#原宿朝カフェ
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【原宿】おいしくてヘルシーなヨーグルトを味わえる!おしゃれカフェAPTIMO(アプティモ) 新規オープン
🚃JR原宿駅竹下口から徒歩13分
🚃北参道駅から徒歩7分
国立競技場からほど近い場所に🏟グリークヨーグルトとコーヒーが楽しめるカフェ☕️がオープンしました✨
→ https://harao.tokyo/blog-jing/p41914
グリークヨーグルトとはギリシャヨーグルトのことで、たんぱく質をはじめとする栄養が豊富で脂肪が少なく低カロリー🫕
もっちり濃厚な新感覚グリークヨーグルトをスタイリッシュな店内で味わうことができます💕
朝8時から営業しているので自家製グラノーラやハチミツをトッピングすれば、朝食やドルチェにもピッタリ❣️
たんぱく質が豊富で低カロリーなのに食べ応えと満足感たっぷり!な手作りグリークヨーグルト🍧
ぜひ堪能してみてくださいね🥄
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たどり着かなかったおおくの未来たちへ
文フリ東京だった。 土曜日開催のイベントってなんだかんだ言いながらは��めてのような気がする……労働が土日祝休めなかったころはなんでイベントは平日にやらないんだろうと思っていたし、土日が休みだったころはイベントは土曜日にしてほしいと思っていたが、日月休みになると、イベントは日曜日がいいなと思ってしまう。日月は宿泊料金がやすい。
そんな自分本位な「この日がいいな」をわたしはいくつも持っている。
文フリ東京は、土曜日の朝に出発した。車内販売がなくなってしまって、でもまあ新幹線のホームとか購買にシンカンセンスゴイカタイアイス(シンカンセンモウカタクナイアイスだという噂だが)が売っているらしいから、それを食べようと思っていたが、朝、名古屋駅で見つけることはできなかった。 しょんぼりしながら新幹線に乗る。新幹線の中ではほとんど寝ていた。
東京駅・浜松町・流通センター。いつもの乗り換えで会場に向かう。来年の12月の文フリはビッグサイトでやるらしいから、この行程で向かうのはあと一回。
会場前に八束さんのスペースで不穏なフライヤーをもらう予定だったのでもらいに行ったら、八束さんがさいたま文学館で開催中の『澁澤龍彦の文学世界』のフライヤーも一緒にくれた。 ので、スペースが出入り口の真ん前だったこともあって、これはた��さんのひとに見てもらえるんじ��ないか…!ということで、出口に向けて配置した。完璧である。
そんな素敵な設営をして、開場。
遠方からきてくれたフォロワーさんに展示のフライヤーを見せ澁澤龍彦の話をし、「若い頃にわたしも全集読みました!」と言ってもらうなどしたり、痛覚の麻子さんにはえんえんと「この写真見てくださいやばくないですか?羽田に楯の会の制服を着て見送りに着た三島の帽子をかぶっておどけているときの写真でこれが二人が実際にあった最後になるんですよ……」と一生終わらないんじゃない勝手くらいの話をしつづけてしまったり、このフライヤーに気づいてくれた通行人のひと(「澁澤龍彦だ…!」という声が聞こえた)に「裏面も見てください!そしてよろしくお願いします!」とさっと差し出したり……。こんなに充実した文学フリマ東京は、2014年から参加していて初めてじゃないかと言うくらい充実していた。
惜しむらくは、澁澤龍彦のフライヤーと一緒に不穏なフライヤーを挟んでいたにもかかわらず、だれも「澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制があるんですか?」と聞いてくれなかったこと…。澁澤龍彦と棄てに行ける家父長制は果たして存在するのか……?
とまあ、こんな感じなのだが、そろそろ皆さんも不穏なフライヤーとは?と思っているところだろうと思うので、ご紹介致しますとこういうやつです。
「父親の死体を棄てに行く」アンソロジー。家父長制を棄てに行きたい方はどうぞ2024年5月の文学フリマ東京をお待ちください。
イベントが終わってからは、八束さんとヒマラヤ鍋を食べに行った。 お店の予約時間まで過ごしていたドトールで渋沢栄一の話になり、「ああ、向こうは傍家で、本家はうちなので」と話したら「いまうちって言いました?」と聞き返される。うちです。 ヒマラヤ鍋屋さんはめちゃくちゃすてきな楽隊(?)のお誕生日パレードがあったり、びっくりするような美味しい鍋を食べられたりと大満足だった。
打ち上げを終えて、翌日のさいたま文学館に備えて埼玉に宿を取っていたので、移動をはじめたら電車がいきなり止まった! 電車の沿線で人身事故があったとのことで、近くのハブ駅みたいなところで電車を降ろされてしまう。こんなこと担ったの��初めてなのでびっくりしていると、とりあえず一時間くらいしたら電車は動くからね~とアナウンスが入り、事なきを得る。
都会ならではの体験だな…と思いながら、ホテルにたどり着いて泥のように寝た。
そしてさいたま文学館へ。
張り切って出てきたら開館まえについてしまった…。図録を買って、老人クラブの展示があったので見せてもらったりして(ヤツガシラの俳句があってとてもよかった)、10時になる。
貸し切り状態……。
展示は、埼玉と澁澤の関係から始まっていて、浦和高校時代の写真(浦和高校同窓会が出しているものだった)があるのがとてもよかった。 限定本も展示がたくさんあり、原稿も、文学館が所蔵しているものが4、5点。 サド裁判のときに澁澤が三島に書き送った手紙に、争点が「わいせつか芸術かを超え、表現の自由/検閲への抵抗である」ことが書かれていることを指摘していたり、『高丘親王航海記』の原稿用紙、最初は「了」と書いてあったのを、推敲の段階で文字を自ら消したことを指摘していたり、「澁澤龍彦」という人物を表現との向き合いかたから見せているのが良いと思った。 面白かったのは三島の写真の使い方で、「血と薔薇」の「男の死」の三島の写真、あと、メインビジュアルが羽田に見送りにきた三島の帽子をかぶっておどける澁澤の写真だったからか、「楯の会の制服を着た三島由紀夫」の写真が展示してあったりした。
展示をひとしきり見た後は、図書室に今回の展示の関連本がまとめてあるとのことだったのでそれを身に。「作家のおやつ」「作家の食卓」といった���の紹介や、山﨑ナオコーラが文豪の墓参りにいく本に澁澤の項目があった。山﨑ナオコーラの澁澤へのまなざしにはわたしにもおぼえがある。よい本だった。そしてその本で、先月わたしが緑色のインコに夢中になっていた霊園に中島敦の墓があることを知った。敦、ごめんな……墓のことなんて全然知らなかったから、緑色のインコのことしか考えてなくて……。
その後は文学館併設の「けやきカフェ」で澁澤龍彦コラボメニューをたべる。黒糖と胡桃のパンケーキ。澁澤が好きだった胡桃や黒糖のお菓子をイメージしてつくられていて、とてもよかった。 思い出したのは、今よりもっと貧乏だったころ、いろんなところでやっている澁澤の展示に行けなくて悔しい思いをしたことだった。いまこうしてたどり着くことができるようになったことを、なんだかとても、自分が、自分をなんとかしているように思えた。
パンケーキを食べ終えてから、「武蔵野うどん」に挑戦することにした。「伊勢うどんとは���極にあるうどんだ」という事前情報しかなかった。 桶川駅ちかくのお店はかなり人気店のようでたくさん人が並んでいて、お店に入れたのは並び始めてから一時間後くらいだった。 つけ麺(うどんのことをつけ麺というのか?)システムで、つけ汁とうどんは別々の皿に載っている。なるほどこういうやつなのか、となにも考えずにがっと箸でつかんで汁につけてすすりはじめたはいいが、うどん、めちゃくちゃかたいんですけど?!噛みちぎれない…やばい、全部すすって口の中に入れるしかない……と思ったが、これがまたすさまじく長くて……永遠にうどんがおわらない……。 こんなに硬くて長いうどんはじめてなんですけど?!おれたちは箸で持ち上げただけでへたしたらブツッといく伊勢うどんの民なんだということを再確認し、「これは風邪を引いたときに食べるうどんではなく、体力が有り余っているときに食べるうどんだな」と確信しました。きっと武蔵野のひとたちは、風邪をひいたときにはおかゆを食べるに違いない。(伊勢志摩の人間は風邪をひいたら伊勢うどんを食べます)
二口目からは一本ずつ食べることで武蔵野うどんのおいしさを堪能し、また是非食べたい、顎の力を試したい、と思った。
武蔵野うどんを噛み砕くのに体力のほとんどを持って行かれて、疲れ果てたので、そのまま帰宅することに。 購買にシンカンセンスゴイカタイアイスを見つけたので購入し、席に着くと、隣のひともおなじシンカンセンスゴイカタイアイスを持っていた。しかもおなじチョコレート味。
べつに示し合わせてはいないがふたり一緒に食べることになってしまい、こんなに好きなひとがいるのに、もうシンカンセンスゴイカタイアイスは車内販売されないんだな……と悲しくなる。 そして、乗車15分まえに買ったし、シンカンセンモウカタクナイアイスだった。
アイスを食べ終えてからは、記憶がない。気づいたら名古屋だった。
名古屋駅で、近鉄のホームに来たら、電車を待つ人は無秩序にホームにたたずんでいて、車両のドアとか何も気にしていなかったし、電車が着いても「先に並んでいたひと」という概念がないので、運良くドアの近くにいたひとから電車に乗りこんだ。東京とかから帰る途中、この近鉄のホームの無秩序さを目の当たりにすると、まだ名古屋から三重まで帰らないと行けないのに、「帰ってきたなあ」と思うのだった。
名古屋駅から最寄り駅までも、寝ていたのでほとんど記憶がない。
帰宅したら、夕食は焼きそばだった。焼きそばの麺は、どれだけ頬張っても簡単に噛みちぎれた。武蔵野うどんは硬かった。
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1207-1211
1207 たくさん洗濯をした。朝から暖かかい日だった。キムチ鍋の残りにごはんと卵と餅を入れておじやっぽいものを食べた。この餅は母が仕事のお客さんからもらったもので(毎年餅つきするらしい)、食べきれないからと毎年わたしのところにもやってくる。わたしも食べきれなくて冷凍していたやつ。いや母はとっくに退職している。これはいつの餅だろう。いつのかわかんないけどふつうに食べられた。スープジャーにこれを入れてお昼にし、入りきらないぶんを朝食べた。
角川ふざけんなとバチぎれた日記を書いた。バチぎれた日記を書くとソワソワしてしまう。わたしはいろんなことをのろのろのろのろ考えているタイプで結論を遅らせがちなんだけど(意図して遅延させている面もある)、この件の差別的な宣伝文に関しては言える人がすぐ言わないとだめだと思った。「伝染する」はひどい。今後いろんな価値観や常識は変わっていく可能性があるけど、いま、この瞬間、「伝染する」にショックを受ける(受けた)人たちがいることを無視しちゃだめだと思った。どのような本も出版を妨げられるべきではないというのはそれはそうなんだろうけど、と同時にNOは言わなきゃと思った。このあいだの日記でも書いたけどわたしにはひどいミサンドリーがあり、自分のあたまで考えたつもりのことはまちがいだらけなんじゃないかと不安でたまらない��、実際しくじりも後悔も多い。でもそれはそれとして「伝染する」はありえねーわ。そう思ったいまのこの気持ちを大事にしたいと思った。
なんかいろいろ終わらなくて観に行きたかった映画を観に行けなかった。しょんぼりしながら帰って寝た。
1208 今日も暖かい。寒さに慣れてきたのもあるかもしれない。デニムのセットアップで出かける。セットアップって好き。太ってからメンズのセットアップをよく着るようになった。 甥の誕生日プレゼントを買う。妹にリクエストをきいたら絵本がいいとのこと。「からすのパンやさん」と「スイミー」が気に入っているからそれ以外のかこさとしかレオ・レオニとの指定。五歳になる。絵本の読み聞かせは書いてある文字をぜんぶ読んであげないと怒るそうで、奥付も音読しているらしい。偕成社、東京都新宿区市ヶ谷砂土原町…とかそういうの。わたしも親向けの解説とかぜんぶ読んでたな。
ブックファーストに行ったら絵本はほぼシュリンクされていて、中身が見られなくてちょっと困った。汚損防止だろうけど表紙しかわかんないんじゃネットで買うより不便だ…。 「どろぼうがっこう」、「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「おんがくねずみジェラルディン」、「さんびきのやぎのがらがらどん」をチョイス。中身がわからないから自分の好きなものになる。ジェラルディンはえものおすすめ。だるまちゃんとてんぐちゃんだけシュリンクされてなかったのでぱらっと読んだ。こんないい話だったっけ…ちょっと泣きそうになった。
だるまちゃんがてんぐちゃんの持ち物をつぎつぎほしがり、お父さんに相談して近しいものを手に入れていく。天狗の下駄とか帽子とか。似ているものを探し、自分用を作り出していくさまがかわいくて面白い。あるときてんぐちゃんの鼻にちょうちょがとまって、だるまちゃんも長い鼻をほしがる。最初お父さんは蝶がとまるなら花だと思って色とりどりのお花を並べてみせるんだけど、ちがうそうじゃないんだ、花じゃなくて鼻なんだ、自分は長い鼻がほしいのだとだるまちゃんは訴える。お父さんはお餅をついて鼻を作ってあげて、だるまちゃんは立派な鼻を手に入れる。鼻の先に小鳥がとまって、てんぐちゃんも一緒によろこんで、めでたしめでたし。 めっちゃいい話だな。こういうのって、他人の所有物や身体の特徴をうらやましがるのはやめましょう、自分のあるがままを愛しましょう的なメッセージにしちゃいがちだけど、ほしいものをなんとかこしらえ手に入れるっていうのがいい。めちゃめちゃいい。飛躍しすぎかもだけどこれFTMの話だなって思った。
お昼はピザ。ドミノピザがブラックフライデーで600円というのをやっていて、ブラックフライデー��てもう終わってないか?と思ったんだけど(一応ネットでも調べた、12/3までのキャンペーンと書いてあった)、店の窓には600円ですと書いてあるのでこれまだやってるんですかとたずねたらやっていた。一人で昼間からピザ食べるの浮かれてて面白いな。食べたらとても眠くなりやるべきいろいろが捗らなかった。夕方、通販とか書店さんへの荷物を送った。 夜ごはんはかぶと豚の炊き込みご飯。インターネットで見かけたレシピ。あとじゃがいもの煮物と、ほうれん草を炒めたやつ。ほうれん草はナムルかごまあえにしようかと思っていたけどめんどくさくなって塩胡椒で炒めた。炒めただけなのにやけにおいしくて、なんだか感心してしまった。それで(っていうのも意味わかんないと思うけど)久しぶりにヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
1209 甥の誕生日会。妹と妹の夫の勤めている会社の保養所みたいなところですき焼きを食べた。旅館みたいな畳の個室。甥が卵を割ってかきまぜてくれた。駅から保養所への道で父が転んで血だらけになり、店の人にばんそうこうをもらった。何やってんのと母は呆れ、父はばつの悪そうにしていた。これ以上言ったら機嫌が悪くなるからさっさと手当てして話題を変えようという連携プレーがあった。うちの父はいつも威張っていて口が悪く、その一方で信じられないくらいうっかり者で、離れて暮らしていると困った奴だなーとやや笑えるけど毎日一緒にいると扱いづらくて大変だろうなと思う。ただ母も言動に軽はずみなところがありわたしはしばしばぎょっとするので、まあちょうどいいんだろうなと思う。ちょっと飲みすぎた。瓶ビールを何本か飲んだあと、妹と父とわたしで日本酒の四号瓶をあけた。甥がどんぐりをたくさん拾った。一個ちょうだいと言ったら二個くれた。すべすべした立派などんぐりだった。すごく眠かったけど帰り道だったので新宿アルタ前のスタンディングにちょこっとだけ参加。STANDING DEMO QUEERS FOR PALESTINEっていうやつ。人多かった。帰ってから少し寝て、起きて小説を書いた。夜になっておなかがすいたのでコムタンを食べた。
1210 原稿を提出。ちょっとすっきりした気持ち。日記祭に行く。望月柚花さんと待ち合わせ。新しい下北沢にいまだ慣れないという話。ずっと慣れない気がする。バインミーを食べた。レバーペーストがこってりしていてパンがしっかり固くて、これだよ〜!というバインミーだった。 日記祭、わたしの探し方が悪いのかもなんだけど委託?の本がどこにあるのかよくわからなくていくつか見つけ���れなかった。売り切れもあった。うろうろ歩きまわって見つけらんない感じにきのうの父を思い出した。似てんのかな。口ばかり達者でうっかり者。でもいい天気であたたかくて、見つからないのもしょうがないなという気持ちになった。外でやるイベントいいな。隙間さんの『うつわ日記』と図Yカニナさんの『沖縄に六日間』を買った。 柚花さんと文章の話とか着物の話とかしながらビールを飲んだ。ミントマイナスマイナスのことを覚えていてくださってうれしかった。そしてしゃべっている途中、ネプリにしているステッカーのPalestinaのつづりがまちがってませんかと糸川さんがDMで教えてくださって、自分はほんとにうっかり者だな…と反省した。父はわたしの名前の漢字をしょっちゅうまちがえるのを思い出す。
ドーナツを買って柚花さんとバイバイし、国会前のデモへ。この日は黒のオールインワン(ツナギ)を着ていて、最近イベントとかスタンディングに行くときよく着てる。どこでも座れるしポケットいっぱいあって便利。日記祭行ってビール飲んでドーナツ持ってデモ行くのどうなんだと思いつつ、そのくらいで参加するおっちょこちょいがいてもいいような気もする。あとやっぱりこういうのにぶらっと行けるのは関東民の特権なんだろうなとは思うので、行けるやつは行っとくほうがいいかなと思っている。そこそこ元気で、子育てや介護やぜったい抜けられない仕事とかもないし。 国会前のデモは年齢層が高くてちょっとびっくりした。ナクバを生き延びたパレスチナ人のお孫さんという方がスピーチしていて、胸が詰まった。警察がすごく多かった。地下鉄の出口を出たところで「イベントに参加の人ですか?」と道案内されかけ、イベントではなくないか…?と思った。
日比谷公園でドーナツを食べ、さっき買った日記を読む。隙間さんの日記、写真(LINEの画面のスクショ)がたくさん袋に入っているもので、公園でこの束をカサカサめくる時間がすごくいいなと思った。内緒話みたいな感じ。futouさんのツイッターから流れてきてなんとなく日記を眺めたことが何度かあって、すっかり忘れていたんだけどちょっと前にツイッターをフォローしてくださってああそういえばと思い出した。日記祭でお話してみたかったんだけどfutouさんから来ましたとか意味わかんないことしか言えなかった。このあいだ角川にバチギレた日記を書いたとき、「毎日書いてる日記だけど、怒っていることについて書くと日記ではなくなるな…。でもこの日これを考えていたという記録だからまあいいかという日記。」というツイートにいいねしてくれてうれしかったの。でもわざわざ言うことでもないなと思った。『沖縄に六日間』は旅日記的なものが読みたくて買った。装丁がすごくいい。国会前の時点でスマホの充電はだいぶ��なかった。電源のあるカフェ���かに行けばよかったんだけど天気がよくて思わず公園でぼーっとしてしまった。『ピュウ』を読みすすめた。 体力的にきついかなーと思ったんだけど渋谷ハチ公前のプロテストレイヴをちょっと見に行った。すごくよかった。スピーチがパワフルなのもよかったけど、音楽がすごくよくて…。赤と緑のスモークもよかった。渋谷駅前、スリバチの底に煙と音と声が溜まり、うねっていた。通りすがりに足を止める人も多かったように見えた。これ何やってるんですかと聞かれたのでちょっと説明。ステッカーをあげた。つづりまちがってないほうのやつ。帰って肉を焼いて食べた。
1211 何も捗らない一日だった。きのうおとといと活動的に過ごして疲れているんだと思う。そりゃそうだよなと思う。労働の電話がかかってきたのを無視した。「こわいよお」とか言って布団にもぐった、部屋に一人でいるのにかわいこぶって。メールは返した。春菊とキムチでチヂミを作って夕飯にした。食べながら蘭たんの動画を見た。8番出口のやつ。夜になっても洗濯物はあんまり乾かなかった。今度参加するアンソロの小説を書き進めた。
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久々の旅 二日目
二日目の朝は6時半に出発し、近所の神社を二つまわった。
一つは竹駒神社。
日本で有数の稲荷神社ということで、街中にあるにも関わらず中々雰囲気があるところだった。
鳩がたくさんいるのを母が面白がっていた。
次に向かったのは竹駒神社から車で5分くらいのこれまた神社である。
その名は金蛇水神社。
居酒屋やスナックで出会った人から、今の季節は藤棚と牡丹が綺麗と言われ向かった。
朝早くから大勢の参拝者が訪れていて、確かに藤棚と牡丹が美しくて咲き誇っていた。
神社を後にして朝食を買うためにコンビニに寄る。
普段食べないコンビニおにぎりも、旅の途中ということもあってかさらに美味しく感じた。
更に太平洋を南下していく。
海沿いを目指して走っていくと、高速道路のように高いところを走る県道を通った。
古いカーナビで見るとそこは線路だと言う。
調べてみるとここは常磐線が通っていたところだった。
線路移設によって空いた場所を県道にしたらしい。
震災から十二年でここまで景色を変えてしまう技術力に脱帽だ。
しばらく道なりに走ると通行止めの標識が見えた。
それは帰宅困難地域を表すものだった。
福島第一原発の近くだった。
国道へと導かれて大通りを通る。
コンビニ、紳士服屋、農機具屋の建物が朽ち果て��いる。
所々に放射線量を表す電光掲示板が置かれていた。
警備員が立っている小道もあり、通行者を選別しているように映った。
今もなお原発事故の跡が残っているのだと痛感した。
さらに南へ向かい、美空ひばりの名曲「みだれ髪」に登場する塩屋崎を過ぎるといわき市街にたどり着いた。
ここでいわき出身の上司から教えてもらった店で海鮮丼を食べることに決めていた。
ネタが大きくとても食べごたえがあった。
写真には無いが、大粒のカキフライも見事に美味しかった。
次の目的地は栃木県は黒磯へ。
栃木に住んでいるときに同僚に勧められて行ったカフェへ母を連れて行く。
山をいくつか超えて黒磯へ着いた。
思ったより混んでいなかった。
カフェの名前はSHOZO。
カフェブームはここから始まったと同僚から聞いた。
お客さんが多いから賑やかなのは仕方ないとしても、雰囲気は相変わらずワンランク上の優雅なものだった。
コーヒーの味もスコーンの香りも変わっていなかった。
普段カフェに入ることが少ない母はとても喜んでシフォンケーキを食べていた。
店を後にして、渋滞覚悟で那須高原へ。
並木道や牧草地など那須らしい景色を見て北へ向かう。
白河を越えて郡山方面へ。
福島市内の繁華街に宿をとることが出来た。
昨日と同じくシングルルームを二つ。
日が暮れる頃に福島市内に到着。
宿に荷物を置いて近くの居酒屋へ。
馬刺しを食べながら飲む地酒は最高だった。
部屋へ戻って母とチューハイを飲む。
昨日に続いて母は寝てしまう。
というわけで繁華街へ繰り出した。
音楽バーという看板にひかれて店に入る。
混んでいたが運良く端に座ることができた。
ドラムやベース、ギターにキーボードまでが用意されていて、尾崎豊や長渕剛を常連客が歌っていた。
モスコミュールを飲みながらそれを聞いていると、自分も歌いたくなってきた。
客がひきはじめた頃、思い切ってギターを持つことにした。
奥田民生の「イージューライダー」を歌った。
旅している事に浸りたかった。
店のオーナーからは「もっと人が多いときにやってほしかった」と言われ、少し照れてしまった。
その後、ホテルに戻る。
ここでとある出会いがあるのだが、それはまた別の機会に。
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2023/2/10〜
2月10日 やっとiPhone14へ機種変更した!えらかった! 3時間くらいもう諦めようかと思ったり、とにかく焦ってその後なぜiPhoneなんかに振り回されているのだ?と思って、でも急に孤独になって悲しくなったりを通って、やっとApple IDと認証コード入力ができた! 長い1日すぎて気がついたらすっかり日が暮れていて、外に出て思い出したのは、今日が雪だったことと、都庁へ出張したいたこと。
朝、出かける前に思わず「雪!降ってるじゃん!」と言ってしまった。不安になる前にイヴを1錠のんでおく。新宿では外に出ずにずっと地下通路をあるけるので、雪の日なのにコートを着て汗ばむくらい。やっぱり東京は暖かい。 そして新宿は済ましたい用事が一挙に片付く街。 フィルム現像もApple storeもバレンタインのデパ地下も最果タヒの新刊もエトヴォスの化粧品もチューリップのお花も。あと、一応、お仕事も。 西と東を行ったり来たりして、全部できてしまった。
伊勢丹地下のお菓子売り場で「お日もちは◯◯日までです」と店員さんに言われ「大丈夫!すぐ食べちゃうから〜」と答えるご婦人がいた。 西口の献血のそばで、朝からお酒とアメリカンドッグを頬張るおじさんがいた。 雪予報でも遊びに繰り出す学生さんたちや、きっとアルバイトだろうデパ地下の店員さんがいた。 東京はいろんな人がいて、気も身も紛れる。
機種変作業���に、とにかく生活がだるいのにいっぱい掃除をして、それで機種変をして、さすがに身体が冷えてへとへと。またお守りのイヴを1錠飲んでみる。
2月11日 今日は職場の1・2期下の方々に仲間に入れてもらって焼き鳥を焼く会をした。 こんな日が来るなんて…、と思い返して不思議な気持ちだし、とても何か楽しくて救われた。 それで帰ってきて、大切な何かを、やっぱりポロポロと落としていってしまった気持ちになり、あれ?と土手で写真を撮っていた。 いつも社会は私に写真を撮る原動力をくれる。
焼き鳥はとても美味しかったし、おしゃべりの中で、お城巡りが趣味だったり、留学中に公園でひとり泣いていたり、大勢で遊ぶのは疲れるので構わず断ったり、妊娠というもの全てに拒絶感があることを受け入れてくれたり、職場の人たちの一律なライフプランを疑問に感じたりする話ができて、それに、本当に救われました。
でも大切何かは落としてきてしまった。
なにかってなんなの?と言いながら土手に行って、土手ってどこにと街灯がなくて、人影を見つけては怯えた。
見た目も話し方も動作もなめられがちな弱々なままてま、誰にも守られることなく、わたしが1人でふつうに生きていけない世界っておかしい。 このままで、写真を撮らなくても大丈夫ならところに行くのが1番良いのかもしれないけれど、今いるところは大丈夫ではないので、とっても値上がりしているカラーネガフィルムを書い足そうと思う。
そして、ネットがない!をやっています。
2月12日 ティルマンスの展示をヴィトンのギャラリーで鑑賞して、友人が見つけてくれた北欧のカフェでお茶をした。 ティルマンスの特別でない被写体を清潔に撮った写真が良かった。写真なのでよかったと思える写真。
北欧のチョコレートを職場の方へのプレゼントに包んでもらって待ち合わせ前に出したフィルムを受け取って帰宅している。
朝飲んだイヴの効果が切れてきているのを感じる息苦しさと身体のだるさがあって、いただいたチョコレートを今日は美味しく食べられなさそうな感じ。
そういえば今朝やっとインターネットを復活させた!何だかんだ機種受け取りから1週間かけて変更を完了させた。ともかくえらかった!
お茶の席で答えのない問いみたいな話題をしてしまって、半分お通夜みたいな雰囲気にさせてしまって少し反省していて、帰り道に相手に謝らせてしまったり、電車のトレインビジョンで明日の天気が雨予報なのを知って低気圧が来ていたから仕方ない、と言い聞かせているよ。
2月13日 おとといのお礼ととても楽しかったことを伝えたところ「表情に全然出ないからわからなかった!」と相変わらずにざっくばらんに職場の2期下の方から言われる(わたしが初めて彼女に、ざっくばらんですね、と伝えた時、ざっくばらんの意味を調べて、まさに自分のことだ!と驚いたそう)。
昨晩スーパーでお隣さんに鉢合わせてしまい、あ〜引っ越ししたいよね〜、と思っていたら、今朝“髪色変えたんですね!すてきです”というラインが来ていて、引越しだ!!となった。
明日の産業医の面談のため中抜けする旨を上司に伝える。「え、ちょっとまさか悩みでもあるんじゃないでしょうね」と言われて、お世話になっている上司に余計なことを思わせたくなくて、今に始まった病ではないので大丈夫的な説明をしてしまった。
おととい昨日と人といた時間を過ごしすぎたのか、その時の相手のことやその時の自分の対応などを振り返ってばかりで頭が忙しくて、お仕事でも紛れなくてちょっと苦しい。 こうゆう時に最果タヒしか読みたくなくなる。大阪に行って詩の観覧車に乗りたい気持ちが高まっている。
きっとお目にかかれないと思っていたグルーエンの本を図書館で借りることができた!
2月14日 新しい産業医の先生と面談をしてとっても疲れた! 面談のために時間休みをとる相談と報告を方々の上司たちにして、その説明をするたびに心がくだくだになった!
2月15日 あっけなく診察の予約を取ることができてしまった。なぜ晴れて病院通いを自ら復活させてしまったのだろう、と、もうかつてほどひどい状態ではない自分が、紹介状を持って待っている人もいるのに、診察する権利はあるのだろうか?と平気モードになったりするあまのじゃく。通院のことを社会の皆さまへ情報共有しなくてはいけないことが、今まで通院をできなかった大きな要因でもあるので、まずそこを乗り越えないといけない。
今日もわけもなくスカートを履いて出勤できた!
そしてなんと明日お友達がわたしの職場にやってくるらしい…ほんとかな?あまり期待せず、でも、ほんとうに来てくれたら、今までずっと写真にもならずに孤独を堪えるだけの場所が、何か少し変わるかもしれない、と嬉しい気持ち。
部屋の真ん中にベッドを置きはじめてから、導線計画乱れまくりですが、なんだか少しよく眠れている気がする。
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26/12/22
日記、人に見せるものという意識があるために、あまり重たくならない様に調整してしまうが、それでは嘘になってしまう。わたしの人生における出会いも気づきも抑うつもまた、全て等しくこの身に起こっていることであり、どれも誇張されたり退けられたりするべきではない。しかし、やはりこれは他者が読むものであるため、生々しい言葉を使うべきでもない。色んなべきではないを抑えて折り合いが付くように言葉を選んでいくのは、自分に正直であり続けるためだな。
スペイン旅行の3日目にバルセロナで高熱を出し、5日間は調子が戻らずほぼ寝たきりだった。バルセロナではピカソ美術館とカタルーニャ美術館へ行ったきりで、海辺のホテルで療養していたにすぎない。熱を出した翌々日に宿の関係でマドリードへ移動せねばならず、熱で二倍になった重力の元、特急の始発駅へ向かっていた。運が悪いことに地下鉄で貧血を起こし、降りた駅のベンチで横になっていたら、心優しく声を掛けてくれたスペイン人が水を買ってバナナを分け与えてくれ、本当に助かった。マドリードの宿へ到着してからも、一日に二度、外食のために身体を起こすのが精一杯で、ただずっと具合が悪かった。せっかくのスペインだったのだが、ベッドでM-1決勝戦ネタを観たりしていた。イギリスに帰って、餅、つこうぜ。
どうしてもうどんが食べたくなる。Googleマップでうどんと検索し、ちゃんと日本人が作っていそうなおうどんの写真が出てきたので、今夜はここへ行こうと星マークをつけようとしたら、店名が「donzoko」だった。どん底スペイン旅行。お店へ行くと、おそらく同年代の日本人の男の子が接客をしてくれ、スペインでワーホリをしているとのことだった。スペインワーホリは4年前くらいにできたらしい。英語圏の次は別の言語の国へ行ってもいいね。海外にはトリリンガルの人とか結構いるし、フランス語なんか喋れたら素敵だな。肝心のおうどんは、おつゆが甘じょっぱすぎた。かなりまともな日本料理屋だったけど、味はなんだか惜しい。お出汁にこだわる家で育ったから、もしわたしが日本料理屋で働いたらお出汁にめちゃくちゃ��出ししちゃうかもしれない。オーダーではなく出汁をとらせろ。ちなみにどん底の由来を彼は知らないとのことだった。
具合が悪いとしか言いようがない。これがコロナなんだとしたら、全く脈絡のない刺激で悲しくなってしまうのも症状のひとつなのかもしれない。着ているフリースの毛流れがあまりにふわふわと立体的で、悲しくてたまらない。ひとしきり悲しんで眠りに落ちると、フリースを着て眠っていたはずなのに脱いでいて、足元のベッド枠に掛けられている。睡眠時遊行症もコロナの一症状なのかもしれない。
マドリード3日目。ずいぶん長く歩けるようになるまで回復する。病み上がりにはいつも辛いものが食べたくなるが、今回も例に漏れず、口コミのよい韓国料理屋を探して向かう。店内はいっぱいだからテイクアウトなら、とのことでスンドゥブチゲを注文。女将さんがスペイン語と韓国語と英語をない混ぜにして喋るので全然わからなかった。英語圏ではない国へ旅行する場合、必ず��も英語が通じるとは限らず、メニューが現地言語表記のみだったりすると本当に詰んでしまう。ヨーロッパ言語は英語に似ているみたいな話をしたけど、音が似ているわけではなく、全くスペイン語がわからない英語学習者にとってのスペイン語はもちろんどうぶつ語である。20分後にできるからとのことで、外へ出てベンチに腰掛けスンドゥブを待つ。マドリードは至るところにベンチがあってよい。バルセロナは暖かくて春の匂いがする午後さえあったが、マドリードは少し肩が縮こまる。それでも、ふくらはぎが出るワンピースを中に着て20分間ベンチに腰掛けることはできるような温度感だ。店へ戻ってスンドゥブを受け取る時、女将さんがにっこりしながらポンポンと肩を叩いてくれたが、韓国語を喋っていたのでどういう意味だったのかわからない。ゆっくり食べられそうなベンチを探しながらしばらく歩いていると、○○町第一児童公園 みたいな名前が付いていそうな、寂れつつ小綺麗な公園があったので、そこでスンドゥブを広げることにする。付け合わせで、火を通した茄子を塩辛い餡のようなもので絡めたおかず、じゃがいもとにんじんを千切りにして塩で味づけした炒めもの、がびっくりするほど美味しかった。塩気の効き具合と火の通し加減が絶妙で、こういうのを家庭料理のおいしさというのかな。スンドゥブは辛さが足りずもどかしかったので、辛さを求めて、夜にまた別の韓国料理屋へ行く。両側をスペイン風のアパートで挟まれた、狭くて歪んだ石造りの坂道を少し登ったところにある、地下に店を構える韓国料理屋で、地上から階段で半分下がったところに入り口があり、お辞儀をするような格好でドアを押す。ここではビールを解禁してサムギョプサルをしたのだが、にんにくが付いていなくてふざけているのかと思ってしまった。シメにいただいたユッケジャンは微妙な見た目して味は一品だった。熱くて舌が焼けそうなほど辛い。そういえばどちらの韓国料理屋でも、日本人だと告げると(韓国人ではないため)ちょっと残念そうな顔をされつつもなんだかんだ良くしてくれて、アジア人というアイデンティティが芽生えつつある。満足して帰路につき、ゆっくりシャワーを浴びて早く寝ようと思っていたのだが、なぜか宿のバー巡りイベントに参加することになり、お酒を解禁してグラスビールを許した段階なのにショットを5杯飲む夜になってしまった。塩とライムで飲むテキーラっておいしいんだね。同じ宿に泊まっている人たちと英語で喋るよい機会だったけど、ナイトクラブの雰囲気がめちゃくちゃ苦手だったのでそそくさと抜け出して帰った。
丸一日自由に使える日を二日間残して体調が戻る。マドリード4日目。普段の調子も戻ってきて、スペインでようやく息ができた朝だった。宿の近くに、スペ��ャリティコーヒーと看板を掲げるカフェが連なるスペシャリティコーヒー通りがあり、どれもわたしが知っているそれとは雰囲気がかなり違ったので、広義のスペシャリティコーヒー、と思った。スペシャリティコーヒー通りのカフェのひとつがBrunchをやっていて惹かれたのでふらりと入る。(おそらくスペシャリティ)コーヒー、足のついたグラスに注がれた生のオレンジジュース、アボカドと生ハム(たっぷり!)とトマトソースのバケットトースト、クロワッサン、グラノーラと果物のヨーグルトで完璧なブランチ。ヨーロッパでは基本的にどんな食事にもナイフとフォークが添えられているが、バケットトーストをナイフで切ってフォークで口に運ぶのも優雅でよかった。オーダーを取ってくれた店員が、日本好きだよ、In the Mood for Loveが好きなんだ、と話すのに対し、背中合わせの客が、それは韓国映画だね、と割り込む。どうやらウォンカーウァイの花様年華のことを話しているらしかった。お会計の時、あなたは主人公によく似ているから観てみてと、伝票の裏にIn the Mood for Loveと書き込んでくれ、なんだか映画のワンシーンみたいだった。カフェを出てプラド美術館へ向かう。スペインといえばプラド美術館と思っていて、それはそれは様々な西洋画が見られるのだろうと期待していたのだが、展示内容にはかなり偏りがあった。Wikipediaによると、プラド美術館は歴代スペイン王家のコレクションが大半で、歴代王の趣味やスペイン史を反映しているためにルネサンス、バロック絵画に偏っているとのことだった。確かに、モネとかゴッホとかは全くなく、宗教画ばかりだった。じっくり館内を見て回っていると、ぐっと引き込まれてしまう絵がいくつかあった。なぜだろう。おっきくて本物だから?光って見える絵とかもあった。宗教画はものすごく精巧な絵画で、一言でいうと、絵がめちゃくちゃうまい。そしてどの絵にもドラマ、ストーリーがあって、人が血を流して死んでたり泣いてたり呆然としてたりなど、どうしたんだろうとシリアスになって絵に近づいていってしまう。Antonio Munoz Degrain の The Lovers of Teruel と、Juan Luna の Cleopatraが特に美しかった。ところで翌日も酔い続けているタイプの二日酔いで訪れる美術館てなんて心地いいんだろう。身体に一定の負荷がかかっているために、余計な言葉や思いだしたくない悩みが引っ込み、視覚から絵を楽しめる。あとこの日はコンタクトレンズをしていて、眼鏡とは見え方が異なる気がした。コンタクトレンズの方が、より鮮明に立体的に見える、ために絵が飛び込んでくる。一通り見終えて、ソフィア王妃芸術センターへ本物のゲルニカを見に行くため、マックで腹ごしらえをする。小腹が空い��いて時間も微妙な時にちゃくっと行くマックは楽しくて美味しくて好き。閉館まで時間がなくて、駆け足で回っても全ての展示室へは行けず、近代的なおもしろい展示もやっていたから勿体なかった。この夜も韓国料理を食べる。
マドリード5日目。マドリードはよい街。まずスーパーがいい。並んでいる野菜や果物はぱつっと新鮮だし、鮮魚コーナーはでっかい魚が氷に埋まっていて、精肉コーナーには生ハムの原木がぶらさがっている。何より床が綺麗で店が明るい。(ロンドンのスーパーはなんか散らかってる。)ティッセン=ボルネミッサ美術館へ行く。ここはプラド美術館とは異なり、かなり満遍なくコレクションされていて、おすすめルートで回ると西洋美術史の流れに沿って作品を鑑賞できるようになっていてかなりよかった。Edward HopperのHotel Roomを長い間眺めていた。とても好きだったので、絵がプリントされたクリーニングクロスをお土産に購入した。さすがに二日酔いは治っていたと思うけど、心地よさは継続していて、夏を想起させる様な色彩鮮やかな厚塗りの抽象画を見ていると、幸福な気持ちでいっぱいになった。美術館行って幸福な気持ちになって出てくるって体験として最高だなあ。
美術館へ行ってばかりの旅だったけど、美術館でわたしは何をしているんだろうとふと。多分、作品を見てるだけじゃないんだよな。建築設計の妙でもたらされる幸福感とか、絵を眺める人を眺める時、すれ違う人の放った言葉が耳に入ってくる瞬間、あんま面白くない作品が続くゾーン、はっとして吸い寄せられてしまう絵、の合間合間でメモアプリに書き留められる断片的な自己理解や新しい思いつき、の全て。チケットの列に並んでから夕暮れ時に出口をくぐるまでに起こる全ての体験。そういう娯楽。
旅をしていると、こうすればこうなるだろう、からこうする、みたいに、今の不安を未来の自分に解消させるべく、筋道立てて人生設計して未来を計算しながら生きるのをどんどんやめていくことが今を幸せに生きる方法のような気がしてくる。そのような設計はどうしても垂直な要素を含むが、わたしは人生をどこまでも広い平面として生きていきたい。設計が必要になったとしても、資本主義的垂直ではなく平面的な心持ちで努力をする。垂直に生きないと何かがダメになるというのは資本主義社会の幻想であって、平面的に生きても、何かが減ったりツケが増えたりするわけではおそらくない。やりたいこと、知りたいこと、行きたいところを正しく把握するために、自分の心の機微に敏感になっておくこと。今嬉しいのかつまんないのかをわかるようにしておくこと。その上でやる力、やり通す体力と精神力を備えておくこと。この辺りが大切なんだろう��と思う。
クリスマス当日は快晴。ロンドンへ戻る。滞在中に何度か行った宿の近くのカフェへ朝ご飯を食べに行った。おおきな(本当におおきな)チョコレートケーキを食べながら、これクリスマスケーキだ、と思う。大型犬を連れた客が入店してきて、ヨーロッパの犬寛容社会、と思う。フライトの時間が迫っていたので、バタバタとチェックアウトして駅へ向かうと、広場で露店マーケットが開かれていた。15分だけ、と急足で露天を見て回り、変な蟹のピアスを3€で購入した。うれしい買い物。ピアスだけはいくつ所持してもよいことになっている。空港で手荷物、予約時の規定では8キロ制限だったのに、チェックイン時に計って9キロで、超過してるか聞いたら問題ないとのことで首を傾げていたら、搭乗時に10キロまでと書かれた表示を見つけ、何がどうなってんねん。手荷物検査すぐ終わって余裕だと思っていたら出国審査に並んだ。出国審査はある空港とない空港があるけど、どうなってんねん。昼下がりのエアヨーロッパ。搭乗した機内には柔らかく日が差し込み、滑走路の離陸ポイントへ移動する間、角度を変えて入り込んでくる日が窓際、手元、手荷物棚とあちこちにひだまりを作る。空調が機能していないのかよく暖まり、うとうと眠りに落ちてしまう機内は、まるで水泳の後の授業か、あるいは放課後のようだった。到着先のガドウィック空港のストライキを心配していたが問題なく入国でき、ロンドン市内まで帰ってきたが、鉄道とバスのストライキは全く予想しておらず、家に帰る手段がタクシー以外に何一つなかった。距離を調べたら徒歩3時間だったので余裕じゃん!と心が軽くなり、旅行前は氷点下だったがこの夜は10度近くあったため、歩いて帰ることを決めた。
一人旅、向いていないかもしれないけど、好きでいたい。旅行中に、そういえば母親にスペイン旅行のこと連絡していなかったなと思ってラインしたら、ひとり旅!? あなたは勇気あるねえと返事がきた。誰かがいないとできないとか、ひとりだと寂しいとかいう次元とは別のところにいたくて、旅に限らず、お酒を飲みに行ったり映画を観に行ったり、なんでも一人でやっているのかもしれない。そして一人旅では、すぐには言葉にならない水面下で何かが、大きな攪拌が起こっているような気がする。旅行前半は、ちゃんと仕事も決まっていない無職なのに貯金を切り崩して10日間もスペイン旅行だなんて、という思考に囚われていたけど、ロンドンに帰ってきたら、そういう悩みが削ぎ落ちていて、空いた分をどうでもよさ、寛大さが占めていた。まだ無職でいいや、というニュア��スのどうでもよさではなくて、もっと前向きな力の抜け方。旅行をすればするほど、人生に対して前向きにおおらかになっていくのかもしれない。
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2024.11.19
日本人の多くは仏教徒だよね。君は仏教徒か?10日間のスリランカでこの質問を何回されただろう。初めのうちは、無宗教だけど仏教の教えとは身近に生きてきた。と答えていたが聞かれれば聞かれるほど、仏教徒というのは何を意味するのだろうかと考えさせられた。
スリランカの第二都市であるKandyでSadunとSamanに出逢った。スリランカに到着してから土着の人ではないという理由だけで毎日数えきれない人たちからお金を乞われたり、ぼったくろうとされた。2人に最初に声をかけられたときは、またか、と思いながら適当にあしらおうとしていたのだが、少し話をしていると純粋に話したかっただけのようだった。結局その日はKandyを半日案内してもらい、宿まで送ってもらった。翌日からはスリランカを訪れるきっかけとなったGeoffrey Bawaが建てたHeritance Kandalamaに行く予定だと話すと、どうやって行くのかと訊かれた。バスだと答えると、Kandalamaまでの道中には見るべきものがいっぱいある、バスだとそういうところに寄れないからトゥクトゥクで送ってあげるよ、君にとってもきっといい経験になる。と言われた。KandyからKandalamaまでは2時間ほど離れている。バスの方が安いからバスで行くと伝えると、いくら払うかは自分で決めていい、その答えがタダならタダでもいいと言われ、うますぎる話に半信半疑ながらもその誘いに乗ることにした。翌朝8時に宿まで迎えに来てくれて、まずはKandyの中心部から20分ほど離れた小さい村にあるSamanの家に行き、彼の家族とセイロンティとともに団欒した。Kandalamaまでの道中、のどかな田畑と熱帯系の植生の景色が続く小さな村に、ぽつんと仏教寺があった。スリランカ全土には小さい寺院が数千と存在し、その寺院がある村々には100-150の家族が住んでるという。そして一家族が1日ごと順番に僧侶たちの食事を用意すると教えてくれた。自分を犠牲にして人々のために全てを��げた仏陀、つまり僧侶たちへの感謝の行為であり、これはスリランカで2700年以上続く伝統であるらしい。スリランカに来てから、SadunとSamanだけでなく色々な人からカルマという言葉もよく耳にした。良い行動は良いカルマとして自分に返ってくると。そういえば昨日Kandyを案内してくれたのにも関わらず、お金は一切求められなかった。半日私の行きたいところやしたいことに付き合ってもらった上に、彼らの商売道具でもあるトゥクトゥクで移動していたので、宿に着いたときに私の気持ちのお金を渡した。そのときにも、ありがとう。これはgood moneyだ。私たちは本当にカルマを信じていて、Rikuにもgood karmanがきっとあるし、訪れる。と言っていた。私は村人が僧侶たちのために食事をつくるという伝統の話を聞いたときに、仏教というのはどういうものなのかということを深く理解した。それと同時に2人のことを少しでも疑った自分を恥じた。もちろん仏教徒であっても(スリランカでは約70%が仏教徒である)皆が皆良い人とは限らない。スリランカに来てから、押しの強い客引きや、わざと同情を利用した行為に良い気分がしなかったことも何度も起こり、人にもお金にも敏感になっていた。しかしそのとき私は、清らかなさらさらとした心地よい中で生まれた、心が押しつぶされるような気持ちをどこにもやりようがなく、トゥクトゥクの後部座席に座りながら静かに泣いていた。
景色がいいところで停まったり、昼食を共にしたり、約2100年前にDambullaという都市にある巨大な岩山を掘ってつくられた洞窟の中にある寺院を訪れたり、途中トゥクトゥクを運転させてもらったりしながらホテルに到着した。翌日の予定を訊かれ、5世紀に栄えた王国Sigiriyaの遺跡に行くつもりだと伝えると、10時をすぎると暑くなる(マチュピチュのような遺跡で入り口から頂上までは1時間ほどかかる)から早朝に出発した方がいい、よかったら明日も送ってあげるよ。友達の家が近くにあるから私たちはそこに泊まる。その辺りには原始的な生活をしている小さな村もあって、そこで触れられる体験はRikuもきっと気にいると思う。と言われた。その日彼らとずっと話していて、彼らがどういう人間か理解し、私がどんな人間でどういうものを求めているのかも理解していてくれていたので、今回は迷うことなくお願いした。ホテルで夕食を食べると高いだろうから、また夜迎えにくるから友達の家で一緒に食べないかとも誘われたがGeoffrey Bawa建築を堪能したかったし、連日の移動の疲れと自分の中で消化したいこともあったので、その誘いは断ることにした。
翌日遺跡を訪れた後、Samanの弟の娘が働いているフルーツジュースが美味しいカフェで少し休憩し、人里離れた村へと向かった。トゥクトゥクで行けるところまで行き、そこからは水牛に引かれてジャングルとも森ともつかない景色の中、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつくのを感じながらゆられていた。20分ほど進んだ先には、東南アジアの原風景(スリランカは南アジアだがここだけは少し違っていた)という言葉が似合う景色が広がっており、村人たちが長い年月をかけて歩いてつくった轍が続いていた。横には湖、反対側には家が小さく見える。湖岸には村人が手でつくった小舟が数隻あり、そのうちの一つをだしてもらった。風も声もなく、ただ静寂が漂い、平和そのものだった。Sadunがたまに陽が沈んでから友達や家族と飲んだり話したりすると言った瞬間、私はその光景を想像した。今みたいに肌を焼く太陽は姿を隠し、月明かりが湖一面を照らす。もしかしたら夜は虫たちの歌声が聴こえてくるかもしれない。澄んだ静寂は愛する人たちとの会話で掻き消されるが、この平和はそこにあるままだ。これ以上何を求めるのだろうか。水面を覆う蓮の葉で帽子をつくってもらったりもした。昼食をそろそろ食べようかということで湖岸へは私が舟を漕いだ。先ほど遠くに見えていた家に到着すると、まだこの世に生を受けて10ヶ月しか経っていない子どもを腕に抱えながら料理をしている30代ぐらいにみえる夫婦が待っていてくれた。家の柱や壁、台、椅子などは木と土で、屋根はココナッツの葉でつくられていて、窓はない。電気やガスは通っておらず、水も近くの井戸に汲みにいくという。土でできたかまどの前で奥さんが子どもをあやしながら、土鍋で炊いている米の具合を確認していて、旦那さんは裏の庭でとってきたココナッツを割ってウェルカムドリンクをだしてくれた。裏庭で採れた野菜とスパイスでつくった3種類のカレー、ココナッツから抽出した油をつかった湖で釣った魚のフライ、ココナッツの果肉をトマト、スパイス、ライム汁を合わせてすり潰したもの(これが一番美味しかった)、すべて自分たちでつくったもので昼食を振舞ってくれた。お腹いっぱい食べた後には屋根になるココナッツの葉の編み方も教わった。彼らは住処を建てられて、舟の作り方も知っていて、近くでは魚も釣れて、フルーツや野菜の育て方も知っていて、またそれを余すことなく食べて、残った食べられない部分の他のことへの使い道も知っている。もしかしたら”教育”こそ受けていないかもしれないが、彼らは”自然”をよく知っている。
Sadunが言っていた。ここの村では気候が比較的いいので人々は”自然と生きる”伝統文化が残っている。他には酪農や陶磁器、ジュエリーなどその土地の環境に適したそれぞれの伝統が色濃く残っているらしく、お互いの伝統を交換して足りないものを補い合い、支え合いながら伝統を守っている。ここでの生活はシンプルでお金は持ってないが皆、”生きる”���めに仕事をして平和に幸せに暮らしているのだと。しかしスリランカでも現代化が急速に進んでおり、今の若者はこの生活を知ることはなく、遠くない未来にはそれらの伝統は消え去るだろうと嘆いていた。Sadunは知識が豊富で、今世界で何が起こっているのか、何が流行りの思想なのかも知っていた。だからこそ彼は、私をここに連れてきたかったのだろう。
これを書いていると2人の顔が見たくなりSadunに電話(Samanは携帯を持っていない)をすると、彼の気持ちのいい笑顔が画面に広がった。内臓が少し悪く、この数日間入院していたと言われ心配したが、今は回復して翌日には退院できると聞いてひとまず安心した。電話中にちょうどSamanがSadunの見舞いにやってきた。本当に仲がいいなとこちらまでほっこりし、最後2人と別れたときのことを思い出した。私が3日間の感謝の気持ちのお金をSadunに渡したとき、Samanに気づかれないようにその3分の1を受け取り、残りをSamanに渡していた。仏教の教えに「自他不ニ」というものがある。Samanが見舞いにやってきたことも、Sadunが自分の取り分を少なくしたことも、彼らが私にしてくれたことも、そのすべてがその教えを体現していた。
私は自分を仏教徒だと思ったことはない。スリランカでの体験をした今、なおさらそう簡単に口にはできない。しかし、今まで以上に仏教の教えとは身近に生きたいと思うようになった。2人に感謝する。
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2024.08 水晶岳(折立~雲ノ平)
日本最後の秘境と言われる、あこがれの雲ノ平へ
通常のコースタイムだと雲ノ平へたどり着くまでに2日間、往復で3-4日間かかるという、奥黒部渓谷の秘境へ。登山をする人は槍ヶ岳、剱岳の次に憧れる場所なのでは?またそこにある雲ノ平山荘も、燕山荘と同じくらい人気の山小屋。
【1日目】
毎日アルペンを使用し折立登山口へ。ここへ来たのは2021年なので3年前(薬師岳~五色ヶ原~室堂への縦走)。お盆最後の日曜日とのことで、これから帰る人も多いのか駐車場は満車(路駐も多い)。早朝の標高1350mは真夏でも空気がひんやりしてとても気持ちが良い。久しぶりのテント泊で装備重い。
【コースタイム】折立(0715)→五光岩ベンチ(0930)→太郎平小屋(1005-1020)→薬師沢小屋(1145)
太郎平小屋までの道は薬師岳の記事を参照。まずは風の通らない樹林帯から始まり、ここは無風で暑い。1時間ほど歩くと開放的な道になり、風も少し吹いて視覚的にも体感的にも非常に気持ちがいい、ただし夏の日差しはキビシイ。
太郎平小屋まで約3時間。あたりは雲に覆われているが、時折晴れて水晶岳、鷲羽岳、黒部五郎岳など奥黒部の山々が姿を現す。
薬師沢小屋へは、まずは木道を沿って
それを過ぎると高度をどんどん落としていき、そのうち再び樹林帯へ突入。太陽の日差しが非常に強く、風もなく、下りでも汗がにじみ出るほど。礫がやや多くスリップしそうなのでスピードはあまり上げられない。
太郎平小屋から約250m高度を落として底部に近づくと、再び木道が設置されて歩きやすく、
また沢が何度も現れる。第一~第三渡渉点という地名があったが、このように橋が掛かっているところのことか?橋がかかっていない時代はここを渡渉していたのかも。ごく小規模のものも含めて合計10近くは沢を通過した。水は触ると冷たく、火照った体を冷やすのにとても気持ちが良い!
太郎平から1時間半、折立から4時間半で本日の宿、薬師沢小屋に到着。折立から12キロ歩いたわけだが、体力が落ちたのか、それとも折立からの長大な登りと急な下降のせいか、脚がけっこう疲れてる。テント泊装備でなければ1日で雲ノ平まで行けたと思うが、重装備ではここに宿泊で正解。テント場がないため小屋泊となる。(本日の宿泊者で到着は自分が一番だった)。
この小屋は薬師沢のすぐ近く隣に建っており、受付などを済ませたら沢へ降りてみたが、とにかく沢がとてもキレイ!水温10℃くらいか、足を突っ込んでみるととても冷たく、ずっと浸けていられない。このような源流域にはイワナが生息しているとのこと、小屋で竿の貸出?もしているみたい。
水は沢から引いており豊富。おかげでキンキンに冷えた飲み物を提供してもらえる。
ちょうどお昼時なので昼食のうどんを注文(1000円)、メニューはこれしかなく、あとは売店のカップラーメン。うどんはやさしい塩味で、汗をかいていたので汁も全部飲み干す。夕食は1700から、それまでの5時間は昼寝したり沢に足を入れてきたりとくつろぐ、山のゆっくりした時間が流れる。
【2日目】
0430起床、0500朝食。まだ日の出より早いらしく、空が明るみ始めたくらい。準備を整え0530くらいに出発。
【コースタイム】薬師沢小屋(0535)→アラスカ庭園(0705)→奥日本庭園(0720)→雲ノ平山荘(0730-0740)→雲ノ平テント場(0755)
まずは吊橋、足場は30cmもなくかなり狭い。滑り落ちたら沢まで10mくらいか。
その先は急登のゴーロ帯。樹林帯のためもちろん無風だが、早朝のため気温が15℃くらいと低いのと、太陽が昇っても常に山の陰入っているためまだ快適だった。1時間ほどで550mも急登を登る。
以降は灌木帯となり木道もところどころ設置されているが、まだしばらくは緩やかな登り坂は続く、もうほとんど上まで来ているのはわかるのだが。
そして灌木帯を抜けると開けて天国のような景色。薬師沢小屋から1.5時間かけてようやく雲ノ平に到着した(ここはアラスカ庭園?)。太陽の右に弱く幻日出てる。
三俣山荘のオーナーであった伊藤さんが50年くらい前、山荘を訪れた登山者に「キレイなところがあるんだが行ってみないか?」と誘い続けて口コミが広がったのがこの雲ノ平。〇〇庭園も伊藤さんの命名とのこと。
周辺の山々。槍ヶ岳が遠くに、右は黒部五郎か?
特に目を張るのが水晶岳のかっこいいシルエット(左)。進行方向にあるのでずっと見えている。右は祖父岳。このあとどちらも通過する。
遠くに雲ノ平山荘がチラッと見えたが、意外と遠��。ほとんど木道で整備されており歩きやすい 。
小屋が見えてきた。
薬師沢小屋から2時間で雲ノ平山荘到着。まずテント場の受付2000円
山荘内にカフェあり。ロケーションすごい
山荘入口から目の前に広がる雲ノ平。
テント場は山荘から15分くらい歩いたとこにある
とにかく目の前に構える水晶岳がすごい。このあとあそこまで向かう。
自分が到着したころは4張ほどしかテント無く、場所はまだまだ選び放題。50張くらいはいけるのではないか?テント場の上方に水場あり、湧き水のためすごく美味しい。去年はこの水が猛暑によって枯れてしまい、小屋でも水の入手が難しく大変なことになったらしい。携帯の電波はスイス庭園で通じるが、テント場や山荘では通じないみたい。
テントを張り、先程から見えていた水晶岳へ。
つづく
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各地句会報
花鳥誌 令和6年9月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年6月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
切り通し省線吹きし若葉風 軽象 蜘蛛の囲に閉ざす社の狐たち きみよ ことごとく夏蝶となる水飛沫 緋路 白あぢさゐ女ばかりに愛でられて 和子 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 夏の子はジャングルジムに天下とる きみよ 飛鳥山生まれ育ちの蟻の列 三郎
岡田順子選 特選句
乾きたる蛇口の先は夏の雲 緋路 黒南風やおづおづ開くみくじ歌 昌文 南天の花棲み古りし街の隅 美紀 黴の間の亡者に点るシャンデリア 光子 途切れなき列車音聴く四葩かな 風頭 ががんぼ来オルガンの鳴り止みてより 緋路 葉脈の青き稲荷の額の花 小鳥
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
たてがみに綺羅したゝらせ競べ馬 かおり 負馬の負けを恥ぢざる眼の涼し たかし ユーミンの曲初夏の競馬場 美穂 負馬の誰にともなく息一つ 成子 鬼瓦の鼻ふくらめる若葉風 愛 熱砂駆け鼻息荒し佐賀競馬 たかし 競べ馬シャガールの馬天を駆く 修二 薔薇園にダイヤモンドのやうに雨 愛 勝馬に寄り添ふ笑顔女騎手 久美子 楽屋口より美しき絽の裾捌き かおり バンクシー赤い風船追ふ少女 修二 萍の沈黙にある水一枚 朝子 鞍壺に託す一戦競べ馬 久美子 蟻は蛾を人は柩をかかげゆく 睦子 早苗田の水の世界を行く列車 愛 紫陽花やすこしはなれて宇宙船 睦子 ひつそりと咲くこと知らず濃紫陽花 たかし
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
短夜の沖に生活の灯のともり かづを 短夜や和尚偲びて尽きぬ宿 笑子 黒南風の精舎を昏め沈めをり 希子 十薬や花明りして父祖の墓地 匠 網を引く明易き浜声合はす 同 悠久の光を溜めて滴りぬ 泰俊
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月6日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
麦の秋鳥の旋回しばし見ん 喜代子 黄金を刈り取る如き麦の秋 由季子 短夜に一夜の旅の用意せる 都 麦秋の大地を分ける鉄路かな 同 逝きし人思ひ起せる虹の橋 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
体内のおほかたは水田水張る 都 湯上りの鏡を閉ぢて蛍見に 美智子 麦秋の金波を運ぶ風頰に 宇太郎 春雨にすつかり濡れて泣黒子 悦子 杜深しすだまの降らす花樗 美智子 校庭に名札を付けたミニトマト 佐代子 南天咲く早世力士悼みては すみ子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
空晴れて植田始まる農学部 亜栄子 一村に水ゆきわたり植田かな 百合子 としあつ師偲ぶ薄暑の石仏 教子 枡形の山気を吸ひて蝸牛 三無 下闇や気づけば猫の傍に 白陶 紫陽花の青き滴を受ける句碑 三無 月光をのせて十薬母の逝く 幸子 奥信濃瀬音まじりに河鹿鳴く 美枝子 故郷は懐深く初夏の旅 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月10日 なかみち句会
老鶯の声高らかに姿なく 廸子 老鶯や森の静けさ澄み亘る 聰 網戸開け小さき一匹逃しけり 貴薫 書を開く網戸の風の良き加減 三無 緑陰の間の光踏み遊ぶ のりこ 緑陰や刹那休らふ盲導犬 美貴 緑陰の森歩す空気異次元へ ます江 緑陰に入れば降るもの香るもの 怜
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令和6年6月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
風鈴を今年は出さうかと思ふ 昭子 石庭の砂紋に僧や水を打つ 時江 麦秋や己は小作小百姓 世詩明 万緑の真つ只中で友となる 三四郎 玻璃に付く守宮の目玉大きかり ただし ぬけぬけと嘘吐く男草虱 世詩明 堰音の六月の水裏返す ただし 田植済み静かな寝息一村に みす枝 一望の青田や下校チャイム鳴る 時江 野仏の一重まぶたや著莪の花 ただし サングラス外して白き歯を見せる 昭子 音もなく崩れる雲の峰一つ ただし 僧逝きて幾年寺の木下闇 英美子 緑蔭の不開の門や鐘響む 時江 菖蒲の湯頭脳ゆつくり休ませり みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月11日 萩花鳥会
久々の娘とのドライヴ花菖蒲 祐子 夢誘う伊豆の旅寝の夕河鹿 健雄 薫風に一味添へてウイスキー 俊文 能登思ふ絆の祭始まりて ゆかり 太陽の恵み包みし枇杷すゝる 吉之 夕立の雲が覆ひし我が旅程 明子 鮎解禁河原で塩焼き白むすび 美恵子
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令和6年6月11日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
黒い線行つたり来たり蟻の道 紀子 内緒話浜昼顔がそつと聞き 同 初夏や日々の葛藤過ぎゆきて 光子 畳紙に包まれし物黴にほふ あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
紫陽花のしづくを朝日移ろへる 千種 木道の谷戸田の隅に余り苗 幸風 木下闇これより先は獣道 慶月 夏草や弥生時代の息遣ひ 三無 水無月の木霊に道を迷はされ 千種 里山の道標なる立葵 ます江 濃あぢさゐ彩を増す夜半の雨 幸風 半夏生白く人声遠くせり 千種 夏蝶の白の大きく森に消ゆ 慶月 木道に釣り糸垂らす夏帽子 経彦
栗林圭魚選 特選句
鳴き交はす鴉に梅雨の森深く 要 滑り台順番を待つ夏帽子 経彦 今年竹撓ひて風の行方追ひ 三無 雨上るもりの朝やねむの花 芙佐子 紫陽花や森の匂ひに深呼吸 ます江 万緑や森に命を繋ぐ雨 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
露草に一輪挿の織部かな 雪 白鳳の野々宮廃寺跡 同 僧偲ぶ僧の手描きに絵団扇に 同 夏蝶の祈るが如し辻地蔵 同 終電の汽笛編戸を通し聞く 英美子 竹落葉散る音を聞く真昼時 同 毛虫焼く南無阿弥陀仏唱へつつ みす枝 咲いてをり咲きかけてをり七変化 かづを 白寿まで闘志抱きて更衣 清女 鷺一羽思考してをり青田中 やす香 売れ残る金魚に疲れ見えにけり 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
青葉木菟夜を鳴かねばならぬかに 雪 五右衛門の煙管煙を吐ける山車 同 籠枕夫の遺せし油の香 清女 短夜を添ひ寝の犬に鼾きく 同 蜘蛛の囲の細きにかかるものは何 啓子 懐しき人に逢ふ夢明易し 笑子 風鈴の音とはならぬほどの揺れ 希子 短夜や星を眺めて聴く話 隆司 浴衣着て祭囃子の音に酔ふ 同 風鈴もそれぞれの色兄妹 和子 雨欲しきあぢさゐに色無かりけり 同 今夜だけ風鈴しづか話さうよ 令子 短夜や時の静かに広ごりて 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年6月21日 さきたま花鳥句会
刺身盛り紫蘇一枚の境界線 月惑 路地裏の暮色に媚びる七変化 八草 夏見舞幼き文字に磯の風 裕章 草刈りの終へて現はる地平線 紀花 麦秋の風入れカフェの読書会 康子 梅漬けの重石に亡夫の酒の瓶 恵美子 たまゆらの時をあづけて啼く河鹿 みのり 麦の秋うねる大地の広々と 彩香 地に影を一瞬黒く夏つばめ 良江
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令和6年6月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
白鬼女の渡しと伝へ草茂る 雪 欠け初めし月に崩るる白牡丹 同 尻重な返事のいまだ梅雨に入る 同 山笑ふ声に呑まれてしまひさう 同 高層のビルに飛び込む夜這星 世詩明 夏旅に背中合せの駅の椅子 同 風遊ぶままに青田の百面相 同 極楽の風吹く寺に夕端居 ただし 朝倉の水の音する青蛙 同 音もなくむくりむくりと雲の峰 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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NYの友人と再会、卒業生紹介そして・・・
Thursday 17 July 2014
Uさんと朝食を済ませその後有楽町駅まで移動。 最近Facebookで再会したH君の写真展に行く。 再会後、真観はH君にベネズエラのパーティー映像をプレゼントした。 その写真展は丸の内のパタゴニアのカフェで開催されていた。 モノクロの旅写真だった。ここで分ったことだがH君はパタゴニア勤務らしい。 カフェでの写真展は殆どのお客は写真を見ていない。 カフェ展示の宿命。残念だが。 写真は気に入った。1枚40.000円で販売していた。 カフェを出た後、真観は、ローライフレックスをカバンから撮り出しYさんのポートレイトを撮影した。
丸の内にいるのでKちゃんにLINEで連絡して会えるかなと思ったがやはり難しかった。 しかしKちゃんが明日お店に来ないかと誘ってくれた。
12時、真観は表参道のクレヨンハウスにいた。 真観お気に入りのマクロビランチ。 いつもここは賑やかだ。真観は、いつもテラスのテーブルで食事をする。 少し遅れてMちゃんはやって来た。 多分10年近く会っていなかった。 少し前彼女から会いたいと連絡があってそれが実現した。 Mちゃんは、NYに10年住んでいて5年ほど前からカメラマンもしているマルチな才能の持ち主。 NYと言えば真観の元学生のMがNYに行きたがっているとやはり前に彼女から打ち明けられていた。 丁度いい、とMもこのランチに誘った。 MちゃんとMは初めて会ったわけだが気が合っていた。 それは良かった。 Mちゃんの印象は長い間会っていなかったので少し会うのに困惑していたが会ってみると昔のMちゃんと同じだった。それも良かった。 ここでも真観はこの2人のポートレイトを撮影した。 Mちゃんとの2ショットはMにお願いした。 2時過ぎにクレヨンハウスを去り、真観は2人と別れてYさんの待つカフェへと移動した。 Mちゃんは、原宿でストリートファッションお撮影をするというのでMがアシスタントを買って出た。後のことはこの2人に任せよう。真観は安堵した。
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台湾1周サイクリング
2024/06/05 - 2024/06/14 @台北~台北:約920km
登山の"ついで"、にしては相当ヘビーだし、なんならこっちの方がメインなんじゃないか、という感じもするけど…せっかくの機会だし、台湾1周サイクリングをすることにした。さすがに玉山登頂翌日の朝出発は乱暴だったかもしれない笑。睡眠時間足りてないし、足の疲労もある、その上自転車も組み立ててない。そんな状況でも、玉山から戻った夜は、やけにテンションが高かった。サイクリングが楽しみだったからだと思う。そんな風に感じたことは普段全くないから、なおさらそのままの勢いで出発してしまおう、と思ってしまった。
全部終わって振り返ってみると、やっぱりやってよかったと思う。1回目の退職記念にはキリマンジャロに登り、今回、2回目の退職を前に台湾1周のソロライド、10日間。5年近く勤めた仕事を振り返ったり、労ったり、次のステップに進む英期を養ったり、という意味で僕にはこれが必要だったんだと思う。贅沢ではあるけれど、(仕事を一切しない)長めの休みを取るのも久しぶりだし、職業柄、日常を離れて未知の風景を楽しむ、というのは大事なことだと感じる。幸い、体力とか装備、お金、といった大きなところの心配が不要だったことがハードルを大幅に下げてくれた。一見無謀とも思えるこのチャレンジも、実はそこまで大変なことではなかった。
真ん中に紐みたいな短い赤い軌跡が登山で歩いた距離・場所だから、台湾をかなり堪能したことが分かるな…。
1日目 (台北から新竹) 86km
6月4日、玉山下山後、夕方6時に台北着。そこから翌朝出発の準備を始める。自転車の組み立ては当然すんなりとはいかず、シンガポールからの移送中に前輪のシーラントがケース内で漏れまくっていた。慌ててシャワー室でスペアチューブを足して、なんとかタイヤが機能するように。結局、前輪はチューブあり、後輪はチューブなしの状態でスタートすることに。加えて、急遽買ったミニ空気入れが上手く使えず、40psiぐらいが限度だった。もうそれで手を打った。
泊まったホテル(Brother Hotel)が親切で、登山グッズの詰まったバイクケースを10日近くただで預かってくれるところだった (引き換えに計4泊滞在)。ホテルの部屋でバイクを組み立て、朝食、荷物を預けて、チェックアウトし、台湾でのライドスタート。ラッシュアワーを避けて、早めに出ようと思ったんだけど、いろいろもたついて、結局8時になってしまう。モロに交通量が多い時間帯。それでも幸い曇りだったし、バイクに異常もなく、無難にスタートできた。河原で記念写真を撮ろうにも、全然笑えない自分がいた。不安要素が多すぎたから、顔がひきつっちゃったんだと思う。台湾政府公認の1周路を辿るにしろ、道に迷わないかとか、事故の心配、荷物が気になったり、天気が心配だったり、ペース配分が分からなかったり、言葉が思った以上に通じなかったり、と最初の2日ぐらいは実はライドを心から楽しめていなかったかもしれない。とにかく細かいことで気が散っていた。
例えば、新しく買ったサドルバッグはこの時初めて取り付けて、僕のバイクと仕様が合わないことに気づく。がっちり固定できないうえに、たぶん荷物が重すぎた(か多すぎた)せいもあって、途中から徐々にずり落ちる事態に。つまり後輪にバッグが当たる最悪の状況。その上、台北出発から1時間も走らないうちに雨が降り始める…。雨対策も万全ではなかった。振り返ってみても、9日間のライドの中で、初日が本当にハードな日だった。右も左も分からないのに加え、結局、昼ぐらいから新竹のホテルに着くまでの数時間、ずっと強い雨に打たれながらの走行で、本当にやる気をくじかれた。ずっと濡れたままだったから、寒さにも襲われて、到着間際は顔が真っ白になっていた。夕方ホテルに着いたあとは、体を洗って、服類を乾燥へ。この先のライドが不安になる…。でも、長いマラソンなんだと理解して、気持ちを切り替えた。その日の失敗から学べばいい、ということでポジティブに捉える。サンダルが壊れ、急遽モールに買いに行ったことと、夕飯を食べただけの夜。
2日目 (新竹から鹿港) 131km
雨のライドがややトラウマになったけど、まあ進むしかない、ということで朝早くから準備開始。なるべくサドルバッグへの負荷を減らすように荷物を分散させて、濡れてもいいものはポケットに収納。レインコートは昨日に引き続き着てスタート。かなり改善。ただ、自転車をストレージにずっと放置したのは良くなかった。朝行くとチェーンにサビがつき始めてた。昨日のライド後に乾拭きせず、相当汚れていたのに、何もしなかったから。結局洗う術もないまま、とりあえず油をさして出発へ。2日目は長い海沿いのコース。事前情報では強い追い風、のはずだったのだけど、あまり風は強くない。途中からパラパラと雨が降り始め、また嫌な予感がよぎったけど、幸い快方へ。苑里で排骨酥麵の昼食後、午後には台湾で初めての太陽を見て、一気にテンションが上がった。晴れるだけで、こんなに嬉しくなれるとは…。ちなみにライド中は1時間半おきにコンビニ休憩・ランチ休憩を取ってた。イートインのできるコンビニはすごい重宝。お店に入る前にTシャツと短パンを重ね着して、それにサンダルに履き替えて、一応きれいさをアピール。おにぎり・パン、バナナ、ジュース類を補給して、ごみ捨て、トイレもさせてもらう。クレジットカードが使えるのも強い。自転車をガラス越しにチェックできるのもいい。台中を過ぎて、彰化市のバイクショップでクリーナーを購入、そして空気も入れてもらう。帰りがけにショップオーナーがエネルギージェルをサービスしてくれた。優しい。この日のライドが全日程中、一番長く、7時間ぐらい。さすがに集中力を維持するのは至難。鹿港という歴史のある街に到着。この宿はb&bスタイルのオシャ��なところ(a day in Lukang)で、庭付き。そこでバイクの水洗いをして、チェーン諸々の洗浄ができたのはすごく良かった。ただその最中、蚊にものすごく刺されたのがのちのちまで辛いことに。
3日目 (鹿港から嘉義) 77km
この日はスーパーで買ったパンを食べてスタート。晴れ。正規のコースに合流するまで運河沿いを走行。最高に走りやすい道。お昼は斗南駅近くのバーガー屋さん。この日は一番短い距離を移動。雨の降る気配はほぼなく、この頃には天気予報のあてのならなさに気づく。梅雨の時期でもあり、雨とか雷雨が24時間・1週間連続で予想はされてはいたものの、結局晴れや曇りの場合もすごく多かった。この日以降は、レインジャケットはバイクのフレームに括り付けて、結局最後まで使わなかった。
ホテルには3時ぐらいには到着。お腹がすいて街の方まで歩いていくことに。その途上で再認識する台湾のスクーター・原付文化。これらのためのインフラがあるからこそ、自転車ロードの整備がさほど無理なくできるんだろうなと思った。車とは別の自転車専用レーンがほぼずっとあるから、危険性をほとんど感じずに走行できる。サイクリストにとっては最高な環境でしょう。"環島"の標識や、所々ブルーの線がひかれていて、道しるべとしてもかなり助かる。その反面、台湾は歩行者にはそこまで優しくない気がした。歩道がなかったり、物で塞がってたりという感じで、歩くのには向いてないように思った。
嘉義の街の中心に移動して、現金をおろして(鹿港ではカードがあまり使えなかったから…)、あとは、焼肉丼大盛り定食をぺろり。この旅中、カロリーの高いものをいっぱい飲み食いしてた。と同時に、清涼飲料水からの糖分の摂りすぎも若干気になって、途中麦茶に切り替えたりもしてた。ジェル類は一日に一つか二つの消費量。
4・5日目 (嘉義から高雄 + 休息日) 123km
台湾西側は平地の中の街や田園地帯を抜けたり、大きな川をこえたり、日本と同じアジアモンスーンの風景が展開されていく。シンガポールにいると分からない、農のある風景;特に稲のある風景というのは日本人の心象風景として心地よい。6月なのに穂が大きいのは亜熱帯地域ならではの特徴だと思った。2期作なのかな。あと、南部に行けば行くほど、果物の作付けも多く、ちょうど今はマンゴーの季節だった。ランチスポットでうまく止まれず、台南新幹線駅までいっきに行く。駅ビルの中に一風堂を見つけ、つい入ってしまった。自転車持ち込みは難しいかな、と思いきやちゃんと預かってくれた。
その後も新幹線と並走しながら、高雄に近づく。晴れた土曜の午後は交通量が多く、市内はやはりちょっと怖い。高雄中央公園の近くの宿で2泊。さすがに休憩日を設けたのは正解だった。足を休めたり、服を洗ったり、バイクメンテしたり、公園でボケーっとしたりする時間は必要だった。翌日曜日は港近くで、ドラゴンボートでのレースを見たり、あと港湾部の再開発地域を見て回っていた。古い倉庫群跡地をカフェやショップにリノベーションしているエリアは特に面白い。建築デザインも多様。大きな再開発エリアを巡るのにも、いろいろなモビリティがあるのも今風でとても参考になった。
6日目 (高雄から車城) 88km
朝は高雄にちょうど帰省中の元同僚と会って、朝食を一緒にした。一緒に写真を撮ると自分の日焼けが突出する。曇りや雨の日でも日焼け止めが大事なことを思い知る。ソロライドの中において、久々に長々と話ができたのは良かった笑。それにローカルの人が食べそうなものを大量に注文してくれて、しかも奢ってくれたからもう感謝しかない。スタートが10時過ぎ、ということで、ランチをスキップ。真っ直ぐで平な道をひたすら南下。走りやすいところはDHポジションで自転車をこいでた。断然楽。やはりトライバイクの強みはそこなんだけれども、でも出番は正直あまり無かった。今旅もロードバイクやグラベルバイクを勧められたけど、実際トライバイクでも全く問題なかった。ただ、トライアスロンバイクを旅仕様に使ったのは、むしろ罰当たりな感じがした。唯一良かったことは、池上という東部の街で突然少年が話しかけてくれて、「僕もトライアスロンやってます。同じスポーツをやる者同士、応援してます」、と言っ��、お菓子を1袋くれたこと。些細なことだけど、そんなことが一生の思い出になった。
車城まで来ると、山と海に囲まれたのどかな田舎、という感じが強くなって、宿もかなり広い。部屋の目の前には畑と山。何人か同じくサイクリストを見かけたのはこの辺りが多かったと思う。最南端まで行くルートもあるのだけど、僕は公式ルートを選択したことで、若干のショートカット。翌朝のヒルクライムに備えて、その晩はガッツリ羊鍋を食べて就寝。
7日目 (車城から台東) 117km
この日は序盤にヒルクライムがあってからの東海岸沿い(太平洋側)を北上するルート。”来てよかった”、と初めて思ったのはこの辺かもしれない。ここでしか味わえない景色を堪能できたから。
ヒルクライムは500mぐらいのアップのようで、実はそれがどれほどのものなのか想像ができず、当初はかなりびくびくしてた。雨もパラパラと降る中だったから、かなり慎重で遅い登りだったけど、そこまで大変なものじゃなかった。むしろそのあとの長い下り坂が天国に感じられて、幅広な道路を一人占めしながら風をきって下れたことが最高だった。山エリアを抜けると、海岸沿いの道をずんずん北上。海を右手に、山を左手に見ながら、最高の景色を楽しむ。太平洋側は向かい風がきつい、という事前情報もあったけれど、そんなことはなかった。一部エリアで、進む道の先に、海と空が繋がってるように錯覚できる場所があって、まさに空に登っているような感覚をあじわえた。だけど、風をきって気持ちよく走っていた矢先に石(か何か)を後輪が踏んずけてしまい、大きな鈍い音がする。マーフィーの法則、じゃないけど、気分の良いときに限って、そういうアンラッキーなことが起きる。その直後は大丈夫そうだったけど、台東に着いて調べたら、やはりタイヤに穴が空いていた。シーラントのおかげで、全部の空気が抜けるところまでいかなかったよう。台東のホテルでは持っていた最後のスペアチューブを入れて修復。その後、ジャイアントのお店にタイヤを持って行って空気を満杯に入れる。空気入れは結局、台中、高雄、台東の3箇所で借りて補充したことになる。ジャイアントのお店を多用したけれど、どこもみんな親切。お昼は原住民の人たちが住んでいる地域のおしゃれなカフェで食べて(双亭院)、ホテルは台東の旧駅舎の目の前で、アートによる再開発エリア内だった。ここのホテルが唯一部屋に自転車を持ち込んでいいところで、ちょうどタイヤの修理をする必要があったから本当に助かった。
8日目 (台東から瑞穂) 100km
この日も快晴の中、景色を楽しむ最高のライドができた。米どころ、の池上ではご当地の池上弁当を食べて、のどかな田園地帯をゆっくり北上していく。夜は瑞穂という温泉街で、少し奮発して高い宿に泊まる。プライベート露天風呂で足の疲れを癒す。
9日目 (瑞穂から礁渓) 87km
瑞穂の宿で朝食をとってからさらに北の花蓮駅まで急ぐことに。というのも花蓮と宜蘭の間は、急峻で道路も狭く、トラックも多い、ということで公式ルートでも列車での輪行を勧めている区間。そのため、1時間に1本弱、という自転車をそのまま乗せられる列車に乗るために、ひとまず駅に向かう。この地域を襲った地震が起きてから1か月半ぐらいの時期だったけど、その爪痕を感じさせないくらいに日常を取り戻している印象。駅で1時間ぐらい待つ間にお弁当を食べて、その後、スムーズに乗車。僕以外にも数人自転車を載せている人たちがいたけど、みんな結構適当な感じで乗せてた。1時間ぐらいの乗車区間だったけど、窓からの景色は絶景だった。僕は羅東という駅で降りて、そこから礁渓という温泉町まで20kmぐらいさらに自転車で進むことに。山の近くの活気ある観光地、という印象かな。おしゃれな宿に泊まって、2日連続でプライベート温泉を楽しむ。ローシーズンということもあって、お客さんの数はまばら。でも質はすごく高いし、値段もそこまで高くない。
10日目 (礁渓から台北) 100km
ようやく最終日。この日まで無事に走行できたことに感謝。朝、礁渓の街をぶらぶらして、蘭陽博物館に立ち寄ってからのライドスタート。強いて言えば、この日はわりかし辛かった。トラックがとにかく多く通る海岸線の道はものすごく走りづらかったし、1時間ぐらいは雨に降られたこと、それから、台北近くのルートは自転車レーンがなかったり、交通量がとにかく多かったり、ルートが紛らわしかったりと、イライラすることが非常に多かった。疲れと焦りとゴールへの期待が全部混ざって、複雑な気分だった。それに2ヶ所トンネルを通るところがあったけど、(事前情報とは異なって)普通に車道の脇を走らされて、結構怖い思いもした。それでも、台北に近づくにつれて、旅の終わりに向けた高揚感が高まってきて、松山駅に着く頃はかなりの喜びだった。本来は0kmのモニュメントは出発時に立ち寄るべきなんだけど笑。その後、Brother Hotelに向かって3駅分、大通りをさらに進むことに。ホテルに着いた時もかなり感動した。行きはホテルを西に向かったのに、今回は東からたどり着いたわけだから。とにかく10日は長かったー。でも無事に帰ってこれたことが素直に嬉しかった。その日は、友人の友人の旦那さん、という方がご飯をご馳走してくれて、なおかつ車で市内をプチ観光案内してくれた。感謝。翌日はホテルの一角を借りてバイクパッキングをして、その翌日の早朝にシンガポールへの飛行機に乗ったとさ。
まとめ
たぶん台湾1周サイクリングは誰でもできると思う。(ある程度普段からサイクリングしている人は)体力的な心配はそこまでない気がした。走りやすいし、コンビ��もたくさんある。むしろ、それだけの時間を確保できて、なおかつ、その時間をこういう体験に費やしたいか、の問題な気がする。事前にこのアイディアを思いついたときに、面白そう、と思ってしまったことがそもそもの発端で、取り憑かれたら最後、やるしかない。これをフィーチャーしたYouTuberさんの動画に触発された部分も大きい。以下2つ、すごく参考にした情報元を載せておく。
https://www.bikeexpress.com.tw/ja/2024/the-classic-9-day-cycling-around-taiwan-along-cycling-route-no-1-or-alternative-routes-jp/
https://discover-ride.com/taiwan1000km/
プラクティカルなことを言えば、僕の場合、荷物を長期間預かってくれるホテルを探すこと、サイクリストにフレンドリーなホテルを探すことが当初心配だった。今���の旅の経験からいえば、1泊1万円ぐらい(あるいはそれ以上)のところはかなりその辺の融通がきいたように思う。一般化はできないけど。一応、予約の際に、その旨を伝えておいた。全般的にホテルスタッフは優しくて、サービスも良かった。予約に失敗して、Refundできないだろうなー、という場合でも優しく対応してくれた。あとは、空気入れをどうするか問題に関しても、立ち寄った町の自転車屋さんで借りれば、問題なく走れる。
あと細かいことでいえば、中国語が少し話せたなら、もう少し楽しかったのかもしれない。英語と日本語が思いのほか通じず、例えば、同じサイクリストに話しかけられても、全く会話ができなかったり、おすすめの料理が分からなかったり、という場面も結構あった。次にまた台湾へ行く楽しみを取っておくことが出来た、と思えばいいのかなと。
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10代の頃の私はとにかくこの家を出たくて堪らなかった。亭主関白な父と統合失調症の母。頭がおかしくなりそうだった。東京に憧れがあった。
キラキラしていて新鮮な本や店がいっぱいある。朝のめざましテレビで放送している今話題のグルメ!みたいなコーナーので紹介される流行りの映える食べ物とか私の住んでる町には全然なかったから。大きな国道が家の前を走っていて、電気屋とリサイクルショップとラーメン屋がおおかった。老舗の喫茶店とかオシャレなカフェとかがあればよかったけど家の近くにあるのはラーメン屋、ラーメン屋、駐車場、ラーメン屋だった。ラーメン屋は大好きだけどこんな町に住んでいるとさすがに東京が輝いて見えるは仕方がないと思う。東京の大学に進学し同じく上京組の友人と初めて原宿の竹下通りに行った。インスタグラムのストーリーで原宿来た‼️とかのせちゃって随分浮かれていたと思う。それから歩いて表参道まで行って当時私がずっと行きたかったピンクの外観のカフェでお茶をした。そこでピンクのマグカップを買って表参道にいる自分に心躍らせていた。
大学を卒業して今は表参道に勤務している。私が初めて表参道に来た時に訪れたピンクの外観のお店は今は青い外観の店になって1杯500円以上するコーヒーを売っている。
最近の私はとにかく東京が嫌いで嫌いだ。通勤時間はやたら長いし、知らない女の子の集団に足踏まれるし、うるさいし。丸の内で知らないおばさんに怒鳴れたこともある。帰り道チャリをに乗ったおじさんに下ネタを吐き捨てられたり、とにかく散々だ。休日は家から1ミリだって出たくない。電車に乗りたくもないし都内になんて絶対行かない。もっと勤務他に近いところに引っ越せばと思うけど1年目は全然お金がたまらなかった。交通費を除くと私の手取りは20万もない。そのくせハイブランドのバッグやら高いマンションなんかがよく目に入る。高層マンションってどんな感じなのかな。私は高層マンションに住める側の人間じゃないことはずっと昔からなんとなくわかっている。容姿を武器に稼げるわけでもないし、頭も良くない。お金の勉強なんてさっぱりだし、スター性みたいな人気が出るような人間でもない。だから人の下について働いてお金を貰う方法しか知らなくて高層マンションには一生住めないってわかってる。あのさ、高層マンションに一生住めなくていいから、どうかその土地を嫌いにならない生き方がしたい。お金がなくて貧乏で、引越しもできず満員電車に揺られ東京が嫌いになるのも、実家にいると心が痛くて飛び出したくなるような地元も、なんか嫌だ。全然いやだ。本当は心落ち着いて穏やかでいられる場所に住みたい。どこがいいかはわからないけど品ぞろえのいいオシャレな本屋とカフェ、ラーメン屋、パスタ屋くらいは近くにほしい。あとは夜が静かであること。もし同居人がいたら、心豊かな人がいい。そして私も心豊かでありたいのです。
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2023年史
1月
大晦日に打ったワクチンの副反応とともに年が明ける。
友達と初詣。
友達を沢山集めて新年会をする。よくこんなに集まってくれたなって嬉しくなった。命日なんじゃないかと思う。
一日で10社回る初詣散歩を敢行。この頃、信仰心がとても強い。
会社を辞めて初めてのデザイン現場。音���もやってしまう。
2月
舞台上での事故を目撃してしまう。ここから舞台に対しての恐怖感が芽ばえる。
余裕がない現場で誕生日を迎える。前の日に先輩に話を聞いてもらったのは大きいことだが、年末が近づくにつれその先輩のことが嫌いになる。
初めてミュージカルのデザイン現場。殺伐としていた。
3月
「ちひろさん」という映画に救われた。会社を辞めて暗かった心がなんとなく救われた気がした。
身内と草津旅行。ずっと同じ時間を過ごすのは少し無理があると思った。
心の支えであった朝ドラ「舞いあがれ!」が大団円を迎える。
4月
憧れの人に弟子入りしようと試みる。オンライン面接で門前払いのようなことを言われる。10年後に話を聞かせてくれと言われた。
思い立ったが吉日でディズニーランドへ行く。原点を見た気がした。
カフェ公演でデザイン。
ずっと楽しみにしていた公演で感動のあまり照明さんに話しかける。繋がろうと言われたが、インスタに連絡したが返事はまだない。
5月
BUoYで2度目のデザイン。先輩ばっかで楽しかった。セッションだと思ってあまり明かりを決めずに入ったがそれがハマってくれた。
ずっと応援している人の個展へ。生きていてくれて良かったと思う。でも今にも死んでしまいそうな香りがした。
6月
新宿眼科画廊で2度目のデザイン。電飾を仕込み過ぎた。
友達とディズニーランドへ。
1人でディズニーシーへ。トランジットスチーマーラインの1周コースが1番楽しかった。
1人で箱根ドライブ。美術館ハシゴ。
7月
先輩のオペ現場。初めての叙々苑弁当。
友達とディズニーランド。行き過ぎ。
難聴と頭痛に悩まされる。この辺りから体調が優れない。
地元のお祭り。コロナが終わってやっと復活してくれた。吠えながらなんとかやり切った。
8月
先輩のオペ現場。
現場でストレスが限界値をむかえる。扁桃腺が腫れる。体調が悪くて処方通り薬を飲んだらODのようになる。扁桃炎ストレス性頭痛難聴鬱。こんな最中に現場で先輩に当たられる。
病み上がりでサマーソニックへ。少々体にムチは打ったが、友達とも会えたし奇跡のような一日を過ごす。
デザイン現場。
親友に呼ばれて西宮へ。ご実家に行ったり彼のルーツを見たり、温泉にも入ってとても良い時間を過ごした。彼には返せない恩がある。
9月
パントマイムのデザイン
変なお芝居のデザイン。久しぶりに親にも見てもらう。家族の話だった。毎回心を込めてオペをした。多分近年の代表作になった。
元映画館でデザイン。少々パワフルな現場だったが、なんとか食らいついた。アイデアがたくさんでなかなかない楽しいクリエイションだった。
ずっと楽しみだった山口晃展。思わず泣いてしまった。
10月
桜木町でデザイン。なかなか尖った作品だったが、何とかやりきった。団体の人とも仲良くなれたので楽しかった。
初めて川越まつりへ。踊りは微妙だったが山車は良かった。
先輩にキツく当たられる。
11月
番外編のようなお祭り。なんとか踊りきった。
地元の花火大会へ。じっくり花火を見たのもいつぶりだろう。
Coldplayのライブへ。やっと観れた。
スタジオでデザイン。なんか、どっちともつかない明かりになってしまった気がする。
セカオワのライブへ。今年も観れて良かった。
初めての羽田空港。ずっと眺めてられるなと思った。
友達とキャンプ。運転はキツかったが、みんなで火を囲んだのは良い思い出。
近代戯曲のデザイン。自分がどこまでやれるか不安だったが、自分なりになんとかやれた。
12月
BUoYで3度目のデザイン。反省点はたくさん。でも演出と作品に救われた気がする。
鬱の薬が強くなる。診察の度に悪くなる一方である。
この後親とこの1年について話してきます。鬱の症状と経済面と生活面と。気持ちだけで乗り切ってきた2023年という年は、まとめると何とも暗い年になりそうです。
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一人じゃないと思えると平然と生きていられるようになる
味覚の一部が死んでいる。本当にまずい。まずいというか死にたくなっているのだけれどその発端がまるで分からない。
今はタリーズにいる。ブラッドオレンジジュースを頼んだ。ブラッドオレンジジュースは変な味がした。最近こういうことがよくある。前に河原町でショートケーキを食べたときも、薬品みたいな味がした。今回もそう。ブラッドオレンジジュースから薬品みたいな味がしているのか、ブラッドオレンジュースとかショートケーキの何かしらが自分の中にある、より具体的に言えば味覚、嗅覚を司る器官の中にある何かしらを刺激して薬品みたいな味を感じさせているのか、その辺りは分からない。何を食べたり飲んだりしても薬品みたいな味がするわけじゃないから、自分の側にすべての問題があるわけではないと思う。
自分の側にすべての問題、問題はそうやって自分の側とか相手の側とかで割り切れるものではないと思う。でもそうやって切り分けないと、よく分からなくなることがたくさんある。
今日は映画を見に行こうとして、見られなかった。見られるはずだった。というのは、劇場まで行けてチケットも買えて多分開始時間にも間に合っていたからだ。時間ギリギリだったから一番近くにあったスクリーンに入ったら、まさかのそこは同じ映画のひとつ前の回だった。だからスクリーンに入って15分経たずで映画は終わった。ちょっと衝撃的だった。衝撃的もクソもない、自分が悪いけど、時間ギリギリに行ったから、というか僕は時計もスマホも持っていないからその瞬間の正確な時刻が分からなくて、家を出た時間から考えるにちょっと過ぎてるかピッタリくらいだと思って「上映中」が出ていても何も怪しまずそのまま入ってしまった。僕が冒頭だと思ったシーンは最終盤のシーンだった。エンドロールが流れてきても僕は「ああ、この映画は冒頭で出演者を紹介するんだ」という認識を持った。でもそういう映画はあると思う。たとえば「君の名は。」は、エンドロールだけじゃな��て冒頭に簡単な出演者紹介というか、アニメでいうオープニング的なものがある。だから僕は今回見た映画でエンドロールが流れてきても、オープニングだと解釈した。出演者の名前だけじゃなくプロジューサーとか製作陣の名前が出てきてちょっと怪しいかなと思いつつもここから映画が始まることに期待した。そうしたら案の定、案の定というか出演者、製作陣の紹介後にふさわしく、ちゃんと劇場は明るくなった。僕の千百円はなんだったのだろう。
そもそも同時間帯に違う二つのスクリーンで同じ映画をやっていたのが紛らわしかったと思う、と言いたいけれど、結局時間ギリギリに行った僕が悪いし、時間ギリギリでも手持ちのチケットに記載されているスクリーン番号と目の前のスクリーンの番号を照合させることはできたはずだ��ら、全部僕がそそっかしかったのが悪いと思う。映画を見る前は、より具体的にはチケットを買ってから映画が始まる直前、なんなら始まって10分くらい経つまでは「やっぱり見るのやめようかな」という気分になることがけっこう多い。でもいざチケットを買って本当に見なかったら悲しくなる。ちなみに僕が本来見るはずだった回は、間違ったスクリーンから出てきた時点で始まってから20分が経過していた。だから諦めた。また明日、もう一回お金を払って見に行こうと思う。もったいねえ。
最近は過食がすごくて、ずっと体の中が気持ち悪い。昨日は昼にカレーパンとサツマイモと小豆的なものが入ったずっしりしたパン、それから小松菜と牛肉のオイスター炒めを食べて、夜はグリーンカレーとご飯、それから中華料理店で鶏炒め鍋とエビと卵が入った焼き餃子を食べた。散財したしお腹も気持ち悪くなったしで良いことが一つもなかったと言いたいけれど、美味しいことは美味しかった。そういうことは忘れちゃいけない。過食しているときはそれの罪悪感ですべてを否定したくなるけれど、ちゃんと美味しいと思えているときもある。昨日はそれだった。というより、昨日は美味しいと思えたというより、昨日はどんなときでも美味しいと思えるくらいにクオリティの高いものを食べたのだと思う。だって二千円以上したもん。中華料理店、高かったけどまた行きたい。
とか明るい感じで締めたら良い感じになるかというとまったくそうではなく、気持ち悪さは消えない。今日は朝起きてから今まで飲むヨーグルトを一本とパンを三つ、それからほうれん草とにんじんとしめじとベーコンをバターと醤油で炒めて最後に卵を混ぜたものと、さっきここ(タリーズ)でちっちゃなバニラアイスとブラッドオレンジジュースのトールサイズを飲んだ。「ちっちゃな」とか書いても欲に負けたことは変わらないし、気持ち悪いならブラッドオレンジュースだけにすべきだった、多分。本当にしんどいときは食べるか寝るかしかできなくなる。言うまでもなく「本当にしんどいとき」は僕の主観だ。万人にとって絶対的に、究極的にしんどい状態というのは存在しないのだから仕方ない。今日はパンと炒め物を食べてから映画を見に家を出るまで寝ていた。お腹いっぱいになったら眠くなってしまった。くそだ。でも一日はこうやって終わることもある。究極、人間は食べて寝るだけで人生を終わらすことができる。なんて悲しいんだろう。
今年一年はかなり灰色で、色はともかく濃淡がない。色にバリエーションがない。全体的にのっぺりしている。鮮やかさがない。食べても読んでもどこかに行っても何かを見ても、それが鮮烈な印象を持って残っていない。唯一、「罪と罰」を読んだことはけっこうドキドキというかワクワクした経験として残っているけれど、でもあれを思い出すと同時に当時の苦しさも思い出す。罪と罰を一番ノってる状態で読んでたとき僕は北大路のイオンモールのスタバにいて、時間帯は夜、8時から10時くらいだった。閉店時間が10時で、店を出た後も僕は出入り口の横にあるエレベーターの前で雨宿りしながら続きを読んでいた、気がする。雨が降っていたかはあんまりちゃんと覚えていない。そういえばあの時は春だった。春は全体的にそういう記憶が多い。総合商業施設の閉店後にその前で雨宿りをしながら本を読んでいる的な記憶。意味が分からない。
今年の春は外にいることが多かった。時間が経つにつれて、少しずつ家の中にいる時間が増えていって、最近は何か書くときも家の中にいることの方が多い。それが良いのかは分からない。今年の春は「京都グラフィー」の展示をいくつか見にいった。京都文化博物館で行われていた「マベル・ポブレット」という人の展示が一番印象に残っている。確か海や水をテーマにした展示で、鏡とか、折り紙とか様々な形でそれが表現されていた。あと純粋に京都文化博物館、展示空間が良かった。その中にある展示として、マベル・ポブレットさんの展示がすごく良かった。展示を見ているとすごく心が落ち着いた。でも落ち着きはいつまでも続かなかった。落ち着きはいつもそうだ。最近は良さが持続しない。一人暮らしを始めたからだろうか? 日常のうまくいかない諸々をすべて一人暮らしと接続させるのは良くない。
FUKUROKOZI、みたいな名前のバンドがあるんじゃないかと思って調べてみたら、なぜかカフェが出てきた。そんなことはどうでもいい。素早く文章を書くことはドラッグを決めることと方向としては近いんじゃないかなと思う。多分、手を止めずにキーボードを叩き続けることにはそれなりの快感がある。でもどんな内容でもただ打っていれば満足できるわけでもないから、一概にそうとも言えない。良いことも悪いこともあるけどそのすべてが同じ色合いで表現されているような、そういう感覚がある。端的に言うと退屈している。ずっと渋滞に巻き込まれているようなそういう感じがある。環境を変えたい、というか大学を辞めたい、というかおそらく来年の春には辞めている。が、大学を辞めたらすべてが好転するとかそんな甘っちょろい話はない。誰か助けてくれないか、という歌詞が含まれている曲はなんだっただろう。きっと割とたくさんあると思う。
穴埋めには限界があって、でも穴が空いていたら埋めるしかなくて、空いている穴に対して胸を張ることはできるんだろうかとかそういうことを考えるけれど、これはあくまで比喩的な話だ。感覚的には、自分はずっとその穴に対して、応急処置的に何かで埋めるか、その穴が目立たないように他の部分もその穴と同じ高さまで掘ることをやってきたと思う。でも、いくら掘ったり足で慣らしたりしても満足できなくて、自分はずっとその穴があった箇所の状態を気にしているような、そういう感覚があるかというと別にない。でも、「やりたいことをやろう」というのはもしかしたら、穴が気にならなくなってからじゃないと言えないのかもしれないなと思う。穴が空いた状態で「やりたいことをやろう」と言っても、「いや、まずは埋めろよ」という話になる。いや、違うか。でも、仮に穴が空いていたとしても、自分がそこに手を施さなくても雨風とかで勝手にその穴は埋まっていくんじゃないかなと思う。自分が他のことをやっている間に。
色盲���いうのはこういう状態なんだろうか。絶対に違う。でも色がない世界で何が違いを生むのかというと、それは段差とか奥行きとか、そういうものになるのかもしれないなと思う。一色で描かれた絵に魅力がないかというと、そんなことはない。二次元の絵で奥行きを表現しようとしたら結果的に色を変えることになるのだろうけれどそういうことではなくて、だからこれはどちらかというと立体の話だ。レゴブロックを積んでいるとして、一色のレゴしかないとして、だったら自分は、きっといつもより形で違いを生もうとすると思う。いつもだったら「魚」とか「お馬さん」とかその程度で満足するところを色の変化のなさを補うために様々な積み方で工夫しようとするんじゃないかと思う。でも多分、工夫して、その時はそれなりに満足したとしても、一旦レゴから離れたら悲しくなる。人生において色は相当重要な要素なんじゃないかと思う。「人生」とか大袈裟だけど。
自分はあんまり自然を眺めていても落ち着かなくて、というより自然「だけ」では満足できなくて、たとえば離島で生活することになったらかなり苦しむような気がする。かと言ってずっと都会にいたいとも思わないし、この辺りは塩梅だ。おそらく、苦しさは時間によってしか消えないんだと思う。もっと具体的に言うと、一つ一つの物事の積み重なりがあって、その結果として何かの弾みでスッと楽になったりするものなのではないかと思う。AがBになるから楽になるのではなく、AがAダッシュになるから苦しくなくなるわけでもなくて、AとかBとか「あ」とか「い」とか1とか2とか、とにかく色々なものが積み重なっていった結果、ある時ふいに訪れた「G」とかによって、パッと視界が開けたりするものなんじゃないかなと思う。
なんて言うんだろう、時間さえなければ物事はもっと簡単になると思う反面、時間があるからこそ人生で、というか時間しか人生じゃないとすら思う。実際にそうなのかな? どんな大きな理想を掲げたって目の前にあるのは次の1秒で、その1秒を「一時間」とか「二時間」とかそういうまとまりとして見ることもできれば、純粋なただの一瞬として感じることもできる。どちらも等しい1秒で、でも本当に等しいのかな。時間はその人の主観の中にしかないとは言えずとも、「24時間」「365日」というのが人間が作り出した概念であることは間違いなくて、日々沈んでいく太陽と、季節の移り変わり、気温の変化だけが本当で、でもきっと時計や時間が存在しなかったら、自分達はほとんど動物と変わらなくなるというか、ぼうっと牧歌的に生きることしかできなくなるんじゃないかと思う。
人生は暇潰しとか思い出作りとかどっちもあんまり好きな言葉じゃないけどでも多分部分的には本当で、思い返したときに何があるかしか大事なことはないような気もする。本当に分からないよ。あと一歩だと思う気持ちともう全部ダメになったりして(笑)みたいな気持ちと両方ある。でも後者に関してはあんまり言語化していない。いつかどこかで突発的に線路に飛び込むとかそういう類の表現のされ方をするような気がする。
自分一人しかいないと思うと死にたくなる。一人じゃないと思えると平然と生きていられるようになる。この「一人じゃないと思える」ということがどういう状態なのかは分からない。誰かと一緒にいたら一人じゃないのか、帰る家に誰かがいれば一人じゃないのか、もっと精神的な話なのか、「一人じゃない」というのはそもそも「別の人間もいる」ということに留まらないのか。滞留していると苦しくなる。循環していると落ち着いていられる。そういうこと���思う。
(久しぶりに書くと違和感がすごい)
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【原宿・表参道】淡色おしゃれカフェ“moo” 新規オープン!
明治通りから原宿通りから少し入ったところに“moo(ムー)”が新規オープン✨ ガラス張りで爽やかな印象のおしゃれなカフェ☕。 朝は9時からオープンしていて、電源📴もあるので、カフェとしてだけでなく、打ち合わせや勉強にも利用で切りて便利! お洒落なカフェを活用してみてはいかがでしょう🎉
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念の為の折り畳み傘、変えられなかった一部の雨予報にそわそわしつつ迎えた今日の約3ヶ月ぶりの逢瀬。直前の日までピリつく瞬間もあれど5分足らずで解決してきた、1年と約2ヶ月の期間の賜物。流石に2度目の待ち合わせ場所となるとどこから現れるかも分かってきて探す間もなく見つけられた。久しぶりの北斗に電車を待ちながらちょっかいをかけつつ、顔を見て話せる幸せをじわじわと感じていた。
一日目の午後、ホテルに荷物を置いて早速集合場所へ向かう。初めて逢うメンツばかり、俺の知り合いばかりで申し訳なさも感じつつそれでも付き合ってくれる北斗と恋人を受け入れてくれるダチに感謝しつつ。微笑ましく見守られながら会話に花を咲かせてたね。
2人きりになって歩けば道に迷い、予定通りに物事を進められずとも北斗は不機嫌になることもなくただただ見つからない予約車に焦って泣きそうになっているところを見て少し笑えたことは内緒、には出来てないな。困ってるところもちょっと可愛いけど可哀想だからすぐ助けてあげようね、俺。ずっと行きたかった好みのカフェ、全力で席を予約してくれた分全力でその雰囲気を楽しんだ。2人でオシャレなドリンクと食事に感動しながら、店内の作品を高いねなんて笑いあって筆談でも遊んだね。何でも楽しみに変わる、俺たちの得意技。夜遅くまで会話も盛り上がって、駅前でみんなで笑いあって、ピースで星作って写真撮るとか学生以来だなって懐かしみつつも青春の続きみたいなその瞬間が最高に楽しかった。大人になってもそういうくだらない話とか好きなことの話を永遠と語る時間は大事だなってしみじみ感じてたよね。
軽食続きで小腹を満たすために買ったコンビニ飯にヤキモチを妬くその膨れた顔も、先にキスしてにっこり笑ってご機嫌そうに風呂に行く顔も愛らしくて、愛おしくて。久しぶりの体温と柔らかさに少し触れただけで、気付けば夜も耽ってた。
予定よりも早く起きる癖、早く起きて御前との時間を少しでも多く過ごしたくてまだ眠たそうな北斗の頬をつついて起こす。寝起きでもほわほわ笑っておはようと返す瞬間も、何もかも自分のものなんだと優越感に浸る朝。早起きするほどのんびり準備するところも俺ららしくて、滑り込みで朝マックするところも俺ららしい。
北斗が通るところから雲が避けて晴れてゆく、曇り空のお台場も2時間も経てば快晴だった。今回もまったく出番のなかった折り畳み傘、本当に流石だな。
初めてのジョイポリス、そもそもどんなとこだろうと思いつつ入場して1時間後には楽しくてはしゃいでた。かっこつけたがりの俺が北斗の前でだけは羽目を外してきゃっきゃと騒げる、それを微笑ましく許してくれる北斗にだから出来ること。1位をとって喜んだり絶叫して楽しんだり、晴れた景色を見てランチをしてまったり過ごしたり。若い頃の穴を埋めるようにプリクラを撮っていくつだよなんて笑いあって、俺の好きなアイスを食べてすっかり夕暮れのお台場を歩いた。
久しぶりに逢えるねと2人でわくわくしながらダチとの合流を待ち望み、さっと買ったスタバを片手に2人でふざけながら夜の秋風を浴びてた。3人でゆっくり話す時間は初めてで、今度は遊びに行きたいねなんて話しながら酒とパスタと会話で腹を満たした。2軒目に迷った挙げ句に帰る選択をした俺らは眠気と闘いながらもホテルに帰った、配信をした記憶すらも曖昧で気付けば2人とも沈むように眠ってたね。
再び早めの起床、今日は渋谷に行くと張り切りながら支度をして連日小麦のものばかり食ってた俺らは米系の朝ご飯を確保しに行っ��。方向音痴を極めた2人、待ち合わせ場所に辿り着けずダチに迷惑をかける始末。洒落たカフェで甘いケーキを食って、何を買うわけでもなく渋谷と原宿を練り歩いたね。
2人になって向かったのはずっと狙ってた隣町の不純喫茶。レトロな雰囲気を味わいたくて乾いた喉を潤しながら、他愛ない話を2人で交わして時間を過ごした。この後に予約しているディナーは内緒にして、アメ横をくぐりながら今度はここにも行こうかなんていつかの話をした。次にお揃いにしたいものの話でも盛り上がって、どんなデザインのものを買おうか考えるのも楽しいね。お揃いの思い出、お揃いのアクセ、お揃いの服。たくさん2人で共有して何気ない日常でも御前の存在を感じられるように。
目を閉じさせ、案内したレストランはアクアリウムを用いた幻想的な空間。丸い目を何度もくりくりさせて大興奮で写真を撮ってる姿を見て俺まで嬉しくなったんだ、こんなにもリアクションをしてくれるから、色んなことをしてあげたくなる。して良かったと思える。上品な料理に舌鼓を打ち、辛さのあるスパークリングワインに身を震わせて笑いながら食事を終える。運ばれた最後のデザートに描かれたラテアートに感動して、1年記念のケーキを添えられた際に北斗は初めてこのディナーの意味を知る。
何度もありがとうと言葉にするその心が綺麗過ぎて、1年と2ヶ月も隣に居るのが北斗で良かったと改めて感じさせられた一日。そんな日の締めにやってきたのは映画館だった。眠い目を擦りながらレイトショーを観て、いそいそと終電に乗って帰ったね。北斗と居たらレストランでも映画館でもデパートでもコンビニでも、どこでも楽しい話ばかりで笑いあえる。時間はあっという間で、明日のことを考えないようにとばかりに2人で身を寄せあって夜を過ごした。
最後の朝、寝起きで目が合うと御前は無言で抱き着いてまるで磁石かのようにぎゅうっとくっついていた。静かに北斗の目から滲む涙が俺の顔にじわりと濡らしても、何も言わずに微笑みあって少しだけ無言でお互い支度を始めた。
初めて逢う北斗のダチ、長年の付き合いとは知らされていた存在に逢うのは少しドキドキはしたけど友達として恋人として、北斗と関わっている以上は価値観が合わないことなんて無いだろうと確信していたのもあり100%のコミュ力を発揮して挨拶を交わした。そんな緊張も要らないほどに北斗のダチは面白くて、濃厚な1時間半を過ごしたと思う。8割は俺の話ばかりだよと何となく分かっていたけど8割って相当だなと思いつつ、北斗がどれだけ俺に夢中なのかを人を通して実感した瞬間だった。大切なダチの前での北斗は2人きりの時と変わらないくらいリラックスしていて、こういう一面もあるんだなと安心したくらい。素敵なダチがいて良かったね。いつも幸せそうに笑ってくれる北斗は、優しい人たちが見守っていてくれたからこそ居るんだろうなと再確認出来た。
電車の中までは今回はまだ平気そうだったのに、空港に着くとやっぱり御前は無言になって、静かにカフェのドリンクを飲んでいたね。やっぱり泣いちゃう北斗が愛おしくて、茶化すように笑ったら困ったように笑い返す。今はまだ寂しい時間もあるけれど、いつかはまた明日も逢えるからねって笑顔で見送ってくれる日が来ることを目指してる。いつか来る、いや、絶対来るって信じてる。
違う土地で、違う部屋で、違うベッドで寝る夜。眠る間際まで北斗は今回の旅行でも楽しませてくれてありがとうとお礼を語る、たくさんありがとうの言える優しい人。嬉しいと素直に喜べる、寂しいと涙して惜しめる、純粋な人。次の旅行の前は喧嘩しないようにしようねと約束をして、笑い合う。
1年前の秋頃は初めて逢って、少しぎこちない距離感で歩いたり部屋で過ごしたりしていたけど今じゃすっかりホテルでは過ごしたいように過ごして、じゃれ合うようになったね。どんな樹でも良いといつでも何度でも伝えてくれるその広い心と大きな愛情にすっかり甘えてる俺がいる。いつも俺を許してくれてありがとう、どんな俺でも受け入れてくれてありがとう。そんな漠然とした感謝が旅行を重ねる度に大きくなってゆく。少しずつ環境が変わっていったとしても、変わらぬ気持ちでまた逢瀬を繰り返していけたら良いなと思う。
2年目も3年目も、俺らなら余裕で迎えられる。互いが隣に居ることは当然になったとしても同じ気持ちでいられる事は当然ではない、それを忘れずにこれからも過ごしていたい。好みも価値観も育った環境も住んでる場所も全然違うけど、違うところを認めて受け入れようと出来る俺らなら大丈夫だよね。
改めて、1年も一緒に居てくれてありがとう。
そしてこれからも末永くよろしく、北斗。
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