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とにかく何かかく
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ukooon · 1 year ago
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ukooon · 4 years ago
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🚃
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ukooon · 4 years ago
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追加の直線レールが欲しい。
子供も2歳となり、自分の時間もある程度取れる目処がつき(ずっと泣いてて寝なかった、などがなくなり)やりたいことが溜まってきた。問題はインプットもアウトプットもやりたいことが多すぎて子供のお昼寝時間くらいじゃ自分の時間が足りなすぎることである。
・また次…次…!と��中になれるようなドラマが見たい
・溜まりに溜まってる観たいリストに入ってる映画が観たい。すりかえかめん以降まったく観られてない
・漫画も本も読みまくりたい
・ラジオとPodcast聞きまくりたい
・英語とウルドゥー語勉強して会話したい
・筋トレしたい
・編み物縫い物したい。手作りのものを子供に着せたい。お揃いしたい。
・家族以外の他人と交流したい
これらを効率よく解消しようとしすぎてラジオ聞きながら本読みどっちも頭に入らないとか、ウルドゥー語のインスタを開きながら別タブで縫い物について調べつついつのまにかTwitter見ててすべて中途半端…とかが頻発。そこに数十分間没頭しないといけないドラマや映画に踏み切れないままとなってます。
どうしたらいいのかーーー
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ukooon · 5 years ago
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布団を干したいけど窓を開けると子もベランダに出てきてしまうので開けられず思案している
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ukooon · 6 years ago
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腹の中のことを気にし続けながらいろいろ怒っていた9ヶ月間について
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出産を翌日に予定し陣痛促進剤であるオキシトシンを投与されながらまとめていた妊娠期間に感じたことの記録。
少なくとも24時間くらいかけて産気づかせる予定が20分くらいで陣痛が来てしまい、そのまま分娩となったのでまとめきれないまま放置されていた。あれからおよそ二ヶ月経った今ようやく投稿します…
***
現時点ではto be continued... とはいえそんな感じが続いた妊娠期間だったので。
「灼熱のつわり期・極寒の安定期・地獄の切迫早産期」と言い回しだけ勝手に借用したい(元は「灼熱のアラビア・極寒のロシア・地獄のヒンディー」、外大における単位取得が困難な語科ベスト3を言い表した言葉。旧大阪の人から聞いた言葉だったかも)。​
そりゃ確かにあれこれと変化はあるだろうけど、当初は「妊婦なので(◯◯できません)」というようなセリフはあまり言わずにできるだけいつも通り自然に9ヶ月間を過ごしたいと考えていた。妊娠しているからって特別な振る舞いはしたくないと思っていた。のだが……
実際は妊婦であることを忘れて過ごせた日なんて1日もなく、今考えればひたすら無知だった。つくづく「妊娠は病気じゃない」という言葉の真意は「病気じゃないから耐えることしかできない」だと知った。
まず意思に反してかなり初期から勝手に始まった灼熱のつわり期。これが本当につらかった。ゆったりノンカフェインのコーヒーでも飲んで……としたかったはずの朝の時間はコーヒーどころか気持ちが悪くて水さえ飲めず。いつも通りに過ごせるわけなんてなく、これなら食べられるかもと思ったものも2〜3回食すと��う泣くほど見たくもないものに早変わりする。
外は吐き気���刺激する物事にあふれていたが、かと言って家の中にいても特定の場所のにおいが気持ち悪くてえずきまくりだった(耐えきれず空気清浄機を購入)。バラが咲いて切って飾っても立ち込めたにおいで吐きそうになる。なんとか外出しても「赤信号を待つ」というようなことでさえつらく、電信柱に寄りかかることでなんとか立てていた。電信柱に感謝。
当時、マタニティマークも一応つけてはいたが席を譲ってくれる人は多くなく、というか大多数は絶対に譲ってくれず、耐えられなさそうな時は必然的に「どうすればそもそも空いてる座席に座れるか」を考えて移動していた。
しかしそこまで考えて乗車しやっと座っていても、次で乗ってきたおばあちゃん(鼻にチューブが入っててその先がコロコロに格納されてるのをえっちらおっちら引きずってる)に譲る人が誰もいない!だから自分が譲って立つしかなかったりした。
みんな無自覚なのか何なのか知らないが、弱者に厳しい社会にしたいならそれは日本が目指す像として受け入れるから、代わりにもう早くつわりの特効薬を作ってくれと心から思っていた。
しかし5ヶ月を迎える頃から食べつわりだけはなんとか7〜8割がた回復しはじめ、めでたく極寒の安定期に入った(においつわりだけは産まれるまで継続)。相変わらず温かい紅茶やコーヒーは気持ちが悪くて飲めないが、牛乳が入っている冷たい飲み物であれば飲めるようにもなってきた。
この頃考えていたのは、子供ができるのは奇跡的なことでもあるけど別の面ではごく一般的なことでもあるということだった。しかし例えば仕事や趣味でとても頑張って成果を出しても、子供が誕生するという事実の前で比較してそれほど喜ばれないのはなぜなのかと。
結婚するかどうかに加えて子供を産むかどうかも完全にその個人の自由であり、皆それぞれがそれぞれの考え方で幸福に生きられればそれでよいはず。感激とともに「産む気がないんじゃないかと思っていた」と泣かれるのは、それは子供を歓迎してくれているという点でとてもありがたいけど、でもそれなら産まない人生を選んだ場合の私の価値はどんなものだったのだろう???
こんなことを今こそ考えてはいるけど、親になってみたらいつのまにか価値観に縛られた人間になってしまうかもしれない。だからこそ、次世代を作ろうが作るまいがトランスジェンダーで男が女になろうが女が男になろうが、同性婚をしようがしまい��完全に好きなように楽しく生きてもらいたいと強く思った次第。ということはここに書いておきたい。
そんなことを考えながらも、妊娠期間の青春期とも言えるような日々を送っていた25週の妊婦健診で告げられたのが切迫早産で、そのまま強制入院したその日から地獄の切迫早産期が始まった。これからも安定した生活が送れると思っていたので急転直下の話になんか涙が出そうになるが、それもまた情けなく止める。
切迫早産については、サカキさんの漫画を事前に読んでたおかげですごく助けられた。後半に入院の話が登場↓​
https://twitter.com/i/moments/913407556130824193
私の場合は25週の時点で子宮頸管長1.8cm(産院の入院基準が2.5cm)だった。
とりあえずその時は2泊3日のウテメリン投薬&安静で頸管長が1cmほど戻り(ただし一度開いたものはふせんのようになっていてもうピタっとはくっつかないとか)、帰宅できたのだが、日中誰もいない家で「極力立ち上がってはいけない」という指導を守って生活し続けていくのはまさに苦行そのものだった。
9階の部屋からは桜が咲いていく様子も見られず、週に一回の病院往復はいくらお金がかかっても絶対にタクシー。どんなに小さなことでも立ち上がらないとできないことは人に頼むことしかできず、動くのはトイレに行くときだけ。自由にお湯を沸かすこともできない生活には発狂しそうで、このまま正期産に入る37週までの3ヶ月間薬で眠らせておいてくれないかと真剣に思った。
そしていくら主に寝るか座るかしかしていなくても宅配がきたら応対するし、それでドアを押さえるときや立ち上がるとき、うがいをして水を吐くときなどちょっとした瞬間に腹筋に力が入ってしまうことがある。そんな小さな動作の一つ一つに対して「今ので頸管短くなったんじゃないか」、「もしかして今のは破水じゃないか」と悪い想像がいつも頭を駆け巡ってもいた。
そういう動作に細心の注意を払ったとしても診察では前の週よりさらに短くなっていたということがよくあり、すると努力がまったく報われていないと感じられ、とてもきつかった。最後まで無事お腹にとどめておけるのかまったく先が見えておらず、今週こそ頸管長が0に近づいてるかもと思い描いては常に家に入院支度を整えていた。とにかく息を吸って吐くだけの日々の中、1日1日が積み重なっていくことが生きる力だった…​…。
そんなこんなで週に一回ネガティブなこと��か考えられなくなって涙が涸れるまで泣く、というのがこの頃はパターン化してきていたが、ただ泣いても特にすっきりしないし逆に精神的にヘトヘトになるだけ。3〜4月頃はとにかくメンタルを保つことが難しかった。
その後4月に入ってからまた頸管長が2cm未満となり、お腹に頻回の張りも見られたことから7泊8日の再入院もした。
この時当初は点滴につながれていたが、担当医は「できるだけ家で過ごさせてあげたい」と何回も言っていたし、実際に早い段階で内服に戻され、帰してもらえた。漫画に描かれていたサカキさんの例と比べてみても、ツイッターとかで他の切迫妊婦さんが受けられている一般的な日本の対処法と比較してもかなり緩い基準だったと思う。
しかし海外で切迫になってる人のツイッターとかあったら読みたいなと「threatened premature labor」なんかで検索したものの何も見つからず、おかしい…と思い始めたのがアメリカの例を調べてしまったきっかけだった。やはり日本とは考え方そのものが全く違うらしい。
https://gamp.ameblo.jp/kurukuru-suzume/entry-12155370855.html
「安静」に意味がないという点については疑わざるを得ないけど、妊婦の人権の方を重視するというアメリカの姿勢にはひどく納得。
「健康で文化的な最低限度の生活ができないのはアメリカ人にとって耐えがたいことなのだろう」というような考察から自分の現状を改めて客観的に見たことは大きかった。実際ゴロゴロダラダラしているだけで許されるこれは贅沢な時間なんだとも思おうとしてたけど、自由がなく、気分転換したくても室内の10歩ほどが世界のすべてで話す相手は夫だけ、でもアルコールも飲めず暴食もできず(妊娠糖尿病や妊娠高血圧症候群を恐れていた)では何かにもやもやしてもそれを発散する術がまったくない。
そういう状況を自覚したのに、やはりまだ周りには寝られていいねって思われているんじゃな��かと思うにつけ悔しいのとつらいのとでどうにもこうにもやりきれなかった。特に誰かに何か言われたわけではないので仮想敵を作って戦っていたようなものだが……。
(が、やはりアメリカの妊婦も手を尽くして赤ちゃんを健康に産みたいとは思わないのだろうか…? とはいえウテメリンは許可されてないし、マグセントの長期投与も法律的に無理だとしても、できるだけ歩かないようにするだけで頸管長が多少戻ったりしないんだろうか。頸管が開いてしまえば胎胞脱出とか破水のリスクも高くなるのではと素人でも思うのだが…。
やはりこういう考え方の違いが「お産が世界一安全な国」という結果を生んでいるのかなと思ったという結論。)
アメリカで長期入院した人のブログも発見したけど、この人の場合は胎盤早期剥離の恐れがあったということみたいだから(剥がれてしまえば大出血して胎児も妊婦も危なくなる)やはりこれは必要なことだったんだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/elliesuzuran/5001/​
***
ここで終了。
読み返すと今の寝不足よりも切迫安静はつらかったし、でもあの頃は切迫もつわり期よりはマシだと考えて過ごしてたなあと思い出す。
実際はどちらがマシかとかは決められようもなく、寝不足と疲労が幾重にも重なっていた新生児期は夫とともに泥沼のような状態だったし、更に自分はホルモンにも思いっきり振り回されていて肉体的にも精神的にもとてもつらかったが…というか後から思い返せば今もそんな最中なのだろうが…。
これだけ書いてきたように苦しいことが多くて永遠に終わらないんじゃないかとまで感じるほどだったけど、こんな9ヶ月間の果てに3時間半であっという間に生まれた子供が想像の1京倍かわいくてなんだか妊娠の思い出も今思い返すといいことばかりが上書きされはじめているのが不思議なところです。
結局怒りやいろいろなものはかわいさで帳消しになりかけてしまっていることを記し、まとめとします。
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ukooon · 7 years ago
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インド色・その4🇮🇳 パッと見「インド!?」と感じる色合いの風景があったら写真を撮るというわが習性により集まった写真類。だがこれはもう強引シリーズになっている自覚があります。 これにて写真の在庫が切れたので、またちょこちょこ探してゆきたい次第。
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ukooon · 7 years ago
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インド色・その3🇮🇳 パッと見「インド!?」と感じる色合いの風景があったら写真を撮るというわが習性により集まった写真類。 痴漢撲滅を呼びかける車内広告、サンドラッグ、新幹線案内図は街中溢れ度・インド度ともに高い三大インド色ではあるまいか。いやサンドラッグは横線になってないからそんなにインド度高くないか…
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ukooon · 7 years ago
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インド色・その2🇮🇳 パッと見「インド!?」と感じる色合いの風景があったら写真を撮るというわが習性により集まった写真類。最初の一枚のみ名古屋、残りは東京。かなり強引にインド認定してる感。お仏壇サロンも明らかに青だしなあ…
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ukooon · 7 years ago
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インド色・その1🇮🇳 パッと見「インド!?」と感じる色合いの風景があったら写真を撮るというわが習性により集まった写真類。これは名古屋で撮ったもの。しかしセントパトリックデーのはちょっとなしかな…🇮🇪
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ukooon · 7 years ago
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他の指は収納できるからいいとして親指が劇的に寒い。が意地で使用…
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ukooon · 7 years ago
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すてきにハンドメイドの篠原ともえ回を見て、着物のはぎれと別珍生地の代わりにマリメッコとフリースを使ったストールというかマフラーを作って母にあげた。考えてみれば去年も母にはすてハンのビーズで作るネックレスを見て作ったやつをあげた。 細部はぐちゃぐちゃだけどポンポンリボンをつけたおかげで首に巻いたときかわいい感じになります。
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ukooon · 7 years ago
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字が返ってきたので飾ったので記念に。 立てかけてあるのは重すぎてかけても落下の恐れを感じ…しかしこれはこれでまた落下の恐れを感じるのでもう夜にでも外そう。
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ukooon · 7 years ago
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どすMについて(相撲協会に送信したコピー)
どすこいFM終了の理由を知りたいです。 チケットの売れ行きが好況な今、不要なサービスになってしまったのでしょうか。ここ数年のファンはもちろんのこと、不入りの時期にも来場していたファンにこそよく知られた現地ならではの楽しみの一つだったように感じています。 もしかして国技館ではただ取組を眺めながらラジオを聴くのではなく、館内をあちこち移動してお金を落としてほしい…ということなのかなと愚考してしまいました。15日間通し券の廃止とも通じる点があるように思います。 毎回楽しみなラジオだっただけに理由も想像するしかないのは残念です。
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ukooon · 7 years ago
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イヤマンレストラン(Ear Man Restaurant、耳の男のレストラン)にて揚げたてジャレービー購入。 コックさんはコルカタ出身で私が聞き取った限りベンガル語とウルドゥー語を話しておられます。チェンナイのTrishnaホテルで働いていたこともあるとか(そのホテルについては私はよく知らない。検索で出てはきたけどもしかしてホテル=宿泊施設ではなくレストランの意かも)。
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ukooon · 8 years ago
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手作りポールうちわ、NAボードとともに破棄いたします。 ポールメモではPSYCHO-じゃなくてPSYCHORだったー。次回はもっとよいものに…!!!
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ukooon · 8 years ago
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phir bhi dil hai hindustani in Urdu
phir bhi dil hai hindustani のウルドゥー語書き。 鶴竜関が涙そうそうで日本語覚えたと聞くたび、ウルドゥーヒンディーなら「それでも心はインド人」が勉強にいい曲だと感じておりました。 インド人の愛国心を煽るプロパガンダソングなだけあって文法易しい、単語も平易(しかし多少のかっこいいひねり)。 ただ右揃えにできないのは困る。 پھر بھی دل ہے ہندوستانی ہم لوگوں کو سمجھ سکو تو ہم لوگوں کو سمجھ سکو تو سمجھو دِلبر جانی جتنی بھی تم سمجھوگے اُتنی ہوگی حِیرانی اَپنی چَھتری تم کو دے دیں کبھی جو بَرسے پانی کبھی نۓ پکیٹ میں بِیچیں تم کو چیزیں پرانی پھر بھی دل ہے ہندوستانی تھوڑے اَناڑی ہیں تھوڑے کِھلاڑی رُک رُک کہ چلتی ہے اپنی گاڑی ہمیں پیار چاہیۓ اور کچھ پیسے بھی ہم ایسے بھی ہیں، ہم ہیں ویسے بھی ہم لوگوں کو سمجھ سکو تو سمجھو دِلبر جانی اُلٹی سیدھی جیسی بھی ہے اپنی یہی کہانی تھوڑی ہم میں ہوشِیاری بھی ہے تھوڑی نادانی تھوڑی ہم میں سچّائ ہے تھوڑی بےایمانی پھر بھی دل ہے ہندوستانی آنکھوں میں کچھ آنسو ہیں کچھ سپنے ہیں آنسو اور سپنے دونوں ہی اپنے ہیں دل دُکھا ہے لیکن ٹوٹا تو نہیں ہے اُمّید کا دامن چُوکا تو نہیں ہے ہم لوگوں کو سمجھ سکو تو سمجھو دِلبر جانی تھوڑی مجبوری ہے لیکن تھوڑی ہے مَ��مانی تھوڑی تُو تُو مَیں مَیں ہے اور تھوڑی کِھینچا تانی ہم میں کافی باتیں ہیں جو لگتی ہے دیوانی پھر بھی دل ہے ہندوستانی
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ukooon · 8 years ago
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インド✖︎お弁当のyaadein
「スタンリーのお弁当箱」公開時にエッセイを送って商品と鑑賞券がもらえるキャンペーンみたいなのがあり、それに応募した文章。もうだいぶ昔だし自分も忘れてたものが最近発掘されたので載せます。
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一ヶ月間のみですが、インドで学校に通っていたことがあります。 クラスメイトたちは皆二十歳前後のイスラム教徒でした。半分くらいの女の子たちがブルカーで全身を覆い隠していましたが、そんな子たちが時には授業を早じまいさせてまでして代わる代わる自宅に招待してくれました。
「朝ごはんはバナナとパン」と言いながら各家庭で振る舞われる軽食をよく食べるこの日本人はどうやらロクなものを食べていない、と見抜かれたのか、そのうち代わる代わる皆が学校へもご飯を持ってきてくれるようになりました。小さな寸胴のような容器に詰められたカレーやご飯を大きなお皿にぶちまけ、皆で囲んでつつくというスタイルでしたが、でも基本的に私一人のためのもの。まだバナナとパンでお腹いっぱいだよと言ってもお食べお食べの大合唱に押され、授業が始まってしまっても先生も黙認というか推奨。授業が始まっている中で、一抹の恥ずかしさを感じながら必死に食べたものです。
そんなある日、今までと変わった食べ物を持ってきてくれた子がいました。マサーラーで味付けしたショートパスタを一人分だけ小さなタッパーに詰めた、パスタ弁当です。「スパイス控えめにしてきたから」と言いながら手渡してくれたこのパスタはやっぱり辛かったですが、日本人にも馴染みのあるだろうパスタで夜食べられるように、といろいろと配慮して作ってくれたんだなーというその事実がとても嬉しいものでした。 可愛い女の子に手作りのお弁当をもらう、という人生初の事件でもありました。
周りの子たちと一緒に作り方をメモしておけば良かったなと今も思い出します。
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