#十一面観音堂
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福津市津屋崎の十一面観音堂
「福津市まちおこしセンター 津屋崎千軒なごみ」の無料駐車場横の角っこです。(駐車場のフェンスを回る必要あり。)
宗像西部新四国八十八箇所霊場 第27番(Gマップ)
朱色の光背がついたご本尊の十一面観音(左)と薬師如来(右)、その右に地蔵菩薩(写真の右端)
100m ほど歩けば津屋崎海岸です。
↓ お堂とは別の場所から ~ 電柱工事中の辺りが無料駐車場の出入り口
路地に入れば昔ながらの住宅地でゆったりした時間が流れてます。
2023.5.16
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#日常
「ラストマイル」観てきました。
元々はMIUの二人組目当てというのが動機でしたが、それ抜きでも観に来て良かった!面白かったです!これ書いたらネタバレになるかな〜〜などと考えてると、感想は「面白かったです!」の一言に落ち着くんですね。ほんと…しみじみ良かった……。
勧善懲悪でスッキリする部分もあり、反面全てがめでたしめでたしで終わるわけではないので(救われないところはほんとに救われない)、彼らの明日を、今後を、かき乱されながらも考えてしまいます。問題提起されている部分がほんとに今この社会でのリアルな課題の部分でもあるので、リアリティがありすぎて現実と物語の境目が曖昧になってくるような感覚。つらい。
でも、観終わって絶望に叩き落されるとかそんな感じではなく、走り抜けた後の気持ちよさみたいなものはあるのです。それなりに気持ちよさを感じた後に、いやでもそういえば?と立ち止まって考えた時に、周囲に暗闇がいくつも口を開けて待っているさまが見えてしまって呆然とする、という感じでしょうか……。例えが下手だな。これだったら海苔弁が唐揚げ弁当に変わる方が上手いってもんよ!
ただまあ、観終わって最初に思ったことが「……明日も頑張るか」だったので、そう思う私はとても単純なんでしょうか。でもそう思わせる力があるってすごいことだよなぁと思うのです。
あとは、纏まらないけど思ったことをちらほらと。初見の感想なので何も煮詰まってないです。思いつくまま箇条書き。
▼すべてはお客様のために、ね……。ほんとにこれ、魔法の言葉でもあり呪いの言葉であるわけで。考えてみれば、私のいるところだってもうひとつの「ラストマイル」ならぬ末端であるわけで、何だかなぁ、そうなんだよなぁ……皆様の尽きぬ欲望の何千億?何兆億分のいくつかを受け止めているんだよなぁ。しかしその欲望なしには何も動かぬこの世界。欲望あっての我々でございます。
何度も出てくるこの「want」、消費者側である私たちに問いかけてきているのでしょうね。What do you want? あなたの欲しいものは何ですか?
あなたの本当に欲しいものは……?
▼しかし物流センター、この映画の中のシステムがどれだけ現実と一致しているのかは分からないけど、まるでボールコースター(正式名称が分からないけど、レールの上をボールが延々と転がっていくやつ。名古屋市科学館の中にあるのは見たことがある)を見ているような気分。一日でもずっと見ていられそう。
ぐるぐるぐるぐる回って止まらないボールのように、永遠に止まらない物流の世界。それこそ、人が命を絶とうとしても……。
そんな血の通っていないローラーコンベアと、末端の人力とアナログの世界の非情なまでの対比が印象に残りました。
本社側(それこそ米国側)の人々にとって、羊運送やラストマイルのあの佐野運送の親子などの人たちは、きっとローラーコンベアと同じようなものに見えているんだろうなと。
そういえば途中エレナが「FAX〜〜〜〜!!??」と叫ぶシーンがあるんですが、そうなんですよ!!末端はまだろくなシステムが構築されてないのでFAX大活躍の世界線なんですわ(使う側の高齢化もあり)。
「稼働率」の世界とアナログの世界で挟まれるヒツジ急便のヤギさん……なんかもう、わかるぅ……投げ出したくなるよねぇ……と、ある意味あれは涙なしには見れない部分だわ。血と汗と涙的な意味の涙ですが……。
ところでボールコースターの話を出したら、志摩のピタゴラ装置を思い出してしまいました。MIUではあのピタゴラ装置が結構重要な視点になってきていたけれど、それはラストマイルとリンクしているのだろうか……?
▼それにしても、伏線のように思われる箇所が大量に出てきて、1回ではとても推理しきれないところばかりでした。
※※この辺りからかなりネタバレが多くなってくるので、回避される方は薄目でスクロール推奨します※※
・12個の爆弾は全て見つかっている、という理解で間違ってないですよね??サラに向かってエレナが最後に言い放った「爆弾はまだある!」の爆弾は、飛び降り事件の隠蔽?の件や、物流業界での問題がまだ山積していること(またいつ爆発するか分からない)への比喩かなと思ったのですが、本物の爆弾がまだ残っていると考察される方もいて、どっちなんでしょ??
・事務所に泊まっている時にエレナが電話していた相手は恐らくサラだろうなと思うんですが、最後の「私はどっちだと思う?」の意味がまだ掴み切れない……。
考察動画で、メケメケフェレットが出てきた時点でもう私は「すごい……」としか言えなくなったのですが、まさかここでまたメケメケフェレット(伊吹語)を考えることになるとは……!しかし私の知識が非常に不足しているために、このメケメケフェレットの部分は考察し切れない……何故なら私がよく分かっていないから。勉強は何のためにするのか見失っている学生の皆さん、勉強や知識とは、こうやってお話をより深く楽しむために必要��のですよ。知らないということは、表面的なところだけ観て分かったような分からんような気分で悔しがる私みたいになるということだからな!!なんというか、学生時代にもっと名作と呼ばれるものにしっかり触れておけばよかったと、最近とみに反省している私なのでした。
・最初にも書いた「爆弾とは?」と思うものの、エレナがサラに最後言い捨てたシーンはめちゃくちゃスカッとして良かったです。
しかし、何かイレギュラーな事態が起こった時、あれだけ大胆に判断を下していけたらさぞかし気持ち良いだろうなぁ……。ここまで至る間の、アメリカ時代のエレナも見てみたい。
それこそピタゴラ装置じゃないですけど、誰と出会うか、出会わなかったか。五十嵐の下で働いていた山崎が嵌まってしまった袋小路、もしかしたらそれは、3年目のエレナだったかもしれないし、エレナと出会わなかった世界線の孔だったかもしれない。
そこで一つ救われるのは、エレナと出会ったことで、孔の分岐点は変わっただろうなと。この話の中で、それでも変わらない無情というものも描かれる中、明らかに変わっただろうな、と確信できる部分でした。ただ、だからといって孔の未来が光に満ちているかというと全然そうではなく、立場が変わり、その先には更に分岐点がいくつも待っているのでしょうが。
・例のあの暗号なんですが、見たままの意味だけではなくて、まだ何かあるの?か?最後のシーンで五十嵐が血相変えてロッカーを確認するシーンや、孔の最後のロッカーでのシーンがまだ咀嚼しきれておらず。この辺りは自分の中でもっと噛み砕くことができてから文にしたいと思います。一度では到底無理だわ……。
あと、MIUの音楽が流れた瞬間に沸き上がる血よ。これ多分たくさんの方と共有できそうなんですが、あれですあれです。……と書いといて、アレ?流れたのってMIUのテーマだっけ?伊吹のテーマのメロディーラインでしたっけ?特徴的なあのメロディーライン、イーリアンパイプという楽器の音らしいですね。MIUのテーマの方では、そこからバイオリンが入ってくる辺りの上がり方がもうね、大好きです。この曲流れると自動でスイッチ入るんですけど、多分これきっと私だけじゃない。滾るよな……!
数年越しにMIUのサントラ入手するかどうかを本気で考えている本日でございます。
・今回佐野運送の息子役を演じてらした宇野祥平さんという役者さん、私は以前「罪の声」(これも野木さん脚本でとても良かった)を観た時に、そ���じんわり沁みるお芝居に良いなぁすごいなぁと思ったのですが、今回ので確信しました。良い……!
日ノ本��機のくだりはとても…とても良かったです。胸を張ってものづくりをしてきた人。会社はなくなっても、良いものを作ったのだという矜持が伝わってきて、じんわりくるシーンでした。
あと毛利刈谷おじさんバディ組も良き。何ででしょう刈谷さん実際に近くにいたらめちゃくちゃ鬱陶しいオッサンだと思うんですが、MIUの世界の中だと何だか憎めないんだなぁ。
▼そして最後に流れる、米津さんの 「がらくた」 。
MIUの「感電」が志摩と伊吹ソングだったし、「Lemon」は中堂さんと亡くなった彼女の歌。となると今回はエレナと孔に焦点が当てられているのかな?と何の根拠もなくそう思っていたのですが、映画鑑賞後は呆然としていてそれどころではなかったので、歌詞まで深く聴くことはできず。そして家に帰ってきて改めて歌詞をじっくり読んでみたのですが……。
これは……エレナと孔のことを歌ったものではなく、もしや…………。
作中で深く描かれることがなかった部分がこれだとしたら。切なさ大爆発で、観てから2日経った今、がらくたをリピート再生してはしょぼくれているところです。これは何というか……遅効性の毒みたいに効いてくるな……。
※※ネタバレ区間おしまい※※
というわけで、2日かけて仕事終わりにちまちまと書きためた初見の呟きです。とりあえず今は、職場で仲良い人たちに「み゛て゛!」と言い回る妖怪みたいになっているところです。み゛て゛!!!!
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power 力こそパワー
十一面観音堂 Kannon-do Temple
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もう無理……キャクエンしよ……。
役者として1ステを迎えるのは、実に1年ぶり。
ぶっちゃけありえないほどのクソ雑魚っぷりを披露した私は、帰り道、道端に残る水たまりに片足を突っ込みならこう思いました。
そうだ、京都行こう。
役者エグむずいやん。みんないっつもこんな大変なことしてたんですか。いろんな感情があふれてこぼれて、僕の足元には新たな水たまり。明日は晴れます。晴れさせます。
かく言ってますけど、楽しくやらせてもろてます。おおよそベガさんとなぽりが寛容なおかげです。本当にありがとうございます。
何はともあれ役者はすごい!てなわけで、そんな偉くて凄い役者の中から、『いつか栞を挟んで』に登場する皆様をご紹介します。今回は「この役者を主役にするなら、こんなタイトルのこんな劇」というテーマで。
以下役者は本チラ掲載順。
園堂香莉
『シング』
歌でみんなを笑顔にすることを夢見てきた少女。念願叶ってバンドを結成。しかし、第三次世界大戦が始まりかけた世界で、音楽などの娯楽は次第にタブーとされるようになった。そうした社会の風に吹かれ、バンドメンバーも1人また1人と去っていく。そんな少女がたどり着いたのは、商店街にある小さなお布団屋さんだった。彼女の子守唄と、お布団屋さんのお布団で、彼女らは「全世界ふかふかすやすや計画」を実行する。
「世界中の人がふかふかの毛布で眠れば、争いなんてなくなると思わないかい?」
近未来ミイラ
私には主役になれるほどの器はありません。
誰かを主役にすることなら、きっと、なんとか。
たぴおか太郎
『キャッサバイバル』
タピオカの原料として知られる「キャッサバ」、その和名が「イモノキ(芋の木)」であることは周知の事実であるが、そんなキャッサバにも、一時期本物の芋になることを目指していた時期があるということを、君は知っているだろうか。
これは、キャッサバが芋社会からの洗礼を受け、まさに芋洗い状態になりながらも、憧れることの光と闇を垣間見るお話。ちなみに、これはネタバレなのですが、最終的には芋社会のカースト、通称ポーテトで最上位に位置する「スイートポテト」が貢茶(ゴンチャ)の本店を燃やすことになります。芋もホテルも、「スイート」が最上級なんですね。
錫蘭リーフ
『虚ろにジャックポット』
ゲームセンターで働く男。ある日、ゲームセンターの喧騒が似合わない風貌の紳士がその店を訪れる。男が様々なゲーム機に対応する鍵を全て腰からぶら下げているせいで、紳士は男のことを、この世の全ての鍵を開けることができる鍵職人だと勘違いする。半ば無理���り紳士に連れられ、男は大小様々な扉がある部屋へと案内される。紳士は言う。「ここにある全ての扉を、君に開けて欲しいんだ」
「鍵」をテーマに繰り広げられる、ゲームセンターのように騒がしく、それでいてどこか空っぽな物語。
帝京魂
『職場参観』
小学生が、後ろから見ている。作業中の俺のパソコンを覗いている。部長に資料の修正を求められている俺を見ている。電話なのに頭を下げながら話す俺を、なぜか愛しそうに。その小学生の中に、我が子はいるのだろうか。気になるけど、ここで後ろを振り返るのは、なんとなく恥ずかしいような気がする。
オムニくらいの尺で、サクッと笑える劇に仕立てたいですね。
森々仙入
『タイトルコールが始まらない』
とある劇団の公演。いよいよ本番。当初の予定だと、タイトルコールの映像が流れてから本編が始まることになっていた。しかし、本番直前。機材トラブルにより映像が流れなくなる。担当者曰く、「多分すぐ復旧できるから、前説出ちゃっていいよ」とのこと。男は半信半疑で前説に出る。注意事項をあらかた言い終わったところで、舞台袖にちらりと目を向けると、舞台監督が必死の形相で両手を広げている。……延ばせということか?
ラムダが数十分間真面目にふざけ倒す劇。彼は無事に、タイトルコールというエンディングを迎えることができるのだろうか。
箏
『すがる藁もなく』
「この子、きっと何かの病気だと思うんです」。母親がそういって診察室に連れてきた少女は、何を尋ねても無口で、表情一つ変えない。どうやら学校でもこの調子らしく、クラスでは孤立し、家族もどう接すれば良いのか悩んでいるらしい。医者はその子を「不笑病」と診断し、一言。「今から治療をしますので、他の医者と看護師を呼んできます」。院内の医者と看護師総出で、彼女を笑わせにかかる。しかし彼女は笑わない。いや、笑えないと言った方が、正しいのかもしれない。
ルーベの口角が上がったが最後、この物語は崩壊します。地獄を見てほしい。
苔丸
『冷仏』
僕らのクラスには、「仏」と呼ばれる生徒がいる。なんでもできて、なんでも持ってて、なんでも許してくれる。と思っていたのだけれど、仏と同じ中学だった生徒が言うには、それは今が夏だからなのだという。なんでもその仏、「仏の顔もn度まで」のnの部分が、その日の最高気温と等しいという特殊な性質を持つらしい。とはいえ、一日にそんな何十回も仏の気に障ることなんかするはずもなく、大きな問題もなく時は流れていった���……その日、秋にしては異例の寒波が日本を襲う。最高気温は、0度。
苔丸の本当の怖さを、君たちはまだ知らない。僕もまだ知らない。
響夜
『見込み無き巫女見習い』
ある神社に、自らを巫女見習いと称する女がやってきた。おいおい。巫女見習いとかいうわりに、コイツ巫女についてなんにも知らねぇじゃねぇか。発言も行動も全部予測できない巫女見習いに、振り回される人々。挙句、巫女見習いはこんなことを訊いてきやがった。「あの、神様って、なんですか?」
今まで当然のように存在すると思っていた何かが、存在しないと言われたとき。あなたはその存在を証明できますか。
ミル鍋
『アマクチカラクチ』
インターネット上でも有名な辛口料理レビュアー。今日も口にする料理のほぼ全てにマイナスの評価をつけて回る。ある日、そんなレビュアーの隣で食事をしていたのは、インターネット上でも有名な甘口料理レビュアー。どんな料理でも「美味しい!」と言い、その料理の良いところをツラツラと述べていく。「そんなお世辞並べたって、この店は成長しないんだぞ!?」「じゃあ、あなたがつけた難癖で、この店は成長するんですか?」 食を通して、飴と鞭の使い方について考察する劇。
ゆには甘口レビュアーの方が似合いそう。ちなみに本編中に食事シーンが5〜6回登場します。楽ステ後は満腹ですね。
西峰ケイ
『穏やかな濁流』
親の都合で大阪から田舎の町へ転校してきた少女。その町のヌルさに愕然とした彼女は、大阪とは何かを体現していくことを決める。そしてクラスを、学校を、町全体を、大阪一色に染めていく。その町が彼女にとってかなり居心地の良い場所になってきた頃、彼女がいるクラスの扉を開けたのは、町長だった。「俺たちの町を壊したのは、お前か」
新しい宗教が蔓延れば、それを抑制しようとする派閥が出てくる。長い歴史でもずっとそうだったし、きっとこれからもそうで。
あろハム権左衛門
『スローに踊るだけ』
一流のマネジメントウーマン。日々様々な企業へ出向き、無駄を徹底的に省くよう的確に指導。その腕が認められ、彼女の予定は2年先まで埋まっている。一方で恋をする予定なんて入れてないから、恋なんてするはずがなかった。なかったのに。ある日訪れたベンチャー企業を統べる若い社長に、恋をしてしまった、ような気がするんです。
キャスパはもちろん、ゲスの極み乙女の「スローに踊るだけ」です。振付もアロー本人が(え)
アリリ・オルタネイト
『つづきつづれずとも』
日本政府は言う。「みんな��々のものを持っているから、それを振りかざして争うのだ。これからは逆の時代だ。みんな別々のものを失い、支え合っていくべきなのだ」 その次の日から、人々からはそれぞれ別々のものが奪われることが決まった。ある人はお金、ある人は片足。そして彼女から奪われるものは、言葉だった。奪われるまで、あと12時間。彼女は彼女の言葉をできる限り残そうと足掻く。文字で、音で、人伝てで。24時。政府の人間がやってきた。
イルルさんの役者紹介意気込みコメントが好きです。言葉を大切にしている感じがするからです。だからこそ。
〆切三日前
『いくつ担っても』
一人複数性制が導入された日本。今日はこっちの苗字の私で生きようかな。それは先週のことだから、今の苗字の私じゃなくて、先週の苗字の私が来た時に言ってください。そんな世界線で繰り広げられる、非日常的日常系短篇集。しかし日常というのは案外あっさり終わってしまうもので。「面倒だから」という理由で一人複数性制は突如廃止が決まる。おっけー、了解した。で、私はどの私を残せばいいんだろう。
キャスト欄に10個くらい異なる芸名が書いてあるんですけど、その内5個はみそかです。
黒井白子
『試行柵誤』
舞台と客席を隔てるのは、上手ハケ口から下手ハケ口まで一直線に伸びた柵。暗転が挟まるごとに、その柵は意味合いを変える。例えばそれは豪華客船の上。例えばそれは高校の渡り廊下。例えばそれはジュリエットがロミオを見下ろす場所で、例えばそれは高層ビルの屋上。この劇においてツラ線を破るということは、柵を飛び越えるということであり、柵を飛び越えるということは、大抵無事では済まない。そんなオムニバス公演。
僕がやりたいことに、彼はまだ付き合ってくれるのかな。付き合ってくれたらいいなという思いを込めて。
中森ダリア
『カメレオンガール』
バーで働く女。しかしこれは世を忍ぶ仮の姿。彼女の正体は、秘密結社「ユージン」のエリートメンバー。コードネームは「華芽麗音(カメレオン)」。彼女の本当の使命は、彼女自身が様々な姿に化けて、この世に数多いる、友達がいないと嘆く人にとっての「それなりの友達」になること。ある時はギャルに、ある時はおばあさんに、またある時は青年にまでなり、その任務を遂行する。
そんな彼女に、「それなりの友達」はいるのだろうか。
きなこ
『毒あるキノコは美しい』
それはなんの前触れもなく、突然の出来事だった。全国民の頭の上にキノコが生えたのだ。そのキノコは色も大きさも様々で、次第に人々はキノコで人を判断するようになっていく。恋人に求める3Kは、価値観が合う、金銭感覚が合う、キノコと言われるようになった。しかし、ほとんどの国民は知らない。ただ1人、キノコが生えてこない少女がいることを。
キャスパ曲は多分「マッシュルームマザー」
暁レミエル
『マイノリティ魔女リティ』
「魔女ってなんか、思ってたのと違うね」 その言葉が彼女を蝕んでいく。そんなこと言われたって、それが私なのだ。魔女のくせにちりとりの方持ってるのとか言われても、それが私なのだ。魔女のくせに電子書籍で魔法覚えてるのとか言われても、それが私なのだ。それが私なのに。
これは悩める少女の、笑って泣ける物語。
肆桜逸
『寝るまで起きてる』
夜。眠れない夜。男の枕元にあるスマホもまた眠らず、その液晶を煌々と光らせている。その夜男には、無数の電話がかかってくる。恋人から、親から、友人から、先輩から、そして、すでに"眠ってしまった"自分から。
男は"眠る"ことを選ぶのか。それとも、もう一度朝日を見ることを望むのか。スチルさんと他役者の録音された声だけで進む、怒涛の一人芝居。
埖麦
『無念ゴミ』
部屋中の本棚に詰め込まれたアルバムの数々。これらは全て、男が後悔している出来事が鮮明に記録されている「後悔アルバム」であった。一度開けばその時の記憶は鮮明に思い出され、その度に男は、懐かしさというには悍ましいような感情を抱く。ふと、見覚えのないアルバムを見つける。「……これは、親父のだ」
「アルバムって、何曜日に捨てればいいんだろう」
紫苑
『as mysteriously as possible』
少し不思議、いや、かなり不気味。そんな1人の男がひょんなことから異世界に飛ばされるものの、男が不気味すぎて逆に異世界の住人が怯む話。異世界に行けば周りに馴染めると期待していた男は、「変」であることに虚無感を覚え始める。これは「私」が悪いのか、「私以外」が悪いのか。「変」なりの、奮闘記。
略称はAMAP。ほぼSMAP。
水琴冬雪
『いつかオレンジの原付で』
ブゥーーーンブンブブーンブンブンブブゥーンブーンブンブゥーーンブンブンブンブブゥーーーンブンブゥーーンブンブンブブゥーーンブンブリョゥドゥーーンブゥーンブンブブンブンスウブンカィーーンブゥーンブブブーーン
(原付の音であらすじがよく聞こえないが、ベガさんが主役を張る演劇なんて、良い作品になるに決まってる)
以上です。もし実際に脚本に起こしてほしいという物好きな人がいたら教えてください。そのときには10年かけてでも、あなたを主役にする体で当て書きして完成させたいと思います。
びあげのブゥーンはどうしようかなぁ……
大学のキャンパスでcampusノート使ってる学生、見たことない。
近未来ミイラ
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Quote
2014 年に遡ると、米空軍はいくつかの難しい決断を迫られました。 予算の問題は解決しなかったため、コスト管理と構造変更が必要になりました。 同軍の参謀長マーク・ウェルシュ大将は、従業員の約7%に当たる2万5000人の空軍人員を削減すると発表した。 同氏は、運用負荷の増大と同時に、それを迅速に実行するよう指示した。 この削減は、サービスの資金不足を防ぐための一連の措置の一環として行われた。 あるいはそう議論されました。 悲惨な状況だった、とウェールズ人は指揮官らに語った。 すべてのユニットはトリミングを行い、節約するための新しい方法を見つける必要があります。 誰もがピンチを感じるでしょう。 誰もが自分の行動を変える必要があるでしょう。 なぜなら、すべてのドルが重要だったからです。 それはすべてBSの負荷であることが判明したことを除いて。 現場の空軍士たちが、ニッケルのことで洗われたり、細かいところを摘まれたり、これまで以上に厳しい仕事をしている一方で、ウェールズと彼の仲間の幹部たちは、王族のようなライフスタイルを続けた。 彼らはプライベートジェット、パーソナルアシスタント、運転手などに年間数千万ドルをつぎ込んだ。 将軍たちは独自の楽隊、独自の移動ショー合唱団、制服を着た使用人を抱え、食事を準備し、税金で賄われた家の掃除をし、芝生の雑草を摘み取った。 ウェールズ人のコスト哲学は一般社会に根付くことができなかった。なぜなら、1ドルはカウントされないことが誰にでも明らかだったからである。 定着したのは、航空兵が指導者に対する信頼と信頼を失ったため、世代間の士気の危機でした。 過重労働のパイロットからの苦情に応えて、将軍たちはパイロットに退職を奨励した。 他の誰かがそれらを埋め戻すでしょう。 空軍は結局、パイロットの大幅な不足、採用問題、そして記録的な自殺率を抱えた。 問題を抱えた調達プログラム、老朽化したインフラ、疲れ果てて不満を抱えた航空兵たちに支えられた老朽化した航空機により、戦略的足場を失った。 優秀な航空兵は退役し、他の飛行士は努力レベルを下げた。 この状況は戦争の圧力や連邦予算によって生み出されたものではありません。 それは幹部たちの傲慢さと不正によって生み出されたものである。 私は今、Amazon の上級幹部の行動を観察していると、同じような有害性が混在していることに気づきました。 同じ共感力の欠如です。 権威への依存も同様です。 自分自身の輝きに対する執着的な信念も同じです。 何よりも、会社の価値を生み出す人々に対する同様の低い評価です。 私��これらのことを主張することに抵抗を感じない理由を説明する前に、Ops Live と呼ばれるものについてお話しさせてください。 Amazon は数年ごとに、グローバルなフルフィルメント、輸送、物流業務に携わるディレクターまたは副社長レベルの役割を担うすべての人々を 1 か所に集めて「カンファレンス」を開催します。 アイデアは、ビジネスの現在および将来の状態について全員で協力することです。 実際には、これは企業の代弁者からの一方的なメッセージで伝説的な高額なパーティー兼ネットワーキングイベントであり、通常は株主の資金提供による二日酔いの霧のベールを通して吸収されます。 スワッグパッケージは素晴らしいです。 テーマ的には楽しくて活気があります。 しかし、カンファレンスはそうではありません。 LinkedIn の Akhil Saxena (彼/彼/彼): #amazon #リーダーシップ #ネットワーキング #自動化 #接続 #リーダー #将来… | コメント19件 私は22年のOps Liveに参加しました。 私たちは世界的なパンデミックの真っ只中に大規模な拡張を行ったばかりでした。 素朴に、私たちの多くはイベントに積極的に参加して、学んだことをすべて共有し、その学んだことを会社に取り入れるのを手助けすることを期待していました。 私たちが得たのは感謝や評価、あるいは参加する権利でさえありませんでした。 そうですね、私だったらインスピレーションや戦略的な明確さで落ち着いていたでしょう。 代わりに私たちが得たのは、上級幹部らの神聖な指振りの間に押し込まれた、うんざりするほど明白な陳腐な言葉の奔流でした。 彼らは私たちにもっとお金を節約するように言うために、私たちを個室に入れるのに何百万ドルも費やしました。 しかし、本当の不条理は、壊滅的な財政危機を背景にプライベートなロックコンサートを並行させたことだった。 いいえ、冗談ではありません。 ボン・ジョヴィのために、重役らは手を絞るのをやめ、伝説のライマン・オーディトリアムを2時間足らずで騒がせ、250万ドルを超えたと見て間違いない非公開の報酬を集めた。 かっこよかったです。 私は楽しい時間を過ごした。 経営陣がこれを感謝のしるしとして、あるいは少なくとも私たちが正しい道を進んでいることを安心させるためのしるしとして意図したものであることは理解できました。 そして、私は自分が何年も前から空軍上級士官の一人になっていたことに気づきました。 そして心の奥底では、パーティーでは話さないようなところで、その感情が気に入らなかったのです。 特に、ネットワークの近所に戻り、私の人々が直面している文化的現実に��び加わった後はそうです。 それでも、22年にそのパーティーを開催することは別のことでした。当時は、金について偽りの愚痴を言っていたものの、実質的な削減はなかった時代でした。 パンデミック中にビジネスは過剰に構築されており、修正サイクルが訪れるだろうが、私たちはそれが何であるか、つまり芝居がかったものであるかのように資金を投入した。 主に他の視聴者を対象としています。 しかし。 もしそのコンサートが、一時解雇、給与凍結、人材育成プログラムの縮小を背景とした24年春に開催されていたら、状況は大きく違っていただろう。 もっと暗い話。 しかし、フー・ファイターズのフロントマン、デイヴ・グロールの言葉を借りれば、我々はここにいます。 それはその暗い物語です。 なぜなら、まさにそのような背景の中で、24年の春にそれが起こったからです。 先週、ナッシュビルで Ops Live '24 が開催されました。 カンファレンスの議題、内容、正確な期間、認識される価値、コストについてはお伝えできません。 何人が参加したかは言えませんが、代理人が Amazon ネットワークを運営している間、1 週間の勤務時間の大部分をイベントに費やしたのは 1,000 人から 2,000 人だと推測しています。 これらのことについてアマゾンの広報チームに質問したが、返答はなかった。 私が言えることは、幹部たちが貴重な資金を切り詰めて節約するためにアマゾンの一般社員たちを追い詰め、汗を流し、優秀な人材を解雇し、昇進を遅らせ、より少ない資金でより多くの成果を上げるよう全員に要求しているにもかかわらず、誰かが発見したということだライマン・オーディトリアムを貸し切り、フー・ファイターズに上級指導者向けのプライベート・ショーを開催するのに十分なお金があった。 私はアマゾンの マーガレット・キャラハン氏 に詳細を確認できるか尋ねた。 私が彼女を探し求めたのは、アマゾンが記録的な利益とキャッシュフローを達成した後、今年のマネージャーの基本給を凍結するという選択を彼女が精力的に擁護したためだ。 彼女は返事をしなかった。 しかし、証拠はオンラインで発見可能であり、アマゾンブドウの木はそれについてのおしゃべりで炎上しています。 フー・ファイターズのファングループは、このショーがAmazonのプライベートイベントであるとラベル付けして、講堂内の写真を投稿した。 ショーの参加者が コンサートのセットリストを収集するサイト に更新情報を投稿し、再び Amazon の非公開イベントであるとラベルを付けました。 ナッシュビルの音楽業界で働くハンナ・レイニーさんは、5月22日にグロールさんと撮った写真をインスタグラムに投稿した。 彼女は「Ops Live」と書かれたライマンのアクセスバッジを付けています。 そしてもちろん、どのような演出がなされても常に言えることですが、パフォーマンスのビデオはソーシャル メディ��で公開されています。 ここにその 1 つを示します 。 ちなみに、このバンドは Amazon の CEO のお気に入りで あり、私とアンディ ジャシーが少しだけ重なることに気づいたのはおそらくこれが初めてです。 これに関する Amazon の記事が見られない理由、そして Amazon の上級幹部たちがオンラインでこの件について騒がない理由は、これがどれほどひどいことであるかを彼らが理解しているからだと推測できます。 彼らは、それが人々をどのように感じるかを知っています。 アマゾンの利益の十分な額が利益を生み出している人々の手に渡っていないという見方は、どれほど悪化することになるだろうか。 しかし、おそらく、私はここでただ唾を吐きかけているだけですが、自分の人々に対して何かについてオープンにできないのであれば、おそらくそのことはしないほうが良いでしょう。 もしかしたら、何かがクールすぎて話せないのであれば、それはクールすぎるのかもしれません。 余計なものにお金を浪費しながら、コストを理由に人々を失業させるには、特別な種類の傲慢さが必要です。 それは権威主義的な精神を反映しています。 経営者はできる限りのことをしているが、一介の労働者は苦しむべきことをしている。 それは不平等に対する暗黙の抱擁を反映しています。 一般向けには、ピザ一切れ、義務的な残業中に一握りのチョコレート、そして実際には含まれていない場合は、含まれていることを祝うための無料のカップケーキ。 エリートにとっては、ツアーの合間にヘッドライナーを務めるロックバンドのプライベートコンサートが中止され、その後は生産性の向上を求めてテーブルを叩く別のラウンドが始まる。 これは将来の幹部パーティーの支払いに必要になります。 その一方で、効率性のせいで燃え尽きた労働力は、財政破綻や待ち伏せ雇用の喪失に対する絶え間ない恐怖の中で、一銭も節約するために無理をして苦労をしている。 だって、1ドル1ドルが重要だからですよね? そしてこれは私たちに不誠実さをもたらします。 人員削減が必要でないのに、人員削減が必要であるかのように振る舞うのは不誠実である。 給与凍結が必要ではないのに、必要があるかのように振る舞うのは不誠実だ。 左右の従業員が解雇された後、人々が複数の役割をカバーするためにストレッチをしていないとふりをして、そのような過度のストレッチの影響をさらに無視または軽視するのは不誠実です。 そしてもちろん、リーダーシップの原則が経営幹部には当てはまらないことが明らかな場合に、リーダーシップの原則が誰にとっても重要であるかのように振る舞うのは不誠実です。 プライベートなロックコンサートに倹約はありません。 また、事業縮小中に高級で高価なパーティーを開催することは信頼を損なうものです。 なぜこれが重要なのか 現時点で、Amazon は誠実さに欠け、経営陣の傲慢さが顕著に表れています。 ある種のビジネスではそれは問題ないかもしれません。 他の場所で逃げられるかもしれません。 しかし、チームワーク、信頼、裁量的な努力に依存するビジネスではそれは機能しません。 リーダーシップが重要なビジネスであり、したがって人格が重要です。 権限が最終的に被��治者の同意に依存するビジネス。 人々は偽善者に従いません。 彼らは嘘つきには従わないだろう。 彼らはいじめっ子を追いかけません。 彼らは自分に執着する人には従いません。 というか、そういうタイプに従うタイプはあなたが望むタイプではありません。 これはアマゾンにとって厄介な事態となる。 同社は他の種類のビジネスに比べて裁量的努力にはるかに依存しています。 そしておそらく、この証拠に基づくと、思っている以上に裁量的努力に依存しているのかもしれません。 おそらく、その運営がより多くの寄付を求める人々の結集に依存していることに気づいていないのかもしれない。 張る。 隙間を埋めてグローブをセーブするため。 さらなる一歩を踏み出すために。 疲れても働き続けるために。 学習と改善に余分な時間を費やすため。 運営はその性質上、全員が全力を尽くすことにかかっています。 誰もが契約上の義務だけを重視し、それ以上は何もしないと、Amazon はすぐに倒産してしまいます。 そして、そのスロットルを前進させ続けるために、人々は尊敬し、信じるリーダーを必要としています。 人を失う方法 おそらくAmazonは、人々の裁量による努力が必要であることを知っていながら、別の方法でそれを抽出しようとすることを選択しているのでしょう。 することを好むようです。 強制 人々にインスピレーションを与えて最高の成果を上げることよりも、生産を維持する方法として 待ち伏せ型の解雇は安心感を奪い、人々は次は自分が解雇されるべきではないことを証明しようと必死になる。 Amazon はこのアプローチで、時代を超えて血も凍るような理論的根拠を採用しています。つまり、信頼できる脅威ほど人の心を集中させるものはないということです。 毎年、一定割合の人員の年間減少目標を設定することで、生存の考え方が生まれます。 ライオンが再びやって来たときに最も遅いガゼルになりたくない人はいないので、誰もがより速く走ります。 古典的な強制。 昇進する前に、次の上位の役職について数か月または数年も練習させることも強制的です。 彼らは自分のキャリアを前進させ続けることができるように、支払われている以上のものを提供します。 Amazon は割引価格で最大限の努力をしており、その一方でプロモーションを行わないという選択肢も残しています。 人々の間でキャリアの生存競争を作り出すことは、「ランク・アンド・ヤンク」の人材評価プロセスの遵守から生じるアマゾンの一般的な戦術である。 危険にさらされるほど低い順位に置かれることを誰も望んでいません。そのため、人々は自分自身の最高のパフォーマンスを発揮するのではなく、お互いを出し抜こうと苛烈になります。 このような強制はすべて、Amazon の一般社員の間で恐怖と防御的な考え方を引き起こします。 ネガティブな文化が続き、高いストレスと伝説的な燃え尽き症候群が起こります。 しかし、経営陣は間違ってそうしているわけではない。 彼らは明らかに、権限を曲げて人々に暗黙の脅威を与えることが、ビジネス���解決するのに十分な生産性を維持するための効果的で、より安価な方法で、より権力を与える方法であるという考えを持っています。 しかしそれはまた、経営陣がOps Liveでは話さない深いところで、自分たちが業務パフォーマンスに依存していることを認識していることを意味する。 つまり、現在のレベルの傲慢さと不正直が続けば、いつか大惨事が訪れるということです。 ここは人を失う方法のクリニックであり、原則を持った人が最初に行きます。 "おぞましい" これは、中間レベルのマネージャーが、Ops Live の評判をフィルタリングして説明する方法です。 ここ数日、何度かこの言葉を聞きました。 アマゾンの中間管理職たちは、時には待ち伏せによって人を解雇するといううらやましい仕事をしてきた。 彼らは、更なる解雇を恐れる人々のグループの中でパフォーマンスを結集しなければならなかった。 彼らは、会社の壮大な経済的成功にもっと貢献できると合理的に期待していたにもかかわらず、自分自身の給与を凍結されています。 すべては倹約の名の下に。 現在、倹約は(a)実際には問題ではなく、(b)は上級リーダーには当てはまらないことがわかると、彼らは自分たちが不誠実な組織の管理者であり、それが当然のことであると感じてしまいます。 10年前の空軍と同様に、今日のアマゾンは戦略的失敗を求めている。 問題は、それを見るのに十分な謙虚さがあるかどうか、そしてそれを認めるのに十分な正直さがあるかどうかです。 この大失敗の状況を見ると、私は両方の点で疑問を感じます。 TC は独立したライターであり、組織のリーダーシップについて語っています。 彼は元アマゾンのゼネラルマネージャーであり軍司令官であり、30 年にわたるリーダーシップの経験があります。
たぶんこれはクールすぎる - トニー・カー著 - The Radar
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ) 五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話し��す。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で�� あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた) 猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。 この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。���い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。 轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什���には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下) 家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「���ョウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね) 長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中���考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある��盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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【かいわいの時】昭和二十年(1945)6月7日:第3次大阪大空襲。死者2759人、被災者19万9105人(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
昭和二十年六月七日(一九四五年)午前十時十五分、生江地区の人々の悲劇の日がやってきた。サイパンを飛びたった三百機にのぼるB29アメリカ空軍爆撃機の大阪最後の空襲であった。早朝より敵の来襲を知らせる警報のサイレンが不気味な音を響かせ、初夏の空に鳴りわたる。遠くで爆弾が炸裂するのがドドーンと地面を叩くのか、抉るのか、鈍く重い音が足もとから伝わってくる。まもなく雲間に数機の爆音が聞こえてくる。何事もなかったように、白い飛行雲を残し、次から次へと生江の上空を北に向かって飛び去っていく。誰れかが大声で「逃げろ…」と叫けぶつかの間、キーンと耳を抉る金属音が頭上より背筋を通し伝わった。その瞬間、ものすごい炸裂と地響が起こる。人々は地面に叩きつけられ声もない。家屋はそのまま空中に舞いあげられ、粉々に飛び散り落ちる。真黒い煙が竜巻のように舞い上がり火の粉が散る。なおも空から容赦なく爆弾が不気味な金属音をたてながら黒く白く光りながら雨の如く落ちてくる。ここかしこで火の手があがる。真っ赤に空を焦がす熱気が突風を呼び、その風の物凄さ、猛り狂う炎の色、白昼を暗黒化にし生江地区を残し、つつみこむように周辺は火の海となった。火の粉は地区内に落ちてくる炎と煙に追いたてられ何千人もの人々がぞくぞくと城北公園めがけて着のみ着のまま泣き叫び、転びながら逃げてくる。それを待ち受けていたかのように戦闘機数機が黒煙の中より現われ、淀川土堤すれすれに飛び交い、避難してくる人々めがけて機銃弾を浴びせ殺したのである。
ある者は土堤や池の端、木の繁み、ある者は園道にうづくまり、頭をぶち抜かれ、足をもぎとられ、腹を抉られ、顔をとばされ、その肉片からしたたり落ちる血で大地を染め、乳呑み子から老若男女が水をもとめて這いづりまわり息たえる者、母と子がしっかりと抱き合い身動きもしない。髪をふりみだし「雲が燃えている」と泣き叫けぶ女の子、恐しさにお経を口ずさむ老人、爆弾の雨が音をたてながら木々をゆさぶり、人々に襲いかかる。炎が黒雲を呼び、雨を呼び、地獄絵図が数時間も続いて終った。遺体は常宣寺に運ばれたが、足の踏み場もないぐらい本堂にも庭にも並べられ、収容できずにそのまま外に数日間放置されていた人々もあった。地区内の家々から帰らぬ我が子、父母の名を呼ぶ悲しみの声が幾日も続いた。遺体は淀川土堤に運ばれ、油をぶっかけられ火葬にされ、その煙が夜も昼も休みなく何日も続いたのである。戦争に駆り出され散っていった我々の親兄弟、家を守った母と子の尊い命が奪われていった……。
そして三十三年の歳月が流れ、今我々が生きていることを喜び合い、また戦争を知らない若い世代に何んの意味ももたない戦争という悲劇をくり返さないための手がかりを我々の手で残さなければならない。また我々の先輩が部落解放とすべての人民の解放を叫び、多くの血を流し、闘い続けた運動の歴史を受け継ぎ、平和と人権尊重の精神を守り続けるため、真実を教え、真実を語り、真実を伝え、この惨劇の歴史と、ここに刻みこまれた犠牲者とともに永久に銘記するものである。一九七七年十一月二十五日 文 伊藤辰夫(平和観音「碑文」より)。
(写真)式典の準備が整った平和観音(=2023年6月7日午前9時1分撮影)
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【新潟県謡曲古跡めぐり上越編】1日目9箇所目 2021/6/27ー28
能「壇風」「田村」
水俣観音堂 《 糸魚川市水俣 》 水保観音堂の創建は不詳ですが泰澄大師が養老年間(717~724年)に開いたとも弘法大師空海が大同元年(806)に開いたとも云われています。
その後、坂上田村麻呂が当地を訪れた際、境内が整えられ寺院として草創したそうです。当時は吉祥院に属し、信仰を広げ最盛期には七堂伽藍を備た大寺院として周囲にも大きな影響力を持ちました。古くから神仏習合し隣接する日吉神社の祭祀を担っていましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により吉祥院が廃寺となり日吉神社と観音堂だけが残され現在は宝伝寺の境外仏堂となり周囲の信者によって管理されています。
水保観音堂には棟札が残されていて明和5年(1768)に建てられ、棟梁が倉若七右衛門、脇棟梁が宮原与右衛門、下役が小杉久右衛門だったことがわかっています。水俣観音堂は木造平屋建て、寄棟、鉄板葺(旧茅葺)、桁行5間、梁間5間、平入、外壁は真壁造り板張り、四方浜縁、高欄付き、中世の密教寺院建築の特徴を残し地域に残る修験道場の遺構としても貴重な存在です。
寺宝には大正12年(1923)に国重要文化財に指定された「木造十一面観音立像」(平安時代中期~後期の作と推定、桜材の一木造、頭部の天冠台には様々な表情をした十一面が墨書、像高1.548m、鉈彫り、33年に一度の開帳、身をもって集落の火災を防いだという伝説が残っていて火伏の観音さまとして信仰の対象となり住民からは「水保の観音さん」と呼ばれています。)や男神像(2躯、室町時代作と推定、像高27㎝、23.5㎝)や鋳銅製鰐口(貞享3年作、鋳師:高田土肥藤右衛門藤原朝臣家次、施主:糸魚川高野清右衛門季林敬白)などがあります。 この仏像は、桜材の一木造りで、高さ1.548メートル。 平安時代中~後期(藤原時代)の作と推定されています。丸のみを横に用いて荒っぽく削る「鉈彫り」の技法で作られたものです。 この技法で彫られた例は新潟県には2例しかなく貴重な仏像です。 一般公開は33年に1回です。(平成16年8月27日~29日に一般公開されました)
又、水俣観音堂には鎌倉時代に後醍後天皇の倒幕に加担し佐渡に流され、本間一族に惨殺された日野資朝の子供阿新丸が十一面観音の霊力を受け父の敵を討ち果たし父の遺骨を境内に埋葬したという伝説があり資朝のもの思われる墓(五輪塔)もあります。毎年5月1日に行われる例大祭では日吉神社の神事の後、観音堂まで神輿渡御が行われ、さらに境内で神楽が奉納される神仏習合の名残が見られます。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA ���� 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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各地句会報
花鳥誌 令和6年12月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年9月2日 花鳥さざれ会
影までも残暑に喘ぎをりにけり かづを それとなく秋を呼びゐる波の音 同 哥川忌もなく思案橋灼くるのみ 清女 流灯の川面に万の帯となり 希子 流灯の星となるまで見遺りをり 同 男振り鬼灯市の団扇手に 雪 ふと旅に在すが如く柏翠忌 同 其の声音其の眼光も柏翠忌 同 浅草の粋の申し子柏翠忌 同
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令和6年9月5日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
さやかなり異郷の地より便りあり 喜代子 彼の人の御霊と思へ流れ星 都 秋霖や昼を灯して新書読む 同 身ほとりを駆け抜けて行く野分かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月7日 零の会 坊城俊樹選 特選句
身に入むや幽霊坂に解体屋 要 振り向けば幽霊坂に秋の雲 昌文 野分後いうれい坂に干す雑巾 順子 鰐口に打たれて鳴りぬ秋の声 同 秋の蟬跨いで白きスニーカー 要 坂の町そろそろ秋が高くなる 荘吉 長月の翳を重ねて魚籃坂 三郎
岡田順子選 特選句
石仏に一円玉と銀杏の実 緋路 朝顔や嬰も黒衣の葬の列 昌文 朝顔や団地めく墓百基ほど 久 正門の秋の気配や女学院 六甲 幽霊坂に細身のをんなつくつくし 昌文 銀杏の実亀石の首そのあたり 久 坂の町そろそろ秋が高くなる 荘吉
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月7日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ブラインド上げて夕焼の部屋にする 愛 秋風に置く空つぽの洗濯籠 かおり 送り火の煙ゆつくりと四囲めぐる 成子 秋扇こころ明かさぬまま別れ 美穂 にくしみがあきらめとなり秋扇 孝子 身に入むや母のお薬カレンダー 修二 流星の穿ちし窪み都府楼跡 睦子 かなかなや吾子沈みゆく腕の中���朝子 読み耽るアリバイ怪し夜半の秋 修二 ドクターイエローへ手を振る花野人 美穂 月見草わが名つぶやく人の逝く 朝子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月9日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
銀漢に明治溶けゆく赤レンガ 三四郎 空蟬や大樹にしかとすがりをり 英美子 新米の入荷太文字人を呼ぶ みす枝 物音の消えし校舎に蟬時雨 昭子 晩酌の静かな会話虫時雨 三四郎 黄色い声ねずみ花火に逃げ惑ふ みす枝 一ト夜ごと虫の音細くなりにけり 英美子 流灯会読経流るる僧百人 三四郎 本心は言へず花火の夜の別れ 英美子 枝豆やまた繰り返す愚痴話 靖子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月9日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
露の庭はな緒のゆるい宿の下駄 あき子 リズム良き祖母の寝息や集く虫 和魚 源氏詠む文机近く虫すだく あき子 秋茄子や料理の好きな妹逝きて 和魚
秋尚選・三無選 特選句
秋茄子の色は紫紺の優勝旗 廸子 暑くとも白露の朝でありにけり 秋尚 昼の虫導かれつつ見えぬまま のりこ 心地よい風を感ずる白露の日 さちこ 病む人の今朝爽やかと白露の日 ます江 小振りでも紫紺きつぱり秋茄子 三無 虫の宿庭の雑草残しおき エイ子 虫の声足そつとおく帰り道 ことこ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月10日 萩花鳥会
暑き娑婆御堂の羅漢高笑い 健雄 百日紅揺れる花房夏惜む 俊文 ジャングルジム登りつく子等鰯雲 美恵子 食べ過ぎて今宵の満月僕の顔 良太 満月の影にうつるは兎かな 綾花
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令和6年9月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
花野道小さく見える牛の群れ あけみ 大花野夢の続きを行くやうに 実加 台風裡兄と出会ひし母の家 あけみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
秋日傘半分閉ぢて行き違ふ 都 地図に見る呉亡き父の終戦日 佐代子 誰が植ゑし鶏頭小さく石仏に すみ子 葛一面未だ本籍たりし野辺 都 今放つ槽に小波や新豆腐 同 銃創を見せ物語る生御霊 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月14日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
月餅と濃茶一服今日の菊 多美女 野の彩を丸ごと活けて句座は秋 百合子 秋燕別れを告げに母の塔 幸風 長き夜や古き日記に母のゐて 多美女 鮭小屋の朽ちても長汀石狩川 亜栄子 ゆつたりと夜長にすすむ酒のあぢ 幸風
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月15日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
秋茜近寄り来てはまた高く ます江 桔梗とて気怠そうにて風に揺れ 同 池に波紋残して行けり赤蜻蛉 貴薫 草むらに露草の青紛るなく 秋尚 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 隠沼に秋明菊の八頭身 文英 秋の蝶もつれて落ちてまた浮かぶ 白陶
栗林圭魚選 特選句
魁て色づく雅式部の実 三無 秋茜近寄り来てはまた高く ます江 静謐の沢の流れや曼珠沙華 幸風 赤蜻蛉捕り逃がしたる父の網 三無 草陰に水音聴くや秋の蝶 亜栄子 山葡萄鈍き光りを森の端 慶月 森へ行くバス待つベンチ秋の晴 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月16日/21日 柏翠・鯖江花鳥合同句会 坊城俊樹選 特選句
曼殊沙華赤で囲みし甕の墓 ただし 新しき束子で洗ふ母の墓 同 鉄工所跡は錆色芒原 同 施餓鬼寺秘仏に在す観世音 雪 刃を入れるこれぞ西瓜と云ふ西瓜 同 流灯会母のだんだん遠くなる みす枝 夕月や心素直になつてをり 同 手を上げるだけの挨拶爽やかに かづを 九頭竜の乾坤いまだ秋を見ず 同 夜廻りの拍子木冴える星月夜 嘉和 袖通す事なく紙魚の秋袷 英美子 大漁の海を映して鰯雲 眞喜栄 熊除けのあまりに小さき鈴かとも 洋子 中天に中秋の月ただ一つ 紀代美 一言が十で返つて来る暑さ 清女 花明り水明りして草の露 世詩明 紐引きて夜長の秋を灯しけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月18日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
単線の駅の中間大花野 世詩明 露草に跼めば低し膝がしら 同 へのへのの顔に疲れて来し案山子 雪 商ひの顔に見えざる古葭簀 同 もしかして死んだ振りかも火取蟲 同 地酒くみ民話ひもとく良夜かな 笑子 何故に泣きべそかいた十三夜 隆司 大花野境界線は遠き空 千加江 夢の中独り占めして花野かな 同 ゆつたりと羽を愛しむ秋の蝶 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年9月20日 さきたま花鳥句会
秋草や流離の雲はとこしへに 月惑 去ぬ燕施設の母の走り書き 裕章 秋暑し観音堂の鬼瓦 紀花 三尺寝青年の腕白きこと ふゆ子 秋風や水尾引く舟の遠ざかる 恵美子 降るほども無き雨の庭昼ちちろ みのり 刈���草の中よりツンと彼岸花 彩香 鍵を置き去りし男や秋の雲 良江
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福津市・長谷寺の十一面観世音菩薩開扉大祭(8)Last
2時半から厨子の扉を閉める法要が始まりました。女性陣による声明(しょうみょう)に涙が出そうになりました。
扉が閉じられました。
次に扉が開かれるのは17年後の2041年(?)
普段の静寂が戻ってきました。(五色の紐はこの時だけです)
YouTube > 閉扉法要(28分) / 桜吹雪と観音様(8分40秒)
貴重な体験をありがとうございました。… おわり
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七篇 下 その四
京見物をしている弥次郎兵衛と北八。 ハシゴのせいで持ち上がった騒動もなんとか収まって、二人は、伊勢で知り合った男の所に尋ねていくことになった。
北野の下の森という所で弥次郎兵衛は、店の一つに声をかけた。 「もしもし俺たちは天神さまへ参詣して帰りにお前の所で休むつもりだから、このハシゴをここに置いておいておくんなせえ。」 「はいはいお預かり申ましょわいな。お早くお出なされ。」 「おたのみ申しやす。」 とハシゴをその茶屋の角に立てかけておき、そこを行き過ぎると、 「やれやれ、重荷おろした。 どうせ帰りによるものか。どうだ、北八、ハシゴを捨てた知恵は。」 「ははは、おもしろくもねえ。」 と二人は経���前より、右近の馬場に着いた。
ここでは賃銭とって貸す馬がたくさんおり、その馬の稽古をしている。 それを見る人が大勢いる。 「おや、すさまじい人だかりだな。何かあるようだ。」 と北八が人を押し分けてみてみると、馬に乗って駆け足に走らせる人がいるのが見えた。 「ひゃあ、とうとう。」 それに答えるかのように、見物人から、「わあっ。」と、いっせいに声が上がる。 「皆えらい下手じゃな。七軒の茶屋まで戻るだけなのに、腰がふらふらしておるわ。 まあ、あのこんにゃく玉のような親父ぐらいのもんだ。ふらつかないのわ。」 「そうりゃそうじゃわいな。ありゃ、馬方の元締めじゃ。」 「そうかいな。あれ、あっちゃの男をみてみなせえ。 手綱を編み物をしているように、もってじゃわいな。 ありゃ、おおかた織物屋の手伝いじゃあろぞい。 そしてあれは小坊主が、数珠をまさぐるような手つきじゃわいな。 どうやら、どこぞの寺のもんじゃろわいな。」 などなど見物人の声が聞こえる。
「俺もひとつ乗りてえもんだ。向こうに見える女に。」 と北八。 そちらを見ると人ごみの中、女づれが二、三人たっている。 北八はその女連れの後ろに回りこむと、見物している娘の尻をちょっとつねった。 「おお、痛やの。誰じゃ。これおまるさん。 おまい、こっち来てくれんかいな。」 と尻をつねられた娘が、別の女にいう。 「なんじゃいな。」 「誰じゃやら、わしがお尻をつねったわいな。」 と別の年増の女が答える。 「そりゃ、女のない国で生れた人さんじゃあろぞいな。 かまわんすな。ほっておかんせ。」
弥次郎兵衛は北八を追いかけるように来たが、その様子に、 「ええ、北八。お前は、悪い洒落をするな。」 「なに、俺は、しらねえ。」 と北八は知らん振りである。 北八はさっきの女の言い方が気に入らないので、その女の尻をつねってやろうと人を掻き分け側によると、憎らしい年増の女のお尻と思える尻をおもいっきりつねった。 それは年増の女が背負っていた子どもの女のお尻をだった。 すると、 「ああ、痛い、痛い。」 とわっと泣き出した。 年増の女が、 「誰じゃいな。悪いことさんすわいな。」 「あの、おじさんがつねったわいのう。」 とおぶさっている女の子は、北八と弥次郎兵衛の方を指差している。 「ええ、すかん人さんじゃわいな。」 「堪忍して下せえ。それにしても、恥ずかしいことをする男だ。」 と弥次郎兵衛は驚いてポカンとしてる北八に代わって、謝ると早々にそこを立ち去った。
さて二人はそこを離れると、南の御門より入って天満宮の本社に参ることにした。
お守りを 首にかけてつつ 尊まん 宰府(さいふ)のみやを うつす神垣
この北野天満宮は昔、近江国、比良社の神主、良種の神勅をこうむり、朝日寺の僧、最珍右京の文子等と力を合わせて霊詞をつくり、天徳三年、右大臣、絢爛たる大きな建物を建てて、営んだそうだ。 今の北野宮は、こうして出来たそうである。 社頭の渡辺の網が収めたいう石灯籠が、苔むしている。
網の名は いまだに朽ちぬ 石灯籠 むかしを今に 三つぼしの紋
それから東向観音は梅桜の二本の木で、管神の御手みずから給う所なりということだ。
御利益は 四方にかおれる 観世音 梅さくらにて つくりたまえば
それより社内をぬけて、平野の社に着いた。 この御神は四座あり、今木神、久度神、古開神、比羊神である。
こころよく 飯くうために 本膳の 平野の神を 祈りこそせめ
二人は参詣をすますと紙屋川のほとりにある、二軒茶屋で休憩をとることにした。 女中が出てきて、 「よう、お出たわいな。ついっと奥へ入りなされ。」 「なんか、ウマいもんはあるかね。飯も食いたいし、酒も飲みたい。 まあ、ちょびっとしたもので、一杯早く頼みやすぞ。」 と弥次郎兵衛が奥のえんさきに腰掛けると、女中は銚子を持ってきた。 肴に干し鮎の煮びたしを添えている。 「いやあこれは、ありがたい。女中、ひとつ注いでくれ。おっとと。」 と弥次郎兵衛は、女中にしゃくをしてもらいながら、 「お肴、あぎよわいな。 こりゃ、私が心に思う分量じゃろぞえ。」 と女中が言うので、 「はあ、この鮎がお前の心いきとはどういうことだ。」 と弥次郎兵衛が聞くと、 「私はなお前さんが、川鮎(かわいい)というこっちゃわいな。」 と答える。 「こりゃありがてえ。そんならお前にも、あげましょう。 どれ俺も、心いきの肴をあげましょう。」 と弥次郎兵衛も言い出した。 「おほほほ、この生姜がどうして、お前さんの心じゃえ。」 「わしゃ、はじかみい(生姜の別名)。」 「ははは、こじつけるもんだ。」 と北八。
「ところで、女中。田楽飯を早くくんなせえ。」 「はいはい、只今。」 と女中は一旦奥に引っ込むと、田楽と飯を持って来た。 二人は食事をしながら見れば、座敷を仕切るように置かれているついたての先からむさくるしい出家が、二人みえる。
汚れた麻の衣を着てこれも田楽で飯を食いながら、一人の僧の言っていることを聞けば、 「なんと、役戎坊。きさま、髪はどこでゆうぞいの。」 役戎(やっかい)と呼ばれた男は、 「おお、持戒(もっかい)坊。おぬしもわしがゆう所でゆわんせ。 あこは、べらぼうに巧くゆうわいの。 わしゃずっと、のんびんにゆうていたが流行おくれじゃさかい、雷子にゆうて貰うたんじゃが、これが、えろう気持ちがようて、たまらんわいな。」 といいながら麻木の頭巾をとると、芝居で主役を演じるかのと言うほどの綺麗な髪形をしている。 弥次郎兵衛と北八はこれを見てびっくりすると、おかしさ半分で不思議そうに伺い見ていた。
「ははあ、なるほど、ようゆいくさった。 わしゃ又、自分の弟子坊にゆわせておるが、もうもう月代がさみしくなったさかい見て下さんせ。」 とこれも頭巾をとると、まげは頭の後ろのほうにある。 弥次郎兵衛は、なんとなくきになって、 「もし、お隣のお客さま。俺たちは遠国のものでございますが、所々歩いているうち色々さまざまな珍しいことも見聞きしましたけれど、出家されている人の髪がゆわれているのを見るは、今が初めてでございます。 どうも、納得がいきません。 はばかりながら、お前様方は、どこのお方でございやすね。」 と聞かれて、役戎が答える。 「ははあ、この頭にを不思議に思うてかな。 私たちは、空也堂の僧じゃわいな。」 「なるほど、話に聞いていたことがございます。 茶筅(ちゃせん)を売っているお方だな。」 と弥次郎兵衛が、うなずくと、 「さよじゃわいな。私どもの宗派は昔から由緒があって、墨染めの衣を着ておおかた大俗凡夫じゃわいな。」 「なるほどそれで、わかりましたがなぜ、お前様がたのいるところを、空也堂というんです。」 と尋ねてみた。
ちょっと間をおいて、役戎が答える。 「それは、こういこっちゃ。 代々、みんな大食いで、飯じゃあろがなんじゃあろがなんぼでもよう食うさかい、催事によばれていても無理に勧められてもっと食うや、どないじゃと、人が言うので空也堂と言うわいな。」 「そじゃさかい、これ、見やんせ。ちょとここへきても二人でお鉢に三杯食うたわいな。」 と持戎。 弥次郎兵衛は、驚いて、 「そりゃ、とんでもない大食漢だ。 もっとも俺たちも、食ったものさ。 ちょっと前にも信濃へ行ったときに、さすが、飯どころのことはある。 朝起きると茶請けにと、座頭の頭程あるにぎりめしを出してきたんだが、それをそのあたりの子どもでも、十四、五ほども食ってしまいまして、たまたま俺は、気分が悪くてろくに食えなかったんだが、それでも、十七、八ばかりも食いました。」 「・・・」 「そしたら飯が出来たといって、そこの亭主がやってきました。 その亭主が言うには江戸のお客さんは、気分が悪いということだから、今朝は麦飯を焚きましたとって、なんととろろ汁をすり鉢に二十ばかりもすってきて、そこに並べてあると思いなせえ。」 「・・・」 「そうすると椀へ盛るのが面倒だと、家内のやつらは皆そのすり鉢に麦めしを入れて、山のように盛って食いだした。 さすがに呆れてみていましたが麦は大好物で、堪えられなくなってきましてせめてすり鉢ひとつでも食ってみようかと食べ出すと、口当たりがいいからずるずると、なんのことはなしにすべりこんで、とうとうすり鉢に五、六杯も食いましたが、今ではもう、そんなには、食べられません。」 と口から出任せを言い出した。 それを役戎らは、感心したように聞いている。
つづく。
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十一面観音堂 Kannon-do Temple
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京都市東山区にある六波羅蜜寺は、平安時代の僧侶、空也上人ゆかりの寺で、本尊の秘仏で、国宝にも指定されている「十一面観世音菩薩立像」は12年に1度、御開帳されます。
初日の3日は、本堂の中央でふだんは閉じられている「ずし」の扉が開けられ、多くの参拝者が訪れて手を合わせていました。
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大学一年生の頃のわたしが居住していたのは一の矢の中でも最も北に位置する学生宿舎で、そもそも一の矢自体が大学の敷地の中でも最も北に位置する区域なのだから、つまりその頃のわたしは大学の最北端で寝起きしていたことになるわけで、主に理工学群の講義を行っている第三エリアにたどり着くためには一苦労しなくてはならなくて、宿舎を出て玄関のすぐそばにある駐輪場で自転車に乗り、春になるたび白地に桃いろ暈しの大きなやわらかい花を咲かせ一の矢を彩るハナミズキの並木道(正確に言えば一般にハナミズキの花とされている箇所は「総苞片(そうほうへん)」と言って花のつけ根の葉が変形したものなので、ほんとうの花はその総苞片の中心にある小さな丸っこい薄緑いろの突起のほうなんだよ、とわたしに教えてくれたのは高校の生物教師だったが、わたしはこの人から木や草や花や鳥や魚や獣を観察し描写し言語化することの――つまり博物学の――淫靡な快楽を教わった)を抜けて、コンビニと銭湯と食堂と理髪店と電器店と事務室とがある共用棟(正面エントランスは二階まで続く大きな窓硝子になっていてそのおかげで太陽の光がよく差し込むし風通しもいいし、一階の吹き抜けの下にはソファとテーブルが置いてあってだれでもくつろげるようになっているから、わたしはよくそこで本を読んだりコーヒーを飲んだり寝転がったり友達と駄弁ったりしたものだった)の前を通り、ゆるやかに湾曲しながら次第に雑木林の中に入っていくペデ(わたしの大学では教授も学生も単にペデと呼んでいて、だれもペデストリアンデッキなんて長ったらしい呼び名を使ったりはしていなかった)を進んで、上空から見ると巨大なL字型をしていてその一辺が二、三百メートルはあるだろう兵太郎池(陰気な粘っこい鳴き声をたえまなく響かせている牛蛙の群れを狩るためにねこやからすが集う薄汚く澱んだ池というよりは沼といったほうがいいだろう水面の、そのむこうから月がシューシューと音を立てて空高く昇り、幾重にも重なりあって水滴を球形に弾いてはきらきらとふりこぼす黄緑いろの蓮の葉や、濃い灰いろの粘土質の泥がたえず対流しているせいでひどく濁っている水の中で尾をひるがえし悠然と泳いでいく黒に近い灰いろをした鯉の群れをあざやかに照らし出し、と同時に風が吹き抜けて兵太郎池のほとりの無数の窓辺のカーテンを一斉にゆらしたその瞬間、わたしはその風景を――一度も見たことがないはずなのに――いつかどこかで見たことがあるという既視感に襲われて、思考と知覚の境界が破線と化してかすれ薄まり消えていく感覚のあまりの甘美さに内臓的な嫌悪感をおぼえる)をぐるりと回り込んで、次第に傾斜を増していって最後はいつも立ち漕ぎをせざるをえなくなる鉄筋コンクリート造の陸橋を越えて虹の丘という芝生やクローバーが一面に敷きつめてある柔らかな丸みを帯びた小さな丘が三つか四つ連なった地帯を過ぎ、灰いろがかった薄茶いろのなめらかな樹皮をした欅が空にむけて真っ直ぐに枝を伸ばし淡い緑いろの木洩れ日を濃い灰いろの路面の上に落としている道を横断し、毎年春の終わりになるとあざやかな濃い桃いろの花びらを十重二十重にも折り重ねた濃い桃いろの豪奢な花を一斉に咲かせ、まるでひと塊りの濃い桃いろの雲のようになる八重桜の下を通り抜けると、その先が主に理工学群の講義を行っている第三エリアで、わたしは毎日その第三エリアに通っていたのだが、体育芸術エリア(略称体芸エリア)は第三エリアよりもさらに一キロ以上南にあって、そのあまりの遠さにわたしは何度でもくり返し辟易せざるをえない。
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【群馬】伊香保町「水澤観世音」
【帰れマンデー】ゴールに待つ山奥に行列ができる謎の動く開運地蔵『水澤観世音』#鏡優翔 伊香保で絶景&美食旅SP 2024/9/9放送 〒377-0103 群馬県渋川市伊香保町水沢214 #帰れマンデー #タカアンドトシ #せいや 詳しく見る↓
五徳山 水澤寺(水澤観世音) 1300年以上の歴史を持つ天台宗の寺院 坂東三十三観音の第16番札所として知られ、古くから人々の信仰を集めてきた。 その魅力は、荘厳な本堂や六角二重塔をはじめとする建築物、そして深い歴史と神秘的な雰囲気にある。 本尊は、十一面千手観世音菩薩。 古くから「融通観音」として信仰を集め、人々の願いを叶える力があるとされている。 本堂は、元禄時代に建立されたとされ、彫刻が美しい荘厳な建物 境内に佇む六角二重塔は、元禄時代に建立された重要文化財 六地蔵尊を安置しており、その美しい姿は訪れる人を魅了すり。 住所 〒377-0103 群馬県渋川市伊香保町水沢214 TEL 0279-72-3619 ホームページ 五徳山 水澤観世音(水澤寺)五徳山 水澤観世音 | 千三百年の歴史 由緒ある名刹 四季折々の見事な景色 … ホームページをcheck!
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