#何九海南茶店
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2024年9月6日金曜日
病院の待合室にて26
九月の水
朝/晴れ/パン/トラ/ミケ/CIAOちゅ〜る/身支度/ストレッチ/日焼け止め/お母さん/ミケ/お見送り/ちょっとひとりぼっち/軽自動車/高松空港/売店/山田屋のうどん/喫茶店/鶏のみぞれ唐揚げ定食/保安検査場/飛行機/飛行機から空港へのバス/羽田空港/東京モノレール/浜松町駅/大門駅/大江戸線/麻布十番駅/警察/迷子/護送車/ビジネスホテル/チェックイン/ズボンに汚れ/着替える/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/よかったら座りますか?/大丈夫です/三鷹駅/折りたたみ傘/ビル/スペース/新千円札/友達/エル・デスペラードのTシャツ/烏龍茶/歌/ギター/ジャガー/コントラバス/ドラム/12弦ギター/鍵盤/本気/unrest/歌/ジャズマスター/フルート/EB/クラリネット/バスーン/ドラム/ソプラノサックス/鍵盤/二十年/DNA/アンサンブル/成立/ちょっとひとりぼっち/雨/三鷹駅/中央線/NHK-FM/アーマッド・ジャマル/四ツ谷駅/南北線/麻布十番駅/雷雨/消防車/ゴッサム・シティ/ローソン/ビジネスホテル/ネバネバそば/サラダ/シャワー/YouTuber/LGBTQ+/寛容/不寛容/差別/チャット欄/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
朝/晴れ/納豆巻/サラダ/ストレッチ/身支度/麻布十番駅/南北線/四ツ谷駅/中央線/吉祥寺駅/友達/中華料理屋/味付き卵/春巻/豆苗炒め/青島ビール/ジャスミンティーみたいな味の烏龍茶/夏になると茄子を読む/吉祥寺って自転車乗ってると/パンケーキ/コーヒー/禁物/外/クィアたち/ボーイズ・テクスチャー/完成するまでの過程/短歌/フェスセット/Arcaかわいい/高速移動/免許/北海道とかにある標識とか何もない真っ直ぐな道/事故った時にヘラヘラしないこと/Aka/透明ドロップ/be master of life/300部/版元の人/権利関係をややこしくする人/探偵/トぶ人/仕事中に飲酒する人/仕事中に大麻吸う人(CBD的な合法的なやつかも)/吉祥寺駅/井の頭線/ミーのカー/どんなものでも君にかないやしない/渋谷駅/工事/利権/消費者に皺寄せ/日本すぎる/ログアウト・ボーナス/仕事辞めたひと前来て?/失恋したひと前来て?/プライベート・スーパースター/曲先?詞先?/浮いてる/代引/慣れろ、おちょくれ、踏み外せ/本屋/バッジ/生きる演技/ノット・ライク・ディス/翻訳/あなたがたに話す私はモンスター/講演/抗議/連帯/波打ちぎわのものを探しに/鍵/商品と私物のあわい/細かく話を聞いたら全然私物/アイスコーヒー/オレンジジュース/親切人間論/これってデザイン誰/祖父江慎/クッ…/元ネタ?/アイドルの部屋/アイドルヲタの部屋/天才/ヴァレリー 芸術と身体の哲学/引用/装置/どもる体/本屋の人しか開けられない下の棚/いいんですか?/……/本に写真がない/なくてもみんな分かるから/じゃがたらも?/ジョン・ケージ 著作選/ケージ - 通路 - デュシャン/誰もわかってくれない/でしょうね/ケージとキノコの写真/ケージかわいい/面白い人の誤解は面白い/つまんない人の誤解はつまんない/ナボコフ読んで蝶大丈夫になった/チェス・プロブレム���わからない/詰将棋も/どうぶつの森/気のせい/料理本を戦わせる/これがフリー素材の/鳴き声以外食べれる/ベケットは読まれていない(ゴドー以外)/お会計/ポッドキャスト/配送できますけど?/絶対お願いしたいんですけど/これも買っていいですか?/生きる演技/お支払い方法とか聞いた?/ベトナム料理屋/フォー/生春巻き/ロータスティー/今日はパクチーありません/どうして?/台風で/ショック療法/Over Drive/YUMEGIWA LAST BOY/ラズベリーB面説/後輩を集めて読書会/カラオケとか行かないと思った/どうして?/私が行かないから/犬いっぱい/月曜日お店休みかと思ったー/最近は開けてるんですよ/月曜日お店休みかと思ったー/あー最近は開けてるんですよ/谷/ビル/しゃぶったチンポの長さの合計フィート数vsエンパイア・ステート・ビル/警察近くて便利だったのに移転した/店が?/警察が/喫煙所/男根ロゴス中心主義/六本木駅/ちょっとひとりぼっち/六本木一丁目駅/南北線/麻布十番駅/ローソン/ビジネスホテル/シャワー/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/一番搾りロング缶/スーパーサンクス11800円/思いの丈をぶつける/ベッド/四時頃/睡眠導入剤/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
(2日目の写真これだけ…)
朝/曇り/身支度/納豆巻/サラダ/チェックアウト/麻布十番駅/大江戸線/大門駅/浜松町駅/東京モノレール/各停/羽田空港/かけそば/ミニ天丼/東京ばな奈/ANA BAGGAGE DROP/あらゆる場所にアルコールが……/アカシアあるんや/展望デッキ/コーヒー/読書/保安検査場/空港から飛行機までのバス/三十分以上の待機/書類の不備により飛行機にご案内できません/飛行機から空港までのバス/ご案内の準備が整いました!/空港から飛行機までのバス/飛行機/予定より一時間ほど遅れての出発となりまして誠に…/高松空港/予定より二十分くらい早く着いたので結果四十分の遅延/荷物受け取りレーン/軽自動車/家/トラ/CIAOちゅ〜る/お茶漬/真鰯の焼いたん/揚げ���し豆腐/シャワー/睡眠導入剤/ベッド/川岸が語る/九月の水/人生の約束/心の喜び/
何もかも/記憶しておくことは/不可能だけれど/歌にしておけば/歌うたびに/思い出せるのかも/しれない/最後に一曲/作詞作曲/アントニオ・カルロス・ジョビン/歌/エリス・へジーナ/三月の水/
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今日は店は休みです。久しぶりに奈良に来ています。本籍を奈良に置く身としては、故郷へ戻る嬉しさです。仕事があるとはいえ、合間に興福寺で八部衆の御顔でも拝めるとなおなお嬉しいところですが。
そういえば、本日2023年12月12日はちょうど小津生誕120年、没後60年。小津で奈良、といえば『麦秋』の最後、ふっと差し込まれる麦畑の中をゆく嫁入り風景のシーンですが、あれ、どこなんでしょうか。後ろに耳成山のような山が見えるので、橿原のどこかかな。
ついでの話。このごろ書きものの仕事が多くて、頼まれもの以外の文章なぞつらつら書いている場合ではないのですが、小津についてふと気になってしまったことがあり、書いておかないと本来の仕事ができなさそうなので、合間合間に記していた雑文をここに置いておきます。長いですし、結論はないし、ほとんどの方が興味のない内容かと思いますが…。
ちょっとした調べものがあって雑誌『みすず』2001年12月号を読んでいたら、木村伊兵衛が小津安二郎を撮影した写真と文章「上海で小津安二郎氏をうつす」が掲載されていた。時期は1938年1月なので第二次上海事変の翌年。小津は1937年9月に出征して中国に渡り、事変の直後12月から上海にいたようで、その時に偶然木村と出会っている(その後小津は南京・漢口と転戦する)。写っている小津が携えているカメラは、木村の稿に続いて掲載されている田中眞澄氏の文章「ライカという”近代”」によればライカA型。小津関係の文章を読むと、小津は「ご愛用のライカ」をいつも手にしていたと多くの人が書いているので(同文によると山中貞雄はコンタックスだったらしい)さもありなんと思うのだけれど、田中氏の文章を読んでい��なかで、ちょっとしたことが気になるようになった。
小津は1942年から軍の依頼で記録映画撮影のためにシンガポールに滞在し、ただまあ映画製作などできる状況でもないため、自国内では上映が禁止されていた��メリカ映画をひたすら見続け、敗戦を当地で迎えている。そしてそのまま捕虜となり、抑留生活を終え1946年1月に帰国する際に小津はライカを手放しており、「彼が再びライカを所有するのは一九五四年のことである」とある。買った件の典拠はどこにあるんだっけ、と思いつつ近所の図書館に置いてある『全日記 小津安二郎』を紐解くと、なるほど1954年3月22日の項に、
> 「出京 サンにてライカを買ふ 135.000 アメリカン フアマシー 明治屋(燻製)によつて帰る」
とある。と、ここで急に話は脇道に逸れるのだが、ちなみに隣のページ、同年4月8日の項には、
> 「駒場の東大教養学部 民芸館 青山の花屋 それから 車にて銀座に出て なごやかに夕餐を喫す 野田夫妻と江原氏同道」
と日本民藝館に行った旨の記載がある。他にも、1951年11月10日に
> 「宿酔 森昌子さん達と 陶哉 たくみに寄って大船に帰る」
や、1955年5月17日には
> 「駅にて野田氏と待合せ 上野松坂屋の民芸展にゆく」
とも。ほか、パッと目を通しただけでも1952年4月8日、同年6月15日、1953年2月9日、1961年2月2日に銀座たくみに行った記載があるし、志賀直哉や里見弴についての言及は多すぎるので略す。こういうものを読むとつくづく民藝誌において特集「小津と工藝」を組みたいなと思う。白樺派との関係や小津の映画における「巧藝品考撰」について取り上げる特集。『秋日和』で原節子の後ろにかかっている暖簾は芹沢銈介だろうか、『秋刀魚の味』で中村伸郎の後ろに置かれたやちむん?はたくみで求めたものなのだろうか、やちむんであれば誰の仕事だろうか。佐田啓二と吉田輝雄がとんかつ屋で食事をするシーンには確かに芹沢カレンダーが掛かってるな、などといつも気になるので。松竹から写真借りるといくらぐらいかかるかな…。
それはさておき。この時購入したライカが、前掲日記の1961年3月23日の項に「夕方会社帰りの秀行くる ライカ借(貸)してやる」とある通り、のちに小津の甥が譲り受け、現在は茅野駅前「小津安二郎・野田高梧コーナー」に寄贈展示されているライカIIIfとズマリット5cmF1.5なのだろう。と、ここまで長々と記して、まだ前提です。
そこでふと思い出したのが厚田雄春・蓮實重彦著『小津安二郎物語』(筑摩書房・リュミエール叢書)の冒頭。ここには小津が『東京物語』と『早春』のロケハンをしている写真が2葉掲載されているのだけれど、どちらにおいても小津はバルナック型のカメラを携え、光学ファインダーをのぞいたりしている。沈胴レンズにフードをつけている様子から、あれはライカなんだろう、レンズは厚田雄春が『父ありき』において75mmを一場面で使った以外はすべて50mmだったと言っているぐらいだから同径のエルマーやズマール、ズミタールとかかな、などとうっかり思い過ごしていた。むろん『早春』については、製作年やロケハンの写真に記載されている「1955.7.20」という日付からするとまったく問題はない。しかし『東京物語』は1953年製作公開だから「再びライカを所有した」1954年では間に合わない。そう気がついて見直すと、小津が構えているカメラは、ライカIII型に似ているがファインダーの位置が違うし、そもそも1954年にあわせて手に入れたと思しきズマリットは沈胴レンズではない。
妙なことに気がついてしまったと思いつつも、ひとまずは日記記載の「サン」を手始めに調べてみようとしたが、何の会社かわからない。名取洋之助が企画編集した「週刊サンニュース」と関係はあるのだろうか。対外宣伝誌の専門家であり、銀座に店を構える森岡さんに聞いたらわかるだろうか。いずれにせよ1949年以降の小津の日記に「サン」が登場するのは、「1951年1月17日・3月21日・4月24日・11月10日、1952年4月17日、1953年6月16日、1954年3月22日(前述のライカを買った日)・10月14日、1955年4月6日、1960年7月14日、1961年2月2日(”たくみ サンに寄って三越”)」。1953年6月16日は、ちょうど『東京物語』ロケの最中だったことが気に掛かる。ほか、関係しそうな記載としては1953年3月30日に「アサヒカメラ座談会」、1954年11月5日の「シュミットに寄ってから」(当時ライカの総代理店だったシュミット商会か)、1955年2月15日「昼寝をしてゐると小尾がくる ニッコールの85m(ママ)のレンズを頼む 四万五千円を預ける」、同年3月11日「小尾に会ひ105mmのレンズを見る」、同年6月27日「小尾から電話ライカピッド(ママ。入手したライカがIIIfであれば、ライカビット SYOOMか)を頼む」ぐらいか。この「小尾」という人は何者なんだろう。
次に小津が構えているカメラの形状から何かわからないかと思い、あらためて細部を見れば、写っているカメラは戦後キヤノンが作っていたコピーライカであることがわかる。決め手はファインダーの位置。同時期の国産コピーライカであるニッカやレオタックスはライカそっくりに作っているのだが、キヤノンは誠実と言っていいのか「打倒ライカとコンタックス」の心意気の現れか、多少スタイ��が違う。なお、小津が用いている機種については、この時期のレンジファインダー機は輸出用に作っていたせいか勢いがあり、すぐ新型が出るうえに、外観がどれも似すぎていて小さな写真では区別がつかない。時期を考えれば、1946年発売のSIIから1952年のIVSbの間のいずれかで、III型以降のように見受けられる。レンズもやはり形状から判断するとズマールに似ているので、1949年発売開始のキヤノン Serenar 50mmF1.9か。そう気づいて改めて調べると、「カメラ毎日」1954年6月号に掲載されている座談会「カラーは天どん 白黒はお茶漬の味」ではカメラの話がもっぱらで、その時に手にしているのはキヤノンである。このキヤノンのカメラとレンズ、そして外付けのファインダー、この時期どういう経緯で小津は使っていたのだろう。いずれにせよ、1953年の『早春』はともかく、なぜ1955年に「ご愛用のライカ」ではなく、キヤノンを用いているのか。
ついでに言うと、小津が鏡の前でカメラを向けて撮っているセルフポートレートに用いているカメラはコンタックス。日記をざっと読んだ限りではわからないけれど、これもいつ手に入れたのだろう。レンズはゾナーの5cmF1.5。明るいレンズがお好みと見える。こちらは姪が譲り受けたとのことで、今は先のライカと同じく茅野駅前にある。
長々と書いてきましたが、つまりはこれらが今回生じた疑問です。小津に詳しい人、どうか教えてください。
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あくまでも京都駅を起点で考えた場合。大阪発の場合だと、東方向は+30分、西方向は-30分で考えればいいかな。知らんけど。 ■高松片道4時間。自分的には香川県は青春18きっぷを買ったときに必ず行く場所。瀬戸大橋を超えるときのテンションの高さと、やたらとガタンガタンいう音が旅情を誘う。高松駅前の時点で、うどん屋が多くあるなら、うどんだけ食いたいなら、そこだけで満足できる。時間かあるなら栗林公園まで行ったり、瓦町の方まで行ってもいい。瓦町FLAGの変わり方を年々眺める楽しみもある。ちなみにうどんだけ食いたいなら、坂出で降りても良いかも。 ■琴平片道4時間半。坂出での接続があまり良くないので、高松に行くより時間は掛かる。こんぴらさんこと金刀比羅宮の観光が主になる。ここも香川なのでうどん屋も多い。なお、こんぴらさんは奥社まで行く根性はなかったので、御本宮までしか行ったことがない。 ■尾道片道4時間半。さすがにしまなみ海道に行く時間はないので、尾道での観光がメインになる。行きか帰りかのどちらかはロープウェイを使わずに歩き回ってみるのも一興。尾道ラーメンも食おう。 ■鳥取片道5時間。山陰線経由は接続が悪いので、智頭急行経由が基本になる。18きっぷシーズンは智頭急行のフリーパスが発売されてるので、往復で使えればかなり得。一応、行きは山陰線、帰りは智頭急行というルートの大回りならダイヤ上は割と可能。鳥取と言えばやっぱり砂丘か。駅からはそこそこ離れてるので、バスの時刻表を要確認。砂の博物館もセットで行こう。あと、生きたイカをその場で刺身にしてくれる店が好き。 ■城崎温泉片道4時間。時間があるなら、少し西にある餘部で降りて鉄橋を見て行ってもいいかも。外湯巡りのフリーパスがあるので、できれば替えの下着を何枚か持っていて、色んな温泉に入るのも楽しい。今の時期だと、すぐに汗をかくから、温泉に入る度に下着は変えた方がいいと思うぞ。ちなみに山陰線オンリーで行くのと、京都線~神戸線~播但線経由は、距離が1.5倍くらい違うのに時間は10分くらいしか変わらないから、気まぐれで使い分けるのもあり。 ■下呂温泉片道4~5時間(時間帯によってかなり変わる)上の城崎温泉と行き帰りの時間は似たような感じ。こっちは温泉には行った後、辺りをブラブラする感じになるか。とりあえず鰻を食う。 ■名古屋片道2時間半。京都から意外と近い。時間帯によっては米原での乗換だけで行けるし、18きっぷ初心者にはおすすめ。一応都会なので、目的なくうろついても充分楽しめる。東海道本線で日帰りで行けるところまで行こうと思うと、静岡辺りが限界か。乗り換えで降りたことはあっても、観光で行ったことはないけど。 ■松本片道6時間始発、終電で行けば4時間くらい滞在できる。松本城に行ったり、街中をぶらつくくらいは全然大丈夫。まあ、一泊して下の安曇野とセットで旅行した方が良いと思うけどな。 ■穂高片道7時間水の綺麗さで有名な安曇野の中心駅。大丈夫、始発と終電で行けば、2時間半滞在できるから、大王わさび農園くらいなら充分行ける。わさびを買おう。わさび定食を食おう。ちなみにVAIOの本社も安曇野にあるので、せっかくだから見物に行っても良いかも。 ■敦賀片道2時間。新快速の最果て地点で、乗り換えなしで行ける。もうすぐ新幹線ができるから、駅前がスゲー綺麗になってる。敦賀と言えば原発だけど、美浜原発PRセンターに行くには時間が掛かるし、何よりバスの本数も少ない……。やっぱり日本海さかな街で海鮮を食うのと、氣比神宮に行くか。 ■西舞鶴、東舞鶴片道2時間~4時間スムーズに行ければ2時間くらいなんだけど、��鶴線はとにかく本数が少ないから、計画を立てていかないと最悪4時間以上も掛かることになる。西舞鶴で降りて、とれとれ市場に行って海鮮を食って、東舞鶴で観光する感じか。なお、東舞鶴にある赤レンガパークと引き揚げ記念館では、戦争に���する空気が違いすぎて笑う。 ■福井片道3時間。福井と言えば恐竜。ただし、恐竜博物館は勝山市にあるから福井駅から私鉄とバスを乗り継いで一時間以上掛かる。東尋坊は、恐竜博物館と真逆の位置だから、日帰りで両方を回るのは無理だな。だから恐竜博物館のコースと、東尋坊→芦原温泉のコースのどちらを選択する感じ。福井駅の駅そばは結構好き。 ■九頭竜湖片道4時間半。福井にある盲腸線の九頭竜線の終点。名前はカッコいいが、何もない。駅前にファミマと道の駅はあるが……。そしてこんな駅名だけど、肝心の九頭竜湖は結構遠い。九頭竜線は途中の越前大野で降りた方が楽しめそう。 ■金沢片道4時間半。観光地が固まってるので、兼六園・金沢城公園→ひがし茶屋街→近江市場のコースは日帰りでも余裕で回れる。なんなら全部駅から歩いて回れる。ただし、今年は暑いからずっと外にいるのは勘弁したい。とりあえず着いたらチャンピオンカレーでも食って、海鮮は帰りにするか。帰路は福井で40分くらい接続待ちがあるから、8番ラーメンでも食おう。 ■紀伊半島大回り京都→大阪→和歌山→紀伊田辺→新宮→多気→亀山→柘植→草津→京都 で一周合計15時間43分。紀伊田辺で1時間半接続待ちがあるから、お昼はそこで。乗り換えアプリで見ると多気で1時間の接続待ちがあるけど、到着後に少し待てば名古屋行きの快速みえが来るから、それで津まで行って、そこで晩御飯を食べた方がいい。紀伊半島の南の方になると、海岸線スレスレを走ってるから、ようこんなとこに線路が引いてあるなと思う。なお、白浜の日帰りはどう考えても無理だから、パンダが見たいなら泊まるか特急にしとけ。 ■高山本線大回り京都→敦賀→金沢→富山→猪谷→美濃太田→岐阜→米原→京都 で一周合計13時間57分。金沢から富山は三セクを通るから1290円払う必要があるのをお忘れなく。18切符の特例は高岡から富山までだから、金沢からだと適用されないぞ。全体的に余裕がない乗り換えなので、1時間ほど早く出発すれば、富山で1時間の乗り換え待ちが発生するから、そこでお昼を食べよう。寿司が旨いぞ。高山本線は猪谷で一度乗り換えがあるだけで、美濃太田まで乗りっぱなしが続くし車内は空いてるから、弁当を買って車内で食うのもいいかも。鱒寿司を食おうや。
京都発 青春18きっぷの日帰り旅行
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえ���かきくけこさしすせ��たちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青��編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁��濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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iseilio 大系
018-2021 目次
音樂 etc
12/18 劉鉅渭教授音樂導聆 浸淫古典
01/19 港邊惜別 Arnold Schoenberg 二戰剛結束後的日本
03/19 愛のバラード
04/19 台語歌曲口白
06/19 小さな喫茶店 紅い 花
07/19 生命如花籃 追 求 美 好
10/19 秋櫻 星の流れに 11/19 涼山情歌
12/19 給喜愛音樂的朋友
01/20 世界名畫家畫作總覽 夢境
03/20 �� Music Note 悲情城市 05/20 歌謠集粹
04/20 春寒賜浴華清池 06/20 日本風情
07/20 人生海海 台灣古典音樂記 鄉村很重要
10/20 巴哈之前的音樂家 突破前衛音樂 パヒュームを残せない
11/20 Erik Satie’s Gymnopédies 台 灣 情 熱
12/20 台語歌曲(一) 歌謠集粹 台語歌曲(二)
美學藝術(一)
01/21 美 學 藝 術(二) 琴藝
03/21 遊覽車主唱 馬 勒
04/21 攝影必學 黃昏的故鄉
05/21 Langley 最高點
06/21 Bartok 蒐藏(一)(二)(三)
古典音樂有什麼好聽
03/21 Yorkson Creek 08/21 滯洪池、蘋果樹
09/21 Cycling Route 96Ave 麗澤大學
07/21 蒐藏(四) 蕭邦的音樂 飲食篇
08/21 創造者になる 火 鍋 由 簡 入 繁 滯洪池、蘋果樹
台灣的藝術世界 秋 意 西 索 米 古典音樂有什麼好聽 ?
09/21 赤瀨川原平 江户川乱步 這叫教養 野生動物
父親的眼淚和我的眼淚
10/21 台 灣 畫 家
11/21 遊 冥 河 孫悟空 Whisky 廣告
12/21 Stradivarius 1713 Beethoven: Symphony No. 9
蚵仔煎、蛋餅、潤餅皮
08/22 台北登山步道 台灣盛夏冰品 12/22 登 山
政治
11/18 蔡英文 所代表的意義
12/18 台灣人們自我防衛的決心
01/19 政治現象顯影 一場喜宴談外省人的內心世界
消失的篇章 壓力有兩種
02/19 喜樂島聯盟 天朝中國
03/19 種族歧視人類天性
04/19 不能讓中國共產黨垮臺 高科技救不了中國
司徒文教授的一席話 林毅夫、張維迎 之辯論
05/19 太平島與南海 維持現狀辨難 嚇一跳
06/19 誰在挺茶黨與川普 竄黨奪權
健康的自由經濟是在彼此競爭中互惠分享
07/19 中共政治「制度化」的背景脈絡和其影響分析
香港政治鳥瞰 不要插隊
08/19 台灣與中國的經貿理論探析
09/19 不朽文明+馬列思想 叛亂的二二八與無辜的六四
11/19 資訊戰對台灣的影響 蔡英文之役
12/19 土豆(馬鈴署)燒熟了
01/20 民進黨的勝利與未來的困境 奉天承運 太平有象
留言基進
02/20 中國經濟最大風險 韓國、沖繩或台灣
中華民國考 對阿輝伯之我見
03/20 浪子 的 心情 從千人計畫談起 搞定內外矛盾
中國原教旨主義
04/20 橋水避險基金 極左環球時報 站不穩的巨人
05/20 聯合國無權定義台灣 談季辛吉 時空錯亂
06/20 中美衝突無緩衝 民主、理性越成熟越不會被情緒綁架
美軍重返高雄港時機成熟 加入國際組織可以提可以不提
07/20 老黨崩解恐非台灣民主之福 蔡英文的“維持現狀”
說得很爽 德意志的中國迷思 再會李登輝總統
08/20 中華民國台灣台獨華獨
09/20 世界的心臟 選邊. 叔本華
10/20 利益與精神的忠誠分裂
11/20 末日狂花 01/21 大國迴圈
03/21 首戰 即 終戰 必勝的企圖心 中國可能 的 演化
04/21 改變的開始 松田教授、深宮怨嘆
引领我们前进的旗帜
05/21 美國民主基本文獻 金馬撤守與友軍入台
06/21 一舉拿下 老實說笑話 總統的性格有四種
07/21 台灣民意調查基金會 的 趨勢圖 全世界在搶疫苗
如果中共打台灣 強龍翻滾 百病叢生
08/21 台海風雲之前哨戰 剿共檄文 不是誤會
09/21 Freewill 兄 台灣大炸炮 中國有戰略 三十年前的呆胞
美國不聽沒辦法 中國影響力令西方糾結 傳 真 對 談
評中國的【宏觀調控】 論 李光耀 與 新加坡
與 H 對談 【外電】 台美中關係 以德報怨是對的���是以直報怨 ?
仇日成病 LP事件以外 – 討論 台灣虧欠到中國投資的台商嗎 ?
金援無法改變貧窮 阿扁總統的大豪賭
10/21 陽春白雪 與 下里巴人 中美關係已經回不去了 內地
四個堅持 沒有美國的支持台灣能維持現況嗎 ?
馬克思主義 的 中國實踐
11/21 沒有安全感的強國 看華洋爭鬥、談林毅夫 不容易對話
李弘祺教授專訪 H教授
經濟
04/20 國際專家怎麼看中國經貿?
05/20 台灣問題關乎國運 大銀行的罪與罰
06/20 中國式的經濟成長 地理形勢 與 攻守之勢
產經新聞訪問 陳水扁 台灣產業的經驗
09/20 世界 的 心臟
05/21 經濟與山難
07/21 直球對決下的文化激盪 台獨不是台灣人自己可以決定 ?
美國金融機構的危機處理(一) (二)
08/21 「日澳縱軸」下台灣的角色
翻譯
11/18 薪 能 (たきぎ のう) 日 本 概 略 1 2、3
日 本 大 勢 三 轉 考 井本雄男 參謀
日本製造到底出了什麼問題 無言的情狀
美麗 的 Patorio (一) 詩仙堂 詩 三 首
02/19 何謂“意識”(一) 春の畫の館
03/19 燈台鬼 戀牛賦
03/19 木(三) 04/20 木(二) 11/20 木(一)
04/19 寂聽的文學與��情 魔界都市 京都 釘師 サブやん
京都 真正在地 的味道
06/19 批 評 學 - 給 佐佐木茂索
08/19 濹東綺譚 低成長的幸福 老想向誰說的雜學
日本企業 的 罪與罰 IBM 產業間諜事件
夜晚酒場 的 歌手(九) 保加利亞 的 黑瞳(十)
Manhattan 的 雪(十一) 布拉格 的 街角(十三)
Munch 裡面的少女(二三)
01/20 美人 我的京都修業 祇園精舍 Bruegel 之旅
02/20 滿州中央銀行 香港 的 兩個側影(十九)
03/20 夏日女孩 蜜雪兒(十七)
04/20 史迪威參謀長 關 於 雪 國 木(二)
唱出人生冷暖 的 演歌世界
05/20 奇襲珍珠港 完美的攻擊 錯失戰略之說 神風特攻隊
特殊潛航艇的參戰 超越攻擊終結點 人間魚雷 逃 出 平 壤(二)
大銀行 的 罪與罰 記憶底邊 的 女人
07/20 Lewis Thomas(一) -- (二十)
09/20 探討單位的世界
10/20 想見到的中國人 “劇的”とは 日漸稀少的專家
裸體寫真 寂聽的文學與情愛 パヒュームを残せない
11/20 日本語的論理 知的生產技術 サブやん 木(一)
12/20 我的京都 小說之旅
01/21 個人 的 體 驗 恐懼 的 原型 追求真正的自己
Hans Speidel 中將 納 粹 德 國 George CatlettMarshall, Jr.
疼女兒 的 哥哥 軍首腦部軍閥化 參 謀
在日美軍司令部(一)(二)
02/21 在日美軍司令部(三)(四) 浪人軍學者
獨創技術 的 發想法(一)(二)(三)
03/21 精神分析入門(一)(二)(三)(四)(五)
星星 的 話 一個人 的 世界(十一、十三 )
一個人 的 世界(十八) 一個人 的 世界(二十、二二、二四)
世界經濟 的 未來版圖(一)
04/21 真品與膺品 木(四) 世界經濟的未來版圖(二)(三)
05/21 一個人 的 世界(一、二、三)
巴塞隆納 的 大和撫子(二) 紅與藍 的 勃露絲(三)
黑色手腕 白色絲帶(五)
06/21 波斯 的 胡姬(四) 青桐 的 院子(六)
BYCAR號 的 一夜(七) 謎樣 的 世界之影(八)
在 Segel 的 青春(十二) 布拉格 的 街角(十三)
漢堡 的 陶器店(十四) 暗黑運河 的 流淌(十五)
如同荒野 的 街道(十六) Tivoli的 一夜(十八)
英國 的 Kay(二十) Tuluk 夏天 的 一夜(二一)
在大溪地海邊(二二) 細節之愛 千利 休 無言的前衛(一)
07/21 獄 門 島 現在日本的女性與解說(二四)
7.8.9.10.11./21 小孩 與 自然
12/21 焦慮的本質 與 解除
雜文
11/18 台灣海產大酒樓 薪 能 黃昏清兵衛
人口數 = 成長 or 蕭條 和風生活小札 我的上海情结
日本自由行 居合道 詩 三 首 日本龐大的國債
口付けについて 一個古老文明的新美學 收 藏、儀 式、尊 囑
Life is difficult — S ﹒Freud 鄭 得 福 先生
世界反尿布組織(WAO)規約 台語流行歌曲
移民政策 我的宗教觀 異化的無奈 與 背叛的艱難
閒話加國 BC 省 隨時保持理智 凡事三思而後行
檳榔媽祖機車三太子 H教授 圖瓦魯挺台灣 就 是 愛 跳 舞
命好 我看「大江大海 一九四九」 全球聲援台灣加入UN
隨時保持三思而後行 快樂的安養人生 日本製造出了什麼問題
曹長青演講秘訣、戰略學筆記 白 狐 新���台 溫 泉 鄉
理療一番 あなたへ 中國文化 與 霸權意識 架上矯正器
柴契爾夫人 I love sushi 詩仙堂 青春悲喜曲 給十五歲的自己
無理心中強迫情死 四個不可超越的自然極限 台灣需要甩掉CP值
員工晨訓 父親 的 掛軸 蔡英文所代表的意義
日 本 陶 瓷 遼尉臣筆記 現場目擊
12/18 共厝的中華民國與台灣
01/19 話拳 酸醋魚 etc
05/19 台北大稻埕美食 06/19 少年吔 !安啦
07/19 林泉山水 台 灣 官 紳 年 鑑 空 話 泡 茶
10/19 女性主義 弔辭 啟蒙的時代 先來後到台灣人
11/19 終場 有關馬來西亞華人 涼 山 情 歌
12/19 無法令人幸福的日本系統 日文與牛排
1/20 奉天承運 太平有象 夢境
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04/20 關於雪國 春日北投早晨 斑斕燦爛
05/20 神話還是詩 07/20 鄉村很重要 08/20 自立
09/20 夢之堂奧 生之繭 生命的困頓
10/20 貧乏性 擺書陣
11/20 歷史無法假設 台灣情熱 宇宙光 重機世界 旅情
12/20 第九水門 複雜、開放的社會更強韌 延平北路慈聖宮
02/21 說 道 理 啟蒙運動 啟蒙運動 與 東方文化
03/21 創造性與自我認同的關係 初老男 的 迷航
04/21 生與死 老與少
5/21 山難救助 Langley 最高點
07/21 台灣的三大山門
08/21 網路長城-臉書 秋意 台灣 的 ���術世界
滯洪池、gala apple 樹
09/21 體制、機制 世界第一 野 生 動 物
Cycling Route 96Ave
10/21 台灣儀隊制服土氣 賴沈激辯 中國造島
時間的蟲洞 遊冥河 台灣畫家
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12/21 強大的心理素質 劍俠、公主 嚇 一 跳
犬儒的真理堅持與詩學浪漫 從敕使街道到華燈初上
正能量的存在
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11/18 我的上海情節 祖谷溫泉 平家物語 讀新聞的方法
田園散記 認同的重量 道家房中術 看書歲月 台灣之命運
台灣教育還停留在舊經濟時代
12/19 卡繆荒謬哲學 兆豐銀行紐約分行 啟蒙運動
04/20 冰島漁夫
07/20 Lewis Thomas(一)(二)(三)(四)
德意志 的 中國迷思
08/20 Lewis Thomas(五)----(十二)
09/20 氣候 人 歷史 哲學 的 樂趣 理性 的 掙扎
10/20 精神分析入門 12/20 Sophies World
01/21 焦慮的意義 黨國之子
02/21 中 國青銅時代 萬 曆 十 五 年(一)(二) 飛 鷹 戰 士
獨創技術 的 發想法(一)(二)(三) 中國古史 的 傳說時代
歐洲中世紀教會如何塑造了當今的「西方思想」
03/21 馬勒 精神分析入門(一)(二)(三)(四)(五)
05/21 美國民主基本文獻 實踐、異化 和 人性(一)(二)(三)
蘇馬利亞、古 埃 及 巴 比 倫 希臘的興起
07/21 獄門島 異域 現在日本的女性
美國金融機構的危機處理(一)(二) 蘇馬利亞、古 埃 及、
巴比倫 希臘 的 興起 耶穌 出現
09/21 捉 狐
10/21 狐嫁女 董 生 汾 州 狐 祝 翁 胡 四 姐 酒 友
11/21 林四娘、汾 州 狐 全方位 的 無限(一) (二)(三)
Infinite in All Direction Freeman J . Dyson 孫悟空
12/21 自己 的 房間 紅樓夢 各家談
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特殊支援部隊『山ん』。
皆さん、おはるかです。暑サニ負ケズまめったくやっておりますでしょうか?
先日、能登で復興支援活動をしている人達のお手伝いに行ってきたので、その時見てきたものをシェアしようと思い、久々にPCを立ち上げてブログを書こうと思ったら久々すぎてログインするのに苦労したっていう事は内緒にしておいて、いってみましょー!
の前にちと近況報告。春になり、とっくに屋根屋に復帰してると見せかけて、自宅の屋根の葺き替えをしてました。九年目にして遂にファイナルシーズンです。皆様のご協力のおかげもあり遂にここまできました。おしょっ様です。後ちょっと。ばんがるぞ!
しかし、そろそろ、会社も忙しそうだし、蓄えも寂しくなってきたのでこの先は仕事をしつつ直していこうかと思ったところ、その前にどうしてもやっておきたい事がありました。
それが今年の元日に起きた能登の震災のボランティアです。石川にはヨコノリ友達も、ウチに来てくれるお客さんもいるので、少しだけでもなんか手伝いたいなと前々から思っていましたが、なかなかタイミングがなく行けずにいたので、仕事に復帰する前の今しかねえ!っつー事でつっこむ事にしました。
つってもどこへ行けばいいかな〜なんて考えていたところ、ちょっと前にボランティアに行ったPOWのショータローに、どっか紹介してっていうとすぐに二つの団体を紹介してくれました。一つはしっかりとした災��救助NGO団体。そして、もう一つが金沢のヨコノリスト達がやっている特殊支援部隊『山ん』なるグループ。もう名前で山んに決めました。
目指すは能登の先っちょ、珠洲市。ナビで調べるとなんと五時間!ウヒョー!早朝、白馬をデッパツして車をぶっ放します。
氷見辺りからブルーシートの屋根が目立ってきて、さらに進んで七尾の辺りに来るとひしゃげた家が目に入るようになってきました。
しかし、この先がもっと酷いということで既に今回の震災の被害の甚大さが窺い知れました。
能登の道は市街地以外は比較的スピードの出し易い広い道が多いのですが油断大敵。地震で出来た亀裂を修復したところに段差ができてるのでいいスピードで突っ込むと大変なことになります。
道中パトカーを多く見かけ、車の列の先頭をゆっくり走っていましたが恐らくこういう道での事故を抑える為でしょうか。
珠洲に入るといよいよ被害は深刻でそこら中の家が潰れていました。
半年経った今でも全然片付いている雰囲気ではありません。
教えてもらった住所はこのすぐ先なのですが、建物などは大丈夫なのでしょうか?
程なくして特殊支援部隊山んが運営する被災者無料商店、みんなの家に到着しました。山んの代表、マコ君が出迎えてくれました。
マコ君達、山んは地震直後から全国の友人らに支援物資の提供を呼びかけ、支援の手が及びづらい孤立集落や自主避難所に向けて届けてきたそうです。
1月中旬に無料商店の1号店を中能登町に開設。2月下旬に珠洲市に民家を借りて2号店を開き、水や食料、洋服、生活用品、学用品などが並び、被災者が必要な物資を自由に選んで持ち帰る形です。メンバーが寝泊まりして交代で店番を務めているそうなので、こうして俺みたいのがヒョコッと顔出して店番するだけでも(店番と言っても無料商店なので基本やることはない)彼らが作業できて助かるそうです(彼らはやることが山積み)。
行政がやると色々な手続きやら管理やらで膨大な人数で無駄に時間がかかるところを彼らは少人数でシンプルにスムースに行っているそうです。
あ、そういえばさっきまで潰れた家ばかりだったのに、このみんなの家がある小泊地区に入った途端、嘘のように無傷(実際は少しダメージは受けていますが)な家が立ち並んでいました。なんでもこの地区だけは地盤が固いらしく被害が少なく奇跡の2kmと呼ばれているとか。
小泊では既に電気は復旧しているそうですが彼らは���えてまだオフグリッドで生活しているそうです。もし再び電気が止まるようなことになってもへっちゃらです。そんな事は起こらないことを切に願いますが。
更に裏庭にある奇怪な建物に案内してくれました。なんすかこれ?
中に入るとこんな感じ。どこぞの大学の先生が考案した建物らしいですが、外側のテントを膨らませて内側をウレタン(なのかな?)で吹き付けたらはい出来上がり。5.,6人は楽に寝るスペースで一度立てれば三年ほど持つそうです。ポイポイカプセルやん!
複数人で手伝いに来てくれた人に泊まってもらってるそうで。
なんてやっていると、タートルアイランドのTシャツを着た富山からきたおねーちゃんが、普通車にパンパンの水を積み、送り届けに来てくれました。日々、こうして救援物資が送られてくるそうです。
ヨコノリだけでなく音楽の繋がりからの支援もあるみたいですね。ヤーマン。
店番や不要材などの片付けをして、この日の任務は終了。
更に北の方の様子を見に行きましょう、ということでマコ君の相方のユージ君が案内してくれました。
今回の震災では地震だけでなく津波の被害も局所的に甚大だったようです。局所的というのは能登半島の北側ではそれほどでもなく被害は珠洲市や能登町の東側に集中したそうです。というのも、北側の方では地盤が隆起して(最大で4m!)防波堤の役割をしたそうです。
対して東側の地域では隆起はほとんどなく、且つ、富山湾沖合の水深が深くなっていて、水深が深くなると早くなる津波の性質もあり地震直後わずか1分で津波が到達し、その後何度も押し寄せてきたそうです。津波の被害のあったところは地震の壊れ方とはまた違い、ものが散乱していて津波の威力の凄まじさがわかります。
こちらは北側の海岸のかつてビーチだった場所。後に見える白い岩盤は元々水の中だったそう。
ユージくんも地震後初めて訪れたそうで、変わり果てた姿に唖然としていました。
ユージ君の完璧なタイムスケジュールで最後は能登の最北端、禄剛埼灯台の夕日に連れてってくれました。この灯台は朝日も夕日も拝める素敵な場所です。
この日は散々自然の脅威を感じていましたが、最後に美しい一面を見せてくれました。
翌朝、早起きして佐渡島から昇る朝日を拝む。
今度は南に降り、珠洲の蛸島の方の様子を見に行ってきました。こちらも家が密集したところで悲惨な状況でした。半年経ってもまだこのような状況です。
現在、公費解体を行っているのは道路からはみ出した家が優先だそうです。それ以外の家は11月から始まるそうです。11月…。一年近く経とうとしても家の解体すらも終わらないのが現状です。
さて、山んに戻り朝の涼しいウチに草刈り作業の手伝いをしました。彼らは農地を使わせてもらえるようになったので、畑をできる状態にして小泊に新たな需要を産み出したいそうです。誰かやりたい農家さんいませんか?何年も放っておいた荒地の草はしぶてえぜ。
自分達で食べる野菜も作っています。
というわけで、朝採れのビーツを使った味噌汁をいただきました。うんめえ〜!!
ご飯を食べてる間もちょこちょこと被災者の方達が物資を取りに来ていました。毎日、だいたい30~40人程の方達が来るようです。マコ君達は来る方に気さくに流暢な金沢弁(能登弁?)で話しかけていて、みんなに愛され頼りにされている感じでした。
若い人たちはインスタを見て開店時間の10時頃から来るそうですが、口コミでくるじーさん、ばーさん達は朝8時頃からバンバン来るそうです。
今日の作業は店も見つつ、他の家の片付け。実はマコ君、みんなの家の近くの二軒の家も使えるようになったそうで、そこの家を活用して飲食店か何か、さっきの農業に話もそうですが、この地区で雇用をうむ仕組みを作りたいと考えているそうです。
そのためにやる事はいっぱい!!
でもなんかワクワクしますね!
この日はみんなの家の隣の神社でお祭り(お祭りと言っても祝詞をあげる神事的なものだったそう)があるという事でマコ君とユージ君が行ってる間、俺は店番。
能登の祭りといえばこのキリコ祭りというど長え灯籠で練り歩くっていうド派手な秋祭りがあるそうです。
今年の開催状況はこちらに詳しいです。
帰ってきて腹がペコリンちょだったので、禄剛埼灯台の麓の狼煙地区の『いかなてて』という最果てのカレー屋さんに連れ���ってくれました!
無茶苦茶美味いカレーでした!
更にこの店、レコード屋も併設してるというたまらん造り。俺は井上陽水の二色の独楽というドープなアルバムをゲット!
そんなこんなで一泊二日の山ん潜入記はこれにて終了。
能登の先端、被災地最前線で必死になって生きている被災者の方々を必死になって(まあ、ヤーマンなんでゆるいところもありますが)支援している山ん。正直その姿勢は、無茶苦茶かっこ良く��心打たれました。今でこそ、ちょっと落ち着いてきたと思いますが、発生直後のこれから冬が始まるというタイミング(スノーボーダー的には一番ワクワクしている時期でもあるにも関わらず!)ですぐに被災地に潜入し活動した時の苦労や恐怖は想像に難くありません。ナフリスペクト!
ちょうど半年ということで、少しメディアにも取り上げられてましたがまだまだまだまだ復興には程遠いといった印象です。引き続き、皆さんの支援は必要だと思います。ボランティアに参加するもよし、山んに物資を送ったり(水に加えて、カップラーメンも喜ばれますよ!)手伝いに行くもよし、いかなててへ行ってカレー食って観光するもよし、支援の仕方もそれぞれでいいと思います。ただこの先も能登から目を離さずに生活していきたいなと思うのでありました。
P.S. 今度の土曜6日は前述の禄剛埼灯台台地にて復興祈願LIVEがあるそうですよ。山んのmalichanのバックバンドで参加するそうです。いかがでしょ?
P.S.2 マコ君にPRAY FOR NOTOのTシャツと、無茶苦茶ハイセンスなキャップをもらいました。
ヤーマン。おしょっさまでした!
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季節の変化を感じる服 - amachi. "Fluctuation Line One Piece" / "Fluctuation Line SS Shirt"
こんばんは。
・
今日、家の近くの桜の木を眺めてみると、僅かだが桜が咲いていた。
本格的な桜の開花が間近に迫る頃。
そんな桜の開花の時期になると、毎年見たくなる映画がある。
映画「君の名は」でお馴染み、新海誠監督の作品「秒速5センチメートル」だ。
・
新海誠作品の中で、僕が最も好きな作品が「秒速5センチメートル」になる。
公開さ��たのが2007年ということで、振り返ると僕が大学生の頃だ。
・
そしてそんな「秒速5センチメートル」が、なんと3/29からリバイバル上映をしてくれるそうだ。
桜前線の北上に合わせて上映をするそうで、九州から南関東までは3/29から公開。北関東から北海道は4/12から公開するそうだ。
「桜前線上映」なんて粋なことをしてくれる。
・
せっかくなので、今年は家で見るのではなく、映画館に足を運んで見ようかなぁと思っている。
(当時見た感想と今見る感想は結構違うんだけど、それはそれで面白い。)
さて、本題に。
本日は素敵なテキスタイルを使った"amachi."のアイテムを紹介させてもらおうと思う。
無意味に見える冒頭のお話も、実は多少なりリンクをしたりしているかも。
なので、ちょっと長いけど、最後までご覧いただけると嬉しく思う。
amachi. : Fluctuation Line One Piece (Green × Blue) ¥63,800 (tax in)
amachi. : Fluctuation Line One Piece (Brown × Pink) ¥63,800 (tax in)
amachi. : Fluctuation Line SS Shirt (Green × Blue) ¥59,400
amachi. : Fluctuation Line SS Shirt (Brown × Pink) ¥59,400
”Phenology”をシーズンテーマに据えた中でのアイテムとなる。
以下ブランドより発表されたテキストになる。
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Collection 014 / SS2024 “Phenology”
ツバメの飛来、桜の開花、河の凍結など
すべての生態学的現象は季節の移ろいとともに始まり、終わる
動物、植物、自然現象、それぞれががもつ周期性
常に変化しながら、様々な組み合わせとして現れる ”風景”
そのリズムや移り変わりそのものをテーマにしたコレクションを創ってみたい
そう考えていた頃、“季節学” と呼ばれる学問が存在することを知った
膨大なフィールドワークをもとに
動植物と自然環境の相互関係や連鎖を観測し研究する分野である
対象は自然界に留まらず、人々が夏服・冬服を纏う初日/末日を観測するなど
人間社会への観察をも含んだ
まさに ”万物が気候に応じて変化するありさま” をとらえる学問であった
一年を二つのシーズンに分け、およそ半年間のワードローブを
一つのコレクションとして発表する周期の中で
私たちなりに、季節と向き合い、思考する
これまで当然のように繰り返してきたことに改めて向き合う “季節学”
冬枯れから春へ向かう時期、ツバメや花々���見せるある瞬間の色の���み合わせのような
心に残る情景に感性をゆだねて表現したシーズンとなった
----------------------------------------
"amachi."のコレクションを通じて知った「季節学」。
季節の移ろいと生物の活動周期を研究する学問になるそうだ。
・
僕らも服を季節の移ろいに合わせて変えるように、私たちの生活に非常に密着した学問であり、気がつけば身体に浸透しているような。
そんな学問でもある。
・
今朝のニュースで、「春バテ」という、あまり聞き馴染みのない単語を知った。
今年は特に「春バテ」をする人が多いそうだ。
理由としては、春になっても肌寒い日が多いことが原因だということだ。
冬が寒いのは当たり前だと身体が覚えているのだが、いつまでも寒いことで、私たちの身体の周期もズレてしまい、自律神経の調整が効かなくなっているのだろう。
・
朝ご飯を食べながら、ボーッとした頭で、これも「季節学」の分野なのだろうか。
なんてことを考えてしまった。
そんな"Phenology"のリサーチを通じて生まれたコレクションのアイテム。
特に個人的にはテキスタイルに心を奪われたアイテムとなる。
細かいので、着画ではなかなかと伝わりにくいのだけど、近くで見るとステッチワークのような柄がとても素敵だ。
・
"amachi."の服に可愛いという表現が適しているのか分からないのだけど、僕としてはなんとも愛おしくて、可愛らしいテキスタイルだと感じた。
・
"Green × Brown"カラーは、冬から春にかけて、深く暗い緑に覆われた森に霧が立ち込めるイメージから生まれている。言わば針葉樹の森だ。だから、刺繍のような柄の部分に用いられている糸には、青みのかかった糸が用いられている。
一方、"Brown × Pink"カラーは、枯れ木に満ちた初春をイメージしている。葉が落ち、枯れ枝のみが残った色の失われた世界。そんな森に梅の花が咲き始めた様子になるそうだ。なのでこちらは広葉樹の森だ。そのため、刺繍のような柄の部分に用いられている糸には、ピンクの糸が用いられている。
・
山に近いエリアで育った僕には、とても懐かしい風景でもある。
まあ、正直、梅の花までは思い出せない。
でも冬の間、茶色だった山に、あちらこちらで桜が咲き始めて、それが徐々に深い緑へと変わっていく。そんな山が色を取り戻す風景を思い出してしまった。
・
さて、この不思議な柄はもちろん「織」でできている。
どうやったらこんな生地ができるのだろうか。
素敵なテキスタイルに出会うとすぐにそんなことを考えてしまう。
もはや反射と言っても良い。
話を聞くと、実はこの生地に使われているテクニックは事故から生まれたというお話だ。
また、僕の心をくすぐるようなお話ではないか。
・
生地加工の段階で糸が収縮し、ジグザグの刺繍のような柄になってしまったということだ。(専門的な話ですみません。)
なので、狙ったというよりは、生地トラブルだ。
でも、工場に行くとそういった話を聞く機会は多いのだ。
面白い生地を作るような工場に行けば、色んなことに挑戦しているので、なおさらそういった話を伺う機会が多い。
・
さて、今回この2着に共通してオススメしたいポイントは、この素敵な生地の柄合わせになる。
ワンピースは縦、横、斜めに生地を切り替えながら。
シャツはフロントと背面、それぞれピッタリと柄が来るように。
生地の使い方もデザインの一つとして、このアイテムのアクセントに一役買っているのだ。
ちょっと分かりにくいけど、背中の斜めの柄合わせが効いて、非常に構築的な見た目が素敵だ。
・
ちょうどたまたま、先週非常にハイクオリティな縫製工場へお邪魔する機会があった。
柄合わせの作業を見せてもらったのだけど、この工場では、生地がズレ無いようするため、こうやってレザーポイントを使って垂直にしっかりと生地を合わせるようにしているということだった。
(amachi.の依頼している工場ではないと思うし、依頼している工場にはその工場のやり方があるので、あくまでも参考として。)
それくらい工場も神経を使う工程になるのだ。
・
でもそれだからこそ出せる美しさはあって、この"amachi."のシャツは、そんな織物や縫製の工場の方の工夫や細部へのこだわりも欠かせないのだ。
シャツは、肩線のない独特なパターンを用いている。
そのため、スッと身体に沿って落ちるため非常にすっきりとした印象だ。
ワンピースはちょうど肩線のあたりくらいに、燕の巣を彷彿させるような異素材の切り替えがアクセントになっている。
こちら、素材は和紙になる。
もちろん、水で洗っても問題ない。
また、ちゃんとポケットも付いている。
ポケット付き。
嬉しい方も多いでのはないだろうか。
先ほど生地だけ見ると可愛いなんてお話をさせてもらったけど、ワンピースやシャツといった服に仕上がると、やっぱり上品で美しい。
店に到着して以来、何度見ても唸ってしまうようなアイテムだ。
正直、半袖シャツは僕も狙っている。
・
生地、パターン、縫製、デザイン(まあ生地もパターンも縫製もデザインの一部なんだけど)の全てがパーフェクトに揃ったアイテムになるのだ。
・
もし良かったらぜひ一度ご覧いただけると嬉しく思う。
・
なお、ワンピースの"Brown × Pink"は、現在"online shop"でもご覧いただける。
その他の色やアイテムに関しては、SNSもしくはメールにてお問合せください。
・
さて、冒頭で桜が咲くと見たくなる映画「秒速5センチメートル」の桜前線上映のお話をしたけど、僕という個人単体で見ると、桜が咲くと「秒速5センチメートル」を見たいっていうのも、ある意味では季節学に近いものなのかもしれない。
そんなことを思った。
・
季節の移ろいの中で姿を変える森。
そんな森の移ろいをイメージして生まれたテキスタイル。
素敵なテキスタイルを贅沢に、そして繊細に用いたアイテムを纏って、皆さんも季節の移ろいを装いで楽しんでもらえると嬉しく思う。
・
それでは次回もお楽しみに。
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各地句会報
花鳥誌 令和6年3月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年12月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
氷川丸の円窓いくつ北塞ぐ 昌文 十字架のかたちに燃る蔦紅葉 美紀 倫敦を遠く大使の冬薔薇 佑天 望郷の眠りの中に木の実降る きみよ 女学院に尖塔のかげ冬紅葉 久 冬木立の向かうをつくりものの海 緋路 昏き灯のランプシェードとポインセチア 和子 十字架を解かざる蔦の冬紅葉 光子 凍空や十字架赤き鉄であり 和子 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天
岡田順子選 特選句
みなと町古物を売りに行く師走 荘吉 窓は冷たく望郷のピアノの音 俊樹 氷川丸の円窓いつく北塞ぐ 昌文 冬館キラキラ星のもれ聞こゆ 美紀 冬日和トーストに染むバタと蜜 季凜 ガンダムを磔にする師走かな 緋路 革命は起こすものかも冬薔薇 緋路 誰も振り返らぬ早過ぎた聖樹 佑天 胼の手の婆キューピーを路地に売る 俊樹 古硝子歪めし冬の空はあを 久
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月2日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
神鏡の底まで蒼く冬の月 かおり 右手上げ思索のポーズ漱石忌 修二 綿虫のうすき影負ふ百度石 かおり 戯れにペアのセーターそれは無理 美穂 冬帝の裾に鉄橋灯されて かおり 赴任地は裏鬼門なり漱石忌 美穂 後戻りできぬ吊橋冬枯るる 愛 大枯野則天去私のここに居る 美穂 綿虫のことづてありと君に来る 愛 牝狐の頭に木の葉町娘 成子 憑き物を落とす霰に打たれをり 愛 落葉踏む音を楽しむ童かな 修二
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月3日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
亡き父よもう雪囲ひ始めしか 喜代子 百二才冬空へ帰られし 同 眠る山内で動めく獣達 都 年忘れ新入り下戸でじよう舌なり 同 門松の早や立ち初め禅の寺 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月7日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
冬菊を挿して祈りの夙夜かな 宇太郎 布教師の顎鬚白し報恩講 すみ子 投薬のまた一つ増え落葉蹴る 悦子 入隅に猫の目青し冬館 宇太郎 三途から戻りし者の年忘 同 闇一枚まとひてよりの浮寝鳥 都 露座仏の思惟の指さす空は冬 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月9日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
冬の朝遠くに今日の始む音 恭子 空青く舞ふ白鳥の透きとほり 幸子 塀の猫すとんと消えて師走かな 三無 冬の雲切れて見下ろす日本海 白陶 枯菊のかをり残して括られる 多美女 路地裏に声の弾みし焼芋屋 美枝子 カリオンの音の明るさや十二月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
寄せ鍋を囲みし人のまた逝きて 秋尚 まろまろと伊豆の山やま冬景色 怜 乾きたる足音空へ冬山路 三無 子離れの小さき寄鍋溢れをり のりこ 床の間に父の碁盤や白障子 三無 ご奉仕の障子新し寺の庭 和魚 信楽のたぬきと見合ふ障子越し 貴薫 煌めきをところどころに冬の山 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
茶の花やエプロンで無く割烹着 昭子 風花にして降るとも降らぬとも 世詩明 ポインセチア抱けば幸せさうに見ゆ 昭子 武生花鳥必死に守る年の暮 みす枝 彩りも音も無く山眠りけり 英美子 雪まろげ仕上げは母の手の加へ 時江 糶終へて皮ジャンパーの急ぎ足 昭子 着膨れて女は手より立ち上がる 世詩明 古暦パリの街角にて終はる 昭子 街師走吹かるる如く人行き来 みす枝
令和5年12月12日 萩花鳥会
冬の月句友ともども偲ばれて 祐子 五羽が風邪萬羽が処分魔の鶏舎 健雄 冬の空めげず生きると決心す ゆかり 一年の抱負も薄れ年の暮 吉之 首かけし手袋母の匂して 美惠子
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令和5年12月13日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
この先は冬雲傾れ込む山路 あけみ 白菜を抱きかかへつつ持つ女 令子 こんなにも長年参じ近松忌 同 オリオンの名残惜しみて冬の朝 あけみ 晩秋や娘の云ふを聞き入れる 令子 さきたま花鳥句会(十二月十五日) 初霜や狭山の畑を曳く煙 月惑 頑なに一花残して冬薔薇 八草 終焉の一ト日のたぎり冬紅葉 紀花 枝折り戸の軋む庵や枇杷の花 孝江 今年酒老舗の店や菰飾 ふゆ子 くちやくちやの枯葉纏ひて大欅 ふじ穂 廃校を渋柿たわわ守りをり 康子 三年間無事に埋めよと日記買ふ 恵美子 何をするわけでも無しに師走かな みのり 落葉積む赤き帽子の六地蔵 彩香 嫁ぎ来て冬至南瓜を五十年 良江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
口重き男に隣り近松忌 雪 九頭竜の黙が寒さを増すばかり かづを 散る紅葉散りゆく黄葉なる古刹 同 枯菊や香りと共に燃え上がる 英美子 手焙に触れれば遠き父の事 同 賀状かく龍天空へ飛躍せり 玲子 父母の眠る故郷恵方道 やす香 山眠るひもじき獣抱き抱へ みす枝 鼻水をすすれば妻もすすりけり 世詩明 熟し柿つつく鴉は夫婦らし 同 人にやや離れて生きて帰り花 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
黒門の枡形山に裘 幸風 冬蝶を労はるやうに母の塔 同 眠る山起こさぬやうに歩き出す 白陶 隠れんぼ使ひ切れ��る紅葉山 経彦 冬帝と対峙の富士や猛々し 三無 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 山門へ黄落の磴細く掃く 斉 黄落の野仏は皆西へ向き 炳子
栗林圭魚選 特選句
蒼天に山脈低く雪の富士 芙佐子 空を抱くメタセコイアの冬支度 三無 SLに群がる揃ひの冬帽子 経彦 かなしことうすれゆきたり冬霞 幸子 笹鳴の過ぐ内室の小さき墓 慶月 法鼓聴く銀杏落葉の女坂 亜栄子 古寺の法鼓の渡る師走かな 久子 冬帝や明るき供花を陽子墓碑 文英 笹鳴や少し傾く城主墓 芙佐子 枯芝の広場の狭鬼ごつこ 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月19日 福井花鳥会
赤き玉転がしながら毛糸編む 啓子 住み古りて遺木の数多なる落葉 清女 着膨れてストレス無しと云ふは嘘 同 雲たれて空塞ぎをり十二月 笑子 ささやきを交はす綿虫寄り来たり 同 神殿に大絵馬掲げ年用意 同 毒舌も競り合ふ友や年忘 泰俊 それぞれの色を尽して末枯るる 雪 小説を地で生く男近松忌 同 墨をもて仏描きし古扇 同
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令和5年12月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
母と娘の悲喜こもごもや古暦 雪 大いなる一つの鳥居や神の留守 同 近松忌日有り気の一文箱 同 筆に生れ筆に死す恋近松忌 同 初雪や瓦は白く波打てり みす枝 初雪や誰彼となく首縮め 同 さんざめく市井を抜けて見る聖樹 一涓 神々の眠れる山や風の音 ただし 捨て猫のすがる眼や雪催 清女
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年12月24日 月例会 全選句を掲載いたします。◎が特選句です。 当日の席題は「青」でした。
坊城俊樹選 特選句
二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 暦売る神となりし日遠くして 慶月 極月や足踏みかすか男衛士 音呼 ◎聖マリア棘やはらかき冬薔薇 和子 楽団の喧騒を待つポインセチア 順子 幔幕のうちは見せざり年用意 千種 聖夜待つランプの中の空青し 和子 悴んで十字架を小学生仰ぐ 順子 ◎十字架に鳩の休息クリスマス 要 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれのままカフェオレを飲むつもり 光子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 冬帝のふくらませゆく日章旗 和子 ◎冬深む宿痾なる瘤持つ鯉へ 光子 ◎身じろがぬ寒鯉威してはならぬ 慶月 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 ◎擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 旧華族らしき猫背を外套に 順子 二の鳥居辺り冬帝在し険し 慶月 寒鯉の鐚一文も動かざる 千種 凍雲に閂かけよ大鳥居 月惑 ◎大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか ◎きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 数へ日の水あをいろに神の池 要 外套のポケットに怒りを握る 和子 冬ざれの鯉の影なき池の底 炳子 上野は勝つてゐるか像の極月 慶月 歳晩や動きさうなるさざれ石 眞理子 聖樹の灯巻き込んでゆくボロネーゼ はるか 冬眠の蛇を諾ふ斎庭なる 光子
岡田順子選 特選句
◎神の鳥冷たき影を像に置く はるか ◎極月や足踏みかすか男衛士 音呼 初対面黄色のマフラーして彼女 政江 花柊零るる坂の神父館 要 未知の先あるかのごとく日記買ふ 妙子 聖マリアと棘やはらかき冬薔薇 和子 ◎枯蓮のいのちの水に眠る朝 佑天 裳裾冷たき暁星のマリア像 俊樹 なかなかに僧には会へぬ師走かな 眞理子 十字架に鳩の休息クリスマス 要 鷗外の全集売れぬ隙間風 俊樹 窓越しに著ぶくれの手が師を招く はるか 朱き鯉悴みもせず行者めき 軽象 一枚の青空に垂れ冬薔薇 和子 著ぶくれの犬にユニオンジャックかな 佑天 霜晴や空ラのリヤカー巡回す 千種 ◎英���の言の葉の外年詰まる 軽象 寒禽の寄り添うてゐる像の肩 政江 年逝くや素木の鳥居乾くまま 要 擬態して聖夜の街に紛るるか 炳子 数へ日の嵌つてしまふ小津映画 炳子 大鳥居いくつも潜りクリスマス はるか きらめける虚構を踏みぬ霜柱 妙子 オルガンを踏み込むクリスマスの朝 光子 ◎くちびるの端で笑つて懐手 和子 ◎手つかずの落葉を散らす神の鳥 はるか 数へ日の水あをいろに神の池 要 ◎外套のポケットに怒りを握る 和子 サグラダファミリアみたいな銀杏枯れ 俊樹 風冷た悲しくなけれども涙 政江 二百万余の英霊よ竜の玉 昌文 ◎微動だにせぬ零戦と年忘れ 俊樹
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山樱之落 贰 东山道与北陆道之行 5
伊万的预料没错,由于摄入了过多的脂肪加之牠吃下了远超平日食量的食物——这就是自己动手烤制食物的坏处,每次伊万这样做时,牠总会不知不觉吃得过多——几小时后牠的确感到了反胃。已经在喝那种伊万讨厌的、用开水冲泡绿色的茶叶粉末的、名为抹茶的樱和菊建议伊万喝些抹茶,不过伊万不认为自己应该在已经感到反胃的前提下挑战自我喝下些瞧上去像是用长了绿霉的面粉制作的东西,故牠采纳了樱、菊的第二个建议,吃些当季的、刚从树上采摘下来的水果。
“这是从伊万君下午瞧见的那些种在西对庭院里的蜜柑树上摘下来的。”樱捧着茶杯说,坐在她身侧的菊正握着一种用竹子制作的、形状如倒过来的伞菌的器具将开水与茶粉搅匀。
下午时在菊的带领下——樱再次缺席,显然是为了完成某些伊万不知具体内容的政务——伊万参观了整个三嘉原御所,御所的面积比牠在山路上看见得更大些,与习惯将建筑修作相连的整体的欧美房屋不同,日式建筑喜欢将房屋修作分离的个体,并用走廊将其中一��房屋连接起来。据菊介绍,西对是御所里专门修给客人居住的地方,同时菊也告诉伊万若牠不喜欢西对,那么牠也可选择除去母屋外的任何一处空余的房间。不过伊万看不出牠有什么理由不喜欢西对,那是栋背对母屋、形如颠倒倾斜的英文字母L的房屋,较长的部分是给身份尊贵的客人居住,较短的部分则属于客人的仆从。进入房屋的那条走廊能瞧见母屋后的、御所里最大的庭院,房屋另一侧则是个较小的单独的庭院,院中种植着好几个结满了果实的橘树,面向小庭院的推拉门中下段的、原本由数层纸构成的部分被替换成了玻璃,而窗户则完全是由木框与玻璃制作的,如此呆在房间里时,不需推开门与窗户也能望见小庭院里的由橘树、枫树、灌木以及石头组成的景致。唯一的不足之处在于,无论是窗户的高度还是推拉门玻璃的部分都遵从了日本人跪坐的习惯,故坐在椅子上的伊万必须得弯腰才能看见跪坐的日本人看见的景色。
“在俄罗斯,我们把蜜柑唤作мандарин уншиу,”伊万一面剥开蜜柑皮一面说,“翻译成日语就是‘来自萨摩的橘子’。通常我们把这种树种植在室内充作观赏植物,因种植在室外的蜜柑到了秋季就会被冻死。”牠将一瓣蜜柑塞入嘴中,因溢满口腔的微酸味而忍不住皱眉眯眼,“喔,这可比我在国内吃到的更酸些,但也更新鲜。”
“更酸吗?”樱问,“我还以为种植在室内的蜜柑会因营养、日晒不足而口感更差。”
“食用的蜜柑都种植在高加索地区,那里位于俄罗斯最南部,西方临黑海,东方临里海,南部与奥斯曼帝国接壤。”伊万介绍说,“不过由于高加索地区距离莫斯科较为遥远,每次运送到莫斯科的蜜柑总是不太新鲜,一部分蜜柑也会被制作成果酱罐头运送至莫斯科贩卖。”牠又往嘴里塞了一瓣蜜柑,“过去我能吃到的刚采摘下来的水果都是浆果,从七月至九月,几乎每日都有居住在近郊的老嬷嬷们带着装在玻璃罐里的浆果进城里贩卖,她们采摘的皆是野生的浆果,商店里贩卖的则是种植园里人工种植的浆果。而面包店、餐厅也会在收获浆果的时节推出季节性的食品,例如用浆果制作的各类糕点和甜点,路上还会出现一种贩卖冰冻或冰镇酸奶油、牛奶、浆果的混合物的小贩。”
“听上去很不错。”菊搅匀了茶粉,又给伊万倒了杯冲泡好的绿茶叶,“日本的人们倒没有将水果制作成果酱的习惯,气候炎热时吃的消暑食物也是放进井底冰镇的西瓜,或水羊羹、水馒头、葛饼等由米与砂糖制作的菓子。”
“你们想试试果酱吗?”伊万将最后一瓣蜜柑塞入嘴里,“有砂糖的话,我就能用这些蜜柑制作橘子果酱,”牠瞥了眼自己面前那杯散发出微苦气味的绿茶叶开水汤——牠拒绝把这种略苦涩的、不美味的水称为茶——“还能用果酱冲泡俄式茶。上次去那家不太正宗的俄式餐厅时你俩的饮料皆点的咖啡,我一直想向你们介绍俄式茶。”
翌日伊万醒来时仍感到昨晚吃下的食物尚未完全消化,牠侧躺在布团上透过障子上的那排玻璃——昨晚闲聊时樱、菊告诉牠这种推拉门被称为障子[1],而中下部分镶嵌有玻璃的则被称为雪见障子,是为了冬日时人们能呆在温暖的屋子里赏庭院中的雪景所用,房间内那些由纸和木框所制的、表面绘有植物与动物的风景画的推拉门则被称为襖[2]——盯着庭院中的蜜柑树发了好一会儿呆才起床。
伊万本想着也许今日牠就能制作橘子果酱,因牠想着在动身去犬舞见县以及周围地区寻找日本的民俗怪谈前将橘子果酱制作好以便于携带在路上食用,毕竟考虑到日本的货运发展程度、人民的富裕程度以及日本人的饮食习惯,牠已经预感到未来旅途中的餐饮不会让牠满意。‘也许我还能制作些别的、易于保存和携带的食物。’伊万想,其实假如时间充足的话,牠很愿意制作些烟熏肉,牠和牠的姐妹、弟弟夏季回领地时从当地的农民那儿学会了好几种腌制肉类的方法。来到日本后伊万曾为拯救自己的味觉以及维持足够的肉类摄入量而尝试过制作烟熏肉,可惜土田太太家的庭院太小,东京的气候也不够干燥、凉爽,悬挂在屋檐下的烟熏肉一部分被鸟、老鼠以及人——牠猜是那些偷偷躲街角窥视牠的日本男孩们干的,不过牠并不打算为几块烟熏肉报警——偷走吃掉,剩下的那部分则很快长出了各种颜色的霉斑。
然而吃过早饭——伊万颇惊讶得发现早餐中有一道肉菜,看来的确如樱昨日介绍的那样,此地的人们饮食中肉类占有较大的比重——菊却问伊万是否要跟随牠与樱一同去犬舞见神社。
“后日我将在神社里举行为皇室以及日本祈福的仪式。”樱解释道,“今日得去检查与仪式有关的器物是否被准备好,为了避免后日的仪式出错我也会与巫女们进行排练。假如伊万君对犬舞见神社以及钤姬感兴趣的话,可以随我们一同前往神社。”樱顿了顿,又提议道:“伊万君不是喜欢日本的民俗怪谈吗?后日的祈福仪式也算日本民俗的一种,伊万君不介意的话后日可以来旁观祈福仪式。”
“好啊。”伊万答应了樱的邀请,并有意用开玩笑的语气说:“说起来你们这里有笔记本与钢笔、或任何非毛笔的便于写字的笔吗?我想由于地震,我找回我的行李、尤其是那个记录了我收集的日本的民俗怪谈的笔记本的几率小到接近零。”
像是听出了伊万语气下对房东及她的女儿的担忧,菊安慰道:“也许土田太太与她的女儿不会有事的,伊万君不是购买了西式的桌椅吗?如果她们在地震时躲在了西式四脚桌下,那么桌椅就能帮她们抵挡砸下来的屋瓦与房梁。”
如菊听出了伊万藏在打趣之中的担忧,伊万也听出了菊为了安慰牠而有意忽略了日本政府因各种因素救援不及时而导致躲在木桌下的土田太太及她的女儿死于脱水、无法及时离开废墟的土田太太如地震当日他们三人在路上遇见的那些困于火灾的人们那样死于吸入有毒气体等可能性,“也许吧。”伊万附和道,暗自祈祷土田太太和她的女儿拥有在地震中幸存的好运气。
尽管犬舞见神社就位于三嘉原御所对面的那座山上,但有违于伊万以为的他们将步行前往的预想,樱依旧命仆从牵来了马。考虑到这两日见到的马匹数量、马的状态以及饲养马的成本,伊万认为这在一定程度上体现了樱、菊的家族的财富水平。
与通往三嘉原御所的、压实了土面的山道不同,通往犬舞见神社道路是由或大或小的石块组成的、随地势而变换坡度的石制阶梯,石梯两旁则摆放着用另一种石材制作的落地灯具。伊万本以为他们会下马步行,可樱、菊丝毫不曾停顿,径自握着缰绳操控马走上石阶,进在坡度较为陡峭的地段放慢速度并侧头看向伊万仿佛在观察牠是否需要帮助。伊万的确不曾有过在此类地形骑马的经历,所幸牠的友人所��供的马温顺、易于操控且显然拥有在此类地形中行走的经验,不需牠作出额外的指挥,牠所骑的那匹马便自行跟着樱骑着的头马轻易度过了山路中最为陡峭的部分。
在通过最后一道被樱、菊称为鸟居的、涂抹有红漆的木柱建筑结构后,出现于伊万视野里的是一条比山道更宽阔些的石板路与伫立在石板路中间的、不知为何穿着衣服的、巨大的犬形石雕,石板路的尽头有着一前一后两座样式与牠在东京见到的神社相近的房屋,另一些较小的房屋则分布于石板路两侧。而建筑群的左侧有着一片伊万不知是否该唤其为庭院的区域,那里有着仅供一、两人并行的石板路,植物间摆放着零星的用于装饰的石头,植物栽种的位置以及植物种类明显经过了人工规划,但就植物的外形与生长状态来看,似乎又并未受到太多人为干涉,且与伊万游览过的日式庭院不同,那片区域不曾被矮墙包围,或准确来说,整个神社外围都不曾修建矮墙,导致神社与山林的界限较为模糊。
神社里的人不算多,除去穿着白衣红裤——伊万记得那套服装应该有着专门的称呼,但他忘记是什么了——的巫女们以外还有昨日伊万在三嘉原御所里瞥见过的佣人。
“由哥哥向伊万君介绍神社吧,”他们下马后樱说,“我得去为明日的祈福仪式做准备。”
待樱离开,菊一面带领伊万向神社内部走去一面说:“其实这里的建筑及建筑的功能与伊万君在东京拜访过的神社大致相同,最大的区别大约在于建筑风格以及犬舞见神——”当牠俩路过一座位于石板路旁的、内部放置着装有清水的石制水缸与长柄竹勺的凉亭时,伊万忍不住打断菊的介绍问:“我们不需要如拜访东京的神社那样洗手吗?我记得洗手是日本拜访神社的必须得做的一个环节。”
菊愣了愣,似乎为伊万的问题感到惊讶。“嗯,严格来说,那并非是进入神社的环节,而是祭拜神明的环节。”菊解释说,“今日伊万君并非来祭拜钤姬而仅仅是来游览神社的,不是��?而且钤姬,或者说犬舞见神社对这些用以表达对神明尊敬的行为不是特别在意。我不知别的地区的手水舍最初是为了什么目的而修建,犬舞见神社的手水舍出现的原因是为了便于外出归家的钤姬饮水,毕竟钤姬是犬,未使用人类形态时无法使用需要双手的井,而宏姬又认为仅为了饮水就得下山去藏田川太过不方便,所以才命人引来山泉水修建了手水舍,或按照那时的称呼,是犬飲。”菊顿了顿,微笑着说:“虽然对钤姬而言,化作犬形时只需一纵跃就能自神社前去藏田川边,但面对喜爱的对象,人们总忍不住替对方做些什么并让对方获得更好的生活条件吧。”
菊转步来到手水舍旁,大约是瞧出伊万对此话题感兴趣而打算进行更多的介绍。“不过如我提到过的那样,钤姬大部分时间都与宏姬住在三嘉原御所里,甚少返回神社,所以根据家史记载,犬飲很快变成了外出归来的巫女以及前来拜访神社的人们洗手洗脚的场所。”预料到伊万的不解,菊不等伊万询问就解释说:“那时人们普遍穿着草鞋,行走在土路上时下雨容易溅到泥浆,天晴则容易沾上尘土,所以即便仅在村庄内与村庄附近行走,人们的腿脚上也时常被尘土弄脏。而到了夏天,年龄幼小、容易跌进井中且受限于身高、力量而无法转动连轴把手的孩子们也会将水果洗干净后放进犬飲中冰镇再食用。”
“这倒是非常的——”伊万思索着能描述牠感受的形容词,几秒后牠放弃了并说:“——具有实用性。”
“是的。”菊肯定道,“到了交通变得更为便利、犬舞见与外界有了更多往来的镰仓时代,犬飲才受外来者的影响更名为手水舍,不过至今犬舞见神社的手水舍仍保留着诸多实用功能,例如夏季炎热时氏子们会坐在石沿上将脚伸进石缸外围的水池里纳凉,导致极少数拜访神社的外来者总是惊讶于此地的人们对神明不尊敬的态度。”
伊万必须承认牠也感到挺惊讶的,因牠完全无法想象夏季时拜访教堂的人们为了消除燥热感而脱掉鞋并将双脚伸进教堂前的装饰喷泉里,同时经过了菊的解说,牠明白了为何犬舞见神社里的手水舍修建得比牠在东京神社瞧见的手水舍更大,外围的水池边缘更高更宽。
菊向着手水舍前方的建筑走去,在路过对面的建筑时说:“那里是巫女的住所和社务所。由于犬舞见的人们至今仍实行的是妻问婚,所以与日本其它地区不同,犬舞见神社并不承办神道婚仪式。”伊万随着菊的介绍看向面朝石板路的、类似柜台的建筑,柜台后方的墙壁上悬挂着一些用绳子串连在一起的尖牙,那应该就是牠前日在藏田川町祭拜钤姬的人们手上瞧见过的御守,尖牙项链一旁也有着菊提到过的那种布制的、小方块状的御守。
“你们这里没有悬挂祈祷用的小木牌的大木牌吗?”伊万问菊道,抬手比划出三角形屋顶的手势,“就是东京神社里那种顶部有着屋顶的木牌。”
“伊万君说的是絵馬掛け吗?如我之前介绍的,钤姬不是那种需要依靠实现人们的愿望来获取信徒的神明,犬舞见的人们也没有向钤姬许愿的习惯,所以神社里不出售绘马,也没设置悬挂绘马的木牌。”菊说着神色里透出几分苦恼,“不过外来者有时会将项链、手链形态的御守当作此地特产的、形状特殊的绘马,许愿后将其挂在神社周围的树上或神社前那座钤姬的石雕上。也因此,巫女们隔一段时间就会向本田家家主提议禁止外来者拜访犬舞见神社。”
“听上去这里的巫女讨厌做额外的工作。”
“倒不是额外的工作惹恼了巫女,事实上,氏子和村里的孩子们通常将搜寻并清理被外来者错当绘马挂在树上或其它地方的御守当作一种考验眼力的游戏。惹恼巫女的是外来者总是无视她们的‘这是御守而非绘马,犬舞见神社不出售绘马’的解说以及‘请勿将御守悬挂在树枝或其它任何地方’的警告。”菊叹息着说,“这里是神乐殿。”牠在一座面朝石板路的部分是高至人腰的未修建障子的木台、后半部分是典型的日式房屋的建筑旁停下,“这里是举行神乐祭以及另一些小型祭祀、仪式的地方,例如丧葬或庆祝幼儿年满特定岁数的仪式。”
“年满特定岁数的节日?是那个——”伊万在脑中翻找土田太太告诉牠的节日名称,却发现自己根本记不起具体的名字,“——与数字有关的节日吗?就是那个会带小孩子去神社并给孩子吃糖的节日?”牠不确定地说,“我还特意去买过那种长条状的糖,它的味道倒不如它的外表那么精致。”
“伊万君说的是七五三[3]吧。我虽不曾吃过那种名为千岁饴的糖果,但我知道通常这种具有特定象征意义的食物都着重于将外观塑造得符合其象征的意义,而非着重于味道。”菊停顿一瞬,补充道:“或至少就我所知,犬舞见以外的地方是这样。不过犬舞见没有庆祝七五三的习惯,我们也不喜欢用虚岁来计算人的年龄。伊万君知道什么是虚岁吗?”见伊万摇头,菊便解释说:“简单来说,就是将刚出生的婴儿的年龄计为一岁而非零岁,因此虚岁的年龄通常比真实年龄大上一至两岁。”
菊带着伊万向神乐殿后方绕去,伊万瞧见时有抱着些牠不知名称的、大约是祭祀上将会使用的器物的巫女或仆从在神社各建筑间行走。“犬舞见只使用实际的岁数来计算人们的年龄。”菊继续介绍,“在孩子年满五岁的夏日,我们会统一举行庆祝他们活至五岁的、希望他们能健康成长的仪式。而犬舞见的女孩比男孩多一个节日,当女孩年满十三岁后我们会于秋季举行仪式庆祝她们的身体开启第二轮成长,仪式中她们会佩戴由一种名为くさぎ的、具有特殊香气的野��以及一种名为か的、亮红色的野果制作的饰品,仪式后还会吃下加有くさぎ的汁水、由か装饰的和果子,因此这一节日被命名为かくさぎ节。写作汉字的话则是菓芸节。”
伊万跟着菊走进那片人工规划过却又肆意生长的区域,“伊万君,瞧,这就是芸草。”菊指向石板小径旁一簇簇茂密的、高及牠大腿的灌木说,随后牠弯腰掐下一小截顶端较嫩的枝叶递给伊万,“伊万君不介意的话可以嗅一嗅芸草的气味。”
伊万接过芸草依言将其抬至鼻前,如菊描述的那样,这种植物的确有着一股独特的、牠从未在其它植物中嗅到过的气味,牠甚至无法以诸如甜、苦等词来形容钻进牠鼻腔里的气味,牠只知道那股气味能被称为好闻,嗅起来使牠心情愉悦。
“其实最初犬舞见虽有庆祝女孩初潮的习惯,可并未形成统一的节日,而是在每个女孩儿来初潮后由她的家人自行庆祝。不过自某代本田家家主在她的女儿来初潮后举行了较为隆重的庆祝仪式后,逐渐那个时日就变成了固定的节日。说起来,若菓芸节时我们恰巧留在犬舞见的话,伊万君就能旁观菓芸节的仪式了呐,那时不止是犬舞见之里的女孩儿,整个犬舞见县的女孩儿都会来到神社参加仪式。”
伊万留意到菊所说的“整个犬舞见县”,牠一边与菊沿着石板小径朝神社中最大、最精致的两栋建筑走去,一边好奇地问:“你们的领地里还有别的村落吗?我只听你们提起过这里和藏田川町。”
“还有位于被群山包围的湿原内的多鹤野村,位于藏田川支流的立石川沿岸的立石村等。虽然犬舞见县较日本其它县而言面积要小上不少,但犬舞见依旧被划分成了县啊。”菊说,牠带着伊万回到石板路上并停在石板路尽头,靠近后伊万才发现面前的建筑与东京神社所见的建筑在风格与构造上有着不少区别,例如面前这栋在伊万的印象中用于供信徒向神明礼拜的、等同于教堂中的十字架与耶稣圣像的建筑前方未摆放保存信徒们许愿时扔下的硬币的木箱。当然,在菊数次提及后,伊万不需询问也能推测出,犬舞见神社不在此处摆放保存许愿硬币的木箱的原因是钤姬不会也不需要实现人们的愿望,但既然如此,为何此建筑的屋檐下、房门前——伊万不知该如何描述那一区域,牠猜那一区域在建筑学中有着特殊的名称——依旧悬挂着巨大的铃铛与粗壮的、或是直直垂至地面或是横向系在房梁上的草绳呢?
“我已经能猜出你们这儿不放置那个用来储存许愿硬币的木箱的原因,可我印象中巨大的铃铛与垂地的草绳都是供信徒许愿后摇晃的,你们保留铃铛和草绳的原因是什么?”伊万问。
“为了与神明保持联系。”菊回答,“本坪铃、即这种巨大的铃铛在日本的宗教中有着神明能听见其响声的传说,日本其它地区的信徒在许愿、往赛钱箱内扔硬币后摇晃铃绪——铃绪是垂至地面的、供人们摇晃的草绳——的原因是因人们相信他们的愿望能随着铃声一同传至神明耳中。钤姬虽不会实现人们的愿望,但此地的人们仍有希望让钤姬知晓的事以及想要传达给钤姬的话语,因此神社里悬挂着本坪铃与铃绪。只是与其它地区不同,在犬舞见,仅有巫女拥有摇响本坪铃的权力,据说其他人摇响本坪铃后会遭遇不幸的事,本田家家史中也记载着几件不知真假的、外来者无视巫女警告偷偷摇响这里的本坪铃后因意外受伤乃至死亡的故事。”
伊万好奇那些故事的内容,但牠决定之后再详细询问菊,因根据过去的经验,若牠此刻就询问菊那些故事,那么最终话题会偏离向牠俩都无法预测的方向,以至于也许傍晚来临他俩都依旧站在原地闲聊。
“而且,与其说犬舞见神社保留本坪铃、铃绪,倒不如说赛钱箱并非是神道教、即日本本土宗教出产的器物,而是佛教传至日本后,神道教吸纳了一些佛教的传统。”菊继续介绍道,“至于横向系在房梁上的草绳的名字是注连绳,用以区分人居住的人间以及神明居住的神界,也就是说,注连绳之后的地方、即拜殿内部是属于钤姬的神域。”菊说着向拜殿——伊万猜菊口中的拜殿指的是面前这栋建筑,日本建筑的专属名称多到牠几乎感到恼怒,不过相对的,东正教教堂也有着许多关于建筑结构以及建筑本身的术语,所以牠也没什么可抱怨的——后方的那座被一圈木栅栏圈起来的建筑走去。“那里就是本殿了。本殿是神社中最为重要的建筑,其内供奉着被视作神明象征物的物品,通常是按照传说中神明外表雕刻的石雕,极少数情况中被供奉的则是具有特殊意义的器物,例如分别被供奉于伊势神宫、热田神宫与皇居内的三神器八咫镜、草薙剑与八尺琼勾玉。”
菊停在拜殿与本殿之间的石板路上,伊万发现与牠原以为的不同,围绕本殿的那圈木栅栏没有被封死,而是建造了如牧圈门那样的可开关的栅栏门.“我们这儿的神社也属极少数情况之一,象征着钤姬的石雕就是伊万君在神社入口处见到的那座石雕,那也是整个犬舞见唯一一座钤姬石雕,据称是宏姬仿照钤姬犬形的外表雕刻而成。而本殿里被此地的人们供奉的是一个ちん。”
“ちん?”伊万用疑问的语气重复念出又一个牠听不懂的词。
“即陣。”菊说着在空气中写下陣字,“传说这个阵ふうい[4]——”牠停顿一瞬,“我是说,这个阵、即一种刻画在地面上的图案构成了一道门,而那道门将一些糟糕的事物,例如疫病、自然灾害、厄运等阻挡在另一个世界中,以让这个世界的人们拥有健康的身体、安稳的生活等。钤姬守护此地、守护整个日本的职能也因此而来。不过如我提到过的那样,最初本殿是供钤姬居住的房屋,这也是本殿不仅是建筑风格、连修建方式都与日本其它神社的本殿有区别的原因,因宏姬在修建本殿时考虑到钤姬拥有人与巨犬两种形态,故本殿不但修建得比通常应有的更加高与宽,本殿的门也选择了能用犬鼻顶开的双开铰链门而非推拉滑门。”
伊万抬头望向本殿的门,“假如本殿的门是按照钤姬作为犬的尺寸修建的,那么她的体型比我想象得更为巨大,我还以为钤姬的体格与方才见到的那座石雕的大小是相同的。”
“关于钤姬的体格究竟有多么巨大有着不同的说法,在某些传言中,钤姬身形巨大如一座山,曾有过路人以为自己瞧见了一座突兀出现于绿色的群山中的雪山,结果定眼一看才发现那是蹲坐在地上的白色巨犬。而本地人相信钤姬犬形的体格比本殿更小些。至于在本田家家史中,据记载钤姬化作犬形时其实能随着她的意愿改变体格的大小,例如宏姬初次见到钤姬时,钤姬的犬形就是普通人类的大小,导致宏姬差点儿误以为自己遇见了一名披着狼皮却又在狼皮之上穿了层衣服的奇怪的人,而在日常生活中,钤姬倾向于化作比神社前石雕更大些的尺寸,那样她既能快速奔行于山林间,又能不受阻碍得出入本殿、三嘉原御所的母屋等建筑。”
伊万不知道产生这样的想法是否算是对神明不尊敬,但依照菊的描述,钤姬听起来真的很像一只活泼的、喜爱四处跑动的狗,或至少,菊的描述让牠想起了奥尔加养过的那只名为波莉娅的西西伯利亚莱卡犬。
“钤姬死后,本殿就从钤姬的住所变成了供奉阵的殿,而宏姬悲痛于钤姬的死亡,颁布了禁止人们拜访、进入本殿的命令,除去她以及她的女儿錆姬能随意出入外,就只有巫女们能进入本殿以清理、维护这栋建筑,连尚未成为巫女的氏子也是没有进出本殿的资格的。”
“那么看来我是没有参观本殿的运气了。”伊万用开玩笑的语气说。
“是的,很抱歉,伊万君。”菊向伊万投来一个歉意的眼神,“其实里面也没什么好看了。就是空旷的、没有任何家具甚至没有铺畳的殿,与失去襖的间隔、能站在门边望见房间另一端的母屋相似,且由于门窗未更换成用玻璃代替和纸的新式障子,内部的光线远比母屋昏暗。”
“我猜宗教建筑都是这样。”伊万耸耸肩说,“为了营造出神秘感以让人们因未知而产生恐惧、尊敬,大部分宗教建筑都存在���允许极少数特定人员进入的区域。东正教教堂里就存在一个名为алтарь的、通常只允许最高等级的神职人员进入的非公共区域。”牠回想了一下与樱、菊一同游览过的尼古拉堂[5]的内部结构,“你还记得我们游览过的位于千代田区的那座东正教教堂吗?教堂最内部不是有面挂满了基督、圣母以及历代沙皇的油画的墙吗?墙后的空间就是алтарь。某年夏天回到领地中后,我和奥利娅曾趁着领地里教堂的神父不注意而偷偷溜进去过,结果失望的发现那只是个没有窗户的、弥漫着陈旧气味的房间,房间中间有一张其上摆放着黄金烛台以及另一些黄金饰物的桌子。说起来,明日的祭祀会在本殿举行吗?”
“不会。”菊摇摇头说,“只有新春祭祀会在本殿举行,而即便是新春祭祀,被允许进入本殿的也仅有樱、我和部分巫女。明日的祭祀仍是在神乐殿举行。”
伊万回想起菊方才说的神乐殿是举行一些“小型祭祀、仪式的地方”,深感自己的友人最不日本人的地方就是对待日本皇室的态度,牠打量着本殿,在抬头观察本殿的屋顶与木柱之间那些层层重叠的、形状特殊的木制结构时余光瞥见了位于本殿斜后方的建筑。
“那里是什么地方?”伊万以眼神示意着那栋大半部分被茂密的枝叶遮挡住的、瞧上去体积比神乐殿更小些的、所处水平位置比本殿更高但屋顶却比本殿更低的建筑。
“啊,那是——”菊刚开口就停了下来,牠微皱着眉露出思索的表情,“那是……该怎么说呢?那其实是本田家家主的住宅,没有特定的名称。”菊说着又止住话音且眉头皱得更深,正当伊万打算说“假如不便向我解释的话你什么都不必说”时,菊叹息一声并说:“得从头说起才能向伊万君介绍清楚。伊万君已经知道了作为本田家初代家主的宏姬是飞鸟时代推古天皇时期臣籍降下被赐姓本田的内亲王。”菊应是接收到了伊万神色里的疑惑,立即解释道:“内亲王是日本皇室女性的一种封号,等同于英语中的princess。飞鸟时代乃至其后的直到武家政权崛起的数百年中,日本的王权与神权是结为一体的,即日本皇室皆是神明的后代,而作为神明后代的他们天然拥有统治日本的权力。”
“这倒是与基督文明有着很大的不同,”伊万沉思道,“笃信基督的西欧、中欧、南欧地区很长一段时间中王权都不得不服从于神权。至于俄罗斯,因被蒙古入侵后古罗斯分裂成诸多小公国,且那些小公国一部分被金帐汗、波兰统治,一部分维持了独立,同时它们又相互征战,故莫斯科公国出现前有关俄罗斯的记载都混乱、模糊且难以考究。但根据流传下的书面资料来看,无论是信仰古斯拉夫教的时期还是罗斯受洗[6]后改为信仰东正教的时期,在俄罗斯境内,面对王权,神权从未拥有过压倒性的优势。”
“我想日本与西方在神权、王权方面最大的不同就是西方倾向于将其分离,而我们则将其融合。这也是即便明治天皇让我继承本田家爵位却依旧无法改变本田家的继承法则的原因,不仅是自宏姬开始的历代本田家家主的性别令此地的人们习惯并仅接受女性作为他们的统治者,将神权与王权融合的风俗也让人们天然偏向选择能与神明沟通的女性而非缺乏这种天赋的男性。虽然法律上樱没有继承爵位,不拥有统治犬舞见县这一自治区的权力,但在犬舞见县的人们眼中,樱从阿母那里继承了统领犬舞见所有巫女的、守护那道将厄运抵挡在另一个世界中的门的神职,因此拥有神职的樱才是此地真正的主人。”菊说着似被什么有趣的东西逗笑了,“当年确定本田子爵的继承人选后,尽管本田家以及家臣们在天皇的命令下引来一段较为混乱的、犹豫是否该用武力表示抗议的时期,但藩民们反而保持着混合了漠不关心和平静的心态,因为在他们看来,无论是天皇赐下的子爵之位还是版籍奉还后裕福国更名为犬舞见县、实施府县制后欲派人担任犬舞见县的县令等——顺带一提,明治天皇虽数次派人,可那些人皆在前来犬舞见途中患了重病而丧失了行动能力——都是外来者的玩意儿,而外来者的胡闹无法影响他们的生活。”
伊万纠正了自己几分钟前的想法,牠发现不止是自己的两名友人,受友人统治的本地人对日本皇室也持有与友人们相同的、不那么日本人的态度,
“拥有神职的、必须主持各类较为重要的祭祀的本田家家主在特定时期,例如祭祀时长为数日的新春祭时都非常忙碌,所以为了节省时间,她们会暂时居住在那座屋子里���非在三嘉原御所与犬舞见神社间往返并将时间浪费在山路上。不过那栋房屋最初却不是为了便于本田家家主主持祭祀而修建。”菊说着沿着一条通向山林的、终点应是那栋房屋的小径走去,“据家史记载,那栋屋子是宏姬在钤姬死后修建的,且直到宏姬逝世前,尤其是将政务交给她的女儿錆姬后,大部分时间她都居住于那处而非三嘉原御所。”
因菊行在伊万之前,伊万无法观察菊的表情,只能听见菊以一种音调无起伏但显然与平静有区别的语气说:“无法忍受看见喜爱之人的居所,即便那只是名义上的,也无法继续留在与喜爱之人度过了大部分时光的地方,可又情不自禁想要离喜爱之人的象征物更近些。我猜宏姬就是抱着如此矛盾的心态做出了封闭本殿、搬离三嘉原御所定居此处的决定吧。”
[1]障子
[2]襖
[3]七五三
[4]即ふういん,日语‘封印’一词的读音
[5]Воскресенский собор (Токио)
[6]罗斯受洗
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北雁南飞入悉尼(1)
十月下旬的某天晚上,一架满载乘客的波音飞机从香港启德机场腾空而起,消失在漆黑的夜空。淑君坐在隆隆作响的机舱内,头靠在窗舷,两眼无神的望着窗外,地面的灯火,身边的星星,密密点点,闪闪烁烁,像是在眨着眼睛逗她开心。淑君脑子一片空白,她什么都不想,只是长长舒了一口气,终于坐上了飞往澳洲的班机。从离开上海再到离开香港,整段的旅程已经过去十四个小时。淑君根本不愿去想那段经历,人生第一次坐飞机就碰上这么不堪的体验,实在没啥好说的。
现在淑君累的只想睡觉,她勉强吃了点晚餐,便倒头就睡。说是睡觉,其实脑子处于一种似睡非睡的状态,不停的时空穿越,从梦里来,到梦里去,像是在梦游似的,有的梦温馨甜美,有的却伤心凄凉;有时梦的片段很连贯,有时却断断续续,前后矛盾;有些是自己的亲身经历,有些只是些飘渺的幻象;还有形形色色的人,有认识的,有从未谋面的,更有似曾相识的,仿佛和他们之间有过一段前世的缘分。那些纷纷扰扰的事和人不断的涌入她的梦境,犹如涨潮时的海浪,一波接一波在脑海里翻腾,最后都消失在梦的海洋中。
淑君又一次从梦里惊醒,她睁开惺忪双眼,环顾一下四周。机舱内一片漆黑,几只豆芽似的灯火,像浮在夜空中的幽灵,忽隐忽现。飞机不知疲倦发出单调乏味的轰鸣声,而身旁几位乘客的打鼾声却异常的有趣,此起彼伏,仿佛大家聚在一起开会,争长论短,喋喋不休。淑君看了一下手表,已是凌晨三点。她喝了一点水,伸了伸僵硬的手臂和双腿,使劲晃了晃脑袋,不让自己昏昏沉沉。她强打起精神呆坐一会,不知不觉中陷入了沉思。
自从淑君拿到了袋鼠国的签证,最先要办理的事情就是买一张去澳洲的飞机票。本来淑君并不想这么快离开上海,但眼看去澳洲的机票变得越来越紧张难买,淑君也跟着焦虑起来。于是她只好四处找人帮忙,刚好内科王医生的丈夫在虹桥机场当领导,请她帮忙买一张机票自然不在话下,结果买来的竟是一张十天后就得出发的机票。
机票拿到手了,没得话说,自己原来的安排一下子全乱了套���很多事情就像约好似的从四面八方逼人而来。淑君只得再次调整计划,一定要办的事抓紧办理,应稍从缓的事需要提前来完成,可做可不做的事只能暂且作罢——去宁波乡下省亲。就这样淑君还是从早忙到晚,恨不得自己能有个三头六臂。有些事淑君也想找别人代劳,但能代劳的事实在少之又少,去医院办理离职手续能找人代办吗?亲朋好友的设酒饯行能由别人代为出席吗?买衣服,剪头发能由别人包办吗?菽水承欢,家庭之乐别人可作替身的吗?眼前哪一样事情不需要自己亲力亲为的去做,于是淑君整个人就像一辆加满油的汽车,每天连轴转似的不停跑。
外面忙完,还得忙家里。过去淑君每周总有一天是专门用来陪伴儿子的,现在她只要一有空就跟儿子在一起。宽宽幼小的年纪似乎也知道妈妈将要离开他,所以一见到妈妈回家就高兴不已,纠缠不休的问这问那,甚至吵着要上街,反正他的金口一开,母亲总会尽量满足他的愿望。
淑君不仅要全力应付儿子,大人同样不是一盏省油的灯。现在冯子健越来越不像话,不仅家里事不管不顾,还刁蛮任性,撒泼鼓噪,只要淑君单独外出,他就像是一个没长大的孩子在家闹腾。淑君为了顺利出国,一再的放低身段,可冯子健的脾气却一天天的见长。面对家里的两个"顽童",淑君有点束手无策,小的还容易打发些,可这位老兄除了耍脾气之外,还时不时的冷言讥诮,说:"是不是一纸签证到手,就不把这个家当回事了?"淑君忙里忙外,他非但不来帮一把手,说几句贴己的话,还如此的冷嘲热讽,这简直让淑君忍无可忍。
一天晩上,以前几个医学院的同学知道淑君行将出国,他们相约在南京东路上的四川饭店一起聚餐,既算是叙旧,又顺便给淑君饯行。大家聚在一起非常开心,吃吃喝喝,说说笑笑。酒过三巡,菜过五味,同学们还在兴致勃勃的高谈阔论,可淑君的心却已不在饭桌上了,她盼着聚餐早点结束,但又不好意思开口离席,只好敷衍应酬。大家见她脸色苍白,意兴阑珊的样子,还以为是劳累过度所致,便知趣的早早结束了这顿饭局。
淑君急急忙忙回到家里,却发现冯子健连饭也不做,只给儿子胡乱塞了几块饼干了事。淑君见状又气又恼,她知道冯子健是在用行动来抗议自己外出应酬,虽然他嘴上什么都没说,但行动却清楚表明了他的态度。淑君没办法,只得再次上街,买来了三两生煎馒头和一些蛋糕点心,总算把他们父子给安抚过去。淑君希望能息事宁人,平平安安的出国,而冯子健却步步紧逼,得寸进尺。难道一个大男人竟如此的心胸狭隘,不可理喻?
更要命得是他对肉欲的索求无度,予取予求,爱怎么着就怎么着。冯子健完全把淑君看成是自己私有财产,而此时他的心情就像是一个财产所有人正伤心无奈地隔着当铺的玻璃窗,看着自己心爱的财产被抵押变现,不知何年何月才能赎回。他认为上海话"阿拉老婆"就是"阿拉屋里厢",而"屋里厢"都是他的私有财产,殊不知新时代的上海女人根本就不吃这一套,她们敢为天下先,当上海男人作缩头乌龟的时候,上海女人却成为家里的"排头兵”,在外面冲锋陷阵,干得风生水起。
淑君与冯子健对儿子教育成长的看法同样也是南辕北辙。一天,他们俩谈论孩子接下来的教育安排,冯子健铁青着脸说:"过去孩子的扶养责任都是我,管他吃,管他穿,还管他玩,现在该轮到你负责他的教育,可你却一���了之,叫我如何是好?"他见淑君没理他,便停顿了一会,接着又说:"我只能再送他到爸妈那里,你不管,我也管不了。"
淑君耐着性子说:"你说话要讲些道理,我不是故意不管,而是没办法管。"她看了冯子健一眼,见他一副气急败坏的样子,迟疑了片刻,但还是把本该不想说的话说出了口:"当初我们是说好的,等宽宽二岁之后,教育由我来负责,不再劳驾你父母,但现在情况变了。难不成你出国闯天下,我在家里带孩子?"
这句话像是点燃一只火药桶,冯子健一下子跳将起来,说:"我是不会出国的,你到外滩走走看看,上海有哪一点比国外差,真不知你怎么会迷上出国的。"冯子健觉得这句话过于温和,于是用手指着淑君的脸,说:"你整天跟着佳丽这些满脑子想出国的人混在一起,总有一天,没你的好果子吃。"
淑君强忍着愤怒,说:"你说话怎么这样的态度?还把别人牵涉进来,这是不是太过份了。"
"过份?更难听的话我还没说呢。"
"跟你这种目光短浅,胸无大志的人没法讲理。"淑君再也忍不住了,毫不客气回敬道。
"啪!"的一声,冯子健随手把茶几上刚泡好的一杯茶水摔在地板上,淑君知道眼前的男人已经失去理智,不可能再理性讨论任何问题。便拿起自己的皮包夺门而出……
事后想想,淑君觉得自己从一开始就做的欠妥,根本就不应该改变自己为人处事的原则,啥事都忍气吞声,委屈求全,到头来只能让冯子健变得得寸进尺。有的人总以为退一步可以海阔天空,殊不知很多时候带来的是更多的麻烦,没完没了,现实中退一步被逼到墙角,甚至无路可退的例子不胜枚举。可现在一切都为时已晚。淑君除了心力交瘁,还添上了几分悔恨,一生中从未有过的沮丧感如影随形笼罩在心头,而机舱内的隆隆声响更搅得她怔忡不宁,眼前的事情已经够烦心的了,接下来就更加的没谱,一个殊方绝域的国度,无数夙未谋面的人们,还有前途未卜的命运。唉!哪个地方才是自己休憇的港湾?
这时淑君忽然记起佳丽的临别赠言:"雷雨时,寻找彩虹;天黑时,找寻星星;流泪时,想想万里之遥还有你的家人,只要这世上还有一片仰望的天空,你就永远不会孤独。"是啊,心中有了一片蓝天,就算是有了依靠,再苦再难也决不辜负自己的夙心往志。
机舱内的灯光忽然都亮了起来,这在乘客中引起一阵小小的响动,有的人起身站立在走道上活动活动身子;有的人开始收拾起自己的行李;也有的人充耳不闻的继续呼呼大睡。淑君看了看坐在身边的那个人,只见那人毛毯盖在头上,根本看不见长什么模样,二条腿弯曲的伸过来,差不多快要搁在淑君的身上。淑君无奈的摇摇头,侧过身子把左舷窗遮阳板轻轻往上拉起,耀眼的阳光一下子涌入她的怀抱,多么的热烈,多么的温柔,多么的愉悦,这就是久违的喜从天降的欢喜,跟当年的高考金榜题名的感觉差不多。淑君还是第一次平视着太阳,它已不再高高在上,而是从神坛上走了下来,就处在我们目光所及的身边,世界真奇妙,原来高低不同,角度不同,世界万物展现在你面前也不尽相同,像今天这轮太阳,你只有翱翔在天空才能领略它的奇妙无比。冯子健的那句话:"上海哪一点比国外差……"又回响在耳边,淑君知道这都是些"井底之蛙"的见解,在他们看来再高远的天空都跟井盖一般的大,所以与其高飞远举,还不如久坐井底来的舒坦自在,久而久之,再宽阔的心胸都会像一口枯井般的荒芜。望着灿烂辉煌的朝阳,淑君的脸上露出了快乐满足的微笑,烦闷也丢在九霄云外去了。
在上海那边闹得不可开交的时候,远在万里之外的贾东杰的日子却过得风生水起。
贾东杰三十岁不到,中等身材,皮肤白皙,高高的鼻梁上架着一副金丝边眼镜,头发稀疏,人瘦得脸上没几两肉,给人一种精明干练的印象。他心思缜密,巧言令色,但说起话来却慢条斯理,让人觉得他学富五车,满腹经纶,但实际上他满腹都是见风使舵,投机取巧的歪门邪道。在外地人眼中他代表着上海人的"精明",但在上海人的圈子里,他口碑并不怎么好,尤其在佳丽的亲朋好友,同学知己中并不受待见。在他们看来,这人除了外表斯文,路子广和一份光鲜的工作之外,可取之处寥寥。他给人留下的印象是城府深,人太精,所以很多人都怕跟他深交,只是碍于佳丽的情面不得不同他相处,但背底里朋友们都劝佳丽早点离开他。
他外贸学院英语专业毕业,后进入一家外贸公司工作,但他对自己的专长兴趣缺缺,一心向往从仕途方向发展。经过几年下来,他竟然混上一个专职团委书记,这更让他春风得意。得意之余,就想找个美妙佳人,后来出国热掀起,他又觉得国外更能发挥他的长处,所以找女朋友的首要条件是要有海外关系,而佳丽除了哥哥在日本,自己还是个写文章的才女,长相出众,温柔可人。贾东杰自然不肯放过这样一个才貌双全的美人,穷追不舍之下,终于抱得佳丽归,佳丽对他也是言听计从。
前几个星期,贾东杰收到一封佳丽的来信。他看了信之后,觉得心烦意乱,真是怕什么来什么。他暗自寻思,莫非是佳丽猜到自己在澳洲所干的"好事",才使出这么一招?但在来信的字里行间中,又找不出有任何的蛛丝马迹。他思前想后一个下午,烦恼不但没有减轻,反而像天边的乌云越积越多。
贾东杰怎么会不发愁呢?如果淑君真的从天而降,自己的事情肯定再也瞒不过去。要么干脆拒绝佳丽的请求,这恐怕于情于理都说不过去。他觉得较为可行的办法就是让淑君先住在他这儿,然后想办法把淑君拉到自己一边,替自己遮丑保密,可万一不行——?咳,凡事做了才知道行还是不行,至于如何去打发家里的那位?……贾东杰抬头看了一眼挂在墙上的电子钟,自言自语的说,她也快下班了。
她叫Sarah,在上海有丈夫,还有个男孩。她三十出头,身材娇小,妩媚动人,有着上海女人所谓的"作"和"嗲"二大魅力。Sarah和贾东杰前后差不多时间到达悉尼,在同一家语言学校读书。"六四"爆发后,他们都拿到了一年的临时保护签证,这样就再也无需上学,可以一门心思的打工赚钱。人一旦生活稳定,便向往情感生活,古人把这叫做"饱暖思淫欲,富足生乱心",现在的叫法不仅文明,平实,还带有点浪漫气息。在贾东杰的软磨硬泡下,他们俩开始过起了临时"夫妻"生活。贾东杰在一家烤鸡店干活,Sarah在附近的一家印刷厂上班。
"Jack——Jack "外面客厅里传来年轻女子银铃般的叫喊声,贾东杰知道是Sarah回来了,他忙把才抽了几口的香烟掐灭,走出房间。
"今天回来的怎么这么晚,我都快饿死了。"贾东杰迎上前去,拉着她的手走进了橱房。
"哇!烧这么多菜。"Sarah看到一桌子的美味佳肴,一脸的惊讶,她用食指指尖点着腮帮子上,一副探究的神情,说:"今天是什么日子?早上我出门,你还懒洋洋地躺在床上。"她停顿一下,接着脸上露出恍然大悟的笑容,用她细长的胳膊勾住贾东杰的脖子,一边亲吻他的脸颊,一边说:"是不是看我在外面累死累活的,心疼了吧!趁休息天犒劳一下……"
"我的心肝。"贾东杰没等她说完,二片嘴唇便堵了上去。
这时贾东杰的眼前忽然出现两个人影,他们都是住在这里的福建房客,来厨房做晚餐。贾东杰连忙把头从Sarah的胳肢窝钻了出来,一撮头发还披散在前额,一脸谄笑的同他们打招呼。
Sarah惺惺地走进卫生间,准备洗手吃饭。
今晚贾东杰烧了很多的菜,有茄汁大虾、面筋塞肉、清蒸鲈鱼、蘑菇炒青菜,白菜鱼圆粉丝汤。平时贾东杰不太做饭,除非是休息日,他会装模作样地烧一顿,通常也只做二、三样菜,今天一桌子丰盛的晚餐确实有点反常,到底"反常"在哪里?Sarah猜不透。二人吃饭时相对无语,因为还有其他房客在厨房里忙碌。
吃完饭,贾东杰先让Sarah回房休息。等他洗完碗筷,推门进屋,只见Sarah正斜躺在床边看《澳洲新报》。他转身把房门关紧,然后坐在Sarah身边,顺势拉起她一只纤细的小手,放在唇边亲了一下,开口道:"我想跟你商量个事…… "
"哼,我一进门就知道今天准有事。"Sarah把手狠狠抽了回去。
"你怎么知道?"
"不告诉你。"她回答道,然后又像想起什么似的接着说:"商量啥事?说话怎么吞吞吐吐呀。"
"我家表妹有个当医生的小姊妹,再过个把星期要来悉尼,她想借住在我这里。"贾东杰停顿一会儿,眼睛透过镜片的上方看着Sarah。
"又是表妹,又是小姊妹,你到底有多少妹子?"说完,她把报纸遮住脸,继续看她的新闻。
贾东杰用右手把报纸挪开,眼睛盯着Sarah说:"吃醋了是吧,除了你之外,我可没把别人当成妹子。"
"谁信你的鬼话!"然后又看起了她的报纸。
"我有个好主意,想听听你的——意见——"贾东杰故意慢吞吞的说。
"我听着呢!"Sarah把报纸往身旁一丢,二手交叉,不耐烦的催促他快说。
"澳洲现在发了很多学生签证,估计用不了多长时间这里就有大动静,我想出了个好主意。"
"啥主意?"Sarah急不可耐的插嘴道。
"我想把现有的租客全都赶走,然后换上一批新来的,而且全部都招上海人。"
"赶走,谁来付房租?"
"这个过程并不是一蹴而就。我是这样想的,过几个星期,我准备开始登招租广告,房源紧张自然来的人就多,到时一切就由我们说了算,挑些我们中意的和临时落脚的留下来,逐步撵走原来的租客,这样一来一去不都换成上海人了,我们还能趁这波行情多赚点外块。
"听来让人云里雾里的,干脆你说个结论,我们有没有好处,有多大好处?"
"撵走的租客,我们都得扣下点压金,外面共有八个租客,一人扣下五十,总数也有四百。新来的租客每人的费用多收个十块钱,一周又可多出八、九十块,临时来落脚的可以收更高的费用,这样一来我们每周的生活费不就都齐了。"
"为啥都招上海人,你精,有的上海人比你还精,你吃得消吗?"
"嘿嘿,我啥时候输给过别人?你就放心数钞票好了。"
说到钱,Sarah的眼睛瞪得溜圆,透出一股骇人的光亮,仿佛在她眼前出现了一叠叠花花绿绿的澳币。于是她说:"好呀!我落得个轻松,怎么说,怎样收?你负责,我只负责这个。"她举起右手,母指在食指和中指之间来回移动,咯咯笑个不停。
"那我们就算说好了。"Jack心想对付这个女人真是"三只手指捏田螺,十拿九稳",稍微给她一点甜头,她就屁颠屁颠跟着后面数钞票,就是把她卖掉她都浑然不知。可接下来的淑君可不好对付,得多用点心思。
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旅遊/來去澎湖 聽大海呼喚
旅遊亞洲
魯秋琴 2023-10-15 02:01 ET
旅行,就是去和一個陌生的地方談一次戀愛,不論時間長短,氣候如何,那獨特的邂逅都會留下難忘的印象。
四面環海的澎湖像是一位脾氣古怪的冰山美人,偶而露出驚人的美艷,卻在瞬間消逝得無影無蹤。大自然在此展開鬼斧神功,不遺餘力地揮灑在各種地形中。澎湖以天仙菊為名,風裡來、雨裡去,島上遍地開花。
外子的大學同學來自澎湖,每回見了面,總是熱誠地邀約。2022年底,我們迫不及待地出發,卻趕上了東北季風。
馬公高中 榕樹展生機
馬公高中的校園中有一株小榕樹,樹幹被風吹得彎成90度了,依然努力地站崗,它是那樣謙卑而執著,盡管不能挺立,卻像鐘樓怪人卡西莫多一般,展現了一種執著的生命力,令人由衷生敬。
沿著樓廊走向校史室,在轉角看見「禮義廉恥」的匾額,興奮地要求老師們一起合照,一個已經逐漸淡出本島的國寶竟然相遇於離島,可見,在千萬尺之下,陸地是相通的,文化價值也是。
校史室顧名思義是介紹學校的創建、演進,我們卻看見一張張畢業證書和紀念冊,莘莘學子成了學校的一部份,而學校也被牢牢地刻在心版上。畢業生把證書交還給校史室,是一種回饋、也是感恩,翻著紀念冊,看見許多政商名人,也看到天才洋溢的歌星,學校因此源遠流長。走出校門時,我很認真地拍攝下那一株榕樹。多年後,他將會長鬚飄飄,枝葉蔓蔓,東北風不斷,吹彎了樹幹,卻吹不斷那堅毅的樹根。
眷村風情 外婆澎湖灣
眷村日常都圍著「反攻大陸」、「毋忘在莒」運行,澎湖的篤行十村更是。小店的石椅上漆著國旗,電線杆上寫著標語,村口的榕樹被東北季風颳得斜倚在郵筒上,紅色郵筒的裝限時, 另一座綠郵筒則是平信,郵件得等船期,小島上信件的收發是由風浪來控制。
https://pgw.worldjournal.com/gw/photo.php?u=https://uc.udn.com.tw/photo/wj/realtime/2023/10/11/26033041.jpg&x=0&y=0&sw=0&sh=0&sl=W&fw=800&exp=3600&q=75
潘安邦把童年譜成了「外婆的澎湖灣」 ,將那份濃郁的祖孫情舖下了一張大網,用輕快的音符攬住了人心。
「澎湖灣 澎湖灣 外婆的澎湖灣
有我許多的童年幻想
陽光 沙灘 海浪 仙人掌
���有一位老船長」
除了潘安邦外,眷村裡還有一位天才洋溢的張雨生,這位英年早逝的歌手永遠定格在他年輕的音樂夢中,那高亢的歌聲在巷陌中流轉,歲月也就放慢了腳步,大榕樹悄悄地把鬍鬚覆蓋著石板路,輕輕撫慰著千瘡百孔。
漁翁島 嘗炸蝦憶往事
多年前的一個午後,呂老闆瞇著眼,瞧著遠方,這是他午休時刻,狂風吹走了「暫停營業」的告示。 「反正不會有客人,不如早點兒收攤」,他自顧自地取了酒瓶和小菜,一轉身,門口竟然出現一群人。
「 可以炒些小菜嗎? 」為首的那位笑瞇瞇地問。
「 附近幾家店都休息了,我們要求不多,填飽了就走。」
呂老闆打量來客,簡樸的外出服搭上小夾克,乍看不是本地人,估計不容易找到歇腳處,不如破例開竈,也算交個朋友。他推薦炸大蝦,客人點了炒麵、海膽、旭蟹、石蚵和石斑魚湯,呂老闆駕輕就熟地擺出一桌的海鮮。
在客人邀請下,加了座位,他也打開了話匣子,「因為父親愛喝酒,所以取名酒瓶。」那客人風趣地接了腔,「因為我父親姓蔣,所以我也跟著姓蔣。」天南地北聊得十分暢快,賓主盡歡後,客人離席。這個偶發事件也就被淡忘了,人來人往,一切如常。有一天,郵差送來了一封信,寄信人竟是總統府,這會兒,連郵差都忍不住好奇地探頭瞧一下究竟。
讀了公文用箋,才恍然大悟,那天笑咪咪地打招呼的竟然是蔣經國先生,除了感謝老闆為他們犧牲了午休,更為那桌菜餚讚不絕口,他將呂酒瓶當作自己的民間好友,最後建議改個同音而雅致的「九屏」。
不論呂酒瓶或呂九屏,他依然勤勤懇懇地守著店,守著那封信的情誼。上回去澎湖時還和呂先生聊了會天,他依舊神采奕奕,愉快地和我們拍了照,爽朗的笑聲中,透露著不卑不亢的氣度,他說:「 好朋友就要交心,我去總統府說的話都是真心實意的,好壞都有。」引起大夥一陣掌聲和喝采。2012年,呂先生仙逝,這會兒,他應是和經國先生在一起把酒話當年了。
傍晚時分,走進飯店,享受著呂先生的傳家手藝,炸大蝦酥脆的表層輕落,彷彿在叨唸著陳年往事 。女老闆熱誠地介紹:「這是我阿公的店。」是的,我們都有個了不起的阿公,一位建了橋,另一位做得一手好菜,所以我們有幸能在東北季風下跨海享受美食。
沒能如願的仙人掌冰化為一種思念,下回去澎湖,還得繼續找,也許藏著另一個雋永的小故事。
二嵌聚落 咾咕石打造
二嵌聚落保留了整個族群的生態,走近一瞧,四處都是建材和工具,繞了幾圈才找到入口,直奔杏仁茶店,先���了胃才繼續走入村落。
2009年,二崁陳家古厝後代回鄉重建,採用三間三進宅式,刻意地把古蹟和古董收藏成了傳家之寶,因此在這一個方圓幾畝地,不時與悠悠古風邂逅,古厝原建於大正元年(1913),翻新後改成磚瓦,精緻的門庭中鑲嵌著磁磚,咾咕石牆環抱著典雅的建築,像是呵護著愛女的龍王,塑造了二嵌的建築特色。
居民不多,招牌不少,唸著古語古辭,忽然領悟到台語發音的妙處,家家戶戶將那古拙樸實的格言嵌進石壁,大夥兒努力採用 「 正港」 的台語唸出真理格言,趣味盎然。
中央老街 中藥鋪飄香
每個城市都想留下一些古老的痕跡,證明自己的身分,記錄歲月的痕跡和曾經的輝煌。 中央老街承載著300年來的文化,短短一條街依然維持著往昔的風華。
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放學歸來的孩子踩著石板路,四處找尋玩伴和食物,而他們的母親,從不遠的布行中走出來,優雅的步履拖著長長的身影,瞬間日子就有了重心,故事一代一代地延續了下來。在一陣恍惚中,我們也跌入了童年往事,一條長長的臍帶,永遠繫著天涯遊子。
傳統市場 買海鮮紫菜
20多年前,第一次去澎湖,飛機才落地 ,一位老船長吆喝著:「趁早上船,快起風了,釣小管去囉!」那個晚上,熠熠繁星照著海面,船長忽而撒網,忽而卸貨,一轉眼,新鮮的小管都溜進了胃裡。那一聲吆喝,注定了這個離島在我心中的位置,她的座標就是距離心跳最近的地方。
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阴差阳错出国门(3)
星期天,阳光明媚,还没到早上九点,南京路上已经是非常热闹,有穿着短袖短裤,趿着拖鞋买早点的居民,有杖尺而行的晨锻的老人,还有撑着阳伞,穿着花裙的姑娘行走在路上。大部分商店都已开门营业,一家家店铺的大门敞开着。淑君坐在电车上,瞧着一闪而过的铺面,觉得它们就像是张着的一张张黑洞洞的大嘴巴。空荡荡的店铺,里面的店员比进店的客人,有几个店员在门口扫着地。
27路电车在过了成都路,行驶的速度就慢了下来,上车上的乘客很多,大都是拖家带口的逛南京路,逛外滩的。电车驰过了上海图书馆,淑君还抬起头看了看图书馆钟楼,时钟正好九点一刻,淑君心里庆幸今天肯定要比佳丽早到。过去每次碰面,佳丽总是捷足先登,早早来到约会地点,见到淑君姗姗来迟,总要数落对方一番,说什么:"你就是伺候老公儿子的命,只有等他们舒坦了,才会想到我。"说得淑君有口难辩。
淑君在江西中路下了车,然后头也不回的往前走,突然淑君像是要撞上一个人,猛然收住脚步,抬头一看是佳丽,真是喜出望外。见到了佳丽,淑君一下子挽住她的手臂,亲热的说:"你真吓了我一大跳,我紧赶慢赶的还是落在你的后面,真是服了你了。"淑君停了一停,看了看佳丽,继续说:"你为什么每次都要那样的性急?非要拔个头彩。"
"我也不知道,总觉得不早点来,就觉得坐立不安。"
淑君咯咯一笑,说:"还是我替你回答吧。完全是心胸不够开阔,容不得一点事,你说是吧?"她见佳丽不作声的点点头,又接着说:"说说看你最近怎么样?约我出来准没好事。"
佳丽卟哧一笑说:"对你来说,还真是一件天大的好事。"
"你不要再说笑了,跟着冯子健,这辈子我算是完了,今天可把我气死了。"淑君回答道
"不是我说你男人坏话,他这种人小气的使人脸红,嘴碎的让人心烦,磨叽的叫人发急,你嫁冯子健完全是屈嫁。至于说你的人生是不是完了,那我可说不准。"
"不说他了,说说你在澳洲的那位心上人。"
"现在我懒得去想他,只想快快把钱拿回来。"
正说着,我们刚好来到东海咖啡馆门口,我用手指了指大门,说:"今天我请客,我们进去吃点什么?"
"这还差不多。"
推门走进店内,然后沿着旋转楼梯走到二楼,店内的客人不多,环境布置颇有美国乡村风格,原木的桌子、靠背椅、沙发、杏银叶图案的窗帘,白、红镶嵌的墙壁,淡黄色的吊灯,让人置身于宁静雅致的环境中,我们俩点了二杯奶咖,一份水果pie,一伤蛋糕cheese。佳丽环顾一下四周,然后细声的说:"今天吹的是什么风,你怎么这样大方。"
"又不是第一请你来这里,那来的小气和大方一说。"淑君又用指点了一下佳丽的前额。我接着说:"说正经的,今天为什么要约我出来。"
佳丽收起调皮的样子,低头盯着眼前的奶咖,寻思了一会,喃喃的说:"前几天,我收到澳洲学校的学费退款,这段留学公案总算是彻底的了结了。"
"那不是件好事吗?总算损失不算太大。人生哪有不磕磕碰碰的,吃一堑,长一智。以后办什么事都不要冒冒失失。"溆君觉得这话有点欠考虑,赶忙补充说:"这次不成,以后还可以曲线去澳洲,去会你的心上人。"
"淑君,我真没有心思开玩笑,这二天的事把我给愁死了。"
"早先你为没收到学校退款而发愁,这好理解。可我真搞不懂,如今你收到了学校的退款,还是一副心事重重的样子。这件事现在弄得无了无休,什么时候才算是个头。佳丽,我希望你能快快乐乐的生活,就像今天阳光灿烂的天气一样。"
佳丽好像对我的话没有多大反应,只是自顾自的说:"真是一步错,步步错,这第一步根本就不该走。劳燕分飞事小,鸡飞蛋打才让人心有不甘呢!"说罢,她端起了奶咖喝了一口,像是在镇定一下自己纷乱的情绪,然后又接着说:"我还是把整个事情的来龙去脉都跟你说了罢。"
那还要回溯到一年以前,有一天贾东杰忽然来找佳丽,说现在去澳洲留学,门槛很低,只要去学语言就行,我们俩何不乘这么好的机会去澳洲闯闯。佳丽可从来没有想过要出国,虽然哥哥在日本多年,也经常给家里寄些外币,时髦紧俏商品,但哥哥不在身边,佳丽反而更觉得自由自在,出国无疑是自找苦吃。她与贾东杰恋爱多年,但哥哥一直对这场恋爱颇有微词,总觉得贾东杰这个人能言善辩,人品不好,与妹妹交往,并非出自真心,反而妹妹对他一往情深,处处护着他,所以兄妹俩只要提起贾东杰,一定话不投想,不欢而散。
贾东杰出生一般,家里肯定拿不出这笔费用。佳丽自己的学费可以向她哥哥借,但贾东杰的学费又从何而来呢?后来还是贾东杰想出"狸猫换太子"招术,他建议佳丽这样开口向哥哥借钱,说是和淑君二人结伴去澳洲留学,这样开口相对容易些。因为佳丽的哥哥知道我们俩情同姐妹,而且他对我一直十分信任,赞誉有加。后来佳丽果然借到了俩人的留学费用,只是二个人中的一个由淑君换成了贾东杰。
很多时候,女人到了万不得已的地步,才肯讲真话。淑君静静的听着佳丽的述说,心里觉得五味杂陈,佳丽好糊涂,不该用这套谎话来欺骗自己的哥哥,天下女人都有这个弱点,盲目信任所带来的恶果难道她们不知道?被居心叵测的男人玩弄难道她们不明白?其实都不是,她们用感情来否定自己的理性,用信誓旦旦的假说来替代言之凿凿的真话,直到一败涂地,亏输大败为止,所以很多时候女人就是自讨苦吃,自己害自己。但静下心来仔细想想,现在事已至此,再去指责当初的做法没有任何意义。淑君说:"不要再去想已经发生的事情,你要着眼于当下,怎样尽快的让贾东杰多寄些钱回来,早日弥补这个亏空,贾东杰要是真爱你,怎么能让你忍受这种煎熬。"
对她的打击蛮大的,性情大变,说话也沉默寡言,不再是咄咄逼人,而是一副虚心受教的样子,俩人碰面也变成淑君唱主角。
佳丽神情黯然的说:"贾东杰我是指望不了了,他现在很少来信,通常我写五封信,他最多回一封,而且来信也决不提还钱一事。我也尽量避免提还钱的事,这样再拖下去,恐怕与他的关系真的完了。"说完,佳丽的眼中噙满了泪水。淑君连忙从包里拿出块手绢,递给她,佳丽用手绢捂住双眼,暗自啜泣。
淑君坐到佳丽的身边,用二臂紧紧的拥搅着她。沉默,长时间的沉默,淑君能说什么呢?虚情假意说一大堆建议,对她的处境没有任何帮助。当初在上海时俩人的关系就已经磕磕碰碰,现在这一南一北的,更加没有改善的余地,看来这段感情是追不回来了,现在要紧的是能把钱追回来就不错的啦:。贾东杰这个人还真够缺德的,在人面前总是摆出人五人六的样子,背底里竟干出这种不负责任的事情:去澳洲前先让佳丽怀孕,现在又是绝口不提还钱,一个人有多卑鄙,才会有这种德性。淑君从来就对他没有好感,碍于佳丽这层关系,才与他友好相处。但淑君常常提醒佳丽,与贾东杰交往,脑子要清爽些,不要被他的甜言蜜语影响自己的判断力。然而事与愿违,碰上这种男人,女人的"指南针"常常失灵,判断力大打折扣。
房间里非常安静,灯光柔和,几扇大玻璃窗把南京东路上的车水马龙声挡在了屋外,里里外外简直判若两个世界。我们俩面对面静静坐着,但二颗心却犹如楼下杂沓的马路,纷乱无序。时间一秒一秒过去,淑君忽然觉的佳丽的心绪有点平抚,便用左手推了推她的手臂,说:"我们还是先吃点东西吧!"
佳丽用手绢把泪痕檫干,尴尬的冲着淑君笑了笑,说:"我今天的样子是不是很难看?"
"我也有这个样子,只是你没有瞧见吧了。"淑君把水果派推到佳丽面前,又接着说:"这是你喜欢吃的,多吃点甜食可以帮助改善人的情绪。"
佳丽吃了几口,然后转而把勺子放下,淑君看了连忙问道:"又怎么了,吃东西都那么费劲,跟你平时风风火火的样子判若两人。你再不吃,我可要抢着吃了。"
佳丽放下手中的调羹,二眼直直的盯着淑君,说:"淑君,我想把我退回来的学费借给你,让你去澳洲留学,一来你是医生,获取签证容易,二来去那里看看贾东杰到底是怎么回事,或者干脆帮我借给他的钱要回来。"
淑君先是一惊,然后用手捂住自己的胸口,连连说道:"你不要吓我,我在医院里干得好好的,出去又能干什么呢?其实我早在大学还未毕业的时候,早早就歇了这个念头。"
"你说你早已意兴阑珊,这话我可不信。结婚之前你决不是那样的人,世上没什么��比我更了解你。"
"我惦量过自己,我这个人一心只想过安静的日子,再加上牵牵绊绊的人和事又多,所以我选择知难而退,就在上海凑合着过日子吧。"
"淑君,你呆在这里可是一眼看得见三十年后的你自己,住院医师、主治医师、混个主任算是到头了。不是现在流行一句'搞导弹的不如买茶叶蛋,拿手术刀的不如拿剃头刀的’在这种社会环境下,你会有什么出息?"
淑君确实无力反驳这些话,自己从小到大,为人做事总是谨小慎微,不求有功,但求无过。这种处事哲学只能保一个平平安安的人生,要想更上一层楼,一定得环拱着炙手可热的领导身边,供他们差遣,供他们享乐,甚至供他们玩弄,否则的话就有穿不尽的小鞋,听不完的流言,受无完的窝囊气,这是活生生的事实。但出国表面上看很光鲜,实质自己也是二眼一摸黑,画报上,影视里的外国生活真的反映实际状况,你也毫无头偖诸,充其量都是些道听途说的一家之言。淑君内心挣扎着,一时竟陷入长久的沉默。
"其实哥哥一直希望你有个美好的未来,就像是希望我一样,所以我一提出我们俩一起申请出国,他二话不说就把钱汇给我。"佳丽看到淑君不好所动的样子,接着又说:"虽然你有了家,但哥哥依然还爱着你,他是为你去了日本。从哥哥身上我读懂了毛姆的那句话,最持久的爱是永远得不到回报的爱。"
淑君猛然把双手捂住眼睛,眼泪从她的指缝间流了出来,她不住的摇头,嘴里不停的说:"佳丽,不要说了,我不想听。"
这是她俩第一次这么严肃的对话,走出东海咖啡馆,俩人都像生了一场大病,精疲力竭,
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一早訓醒看到市內景觀還不錯。
今日會開始遊走山口県,県內景點之間既距離唔算遠,時間尚早就去酒店附近既資さんうどん 幸神店食早餐。
早餐都有唔少選擇。
清早時間人流不多。
雖是清早但已有關東煮在等客人。
關東煮夠入味,唯獨蘿蔔不夠軟淋。
蜆肉湯帶鹹鮮。
米香白飯跟簡單配菜已夠吸引,而牛肉烏冬也十分滑溜。
上網剛好見到麵包店シロヤ 黒崎本店剛開門��去到已見有人在排隊。
開業超過70年既シロヤ不賣隔夜麵包外,也只用高級麵粉但定價卻是出了名的低廉。
既然如此也支持一下,買個名物煉乳法包サニーパン試下。
一旱已食到咁飽就先開車到THE OUTLETS 北九州行下。
呢個係新開既outlet,店鋪都唔少。
除左商店重有俾小朋友放電既設施。
買左俾主子既玩具後,行左一輪都冇收鑊,決定開車直上山口県。
第一站先食午餐,來到人氣旺盛既川棚本館。川棚本館既本館係修復過既過百年建築,去到已經有唔少人在本館等候。
等檯時樹下走出親人白貓。
人太多之下決定轉去後面既川棚南本館用餐。
出品應該跟本館分別不大吧。
上檯一刻見到大舊麵團放係一大塊燒熱既瓦片上都幾震撼。
麵身有點咬口但冇味道,配埋肉片同醬汁同吃就感覺不錯。
吃到底部燒得較乾既麵口感香脆。
食完麵向下一景點進發,途中經過道の駅「北浦街道 豊北」就落去shopping一下。
呢個道の駅可能因為近海,有唔少海鮮同海膽有關既產品手信。
唔睇清楚以為係海狗丸之類既野。。。原來又係海膽。
室內有位置供遊人買杯飲品坐低睇下海景。
三月天氣和暖,直接走到室外睇海景更寫意。
隔離有個小山丘,原來係個古墓。
係上面可以一覽整個海灣景色。
離開道の駅再向北不遠處就係角島大橋。角島大橋係不少汽車廣告及日劇拍攝地點。
望住海岸風景加上藍天白雲,構圖的確美得令人出神。角島其實其都有景點,但時間關係只可係展望台上欣賞一下影張靚相。
下一站係元乃隅神社。
神社錢箱位置竟然放係入口牌坊上,遊人想捐獻都要花力氣將銀���扔上去。
神社放上123座鮮紅色既鳥居,用來保佑漁業同海上安全。
鳥居依山而建。
鮮紅色鳥居跟海天融成一體。
睇完神社已不早,係時候去今晚住宿既溫泉旅館大谷山莊。大谷山莊位處湯本溫泉區,鄰近長門市約15分鐘車程,而長門湯本溫泉已是六百年祕湯,係山口県內最古老既溫泉。
天皇和總理大臣亦曾到訪這裡。其實附近都有另一間星野集團既界長門溫泉旅館,不過論口碑及受歡迎度似乎大谷山莊更高人氣。
大堂氣勢及等候區景緻令人眼前一亮。
店內通道都裝修得一絲不苟。
不過最驚艷係房內望出去既景色,是到訪過溫泉旅館之中最美之一。
景色美得像一幅風景畫,係唯一一間景色可以跟富士山景色分庭抗禮。
浸一浸溫泉先再去樓下享用晚餐。
晚餐區在一樓。
今晚既餐單。
晚餐先來前菜刺身。
沙律加入河豚肉刺身幾特別。
鍋物中牛肉味濃油香十足。
煮物及炸物味道剛好也對口味。
白飯米粒飽滿帶米香,真係幾飽都要食。總括來說出品唔算大堆頭,份量剛好味道可以。
今晚既宵夜會開車出長門市既居酒屋道くさ。
小店格局好有小型家庭式居酒屋既感覺。
串燒做得不錯,香口又唔會太乾。
燒雞翼看似較乾,吃著卻皮脆肉嫩。
燒蠔是估不到的美味。
蠔身飽滿蠔味濃郁,入口蠔味在口中爆發。
坐到9點左右就埋單,因為book左旅館既9點半觀星時段。
上到頂樓坐低飲杯野,等上一時段既客人完成後就可入埸。
山莊頂樓呢個穹頂建築內,就係天文望遠鏡收藏既地方。
穹頂打開後,加埋天文望遠鏡成件事好有氣勢。從開始到尾都有專人講解同指���,一行人又可以輪流觀星,雖然聽唔明但都係十分好既體驗。
資さんうどん 幸神店
福岡県北九州市八幡西区茶売町3-5
093-644-6788
シロヤ 黒崎本店
北九州市八幡西区黒崎2丁目6-15
093-621-4688
THE OUTLETS 北九州
福岡県北九州市八幡東区東田4丁目1番1号
093-663-7251
川棚本館
山口県下関市豊浦町大字川棚5437
Tel : 083-772-2680
道の駅「北浦街道 豊北」
山口県下関市豊北町大字神田上314番地1
TEL 083-786-0111
角島大橋
山口県下関市豊北町大���神田 角島展望台
元乃隅神社
山口県長門市油谷津黄498
0837-22-8404
大谷山莊
長門市深川湯本2208
0837-25-3221
居酒屋道くさ
長門市東深川911
083-722-4538
2023日本山口県自駕遊第一日
飲食資訊由熱新聞提供 原文連結: 2023日本山口県自駕遊 第2日 (北九州市THE OUTLETS 川棚本館 角島大橋 元乃隅神社 大谷山莊 ) 更多相關內容
壽司郎居酒屋 : 杉玉 Sugidama
迷你黑洞 迷你黑洞愛吃,愛睡,愛煲劇。 工作最大的動力就是吃東西,去旅行。任何關於美食。旅遊。烹飪。生活點滴的事與物都不能錯過喔!
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たかお食堂 東京都八王子市初沢町1227 高尾駅南口を出て右側の細いガード下通路を数十メートルを突き進むと出口目前にある 営業時間 11時~14時(入店は13時半まで) 17時半~20時(入店は19時半まで) 定休日 火曜日・第3水曜日
定食の価格帯は700円~800円
数年前に別の店から変わったと思ったらあれよあれよという間に高評価の人気店になっていたお店。ストリートビューで確認してみたら2015年には変わっていたので自分の記憶が大分古かったようだ。前の店は居酒屋だったので入れなかったが、食堂ならと思ったものの、外に看板類やメニューがあまり無いので何となく入りづらく、今日まで伸ばし伸ばしになってしまった。
大光寺に行く途中、11時半頃に店の前を通ると既に順番待ちしている若者が店外に2人いた。若者向けの店構えではないように見えるが、幅広い客層に人気ある店のようだ。営業開始が11時なのに11時半で満員ということは開店早々入店する客も結構いるのでないか。小規模ながら結構な人気店だ。
大光寺で桜の花を見てから初めて入店してみた。店内は満員で他に連れがいたら順番待ちになる所だったが、一人だったので空いているカウンター席にすぐ座れた。店内は4人掛け位のテーブルが2つか3つあり、カウンター席は3~4人分ある。ただしカウンターは椅子が1つ外され、3人掛けになっていた。コロナのせいで間隔を開けているのかもしれない。
店内の壁面には多数のホーロー駅名標やサボが飾られていて、鉄道好きな自分は楽しくなってしまう。中央本線や多摩地区沿線の物が多いが、北海道や九州のものもある。
見るからに忙しそうな様子の店員さんだったが、注文はすぐに聞きに来た。テーブルメニューは居酒屋仕様と普通の食事仕様がある。750円のミックスフライ定食を注文してみた。注文時にごはんの量を大盛りか普通盛りか聞かれる。ご飯のおかわりも1回無料とのこと。混んでいるわりに調理は早く、8~9分ほどで運ばれてきた。大きなお盆にごはん、味噌汁、たくあんのおしんこ、そして主菜のミックスフライと千切りキャベツ、マヨネーズの和え物サラダ。ミックスフライ(白身魚、串カツ、コロッケ、海老)は揚げたての衣がサクサクして美味しい。ソースはウスターと濃厚なとんかつソースの2種類。とんかつソースをたっぷりかけて頬張っていたらご飯が足りなくなってきた。まだ少し茶碗にご飯が残っているうちに店員さんが「おかわりしますか?」のお声がけをしてくれたので「少なめに」とお願いする。ただし出てきたご飯の量は結構多かった。食べ盛りの若者なら普通の飲食店よりもお腹いっぱい食べられて安いのでないか。
食べ終わって帰り際、店内に飾ってあるサボなどに見入っていたら、「こちらにもありますよ」と案内してくれ快く写真も撮らせて頂いた。入れ代わり立ち代わりで次の客が入店してくるので長居はできないが、機会があればゆっくりサボを眺めながら「ここに行った、ここはまだ行ってない…」などと思いを馳せてみたい。
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