#内観パース
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「あんたは、とるにたりんようなちっぽけな事をどっさり抱え込んでは、そいつらを雪だるま式に膨れあがらせて、しまいには、そいつらがあんたの心の中でどえらくだいじなことになって、そうして、あんたは全く不向きになるんだ」
「前にいるやつらがどういう連中かわかるか。悩みごとが大好きなやつらよ。マイルを計算して、今夜はどこに泊まろうかと心配して、ガソリン代や天気や目的地にどうやって着くかをせっせと考える――そんなことしなくたって、どっちみち着くっていうのによ。」
前者はサリンジャーのナインストーリーズ、後者はケルアックのオンザロードの一節。どちらも自分みたいだな~と学生の頃からぼんやり思ってい���一節。キリコ展で“瞑想する人”をみた時、特にナインストーリーズの雪だるま~が浮かんだ。本当は何を瞑想しているのか核を失っていそうなところがいい、核がわからないのに全部が必要そうでいい、ただ立ち上がりさえすれば全部落っこちて簡単に身軽になれることを理解していそうなとこがいい。とか、勝手なことを考えてポストカードを買って帰った。キリコの、パースよりも光源にこだわっていそうな感じがよかった。光から啓示をうけた人だなあ、と思う。キリコ展のあと、ギャラリーフェイクのキリコ回どんなやつだったかな~と思って久しぶりに読んだ。逆井麗一の回だった。教授じゃん。
教授じゃん、から関連して…ってわけじゃないけど、水曜日に映画トノバンをやっと観てきた。フォークル、ミカバンド、加藤和彦の音楽が大好きで、「一流のものを作るには一流のものにふれなければいけない」っていう安井かずみとの夫妻関係も��れだったし、高橋幸宏の「今なら加藤和彦について少し話せ��」という声があって制作に至ったという映画に、正直正気な判断はできないんだけど、本当に良かった。どう頑張っても後追いしかできない世代だから、北山修と松山猛の京都時代のまなざし、新田和長ザリガニーズってことは猫、ガロ、高中正義に髪を染めてブーツを履いてニューウェイブをしよう、アンプの個人輸入と会社設立とか、YMO、矢野顕子が楽譜を買いに走る、吉田拓郎と松任谷正隆、竹内まりやとの邂逅、上澄みの部分だけだとしても順を追って知ることができてよかった。イムジン河騒動はネット以外の情報をやっと知れたし。ロールスロイスが欲しいって福井ミカの一言でほんとに買っちゃうとか、「おまえはポップなんだから」って泉谷しげるにレゲエ歌わせるとか、すごい人だ。
「音楽で世界は救えないなんて言ったけど、本心じゃないと思いますよ、だって救おうとしてやってたわけじゃない、楽しんでやっていた人だから」
加藤和彦の遺書はどうしてもやるせないんだけど、幸宏さんのこの言葉とか、インタビューに答える面々の言葉を聞いて、人はそれぞれ自分の哲学をもって、人の生死を受け止めるしかないんだなあと思う。トノバン見てからはずっと関連音楽を聴き漁っていた。吉田拓郎ひらがな時代めちゃくちゃいいじゃん、とか思いながら。
なんて打ちながら、今はMUNAのライブ盤を流してるし、台所でアイドルの曲聴いて踊るし、本当に自分ってやつはアイデンティティみたいなもんを確立せずにここまできたね。
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□haus-curv(仮)□
神戸市西区での新しいプロジェクトがスタートします!
ハウスメーカーによる振興住宅街での建て替え計画で、街並みに馴染むデザインを希望されました。プライバシーを保つための北側のライトコートとインナーテラスのような階段室から一日中得られる優しい光。遊び心のあるスキップフロアの室内にも随所に曲線を配し、シャープな中にも滑らかな優しさが感じられることからhaus-curv(仮)と命名しました♪
以後、��見知り置きを。
昨日はその初回プレゼン。
昨日お渡しした外観パースを少しアレンジして改めてみました♪
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〈効果思考〉
1. 思考のかたち
デザイン行為を考えるうえで、基本となる考えの枠組み/思考方法をしめしたい。職業的なデザイナーなら、ふつうに、ごく自然に、そのような仕方で考えているのかもしれない。だが、この考え方そのものに直接に言及しているのは聞いたことがない。ということで、その思考方法には名前がついてない(か、単に自分は名前を知らない)。 このプラグマティックな思考方法に、自分は「〈効果思考〉」という名前を付けたいと思う。
名前とはいいものである。適切な名付けができると、それだけで「思考」そのものがシャンとして立ちあがる。 オリジナルのコンピュータプログラムを書いたことのある人は、こういう経験があるかもしれない。適切な変数名や関数名を付けることができると、プログラムの骨格が堅固なものに感じられ、そのとたんにコーディングがスムーズに進むようになる、そういうことだ。適切な名前が付けられないと、思考が右往左往して、とんでもない思考ミスを犯してしまったりする。
自分でも、〈効果思考〉と呼んでみて、はじめはしっくりこなかった。なにかよそよそしい、行き過ぎた効率主義のような匂いを感じた。しかしプラグマティズムを復習っていて、その名前でいいんだという確信が持てたし、お蔭様で今はもう「慣れ」た。慣れも大切だ。
プラグマティズムの創始者パースはこういう意味のことを述べている。
「あるものの概念とは、その概念が及ぼす効果のことである。よってあるものが何であるのかを考えようとするなら、そのものがどのような効果を及ぼしているのかを吟味しなければならない。」(「プラグマティックな格率」、「プラグマティズム入門」伊藤邦武) 「プラグマ」とは、ギリシャ語で行為や実践などの意味である。
思考方法に「デザインの」と限定詞をつけたが、じつはつけなくてもいいという気もしている。それだと「プラグマティズム」そのものの��明になるだけで。
〈効果思考〉ということだから、当然「効果」が主役になっている。〈効果〉については、より深く考えるべきだと思う。
2. 知るとつくる
人の為す「行為」を、分類することはできるのだろうか。たとえば、こういうのはどうか。
移動系:人自ら空間を移動すること「行く」「来る」「旅する」 運搬系:何かを空間上を移動させること「運ぶ」「持って行く」「置く」
学術や学問、あるいは単純に好奇心をもっていろいろと知っていく行為を「知る系」と分類したい。これを「情報系」「知識系」と呼びたい向きもあるかもしれないが、ここはあくまで「動詞+系」で表したい。
知る系:知らなかった新しい知識を得ること「知る」「学ぶ」「教わる」「見る」「聞く」
それではデザインという行為はどうだろう。つくる系といっていいと思う。
つくる系:何かを作りだすこと「つくる」「書く」「こわす」
作られる対象物は人工物/道具である。 さらに抽象化していえば、いまここにないものを出現させること。
ここでは、知る系と対比させながら、つくる系であるデザインを考えてみる。
理系文系
理系文系という分けかたは大学受験的だが、かつてこれらは完全に分離していて、学生は二者択一しなければならなかった。今は文理融合など、以前ほどは乖離的ではないのはいいことだ。完全に分けられなるはずも、分けていいはずもない。
でも理系文系とはそもそもどういうことなんだろう。
理系は、合理的、論理的な思考を要するに科目、数学や物理化学。文系は、歴史や地理、文学などすでに現実にある事象が何であったかを考える科目、といったあたりが一般的だろうか。 理系は、人の気持ちや心によって左右されるものは扱わない、よっておもに自然科学へ向かう。それに対して文系あるいは人文系は、揺れ動く「人の心」に焦点を合わせるているようにみえる。
もっと抽象化すると。
理系は、すべては収まるべき場所、型を持っていて、その「型」の中に収まるとする。「型」とはつまり、なかの個物の振る舞いや性質を分ける「法則」のことともいえる。理系はその「法則」とは何か、をさぐる。
文系的には、すべては個別的である。すべてが結局は何かの種・類という容れ物に収まるとしても、個物は個物であるがゆえ個性的で一回性を持っていおり、そこを注視している。
あるいは、理系は、種類にまとめるために「同一性」に注目し、文系は、種類のなかの個物を見るために一つ一つの「差異性」に注目するともいえるだろうか。
また、知る/問うことの内容には、「事実」を問うことと「解釈」を問うことの2つがあると思うが、おおまかには理系は事実を、文系は解釈を問うている��ともいえる。
アプローチはことなるが、どちらも「世界を知る」ための行為であることにちがいない。
哲学
ところで「哲学」は、一般には文系に入れられるが、とくに現代では理系的な思考部分の重要性が大きくなってきている。 ���代ギリシャ哲学ではどちらかというと理系的なはじまりをし、やがて文系的な展開をし、科学革命から現代では、ふたたび理系的な要素が入ってきた。 哲学はすべての前提事項の当否をいったん保留して、ひたすらに「本当はどういうことか?」と問うような知的態度である。とするなら、「哲学は文系」であるというのはナンセンスな予断だろう。
哲学は、理系文系のどちらの分野とも捉えられないところに在って、その両者の立場を調停・統合し、最終的な世界図を描こうとしている。
知ること、つくること
理系、文系あるいは哲学にしても、大きくは「知る系」である。あるいは学問・学術のほとんどは知ることに最重要な力点が置かれている。人のモチベーションにそっていえば、「わかること」ともいえるだろうか。
「知る」ことに対して、何かを「つくる」ことは、また別の柱として屹立している。まったくちがう成立要素がそこにはある。
つくることにとって、よく知ることはとても重要ではあるが、「知る」ことで「つくる」ことのすべてをカバーすることはできない。
自分がデザインにかかわってきたせいか、とくに強くそう感じる。
たとえばここに、水を流すための溝があって、泥に埋まってしまっているとする。 なんとか泥を掻き出す必要がある。ほんの少しの泥なら何も考えずに手ですくってやればいい。今にも水があふれそうな緊急事態なら、そこらの棒でも板きれでも使って掻き出した方がいい。もし時間があるなら、最適な道具を考えるのもいいかもしれない。いずれにしても、つくるためには状況を踏まえて、適当な完成度で手を打たなければならない。
行為の本質的基準
真摯に知ろうとすると、最善解、最適解を目指すことになる。つまり知ることの本質的な基準とは、もっと「正確」に、もっと「正しく」という基準である。もしも「正しさ」を目指さなければ、知ることは空しい所業になってしまう。「適当に知る」とか「いい加減でもいいから知る」というのは、基本的には矛盾した言い方である。
それでは、つくるという行為の本質的基準とは、どういうものが考えられるだろう。もちろん正しい知識にもとづいて、正しくつくることは求められるとは思う。
つくることの基準は、つくられたものと、つくったという事実がもたらす「効果」にあるのではないか。それがどのような効果をもたらすのか、それによって「つくる」が測られる。
〈効果〉は、「正しさ」のように、一直線に並べてその程度の大小を比較できるような基準ではない。「あれ」と「これ」とを比較して自動的、客観的に優劣は決められないのだから、「あれはこういう効果」があるが、「これはこういう効果」がある、と理解したうえでどちらの���果を選ぶかという判断をするしかない。つくるはそういう効果を中心にした性質をもった行為なのだと思う。
3. 〈効果思考〉とは
〈効果思考〉とは、
ある事象が何であるのかを、その効果によって規定し評価すること。
「デザイン」が、どう定義されるものであるにせよ、デザインした結果、うまくデザインできたのかどうかを評価する必要がある。じつは、その評価はとてもむずかしく漠としている。人によっても異なる。
たとえば、道具として役に立つ、仕事がはかどった、美しい、壊れにくい、所有感を満足させてくれる、などなどいくらでも詳細化できるわけだが、それらを「効果」という一律な枠組みにいったん収めて、比べようということである。 その上で、自分は「どの効果」を採用するのか、と問う。 こういう思考方法は、当たり前といえば当たり前なんだとは思う。
もちろんこれは自分が発明した思考方法ではない。という��、自分たちは、そんなふうに考えて道を決めてきたのではないか、とあらためて気づいた、あるいは再発見した、ということである。
〈効果思考〉は、デザインの内容の評価にかぎらず、ひろく応用できる。
たとえば「デザイン」とは何か(これはデザイン結果の評価とはちがう)、「アイデア」とは何か、といったことを考えるとき、いろいろに答えうる。どの規定しかたがたった一つの「正解」である、ということはできない。 ちょっとおおげさにきこえるかもしれないが、形而上学的な問いかけ、愛、平和、しあわせ、とは何か、 真や善や美は何か、といったビッグ・イシューはどれも、とても一つの正解を示し得ない。これらは「事実」としての「正しさ」に向かう態度では納得のいく地点へ到達できない。そうではなく「解釈」としての「効果」を問うべきだと思う。それによって唯一の答えが出るわけではないが、議論としては一段深まると自分は思う。
「しあわせとは、Aである」「しあわせとは、Bである」「しあわせとは、Cである」のどれが「正解」か、と問う代わりに、「Aと考えたときの効果」「Bと考えたときの効果」「Cと考えたときの効果」の、どれを自分は採用したいか、採用するべきか、と問うてみたい。
4. 効果とは
「効果」そのものについて、まとめておこう。
基本事項
はじめにあった状況を「状況S1」とする
何かの事象「事象e」が起きるとする
その事象eによって、状況が変化し「状況S2」になること
その「状況の変化」「S1とS2の差」を「効果」と呼ぶ
事象(イベント) :元となるトリガー 事象とは物事の存在や現象のことで、ここではデザインされたものやサービスが世の中に出現し、流布することを指す場合が多い。が、もっと抽象的な哲学的な思考や「形而上学」的なイシューについても問題にしている。
状況:変化するもの 状況は、扱われる事象の内容によってその大きさや広がりが適宜決まる。たとえば何かの製品やサービスであれば、それを使う人の仕事や遊びや生活などである。そして使う人自身の能力の向上やメンタリティの変化、使用者でない人も含めた社会状況なども含まれる。
変化 何か事象が起これば、必ず何らかの変化も伴う、という見方もなくはない。たしかにそもそもなんの変化も起こさないような事象を「事象」と呼べるのか、という話しもある。 だから、ここで問題にしているのは、変化の量と質のこと、である。この「変化」を「効果」と呼び変えている。
効果 変化と効果のあいだにあるのは、「視点」「観点」「関心」など、大きくは「意味(付け)」から変化を見る、ということなのだろう。 効果は関心から発しているので、さまざまなレベルのものが混在しているし、人それぞれでも異なったものとしてある。 人(自分)にとって、その変化はいいことなのか悪いことなのか、と考えればその効果は「価値」の話しになる。 また効果はスタティックに決まっているわけでもない。効果はダイナミックにその都度、生成されるものである。つまり、はじめに気づかなかった効果、効果と認識されていなかったポイントが、のちに重要な効果になることもある。受取手によって、効果が発現する場合もしない場合もある。 それは潜在していたものが顕在化したのではなく、まさにある状況のなかで生成・発現したのである。
5. その他
チューリング・テスト
この思考方法が自分のなかで像を結んだ直接のきっかけは、チューリング・テストだった。このテストはそれ以前から知っていたが、あるとき「ああ、これはチューリング・テストのパターンだ」と気づいた。
チューリング・テストとは、機械が人のような知性を持つのかという問題について、アラン・チューリングが提案した次のような判定方法である。
「人がブラインド状態で対話をしてみて、人か機械かの区別が付かないようであれば、その機械は知性を備えていると言っていい。」
これを敷衍すると、あるものの本質がなんであるのかは、その効果(ここでは対話の内容や質)によって判断していい、ということである。結局のところ、私たちはふだん、そのように判断をくだしているのだと思う。 年代的に無理はないが、チューリングがパースのプラグマティズムを意識していたかどうかは、わからない。
それをいうことによってなにを言おうとするのか
誰かの発言に対して、自分は「それをいうことによって何を言おうとするのか」とよく問うことがある。また「自分は、これをいう(する)ことによって、何を言おうとするのか」とつねに自問している。この問いかけも、じつは「それをいうことによって、どのような効果を期待するのか」という意味であった。
ある内容を主張するとき、多くの場合、
主張内容自体によって主張すること
「(ある内容を)主張すること」によって主張すること
という二つ以上の主張が、まるでコダマのように減衰しながら鳴っている。
デザインとは
〈効果思考〉という、事象の捉え方について明確にしたので、そのうえであらためて「デザインとは何か」に応える必要があるわけだが、それはまた項を改める。
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TAKAHIRO YASUDA 10th Solo Exhibition ‘Catalog’ 2024.12.7 Sat - 12.29 Sun
この度VOILLDは、安田昂弘の新作個展「Catalog」を開催致します。本展は2023年に開催された個展「9」に続く十度目の新作個展となります。
アートディレクター、グラフィックデザイナー、ムービーディレクターなど、多彩な顔を持ち幅広い分野で作品制作を行う安田昂弘。そのエッジーな表現は様々な分野から支持を得ており、広告やプロダクトのアートディレクション、グラフィックデザインをはじめ、企業やブランドへの作品提供や、国内外でも作品の展示を行うなど精力的に発表をし続け、多岐に渡り活躍の場を広げています。
安田の作品は、シンプルに削ぎ落とされていながらも遊び心のあるデザインや、緻密に組み重なった線や面、独自の配色やモチーフなど、彼の思考とコンピューターグラフィック(CG)としての視覚的な刺激や表現を最大限に利用し構図化したものを、グラフィックデザインと切り離すことのできない出力という手法を用いて制作されます。まるでキャンバスに絵の具を重ねていくような作業を、データのレイヤーで構成されるCGという枠の中で物質的にいかに解釈し、作品として具体化していくかという事に挑戦し、CGとしての存在意義、絵画とのギャップについての思索を続け、絶えず作品制作を行う安田は、グラフィックデザイナーとして他に類を見ない随一の存在と言えます。
本展は、個展を始めて十年間一貫して、グラフィックの在り方や印刷という媒介に疑問を投げかけ、可能性を模索し続けてきた安田の總括とも言える展示です。なかでも代表的な、活動初期から継続してモチーフとしている「石」。これまでに作品を制作するにあたり、身近な物質でありながら奥深いロマンを感じさせる石という成り立ちそのものに共感を覚え、膨大なデータを集積することで、架空の石とも考えられる多様な作品を生み出してきたと言います。アナログとデジタルそれぞれがもつ要素を両側面から考察しながらCGに具体化させ、作品が構成されています。これまでの制作において3DCGを一切用いない姿勢も、表面的な美しさや簡易さを追求するのではなく、見えない工程やプロセスを大切にし、質量を感じさせる表現を追求するという強い意志の現れからです。インクがただ紙に乗るだけで終わるようなどれだけ簡素なアウトプットであっても、背景には作家の思考や感情が隠されており、それらがひとつひとつの作品に魂を宿していると考え、自身の心を支えていると断言しています。一見するとシンプルで大胆なパターンや構図に見えるこれらの作品群には、そのときどきで起きた壮大なスケール感の出来事や感傷的な想いが複雑に織り込まれているのです。抽象的な感覚に見合う表現を常に模索し、迷い、彷徨う中でたどり着いた独自のグラフィックは、表現の方法論を超えた「作った者にしかわからない感情」を内包しており、観る者に多様な解釈の余地を与えながら、作家自身の人間的な想いを浮かび上がらせることでしょう。
会場では、こうした作家の制作過程や思考の破片とも言える作品群を集積し切り出した、新作となるグラフィックをベースにした平面作品の約60点を展示いたします。背後にある膨大な感情や見えない熱量から生まれた安田の作品を介し、ただの模倣や反復では辿り着けない作家の美学を感じ、観想する時間をもつことを願っております。是非ご高覧頂ければ幸いです。
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いよいよ十年が経とうとしている。すっかり暗くなってしまった新小川町の印刷会社の屋上で飯田橋の夜景をぼけっと見ながらこの文章を書き始めたところだ。
ビルの窓の光はとてもグラフィカル。夜の景色にランダムに照らされた幾何学パターンをまとい、どっかのタワマンに住む若者や、心が浮かれる者たちに今日もロマンチックな己の存在感をアピールしている。観察を進めていくと、その奥には天井、壁面、床から設計された空間があり、表面から中身まで無数のパースが見えてくる。美しく整頓されたオフィス照明器具と、それによって照らされたパースの集合体。そうなのよ。これは光によるロマンなんて良いものではなく、ただ単に誰かがまだ仕事を粛々としている労働の証であり、彼らを照らす最新の直管LEDはその器具の中で発生させた素子と素��の衝突を繰り返す。小規模な爆発を連続させることで、文字通り自虐的な光という現象を生み出している。光だって残業しているのだ。 空に溶ける暗い窓は、発生前の素子たちがスヤスヤと眠っている空間。ってい���見方もできる。そっちのほうがよほどロマンチックかもしれない。
まさしく無限を感じてアレレと自分を見失うわけだけど、いちいちそんなこと言っていてもキリがないものだから、宇宙からみたら俺なんてクソちっぽけな存在ですわ。なんて今更言う必要もない月並みな話だが、マジでそれに尽きるし、多分いまがこのベタの正しい使い時だ。
壮大な山々から森を感じ、一本一本の木につく葉に近づいていく。膨大な葉脈のパターンから、葉緑素ってなんか昔習ったよなあ。もう全然覚えてないわ。そういえばカナダで撮影したとき、森でカメラを持ったジョナがBロール撮りながら戻るっつって森に残ったまま全然帰ってこなくて。戻ってきたらマジ大量の木の映像素材撮ってきた事あったな。あれどこいったんだろ。あー。もっと英語勉強しておけば良かったなあ。アレレ。俺いまなに考えてたんだっけかー。みたいな。
しかし、ある種の集合体であり地球の破片でもある石ころは、もちろんその存在感と成り立ちから同じような無限を想起させる地獄の入り口を垣間見せつつも、普段は地球の重さなど微塵も感じない失礼な自分に、大小あれど僅かながら自分たちがいる環境の質量とリアリティ、スケール感を与えてくれる。関係ないけど岩と石の定義って曖昧だよね。それ筋力によるじゃん。って感じ。
オリジナリティとはなにかという難問を、おそらく意図していない母から気付かされ36年。自分はいわゆるサンプリングや気の利いた類いのモチーフが思い浮かばない身体になってしまった時間の長さの分、自分の破片を削り続け、学者でも研究者でもなんでもないが、まだ人間の眼とにらめっこしてる。
自分から削り落としたグラフィックを地球の破片と重ね合わせた時、自分の石はなにか質量を帯びているのだろうか。それがたとえ簡単な市松模様であっても、あの石のように決して表面的ではない。ぎっしり詰まった中身を下りながら人知れず丸めていくような。そんな膨大な時間を付帯した存在になっているんだろうか。
個展をはじめて今年で十年。あの手この手で変わろうとし続けて変われなかった自分に。思えばろくな発明もできなかった膨大な時間に。もはや愛おしさすら感じながら。伝えたいから感情定める。 適当やればグラフィックも舐められる。
つか石の上にも三年とかウソじゃんね。 これ言ったやつ、出てこいや。
ー安田昂弘
安田昂弘|TAKAHIRO YASUDA 1985年生まれ。獅子座。名古屋市出身。2010年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、株式会社DRAFTにデザイナーとして勤務。 2015年に同社より独立し、クリエイティブアソシエーション「CEKAI」にアートディレクターとして所属。ブランディング、アートディレクション、グラフィックデザインを軸に、デジタル領域やプロダクトデザイン、映像、空間などの領域の仕事にも広く携わる。2015年より自身のグラフィックの新作展示を毎年開催するなど、セルフワークによる国内外での作品制作、発表も行う。身長190cm。
HP / IG
2023年 個展「9」at VOILLD 2022年 個展「Braing Braing」at VOILLD 2021年 個展「Drive My Car.」at VOILLD 2020年 個展「Do the Light」at VOILLD 2019年 個展「FIVE / Fat isn’t very easy」at VOILLD 個展「EMERGING」at ISETAN SHINJUKU “ART UP” 2018年 グループ展「WILD」at CALM & PUNK GALLERY 個展「Concrete」at VOILLD 2017年 個展「EMERGE」at VOILLD ソウル国際タイポグラフィビエンナーレ「Typojanchi」招待作家 2016年 個展「The end of watch」at VOILLD グループ展「謎のグラフィック展」at CALM & PUNK GALLERY グループ展「ピクセルアウト」at pixiv Zingaro 2015年 個展「shere_me」 at VOILLD >> 安田昂弘 Biography
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TAKAHIRO YASUDA 10th solo exhibition ‘Catalog’ 2024年12月7日(土)~12月29日(日) Reception: 2024年12月6日(金) 18:00-21:00 開廊時間:12:00-18:00 休廊日:月曜日、火曜日
7th Sat - 29th Sun Dec 2024 Open: 12-6pm Closed: Mon, Tue
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フリーランス一年目を振り返り今後やりたい事、自分の絵について考える✍
こんにちは、紅葉です。イラストレーターとして
フリーランス1年目の2020年12月の振り返り日記になります
―――
これまでのヘッダービシュアルについて思うこと
上記はサイトTOPや名刺用に年明け最初に制作したイラスト請け負い用のオリジナル絵です。
ゲーム業界では主に背景とアイテム制作・キャラ彩色などを中心に制作していましたが、
個人的にはアニメ・デフォルメテイストのコミカルでポップな可愛い系の作風が好きな為
自分を親しみ易い絵柄で制作しヘッダーと名刺に使用していました。
こちらが実際にデザインし1月にクリエイター交流会やイベント・セミナーで配り歩いた名刺になります。
イラストレーターとして名乗り、初めて制作した名刺の為
🍁『イラスト何でも描きます!!なんでも任せてください!!!!』
感が強く情報も多いのでちょっとバラエティー豊かですね。😅
(”デザインは余��が大事”と聞く中で詰め詰め賑やかに入れてしまっていますが色合いは今でも自分らしく好みです!)
――――
今年1年の月別概要
※私の略歴について
💡2018年年末務めていたゲーム会社倒産、失業を切っ掛けに2019年職業訓練校で新たにwebデザインを学んだ後イラスト受注会社にアートディレクター就職、残念ながら社内悪環境の為2019年年末をもって退職・フリーランスイラストレーターとして活動を始める。
2020年
1月 フリーランス準備 名刺にサイト、人生初のクリエイター交流会やSNS創作垢✊
2月 ストックイラストで新たな出会い・交流の楽しさや知識を沢山増やして行く😊
ブランディングについて、自問自答の自己分析がはじまる
3月 WEB面接打合せなど初の体験、個人で色々請け負っていく📝
4月 コロナが蔓延し新規受注案件が0になり不安定に😓
5月 SNS経由でつながった方の攻撃的な言葉に傷付き人生を見つめ直す✍
6月 新たな継続案件クライアント様と出会い高評価と自信を得る😊
7月 イラストレーターとして大きなご案件ご相談・高評価を得る😳
🎊7月7日に個人事業主として正式開業致しました㊗💡
8月 コロナの影響でドタキャンが発生しだしまた不安定に。😭
9月 自身のやりたい方向性の仕事を平行で請け負いスケジュール帳が埋まり出す
10月 毎日何かしらの提出・納品日となり過労スケジュールに..😇(成果物評判は良好
今後の為にクリエイターエキスポに下見に行きました💡 様々なイラストレーターの方々の活動がまた一歩良い刺激になりました
11月 仕事の合間に相場感や契約書・交渉・著作権利問題について知識を深める
クライアントワークのみで直面する様々な問題、低単価案件や収入を見つめストックイラストの良さを改めて感じ検討しだす
12月 今後の活動、来年に向けて 今年の自己分析の結果、方向性をまとめる
――――
会社員時代の安定とは程遠い波乱万丈な感じに怒涛に過ぎ去った1年でしたが、
その分自分で考え、これまでの経験を活かしたり新しい出会いや先人のクリエイターの方々の経験談や知識を取り入れ学ぶ事で会社員時代では中々得られなかった部分の知識・行動力・視野が広がった1年でした😊
今年よく考える事になったテーマが自分の今後やりたいこと 自分の本心から目指したい目標についてでした。
いろいろ挑戦してみて伸ばしていきたいと見つけたやりたい事について、
そんな1年を振り返る目的でこの日記を記録しています。
1~2月
完成した上記の初名刺を持参しいざ!初の交流会やセミナーなどで名刺やポートフォリオを見て頂いて
様々な方とお話した際にお褒め頂き恐縮したりする中で(会社員時代は特に視野が狭かった為たとえお世辞でも褒められなれておらず、とても嬉しかったです😊💦)
と質問いただく事が増えました。
企業勤めの間は自身の絵柄・オリジナリティでは無く企業の求める絵柄・要望に沿う物を制作し続けていたので、自分自身の好きなもの・やりたい描きたいと思う物を具体的に言えず、
言えても胸を張って心から【私はこうです!】という自信が無かった為、春先に出会った方々と対話する度に
と、悩みながらもブランディングという言葉と出会い
今年は度々、今後自分はどういう風になりたいのかな..と自己分析と自分理解を深めるきっかけを頂きました。
3~5月
自分が本当にやりたい事、得意な事…
苦手だし、不得意な事 ×
好きな事、好きだけど不得意な事 △
得意だけどやりたいと思わない事 〇
得意で普通と思う事 ◎
得意であり好きな事 ◎
――――――
絵仕事はどれも苦痛なく引き受けていた為、
背景もアイテムもキャラもミニキャラもどれもこれも自身の中では好きな物の一部でありこれまでの成果物・経験は全て自分が歩んできた武器⚔です。
なので”やりたくないな..”というのがあまり湧かず、本心と向き合い自問自答していました🤔
――――――
そんな中、春先のある日SNSの知人からDMに
知人『あなた背景得意って書いてあるけど、正直パースも効いて無いしそのレベルじゃ生きていけないよ。』
と成果物や私の経歴についてわざわざ貶す事柄が送られてきました。。
(『あなたの事を心配してるんだよ』という趣旨であった為、私の事を想い送ってくれてるんだなぁ..としばらくはやりとりを続けていましたが、度重なる脅迫DM・ストーカー行為が悪化した為こちらからはご縁を断ちました。読んでも気分の良い話では無いので詳細は割愛します😓)
当時は悩みましたが、
よくよく考えると過去の仕事に対してクライアントとその顧客以外の第三者から下手だと罵られても(赤ペンなどの具体的なアドバイスではなく純粋なただの中傷です)
その方個人の主観であり他人評価な為、気に病む必要は無いと今では吹っ切れています
ま��でもその際SNSに絵を載せる事も嫌になったのですが、
なによりも否定された以降背景制作を請け負う気になれず
(あぁ…私背景好きだった訳では無いんだなぁ…)
とそこで1つ消去法で見つかりました..👀
――――
私が好きな事は誰かの役に立つ事!
褒められる事・助かったよと人の役に立ち喜ばれる事に自己肯定感と喜びを感じます😊
ゲーム会社内で背景担当が多かったのも、
そもそも背景を描こうと思うデザイナーが少ない(ほぼ居ない)
元からちょっと描ける&綺麗な背景を見るのが好き・キャラ同様に描ける様になりたいと憧れて居る
業務でやってみたら褒められ喜ばれた
⇒喜ばれると嬉しい(単純)⇒ゲーム背景担当者に落ち着く
という流れだったので、元から職人レベルの美麗背景職人までの実力は目指して居ませんでした。
それでもやはり、あまり知らない人に心無い言葉で否定されるのは良い気分しませんよね..😓
否定されるのが嫌・褒められるのが好き なのは人間誰でも一緒の感情だと思います。
―――
どんな事でも上には上が沢山居るのも理解していますし
SNSでも背景制作の前線でご活躍なさってる方々と恐縮ですが相互フォロー頂いたり、美麗な背景の一枚を見る度に今でも感動します😊💕
(綺麗なご作品を制作されてる方々は皆さんリプ交流でもとてもお優しいです
ありがとうございます!)
🍁「受注自体は暫く控えてますが、背景に憧れ好きな気持ち自体は本物なんだろうなと思います。また自然に描きたくなってきたら仕事外でも挑戦します!🌱」
―――
6月~11月
―――
背景を一度置き(ついでにアイテムもきっと同様に得意で役立てただけで違うのだろうと置き)
自分の得意なこと・やりたいこと・好きなことを見つめ直しながら色々な絵に関するお仕事を頂いて経験しておりました📝
主な仕事
マンガ動画・広告漫画 (アニメ風・TL風)
教材キャラコンペ (ミニキャラ)
PR用劇画風イラスト (劇画風)
企業用ゆるキャラ制作 (ゆるきゃら・アニメ風)
企業用イケメンキャラクターデザイン・イラスト (乙女ゲーム風)
公式グッズデザイン(企画書~制作まで)
ソーシャルアプリ衣装制作 (女の子)
企業グッズ用ミニキャラ制作|数社 (~2頭身)
etc…
🍁『箇条書きにすると共通点まったく無くてビックリですね😲』
夏から秋に掛けて多種多様��活動し打ち合わせやご提案・交渉も徐々に慣れて行きました
ちなみに7月7日を開業日にし屋号:イラスト制作所もみじ亭として正式に個人事業主になりました
―――
褒められる事・助かったよと人の役に立ち喜ばれる事に自己肯定感と喜びを感じます😊
また、先に述べていたこちら、度を過ぎなければ良いんですが
他人評価に自己肯定感を委ねるのは危険と心理学でも言われているので、あまり依存し過ぎず
様々なクライアント様との案件経験を積んでいく事で、実績と共に自信と相場感や契約・著作権利についてなどの必要知識を平行で蓄えていきました📝(日々勉強です✎)
自己評価と自己肯定感はどんどん育てていきたい✊脱ネガティブwelcomeポジティブ
―――
12月⛄
―――
早いものでもう12月ですね
今年1年は本当にあっという間の一年でしたが未知への挑戦ばかりで成長する機会も多く、
またよく悩む年でもありました👀
が、悩むという事はそれだけ行動し頭を使っている結果なので良い事です💡
コロナ禍の中無事感染する事なく無事に年を越せそうなのにも安心しています。
12月にしている事
イラスト受注サイト作り(1つ前のサイト)
来年に向けてこれまでの振り返りと自己分析
書類、事務整理
――――――
やりたい事探しで見つけた自分の方向性
――――――
①ミニキャラ・ゆるキャラ、ポップイラスト
私自身がゲーセンのプライズ景品やフィギュア収集が趣味の根っからのヲタクなのと過去にグッズ制作を趣味にしていたので、やはり可愛い系のモノが好きなんだと再認識しました。
ゆくゆくはアニカフェやコラボ商品などのグッズ用ミニキャラを手掛けたり出来るグッズイラストレーターになりたい、お菓子のパッケージ等の公式キャラデザインなどを手掛けたいと改めて思い1つの目標になりました😊
この絵柄で思い浮かぶ仕事
IP系グッズ用イラスト
LINEスタンプ
オリジナルPRキャラクター
書籍やwebの挿���、カット
アプリ内ミニキャラクター(SD/ちびきゃら)
②美形キャラクター制作・イラスト、マンガ
TRPG創作やイケメンキャラクターデザインなどを請け負う中で、やはり背景やアイテムも好きだけれどキャラクターをより魅力的に描ける様になる為の演出・手段の一つであり、
やりたい事は魅力的なキャラクター作り(デザイン制作・作画)だな..
昔からえがいたキャラクターがゲーム内や動画内でCVが付き喋って動き、生きている姿を見るのが夢で目標だったのを思い出しました。
この絵柄で思い浮かぶ仕事
企業キャラクターデザイン
Vtuber制作
ゲーム原画
ライトノベル表紙/挿絵
マンガ/カット
―――
と、こんな感じで明確に【今後これのみでいく!!】と絞りきった訳では無いですが、
来年に向けて今後強化していきたい絵柄の方向性、やりたい仕事が見えてきた様に思います😊
今後IP案件系の仕事も獲得していく為、ヘッダーのビジュアルも近々もう少しアニメ・ゲームタッチな絵柄に変更します。
今年を振り返って
2020年は行動力の年
去年末退職時に掲げた2020年の目標が上記だったのですが
トライ&エラー精神であちこち挑戦したり飛び込みに行った今年は自分の中では行動出来て居る方なのではないでしょうか。
(クリエポで誰にも話掛けず帰ったりもしたので『もう少しコミュ力発揮頑張りましょう🙅』とも思いますが😅)
コネも伝手も貯金も無いまま退職しイラストレーターとして1から始めた為、
今年人生初めての事だらけでしたが初体験の中でも下記は全てやって良かった事です🙆
―――
名刺制作、webサイト制作
交流会、セミナー、もくもく会、クリエポの下見
webセミナー、さぎょいぷ交流、オンラインコミュニティ、創作用SNS垢
ストックイラストの素材登録、やり方を学んだ事
エージェント登録
開業届、青色確定申告申請
メール営業
電話打ち合わせ、ビデオ通話での打ち合わせ、交渉
―――
交流会やオンライン通話で喋る度に、これまでの10年間会社では社内しか見えてなく外との交流(外部打合せ以外無く)を考える余裕もこういう物がある事も全く知らず;
無知なまま小さい世界に居たなぁ…と思うと共に
様々な人生経験を積んだ方々と対話する事で自分一人では知らなかった事も沢山知る事・学ぶことが出来て、また、フリーランスという道で生きて居る人が多い事も知り視野が広がり
とても心強く1年間が過ぎました😊
今年知り合いお話してくださった方々全てのご縁に感謝しています!😌
本当にただの日記なのでこの日記を最後まで読んでくださってる方が居るのかちょっと解りませんが、
まだクリエイター交流会や名刺交換会・セミナーなどに行った事が無い方がいらっしゃったら楽しいし視野も知識も広がるのでオススメですよ!
私もぼっちで特攻しましたがやらずに悩むよりやってみて実態を知ると案外想像より余裕なこともあるので、一歩ずつ頑張りましょう!
――――
🍁「まだまだ安定とは言いがたい不安定な収入ですが来年も引き続き自分のペースで頑張っていきます!」
2020.12.15 紅葉あすか
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2023-11月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「ゲーム」です◆
今月は参加者の皆様に「ゲーム」のお題でアンビグラムを制作していただいております。 ビデオゲームからゲーム理論まで様々な逆さ文字の数々をご覧ください。
「スイカゲーム」 回転型:ちくわああ氏
まさに今話題のゲームで、特にNintendo Switch版が大ヒットしています。 ストロークの端点処理をうまく生かしています。スイカに隠された部分として補完処理を利用するのがうまいですね。
「ゲームセンター」 図地反転回転型: いとうさとし氏
図地反転の回転型なので結果180°回転させても[ゲームセンター]と読めます。 傑作です。
「Yume Nikki」 回転型:mishima氏
2004年にRPGツクールによって開発され、その後さまざまなプラットフォームに展開されたゲーム。
〇のあしらいが効果��です。「kk」の形が揃っているのが気持ちよいですね。
「アウトラン」 旋回型:kawahar氏
セガが1986年にアーケード版を発売したドライブゲーム。その後コンシューマ機にも次々と移植されました。
旋回型は角度によってどの図形を拾って読むかが変わるところが見所ですが今回の調整も絶妙です。自車が事故ってスピンしているようにも見えてきますね。
「テトリス」 旋回型:くノ一忍者氏
1984年に発表された落ちものパズルの始祖。Tetramino+Tennisの造語だそうです。
チャレンジングな題材ですが、読み順の指定と背景により読み方を助けています。
「UNO」 図地反転鏡像型��� いとうさとし氏
カードゲームUNOのロゴを図地反転(しかも鏡像で)アンビグラム化。鏡像の図地反転構造はとても興味深いですね。あまり作例のない珍しい対応解釈です。
「将棋」 交換型:海氏
「将」という漢字を切断し上下を入れ替えることで「棋」と読めるようにデザインされた交換型アンビグラムです。規則性があり敷き詰めも可能です。 将棋は言わずと知れたゲームの王様ですが 海氏の本作自体もゲーム的でとても楽しいです。 薄目で見ると「将棋」と確かに読めます。これは絶妙な形状だと思います。
「透明な駒」 鏡像型:lszk氏
将棋の駒をひっくり返す行為「成る」に着目��た実用的なアンビグラムです。それぞれの透明な駒をひっくり返すと「歩→と」「香→金」「桂→金」「銀→金」「角→馬」「飛→龍」となります。 アンビグラムと実用性を結びつけた天才的なアイデアです。
「UNDERSTAND」 回転型:いんふぃにてぃ氏
法則を理解して条件を満たすようにしてクリアしていくという実験的なゲームです。
本家ロゴに似せて作ってあります。ドット風なのが効果的で、省略された部分がとてもおしゃれなあしらいに見えますね。
「アイテム」 旋回型亜種:増池誠史氏
ゲームに必要な構成要素の筆頭。能力値はなくてもアイテムはどんなゲームにも登場します。
「テ」のグリフが共通していないので亜種としていますが、「ア/テ/ム」の旋回の見事です。「ア」を操作したらアイテムとして短剣が現れたように見えますね。
「リトライ」 回転型:peanuts氏
何度もリトライしてクリアに近づ���ていくのがゲームの基本であり醍醐味です。
「ト」の下部が「ラ」に隠れたような配置にしてバランスと可読性をとっていますね。矢印が何度も繰り返すリトライを表しつつ180度回転させることも示唆していてステキなデザインです。
「JOKER GAME/柳広司」 回転共存型:兼吉共心堂氏
スパイ・ミステリー小説[JOKER GAME]を180°回転させると その著者[柳広司]と読めるアクロバティックなアンビグラムです。本作はその小説の内容がスパイものということもありアンビグラム作品自体がまるで「暗号」のようです。着想が面白いです。
「すれちがい通信」 回転型:.38氏
主にニンテンドー3DSで、携帯機同士が互いを自動で探知し、ゲームデータを自動的に送受信する機能・サービスのこと。
かわいい書体でコンセプトロゴにぴったりのデザインになっていますね。面白い組み方をしているのでじっくり見てしまう魅力があります。
「ファミコン通信」 回転型:ヨウヘイ氏
こちらの『通信』は雑誌の名前。現「ファミ通」の古い誌名です。
氏はなんでも寄せ字に仕上げてしまう素晴らしい技能の持ち主ですが今回も非常にバランスよく変形させて詰め込んでいます。「通」がきれいに回っていて気持ちよいです。
「昇龍拳」 図地反転回転型: いとうさとし氏
『ストリートファイター』シリーズの打撃技の図地反転アンビグラムです。「龍」の字が普通に読めすぎて凄いです。あと「拳」の字がカワイイ。
「鬼畜ゲー」 回転型:douse氏
激ムズすぎて一瞬でやられたり、無茶な操作を要求される鬼畜なゲーム。私は『トランスフォーマー コンボイの謎』を思い出します。
「ゲー」を色分けして読みやすくし、反対側でも同じ色付けにしてありますが(同一グリフの観点ではこれが理想です)、「鬼畜」のほうの可読性も落ちておらずうまく作字していますね。パースも非常に効果的です。
「裏世界」 回転型:螺旋氏
RPGなどで現れる裏側の世界のイメージでしょうか。『ゲーム&逆』からの発想。
明朝体風の作字でまとめてあり非常に読みやすいです。「裏」上部の微妙なカーブの具合が「界」に生きるように調整されていて気持ちよいです。
「任天堂」 旋回型:ぺんぺん草氏
言わずと知れた、コンピュータゲーム開発で有名な大企業。
2文字/1文字での対応ですがうまいバランス調整によりだんだん大きくなるようにきれいに並んでいます。「堂」はいわゆる『kawahar box』の技法で図地が切り替わっているのが驚きのアイディアです。
「ゲームは1日1時間」 回転型:ヨウヘイ氏
高橋名人の名言ですね。「1時間だけ集中してやるのがいい」という意味合いだそうです。
斜めになっているのがポイントですね。「ゲーム」と「時間」の文字送り方向を切り替えています。ドット風なのが可読性を上げています。
「ゲームは1日1時間」 鏡像型:うら紙氏
続きまで書くと「ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人」
同ネタですが鏡像型でもいけました。「間」の下部がそのまま「1日1」なのに気が付けば鏡像で組みたくなりますね。この作品も面白い組み方なのでじっくり見てみたくなります。
「命もないのに殺し合う」 回転共存型:オルドビス紀氏
『NieR :Automata』のTV版キャッチコピー。自動人形が戦うアクションRPGです。
「命/しあう」「も/のに」「な」「い」「殺」がそれぞれ回転型アンビグラムになっていますが、これ���180度回転しても違和感なく読めるように配置しているところが見事です。もちろん全体のゲシュタルトも統一されていて美しい作品です。(回転しても同じ文字列ですが別のデザインになるので回転共存型としています)
「囚人のジレンマ」 回転型:Σ氏
ゲーム理論におけるゲームの一つで、ジレンマの代表例によく挙げられます。
「囚/マ」以外はかなり素直に一対一対応できるのですね。最後の一つをクリアするのに□で囲むのが面白いアイディアです。マスとして認識するか「くにがまえ」として認識するかを脳が自動で切り替えてくれます。
最後に私の作品を。
「冒険の書」 回転型:igatoxin
読者の中にもお気の毒なことになったことがある人もいるかも知れませんね。
ゲームがお題のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。ゲームといっても連想するものは様々でしたね。参加者の皆さんにとっては、他の方とネタ��被らないように読み合うのもゲームの一つといえるかもしれません。 ゲームを御題にしたのは今回が2回目ですが 第1回目 に負けず劣らず素晴らしいアイデアが集まりました。 お忙しい中 御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は『時事』です。2023年を振り返って、今年を象徴するような語句であればなんでもOKです。締切は11/30、発行は12/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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4月23日はシェイクスピアの生没記念日シェイクスピア・デーです。シェイクスピアの没日がこの日で、誕生日も洗礼日から考えるとたぶんこの辺だろうということでシェイクスピアを記念する日になっています。
毎年恒例シェイクスピア戯曲でなんか描く、今年はハムレットにしました。
『ハムレット』超圧縮あらすじ
デンマークの王子ハムレットが父の死により留学より帰省。すると喪の期間もそこそこに母ガートルードが叔父クローディアスと結婚して叔父が王になります。そのことに憤懣やるかたないハムレットですが、深夜父である先王が亡霊として現れ、父はクローディアスに殺されたのだということがわかって復讐を目指す境遇となります。
ハムレットはクローディアス、そして父を裏切った母への復讐をする機会をうかがうために気がふれたフリをし、恋人であったオフィーリアにもひどい言葉を吐きます。そんな中、ハムレットは間違ってオフィーリアの父親を殺してしまい、メンタルにとどめを刺されたオフィーリアが自失状態になり水死。ハムレットのせいで父と妹を失ったオフィーリアの兄レアティーズはハムレットを恨みます。
ラストではクローディアスがハムレットを殺すべく毒の入った酒を用意し、レアティーズはハムレットとの剣技の勝負で剣に毒を塗っており、それぞれハムレットの死を目指して動いていますが杯の毒酒はガートルードが飲み、剣の毒はレアティーズもハムレットも受けてしまい、自分の命が尽きると知ったハムレットはクローディアスを刺し、毒の入った杯を無理やり飲ませて殺します。
主要登場人物がほぼみんな死に絶えてしまうなか、ハムレットの友人であるホレイショだけが生き残り、ハムレットの遺言でこの酷い出来事を語り継ぐ役割を負います。
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今回の絵は、下絵は魚眼パース定規を使ってみたかったのでClipstudio、塗りはRebelleで行いました。 昨年からの個人的なテーマであるデジタル水彩塗りを引き続きやっておりまして、Rebelleの水っぽい質感の塗りをしてみています。Rebelleでは水の流動の演算があるので、Clipstudioより湿度のある塗りができる感触があります。あとRebelleを出しているメーカーのEscapemotionsのソフトウェアを使った作品コンペの締め切りが今日だったので、それに参加したくて描いたという面もあります。描き始めたのが遅かったので間に合うかちょっと焦りましたが無事に参加できてよかったです。Rebelleもうちょっとがりごり使っていきたいね。
これは描き途中段階のデータのスクショ。見返すと描き方めちゃめちゃ悩んでるな……。
画題の話に移ります。 今回は和風でハムレットを描いてみ��した。シェイクスピア戯曲のローカル翻案は色々な場所で様々行われています。先達に倣って私もやってみました。日本の古い家のろくでもない家督争いに関する悲劇としてハムレットを読んでみています。
名のある家、という漠然としたイメージで描いたけど、もともと武家だったが現在は貿易で儲けてる的な感じかな。多分ハムレットはホレイショと共に東京の大学に行っているし、元家老みたいなポジションのポローニアスはハムレットの家の敷地内か所有の別宅にオフィーリアたちと共に住んでるし家族ぐるみのつきあい、レアティーズはフランスに外遊して戻ってきたら「ハムレットより将来有望」みたいな感じで慕われているはず。
今回の絵の背景は、父の葬式のあとすぐの母の結婚式、という流れから鯨幕と紅白幕が接続しています。鯨幕が葬式で使われるようになるのは昭和になってかららしいですね。そもそも日本で葬式の色が黒になったのもそんなに歴史が古いわけではないようですし、このへんはちゃんと調べないといけないなと思いました。参列者も白装束だった、というのは案外最近まであった・ある、という話も身近で聞きます。よってこの絵の時代設定はかなりふんわりしていますが、「なんかちょっと古い日本」ぐらいの漠然時空ということでよろしくお願いいたします。
オフィーリアの背景の屏風(片方しか描いてないけど画面外にきっと左隻があることでしょう)はミレーのオフィーリアの絵画の色味から印象を持ってきています。オフィーリアの着物の柄には4幕5場でオフィーリアが登場人物たちに渡す花のデフォルメと川に落ちて亡くなる運命から流水文のようなかたちに。いや、もっとちゃんと和柄にしたかったけどリサーチが足りなくてふんわりした柄になってしまったのでそれはちょっと反省点です。こういう時、教養が全然足りないわね……って思いますね。ガートルードの帯も渡される花にデイジーがあるので菊です。
オフィーリアが花を配る場面は花言葉に意味を見出すシーンではあると思うのですが、花言葉は国や地域や時代で様々ありすぎて意味の固定が初見一発では無理なんですよね。こういう意味で読み取ります、という了解を表現する側・見る側で共有しあってないと効果にならないので難しいなと思います。
オフィーリアに膝枕しているハムレットの様子は3幕2場の劇中劇を見る一同の様から。この絵の手前にガートルード、クローディアス、ポローニアス、ローゼンクランツ&ギルデンスターン等々の面々がいて、『ゴンザーゴ殺し』を見ているところでしょう。そしてその内容にクローディアスがどう反応するか、ハムレットの後ろにいるホレイショが観察しています。
こういうちょっと古い時代の日本を舞台にしたシェイクスピア戯曲翻案物は連続ドラマか映画で見てみたいです。現代日本でもいいけど現代に近づけると改変度合いが高くなって構成が大変そうだからね。
毎年描いているシェイクスピア戯曲題材作品はこちらにまとめていますので、過去のイラスト・漫画もよかったら見てってくださいませ。
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モデリング:ARCHITREND ZERO レンダリング:Twinmotion
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設計の最中に描いたリビングの室内パースです。 細かい所は何箇所か変わっていますが、ほぼこの形で完成しました。 CADで作図していますけど手描きと同じ要領で線を1本1本引いて描いたものです。 今では時々3Dを使ったりする事もありますが、そのほとんどは自分の検討用(立体的な納まりを正確な寸法でチェックする時)に使用する事がほとんどです。 #内観パース #透視図 #平子山の家 #平屋のコートハウス #中庭のある家 #梁の見える家 #家づくり #新築 #建築家とつくる家 #設計事務所 #愛知 #青木昌則建築研究所 https://www.instagram.com/p/B7snyYrA--X/?igshid=1sdql3ytlughn
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■プラグマティズムとデザイン
プラグマティズムという思想とデザインの関係について考えた。
プラグマティズム
プラグマティズムは、一般的な会話の中でもおもに「プラグマティック」という形容詞の形で使われることがある。
この思想が日本に入ってきたときには「実用主義」などと訳された。その和名はあまり根付かなかったが、実際「プラグマティック」は「実用的」といった意味で使われる。ニュアンスとしては、中立からやや揶揄するようなネガティブな含みであって、誇らしく「自分はプグマティストだ」とは使われない。
ドライに割り切って、名誉や名前よりも実利益的で結果がすべて、的なひびきがある。なんだか暖かい「人間味」が感じられない。
しかし、プラグマティズムは19世紀後半に生まれ20世紀のアメリカを体現する思考のスタンスであり、21世紀の今そして今後も「生きていく」重要な「哲学思想」である。
とくに〈デザイン〉とも関連が深いと自分は感じる。ここではポジティブな意味合いでプラグマティズムと〈デザイン〉の関係を見ていく。
パースやジェイムズらの古典的なプラグマティズムから、クワインらのネオ・プラクマティズムを経て、現代もさらに新たな潮流が起きているが、ここでは全体として大きなくくりでプラグマティズムを捉える。
自分の捉えたプラグマティズムはこうだ。
ある考えがあったとき、その「意義」を、その考えがどんな行為を生むかによって決める。
このことばを分解する。
「ある考え」
まずここでは、「ある」考えであって、その考えの中身を問うていない。
どんな考えであれ、何か有益な行為を生じないのであれば、その考えには意義がない、と言っているだけである。ということで、考え方のカタチ、問答の枠組み、を提示しているのである。
そういうと逆に、ではプラグマティズムは問いの型を問うだけでその中身の「具体的な」主張はないのか、というツッコミも生じる。しかし哲学一般として、「直接の」主張がなくとも、思考の方法を論ずるだけでも思想として成立する。近代以降は、とくにそういう傾向が強くなっている。
プラグマティズムという主張の中身は、「考え方��に焦点を合わせている、と考えてもいい。
「考え」
考えとは、まさに「考え」であり、思いつき、思考、思想、主張、アイデア、メッセージあるいは信念である。
「意義」
考えの、「意味」というより、「意義」を問題にするということ。
つまり、その考えが「もたらすもの」を問うている。その考えを提示することによって、なにが起きるのか、何を為そうとするのか、を問うている。
自分は哲学を学んでいて、ある哲学に対して「内容はわかった。が、だから自分にどうしろというのか」という疑問が起きることがままある。哲学全体に対してもそうかもしれない。
そこがどうもはっきりしなくてモヤモヤするのだが、プラグマティズムでは、まさにそれが大切だ、と言っている。
「行為」
考えは、考えで終わるのではなく、行為に結びつくことを前提にしている。「プラグマ」とは「行為」という意味である。
一つの考えが別の考えを生み、その考えがまた別の考えを生む、そういう連鎖の果てになんらかの行為がないとしたら、それはなんと空しい考えであることか。
もちろんこれは「意義」を問うこととも連携している。
また「行為」を問うとは、つまり「行為の結果」を問うているということである。そしてその結果は、何でもいいわけではなく、「有用」であり「実用」であることが含意されている。
プラグマティズムの批判対象
ある思想について、それがほかのどういう思想に対しての批判なのかを見る視点は大切だ。思考であれなんであれ、すべての「新しい」ものは、前提となる批判対象や否定対象を持っている。「今まではこうだったが、そうではなく、こうである」という文型になる。
哲学を学んでいて一番やっかいなのは、(((テーゼ �� アンチテーゼ) ← アンチテーゼ) ← アンチテーゼ)... と延々と続くことである(「弁証法」ヘーゲル)。だからいつも最初のギリシア哲学に行き着いてしまう。個別の思想を単体で語ることはむずかしい。
プラグマティズムは、何に対するアンチテーゼなのかを2つ挙げる。
反形而上学
近代以降の多くの哲学がそうであるように、プラグマティズムも形而上学を否定する。
そもそも「形而上学」がむずかしいわけだが、自分はこうとらえている。
すべての具体的な事象の後ろには、事象(形)を超えた(上)何か上位のレイヤーがある。そしてその「上位レイヤー」の具体物としてそれぞれの具体的事象がある、というのが「形而上学」という考え方である。つまりいろいろなものは存在する以前にその「本質」は決まっている、とする。プラトンはそのレイヤーを「イデア」と呼んだ。
「性善説/性悪説」ということばが、わかりやすい。そもそも人の性(さが)は、善いもの/悪いものである、だから信頼せよ/疑え、というわけだ。
反形而上学はそういうレイヤーを否定する。まずいろいろなものはまず存在していて、それら全体から人は「本質」を見出している。サルトルは「実存は本質に先立つ」と表現した。
しかし、人は形而上学的に物事を捉えたい生き物である、というのもひとつの事実ではある。宗教的考え方やスピリチュアルな指向も、そういうことの現れと自分は考えている。このこともいずれは考えてみたいと思う。
反デカルト主義
デカルトは近代以降の哲学を切り拓いた唯一無二の偉大な哲学者だが、それゆえに多くの後継から挑まれる存在でもある。
単純にくくらせてもらうと、デカルトの主張は「1. 合理的にものごとを考えよう」「2. 合理的に考えれば一つの真理にたどり着ける」ということかと思う。1. の「合理的に考えよう」が、デカルト以前の思考への巨大なアンチテーゼだった。つまりそれだけ「それ以前」が合理的でなかったということだが、デカルトは「合理」というものを再提起した、と言ってもいいと思うし、ここに突っかかる人はいない。
そこには理性に対する絶大な信頼があるわけだが、2. の「一つの真理」に「たどり着ける」ということを後継が咎めた。
「一つの真理」というのが形而上学っぽいわけだが、「真理」とは何であるのか、何であるとするのか、は哲学上のもっとも根本的な問題である。そのうえで大胆にいうとプラグマティズムでは、真理とは有用性のある考えであり、有用性には多くの軸があるので、真理も多元的なものとなる、ということになる。
デザインとの関係
もちろん、自分はプラグマティズムを学んでデザインをはじめたわけではない。
デザインのなかでいろいろ考えることがあり、プラグマティズムを読んでみて、たくさんの繋がりを感じている。またそこからもどって新たにデザインを眺めると、見えなかったことが見える感じもする。
プラグマティズムから学ぶとすると、デザインはどうしなければならないのか、デザインはどうしてはいけないのか。
有用性あるいはよいこと
有用性を平たくいえば「便利さ」とか「役立つこと」とかで、なんとなく深みやありがたみがうすい感じだ。けれど「役立つ」とは「本当は」どういうことなのかと突き詰めて考えるとなかなかむずかしい。
自分にとって「よいこと」であれば、なんでもそれなりに自分の役に立つともいえる。自分にとって「よくないこと」すら、何かを学ばせてくれると考えれば役には立つ。
また自分にとってよいことは、ほかの人にとってよいこととはかぎらない。わたしはほかの人にもよいことだけを自分のよいこととする、というのもあってよい。そのようにいろいろなことを言い出したら、何がよいことかなんて考えても無意味になる、そうとも思える。
けれど自分は、デザインは新しい「よいこと」を考えだして提案する仕事だと思っている。いろいろと考えてはきたが、そうとしか考えられない。
素敵でカワイイ色や形をさぐり出すことも、その一部であるし、新しいサービスを考えることも使いやすさを考えることも、その一部である。逆に何が対象であれ、その対象のよいことの新しいあり方を考えるのであれば、その行為を「デザイン」として括れると思う。
もちろん、いわゆる「デザイナー」だけが、それをする、とはいっていない。それは誰がやってもいいし、実際政治家や工学者、設計者、企画者もそれをしている。が、言えばデザインはそれだけを専門にしているし、デザインからそれを取り上げたら、何も残らないのではないか。
人が「よいこと」を決める〈感覚〉を「価値感」と呼ぶ。これは〈価値〉にかんする話しだ。
よいことは多元的
「美しい」ことは、エスタブリッシュな「よいこと」であると思うが、「美(び)」というと、なんとなく形而上学的な匂いがしてくる。なにか形を超えた超越的な観念として「美」は扱われがちだ。「美」という観念自体は、普遍的であるのかもしれないし、普遍的ではないかもしれない。それを自分は語りえない(ウィトゲンシュタイン)。しかし少なくとも、美の指す内容は時代とともに所とともに変わるのであり、普遍的ではない。
美しさがそうであるように、よいことも時や所で変わる。つまりよいことは多元的であってたった一つの「よいこと」に収束するわけではない。
デザインもたくさんのあるであろう「よいこと」の一つを探している。
まだまだいろいろあったような気がする。 今はひとまずここまで。
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kick-start
今週も1週間お疲れ様でした。 エントランスのパース作って1日が過ぎていった。 まだまだ訓練が足りない。あとシンプルにエントランスの提案苦手、、 バシッと決めないとっていうプレッシャーから私の優柔不断さが顔を出す。 筋トレとか一番嫌いだけど、筋トレという名の基礎知識習得を頑張ろう。 英語の文法勉強してると思えば楽しめるはず! 英語も好きな歌手の歌詞を理解したいとか、 インタビューで喋ってる内容だったり記事の内容を理解したいっていう気持ちから好きになって、 学んでどんどん理解できると、今度はそれを使って自分の考えを発信したり伝えるのが楽しくなって、その繰り返しで今に至る。って感じかな。 まだまだ勉強は続くけど、も��とシンプルに自分の知らない世界を知りたいっていう気持ちを大事にしよう。 英語でブログも書きたい。週末は英語にしよっかな。考え中。 今日は楽しみにしてたしいたけ占いの先行配信があって、早速チェック! ちなみに私はプリプリの魚座。(3.20だからギリギリ牡羊座的要素も含むっていう説もある) 隠れスピオタだから大体ネットにあがってる占いは一通り読んでいる。 最近は隠れるのやめて小出しにしてるんだけどね。 占いは基本いいことしか信じないし、悪いこと書いてある記事はサーっと読んですぐ忘れる。 そんな中でもしいたけ占いは普通に読み物として楽しめるから好き。 内容が当たってるかどうかは二の次で、自分の背中を後押ししてくれるとか、 何かヒントをくれるっていう点で占いが役に立つこともあると思う。 占いの話すると急にヒステリックに占いなんか信じない!当たるわけない!そんなものに決めつけられたくない!と思う人もいるけどね。 例えば西洋占星術で、多分どの星座を読んでも、なんとなく自分に当てはまる気がするかもしれないけど、それは自分の中にいろんな面があってどんな風にも受け取れるからだと思うんだよね。 内向的でこもりたいなって日もあれば外向的で行動的になったりする日があるように、いろんな顔をみんな持ってるから、だから逆に占いなんかに決めつけられたくないと思う人もいれば、なんか当たってるかもって思う人もいる。 ある意味占いは自分を客観的にみるためのツールなのかなって感じる。 自分こういうとこあるな、このままでいいんだっけ?それともかわりたいんだっけ?って自分を見直すきっかけを与えてくれる。 だから私は占い好きです。何度もいうけど都合のいい部分だけ好きです。 明日は同僚と公園で遊んできます! 前の会社に居たら絶対起こり得ないこの奇跡。 休日にも同僚と会って遊ぶとか皆無だったから、今は気楽な仲間に囲まれて幸せです。 歳が近かったり価値観が似ていたり。 類は友を呼ぶっていうけど、逆になんで私これまで全然自分にフィットしない場所にいたんだろう?って不思議なくらい。 それくらい自分見失ってたのかな、、笑 あと今月ついに待ち望んだプロジェクトが始動します! 愉快で素敵な仲間と楽しみの詰まったプロジェクト。 新しいこと始めるときはワクワクする気持ちと不安が入り混じって、 それだけでヘロヘロ〜ってなっちゃうけど、 しっかり楽しんで取り組もうと思います。 今日のキラキラソングはこの一曲! Teenage Fantasy - Cherokee
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クルーズ船観光が好きな人が多いオーストラリアで、シドニーなどへ戻ってきた10隻以上の乗客の下船が許されない事態になっている。船内には計数万人がいるとみられる。国内の感染者が3千人を超える状況で感染��さらに広げる心配からだ。豪紙オーストラリアンなどが27日、伝えた。 【画像】「もう時間ない」イタリア悲鳴 同紙によると、26日夜の時点でシドニー沖には、地元ニューサウスウェールズ州が入港を認めない11隻がいる。いずれも乗客2千~3千人規模の大型船だ。州は乗客の下船を認めるのは「入港の新たな方法が決まった後」と説明している。 この措置は、シドニーに19日、到着したクルーズ船「ルビー・プリンセス号」の失敗例の後に始まった。同号では、到着時にインフルエンザのような症状があった乗客と乗員計13人が新型ウイルスの検査を受けたが、結果が出る前に州当局がほかの乗客2700人の下船を許してしまった。翌日に4人の陽性結果が判明。その後、下船済みの乗客からも州内で感染が続々と発覚し、27日には162人に増えた。 この様子を見た西オーストラリア州政府も今週、パース近郊のフリーマントルに着いた3隻の下船を認めない事態になった。結局、同州は27日、乗客のうち州民約200人は約20キロ沖にあるロットネスト島で隔離し、ドイツなど外国人客はパースから空路、帰国させる方針を示した。 豪州人の間ではクルーズ船観光が人気で、業界団体によると、2018年には135万人が乗った。2月に横浜に停泊していたダイヤモンド・プリンセス号にも、200人以上の豪州人が乗っていて、豪政府のチャーター機で帰国した164人のうち10人が豪州で感染が確認された。(シドニー=小暮哲夫)
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記号とことば
こんにちは。最近人文科学に対する興味が本業のそれよりも、もしかしたら強いのではないかと思いはじめた理系の学生です。こんな体たらくですがなまじ本だけは読むので、折角なら趣味の一環としてアウトプットしてみよう。できることなら何か役に立ちそうなトピックスを集めて。そう思い立ち、つらつらとしたためています。どうぞよしなに。
今回のお話は「ことばとイメージ -記号学への旅立ち-」 川本茂雄著 岩波新書 からです。岩波新書のきいろいやつは面白いですねえ。岩波文庫なら青が好きです。どれも出来が良いので濫読にはもってこいです、おすすめです。
…話が逸れましたが、本書は「ことばとはなにか、を記号としての観点から考える」がテーマです。論理の展開のみならず、詩作や絵画、音楽にまで応用していますので読み応えバッチリです。ここではその序論、と言っても本の半分辺りまでについてお話をしたあとにまとめることにします。今日のお題は「記号学に見る、ことばを伝えるテクニック」です。
(長くなるので折りたたんでみます)
ことばを記号学から捉える
さて、本題です。サブタイトルの記号学という言葉に聞き覚えがない方が多いのではないでしょうか。文中から軽く紹介しますと、記号学は哲学者パースと言語学者ソシュールによって19世紀ごろ作られた学問です。両者は面識がなかったとされていますが、記号学という同一の概念に辿り着きました。記号学はsemioticsと書かれ、これはロックの著作の中でσημειωτικ‘η(セーメイオーティケー)として用いられました。
ロックは記号学を自然学(現在の物理学よりも広範な学問領域を有するようなもの、という解釈でよいようです)および倫理学に次ぐ第三の学問として位置づけました。また、記号として最も通常用いるものが言語(=λογος )であるため、ロジックと呼ぶのもふさわしいだろうともしています。こちらは論理学にあたりますね。記号学の位置づけをよく表していると思われる文章を引用しますので、解説はそれに任せることとしましょう。
”その仕事は物ごとを理解したり、物ごとの知識を他の人たちへ伝えたりするために、心が使う記号の本性を考察することである。 というのは、心が熟考する物ごとは、心自身を別としてどれも知性へ顕現しないから、知性の考察する物ごとの記号ないし表象として、他のあるものが知性へ顕現する必要がある。 また、一人の人間の思想を作る観念の場面は、他人が直接あらわに眺めることができないし、記憶するというすこぶる確かでない倉庫のほうに蓄えておくことができないから、私たちの思想を自分自身の用のために記録するだけでなく、互いに伝達しあうためにも、観念の記号は同じように必要である。人々が最も便利だと見いだしてきて、それゆえ一般に使う記号は文節音である。 そこで、知識の大きな道具としての観念と言葉の考察は、人知をその全範囲にわたって眺めようとする者の熟考の、軽視できない部分になる。”
単にコミュニケーションの道具としてではなく、事物に解釈を与え共有できる能力はすべての学問の基礎になる。故に重要である。そういう主張になっていますね。では続きです。生活の中にありふれるこの記号というやつ、一体何者なのでしょうか?
記号の定義:‘Aliquid stat pro aliquo’
(あるものが、他のあるものの代わりになる)
これは記号を語る上でよく用いられる定義(らしい、ラテン語わからない)なのですが、Something stands for something ってことらしいです。stands forが特に厄介で、「表象する」と訳されます。聞いたことくらいはあるのではないでしょうか、「意志と表象としての世界」。あれです。(未読ですがこのいかめしいタイトルにその一端があるような気がします 今度読みます) たらい回しのようになっていますが、この表象というものはある「刺激」に対して主体がその内に「認知」をすること、および記憶の中から再びその内に現れる「認識」を指します。心のなかにめばえるもの、とでも言えばよいのですかね。つまり、記号というものはこの表象の仲立ちをする役割があります。
ことばの他にも人間は様々な記号を用いますが、ここでは感覚的に用いている記号へのイメージに関してもう少しだけ補足を加えていきます。 ヒポクラテスというお医者様が、その昔のギリシャにおりました。彼の実践的な医学で特に重要な事柄は「ディアグノーシス」と「プログノーシス」になります。それぞれ「今起きていることから病気の原因を探る試み」と「病気の種類からこれからの経過を予測しようとする試み」にあたるわけですが、彼が判断に用いたものは身体に現れる「しるし」でした。例えば「ばち指」と呼ばれる特定の疾患が起こったときに、指の末端が腫れ上がる状態をヒポクラテス指なんて言ったりするそうですけど、両者には関連があるということを見とめました。しかしながら、これは記号とは呼ばず、徴候と呼びます。人為的にデザインされたものであることを、記号の定義上要求しています。あまり本筋ではないですが、まめちしきコーナーです。
こと��をうまく使うために
さて話を戻しますと、記号の機能としての表象には段階があることを述べました。外的な要因に関して話を進めたほうが楽なのでそちらを採用すると、「刺激」から「認知」に至るまでには細かく見るとタイムラグがあり、それらを区別することにします。すると、いくつかのケース分けをすることができるかと思います。
まず、刺激を感知しても対象が何であるのかを判断できない記号。わからないというのは怖いものですから、肝試しをしているときになにか異変に気づいてしまったような状況を想像してください。これは先ほどの徴候にあたるものですが、言うなれば「刺激に対する本質的な感覚」とでもしましょうか。西田幾多郎の「善の研究」でいうところの純粋経験です。このような関係にあるとき、第一次性の関係にあると表現します。またその刺激を個体記号もしくはイコン的記号といいます。以後この表現を用いることとします。
次に刺激を感知し、対象を知覚することのできる記号。きっとおばけというものを知らなかったのでしょう。正体がなんだかはわからないけれど、異変の原因はあいつらだ!ということを知覚します。これを第二次性の関係とし、性質記号もしくはインデックス的記号といいます。
最後に刺激の感知、対象の知覚、その区別までできる記号。いわゆる「知っている」という状態です。一つ目小僧に提灯お化けに、あとはおばけのステレオタイプみたいな皆さんがぞろぞろと…とそんな具合に。これを第三次性の関係とし、法則記号もしくはシンボル的記号といいます。
こんな具合に。
もう少しだけ、別の例を使って説明します。イコン的記号の本質は写像性であり、例えば黙って柑橘類の写った写真を見せたとしましょう。相手にはそれがみかんなのか何なのか判断がつかないまでも、そういう果実であることがとりあえずわかります。
インデックス的記号の本質は隣接性です。もし相手が買い物に行くことを事前にこちらに伝えていて、その支度でもしている時に柑橘類の写った写真を見せたなら「ついでにこれ買ってきて」そういうメッセージとしてとることができるかと思います。
シンボル的記号の本質は象徴性です。相手はカレンダーをちらと見ました。そうです、今日は冬至でした。日本では冬至の日にゆず湯に入る慣習があるため、それのことを言っているのだろうということが伝わりました。めでたし。 本書ではこのあたりの説明がかなりシンプルな図で表現されていたため、しつこめに補足しておきました。これでイコン、インデックス、シンボルすべてが分かっていただけたかと思います。
さらにうまくことばを使う 退行と逸脱
通常ことばが記号として用いられる場合は、この第三次性までの機能を全て備えている必要があります。ですが、退行(degenerate)という手法を用いることも時に効果的です。あまりよい単語とは思っていただけないかもしれませんが、ようは「第三次性の記号を第二次性に落とす」ことがとられます。
これによりことばのみで伝えられる情報量は減ったとしても、その上位となる第三次性の関係を相手の中で表象させることができます。直接的でないが本質を捉えた表現が文学的であるとして胸を打つのは、この退行が用いられているためです。ものごとの輪郭をことばでなぞるような、そんなふうにするといいんじゃないでしょうか。
もう一つは言語における「正常」と「逸脱」になります。表象をあらわすものとして「心のなかにめばえるもの」と表現しましたが、これは正しい文章でしょうか。比較的どこかで聞いたことがあるようなフレーズであるためあまり違和感は覚えないかもしれませんが、心に空間があって、そこに植物がにょきっと出てくるところを見たことはありませんし、聞いたこともないですね。このように正しい(通常の語の結びつきとして一般に了解がされているとみなせるもの)表現から逸脱することも、ことばにはゆるされています。
逸脱表現の名手だと思っているのが川端康成で、雪国を読んだ時なども「おっ」と思わされました。つららがかわいいのです。
「軒端の小さい氷柱が可愛く光っていた」
小さく美しいものを形容するのに可愛いという表現を使うのは誤用ではないためこれは逸脱とはやや異なりますが、そこでかわいいを使うのかぁと思いました。場面は陽が上った気持ちの良い朝。雪国の厳しい夜の寒さが和らいで、こどもらがその辺を遊び回るのどかな風景。当然氷柱などは当たり前のようにそこらじゅうの屋根からぶら下がっているわけですが、それがゆっくりと融かされて、徐々に小さくなっていく。ひとときの平穏を表すにはこれ以上の表現が見つからないです。
(ただ、逸脱には事前に取り決めがあるわけではないので、意図を相手が汲んでくれるかどうかは書き手と受け手の技量に委ねられることを申し添えておきます。)
今回のまとめ
1. ことばを記号としての側面から捉えることで イコン的記号 インデックス的記号 シンボル的記号 のようにケース分けができる。
2. そうした性質を見とめつつも、応用として退行、逸脱を用いることでより効果的な表現を目指すことができる。
としたいと思います。また面白い本が見つかったら書いてみようと思います。それでは。
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200427
デジタルにおいてもアナログにおいても最も「速度が遅い」厚塗りのスタイルが「削り描き」だ。
まずおおまかなアタリを置き、それを削り込んで形状を整えていくというスタイル。僕も厚塗り系の描き方をする際は、それをやってた。
しかし、上手くて早い人の背景メインの絵を観ると、どうもそんな事してる痕跡がない。
なんかプレーンブラシのストローク一発置きで描いてないか?という気配が漂っている。
おいおい、どうしてそんな事ができるんだ? と思い、気になった絵を拡大して分析してみた。
こういう事こそFANBOXに載せたらいいんじゃないかと思うが、なんというかまあ、恥ずかしいので…
「お前も勉強中かよ!」って…
でも、ま、ある程度勉強の仕方が板についてきたら、そういう記事を書いてもいいかな。今は勉強の仕方自体を勉強している。寝る前模写とかそーいうものとは全然違う「時短」の為の練習だ。今から描くべき形状をいくら幻視出来てても、アウトラインとって→中身を塗りつぶして→それから影つけ的な前時代的な段取りでは昨今のイラストに求められるクオリティを納期内に実現する事は困難だ。
・ ・
昔から気になっていた「うまい人ほどプレーンブラシの筆致が残る」法則。何故プレーンなのか??なぜ、質感がないのか??
今日、その根拠が少しわかった。
ああ、実際に絵を描いてみせた方がいいか… うーん…めんどくせぇ!
つまり、「ちょうちん」を描くとするでしょ? これ、プレーンブラシなら3回で描けるのよ、なんと。
ド正面の、正投影図って意味じゃないよ。若干アオリのパースがついているようなやつな。あくまで若干ね、ド派手にパースついていたら「6回」、ストローク引かなきゃだから。
では、説明する。ほんと、絵で描いた方が早いけどな…
・ ・
下書きはしてあると思ってくれ。ちょうちんは、上んとこの輪と、本体のジャバラと、下んとこの輪の3パーツで構成されてるな?
まず、プレーンブラシのブラシ先端のシェイプの角度 / 真円率を調整して、ちょうちんの円のパース感に合わせるんだ。大体でいい。
そしたらそれで一番上の輪の部分を、まず上から下になぞる形で、描く。
シルエットで、だ。パーツ単位で考えるんだ。輪の切れ目とかは描かなくていい。
次、ジャバラを同じ要領で別レイヤーに描く。これで2ストローク。
もいっこレイヤー増やして、今度は一番下の輪っか。これで3ストローク。
実にきれいなちょうちんのシルエットとマスクが出来ただろう?あとはこれにクリッピングマスクするなりなんなりで、ハイライトと影、ディティールを描けばちょうちんの完成だ。
色はグラデーションマップでつけるからグレーで構わない。これならどう考えても、ちょうちん一個のパースが完璧にあったグレースケール画像を作るまで2分かからない。色をつけたとしても3分だ。
いっこ作ったらコピペして周囲の2~3個はまかなえる。だから、コピペ調整1個につき6秒くらいかかるとして、んで、常識的な間隔でちょうちんを配置した際にパースの破綻が見えてくるのが大体5個離れたあたりだと仮定して…
着彩済みのちょうちん60個をたわんだロープに1から配置するのにかかる時間は、キーとなるちょうちん (3min) +コピペちょうちん左右それぞれ4~5個(50sec)=約4minを1セットとし、それ×6だから24分てところだ。
うん…むっちゃ早い。これでそのパーツはほぼFIXなんだから。いっこにつき30秒切っているところがいいじゃないか。
こうやって円柱形のパーツをどんどん決め打ちで描いてゆくのだ。
円柱とか一番厄介に見えて実はこういうショートカットができたの��。勉強になるなー。
ただ、ド派手なパースがついている場合は3Dでやった方がいいと思う。望遠気味のパースが大人しい構図でしか、このテクは使えない。
真円率を思い切り小さくすれば、角張ったものも簡単にかける。ようするにカリグラフィブラシと同じになるわけだ。これは容易に想像つくだろう。
あらゆる形状を面で素早く描くのに最適なブラシ、それがプレーンブラシなのだ。描画間隔は5%以下にしておいた方がいい。シルエットがもこもこしちゃうからな。ああ、あと全部フォトショの話だから。
でも他のソフトでも同じ考え方でやれるはず。クリスタに真円率とブラシ角の調整ってあったかなあ?
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