#冒険ルビ
Explore tagged Tumblr posts
Photo
読み方と私 ・ 戸籍の氏名に読み仮名をふる法案の話題がニュースになっていましたね。いわゆるキラキラネームと言われる漢字とは異なる読み方の名前が消えそうですね。 ・ その昔、北斗の拳という漫画を読んでいたら「強敵」と書いてあるルビには「とも」と書かれておりジョジョの奇妙な冒険で「波紋疾走」は「オーバードライブ」でした。 ・ 「騎士」と書いて「ナイト」と呼ばせるのは英語との関係で認められる可能性がありますが「太郎」で「マイケル」と言うのは漢字との関係がないので認められなさそうです。 ・ と言う訳で本日のディナーは寿樹と書いて「じゅじゅ」では無く「ことぶき」と読ませる #やきとり寿樹 です。 ・ まずは生ビールで乾杯です。店内大混雑で一気に頼みましたが10分ほどしてようやく #きゅうり一本漬け がやって来ました。 ・ 程よい塩味と糠漬けの旨みが感じられてビールが進みます。さらに20分ほどして #やきとり がやって来ました。一本100円台とは思えないほどジューシーでうまい。 ・ 何気に椎茸のような脇役がいい味出していますね。飲み物中心でしたが、ちょっとつまんで2人で5000円台なのは激安ですね。 ・ 自分的には寿樹と書いて「激安」と読ませたいところですが、多くの人からはわかってもらえなさそうですね。 ・ ジオタグが出ないので住所を記すと東京都台東区寿4-3-3です。 ・ #田原町ディナー #田原町居酒屋 #田原町やきとり #田原町焼き鳥 #田原町焼鳥 #浅草ディナー #浅草居酒屋 #浅草やきとり #浅草焼き鳥 #浅草焼鳥 #とa2cg (Kotobuki) https://www.instagram.com/p/CoigC_VSfbJ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
Text
『高く孤独な道を行け』ドン・ウィンズロウ
浮浪児あがりの青年が、育ての親が見つけてくる簡単な仕事を��きうけては、いつのまにか大事件に巻き込まれる、というお馴染みのシリーズ第三作。第一作はイギリス、第二作は中国と世界を股にかけてきたが、今回はアメリカに戻る。だが、地元ニューヨークではなく、ネバダ州が舞台。英文学を専攻する活字中毒で、孤独を好む街っ子のニールにカウボーイがつとまるのだろうか、と心配になるが、冒頭で中国拳法を修行中とあり、刮目した。
ニール・ケアリーは子どもの頃、ジョー・グレアムから財布を掏ろうとしたところを、つかまったのがきっかけで素質を見込まれ、探偵術を叩きこまれた。ジョーはニールの「父さん」になった。そして、自分の勤める「朋友会」に引きいれた。朋友会というのは銀行家のイーサン・キタリッジが、本業とは別に特別な顧客の抱えている難問を処理するために設けている部門である。その後ろ盾があって、資金面の不自由はない。
ニールは三年間、中国は峨眉山の僧房に籠っていた。その前はヨークシャーでやはり隠棲中のところをジョーがニールを引っ張り出しにやってきた。ニールとしては引き籠って、トバイアス・スモレット研究に勤しむことに不満はないのだ。ジョーはちがう。仕事をしないでいて勘が鈍るのを恐れている。実はニールには余人をもって代えがたい能力がある。朋友会ニューヨーク支部長のレヴァインは、ニールには「自分がない」という。それは別人に成りすます潜入捜査にうってつけなのだ。
ニールは父の顔を知らない。麻薬中毒者の母親は面倒を見てくれなかった。たった独りでニューヨークのストリートで生き抜いてきたのだ。食っていくのが精一杯で自己形成どころではない。人とのつきあいもなければ友人もいない。食うに困らなければ本を読んでいたい。だからジョーは仕事にかこつけてニールを世間に出そうとする。はじめは簡単な仕事のつもりだった。危険だと思ったら直ぐ手を引ける。問題はニールにある。人を好きになると、そのまま放っておけなくなるのだ。他人との間に適当な距離を保てないのは、その生い立ちに寄るのだろうか。
今回は、二歳の赤ん坊を連れ去った元夫を見つけ、我が子を取り戻してほしいという母親からの依頼だ。簡単な仕事に見えるが、相手が悪かった。ハーレーは悪人ではなかったが、夫婦関係のもつれから身を持ち崩し、真正キリスト教徒同定教会というカルト集団の信徒になっていた。そこは教会とは名ばかりで、KKKやネオナチと連携する白人至上主義者の集まりで、FBIの情報によれば、似た者同士が集まって地下テロ組織を創り上げようとしている最中らしい。そこに逃げ込まれる前に捕まえようという計画だったが、一足遅かった。
三年の休暇のせいで勘が鈍ったのか、隙を突かれたニールは車と金を奪われる。偶然通りかかった男に助けられ、車に乗せてもらう。男はスティーヴ・ミルズといってオースティンの牧場主だった。車はそこに向かうところだという。運のいいこともあるものだ。最後につかんだ情報では、ハーレーがいるのもオースティンだった。ニールはミルズの牧場で働きながら、ハーレーの行方を捜し始める。
原題は<Way Down on the High Lonely>。<High Lonely>は地名で「孤独な高み」とルビが振られている。ミルズ牧場のある草原を囲む三千メートル級の山々の一峰だ。そこからは牧場のある渓谷が見渡せる。ニールは小さな小屋を借りて一人暮らしを始める。コヨーテがうろつく、この地は冬になれば深い雪に埋もれるという。ニールはここが気に入り、仕事が終わったら小屋を買って暮らそうかと考えている。おまけにカレンという女性ともつきあい始めるから成長著しい。
ニールは隣のハンセン牧場がテロ組織のアジトであることを突き止める。舌先三寸で組織に潜り込み、昼はミルズ牧場で働きながら、夜は戦闘訓練に明け暮れる。少しずつ信用を得ていくものの、なかなか最後の壁を崩せない。そんな中、現金輸送車を襲う計画の責任者を命じられる。朋友会と連絡を取り、まんまと襲撃を成功させたことで信用を得たニールは幹部に昇格することになる。最終テストが輸送車の護衛に化けたジョーの処刑だった。ジョーは撃て、と合図するが、ニールには撃てない。二人は囚われ、レヴァインの救出作戦を待つ。
ウェスタン調のストーリーは単純だ。流れ物がやってきて小さな牧場に雇われる。隣には大きな牧場があり、二つの牧場の対立が決闘という形で終焉を迎える。問題はユダヤ系のミルズの牧場で働くニールが、裏で反ユダヤ主義者と通じていた点である。無論、ハーレーと赤ん坊の居所を探るための偽装である。しかし、争いが表面化しては、いつまでも曖昧な態度を取ることは許されない。ミルズの小屋を出て、ハンセン牧場に移るニールは、地獄に堕ちろ、と罵られる。
それ���り問題なのは、シリーズの主人��であるニールがすっかり変貌を遂げることだ。反ユダヤ主義者の群れに紛れ、戦闘訓練を受け、信用を得るためとはいえ強盗にまで手を染め、どっぷりと悪の世界に浸かってしまう。繊細で傷つきやすい心を憎まれ口で隠してきた好青年のイメージがごろっと変わってしまう変貌ぶりに驚く。まあ、そうはいっても、もともと人様の懐中をねらう悪ガキだったわけだから、素質はあったわけだ。今までそちらの世界に行ってしまわなかったのはジョーが目を配ってきたからだ。
ニールはこれまで、孤独な闘いを強いられて来たが、その後ろにはいつもジョーがぴったり貼りついていた。いわば父の掌中にいたのだ。ところが、今回ともに仕事をすることで、二人は対等になり、子は父の掌から出てしまった。そして、ジョーが危惧していたことが起きる。ニールは、父の想いを知りながらも、ついに一線を超える。自分がどうしても許すことができない人間を撃ち殺してしまうのだ。
ミルズの妻のペギーが以前警告したことがある。「ひげを剃らなくなったら、山のならず者。だから、ひげを剃りなさい」と。ニールはその言葉に従ってひげをきちんと剃っていた。ところが、末尾にちらっと顔を見せるニールは長い髪にひげを伸ばしている。つまり、ニールは「ならず者」であることを選んだのだ。しかも、今までは仕事が終わるたびに心の傷をいやすため、長い隠棲に入っていたニールが、酒場に顔を出している。カレンとの食事までの時間つぶしだというから恐れ入る。どうやら、このシリーズはピカレスク方面に舵を切ったようだ。
0 notes
Text
Jungle Emperor (Third Grader).
Alternative: Jungle Emperor Leo (Third Grader Elementary) ; Leo the Lion Cub ; ジャングル大帝(小学三年生版)
Description : As a manga tie-in for the then ongoing anime in 1966, this spin-off was serialized for a younger audience. As a little lion cub in the jungle, Leo must find a way to stop an aggressive red rhinoceros from hurting his jungle friends. Watch a boxing match between Leo and a rogue lion, Bubu. Help Leo save a brave hero as he gets revenge on Lubar, an elderly leopard. Finally, learn about Laiya's brother and how a hydra-snake was able to devour their entire family. These chapters of the Shogakukan Sunday Comics were re-released in 1994 with the Complete Manga Works edition of Bouken Ruby (冒険ルビ). #MangaFeeds.com, #ReadFreeMangaOnline MangaFeeds.Com: Read manga online the latest manga comic book, updated daily: https://mangafeeds.com/post/jungle-emperor-third-grader_1588394928
Read more.
1 note
·
View note
Text
Jungle Emperor (Third Grader).
Alternative: Jungle Emperor Leo (Third Grader Elementary) ; Leo the Lion Cub ; ジャングル大帝(小学三年生版)
Description : As a manga tie-in for the then ongoing anime in 1966, this spin-off was serialized for a younger audience. As a little lion cub in the jungle, Leo must find a way to stop an aggressive red rhinoceros from hurting his jungle friends. Watch a boxing match between Leo and a rogue lion, Bubu. Help Leo save a brave hero as he gets revenge on Lubar, an elderly leopard. Finally, learn about Laiya's brother and how a hydra-snake was able to devour their entire family. These chapters of the Shogakukan Sunday Comics were re-released in 1994 with the Complete Manga Works edition of Bouken Ruby (冒険ルビ). #MangaReddit.com, #ReadFreeMangaOnline Read Free Manga Online at MangaReddit.com: https://mangareddit.com/p/jungle-emperor-third-grader_1588397871.html
Read more.
0 notes
Text
読んでるよ。
今『銀河鉄道の夜』のリンゴのシーンが過ぎて、赤い帽子の信号手が渡り鳥に信号を出してるとこ。
本屋さんで探したら、児童書のコーナーにあったから、ちょっとびっくりした。
でも今読んでみて、納得。
私も何年か前に『銀河鉄道の夜』を本屋さんで探したことがあるんだけど、こんなに行間が空いてて、字も大きくて読みやすい本はなかったよ。私が持ってる本も行間が詰め詰めでルビもふってない。大人向けの本て感じ。
ほんで、宮沢賢治の文章て、昔の人の文体だし、東北の方言もあるしで読みにくいよね😅そこが良いとこでもあるんだけど、子ども目線で考えるとね。
ウチの職場の小学生の書庫にも宮沢賢治の本が何冊かあるんだけど、風の又三郎なんか、原作に注釈まみれな感じのもので、子どもたちの会話とか、その���釈を読まないと何を言ってるのかサッパリわからないという😅
これじゃ子どもは読む気なくすよね。
案の定、私以外誰も読まないという😅
この本、こんな優しい本は初めてだなぁ😊✨
挿し絵も綺麗で可愛い😍
昔の文体が邪魔してボンヤリとしか掴めてなかった場面場面の描写が、ちょっとクリアになった感じ。この本なら、小さな読者も宮沢賢治のキラキラした幻想世界を楽しめそうだね😉
私も自分が小学生の頃、喘息がひどくてさ、ちょっと走ったらゼーゼーなってしんどいから、休み時間はずっと図書室で本読んでたんだよね。冒険モノとか探偵モノとか色々読んだけど、あの頃の愛読書は今でも大事だもんね。心の芯みたいなとこにずっとあるっていうか。
この本は宝物にしよう☆
もう一冊買って小学生の書庫に置こうかなぁ😊
おやすみなさい😘
0 notes
Text
『仏陀の鏡への道』ドン・ウィンズロウ 東江一紀 訳
この痛快さはどこから来るのだろう。国家のイデオロギーや指導者の大局観などとは一切無縁。一人の青年の美しい女性に寄せるひたむきな愛が、成就されることもなく、そうとしか有り得なかった結果を引き出す爽快ともいえる空しさにあるのかもしれない。生粋のストリート・キッズが、大自然の要害に徒手空拳、よれよれのからだで挑む、向こう見ず極まりない冒険の成り行きが、なまじい世間を知った年寄りにはただ切なく眩しいのだ。
はじめてドン・ウィンズロウを読んだのは『フランキー・マシーンの冬』だった。作品や作家が好きになるのに理屈はいらない。肌合いというか肌理というか、何かがぴたりとはまったのだ。その次に読んだのが『ボビーZの気怠く優雅な人生』。これも気に入った。それから『犬の力』にはじまるメキシコ麻薬戦争の内幕を綴った実録小説風のシリーズを通して読んだ。
ただ、生来ひよわなたちで、いくらよく書けていても、あまりに暴力的な小説は苦手。ミステリは楽しい思いで読みたい、というのが勝手な本音。そんなとき、新作の『壊れた世界の者たちよ』に出会った。中篇集ということもあってか、出会った頃のウィンズロウの持ち味を思い出した。軽く洒落のめしたテイストだ。所収の一篇に、念願の英文学の教授になったニール・ケアリーが顔を出していた。はじめまして、ニール。
シリーズ物を読む時の常で、第一話の『ストリート・キッズ』から読みはじめた。頼れる親のいない少年が、親代わりになるジョー・グレアムに出会い、探偵術を教わり、やがて「朋友会」という組織の一員となり、人探しの下請け仕事を命じられる話は、まるでディケンズの『オリヴァー・ツイスト』。しかし、本作を読むと、『ストリート・キッズ』は序曲に過ぎなかったという気になる。それほどまでにスケール感がアップしている。
何しろ舞台は、雨のヨークシャーに始まり、花のサンフランシスコ、それから香港は九龍寨城(ウォールド・シティ)の魔窟、そして四川省の成都、最後は峨眉山の頂上へと至るのだ。仕事は姑娘に懸想して任地から失踪した米人の肥料研究者の目を覚まし、会社に戻るよう説得するだけのはずだった。ところが、ミイラ取りがミイラになり、李藍(リ・ラン)という中国人女性に一目惚れしてしまった���が運のつき。彼女を魔の手から救い出そうと単身、香港に飛んだのがまちがいのはじまりだった。
朋友会に仕事を依頼したのはCIAで、表立って動けない組織の猟犬となって、相手を駆り立てるのがニールの務めだった。ところが、何が何やら分からないままに命までねらわれた青年は、危険なことには近づかないというジョーの言いつけを忘れ、いくつもの思惑がからまり合った陰謀の網の中に飛び込んでしまったから、もういけない。九龍城の迷路の中に封じ込められ、自由を奪われ、阿片浸けにされては、グレアムたちにも手の施し様がなくなる。
ヒッピー文化も下り坂のサンフランシスコでの追いかけっこが第一部。香港の彌敦道(ネイザンロード)、ヴィクトリア・ピークといった観光名所でCIAのシムズや三合会や十四Kといった台湾、香港の組員たちとの命のやりとりを経て、九龍寨城に置き去りにされるまでが第二部。阿片浸けで正体を失った本人の知らぬ間に、舞台は第三部、中国の中西部、料理で有名な四川省に移る。李蘭の手で魔窟から救い出されたニールは中毒から回復するため療養生活を送っている。
巻き込まれ型ヒーローというのがある。自分はその気がないのに、いつの間にか事件の渦中にいるタイプの主人公を指すが、ニール・ケアリーがまさにそれだ。二十四歳という若さでは、いくら人間観察に長けていても、自分自身を統御できない。窮地に陥ったとき、ニールは、ジョー・グレアムの名を呼ぶ。するとどこからか救いの手が差し伸べられるのだが、今度ばかりは場所が悪い。いくら方々に顔がきいても、中国にはおいそれと手出しができない。
毛沢東による「大躍進」が、官僚の欺瞞を産み、人民は飢えた。中国の米びつと言われる四川省でも事は同じ。鄧小平の意を汲む省共産党書記、暁昔陽(シャオ・シーヤン)は、毛路線とは一線を画し、農地の私有化を進め、生産量を上げようと、娘の李蘭を使って化学肥料の研究者ロバートを秘かにアメリカから四川省に迎えようとしていた。中央に知れたら反革命の汚名を着せられ、処分を覚悟の行為だ。準備が整うまで、二人が香港に身を隠していたところにニールが現れ、CIAやら三合会、それに朋友会まで騒ぎ出し、計画が危うくなる。
自分の近くにいる党中央のスパイの目をそらし、計画を成就しようとする暁昔陽、それを阻止しようとする省共産党書記補佐、彭(ポン)、中国の二重スパイであることを隠すためニールや李蘭、ロバートを消したいCIAのシムズ、三者三様の���いが峨眉山という景勝地を舞台に闘いを繰り広げる。ニールとしては、ロバートの真意を確かめ、本人が望むなら自由にさせたい。ただし、そのロバートが隠れているのが標高三千メートル級の聖地峨眉山となると、高所恐怖症のニールにとっては苦行でしかない。
どこで、仕入れたのか知らないが、中国人民の苦難の歴史に対する理解、楽山大仏はじめ、中国の名所旧跡、そして何より、四川省という土地に広がる田畑、人々の様子など、見てきたように描き出すのがまるで映画。余談ながら、ニールの通訳を務める紹伍(ショー・ウー)との罵倒語のやりとりが楽しい。「決まり金玉(ファック・イエス)」は、ルビ振りで分かるが、あとの「くされちんこ」や「いかれぽこちん」の原文は何だったのか? 東江一紀の名訳が快調だ。
本好きは、ニールが大の活字中毒で、どこに行っても本屋とあれば中をのぞかなくては気が済まず、成都の本屋で自分の研究対象であるトバイアス・スモレット作『ロデリック・ランダム』と紹伍の愛する『ハックルベリー・フィンの冒険』を手に入れるところでニンマリ。その『ハックルベリー・フィンの冒険』が、最後に重要な役割を果たすところなど、ビブリオ・ミステリ・ファンには涙なくして読めない。そう、全篇これ軽いノリで語られるこの小説。時々鼻の奥がツーンとさせられる。世界はクソみたいなものだが、それを変えるのは、真っすぐな若者の行動でしかない。いつまでも読み継がれたい青春純情探偵小説である。
0 notes
Text
『戦下の淡き光』マイケル・オンダーチェ
大空襲の傷痕が残る第二次世界大戦直後のロンドンを舞台に、秘密を背負った人々の、誰にも知られず、勝利しても栄誉を与えられない非情な闘いを描く。二部構成で、第一部は十四歳の少年の視点で終戦直後の無秩序で無軌道な裏世界での活躍を描いている。第二部は二十八歳になった同じ人物の視点で、回想形式で時代を遡り、主人公の母の幼い時から今に至る暮らしとその人となりを想像をまじえて描いている。
「一九四五年、うちの両親は、犯罪者かもしれない男ふたりの手に僕らをゆだねて姿を消した」というのが書き出しだ。十六歳の姉と十四歳の弟を置いて、両親が仕事で海外に出かけてしまう。ところが、出発したはずの母のトランクが地下室で見つかる。母は本当はどこに行ったのか。二人の後見役を務めるのは「蛾」というあだ名を持つ間借り人のウォルター。もう一人が、川の北側で最高のウェルター級選手だったこともある「ピムリコの矢魚(ダーター)」という、どう見ても堅気には見えない胡散臭い人物。
それ以外にも得体のしれない人物が、��のいない家に夜半に集まっては話し込む。養蜂家や民族誌学者が一体この家に何の用があってやってくるのか訳がわからない。「僕」は彼らが犯罪者かもしれないと考える。だが、そのうちに「僕」は学校もそっちのけで「蛾」の仕事場であるピカデリー・サーカスの<クライテリオン・バンケット・ホール>で、洗濯係やエレベーター・ボーイ、そして皿洗いとして働きはじめる。両親の留守をいいことに、早くも大人の階段を上りはじめるわけだ。
挙句は、ダーターの仕事を手伝うまでになる。夜中にムール貝漁船を運転して運河や川筋をたどり、ドッグ・レースに使うグレイ・ハウンドや、中身の分からない荷物を密かに運ぶ仕事だ。監視船が来るとシートの下に犬を隠して静かにさせるのだから立派に犯罪の片棒を担いでいる。犬の血統書の偽造にまで手を貸すようになれば一人前のワルだ。バイト先で知り合ったアグネスとは、何度となく空き家で愛し合うようになる。
しかし、そんな生活は「蛾」の死とともに終止符を打つ。ある夜、姉弟が何者かに襲われ、二人を守ろうとして殺されたのだ。姉弟は家の客の一人に助けられる。我が子を危険な目にあわせたことで母は仲間と縁を切り、サフォーク州にある我が家へ引きこもる。親代わりを務めてくれた「蛾」を死なせた母を赦せない姉は一人で寄宿学校に入り、「僕」は母と二人きりで暮らし始める。ガーターともアグネスともそれっきりになる。
第二部、二十八歳の「僕」は、戦争中の資料を精査する文書係として情報部に勤務している。自らの意志ではない。外務省で働かないか、と声をかけられたのだ。そこで情報部に残された母に関するわずかな資料を調べ、母がなぜ我が子を残して家を出たのか、という謎を解こうとする。この時すでに母は亡くなっている。わずかな遺品の中にあった写真の人物は、葬儀の日「僕」に「お母さんは大した女性だった」と声をかけた人だ。一体誰なのか。
男の名はマーシュ・フェロン。屋根ふき職人の家の末っ子で、十六歳のとき祖父の家の屋根から落ちて骨を折る。動かすことができず祖父の家でしばらく暮らす間、八歳の母に出会う。やがて生来のナチュラリストであった少年は海軍提督だった祖父の支援を受け、カレッジに進むようになる。トリニティの煉瓦壁を登山に見立て、夜ごと登るうちに、一人の女性に発見され、ドイツ軍の侵攻を見張る要員にスカウトされる。
イギリス情報部に入るのは試験より縁故、本人をよく知る者の推薦であることが多い。家系や血筋、オックスブリッジ出��者であることはその資格の一つ。つまり糸は常に張られていて誰がひっかかるか目を光らせているわけだ。そして、候補者を見つけたらあとは教育する。その過程で合格、不合格がおのずと明らかになる。例えば、目的のためなら手段は選ばないとか、非情に徹することができるか、とかスパイに必要な資質が吟味される。
小さい頃、母はフェロンから色々なことを教えられて育った。その中には銃の扱いまであった。母はいい生徒だった。フェロンは結婚し娘を生んで��たローズに、子どもを守るために何をしなければならないかを教える。やがて母は無線の傍受の能力を買われ、敵の無線を聴き取り、味方に送信する仕事に就く。それを皮切りにフェロンとともに、ヨーロッパ各地に飛んで、暗号名ヴァイオラとして活躍するようになる。
フェロンは言う。「僕らのような仕事をしていると、政治的暴力から生き残った者が復讐の責任を担い、ときにはそれが次の世代に受け継がれているケースに出くわすことが少なくない」と。「僕」が襲われることになったのがまさにそれだ。戦争は終わったといえ、小規模な戦闘は各地に残っていた。母が送り込まれたのもそんな国のひとつだった。パルチザンを支援した行動が多くの民の命を奪うことになった。英国の英雄ヴァイオラはその地では悪魔の使者だったのだ。
もう一つ。「心得ておくべきなのは、戦闘地帯への入り方だけでなく、どうやってそこから抜け出すかだ。戦争は終わることがない。決して過去に留まらない。『セビリアで傷を負い、コルドバで死す』(ガルシア・ロルカの詩の一節)、それが大事な教訓なんだ」。戦争はどこまでも追いかけてくる。サフォーク州に引っ込んでからも、母は常に警戒を緩めることはなかった。その日がくるまでは。
一枚の紙にも表と裏がある。ひっくり返してみなければ裏に何が隠されているか、分かりはしない。第一部のあの奇妙な連中が誰で、何のためにあの家に集まってきていたのかが第二部を読むにつれて見えてくる仕掛けだ。彼らは親代わりとなって二人を守り、育てていたわけだ。しかし、それだけではない。あの自由を満喫し、いっぱしのワルを気取っていた少年を、沈鬱で孤独な世界に閉じこもる大人に変えている。あの「蛾」や、ダーターと過ごした日々は「僕」にとっての教育期間だったのだ。
紙の表面に書かれたことだけを読んで生きる者は幸せだ。しかし、裏面を読んでしまった者はそうはいかない。人から距離を置くことを覚える。下手にその中に入り込んでしまうと、きっと誰かを傷つけずにはいられないからだ。子どもたちを守るために母のやったことは、向こうの母から子を奪ってしまう罪深い所業でもあった。物事は表面だけで終わらない。裏の面を見た「僕」には、物事をそのまま受け取ることはできそう��ない。
犯罪に手を染めていた���ーターが青いモーリスを走らせていた道筋は戦時中、工場で作られたニトログリセリンを危険を冒して運ぶ道筋であったことを今の僕は知っている。記録に残されることはないが、彼らは知られざる英雄だったのだ。それに引き換え、故国の英雄とたたえられるヴァイオラは、その活動のせいで多くの無辜の人民を死に追いやっている。一つの戦争に関してもまったく別の一面が見えてくる。この二重の視点がうまく生かされ、小説世界は重層性を増す。
ひとつ気になったのが「ダーター」のことだ。<darter>というのは「突進するもの、ヒト」のこと。魚なら「矢魚」、鳥なら「ヘビウ」のことだ。「ダーター」だけでは何のことやら分からないから「矢魚(ダーター)」とルビを振ったのだろう。「ピムリコのダーター」がボクサーのあだ名なら、長身の「ダーター」は、長い首を水中に突っこんで魚をとらえるのが得意の「ヘビウ(蛇鵜)」の方がぴったりなのではないだろうか。
小説の最後で「僕」は探し当てたダーターと再会する。しかし、その再会は苦いものとなる。かつてあれほど「僕」の目に輝いて見えたダーターは、今や完全に別人になっていた。妻子持ちとなったダーターの変貌ぶりに気落ちした「僕」が、最後に目にしたものがそれまでの安定した世界をひっくり返しそうになる。どんでん返しが待っていた。『イギリス人の患者』のマイケル・オンダーチェの最新作。目に浮かぶ光景がすべて映画のように思えてくる。いつか映画化されないものだろうか。
0 notes
Text
《書評》『風の丘』カルミネ・アバーテ
「丘は、海の手前で逆さにひっくり返された舟を連想させる湾曲した細長い形をしていて、スッラ(マメ科の多年草。フレンチハニーサックル)の緋色で一面彩られていた。そのまわりを、果樹、乳香樹の茂み、月桂樹、金雀枝(えにしだ)、ローズマリー、庭常(にわとこ)、ぶどう畑、オリーブの巨木、ところどころに群生するフィーキ・ディンディア(ヒラウチワサボテン)などがぐるりととり囲み、陰になった斜面は常盤樫(ときわがし)の森に覆われ、たわんだ半円の冠のようだった。」
ローマ神話ではゲニウス・ロキ(地霊)と呼ばれるが、ある種の土地には時に人を縛りつけて放さない力のようなものがある。『風の丘』は、緋色のスッラで埋め尽くされ、風の止むことのないロッサルコと呼ばれる丘を四代にわたり守り続けてきたアルクーリ家の物語だ。
自らを「僕」と呼ぶ、アルクーリ家の最も若い跡継ぎが語りはじめるのは、祖父アルトゥーロが子どもの頃、ロッサルコの丘で出会った忘れられない出来事。兄と弟と三人で水浴びをしていると丘の上の桜林で銃声が響く。兄弟が丘の上に出ようとしたところで野良仕事を終えた母と出会う。不審がる子どもたちをなだめ、帰り支度を急がせる母を振り切って一人丘に駆け上がったアルトゥーロは見てしまう。二人の男が血に染まって死んでいるところを。
「僕」がこの話を知っているのは、父に聞いたからだ。アルクーリ家の跡を継ぐ者は、次代に伝える時が来るまで固く秘密を守りつづけねばならない。そして、自分が死ぬ前に、一家の物語を語り伝えてゆくことを約束させた上で、秘められた物語を語って聞かせる。父もまた祖父のアルトゥーロから、こうして話を聞かされたのだ。
母の死後、父は村にある家を出��、丘にあった小屋を改装して独り暮らしを始めた。ある日、父から電話がかかる。父には語り継ぐべき家族の物語の他に、誰にも話していない自分と妻の間に秘された物語があった。こうして、「僕」が父から話を聞く現在の物語と、曾祖父母、祖父母、そして父ミケランジェロと母マリーザの過去の物語が、時に交錯し縺れ絡まりあうようにして家族の物語が紡ぎ出される。
長靴の形をしたイタリア半島の爪先のあたりに位置するカラブリア。大地主が土地を所有し、人々は高い小作料を払って小作人となるしかない貧しい土地。曾祖父アルベルト・アルクーリは硫黄鉱山で日雇い仕事をしながら、先祖から受け継いだちっぽけな土地に、合衆国に渡るため急いで土地を手放したい農民から少しずつ買い足してロッサルコの丘一帯を手に入れたという。しかし、村人は信じていなかった。何か裏があるにちがいない、と。
カラブリアは貧しい。地代と重税にあえぐ村人の目には、岩だらけの不毛の地を切り拓き、オリーブや葡萄の木を植え、家畜を育てる自作農になったアルクーリ家は、アルビノの白燕のようなものだ。おまけにアルトゥーロは反ファシストの闘士ときている。白燕は色の違う仲間の燕によって巣から追い落とされる。硬貨には必ず裏表がある。ロッサルコの丘は一家にとって大事な宝になるとともに危険な火種ともなった。
冒頭の二人の若者の死は一家に暗い影を投げかける、硬貨に喩えるならその裏面にあたる。第一次世界大戦中曾祖父アルベルトは、二人の息子を戦争で奪われる。独り生還したアルトゥーロは丘を買い占めようと圧力をかけてくる大地主ドン・リコと対立し、讒言によって流刑にされる。釈放後、家族とともに丘に木を植え、小麦を育てて家を盛り立てるが、第二次世界大戦末期、不時着した英兵を匿ったことが災いしたか、行方が分からなくなる。
父の代になると、リゾート開発や風力発電の風車建設地にと丘を手に入れようとする者たちが次々と現れる。首を縦に振らないミケランジェロに脅しをかけるため、犯罪組織の手を借りて木を伐ったり、森に火をつけたりとしたい放題。そのすべての原因となるのが、代々の親から語り継がれた丘を絶対に守れ、という言葉に縛られる男たちの頑なな性格だ。
対比的に女たちは、生命力にあふれ、快活で自由だ。料理上手の曾祖母ソフィー、祖父に代わって丘を守ってきた祖母リーナ、絵が上手で家に縛られない叔母ニーナベッラ、考古学者で家を空けてばかりだった「トリノっ娘」の母マリーザ、と丘の磁力に引きつけられ、土地に縛りつけられ続ける男たちが飲まされる苦汁を味わうことがない。
アモーレ(愛)、カンターレ(歌)、マンジャーレ(食)の三つを大切にするのがイタリア人、とイタリアを旅した時に聞いたことがある。まさにその通りで、この物語の中でも人々は何かといえば、食べ、歌い、愛し合う。食卓には南イタリア特有の食材を使って女たちが調理した美味そうな料理が並び、男はキタッラ・バッテンテをかき鳴らして小夜曲(セレナータ)を歌って女を口説き、男と女は丘の草上で愛を交わす。
トロイア戦争の英雄ピロクテテスによって建てられた古代の都市の遺跡が埋まっているとされるロッサルコの丘。トロイア戦争に向かう途中、踵の傷の痛みに呻くピロクテテスは仲間であるオデュッセウスに島に置き去りにされる。しかし、ヘラクレスの弓を持つピロクテテスの腕なくしてはトロイアは落ちず、十年後島から呼び戻されたピロクテテスの放った矢は見事パリスを射止め、戦争はギリシアの勝利に終わる。
村人の恨みによって島に流されながら、かえって以前より思想も身体も強靭になって帰還したアルトゥーロがピロクテテスに喩えられていることからも分かるように、紀元前の世界から連綿と続く文化・自然遺産を表面に、戦争や人間同士の権力闘争、嫉妬からくる讒言、因習的な土地に蔓延る犯罪組織、といった現代に至るまで連綿と続く負の遺産を裏面に描いた、作家の郷土カラブリアのワインさながらの濃厚な味の物語である。
男と女、北の開かれた都市トリノに対し、南の因習に囚われ貧しさにあえぐカラブリア、土地と夫第一の昔の女性に対し、自由に各地を飛び回る現代女性、古代から伝わる自然を保護し、そこで生きようとする地元民に対し、金になるなら自然破壊も辞さない観光開発ありきの資本、と二項対立を際立たせることで、物語をぐいぐい引っ張ってゆく、カルミネ・アバーテのストーリーテラーぶりに圧倒される。
冒頭の引用に見られるように、訳者が植物の名にルビ振りの漢字を多用しているのもう��しい。料理名や食材の場合、タラッリ(リング状の堅焼きパン)、ソップレサータ(豚の足、耳、舌などを煮詰めてゼラチンで固めたもの)、カピコッロ(豚の首から肩の肉を使用したサラミ)、などと懇切丁寧な紹介ぶりも食欲をそそって曰く言い難い読み心地に誘う。パンツゥイア(豚の頬肉の塩漬け)やサルデッラ(シラスの唐辛子漬け)など、引用するだけで生唾がわいてくる。罪な本である。
0 notes