#北欧の古い布展
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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2024年の文化活動(一覧)
全部で130件。2024年も美術館を中心に巡��たのだがその中でも、金にものを言わせて地���の県立・市立美術も範疇としたのが大きな変化だった。取っ掛かりは宇都宮美術館。酷暑の真っただ中に行ったカスヤの森現代美術館、佐倉市美術館。念願だった茨城県近代美術館、ひらめきで思い立った郡山市立美術館。母親と行った東京国立博物館、意外に良かった国際こども図書館なども印象深かった。 一方、美術館巡りのサイクルは飽和状態なので新機軸を作りたいところでもある。その一つはクラシック・コンサートか。少しずつ楽しめる場所を増やしていきたい。
私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために@森美術館
即興 ホンマタカシ@東京都写真美術館
見るまえに跳べ 日本の新進作家 vol.20@東京都写真美術館
プリピクテ Human/人間@東京都写真美術館
テオ・ヤンセン展@千葉県立美術館
千葉ポートタワー
坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
ICC アニュアル 2023 ものごとのかたち@NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]
第21回東京音楽コンクール 優勝者コンサート@東京文化会館
キュビズム展 美の革命@国立西洋美術館
もうひとつの19世紀 ―ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち@国立西洋美術館
マリー・ローランサン ― 時代をうつす眼@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション展@アーティゾン美術館
恵比寿映像祭 2024@東京都写真美術館
中平卓馬 火―氾濫@国立近代美術館
古代エジプト美術館
星野概念氏&いとうせいこう「心のことを話してみる場所」
消防博物館
FACE展2024@SOMPO美術館
広がるコラージュ@目黒区美術館
IIDA 101 飯田善國@目黒区美術館
VOCA展2024@上野の森美術館
ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家@東京オペラシティアートギャラリー
『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本@板橋区立美術館
印象派 モネからアメリカへ@東京都美術館
オラファー・エリアソン展:���互に繋がりあう瞬間が協和する周期@麻布台ヒルズギャラリー
イヴ・ネッツハマー ささめく葉は空気の言問い@宇都宮美術館
マティス 自由なフォルム@国立新美術館
早稲田大学演劇博物館
没後50年 木村伊兵衛 写真に生きる@東京都写真美術館
TOPコレクション 時間旅行@東京都写真美術館
記憶:リメンブランス―現代写真・映像の表現から@東京都写真美術館
ヒロ杉山 個展「Sculpture」@Lurf MUSEUM
ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ@国立西洋美術館
真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面@国立西洋美術館
ブランクーシ 本質を象(かたど)る@アーティゾン美術館
石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 清水多嘉示@アーティゾン美術館
第8回 横浜トリエンナーレ@横浜美術館
パーフェ���ト・カモフラージュ展@ワタリウム美術館
マイケル・ケンナ写真展@代官山ヒルサイドフォーラム
Playground Becomes Dark Slowly@日比谷公園
昭和を駆け抜けた超特急 ~燕、そして新幹線へ~@昭和館
北欧の神秘―ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画@SOMPO美術館
マイ祭2024@自由学園明日館
第75回 東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
デザインフェスタvol.59@東京国際展示場
LOVE LIGHTPIA@お台場シンボルプロムナード公園
SusHi Tech TOKYO 2024@シンボルプロムナード公園
海王祭@東京海洋大学
池口史子展@美術愛住館
特別展「法然と極楽浄土」@東京国立博物館
デ・キリコ展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2024@東京都美術館
上野動物園
三島喜美代―未来への記憶@練馬区立美術館
ホー・ツーニェン エージェントのA@東京都美術館
翻訳できない わたしの言葉@東京都美術館
サエボーグ「I WAS MADE FOR LOVING YOU」/津田道子「Life is Delaying 人生はちょっと遅れてくる」@東京都美術館
MOTコレクション@東京都美術館
日本映画と音楽 1950年代から1960年代の作曲家たち@国立映画アーカイブ
谷川町子のデザイン@長谷川町子記念館
TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション@国立近代美術館
日本のグラフィックデザイン2024@東京ミッドタウン デザインハブ
徳川美術館展 尾張徳川家の至宝@サントリー美術館
海の日プロジェクト@東京国際クルーズターミナル
ヨーゼフ・ボイス ダイアローグ展@GYRE GALLERY
若江漢字《地中海 ― I・始まり》@カスヤの森現代美術館
三笠公園
2024イタリア・ボローニャ国際絵本原画展@板橋区立美術館
2024 JAGDA 亀倉雄策賞・新人賞展@ギンザグラフィックギャラリー
絵本で知る世界の国々―IFLAからのおくりもの@国際こども図書館
シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝@森美術館
フィロス・コレクション ロートレック展 時をつかむ線@SOMPO美術館
111年目の中原淳一@松濤美術館
台湾好包フェス2024@HANEDA INNOVATION CITY
開館30周年記念 生誕100年記念 深沢幸雄展@佐倉市美術館
空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン@東京ステーションギャラリー
ポール・マッカートニー写真展 Paul McCartney Photographs 1963–64 Eyes of the Storm@東京シティビュー
東京おもちゃショー2024@東京ビッグサイト
作品と空間@アーティゾン美術館
高田賢三 夢をかける@東京オペラシティアートギャラリー
となりの不可思議 収蔵品展080 寺田コレクションより@東京オペラシティアートギャラリー
平田晃久―人間の波打ちぎわ@練馬区美術館
サラダ音楽祭 メインコンサート@東京芸術劇場
TOPコレクション 見ることの重奏@東京都写真美術館
今森光彦 にっぽんの里山@東京都写真美術館
いわいとしお×東京都写真美術館 光と動きの100かいだてのいえ@東京都写真美術館
マインドフルネス(基礎編)
田中一村展 奄美の光 魂の絵画@東京都美術館
大地に耳をすます 気配と手ざわり@東京都美術館
Maker Faire Tokyo@東京ビッグサイト
物、ものを呼ぶ─伴大納言絵巻から若冲へ@出光美術館
日本現代美術私観:高橋龍太郎コレクション@東京都現代美術館
開発好明 ART IS LIVE ―ひとり民主主義へようこそ@東京都現代美術館
MOTコレクション 竹林之七妍 特集展示 野村和弘 Eye to Eye—見ること
ツーリズムEXPO JAPAN@東京ビッグサイ
東京都交響楽団 第1009回定期演奏会Aシリーズ@東京文化会館
レガシー ―美を受け継ぐ モディリアーニ、シャガール、ピカソ、フジタ@松岡美術館
田名網敬一 RETROSPECTIVE@国立新美術館
第70回記念 一陽展@国立新美術館
2024 国際航空宇宙展@東京ビッグサイト
ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ@NTTインターコミュニケーション・センター
サイエンスアゴラ2024@テレコムセンタービル
産総研一般公開2024@産総研 臨海副都心センター
国際交流フェスティバル2024@東京国際交流館
「みんなの選んだグッドデザイン」プレゼン大会@東京ミッドタウン デザインハブ
東京都交響楽団 プロムナードコンサート@サントリーホール
コレクション・ストーリー ー諸橋近代美術館のあゆみー@諸橋近代美術館
ART WEEK TOKYOその1:渡辺志桜里 宿/Syuku@資生堂ギャラリー
ART WEEK TOKYOその2:束芋「そのあと」@ギャラリー小柳
ART WEEK TOKYOその3:青山悟展「永遠なんてあるのでしょうか」@ミヅマアートギャラリー
ART WEEK TOKYOその4:オノデラユキ@ウェイティングルーム
ART WEEK TOKYOその5:ヴァジコ・チャッキアーニ@スカイザバスハウス
オルガンコンサート@東京オペラシティ
松谷武判 Takesada Matsutani@東京オペラシティアートギャラリー
北川民次展―メキシコから日本へ@世田谷美術館
ミュージアム コレクションⅡ かわりゆくもの、かわらないもの―TRANSITION@世田谷美術館
デザインフェスタvol.60@東京ビッグサイト
レオ・レオーニと仲間たち@板橋区立美術館
Vintage Market@東京ビッグサイト
没後100年 中村 彝 展―アトリエから世界へ@茨城県近代美術館
SIDE CORE 展|コンクリート・プラネット@ワタリウム美術館
奇想の版画 1500ー1650 帝都プラハを交差するヨーロッパ版画@郡山市立美術館
中村彝アトリエ記念館
佐伯祐三アトリエ記念館
ベル・エポック―美しき時代 パリに集った芸術家たち ワイズマン&マイケル コレクションを中心に@パナソニック汐留美術館
オープニング展@URSHIMA MUSEUM
松本かづち展@江東区森下文化センター
再開館記念「不在」 ―トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル@三菱一号館美術館
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TEDにて
ジャック・チョイ:バーチャルな解剖台で手術が可能になる!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
TED2012のステージで、ジャック・チョイが医学生のための強力なツールのデモンストレーションを披露します。
現実にある解剖台とまったく同じ大きさ、同じスケールの画面にマルチタッチスクリーンによって映される人体と寸分たがわぬ検体を、まるで、オーケストラの指揮をするように開腹し
内部に進行して各臓器に進みバーチャルに解剖していくことで、本物の人体の各部分と仕組みを理解することができるのです。
実際の手術とは異なる断面でスライスする様子は、3D映画のような視覚効果を体験しているようです。
解剖学の歴史は、紀元前3500年頃に古代エジプトでパピルスに書かれています。戦争が当然のごとく行われていた当時としては、人体の弱点を知らないと対戦相手に勝利できないために自然と関心が向けられるのも合点がいきます。
現代では、人体解剖はできません。医師免許。他の倫理的な教養が必要です。そして、アレキサンドリアで人体解剖は禁止され、ルネサンス期である。1500年代に入るまで発展していませんでした。
日本では、明和8年(1771年)に前野良沢、杉田玄白などが解剖を行う。その後、「解体新書」を完成させています。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの���
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
(個人的なアイデア)
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法��上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書��てない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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小野 正裕|新しい経済秩序
世界の経済成長は低迷していますが、グローバル化について私たちは間違った認識をしているのでしょうか?
2018年、世界のビジネスと政治のリーダーが年次経済フォーラムのためにダボスに集まったとき、雰囲気は歓喜に満ちていました。 すべての主要国で経済成長が高まっています。 当時国際通貨基金の専務理事だったクリスティーヌ・ラガルド氏は、世界経済は「素晴らしい状態にある」と宣言した。 しかし、5 年後、見通しは明らかに悪化しました。 世界銀行は、最近の分析で、「過去30年間に進歩と繁栄を推進した経済力のほぼすべてが後退している」と警告し、「その結果は、一部の国だけでなく、『失われた10年』となる可能性がある」としている。過去には成行が有ったが現在は、世界中が巻き込まれている。」 当時から現在までの間に、世界的なパンデミック、ヨーロッパでの戦争、米国と中国の間の緊張の高まりなど、多くのことが起こりました。 そして、レコードコレクションのように保管されていたと思われていたインフレが、復讐を遂げて戻ってきました。 しかし、事態が収束すると、突然、世界経済について私たちが知っていることはすべて間違っていたように思えてきました。 30年以上前のベルリンの壁崩壊以来、政策立案者らが頼りにしてきた経済協定、つまり開かれた市場、自由貿易、効率の最大化という時代を超越した美徳は、軌道から外れつつあるようだ。 コロナウイルスのパンデミックが続く中、世界経済の統合とコスト削減の継続的な取り組みにより、医療従事者にはマスクや医療用手袋がなくなり、自動車メーカーには半導体がなくなり、製材工場には木材がなくなり、スニーカーの購入者にはナイキがなくなった。 昨年ウクライナに侵攻したロシア軍兵士も、貿易と経済的利益の共有が軍事紛争を防ぐことができるという考えを打ち砕いた。 異常気象により農作物が壊滅し、人々が移住を余儀なくされ、発電所が停止するケースが増えており、市場の見えざる手が地球を守っていないことが示されています。 ウクライナ戦争が2年目に入った現在、各国の経済成長は低迷し、インフレが続くなど、新興国の競争分野に関わる問題がクローズアップされている。 ここ数十年、グローバリゼーションは重力のように止められない力であると見なされてきましたが、明らかに予測不可能な形で発展しています。 統合された世界経済からの脱却が加速している。 どのような対応が最善かは、白熱した議論の対象となっています。 もちろん、支配的な経済的コンセンサスに対する挑戦は長い間醸成されてきました。 オバマ政権の経済諮問委員会のメンバーであるベッツィ・スティーブンソン氏は、「パンデミックが始まる前に、最も裕福な国々が国際貿易に不満を抱いており、それが正しいか間違っているかにかかわらず、貿易が何らかの形で自国の雇用に悪影響を及ぼしていると信じていたのを我々は見ていた」と語った。2008 年の金融危機は世界の金融システムをほぼ破壊しました。 英国は2016年にEUを離脱した。 トランプ大統領は2017年に中国に関税を課し、ミニ貿易戦争を引き起こした。 しかし、コロナウイルスに始まり、一連の報復危機により、注意が必要な脆弱性が露呈しました。 コンサルティング会社アーンスト・アンド・ヤングが「Geostrategic Outlook 2023」で結論付けているように、かつて増大していたグローバリゼーションからの脱却の背後にある傾向は「新型コロナウイルス感染症のパンデミックによって加速し、その後、ウクライナ戦争によってさらに悪化した」。 これが「歴史の終わり」だ。 今日の不安は、1991 年 12 月のソ連崩壊後の頭のくらむような勝利感とはまったく対照的です。 この時期、ある理論家は、共産主義の崩壊は「歴史の終わり」を示した、つまり自由民主主義の思想は敵対者を打ち負かしただけでなく、「人類のイデオロギー進化の終わり」を表していると主張することができた。 世界的な自由市場資本主義の必然的な台頭に関する関連する経済理論は、あたかも無敵で避けられないものであるかのように、同様の輝きを帯びています。 開かれた市場、政府の介入、そして効率性の絶え間ない追求が、繁栄への最善の道を提供します。 世界中を行き来する物品、お金、情報の新しい世界は、冷戦紛争と非民主主義体制の古い秩序をほぼ一掃すると考えられていました。 楽観的な理由はあります。 1990 年代には、雇用、賃金、生産性がすべて上昇している一方で、インフレ率は低かった。 世界貿易はほぼ2倍になりました。 発展途上国への投資が急増した。 株式市場は上昇します。 世界貿易機関は、これらの規則を施行するために 1995 年に設立されました。 6 年後、中国の参入は変革的なものとみなされています。 142カ国とつながる巨大市場は、必然的にアジアを民主主義へと導くだろう。 中国は韓国やマレーシアなどの国に加わり、苦境に立たされている農民を生産性の高��都市部の工場労働者に変えている。 同社が世界中で販売する家具、おもちゃ、電子機器は驚異的な成長を遂げています。 この愛されている経済ロードマップは、驚異的な富みを生み出し、何億人もの人々を貧困から救い出し、驚くべきテクノロジーの進歩を促進してきました。 しかし、衝撃的な失敗もありました。 グローバリゼーションは気候変動を加速させ不平等を深めています。 米国や他の先進国では、多くの工業雇用が賃金の低い国に輸出され、人々は中流階級への踏み台を失っている。 政策立案者は常に勝者と敗者が存在することを知っています。 それでも彼らは、労働力、技術、資本の配分方法を市場に任せ、効率性と成長は自動的についてくると信じており、そのとき初めて政治家が介入して利益を再分配したり、職を失った人々や希望に満ちた人々を助けたりすべきだと主張している。 企業は、労働者の保護、環境への影響、民主的権利を無視して、世界中で低賃金労働者を探し始めました。 彼らは、メキシコ、ベトナム、中国などの場所で多くを発見しました。 テレビ、T シャツ、タコスはかつてないほど安くなりましたが、医療、住宅、高等教育などの多くの必需品にはますます手が届かなくなりつつあります。 雇用流出は国内賃金を低下させ、労働者の交渉力を弱め、反移民感情を煽り、米国のドナルド・トランプ氏、ハンガリーのビクトール・オルバン氏、フランス指導部のマリーヌ・ルペン氏などの極右ポピュリズムを強化しました。 米国、英国、いくつかの欧州諸国などの先進工業国では、政治指導者が報酬と負担をより広範に再配分できないか、あるいは再配分する気がなのか。 また、環境への悪影響を防ぐ能力もありません。 世界中で物品を輸送すると、温室効果ガスの排出量が増加します。 世界中の消費者向けに生産することで天然資源に負担がかかり、東南アジアでの乱獲やブラジルでの不法森林伐採が加速しています。 安価な生産施設は適切な環境基準のない国を汚染します。 市場それ自体では、利益を自動的に公平に分配することも、開発を刺激したり、発展途上国の民主的制度を確立したりすることもできないことが証明されています。 国家安全保障担当補佐官ジェイク・サリバン氏は最近の講演で、米国の経済政策の核心的な誤謬は「競合他社が何をしようと、我々が共有する課題の大きさに関係なく、どれだけガードレールを取り壊したとしても、我々は安全保障を守ることができる」という思い込みであると述べました。市場はいつでも資本を効率的に割り当てることができます。」 国家間の経済交流の急増も、約束された民主主義の復活をもたらすことはできなかった。 共産党指導下の中国が世界経済システムの最大の受益者であり、おそらくこのシステムの達人でもあることが判明したが、中国は民主主義的価値観を受け入れていない。 「資本主義の道具は社会主義者の手にある」と中国の指導者鄧小平は1992年に述べました。 当時、中国は世界の工場として発展しつつありました。 中国の驚異的な成長により、中国は世界第 2 位の経済大国となり、世界成長の主要な原動力となっています。 しかし、北京は常に、原材料、土地、資本、エネルギー、信用、労働、そして国民の行動や言論に対して厳しい管理を維持してきた。
グローバリゼーションは、ブラジルのアマゾン州ロライマ州での森林破壊を含め、環境に大きな影響を与えています。 VICTOR MORIYAMA FOR THE NEW YORK TIMES
パンデミックにより援助ニーズが大幅に増加した2020年、ヨハネスブルグで食料を配布。 JOAO SILVA/THE NEW YORK TIMES お金がやって来て、貧しい国がその代償を払うのです。 発展途上国では悲惨な結果になる可能性があります。 パンデミックによる経済の壊滅は、ウクライナ戦争による食料や燃料価格の高騰と相まって、一連の債務危機を引き起こした。 金利の上昇はこれらの危機をさらに悪化させます。 エネルギーや食品と同様、債務は通常、世界市場ではドル建てで取引されるため、米国の金利が上昇すると債務返済のコストが上昇します。 しかし、融資と救済のサイクルにはより深い根がある。 貧しい国々は資本の出入りに対する制限を完全に解除することを余儀なくされた。 その理論的根拠は、お金は商品と同様に国家間で自由に流通すべきであるということです。 政府、企業、個人が外国の金融業者から借りられるようにすることで、産業発展や重要なインフラに資金を提供することになる。 マサチューセッツ大学アマースト校の経済学者ジャヤティ・ゴーシュ氏は、「金融のグローバル化は発展途上国を力強い成長と財政の安定の時代に導くはずだった」と述べた。 しかし「結果は全く逆だった」。 一部の融資は、民間金融機関からのものであれ、世界銀行などの機関からのものであれ、債務を返済するのに十分な収益を生み出せません。 投機的なプロジェクト、中途半端な提案、表面的なプロジェクト、あるいは汚職官僚の銀行口座に流されたものもあった。 債務国は依然として金利によって動かされており、金利の上昇により借金の返済額が即座に増加する可能性があります。 長年にわたる無謀な融資、資産バブル、為替変動、当局の失政により、アジア、ロシア、ラテンアメリカなどで好不況のサイクルが引き起こされてきた。 スリランカでは、港からクリケット競技場まで政府が打ち出した贅沢なプロジェクトにより昨年国が破産に陥り、国民は食料を争う一方、中央銀行はイラン産石油の代金としてお茶を物々交換した。 それは「ねずみ講」だったとゴーシュ氏は語った。 債務国が返済できなくなることを懸念した民間金融業者は突然資金の流れを遮断し、債務国を窮地に陥れた。 国際通貨基金(IMF)による救済には強制的な緊縮政策が伴い、過度に財政拡大した政府はしばしば公的扶助、年金、教育、医療の削減を通じて歳出削減を余儀なくされ、多くの人々が苦しむことになった。 IMFのエコノミストですら2016年、こうした政策は成長をもたらすどころか「不平等を悪化させ、それによって持続的な発展を危険にさらしている」と認めた。 西側の融資手法に対する不満から、中国はアルゼンチン、モンゴル、エジプト、スリナムなどの国に多額の融資を行う機会が与えられた。
ブエノスアイレスの市場。 中国はアルゼンチンなどの国に積極的に融資を行っている。SARAH PABST FOR THE NEW YORK TIMES 自給自足が安価な輸入品に取って代わる。 ソ連の崩壊は正統な自由市場主導の経済への道を切り開いたが、ロシア連邦のウクライナ侵略は今やこの道を決定的に開始した。 ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題大学院のヘンリー・ファレル教授は、今日の国際経済は「地政学がどのようにハイパーグローバル化を飲み込んだか」に要約できると述べた。 旧世界型の大国の政治は、世界の経済秩序についての思い込みをひっくり返しますが、壊滅的な気候変動、暴力的な社会不安、不平等の拡大によってもたらされる脅威はそれを実現できませんでした。 欧州連合(EU)のジョゼップ・ボレル外交安全保障政策責任者は、ウクライナ侵攻から10カ月後の演説で、「われわれは繁栄の源泉と安全保障の源泉を切り離した」と率直に述べ、欧州はロシアから安価なエネルギーを入手し、中国からは安価な工業製品を入手していると語った。 。 「あの世界はもう存在しない」と彼は言った。 パンデミックとその後の回復によって引き起こされたサプライチェーンのボトルネックは、世界の調達経済の脆弱性を浮き彫りにしました。 戦争によって引き起こされた政治的緊張が高まるにつれ、政策立案者は急速に成長と効率の目標に自給自足と強さを加えました。 ジャネット・L・イエレン財務長官は昨春、「我が国のサプライチェーンは安全でも回復力でもない」と述べた。 同氏は、たとえそれが「コスト水準が若干高く、システムの効率が若干劣る」ことを意味するとしても、貿易関係は「信頼できるパートナー」を中心に構築されるべきだと述べた。 「市場は権力ではなく効率がすべてだと考えるのは世間知らずだ」と、ファレル氏と共著で『地下帝国:アメリカは世界経済をいかに武器化したか』経済学の本を執筆したエイブラハム・ニューマン氏は言う。 各国は異なる能力、資源、脆弱性を持っているため、経済ネットワークの性質により力の不均衡や圧力が生じます。 EUの天然ガスの40%を供給するロシアは、EUへの依存を利用してウクライナへの支援を撤回するよう圧力をかけようとしている。 米国とその同盟国は世界金融システムの支配力を利用して、ロシアの大手銀行を国際決済システムから排除した。
昨年のオデッサ近くのチョノノモルスク港。 2021年、ウクライナは世界最大の小麦輸出国となった。LAETITIA VANCON FOR THE NEW YORK TIMES
ブドウは南オーストラリア州のブドウ園で収穫されます。 中国は台湾への支持を表明したことを受け、オーストラリアからのワインなどの輸入禁止令を出した。ADAM FERGUSON FOR THE NEW YORK TIMES 中国は貿易相手国の巨大市場へのアクセスを制限することで報復した。 主要なサプライヤーと情報技術ネットワークが極度に集中しているため、さらなるボトルネックが生じています。 中国は世界の太陽��パネルの80%を製造している。 台湾は超小型先端半導体の 92% を生産しています。 世界の貿易と取引のほとんどは米ドルで行われます。 新たな現実は米国の政策に反映されている。 自由化された経済秩序と世界貿易機関の主な構築者である米国は、より包括的な自由貿易協定に背を向け、WTOの決定に従うことを繰り返し拒否してきた。 安全保障上の懸念から、バイデン政権は中国による米国企業への投資を阻止し、米国民の個人データや新技術への中国のアクセスを制限している。 また、サプライチェーンを確保し、再生可能エネルギーへの移行を加速するために、電気自動車、電池、風力発電所、太陽光発電所などに巨額の補助金を提供するなど、中国流の産業政策も採用している。 サリバン大統領補佐官(国家安全保障担当)は、「数十年にわたる自由化によって構築された経済的依存を無視することは非常に危険になっている」と述べた。 同氏はまた、「過度に単純化された市場の効率性」を主張することが誤りであることが証明されたとも述べた。 以前の経済的正統性は部分的に放棄されましたが、それに代わるものは不明です。 今日の一般的なアプローチは即興演奏です。 おそらく現時点で唯一安全な想定は、繁栄への道筋と政策のトレードオフがますます明確ではなくなるということだろう。
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「天界と地獄」読了
2023/05/10
イマヌエル・スエデンボルグ「天界と地獄(天界とその驚異及び地獄)」静思社
去年の秋、古本市で買ったうちの1冊。
なかなか面白かった。今まで全く聞いたこともなければ考えたこともないことがたくさん書かれていた。500ページ近くあり、読むのに半年以上かかった(他にも同時に読むからね)。なんせ読み始めたのが去年の11月である。最初の方ど��な内容だったっけ?て感じだが、例によってマーカーで印を付けてあるのでページをたぐってマーカー部分を読み返せば楽勝である。ただ、あれこれなんでマークしてあるんだっけ?と思う箇所がないでもない。
知らなかったこと
p.44 天界は一つの全体として一人の人間を表象(レプリゼント)している
天界は人間の形をしているというのである。びっくりだよ。表現を変えて同じ趣旨の文章が繰り返される。
p.46 天界が全体として人間の形をとっている
p.50 一つの天使社会の全体は、主が御自身を明らかにされて顕在されるときは、人間の形をもった一つの身体として現れる
たとえば人間界に神様的なものが具体的に現れたとして、それを目にしたひとはひとりの人間の形としてみるだろうが、実はひとりの人間ではなくて頭は主、胸の辺りは天使界、腰の辺りは霊界、足は地獄界という天界全体が人間の形をしているってこと。ああ、表現難しい。そしてその説明をマークしてない(T ^ T)
西欧的優生思想が元になっていると感じたところ
p.79 温和で、有益な動物は善い情愛に、猛くて、無益な動物は悪い情愛に相応している。(中略)もし優しいならば、羊または小羊と呼ばれ、猛々しいならば、熊、または狼と呼ばれ、狡猾であるなら、狐、または蛇というふうに呼ばれている。
p.80 穀粒からできたパンは、全般的に、凡ゆる善に対する情愛に相応しているが、それはそのパンは他の凡ゆるものにまさって生命を維持するからである。また凡ゆる食物を代表するからである。
スエデンボルグは、ぼくはこの文章を読むまでは霊界を見てきた人という知識だったが、この文章を読んでからは「あれ?」と思うようになった。霊界に行って天使と話してきた割に言っていることが西洋文明の範疇な気がする。
言霊の概念がない文化の論理と思った箇所
p.100 考え、または言葉の中には、それを他の者が服従から行わないかぎり、それ自身では何の力もないのである。
まさか自分の死後250年も経って言霊の国で自分の著書が翻訳されるとは思いもしなかっただろう。
世俗的理解と感じたところ
p.102 先づ、世では太陽が地球から最大の高さに在るところが南と呼ばれ、太陽が地球の下のその反対の位置に在る所が北と呼ばれ、太陽が分点(イークイノックス)から昇る所が東と呼ばれ、次にその沈む所が西と呼ばれている。
天界にも東西南北があるそうな。なのに、天界の天使たちは常に東を向いているそうだ。複数の天使たちがてんでばらばらに立っていても、常に東に目を向けている。つまり、世俗的に東が固定されているのではなく、天使が向い��方向が東というところ。東は固定されていない。ここはよくわからない。
新しい理解が得られた所
p.166 天使たちは人間の言葉を一語も発することはできず
p.167 人間と話す天使または霊の言葉は人間と話す人間の言葉のように明瞭に聞こえるが、しかしそれはその人間の近くにいる者たちに聞こえるのではなく、ただその人間自身にのみ聞こえるので在る。その理由は、天使または霊の言葉は先づ人間の思考の中に流れ入り、内なる道からその聴覚器官へ流れ入り、かくてそれに内部から働きかける
ファティマで出現した聖母の言葉が、子供たちの耳にだけ聞こえ、その場にいたという2万人の群衆には聞こえなかったという理由がここにあるような気がする。ファティマに現れたのが天界の何かと仮定して、だが。
現代の問題にも通じる何かを感じた所
p.168 狂信的な霊は、自分自身を聖霊で在ると信じ、自分の言うことは神のお告げであると信じていると言うことにより他の霊から区別されている。
現代はそのプログラムが狂っているのではと感じたところ
p.194 人間は老令に近づくに応じて、小さな子供のようになり、かくて無垢が知恵に宿り、その状態でその人間は天界へ入って、天使になるように創造されている。
陰謀論を賑わしているあの人もあの人もぼくからみたらおじいさんだけど、死んだら天界へ入って天使になるのか?そうは見えないけどって思うんだけどな。
古代西洋の範疇から一歩も出ていないと感じたところ
p. 217 新しいエルサレムは黙示録の以下の語に記されている。「わたしは新しい天と新しい地を見た。なぜなら最初の天と最初の地は過ぎ去ったからである。そしてわたしは聖い都エルサレムが神から天界を経て降ってくるのを見た。都は正方形で、長さは幅と等しかった。天使はその都をあし(リード)で測ったところ、一万二千ファロングであった。長さ、幅、高さは等しかった。かれは、その城壁を
長い引用だが、ここで注目したいのは「城壁」というワードである。日本の縄文時代とそれ以外の古代文明の違いはなにかというと縄文時代には城壁がなかったって誰かの動画で聞いたことがある。(誰だっけな)城壁は、外敵からの侵略という概念もしくは歴史的事実がなければ生じ得ないシールドである。聖なる都に外壁があるのは聖ではない外敵があるという前提がある。天界に対する地獄と同じ構造。
(閑話休題)イザベラ・バードが江戸を巨大なる村と表現したように、ひょっとして縄文時代も巨大な村の連なりだったのではないかとぼくは思うんだな。
スエデンボルグの「視た」天界という現象は、当時西洋社会しか知らなかったひとの知識の範囲内でつくりあげた想像の世界じゃないかと思う。それにしては緻密すぎて膨大すぎるが��
布教の歴史は矛盾しているのではないかと思ったところ
p.219 聖言が存在していない教会外の者とも天界は聖言により連結しておりーなぜなら主の教会は普遍的なものであるからー
じゃあ、なぜ布教に来たんだよ?
世の教会は天界の真実を知らないから。違う知識を真実と思い込んでいるから。
p.259 心で神的なもの[神]を否定した者らは、いかほど口では神を告白しても、非常に愚劣なものとなって、社会的な真理をほとんど何一つ理解できず、まして霊的な真理は何一つ理解できなかったのである。
この記述は興味深い
p.269 彼らは世に生きている間、世を放棄して、ほとんど孤独の生活にふけったが、それは世のことに思いわずらわせられないで、敬虔な瞑想に充分にふけるためであり、そのことによって自分たちは天界の道へ入るのだと信じていたのである。しかしこうした者は他生では憂うつな性質を持っていて、自分のような者ではない者をさげすみ、自分は他の者の幸福以上の幸福に値していると信(以下p.270)じているため、その幸福を得ないと言って激しく怒り、他をかえりみず、展開と連結する手段となるに慈悲の業にも面をそむけている。彼らは他の者以上に天界にあこがれる��、天使たちの間に迎えられると、不安をもちこみ、そのため天使たちの幸福は乱される。そのため、彼らは遠ざけられる
人間に対する考察が深いね。
p.273 貧しいこともまた富と同じく人間を誘惑して、天界から引きはなすのである。(中略)彼らもまた富んだ者の善い物をねたみ、機会があると同じく彼らを欺き、また同じように汚れた快楽の中に生きている。
暗くねじ曲がったところまで考察している。
富んだものが天界に入るのが困難と信じられているのは、世の人々は「富んだもの」と聞いた時に「金銭的に恵まれているもの」と曲解して信じているから。聖言で「富んだもの」というのは、天界に対する「善と真理との知識に富んだ者(p.274)」という意味。
長くなった。ようやく半分だよ。膨大なスエデンボルグを読むくらいならぼくの感想文を読んだ方がよほど短いけどね。なのでここで一旦切ります。
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大戦がもたらしたもの 「大戦が 齎 ( もたら ) したもの」と題する講演を聞きに行った。 講演内容の要旨は、次のとおり。 1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争は、近隣諸国を巻き込んで規模を拡大していった。 イギリス・フランスがドイツに宣戦布告する一方、ソ連軍は、火事場泥棒的に、東からポーランドに攻め込んだ。 翌年、ソ連は、フィンランドを攻撃して領土の一部を奪うとともに、バルト三国を併合した。 ドイツは、デンマーク、ノルウェー、ベ��ルクス三国、フランスなどを制圧した。ドイツは、イギリスを牽制するためイタリアと、ソ連を牽制するため日本と軍事同盟を結んだ。近衛内閣は、軍事同盟に応じ、且つ、翌年、日ソ中立条約を結んで南部仏印に軍を進めたが、これらはスターリン戦略[砕氷船テーゼ]に沿うものだった。
1941年6月、独ソ激突が始まった。 半年後、日本は、アジア植民地解放戦争を開始し、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、オランダ領インドネシア、アメリカ領フィリピンを占領した。 それに触発された植民地独立宣言の動きは次の通り。
1942年2月、中国共産党の中央党学校開校式で、毛沢東が、学風(学習態度)・党風(党活動)・文風(文書類の表現)の三風を整頓し、党内の主観主義・セクト主義・空言主義を克服すべき旨、述べた。三風整頓運動が起こり、毛沢東 側近の張宗可(康生)は、関係者を拷問して自白を得たうえで、政敵を、スパイ,裏切り者,内通者等に仕立て上げた。拷問は本人だけでなく親族や縁戚にまで及び、拷問に耐えられず、身に覚えのない罪を自白する者も多かった。ソ連人脈の王明,博古,張聞���,王嘉翔,楊尚昆,陳昌浩,杜作祥,沈澤民,張秦秋,王宝礼,王盛荣,王運城,朱自舜,李元杰,汪盛荻,北海道特甫,殷剣,元嘉永,徐義新らは、失脚した。権威主義と官僚主義を率直に批判した王実味は、逮捕され処刑された。 1942年6月頃から、[砕氷船テーゼ]の予言通り、経済力と科学技術力を誇るアメリカを擁する連合国側が優勢に転じた。 1943年5月、ドイツと戦う連合国側に与する必要から、ソ連はコミンテルンを解散した。 1945年3月、日本軍がフランス軍を降してベトナムを独立させた。 1945年5月、イタリアが降伏し、ドイツも降伏した。8月には日本が降伏し、五千万(ソ連2060万,ドイツ950万,日本646万,ポーランド560万,中国318万,アメリカ113万,イギリス98万,フランス75万)人以上の犠牲者を出した第二次世界大戦は終了した。 しかし、「尊皇討奸」の志を受け継ぎ、資本家階級を倒して国家社会主義を目指す陸軍将校らは、敗戦受容れの詔を録音したレコード盤を血眼になって探し求めた。
彼らの狙いは、ソ連軍に依る日本民族解放を待つための時間稼ぎだった。 近衛文麿人脈が占める政権中枢から「ソ連仲介和平」という口実で情報を得ていたソ連軍は、日本降伏に先立って、軍を極東に集結させていた。 アメリカ軍に依る原爆投下を機に日本への攻撃を始めたソ連軍は、武器を持たない無抵抗の日本人を殺しながら、瞬く間に樺太や千島列島を占領した。
占守島 ( しゅむしゅとう ) で樋口中将が抗戦を命じなければ、北海道はソ連軍�� 蹂躙 ( じゅうりん ) されていたのだ。
ソ連軍は、朝鮮半島も占領したが、アメリカ軍が上陸してくると、米ソ協定に従い38度線以北に退いた。 ソ連軍は、東ヨーロッパの占領地域でも、社会主義人民共和国政権樹立に力を注ぐようになった。 日本の敗戦でベトナムにはフランスの植民地支配者が戻ってきていたが、1945年9月に革命が起こり、ホー・チ・ミンがベトナム社会主義共和国の建国を宣言した。しかし、フランスは、それを認めなかった。 1945年10月、国際連合(本部:ニューヨーク)が発足した。 イギリスでは、大戦終了直前の選挙で勝った労働党政権が、「ゆりかごから墓場まで」の福祉充実策を実施し、銀行,石炭,通信,航空,電気,鉄道,ガス,鉄鋼などの重要産業を国有化していった。そのため、産業は競争力を失い、[イギリス病]とよばれるほど国力は衰退した。復活には、1980年代のサッチャー登場まで待たなければならなかった。
朝鮮半島では、信託統治(国際連合の信託を受けた国による統治)が検討されたが、まとまらず、アメリカとソ連による分割占領が行われた。 1945年10月10日、中華民国と中国共産党との間で、「内戦を避け、独立・自由・富強の新中国を建設」するための協議が行われたが、双方の思惑は、相手を潰す準備を整えるための時間稼ぎだった。 1946年6月、イタリアでは王制が廃止されて共和政となった。翌年2月にパリ講和条約を結んだイタリアは、エチオピア・アルバニア・リビア・ソマリランドなど総ての海外植民地を失った。 1946年6月、ベトナム南部で、フランス領コーチシナ共和国臨時政府の樹立が宣言された。 1946年7月、中華民国と中国共産党との間で、全面的な内戦が始まった。当初はアメリカの支援を受けた国民党軍が優勢なように見えたが、次第に、ソ連に降伏した関東軍の装備等( 就中 ( なかんずく ) 精鋭将兵の軍事指導)を利用できる中国共産党に形勢が傾いていった。 1946年12月、ベトナム軍とフランス軍の戦争が始まった。フランス軍が優勢だったが、ベトナム社会主義共和国軍はゲリラ戦を展開して頑強に抵抗した。 1947年2月、建国を悲願とするユダヤ人とアラブ人の紛争が絶えなかったパレスチナを持て余したイギリスは、委任統治を放棄し、国連にゲタを預けた。11月、国連総会は、パレスチナの土地の6割弱をユダヤ国家に、4割強をアラブ国家に分割する案を、可決した。倍以上の人口を抱え、殆どの土地を所有するアラブ人側に過酷すぎる不自然な決定は、アメリカ大統領トルーマンのゴリ押しによるものと言われている。
そこから、中東戦争が始まり、長く続くこととなった。 朝鮮半島では、統一政府樹立のための総選挙がソ連の反対で実施できなかったので、1948年5月にアメリカの占領下にある南部だけで総選挙が行われ、李承晩が大統領に当選した。8月15日、大韓民国第一共和国の樹立が宣言され、アメリカ軍政が廃止された。 1948年9月9日、朝鮮半島北部を実効支配する勢力(満州派、甲山派、南労党派、中国共産党、延安派、ソ連派など)が、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。 1949年1月、中共軍が国民党軍を敗退させて、北京に入城した。10月1日、毛沢東が北京市で中華人民共和国の建国を宣言した。10月25日、中共軍八個連隊は、対岸の 厦門 ( アモイ ) からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで三方向から包囲するようにして金門島に迫った。これに対する国民党軍(三個師団と保衛一個連隊)は、旧日本陸軍中将 根本博氏の指揮を受け、一発も反撃せず、中共軍を上陸させて島内に誘い込んだ。日没後、国民党軍は、ジャンクに火を放って上陸軍への補給と退路を断ち、総反撃に出た。中共軍は、混乱し、包囲網の開いた一方向に雪崩を打つように殺到して海岸に向かったが、追いかける国民党軍と島陰で待機していた海軍の挟み撃ちに合って壊滅した。以後、中共軍は、対岸から砲撃するだけで、金門島に上陸しようとしなくなった。
1949年4月、北米と西欧の30箇国は、軍事同盟NATOを結んで共産圏の脅威に備えた。 1949年6月、ベトナム王国ができ、ベトナム帝国皇帝だったバオ・ダイが国王になった。 1949年12月、南京から逃れ出た蒋介石らは、台湾島の台北に中華民国政府を移転させた。 1950年1月、イギリス労働党政権が、中華人民共和国を承認した。 1950年2月、フランス、アメリカ、イギリスがベトナム王国を承認した。 1950年5月、韓国の総選挙で、李承晩政権に対する不信任の結果が示された。2年後任期満了時の再選を危ぶんだ李承晩は、人気挽回策として、対日戦意を煽り「対馬侵攻」を名目に精鋭軍を南下させ釜山に集結させた。手薄となった首都ソウルは、「国土完整」を唱える朝鮮民主主義人民共和国軍にとって、格好の餌食に見えた。 1950年6月25日早朝、北朝鮮軍による総攻撃が、青天の霹靂の如く、何の前触れも無く始まった。防衛ラインは次々と突破され、韓国軍はひたすら敗走を続けた。韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて南にある水原への遷都を決め、李承晩は更に南の大田に逃れた。ラジオは「国連軍が助けてくれるから安心しろ」と大統領の肉声を放送し続け、新聞は事実と異なる韓国軍の反攻を伝えていた。大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、北朝鮮の南進を少しでも遅らせる為、韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋を、多数の避難民もろとも、爆破した。後に、橋爆破の現場責任者だったチェ・チャンシク大佐が責任を問われて処刑され、真相は闇に葬られた。 米軍機動部隊が大田に到着し防衛線を築いたが、北朝鮮軍は韓国軍を攻め、それを崩壊させて横にいる米軍を包囲した。韓国軍は大量の米軍装備を放棄して逃げ、それを北朝鮮軍が使い、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況になった。 しかし、李承晩は、韓国軍が前線に立つことを主張し続け、状況は改善されなかった。 その結果、米軍主体の国連軍は敗北を重ね、8月末には、北朝鮮軍が釜山まで60キロメートル余の昌寧郡に迫った。 9月2日、マッカーサー元帥が国連安全保障理事会に「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出し、国連軍増強の必要を強調した。また「北朝鮮軍がカムフラージュの為に民家や民間輸送機関を利用しており、軍事目標を識別することは著しく困難である」旨説明し、民間人・施設に対する攻撃の正当性を説明した。民家人を装い、或は、民間人に紛れ込んで、民間人が攻撃しているように見せかけるのは、共産主義者の常套手段。民間人の犠牲を材料とするプロパンガは、彼らの強力な武器となる。9月15日、国連軍は、仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪回した。
しかし、李承晩の主張に基づき韓国軍を前線に立たせた結果、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況が再現され、翌年1月、中共軍にソウルを占領されてしまった。 その後、戦況は、一進一退を繰り返したが、国連は休戦への道筋を作り、両軍の捕虜送還協定が締結された。 6月18日、李承晩は、国連決議を無視し、アメリカに何の予告も無く、抑留中の朝鮮人民軍捕虜二万五千人を北へ送還せずに韓国内で釈放させ、国際世論の非難を浴びた。この釈放は、不法に抑留した日本人の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として日本の刑務所で収監されている韓国人受刑者に対する放免・日本永住許可付与を要求した手口に相通ずる処がある。 1951年9月、サンフランシスコで吉��茂首相が講和条約に調印し、日本は主権を回復した。朝鮮・台湾・南樺太・千島は放棄し、沖縄と小笠原諸島はがアメリカの占領下に置かれることとなった。調印したのは48カ国だった。同日、日米安全保障条約が結ばれ、アメリカ反共陣営に日本が組み込まれた。 1952年1月、韓国は、 所謂 ( いわゆる ) 李承晩ラインを一方的に設定した。 1953年3月、ソ連の最高指導者スターリンが病死した。 1953年7月、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が、軍事境界38度線を挟む休戦に同意した。軍事委員会委員長に就任した金日成は、朴憲永、金枓奉、崔昌益、許貞淑、金昌満、武亭、朴一禹、朴孝三、方虎山、尹公欽、徐輝、李相朝、金雄、鄭律成、金元鳳、許哥誼、朴昌玉、金烈、朴義琓、総政治局長、崔遠、金七星ら他派の政敵を次々に追い落とし粛正して、権力を強化しいった。 1953年12月、韓国は、日本海で漁船数百隻を拿捕し、乗組員数千人を抑留した。
そして、抑留者の返還と引き換えに 日本の刑務所 で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として 収監 されている韓国人 受刑者 の 釈放 を要求した。日本政府 はこれを飲み、在日韓国人犯罪者472人を放免し、日本での永住許可を与えた。 1954年2月、 嘗 ( かつ ) て中国西北部の陝西省で毛沢東らを迎え入れた高崗が「東北部を独立王国にしようとした」という濡れ衣を着せられて失脚し、半年後に毒殺された。 1954年、ベトナム国王バオ・ダイは、首相にゴ・ジン・ジェムを任命した。翌年、ゴ・ジン・ジェムが国民投票を実施し、ベトナムは共和国になった。ゴ・ジン・ジェムは大統領に就任し、アメリカの軍事援助を取り付けた。バオ・ダイはフランスに亡命した。 1955年、ソ連と東欧諸国は、NATOに対抗するため、軍事同盟WPOを結んだ。 1956年、ソ連での個人崇拝批判の影響受けて、北朝鮮でも金日成批判の動きが出てきたが、金日成は、甲山派と組んで政敵を除名し逮捕した。 1956年5月、毛沢東は、最高国務会議で「百花斉放 百家争鳴」を提唱し共産党への批判を歓迎した。翌年2月の最高国務会議でも中国共産党に対する批判を呼びかけるとともに、翌月6日から1週間かけて全国宣伝工作者会議でもさらに中国共産党に対する批判を呼びかけた。知識人の間で中国共産党に対する批判が徐々に出始めるようになり、共産党の中国支配に異を唱えたり毛沢東の指導力を批判する者も出てきた。5月、毛沢東は、新聞に対して党の批判とあわせて「右派」に対する批判も行うよう命じたが、「右派らは有頂天になっている。まだ釣り上げてはならない」と述べた。6月、人民日報は「右派分子が社会主義を攻撃している」という毛沢東が執筆した社説を掲載した。10日後、人民日報は、毛沢東が 嘗 ( かつ ) て「百花斉放 百家争鳴」を呼びかけた演説内容を掲載したが、演説したという内容は、批判を制約するものだった。党を思い切って批判した知識人たちは社会主義政権破壊を画策した[右派]というレッテルを貼られ、知識人の粛清運動(反右派闘争)が始まった。以後、中国共産党批判は二度と行われなかった。
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覆される常識、日本美術の「独自性」は縮小していた 「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史の研究が進むにつれて、日本美術に関するさまざまな常識が塗り替えられつつある。西洋や中国に目を向けて日本美術を世界の中で位置づけて鑑賞すると、一体なにが見えてくるのか? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。(全2回・前編/JBpress) (※)本稿は『そのとき、西洋では──時代で比べる日本美術と西洋美術』(宮下規久朗著、小学館)の一部を抜粋・編集したものです。 ■ 多くの美術品が現存する幸運な国、日本 日本は各時代にすばらしい美術作品を生み出し、今でもそれらは世界じゅうの人々に親しまれている。しかも、それらの多くが遺(のこ)っている幸運な国である。 隣国の中国や朝鮮半島、あるいはベトナムの場合、相次ぐ戦乱や侵略のため、古い時代のものは遺っていないことが多く、時代によってはきわめて大きな欠落がある。そうした時代の美術は、文献資料やのちの模本から想像するしかない。これに対し外国の侵略をほとんど受けたことのないわが国は、戦災や天災で多少のものが失われたとはいえ、縄文時代以降、各時代の重要な作品のほとんどは現存しており、きちんと美術の流れをたどることができる。世界を見渡すと、そのような幸運な国のほうがめずらしいのである。 明治期に近代国家が成立すると、国家の伝統や歴史を見直す作業の一環として日本美術史というものが構想され、明治33年(1900)にはパリ万国博覧会に際して日本最初の美術史と目される『稿本日本帝国美術略史』が編集された。以後、日本美術史は何度も書き換えられつつ徐々に精度を増し、部分的に更新され修正されることはあっても、そのストーリーの大枠はおおむね定着しているようにみえる。 ■ 「日本美術の特質」への問いかけ このような日本美術史を通覧し、現存する作品群を見ると、中国や西洋などさまざまな外来の美術に影響され、目まぐるしく変化してきたことがわかるが、同時にその底に流れる一貫した日本美術の特質というものが浮かび上がってくる。 たとえば和と漢、あるいは雅と俗という二面性が併存したかのよう見えるが、両者は複雑に融合していた。そして、中国や西洋の美術という外来文化の影響やそれに対する古来の様式という二項対立だけでは説明できない日本美術の独自性があると思われるのだ。 1925年、大著『サンドロ・ボッティチェルリ』をロンドンで出版して評価され、東西の美術について高い見識をもっていた美術史家の矢代幸雄(やしろ・ゆきお)氏は、著書『日本美術の特質』(1943年)において、日本美術の特質は、「印象性」「装飾性」「象徴性」「感傷性」の4つにあるとした。また、日本美術史の碩学、源豊宗(みなもと・とよむね)氏は、『日本美術の流れ』(1976年)で、西洋美術、中国美術、日本美術を象徴するモティーフをそれぞれ「ヴィーナス」「龍」「秋草」であるとした。日本美術を貫くのは、繊細な秋草の美学だというのである。 日本における中国美術の影響について先駆的な研究を遺した戸田禎佑(とだ・ていすけ)氏は、『日本美術の見方 中国美術との比戦による』(1997年)において、日本美術のもっとも重要な特質は「平面性」にあるとしている。 近年、『日本美術の歴史』(2005年)を書き下ろした辻惟雄(つじ・のぶお)氏は、日本美術の特質を、「かざり」「遊び」「アニミズム」という3つのキーワードで説明しようとした。日本美術にはつねに装飾性が見られ、遊戯性があり、自然崇拝の系譜があるというのである。また、東京大学で辻惟雄氏の後任であり、旺盛な活動を続けている美術史家、河野元昭(こうの・もとあき)氏は論文「日本美術の素性」(2010年)でこうした先学の見解を検証しつつ、日本美術の最大の特質は「シンプリシティー」にあると論じている。いずれの見解も傾聴に値するものであり、的を射ているように思われる。 ■ 縮小する「日本美術の独自性」 18世紀末から20世紀初頭にかけて流行したジャポニスムは、浮世絵を中心とした日本美術の絵画や工芸がフランスなど欧米の美術に作用し、日本美術が欧米の先進的な美術に影響を与えた稀有な現象であった。浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性は、西洋で伝統美術の様式を打破して新たな造形を生み出そうとしていた芸術家にとってタイムリーであったため、大きな刺激を与えることになった。しかし、皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を継承することはほとんどなかったのである。 また、これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら影響を与えたことはまったくなかった。 12世紀初めの『宣和画譜(せんながふ)』に、徽宗(きそう)皇帝(在位1100~25年)の所蔵する日本の屏風3点について、「金碧(きんぺき)を多用」しているが、「真」に欠けると批判されている。中国や朝鮮の人々にとって、日本美術は中央様式の地方化したものとしか映らなかったのである。 明治以前の日本で、海外で活躍した美術家は知られておらず、中国・元で客死した禅僧画家黙庵(もくあん)やマカオに追放されたキリシタン画家ヤコブ丹羽(にわ)の活動がわずかに推測されるくらいである。 さらに、日本美術の独自性というのは、たまたま日本には中国や朝鮮半島よりも多くの美術作品が遺っているために、そう思われてしまう場合も多いのである。 たとえば、平安時代のやまと絵は、かつては遣唐使廃止による国風文化の産物だとされてきたが、中国美術史の研究が進んだ現在では、やまと絵とされるものの大半は失われた唐宋美術を反映したものであって、その特徴のほとんどは和様化とはいえないということが明らかになっている。截金(きりかね)を多用した繊細で工芸的な平安時代後期の美麗な仏画も、かつては日本化の極みだとされて賞賛されてきたが、じつは、ほとんどが失われた宋代の仏画の技法を模したものであるということもわかってきた。 近年ブームとなった若冲(じゃくちゅう)や蕭白(しょうはく)ら江戸中期の奇想派については、京都の成熟した町衆文化が生み出したものであっても、明(みん)代の奇想派や長崎の来舶清人(らいはくしんじん)の影響によるものも大きいということが指摘されている。 つまり、日本美術の独自性と呼べる要素は、美術史研究の進展とともにどんどん縮小していっているのである。日本美術を正しくとらえようとすれば、その独自性や美質などにこだわらず、東アジア文化圏を中心とする世界の中で位置づけて眺める必要があろう。 宮下 規久朗 JBPRESS 7/8(月) https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=2 https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190708-00056932-jbpressz-life&p=3 >「独自」とされてきた日本美術の表現は、実は日本特有のものではなかった──? 美術史家の宮下規久朗氏(神戸大学大学院人文学研究科教授)が、 日本美術、西洋美術の見方のまったく新しいフレームワークを提唱する。 笑www この文章読んでいて、宮下 規久朗とかいう美術史の大センセーの、 自虐的なシナ事大主義的な独自性のないアホぶりがわかった。 この程度で大学教授なら、私にでもできそうな簡単なお仕事だなw この時代になっても相も変わらず、日本文化はシナ朝鮮より劣る的な、 或いは独創性はない的な、みたいなシナチョンスタンスの屁理屈を 大学のエラいセンセーがまことしやかに語っているのに笑った。 そもそも、世界のどの時代のどの文化においても、 完全無欠の民族の文化的オリジナルなどというものはない。 シナ文明も大陸の雑多な民族の文化的要素の集合体ではないか。 それを総称してシナ文明だの、エジプト文明だのと称しているだけである。 そしてその文化もまた他の様々な文化的要素と融合して発展し、 同時にまた、他の民族や地域の文化にも影響を与えるのである。 いわば文化文明は相互に影響しあって発展するものである。 それにこの宮下 規久朗とかいう神戸大学のセンセーって、 美術史が専門だそうだが、シナチョンに何か思い入れがあ��のか? ちなみにこの宮下 規久朗センセーのツイッターはこんなの・・・ https://twitter.com/kikuroma 現在の大学にはこの手の人士が多いみたいですな・・・ この論評の■ 「日本美術の特質」への問いかけまでは、 いろいろな学者の日本美術の特質の紹介で、それぞれの説にも整合性があり、 またこれらの説のすべてがまた日本美術の特色ともいえるだろう。 問題はその次である・・・ ■ 縮小する「日本美術の独自性」って何なんだ? 宮下センセーの論文に通底しているのは・・・ 日本美術など所詮シナの物真似、 日本美術のオリジナリティなんて、 元々からないも同然なのだから、 特筆評価などする価値すらない、 ・・・ということらしい。
果たしてそうだろうか? >皮肉なことにその後の日本美術は、浮世絵のこうした造形的特徴を 継承することはほとんどなかったのである。 そうだろうか? 私は浮世絵に代表される日本美術はその後の日本人も立派に受け継ぎ、 欧米の美術界に対しても少なからぬ重要な影響を与えつつ、 その後の日本美術にもまた、それを逆輸入してきた経緯があると思う。 「浮世絵の大胆な構図や色彩、平面性」は現代日本画の世界においても、 日本のサブカルチュアを代表する漫画やアニメーションの表現においても、 グラフィックデザインの表現にも立派に受け継がれているではないか。 一応宮下センセーは明治以降の日本美術がジャポニズムと呼ばれ、 西欧の美術工芸界に大きな影響を与えた事は認めていらっしゃるが、 このことだけでも美術史における日本美術の価値は特筆に値する。 浮世絵に代表される日本美術がフランス・パリ万博からジャポニズムとして 全欧州に発信され、印象派(新印象派、後期印象派)やアールヌーヴォーが生まれ、 それがさらに発展してアメリカ現代美術に発展した経緯が美術史の流れである。 ジャポニズムがイズム=主義として表されている思想は無視できない。 それはシノワズリーという東洋趣味の流行とは大きく一線が引かれるべき、 いわば西欧美術思潮の一つのコンセプトでもあったからだ。
セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」 様々な角度から描いたヴィクトワール山の連作は、 北斎の富岳三十六景からインスパイアされたらしい。
ゴーギャン「マハナ・ノ・アトゥア」 この平面的な色面構成的な表現は浮世絵からの影響だ。
クリムト「接吻」
金箔を多用した大きな空間をとり単純化されたフォルム、 これも明らかに障壁画などの影響がうかがえる作品だ。
中でも西欧美術に影響を与えたのは江戸の町人文化だろう。 しかし宮下センセーはこれとてもシナ文化の影響にあるというが、 一部にそれらしきものがあっても、それがすべてではないと思う。 仮にシナの影響があったからといって、それが何だというのだ? シナの各王朝文化だって周辺の民族の様々な影響があったのだ。 先に述べたように、元来何の影響もなく発展した文化文明など皆無である。 北斎、広重、歌麿などの浮世絵師はもちろんのこと、尾形光琳の琳派系絵師、 伊藤若冲や丸山応挙などは現代美術を先取りしたコンセプトが確立していた。 立体造形でいえば安土桃山時代の織部好み陶器などはまさに現代美術だ。 以下に掲載した当時の巨匠たちの作品には、 現代美術の概念を先取りしたような先進性を感じるが、 宮下センセーのいうようなシナの影響下にあったがゆえに、 日本美術の独自性は縮小(ない)しているのだろうか?
尾形光琳「紅白梅図屏風」 川や梅の木を特徴を残して単純化させる意匠概念は、 のちに日本のデザインにも多大な影響を与えている。
伊藤若冲「鳥獣花木図屏風」 この絵は升目描きという、升目ごとに色をいれてモザイク画のように表現した。 現代風にいえばドット画像みたいなもので、このような手法は同時代にはない。 あえていえば新印象派のスーラの点描が近いが、概念が全く違う。
伊藤若冲「鶴図屏風」
墨をつかった白線描の作品。鶴の様々な姿態が単純化されたフォルムと
勢いある線の筆勢がいかされた、ある意味現代の漫画にも通じる作風だ。
丸山応挙「大瀑布図」 この絵は円満院というお寺の住職に贈られたものだが、この寺の庭に滝がなかったので、応挙はこの絵を庭木の枝に掛けて垂らし、下三分の一は地面に寝かせて滝つぼを表した。このような平面絵画を立体的に鑑賞するインスタレーション的手法はこの時代になかった。
丸山応挙「氷図」 湖面に張った氷のヒビを線一本のみで見事にあらわした傑作である。 無駄な要素を一切排除した究極の単純化で凍てつく寒さを表現している。
織部好み茶器 武将古田織部のプロデュースとでもいう「織部好み」の陶器は、「へうげもの」と称され、わざと歪めたフォルムや幾何学模様をあしらった伝統や形式にとらわれない実に現代的な表現だ。 ↑ これら一連の様式もすべて、 シナの模倣だというのか!? 以下はほとんど日本美術を腐すだけの屁理屈。 >これ以前、日本美術は、中国や朝鮮など近隣の国にすら 影響を与えたことはまったくなかった。 当たり前じゃないか(笑) そもそも・・・ 日本は江戸時代に265年も鎖国をしていた国なのだから、 明治以前に日本の文物そのものが諸外国に輸出されることもないし、 あってもごくわずか、だから影響も与えるものではなかった。 こんな事日本の歴史をみれば高校生でもわかる話だ。 しかしだからそれ何だというのだ? いったい宮下センセーは何が言いたいのだ? この人は文化は影響を与えれば、 「エライ」と思っているようである。 だから明治以前の日本美術はシナ朝鮮に影響を与えていないから、 シナ美術の物真似レベルの評価に値しないものといいたいのだ。 宮下センセーの「影響を与える、与えない」にこだわる意図は何なんだ? じゃあ、明治以降の日本美術は先進国の西欧に大いに影響を与えたから、 すご~く特筆大書すべき価値があって、西欧より優れているということか? そうではあるまい。上述したように「文化は相互の影響で発展するものだ。 どちらの文化は優秀とか劣っているという問題ではないのだ。 宮下センセーの御説はまるで朝鮮人が 「これはウリジナルニダ~♪」というのを思い出す。 ルネサンス期の西洋美術も西域のイスラム教文化や遠くは、 インドやシナの様式にも影響を受けてきたことは近年の研究、 特に田中英道東北大学名誉教授の研究で明らかになっている。 しかしルネサンス絵画がその後のシナ絵画に影響を与えなかった事は、 西欧絵画が明朝や清朝の絵画より劣っているという事なのだろうか? 宮下流のコンセプトで見れば、こういう事ではないのか? さらに首をかしげたくなるのはシナと朝鮮を同列に置いて語っている事だ。 朝鮮など千年以上も歴代シナ帝国の属国属領に過ぎなかった植民地だ。 こんな国にオリジナルがあろうはずがなく、自ら小中華と誇った事大主義国だ。 なぜ宮下センセーはシナと朝鮮を同等に置きたがるのだろうか? 所詮は事大主義のシナの劣化コピー版が朝鮮に過ぎないのである。 まさか小中華思想が日本より優れている?というのではあるまいな?
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作品概要
第七劇場 × 愛知県芸術劇場 × 愛知県美術館 ムンク|幽霊|イプセン 原作:エドヴァルド・ムンク、ヘンリック・イプセン 構成・演出・翻訳:鳴海康平 ムンクが描いたイプセンの「幽霊」。
愛知県美術館に2016年に収蔵されたムンクが描いた《イプセン「幽霊」からの一場面》と、そのモチーフとなったイプセンの「幽霊」。ノルウェーが生んだ2人の巨匠が残した作品を原作に、第七劇場が愛知県芸術劇場と愛知県美術館と協働し、パフォーマンス作品を上演。
※本作品は、愛知県美術館[コレクション展]展示室内でのモノローグパフォーマンスと、愛知県芸術劇場 小ホールでの演劇作品「幽霊」上演の2つのパフォーマンスが実施されます。
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会場 愛知県美術館[コレクション展]展示室4 愛知県芸術劇場 小ホール
名古屋市東区東桜1-13-2 地下鉄東山線または名城線「栄」駅下車、徒歩5分 (オアシス21から地下連絡通路または2F連絡橋経由) ⬇
日程 美術館パフォーマンス 2020年1月8日(水)〜13日(月祝) 劇場パフォーマンス 2020年1月10日(金)〜13日(月祝)
※1月9日、高校生招待ゲネプロを実施。詳しくはこちら。 ※託児サービスあり。詳しくはこちら。 ※1月9日、ゲネプロにて「あなたの感じた『幽霊』を描こう!」企画を実施!詳しくはこちら。 ※美術館パフォーマンス上演時間 約20分 ※劇場パフォーマンス上演時間 約90分 ⬇
出演
[劇場パフォーマンス] 木母千尋、三浦真樹 桑折現 山形龍平、諏訪七海
[美術館パフォーマンス] 菊原真結 上条拳斗、藤沢理子、藤島えり子、松本広子、三木美智代 ⬇
スタッフ
舞台美術:杉浦充 舞台監督:北方こだち 照明:島田雄峰(LST) 音響:平岡希樹(現場サイド) 衣装:川口知美(COSTUME80+) フライヤーレイアウト:橋本デザイン室
ノルウェーを同郷とする画家ムンクと作家イプセン。その二人を『幽霊』でつなげるというのは、あまりにも話ができすぎているようにも思います。二人が見ていた、もしくは二人を見ていた幽霊とは何だったのでしょうか。今回、愛知県芸術劇場と愛知県美術館の協力で実現したこの企画では、ムンクのテキストや、ムンクを巡るテキストを中心にしたモノローグパフォーマンスを美術館で、イプセン『幽霊』とムンクが描いた『幽霊』のムードスケッチを原作に舞台作品を劇場で上演します。幽霊として浮かび上がる因習や慣習、愛や結婚、義務と自由などに対する伝統的な価値観。おそらく今の現れるその幽霊の正体に少しでも近づけられたと考えています。 鳴海康平(第七劇場 演出家)
「ムンク|幽霊|イプセン」は美術館と劇場でパフォーマンスが行われます。流れる時間も鑑賞方法も異なる二つの場所を繋ぐのはイプセンの戯曲『幽霊』です。イプセンがリクスモール(デンマーク・ノルウェー語)で執筆し1881年に発表したこの戯曲は、前作「人形の家」のノラのもう一つの姿としてよりセンセーショナルなものとして受け止められました。日本では明治40年(1907年)ドイツ語からの翻訳として紹介され、100年以上経った今も度々上演され続けています。今回の上演が《今ここにいる私たち》がムンクの作品を通してイプセンの言葉と繋がるスリリングな体験となることを楽しみにしています。 山本麦子(愛知県芸術劇場 プロデューサー)
ベルリン・ドイツ劇場の監督兼演出家のラインハルトが、近代心理劇上演のために新設した小劇場の座席数は、愛知県芸術劇場小ホールとほぼ同じ300席余り。1906年秋のこけら落とし演目として同年5月に没したイプセンの『幽霊』が選ばれ、舞台美術や衣装の色合い、演者のポーズなどを含めた全体の雰囲気イメージ画がムンクに依頼されました。ムンクが各場面に応じて何枚も描いた構想画の中でも印象的な一枚がこの作品です。視線を合わせずうつむく人物たちの顔を照らす黄緑の不気味な光、物語を支配する血の因縁を象徴するかのような赤。ムンクはイプセンの霊からの視線も感じつつ描いていたことでしょう。 深山孝彰(愛知県美術館 美術課長)
エドヴァルド・ムンク Edvard Munch 《叫び》の作者として世界的に有名なノルウェー出身の画家。若い頃、故郷では評価されず、ドイツで開いた個展は保守派の攻撃により1週間で打ち切りとなる。この「ムンク事件」で有名になり、ドイツを拠点に活動。その後故郷で開かれた大規模個展にイプセン(67歳)が訪れ、ムンク(32歳)に「敵が多いほど、多くの友に恵まれる」と言ったとされる。その後、イタリア、フランス、ドイツ、ノルウェーで活動した。
ヘンリック・イプセン Henrik Ibsen ノルウェー出身の劇作家・詩人。「近代演劇の父」と呼ばれる演劇史上の巨人。シェイクスピア、チェーホフと並び、現在でも世界中で盛んに上演される。19世紀当時一般的だった勧善懲悪の物語や歴史上の偉人が登場する大作から離れ、個人の生活や現実の社会の課題などを題材に戯曲を執筆。
エドヴァルド・ムンク Edvard MUNCH 《イプセン『幽霊』からの一場面》 1906年 テンペラ、画布 愛知県美術館蔵 1905年、ベルリン・ドイツ劇場の芸術監督となった演出家兼プロデューサーのマックス・ラインハルトは、隣接する建物を座席数300余りの小劇場(Kammerspiele Theater)に改装。1906年秋のオープニングプログラムに、同年に亡くなったイプセンの「幽霊」を選び、その舞台美術のムードスケッチをムンクに依頼。そのうちの一つが上記の作品であり、2017年より愛知県美術館蔵。
イプセン「幽霊」
1881年発表。「人形の家」同様、センセーショナルな反応と非難を巻き起こす。愛のない結婚だが放埒な夫のもとに留まったアルヴィング夫人。夫の死後、夫の偽りの名誉を讃える記念式典を前に、息子オスヴァルがパリから帰ってくる。しかし、息子と自分、そして女中レギーネ、その父エングストラン、牧師マンデルスとの間で、因習や慣習、愛や結婚、義務と自由などに対する伝統的な価値観が幽霊のように浮かび上がる。
第七劇場 Dainanagekijo 1999年、演出家・鳴海康平が早稲田大学在学中に設立。国境を越えられるクリエイションをポリシーに作品を製作。ストーリーや言葉だけに頼らず、舞台美術と俳優の身体とともに「風景」によるドラマを築く独特の舞台空間が海外で高く評価される。国内外のフェスティバルなどに招待され、これまで国内24都市、海外4ヶ国(韓国、ドイツ、フランス、台湾)9都市で公演。2006年より東京都豊島区 atelier SENTIOを拠点とする。2013年、代表・鳴海がポーラ美術振興財団在外研修員として1年間のフランス滞在から帰国後、日仏協働作品『三人姉妹』を新国立劇場にて上演。2014年より三重県津市美里町に拠点を移設し、Théâtre de Bellevilleのレジデントカンパニーとなる。 代表・鳴海はAAF戯曲賞審査員(第15回〜)。第16回大賞受賞作「それからの街」(額田大志作・愛知県芸術劇場小ホール・2017)上演の演出を務める。
【website http://dainanagekijo.org】 Photo: ワーニャ伯父さん(三重県文化会館・2019)
杉浦 充 SUGIURA Mitsuru 1978年愛知県生まれ。金沢美術工芸大学彫刻専攻卒業後、ドイツ国立デュッセルドルフ美術アカデミー舞台美術専攻卒業。2011年より8年間、舞台美術家ヨハネス・シュッツに師事する。欧州を中心にザルツブルク音楽祭、パリ・オデオン座、ウィーン・ブルク劇場、ベルリーナアンサンブル、フランクフルト歌劇場などで、演出家カリン・バイヤー、リュック・ボンディ、ヨハン・シモンズ、ローランド・シンメルプフェニヒなど数々のプロダクションに、舞台美術助手あるいは共同舞台美術家として参加。現在ベルリンと愛知を拠点に活動。
⬇ ⬇ ⬇ ムンク|幽霊|イプセン 主催:合同会社第七劇場、愛知県芸術劇場、愛知県美術館 協力:長久手市、猫町倶楽部、三重県文化会館 日本語字幕協力:NPO法人 名古屋難聴者・中途失聴者支援協会 製作:第七劇場 助成:芸術文化振興基金 お問い合わせ:第七劇場 [email protected] 070-1613-7711(平日10〜18時)
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#Repost @tokyoromanticmarket (@get_repost) ・・・ いよいよ明日です(^^)楽しめたらなぁと思います♪ . . 「暮らしを素敵に丁寧に」をテーマにしたライフスタイルメディア「キナリノ」様に2月より定期掲載いただいております。ありがとうございます! . 心配なのは積雪ですが、現段階では開催予定でおります。中止の場合は18時までにご連絡します。よろしくお願い致します。どうか、あまり積もりませんように!. . ----------------------------------------- . 【期日】2019年2月10日(sun) . 【開催時間】10:00-16:00 【住所】 〒150-0036 東京都 渋谷区南平台町16-17 【開催場所】住友不動産渋谷ガーデンタワー (ベルサール渋谷ガーデン)屋外広場 . 《同時開催》 南平台町会による「南平台BAZAR」 . ※雨天中止。毎月第二日曜日開催。 . ------------------------------------------ . 9th Shibuya Flea Market Sun. 10 Feb. (OPEN every 2nd SUNDAY except Aug. & Sep. RAIN OUT) from 10:00 to 16:00 Shibuya Garden Tower 16-17 Nanpeidaicho Shibuya-ku, Tokyo ACCESS (in English) https://tokyo-romantic.com/index.php/access/ Facebook https://www.facebook.com/events/387561688470267/ . . ------------------------------------------ . 出展者様募集中!3月分の申込み締め切りは2月23日(SAT)まで! http://market.ka-ka-ya.com/posts/3551205 ※出店には一定の審査がございますことをご了承ください。 . HP: https://tokyo-romantic.com/ . #アンティーク#蚤の市#伝統工芸#着物#陶芸#木工#古家具#古道具#北欧#東欧#ブロカント#フレンチアンティーク#ジャンク#シャビー古着#古布#レトロ#マーケット#クラフト#アート#ボタニカル#グリーン#植物#ドライフラワー #japaneseantique #antiquemarket #出展者募集#kakayaMarket #渋谷蚤の市#東京浪漫 https://www.instagram.com/p/BtqFSIinT9P/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=17b1g7jnn4511
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TEDにて
ジャック・チョイ:バーチャルな解剖台で手術が可能になる!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
TED2012のステージで、ジャック・チョイが医学生のための強力なツールのデモンストレーションを披露します。
現実にある解剖台とまったく同じ大きさ、同じスケールの画面にマルチタッチスクリーンによって映される人体と寸分たがわぬ検体を、まるで、オーケストラの指揮をするように開腹し
内部に進行して各臓器に進みバーチャルに解剖していくことで、本物の人体の各部分と仕組みを理解することができるのです。
実際の手術とは異なる断面でスライスする様子は、3D映画のような視覚効果を体験しているようです。
解剖学の歴史は、紀元前3500年頃に古代エジプトでパピルスに書かれています。戦争が当然のごとく行われていた当時としては、人体の弱点を知らないと対戦相手に勝利できないために自然と関心が向けられるのも合点がいきます。
現代では、人体解剖はできません。医師免許。他の倫理的な教養が必要です。そして、アレキサンドリアで人体解剖は禁止され、ルネサンス期である。1500年代に入るまで発展していませんでした。
日本では、明和8年(1771年)に前野良沢、杉田玄白などが解剖を行う。その後、「解体新書」を完成させています。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
こういう新産業でイノベーションが起きるとゲーム理論でいうところのプラスサムになるから既存の産業との
戦争に発展しないため共存関係を構築できるメリットがあります。デフレスパイラルも予防できる?人間の限界を超えてることが前提だけど
しかし、独占禁止法を軽視してるわけではありませんので、既存産業の戦争を避けるため新産業だけの限定で限界を超えてください!
<個人的なアイデア>
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本などの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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《Field Trip 2.》Sashiko Exhibition at Hemslöjden Sakåne
日本人デザイナーであるTakao Momiyamaさんによる刺し子の展示を見に、Hemslöjden Sakåneへ。早朝、白い霧が立ち込める草原に朝日が差し込む美しい景色を見ながら、電車に3時間半揺られ、Lundから20分ほど北へ行ったLandskronaという街を訪れました。
今回の展示は、スウェーデンにある手工芸協会「Hemslöjden」を調べているときに、日本人による刺し子のレッスンを見つけたことがきっかけでした。これも何かのご縁だ!と、思い切って講師である籾山さんにメールを送ったところ、展示のご案内をいただきました。
オープン初日に訪れてみると、会場であるHemslöjden Sakåneには多くの方が見に来ており、みなさん日本の刺し子のテクニックに釘付けでした。
籾山さんは、大学ではテキスタイルデザインを学び、長年デザイナーとして活動してきましたが、3年前にリタイアしてからはアーティストとして制作を続けています。刺し子のように、民藝やアートは幼い頃から身近にあったものだと教えてくれました。
10歳のときにゴッホの絵を見て感銘を受け、「自分はこれで暮らしていくぞ」と決めたという籾山さん。21歳で渡欧、当初の計画では6週間でヨーロッパの芸術を見て回る予定でしたが、旅を続けながら美術館へ行ってデッサンをしたり、資金を集めるために仕事をするうちに、5年かかったと言います。その後スウェーデンの大学へ入学し、卒業後はデザイナーとして自身の事務所を立ち上げました。
また、デザイナー/アーティストの他に、武道の師範としてのもう一つの顔を持ち、スウェーデンで道場を構えています。武道と刺し子の二つのバランスが、自分の中で大切な要素になっているそうです。刺し子はメディテーションであり、心を落ち着かせ、気持ちが安定しているときではないと言います。
この日に来ていた洋服のジーンズやベストにも刺し子が施されていました。まさに「用の美」です。この技術は実は世界中にあり、例えばインドでは北西部のカンタという場所に同様のテクニックがあると教えてくれました。刺し子は、服や布と向き合い、日々の暮らしを豊かに彩る1つの技だと感じました。
「いまの色は青なんです」と、籾山さん。天井から下げられた大きなタペストリーは藍色を基調として構成されていました。使っている"ボロ"という布は、東京の蚤の市で手に入れており、都内で様々な骨董市が開催されていることを教えていただき驚きました。
壁には洗濯物を干すようにして、刺し子が施された手作りの道着やシャツ、ジーンズ、靴下など、普段着が飾られています。
襟元にも刺し子がちらり。この日は天気も良く、窓から暖かい陽の光が展示作品を照らしていました。
「最近では色で遊んでみている」カラフルな糸の組み合わせによって、穴が空いてしまった服も、なんだか嬉しそう。
稽古で使っている足袋。刺し子の柔らかなステッチが優しく足を包み込みます。
足袋の裏にも、チクチク!
会場にいた女の子も、刺し子の間を行ったり来たり、かくれんぼ。人によって作品の異なる楽しみ方がありますね。
Photo credit: Mayu
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冷たい市街
意図的に自分を見失うため、何も考えずに神戸に行った。住む街と違う場所であれば、目的地はどこでも良かった。ただ最近読んだ本のなかに出てきたその街が、私が今までに持った印象とは真逆のかなり魅力的なものだったためそこに決めた次第だ。だが結局、旅を終えてみてもその印象が覆ることはなく、街は外来者に冷たいままだった。後で友人からの慰めとして受け取った言葉を借りれば、誠に運が悪かった、それとしか言いようがない。以下はそのネガティヴな記録である。なお、神戸が好きな人���暗い気持ちになりたくない人には読まないことをお勧めする。
電車で1時間あまりの旅。十三を経由し、昼過ぎに三宮に到着した。かつてその中にある服屋の店員になぜか試着を拒否された、個人的に嫌な思い出しかない高架下の商店街を歩き、元町方面へ。朝とは打って変わって爽やかな天気だ。こざっぱりとした表通りの先、極彩色の門を構えた南京町は観光客でごった返していた。朝から何も食べておらず腹が減っていたが、何か口に入れる前に少し散策をすることにした。
裏道で見かけた中古カメラ屋に入る。店番のおばさんが眠りこけていた。ひどく雑然とした店内。扉を閉める音に気づき、むくりと起き上がった彼女が口を開く。私は留守番なんです、何かお探しですか? ――いえ、特に。主人を呼びましょうか? ――大丈夫です。古いカメラの数々がおよそ1万円以上の値で売られている。しばらく棚を見ていると、口ひげを蓄えてでっぷりと太った店主が現れた。呼びましたので、私はここで交代...。フィルムカメラを探していると言うと、私がそれを一台も持っていない前提で話が進み、デジタルを否定しアナログを賛美する旧弊な饒舌に予期せず30分以上も耐えることとなった。俺がイロハを教えてやると言わんばかりの口調。終わる気配がないのでほとほと参った。もう行きます、と言うか言わないかのところで次の話が始まる。店主が黙ったかと思えば、彼の目の先30cmのところでこちらに背を向けて鎮座するテレビから、吉本新喜劇の大げさなリアクションが大音量で放たれる。仕方なく質問をすると、ライカを買えと言う。ライカは私の求める写りを実現してくれないことを知っているので、興味があるふりをしてお茶を濁した。10万超えのガラクタを買うつもりはない。そうして散らかった店内の真ん中でちょこんと座る店主を見ていると、汚い部屋で原稿を前にしてカメラを睨みつける坂口安吾の写真を思い出した。やられっぱなしで悔しかったので、店内の写真を撮っていいかと聞くと、断固として拒否された。面白いのに、何もわかっていやしない。そして聞いてもいない理由をべらべらと喋り出したので、途中で出ようと思ったが、なんとか堪えて最後まで相手をした。私は良い子だ。話の通じない店主含め、店全体がアナログのジャンク品のようだった。しかし、どうして「若者は苦労してナンボ」論者は、関わりの薄い他人にさえも不要な苦労を強いることができるのだろう。何よりも貴重な若さを費やすだけ費やして結果が実る保証などはどこにもないというのに。自称苦労人の彼に至って言えば、初見の若者に対してそのように重大な責任を持つことができるというのか。確かに人は、自分の経験を以てのみ説得力を持って話すことができる。だが、売れないカメラ屋を道楽経営しているという事実が説得力とは真逆の方向に働き、「フィルムは金払って失敗して上手くなるんや、それがデジタルならタダやろ? 一枚一枚を大事にせえへんねん」という主張の内容をさらに空虚なものにしていた。デジタルの恩恵を拒絶して懐古主義に浸るのも人によってはアリだが、それを他人にまで強要すべきではない。若者は、を枕詞に据えて話し始める、ストレート・アウタ・ショーワ(昭和)の親父たちは、その話さえも若者にとっては無駄な時間であるという観念など大抵持ち合わせていないため、遭遇した時には素早く距離を取ろう。
さて、出鼻を挫かれて向かったのは「ぎょうざ大学」、その名の通り餃子の専門店だ。5人ほどの待ちができていた。行列の伸びる方向とは別の方向に誤って並んでいた男が、こっちが最後ですか? と言いながら舌打ちをして私の後ろに付いた。ここでもいきなりやられてしまい、笑うしかなかった。店員に注文を聞かれ、餃子は2人前以上が注文必須だったので2人前、飲み物は水で、と言うも返事がない。誰に対してもそのような感じだったが、忙しいようなので仕方がない。南京町の餃子は、なぜか酢醤油に甘味噌を混ぜたタレで食べる。ほどなくして提供された焼きたての餃子は、皮はパリパリ、中はジューシーでかなり美味かった。店を後にし、続けざまに台湾タンパオにて小籠包をテイクアウト。皮からアツアツのスープがほとばしり、口内を優しく暴れ回る。これは美味い。分かち合える相手がいないのが残念だ。最後に近くの精肉店で巨大な唐揚げ串を買って食べた。ジューシーで、定食一人前ほどの食べ応えがある。おかげで腹がパンパンになった。ようやく食欲が落ち着いたのでコーヒーを飲みつつ文章を書く。このあたりは観光客が多すぎて店員は皆疲弊しているようだ。金持ちが相手だとしても愛想は悪い。しかし私は何よりも、ここが関西とは思えないほど関西弁が冷たく聞こえることに驚いた。むしろ優しいのは日本人より中国系だとも思えてくる。ゆく人の会話からも物質的な内容ばかり聞こえてくる。例えばこうして喫茶店で座っている横でも、おそらくだが上司と部下が仕事の話をしていて、しきりに集金集金と繰り返している。すっきりとした街並み同様、あまりにも血が通っていない人々。彼らは容姿の美醜に拘らず着ているものは一流であり、入念に施された外見、つまりは見栄の下、三宮からこのコールド・ヴェインを通り抜け、再び神戸という街の心臓に絶え間なく注ぎ込んでいるのだ。それでは、この心臓を動かす酸素の供給源はどこにあるのか? その答えを、私は旅の終わりに知ることとなる。
歩いて異人館方面へ向かう途中、「縁結びの生田さん」こと生田神社に立ち寄った。元陣内夫妻が結婚式を挙げた場所である。朱塗りの大きな鳥居と神殿に、多数の参拝客。境内の端で史蹟「生田の森」という看板を見かけたので、裏手にある鎮守の森を覗いた。数本の神木の下を人工的に固められた遊歩道と申し訳程度の小川が這っており、辺りには石碑が散在している。ここに限らず、全国どこでも史蹟というものは似たような様相を呈している。かつてあったという事実がそこに残ってさえいれば、形はどうでもいいのである。ここは雰囲気こそ薄暗く神聖な感じで、昔は広大な広葉樹林が社を囲んでいたものと思われるが、京都下鴨の糺の森がもはや森とは呼べないほど縮小しているのと同じで、空の光があちこち透けて見える程度の木立と化している。本当の意味での自然などどこにもないこの現代、かつてあったものの威光は一体この先をどこまで照らすのか。もの寂しさだけを覚えて私はそこを去った。
山手へ向かう長い坂を登り、神戸北部の一角にある北野異人館街に到着した。ここは旧外国人居留地で、瀟洒な洋館が立ち並んでいる。その中のいくつかは一般公開されており、入館料を払えば中に入ることができる。「公開異人館」や「一般公開異人の家」などという看板が目につくが、決してタダという訳ではなく、入口では安くない入館料が請求されるため注意しなければならない。通りにある有名なスタバを含め、なんとなく全てがハリボテであるかのような印象を受けた。北野という地名については、京都の北野天満宮を勧請したことに由来するそうだ。上り坂を終えた後に現れる長い石段の先には北野天満神社があり、その境内からは神戸市内が一望できる。私はそれらに用がなかったので、広場の猿回しの芸者と数名の観客を横目に足早に通り過ぎた。うろこの家裏手の細い横道から山へと入ると展望台があった。街を眺めやると、近くに聳えるひときわ高いビルが目についた。ジークレフ新神戸タワーというマンションだ。葉陰からにょきっと飛び出た大建造物という構図が面白く、数枚のモノクロ写真を撮った。道中、先日の台風の影響か崖崩れが起こっていたが、崩れた土砂の上に道が作ってあった。そのまま山道を突き進んでいると、ヨーロッパから来たと思しきカップルとすれ���った。このような観光地から外れた自然の中を歩いていると、地元の人の他になぜか欧米人と出くわすことが多い。その一方で、アジア系の旅行者を見ることは少ない。これら二者は旅に求めるものの傾向が異なるようだ。私はどこにいても緑を欲するタイプなので、山や森へと続く道を見かけるとするする入ってしまう。そのせいでフランスに行った時などは、ブーローニュの森であわや迷子になるところであったが、それもまた良い思い出だ。布引ハーブ園へと延びるロープウェイの下を通り、北野から1.5kmほど歩いて辿り着いたのは落差43mを誇る布引の滝である。この雄滝と少し下流にある雌滝を合わせて夫婦滝と称する。神瀑の名に相応しい威容で、水の流れ落ちる様子はまさに白布が垂れているかようだった。モノクロ写真を数枚撮った。良い画が撮れたと思う。カメラ屋のおっさんに見せてやりたいと思った。日が暮れかかっていたため、そこにいたのはハイカーが10〜20名ほどと少なかった。が、階段を下りてくる年配の彼らは皆酒臭く、それは山中に茶屋があるためであった。古びた茶屋を少し冷やかした後、再び滝を見上げた。滝壺はたっぷりとした水量があり、翡翠色の水が綺麗だった。傍に立っていた説明看板を見ると、観光客への配慮で、滝の水が一定になるよう上流のダムからの放流量を調節しているという。一時の来訪者としてはありがたいが、やはりここも人の手が加わった「自然」であるのかと思うとまた少し虚しくなった。
麓まで引き返してきたあたりで、ふと三宮駅からポートライナーに乗ろうと思った。それはこの旅の中で最良の選択だった。吉田篤弘が『神様がいる街』で、神戸港につくられた人工島を一周して戻ってくるこの無人運転の電車のことを、「横に回る観覧車」だと言っていたのである。私はそれがどのようなものなのか興味をそそられていた。以来、神戸に行ったら乗ってみようと思っていたのである。三宮で切符を買ってホームへ。空港行きと埠頭行きがある。電車は時間通りに客を吐き出し、かつ吸い込み、淡々と運行している。埠頭行きの一番前の席を陣取って足を投げ出すと、自分が歩き疲れていることに気づいた。車両は音もなく発車した。そうして至極のろまなジェットコースターにのったような気分で、目の前で次々に繰り広げられる光景をぼーっと眺めた。もう夜になっていた。埠頭、海、ポートターミナル、公園、団地、学校。レールの下に浮かんでは消えた。いくつかの駅を経て、電車はもと来た方向へと戻る。船舶、イケア、流通基地、駐車場、ビル。最後に、海にかかる橋から言いようもなく綺麗な市街の夜景が見えた。それは今日、唯一の感動であった。神戸よ、煌びやかな街を黙々と動かし続けているのは、これらの埠頭や空港から送り出される人や物なのではないか。街路が血液の体循環を象徴しているとすれば、きっとポートライナーが結ぶラインは肺循環であり、海をぐるりと一周し、街と一時的な自然状態とを往還することで神戸のダイナモを支えているのだ。車両に乗り込んだ人々は、ぼんやりと景色を眺めたり、おしゃべりしたり、仕事や学校に向かったり、または家路に着いたりと、目的はバラバラであろうが、普通の夜の電車にありがちな雰囲気とは違った、何か独特な、人をわくわくさせる期待に満ちた空間が夜を滑って行くかのように思えた。海で仕入れた清新な大気とともに貿易センター駅で降り、三宮駅まで歩いて戻る時にこの仕組みが分かって納得した次第だ。あまりに疲れていたのでそれ以降は何も考えられなくなり、駅前でうどんを啜って帰った。京都に着いた時、友人から連絡があり、元田中の中華料理屋「上海バンド」で落ち合った。そういえば、海から見えた神戸市街も、以前にネットで見た上海外灘(バンド)の夜景に似ていたな、などとぼんやり思いながら麻婆白子やら羊のクミン炒めやらをつつくうち、ついつい飲み過ぎ、結果として予想とは違った方向で自分を見失う夜となった。
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#ゲッコウカフェで開催中の、#旅して見つけた北欧の古い布展 ❤️ #SOPPO さんの集めた素敵な布を展示販売しています❣️ 明日までの開催です! ********** #gockocafe #takefu #echizencity #fukui #japan #cozytime #cozytimephoto (ゲッコウカフェ) https://www.instagram.com/p/B1ihjCInEIj/?igshid=cnifcq99ixis
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【かいわいの時】明治三十七年(1904)2月25日:大阪図書館開館(大阪市史編纂所)。
この図書館は住友家第十五代当主の住友吉左衛門の寄付により建てられました。明治三十年、七ヶ月にわたり欧米への視察旅行に出かけた吉左衛門は、富豪たちが私財を投じて文化事業や社会事業に協力している姿を目のあたりにし、感銘を受けて帰ってきました。これが図書館を寄付するきっかけでした。明治三十三年二月十日付で大阪府知事宛に出された寄付願書には、大阪は商工業の発展は顕著なものの教育施設の整備が遅れているのは遺憾であるので、地元大阪へ恩を返すために図書館を寄付することにした、と記されています。その具体的な方法は、図書館(建築費約十五万円)を住友側で建築した後に大阪府へ引き渡し、さらに図書基金として五万円を寄付*する、というものでした。当時、住友では建築部門を担当する住友本店臨時建築部が創設され、野口孫市が技師長を努めていました。野口は、明治二十七年に東京帝国大学工科大学造家学科を卒業後、大学院・逓信技師を経て、同三十二年には住友家に招聘されて一年間欧米へ遊学し、帰国後に臨時建築部へ迎えられていました。また同建築部には技師として日高ゆたかがいて、野口を助けていました。図書館の設計にあたったのはこの両名でした。そして工事は明治三十三年九月に着手、その後同三十六年八月には上棟式が挙行されて、翌年一月に竣工しました(住まいのミュージアム学芸員 新谷昭夫)。大阪市北区「まちの記憶」よ��。 *15万円+5万円(1904)≒300億円+10億円(現在)。1円(1904)=2万円(現在)で換算。
(写真)「創建当時の図書館」1904 正面の中央玄関をポーティコ(玄関柱廊)として、19段の階段からなる高い基壇の上に置いて風格を醸し出している。基壇の上にそそり立つ四本の円柱は、コリント式の柱頭飾りで彩られ、大型の三角形のペディメント(三角破風)を支えている。アメリカのある図書館をモデルとしたといわれ、いかにもアメリカらしい堂々とした構えを持つ新古典主義建築だ。古典様式の忠実な再現は、細部にまで及ぶ。円柱の柱頭飾りは、アカンサスの葉をモチーフにしている。アカンサスは、地中海沿岸に分布するアザミの一種でギリシャの国花でもある。コリント式オーダーはアカンサスを意匠化した柱頭飾りを特徴としており、とくにこの様式を好んだローマ人たちによって、周辺国へ広がっていったものだ。中之島図書館のそれは、非常に精緻で、華麗さをも漂わせている。精美な装飾は、そのうえに乗るペディメントにもちりばめられている。かつて神殿が木造だったときの名残りで、屋根を支える垂木を模したとされるデンティール(歯形飾り)も再現。神殿様式を踏襲した中世以降の建築物では、デンティールは省略されているものも少なくないが、中之島図書館はここでも古典への忠節を徹底し、整然と並ぶデンティールが風格を高めている。玄関上のラネッテ(半円空間)の頂部とその左右にエンブレム風の飾りが施され、建物正面の芸術的なまとまりは、国内の近代建築のなかでも傑出している(住友グループ広報委員会)。「大阪府立中之島図書館 意匠編」より。写真は、日高胖編『野口博士 建築図集』1920より。
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恋の手刀
言うなれば、それは「青天の霹靂」という言葉が相応しい出来事であったことをよく覚えている。十八歳の春、彼女の「手刀」を目の当たりにして藤村の心は図らずも初恋を迎えた。大学生になった藤村の生活のほとんどは、キャンパスと寮とバイト先の三点が成すトライアングルの内側だけで展開されていた。テレビもラジオも新聞にも目を通さない彼にとって、三角形の外側で起きているニュースは、親戚のおじさんの若かりし頃に出したボウリングのハイスコアと同じくらい興味をそそらない話題だった。
朝遅くに寮を出て大学に行き、授業が終わるとスーパーマーケットで食材を買い、寮に帰って簡単な料理を手早く作り、夕食が済むと眠くなるまで本を読んだ。休みの日にはバイトをするか、三角形の中心近くの大きな自然公園まで散歩に出かけ公園のベンチでコーヒーを飲むか本を読んだ。大体がそれを繰り返した。そんな決して輝かしいとは言えないニューライフ・トライアングルを形成する重要な一点。西の頂点を担うアルバイト先は、高円寺の寮から少し離れたところにある小ぢんまりとした書店にあった。 雑居ビルが建ち並ぶ石レンガ通りに面したダークグリーンのオーニングが目印の個人書店。中は人と人がすれ違うのも一苦労するくらい通路が狭く、低い���井につきそうなほど背の高い本棚がいくつか並んでいる。窮屈な店内をカニ歩きで奥に進むと、布張りソファと低いテーブルが置かれた読書スペースがあり、小さな空間ではあるが本棚と立ち読み客とのわずかな隙間を抜け出てきた後ではとても広々して開放的に見える。「恋の手刀」は、正にその読書スペースで繰り出された。
三角生活が四週目を迎えた週末。書店でのアルバイトも少しずつ手が慣れてきていた。オープン前の店内には、店長と藤村と西川さんの三人だけだった。わりに遅寝の藤村の頭の中はまだいくらか眠気が支配していた。店長はレジの中で売上報告書を綴じたファイルを広げていた。西川さんは売り場の高いところから順にハタキをかけていた。藤村は読書スペースの窓際に置かれた花瓶の水を新しくし、テーブルを水拭きして回っていた。みんなは朝のルーティンを黙々とこなしていた。西川紗子と顔を合わせるのはそれが二回目で、まだ挨拶らしい挨拶が出来ていない彼は、そのタイミングをどうしたものか思いあぐねていた。
「藤村君、」店長がレジから彼を呼んだ。「読書スペースのクッションなんだけど、新しいのが届いてるから古いのと替えてもらえる?今のやつは汚れが目立ってきたみたいだから」そう言って店長は奥の休憩室の扉の前に置かれた小振りのダンボール箱を指差した。「わかりました」と彼は言って、箱を開けて中身を取り出した。くるくると筒状に丸められて圧縮されたクッションと、スカンジナビアンなかわいらしい柄のカバーとがそれぞれ4つずつあり、クッションの入ったビニールにハサミを入れて引っ張り出すとみるみる膨らんであるべき姿になった。そして彼はクッションカバーに膨れ上がったクッションを入れ込む作業に取り掛かった。カバーの口を広げてそこにクッションを入れる。それだけの単純な作業がどうしてかなかなか上手くいかず、彼は思いがけず悪戦苦闘していた。眠たいせいなのか手先がおぼつかず、太った白いクッションは藤村の言うことを聞いてくれなかった。次第に、カバーの方が一回り小さいのではないかと疑いたくなってきて、彼は小さくため息をついた
「貸して」いつの間にか藤村のとなりに立っていた西川さんがそう言って無表情で片手を彼に差し出していた。はっと驚いた藤村は言われるが儘に彼女にクッションとカバーを受け渡した。
それは一瞬の出来事だった。
彼女はソファの上にカバーを広げそのチャック部分のすぐ横にクッションを寝かせた。静かに細っそりとした右腕を振り上げたかと思うと、勢いよくクッションの真ん中にそれを振り下ろし、素早くもう一方の手でクッションに深く食い込む右腕もろとも折り畳み、左手で上から押さえつけてすっと右手を引き抜いた。その一連の流れは時間にして二秒もかからないほど手早く確実に行われ、その「手刀」を受けたクッションは抵抗する隙も与えられぬままに息の根を止められた小動物のように、大人しく彼女の手の中に収まっていた。彼女は死んだクッションを小さな右手で掴み左手でカバーの口を広げると、音もなくするりと右手を滑り込ませた。後の仕事はその袋の中で行われ、そこで何が起きているかを確認することはできなかった。気がつくとそこには張りのあるふっくらとした北欧調のクッションが四つ角をきれいに立たせて出来上がっていた。藤村は呆気に取られて声を出すことも出来なかった。彼が唖然としている間に、彼女はその工程を三度繰り返した。がらんとした店内には三発の乾いた打撃の音が響いた。海兵たちによる弔砲が、ひらけた墓地の青々とした芝生の上に轟くみたいに。細い金属縁の眼鏡の奥にある彼女の眼からは、どのような感情も読み取ることができなかった。それは彼女にとっては特に語ることもないパートタイムの一コマに過ぎない。 しかし、その華麗な「手刀」は、クッションたちに向けられたのと同時に彼の心の奥の繊細な部分をも仕留めた。これまで誰一人として訪問客のなかった暗く淋しい部屋のドアを躊躇うことなくノックした。そして問答無用にドアをこじ開け、太く柔らかい一筋の暖かな光と、豊満な恋の訪れを予感させる春風で瞬く間に部屋中を満たした。
これが恋だ。胸の中で藤村はそう叫んだ。刑務所を飛び出して土砂降りの天を仰ぐティム・ロビンスになった気分だ。彼は高円寺の街角に佇むぱっとしない書店の中で恋の嵐を一身に受け止めていた。「開店するわよ」そう言って彼女はミニスカートの裾を翻しながら彼のもとを離れ、入り口のガラス戸を開け放した。店長がレジの後ろのレコードに針を落とすと、店内にはB・J・トーマスの「雨にぬれても」が流れた。藤村の眠気は気付けばどこかへ吹き去っていた。
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