#三峰山不動の滝
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kachoushi · 3 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年11月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年8月1日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
又一人友を連れ去る秋の雲 喜代子 三鍬を秋に備へる農婦なり 由季子 友と居てそれぞれに聞く秋の風 都 終戦日正午の刻の静けさよ 同 送り火ややむなく戻る仏たち 同 落雷や天の怒りが頂点に 同 人影の動かぬ窓や盆の月 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月3日 零の会 坊城俊樹選 特選句
青い嘘と黄色い嘘とソーダ水 和子 仏具屋は北向日盛を知らず 季凜 アメ横てふアジア横丁灼ける路地 風頭 ���郷どんの足の太さや雲の峰 六甲 唖蟬のすがるかに寄る仏壇屋 毬子 冷し珈琲魔女めく指で渡されて 小鳥 寺町に銭湯を待つあつぱつぱ はるか 昭和より黴はぐくめる喫茶店 光子
岡田順子選 特選句
仏具屋は北向日盛を知らず 季凜 スカジャンが食ふアメ横の氷菓子 俊樹 片陰の禿びて上野の仏具店 光子 掛香の名残りの車両上野へと 昌文 日盛や適時打に沸く子規球場 六甲 蟬しぐれ靴音だけを許しをり 和子 改札口帰省子らしき待ち合はせ 六甲
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月3日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
山笠果てて博多ごりよんさん胡瓜買ふ 修二 夏の朝水平線をひと筆に かおり サイダーと言へば三ツ矢と摺り込まれ 久美子 片陰をたましひ細くなりて歩す 美穂 ガザといふ活字の上に西瓜置く 朝子 金文字の磁針狂へり熱帯夜 かおり 逃避行西瓜を食べてからのこと 美穂 分けやうもなきぐしやぐしやの西瓜割り 久美子 どうしても俳人と名乗りたき西瓜 たかし 死を見つめ明日を見つめて遠花火 朝子 向日葵や画家自画像の暗き顔 たかし 海底に眠る坑道夕焼くる 睦子 涼新たガレのランプに灯の入らば 美穂 陸橋を行く夕焼を渡るため 愛 夏の蝶太郎冠者の手ひいらひら 修二 潮焼の腕を差し出し献血す かおり 夕端居ふと唄ひ出す反戦歌 美穂 蛇を轢く目撃者なき里の道 久美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月5日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
団扇手に店守る婆の話好き かづを 白扇をパチリと閉じて打つ一手 同 大の里勝つて団扇の一斉に 清女 巫女居ない小さき社秋の蟬 啓子 眠る迄母の団扇の風やさし 同 出番待つ横綱あおぐ大団扇 笑子 ひたすらに団扇あおぎてふと黙す 同 横綱の背ナにゆつたり大団扇 千加江 母の髪斯く長きとは髪洗ふ 匠 此の路地に今も水打つ暮しあり 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月7日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
笑ひつつ花火上手に三姉妹 令子 掃苔やあの石段を坂道を 裕子 鳳仙花濃いも薄いも好きになり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
視線無き会釈してゆくサングラス 宇太郎 庭の穴にしみ入る声や秋の蟬 史子 ��流る森に小さないのち生れ 都 東雲のあかり力に蟬の羽化 美智子 カンナの緋一番若い日を生きる 悦子 木型よりできたて掬ふ新豆腐 美紀 手術終へ生涯初のサングラス 悦子 兵帽をまぶたに呼びしぎすの声 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月12日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
潺潺と里の川音や夏の果 時江 平常心狂ひさうなる猛暑かな みす枝 星月夜夫と仰ぎし夜の事 英美子 裾さばき手捌き揃ひ踊来る みす枝 五十年一つの趣味に生きて盆 清女 湯上がりの裸子を追ふバスタオル みす枝 一球の逸れて球児の夏終わる 昭子 西瓜切る十の眼の集中す みす枝 真昼時迷へる夏の蝶一つ 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月12日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
千年の大樹の影や額の花 廸子 足を止めしばし聞き入る初法師 史空 夏休み博物館に一人入る ことこ 大迦藍寂と光に初法師 史空 多摩川は晩夏静かに水の行く 和魚 節の無き芋殻を選び母憶ふ 貴薫 赤松の肌焼き尽くす残暑かな 三無 団扇風どの国にしよ子守歌 あき子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月17日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
手花火の彩をこぼして後は闇 雪 亡き僧の手猫きの団扇借り申す 同 死んだ振りしてゐるつもりこがね蟲 同 男下駄揃へ帰省子なりしかな ただし 麻暖􄼩かつて機屋の広き土間 同 夏痩せの吾が骨摩る目覚めかな 同 風よりも雲が知らせてをりし秋 かずを 襟首の君の白さや揚花火 嘉和 掃苔や無言の墓に詫を言ひ 英美子 螢火の点めつ吾の鼓動めく 真喜栄 羅や女将の心見え隠れ みす枝 口紅を濃くぬり花火見る人ぞ 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月18日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
枡形の黒門渡る送り南風 幸風 白雲の刷毛遣ひよく秋に入る 軽象 弁慶の骨組みあがる倭武多小屋 経彦 山寺の奥の奥なる桐一葉 秋尚 的れきの花天に向け烏瓜 幸風 隠沼の微かに饐えて秋に入る 軽象 圭魚選 人気なくただ秋蟬の鳴ける寺 貴薫 萩の枝大きく撓り年尾句碑 文英 隧道をよき風抜けて赤のまま 久子 暗がりの守れる句碑や秋の声 千種 寄せ墓の一基盆��枯れずあり 久子 墨の香の濃くやはらかく施餓鬼寺 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年8月20日 萩花鳥会
いい奴よ晩も定番冷奴 健雄 炎天下石塔の影涼潜む 俊文 窓越しに咲いて消えゆく遠花火 恒雄 在りし日の村歌熱唱盆の月 吉之 病床へスマホで送る滝しぶき 美恵子
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令和6年8月21日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
生身魂昔々を憚らず 雪 火取蟲まみれと云へる灯が一つ 同 団扇風もて看取りたる日ももう遠く 清女 空蟬の小枝にすがり艶めきぬ 笑子 語り部を継ぐ幼子の原爆忌 同 百年史たどる球場雲の峰 同 生身魂団扇で人を指図する 和子 贅沢な時を引寄す揚花火 千加江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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koto-kame · 4 years ago
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奈良県御杖村の「三峰山」。 天気は決して良くなかったけど、雨に遭うこともなかったし、気温も良し。 コースも難所が少なかったので歩きやすかった。 けど、いつも上りは「しんどい💧」って思いながらゆっくりゆっくり登る。 でも、頂上着いて下山すると楽しくなってきて「山登りってええなあ✨」って思う。 不思議。 八丁平が一番のビューポイントだったけど、真っ白け。おかけでたまたま居た鹿がガスに霞んで幻想的に。 今度は良い天気のときに行きたいですね☀️ #三峰山 #三峰山八丁平 #登山 #山登り #ガス登山 #奈良 #御杖村 #野生の鹿 #不動の滝 #三峰山不動の滝 #nara #japan_daytime_view #japanmountain #miuneyama (三峰山 (三重県・奈良県)) https://www.instagram.com/p/CQygLq-pbxf/?utm_medium=tumblr
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malibu-beach · 4 years ago
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通過済みシナリオ
★CoC6版 ・あぁ~!水素の音ォ~!! /月野滉太郎 ・アイイズノットチョコレート! /毒島健治 ・愛され少女のステキな末路(HO1) /渡中井のえる ・仰ぎ見る遡行 /凍崎つぐみ ・青と紫の指輪 /城山洋一N ・アオのあなたへ /汐見きら ・悪魔の唇(HO2) /酒匂玲夢N ・悪霊の家 /メルヴィンN ・あけて、あけてよ! /蒲鮫ラブN ・鮮やかな死を貴方に /星浦あくあN ・貴方は私を二度殺すのね。 /梵霙N ・アンケート#17 /汐見きら ・アンチテェゼ・ポジション(HO1)/永福溯哉N ・AND/HAND /頭夢児冰御 ・行きはよいよい /魚住潤N ・一瞬で終わるシナリオ /湯麗桃N ・隠匿のエリス(HO2) /凍崎つぐみN ・薄紅色の扼痕 /霜陰雅智N ・海も枯れるまで(HO1) /揺風波音N ・うらおもて /双葉潮 ・永久の一日 /敷浪惚N ・S村事件についての考察 /澄川透 ・択ぶ魂刻師(予定) ・エンジェル・デビル・インプロパー(HO悪魔) /エレN ・縁と命はつながれぬ /咲洲輝凪 ・おい、電車に牛丼挟んだ奴誰だよ /天満らむね ・お酒こわい /宮ヶ瀬綺純 ・御一人様ですか!? /澄川透N ・お前がママになるんだよ! /魚住潤 ・御曹司オペラ /九重弥白N
・カーテン��ールは手の中に /霧裂瞳子 ・怪傑倶楽部義勇奇譚(予定/HO鼠) ・かいぶつたちとマホラカルト(HO1) /牙峰澯N ・欠けた片割れの星 /宮ヶ瀬綺純 ・彼方からの君に捧ぐ(予定) ・がなる切っ先と硝子ペン /毒島健治N ・神はサイコロを振らない /灰方霞 ・カリガリ博士のキャビネット /花浴栄華N ・関西大日本帝国(HO1) /漆戸景N ・ギガンティック☆ギャラクシー☆ツアー /中溝染N ・ぎこちない同居 /桜雷照N ・黄添高校怪奇忌憚 /真鶴詩沁N・渡中井のえるN ・君隠れしの誰そ彼刻 /源悠奈 ・君におはようといえたら /渡鳥彼方 ・キミは神推し? /星浦まりん ・きみはここにいた(HO3) /双葉潮N ・狂気山脈~邪神の山嶺~ /渥美開N ・京都怪異譚(HO1) /濡羽群青N ・共有せよ /汐見きら ・虚箱 /入田・S・渚N ・僅差平行のヴェルダンディー /漣夕陽 ・空中ブランコ乗りのエリー /淡辺ナディアN ・腐っても探索者! /蘭鋳霑N ・99 /湯翠雨N ・クソキノコの恐怖~このクソキノコはどこまでも~(HO2) /マイカ ・口裂け女 /宮ヶ瀬綺純 ・Good morning All(予定/HO不老不死) ・クロッカスはリナリアを見ない /初台湊N ・KPCが知らないおばさんと健康飲料売りにきた /漣夕陽 ・月面世界(HO地球人) /遠浅マヒナN ・こゝろ(HO2) /霽月紘希N ・孤独の密室 /入田・S・渚L ・コンティニュエーション・ベット /灰方霞
・囀りとメメント(予定/HO2)  ・サファイアの月(HO2) /蓮池・Q・魅夜N ・36℃のMSゴシック /龍海マーメイドN ・三色の部屋 /星浦まりんN ・幸せな夫婦 /淡辺ナディア ・死者のストンプ /メルヴィン ・死にたがり電車 /敷浪想 ・死ね!花粉 /湯紫耀N ・蹂躙するは我が手にて(HO3) /シスネ・C・テティスN ・心臓がちょっとはやく動くだけ /甘露寺心N ・人類は何故パンツを履くのか? /宮ヶ瀬綺純 ・Sweets xxxxx Lend /滝留磨生 ・好きです、○○さん /要害汀月 ・ストラフトン山の火 /メルヴィン ・絶世美人 /汐見きら ・絶望の孤島 /汐見きら ・遭難者C /渥美昇 ・ソープスクール(HO3) /雫川鴇羽 ・そして、誰がいなくなるのか?(HO4) /チェイスNL ・その命を捧げよ /汐見きらN ・その真紅に愛を見る(HO召使) /緋臆深令N ・空の色すら知らない(HO3) /ハイドランジェラN ・空の観客席から拍手喝采を! /宮ヶ瀬綺純
・太陽と月と眼 /沸井幹斗N ・たすくの手 /汐見きら ・魂の行方(HO2) /大淀颯N ・誰かがメス堕ちしないと出られない部屋 /走潟当N ・誰がロックを殺すのか(HO2/ベース) /龍海サンゴN ・タンサクシャシッソウダービー /頭夢児冰御 ・チャルディーニの法則(HO1) /黒沼燗那N ・丁々発止と撃鉄を /メルヴィン ・辻斬り!おちんちん侍 /マルチンN ・デウス・エクス・マキナは死んだ(HOヒト) /フェザーN ・天才アイドル南アリサは何故死んだのか?(予定/HO2) ・天使のつくりかた /梵霰 ・天使の密室と不浄のロザリオ(HO3) /ディアN ・同居人 /城山洋一L ・毒入りスープ /灰方霞N ・頭夢児島殺人事件(HO2) /頭夢児冰御N ・ともだち切符 /毒島健治 ・虜(HO2) /月野滉太郎N
・永すぎた前奏 /天満らむねN ・何をしたって言うんだ!? /双葉潮 ・なりかわり様 /敷浪想N ・ナンとカレーなダンスを! /ビチN ・汝、死を乗り越え目覚めを渇望せよ /入田・S・渚 ・庭師は何を口遊む(HO1) /漣夕陽N ・人間博物館 /メルヴィン ・ぬばたま落ちよ /宮ヶ瀬綺純N ・沼男は誰だ? /日向夏海NL ・ネリネ /鱓沢衣々瑠N ・脳筋夜行列車 /ジャンゴNL
・廃棄物 /源悠奈N ・Bye-Bye Summer Days(図書委員) /大橋浪漫N ・パスハの卵 /漂内うずら ・花園崩壊(HOスターチス) /マリオンN ・Paranormal Crime(HO3) /ベニコ・M・羽ヶ崎N ・Hello Hero(予定休止中・2話まで通過済/HO2) /敷浪恋N ・晩夏の聖処女(HO2) /洛輪太郎N ・パンケーキ夜行 /汐見きら ・Hand in Hand /凍崎つぐみ ・Pの正体 /真鶴深哉NL ・火点し頃の蜘蛛踊り(HO4) /南雲知朱N ・秘密と内証 /アイルN ・fearless(HO集合体恐怖症) /紫波岡善人N ・ブルー・スターズ・セパレート /メルヴィン ・ブリーディングボール /夕涼彗夏 ・ベッドから起きるのめんどくさすぎる!! /頭夢児冰御 ・ペットは私 /メルヴィン ・Help mew! /灰方霞 ・VOID(HO2) /菊花N ・紡命論とシンギュラリティー(HO2) /霪紅慰N ・僕と夏とサバ味噌サイダー /源悠奈 ・ぼくの考えた楽しいお部屋 /湯麗桃 ・綻びの家 /渦巻威風NL ・星の神話、エンドロール(HO1) /梵霰N ・ホットココアとマシュマロを。 /凍崎つぐみ
・MY SUPER DARLING! /星浦あくあ ・マザーグース・レス���ラン /頭夢児冰御 ・真夜中のサルーテ /灰方霞 ・真夜中のシークレットサーカス /梵霰 ・真夜中遊園地 /メルヴィン ・まれびとこぞりて /南雲知朱 ・Mamma Mia Vampire /滝留磨生 ・水底から呼ぶ者 /梵霰 ・見果ての綸紡(HO4) /梵雹N ・名探偵黒猫と大怪盗キャッツ(HO1) /滝留磨生N
・幽明境を異にして、(HO4) /轟鬼零N ・雪山密室 /渥美昇N ・ようこそ!迷冥市役所都市伝説課へ!(HO2) /霊仙祈N ・よるのしじまがやってくる /凍崎つぐみ
・ラーヘンデル・アイランド /宮ヶ瀬綺純 ・楽園パラノイア(HO1) /咲洲輝凪N ・リガロ /灰方霞 ・裡面世界の天蓋花 /日向夏海永L ・旅館の捕食者(HO3) /漂内うずらN ・りんごはあまい /甘露寺心 ・ルベライトジャム(HO4) /梵雪N ・レモン症候群 /漆戸景
・WORSTBUDDY-獣の覚醒- /双葉潮 ・海神の契約書 /湯麗桃 ・嗤う人間師(HO4) /マイカN ・悪い子だぁれ? /霧裂瞳子N ・ワンルーム・ディスコン(HO2) /狩湖飛菜N
★CoC7版 ・まずはダイスを振れ、話はそれからだ。 /メルヴィン ・The サイゼリヤ /メルヴィン ・紅文字 /メルヴィン
★インセイン ・この家は眠れない(PC2) /護国寺涙N
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2ttf · 13 years ago
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Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻��✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他���対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘��奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸���繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
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freefall7th · 3 years ago
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三峰山・平倉峰へ行ってきました 2022.7.2
みつえ青少年旅行村の駐車場から三峰山へ、足を伸ばして平倉峰まで行ってきました🏔
登りは不動滝ルート、下りは登尾ルートを歩きました。
八丁平でビショビショのTシャツ干しながらお昼休憩、最高の見晴らしでした☀
#三峰山
#三峰山八丁平
#登山
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hi-highmt · 3 years ago
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テント泊装備で奥武蔵縦走
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奥武蔵を縦走ついでに「歩荷練習も兼ねてしまえ!」と、元々は日帰り装備で歩く予定だったロングコースを大荷物で歩いて来ました。
武蔵横手駅からスタートし、愛宕山から北向地蔵、越上山、顔振峠、黒山三滝、関八州見晴台を経由して西吾野駅へ下りるという20キロ強の道のり。 今思えば、完全に無理のある(無謀な)計画でした…。 途中、辛過ぎて何度「エスケープ」の文字が頭を過ぎったことか。
写真は、最初に登る愛宕山。 武蔵横手の駅を出るなり進む方向を間違えて、この日最初のロスト。
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住宅街を抜け、水の綺麗な川を渡ります。
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YAMAPの地図とGPSでは横断歩道を直進となっていたけれど、正面にはお寺。 進んで良いのか迷っていると可愛い丸太の人形が方向を教えてくれました。 そうだ、だれかの日記で見たことがある…名前は確か「あたごくん」!
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お寺の境内を抜けて鐘撞き堂の前を通ると、 鐘付き中の住職さんから話し掛けられ、案の定荷物について聞かれました。 そりゃこんな所でテント泊装備を背負って歩いていたら気になりますよね…。
鐘撞き堂の脇の道を突き当たりまで直進すると、愛宕山への登山道の入口。 私は間違えて鐘撞き堂のすぐ後の池のところで右折して お墓の敷地に入ってしまい、本日2回目のロスト。
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先ずは栗林の中を歩いて行きます。
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鉄塔の脇を抜け、ここからが本当の登山道。 害獣除けの高圧電流を跨ぎます。 こんなに低いと動物も飛び越えられるのでは…?
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雨上がりで滑りやすい急坂を登り切れば、最初のピーク、愛宕山。 標高250m。山頂には神社の祠と鳥居があります。
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ここにも丸太の可愛い人形。馬、笑ってる〜。
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ベンチには小さなテーブルも付いています。
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ここからは細かいアップダウンの繰り返し。 途中、子どもの背丈ほどもある大きなウラジロシダ(裏白羊歯)が。
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2座目、水晶山。え、まだ標高266m。結構アップダウンあったよ???
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3座目、深沢山。標高350m。ジリジリと上がっていきますね。
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十字路に再びの「あたごくん」。
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沢山峠の十字路を通過して…
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4座目、西大峰。標高391m。あんまり上がってない…。
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またまた「あたごくん」登場。ここの子は名札付けてます。 で、あたごくんの指さす方へ行くと戻ってしまうので、私は北向地蔵へ。
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途中、斜面一面がウラジロシダに覆われたゾーンがありました。
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お久し振りの北向地蔵。今日の安全を祈願しました。
ここのベンチで5分ほど荷下ろし休憩。 休んでいると、目の前の山道へ入っていくトレランの方がいたので 私もつられてその道へ入ってしまったのですが…
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あれ?また愛宕山? そう、ここは通る予定じゃ無かったピーク。一応5座目。標高不明。 予定していた林道と並行に道が続いていて、元に戻れたから良かったものの、 これも一種のロストと言うことで、本日3回目。
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6座目、スカリ山。435m。ここで先にいたトレランの男性と暫しお喋り。 この後、新宿で「トップガン・マーヴェリック」を観るのだそうで。 凄い…私は山の後で映画館に行く元気は無いな〜。
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スカリ山からは武甲山の横顔も見えました。
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スカリ山からは急な岩場を下って行き、7座目の茶嶽山。標高450m。 ちなみにYAMAPでは茶ノ岳山と書かれています。
この後、いったん林道に出て舗装道路を歩くのですが、 登山道への入口を見落としてズンズン進んでしまい引き返しました。 これで本日4回目のロス。 今日は荷物の重さに気を取られて分岐の確認をし忘れてばかり…。
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気を取り直して8座目の蟹穴山。標高460m。
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ユルユルの道を進むと、突然開けた場所に出ました。
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眺望はなかなか良いけど、日焼けしそう…。
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その先には、コアジサイ(小紫陽花)ロードが待っていました♬
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その先の岩場を登って行くと、9座目の越上山(おがみやま)。標高566m。
実はここ、2014年に初めてのボッチ登山で訪れた記念すべき山でして。 その時は顔振峠からユガテへ抜けるショートコースでしたが、 初のソロ山行で当時の私にはドキドキの大冒険だったのを覚えています。 特にその時は山頂に誰も居なくて(ソロの男性が一人来たけど)、 眺望も無くて寂しいお山…という印象でした。
でも今日は山頂手前の危険な岩場を越える前から賑やかな声が…。 シニア5人組の皆さんがランチ中で、またもや荷物について突っ込まれ。 私も荷物を下ろし、立ったままランチを頬張りつつ皆さんと暫しお喋り。 この夏行く予定のアルプスや八ヶ岳について色々と教えていただきました。
別れしな「頑張ってるご褒美」とバウムクーヘンまで頂いて…。 「何だか新1年生のランドセルみたいだな!」というお声も 背中でしっかり聞いておりましたよ〜(笑 そんなにヨタヨタしてたかしら…?
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越上山からの下りが結構急で、顔振峠に着く頃には足の裏がジンジン痛く…。 8年前に来た時は時間が早くて誰も居なかった峠、今日は賑わっていました。 そうか、もう昼過ぎだもんね…。もうここでやめて帰っても良いけど…。
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とりあえず、黒山三滝へ向かう道へ��入り、展望台方面を振り返ります。 止めるなら今だけど…。でもでも、行っちゃえ!
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顔振峠からは砂利道を沢沿いに下り、川にぶつかると舗装道路に合流。 左手にズンズン下って行くと、渋沢栄一の従弟(かつ見立て養子)、 渋沢平九郎自決の地がありました。 「青天を衝け」の悲しいシーンを思い出し、思わず手を合わせて参りました。
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更に下ると、漸く黒山三滝の入口に到着! 日本観光百選なのか…埼玉に居ながら、その存在は去年知りましたよ私。
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滝へ向かう道沿いに咲いていたユキノシタ(雪の下)。 有り難いことに、この道沿いにはトイレも自販機もありました。
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迎えの滝。暑い日だからか、駐車場は観光客の車でいっぱいでした。
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小天狗滝(こてんぐだき)。 奥まで何段か続いているようでしたが、乳幼児連れのファミリーが何組かいて、テント装備ではすれ違えそうにないので諦めることに。
三滝全てを廻っていると時間的に厳しそうだったので、この小天狗滝の少し先の分岐から関八州見晴台方面への山道に入り、沢沿いの木陰で10分ほど休憩しました。
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長いロードを歩きを挟み、沢沿いの道を歩いていると目の前を��色い物体が! 大きな雌鹿が登山道を横切り、対岸からこちらを伺っていました。 カモシカには何度か遭遇したけれど、奥武蔵の山に鹿がいるとは…。 動揺してカメラの向きとピントが合ってませんが、何とか写ってますね。
見つめられて、小さく手を振ってみたら「キョーーーーーン!(文字化するのが難しい音)」と2回ほど大きく嘶いて、元来た斜面へと戻って行きました。
ハァ〜、ビックリした! けど、何だか元気をもらえたのか、そこからはハイスピードでガツガツ歩くことがで来ました。ありがとう、鹿!!!
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花立松ノ峠を越え、またロード歩きを挟んで再び登山道へ。 この尾根を歩いている時は吹く風が冷たくて風邪を引くかと思いました。
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そして緩い道に出たと思ったら…あの明るさは、山頂ですかね?
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正解!3年振りの関八州見晴台です。標高771.1m。 10座目にして、本日の最高峰!低い!
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ここに登るといつも山頂がガスっていて全然見晴台って感じじゃ無かったけど、今日は都心部など遠くまでよく見渡せました。
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そして山頂の手前はカルミア(アメリカシャクナゲ)ロード。
もう14:30だけど、ここで残りのランチを平らげました。 今日は疲れすぎていて、あんまり食べてなかったな〜。
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さぁ、後は駅に向かって下るだけ。 ��ずは丸山(展望台がある県民の森のとは別物です)のピークを越えて…
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高山不動まで下ったら…
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パノラマコースを下って、この看板の右下の道へヘアピンカーブで下るのですが、私は間違えて道なりに進んでしまいました(しかも右下に道があるのに気付いていたのに、今来た道の迂回路だと思い込んで…)。
名もなきピークを3つも越えてから「待てよ?ここまで下って来たのに今さらこんなにピークを越えるのおかしくないか?」と気付いてGPSを確認。 ヘロヘロになりながら、このムーミンの標識まで引き返したのでした。 これが本日5回目、最後のロスト。大荷物なのに、ロスト多すぎ!
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パノラマコースっていう割には眺望良くないな〜と思っていたら、 急に視界が開けました。ARによればアレが川苔山だというんですが、怪しい。
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何とかパノラマコースの入口まで辿り着きました。 ここは観光案内所、兼、お休み処だそうですが、どうやら無人のようでした。
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沢に沿ってひたすら歩き、最後に急坂を登れば西吾野駅にとうちゃこ〜! トータル21.4キロ。5回ロストした分だけで、優に1キロ越え。 いや〜、今日は本当に無駄に歩いた。腰骨にはザックの痕がクッキリでした。 良い子のみんなは、絶対に真似しないでね〜!
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herbiemikeadamski · 3 years ago
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 5月4日(水) #先勝(丁巳) #みどりの日 旧暦 4/4 月齢 3.3 年始から124日目(閏年では125日目)にあたり、年末まではあと241日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃‍♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 🙏「大大大寝坊の巻き」🤣😆🤣💦 今日は「お風日(オフビ)」なので 構わないのですけどね😅💦でもチト 遅すぎますよね⤵️⤵️⤵️お風日が良い 事に昨夜はAmazonプライムvideoを見過ぎ ました✋コールドケースってのに嵌ってて 吉田羊さんが素敵なのと三浦友和が 渋くなったなぁ~って観てますが😅💦 三浦さんの全盛期は鼻にもかけずに ってか、ずっと無視してたけど良い 俳優さんですよね✋永山君も滝藤君 も良いし、光石さんのネコさんも良いw 洋物のコールドケースは観た事ないが面白❓ 今日は「爺夢活(ジムカツ)」ないので のんびりです🤣😆🤣💦デハデハ🙏🙏 . 今日一日どなた様も💁‍お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋‍ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #マナスル登頂女性初. 1974(昭和49)年5月4日(土)、中世古直子ら率いる中世古直子ら日本人女性登山隊がマナスルの登頂に成功した。  初の女性による8000メートル峰の登頂となった。  しかし、残念な事に翌日5日に隊員の一人が遭難し行方不明のままである。 .  マナスルは、ネパールの山でヒマラヤ山脈に属し、標高8163メートルは世界で8番目に高い山である。  山名はサンスクリット語で「精霊の山」を意味する"Manasa" から付けられている。  日本人での初登頂は1956(昭和31)年5月9日(水)に、今西壽雄ら日本隊によって達成されている。  後の日本登山界に画期的な影響があり、空前絶後の登山ブームを巻き起こすなど社会現象になった。 . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。  寝坊は、もっての他とされますね😅💦 . #不成就日(フジョウジュビ). 選日の一つである。 何事も成就しない日とされ、結婚・開店・子供の命名・移転・契約・芸事始め・願い事など、事を起こすことが凶とされる。 市販の暦では他にも色々なことが凶となっていて、結局は全てのことが凶ということになる。 . #高級食パン文化月間(4月8日~5月9日)  高級食パン専門店「銀座に志かわ」を全国に展開する株式会社銀座仁志川が制定。 4月8日の「高級食パン文化の日」をスタートに、5月9日までの32日間にわたり新しい食文化としての高級食パンをとくに味わってもらう期間を  設けることで、高級食パンの魅力を長く伝えていくのが目的。  日付��4と8で「食パン=し(4)ょくパ(8)ン」の語呂合わせから。 . #エメラルドの日.  美しい緑色の宝石エメラルドをアピールするために、コロンビアエメラルド輸入協会が制定。  エメラルドの宝石言葉は「愛と幸福」。  5月の誕生石としても知られている。  日付は緑色の連想から「みどりの日」と同じ日に。  宝石用のエメラルドの80%以上がコロンビア産といわれる。 . #ラムネの日. . #みどりの日(国民の祝日). . #口臭ケアの日. . #糸魚川ヒスイの日. . #スターウォーズの日(#starwarsday) . #しらすの日. . #うすいえんどうの日. . #巻寿司の日. . #ゴーシェ病の日. . #ファミリーの日. . #競艇の日. . #ノストラダムスの日. . #植物園の日. . #名刺の日. . #みたらしだんごの日(毎月3,4,5日). . ●ヘイマーケット事件. . ●カシンガの日(ナミビア) . ●ラトビア独立宣言の日. . ●#国際消防士の日. . ●フィジー青年の日. . ●1949年の五四運動にちなむ記念日。 . ●オランダ戦没者記念日. . . ■今日のつぶやき■. #青葉は目の薬(アオバハメノクスリ) 【意味】 青葉のみずみずしい緑色を見ると目の疲れが癒されると云う事。 . . 1994(平成6)年5月4日(水) #伊藤沙莉 (#いとうさいり) 【女優、元子役、ナレーター、タレント、 ダンサー、歌手】 〔千葉県〕 . . (牧野記念庭園) https://www.instagram.com/p/CdHeljzvF9SugBkh46e-rB-cW2QlzqWnVdJd7g0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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kachoushi · 4 months ago
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各地句会報
花鳥誌 令和6年10月号
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坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和6年7月1日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
浜木綿を染めし落暉の日本海 かづを ナースとて香水ほのと香りたり 同 風に波打つまで育ちゐる青田 同 網戸越し松に鴉が羽繕ひ 清女 這ひ出でし苔を褥に夏の蝶 笑子 青梅雨の沖へ沖へと藍深む 同 産土の茅の輪くぐりに星が降り 希子 女達噂話や梅雨しとど 和子 虚子愛子柏翠句碑に大夕立 匠 蛍や自害に果てし一城主 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月4日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
夏の雲飛行機雲に結ばれて 喜代子 狭庭にも大株四葩二本咲き 由季子 天筆に今年も祈る星祭 都 パナマ帽モボモガの世に生きた親 同 青すだれ隣家の灯り遠くなり 同 単衣着て白き衿足なまめける 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
梅雨の蝶なれば鼓動のやうな翅 順子 阿羅漢に逢ふには黒き麻を選り 同 蚊遣香きれいどころを紫に 光子 剥落の喜怒哀楽の貌涼し 風頭 金ピカの阿弥陀炎暑を撥ね返す 佑天 遅れ從く行人坂の上に夏 昌文 唇うすき五百羅漢の薄衣 同
岡田順子選 特選句
茄子植うる角を曲りて羅漢寺 和子 阿羅漢の肋へ夜々の早星 光子 女人描くやうに蚊遣の煙かな 和子 朝涼に羅漢千ほど詣でけり 軽象 羅漢へは夏の讃美歌届かざる 俊樹 水鉄砲水に沈めてゆく遊び 和子 汗の我汗無き五百羅漢像 緋路
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
いそいそと出かける母の洗ひ髪 成子 原罪を忘れしごとく髪洗ふ 朝子 髪洗ひ沛然の夜を深眠り 美穂 身体の壺深くせむ泉湧く 同 蝙蝠となりイザベラの墓を守る かおり 無限とはあの夏雲のあふれやう 朝子 遠ざかる汽笛を胸に髪洗ふ かおり 待つ事に慣らされたかなソーダ水 修二 昼寝覚また見失ふ青い鳥 かおり いいかげんな返事はできぬ滝の前 睦子 地の底に坑道のあり夏薊 朝子 水海月ニュートリノとは身の不才 久美子 青く浮く水の惑星飛ぶ蛍 光子 群るること嫌ふ子の飼ふ目高かな たかし 手の中に捨つるつもりの落し文 美穂
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
炎帝や新幹線の響動もせり 時江 汗の顔拭いても直ぐに汗の顔 みす枝 蛍の夜君と辿つた田舎道 和子 網戸より青き大空真清けし 時江 雲の峰向けて大きなホームラン みす枝 羅に齢見せたり隠したり 世詩明 万緑の中に抱かる風化仏 時江 弁解はすまじと白扇閉ぢらるる 昭子 老いたれば野盗の如く西瓜喰ぶ 世詩明 魂の抜けて極楽大昼寝 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月8日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
すこやかと母の昼寝のたのもしき 和魚 入道雲更に一段気負ひ立つ 秋尚 昼寝して疲れひと先づ剥がれゆく 貴薫 妣の忌や水やうかんの三姉妹 美貴 入道雲夢語り合ふ部活の子 同 保母泣かせ昼寝の時に元気な児 エイ子 海風に昼寝誘はれ母の膝 史空 束の間の午睡ゆらゆら旅の途中 のりこ 離れ島入道雲に呑み込まれ 史空 よく冷えて角立ちてをる水羊羹 三無 入道雲掴みきつたるクレーン車 同 今少し続きに未練昼寝覚 秋尚 定期船入道雲に溶けてゆく 史空 昼寝さめ穂高の風は空の色 ます江 幼子の昼寝絵本を抱きしまま 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
断面のやうなビル窓夕焼けて 都 アイスコーヒー別れるために会ふ人の 同 火取虫灯りともせばあらあらし 和子 狛犬の口を漱ぐや男梅雨 美智子 さらばへて汗もかかずに老いてゆく 悦子 目の前の影と思へば蚊喰鳥 宇太郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
非常なる毛虫退治も日常に あけみ きようだいが内緒の話ハンモック 裕子 今日を無事に終へて夜風と衣紋竿 同 山寺や山あぢさゐの道になり 令子 蛍飛ぶ幼き頃を誘ひ出し 光子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
滴りに苔むす岩の息づかひ 多美女 凌霄花掴まり処なき揺れて 亜栄子 早苗饗やのんびり浸る露天風呂 幸風 解体の決まる旧家や釣忍 百合子 葛餅を分厚く切りて客迎へ 美枝子 葛餅のギヤマン盛の重さかな 文英 涼しげに楓日傘の年尾句碑 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月16日 萩花鳥会
七月場所若手の力士続続と 祐子 雷神へ千の手拝む千年の樹 健雄 水田に波紋広げて梅雨に入る 俊文 今咲いた深夜の電話月下美人 恒雄 仙人掌の生きぬく力強きこと ゆかり 夕立の真つ只中の下枝かな 吉之 雷鳴に負けじ響くや母の声 明子 母逝きて幾年たちぬ仙人掌花 美恵子
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令和6年7月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
無雑作に立て掛てあり古葭著 雪 青葉木菟夜は淋しと鳴くならん 同 此の􄼫に金色飼はれし師の月日 同 足羽山はみだして来る蟬時雨 かづを 万緑を鎧ふ最古の天守閣 同 風鈴や此の先老をどう生きる 真喜栄 一と日毎老鶯の声啼細る 英美子 半百生鯖より蛸の足を買ふ 賢一 草を引く予定は未定なる気まま やす香 蛍の夜君と語りし田圃径 みす枝
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月17日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
加賀鳶の夕顔の種翔しけり 世詩明 朝顔の晒したてなる朝の雨 同 梅雨の灯に手相見る癖ケセラセラ 清女 牽牛花の螺旋昇るや夢連れて 千加江 朝顔や父母ゐなく実家もなく 令子 夏のシャツざぶざぶ洗ふ達者に洗ふ 同 いとさびし師の忌が一つ増えた夏 淳子 雲の峰背ナに担ぎて手を振れり 和子 朝顔の咲いて嬉しきことも無く 同 荒梅雨や工事現場にヨイトマケ 数幸 光陰を渦に背負ひし蝸牛 雪 サングラス顔を隠してゐるつもり 同 光りたき所に光りゐる蛍 同 又の世も火蛾と生まれて灯を恋ふか 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月19日 さきたま花鳥句会
山百合や日に三本の村のバス 月惑 しなやかに見沼の青田穂を孕む 八草 翡翠を待つ三脚の影伸びて 裕章 はたと止む平家の里の夜の蟬 ふゆ子 梅雨明けて肌に塗るもの一つ増え としゑ 葉は枯るも生きてゐるよとミニトマト 恵美子 けだるげな猫の往診暑気中り みのり 酔芙蓉午後の日差しに色の濃く 彩香 愛想なき冷たさが好き竹婦人 良江
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令和6年7月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
隠沼の何処に存すか牛蛙 文英 炎帝を弾きとばして母の塔 三無 雨上り烈日をあぶ蟬と吾 久子 夏の沼水切りの輪閃閃と 三無 みんみんの遠く近くに読経めく 慶月 琅玕の風をたわわにアッパッパ 幸風 隠沼を揺さぶる響き牛蛙 亜栄子 漢��く灼けし空缶蹴りとばし 三無
栗林圭魚選 特選句
ご褒美はお花畑の大饗宴 白陶 水無月の乾き切つたる空となる 秋尚 炎天の隠れやうなき径白き 同 父母と黴の匂ひや里の閨 経彦 沼いつも古色を湛へ蜻蛉生る 千種 石仏の錆びし錫杖金絲草 亜栄子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和6年7月22日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
金漿つけしお羽黒とんぼ登場す 雪 蝙蝠や国府の名残り路地路地に 同 真白なる羽根たたみたる火蛾の果て 同 夕方に雲の集まる男梅雨 たけし 宮涼し巫女の舞ふ袖ふくらめり 同 柿葺閂錆し竹落葉 同 蟬時雨一山丸ごと震へをり みす枝 夫逝きし庭より聞こゆ青葉木菟 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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judachigeiju · 7 years ago
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紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
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七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝いに渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
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杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の水鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
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十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里だった。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
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七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
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山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り��していた。熊野の神に勝ったのだから確かに白耳義は赤い悪魔だった。
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八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
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尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パンツに着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だっただろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
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七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス欠リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん下着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
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七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
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三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社を訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
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県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰い���。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
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近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田��神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
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雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
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xf-2 · 7 years ago
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 ご家族の高齢化もあり(ということは被害者も高齢化していくということで)、ここしばらく、救出運動の中で「もう待てない」という言葉が何度も語られてきました。
 しかし、今回の米朝首脳会談を基礎にして拉致問題の今後の対応を進めるなら「いつまでかかるか分からないが、まだ待て」ということになります。ストックホルム合意の二の舞です。日朝でやるといっても米国が体制を保証し、米韓合同軍事演習も中止して、場合によっては在韓米軍も撤退させるというのでは北朝鮮の最大の脅威はなくなったわけで、真面目に交渉に応じるはずはないからです。
 日本がカネを出さないといっても、トランプ大統領が「非核化のカネは日本と韓国が出す」と言ったのは安倍総理も何らかの言質を与えたからでしょう。「そのうちうまいこといくからさあ、今は我慢して出しといてよ」と言われても、米国頼みでやってきたのですから断ることはできないでしょう。やり方はどうするのか知りませんが、国民が止めなければ結局その方向に向かうはずです。
 トランプ大統領が米韓合同軍事演習を「挑発的な戦争ゲーム」とし、「カネがかかるからやめる」と言ったのは米国の中でも驚きをもって受け入れられているようです。予測不能な大統領ですからこれからも何をするか分かりません。本当に「もう待てない」なら、今回の米国頼み戦略(?)は失敗だったという認識の上に新たな戦略を立てるべきです。そうしなければミッドウェーの後の帝国海軍のような結果になるのではないでしょうか。
北朝鮮船・船体の一部・遺体の着岸漂流一覧(平成30年6月1日現在確認分) 《平成28年(2016)以前》------------------------------------------------- ※確認出来たものを逐次入れていますが、あくまで氷山の一角です。実際には遥かに多くの事件が起きています 昭和62年(1987) 1月20日 福井沖 漁業資源監視船「ズ・ダン9082号」(約50トン・鉄鋼船)が男女11人を乗せて亡命。(620201読売東京) 平成2年(1990) 10月28日 福井県美浜町久々子海岸 ベニヤ板製の工作子船と思われる船(長さ8.3m幅2.5m 船底からビニール袋に密封された乱数表2枚と換字表1枚、日本製とみられる白紙の手帳)(021030読売東京) 11月2日・11日 美浜町沖合や海岸 遺体2体(20代~40代) 平成10年(1998) 12月2日 島根県隠岐郡西ノ島町 遺体1体(男性) 12月16日 島根県浜田市 遺体1体(女性) 12月16日 島根県隠岐郡五箇村(現隠岐の島町) 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 12月21日 石川県河北郡七塚町(現かほく市)遠塚海岸 遺体1体(女性兵士・労働党候補党員証を身に着けていた)。 12月25日 福井県大飯郡高浜町和田海岸 丸太組みのいかだとロープでつながれた男性遺体3体(軍服姿、腐乱し一部白骨化、死後1~3カ月 30~50代、身長1m60~70センチ 胴体と足に直径約20センチの球形ブイ数個が付いていた)。(101225読売大阪夕刊) 平成11年(1999) 1月14日 福井県三方郡三方町(現三方上中郡若狭町) 遺体1体(北朝鮮軍上佐とみられる。「私たちの船は朝鮮人民軍26局4地区副業船、船籍は元山市」「昨年11月に兵士ら15人が乗船して出港したが機関故障で冠水、漂流した」と書かれたメモや航行に関する書類)(110127読売大阪夕刊) 1月22日 鳥取県鳥取市浜坂鳥取砂丘 遺体1体(北朝鮮軍兵士)(110127読売大阪夕刊) 平成13年(2001) 12月16日 遺体1体(男性・30~60歳 一部白骨化 紺のランニングシャツと緑色のパンツ 死後2~3カ月 数百m離れた場所に男性の北朝鮮公民証)(131231読売東京) 12月 新潟県佐渡市鷲崎海岸 木造船(ハングルで洪原と記載)・遺体1体(赤十字の照会で「1955年生まれで昨年10月8日漁に出たまま行方不明になった」とのこと)(140129読売新潟北版) 平成14年(2002) 1月4日 石川県能美郡根上町(現能美市)山口町グリーンビーチ 木造船(長さ約6m)(140108読売石川版) 1月5日 石川県羽咋市一ノ宮海岸 木造船(長さ約6m 前方にハングルと数字)(140108読売石川版) 1月9日 石川県河北郡宇ノ気町(現かほく市)大崎海岸 木造船(長さ約3m、幅約1.5m ���方にハングルと数字)(140110読売石川版) 1月11日 石川県羽咋市大川町釜屋海岸5日の木造船漂着地の南500m 鉄製船(長さ約5.9m幅約1.5m船首に文字らしきもの) 3月19日 石川県輪島市小池町海岸 木造船(長さ6.5m幅2.5m 後部に発動機。船首部分内側にハングルが書かれたプレート)(140320読売石川版) 4月11日 北海道爾志郡熊石町(現二海郡八雲町)見日海岸 木造船(長さ約6m70センチ幅約1m50センチ 船尾にスクリューがあったがさびて動かずエンジンも付いていなかった)(140411読売札幌版夕刊) 12月28日 石川県河北郡内灘町宮様海岸 遺体1体(身長約1m62、20~50歳、死後1~6カ月、金日成バッジ) 平成15年(2003) 1月10日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷の消波ブロック 遺体1体(頭部白骨化、身長約1m70、黒の長袖シャツと黒の靴下)・木造船(長さ約9m幅約2m船首部分に漁網) 3月5日 新潟県柏崎市海岸 遺体1体(男性・20~40歳 下半身のみ 165㎝  茶色作業ズボン、青色ももひき、黒色半ズボン、北朝鮮紙幣死後半年前後) 平成16年(2004) 12月2日 新潟県佐渡市 遺体1体(男性 40~60歳 152.5㎝ B型カーキ色軍服様長袖、カーキ色軍服様長袖シャツ、グレーハイネックセーター、青色長袖シャツ、茶色ベルト) 平成18年(2006) 1月4日 京都府舞鶴海上保安部管内 木造船(180131読売大阪朝刊) 1月 鳥取県内に4隻の木造船が漂着(180126読売大阪朝刊) 1月24日 鳥取県西伯郡大山町 木造船(180126読売大阪朝刊) 1月25日 鳥取県鳥取市伏野海岸 木造船(長さ5.65m幅1.4m)(180126読売大阪朝刊) 1月30日 京都府京丹後市久美浜町箱石海岸 木造船(180131読売大阪朝刊) 平成19年(2007) 6月 青森県西津軽郡深浦町 木造船・生存者4人 (191227読売東京夕刊記事)11月中旬以降北朝鮮からの木造船16隻が漂着、新潟と石川の海岸が大部分。 平成20年(2008) 1月10日 福井県福井市西二ツ屋町海岸 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船尾に船外機、船首にハングルが彫られていた)(200112読売大阪朝刊) 3月26日 秋田県男鹿市北浦入道崎海岸 木造船(長さ約5.8m幅約1.4m 側面や船尾にハングル)(200326読売秋田版) 平成23年(2011) 9月 輪島市沖合で木造船に乗った脱北者9人を救助(後に韓国に移送) 9月26日福井県三方郡美浜町関電美浜原発敷地内の岩場 木造船の一部(230927読売大阪朝刊) 平成24年(2012) 1月6日 島根県隠岐郡隠岐の島町那久岬沖 木造船・生存者3人(9日に北に引き渡し)・遺体1体(241224読売島根版) 1月19日 島根県隠岐郡��岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月22日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 2月27日 島根県隠岐郡海士町 木造船(241224読売島根版) 4月4日 島根県隠岐郡隠岐の島町 木造船(241224読売島根版) 11月28日 新潟県佐渡市大小海岸 木造船(長さ約12.8m幅約3.4m エンジン 船首にハングル 捕った魚を保管するスペース)・遺体5体(成人男性 雨具とみられるビニール製のズボンを履き、船内に長靴 死後2~3カ月 一部白骨化 長時間海水に漬かっていた形跡があり、船が一度沈没した可能性 1体は推定年齢30~40歳代前後、身長約170cm、長袖灰色シャツ、紫色ハイネックセーター、赤色半袖Tシャツ、 下衣は紺色ナイロン製ズボン、灰色ズボン、水色スウェットズボン、 黒色ボクサーパンツ、黒色靴下ほか紳士用黒色デジタル腕時計着用)(241129読売新潟版他) 12月1日 新潟県佐渡市赤泊杉野浦の海上 木造船(長さ約10m 船内からイカ釣り用の針)・遺体1体(年齢40~50歳前後の男性 死後1~2カ月 胃の中に食べ物なし 遺体は屍蝋化 身長約167cm、 着衣は緑色ニット帽、紺色フード付長袖ジャンパー、黒色長袖作業着、紺色ベスト、 胸に鷲マーク入り紺色長袖トレーナー、紺色ランニングシャツ、 下衣は灰色防寒ズボン、ホック式ベルト、紺色ビニール製ズボン、こげ茶色股引、 緑色ブリーフパンツ、両足に白色と小豆色の格子柄靴下、 ゴム製長靴(サイズ25.0cm、上部中央ハングル)着用) 12月1日 新潟県佐渡市北鵜島の海岸 木造船の一部(右舷部分とみられる長さ約4メートルの木片 船首付近にハングルと数字) 上記の者は、平成24年12月1日午後0時13分頃、佐渡市において、 転覆した木造船内にて遺体で発見され死後1~2カ月経過していると推定されます。 遺体は火葬に付し、遺骨は当市の真楽寺にて保管)。12月12日 石川県輪島市 木造船(長さ約11m幅約3.5m 船首両横にハングル、漁網や釣り針)内から遺体1体(一部白骨化) (270110読売記事では「輪島市沖合で木造船の漂着や漂流が相次ぎ、漂流した船体の近くで3遺体が見つかる」) 平成25年(2013) 11月15日 新潟県佐渡市沖の海、姫津沖約5.5キロ、木造船(船尾水没 操舵室上部に赤い塗料でハングル、ジャンパーのような衣類) 12月18日 新潟県岩船郡粟島浦村 木造船(長さ約12m・幅約3.5m 船首にハングル 船内からイカ釣り漁の針や「朝鮮平壌」と書かれた箸)・遺体1体(身長約1m75センチ、防寒ジャンパー着用・死後数週間)(251218読売東京朝刊) 12月25日 秋田県男鹿市北浦湯本 木造船(長さ約12m幅約3.5m船内に漁網など)・遺体3体(251225読売秋田版)※300512時点でも現存 12月28日 新潟県長岡市寺泊野積海岸 木造船(長さ8.25m幅2m 船首に数字やハングル)(251229読売新潟南版) 12月29日 新潟県柏崎市西山町石地海岸 木造船(長さ6.6m幅1.7m 船首に数字やハングル)(251230読売新潟南版) 平成26年(2014) 8月 石川県珠洲市沖合で北朝鮮船の乗組員4人救助(後に大連経由で帰国) 平成27年(2015) 1月9日 石川県羽咋郡志賀町安部屋漁港北400m 木造船・生存者1人(服などが入っている透明ビニール袋を所持 61歳 後に帰国) 7月23日 青森県下北郡佐井村矢越漁港 木造船1隻(271209読売) 10月27日 青森県下北郡佐井村福浦漁港 木造船1隻・遺体1体(271209読売) 11月1日 秋田県山本郡三種町沖 木造船(271209読売) 11月2日 秋田県男鹿市 木造船(271209読売) 11月14日 新潟県佐渡市岩首漁港沖 木造船(長さ約13m幅約3m 黒ずんだ船体にハングル リュックサックに金正日バッジ)・遺体1体(上下黒の衣服)荒天のため12月2日に海保が引き揚げ発表 11月 石川県輪島市沖木造船3隻・遺体10体(産経ニュース・ TBS動画ニュースサイト・毎日新聞11月28日) 11月6日 北海道松前町沖 木造船・遺体2体(271107読売東京朝刊) 11月14日 新潟県佐渡市沖 木造船・遺体1体(271209読売) 11月19日 秋田県能代市沖 木造船・遺体2体(271209読売) 11月20日 石川県輪島市沖 木造船3隻・遺体10体(271209読売) 11月22日 福井県越前町沖 木造船・最低でも7人とみられる遺体・遺骨(271209読売) 11月22日 新潟県佐渡市沖 木造船(271209読売) 11月23日 石川県輪島市沖 木造船の一部(271209読売) 12月2日 青森県下北郡佐井村長後牛滝漁港 木造船(船内にハングルの書かれた救命胴衣)・遺体4体(海保の司法解剖結果で死後1~6カ月経過 靴にハングル)(271207・1209読売東京朝刊) 12月2日 兵庫県美方郡新温泉町沖 木造船の一部(271209読売) 12月7日 石川県金沢市沖 木造船(271209読売) 平成28年(2016) 5月20日 青森県下北郡風間浦村易国間桑畑漁港近く 木造船(長さ約6.7m幅約1.5m 左舷船首部分にハングル)(280522読売青森版) 6月5日 青森県むつ市大畑町大畠漁港沖 木造船(全長約9m幅約2.3m 船体に海藻が付着 右舷船首部分にハングル)(280607読売青森版) 10月17日 青森県西津軽郡深浦町沖(十二湖駅近くの岸壁に引航) 木造船(281018読売青森版) 10月18日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(長さ12m ズック、手袋、靴下など)(281029読売青森版他) 10月29日 青森県下北郡佐井村牛滝漁港 木造船(長さ6.2m幅2.53m)(281029読売青森版) 10月30日 青森県つがる市七里長浜 木造船(長さ16.2m幅4m 船首に赤色数字 船内にロープや網)(281101読売青森版) 12月5日 京都府舞鶴市 木造船(北朝鮮5000ウォン紙幣2枚、漁具など)・遺体9体(一部白骨化)(TBSあさチャン) 《平成29年(2017)以降》--------------------------------------------------- ※出典については逐次書き加えています。石川関連のほとんどが北國新聞、新潟関連の大半は新潟日報の記事です。 平成29年(2017) 1月1日 新潟県糸魚川市筒石 木造船の一部 1月6日 新潟県上越市柿崎区 木造船 1月6日 福井県三方郡美浜町菅浜弁天崎南1キロ 木造船(船体にハングルのような文字 船内にエンジンの一部とドラム缶)(290106読売大阪朝刊) 1月7日 福井県小浜市犬熊 木造船 2月7日 島根県隠岐郡隠岐の島町神尾 木造船 2月11日 石川県金沢市 木造船 2月15日 京都府京丹後市間人 木造船 2月15日 京都府舞鶴市瀬崎海岸 木造船 3月8日 島根県隠岐郡隠岐の島町油井 木造船 3月14日 石川県輪島市門前町 木造船の一部 3月18日 石川県羽咋郡宝達志水町 木造船(長さ約5m幅約1.5m 船尾の白い板にハングル)(271209読売) 3月22日 石川県羽咋市寺家町 木造船 3月28日 京都府京丹後市 木造船 4月28日 秋田県男鹿市入道崎灯台西300m 木造船(長さ約10m幅約5m)・遺体1体 5月1日 北海道函館市函館港 木造船の一部 5月2日 新潟県佐渡市石名地区 木造船 6月1日 新潟県佐渡市鷲崎地内 木造船 6月26日 兵庫県香住町余部海沖 木造船(「0제16749」と記載 男性遺体1体身長約168センチ) 7月31日 島根県隠岐郡隠岐の島町福浦 木造船の一部 8月9日 島根県隠岐郡西ノ島町三度埼 木造船 9月6日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船 9月25日 北海道室蘭市東町 木造船の一部 11月7日 新潟県佐渡市羽茂三瀬地区 木造船(長さ13.7m幅3.7m 「888-88879」の数字記載) 11月15日 秋田県西400キロ沖(大和堆北方EEZ外)転覆した木造船 3名救助 11月16日 秋田県西沖(大和堆)木造船 遺体4体 11月16日 秋田県にかほ市 木造船 11月19日 青森県北津軽郡中泊町小泊 木造船(長さ8.7m) 船体にハングル表記 11月20日 青森県西津軽郡深浦町大間越 木造船(長さ12.6m 「913185」の数字記載。スクリューやエンジンが残っていた)周辺で救命胴衣6個発見 11月21日 山形県鶴岡市暮坪海岸 木造船(長さ7m) 船体にハングルや「89829」の数字が記載(庄内ブルーリボンの会資料には全長10mとの記載あり) 11月23日 新潟県佐渡市南片辺 木造船(長さ約10m幅約2m 船体にハングルと数字が記載 エンジン 周辺から漁網やイカ釣り針、防寒具など) 11月23日 秋田県由利本荘市マリーナ 木造船(長さ20m) プレートにハングルで「チョンジン」と記載。生存者8名 内2名が近くの民家に行ってインターフォンを鳴らしたことで上陸が分かる(従って検疫を受けずに上陸した9。証拠品である船はマリーナに係留していたが県警が見失い、後に破片の一部を回収。 11月24日 秋田県男鹿市宮沢 木造船(長さ約14m幅約3.2m 船首付近に「556-60756」と記載)・遺体8体(白骨化)・北朝鮮製たばこ等 11月25日 新潟県佐渡市藻浦崎 木造船の一部(「88737」の記載)・遺体1体 11月26日 新潟県佐渡市石花 遺体1体 11月26日 北海道松前郡松前町小浜 木造船の一部(船首部分長さ4m 黒く塗られ数字のようなもの記載) 11月26ないし27日 青森県西津軽郡深浦町艫作(へなし)椿山展望台西200m 木造船(船首部分に「2093」の数字が記載) 11月27日 石川県羽咋郡志賀町西海 木造船の一部 11月27日 石川県羽咋市 木造船 11月27日 石川県珠洲市三崎町小泊沖 漂流船(長さ12m幅2.5m 船内に「264軍部隊 軍船」と記載された紙片) 11月27日 青森県下北郡佐井村 木造船(長さ12.3m幅3.6m 船首に115489 エンジン付き 後部は一部破損するも櫓はほぼ原型) サイズ24センチ男物革靴(ヒールの高いシークレットブーツ様のもの)と英文の書かれたジャケット(要確認) 11月28日 北海道松前郡松前町松前小島 木造船(長さ約10m 「朝鮮人民軍第854部隊」との記載)・生存者10名 11月28日 山形県鶴岡市鼠ヶ関沖 木造船・遺体3体(うち2体の衣服に金日成バッジ) 12月2日鶴岡市温見漂着、12月4日遺体漂着 11月28日 石川県輪島市舳倉島沖 漂流船2隻 11月30日乗組員21名が北朝鮮僚船に救助される。 11月30日 新潟県佐渡市藻浦崎 遺体1体(地元で聞いた話では遺体はなかったとのこと) 12月1日 青森県西津軽郡深浦町森山海岸 木造船(長さ約10m幅約2.4m) 12月1日 新潟県佐渡市両津湾 木造船 12月1日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部 12月2日 新潟県佐渡市小木江積海岸 木造船(長さ約9.8m幅約2.3m)・遺体2体 12月2日 秋田県山本郡八峰町八森岩館付近海岸 木造船(ハングルの書かれたバケツ)・遺体1体 12月2日 山形県鶴岡市米子漁港 木造船(長さ10m弱)遺体3体(4日に漂着 庄内ブルーリボンの会) 12月4日 新潟県柏崎市西山町石地付近 木造船の一部 12月4日 新潟県長岡市寺泊大和田 木造船 12月4日 新潟県新潟市西蒲区角田浜沖 木造船 12月4日 秋田県にかほ市海水浴場 木造船の一部(ハングルの書かれたバケツ、缶詰)・遺体1体 12月4日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢 木造船(12日に遺体→別記) 12月5日 新潟県佐渡市高千漁港 木造船(幅約3.1m) 12月5日 新潟県新潟市 木造船漂流(ブロックに衝突し大破)・遺体2体 12月5日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会) 12月6日 青森県西津軽郡深浦町入良川河口付近 木造船(「915430」と記載) 12月7日 秋田県男鹿市五里合漁港北100m砂浜 木造船(「913300」と記載)・遺体2体 12月7日 秋田県山本郡三種町 木造船1隻(ハングル表記のライフジャケット) 12月7日 新潟県佐渡市北狄(きたえびす)地区海岸 木造船・遺体1体 12月7日 新潟県佐渡市和木沖 木造船・遺体1体 12月7日 福井県坂井市三国町サンセットビーチ 木造船の一部 12月7日 山形県鶴岡市マリーンパーク鼠ヶ関 木造船の一部(庄内ブルーリボンの会) 12月8日 新潟県佐渡市水津漁港 木造船の一部(幅約2.8m)・後に男性の遺体1体発見 12月8日 石川県珠洲市長橋町 木造船の一部(後に流出し2月22日珠洲市大谷町海岸に漂着) 12月9日 石川県珠洲市笹波町 遺体1体(一部白骨化し性別不明 死語数か月 セーター、シャツ着用 12月9日 新潟県村上市府屋海岸 木造船 12月9日 新潟県佐渡市岩谷口海岸 遺体1体 12月9日 新潟県佐渡市姫崎沖 遺体1体 12月10日 山形県鶴岡市堅苔沢海岸 遺体1体(上半身のみ) 12月10日 新潟県佐渡市石名沖 木造船(幅約3m) 12月12日 新潟県柏崎市荒浜 木造船・遺体2体遺体は白骨化しており、服や身の回りの物も無かった。船はその後産業廃棄物として処理。白骨化した遺体は火葬後、無縁仏として埋葬。 12月12日 新潟県村上市沖 木造船 12月12日 青森県西津軽郡深浦町十二湖海浜公園 木造船(「912358」と記載) 12月12日 新潟県佐渡市宿根木 木造船の一部 12月12日 青森県西津軽郡深浦町北金ヶ沢千畳敷橋付近海上 遺体3体(12月4日の漂着船が岩にぶつかって破損し中から流れ出たものと思われる) 12月12日~13日 石川県羽咋市 木造船の一部 12月13日 山形県遊佐町吹浦西浜海岸周辺 遺体1体 12月13日 山形県鶴岡市鼠ヶ関マリーナ 木造船の一部 12月13日 秋田県潟上市出戸浜海水浴場付近 木造船・遺体2体 12月13日 秋田県男鹿市北浦入道崎灯台南約2km 木造船(長さ7m幅1.9m) 12月13日 秋田県秋田市浜田 遺体1体 12月13日 新潟県村上市瀬波温泉海岸 木造船(「632-90452」と記載) 12月13日 新潟県胎内市松浜海岸 木造船 12月14日 秋田県秋田市雄物川河口近く 木造船2隻・遺体6体 12月14日 青森県西津軽郡深浦町白神浜 遺体1体 木造船の一部 12月14日 新潟県長岡市寺泊郷本海岸 木造船・人骨5本 12月14日 新潟県佐渡市鵜ノ瀬鼻沖 木造船(全長約13.5m幅約3m) 12月14日~15日 石川県羽咋市志賀町 木造船の一部 12月15日 石川県金沢市金沢港沖 木造船 12月15日 新潟県佐渡市下相川 木造船(長さ約13m幅約3m 岩場で大破したがそれ以前はイカを干すヤグラや集魚灯の一部も残っていた) 12月15�� 青森県下北郡佐井村津鼻崎南 木造船(船首に「567-66341」)1週間前の漂流時には船全体の形があったがその後時化で崩壊し海岸に各部分が海岸に漂着) 12月15日 山形県鶴岡市五十川海岸 遺体1体 12月16日 石川県羽咋市千里浜インター付近 木造船の一部 12月16日 青森県深浦町田野沢 木造船(「547-66205」と記載) 12月17日 石川県珠洲市 木造船の一部  12月18日 新潟県佐渡市鷲崎沖 木造船 12月18日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ10m弱) 12月19日 秋田県にかほ市飛字餅田海岸 木造船・遺体2体 12月19日 石川県羽咋郡志賀町 漂流船(海保は発見できず) 12月20日 石川県羽咋郡志賀町 富来漁港(西海漁港) 漂着船 12月21日 新潟県佐渡市関岬 木造船(長さ11.6m幅2.75m 船首にハングル表示) 12月21日 新潟東港沖18キロ 木造船 12月21日 新潟県岩船郡粟島浦村釜谷 木造船の一部(縦1.5m横1.2m) 12月21日 青森県下北郡佐井村沖 木造船(転覆した状態で網にひっかかっていた 船尾に「0-세・98180단천」)・遺体4体(佐井村資料には記載なし)佐井村資料には女性もののようなビニールと思われるバッグ、ライフジャケットなどが写っている。バッグの中身はタバコ、タオル、歯ブラシ、書類らしきものなど) 12月23日 石川県羽咋郡志賀町 木造船(長さ約8.4m幅約2.2m 15日に金沢港沖を漂流していた船と同じ番号が船体に記載) 12月24日 新潟県新潟市 新潟港沖12キロ 木造船(21日のものと同じ可能性あり) 12月24日 山形県鶴岡市油戸漁港付近 木造船の一部・周辺に遺体4体 12月24日 山形県酒田市浜中海水浴場周辺 遺体1体(星型マークがバックルに付いた布製ベルト) 12月25日 新潟県佐渡市羽茂大橋 木造船(長さ約10m、幅約2.2m) 12月29日 鳥取県鳥取市気高町奥沢見海岸 遺体1体(ハングルが書かれたタグのついた黒い長袖ジャージと長袖Tシャツ、ズボン下着用。身長約170センチ、頭部はほぼ白骨化) 12月29日 新潟県新潟市西蒲区越前浜海岸 木造船の一部(長さ3m幅1.6m高さ1.43m 煙突あり) 平成30年(2018) 1月2日 新潟県村上市馬下(まおろし)地先海岸 木造船(長さ10.5m幅3.0m) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜谷浜海水浴場 木造船の一部(長さ約8.1m幅約2m 船底及びスクリュー) 1月4日 新潟県佐渡市北田野浦 木造船の一部 1月4日 新潟県柏崎市西山町大崎地先海岸 木造船の一部(船尾部分長さ1.9m幅1.9m) 1月4日 秋田県山本郡三種町釜屋浜海水浴場南側 木造船の一部(船底部分長さ8.1m幅2.0m) 1月4日 石川県羽咋郡志賀町 遺体1体(推定年齢30~50歳・身長約164センチ・黒色系のジャンパーやシャツ、ズボン着用。ハングルが書かれたタバコ、腕時計、電池、紙束などを所持。 1月5日 新潟県佐渡市相川鹿伏 木造船の一部 1月5日 石川県白山市沖 木造船(長さ約13m幅約3.5m 船首にハングル) その後不明 1月6日 秋田県由利本荘市松ヶ崎漁港 木造船の一部(長さ4m幅約2m 白地に赤の数字) 1月7日 京都府京丹後市網野町 木造船(長さ約10m幅約3m ハングルのような文字の書かれた板が付近に漂着) 1月7日 新潟県佐渡市入桑漁港 木造船の一部 1月8日 新潟県新潟市西蒲区間瀬海岸 木造船(長さ約5m幅約1.5m) 1月8日 秋田県男鹿市野石申川海岸若美漁港南1km砂浜 木造船の一部(長さ約7.7m幅約1.9m船底とエンジン) 1月10日 金沢市下安原町安原海岸 遺体1体(年齢不詳顔などの一部が白骨化。黒色のジャンパーと青色のズボンを着用。身元や国籍の分かるものは身に着けていなかった) 木造船(遺体から15mの距離 長さ16m幅高さともに3m 船尾にプロペラ 船体にハングルや数字などの標記見つからず 船内から16日7遺体発見 船首付近に4人、真ん中あたりに3人が折り重なるように倒れていた。セーターやトレーナーを着ており目立った外傷はなかった。 金日成と金正日の並んだバッジ1個) 1月21日 新潟県粟島八幡神社から200mの海岸 木造船の一部(船尾 長さ1.2m幅1.3mのコの字型 赤字でハングル2文字が書かれていた) 1月24日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海岸 木造船(長さ8.15m幅1.9m高さ1m平底型 船体に白く614という番号記載 コールタールのようなもので塗装、傷み激しく長期間漂流したものと推定 近くに「10465료대」と書いた木片あり) 1月24日 山形県鶴岡市湯野浜海岸 木造船(長さ5.45m幅1.5m) 1月28日 石川県羽咋市新保町(志雄パーキングエリアの北約400m)木造船(長さ5.871m、幅1.87m 船体に黒い塗料。目立った損傷なし ハングルと「9-964」の記載) 1月30日 石川県羽咋郡志賀町大津、上野の境界近くの海岸 木造船の一部。不鮮明だが「3682370」と白い文字で船体に記載。 1月31日 山形県鶴岡市マリンパーク鼠ヶ関 木造船の一部 2月2日 石川県金沢港北西約64キロ沖 木造船。船体に文字や数字とみられる表記。 2月2日 秋田県由利本荘市出戸字浜山の海岸(西目漁港北東1キロ) 木造船の一部(長さ4.5m幅約2.7m 船体に赤い字で「556-60269」と記載 2月4日 秋田県由利本荘市親川河口付近 木造船の一部(長さ約5.4m幅約1.9m 赤い数字のような文字が記載) 2月7日 石川県輪島市名舟町海岸 木造船(長さ約5m幅約2m 「760-75200」と船体に記載)  2月9日 石川県かほく市白尾海岸 木造船(船体に番号表記) 2月10日 石川県羽咋郡志賀町 木造船2隻(1隻は海士崎灯台北500m、長さ約12m幅約2m 船首部分に「505-64271」の番号記載があり1日に金沢港沖で発見された漂流船と思われる。もう1隻同灯台北約200m、長さ約5.4m幅1.5m 船尾破損 文字番号等記載なし) 2月11日 石川県加賀市��崎町漁協加賀支所から400m海岸 木造船(長さ約18m幅約5m 船首右舷に「504-66272」と記載)(300212北國) 2月13日 石川県羽咋市一ノ宮町一ノ宮海岸 木造船(長さ約7m幅約1.85m)(300214北國) 2月13日 石川県輪島市門前町池田海岸 木造船(長さ約4.35m幅約1.08m 船体にハングルと番号表記)(300214北國) 2月13日 石川県羽咋郡志賀町西海千ノ浦海士崎灯台近くの海岸 木造船(長さ約5.6m幅約1.4m 船首と船尾にハングルと番号表記)(300214北國) 2月13日 秋田県男鹿市野石字五明光海岸三種町との境から南約1.3キロ 木造船(長さ約10.1m幅約2.1m 船内にエンジンと漁網を巻き上げる機械 船体に「29488」とハングルの記載) 2月15日 石川県羽咋郡志賀町百浦海岸 木造船(長さ9.7m幅約2.19m スクリューとエンジンあり) 2月20日 石川県金沢市金沢港北西20キロ沖 木造船(長さ約6m幅約1.5m 船首に「4233」の記載) 2月21日 石川県輪島市塚田長塚田橋付近の岩場 木造船(長さ5.75m幅1.83m 無動力船)(300222北国) 2月21日 石川県輪島市門前町鹿磯漁港付近砂浜 木造船の一部(平底部長さ3.81m幅1.83m左舷側一部が残る プロペラ軸受け部金属を確認。(300222北国新聞) 2月22日 石川県輪島市深見町海岸 木造船(全長10m幅2.65m 船尾にスクリュー)(300223北國) 2月24日 秋田県能代市浅内字砂山海岸能代ロケット実験場南西約5キロ 遺体(北朝鮮との関連不明、一部白骨化した男性、身長約165センチ、着衣や履き物はなかった)(300225秋田魁) 3月6日 石川県輪島市名舟海岸 木造船の一部(全長4.5m幅2.2m遺留品は見つからず)(300307北國) 3月10日 石川県羽咋郡志賀町大島(おしま)漁港南側約180m海岸 木造船の一部(最大長5.2m 赤い数字「5129-61247」 船首に日本製ゴムタイヤを使った緩衝材)(300311北國) 3月12日 石川県羽咋郡志賀町安部屋海岸 ハングルと数字の書かれた木製標識・人民軍軍帽・究明浮輪(300313北國) 3月13日 石川県金沢市内灘海岸 木造船の一部(船首部分 長さ2.1m コールタールのような塗料・範読できない文字が表記)(300314北國) 4月17日 石川県珠洲市能登町布浦(ぬのうら)海岸 木造船(長さ6.1m、幅1.7m、深さ0.8m 船体にハングルや数字が記載)。 5月16日 北海道爾志郡乙部町 木造船の一部 5月31日 青森県中泊町小泊漁港付近 木造船
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omiearthdiver · 3 years ago
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近江アースダイバー
白洲正子・司馬遼太郎・松尾芭蕉が愛した「近江」とういう地域文化圏(近江コスモロジー)を深く探求し、独自で魅力的な歴史文化体験ツアーを企画する「近江アースダイバー」
1)近江の研究(近江学)活動  2)近江ツーリズム企画活動 3)近江のガイド活動 4)近江サイクリングガイド活動 -------------------------------------------------------------------- もっと深く「近江」を体験! - 神秘的で文化的で比類ない近江という地域性(歴史的な秘境・近江)へ - -------------------------------------------------------------------- いままで体験したことのない近江の歴史文化体験ツアー「近江アースダイバー」 ------------------------------------------------------------------- 白洲正子・司馬遼太郎・松尾芭蕉が愛した「近江」とういう地域文化圏(近江コスモロジー)を深く探求し、独自で魅力的な歴史文化体験ツアーを企画する ------------------------------------------------------------------- 近江は、白洲正子・司馬遼太郎・松尾芭蕉などが愛した湖と山に囲まれた国 近江は、日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」の地 近江は、国宝・重要文化財数で、東京、京都、奈良に次ぐ全国4位の県 あなたが出会ったことのない歴史文化体験が「近江」には必ずある ------------------------------------------------------------------- 「こんなツアーに今まで参加したことない」「白洲正子の本で近江に関心があり参加しました」「本質を付く案内で深く理解できました」など、参加者の感想をいただく。 少人数ツアー:近江を1~8名の少人数によるツアー 3つの体験方法:近江をウォーキング、サイクリング、トレッキングで体験 オリジナル企画:日程や体験希望に合わせてカスタマイズ ------------------------------------------------------------------- A: 最澄ゆかりの地・坂本と比叡山延暦寺を訪ね、大師の人生と教えに触れる (ウォーキングツアー) 最澄が入寂されてから1200年の節目の年。最澄の残した言葉を手掛かりに、 ゆかりの地(大津市坂本、比叡山延暦寺)を訪ね、比叡山や建物の美しさを楽しむだけでなく、大師の心の軌跡を追いその教えに触れる。坂本ケーブルと徒歩による移動。 B: 雄大なびわ湖・美しい山々と一体になる瞑想ヨガ&サイクリング (サイクリングツアー) 近江の地は、真ん中に雄大なびわ湖が満々とした水を湛え、周りを美しい山々が囲む自然豊かな地。永い歴史文化の中、水への信仰が育まれてきた。びわ湖と山々を眺め、雄大な自然と一体になる「瞑想ヨガ&サイクリング」のウェルネスツーリズム。 C: 千日回峰行の祖・相応和尚ゆかりの地・葛川明王院と三の滝を巡る (トレッキングツアー) 葛川明王院は相応和尚が比良山で生身の不動明王を感得し,姿を刻して本尊としたと伝える。比叡山千日回峰行は、こうした相応和尚を祖として、現在も相応の故事によって行われている。千日回峰行の祖・相応和尚ゆかりの地・葛川明王院と三の滝を巡る。比良山系の山道をトレッキング。 ------------------------------------------------------------------- ・白洲正子は、『西国巡礼』、『かくれ里』、『近江山河抄』などの著書で知られる随筆家である。彼女は、近江の魅力を「文化の通り道」、「楽屋裏、縁の下の力持ち」、「歴史的な秘境」という三つキーワードをあげる。どれも彼女にとって「えたいのしれない魅力」であった。「えたいのしれない」というのは、三つの魅力が、すぐにそれとはわからない形で存在しているということだと思う。彼女の言葉を手掛かりに、時空を超えて存在する、隠れた魅力を掘り起こす楽しさがある。 ・司馬遼太郎は、「どうにも近江が好きである。」と語った。その理由を民家のたたずまいや、近江門徒という精神的な土壌、風土からだと言う。また全43巻まで続いた紀行文集「街道をゆく」では、彼は「近江からはじめましょう」という言葉で「湖西のみち」から連載が始まり、近江はこの連載でものべ6巻に登場する。 ・松尾芭蕉は、芭蕉が生涯で詠んだ句は980余句、近江で詠んだ句は106句と云われる。「行く春を 近江の人と 惜しみける」の句は近江を詠んだ句の一つである。また「蕉門三十六歌仙」に近江の門人12人の名があり、江戸5人・尾張4人・美濃4人・故郷伊賀上野3人と比べても、蕉門に占める近江の比重の大きさが伺える。「旅に病で 夢は枯野を かけ廻る」と辞世の句を詠み、芭蕉は近江の大津「義仲寺」に眠る。 今も「近江」という地には、日本人の精神性にかかわる多くの謎が、ほとんど手つかずのまま残されている。近江アースダイバーでは、こうした白洲正子、司馬遼太郎、松尾芭蕉の言葉を手掛かりに、近江という歴史文化圏(近江コスモロジー)の本質に迫る。 -------------------------------------------------------------------
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hokuto-yuasa-journal · 4 years ago
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20200910
山行記・瑞牆山登拝
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秩父山系の瑞牆山(みずがきやま)に登った。2,230m、日本百名山。
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その昔、麓では瑞牆山をコブ岩と呼んだそうである。行きも帰りも撮る段になるとどんよりして上手く撮れなかった。
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カケスの羽を二枚拾う。そういや鳳凰山でも拾ってもう10枚ぐらい貯まった気がする。
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峡北方面の山に登って感動するのは川の水のその透明さでありまする。
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ムラサキフウセンタケ
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仲良しのきのこ。
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三時間程で登頂。
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金峰山
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五丈岩。よく見ると人がいる。
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富士山
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八ヶ岳。この日は母親がオバハン仲間たちと八ヶ岳方面に出かけていた。
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大ヤスリ岩
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昔、岩茸採りが瑞牆山のどこかの岩壁に崫(いわや)を見つけて登ってみると崫の中に剣が一振り奉納されていたという。
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魔子辺りの山の樹木が大規模に伐採されていたが近くに送電塔もあるしメガソーラーでも設置するんかしら。日本のどこだったか中国人の地権者が地元の反対無視してメガソーラーの工事を始めた記事を見たばかりだからかなんだか不穏だ。
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岩場を下ってく。
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桃太郎岩。右下の登山者の姿でこの岩の大きさが伝わるだろうか。
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二年前の写真。金峰山から見下ろした時の山容が幻想的で美しい。
3日ほど前の休みに瑞牆山に登った。
今年5回目、おそらく通算34回目?の山行。連日の台風のニュースと打って変わった好天気。雨後とあってベアフット靴での登山は延期した。
みずがき山自然公園から不動沢沿いに不動滝を経て瑞牆山山頂、桃太郎岩、富士見平を回って戻る周回コース。4時半に家を出て6時半に駐車場着。仮眠後7時半登頂開始、10時半登頂、13時半下山。寄り道含め6時間程の行程。
登りは不動沢に掛かった丸太の一本橋だけが少し危ない感じ。途中知らん間に不動滝を通り過ぎていた。道から少し外れた場所にあったのだろうか。下りは富士見平小屋方面に下ったが逆から来た人によると岩場が結構きつかったらしい。富士見平を過ぎた後は爽やかな稜線歩き。前回がトラブルで14時間近い歩行時間だったため物足りなさは否めないものしばらくはこの位の山歩きで満足出来るようにしたい。二週間程ブルガリアン・スクワットを歯磨きの時にして下半身が鍛えられたせいか岩場の段差を片足で乗り越えるのが楽だった。
瑞牆山は秩父山系というのもあり鬱蒼とした樹林帯の山道をふらっとニホンオオカミが横切らないかなーなんて想像すると、そのうちほんとに遭遇するんじゃないかという気がしてくる。
去年の秋に狼信仰の三峯山や妙法ヶ岳の奥宮に参拝して少し経った頃、日曜の夕方に放送していたテレ朝のサンデーステーションなる番組をなんとなく見ていた。するとかつて物議を醸した「秩父野犬」と呼ばれるニホンオオカミらしき写真の撮影者の八木博氏が奥秩父山中に設置した定点ビデオカメラの映像が流れ、そこには山中に響く咆哮とそれに驚きカメラに向かって走り去る鹿の群れの映像が捉えられていた。日本音響研究所でこの咆哮を音声分析にかけると大陸オオカミの声帯の基本周波数465Hzに極めて近い470Hzという周波数だったという。(同時に分析したニホンオオカミの血を引くといわれる四国犬は380Hz、410Hz、雄鹿は1890Hz、2200Hzだった。)
日本狼関連の書籍を読んでいて知ったのだがどうやら狼と呼ばれる中〜大型種と山犬と呼ばれる小型の亜種をひとくくりでニホンオオカミと呼んでいた可能性があるらしい。
山の頂上から麓の山々を眺め���いるとこの森のどこかにまだひっそりと生きてるのではないかという気持ちと、これだけ広大な森を以ってしてもその生存を支えることが出来なかったということが同時に迫ってきて何とも言えない感慨があった。
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getsuryoukai · 4 years ago
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2020.810〜14 南アルプス(奈良田〜黒河内〜奈良田越〜大井川東俣〜乗越沢〜井川越〜大横川〜三峰川〜地蔵尾根〜仙丈ヶ岳往復〜地蔵尾根〜柏木登山口)
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昔使われていた道をたどって奈良田から伊那まで歩いてきました。桑田です。
 昨年夏の南アルプスほぼ全山縦走の際になんだか物足りなさを感じて(ほぼ全山縦走できたことには達成感があったのですが、ただただ登山道を歩いているということに物足りなさを感じた次第です)、次はなるべく登山道を使わない登山がしたいと考えていました。ほぼ全山縦走から帰ってくると、ちょうど岳人の最新号が発売になっていて特集は「南アルプス」。そのなかに「古道をたどる山旅」という記事があり、その内容に影響を受けて今回のルートを決めました。というかほぼパクリです。この記事を書いたのは「サバイバル登山家」の服部文祥氏なのですが、家にある服部氏の著書を読み返すと、このルートは服部氏が最初にサバイバル登山にチャレンジしたルートのよう。私の場合はサバイバル登山とまではいかず、食料現地調達とかしないし、ヘッドランンプも時計も持っていくけど、自分なりに十分チャレンジングな登山になると思って今回の山行を計画しました。  計画では5泊6日で抜けられるだろうと考えていました。昨年に南アルプスほぼ全山縦走をやっているので、距離に対する不安はありませんでしたが、私は沢歩きを全くやらないので、その不安を払拭するために奥多摩で数回沢歩きをやってから今回の山行に臨みました。また、食事については、米は焚き火で炊いてみようと考えて、直前の小川山クライミングのキャンプで焚き火の練習を。そして「あとは何とかなるだろう」と山行当日を迎えました。
1日目(8月10日) 奈良田〜黒河内南俣 東京を早朝に出発。身延駅からバスで奈良田温泉まで。奈良田温泉着は午後1時頃。バスには私を含めて登山者は3名。一人は登山靴を履いていたので同じルートではないだろう。もう一人はサンダルばきでモンベルの大型ザックの脇には釣竿らしきものが黒い袋に入ってくくりつけられている。こいつはもしかすると同じルートかもしれない。バスを降りて靴を履き替えている彼に先行するように黒河内へと続く林道に急いだ。  林道が消え沢を歩いていくと取水設備があらわれる。ぶらさがっているトラロープで突破してさらに沢を詰めて二俣を過ぎると滝が出てくる。この滝は高巻きで越えたが沢に戻る際に変なところから降りてしまいロープで懸垂下降した。この辺に経験のなさが現れる。しばらく南俣を詰め、ふと後ろを振り返ると同じバスに乗っていた一人が。彼もこちらに気付いている。お互い良識ある登山者なのか近寄ることはなく、その後、彼とは一度も会わなかった。どこかで彼に抜かれたのか、私が先行し続けたのか、どこかで違うルートに分かれたのか。  この日は標高1250mくらいの河岸段丘っぽいところでテントを張った。早速、木を集めて焚き火を試みるが、焚き付け用の細かい枝が燃えるばかりで太い木に火がつかない。結局この日は焚き火を諦めてガスで米を炊いた。おかずは昨年の縦走でも使った肉味噌にした。
黒河内の取水施設
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黒河内はこんな感じ
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この滝を高巻いたら変なところに下降してしまった。懸垂下降で突破した
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1日目のテント場。焚き火は失敗した
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2日目(8月11日) 黒河内南俣〜奈良田越〜大井川東俣広河原  テントを張ったところから沢から離れて尾根を歩く。実はこのテントを張ったところにケルンが積んであり、奈良田越への取り付きなのだろうと解釈した。結果、間違っていたのだが…。尾根上にはその昔、林業で使っていたであろうワイヤーがいたるところにあり、これをたどれば奈良田越に出るだろうと、消えては現れるワイヤーを追い続けているうちに白峰南嶺の縦走路に出た。地形図的に奈良田越より北に出てしまったようなので、縦走路を少し南に戻ると奈良田越に出た。  奈良田越からは自然に戻りつつあるつづら折りの林道を大井川東俣まで下降する。そしてこれまた自然に戻りつつある(崩壊しつつある)林道をたどって大井川東俣をひたすら上流に歩き始める。途中、昔の道標があったり、堰堤や橋といった人工物が出現し、昔の飯場があった広河原に到着する。ちなみにここまでの林道はかなりの部分で崩落しており、何度か行き詰まって渡渉をして対岸に渡った。そして広河原の少し手前で熊を目撃した。  広河原は廃墟ワールドで飯場や車両が朽ち果てて残っている。今日はこの廃墟ワールドから少し進んだところでテント。この日はなんとか焚き火でご飯が炊けた。できなかったことが出来るようになるのは何歳になっても嬉しいものだ。
林業のワイヤーがいたるところにある
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奈良田越に出た
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かつて林道だった面影
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大井川東俣林道の古い標識
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大井川東俣の堰堤施設。どこかで林道跡を外れてしまい、川からアクセスしてしまった。ガマスラブのような堰堤を登って突破した。グレード5.5くらい
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林道は多くの箇所で崩落している
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この橋を渡ると広河原の廃墟ワールドへ
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ようこそ廃墟ワールドへ
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車両もそのまま残されている
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廃屋のガラスに映った自分を撮ってみた
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1982年で時が止まっている
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長い時間が経ったことを物語る
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快適な寝床。今日は焚き火がうまくいった
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3日目(8月12日)大井川東俣広河原〜井川越〜大横川の大滝あたり  この日は大井川東俣をさらに詰めて乗越沢から井川越を経て大横川に至る。広河原先は特に悪いところはなく、遥か遠くに井川越が臨めるようになると気分もよくなってくる。  乗越沢は途中で二俣に分かれており、左のほうを行くと熊の平小屋に出る。右のほうを行くとおそらく井川越(稜線上の一番低い部分)にドンピシャで出るのだろう。  井川越から伊那方面を望むと大崩落しており、とでもじゃないがここからは下降できない。少し三峰岳方向に登って、木が生えている部分の獣道をつないで大横川へ降り立った。ここでも一箇所スパッと切れ落ちているところに出てしまい、懸垂下降で切り抜けた。  大滝は簡単に巻けると記録にはあったが、本来は左岸を巻くべきところを右岸に入ってしまい、途中で行き詰まってしまった。確かに左岸から行けば簡単に巻けた。この大滝を巻いている最中に雨が降ってきて、時間も16時くらいだったのでこの日はここで終了とした。
綺麗な景色なんだけど木の根元にはワイヤーの残骸が…
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ふと見上げるとワイヤーが…
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魚止ノ滝。左から巻いた
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一番低い部分が井川越
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井川越から伊那側を臨む。右のほうの木がついている部分の獣道をつないで下降する
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今日の寝床。なんとかテント一張り分の平地があった
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4日目(8月13日) 大横川大滝あたり〜三峰川〜三軒岩小屋沢  大滝を越えると大横川が特に悪い場所はなく、程なくして三峰川に合流した。三峰川は大井川に比べると水量が少なく、どこでも渡渉できるのでサクサク進んだが、いかんせんこの日は移動距離が長いので三軒岩小屋沢に着く頃には結構いい時間になっていた。  さて、計画では三軒岩小屋沢から仙丈ヶ岳に突き上げることにしていたが、最初の滝を見た瞬間、「これはひとりでは無理だわ」となって計画変更。三峰川をそのまま源頭を詰めて地蔵尾根に出ることにした。沢登りの経験が少ない私にはこの滝がひとりで登れるものなのかどうか、そして、この先これ以上の滝が出てきた場合、明らかに無理だろうと思い、引き返す判断をした。  この日は三軒岩小屋沢の河岸段丘っぽいところでテント。木々の間から見える夕日に照らされる仙丈ヶ岳が美しい。
この滝の右の森の中でテントを張った。ここにはこの滝の他に2つ大きな滝がかかっている
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三峰川と合流した
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遠くに仙丈ヶ岳が見えた
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三峰川の水量はこんな感じ。三峰川では岩魚の魚影を何度か見た
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三軒岩小屋沢の最初の滝。引き返すことを決めた
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夕日に輝く仙丈ヶ岳
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快適な寝床
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5日目(8月14日) 三軒岩小屋沢〜三峰川源頭〜地蔵尾根〜仙丈ヶ岳往復〜地蔵尾根〜柏木登山口
 苔むした三峰川源頭から地蔵尾根に抜ける。森林限界を越えると三軒岩小屋沢から仙丈ヶ岳に突き上げるラインが見える。「うーん、���けたかも」。けど、「単独だしリスクの方が高いよな」と、自分の判断を正当化する。  仙丈ヶ岳を往復して地蔵尾根で下山する。登山道は高速道路のようだったが、これまでずっと沢筋にいたので尾根筋は暑くてたまらない。ヘロヘロになり柏木登山口に到着。  今回はなるべく登山道を使わないという目的は達成できたが、それでもガイドブック的登山だったことは否めない。いつの日かオリジナルな登山ができる日が来るのだろうか? 気長にがんばろう。
苔むした三峰川の源頭
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仙丈ヶ岳山頂に突き上げるのが三軒岩小屋沢中央ルンゼ
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夏山だなー
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hi-highmt · 4 years ago
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カモシカ駆ける、日の出山
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明日の雨予報で予定していた宿泊山行が中止になったので、代わりにJR青梅線の日向和田駅から、日の出山を経由してJR五日市線の武蔵五日市駅へ下りるロングコースを歩いてきました。
駅から歩いて10分ほどで、鳥居の有る登山口に到着。
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このルートは、何本もの杉の木に白ペンキで地名が書かれているのが印象的でした。
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左は琴平神社を経由するコース、右(下の矢印)はしないコース。 しないコースを行くことにしました。
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少し登ると、琴平神社コースと合流。 折角なので、社の方へ行ってみることに。
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琴平神社ということは、本宮は四国の琴平神社でしょうか。 琴平神社には5年前に行きましたが、確か、漁師の安全を祈る神様だった記憶が…。 何故こんな東京の山奥にあるのか、ちょっと不思議。
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神社の社前から見える景色。
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そしてこのルート、沢山のコアジサイ(小紫陽花)咲いていました。
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道も割となだらかで歩きやすい。
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三室山、646.7m。特に何もない山頂です。
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向こう見えるのは麻生山?
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標識はこまめに立っているので安心です。
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マルバウツギ(丸葉空木)も綺麗。
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日の出山の山頂手前に咲いていたヤマツツジ(山躑躅)。 もうだいぶ前に咲いたものなのか、乾燥して縮みかけています。
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11:00頃、日の出山の山頂に到着!標高902m。 御岳神社の境内から何度か眺めてはいましたが、ようやく来られた〜! 今日はここのベンチでランチにしました。
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麻生山に向かう前に、トイレに寄ろうと御岳山方面に少し下ると、山荘が! こちらは「東雲山荘」さんだそうです。 こんなところに山荘があるなんて、知らなかったな〜。
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トイレを済ませ、麻生山へ向かいます。 ここの分岐は間違えないように気をつけないといけませんね。
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ググッと下って少しだけ登り返すと、麻生山に到着。標高794m。
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麻生山の山頂からは、所沢の西武ドームも(割とあちこちから見える)。
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次は樽窪林道方面に向かいます。
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その途中、とある動物が杉の向こうからこちらを覗いていました。 手前から3本目の杉の根元に、顔を出しているのが分かるでしょうか?
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何と、カモシカさんでした! キョトン顔で、こちらをジッと見つめています。 うぅ、可愛い!!!
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人慣れしているのか、逃げることなくその辺の葉を食べ始め…
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こちらをチラ見しつつも、お食事は続きます。 どうやら我々に道を譲ってくれる気はないようです。 どうしよう。この細い一本道を行くしかないのに…。
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ふと、お食事をやめたカモシカさん。 「どいて欲しいの?」とでも言いたげです。
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そしてクルッと振り返り、トコトコと元来た方へ歩き始めました。 ホッ、良かった。これで進める〜!
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人間が後を付いてくるのが分かったのか、観念して斜面へ移動してくれたものの、まだ何か言いたげな表情でこちらをじっと見つめていました。 人間のことは、特に危険とも思っていないようです。 道を譲ってくれてありがとね!食事の邪魔してゴメンナサイ。
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しばらく行くと、金比羅尾根方面との分岐に到着。 今回は幸神方面へ進みます。
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写真では見づらいですが、道標の支柱に手書きで「左 勝峰山へ」と書かれていて、そちらへ進んで行きます(基本的にはYAMAPアプリを頼ってますが)。
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途中で見つけたキノコ。 この厚みのある樹皮はクヌギ?アベマキ?ちょっとよく分かりません。
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ほどなく白岩山へ到着。681.7m。 これ、山頂って言うんですか?という感じの狭い山頂。
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ちょこっと急な道を登り返すと、梵天山。607m。 アップダウンを繰り返しつつも、徐々に高度を下げているのが分かります。
この梵天山の手前で、またもやカモシカに遭遇! しかも今度は2頭が斜面を追いかけっこしていました。 兄弟なのか、番(つがい)なのか、速すぎてよく分かりませんでしたが、先ほどの個体よりは少し小さめで色も明るいグレーだったので、別の子達のようでした(あまりの速さに呆気に取られて写真は撮れず…)。
駆け回ってるカモシカ、初めて見た〜!感動! ここも東京なのだと思うと、何だか不思議…。
改めて、登山は野生動物たちの住み処にお邪魔させていただくレジャーなのだなと実感したのでした。
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さらに5分ほどで真藤の峰。 こういうアップダウンが続く場合、名もなき山頂が多いものですが、このルートはちょっとした峰にも名前がついています。
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綺麗な杉並木。
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特に名前も無いけど標高が書かれていました。
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分岐を左へ曲がって、深沢山。460m。
この山頂に着いたら水をボトルに補給するぞ〜!と思っていたのに、あまりも何もない狭い山頂でうっかり通過しそうになりました。
しかも疲れていたせいか、周りから「蓋、蓋!」と言われるまで「水出ないな〜」と思いながらも蓋の付いたままのプラティパスをボトルに傾けておりました…。
そして次は噂の「ためぐそ山」だ〜!と思っていたのに標識を見落として通過してしまったようでした…。 特にこれと言った特徴はない小山だったように記憶しています。 一体どんな由来でこんな酷い名前を付けられたんだろう?とかなり楽しみにしていたんですけどね〜。残念!
ちなみに深沢山〜ためぐそ山は虎ロープもある結構急な下り坂でした。
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そして最後のポイント、地蔵山。 このお地蔵様の写真を撮るために前に回り込んだせいでお地蔵様の前にあった急な荒れた道を少し下りてしまい、また戻る羽目に。
でも、少し行くと明らかに登山道はない感じになったので滝子山の反省を生かしてすぐに地蔵山に戻りました。 正規のルートはお地蔵様の斜め後ろにありました〜。危ない危ない!
そんな感じで、登山道を出て武蔵五日市の駅に到着!17.1kmの道のりでした。 疲れたけど、アップダウンで良いトレーニングになったし何よりカモシカにも会えて楽しかった〜!
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tomtanka · 5 years ago
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『足の踏み場、象の墓場』全首評③(横書き引用ver.)
我妻俊樹「窓を叱れ」『足の踏み場、象の墓場』の全首評
中里さんの塗り替えてくれたアパートに百年住むこの夕暮れから
叱れと言われたら、これはもう、一時的にわずかな理性を取り戻してでも、説明せざるを得ない。 叱るのと怒鳴るのは、全然違う。声を張りあげて自分の感情をぶつけるのが怒鳴るだとしたら、叱るのには、もっと理路整然とした秩序が必要になる。叱ることによって、これまでの状況が変化することが求められるからだ。だから、叱る者には、全てを把握するための客観的な視点が必要だ。感情や状況にまつわる現状を、説明という器に乗せて、差し出すために。 叱れ、という命令は、私が理性を取り戻すだけのパワーを持っている。 なぜかというと、これまでの連作に登場したどの歌にもタイトルにもなかった、「命令」が初めて登場するからだ。 ささやかな願望・曖昧な提案・誰に対しても伝えたい感想と感嘆・シチュエーションに対する忠実な状況説明。 上記の4つがこれまでの歌やタイトルの8割を占めている構成要素だった(残りの2割が何なのか、それを説明するほど愚かなことはない)。 ところが、「叱れ」という命令は、誰の誰に対するどのような命令であれ、この歌集の中で異質さを放っている。 その理由は、作者も読者も知りようがないが、個人的に推測するに、それは、この連作が何かに対峙している唯一の連作であり(何かに投影・何かから投影している連作はあるが、もちろん対峙するのとはわけが違う)、そして、この連作の最初の1首目に、中里さんが登場するからである。 中里さんとは誰か。 それを探るためには、残念ながら何かを連れて来なくてはならない。ただ、直接連れて来るのはよそう。 覚えている人は、「世話する光」を思い出してほしい。 私は、この歌集は、ビーカーに水を注ぎながら、ひたすら目盛りを数える歌集だと思っているが、このビーカーに水を注いでいる人こそ、まさしく中里さんなのである。 ビーカーに水を注ぐ速さを調整できるのは、中里さんしかいない。 中里さんの設定した、アパートの耐用年数は百年だ。今まで私はこのアパートに十六年住んでいたが、この築二十五年のアパートは、今度は百年しか持たないだろう。夕暮れをこんなに身近に感じることは、これまでなかった。あったとしても、それは時間の経過を感じるだけのことで、日が暮れるという感傷に浸っているに過ぎなかった。 誰がアパートを塗り替えてくれと頼んだのか。依頼主は誰か。 「そういうのを感傷と呼ぶんだよ」
この話のつづきは箱の中で(いま、開けたばかりできれいなので)
スイスにようこそ! 客車から降り、石炭の匂いを感じながら、私は停車場の短い階段から野草の生い茂る草はらへと下った。駅舎までは多少、距離があった。改札で銀色の箱に切符を落とし、石畳のロータリーに出たところで、その男は大声でそう言ったのだ。 「スイスにようこそ!」 けたたましい警笛と、シリンジやポンプの作動音、蒸気の噴出される細長い音の後、機関車は走り出した。その男は、もう一度、「スイスにようこそ!」と叫んだ。 その男は、ホテルから私を迎えに来ていた。 その男は、ボタン穴の部分に白い花が刺繍された、キルト地の赤いチョッキを着ていた。民族衣装なのだろう。滑稽に��えた。 「スイスにようこそ!」 私が声を発さないせいか、その男はいつまでも叫び続けていた。
思いましょう 世界は果てが滝なのに減らないくらい海に降る雨
わずかな言い換えが、同一性をより担保してくれる。違いではなく、同じであるということに価値があり、光の当たり方が違うという指摘をすることに、この世界の意味があるのだ。 何も変えてはいけないし、そもそも何も変わっていない。 だから、ため息のような破調をため息だと断定するような、理性に支配された言葉や深読みの数々に、どうか、果てしない嫌悪を。
歩いてもどこにも出ない道を来たぼくと握手をしてくれるかい
空き地の真ん中にあるブランコを漕いでいる人はいなかった。しかし、そのブランコはもう2時間以上、揺れ続けていた。風が吹いたり、地震が起こったりしたのだろうか。犯人は誰だろう? ぼくはそんなことを考えながら、空き地から出て行った。夕映えでまぶしい道にも、もちろん誰もいない。
眉を順路のようにならべて三分間写真のように生まれ変わるよ
さっきまでスパゲッティが乗っていた皿だろうか。陶器が割れる音がした。いつ聞いても嫌な気持ちがする。盛り付けにどれだけ時間をかけたか知っているのだろうか。拳大の麺を掴んだトングを円の中心に垂直に下ろし、3°ずつ反時計回りで円を広げていく。麺が尽きたら、今度は尽きた箇所からもっとも近い皿の縁から、時計回りに同じことを繰り返す。規定量の麺がなくなるまで、それを反復し、最後に外・内の間隙に向かってミートソースをかけていくと、もっとも美しい、写真映えするミートソーススパゲッティのできあがり。 それを奴は台無しにしたのだ。 客に謝る声がした。愛想がなく、声が大きいのにこもって聞き取りにくい。 やがて奴が戻ってきた。こんな奴しかバイトに来ない。 怒りがこみ上げてきた。
鰐というリングネームの女から真っ赤な屋根裏を貢がれる
忘れもしない10月15日、三銃士マドモアゼル・リンダとの決戦。 私は地面へと頭から叩き落とされた。筋骨隆々の大女リンダは、背負い投げの途中で掴んでいた両手を離し、私は右側頭部にゴギュという音を聞き、次の瞬間には病院のベッドに横たわっていた。4日間、眠っていたらしい。脳だ。硬膜に、血が溜まってしまった。もう復帰できないだろう。リンダとの再戦では、今度こそ殺されるに違いない。 退院してからも、私の脳裏からゴギュという音は消えなかった。
バス停を並ぶものだと気づくのはいずれ人ばかりではあるまい
カラスの襲撃がはじまった。 毎朝、5時35分発のバスに乗るための列がある。そこで餡パンを食べる男子高校生が、その襲撃がはじまる原因だった。 その列には、イヤホンのつながったMDプレーヤーを持つ会社員らしき男、バスに乗ってからすればいいのになぜか待ち時間でチークを塗るOL、文庫本を読む一見して職業のわからないラフな出で立ちの中年男性が並んでいることが多かった。曜日によって数人増減する日もあった。 カラスは滑空した勢いで餡パンを盗ることもあれば、バス停の近くまでひょこひょこ歩いてきて、飛び上がる弾みに文庫本を掠めとることもあった。日によって、何を盗るのかまちまちで、規則性はなかった。 しだいに、そのバス停の5時35分発の利用者は減った。私の部屋はバス停の真裏の2階にあったが、観察するに、それまでの利用者は35分の前後のバスに変えたようだった。35分発の前は27分発で、後ろは少し間隔が空き、52分発だった。 カラスは35分発のバスに固執していたので、前後のバスの利用者を狙うことはなかった。 私はだんだん、そのバス停の35分発のバス列に並んでみたくなった。バスに乗らない生活が続いていたが、意を決して餡パンを食べながらそのバス列に並んだ。 並んだといっても、その日、私以外に並んでいる人はいなかった。 カラスが飛んできた。私の背後から近づいてきて、しばらくじっとしていたが、やがて朝焼けの空へと飛び去っていった。 私はバスに乗り、駅に向かった。駅に人はまばらで、なんだか楽しい気分になった。 どこに行こうかな。
拾った本雨で洗ってきた人と朝までつづく旅行計画
歩けば歩くほど、傘が遠のいていった。空き地の中央に突き刺さっている、一本の傘。半透明のビニール傘で、コンビニのテープが持ち手に付いたままだ。 誰もいないのに、傘がゆっくりと開いていった。時が止まる前の、緩慢な動き。 パラボラアンテナのように宇宙へと開いて、雨を受け止めている。 これから先、もうどこにも旅に行くことはできない。そう思うのに、時間は必要なかった。 朝は消滅した。
消えてった輪ゴムのあとを自転車で追うのだ君も女の子なら
自転車で行くには、あまりにも近過ぎた。ペダルを4回漕げば、そこに輪ゴムがある。わかっているのに、絶対に輪ゴムをひき殺してしまう。輪ゴムの断末魔が響きわたる。うんざりだ。
ブルーシートに「瀬戸内海」とペンで書け恋人よ 毛玉まみれの肩よ
瀬戸内海は本州と四国に挟まれ、九州と淡路島によって蓋をされている。こう定義したとき、瀬戸内海を狭いと感じるか、広いと感じるかは、人それぞれだろう。レトリックの差だ。 ただ、そもそもレトリックが生じるには、瀬戸内海に行ったことがあるか・ないか、が関わってくる。 私は瀬戸内海に行ったことがないから、レトリックが有効だ。 瀬戸内海=ブルーシートに座って、花見の場所取りをしていると、茂みからタヌキが顔を出した。私が瀬戸内海にいるので、タヌキが瀬戸内海に侵入することはなかった。 オオカミが来た時のことを考えて、もっと大きく書いておこう。 「おーい。オオカミが来たぞう」
牛乳を誰かが飲んだあとに来る 煙草をきみはねだる目をする
「おーい。牛乳が来たぞう」 「煙草、吸うかい?」 「これで無事に牛になれます」 「あいつは有名な牛なんだよ」 「知らなかったな」
月光はわたしたちにとどく頃にはすりきれて泥棒になってる
TEL「お電話ありがとうございます。ピザッチです」 わたしたち「注文お願いします」 TEL「承ります」 わたしたち「ピザッチの熟成ベーコン ダブルチーズスペシャルで」 TEL「レコードですね」 わたしたち「はい?」 TEL「月光ですね。お届け先を伺ってもよろしいでしょうか」
忘れてた米屋がレンズの片隅でつぶれてるのを見たという旅
夢なのか、旅なのか、映画なのか。 確かなのは、私が1眼レフを構えて、海辺のトタン屋根の小屋にレンズを向けていることだけだ。窓ガラスは割れ、部屋の中には砂が溜まっていた。防風林の木々の間から、風が流れ込んでくる。夢なのか。気がつくと、私は望遠鏡を覗き、宇宙の小さな米を見ている。星の中の、家の中の、米櫃の中の、一粒の米。われわれには、今目に見えているものが、米なのか、星なのか、区別することができない。
顔のなかに三叉路のある絵を描いた凧が墜ちても届けにいくわ
しかし、雲が突然、光を発した。本来見えていたはずの太陽をかすめている、飛行機の排気ガスの軌跡を柄のようにぶらさげた白いかたまりは、ゆっくりとひしゃげた。 私の頭の中と、想像の君の頭の中と、想像の中里さんの頭の中は、どれも凧が真っ青な空の中を落下する映像だけで占められていて、落下地点のことを決して想像することはなかった。つまり、野原で寝転んでいる中里さんの顔に向かって凧が落ちていき、中里さんの顔を凧の布が覆い尽くしたとは、誰も知らなかったのだ。 三者三様に、拾いに行く途中で迷子になり、誰も帰って来なかった。
マサチューセッツ工科大学卒業後 ほんとうの自由にたどり着けるだろう
何も考えたくないという時の「何も」こそが「自由」であり、何もかも達成したという時の「何も」が「ほんとうの」だ。バカ田大学は実在しない大学で、マサチューセッツ工科大学は「ほんとうの」大学だ。
五時がこんなに明るいのならもう勇気は失くしたままでいいんじゃないか
卒業おめでとう。五次会へようこそ。
東京タワーを映す鏡にあらわれて口紅を引きなおすくちびる
自分がどこにいるのか思い出せない、いや、自分がどこにいるのかわからない。東京タワーが映っているということは東京都内のはずだが、もしかするとテレビの中の東京タワーを映した鏡かもしれず、その証拠に東京タワーはゆらゆらしているが、しかしそれはタバコの煙のせいかもしれないし、もしかするとスモッグか黄砂か霧かもしれないし、くちびるは口紅を加えてはっきりするということは、つまり鏡の中の口は自分の口で、くちびるは自分の口のくちびるで、ようするに自分が鏡の目の前にいるということ以外に確かなことはないと思ったが、塗っている自分の指と指は本当に自分の指なのか、「指?」、指ではないだろう、ここはトイレだからテレビはないはずだ、東京タワーは小さいし、自分は口紅を塗っている自分だ。
その森がすべてうれしくなるまでにわたしたちは二匹に減っておく
わたしと、マイケル・ジャクソン。この森はすべてうれしい。
こどもたちは窓のかたちを浴びていて質問してくるようすがない
遠い空を凧が浮かんでいたので、空について詳しくないぼくらには、それがいかに巨大か、近づいてくるまで分からなかった。 凧は風にあおられぐらつき、山の峰に触れた時、周囲の木々と凧の大きさの違いに、ぼくらは驚いた。 もっと遠くに浮かんでいると思っていた。 いや、あれは飛んでいたんだ。 あれは大人かな。 子供じゃないかな。子供が五人、凧の対角線に沿って張り付いている。 貼り付いている、の間違いじゃないかな。彼らは死んでいるよ。 五角形のそれが草原へと着陸した。ずどん、と。 ぼくらはそれに向かって駆け出した。
こうもりはいつでも影でぼくたちは悩みがないかわりに早く死ぬ
もぐらとこうもりは、ぼくたちにとって黒いかたまりだった。猫がもぐらを咥えて夕方の軒下にやってくると聞いたことがあったけど、中里さんはそれをぼくたちに見せてはくれなかった。 ただ、一度、ぼくはその死体を見たことがある。中里さんがどこかに埋めたもぐらを掘り起こしてきたのだ。でも、それは真っ黒に塗りたくられていて、まるで影が空中に浮かんでいるみたいだった。ぼくはそれを手に取った。これがもぐらだとは思えなかった。いや、思おうとする前にもぐらは、ぼくの手からその黒いかたまりをかすめ取り、夕闇の暗がりへと消えていったのだった。 ぼくが幼少期に死について考えたのはそのたった一回だったが、長い時間が経ってから思い出すと、ぼくはつねに死について考えていて、それはぼくたちにとっての共通のテーマだったが、今、捏造した記憶かもしれない。こうもりが、車庫の屋根裏から羽ばたき、ぼくの顔を覆った。苦しくなることが、ぼくはいま溺れているのか、どこで。
けむりにも目鼻がある春の或る日のくだものかごに混ぜた地球儀
バナナと梨とリンゴと葡萄がかごに混ざっていて、実はどれかが地球儀でーす、というクイズ。 正解は、バナナ。よく見てごらん。ほら、剥いてみて。
電球を抜く手つきしてシャツの中おめでとうってどこか思った
エルヴィス・プレスリーは振動を発明し、マイケル・ジャクソンは手つきを発明した。 アンチ・グラヴィティは、特許によって成立しており、靴と床の構造によって無重力を再現していた。なぜ、バスター・キートンやチャップリンとは「違う」のか。 「おめでとう」と言えるのは、マイケルだけだから?
その鍵は今から四つかぞえたら夢からさめた私が開ける
なぜ、五や三とは違うのか。 「おめでとう」と言えるのは、四だけだから?
全世界 というとき世界が見おろせる星にかかっている羊雲
トートロジーに照らして考えたとき、全世界とは三角形であり、同時に正四面体でもある。つまり、三角形は四個あり、同時に十六個あるとも言える。 私は羊雲すら把握することができている。
部屋に見えるほど寒々と白旗をひろげなさいって誰に言われた?
凧は裏側の三角形に墜落した。ぼくらはそれを見ることができなかった。羊雲が青空に広がっていた。
犬がそれを尊ぶ「セックスアピールって要するにおっぱいだろ?」という目で
マイケルのそっくりさん「おめでとう」
たくさんになって心は鳥たちの動いたあとの光が照らす
「いらっしゃい」
新聞が花をつつんで置いてある よみがえるなんて久しぶり
長年考えていたのだが、と話をはじめることができれば、この話に説得力や教訓、哲学的な示唆があるのではないか、と耳を傾けてくれる人々が増えるのだとは思うのだが、実際はほんのついさっき考え出したことについて話をしたいと思う。しかし、これからずっと考えつづけていくに違いない事柄についてだ。 いや、私は長年、ずっと考えつづけていたのかもしれない。それを、ついさっき考えはじめた、と韜晦混じりに話している可能性もある。と、話を続けることしかできない。つまり、私には、いつ考えはじめたのか、全く分からないのだ。 いったい、新聞と何の関係があるのかと思うだろう。だが、話には順序がある。 まず、私が話したいのは、まさしく、わたしが陥ったある狂気についてである。 おそらく、世界中どんな場所にも、狂人と呼ばれる人間が必ず1人はいるはずだ。どういった人間かというと、たとえば、あからさまに口調がおかしかったり、あるいは身振りが不審な人間が狂人と呼ばれるのではなく、常識という土台はあるにも拘らず、その常識が生み出すはずの思考が常識とはかけ離れてしまう・少しずれてしまう人間のことだろう。 だが、何が狂人たらしめるのかというと、実際は時代時代の常識から見た「狂気」であり、大部分は、その人間が置かれた状況や環境に対する理解の欠如や、差別意識によるものなのではないか、とも思うが、しかし、土台の上の常識がずれるということについては、多くの人間は狂気と人間(狂人)を峻別し、その上で狂気に見舞われた人間を「狂人」と見做しているのではないだろうか。 ケースバイケースだ。こんなところで結論がでるような話ではなく、そもそも「土台」という考え方が、非常に差別的にちがいない。ただ、私が何を言いたいのかというと、この「土台の上」ではなく、まさに「土台」の部分で、私は狂気に飲み込まれてしまったということだ。 話を始めよう。 私はかつて、池袋で新聞少年だったことがある。しかし、それはほんの2週間でおわってしまった。当時の家庭環境からすれば、私は働きつづけなければならなかったのだが、体力はもちろん、幼稚さゆえの逃避癖から、楽で薄暗い方へと身を沈めてしまった。逃げたのだ。打ちっぱなしの床に、やけに赤いヒーターしかない作業所が苦痛だった。2階から聞こえる怒声が、ただ耳の内側に響き、昼の数時間の睡眠や不規則な生活が、だらだらと続くのに絶望した。 それはともかく、私は2週間の短い経験だったが、新聞、と呼ばれると、広告チラシと新聞を一括りで連想するようになってしまった。私にとって、新聞とは新聞紙の��とではなく、チラシがハンバーガーのように挟まっていてこその、「新聞」だ、と言えば少しは分かりやすいだろうか。 そして十六年後、私はあるアパートに住んでいた。チラシを捨てることができず、十六年分のチラシが部屋にはあり、話とは関係ないが、毎日、ダブルチーズバーガーを食べていた。 私が陥った狂気について語ろうと思うが、前置きに比べてずいぶん短くなると思う。なぜかといえば、これは私が現在直面している狂気であり、私は正常と異常、時間の長短の区別がもはや付かなくなっているからだ。ようするに、私は説明することができないに違いない。 話とはこうだ。私はある日、部屋の壁中にチラシを貼る男を夢想した。それは私だったのかもしれないし、今、私がチラシを壁に貼っているのかもしれない。 「新聞が花をつつんで置いてある」 私は「新聞」に包まれている。 私は置かれている。 私は自分が花だとは言わない。しかし、「よみがえるなんて久しぶり」とは。 私が、自分が狂気に陥ったと考える理由は下句にある。 私は甦っただろうか。「久しぶり」には、世界に対する癒しが含まれている。 癒しは、包まれているのか。包まれていないのか。 文字が塗りたくられた円錐は、床に転がっている。 円錐の先に窓がある。 窓から、光が射し込んだ。窓にもチラシを貼っていたが、紙が薄かったので、窓は光っていた。 「よお」
*
引用はすべて、我妻俊樹「窓を叱れ」(『足の踏み場、象の墓場』、短歌同人誌『率』10号 誌上歌集、2016年)より。
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tsuntsun1221ts · 4 years ago
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2020.08 高妻山
1日目から続く
長野駅0700発のバスに乗り、終点の戸隠キャンプ場へ向かう(1550円)。日帰りで長野駅に戻ってくるなら500円くらいお得な往復券(当日のみ)がある。それ以外に5日間?利用可能な乗り放題みたいなチケットも3200円くらいで販売されていた。
乗ったのは6人くらいだが、最後まで乗ってたのは自分含めて2人だけ。道中は有名な善光寺やら中社、奥社などの観光スポットがあるのでだいたいそこで下車していく。
また高妻山は長丁場になるので、長野からバスで来るよりかは麓のキャンプ場や周辺の宿に前泊して早く出発するのがおすすめ。気温が高くなる前に登れるし。  
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キャンプ場からは3日目に登る戸隠山がよく見える。
【コースタイム】戸隠キャンプ場(0820)→登山道入口 (0840)→滑滝 (0915)→帯岩 (0920)→氷清水 (0925)→避難小屋 (0945)→五地蔵山(1030)→六弥勒 (1035)→九勢至 (1115)→山頂 (1205)→休憩・出発 (1235)→ 九勢至(1305)→六弥勒 (1335)→弥勒新道入口 (1435)→戸隠キャンプ場 (1455)
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まずはキャンプ場すぐとなりの牧場に入り登山道へ向かう。
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しばらく進むと登山道入口、家畜は先に侵入んできないように柵が設置され、それ以外は有刺鉄線が張られている。  
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まずはそこそこの傾斜だがまだ問題ない。風が通らず暑いが、沢が流れているのでまだマシか。必要に応じて身体を冷やすことは可能だが、場所を選ばないとよどみで汚染されているかも。
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有名な沢の鎖場「滑滝」、斜度は30-45度くらい。右に設置されている鎖を頼りにして登っていくが、そんなに危険ではない。滑らないように注意。
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滑滝を超えると次にのっぺりした斜面のトラバース「帯岩」となる。足場はちゃんとあるので、見た目ほどに怖くはない。
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さらに上流へ進むと沢の水量が減ってくる。
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おそらく唯一の水場、冷たい。
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登山道入り口から約1時間で稜線上にある避難小屋に到着。稜線まで登ったからしばらくは気持ちのいい縦走になるかと思いきや全然そんなことはなく、進む方向はまだ急登が続く。
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避難小屋からの急登は約10分で登りきった。沢の道もきつかったが、それを登りきってまたきつい道は体に応える(しかし、高妻山山頂へはこれをあと3~4回繰り返すくらいの体力が必要)。ようやく視界が晴れて平坦な道となる。
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下には牧場が見えるが、短時間でかなり高度を稼いできたのがわかる。そこからある程度のアップダウンはあるが、今までの道と比べたら全くもってラク。
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またここは修行の山で、途中に祠のようなものがいくつも置いてある。一不動(避難小屋)から始まり、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵山、六弥勒、七薬師、八観音、九勢至、十阿弥陀(高妻山山頂付近)。
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このうち六弥勒に高妻山方面と牧場への下山ルート(弥勒新道)の分岐がある。一不動(避難小屋)から六弥勒までは約1時間かかった。
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六弥勒以降も稜線を歩くのだが、なかなか森林限界を突破せず風が悪いのは相変わらず、しかもアップダウンが激しい。標準時間だと山頂まではまだ2時間もかかるとのことで、こんな道があと2時間とかたまったもんじゃない。六弥勒の時点で結構疲れたが、この暑さで果たして大丈夫か?水は沢の水浴びたので節約できたが・・・。
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左を向くとやや雲に隠れた戸隠山が見える。明日はあちらに登る予定。健脚者であれば一日のうちに戸隠山と高妻山を登ることも可能だが、10時間ほどかかるので早朝出発に限られる。そしてこの天候ではそ��をやる気には絶対になれない。
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約40分をかけて六弥勒からの激しいアップダウを通過し九勢至に到着。ここからはどっしりと構えた山頂がよく見える。山頂とっつきまでは平和な道に、ガスが晴れて山頂が見えてきた。写真では分かりづらいが、山頂までまだかなりの距離があり(50分かかった)、山頂直下の斜面がこれまた急。
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六弥勒から40分かけて通過してきた稜線。雲で一部隠れているが、小さな峰々が連なっており、それを律儀に一つ一つ越していくため、前述のとおり激しいアップダウンの連続となる。
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九勢至から山頂とっつき部までは平和な平坦道なのだが・・・山頂直下からは凶悪な道となる。これまで急登をいくつも攻略し、また幾度となくアップダウンを繰り返して体力をかなり消耗してきたのに、最後の最後まで急登(しかも本日一番)である。一部ロープあり、岩登りあり。ここまで3時間歩いてきたのに、山頂まではぼぼ休まる場所はない、とんでもない山だ、完全に殺しに来てる。
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更にたちが悪いことに、 2回ほど山頂だと騙された。1回目はひどい急登を登りきり穏やかな道になったとき(写真)。
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2回目は十阿弥陀に到着したとき。ここが山頂じゃないんかい!
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十阿弥陀から山頂は金峰山頂周辺のように大きな岩がゴロゴロしていて、その上を歩いていく。
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登山口から約3時間半でようやく山頂に到着。自分はペース早い方なので、一般コースタイムだと4~5時間はかかる。この山は大変すぎる、
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この苦労の末に山頂からの景色はあまり良くなく、たまにガスが晴れて北アルプス方面だけ見えるが、それでも視界は近場まで。
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たまに乙妻山が見える程度。
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なぜか真上だけ晴れていて太陽の日差しがすごくいやらしい。風もそんなに吹かず、岩の上に座っているので岩からも熱が伝わってくる。・・・雨に降られる予報だったから晴れているだけまだましか?いやー降られたほうが良かったかもな、とにかく暑い。さすがに疲れたので山頂で昼食をとって休むが、とはいえ暑いのでそこまで長居もできない(景色も良くないし)。なんだかんだ30分ほど休憩して下山する。
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傾斜が強いので下りは慎重に。
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山頂直下の凶悪な傾斜の道を下りきり、九勢至までの平和な道を堪能する。北から雲が迫ってきているが、稜線が雲をせき止めているので南はキレイに晴れている。暑いから雲の中に入りたいのに!九勢至から六弥勒までは再びアップダウンがあるものの、全体的に下っていくので下山時のほうがラク。登りでは1時間半かかった山頂から六弥勒までの道も、下山では約1時間と短縮された。
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六弥勒からは弥勒新道を使って牧場まで下山する。ずっと樹林帯なので風はまず通らないが、急登と言えるものはほとんど無く、しかもずっと土の道でクッション性があり足に優しい。基本的に景色は無いが、ところどころで眼下に広がる牧場と、飯縄山(今日はガスって裾野しか見えないけど)が進行方向に見えるあたり、下山での利用はオススメ。逆に登りでは・・・今日みたいに暑い日には沢の道がいいな。
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弥勒新道を約1時間かけてひたすら下り、牧場に出て、下山完了!あとはキャンプ場までのどかな牧草地を歩くのみ。
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夏を感じる一枚。牧草地のほうが遮るものが何もなくて風通しが良い。この景色も相まって気持ちがいい。
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約20分で戸隠牧場に到着。
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ちょうどこの時間は馬への餌やりの時間だったようで、大量の干し草をトラックの荷台から牧場の人が馬に与えていた。
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羊とヤギにもエサをあげていたのだが、羊が「うんめー!」ってハッキリ喋ってたのが笑えた。
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せっかくなので牧場の牛乳を飲んだが、すごく美味しい!甘くないソフトクリームみたいな感じで、牛乳ってこんなに味あったっけ?これ飲んだら市販の牛乳飲めなくなる。
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翌日はまたここへ来て戸隠山へ登るため、わざわざバスで1時間かけて長野へ戻ることはせず、キャンプ場からバスで10分くらいの旅館に宿泊した。高山坊という、140年の歴史がある古い旅館で、昭和あたりから時が止まってそうな感じなんだけど、ちゃんとWiFiが飛んでるしトイレもウォシュレットである。そして驚くべきことに本日の宿泊者は自分1人だけで貸切なんだと!コロナの影響で客足は少ないそうだが、それでも昨日は割と人がいたので偶然らしい。おかげさまで夜ご飯も朝ご飯も時間は自分が決めてよく、しかも翌日は戸隠山の登山口まで車で送ってくれるとのこと。女風呂なら24時間やってるから今日はそっち入ってくれと言われ、いないはずの女性客と鉢合わせしないかと若干ドキドキしながら本日の汗を流した。
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夕食メニューの信州そばも、本来なら1口分しか出てこないのが、サービスで1人前やってきた(ホントなら1000円追加して一人前が出てくるらしい)。実際に祭壇に捧げられていた御神酒もいただける(これは特別サービスではなく、希望する人全員に)。普通のお酒とは味が全然異なり、すごく薄い。・・・ただ、やはり広い食堂に自分ひとりだけというのはちょっと淋しいな。長野県産の食材にこだわっているとのこと。これで1泊1万くらいなのが、GoToキャンペーンの割引で7千円台であった。ビジネスホテル並の値段とは感動。
昼間は暑いがさすがに夜は冷房無しでも涼しい。遠くの空で雷がたくさん光っており、部屋のテレビでは気象速報で長野県内で大雨やら洪水警報やら何度も出てくる。10時くらいに就寝。
本日の高妻山だが、登りは沢の道で下山時は弥勒新道がオススメ。長丁場だし、急登やアップダウンの連続になるのでとにかく体力勝負である。通常コースタイムだと9~10時間くらいはかかるので、水不足や体力不足に陥らないためにも、いつもよりも水や行動食を多めに持ったほうが良いい。正直、夏にはもう2度と登りたくはない(昨日の雨飾山もだが)。紅葉の秋は人気があるらしいね。
3日目に続く
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