#函館山夜景
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そして一年後‥‥
ブログをやっているとはいえないくらいくらいの時間が経ちました。 一年前、北海道観光マスター検定試験を受け不合格。 働きながらの資格取得は楽ではない。 元々勉強も好きではない。 (好きな人はいるのか?) とかなんとか思いながらもテキストは肌身離さず持っていてことある度に確認や勉強はしてました。 そして2025年11月23日、北海道観光マスター検定試験へ4回目の挑戦。 結果は‥ 合格! やりましたー! ちょっとくどいですけど(汗) 今回は第19回目で合格率は58.3%平均点は85.6点。 北海道観光マスターになりますと『北海道観光マスターの会』 実は北海道観光マスター検定試験対策セミナーというのが試験の1ヶ月前にあります。 そこで大学の先生やらが試験内容に沿ったセミナーをしてくれます。 4回も受けてますとそのセミナーで傾向と対策が見えまして、今回はどうも自分が住…
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古くから世界三大夜景のひとつとか百万ドルの夜景などと賞される美しい函館の夜景。 【函館山から見るロマンチック「冬景色」】 2023年1月27日(金) 最強寒波到来の函館旅行⑩ https://youtu.be/IbLyjoV6JDw 夕焼けが終わる頃、市街地には外灯や窓からの灯りが点灯しはじめ、美しい夜景ショーが始まります。 函館市の両側に見える海により街の明かりは美しい「くびれ」となり「光の街」と「闇の海」のコントラストが、夜景をよりメリハリのある美しさにしてくれています。 #函館の夜景 #世界三大夜景 #百万ドルの夜景 #函館 #函館山 #夜景ショー #函館旅行 #函館観光 (函館山展望台) https://www.instagram.com/p/CoCLuHLPcYP/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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2024年4月3日(水)
私の住まう地域は<松尾大社>の氏子地域、<伏見稲荷大社>とともに<秦氏>の勢力圏である。4月に入ると青年会のメンバーが寄付を集めに回る、いつも通りの寄進をすると御献酒の札とお守りをくれる。今年の<神幸祭(おいで)>は4/21(日)、<還幸祭(おかえり)>は5/12(日)、町内にこの札が貼られるようになるとなにやら少し浮ついた気分になるから不思議だ。もっとも、神輿を担ぐような体力は既に無く、祭気分に合わせて鯖寿司(と酒)をいただくのが近頃の当たり��となっている。
5時起床。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
弁当*2。
空き瓶缶、45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤する。
相変わらず朝の燃費が���い。
来週から始まる授業準備、スタディスキルズの第1回資料を作成し印刷する。
かつて<露の新治を育てる会>の事務局長をされていたAさんに電話、明日午後のアポをいただく。
昨日<まいどおおきに露の新治です>の管理人・Mさんから送っていただいた過去のウェブサイトのコンテンツを復元、これで2000年から2006年までの記録を閲覧することができる。紀要に寄せた原稿は2009年以降のデータに基づくものなので、これで執筆のための資料はかなり調ってきた。
帰路も順調だが、今日は燃費が今ひとつ。
今夜はツレアイの研修で夕飯が遅くなるので、サッポロ一番味噌ラーメンを頂く。
軽く午睡。
露の新治さんの<へらへら日記>の旧版を読み進める。明日のインタビューにも大分役立つ。
息子たちの夕飯準備中に彼女が帰宅、少し遅れたが20時までのWeb研修だ。息子たちの食事が終わってから、テレビでナイターを観ながらちびりちびり。ようやく彼女が終わったので改めて晩酌開始。
録画番組視聴、新日本風土記。
「函館の光」
初回放送日: 2024年4月1日 夜景輝く港町・函館。冬、異国情緒漂う街は電飾をまとい、澄んだ空気に暮らしの明かりも輝きを増す。北海道の玄関口��して発展した町と、そこに生きる人々の光をめぐる物語 ロープウェイを山頂で降りると、目の前に星屑をまき散らしたような輝き。ここは夜景の美しさで知られる港町・函館。坂道の洋風建築や港の赤レンガ倉庫も旅情を誘う。世界を巡りたどり着いたこの町で、店中電飾が覆うハンバーガーショップを始めた父娘。歴史的建造物を店舗として再生し、町の灯を守ろうとする人々。北洋漁業衰退の荒波の中、必死に生きる庶民に光を見た小説家。町中がイルミネーションで輝く冬の函館と、人々の物語
片付け、入浴、体重は3日前から50g増。
遅くなったので日誌は明日のことにする。
デスクワークが続いたので、残念な結果に。
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「100万色のセピア」。イカスミで描かれています。
函館山から観る100万ドルの夜景。それは100年の後にも今と変わらず健在のようですね🙂
#廃材から描く展2024
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【出川哲朗の充電させてもらえませんか?】北海道充電旅 松前⇒函館 スポットリスト
【出川哲朗の充電させてもらえませんか?】100万ドルの夜景を目指す北海道充電旅 松前⇒函館 スポットリスト 2024/11/23放送 〒049-1511 北海道松前郡松前町松城144 #充電させてもらえませんか #出川哲朗 #宮川大輔 #角田夏実 詳しく見る↓
出川哲朗の充電させてもらえませんか? 2024/11/23放送 北海道松前町の<松前城>から函館市の<函館山展望台>で見る100万ドルの夜景を目指す充電旅 スタート 日本最北の城・松前城 松前城跡 日本最北の城として知られ、その歴史と美しい景観は多くの観光客を魅了している。 江戸時代、松前氏は蝦夷地を治め、この城を拠点として独自の文化を築き上げた。 天守閣からは津軽海峡を一望でき、雄大な自然と歴史が融合した絶景が広がる。 城内には、松前藩の歴史を物語る貴重な資料や品々が展示されており、当時の生活様式や文化に触れることができる。 また、城周辺には武家屋敷や史跡が点在し、歴史散策を楽しむことができる。 住所 〒049-1511 北海道松前郡松前町松城144 TEL 0139-42-2216 ホームページ 松前城資料館 |…
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2024/10/26 0:00:13現在のニュース
自公が接戦区でも苦戦、立民に勢い…約60小選挙区で際どい攻防 衆院選最終盤情勢([B!]産経新聞, 2024/10/25 23:53:14) ゴルフ、女性・若者にアプローチ 短いティーや日焼け防止 ゴルフ、ブームを止めるな(1) - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/25 23:52:06) マレーシアで観光バス事故、日本人1人死亡・10人が重軽傷…高速道でトラックと衝突([B!]読売新聞, 2024/10/25 23:46:22) 夜景観賞の名所「函館山」山頂、混雑緩和へ「入れ替え制」…実証実験踏まえ市が検討([B!]読売新聞, 2024/10/25 23:46:22) ドイツがインドと安保協力 首脳会談、潜水艦輸出も - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/10/25 23:45:25)
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2024.10.10 添乗1日目。初の北海道新幹線はやぶさ、
五稜郭公園 函館ベイエリア 函館山の夜景
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北海道旅行2日目②
函館
函館の夜景を観に函館山へ
これまた山頂行ったら霧がかかっててほとんど見えなかった…まあ、見えませんってアナウンスされてたけどね…(笑)高いお金払ってるから意地でも観ようと思ってお土産買ったりして少し待ってたら綺麗に観えた!!風が強かったのが救いだ〜
本当に綺麗だった。見えた途端、拍手があったくらい(笑)やっぱりせっかく来たから期待しちゃうよね!
その後は付近をぶらぶら。ハセガワストアとラッキーピエロ、金森赤レンガ倉庫など。けっこう歩いた。
ホテルからの景色も綺麗だったな。ホテルの温泉はあんまりゆっくり出来なかった〜でもお部屋めちゃ良かった!!この日も秒で寝た💤
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〜 日本一周の旅記録.160 〜
青春18きっぷを片手に気ままな旅へ…
日本一周、旅の14日目。
函館駅に到着すると、そこから函館山への直行バスが出ていました。
函館山直行登山バスですね。
これに乗らないなんて考えられないでしょう。
迷わず乗車し、函館山を目指して約30分。
到着した函館山山頂からの眺めは…
息を呑む、とはこの事ですね。
心に突き刺さるような煌びやかな光たち。
まさに100万ドル、いや、何千万ドルでも代え難い、素晴らしいビジョンです。
ただ残念ながら、たまたま安物のデジカメしか持っていなかったのでクッキリ撮影できませんでした…(ノ_<)
滅多に来れない場所なのに…
とりあえず感動的な夜景を堪能して、旅の14日目はここ函館で終了。
翌日、旅の15日目。
本日は、せっかく函館にいるのでこちらも有名な函館朝市に出陣。
すごい熱気と活気です。
新鮮で豪華な魚介類がたくさん並んでいますが、なんと言ってもカニ。
とにかく色鮮やかで大きい!
北海道じゃないとなかなかお目にかかれない花咲ガニを初めて見ました。
花咲ガニってこんなにトゲトゲなんですね。
見ているだけでとても楽しい函館朝市を楽しんで、ここから旅の15日目の弾丸移動を開始します。
〜 旅人の記録 〜
#北海道 #函館駅 #函館山 #函館山直通バス #函館の夜景 #心に残る夜景 #素晴らしい眺め #ピンボケ残念 #ちゃんとしたカメラ持って行けば良かった #函館朝市 #鮮やかな魚介類 #カニが大きい #見ているだけで楽しい函館朝市 #心に残る良い旅を #旅 #旅人の記録 #独り旅 #日本一周 #青春18きっぷ #列車 #電車 #車窓
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函館、大沼、鹿部、6時間観光
なかなか想像できないかもしれませんが、世の中にはいろんな方がいます。 小型タクシーで6時間観光。 スタートは函館大沼プリンスホテル様。 函館大沼プリンスホテル 6時間ともなりますと土地勘はもとより時間による渋滞、お昼の食事の場所、帰りのJRの時間と頭の中でいろいろな計画を立てます。 そこからのお客様のリクエストやいろんな具合が加味されます。 大沼方面からのお客様は、まずは大沼湖畔を周り大沼国定公園内にある『秀峰駒ヶ岳』をバックに記念写真📷 秀峰駒ヶ岳 紅葉の時期も近づく大沼国定公園。 これからがまた見頃な場所です🗻 緑の湖畔を周り癒されたあとは、大沼国定公園より西へ約20分走るとタラコや高級昆布白口昆布が名産の鹿部町。 そちらにあるのが『道の駅しかべ間欠泉公園』 道の駅しかべ間欠泉公園 こちらには北海道で3箇所しかない『間欠泉』があります♨️ 『間欠泉』とは一…
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憶往/舊雨浥今塵
奧本海默的聯想:核爆時代 華人與原子彈
夏烈 2024-02-11 01:20 ET
近觀兩部電影:「奧本海默」(Oppenheimer)及「媽的多重宇宙」(Everything Everywhere All at Once),引起一些回憶及感觸。
原子的概念小時就開始了,不外是癌症放射治療及原子彈,那時還沒有核能電廠。念小學時在台北市南昌街小攤子上租連環圖畫看:原子彈是一顆大炸彈在天空中爆炸後分解,產生千千萬萬顆小炸彈,每顆後面有一支白色小降落傘,鋪天漫地的大批降下……這是對原子彈原理的最初了解。能有這種想像力的連環畫家也算是別具創意了。兩顆原子彈在日本落下後超過20萬人立即死亡,所以「原子」本身是個威力強大的新物種,也進入我們的日常生活。
原子彈型的女人威力應是很強大。後來又有「原子筆」出現,取代墨水鋼筆;「原子襪」是尼龍製襪,不容易磨損;「原子褲」名出自香港;還有原子表及原子鐘,內容不詳;反攻大陸的��國40年代(1950年代),台北有位大發明家陳永松君,研究一種可以「對抗原子彈的新武器」,一枚可以炸毀台北市,兩枚消滅共匪的上海市。作家何凡在聯副「玻璃墊上」專欄表達憂慮陳君在台北市做此偉大研究實驗:「萬一失手爆炸了怎麼辦?」
李文和 被誣為間諜
我所有的學位都是工程,與核子物理無關。在德州念書時與李文和博士同學,而且同屬一個台灣留學生組的伙食團,他做一手好菜,甚至能做出全桌酒席大菜。他後來進入製造原子彈的新墨西哥州洛斯阿拉莫斯國家實驗室工作,也就是奧本海默在沙漠中建立的原子彈聖城。
李兄在那兒不是做菜,是做原子彈。他被誤為中國大陸核子間諜,無故坐牢九個月。其實他是非常台灣本土思想的工程科學家,喜好文學及古典音樂,曾協助審閱我寫的大學教科書「近代外國文學思潮」(聯合文學出版)。
終於,法官判無罪,還在庭上向他道歉,賠償165萬美元,好像課稅及律師費用之後只拿到一半。後來我推薦他回到他母校成功大學教書一年,至今他竟已出了三本英文的核子工程有關專業書籍,也真是傑出人才了。他是台灣唯一內陸縣南投農家出身,手���能修許多機電及木工物件,為人忠厚老實,甚至有些天真,如此才會變成美國官方內鬥犧牲品。
張憲義 舉報後逃美
另外一個與原子彈有關的台灣人是張憲義上校。他是中山科學院核能研究所的副所長,因向美方舉報台灣發展原子彈狀況而逃往美國。此舉對台灣人民安全是有害還是有利?見仁見智。因為大陸曾表示攻台的三大原因之一是台灣製造出原子彈。
鑒於量子力學有機率的特質,所以多重宇宙或平行宇宙的概念出現。如果進入世界(或世間)的起源,亞伯拉罕三教(猶太教,基督教及伊斯蘭教)咸認世界是上帝(或阿拉)創造的。佛教則認為世界起源無始,乃由眾生無息無止、共業感召生成,我們在三界中生死輪迴,居住的婆娑世界,乃是一佛所化三千大千世界的中心。即使有宇宙物理學或宗教學不同的解釋,「媽的多重宇宙」並沒有表達複雜、模糊未定的天體科學理論,或是充滿幻想及神話的宗教體認。只是利用多重宇宙的背景,為一個簡單的移民奮鬥及家庭倫理故事添增情節,令這影片更有魅力,甚至離奇。
在另一個宇宙的太空翱翔,那是個無限靜寂、魅麗、遙闊、充滿綺思的世界,令人流連忘返。然而在原子彈爆炸的那一剎那,無限的火焰及紅���,巨大的聲響,則是美麗而醜陋的世界,充滿了毀滅灰煙,此種感受只能做形而上的描繪。這兩部電影給人的聯想會是歡愉還是痛苦?天堂還是地獄?或是百感交集,不能自已?
奧本海默由歐洲學成返美,在柏克萊加州大學教書,也是最先研究黑洞及引進量子力學到美國的科學家之一。「曼哈頓計畫」有18人得到諾貝爾物理獎,「原子彈之父」奧本海默被提名三次,卻未得獎。他有學問,有才華,但在物理學的研究上沒有聚焦點,無重大發現 ──物理學只是他的眾多愛好之一。這說明了什麼?你能告訴我嗎?
吳健雄 奧本海默「姊姊」
電影中沒提到他與李政道、楊振寧、吳健雄的關係。他曾說過:「我最喜歡看見的景象就是李政道與楊振寧並肩在普林斯頓大學的草坪上散步。」吳健雄在產生原子彈的「曼哈頓計畫」遇到連鎖反應無法延續的難題時,協助解決,否則原子彈轟炸日本勢必延緩。多久,沒人知道。奧本海默稱吳健雄院士為「姊姊」。
加州大學在地柏克萊的圖書館,亞洲部門主管是台北畫家郭雪湖先生的女公子郭惠美,和她長兄郭松棻都是台大外文系出身,所以重視文學。我被郭惠美邀請演講12次,每次500美元,講完一概掏出來請大家吃晚餐,皆大歡喜。有一次講木下惠介導演,高峰秀子主演的反戰名片「二十四の瞳」(「二十四隻眼睛」),因我用英文講,有大批日本後裔前來聽講,場地爆滿,講台前地毯上都坐滿了聽眾。
講完問題回答時間有一位矮小、平頭,面容粗糙的老人站起用日本腔英文發言,告訴大家他曾經歷廣島原爆,因距離逃過一劫,沒說多遠,但是他說看到強烈的亮光。我請他多報告一些,同時也表達他的感想,但他英文說不好,聽不太懂,大家只能點頭稱許。這是此生唯一見到吃過原子彈的人(我忘了問他:是否見到千百顆後面戴著白色降落傘的小炸彈冉冉飄下)。
我與原爆相關者緣分
另一位與原爆有關的是蔣渭水先生的長子蔣松輝學長。他是建中(日據時代台北一中)校友,畢業入長崎醫大讀醫。後因蔣渭水留下的奠儀生活費用罄而輟學轉往上海謀生。他前腳走,後腳就是長崎原爆。所以他說是因窮活命。此事我寫在〈紅樓賦〉一文,發表在前幾年的「聯副」。
另一台中清水友人蔡寬博士(因他父親喜愛菊池寬的小說,而為他取單名寬),當時全家住在關西,被日本政府下令疏散,以躲避美國空軍的大肆轟炸。他們決定往北遠走北海道,要是往西近處走,就進入廣島原爆,後來也不會畢業於政大新聞系,與我同在密西根州的研究所同學了。我倆不同行,聊天卻很愉快,因為我到底是新聞家庭出身。
「奧本海默」與「媽的多重宇宙」都與科技有關,都採用數個故事線交叉剪輯的製片技巧,也都摻入許多科技名詞,如量子力學、平行宇宙、連鎖反應、有機率、分子波函數……等等。片中也出現我當年在工學院念書時讀到的科學家、工程師及數學家如費米、愛因斯坦、勞倫斯、尤勒、貝塞爾、泰勒、鮑林、波爾……等等。有幾位在舊金山灣區的場合見到過,並無上前握手交談的經驗,但在影院黑暗中見到這些熟習的名字,還是很高興。
我後來轉業在新竹清華及台南成大教授近代歐洲文學及日本文學。雖仍與工程界掛勾,那只是為了有許多老朋友及從事風險性投資賺錢,實際上已與工程、數理(STEM)本體脫鉤。有一天走到地下室儲藏間清理,恰巧看到念研究所時使用已塵封的教科書及筆記。打開一看,艱深複雜的數學公式簡直就是天書,我很驚訝那時我居然這麼聰明,有這麼大的本領能看得懂這些天書──現在已經不聰明了。
有些人說原子彈轟炸日本是對黃種人的種族歧視。其實本來是準備核爆德國,因為德國的原子彈研究遠比日本成熟。但在美國試爆成功時,德國已投降。美國在日本投降前,曾對許多城市(甚至有些中小城市)做大規模、一般性炸彈及燃燒彈的轟炸,包括平民市區,死亡人數比兩顆原子彈還多許多倍,這一點奧本海默應也有深刻認知。
實際上,最先空襲日本的不是美國飛機,而是事後任空軍總司令的徐煥昇將軍。他於1938年駕機夜航空襲日本,在幾個城市投下數百萬份傳單,令日人了解中國空軍也能飛入日本領空。大名昭彰的美國空軍杜立特將軍則是四年後的1942年才開始轟炸日本,卻出了大名。
我在美國任工程師時,有一次調查加州某一老舊機場的跑道損壞情形,他們告訴我以前杜立特將軍在此起飛多次,不可能是去轟炸東京,因為航程太遠。兩顆原子彈是小心翼翼地海運去關島以北的天寧島機場,然後在1945年8月由B-29載去廣島及長崎投彈。那艘運原子彈去天寧島的巡洋艦印第安那波利斯號,不久被日本潛水艇以魚雷擊沉。
這令人想到:如果在運原子彈到達天寧島之前被擊沉,會是什麼樣的局面?要何時才能投下原子彈?但是那時美國已計畫在1945年底前共製造出九顆原子彈。8月15日日本昭和天皇「玉音放送」宣布投降,所以剩下的原子彈不需使用了,聽說現仍存在洛斯阿拉莫斯國家實驗室,不知是否公開陳列,以招徠世界各國觀光客。當然是拔了塞不會爆炸,否則就如陳永松君在台北市試驗炸彈一樣。陳君的炸彈「一枚可以毀滅台北市」。
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2024年2月11日
3800円ラーメンも…ニセコの海外客バブル 人材確保へ時給も高騰で“出稼ぎ”も(テレ朝news 『サンデーステーション2月11日』より)
今、中国などでは「春節」の大型連休真っ只中。日本を訪れる中国人観光客を取材すると意外な目的地が見えてきました。
■「流氷ツアー」「早咲きの桜」中国人観光客に異変
きょう11日、静岡県河津町。間もなく満開を迎える河津桜を見に多くの人が訪れていました。
桜をスマホで撮影しているのは中国・広州から来日したという3人家族。土産物にも興味津々…
中国広州から来た家族 「私が好きなおやつなんです。日本のおやつが大好きなんですよ」
でも一体なぜ、ここに来たのか聞いてみると…
中国広州から来た家族 「(SNSで見て)わたしが思った景色と全く同じでした。(ここは)人気だけど混みすぎてなくていい中国の景勝地は大変混んでいるからね」
10日から始まった中国の旧正月・春節。延べ90億人が移動すると言われていますが、日本に来る中国人観光客は…コロナ前には戻っていません。上海から来たこちらの男性に聞いてみると…
上海から来た家族 「外国旅行する人はコロナ前より少なくなりました。特に団体旅行が減りました。個人旅行が好きな私にとってはいいことです。北海道に行きます。砕氷船に乗って流氷を見に行きます。」
この日、男性は家族と共に北海道へ…
上海から来た家族 「紋別に着きました。流氷が漂う地域です。これから砕氷船に乗ります。」
流氷の中を突き進む砕氷船に乗りこみ、いざ出発。夕陽の中を進む船。幻想的な風景が広がります。
上海から来た家族 「北海道の雄大さとワイルドな一面を見ました。とても良かったです。北海道は3回目ですが、また来て色々な季節の魅力を楽しみたいです。」
札幌雪まつりは、この日が最終日。大谷選手と愛犬デコピンの雪像は大人気で、多くの人がカメラに収めていました。函館朝市にも、活気が戻ってきました。
坂詰怜記者 「この場所すごい人ですね。函館朝市のイカの釣り堀なんですが、ぐるーっと取り囲むように50人ぐらいが行列を作っています。」
店員 「春節と重なって3連休ですよね、日本人も外国人もたくさん来てきのうからにぎわっている。私たちも久々ににぎわいを味わっています。」
■3800円のラーメンも…ニセコで“海外客バブル”
国内屈指のスキーリゾートとして、近年、海外の富裕層から熱い視線が注がれているニセコエリア。
佐々木一真アナウンサー 「こちらはニセコエリアの駅なんですけど、こちらのタクシーは足立ナンバーですね」
ニセコになぜか東京のタクシーが…。実は去年12月、ニセコ町と地元のハイヤー協会などが連携し、東京などから車両と運転手を派遣する実証実験を始めました。ニセコの道を走ったことがない運転手は…
札幌から来たタクシー運転手 「アプリで降車地とかを設定しているので、英語をしゃべれなくても仕事には全然支障ないです」
外国人を中心に利用者は増え、今や一日平均180件以上あるといいます。
佐々木一真アナウンサー 「北海道ニセコエリアにあるスキー場です。リフト乗り場はご覧の行列となっています。ほとんどが外国人観光客の方でして日本語が聞こえてこないほどです」
香港からの旅行客 「パウダースノーがあるから来ています。最近来たのはクリスマスで1年に3回来ています」
佐々木一真アナウンサー 「こちらはスキー場にあるレストランですが、カツカレーは1つ2400円で販売されています」
醤油やみそラーメンは1900円。かにラーメンはその倍の3800円。それでも外国人は…
アメリカからの旅行客 「日本円が安いので(このポテトを)余分に買い増した。ここは安いと思います。とてもうれしいです。」
一方、2400円のハンバーガーを食べている日本人は…
札幌からのスキー客 「高いですよね!倍以上の相場だと思うので。旅行に来た気分で割り切って食べています」
なぜここまで価格が上がったのか…スキー場の担当者は…
ニセコHANAZONOリゾート 上原子次郎ゼネラルマネージャー 「もちろん食材費ですとか燃料費の高騰もありますけど、人件費(の高騰)もあって(時給)2000円を超えている職種もありますね。札幌市内で同じ人を雇うより何10%も費用はかかっていると思います」
実は今、ニセコでは、現地で働く人材の獲得競争が起きていました。
青森県から働きに来た 坂野真由美さん(37)「待遇に関しては、このホテル内できちんと食事や衣食住がついているのですごく助かっています」
佐賀県から働きに来た 於保由理華さん(27)「すごく良くしていただいて、しっかり住む所も管理されているのでありがたいなと思います」
ニセコエリアにあるこちらのホテル。3月までの繁忙期を乗り切るため、期間限定で働くスタッフに手厚い待遇をしているといいます。
トリフィートホテル&ポッド ニセコ 高橋寛 支配人 「こちらのお部屋ですけども、お客様にご提供はしているのですが、この時期は派遣スタッフの方にもご利用いただいています。他のホテルも当然人を確保しなきゃいけないわけですので、差別化をはかる意味では、やはり待遇面にしっかりサポートしていきたいと思っております」
それだけではありません、当然 給与についても…
高橋 支配人 「働く方の募集の費用ですね、(時給)100円から200円上げております」
派遣会社に支払う時給は、去年より引き上げ、現在1800円から2000円だといいます。このホテルでは、去年夏から人材獲得の準備を始めた結果、今シーズンは11人のスタッフを採用することができました。
高橋 支配人 「稼働率に関しましては、この期間(春節)だけ数字で見ると高くなってますね」
スタッフが確保できたことで、連日ほぼ満室が続いているということです。
高橋 支配人 「働く方がいなくては、当然ご利用いただく方というのは増えませんので、まずはしっかりと働く方をサポートしてお客様に喜んでいただける施設にしたいと思っております」
去年11月からニセコに働きに来ている25歳の男性。外国人のルームメートと会社の寮で暮らしています。
千葉県出身の男性(25)「日中はレンタルショップでスキーとかスノーボードの貸し出しをやっていて、夜空いている時間で日本食レストランで働いています。本業(レンタルショップ)の方が時給1600円で、夜の日本食レストランの時給が1800円。時給1800円は、東京とかで探しても見つからないと思うので」
ニセコで働く一番の理由は、高い時給です。
千葉県出身の男性(25)「どこか高いところがあったら、他は上げないと、そこは人が来なくなってしまうので、来年になったら、時給2000円の求人がもっと出てくるかなと思ってるので」
仕事の合間に大好きなスノボを楽しめたり英語の語学力が自然と身につくのも、ニセコへ毎年来る理由だといいます。
千葉県出身の男性(25)「やっぱり外国人の方が住み込みだったり、観光で来てくれるおかげで冬の間、街が盛り上がって、たくさん働けてたくさん稼げる。これが外国人いなかったらこういうふうにはなっていないだろうなと思います。」
ごみの山、住民途方に 「いつ片付け終わるのか」 4市町で59年分・能登地震(時事通信)
能登半島地震では多くの家屋が損壊し、解体などで出る災害ごみは、石川県の推計で244万トンに上る。
被災地の全市町に仮置き場が設置されたが、地震で車が壊れたり、遠方に避難したりして片付けに着手できない人も多い。特に被害の大きかった半島北部の4市町では、通常のごみ排出量の59年分に相当するといい、住民は途方に暮れている。
同県能登町では5日、被災自治体で最後に仮置き場が設置され、ごみを持ち込む車で渋滞が発生した。木くずや瓦を捨てに来た女性(75)は「きょう来るのは2回目。ようやくごみを出せてうれしい。また来るつもり」と話した。
1万棟以上の建物が全半壊したとみられる珠洲市では1日に設置されたものの、1週間以上たっても乗り入れる車はまばらだ。市の担当者は「(震度6強を観測した)昨年5月の地震と比べて少ない。道路状況が悪く、ごみを持ち込めない人も多いのでは」と推測する。
市内では倒壊したまま手付かずの家屋も目立ち、道路脇にはがれきが山のように積み上がっている。壊れたテレビなどを持って来た男性(65)は「まだまだ捨てる物がたくさんある。人の手を借りないと半年ぐらいかかりそうだ」とこぼした。
輪島市は市民の負担を減らすため、委託業者が民家の前に置かれたごみを回収する方式を採用した。漆塗り職人の男性(60)は、長距離バスで避難先の金沢市から自宅兼店舗の片付けに来たが、「帰りのバスの時間もあり、1日3~4時間しか作業できない。週末にまた来るが、いつ終わるのか」と頭を抱えた。
県は仮置き場の増設や、建物の公費解体を進めるなどし、2025年度中の処理完了を目指している。
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讀萬卷書
H:讀萬卷書很無聊,行萬里路很辛苦。看電視的活衣廚,每日看平板找萬卷書,看旅遊節目觀遊世界。廢人世界的新讀書觀,懶人的觀遊世界路。以點引書,以觀代遊。網路世界很遼闊。「欲知天下事,須讀古今書。學了就用處處行,光學不用等於零。不能則學,不知則問;讀書全在自用心,老師不過引路人。」看「他們在島嶼寫作」介紹王文興,以電影文本的形式,紀錄文學大家。其中王文興教授談及「彷彿名人才能寫回憶錄。」因為有人看,普通人寫回憶錄則自我安慰,自娛娛人。有些人隨物換星移而隱去,有些書卻一直流傳。廢宅論不可取,各依所需,天冷在家,觀音唸佛祖,各唸一本家家經。20231217W7
王文興 (作家)
維基百科:
台灣作家 (1939-2023)
王文興(1939年9月24日—2023年9月27日),男,福建福州人,臺灣小說家。 維基百科
電影: 尋找背海的人
配偶: 陳竺筠; (1969年結婚—2023年結束)
王文興從1966年開始寫作《家變》,在1973年出版,發表後造成軒然大波。這是因為《家變》從內容到形式、情節、結構,語言文字,在當時的台灣文壇都是創新的,甚至創新到被某些人認為是「離經叛道」的「異端」,為了這部作品,台灣文學界曾經開過多次座談會,發表過多篇文章來討論。
古人說「人不登高山,不知天之高也;不臨深溪,不知地之厚也。」
蘇軾在《石鐘山記》一文中,記敘了他深入實地考察,揭開了石鐘山得名之謎的故事。
李時珍爲了完成《本草綱目》的著述,不辭辛勞遠出旅行考察,上山採藥和拜訪有實際經驗的人。
陸遊說:「紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。」
杜甫在《奉贈韋左丞丈二十二韻》中這樣的句子:讀書破萬卷,下筆如有神。
明末畫家董其昌的《畫禪室隨筆》卷二○畫訣中:「讀萬卷書,行萬里路,胸中脫去塵濁,自然丘壑內營,立成鄄鄂。」
古人講讀萬卷書,行萬里路,其實就是王陽明老先生講的知行合一。
「讀萬卷書,行萬里路,有耀自他,我得其助」出自清代梁邵王《兩般秋雨庵隨筆》
趙恆《勸學詩》
勸學詩
宋代:趙恆
富家不用買良田,書中自有千鍾粟。
安居不用架高堂,書中自有黃金屋。
出門莫恨無人隨,書中車馬多如簇。
娶妻莫恨無良媒,書中自有顏如玉。
男兒若遂平生志,六經勤向窗前讀。
人生五堂課:讀萬卷書、行萬里路、閱人無數、名師指路、自己開悟
讀萬卷書
書山有路勤爲徑,學海無涯苦作舟;腹有詩書氣自華,讀書破萬卷 下筆如有神黑髮不知勤學早 白首方悔讀書遲與肝膽人共事 無字句處讀書行萬里路千里之行 始於足下不積跬步無以至千里路遙知馬力日久見人心路漫漫其修遠兮 吾將上下而求索紙上得來終覺淺 絕知此事要躬行閱人無數讀人如讀書 閱人宜閱己邪正看鼻眼 功名看氣宇 事業看精神
古今賢文勸學篇
枯木逢春猶再發,人無兩度再少年。不患老而無成,只怕幼兒不學。長江後浪推前浪,世上今人勝古人。若使年華虛度過,到老空留後悔心。有志不在年高,無志空長百歲。少壯不努力,老大徒傷悲。好好學習 ,天天向上。堅持不懈,久煉成鋼。三百六十行,行行出狀元。冰生於水而寒於水,青出於藍而勝於藍。書到用時方恨少,事非經過不知難。
身怕不動,腦怕不用。手越用越巧,腦越用越靈。三天打魚,兩天曬網,三心二意,一事無成。一日練,一日功,一日不練十日空。拳不離手,曲不離口。刀不磨要生銹,人不學要落後。書山有路勤為徑,學海無涯苦作舟。師傅領進門,修行在自身。熟能生巧,業精於勤。
讀書篇
欲知天下事,須讀古今書。
學了就用處處行,光學不用等於零。
不能則學,不知則問;讀書全在自用心,老師不過引路人。
好曲不厭百回唱,好書不厭百回讀。
讀書貴能疑,疑能得教益。
默讀便於思索,朗讀便於記憶。
初讀好書如獲良友;重讀好書如逢故知。
處處留心皆學問,三人同行有我師。
石鐘山記
朝代:宋代
作者:蘇軾
《水經》雲:“彭蠡之口有石鐘山焉。”酈元以爲下臨深潭,微風鼓浪,水石相搏,聲如洪鐘。是說也,人常疑之。今以鐘磬置水中,雖大風浪不能��也,而況石乎!至唐李渤始訪其遺蹤,得雙石於潭上,扣而聆之,南聲函胡,北音清越,桴止響騰,餘韻徐歇。自以爲得之矣。然是說也,餘尤疑之。石之鏗然有聲者,所在皆是也,而此獨以鍾名,何哉?
元豐七年六月丁丑,餘自齊安舟行適臨汝,而長子邁將赴饒之德興尉,送之至湖口,因得觀所謂石鍾者。寺僧使小童持斧,於亂石間擇其一二扣之,硿硿焉。餘固笑而不信也。至莫夜月明,獨與邁乘小舟,至絕壁下。大石側立千尺,如猛獸奇鬼,森然欲搏人;而山上棲鶻,聞人聲亦驚起,磔磔雲霄間;又有若老人咳且笑于山谷中者,或曰此鸛鶴也。餘方心動欲還,而大聲發於水上,噌吰如鐘鼓不絕。舟人大恐。徐而察之,則山下皆石穴罅,不知其淺深,微波入焉,涵淡澎湃而爲此也。舟回至兩山間,將入港口,有大石當中流,可坐百人,空中而多竅,與風水相吞吐,有窾坎鏜鞳之聲,與向之噌吰者相應,如樂作焉。因笑謂邁曰:“汝識之乎?噌吰者,周景王之無射也;窾坎鏜鞳者,魏莊子之歌鐘也。古之人不餘欺也!”
事不目見耳聞,而臆斷其有無,可乎?酈元之所見聞,殆與餘同,而言之不詳;士大夫終不肯以小舟夜泊絕壁之下,故莫能知;而漁工水師雖知而不能言。此世所以不傳也。而陋者乃以斧斤考擊而求之,自以爲得其實。餘是以記之,蓋嘆酈元之簡,而笑李渤之陋也。
《本草綱目》是一部集中國16世紀以前本草學大成的著作,明代萬曆六年(1578年)定稿,萬曆二十三年(1596年)在南京正式刊行,作者為醫學家、藥學家和博物學家李時珍。此著收錄於《四庫全書》,為子部醫家類。
紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。
出自於陸游的《冬夜读书示子聿》
朝代:宋代
作者:陸游
古人學問無遺力,少壯工夫老始成。
紙上得來終覺淺,絕知此事要躬行。
奉贈韋左丞丈二十二韻
朝代:唐代作者:杜甫
同類型的詩文:社交讀書壯志
原文
紈绔不餓死,儒冠多誤身。丈人試靜聽,賤子請具陳。
甫昔少年日,早充觀國賓。讀書破萬卷,下筆如有神。
賦料揚雄敵,詩看子建親。李邕求識面,王翰愿卜鄰。
自謂頗挺出,立登要路津。致君堯舜上,再使風俗淳。
此意竟蕭條,行歌非隱淪。騎驢十三載,旅食京華春。
朝扣富兒門,暮隨肥馬塵。殘杯與冷炙,到處潛悲辛。
主上頃見征,欻然欲求伸。青冥卻垂翅,蹭蹬無縱鱗。
甚愧丈人厚,甚知丈人真。每于百僚上,猥頌佳句新。
竊效貢公喜,難甘原憲貧。焉能心怏怏,只是走踆踆。
今欲東入海,即將西去秦。尚憐終南山,回首清渭濱。
常擬報一飯,況懷辭大臣。白鷗沒浩蕩,萬里誰能馴?
1 
○記事2 
予在廣陵,見司馬端明畫山水,細巧之極,絕似李成。多宋元人題跋,畫譜俱不載,以此知古人之逃名。3 
今年游白下,見褚��良西升經,結構遒勁,於黃庭像贊外,別有筆思。以顧虎頭洛神圖易之。主人迫欲朱提,力不能有,遂落賈人手。如美人為沙叱利擁去矣。更償之二百金,竟靳固不出。登舟作數日惡,憶念不置。然筆法尚可摹擬,遂書此論,亦十得二三耳。使西升經便落予手,未必追想若此也。4 
書家以豪逸有氣,能自結撰為極則。西昇雖俊媚,恨其束于法,故米漫士不甚賞心。若兒子輩能學之,亦可適俗。因作小楷書記之。5 
送君者自崖而返,君自此遠。宋子京讀莊子至此,遂欲沾巾。予北上,泊寒山為送別諸君子拈之。6 
鬥鵪鶉,江南有此戲,皆在籠中。近有吳門人,始開籠於屋除中,相鬥彌日。復入籠飲啄,亦太平清事。7 
餘與仲醇,以建子之月,發春申之浦,去家百里。泛宅淹旬,隨風東西,與雲朝暮。集不請之友,乘不系之舟。壺觴對飲,翰墨間作。吳苑酹真娘之墓,荊蠻尋懶瓚之蹤,固以胸吞具區,目瞪雲漢矣。夫老至則衰,倘來若寄,既悟炊梁之夢。可虛秉燭之游,居則一丘一壑,唯求羊是群;出則千峰萬壑,與汗漫為侶。茲予兩人,敦此夙好耳。8 
余游閩中,遇異人談攝生奇訣。在讀黃庭內篇,夜觀五藏神,知其虛實,以為補瀉。蓋道藏所不傳,然須斷葷酒與溫柔鄉,則可受持。至今愧其語也。9 
七夕,王太守禹聲,招飲於其家園。園即文恪所投老。唐子畏,郝元敬諸公為之點綴者。是日,出其先世所藏名畫。有趙千里後赤壁賦一軸,趙文敏落花游魚圖,谿山仙館圖。又老米雲山,倪雲林漁莊秋霽,梅道人漁家樂手卷,李成雲林卷,皆希代寶也。餘持節楚藩歸。曾晚泊祭風臺,即周郎赤壁,在嘉魚縣南七十里。雨過,輒有箭鏃於沙渚間出。里人拾鏃視予,請以試之火,能傷人,是當時毒藥所造耳。子瞻賦赤壁,在黃州,非古赤壁也。壬辰五月10 
元李氏有古紙,長二丈許,光潤細膩,相傳四世。請文敏書,文敏不敢落筆,但題其尾。至文徵仲,止押字一行耳,不知何時乃得書之。11 
餘頃驅車彭城,不勝足音之懷。又有火雲之苦,回馭谷水塔上,養痾三月。而仲醇挾所藏木癭爐,王右軍月半帖真跡、吳道子觀音變相圖、宋板華嚴經尊宿語錄示餘。丈室中惟置一床,相對而坐,了不蓄筆研。既雨窗靜間,吳門孫叔達以畫事屬余紀游,遂為寫迂翁筆意。即長安游子,能有此適否?12 
袁尚書賴無𥚛,孫女以餓縊死。尚書善噉,不能饜。每市蜆為晚飧,可竟一斗。有一門生,饋以十金,輒作三封。以一封置袖中,乘月叩窮交之戶。呼輿偕步,以袖中金贈之而別。其貧都由此,然每攜麗伎泛泊,一日不能廢也。13 
楊尚書成,在吳中負物望。其家不貧,而吳中人稱之,不在哀公下。以其淳謹安靜,故令人無可間然耳。尚書過蔡經舊里,曰:「此宋之大賊,乃居此乎?」以為蔡京也,所謂不讀非聖書者耶。14 
張東海題詩金山:「西飛白日忙於我,南去青山冷笑人。」有一名公,見而物色之曰:「此當為海內名士。」東海在當時,以氣節重。其書學懷素,名動四夷。自吳中書家後出,聲價稍減,然行書尤佳。今見者少耳。15 
餘與程黃門同行江南道上,停驂散步。見陂陁紆復,峰巒孤秀。下瞰平湖,澄碧萬頃,湖之��江光吞天,征帆點點,與鳥俱沒。黃門曰:「此何山也?」餘曰:「齊山也。」黃門曰:「子何以知之?」餘曰:「吾知杜樊川所謂江涵秋影者耳。」詢之舟人,亦不能名。但曰:此上有翠微亭。黃門與餘一笑而出,是日步平堤六七里,皆在南湖中。此堤之勝,西湖僅可北面稱臣耳。俗諺云,九子可望不可登,齊山可登不可望。信然。16 
大林寺,在天池之西,有西竺娑羅樹二株。中宴坐老僧,余訪之,能念阿彌陀佛號而已。白樂天詩云:「人間四月芳菲盡,山寺桃花始盛開。」必此寺也。17 
○記游18 
武彞有大王峰,峰極尊勝。故名武彞。君為魏王子騫,曾會群真於此,奏人間可哀之曲。19 
大田縣有七巖臨水。山下皆平田。秋氣未深,樹彫葉落,衰柳依依。20 
洞天巖,在沙縣之西十裏。其山壁立,多松樟。上有長耳佛像。水旱禱,著靈跡。其巖廣可容三几二榻。高三仞餘,滴水不絕。閩人未之賞也,餘創而深索之。得宋人題字石刻十餘處,皆南渡以後名手。詩歌五章。巖下有流觴曲水,徐令與餘飲竟日,頗盡此山幽致。追寫此景,以當紀游。21 
高郵夜泊,望隔堤大湖月色微晦,以為地也。至詰旦,水也。竺典化城,無乃是耶。22 
子行至滕陽,嶧山在望。火靈煙沙,殆不復有濟勝具。是日宿縣中官舍,乃以意造,為嶧山不必類嶧山也,想當然耳。曾游嶧山者,知餘不欺人。23 
呂梁縣瀑三千仞,石骨出水上。憶予童子時,父老猶道之,今不復爾。東海揚塵,殆非妄語。24 
○評詩25 
大都詩以山川為境,山川亦以詩為境。名山遇賦客,何異士遇知己?一入品題,情貌都盡。後之游者,不待按諸圖經,詢諸樵牧,望而可舉其名矣。嗟嗟,澄江凈如練,齊魯青未了。寥落片言,遂關千古登臨之口,豈獨勿作常語哉?以其取境真也。友人錢象先荊南集,不盡象先才情之變。而餘嘗持節長沙,自洞庭而下,漢陽而上,與象先共之。故其取境之真,特有賞會云。抑餘不能游,然好詩。象先能詩,又好游,是安得象先為東西南北之人?窮夫所謂州有九岳有五者。而皆被以奇音雋響。餘得隱幾而讀之。以吾拙而收象先之巧,以吾目而用象先之足,不大愉快哉?26 
東坡云:「詩人有寫物之工。」桑之未落,其葉沃若。他木不可以當此。林逋梅花詩:「疏影橫斜水清淺,暗香浮動月黃昏」,決非桃李詩。皮日休白蓮詩:「無情有恨何人見,月冷風清欲墮時」,此必非紅蓮詩。裴璘詠白牡丹詩。」長安豪貴惜春殘,爭賞先開紫牡丹。別有玉杯承露冷,無人起就月中看。」27 
餘以丙申秋,奉使長沙。至東林寺,時白蓮盛開。土人云:此晉慧遠所種。自晉至今千餘年,惟存古甃與欄楯,而蓮無復種矣。忽放白毫光三日三夜。此花宰地而出,皆作千葉,不成蓮房。餘徘徊久之。」幸此花開,與餘行會。遠公有記云:「花若開,吾再來。」餘故有詩云「泉歸虎谿靜,雲度雁天輕。苔蘚封碑古,優雲應記生。」記此事也。28 
古人詩語之妙,有不可與冊子參者,惟當境方知之。長沙兩岸皆山,餘以牙檣游行其中。望之,地皆作金色。因憶水碧沙明之語。又自岳州順流而下,絕無高山。至九江,則匡廬兀突,出檣帆外。因憶孟襄陽所謂「掛席幾千里,名山都未逢。泊舟潯陽郭,始見香爐峰。」真人語,千載不可復值也。29 
宋人推黃山谷所得,深於子瞻,曰:「山谷真涅槃堂裏禪也。」30 
頃見岱志詩賦六本。讀之既盡,為區檢討用孺言曰:「總不如一句。」檢討請之,曰:「齊魯青未了。」31 
「燈影照無睡,心清聞妙香。」杜少陵宿招提絕調也。予書此於長安僧舍,自後無復敢題詩者。32 
「萬事不如杯在手,一年幾見月當頭。」文徵仲嘗寫此詩意。又樊川翁「南陵水面漫悠悠,風緊雲繁欲變秋。」趙千里亦圖之。此皆詩中畫,故足畫耳。33 
「風靜夜潮滿,城高寒月昏。」「秋色明海縣,寒煙生里閭。」「春盡草木變,雨餘池館青。」「楚國橙橘暗,吳門煙雨愁。」「郭外秋聲急,城邊月色殘。」「眾山遙對酒,孤嶼共題詩。」「氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。」「林花掃更落,徑草踏還生。」「掛席樵風便,開樽琴月孤。」「落日池上酌,清風松下來。」王江寧、孟襄陽,五言詩句。每一詠之,便習習生風。34 
餘見倪雲林自題畫云:十月江南未隕霜,青楓欲赤碧梧黃。停橈坐對寒山晚,新雁題詩小著行。35 
明月照積雪,大江流日夜。客心悲未央,澄江凈如練。玉繩低建章,池塘生春草。秋菊有佳色,俱千古寄語,不必有所附麗,文章妙境,即此瞭然。齊隋以還,神氣都盡矣。36 
李獻吉詩,如「詠月」有云「光添桂魄十分影,寒落江心幾尺潮。」不見集中,自是佳語。唐子畏詩,有曰:「杜曲梨花杯上雪,灞陵芳草夢中煙。」又曰:「秋榜才名標第一,春風脂粉醉千場。」皆學白香山。子畏之才,何須以解首矜詡。其亦唐人所謂今朝曠蕩春無涯,不免器小之誚。37 
唐人詩律,與書法頗似,皆以濃麗為主,而古法稍遠矣。餘每謂晉書無門,唐書無態,學唐乃能入晉。晉詩如其書,雖陶元亮之古淡,阮嗣宗之俊爽,在法書中未可當虞褚。以其無門也,因為唐人詩及之。38 
翰墨之事,良工苦心,未嘗敢以耗氣應也。其尤精者,或以醉,或以夢,或以病。游戲神通,無所不可。何必神怡氣王?造物乃完哉。世傳張旭號草聖,飲酒數斗,以頭濡墨,縱書墻壁上。淒風急雨,觀者歎愕。王子安為文,每磨墨數升,蒙被而臥,熟睡而起。詞不加點,若有鬼神。此皆得之筆墨蹊逕之外者。今觀察王先生,當人日,病不起。據枕作詩二十章,言言皆樂府鼓吹也,乃與彼二子鼎足立矣。39 
東坡讀金陵懷古詞於壁間,知為介甫所作,嘆曰:「老狐精能許,」以羈怨之士,終不能損價於論文。所謂文章天下至公。當其不合,父不能諛子。其論之定者,雖東坡無如荊公何,太白曰:「崔灝題詩在上頭。」東坡題廬山瀑布曰:「不與徐凝洗惡詩。」太白擱筆於崔灝,東坡操戈於徐凝。豈有恩怨哉?
董其昌《評文》
1 
東坡水月之喻,蓋自肇論得之,所謂不遷義也。文人冥搜內典,往往如鑿空,不知乃沙門輩家常飯耳。大藏教若演之有許大文字。東坡突過昌黎歐陽,以其多助。有此一奇也。2 
蘇子瞻表忠觀碑,惟敘蜀漢抗衡不服,而錢氏順命自��。此以賓形主法也。執管者即已遊於其中,自不明了耳。如能了之,則拍拍成令。雖文采不章,而機鋒自契。3 
文章隨題敷衍,開口即涸。須於言盡語竭之時,別行一路。太史公荊軻傳,方敘荊軻刺秦王,至秦王環柱而走,所謂言盡語竭。忽用三個字轉云「而秦法」自此三字以下,又生出多少煙波。4 
凡作文,原是虛架子。如棚中傀儡,抽牽由人,非一定死煞。真有一篇文字,有代當時作者之口,寫他意中事,乃謂注於不涸之源。且如莊子逍遙篇。鷽鳩笑大鵬,須代他說曰:「我決起而飛槍榆枋,時則不至,而控於地而已矣。奚以之九萬里而南為?」此非代乎?若不代,只說鷽鳩笑,亦足矣。又如太史公稱燕將得魯仲連書云:「欲歸燕,已有隙,恐誅;欲降齊,所殺虜,於齊甚眾。恐已降而后見辱,喟然嘆曰:與人辨,我寧自辨。」此非代乎?5 
文有翻意者,翻公案意也。老吏舞文,出入人罪。雖一成之案,能翻駁之。文章家得之,則光景日新。且如馬嵬驛詩,凡萬首,皆刺明皇寵貴妃。只詞有工拙耳。最後一人,乃云:尚是聖明天子事,景陽宮井又何人。便翻盡從來巢臼。曹孟德疑塚七十二。古人有詩云:直須發盡疑塚七十二。已自翻矣。後人又云:以操之奸,安知不慮及於是。七十二塚,必無真骨。此又翻也。6 
青鳥家,專重脫卸。所謂急脈緩受,緩脈急受。文章亦然。勢緩處,須急做,不令扯長冷淡。勢急處,須緩做,務令紆徐曲折,勿得埋頭,勿得直腳。7 
杜子美云:擒賊先擒王。凡文章,必有真種子,擒得真種子,則所謂口口咬著。又所謂點點滴滴雨,都落在學士眼裡。8 
文字最忌排行,貴在錯綜其勢。散能合之,合能散之。左氏晉語云:賈誼政事疏,太子之善,在於早諭教與選左右。早諭教,選左右,是兩事。他卻云心未濫而先諭教,則化易成也。此是早諭教。下云若其服習講貫,則左右而已。此是選左右,以二事離作兩段,全不排比。自六朝以後,皆畫段為文,少此氣味矣。9 
作文要得解悟。時文不在學,只在悟。平日須體認一番,才有妙悟,妙悟只在題目腔子里思之。思之思之不已,鬼神將通之。到此將通時,才喚做解悟。了得解時,只用信手拈神,動人心來。頭頭是道,自是文中有竅,理義原悅人心。我合著他,自是合著人心。文要得神氣,且試看死人活人,生花剪花,活雞木雞,若何形狀?若何神氣?識得真,勘得破,可與論文。如閱時義,閱時令,吾毛竦色動,便是他神氣逼人處。閱時似然似不然,欲丟欲不丟,欲讀又不喜讀,便是他神索處。故窗稿不如考卷之神,考卷之神薄,不如墨卷之神厚。魁之神露,不如元之神藏。試之,自有解人處。脫套去陳,乃文家之要訣。是以剖洗磨煉,至精光透露。豈率爾而為之哉?必非初學可到。且定一取舍,取人所未用之辭,舍人所已用之辭;取人所未談之理,捨人所已談之理;取人所未布之格,舍人所已布之格;取其新,舍其舊。不廢辭,卻不用陳辭;不越理,卻不用皮膚理;不異格,卻不用卑瑣格。格得此,思過半矣。10 
文家要養精神,人一身只靠這精神幹事。精神不旺,昏沉到老,只是這個。人須要養起精神,戒浩飲,浩飲傷神;戒貪色,貪色滅神;戒厚味,厚味昏神;戒飽食,飽食悶神;戒多動,多動亂神;戒多言,多言損神;戒多憂,多憂鬱神;戒多思,多思撓神;戒久睡,久睡倦神;戒久讀,久讀苦神。人若調養得精神完固,不怕文字無解悟,無神氣,自是矢口動人。此是舉業最上一乘。11 
多少伶俐漢,只被那卑瑣局曲情態,耽擱一生。若要做個出頭人,直須放開此心。令之至虛,若天空,若海闊;又令之極樂,若曾點游春,若茂叔觀蓬,洒洒落落。一切過去相、見在相、未來相,絕不里念,到大有入處,便是擔當宇宙的人,何論雕蟲末技?12 
甚矣,舍法之難也。兩壘相薄,兩雄相持,而俠徒劍客,獨以魚腸匕首,成功於枕席之上,則孫吳不足道矣。此捨法喻也。又喻之於禪,達磨西來,一門超出,而億劫脩持三千相;彈指了之,舌頭坐斷,文家三昧,寧越此哉。然不能盡法,而遽事舍法,則為不及法。何士抑能盡法者也,故其游戲跳躍,無不是法。意象有神,規模絕跡。今而後以此爭長海內,海內益尊士抑矣。13 
吾常謂成弘大家,與王唐諸公輩,假令今日而在,必不為當日之文。第其一種真血脈,如堪輿家所為正龍,有不隨時受變者。其奇取之於機,其正取之於理,其致取之於情,其實取之於事,其藻取之於辭。何謂辭?《文選》是也。何謂事?《左史》是也。何謂情?《詩》《騷》是也。何謂理?《論語》是也。何謂機?《易》是也。《易》闡造化之機,故半明半晦,以無方為神。《論語》著倫常之理,故明白正大,以《易》知為用。如《論語》曰:「無適無莫」,何等本易。《易》則曰:「見群龍無首,下語險絕矣。」此則王唐諸公之材料窟宅也。如能熟讀妙悟,自然出言吐氣,有典有則,而豪少佻舉浮俗之習,淘洗殆盡矣。14 
夫士子以干祿故,不能迂其途,以就先民矩矱是或一說矣。不曰去其太甚乎?小講入題,欲離欲合,一口說盡,難復更端,不可稍加虛融乎。股法所貴,矯健不測。今一股之中,更加復句,轉接之痕盡露。森秀之勢何來?不可稍加裁剪乎?古文只宜暗用,乃得一成語。不問文勢夷險,必委曲納之。或泛而無當,或奇而無偶,不可稍割愛乎。每題目必有提綱,即欲運思於題中。又欲回盼於題外,若復快意直前,為題所縛。圓動之處,了不關心,縱才藻燦然,終成下格,不可另著眼乎?諸如此類,更僕莫數。一隅反之,思過半矣。
徐仙真錄序编辑
天生英才,用之於當時,則能忠君保民,榮膺顯爵。歿則廟祀一方,而其陰功靈貺,猶能闡揚于後世者,實非偶然。蓋天將有意於斯世斯民,而使其至於是也。不然何獨異於人哉。若徐二仙者,槩可見矣。神,海州胸山人也。出偃王之後。其父溫,五代時為吳名將,能建軍功,累遷官至拜相,卒贈齊王,謐忠武。五子皆受王封,曰知證,曰知誇者,即二仙也。天福中,唐主受禪,封知證為江王,知誇為饒王,同鎮金陵。威德兼濟,民庶ㄨ安。率兵入閩,蠻寇迎降,境土寧靜。閩人歸戴;遂立生祠於鰲峰之北,設像以敬事焉。神念其誠,一日,語閩人曰:我明年別汝輩、當默佑玆土。果符前言,於是閩人敬事益虔。而凡旱潦虫蝗之灾,水火寇盜之危,疾病婚葬之請,隨禱隨應,若響若荅。至若摛詞揮翰,雲漢昭回,耀人耳目。自宋以來,累受封號。逮至我朝永樂之間,以神有翊衛聖躬弗豫之功,聿新祠廟,御製碑���,褒封有加,以昭神貺。由此而觀,則神生為忠臣,歿為明神,其功德有益於國家生民者。如此,豈非天有意於斯世斯民,而使其至於是歟。其祠官方文照,蓋凡神之世系、行實、靈跡、華翰,與夫前代我朝褒封碑刻,恐歲久湮沒失傳,彙成一編,名曰真錄。閩藩總戎盂城孫公,忠義士也,竊嘗觀之,而有感焉,乃捐俸,命工繡梓,以博其傳,命予序引。予謂神聰明正直,其顯跡著于今昔者,皆不出於隱僻怪,誕而至於惑世誣民之患,莫非忠君孝親,仁民愛物之事,蓋士君子之所當為也。其近而耳聞目見者,固-不待是編而知,使遐方僻壤未及見聞者,幸獲一覽,其於為臣為子之道,脩身慎行之方,亦足為一助云耳。是為序。
正統八年,歲在癸亥秋七月吉日,福建閩縣儒學訓導王用盛序。
補閑集
作者:崔滋
補閑集序編輯
文者蹈道之門,不涉不經之語。然欲鼓氣肆言,竦動時聽,或涉於險怪。況詩之作,本乎比興諷喩,故必寓託奇詭,然後其氣壯,其意深,其辭顯,足以感悟人心,發揚微旨,終歸於正。若剽竊刻畵誇耀靑紅,儒者固不爲也。雖詩家有琢鍊四格,所取者,琢句鍊意而已。今之後進,尙聲律章句,琢字必欲新,故其語生,鍊對必以類,故其意拙。雄傑老成之風,由是喪矣。我本朝以人文化成,賢儁間出,贊揚風化。光宗顯德五年,始闢春闈,擧賢良文學之士,玄鶴來儀。時則王融、趙翼、徐熙、金策,才之雄者也。越景顯數代間,李夢游、柳邦憲以文顯,鄭倍傑、高凝以詞賦進,崔文憲公沖命世興儒,吾道大行。至於文廟時,聲名文物,粲然大備。當時冢宰崔惟善,以王佐之才,著述精妙。平章事李精恭、崔奭,參政文正、李靈幹、鄭惟産,學士金行瓊、盧坦,濟濟比肩,文王以寧。厥後朴寅亮、崔思齊、思諒、李䫨、金亮鑑、魏繼廷、林元通、黃瑩、鄭文、金緣、金商祐、金富軾、權適、高唐愈、金富轍、富佾、洪瓘、印份、崔允儀、劉羲、鄭知常、蔡寶文、朴浩、朴椿齡、林宗庇、芮樂仝、崔諴、金精、文淑公父子、吳先生兄弟、李學士仁老、兪文安公升旦、金貞肅公仁鏡、李文順公奎報、李承制公老、金翰林克己、金諫議君綏、李史館允甫、陳補闕澕、劉沖基、李百順、兩司成咸淳、林椿、尹於一、孫得之、安淳之,金石間作,星月交輝。漢文唐詩,於斯爲盛。然而古今諸名賢,編成文集者,唯止數十家,自餘名章秀句,皆湮沒無聞。李學士仁老略集成篇,命曰破閑,晉陽公以其書未廣,命予續補。強拾廢忘之餘,得近體若干聯,或至於浮屠兒女輩,有一二事可以資於談笑者,其詩雖不嘉,幷錄之。共一部分爲三卷,而未暇雕板,今侍中上柱國崔公,追述先志,訪採其書,謹繕寫而進。
時甲寅四月日。守太尉崔滋序。
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旅行記書ききらないまま気づいたら11月の終わりになってて怖い。あっという間に時間すぎるよ…毎月前半から中旬までなんか忙しかったり体調悪かったりするのなんなん。
もう旅行から2ヶ月経つという恐ろしい現実を受け入れて駆け足で旅行ダイジェストを。
三日目、クヌルプを朝10時前にチェックアウト。白馬駅まで送ってもらい、そこから鈍行に鈍行を重ねて富山まで移動。一両編成初めて乗ってその狭さに感動した。ずーっと山の中走ってたんだけど、抜けたら海が見えてきて景色良かった!
そんなこんなで富山駅に着いたら通ってきた山と海が嘘のように都会で。正直こんな栄えてると思ってなかったので賑やかさに圧倒されました。
ホテルは駅併設の富山地鉄ホテル。結構年季入ってそうだったけど、お部屋はボロ感そんなに無くて割と綺麗でした。荷物を置いたらまずは富山城にGO。松本城から城好きになりかけてたけど、富山城はあまり風情がなくてガッカリ…すぐさま駅に引き返して、気を取り直しお土産見に行きつつ回転寿司へGO。クヌルプのマスターおすすめの玉寿司行ってきました。見たことのないネタにテンション上がり、味噌汁無料でまたテンションあがり、来たお寿司のネタの大盛りっぷりに喜んで…食べてみたいネタがしな切れてるのもあったけどそれでも大満足でした!
食べ終わって時間は17時くらい。他にも観光行けるかなーと思って調べてたら突然の雷雨に心が折れ、そこからはホテルでゴロゴロして過ごしました。夜はお友達と通話して早めの就寝。最終日はのんびり空港で時間潰して帰宅しました。
旅行、それも行ったことないところ行くのは新鮮で楽しかったです。何より子供の頃から行きたいと思ってたところに行けたという満足感はひとしお。次は来月母と行く函館を楽しみにまた生きたいと思います。旅行記、完!
とゆーわけで旅行話は終わり11月のトピックス。といっても相変わらずゲームしてただけ。新しく買ったスタオー2リメイクはエナジーネーデついて止まってしまっている。あとはx友達誘ってオーバークックオンラインプレイをワチャワチャやったり。ネット切れたりで快適ではないものの、ワーワー言いながらやるのは楽しい。
あと、思い切ってiPhone15買っちゃいました。こっから長い分割払いのスタートだぜぇ…(泣)
来月はスプラ新シーズンとビッグラン、そんで旅行と予定があるし、三連休2回あるから休み遊びまくろうっと!
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函館、神戸と日本三大夜景リーチなので長崎に行きたいのだが、なんせ東京からだと遠過ぎて…韓国釜山に船で行くときに寄ればいいかなって
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