#原子爆弾
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ケツの穴💩
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人間とは何だろう?
動物であるw🤣✨
美しい考え、理論、それを唱える一方、ケツの穴から糞💩を垂れる。
まあ総じて、人間なわけでw
だから、必要以上の理想論は、トンチンカンな結果しか生まない、だって動物だからw🤣
それを考えた上、これからの世界を考える。
前回の戦争が、恐らく今世紀最後の戦争だろう。
なぜなら、アメリカは最終的に、国際条約を無視した、日本の民間人虐殺を行い、原子爆弾を使用したからだ。
戦争って、喧嘩だ。
その意味において、これまでの歴史上、アメリカ以外の国は、国際条約を逸脱した戦争は、そんなに無い。
ルールある喧嘩だったはずが、何故に、アメリカによる日本人虐殺に変わったか?
喧嘩両成敗とあるように、必ず双方に原因がある。
板垣征四郎。
満州の防疫部隊を作った。
そして、731部隊は板垣征四郎が作ったのか?
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板垣征四郎の流れを見て、思想的に、そんな卑怯で残忍な部隊を作るようには思えない…
しかし、防疫部隊を発案したのは、板垣征四郎とされる。
では731部隊という、人道から外れた団体を作ったのは誰なのか?
731部隊は、“石井部隊”ど呼ばれていた。
衛生班であるはずが、中国人を使ったおぞましい人体実験、生物兵器の開発は一体誰が?
↑↑はっきり書いてある…
731部隊は、石井独断のマッドサイエンス部隊だわ。。
1925年から、石井は細菌兵器の必要性を、海外を見て悟った。
おぞましい生物兵器とは、石井により、大きな発展を遂げてしまったわけだ。。
《気球にチフス菌を乗せ、気流に乗りニューヨークまで飛ばし、ニューヨークにチフス菌をばら撒き、ニューヨークを虐殺する。》
これが731部隊の計画。
つまり、原子爆弾が落とされなければ、731部隊の計画は実行されていた。
…これもまた、恐ろしい話だ…
ニューヨークにチフスが蔓延し、アメリカはパニックに陥るだろう…
しかしだからと言って、日本は戦争に勝算はあったか?
日中戦争の時点で、日本は終わったんだ。。
そして決定打、
アメリカはサイパンという拠点を手に入れた。
これにより、もはや敗戦は確定した…
あらゆる爆撃、東京大空襲などは、サイパン拠点で行われた。
サイパンを取られた時点で、日本は敗戦した訳だ。
政治的な上層の話を見る限り、アメリカの原子爆弾使用は間違いとか、意見がある。
しかし水面下では、731部隊などがおり、満州の阿片漬けな状況、阿片改変のモルヒネ、それによる医学界のボロ儲け、政治の綺麗事だけを見ていたら、現実は見えて来ない。
自民党総裁選が、ある。
次の総裁選で、軍拡を唱える政治家は、
100%不要な政治家だ。
一体、どう軍拡する?
それは、軍事費の予算を吊り上げるという、意味。
「台湾有事に備えて…」
馬鹿なのか?また戦争する気?
中国は台湾を軍事攻撃するだろうか?
台湾にミサイル落とし、台湾国民殺し、中国に何のメリットがある?
全く何のメリットも無い。
その起きるわけない台湾有事を、高市やらは、起きると言い、軍拡、日本核武装を言う…
頭が悪いんじゃなく、お金が欲しいだけだ。つまり軍拡を言う政治家は、軍産複合体からおこづかいを貰いたいだけw
軍備増強を言う政治家。
軍備増強って何?
軍備増強ってのは、軍隊を持つ、そして軍隊をデカくする。
それは本当はどういう意味?
軍拡政治家は、台湾有事、北朝鮮脅威を言う。それに備えると。
具体的には?
戦闘機、ミサイルなどを、増やす。そのためのお金を、税金予算に組み込む。我々から搾取した税金を使い、戦闘機やミサイルを買いたいと。
ここに大きな疑問がある。
戦闘機を操縦するのも、ミサイルを操るのも、人間だろ?
戦闘機やミサイルだけ買い、それを操る人間、彼らの言う有事に対処する人間は、増やさないのか?
戦闘機やミサイルだけ買うのが、軍備増強なのか?
住む人間が居ないのに、先にマンション建てる意味は?
つまり少なくとも高市は、日本の事は本当は何も考えておらず、自分の利益のみの政治家だ。岸田文雄と全く同種の、くず野郎だ。
政治家は、日本の事を考えるべき。
それが、軍拡か?
それが、核武装か?
冗談じゃない!
岸田文雄や高市のような政治家は、我々国民の敵であり、害虫だ。
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Sean bienvenidos japonistasarqueológicos, a un día como, en el que aconteció el 9 de agosto de 1945 a las 11:00 horas de la mañana, B-29 Enola Gay volvió a hacer acto de presencia sobre las cabezas japonesas y lanzó sobre la ciudad de Nagasaki la segunda bomba atómica, conocida como Fat Man. - Dicho acto acabaría con la vida de unas 246 000 muertes, más la que causaría los efectos secundarios, esta ciudad es menos conocida en los restos arqueológicos de su desastre se refiere, pero tienen la misma importancia porque se ve el reflejo que dejó la bomba. - Un saludo y que acontecimientos como este no vuelvan a ocurrir, porque la historia es cíclica ojalá aprendamos de los errores y acabemos con las guerras en nuestro presente 2024 y las del futuro publicación en memoria de los caídos, mis más sincero pésame. - 日本の考古���者の皆さん、1945 年 8 月 9 日午前 11 時、B-29 エノラ ゲイが再び日本人の頭上に姿を現し、ファットとして知られる 2 番目の原子爆弾を長崎市に発射したような日へようこそ。男。 - この行為は約 246,000 人の死者の命を絶ち、さらに二次的影響を引き起こすことになる。この都市はその災害の考古学的遺跡ではあまり知られていないが、原爆が残した反射を見ることができるため、それらは同様に重要である。 - ご挨拶、そしてこのような出来事が二度と起こらないよう、歴史は周期的であるため、私たちが過ちから学び、現在の 2024 年に戦争を終わらせ、戦没者を追悼する将来の出版物で戦争を終わらせることを願っています。心からお悔やみを申し上げます。 - Welcome, archeological japonists, to a day like the one that happened on August 9, 1945 at 11:00 in the morning, B-29 Enola Gay made an appearance again over the heads of the Japanese and dropped the second atomic bomb, known as Fat Man, on the city of Nagasaki. - This act would end the lives of some 246,000 people, plus the one caused by the secondary effects. This city is less known in terms of the archaeological remains of its disaster, but they are just as important because the reflection left by the bomb can be seen. - Greetings and may events like this not happen again, because history is cyclical. I hope we learn from our mistakes and end the wars in our present 2024 and those of the future. A publication in memory of the fallen, my most sincere condolences.
#日本#文化#写真#芸術#歴史#ユネスコ#人類#長崎#地理#japanphotos#photography#japan#culture#art#history#unesco#humanity#Nagasaki#geography
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被爆者の治療を続けていた医学生の濱清は、ある忘れられない光景について語っていました。 「長崎の爆心は浦上の天主堂のすぐ近くなので、私が行った救護所でのほとんどの被爆者がクリスチャンだったのです。 その方々が、起き上がれない人も、みんなが助け合って起きて、夕方になるとお祈りをされるのです。 それを見たときに、初めは本当に腹が立ちました。これほどむごいことを信者たちに与えることを許した神様が、どうしてお祈りの対象になるのかと思ったんです。 しかし後で考えてみると、あの人たちの祈りは、原子爆弾を作り落とした人も含めて、人間が犯した罪に対する謝罪の祈りだったんじゃないか。全てを失った人間の最後の最高の尊厳を見たのではないかと思うようになりました。」
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渡邉英徳 wtnvさんはTwitterを使っています: 「78年前の今日。1945年8月9日11時02分,長崎市への原子爆弾投下。写真は投下から20分後,香焼島において松田弘道が撮影したきのこ雲。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 https://t.co/mxpcUSBijL」 / X
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2002年、安倍晋三・官房副長官は早稲田大学で講演し「憲法上は原子爆弾だって問題ない」と発言した。これは1957年、祖父にあたる岸信介首相が「自衛のための必要最小限のものならば核兵器を保有しても憲法9条に反しない」と答弁したことを踏襲している。
闘争心より強い本能(132) | Tansa
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アインシュタインの発見は、一回の天才的なひらめきではなく、生涯にわたる情熱でした。彼が特殊相対性理論のアイデアを初めて思いついたのは、10歳のときに子供向けの科学の本を読んでいたときでした。その本には、電気がどのくらいの速さで移動するかが書かれていました。幼いアインシュタインは、もし光と同じ速さで移動できたら、それはどのように見えるのだろうと考え始めました。結局のところ、光は静止しているように見えるはずです。 13 歳までに、彼はイマヌエル・カントの『純粋理性批判』を読みました。これは、経験的観察の限界について書かれた、分厚く密度の濃い哲学書です。一冊手に取って、3 ページ目まで読めるかどうか試してみることをお勧めします。おそらく無理でしょう。 彼は15歳までに微積分と微分方程式を習得し、16歳までにはすでに光の速度の観測に関する論文を科学雑誌に発表していた。 当時の彼の人生を考えると、1905 年にアインシュタインが特殊相対性理論を提唱したことは驚くに当たらない。彼はこの偉業を成し遂げるまでに 10 年以上も苦労した。そして彼の理論が科学界で真剣に受け止められるようになるまでには 20 年近くかかった。一夜にして成功したわけではない。彼は 10 歳で研究を始め、 40 歳くらいになってようやく成功した。これは一生の仕事だ。 しかし、当時でさえ、彼は今日のような象徴的な人物として称賛されていませんでした。第二次世界大戦後になって初めて、彼は英雄であり天才であると見なされるようになりました。結局のところ、彼は米国に原子爆弾をもたらし、第二次世界大戦に勝利した理論を考案したドイツ系ユダヤ人だったのです。
The Breakthrough Fallacy—What Change Actually Looks Like | Medium
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1963年(昭和38年)12月、「原爆裁判」の判決の日。裁判長は判決主文を後に回し、先に判決理由を読み上げた。当時の民事裁判では主文を後回しにして理由を読み上げるのは異例の出来事だった。
「当時、広島市にはおよそ33万人の一般市民が、長崎市にはおよそ27万人の一般市民が住居を構えており、原子爆弾の投下が仮に軍事目標のみをその攻撃対象としていたとしても、その破壊力から無差別爆撃であることは明白であり、当時の国際法から見て、違法な戦闘行為である。では、損害を受けた個人が国際法上、もしくは国内法上において、損害賠償請求権を有するであろうか。残念ながら、個人に国際法上の主体性が認められず、その権利が存在するとする根拠はない」
「戦争を廃止、もしくは最小限に制限し、それによる惨禍を最小限にとどめることは、人類共通の希望である。不幸にして戦争が発生した場合、被害を少なくし、国民を保護する必要があることは言うまでもない。国家は自らの権限と自らの責任において開始した戦争により、国民の多くの人々を死に導き、障害を負わせ、不安な生活に追い込んだのである」
「原爆被害の甚大なことは、一般災害の比ではない。被告がこれに鑑み、十分な救済策をとるべきことは、多言を要しないであろう。しかしながらそれは、もはや裁判所の職責ではなく、立法府である国会、および行政府である内閣において、果たさなければならない職責である。それでこそ訴訟当事者だけでなく、原爆被害者全般に対する救済策を講ずることができるのであって、そこに立法、および立法に基づく行政の存在理由がある。終戦後十数年を経て、高度の経済成長を遂げた我が国において、国家財政上、これが不可能であるとは到底考えられない。我々は本訴訟を見るにつけ、政治の貧困を嘆かずにはおられないのである」
「主文。原告らの請求を棄��する。訴訟費用は、原告らの負担とする」
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ing!!!! MV 制作秘話。
MVの大ネタバレを含みますので、必ずご視聴後にご覧ください。
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■はじめに おおまかなあらすじ・設定はこちらで語ってもらったので まずはそちらを見るとより一層楽しめます。 文字起こしで見たい方はこちら
■てなわけでmaking!!!!(言いたかっただけ) 初手自分語りなんですが、絵コンテを6,7年ぶりに描きました。 14枚描きました。
▲ここからちょこちょこピックしてお話できればと。
【全体】 楽曲に込めた想いを伺った後に楽曲を聴いてみた印象は 「めちゃくちゃヒロイックだな!?!?」でした。 その印象そのままにヒーローものを作りたいと打診したところ二つ返事でOKをもらいました。
最初はOP風で走り切る予定でしたが、どうやっても無理なので 1話分のお話を描き起こすことにしました。(え?) ここで巻き添えをくらったのがKIRAAAAAさんってワケ... 本当にありがとうございました...!!!!! 幸いにもONdaは特撮大好きマンだったので、持っている知識フル活用で制作に臨みました。 日常→事件発生→怪人と遭遇→戦闘員との集団戦→巨大ロボ戦 この枠組みをベースに楽曲の意図にあわせて肉付けをしました。
下に歌詞が出るタイプのシンプルな表示方法をとったのはOP構想の名残だったりします。
さて、ここからは各パートに分けてのメイキングをつらつら書いていきます。
【イントロ】 テレビデオから始まる今回のMVですが コンセプトの「過去vs現在」を端的に表せたと思っています。 過去(テレビデオ)に���る現在(ing!!!!)のロゴ。 シルエットの位置にも意味を持たせています。
演出的な話になるんですが左から右=過去から未来と表現することが多かったりします。(お約束みたいなもので別作品でもやってます) 爆弾のシルエットは若干左寄りなのは本編見てたらわかるかもネ... ちなみにロゴの登場シーンとOPの演出、 それぞれ異なる2つの特撮作品のオマージュが入っています。 分かる人には分かるかな?レベルです。(もちろん意図を込めています。)
1つはわかりやすいと思いますが... 某アニメでも同じ元ネタが使用されていましたネ... 被ったァ!?って叫びました。本当に。
【1A~1B】
日常→事件発生 パートですね。 さて、ここでは絵コンテからのビフォーアフターを見てみましょう。
KIRAAAAAさんすごくね?
読解力ゥ...となりました。 本当にイメージ通りの絵が来るので毎回ドヒャー!となっていました。 それと、「美しい時間は過ぎ去り未だにその影法師」部分は 前述の左右の話を意識して見てもらえると嬉しかったりします。
他にも上下の動きが...ここは後述します。多分。 (ここまで書くのに2時間近くかかってる)
【1サビ】 ここ寸分違わず同じ動きしてます。間違い探ししてみてね。
キョンツーのCiさん初登場シーン。 初期案ではもう少し可愛げがありました。
まあぶっ叩かれるのには変わらなかったんですが。 後にこのデザイン��統一されました。
▲キョンツーのCiさんデザインスケッチ
劇中で登場するコメントなどは適当ではなく1つ1つ考えているのでので、ぜひ読んでみてくださいね。
振り返りでも話してましたがどちらが正義って話でもないので キョンツーの方がヒロイックな構図を作っているときもあります。
こことか。 逆に、Ciちゃんが悪人顔(?)になるようお願いした差分もいくつかあります。
【間奏】
元ネタは変●ベル���のCMですね。 このためにお面を3Dモデル化しました。 非公式なのでDXでもなければロゴも写真もガビガビです。 謳い文句もどこか様子がおかしかったり。 なれる!じゃなくて可能性!で留めてるあたりもヤラしいよね。
目の部分から背景が透けていないあたりでこの仮面にのぞき穴がないことを確認できるかなと。ここでしれっと重要な設定を開示しています。
劇中では描かれていませんがこれによって本拠地がバレることになります。(販売元割れちゃうだろうしね) 【2A・2B】
キョンツー量産工場。ここにもきっちり意図が組み込まれています。 ここまで読んだなら気づけるはず!多分!
ちなみに、キョソシーとキョンツーで迷ったんですが ツ←これが顔に見えるのでキョンツーになりました。 ¯\_(ツ)_/¯
↑こういう顔文字みたことないかしら 余談でした。
あのさあ!!!
俺、このシーンだーいすき!!!!
実を言うと最初に作り込んだのはこのシーンだったり。 工場の3Dモデルや唐揚げ爆風が生まれたり、戦いの中で成長しているッ!となりました (ここの爆破に使った唐揚げのデータ紛失してしまった...)
▼絵コンテだとこんな感じ。
オンドリャア!!!!!!
ンダコラァ!!!! 【2サビ】
KIRAAAAAさん、やりすぎだって。(超褒め言葉。良すぎ。) (補足に「キツそうだけど楽しそうなカンジで」って書いてあった。) 正直なことを言うと、ここからは勢い重視なので2サビ以降はノンストップで見てくれると嬉しいです。
あ、それと。
こちら、Tier1の唐揚げ素材です。もも唐揚げです。 仕入れ先はガ○トと鶏○です。
めっちゃそれっぽい。
【ラスサビ前】
Ciロボ初期案。結構スリムでした。 KIRAAAAAさんにシルエットおまかせしつつ、カラーの指定はさせてもらいました。
絵コンテでもかわいい驚きCiちゃん(LINEスタンプにしたい)
冒頭でも使われたSNS画面の話。 コスト的な面もあっての流用なんですが...
ポストの内容とは別に冒頭と差別化した要素があります。 実際のXとか触ってみたら意図が伝わるんじゃないかな。 勢い任せとはいいましたがここは一時停止して見てもいいかもしれない。
【ラスサビ】
あの、このシーンコンテにないです。
ただのパンチの予定でした。なんかいけると思っちゃってェ... 手足のパーツ全部バラして、自由に動かせるようにして... 一回ビーム撃たせて却下してロケットパンチになって...
その結果、このシーン追加がお誕生日配信当日の朝までかかった原因になるわけです。
本当に申し訳ございませんでした!!!
真面目な話(言い訳)をすると、過去の思い出補正や歪んだ理想像をモチーフとした敵サイドなわけですが 過去には過去の良さというか、魅力があるはずなんですよ。 だからこの戦いは生まれているわけで。 ヒーローもの...魅力...と考えた結果「必殺技」が必要だな。と。 ただのパンチからロケットパンチになりました。 そしてそれを乗り越えて...
放て、Ciちゃんトドメの一撃。
サイクロン・ペネトランテ 穿つ大竜巻
厨二病全開の名前の由来は ・ドリルの形 ・“Ci”clone(イタリア語表��のサイクロン) ・武器名:逆墓“荒らし”=“嵐” のトリプルミーニングです。
マジでこの情報どこで出す予定だったん?てな感じですが、ここまで読んでくれた方へのおまけ要素です。 Ciちゃんは最後、画面左下へ突っ込んでいくわけですが それと最後の「つづく」にはニコイチで込めた思いがあります。 そこが恐らくいちばん最後の考察要素になるのかな、と。 考察というよりかは、どう解釈します?くらいに留めておきます。 もちろんポジティブな意味を込めていますよ!
■おわりに 改めてここまで読んでくれてありがとうございました。 考察の幅を持たせたいのでヒントなどの種は蒔きつつ、直接的な解説というよりも初期案とか、裏設定とかそういった部分をメインにお話しました。 なにはともあれ、自由に解釈をしてくれたら嬉しいです。
関係者の皆様、好き放題やらせいただき本当にありがとうございました!
応援のコメントや、倒したあとの「やったー!!」のコメントなど プレミア公開の最中に現在進行形で完成する作品に仕上がったと思います。 かつ、我ながらめちゃくちゃ詰め込んだなあと。ちょっとキモいくらいに。 それもこれもすべてCiちゃんの魅力があってのことだと思います。 本当にいいご縁に恵まれました。改めてありがとうございました。 是非またMVを見てもらえたら嬉しいです。 何回も見てほしいです。本当に。
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それと最後に。 ドリルって時計回りに回ることで穴を空けるらしいですよ。 またどこかで! p.s 他の自分の作品もこれくらいの解説可能なので好評だったらまたやります。
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Today, 6 August, is Hiroshima Peace Day, as the atomic bomb was dropped on Hiroshima on this day in 1945. Three designs were chosen from among 8,646 entries submitted by the public for the '50th Anniversary of Peace (Hiroshima-Nagasaki Peace Memorial)' stamps (issued in 1995).
今日8月6日は1945年(昭和20年)のこの日、広島に原子爆弾が投下されたことから「広島平和記念日」です。 「平和50周年記念(広島・長崎平和祈念)」の切手(1995年発行)では、公募で集まった8,646点の中から選ばれた3種類のデザインが採用されました。
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米国による日本占領期間中に行われた政治宣伝に惑わされる前の、日本政府の主張がどういうものであったのかを広く知ってもらうために、この「抗議文」の全文(日本語及び英語)をここに紹介する。(平成14年10月3日、日本会議事務局記す) 米国の新型爆弾による攻撃に対する抗議文 本月六日米国航空機は広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し瞬時にして多数の市民を殺傷し同市の大半を潰滅せしめたり。 広島市は何ら特殊の軍事的防衛乃至施設を施し居らざる普通の一地方都市にして同市全体として一つの軍事目標たるの性質を有するものに非ず、本件爆撃に関する声明において米国大統領「トルーマン」はわれらは船渠(せんきょ)工場および交通施設を破壊すべしと言ひをるも、本件爆弾は落下傘を付して投下せられ空中において炸裂し極めて広き範囲に破壊的効力を及ぼすものなるを以つてこれによる攻撃の効果を右の如き特定目標に限定することは物理的に全然不可能なこと明瞭にして右の如き本件爆弾の性能については米国側においてもすでに承知しをるところなり。 また実際の被害状況に徴するも被害地域は広範囲にわたり右地域内にあるものは交戦者、非交戦者の別なく、また男女老幼を問わず、すべて爆風および幅射熱により無差別に殺傷せられその被害範囲の一般的にして、かつ甚大なるのみならず、個々の傷害状況より見るも未だ見ざる惨憺なるものと言ふべきなり。 聊々交戦者は害敵手段の選択につき無制限の権利を有するものに非ざること及び不必要の苦痛を与ふべき兵器、投射物其他の物質を使用すべからざることは戦時国際法の根本原則にして、それぞれ陸戦の法規慣例に関する条約付属書、陸戦の法規慣例に関する規則第二十二条、及び第二十三条(ホ)号に明定せらるるところなり。 米国政府は今次世界の戦乱勃発以来再三にわたり毒ガス乃至その他の非人道的戦争方法の使用は文明社会の輿論により不法とせられをれりとし、相手国側において、まづこれを使用せざる限り、これを使用することなかるべき旨声明したるが、米国が今回使用したる本件爆弾は、その性能の無差別かつ惨虐性において従来かゝる性能を有するが故に使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器を遥かに凌駕しをれり、米国は国際法および人道の根本原則を無視して、すでに広範囲にわたり帝国の諸都市に対して無差別爆撃を実施し来り多数の老幼婦女子を殺傷し神社仏閣学校病院一般民衆などを倒壊または焼失せしめたり。 而していまや新奇にして、かつ従来のいかなる兵器、投射物にも比し得ざる無差別性惨虐性を有する本件爆弾を使用せるは人類文化に対する新たなる罪悪なり。帝国政府はここに自からの名において、かつまた全人類および文明の名において米国政府を糾弾すると共に即時かゝる非人道的兵器の使用を放棄すべきことを厳重に要求す。 (正漢字は現代風に改めた。出典:『朝日新聞』昭和20年8月11日)
昭和20年8/10付け原爆投下への抗議文 | foot001 - 楽天ブログ
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I never support #Barbenheimer
(Twitterでの抗議への連帯、Tumblrにも投稿します)
I never support #Barbenheimer
#NoBarbenheimer
2作品を掛け合わせて原爆投下をネタにする酷いコラ画像/ミームが加速することに対して……公式アカウントは静観どころか、7月21日時点で好意的に乗っかっていたんだな。
“子ども達”��愛する作品を使って企業/大人がこれに乗っかった訳だ……最悪だ……
#NoBarbenheimer
※以下2つの引用は、すでに加速していた酷い���ーム/コラに対して好意的なリプライを送るバービー公式アカウントのツイート。
(こういう方向性の話をすると、だいたい日本の極右側の、差別主義者/歴史修正主義者が出てきたりするので、↓のツイートと合わせてTumblrにも書きますが。
日本の醜悪なありさま……加害の歴史に向き合わず、被爆国として核の悲惨さ恐ろしさと向き合うことすら放棄し始めている現状。決して無視してはならないし……ひどい消費が蔓延ることは、そこと地続き……)
23/08/13追記↓
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Sean bienvenidos japonistasarqueologicos, un día como hoy, que acontencio el 6 de agosto de 1945 a las 8:15 horas de la mañana, B-29 Enola Gay hiso acto de presencia sobre la ciudad y lanzó sobre la ciudad de Hiroshima la primera bomba atómica, apodada como Little Boy.
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Dicho acto acabaría con la vida de unas 80.000 personas murieron de forma inmediata y otras tantas unas 50.000 más fallecieron en los días venideros a causa de la radicación.
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Un saludo y que acontecimientos como este no vuelvan a ocurrir, publicación en memoria de los caídos.
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日本の考古学者の皆さん、今日のような日、1945 年 8 月 6 日の午前 8 時 15 分に、B-29 エノラ ゲイが市上空に出現し、広島市に最初の原子爆弾が投下されました。リトルボーイ。
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この行為により約8万人の命が失われることになり、彼らはすぐに死亡し、その後数日間でさらに5万人が放射線の影響で亡くなりました。
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ご挨拶、そしてこのような出来事が二度と起こらないことを祈り、戦没者を追悼して出版します。
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Welcome japonistasarqueologicos, on a day like today, which happened on August 6, 1945 at 8:15 in the morning, B-29 Enola Gay made an appearance over the city and dropped the first atomic bomb, nicknamed Little Boy, on the city of Hiroshima.
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This act would end the lives of some 80,000 people who died immediately and another 50,000 more died in the following days due to radiation.
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Greetings and may events like this not happen again, publication in memory of the fallen.
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P3 Club Book Aigis short story scan and transcription.
人の心、アイギスの心
わたしは、人型戦術兵器アイギス。桐条グループ のラボで開発された、対シャドウ決戦兵器であります。現代の軍事技術の最先端であり、長年に渡るシャドウ研究の結晶。機械の身でありながら、人間と同様の精神性をも併せ持ち、世界で最も火力の充実したペルソナ使い。とくに頑強さにおいては定評があり、わたしの名前のもととなったギリシャ神 話---イージスの盾の逸話どおり、まさに不敗、鉄壁、無敵の存在。
そう。無敵のはずでした。
ですが、現在わたしが身を置いている月光館学園、その学生生活において、この優れた兵器としてのスペックはいっかな発揮する場を得られず、ゆかりさんを始めとする性別女性のクラスメイトの方々の口調を借りて言うなら、ちょっとブルー?なんかウツ入ってる?といった感じなのであります。
「······それじゃあ、今日は4日だから······ひの ふのみで、えっとアイギスさんか。このときの “私” の気持ちを要約して言ってちょうだい」
あ、そういえば、いまは授業中なのでありました。鳥海先生がわたしに回答の発言を要求しているであります。先ほどまで思考作業を行なっていたわたしですが、最先端の人型戦術兵器たるわたしの中枢は、並列処理が可能なので質問も聞き逃すことはありません。ありませんが······。
「どうしたの?やっぱ帰国子女には現代文は難しい?そんな深く考えなくていーのよ?」
現在のテキストは、夏目漱石という人物の創作による『こころ』という小説。わたしには、この “こころ” というものに対する理解が、まだまだ足りないようなのです。32秒あまりの沈黙ののち、鳥海先生はわたしに正解への手がかりを与えようというつもりでしょうか、やや演技過剰と認識される様子で話しかけてきます。
「自分が親友Kを差し置いてプロポーズした結果、その友達は何と自殺してしまう······さあ、そんなときアイギスさんなら、どう思う!?」
「わたしなら······友達が自殺してしまったなあと、思うであります」
「······まんまじゃないの。もちょっと捻りなさいよ!捻りなさい!」
「もしや······自殺に見せかけた殺人?」
「なんでよっ!これは漱石なのっ!純文の名作を江戸川乱歩ミステリにしないでっ!」
「動機の面では “お嬢さん” がもっとも疑わしくありますが······現場不在証明を確認する必要が······」
「聞いてよっ!私の話を聞いてっ!!」
いつものように鳥海先生がはじけてしまい、間を置かずに終業のチャイムが鳴りました。これがもし “私” が “お嬢さん” を親友Kから奪うための、要人略取作戦の立案であれば容易なのでありますが······。ペルソナさえ召喚できる精神を持つわたしでも、この “こころ” というものへの理解は、一筋縄ではいかないのであります。
「まあ、オレらは生身の人間だけどさ、それでもなかなか人の気持ちなんてわかんねえもんさ。そこまで悩まなくていいんでないの?」
順平さんの言葉に、わたしの大切なあの方もこくこくとうなずいてくださいました。いまは昼休み、屋上であります。現在、わたしが直面する問題を解決する参考意見を聴取するため、おふたりにご足労願ったのであります。
「しかし······現実問題として、わたしの学園生活には “人間らしさ” は必須のスキルであります。民間人の方々とのコミュニケーションが何らかの原因で阻害されれば、それはすなわち、わたしの任務も阻害されるということであります」
「でもよ、けっこうクラスの連中ともうまくやってるみたいじゃん」
「いえ、いわゆる “ジョシコウセイ” という集団において、わたしはひどく浮いているように思えます。携帯メールによる情報伝達すら、満足に理解できないありさまで······」 「へ?どーゆーこと?」
例えば、とわたしは前置きして携帯を取り出し、先日ゆかりさんから受け取ったメールをおふたりに見せました。そこには「桐条SP に遅くなるって伝えて (^_^)」と書いてあります。
「これが?」
「通常、SPといえば要人の身辺警護を行なう、いわゆるボディガードを指します。ですので、わたしは桐条グループの警備部に、その日のゆかりさんの帰宅が遅くなる旨を伝えました」
「い?そ、そりゃあ······」
「なぜか、変な顔をされたであります」
「だろうな」
「その夜、ゆかりさんからSPとは先輩の略だと聞き、 わたしは大きく落ち込みました。それだけではありません。別のメールで “H/K” という記述があり、それが “話は変わって” の略だと理解するまでに、3日を要しました。もしこれが “H&K” ならば、ドイツの銃器メーカー ヘッケラー&コッホの略だとわかるのですが」
「それこそ一般人にゃ��かんねえよ······」
「だいたい、ギャル文字というのも何でありますか。“†ご” で “た” と読ませたり、“(十” で “さ” と読ませたり、1バイトで済む情報量をわざわざ2バイトに増加させるなど、理不尽であります。非効率的であります」
「まあまあまあ。それがジョシコーセーってもんだよ。つか、そんな形にとらわれなくたって、アイちゃん十分人間らし······あ、そーだ」
突然、順平さんが何かを思いついたように立ち上がりました。
「どうなさったのでありますか?」
「とりあえず、そういう相談ならさ、やっぱ本職に教えてもらうのが一番だと思うわけよ」
そう言って、順平さんは嬉しそうに笑顔を見せます。こういう人間らしい笑顔は、人間のジョシコウセイという擬装に必須で、それでいてわたしに足りないもの。こんな笑顔を、私も身につけることができるのでしょうか······?
「という訳で、特別講師の岳羽です」
「じょ、助手の山岸です」
「つかさ、順平。あんた結局さ、アイギスの相談ごとをダシに、自分が遊びたかっただけなんじゃないの?」
状況が理解不能であります。
その後、わたしたちはゆかりさん風花さんと合流し、なぜかポロニアンモールのカラオケマンドラゴラ店内にいるであります。
「ま、ま、ま、細かいことは気にしない!学校帰りに友達とカラオケなんて、女子高生の定番じゃん?やっぱ形から入るのも重要だと思うわけよオレは」
「そうなのでありますか?ジョシコウセイは下校途中にカラオケ······了解であります。あ、ですがそうなると、美鶴さんもお誘いすべきではないでしょうか?」
「き、桐条先輩は一般的女子高生の見本にするには······その、ちょっと違うかな、と」
「······?」
詳細は不明ですが、奥が深いであります。
「よっし、んじゃ早速アイちゃんからな。何歌う?何でもいいぜ」
「歌、であり��すか?初めての経験でありますが······奮励努力するであります」
「よっしゃ、頑張れー!」
・
・
・
「想定外の事態でありました」
「ま、まだ頭がクラクラするわよ······」
「私は······鼓膜が破れるかと······」
「ま、まあしゃあねえや、な?」
不幸な事故でありました。わたしが敵おうとマイクのスイッチをオンにした瞬間、すさまじい不協和音が発生したのであります。わたしの駆動機関が発する電磁波とスピーカーとが共鳴を起こす。いわゆるハウリングという現象。それは、音響爆弾もかくやという威力でありました。ドリンクのグラスはすべて破壊され、隣室のカラオケ機器にも影響が出たということであります。
「中枢部の電磁波シールは完璧だったはずでありますが、各関節部の駆動モーターまでは考えが回りませんでした······」
これは、落胆という感情なのでしょうか?やはり兵器であるわたしには、普通のジョシコウセイとしての能力を身につけることは無理なのでしょうか?そんなわたしの思考を断ち切るように、順平さんが相変わらず明るく言います。
「んじゃ、気を取り直して女子校生の定番、その2!プリクラ行ってみようぜ!」
「ぶり······くら······でありますか?」
メモリにない言葉に、わたしは少し警戒心を呼び起こされます。ですが、せっかくの順平さんの立案です。わたしははっきりと肯定しました。
「行ってみる······あります!」
「よっし!んじゃゲームパニックにゴー!」
「で······ぷりくらとは、何でありますか?」
順平さんが盛大に転倒しました。
「これが、ぷりくら······プリント倶楽部でありますか。なるほどなー」
順平さんによると、数人で撮った写真をシール状に加工するための機器ということでありました。これで友人同士で写真を撮り、そのシールを分け合うというのが、ジョシコウセイの基本だとか。その意図はよく理解できませんが、この行動が作戦に必要ならば、わたしは逃げられません。敵前逃亡は銃殺刑でありますから。
「では、行きます」
「よし、ゆかりッチと風花も一緒にな。えっと、背景はコレ······フレームはコレでと······おし、スタートボタン押すぜ」
「ほらアイギス、ポーズとって」
「ポーズ、でありますか?」
「そうそう、笑顔笑顔」
「え、 笑顔······?」
状況を認識する間もなく、バシャというカメラのシャッター音に似た効果音が響き、さほど時間を置かずに下の受け取り口からシールが排出されました。それを見るや、順平さんが。
「う······ちょ、ちょっと笑顔が堅い、かな?」
「つかさ、笑ってないじゃん」
ゆかりさんの言うとおり、シールになったわたしの表情は、いわゆる無表情というものでした。兵器としてのわたしには、感情に応じて表情を変えるという仕様はありません。
「も、もう一度やってみようぜ?」
「その試みは無駄かと思われます。笑顔や泣き顔を表現できないということは、わたしの仕様ですからしょうがないのであります」
と、わたしのその言葉に、皆さんが一様に顔を見合わせたかと思うと、一斉に爆笑されました。
「何ごとでありますか?」
わたしの疑問に答えることもなく。否、答える余裕がないように、皆さんは笑い続けています。
「な、何ごとって······くっくっく······あ、アイちゃん、さすがあの幾月さんにメンテ受けているだけはあるな。ぶふっ」
「く、苦しい······何よ今のダジャレ。“しようだからしょうがない” って。あははっ」
「幾月さんが言うとアレだけど、アイギスが言うと愛嬌があっていいよね」
「あ······」
理解しました。意図したことではありませんが、わたしの発言がいわゆる洒落、似た音の言葉で一連の文章を作る、もじり言葉あるいは掛け言葉といわれるものになっていたようです。少々、困惑してしまいつつも、皆さんが喜んでくださったことは、わたしにとっても喜びであります。
「あれ?できるじゃん、笑顔」
「え?」
突然の順平さんの指摘に、わたしは驚きました。
「笑って、いましたか?」
「うん、私も見たよ」
風花さんも、順平さんに同意します。そうですか、わたしは笑っていましたか。
「そうそう。そこの無愛想な現場リーダーよりも、いい笑顔だったよ」
「······」
ゆかりさんの指摘に、あの方は別にどうでもいい、といった風にそっぽを向きました。そういえば、この方はあまり気持ちを表情には出さない方です。それでも、立派にリーダーとしての役割をこなしていますし、友人の方々ともうまくやっていらっしゃるようです。わたしは、ふと、ひとつのことに思い至り、発言しました。
「わたしは、お役に立てていますか?」
「へ?どうしたんだよ突然」
「わたしは、いわゆるジョシコウセイの方々のように振舞うことができません。カラオケもプリクラもうまくできません。人間の方の、“心” というものが理解できません。それでも、皆さんの仲間として、特別課外活動部所属の一員として、この場所にいてもいいのでしょうか?」
「あ------ったりまえじゃん!!」
順平さんが、大声で答えました。
「何、アイギスそんなこと悩んでたの?」
ゆかりさんも呆れたような口調で言います。それに続いて風花さんも言いました。
「アイギス、不安だったんだね?」
「不安······そう、そうかもしれません」
わたしのなすべきことは、皆さんとともにシャドウを倒すこと。そしてあの方を守ること。ジョシコウセイらしくできないわたしは、その任務に不適格なのではないか、皆さんの期待に応えられていないのではないか?そういう想いが、わたしの処理を不安定にしていたことに、いまようやく自分でも気づいたようでした。
ポロニアンモールからの帰り道、風花さんがわたしのそばに寄ってきて言いました。
「あのね、私思うんだけど、周りの人が自分をどう思ってるかわからなくて不安になる、それって立派に心があるってことじゃないかな?」
「そうなのでしょうか?」
もしそうなら、わたしは嬉しく思います。心を理解できないことで悩んでいたわたしが、理解しがたいことで悩むのが心なのだと、逆説的なことを知って安心しています。
「人の心とは、摩訶不思議でありますね」
「みんな一緒、そう思ってるよ」
みんな一緒······それは何だか嬉しいことであります。わたしはふと、ポケットから携帯を取り出して、そこに貼られた先ほどのプリクラを眺めます。
「おそろいであります」
わたしがそう言ったとき、前を歩いていた順平さんとあの方が、少し驚いた顔をしました。
今度はわたしも自覚していました。こういうときに、人間は笑うのであります。
わたしは人型戦術兵器アイギス。人間の心が理解できずにときどき悩んだりもするけれど、それでも大切にしてくださる人がいる、幸せな对シャドウ決戦兵器なのであります。
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渡邉英徳 wtnvさんはTwitterを使っています: 「78年前の今日。1945年8月6日8時15分,広島市への原子爆弾投下。推定人口35万人のうち,9万〜16万6千人が,被爆から2〜4か月以内に死亡したとされる。写真は呉市の吉浦町(現:若葉町)の海軍工廠砲煩実験部から尾木正己が撮影したきのこ雲。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 https://t.co/dPQIb3rdHO」 / X
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1950年代、米国ではゴールドラッシュならぬウランラッシュが起きていた。ウランを掘り当てて一儲けしようと、西部に押し寄せた労働者たちは、つるはしやシャベルとともにガイガーカウンターを持って鉱山へ入った。富への飽くなき欲求は莫大な利益をもたらしたが、核の時代の幕開けとともに始まった埋蔵ウランをめぐる米国最後の鉱物ラッシュは、いつしか人々の記憶から消え、後にはゴーストタウンだけが残された。 「価値のない副産物」だった時代 ウランは、昔から需要のある鉱物だったわけではない。1881年に、コロラド州モントローズ郡で黄色い鉱物が見つかったとき、放射能はまだ発見すらされていなかった。(参考記事:「放射能、ノーベル化学賞の歴史」) ニューメキシコ、コロラド、アリゾナ、ユタの4州の境界線が交差するフォーコーナーズの近くに、現在はウラバン・ミネラル・ベルトと呼ばれるウランの鉱山地帯がある。20世紀初頭には稼働していたが、生産量はそれほど多くなく、目当ての元素はほぼ、ウランとともにカルノー石に含まれるラジウムとバナジウムだった。バナジウムは鉄鋼の製造に使われる。 第二次世界大戦が始まった頃にはまだ、ウランは「バナジウム精製における価値のない副産物」にすぎなかったと、歴史家のバーナード・コンウェイ氏は言う。 しかしそれを変えたのが、世界初の核兵器開発を極秘に進めていたマンハッタン計画だった。それは、ウランを使用した爆弾と、プルトニウムを使用した爆弾の両方を開発するという国家プロジェクトだった。(参考記事:「アインシュタインと原爆、呪いを背負った天才科学者の矛盾」) 核の時代と高まるウラン需要 1945年7月、「トリニティ」と名付けられたプルトニウム爆弾の実験が成功すると、それからわずか1カ月足らずで、同様の爆弾が長崎に投下された。その3日前には、実験されていないウラン爆弾が広島に落とされた。 この2つの原爆投下から間もなく戦争は終わり、核の時代が始まった。ウランとその派生物であるプルトニウムは突如として、ただ価値が高いだけでなく、国家安全保障に関わる物質とみなされるようになった。(参考記事:「「原爆の父」オッペンハイマーは本当に後悔していた?」) 戦後、核拡散の世界的な議論が巻き起こるなか、米国は、すべての核問題を監督する民間主導の原子力��員会を設立した。 マンハッタン計画は、使用するウランのほとんどをベルギー領コンゴ(現在のコンゴ民主共和国)から購入していたが、自国の兵器に使用するウランは自国で採鉱することが望ましいと米政府は考えていた。また、冷戦の緊張が高まるなか、ソビエト連邦の手にウランが渡らないようにするためにも、国内で取れたウランを独占する必要があった。(参考記事:「人類初の原爆実験、「核の時代」こうして始まった」) 政府が国内でのウラン採掘事業をすべて所有し、運営することもできたが、原子力委員会は民間人に金を支払って探鉱と採鉱を任せることにした。米国人の創意工夫と民間のノウハウが必要だというのが、委員会の主張だった。 しかし現実には、歴史家のネイト・ハウスリー氏によると、米連邦政府は組織化された労働力への不信と、ウラン産業の監督責任を州政府に押し付けたいという思いから、民間委託を決めたのだという。1948年、原子力委員会はウラン鉱石が発見された際のボーナスと買い取りの最低保証価格を約束すると発表した。こうして、連邦政府を唯一の顧客とする、国内における活発なウラン採掘競争が始まった。
1950年代の米国で「ウランラッシュ」、今も残る悲惨な影響 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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