#名古屋モーニング文化
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休暇。
10月1日~長期休暇だという噂が職場に流れていた。長期の休みなら行きたい場所はたくさんあったが、噂が流れはじめたのは8月の末くらいで、そんな時期から用意しはじめたのでは何も間に合わない。釧路と舳倉島、どちらにするか悩んだが、どちらも現実的ではないのであきらめて、結局長期休暇は取らずに、四連休だけ取ってあとは出勤した。来年も同じ時期に長期休暇があるのなら、半年くらいまえには教えてもらいたいし(一年後の予定がすでに決まっているような生活をしている人間なので)それなら周到に旅に出られる。
とはいえ、せっかくの休暇なので何かしたいと思っていたら、東京のイゼルローンフォートレスでキルヒアイスのアフタヌーンティーへ行けることになった。
東京は文フリで年に多いと二回くらい行くのだが、単純に『遊びに行くだけ』というのは、何年ぶりか……。イベントまえのストレスや緊張、イベント後の疲れのない旅行というのは、もしかしなくても十年くらいは経験していないのでは? という…。
いつもは始発に乗るのをすこしゆっくりの電車に乗って名古屋駅へ。
平日の、しかも朝だからすんなり食べられるだろうと思っていた名古屋駅名物「ぴよりん」のモーニングは、びっくりするくらい人が並んでいた……。とりあえず名前だけ書いて、出かける直前にバタバタしてて買えなかったお土産を探しに行くも、あせってしまいぴよりんのバウムクーヘンを一個しか買えないまま、席へ通される。 そしてぴよりんモーニングを注文して食べる。 当たり前だがこの「カフェ・ジャンシアーヌ」は、ぴよりんを求めているひとがわざわざ並ぶお店なので、みんなぴよりんを食べる。いろんなひとが「ぴよりんモーニング」を注文するのを、「ああこの人たちはみんな、ぴよりんを楽しみにこのお店に朝早くにやってきたんだなあ」という幸せな気持ちで感じることができる。とてもいい旅立ちの朝だった。
新幹線は少し遅れている便もあったようだったが、わたしが乗るのは大丈夫だった。予定通り東京駅へ着き、約束の駅へ。
休日はとても並ぶというラーメンのようななにかのお店へ連れて行ってもらう。透き通ったスープに、きしめんみたいな麺(麺は10種類くらいからえらべたが、初心者なので先達に従って頼んだらきしめんみたいなのだった)、たくさんのネギとパクチーが浮いている。パクチー大好きなので、追加すれば良かった。とにかくめちゃくちゃおいしくて、スープまで飲んだ。 到着したときにはお店は結構すいていたのに、すぐに満席になって、お店を出るころには人が並びはじめていた。
皇居まで歩いて行ける距離だというので案内してもらう。 人生で実は皇居に行く(しかも結構奥の一般人が入れないようなところまで入れる)機会があったのだが、一度も行かなかったので、皇居は初体験だった。入り口は��まっていて、見学はできなかったのだが、かつて皇居へ入る機会があったころからはずいぶん違う道と考え方をしているわたしには、そういうものなのだと思った。偶然だが。 皇居の周りは走っている人がたくさんいた。柳がたくさん生えていて、風が目に見えるので気持ちよかった。 「このお堀、冬は鳥がきそう」と言ったら、案内してくれた人が、「黒くて足がこんな鳥がくる」と指を三本立ててオオバンを表現したのが面白かった。たしかにオオバンは、カモとかと違って、指がわかれていて足がへら状になっていない(指がわかれていてそれぞれに水かきがついている)。
そのあとは、紅茶屋さんへ。いろいろ悩んだけど、暑かったのでレモンティーを頼む。たくさんおしゃべりして、二杯目も。ロイヤルミルクティーを飲む。どれもおいしかったし、カフェはとても居心地が良かった。 いつも東京で誰かに会うときは、イベントの後の打ち上げとかで、疲れとお酒でハイになってたり、時間も時間だから焦っていたりするけれど、ゆっくり時間を気にせずおしゃべりができたのがうれしかった。 だれかに会いに行く旅、というのを久しぶりにしたなあと思った。
その人とは別れて、イゼルローンフォートレスへ。十年来のフォロワーさんと会う。BL短歌の頃に出会っていて、タイムラインでは毎日のようにおしゃべりしているのに、会うのはこれが初めてなのが不思議。 イゼルローンフォートレスは「銀河英雄伝説」という小説のコンセプトカフェ(公式)で、物語の中の陣営で席がえらべたようで、イゼルローンを選んだよ、と言う話だったが、なにが違ったのかよくわからなかった。記念の銀貨・金貨をもらったり、コースターをもらったりした。ドリンクについてくるコースターにシェーンコップが含まれていたのを、ながれるように渡されたのがおもしろかった。 アフタヌーンティーのケーキにひとつめちゃくちゃ酸っぱいのがあって複雑な顔をしていたら「酸っぱいのきらいだもんね」と言われて、「やっぱりいつも一緒にいる人だ!」と思った。 ライチョウのぬいぐるみをもらう。夏羽と冬羽を選ばせてもらう。まだ夏羽のオスにしか出会っていないので、夏羽をもらった。 ひとしく一緒にわちゃわちゃしているフォロワーさんたちにお土産を買う。今日発送したが、よろこんでくれるとうれしいなと思う。 自分用には、箸を買った。迷ったけど、同盟の箸にした。 世界が平和でありますように、この小説の主人公の一人が語るような、健全な民主主義の世界にたどり着き、すこしでも長く��れがつづきますようにと祈る。
翌日。 泊ったホテルの近くに野鳥のサンクチュアリのような場所があるようだったが、とにかく「緑色のインコ(ワカケホンセイインコ)」と「オナガ」が見たいと思っていたので、目撃情報があり、さらに良く発生するという井の頭公園へいく。何年かまえ、みんなでアヒルボートを漕いで楽しんだ井の頭公園だ。朝早く到着したからか、あの楽しかったアヒルボートを漕いでいる人は誰もいなかった。 カメラを持っている人が何人かいて、鳥への期待が高まる。 池にはカイツブリとカルガモが浮いていた。
一生懸命探すも、オナガの鳴声とシジュウカラの鳴声しか聞こえないので、公園の管理塔で「緑色のインコはどこにいますか?」と聞く。 「夕方に群で飛んでくるけど、昼間はあんまり見ないね」と言われる。好む木とかが分かればそこから探せるのに…と思ったが、そういうのもないらしい。とりあえず玉川上水を遡る。オナガの声がたくさん聞こえるけど、全然見つからない。 ブラインドがもうけられているところがあって、鳥写おじさんがたくさんいたので覗いてみる。池があって、ムラサキシキブが池の周りに生えていたので、鳥は来そう。だけど鳥があらわれなかったので情報収集。ちょっと離れたところにたくさんいる場所があるとわかったので移動。
関東の人はもしかしたら「なんでこいつ、こんなにオナガ(とワカケホンセイインコ)を見たいんだ?」と思うかもしれないが、オナガは関東にしか住んでいないので、三重では見られないのである。
どきどきしながら歩いて行くと、まず見つけたのはオナガ。 「オナガだ!!!!めっちゃいる!!!!!オナガ!!!」もう大興奮である。オナガはしきりに飛びまわり、すぐに木の中に隠れてしまうので、まだ葉っぱが繁っている今は見つけづらいし、写真を撮るのがむずかしい。でもときどき、開けたところへ出てくるのでそれを撮影していると、なんか変な影が……飛んでくる……。なんて言うんだろう、ロケットみたいな……。日本にいるタイプの鳥ではない、形状の……。 目の前にとまったのはワカケホンセイインコだった! 「わーーーーーー!!!本物だ!!本物だ!!!!」 重いカメラとレンズを担いできたかいがあった……。このインコも木陰に隠れるし緑色なので、はっぱと紛れて見つけづらいし写真も撮りづらい……。 こんなトロピカルな鳥がなんでこんなところにいるかというと、外来種である。飼われていたのが逃げ出して野生化しているらしい。とても異様……。 寿命が30年くらいあるらしい。外来種についてはいろいろ思うことがあるし、その存在を全面的に肯定はしないが、かれらをここに持ちこんだのは我々人間なので、「彼ら」が悪だという立場にはわたしは立っていない。存在と言うよりは、「棲みつかせてしまった」構造や、行為を批判したいと思っている。 絶滅危惧種を「この目で見てことほぐ」必要があるとしたら(その行為の根底には人類の営為による贖罪と、その環境の改善への努力への約束が含まれると思う)、等しく外来生物も「この目で見る」必要があるとおもう。たしかに、都会の森の中に、この南国にいそうな姿は異様で、その「違和感」は、環境について考える動機になる。
とにかくワカケホンセイインコとオナガを見つけて満足する。 どちらも動き回る鳥なので、追いかけて歩いていたら、ひらけた場所に鳥写おじさんがたくさん集まっていたので寄っていく。 エゾビタキとキビタキを撮影していた。 今年はエゾビタキに出会ってないし、なんだかんだキビタキにもほとんど出会えないので見られて良かった。
名古屋駅でお土産にぴよりんを買いたかったので、はやめに東京を出ようと東京駅にもどる。 スマホリングが壊れてしまっているので、東京駅のちいかわちゃんのショップでちいかわちゃんのスマホリングを買おうと思っていたら、東京駅のちいかわちゃんショップは一時間待ちだった! あきらめて、東京駅にあるというクルミッコショップへ……人が全然いないなあと思っていたら、なんとクルミッコは売り切れ! そんなぁ~~と落胆しながらお土産を物色していたら、普通の総合お土産ショップみたいなところにクルミッコとサブレのセットが売っていた。 「これ、おふくもち(赤福によく似た伊勢のお土産)みたいな……なんかそういうクルミッコじゃないよな?」と不安に思いながらレジに持って行くと、ちゃんと紅谷の袋に入れてくれたので本物のクルミッコのようだった。 崎陽軒のシウマイもほしくて、真空パックじゃなくてチルドのやつを探し回るが見つけられなかったので真空パックのを買って、お弁当も買って電車に乗る。 じつは朝、ホテルのバイキングでしこたま食べてから何も食べていなかったが、腹が減っていなかったので、帰りの近鉄特急で弁当を食べようと思って、新幹線ではもうすぐ車内販売がなくなるというシンカンセンスゴイカタイアイスを食べる。次に新幹線に乗るのは文フリの時だから、もう食べられるのはこれが最後の機会だ。いつまで経ってもやわらかくならないのを待っていたら、いつの間にか静岡を通過していた。豊橋辺りでなんとか食べ終える。そうこうしているうちに、名古屋。
駅でぴよりんを買おうと思ったら、めちゃくちゃ並んでいた。とりあえず特急券を買ってからぴよりんの列に並ぼうと思っていたら、いろいろあって列にならばず、特急も乗らないことに。 ゆっくり急行と鈍行で三重まで帰る。
急行と鈍行のベンチシートではお弁当は食べられないので、家に帰ってきてからお弁当を食べた。おいしかった。
良い旅をした。 翌日(つまり今日)伊良子へタカの渡り��見に行こうと思っていたのに、雨が降っていた。 来週からはとても忙しいので、今年は、もうヒヨドリの渡りを見に行けないだろう。
11月の半ばくらいには忙しいのは落ち着くので、そしたら、いつものアフタヌーンティーの秋のコースを滑り込みで食べよう。そしたらすぐに、ハッピーホリデーアフタヌーンティーがきちゃう。
月末に、今度は九州へ行く用事がある。九州では、カササギを探したいと思う。
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#たべもの #モーニング #灯屋
灯屋さんのモーニングはバゲットのフレンチトースト。月替りで味が替わるんだそうです。
前回灯屋さんに伺った時、帰り際にモーニングのチラシをいただき、いいなぁ美味しそうだなぁ、と見ていたんですが、肝心のフレンチトーストのお値段が書かれていない。
はてさて?と思っていたら見つけました。
そのお値段とは…… 「ドリンク料金のみ」
そう、古き良き(?)東海地方のモーニング文化がここにも。11時まではドリンクを頼むと、無料でフレンチトーストとアイスが付いてくるというわけなのです。最近はプラス料金ありきのカフェも増えている中、これは嬉しい!というか、ただのトーストではなくフレンチトーストでプラス料金なしというのはめちゃくちゃ嬉しい!!
ちなみに11月はキャラメルのフレンチトーストとアイスでした。12月はチョコソース。10月はマロンだったようで、もうちょっと早く知ってたら絶対10月も食べに行ってたのに……。惜しいことをしました。
私たちがお邪魔したのは平日の9時半頃だったのですが、9時開店で、10時前にはもう満席になって���ました。次々にお客さんが来てどんどん席が埋まっていく感じだったので、確実に食べるには開店直後を狙った方が良さそうです。
灯屋さん、水のグラスがいつも可愛いのです。
店内は適度に照明も絞られていて、落ち着ける雰囲気です。ちょっと暗めの店内だからこそ、所々に置かれた灯りが映えて、お店の名前通りの空間になっているなと思います。
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2022/11/5〜
11月5日 予定を間違えて1時間早く家を出ていることに気が付き、ちょっと帰宅。掃除ができる!と、あたふたしていたら、少し遅れ気味で午前中の予定を済ませた。
午後はオペラシティで開催されている川内倫子の個展へ。 写真が、とてもきれい。会場の空間構成にもこだわっているようだった。 そして、いつも作品展示のある、2つ並びに投影される映像作品が、とても救われる気持ちにさせてくれる。カメラを持ってから、川内倫子の作品を知ってから、彼女が撮りそうな被写体ってなぜか自分も撮りたくなることがよくある。ハトやクモの巣や花火やスイカなど。 山や渦潮や流氷?の写真は、そこへ行きたいとか、自分もそれを撮りたい、とか思うことはなくて、ただ彼女が撮った、いま自分の目の前にある写真がとても美しくて多福感。
写真っていいな〜と何度も思う展覧会だった。 ハトの写真が多くて、青木さんを思い出す。布で覆われた展示空間は、愛知で観た反重力展のなかの作品を思い出した。(確かその展示のコンセプトにも、母体というワードがあった気がする。)
自分の写真をもう一度観直してまとめよう、と思ったり、展示をしたい!と思ったり、写真でマグネットグッズ作りたい!と思った。 上がらなくても困らないのに、写真のモチベーションが上がって良い気分。
新宿は色々変化していた。 ダイキンの温度表示が今日はされていなかった。友人がバイトしていたパン屋さんは無くなっていた。ハルクの2階にあった現像受付カウンターは4階へ移動していて、現像時間も3時間程かかるようになっていた。
行き帰りの道中で、もう何を言っているのかよくわからなくて読み進めてい��かった“透き通った悪”を読む。他社と旅行と写真について書かれた章が、とても!!!となる言葉が多かった。ここの文は書き写しておこう。 ちょっと要約して自分の言葉にできなくてもどかしい。
そういえば、川内倫子の写真を観ながら、こうゆうシーンで自分は写真を撮らなく(撮れなく)なったな…、と思った。 それは言語化したすぎ症候群が原因なのかな。昔は「なんか…」って、本当にそればかりを言っていて、世界観とか適当な超越してるっぽい言葉でまとめて写真を撮っていた気がする。今よりずっと写真を撮れていたし、あまり考えなしにまとめる作業もできていたのでは?何より楽しかったのでは?
伝えなくてはいけない!と、相手もいないのにただ焦って何か言語武装しすぎなのかも。
帰宅して昨日撮った写真をデータで確認。 夜に遅めのシャッタースピードで撮った写真の画が久しぶりな感じ。
11月6日 今日は何もなかった。 午前中の予定を1つすっぽかしてしまい、でも自分だけがショックで終わったので良かった��と思える天使モード。でもお腹の調子がずっと悪かった。
年賀状の宛名を少しだけ書いた。カ行まで書いたところで10枚ほど使っていたので、追加で購入した方が良さそう。 年末年始だけ金髪にしてみたい。
プリンを食べたい、つくりたい、と思い、茶漉しがないのでコーヒーフィルターを買った。でも生卵を買うのがだるくて、いつも行かないスーパーのお惣菜の卵焼きが美味しそうに見えたので、これでいっか!となった。
今日はほんと何もなかった。
11月7日 明日は満月。皆既月食。 月が青白くて明るい。
文化祭が終わっていた。 朝からステージを解体して片付けをしている。準備も片付けも淡々としていて、本当に文化祭当日が昨日までの2日間にあったのかしら。
ジャニーズ好きの人の話になり、好きだわ!と思った人がちょうどジャニーズだったのか、ジャニーズという枠の中の人が好きなのか、と言っていた。 人が何かを好きになるきっかけの話って楽しい。 そして、最近のジャニーズのグループ名を聞いても、全く知らないものばかりだった。世間に知れ渡っている、という前提って疑問を持つことを忘れさせる。どのグループ名も、え?それでいいの?という気持ちになったけれど、でも“モーニング娘”だって、え?モーニング?あいさつできる女の子?
帰りのバスに窓付きリュックを背負った人がいて、リュックの中から「ミャーミャー」鳴き声が聞こえていた。
11月8日 月食を見ながら帰宅した。 歩いている間、少しずつ月が食べられていって、電車の窓からはもうほぼ完食状態。下車してまた歩いていると、赤い月が見えた(これはどうゆう状態?)。よさそうなカメラとレンズで月を撮影している人がいて安心した。
こないだの浦安散歩の写真を見返して、一緒に行った友人の写真も見返している。何も語らない同志のイメージとイメージをとても並列に並べて他愛のあるシーンを見たい。
月を見て、バスに乗ると、入職してからだいぶお世話になっていてこの人がいなかったら、私はもっと適当に仕事をしているんだろうな〜、な、上司の奥さんの姿を見つける。今日も髪色が素敵、と思っていると、マタニティマークのキーホルダーを下げていた。 驚きで吐きそうになった。 この感覚は、以前、昔のバイト先の社員さんの死を聞いた時と同じで、何かの生命が消えたり生まれたりする知らせに、いつもひどく驚いてしまう。
音声放送のイベントが1月下旬にあるらしい!やった〜!
11月9日 コムデギャルソンのシャツを褒めてもらう。襟や裾が切りっぱなしのデザインで、その辺りを見て「お母さんの手作りなの?」と言われた。前にも、enfoldの服を着ていた時「お母さんが仕立てたの?」と言われたことがある。ハイブランド古着はお母さんの手作り服にみられる傾向。 洗濯機のおしゃれ着コースで洗ってある話をしたら、やめて〜〜みたいなことを言ってもらった。 ポニークリーニングでは“コムデギャルソンの服です、と申告してください”とカウンターに提示されているほど、洗濯の取り扱い難な服なのだから大切にしてあげなくては。
生活を楽にしようと思い、安くてパワフルで槽もきれいになる洗剤へ変えてみることにした。ボトルパッケージも表面のビニールを剥がせば大丈夫…
残業が始まった頃、大きめの地震があった。 昨晩は全て美味しくなくて、パッケージとブランド買いした資生堂パーラーのチーズプリンがとても好きでない感じだったし、夜中に起きては砂糖や胡麻を食べたり、胃薬や胃が荒れるサプリを飲んだりしてしまってくよくよしてる。
11月10日 午後にワクチン接種のためお休みを取っていたからか、午前中はあっという間に仕事で目いっぱいで終わった。これくらいの方が、他人にも丁寧に接することができる。気持ちに余裕があったので、カメラも持っていくことができた。 遊ぶ約束をしている方と紀の善が閉店してしまった話をした。
いつも行かない方面へ1駅いった病院でワクチンを打ってもらう。 レディースクリニックって何?と思っていたら産婦人科だった。やっぱり注射は痛いし、何か体内に注入されている感覚も、うえっ、となる。もう何も気にしていない(忘れていた)けれど、ちゃんと身体がほてり始めていてイヴを飲んでおいた。
駅直結のショッピングモールは、平日の昼間の人々の顔ぶればかりで、夕食の買い物には少し早いしお昼時は過ぎている時間帯で、特に用はないけどなんかいる、という感じ。パン屋でコーヒーだけを飲むおばさんや、午後の診察に向けて早めに内科に並ぶお婆さん、買うものはないけど眺めうろつくにはちょうど良いカルディや北海道物産店でフラフラする人々。 不安になって本屋さんでTOEICの問題集を買って帰ることにした。
近くの郵便局で年賀状を10枚追加購入。 「うさもっちはまだありますか?」と聞くと「もう売り切れちゃった〜」と教えてくれた。郊外の小さな店舗でもちゃんと売り切れていて安心した(メルカリで高額で売られていて悲しい。)。
11月11日 今日がポッキーとプリッツの日ってことは、昨日行ったショッピングモールに入っているおかしのまちおかで教えてもらったよ! ワクチンのおかげで身体が暖かく、飲んでおいたイヴのおかげでいつもの身体の痛みも消えて、通常より楽に過ごせた。
仕事がずっとあるのとやりきれない1週間で明日も出勤しそう。 腰痛で2、3日休んでいた職員さんが少しよろつきながら出勤された。 その後お手洗いであった時に、もう完全回復が見込めないので退職するの、と言っていて驚きと悲しみでびっくりしてしまう。入職してからよくして下さっていて、心の支え的なところもあったので「これから他の皆さんに報告するから、1番目」と言われた。他の人達に引き止められて気持ちが変わるといいな。
年末に何かしたい。でも何もせずぬいぐるみを洗って、とにかくモノを捨てるのもいいな、と思ってきた。
楽天お買い物マラソン(って何?)でカラーネガフィルムを買おうとしたら、本当に貴族級の高値がついていて怯んで買えなかった。
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名古屋メシと私
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その昔、出張で名古屋方面に行くと独特の食文化に面食らったものです。その代表格は「味噌」。煮込みうどん、とんかつを味噌で頂くのは東京人に無い価値観でした。
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そんな名古屋メシでも自分的に好きなのは、きしめん、手羽先、カレーうどんあたりですが、そんなに東京では見かけないですよね。
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最近だと味仙の台湾ラーメンを新橋、神田あたりで食べることが出来ますが、なんとなく馴染んでいない印象。そしてこちらのメニューも意外と見かけませんよね。
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というわけで本日の朝食は #天むす が頂ける #丸豊 です。久しぶりに築地で朝飯を食べたくなって場外市場にやってきました。
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あれこれ迷って天むすと #いくら正油 を頼みました。築地場外のヘリに腰掛けて、頂きます。まずは #海老天 が入った #おむすび を頂きます。
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ふわっとした食感のお米と濃いめの味付けのつゆに浸った #天ぷら がいい味出しています。身のブリンとした食感もまた最高な味わい。
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続いての #いくら もフワフワのお米の食感の隙間から出てくる濃いめの味わい。噛んだ時にプチンと弾ける生命の旨みが白い大地と見事に融合しています。
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大きめのご飯で大満足になれるのが、この店の良さですよね。海外からの観光客で大行列していましたが、こういうので名古屋メシというか日本を感じ���んですかね。
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#築地モーニング #築地朝食 #築地ランチ #築地グルメ #築地テイクアウト #築地おにぎり #築地おむすび #築地和食 #とa2cg
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2023.8.6mon_tokyo
メルボルンから東京へ帰る日。 7時半ごろ起きて、荷物をまとめる。 今回は自分のライブ旅ではない、遊びの一人旅。 12階建ての巨大ゲストハウスに5泊した。今朝は6人部屋中、わたしを含めて4人いる。カーテンを開けるのも悪いので、自分のベッド横のライトだけつけ、スーツケースにどんどん入れていく。 ゲストハウスでは、二段ベッドの一つだけが自分のエリア。 着いた時に、滞在中に何度もスーツケースを開け閉めしなくていいよう、シャワーグッズ、化粧品、着た服、着てない服など何がどこにあるかすぐわかるように与えられた一つのボックスにセットしていた。 ハンドクリームにリップクリームやティッシュ、アイマスク類、充電ケーブルもすぐ手の届くところへ。 タオルは、バスタオル、足を拭くためのタオル、濡れたシャンプー類を拭くためのタオル、洗顔用などばっちり用意。ハンガーや洗濯バサミも持参。短い滞在なので洗濯はしないが、洗濯バサミがあると何かと便利。古いタオルを持ってきて、使い終わったら捨てようと思っていたがまだ使えるよな、、と結局持ち帰り。ハンドクリームも、歯磨き粉も、なくなりかけのを持ってきて、使い切って捨てたかったが、なかなかなくならない。マスカラはかなりカサカサのを使い切り捨てることができた。 滞在中にライブを見に行ったりし夜遅く帰るとすでに真っ暗でみんな寝ていたが、すぐにサッ!とシャワーに行けた。我ながら、ガサガサしないプロ。 なのでサクサクスーツケースに詰め、機内持ち込み荷物はまた別にして、いつでもチェックアウトできるようにし、時間に余裕ができたので外へ。
最後の日なのでモーニングを食べようと、カフェが並ぶ小路へ。ここは南半球、季節は冬。寒いけど、屋外の席にたくさんの人が座っている。わたしもせっかくなので屋外に座る。コーヒーと、トースト、豆トマト煮込みで2200円。おお、、高い、、 でも、寒い外の席で食べた温かい朝食、とても美味しかった。店員さんも優しい。
ちなみに滞在中の朝食は、 1日目 市場でコーヒーとチーズ&ほうれん草パイロール 計600円 2日目 なし 3日目 宿の無料サンドイッチ券をもらってトマトハムチーズサンドイッチ(飲み物は水) 4日目 別の市場でファラフェ���ロール500円(飲み物は水、でも少ししてコーヒー飲んだ。500円) 5日目 バスツアーに参加して、車内でもらったクッキー。
とにかくオーストラリアは物価が高いが、ライブのチャージは1000円〜2000円ほどで、ありがたかった。知らないバンドでも、見てみようかなとなる値段。ビールが一杯1000円〜1500円したけども。 でも、1パイントだし飲みごたえもあるので、日本ですぐ飲み終わるライブ会場の1ドリンクよりいいのかも?
ゲストハウスに住んじゃってる人もたくさんいる。 ワーホリで日本から来て、住んでる子。街中のユニクロで働いていて、日本のサラリーマンの管理職くらいの額?をもらっているようだが、この何もかも高いオーストラリア、ゲストハウスの二段ベッドのひとつで日々やりくりしている。ゲストハウス滞在は光熱費込みで、掃除をしなくていいのは、楽かもしれないが、たくましい。 もう1人ワーホリで来たばかりの日本の子もいて、その子は疲れ切っていた。ガリガリに痩せている。帰りたい気持ちのほうが大きいという。これから楽しくなるんじゃない!?と励ます。ワーホリも、結局性格に因るところが大きいよな、、と思う。 あとはペルー、インド、フィリピン、オーストラリア国内などの人たちが何日か同じ部屋に泊まっては去って行った。 洗面所では、座り込んでお菓子を食べてる人、スペイン語?のインスタライブを見てる人など。 キッチンは同時に10人くらいは料理できるようになっていて、行くと一瞬で料理の匂いがつく。本気のカレー、本気のパスタなど作っている住人たち。冷蔵室は六畳ほどあり、みんなの食料がぎっちり。ちょっと入るだけで凍える。わたしも料理しようかと思ったが、そんなに多くの時間を宿で過ごさなかったので、しなかった。市場のイチゴを洗って食べたくらい。
カフェからの帰りにゲストハウス前の通りの写真を撮った。何度も目印にしたフリンダース駅。
9時にはチェックアウトし、二階建てバスに乗って空港へ。二階建てバスってテンション上がる。10時ごろ着いた。搭乗口が2回も変わり混乱しながらも、12:30のフライトで一旦ブルネイへ。何度も見てるドラマ「フレンズ」を見たりして機内で過ごす。 今回ブルネイ経由の格安チケットで来たのはいい��、ブルネイで帰り7時間待ち。 ブルネイ・ダルサラーム、ブルネイ・ダルサラーム、、、呪文のように唱えたい。 かつてコルネリと共に「角煮」というバンドをやっていて、なぜかブルネイ・ダルサラームという言葉にハマり?全国ツアーのチラシにまで「ブルネイ・ダルサラーム・角煮」と記載していた。何だったんだろうか。ブルネイが国だともわかっていなかったと思う。 厳格なイスラム教徒の国なので、酒がない。 売店は現金のみなので、何も買わず、オーストラリアから持ってきたポテチを一気食い。ポテチ手荷物にして良かった。 今回、一度も現金を持たず全てカードで済ませた。キャッシュレスの国オーストラリア。この場合、ワリカン時はどうするのだろうか? 一度だけ、ライブチャージが現金のみで、ヤバ!と思い、その場にいた人たちにPayPalで送るかドリンクおごるので現金貸してください!と申し出たところ、1人の女性がチャージ代を出してくれて本当に助かった。Paypalに送ると言っても、いらないと。ダメダメ、じゃドリンクおごるから、、と食い下がるも、いいからいいからと。この恩忘れません。 旅に出て人の優しさに触れると、わたしも旅人に優しくする!といつも思う。というか、全員に優しくしたい。
旅に出ている間は旅に集中して、何も考えてない。でも体を動かす(この場合の動かすは、移動させるの意味)とかなりスッキリする。世界には知らないことがたくさんあると思うだけでも嬉しい。帰ってからまた日々何か作りたい。
ブルネイでヒートテックからティシャツに着替えたり、でもやっぱり冷房きついのでまた長袖着たり、同じ長時間乗り継ぎのインドネシアのおばさまに話しかけられて話したり、ネトフリで「アンという名の少女」を見たりしてるうちにフライトの時間が来て0時に乗り込む。乗って寝て起きたら暑い東京だ。
-プロフィール- 碧衣スイミング 38歳 東京 ミュージシャン、すいみんショップ インスタ @aoiswimming ツイッター @aoiswimming
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高須克弥先生も大好きコメダ珈琲で「アイスオーレ たっぷりサイズ」を注文。これが名古屋の文化かとしみじみ思ってしまった。
#コメダ珈琲 #コメダ珈琲店 #コメダ珈琲モーニング #コーヒー #アイスコーヒー #アイスオーレ
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BOBRUNCH YOGURT あんこ
名古屋のヨーグルトショップBOBRUNCH(ボブランチ)さんのヨーグルト、トッピング系は1番楽しみにしてたあんこから行きますっ😍🫶
長くフォローしてくださってる方は覚えてくださってるかな、向井はヨーグルト×あんこ大好き人間🥣🫘
名古屋といえばモーニングで小倉トーストなわけで。
朝食文化のある街で、朝8時からオープンしてるヨーグルト屋さんで小倉あん入りのヨーグルトを提供されてるの、すっごくいい💓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
おや、真っ白。
お店で頂いた「いちご」は真ん中にジャムが乗ってるタイプやったし、「あんこ」も同じような構成を想像してたんやけど、底入りタイプなのか持ち運んでるうちに沈んだんかどっちやろう👀
公式サイトの写真を確認したら上に乗ってたし、持ち運びで沈んだ説が有力。
底までスプーン入れてみると重くねっとりした手応え。
すくいあげるとあんこが出てきた🫘💕
ぼってり塊になってて、混ぜるとヨーグルトにマーブル模様ができる😊
公式サイトには小倉あんって書いてあるねんけど、伸ばした感じはこしあんっぽい滑らかさ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
おいっっっっし😭💕
ヨーグルト自体はシルキーで引っ掛かるものが一切ないような食感なんやけど、あんこが混ざるとザラっというかモサっというか、風合いが出てすごくいい。
ほっこり🫘
できればあんこはこの倍量ぐらい入っててほしいな。
ヨーグルトのミルク感がしっかりしてるから、あんこが溶け込んで包まれてすごい優しくなってる。
もっと主張していいはず💓
この量やと、分かりやすい小倉あんじゃなく、馴染みがよく濃厚さや甘さ、ほっこり感に貢献してくれる脇役なこしあんって感じちゃう。
これはこれで奥ゆかしくて好きやけど、あともう一声🙏
もしくはこの控えめな美を活かすなら、シナモンのきいた小さな焼き菓子を添えて、コーヒーとセットで出てくると最高☕️🫘🍪🥣
🔗 ヨーグルトショップ BOBRUNCH 公式サイト
============================ 成分・原材料表記なし ————————————————— テイクアウト販売価格 390円(税込) ————————————————— 製造者 BOBRUNCH ============================
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おはようございます 2月18日(土) #西多賀眼科医院 午前9:00〜12:00 #冥王星 の日 1930年のこの日、アメリカ・ローウェル天文台のクライド・トンボーが太陽系第9惑星・冥王星を発見した。2006年に「惑星」の定義が定められ、冥王星は惑星ではなく準惑星に分類されることとなった。 1933年 誕生日 #オノヨーコ (小野洋子) (芸術家,ジョン・レノンの妻) 【おすすめコーヒー】 名古屋発祥の喫茶店です。 名古屋にはモーニングの文化があり、 コーヒーだけではなくて 食べ物が充実しています。 ハンバーガー🍔がとても美味しかったです。 次はあんかけパスタを狙っています😊 コメダ珈琲店 仙台富沢店 022-797-7990 宮城県仙台市太白区大野田5-22-1 https://tabelog.com/miyagi/A0401/A040105/4016092/ 西多賀眼科医院ホームページも、どうぞよろしくお願いいたします↓ https://nishitaga-ganka-clinic.com/ #眼科 #仙台 #宮城 #白内障 #結膜炎 #緑内障 #ドライアイ #眼鏡 #メガネ #コンタクトレンズ #眼瞼下垂 #太白区 #鈎取 #西多賀 #長町 #八木山 #富沢 #名取 #秋保 #秋保温泉 #日帰り手術 #長町モール #誕生日 #今日は何の日 #コーヒー #珈琲 #喫茶店 (珈琲所 コメダ珈琲店 仙台富沢店) https://www.instagram.com/p/Cox6X1vSs27/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々…… 1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転が��込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。 いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。 ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。 ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。 当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで���ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知らず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。 ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。 夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。 その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。 辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。 そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。 さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。 ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておき��す。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4 持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代 当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。 ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。 さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ谷駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン ガ 誌 時 代 に 突 入 実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。 初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコー��にドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~ 後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。 この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~ 上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。 「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~ 久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録] エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。 この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった本を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~ この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々] この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ] この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~ なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。 この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。 この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱入したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~ 美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を��えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。 掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中] この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3 ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。 この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド! 本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディング���すごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~ 「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。 またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~ くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「��ぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結 前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。 10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~ この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。 「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。 「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~ さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~ 「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。 TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。 この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~ ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。 短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ! 「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~ この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。 「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3 「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜戦士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。 この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事��得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。 いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。 この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない? この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイ��ン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5 ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。 ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。 この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~ 美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。 「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。 「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!ハード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」] 「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7 同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。 今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。 さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。 今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語] こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・ 燃 え よ ペ ン ! なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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まったりモーニング( ´⚰︎` ) エッグトーストうまうま💕💕💕 #モーニング文化 #あさごはん #名古屋といえばモーニング #珈琲屋らんぷ #エッグトースト #喫煙女子 #arkroyal (Torchwood Institute) https://www.instagram.com/p/Bso6QEVHRRt/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=10douwmm46o0a
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先日、友だちの畑くんのお店 DAILY LUNCH STUDIOにお仕事仲間と一緒に行きました。畑くんがワインのこと知りたいってことで、うちに売ってるおすすめのやつを持って行きました。
とにかく畑くん、12月にイギリスで勉強してきたことをいかして、メニューが超パワーアップ🔥🔥🔥インスタでお料理の写真見れるけど、これは実際に目の前で見てほしい&味わってほしいものばかり!!!むしろ美味しいね、といいながら、取り分けてガチャガチャとなってくるテーブルの上や、お料理を口に運んでいくうちに、食材の色味が混ざっていくパレットのようなお皿の上がかわいくてたまりません。
ワインの話はもちろん、イギリスの食文化の話、ジンのはなし(ジンの飲み比べ、超楽しくっておいしかった😋💕)、私たちが名古屋で出会った時のこと、DJのはなし、これからのこと。始発のバスまで3人で突っ伏して寝てた。
結局、日付またいで朝方まで3人でおしゃべりしてのんでました。
写真は朝5時の風景。
オニマガさんによる名東区案内!リニューアル前のDLSも紹介されています。姉妹も参加したものです。是非、見てみてくださいな☺
2020.5.31 am7:51 ♡
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友だちの手伝いで沼津に行ってきて、いろいろごちそうになってきた。ありがたやー。 #沼津駅 #やば珈琲沼津店 #名古屋モーニング文化 #沼津深海プリン工房 #深海プリン #のっぽパン #沼津漁港 #魚河岸丸天 #刺身盛り合わせ #かさご唐揚げ (Numazu, Shizuoka) https://www.instagram.com/p/Bpzr5KxAuEq/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=s493vuezsg6j
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#たべもの #GOTOYA Dolce RACCONTO #モーニング
名古屋名物モーニング。名古屋だけではなく、発祥の地と言われている一宮や、岐阜の美濃地方周辺までその文化は根付いています。
基本は、朝にドリンクを頼むと追加料金ナシで自動的にトーストとゆで卵とかが付いてくるというサービスなのですが。
最早多種多様の進化を��げて、最近だともうプラス料金アリで豪華なモーニングとかが多いような気がします。プラス料金といっても、結構お得なお値段であることが多いですが。
そして付いてくるものも、もうトーストやサラダだけではありません。喫茶店ではトーストやパンが主体ですが、ご飯系のモーニングとか、お粥モーニングもあり、中華料理屋では飲茶モーニング、カレー店では朝からカレーモーニング、ケーキ屋さんではケーキのモーニングと、何でもござれです。
そんな中岐阜市内のジェラート屋さん「ラコント」にあるのがジェラートモーニング。
アフタヌーンティーセットのあの皿に、トーストやパスタ、サラダ、そして最上段に乗っているのがジェラートです。
もちろんこれにドリンク付きで、一人680円というのがモーニングサービスの恐ろしいところです。ありがたや。(写真に写っているのは2名分の量)
そんなお値打ちでありがたいジェラートモーニングですが、メインはやっぱりジェラートなので、これが机に運ばれてきたら真っ先にジェラートに手を付けねばなりません。
うっかりジェラートをデザートにしようとして、先にトーストとかに手を付けていたら、メインのジェラート、溶けましたよね。つらい。
あまりに悲しかったので、モーニングを食べた後に別でもう一つジェラートを食べました。
シングルコーンで2種類、ダブルコーンで3種類が乗っています。ちなみに7種乗ったレインボーというものもあって、7種類が乗るともうはみ出んばかり……というよりシドニーのオペラハウスみたいな形になっています。
私はダブルコーンにしてみました。一番人気のパイパイパイと、ナッツ系のものと、クッキーミントだったかな。ジェラートというと一つは絶対ナッツ系のものが食べたくなります。
モーニングからの追いジェラートで大満足です。ちなみにこのジェラートモーニングは冬期限定なので、春と秋は事前に開始日と終了日を調べてからにした方が良さそうです。
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明かりが射す場所へ
その日は平日の木曜日。ボクは人が多くはないが、かと言って少なくもない原宿にいた。
街を照らすように原宿から青山へ伸びる大通りは、明るいライトアップが施されている。
そう、季節は冬。クリスマスが間近に迫る、12月21日。
でも、ケータイのディスプレイにはその日付の前に、2006年の5文字が並んでいる。
つまり今から、木村さん家のKōkiさんが生まれた頃へタイムスリップをした話です。
この日、ボクが原宿にいた理由はタピオカやホットグを買って写真を撮るためではない。
まだ、無い時代の話だからー!ちなみに、ストロングゼロもほろよいも、まだないの。
では、あったモノをGoogleで掘ってみますと・・・。
原宿の大きな2つの通りが交差する-明治通りと表参道の交差点には眩い派手な
ネオンサイン付のビルディングがあった。(©「K.M.W」インタビュー)
って、KING OF DIGGIN’ことDJ MUROさんのインタビューに書かれていた。ではーー!
開始10行で、人の文章をパクったところで、最後のBlogを始めたいと思います。
チィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーース!
シラフ状態でアタシが、クリスマス間近の原宿の街に迷い込んでしまった理由、それは、
ライブを見るためです。
向かう会場は、原宿の大きな2つの通りが交差する場所から明治通りを新宿方面へ、
自遊空間やカラオケ館のネオンサインが照らす場所に・・・、小保方晴子さんの勢いで、
「あります」!!(注:ちなみに、STAP細胞はないそうですよ。)
そこは今はもう姿を消した、最大で400人が入るライブホール「原宿アストロホール」。
時刻は、午後7時前。入口を抜けて地下へと伸びる階段を降りた先にあるフロアは、
すでに後ろまで多くの人でいっぱいだった。
そんなインドの朝の通勤電車のようなフロアの一番後ろで、ボクは待った。
この年の夏に、それまで歌ってきた曲を収録した、初めてのアルバムをリリースした
「Perfume(パフューム)」がステージに現れるのを。
ボクがPerfumeを知ったのは、そのアルバムがリリースされたすぐ後くらいだった。
友人から薦められて、SpotifyやApple Musicなどのサブスクもまだない時代だから、
ショップへ買いに行った。そして、ポップさがあるエレクトロミュージックの曲にハマった。
曲を聞くだけでは飽き足らず、最近、社会問題になっている中高年の引きこもりのように
家ではずっとYouTubeでミュージックビデオを見ていた。ときめいてる女の子状態で!
そして最終的に、入ったばかりの会社のパソコンを使って、「太鼓の達人 鬼レベル」に
更新ボタンを連打してライブのチケットを手に入れたの。
でも、ボクがPerfumeを生で観たのは・・・、この日が最後となる。
この数日後に始まる2007年、Perfumeは「チョコレイト・ディスコ」さらに「ポリリズム」を
たて続けに発表し、まさに”STAR TRAIN”に乗って、”レーザービーム”のような速さで
音楽シーンを駆け上がって行く。
知らない方がSiriに聞く前に、Perfumeについて少し補足をしますと・・・
2000年に、出身地・広島県で結成。でも、長く明かりが当たらない時間を過ごす中で、
解散も視野に入り、「これでもう終わりかも」と3人の女の子も思うギリギリの状況の中で
それまでライブで披露していた曲を収録した1枚のアルバムを、「Complete Best」と
タイトルをつけてリリースする。
その後、過去の曲や新曲が次々と評判を呼び、東京で花を開かせ、そして”JPN”から
”引力”に引っ張られるように世界へと飛び出していく。
・・・以上。そんな風に書いてありました!
女性誌「anan」の、『オンナの生き方は、いつも難しい。』特集の中にー。
代わりにボクは、次に夢中になれるような、まだ広く知られていないけど良い曲を持つ
「アイドル」を探すようになった。
そうなの、アタシはPerfumeをきっかけに、アイドルのライブを見に行くようになったの。
最初は多くて月1回ほどだった。それがいつしか、毎週末へと回数は増えていった。
1つの音源&曲との出会いが、アタシの生き方を180度変えた。
その後の、”STORY”までも・・・。
そして出発はそう、広島だったの。では”時の針”を進めましょう。タイムマシンに乗って-
ではーー・・・、「広島」から”So long!”な旅の始まりです。まずはーーーーー!!
主人公が不在の、アタクシ命名の”センチメンタルトレイン”に乗って出かけましょう。
ちなみにこの電車は一般に、東海道・山陽新幹線「のぞみ」と呼ばれているそうですよ。
大きくとられた車窓、広島駅のホームの向こうには商業施設や宿泊施設が見えます。
まだ出発前の列車の中に、途中の停車駅を知らせるアナウンスの声が聞こえる。
東京までの道のりの中で停車する駅の数は、全部で7駅。
その各駅で、乗客が入れ替わるように、旅の途中には幾つかの転換点が待っている。
楽しいことや嬉しいこと、悲しいことや寂しいこと。あと、”涙サプライズ!”なこともー。
ライブにおけるovertureのように、 列車の出発を知らせる発車のベルが鳴ります。
旅の全行程は終点の東京まで、距離約900キロ。日数は、およそ2500日に及ぶ。
長い旅ですが、港区女子ではないので、座席はグリーンでなく自由席。
「席を譲らないと上に上がれないメンバーはAKBでは勝てないと思います。」という、
篠田麻里子さんの教えは忘れず扉が開くと同時にダッシュして窓側の席だけは確保。
そこで、3列シートの真ん中に人が座らないように、ヤンキー座りをして威嚇です。
でも、通路側には否が応にも人が座るので、トイレへ行くのは気を遣います。なので!
マジで今回は長いのでウィンドウを閉じるなら”チャンスの順番”は今。それとも皆さん・・・
ボクに「付き合ってみます?」(©南海キャンディーズ・山里亮太さん♡蒼井優さんの言葉)
〇2012年9月~2014年3月28日
列車が、ゆっくりと静かに動き始めます。広島駅のホームが、後ろへと流れていく。
ビジネスマンはパソコンを開き、観光客は駅弁を写真に撮ったりガイドに目を通す。
窓の外を眺めているのは、アタシか、Nintendo Switchを買って貰えない子どもくらい。
出発してすぐ右手にカープの本拠地「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」が見える。
そのグラウンドに2015年、人気選手と一緒に、広島の街の片隅でアイドルを始めた
8人の女の子が立つことを「2013年」の時点で想像できた人は、何人いただろうか?
ボクには、できなかった。なぜなら、想像力がないことに加えて、2013年はまだ・・・
彼女たちのことを知らなかったからー!
その女の子たちの名前は、「ひろしまMAPLE★S(ひろしまメイプルズ)」という。
Perfumeが誕生した広島県で、2013年に結成されたアイドルグループです。
列車が東京へ向かって走る線路は、��の岡山駅までの間、トンネルが多く続く・・・
そんな光が射さない道の様に、ひろしまMAPLE★Sの最初も手探り状態だったという。
2代目リーダーを務めた森脇紗香(もりわきさやか)さんによると、「初期は誰も知らない
冷たい目で、『え、何?このグループ?』みたいな感じで見られたのが初披露だった」。
そして、「怖かったよね~↑↑」とIKKOさんの語尾で、当時の状況を証言しています。
オリジナル曲はなく、AKB48の曲をカバーしていたのが・・・、ひろしまMAPLE★Sの
最初だった、らしいですよ。(←モヤモヤさまぁ~ずのナレーションを入れてみました)
さらに踊れる曲が少なく、同じ曲をステージで”ヘビーローテーション”していたらしいっす。
そんな「ひろしまMAPLE★S」は2012年12月、広島市内にあるカフェにライブハウスが
併設されたアイドル劇場「STUDIO MAPLE(スタジオメイプル)」で働く女の子たちに、
お客さんが投票をする総選挙が行われて、翌年の2013年1月に「初めてのメンバーが
決定し、結成された」と、またまた森脇紗香さんがソロDVDの中で言っていましたー。
最初のメンバーの数は、エケペディアを参考にしますと14人。涙を飲んだ女の子もいた。
その中には、後にグループのセンターを長くつとめる女の子もいた。
その女の子は、いつか教えてくれた。「私ね、最初の選抜で13番?14番?だったの」と。
・・・数が合わねーよ。
あとで”UZA”いほど出てきますが、先に紹介をしておきますと、その女の子の名前は、
「小泉明音(こいずみあかね)」さんという。元メンバーの江角佳奈(えすみかな)さんが
『あかりんさん』と呼んでいたので、叶姉妹がいうグッドルッキンでない上にGuyの方の
アタシも、アイドルの気分を味わうために、アメトーーク!「パクりたい-1グランプリ」の
ザキヤマさん&フジモンさんに習って、あかりんさんという呼び方をパクりたいと思います!
そんなあかりんさんに、ボクがまだ知らない頃のひろしまMAPLE★Sについて聞きますと
「ホンマ、なんも知らんね!」、と塩対応は返してきました!
アタシにだって・・・、プライドはある!”ゼロじゃねえマイナスから””のスタート舐めんな!”
と、YZERRさんの曲「Trophy」とでんぱ組.incをMash Upしたところで、ではーーー。
昔のことを教えてくれた神対応のメンバーやTwitterと呼ばれる文献に書かれた情報で、
アタシが知らない、ひろしまMAPLE★Sの空白を埋めていきましょう。
「AKB48さんのカバー」をやり「オリジナル曲とかゼロで、むしろこれからどうなるん?」と
森脇紗香さんが不安な気持ちのまま活動をはじめて2ヶ月が経った、2013年3月14日。
ひろしまMAPLE★Sに初めてオリジナル曲ができる。
曲名は、「SUNRIZE(サンライズ)」。
そのジャケットには、14人の女の子が写っているが、まだ、あかりんさんの姿はない。
当時のあかりんさんについて結成時からメンバーに選ばれ、現在はアイドルユニット、
Meteonomiconで活動する宙音美憂(そらねみゆう・ex矢野美優)さんに聞いてみた。
「あかりんね・・・。影が薄かった!あとね、少年のようだった!!(爆笑しながら)」。
そんな陰キャで少年のようだったあかりんさんは、広島の街に秋が訪れた2012年・・・
劇場型のカフェのアルバイトがあることを知り、「バイトをしながら歌とダンスを習える」と
下心いっぱいの動機で、「アイドルになろうなんて思っていなかった」のに10代半ばの頃、
アイドルのスタートラインに立った。
”0と1の間”である、アイドルとしていつ初ステージを踏んだのかは、小学校受験に落ちた
アタシの教養では知ることができませんでしたが・・・。
ひろしまMAPLE★Sが1stシングルを発売した2013年のホワイトデーの前日、
”計算する女の子”あかりんさんは、「広島から全国に通用するアイドルを目指す」という
グループのコンセプト以上の、世界とつながれるTwitterを開始しシーンに姿を見せた。
コメント数は、わずか9件の静かな始まりだった。
川端康成の小説「雪国」の書き出しは、有名な「トンネルを抜ければ雪国だった」と
ウィキペディアを読んでボクは知りましたが、それは日本の北側のお話・・・。
日本の西側では、列車が岡山駅を過ぎた後もトンネルが多く続く。
”だけど...”暗いトンネルも、いつかは抜ける。
その明かりを探して、ひろしまMAPLE★SのメンバーのTwitterを鬼の検索をしたところ、
初代リーダーをつとめた竹下真衣(たけしたまい)さんのTwitterに見つける事ができた。
広島の街に2013年、”10年桜”が咲こうとする頃、 最初の選抜に漏れたあかりんさんが、
ひろしまMAPLE★Sのライブの様子を撮影した写真に姿が見られるようになってくる。
そして夏が間近に迫る6月30日 、ひろしまMAPLE★Sがリリースした2ndシングル
「恋のセンセーション」のジャケットに写る10人のメンバーの中に、いつの間にか・・・
最前を陣取って、ミステリーな”ハイテンション”でポーズをキメるあかりんさんがいた。
そう、あかりんさんはグループにとって2枚目のシングルで初めて選抜入りを果たし、
ひろしまMAPLE★Sのメンバーとなった。グループの出会いは、これだけではない。
キラキラとしたエレクトロの音色でイントロが始まるのが印象的な、このCDに収録された
曲を手掛けたのは、その後、彼女たちの曲をいくつも手掛けることとなる
広島を拠点にする楽曲制作ユニット、「Oscillophone」。
特攻服に刺繍された漢字か象形文字くらいに読み方が困難ですが、「オシロフォン」と
読みます。
結成から半年、徐々にだがひろしまMAPLE★Sの形が出来上がってきていた。
まさに、ひろしまMAPLE★Sに”アイドルの夜明け”が訪れようとしていたの。
同じ6月には、この先およそ6年に渡り、自撮りが苦手と”言い訳Maybe”し続ける
あかりんさんが、Twitterに初めて自撮り写真を投稿する。
そして、AKB48が「 恋するフォーチュンクッキー 」をリリースした2013年の夏の8月、
後にグループのセンターを担うあかりんさんは、”神様も知らない 先の展開”について
Twitterに、このような言葉を残した・・・。
「メイプルらしいなにかをもっと見つけていきたいと思いますʕ•̫͡•ʔ」。
広島の県の木に指定されているメイプルに、メイプルらしい美しい色がつくのは、秋・・・
1つの曲が完成する。
それは12月11日にリリースされる3rdシングルに収録される曲、「BRIGHT!!(ブライト)」。
英語で「輝く、光る」という意味を持つこの曲を持って12月13日、ひろしまMAPLE★Sは
ご当地アイドルのNo.1を決めるイベントへ出演するため、初めて東京の地を踏んだ。
その場所は、あのPerfumeも立った「原宿アストロホール」、にぃーーーーーー!
2013年、ひろしまMAPLE★S”参上!”。
惜しくもNo.1には手が届かなかったが、トンネルの中から光を掴むように歌った。
youtube
「終わりのない夜なんてないよ いつの日か光り輝く」!!
そして10人で足を揃えて・・・、「ずっと走り続けてゆくよ たとえ遠く離れていても」、と。
同じ冬、ひろしまMAPLE★Sは初めて単独ライブを、広島で開催する。
それがボクが知らない、2013年のひろしまMAPLE★Sだ。
色んな変化があったことが分かる。でも、ずっと変わらないモノもある。
それは、アイドルになろうと思っていなかった女の子、あかりんさんがアイドルをしている
1つの理由。それは2013年最後の日に綴られている。
「みんながいるから私はがんばれる!みんながいるから私は笑顔でステージに
立てています!」。
この言葉は、あかりんさんがその後もずっと言い続けていた言葉です。ではーーー!
うっかり間違って読んでしまった方が、グッタリしてきた頃だと思いますが・・・
「私のことは嫌いでも、ひろしまMAPLE★Sは嫌いにならないでください!」。
”次の足跡”へ、”スカート、ひらり”して見せパンをチラつかせながら進んでいきましょう。
〇ひろしまMAPLE★S:2014年3月29日~2016年1月2日
中国地方を抜け、いま列車は水原希子さんが育った街にある新神戸駅に到着した。
ここから次の新大阪駅までは、距離約40km。およそ15分で到着するくらい、近い・・・。
年が明けて、ひろしまMAPLE★S結成から1年が経った、2014年3月29日。
この月にレコーディングを行った新曲を持って、彼女たちは再び東京へ来た。
その場所は毎週、ラッパーがヤンチャなdisり合いをする「フリースタイルダンジョン」の
収録が行われている場所でもある、新木場 Studio Coast。
「アイドル甲子園」という名がついた約100組のアイドルが出演する大型のイベントで、
ひろしまMAPLE★Sには野外のステージが用意された。
当時、地方発のアイドルを進んで見ていたボクは、広島県のアイドルが出るという事で
そのステージを見ていた。
あかりんさんはこの前日、”心のプラカード”を掲げるようにTwitterに「少しでも印象に残る
パフォーマンスができたらいいなと思います」と、ピュアな気持ちを綴っていますが・・・
心が荒みきったアタシに、この日のひろしまMAPLE★Sの記憶はほとんどございません。
悪事を働いた政治家か朝食を何回も食べるおじいちゃんくらい、記憶にございません。
でも、それがボクとひろしまMAPLE★Sの最初だった。
正直言って、自分的に引っ掛かるモノが無かったのだと思います。でもね・・・。
あのPerfumeの時のように1つの曲との出会いで、道のその先は大きく変わる。
その後のひろしまMAPLE★Sは初めて名古屋へ行ったり、またあかりんさんは自身の
DVDの中で何度も、アメリカのギャングスタ・ラッパーのようにボースティングをする・・・
「水曜日のダウンタウン」が放送開始する以前のTBSの番組へ出演したりしていた。
そんなリアルに充実しだした活動の中で、前回の東京でのステージから4ヶ月が経った
夏の7月、ひろしまMAPLE★Sは再び東京へやって来る。
今度は、6月にリリースしたばかりの通算4枚目となるシングルの表題曲を持って!
場所は、東京の下町・浅草。舞台は、その街の中心にある「浅草六区ゆめまち劇場」。
東は宮城県から西は広島県まで、ご当地アイドル7組が出演するイベントだった。
時は、アイドルブームの真っ只中。モーニング娘。やAKB48、ももいろクローバーらが
起こしたアイドルの人気は全国に波及し、広島で爆誕したひろしまMAPLE★S同様に
全国各地で過去にない勢いでアイドルが次々誕生していた。
実際、その日も暑い陽射しが朝から降り注ぐ浅草の街に、熱中症よりもアイドルに熱を
上げる人たちが、地方を拠点に活動するアイドルを見ようと開場前から行列を作った。
その内の何人が、ひろしまMAPLE★Sを知り、興味をもって集まったかは分からない。
少なくとも、アタシは公開される前の「翔んで埼玉」くらい注目をしていなかったの。
でもそれは、ライブが始まる前までのお話。
ひろしまMAPLE★Sの出演はイベント中盤だったと小動物より小さい脳で記憶している。
アイドルがシーンにバブルのように現れた時期。ルックスや音楽性、ステージングなど
個性的かつハイレベルなアイドルが多く存在していた。
その中の1組だった、ひろしまMAPLE★S。ボクが思う、彼女たちの最大の魅力・・・、
それは第一に「曲」だと思う。
このステージで、ひろしまMAPLE★Sが1曲目に選んだのは・・・
youtube
「Boom! Boom! Miracle Emotion(ブン・ブン・ミラクル・エモーション)」!
エレクトロハウス調のキラキラとした可愛い曲と、10人という大所帯で描くダンスは、
KPPの曲ばりに、最&高だった!ただし、一つ気になることが。それはーーーーー!!
当時は、まだアイドルは黒髪がスタンダードだったと思いますが・・・
金髪に茶髪、カラコン、さらに���髪にパーマをカブせるなど、バーレスクTOKYOか
”ハロウィン・ナイト”の気合いの入ったギャルくらい、メンバーがギラついていたわー。
当時のひろしまMAPLE★Sの持ち曲は、9曲。でも、このイベントは持ち時間が少なく
披露できたのは、オリジナル曲2曲に課題曲1曲だったと思います。
その中で選んだ1曲の新曲、この偶然とタイミングがその後、ひろしまMAPLE★Sの
軌跡をアタシが追い続ける、彼女たちにとっては黒歴史の始まりとなった。
そのライブの様子は、あかりんさんがBlogに載せています・・・
縦に超絶長い画像でー! 写真を編集をする気ゼロ。写真の半分以上が、真っ黒!
・・・「地獄か!」(←千鳥のノブさん)
2014年は音楽認識アプリ・Shazamがまだ無い時代です。そのため終演後に行われた
物販で、運営の方に「きょう最初にやった曲はどれですか?」と知っている限りの敬語で
聞き、長テーブルに並ぶ4枚のCDから1枚だけを、まだ正気を保てていたから購入した。
当時、ひろしまMAPLE★Sはグッズを買うと無料のサイン券がもらえた。
でもね、その券を使ってメンバーと交流をもつことはしなかった。なぜなら・・・。
長テーブルの後ろで、バーレスクTOKYOみたいなひろしまMAPLE★Sの10人は、
メンバー同士のお喋りに夢中だったから!
アタシに、女子の輪に割って入る鋼のメンタルなどない!泣きながら無言の帰宅です。
でもね、購入したCDは家で何度も繰り返し聞き、そしてネットを検索して存在を知った
YouTubeで公開されていた、まだ再生回数の少ないミュージックビデオを繰り返し見た。
気が付くと、いつかのPerfumeの時と同じ、狂気のノイローゼ状態を患っていた。
そしてもう一度、ひろしまMAPLE★Sのライブを観たいと思う禁断症状を発症する
お薬の時間が必要な状態にまでなっていた。・・・テヘペロ!(^o^)ノ
広島を拠点とするひろしまMAPLE★Sが、次に東京へライブに来るのは1ヶ月後。
だから次に見たのは8月、場所は新宿ReNY。世の中的には夏休みですが、それは
子どもに与えられた特権。その日は平日であり、会場のフロアはスペースが目立った。
この前の浅草は会場に多くの人がいたから分からなかったが、ひろしまMAPLE★Sは
まだ東京にファンの方が多くはなかった。それでも、彼女たちのライブは楽しかった。
霊に憑かれたように何度も聞いた曲、「Boom! Boom! Miracle Emotion」を見るために
ライブへ行ったようなものだったけど、正気を奇跡的に取り戻して見る彼女たちの
ステージは、キラキラとした曲を軸にしたセットリストで、どの曲も自分の好みに合った。
では、メンズに生まれたからには、勇気を出さなければいけない時がある。
アタシー・・・、特典会に着弾!!
窓が広くとられた陽の光が射すロビーで行われていたひろしまMAPLE★Sの特典会は、
およそ半数のメンバーに4~5人が並び、残り半数は暇を持て余している程度だった。
「CDきいてね」
初めて話したあかりんさん(※左上)は、アタシにCDは、BOOK OFFに売ったり、
ベランダの鳥避けに使ったりするモノではなく、聞くモノだと最初に教えてくれました。
ここまであかりんさんを中心に話を進めてきましたが、実は当時、ボクは何となくですが
「センターの女の子を推すことはないだろう」と思っていた。
それはアングラ嗜好、思春期の反抗心、もしくはゆるふわギャングがしてきた反発心で。
でも結局、この日から約4年半の時間をボクはあかりんさんを見続けることになるので・・・
あーる!!(CM「UR都市機構」の吉岡里帆さんのパクりました。)
魅力的で個性的なアイドルが次々とシーンに現れたアイドルブームの中で、ボクが
結果的に、ひろしまMAPLE★Sが東京に来るたびに見に行った理由・・・。
それは第一に、好みであるアイドルが歌うクラブミュージックを軸にしていたからです。
そして、そんな曲をノンストップ で見せるライブスタイルや、ボクが出会った時にあった
オリジナル曲9曲を毎回違うセットリストで見せるのは、今日はどんな”only today”な
セットリストなんだろうというワクワク感があった。
あと鍵っ子だったから大勢が好き、さらにブスなアタシに反比例する可愛い女の子が
いっぱいいて、そのメンバーが総じて性格がアッパーだった、などが挙げられます!
でも、さまざまなアイドルが集まる東京に於いて、ひろしまMAPLE★Sのファンは
なかなか目に見えて増えていかなかった。それでも、あかりんさんがいつも言う
「どれも良い曲」を持って、彼女たちは月1度ほどの東京のステージに立ち続けていた。
アイドルになり、ステージに立って歌っていることが純粋に楽しいように、笑顔で・・・。
そんなひろしまMAPLE★Sが、ボクはずっと続いていって欲しいと思って見ていた。
だけど、今より上へは行けるとも思っていた。その、きっと変わっていくであろう
ライブの景色を見たいと、ボクは思っていた。
中国地方を抜け新神戸駅を発車した列車の車窓の景色は、新大阪駅が近付くにつれて
田園の風景から、近代的な都市へと見えるモノが変化していく。
その景色の移ろいのように、ひろしまMAPLE★Sにも1つの変化がもたらされる。
それは秋が近づく8月24日に披露された、ひろしまMAPLE★Sにとって10曲目の新曲。
その曲は牧歌的なメロディのイントロで始まり、その後はフューチャーポップ・テイストの
曲調へと展開していく。
曲名は、「RPM(アールピーエム)」。
この曲について、宙音美憂さんはBlogでこのように書いている・・・。「新曲のRPMは、
BRIGHT!!と繋がってるんだよ!去年の今頃のBRIGHT!!で走り続けるって言ってて、
それから走り続けてきて今ここまで来たよ!これからも走り続けるよ!」。
そう、歌詞には広島というシーンの中心地から遠く離れた場所から、東京そして全国を
目指す彼女たち自身を投影した前向きな言葉が綴られている。
さらにミュージックビデオは・・・
ダンスシーンを撮影した広島市内にある「広島市現代美術館」をはじめ・・・
「私が歩いた場所、行って!」 とあかりんさんにオススメされた、元メンバーの
景山渚紗(かげやまなぎさ)さんと映画「転校生」ばりにゴッツンコする本通り商店街、
宙音美憂さんと元メンバーの佐伯未来(さえきみく)さんがダッシュさせられる袋町公園、
他にも市内の”青空カフェ”や街を走る路面電車のホームなど、ひろしまMAPLE★Sが
誕生した地元・広島の街を舞台に撮影された、ストーリー仕立ての内容となっている。
誰もが知っている、世界遺産の宮島や歴史的建築物の広島城などの名所は、
ひろしまMAPLE★SがNHKではないため撮影許可がおりなかったのか使っていない。
後のユニット・MAPLEZ(メイプルズ)の最後のメンバーで、現在はアイドルユニット、
NEMURIORCAで活動をするアイリ(ex愛梨)さんは、グループを代表する曲となる
「RPM」の印象について、こう話してくれた。
「(ライブの)最後にやる曲っていう感じ!」。
この薄い感想をもらうために、いきなりステーキでお食事ができるくらいの値段の
チェキ券を買ったのはーーー、どこのどいつだい?それ・・・、アタシだよっ!
そしてこの曲を皮切りに、ひろしまMAPLE★Sはこれまでのキラキラとした曲調に加えて
ヘヴィーなロック曲、アシッドなクラブミュージックにアプローチした新曲を発表。
音楽の幅を一気に広げる。
少し涼しくなった空に”ひこうき雲”がかかる秋、ひろしまMAPLE★S はこれらの曲を
収録したシングルの、アタシにとって初めてのリリースイベントへ突入する。
その先にあるのは、この年の暮れにワンマンライブを行うことを発表した、
収容人数最大で800人を誇る、地元・広島にある「広島CLUB QUATTRO」。
各地で行う無料でライブを見ることができるリリースイベントは、その集客に繋がる、
新たに”チーム”ひろしまMAPLE★S”推し”になってくれる人と出会える可能性がある。
でもリリースイベントの中には10人のメンバーに対し、見に来た人がライザップか
とんこつラーメン屋「一蘭」よろしく個別な、10人ほどしかいない時もあった。
人が少ない余波は、元メンバーの雛里もなか(ひなさともなか)さんから、
「親衛隊ポイント、ゼロ!」とバカにされた、ひろしまMAPLE★Sの本拠地である
「STUDIO MAPLE」に行くと貰える、ファン��証を全く持っていなかった、手ぶらの
最弱生物、アタシにもくる。
ファンの方が少なかったのに同じ会場で3回もライブがあるイベントだったため、
あかりんさんより「 次も来てっ。お願い!」と” 永遠プレッシャー”をかけられた結果、
アタスィー、同じCDを買うためにお仕事を欠勤させて、いただき「まゆゆ」。
アイドルに詳しくなかったあかりんさんが、STUDIO MAPLEに入った頃に勉強したのが
「AKB48」。
CDの売り方のハウトゥーまで、AKB48から学んでいたようです。・・・偉いですねっ!!
季節は冬に向かっていた。それは年末に用意されている、ひろしまMAPLE★Sにとって
1つの目標だった「広島CLUB QUATTRO」でのワンマンライブへのカウントダウン。
ひろしまMAPLE★Sは全国に通用するユニットを目指し、広島弁を禁止していたが、
元メンバーの川原亜美(かわはらあみ)さんはバリバリの広島弁で言っていた・・・
「絶対、成功させたいけん」!
だから、冷たい風が吹く屋外でのイベントにも、写真の撮影を解禁し、いつもの姿で
ステージに立った。
ご紹介が遅れましたが、”Everyday、カチューシャ”でも”ポニーテールとシュシュ”でもなく
センターでキティちゃんのような赤いリボンをつけて親に叱られる人に指をさしているのが
あかりんさんです!!
キャー、かわいいー!ちなみに身長は、橋本環奈ちゃんと同じ152センチです。
そして誰1人としてアタシのカメラに見向きもしない、ひろしまMAPLE★Sの皆さんDeath.
あの「奇跡の一枚」と大違いね。オワッテルーー! \(^o^)/
話は少し脱線しますが、この頃、1人のメンバーに一度、「私にだけに来てください」と
特典会で言われたことがある。アタシのような生態系のドン底にいるファンには
橋本環奈さんより、こっちの方が奇跡。こういう楽しい出来事は、学校に1人はいる
チクリ魔ことアタシは、あかりんさんに報告です。あかりんさんは言っていた・・・
「別に気にせんでエエよ。自分が行きたい子のところに、行けば良いんよ」って。
それまでボクが見てきたアイドルは、当たり前ですが、自分のことをまず第一に
応援して欲しい、その上で他の子に行くのはあり・・・。そのように考える女の子が
多かったように思う。でも、あかりんさんの考えはちょっとだけど違った。
それが、ボクにはオモシロかった。
とりあえず特典会に参加するなら毎回一度は、あかりんさんと話をしてみようと決めた。
結果的にこれ以降、長くあかりんさんを見ることになるのですが、小さな事だったけど
これがボクがあかりんさんの軌跡を見続ける、そしてアイドルのファンになって初めて
グループのセンターを”推す”キッカケだったかもしれないと思っている。
そんなボクに”メイプルのお母さん”ともいわれた元メンバーの森遥香(もりはるか)さんは
「あかりんの髪の毛に触ったら、バイバイだからね」と、アタシをヤバイやつ認定で
教育的指導をしてくれたぜッ。
そんな2014年が過ぎようとする12月27日、ひろしまMAPLE★Sは地元・広島にある、
ライブハウス「広島CLUB QUATTRO」で、1st ワンマンライブを開催した。
後にDVD化もされた映像には、広島の街の風景と共にアイドルシーンの中心地である
東京から遠く離れた街で、上を目指すメンバーそしていつしか増えていたオリジナル曲
15曲をやりきるひろしまMAPLE★S、更に多くいたアンダーメンバーの姿が映っている。
ライブは、ひろしまMAPLE★Sの代名詞的な曲となり、その後、数々の重要なライブで
最後を飾る曲となる、「RPM」で〆られている。そして、形ができつつある2014年から
変化に富む2015年へ、ひろしまMAPLE★Sは向かって行く。
そんな出会ったこの年に撮った1枚のチェキが、手元にある。
「これからもひろしまMAPLE★Sを\\よろしくおねがいします//」
あかりんさんは礼儀正しいですが、アタシのInstagramの「#顔をさらすのNGかよ」に、
いいね!が結構つきそうな、前衛的な写り方ですね。
広島駅を出発して約1時間半、列車は日本三大都市の1つに数えられる大阪市に建つ
新大阪駅へ着く。新大阪の駅からは、観光に適した場所を見つけることはできない。
しかし旅行者は、この駅から出発する電車に乗って人が集まる繁華街へ向かっていく。
そして、東京へ向かう列車も、ここから次の京都駅の間にトンネルなどはない。
ずっと明かりが、その真っ直ぐ伸びた道を照らし続ける。
2015年になり、結成から2年が経過した、ひろしまMAPLE★S。
彼女たちのオリジナル曲は、好みが異なる多くの人にひろしまMAPLE★Sを届けられる
可能性をもった、アプローチした音楽ジャンルを広げた12曲に増えていた。
それら多彩な輝きを放つ曲を”選んで”、毎回違う見え方をする”レインボー”を描くように
毎回セットリストを変化させて、ノンストップで見せるライブ・スタイルを続けてきた中で、
イントロから盛り上がる曲を重ねて最後はひろしまMAPLE★Sを代表曲「RPM」で〆る、
そんなライブが鉄板で盛り上がるキラーなセットリストもできた。
あかりんさんが言う、「どれも良い曲」をノンストップで繋ぐ曲間は、今でも珍しいくらい
短かったと思う。
年が変わった2015年の2月、1通の手紙がボクの自宅に届く。
それは、クラスのヤバい男子から回って来た不幸の手紙ではない。
シングル「RPM」をアコムで金を借りるなどして、ある枚数を買った方に送られる手紙。
書いてくれたのは、あかりんさん。 その手紙には、こう書かれていた・・・。
「もっと上にいきたい」。
そして、「きっとカンタンじゃないけどみんなで力を合わせてがんばるのでこれからも
応援よろしくおねがいします!!」と、句読点なしで書いてありましたー。
あとアタシが、「東京のLIVE”は”たくさんきてくれて」とイラないディスりも入っていたよ。
では”飛べないアゲハチョウ”から変態、そして”少女たち���”、上へ舞い上がっていこう。
街に”桜の花びらたち”が舞う2015年春、ひろしまMAPLE★Sはファンの方を増やす為に
初めてのツアー「ENDEAVORRR(エンデバー)」へ旅立つ。
それは住みなれた我が家がある地球を離れ、宇宙へと旅立ったスペースシャトル、
エンデバー号の様に福岡・神戸・名古屋・東京・大阪を巡り、地元・広島に帰って来る・・・
総移動距離、秋葉原と東京ドームの間”1830m”のおよそ千倍、約1500キロに渡る長旅。
会場もまたキャパシティ250人の福岡・INSAを皮切りに、最後はキャパシティ800人の
広島CLUB QUATTROへ、末広がりに続いていく。
ひろしまMAPLE★Sは、新たな挑戦をする際に、いつも新たな武器を持って行く。
この初めてのツアーに用意されていたのは、あかりんさんが長く歌っていくことになる
曲の1つ、エレクトロニカの美しいメロディの、「季節はサチュレイトーン」。
サビでは、ステージのメンバーとフロアのファンの方が一緒にライブを楽しむように
シンクロして、ジャンプをしながらクラップをする楽しみ方が後にできる曲です。
大きな事務所ではない、地方で誕生したアイドルによるドでかい一歩となるツアー・・・
しかしアタシレベルの痛いファンになりますとですよ、行ったのは1ヶ所。
しかもーー、屋根を植物で覆い、壁は泥で造られた自宅から行ける範囲の、東京。
結成から2回目となるアイドルシーンの中心地、東京でのワンマンライブ。
その会場は収容人数350人の新宿Ruido K4。チケットはソールドアウトにならなかったが
多くの人が会場に訪れた。そしてそのファイナルを飾るのは、期間わずか半年で
2回目となる、広島CLUB QUATTROでのワンマンライブ。
そこでは、ひろしまMAPLE★Sで唯一のソロ曲、あかりんさんの「Echoes(エコーズ)」が
初披露。さらに、年をまたいだ1月2日に収容人数最大で1000人を超える、
東京・赤坂にあるライブハウス「赤坂BLITZ」でのワンマンライブが発表された。
新大阪駅を出てしばらく経った列車の車窓に、空へ高く伸びる建造物が見えてくる。
その正体、国宝に指定された東寺の五重塔は京都駅の到着が近いことを教えてくれる。
日本の古都に建てられた、京都駅。その街は古き良き日本の街並みが今も残る一方で
昨今の外国人観光客の増加などの影響で、新しい施設やカフェなども見られる。
そんな街のように、ひろしまMAPLE★Sのメンバーも、変化を迎えようとしていた。
実は初めてのツアー「ENDEAVORRR」の前、ひろしまMAPLE★S結成時のメンバーで、
2代目リーダーを務めていた森脇紗香さんが、翌年1月でグループを卒業することが
発表されていた。理由は、体調不良とされていた。
デーブ・スペクターさん並の金髪&カラコンというキャラ立ちした女の子だったけど・・・
一方で、リーダーとしてグループの輪やダンス、立ち位置などに目を凝らす、
本当にグループのまとめ役だったと思う。そして、あかりんさんとも仲が良かった。
だが卒業の翌年1月を前に、ツアー��終わり頃からライブを休むことが増えてきていた。
これは”大声ダイヤモンド”で叫びたくなる、「ピーンチ!」(©バカリズム単独ライブ名より)
リーダーが不在、それでも、9人のひろしまMAPLE★Sは進むことを止めなかった。
なぜなら、もっと上に行きたいから。止まることはできなかった。
そんな春が終わろうとする5月25日、ひろしまMAPLE★Sはそれまでの”神曲たち”を
1枚に集めた初のアルバム「ENDEAVORRR(エンデバー)」をリリースする。
そこには、彼女たちらしいクラブミュージックをベースにしたキラキラした曲をはじめ、
結成初期に発表したポップス、そして結成2年目に発表したロックやファンクなどの
新たな方向性を示した”NEW SHIP”な曲まで、13曲を収録した。
”365日の紙飛行機”が2回も飛行する時間を費やして増やしていったオリジナル曲。
それらの曲を収めたアルバムに加えて、ひろしまMAPLE★Sならではのノンストップで
行うライブの様子はYouTubeにいくつも上がっており、誰でもどこにいても身近に
彼女たちの魅力を”遠距離ポスター”のように見て、知ることができた。
インディーズのアイドルが曲を広めるのは、SASUKEを完全攻略するくらい難しい・・・
だけど、ライブ・音源・YouTubeを含む映像の3つがあった事で、ひろしまMAPLE★Sの
”自分らしさ”は、環境が異なる多くの人に届けることができたとボクは思っている。
ひろしまMAPLE★Sと出会ってちょうど2年目の夏、ボクは初めて彼女たちの地元、
広島へ行く。
後押ししたのは、休みが続いていた2代目リーダーの森脇紗香さんが、Twitterの更新も
ついに途絶えたためだった。メンバーはいなくならない、いつかは復帰する・・・
そう朋ちゃんくらい「I BELIEVE」して、見られる可能性が高いとしたら地元であろうと、
初めて新幹線「のぞみ」に乗った。
広島で”会いたかった”、だけどステージに2代目リーダーの姿はなかった。そして・・・
この日から約1ヶ月後の8月、卒業予定だった2016年1月を待たずに森脇紗香さんは
卒業公演も行わずに、ひとりグループを後にする。
でも、広島に行ったことで初めて訪れることができた、ひろしまMAPLE★Sの拠点である
劇場「STUDIO MAPLE」には、そんな「火垂るの墓」くらい泣ける話を聞いて笑っている
ひろしまMAPLE★Sのメンバーがいた。
劇場の人気メニューである、美ら海水族館に入れる位の金額のおにぎりを握りながら。
実は森脇紗香さんが卒業する前に、ボクが話をした時に言われた1つの言葉がある。
それは・・・、「MAPLE★Sを広めてください。宣伝してください。」
”僕にできること”・・・。それは、うっかり始めてしまった、このBlogを書き続けること。
グループに何のプラスにもなっていない!ヲルタナティヴの神谷さくらさんにしか、
チラッと見たとしたと言われたことがありませんけどー。
それでもこれが、ボクが”High school days”の乙女のようにBlogを書き続けた理由の
1つである。
東京へ向かって走る列車のスピードは、速い。でも、ひろしまMAPLE★Sはそんなに
速く走ることはできない、県内を走る路面電車のように自分たちなりのペースで、
一歩ずつでこぼこ道を前に進んできた。
でもそうしたら、2015年の夏に辿り着けた、大きなアイドルフェスの舞台に!
それは、3大アイドルフェスの1つに数えられる、「@JAM EXPO2015」。
8月29日、その日の空は、朝からどんより曇った小雨がパラつく雨模様だった。
でも会場は屋根がある、横浜アリーナ。
ひろしまMAPLE★Sのステージは、午前11時と午後2時半の2回。
結成から2年半が経過していたが、まだアイドル・フェスは”Beginner”の部類。
少しずつ知名度は上がってきているとボクは思っていたけど、全国各地から
およそ80組にのぼるアイドルが集結する中で、どのくらいの人が、そのステージに
注目しているかは未知数。
ボクが会場に着いたのは、ステージ幕開けの少し前だったと思う。
ひろしまMAPLE★Sに用意された場所は、通路に設置された低いステージ。
フロアも通路の一角をロープ・パーテーションで仕切っただけの、狭いスペースだった。
・・・SHOCK!!(注:堂本光一さん主演のミュージカルのことではありません。)
でもライブが始まる、午前11時。ひろしまMAPLE★Sのステージを見ようと、フロアには
ロープ・パーテーションから溢れるほどの人がステージ前に集まった。
ライブの前から人が密集し、汗が”ジワるDAYS”!
このステージの前に、あかりんさんにボクが聞いた、1つのことがあった。
それは、2年半の活動をつづけ、オリジナル曲が増え、キラーなセットリストもできた
ひろしまMAPLE★Sに於いて、センターさらにメインボーカルを担当するあかりんさんが
一番自分たちの魅力を出せると思うセットリストは、何なのか?
あかりんさんが答えてくれたセットリストは、この大きなステージ、@JAM EXPO2015で
再現される。
持ち時間は15分、披露したのは4曲!その幕開けは、壁を壊そう!という強い思いが
テーマとなっているイントロから盛り上がるロック曲「BLAST×BLAST(ブラストブラスト)」.
あかりんさんは、間の曲は何でも良いと言っていた。ちなみにこのステージでは、
2曲目にバロック調の「乙女達のアンビシャス」、そして3曲目にエレクトロニカの
「季節はサチュレイトーン」を挟んだ。
迎えたラスト、あかりんさんが思うセットリストのベストなシメは、彼女たちを代表する曲
「RPM」で、”Party is over”!これが、あかりんさんのベストなセットリストだった。
続く午後2時半、1回目と同じく低いステージと小さなフロアだったけど、こちらにも
”Choose me!”という呼び掛けに集まるように多くの人が集結。
2回目のステージでは、ライブで鉄板で盛り上がるクラブミュージックをベースにした
イントロから盛り上がる曲を、ピコ太郎のペンとパイナップルくらいノンストップで繋ぐ
セットリストを披露した。
@JAM EXPO2015のライブは、ボクが見たひろしまMAPLE★Sの対バン・アクトの中で
好きになるキッカケとなったライブと並ぶ、トップの記憶に残る”真夏のSounds good!”な
ステージです。
ひろしまMAPLE★Sが活動を続ける時間に正比例するように、彼女たちを取り巻く状況も
少しずつですが変わり始めていた時期だったと思う。
そんな中で季節も変わり、秋が訪れた9月。
ひろしまMAPLE★Sは、2度目のツアー「P(L/R)AYERS(プレイヤーズ)」へと旅立つ。
その場所は、東京・福岡・仙台・新潟・横浜・名古屋・大阪・広島・神戸・埼玉・札幌を
巡り、そしてファイナルステージの東京へ戻ってくる、1stツアーよりも・・・
訪れる街の数は2倍、初めて北へも訪れる総移動距離およそ5000kmのロングコース。
さらに期間も、2015年9月から年をまたいだ2016年1月2日に渡る長期スケジュール。
会場も、後に何度も使う、メインフロアの収容人数が最大で500人の東京・渋谷にある
「SOUND MUSEUM VISION」を”初日”に設定。
そしてゴールは、最大で約1200人以上を受け入れる東京・赤坂にあるライブハウス
「赤坂BLITZ」に決めた。それは、ひろしまMAPLE★S史上最大の挑戦だった!
ツアーで訪れる各会場の規模も、その大半がスケールアップ。
訪れた場所によっては、集まる人の数が少ないこともあり、あかりんさんは後に
「行きたくない」と駄々をこねていたが・・・
天野名雪(あまのなゆき)さんは、音楽雑誌「marquee」の取材を受けた際に、
「初めて行った所は、お客さんが少ないだろうと思っていた。でも想像より来てくれた」、
また各会場で「お客さんが増えている」と、ステージ上からの実感を話している。
”風は吹いている”、 マイペースだけど一歩ずつ進んでいけば、ひろしまMAPLE★Sが
いつか”47の素敵な街へ”行き、その街で多くの人が集まるライブができる・・・
アタシは、そんな夢見るオトメのような”希望的リフレイン”を描いていたの。
元メンバーの丸本遼(まるもとはるか)さんも、関東に帰ってきた時に言っていた、
「来年はせめる!」。
2015年が過ぎ、訪れた2016年。街がまだ眠りの中にいる1月2日土曜日、赤坂。
時間は、「名探偵コナン」が謎解きをはじめる午後6時。ひろしまMAPLE★Sは、
グループ史上最大となるワンマンライブの舞台、「赤坂BLITZ」に立った。
3年前にゼロから始まったオリジナル曲は、活動を続ける時間に正比例するように
数を増やし、23曲にまでなっていた。
赤坂BLITZのステージでは、ライブの前半に初期に発表したアイドルらしいポップスを、
そして後半は、ひろしまMAPLE★Sらしいクラブミュージックをベースにした、
盛り上がる曲をノンストップで披露し、そして最後はひろしまMAPLE★Sを代表する曲
「RPM」で〆た。
あかりんさんは、この大舞台に「不安があった」とTwitterに書いていたが、会場は
満員にこそならなかったが、ひろしまMAPLE★Sが”ここにいたこと”を見届けようと
ボクが知る限り北海道から九州まで全国からファンの方が集まっていた。
その場所に集まった多くの人が思ったことは、たぶん共通していたと思います・・・。
ひろしまMAPLE★Sならもっと上へ行ける、そして「どこまでだって連れて行ってくれる」。
そんな、”君のことが好きだから”と集まった人たちに見守られる中で、彼女たちは
大きな発表をする。それは、例えるならば”Reborn”。
グループ名を、始まりの場所である広島の名を降ろし、「MAPLEZ(メイプルズ)」へと
改めることを最後に発表した。
〇MAPLEZ:2016年1月3日~2017年3月26日
2016年、ひろしまMAPLE★Sから「MAPLEZ」となり始まる、新しい旅。
ではアタクシも列車を乗り代えましょう。今度はー!!”恋のブギ・ウギ・トレイン”だぜ。
もちろんこの列車も一般には、東海道・山陽新幹線「のぞみ」と呼ばれております。
向かう先は変わらず東京。ホームには立ち食い蕎麦ではなく、きしめんの店が見える。
走る度に車窓から見える景色が変化する���に、ひろしまMAPLE★SもMAPLEZへ変化、
そして、あかりんさんも移動の時などにAKB48からE-girlsをよく聴くようになっていた。
それは四角形の辺の長さを答える算数の問題で、問題文に直線EGと出ただけで
「E-girls!!」と大声を出すくらい病的に。この事をきっかけに、E-girlsの4枚目の
アルバムのタイトルは、「E.G. CRAZY」に決まったそうですよ。(2ちゃんねる情報)
中国地方から関西を走ってきた列車が、東海地方最大のターミナル・名古屋駅に到着し
列車から多くの人が降りるように、MAPLEZのメンバーは8人となった。
一方で新たに乗車する人がいる様にグループは初めて2人のサポートメンバーを迎える.
その1人、中村美音(なかむらみおん)さんはPerfumeやBABYMETALのSU-METALが
通った、アクターズスクール広島の出身だ。だからどうした、と言われれば・・・、
返す言葉は一言もございません!!
とにかく、そんな新たな顔ぶれも乗せてMAPLEZは、冬へと走り出すお!(でんぱ組.inc)
ではー、心躍ることぜんぶ大好きな方は”Follow Me”。アーンド、”READY GO”です!
ひろしまMAPLE★SがMAPLEZとなり、いつものライブ活動と並行して始めた試み、
それは自らの主催によるライブ、「MAPLEZ CHALLENGE!!」。
あかりんさんと仲良しの山塚はるの(やまつかはるの)さんやモリワキユイさんらがいる
山口の山口活性学園(現:Yamakatsu)、大きなライブの前などにメンバー同士が
エールを送り合っていた東京のアイドルカレッジ、など共に上を目指して活動してきた
全国各地のアイドルと2組で行う対バン形式のライブ。
そんな活動の中で、春が間近に迫る3月20日。MAPLEZは、1つの曲を初披露する。
それは攻撃的なバキバキのエレクトロサウンドに、超重低音のドラムが合わさる曲。
タイトルは、「始発列車はまだ来ない」。
ひろしまMAPLE★Sを代表する曲が「RPM」なら、こちらはMAPLEZを代表する曲。
ミュージックビデオがないため曲をお聞かせできないが、この曲について宙音美憂さんは
「仮歌の段階から一番ヤバい曲だった!」と、クロちゃんの音程で教えてくれたしん!
作詞・作曲・編曲は、ひろしまMAPLE★Sの時から変わらずOscillophoneが担当。
そして振付けは、広島県在住のコレオグラファー・MIKKA(ミッカ)さんが手がけた
メルボルンシャッフルをベースにした、EXILEばりに激しく踊るダンスが付けられた。
MAPLEZに、Rising Sunが始まったかのように早々に射す明かり。
そしてこの曲をもって太陽が真上から照りつける初めての夏に、MAPLEZは”出航さ!”!
その幕開けは6月、東京。場所はAKB48が拠点とする秋葉原、この街にあるスペース、
「秋葉原カルチャーズ劇場」。上の階にはハロー!プロジェクトの元総合プロデューサー、
つんく♂さんが手がけるカフェがあって・・・。さらにこの日、MAPLEZが立つステージには
秋葉原を拠点とするアイドルグループ・でんぱ組.incがいるという、ゴチャついた状況。
そんなでんぱ組.incが見守る中で、MAPLEZは新曲「始発列車はまだ来ない」を含む
5曲をノンストップで繋いだライブを、ステージで披露した。
そのパフォーマンスを、元でんぱ組.incの夢眠ねむさんは、このように評価した・・・
「MAPLEZさん、バッキバキ!」。それが、この頃のMAPLEZだった。
ひろしまMAPLE★SからMAPLEZへ続く道の中で”One Two Three”と数を増やして、
24曲になったオリジナル曲のバリエーションは、まさしく”COLORFUL POP”。
そして活動に比例する様にセットリストのパターン、またファンの方の数も増えていった。
あかりんさんは休日にカラオケへ行き、「おどるポンポコリン」を振りコピで歌っていたが、
3年間、歌って踊り続けた結果、彼女たちの知名度や存在は、デビューの時とは
比べものにならないくらい広く知られるようになっていたと思う。
そんな、活動を始めて4回目の夏だった。
学校の花壇に”ヒマワリ”が咲き、”Mr. Snowman”も溶ける本格的な夏が訪れた7月2日。
MAPLEZは、新幹線「のぞみ」が名古屋駅から向かう、横浜へと降り立った。
向かう場所はE-girlsが所属するプロダクション「LDH」のある中目黒からは、電車1本で
行ける、みなとみらい21地区にある赤レンガパーク。
開催されていたのは3大アイドルフェスの1つに数えられる、「アイドル横丁夏まつり!!」。
海に面した屋外の会場。そこに設営されたステージは・・・、パスポートを持っていない
アタシは見たことがありませんが、分かりやすく言うならば、”自由の女神”レベルに
高く、そして大きい。
一方の入場料が、ディズニーのスターライトパスポートに張る金額を払って見に来た
お客さんのエリアはといいますと、 デコボコした堅い土とその上にハゲかけた芝生・・・
アイドルとそのファンが立つ場所の差が、”北風と太陽”くらい違った。
だが、ロケーションは抜群。上空には雲がほとんどかからない青空が広がり、そこから
降りそそぐ夏の暑い陽射し、ステージの上からは遠くまで広がる濃い青の海も見える。
その場所に、MAPLEZとして初めてフェスの舞台に出演する彼女たちを見るために、
幾重にも人の層が作られるほど、観覧エリアには多くの人が集まった。
その楽しい輪の中に入れないアタクシは、集まった人の一番後ろにポツンとスタンバイ。
それは、いつかのPerfumeのライブを見た時とダブる。
スカスカだったフロアも見てきた、フェスへ出演したがステージが小さな時もあった・・・
でも一歩ずつ着実に歩みを進めて、彼女たちは3年の時間をかけ、大きなステージと
そのパフォーマンスを見るために多くの人が集まる景色にまで、辿り着くことができた。
ボクは時々、彼女たちのライブをファンの方の一番後ろで見ることがある。
それはステージはもちろんのこと、フロアの様子も見たいから。多くの人が彼女たちの
ライブを見て、”CANDY SMILE”を浮かべ楽しそうにしている光景を見たかったからだ。
MAPLEZとして初めて立った、フェスの大きなステージ。でもパフォーマンスはいつもと
変わらない。変わっていたのは、彼女たちに期待する人たちでいっぱいの観覧エリア。
あとあかりんさんの髪型が1日目がハーフツイ��、2日目がポニーテールだったこと。
見た目も含めて、彼女たち自身も、今の状況を大きく変えようとしていたように思う。
このステージは、後にMAPLEZに加入することになる、中野なこ(なかのなこ)さんが、
違法アップロードされた「YouTubeで見て、本当に凄かった!」と堂々と言っていました。
・・・\おーまわりさーーん/。でもねーーーーー!!
MAPLEZにとって初めての夏には、さらに”Love, Dream & Happiness”が詰まった、
”うれしい!たのしい!大好き!”なステージが待っているのです。
そのステージを前に、夏の7月23日から秋の9月11日へと向かい、彼女たちは
MAPLEZとして初めてのツアーを始める。その舞台は全て、収容人数が500人を超える
ライブハウス「CLUB QUATTRO」。
「CLUB QUATTRO TOUR 2016 -RUMBLING,PULSATION-」と題したツアーは、
広島・大阪・愛知・東京・広島の4ヶ所5公演、会場は全て過去最大の規模となった。
さらにメンバーの脈打つような思いを表現していくことをテーマに掲げ、その全公演が、
メンバープロデュースにより行われることが高らかに発表された。
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会い、2nd ”Anniversary!!”を迎えていた。
これまでの間、ずっとボクが思っていたのはあかりんさんを始めとした彼女たちが、
ずっと続いて欲しいという思い。その思いはいつしかフロアが多くの人で埋まって欲しい、
率直にいうと「売れて欲しい」という気持ちに、自己啓発セミナーに通った人みたいに
変わっていた。
CLUB QUATTROツアーも始まり、”E.G. summer RIDER”のように夏を駆ける
MAPLEZに、もっとも暑い夏の8月がやって来た。
そして彼女たちが4年半を費やして放った”希望の光”に導かれる夏の虫さんのように
”未来を信じて”そして夢を持って、高本いづみ(たかもといづみ)さんが初めて
関西出身のメンバーとしてこの夏、MAPLEZへ加わる。
新しいMAPLEZとなり向かう先は、これまで出演が叶わない、そんな人面犬のような
信じるか信じないかはアナタ次第な”ウワサWassap!”も囁かれた舞台・・・
世界最大のアイドルフェスティバル��「TOKYO IDOL FESTIVAL」!!
この舞台に立つ意味は、 東京から遠く離れた地方、そして小さなステージから始めた
女の子たちにとっては大きい。
実際、元メンバーの川原亜美さんは「マジホンマ出たい!」と、”マジ”と”ホンマ”を重ねた
サンドウィッチマンが 「何言っているか分からない」とツッコミそうなことを言っていた。
卒業していったメンバーも含めて、多くの広島の女の子が出演を希望していた舞台。
何よりこのTOKYO IDOL FESTIVALへの出演をきっかけに、その後の活動に
弾みを付けたアイドルも過去にはいる。
そうなりますと登場するのが、前回のBlogを偶然にも読まれた方にはお馴染み・・・
近所の世話焼きおばさんこと、アタスィーーーーーーー!半年ぶりに、”ただいま!”。
まずは自撮りが苦手なあかりんさんに、「自撮りは増やさないの?」とダル絡み、
続いて当時は茶髪だった天野名雪さんに、「髪は黒い方が良くない」とイラないお節介。
その結果、デビューから4年半、MAPLEZが待ち望んだ、TOKYO IDOL FESTIVALが
近づく頃、あかりんさん��髪の毛を初めてーー・・・、
「金髪」にしたの!!TT←チョコレートプラネット
理由についてあかりんさんは、タメ口で「髪を軽い感じにしたかったの!」と言ってました。
列車での旅に於いて、魅力の1つが景色。広島から東京へ向かって走る列車は、
名古屋駅と新横浜駅の間に、最大の見所がある。
それは名古屋駅を出発して約50分後に姿を見せる、日本一高い山、富士山。
2016年8月5日、金曜日。東京のベイエリア、お台場でMAPLEZにとって初めての
TOKYO IDOL FESTIVAL 2016が華々しく幕を開けた。
ひろしまMAPLE★Sが結成される前の2010年から続くTOKYO IDOL FESTIVALは
この年、出演するアイドルの数は200組を超えた。
その中でMAPLEZに用意されたステージは、開催3日間のうち2日、計4ステージ。
この1つにMAPLEZのファンの人の記憶に、腕の根性焼きのように強く残っていると思う
時間がある。
それは8月7日日曜日、午前11時55分から正午12時10分までの15分間。
MAPLEZが立ったのは地上100メートルの高所、フジテレビ湾岸スタジオの屋上に
設営された、その名も、「SKY STAGE」。
その時間は、あかりんさんがアイドルとして活動した約6年半に渡る時間の中で経験した
数多のライブの中で、もっとも印象に残っていると話していたライブ。では・・・!!
神回を、ご覧ください!!
2016年、あかりんさん&MAPLEZ。初めてのTOKYO IDOL FESTIVAL in SKY STAGE!
youtube
地上から100メートルという高所にあるステージ、頭上には僅かの雲しかない。
そして後ろに広がるのは、紺碧の空。
結成からの4年半、自分たちはその場所に立つことが出来るのか、心の片隅にあった
世界最大のアイドルフェスティバルへの出演が実現した時間。
希望を叶えた”Shiny girls”、7人の顔には揃って笑顔が浮かぶ。
そのステージでMAPLEZが1曲目に選んだのは、サビにこのような歌詞がある曲・・・
「無限に碧く碧く続く空の向こうへ 願いが叶うように前を向いた」。
曲名は、「ウルトラネイビー」。
想いとは、メンバーそしてステージを見届けたファンの方それぞれで違うかもしれない。
でも共通するものがあるならば、それはBメロに書かれている歌詞と同じ想いだろう、
「キミとならきっと どんな場所にだって 行けるんだ」!
アイドルだから卒業を決める子も多い、メンバーの人数は結成時の半分になっていた。
普通の女の子から、ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZとしてアイドルになった
元メンバーも含めて1人1人が築き上げてきた1つの集大成の形として、7人は
TOKYO IDOL FESTIVALのステージに立つことができたのだと、ボクは思う。
あかりんさんは夏を前に「この調子でいくと、TIFは死にますね。」と話していたけど、
ステージを後ろから見ていて、多くのファンの方がキュン死したと思いました。
そんな”ショコラ”も溶ける暑い夏を通過し、そして秋へ向かい、MAPLEZが続けていた
CLUB QUATTROを舞台としたツアーも終盤に差し掛かっていた。
アタシが行ったのは9月の東京と、その1週間後に設定されていたファイナルの広島。
メンバーがプロデュースするツアーで、あかりんさんはファイナルの広島を担当する。
広島県民が、アタシが来ることに拒否反応を示していたのに、広島へ行くことを
決めたのには、あかりんさんがライブを初プロデュースする以外にも理由があった。
ファイナル公演の8日後、9月19日にひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZの原点である
彼女たちが誕生した場所、広島にある劇場「STUDIO MAPLE」の閉鎖が決まっていた。
ツアーに合わせてイベントがあった訳ではないが、最後に”サヨナラ”しておこうと・・・
ハイパーメディアクリエーターのパソコン遣いでチケットを取り、”Express”に乗った。
↑が現在は、ファミレスの「サイゼリヤ」に変わったことで、知っている人にはお馴染み、
知らない人にはどうでもいい”Introduction”を挟んでしまったと今、書きながら
反省をしている、「STUDIO MAPLE」です。
アタシが訪れた際は、よくその上の階にあるマンガ喫茶に宿泊していましたの・・・
元メンバーの川原亜美さんに、「泊まるなら良い場所があるけん!」と斡旋されたので。
STUDIO MAPLEの店内は、NHKやイギリス・BBCのようなジャーナリズム精神がない、
可愛い女の子にしか興味がないファンの人たちは基本、撮影はNG。
しかし折角なので、そんな”約束の場所”の内部を渡辺篤史さんになった気分で、
少し建もの探訪してみましょう。
センターの立ち位置で、ギャルのような裏ピースをかましているのが、あかりんさん。
で、写真手前左の赤茶色のヘアが元メンバーの城谷るり(じょうやるり)さん、
右端の茶髪が天野名雪さんですね。
・・・ギャルサーか!
この写真は店内で行われたMAPLEZのライブで、写真撮影が許された時のモノです。
でもご覧の通り店内は、警察の取り調べの時に顔に向けられるライトのごとく逆光、
これがギリギリちゃんと撮影できた、まさしく”Diamond Only”な1枚なの。
そんな思い出がつまった「STUDIO MAPLE」から、彼女たちがMCの練習をしながら
歌や振付けの復習をしながら、そしてファンの方の反応に胸を高鳴らせながら、
何度かアーケードを歩いて向かった、徒歩5分程の所に広島CLUB QUATTROはある。
9月11日、秋が近づく広島の街はよく晴れていた。
そんな街でバイトをしながら歌とダンスを習えるからと、うっかりアイドルになってしまった
あかりんさんプロデュースによる、MAPLEZのショーケース。
メンバーがプロデュースする、この日までの公演は、セットリストや演出は元より
初めての様々な試みがメンバーによって考えられ、 公演は趣向を凝らしたモノとなった。
曲の大サビを”Dance Dance Dance”と3回繰り返したり、ステージからフロアに降りて
パフォーマンスをしたり、メンバーからのお土産を抽選でプレゼントしたり、
また16曲連続のノンストップライブに向けてファンの方と一緒に準備運動したりもした。
そんな個性が詰まったツアーのファイナルで、あかりんさんが掲げたテーマは・・・
ファイナルだからこそファンの人と一緒に楽しめるようなライブにする、という考えから
「MAPLEZの王道」。
あかりんさんがそのオープニングについて 、「NEW! メイプルチャレンジ 小泉明音」で
話していたプランを、スマホゲームをやりすぎて指紋がなくなった指で書き起こすと・・・
「アー写で顔を(順番にスクリーンに)映して、5・4・3・2・1系。ゼロで、あーし。」、と
江戸時代の花魁みたいな一人称で言っていたのですが・・・、事務所が却下!!
代わりに、ステージにはバックドロップ幕が掲げられた。
そのステージは「まずはゆっくり聞いてください」という思いからグループで唯一のソロ曲、
あかりんさん独唱の「Echoes」でステージの幕は静かにあがった。決して・・・
美味しいところを1人で持っていこうとした訳ではない、と今でもアタシ信じてる!!
2曲目の始まりと共にメンバー全員が、ステージに登場。序盤はユニット曲やコラボ曲、
さらに初期の頃に発表した曲を中心に構成、後半にMAPLEZのキラーパターンである
イントロから盛り上がるクラブミュージックやロック調の曲でセットリストを組み・・・
本編の最後は、MAPLEZの代表曲である「始発列���はまだ来ない」でシメた。
そのライブはMAPLEZの王道であり、かつここまで活動してきた3年間の集大成。
公演時間は約2時間に及び、100%の力でパフォーマンスをした曲は21曲にのぼる。
ステージ終盤では、ボクが見た2年の時間の中でたぶん初めて目にしたと思う、
パフォーマンスの途中で下を向いた時などに、苦しそうな表情を浮かべるメンバーの
姿もあった。
それでもメンバーは1人も欠けることなく、再びアンコールでステージに舞い戻る。
ライブが終わった後に、この理由について聞くと、あかりんさんは言っていた・・・
「ファンの人が応援してくれるなら、私は頑張れる!」。
そしてアンコール、あかりんさんは、1曲目に東京へ行くきっかけとなった曲「BRIGHT!!」、
2曲目に、初めてのTOKYO IDOL FESTIVALのステージで歌った「ウルトラネイビー」、
そして最後は、ひろしまMAPLE★SとMAPLEZのライブを〆る王道「RPM」を選んだ。
それが、MAPLEZの秋、CLUB QUATTRO TOUR 2016-RUMBLING,PULSATION-の
クライマックスであった。
そしてこのステージでは3ヶ月後の冬、”Boom Boom Christmas”が過ぎた年の暮れに、
前年を超える収容人数を誇る、お台場に建つライブハウス「Zepp DiverCity」で
単独公演を行うと発表した。
その収容人数は最大で、バチカン市国の人口を超える2000人以上だ。
名古屋駅から走っている列車は、新横浜の駅が近づくにつれて再び、漆黒が口を開く
トンネルへと何度も吸い込まれる。距離こそ短いが、車窓を幾度も黒い闇が覆う。
冬が近付く頃、年末に単独公演をすると発表していたZepp DiverCityのスケジュールに
手違いがあることが分かり、MAPLEZは会場の変更を余儀なくされた。
変更された新たな会場は収容人数最大で1823人の、「ディファ有明」。
収容人数2000人を超えるMAPLEZ史上最大のステージは、”未来へ”と先延ばしされた。
他にも、暑い夏から寒い冬へ向かう時間の中で、世のマダムたちの大好物である
ワイドショーで取り上げられそうな、ドタバタ劇が次々重なった。
メンバーの卒業や脱退、ワイドショーにも取り上げられたフリマ問題、移動時の事故・・・
2016年、暮れの元気なご挨拶をする前に、「ごめんなさいのKissing You」級の、
”エスオー エスオー エスオー エスオー SOS”、”これは緊急事態ね レスキュー”なことが
続いたのー。
それらの問題ですが、Twitterをやっていないアタクシに、あかりんさんは・・・
「知ってる?最初の言葉は・・・、『そ』!」など楽しいクイズ形式にして教えてくれました。
・・・正解しても喜べないよっ!!いつも遅れてハートを削られるのが、アタシィー♡
でも、負った傷は、彼女たちの方が大きかった。
色んなことがあった2016年を締めくくるライブは、”Merry × Merry Xmas★”が過ぎた、
12月27日。世間は、仕事納めの日であり平日でもあった。
本州付近に低気圧が接近し、朝から冷たい小雨が降るその日、MAPLEZの8人は、
今は姿を消した東京・江東区にあったホール「ディファ有明」に立った。
単独公演だったけど、広い会場は、ボクが彼女たちと出会った時に戻るような
フロアを花道やセンターステージで潰しても空間が目立つほど、少ない人だった。
その突きつけられた現実と集まったファンの方の前で、あかりんさんはステージで
1つの発表をする。
数日後に始まる2017年に広島を離れて、東京で始まる新たなユニットに加わる事を。
この時期くらいに、ボクはあかりんさんに聞いたことがある・・・
「アイドルを辞めようと思ったことはないの?」、って。
この質問に、あかりんさんはこう答えた。「1回だけ辞めたいって言ったことがある」。
それがいつの話なのかは、ボクは知らない。
時計が回路により止まらない様に色々あった2016年も”機械仕掛け”に”Bye! Bye!”です。
渋谷の交差点で”Pink Champagne”が抜かれ、車の上でティーンが暴れる街フェス、
年越しが開催され、2017年がやって来た。
”White Angel”がいつ舞い降りてもおかしくない、寒い2017年の1月。ボクは広島にいた。
それはグループにとって、「はじめてのおふかい」。その抽選に当たったアタシはー・・・
親の付き添いなく、途中で道に迷って泣いたりしながらも、キセルをせずに電車を
乗り継ぎまして、ライブが無いのに in 広島ーーーーー!!
2017年1月22日、”Party in The Sun”day。何をやったのか、”君に秘密を教えよう”。
歌って踊るのがお仕事のMAPLEZが、2チームに分かれてお料理!
そんなMAPLEZが作ったお料理は、当時の記録によりますとですよ・・・
左から、城谷るりさんは、こんがりキツネ色を通過しギャルのような褐色の「クレープ」。
宙音美憂さんは作る物をロール白菜からハンバーグに変更、最終的にできたのは「鍋」。
その横、あかりんさんはcookpadを鬼の検索をして作った、「しょうが焼き」。
右端、天野名雪さんはキッチンに散らかさずフライパンに運良く残った「チャーハン」。
以上、MAPLEZが一生懸命つくった、千鳥くらい「クセがスゴい!」、 料理4品でした!
出来あがった料理は、みんなで会食。感想は、もちろん「美味しい!」という賞賛の嵐。
なぜならファンの皆さんは、脳科学者・茂木健一郎センセイから学んだ・・・
MAPLEZを褒めて伸ばす、ピグマリオン効果を実践しているためです。偉ーい!!
この日から1週間後の1月29日、渋谷にあるスペース「SOUND MUSEUM VISION」で
MAPLEZは、約1年続けてきた体制で最後となる単独ライブを行った。
あかりんさんが新しいグループを始める日は、刻一刻と近付いてきていた。
その事についてあかりんさんはステージでこの日、「最後の挑戦」、そう表現した。
MAPLEZが始まった時からいるメンバーは、たった1年の間で半数になっていた。
グループが生まれ変わるように、3月に始まったツアーで新たに3人の女の子が加わる、
これでもう一度、MAPLEZは復調するのではないかと、ボクは淡い期待を抱いた・・・
でもツアーで巡った会場は、収容人数が350人の場所でも埋まることはなかった。
ツアーを終えると、あかりんさんは束の間の休息に入った。
それは次のグループに向けて、雨でも降ったら新たな花が咲くように・・・。
たった1年と少しの間に、色々なことがあり、彼女たちを取り巻く状況は180度変化した。
その変化を目の当たりにしてきたメンバーやファンの方それぞれに想いはあるだろう。
実際に来ることを止めたファンの人もいた。
それでも、あかりんさんが、そしてMAPLEZがアイドルを続けた理由は推測するなら・・・
それはきっと、あかりんさんがずっと言っている言葉だと思う。
「みんながいるから私はがんばれる!みんながいるから私は笑顔でステージに
立てています!」。
”Snow Time”が終わり春の気配が近づく 季節に、ボクは鼻水を垂らしながらそう思った.
E-girlsと同じLDHに所属するラッパーのSALUくんは、あかりんさんがアイドルの
スタート地点に立った2012年に発表した曲「I GOTTA GO」で、こう歌っている・・・
「楽しいことだけではない でもすべて楽しもう」。そして、「あの街で勝負さ」と!
・・・ということで、ここまで読まれた方に悲報です。このBlogももうちょっとだけ、
”THE NEVER ENDING STORY”とさせていただきまーす!
〇ヲルタナティヴ:2017年3月26日~2019年3月31日
ここまで広島を出発した列車は、中国地方を抜け、関西を巡り、東海地方を通過して
約870キロの距離を、”ある車掌”さんの運転で走ってきた。
列車が停まっている駅、そこは広島からギター1本を持って出てきたミュージシャンの
矢沢永吉さんが降りた崎陽軒と港町の駅、新横浜。
その時から長い時間が経った2017年、春の足音が近づいてきた頃、あかりんさんも
料理が苦手なのに、ひとり広島から勇気と覚悟をもって東京へ来るという・・・
宇宙飛行士・アームストロング船長が言ったような、大きな一歩を踏み出した。
東京へ向かう移動の電車の中で、寝ることが趣味のあかりんさんが、どんな夢や
その先の未来を見ていたかは分からない。でもその手には未来を埋める、家族からの
メッセージがしたためられたスケジュール帳があった。ちなみにですが・・・
あかりんさんは「メイプルチャレンジ」というDVDの中で「弟の虎次郎(とらじろう)です」と
弟さんを紹介していますが、それはアタシが見たところペットのワンちゃんだったので
たぶんスケジュール帳にメッセージは書いていないと推測されます。
では東京までは近い、先へ進みましょう。
あかりんさんの最初の”ステップ”である、ひろしまMAPLE★Sのスタートをボクは知らず、
あかりんさんにバカにされた。なので今回は・・・、やる気だけは誰にも負けていません!
あかりんさんが、東京で始める新しいグループの”エピソード”を、お隣の国・中国の
インターネットポリスくらい監視、チクイチ見逃さないように追い掛けたいと思います。
ちなみに東京へ来た後、あかりんさんに好きなミュージシャンを聞いたところ
思わぬ答えだったのが、星野源さん!ということでーーー!!
そのグループはまずデビューの日から発表された、その日は3月26日。ドヤ顔で・・・
「SUN」!DAY!
続いてはユニット名、その名前は「ヲルタナティヴ」 と発表された。
そして最後に公開されたのはメンバー。その数はあかりんさんに加えて4人の女の子で、
MAN WITH A MISSIONやサカナクションと同じ、5人。
目指す場所は、ケイスケホンダくらいビッグマウスに「世界」とTwitterで発表した。
ヲルタナティヴ・デビューまでのカウントダウンが刻一刻と進む中で東京へ拠点を移した、
料理が苦手なあかりんさんはといいますと、「よるごはん…」や「スフレオムライス」など
大戸屋を中心とした外食の、ご機嫌なツイートをしていましたー!
そして、その日はやって来る。2017年に春が近づく3月26日、渋谷にあるスペース
「SOUND MUSEUM VISION」で、あかりんさんがまさに”生まれ変わり”スタートをする
ヲルタナティヴはデビューを果たした。
ひろしまMAPLE★SやMAPLEZの時に出会ったファンの方から新しいファンの方までが
見守る中で行われたデビューライブは、オリジナル5曲に加えてひろしまMAPLE★Sの
2曲をカバーした、計7曲が披露された。
・・・って、怪しげな情報サイト「ロピロピ」に書いてありました。
そ���なのアタシ!Twitterに登録をしていないので通知がこない、そのため仕事の間も
迷惑防止条例に引っ掛かるレベルでTwitterを見ていた結果・・・。
仕事が、死ぬ!!そのためデビューライブが見れないという、繰り返される悪夢。
そして発達しない、知恵。「助けてくださーーい!」と、世界の中心で叫びたくなりますね。
それはデビュー2日の3月27日、1stシングルのリリースを公に発表した日も同様Death.
ここまで来たら開き直って、日本人の義務の1つである勤労が”地獄でなぜ悪い”。
でもアタシ、いつまでも死んでいる場合ではない。結果、ボクがヲルタナティヴとなった
あかりんさんを初めて見たのは、デビューから4日が経過した3月30日でした。
その場所は、渋谷の商業施設・渋谷モディの中に入る、���HMV&BOOKS SHIBUYA」。
デビュー2日でCDのリリースを発表したヲルタナティヴは、ギネスブックに掲載されている
NAPALM DEATHの曲「You Suffer」くらいの超高速で、1stシングルのリリースイベントに
突入していた。ボクが初めて世界を目指すヲルタナティヴを見たのは、お金が掛かる事で
”ドラえもん”級に世界中で知られているインストア・ライブだったの。
ひろしまMAPLE★S時代は集客に苦労したこともあった、CDの販売と新しいお客さんに
見てもらう、2つの狙いがあるレコードショップで行われる無料で観覧ができるライブ。
その日は平日ながらイベントが始まる”夜”8時、観覧スペースには多くの人が来ていた。
では、ヲルタナティヴを初めて見ましょう。やる気だけは誰にも負けていないつもりですが
ブスとしての後ろめたさがあるので、最後尾でー!
ヲルタナティヴの曲は、星野源さんの”アイデア”が詰まった作品「POP VIRUS」の様な、
「オールジャンルを詰め込んだサウンド」と公式ホームページに書かれているのですが、
その通り、ポップス、クラブミュージック、”Soul”、ロックなどオリジナル曲は多彩だった。
ただ初めて聞いたアタクシの印象としましてはキャッチーさと印象に残るインパクトが、
将来、ライブ会場にダフ屋が出るには少し弱い気がした。
MCを挟まずに、曲をノンストップで繋げるライブスタイルは、ひろしまMAPLE★Sと
MAPLEZを引き継いでいた。
フロアはデビューわずか4日ながら、コールなどが入りそこそこの盛り上がりだった。
だが難があるとすれば、それはステージの上。5人のダンスが、”Drinking”してから
”Dance”したみたいに揃っていないことに加えて、声量にもバラつきがあった。
これは最近の「アメトーーク!」、それか「ナダル・アンビリバボー」ばりに・・・やっべぇぞ!
あかりんさんが、ヲルタナティヴとなって変わったのは、曲やダンスだけではない。
衣装も!
あかりんさんは、陽キャな女子インスタグラマーかと思うお腹チラリした衣装を着用・・・
また髪の毛は、黒い方が良くないと言い続けたアタシの言葉を完全にシカトした
犬のヨークシャテリアみたいな、かわいい薄茶色だったわ。
では、ライブを見た後は、今後長い付き合いになるかもしれないメンバーに、ご挨拶へ
行きましょう。
サブスクが登場する前の時代だから、掟ポルシェさんが言う、ベテランの大人として
常軌を逸した枚数のCDを即買いして!
まずは初めて会う4人の女の子にご挨拶をしまして、最後にあかりんさんです。
ヲルタナティヴとなってから初めて会う、あかりんさんは・・・
「(他のメンバー)誰にも、名前聞かれとらんかったね!!」って、ニコッとしていました。
ディズニーシーに入園できるくらいの金額のCDを買った結果、メンバーの誰からも
興味を持たれなかったのが、アタシのヲルタナティヴの最初です。これはー・・・!
YZERRさんとでんぱ組.incを、再召喚です 。
「ゼロじゃねえマイナスからのスタート 舐めんな」、”Continues”!
ヲルタナティヴとしての活動を始めたあかりんさんだったけど、広島を拠点に活動する
MAPLEZのメンバーでもあり、ヲルタナティヴの活動が中心ながら形式上は、
2つのグループを兼任していた。
では、こんまり流片付け術に習って、アタシの気持ちも整理しましょう。
曲やパフォーマンス、メンバーの人数で選ぶなら、MAPLEZ。でも、ボクは今回、
アイドルを見るようになって初めて、「人」で見続けるグループを決めた。
このBlogを読んでしまった方が、ドン引きしているのがヒシヒシと伝わってきますが・・・、
アタシ、そんな空気に負けない!!
あかりんさんが東京でアイドル活動をすること、それは、これまで毎月だったライブが、
毎週へ変わる。さらにいきなりのリリースイベントで週一どころか休日”Nothing”で毎日。
内閣の年金問題くらいアタシの資産に不安もありますが、あかりんさんが言う
「最後の挑戦」を、あかりんさんから苦情がこないのを良いことに、可能な限り
見ることに決めたの。
完成にはまだ遠い状態でスタートしたヲルタナティヴだったけど、その環境は振り返ると、
あかりんさんがやって来たこれまでのグループの中で、最も恵まれていたと思う。
最初からオリジナル曲が用意され、その中の曲を収録したCDの発売も決まっていた、
また結成2ヶ月後には、ミュージックビデオもYouTube上で公開された。あとあと・・・
売上げランキングで知られるoricon主催の大きなイベントやテレビの音楽番組出演など
多くのレールが敷かれていた。今は未完成だけど、いつかは完成すると思っていた。
しかーし、ヲルタナティヴが始まって2ヶ月、メンバー2人が早々にグループを後にする。
春にデビューしたが、ヲルタナティヴは、夏にはヤバイTシャツ屋さんやダチョウ倶楽部と
同じ、3人になっていた。この展開には、上島竜兵さんもきっと言うだろう・・・
「おいおい、聞いてないよー!」。あとIKKOさんが、「まぼろし~」って!
ヲルタナティヴにとって初めての夏は例年と変わらず暑かったけど、アタシには、
BAD HOPより2年も早く訪れた、COLD IN SUMMERだった。
3人になったけどヲルタナティヴは、MAPLEZが4年半の長い時間を費やして、
やっと辿り着いた世界最大のアイドルフェスのステージに、デビューから5ヶ月で立った。
でんぱ組.incの「ムなさわぎのヒみつ?!」同様にアタシの胸中も、”信じらんないっ”だもの.
そんなこの夏、あかりんさんは初めてグラビアの撮影にも挑戦をした。
そのグラビアは企画と連動しており、アイドル10人が参加しファンの方の投票によって
優勝者が決まり、最終的に単独でマンガ誌のグラビアを飾れるというモノだった。
投票券はマンガ誌1冊に1枚付いているため、お金を出して投票券を買うという、
成人になって初めて知る公職選挙法に基づいた総選挙だった。
善良な国民であるアタクシですから、もちろん司法のメスが入らない程度に投票券を
爆買い!
アイドルのファンになるとCDだけでなく、雑誌も複数冊購入しなくてはならないことを、
アタスィー、初めて知ったの。女性ってホントにお金が掛かるわね。
ステラおばさん似だけど美魔女を目指してコパトーンを塗らないと”肌”を美白に
保てなさそうな夏真っ盛りの8月6日、あかりんさんは約半年ぶりに兼任していた
グループ・MAPLEZのメンバーとしてライブに出演する。そこは一度、夢破れた場所。
収容人数最大で2000人を超える、お台場にあるライブハウス、「Zepp DiverCity」。
ステージが用意されたのは前年、MAPLEZが夢を叶えたTOKYO IDOL FESTIVAL。
あのSKY STAGEから、さらに高みへMAPLEZは行くことができた。
フロアを埋める人は、全員が彼女たちのファンではない。
それでもMAPLEZを、2000近い人が見ることは揺らぐことのない事実。
「キミとならきっと どんな場所にだって 行けるんだ」と、彼女たちは1年前に歌っていたが
本当に行くことはできた。
その巨大なフロアには、MAPLEZさらにヲルタナティヴのファンの人も集まっていた。
続けることは、辛いことも多いけれど、続けないと実現できないことはやっぱりある。
色々なことがあり、魔女の宅急便みたいにおちこんだりもしたけど、そのステージに立つ
あかりんさんとMAPLEZは、元気でした!
限られた時間のライブは、MAPLEZを代表する曲「始発列車はまだ来ない」でスタート、
そして、フェスのフロアが人で溢れた@JAM EXPOの1曲目「BLAST×BLAST」を繋ぎ、
そこから、色々なことが起きてもひろしまMAPLE★SとMAPLEZを好きでいてくれた
ファンの方に”Present”をするように、「Boom! Boom! Miracle Emotion」から
「Bright!!」を、トム・ブラウンの”ギャグ”みたく合体!させた、キラーなセットリストを組み。
最後は、彼女たちを代表する曲「RPM」で〆る約20分のノンストップのライブを
2000人の前でやり切った。
たぶんMAPLEZからは見えなかっただろうが、ボクが見ていたフロアの付近では、
彼女たちがずっと言い続けていた「ファンの人全員が楽しめるようなライブ」の景色を
Zepp DiverCityの中でも垣間見ることができた。
そして屋外だったSKY STAGEと違いZepp DiverCityという屋内の会場だったけど、
顔に汗と笑顔を浮かべたファンの方たちがいる景色は1年前と何も変わらなかった。
小さなステージでゼロから始まって、Zepp DiverCityまで行くことができたMAPLEZと
比較をすると、”Down Town”にある中小企業の社長令嬢くらいには恵まれた環境で
始まったヲルタナティヴ。
でも人気の曲を封印したり、曲のセットリストが固定化したり、動画がほぼ無かったり、
その活動の差は、フットボールアワー・後藤さんの言葉を借りますと・・・
高低差ありすぎて耳キーンとなるわ。そしてアタイ、心が病む!
その結果、まず症状1・・・。 ヲルタナティヴのライブで、前方へ行くことを止める。
続きまして、症状2・・・。 特典会へ率先して行くのを止める。
あかりんさんはかつて「グループを辞めたい」と言ったことがあると言っていましたが、
ヲルタナティヴが結成された最初の夏に、ボクは、グループを見続けることを止めようと
思った。ヲルタナティヴへの熱が冷めていった。
そんな夏も終わろうとする頃、急にあかりんさんから言われた言葉がある・・・
「わらって!」。(注:モーニング娘。の飯田圭織さんパートの練習ではありません)
夏が過ぎ、列車の車窓から見える木々に明るい色がつく”季節”、秋がやって来た。
その秋は、あかりんさんが走り続けるレールに、2人の新しい女の子を連れてくる。
1人は九州でのアイドル活動を終え、カニ道楽のバイトもブッチぎった未夢(みむ)さん、
もう1人は新潟出身、小指を立ててマイクを握る女子大学生、三島凛(みしまりん)さん。
ヲルタナティヴに初めて、新メンバーが加入した。
2人はそれぞれ、ライブを見てまたCDを聞き、ヲルタナティヴへ加わる決心をした。
オーディションの期間は、2人��”Pair Dancer”もしくは南極に置き去りにされた犬の様に
支え合い、そして2017年9月2日にヲルタナティヴとなった。
この2人の加入をきっかけにグループは少しずつですが、変化を始めまーす。
ヲルタナティヴに、新メンバーの次にもたらされた変化、それは「曲」。
これまで 、オールジャンルを詰め込んだサウンド、としていた音楽性から、
老眼に加えて最近は乱視も入ってきたアタシでも、目指す方向が識別できる
新曲たちを発表する。
まずは、パンクとポストグランジにアプローチしたロック調の曲を、2曲。
続いて、EDMとハウスのクラブミュージックにアプローチをした曲を、2曲。
音楽のジャンルに縛られないのはアイドルの1つの強みではありますが・・・
ヲルタナティヴの楽曲を手掛けるOscillophoneが得意とする曲調に寄ったことにより、
ヲルタナティヴらしいと聴こえる音楽の軸が立とうとしているように感じた。
さらにステージも上また、楽屋で衣装の”スカート”をヒラヒラさせてジュリアナダンスを
踊っていた大学生の三島凛さん、幼少期からダンスを習っていた未夢さんの2人が
加わったことで、グループダンスの見え方も段違いに良くなっていった。
・・・となりますと、見た目が悪いのに加え内面もダメージジーンズくらい荒みきっていた、
アタシのメンタルも復活!
新しくなったヲルタナティヴは、10月に大阪の街を舞台にしたフェス「MAWA LOOP」、
さらに日本三大アイドルフェスの1つを主催する「@JAM」のイベントなどに出演・・・
少しずつですがこの時期、ヲルタナティヴにファンの方が増えてきた。
そして”Dead Leaf”が地面を覆い尽くし、”Snow Men”が街をかざる冬を越えて、
”桜の森”が花開こうとする結成から1年が経とうとする春、ヲルタナティヴは初めての
ワンマンライブを開催する。
その場所は物騒タウンこと新宿・歌舞伎町にある、収容人数最大で800人のライブハウス
「Shinjuku BLAZE」。
スタート早々にメンバーが減り、3人で迎えた夏、そして秋に再び5人体制となり、
ロックとクラブミュージックの4つの新曲を発表した、ヲルタナティヴ。
彼女たちが目指す方向は、超メルヘンなうえに不思議ちゃんなアタシが思うにですよ・・・
いま世界で人気がある音楽といま国内で人気がある音楽、そんなジャンルの曲を
可愛い女の子たちがダンスと一緒に魅せるグループだと・・・、乃木坂46のCMの勢いで
思いマウス!!
そうして2018年4月1日、9曲まで増えたオリジナル曲にひろしまMAPLE★Sの2曲の、
合わせて11曲をもって、事情があって4人になったヲルタナティヴは1st ワンマンライブ、
タイトルを「THE WORLD」と名付けたステージに立った。
紹介が遅れましたが、↑が「THE WORLD」の時のヲルタナティヴです。メンバーは左から
「ストリートファイター」のエドモンド本田のようなポーズをきめる元SKEカフェの店員さん、
相沢奈那(あいざわなな)さん!
隣は、お肉とコーラが好きな、育ち盛りの男子小学生みたいな味覚の、あかりんさん!
そしてコンプラに引っ掛かるリリックを書くラッパーをアタシにお薦めするJD、三島凛さん!
右端は、給料をネオバターロールにつぎ込んでいたワンパクな肥後もっこす、未夢さん!
直前にメンバーが脱退するトラブルがある中で開かれた、ヲルタナティヴとして最初の
ワンマンライブ「THE WORLD」。
フロアは、後方を少し関係者席で潰したけど、そのパイプフェンスの仕切りいっぱいまで
大学4年生を2回やったアタシの”予想”を上回る、多くの人で埋まった。
その勢いのままに、夏を前にした6月に2枚目のCD「ヲルタナティヴ EP」を発表する。
「ヲルタナティヴ EP」には、デビューの時に渡されたクラブミュージック調の1曲に加え、
2人の新メンバーが加入した前年の秋に発表したポストグランジにアプローチした1曲と
クラブミュージックであるEDMとハウスにそれぞれアプローチした2つの曲、
さらにエレクトロサウンドとパンクロックが融合したような新曲1曲の、5曲が収められた。
あかりんさんは、これまで11枚の音源に参加をしていますが、ボクが一番好きなのが、
この「ヲルタナティヴ EP」です。
・・・ということでー、同じCDをお酒の力を借りもせず、再び狂ったように購入。
その病は、東京だけに留まりません。ヲルタナティヴは2枚目となるCDを手土産に、
あかりんさんの地元である広島へ凱旋をします。
それはヲルタナティヴとして初めての”ツアー”、「2 SETS of BABEL」の始まり。
アタシも、「桃太郎電鉄」の祟られたビンボー神のように、その後を着いていきます。
ツアーは広島・名古屋・大阪・東京の4都市を巡る、各地でゲストを招いての2マン形式。
スタートの広島の会場は、広島市内にある収容人数が250人ほどのライブハウス、
「SECOND CLUTCH」。
ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZとして幾度か立った、広島CLUB QUATTROには
届かなかったけど、同じ施設の中にあるタワーレコードに、あかりんさんは帰ってきた。
そのあかりんさんを記念に、親戚のババアみたいにアタシのらくらくホンで、
”フィルム”に残しておきましょう。
ツアーでは、新たな2人のメンバーがヲルタナティヴに加わることが発表されていた。
でもね、ホモ・”サピエンス”について書かれた論文くらい説明がややこしいので
簡潔に言いますとですよ・・・、
ツアーを経て活動に至ったのは、鈴屋もずく(すずやもずく)さん1人だけでした!!
この2018年の夏、あかりんさんは兼任していた1年と少しの時間を過ごしたグループ、
MAPLEZを卒業して、ヲルタナティヴに専任することになる。
あかりんさんがいなくなったMAPLEZについて、最後にMAPLEZへ加入したアイリさんは
「ツラかった…」と言っ・・・、いやこっちも寂しくなるので精いっぱい明るく補整をしましょう
「ツラタン!」って言っていましたー!
そんなMAPLEZは2018年の7月29日、およそ2年半の歴史に終止符を打つ。
ひろしまMAPLE★Sから数えて、約5年半での解散だった。
いつだったか、あかりんさんがいないMAPLEZのライブを、ボクは見たことがあった。
そのステージには、あかりんさんの活動の中心がヲルタナティヴになった後に、
グループに加入した何人かの新しい女の子たちもステージに立っていた。
この子たちがMAPLEZをずっと守っていてくれていたんだと、その姿を見てちょっとだけ
涙が零れそうになった記憶が、アタシにはある!気ーーー持ち悪ーーーーーーい!!
でも泣いてばかりはいられません、気を取り直して前へ進みましょう。
8月、ヲルタナティヴは2年連続となるTOKYO IDOL FESTIVALに出演、アタシは
チケットを購入したけど、出演したステージはチケットがなくても観覧できる場所だった。
そして9月、グループ結成から2度目のワンマンライブを渋谷にあるライブスペース
「WWW X」で開催。そこでは、あかりんさんと長く活動を共にしてきたヲルタナティヴの
結成時のメンバーである相沢奈那さん、そして活動が苦しい時期に加入した未夢さんが
グループを卒業をした。
・・・アタシに憑いている悪い災いをもたらす霊よ、早く身体から出ていってください!
再びメンバーが3人となったヲルタナティヴは最後にMAPLEZのメンバーであり、後に
Meteonomiconとして活動する宙音美憂さんと流川彩菜(るかわあやな)さんが、
サポートの形でグループに加わり、そして9月27日から約1ヶ月の間、活動を休止した。
それは、あかりんさんが新たな女の子たちと出会うために。
初めてその女の子たちと会ったのは、少し時間は遡り2018年8月28日だったと聞く。
ヲルタナティヴに新たに加わる女の子、彼女たちがヲルタナティヴに出会った背景は、
それぞれ異なる。
ある子はTwitterでオーディションを知って、 ある子は曲が気に入って、ある子は以前に
活動していたアイドルグループのメンバーに薦められて、ある子はメンバーに憧れて・・・
それまでの道に別れを告げて、ヲルタナティヴに加わることを決心した女の子もいた。
そして2018年に秋が訪れた、10月20日土曜日。東京・下北沢にあるライブハウス、
「下北沢ReG」で、新たなヲルタナティヴはお披露目された。
ヲルタナティヴというグループ名には、「無限大」と「型にはまらない新しいもの」という、
2つの意味が込められている。
そんなヲルタナティヴは、あかりんさんの「最後の挑戦」の場でもあった。
何度かのメンバーチェンジもあったが、活動を続ける時間とともにオリジナル曲は、
結成時の5曲から、この時で11曲まで増えていた。2枚の音源もリリースした。
そしてミュージックビデオも2本を、YouTubeで公開している。
ボクがアイドルを見始めた10数年前、インディーズのアイドルがCDを一般流通させて
ミュージックビデオを発表することは、当たり前ではなかった。
アイドルに関する情報も少なく、対バンのライブやYouTubeにアップされている映像、
また僅かの口コミなどから、見て気に入ったグループをボクは応援してきた。
そして時代は変わり、アイドルが1つのブームとして盛り上がる時代がきた。
それまでアイドルに触れてこなかったであろう人たちが、アイドルが歌う音楽を聴き、
映像を見て、アイドルのライブ会場へ足を運ぶようになった。
最大時は日本全国に、およそ3000組ものアイドルがいたとも言われている。
メジャーとインディーの垣根はあったけど、色々なタイプのアイドルがシーンにいた。
そんな状況の中で、ボクは応援しているアイドルがいなく、地方を拠点に活動している
アイドルを進んで見ていた時に、偶然見たのがひろしまMAPLE★Sだった。
そのライブは、ボクの好きな音楽の系統の曲を、偶然、ひろしまMAPLE★Sが発表した
タイミングで、その曲をライブで披露した。そして、あかりんさんと出会った。
その時から、約4年半の時間が流れていた。
アイドルを取り巻く環境は再び大きく変わったけど、あかりんさんが立っているステージ、
そして、あかりんさんと一緒に何かを達成しようとする女の子たちを見ているのは
4年半の間ずっと楽しかった。
年が変わろうとする2018年の暮れ、12月27日の夜7時を時計の針が少し回った頃、
1つの発表が、Twitterのタイムラインに流れた。
あかりんさんがアイドルを卒業することを発表した。およそ6年目の、決断だった。
アイドルをずっと続けて欲しい気持ちは少なからずあったけど正直な気持ちをいえば・・・
正しい判断だとも感じた。卒業をする日が発表のその日から3ヶ月の時間があったため
実感が湧いていなかったのかもしれないけど、不思議と悲しさはなかった。
卒業を決めたあかりんさんと会ったのは、その翌日にあった渋谷でのライブだった。
前触れのない突然の発表だったこともあって、その日は平日だったけど多くの
ヲルタナティヴのファンの方が会場に集まっていた。
あかりんさんは、そんな多くの人それぞれに様々な言葉をかけていたと思う。
ボクには、「今の気持ちは?ごめんね」と、映画「HANA-BI」のラストシーンのような
言葉を言っていた。
2019年が迫る、”Week End”の12月30日。2018年最後のライブでヲルタナティヴは、
新たな曲を披露する・・・。それはMAPLEZの曲、「始発列車はまだ来ない」。
だが広島から走り続けた列車は、もうそろそろ終着点へ着こうとしている。
その列車は、品川駅に近づくと下降線を描く。高架から地上1階に作られたホームに
停車をするためだ。到着すると、多くの乗客が列車を降りていく。
もう、ここから新たに列車に乗る人はいない。
あかりんさんに聞いたことがある。「なんで、ヲルタナティヴをやろうと思ったの?」と。
その質問にあかりんさんは、こう答えた。「やってみる?・・・って聞かれたから」。
アイドルを始めた時も、あかりんさんはアルバイト感覚だった。
でもアイドルになりたくてアイドルを始めた女の子たちが、次々と辞めていく中で、
あかりんさんが長くアイドルを続けたのは、辛いことを少しでも上回る楽しいこと、
また大好きな”歌を歌うときは”「どれも良い曲」で、その曲を聴いて自分のことを
応援してくれるファンの方がいた。それが理由だと、プラス思考にボクは思う。
あかりんさんの卒業まで3ヶ月のカウントダウンが始まった。実感は、無いままだった。
たぶん多くの人がそうであったと思うが、それでもライブが行われる会場には、毎回、
多くの人が来ていた。あかりんさんを、昔から知っている人から、最近知った人まで・・・
その人の数は平日でも多かった。たぶん無理をしていた人も、中にはいたと思う。
特典会は、あかりんさんの卒業の日が近付くにつれて、並ぶ人の列が長く伸びていった。
それだけ、誰もがなんとか自分の中であかりんさんを残そうとしていたのだと思う。
ボクもまた残された時間を思い出に残そうと思った。でもね、あかりんさんは言った・・・
「毎回を楽しめばいいじゃん!」、と、それだけ。
3ヶ月、ちょうど90日の中に用意された約50のライブはあっという間に過ぎていった。
2019年も気がつけば冬を終え、ヲルタナティヴのライブの帰りに見上げた街の木には、
いつもより早い桜の花のつぼみがつき始めていた。
あかりんさんがアイドルを卒業するまで、残すところ1週間をきっていた・・・。
そんなカウントダウンが進む中で、あかりんさんは1つの特別なステージに立つ。
決して忘れられない、東京での思い出。それは・・・。
「あーちゃんなりの甲子園」!!
書いたのは、ひろしまMAPLE★SそしてMAPLEZと活動を共にし”Friend Ship”で繋がる
宙音美憂さん。
そういえばですよ、あかりんさんはかつてTwitterに、こんなことを書いていた・・・。
「あだ名、あかりんなの謎!メイプルに入ってからあかりんになってた。
わかりにくいからあーちんと呼んでください♡」
そうなの、あかりんさんの正しいあだ名は、あーちんではないけど「あーちゃん」!
公式ホームページにも、そのように記述されている。アタシ、4年半もの間ずーーーっと
大きな間違えをしていたようです。”穴を掘”って入りたいところですが・・・、
ここまで来たら、後には引けない!このまま見なかったことにして、前へ進みましょう。
〇小泉明音なりの甲子園
いつもの春より、すこし早く桜の花が開いた、2019年3月26日 火曜日。
あかりんさんは東京で初めてのライブと言い張る、ボクが初めてひろしまMAPLE★Sを
見た、5年前の同じ頃に新木場で開催されたイベント「アイドル甲子園」に出る。
だが、そのイベント名は今回、いつもと少しだけ違う。
”メイプルのシンデレラ”と呼ばれていた、あかりんさんが立つのは、ティアラのように
自分の名前がイベントに冠としてついた、まるでシンデレラ・ストーリーみたいな
「小泉明音なりの甲子園」!これが、正式なイベント名に決まった。
これまでアイドルのグループ名がイベントに冠されたことはあったが、個人の名前が
冠につくのは、初めてのことだった。
平日の火曜日だが、渋谷の街は多くの人が往来している。その人の上に広がる空は、
いつかのお台場のように、青くよく晴れ渡っていた。
ひろしまMAPLE★Sを初めて見た時から、約5年の時間が経っていた。でも・・・
時は来た。それだけだ!(©サイプレス上野とロベルト吉野の名盤「LIVE@o-nest」より)
対バン形式のイベントは、平日にも関わらず”KIDS”じゃないと行けないような
午後5時過ぎに、1組目のアイドルのライブが始まる。
いつかのPerfumeのライブの時のように 、明治通り付近から街灯が立ち並ぶ道を歩き、
ボクが会場に到着したのは、イベントが始まってすぐの午後5時半近く。
入口を抜け階段を降り、フロアへ続く扉を開けると、強い明かりを放つ照明が、
会場となった渋谷のスペース「SOUND MUSEUM VISION」の暗闇を照らし出す。
そのメインフロアには、I Hate ”ワーク”、アイドル”ソング”LOVEずっきゅんな人が
すでに多く集まっていた。
あかりんさんを見続けてきた人の顔が、フロアには多く見ることができた。
会場では、あかりんさんと数々のステージを共にしてきたライバルたちが、イベントを
盛り上げる。
その中には、あかりんさんと長く活動を共にした、宙音美憂さん。
あかりんさんがヲルタナティヴに活動の軸を置いた後の、MAPLEZを守り続けた
流川彩菜さんやアイリさんの姿もある。その感動の裏で、アタクシはといいますと・・・
鼻の下を伸ばした顔で、カッスカスのペンで「WO!!」とグループ名のタグを書く
当時・中学生の、ヲルタナティヴ・神谷さくらさんとチェキを撮っていたの。ご陽気に!
でも、時間は止まってはくれない。時計の針は、回転を続ける。
フロアに集まった人が2013年1月に始まった、どの時間・どの場所で・どのグループで
あかりんさんと出会ったのかは分からない。
でも、その時間に終わりが近づいていることは、誰もが分かっている。
1つのステージは僅かな時間かもしれないけど、それぞれの人にとって大切な時間、
中には、卒業の日は都合が合わず、この日が最後というファンの方もいるであろう。
ボクは、あかりんさんを4年半見てきた。たぶん長く応援している方に入ると思います。
通常なら、そんなアタシに、集まった多くの方々も気を遣ってくれそうな気もしますが・・・
「小泉明音なりの甲子園」に於いて、ヲルタナティヴが登場する午後7時45分、
アタシの目の前には、多くの人が何重にも層を成した!!\アタシ、オワターー!/
なんならボクの位置は、最後尾の方が近いくらい。そうなの、フロア・・・、そこは!
弱肉強食の世界。
アタシクラスの、ばい菌みたいな下等生物などは前を譲っては頂けないのです。
それほど、あかりんさんは男性から女性まで多くの人に愛され、応援をされていた。
そんなあかりんさんを、最後に支えたのは、この女の子たちです。ご紹介しましょう・・・
左からー!!
一番左、hitomiさんの教えに反してご主人様を威嚇する元メイドさん、鈴屋もずくさん!
左から2人目は、同じクラスにハタチの人がいるキュートな高校1年生。神谷さくらさん!
その隣は、幽霊の「貞子」に似た髪型をして、いつも歯に真っ赤な口紅をつける・・・
かわいさとホラーが同居する新潟のオンナ、柊木ハツミさん!
センターは、もと陰キャで少年のようだったアイドル、小泉明音さん。あかりんさん!
隣の氷結ストロングを飲んだようなテンションの人は、高校を留年した桃川もも子さん!
一番右は、インスタグラムで「#そうなんや」を押し売りするニセ関西人。三島凛さん!
以上、ヲルタナティヴの可愛さを100%伝えることができたと手ごたえを感じている、
メンバー紹介でした。
あともう1人、美里由奈さんはこの日は不在。この後に卒業を決めてしまうのですが、
最後に話をした時にボクは由奈ちゃんに「アイドルになって良かった?」と聞いていた。
由奈ちゃんは答えた、「あかりんさんとかファンの人とかにいっぱい会えて良かった!」。
そしてフロアの隅には、あかりんさんと一緒に夢を追い駆けてきたアイドルたち、
MeteonomiconやNEMURIORCAの姿もある。
さらにステージの下には、6年半の時間の中で出会った多くのファンの方たちが、
あかりんさんの登場を待っている。そう、全員揃って、「期待値はYes!」。
では、「ギュンギュンと成層圏を抜けてく」ほど楽しんでいこ���!
フロアからは見えないバックステージ、そこでヲルタナティヴは、大切なライブの前に
円陣を組みメンバーが1人ずつ順番に「いち に さん」と掛け声を出すのが、恒例の
慣わしとなっている。
それが終わると、SOUND MUSEUM VISIONに、ヲルタナティヴのライブの始まりを
伝える曲が鳴り始める。
その曲は歌がないインストゥルメンタル、1曲目は、「w421(ウォール)」!
アイドルになるつもりがなかった女の子が、アイドルになって約6年半が経っていた。
グループで最年少だったその女の子��、いつしかグループを引っ張る存在になっていた.
その女の子がいつも立っていた場所、そこはステージのセンター。
1曲目の終わりが近づく頃、何度も立ったステージの真ん中へ、身長152センチと
メンバーの中で誰よりも小さいあかりんさんが、小さな歩幅で向かう。
そしていつもいた最も、「明かりが射す場所へ」立った。
では、行こう。ヲルタナティヴ in 「小泉明音なりの甲子園」!午後7時45分、開幕!!
会場に鳴るのは、ギターが奏でるノイジーなポストグランジのメロディ。
イントロでステージの前方へ、歩を進めた三島凛さんが大きく声をあげる・・・
「あかりんに最高のプレゼントをしちゃいましょう!」。
2曲目は、「ギヴミーメーデー ~明解に不正解な世界の端っこの真ん中で~」。
曲のタイトルのように、あかりんさんのスタートはグループの選抜に漏れて、
スタジオの端っこやバックステージで、アイドルの世界を見ることから始まった。
だがそんなグループもまたオリジナル曲がなく、カバー曲でのライブを余儀なくされた。
この歌のサビに、「メーデーメーデー 今日も明日も たぶん明後日も」 とあるように、
広島の女の子たちは、いつの日に抜けるとも分からぬ不安の中で、
ひろしまMAPLE★Sというアイドルとして活動を続けた。
でも続けていたら、プロデューサーから初めてオリジナル曲が渡された。きっと・・・
嬉しかったと思う。そしてその曲が収められたCDを、初めてみんなで売った。
「世界の端っこの真ん中で 声を聴かせて」、そんな風に自分たちのことを思ってくれる
ファンの人ができることを願いながら・・・。
ステージでは三島凛さんが、再び曲中でフロアを煽る。「(振付けを)一緒に!」。
目の前にはその瞬間、ステージを見て一緒にダンスを踊るたくさんのファンがいた。
では、そんな多くの人と一緒に、ライブも盛り上がっていこう。
ステージの中央で、縦1列にヲルタナティヴの6人が並ぶ。
イントロが流れる、それはオリエンタルなエレクトロのメロディ。そのイントロにリズムを
刻むように、MIX(ミックス)と呼ばれるアイドルライブ特有のファンのコールが被さる。
3曲目は盛り上がりの定番曲、「今宵夢酔夢想歌(こよいゆめよいトロイメライ)」。
メインヴォーカルを担当するあかりんさんが、歌い始める。その歌詞は・・・
「きっと此処は黄金郷 夢か現か」。あかりんさんは活動を振り返って言っていた・・・
「6年半のアイドル人生が夢だったんじゃないかって感じです」、と。
夢みたいだったアイドルの世界は、ひろしまMAPLE★Sの2枚目のCDでメンバーに
選ばれた事で現実となった。それから「夢みたいだって 夢じゃない現実」を続けてきた。
広島を出た場所でもライブができるようになり、訪れたその街にも、黄金郷のように
明るく華やかなステージでパフォーマンスする自分たちのことを好きになってくれ、
応援してくれる人がいてくれた。
クラブミュージックのプログレッシブハウスをベースとするこの曲は、サビに向かって
曲調が盛り上がっていく。その最大の盛り上がりへ向かって、ヲルタナティヴは歌う。
「蝶や鳥も皆集まったなら 全て忘れ 歌え踊れ」
そしてサビで、ヲルタナティヴとこの夜フロアにいるファンの垣根を越えた人たちが、
シンクロして舞う。
お気楽に始めたアイドルだったけど、ファンの方が少しずつ増えるにつれて、
いつしか本気になっていた。増えていく自分たちの曲は、「どれも良い曲」だった。
いつかの日、あかりんさんは言っていた。「私、短大、卒業したよ!」。
別の進む道もあったがあかりんさんはアイドルを続ける道を選んだ。だから今がある・・・
最後を前に、あかりんさんを見たいと思う多くの人がフロアに集まる景色が目の前に。
曲が終わるとヲルタナティヴの6人が、頂点が不規則な六角形をステージ上に描き出す。
それは4曲目、「夏の香のパ・ド・ドゥ」の始まり。
エレクトロハウスという音楽ジャンルにアプローチしたこの曲も、スタートは静か。
「遠い とおい 夏の日 熱い アスファルトの道 君と僕がいた街」と歌うあかりんさんの声、
そして僅かなエレクトロの音だけが会場を支配する。
この曲には、こんなメッセージが込められている・・・。いつか必ず会いに行こう、例え、
遠くとおく離れていても。
遠いようで近い夏の日、たくさんの思い出をファンの方と一緒に作ってきた。
ひろしまMAPLE★Sでは、小さなフロアに溢れるほどの人が集まった「@JAM EXPO」、
MAPLEZでは、初めてフェスの巨大なステージに立った「アイドル横丁夏まつり!!」、
そして夢を叶えた「TOKYO IDOL FESTIVAL」への出演とZepp DiverCityのステージ。
さらにこの日、あかりんさんを囲む5人のように、数多くの歴代メンバーと出会ったのも
夏の日だった。
あと、どうでもイイ、夏の怪談に登場する”化物”みたいな、アタシともー・・・。
そして歌詞に心を込めて、あかりんさんがサビをファルセットで歌う!
「君のいない いない 夜がまた 訪れて消えていっても 忘れないでね」。
君とはきっと、ファンの方にとってのあかりんさん、そしてあかりんさんにとっては
自分のことを応援してくれた全ての人のことを指す、そうボクは思う。
そんなステージにいるあかりんさんを、毎年違う景色を描いてきた夏の日のように・・・
キラキラとしたエレクトロハウスの音色と、照明の光が明るく照らし出した。
ヲルタナティヴのライブはこの日も、あかりんさんが長く続けてきたノンストップで行く。
ではそろそろ、ヲルタナティヴのキラーチューンを始めましょう!5曲目は・・・
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「飴色リズム(あめいろリズム)」!!!!!!!
4曲目「夏の香のパ・ド・ドゥ」のベースとなっているエレクトロハウスから派生した
音楽ジャンルである、コンプレクストロにアプローチした曲。
その特徴は、曲の始めから終わりまでのおよそ4分間、とにかくアッパー!
イントロで三島凛さんが「盛り上がっていくよー!」 とフロアを煽る通り、ヲルタナティヴの
ライブを確実に盛り上げる・・・、きゃりーぱみゅぱみゅさんとでんぱ組.incリスペクトで
”きらきらキラー”な”キラキラチューン”。
Bメロでは、ステージ上のメンバーとフロアを埋めるファンの人たちが夏のEDMフェス並に
プチャヘンザ・スタイルでジャンプ、時間の進行を忘れるようにみんなで盛り上がる。
歌詞に、「時が赦すなら止まっていたいの それ以上は望まないわ」とあるように・・・。
あかりんさんがアイドルとなり活動した6年の時間の中で、残した曲の数は36曲に上る。
リリースしたCDの数は11枚、ミュージックビデオは9本。その1曲1曲に思い出がある。
宙音美憂さんは「始発列車はまだ来ない」、 流川彩菜さんは「アイソレーター」 、
アイリさんは「ENDEAVORRR」、そして「どれも良い曲」と言うあかりんさん・・・
そんな自分たちでも好きな曲が分かれる良い曲を、毎回作ってくれる人がいて、
その曲をステージで魅力的に見せることができるダンスを考えてくれる人、
また照明を考えてくれる人、音響を整えてくれる人など多くのスタッフがいた、
何より、それらの曲を好きになってくれるファンの方がいたからこそ彼女たちは・・・
「夢から醒めてないで」 、アイドルとして活動を続けてくることができた。
そのバトンはきっと、これからも受け継がれていくだろう。
この曲は、柊木ハツミさんが一歩前に出てステージのセンターで1人ダンスを踊る・・・
その後ろに、ヲルタナティヴの他のメンバーが立つフォーメーションで終わる。
曲が終わると同時にメンバーが立ち位置を移動、ステージ前方に2人、後ろに4人の
台形を描く。
聞こえてくるのは、シンセサイザーが鳴らす清んだメロディとストリングスを弾く音、
そしてあかりんさんの歌声。6曲目はトロピカル・ハウス調の曲、「かえろうよ」。
「街の喧騒 通り過ぎた風 季節の始まり連れて ずっと彷徨っていた心 撫でるよ」、
そんな歌い出しのように、故郷・広島を旅立ったあかりんさんは、春に連れられるように
街の喧騒がざわめく東京へ、最後の挑戦をするために来た。
彷徨っていた心もあっただろうが、この街にも一緒に夢を追いかける仲間がいた。
そして、自分の夢を応援してくれるファンの方がいてくれた。
「いつか見た夢が 記憶の奥の奥 同じように煌めくよ」
広島と東京で見続けた、煌めく夢。それは、ファンの方にとっても明るく煌めく夢のような
時間だったと思う。でも、あかりんさんはいつかの日に、こんなことを話していた。
「友だちと遊ぶ暇があまりない」のが悩み。6年半もの長い時間を、非”日常”の世界で
過ごした。
サビに向かい盛り上がるこの曲は、最後にヲルタナティヴとフロアにいるファンの方が
ユニゾンで、こんな歌詞を歌って曲の終わりへと向かっていく。
・・・「かえろうよ」。
では、ヲルタナティヴの「小泉明音なりの甲子園」も、そろそろ終わりへ向かいましょう。
最後を〆る曲は、疾走感のあるエレクトロのメロディにPunkサウンドが融合した・・・
7曲目、「Wonder Wander Lander(ワンダー・ワンダー・ランダー)」!
イントロでヲルタナティヴの6人がステージ前方に進み、6人揃ってフロアを煽る。
曲は、こんな歌詞で始まる・・・。「煌めいて見えるのが 描いた夢だ」!
一握りの女の子しか立てないステージのセンターで歌うことは、夢のような時間であり
またその時間を共有する大勢のファンの方が、あかりんさんの周りにはいた。
アイドルを目指していなかったまだ10代だった女の子は、ステージのセンターを任され、
歌をレコーディングして、CDをリリースし、またミュージックビデオの撮影もした。
そして全国に通用するアイドル・グループとして、幾度もツアーを行い、北は北海道から
南は福岡までを巡った。
さらに、ワンマンでのライブは、最初は広島の街中にあるイベント広場だったけど・・・
そこから目標だった広島CLUB QUATTRO、東京・赤坂BLITZまで辿り着いた。
アイドルになったからには出演したかったTOKYO IDOL FESTIVAL、一度は夢破れた
収容人数最大で2000人を超えるZepp DiverCityステージへも立つことができた。
テレビにも出演したし、インタビューも何度も受けた、嫌だったけどグラビアも飾った。
もしかしたら「その輝きが眩いなら 目指すは最果て 」と歌う、ヲルタナティヴが目指した
最果て、世界だけがあかりんさんが現実にできなかった夢なのではないだろうか・・・。
「僕らの想いが光るのは あの日の夢とWonder Lander」
ファンの人たちの想いも乗せて、6年半という時間の長さを飛び続けたあかりんさんが、
アウトロで宇宙のキラ星の様に手を瞬かせ、そして着陸船のようにステージの上で
静かに動きを止めた。ヲルタナティヴの6人が、ステージを降りる。
「小泉明音なりの甲子園」でヲルタナティヴは、過去の曲ではなく、あかりんさんが
走り続け、そして辿り着いた今の曲でステージを作った。
初めて見た「アイドル甲子園」で印象に残らなかった女の子は、いつしか多くの人を
魅了し、”恋”い焦がれられる女の子になっていた。だが、まだこれで終わりではない。
再び、あかりんさんがステージに立つ。今度は1人で、ステージのセンターに。
この日、特別に用意されたあかりんさんのソロステージ。その時間にあかりんさんが
選んだのは、ひろしまMAPLE★S時代に発表したソロ曲「Echoes(エコーズ)」。
規則的に鼓動する4つ打ちのビートに、キラキラとしたエレクトロポップのメロディーが
融合・・・、そしてそこに、可愛らしくも透明感のあるあかりんさんの歌声が重なる。
そうだった、ひろしまMAPLE★Sの曲、MAPLEZの曲、そしてヲルタナティヴの曲は・・・
あかりんさんの歌声があって1つの完成形となっていた。
あかりんさんのヴォーカルは、グループの大きな武器の1つだった。
そんなたった1人、ステージに立って歌うあかりんさんを、青色のライトが包む。
そして歌が2番に入ると、フロアから手拍子の音が沸きたつ。
あかりんさんは歌う、「鳴り止まない唄 ここからそっと また歩き出すよ」。
あかりんさんはアイドルを卒業して、ここまでには無い新たな道へ歩み出す。
その存在は、仲間にとって頼れる心強い存在、後輩たちにとっては目指す姿、
ライバルにとっては同じ夢を志した仲間、そしてファンの方にとっては希望だったと思う。
曲の最後のサビ、かつて「うさぎのおめめは?あかりんりん」と自己紹介をしていた
あかりんさんの周りを、月を周回する無数の瞬く星のように、ミラーボールが発する
明かりが、ゆっくりと輝きをもって回転した。
そして歌が終わり最後のMC・・・。「ファンのみんながいるから私は頑張れる、
ファンのみんながいるから私は笑顔でステージに立てています」、と言い続けてきた、
あかりんさんが集まった多くのファンの方に向かって、ありったけの想いを言葉に込めて
言う・・・!
「これまで頑張って良かった!」。
そのあかりんさんの顔は、笑顔だった。ライブの最後に、いつも歌っていた「RPM」の
曲の始まりと同じように。
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- あとがき -
2019年3月31日、白金高輪 SELENE b2。ヲルタナティヴの3回目となるワンマンライブ、
「ヲルタナティヴ 3rd Oneman Live “Wheel of Fortune”」 をもって、あかりんさんは
自身のアイドル人生に終止符を打った。
数日前までテレビでは、その日の天気を雨と告げていたが、よく晴れた日だった。
午後4時半にスタートした、あかりんさん最後のステージは、その前に広がるフロアに
男性をはじめ女性、新旧のファンの方、元メンバーの水瀬もも(みなせもも)さんなど
多くの人がいた。
6年半前は多くなかったが、時間が経ち最後は多くの方に見守られて、あかりんさんは
ステージのセンターに、この日も立った。そのステージで、あかりんさんは言った・・・
「ひとりで歩いた道なんて、どこにもなかった」、そして「これまでムダじゃなかった」と。
6年半に渡る、アイドルとしての活動は広島で始まり、そして東京で幕を降ろした。
あかりんさんと同じ広島で育った現在、BABYMETALで活動するSU-METALこと
中元すず香さんがアイドルグループ「さくら学院」を卒業するまでの最後の1年間、
ボクはほぼ全てのライブを見に行ったが、東京駅に近い有楽町の東京国際フォーラムで
行われた卒業公演のステージでファンの人の前ではずっと笑顔だった中元すず香さんが
公演が後わり、ステージを降りた瞬間に泣き崩れたという話が大好きなのだが・・・
あかりんさんもまた、卒業のステージでは最後まで笑顔で涙を見せることはなかった。
三島凛さん、鈴屋もずくさん、桃川もも子さん、柊木ハツミさん、神谷さくらさん・・・
ヲルタナティヴの5人は本番前に涙を流したりもしたが、ライブが終わった後には、
口を揃えて言っていた。「ライブ中、本当に楽しかった!!」。
そんな、あかりんさんの卒業のステージの前に、ボクは1人のファンの方と出会った。
それはオーストラリアから来日した、外国の方だった。その方はボクに教えてくれた・・・
「明音ちゃんの卒業の時は、絶対に(日本へ)来ようと思った。」、と。
あかりんさんの夢の最後のピースである「世界を目指す」という目標もまた、ボクは、
実現できたのではないかと思うことに決めた。
900キロに渡り全速力で走ってきた列車が停まる。そこは終点の場所、東京駅・・・
ボクは列車を降りる。きっとだけど、忘れ物はない。
”ここにいないあなたへ”
2006年12月から始まった、ボクのおよそ12年に渡るアイドル・ファンとしての時間。
さまざまな女の子と出会い、そして別れを繰り返してきた。その時間の中で・・・
3分の1を超える4年半という、もっとも多くの時間を過ごしたのが、小泉明音さん。
あかりんさんだった。
出会いは今も、偶然とタイミングが合わさった、ミラクルだと思っている。
その出会いにより、モヤモヤする事もあったし、悔しい気持ちを持ったこともあったし、
残念な気持ちになったり、また心の中で怒りを感じたこともあった。
でも振り返るとそれ以上に、あかりんさんを見ていた時間は楽しい事でいっぱいだった。
あかりんさん卒業の日から3ヶ月が経った先月、ボクの自宅に手紙とDVDが届いた。
手紙を書き、DVDにメッセージを込めてくれたのは、あかりんさんだ。
その手紙の中であかりんさんは、長い時間を振り返って、前述したように・・・
「6年半のアイドル人生が夢だったんじゃないかって感じです。」と書いていた。
そんな手紙そしてDVDで、あかりんさんは共通して1つの質問をボクにしている、
「私のいないアイドル界どんなかんじですか?」、と。
最後に、あかりんさんから貰ったこの質問に答えてボクのBlogを終わろうと思います。
あかりんさんがいない今のアイドルシーンは・・・
ボクにとっては意味を持たない。アイドルのライブへ行くのは、終わりにしたよ。
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ミコとマチ
リビングで目が醒めた瞬間あわてて手元の��マホで時間を見た。5時31分、やばい、40分には家を出ないとバイトに遅刻する。渾身のスピードで歯を磨いて顔を洗い自室に駆け込みばたばたとスウェットを脱ぎ床に脱ぎっぱなしの縒れたデニムを穿きYシャツを全力で着て一張羅の苔色のカーディガンを羽織ってほとんど空っぽのリュックを背負う。化粧は諦めて大きめの風邪マスクでごまかすことにした。幸い原稿を作成してるうちに座椅子に座ったまま寝落ちしていたので髪は乱れていなかった。平日ならマチが起こしてくれるのに、今日は土曜日だから私の部屋の向かいの彼女の部屋で、マチは一週間分の疲れを取るべく昼までおねんねだ。私は「いってきます」とぼそっと呟いて全力でドアから飛び出しオレンジのチャリに跨がり立ち漕ぎで駆けた。早朝の澄んだ空気を抜ける冷たい風が私の全開のおでこに当たる。三月の霞がかった曖昧な風景を私は右、左、右、とぐっとペダルを踏んで追い越して行く。それにつれ眼がだんだんと冴えて来た。息を切らしぐんぐんと駅までの道を走りながら私は書きかけの原稿の続きのことを考え出していた。どきどきと小さな心臓が高鳴り血が巡り、私の身体に熱が漲ってくるのを感じる。まだ人がまばらな駅前のロータリーを抜け、高架を潜り、なんとか出勤時間ぎりぎりに店に着いた。ドアを開くとコーヒーの温かくて甘い香りがふわっと鼻を突く。これを嗅ぐと私の頭はたちまちだらしがなくてうだつの上がらないワナビー女から「「鯤」のウエイトレスモード」にかちっと切り替わる。「おはようございますっ」私は店に入るなり弾丸のように一直線にバックヤードに突っ込みエプロンを着る。「おー、毎度のことながら作家さんは朝に弱いねえ」店長の蓮さんが茶化す。「朝まだなんだろ?これ食っちまえ」蓮さんは厨房からカウンター越しに私にロールパンを投げ渡した。「いただきます」私は風邪マスクをぐいとずらし、拳大のそれを口に詰め込んだ。それから蓮さんに渡された水をぐっと飲み干す。「鯤」は駅前の喫茶店なので、平日は開店するなりモーニングをしにくるサラリーマンなんかがぞくぞくと来て大童なのだが、今日みたいな休日は最初の30分なんかはかなり暇だ。コーヒーにつけて出すゆで卵もいつもならあらかじめいくつか小皿に分けて置くのだけど、今日はカウンターのバスケットにまだこんもりと盛ってある。その光景はまるで平和の象徴のような安心感を私に与える。しばらく待っても客が1人も来ないので、私はトイレで簡単な化粧を済ませ、カウンターにかけて蓮さんが淹れてくれたアメリカンをゆっくりと飲んだ。「原稿はどんな感じ?」「うん、方向性はだいぶ定まってきたからあとはそれを形にしていくだけかな」「なるほど、ついに俺の息子がミコが手がけたゲームをやる日がくるんだなあ、あっ今のうちサイン貰っとこうかな、店に飾るわ」「蓮さんってば気が早すぎ」蓮さんはことあるごとに茶化すけど、芯のところでは私のことをそのつど気にかけてくれているのが私にはありありとわかった。嬉しいことだ。
そうしていると、程なくして客がちらほらと入り出した。休日の朝は老人ばっかりだ。常連のみんなはお話し好きで、四方山話や身の上話を滔々と聞かせてくださる。いつものように私は給仕や食器洗いをこなしながらそれにふんふんと頷いた。でも頭の中は原稿の続きのことでいっぱいだった。先週、駆け出しライターの私に初めてクライアントからSNSのダイレクトメッセージで、ソシャゲのシナリオの執筆依頼が来たのだ。それは聞いたことないような小さな会社で、その依頼されたゲームも予算的にみてメインストリームに敵うポテンシャルがあるとはとうてい思えなかったが、なにせ執筆の依頼が来ることなんて初めてだったので、私は半端ない緊張ととめどなく沸いてくる意気込みでここ一週間ギンギンだった。原稿のことを考えると下腹のあたりがヒュンとする。これは誰もが知っているRPGのシナリオを手がけるという私の夢への第一歩だし、なにより、就職せずに創作活動に専心することにした私の決意が報われた心持ちだった。それはどう考えてもぜんぜん早計なのだけれど。とにかく、私は今とても浮かれていた。
正午前あたりから客足が徐々に増しなかなか忙しなり、あっという間に15時になった。退勤まであと1時間だ。
「いらっしゃい。おっ荘くん」だしぬけに蓮さんの朗らかな声が厨房から客席に向け広がる。荘くんが来ると、蓮さんは私を茶化す意味でわざと私に呼びかけるような声音で叫ぶのだった。これもいつものことだ。
私はお気に入りの窓際の2人がけのテーブルにギターケースをすとん立てかけて座る荘くんのところへ注文をとりにいった。心臓の音が高鳴るのが荘くんにばれている気がした。
「いらっしゃい、今日はスタジオ?いよいよ来週だね。」
「そうだな、あっ、チケット忘れんうちに今渡しとく」
荘くんにひょいと渡された黄色いチケットにでかでかと、
「jurar 初ワンマン!」と書いてあった。その楠んだチケットのデザインは全体的に少し古くさい気がした。
「ついにだね」
「うん、絶対に成功させるよ、やっとここまでこれたんだ。そろそろ俺たちもプロへの切符を勝ち取りたいな」
「うん、私応援してるから」荘くんの襟足から煙草とシャンプーの混じったえも言われぬ匂いがかすかに漂う。それは、ほんとうのほんとうに良い匂いだ。
「サンキュな、ミコちゃんも頑張ってるもんな、俺も負けてらんないよ。あっ、そうそう、そういえば…明後日柴さんにアクアマターのライブ来ないかって誘われたんだけど、ミコちゃんあのバンド好きだったよね、もし暇だったら一緒に来る?蕗川ビンテージだよ。柴さんももう一人くらいだったらチケット用意できるから連れて来ていいって」
「いいの?行きたい!」
「よっしゃ、じゃあまたラインするわ」
「まじか…」私は心中でひとりごちた。まさかのまさか、こんな地味な女が荘くんにデートに誘われたのだ。注文伝票をレジに持って行き蓮さんのほうをちらと見てみた。すると蓮さんははにかみながらしゅっと素早く腰のところでガッツポーズを出した。私は心中でもう一度、「ま、じ、か…」と丁寧にひとりごちてみた。
荘くんはブレンドを急いで飲み干して会計をし、「じゃあ」と去って行った。そうこうしているうちにやがて退勤時間となり、出勤してきた蓮さんの奥さんに引き継ぎをして、私はタイムカードを切った。「お疲れさまです」挨拶をして表口から店を出ると、スプリングコートのポケットに両手を突っ込んで含み笑いしているマチが立っていた。目が合った私たちはそのまま見つめ合った。一瞬、時間が止まったようだった。ピィ、ピィ、とけたたましい鳥の声が、狭い路地裏にこだました。
「オハヨ」マチは宣誓のように右手をしゅっと突き出してそう言った。
マチの手は真っ白で、春のひかりをぼんやりと帯びていた。ぼんやりとその手を見ていると、なんだか眠くなった。
「マチ、何してたの?」
「さんぽ」
「起きたばっかり?」
「寝すぎちった」
私は自転車を押してマチととぼとぼと散歩した。外は朝は肌寒かったけれど、今は歩いていると少し汗ばむほどの気温まで上がっていた。電線と雑居ビルたちに乱雑に切り取られた街の高い空を、鳴き交わしつつひっきりなしに飛び交う春の鳥たち、私たちはゆっくりと歩きながらそんな風景を見るともなく見ていた。
私たちはそれぞれあたたかい缶コーヒーを自販機で買い、駅から少し離れたところにあるたこ(多幸)公園へたどり着いた。私とマチは予定のない天気のいい日にはよくここで何となく過ごす。
「そういえばさ」
「ん?」
「さっき店に荘くんが来てね」
「なになに?」ブランコに座っているマチは両足をばたばたとせわしなく蹴っている。
「「明後日アクアマターのライブに誘われたんだけど一緒にこないか」って」
「デートか!」
「そういうこと」
「やったー!」マチはブランコからたんっと飛び降りて両腕を上にぐんと伸ばして叫んだ。
「いや、誘われたの私だし」
「わがことのようにうれしいっ」
「よーし今日はなべだー」マチは私に背を向けて起き上がった猫のように盛大なのびをした。
「なべ、若干季節外れじゃない?」
「めでたい日は鍋パって相場がきまってるのよっ。ミコの恋愛成就を祝って今日は私のおごりで鍋だー」
「マチってば気が早すぎ」
私たちはスーパーでたくさん鍋の具材と酒とつまみを買って、大きなレジ袋を2人で片側ずつ持って帰った。2人でわいわい作った鍋は多すぎて全然食べきれなかった。飲みまくって酔いつぶれた私たちはリビングでそのまま気を失い、翌朝私は風邪を引いていた。私がなにも纏わず床で寝ていたのに対して、マチが抜け目無く毛布を被ってソファーを独占していたのが恨めしかった。
荘くんは待ち合わせの駅前のマクドナルドへ15分遅刻してきた。10分でも20分でもなく15分遅れるというのがなんだか荘くんらしいなと私は妙に感心した。「蕗川ビンテージ」は私の家の隣町の、駅のロータリーから伸びる商店街の丁度真ん中のあたりにある���私はこの街に来たことがなかったのでライブハウスまで荘くんが先導してくれた。風は強く、空は重く曇っている。商店街や幾本かの路線でごちゃごちゃしたこの街は、私とマチが住んでいるところに比べてなんだか窮屈な感じだった。前を歩くやや猫背の荘くんに付いて駅からしばらく歩くとやがて「蕗川ビンテージ」に辿り着いた。荘くんが「あそこ」と指を指してくれなかったら私はそれがそうだと気付かなかっただろう。「蕗川ビンテージ」はどう見てもただの寂れた雑居ビルだった。よく見ると、ぽっかりと空いたビルの地下へと続く入り口の前に「アクアマター」のワンマンの掲示があった。その入り口の前に、いかにもバンドマンといった出で立ちの5人の男女が談笑していた。若いのか、それとも私たちよりずっと歳上なのか、いまいち判然としない風貌の人たちだった。その5人はやって来た荘くんを認めると手を振り、荘くんはそれに応えて私をほったらかしてポケットに手を突っ込んだまま5人に駆け寄った。荘くんが1人の男の横腹を肘で小突く、するとその男は笑いながら荘くんにヘッドロックを決め、ほかの人たちもげらげらと盛り上がった。どうやら荘くんととても親しい人たちらしい。少し話すと荘くんは突っ立っている私のほうに戻って来た。それから私の手を引いて、地下への階段を降りて行く。荘くんが近い、かつてないほどに近い荘くんのうなじから、シャンプーと煙草が良い塩梅に混じった私の好きな匂いが漂ってくる。匂いはたしかに近いけれど、暗すぎて当の荘くんの姿がよく見えない。なにかがずれている気がした。私たちは、どこか歪な気がした。私たちが、というか私だけが明らかに場違いだった。「マチは今どうしているだろう、そろそろ帰ってる頃かな、晩ご飯は私がいないから今日は外食なんだろうな」好きな男に手を引かれているというのに私の頭に浮かんで来るのはマチのことだった。やれやれ。
2人分のチケットを荘くんが受付の初老の男に手渡す、そして荘くんはまたその男としばらく談笑し始めた。「ちょっとお手洗い行ってくるね」と私はその間に用を足した。戻ってくると受付の前に荘くんを中心に人だかりが出来ていた。荘くんの周りにおそらく10人以上はいたが、その中の誰1人として私の知っている顔はなかったし、荘くんを含め、そこに誰1人として私のことを気にする人はいなかった。私はまるで透明人間にでもなったかのような心持ちだった。あそこで人の輪に囲まれ楽しそうに話しているあの人はいったい誰なんだろう。いつも「鯤」に来て親しく話してくれるあの人。私がいつか「アクアマター」が好きだとこぼしたことを覚えてくれていて、デートに誘ってくれたあの人。でも冷静に考えると当たり前のことだったのだ。界隈で突出した人気を誇る若手バンドのフロントマンの荘くんと、街の隅でこそこそと暮らしている私みたいな誰も知らない地味な女なんて、そもそもステージが違うのだ。私は知らないライブハウスの柔らかくて厚い防音材の壁にもたれながら、誰にも知られず夜空でひっそりと翳りゆく月のように、緩やかに卑屈になっていった。誰かここから連れ出してくれないかな、これがまさしく「壁の花」ってやつね。卑屈の次にやってくる自嘲。思えば幾度も覚えたことのある感覚だ。いままでに縁のあった男はみんな、折々こんな風に私のことをないがしろにした。
ほどなくしてライブが始まった。ライブは、よかった。横にいた荘くんは頻繁に何処かへ消えた。たぶん、知り合いの誰かと話しに行っているのだろう。そう、ここでは私以外のみんなが知り合いなのだ。ライブの終盤、ストロボが瞬くクライマックスの轟音の中荘くんは強く私の手を握ってきた。私はそれを知らんぷりした。スモークの甘ったるい匂いがやけに鼻についた。ライブ自体は、本当によかった。
外に出ると小雨が降っていた。荘くんはライブの終わりからずっと私の手を握ったままで、駅の方へ私を引いて歩いていく。私はなにも考えずにそれに従う。疲れて、頭がぼーっとしていた。商店街の出入り口のアーチの辺りで、荘くんは「じゃあいまからウチで飲もっか」と切り出した。私はまっぴらごめんだと思い「えーと今日はもう帰ろうかな、明日も朝早いし…」と丁重にお断りした。
「別にいいじゃん、ご近所さんなんだしバイトは朝、俺の部屋から出勤すれば」荘くんはしつこかった。
「いやーやっぱ何だか悪いしルームメイトもいるんで今日は家に帰ります。今日はほんとにありがとう」
私は返答に窮して言い訳にならない言い訳を口走っていた。そのとき私ははっと息をのんだ。荘くんは怒っていた。彼の表情こそ変わらないが、私なんかにプライドを傷つけられたこの男が激怒しているのがわかった。
それから突如荘くんは声を荒げ
「んだよ、俺とヤりたいんじゃなかったのか?」
と今まで私が聞いたことのない荒荒しい声音で言い放った。そのとき私は頭が真っ白になった。私はこの人が何を言ってるのかわからなかった。信じられなかった。この人も自分が何を言っているのかきっとわからないに違いない。そうであってほしい、と私は願った。
私はいつの間にか私の肘を強く掴んでいた彼の手をばっと振り切り、夢中で駅まで走った。後ろであの人がこっちに向かってなにか喚いている気がした。私はそれから逃げるために全力で走る。とつぜん視界がぐにゃあと歪んだ。音のない雨は、いつのまにか本降りになっていた。頬を伝って落ちる生温いものが春の雨なのかそれとも涙なのか、わからなかった。
マチは私に何も訊ねなかった。あの夜ずぶ濡れで帰ったきた私の
様子を見て何となく察したのだろう。お風呂から上がってきた私に何も言わずに中華粥を作ってくれた。荘くんはあの日以来鯤に来ることはなくなった。蓮さんは
「まあ今回は縁がなかったってだけさ。月並みな言葉だが男なんて星の数ほどいるんだぜ」と慰めてくれた。
でもそれを言うならば女だってそうだ。それこそ私は荘くんにとって星の数ほどいる「都合のいい女候補A」にすぎなかったんだ。私はまた卑屈になっていた。このことをマチに話すと「処置無しね」の表情をされた。マチの「処置なしね」の表情。白いつるつるの眉間に少し皺が走りいたましげに私の顎辺りに視線を落とすこの仕草が私は密かに好きだ。ソシャゲの依頼はなんとか納期に間に合ったが、私は次の賞に挑む気力が沸かなかった。スランプに陥ってしまったのだ。なんだかどうしても力が入らなくて、私は湯葉のようにふやけてしまっていた。このままなんの意思も目的も持たず、たゆたうクラゲのように何処かへ攫われてしまいたかった。あの失恋で、まるで私とこの世界とを繋いで私を立たせているピンと張った一本の糸が、ぷつりと切れてしまったようだ。私は休みの日のほとんどを寝て過ごすようになった。
私が一ヶ月以上もそんな状態だったので、放任主義のマチもさすがに見かねたらしく、「ミコ、餃子をやろう」と私に切り出した。パジャマの私はソファでクッションを抱いて寝転びながら「うぇえい」と曖昧に返事した、ミコが「マチはかわいいなあ」と言って後ろから抱きつこうとしてきたが私はそれをひょいと躱し、勢い余ったマチはフローリングでおでこを打ち「ぎゃっ」と叫んだ。そのとき私に被さったミコの身体はとてもひんやりとしていた。
餃子の買い出しから仕度まで殆どミコがやってくれた。私はソファに寝転んで夕方のニュースを見ながらミコが手際よく餃子を包んで行くのを背中で感じていた。辛い時は甘えられるだけ相手に甘えるのが私たちの生活の掟なのだ。私とマチは、いまままでずっとそうやってきた。
「いざ!」待ちくたびれて私がうつらうつらし出した時にマチは意気込んで餃子を焼き出した。しゅわあと蒸気が立つ音とともに、むわっとした空気がリビングに立ち込めた。私は薄目でせかせかと餃子を焼くマチの背中を見ていた。「このまま帰りたくないな」そんな素朴な気持ちが不意に、去来する。私たちには他にいるべき場所があって、いつまでもこの生活が続くわけないのはお互い、何処かで理解していた。けれど私たちはそれに気付かないフリをしている。
マチの背中って小さいんだなあ。そんなことを考えると何だか目頭が熱くなってきたので、私は寝返りをうち、狸寝入りを決め込んだ。クッションに顔を埋めてきゅっと眼を瞑っていると、まるで幽霊になって、空中を漂いながらミコのことを見守っているような、ふわふわと暖かくて寂しい気持ちになった。
「ほらほら引きこもりさん、餃子が仕上がって来たわよ。テーブルにお皿とビール出しといて」
「あいさー」
テーブルの皿に綺麗に連なって円になっているマチの餃子はつやつやでぱつぱつだった。マチは餃子の達人だ。マチよりおいしい餃子を作る女を私は知らない。
「じゃあ、餃子にかんぱーい」
「かんぱーい」
最初の一皿を私たちはあっという間に平らげた。
「じゃあ第2波いきまーす」
「いえーい」
マチは餃子をじゃんじゃん焼いた。私がもう食べられないよと喘いでも取り合わず焼きまくった。マチは何かに取り憑かれたようにワインを呷りつつ、一心不乱に餃子を焼き続けた。「餃子の鬼や…」私がそう呟くとマチはこっちを振り向いてにいっ、と歯を出して笑った。
餃子パーティも無事に終わり、私たちはソファで映画を見ながらワインをちびちびと飲ん��いた。
「ミコ、この映画つまらないね」
マチがずっと見たいと言っていたから私がバイト終わりに借りてきてあげた映画だった。
「たしかに、脚本は悪くないけど演出が単調だね」
マチは冷蔵庫から新しい缶チューハイを持って来てぐびと勢い良く飲んだ。それから酒の勢いを借りたようにこう言った。
「ミコ、屋上に行こうか」
私は缶ビール、マチは缶チューハイを片手に最上階の廊下のフェンスを跨いだ。マチは私の手を引いて真っ暗で何も見えない中、屋上へと続く鉄骨階段を上がっていく。あれだけ餃子を焼いたにも関わらずマチの手は冷たかった。たん、たん、と微妙にずれたふたつのゆっくり階段を踏む冷たい音が闇の中密やかに響く。酒気を帯びたマチのにおいがする。なんだか懐かしいにおいだ。毎日のように嗅いでいるはずなのに。私はマチをぎゅっと抱きしめたかった。
屋上は無風だった。しんとしていて、まるで世界が止まったみたいだった。私たちの住むマンションは台地のてっぺんに建っているので、屋上からは街が良く見渡せる。酒の缶を持った私たちは並んで囲いの柵に凭れて、街の灯をぼんやりと眺めていた。不意にささやかな音で聞き覚えのあるイントロが流れ出した。最初はか細い月明かりのような調子のその曲は、やがて雲の隙間から抜け出して鮮烈な満月となる。
「Tomorrow never knows」
私はこの曲を聴いた時にいつもこんな印象を受ける。いつかマチはこの曲のことを夜の森の奥で誰にも知られずに燃える焚き火みたいと言っていた。思えば、性格がまるで違う私たちを繋ぐきっかけとなったのはこの曲だった。
あれは私がまだ大学一年生のときの冬だった。私はサークルの先輩に合コンに来てくれと頼まれて不承不承承知した。相手は同じ大学の違うサークルの連中だった。明らかに人数合わせで参加した合コンだ、面白いはずもなく、私はうんざりした。いつ「じゃあ私はこの辺で…」と切り出そうかずっと迷っていたが、二次会のカラオケにも流れで行くことになってしまった。そしてそのカラオケに遅れてやって来たのがマチだった。先輩の説明によると、マチは男側の知り合いだそうだ、それで先輩とも面識があったので呼ぶ運びとなったのらしい。部屋に入って来たマチを見て私は「きれいな女の子だなー」とうっとりとした。マチは空いていた私の横にすとんと座った。思わず頬が緩むようないいにおいがした。スキニーを穿いた華奢な脚のラインが綺麗で、横に座っていると、私の若干むくんだそれと比べずにはいられなかった。マチは終止にこにこしていた。男たちは明らかにみんなこの場で一番綺麗なマチを狙っていた。私は半ばいやいや参加したとはいえ、やはりみじめな気持ちだった。下を向いて鬱々としていると私にマイクが回って来た。あまり歌は得意ではないのだが…と思いつつ私は渡されたマイクを掴み、ええいままよとミスチルの「Tomorrow never knows」を歌った。歌っている時にマチがじっとこっちを見ていたのを不審に感じたが私は気付かないふりをして歌いきった。合コンはつつがなく終わった。解散してターミナル駅のコンコースを歩く私たちの集団は1人ずつ空中分解していき、やがて私とこの初対面で良く知らないマチという女の子だけが残った。私たちは無言で微妙な距離を保ちながら並んでしばらく歩いた。
「私って合コンとか苦手なんだ~」やにはにマチが間延びした調子で呟いた。それからふわあと大きなあくびをした。私はその様子を見てなんて美しいひとなんだろうとうっとりした。合コンのさなか、表面上は取繕っていたが、明らかに退屈そうにしていたのも見て取れたので、私はマチに好感を抱き始めていた。
「なんか私同世代の男の子って苦手だな、何話したら良いかよくわからないし」
「私もああいう場は少し、苦手」
「ねえ、お腹空かない?」
「ちょっぴり」
「ラーメンでも食べにいこっか」
「うん、いいよ。この辺?」
「うん、北口からちょっと歩いたところにおいしいラーメン屋があるんだ。塩ラーメンなんだけど、大丈夫?」
「大丈夫、塩ラーメン好きだから」
「それではお嬢さま、エスコートいたします。」
とマチは腰を落として片足を後ろに引く紳士の挨拶のポーズをした。
「で、では、よろしく」
私もコートの腰のところを両手でつまんで膝を曲げ淑女の挨拶でぎこちなく応じる。
私たちは改札の前で踵を返し、ラーメン屋へと向かった。
「ミスチル、好きなんだね」
「うん、親の影響なんだけど」
「私も好きなんだ。だから、君がさっき歌ってたとき嬉しかった。周りに音楽の趣味が合う人がいなくってさ、ミスチルとか今の若い人もうあんまり聴かないもんね」
「うん、カラオケとか行くとみんな今時の曲ばっかり歌うもんね。特に合コンなんかだと顕著」
「男も女もなんだかんだ言っても最終的に画一性を自分に強いたほうが楽なのだということなのかも知れんね。ところで君、名前は?」
「私はフジサワミコ。あなたは?」
「私も名前二文字なんだ。湊マチ」
「みなとまち」
「マチでいいよ」
「わかった、私のこともミコって呼んでよ」
「そうだ、ハタチになったら一緒に飲みにいこうよ。ライン交換しよ」
それがきっかけで私たちはことあるごとに2人でつるむようになった。私がこっぴどく振られた時も、マチの就活が難航を極めていたときも、いつも酒なんかを飲みながら互いに慰め合った。ルームシェアをしようと言い出したのはマチのほうからだった。それは私が就職を諦め夢を追うことにするとマチに打ち明けた次の日だった。
「私はミコがどんなでもそばにいてあげるよ」
マチはことあるごとにこんなことを言うのだった。
「どんなのでもって、もし私がアメーバみたいな真核生物でも?」
「アメーバでも好きだよ」
「私も、マチがアメーバでも好き」
赤ら顔の私たちは屋上で「Tomorrow never knows」を歌っ��。
「はーてしなーいやみのむーこうへーおっおー てをのばそー」
呂律の回らない舌で私たちは叫びながら柵の向こうへ両手をぴんと伸ばした。伸ばした指の先に、滲んでぼやけた街の灯りたちが、きらきらと輝いていた。
私はそのプロポーズを受けることにした。相手は麗さんという人で、マチの紹介で知り合った10歳上の高校の生物の教師だった。マチはあの失恋以来落胆している私を励ますために、荘くんとは真逆のタイプの男を紹介してくれたのだった。交際は、以前の私ではとても考えられないくらいにうまくいった。私は素敵な男をあてがってくれたマチに心の底から感謝した。彼はとても良く尽くしてくれたし、私も彼のことがとても好きだった。彼と付き合い出してから、彼の家に泊まって部屋に帰らないこともしばしばあった。そして私と対照的にマチはその頃からだんだんと不安定になっていった。なにかといらいらしてたまに私にあたるようになったのだ。私は何故そうなったかマチに聞くこともなかった、何となく察しがつくだけに余計聞く気がしなかった。喧嘩も私が帰らなくなった日のぶんだけ増えていった。
ある日3日間麗さんの家に泊まってから帰ると、私の部屋のものが全部廊下に放り出されていた。
「なにこれ」私はこっちを振り向きもしないリビングでソファにかけてテレビを見ているマチに問いかけた。
「もう出て行くのかと思って部屋を片付けといてあげたよ」
「ばかじゃないの?ほんとガキだね」
なんてみっともないんだ。私にいつまでもこだわって、ばかばかしい。
ずかずかと歩いてリビングに入ると不意にマチが振り向いてこっちをきっと睨みつけたので私は立ち竦んでしまった。
「ミコ、ミコの夢は、努力は何だったの?なんで…そんなに簡単に諦めるの?」
マチの声は掠れていた
「前にも言ったけど私には才能がないんだしもう筆を折ったんだよ」
「なんでも手に入れることのできるマチには私のことはわからないよ。知ったような口を聞かないで」
私はいつしか心の何処かで自分の夢と、マチから解放されたいと思い始めていた。
「そういえば言ってなかったんだけど私あの人にプロポーズされたんだ」
マチはまたテレビの方を向いて石像のように固まって何も言わなかった。
「おめでとうとか、ないの?」
マチは依然としてだんまりだった。
そのとき、私の頭のなかでぐわん、という音がした。誰かに後頭部を殴られたような衝撃だった。それから涙が、とめどなく溢れてきた。私は泣きながら廊下に放り出された荷物を出来る限りまとめた。それから麗さんに電話をしてワゴンを出してもらい部屋の私の家具や持ち物を全て、3往復して麗さんの家に運んだ。それっきり、あの部屋には二度と戻らなかった。それはあまりにもあっけない幕切れだった。麗さんは「人のつながりなんて、そんなもんさ」とやけに達観した口ぶりで私を慰めてくれた。3ヶ月後に披露宴の招待をマチにラインしてみたが既読すら付かなかった。
「もう、終わりにしよう」
別れを切り出したのは英治のほうからだった。英治はセックスが終わってしばらくして呟くようにそう言った。実のところ私は、英治のほうからそう言ってくれるのをずっと待っていた。いかにも安ラブホテルの調度品といった感じのチープなガラスのテーブルの上の、パフェ皿の底に残って溶けたソフトクリームがピンクの照明を反射しててらてら光るのを、私は裸でシーツも被らずに茫然と眺めている。英治��シャワーを浴びる音が聞こえる。英治が上がったら私もシャワーしなくちゃ。…どうしてこうなっちゃったんだろう…どうして。やにわにテーブルに起きっぱなしのスマホが震え出した。ガラスの上でがちゃがちゃ騒ぎ立てるそれに私はいらっとして。ぱっと手に取った。その画面には「麗さん」と表示があった。
「来月の裕太の体育祭どうする」
メッセージの内容はこれだけだった。私はスマホの画面を暗転させて枕元にぽんと投げ捨てベッドに潜り込んだ。麗さんと英太にはもう一年以上会っていなかった。毎日仕事漬けで夫と子供を捨てて出て行き、愛人と日中に安ラブホにしけこんでいる私のような女が今更どの面下げて元伴侶と息子に会いに行けばいいんだ。いやだ、このままなにもしていたくない。この地の底のような穴ぐらで、誰にも干渉されずにずっと踞っていたい。
「ミコ、ミコ、ミーティングに遅れちゃうよ。起きて」
そうだ、私は次の作品の企画ミーティングに行かなければならない。何せビッグタイトルのナンバリングだ。集中しなければ。
ミーティングはかなり難航したもののなんとかまとまった。私も英治も、いつものようにメンバーに振る舞った。私たちの関係に気付いている人は、どうやら1人もいないようだった。帰りがけに私と英治は小さな居酒屋に寄った。ここは私たちが関係を持ちだしたころ英治が教えてくれた店だ。
「今度のプロジェクト、うまく行くといいな」英治は燗を呷って少し上機嫌になっていた。昼間のラブホテルでの言葉を取繕うためなのかもしれない。
「なんたってミコには実績があるもんな。大丈夫、ミコならこの先一人でもうまくやっていけるさ」
「聞きたくない…」
「え?」
「「聞きたくない、そんな言葉」」
私は思わずそんなことを口走りそうになったが、かろうじてそれを飲み込んだ。
「英治はどうなの」
「どうって?」
「この前も辞めたがってたじゃん。この仕事、自分に向いてると思う?」
そうだ、私が英治の仕事や家庭の愚痴を聞いてあげるようになったのがこの関係の始まりだった。
「うーん…向いていようが向いてまいが、俺にはやるしかないな。やっぱり何度も言ってるけど、自分の夢のために邁進してきたミコと俺はスタンスが違うよね、それに俺…」
「俺?」促しても英治は先を言うのを躊躇うので私はいらいらした。握りしめた水割りを私はぐいっと飲んだ。
「俺…2人目ができたんだ…」
「ふうん、おめでとう、ね」
「そうなんだ、だから、この関係もそろそろ潮時なのかなって。」
私はカウンターに万札を叩き付けて店をあとにした。なにも英治に腹が立った訳ではない。私は全てがいやになってしまったのだ。夢も、仕事も、家族も。
「違う…私は…私は…」
私は無意識にそう呟きながら明後日の方向へ駆け出していた。後ろで英治が私を呼びかけながら付いてきていたが私はその声がしなくなるまで走り続けた。走って走って、私は知らないバーに駆け込んだ。それからジャックダニエルのロックを注文した。なにも考えたくなかった。ぼうとそれをちびちびなめていると、やにはにスマホがポケットのなかで震えた。英治がなにか取繕うためのメッセージを送ってきたのかと思い私はうんざりしながら画面を見た。しかしそこに表示されていた名前は「英治」ではなく「マチ」だった。
私は反射的にスマホをカウンターに伏せて置いた。そしてウイスキーを飲み干しておそるおそる画面をタップして内容を確認すると。
「久しぶり、突然ですみません。今度会えませんか。」とあった。
私は胸がざわざわした、けれどもう何も考えないことにした。すぐにマチに「いいですよ」と返信した。
待ち合わせは2人が分かりやすい場所が良いとのことで「鯤」にした。私は待ち合わせの時間より少し早くに鯤に来た。
「いらっしゃい。おお、ミコ」
蓮さんは最近白髪が増えたものの相変わらず元気だった。私は鯤には昔のなじみで今でもたまに来るのだ。
「ごぶさたじゃないか。仕事忙しいのか。なんか、顔が疲れてるぞ」
「うん、ちょっと最近いろいろあって、でも大丈夫だよ、ありがとう」
蓮さんはいつでもぶれずに蓮さんなので話していると私は安心する。蓮さんって私にとってオアシスのような人だ。
「今日ね、マチと会うんだ。ここで待ち合わせしてるの」
「マジで!すごいな、何年振りだ?」
「10年振り…」
「そうか、あれから10年も経つのか…なんかあっというまだな」
「うん、いろいろあったね」
本当にいろいろあった。でも、私とマチの時間はあの時のまま止まっている。私が部屋を飛び出したあの日のまま…マチはいったいどうしていたのだろう。
私は緊張してテーブルにかけて俯いていた、しばらくしてドアに取り付けたベルがからん、と鳴った。顔を上げると、入り口にスプリングコートを着たマチが立っていた。そのシルエットは背後から射す春の陽射しに象られていた。
「おおお、マチちゃん!久しぶりー!」
「マスター、お久しぶりです。」
「相変わらずべっぴんさんだね。ここに2人がいるとなんだかあの頃に戻ったようだな。ゆっくりしていってな」
「マスターも相変わらずみたいで。ありがとうございます」
マチははにかんだように微笑みながら、私の向かいに掛けた。私は気恥ずかしかった。何を話したらいいのか全くわからない。マチもそうなのだろう。ずっとそわそわして後ろを振り向いたりしていた。私はマチが少しだけふくよかになっていることに気が付いた。
しばらくしてマチが話し始めた。
「最近いろいろあって考えたの…私どうしてもあのときのこと謝っておきたくて…寂しくてミコを傷つけることしかできなかった。ミコがいないとだめなのは自分のほうなのに、そして、そう思えば思うほど心細かった。こんな風にミコを呼び出して謝るのも独りよがりだけど。どうしてもそれだけは伝えたくて、ほんとにごめんね、ミコ」
そう言ったマチの眼から涙がひとすじ流れ落ちた。
そうか、みんな寂しかったんだ。私とマチだけじゃない。麗も、英治も、それから荘くんだって。ミコの涙を見て私のなかで何かがはらりと落ちていった。それはたぶん、いつの間にか私の心に巣食っていた「あきらめ」のようなものだった。
「いいんだよ、マチ、もういい」
「あ、あり、ありがとう、ミコ、うわーん」
マチはぐしょぐしょに泣いてバッグから出したハンカチで顔を抑えていた。ほかの客もびっくりして、カウンターに掛けているおばあちゃんも「あれあれ」と茶化してきた。私もつられて泣きそうになったがこらえてマチの手をとって店の外へ出た。
私は泣き止んできたマチの手を引いてしばらく歩いた。
「見てマチ、ここのスーパーでよく買い物したよね」
「あっこの公園覚えてる?よくブランコ漕ぎながら酒飲んだよね」
マチは鼻をすすりながら「うん、うん」と相槌をうつ。
春の気持ちのいい暖かい風が、懐かしい気持ちを呼び起こす。マチの手は、あの頃と同じで冷たい。
私はマチの手を引きながらマチとの部屋を後にしてからのことを吶吶と話した。結婚して間もなく、昔穫ったグランプリの作品を目にしたディレクターに大手ゲーム会社のシナリオライターとして抜擢されたこと…麗さんとの子供が産まれたこと…仕事が多忙なのが原因で離婚したこと…仕事が忙しすぎて疲れていること…同僚の不倫相手との関係が終わったこと…
マチは私のところどころくすりと笑いながらただ聞いてくれていた。
「ぜんぶミコだね」
「え?」
「恋愛でポカするのも、仕事や夢に疲れて参っちゃうのもぜんぶあの頃と同じミコだ。ミコは私が知らない間もミコをやってたんだね」
「たしかに、全部わたしだ。わたしらしい…わたし」
そしてマチもずっとマチだ。あの頃と同じ、強い肯定も否定もせずただ私に寄り添ってくれる。そんなマチを見ていると今日の朝までずっと私を苛んでいた罪の意識や漠然とした憎悪が緩やかに解れていった。
「ねえマチ」
「ん?」
「屋上に行かない?」
私たちの住んでいたマンションはまるでタイムスリップしたかのようにあの頃と同じで、どこも全く変わっていなかった。
いけないことと知りつつ、私はマチの手を引きそうっと忍び足で、屋上への階段を昇る。
私たちは昔のように並んで囲い柵によりかかり街を見渡した。
「どこもかしこもなーんにも変わっていないね」
「そだね、あ、でも私は少し変わったかも」
「どんなところが?」
「私、結婚するんだ。式は挙げないことにしたんだけど。それでね、今お腹に赤ちゃんがいるの」
「え?」
私は不意をつかれて唖然とした。
「何ヶ月?」
「3ヶ月」
「えーっと…夫さんはどんな人?」
「優しい人だよ、今の職場で知り合ったの」
「おめでとう、マチ」
「ありがとう、ミコ」
私たちは手を繋いだまま顔を見合ってくしゃっと笑った。
「これ、覚えてる?」
私はスマホのプレーヤーを開いて再生をタップした。
「うわ、懐かしい、私今でも聴いてるよ」
「私も聴いてる」
あの夜この屋上でマチと一緒に歌った…そしてマチと私を繋ぐきっかけになったこの曲。
「Tomorrow never knows」
私たちはあの頃を思い出しながら小さな声で一緒に歌った。これまでと、これからの全てが、発酵するパン生地みたいに私のなかでふわり広がって行った。
心のまま僕は行くのさ、誰も知ることのない明日へ
そうだ、私とマチは私とマチのままで、あの頃のような万能感はなくともしっかりと歩いて行くんだ。癒えない傷を抱えながら。あらゆる柵に絶えながら。
私たちの目の前には、霞がかってぼやけたなんでもない街が広がっていた。
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弾丸滋賀旅1日目
週末に旅に出ないとダメな体になってしまった。今週はなんとなく元気がなく、頭も心も空っぽにしなければ! 三連休まで待てない! と、行ったことない都道府県の中から弾丸で滋賀県への旅行を決めたのは火曜日で、金曜の夜には夜行バスに乗っていた。
弾丸と言いつつも、パッケージツアー並みにしっかり行程を組んだおかげで、行きたいところは網羅できたし、ひとり旅ならではの人との出会いもあり、大満足で終えた1日の終わりにこれを書いている。
まずは夜行バスで名古屋まで行く。シャワーを浴びてせっかくなのでモーニングを食べた。
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▼リヨン
モーニングってすばらしい文化だと思う。そもそも朝ごはんを食べることが大事なんだけど、カフェでゆっくり食事と向き合ったり、自分の考えを整理したり、出勤や予定の前にそういう時間を作ることがなにより大事な気がする。人生において。
朝がその日の中で1番雑味のない脳内な気がするから、都内に戻ってもせめて休日だけでもモーニングしたいなあと。
あんプレス、軽くてぺろりだった。うんま。
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そこから滋賀県へ。東海道線を使って、名古屋〜米原〜木ノ本というルートにした。
電車から見える景色がとても美しい、日本の夏。空が広くて雲が近い。家も瓦屋根で古民家っぽくて、それがたくさん並んでるからひと昔前の空間に来たように感じる。集合してるから。
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そして木ノ本駅が最高だった。お店があるわけではないけど、建物も低くて、歴史感がそのまま残っている。これ歴史的ノスタルジアっていうのか。
なぜ木ノ本駅に来たかというと。
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▼つるやパン 木之本本店
滋賀県でしか買えないサラダパンのため。
ちょっとコッペパンがもっちもちの噛みごたえばっちりでびっくりした。たくあんとマヨネーズが挟まってるだけなのに、意味わからないくらい美味しい。重すぎず、何個も食べられそう。パン好きとしていろんなパンを食べてきているけど、コッペパン部門の暫定1位だった。
訳あって、働いている方とお話しした。
実際にお話しして、東京からわざわざ来てくれたんですねって言ってもらえるのも、自分が実際に食べて美味しいと感じたものを、仕事に繋げられるかもしれないと思ったらとても幸せ。
旅先でいろんな人や物に出会いたいし、そうした出会いと仕事が出来たら理想だし、やっぱりオンラインじゃなくて脚を使ってネタを見つけたい。
そして長浜駅へ移動。
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▼鳥喜多 本店
つるやのパンを持って1人で並んでたら、お店のおじさんがいろいろ話しかけてくれた。美味しいパン持ってるねえ、名前の漢字どう書くの?めがねいいね、とか。
こんな美味しい親子丼はなかなかないと思った。とろける。だいたいこういうとろり系の親子丼って、食べ進めると飽きがちだけど、飽きることなく完食。ふわとろで、40分くらい並んだけどもっと並んでも食べる価値ある。たまごもツヤツヤで大満足だった。これを650円でいただいていいのか……。
お腹もいっぱいなので散歩。
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つるやパンが美味しすぎたのでこちらにも訪問。
▼つるやパン まるい食パン専門店
サンドイッチ、食パン、ラスク、あらゆるパンが豊富に置いてあって天国だった。ここからここまで、って言って買い占めたい。
そして長浜城を見て散歩を続けていたら、
まさかのかなり至近距離に琵琶湖があった。
琵琶湖がこんなそばにあると思わなくてびっくりした。湖近くのベンチでウクレレ弾いて歌ってる人がいたり、子どもが遊んだり、ゆったりとした時間が流れていて、また頭と心を空っぽにしたいと思ったらここに来たい。こんな景色が近くにあるなんて、長浜に住む人たちはなんで贅沢なんだ……。
最初はただぼーっとして、好きな曲を聴きながらまたぼーっとして。都会は狭く、自然もなくて、ずっといると疲れるので帰りたくない。
明日は今回のメインである近江八幡を観光するので、移動して夜ご飯(終始食べ過ぎている)。
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▼近江かね安
近江牛を使った焼き肉丼。甘いような、でもちょうどいい塩辛さもあって、気がついたら食べ終わってしまった。
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ここでもお店の方とたくさんお話しした。
東京には牛一頭まるまる解体している精肉屋はほぼないということ、現在は部位ごとに担当が分かれていることが多いので、一頭を一人で解体できる人はいないと思うこと、かなりの力仕事だからあと5年、いや3年くらいでお店もやめようと思っていることなど。こういう仕事は後継者がいなければ続かない。
あとは滋賀県は冬になるとかなり雪が降るので、観光としては10月、11月ごろまでかなということも聞いた。雪のイメージはなかったけど、70センチくらい積もることもあるし、山のほうに行けばスキー目的の人が来るということだった。
こうして実際に住む人から話を聞くのが一番面白い。そして行きたいと思ったタイミングで訪れた今の時期(というか今日)はかなり天候にも恵まれ、暑過ぎず寒過ぎず、いくらでも歩けるような気持ちの良い秋晴れだった。人生はタイミング。
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牛肉の話について、後継者がいない問題はこれに限った話ではない。
日本から生産者がいなくなったら全部輸入品になるわけだけど、せっかくの日本の良き食文化は輸入品だけでは残せないだろうし、いつか消えてしまうかもしれないというのは大問題。自分の仕事が、少しでも生産者と消費者をつなぐきっかけになればいいけど、それで解決できるのだろうか、そもそも今、つなぎきれていないし、今後どうしていけばいいのか、などと少し悶々としながら30分ほど歩いて帰宅した。
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ひとり旅だと旅先の人との会話はすごく増える気がする。自分も出会う人と積極的に話したいと思っているからかもしれない。相手は自分のことなにも知らないし、むしろ子どもに見られることもあるだろうけど、フラットな位置で出会ってフラットに会話できるのは楽しい。これは旅の大きな醍醐味。
旅しながら暮らせるようになりたいと改めて感じた1日だった。
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