#例えばな1日1cmづつ進む
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Netflix / Chef's Table started streaming! It was truly inspiring and unforgettable days shooting with the greatest director Abby @abbyfullerfilmfarm and the amazing Netflix team! And really appreciated to all the people I love and respect who collaborated and helped to make this episode. It is a great memory for my family and me. Thank you to all the people who create this episode together, and hope it touches someone's heart. Netflix / Chef's Table 先週から公開が始まりました。素晴らしい監督、チームと撮影ができたこと。大好きな、そして心から尊敬する方々に協力して頂きこの作品を作ることができたこと。本当に感謝しています。10代の頃からずっと影響を受けてきたTHA BLUE HERBの楽曲を作品中で使用させて頂いたのも忘れられません。家族の良い思い出と区切りにもなりました。 とはいえ、日々目の前のやることは変わらず、1日に1cmずつ進むだけです。 ただただ、この作品が誰かの心に響くことを祈っています。 Special Thanks All the greatest people of team Netflix. Emmy @emmykawanishireis まさよさん @masayofunakoshi 中東久雄さん。金毛院 林先生。佐々木悠さん @avdulyan 古原さん。Sellfish.吉川さん @sellfish_yoshikawa 音吹畑 潤さん、みささん @otofuku Robert- san @ry_yakimono_gallery_kyoto enboca京都 角田くん @enboca_kyoto Shouya-san @shouyagrigg 倉橋くん @kuralmaa THA BLUE HERB RECORDINGS and ILL-BOSSTINOさん My family, Erina, Mina, Haru, Joe and my mom, Noriko. #例えばな1日1cmづつ進む #come true (Monk) https://www.instagram.com/p/CiaURRavL71/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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腹の中のことを気にし続けながらいろいろ怒っていた9ヶ月間について
出産を翌日に予定し陣痛促進剤であるオキシトシンを投与されながらまとめていた妊娠期間に感じたことの記録。
少なくとも24時間くらいかけて産気づかせる予定が20分くらいで陣痛が来てしまい、そのまま分娩となったのでまとめきれないまま放置されていた。あれからおよそ二ヶ月経った今ようやく投稿します…
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現時点ではto be continued... とはいえそんな感じが続いた妊娠期間だったので。
「灼熱のつわり期・極寒の安定期・地獄の切迫早産期」と言い回しだけ勝手に借用したい(元は「灼熱のアラビア・極寒のロシア・地獄のヒンディー」、外大における単位取得が困難な語科ベスト3を言い表した言葉。旧大阪の人から聞いた言葉だったかも)。
そりゃ確かにあれこれと変化はあるだろうけど、当初は「妊婦なので(◯◯できません)」というようなセリフはあまり言わずにできるだけいつも通り自然に9ヶ月間を過ごしたいと考えていた。妊娠しているからって特別な振る舞いはしたくないと思っていた。のだが……
実際は妊婦であることを忘れて過ごせた日なんて1日もなく、今考えればひたすら無知だった。つくづく「妊娠は病気じゃない」という言葉の真意は「病気じゃないから耐えることしかできない」だと知った。
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まず意思に反してかなり初期から勝手に始まった灼熱のつわり期。これが本当につらかった。ゆったりノンカフェインのコーヒーでも飲んで……としたかったはずの朝の時間はコーヒーどころか気持ちが悪くて水さえ飲めず。いつも通りに過ごせるわけなんてなく、これなら食べられるかもと思ったものも2〜3回食すともう泣くほど見たくもないものに早変わりする。
外は吐き気を刺激する物事にあふれていたが、かと言って家の中にいても特定の場所のにおいが気持ち悪くてえずきまくりだった(耐えきれず空気清浄機を購入)。バラが咲いて切って飾っても立ち込めたにおいで吐きそうになる。なんとか外出しても「赤信号を待つ」というようなことでさえつらく、電信柱に寄りかかることでなんとか立てていた。電信柱に感謝。
当時、マタニティマークも一応つけてはいたが席を譲ってくれる人は多くなく、というか大多数は絶対に譲ってくれず、耐えられなさそうな時は必然的に「どうすればそもそも空いてる座席に座れるか」を考えて移動していた。
しかしそこまで考えて乗車しやっと座っていても、次で乗ってきたおばあちゃん(鼻にチューブが入っててその先がコロコロに格納されてるのをえっちらおっちら引きずってる)に譲る人が誰もいない!だから自分が譲って立つしかなかったりした。
みんな無自覚なのか何なのか知らないが、弱者に厳しい社会にしたいならそれは日本が目指す像として受け入れるから、代わりにもう早くつわりの特効薬を作ってくれと心から思っていた。
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しかし5ヶ月を迎える頃から食べつわりだけはなんとか7〜8割がた回復しはじめ、めでたく極寒の安定期に入った(においつわりだけは産まれるまで継続)。相変わらず温かい紅茶やコーヒーは気持ちが悪くて飲めないが、牛乳が入っている冷たい飲み物であれば飲めるようにもなってきた。
この頃考えていたのは、子��ができるのは奇跡的なことでもあるけど別の面ではごく一般的なことでもあるということだった。しかし例えば仕事や趣味でとても頑張って成果を出しても、子供が誕生するという事実の前で比較してそれほど喜ばれないのはなぜなのかと。
結婚するかどうかに加えて子供を産むかどうかも完全にその個人の自由であり、皆それぞれがそれぞれの考え方で幸福に生きられればそれでよいはず。感激とともに「産む気がないんじゃないかと思っていた」と泣かれるのは、それは子供を歓迎してくれているという点でとてもありがたいけど、でもそれなら産まない人生を選んだ場合の私の価値はどんなものだったのだろう???
こんなことを今こそ考えてはいるけど、親になってみたらいつのまにか価値観に縛られた人間になってしまうかもしれない。だからこそ、次世代を作ろうが作るまいがトランスジェンダーで男が女になろうが女が男になろうが、同性婚をしようがしまいが完全に好きなように楽しく生きてもらいたいと強く思った次第。ということはここに書いておきたい。
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そんなことを考えながらも、妊娠期間の青春期とも言えるような日々を送っていた25週の妊婦健診で告げられたのが切迫早産で、そのまま強制入院したその日から地獄の切迫早産期が始まった。これからも安定した生活が送れると思っていたので急転直下の話になんか涙が出そうになるが、それもまた情けなく止める。
切迫早産については、サカキさんの漫画を事前に読んでたおかげですごく助けられた。後半に入院の話が登場↓
https://twitter.com/i/moments/913407556130824193
私の場合は25週の時点で子宮頸管長1.8cm(産院の入院基準が2.5cm)だった。
とりあえずその時は2泊3日のウテメリン投薬&安静で頸管長が1cmほど戻り(ただし一度開いたものはふせんのようになっていてもうピタっとはくっつかないとか)、帰宅できたのだが、日中誰もいない家で「極力立ち上がってはいけない」という指導を守って生活し続けていくのはまさに苦行そのものだった。
9階の部屋からは桜が咲いていく様子も見られず、週に一回の病院往復はいくらお金がかかっても絶対にタクシー。どんなに小さなことでも立ち上がらないとできないことは人に頼むことしかできず、動くのはトイレに行くときだけ。自由にお湯を沸かすこともできない生活には発狂しそうで、このまま正期産に入る37週までの3ヶ月間薬で眠らせてお��てくれないかと真剣に思った。
そしていくら主に寝るか座るかしかしていなくても宅配がきたら��対するし、それでドアを押さえるときや立ち上がるとき、うがいをして水を吐くときなどちょっとした瞬間に腹筋に力が入ってしまうことがある。そんな小さな動作の一つ一つに対して「今ので頸管短くなったんじゃないか」、「もしかして今のは破水じゃないか」と悪い想像がいつも頭を駆け巡ってもいた。
そういう動作に細心の注意を払ったとしても診察では前の週よりさらに短くなっていたということがよくあり、すると努力がまったく報われていないと感じられ、とてもきつかった。最後まで無事お腹にとどめておけるのかまったく先が見えておらず、今週こそ頸管長が0に近づいてるかもと思い描いては常に家に入院支度を整えていた。とにかく息を吸って吐くだけの日々の中、1日1日が積み重なっていくことが生きる力だった……。
そんなこんなで週に一回ネガティブなことしか考えられなくなって涙が涸れるまで泣く、というのがこの頃はパターン化してきていたが、ただ泣いても特にすっきりしないし逆に精神的にヘトヘトになるだけ。3〜4月頃はとにかくメンタルを保つことが難しかった。
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その後4月に入ってからまた頸管長が2cm未満となり、お腹に頻回の張りも見られたことから7泊8日の再入院もした。
この時当初は点滴につながれていたが、担当医は「できるだけ家で過ごさせてあげたい」と何回も言っていたし、実際に早い段階で内服に戻され、帰してもらえた。漫画に描かれていたサカキさんの例と比べてみても、ツイッターとかで他の切迫妊婦さんが受けられている一般的な日本の対処法と比較してもかなり緩い基準だったと思う。
しかし海外で切迫になってる人のツイッターとかあったら読みたいなと「threatened premature labor」なんかで検索したものの何も見つからず、おかしい…と思い始めたのがアメリカの例を調べてしまったきっかけだった。やはり日本とは考え方そのものが全く違うらしい。
https://gamp.ameblo.jp/kurukuru-suzume/entry-12155370855.html
「安静」に意味がないという点については疑わざるを得ないけど、妊婦の人権の方を重視するというアメリカの姿勢にはひどく納得。
「健康で文化的な最低限度の生活ができないのはアメリカ人にとって耐えがたいことなのだろう」というような考察から自分の現状を改めて客観的に見たことは大きかった。実際ゴロゴロダラダラしているだけで許されるこれは贅沢な時間なんだとも思おうとしてたけど、自由��なく、気分転換したくても室内の10歩ほどが世界のすべてで話す相手は夫だけ、でもアルコールも飲めず暴食もできず(妊娠糖尿病や妊娠高血圧症候群を恐れていた)では何かにもやもやしてもそれを発散する術がまったくない。
そういう状況を自覚したのに、やはりまだ周りには寝られていいねって思われているんじゃないかと思うにつけ悔しいのとつらいのとでどうにもこうにもやりきれなかった。特に誰かに何か言われたわけではないので仮想敵を作って戦っていたようなものだが……。
(が、やはりアメリカの妊婦も手を尽くして赤ちゃんを健康に産みたいとは思わないのだろうか…? とはいえウテメリンは許可されてないし、マグセントの長期投与も法律的に無理だとしても、できるだけ歩かないようにするだけで頸管長が多少戻ったりしないんだろうか。頸管が開いてしまえば胎胞脱出とか破水のリスクも高くなるのではと素人でも思うのだが…。
やはりこういう考え方の違いが「お産が世界一安全な国」という結果を生んでいるのかなと思ったという結論。)
アメリカで長期入院した人のブログも発見したけど、この人の場合は胎盤早期剥離の恐れがあったということみたいだから(剥がれてしまえば大出血して胎児も妊婦も危なくなる)やはりこれは必要なことだったんだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/elliesuzuran/5001/
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ここで終了。
読み返すと今の寝不足よりも切迫安静はつらかったし、でもあの頃は切迫もつわり期よりはマシだと考えて過ごしてたなあと思い出す。
実際はどちらがマシかとかは決められようもなく、寝不足と疲労が幾重にも重なっていた新生児期は夫とともに泥沼のような状態だったし、更に自分はホルモンにも思いっきり振り回されていて肉体的にも精神的にもとてもつらかったが…というか後から思い返せば今もそんな最中なのだろうが…。
これだけ書いてきたように苦しいことが多くて永遠に終わらないんじゃないかとまで感じるほどだったけど、こんな9ヶ月間の果てに3時間半であっという間に生まれた子供が想像の1京倍かわいくてなんだか妊娠の思い出も今思い返すといいことばかりが上書きされはじめているのが不思議なところです。
結局怒りやいろいろなものはかわいさで帳消しになりかけてしまっていることを記し、まとめとします。
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やってみよう 冬みず田んぼ(冬期湛水) 表面 1.芦ノ湖や酒匂川の鴨は毎晩、水田へ通勤してる! って、ご存知ですか? 2.鴨は夜に飛びながら水面を見つけて着水し、二番穂や落ちモミ、雑草の芽を食べて命をつないでます。 3. しかし冬期乾田の普及により、水のある水田が減り、鴨の餌場になりません。さらに秋起こし(秋耕、収穫後に稲わらすき込む)の普及により、土の中へ二番穂や落ちモミが埋まり、鴨は餌不足で、芦ノ湖や酒匂川をはじめ、全国で減少(裏面)。 4. そこで餌場として、雨の後に水溜りができる冬の雨みず田んぼ(右上写真)を、 さらに取水できれば冬みず田んぼ(水深1cmでもOK)をやってみませんか。秋起こしする水田ではシマシマ田んぼ(右上写真)をやってみませんか。湛水は12~2月に半月以上。 5. 冬みず田んぼは雑草抑制になり減農薬しやすい。減少したトンボやホタルの幼虫、トウキョウダルマガエル、ドジョウ、メダカなども越冬できる環境貢献米、生き物ブランド米にしよう。芦ノ湖名物の鴨の復活も! 農水省も推奨(交付金8000円/10a年、環境保全型農業直接支払交付金の地域特認、神奈川県H29年度から)。 6.石川県の片野鴨池や、宮城県の蕪栗沼・伊豆沼、北海道美唄市宮島沼ではこの農法を普及させ、生き物と共生する高級ブランド米で販売。全国事例と価格は→農水省http://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/kihyo01/100409.html 呼びかけ あしがら冬みず田んぼの会 冬みず田んぼの場所をご存知の方は教えてください。関心のある方(冬みず田んぼができない方でもOK)ご入会歓迎(入会金も会費も無料)。営農と環境貢献の両立を目指した情報提供・情報交換してます。 問合せ:伊豆川哲也(会長) [email protected] TEL090-4963-8860 〒250-0004小田原市浜町4-20-12、TEL&FAX0465-23-3491。 裏面 1.カモの減少理由 農業形態の変化による餌減少 ① 水面採餌カモ(マガモ、カルガモ、コガモ等)は水田などで種子や草の芽を採餌する。マガモ、コガモの胃内容物を調査した結果9割が籾で、他は雑草だった(池田1952)。 しかし、芦ノ湖は水生植物の生える浅い岸が少なく、水田も箱根には少ないことから、カモにとっては、主に、餌場ではなく、昼の休息場となっている。 ② 夜は御殿場や足柄平野の水田へ採餌に往復していると考えられる。 明け方に駿東平野、田方平野から戻るカモの峠越えを撃つカモ猟が行われていた(1960年代、国立公園の拡大により禁猟。田代1990)。 ③ しかし、全国の水田で乾田化(排水暗渠埋設等により水はけを良くし冬に乾かす)が進み、冬に水溜りのある水田がほとんどなくなり、カモが採餌しやすい水田が激減した。 ④ さらに2000年代、全国で秋耕(秋起こし。収穫後に耕し稲株の分解を促進させる)が普及し、2番穂・落ち穂が土に埋まり、カモの餌が減少。 ⑤ 芦ノ湖や酒匂川水系のカモの減少も、同様な農業形態の変化によると推定(伊豆川)。 2. 冬みず田んぼでカモが来た! 冬期湛水をしたら、夜の水田にカモがかなり来て、羽が一面にたくさん残っていました。 「ブリの森づくりプロジェクト」のブログ記事2016/3/6「冬水(ふゆみず)たんぼに鴨が来た!」でも公開 http://blog.goo.ne.jp/burinomori/ 3.方法 冬みず田んぼ ① 時期・期間 時期は一番乾燥する12~2月。カモは水の張ってある水田に数日、通うと、2番穂等を食べつくし、餌場を他の水田へ移すので、期間は半月だけでも効果的。田毎に時期をずらせば、さらに効果的。 トラクターが埋まりやすい田では春の田起こし前に早めに水を抜く。 ② 水深 水深は1cmでもOK。上空から見て、月明かりや星明りで、キラっと水面が光ると、カモが降りてきます。 カモは嘴で水と一緒に落穂を吸い込んで、嘴の脇から水だけ排水しますので水が必要。 ③ 用水路が枯れている場合 水戸口と排水暗渠を締めて、雨水を数日間溜めるだけの雨みず田んぼでも、効果があります。 ④ 秋起こしする水田では、 シマシマ田んぼ 秋耕して冬期湛水すると、上空から水面が見やすいのでカモが降りてきます。しかし全面秋耕すると、落穂や二番穂が土に埋まりカモが食べれません。このため秋耕ありと無しを交互(縞状)に行う シマシマ田んぼがカモにとって最高。カモは着水し、2番穂を食べに歩きます。 荒い秋起しも落穂や二番穂が食べれるので効果的です。 農法のコツのパンフレット 「雨水ためるとカモが来る」片野鴨池周辺生態系管理協議会(加賀市役所)2012のダウンロード http://www.kagashi-ss.co.jp/kamoike/huyumizutanbo.html
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