佐賀県 #佐賀 #佐賀市 #富士町 #佐賀市富士町 #唐津市 #唐津市厳木町 #厳木町 #厳木 #佐賀を歩く #徒歩旅 #佐賀県道37号線 #厳木富士線 #九州自然歩道 #カーブミラー #凍結注意 (Kyuragi) https://www.instagram.com/p/B8SxDgdnSHU/?igshid=1m1hhywv59z4k
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