#刺身盛り合わせと福島の地酒
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12/31 本まぐろのお刺身盛合せ 大川魚店のお刺身盛合せのまぐろはすべて生本まぐろを使用しております。サイズも豊富に品揃え。 福島の地酒と一緒にいかがでしょうか? 大七、又兵衛、登龍、只見のねっか等など販売中です! この大晦日も、大川魚店をよろしくお願いいたします。 #大川魚店 #大川魚店泉店 #本まぐろ #刺身盛り合わせと福島の地酒 https://www.instagram.com/p/Cmz8VGMvFVC/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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アメリカから銃を除くとオーストラリアになり、オーストラリアから人種差別を除くとニュージーランドになる
たった一匹の女王アリが産んだ大量の働きアリたち。コロニー(巣)を維持するには、数多くの働きアリの存在が不可欠だが、実は、すべての働きアリがコロニーのために必死に働いているわけではない。せわしく動き回るのは、働きアリ全体の八割程度で、残りの二割はほとんど何もしないでいる怠け者だといわれている。何もしない、のらくらしている怠け者も、きちんと食べ物にありつけるし、もちろんコロニーの中に居場所を持ち得ている。
なにゆえに、コロニーはそのような無駄飯食いの怠け者を食べさせて住まわせているのだろうか。
アメリカ社会がどれほど弱者に対して優しいかを語られた方がいたのですが、その回答に対して、そんなのはアメリカばかりでなく、アングロサクソン系の社会ではごく当たり前のこと、アメリカから銃を除くとオーストラリアになり、オーストラリアから人種差別を除くとニュージーランドになる、とコメント書きました。
そうかもね、またはそんなわけはない、などなど、いろいろ思われるでしょうが、大雑把に言えば、当たらずとも遠からずなのでは。
しかしながら、 過ぎたるは猶及ばざるが如し。福祉国家も行き過ぎると、とんでもないことになる。ニュージーランドの行き過ぎた福祉の話をお話ししましょう。
まずはいろいろNZ居住者(留学生や居住権のない者は除く)が享受することができる恩恵について書き出してみましょう。
50歳以下の学生は、誰でもStudent Allowanceと呼ばれる生活手当を学生時代にもらうことができる。返済の必要なし。私も大学、大学院卒業まで四年間もらえました。学生お小遣い。これがあればバイトしなくても一応生活できるだけのお金がもらえる。
BASIC INCOME。つまり、統計的な一般家庭の平均所得よりも低い家庭は、自動的に金銭的補助が得られること。これで理論的に低所得者層は存在しなくなります(毎年額は変動します)。でも与えられたお金をどうやりくりするかで、やはり貧富の差は発生します。子供手当も基本的にここに含まれています。追記: NZのBasic Incomeは家族持ちに対して支払われるFamily Tax Creditがそれに該当しますが、家族を持たない者は受給できません。しかしそれに代わる多くの補助が用意されています。
ニュージーランドの年金制度は世界に稀なるもの。国民年金のように就労期間中にいくら年金を支払い続けたかなどの条件もなしに、NZ市民または永住権所有者は、20歳以降の10年以上をNZで過ごし、かつその10年のうちの5年を50歳以上の間に過ごしたものは、誰でも年金を受け取ることができるのです。こういう国は世界でNZだけだそうです。ただし、NZから半年以上離れて暮らすと年金支払いは打ち切られます。わたしは、NZに25年ほど住んでいるので、条件のうちの最初の5年は満たしていますが、まだ50歳にもなっていないので、年金受給資格はありません。
また出産した有資格者は、一年の産休手当てが夫の収入の高低にもかかわらずもらえます。おかげでNZでは少子化問題など起こりえません。父親は職場にもよりますが、わたしの場合は完全有給育休を6週間いただきました。もちろん、毎日オムツ換えてましたよ。
ASDやADHDさえも含めた全ての障害を抱えた人は、社会的にかなり優遇されます。公共交通機関は無料。金銭的援助などもかなりもらえます。身体障碍者には車いすを無償で与えるなど、羨ましいほどの手厚いサポートを受けることができます。
失業保険に打ち切りがない。いろいろ職業訓練を受けさせられたりもしますが、一生の間、失業保険もらってる人もいます。生活保護みたいなものかもしれませんが、ベーシックインカムな考え方があるので、無理に働かなくてもいいと信じる人もいます。日本では生活保護は恥だという考え方が根強いですが、こちらではそのような考え方は存在しません。移民や難民も含めて、有資格者になれば徹底的に福祉に依存します。
という風に、NZ社会に生きている限り、人間としての生存権は脅かされないわけです。まだまだいろいろありますが、これぐらい書けばいいでしょう。何がなんでも貧困で死なせない政策ですね(別の理由なら死んでもいい?)。制度的に立派と言えるでしょうか?
ですが、ショッキングなのは人間の性(さが)。とりあえず社会は喰わせてくれるけども、平等志向の社会でもあるので、この地にいたままで、一代にして巨万の富を稼ぐなどは難しい。とにかく国の規模が小さすぎます。日本の本州位の土地に、400万人しかいない国ですから。羊や牛の数の方が圧倒的に多い。
ですので、一獲千金を求めるには海外に行くしかない。元宗主国イギリスへ行くのが、この国の若者のグランドツアーみたいなものですが、もちろん隣国オーストラリアも選択肢のひとつ。イギリスにはNZパスポートがあればヴィザなしで就労可能。オーストラリアに対しても同様です。行ったっきり帰って来なくても大丈夫。
しかしNZの若者の自殺者率は世界一。下のチャートはティーンの自殺率ですが、NZが人口当たりでは圧倒的。
これにはいろいろな理由が考えられていますが、まず先にあげたように、国内にあまり夢がない。のんびりのどかなホビットのような暮らしに若者が不満を感じないようでは、若者らしさの欠如が心配です。疾風怒濤のティーン時代を駆け抜ける若者は、刺激が欲しい、大きな夢が欲しい。でも見渡せば牧草地に平和でのどかな田園風景、または中途半端に便利で豊か過ぎる都会生活、そういった中では若者は生きづらい。だからスポーツに熱中する。スポーツカースト国家NZ。スポーツできないとモテない。できないならば若いアンニュイを癒してくれるものもない。だから、夢の持てない若者は、死を選ぶのでは。
また、無教養な親たちは、ベーシックインカムとして得たあぶく金を、子供に使わずにギャンブルやドラッグや嗜好品の購入に費やしたりして、子供の貧困が問題ともなっています。そういう家庭の子供は、自死を選ぶ可能性も高くなることでしょう。ちなみにいじめでの自殺はあまり耳にしません。人生への絶望が主な要因らしいですね。
ちなみに全世代の自殺率の国際比較では、NZは目立ちません。日本より低く、アメリカと同程度。NZは極めて健全な社会と言えるでしょうか。
さてここからが本論です。長い前置きでしたが、働かなくても一応は生きて行ける。働きすぎても税金高いので、誰もそれほど働きたくはない。ホリディするためにキウイは生きている。
そんな社会で2020年の夏の終わり、新型コロナ問題が発生(南半球です)。さてどうする???
だれもが完全巣籠り。でも籠ることの出来ないホームレスは?
NZにホームレス? ベーシックインカムの国でなぜ???
なのですが、上記のように働かないで湧いてきたあぶく金。額に汗して得たお金ではないので大切にはしない。家賃さえもなんやらに費やしてしまい、家を失う。家無しにも優しい人たちはたくさんいる。教会の慈善事業者が教会に寝るところや食料を提供 (Night ShelterやWoman's refuge) 。また政府もいろいろ社会復帰のための支援を行う。いたせりつくせり。でもそれでホームレスはどうする?
自分はホームレスだと主張し、首都ウェリントンの人ごみ多い通りで乞食をしている、マーガレットと呼ばれる女性。May 15, 2018. REUTERS/Jonathan Barrett/File Photo
コロナですが、人と人の接触は避けねばならないし、法律によってホームレスは家の中にいないといけないことになる。すると政府は観光客激減で困り果てているホテルやモーテルにホームレスを収容。滞在費も食費も全て政府持ち。
ここからが、この回答の肝。私の知り合いの台湾人のモーテル所有者の話です。モーテルは安く泊まれる小さなホテルみたいなところのことです。
彼のモーテルには10ほどの部屋があり、コロナでの封鎖以来、市民は外出禁止。それで政府が送ってきたホームレスたちが空き部屋を埋めてくれたのですが:
いやー、コロナになって、これからのビジネス、どうなるんだろうと思ってたけど、驚いたね。一時は客足が減ってどうなることかと思ったんだけどさ。我がモーテルは大盛況でねえ。ホームレスさまさまさ。
でもさあ、宿泊費を政府に払ってもらって、ホームレスはその上に生活保護として十分な生活費をもらってるけど、誰も貯金してホームレスから抜け出そうなんて思ってる奴はいやしない。
知ってるかい? 我が宿泊客たちが昼間に何してるのか。
コロナだから仕事探せと言っても探せない、職業訓練にも行けない。暇だ。だから、スーパーで何ダースも、ビールを買い込んできて、昼間っから酒盛りしてるんだよな。
そしてハーブやらドラッグ始めるんだ。さすがに部屋の中でやられると匂いがしみ込むから、外でやってくれって言うとそれ以来、中庭のその辺でいっつもやってるよ。
警察?
たぶん違法だろうけど、だからって捕まえてどこに連れてくんだい。留置所だってこのご時世じゃあ住まわせるのが大変だ。裁判もできないんだから。警察なんか呼ぶだけ野暮ってえもんだ���。まあお客様なんだ。他人に迷惑かけてなきゃいいじゃないか。政府からもらったお金で勝手にラリってるんだから。
もらったお金は、食費やアルコールや薬物に全部使い果たして、うまいぐあいに社会に還元されて循環してるから無駄じゃあないよ。絶対にお金を貯め込まない連中だから。
宿泊客は若いのが20代から、でもいろいろいて60代くらいまでいるなあ。なんでニュージーランド政府はこんなのをここまで手厚く世話するんだろうねえ。まあこっちはいいビジネスでいいんだけどね。労働党はやりすぎかもなあ。
というような話を先日、聞きました。台湾人らしい大袈裟な身振りを交えながら、中国語も時々織り交ぜながら、一応英語でこう話してくださいました。
ああ、と天を仰がずにはいられない…
わたしは学生時代、教会のボランティアに数週間参加し、ホームレスを世話する手伝いなどをしたことがあるのですが、失業者やホームレスの絶対的特徴は、無気力。これにつきます。生きる希望も夢も失っている。だから生きる喜びを教えることから始めないといけない。一緒にいればいるほど、こちらの気が滅入ってしまう。生きがいを教えてあげないといけない。
あなたたちは何のために生きているのですか?
嘘のようでホントの話。さて、超福祉国家ニュージーランドの未来はいかに?
アリたちのコロニーの生活はシビアで、勤勉な働きアリたちも、時には疲れ果て、あるものは活動をやめてし���うものさえいる。すると、どうだろう。いままで無駄飯食いの余計者だった怠け者は、その疲れた働きアリに代わり、勤勉な働きアリとして、働き出すという。
生産者八割、生活保護二割のアリのコロニー。人間の福祉国家と比べて、何が違うのだろうか。ひともまた、アリたちのように、疲れた者がいれば、怠け者は、生まれ変わったかのように、コロニーのために、誰かのために、働き出すのだろうか。
生きようとする働こうとする意志を持つとき、誰でも生まれ変わることができるのだろうか。
行き場のない者たち。社会に居場所を持たぬ者ども。人は誰かに必要とされていると実感できないと生きてはゆけない。誰もホームレスを愛さない。教会は優しい手を差し伸べても、受ける側には感謝しようとする気力もない。いつだって与えてくれるから。本当は、与えることこそが尊いのに。
愛されぬ余計者たちは、ただ酔いどれて、薬の力で桃源郷をさまようばかり。酔いから覚めて見つけるのは、誰からも必要とされていない、薄汚い衣をまとった自分自身の寂しさばかり。
ニュージーランドという島国での、壮大なる超福祉社会の実験劇場。大地を歩む無数のアリの群れの中で右往左往する怠け者たち。無償の衣食住を与えられて薬物依存でラリッてるクズのような非生産的な人間たち。アリとヒト。何が違う?
人が人である意味をずっと考え続けています
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21
忽然覺得一月生日的我也是頗好的,不用想多一次新一年的目標。
|| 爺爺 ||
昨天把自己哭醒了。自己也嚇了一跳。
原來我還真的很掛念很掛念爺爺。
遺失原來是這樣的一回事。
我不停地跟安慰我的人說我感恩,這也是真的。
在他還在的歲月,特別是最後的日子,該做的都做了。我在俄羅斯說要打的電話也撥了。
我撥號前,我希望他說為我驕傲,我希望跟他說我愛他。
他第二句就說了,沙啞地、低聲地說他為我而驕傲。我最後也說了:我愛他。
這是完滿了吧,我想。
我家裡的男人們都是默默做的人、話不多卻你知道他願意為了你粉身碎骨。
記得我喜歡的菜色,到我喜歡的店為我採購。用上三四個小時,奔波這為我準備那一道菜。
知道我回家吃飯,那進門的時候他一定不在,因為他正趕著為我加菜。
他總是怕我不夠錢、不夠衣、不夠吃。瞞著我媽我嫲嫲的,幾百幾百地塞進我口袋。
他期盼著我的到來又害怕著騷擾我的生活。
只是一個小時的午茶,他興奮地留位,為我點到滿桌的菜。
家庭固定的午茶,我總是遲到,而他總是揮手作罷。
今次,換我等待了。
等待,真不好受。
在世界為我們設定何等多規限、當世界每天都為我們加上需要追求的目標時,有一個人他創造了一個空間,使我知道了我不需要強大;對我沒有要求卻比我自己更希望我過得好;我的任性我的玩笑我的頑固都成了可愛;原來我一直一直被寵愛著。
中學的時候,有一天我很傷心。我已忘記我傷心的原因卻實實在在地記得我爺爺和我爸爸默不言聲地陪伴我的一小時。我默默地流淚,他們默默地拍著我的背。沒過問。如同他們知道我不會無理取鬧、如同他們相信著我會度過我面前的絕望。
那個籍籍無聲的晚上,我了解到溫柔與包容是股強大、是有影響力的、是勇氣而不是��弱,而教會我的是我爺爺。那時,我開始憧憬這份強大。
我呢其實是一個傲嬌(笑)從來從來都不懂事,更像他,一樣不懂得把感情表達。
但行動和陪伴確實不需要言語又能傳達到感情吧。
感覺有時候比千言萬語來得真實。
成長的路途上能有先人為年幼的我身體力行這大道理,讓我找到比眼目所看更重要的東西,我想:我家是真的厲害呢(笑)
以後可能再沒有潮州菜在家上的餐桌出現了;
也沒有人會在我生日的時候被我玩笑地唱潮州話的pen pineapple apple pen;
我忘記鑰匙的時候不會再可以有白髮伯伯從樂華拯救我了;
7個人的旅行不會再有了;
酒家的經理也不會再看我們的面子為我們留位。
明明已經成年三年有多,卻又覺得如今才成長。
失去的同時,我們都建築著我們自身。
他的溫柔與包容被世人盛贊的同時,我爺爺還有一件很讓我廢思和佩服的事。
我嫲嫲是一個崇尚西方價值的一個人。同時,她的家族注重面子、成功、教育、名利和階級。雖說裡頭是有真誠的、有情義的,並不是片面計較,但古舊栽在心裡的度量行不容易朝夕間就改變。閒言閒語不小。妹妹們都嫁了給有學歷有名函的紳士。我爺爺卻是初中畢業、做著小生意的馬老闆。及後更因生意上的錯信,生意失敗,負債纍纍。為了還債,我嫲嫲去了英國六個年頭。爺爺不斷做著不同的工作,撐起了這四人口的家。那時候,是什麼讓他還信任身邊的人呢?又是什麼讓他熬過身邊人的看輕呢?他篤信著基督,也因此篤信著祂所創造的人類,而愛著身邊的。我自問這是很難的一課。
骨子里的傲氣,不卑不亢、堂堂正正的活過,請專稱他為君子。
|| 真誠 ||
在北海道的兩個月,我在其中沒什麼可分享,回頭卻發現我在這段時間改變了很多。
我誠實地面對了我自己了。
我是慢慢又急性子的人。這聽起來怪怪的但我就是這樣。
在去年和以前,我會在乎我一定要不做這些這些,一定要說這些這些,如果不是呢,我就不是我了。
我不���化妝,因為我想自己是自然的、要和其他不一樣。
我不要花花,因為那是花俏的廢物才會喜歡的。我要做實力派。
我要把頭髮染得藍藍的,因為我要他們記得我不是總聽他們說話的乖學生。
我要在耳骨釘耳釘,因為這才是有型。
過了21的關頭,在外國的天空眺望百天,我突然覺得我真他媽的幼稚。
可能在大學後我已經有這樣的理解,4年了,我終要把它具體化了。
花俏的不代表沒實力;把頭染得藍藍也不會改變我就是差不多時間就乖乖會回家的人。
曾經答應過不會成為的大人,我就不成為。
外表和愛好真的沒有什麼代表性。
而明明想知道更多、想了解又害怕的我才是最7的吧。
現在,我會這樣想。
雖然我還是認為化妝麻煩。
雖然我還是把頭髪染藍了。
但我開始正視我的喜歡、我的愛好、我的取向。
我喜歡木的味道,喜歡香水;喜歡藍色的滿天星;我害怕動物但我希望有一天我會學會跟他們相處。
從前,我討厭自己;
目前,我也討厭我自己;
而然,我會喜歡我自己的,終有一天。
慢慢地喜歡、慢慢地和解。
若溫柔是真的,一定會有一片接受慢慢的地方。
更進一步地,我希望人們相信。
相信人可以真正地、誠懇地活著。
希望有那麼一瞬間,他們了解到他們可以嘗試著相信這個世界會溫柔對待對的人。
所有的人都值得被溫柔對待。
我希望被傷害過的、被背叛過的、被嫌棄過的,有一天能成為你驀然回首而嫣然一笑的過去,成為你會感謝有過的低谷。
因為你會更懂得珍惜、更懂得那些最重要的、更加懂得你、與他們、與世界。
那一剎那的溫柔希望能讓抹黑行走的看見道路、看到希冀。
|| 歲月安好 ||
Emotional Disorder
情緒病是2018年的Highlight吧。
遇見很多、談及很多。卻無從進退。
面對情緒,我們無所遁形。
無法用言語描繪的、無從知曉從何而來的、眼睛無法看破的東西,又環環緊扣地影響著我們的生活。
{ Anxiety }
她說:她做不到。
她就是會看到什麼就幻想就壞的。她所見到的世界全部是破碎。
沒有美好。沒有完美。沒完沒了的輪迴在地獄。
她想要好的,卻想不透,達不到。
而有一天。她用了6個小時見證她的朋友從遇見她而歡喜,然後被刺激、吵鬧、覺得需要藥物、訂購、嗑藥、���幻、企圖自殺、大哭再睡覺。
她說,她永遠不會忘記這事。脆弱又反復的人性。
她然後接受了心理輔導。
她不想再活在驚慌與無意向的焦慮下。
她渴望著平安。見識了人性後,她決定拯救自己。
半年過去,她還在掙扎。
敘述這段故事的那天,她說她每一天都很難過。他們每一天都掙扎求存。
我不能明白。
我不會明白。
他們是勇敢的。
活在當下。
願我們都學會與自己相處。
願我們都擁有空間和時間。
競爭也許是無法避免,如同歷史循環,有一天戰火還是會重燃。
無法戰鬥者註定在世界逃亡。
可否在星火燎原前下雨呢?
使甘霖滋潤大地。
使情緒有缺憾的學習。
|| Say Something ||
.
有些東西像崩壞了。
.
Is there anyone out there.
.
Say something like I’m giving up on you.
.
若我放你走,這會否是一個創舉?
.
他們都在說著我倆哪可分開。
.
但,若你的羽翼因我折斷,那我會站起來抗衡世界以換你展翅高飛一景。
.
Anywhere I would have follow you.
.
|| 5x20 ||
(沒想到會寫這個)
去福岡看了嵐的演唱會。
像是看了自己的成年禮(笑)
ずっと言いたんげと、
翔さんは私の憧れた方;雅紀は彼氏の理想。
翔さんに自分のことが見える。
ささくれの。迷ったの。
My life is my message.
コンサートでありがたいお言葉も深くに感じる。(思うと近い)
何の人と出会い、いつまでも、どうでも、ありがたいことだ。
いつまで会うに関係ない、ただ出会いのこともありがたい。
まだわからないげと、ペンの指すな方向に何があるのはわからないも行きたい。
だんだん自分のこと表せできなくになったら、戻られないと思う。
そのまでで、書く。その様子が見えないように、書く。
成長したも若い自分愛してる。
若い自分が理解される。
そのとうり、周りの人たちも理解される。
昔決めたの後悔しない。
昔も現在も未来も同じ人だから。
雅紀と優しい人になりたい。
不満足や合わないところや納得できないところなど慣れずに、素直に生きたい。
「本気で泣いて‧本気で笑っている」
真面目なのは恥ずかしいことではない。
ゆっくりゆっくりも、マイペースで自分のこと立てます。
何年が経つも、昔の自分に好きにように���りたい。
この幻の世界で、居場所も役もしっかり立てて自分を見て欲しい。
以上は立派な翔さんから、立派な相葉さんから、自分のため立てる希望だ。
未来の私へ、よろしく。
|| 旅遊的意義 ||
絢爛嗎? 世界。
五光十色、萬象千花
人生走馬燈播放時,反映的會是什麼呢?
俄羅斯的美是胡桃夾子的美。
粉粉的、氣泡的,是倔強的少女。
活得像是在雪球里。
在聖彼得堡雪花紛飛的日子,我聽得見了凌靜。
為甚麼出去呢?看了那麼多有用嗎?
我都不禁提問自己。
念念不忘,必有迴響。
|| Playlist of This Year ||
你會有一天學會面對 // Rubberband
發麻 // Rubberband
只怕不夠時間看你白頭 // 林二汶
愛情是一種法國甜品 // 林二汶
盡力呼吸 // Yoyo Shum
小半 // 陳粒
易燃易爆炸 // 陳粒
生きていたんだよな // Aimyon
今夜このまま// Aimyon
サザンカ // Sekai no Owari
片思い // Aimer
また今日と同じ明日が来る // 二宮和也
不協和音 // 欅坂46
僕が死んのと思ったんのは // 中島美嘉
Sleeping Beauty // Epik High ft. End of the World
I Always Wanna Die (Sometimes) // The 1975
What If This Is All The Love You Ever Get? // Snow Patrol
Pray // Kesha
Even Then // Roy Kim
Love Someone // Lukas Graham
Survivors // Passengers
Forget to Forget // SHY Martin
DINOSAUR // AKMU
This is Me // Keala Settle
|| ���的 表白式 ||
餘生請多多指教 +
我見不得你與我無關,所以我把你的名字填在我的緊急聯絡人上。那麼、縱使我們冷戰幾個月、距離九千多萬里,你還能為我的生命做主。在生與死的關頭,我不會讓你缺席。我不希望你缺席。我不容許你缺席。我就是如此自私地把你放在我生命。我就是如此的想把我的生命、我的全部託付于你。+
你是我冬天的陽光。經歷過後,讓我無法拒絕停止追求渴望的溫暖。失去後會把顏色都拿走的壞蛋。更過分的是,與你相遇後,所有的發熱的東西都只能是替代品。因為你成了我的真實。+
遇見你之後,我理解了人們對永生的渴望。+
我的名字,你的姓氏。漸漸長大的過程里我懂了墓銘志上共享一個姓氏的浪漫。+
從來抗拒身體接觸的我每次都下意識地渴望著觸碰你。溫度、觸感、心跳才能讓人相信這真實。+
我願意。+
有了軟弱又有了面對世界的勇氣。+
想帶你到北海道,學《情書》一般跟你問好,隨著雪降,幻想白頭。+
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水戸・いわき旅行 9月8日-9日
弟が3枚余らせていた青春18切符を使い切るため、1泊で福島へ出かけた。当初は双葉町のあたりまで行って原発周辺を見学してくるつもりだったが、前日ほぼ一睡もできず体力に不安があり、そもそも車もないので断念。それは近々車が使えるときに行きたいと思っている。
ぎりぎり間に合う時間に家を出るも、パスモの残額不足という痛恨のミスで予定の電車を逃し、なぜか弟のみ乗車。なんとも言えない残念な気持ちで、北千住にて追いつき、その後水戸で合流。ここで原発は諦め、水戸、いわき旅行のプランに変更。
水戸は、弘道館、水戸城跡、偕楽園(好文亭)、徳川ミュージアムの順で回った。弘道館は、足利学校、咸宜園(日田)、閑谷学校(備前)と並んで、近世日本の教育遺産群ということになっているようだ。水戸学についてほとんど何も知らずに行ったが、徳川光圀の前期水戸学(『大日本史』)から、徳川斉昭の後期水戸学(尊王攘夷)への流れを知り、俄然水戸学に関心が湧いた。それにしても、大阪の適塾もそうだが、開国前後の教育機関に感じられる当時のエネルギーには毎度感銘を受ける。
斉昭の方針として、文武一致を強く掲げているらしかったのが印象的だった。慶喜の教育でも、武術、弓術などが重視されたらしい。見学しながら考えた与太話だが、思うにこの文武一致というのには何か健康的で、近代日本の「捻れ」以前という感じがする。開国から終戦にいたる7、80年のなかで日本の武は最終的に粉々に砕かれた。「ペンは剣よりも強し」から「日本の強みは技術と知能のみ」まで、文武の乖離ないし文への偏重は、近代日本の捩れのひとつのあらわれのように思える。
偕楽園内にある好文亭で気持ちいい風を受けながら、しかし時間を気にしつつおやつ。美術館、歴史博物館など複数あったなか、残りの時間で行けるのはひとつだけ。選んだ場所は徳川ミュージアム、だったのだが、これが酷かった。水戸黄門の印籠がある! しかし、以上。で、入館料は破格の1800円である。徳川ミュージアムというくらいだから、歴史博物館的な役割も兼ねていて色々勉強できるのかと思ったが、それはなかった。代わりに最���流行っているらしい日本刀アニメとのコラボでやたら刀とキャラクターが飾ってある。おまけに、最後は職員の方が先にいなくなり(笑) 出ようとすると門が閉まっていた。呼んでも誰も出てこないので、仕方なく塀を飛び越え駅へ。まあ、いい思い出にはなった。
その後はいわきへ移動し、8時ごろ到着。夕飯は旬という魚料理屋。お酒やいわきの地酒だという又兵衛。料理は、ホウボウ、マコガレイ、カツオ、アイナメの刺身4点盛り、海鮮サラダ(ホウボウ)、タコの唐揚げ、どんこの煮付けメヒカリの唐揚げ、お茶漬け、など。全体的になんとなく魚が北っぽい。中でも印象的だったのはどんこで、若干グロテスクな見た目のあの魚がこんなに美味しくなるとは! かなり濃い目の色で出てきて煮方がよく、脂も乗っていた。あと、福島は鰹をいわゆるたたきにせず、皮をひいて刺身で出すっぽい。
翌日、いわきは、いわき市立美術館と白水阿弥陀堂の順で回る。美術館はアーノルド・ローベルの特別展で、これがすこぶる良かった。編集者が鉛筆を入れた原稿が数多く展示されており、言葉数の少ない絵本の文章が散文というよりも「詩」として扱われていることがわかる。言葉数を微調整し、語彙を多少でも平易にしようとしたり。英語圏の校正の入れ方も含めて、色々と興味深かった。Toad and Frogについては別投稿で。常設展は、20世紀後半〜21世紀の作品が20点ほど。素材か技術か、というコンセプト。
昼食は目に入ったところに決め、悩みに悩んだ末に鰹定食を頼むも、失敗。
白水阿弥陀堂は、平安末期の1160年、徳姫という人物によって亡き夫のために建立された御堂で、目の前には浄土庭園がある。周囲を山に囲まれ、お椀状の地形が全体として蓮に見立てられているらしい、という解説を読んだときはなるほどと膝を打った。それにしても建立の経緯がなかなかで、その後平安時代における(というかもはやそれに限らず)「恋」とは......という深淵な問いが芽生えしばし熟考。
見学後はいわきまで戻らず、その一個手前の駅まで歩いて戻り、唯一あった喫茶店(?)でアフォガードを食べ、旅の締めとする。横浜まで戻ったのが9時ごろ。うどんを夕食にして、10時ごろ帰宅。
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【飲食店さんガンバレ~~~♪】 ( 味処 すずもり 様情報 ) 若潮酒造株式会社の焼酎が飲めるお店をご紹介致します。 今回ご紹介するお店は、地元志布志市にある居酒屋 すずもり 様です♪ こだわりの 美味しいお料理 が食べれるお店です。 志布志湾で取れる新鮮なお刺身は絶品です(σ≧▽≦)σ⤴⤴⤴ 今回は、刺身盛り、黒豚バラ塩焼き、天ぷら盛り合わせ、小海老から揚げ、春薩摩若潮(はるさつまわかしお)にしました♪ 新鮮なお刺身、超美味しい~~~♪ 黒豚バラ塩焼き、お肉がジューシーで焼酎のあてとして最高です♪ 天ぷら盛り合わせと小海老から揚げも、衣がサクサクで凄く美味しかったです♪ 文句なしのお味でした♪ 美味しいお料理と春薩摩若潮(はるさつまわかしお)との相性もバッチリです♪ 大満足の晩酌でした♪ 皆さん是非 すずもり 様に行って、美味しいお料理と美味しい焼酎を堪能して下さいね~~~♪ 皆様のお越しを心よりお待ちしております。 味処 すずもり 様情報 ( あじどころ すずもり ) 住所 = 鹿児島県志布志市志布志町志布志3-22-11 電話番号 = 099-472-4361 (人気店なので行かれる際は、予約のお電話を宜しくお願い致します。) ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~ ザ・ファブルを読みながら白若潮(しろわかしお)で乾杯♪ (ステイホーム) ※ザ・ファブルは、週刊ヤングマガジン(講談社) に連載され累計発行部数750万部越えの超人気漫画です♪ その超人気漫画 ザ・ファブル に若潮酒造の焼酎が登場致しました\(^^)/ 登場した単行本は、11巻、13巻、19巻、20巻です♪ ※週刊ヤングマガジン(講談社)にて年内に第二部も連載予定です♪ ※今年映画も公開される今一番注目されている漫画です‼️ 凄く面白い漫画です‼️ 南勝久 先生様有難うございます♪ 心より御礼申し上げます♪ これからも若潮酒造を宜しくお願い致します。 皆さん是非本屋さんにて超人気漫画ザ・ファブルを買って究極の日常酒 白若潮 (シロワカシオ)を探して下さいね~♪ ( ザ・ファブルを読みながら白若潮で乾杯♪ ) 映画🎬 ザ・ファブル 情報‼️ 映画公開日 = 2021年2021年6月18日(金) 江口カン映画監督様作品。 主演も超豪華、 岡田准一 様、 木村文乃 様、 平手友梨奈 様、 安藤政信 様、 黒瀬純 様、 好井まさお 様、 橋本マナミ 様、 宮川大輔 様、 山本美月 様、 佐藤二朗 様、 井之脇海 様、 安田顕 様、 佐藤浩市 様、 堤真一 様 監督 = 江口カン 様 ( KOO-KI - 空気株式会社 様 ) 脚本 = 渡辺雄介 様 漫画 = 南勝久 先生様 V6岡田准一 様の超凄いアクションシーンにも注目‼️ ____________________________ ✨若潮酒造受賞歴✨ 鹿児島県本格焼酎鑑評会 ✨23連続受賞‼✨ ✨ロンドン IWSC2020に初挑戦!初受賞!✨ GLOW ♪ 白若潮 ♪ 千亀女jo ♪ ____________________________ ※若潮酒造の焼酎は、プリン体0・糖質0・甘味料0 、体に優しい芋焼酎です(^^♪ ※焼酎は、色々な飲み方が出来て楽しいです♪ 冷やしてストレート、グラスにいっぱいに氷を入れてロック、氷と炭酸水を入れてソーダ割り(焼酎ハイボール)、グラスにお湯を入れてお湯割り、柑橘系&炭酸水を入れて、カクテル、酎ハイ、色々な飲み方が出来ます♪ 皆さん是非、自分好みにアレンジして楽しんでくださいね~♪ ※若潮酒造の焼酎が日本全土 、 全都道府県 に広がるように頑張ります。 ( 北海道 青森県 岩手県 宮城県 秋田県 山形県 福島県 新潟県 茨城県 群馬県 栃木県 埼玉県 東京都 千葉県 神奈川県 山梨県 長野県 富山県 石川県 福井県 静岡県 愛知県 岐阜県 三重県 大阪府 京都府 滋賀県 兵庫県 奈良県 和歌山県 鳥取県 島根県 岡山県 広島県 山口県 徳島県 香川県 愛媛県 高知県 福岡県 佐賀県 長崎県 熊本県 大分県 宮崎県 鹿児島県 沖縄県 ) ★若潮酒造は見学、ツアーも出来ますので皆さん是非若潮酒造に遊びに来て下さいね♪ ( 会社が休みの場合も有りますので、見学に来られる際は事前に御連絡して下さいね。) 若潮酒造株式会社への 商品、見学、ツアー お問い合わせ 若潮酒造電話番号 = 099-472-1185 若潮酒造住所 = 鹿児島県志布志市志布志町安楽215 お気軽にお電話下さい (^^♪ ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ #若潮酒造 #若潮酒造株式会社 #若潮 #味処すずもり #すずもり #居酒屋 #居酒屋すずもり #飲食店 #焼酎 #志布志市 #志布志市居酒屋 #若潮焼酎 #鹿児島県 #志布志 #しぶし #若潮焼酎 #ショウチュウ #国酒 #本格焼酎 #芋焼酎 #麦焼酎 #焼酎好きな人と繋がりたいー #飲酒タグラム #sake #酒好きな人と繋がりたいー #Shochu #家飲み #晩酌 #Japanesesake #焼酎ほんわかくん (味処 すずもり) https://www.instagram.com/p/CQFffmaAQXM/?utm_medium=tumblr
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目次
NHKの慰安婦報道 新聞など活字メディアは紙面として、あるいは朝日、読売などは縮刷版としても残りますし、図書館に行けば読むことができます。しかし、放送メディアはそうはいきません。ですから、NHKほか放送番組に対するチェックが甘くなってしまいます。 1.「強制連行」報道に血道をあげたN H K ニュース番組を見れば、トップを飾るのはいつも「従軍慰安婦」、こうした時期が長い間つづきました。大量報道の始まりは元朝鮮人慰安婦が東京地裁へ提訴した1991年末頃からだったと思います。いつまで続いたか、ハッキりしたことは分かりませんが、とにかく年単位の長さなのは間違いないと思います。わけてもNHKの大量報道、そのしつこさは異様でした。
2コマの写真をご覧ください。1995年8月、ETV特集 「50年目の“従軍慰安婦”問題」 が2回にわたって放送され、そのタイトルを写したものです。
1回目は 「“わかちあいの家”のハルモニたち」 で、韓国で共同生活をいとなむ元慰安婦だったという7人の韓国人の生活、その3人の「労苦と怒り」などの体験談を交えながら番組が進みました。 ・NHKが示した慰安婦の定義と人数 途中、日本軍に場面が変わり、次のように解説が加えられました。 〈第2次大戦中、中国大陸や東南アジア、太平洋諸島を侵略した日本軍は、占領地での日本軍兵士によ���強姦や兵士たちの性病予防などを目的に、当時植民地であった朝鮮半島を中心に若い女性を慰安婦として前線に送りました。その数は 8万人とも20万人 とも言われました。〉 2回目は 「日本はいかに償うべきか」 で、国連人権委員会のクワラスマミ・特別報告官一行が、成田空港に到着する場面から始まります。女史は韓国で慰安婦からの聞き取り調査をした後に来日したとのことでした。 放送は「従軍慰安婦」を以下のとおり定義しました。 〈従軍慰安婦とは、各地の日本軍が拘束して、脅迫のもとに、兵士たちに性的な奉仕をさせられた女性のことです〉 「強制連行」という言葉こそ使用されていませんが、内容は日本軍が「8万人~20万人」もの朝鮮人女性を「強制連行」し、兵士たちに体を売らさせたということであって、このNHK解説を、「なんて日本軍は酷いことをしたのだ。同じ日本人として恥ずかしい、申し訳ない」など、日本軍に対する一層の嫌悪感をつのらせながら、視聴者は番組の意図するところを“正しく”受け留めたことでしょう。 ・8万~20万人の出所は? この「8~20万人」の数字の出どころですが、朝日新聞が 「慰安所軍関与示す資料」 として1面トップで報じた記事〔19924年1月12日付〕の右端下、「従軍慰安婦」の用語を解説したなかに出てきます。
〈1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、 反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。 元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。 太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を 挺身隊の名で強制連行 した。 その人数は 8万とも20万 ともいわれる。〉 朝日新聞のこの報道は「従軍慰安婦」問題がクローズアップされる一大転機となったものでした。ハッキリ「強制連行」と書いてあります。 「8~20万人」という数字は、平凡社大百科事典にも記載があるとのことです。どちらが元なのか調べていませんので確かなことはいえませんが、NHKの「8~20万人」はこの朝日報道の影響を受けたものであろうことは、容易に想像できるところです。 ・これが根拠? では、8万人~20万人の根拠はどこ���あるのでしょう。それが、なんともバカバカしい話なのです。 毎日新聞記者出身の 千田夏光 が1973年、「声なき声8万人の告発」として『従軍慰安婦』という、慰安婦問題の草分けともいうべき本を出版しました。 書名の「従軍慰安婦」という言葉は「従軍看護婦」などとは違って、もともと存在しない言葉でしたから千田の「造語」ということになりますが、彼が「従軍慰安婦」を最初に使用したといわれています。 このなかで、千田は1969年のソウル新聞を紹介し、挺身隊として動員された数を「約20万人」、うち慰安婦数は「約5万人ないし7万人」としています。 千田は秦郁彦との対談で、20万人の出所について問われると、 〈出所は不明です。ただ、私も新聞記者あがりなもんですから、ちゃんとした新聞が書いた数字ですから、ほぼ信用したわけです〉 と答えています〔「論座」1999年11年9月号〕。 こんなあやふやな根拠でも、朝日という「大新聞」が書いたとたんに日本では事実と認知され、やがて世界で通用してしまうという恐ろしくも腹立たしい実例でしょう。 朝日の解説は、 挺身隊=慰安婦 とした無知な誤説で、このお粗末な解説がまた、日韓間に大きな誤解を与えてしまいました。挺身隊=慰安婦が韓国内で定着し、やがて少女の慰安婦像が韓国国内はもとより、アメリカにまで進出してしまったわけです。 2.NHKの正体見せた「問われる戦時性暴力」 もう1例、お知らせします。2001年1月29日から4回にわたって教育テレビで放送された 〈ETV2001「戦争をどう裁くか」〉 を紹介しておきましょう。 とくに問題となったのは2回目の「問われる戦時性暴力」でした。このなかで、 「女性国際戦犯法廷」 と称する模擬裁判を好意的に取り上げていたからです。
・「女性国際戦犯法廷」ってなに? この模擬裁判の主催者は、 松井やより ・元朝日新聞記者を代表とするNGO「戦争と女性への暴力日本ネットワーク」で、〈日本軍性奴隷制を裁く「女性国際戦犯法廷」〉という旗印のもと、2000年12月、皇居に近いという理由から東京の九段会館などで裁判が行われました。 裁判の目的は、東京裁判で裁かれなかった日本軍による「性奴隷制度」、つまり慰安婦問題を裁き、日本政府と昭和天皇の責任を追及しようとするものでした。法廷の最終日12月12日、マクドナルド裁判長が、 「天皇裕仁を婦女暴行と性奴隷制についての責任で有罪とする」 と言い渡したことからも、この裁判が何を意図していたのかは容易に読み取れるでしょう。 法廷は弁護人もなく、したがって証人への反対尋問もなく、“被害者”として登場した元慰安婦たちの「証言」で、一方的に審理が進むというとんだ茶番劇でした。笑わせるのが、傍聴者はこの法廷の主旨に賛同するものだけだといい、誰もが自由に傍聴できないことでした。 ・NHK教養番組部がとりあげ このような偏向した法廷をいち早くNHK教養番組部が題材として取りあげ、 「教育番組」 として放送したのです。それも慰安婦の「強制連行」が既定の事実であるかのように制作・放送されました。いかに左がかった考えの持ち主がNHKに巣くっていて、主導権を握っているかがわかります。 昭和天皇を有罪とした下りこそカットされ放送されませんでしたが、これも放送直前、試写を見た吉岡教養番組部長が「女性国際法廷の紹介番組ではないか」「お前らにハメられた」などと怒り、大幅な修正を命じた結果とのことです。カットされたなかには中国戦犯2人の 証言 も含まれていました。 とはいえ、「女性国際戦犯法廷」を軸に番組が展開されているのは間違いないところです。ですが、放送番組を見て怒ったのが主催者のバウネット・ジャパン。早速、カットしたのはケシカランとNHKに対し抗議するやら、提訴するやらの騒ぎとなりました。 ・朝日報道から政治問題化 さらに約4年後の2005年1月12日付けの朝日新聞が、 中川昭一 経産相、 安倍晋三 内閣官房副長官が、放送の前日にNHK幹部を呼んで「偏った内容だ」などと指摘、このためNHKは番組内容を変えて放送したと一面上段で報じました。 政治家の圧力により、NHKの番組が改変されたというのです。朝日報道は「事実を歪曲」したものとNHKは猛反発、 朝日 対 NHK のゴタゴタ騒ぎとなりました。あれからまだ日も浅く、ご記憶の方も多いことでしょう。 ��の問題は、 NHKが偏向番組を放送したこと自体が問題の核心 であることを忘れてはいけないと思います。 3.多数の慰安婦報道 NHKはこのほかにも慰安婦に関連する番組を多数、放送してきました。下もその一例です。
これらの放送が重なり、やがてアメリカ下院本会議で、 「慰安婦制度は日本政府による軍用の強制的な売春で、20世紀最大の人身売買の一つ」 などとする対日非難決議案が可決され、日本政府に「公式謝罪」を求めてきました。この腹立たしい出来事の責任の多くを、NHKは朝日などとともに負うべきものと思います。 ・「吉田証言」では素知らぬ顔 ところで、吉田清治証言について、NHKはどう報じたのでしょうか。今回の朝日の記事撤回に関連して、何らかの釈明があるかと思いましたが、間違った報道はなかったとして、「謝罪」はありませんでした。 おそらく、吉田証言を肯定する報道はなかったのでしょう。ですが、私が問題だと思うのは、これだけ吉田証言は「虚偽である」との指摘がでていたのにもかかわらず、NHKは吉田証言に対する検証報道をしなかったことです。 このことは、批判されなければならないでしょう。要するに、狡いのだと私は思っています。
梶井彩子 朝日謝罪から一年二カ月 朝日新聞の「誤報謝罪会見」から一年二カ月が経った。今夏にようやく産経新聞の取材を受けた植村隆氏は、相変わらず「慰安婦問題の拡大は自分や朝日のせいではない」「朝日が日韓関係をこじらせたのではない」と主張した。だが、朝日新聞がことさらに「朝鮮人慰安婦を強制連行した」との構図を強調して書き立ててきたことは論を俟たない。 新聞各社の「慰安婦報道」は縮刷版や記事データベースなどで検証可能であり、だからこそ朝日新聞は慰安婦報道に関する検証記事を発表、一部誤りを認めたのだろう。読者は忘れても、アーカイブはその足跡をすべて覚えているからだ。 では、テレビ番組はどうか。ネット普及以前に放送された番組はほとんど検証できず、稀に動画サイトに上がってもすぐに削除されてしまい、番組内容は出演者や視聴者の記憶に頼る部分が少なくなかった。 各放送局はいったい、慰安婦をどのように報じていたのか……。そこで行きあたったのが、横浜にある「放送ライブラリー」である。〈放送法の指定を受けたわが国唯一の放送番組専門のアーカイブ施設で、時代を伝えるNHK、民放局のテレビ・ラジオ番組、CMを一般に無料で公開〉している施設だ。
テレビ番組約二万本、ラジオ番組約四千本を保存し、約一万八千本を公開。特にドキュメンタリーや歴史、文化などの教養番組、大河ドラマ、各時代の代表的なバラエティ番組などが充実している。「慰安婦」というキーワードで検索すると、以下の五つの慰安婦に関するドキュメンタリー番組が登録されている。 (1)一九八二年三月一日放送『11PM韓国から見た日本〔2〕(シリーズ・アジアと共に生きる〔4〕)』日本テレビ放送網 (2)一九九二年五月三十日放送『特別番組汚辱の証言朝鮮人従軍慰安婦の戦後』九州朝日放送 (3)一九九二年八月十四日放送『NHKスペシャル 調査報告 アジアからの訴え 問われる日本の戦後処理』NHK (4)一九九六年九月三十日放送 『NNNドキュメント96 IANFU インドネシアの場合には』中京テレビ放送 (5)一九九七年十二月八日放送 『NNNドキュメント97 声閉ざされて、そして インドネシアの「慰安婦」たち 特集・戦争の時代に』中京テレビ放送 これらをすべて視聴したうえで、主に朝鮮半島の慰安婦について扱った1・2の番組に関し、内容を検証してみたい。 まるで「啓発ビデオ」 (1)『11PM 韓国から見た日本〔2〕』 韓国・朝鮮半島とのかかわりを追った五回シリーズのうちの第四回で、従軍慰安婦のほか、樺太残留韓国人、BC級戦犯、在韓被爆者などの問題を取り上げており、その年の日本ジャーナリスト会議賞を受賞している。 結論から言ってしまえば、この番組が五本のなかで最も杜撰、かつおどろおどろしい作りになっていた。ドキュメンタリーというよりも、運転免許更新の際に見せられる「交通事故予防啓発ビデオ」に近い。「事故を起こせば人生終了」といったトーンの、あれだ。 のっけから激しいBGMとともに、〈女子挺身隊という名の慰安婦〉と大間違いのテロップが画面の真ん中にドカンと現れる。 続いて元軍医の麻生徹男氏のインタビューが挟まれているが、麻生氏が「慰安所を設けるよう意見書を提出した」と話す場面に、〈慰安婦に関する軍への意見書が朝鮮女性連行につながった〉と、ここでも意図的なテロップを表示。麻生氏の「かなりどぎつい集めかたをしていますね」のコメントとともに、視聴者に強く印象づけている。 麻生氏はたしかに意見書を提出してはいるが、内容は花柳病の蔓延に関する報告が主であり、なかでも特に強調しているのは「娼楼ではない慰安の場所」、つまり音楽や映画、スポーツなどの軍用娯楽施設の設置を求めるもので、強制連行とは何の関係もない。 麻生氏がこの番組に登場したのは、千田夏光氏の『従軍慰安婦』一九七三年の記述によるものだろう。千田氏は本のなかで、あたかも麻生氏が慰安所を考案した責任者のように書いている。ちなみに、本には「従軍慰安婦は挺身隊の名で集められた」との表現もある。 麻生氏は軍医として慰安婦らの身体検査を行っており、当時の写真や状況を『戦線女人考』にまとめている。そのなかで、「支度金千円を払って急遽集められた女性たちが慰安所に連れてこられた」と書き残している。 ところが千田氏は、『従軍慰安婦』に「レポートの結果として軍の目は当然のようにそこへ向けられていく。それは同時に、朝鮮人女性の怖るべき恐怖のはじまりでもあった。朝鮮半島が若くて健康、つまり理想的慰安婦の草刈場として、認識されていくことになるのだった」と書いたのである。 そのため、麻生氏は世間から「慰安婦強制連行の責任者」であるが如く受け取られてしまい、なかには麻生氏の娘の甘児都氏のところに「民族の恨みを晴らす」「責任者の娘としてどう思うか」などと言って押しかけて来たものもいたという。 甘児氏によれば、��千田氏はこの件が誤りであり、今後誤解を招く記述はしないと…中略…謝罪してきましたので、三一書房と講談社に改訂を申し入れましたが、二社ともそのままで出版を続けています〉とのことだ(麻生徹男・甘児都『慰安婦と医療の係わりについて』)。 この番組のテロップも、千田氏の本に沿って「麻生氏が慰安所設置の意見書を出した」「それが強制連行につながった」とミスリードを行っている。 朝日より先だった日テレ 番組はその後、韓国放送公社制作の元慰安婦の女性を扱ったドラマ「従軍慰安婦 ポンスンの空」の映像を紹介。〈日本軍は行く先々で従軍慰安婦を連行していた。女子挺身隊という美しい名のもとに一身を捧げる。しかし、現実は兵隊たちに一日何十回となく体を提供することだった〉と説明を述べたのち、ドラマの映像がそのまま流される。
韓国最大野党がソウル中心部に掲げた日韓合意に反発する横断幕=1月27日(共同) 場面は戦場。日本兵の上官が「慰安所に並べ」と言うや否や、若い兵隊たちが慰安所内の女性に襲いかかる場面に「ギャーッ」と女性の悲鳴。 その次の場面では、兵隊にまぎれて行軍するチマチョゴリ姿の慰安婦。疲労で倒れる慰安婦を無理やり歩かせる日本兵が描かれている。「ヘイタイサン……ヘイタイサン……」と片言の日本語で兵隊に助けを求める慰安婦の姿が痛々しい。 このドラマは、元慰安婦のポンスンが戦後も実家に帰ることを許されず、売春観光に訪れる日本人観光客を相手に売春を強要される女性の代わりに殺人を犯し、投獄されて精神を病む……というストーリーだ。 八〇年代の日本人男性の「売春観光」と慰安婦の存在を結び付け、「今も昔も韓国人女性を蔑視する日本人」「その日本人によって精神病に追いやられたポンスン」を印象付ける。 たしかに、戦後の「売春観光」が慰安婦問題勃発の下地になっていた可能性はある。 だが、11PMのこのシリーズ自体は「ドキュメンタリー」というジャンルでありながら、内容はドラマの��書きにすっかり乗っかっている。 さらに番組では〈しかし事実はもっと広く大きかった〉とのナレーションのあと、兵隊ではなく労働者の相手をさせられたという元慰安婦のインタビュー映像を挟む。暗い部屋に座る元慰安婦らしい女性のシルエットを映しつつ、証言が流れる。「嫁入りの口がある、と騙された」「日本人が引っ張ってきた」「虐待に耐えられず四人が自殺」「日本人は薄情」 三十四分の番組のうち慰安婦のパートは十四分程度だが、過剰なBGMや再現ドラマ、元軍医の証言と盛りだくさんの内容で、破壊力十分。だが、とても賞に値する番組とは思われない。『11PM』は深夜のワイドショー番組で、一九六五年から九〇年まで続いた長寿番組。当初は硬派な番組だったが視聴率が取れず、麻雀や酒、お色気に至るまで幅広い話題を取り上げる番組に変貌を遂げた。『韓国から見た日本』が放送されたのは「テコ入れ後」の一九八二年三月一日だが、この『韓国から見た日本』以外にも、一九七二年の沖縄の復帰を扱い、こちらも賞を受賞している。 一九八二年三月一日という放映日にも注目である。朝日新聞大阪版が吉田清治証言を初めて掲載したのは、一九八二年九月二日。日本テレビは、朝日新聞の吉田清治報道より半年も前に「従軍慰安婦の強制連行」を取り上げていたことになる。 しかも、早くもこの時点で「女子挺身隊と従軍慰安婦を混同」しており、植村隆記者の一九九二年の記事を先取りしている。 朝日新聞の「慰安婦報道」検証では、読売新聞は産経新聞に次いで「朝日批判」の色を強めていたが、ともすれば「朝日以上」の番組を系列のテレビ放送網が放映していたことを、読売関係者はご存知だろうか。 朝日ソウル支局が協力 (2)『特別番組 汚辱の証言 朝鮮人従軍慰安婦の戦後』 九州朝日放送のこの番組は、(1)に比べれば「ドキュメンタリー番組らしい」内容で、やはり「地方の時代」映像祭一九九二優秀賞受賞作だ。 主に元慰安婦の「文玉珠」を中心に描かれており、彼女が福岡の団体に招かれて来日、「戦後四十七年、ようやく重い口を開き始めた」という、まるで植村記者の金学順報道の見出しのようなトーンで彼女を追うドキュメンタリー。 番組放映日は、一九九二年五月三十日。植村記者の金学順記事は前年の八月十一日だから、この記事の影響するところは多かっただろう。九州朝日放送制作のこの番組のエンドロールにも、制作協力として「朝日新聞ソウル支局」が名を連ねている。 番組は文氏が日本で開催された慰安婦集会に登壇し、「平日は三十人から四十人、日曜には六十人から七十人の相手をさせられた」と語るシーンから始まる。 そして、すぐに韓国挺身隊問題対策協議会の尹貞玉代表が登場。尹氏は「慰安婦問題で日本は彼女たちを三度殺す」と述べ、「一、ひどいことをした。二、忘れられていた。三、謝罪がない」の三重苦を負わされていると発言。このまま謝罪がな��、日本人が日本の若者に慰安婦の事実を教えなければ「三度目の死となる」と述べる。 場面変わって、文氏の来日支援を行った慰安婦研究家の森川万智子氏。彼女は文氏の著作『文玉珠 ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私─教科書に書かれなかった戦争』(梨の木舎、九六年。新装増補版は二〇一五年)の構成と解説を担当している。番組では、福岡で「慰安婦一一〇番」という電話相談を受ける団体の代表として登場。「市民として過去を清算したい」と述べる。 この番組で文氏は、「十八歳でビルマへ行った。食堂に行けば稼げると言われた」と話す。文氏の本によれば、もともとキーセン学校に通っていた文氏は、一度、憲兵らに連れられて慰安婦になったが故郷に戻り、次は友人から「食堂で働き口がある」と聞いて行ってみたところ、実態は慰安所だった。が、「やはりそうか」と納得したという。 「人間的な」兵士との交流 文氏は番組で、涙ながらに「夜明けまで相手をさせられて死にそうでした」と述べているが、文氏の本には意外な場面が描かれている。 それは慰安婦・文がヤマダ(仮名)という日本兵と懇意になるくだりだ。〈わたしは一生懸命ヤマダイチロウの無事を祈った。二、三カ月して、前線からヤマダイチロウの部隊も戻ってきた。ヤマダイチロウは無事だった。すぐに慰安所にきた。「ヤマダ上等兵、無事帰還いたしました」 ヤマダイチロウはわたしに向かって敬礼した。私たちは抱き合って喜んだ。そういう日はマツモト(という朝鮮人の男。慰安所の引率者)公認で、慰安所全体も大騒ぎになり、開店休業だ。さっそくわたしたち慰安婦も一円ずつ出し合って大宴会をした��だった〉(文玉珠『「慰安婦」だった私』、補足は筆者) もちろん、過酷な記憶と楽しい記憶が共存することはありうるため、これを以て「慰安婦としての生活は悲惨ではなかった」とは必ずしも言えない。また、この本の内容は「真偽定かならぬ部分もないわけではない」(秦郁彦氏)との指摘もあるとおり、兵隊を蹴り飛ばした、刺し殺したなどの箇所もある。しかし、エピソードのすべてが創作とも思えない。 また、番組で文氏の「人間的な」兵隊との交流に全く触れていないのは不自然だ。文氏をことさら「かわいそうな被害者」としてだけ描いており、本にあるような人間性や女性としての逞しさ、明るさは番組からは全く感じられないのである。 番組では、元日本兵や軍関係者も証言者として登場する。「九州の兵隊は慰安婦がいないと元気が出ない」「慰安所は、日本にもあった特殊飲食店の一環。悪いとは思わない」「女は消耗品だから助けなくていいと言われた」 その後、さらに二人の慰安婦が登場。韓国・城南市の沈美子氏の証言。「日本地図に刺繍しろと言われ、朝顔の刺繍を入れたら『桜を入れろ』と叱られ、日本の警察に焼きゴテを当てられた。気を失っている間に連行され、気がつくと福岡にいて、その後、『七番』と番号で呼ばれる慰安婦になった。先生になりたかったが日本に踏みにじられた」 ハルモニ食堂を経営する黄錦周氏。「勤労挺身隊として紡績工場に行くのだと思ったら、樺太に着くなり服を脱げと急に言われた」 封印された記憶 そして文氏が市民グループの手引きで来日し、集会で証言をする場面が流れる。「大日本帝国国民となります、と言わされたのに、この仕打ちは酷い」 この発言には驚いた。番組制作側は、「大日本帝国=悪」だとしてこの発言を削らなかったのだろう。だが文氏の本の記述を読むと、また別の思いを感じ取る。〈戦地の軍人たちの思いと、わたしたちの思いとは同じだった。ここに来たからには、妻も子も命も捨てて天皇陛下のために働かねばならない、と。わたしはその人たちの心持ちがわかるから、一生懸命に慰めて、それらを紛らしてあげるよう話をしたものだった〉(『同』) 番組内の元軍人の証言でも、慰安婦とのこんなやりとりが語られる。「軍が引き揚げるとき、慰安婦たちは『連れて行って下さい』と言っていた。『途中でお金が必要になったら、私たちがたくさん持っています』と言って、もう三文の値打ちもない軍票を見せていた。『死ぬ時は一緒に死にます』と泣きつかれて……」 涙を拭う元軍人。 この二つの場面には胸を打たれた。軍人と慰安婦の間には、戦地特有の一体感さえも生まれていたことになる。「戦地」に置かれた女性と男性の、悲しい「同志の心」だったのだろう。だが、いまや、それは日韓双方で語られることはなくなってしまった。
日本大使館前で慰安婦像を囲み、慰安婦問題での日韓の最終合意に抗議する元慰安婦や支持団体のメンバーら=2015年12月30日、ソウル(名村隆寛撮影) 彼女たちの真の歴史を奪ったのは挺対協だけではない。朝日新聞などが「強制連行」を強調して報じたことにより、慰安婦になった本当の経緯や、戦地で生まれていた軍人と慰安婦の関係についての真相は「反日」の幕で覆い隠されてしまった。彼女らの真の証言を、朝日新聞や挺対協が封殺したと言っていいだろう。 もはや、元慰安婦たちが「あの頃、日本の軍人さんとどのような関係にあったか」「どんな雰囲気だったか」を率直に話すことはできまい。特に韓国では、「親日売国奴」の汚名を着せられかねない。 真の和解のための“よすが”になりえた共通体験だが、可能性は潰されてしまった。そして、「戦地でたしかに存在していた慰安婦と軍人の関係」は歴史の狭間に葬り去られることになる。 「母に楽をさせたい」 その後、番組は文氏が支援者に付き添われて下関郵便局を訪れ、野戦郵便局から貯金していたお金を返してほしい、と交渉する場面が流れる。日韓協定で決着がついている以上、日本側から個人にお金を払うことはできない、と断られるが、諦められない文氏の表情が大写しになる。 慰安婦が性奴隷ではなく、「高収入の売春婦」だった証として「慰安婦の収入明細」のように紹介される「文原玉珠」名義の貯金通帳明細は、この文氏のものだ。政府の調査でこの記録が出てきたのだが、たしかに文氏は二万六千円もの貯金をしている。当時の二万円は、現在の六千万円相当とも言われる(ただし戦地のインフレ率や軍票との関係により諸説ある)。 文氏は、本にこう書いている。〈事務を仕事にしている軍人に、わたしも貯金できるか尋ねると、もちろんできる、という。兵隊たちも全員、給料を野戦郵便局で貯金していることをわたしは知っていた〉〈どんなに働いても貧しい暮らしから抜け出すことができなかったわたしに、こんな大金が貯金できるなんて信じられないことだ。千円あれば大邱に小さな家が一軒買える。母に少しは楽をさせてあげられる。晴れがましくて、本当にうれしかった。貯金通帳はわたしの宝物となった〉(『同』) 貧しさのなかにあった文氏が、こつこつ貯めた財産だ。それが戻らないのは気の毒ではある。「カネをもらっていたのだから奴隷であるはずがない」という主張はたしかにそのとおりだが、結果として「母を思いながら、春をひさいで貯めたお金が手元に残らなかった」恨み、悲しみに寄り添う必要はあろう。 だが番組内でも説明があるように、補償関係はすべて日韓協定で「解決済み」となっているのである。 個人補償よりも国家の発展を選んだのは韓国政府である。もちろん、その国家の発展の恩恵を文氏も少なからず受けてはいるだろうが、やり場のない怒りがすべて日本に向いてしまっているのは、日本にとっても文氏にとっても不幸なことである。 一生懸命働いたのに、お金が残らなかった。母に楽をさせてあげられなかった……彼女にそんな思いがあったのだろう。その思いを「運動」のために利用した人々がいる。 女性たちの思いに報いようとしたのが、アジア女性基金だった。少しでも元慰安婦たちの心に寄り添い、生活を支援しようとした動きだったが、韓国側運動団体はこれに激しく反発。元慰安婦の女性たちに受け取りを拒否するよう圧力をかけた。 いまでこそ取り組みを評価している朝日新聞も、当時は韓国側の空気を慮ってか、この取り組みを必ずしも支持しなかった���彼女たちが「恨みを残したまま死ぬ」ように仕向けたのは誰だったのか。 ���慰安婦の涙 番組では、支援者が開いた文氏の誕生日パーティの模様を映し出す。「自分の誕生日も知らなかった私を祝ってくださってありがとうございます……」 文氏は涙にくれる。そして、「戦場から戻った軍人に呼ばれて同席した宴会のために覚えた」という歌を披露する。 「生れ故郷を 何で忘れてなるもんか 昨夜も夢見て しみじみ泣いた そろそろお山の 雪さえ溶けて 白いリンゴの 花がちらほら ああ 咲いたろな」(「リンゴ花咲く故郷へ」正しくは“咲くだろな”)
故郷から遠く離れた戦地で、立場は違えど、軍人と慰安婦は、この歌を歌いながらともに故郷を思っていたのだろう。文氏が本に書いたような軍人との交流もあったからこそ、彼らが歌っていた歌を忌み嫌わず、懐かしく口にしたのではないか。 生死の行方も知れない戦争のさなか。いまよりもずっと貧しい時代だ。いまの価値観で善悪を判断することはできない。「連行されたに違いない」「軍人を恨んでいたに決まっている」とするのは、元慰安婦らの生きた足跡を、いまの価値観で全く別のものにしてしまう可能性がある。 番組終盤で再度、挺対協の尹氏が述べる。「日本がやったことは韓国人の人格を貶め、日本人自身も失った。戦後処理をしなければ絶対に忘れません」 だが、慰安婦という職業についた女性に「賤業」のレッテルを貼り、さらには「日帝のために働いた女」として社会から排斥した韓国社会にも問題はなかったか。 番組に登場する元慰安婦・沈氏も、「結婚もできなかった。友人の家族を見ると辛い」と涙を見せている。 誕生日を祝われて涙を見せる文氏にも、元慰安婦として名乗り出たあとには、「お金のためでしょ」「もう付き合いをやめる」という電話があったそうだ。 いまも運動のためにだけ駆り出され、寒空の下、あるいはカンカン照りの路上で泣き、「悲惨な体験」を語ることのみを求められ、世界各国を「ドサ回り」させられている老女たちがいる。そんな姿を見るのは本当に心苦しい。 罪を犯したのは誰か「少女の頃のことを忘れたくなかったから」とピンク色のチマチョゴリを着た理由を語る文氏。取材陣に手を振る姿を映して、番組は終わる。そこにいるのは、戦争という時代と苦労の人生を歩んだ一人の老女である。 和解は双方が目指さなければ決して成り立たない。 歴史には光も影もある。その双方を織り込み、「ありのままの体験を話すことで『和解』を果たす」道を取っていれば、日本人の多くは彼女たちとその人生に心からの深い同情を寄せられたはずだ。 だが慰安婦問題を運動に仕立て上げた人たちは、彼女らに「強制連行」の嘘をつかせ、日本人を恨ませ、生活の足しになるはずのお金を渡すことすら妨害した。そして互いの猜疑心は膨らみ、日本人からの女性たちに対する同情心さえ離反させてしまったのである。 朝日や「強制連行」派の学者、テレビ関係者、運動家は日本人の名誉を貶めただけでなく、このような元慰安婦たちから「真実の歴史」「生きた証」を奪い去った「罪」をも負っているのではないだろうか。
かじい・あやこ 1980年生まれ。中央大学卒業後、企業に勤める傍ら「特定アジアウォッチング」を開始。「若者が日本を考える」きっかけづくりを目指している。月刊誌に寄稿の他、『韓国「食品汚染」の恐怖』や『竹島と慰安婦—韓国の反日プロパガンダを撃て』など日韓関係に関する電子書籍などを無料公開中。
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スタンドTomi
もう一軒隠れ場をお伝えします。 最近ではここが一番のお気に入りでして、引退されたご夫婦でやっておられます。 平安湯のすぐ近くになるのですが、日本酒、焼酎の品揃えが結構多くてご愛用させていただいております。 金額もお安いですし、かといって値段以上の価値というか、そういった愛情も感じられます。 先ほどまで居たのですが、近所でこんなに居心地の良いところはこことあと2軒くらいしかなく、 正直大阪にすぐにでも走っていきたいが、帰りの電車がとても身に堪える。辛い。 自転車で5分程度なので、本当に助かっている。 マスターも酒が本当に好きで、2人でいつも酒の話で盛り上がってます。 奥様は静かな女王蜂。 決して刺すことのない余裕と優しさを秘めた方。美しうに。 名前から立ち飲み屋だと思われがちですが、座れます。 街から離れるので、この辺りに来られた時にでもふらっと寄ってみては如何でしょうか。 因みに定休日は木曜との事。 ガッツ��食べるようなところではないので、銭湯のあとが一番良いのかも知れませんね。
今日おすすめされた2酒をサクっと解説。 先ずは広島の醉心(スイシン) 別取 純米無濾過生原酒 専門店限定 超軟水仕込 兵庫県産山田錦100%
日本画の巨匠 横山大観が終生愛した酒として有名だそうだ。 イントロを端折るが、これ、モテる味だ。 フォントは太いが、上品で少し甘味も感じれた。 辛口と甘口の間よりも、甘口よりなので女性にも人気だと思われる。 この酒が美味いという女性とはどこかしら気が合いそうだ。嘘 特別ラインで仕込んだ事もあり、これは見かけない酒である。 今日開けていただいたので、今週いっぱいはあると思いますw
はい、続いてはこちら。 白老(ハクロウ) 特別純米 槽場直汲み 生原酒 五百万石 精米歩合60% 本酒度+11 17度
大人気「魚ラベル」の特約店限定の直汲み生原酒バージョン。 こちらも今日開けていただきましたw とにかく、これ飲まないでください。 俺が全部飲みます宣言。 超モテ筋の味! 以前ご紹介したラピスに似た酒?シャンパン?w いやー、売れるでしょうが店頭では購入できません。 一番嬉しいのが、こんなにも新しい味をマスターは美味い美味いと言っていたのが印象深い! やるじゃないかマスター! という事でこれ以上ノーコメント。
とにかくお近くなら行ってみても面白いかも。 お会いしたくないですがw
余談 以前ここで出逢ったあるお客様からいただいた僕の似顔絵。
これ、黒人じゃんねw
スタンドTomi
〒606-8326 京都府京都市左京区岡崎西福ノ川町
075-771-0974
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スペシャルで全開でワンダーなパワーを
すっかり更新怠ってしまいました。 今更ですが新年明けましておめでとうございます(もう2月も中盤ですが) 今年もいろいろ作ります。で、届けます。 今年は撮りたいものがある。
●舞台「苺と泡沫と二人のスーベニア」終演しました。 ご来場いただきましたみなさまありがとうございました。 見に来てくれた方の意見で一番嬉しかったのは 「昔の勝又さんの映画を見ているようだった」という言葉です。 今回の作品は自分の中で原点回帰という大きなテーマがありまして、 映画を作り続けデビューをして 初めて劇場で自分の映画が公開された時の喜びや、 恋に狂喜乱舞するあの感覚を もう一度取り戻したいという強い想いがありました。 しかも映画ではなく演劇で。 自分自身で掲げたテーマというか目標でしたが、かなり試行錯誤。 あの頃と同じ恋愛もので、キャッチーにポップに。 もちろん映画と演劇ですから作り方そのものが違います。 ��取り戻す」は言っても、演劇ではそもそも「手に入れていない」ものです。 映画のように作れたらいいな、とは言っても 演劇には撮影部も照明部も録音部もありません。 もっといえば助監督もいませんし、編集もできません。 全くの別物です。 そんな想いもあって、その言葉は本当に嬉しかったです。 これからも頑張ります。取り戻します。 次の映画、期待していてください。
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稽古に行く時にずっと聞いていた藍坊主の「レタス」。
取り戻せ もう一度 スペシャルで全開でワンダーなパワーを
というフレーズに何度勇気をもらったか。 ホジの書く歌詞はなぜか心情とリンクしまくってぶっ刺さる。
今回の作品で印象的な出来事として残っているのが 打ち上げの最中にキャストの誰かが言った「スカイツリーで朝日見よう」という言葉に湧き、みんなで向かったこと。 「25分で着く」という情報は大間違いで、実際は2時間半かかったけど、 それはそれは映画のような時間だった。 極寒の中みんなで歩き、途中のコンビニでコーヒーで暖を取り、肉まんを頬張り、ひたすら歩き。 「もしかしたら朝までに着かないんじゃないか」という不安と戦い。 いざスカイツリーについたらもうヘロヘロで、感傷も達成感もあったもんじゃない。 それでも、今日まで毎日のように顔を合わせた仲間たちと、 最後の日にこうして思い出を作れたことがとても嬉しかった。 監督と役者と言えど、根底は仲間だ。 愛おしい仲間たちと、とても儚い時間を過ごせたと思っている。 遠いどこかに向かって、みんなで少しずつ歩く。 これは稽古と一緒だ。 歩いたら歩いた分進むし、たどり着いたそこから見える景色は壮大であるはずだ。 その遠いどこかから見えた朝日を、忘れないでいようと思う。 本当にありがとう。
▼近況というか、新作の準備でブログを書かない間にもいろんなことがあったので綴ります。 時間は遡り、昨年末から。
勝又組のスタイリストの部坂さんと忘年会ラーメン食べ歩き。 埼玉の方へ行った気がする。 帰りは10キロくらい歩く。ひたすら映画の話をした。 部坂さんとまた映画をやるぜ。必ず。楽しい時間が待っている。
クリスマスはイルミネーション真っ盛りのよみうりランドへ。 よみうりランドという、神奈川県民からしたら肩肘張らない近所の遊園地感。最高。 まったく気取ってない。なのに年々入場料は値上がり。 こういうのを「ちゃっかり」と言います。
年末は、藍坊主の年末ライブ「佐々木 NOT DEAD」の オープニング映像の制作に奔走。 佐々木ことホジと地元や中華街へ。 とても良い映像が作れたと思います。近日中に公開するとかしないとか。
そしてライブは今までのどの藍坊主のライブよりも良かった。 ホジの世界観爆発。 やはり俺は彼の音楽が好きだし、藍坊主の音楽が好きだ。 ある曲で迂闊にも泣きそうになる。絶対本人には言わないが。
そして12月はもう一本、MV制作。 ホジの別ユニットの「NORM」の新曲です。 夏にやった演劇「海を視る、」を見に来てくれたホジが 何かしらを感じて作ってくれた曲。こういうのは嬉しい。 撮影地は愛する熱海。 こちらも乞うご期待。
まさかのもう一回よみうりランド。 なんで短期間に二回もよみうりランドへ行くのか。 イルミネーションに飽きてしまい3時間くらいで出る。 3時間でも入場料はそのまま。安くなったりしない。 こういうのを「いっちょまえ」と言います。
そしていつものBOSS上野さんと「Mr始発」こと近江さんとの忘年会。 会うなり酔っ払っている二人。 聞くところによると既に野毛で飲んできたとの事。 今日は平塚ではなく、大和で飲む。 肉で有名っぽい店でレモンサワーを飲んでいると、 突然BOSS上野さんが一言。 「俺は本気だから」 この言葉を聞いて僕らはレモンサワーを一気飲み。即お会計。 終電で平塚へ。
ちなみに近江さんは「今日は絶対に終電で帰る」と言っていましたが 全く帰るそぶりはなく、すっかりハゲ散らかしていました。
平塚に着き、立ち飲み屋なのになぜか油そばが異様にうまい店で一杯。 いい感じに酔っ払ってきたところで平塚探索。 BOSS上野さんが豚山を食いたいと言い出すも惜しくも閉店。 そして、、、 ボスに群がる黒服。近江さんも調子こいて「てぃーーす!」とか言っていましたが無視されていました。
そういえばこの日の近江さんのジーパンが吉田栄作を意識しているのか ビリビリのジーパンでした。 40手前にもなってなんでこんなにビリビリなのでしょうか。 そこで僕は思いつきました。 もしかしたらもっとビリビリにした方がかっこよくなるんじゃないか。と。 ある時はくしゃみの拍子に。 ある時はうっかり倒れた拍子に。 ある時はストレス発散に。 結局、朝が来る頃にはB'zの松本のようなビリビリジーンズになっていました。 というか、あそこまでくると半ズボンですね。 近江さんは夜明けが近づくとなぜか凶暴になるので、怒る前に解散。 今年1年、この平塚という街には大変お世話になりました。 この街で感じた事は全部作品に反映されています。 そうです、先述の「苺と泡沫と二人のスーベニア」という演劇は この飲み会だらけの時間を経て作られた物語です。 そして僕らは今年一年を振り返り、反省と感傷に浸るのでした。 「今年はたくさん世話になったな」と。 自分的に2019年を表す言葉は「演劇」と「平塚」です。 しかし倫理的に「平塚」にしてしまうと怒られそうなので却下。 2019年は「演劇」に満ちた一年でした。とても楽しかった。
大晦日。 恒例のホジと初詣。 大雄山へ。 今年も大吉!三年連続大吉。今年もいい事ありそうだな。 長蛇の列に並びながら、ホジと制作の話をするのが恒例。 音楽と映像。 ジャンルは違えど今年もまたたくさん一緒に作品を作ることになるんだろうな。 楽しみだ。
そして、年末の平塚にて「今年はたくさん世話になったな」と 感傷に浸った僕らですが、またすぐに顔を合わせます。 そうです、こちらも毎年恒例小田原会! 毎年のあまりの傍若無人ぶりに、年々参加者が減っているような気がしますが、 今年も大盛り上がり!
職業幹事の近江さんの仕切りのもと、一次会は居酒屋、二次会はカラオケ。 完全に高校時代がフラッシュバック。 授業を抜け出して騒ぎまくった日々を思い出す。 そして三次会はどうするかと話していると、BOSS上野さんが一言。 「俺は正月も本気だから」 この言葉で僕らは深夜の小田原駅でタクシーを探し、乗り込みます。 目指すはまたもや平塚。 年末、というか数時間前もいたような気がする。
なぜか誰もいない壁に向かって熱唱する近江さん。 一体彼は新年早々どこへ向かっているのでしょうか。 結局朝まで浴びるように飲む。 平塚で迎える朝。 もういっそのこと、平塚で三人暮らしした方がいいんじゃないかとも思う。 BOSS上野さん、日本版タイガーウッズこと近江さん、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。 今年もたくさん平塚のセンチメンタルに包まれた朝を迎えましょう。
その日はタイガーウッズ近江さんの新居にて泊。 昼頃に目を覚ますなり「早く帰れ」とキレられる。 ジーパンがビリビリになった事をいつまでも根に持っているようでした。 見てくださいよ、このふんぞり返り。 とことんタイガーウッズですよ。
そして数時間後、新年を理由にまた酒を飲む。 途中から「電話一本の男」こと近江さんもまたもや合流。 40手前のおっさん達が年甲斐にもない酒の飲み方をする夜。
実家にて数年ぶりに母親の手料理を食べる。 懐かしくて泣きそうになる。 ラーメンばかり食べている不健康な体が一気に浄化されたような気分。 また食いたい。結局男は母親の手料理以上の食べ物を見つけられない気がする。 どんなにうまいラーメンも、高級な料理も、母親の手料理の前では絶対に無力だ。 中学〜高校時代、反抗期で母親の料理を一切食べなかった時期がある。 俺は今でもそれをずっと後悔している。 タイムマシーンで過去に戻って、食べ直したいくらいだ。 こんな野蛮なブログを、現役の高校生が読んでいるわけないけれど たとえ反抗期でも、親の飯はちゃんと食った方がいいぞ。
地元から帰り、本格的な執筆期間へ。 その合間にNORM新年会。 藍坊主と作った映画「太陽の夜」を上映し、トーク。 ホジが作ったレモンサワーがうますぎて、飲みすぎる。
そしていよいよ「苺と泡沫と二人のスーベニア」稽古期間開始。 稽古期間の休みの日は、物語の舞台となっている本厚木へ何度も行く。 作品を作り始めると、頭の中がその作品一色なってしまうのは昔から。 抜け出せない創作。終わらない物語。 実在する「酔笑苑」や「BotoRu」という��店も登場します。 まぁ、厚木で飲むならここだよね的な。 郊外の閉塞感と閉じた想いを、恋愛というテーマにのせて作りました。
そして、プロデューサーや演出助手、キャストたちと稽古後に酒を飲み交わす日々。 こういうの大事。 人となりを知れる良い機会です。
総勢21人。 とても可愛くて頼もしくて、自慢のキャストです。 大変だったけれどこの出会いは財産。
そして先述の打ち上げからのスカイツリーからの少しの睡眠のあとは! 平塚へ! 稽古中はBOSS上野さんや近江さんと会っていなかったので久しぶりに会う。 とにかくこの日を楽しみにしていた。 着いたら二人とも既に泥酔。 なぜかサッカーの話になって、BOSS上野さんが 「俺はベルマーレの小島伸幸を心から尊敬している」と豪語していましたが 20年付き合ってきてそんな言葉初めて聞きましたね。
そして宴もたけなわ。 近江さんも「今日こそは終電で帰る」と言っているし 自分も昨日演劇が終わったばかりので、そろそろと思っていると BOSS上野さんが鋭い目で一言。 「俺はバレンタインも本気だから」。 その言葉を聞いて僕らは即お会計。 近江さんのレモンサワーにわさびを大量にいれたにも関わらず、 一気飲みして「うまい!」という近江さん。 完全に味覚が麻痺していますね。
結局、恒例の朝まで。 それではここで、 数時間前に「今日こそは終電で帰る」と豪語していた男の顔をご覧ください。
このマイクの角度。 本当に気持ちが良さそうですね。
そこからノリで朝日を見に、小田原へ。
冬の御幸の浜で見る朝日は格別。 朝の海の凍てついた風に包まれながら、昇る陽を見た。 夜にはりついたまどろこっしさも面倒臭さも全部忘れて、海を見た。 とても贅沢な時間。 ずっと稽古場や劇場という室内にいたので、こういう外の空気はとても新鮮だ。 かじかんだ手も、シンと冷える足裏も、車の窓を覆う薄い氷も 流れる雲も、寄せて踊り狂う波の飛沫も、重い瞼も、 全部が全部、生命を感じる朝だ。 やっと生き返ることができたような。素敵な朝だった。
そして数日後。 BOSS上野さんと茅ヶ崎で飲もうという話になり、いざ茅ヶ崎へ。 レモンサワーが小田原産だったり、お通しがアジだったり小田原を感じる店。 茅ヶ崎の「道」と言う店、おすすめです。
居酒屋 道 茅ヶ崎元町本店
その後、「令和のお騒がせ男」こと近江さんもわざわざ来るとの事で場所を教えると 「道で飲んでるわけねーだろ!なんて店だか早く言えよ!」と キレていました。道は店名です。路上で酒を飲むわけがないでしょうが。
着くなり「今日こそは終電で帰る」といつもの決まり文句。 さぁ彼はそんな「終電」の時間帯、一体何をしていたのか、画像をお見せします。
もはや帰るそぶりなんて全くありませんね。 Mr始発とは彼のことです。 結局僕らは茅ヶ崎からいつもの平塚へ移動。 ちなみには、僕らの間で平塚のことを「聖地」と呼んでいます。 それくらい僕らはこの街を愛しています。
そんなわけで、まとめて書いたのですごく長くなってしまいました。 世間ではコロナウイルスが流行っていますが、人間死ぬときは死にますし、 生き残るときは生き残ります。 相模原とか横浜とか、確実に神奈川県にも蔓延し始めています。 びびっていてもいい事なんてないですし、 マスク買い占めとかみっともない事してないで 正々堂々としていましょう。 そんなウイルスがどうのこうのよりも、 神奈川の女子高生が、スマホを動画モードにしたまま駅のベンチに置いて、 線路に飛び込んだニュースの方がよっぽどショックですよ。 その動画には彼女の最期の顔と、飛び込む様子が映ってたという。 そしてそれをSNSで中継までして。 ニュースが伝えるべき事はウイルスよりもこっちだろ。 便利すぎて、自らの死まで記録する事になっちまったぞ、スマホ。 女子高校生が飛び込み死亡…駅のホームで動画も撮影 映像を扱う身として非常にショッキングだし、 ウイルス情報ばかりで、世間のあまりの無関心さにも憤りを感じる。 誰かにとって胸を踊らせ待ちわびた明日ってのは 他の誰かにとっては閉ざしたい明日だった。 青春は輝かしいものばかりではないし、 ウイルスレベルで狂気にも満ちている。 とにかく、女子高生のご冥福をお祈りいたします。 天国ではスマホでどうか上手に遊んで欲しい。 死なんかじゃなく、素敵な動画をたくさん撮って欲しい。 笑って笑って笑って、笑いまくって欲しい。 SNSで更新されるべきなのは、そういう姿なんだぞ。 SNSで中継されるべきなのは、世界で君にしか切り取れないそんな日常なんだぞ。
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食材の魔術師 日本
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自在鉤と言う言葉ですら、今や忘れ去られてしまっているかも知れませんね。
(写真 そば玄 薮椿さんのひと部屋)
言葉は進化する性質を持っています。
日本語に限って言えば、良い意味の言葉ほど、悪い意味になってきている傾向があると言えます。 言語学については、専門家にお任せするとしましょう。
農家の方々の中には、田植えの時期など、山の残雪の姿を見て判断する地方があると聞きます。 通称、「雪形」。 高山市の例では、笠ヶ岳に馬の形が浮かび上がると田植えをはじめるとか。
一方、品種改良の努力は、各地方地方で、毎年行われています。 その中でも、トマトの改良は、全国でも盛んな一例でしょう。千葉県だと思いますが、2018〜2019年の作品には、驚かされました。とある小料理店のカウンター。大阪のご出身の女将さんが、今入ってきたばかりの常連の紳士に、先ずはお通しを差し出します。 お酒は、霧島のお湯割りで。 一口入れると、「何これ? フルーツ?」と、至福の一杯。お酒に、フルーツは合うのかしらんと、此方は、菜の花の酢味噌和えを。 女将は、「美味しいですやろ?」と自慢げに、微笑みかけます。
何でも、トマトの品種改良の最高傑作とのこと。 此方も負けじと、一皿を頼みます。
(頼むという言葉は、本来なら、人に何かをお願いする時に使われる筈ですが、昭和の頃から、何かを注文する意味に、拡大されたのかと思ってます。)
これは、新種の #オレンジトマト ! 人生で食べたことのないトマト。こんなに甘いトマトが有るものなのか。
早速、スーパーで見つけで食べてみましたが、いやはや、オレンジトマトです。 私の頭の中で連想してしまうのは、何人ものアメリカ人の顔。 これを食べさせたら何と言うかな... どんな顔するかな... と。 多分、あの大きな青い目で、"Oh, my god." とか、"Oh, my goodness."、そして言います、"What is this? Tomato? No, this is not Tomato, New Fruit!"
あのNew Yorkの大学教授に、是非食べて頂きたい。
流石は、日本!
一方、北陸地方では、コシヒカリの品種改良も盛んなのかと思っています。 福井市では、毎年GWが始まる頃には、田植えが始まっていますが、美味しさを追求して田植えの時期を変えた様です。 コシヒカリの元祖は、福井。 今では、コシヒカリは新潟県魚沼産の代名詞。 アジア諸国、欧米諸国でも、知る人ぞ知る、コシヒカリの品種。 土壌、水、気温、湿度、空気などの条件が揃わないと、あの極上の品質は出来ないのでしょう。 世界に誇れる日本品質の一例です。
コシヒカリの美味しさは、冷や飯を食べれば、一口瞭然です。(一目瞭然を文字っただけです)
お茶漬け、塩昆布が合います。小倉屋山本の朝霧は、特におすすめ。
今、外国人の健康志向の中で、海苔や昆布が注目されているとか。 また、思い出しました。小学生のJenniferは、海苔を見せるなり、"Oooh, yack, Woooh, yack"と吐きそうなお顔。
もっと昔は、刺身、味噌汁、納豆を、あれ程毛嫌いしていたアメリカ人も、今や絶賛する人が増えてきました。 それにしても、スーパーで売っているあの酸っぱい真空パック入り豆腐を美味しいと、まだ思っているなら、日本のこれぞという豆腐を食べさせてみたいなと思っています。
ご心配なさりますますな、ご同輩。
日本の品質は、世界で評価され続けていますよ。 その高品質を追求する心がある限り。
続く
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2018年、感動のご当地グルメベスト5【車中泊女子の全国縦断記】
●「ご当地グルメ」を堪能するには、たゆまぬ努力が必要!? ご当地グルメといえば、以前キャンピングカー仲間さんから「今度、ナマズの刺身を食べさせてあげる!」と言われてその気になっていたら、忘れ去られていたという…苦い想い出がまず頭をよぎります。人任せではいけません、やはり「食べたい」と思うなら自力でお店を予約して、お一人様でも臆せず入店しなくては。 一昨年の記事【2018年に訪れたい場所・したい事ベスト5】でも触れた埼玉県吉川市で食べた「うなぎの刺身」。かなり反響があったので、「じゃあ来年はナマズの刺身を食べよう」という話になったのです。前述のように忘れられていたので今年もうなぎの刺身をいただきました(結局、ご馳走になってる・写真:左=うなぎの刺身、右上=どじょうの天ぷら、右下=金のうな丼)。 江戸川と中川に囲まれている吉川市は、約400年前から川魚料理の伝統があり「吉川に来て、なまず、うなぎ食わずなかれ」という言葉があるほど、今なお割烹・料亭が伝統の味を伝えています。 うなぎ料理専門店【川昌】本店 http://kawashou.sakura.ne.jp/ 北海道の阿寒湖を訪れたら、必ずといっていいほど【郷土料理 奈辺久(なべきゅう)】でヒメマスの親子丼をいただきます。ヒメマスのお刺身は5月〜7月のみ! まったくクセがなくて、脂がのった肉厚で甘味のある身と、プチプチで濃厚なマス子がたまりません。 阿寒湖産ワカサギの天ぷらもサクサクとした食感と苦味が絶品です。 【郷土料理 奈辺久】 http://ja.kushiro-lakeakan.com/eat_souvenir/5122/ 海鮮好きな筆者お気に入りの道の駅【氷見】。中でも【氷見前寿し】で一杯やるのが毎年の楽しみ! 富山湾名産しろえび(写真)やホタルイカをお刺身でいただけるのは最高の贅沢です。 他にもブラックラーメンや金箔ソフトクリームなど、氷見はご当地グルメてんこ盛りです。 【道の駅 氷見(ひみ番屋街)】 http://himi-banya.jp/ …と、ここまで挙げてきましたが「2018年、感動のご当地グルメ」は、ここから。美味しさ云々よりも珍しさで選んでしまうのが筆者の短所でもあり長所でもあります(?)。 【その1・モウカの星(宮城県)】 松島を訪れた際に【松島さかな市場】で見つけたモウカサメの心臓『モウカの星』! 自然解凍し、そのままお刺身(ルイベ)でいただきます。食感は鯨刺や鹿刺に近く、生姜醤油につけても臭みがちょっと気になりました。一緒に食べた友人一家の感想は、生食では友人(女性)とお母様は苦手、お父様はお酒のツマミに気に入ってもらえました。その後、生姜醤油で焼いてみたところ、そっちの方が美味しいと好評でした。筆者も焼いた方が好み。 【松島さかな市場】 http://www.sakana-ichiba.co.jp/ 【その2・塩ホタテラーメン(北海道)】 過去、北海道の稚内近郊でラーメン店めぐりをしたことがあり、筆者の中での塩ラーメンナンバーワンは宗谷岬にある【間宮堂】のホタテラーメンとなりました。しかし今年はじめて稚内フェリーターミナル2階【シーサイドレストランyu〜来(ゆうら)】で塩ホタテラーメンを食べてみたところ、勝るとも劣らない美味しさで驚き! 失礼ながら、たいていフェリー乗り場や空港、駅などの飲食店は「そこそこ」というイメージがあったので…。 透き通ったスープはホタテの出汁が効いていて、丸ごと1個のったホタテもまた新鮮でプリプリとした食感がいい。個人的に、麺がぼやけた味だったり食感がくにゃっとしているお店が多い気がしていたのですが、こちらはツルツル・シコシコで美味しかったです。 【その3・音威子府蕎麦(北海道)】 ここ数年、音威子府(おといねっぷ)村は道の駅【おといねっぷ】で休憩することはあったのですが、立ち寄りもせず通り過ぎることもしばしば…。とうとう道の駅も休館となってしまいました。 音威子府を代表するご当地グルメ【音威子府蕎麦】は、JR宗谷本線 音威子府駅構内の立ち食い蕎麦屋【常磐軒】で食べるのが王道中の王道。…ですが、筆者が訪れた日は12時半には売り切れとなってしまい閉店。1日何食なのかは分かりませんが、常盤軒のご夫婦はご高齢で耳も遠いですし腰も曲がっているので、長時間勤務はつらいのかも知れません。 ほかに音威子府蕎麦が食べられるお店がないか駅員さんに尋ねたところ、なんと【一路食堂】のみ。音威子府村内において、音威子府蕎麦が食べられるのは今やたったの2軒だけになってしまったのです。 音威子府蕎麦が黒いのは、蕎麦の実を丸ごと使用しているから。蕎麦の風味というよりも焙煎した蕎麦茶のような風味で、弾力があり、一般的な蕎麦とは別物と言っても過言ではありません。【一路食堂】では驚いた事に、この特徴的な黒い蕎麦に合うよう「音威子府蕎麦専用のそばつゆ」まで開発したそうです。 音威子府村は、蕎麦生産の北限地。旅情をそそるご当地名物、存続してほしいものです。 【一路食堂】 http://kuroisoba.com/ 【その4・サンショウウオの薫製(栃木県)】 サンショウウオは、栃木県〜福島県の���間部では古来より疲労回復・滋養強壮・美肌などに効果があるといわれ、重宝されています。(特別天然記念物のオオサンショウウオとは違います) 道の駅【湯西川】や、湯西川温泉街にある民宿【山島屋】などで販売しています。お値段はお店によって少々異なり、山島屋では5匹 800円でした(蛇足ですがサンショウウオの写真をアップで載せるのは忍びなかったので、山島屋さんをメインにしました)。 食べる前に軽く炙ると香ばしくて、ポリポリとした食感がおつまみ感覚でいただけます。お腹周りに少し苦味がありますが、それがまたお酒に合う。お好みで、マヨネーズ+七味をふりかけて食べるのもオススメです。1日1本くらいが適量、食べ過ぎに注意しましょう。 【山島屋】 https://yamashimaya.jimdo.com/ 【その5・利尻島のエゾバフンウニ(北海道)】 利尻島の南側に位置する仙法志(せんほうし)御崎(みさき)公園にある、漁師一家が営む【みさき物産】。「明日はウニ漁やるから、朝8時頃に来ればウニ剥きしてるとこが見られるよ」と教えていただき、お言葉に甘えて見に行ったのがきっかけ。 目の前で剥いた新鮮間違いなしの朝穫れ海水ウニ、中でも貴重なエゾバフンウニを、メスとオス(オレンジ色が濃いのがメスで、白っぽいのがオス)半々にして詰めていただきました。 100g 3,300円は筆者としては大奮発でしたが、お食事処などでウニ丼を食べると4,000〜4,500円はするので、それを考えればおトクです。 ムラサキウニは海藻なら何でも食べる〝雑食〟で、少し苦味や雑味を感じます。対してエゾバフンウニは昆布しか食べない〝美食家〟。つまり利尻昆布を食べて育っているから味がまろやかで濃いのです。そしてメスは旨味が濃く、オスはクリーミー。こんな贅沢な食べ比べ、なかなかできません! 【みさき物産】 http://misaki.shop-pro.jp/ 道の駅めぐりをしていると、見知らぬご当地食材を知ることができるので興味深いです。東西南北、その土地に適した食材があり、山菜なども名称が地域によって違っていたりするのが面白い。 写真:左=真菰筍(マコモタケ)、右上=食用菊、右下=オクラの花。見たことのない食材は店員さんに食べ方など聞くと、そこからまた「こういうのもあるよ」などと教えていただいたり、「九州にはないの?」と話が広がるのも旅ならではですね。 次回は「やってよかった体験ベスト5」をお送りします。「体験もの」というと、アクティビティから文化系まで色々あります。自分でいうのもなんですが、バラエティに富んだラインナップになったと思います! (松本しう周己) あわせて読みたい * 2018年、登ってよかった山岳ベスト5【車中泊女子の全国縦断記】 * 2018年、行ってよかった日本の風景・ベスト5【車中泊女子の全国縦断記】 * 2018年、心に残った出来事・ベスト5【車中泊女子の全国縦断記】 * 「苔の生えた」キャンピングカーを徹底洗車。光触媒コーティング施工で生まれ変わった!?【車中泊女子のキャンピングカー生活】 * キャンピングカーのリアラダー修理顛末記【車中泊女子のキャンピングカー生活】 http://dlvr.it/QvkXl0
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25、26日と福島市で合同練習!
来月の東京、郡山での公演までちょうど1ヶ月となりました。 今月の練習会場は東北ユースオーケストラ(TYO)はじめての福島市公会堂です。こちら、1200名以上を収容する歴史ある福島市のホールに続々と団員が集まってきます。
あとは本番前の直前合宿での練習を残すのみとなりました。気合が入ってきた指揮の栁澤敏男さんには後光が刺しているようです。
とりわけ「ふつうジュニアオケ、ユースオケではまず演奏しない(演奏できない)」と言われるグスタフ・マーラーの交響曲第1番については、楽譜のポストイットも毎回増えていっているように感じます。
果たして立派に演奏できるのかなという現況を応援するかのように今日はたくさんの差し入れをいただきました。まずはパーカッション塘英純くん、ヴァイオリン三浦千奈さんのお母さまからバラエティに富んだお菓子の数々と、そして福島事務局の大塚真里さんからお薦めの地元福島市の「ゆずみそ焼おにぎり」(と書くだけでも、さらにどんぶり飯を食べれそう)。
そして、この二日間の合同練習会ではJA共済、JA共済連福島から多大なるご支援をいただきました。今回のレポートでは結果的にこれから何度も「JA共済」という言葉が踊り、画面に写り込むことになり、「この引率の先生は個人的に何か貰っているのでなかろうか」と訝しがられること間違い無いと思うのですが、確かにたくさんの恩恵をいただいているのですよ、東北ユースオーケストラ一同が!
まずは小出しに。初日の昼と長い練習の間食用にと、地元でつくられたパンを各種とお茶を110名分いただきました。
ホール内では午前中からマーラー交響曲第1番を絶賛練習中のところ、
かたや降り番中学生、トロンボーン西野蒼さんとクラリネット小野葵さんの、ダブル・ノアオイズが何を嗅ぎつけたかロビーに登場。
中学生というのは、とにかくお腹が空く年頃だよなと受け止めておりましたら新たなJA共済さんからの差し入れが届きました。
「水虫パン」です。事前にいただいた贈答品リストに「お茶」「お弁当」「トースト」などに混じって「水虫パン」という物品を見つけた時のわたくしの衝撃をお察しください。何かの誤植であろうとたかをくくっていたら、本当に「水虫パン」が作り手の「オカザキドーナツ」店主岡崎隆一さん(75)によって、自転車にて納品されるという、想像を超える現実の恐ろしさを感じました。しかもJA共済さんは自社製品では無く、地域振興の観点から地元の商品をわざわざ買ってくださったのですね、この水虫パンを。まさに足型の水虫パンは、ピーナッツバター味、イチゴジャム味、チョコレート味とバラエティに富んでおり、水虫に見立てられたと思わしきカリカリ部分の食感が絶妙な、昭和生まれには懐かしい美味でありました。水虫パンについてさらなる見聞を広げたい向きには、一般社団法人東北ユースオーケストラの理事メンバーでもある仙台の河北新報の記事をお薦めします。 以上、福島市観光情報でした。
この日は実家で栽培、販売されている苺の差し入れとともに練習会場にお越しいただいた、今年70歳の男性がいらっしゃいました。
気仙沼から娘さんの車でお見えになった、古希の方の名刺には、 「NPO法人海べの森をつくろう会 副理事長 三浦秋男」と書かれています。 先月のレポートをお読みいただいていたらピンとおわかりかと。パーカッションの三浦瑞穂さん(中3)のお爺様でした。
まずは311に気仙沼で地区の自治会長をされていた、元高校教師の三浦秋男先生から昼休みの後半30分を使って団員全員に向かってお話をしていただきました。 これまでに体験したことの無い強い長い揺れで、障子が外れ、目の前で家の壁が割れ、町の信号機がすべて消えた驚き。ラジオから6mの津波との報せが入り(実際は気仙沼では20mを超えた)、海岸沿いから軽トラックに乗ったご夫婦が「津波が来る!」と逃げてきて、それが現実に起こることとわかり、日頃の防災訓練に則って行動されたこと。指定避難所の階上(はしかみ)中学校での避難生活がはじまり、地元の建設業者の大型発電機のおかげで直後から電気を得られたこと、意外とガス炊飯器が活躍したこと、地元農協が提供してくれたお米も2000人の避難民ではあっという間に無くなってしまったものの昔ながらの精米機のおかげで米が食べられたこと、地元の水産加工場の保冷庫のおかげでマグロ、ぶり、ほたてなど贅沢な食材も口にすることができたこと、10日後に自衛隊からの食事を支給されてほっとしたことなどなど。
強く強調されていたのは、日頃からの小中高校での避難訓練の重要性、防災教育の大切さでした。防災減災の3ステップとして、まずは自助、そして共助、公助と言われるが、地元コミュニティの共助の力を今回は強く感じられたそうです。震災後6年経っても仮設住宅は残っており、地区によっては自治会が解散したり統合を余儀なくされている場所もある。被害はまちまちで家族8人で高校生の娘さんだけが生き残った家もある。最後に三浦さんがおっしゃった言葉が響きました。「生かされたわたしの使命は地元のコミュニティを立て直し、守ることです」 こないだのお孫さん瑞穂さんの言葉「生かされたなりのことをしなくちゃいけない」とも共鳴する、限りある命を捧げたいという静かで強い意志。お二人の記念写真を撮りました。
今回三浦瑞穂さんのお爺様にお越しいただいたのは、311の貴重な体験談だけではありませんでした。実は三浦秋男さんは別の先生でもあったのです。
さて続きです。気仙沼のパーカッション三浦瑞穂さん(中3)のお爺様、元高校教員の三浦秋男さんは、なんと民謡の先生でもあったのです。前回の合同練習会で、今回の演奏会で披露する東北三県の民謡をアレンジした「ThreeTohokuSongs」練習中に、団員たちがあまりに地元の民謡を知らないので、掛け声をどうすればいいかわからない問題が発覚し、降り番の掛け声専門部隊「チーム・チョイサー」を組成したのではありますが、では指導者をどうしたものか、と。坂本監督からも「地元の年長者に教わるのがいい」とのアドバイスを受け、ふと思い出したのです。昨年7月に仙台で行った2016年度の入団説明会で、「今回は民謡にチャレンジしようと思うのですが、保護者のみなさんには馴染みあります?」とお尋ねしたんですね。その時、向かって右手の最前列に座っていた黄色い服着た女子の保護者の方から「この子のおじいちゃんが民謡の指導をしています」と伺ったのを思い出したのですね。そこで、誰だったかとその時の写真を見てみたのです。記録写真は撮っておくものですね。
なんと!あの三浦瑞穂さんではありませんか。ということで、今日の合同練習に合わせて、お母様の運転で片道3時間かけて福島市まで、311の体験談講話と民謡の掛け声指導に来ていただいたのです。それでは指導風景を動画でご紹介しましょう。まずは相馬盆唄から。
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三浦秋男先生の揉み手にご注目ください。あとでお孫さんの瑞穂さんは「テンポが早くならないように、この揉み手が大事!」と言っていたとのこと。当方、人生48年にして初めて「揉み手の意義」を知りました。秋男先生によると、伊達藩だった気仙沼では藩主により盆踊りが禁止されていたため地元の盆踊り歌が生まれず、この福島の「相馬盆唄」を歌っていたそうです。ということは、こっそり殿様に隠れてこっそり盆踊りをしていたのですね。盆踊りについては民俗学的視点からの面白い研究の本があります。あえてリンクは貼りませんが・・・。 そして、掛け声について。出だしのタメがポイントのようです。先生による指導シーン、その2でございます。
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そして、チーム・チョイサーの由来となった「南部よしゃれ」から。
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指導のあと三浦秋男先生にお話を伺いましたところ、「震災の後、音楽のチカラというのを強く感じます。音楽を聴いて元気になる人もいれば、歌を歌ってチカラをもらう人もいる。東北ユースオーケストラもみんなが元気になるいい演奏をして欲しい。応援しています」 団員のみなさん、励みになりますね。 遠方より苺を持参でご参加いただいた三浦さんファミリー、ありがとうございました。初めて食べる気仙沼の苺があんなに大きくて甘いとは。団員たちも大喜びで、1パート1パック以上の半ダーズケースもお持ちいただいたのにすぐに約100個の胃袋におさまってしまったのでした。
さて、本番まで1ヶ月となり、昨年は1週間前から進行台本を書きはじめた愚を修正しようと、オープニングのファンファーレの作曲を前回に引き続き塘英純くん(将来は作曲家志望)に依頼しました。
背が伸びたね。その分、内容も成長していこうと、トランペット二重奏から今年はトランペット三重奏で頼むと言ったところ、
さっそく休憩時間にMacBookAirで取り掛かってくれていました。やるな今どきの中学生。手にしているのはメインのマーラー交響曲第1番のポケット楽譜。たぶんマーラーへのオマージュを意識して作曲するのでしょう。できたら坂本監督に見てもらおうね。
3月に演奏するマーラーの「巨人」には「特殊楽器」を用います。と知ったかぶりしましたが、ど素人のわたくしは「特殊楽器」という用語すらこの仕事に関わるまで知りませんでした。標準的なオーケストラの編成では使わない楽器のことです。今月の合同練習では「エスクラリネット」をどう調達するかが事前の課題になっておりました。わたくしは、今回の一件で、「エス」が「S」で「Sサイズ」のことで、フランス語だと“petite clarinette”で、だったら「ピークラリネット」じゃなかろうかとも思い、それはともかく通常のクラリネットより小さくて変ホ調で、買うととっても高いということを知りました。
こちら特殊楽器関係者です。左からTYOのテクニカル・ディレクターの飯島則充さんは、トロンボーン奏者で音大卒でプロマックスの取締役で、団員の演奏に関わること全般から、プロを目指す子供たちの相談役を担当されています。中央の男性はTYO福島事務局のまとめ役の渡辺豊さん。子供の頃はFTVジュニアオーケストラに所属してやはりトロンボーンを吹き、現在は福島市の管楽器専門店ブリリアントの経営者、社長です。福島県内での練習場所の確保やレンタル楽器の交渉、練習当日の搬出入を仕切っていただきながら、団員の楽器のメンテナンスもお願いしています。そして、右が団員のクラリネット奏者、福島高校に通う菊地桃加さんです。 さてどうやって解決したかと言うと、実は飯島さんの奥様がプロのクラリネット奏者でシエナ・ウインド・オーケストラに所属されている飯島泉さんだったと、これも今回初めて知ったのですが、なんとご自身愛用の楽器を特別に貸し出していただけました。飯島さんが「妻から絶対に壊さないように言われました」と暗い顔でおっしゃるので、気軽に「いくらぐらいするんですか?」とも聞けません。「ビュッフェクランポン プレステージュ グリンライン」という楽器名も怖いです。「プレステージュ」は英語のPrestigeのフランス語読みだと思われます。わたくしは今回の練習で菊地桃加さんに会うたびに「楽器はだいじょうぶ?壊れてない?」とネタのように聞いていました。
お借りした高級特殊楽器をそっと握りしめる菊池さんの図です。ポキッと折れそうと心配になりますが、実際は温度差に弱いのだとこれも今回はじめて知りました。快くお貸し出しいただいた飯島泉様、どうもありがとうございました。
初日は20時まで実質半日みっちりと練習をしました。さすがに団員もお疲れのご様子です。今回、岩手県、宮城県、北海道や山形、関東から参加の30名以上の団員についての宿泊問題は、JA共済さんに解決していただけました。閑散期だから大丈夫ですよと、練習会場から車で20分のJA共済経営「摺上亭大鳥」旅館に泊めていただくことができたのです。
しかも、宿までのバスも手配していただき、着いた先は身に余る高級旅館でした・・・。日中、福島の団員数々から「いいなぁ」と言われていた訳がよーくわかりました。一昨年の宮古島合宿でエコノミーなユースホステルでヤモリ他小昆虫と寝食を共にした身としては、この振れ幅にめまいですよ。
21時過ぎというレイトチェックインにも関わらず、「東北ユースオーケストラ」の横長の紙まで貼り出す専用の部屋をご用意いただきお食事をいただくおもてなしまで受けてしまいました。宿泊のオリエンをする「TYOのお姉さん」岡田直美さんの声も上ずります。 今年度の活動のはじめに「われわれは弱小、貧乏楽団であって“いつまでもあると思うな、TYO”です」と標語までつくったわたくしとしては、「今回は特別です。JA共済さんに感謝しましょう」と壊れたロボットのように言いつづけました。
TYOの日曜の朝は早い。こちらメイクや髪の手入れはしないおっさんですから遅めの6時半に起きました。
JA共済さんのお宿で朝食をいただきました。この撮影のために仲良く食事中の小・中学生三人には大人の配慮で席を移動してもらいました。ふつうなら朝ごはんを食べて、もうひと風呂が正しい温泉の流儀でありますが、朝の散歩組の引率者としてはそんなことは許されません。その発端は福島市在住のホルンの赤間奏良(あかまそら)くんからの前週に届いたLINEのメッセージでした。
確かにせっかくの宿泊滞在なのだから、飯坂温泉の魅力を知り、世の中に発信するのが恩恵を受けたものの務めだと思い、前日の練習のあと、赤間くんに飯坂温泉について語ってもらいました。
で、この企画に賛同してくれたのは小中学生6人のチビッコチーム。約1時間ほどブラタモリ並みに飯坂温泉を練り歩いたものの、早朝過ぎて足湯にはつかれず、道中問いかけた松尾芭蕉クイズもいまいち反応が悪かったのですが、飯坂温泉の情緒ある街並みを楽しめましたよ。
震災後は県外からの宿泊客がまだまだ戻っていないと聞きました。芭蕉も奥の細道で立ち寄った古湯、フォトジェニックな場所も数々あって、円盤餃子も美味しい飯坂温泉を旅の候補地にご検討ください。飯坂温泉駅前には松尾芭蕉の立派な銅像があって、しかし、その向かいには「白ポスト」なる訝しいオブジェもあり、これは美観としてどうなんだろうかと引率の先生としては思った次第。
散歩を提案してくれた生意気小学生の赤間奏良くん、どうもありがとう。そう言えば、芭蕉の旅のお供の名前は曽良だったな。 以上、飯坂温泉観光情報でした。
さて、朝の散歩組の中の一人、中学一年生の藤田サーレムくんとは昨晩遅くに露天風呂につなりながら裸のトークをしたのでありました。
ここでミニ団員紹介コーナーを展開しますと、岩手県盛岡市から参加の藤田サーレムくん、トランペット奏者の中学一年生です。前夜に風呂に入りながらこんな会話をしたのでした。 「サーレムくんはお父さんが外国の人だっけ?」 「父がイラクの人です」 「あ、イラクなんだ!」 実は、ついさっき旅館での夕飯の席で「お米に合うものはだいたい日本酒に合いますよね」とお酒も飲まずに話をしたら、指揮者の栁澤さんから「コメはいくらに合うけども、米はイラクに合わないと言いますね」という渋いアメリカ風ジョークを聞いたばかりでだったので、あまりにタイムリーな「イラク」の発語に驚いたのでありました。それは、さておき、 「えっ、お父さんはひょっとしておれ(48)と同じくらいの年か年下だったりするのかな?」 「あ、結構年いっていて60くらいかな」 「何してはんの?」 「父は大学の教授で、AIの研究をしていて、ほとんど海外出張でいなんです」 「いま旬な研究者じゃない。ということは、来月の本番の公演には観に来られない?」 「そうですね、ドイツに滞在しているみたいです」 「それはさびしいね。ところで、サーレムくん、トランペットうまいね。何年やってるの?」 「もう4年ですかね」 「4年でそんなに上手に吹けるようになるものなの?」 「トランペットを吹くのが好きなんです。だからはじめた頃からついつい好きでずっと吹いていたらこうなりました。」 「先生について教えてもらったりしていないの?」 「いや、先生に教わると、その人の幅に制限されてしまうから。でも、こないだ(トランペットのパートリーダーの中村)祐登さんに紹介されて、はじめてプロの先生にみてもらいました。吹く音が明るく響く。タンギング(舌を使って音を細かく切ることらしいです)が速いと言ってもらえました」 「好きで吹き続けてたら、いつの間にか上達していたなんて理想的じゃないか。それは極めたほうがいいね。」 「来月もコンクールで忙しくって、東北ユースオーケストラの演奏会の後、盛岡に戻ってまたすぐ東京に行きます」 「その全国大会ではいい線いくの?」 「たぶん入賞はできると思います」 「すごいな。将来は何になりたいの?」 「プロか、農業したいです」 「あはは、プロのトランペッターか、農家なんだ。どっちも楽しそうだなあ」 ぜひ藤田サーレムくんの今後にご注目ください。
さて、二日目の練習はマーラーの交響曲第1番からスタートです。
そして、今日も福島市公会堂のロビーには、朝から合流した大学生トランペットの中村くんの大阪土産も加わって、差し入れのお菓子が並びます。
このロビーに団員を激励にとJA共済連福島の地域活動支援室の八代孝明課長がお見えになりました。
昨日に続いてJA共済連福島からのお茶!
さらに間食用のパンを各種!!
そして、110名分のお弁当を運び入れていただきました。お一人で来られていた八代さんの助っ人で福島民報社の吉田高徳副部長も起こしになって、お昼休憩の前に二人でロビーに弁当を並べることまでしていただきました。
ふつう大企業ですと、こういう現場には若い者を連れて手伝わせるのが通常の光景です。しかし、この日は管理職お二人が二人だけで車に積み込んだダンボールを運び、丁寧に団員のためのお弁当を並べ、5つごとに包まれていた大きなレジ袋を一枚一枚(22枚です)きちんと畳んでまとめていらっしゃる姿に心打たれ、確信しました。 このお二人は「休日出勤をする企業に勤める会社員」という枠を超えて、「TYOを応援する熱いひとりの個人」として、この場に来られているのだな、と。 お二人とも固辞されたのですが、ここは団員に一言激励の言葉をいただいたほうがいいと思い、無理を言ってお引き止めし、午前中の練習終わりのタイミングでお話しをいただきました。
「ありがとうございます」とお礼を言う団員を前に八代さん。 「わたしは中学生の時にモノラルのラジオから流れるYMOの『テクノポリス』を聴いて育った世代です。小さい頃から憧れの坂本龍一さんと共演するみんながうらやましいくらいです。その坂本龍一さんが監督として東北ユースオーケストラを通じて復興支援していただけるのですから、しっかり応援します。演奏会に向けてがんばってください。」
続いて、昨日の練習が紹介された記事が掲載された朝刊を片手に吉田さん。 「今回、福島民報社の125周年事業として郡山公演を主催させていただくことになりました。本番までがんばって練習してください。応援しています。」 お言葉の通り、今回初めての郡山公演は興行リスクを取って主催者になっていただくことで地元公演そのものが実現しました。今日、現在でまだ売れ残っていると聞いています。坂本龍一監督以外にも吉永小百合さん、うないぐみさんにゲスト出演していただくコンサートが、S席3,000円、A席2,000円と東京大阪では考えられない価値の高さです。3月26日は日曜日ですから遠方からのご来場でも十二分に値打ちがあるはずと自信を持ってお知らせします。ぜひ満員の客席からご声援いただけたらと思います。
お昼休み、おかげさまで食事をいただくロビーは元気な笑顔でいっぱいでした。あらためてありがとうございました。 さっそく東北ユースオーケストラのInstagramに感謝のコメントともにアップする団員がいました。
ハッシュタグの使い方が慣れてますね。
二日目の午後の練習の休憩時間には、「みやぎ鎮魂の日」である3月11日の土曜日に石巻の復興住宅の集会場で行う有志メンバーでの演奏の練習も行いました。
当日は約20名の団員が自主参加して、地元の自治会が中心となって行われる追悼セレモニーでの防災訓練や炊き出しにも参加する予定と聞いています。気仙沼の三浦秋男さんのお話でも常日頃からの訓練が大切とおっしゃっていましたね。 また翌日の3月12日の日曜日には仙台三越で弦と金管のそれぞれアンサンブルでの演奏を行います。というのも、3月1日から三越伊勢丹グループではじまった「東日本復興支援どんぐりバッジチャリティ」に応援曲として昨年の演奏会で披露した坂本龍一作曲『ETUDE』をご提供したからです。現在全国の店舗で流れておりまして、仙台三越のチャリティイベントに出演することになりました。応援曲『ETUDE』はこちらの告知ページからお聞きいただけます。
これが団員に見せたどんぐりバッジのサンプルです。1個300円で各店舗1種類の28種類のバッジを販売中となっています。お近くの伊勢丹三越グループのお店で実物をご覧いただき、『ETUDE』の館内放送をお聞きいただければ!
二日間の充実した練習も終わりました。しかし演奏の練習は終わっても毎回マストな重要任務があります。お借りした大型楽器を運び出し、傷つけることなくトラックに積み込むという団員が声をかけあって協力し合う作業です。
トラックに乗り込んでいる恰幅のいい大学生は、いわき市出身の冨澤悠太くん。チューバをいつも持ち歩いているだけに、いつも力仕事のリーダーです。ティンパニなどの楽器は昨年度に引き続き、福島県立橘高校から無償貸与いただいております。いつもありがとうございます。
そして、福島駅から仙台駅に向かうバスをいつものようにみんなで見送りました。
このブルーの大型バスについても仙台の団員のお母様がお勤めのバス会社で毎度お世話になっております。繰り返しになりますが、いつもありがとうございます。
今回の二日間の合同練習であらためて実感したのは、さまざまな人や企業、団体に支えられ、この東北ユースオーケストラは成り立っているのだなあという事実です。個人の方からいただくご寄付、企業からいただく協賛金などの「お金」、そして団員が音楽活動を続けるための楽器や練習場所や飲食、宿泊、移動などの「モノ(物資)」を無償だったり、通常より安価にご提供いただいています。こういう現物支給によるご支援の受け方を英語だと”Value In Kind”、略してVIKと言ったりします。まさにお金も現物も、活動を支えるValue(価値)というモノサシでは同じです。 ピーター・ドラッカーという近代経営学の父、「マネジメント」概念を発明した泰斗に『非営利組織の経営』という著作があります。
この冒頭の一文が飛び抜けています。「非営利組織とは一人ひとりの人と社会を変える存在である。」 東北ユースオーケストラは、そんな組織になっているだろうか? なっているようでもあり、まだまだのようでもあり。しかし、たくさんの方々から「お金」と「モノ(物資)」をご支援いただいてきています。そして、もう一つ、とても重要な支援のかたちに気づいたのです。よく経営資源の3つでヒト/モノ/カネと言いますが、「ヒト」という資源を分入って見えることがあると思ったのです。 それは、「(人の)時間」です。人の生は有限で、しょせん、どんな人も、遅かれ早かれ、いつか死ぬ。この圧倒的な事実の前に、何に限られた時間を使うのか。その大切な時間を東北ユースオーケストラのために使っていただいている人がたくさんいらっしゃる。「時間を提供する」という第三の支援です。 気仙沼の三浦さんご家族は、311の死に瀕した体験を通して、生かされた自分の残された人生の使命を強く意識されていました。このことは、3年前に中咽頭がんが見つかり、克服された坂本龍一代表・監督によって、団員のためにオーケストラアレンジの譜面を書き起こしていただいたり、その貴重な時間というギフトを受けていることにも通じます。関係者のみなさんの有限な時間の贈与によって東北ユースオーケストラは成り立っています。 折しも今回の練習では決められた休憩時間が終わったらすぐに練習できるようにしようと、タイムマネジメントリーダーを福島の大学生、服部未来子さんにお願いすることにしました。これで全員のチューニングが済んだ状��でオンタイムで栁澤寿男さんを待つことができるはずです(理想)。
ついつい日常の時間の中で忘れがちなのですね。 輪廻転生を信じようが信じまいが、 この人生は一回きりであることを。
今回のレポートは合間の時間に更新しているうちについつい長くなってしまいました。わたくしは「包容力のある実存主義者」になりたいものだと思います。
あらためて引き続き東北ユースオーケストラへのご支援をよろしくお願いいたします。
引率の先生役レポーター 田中宏和拝
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豊臣秀次の最期 豊臣秀次は高野山に上り、木喰上人の坊へと案内された。木喰上人は秀次の来訪を大いに驚き、急ぎ招き入れ「只今の御登山は思いもよらぬことです。」と涙を流した。 秀次は何も言わず、袖を顔に当てて涙にむせんでいたが、「私はこのような事が起こるとは思いもよらず、世にあった頃、気をつけることもなかった。今更浅ましいことであるが、今にも伏見より検使がくれば、私は自害する事になるだろう。そうなった跡の事は、一体誰に頼めばいいだろうか。」そう、涙ぐんで尋ねた。「御諚ではありますが、当山の衆徒一同に訴えれば、太閤殿下がどれほど憤り深くあられようと、どうしてその御命令を承知するでしょうか?」木喰上人はそう頼もしく答えた。 秀次はそこで法体と成り、道意居士と名乗った。供の者達も皆髻を切って、ひとえに来世を祈り、上使を今か今かと待っていた所、福島左衛門大夫正則、福原左馬助長堯、池田伊予守景雄を大将として、都合1万余騎、7月13日の申の刻(午後4時頃)伏見を立ち、14日の暮れ方に高野山に到着した。 3人の上使は、木喰上人の庵室に入った。この時秀次は大師の御廟所に詣でるため、奥院に居たが、これを知らされ戻り、3人と対面した。��島正則は畏まり、法体姿に変わった秀次を見て涙を流した。秀次は言った「汝らは、私を討ちに来たのだな。この法師一人を討とうとして、由々しき振る舞いではないか。」福原が畏まって申し上げた「その通りです。御介錯仕れとの上意にて候。」「さては我が首を討とうと思ったか。しかしお前はいかなる剣を持っているのか?私も腹を切れば、その首を討たせるために、形のごとく太刀を持っているぞ。さあ、汝たちに見せてやろう。」 そう言って3尺5寸ある金造の帯刀をするりと抜き、「これを見よ」と言った。秀次は福原左馬助が若輩であり、推参を申したと思い、重ねて物申せば斬って捨てると考えているようであった。秀次の3人の小姓は秀次の気色を見て、少しでも動けば、秀次が手にかけるまでもなく自分たちで斬り捨てるのだと、互いに目と目を合わせて刀の柄に手をかけていた。その有様はいかなる天魔鬼神も退くように思えた。秀次は刀を鞘に収めると、「お前たちは私が今まで存命しているのを、さぞや臆したためだと思っているだろう。私も伏見を出た時に、どうとでも慣れと切腹を思ったが、上意を待たずに切腹すれば『はやり自身に誤りがあったからこそ自害を急いだのだ』と言われ、これにより責任の無い者たちまで多く命を失うことになるとの懸念から、今まで生きていたのだ。今は最期の用意をしよう。故なき讒言によって私はこうなってしまったが、私に仕える者に一人も罪有る者は居ない。良きように言上し、申し扶けて、私への饗応にしてほしい。この事、相構えて汝らに、頼むぞ。」 一座の者たちはこれを聞き、有り難き御志と感じ入った。そうして座を立つと、最後の用意を初めた。しかしここに木喰上人はじめ一山の衆徒が集まり、3人の上使に対して抗議をした「当山は七百余年このかた、この山に登った人の命を害したこと、その例ありません。一旦この旨を太閤殿下に言上していただきたい!」3人はしかし「そうではあろうが、とても叶うことではない。」と説得した。それでも衆徒の抗議は止まなかった。ここで福島正則が進み出て「衆徒の言うこと、尤もである。だがこれ以上時刻を費やせば、お前たちまで太閤殿下の勘気を蒙り、腹切れと言われるだろう。それでも言上したいと言うなら、先ずここに居る我々3人を衆徒の者達が手に懸けよ。その後はお前たちの心次第だ。」 そう、膝を立てて言うと、所詮は出家の事ゆえ、上人はじめ一山の衆徒も、力及ばず立ち去った。その夜はこのような評議に時遷り、漸く曙になると、巳の刻(午前9時頃)に秀次の御最後となり、その有様は非常に神妙に見え聞こえた。彼は付き従った人々を召して、「汝らこれまでの志こそ、返す返すも浅からぬ。多くの者達のその中で、数人が最後の供をするというのも、前世の宿縁というものだろう。」 そう涙を流した。そして3人の小姓たちに「若き者達だから、最後の程も心もとない。その上自ら腹切ると聞けば、それを妨害しようと雑兵共が乱れ入って、事騒がしくなるのも見苦しい。」そう考え、山本主膳に国吉の脇差を与え、「これにて腹切れ」というと、主膳承り、「私は御介錯仕り、その後にこそと思っていましたが、先に参り死出三途にて、道を清めておきましょう。」 そう言ってニッコリと笑い戯れた姿は優美ですらあった。彼は脇差を押しいただくと、西に向かい十念して、腹十文字に掻っ切って、五臓を腹から繰り出した所を、秀次が手にかけて討った。 この時19歳。次に岡三十郎を召して「汝もこれにて腹切るべし」と、厚藤四郎の9寸8分を与えた。「承り候」とこれも19歳であったが、さも神妙に腹を切り、また秀次が手にかけて討った。3番目の不破万作には、��のぎ藤四郎を与え、「汝も我が手にかかれ。」というと、「辱し」と脇差を頂戴した。 彼はこの時17歳。日本に隠れなき美少年であり、雪よりも白い肌を押し開き、初花がやや綻ぶ風情なのを、嵐の風に吹き散らされるように、弓手の乳の上に突き立て、目手の細腰まで引き下げた。秀次はこれを見て「いみじくも仕りたり!」と太刀を振り上げると、首は前に落ちた。 誠に彼らを人手に掛けたくないと思われた、その寵愛のほどこそ浅からぬものであった。その後、秀次は僧侶の立西堂を呼んで伝えた「その方は出家であるから、誰も咎めるものは居ない。ここから急ぎ都に上り、私の後世を弔うように。」しかし「これまで供奉仕ったというのに、今更都に上って何の楽しみがあるでしょうか?私も厚恩深き者ですから、出家であるからと言って逃げることなど出来るでしょうか?僅かに命を永らえるために都に上り、人手に掛かるなど考えもできません。」そう言い切った。 この僧は博学多才、和漢の書に詳しく当檀那の弁を持っていたのに、秀次の酒宴遊興の伽僧となった事で、多くの人々から宜しからぬ人物と思われていた。それが最後の供まで仕るのも不思議な事である。次に秀次は篠部淡路守を召して「この度私の後を慕い、ここまで参った志、生々世々まで報じ難いものである。汝は特に、私を介錯した後、供をせよ。」淡路は畏まり、大いに悦んだ。「今度、その跡を慕い参らんと思っている者達はどれほど居ることでしょうか。その中でそれがしは武運にかない、御最後の供を申し付けられただけでなく、御介錯まで仰せ付けられました。今生の望み、何事かこれに過ぎるでしょう。」これを聞いて秀次は心地よさげに静かに笑い、両目を閉じ、「迷故三界城悟故十方空」と観念して後、「ならば、腰の物を」と申し付けた。 篠部は1尺4寸の正宗の脇差の中巻きしたものを差し上げた。秀次はこれを右手にとり、左手で心元を押し下げ、弓手の脇に突き立てると、目手にキッと引き回し、腰骨に少しかかったと見えた所で、篠部淡路守が刀を構えた。しかし秀次は「暫く待て!」と、さらに取り直して胸先から押し下げた。ここで篠部は秀次の首を討った。惜しむべきかな。御年31を一期として、南山千秋の露と消えられたのだ。 哀れと言うにも余りあるではないか。そして立西堂は死骸を収めると、これも秀次の供をした。篠部淡路守は関白秀次の死骸を拝して後、3人の検使に対し「それがしは不肖ですが、この度秀次様の後を慕った恩分に、介錯を仰せ付けられました。誠に弓矢都っての面目です。」そう言うやいなや1尺3寸平作の脇差を腹に二回刺したが、切っ先が五寸ばかり背に貫いた。更に刀を取り直し、首に押し当て、左右の手をかけて、前へと押し落とすと、頸は膝に抱かれ、身体はその上に重なった。これを見た人は目を驚かし、諸人一同に「嗚呼」と感じ入った。 木村常陸も摂津茨木にて腹を斬った。その子木村志摩助は北山に隠れていたが、父の最期を聞いて、その日寺町正行寺にて自害して果てた。熊谷大膳は嵯峨の二尊院にて腹を斬り、白井備後は四條大雲院、阿波木工は東山にて腹を斬った。有為転変は世の習い、盛者必滅の理とはいいながら、昨日まで聚楽の花の春の宴も、今は野山の秋の露と、皆散り果てられた事も哀れである。(石田軍記)
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安倍の虚言は今年もアクセル全開! 2018年、安倍首相がついた真っ赤な嘘とインチキを総まくり
litera (前編) https://lite-ra.com/2018/12/post-4455.html litera (後編) https://lite-ra.com/2018/12/post-4456.html 今年も、リテラ年末恒例・安倍首相による「大嘘」振り返り企画をお届けする季節がやってきた。毎年毎年カウントしきれないほどの嘘をつきつづける総理だが、2018年も虚言のアクセルは全開。今年も数々の疑惑をめぐる嘘はもちろん、あらゆる失政や失態について、あったことをなかったことに、なかったことをあったことに。誰の目にも明らかな嘘を平然と、まさに息をするように嘘をつきまくった安倍首相。 そのため、今年は昨年よりも5本多い、よりぬきの15の嘘を振り返りたい。胃もたれ必至の嘘つき発言、まずは前編の8本をお届けしよう! ◎大嘘その1 「決して日本が蚊帳の外に置かれていることはありません」 4月29日付、産経新聞独占インタビュー 北朝鮮の脅威を「国難」と呼び、Jアラートを鳴らしまくって国民に恐怖を植え付け、文在寅大統領と金正恩委員長の南北首脳会談実現が決定しても「圧力を最大限に高める」と吠えつづけた安倍首相。だが、「最大限の圧力」を国会で叫んだ数日後には“親愛なる”トランプ大統領も金委員長と首脳会談を開く意向を表明、平和的解決への流れが決定的に。つまり、日本だけがこの動きを知らず圧力をがなり立てていたという「蚊帳の外」だったことが判明して飛んだ赤っ恥をかいたのだが、安倍首相は御用メディアの産経で「蚊帳の外じゃない!」「日本が国際社会をリードしてきた成果」と主張。しかし、この「蚊帳の外」状態は、いまだに日朝首脳会談の道筋さえつけられていないことからもあきらか。にもかかわらず、ついには次のようなことまで言い出したのだ。 ◎大嘘その2 「あの、拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことは、ございません」 9月14日、日本記者クラブでの総裁選討論会 思わず耳を疑った。総裁選討論会で御用メディアである読売新聞の橋本五郎特別編集委員に「安倍晋三政権は一貫して拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと言われていた」「現状はどうなっているのか、見通しはあるのか」と問われた際の、安倍首相の返答だ。 安倍首相といえば、これまで一時帰国した拉致被害者5人を“帰さなかったのは自分だ”という嘘を筆頭に、対拉致問題で数々のニセの武勇伝や逸話をでっち上げ、「拉致被害者を取り戻せるのは、これまで北朝鮮と渡り合ってきた安倍首相しかいない!」という空気をつくり出してきた張本人。今年4月に出席した「政府に今年中の全被害者救出を再度求める 国民大集会」でも、「すべての拉致被害者の即時帰国」について「安倍内閣においてこの問題を解決するという強い決意を持って、臨んでまいりたい」と高らかに宣言していた。 ところがどっこい、拉致問題に進展が見られないことを突っ込まれると、「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことはない」と言い出し、その上、「ご家族のみなさんがですね、そういう発言をされた方がおられることは承知をしておりますが」などと責任を逃れしたのである。 さんざん拉致問題を政治利用した挙げ句、都合が悪くなると「自分は言ってないもん」。これで信用しろというほうがどうかしているだろう。 ◎大嘘その3 「私は、明治時代に逆戻りしようと言ったことはまったくない」 1月29日、衆院予算委員会 え? 今年の年頭所感で初っ端から〈本年は、明治維新から150年の節目の年です〉と“明治150年推し”を全開させ、明治時代の日本を手放しで称賛して明治の精神をこれからのモデルにしようと国民に提示したのは、誰でしたっけ? しかも、安倍首相は自民党総裁選への出馬を表明した際も、わざわざ鹿児島県で表明をおこない、その背景には鹿児島を象徴する桜島がドーン。この表明の直前に���、会合で「ちょうど今晩のNHK大河ドラマ『西郷どん』(のテーマ)は『薩長同盟』だ。しっかり薩長で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい」(産経ニュースより)と講演していたほどだ。 『西郷どん』人気に便乗し、「明治=大日本帝国を取り戻す」という戦前回帰志向を“改革に邁進するリーダー”に置き換えて印象づけたい──。この姑息な目論見には反吐が出るが、しかも安倍首相は「逆戻りしようと言ったことはない」と抗弁した際には、「いまのスタンダードで150年前のことを『上から目線で』で断罪することもいかがなものか」と発言。「歴史から反省を学ぶ」ことを放棄した人物を総理に据えているとは、恐怖以外の何ものでもない。 ◎大嘘その4 「こういう(圧力の)話はよくある」→「(圧力は)いや、ほとんどないんです(笑)」 9月17日、『報道ステーション』出演時 自民党総裁選では、対抗馬の石破茂氏が掲げた「正直、公正」というキャッチフレーズにさえ「安倍首相への個人攻撃だ」と噛み付くという狂犬ぶりを見せた安倍陣営。なかでも象徴的だったのは、現役閣僚だった石破派の斎藤健農水相(当時)が安倍首相を支持する国会議員から恫喝されたと暴露した一件だ。 そして、各局の報道番組を石破氏とそろってハシゴして出演した際も圧力・恫喝問題についての質問がいくつか飛んだのだが、安倍首相はこの話題になると終始、落ち着かない様子で目をキョロキョロと泳がせた上、なんと圧力を正当化。橋本龍太郎と小泉純一郎が争った1995年総裁選のエピソードをもち出し、「私も小泉応援団だったんですが、そんときわれわれもですね、一度、けっこう圧力をかけられてねってことを結構、みんな言ったんですが」として「こういう(圧力の)話はよくある」と正当化したのだ。 ところが、MCの富川悠太キャスターから「実際にそのときは(圧力が)あったんですね?」と訊かれると、安倍首相は「いや、ほとんどないんです(笑)。ないけど、我々もそう言ったほうが、いわば陣営かわいそうだなっていうことにもなりますし。ただ、実際にあったかもしれませんし、私にはまったくなかったな」などと発言。自分には圧力がなかったにもかかわらず「圧力を受けた」とウソを言いふらしていたと自ら暴露したのである。 この宰相が“類い稀な嘘つき”であることは公然の事実だが、ひどいのは“自分たちも圧力をかけられたとウソをついて同情を誘ったことがある。だから斎藤もウソをついてるんじゃないか”と誘導していること。いやはや、まことに大した人間性である。 ◎大嘘その5 「今後、ICANの事務局長からあらためて面会要請があった場合には、そのときの日程などを踏まえて検討したい」 1月30日、衆院予算委員会 今年1月、ノーベル平和賞を受賞した国際NGO・核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のベアトリス・フィン事務局長が来日した際、「日程の都合上できない」と面会を拒否した安倍首相。この対応にはネット上で「芸能人とは会食する時間はあるくせに」と批判が起こり、フィン事務局長の会見では「失望」という言葉も出た。 だが、安倍首相の「今度は検討する」というのがその場しのぎの嘘であることは明白。実際、ICANのノーベル平和賞受賞が発表された後も、サーロー節子さんが被爆者としてはじめて授賞式でスピーチをおこなった後も、安倍首相は公式に祝福コメントを一切発しないまま。さらに、今年11月に来日したサーロー節子さんが面会を求めたにもかかわらず、安倍首相はまたも「日程の都合」(菅義偉官房長官の弁)で面会を拒否したのである。 サーローさんは会見で「推測だがよほど忙しいか、意図的に私を避けたいかだ。違った意見を持った人にも会って語り続けるのが本当のリーダーシップではないか」と批判したが、まさにそのとおり。「唯一の戦争被爆国として核兵器のない世界の実現に向けて努力を重ねていく」と言いながら、核兵器禁止条約の批准を求める国連総会決議案に反対するという安倍首相の異常さ、二枚舌に、国民はもっと怒るべきだろう。 ◎大嘘その6 「『非正規』という言葉を、この国から一掃してまいります」 1月22日、施政方針演説 この言葉、じつは安倍首相は2016年6月の記者会見をはじめ、事ある毎に述べてきたが、一見すると格差是正に向けた大胆な改革というようにも映る。しかし、騙されてはいけないのは、安倍首相はけっして「非正規雇用をなくす」あるいは「正規と非正規の格差をなくす」と言っているわけではない、ということ。たんに「非正規」という言葉を使わない、というだけの話なのである。 実際、安倍首相が今年の通常国会で成立させた「働き方改革関連法案」の「同一労働同一賃金の導入」では、正社員と非正規のあいだに不合理な待遇差を設けることを違法としているが、ガイドラインでは正社員と非正規の基本給などついて「実態に違いがなければ同一の、違いがあれば違いに応じた支給を求める」とするなど、正社員と非正規の賃金格差を容認するものとなっている。 だいたい、「非正規という言葉をこの国から一掃する」という掛け声とは裏腹に、第二次安倍政権がはじまった2012年から16年までの4年間で非正規雇用者は207万人も増加。一方、この間の正規雇用者は22万人増加でしかなく、雇用者数の9割が非正規というのが実態だ。 低賃金の非正規を増やしつづける一方、低所得者に打撃を与える消費税増税を決めた安倍首相。このままではさらに貧困は広がっていくだろう。 ◎大嘘その7 「裁量労働制で働く方の労働時間の長さは、平均的な方で比べればですね、一般労働者よりも短いというデータもある」 1月29日、衆院予算委員会 「働き方改革関連法案」の目玉のひとつだった「裁量労働制の対象拡大」をめぐって、自信満々に言い放ったこの答弁。しかし、答弁から間もなくこのデータが恣意的に捏造されたものだったことが判明。それでも安倍首相は「(答弁前にデータが)正しいかどうか確認しろなんてことは、あり得ないんですよ」などと開き直るという醜態を晒したが、その後は加藤勝信厚労相が「なくなった」と説明していたデータの基となった調査票が厚労省本庁舎の地下倉庫から発見されるわ、さらにデータを精査すると異常な数値が相次いで見つかるわ、問題が雪だるま状態に。結局、法案から「裁量労働制の対象拡大」は削除される結果となった。 だが、安倍首相は「裁量労働制の対象拡大」を諦めたわけではない。すでに厚労省の有識者会議が新たな調査票をまとめたが、これがまたも実態を把握できない設計になっているとして修正を求める声があがっている。問題を起こしても忖度をやめない姿勢には反吐が出るが、ともかくいまは安倍首相の嘘を未然の防ぐための監視が必要であることは間違いない。 ◎大嘘その8 「明日の時代を切り拓くための全員野球内閣だ」 10月2日、内閣改造後の記者会見で 失笑必至のネーミングもさることながら、発足1カ月も経たないうちにその実態が「(ほぼ)全員“不適格”内閣」であることが判明した第4次安倍改造内閣。なかでも、国税への100万円口利き疑惑のほか疑惑が湧き水のように吹き出した片山さつき地方創生担当相や、「質問通告なかった」「PC打たない」発言で一躍“無能大臣”として名を馳せ��桜田義孝五輪・サイバーセキュリティー担当相に注目が集まったが、このほかにも閣僚の問題が続出。 入閣後すぐに「教育勅語は普遍性をもっている部分がある」という発言が問題となった柴山昌彦文科相にもち上がったバスツアー利益供与・公選法違反疑惑に、茂木敏充経済再生相の日本リラクゼーション業協会との癒着疑惑、吉川貴盛農水相の太陽光発電所の新設をめぐる口利き疑惑、渡辺博道復興相の補助金受給企業からの寄付問題、平井卓也IT担当相の談合企業からの献金問題と、宮腰光寛沖縄北方担当相にいたっては談合企業からの献金問題にくわえ、酒に酔って議員宿舎内のほかの議員の部屋を“全裸でピンポンダッシュ”したという過去の醜態まであきらかになった。 しかも、この内閣、差別主義者と歴史修正主義者だらけの「(ほぼ)全員ネトウヨ内閣」でもある(詳しくは過去記事参照→https://lite-ra.com/2018/10/post-4291.html)。稲田朋美元防衛相や杉田水脈議員のようなトンデモ極右・差別発言がいつ飛び出してもおかしくはなく、来年も先が思いやられるのである。 リテラ年末恒例・安倍首相による「大嘘」振り返り企画。前編ではまず8つの嘘をお届けしたが、後編ではさらなる嘘・インチキを紹介したい。昨年の森友・加計問題に続き、今年もすごかったのが疑惑に関する嘘。公文書改ざんに「首相案件」問題、無能外交、そして「ケチって火炎瓶」など問題や疑惑が噴出し、そのたびにデタラメやインチキを重ね、嘘八百を並べ立てた。嘘に嘘を重ねる“嘘のミルフィーユ”状態の安倍首相の大嘘2018後編7本をご一読あれ! ◎大嘘その9 「国有地の払い下げか認可について、私や私の妻や事務所が関われば、責任をとると言うことを申し上げたわけでございます」 2月26日、衆院予算委員会 昨年、安倍首相が国会で宣言した「私や妻が関係していたということになれば、私は総理大臣首相も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」という発言を忘れた人はいないだろう。ご存じの通り、昭恵氏付きの秘書だった谷査恵子氏は財務省に“口利きFAX”を送信、その後これらはすべて叶えられるという満額回答を引き出していた。つまり昭恵氏は「関係していた」のは明々白々で、さっさと総理も国会議員も辞めていただかなくてはならないのだが、それを安倍首相は「国有地の払い下げか認可に関わっていたらの話」だと主張しはじめたのである。 しかも、だ。5月28日の参院予算委員会ではさらにこう答弁した。 「贈収賄ではまったくないってことは申し上げておきたい。そしてそういう、私は文脈のなかにおいて(自分や妻が)一切関わってないということを申し上げているわけでございます」 「関係していたら辞める」と言っていたのが、いつのまにか「金品の授受という意味で関わっていない」と後出しジャンケンで発言を修正してくるとは……。だが、この苦し紛れの姑息な答弁修正は、昭恵夫人のかかわりを安倍首相が認めていることの何よりの証明だろう。 ◎大嘘その10 「(改ざん前文書が存在することは)11日に報告を受けた」 3月14日、参院予算委員会 森友の決裁文書が改ざんされていた──今年3月2日に朝日新聞のスクープによって発覚した公文書改ざん問題。これは間違いなく戦後日本の歴史のなかでも類を見ない深刻かつ重大な国家犯罪であり、民主主義の根幹を揺るがす大問題だが、当初、安倍首相は「捜査に影響する」などと言い逃れ、麻生太郎財務相も「6日に調査結果を出す」と言いながら直前になって「捜査が終わらないと個別な調査がなかなかしにくい」と文書の開示を拒否する予防線を張る動きを見せていた。しかし、週末金曜日の9日になって近畿財務局で直接改ざんを命じられた職員の自殺が伝えられると、財務省は「書き換え」を認める方針を打ち出し、週明け月曜の12日に改ざん前文書の公表へといたった。 そんななか、安倍首相は改ざん前文書が存在することを公表の前日である「11日に報告を受けた」と答弁したのだが、これが大嘘であることがすぐさまバレた。菅義偉官房長官が6日には安倍首相も「承知」していたと認めたのだ。 そもそも、改ざんの事実を安倍首相が今年3月6日に知ったなどということもあり得ず、むしろ安倍官邸が改ざんを主導したとしか考えられないのだが、この「11日に知った」という答弁が嘘だと判明してからも、安倍首相は開き直って「事実関係を確認できるのは財務省だけ」「私たちがそれを乗り越えて確認できない」と強調したのである。 普段は「強いリーダーシップを発揮する。これがトップである私の責任だ」などと言うくせに、不都合な問題では「事実の確認」さえできない。それが安倍総理の実態なのだ。 ◎大嘘その11 「前川前次官ですらですね、京産大はすでに出していたんですが、そのことはまだ準備がまだ十分じゃないという認識の上に、熟度は十分ではないという認識の上に、加計学園しかなかったとおっしゃっていたわけであります」 5月14日、衆院予算委員会 平気で嘘をつくだけではなく、自分が貶めてきた相手を都合よくもち出して正当化の材料に使うとは……。もちろん、前川喜平・元文科事務次官が京都産業大学よりも加計学園のほうが獣医学部新設計画の熟度が上だったと認めたことなど一度もなく、安倍首相のこの答弁のあとに前川氏が発表したコメントでも〈2016年10月17日の京産大の提案内容を知らされていない私が、加計学園の提案と京産大の提案とを比較考量することは不可能〉と反論。同時に、安倍首相が「前川前次官も含め、誰一人として私から国家戦略特区における獣医学部新設について何らの指示も受けていないことがすでに明らかになっている」と強弁しつづけていることに対しても〈私は加計学園の獣医学部の平成30年度新設が安倍首相自身の強い意向だという認識を持っていました〉とし、〈安倍首相が加計学園の獣医学部新設に自分が関与していないと主張するための材料として、私の名前に言及することは極めて心外であり、私の名前をこのように使わないでいただきたいと思います〉と釘を刺したのだった。 ��が、こうした反論を受けていながら、その後も安倍首相は何食わぬ顔で前川氏の名前を出して「私から指示を受けたり依頼を受けた人は一人もいない」と言いつづけている。ゲッベルスが言ったとされる、「たとえ嘘であっても100回聴かされれば真実と思い込むようになる」という言葉を地でゆく首相……恐ろしさしかない。 ◎大嘘その12 「かつてですね、私がNHKに圧力をかけたという、まったくこれは捏造の報道をされたことがあります。そして朝日新聞は検証したんですが、私が圧力をかけたという事実を掴めることができなかったという検証だった。でも、彼らが間違ったとは一度も書かない。で、私に一度も謝らない」 2月13日、衆院予算委員会 総理大臣がメディアを名指しして猛批判を繰り広げる下劣さに慣らされつつあるが、今年も安倍首相は国会で朝日新聞バッシングを展開。とくに聞き捨てならなかったのは、この発言だ。 安倍首相がここでもち出したのは、いまから13年前の2005年に朝日が報じたNHK番組改変問題のこと。日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷を取り上げたETV特集『問われる戦時性暴力』の放送直前に内閣官房副長官だった安倍氏らが放送直前に政治的な圧力をかけ、その結果、番組が改変されたと2005年1月に朝日が報じた問題だ。当時、安倍氏は各局の番組に出演しては圧力をかけたという事実の否定と朝日批判を繰り返し、自民党は朝日への選挙広告の出稿もストップ。当初は強気な姿勢だった朝日も、同年9月に取材が不十分だったとする記者会見を開くにいたった。 しかし、朝日が弱腰になっただけで、安倍氏が番組に圧力をかけたことは事実だ。現に、同番組の取材を受けた市民団体が NHKを訴えた裁判の控訴審判決では、裁判長が「制作に携わる者の方針を離れて、国会議員などの発言を必要以上に重く受け止め、その意図を忖度し、当たり障りのないよう番組を改変した」と指摘。さらに判決理由の要旨では「安倍氏は、いわゆる従軍慰安婦問題について持論を展開した後、NHKが求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」とされている。 しかも、朝日は安倍氏らが圧力をかけたことを裏付ける証言を番組放送時のNHK放送総局長から得ていた。その中身を公表したジャーナリストの魚住昭氏のレポートによれば、放送総局長は安倍氏らとの面談について「脅しとは思った」「圧力とは感じる」と述べた上、安倍氏との面会時の様子を、こう証言している。 「先生はなかなか頭がいい。抽象的な言い方で人を攻めてきて、いやな奴だなあと思った要素があった。ストレートに言わない要素が一方であった。「勘ぐれ、お前」みたいな言い方をした部分もある」 「勘ぐれ」──。安倍首相が恫喝のために吐いたこの一言は、いわば「忖度しろ」と言っているのと同じだ。加計学園問題における「総理のご意向」という言葉が思い返されるようだが、安倍首相はこうやって昔から、直接的な指示ではなく「勘ぐれ」というような直接的ではない脅し文句によって、圧力をかけたり忖度を引き出してきたのではないのか。 NHK番組改変問題は安倍首相が言うような「捏造の報道」などではけっしてなく、安倍首相が番組に介入し圧力をかけたことは紛れもない事実だ。「私に一度も謝らない」と言う前に、自分がついた数々の嘘について、まずは国民に謝るべきだろう。 ◎大嘘その13 「これはむしろ私が関わりがあ���ということではまったくなくてですね、私は一切の関わりを断ってきたなかにおいて発生した事件であるわけであります」 7月17日、参院内閣委員会 今年、ネット上で大きな話題となった“安倍ネタ”といえば、やはり「#ケチって火炎瓶」問題を忘れるわけにはいかない。 ごく簡単に説明すると、1999年におこなわれた下関市長選をめぐり、安倍事務所が暴力団とも関係が深い前科8犯のブローカー・小山佐市氏に選挙妨害を依頼。その後、安倍事務所は男と交わした“見返り”の約束を破ったため、翌2000年に男は暴力団員を使って安倍邸を放火。その後、2003年に小山氏が逮捕された。 それが今年、ジャーナリスト・山岡俊介氏が2月に出所したばかりの小山氏との接触に成功。安倍首相が選挙妨害に関与していた“決定的物証”を手に入れたため、ネット上では大きな話題となったのだ(詳しくは過去記事を参照→https://lite-ra.com/2018/07/post-4108.html、https://lite-ra.com/2018/07/post-4111.html)。 そして、この問題を、“みなさまの鉄砲玉”こと山本太郎議員が国会で安倍首相に追及。すると、安倍首相は“恐喝されても屈しなかったから火炎瓶襲撃の被害に遭った。むしろ自分は被害者だ”と主張したのである。 言い訳が「自分は被害者だ」とは、まるで森友問題で籠池泰典氏に対してとった態度を彷彿とさせるが、その主張の嘘まやかしもまったく同じだ。そもそも、小山氏は安倍事務所への恐喝については起訴猶予で釈放されている。また、仮にそれが恐喝まがいの要求だったとしても、問題なのはそれ自体ではなく、小山氏にそういう要求をさせた原因ではないか。小山氏が放火未遂に及んだのは、安倍事務所から依頼された選挙妨害を実行したのに、見返りの約束が果たされなかったからなのである。 実際、これは裁判でも認められている“事実”だ。2007年に出た判決公判で福岡地裁小倉支部の野島秀夫裁判長(当時)は、「(小山被告は)事件の1年前に行われた下関市長選挙に関して安倍総理大臣側に協力したのに金銭の要求を拒絶された。この恨みを晴らすとともに、暴力に訴えて多額の金銭を得ようとつきあいがあった組長に犯行を依頼した」と述べているのだ。 しかも、山岡氏の取材に応じた小山氏は、選挙妨害の詳細から見返りの約束の内容まで事細かに証言。見返りが実行されないことに業を煮やした小山氏サイドと安倍本人が直接面会して“秘密会談”をおこなったこと、さらには交渉内容を確認して署名捺印した記録文書を提示。そこには〈安倍晋三 秘書 竹田力〉というサインと捺印が入っている。──つまり、安倍事務所が依頼した違法な選挙妨害を口封じするために、安倍首相自身が小山の突きつけた要求に応じる約束をおこなっていたのだ。 「ケチって火炎瓶」とは言い得て妙だが、それにしても、反社会的勢力に通じた人間に選挙妨害を依頼する、そのダーティさにぞっとせずにはいられない。 ◎大嘘その14 「今後とも県民のみなさまの気持ちに寄り添う」 10月12日、玉城デニー沖縄県知事との会談で こう言ってから、わずか約2カ月後の12月14日、政府は辺野古の海に土砂を投入した。対話を拒否しまくった翁長雄志・前知事時代とは違い、安倍首相は表向き「対話路線」を強調したものの、たんに「対話には応じた」という既成事実をつくっただけ。県知事選で「辺野古新基地建設反対」を掲げて与党推薦候補に約8万票もの差をつけて玉城氏が圧勝した選挙結果を一顧だにせず、「気持ちに寄り添う」どころか気持ちを踏みにじり、牙を剥いてみせたのだ。 そもそも、安倍首相に「気持ちに寄り添う」つもりなどさらさらなかった。現に、今年1月5日に出演した櫻井よしこ率いるネトウヨ番組『櫻LIVE 新春スペシャル「安倍首相に華やかさくら組が迫る!」』出演時には、「(在沖米軍の)訓練はときとして迷惑になることもありますが、それを受け入れてくれる人がいて初めて、いざというときに対応できる」と発言。米軍の訓練が住民の生活に支障を与えているだけでなく命の危険さえ生じさせている事実が歴然と沖縄にはあるというのに、“いざというときのために我慢して受け入れろ”と安倍首相は投げつけているのだ。これは、本土決戦の時間稼ぎのために沖縄を捨て石にした、戦時中の発想そのものではないか。 安倍首相はミエミエの嘘をつかず、はっきり国会でも「沖縄は我慢しろ」と言えばいい。そうすれば、いかに安倍首相が国民の命を軽視しているか、その正体が多くの人に伝わるだろう。 ◎大嘘その15 「(森友と加計問題については昨年の総選挙で)国民のみなさまの審判を仰いだところ」 9月14日、日本記者クラブでの総裁選討論会で 今年も山のように嘘を吐きつづけた安倍首相だが、もっとも仰け反ったのはコレだろう。昨年の解散発表時、安倍首相は森友・加計問題について「国民のみなさまに対してご説明もしながら選挙をおこなう」と明言したが、蓋を開けてみれば、選挙中は「街頭演説で説明するより国会で説明したい」と言い出し、選挙後は「国会において丁寧な説明を積み重ねて参りました」と開き直った。国民の審判など、ただの一度も仰いでないのだ。 だいたい、森友学園の公文書改ざんが発覚したのも、加計学園問題で愛媛県から「首相案件」と記した文書が見つかったのも、今年に入ってからの話。なのに、全部ひっくるめて「昨年の総選挙で国民の審判を仰いで圧勝しましたけど何か?」と言わんばかりにふんぞり返ったのである。 いま、永田町では、安倍首相が来年、衆参同時選挙に打って出るのではないかという噂が流れている。選挙で改憲のカの字も出さなくても、この男は「国民の負託に応える」などと言って一気に改憲へと突き進むだろう。選挙で止めなくては、嘘とデタラメでどこまでも暴走する。そのことをけっして忘れてはいけないだろう。 ---------------------------------------------------------------- 今年、安倍首相がついた嘘はこれだけにかぎらないのだが、いかがだったろうか。 だが、安倍首相は「稀代の嘘つき」であるだけでなく「知性や品性のなさ」、はっきり言うとバカ丸出しかつ人間性を疑わざるを得ない無神経さという問題がある。そして、今年もそうした発言が大量にあった。次の記事では、そうした「バカ丸出し&人格破綻」発言集をお送りしたいと思うので、ご期待いただきたい。 litera (前編) https://lite-ra.com/2018/12/post-4455.html litera (後編) https://lite-ra.com/2018/12/post-4456.html
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MAGAZINE - 2018.12.13
Killerpass 2017 US TOUR日記 by kazukick
3月いっぱいでギターのkenchanが家業を継ぐ為に地元の青森に帰ることが決定した。どこかツアーに行こうよ。アジアは今後行けるかもしれないしヨーロッパって感じの音でもないしなー。
『アメリカとかどうよ?誰か一緒に行きたいよねー、、、Hi.killerpassの7インチも出ることだしハラダくんとかどうかな?』
そんなスタジオでの何気ない会話から決定した今回のツアー。ハラダくんに声を掛けたところ『行きたい!!』ということでkillerpassの3人とHi how are you?ハラダくんとのアメリカ行きが決まった。
2017年3月18日から3月26日にかけてアメリカのカリフォルニア州でトータル一週間で5つの街でライブをしてきました。このメンバーとしての国外でのライブは、THE ACT WE ACTと行った台湾へのショートツアーぶり。ツアーって感じのツアーは今回が初めて。たった一週間のツアーではあるがそこで観たり、聴いたり、触れたりしたもの、などなど、、、全てが刺激的なことばかりだったので今回ツアーレポートを書くことにしました。このツアーレポートからアメリカの土地でぼくたちが体感してきたものを少しでも感じ取ってもらえたらな。と思います。(とか書きながらも私の携帯の中のメモ帳に一年以上も眠っていましたが…滝汗)
3月18日 土曜日の朝。killerpass 3人とハラダくんの計4人でいよいよ出発。中部国際空港から3時間かけ北京へ。北京からアメリカ行きの飛行機の待ち時間があったので、北京の空港にて中華料理を食べる。あまり美味しくなかった。ハラダくんはパンダに乗って、はしゃいでいた。
北京からアメリカはロサンゼルス空港へ向かう。12時間半のロングフライト。機内食を食べ、ビールを飲み、映画を見る。そして寝る。を繰り返していたら、いつの間にかロサンゼルス空港に到着していた。しかし、まだ着いただけで安心はできない。入国審査がクリア出来なければ意味がない。
ここで入国できなければ全てが水の泡になってしまう…。
私の身近なバンドでアメリカツアーをしたバンドはいるもののここ数ヶ月の間にアメリカツアーをしたバンドがいなかったし 念には念を。ということで全員楽器は持って行かず、物販もアメリカでTシャツを作りツアー初日に現地で受け取る。SNSは一時的にログアウト。
『僕が入国できなかったらハラダくんがギター弾いてねー。ハヤシくんがダメだったらぼくがベース弾くよー。』なんて冗談を言うケンタさん。いざ、ゲートへ。
『滞在期間は?』『仕事は?』などの通り一遍な質問を他のメンバーは、されたそうだが私に関しては何も聞かれず ハンコを押されただけ。呆気なく4人とも入国審査クリア!(笑)
到着ゲートを出ると今回のぼくたちのツアードライバーをしてくれるボブが待っていてくれていた。ボブはkilikilivillaの安孫子さんが銀杏BOYZでアメリカに行った頃くらいからの付き合いらしく安孫子さんにボブを紹介してもらい今回のツアーを同行してくれることになった。しかもボブは日本語も話せるという事で英語にめっぽう弱い僕たちにとっては、本当に心強い存在。車に乗り込みエクスプローディングハーツをBGMにボブの運転でハリウッドへ向かう。道路の幅も看板の大きさも何もかもが日本とは違い、それだけでテンションが上がる僕たち。
ハリウッドに着き、まずハンバーガーを食べようというボブの提案でIN-N-OUT BUGERというハンバーガー屋へ。ここでもハラダくんは、店員さんが被っている店のロゴが入った帽子をもらい、店のロゴが入ったロンTを買い、はしゃいでいた。
すぐ近くにあるAmoeba Musicという超巨大なレコード屋に行き…散財。店の外でボブが遠くを見て指差している。よーく見るとハリウッドサインが見えていました。
Amoeba Musicに行った後は車で数十分離れたところにあるボブの家に行く。『今夜は、キラーパスがツアー最終日にライブをするVLHSというところにライブを見に行きましょう。日本のバンドも出ますよ。』とボブ。
夜になりボブの家から車で数十分の位置にあるポモナという町のVLHSというDIYライブスペースに行く。すると、見覚えのある女性がいた。
PEACH KELLI POPのALLIEさんでした。PKPが来日ツアーをした時に名古屋編をkillerpassとして企画をしたので、それぶりの再会。こういう再会って本当に嬉しい。ライブは東京のPENs+というバンドの方がソロとして出ててPENs+とsplit 7インチをリリースしているLEERという激情/ポストハードコアをミックスしたようなサウンドのバンドなどが出演してました。LEERかっこよかった。あとRafas Tacosというメキシコフードの出店がありすごく美味しかった。JOYCE MANORのメンバーがいて、興奮した。日本とアメリカは時差が17時間もある為、本当に1日が長く感じた。ボブの家に帰宅し乾杯しつつ、1日目が終了。いよいよ、明日からツアースタート!
3月19日 日曜日。昼頃に起床。ボブの家の前にかなり大きいバンが停まっていた。『いよいよ今日からライブですね。このバンはToys That Killも使ってたバンなんですよ。』と言うボブにテンションの上がる日本人チーム。機材を積み込み、いざ出発!
(※Toys That KillはF.Y.P.から改名したカリフォルニア州サンペドロのpop punkバンド。1999年から現在も活動中。記憶に新しいGEZANのUS tourでも共演してたバンドですね。)
ライブまでは、まだ時間があるということでヨーク・ブールバートというところにあるドーナツ屋へ連れてってくれることに。その名も『DONUT FRIEND』
店に入ると人気店なのかわりと賑わっていた。若者に人気なドーナツ屋なんだなー。くらいにしか思ってなかったんですが、とある事に気付く…。
ドーナツの名前、全部バンド名モジってる!
私はJAVA-BREAKERとSTIFF LITTLE BUTTERFINGERSをチョイス。他にも色んなバンド名をモジったドーナツがあり面白かった。ドーナツも、もちろん美味しかったですよ。
その後は、すぐ近くの楽器屋へ。
その名も『ZEPPELIN MUSIC』
先ほどのドーナツ屋に続き、楽器屋もこんな名前かい。笑
僕たちがライブで使うギターやベースなどはボブが用意してくれていたのですがドラム関連の物は用意出来なかったとのことだったので、新古品のスネアとスティックを購入。
今夜のライブ会場であるサンディエゴのche cafeに向かう。2時間くらいかかった。
ライブ会場のche cafeに到着。che cafeは大学のキャンパス内にあるボランティアで運営されているDIYライブスペース。日本では味わうことの出来ないような雰囲気にテンションの上がる日本人チーム。近くの店で食事を済ませ、気付けば夜になっていた。ライブスタート!
今さら気付きましたがフライヤーに日付載ってませんね。笑
1番目は、我らがハラダくん。ギターと歌だけの彼だが会場を沸かせていた。さすが!としか言いようがない。凄く良いライブをしていて見ているこっちまで気合いが入る。
2番目はPEGGY183というバンド。良い意味でヘロヘロなボーカルなインディーギターポップという感じのバンドでした。The CureのBoys Don't Cryをカバーしてたりしてて好感が持てました。
そして3番目がkillerpass。見慣れないアンプ、割れたシンバルなどいつもと違う環境に苦戦しながらもツアー初日にしては、なかなか良いライブが出来たんではないかと我ながら思いました。ハヤシックの思い付いたままのような英語をひたすら吐き出すMCには不安すら感じましたが、とにかく彼の“気合い!”は、あの場にいた人達には伝わっていた様子でしたね。笑
トリはSPIRITED AWAYというサンディエゴのバンド。女性ボーカルの4人組ハードコアバンドで会場は盛り上がっていました。
ライブが終わりライブを見に来てた人たち数人と会話を楽しむ。あと、この日じつは愛知県は豊田市から友人の山口さん(ex.VIDEO GIRL)が1人旅行のタイミングと僕たちのツアーのタイミングが良かったので、ということでライブを観に来てくれたのもすごく嬉しかった。
ツアーをしていく途中で気付く事なんですがアンプやドラムセットなどの機材は基本的には出演バンドの持ち込みなので(ツアーで行った会場は、どこもそうでした。日本のライブハウスのように機材があらかじめ用意してもらってるわけでは、ないんです。)帰る頃にはステージ上には何もありませんでした。
数時間かけボブの家に帰宅。就寝。
3月20日 月曜日。ツアーの日程の調整をしている段階でこの日はライブが出来ないかもしれない。とボブから言われていた通り、この日はオフ日でした。ロングビーチという街へ行く。天気も最高で本当に気持ちが良い。海だー!!!
killerpassの3人は、ズボンの裾を膝くらいまでまくり上げ、控えめにアメリカの海を感じていましたが、ハラダくんは、いつの間にかこんな格好になっていました。笑 最終的に私以外の日本人3人はパンツ一丁で海に入ってました。私も入っておけばよかったと今さらながら思ったり思わなかったり…。
ここでボブの友人のチェイスさんと合流。チェイスさんは僕たちがアメリカに着いた日のVLHSでRafas Tacosのスタッフをやっていた人で、来日ツアーもした事があるJOYCE MANORというバンドをやっています。来日ライブに何処にも行けなくて悔しい思いをしてた私としては、まさかこんなタイミングでJOYCE MANORのメンバーと遊べると思ってもいなかったので嬉しかった。ビーチから歩いてすぐのとこにあるバーで乾杯。
チェイスさんとボブが好きなゲーセンがあるということで行く。日本で例えるならすごく寂れた遊園地とか温泉地とかにあるようなゲーセンというか…。新しい機種は全く入らない、ずっと古いゲーム機が置きっ放しのゲーセンってな感じで雰囲気最高だった。
メキシコ料理を食べながら乾杯。
その後は、チェイスさん家にお邪魔させてもらう。すると、チェイスさんがおもむろに何かを巻いて火をつけて吸い始めた。…独特な、においが部屋に充満する。そう。カリフォルニア州は大麻合法地域なので何も問題ないが僕たち日本人にとっては、あまり馴染みのない、におい。『吸うかい?』と聞かれたが『お酒で大丈夫だよ。』と断った。
チェイスさんの愛犬の散歩にみんなで行くことに。気付けばもう太陽が沈み夜になっていた。ロングビーチで犬の散歩をするという最高なオフ日の〆。この日もボブの家に帰り就寝。
3月21日 火曜日。本日ライブをするSan Joseという街まではボブが住んでいるロサンゼルスからは350マイルほど。(約600キロ!)日本で例えるなら、名古屋から福島県に行くような距離。ボブ1人の運転での超ロングドライブ。ボブは休憩しつつエナジードリンクを飲みまくってました…。
いくら昼間の移動とはいえ、なるべく寝ないように気を付けながら(途中で寝落ちしてしまってましたが…)車窓からの景色を楽しむ。
ライブ会場に到着。スーパーやらメキシコ料理屋やら様々な店が入っている複合施設の中にあるカフェがライブ会場のクロマティックカフェなのです。ほんとにここでライブやって大丈夫なの?と思ってしまうほどティータイムを楽しみに来ているような一般のお客さんで賑わっているカフェでした。コメダ珈琲とかスターバックスに機材持ち込んでライブするような感じですね…。
フライヤーの横に注意書きが貼られていた。笑
ライブを見に来てるお客さんと、お茶をしに来てるお客さんが混在している中、ライブスタート。
1番目がKITTY KAT FAN CLUB。ASIAN MAN RecordsのオーナーMike Park率いる女性ボーカルギターポップバンド。ツアーに行く前からじつは7インチを持っていたので今回のツアーでかなり楽しみにしていたバンドの1つでした。お洒落なカフェの生演奏BGMとしてはバッチリ!なグッドメロディな楽曲の数々で凄く良かったです。
次。2バンド目はBEST BUDS。MOM JEANSのアルバムのタイトルからバンド名を取ったかどうかは、不明。ANNABELをより男臭くした雰囲気。熱く歌い上げるエモ要素有りのメロディックパンクって感じでカッコ良かったです。メンバーもナイスガイでした。
3番目がハラダくん。観ている人達の心を完全に掴んでました。やっぱりスゴイ。カフェで聞くハラダくんの音楽も最高だった。
そしてトリはkillerpassでした。あの、お洒落なカフェには、マジで相応しくない爆音BGMになってしまったとは思いますが(笑)初日よりも凄く気持ち良いライブが出来た夜でした。『エナジーしか感じなかったぜ!』と話した人達からは口々に言われたのでアメリカの人たちに気合いが伝わったようで本当に良かった。この日のライブ映像はハラダくんがyoutubeにアップしてくれてるので是非観てみて下さい。少しは雰囲気伝わるかと思います。
ライブ後はKITTY KAT FAN CLUBのギターのSimさんの家に泊めて頂くことに。Simさんの友だちも何人か来てライブの打ち上げのような感じ。楽しい夜だった。
3月22日 水曜日。Simさんの家から歩いて数分の位置にあるSimさん行きつけ?の店に行き朝食を食べる。
Simさんとは、一旦お別れしThe Starving Musicianという名の楽器屋へ。
入店してわずか数十分…『これにする!』とハヤシック。彼は今回のアメリカツアー中に春からの新体制のkillerpassで使うギターを買うんだ。と渡米前から意気込んでいた。
新体制になってからしばらく使ってましたが、ここ最近は違うギター使ってますね。��のうち、またこのギターも再び登場することでしょう!
Simさんの家があるサンノゼから今晩のライブ会場がわりと近いこともあり時間に余裕があるという事で『観光しましょう。』とボブ。
ライブ会場があるレッドウッドシティーを通り越して気付けばサンフランシスコにいました。GOLDEN GATE NATIONAL PARKSという公園へ到着。
THE観光地!て感じの場所でしたが天気も良く最高でした。園内を歩きまわる。
少し遠かったですがゴールデンゲートブリッジとやらが見えてました。
3人とも見事に目が開いてませんね。太陽が眩しかったんです。ハヤシックが花のようなものをくわえているのは、ナゼなんでしょうね。笑
少し移動し、Amoeba Musicサンフランシスコ店に行く。アメリカに到着した日に行ったロサンゼルス店と比べると少し小さめだった(とはいえ、かなりデカイですよ。)が、ここでも、またもや私は散財しました。
レコードディグ後は中華料理を食べる。北京の空港で食べた美味しくない中華は、いったい何だったんだろうと思ってしまうほど、美味しかったです。
本日のライブ会場に到着!レッドウッドシティーという街にあるMardi Gras Loungeというバー。
ビリヤードが出来るバーの隅っこに機材を持ち込んでライブをやるスタイル。テンションが上がる。
フライヤーには書かれてませんがハラダくんも、もちろん出てましたしDick Fightという地元のバンドも出てました。ライブは、ちょいと遅めの21時スタート。
ハラダくんは、この日のフライトで一足先に帰国することになっていたのもあり1番目に出演。
酒場の楽しく賑やかな雰囲気に合わせてプレイスタイルを変えていたのか昨日よりも少し荒い感じのハラダくん。今まで何度も彼のライブを見てきたんですが、この日のハラダくんのライブは超かっこよかった。
ライブ後は、泥酔してる?おばさんがハラダくんに駆け寄って写真を撮っていた姿が凄く微笑ましかった。
ハラダくんとの日本での再会を約束しハラダくんを見送り、引き続きライブ。
その後はTeenage Sex、Dick Fightというバンドがプレイしていた。4番目はkillerpassでした。連日のライブで勢いがかなり出てきているな。と我ながら感じるライブが出来た。トリはサクラメントという街のJesus and the Dinosaursという3人組のバンド。野生感剥き出しなドラムの叩きっぷりが最高なスペイン語ロックンロールパンクって感じでかっこよかった。
『ワタシ、ニホンゴペラペラデース!』と話しかけてきたクリスというボブの友人が来てくれていたんですが日本に住んでいたこともあるらしく、キラーパスとは別で私がドラムを叩いているSKIZOPHRENIA!のライブを岡山県は津山で見た事あると話していた。(ほんまかいな?と思い、帰国後パソコンの写真フォルダを見ていたらスキゾフレニアのメンバー宅で撮ったクリスが写っている写真が発見されました。笑)
コラプテッドのパーカー羽織りセブンティーンアゲインのシャツを着ているナイスガイでした。
21時スタートだったこともありライブ終演したのは24時をまわっていました。昨夜泊めて頂いたSimさんの家に帰る。ボブが『明日のライブ会場がギルマンに変更になるかもしれません。』という爆弾発言をし就寝。
3月23日 木曜日。朝に起床。ボブとSimさんオススメのメキシコ料理にて腹ごしらえ。美味しいし量も多いしマジで最高!
Simさんとはお別れ。
Simさんの家を出発しオークランドという街に向かう途中ボブが何やら電話をしている。電話を切りボブが僕たちに言う。
『会場変更になりました!ギルマンになりました!』
『ええええええええええ!?マジで!?』
キラーパス一同、驚嘆。
当初の予定では、オークランドのVamp Vintageという古着屋さん?でライブをする予定でした。ギルマンがわりと近いという事だったのでボブには時間があれば見に行きたいので連れてって欲しいという話は、してあったのですが、まさかそんな憧れの場所でライブが出来ることになるなんて…。
オークランドに到着しボブがやっているTADAIMAというバンドのメンバーのユイさんと合流。彼女は母親が日本人で日本産まれ。幼少期以外は、ほぼアメリカで育ったそうだ。
Long Knivesというバンドをやっているコナーさんがやっているバーに行き、器の真ん中に火がついてるアルコール度数の高い酒で乾杯。
その後は巨大霊園?のような墓地 ��� 景色が良い観光スポットのような所に行き芝生の上で昼寝したり、のんびりタイム。
1-2-3-4 Go! Recordsというレーベルの実店舗に行き散財。すぐ近くにはグリーンデイのビリージョーが経営しているギターショップもあったので行ったりしました。
いざ、924Gilmanへ!
到着!ハードコアパンクの聖地924Gilman。
ここはFUGAZI、operation ivy、MDC、GREENDAY、RANCID、FIFTEEN、YOUTH OF TODAY、DESCENDENTS等々の数多くのバンドがライブをしてきたという伝説の場所。ギルマンでのライブを音源化してる作品も沢山ありますね。
ファンジンとかで読んだり行ったことがある人から聞いたりしていた、メッセージの書いてある壁を見た時は本当に震えました。
ライブスタート時間が近付いてるのにステージには何1つ機材がなく、とりあえず呑気に記念撮影。笑
ボブに聞くとステージでのライブではなく今日は、いつもはライブでは使わない部屋を使ってのライブとのこと。『レアですよ!』とボブ。地元の人たちもそんな使い方する日もあるんだねー。という感じの様子でした。
ライブスタート!!
手違いでフライヤーにハラダくんの名前が書かれていましたが帰ってしまっているので7時スタートで計3組出演。
1番目がJOY CYRという女性のソロ。どうやらソロ活動がメインのようですがこの日は数曲やった後にバンドバージョンとしてもプレイしてました。
2番目がkillerpassでした。正直ライブのことは、何も覚えていませんが今まで数々のバンドがここでライブやってきたんだな。と思いながらで全力でプレイしました。
トリがSNOOZEというバンド。この日の企画は、このバンドのボーカルのSamさん。ウィーザーからの影響大ってな具合のサウンドで個人的には結構好みでした。
ライブ後は、ツアー中全くと言っても過言じゃないほど撮ってなかった集合写真。
ライブ後はボブのバンドメンバーのユイさんの家に行きアニメを見たり飼い猫と遊んだりしてから就寝。
3月24日 金曜日。
ユイさん家の飼い猫に起こされ目を覚ます。
ユイさんが住むオークランドからライブ会場があるポモナのVLHSまでは6時間ほどの距離という事もあり、午前中にはVLHSに向け出発。ユイさんとは、ここでお別れ。
道中のことは、あまり覚えてませんがツアー最終日ということもありアメリカツアーでの出来事や今までこの3人でのkillerpassとしてやってきたことなどを思いながら車窓からアメリカの風景を見ていました。
VLHSに到着!あとは、やるだけだ。
地元のバンド4バンドと僕たちの計5バンドでのライブ。killerpassは3番目に出演しました。
1.レイジズム
2.アイランドインザサン
3.自分の言葉で話したい自分言葉で伝えたい
4.Do The Best Thing
5.偽善者でかまわない
6.マイアンサー
7.リスタート
8....is over
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9.First Contact(ワンモア)
ワンモア含む全9曲をプレイしました。
この日のライブは過去最高のライブができたと我ながら思いましたし、ハヤシックとkenchanもそう感じてたと思います。ライブ後は色んな方が物販を買ってくれたり話しかけたりしてくれて、本当に嬉しかった。
ボブの家に帰宅し帰国する準備をしつつボブとkillerpass3人でツアー最後の乾杯をして就寝。
3月25日 土曜日。
早朝に起床。ボブの飼い猫のワイヤーとも、この日でお別れ。
ボブの運転でロサンゼルス空港に向かう。
18日から初対面の僕たちに1週間フルサポートしてくれたボブには本当に感謝しかありません。ボブ本当にありがとう!
日本かアメリカか何処かでの再会を約束し僕たちはロサンゼルス空港から飛行機に乗り込む。ツアーが終わったのと日本に帰るという安心感からか飛行機の中では爆睡。
行きと同じルートの為、ひとまず北京に到着。乗り換え時間があまりなかったので、すごく忙しなかった。予定していた中部国際空港行きの飛行機に全力疾走したりしながらギリギリで乗り込む。
中部国際空港に到着した頃には、アメリカで買った沢山のレコードを聞くことや、久しぶりの日本食は何を食べるか等の事で頭が一杯だった。
バゲージクレームにて自分の荷物が流れてくるのを待つ、killerpass一同。
同じ飛行機の乗客たちは自分の荷物を受け取り、その場を1人、また1人と去っていくのに僕たちの荷物がいつまでたっても流れて来ない。。。
そして最終的にバゲージクレームには何も荷物が流れて来なくなってしまった。
航空会社のフロントに聞きに行くと、数人分の荷物が北京で積み替え出来ていなかった。という事が判明。
ツアー中に買ったレコードやお土産などが入ったカバンは全て北京空港に取り残されており、結局 書類を書くハメに。笑
家に無事に帰宅したが何とも言えない後味の悪い感じで就寝。後日、荷物は無事に郵送してもらいました。
『あとがき』
僕たちのUSツアーレポート楽しんで頂けましたでしょうか。たった1週間の出来事で毎日が本当に刺激的で楽しくてあっという間すぎる1週間でした。アメリカの地でツアーを出来たのもkilikilivillaやボブ、そして各地でサポートしてくれた方たちの協力なしでは実現しなかったと思います。今回途中まででは、ありましたがハラダくんと行けたというのも本当に良かったですし、そしてバンドメンバーのハヤシック、kenchanと一緒にkillerpassとして活動できたことに感謝してます。
このツアーの事を唄っているのが今回の新��『delayed youth e.p.』に収録されている『アメリカンドリーム』という曲です。僕たちが感じたアメリカの風を少しでも感じ取ってもらえれば嬉しく思います。
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