#包丁研ぎします
Explore tagged Tumblr posts
Text
包丁に名前をレーザー刻印します
小型のレーザー刻印機を持っていますので、包丁にお名前を刻む事が出来ます。 今回はお持ち込み頂きました 当店で購入頂いた場合は無料です 納期は1〜2日 パソコンで字体を作ります また手書きの文字をスキャンして、書き込む事も可能です 漫画のキャラなんかも可能 ご相談ください
View On WordPress
0 notes
Text
おじさんの友達で刃物を研ぐのが趣味の人がいて数万円の砥石を買ったりしてるらしいのだが、ハマりすぎて家中はおろか親族知人の刃物も研ぎきってしまい、研ぎの師匠(誰?)にどうしてるのか聞いたら「ダイソーで買ってきた包丁を雨ざらしで放置して研ぐ」らしく、なにもかも知らん世界すぎ
4 notes
·
View notes
Quote
魚介類に寄生するアニサキスによる食中毒が増加傾向にある。博多の郷土料理「ゴマサバ」など、サバを生で食べる食文化が根付く福岡県では昨年、全国の食中毒発生件数の1割を占めた。冷蔵で長時間輸送が可能になったことや海洋環境の変化による影響も考えられ、自治体や専門家は注意を呼びかけている。(手嶋由梨) アニサキス由来の食中毒が厚生労働省の統計に加わったのは2013年。この年の88件から増加傾向が続き、昨年は432件となった。原因別では最多で、全体(1021件)の4割を占めた。 福岡県も同様で、昨年は51件の報告があり、都道府県別で北海道、東京に続き3番目に多かった。原因施設は飲食店や販売店が35件、家庭が5件だった。 原因食品で多いのがサバだ。福岡県では、特定できたもので「ゴマサバ」が昨年は11件、「サバの刺し身」は7件。アニサキスは酢では死なないため、全国的には「シメサバ」も多かった。アジやイワシ、サンマ、カツオの刺し身も目立った。 厚労省によると、アニサキスには70度以上か60度で1分間の加熱調理が有効で、24時間以上の冷凍でも死ぬが、冷蔵では生存するという。県生活衛生課の担当者は「輸送技術の向上で長時間冷蔵で運べるようになった分、アニサキスが死なずに食中毒が起きやすくなっている可能性もある」と注視する。 生息海域で異なる種類 魚介類に寄生するアニサキスは幼虫で、クジラやイルカなど哺乳類の体内で成虫になる。卵が便と一緒に海中に排出され、オキアミ、魚介類と食物連鎖の中で成長するが、海域によって種類が異なる。 国立感染症研究所の杉山広・客員研究員によると、太平洋側は「シンプレックス(S型)」、日本海側は「ペグレフィー(P型)」が多いとされている。S型は魚の身に入り込む性質をもつ。一方、P型は内臓の表面にとどまりやすく、内臓を取り除けば食中毒になるリスクが低いため、日本海側でサバを刺し身で食べる文化が定着した一因とも考えられている。 杉山さんらのグループはここ数年、太平洋と日本海、東シナ海に面する全国数か所の漁港で水揚げされたマサバの寄生状況を調査した。九州に近い日本海のマサバでも、身の部分からアニサキスが検出され、多くがS型だった。 杉山さんは「海水温や海流の変化によって寄生状況が短期間で変動することはあるだろう。日本海だから安全というわけではない」と指摘する。 胃や腸の壁を刺され激痛、アレルギー症状も アニサキスが寄生した���を食べても無症状の人は多い��、胃や腸の壁を刺されて激痛に見舞われることがあるほか、じんましんなどのアレルギー症状も報告されている。大分大の小林隆志���授(寄生虫学)によると、アニサキスそのものが過剰な免疫反応を誘発するとみられる。 小林教授は「加熱して死滅させても抗原性が残り、アレルギーが出る可能性はゼロではない」と指摘。▽刺し身は鮮度に気をつけ、調理の際は目視で確認する▽まな板や包丁は使う度に洗い流す――といった注意点を挙げ、「行政も、原因魚種や漁獲水域、流通経路などの調査や情報提供を行っていく必要がある」としている。 冷凍せず死滅させる殺虫装置の開発進む 水産業界でアニサキスは長年の悩みの種だ。冷凍やブラックライトを使った除去が一般的だが、味が落ちないように冷凍せずに死滅させる殺虫装置の開発も進む。 天然物のアジやサバを1日計約13トン出荷する福岡市の水産加工会社「ジャパンシーフーズ」は2017年に芸能人のアニサキス感染が相次ぎ、売り上げが約2割減少した。危機感を強め、熊本大の研究者と連携し、装置の研究に乗り出した。 3年前に巨大電力「パルスパワー」を使った方法にたどり着いた。塩水につけた魚に、蓄積した1億ワットの電力を1秒間に2・4発の頻度で約200秒間あてる。電力放出は一瞬で身の温度は上がらず、アニサキスを死滅できるという。 まだ試作段階だが、工場の加工ライン向けのコンベヤー式装置や、飲食店用の小型機の実用化を目指している。井上陽一社長は「よりおいしく安全な食品を届けられるよう努力を続けたい」としている。 ◆アニサキス= 寄生虫の一種。魚介類に寄生する幼虫は体長2~3センチほどの白っぽい糸くず状で、人間の体内では成長せずに数日で死滅する。
アニサキスによる食中毒増加、長時間輸送・海洋環境変化が影響か…「生サバ」の食文化ある福岡が最多に | ヨミドクター(読売新聞)
2 notes
·
View notes
Text
2024.11.9 sat ⚪︎チャーハン ⚪︎豆腐の中���サラダ ⚪︎青梗菜と春雨の中華スープ
冷凍ご飯が溜まってきたのでチャーハン。 我が家は中華に向いた食器が無いなぁ。
昨日は「刃物の日」と聞いて包丁研ぎをしました。
今朝は新日本プロレスマサチューセッツ州の試合を観ています。 久しぶりにバッドデュードティトが観れる〜
2 notes
·
View notes
Text
10年使った包丁、全く同じ新品と並べた結果とんでもないことが判明する・・・ : オレ的ゲーム速報@刃
以下転載 https://x.com/mary_tuba/status/1788565834853740631
全く同じ包丁なんだけど ←左 10年使ったやつ →右 研ぎ屋さんに持って行ったら、流石に買い換えろって言われて買い替えたやつ
・https://x.com/mary_tuba/status/1788567202087731411
ちなみに、10年選手の子は引退してもらって、大事に取っておこうかと思ってます。 そのために最後の研ぎ直しをしてもらった感じ。
4 notes
·
View notes
Text
研ぎの秋
妹が破棄したプロ用爪切りを研いだ。一般的な爪切りはバネ状で2枚の刃を押さえつけて切る構造で、材料も余り良い金属が使われていない例が多い。しかし流石に業物なのか、部材が落ち着いた鋼でニッパー状の構造だった為、研ぎの効果は出易く感じた。
破棄された理由は刃を見れば一目瞭然で、刃の先と尻の部分が摩耗し噛み合わせと切れ味が悪くなっていた。
この手の小物の研ぎには包丁や大工道具用の砥石は使わない。使用するのは金型用のマッチ棒の様な人造砥石と、天然砥石の破片である。
まずは大村砥のコッパで大まかな形を整える。そこから先は金型用砥石の300番と1000番の砥石で細部に研ぎを入れる。具体的には刃の表側は爪切りを閉じた状態で丸みに沿って研ぐ、裏側は刃を開いて研ぎ過ぎない程度に研ぐ、あと噛み合わせを見ながら先に噛む場所を表から研いで徐々に調整していく。小刃も付けて微調整する。
金型用砥石1000番まで使ったら、次は京都産仕上砥の柔らかいコッパで同様に研ぐ(この砥石はちょっと大きかったので表しか研げなかった)。最後に相岩谷の硬い仕上砥の破片でさらに研ぎ、研ぎムラも切れ味には影響しないけれどなるべく無くす。
最後の最後に相岩谷で小刃を付けて完了。快適に使える爪切りになった。まだ微妙に歯が噛み合っていない気もしているが、余り研ぎ減らすのも良くないので次第点だろう。
黙々と細かい作業をしていると充実感が有る。
7 notes
·
View notes
Text
MUCC、『志恩』・『球体』ツアー Zepp Shinjyuku公演オフィシャルレポート
MUCC 画像を全て表示(10件) 7月26日(水)にZepp Shinjukuで開催された『MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」~志恩・球体~』のオフィシャルレポートが到着した。
MUCCが、2023年7月26日(水)に東京Zepp Shinjukuで『MUCC 25th Anniversary TOUR「Timeless」~志恩・球体~』を行なった。結成25周年を記念して、過去に発表したアルバムを軸にするツアーを2022年から開催しているMUCC。この日は、2008年に発表した8thアルバム『志恩』と2009年に発表した9thアルバム『球体』を中心にしたツアーのひとつ。またライブ・タイトルでは一切触れていないものの、7月26日はギターのミヤの44回目の誕生日でもある。
そのミヤがセレクトした開場BGMと、ミヤの誕生日を祝う気持ちで、開演前からすでに熱さも充満するソールドアウトとなったZepp Shinjuku。SE「球体Instrumental」が響くとハンドクラップも起こり、ステージは照明で赤く染まっていった。まず登場したのはサポートの吉田トオル(Key)とAllen(Dr)。そしてストロボ・ライトも点滅し始めたステージに現われるYUKKE(Ba)とミヤ(Gt)。一気に高まる興奮と緊張感。SEが「99」のシーケンス・フレーズへと切り替わり、一人、照明を浴びながらミヤがギター・フレーズを奏でていった。泣きと哀愁のメロディが夢烏たち(オーディエンス)の気持ちを惹き込んでいく。
だがその直後のこと。逹瑯(Vo)がステージに登場し、大きく足を広げたと思えば、衝動の塊のような咆哮をとどろかせた。同時に何本ものスモークが激しく上がり、バンド・サウンドは業火のごとく夢烏を襲う。身体も脳も叩き起こされ、荒れ狂う海原のように極悪なうねりを夢烏たちはフロアに作り上げていった。 『志恩』と『球体』の世界観を現在のMUCCが再構築した曲が、1曲目となった新曲「99」だ。歪んだ声や突き抜けるメロディを駆使した逹瑯のボーカル、メロディック・デスの旨味もたっぷり吸った攻撃的リフやリズム。そこに煽情的なフレーズも入り込む。この25年間で培ったMUCCの圧倒的実力は、ライブに次ぐライブでさらに研ぎ澄まされ、熱量も説得力もハンパじゃない。
「オイ、新宿! 俺の誕生日だ、暴れてけよ!!」―ミヤ
本日の主役自らが夢烏たちを荒っぽく歓迎。逹瑯も「全力で祝おうかー!!」とシャウトのように叫びながら、曲は「咆哮」へ。ラウドで激情たっぷりの音が暴れ狂う。 なにしろ、『志恩』と『球体』は、AVENGED SEVENFOLDやBULLET FOR MY VALENTINEらとのカップリング・ツアー<Taste of Chaos 2008>など、MUCCが精力的な海外ツアーを行なっている最中にリリースや制作されたアルバムでもある。エレクトロやメタル・テイストも強めで、ハジけていく曲や尖ったナンバーも多い。つまりライブで威力を発揮する曲たちだ。そうしたナンバーを次々とたたみ掛け、熱を注ぎ込み続けるMUCC。歓声も掛け声も思いっきりあげながらモッシュでぶつかり合う夢烏たち。熱狂と狂騒の渦がMUCCを激しく彩り続けていく。
「新宿区歌舞伎町でここだけが唯一、治安がいい場所。思う存分、はっちゃけて、暴れていってくれ」―逹瑯
ライブの様相は激しさを増すばかりながら、MUCCを愛する夢烏たちしかここにはいないから、治安は確かにいい。一切の遠慮なく強烈なプレイや邪悪な歌いっぷりで圧倒しながら、楽しさマックスの笑顔もこぼすメンバーたち。夢烏たちの身も心も激しく突き動かしながらライブは展開していった。
しかし中盤には、もちろん『志恩』からの「小さな窓」や、『球体』からの「讃美歌」など、想いの溢れる言葉や音で、心をつかんで魅了するMUCCも。それぞれの楽曲を生み出して、すでに10数年もの時が経った。その間にバンドとして、メンバー個人として経験した出来事の中には、当然、悲しさや寂しさを伴なうこともあったはず。そうしたことが意識せずとも曲にフィードバックされ、メロウな曲や歌から自然に滲み出る様々な想い。生まれたとき以上に膨らみと包容力のある曲になって、夢烏たちの心を丁寧に包み込んでいった。
だがミヤの呪術的なフレーズを合図に「志恩」へ突入すると、ライブは再び急展開。照明で不気味な陰影も浮かべた表情で、メンバーは邪悪な音を叩きつけていく。「空と糸」では「起きてるのか、新宿! コロナでなまってんじゃねーぞ!!」とリフを弾きながらミヤはさらに焚きつける。鋭利で凶暴なMUCCサウンドが夢烏たちを激化させ続ける。しかし、そんなもんでは本日の主役は満足しない。「今日のために、わりと緩めの会場選んだつもりだ。やれるヤツは、やれ!!」とミヤ。そうして始まった「フライト」では、夢烏たちの肩車がいくつも出現し、曲のキメと同時に、ミヤの誕生日を祝うクラッカーのテープのごとく跳び、そのままクラウドサーフも。こんな祝福されたら、やっぱり黙っちゃいないのがミヤ。「フライト」の勢いのまま「1曲追加します!」と、『極彩』からの「謡声」をブチ込んだ。イントロ直後に慌てふためく吉田トオルの姿に、全く予定になかった曲だったことが伺える。こうしたお祝い返しなどもありながらライブはエンディングへと向かっていった。
アンコールでは、一人、ミヤが感謝しながらステージに登場。「44歳になりました。ありがとうございます。18~19歳で上京して、すぐ歌舞伎町でバイトを始めたんですよ…」―ミヤ カラオケ屋でお客さん勧誘のバイトをしながら曲を作っていた話や、バイト時代の様々なおもしろい出来事も暴露。「俺の第二の故郷は、ここなんで」と、お笑いトーク・ライブと化���ミヤ@Zepp Shinjukuである。YUKKEと逹瑯も加わって、歌舞伎町にまつわる話が止まらない。トリオ・ザ・MUCCの独演会となっていく。
また話は、グッズのひとつ“パイ扇”のことに。LEDで鮮やかに光る扇子だ。「みんな、点けてみて。せぇ~の!」とYUKKEの言葉を合図に光らせると、吉田トオルが「ハッピー・バースデー・トゥ・ユー」をピアノで弾き始め、LEDスクリーンには“HAPPY Birthday TO MIYA”の文字やキャンドルのCGが。夢烏たちが歌いながら祝う中、ステージには巨大な誕生日ケーキも登場。さらに、MUCCのFC旅行<ムックランド>シリーズのキャラ“チャッピー・ラビット”(ミヤがデザイン)も駆けつけて、生みの親を祝福。にぎやかで愛に溢れるお誕生日会となった。
約20分のトーク・ライブの後��、フライングVを持つチャッピー・ラビットも交えて「蘭鋳」を全員でかき鳴らす。曲の中盤、座ってからの一斉ジャンプの合図を出すのは、もちろん主役のミヤだ。「MUCC最初の44歳、一緒に遊ぼうぜ! 歌舞伎町、全員、死刑!!」―ミヤ
全身全霊で楽しむMUCCと夢烏たち。そして25年前のバイト中、この第二の故郷で見た人間ドラマから作った「娼婦」も披露。いろいろな曲展開が入ってくるあたり、当時からの音楽的貪欲ぶりが現われている。この日のラストを締めくくるのは、未来に向けた願いも込めた「WORLD」。メンバーがハーモニーを歌いながら曲に入っていくと、夢烏たちも歌声を響かせていく。MUCCの演奏と夢烏らの歌はひとつになって、さらに夢烏たちは愛も込めて手を掲げ続ける。互いに笑顔を見せながら感動のエンディングを迎えた。
取材・文=長谷川幸信 撮影=冨田味我
セットリスト MUCC 25th Anniversary TOUR 「Timeless」~志恩・球体~ 2023年7月26日(水)Zepp Shinjuku 01 99 02 咆哮 03 アゲハ 04 梟の揺り篭 05 オズ 06 レミング 07 ファズ 08 アンジャベル 09 カナリア 10 浮遊 11 燈映 12 小さな窓 13 讃美歌 14 志恩 15 空と糸 16 塗り潰すなら臙脂 17 シヴァ 18 フライト 19 謡声 20 hanabi 21 リブラ <ENCORE> 22 蘭鋳 23 娼婦 24 WORLD
quelle: spice-eplus.jp
2023.08.03
3 notes
·
View notes
Text
クィアたちのZINE交換【前編】
発端
ある6月の休日、ZINE交換会に参加した。 主催は、数人のクィアによって結成されたプロジェクト集団「陰気なクィアパーティ」。今年春から、東京と名古屋で、派手なパフォーマンスが苦手なクィアのための穏やかな集まりを開いている。
そもそも「クィア」とは何か
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めない人を指す言葉として、最近様々なメディアで使われるようになった。 元々「クィア(queer)」は「奇妙な」「異様な」という意味の英語で、セクシュアルマイノリティたちを揶揄する蔑称として欧米で使われていた。 しかし社会運動をしていたセクシュアルマイノリティたちが、たとえ端から見れば奇妙でも自分たちはありのままで生きるという決意と共に「クィア」を自称しはじめたことで、かつてのネガティブな意味合いが薄れてゆき、現在に至っている。
「クィア」の意味するところは「セクシュアルマイノリティ」と似ているが、カバーする範囲は「クィア」の方が広い。 紙媒体やネットでこれらの言葉に触れてきた印象では、「セクシュアルマイノリティ」は、性自認・性的指向が明らかにマジョリティとは違うという自覚がある人を指している。 それに対して、「クィア」には、まだはっきり認識できていないものの、世間が想定する性のカテゴリーに今ひとつ馴染めない…と感じている���うな、マジョリティとマイノリティのあわいにいる人も含まれる。 また、「セクシュアルマイノリティ」には、マジョリティに理解されず、社会から疎外された存在というニュアンスがある(その他の「マイノリティ」=在日韓国人、部落民、外国人などのような)。 この言葉が使われる際は、当事者が法制度などによって不当に権利を制限され、自分らしく生きることを阻まれているという実態がセットで提示されることが多いように思う。
例えば、性自認が男性(シス男性)で恋愛対象は女性(ヘテロセクシュアル)だが、女装をしている時の方が心地よいという人がいたとする。「クロスドレッサー(異性装)」「トランスヴェスタイト」「女装家」などと呼ばれる存在だ。 特殊なセクシュアリティを持っているが故に、街中で後ろ指を指されたり馬鹿にされたりして、尊厳を傷つけられることはあるだろ��。 しかし、「ホモセクシュアル」ではないので、同性婚できない日本でパートナーと結婚できずに苦しむリスクはない。 「トランスジェンダー」的な傾向はあるものの、性自認と医学的・社会的に割り当てられた性のギャップに苛まれたり、高額な性別適合手術の必要性を感じているわけではない。 このような人は、「私はセクシュアルマイノリティです」と言っていいのか戸惑いがあるのではないだろうか。 自分の辛さは、法制度と闘わなければならない人のそれに比べたら軽微なのだから、この程度でセクシュアルマイノリティを自称して生きづらさを訴えるのは行き過ぎている…と自粛してしまうことが考えられる。 しかし、男は365日ズボンで暮らすものだという既存のジェンダー観から外れているという点で、彼は間違いなく「クィア」である。「私はクィアです」と言うのは、「私はセクシュアルマイノリティです」と言うよりはるかにハードルが低い。
「クィア」は、既存の性のカテゴリーに馴染めていないが「セクシュアルマイノリティ」の括りから除外される人々もふんわりと包み込む、懐の深い言葉だ。 セクシュアリティは千差万別で、まだ解明されていないことも多く、しかも生まれてから死ぬまでに変化する可能性もあるという揺らぎを前提として生まれた概念なので、より多くの人たちの拠り所になれる。しかし、このふんわりとした性質故に、定義するのは非常に難しい。
参考:
私のクィアネスについて
私は自分が「デミロマンティック」だと思っている。要は、世間一般の人と比べて、恋愛感情が希薄だという自覚がある。
多分「デミロマンティック」は多くの人にとって聞き慣れない言葉だが、「アセクシュアル」「アロマンティック」であれば知っている人はいるのではないだろうか。 「アセクシュアル」は性的欲求を持たない人、「アセクシュアル」は恋愛感情を持たない人を指す。 (日本では「アセクシュアル」は恋愛感情も性的欲求もない人の意味で使われ、恋愛感情はあるが性的欲求のない人は「ノンセクシュアル」と呼ばれるケースもあるようなので、「アセクシュアル」の意図するところは使う人や文脈によって変わりそうだ。なお、「ノンセクシュアル」は和製英語だそうです。)
「アセクシュアル(asexual)」「アロマンティック(aromantic)」の頭に付く「a」は、英語では否定(non-、un-)の意味を持つ。「asexual」=「sexual(性的欲求のある状態)でない」、「aromantic」=「romantic(恋愛感情のある状態)でない」ということになる。 一方、「demi」は、「半分」「少し」の意味を持つ(ヨーロッパ系のカフェでエスプレッソを注文すると出てくる小さなカップ=「デミタスカップ」を想像してもらえると腑に落ちるのではないでしょうか)。つまり「デミロマンティック(demiromantic)」は、「romantic(恋愛感情のある状態)が少なめである」という意味になる。
息抜き:
youtube
当事者の書いた文章や当事者が主人公の小説を読む限り、アセクシュアルおよびアロマンティックの人は、それぞれセックスや恋愛に対して拒否感や嫌悪感がある印象だ。 私はどちらに対してもそこまで強い拒否感はなく、恋愛の延長線上にセックスがあることにもそれほど違和感を持っていないが、いかんせん恋愛感情が起こらない。
学生時代、周囲が少女漫画を貸し借りして「○○君と△△君だったらどっちがタイプ?」「私たちもこんな恋愛したいよね~」と真剣に語り合っている中、私はそのテンションに全く付いていけず、自分はみんなと違うな……と漠然と感じていた。
勉強や就職活動や創作活動などは、将来の自分の可能性や選択肢を増やして今より自由になるための活動であるのに対し、恋愛は、相手と良い関係を作るためのしがらみや我慢を発生させる点で、人生を不自由にする活動だと思っていた。 シスヘテロ男性との恋愛の先にあるかもしれない結婚・妊娠・出産などを想像すると、積極的に恋愛するシスへテロ女性たちは、自ら進んで家父長制に取り込まれにいっているように見えてしまった(ものすごく穿った見方だという自覚はある……彼女たちは自分の意志で恋愛しているのであり、余計なお世話だとは思うけど)。
私の中にこういった思考が育まれたのは、幸せな恋愛やパートナーシップのサンプルを身近に見つけられなかったという環境的な要因に加えて、やはり先天的な要因もあると思う。 近年の脳科学では、外部からの刺激によって脳内の快楽を司る「報酬系」という神経回路が活発化し、ドーパミンが分泌されると恋愛感情が起こるとされている。多分、私の脳ではこの回路があまり活発ではなく、少女漫画という刺激では作動しないのだろう。 (ただ、脳内物質にはドーパミン以外にもセロトニン・テストステロン・エストロゲンなどがあり、これらが出ていれば何らかの感情は発生していることになるので、恋愛感情がないからといって無感動というわけではないのですが。)
参考:
社会人になってから、微妙に恋愛感情が出てきた時期もあるにはあったが、それも数年に一度ぐらいの低い頻度だった。 仕事が忙しければどうでも良くなるし、一人で行きたい場所に旅行したり、カルチャーに触れたりライブやイベントに行ったりすればそこそこ満たされてしまうので、そのうち別にいいやという気持ちになる。
そんな自分のことを、私自身は「ドライな人間」「淡泊なタイプ���だと解釈していた。 ただ、性自認と医学・生物学的な性は一致しており(シス女性)、恋愛感情が起こる場合は異性に向くため(ヘテロセクシュアル)、自分がセクシュアルマイノリティだとは思っていなかった。 しかし、日本でもセクシュアルマイノリティに関する議論が活発になり、LGBT以外のセクシュアルマイノリティやクィアについての文献や記事が広く出回るようになって、やっと「デミロマンティック」というちょうど良い表現に出会えた。
クィアを自覚した後の問題
自分がクィアだと自覚することは、こういう人間は自分だけではないと安心できる点では救いだが、自分は差別される側の人間なのだという疎外感を突きつけられる点で呪いにもなる。 過去にセクシュアリティの違いが原因で周囲から浮いてしまった経験を、差別を受けた体験として捉え直す作業は、それなりの痛みを伴う。 しかし、これを丁寧に行わなければ、自分の生きづらさを解きほぐして緩和することもできないし、この先どう生きるのが自分にとっての幸せなのかも模索できない。 また、自分が生きている日本社会がどんな人間を異端として疎外・排除しているか、あらゆるセクシュアリティが肯定されるために社会や自分自身はどうあるべきかも見えてこない。
自分の中のクィアネスに向き合うことを意識し始めてから、同じように既存の性のカテゴリーからはみ出している人がどう生きているのか知りたいと思うようになった。 コロナが沈静化したタイミングで読書会やコミュニティを定期的に検索していたところ、「陰気なクィアパーティ ZINE交換会」の告知に出会った。 クィアとして生きる実感をZINE作りという形で語り直す作業を、この機会にやってみたいと思った。
限られた時間の中で何とか内容をまとめ、A5版12ページ、6,000字強のZINEが完成した。 会場で7部を交換し、2部は手持ちのZINEがなかった人に渡した。
「陰気なクィアパーティ」の大らかさ
私は「LGBT」ではないし、「アロマンティック」「アセクシュアル」のいずれでもないので、そういった人を対象とするコミュニティへの参加には抵抗がある。 でも「クィア」を冠したコミュニティであれば、私もここにいて良さそうだと思える。
会のグ��ウンドルールには、このような文言がある。
陰気なクィアパーティは、セーファースペースであり、あらゆる性のあり方を持つ私たちが共にいるための空間です。 差別の構造を解体する空間であるためには、参加者全員の協力が必要です。 自身の境界と他者の境界を尊重し、全ての人が居心地良く過ごすことができる対話空間作りにご協力ください。
この宣言はとても心強い。 このような場なら、「性的指向も性自認もマジョリティと変わらないくせにマイノリティぶるな」とか、「もっと辛い立場にあるセクシュアルマイノリティに比べれば、お前のしんどさなんて取るに足りないものだ」といったような攻撃を受けるリスクは低そうだと感じた。 そして、一定の安全が担保された空間で様々なクィアたちとコミュニケーションする中で、クィアとしてどう生きるかのヒントが掴める気がした。
会場に足を運び、様々なセクシュアリティの参加者からもらったZINEを読んで、自分の想像を超えた差別や疎外感を知り、世界の見え方が少し変わった。 あの空間に、一人のクィアとして立ったからこそ見えた景色だ。 私のZINEも、誰かにとって新たな気付きをもたらすものになっていればいいなと思う。
会社を辞めようとしているタイミングでこのような場に出会うことができ、本当に感謝している。 主催者の皆様、ありがとうございます。
そして今後は、小説の執筆ペースを上げることと並行して、一人のクィアとして考えたことをもっと言葉にしたくなった。 個が尊重されるセーファースペースで、様々なクィアと対話したり励まし合ったりする時間が定期的にあったら、何かと心細いクィア人生も豊かなものになる予感がする。
9 notes
·
View notes
Text
静かな部屋で一人うなだれながら、ああ、生活を丁寧に実践する必要がある、と思った。私の心にはそれによってのみ慰められる部分があることをなんとなく理解している。そういうこともここ数年の一人暮らしで気づいたことだ。
1.米は研いで浸水させておきます。
支度を始めたのは日付が変わる頃だった。それでも私はこの絶望をマシにするためにお腹いっぱいになる必要があった。そこまでお腹が空いていたわけじゃなかったけど、たしかに夕飯は食べていなかった。全然寝れたと思う���ど、例のごとく悪夢を見ただろう。
インスタントラーメンや冷凍食品はダメだ。水に触れる、何かを切る、火の熱を感じる、そういうひとつひとつの儀式的なステップを確実に踏むことが重要だ。
2.ゆでたけのこは柔らかい穂先と硬い根元で切り方を変えるのがおすすめ。穂先は繊維にそって5㎜幅に縦に切り、根元は繊維を断つように5㎜幅のいちょう切りにします。油あげは厚ければ厚みを半分にして、5~6㎜四方くらいのみじん切りにします。
包丁がざくざくとたけのこの繊維を断っていく。油揚げを抑える左手が油でぬるぬるする。切る音。
なんだか釈然としなかった。心にふつふつとなにか感情が湧き上がって、すぐにそれは怒りだと理解した。不思議なことに、私は怒っていた。なにに怒っていたのか説明するのは難しい。でも全てに怒っていた。先の投稿で言ったような人間の気持ちの悪いところ全てに。あるいはそうさせる社会や、インターネットに。おかしいよ、あんなのは本当に間違ってる。人と人の間にあるべき態度をなぜ持てないの?私は震えるくらい怒っていた。
息をついて落ち着く。笑えた。どう考えてもPMSだ。
3.米が浸水できたら、一度ざるに上げてしっかり水気を切って、炊飯器の内釜に移します。そこにAの調味料(醤油とみりん各大さじ2と1/2)を先に加え、次にだし汁を2合の目盛まで注ぎ入れます。さっと全体を混ぜ合わせてから、油あげとたけのこをすべて上に加えます。炊飯器をセットしてスイッチを押します。
小鍋に昆布を敷き、水を入れて火にかける。温度が上がっていくに従って水がわずかに色づいていく。湧く直前に火を消し、だし汁を冷ます。冷ましただし汁を注ぎ、具材を入れ、全てが炊飯釜に収まる。
ふと突然、愛しているかもしれない、と思った。それは単に好意の形容じゃなくて、真に愛を実践しているという意味で。土井善晴先生の『料理をする事は既に愛している、食べる事は既に愛されている』という言葉を思い出す。本当に、仰る通りだ。料理をすることは、そこに至る経緯を取っ払って、それ自体が愛の表明だ。私は私のために料理をし、”私”を──つまり私を形作った全て、クソみたいな世界全体を愛していた。すでにこの料理は世界への報復だった。勝つ。愛することで。絶望や怒りを覆い、私をそうさせたものすら許す。
そして炊飯器が鳴る。ご飯が炊けた。
おこげ。完璧だ。勝った!諸悪も愛の前には無力だ。とても簡単なこと。
言葉よりも雄弁に、疑いの余地なく、誠実な愛だ。おいしい。香りがする。暖かい。
(太字部分はhttps://www.sirogohan.com/recipe/takenokogohan/ から引用。)
8 notes
·
View notes
Text
ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッ��のチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑張ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の人材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。���うした危惧も無く、今をこの世の春と謳歌できる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感性の持ち主なのだから、天然記念物らしく朽ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシーではなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事は、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り難く調理し、美味しくいただく。��れ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ粒に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を動かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボンなど世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催された25歳以下世界お菓子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところ���出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテーしたサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如くに、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われ���事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな心的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには、自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱石の超個人主義の時代が到来したのだと理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうとし続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
6 notes
·
View notes
Text
Jamie Oliverである私
近年のYouTubeでのレシピ���画の発達と在宅勤務という生活スタイル上の自然な成り行きとして、今までやってこなかった料理や調理法を試すことが多くなってきている。
すると、「いやこれ、鋭い包丁じゃなくちゃできないでしょ」という動きがマストな場面に出くわすことがあり、うちの包丁はかなりのナマクラなのでそこで何らかの代替案を探す羽目になることが結構ある。
そこで初めて包丁を研いでみようと思って電動包丁研ぎ機を買ってみた。意外と2千円以下とかで買えるんだね。
YouTubeでゴードン・ラムジーから玉ねぎの素敵な切り方とかも伝授され、スキルアップしてきたところなので、鋭い包丁でもう一ステップ料理の腕を上げていこうと思う。
ほんとどうでも良い話。ちょっと前に伊勢神宮に観光で行ったときに、なんか神官?みたいな格好した人が割と雰囲気のある社の中に座ってて、隣の警備員さんみたいな人と世間話をしていたのだけど、半年で辞めた新人の愚痴を言ってて、神官みたいな人にも新人がいて、しかもすぐばっくれたりするんだ、と思った。
0 notes
Text
この5本を研ぎ上げました。
茶内のクレバさんでお預かりした30センチ大ぶりな出刃庖丁。だいぶ錆びていたので、出来るだけ削って綺麗に。柄を持つとキシキシと言う事は緩んでしまっているようなので柄を交換。刃先にも錆び穴があったので錆び穴が無くなるところを目指して研ぎ上げました。4本の包丁は大根農家さんの包丁、柄の無い方は機械に取り付けて使います。これがなかなか硬い材質、良い仕上がりです。三徳包丁二本のうち関孫六は芯が鋼で錆が進んでいましたが砥石で出来るだけ落として仕上げました。共柄の方は錆びもなくスムーズに仕上がりました。他に円盤刃も4枚研いでいます。 包丁研ぎの依頼を心よりお待ちしています このブログにイイネしていただける。とメチャクチャ嬉しいです。 包丁研ぎ トギヨシ 北海道 釧路市
View On WordPress
2 notes
·
View notes
Quote
犯人につながる多くの証拠がありながらも、23年たった今年も事件解決には至らなかった。平成12年12月、東京都世田谷区の住宅で会社員、宮沢みきおさん=当時(44)=一家4人が殺害された事件。警視庁はこれまで延べ約29万人の捜査員を動員して犯人の行方を追ってきたが、捜査は難航している。年月の重さと遺族の悲しみを知る捜査関係者は「原点回帰」に活路を見いだす。地取り不十分犯人の指紋、DNA型も検出された血痕、凶器の包丁、特徴的なトレーナー、蛍光剤の付いたバッグ…。事件当時、現場には犯人に直接つながるような豊富な物証が残されていた。指紋がカギとみた警視庁成城署捜査本部は、機動隊員をも動員し、周辺に住む男性の指紋採取に力を入れた。だが、当時の捜査幹部は「指紋にこだわり、基本的な捜査ができていなかった」と打ち明ける。物証の多さが油断を招き、現場周辺で聞き込む「地取り」や被害者の顔見知りを調べる「鑑取り」などが不十分だった可能性があるという。元捜査幹部によると、ある報告書には、事件当時に不審な物音を聞いたという情報があったが、捜査員が確認したのは数カ月後で、「勘違いだった」とだけ書かれていたこともあった。元捜査幹部は「指紋を集めることに集中し、聞き込みの中で深く話を聞くことを怠っていた」と悔やむ。情報提供多く提供情報の多さにも翻弄された。発生後1年間だけで捜査本部に寄せられた情報は約5900件、聞き込み対象は約5万2千人にも上った。発生から約5年後に成城署長に就き、現在も遺族と交流を重ねる土田猛さんによると、事件前日に現場近くで、「ラグランシャツ」と「ヒップバッグ」を身に着けた若い男の目撃情報が寄せられたことがあった。いずれも犯人が遺留した��衣と一致し、重要な情報だったが、捜査員には共有されておらず、提供者に再度聴取したのは約1年後。土田さんは「膨大な情報に押し流されてしまったのではないか」と推察する。原点回帰訴え年月の経過とともに亡くなる人や現場周辺を去る人も多く、証言の真偽���確認さえ困難になっていった。「今となっては白か黒か確認できない情報も多い」。元捜査幹部は無念さをにじませる。「これはという目撃者は年に1回程度再訪した方がいい。思い出すことだってあるかもしれない」。土田さんは改めて地道な地取り捜査の徹底を訴える。同時に、研究が進むDNA捜査に希望をつなぐ。法整備をした上で、犯人のDNAから特定できる民族、年齢層、容貌などの情報を公開し、捜査に活用すべきと提案している。事件から23年。宮沢さんの母、節子さん(92)の体調は芳しくない。情報提供を呼び掛ける街頭活動でも先頭に立ってきたが、今月16日に都内で開かれた集会では、土田さんに代読を託し、こう呼び掛けた。「生きている間に真相を知りたい」◇「事件知らない」進む風化事件現場となった宮沢みきおさんの自宅は、当時と同じ都立祖師谷公園内に残されている。長らく警察官が常駐していたが、令和2年に無人化。情報提供を呼びかける看板も撤去された。事件を知らない少年らによる落書きや侵入などのいたずらも相次ぎ、足元でも風化が進んでいる。「事件のことは知らなかった」。今年10月、宮沢さん宅敷地に侵入し、摘発された約10人の男子高校生の話は捜査関係者を驚かせた。インターネット上で心霊スポットとして知ったといい、「肝試しで入った」などと説明。これを機に、警視庁は「立入禁止」の看板を目立つよう変更し、フェンスには夜間に光る警告灯も設置した。事件に関する有力情報の提供者への懸賞金は最大2千万円。一方で、今年に入ってからの情報提供は162件(11月末時点)にとどまる。(内田優作、前島沙紀)
指紋・血痕・凶器の包丁…物証多数 無念にじむ「初動の油断」 世田谷一家殺害23年 - 産経ニュース
2 notes
·
View notes
Text
【かいわいの時】昭和八年(1933)9月16日:天王寺南門超願寺にて「上方怪談会」開催(上方郷土研究会)
天王寺南門を一丁南へ行くと西側にある古刹超願寺は人も知る竹本義太夫の墓があるので著名、秋の日脚は短く暮れた宵闇に寺門にボンヤリ燈った目標は上方怪談會と記した白張提灯、門を入って玄関まで怪異の掛行燈を連ね、受付では真面目な署名を乞ふたがその脇の土塔茶屋では一吹と腰を掛けると、經木に詩歌を乞ひ、茶の香りに氷水を末期の水となぞらへて出すので、皆が冷いやりする。奥の書院では仝寺秘蔵の応挙筆の幽靈像を佛間型にした裡に凄然と祀り、本床には英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅、展觀として本會所秘蔵の幽霊、妖怪、變化の錦繪を座一杯に繰展げて置いた。續々の來會者で本堂は忽ち満員、この調子では幽霊の方がをぢけがつく。午後七時半挨拶に始り、序論の形で京都より態々来阪の江馬文學士が「文學に現れたる幽霊」を風俗専問の立場から真面目に諧謔を交へて講話され、次で茨木の日垣明貫の息章道氏は父君の材料を携へて事實談を上手に順序よく物語られた。尚三四氏の申込みがあったが、時間の都合で中止し、中入として蓮の葉に包んだ白蒸の飯に奈良漬、苧殻*の箸を添へたのを配った。この中に日垣氏が當夜寄贈せられた半切に仝氏が書かれた大入道の繪を抽籤することにし、赤紙を一枚入れて置いたところ、来會者の木村喜行氏(新町吉田屋)が引當てられた。さてこれ等の興味で時刻は九時過ぎになったので、當夜の呼物である三遊亭志ん藏氏立つことになり、前提として同氏体験の事實談「血風呂」の話を得意の話術にて一席、シンミリと聽かせて、先ず聽衆に凄味を興へ、さて獨特の幽霊扮装に移る。簡單に青隈で顏としたのを見せて置いて、暗轉で、お岩の幽霊、どろどろーー合方もないが、照明役の手際によって陰火点滅すると凄気堂に漲る。一同やあれ恐はやーーで退場閉会す。當夜お土産として蝋燭で見るお化け繪に超願寺寄贈の繪はかき一組と、松竹より無縁墓供養として寄贈のお岩に因んで「岩おこし」を贈った(南木生)。「三十八回上方行事上方怪談會記」『郷土研究上方 第三十四号』 (昭和八年十月一日発行)より。 *苧殻(読み)おがら アサ(タイマ)を古くは〈苧(お)〉と呼んだが,皮をはいだ茎は苧殻(麻幹)(おがら)と呼び,お盆の迎え火,送り火をたくのに用い,供物に添える苧殻ばし(箸)とする。種子は苧実(おのみ)すなわち麻実で,薬味として使い,七味唐辛子に入れられている。世界大百科事典 第2版
(写真)上方郷土研究会「三十八回上方行事予告 上方怪談会」。『郷土研究上方 第三十三号』より。
日時 昭和八年九月十六日午後正六時開催 場所 天王寺南門(義太夫の墓のある)超願寺(千日前発掘の無縁墓あり) 展観 応挙の幽霊(超願寺蔵)及幽霊、妖怪、変化錦絵二百点陳列 開会順序 六時より会員有志の実話談に移り、九時余興、十時閉会 扮装実演 幽霊になるまで 三遊亭しん蔵*氏 会費 五十銭(粗供養記念品呈上) (『郷土研究上方 上方怪談号(三十三号)』1933掲載)
*三遊亭志ん蔵(1887-1964) 怪談話『お岩の幽霊』を得意とし「幽霊志ん蔵」と呼ばれる。戦後は上方で数少ない明治から継承されていた古い怪談噺を演じる落語家として重宝される(ウィキペディア)。
*会費50銭は現在価値で約2500円(中入り軽食・岩おこしの御土産付き)。1930年から1931年にかけての大恐慌(昭和恐慌)で、昭和はじめの日本経済は深刻なデフレに陥っていました。当時の1円を現在価値に換算することは容易ではありません。目安として明治初期と昭和10年の大工の手間賃で比べると、0.5円(1870)=2円(1935)=17000円(現在)*。これより、1円(1935)≒8500円(現在)。デフレの影響で昭和10年ごろの1円の価値はかなり高かったようですが、しかし、当時ガスビル食堂の1円ランチが、行列ができるほど人気があったことを考えると、現在の「感覚」からすれば、1円=5000円ぐらいとするのが適当ではないでしょうか。同じ頃に浜松市のデパート跡で開催された「警察博覧会」(遠州新聞社主催)の会費(入場料)が大人15銭、現在価値にして約750円。妥当な範囲だと思われます。*明治初めの1円=0.125石=34000円(現在)で換算。
[註]「応挙の幽霊像」(他には「英一蝶筆の百鬼夜行の横大幅」)がリストアップされていますが、残念ながら、いずれも現存していないようです。ほんまやったら、重要文化財。「もう少し寝かせておきとうございます」
1 note
·
View note
Text
--深海人形-- じゃあなアル!元気で暮らせよ!クリスによろしくな!
※後半:クロスオーバーネタ注意
※サガとガソダムの話ばっかりだけど、基本、雑多
※全体的に閲覧注意
※キャラ崩壊注意
※私は、三流のハッピーエンドよりも、一流の悲劇を��びます。
…サガシリーズは、只管、只の物理攻撃か武術(である筈)なのに状態異常かデバフを相手に付与する技多い(※薙ぎ払い、骨砕き、かの有名な流し切り、かめごうら割り、イドブレイク等。…その上、地相を変える技すらある……)。
…。
シロッコの格闘スタイルは、鯖折り以外の幸せ投げを使って来ないほのかちゃん(fromDOA)みたいなイメージ(※仮に彼奴が幸せ投げを使って来たら不幸投げだよ)。
…。
…如何でも良いけど、拙作では、ニュータイプには(※ロマサガ的に書くと)全武器に閃き適性があって、『レフトハンドソードの様な左利きじゃないと本領発揮しない武器(かレフトハンドソードそのもの ※元ネタはロマンシング サガでマルディアスの神々が英雄ミルザに与えた武器)』使わせると、右利きでも左利きと同じ火力出せると言う謎の仕様あります(※バグでは無く仕様)。
…。
星の屑作戦を遂行するガチの屑、それがデラーズフリートであり、アナベル・ガトーだ。
…。
…バーニィや戦争をしたくなかった学徒兵達の意志を戦後、最悪のテロリズムで踏み躙った屑の集まりがあの艦隊でありデラーズでありガトーです。皆様忘れないで。
…。
…精神的に成熟するとニナを許せる様になるが、反比例してガトーを許せなくなる(※更に成熟すると、何処にも勝利者は居ない事を嘆く様になる)。
…。
※クロスオーバー注意
…前回の話でシロッコに千手観音とタイガーブレイク(どちらもロマサガ2・3における体術最強技)使わせようとしたけど、それだと、「…この様で、何故、格闘の心得無いって名乗れるんだ?(※才能の方は知らん)。」…と言う事になるので没(…EXVSでThe Oがジャイアントスイング使うので、それ使わせようと思ったけど、あの魚人相手だと、ダメージ出せないので没)。
凶器攻撃で流し切りとパリィ使わせる案もあった(※其れに、流し切りが完全に入ったら腕力ダウンのデバフ入るんで美味い)。棍棒技でかめごうら割り(※防御デバフ技)と言う案も……(※全部ロマサガ仕様……)。
…。
※クロスオーバー・男リョナ注意
※ステカセキングにバーニィのビデオレター音声を再生して欲しかっただけの話(※本当に、それだけがやりたかっただけの話)。
※人間(※ジェロニモじゃない奴)に負ける悪魔超人ステカセキング(※…ステカセ自体は家電として時代遅れと各所で言われてるし仕方無いか……)
※前作(※--深海人形-- どんな存在に対しても平等に優しい世界なんて、何処にも無い。世界は非情である。後半収録のシロッコ回)との温度差が凄い(※鬱極まりない)。
※ステカセがマジで悲惨な負け方するので、ワイ以外のファンも注意してね……読まないで……(※…ワイ書いてて辛かったよ……)。…ステカセキング結構好きなので尚更……(※…じゃぁ!何で描いたんだよ!?)。
「…我々は、対超人試合での人間について研究して居ます者です。…標本(サンプル)が致命的に足りず、…如何か貴方の御力を……。」
それに対して、ガトーは、二つ返事で了承する。
「…ほう、良かろう。…最近、退屈して居るのでな。」
…。
その日、ガトーは、予め用意して貰って居たプロレスラーのコスチュームを着て、リングの上に上がった。
対戦相手は、ステカセキングと言う機械仕掛けの悪魔超人だった。
「只の人間が相手か!…此れは申し訳無い位に、楽に勝ててしまうな!」
…只の人間(ソロモンの悪夢)。…然し、ガトーはガトーで、ステカセに対して失礼な反応をして居た。
「…何だ?あの完全自立型の奇天烈アンドロイドは?」
…そして、試合開始のゴングが鳴る。
すると、早速、ステカセキングは、背中のランドセルからカセットを取り出し、それを入れる。
「…これだ!強化カセット:ニュータイププログラム!」
「ニュータイプだと?!」
「此れはな、名だたるニュータイプのアルゴリズムをシミュレーションプログラムとして入れたカセットだ!」
…因みに、シロッコのデータは入って居ない。あんなののデータを入れたら、ステカセは爆発してしまう。
…さて。それを聞いたガトーの反応は大層冷ややかなものだった。
「…なるほど。…『詐欺』だな。…何もかもが醜悪。出来が悪い。」
「でも、アンタはニュータイプじゃない!オールドタイプだろ!」
そう言って、ステカセが機敏に精密に動くも、すぐに動きを見切られた。…更には、こうも言われた。
「…連邦の白い悪魔にしろ、赤い彗星にしろ、魔性の毒婦にしろ、彼等に匹敵する程の強化人間にしろ、この様な温い動きでは決して無かったぞ。」
その瞬間、ガトーが、超速で、高く飛んだかと思うと、ステカセの頭を掴み、膝蹴りの一撃を喰らわせた後コウの首を捻る感覚でその頭を両手でキツく捻った後、其の儘、強く蹴り飛ばした。
「…そんな……!!!!」
かくして、ニュータイプ プログラムをインストールしたステカセをあっさり瞬殺した。
その後ステカセの背後を取って、パロスペシャル後にニードロップを仕掛けた上に、一気にステカセの背中を何度も踏み付け、打撃と衝撃を与えた後、ニュータイプ プログラムの入ったカセットを引き摺り出し、乱暴に、リング外へと捨てる。
「……愚かな事だ。ニュータイプの殆どが、撃墜王、英雄と知られて居るとは言え、そのニュータイプにあやかろうなどとは下らぬ!!」
「これで勝ったと思うなよ!」
「…戯言を。」
すると、ステカセは、又、背中のランドセルから新しいカセットを取り出し、セットする。
「…再生、スタート。」
…アル、良いか。よく聞いてくれ。
その時、ある音声が流れ出す。それは、バーニィ、サイド6でNT-1 アレックスとザクII改に乗り込んで交戦した末戦死したジオン公国のMSパイロット、バーナード・ワイズマンが遺したビデオテープの物だった。
…そして、その音声は、少しずつだが、やがて、周囲に強く響く様になった。まるで何か力強く悲壮な魂が籠って居るとしか思えない程に。
この包みの中には、俺の証言を収めたテープや、証拠の品が入っている。このコロニーが、核ミサイルの目標になった訳を、知る限り喋った
(…何だ此の音声は……?コロニー……?…核ミサイル??)
ここで戦うのをやめると、自分が自分でなくなるような……
(…一体、声の主である此奴は誰なのだ……?)
連邦が憎いとか、隊長たちの敵を打ちたいとか、言うんじゃないんだ。
…やがて、最終的にも、この音声の詳細についてを分かりかねたガトーは、凄まじい形相でステカセに突っかかった。
「何だ此の音声は?!(…此れも実験の内に、入って居るのか?)」
此処で親切に、丁寧にも、ガトーの為に、ステカセは説明を初めた。
「ジオンの、限りなく学徒兵の立場に近い、戦争末期に徴兵された若い新兵が遺して行ったビデオメッセージを俺がダビングしてカセットに録音した者だ。」
其の言葉を聞いたガトーは、尋問にも近しい勢いで激しく問い詰める。
「……我々ジオン兵を愚弄する気か?」
すると、ステカセは、此う答えた。
「彼等を盾にし見捨てて迄生き延びた。彼等の奮戦を愚弄しているのはお前達の方だ。」
…そして、未だに、ビデオレターをダビングしたテープの音声は続いている。
そのことで、連邦軍の兵士や、ガンダムのパイロットを恨んだりしないでくれ。彼らだって、俺と同じで自分がやるべきだと思った事をやってるだけなんだ
ステカセに対する、ガトーの"尋問"は、やがて"拷問"に匹敵する其れへと変わって行った。
「何を意味の通らぬ事を言っている?何も知らぬ門外漢が。ただの金属の塊が。若き血潮の彼等はジオンの為に戦の中で散り英霊となったのだ。」
その、国粋主義的で綺麗事としか言い用の無い言葉を聞いた、その時代遅れの家電の姿をした悪魔超人は軽蔑する様に言う。
「……この悪魔が!!!!」
「連邦に言え。」
…然し此の武士然としており、義に厚い筈の男は、何処迄も冷淡な返答で返事を返した。
無理かもしれないけど、他人を恨んだり、自分の事を責めたりしないでくれ。これは俺の、最後の頼みだ
然し、ガトーと同じく、ステカセの反応は変わらない。
「現実逃避か?」
「…ジオンの為に玉砕した将兵��皆例外無く英霊となったのだ。これ以上の説明は要らなかろう?茶番は終わりか?此の煩いだけの喋るガラクタ風情が。」
「あぁ。分かったよ。何れだけ悲痛な遺言が響いても、お前の魂は震えなかったんだな。…惨めで何処迄も哀れだ。」
「黙れ。ただ喧しいだけの機械風情が。」
ガトーはありったけの悔しさを込めその悪魔超人を、何度も何度も、強く殴って、最後には、その腹部を、完全に破壊しようとする。
「…アル!!」
もし、運良く生き延びて戦争が終わったらさ、必ず、このコロニーに帰ってくるよ
会いに来る、約束だ
もう既に、ステカセキングから流れる音声に耐え切れなくなったアナベル・ガトー、彼は凄まじい形相で猛攻を続けた。その機械超人を完全にK.O.所か木っ端微塵にし、破壊する為に。
「再生を停止させろ、音声を停止させろと言っているだろ。」
然し、其のビデオレターをダビングしたカセットからは、未だに、音声は再生されており、未だ、彼の神経を逆撫でし続けて居る。
これでお別れだ、じゃあなアル
「嫌だね。」
そう言うと、ステカセは、一瞬の隙を利用し、ガトーの左手に、刺々しく激しい音波を食らわせて、骨と筋繊維に只ならぬダメージを与える。
「…グゥ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛!!!!」
「これでお前の左腕は!」
「南無三!!!!」
それでも、彼は右手だけが動くと言う状況でもステカセへの攻撃を辞めなかった。
(…右手もボロボロだ。…��が……)。
…正に、戦場で荒々しく戦う機械の如く、その機械腹部を、殴り続け、蹴り続ける。彼には心身共に、痛みの感覚なんてもう無かった。そんなもの何も無かった。
…左手が…、…最悪の場合お前の左手と同じになるかもしれないな、ケリィ……。
…そして、訊かせて下さい。…如何か、お願いします。如何か答えて下さい。……閣下。…ジオンにとって、一体、何が一番正しかったのですか?…本当に、我々のジオンにとって正しい事とは何だったのですか?…本当にお願いします、…閣下……。
…そして、最後に、その時。
元気で暮らせよ!クリス…
ステカセの腹部が--中のカセットごと--完全に破壊された事により、今迄誰かの魂にも響く様にと流れ続けて居た音声は完璧に沈黙した。
この試合の勝利者は、ガトー。
人間が超人を倒したと言う華麗なるジャイアントキリング(大物食い)。完膚無き迄のK.O.勝ち。そうして、ガトーは、音波の衝撃で酷く傷付き--何の--心身共に--痛みも無かった先程とは打って変わり--激痛が走る様になった左手を、同じく其れと同じかそれ以上の激痛が走る右腕で押さえながら、思わず残骸となった対戦相手を見下ろす様に鼻で笑って居た。
「…何と醜い。ジャンクより酷いな。」
…その時ガトーは、ソロモンの空で見た無数の僚機と味方の残骸を思い出していた。
「…お前の様なのはソロモンの海に、沢山……。」…戦争の勝利者等、何処にも居ない。
…。
※補足
※…「連邦に言え」はSEED ECLIPSEの「世界に言え」が元ネタ。
…。
0 notes