#名門仏教大学
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chiematugi · 1 year ago
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令和5年10月22日《改訂版》
トヨタ織機広報部の会話
C:「お正月、帰りたいと思います」
M:「実家帰って、何するの?羽子板とか、凧揚げとか?」
C:「読書して過ごしたいです。綺麗な言葉の本」
宿は、お決まりのホテル、ホテル向かいには、〝裏お伊勢さん〟と呼ばれている神社、
私は、そちらで、ほぼ毎年、一人初詣、
来年こそは、本当のお伊勢さんに行きたい、
〝裏お伊勢さん〟の街は、昔より閑散としており、
トヨタレースクィーンは、代表だけ残ったようで、
地元に戻り、
切ない思いで聴くお昼に流れるsound signal〝スィートメモリー〟、
昔とリテーラーさんも、変わったようで、しかし、博打屋さんでは、自ら回らない。
まさか骨折損だけで、
そこまでなると思っておりませんでしたけれど、気がつきましたら、再び、ここに居るようで、困った私、
今、閉鎖病棟、
昔、職場で、よくご存知でいらっしゃるお姉様の言葉をお借りしますと、
「ここは、病院だよ」
若かりし頃、名門仏教大学院生、及び、
京都・内閣府研究所 研究生、
コロンビア大学を経由で、
兎にも角にも、骨は折れましたけれど、
不意に鉄道車内で起きました骨折は、
手術ギリギリから、
コルセット無しでも、
一段一段、階段を上げれる程度に治りつつ。
日曜日のNEWSをボーッと観ている、
櫻井よしこ さんが、未だ〝情報戦〟と表現していらっしゃいましたけれど、
私達partyが、〝情報戦〟と公(おおやけ)に、表現していた頃は、およそ、20年前の学生時代で、実際には、それ以前、〝情報戦〟とは、戦時中からのお話で、それを、いつまでも、そして、このすでに、general化されたこの現代において、どこまでいくの、〝情報戦〟懐疑、
実は、そういった緊張感の中で、いかにストレスと上手に付き合い、balanceを取るこそが、国家対策ならび、国際と上手く演っていくための、〝精神戦〟ではないか、等と、思いながら、日曜のNEWSとともに、日曜の午前を演り過ごし、この文章を公に提出するのは、26日(木曜日)になると思うのですけれど…と書いたところで、私は、情報に踊らされていないため、一方で、その間、そのニュースについて、踊らされている、dancing in the dark と、26日に、向き合うことも、いたしません、
お昼過ぎに、養父が面会に来てくださり、
Amazonさん、無印良品さん、の通販で、
私が注文購買して、実家に届いた商品を、
ご持参いただく、
入院生活が前向きになる、良品であった、
mental foodになった、
その時刻あたりから、面会の人々が続々と現れる横目に、文章を書いております、
私の血は、豊田織機歯車部品鋳造が、創業主・祖父母の記憶が色濃く残る隔世遺伝最終後任者なのですけれど、
私は、独身ですので、
出家して、仏門に入った祖父福腹子女さんを、引き継ぎ尼となり、トヨタさんの面接では、好きな車会社さんは?とご質問なされたら、ニッサンです!とご返答し、仏教大学首席と、豊田織機歯車部品技術と、投資苦行だけで、生き残っているようなもの、
話は変わり、
電極は、合わせた方が、
酸化・還元的シャープが、美しいでしょうね、
と思う傍ら、
only yesterday,
今夜は、高速道路をPRIUSで飛ばし、
橋が見える湾岸線は、アラビア湾、
高速で走りたいところを、
敢えて控える安全運転、
投資家は、刺激依存症になりやすいとか、
ストレスが溜まっているとか、
���ういうわけではなく、
世の中は、accessしていて、泥臭い中、
今は、少しの平安かもしれませんし、
これは、文章のようで、長いポエムでは無いかな?
26日(木曜日)朝5時ごろ起きる、
ホットミルクティー砂糖無しで、
radioを付けると、
「時刻は、5時11分」
と、AI voice と早朝らしいナンバーが、
淡々と流れる、
そもそも、アナウンサーとは、
記事だけを淡々と読むことが仕事だから、
人員削減できて、ちょうどいいと思いますし、
合間合間に、雑学が入るのも、
ちょうどいいと思った今朝、
今日は、病院から、一時外出の日、
良き1日となりますよう
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chikuri · 1 year ago
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり���喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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grossherzigkeit · 3 days ago
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“独裁”すらもできぬまま
私も一応、メディアの世界で衣食している人間なので、他メディアの人などに会えば「小川さん、最近何か面白いネタはありませんかね?」などと聞かれる。雑誌の編集者ともなれば、そうやってほうぼうに聞いて回るのが仕事みたいなところはあるので、自分などにもそういった声があいさつ代わりにかけられるのも当然のことだ。 それで先般発行した季刊『宗教問題』誌2024年冬季号に、私は曹洞宗、真宗大谷派、そして浄土宗という、3つの伝統仏教教団に関する騒動の記事を載せた。いずれも結構、珍妙なスキャンダルである。 曹洞宗に関しては、東京都港区の一等地にある教団本部ビルに移転計画が持ち上がっていたところ、そこにかなり不明瞭な形で外部の金融機関たる大和証券が食い込んできて、恐らく曹洞宗を手玉にとっての土地ころがしでも考えていたのではないかという疑惑が持ち上がったのである。幸い、この曹洞宗と大和証券の契約は一度リセットされはしたのだが、���体だれがどういう形��こういう座組を考え出したのだという謎は残っていて、ある種の責任問題に発展して宗門は今でも紛糾中だ。一応、『宗教問題』誌的にはある程度のシナリオは読み解いていて、「株などの投資が大好き」という世評がある曹洞宗の宗務総長(事務方トップ)に「宗教法人への食い込み方がすごい」という評判のある、業界ではかなり有名な大和証券のやり手営業マンが近づき、ようするに曹洞宗側をハメて落とそうとした話だったのではないかと、私のほうなどでは考えている。 浄土宗では先の宗議会(宗門の予算や方針を決める会議)で、教団としての規則改訂を審議したところ、本規程が否決されたのに補助規程だけ可決するといった、別に宗教どうこう関係なく、およそ「議会」というものではありえない椿事が発生。あきらかに事務方のミスであるとともに、そもそも議員が、自分たちが何の議案を審議しているのか、まともに考えていないのではないかという状況が露呈した。宗教法人の規則は(浄土宗のような教団組織の場合)文部科学大臣の認証をうけねばならないもので、この3月の年度内に何とか状況を改善しないと、筋の通らない規則を抱えた宗教法人が放置される状況になり、ようするに国のほうから問題視される恐れもある案件なのだが、取材してみても何か浄土宗には危機感がない。 真宗大谷派の話はかなり滑稽で、その業務上の関係から大谷派の教団組織とやりとりのあったらしい、「大谷」という名字を持った損保ジャパンの社員が、いつしか大谷派の教義的象徴である「門首」職を世襲で務める、開祖・親鸞の子孫「大谷家」の一族であると吹聴して回るようになり(当然ながら名字が「大谷」というだけで、何の関係もないのだが)、いろいろな場所で「本願寺当主」などと名乗って講演活動をしたり、美術展の審査員などをして回っていたという事実が発覚した話を記事にしている。これについては大谷派はもらい事故同然ではあるのだが、この「謎の大谷氏」の言動は相当ずさんで、ちょっと調べればすぐ騙りの詐欺師と気付くようなものだった。これを受け入れて金など払うほうも何かがおかしく、大谷派は毅然と対応して抗議の一つもするべきと思うのだが、何を怖がっているのか、一切抗議などはしないという。 さて、それがここ数カ月くらいに、私などが見聞きした「宗教界の面白い話」だったのだが、正直言ってどれもこれも、「悪の野望によって動かされた大事件」というよりも、「情けなくてしょぼい話」なのである。野心あるお坊さんが、剛腕で巨悪をなそうとしたというより、単にどれもこれも、宗教界側の不手際、見識のなさ、決断心に欠ける態度などにより引き起こされた、本当に「どうしようもない話」なのである。一般メディアの方々も、これではちょっと扱いに困るようなところがあるらしく、話しても苦笑しながらどこかへ消えて行かれた。 思えば私も宗教界の周辺居住者となってから20年近い月日が流れたわけであるが、昔の宗教界には、――それこそ池田大作などを筆頭にして――よくも悪くも「デカい人」がいた。彼らはまったくの野心ある悪人で、壮大な悪の構図を描いて、本当にいろいろ悪どいことをしていた。私などは、本当にいいのか悪いのか、そんな宗教者たちの最後の光跡を見ることができた世代だった。しかし、最近の宗教界で起こる事件というのは、本当にそんなものではなくなった。その多くは、そんな地位に就く力量もないような人が、何かの間違いで重い肩書だけを付けてしまい、地位にあった能力を発揮することもできずに、おかしな失敗をしてしまうような話ばかりだ。これは実は伝統宗教、新宗教の別を問わない。昔の宗教界には「悪の独裁者」みたいな人が本当にいたりしたのだが、いまでは「独裁」をやる器量のある人すら失われてしまった。 それは別に、「悪人」に限った話でもない。ここ数日も人と話していたのだが、本当に宗教界には人がいなくなった。昔であれば、高田好胤や今東光、寺内大吉などといった、「普通の人でも知っているお坊さん」がいたものなのだが、いまそういう人は本当にいなくなった。もっとも、今は政界でも経済界でも「大人物がいなくなった」と言われる時代なので、別にそれは宗教界に限った話ではないのかもしれないのだが。 しかし、能力のない人が失敗して、自分で転ぶだけならば自業自得なのだが、ここ最近になってそれこそ大和証券だの損保ジャパンだの、そういう「おかしな体たらくになった宗教界」に目を付けたハイエナたちが、怪しげな底意をもって宗教界を食い物にしようとしている事例が出てきているのではないか、などと、ここ最近の「宗教界の面白い話」を見て、私は感じてもしまったのである。 宗教心、教義といったものは、野に一人でも真剣にそれを奉じて生きている人がいれば、永遠不滅である。しかし、「寺」「教団」などといったものは、本当に内側がダメになるとあっさり立ち行かなくなるものなのかもなあと、ここ最近の「宗教界で起こる事件」の性質を見ながら、私はひそかに思う。まあ、そうしたものが本当に、守るに値するものなのかどうかも、わからなくなっている時勢なのですが。
2025年2月18日
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chaukachawan · 3 months ago
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深淵を覗きたかった
舞原です。しばらく雑談が続きます。団員紹介目的の方は飛ばしてね。 
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コント演出をやってみて思ったんです。オムニとかの脚本とかもっと挑戦してみても良かったんじゃないかなぁって。いや、楽しいですね〜演出って。体験版だからでしょうか。まあ好き放題させてくれたコントの役者たちにまずは感謝なんですけど。まあその上でちょこっと制作秘話なんですけど。出演者決まってから色々試行錯誤しているうちに「客役に店長役の頭をポンポンさせようかな…?」とかいう邪念がよぎったんですよ。ちょっと迷いましたが、さ~すがに申し訳ないなって思って止めました。需要があるならもうポポポポ~ンってくらいにポポンポンしてください。あたまポン♪ポンポポン♪ でも勝手に頭ポンポポンするのは失礼ですからね。
まあ人に頭ポンポポンさせている自分自身がキモくなってしまうのはありますけどね。 
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ということで食���ン滓絞りからは以上です。 区切りがスマホサイズに依存するのは許して。
団員紹介、続いては35期。1年半ってまじで早いね。ここからは印象に残��てる役とかセリフを添えます。(不参加公演の場合はセリフないです。ごめんなさい。) 
私は代替わり部会に出席してないからギ、ギリセーフ...。 
大福小餅 
同じ座組になることが多かったなぁ。初めのオムニの頃から比べると本当にちゃうかに汚染されてしまったなぁって思います。ふと見るとすぐに稽古場で寝ているのでおもろいなぁと思いつつも普通に心配です。天然で急な思考の飛躍を入れてくるのが本当に面白かった。外公で舞監頑張っていましたね、お疲れ様です。もっと舞台上での存在感が大きい役が見てみたいな。どうなるか予想が全くつかないから。 
こふくは楽しそうにしてる時が1番輝いてる気がする。 
23秋公/息を吸う、吐く 魔女 
「大丈夫、きっと全て上手くいく。」 
あろハム権左衛門 
支部長さん。吹田で楽しそうにしてるなぁ、とよく思っていました。某人間とかの振り付けしてたとは聞いてたけど今公演改めてみるとめっちゃ踊れててびっくりした。自分の中の世界で強く生きてるんだろうなぁと常々思ってて、その世界をもっと覗いてみたかったけど全くタイミングなかったなぁ。チャンスはもっとあったような気はするけど。吹田の時にサイゼ擦ってくれてありがとうございました。 
カルピスの原液が個人的には優勝ではあったが、しかしこっち 
24新歓/夢にまで魅せられて 黒川 
紫仏瑠唯 
まじでそんなにお話した機会がなかった…。合宿のときにこふくといて「あれ、ここって仲いいんだ」とか思ってたけどよくよく考えたら二人とも学部一緒だということにこれを書いてるタイミングで気づきました。それくらい何も知らなかった。まあスタオンだから仕方ないかな…。 
これ以外も見てみたいな。 
23オムニ/オレンジ 母 
「まさかネットに旦那を寝取られるとはねえ!!ネットられるとはねえ!!!」 
近未来ミーラ 
「詳しくは情報解禁を待て」だけど、諸々楽しみにしてます。みーらと一番お話したのはかつてのオムニの「今では考えられないようなほど静かなみーら」だったなぁ。みーらは演出を3回もやっているというのに。ふざけてる時のみーらとの会話のテンポ感は引退する前に掴みたかったなぁと思っています。あれみんなどうやって会話してるの?すごい気になる。いつか演出を受けてみたいという気持ちもありつつ。 
栞の個人的推しポイントの一つ 
24秋公/いつか栞を挟んで 駅員 
「自分の問題でしょう!」 
黒井白子 
演劇サイボーグさん。もっと白子にダメとかもらいに行っても良かったのかな、とか引退した今では思っちゃいますね。頑張ろうとする人に対して、その努力に応じた強度のダメを出してくれ���。経験と知識にしっかり裏付けされてるのが本当に強みですよね。舞台上とかカラオケにいるときの白子のイメージが私の中で大きいけど、日常生活でも楽しそうにしていて凄いアクティブだなぁって思います。 
私これのキャスパまじで好きなんよ。あの白子大好き。 
23新人/某人間 道化師 
海泥波波美 
一番関われる機会が多かったんじゃないかな。私がいるところには常にいた気が。場の空気の作り方が上手いと思います。圧倒的な潤滑油。楽しませてくれます。真面目とふざけのバランスが凄い絶妙ですよね。まあ攻めすぎてる時もある気もするけど。須藤、当ててくれてありがとうございました。ちゃうかって楽しい場所なんだなぁっていうのを1番よく実感出来た公演になりました。 またご飯とかでも。
ボスと共演出来て楽しそうにしてたのが印象的だった。 
23秋公/息を吸う、吐く なおや 
「いつもの時間、いつもの電車、いつものお前。つまんねえ」
 
帝京魂 
すっかりおじさん芸が板についてしまって。オムニの初めで「僕、鯛焼きの36期にヤバい奴だと思われてないですかね…」って心配してたのは面白かった。舞台上ではやばいかもしれないけど、実際それ以外は相当まともな方に入りそうだけどどうなんでしょう。普通にいい先輩してると思います。襟をつかんで叫んでた頃が懐かしいなぁと思うこの頃です。 もう襟を掴めないとこに行ってしまったような。
Level 100 
24新歓/夢にまで魅せられて 深山 登 
テキストを入力 
音響仕込み平班員仲間。平班員だけどしっかり有能。流石。舞台上では毎回見所がある。美味しいよね。今年のオムニから役者を始めた新星のスターだけどもうすっかり演技をすることには慣れていて凄いと思います。あとほんまに映像凄い。安定してクオリティが高い。硬すぎず柔らかすぎず、重すぎず軽すぎず、ちょうどよくバランスの取れたエピの感じがすごく接しやすかったです。 
やはりお前は音響の柱になれ 
24外公/タイムマシンの使い方 店員 
「箸、一膳。」 
西峰ケイ 
おもろいすいたんちゅ。生粋の関西人ですよね。ツッコミが本当に一級品。ってか普通に演技が上手い。外公の時はすごいリードしてもらってたなぁ、と思います。ほんまにありがとうございました。せめて、最後に一個だけ聞きたいんだけど、西峰ケイを伏せるときってどの絵文字がいいん?□?■?意外と◇?それともこういう伏せって嫌いだったりします?教えてください。 
外公の共演も良かったんだけどさ…新歓で脳焼かれちゃったんだよね…。あのシーンのらび本当にすっげぇなって…。 
24新歓/夢にまで魅せられて 八戸 
園堂香莉 
ふぇーい🤟🏻これ好き。おもしれ〜やつ。どんな思想をしてるんでしょうか。鯛焼きめっちゃ楽しかったです。なぽのおかげで鯛焼きが思い出の品になりました。なぽりが飽きることが無いことを祈っておきます。鯛焼きチーフなら大丈夫か。舞台上では本番になるとよく覚醒しますよね。去年は舞台上で、今年はオペ席から見てたけど毎回本番すごいなぁって思ってました。 
ぽんぽん。ポン太くん!楽ステ輝いてたなぁ。 
23秋公/息を吸う、吐く  ゆき 
「初めまして、ゆきって言います。ふつつかものですが、よろしくお願いします!」
衿君 
佐藤。ゆるふわマッスル。外公はありがとうございました。普段はめちゃくちゃ謙虚なのにスイッチが入ると強くなる。演技は上手いし、舞台の外では面白い。もっと色々見てみたかったね。私が映オペの時結構注意喚起で肩叩いてくれたんですけど、楽ステのキャスパの時普通に見とれて忘れていたので助かりました。一緒に山を登ったりバンドを組んだりできて楽しかったです。またなんか冒険とかできたらいいな。 
そりゃこれ 
24外公/タイムマシンの使い方 佐藤 
「なるほどな、大阪から愛知に行くのはいいけど何かの間違いで大阪から岐阜に行くと世界が滅ぶってことか。滅ぼすべきは岐阜県民 」 
縦縞コリー 
最近とてもテンションが高いように見える。高いのはいいことです。まあ多分こっちが本来のコリなんだろうけど。でもコリちゃんはテンションが高い方が面白い気がします。そのままのあなたでいてください。あと、コリはさ!!!人の目には気をつけようね!!!ほんまにいつ誰に見られてるか分からないんだからな!!!な!!!!!! 
主役とかやってたけど何気にこれが1番好きかも。名言感? 
23オムニ/怪盗とその考え方 警部 
「これで怪盗コーデはコンプリートだよ…名怪盗くん。 」 
中森ダリア 
音響平班員仲間。でも音響として見たのは今回のバラしくらいだったかも。なんか最近更に美に磨きがかかっててびっくりした。すごいつよい。でも中身は変わらずひらりっぽい感じですよね。まあ詳しくは知らないんですけど。でもしっかりちゃうかに馴染んでますよねぇ。あとキャスパ上手すぎです。ほんまに、ダンス部強すぎる。 
合いそうだなぁと思ってはいたけど初見の衝撃凄かったなぁ。 
24オムニ/用もなしでは怖いし 掃除のおばちゃん 
「あぁそれと、もう二度と余計なことは言わないように。もう見逃し配信はしないよぉ」 
〆切三日前 
音響仕込み班仲間。なんやねんこの芸名。俗にいう音響チーフの系譜ですね。本当に音響チーフなのかは知りませんが。っていうかこの人のこと全然知らないんですよね。何気に。TOP SATSUMAIMO狂であることと正欲って映画をオススメしてたことしか知りません。引退したし暇な時に見てみようと思います。なんか意外と色んな役やってますよね。上手い��ら気づかないんだろうな。
ずっと座って見てました。毎回圧倒されながら見てました。 
23秋公/息を吸う、吐く みな 
「ブス。ブスブス。ブスブスブスこのブサイクが、自分に自信もちなさいよ!!!!!」 
ミル鍋 
ゆに。人を+にする能力にものすごく長けていますね。色んな人に+をばらまきつつもユニ自身も色んな人に+をもらっているような気がします。『雑』談をするのがすごい上手いよねぇ。大学の課題ってクソだよねっていう話なら2,3時間くらい出来そうな気がする。吹田でかなり苦しめられているようですが、ここを自分たちのオアシスにしてあげてください。 楽しんで。
すごい ゆに 
23秋公/華幻の月 辻井 
「お疲れ様。一人だけどよくやったね、頑張ったね。」 
苔丸 
こけえもん。ありとあらゆるスタッフワークをこなしていて尊敬します。同時にありがとうございます。妄想サイゼ気に入ってくれてありがとう。苔丸に楽しんでもらえてるだけでもあれをやった甲斐があります。最近苔丸の変化率低い気がするから、もっと想像もつかない役とかもやってみてほしいなぁという気持ちです。 今度は宇宙人とかロボットとか見てみたいですね。
原点にしてこれ。 
23オムニ/香夜 江崎文 
「ええ加減にせんか!」 
なんかこう書いてると人のこと全然見てきてなかったし、関わってこなかったなぁとか思っちゃいますね。 知らないことばっかり。悲しいね。
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moderndays · 4 months ago
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Recommended Books 【京都・Kyoto】
&Premium特別編集 まだまだ知らない京都、街歩きガイド。 (MAGAZINE HOUSE MOOK) 雑誌 – 2024/8/6
マガジンハウス (編集)
雑誌「&Premium」発、人気の京都ガイド第5弾! 混雑する観光地から離れて、暮らす人だからこそ薦めたい15のエリアと8つのテーマ、全316軒を紹介します。 ■大和まこの京都さんぽ部 暮らすように歩く、京の街
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女人京都 ペーパーバック – 2022/9/28
酒井 順子 (著)
京都に通い続けるエッセイスト・酒井順子による、全く新しい視点から切り取った京都エッセイ&ガイド。 女性の生き方、古典、旅、文学など幅広く執筆活動を行う著者が、小野小町、紫式部、清少納言、日野富子、淀君、大田垣蓮月、上村松園など歴史上の女性たち43人の足跡をたどる旅に出た。
「京都の中でも、京都らしさを最も濃厚に抱いている存在は、名所旧跡でも食べ物でもなく、京都の『人』なのではないかと私は思います。(中略)京都の都会人の中には、今も、平安以来続く都会人らしさのしずくが、滴り続けているのです。」(「はじめに」より)
京都に暮らした女性たちの生き様を知ることは、現代の京都の人々、そして京都の街を知ること。 この本を片手に歩いてみると、平安時代の遺構がそのまま残っているところもあれば、貴族の屋敷が今は児童公園になっていたりすることにも気づく。京都の通りを上ル下ルし、西へ東へと歩き回り、時代を行ったり来たりして、新たな旅の提案を教えてくれる。 この本を読むと京都の歴史や文学がぐっと身近になること間違いなし。
京都散策に便利な地図付きです。
お茶の味 京都寺町 一保堂茶舖 (新潮文庫) 文庫 – 2020/5/28
渡辺 都 (著)
ゆったりと流れる時間、その時々で変化する風味、茶葉が持つ本来の美味しさ──お湯を沸かし、急須で淹れてこそ感じられるお茶の味わいがあります。江戸時代半ばから京都に店を構える老舗茶舗「一保堂」に嫁いで知った、代々が受け継ぎ伝えてきた知恵と経験、家族のこと、お店のいまと未来、出会いと発見に満ちた京都生活。お茶とともにある豊かな暮らしを綴った、心あたたまるエッセイ。
京都、パリ ―この美しくもイケズな街 単行本 – 2018/9/27
鹿島 茂 (著), 井上 章一 (著)
◎26万部『京都ぎらい』の井上章一氏、フランス文学界の重鎮である鹿島茂氏が、知られざる京都とパリの「表と裏の顔」を語り尽くす。たとえば、 ・日本には「怨霊」がいるが、フランスにはいない ・日本のお茶屋とパリの娼館は、管理システムが似ている ・パリの娼館は、スパイの温床だった ・日仏では、女性のどこに魅力を感じるか ・洛中の人にとっての「京都」はどこ? ・パリの人にとっての「パリ」はどこ? ・パリと京都の「汚れ」に対する意識の違い など、知っているようで知らなかった「京都とパリ」の秘密がわかる。
京都のおねだん (講談社現代新書 2419) 新書 – 2017/3/15
大野 裕之 (著)
お地蔵さんの貸出料は3000円、発売第一号の抹茶パフェは1080円、では舞妓さんとのお茶屋遊びは? 京都では値段が前もって知らされないことも多く、往々にして不思議な「おねだん」設定に出くわす。京都を京都たらしめているゆえんともいえる、京都の 「おねだん」。それを知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。京都歴二十余年、サントリー学芸賞受賞の気鋭の研究者が解読する、京都の秘密。
なぜこれがこんな高いのか、あんな安いのか、なんで無料なのか、そもそもあんなものになんでおねだんがつくのか―― 大学進学以来、京都住まい二十余年。往々にしてそんな局面に出くわした著者が、そんな「京都のおねだん」の秘密に迫る。 そもそも「おねだん」の表示がされていない料理屋さん、おねだん「上限なし」という貸しビデオ屋、お地蔵さんに生ずる「借用料」。 そして究極の謎、花街遊びにはいくらかかる?
京都人が何にどれだけ支払うのかという価値基準は、もしかしたら京都を京都たらしめているゆえんかもしれない。 京都の「おねだん」を知ることは、京都人の思考や人生観を知ることにつながるはず。 2015年サントリー学芸賞芸術・文学部門を受賞、気鋭のチャップリン研究者にして「京都人見習い」を自称する著者による、初エッセイ。
京都 ものがたりの道 単行本 – 2016/10/28
彬子女王 (著)
「京都という街は、タイムカプセルのようだ」と著者は言う。オフィス街の真ん中に聖徳太子創建と伝えられるお寺があったり、京都きっての繁華街に、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された地の石碑がひっそりと立っていたり。そこには人々の日常があり、みなが変わりない暮らしを続けている。そんな石碑になど目を留めない人もたくさんいるはずだ。 それでも著者は、そんな場所に出会う度に、タイムカプセルを開けたような気持ちになるのだという。幕末の争乱期の京都へ、平安遷都する以前の京都へ、近代化が急速に進んだ明治・大正時代の京都へ……。さまざまな時代の“時"のカケラが、街のそこかしこに埋まっている。この場所で徳川慶喜は何を思ったのだろう。平家全盛のころの六波羅は、どんな景色だったのだろう。安倍晴明はここで何を見たのだろう。その“時"のカケラは、一瞬の時間旅行へと誘ってくれる。 日本美術研究者として活動する著者が、京都の通り界隈にまつわる逸話から、神社仏閣の歴史、地元の人々の季節折々の暮らし、街歩きでの目のつけどころや楽しみどころ、京都人の気質までを生活者の視点から紹介する。さらに、自身のご家族のこと、京都府警と側衛の方たちとのやり取りなどの日常生活の一端を、親しみやすい文体でつづる。6年以上、著者が京都に暮らす中で感じ、経験した京都の魅力が存分に語られており、「京都」という街の奥深さと、「京都」の楽しみ方を知る手がかりとなる。 新聞連載の24作品に、書き下ろし3作品を加えて刊行。京都の街歩きに役立つ「ちょっと寄り道」情報や地図も掲載。
京都はんなり暮し〈新装版〉 (徳間文庫) 文庫 – 2015/9/4
澤田瞳子 (著)
京都の和菓子と一口で言っても、お餅屋・お菓子屋の違い、ご存知ですか? 京都生まれ京都育ち、気鋭の歴史時代作家がこっそり教える京都の姿。『枕草子』『平家物語』などの著名な書や、『鈴鹿家記』『古今名物御前菓子秘伝抄』などの貴重な資料を繙き、過去から現代における京都の奥深さを教えます。誰もが知る名所や祭事の他、地元に馴染む商店に根付く歴史は読んで愉しく、ためになる!
京の花街「輪違屋」物語 (PHP新書 477) 新書 – 2007/8/11
高橋 利樹 (著)
京都・島原といえば、かつて興隆をきわめた、日本でいちばん古い廓(ルビ:くるわ)。幕末の時代、新選組が闊歩したことでも有名である。その地でたった一軒、現在でも営業を続けるお茶屋が、輪違屋(ルビ:わちがいや)である。芸・教養・容姿のすべてにおいて極上の妓女(ルビ:ぎじよ)、太夫(ルビ:たゆう)を抱え、室町の公家文化に始まる三百年の伝統を脈々と受け継いできた。 古色なたたずまいを残す輪違屋の暖簾をくぐれば、古(ルビ:いにしえ)の美しい女たちの息づかいが聞こえてくる。太夫のくりひろげる絢爛な宴は、多くの客人たちを魅了し続けている。 本書では、輪違屋十代目当主が、幼き日々の思い出、太夫の歴史と文化、お座敷の話、跡継ぎとしての日常と想いを、京ことばを交えてつづる。あでやかでみやびな粋と艶の世界----これまでは語られることのなかった古都の姿が、ここにある。
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ari0921 · 11 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)4月8日(月曜日)
   通巻第8205号 
  AI(人工知能)と不可知の唯識「阿頼耶識」
   たといAC(人工意識)がうまれようとも。。。。。。。
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 AI(人工知能)革命と言われるが、そのダークサイドが深刻な問題となった。
 AIの進化スピートがあまりにも迅速なため人類社会の構成要素である政治と経済のシステムが追いつけず、意識が置いてきぼりになっている。
 歴史を眺めると失業を代替する新産業が生まれることになっているが、すぐに適用できる人が少ない。
 中高年層は長く携わってきた職業を喪うと次の方向へ転換できる適応力不足のため困難に直面する。スマホで新幹線に乗る若者がいる一方で、銀行ATMを使いこなせない老人がいるように。
 AIは生産性を今後十年で30%ほど押し上げると予想され、90年代の「IT革命」より迅速になる。
 あまつさえ生成AI、チャットGPTが登場し、AI規制論が西側の合意となった。
 「AIが人間の智恵を凌ぐ転換点」がシンギュラリティだが、レイ・カーツワイル(米国の発明家)が言い出した。
 『AIのゴッドファーザー』ことジェフリー・ヒントン教授がこの学説を追認した。それが2045年と想定されてきたが、もっと早まる可能性がある。
 しかもAIがGDPの殆どを稼ぎ出すようになれば人間存在は小さくなる。AI搭載のロボットが人間を支配するという暗黒の未来図が描かれている。それはAIが意識をもつときであり、最近は「人工知能」ではなく「人工意識」が誕生するというのだ。
 グーグルの開発研究者だったブレイク・レモインは「生成AIはすでに意識を宿した」と唱えた。
 したがって兵器に転用されると「原爆を上まわる」と前掲ヒントンが懸念を率直に述べる。『人工意識』が善意の持ち主ならまだしも悪意を先に宿すとなると怖ろしいことになる。
 しかしロボット工学専門の石黒浩・大阪大学大学院教授は「人間は新しい技術が出てくると「仕事を奪われる」と心配しながらちゃんと受容し駆使してきた。より高度な技術を使うためには人類全体が賢くならなければならない。将来、社会で受け入れられ『人間』として認識されるロボットは社会に役立つ」と楽観的である。
 すでに人工意識に挑んでいる日本のベンチャー企業がある。「アラヤ」社は神経科学と情報理論の融合により、脳に意識が生まれる原理、AIに意識を実装する研究と産業界にAIと脳科学の実用化に取りくむ企業だ。
 その企業名のアラヤと聞いて筆者は咄嗟に「阿頼耶識」に由来するなと直観した。
 仏教がいう第六識は霊感、インスピレーション、第七識が未那識、そして不可知とされるのが阿頼耶識である。
 AIがやがて人間の頭脳を代替する時代にいかに備えておくべきか?
              (北國新聞コラム「北風抄」、4月4日付けから再録)
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lierrelearns · 2 years ago
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[1]奈良国立博物館 仏教美術資料研究センター Nara National Museum Buddhist Art Library
仏教を中心とする歴史と美術にかかわる学術資料の作成・収集・整理・保管・公開を目的に、昭和55年(1980)に博物館の一部門として設置され、平成元年(1989)より現在の建物にうつりました。
資料公開日: 毎週. 水曜日・金曜日 (国民の祝日・休日、12月26日から翌年1月4日までを除く 開館時間: 午前9時30分〜午後4時30分 (複写受付は午後4時まで) 公開している資料: 図書、雑誌、紀要、報告書、展覧会カタログ、両像資料等 サービス内容: 閲覧、複写、レファレンス
調査研究を目的とする利用者に対して資料を公開しています。利用を希望の方は左側のインターホンを押して係員をお呼び出して下さい (水曜日・金曜日の公開日のみ)。
[2]重要文化財 旧奈良県物産陳列所 昭和58年(1983)1月7日 指定 奈良市登大路町50番地1
この建物は明治35年(1902)に竣工し、同年奈良県物産陳列所として開館したもので、県下の殖産興業と物産の展示販売をおかなう施設として利用された。設計者は、帝国大学工科大学造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)出身の建築史学者で、当時奈良県技師として古社寺建造物修理に尽力した関野貞博士(1867-1935)である。 木造桟瓦葺で、小屋組や河辺などに西洋建築の技術とりいれつつ、外観は和風を基調とする。唐破風造車寄を正面につけた入母屋造の中央楼から、東西に切妻造の翼部を延ばし、端には宝形造の楼をおいている。関野は大学在学中より宇治の平等院鳳凰堂を研究しており、屋根の形式や左右対称の優美な外観は鳳凰堂に範をとったものと思われる。また蟇股などのなどの細部には、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れ、この建物の設計と奈良における古建築研究との密接な関係がうかがえる。その一方で窓にはイスラム風の意匠もみられる。構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されている。 この建物は開館後、奈良県商品陳列所、奈良県商工館と名称を変え、昭和26(1951) に国に移管されて、昭和27年(1952)から55年(1980)まで間のに奈良国立文化財研究所春日野宇舎として利用された。昭和58年(1983)に重要文化財の指定を受け、同年奈良国立博物館が管理するところとなり、現在は当館の仏教美術資料研究センターとして活用されている。 平成23年7月 奈良国立博物館
Vocab 関わる (かかわる) to be concerned with, to have to do with 学術 (がくじゅつ) science, learning, scholarship 作成 (さくせい) making (a report, etc.) 収集 (しゅうしゅう) collection (of art, etc.) 整理 (せいり) sorting, organization 保管 (ほかん) charge, safekeeping, storage 公開 (こうかい) making available to the public, exhibiting 部門 (ぶもん) branch, division 元年 (がんねん) first year 祝日 (しゅくじつ) national holiday 翌年 (よくねん) following year 複写 (ふくしゃ) copying 図書 (としょ) books 紀要 (きよう) bulletin, memoirs 報告書 (ほうこくしょ) (written) report 物産 (ぶっさん)product 陳列 (ちんれつ)exhibition, display 登大路町 (のぼりおおじちょう)Noborioojichou 竣工 (しゅんこう)completion of construction 県下 (けんか)prefectural 殖産興業 (しょくさんこうぎょう)promotion of industry 設計者 (せっけいしゃ)designer 帝国大学 (ていこくだいがく)Imperial University (name of Tokyo University 1886-1897) 工科大学 (こうだいがく)engineering college 建築学 (けんちくがく)architecture 全身 (ぜんしん)previous existence, predecessor organization 出身 (しゅっしん)one’s origin (i.e. school) 史学者 (しがくしゃ)historian 技師 (ぎし)engineer, technician 古社寺 (こしゃじ)old shrines and temples 建造物 (けんぞうぶつ)structure, building 修理 (しゅうり)repair, mending 尽力 (じんりょく)efforts, exertion, services 関野貞 (せきの・ただし)Sekino Tadashi 木造 (もくぞう)wooden 桟瓦 (さんがわら)pantile 葺 (ぶき)roofing 小屋組 (こやぐみ)roof truss, room frame 河辺 (かわべ)riverside, riverbank 取り入れる (とりいれる)to adopt (e.g. an idea), borrow つつ while; even though 外観 (がいかん)exterior appearance 基調 (きちょう)basic theme, underlying tone 唐破風 (からはふ)karahafu, bow-shaped eaves of a gabled roof 車寄 (くるまよせ)carriage porch, entranceway 入母屋造 (いりもやづくり)Irimoya; building with a gabled, hipped roof 楼 (ろう)tower, tall building 切妻造 (きりづまづくり)gabled roof construction 端 (はし)end, tip, edge 宝形造 (ほうぎょうづくり)pyramidal roof 在学 (ざいがく)attending (school), enrolled 宇治 (うじ)Uji (city) 平等院 (びょうどういん)Byodo-in temple 鳳凰堂 (ほうおうどう)Pheonix Hall 左右対称 (さゆうたいしょう)bilateral symmetry 優美 (ゆうび)refinement, grace, elegance 範 (はん)example, model 蟇股 (かえるまた)curved wooden support on top of the main beam of a house (shape looks like a frog with open legs) 細部 (さいぶ)details, particulars 飛鳥時代 (あすかいじだい)Asuka period (550-710) 鎌倉時代 (かまくらじだい)Kamakura period (1185-1333) にかけて till, over (a period), through ��築様式 (けんちくようしき)architectural styles 設計 (せっけい)plan, design, layout における regarding 密接 (みっせつ)close (relationship, connection, etc.) うかがう to guess, infer, surmise 意匠 (いしょう)design 構造 (こうぞう)structure, construction 巧み (たくみ)craftmanship, design 評価 (ひょうか)appreciation, recognition 商工 (しょうこう)commerce and industry 移管 (いかん)transfer of control 国立文化財研究所 (こくりつぶんかざいけんきゅうしょ)National Research Institute of Cultural Properties 春日野 (かすがの)Kasugano 庁舎 (ちょうしゃ)government office building 国立博物館 (こくりつはくぶつかん)national museum 管理 (かんり)control, management
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mvrider6 · 1 year ago
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比叡山延暦寺
平安京の鬼門を守る比叡山延暦寺。高野山と並ぶ山岳信仰の歴史があり、数々の宗派の源となった日本仏教の母
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比叡山の中枢とも言える東塔エリア
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駐車場から最初に着く大講堂。比叡山で修行された各宗派の宗祖の木造が祀られており日本仏教の源を実感
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大講堂横の鐘楼
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国宝の根本中堂は修復中。令和9年12月に完成予定🤣一応中に入って不滅の法灯を拝むことはできる。
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修復中の外観を見学できるのでこれはこれでレア。一応中に入って不滅の
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廻廊の屋根
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本堂の屋根
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根本中堂を出て文殊楼に向かう急峻な階段
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一歩踏み外すと大変なことになりそう😅
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延暦寺の山門にあたる文殊楼
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文殊楼から大書院を臨む
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萬拝堂。日本全国の神社仏閣の諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し、合わせて世界に遍満する神々をも共に迎えて奉安しているところ。休憩所もある。
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先祖回向の修行場の阿弥陀堂
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横にはエリアの名前に繋がる法華総持院東塔
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戒壇院
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最後は西塔エリアに向かい左右同じお堂を渡り廊下で繋いだ常行堂と法華堂のにない堂
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続きは以下から
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petapeta · 2 years ago
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 さあ、今度は「オランダ人による洋食伝来」が始まると思いきや、出島に引っ越して来たオランダ人もポルトガル人同様に「隔離」されてしまいました。「布教しない」と約束したにもかかわらず、幕府は出島からの外出を許さなかったのです。町中で一緒に生活することで「一般の人たち」に広く伝わった洋食は、今度は出島に入る事ができた「少数の関係者」だけに伝わる限定的なものになりました。  オランダ人たちの食事を垣間見ることができる「少数の関係者」とは、どういう人たちでしょうか。まずは長崎奉行所の「役人」、通訳係の「通詞」、人の出入りを監理していた「乙名(おとな)」、丸山の「遊女」、見学に来た「大名」や「知識人」も出入りしました。こうして見聞されたオランダ人の「洋食」は、見聞録などの「書籍」になって出版、世に知らされます。平賀源内の門人で蘭学者の森島中(ちゅう)良(りょう)は、著書『紅毛雑話』の中で、大槻(おおつき)玄沢(げんたく)が天明5年の「オランダ正月」に参加した時の献立について記録しています。オランダ正月とは、オランダ人が太陽暦の1月1日(旧暦ではだいだい12月上旬)を祝う行事で、日頃世話になっている日本人関係者を招待した「ニューイヤー・パーティー」です。スープからデザート菓子まで19種類もの豪華メニューで、それぞれの料理の材料まで明記されていました。中でも肉料理は多く、「牛」「鹿」「猪」「鶏」を煮たり焼いたり8種類もありました。玄沢は、江戸に戻って蘭学研究者の集い「新元会」を発足、元旦に召集し「オランダ正月」を再現しています。これが江戸における洋食の先駆けになりました。 "薬"だったらOK!  ところで、オランダ正月には、面白い習わしがありました。食事がはじまって、まず一同がスープを飲み始めます。ここまでは普通です。問題はその後。以降のメニューには一口、二口「味見をする程度」で丸々食べ残します。するとタイミングよく「一枚の皿」が用意され、各料理が詰め込まれます。西洋料理でいっぱいになった皿には「宛先」が記された紙が貼られて、家族や知人に届けられるのです。届いた料理はどうなったのでしょう。もちろん食されるのですが、「食事」としてではなく「薬」としてでした。出島の商館医だったツンベリーは『日本旅行記』に次のように書いています。 「日本人は肉、バター或は塩で加工された食品は普通食べないのであるが、このような品は或る病の治療薬として貯えておくのだそうである。例えば塩バターの団子をつくって、これを肺病の薬として毎日飲むのである」  キリスト教的だということで、牛肉を食する事が禁止されたことは先述しました。にもかかわらず、出島ではオランダ人も日本人も躊躇なく牛肉を食していたのはなぜでしょう。まずオランダ人に関して��、古くからの習慣ということで、牛肉を食べる事は許されました。日本人に関しては、まだ禁止中だったのですが「抜け道」があったのです。それが「薬喰(ぐ)い」という方法。病人の「体力回復」「養生」のために「薬」として肉を食べるのです。すでに飛鳥・奈良時代から「薬猟(くすりがり)」は行われており、特に江戸期には薬喰いが盛んでした。仏教に帰依した「貴族」「大名」も、何かと理由をつけて肉食を楽しんでいたのです。動物の種類としては主に「猪」と「鹿」でした。確かに猪を表す「牡丹」は、俳句の冬の季語にもなっています。牡丹鍋といえば「味噌」と「醤油」での味付けが一般的。この調理方法が、後の「牛鍋」のルーツになるのです。
ナガジン!|特集:発見!長崎の歩き方 「西洋は長崎から~「洋食」」
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kennak · 2 years ago
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多重派遣プログラマを20年以上やっていた就職氷河期高卒増田が出会ってきたパワハラ上司、パワハラ顧客たちの記憶。全部昔の話。①派遣が結婚??男増田が結婚した時のこと、新婚旅行で1週間休むと伝えたら「派遣社員なのに結婚するんだ?」と高笑いした某銀行システム部の50代社員。そうなんすよーと答えつつ、ホントにこういう奴っているんだ!と感動した。②タクシー男ここは20年以上前の銀行合併の現場。タクシーで帰ることが認められていた。プロパーのリーダーは毎日15時すぎに出勤して24時にタクシーで帰るのである。私は朝9時に来て、毎日21時~終電あたりで帰っていたが、タクシー男、自分より早く若者が帰るのが気に入らない。ある日嫌がらせで、後に聞いた話だと「あいつは絶対出来ない」と他者に語っていた課題を渡された。アホくさいのでその後は毎日昼すぎに出勤してタクシーで帰る生活にした。労働時間はさほど変わらなかったが何も言われなくなった。 なんとそれが半年続いた。無駄。③ゴルフしないか社長ゴルフ経験者増田。若手の時は手取りが17万円なのに、参加費が4万円(名門コースのプレー代込)かかる年2回の自社ゴルフコンペにしつこく誘われた。出向先に総務部長、常務、社長から電話がかかってきて、最終的にはゴルフをやれるほど給料貰っていないと言ったが、1度、老いた会長のキャディをやらされつつ回ることになった。その日のコンペの準備も当然全部若手増田。楽しさなど微塵もない。苦行。④缶詰男最初の現場の増田の教育係現場に入った直後、いきなり仕様書を渡され今週中にやれとだけ言われ、他は何も教えてくれない。何をどうしていいか分からず困惑。今であれば開発環境、システムの概要など現場に入ってまず何を見れば良いか解るが。まず何をどうしたら良いかを尋ねるとブチギレ。他の社員に助けられる。彼の知らないExcelの関数を使っても怒鳴られる。「田舎に帰って頭の使わなくていい缶詰工場で働け。業界にいたら迷惑だ」強く叱責された後、地下鉄の電車に飛び込みそうになる自分が居た。その10年後、別な現場の上司(プロパー会社の社員として転籍していた)として缶詰男が登場。だが仏のような性格に変わっていて、当時の俺は頭がおかしかったと謝られ、2人で昼飯を食う仲に。人間、誰しもおかしくなる事はある。だがそのおかげで他人が死にかける事もある。⑤不夜城の姫不具合多発のシステムの開発現場、SEを奴隷としか思っていない顧客システム部。その中で25歳くらいの女性がいたが、まだ若手なのでシステムの知識が浅い。顧客システム部の方針で指摘をいくつか上げなければならないのか、ドキュメントの語句のどうでも良いツッコミが多い。無駄なテストのやり直しも多数要求。そして性格が偉そうでヒステリック。周囲も止めないしわりと偉そう。開発側にメンタルを壊される人間が現れ、一次受けのSI会社の営業が「お前が〇〇を壊したんだよ!!!」と客である姫にお前呼ばわりで超ブチギレ。あんな光景は他に見た事が無い。というPJの端に目立たないようにして座っていた。⑥定期ping男リモートワークになった時、自堕落な増田が働いているのか、下手すると1時間おきに起きてます?働いてます?と聞いてくる年下現場リーダーがいた。全く失礼なやつだが、わりと寝てたし、仕事してるときもアニメ見ながらプログラム書いてた。ごめんな。⑦バブルの残り香これも20年前の話。某巨大システムの現場の打ち上げ、1次会は普通に居酒屋だったが、二次会に連れて行かれたのがPMの大好きなフィリピンパブだった。逃げれず、自分の前についたのは20歳の若い子だった。 だが、日本に来たばかりで日本語が喋れない。増田はコミュ障で喋れない上に英語が喋れない。今みたいに携帯で翻訳も出来ない。ほぼ沈黙で1時間が過ぎた。辛い。次に行くぞ!の号令が聞こえた時に逃げ帰ってきた。3次会はまた外国人パブ、4次回は風俗だったらしい。打ち上げで風俗に行った話はこの現場以外で聞かない。ちなみに支払いは大手SIの会社の若手が入社時に貴族カードを持たされていて巨額の支払いが来たと言っていた。(会社が勿論負担はしてくれる)⑧高血圧の理由私は低学歴で努力もしない人間だ。銀行システム部に出向(立場上は銀行員側になる)した際、海外の支店のシステム担当と毎日英語でやりとりをしなくてはならなくなった。私は英語だけは本当に出来ないと伝えていて、出向する際はプロパーの営業から英語以外の仕事で大丈夫と聞いていたのだが、現場のリーダーにその事を伝えてみると、「そんなの(英語を使わないのなんて)許されないですよ」と笑顔で即答された。詐欺だ。プロパーの営業に文句を言うと、ごめんね。じゃあがんばって。との返信。詐欺だ。翻訳サイトを使い、泣きながら英語で文章を書いたが、高学歴の銀行員に文法の怪しい英語を嘲笑されつつ英語のメールを描き続けた。ストレスを食で解消したせいで12キロ太った。⑨「番外編」雪塩ちんすこうおじさん とある現場の大手SI企業の40代後半リーダー、金曜日は早く帰って沖縄に発ち、月曜日の早朝に東京に戻って来る生活をしていて、月曜日は毎週のように雪塩ちんすこうをくれるのである。雪塩ちんすこうすき。プロジェクトが終わった時には増田、韓国人中国人の部下達へ、南青山の高級フレンチで自腹で奢ってくれたりした。人生楽しそうな人であった。仕事の振られる量も的確で嫌な空気になったことも無く、ほどほどの緊張感もある良い現場だった。自腹で奢るのが良いという話では無い。だが面白い上司も居た。 今は派遣プログラマを卒業して起業し、全く別の業種で働いているのだが、それから何故か更に8キロ太った。おかげで高血圧。もっと酷いことが色々あったはずなのに、辞めてから2年以上経つともう記憶があやふやだ。どうやら喉元を通り過ぎてしまったらしい。
派遣PGが出会ったパワハラ上司図鑑
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mxargent · 1 year ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核���察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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kachoushi · 19 days ago
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む ⅩⅣ
花鳥誌2025年2月号より転載
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日本文学研究者
井上 泰至
 26 上人の俳諧の灯や火取蟲
 『ホトトギス』明治三十九年七月号「東京俳句界」の項に「六月十九日星ケ岡茶寮に於て、碧梧桐送別を兼ね小集。灯取虫十句」とある中の一句。「灯取蟲」の表記で初出。『五百句』には「明治三十九年六月十九日。碧梧桐送別句会。星ヶ岡茶寮」と注記、下五はやはり「火取蟲」。『定本虚子全集』二巻(昭和二十四年五月)も同じ。
 『ホトトギス』初出によれば、送別会の同席者は、他に鳴雪・鼠骨・繞石・浅茅・碧童・六花・鉄露・乙字・水巴・不喚楼・江戸庵・松浜。
 一句の「上人」とは大谷句仏(本名光演、東本願寺法主)を指す。河東碧梧桐は、明治三十九年から明治四十四年にかけて、二度の全国俳句行脚を行う。その初回の出立は句仏のお声掛かりだったのであり、その碧梧桐を送り出す会での句だった。
 最初は虚子に声をかけたが、漱石の成功で虚子は小説に興味を移しており、代わりに碧梧桐を推薦したのであった。碧梧桐は旅に出るや新傾向俳句を宣伝しだし、結果として虚子と袂を分かつことになる。
 句仏は、子規門で虚子の人格も信頼し、この二年後の明治四十一年には法主となり、日本画の大家竹内栖鳳らのパトロンにもなっていく。明治三十八年からは、関西の新派俳句雑誌『懸葵』の実質的主宰となるが、虚子・碧梧桐の対立に際してはどちらにも与せず、昭和初年まで俳壇に大きな影響力を有した。
 一句は、碧梧桐の俳諧行脚のパトロンと言ってよい句仏を想起し、飛蛾の来る灯の下で、句作にふけるか、句座を設けていることだろうと想像した挨拶句である(清崎敏郎『人と作品 高濱虚子』)。
 飛蛾といってもこの句の場合、日本画家速水御舟の「炎舞」(大正十四年)を思い浮かべる。闇の中、炎とともに舞う蛾が描かれ、火柱は上昇気流を起こし、蛾の「舞」を鼓舞し、蛾たちは各々が別の方向に飛んでいる。生物学に詳しい昭和天皇は、この作品の蛾の写生に賛辞を送ったが、それを取り巻く熱気もまた、蛾と炎に纏わりついており、あたりの「空気」をも写実している。
 一句は、上人の俳諧への情熱の気分をも飛蛾で描いてみせた虚子らしい主観句ということになろうか。おのずと上人の姿は、画や彫刻の形象のイメージを以て、「聖性」を帯びてくる。
 なお、星ヶ岡茶寮は、現東京都千代田区永田町二丁目(当時は東京市麹町区)にあった料亭。元々日枝神社の境内に属した小高い丘にあり、夜には星がよく見えたことから「星ヶ岡」と呼ばれていた。明治維新による江戸から東京への変化の中で氏子が減少した日枝神社は社域を維持することが出来ず、境内の一部を東京府に寄付することにした。府は明治十四年ここに麹町公園を設置し、市民の憩いの場として提供する。特にこの公園の一部が非常に風光明媚な場所であるとして、この地に茶寮を開いて要人達の会合の場とすることとなり、同年に「星岡茶寮」を設立して、当時を代表する茶人を招聘して華族や政官財の要人に茶道を教授させ、上級階級の社交場としての体裁を整えたのであった。
 27 我心或時軽し芥子の花
 『ホトトギス』大正三年六月初出では「芥子」。『五百句』では「罌粟」。『高浜虚子全集』(改造社)十一巻では「罌粟」。『五百句』には「大正三十二年五月三日。虚子庵例会」と注記。当日は、虚子の他、半美、零餘子、豊川、拙童(亡くなった四女六の弔いをした導師)、隆子が参加。芥子の題での一題十句の作の一つで、他に、
  牡丹いたむ心に芥子の花軽し   白芥子の咲かで散りたる我子かな   傍に塵塚なすや芥子の花   雨の中に萌す明るさ芥子の花
等がある。
 句会当日は、前月に四女六が三歳で夭折したばかり。六は生来病弱であったが、肺炎を病んで、脳に後遺症が残り、やがて六の病状を、妻糸にはその冷淡を責められながら諦めてしまったりして、虚子にとっては悔恨の残る痛切な出来事が多々あった。 (「落葉降る下にて」大正四年)。
 『ホトトギス』昭和十三年五月号の「俳句外国語訳註原文」には、
我心……自分の心は、大いなる責任を感じて居るとか若しくは憂に沈んで居るとかいふわけで常に重く感じて居るのであるが、 或時軽し……その鬱陶しい重い心も、或時はその責任を忘れ憂を、晴れやかに軽くなる時がある。 罌粟の花……その心の晴れやかに軽くなつた時分にたまたま罌粟の花の咲いているのが目に映る、罌粟の花も明るく華やかに又かろやかな感じがする花である、といふのである。明るい華や��なさうして軽い罌粟の花とその軽く晴れやかになつた時の心が一にして二ならぬやうな感じを詠つたのである。
と自句自解している。
 虚子揮毫の名作小諸虚子記念館所蔵の十二ヶ月句屏風にも掲句はあり、「鶯や文字も知らずに歌心」「二三子や時雨るる心親しめり」の「心」の字がくつろいだ草書体であるのに対し、掲句の揮毫の「心」はかっちりと楷書で書かれていたことが印象深い。「心」と「罌粟」の字の間に十分空白を置いて揮毫している点も注目され、先の自句自解とあわせ考えるに、重い虚子の「心」と罌粟の花の晴れやかに軽く揺れているのとが対比されている感がある。『自選自筆虚子百句』の揮毫には句を並べる屏風と違って、そのような書き分けはない。しかし、「心」の字と「罌粟」の字の間にかなりの余白がある点は同じである。
『虚子百句』より虚子揮毫
27 我心或時軽し芥子の花 28 大蟇先に在り小蟇後へに高歩み
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国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし)   1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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chaukachawan · 4 months ago
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まりおりの力でぐーるぐる パート2
35期の分!!書き始めたら止まらなくなっちゃった。まあ纏まらないで定評のあるまりおなんでね。許して。35期と2年間も一緒にやれたのが嬉しかった。追記の有無に意味は無いよ!!今回は好きな役とセリフを添えてます。
吹田、愛してる。
〇大福小餅
こふくちゃん!!台湾マジで楽しかった😭😭誘ってくれてありがとう!!こふくにこんなにバイタリティがあったなんて誰が思ったでしょう。そんなこふくでも臭豆腐は食べなくてちょっと安心しました。あれは本当にやばい。こふくに声をかけると必ずニコニコで「ま↑ーりおさーん♪」と帰ってきます。癖になる。そして頭を撫でるのが上手い。数多のちゃうか民に頭を撫でてもらった私が断言します。さすが長女。こふく本当にナレーション向きの声と話し方だから来年ももう1回ぐらいやってそう。次もらいらの心の声だったらどんなにシリアスでも必ず笑ってしまうかも。こふくはみんなが自然と助けたくなる人です。それは人徳であり、日頃のこふくの行いの結果だと思う。他の人と同じようにやる必要はないし、こふくにあったやり方で統べていけばいいと思うな!
ーーーずっと耳に残ってる
「息を吸う、吐く」 魔女
『きっと、きっかけになってくれるわ。大丈夫、上手くいく』
〇あろハム権左衛門
あろちゃん!支部長!めっちゃ真面目にやってるんだけどごめん、ビアゲ場当たり中聞こえて来る、外で1人で詐欺師と吹田練習してるアローの声に笑ってた。迫真すぎる。今回のセリフで「行ってらっしゃい」が表情動き含めて一番好き。アローはやっぱり淡々と話す中にちょっと入る感情の機微が本当に良い。いつも効果的に使ってて、優母で参考にしてました。キャスパもセンス爆発で、どうやったらその動きででくんねんって終始思ってた。実は一緒に作るのだいぶ緊張してたんだけど、合宿の時もう1人誰と作ろうってなって、「え、まりおさん作らないんすか。ほなまりおさんで」って言ってくれたの本当に嬉しかった。startだいぶ気に入ってくれてて作成者としてはまじでにやにやが止まりません。まだまだ整え終わってないんだけど、これからのキャスパ班をよろしくね!!
追記:栞楽st、サングラスで目元隠してるのまじでアローらしくて笑っちゃったwそのままでいてね
ーーーほんのり明るくて、ランタンの火みたいな気持ちになったなあ
「夢にまで魅せられて」黒川
『大丈夫だよ。どう転んでも、ゴミ箱の中よりは、明るくて賑やかで楽しいところなんだからさ』
紫仏瑠唯
るい!!当制の神になられてる。当パンとか挟み込みとかみーらよりも当制やってる。もっと話したかった!!めっちゃ面白いってきいてます。その機会なく終わりそう😭教職に学芸員のやつもとってると聞いて、そのバイタリティはどこから来てるんだろ。時間割聞いてビビった記憶。勝手に、興味が色んなところに向いていて、上手いことこと全部回収してるんだろうなって思ってます。普通できません!!器用!!るいはるいのペースでちゃうかにいて欲しい。きっとそれを受け入れてくれる同期だと思う。でも!!役者も!!みたい!!全て終わった卒公とか行けるんじゃない!?いける!!オレンジの母まじハマってた。自分より上の年齢ができるってまじすごいこと!!またみたいな。
ーーー喝!!!って感じが本当に癖になる
「オレンジ」母
『どうせ年下の可愛い子にデレデレしてるんでしょ!』
〇近未来ミイラ
みーら!!生協の犬ですね。嘘です。マジですごい脚演家。絶対に面白くなるって確証があるのはなかなかない。新歓マジで楽しかったし、やりがいしかなかった。演補にもまさか選んで貰えるとは思わなかった。個人的だけど、あ、私ってこういう風に思われてるんだ、こういう時頼られる存在なんだって思った。本当に嬉しかったし、��だ新歓に囚われてる。秋の駅員もめっちゃ好き。ハマってる。めっちゃ緊張とか苦手とかTwitterで言ってたけどまじ?普通はあんなにサラッとアドリブ入れられないのよ。本当にセリフみたい。2stみてて、やっぱ度胸は35期一なんじゃないかなって感じました。だからこそあんなに脚演が面白いのかも。飄々とした役させたらピカイチなんじゃないかな。役者も見たいけど、脚演もみたい。選べない!!!
追記:いや役者紹介すげえな。全部見たい
ーーー突きつけられる感じ。本当に怖かった
「いつか栞を挟んで」駅員
『自分の問題でしょう』
〇黒井白子
白子!!香夜の子だね〜白子にとってちゃうかはどんな場所なのかな。馴染めるかな、楽しいかなと不安でしたが杞憂でした。自分で自分のニーズにあった居場所を探してる。思ってた何倍もすごい子だった。思うところがあっても実際に何とかしようと行動に移せる人はこの世で何人いるんだろう。それが出来る数少ない人です。演劇に対して本当に貪欲。白子が後輩にいることが、嬉しくもあり、少しだけ恐ろしくもありました。でも色んな場面で助けてくれて、白子がいなければどうにもならなかった場面が沢山あって、今では本当に出会えてよかったと思います。こんな考え方、感じ方をする人が身近にいて良かった。間違いなくたくさんの影響を受けました。ありがとう。
ーーーこれをオムニで見れるのか...って稽古で驚いたなあ
「香夜」一の過去
『アマチュア演劇の脚本ごときやと!?金でしか物の価値を測れへん貧しいやつに俺の脚本がわかってたまるか。』
〇海泥波波美
あさぎ!!名づけ親。何度も書いてるような気がしますが、初対面と今の印象が違い過ぎる。クレイジー感出しといて一番他人を見ている。彼ぐらい人の気持ちに寄り添える人になりたい。というかそんな考え方���できるようになりたい。人一倍楽しんでるように見せて1番考えてる。でもめっちゃ親しみやすくて話しやすい。人として次元が違うとまで思う。外公、マジ楽しかった。あさぎだからこその良さが細部に宿ってて、ちゃうかの強みをここまで引き出せる舞台ってない!!人をよく見て接してるからこそたどり着いた完成度だなって思った。ちゃうか史に残るレベル。誇れ。でもそろそろ君の役者も見たいよ!!舞台のレベルが回を追うごとに上がっているのに震えます。きっとこれから外部公演も増えるんじゃないかな。楽しみにしてる。新歓、託したぞ。
ーーー気持ちよさそうだった
「愛があるかい?」栗栖裕也
『今からコイツ殺しまあああああああす‼』
〇帝京魂
こんちゃん!!稽古見てくれてありがとう。香夜のときは正直ここまで仲良くなれるとは思ってなかった。やっぱ新歓の影響かな。彼は本当に演補に向いてます。教えるのがうまいけど、どこか押しつけがましくない。しれっと提案してくれるからどんな時でも聞きやすい。しかもその内容がめっちゃいい。え、すごくね?お客さん目線というか、このシーンはどこを見てほしいのか、見てほしいならこんな工夫をしてみたら?等、この見方をしてる人ってなかなかいないんじゃないでしょうか。この2つが揃っているのはなかなかない。少なくとも私にはなくて新鮮だ、こんちゃんやべえなと思った大集のトイレ前でした。そろそろまじめな役を期待しています。あれだけ努力できる人なんだから真ん中で輝いてる所を見たいです。主役、待ってます。
追記:最近過去公演を色々見てるんですが、読みや相手とのセリフの間とか本当に上手くなったね。びっくりした!元々上手かったのがさらに磨きがかかってますね〜
ーーーいっぱい悩んでた印象。袖から見れてよかった
「夢にまで魅せられて」深山登
『やめてくれ!夢なんて忘れたんだ!もう十分だ!早くもとの規則的な生活に戻らせてくれよ!昔から好きだったこととか、望んでいた人間関係とか、そんなのもうどうでもいい!だから、だから、だから!』
〇テキストを入力
エピ🦐 味占めてますね~~本当にオムニで共演できてよかった。てにと話してるのを見るとニコニコします。あれがなければこんなに話すことはなかったし、気まずい阪急電車のまま引退を迎えていました。ワードセンスがおもろい。というか色んなセンスにあふれた人だなと思います。あと何気に面倒見がいいよね。えぴさん!!!って声を各所から聞いてます。真顔でさらっと決めるとこを決められるというか、度胸がある。それって誰にでもあるものではないし、えぴの強みだなって思います。誰が役者二回目で歌い出すねん。ずっと映像褒められてにちゃにちゃタイムをしててくれ。いつだって褒めるから。後本当にスマホにクレカはやめた方がいいぞ。吹田、愛してる。
追記:オムニでえぴの映像を初めてみんなで見た時のどよめきを本当に体感してほしかった。全員すごいしか言ってなかったぞ
追記追記:さすがにここに書けば、クレカの位置変えるよな!!
ーーー笑い!堪えた!!
「学園天獄」吉田喜一
『嫌だ!!東京に行って、秋葉原通うんだ!!!』
〇西峰ケイ
らび🐇 今年めっちゃ話した!!きっと名づけ親。らびのお芝居大好きです。声も好き。もう全部好き。読み方がいやらしすぎず、間が心地いい。掛け合いが死ぬほど楽しい。もう一度でいいから共演したかった。オムニ、らびの演出に出れて本当に嬉しかった。大入りのメッセージ見て泣きそうになりました。外公で動きをめっちゃ意識したって言ってたけどまじレパートリー多くて、活き活きしてるな思って見てた。え、つまり完璧な存在ってコト!??でも、外公3st後や秋のゲネ日にコントやった時とかのらびを見てると、その真面目さが随所に現れてるからなのかなって思います。授業忙しいだろうけど、大きい役を沢山みたい。私は吹田から見守っています。吹田、愛してる。
追記:役者紹介ずるいよ。泣いた。それだけの物をあげれてたなら嬉しいな!!びっくりだ!!それからコント誘ってくれてありがとう!!不安にさせちゃってごめんね。ほんっっとうに楽しかった!最後に舞台上で話せて嬉しかった!大好き!!
ーーー楽しかったああああ
「夢にまで魅せられて」八戸
『2人で、辞めよ』
〇園堂香莉
なぽちゃん!!たい焼きチーフ就任おめでとうございます。もう権力で次のオムニもやろう。四季ちゃんまじで良かった。「そうだよ、友達なんていないんだよ!!」さいっっっこう。上からになっちゃうけど第2回通しからゲネで個人的に1番良くなった部分だと思ってる。みーらの「自分の問題でしょう」のテンションも相まって毎回楽しみにしてたシーン。泣きそうな声がすっごく聞きやすいのにこっちまで泣きそうになる。耳にすっと入ってくる読み方が上手だなって思ってたけどこんなに感情込めるのも上手なのか...って新境地を知りました。照明仕込み楽しかった!!なぽりがチーフの時はみんな必殺仕事人みたいな感じになるのが楽しかったです。またやりたいな〜!今度はお菓子なにあげよう!
ーー怖かった。脚本の中で1番好き
「いつか栞を挟んで」 清水四季
『そうだよ、友だちなんて居ないんだよ!!!』
〇衿君
えりちゃん!!ついに主役を見れました。しかもオムニと外公。えりちゃんらしさを存分に活かした役だなあと思いながら見てました。まじで本番で覚醒するタイプだと思ってます。香夜楽ステしあらさんとそろって泣いたんだから。お客さん泣かせたんだから。あの時の怒鳴りを見て、この子はきっと羽ばたくなあと思いました。なんだろう普段を知ってるからより表情筋が宿った本番が輝いて見えるというか、表情の勢いと声量が合ってるから目で追いたくなるというか、全身を使ってそんな引き出しあるの!?というか、上手く言い表せないね!!ブレないようでめっちゃ遊ぶところは遊ぶ。間違いなくどちらの佐藤も輝いてた。それから映像。35期映像強強の一角をなしてるね。私は新人で挫折したのでマジで尊敬します。新座長だそうですね!頑張って💪最後の引退挨拶今から楽しみにしてます!!
ーー動き顔声全部最高!!!
「タイムマシンの使い方」 佐藤
『パンはパンでも、食べられないパンを、たーべた』
〇縦縞コリー
こりちゃん!!35期第1号!!なんで新歓の終礼にいたんでしょう...こりちゃんは優しい人です。だからこそ弄りたい。おろかわ。素晴らしいね。発声はちゃんとやりなさい。でもめっっちゃ声出るんよな...元々堂々とした演技がすっごく上手でThe主役って感じだったけど、細かい感情の表し方であったりっていうのがすごく上手くなったなと個人的に思います。ちゃうかだとなんか慣れてしまってましたが、いきるひで見て、うん、やっぱ上手いって再確認した最近です。まじで受けが上手い。やりやすい!!!会話するとより顕著。どうやら後輩からは優しい人枠に収まってるようですよ。知らんけど。なんかムカつくっちゃムカつくけど事実なんでしゃーない。着眼点とか凄くいいから是非後輩といっぱい話して、37期とも仲良くなってください。いける!!こりちゃんならいける!!
ーー脳内再生余裕なぐらい自然。やりやすかった
「夢にまで魅せられて」 市原優
『ニノもやれば良かったのに』
〇中森ダリア
ひらり!!私は本当にひらりと台湾に行けて良かった���思ってる。めっちゃ喋れた!!!ココジャ可愛かったねえ...悪魔召喚。生みの親ありがとう。ひらりまじでぶっ飛んだ役できるの凄い。1番お気に入りにはT婆なんだけど、おばあちゃんっぽく話してるのになんで声そんな出るん。意味わからん。メイクとかも相まって目と耳の情報がバグってた。ひらりは、あ、いる〜!!!みたいに本当にいそうって思う時がまじで多くて、それは秋の女子生徒みたいな役でも、T婆みたいな役でも一緒。なんでだろう。個人的には動きがリアルなのが理由かなって思います。違和感なく立って歩いて座って、ていうのが毎回出来てるからかな?って思います。変にスイッチが入ってなくて普通に生活してる人が舞台に来た感じ。私にはついぞできなかった...来年はどの公演出るんだろう?いっぱいみたいな!!!
ーー最高of最高
「用もなしでは怖いし」Y婆
『もう見逃し配信はしないよう』
〇〆切三日前
みそか🍠 ついに吹田送りになりましたね可哀そうに。それはさておき、香夜で最初からの付き合い。西南で読み方練習してたのが昨日の事のようです。オムニの打ち上げで言われたこと本当に嬉しかった。思わずもらい泣きしちゃった。オムニやって良かったなって思った瞬間だった。楽stは優奈ずっと見てたんだけど、最初とか別に悲壮感がめっちゃある訳でもないのに怖かった。いじめって確かに自然に始まるわ...って思ったし気づけば過激化してるしスマホのとことかまじで恐怖。私はおみその自然な演技が大好きです。ちょうど私が自然な演技できるようになりたいって思って時にみそかが入ってきてくれたから、言い方や動き方とか沢山参考にしてました。多分気づいてないと思う笑 今年は全然稽古場で会えなくてちょっと寂しかったんだよ!!でも会えば変わらず話しかけてくれて、美味しいご飯の話をしてて安心感が半端なかったです。ありがとう!!大好き!!
追記: 祝!!ハートコンプリート!!
ーーーいっぱい練習したねえ
「香夜」京子
『あー、疲れた。人おおすぎ』
〇ミル鍋
ゆに!!建築の柱ですね。課題量えぐすぎて吹田ご飯の時ビビりました。ちゃうかが癒し、言ったらみんな褒めてくれる、優しいけどやりすぎちゃうのが嫌になると言ってたけど、それが許される場所なんじゃないかな。だってゆにも誰かがしんどい時励まして、褒めてくれる。ご飯やワンちゃんを分けてくれる。そんなゆにちゃんだからみんなゆにを助けてくれるんだと思うよ!!偉い役からのふざける役でここ一年全く違う役どころになってるけど、全部上手い。動きとセリフ、どっちも上手いんだよな~説得力がある。舞台上に慣れてるというか堂々としてるっていうか。こってこての感じがはまってるからちゃうかのどの役も自分色に染めれるんじゃないかな。マジでどの役も印象に残る。アンケート総ナメ出来ちゃう。そろそろ人外攻めるらしいですね。今度はどんなゆにが見れるんだろう!
ーー想像通りの読みだった。ガチ楽しかった!!
「タイムマシンの使い方」杉本
『9と4分の3番線?フフフ心配ないわよ。9番線と10番線の間の壁に向かって歩いて行くの。怖かったら小走りで行きなさい。』
〇苔丸
苔丸!!香夜の子!!マジで努力の人ですね。信じられないくらい声量出るようになったし、全部が細かい。苔ちゃん声量頑張って!って言われてたの信じられないでしょ。特徴を捉えるのが本当に上手い。動きとか、姿勢とか歩き方とか全部変えれるのってマジですごい。どんなに自分とかけ離れた役でも苔ちゃんならこなせる、そんな確信をずっと持っています。そしてハンドメイドの鬼。こけえもんの名を欲しいままにしてるね!後輩からの苔丸さんスゴすぎるって声を色んなところから聞きます。好きな事、やりたい事をとことんつきつめて挑戦してる。新歓でも書いたけど苔ちゃん見てると本当になにか作りたくなる。これは確かに朝弱くないと帳尻が合わない。意外と弱いってゆにから聞いてますよ👀👀苔丸にあったペースでやりたいことをこれならもやり続けて欲しいな!!
追記:イラストとか追い出し会とか色々やってくれてありがとう!!幸せだなあ
ーー震えた。喧嘩を止めれるセリフだった
「香夜」 江﨑文
『ええ加減にせんか!』
いっぱいになってしまった。楽しかったなあ〜〜沢山話したし、稽古したし、遊んだ。後輩が35期で幸せでした。ありがとう!!
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misasmemorandum · 21 days ago
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『脳と魂』 養老孟司 玄侑宗久
知り合いに貸してもらって。2004年の出版で、養老孟司と玄侑宗久の対談を本にしたもの。玄侑宗久は僧侶で小説家、2004年当時48歳位。養老孟司は解剖学を専門にする医師で、当時67歳位。
明治維新で西欧文化を受け入れると共に、日本の伝統文化的な身体感を蔑ろにして、齟齬が起こってると言う。納得づくで西欧化したわけじゃないから、問題が起こっていると。本を読んでいた時は、なるほどね、と思ったが、読み終わって1週間以上経った今、謎。これって、日本人の身体と、西欧人の身体が、大きさや筋力に違いがあるからってことか?よくわからん。
仏教では「世界」の「世」は、現世、来世、過去世と言う時間の流れを意味し、「界」は俗界、色界、無色界という空間の広がりを意味するので、世界は時間と空間両方を含有するんだけど、worldの訳語として使われるようになって、意味が矮小化されてしまったと言う。「宇宙」も。「宇」は空間で、「宙」は時間なんだって。
「自我」は西洋から入って来た(髙村の三部作やね!)。「私」は西洋近代的自我で、私小説の「私」はこれ。これは、仏教的な考えでは「公」の対極としてのものだそうで。「公」とは人間としての普遍で、ひいては、無我につながるそうだ。
この二人が江戸時代の身分制度(穢多、非人を含め)について語ってるところなんだが、客観性が過ぎるのか都合良すぎる感じがした。被差別民は社会的に必要だったし、この人たちの存在のために社会に何か不都合があったわけではないし、この人たちも特別に社会から阻害されて生きていたわけではないみたいなことを言う。マジョリティの、常に差別されることのない人の考え方だ。
「人間」は、元々中国語では「世間」を意味するそうで、「世間の人だけが人」って考えで、この世間に属さない人は「外人」、またこの世間の人でない人は「非人」なんだって。怖っ。
日本で家元制度があったり、襲名制度があったりするのは、同じ名前を使うことによって、過去からずっと連続し繋がっていることを表してて、逆に考えると、変わり続けることを嫌うからだそうで。でも、連続性は同一性を���証しはしない。だから「個」が前に出るのを嫌うのかな。
本の題名にもなってる脳と魂、脳死者に魂はないのか、他の臓器に魂は宿らないのか。魂というものが何なのかは、私ごときが考えても答えが出るはずはないが、個人それぞれが魂とは何かと言う考えを持っていると思う。それなりに楽しく読んだ。
この本で得た知識。元服は、男子が数え十五くらいで身長が三尺八寸を超えたら迎えられるそうで。大柄な子どもだったら十五になる前に元服し、小柄だったら十五になっても元服できなかったってことか。これは衣服の問題?元服した後にすることになる仕事などのため?
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ari0921 · 2 years ago
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
 
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいもので��。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
 
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食��問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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psalm80-lilies-iv · 26 days ago
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興福寺
【3,868字・7分】
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泉谷康夫『興福寺』(吉川弘文館)
大和の大寺・興福寺の創建から明治時代までを扱った通史である。ありていに言って「貴賤の信仰を集めた」とは言い難い興福寺が歴史(少なくとも大和国の)の中で注目を集めるのは中世である。中世の興福寺は僧兵を擁し大和一円に検断権を行使する大勢力だった。なぜそうなったのか、その後どうなったのか、といったことが興福寺の歴史のハイライトだろう。
興福寺の歴史を左右したもっとも大きな要因は「藤原氏の氏寺」だったことである。
摂関政治の最盛期において、興福寺は摂関家に依存しながら勢力の伸長をはかったが、摂関家の側から興福寺に依存するところはあまりなかったようである。それが院政期に入ると一変し、摂関家は子弟を別当に就任させ、興福寺のことを「御寺」と称し、興福寺への支配力を強化しようと試みるのである。
(「第二 興福寺の創建と発展」より「一 興福寺と藤原氏」)
貴族の子弟が僧侶として興福寺に入ることは10世紀からあったが、11世紀後半(つまり院政期)になると貴種・良家の子弟が興福寺に入ることが常態化してくる。そこで生まれたのが「院家」である。
興福寺の住僧達は最初ここ(引用注:東西と北の三面僧房)に居住していたと思われるが、十二世紀に入ると、堂舎を寺域内に建立しそこに居住する僧侶が現れ、やがてそのような居住形態が一般化してゆく。すなわち諸院家の成立である。
財力があり都での華やかな生活を見聞していた彼等(引用注:貴族出身の僧侶)にとって、三面僧房の狭い部屋での質素な生活はおそらく不自由に思えたに違いない。
(「第三 興福寺の変質」より「一 院家の成立」)
こうして藤原摂関家と興福寺との間に院家というパイプが成立すると、それを頼って在地土豪が興福寺に集まってくる。その目的は、今風に言えば、律令制下における「脱税」である。大和の大寺というだけなら東大寺も薬師寺も大寺だったが、院家という藤原摂関家とのパイプが興福寺を特別な存在にしていく。
一般的にいって在地土豪層が保護を求めて結集するのは中央貴族と赴任してきた受領であるが、大和国の場合、中央貴族や受領だけでなく、大寺の中心的学侶が加わっており、この学侶の比重が大きかったのが、他の国々と非常に異なる点であったといえるようである。
このような大寺の僧侶が在地土豪結集の中心となりえたのは、その有する宗教的権威によるものであったことはいうまでもないが、寺内には国司の検断権が及ばなかったこともその一因だったと思われる。すなわち、寺院は国司による追求からのがれる絶好の場所だったのである。一方、律令制の崩壊に伴なう国家的保護の減少は、寺院に住む人達の生活を圧迫してくる。そこで寺僧達は経済的基盤を確立する必要があった。そこに、寺僧の側からも在地土豪層との結びつきを求めてゆく必要があったのである。
やがて興福寺が、藤原氏の氏寺として、特に摂関家との深いかかわりから、受領や他の諸大寺に優越する力をもつようになると、在地領主の結集の中心は次第に興福寺僧に集中し、寺僧領が多く成立して寺僧達の経済的基盤を形成していった。このように寺僧と在地土豪は、相互依存の関係を保ちながら大和国で勢力を伸ばしていったのである。
(「第四 興福寺の大和国支配」より「一 在地の動向」)
こうした在地土豪ははじめ興福寺の中で学侶の下働きを務めていたが、興福寺全体が豊かになるにつれて自ら学侶として修行に加わる余裕が出てくる。のちの時代に大和国の戦国大名となる筒井順慶などもこうした興福寺の衆徒だった(だから僧形なのである)。
このように経済力と軍事力を貯えた興福寺は、同様に藤原家とゆかりのある多武峰寺(鎌足の墓所といわれる、現在の談山神社)と大和国の支配権をかけて抗争を繰り広げ(当時の多武峰寺は延暦寺の末寺で��争には延暦寺の援助があった)、最終的に勝利することで大和国一円の支配権を確立する。
平清盛は寺僧領からも官物を徴収する方針を取り、興福寺をはじめとする寺社がこれに反発すると平重衡に南都を焼き討ちさせる。これを恨みに思った南都諸寺は源氏方につくが、源頼朝と義経との間に対立が生じると南都諸寺は義経をかくまい、義経を討った頼朝は、係争地に地頭を配する形で、大和国にも少しずつ圧力をかけていく。
室町時代になると興福寺の中にも下剋上の機運が生まれる。
室町時代になると、興福寺は歴史の主役から退き、代って衆徒・国民(引用注:「衆徒」は興福寺に拠った、「国民」は春日社に拠った、それぞれ在地土豪)が登場してくる。彼等は武士であり、興福寺の武力として活躍してきたが、次第に独自の公道をとるようになり、興福寺の命令にそのまま従わないようになってくるのである。すなわち、下剋上である。しかし、彼等は興福寺を倒すことはできなかった。
興福寺は、摂関家を通して、京都の朝廷とも不可分に結びついていた。周知のとおり、朝廷と室町幕府は一体の関係にあった。このような中で興福寺を倒すことは、京都の朝廷、ひいては幕府を敵に廻して戦うことであった。衆徒・国民は、自身の成長のため、積極的に幕府の要人と結びついていった。その限りにおいて、中世的な興福寺の呪縛から彼等は逃れることができなかったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「一 衆徒と国民」)
足利義満が衆徒・国民に直接支配を及ぼすようになって以降、衆徒・国民は興福寺の支配を離れて独自の道を歩み内紛と和合を繰り返すようになる。この流れを決定的にしたのが松永久秀の登場である。彼は大和国に侵入すると多門城を築いて大和国を支配したが、その際知行割を行い、大規模な給人の入れ替えを行った。
久秀は寺社成を保障する態度を保持してきたが、この大規模な給人の入れ替えは、従来の興福寺の諸荘園における在地支配を事実上断ち切る役割を果したようである。すなわち、寺社成が否定され、新しい給人達は、他国におけるのと同様、荘園領主に年貢を渡さなくなったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「二 室町・戦国期の大和国」)
信長は久秀を駆逐し筒井順慶に大和国の支配を任せる。信長の代官としてだったが、興福寺はこれを「衆徒筒井の復活」と考えた。この信長が光秀に倒されたあと、順慶は秀吉によって大和の「守護」と認められ20万石の大名になる。だが順慶が死ぬと子孫は国替を命じられ、興福寺と衆徒・国民との関係は断ち切られる。
こうして興福寺は、新しい知行体系の中に組み込まれてゆき、中世的な収取の在り方は、豊臣政権により完全に払拭されてしまったのである。秀吉の寺社に対する政策はそれだけではなかった。興福寺はもちろんのこと、奈良の諸大寺は武器の提出を命じられた。寺社の活動は宗教面に限定されたのであり、宗教活動に専念する限りにおいて、朱印地が与えられ、保護されるようになったのである。
(「第六 下剋上と興福寺」より「二 室町・戦国期の大和国」)
江戸時代には奈良奉行所が置かれ興福寺以下南都諸大寺はその検断権に服した。中世に誇った興福寺の権威は払拭されたのである。
南円堂は観音に現世利益を求める信仰によって庶民と深く結びついていたが、興福寺自体は、庶民と直接かかわりのないところに聳え立つ大寺院であり、農民にとっては年貢を納める「お殿様」であった。
(「第七 近世から明治維新へ」より「一 近世の興福寺」)
さて明治時代になると興福寺は一山復飾(還俗)願を提出し自ら廃寺とする。摂関家を通して明治政府と近過ぎたことによる勇み足に見える。
維新政府と興福寺との情報の伝達は早かったようで、すでに慶応四年三月には、新政府によって神仏分離政策の実施されることが興福寺に伝えられている。これに応じて、一乗院・大乗院両門跡は一寺一体の復飾願を提出することを決め、衆徒一同にも意見を徴した。三月二十一日、衆徒達は、自分達も従来より春日社に奉仕してきたのであるから、一緒に復飾し、勤王のために尽力したいと申出ている。こうして四月十三日、興福寺は一山復飾願を提出し、この願いはただちに許容された。興福寺僧達は新宮司と称して春日社に奉仕し、社頭の仏具等はことごとく取除かれることになった。
(「第七 近世から明治維新へ」より「明治維新と興福寺」)
この一山復飾は神仏分離・廃仏毀釈政策に対する興福寺僧侶たちの生き残り策だったのだが、明治5年に春日社が官幣大社春日神社となると同社の神職は官吏扱いとなり定員の枠も作られて、復飾により神職となった元僧侶たちは結局失職する。このような中で明治10年代に入ると興福寺再興を唱える声が盛り上がり、明治14年に再興の正式認可が内務省から下される。
神仏分離令とこれから派生した廃仏毀釈の嵐によって興福寺は大きな打撃を受けたが、政府の宗教政策も漸次変り、明治十三年には古社寺保存金の給付がはじまり、同三十年には「古社寺保存法」が制定され、興福寺では、北円堂・三重塔・五重塔が保護建造物の指定をうけ、弥勒菩薩坐像など一一点が国宝に指定された。境内地も徐々に公園指定を解除、返還され、現在はほぼ二万五〇〇〇坪が興福寺の所有になっているという。こうして、現在の興福寺は成立した。
(「第七 近世から明治維新へ」より「明治維新と興福寺」)
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