#伊波そろばん教室
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職業としての売春は、古くから存在する。職業とは、ヒトのみが行う社会的かつ文化的営為であり、富・付加価値の交換により形作られる経済活動の手段としては、売春は人類最古の職業の一つでもある。 現代の売春とは取引契約に基づくものであり、売春の歴史とは売春仲介の歴史でもある[5]。また、売春という職業が成り立���為には、貨幣経済の浸透と、家父長制や嫁取り婚が成立していないといけない[要出典]。ヨーロッパでは古代ギリシャ以降になる。 古代 →「公娼」を参照 史上初めて管理売春すなわち売春を国家の登録制度のもとに管理し、公認したの��ギリシャのソロンといわれ、国家によって女性の奴隷を「購入」し、「ディクテリオン」という売春施設へといれた[6]。ローマ帝国でも売春仲介業者は法的な認可をうけ、届出をするだけでなることができたため、売春は広く行われていた。しかしローマがキリスト教徒の迫害をやめ、それを国教としたことをうけて、売春を禁ずる法が登場する。ユスティニアヌス法典は、売春仲介業者の責任を問い、売春婦たちを「不幸な運命から救いだす」ことをうたう画期的なものであった[7]。 キリスト教が普及するにつれて、売春を含めた性の問題はすべて宗教の領域で扱われるようになる。キリスト教は売春はおろか婚姻生活以外での性交渉を禁止した。一方で国家は売春の禁止と公認を繰り返してきた。公序良俗を保つためであり、税収を確保するためであった。中世に入ってキリスト教の影響はさらに強まり、例えば、シャルルマーニュの勅令は売春の完全な禁止を謳っている。こちらは業者へは少量の罰金刑を課し、売春婦を「みだらな女」として広場で鞭打ちに処すなど重い罰を規定している。 近代 このように近代まで、国家は売春を両義的なものとして扱っていた。登録制度という公認であっても女性を監視し縛り付けるものだとする「廃娼論」が出現するのは20世紀以降のことである[8]。そして「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買取締二關スル國際協定」が1904年に採択され、「醜業ヲ行ハシムル爲ノ婦女賣買禁止二關スル國際條約」が1910年に制定され、1921年に国際連盟によって「婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約」、1933年に「成年婦女子ノ売買ノ禁止ニ関スル国際条約」がそれぞれ採択された。さらにそれらの協定や条約を統合する形で「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」が1949年に国際連合によって採択され、1951年に発効した。 現在、フランスの社会史学派、アナール学派の研究によれば、売春は逆にキリスト教によって誕生したと論じている。本来、男女は対等であった��、キリスト教の「弱者である女性は、保護を行う男性の支配を受けなければならない」という教義から家父長制が強力になり、支配される性としての女性が誕生した、という考えである。[要出典] 日本 →詳細は「遊女」を参照 阿部定が最後に勤めた遊廓大正楼(兵庫県丹波篠山市) 万葉集に掲載されている歌の解釈から、この時代から日本でも売春は行われていたと考えられる。ただし、古代の記録に見られる売春は、都周辺に限られており、地方における実態は不明である。日本において職業としての売春が成立するのは、中世後期の室町期以降である。平安時代に至っても、さらには鎌倉期においても、妻問婚がメインであり、貨幣経済と男性優位の家父長制や嫁取婚はいまだ浸透していなかった。平安時代と同じく母方の父が優位という執権政治の形態が続いていたことからも明らかである。座や町衆などによる市の支配の確立と、惣領制や嫁取婚が成立するまでは、職業としての売春は広がりを見せなかった。 売春は神道において、巫女によって行われたこともあった[9]。鎌倉時代には巫女を養っていた多くの神社や寺院が破綻し、生活の糧を求めて旅に出る巫女が現れ「歩き巫女」と呼ばれるようになった。巫女は主に宗教的なサービスを提供していたが、売春とも広く関係していた[9]。 安土桃山時代に豊臣秀吉が大坂道頓堀において、遊女を一箇所に集めた遊廓を作って以後、江戸時代でもこうした遊廓を設置した。特に吉原遊廓、島原遊廓、新町遊廓は三大遊廓と呼ばれるほどの隆盛を誇った。ただし、遊廓などではいまだ女性の「神」性視が行われ[独自研究?]、遊廓は非日常の空間であり、世俗の法律が通用しなかった。吉原の監督官としての武士も、武家出身者ではなく忍者出身者が行い、公儀とは距離を置いた[要出典]。江戸幕府は、江戸および関東八州については、公的に売春を認めつつ[注釈 3]、散在する遊女屋を特定地域に集合させ、1617年(元和3年)、日本橋葺屋町界隈に遊郭の設置を許可し、吉原遊廓とし、この他の地での売春を禁じた。この禁を破って売春がなされる場所を岡場所といい、その遊女らは、後任の吉原におけるものと異なり、私娼であって取り締まりの対象とされた。私娼は発覚・奉行所などに捕縛されると、新吉原で女郎として3ヵ年の年季奉公が科せられ(公事方御定書[11])、そのような女郎は「奴女郎」と呼ばれ最下級の扱い��受けた。このように、建前上は、吉原以外での売春は禁じられていたが、岡場所は江戸時代を通してところを変えながら存続し続けたし、特に、近郊の品川宿、内藤新宿、板橋宿、千住宿など、近郊の宿場町の宿屋では、泊り客に飯盛女と称した私娼の斡旋を行っていた。 1958年(昭和33年)4月1日に売春防止法が施行され、赤線も廃止されソープランドとして残る(神戸福原) 明治維新以後もこのような遊廓は存在していたが、転換点となったのは1872年(明治5年)である。この年、マリア・ルーズ号事件が発生し、大日本帝国政府はペルー船籍の汽船船内における中国人(清国人)苦力に対する扱いを「虐待私刑事件」として日本の外務省管下で裁判を行ったが、この裁判において被告側より「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」との主張が為された。 この主張に対して、特命裁判長を務めた神奈川県権令大江卓は「日本政府は近々公娼解放の準備中である」と公娼廃止の声明を発し、1872年10月2日、芸娼妓解放令が出された[12]。これにより、女衒による遊女の人身売買は規制されることになったが、娼婦が自由意思で営業しているという建前になっただけで、前借金に縛られた境遇という実態は変わらなかった。 また、この時期に数多くの女性が女衒の斡旋により、日本の農山漁村から東アジア・東南アジアに渡航し、遊廓で働いた。こうした海外渡航した女性たちは「からゆきさん」と呼ばれた。このように世界への渡航を手配した、女衒として有名な人物に村岡伊平治がいる。 第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)、日本の統治を担当していたGHQは公娼廃止指令を出し、女給による売春を行う赤線を除いて遊廓は廃止されることになった[注釈 4]。 また、1955年(昭和32年)最高裁判所は、売春を前提とした前借金について『公序良俗に反するものであるとして無効』とする判例を確定させた[13]。さらに、上記「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」を批准するための国内法である売春防止法が1956年(昭和31年)5月に公布、1958年(昭和33年)4月1日に施行され、これによって赤線も廃止されることになった。 これら赤線地帯にあった店は、その後も小料理屋やトルコ風呂(現:ソープランド)などと名称を変え、管理売春や勧誘・斡旋などの売春助長行為ではなく、個人の自由意志での性行為の場所を提供する、という法令に抵触しない範囲で営業を行っている。なお、トルコ風呂の名称については、トルコ人留学生・ヌスレット・サンジャクリが厚生省(現:厚生労働省)に名称変更の訴えを起こし、名称がソープランドに変わった経緯がある[注釈 5]。 →詳細は「ソープランド § 改名問題」を参照 各国の概況
売春 - Wikipedia
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AI��対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、��んやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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Recently enjoyed (2023/01~03)
Been a while since my last update: life has been shifted to somehow an interesting direction😎 Just crossing all of my fingers (including toes) for lucks of myself and my favs🤞
驚くほど放置してしまいました。この期間は中村倫也さん作品に浸りつつ地上波ドラマを追っていました。このクール最高すぎて毎週テレビの前で爆泣きしていたのはきっと私だけではないはず。。。4〜7月と7月以降も手書きのノートにはまとめてるのでまたちまちまメモしにきます。
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞)
湯道(イオンシネマ)
ケンジトシ(舞台配信)
Lie To Me (Amazon Videoレンタル)
リバース(Hulu)
ビリギャル(Hulu)
春なれや(Hulu)
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX)
貞子vs伽耶子(実家のJCOMでやってたの見てました)
シン・仮面ライダー(TJOY横浜)
シンゴジラ(Amazon Prime)
シンウルトラマン(Amazon Prime)
僕等がいた(Amazon Prime)
2023年1月期に追ってたドラマは下記。
Get Ready!(TBS)
ブラッシュアップライフ(日テレ)
女神の教室(フジテレビ)
星降る夜に(テレ朝)
夕暮れに、手をつなぐ(TBS)
大奥(NHK)
リバーサルオーケストラ(日テレ)
警視庁アウトサイダー(テレ朝)
100万回言えばよかった(TBS)
今夜すき焼きだよ(テレ東)
三千円の使い方(フジテ���ビ)
ハリー・ポッターと呪いの子(劇場鑑賞) 年明け初日、向井理さんハリー回見てきました。顔ちっっっさ……足なっっっが……舞台作品って主役級のキャラクターは5分くらい焦らしてから登場する感じのイメージが謎にあったため、本作で体感開始30秒くらいで向井ハリーが普通にど真ん中出てきた際にはヒエ〜〜言うてました。劇伴CDと配信版聞いた感じ曲と曲の繋ぎ目がほとんど分からない感じだったので結構厳密に時間が決まってたのかな?第一幕みなさんかなり早口だな〜と思っていましたがすぐに慣れました。マチネだったのですが見終わって時計見たらぴったりの時刻をさしてたので驚きました… とにかく魔法がすごい、ディメンターが怖い、という噂だけ聞いていたためとりあえず本筋だけ把握していこ〜と思ってシナリオブック(?)を事前に読んでいって正解だったかもしれません。「この場面のセリフじっくり聞きたい!」と狙いを定めて臨まなかったら脳の処理が追いつかなかったかも…と思うほど魔法が魔法でした。魔法だ…(?) マルフォイ父子の好きなシーン(闇の世界のあのシーン)が今回の上演ではカットされていたのですが、宮尾ドラコと門田スコがセリフのない場面で互いにとても大切にしあっているお芝居をされていて大号泣しました… ホラン千秋さんの「ミルベキ」で見て以来エハラマサヒロさんのロンを見たくて見たくてそわそわしていたので本当に最高でした…🤣他のキャストさんでも見たいなあ…
湯道(イオンシネマ) コメディとジーンとするシーンとの切り替えや塩梅が絶妙で、「良い映画見た」というより「良い時間だったな〜」と思いながら映画館を出ました😚♨️ 円盤で手元に置きたい……初日に見に行ったのに夕方だったからかグッズがほとんど売り切れていてまるきんのアクリルキーホルダーだけお迎えして帰りました。手拭いほしいなあ。 スーパー銭湯はよく行くものの純粋なピュア銭湯そういえば行ったことないな〜と思って近所の銭湯を検索したところ素敵な場所がまだまだたくさんあることもわかったので地道に開拓してみたいです。お風呂大好き…日本に生まれて良かった…
ケンジトシ(舞台配信) 中村倫也さんと黒木華さんという凪のお暇コンビが宮沢賢治とトシの物語をされるなんて‼️と張り切ってチケット先行やら抽選やらに星の数ほど(正確には両手の指の数ほど)参加して全て落選し血涙を流していた昨年末の私へ……シスカンパニーさんが配信してくださいましたよ!!!やったーー!!!きっと同じく落選続きで悲しんでいた仲間の中に前世で世界を救った方がいらしたんでしょう。その”徳”に便乗させていただいてしまいました。 小説悲劇喜劇 (2020年7月号) に掲載されていた脚本だけ読んだら脳内にハテナしか浮かなかったのですが配信でも舞台を実際に見たら………ハテナが三倍になりました。笑 舞台演劇については昨年10月に鑑賞した「夏の砂の上」のティーチインで脚本家の松田正隆さんがお話ししていた、「劇場というのは不思議な場所」というくだりのことを思い出しつつ、理性で理解するストーリーではないんだなあということだけ考えていました。(こっちの感想の方でちょっとメモしてました) 宮沢賢治に限らず詩作に思いを馳せて言葉に浸る・ということを、とんと行っていないここ数年だったのでとても良い時間を過ごしました。この作品こそ劇場で見たかったな〜
Lie To Me (Amazon Videoレンタル) 1話だけ見ました。The Mentalist やら Suits やらが好き、という話をしていたらお薦めしていただきました。英語の勉強も兼ねようと思ったんですがお仕事ドラマの英語まじではええ〜🤣 息をするように下ネタが出てく���のは、日本のオフィスラブ系ドラマで未婚や年齢・見た目いじりがスルッと出てくるのと似たようなノリなのかな〜と悶々としていたら終わっていました。同僚がセックスライフに口出ししてくるのと見た目のコンプレックスを笑ってくるのと、どっちの方が嫌と優劣をつけるものでもないんですが、これは慣れというか文化というか、「見慣れている」か否かの感覚の違いなのかなとも思いました。(有名な比較で言うと、アメリカのコメディアンがエスニック関連のジョークを言うのと日本のお笑い芸人が相方を叩くのとで反応が違うような) 閑話休題、サスペンス面とマイクロジェスチャー関連の出し方のバランスがきっとシーズン重ねるごとに面白さを増すんだろうなと期待したところで見終わりました。うーん、The Mentalist はメインキャラの中で積極的に性の話をする人がいなかったので見やすかったのかなと思いました。リグズビーが初っ端からグレースを狙ってたくらいしかしばらく言及がないので… 議員さんが若気の至りでできた子とはいえ、身を挺して娘を守ろうとする未来への解決(過去を無為に責めない)展開すごい好きでした。
リバース(Hulu) 藤原竜也主演、湊かなえ原作ドラマ。おすすめされていた作品をようやく見ました。面白かった〜〜!原作小説は二億年ほど前に読んで結末も忘れていたのでああこんな終わり方だったっけと思ったらちょっとハピエンになっていたようです。藤原竜也の将棋ドラマとハリポタ舞台をこのあと 2023 年 6 月に見たのでお芝居の振り幅すごすぎて頭抱えてました。俳優さんてすごい…… あと市原隼人の顔が良すぎてどこかのシーンでビール飲んでるところで一時停止して飲み物を取りに行き、戻ってきてテレビに目を戻したらCMのような良い飲みっぷりの静止画だったので笑いました。顎から鎖骨にかけての首筋が綺麗!
ビリギャル(Hulu) 有村架純さんが主演と知らず、石子さーん!と思いながら見ました。可愛かった……聡明さと天真爛漫さのマリアージュが絶品でした。 私自身個別指導の塾講師として勤務していたことがあり(というか今でも副業で続けており)、伊藤淳史さん演じる先生が褒めて伸ばすスタンスなことに共感しながら見ていました。宿題をやってこなかったり、できて当然の(むしろ年齢に対しできていないとまずい)問題を間違えたり、呆れたり怒ったりすることはいくらでもできるのですが、塾に来る生徒さんは何かしら課題や目標を抱えている状態が多く、もう既に散々呆れられたり怒られたりしてきている方もいます。そんな嫌な思い出しかない勉強をしに、本当ならのんびりしたい夜の時間に塾にきてくれた生徒さんに少しでもポジティブな気持ちになってもらいたくて私もとにかく褒める指導をしている派です。 もちろん、そういう講師に対してはハナから知らん顔をする生徒さんもおり、そうなると私の力量ではどうもできないので別の指導アプローチをする先生に相談したり、最終的にはチェンジになったりしています。 個別指導の良いところというか面白みは、生徒さんのスタンスと講師側のアプローチのスタイルが合致した場合に天井知らずの爆発的な伸びを見せることがある、という点にあると思っています。違う世代の若い考え方に触れる機会もありがたく、これからも続けられたらなあ…などなど、めちゃめちゃ自分語りなことを考えながら見ていました。父と弟の変化についてはフィクションだからこその綺麗なまとまり方で良かったです。ここまでくれば名大を受けていた同級生男子も合格してハピエン全振りでも…と思ったりもしていました。
春なれや(Hulu) 何みようかな〜と適当に Hulu のトップページをスクロールダウンしていた時に春を感じるドラマ特集の一覧に村上虹郎さんの顔を見つけて再生しました。17分くらいしかないのですが、じんわり心があたたかくなる作品で素敵でした。 全体的にセリフも少なくぽつぽつ会話するのが印象的で、宿命も春には及ばず。来年もまた咲くわね、という穏やかなセリフが記憶に残っています。
THE FIRST SLAM DUNK (横浜ブルク13 / IMAX) 漫画でリョーちんに憧れて PG 志願した小学生が私でした。アニメは見ていなかったので声優さんについても特に何も感じず、ただ3Dってどんなんだろうな〜と思いながら見に行き、良い試合を見た後のような高揚感で帰ってきました。めちゃめちゃ集中している試合の時ってコートで中腰になってる間の記憶が飛ぶんですが、変なタイミングでふと昔のこと思い出したりしてたのでリョーちんの回想が入ってくるのも「ああ〜」と思いながら見ていました。てか沖縄!?兄!?!知らなかった……
Get Ready!(TBS) 今でもあのマスク型キーホルダーとかスイーツの食玩グッズ販売待ってます(2023年8月現在) このドラマ見てお医者さん憧れるお子さんも多いんじゃないかなと思いました。ゲーミング手術室はともかく AI アシストと最低限の人数での施術ってもう導入されてたりするんでしょうか……現代世界線に SF 要素とヒューマンドラマが混ざり合って面白かったです。
ブラッシュアップライフ(日テレ) バカリズムさん原作のウェディング・ハイ!を見て以来楽しみにして��り、この3ヶ月本当に楽しく過ごさせていただきました。面白かった…! 当初、悪口や噂話ベースでナレーションが入るので主人公のことが苦手だったのですがそこについても二周目の人生で早々に回収されていて笑いました。友人を大切に思う気持ちがものすごく共感できて泣いたり笑ったり心地よく情緒を揺さぶっていただきました。また長い休みにまとめて見るか、毎日1話ずつ見るような感じでもっかい見たいな…
女神の教室(フジテレビ) 北川景子様の圧倒的”美”とオレンジ色の優しい画面に毎週癒されていました。法律にいろんな解釈があるのは相棒やら99.9やらでなんとなく知っていたものの完全に法曹界側(しかも学生側)から垣間見ることができたので面白かった…!フィクションであることは念頭に置きつつ、全然知らない職業についてちょっぴり知ることができるのもドラマの良いところ…
星降る夜に(テレ朝) びびるほど毎週泣いてました。ディーンフジオカをこんな癒し要素の配役にしてくださってありがとうございました……可愛かった……と思ったら後半胸が苦しすぎて一周回って大盛り上がりでした。 間の取り方と BGM が天才すぎて主題歌聞いただけで胸が熱くなります。JIN だ……
夕暮れに、手をつなぐ(TBS) ヨルシカと n-buna さん大好きの民、ティザーの時から楽しみにしていたので何もかもに大喜びでした。春泥棒のアレンジ音源ほしい… 主題歌のアルジャーノンが良すぎて、小学生の時に読もうとして冒頭のプラトン「国家」引用部分でくじけたままだった「アルジャーノンに花束を」をようやく読み、放心していました。もっと早くに読みたかった…10代の頃に読めていれば、もっと優しい人間になれたかもしれなかった…
大奥(NHK) 冨永愛様目当てで見て毎週口開けっ放しでした。全員、かっこいい…… 原作漫画を確か有功が亡くなるか僧になったんだかするところまで読んだような気がするのですが全然覚えてない…くらいの状態で見たので毎週の展開にハラハラしながら大盛り上がりでした。面白かった……10月から第二期ということで楽しみすぎます。三浦透子さんが一瞬わからないほどだったので今後もさらに楽しみです。半分怖いくらい…
リバーサルオーケストラ(日テレ) 門脇麦さんの魅力に完全にやられました。可愛かった…!!! 箱推しドラマとはまさにこのこと…と思いつつ、実は1話が録画できていなかったので最終回間近になってからやっと Hulu で全話追い、最後数話をリアタイした形でした。のだめ大好き勢なのでオーケストラものが嫌いなはずがなかったのですが、そもそも学生オケと社会人オケなので当たり前に全然違う、全く違う方向性で最高に面白いドラマでした。楽しかった… のだめは千秋やのだめといった天才が音楽と当たり前に生きる中での葛藤や戦いの物語だったのに対し、リバーサルオーケストラの方は主人公の二人以外にもしっかり焦点が当たっていて、天才というより秀才寄りのキャラクターたちが大好きな音楽にしがみついてもがいて生きる様子も描かれていて泣きました。芸術にしがみついて生きるのって辛いけど、幸せ… あと門脇麦さん演じる主人公が周囲の期待や圧と戦う描写も繊細で好きでした。面白かった〜〜😭円盤買いたい…
警視庁アウトサイダー(テレ朝) 特撮大好きな友人が大盛り上がりで見ていたので元ネタを教えてもらったり出演者さんのネタを教えてもらったりでキャッキャしながら視聴しました。楽しかった!私は唯一 BLACK SUN ネタだけわかったので大喜びでした。歌川親子が切なかった……🥲
100万回言えばよかった(TBS) ビターエンド最高すぎました。井上真央さんには個人的に、あの笑顔や花男のイメージでどうしてもめちゃめちゃ太陽のようなポジティブパワーがある方だと思っていたので、この方をしてバッドエンド(というか死別しっぱなし)になるはずがないと思い込んでいました。そのため中盤で佐藤健の死亡が確定した時点でだいぶ動揺し、そのままラストまで見てしましました。泣いた……最後海辺を一人歩く井上真央さんのシルエットの美しさよ……
今夜すき焼きだよ(テレ東) エンディング曲が最近友人が推しているリルリーグさんだと最後の方にやっと気づきました。ダンス可愛かった…
三千円の使い方(フジテレビ) 浪費家なので倹約のコツとかあるかな…と思って見始め、録画設定のミスで途中から撮れなくなってしまっていました。無念…
貞子vs伽耶子(JCOMの何かの局での放送) 実家に帰って深夜にチャンネル回してた時に流れてて見ました。お手本のような邦ホラーで、これは高校生の時に友人と見て盛り上がりたかったな…と思いました。最終絶叫計画の系譜を感じつつも本格的なホラーっぽく、ドンと驚かすところはびっくり効果が最大だったのですごかったなあと思って後で調べたら真剣なホラー映画だったっぽいことが分かり文字通り瞠目しました。
シン・仮面ライダー(TJOY横浜 / Dolby) エヴァンゲリヲン含めシンシリーズというか庵野監督作品をちゃんと見るのが初めてで色々度肝を抜かれました。森山未來がマ〜〜美しい……そしてハチオーグのるりるりへのもはや暴力的な執着にも似た友愛は多分女子なら誰でも小中学校くらいの頃に経験があるんじゃないだろうか……
シンゴジラ(Amazon Prime) 無駄に足を引っ張ったりごねたりする人間がおらず、各々がそれぞれの仕事をバキッとこなしていてかっこよすぎました。最高のお仕事映画…! 未曾有の事態に決して諦めず仕事し続ける官公庁側の人間たちが最高すぎました。怪物の生き物感というか造形が全体的にめちゃめちゃエヴァでウフフ言うてました。
シンウルトラマン(Amazon Prime) シンシリーズすごいのは元の作品を全然知らない状態で見ても血湧き肉踊り大盛り上がりで見終われる点でした。米津玄師のエンディングがつええ〜
僕等がいた(Amazon Prime) アマプラ配信終了間近だったので前後編一気に見ました。生田斗真と吉高由里子の平成恋愛映画最高すぎました。BGM良かった〜映像が美しかった〜あと生田斗真に辛いエピ背負わせてくれてありがとう……
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Her Majesty
-2032年、北マリアナ諸島上空
私は、1992年に生まれた。そのことについて話そうと思う。出生した時点の名前は、伊藤一茂。現在39歳。神奈川県海老名市出身。2011年に早瀬田大学に入学するまでは、住居を変更したことがない。父方の祖父母が福島県に住んでおり、毎年特殊な事情がない限り、お盆と正月には福島市内の閑静な住宅街、といっても県内はおろか市内でも最高に地価の高い地域である繁華街にほど近い北側の豪華な、そして巨大な一軒家に帰省していた。その家は灰色の木造住宅で大人になってからも何度も夢に見る事になった。2011年に東北地方を襲った東日本大震災の後もその家屋は健在だったが、夢に出てくるその家は不思議なことに楼閣の風前の灯にしか思えなかった。現実と関係ない。何度もその家が津波に流される想像をしたし、それはおそらく妄想だった。皇室に関わる妄想だ。それが法的事実。日本人は古事記に赤ちょうちんのようなタナトスを見込み、海水に対しても似たような高揚をまなざす。そのようなことを早瀬田大学の法学部で教わったのだから、たしかに地震の影響を受けたのは私の父方のルーツだけではなかった。大学のキャンパスがテレビニュースの甚大な破壊を伝える映像によって突き動かされた。謝罪しなくては。そのような巨大な津波の映像はそのうち教育機関やマスコミにとって事前の注意が付されるものとして扱われた。コンセンサスが整えられた。しかし懺悔室や教会は視覚的に検閲されない。私の事もあやしいインターネット掲示板のようなものだと認識してほしい。「わたしの名前はキャシー・H。いま三十一歳で、介護人をもう十一年以上やっています。」。
そのようなわけで、私は東北地方に対する思い入れと、アイデンティティーの所在があるのだが、東北に関するある種の誤解を解いておきたい。それは東北地方に対する戦前の民俗学への直接的な、ないしは、危険な接続への危険性である。柳田がフィールドワークで訪れた東北はコンリート舗装もされていない明治期の寒村であり、2030年に成立、施行した「夜間及び特別非常時における風営禁遏(きんあつ)法」のような過剰とさえ呼べる歓楽取り締まり法規もなかったので、そもそも売春行為も博打も禁止されていなかった、とさえ言える。そこからはよりフレキシブルな戒律の範疇になる。ところで、そのような、ゆるい統治システムである幕藩体制の中でアドホックに法を運営管理しなおかつ本物の海賊間違いなく訪れていた海岸地域厳密にはリアス式海岸のような視覚的に抽象的な形状を持つ海岸線があれば、人々は何を思い、何をよすがに治安維持活動と呼ぶべき本来の意味の地方自治と風紀活動にかかずらうかという、平たく言えば政治的配慮の欠如した理論形成が柳田の業績には重くのしかかっている。すなわちドイツ的ロマン主義者なのだ。これは聖書に書いてあることをそのまま信じるか、という子どもだましの愚問に似ていなくもなく、芭蕉的な文学形成の礎とライブラリーの充実を彼に期待するしか現代の我々にはできないと政治学者の私としては思う。そう、私は政治学者だ。現在は京都にある立零館大学法学部に籍を置いている。准教授だ。
大学学部2年次までは、順調に単位が取れていたものの、3年生からアルバイトを始めたからか落胆が如実に増えだし、1年後には留年がほぼ確定し、卒業論文の執筆を先送りし卒業をあきらめ、留年を覚悟してアルバイトをそのまま続けた。部活動やサークルには入らなかった。中学と高校でやっていたテニスがあまり楽しいものではなく、疲れ果てていた。やりたくなかった。
ただし、映画館にはよく通った。私の世代にとってはシネマコンプレックスが普通の形式であり、公園のような穏やかさとクリーンさが魅力であった。よく言われるような、酔っ払いに通りで絡まれたりということもなく。さいわい恋人もでき、順調な交際を大学院に入って少しまで続けることができた。その恋人とは、彼女が鳥取の実家にUターンすることが決まって破綻するまでは、喧嘩もあまりせず、いつもいろいろなところに行った。実際に会うのは月に1、2回ほどだったがディズニーランドのようなシンボリックなデートスポットに常のように行っていたことはよかった。生気論者ではなかった。東浩紀は「観光客の哲学」の中で観光客の原理と銘打ち、誤配というみずからの概念を再度導入するがそれは当時において誤解を招くものだった���一部の急進的な情報社会論関係者によってオタクと呼ばれるようなサブカルチャー領域の問題に回収されてしまったのだ。しかし東本人は当該資料の中で自分はカルチュラルスタディーズから距離を置き、静観し続けている旨を告知しており、私は今世紀に入ってから顕著にみられるようになった政治と文化の結合に不安感と憂慮を感じていた。それはナチスの問題であり傾向だ。なんにせよディズニーデートの魅力はジャック・デリダに関わることだ。デリダの哲学は「聖書を読まない」ことを推奨するものではなく、読んだ上でさまざまな期待値が同時に見込まれるという哲学的に複合的な理論であり、読む読まないという二元論的掌握状況に還元されないところに彼の思想の強みがある。ようはディズニーランドに行くか行かないか考え続けることはなにも考えていないのと同じなのだ。デリダによれば。やってみなければ分からない、と。
今の妻とはアルバイト先の先輩の紹介で知り合った。同じ大学の友達に飲み会の席を用意されたから来てくれないか、と言われた。会ってみたら非常にかわいらしく、話し方も特徴的でおもしろく、魅力的な人格だと感じた。異性として理想だと思った。友達にしておくのはもったいない。友達以上の存在にしたい、そのような関係になりたいと思った。名前は景子。彼女が嫁に入り、伊藤景子となった。子どもはいない。今隣りに座っている。サイパンから飛び立ったパイパー PA-31-350の中。機体名はさっきインターネットで調べた。ハリウッド映画の主人公が臨時で乗り込むような小型のもの。主翼にプロペラが2つ。双発機と呼ばれる形式だ。
「なんか酔わない」
横に座る妻が言う。
「いや、別に。席変わろうか」
私は妻に言うが、座席の配置はシンメトリーだ。
「いや、いいけど、ジャンボジェットとは全然違う揺れ方だ」
妻は1歳年上だった。
サイパンを離陸した小型機が目的地であるテニアンに着くのは15分後。ごくわずかなフライトだ。どうも話題を捏造した痕跡がある。そこが妻のかわいいところだ。それから最も恥ずべき部分も私は知っていた。それは女性器のことではない。いわばほかのもの……。
目的は観光。サイトシーイング。日本の国際線乗り場とサイパン国際空港、サイパンを巡る際のツアータクシーとホテルのロビーにそれぞれかんこう、サイトシーイングと繰り返し述べていると役所の面倒な手続きか、禅修行のように思えてくる。
「でも晴れてよかったね」
と、妻に言うと答えなかった。心を見透かされた、と感じる。
テニアンに着くと、空港の職員と思しき若者から中年に至る青い��業服の男たちが5人ほど待ち構えていた。かなりの緊張感だ。もう一度確認する。たしかに5人だ……。更にもう一度確認する。やはり5人。我々が乗っていた飛行機にはパイロットを除いて2人のツアー客が乗っていたので、ここには7人の人物が飛行機のタラップの眼の前で向き合っていることになる。……おっと、間違えた。2人というのは妻ともう一人飛行機に乗っていた若い眼鏡をかけた男性のことであり、自分を省いていた。だからここには8人の男女が向き合っており、妻を守る決意を固めなくては、となぜか思った。ふと上空に手をかざす。この動きは視界が覆われたとっさの反応のようなものであり、つまり陽射しが眩しかったのだ。サイパンを観光している時から日本とはまったく違う日差しの性質に気づいてはいた。サングラスはしていなかったが、たしかにサングラスをかけたくなる、辺り一面にまどろみが充満するものの、それが特別に無料で体験できるたぐいまれなる機会とでもいおうか。むしろ幸運、むしろさいわい。この陽射しを無料で味わえるなんて。この海域の空は青ではなく、群青であり、それは青を何重にも重ねた結果ゆえの色なのだ。本物の青。
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20241231
1月
元旦に映画 シネコンで見てたら能登地震が来て京都の映画館の中でもかなり揺れたのを覚えている
次月のマラソンに向けて走りまくる 走りまくり膝を怪我し本末転倒
1月21日の京都芸術センターであった「人は人と、いかに向かいうるのか」という講義シリーズを朝から夕方まで受講 こういうシリーズが当たりだったためしがなかったがかなりよかった(レジュメは今も部屋に貼っている)
2月
吉田山の節分祭 雨が降ったり大変だった記憶
なんとなく投票の零票確認を初めてする 開場の30分前に並ぶ 零票確認が好きな人たちの刺客として突如謎の若者が君臨してしまう形になり申し訳ない気持ちになる
誕生日に貸切ソロサウナへ 思っていたよりも満足度が高く心置きなくサウナで横になったり大声を出せるのはいいと思った あとbluetoothで音楽も聴けたな
京都マラソン 約10年ぶりのマラソンだったが、10年前と同じタイム 同じ展開(後半で足が攣りそれを言い訳にほぼ歩く)来年こそは、、となる その日の夜に食べた焼肉と禁酒を解いたビールはマジで格別だった
3月
温水プールへ 案外いいやないのと思ったがその日以降いかず
いいあす京都へスタッフになるために説明を聞きに行く
しろくま先生(代表)の熱意がまっすぐすぎて震える
京都のベスト菓子屋(確定)「無添加菓子歩」と出会う これ以降、歩ちゃん(勝手にそう呼んでいる)の作るお菓子の虜になり続ける
家の近くにある子供絵画教室の展示を見に行く グッド展示
4月
サブマリンでの象の背のライブを見に行く ハイジさんのライブに感動する
いいあす京都でスタッフとして参加開始 「教えるはずが教えられている」という実感
今思えば最高のライブだったプラスチックトーンズ@ストンプ
この頃から作った夜ご飯をメモるように 当時はケールやセロリのサラダが流行っている
the hatchのライブを観て色気を知る
5月
新潟から富山へ 念願のshe eye eye凄まじく気づいたらたくさん購入という感じ 高田世界館でも作品を観れてよかった この頃から遠方に行ったら地元の映画館で映画を見る様になったと思う
地獄みたいなドライブの果てに食べた味噌カツ美味しかった
カターレ富山の試合を見に行き念願のかったー(youtuber)のご尊顔を拝見 恐れ多く声はかけられず
この頃家庭菜園のトマトやさつまいもなどをスタート さつまいもがまさかあんなことになるとは、、
ホテルニューウイングでカプセルホテルへの苦手感を若干克服
大風呂に近所?の相撲部屋の力士が入ってきて水が信じられないくらい溢れたのを覚えている
最高裁判所にて旧優生保護法の弁論を傍聴 自分の中でもかなり大きな出来事だった 裁判傍聴、一度は行った方がいいと思う
6月
丹後へ旅行 近場だと思いなかなか行っていなかったがいい場所だった
山形、秋田、岩手、福島、宮城へ3泊4日の1人旅行
1人だからできる強行に次ぐ強行スケジュールだったが、完璧としか言いようのない旅になった あらゆる温泉や10年ぶり近くとなった田老地区、東日本大震災の震災遺構へ巡る時間 深夜ドライブで山道の途中で車を停めてみた星空は屈指だったかも 津波伝承館は人生で訪れた中でも一番心が震えた
7月
lefthandsのサポートして参加 練習を人生で一番したかも
knitの練習も開始 こそね君とナギちゃんにお世話になりだす
つくばへ旅行 JAXAで聞いたBUMP OF CHICKEN、少年の心を踊らせまくっていた
8月
lefthands練習しまくり knitの練習もあって訳がわからなくなる
京都芸術センターで見た展示「眼差しの手入れ」、効きまくっている空調の記憶が強い
引っ越して初めての大文字 鴨川からは4つの送り火が見えてとてもよかった
lefthandsでライブ1 演奏後、即体調とメンタルを崩し途中で帰った
9月
knit練習時勧められた山月記を読み ふむ、、となる
群馬へ1人旅行 伊香保温泉は温泉街のイメージを具現化しておりよかった シネマテークたかさきで見れたナミビアの砂漠思い出深い
knit5時間練習で気が狂いそうになる
lefthandsライブ2 1弦が中盤で切れたがそのまま続行 あざした
10月
東京にてknitライブ とてもいい時間を過ごせた 何よりもまたやりたいと思えたのが嬉しかった
YouTubeプレミアムの無料期間体験 こんなん快適にも程があるでしょうとなる
家族旅行 時が過ぎたことを実感する
11月
象の背のライブで調布 みんな来てくれて優しいと思う
その流れで山梨県へ旅行 ほうとう美味すぎ
富山にて扇状地マラソン ハーフマラソンだったが10km走って足が攣る 2月の京都マラソンやれんのか
12月
下北沢にて自主企画 企画として成立したことが嬉しかった
1ヶ月くらい放置していた自転車を修理 自転車ないとダメだ
2024年、意識的にいろんな場所へ旅行できたのがよかった
あとはライブもできてよかった
何もかもを先延ばしにしてしまいがちだが来年こそは、、(という先延ばし)
来年はアウトプットを頑張る
2024 聞いてよかった音楽10
集中的に聴く音楽がなかった
starla online
deriansky
thistle group
tobias
paira
ハイジ
touchy mob
secret boyfrirend
pygmalionz
wave
2024観てよかったライブ10
20240106 moreru@metro
20240317 ケバブジョンソン@tora
20240414 ハイジ@submarine
20240416 plastic tones @ stomp
20240429 the hatch @ soto
20241013 merimeriyeah @ flat
20241013 Süden @ flat
20241024 mmm @ submarine
20241208 M.A.Z.E. @ spread
20241208 WETNAP @ spread
2024観てよかった映画10
202402デカローグ@ DVD
202402 瞳を閉じて@京都シネマ
202403 きえてたまるか@ u-next
202403 都会の名もなき者たち @ 京都文化博物館
202406 スカーレット・ストリート @ 元町映画館
202406 美しき仕事 @京都シネマ
202407 殿さま弥次喜多@ラピュタ
202408 宝島@京都シネマ
202409 ナミビアの砂漠 @ シネマテークたかさき
202412 あなたの瞳に話せたら @ シアターフォーラム
2024読んでよかった本→マジで本読んでないかも やばすぎ
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helloharuo tour 2014 Summer 1
Thursday 14 August 2014
真観は、車を走らせる。目的地は愛知県の実家。今年3度目の帰省となる。高速道路は使わず"下"を使って進む。天候はまあまあ。曇天。茶畑庵を出発してまずはR246に入りその後R1に合流する道へ進んだ。R1に入ればそのまま愛知県まで西に向かってひた走る。そのR1に合流する交差点に車が差し掛かろうとすると結構な渋滞に見舞われた。今日はお盆真っ只中の14日。無理もないと、真観は思った。前の車がその渋滞を避けたのか左の道に折れた。真観も同じ様にその車を追うことにした。すると意外や抜け道に繋がり渋滞は免れR1に早々と合流出来た。幸先がいいスタートとなった。今後又この道で渋滞があればこの道を使おう。愛知県の実家までは通常6時間を要した。この時間が長いとは真観は思っていない。コンビニに一度立ち寄っただけでほぼノンストップで車を走らせた。愛車アーティ21スペシャルはよく走ってくれる。車のラジオのアンテナが壊れているのでラジオが聴けない。音楽はCDで。真観は、「Deep Green」を掛けた。このCDには思い出があった。1997年、岐阜の思い出だ。掛川辺りでR1のバイパスが事故の為に通行止めになり迂回を余儀なくされた。昨年訪れた掛川城の近くの旧R1に流れる。
ところどころで渋滞があったが5時には実家に着くことが出来た。やはり6時間だった。実家の駐車場に車を停めると母と兄が出迎えてくれた。母とは5月末以来の再会。兄とはゴールデンウィーク以来だ。真観は6時に従姉妹のKちゃんと食事をする約束をしていた。実家についてからの約1時間は真観がこの度制作したお上人の(仏像彫刻)作品集の話を母の部屋で母と兄に作品を見せながら話した。お上人の作品集は始めはお上人の奥さんであるYおばさんへ1冊進呈、真観保存用に1冊と計2冊Appleに注文をしたのだがテキストミスを2回してしまい計6冊になった���その内4冊は今回の帰省の関係上実家の住所に送る手続きをしておいたので昨日今日と予定通り実家に届いていた。真観は母と兄にどの箇所に?何故テキストミスをしたのか?を説明をした。そして余った作品集を誰に進呈するかも相談した。母に1冊、従姉妹のKちゃんに1冊、お寺に1冊、もう1冊は母の提案でHさんに進呈することがいいということになった。Hさんは元M鉄工の社員の方で真観も子どもの時にお世話になっている。そしてHさんは、生前のお上人と仲が良く仏像彫刻にも興味を持っていたと母からこの度初めて聞かされた。
真観は、従姉妹のKちゃんと食事の約束をしたお店に1人出掛けた。イタリアンレストランで実家からさほど遠くない場所にあった。お店のドアを開けると Kちゃんはすでにいた。仕事帰りだとは分っていた。彼女が着ていた服は仕事の制服ではないらしいが制服にも見える白いフェミニンでエレガントなシャツとスカートといういでたちだった。後ろ姿は足首からふくらはぎにかけてすーと引き締まっていた。マラソンをしているからかな?いやいやそれだけではない。真観はいつもとは違うKちゃんの側面を見た。前回、ゴールデンウィークにもこの店に来たのだが、その時と同じコースにして2人でピザとスパゲティを一つずつ選んだ。他にはサラダバー、ドリンクバー、デザートも付いているので十分お腹は満たされる。Kちゃんは従姉妹だが長く会っていなかった恋人の様に感じたのは今回が初めてだった。真観は、Kちゃんにいくつかプレゼントを用意していた。一つは、先ほどのお上人の作品集。お菓子のマカロン。それにマンガ本「美は乱調にあり」だった。このマンガ本は伊藤野枝と大杉栄の話をその昔60年代に瀬戸内寂聴が小説「美は乱調にあり」として発表し、最近柴門ふみがマンガ化してものだった。真観自身がこのマンガ本を購入した時に一緒にKちゃん用にも購入しておいた。Kちゃんにアナーキストの大杉栄と彼と伊藤野枝の恋愛の話を知ってもらいたかったからだった。Kちゃんは、大杉栄、伊藤野枝、2人共知らなかった。(真観も大して知っている訳でもないが・・・)Kちゃんは真観のプレゼントを快く受け取ってくれた。そして彼女とのおしゃべりはあっと言う間に4時間が過ぎてしまった。『話足りないね』2人共口を揃えてそう言った。
真観は10時に実家に帰った。居間で兄と電磁波の話になった。電磁波は体に良くないと真観は得意げに2つのiPhoneを使い分けていると兄にiPhoneを見せながら話したが大きな誤解と間違えをしていた。それを兄が教えてくれた。このブログにも前に書いたが真観は、UさんにiPhone4Sを譲り受けそれまで使っていた自身のiPhone4のSIMカードを外してWi-Fiもオフにして枕元に置き、目覚まし時計代わりに使っていた。真観はこれで電磁波は受けていないと思っていた。しかしそのiPhone4���体が電磁波を出していると兄から教わることになった。兄はラジオを使ってそれを証明してくれた。ラジオの電源をONにして適当な周波数に合わせてからiPhoneを近づけるとブーンという音が鳴る。鳴るということは電磁波が出ているということになる。そうか、そういうことか。では目覚まし時計ともう一つ真観が子守唄代わりに聴いていた「正法眼蔵随聞記」の朗読も聴けないことになる。キャイ〜ン!だった。改善策としてはiPhoneを枕元に置かず遠くに、例えば足もとに置いて大きい音で聴くかイヤホンのコードを長くして聴くかどちらかが考えられる。兄と家庭内で考えられる電磁波の影響を考えているとホットカーペットも電磁波を出している。気にするとあちこちで電磁波は出ている。この電磁波についての考え方は何がどう正しいのか分らないが真観の考え方はより自然に近い環境の方が良いのではないかということになる。だからせめて寝る時の寝室に携帯電話は要らないし、ホットカーペットも要らないのである。蛍光灯のペンダントはすでに真観の寝室から外されている。ホットカーペット。母の部屋にも常時ホットカーペットが敷かれている。明日この電磁波のことを母に伝えようと兄と話した。さすが真観の兄、電気のことは詳しい。そして兄弟の会話は盛り上がって楽しかった。
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅷ
花鳥誌2024年8月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
14 道のべに阿波の遍路の墓あはれ
初出は『ホトトギス』昭和十一年四月号「句日記(昭和十年四月)」。「四月二十二日。風早西ノ下に句碑を見、鹿島に遊ぶ。伊豫松山、黙禅邸。ホトトギス会」と前書き。『五百句』にほぼ同文の注記あり。
この句の詠まれた事情については、『ホトトギス』昭和十三年十二月号巻頭に虚子自身が書いた「阿波のへんろの墓」の一文がある。虚子が新田宵子夫妻・池内友次郎夫妻・高濱(当時)章子と故郷西ノ下を訪ねた消息を書いたものである。まずは決まって訪れる大師堂の大きな松に佇み、裏手にある「阿波のへんろの墓」を確認したが、なかったのであった。虚子の証言によれば、江戸時代の標準的な書体である御家流で書かれた古いものであったという。
虚子は碑が無くなっているのを嘆きつつ、恐らく行き倒れの曰くなどがあろうことを想起し、子供時代に目撃した遍路の一行を回想している。二、三歳の頃、遍路の女に抱き上げられ、大師堂まで連れていかれた想い出を語り、おそらくその女は、自分と同じくらいの子供を無くしていたのだろう、と語っている。このエピソードは、その後自分の人生を振り返った『虚子自伝』(昭和二三年刊)でも書き記されており、虚子のふるさとの記憶として刻印されていたことがうかがえる。
「遍路」は『ホトトギス』雑詠欄によって季題になった。一見古そうに見えて新しい季題である。西村睦子『「正月」のない歳時記』(本阿弥書店)によれば、大正十三年に三句登場して以来、昭和九年までに二六〇句も載る人気の季題となったと指摘されている。虚子が季題を選んだ改造社版『俳諧歳時記』春の巻(昭和八年刊)に、虚子の詳しい解説と例句の二七が確認でき、出典はすべて『ホトトギス』からである。虚子編『新歳時記』(昭和九年刊)にも同様に詳しい解説付きで立項され、例句二二を数える。つまり、伊予出身の虚子によって「遍路」は季題になったのであり、この句はその例句として加えられ、そのトドメを打ったのである。
『俳諧歳時記』の解説につけば、春の、しかも女性の景物としてのこの季題のイメージが確認できる。弘法大師の巡礼にあやかって、四国に散在する八十八か所を順拝する全道程一二〇〇キロ、日数四〇日余りを要する。宗旨・老若男女を問わず、服装は軽いが、三月から四月の季節がよくなる時期に、菜の花・青麦・紫雲英の鮮やかに彩られた道をぞろぞろと通る。この風景との一体化が単なる「巡礼」でなく、季語としての「遍路」の拠って立つところであると特記する。
特に若い娘たちは華やかなセルの着物に、白木の納札挟みを胸高にかけ、鬱金や浅黄色の手甲脚絆をつけ、同じ色の姉さま冠りの上に真っ白な菅笠をかぶり、緋の腰回しもあらはに裾を端折り、白木の杖をついた姿を虚子は詳細に活写している。高濱年尾の次の句などは、この虚子が特記した美しさの方に拠ったものであろう。
お遍路の美しければあはれなり
虚子の句にもどれば、山本健吉『現代俳句』に的確な評がある。まず「遍路の墓」とだけあって無名であることがかえって叙情を増すこと、「阿波」の地名から、浄瑠璃でよく知られた、長年別れた母と出会うもそれと気づかない巡礼お鶴(「傾城阿波之鳴門」)の連想で、子別れの哀話が想像されることを指摘する。
さらに健吉は重要なことを言っている。「遍路の墓」そのものに、春の季感はない。むしろ春の季語「遍路」が置かれることで、子供時代の春遍路の記憶と現在の春とが結び合わされるのであって、新興俳句の中でも有季定型を守った水原秋櫻子の流れの季感主義を批判している。季語は言葉そのものに意味があるのか、言葉の背後にある季感に意味があるのか? これは有季定型俳句の一大論点である。
過剰な、「今」「此処」にこだわる季感主義では、この虚子の句などは取り落とされてしまう。言葉が残ることによって、過去の季感を学び、それを想起し、対話する。下手をすると昨今頻出する「昭和の日」俳句の甘い回想句の氾濫のような惰性に堕ちてしまうのだが、言葉の由来や歴史性を無視しては、多くの俳句の財産を無くすことも自覚しておくべきだろう。掲句はその文脈において、今日重要な意義を持っていると言えよう。
15 白酒の紐の如くにつがれけり
この句の成立は若干の問題を含む。『ホトトギス』昭和二十年六月号の「句日記(昭和十九年三月)」には、「三月四日句謡会。鎌倉要山、香風園」の前書に「白酒の餅の如くに濃かりけり」「瓶のまま白酒供へ雛は粗画」と併記される。
しかし、『六百句』には、前日の「(昭和十九年)三月三日 家庭俳句会。日比谷公園。丸之内倶楽部別室」と注記され、〈洋服の襟をつかみて春寒し〉と共に掲載される。
「句日記」では、「洋服の」の句の他、「春草を踏まえて鳩の足あかし」「斯く行けば春風寒し斯くは行く」「その中に大樹芽ぐは物々し」といった吟行句が並び、「白酒」句はない。
すなわちこの句は当初、雛祭を題詠的に詠んで四日の鎌倉の句会に出したものだったが、後に三日の家庭俳句会での作、ということにしてしまったものなのである。
虚子の句集における注記は、必ずしも実際に忠実なわけではなかったことが知れるが、これは掲句を三日の発表ということにした方が、効果があると考えたからであろう。なお、家庭俳句会は、婦人俳句会などとともに『ホトトギス』に立ち上げられた、女性中心の句会で名句が多く生まれている(『俳壇』二〇二四年七月号「座談会」(西村和子・井上・堀切克洋)。そのこともこの発表時期の変更という「操作」の理由ではなかったかと思う。
掲句は、端的にして的確な比喩によって、「白酒」の様態を鷲つかみにした写生句で、間然とするところがなく、名句としてはよく引かれるものの、解説は意外に少ない。
ポイントは「白酒の」の「の」である。これが「や」では、なぜいけないか?「や」「けり」と切れ字が重なることを嫌ったのは、すぐわかる。
降る雪や明治は遠くなりにけり 中村 草田男
この句のように上五とそれ以下の間に「飛躍」があるなら、切れ字が重なっても問題はないが、「白酒」の句は典型的一物仕立てで、「や」では煩い。
「の」の効果はそれだけではない。「紐の」と「の」を畳みかけることで、���白酒」の様態に焦点を当てることができる。
鴨の中の一つの鴨を見てゐたり この庭の遅日の石のいつまでも 蛍火の今宵の闇の美しき 立秋の雲の動きのなつかしき
以上のような虚子の作例につけば、上五の下に「の」を軽くつけて、以下で「の」を繰り返して、リズムを作り、対象にフォーカスを当てていったことに気づかされる(井上『俳句のマナー、俳句のスタイル』)。
「白酒」の句の主題は、液体の動きにあるので、「つがれけり」と用言でまとめた。虚子は「眼」の詩人ではあるが、これをことさらに強調せず、さりげなく、品よく提示してみせる。鷲づかみの「写生」にありがちな生々しさを包むデコレートの感覚(井上「品格ある写生」『俳句』二〇一九年四月号)こそ、作家虚子の「写生」を代表するものとして、ここに指摘しておきたい。
*先月号記事に脱落がありました。「紅梅の苔は固し不言」の句は『ホトトギス』九年二月号で『五百句』同様「二月二十二日。臨時句会。発行所。」と前書きされています。記してお詫び申し上げます。(筆者)
『虚子百句』より虚子揮毫
15 白酒の紐の如くにつがれけり
16 紅梅や旅人我になつかしき

国立国会図書館デジタルコレクションより
___________________________
井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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21 東京暮らし
ロビーには既に、ハヤセさんが待っていた。 彼の運転で東京大学理学部に向かう。 ハヤセさんは事情を概ね知っているので気楽だ。 車を停め、理学部1号館へ向かい、目的の教室へ着いた。
教室の中には研究者が数人いた。フジワラ教授やサトウくんもいる。 その中から伊藤博文っぽい高齢の人が挨拶してきた。 どうやらこの研究会の座長がこの人のようだった。 一通り、挨拶というか簡単な自己紹介が終わると、 早く早くとせがまれるように、浜松からウルグアイへ落ちた話をした。 おれが話せたのは「黒い穴が出て落ちたら海」ぐらいの短い話だった。 フジワラ教授やサトウくんあたりから補足があった後、 皆から順番に質問があった。 多くの研究者が、通過している時のことを知りたがっていた。
だいたい1時間半ほど話をして教室を出て、東大附属病院へ移動した。
検査はMIRも含めていろいろやった。 脳波については弱まっているそうだ。やや活発、ぐらいに。 昼食を挟んで検査は続いた。 CTで確認したところ、肋骨のヒビはほぼ治っているということで、 不確定だった身体測定を実施することが決まった。 スポーツ選手がやるように、 電極を身体につけてランニングマシーンで走るやつもやった。 知っていたけど、特に身体能力が向上した感覚はなかった。 運動して汗まみれでくったくたになった。
検査着から元の服に着替えて病院から出ると、ハヤセさんが待っていた。 車でホテルまで送ってもらう。 予定では明日の夜から東大近くのマンションに住むそうだ。 ホテルの部屋に戻ったら疲れすぎてすぐに眠ってしまった。
―――――
東京生活二日目。 ハヤセさんの車に乗って東大へ行く。
昨日と同じように理学部へ行き教室に入る。 昨日、病院で見た先生が数人いる。なかなかの大所帯。 きょうはオブザーバーのような感じだ。 議論をしている研究者からたまに質問が来て受け答える感じ。 話している内容はぜんぜんわからないが、 ホワイトホールで、とか、スリットがどうとか話しているようだった。
話が一息ついたところでフジワラ教授から呼ばれる。 教室の隅でギャラの話をされた。 一千万円というのはあの場での話だから、ちゃんと話をしようと言われた。 無理のない範囲でと、最終的に六百万円で決まった。 東京での諸費用は、家賃と水道光熱費は用意してもらい、 他はこっちで払うと決めた。
検査の日程は、日曜休みで間違いないか確認すると、 異常が見られなくなれば、もっと緩くなるだろうと教えられた。 ただし、例の物質が発見されたら今より忙しくなるとのこと。 それは教授のハッタリでしょと笑ったが、 教授はまんざらでもない顔をしていた。あるの?ほんとに
しばらく議論の続きを傍聴して、病院へ移動した。 脳波は昨日よりだいぶ治まってるようだ。普通より少しだけ活発、ぐらい。 となると、いよいよ骨髄液検査が実施されそうで嫌だ。 細胞に見たことがない働きをする物質なん��もあるわけないようだ。 なんだか昨日より、検査員のモチベーションが下がっている気がする。 その後、昨日と同じく身体測定。まじでキツい。 これ測定じゃなくてトレーニングだ。毎日やる必要ある?
着替えてハヤセさんと合流する。荷物を持ってくれている。
歩いて本郷三丁目駅方面に向かう。 254号を1本入った路地に面したマンションに到着。
チャイムを鳴らすと中からエプロンを着けた女性が出てきた。 20代後半か。ショートカットのキリっとした人。どこか憂いがある。 掃除、洗濯、夕食の用意はこの女性がしてくれるそうだ。 そんな必要ないと言ったが、ハヤセさんから、 雑事でスケジュールに穴を開けられるのが困ると説得される。 そう言われると何も言い返せなかった。
だったらもっと、おばちゃんみたいな人を用意してよ、と思った。
女性は、家事代行業から派遣で来ましたノダです、と名乗った。 佇まいからして絶対そういう人じゃないだろうと思ったけれど お世話になります、ハナダです、とだけ挨拶した。
ハヤセさんが順番に部屋を回り、設備の説明をしてくれた。 終わってダイニングに戻ると、もう食事が用意してあった。 家事代行業から来た割に、初日がカレーと豚汁だった。 そういう人ってもっと、栄養バランスが!ってメニューのような気が… 彼女も仕事だから仕方ないのかもしれないけど、気の毒に思う。
で、カレーも豚汁もおいしくて、 二人前ぐらいペロっと食べてしまった。これ、太るかも。
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豪華主要キャスト解禁!配信日決定!

伊藤沙莉、藤原季節、上杉柊平、前田敦子/田中麗奈 高校時代の同級生と臨時教師、それぞれの27歳を演じる! 小説家・燃え殻による書き下ろし、成田凌主演による完全オリジナルストーリーの新作ドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」が、2022年5月20日(金)に全8話一挙配信することが決定いたしました。
そして、本作の主要キャストとして、伊藤沙莉、藤原季節、上杉柊平、前田敦子、田中麗奈という日本映像業界をけん引する実力派俳優たちが一堂に集結いたします。
本作は、デビュー作「ボクたちはみんな大人になれなかった」(新潮社)が幅広い層から熱烈に支持されベストセラーとなり、昨年映画化された小説家・燃え殻による映像化のための書き下ろし新作となります。本作では、17歳と27歳という年に人生の分岐点を迎えた者たちが抱く夢と葛藤、そして後悔を描き、正解が出づらい現代社会を痛々しくも瑞々しく映し出しつつ、何者でもない6人にスポットライトをあてた群像劇です。
主人公・荻野智史は、映画『愛がなんだ』『カツベン!』『ニワトリ☆フェニックス』、1月期NTVドラマ「逃亡医F」など主演作が相次ぎ、今最も勢いに乗る俳優・成田凌。役者の夢を諦めた平凡な27歳のサラリーマンを演じます。
そして、この度解禁となりました物語を彩る���要キャストは、成田演じる荻野と高校時代を同じ教室で過ごした5人です。
アイドルになる夢を持ちオーディションを受け続ける前田ゆかを演じるのは、ドラマ「ミステリと言う勿れ」映画『ちょっと思い出しただけ』など幅広い役どころを演じ分け出演作が続々ヒットを重ねる伊藤沙莉。小説家を志す片桐晃は、大河ドラマ「青天を衝け」映画『空白』など個性豊かなキャラクターと演技力で注目を集める藤原季節。武道館ライブを目指すバンドマン・中澤悠斗は、大河ドラマ「麒麟が来る」「グランメゾン東京」など話題作への出演が続く上杉柊平。人気アイドルのモノマネ芸人としてステージに立つ島田まさみは、ドラマ「逃亡医F」映画『旅の終わり世界のはじまり』など今や映像界に欠かせない存在となった前田敦子が演じます。この世代を代表する俳優陣が揃い、17歳と10年を経た27歳のそれぞれの登場人物の、内面から滲み出るリアリティある演技にも注目していただきたいです。そして、27歳の時に高校の英語の臨時教師として教壇に立つも、過去にエロ本に出ていたことを生徒たちに暴露され学校を去る元・女教師というセンセーショナルな役どころの望月かおりを、映画『幼な子われらに生まれ』など着実なキャリアを重ねる田中麗奈が演じます。
この物語について、伊藤は「男女関係なく好きに生きればいい」、藤原は「薄っぺらい青春は素敵」、上杉は「この物語はハッピーエンドではないと思う」、前田は「人生の波に乗るとはこういうことか」、田中は「この人生を想像すると結構キツイ…」と、登場人物それぞれの生きる様が垣間見られるコメントを寄せています。
多様な生き方や価値観が広がる現代で、観る人に改めて人生観を問う群像劇からなるオリジナルドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」、2022年5月20日(金)よりHuluにて全話一挙独占配信いたします。ぜひご注目ください。
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我が国の未来を見通す(63)
「気候変動・エネルギー問題」(28)
「気候変動・エネルギー問題」(総括)〔後段〕
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
先週、連休を利用して島根県を訪問し、出雲大社を
特別参拝させていただきました。私などが詳しく解
説する必要はないと考えますが、ご案内いただいた
禰宜(ねぎ)が神話に基づき解説してくれた大社の
歴史は、地上界を支配すべきは天照大神(とその子
孫)とし、地上を治めていた大国主命から話し合い
によって(戦争することなく)国を譲り受けました。
天照大神は、感謝の気持ちを込めて大国主命を祭神
とする出雲大社を建設されたとのことでした。
私自身は、『逆説の日本史』(井沢元彦著)などで
語られているような出雲大社の“いわれ”を知らな
いわけではありませんが、江戸時代の中ごろに再建
されたとされる国宝の現本殿や神話時代から語り継
がれている、東大寺の大仏殿を超える日本一の高さ
48m、階段の長さが109mに及んだとされる初
代本殿の威容などを知ると、禰宜の解説の方により
納得がいきました。
大国主命は、今では広く「えんむすび」の神として
人々に慕われていますが、この“縁”は男女の縁だ
けではなく、生きとし生けるものが共に豊かに栄え
ていくための貴い結びつきを指すそうで、我が国の
悠久の歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守ら
れ、目に見えないご縁を結んでおられるのだそうで
す。
このように、(正確にはわからないそうですが)3
000年に近い歴史が有する出雲大社の歩みをお聞
きすると、その歴史はけっして“神話の世界”では
なく、我が国の「国づくり」の歴史、そしてこの間
に出来あがった「国柄」、特に神話の時代から「和」
を重んじる国であることなどが改めて理解できまし
た。この精神がやがて聖徳太子の「十七条憲法」第
1条「和を持って貴しとなす」として具現化される
のでした。
私自身はこれまで全国各地、数多くの神社仏閣を参
拝させて頂く機会がありましたが、特に、淡路島の
伊弉諾(いざなぎ)神宮、高千穂神社、伊勢神宮、
宗像大社などにはそれぞれの神話があり、そのつど
納得し、このような歴史を持つ日本に生まれたこと
に誇りと感じ、言いようもない幸せ感を味わった経
験がありますが、今回はこれまでの経験に勝るもの
がありました。
終戦後、GHQの占領政策によって、我が国は、神
話を教育することを含めて戦前の歴史を全否定され
ました。しかし、世界を見渡せば、神話を含めて国
の生い立ちを教えない国はありません。ポツダム宣
言には「日本が世界征服を企てた」となっており、
我が国はこのような“汚名”を受け入れることを余
儀なくされましたが、500年の長きにわたり、世
界征服を企てたのは欧米列国であり、この流れに
「待った」をかけた国こそが我が国でした。
その上、本来、「和」を尊ぶ我が国の国柄が語り継
がれていた神話の中にも存在することをGHQのス
タッフは身抜けなかったのでしょう。もしこのよう
な我が国の本性を熟知していたら、あるいは日米開
戦などは起こらなかったのでは、と想像してしまい
ます。
島根県には、国宝・松江城や日本一の庭園美術館
「足立美術館」などもあって、あらためてこの地域
の歴史や豊かさを堪能しましたが、島根県のみなら
ず全国各地にその地域ならではの歴史や文化があり
ます。天変地異など様々な混乱を経験しても、それ
らを残していただいた先人たちにあらためて感謝申
し上げますと共に、今に生きる私たち世代もまた後
世に残し、伝える責任があることに思いが至りまし
た。
▼我が国のエネルギー政策の“落とし穴”
さて、最近の我が国は、気候変動・エネルギー問題
のみならず、「国益」を一顧だにせず、というか
「国益」という言葉自体も忘れ、国際社会、特に西
欧列国に追随するとか、周辺諸国と謝罪することな
どをもって“国是”としているような風潮があるよ
うな気がしてなりません。かつてのグローバル・ス
タンダードなどもその部類だったと考えます。
もちろん、戦前のように、「国際秩序への挑戦者」
となることは許されないですが、戦前の“贖罪意
識”が強過ぎるのか、様々な状況を冷静・沈着に判
断して我が国が歩む道として最適の選択肢は何か、
というプロセスそのものをスキップしているように
思えてならないのです。そのようなことを何度も繰
り返すと、「進むべき進路を誤った」とされる戦前
と同じ結果になり、後々に禍根を残す可能性がある
ことを危惧します。
これまでも「木を見て森を見ず」という言葉を使用
しましたが、現在の我が国は、あらゆる分野で「専
門家」と称される人たちが発言力を持ち、それゆえ
に、専門とする極めて狭い世界の事象に拘泥し、結
果としてその考えに翻弄されているような気がして
なりません。各界に“森が見えない人たちがなんと
多いことか“とつい思ってしまいます。
特に、気候変動問題においては、菅義偉内閣になっ
て、突然「脱炭素」を宣言し、まさに「国益」やそ
の実行の可能性より、国際社会追随の政策に転換し
たことはすでに紹介しました。当時から「エネルギ
ーは安全保障最優先にすべき」との声もありました
が、様々な事情もあったのでしょうが、“見切り発
車”しました。いったん舵を切ると、トランプ前大
統領のような強いリーダーが出現しにくい我が国に
あっては、軌道修正がますます困難になることは明
白なのです。
また、「ブレーキをかけることを忘れた高齢者の運
転のように」と表現しましたが、アクセルばかりを
踏み込み、ついには「一石三鳥」のような勇ましい
キャッチコピーまで飛び出しました。国を挙げた勇
ましい政策には必ずその“副作用”があることを我
が国は長い歴史の中で何度も経験しましたが、その
ような歴史を学び、あるいは各方面からの警鐘を鳴
らす発言に耳をそばだてるような感性は、首相をは
じめ、政治家や官僚の皆様にはなさそうです。
政府が唱える政策に協力するのは当然としても、様
々な思惑をもって「脱炭素」政策に便乗する人たち
は、いったい全体、地球にとってCO2とは何なの
か、本当に異常気象なのか、地球温暖化は進んでい
るのか、それらの原因が人為的CO2の排出にある
のか、さらには、「脱炭素」は可能なのか、そのコ
ストはどれほどかかるのか、CO2を削減すること
が地球にとって本当によいことなのか、その上で、
自分たちのやろうとしていることは本当に日本のた
め、地球のためになるのか・・・などを考えたこと
があるのでしょうか。
おそらくそのような思考は停止したまま、「政府が
奨励しているから」「国連(あるいはIPCC)が
言っていることだから」「皆、やっているから(や
らないと取り残されるから)」と自らを納得させる
・・・私の周りにもそのような人がたくさんおりま
す。なかでも、金儲けの絶好の機会と野心的な思惑
を持つ企業関係者にあっては、その真実の解明より
「お金になるならなんでもよい」くらいの感覚なで
しょう。
民主主義とは、誤解を顧みず話せば、主権者たる国
民の大多数の支持があれば何でもできるし、何をや
ってもよい政治形態です。バラマキと言われようが
刹那的と言われようが、支持率さえ確保できればよ
いと考える政治家が政策を断行し、その結果、主権
者が喜べば、世の中は丸くおさまり、波風は立たな
いのです。
地球温暖化とは裏腹に、「100万年にわたる地球
の気温推移の歴史をみると、人間の出すCO2など
とは全く無関係に一定のリズムを刻んでいる」とし
て、「実際の地球は寒冷化に向かっている」との考
えを持つ人たちも少なくないですが、その寒冷化を
防止するためは、温室効果ガスが必要不可欠であり、
その主体はCO2になることでしょう。
何も考えずに「脱炭素」に協力していている人は、
かつての氷河期のように地球上の生命体そのものを
脅かすことに加担しているという考え方もできるの
です。
▼実行の可能性とコスト意識
さて我が国は、中国などの発展途上国と比較して、
先進国としてエネルギーを消費した歴史が古いこと
は間違いないですが、それでも1970年代に2度
体験した石油ショックから立ち直るために、並々な
らぬ“省エネ”努力を積み重ねてきました。その結
果、実質GDP当たりのエネルギー消費は世界平均
を大きく下回る水準を維持しており、インドや中国
の5分の1から4分の1程度の少なさであり、最近、
省エネが進んでいる欧州の主要国と比較しても遜色
ない水準となっていることも紹介しました。
つまり、すでに省エネに取り組み、それをもって過
度にCO2排出を排出しないという長い歴史があり
ます。そして、生活空間からしても“ウサギ小屋”
と揶揄されるようなつつましやかさも現存し、今と
なっては他国に誇るべきことですが、だからこそ、
これから先、さらに省エネを推進し、CO2排出を
削減することは至難の業だということもいえるでし
ょう。
これもすでに紹介したように、環境省の発表では、
これまで国と地方自治体合わせて30兆円の経費を
投入し、今後は税金で20兆円を投入して150兆
円の投資を呼び込むと皮算用していますが、すでに
省エネを推進し、CO2排出は地球全体の3%ほど
に留まっている我が国にあっては、仮に2050年
に「脱炭素」を実現したとしても、その効果は測定
できないレベル(試算では0.0008℃度程度)
にしかなりません。
最近、このような日本にあって、依然として現実的
な“良心”を有している機関を発見しました。経済
産業省系の研究機関といわれる「公益社団法人地球
環境産業技術研究機構」(RITE)です。RIT
Eはまず、「2030年にCO2を46%削減する
ためにGDP損失が30兆円発生する」として、2
0兆円の実質増税を含み、政府が考えるカーボンプ
ライシングは「経済への足かせになる」と警鐘を鳴
らします。
RITEはまた、「2050年に『脱炭素』を実現
するためには、技術面やコスト、自然制約・社会的
制約などの様々な面で課題や制約を乗り越えること
が必要であるが、技術革新などの進展には大きな不
確実性が存在するため、30年後の姿を具体的に見
通すことは困難である」とし、さらに、電力分野の
みならず非電力分野の技術を実装しない限り、「2
050年の『脱炭素』は極めて困難である」と結論
づけています。
この結言を導くために、RITEは電力構成につい
て5つのシナリオを取り上げて検証していますが、
なかでも再エネ100%のケースでは、電気料金が
2倍になることも試算しています。
東京都は、情緒的な判断だけでその効果もろくに検
証しないまま、都内の新築戸建住宅に太陽光パネル
の設置を義務化し、そのための支援制度を新設する
ということが話題になりました。この支援のための
経費は都民税から流用されることは間違いないでし
ょう。気候変動対策とか「脱炭素」を目的にすると、
コスト意識が頭から離れてしまいがちですが、その
コストは最近話題の電気料金の値上げだけではなく、
石油やガソリンなどの燃料代、そして所得税や地方
税などにも含まれることも再認識する必要があるの
です。
▼「脱炭素」と安全保障
さて、太陽光発電は国内の広大な土地を中国など外
国資本が買いあさる格好の材料になっていることも
指摘しました。最近、中国がアメリカ国内の農地を
購入し、アメリカが警戒していることが話題になっ
ていることも付け加えておきましょう。その面積は、
現時点では1554haほどで、1位のカナダや2
位のオランダなどには及ばず第18位、農地全体の
0.9%に留まっているようですが、高い伸び率で
農地が増えていることに加え、日本を含め、世界規
模で農地を買いあさっていることもあって、アメリ
カ国内では余計に警戒感を増大させているようです。
再エネを推進しようとするとコストがかかる。コス
トを削減しようとすると中国製の太陽パネルを使用
する必要がある、あるいは、太陽光発電のために中
国資本を招へいする必要がある、招へいすればする
ほど、中国資本の森林や農地が増える、増えれば増
えるほど安全保障上の問題に懸念が残る・・・。
上記のサイクルで何を優先すべきかは明らかなので
すが、「脱炭素」以外に盲目になっている人たちに
は、国内の森林や農地が外国資本に買収されること
に危機意識を持たないことが問題なのだと考えます。
前回、地球温暖化の提唱者たちの当初のシナリオが
狂っているのではないか、と指摘しましたが、我が
国にあっては、補助金付きで、中国資本を招き入れ、
国内はおろか、中国の世界戦略に加担するようなこ
とになるのだけは何としても避けたいものです。政
府の早急な英断が求められると考えます。
私は、「脱炭素」などのような“絵空事”(あえて
こう表現します)を根本から見直し、エネルギーの
安定確保(しかもなるべく安価で)を最優先するこ
とを提言したいと考えますが、読者の皆様はどう考
えるでしょうか。
▼まとめ
さて、本メルマガで取り上げました我が国の「少子
高齢化問題」「農業・食料問題」「気候変動・エネ
ルギー問題」には共通の要因があり、これらの問題
を抜本的に解決するためには、それぞれ小手先では
なく、国家レベルの根本からの「改造」が必要と考
えます。それらは、国防とか防災なども共通してい
ることでしょう。
本メルマガ「我が国の未来を見通す」は、「我が国
の歴史を振り返る」の後継として発信しているもの
ですが、この後、本メルマガの総括として、我が国
の歴史から学ぶ「知恵」を活かしながら、我が国の
将来に立ちはだかるであろう“暗雲”にいかに立ち
向かうか、について読者の皆様と一緒に考えていき
たいと思います。
しばらく整理と充電の時間を頂いたのち、第4編
「『強靭な国家』をつくる」(仮称)を題して、日
本を守り抜き、日本の未来を創造するための様々な
「知恵」について発信していきたいと計画していま
す。請うご期待!
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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【かいわいの時】天正四年(1576)七月十三日:毛利水軍、紀伊国雑賀衆と共に織田方の兵船を木津川河口で破り、石山本願寺*内に兵糧を運ぶ(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。
本願寺の危機を知った毛利氏は、水軍を率いる村上元吉や家臣の粟屋元如・児玉就秀ら十五の将に兵船数百隻を率いさせて、七月十二日に淡路島の岩屋を出発した。京都にいた信長は、七月九日、和泉国内の信長方将兵沼間任世・寺田左衛門尉・松浦安大夫(宗清)や佐野在城衆に、近々大坂に出陣するが、それに先立って、近辺の作麦を刈り取ることを命じている(『古文書纂』)。この信長の命令が現地に届いたころには、すでに毛利水軍は和泉の貝塚に着き、紀伊雑賀衆と合流して、十三日には堺から住吉沖を経て、木津川河口に殺到していた。織田軍は真鍋七五三兵衛・沼野伊賀・沼野大隅・宮崎鎌太夫らが約二百艘を操って河口で防戦を試みた。本願寺勢は大坂楼の岸や木津の城から競って打って出、住吉浜など陸上で合戦を展開しただけでなく、摂河泉の門徒勢が毛利水軍の兵船に乗り組んで、織田方の兵船に「ほうらく火矢」を投げ入れて次々と焼き討ちをかけた。ほうらく火矢とは、丸い容器に火薬を詰め、それに点火して投げ入れ爆発させるものであったらしい。十三日から十四日早朝にかけての激戦で、織田方の兵船はほとんど焼け崩れ、数百人が打ち取られて大敗し、毛利水軍は無事に兵糧を本願寺に送り込むことができた(『萩藩閲録』『信長公記』)。『大阪新修市史2』より。*ママ。近年は「大坂本願寺」と呼称されています。
(写真)「木製軍船ひな形 関船」(信松院蔵) 信松院は、戦国大名武田信玄の娘松姫(1560-1616)を開基とする曹洞宗の寺院です。この寺院に伝わる軍船ひな形は、檜材と竹材で作られた精巧な縮尺1/25の2艘の軍船模型です。大きい方は安宅船で、長さ100cmです。安宅船は室町末期から江戸初期に水軍で使用された軍船で、攻撃力、防御力、耐波性に優れ、近代の戦艦に相当します。2人漕ぎの櫓が40挺つき(大櫓40挺立て)、大筒と鉄砲を装備するため、船首の平らな箱造りの伊勢船型になっています。重装備で安定性を第一とした幅広い船型のため、速力にやや劣り、敏詳さに欠けます。もう一つの関船は、1人漕ぎの櫓が42挺ついた(小櫓42挺立て)長さ80cmの中型船です。安宅船に対していわゆる巡洋艦の役割を持つ船のため、速力を出すための波切りのよい鋭角的な船首を持ち、細長い船型をしています。附の正徳4年(1714)の仁科資真寄付状と寄付目録によれば、仁科家の祖先が小早川隆景に謁して船戦の法を教授された際、文禄・慶長の役(1592-98)に使われた軍船を模して制作されたものと伝えられています(東京都文化財情報データベース=写真も)。
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彼女の死をちょっと羨ましいと言うあいつのほうがよっぽどマシ
2018/1/24
友達が死んだ。 「友達が死んだ」と言っていいのかわからない。 大学のころ仲が良かったのは間違いない。大学のころ仲の良かった女の子が死んだ。 大学のころ仲が良くて、卒業してからは疎遠になっていた女の子が死んだということを、彼女が死んでひと月もたってから知った。 それも人づてに知った。彼女との共通の友人だとも思っていなかった人から知らされた。
伊織とは三年生から学部が同じで、毎日のように授業に一緒に出ていた。 私の進んだ学部は妙な募集制度をしていて、すごく優秀な生徒か微妙な落ちこぼれかしか入れないところだった。 彼女は優秀だから来たほう、私は落ちこぼれて来たほうだったけれど、私のほうがいつもなぜかえらそうだった。 点数が取れない人間というのは点数が取れなくても平気でいられるふてぶてしさを備えているものだ。
通っていた大学では、三年次から進学する専門学部を一二年次のテストの総合得点によって決める仕組みになっていた。 上位得点者の彼女はつまり、求められる努力をきちんとこなすことのできる優秀な学生だった。
定員が少ないので、みんな学科の垣根を越えて仲良くしていた。 なかでも寂しがりの人間は、確実に顔見知りがつかまるからと喫煙所に足を運んだ。 私もそれを機に喫煙を始めた。 待てば誰かに会える場所で、堂々と誰かを待っていたかった。 理由なく人に会うための理由が欲しかった。
私と伊織は喫煙所でふたりきりの女だった。 みっちりと厳しい授業を受けた放課後、暗くなった原っぱでよく顔を合わせた。
禁煙化の波に押されて隅に追いやられて、暗い原っぱに灰皿が突っ立っているだけの寂しい喫煙所だった。 今日のあの授業がおもしろかったとか、今度こんな舞踏の公演があるとか、最近読���だ本がどうとか、卒論がどうとか、就活がどうとか、彼氏とどこに行ったとか、こんなひどいことを言われたとか。 煙を白く燻らせながら、毎日、とりとめもない話をした。
同じく寂しがり屋の同級生たちからは、喫煙所の女はエロいとか、喫煙所の女はやれるとか、そんなからかわれかたをしていた。 でも本気で言ってるわけじゃない。誰かをわざわざ傷つけたいとか踏みにじりたいとか思っている人は誰もいなかった。私も伊織も、ねーよ、と言って笑っていた。 喫煙所に来るような人間は、みんな心が優しくて繊細で、ひねくれてい��も根底のところでは他人のことが好きだったと思う。そこでは傷つくことすら優しい出来事だった。
でも、確かに伊織は色っぽかった。 美人で、背が高くて、肉感的で、明るい髪をショートカットにして、外国語を堪能に操った。 いつも笑顔で、心が優しくて、笑うと目じりがとろんとした。友達が多くて、誰とでも明るく接して、ダンスが上手で、お酒が好きで、隙だらけで、しょっちゅうお酒で失敗していた。 優しすぎるくらい優しくて、いつだって人を気遣って、いつだって自分のことより人のことを心配して、いつも少し困ったような泣きだしそうな顔をしていた。
伊織は弱かった。 伊織はいつも頑張っていて、いつもよくできた。なんでも真面目によく頑張っていた。 伊織は決して手を抜かなかった。そうしてきちんと成果を出した。 いつも失敗に怯えていた。間違って、失望されることを恐れていた。
見た目の派手さに反してすごく繊細な子だった。
好きな人ができれば、好かれるかどうか不安で不安で仕方なく、いつもの泣きそうな顔がさらに涙ぐんで、常に半泣きみたいに声がふるえた。 学食でトマトをつまみながら「そいつにさあ、私たち付き合ってるの?ってちゃんとききなよ」と語気を強める私に、「そんなことをして駄目になるのが怖い、むり、きけない」と体に似合わぬか細い声で返す。そういう子だった。「伊織がいい加減にされてるのムカつくよ」と舌打ちすれば、彼女は泣きそうな顔で笑って「ありがとう」と言った。 幼稚な私は伊織の気の弱さに時々苛立っていて、棘のある言葉を投げつけたことだって少なくなかった。 それでも伊織はその棘のある言葉をきちんと飲み込もうとして喉を傷めてくれた。 伊織はいつも真面目だった。 私の適当な叱咤なんか、「なにも知らないくせに」と怒って棄ててしまっていいのに。 自分が傷を引き受けることに、あまりにも鈍感な人だった。
毎日一緒に過ごしていた。 私にとって伊織は日常だった。 そのせいか、伊織と話したことをほとんど覚えていない。 授業前の教室で、放課後の学食で、図書館のラウンジで、喫煙所で、延々おしゃべりしていただけだ。写真も残っていない。 けれど、彼女の表情を鮮明に覚えている。 水色のまぶた、赤い髪、綺麗な形の眉の下がる様。 ばかだな。不器用に傷つくばかりで。 本当にばかな子。
伊織も私も、就活はあまりうまくいかなかった。 結局ふたりとも不器用なところはそっくりだった。 へとへとになるまで就活して、早く勉強に戻りたいね、疲れたね、とお互いを慰め合って、なんとかやり終えたときには二人とも疲れ果てていた。
卒業後は疎遠になってしまったが、時々、共通の友人から伊織のことを聞くことがあった。 鬱になって休職したと聞いて大丈夫かなと心配したり、そこからまた復職したという話を聞いて安堵したりした。 彼女が鬱らしいと聞いたとき、私は鬱の人間に適切な言葉をかける自信がなくて、というか鬱の人間にかけるべき適切な言葉を考えるのが億劫で、飲みに行こうと声をかけなかった。伊織を思い出していられないくらい、私もいっぱいいっぱいだった。 なので復職したと聞いたときは安心した。自分の罪が水に流れたような気がした。
死んだ人間に対して、なんで死んじゃったの、と責め立てるのは正しいふるまいの一つなのだろう。すごく感情的な反応で、それを見た周りの人間も腑に落としやすい。共感しやすい。 わたしも、なんで、と責めようと思った。でもやめた。 彼女が生きていたときに彼女が死なずにいることを放任して、彼女が生きていることに無責任だった人間に、死んでほしくなかったなんて言う権利があるんだろうか。無責任な「生きていてほしかった」をわざわざ死者に投げる必要があるんだろうか。
彼女が死んだと聞いたとき、涙は出なかった。
伊織は私の中でずっと、「死にうる人」だった。 ああ、死んだか、と思った。感情が動かず、悲しくならなかった。 もう4年も伊織とは会っていない。連絡もほとんどとっていなかった。これから先、もう伊織に会うことはない。死んでしまったから会えない。だけど、もし伊織が生きていて、どこかで偶然出くわしたとしても、伊織と私がまた密に連絡を取り合ってしょっちゅう飲みに行くような関係になったとは考え難い。その場で懐かしみあって、またねと言って再び疎遠になるだろう。伊織は丁寧な人間だから、まめに連絡をくれるかもしれない。けれど私がそれを蔑ろにして終わるだろう。 だから、私に伊織の死を悲しむ権利はない。大学時代の私にはその権利があったかもしれないけれど、今、手放してしまった関係を惜しんで嘆くなどという浅慮で無礼なことはしたくないと思った。
彼女が亡くなったと知って、伊織のFacebookを見に行った。彼女の身内が代理で彼女の死について投稿していた。伊織は荼毘に付されました。近日、偲ぶ会を催します。 生前、彼女の優しさを享受した人が追悼コメントを投稿している。彼女には外国人の友人も多かったし、歳の離れた人間ともニコニコとなかよくしていたので、そういう人々が「伊織はとてもいい子だった」「伊織を忘れない」「とても悲しい、涙が止まらない」と長文の投稿をおこなっている。
別に悪いことではない。彼らの文化における彼らなりの方法で伊織の死を悼んでいるのだろう。でも、私は辟易した。気持ち悪くてうんざりして腹が立った。伊織を軽く扱うな、こんなところで浅はかな悲しみなんか表明するな、と激しい怒りを覚えた。頭に血が上った。 ばか。伊織のばか、友達くらい選べ。ばか。
伊織は優しくて、優しすぎて、誰にでも好意を向けられる人で、誰のことも軽んじたり蔑ろにしたりしない人で、だからこそ私は彼女と一線を越えて仲良くはなれなかった。彼女が彼女らしい天使の好意をもって私と親しくしてくれる、その方法は私にとって素直に親しむことのできる好意の在り方ではなかった。私は本当に子どもだった。いくらだって後悔できる。 でも。確かに私はこの幼稚さゆえに彼女に寄り添ってはあげられなかったけれど。それでも、彼女がその天使の好意で分け隔てなく接した人々が、どうせ忘れるくせに「忘れない」なんて言うような人間であることが腹立たしい。どうせすぐに笑顔に戻るくせに、「悲しい」なんて人の目に触れるところに平然と書きこめてしまう人間であることが本当に腹立たしい。
伊織のばか。自分で生きられないくらい弱っていたのに、どうせ人前では大丈夫といって笑っていたんだろう。本当にばか。 生きるのに疲れ果ててしまうほど、真面目にくよくよ考え込んだんだろう。適当にやればいいのに。適当にやるやり方を私は伊織に教えられなかった。点数がとれなくても、褒められなくても、ばかにされても、ふてぶてしく開きなおるやり方を私は伊織に全然見習ってもらえなかった。あんなにずっと隣にいたのに。 ニコニコ笑って優しくしてくれた伊織がなぜ死んでしまったのか、ちゃんと考えもせずにあんなコメントを書いてしまえる友達ばっかりつくって。どうせそいつらは伊織のいいところしか目に入れなかったんでしょう。ばか。ニコニコしてなくても優しくしてなくても綺麗じゃなくても伊織は伊織だったのに。点数が取れなくても業績を上げられなくても人の期待に応えられなくても辛い恋なんかしなくても、伊織は伊織だったのに。誰もそれを教えてあげなかったんだろうか。誰も。私も。伊織が死ぬまで伊織の苦しみを考えることのなかった私も。
悲しいなんて綺麗な感情で簡単に楽にならないでくれ。他人事として悲しんで、それでおしまいにしないでくれ。どうせ忘れるくせに、忘れて笑って生きていくくせに、忘れないなんて簡単に書かないでくれ。
偲ぶ会には出席しない。Facebookももう見ない。私は伊織のことを悲しまない。自分の非力を死者に謝ることもしないし、伊織と疎遠になったことを自責もしない。そのかわり、この無力感も後悔も無視しない。 それが何になるのかわからないけれど、無視しない。冥福を祈って終わらせたくない。私は伊織の死をおしまいにしたくない。
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※一年前、彼女の訃報を受けて率直に書いたものを微調整して、このたび記事としたものです。その後新たに判明したことや思い直したことなどがさまざまにあり、現在の意見を示すものではありません。先日、ご家族のもとへ弔問に伺ったことで考えが変化した感触があり、その変化にじっくり向き合うための土台としても、当時の思いを残しておきたくて掲載しました。この文章を公開することが正しいのか間違っているのかについてはまだ結論が出ていません。
(2019/02/04 15:06)
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10/26 完成報告会を開催! 波瑠さん、安田顕さん、夏川結衣さん、岡山天音さんが登壇!
この度、東京のスペースFS汐留にて完成報告会を実施。
波瑠さん、安田顕さん、夏川結衣さん、岡山天音さん、武正晴監督が登壇し、松山ケンイチさんからはビデオメッセージが届きました。
日時:10月26日(月) 場所:スペースFS汐留 登壇ゲスト:波瑠さん、安田顕さん、夏川結衣さん、岡山天音さん、武正晴監督 ビデオメッセージ:松山ケンイチさん

ホテルローヤル経営者の一人娘・雅代役の波瑠は、直木賞受賞直後に原作を偶然にも読んでおり「自分の知っている作品の台本をいただけて光栄でした」と運命的に感じるも「台本を読んだら雅代のセリフに『……』が多くて。これは下手したら立っているだけの人になるぞと焦り、しっかり役の内面と向き合う作業をしました。緊張感ある撮影になりました」と難役挑戦を口にしていた。舞台となるラブホテルのセットは、原作者である桜木氏の実家のラブホテルを忠実に再現。波瑠は「ラブホテルをよく知らないのに、見た瞬間、『うわ!ラブホテルだ!』と。大げさで煌びやかでなんだかちぐはぐで凄く不思議。リアルだと思わせる説得力がありました」と驚き。武監督は「桜木先生からホテルの部屋の配置を聞いたりして作っていきました。また、そこでどんな苦労をされたのかなど働いていた当時の様子を聞いてシナリオにも反映させていきました」とこだわりを明かした。
雅代の父・大吉役の安田は実年齢よりも上の年齢を演じたが、「僕の親父は室蘭市で溶接工だったので、演じる上では自分の親父を思い浮かべながらやっていました。実際に映画を観たら違和感なく親父でしたね」と照れていた。雅代の母・るり子役の夏川は「るり子は少し身勝手でもある母親だったのですが、最後に雅代に告げる『幸せになんなさいよ』という言葉は本当に彼女の心の底からの言葉だったんだなと思います」と印象的なセリフを振り返った。ラブホテルの客で教師・野島亮介役の岡山は「生徒役の伊藤沙莉さんとは同い年ですが、今回は教師と生徒。その関係性を作るのは面白いものになりそうだと思いました」と演技の上で刺激を受けたよう。
一方、アダルトグッズ製造会社の営業マン・宮川役の松山はビデオレーターで参加。「北海道でのロケは東京での撮影とは違います。場所によって見方も考え方も変わりますし、それが地方ロケのいいところです」と話した。また、台本にはなかった方言で演じたことについて「これは内緒なんですけど、僕は青森出身なんですが、地元の言葉でやっちゃったんですよね。でも誰にもツッコまれなかったので、そのまま最後までやりきりました(笑)」と裏話を語った。また、波瑠は印象深いシーンについて、ラブホテルの従業員のたまり場になっているボイラー室を挙げ、「冬は暖かくて夏は暑くて、従業員のお茶会の場所でもあります。雅代にとっては安心感を持てる空間。温もりもありました」と懐かしそう。安田は「見晴らしのいい部屋で雅代が描く釧路湿原の絵を親父が見ている。そのシーンがあるのとないのとでは、作品のイメージが違ってくると思います」と見どころに挙げていた。
映画の内容にちなんで「心が満たされる瞬間」について聞かれた波瑠は「お腹が満たされると心も満たされる。私はお腹が空くとわかりやすく機嫌が悪くなるタイプ。北海道の撮影ではあれもこれも食べたいと思ったけれど、時間がなくて」と照れ笑い。安田は「自粛期間明けにスーパー銭湯に行って、ザバッと風呂に入って、サウナに入って、垢すりもした。最高でした!」とデトックスに歓喜していた。夏川は「自粛後に久しぶりに友達と食事をした時に、人と直接話すことがこんなに自分に幸せをもたらしてくれるのかと驚いた」とコミュニケーションの大切さを実感。岡山は「僕は匂いフェチで、コインランドリーの前を通ると一気に幸せな気分になる。夜の9時くらいに歩いていると下水道からシャンプーの匂いがする。それが好き」と変わった嗜好をカミングアウトしていた。
最後に武監督は「出演者が素晴らしい仕事をしてくれて、その結果いい作品になった。観る人それぞれが幸せを見つけるようなきっかけになってくれれば嬉しい」と思いを込めた。主演の波瑠は「この映画のラストが好きで、一人の人間が自分の人生を初めて自分で受け入れて、そして家族からも愛されていたと気付く。そんな尊い瞬間が描かれています。雅代の再スタートがとても胸に響きました。キャンペーンで原作者の桜木先生と話していたとき『なにかから積極的に逃げることは、変換するとものすごく前向きなんだ』と仰っていました。その言葉って目から鱗だったのですが、そんなメッセージが込められている映画です」と熱い気持ちを吐露していた。
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秋休み通信大会特別練習1日目\(^^)/ オフィシャルwebサイト https://www.ihasoroban.com #そろばん #あんざん #フラッシュ暗算 #沖縄 #伊波そろばん教室 #脳開発 #脳活性 #珠算 #暗算 #そろばん式暗算 #珠算式暗算 (伊波そろばん教室) https://www.instagram.com/p/B3mPWqujkEL/?igshid=8kritlttd6g0
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