Tumgik
#兎沢深澄
apiz141 · 1 year
Text
Tumblr media
ミト (兎沢深澄)
Mito (Tozawa Misumi)
ソードアート・オンライン・プログレッシブ 星のない夜のアリアのミトです。
2022年9月15日にpixivとDeviantArtで公開されました。
‿︵‿︵‿︵୨˚̣̣̣͙୧ - - - - - ୨˚̣̣̣͙୧‿︵‿︵‿︵
This is Mito from Sword Art Online Progressive: Aria of a Starless Night ladies and gentlemen.
Published on 15th September 2022 in pixiv and DeviantArt.
5 notes · View notes
bsamngodangbralba · 10 months
Text
小町数人説をめぐって
陽明文庫に中世の小町の絵がある。絹本着色、縦六一・六センチ、横四一・七センチの絵を表装してあるのだが、軸心近くの裏面に「小野小町像 貞治六秊六月廿五日」と、まさしくその頃この筆跡にて記されたものが付加されている。表装そのものもそんなに新しいものでないが、表装するにあたって、この絵に本来ついていた紙をここに付加したものであろうことは、その字がまさしく貞治頃〈一三六二〜一三六七〉この事跡であることが疑いもないからであろう。
ところで、この絵は「小野小町像」となっているが、まさしく「玉造小町子壮衰書」によっている。「容貌ハ憔悴シテ、身体ハ疲痩」、「頭ハ霜フリタル蓬ノ如ク、膚ハ凍リタル梨ニモ似タリ」、「骨ハ辣チテ筋ハ抗クナリ、面ハ黒クシテ歯ハ黄バミタリ」、「裸形ニシテ衣ナク、徒跣ニㇱテ履ナシ」、「左臂ニハ破レタル筐ヲ懸ケ、右手ニハ壊レタル笠ヲ提ツ」、「頸ニハーツノ囊ヲ係ケ、背ニハーツノ袋ヲ負ヘリ」、「肩ノ破レタル衣ハ胸ニ懸カリ、頸ノ壌レタル蓑ハ腰に纏ヘリ」とある「壮衰書」の序文をのものである。ここでもまた小野小町と玉造小町を同人物とする中世の理解が確認されるのである。
先にあげた「無名抄」の文〔五〇頁参照〕の続きに「玉造の小町と小野小町と同人かあらぬ者から、人々おぼつかなきことに申して争ひはべりし時...」とあって別人説もあったことは確かだが、その多くは前述の「玉造小町子壮衰書」の弘法大師著作説を土台にしての疑問であり、中世の大勢は、あくまで両者を同じものと見、「玉造小町子壮衰書」を小野小町の事蹟を語るものと見ていたことは疑いもないのである。
近世に入っても、この傾向は変わらなかった。貞徳の「徒然草慰草」などその顕著な例だが、中期以後の随筆の類を見ても、たとえば天野信景の「塩尻」〈『随筆大成』等〉、志賀忍〈天保十一年、七九歳没〉の「理斉随筆」などは、小野小町と玉造小町を同一人と考えている。
ところが、小町という名は、実は普通名詞であって、〇〇小町と呼ばれる女性はまことに数多くいたのだ、玉造小町と小野小町もとうぜん別人だという、いわば画期的な説が新井白雅の「牛馬問」「〈温知義書〉」に提示され、人々を驚かせたのである。
古代には一国より一人づつ采󠄃女を内裏へ献ぜしこと也。既に仁明帝の前後には、小町とて召されたるもの六十余人ありしとなり。この采󠄃女を后町のうちにをらしめたまふ。故にみなみな小町と呼ばれたるなり。その人々の宮仕へをやめて古郷に帰り身まかりたる墓を、おほか「た小町塚とよびしとなん。さてこそ、国々に小町塚といふもの多し。美濃・尾張の間にさへ二三所あり。
しかるを、なべての小町を一人と思ふよりまぎれたる説多し。たとへば実方朝臣、陸奥へ下向の時、髑髏の目穴より薄の生ひ出て、「秋風の吹くにつけてもあなめ〱」の歌の小町は小野正澄が娘の小野小町なり。文屋康秀が三河掾となりて下りし時、「身をうき草の根をたえて」さそふ水あらば」とよみしは高雄国分が娘の小町なり。「おもひつつぬればや人の見えつらむ」の歌、又業平の「舞の袖」などいひしは出羽郡司小町良実が娘なり。高野大師のあひたまふ、壮なる時憍慢最も甚だし、衰ふる日愁歎猶深しと答へしは常陸の国玉造義景が娘の小町なり。かく一人ならず。故に時代其外異なる事あるのみ。中にも良実が娘の小町は美人にて和歌にもすぐれたれば、独り名高く、すべて一人のやうに伝へ来たるのみ。
まず、小町を采󠄃女をし、采󠄃女のすべてに「町」をつけてよんだといっているが、平安時代の文献にあらわれる采󠄃女は、たとえば「近江の采󠄃女」〈拾遺集〉「明日香の采󠄃女」〈大和物語〉などのごとく、国名を冠して呼ぶのが普通である上に、文献にあらわれる「町」のつく女性は前述のように后町にいる更衣であって采󠄃女ではない。小町采󠄃女説自体が出羽都司良実の娘という伝承をもとにして出来たものであり、出羽国から采󠄃女をさしだすことはなかった〈「続日本紀」「類聚三代格」〉という事実を持ち出すまでもなく、この日雅の説には従えないのである。地方に数多い小町塚の合理的説明としても弱いものである。
ところで、この白雅の説、後半になると、その多数の小町が四人にしぼられて来る。架空の人物である小野正澄とか高雄国分とか玉造義景などの名をどこから持ち出して来たのか不明だが、既に伝説化説話化している小町像のすべてを事実と認定する立場からの合理的整理であって、まったく意味をなさぬものとしか言いようはないのである。
伝承る整理しながら、また新しい伝承を生んでいる感じの「牛馬問」の説であるが、その合理的整理法に人気があったのか。それに賛同して引用している随筆が実ははなはだ多いのである。神沢貞幹の「翁草」〈『随筆大成』第三期所収〉、城戸千楯の「紙魚室雑記」〈『随筆大成』第一期所収〉、石川宣続の「卯花園漫録」〈『新燕石十種』第三所収〉、山本信有の「孝経楼漫筆」〈『随筆大成』第三期所収」、滝沢馬琴・屋代弘賢らの「兎園小説」〈『百家説林』所収〉など、いずれもこれに全面的な賛同を示しているのである。
小町に限らず、伝説的人物は、その伝説化の過程において、事蹟が膨脹し、それを全体的に把握するとなると、そこに新しい矛盾が出てくることが多い。これを予盾なく合理的に統一しようとすると、いわば原生動物の体のように多方面に膨脹したものを分割するほかはなくなる。
たとえば柿本人麿の場合にしても、「万葉集」の記述を信するかぎり人麿は持統朝から文武朝にかけて活躍した歌人であるとするほかはない。だが一方、「万葉集」が引用する「柿本人麿歌集」にはそれよりもかなり後の歌もある。「人麿歌集」に後代の歌が入っているというのは今日の学者の常識だが、人間歌集なのだからすべてが人麿の歌だという立場に立てば、「万葉集」の人麿にして、既に最低二人いたことになる。次に「古今集」の仮名序を見ると、、「おほきみつの位(正三位)柿本人麿」を「ならの御時」の歌人としている。現在では、これを「奈良時代」と解し、しかも人麿が活躍した飛鳥時代は奈良時代に接していたからこのように書いたと説明している。だが、そこに都があった「時代」と解するのはどうか。平安時代において「御時」とは天皇の治世、すなわと御宇のことであり、「ならの御時」は平城の帝の御時の意にほかならないからである。事実、この仮名序に対応する真名序(漢文の序)には「平城天子」とはっきり書かれている。「古今集」より五十年ほど後に出来た「大和物語」にも人麿が平城天皇に仕えていたとある。平城天皇は平安時代第二の天皇だから「万葉集」の人麿とは違う。これ第三の人麿ということになる。ところ、で、「古今集」から百年ほど後の第三の勅撰歌集「拾遺集」を見ると、人麿が渡唐してよんだという歌が二首見える。これ、第四の人麿である。
人麿を一人ではなく四人とすると、その間の矛盾はなくなる。しかし矛盾がなくなったところでどうなるというのだ。私が問題にしたいのはそんなことではない。実在の人麿が、その死後、奈良時代・平安時代にどのように伝説化されていったか、別のことはで言えば、後の人々の心の中に人麿がどのように生き続けて来たか、私はそれを問題にしたいのである。
小町の場合も同じである。江戸時代の学者のように小町を四人にしたり、現代の民俗学系の国文学者のように、小町と称する女が無数にいたとか、小町を名のる遊行婦女・あるき巫女・歌比丘尼のたぐいが諸国をめぐり歩いていたと言い切ることによって事足れりとし、文献に残った小町の文学と伝承について深く考えようともしないのは学問の堕落、ある意味では頽廃という評語が適切でさえある。仮に彼らの言うようなことがあったとしても、せいぜい中世の後期のことであり、「小野小町の歴史」ほ既に平安時代中期以前から始まり、中世、近世と続いていたのである。小町が、その死後も、後代の人々の心の中にどのように生き続け、どのように変容していったか、あるいはまた、時を経て変容しながらその底に変えずに生き続けてゆく、いわゆる小町的なもの、それはいったい何かということの追跡にこそ、私は意味を認めたいのである。世に虚と言い実と言う。しかし、このように見れば、人々の心の中に生き続けていたものはすべてが実だと言うほかはないのである。
以下の章において次第に明らかにしてゆくことであるが、小野小町の説明化は、彼女の死後間もない頃から既に始まっていたのである。そして十世紀の末頃には、我々が知っている小町説話、たとえば(1)雨乞説話(2)好色説話(3)男性を拒否する驕慢説話(4)衰老説話 等、そのおおむねが既に出来るがっていたはずである。だから、そのような流れの中に「玉造小町子壮衰書」を置くならば、「小町老いて後、おとろへさらぼりたりなど云ふめるは、玉造小町の事なるを混じていへるなり」〈本居内遠「小野小町の考」〉というような見方が必ずしもあたらぬことを知るのである。小町衰老落魄の説話が「壮衰書」の影響で出来上がったというよりも、既に世に行なわれていた小町落魄説話の仏教的結実として壮衰書を考えるべきではないか。「玉造」の由来を明らかに出来ぬことは残念であるが、ともかくも「小町」と表題にあるだけで人々が説明を求めないような人物の伝でなければならないこと、しかもそれが「花ノ時ヲ待チテハ玉筆ヲ秉リテ紅桜紫藤ノ和歌ヲ詠ズル」美女の伝でなければならないことなどを併せ考えれば、平安末期から中世にかけての人々の大勢的理解がそうであったように、これをも小野小町のこととするのが、最も素直な、そんなして最も妥当な理解だと思うのだが、いかがであろうか。
5 notes · View notes
doctormaki · 1 year
Text
ハンブルグに戻り、ほぼ誰もいなくなったもぬけの殻のマンションで、ここ数日暮らす。実に静かで良い。このマンションの立地は丸の内一番地的で素晴らしいのだが、上階や隣人の足音や声が聞こえて、言うなれば、音響が素晴らしく良い。上階のギリシャ人Chrisと共に起き、彼と共に上下階に別れて朝シャワーをし、Chrisが出かけていく足音を聞きながら、左側上階のスウェーデン国籍ナイジェリア人のMinnaがZoomしているのを聞きつつ、隣人の南ア人ゲイのLouisが彼のパートナーとお喋りしているのを聞く毎日。私は神経質なので、他者の生活音がかなりのストレスだった事を、思い知る。
世の中はイースター休暇である。小学生の頃、イースターの頃のヨーロッパ旅行でイースターエッグのチョコレートを貰うのが、小さな喜びだった事を思い出す。私が子供の頃は、チョコレートも飴も、ちょっとした特別感があったものだ。コーヒーも紅茶も、ちょっとした潤いというか贅沢だった。豊かになり、チョコレートが毎日飽きる位に食べられるようになったり、コーヒーが一杯百円で売られるようになったりと、日本の異常な豊かさに驚くと共に、そんな事は長続きするはずが無いと確信している。豊かさの飽和が、民心を貧しくしているというパラドクスは、しかし、アメリカもドイツも同じだ。
日本のバブル崩壊から30年。それでも豊かでいられるのは、過去の現役日本人、祖父母や両親達が頑張ってくれたお陰だと身に染みて思う。私と同世代の団塊ジュニアは、バブル世代の犠牲になって差し上げ、バブルの軽くおバカなノリを冷ややかに見ているが、それは、ほぼ、社会の底辺から見ているに過ぎない。私達の直ぐ後の世代は、就職氷河期でも無いくせに、就職氷河期であった事を主張し、自分達が社会の犠牲者である事を恥ずかしげもなく標榜し、発想力も無く、知的レベルが低く、上(バブル世代)に媚びへつらう事で生き延びようとする組織のコマ程度の人材ばかりが、起用されていく。ハンナ・アーレントの組織的悪のパターンが平和的に実行されているに過ぎぬ。日本の経済力、組織力、民度の低下は、今後ますます酷くなるだろう。そうした危惧も無く、今をこの世の春と謳歌できる楽観主義者と、未だに核家族化における社会的要請(少子化対策)を真剣に受け止めるマジメな方々だけが、せっせと子作りに励み増殖していく。それは、アメリカでも、ドイツでも同じ。
私の周りの知人達は、ほぼ皆、社会不安や将来不安から子を持たない選択をしている。この人には親になってほしいと、こちらが願うような人格者ほど、子を持たない。私の分析では、子供を持つ事とは、親に成らせてもらう事によって、自らの自己成長のために、子供を、ある種の犠牲にしているようなものだと思う。従って、DVなどの負の連鎖は、綿々と続くし、どこかで、負の連鎖のカルマを断ち切り、気付きの機会が無い限り、家は負の意味で没落しゆく。逆に、家が消滅するとは、カルマが終了したという風にも捉えられると思う。十分に、学びの機会を持ち、ついえれば、終わって良いのだ。日本は宗教がいい加減だが、多くの聖職者が子を持たないのは、そういう意味合いがあるのだろうと思う。私は、聖徳太子の好む維摩経が好きだ。在家で在野に在りながら、清くいる。私は、二十代の半ば、病気をしてから、維摩経を心に置いている。
私は、色々な角度から考えても、子供を持たなかった選択を、良かったと思う。どうせ天然記念物並の知性と感性の持ち主なのだから、天然記念物らしく朽ちれば良いのだ。ガハハ。生物とは、ただの遺伝子の箱なのだとしたら、チェコのブルーノでメンデルが発見した法則のように、また、どっかで、突然変異が生まれ、私のように、社会を斜めに観察する人間も、生まれて来るだろう。問題は、小池がほざくような(負の)レガシーではなく、何を足跡として残せるのかという事とも思う。しかしながら同時に、忘却される事の粋美も思ったりする。忘却されていても、本物であったならば、本物を探す者が時空を超えて探し当てるものだと確信している。それは、必ずしも親族や同民族では無いという事も。
春の訪れを日本を思いつつ祝う時、チューリップを紅白に活けてみた。また、研究所での食事が無くなったので、自分の食べたいものを料理して食べられる幸せを感じている。料理を極端に嫌う事や、料理しない事を良しとする事は、私には理解不能だ。自分の体調に合った、身体が季節変化に合わせて求めるものを、食べたいときに食べられないのは苦痛でしかない。食べたいものを、自らが調理して食べられる幸せ。買いたいものが売られていて、それを購入できる幸せ。その背景にある多くの人々の仕事に感謝しつつ、また、食べて下さいと五体投地してくれる生命を、有り難く調理し、美味しくいただく。これ以上の幸せはあろうか。自分が確実に大きな社会のネットワークの小さなゴマ粒に過ぎず、大きなものに生かされていることを思う。毎食、毎食が、感謝でしかない。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
研究所のコックのミヒャエルと、彼の彼女レベッカさんは、私の事をとても好きみたいだ。まぁ、地下回廊に簡易に作られた薄暗く狭いキッチンに、昨年からせっせと通い詰めているのは、研究者でも私だけだしね。。。私は丸山眞男好きなので、市井の小さき名もなき人々の日々の小さき行いこそが、国家の根幹であると信じて疑わない。政治家も学者もアイドルも、みんな、ウンチである。見て社会の病を推測する事はできても、社会を支える根幹は、表立つウンチどもからは、絶対に見えない。大衆とは、実にウンチが好きなんだなぁと感心する。まぁ臭いから、ベムりんみたいに、気になるという事なんだろう。あるいは、自分の中のウンチと呼応するので、ウンチを見て賞賛したくなるのかもしれん。
ワシはウンチはどうでも良いので、社会を動かす、根幹の部分にある、隠蔽された良心を見たい。そして、そこにこそ、社会の希望と未来を見出だしたい。そんなワシに、ミヒャエルは、イースター休みにも関わらず、レベッカと愛犬ペッピーノと共に、車で拙宅まで送り迎えし、自宅に招き、春の料理を振る舞ってくれた。ミヒャエルは北部ドイツ、レベッカは黒い森周辺の南部ドイツ出身。ミヒャエルは、バンコク、リスボンなど世界中を渡り歩いたコックさん、レベッカは2014年台北で開催された25歳以下世界お菓子選手権大会で世界3位を取ったパティシエ。ペッピーノはミックスの捨てられていた犬で推定1歳半。皆、何故か分からんが、ペッピーノなんか身体が壊れそうな位に喜びまくるし、ワシの方が感謝せんならんのに、ミヒャエルとレベッカは、来てくれてありがとうと、感謝して来訪を喜んでくれる。
イースターのためにミヒャエルが作ってくれたのは、春の魚、サワラのソテー。これに森のキノコと白ワイン、玉ねぎを煮込んでとった出汁をベースに、刻んだ玉ねぎと白アスパラと緑アスパラを小口切りし、たっぷりのバターで炒め、春にしか取れない森のキノコをふんだんに入れたところで出汁投入。そして削ったパルメジャーノと黒胡椒で味を整えたスープ仕立てソースを、別フライパンでソテーしたサワラの上にかけて、いただく。食器は、家にある食器で一番高いという、ミヒャエルがお祝いで貰った、美濃焼の器。彼の料理は、優しく繊細で、兎に角、優しく奥深い味わい。研究所で出している料理と異なり、心がこもる料理とは、同じ作り手でも、味わいが異なる事を実感した。この料理を、私は生涯、忘れ無いだろう。
おまけに、何故か、ミヒャエルからは日本から輸入した枯節一本、レベッカからは彼女の作った特大イースターエッグのチョコレートとワシが好きだと覚えていて、ラズベリーとパッションフルーツのジャムを頂戴する。イースターにも、プレゼント交換するのをワシは知らんかったので、メチャクチャ恐縮。
でも、多分、ワシが作ってあげた、カツオダシのお澄ましとニラ餃子、あんこ玉を作っておいて白玉粉を器用に、トリュフ作る時みたいに白玉で包んで茹でて作った、あんこ入り白玉団子が、美味しくて、嬉しかったって事なんだろうなぁと、しみじみと思う。しみじみと、しみじみと、ワシの心が、彼らの心に触れたのであれば、これこそが、ホンマモンの外交努力である。そして、こうした触れ合いが人知れず継続される事でしか、外交なんて、本当は成立しない事も、ワシは知っている。昨今の、金持ちブリタイ外交官や商社マンが、適当な高級レストランで適当にクッチャベッて外交した気分で喜んでいるのは、ブリと鯛レベルに過ぎぬ。その一晩に使った金額の多い少ないで関係性が計測されてしまい、資本主義の薄っぺらい関係性でしか無くなる。
そうじゃないんだよ。時間を共にするということ。同じ釜の飯を食うとは、共に材料を集め、共に調理する時間を過ごしたという事を含意する。ミヒャエルが、マキに何を食べさせようかと思案しつつ、イースターで閉まる直前の忙しい市場に出向き、ウロウロして食材を買い揃え、前日には、アルコール飛ばしたソースなら食べられるか?と確認のメールをし、当日には朝からワクワクと、ソワソワと、魚を自慢の刺し身包丁で解体し、切り身にしてからバットの上で休ませ、レベッカに運転させて、マキを30分かけて車で迎えに行く。この間、ずーっと、思って貰えた事に、感謝なんだ。その優しさと、かけてくれた時間、思いを寄せてくれていた事こそが、掛け替えの無い友情の証だと、アホなワシは確信する。
ワシが、ケーキを作らなくなって久しいのは、忙しいからを口実にしとるが、ちゃうねん。ワシが掛けた時間が、工業製品の如くに、チャチャッと評価され、つまらない物として消費され、こんなんだったら、〇〇パチシエで買う方がいいじゃんと言われる事に、耐えられなくなっただけ。じゃ、おフランスで修行して、バカ高い価格つけて売っているブリタイ共から、買え。と思っただけ。
でも、もうこんな心的逃走も、春の訪れを以て終了します。他人は、裏切るものよ、信用なんかしちゃダメと、お風呂の師匠は私を諭す。他人に期待して傷つくのは自分だから、他人に期待しない事だよ。社会なんてゲームなのさと、エルちゃんは私を諭す。私は、ずーっと、ずーっと、彼らの言葉を哀しく聞いていた。人間はそんなものなのかと。父はハッキリと、お父さんは性悪説だと、10代のワシに宣言した。だから、ワシは18歳で、性善説を貫くと心に決めた。天邪鬼は、いつの世でも大変です。でも、ワシはやはり、性善説を生きようと思う。他人の、良心に触れようと。触れるためには、自分が良き人でなくてはならない。与えて、与えて、悲しんで、傷付きまくって、泣きまくって、それでも、与え続けられる人になりたい。何故なら、私はやはり、人間を恐れつつも、人間が好きだからだ。芥川の蜘蛛の糸のように、どんな悪人にも良き心があるはず。親鸞の悪人正機説は私はバーカ親鸞と思っているが、何故なら、悪の正当化を許容するから。近代日本をダメにしたのは、極端な悪人正機と他力本願で、親鸞こそが浄土真宗こそが、悪だとワシは思うちょりまんねん。まぁ大衆宗教だから、しゃーないけど、酷いもんだで。
いずれにせよ、ワシはもう、こだわりを捨てるのだ。東大にも日本にも、もはや期待は持てない。つまりだ。究極の個人主義の時代ならば、夏目漱石の超個人主義の時代が到来したの��と理解して、ワシこそが、良き者であり、あろうとし続ける弛まぬ努力をし続けることで、世界の良心になろうと思う。
6 notes · View notes
wata-8 · 6 years
Text
Fantasy on Ice 2018 in KOBE
2018.6.16.Sat-2018.6.17.Sun
金沢に続き夏休み第2弾でFaOI神戸土日行ってきました。後悔先に立たずとは言うものの、金曜公演後のTLのどよめきを見ながら金沢金曜日ではなく神戸金曜日に有給を取るべきだったかと頭を抱えました。やはり前情報が何もない状態で新プロの衝撃を体感出来るのは初演だけなんですよね…どんなに情報を遮断しようとしても演技開始まで情報0の状態を保つのはこの情報社会では些か難しい。何故か1枚しか上がってこない写真、詳細が語られない報道、TLに流れてくる天女様を見たという数々の目撃証言…羽生さんの新プロは神秘のベールに包まれ期待値だけが高まる中神戸行きの夜行バスに乗り込んだ訳です。今月バスに乗るのは既に4回目、もうすぐ会員ランクが上がりそうです。
OPは土曜日はディレイドアクセルが目の前、日曜日は脚上げ4Tが目の前で最高でした。どちらも美麗ジャンプ過ぎて涎出そうでした。世界で1番暑い夏、ノリノリきゅるんきゅるんで踊る羽生さんの可愛さったらもう。ディレイドアクセルの後ぴょんって跳び上がるのハチャメチャに可愛い。男子スケーターさんと女子スケーターさんの絡みがそれぞれ順番にあるんですけど、羽生さんと舞依ちゃんのくるくるが可愛すぎて悶絶。一瞬だけどアンナちゃんと羽生さんのペアはおれ得すぎたよね。おれのアンナちゃん。みんな可愛くてキラキラで夏が来ました、はい世界で1番暑い夏が来ました〜!
色々なスケーターさんのプロの感想を連ねたいのですが、兎にも角にも既に薄れ始めてしまっている記憶と衝撃がこれ以上薄れていってしまう前に羽生さんの「春よ、来い」の感想を綴らねばなりません。
照明に照らされてその神秘のベールの脱いだ「春よ、来い」。白地に薄紅色を差したお衣装に袖からたっぷりとした透けるように薄いひらひらをはためかせながらするすると氷を滑っていく羽生さんは、さながら羽衣を纏った天女様でした。まるで春の化身、桜の精。ひとつひとつの動きや仕草は時に鋭さを感じる程に研ぎ澄まされ息をするのも忘れる程に美しく、その世界に深く引き込まれ言葉を失い声を出すことも叶わない程に見入ってしまいました。
随所にレクイエムさんを彷彿とさせるような振付がありましたが、春よ、来いはレクイエムさんで描かれていた苦しみ悲しみを昇華させるようなプログラムになっているように感じました。レクイエムさんでは悲しみ苦しみ、それに苦悩し藻搔く姿に焦点が当てられていたのに対し、春よ、来いはそれらを乗り越えた先には必ず希望があるということを強く感じさせるプログラムのように思います。寒く厳しい冬を耐え忍び、いつか来る春を待って力強く咲き儚く美しく散っていく桜のよう。時折ふわりと浮かべる柔らかく優しい微笑みは触れようとしたら消えてしまいそうな程に儚く。
今までに見たことのない程低い姿勢のハイドロは、まるで氷に唇を寄せているかのようで。羽生さんが口付けた氷の大地から生命が芽吹いて花々の蕾が綻び、厳しい冬は終わりを告げ温かく優しい春が訪れる、そんな情景が浮かびました。巻き起こった風で切り刻まれてしまいそうな程に鋭いトウアラビアンそしてトラベリングキャメルから入るスピンでは、ブワッと花びらが舞い上がるのが見えるようでした。まるで春の嵐。花びらが1枚ひらりと風に舞うように軽やかなウォーレイ。雄大なディレイドアクセル、そしてしなやかで力強く美しいイナバウアーは大輪の花が咲き乱れていく様子が目に浮かぶようでした。そして最後のスピンで花吹雪にその姿が飲まれていき気付いた時にはもうそこにはいなかった、全てはひとときの春の夢だった、そんな終わり方が似合うと思いました。
春ちゃんを浴びた後にフィナーレのダイヤモンド、温度差がありすぎておれが陶器だったら粉々に割れています。いや本当にめっっっちゃ可愛いんですけど、心が着いていかない。春ちゃんの後5分くらい暗転したまま心の整理をする時間がほしいです。
ただひたすらに美しかった、初めて春ちゃんを見た土曜日はその感想以外まるで記憶に残らず、自分が見たものは果たして本当に現実に起こったことだったのか分からなくなりました。おれが見たのは春の幻だったのか。日曜日にはその朧げな記憶を埋めるように2回目の春ちゃんを心して見ましたが、見れば見るほど夢か現実かますます定かでなくなっていくようで。羽生さんの人生観を詰め込んだという春ちゃんに、この先何度でも会いたい。ひとりとして同じ春ちゃんはいなくて、見る度に姿を変えておれたちの前に現れるのかと思うと出来ることなら1公演も見逃したくはないですが、頑張ってお仕事しないとチケットが買えませんので全通は出来ません…つらい…とは言いつつ無理矢理スケジューリングして軽率に新潟金曜日と静岡金曜日は追加しましたけども…
そんなこんなで春ちゃんポエム量産マシンと化したおれですが、今年も弓弦羽神社に参拝に行って去年買えなかったゆづ丸くんをゲットしたり旅行守りを新調したり、フォロワさんと春ちゃんについて語り合いながら神戸牛を食べたり、おいしいパン屋さんで朝ごはんを食べてからスタバでゆずシトラスティーキメたり、今年もFaOI神戸をハチャメチャに楽しんだのでした。来年もまた来たいな〜〜!
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
87 notes · View notes
cale1108 · 3 years
Text
「劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア」★★★☆☆
兎沢公式:https://sao-p.net/
SAOアスナ視点リブート。映画で連作やるんかな。
TVアニメ版と同じシチュエーションでも違う所があったりする。アスナの同級生の兎沢深澄の存在は象徴的。TV版とかでは結構すっ飛ばしてた序盤もそこそこ描くので、ゲーム初心者のアスナがサバイバーとして経験を積んでいく様を見られる。
モンスターに囲まれてタコ殴りにされてHPゲージ削られて死ぬ人々が描かれるので中々えげつない。人間の本性は危機迫った時じゃなくて普段見せる姿というキリトの解釈は概ね同意する。それにしても今作のキリトはアスナのほうが年上なのがよく強調されてる幼さが出ているな。たった1つ違いだけど。
0 notes
kkagtate2 · 5 years
Text
偽善者の涙[十](完結)
[十]
旅の醍醐味と云へば、何も目的地で目的を果たすことよりも、その目的地に向かふまでの道のりにおける土地々々の特産品や名所、景色、それに人々と触れ合ふことにあらう。殊に何ヶ月前の金沢への旅行では、敦賀を抜けた辺りから広がる真つ白な景色に、お弁当を食するのも忘れて深く見入つてしまつたものであつた。今日は互ひの妻が京都に出かけると云ふので暇になつた里也と、多佳子の夫の東一は、残された者同士どこかへ出かけませんかと云ふ提案の元、京都とは別の都である奈良に向かつてゐた。子供が居るので僕が車を出しますよと云ふ東一の言葉にそのまゝ乗つた里也は、出発してからと云ふもの、車に揺さぶられながら、時おり後ろからかゝる子供らしい高い声に相手してゐるのであるが、何とも和やかでたゞ座つてゐるだけでも楽しいではないか。今年小学生三年生になる女の子は緊張してゐるのか静かに座つてゐるのであるが、小学六年生になる男の子の方は多佳子や佳奈枝の血を濃く受け継いだのか、をぢさん、をぢさん、これ見て〳〵と助手席に居る彼に話しかけては携帯端末を渡して来て、話が止まらないのである。里也はこんな賑やかな場は久しぶりであつた。実のこと、子供を相手にするのが苦手な彼は、東一が子供を連れて来ても良いですかと云つた時、少々ゾツとしないでもなかつた。が、どういふ心境の変化が自分の中にあつたのか、今ではかう云ふお喋りな子供を相手にするのも悪くはない。子供とはやはり可愛いものである。
「それにしても奈良なんて久しぶりですよ、小学生の時以来かもしれません」
と里也は東大寺の看板を見ながら云つた。
「はゝゝ、私も、……と云ひたいところですが、実はついこのあひだも来まして、……」
「へえ、さうなんですか。理由を伺つても?」
「大したことないですよ。会社の連中と遠足と称して来たゞけですから。で、その時やつぱりこゝは子供を連れて来た方が良いと思ひまして」
「確かに、鹿を見ると子供は絶対にはしやぎますもんね」
東一がその言葉に笑つてゐるうちに、駐車場を見つけたらしく、二人と二人の子供は滅多に降り立たない奈良の地へ足をつけた。生憎のこと今日は関西全域が雨雲に包まれてをり、こゝ奈良でも、さら〳〵と細やかな雨が振つてゐる。里也は持つて来た折り畳み傘を開いて、子供が自分の傘を開いてゐるあひだに濡れないよう、上からそつとかけてあげた。将来、佳奈枝と子供を授かつた時もかうして自分は雨に打たれながら笑顔を見せてゐるのであらうか、と感慨に耽りながら辺りを見回すと、こんな雨の中でも人通りは思つたよりもあつて、皆朗らかな表情を浮かべながら南大門の方へ歩いてゐる。
「意外と人が居るもんですなあ」
と通りを歩きながら、里也も周りの人間と同じやうな表情を浮かべて云つた。
「それはもちろんさうですよ。なんて云つたつて、奈良の大仏がありますからね」
「お父さん! をぢさん! 居る! 鹿が!」
と南大門の見える交差点まで来た時に子供が声を上げた。
「鹿煎餅を買つてあげよう。里也くんもやりますか」
「あ、いや、僕はトラウマがありますから、遠く離れたところで見るだけにしておきます」
と云ふのも昔、小学生の時分、遠足だか修学旅行だからで東大寺を訪れた時に、あまりにも鹿がバクバク(点々)と煎餅を食べるものだから、その勢ひと顔の恐ろしさに当てられて泣きさうになつてしまつたのである。それ以来、彼は鹿と云ふ生き物がそれほど好きではないのであるが、特にこの奈良県の鹿は、広島の宮島に居る鹿とは違つてグイグイと寄つてくるので、傘に隠れながら、先程からその姿を見る度にビクビクと小さく震へてゐるのであつた。東一の子供はそんな恐怖は感じないらしく、男の子の方はもとより、大人しさうな女の子の方も、可愛い〳〵と云ひながら鹿煎餅を食べさせてあげてゐる。里也はその微笑ましい光景を、我が子のことではないけれども、写真に収めると、お辞儀する鹿を思ひ切つて撫でるや、俺は持つてないからあの子らのとこに行きな、とやつぱり怖くなつて来て手で向かうへ追ひ払つた。
「おー、……」
南大門の前に佇んだ時、里也は思はずそんな歓声をあげた。小学生の頃とは違つて体が大きくなつた(点々)せいか、幾分迫力は減少したやうに感じたが、それでも歓声をあげるのには足りる風格があつた。
「あ、東一さん、写真撮つてあげますよ」
「ほんたうですか? ありがたうございます。ほら、お前たち、並んで〳〵」
ではよろしくおねがいしますと云ひながら手渡して来たデジカメを構へて、里也はシャッターを切る。久しぶりに一眼レフ以外で写真を撮つたが、やはりデジカメは良い。小さくて軽いくせに、一目では一眼レフカメラと遜色ない鮮やかさと細かさを持つた写真が撮れる。楽しさと精巧さで云へば圧倒的に一眼レフの方に軍配が上がるが、単純な取り回しの良さで云へば圧倒的にデジカメの方に軍配が上がる。かう云ふ手軽さを味はつてしまふと、もはや一眼レフには戻れないやうな気がする。その後も二三回続けてシャッターを切つて、一応撮つた写真を確認すると、黒縁眼鏡の奥で微笑んでゐる父親と、その両脇にこれほどにないまで楽しさうな子供の姿が写つてをり、兎に角「微笑ましい」の一言しか云ひやうが無かつた。
「里也くん、写真撮るの上手いですね。多佳子から聞いてはゐたんですが、実際目にするとやつぱりすごいですね」
「いえ〳〵、そんな褒められるやうなものぢや、ありませんよ。少し構図のことを知つてゐるだけでも、見栄えは遥かに良くなりますし。――ま、僕は一眼レフを持つてゐると云つても、そのくらゐしか知らないんですけどね」
「いやあ、それでもすごいですよ。今日のカメラマンを頼んでも良いですか」
「えゝ、良いですよ」
「え、ほんまに良いんですか?」
「良いですよ。今日は自分のカメラを持つて来なかつたから、手が寂しいんです」
里也はそれから東一親子専属のカメラマンとなり、三人の姿を写真に収めたり、忍び寄つてくる鹿にレンズを向けたりして、彼らについて行つた。しとやかな雨はもはや止みさうになく、強くなりもしなければ、弱くなりもせず、淡々と静かに傘の上へ落ちて行つてゐるのであるが、新緑の季節ともあつて、中で植えられてゐる木の葉の濡れてゐる様は、色鮮やかに、艷やかに、我々の目を楽しませてゐる。恐らく人が誰も居なければ、さら〳〵としたこそばゆい音が頭の奥底にまで響いて来たゞらうけれども、生憎、耳を澄ましても人々の和やかな話声しか聞こえてこない。里也はふと立ち止まつて、てら〳〵と光を帯びた一枚の綺麗な葉つぱを写真に撮つた。さう云へば今頃京都ではどんな旅が繰り広げられてゐるのだらうか。彼女たちもまた、自分と同じやうに新緑を楽しんでゐるだらうか。このくらゐのしと〳〵とした雨に打たれてゐる青紅葉はさぞかし綺麗であらう。沙霧も佳奈枝も多佳子も、まるで細雪の一場面のやうに、みんな歓声をあげて苔のむした石畳を歩きつゝ、写真を撮つたり撮られたり、時には甘味処で立ち止まつたり、時には土産屋に立ち寄つたり、思ひ〳〵の楽しみ方をしてゐることであらう。………
もはや里也は限界であつた。先程被写体に選んだ一枚の葉を前に、胸の痛みが無くなるよう懸命に沙霧の顔を思ひ浮かべたが、今となつてはもうそれすら無駄だつた。
「里也くん、どうしましたか」
と呼びかけられて、やうやく三人の幸せさうな親子を追ひかけ初めたが、いよ〳〵東大寺に入ると、人と云ふ人の、のどかな声に包まれてしまつた。
 (をはり)
0 notes
shibaracu · 4 years
Text
●記紀   ●魏志倭人伝は偽書
本文を入力してください
●記紀   ●『古事記』と『日本書紀』との総称である。 ★記紀(きき)http://wkp.fresheye.com/wikipedia/記紀 古事記』と『日本書紀』との総称である。『古事記』の「記」と『日本書紀』の「紀」を併せて「記紀」という。 両書とも、奈良時代に編纂された日本の神話や古代の歴史を伝えている重要な歴史書である。 序盤は神話そのものであり、執筆年代に近づくにつれ歴史書としての性格が強くなる。 ただし後半においてもなお疑義がもたれる記載内容もあるとの見方もある一方、近年の考古学的発見の多くは記紀の記事の正確さをより裏付ける結果となっている(法隆寺再建の記事や蘇我氏の甘樫丘など)。 慎重な検証が必要であるが、同時代史料が極めて少ないことから、重要な史料であることには変わりがない。 室町時代までは日本の神話や古代の歴史を伝えている重要な歴史書として『先代旧事本紀』を含めて「三部の本書」とされることが多かったが、江戸時代に入って「先代旧事本紀」が偽書であると考えるようになって以後この二書のみで記紀とされることが多くなった。   ★記紀神話 http://wkp.fresheye.com/wikipedia/記紀神話 日本神話(にほんしんわ)とは日本に伝わる神話のことである。 現在、日本神話と呼ばれる伝承はそのほとんどが、『古事記』、『日本書紀』および各『風土記』の記述をもとにしている。 すなわち、高天原の神々を中心とする神話がその大半を占め、一方で、その出典となる文献は決して多くはない。 奈良時代初頭から神社において神宮寺を建立する動きが出始め、715年(霊亀元年)には越前国気比大神が、また満願禅師らによる鹿島神宮が、ほか賀茂神社、伊勢神宮などで境内外を問わず神宮寺が併設された。   ★神宮寺(じんぐうじ)http://wkp.fresheye.com/wikipedia/神宮寺 日本において神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂。 別当寺、神護寺、宮寺ともいう。   ★氣比神宮(けひじんぐう)http://wkp.fresheye.com/wikipedia/氣比神宮 福井県敦賀市にある神社である。 式内社、越前国一宮で、旧社格は官幣大社。   ★記紀神話が創られた時代 http://www.ten-f.com/kojikinojidai.html ここでは大体6世紀末から8世紀前半の間に限って抜き出し   ★日本神話を読み解く|天地開闢まとめ 『日本書紀』第一段本伝から ... https://nihonshinwa.com/archives/746 2016/01/07 天地開闢 てんちかいびゃく 」とは、はじめて世界が生まれた時のこと。 「 開闢 かいびゃく 」の「開」は開くこと、「 闢 びゃく 」も左右に押し開くことをいいますので、 「天地開闢」とは、文字通り、天と地が開かれること、を言います。 日本神話のみなら ...   ★出雲神話とゆかりの地|縁結びパワースポットと出雲神話|島根浪漫旅 http://www.izumo-shinwa.com/izumoshinwa_spot.html 神話に登場する場所が、今も数多く現存する聖地 出雲。特に有名な国引き神話・国譲り神話・ヤマタノオロチ伝説・大国主神にまつわるお話を紐解き、パワースポットと呼ばれる場所の詳しいお話をご紹介します。   ★スサノヲのヲロチ退治神話(三浦佑之) http://miuras-tiger.la.coocan.jp/orochi.html この神話はヨーロッパから東アジアまで世界的に分布し、ペルセウス=アンドロメダ型と名づけられた英雄神話の一つである。大林太良によれば、それは、多頭の竜や大蛇が定期的に人身御供を要求し続けるのに悩まされる村人たちが、最後にのこった王の娘を捧げようとしていたちょうどその時、ひとりの若者が現れてその怪物を退治し、王の娘と結婚するという共通の内容をもって語られている神話である(『日本神話の起源』)。この内容はスサノヲのヲロチ退治ともほぼ一致するわけで、世界的な視野からの比較分析も必要なのだが、ここでは、ヲロチ退治神話に語られているスサノヲ像から見出せる英雄的な性格にかぎって考察を加えてゆくことにする。   ★昔 話 に み る 悪 と 欲 望    -継子・少年英雄・隣のじい- http://miuras-tiger.la.coocan.jp/sub1-104.html 三浦 佑之 (MIURA Sukeyuki) 新曜社 1992年3月10日刊 46判 292頁 ¥2,200+税    【目次】          はしがき        一 継子いじめ譚の発生         1 シンデレラ         2 日本のシンデレラ         3 おちくぼの君の物語         4 古代の家族と嫉妬譚         5 男の継子から女の継子へ        二 英雄譚のゆくえ         1 古代の英雄         2 昔話の少年英雄         3 狡猾な英雄         4 笑われる英雄        三 隣のじい譚のリアリティ         1 笠地蔵         2 福慈の神と筑波の神         3 蘇民将来         4 隣のじいの心        結 昔話と神話 http://miuras-tiger.la.coocan.jp/yokubo-ketsu.html          参考文献/あとがき   ★昔話と神話-古代の民間伝承(三浦佑之) http://miuras-tiger.la.coocan.jp/mukashi-to-shinwa.html 古代の散文伝承を研究対象にしている者にとって、昔話の発生、あるいは昔話と神話との関係は、魅惑的なテーマのひとつである。ただ、記紀風土記に霊異記を加えても四本の作品しか存在しない古代文学のなかに昔話の痕跡を辿ろうとしても、指摘できることは限られている。しかも、近代になって成立した「神話」とか「昔話」とかの分類概念を用いて何かを論じることの有効性も問題になるだろう。それを承知の上で、ここでは、昔話と神話との関係に目を向けながら、古代の民間伝承について考察してみたい。   ★神のやしろを想う 記紀神話の神様 http://jinja-kikou.net/kamigami.html ★天皇系図 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/3sankou.pdf 則として皇統譜に基づく。 天皇系図. 神武天皇. 綏靖天皇 安寧天皇 懿徳天皇 孝昭天皇 孝安天皇 孝霊天皇 孝元天皇 開化天皇 崇神天皇   ★雑記 - 記紀神話の不思議 https://w.atwiki.jp/bogard/pages/60.html ★古事記編さんに関わった稗田阿礼ってどんな人? ★末梢しきれなかった記紀神話の真と偽 http://bit.ly/H3mdUJ ★天皇と記紀神話  日本・天皇・神道・記紀神話 http://bit.ly/H3mEy9 ★【関西の議論】 日本最古?の神話「ホツマツタヱ」とは…古事記、日本書紀より古い?学界は疑問視も愛好家の研究盛ん  (1/4ページ) https://www.sankei.com/west/news/161215/wst1612150005-n1.html 多くの謎に包まれた古代史の世界で、50年前に国内で発見された「ホツマツタヱ(秀真伝)」という歴史書が一部の愛好家たちを惹きつけている。漢字が伝わる以前の日本にあった「ホツマ文字」という文字でつづられ、古事記や日本書紀よりも古い書物…と愛好家は信じる。もちろんさまざまな矛盾点から学界では疑問視する声が強いが、研究熱は止まず、11月には発見50年を記念した全国フォーラムが同書の全巻が見つかった滋賀県高島市で開かれた。関係者は「ホツマ文字」で書かれた文献はまだどこかに眠っている、と大真面目だ。歴史ファンを熱くする「ホツマツタヱ」っていったい何? 古代の国造り描く!?   ★記紀神話を読みなおす その︵1 - 城西大学 file:///C:/Users/asahi/AppData/Local/Temp/JOS-KJ00000589067.pdf 1 はじめに一記紀神話の差異  中国の史書編纂の様式に、古くからく書〉〈紀〉〈記〉〈実録〉〈志〉 〈史〉〈伝〉など、それぞれ用途に応じて明確な区別や使い分けがあり、  そのためのさまざまな書式があったことは広く知られている。  それは中国のように、早くから国家を成立させ、国家意識や歴史認識が  必要不可欠なこととして問われる社会にあっては、社会や文化の  史的富開のあらゆる局面において・より深くゆき届いた史的分析や  その把お 紘握が広く求められたからであろうと思える。  いきおい、あらゆる分野 備において、異質性や微妙な差異をはらんだ  多用な史的認識も生まれ、幅酔そうした叙述を可能にする様々な  表現様式も果敢に試行されたとみて譜いい。  上掲のバラエティにとんだ史的叙述様式の成立などもそうした事の現あろう。   ★邪馬台国と卑弥呼-215  記紀神話と魏志倭人伝 http://bit.ly/Hjf9zA ★『記紀神話』に関連する質問・疑問一覧    http://bit.ly/H0NfyZ ★ブログテーマ[記紀神話]  (11件)  外交は別?? http://amba.to/HnEDPi ★のぞきの系譜@記紀神話 (11件 http://amba.to/HsEB6x ★記紀神話:古事記と日本書紀 - 史書から読み解く日本史 - Goo ブログ https://blog.goo.ne.jp/sansui-ou/e/dba42fcd5b1ce3fa694a9d15fe3583cd 2019/10/06 「記紀」とは言うまでもなく『古事記』と『日本書紀』を指し、どちらも奈良時代に成立した我が国の史書の原点であり、神話に始まるこの国の歴史を今に伝えます。 記紀共にその原典となっているのは、両書以前に存在したとされる帝紀及び旧辞という史伝で、一般に帝紀は天皇の系譜や妻子の名前、在位中の主な業績、宮殿や陵墓の場所等を、旧辞は神話や様々な逸話等を伝えていたと解説されますが、その辺りの整合性については不明な点も多く、どちらも原文は早くに散逸しているため、後世の我々は記紀を通してその面影を探るしかありません。 ★古事記・日本書紀の謎-その9-記紀神話の総て http://bit.ly/HhZYwZ ★記紀神話など - 皇居の落書き http://bit.ly/H0LpOm 天の岩屋と国難打開における知恵の重要性  2004-10-27 ★「剣」@記紀神話(Wikipedeaより) http://bit.ly/HjiluY ★第六回 熊野の神々降臨の地 神倉神社 新宮市 神倉神社と記紀神話 http://www.chuokai-wakayama.or.jp/wadensho/kinokunisansaku/kinokunisansaku6.htm 新宮市街の西の小高い山の上に、通称“ゴトビキ岩”と言われる巨石をご神体として崇める神倉神社があります。ゴトビキとはこの地方の言葉で、��キガエルのことらしいですが、そう言われて見れば・・・・・見えなくも・・・・・?ウーン?・・・・・? 熊野といえば熊野三山と言われる、本宮、速玉、那智が圧倒的にメジャーですが、これら熊野の神々が最初に天上から降り立った“天磐盾(あまのいわだて)”と言うのが実はこの岩山であったと伝えられ、その意味で熊野信仰の根本とされています。   ★記紀神話を読む--出雲王国は存在したか? ③ http://bit.ly/HkORCb ★国生み | 神社本庁 https://www.jinjahoncho.or.jp/shinto/shinwa/story1 遠い昔、日本の国ができる前のことです。 澄み渡った高い空の上に、高天原という神々のお住まいになっているところがありました。 ある時、神々は下界に新しい国を造ることをご相談になられました。そこで伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神さまに国作りを命じられ、天の沼矛という矛を授けられました。 二柱の神さまが、天の浮橋という大きな橋の上に立ち、下界の様子を眺めてみますと、国はまだ水に浮いた油のように漂っていました。   ★日本神話の深層についての一考察「地の王・天の王」: http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-145.htm 天孫たちはなぜ海神の娘と結婚したのか、あるいは天照大神はなぜ女神なのか2003年08月02日  萬 遜樹        ▼天孫たちは「地の王」と婚姻を結んだ         「海と天皇」という面白いテーマがある。「海と天皇」とは、天下った天孫たちの血筋が海神と深い関わりがあることを指す。初代神武天皇の母は玉依姫[注1]という海神の娘だ。神武の父はウガヤフキヤアエズ尊というが、この尊の父は彦ホホデミ尊、母は豊玉姫である。彦ホホデミ尊とは、「日向神話」の海幸・山幸物語で名高い山幸彦のことだ。母の豊玉姫は玉依姫の姉で、ウガヤフキヤアエズ尊を産むときに「ワニ」の正体を現したことで有名だ。そして彦ホホデミ尊の父が、アマテラスの命で降臨した天孫ニニギ尊なのだ。このように、神武の母も祖母も海神の出自で、彼の血の半分以上は海神のものなのである。        (天孫の系譜)   ★個人的に和風創作(神話・古代)に役立つサイト https://matome.naver.jp/odai/2140326363855681601 更新日: 2019年07月12日 ★補説:記紀神話 「天の石屋」について 1  http://bit.ly/GYnlKZ (「邪馬台国の習俗」)の次の書き込みですが、補説よいうか、記紀神話の「天の石屋」(天の岩戸)について、kitunoさんのHPの掲示板に書き込んだのですが、そのHPが消滅したので、改めて書き込み、記紀神話が中国の商(殷)などの持つ神話に近い古層の面影を伝えており、決して天武天皇の時代に机上で、帰化人の史官などによって造作された(勿論、当時の「現代風解釈」は為されたでしょうが)ようなものではない事を主張したいと思います。 記紀神話といっても、日本書記は、「一書」などの異説が多く、どの説を採るかの検討がまず検証されなければならず、その作業にかかる時間を節約するため、ここでは「古事記」の神話・伝承に拠り、書記は用字の異同などの際に引用する程度に留めたいと思います。 ★記紀神話:ファンタジィ事典mini http://bit.ly/H0Rbim ★日本の神話学 - Wikipedia  https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の神話学 日本の神話学とは、日本神話の研究を行う学問の一領域である。 本項では、神話学等による日本の神話の研究について概説する。 日本神話は、古事記および日本書紀、風土記などにおいて記録された。日本神話において天津神・国津神の神々のなかでもとくに三柱の御子が尊いとされ、その天照大神は主宰神となっている。また、神道、民間信仰で多数な神がおり、総称して「八百万(やおよろず)の神」といわれる。   ★日本神話の伝承地450カ所以上の取材記録を基に記紀神話の世界を机上で体験できる「神話のふるさと歩き」の決定版ガイドブック『日本神話の「謎」を歩く 幾千年の時空の彼方へ』(藤井勝彦・著)を発刊。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000002443.000005875.html 2018/11/14  東京オリンピックが開かれる2020年は、『日本書紀』の成立1300年の節目の年となります。折しも同年には2019年の譲位(約200年ぶり)を受けて、新天皇の即位の礼・大嘗祭が行われます。これを受けて今、「日本とは何か?」「天皇制とはなにか?」に大きな関心が寄せられつつあります。  こうしたなか、注目を集めるのが『日本書紀』『古事記』(記紀)です。記紀は虚実取りまぜた歴史書ですが、日本の成り立ちについて考える際には避けて通れない重要な資料となります。本書は旅行作家で写真家でもある作者が、記紀神話に記された450カ所以上の伝承地を訪ねた取材記録を基に、現代と神話の世界の接点を探った日本神話入門書です。   ★「記紀神話」にみる倭人文化 http://bit.ly/HsY9Yl  2009.09.18 ★日本神話を読み聞かせする - 近藤光弘 http://kondo.cool.coocan.jp/nihonshinwanoyomikikase.htm 2000/08/27 一つの話が、3分から8分でまとめています。 朝の会や隙間の時間で読み聞かせができます。 歴史学習の前に是非、使ってください。 低学年から使えます。 ●神話の読み聞かせ一覧表. ・天地のはじめ (4分),  日本人は、宇宙の始まりをどのように想像したのでしょう。 ・黄泉の国 (5分),  いざなぎの命が、黄泉の国(死の国)で見たものは ? ・天照大御神 (4分),  万物を生かす太陽として現れた神、天照大御神。 ・天の岩戸       (3分)  光が消えたとき、切り開く道は、陽気な踊りと、笑いと、・・。 ・八岐の大蛇      (4分)  大蛇の尻尾から出てきたものは、熱田神宮に・・・ ? ・因幡の白兎     (4分)  日本神話の代表作。大国主の命、登場。 ・国ゆずり       (4分)  出雲の多芸志に壮大な神殿が完成する。 ・天孫降臨       (4分)  木花開耶姫との婚姻により、地上の生命は限りあるものに。 ・海幸彦山幸彦    (6分)  なくした釣り針は、竜宮界にて見つかる。 ・神武天皇       (8分)  困難を乗り越えた遠征の旅。日向より大和の地へ。 ・日本武尊「熊曾建」  (3分)  少女になりすまして、熊曾建の反乱を平定する。 ・日本武尊「草薙の剣」(2分)  火攻めにあう日本武尊を助けた剣と火打ち石。 ・日本武尊「弟橘比売命」(2分)  日本武尊の身代わりになって荒海に飛び込む弟橘比売命。 ・日本武尊「白鳥になって」 (2分) “大和は 国のまほろば ・・・” ・番外編 邪馬台国  3世紀の女王 卑弥呼の正体は? ★ ★日本の神話 古事記 http://bit.ly/zfHqA0 日本の神話を読んだことはありますか? 子どもも大人も、楽しく日本の神話を読んでみましょう! ★日本神話 ‐ 通信用語の基礎知識 https://www.wdic.org/w/CUL/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E8%A9%B1 読み:にほんしんわ外語:Japanese mythology 英語 品詞:名詞. 日本に古来より伝わる神話。日本の国の誕生と神々が語られていて、太安万侶が編集した古事記、舎人親王が編集した日本書紀、その他多くの書物に記されている。 書物によって若干、神の神の名前や物語に違いが存在するが、その場合は日本最古の書籍とされる古事記の記述が尊重されることが多い。 神話の流れ 概ね、次のように物語が続いている。    天地開闢    イザナギとイザナミの誕生    国生みの物語    黄泉の国の物語 (天照大神の誕生)    高天原の物語 (誓約、天岩戸)    出雲国の物語 (八岐大蛇、大国主神、稲羽の素兎)    国譲り    天孫降臨    筑紫国の物語 (海幸彦と山幸彦、神武天皇) ちなみに世界的には、一般に神話では人間は神が創った旨が描かれるが、こと日本神話においては神は人間を作っていない点が特徴的である。 従って、日本人がどこから来たのかは、神話には描かれていない。   ★高校日本史用語事典 日本神話(にほんしんわ) https://nihonshiyougo.blog.fc2.com/blog-entry-525.html日本神話(にほん日本神話(にほんしんわ) 日本に伝わる神話。 国生み神話、高天原神話、出雲神話、日向神話などからなる。 『古事記』『日本書紀』の記紀神話の他に、『風土記』や祝詞などにも残されている。 関連記事 ・上宮聖徳法王帝説(じょうぐうしょうとくほうおうていせつ) ・元興寺縁起(がんごうじえんぎ) ・道教(どうきょう) ・古神道(こしんとう) ・社(やしろ) ・氏神(うじがみ) ・産土神(うぶすながみ) ・日本神話(にほんしんわ) ・神代(かみよ、じんだい) ・高天原(たかまがはら、たかまのはら) ・葦原中国(あしはらなかつくに) ・根の国(ねのくに) ・天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ) ・国常立尊(くにのとこたちのみこと)、国之常立神(くにのとこたちのかみ) ・伊弉諾尊、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)   ★日本神話とは?多彩で豊かな神々の世界「日本神話」を分かり ... https://nihonshinwa.com/stance 日本神話とは?多彩で豊かな神々の世界「日本神話」を分かりやすく徹底解説! Contents 1 日本神話とは? 2 日本神話とは ... そうなんす、なぜか世界の始まりから神様たちのいろんなアレコレを語ってるうちに、奈良県橿原市にたどり着くんですよね。 ★平成24年は「古事記編纂1300年」~神話のふるさと「島根」推進事業について~ http://www.nga.gr.jp/pref_info/tembo/2010/07/post_946.html  「島根」は、豊かな自然に恵まれ、古き良き伝統文化とその中で育まれた温かい人間関係や地域社会が残る魅力あふれるところです。  平成24年は、日本最古の歴史書「古事記」が編纂されてから1,300年という記念すべき年に当たりますが、「島根」は、スサノオノミコトのオロチ退治やオオクニヌシノミコトの国譲りなど古事記の神話部分の実に3分の1に舞台として登場しています。また、翌25年には、60年に一度となる出雲大社の大遷宮が行われるなど、島根の貴重な歴史や文化に、大きな注目が集まることが期待されています。 ★日本の神話(アニメ子供と見る日本の神話) - 宮城県神社庁 https://miyagi-jinjacho.or.jp/shinwa.html 日本の神話(アニメ子供と見る日本の神話). ・国生み神生み ・天の岩戸開き ・八岐大蛇退治 ・因幡の白うさぎ ・天孫降臨 ・海幸彦と山幸彦 お子さま向けに「アニメでわかる、神社と神さま」ページを開設しております。
★神話の衣装? http://bit.ly/Ho3VN8 http://bit.ly/H3FJfB http://bit.ly/HjLmH9 http://bit.ly/H3JgP3 ★神道と人間の不完全性ー国生み神話考ー - 神田哲拓の神道大意録 https://www.solyruna.com/神道と人間の不完全性ー国生み神話考ー 2019/08/17 神道は不完全性を認めてくれます。実はそれだけで救いだったりするんです。 神様だって失敗する話が沢山あるのですから、我々人も失敗はどうしても起こり得ます。ではその時にどの様に考えれば良いのでしょうか。 目次    全知全能ではない神々    国生みは鶺鴒との合一、共同作業だった   ★日本神話に見る(日本文化考)_百度文庫 https://wenku.baidu.com/view/af66fab169dc5022aaea0098.html 2018/07/02 日本神話に見る日本文化考出雲神話と高天原神話を繋ぐスサノオ ◇出雲系神話と高天原系神話を繋ぐスサノオ神話:なぜスサノオ神話が作られたのか? 『出雲国風土記』に登場するスサノオ命(須佐之男命?素盞鳴命?素戔鳴尊)は、おお ら ... ★ハツクニシラス考 http://www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/hatsukuni.htm 2002/02/17 目次    「二人のハツクニシラス」    「初国」の用例について    「所知」について    神武の称号 以下に要約しよう(井上『神話から歴史へ』(『日本の歴史』1)、直木『日本神話と古代国家』による)。 1、神武と崇神の両者が同じ「ハツクニシラススメラミコト」の称号を持っていて、この称号は「建国第一代」を示す。 始馭天下之天皇(神武)< ...   ★「れんだいこ、れんだいこ史観」の由来と解説 2017年2月13日 (月) http://08120715.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-2d47.html 「れんだいこ、れんだいこ史観」の由来と解説  本稿が未投稿だったので投稿しサイトアップしておく。課題は「『れんだいこ、れんだいこ史観』の由来と解説」である。   「れんだいこ史観」とはれんだいこの史観であり、れんだいこが勝手に命名しただけのことである。ますます判明しつつあるが、世の歴史観、歴史論と相当に隔絶している。例えば、最近、明治維新を評する視座に於いて様々な是非論が登場している。中には我慢の限界を超えるような幕藩体制万歳論まで登場し持て囃されている。残念ながら、私論は既成のどの論とも一致しない。且つ我が輩の政論の方がはるかに正鵠を得ていると自賛している。為に区別する意味で自ら銘打っている。   ★日本の神話・伝説の武器 《第5展示室》  http://bit.ly/H3PsTU ★薬草に親しむ-日本神話の植物 http://bit.ly/Hnx0Ld ★日本の神話  http://bit.ly/GZtn9y ★日本の神話・日本の神の系図 http://bit.ly/H4xFjD ★天照大神が女神だからと女系天皇を主張するノーナシ左翼を一網打尽に論破、撃沈さす! ~ 男系継承を堅持したアマテラスとスサノオの子供たち http://bit.ly/H3Nk1Y ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【京都】 http://susanowo.kyo2.jp/ ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【浜松】 http://susanowo.hamazo.tv/ ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【和歌山】 http://susanowo.ikora.tv/ ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【滋賀】 https://susanowo.shiga-saku.net/   ★日本の神話と古代史と文化 《スサノヲの日本学》 【郡山】 http://susanowo.365blog.jp/e236.html 2006年07月07日 ◆七夕の起源、「棚機津女」と「牽牛織女」(六) ◆◇◆七夕の起源:(6)、スサノオ命(須佐之男命)とアマテラス(天照大御神)  『古事記』「高天原」説話に、スサノヲ命(須佐之男命)とアマテラス(天照大御神)誓約(うけひ)の際、「天の安の河」を挟んで相対する。ここには「天の真名井(神聖な井)」が登場し、誓約の儀式に「水」が非常に重要な意味を持つことがわかる。  次に高天原において、アマテラス(天照大御神)の弟神であるスサノヲ命(須佐之男命)が荒れ狂い、乱暴狼藉の限りを尽くす場面がある。畦を壊し、水路を潰し、神殿を汚し、更には皮を剥いだ馬を屋内に投げ込む(天津罪)。これはアマテラスの天岩戸隠れの原因になる事件なので多くの方が知っている話だ。   ★爺の戯れ事:秋季展「日本の神話」(熱田神宮) https://titogy.naturum.ne.jp/e1321881.html 2011年11月10日 秋季展「日本の神話」(熱田神宮) 熱田神宮宝物館の秋季展「日本の神話」へ行ってきました 古事記や日本書紀に代表される日本の神話を描いた近・現代絵画を中心に展示   ★日本の神話と縁の社 ぶらり寺社めぐり - Wix.com https://ooki-h.wixsite.com/jisyameguri/blank-9 「古事記」「日本書紀」に記されている日本の神話。 その主な内容と縁の神社をご紹介いたします。 ※神話の内容や御神名は、 古事記の内容・表記をメインに、日本書紀をサブ的に参考にしました。 神代(かみよ) 天地開闢(てんちかいびゃく)と国産み 渾沌たる世界が「陰・陽」に分離して「天・地」と成った。 ★日本の神話・歴史・伝説 http://bit.ly/H3QdQ9 ★日本の神話と酒造り (H21.9.3) http://bit.ly/GZm7hT ★龍と牡牛 | ひめごと日誌 https://ameblo.jp/fumifumi-company/entry-10509608672.html 2010/04/18 宇宙人の問題は刺激が強すぎるというか、多くの方にとっては 荒唐無稽と思われる恐れがあったので本当は触れたくないと考 えていた。 別に宇宙人の話を抜きにしても、この世に不思議なことはいく らもある。なのに鬼の話へ踏み込んでしまったばかりに後戻り ができない。 世界の神話や考古学を検討していると、世界の神は龍と牡牛に 二分されることに気付いた。 圧倒的にアジア世界は龍信仰に彩られ、西洋はほとんどが牡牛 の支配下にある。と言っても牡牛の信仰なんて聞いたことがな いよ、と首を傾げる人が大半だろう。 意外に思われるかもしれないが聖書に登場する神は牡牛なので ある。これははっきりと旧約聖書に記されている。 ★曳山のデザイン - 日本の神話 - いこまいけ高岡 http://bit.ly/H146ku ★島根県:「神々の国しまね」プロジェクト(トップ / 観光 / 観光振興 ... https://www.pref.shimane.lg.jp/tourism/tourist/kankou/kamigami/kamigami/ 平成24年、「古事記編纂1300年」。平成25年、出雲大社「平成の大遷宮」(外部サイト)    この歴史的な節目は、「しまね」が全国から脚光を浴び、神々の時代から受け継がれてきた「しまね」の魅力を、多くの方々に知っていただく絶好の機会です。    古(いにしえ)から古事記・出雲国風土記・万葉集などに描かれ、今もこの地に残る自然・景観・伝統文化・歴史遺産など、県内各地域の資源を活用。    県・市町村・民間団体・経済界等が一体となって「しまね」の存在感を情報発信し、国内外から多くの方々に訪れていただくためのプロジェクトを展開します。    そして、県民の皆さま一人ひとりに郷土の素晴らしさを再発見いただき、ふるさとへの愛着と誇りにつながるように、県民の皆さまとともに進めてまいります。
★古事記編纂1300年、奈良「記紀・万葉」プロジェクトが発進-NAVER まとめ http://bit.ly/GZ4jQs   ★古事記1300年ナイト参加報告(~保守派の限界を超えて~) - アニオタ http://bit.ly/HqeW38   ★竹の間―竹田恒泰のホームページ 古事記1300プロジェクト http://www.takenoma.com/   ★古事記完成1300年(1)古事記とは何か(by 世界大百科事典) http://bit.ly/GZ5Gyv   ★邪馬台国  これを書くに当たって、陳寿は、邪馬台国に来ていません。卑弥呼に会って、話を聞いて書いたわけでもありません。 以前に書かれた中国の歴史書「魏書」や「魏略」を参考にしたり、倭国に派遣された二人の使節の帰国報告書を元に書いたとされています。 しかも、この使節は陳寿と同様、邪馬台国まで行っていません。 九州の福岡止まりでした。 「邪馬台国」という名は、記紀にはありません。中国の歴史書「三国志」の一部である「東夷伝」の中の「倭人条」というニ千字余りの文章に出てきます。 これが有名な魏志倭人伝。 当てはめた漢字には、「倭国」など日本のことを表すのにあまりいい意味がありません。 倭(したがう)卑(いやしい)邪(心が曲がっている)奴(めしつかい)夷(野蛮人)   ★魏志倭人伝 - Wikipedia   https://ja.wikipedia.org/wiki/魏志倭人伝 魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の歴史書『三国志』中の「魏書」第30巻烏丸鮮卑東夷伝倭人条の略称。当時、日本列島にいた民族・住民の倭人(日本人)の習俗や地理などについて書かれている。   ★東夷伝(原文と和訳) http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/index_toi.htm 魏志倭人伝(原文、書き下し文、和訳) 魏志倭人伝の構造(採用史料別色分け) 魏略逸文と魏志倭人伝 魏志韓伝・解説 魏志濊伝 魏志東沃沮伝 魏志高句麗伝 魏志夫餘伝と夫餘史 html pdf 魏志挹婁伝 後漢書倭伝・解説(構造分析付き) 後漢書韓伝・解説 晋書倭人伝 梁書倭伝・解説 漢書地理志 燕地  呉地  楚地  粤地 隋書倭国(俀国)伝 隋書地理志 揚州  荊州 東亜古代史研究所 塚田敬章   ★唯一の文献「魏志倭人伝」に根拠なし! だから邪馬台国論争は迷走する https://ironna.jp/article/4552 里中満智子 日本国内において大規模な弥生時代の遺跡が発見されるたびに「ヤマタイ国か!」とメディアも一般人も色めき立ってしまう。 少しでも古代史に関心のある人にとって「ヤマタイ国はどこか?」は興味の尽きない話題だろう。  ヤマタイ国の候補地は大きく分けて九州説と機内説がある。もちろんそれ以外にも候補地はあるのだが、みな「目安」としているのは「遺跡の規模」と中国の史書の中の「魏志倭人伝」だ。  「魏志倭人伝」に記された倭人の暮らしは興味深い。「男性は皆顔や身体に墨や朱で入れ墨をし、そのデザインは国により、また身分により違う」「人々は争いを好まず女は慎み深く嫉妬しない」「集会では男女の区別が無く、みな酒を好む」「温暖な気候で生野菜を食べる」「海に潜って魚や貝類をとる」「稲、苧麻、桑、蚕を育て、上質の絹織物をつくる」「喪に服す10日間は肉食を避け、泣き続ける。親族以外は酒を飲み歌い踊る。埋葬後は水に入って浄める」「真珠と青玉(サファイア)がとれる。山椒やみょうがもとれるが倭人はそれらが美味しい事を知らない」「長命の者が多く、百歳の人もいる」など。   ★邪馬台国論争(その一) - 日本の歴史捏造研究所 - FC2 http://mayonokuni.web.fc2.com/kenkyu01.htm ①      倭は日本なのか? 邪馬台国はどこにあるのだろう。そして卑弥呼とは誰なのだろう。 私も歴史を志す者であるから当然これには没頭せざるを得なかった。 悪戦苦闘の中で私も罠にはまっている事に気づいた。それまでに数限りなく本に目を通してきた。 大きく分けて三つあるのではないだろうか。 一つは、魏志倭人伝が取るに足らないいい加減な資料で、これを真面目に取り上げる必要はないという立場だ。 もう一つは、日本書紀が偽書であり、魏志倭人伝は正しいと言う前提だ。 前者は例を挙げるなら、「新しい歴史教科書」の会の(今は追い出されたけれど)西尾幹二さんかな。 後者は魏志倭人伝を信じてツアーを組み、韓半島から船に乗り、陸に上がり船に乗り込み又陸に上がって徒歩で数ヶ月、皆さん行方不明になったようだ。ある者は九州で、又ある者は近畿までたどり着いたのだろう。ご苦労様でした。 そして卑弥呼は天照大神なのだ、とか、神功皇后だとか言っている。 もう一つは、どちらも正しいか、どちらも変だと言う人。 ちょっと待って欲しい。誰が倭の国が日本であると決めたのだろうか。どの本もまず何のためらいもなく、日本はむかし倭とか倭国と呼ばれた、から始まっている。 まず、第一歩からしておかしいのではないか。出発点が違っていては前に進めないのではないか。 日本が日本である事は認めても良いだろう。 しかし、倭の国が現在の日本の地域のことであると、どこに記されているのだろう。 どこで証明されているのだろう。   ★古代日本の歴史!「魏志倭人伝」《日本貶め》のからくり・ともはつよし社 https://00m.in/hFjM5 ¥3,666 (税込) 著者名:正氣 久嗣 ��行本ソフトカバー 〜絶賛発売中〜 ISBN:978-4-9908081-5-0 amazon購入 説明 ◎ 倭国は日本ではない!韓国の影の存在としてでっち上げられた架空の国だった! 「魏志倭人伝」は占いの書!その破壊的超POWERの真実を開示する! ◎ シュメール人は太古日本の皇統を乗っ取るため「天孫降臨神話」をでっち上げた ◎ 天孫降臨神話により、純朴な日本人は世界の王・日本のスメラミコトを忘れてしまった…… ◎ 世界大戦後、敗戦国日本は「天孫降臨神話」すら否定するよう仕向けられる ◎ 古代日本が中国の��国であったという偽りの歴史書「魏志倭人伝」。この影にはフリーメーソンの存在があった ◎ 「魏志倭人伝」は全くの空想に過ぎず、でたらめの羅列であった!なぜなら、それは歴史書ではなく〝占いの書〟だから ◎ ここまで完璧に仕組まれたからくりが存在するとは!著者・陳寿の心の中をのぞきながら謎を解いていこう! ◎ は中国は大恩ある韓国を貶めるための偽書「魏志韓伝」を捏造し、その返す刀で「魏志倭人伝」をも捏造し、御親国・日本を葬り去るための道具とした! ◎ 「倭人伝」と「韓伝」の比較対照は動かぬ証拠となり、易経の占筮法がさらなる奥深き封印を解き明かす ◎ 邪馬台国の卑弥呼によって日本の歴史は根底からくつがえされてしまった…… ◎ 中国を世界の中心に定め、周辺諸国を属国にしなければならないという慢心の中華思想 ◎ 国家の権威を高めるため漢字を悪用せよ、漢字とはまさに化けものだ! ◎ 中華思想と漢字は不離一体となって発展してきた ◎ 倭国とは韓国の影の存在、決して日本のことではない ◎ 魏志倭人伝にある倭国の方へ向っても倭国を見ることは出来ない…… ◎ 卑弥呼には世界再統一の捨石としての役目があった ◎ 万世一系の皇統は倭国大乱という発想によって完全に抹殺された ◎ 太古の世界は日本のスメラミコトによって平和に統一されていた ◎ 今こそ偽りの「天孫降臨神話」も「魏志倭人伝」も棄て去り、宇宙の中心点、日本の王・スメラミコトを取り戻すのだ!   ★説得力の無い説 - 卑弥呼と魏志倭人伝 - 邪馬台国 https://00m.in/ROvt7 https://www.xhimiko.com/魏志倭人伝/各種論争/説得力の無い説/ 邪馬台国を語る人の中には、延々と講釈を垂れる輩がたくさんいます。一つの例として、以下の文章を紹介します。誰も納得しないでしょう。  ①「卑弥呼はシャーマンであった。」  ②「卑弥呼体制は合議制である。」 この2つはおもしろい命題なので、追及したいと思います。(特に①は自明のようにも思えるし) そこでまた「卑弥呼が共立された。」という一文に登場してもらいます。 そもそもなぜ共立という事態が起こったのか、これは一種の異常事態です。 そこでその時の状況を想定してみたいと思います。とりあえず考えられるのは下記2つの状況です。
0 notes
hpmi222 · 6 years
Text
(碧棺兄妹)
最初に届いた手紙は何度も書き直したのであろうことが読み取れるほどきれいにまとまった作文だった。 夏休みの日記を読んでいる気分になるそれは笑ってしまうほどぶ厚い。ところどころひとりきりのさみしさを滲ませる便箋には笑っている顔文字が並んで不安定な心の状態であることを静かに訴えた。鼻の奥が痛み目を閉じる。こみあげる形容しがたい感情を飲み込むように火をつけた煙草を深く吸い込んだ。
市街地を繋がれた手で歩くたくさんの家族連れがサングラスの向こう側を行き交う。こどもが横断歩道を白いところだけ踏んで跳ねる姿を見守る視線は柔らかい。穏やかだな、と吐いた息は白く溶けていくばかりだ。どこにも馴染めない煙草の煙とは違うそれはうつろになる前に温度を奪われ見えなくなる。昨日飛び散った血はいつの間にかきれいに洗われていつもの顔した道が伸びていた。
まともな光を避けたところで太陽はすべてを照らしてくる。明るいことは不思議だ。刺されていると感じてしまう。笑ってしまうな。まぶしさが胸の奥をライターであぶるように焼く痛みに奥歯を噛み締める日は少なくない。
「これ、届いてたぞ。」 「おう。」
週に1、2 回銃兎は俺の自宅に上がり込んではこうして酒飲んでいる。職場が近いからを理由にしているが、この家との距離と大して変わらない。ひとりで飲む酒の寂しさに耐えたくない日は忙しいほど増えていく気持ちはわからなくもない。足を組んで安いハイボールを煽りながら銃兎がこちらに差し出した封筒を受けとる。相変わらず若い女たちが好みそうな柄で、今は真四角が流行っているのかこの種類は今回で三度目だ。メールでも、LINEでもなく手紙。毎回便箋を変えなくてもいいのに。そんなに手紙を書く相手はいるのかよ、なんて余計なお世話か。差出人の部分はいつもの偽名で、宛先は入間銃兎の名前が丁寧に綴られている。本文の文字より気を使った宛名の文字を見て、銃兎の書く流れるような字にため息をついていた日を思い出す。きっと緊張しながら書いたのだろう。宛先を変えればいいのに、と考えてかき消すように火をつけた煙草を深く吸い込んだ。肩に乗る立場が書けなくさせている。この名前は悪事を重ねすぎてよく通るようになってしまった。
居場所と呼べる場所がなくて逃げるように自分より小さな手を引いて向かった公園。冷たいベンチに体を寄り添わせていると追い立てるみたいに雪がちらついて、震える妹を寒さから守るように抱き寄せた。「サンタさんうちにもくるといいね。」と呟かれた声を祈るような気持ちで反芻すると、何かが削られて芯から冷えていく気がした。そうだな、と希望の見えない気持ちで返した声はきっと何も隠せていない。それでも妹は俺にふわりと微笑んでみせてひどく瞼の裏が痛んだ。
それから数年後、あいつが家を出ていった。俺がやっとの思いで借りられた部屋はふたりで住むには古くて狭くて不自由ばかりだっただろうに、妹は顔をほころばせてよく笑っていた。小さなちゃぶ台に並ぶふたり分にしては少ないあたたかな料理が幸せそうに湯気をあげている様子に、妹は目をキラキラ輝かせていたことが懐かしい。
クラスメイトに家がバレないように担任以外には住所は教えなかったこと、具合が悪くてもプリントや提出物は学校まで取りに行っていたこと、ふたりでいられる家が大好きだと呟いたあいつはひと言も俺には話さなかった。必要以上に優しく在ることはただの犠牲だ。同じ組のやつらが乱暴に玄関を叩く姿を誰にも見せないように、俺が殴られる様子を知られてしまわないように、ふたりの日常を守るために徹底した姿勢を貫いたあいつに何をしてやれたのか今でも考える。たらればは無意味だ。単純に俺には力がなかった。
冬が近づいてきたある日、高そうなブランドのスーツを着て中王区のバッジを光らせた女が玄関を叩いた瞬間、これから妹に何が起こるのか頭を巡り不覚にも俺は安堵してしまった。女を、ましてや未成年を守るための制度は笑ってしまうほど豊富で迷う理由などなかった。わずかな手続きで成人するまで身の安全と教育についてのあらゆることが保証される。渡されたボールペンはずっしりと重く、緊張で流れた冷や汗が背中をぬらした。サイン済みの契約書を見つめる目は一瞬だけ揺れて、すぐに真っ直ぐに俺を見つめてふわりと微笑んだ。あの冬の公園で見せたみたいに屈託のない表情に、また強烈に瞼の裏が痛んだ。
「私にも、サインできる何かがあったらよかったな。」
保証内容がぎっしりと書かれた紙を読み上げたあとの最後のひと言。もっと言うことあるだろ、と言いかけてやめた。ワガママを言えるようにしてやりたかった。それができなかった結果だ。
荷物をまとめた後ろ姿を見つめながら駅まで向かう道のりは、処刑台へ向かうような気持ちに思えた。大袈裟だな。それでも妹の声が消えた家に帰る意味などあるのだろうかと考えてしまうくらい、参っていた。珍しく無口で一歩先を歩くあいつは電車がホームに滑り込んできたタイミングでくるりと振り返って見せたのは、何かを言いたげに眉を下げた顔だった。乗り降りする足音が止んで静かになったホームに発車のアナウンスが短く流れて押されるように一歩を踏み出した足がためらいがちに車両の床を鳴らした。
「またね。」 「ああ。」
不安げな顔から一転、晴れやかにまた、と口にされて自分が情けなくなるくらい期待を持ってしまったことに対して、こんな感情が胸を満たしていたのだと驚いた。これがよかったのだと言い聞かせることしかできなくなるやるせなさに、手を振ってやることもできない。遮るように音を立てて閉まったドアの向こう側で「元気でね。」と微笑むあいつにまたああ、と返す。走り出す電車。ドアにはりついてこちらを向いているあいつの顔が見えなくなる一瞬、揺れる髪で影になっていても、わかる。自分が泣いたら俺が悲しいことを思い出してしまうからと、涙を見せることは一切なかったあいつの顔から笑顔は消えて、随分と久しぶりにその頬に涙が流れた。
もうすぐ春がくるなんて信じられないくらい底冷えする、雪が朝まで降り続いた日だった。
雪には思い出すことが多い。誰の名前を呼んでいいのかわからない、同じ言葉を使っていても通じない絶望はあるのだと大人達は何度も教えた。叩いた扉は開かれない。もがいて伸ばした手は空を切るばかりだった。自分の身を自分で守れないやつに未来などない。
「今年は雪が多く降るらしいぞ。」
休日前の銃兎が普段より高い酒を口にしながら、面倒事が増えるな、とため息を吐いた。肺の奥に吸い込んだ煙を吐きだしてぼんやりと雪が静かに覆った記憶をたどる。自分と同じように降り積もった思い出に胸を痛めやしないかと心配してしまう。あの場から動けていないのは俺だけであってほしいと願う。雪はすべての音を奪って静かに俺たちに痛みを覚える寂しさを与えたのだから。
「左馬刻、そういえば明日誕生日だな。」 「誕生日。」
オウム返しをしてようやく頭に入ってきた単語。そうだったか。タンジョウビ、に特に興味はない。けれど、大事なイベントがある。
「今日は帰る。お前の大切なプリンセスからの贈り物を受け取る必要があるからな。」 「頼む。」
いつもそれくらい素直だと可愛げがあるんだけどな、と残して早々に銃兎は出ていった。今��、可愛げなんてあってどうする。そんなものが通用する時期はとっくにすぎたさ。何を、今更。
「うっぜ。」
雪のことを考えたからだ。止まらないたらればに舌打ちをして煙草を安物の灰皿に押し付ける。テーブルに出しっぱなしにしていたついこの前届いた正方形の封筒を再び開いた。今まで何通来ただろうか。そのうち本棚を埋めてしまいそうだな。よく出てくる名前は仲がいい友達なのだろう。その名前が増えていく様子に安心を覚えた。迫害の言葉に慣れた耳には笑い声の方が多く届いているだろうか。やまない耳鳴りに遮られる声はもうないだろうか。太陽が沈めばすべてが冷たく凍りついていた。そこにはもう夜明けなど、死んだ植物が生き返る春などこないのだと思うくらい閉ざされた世界だった。助けを呼ぶ声は虚しく響くばかりで前も後ろもわからなくなりながら歩き続けていた。今、足元は明るい日差しで照らされて転ばなくはなった。なあ俺達は抜け出せたのだろうか。
「たん、じょうび。」
新しい箱から雑に一本取り出して火をつけた。 銃兎から電話が入った午前十時。朝からあの声は頭に響くが今日は仕方ない。ついでだからと車でうちに寄った銃兎は祝いの言葉と共に封筒と小さな箱を渡してきた。律儀なやつ。ソファに戻り箱の方を開ければ高そうなボールペンが入っていた。サインをする時、自分の名前はちゃんとしたペンで書けと教えられて買ったものが最近壊れたことを覚えていたらしい。ありがとな、銃兎。
もうひとつの封筒は相変わらず若い女が好みそうな柄で、少し厚い。開いたら便箋の間に何枚も写真が挟まっていた。これは中王区の写真だ。スマホで撮ったであろう写真は、友達と写っているもの、カフェで注文したもの、通っている学校の校舎や教室、景色などだった。一枚ずつ丁寧にメッセージが書かれている。誕生日にはなるべく外出はしないし、約束なしの訪問客の相手はしない。有名税よろしく、関係が深い人間との約束事が入りそうな日はだいたいつけられているものだ。握られる弱みは少ないにこしたことはない。自分が追う立場なら同じことをする。会えないことを話した妹はどうして、とは言わなかった。いつも聞き分けの良い姿は困りはしないが寂しさがどうしてもつきまとう。
ふたりで暮らし始めて先に俺の誕生日が来た時、誕生日プレゼントが買えなかったごめんなさいと差し出されたココア。一箱に四本しか入っていないそれはあの頃は随分な贅沢品だった。何かあったときのために、と貯めていたわずかな貯金でそれを買った小さな手はぎゅっと強く握られていた。封筒の底には同じココアのスティックが入っていた。甘ったるくてのどが痒くなるのに、どうにもほっとしてたまに飲みたくなる。ねだられてあいつの誕生日プレゼントに買ったペアのマグカップを取り出して湯を注ぐ。送られてきた写真には同じペアのマグカップにココアが揺れている写真もあった。Happy Birthday☆と書かれたメッセージに顔が浮かぶ。スマホを取り出し目の前であたたかな湯気を出しているマグカップを撮る。写真は難しいな。何枚か撮ったがあまり上手くは撮れなかった。そのうち一枚をLINEで銃兎に送りつける。「なあ銃兎こいつを印刷してくれねぇか。日付入りで。」と書けば案の定断り文句がいくつも飛んでくる。あいつに送ってやりたいのだと続けると、仕方ないですね、とすぐに銃兎は了承した。きっとため息をついているに違いない。お前、俺たちに甘いよな。助かってるぜ、いつもいつも。
余っていた可愛げのない茶封筒の差出人にもらったばかりのボールペンで入間銃兎と書く。便箋なんて洒落たものはないのでコピー用紙に来月会いに行くとだけ書いて封筒に入れた。中央区の空の写真は今のヨコハマの青空と同じくらい澄んでいる。何も変わらない。離れていても繋がっていられるならばそれでいい。誕生日に特に興味はない。けれどあいつとこうしたやりとりができる日は大切にしたい。自分の身を守る理由があることは、強くなれることかもしれない。
少し冷めたココアを一口飲んだら、やはり顔がゆがむほど甘ったるくてほっとする優しい味がした。
0 notes
kusabito · 8 years
Photo
Tumblr media
つづき。 ----- 11/12、酒田グリーンシステム。 僕の出演はないけれど、大事なイベントへ。 この日はFRIDAYZケンタくん主導のイベント「DOIT2016」。 仙台から友人と乗り合いでマイカー1台で遠足、3年越しの色んな思いで参加。僕はこの3年であまりにも客観的になりすぎたところがあるな~と内心自分自身を疑ったり自分が嫌いになったりしたけど、この日ちょっと引き戻されたと言うか、くすぶりを再び焚き付けられる様な時間だった。 それが良い悪いではなく、そういう一面を抱えながらそれでもやってることしかできないことをどこかで認めないと僕は悲しくなる。 音楽が慰めだけのために在るならそんなのいらないし、僕は歌をそういう目だけで見たくない。 会場内いたる所にそれぞれの回答が灯を燈し続けて、夜が来たって道に迷わない、そういった錯覚に似た自信をもらえた。 でも夜が進み気温が一気に下り、ガタガタ震えながら聴いてた大トリのテニスコーツ・さやさんが光輪で「かえろう、いっしょにかえろう」って歌い上げたときはその場の本心だったに違いないと思った。僕も寒すぎて半ば本気で帰りたかった。でもホントすごい演奏だった。 帰路、気持ちを整理しながら、またながいくんと色々話し込みながら仙台まで。出発間際まで「一緒に行く!」とゴネにゴネた息子を置いて行ってしまった罪悪感が寝顔を見た瞬間に爆発、猛省。今度は一緒に行こう。 ----- 12/3、米沢・LIVE-ARBあかるいゆきちゃん主催の「真夜中サンライズ#3」にNUDEで参加。 僕ら(というか僕)の演奏はあまりよくない。 ストコジの演奏はホントにしびれた、久々にライブではしゃいだ。燃えたな~。ドラムの吉田くんとは腹違いの兄弟(同い年)だった事が発覚、遅すぎた再会を称え合った。 あかるいはじまりのプログレッシブな演奏に磨きがかかっており、またさすがは根城ARB、素晴らしいライブだった。 イベント自体が楽しすぎたためへべれけになるまで飲んでしまった。最終的にbirthこうたくん(同い年)をひっとらえて居酒屋でゆきちゃんこうきさん奥さんとダラダラ。皆さん遅くまでごめんなさい、楽しかったです。 ----- 1、米沢・LIVE-ARB新年明けましてのライブ初めは、前年に引き続き「真夜中サンライズ#4」にくさびとで参加。 年末に体調を崩し、仕事を休んでいる間の余暇で猛烈に曲を作り、半ば強引に新曲を4曲演奏。演奏面含め諸々課題はあったけど、自分が演奏する楽曲の新たな一面というか可能性を見た気がする。 wakamiya、the path、あかるいはじまり、about meみんな優勝のライブだったけど、とりわけabout meのプログレッシブっぷりが半端じゃなくて心底しびれた。鋭利なナイフを横腹に突きつけられて耳元でボソボソ小声で脅迫されてる感じで、完全に次の一歩を感じた。 終演後、打ち上げにてゆきちゃんのまかない飯がうますぎてか帰りたくなかったけど、翌日も諸々用があったため帰路につく。 帰りはHITOTSUKIこと大津くんを家に送り届けるため同乗してもらい、昔の話と今の話をたくさんして解散。残りの1時間を無慈悲な運転で切り抜け帰宅。ありがとう。 ----- 1/9、山形KUGURU。 とんがりビルというクリエイティヴなテナントビルの1Fにあるギャラリーにて、最近たくさんお世話になっている白丸君の企画「兎狩クロッシング」。 山川さんという絵本作家さんと作られた展示室の中での演奏で、ギャラリーの壁面3方ぐるっと山川さんが描き上げた作品が張り巡らされている。 この日はくさびと3人編成で初の遠征。リハの時点で音の心地よさに驚く、会場の雰囲気も変に気取ってなくて、土の香りが漂ってきそうなところはさすが山形。 近所の喫茶店でカレーを食べる、おいしかった。 白丸君の演奏は、前回聞いた弾き語り。この日気がついたのだけれど、白丸君の雑食性は弾き語りだからこそ引き立っているんだなと思った。自分にとってもヒントになりそうな、良い発見だった。今更かって気もするけど。 千葉くんは完全にノイズマシーンと化していた。いつもギターを弾いている姿しか見ていなかったけど、千葉くんも雑食性を研ぎ澄ました即興ノイズを披露しておりどろどろしててよかった。 僕らはようやく3人編成の大きな前進を感じ取れる演奏ができた。自分たちの楽曲が身体に染み付いてきて、やっと自分たちの演奏になってきた感。 普段、アートのシーンの人たちに演奏を聞いてもらうことが少ないためこういう企画は本当に貴重だって思った。 と同時に僕ら音楽の界隈はまだまだ可能性に対する試みをやりきれていないんだなと痛感した。 少なくても、聴いて、反応を示してくれる人がいるのは嬉しいことだし、それは音楽どっぷりの人だけとは限らない。 その点でハッとさせられた。 無理に繋ぎ合わせる必要はないと思う部分は日常的にたくさんあるけど、もがきながらアートをし続けている人たちも僕らと似ているのかもな~と思った。 アートのことを深く理解しているわけではないけれど、少なくともアートをちゃんと続けている人が放つ作品の純度は圧倒的に高くかつ鋭利で、音楽だって本来そうあって然るべきとも思う。 アートを育てるのがアートのみではないのと一緒で、音楽を育てるのが必ずしも音楽だけとは限らないって感じた。 これに懲りず、僕もアートのシーンの皆さんに接近したい。 そして、僕らにも接近してほしいと強く思う。 世界平和に必要なのは相互理解に努めることだと思う。 馬鹿らしいと思われるかもしれないけど、現に半径1メートルの世界だってそれは起こってるし、「兎狩クロッシング」はそれを実現してい���。 愛ですね。 ありがとうございました。 ----- おわりー。
0 notes
kkagtate2 · 5 years
Text
偽善者の涙[六]
[六]
一方その頃、――正確には佳奈枝のもとに多佳子がやつて来るつい三十分ほど前であるが、里也と沙霧はシンフォニーホールのとある席、――正確には舞台真向かひの二階席、ちやうど正面に指揮台のある演奏を楽しむのにはうつてつけの席、――そこに並んで座つてゐた。外に出るとめつきり喋ることの無くなる彼女は、今日はいつも以上に静かであつた。里也が例へば、
「意外とガラガラやな。やつぱりラフマニノフの一番て、人気無いんやろか」
と云つても、
「さうですね。……」
としか返つてこない。道を歩いてゐる時ならまだしも、ホールの中に入つてもこの調子なのは珍しく、普段沙霧とコンサートへ訪れて上記のやうな適当を云ふと大抵の場合、やんわりと訂正した後普段喋らない分饒舌に薀蓄語りが始まるのである。それが無いといふことは、やつぱり気分では無くなつたからだらうか、それともゝう疲れてしまつたからだらうか。
今日の彼女はそれとは別に妙に小奇麗であつた。普段は洗つてゐるのかも分からないボサボサの髪をばう〳〵にして、ちやんとしても微妙に時期を外した格好をしてゐる姿に見慣れてゐる里也は、よくもまあこゝまで綺麗になつたものだと感心してゐた。先日に佳奈枝がふらりとゞこかへ出かけて、何故か梳きバサミを買つてきて、まさかと思つてゐたらほんたうに練習台にされて、そのせいで彼はすつかり髪が薄くなつてしまつたのであるが、シャクシャクと小気味良い音を立たせながら綺麗になつて行く沙霧の姿を見られたゞけでも安いものである。彼女が押し黙るやうになつたのは、その時からなのであつた。以前美容室に連れて行つた時は、嫌々ながらも鏡を見てほつと安心したやうに息をつくだけであつたけれど、いつたいどうしたのであらうか。化粧も服も含めて慣れない自分の姿に戸惑つてゐるのであらうか、それとも髪を切るなどとは彼女には伝えてなかつたから機嫌を損ねてしまつたのであらうか。
何はともあれ里也は久しぶりに沙霧と一緒にコンサートに来ることが出来て満足であつた。上手く返事が返つてこないとは云へ、彼に手を引かれて歩いてゐる彼女の顔には笑みが見られたし、今も食ひ入るやうにプログラムやらパンフレットやらを見つめてゐる。かう云ふ時に話しかけては興も削がれるであらう、――里也はさう思つて自分も今日の演目を眺めることにした。前曲、中曲は兎も角として、やはり楽しみなのはメインのラフマニノフの交響曲第一番である。
かの作曲家の作品は往々にしてあひだの曲、――交響曲なら第一番と第三番のあひだにある第二番、ピアノ協奏曲なら第一番と第四番に挟まれた第二番三番が特に有名なのであるが、だからと云つて他の曲に味はひが無いかと云へば全くさうではない。単に知られてゐないだけで、例へばピアノ協奏曲第一番に関して云へば、耳をつんざく運命的なピアノの下降音形から始まり、ラフマニノフ特有の音と音を隙間なく丁寧に繋いで奏でられる耽美な旋律や、後年を思はせる第三楽章の一転して小気味良いリズム、それにオクターヴで駆け上つて絶頂へ達する華々しいクライマックスが聞ける。後期の作品よりもさらに哀愁に満ちた息の長い旋律には、ピアノ協奏曲第一番にしか持ちえない美しさと希望の薄さがある。だが、何に増してピアノ協奏曲第一番が素晴らしいのは、神秘に満ち溢れた第二楽章であらう。人気のある第二第三番と比べて緊迫感の無い楽章ではあるけれども、人間の不安とか焦りだとか、さういふものとは関係のないところで音楽が鳴つてゐるやうな気がして、ほんたうに何時間だつて聞いてゐられる。ラフマニノフの評論で必ず云はれる甘く切ない旋律も鳴りを潜め、ただ〳〵美しい調べが止まること無く永遠に続いて行く。若い時分には後年のアダージョのやうに絶望と希望の減り張りに大いに感動を憶えたものであるが、このピアノ協奏曲第一番に関してはそんな緊迫感なぞ無い方がいゝ。絶望と希望に揺れ動くことすらないほどに打ちのめされたある一人の男が、川のせゝらぎを聞きながらじつと佇んでその時を待つてゐるやうな情景は、それこそこの緩徐楽章の味である。有名なピアノ協奏曲第二番ではもう少し希望はあつて、第一楽章で提示された鐘の音がかなり絶望的ではあるけれども、曲を追ふに連れて見えてくる天からの微かな希望を、決して届かないと云ふのに手を伸ばして掴まうとしたり、もう諦めてしまつたかのやうに項垂れたり、何とか自分を奮ひ立たせて立ち上がつたり、でもやつぱり掠りもしないから恨めしく天井を仰ぎ見たり、……そんな絶望と希望のあひだを行つたり来たりするところが、第二番第二楽章の味と云つたところであらう。尤もこの場合は本来はロマンスであるから、希望云々といふ話は邪道かもしれないが、しかしそのやうな葛藤がピアノ協奏曲第一番では見られないのである。兎に角ラフマニノフのピアノ協奏曲第一番は、作曲者自身が後年になつて改訂したとは云へ、他のピアノ協奏曲とは若干違ふ、苦くも決して不味くはない味はひを持つてをり、どうしてこれがもつと世に知られないのか、里也は疑問に思つてゐるのであつた。
そしてその疑問は今日聞くことになつた交響曲第一番でも云へるのである。だがこれについては確かな理由があるかもしれない。
「グラズノフも酷いもんだよな、あんな酔つ払つて指揮する��んて。ロシア人つて云ふのはそんなに酒飲みなんやろか」
何でも初演時に、指揮を努めたアレクサンドル・グラズノフが酷く酒に酔つたまゝ舞台に上がつてしまひ、それは〳〵大変な演奏をしてしまつたらしい。当然笑ひ話で済むはずがなく、その結果、ラフマニノフはピアノ協奏曲第二番を途方もない神経衰弱に陥つたまゝ作曲したと云ふ。
「………」
沙霧は相変はらず静かであつた。チラリとこちらを見てきたやうな気がするが、このときに振り向いてしまふと余計に押し黙つてしまふので、こちらも変はらずパンフレットに目を落としてゐると、
「実は、最近ではさうでもないみたいです。………」
と聞き取れるか聞き取れないか怪しい音量で云つてくる。振り向くとすぐに目線を逸らされてしまつたが、話は続いた。
「と、云ふと?」
「えつと、………兄さんもご存知ですよね、この曲の楽譜が一旦喪失したことを」
「たしか亡命時に家に置きつぱなしで、以来行方不明なんやつてな」
そして今日に至るまで元々の総譜は発見されてゐない。
「さうです、さうです。さすが兄さんです。それでラフマニノフの死後、レニングラード音楽院の図書館からパート譜が発見されて、そのパート譜からスコアが復元されて、一九四五年にアレクサンドル・ガウクの指揮で復活した、……とこゝまではいゝのですが、そのパート譜からスコアを復元する時に問題があつたさうで」
「ほう? と、云ふと?」
沙霧はむず痒く笑つて話を続けた。
「その復元されたスコアとパート譜の食ひ違ひがあまりにも多いらしいのです。例へば、……例へば、………えつと、第一楽章のオーボエの第二主題の、………」
「どこだ、………」
「あ、……えと、こゝです。………」
と身を寄せて小さく歌つた。それは中々一言が云ひ出せない朴訥な男が語りかけてくるやうな、聞いてゐる側からすればもどかしい主題で、沙霧がうたふとひどく魅惑的であつた。
「あゝ、そこか。思ひ出したわ。哀愁があつて綺麗なんやけど、なんか微妙やな」
「ふふ、……さうですよね。でも、その微妙さこそが原因なのです。ラフマニノフの交響曲は往々にしてリズムだとか音量の濃淡が重要でして、……あ、それは第二番を実際に演奏なさつた兄さんの方がお詳しいですよね」
「うむ。……あんなに細かく強弱記号で音量を指定されたのは初めてだつた」
これは楽譜をたゞ眺めるだけでも分かることであるが、ラフマニノフの交響曲第二番は鬱陶しいまでに強弱記号で演奏者を縛つてゐる。冒頭にある教会での礼拝からしてピアニッシモからクレッシェンドデクレシェンドで音量を支配されるし、その後のディエス・イレを思はせる動機もまた、たつた三小節弱の旋律ではあるけれども五つもの強弱記号が付いてゐる。そんな風に、その後も裸のまゝ投げ出される音符は無いと云つても云ひ過ぎではないのだが、そこへ持つてきて第一主題ではさらに一小節刻みでpoco rit. だとかa tempo と云つたリズムの変化も細かく指定される。交響曲第二番はさうやつて出来た緩急の匙加減が演奏における醍醐味と云つたところで、客席に居る者は交響曲と云ふよりはむしろヴォカリーズを聞くやうな心地にさせられるのである。たゞし、素晴らしい演奏では気が付かないほど巧妙に料理されて出てくるので、コンサートなぞで聞いた暁にはもう一度聞きたい衝動に駆られてしまふ。恐らく一度も演奏しないまゝ、一度も楽譜を見ないまゝ、何も考へず何も意識すること無く聞くのが、交響曲第二番を味はへる最高のコンディションであらう。
「先程のオーボエの主題における濃淡といふのは、リズムの濃淡でして、らら~、ら~ら、らら~、……とほとんど同じことを繰り返すだけなんです。だから記憶にもあまり残らないし、なによりはつきりとしないので、うつかり記譜を間違へてしまうんです」
「それでスコアとパート譜が食ひ違つてるつて訳か」
「――えゝ。スコア譜では先程の音形が、……らら~、らら~、らら~、………になつてゐたりします。あ、それで話を戻しますと、ラフマニノフが死んだ後に復元されたスコアで、しかも主題でそんな間違ひを犯すほどですから、初演時には一体どれだけの不備があつたことやら、……」
「なるほどなあ、……確かにそれはあかんなあ」
「で、最近ではそんな記譜上の曖昧さが混乱に次ぐ混乱を呼んで、結果、演奏もはなはだひどかつたと、そんな見解が広がつてゐるらしいです」
「へえ、なるほどなあ。練習の時にグラズノフは何も文句を云はなかつたんかな」
「さあ、どうでせう? あの演奏はかなり放漫であつたらしいですから、それこそ酒に酔つて、練習も本番も勢ひで乗り切つたのかもしれませんね」
ふゝ、と沙霧はさも可笑しさうに笑つた。
「はゝゝ、かもな。ありがたう、勉強になつたよ」
「いえ、そんな、……私はこのあひだ読んだことを話したゞけですから、……」
「いや〳〵、同じラフマニノフ信者な俺でも知らなかつたんだから、そんな謙遜せんでえゝんやで。さすが沙霧やん」
「そんな、……ふゝ、そんなおだてゝも、これくらゐしか出てきませんよ。ふゝゝ、……」
「あゝ、さうだ。さう云ふ話を佳奈枝にもしてやつてくれ。まだネタはたくさんあるだらう? あいつはすぐ俺を知識で負かさうとしてくるから、ぎやふんと云はしたつてくれ」
と、里也は、普段あゝだかうだ云つてくる佳奈枝の顔が突然浮かんできたので、冗談めかしくさう云つたのであるが、
「………」
と沙霧の顔からみる〳〵うちに消えていく。
「沙霧?」
と再三呼びかけたが、崩れた笑みはもう戻つてこなかつた。
今日の客入りはほんたうに少ないらしく、開演時間間近になつても自分たちの両隣に人が居ないほど空席が目立つてゐた。少しばかり立ち上がつて一階席の方を覗き込むと、いつも客席を埋めてゐるご老人方がそれなりに居るやうであるけれども、やはり数は少ない。かう云ふ折には大学生くらゐのキラキラとした集まりがいくつもあるものだが、それもまたちらほら見かけるだけである。里也は日本のオーケストラを聞くのは学生の頃以来で、昔はよく講師の先生からチケットを安く買つては佳奈枝と共に訪れてをり、今日はその思ひ出にも浸らうかと密かに考へてゐたのであつたが、かうも学生が少ないと少し残念にも感じられる。学生として最後に訪れたコンサートは、たしかセザール・フランクの交響曲ニ短調を聞いた時であつたゞらうか。折良く定期演奏会の一月前に同じ曲をプロの演奏で聞けると云ふので、練習終はりに同じ金管楽器の連中と、楽器を背負ひながらこのシンフォニーホールに訪れたことはよく憶えてゐる。もちろんその時も佳奈枝は居て、隣りに座つてきたかと思へば、ブルックナーと同じくオルガン奏者であつたフランクへの愛を熱く語つてゐた。この交響曲の魅力はやつぱり何と云つてもその重厚かつ上品な響きにあつてゞすね、今日はそれが楽しみで来たんですけど、演奏に依つてはほんたうにオルガン版とオーケストラ版つて同じ響きをしてゐてゞすね、あ、でも悲壮感はオルガン版の方が上ですね、やつぱりあの強烈な響きには勝てません、やつぱりフランス人なのでオーケストラにするとどうしても音が華々しくなつてしまうんですかね、ま、兎に角、暗雲立ち込める冒頭からしばらく経つて、空が晴れ渡つた時の、あの天が歌つてゐるやうな抱擁感! もう素晴らしいとしか云へません。と云ふより、そも〳〵調性がニ短調の時点ですでに天上の音楽ですよね。それで、第三楽章へ向けてのあの例の主題がですね、――これ以降は忘れてしまつたが、演奏に関しては佳奈枝の望む通り、重厚かつ上品な響きに美しい旋律がそつと乗つてゐるやうな、そんな印象を受けた記憶がある。たゞあまりにも素晴らしい演奏をしてくれたものだから、第二楽章でやつぱり寝てしまつて、後で佳奈枝にこつぴどく怒られてしまひ、今でもコンサートの前には必ずと云つていゝほど寝ないでよね、と里也は云はれてゐるのであつた。
今日はそんな彼女がゐないので、里也は意識が遠のくほど存分に、自分の世界に入り込んで演奏を聞くことが出来た。プログラムもよく把握しないまゝに訪れた演奏会ではあつたけれども、ラフマニノフの死の島が始まつた途端から、船に纏はりつくやうにうねる海に心が囚われてしまつた。隣に座つてゐる沙霧は、里也以上に演奏に聞き入ってゐるのか瞬き一つすらしない。昔、彼女から聞いた話ではこの曲は、アルノルト・ベックリンの「死の島」といふ油絵か何かを見たラフマニノフが、その霊感に感動して作曲したさうだが、なるほど確かに原画を思ひ浮かべながら聞くと一つのストーリーのやうなものが現れる。死の島と云ふからおどろおどろしい想像をしてしまふけれども、ベックリンの意図では全体が墓場となつてゐる島ださうで、そのことを頭に入れておくと、不思議なことに不吉さは感じられず、代はりに何かしら形容し難い存在、いや、存在と云ふよりも概念と云つたところであらうか、それこそ死の概念がすぐに頭に上るけれど、しかしそんな人を恐怖に陥れるやうな概念ではない、葬送と追悼の意味をも込められた畏れ多い何かを、ラフマニノフの死の島を聞いてゐると感じる。里也は美術についてはかなり疎く、いまいちこの曲についても理解出来てゐないところがあるのだが、それでも同じ交響詩である岩よりも好きであつた。想像以上の演奏に、オーケストラの団員が舞台から去つても彼は目をつむつたまゝ、しつとりと心地よく響いてくる話し声や足音にじつと耳を傾けてゐた。
ふと隣を見てみた。隣では沙霧もまた彼と同じやうに静かに、身動きすること無く、演奏の余韻に浸つてゐるやうであつたが、なぜかじいつと里也の目を見つめてゐた。普段ならば目を合はせるとすぐに逸らされてしまふけれども、今だけは首を彼女に向けてもしつかりと見つめ返して来てゐる。軽く笑つてみてもそれは変はらず、つひにこちらが耐えきれなくなつて目をそらすと、彼女は目を閉じて深呼吸を一つした。
「兄さん、話しておきたいことが一つあります」
と沙霧は決意を新たに背筋を伸ばして座り直す。その目はやはり里也を真直ぐに捉へてゐる。
「どうした、そんなに真面目な顔して、何かあつたか?」
「いえ、……あ、いえ、あながち間違つてはゐませんが、さうではありません。これはずつと、……ほんたうは一生黙つてゐるつもりでしたが、どうしても兄さんにはお知りになつていたゞきたくて、……」
一生、の部分で彼女の手が震へてゐるのに気がついて、里也はそつと手を伸ばしたが、静かにはねのけられてしまつた。
「すみません、せつかくのコンサートにこんな真面目なことを。ご容赦くださると、たいへんありがたく存じます」
そこで沙霧が頭を下げたので、一旦目線は途切れることになつた。里也はほつとしたやうな心地になりはしたが、再び頭を上げた彼女の目元から、コンサートホールの薄暗い照明に淡く照らされて、一筋の涙のこぼれ落ちるのが確かに見えた。
「……よし、準備出来たぞ。なんかよくわからんが、もし何かあつても見捨てたりはせえへんからな、云つてくれ」
「ありがたうございます、兄さん。愛してをります。ですが、こゝまで真剣になつておいてかう云ふのも何ですが、私が大げさな態度を取つてゐるだけで、もしかすると大したことないかもしれません。気楽にお聞きになすつてください。それと、今日はこのことがどうしても気になつて、兄さんの言葉に反応できる余裕がなく、大変失礼な態度を取つてしまひました、ほんたうにすみません。………」
「大丈夫〳〵、かうしてその原因を語つてくれるんだから、別に何も気にしてへんよ。――ぢや、気楽に聞くとするかな。俺の分のパンフレット返して」
と客席に座る際に預けたまゝになつてゐたパンフレットを受け取つてから、里也は何気ない体を装つて眺め始めた。実際には手が震へるほど動揺してゐるのであるが、かつて壁に話しかけるやうにそつぽを向いて、自身の身の上を曝け出した彼女を思ふと、やはり今日も自分は物云はぬ壁になつた方が良いやうな気がした。それになぜか嫌な予感がするのである。彼女の云ふとおり、大したことがなければいゝのだが、………
沙霧はありがたうございます、と再び云つてから一つとして言葉に詰まること無く語りだした。それは十年以上昔のことながら日付まで憶えてゐるほどに細かゝつたが、要点を掻い摘んで云ふと、私が中学生の時分に受けたいぢめの中には、兄さんに云つてゐない部分が多々ある。それは当時伝へきれなかつたものから、別に伝へなくてもよいものまで多数あるが、今から話すことはその中でも後者に属してゐた(点々)ことである。と云ふのもこれは佳奈枝お姉さんに関することで、単刀直入に云ふと彼女にも私はいぢめられてゐたのである。その内容はありきたりなものだつた。ある日は隠された教科書の在り処を訪ねる私を門前払いしたり、ある日はいくつも鞄を持たされた私を嘲笑つてゐたり、ある日はこちらを見て友達数人と大きな声で陰口を云つたり、そんなことは日常茶飯事であつたので、何も感じてゐないと云へば嘘になるが今では記憶が薄れつゝある。が、絶対に忘れられないことが一つあつて、それは体育の授業中に三人の組を作らなければいけなかつた際、ちやうど一人でぼんやり立つてゐた佳奈枝お姉さんに勇気を出して話しかけたところ、(――こゝから先は涙声で上手く聞き取れなかつた。)嫌さうな目だけをこちらに向けて、あつち行けと云はんばかりに背を向けられてしまつた。言葉は無かつた。あの時の目は今でもお姉さんの姿を見るだけで思ひ出される。鬱陶しさうな、冷たい、憎しみすら紛れ込んでゐる恐ろしい目、――あんな目を見せたのは今にも後にもお姉さんたゞ一人だつた。怖かつた。今でも怖い。いつまたひよつこりあの目が私の前に現れるかと思ふと、怖くて仕方がない。あの人を前にすると私は萎縮してしまふ。あの人の声を聞くと私の頭の中は空つぽになつてしまふ。あの人に髪を切られてゐると、命を刈り取られてゐるやうな気分になつてしまふ。私はもうお姉さんとは自然にお話が出来ないかも知れない、もうお姉さんとは仲良くなれないかも知れない、でも私にとつてはかれこれ十四年ぶりの友達だから、しかも趣味を同じくしてゐて、とても私では敵はないほど沢山のことを知つてゐて、人望もあつて、何でもかんでも出来て、私の理想とも云へる人だから、それに、今度の京都ではいよ〳〵二人きりで行動するのだから、……でも怖い。怖いし、何より当時の恨みがどうしても思ひ浮かんで良からぬことを企んでしまふ。もうずつと〳〵〳〵、あの人に対する恨みが募つて〳〵〳〵、どうすることも出来なくなつてしまつた。でもあの人は兄さんの、兄さんの、―――
「沙霧、もういゝ、いゝから、――」
と里也はたうとう耐へきれなくなつて沙霧の言葉を遮つた。
「沙霧、……もう何も云うな、云ひたいことはだいたい分かつたから。今はもう、何も考へずにゆつくりと演奏を楽しんでくれ。いゝな?」
沙霧はありがたうございます、と消え行く声で云つて、ゆつくりと目を閉じた。濡れた瞼の縁から溢れ出た涙を拭はうと、里也はハンカチをポケットから取り出したのであるが、今直ぐでは一層涙を誘ひ出しさうな懸念があるので差控へた(パクリなので変える?)。
気がつけば舞台の上ではオーケストラがオーボエのA の音を基準にチューニングを行つてゐた。ふつと力の抜けた里也には突然聞こえてきたやうなものなのであるが、さうかうしてゐる間に指揮者が壇上へとやつて来て、拍手が鳴り止まぬうちに交響曲第一番の復活を意図する強烈な一手が聞こえてきた。指揮者が出てきた時に弱々しく拍手をしてゐた沙霧の方を見てみると、項垂れてはゐるけれどもゆつくりと呼吸をしてゐるらしく、平らな胸元が静かに上下してゐる。クラリネットで奏でられる最初のDies irae を聞きながらひとまず話に区切りがついてほつとした里也は、沙霧の話は後で考へることにしてそつと深く腰掛けると、長く息をついて自身も項垂れてしまつた。交響曲はもう冒頭部分が終はつたらしく、最初の頂点を目指すべくトロンボーンで奏でられるDies irae が聞こえてきて、本来ならば耳を澄ますところなのであるが、しかしいつたいどうしてこんな時にこんな不吉な曲を聞かねばならないのか。
ラフマニノフの交響曲第一番には人間に優しいところなぞ何一つ無く、そこには神によつて無理やり復活させられた一人の人間の、気が狂つて必死に慈悲を乞うまでの物語があるだけである。冒頭から聞こえて来るグレゴリオ聖歌のDies irae を聞くだけで、もうこの曲は死の曲なんだな、といふことが分かる。と云ふのもDies irae は当時の作曲家、――例へばフランツ・リストだつたり、エクトール・ベルリオーズだつたりが死を象徴するモチーフとして使つたからで、同じロマン派に属するラフマニノフがその意図でDies irae を使はなかつた訳はなく、むしろ最初から最後まで幾度となく聞こえてくるところを顧みると、幻想交響曲のやうにある楽章だけ、と云ふのではなく全楽章に渡つて死後の世界が描かれてゐるのであらう。そして冒頭の強烈な三連符を、キリストによる死者の蘇生だと解するならば、明日があるさなどと呑気に云つてゐる場合ではない、天国に行けるよう目まぐるしく動き回らなければならない。最初の頂点を経て沈静部に入つた時こそ諦めに身を投げだしてゐるやうな気持ちであるが、やがて思ひ出したかのやうに暴れまはる。しかし男にはやましいことがあるのであらう、何度も〳〵もDies irae を聞くうちに正気を失つていき、ひとたび神が強烈にDies irae の主題をうたふ、――のかは知らないが、神の楽器による途方もない冷たさのDies irae が聞こえてくるとつひに気が狂ひ、大声で泣き叫ぶ。それが収まるのが第一楽章の後半、フルートで奏でられる悲哀の籠もつた美しい旋律が流れてゐる箇所であらうか、男は落ち着きを取り戻すものゝ、最初の審判を目にするや直ぐさま不安に襲はれ、再びDies irae が聞こえると共に気を失ふ。
第二楽章はそんな男の見た夢であらう。悲劇的な第一楽章の結尾から一転して可愛らしい妖精のスケルツォではあるけれども、いゝところでDies irae に邪魔をされる。が、実に良い夢である。舞踏会そのもの、と云ふよりは舞踏会を抜け出して、この世にあらざる者たちの踊りを見に行くやうな背徳感を感じる。しば〳〵天から降り注ぐDies irae は、しかし甘いお菓子に塩を加へるのと同じく、可愛らしい妖精たちの踊りをより可愛らしく見せるのに役立つてをり、彼女たちもそれに上手く乗つて踊る。が、最後の最後でヴィオラ以下の弦楽器によつて突然奏でられるDies irae はひどくおぞましい。今まで楽しく遊んでゐた妖精たちが突然踊りを止めたかと思ひきや、一斉にこちらを向いてDies irae を歌ふ、そんな心地がして一気に背筋が冷たくなつてしまふ。しかもそこで唐突に曲が終はるものだから、嫌な感覚のまゝ目を覚まさゞるを得ない。しかし、目を開けるとそこにはかつて愛してゐた女性がこちらに手を差し伸べてきてゐ、彼女に導かれるまゝ、最後の審判で沸き起こる人々から遠ざかり愛を囁き合ふ。遠くでは神が次々と判決を下してゐるのが見え、これが長くは続かないことを悟る。――第三楽章はそんな甘く切ない愛のシーンであらう。せつかくオーボエが甘美な旋律を歌ひ上げてゐるといふのに、ヴァイオリンが耳障りな音でそれに纏わりついたり、ホルンのシンコペーションで強烈に不安を煽られたりするが、ラフマニノフ特有の永遠に続きさうな旋律によつて表現された二人の優雅な愛が、その甘さで観客をとろけさせつゝも屋根の元で暮らすやうな安堵感を与へる。
そんな二人の甘い時間は民衆に巻き込まれる形で突如として終はりを迎へることになる。それが第四楽章の冒頭なのであるが、何と勇ましいファンファーレであらう。第一楽章への回帰と云ふドイツ人ならば必ず勝利の意味を込める構成よりも、その華々しさに目が行つて、第三楽章で寝てしまつた人のための目覚ましのやうにも感じられる。だが、第三楽章で目が覚めたと思つてゐた男も、ほんたうはこゝで目覚めるのであらう。しばらくは愛の余韻に浸るのであるが、木管の民族的な旋律が流れてゐるコントラバスの奇妙な蠢きに駆られて、やはり気が狂つてしまふ。眼の前に夢で見た妖精の踊りが見える。かと思ひきや、壮大な自然が見える。いや、今度はかつての恋人が見え、名も知らぬ肌の黒い美人が見え、一体どこの世界に居るのか、自分が生きてゐるのか死んでゐるのか分からぬ。何もかもが現れては消えていく。……そんな情景が繰り返された後、気がつけば神の御前に向かつて歩いてゐる。体の自由が効かぬまゝ無理やり一歩〳〵確実に歩かされ、絶頂へ達した民衆によつて神の元へ突き出され、一瞬の静寂のうちに必死に懇願する。懇願するが、圧倒的な存在を前に体中が焼き焦げていく。皮膚は溶け、髪の毛は抜け、目の玉は飛び出す。だが耳だけはゝつきりと聞こえる。もう何度も聞いたDies irae が確かに聞こえてくる。男は神の楽器による神の判決を聞きながら灰となつて散つていく。―――
聞いてゐると勝手にこんなストーリーが思ひ浮かぶものだから、里也はラフマニノフの交響曲第一番には何ら吉祥(きちじやう)ごとを感じられないのである。同じ天から降り注ぐ曲としても、フランクの交響曲ニ短調は神の抱擁であるが、ラフマニノフの交響曲第一番は神の審判である。いつもの彼なら、この希望の無さが素晴らしいんだよと云ひながらじつくりと耳を傾けるのであるが、やはり沙霧の話がチラついて結局最後の最後まで集中出来ずにゐた。かう云ふときには同じラフマニノフであつても交響曲第二番の方が、「暗黒から光明への道」といふベートーヴェンから続く交響曲の流れを汲んでをり、今の気分に合致してゐる。演奏が終はつた後、里也はいつものやうに動けずにゐた。違ふのはそれがなぜかと云ふことだつたけれども、自身の心の痺れから素晴らしい演奏をしてくれたのには間違ひなく、隣に居る沙霧を見てみると、彼女もまたどこか柔らかい表情をしてをり、試しに無言で笑ひかけてみたらくすりと笑ひ返されてしまつた。彼女があの後何を云ひたかつたのかは、何となく分かつてはゐる。恐らくは自分に、避けやうのない佳奈枝との関係をほんたうの意味で取り持つてもらひたいのであらう。今まで云ひ出せなかつたのは単に勇気がなかつたとしか云ひやうが無いが、今度二人きりで出かける際にもう怯えたくない。自然に佳奈枝と話し、自然に佳奈枝の友人として振る舞ひ、出来るだけ恥ずかしい事が起きないように、出来るだけ二人のあひだで問題が起きないようにしたい。もうあの旅は避けやうが無いのだから、せめて何事も滞りなく一日を過ごしたい。過去を忘れたい。さう云ふ思ひがこの二週間で募りに募つてしまつたのだ。いや、これまで佳奈枝と会ふ度に募つていつたのが、三年の時を経て今こゝで爆発してしまつたのだ。もし里也があの時沙霧と佳奈枝を引き合はせなければ、あの時佳奈枝を人生の伴侶としてしなければ、あの時佳奈枝を変な後輩だとしか思はなければ、あの時佳奈枝と出会つてゐなければ、………云ひ始めるとキリが無いが、佳奈枝の存在を彼女に伝へなければ、妹は過去のことなぞ自身の薄い胸の内に秘めて、決して外へは出さなかつたであらう。里也は自分たち兄妹の爛れた関係が変はりさうな予感がした。舞台の上ではもうすでに椅子が片付けられ初めてゐ、自分たちの周りに居たお客は皆居なくなつてしまつてゐた。
「そろ〳〵帰らう」
「………はい」
彼にとつて沙霧とはたゞの妹だつたかもしれない、愛しい恋人だつたかもしれない、物云はぬ傀儡だつたかもしれない、夢見がちなお姫様だつたかもしれない。しかしせめて今だけは、自分の妻としてこの憐れな妹を愛してあげようと思ひ、そつと手を差し出して、その冷やつこい小さなぬくもりを握り込んで、かつて新婚旅行と称して二人きりで行つた金沢への旅行に思ひを馳せた。
0 notes