#三岸アトリエ
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the-birdsnest · 6 months ago
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三岸アトリエ/東京
2024年7月
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theatrum-wl · 1 year ago
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【投稿企画】先月の1本・来月の1本(2023年8月)
読者の方々からお寄せいただいた8月の「先月の1本・来月の1本」をご紹介します。先月の観劇の記憶を思い起こしながら、来月の観劇のご予定にお役立ていただければと思います。投稿はどなたでもご参加いただけます。是非いっしょに舞台芸術を盛り上げていただければと願っています。
・谷岡健彦 教員(6~10本) 【先月の1本】 東京乾電池「牛山ホテル」(アトリエ乾電池) 仏領インドシナが舞台の岸田國士の作品。小さなアトリエにリアルな装置を組み、当時の現地の雰囲気が説得力をもって伝わる上演だった。ベテランの綾田俊樹から若手まで俳優陣もそろって好演。 【来月の1本】 松竹「ふるあめりかに袖はぬらさじ」(新橋演舞場) このところ齋藤雅文の演出作にはハズレがないように思う。商業演劇の面白さをたっぷり味わえそう。
・kiki 地方公務員(11本以上) 【先月の1本】 NODA・MAP(野田地図)「兎、波を走る」(東京芸術劇場 プレイハウス) あまりにもベタかとも思ったけど、考えた末にやっぱりコレ。キャストももちろん魅力的だったけど、野田さんの作劇に圧倒された。多くのモチーフの波間から見えてくる重い題材。消えていくもの、変わらないもの、そして忘れてはいけないものに想いを馳せた。 【来月の1本】 タカハ劇団「 ヒトラーを画家にする話」(東京劇術劇場 シアターイースト) このタイトルを聞いただけで気になるでしょ?と思っていた昨年、コロナ禍により開幕直前で中止となった。それについて高羽さんがお書きになったnoteを読んで、上演される際には必ず観に行く、と心に決めていた。来月いよいよ上演。楽しみにしています。
・まなぶ 司書(1~5本) 【先月の1本】 努力クラブ「おびえているね」(in→dependent theater 1st) 「夕暮れに呼び出して別れ話を切り出す」それだけの出来事が目を背けたくなるほどのリアルさで立ち上がる。その確度。 【来月の1本】 タテヨコ企画「谷繁2」(表現者工房) 豊岡はもちろんたのしみなんだけど、なんにも知らないこちらをあえてあげたい。
・えみ 会社員(11本以上) 【先月の1本】 タカハ劇団「おわたり」(シアタートップス) 湿度高めな最悪因習村ホラーという高クオリティエンタメでありつつ、同時に家父長制という呪いを描く物語。想像する余白に満ちた人物たちと、後味悪いのに美しいラストシーンが秀逸でした。ホラーの臨場感を高める照明と音響のこだわりもすばらしかったです。 【来月の1本】 ムシラセ「眩く眩む」(劇場MOMO) 昨冬「瞬きと閃光」、7月の再演公演も素晴らしかったムシラセの新作。アニメ制作現場を題材に「尊厳と集団制作の先を考える」とのことで、演劇創作にも通じ��シビアな物語の予感がして大変楽しみです。保坂さんの台詞には毎回心に刺さるきらめきがあります。
・小泉うめ 観劇人・観客発信メディアWL(6~10本) 【先月の1本】 ソノノチ×Robin Owings「あなたはきえる」(アトリエみつしま) 中谷さんがやりたいことをやり通したその強さを感じる作品だった。時の流れの中で今目の前にあるものについて考えさせられた。 排気口「時に想像しあった人たち」(三鷹市芸術文化センター 星のホール) 彼らにとっての挑戦作品であると同時に今年のMNSの挑戦作品でもあるだろう。後に出世作と呼ばれる作品になる予感がする。
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ymyh · 2 years ago
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2022.1.19に見に行った展覧会(8):Osaka Indecompe 2023@大阪府立江之子島文化芸術創造センター
*主催:TRI-FOLD OSAKA(アトリエ三月、サロンモザイク、gekilin.)
*協賛:ターナー色彩株式会社、TALENS JAPAN、ホ��ベイン
*出展作家:あおやまゆう、赤城美奈、あけだにちほ、有村はじめ、安藤光、池宮弘登、イトウヒロキ、陰山晃靖、川口哩央、川本燕、岸田リサ、国本真絵、コヤマイッセー、櫻井大起、佐藤歩、しおポン酢、じぇに、雀蜂子、関水由美子、タカタニエミコ、高野衣澄、ツカモトタケシ、辻井英里、土屋靖之、角田圭史、出村谷幸子、冬乃太陽、ナタリーおなかがまるい(中谷大知・廣田くみこ)、長野玲子、ナミキ・キヨタカ、梨野名為、成毛未来、野村愛希子、波多野小桃、フミトリツムギ、振本聖一、ふるやみか、ぷれあ、穂波梅太郎、堀口知子、マイトン、前田純平、松村大地、まばら、未塵子、水間離子、桃生ぴこ、ヤマカワユウジ、山田遼介、吉田琉平、倫理的暴力、るにわ、若宮ツナ、ai、ChiHaru、chikako adachi、CHIZURU KISHIMOTO、DAICHI ISHIZAWA、emma(絵馬)、Hiroe Konishi、Kanako Tomita、K. KAWAI、Koko smirnova、martha、mg3 / めぐみ、MITSUHOSHI、MOCCHI、NEMUIBOYZ、OKAMOCHI、Q-enta、Rim、sae、saeko、semimaru、showter、Tano yasuhisa、_room_no_000、0xq
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k-nakama · 4 years ago
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その後のモダンデザインに大きな影響を与えたドイツの建築・美術学校、バウハウス。
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そこへの留学経験を持つ数少ない日本人建築家、山脇巌によって設計された三岸アトリエ。
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画家である三岸好太郎・節子夫妻のアトリエです。
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完成した昭和9年(1934年)当時、
周囲には藁葺き屋根の民家が点在しているだけだったのだそうです。
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そこに突如出現した世界最先端の「ガラスの箱」。
その衝撃はどれほどだっただろうと思います。
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ただ現在の姿は、
この100年ぐらいの間に繰り返された改装によって、
すでにほとんど原形をとどめない感じになってしまっているようでした。
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特に南側の大開口は竣工当時の写真を見ると、
それこそバウハウスの校舎のように、
正方形に割付けられた巨大なガラスの壁になっているのですが、
現在は普通のアルミサッシに変わってしまっていて、
ちょっと��念に思いました。
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ただそれでも、
シンプルな直方体の空間と、それを切り裂く大開口、
そしてその前を走る螺旋階段、等々が、
もともとの空間の香りのようなものをのこしていました。
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https://nakama-kuni.com/
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palsuke · 2 years ago
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三岸アトリエ at 中野区
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navetin · 3 years ago
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近代日本の芸術家とその邸宅を設計した建築家
※以前の記事に不具合があった為、再掲。 建築家も芸術家の内ではあるが、 ここでは画家や作家の総称として使わせていただく。
先日鑑賞した東郷青児展では石本喜久二が、 また吉田博展では渡辺仁がその邸宅設計に携わっているのを知った。 このように有名建築家が芸術家の邸宅を手掛けた例は いったいどれくらいあるのだろうか。ざっと調べたのが以下の通り。 ▼有名建築家が設計した芸術家の邸宅
太田喜二郎邸 藤井厚二設計 大正13 京都市上京区        アトリエは太田の設計で採光に拘った作り 東郷青児邸  石本喜久二設計 昭和6 世田谷区代沢 現存せず        インターナショナルスタイルの「白い家」 吉田博邸   渡辺仁設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず        ステンドグラスなどの内装は吉田もデザイン 三岸好太郎  山脇巌設計 昭和9 中野区上鷺宮         バウハウスに学んだ山脇のモダニズム建築は        近隣から「お豆腐の家」と呼ばれていた 安井曾太郎邸 山口文象設計 昭和9 淀橋区下落合 現存せず        アトリエのみ 設計にあたり多くの注文があり苦心した様子 前田青邨邸  山口文象設計 昭和11 鎌倉市山ノ内 純和風建築        山奥の寺院の中にあり非公開だが現存する       林芙美子邸  山口文象設計 昭和16 淀橋区下落合 現・林芙美子記念館        数寄屋造の和風建築 林は新居建設の為に建築を学んだ 上村松園邸  西澤文隆設計(坂倉準三建築研究所) 昭和22 奈良市山陵町        現・唳禽荘(れいきんそう) 岡本太郎邸  坂倉準三設計 昭和28 港区南青山 現・岡本太郎記念館        岡本と坂倉はパリ留学中より親交があり、その後も協同 吉村益信邸  磯崎新設計 昭和32 新宿区百人町 住居兼アトリエ        前衛芸術集団「ネオダダ」の拠点となった        通称・新宿ホワイトハウス 現・Chim↑Pomアトリエ 東山魁夷邸  吉村順三設計 昭和28 千葉県市川市        東山の依頼に基づいた簡素な住居 猪熊弦一郎邸 吉村順三設計 昭和46 大田区田園調布        RC造3階建ての二世帯住宅 非公開 赤瀬川原平邸 藤森照信設計 平成9 町田市玉川学園 通称・ニラハウス        竣工時は屋根にニラがなびいていた その他、数多くの日本画家の邸宅・画室の設計に携わっているのが 吉田五十八で、近代数寄屋建築が日本画の制作環境に馴染み、 好まれていた事が伺える。 ▼吉田五十八が設計した邸宅・画室
鏑木清方邸  昭和7 牛込矢来町 旧居 現存せず        昭和29 鎌倉市雪ノ下 新居に五十八が設計した画室を再建        現・鏑木清方記念美術館 小林古径邸  昭和9 大田区南馬込 平成5解体 新潟県上越市に移築         現・小林古径記念美術館 川合玉堂邸  昭和11 新宿区牛込若宮町 現存せず 山川秀峰邸  昭和11 品川区下大崎 画室のみ 現存せず        昭和18 中郡二宮町 別邸 現・旧山川秀峰・方夫邸 山口蓬春邸  昭和14 世田谷区祖師谷 旧居 現存せず        昭和23 三浦郡葉山町一色 画室など増改築        現・山口蓬春記念館(改修は大江匡) 梅原龍三郎邸 昭和27 新宿区市谷加賀町 画室のみ 山梨県清春芸術���に移築        昭和33 同地に新居を建設 その後は不明 吉屋信子邸  昭和37 鎌倉市長谷 現・吉屋信子記念館
ご覧の通り芸術家と建築家の結び付きは強く、 古くはジョサイア・コンドルが河鍋暁斎に師事して日本画を学んでいるが、 もしもコンドルが暁斎邸を設計していたら…なんて想像するのも一興哉。 コンドルの例は兎も角、公共建築に於いては両者の協同も多い。 (例)丹下健三・黒川紀章・谷口吉郎 などの建築家と    岡本太郎・猪熊弦一郎・イサム・ノグチ などの芸術家
元々建築デザイナーも絵描きのうちで、図案や家具、 公共デザインを手掛ける建築家も少なくはないし、 たまたま創作のジャンルが異なっただけのことなのかもしれない。 モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエは優れた画家でもあった。 その一方で、芸術家が自ら建築設計してしまう例もある。 ▼芸術家が自ら建築設計
岡倉天心  明治38 北茨城市大津町五浦 観瀾亭と称する六角堂を設計       東日本大震災で起きた津波により消失 その後再建 橋本関雪  大正3 - 5 京都市左京区 自邸・画室・庭園を設計       現・白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念館       画室は存古楼(ぞんころう)と名付けられた       昭和6 - 7 持仏堂・茶室群を設計 庭園はその後も拡張される 横山大観  大正8 台東区池之端 自邸を設計 東京大空襲で消失       昭和29 同地に新居再建 内装も設計 現・横山大観記念館       旧宅及び庭園が国の史跡及び名勝に指定されている 坪内逍遥  大正9 熱海市水口町 自邸を設計 現・双柿舎(そうししゃ) 山元春挙  大正10  大津市中庄 琵琶湖畔に別邸を設計       現・記恩寺 蘆花浅水荘(きおんじ ろかせんすいそう) 安田靫彦  大正11 三島郡出雲崎町 良寛堂を設計       昭和3 中郡大磯町 自邸を設計 現存せず       昭和6 中郡大磯町 安田善次郎別邸(寿楽庵)庭園内       経蔵・持仏堂・平唐門等を設計       昭和9 伊豆市修善寺 新井旅館       天平大浴堂・花の棟・吉野の棟・観音堂を設計 朝倉文夫  昭和3 - 10 台東区谷中 自邸・アトリエを設計       8回に及ぶ増改築と7年の歳月を掛けて完成した 現・朝倉彫塑館       中庭と屋上庭園が国の名勝に指定されている 柳宗悦   昭和10 目黒区駒場 栃木の農家から長屋門を移築し自邸を設計       昭和11 民衆的工芸品展示の為、同地に日本民藝館を設計 河井寬次郎 昭和12 京都市東山区 自邸兼仕事場を設計        鐘溪窯と名付けた登り窯を付設 現・河井寬次郎記念館 川端龍子  昭和13 大田区中央 画室を設計       昭和23 - 29 同地に自邸を設計 増改築を経て完成       昭和35 伊豆市修善寺 新井旅館 改装工事監修・玄関を設計       昭和37 大田区中央 自作展示の為、龍子記念館を設計 堂本印象  昭和41 京都市北区 自作展示の為、堂本印象美術館を設計
芸術家の美意識が詰まった建築は、個性的でとても興味深い。 素材や意匠など細部に渡って拘りが見え、空間表現も巧みだ。 日本画家の巨匠である安田靫彦と川端龍子は自邸以外の設計も手掛けており 両者の建築コラボレーションが伊豆修善寺・新井旅館を改装する際に、 時を経て実現している。
20220108<加筆修正> 日本画家 橋本関雪・山元春挙を追加
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kamagaya · 4 years ago
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2020年12月31日
柄にもなく2020年を振り返りますと、
1月は市民創作劇として鶴屋南北『四谷怪談』を鎌ケ谷市民会館きらりホールで作ったのでした。演劇というより劇場内を歩いて回るお化け屋敷という感じのものを。"今にして"思うのは老若男女が密に触れ合う創作現場だったので、もしあと1ヶ月いや2ヶ月本番が後ろにズレていたら色々と出来なくてなってしまっただろうなぁということで……このタイミングで上演出来たのは幸いでした。お岩さんの加護に感謝します。
3月は爲近君と始めた京葉演劇研究會  https://www.keiyo-theater-lab.org の1回目の公演として三好十郎の『胎内』を直売所で。感染症に世界が覆われて行く中で、私たちの小さな営みでもどのように可否を判断するかとても悩みました……上演しましたけど。今でも、この時期に触れ続けた三好十郎の言葉は自分を奮い立たせてくれます。
7月は百景社の志賀さんにお誘い頂き、百景社アトリエの駐車場にてドライブインシアター形式の演劇上演を。沢山の人に付き合って貰いましたというか助けて貰いました。
8月と9月は梨の収穫と販売で、よくコロナの影響はありましたか?と聞かれるのですが…いわゆる客足が遠のいた感は無く、皆さん例年と同じくらい買いにいらしてくれて、それはありがたかったのですが……春先の寒さと長い梅雨の影響で梨の収穫量がとても悪く、疫病より天候に負けたような……そんな梨農家でした。
10月は百景社『誤解』の舞台美術を作らせていただき……演劇を"普通にやる"ということが何だか悩ましい状況の中で、ガッツリとしたフルサイズの創作現場に混ざれたのは、なんというか、とても勇気を分けて貰えたことでした。同じ10月には、梨園で爲近君の劇団あんちょびに岸田國士の『紙風船』を上演して貰いました。
11月からは鎌ケ谷市でというか私の直売所で高校生と一緒に小さな演劇部を始めました。10年後くらいに近所が賑やかになれば良いなぁと思っています。全記君や億土さん、みんなに助けて貰いながらコツコツと続けたい、続けれる��とを希望します。
12月には大学時代の恩師が江ノ島ヨットハーバーでボサノヴァのライブをやるとの事で照明を少しお手伝いさせて頂きました。
2020年は自分の小さな世界はそれほど変わらず、いつものように多くの友人達に助けて貰いながらなんとか終えれそうです。私の42歳本厄もまもなく終わりますので、そうしましたら世界の方も少しは良くなるでしょう……そう願っています。家族や友人たちが健康であり続けてくれたことに感謝し、また引き続き健康であり続けてくれることを祈ります。
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shunsukessk · 5 years ago
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
 都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか?  まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。  徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。  ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊��を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。
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 東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃���住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。
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 アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。  掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い��。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。  通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。
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 わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。  人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか?  そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか?  あるいは都市は既に死んだ?  人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける?  このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。  実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?
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 白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と���に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。  午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。  こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか?  都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?
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 いやぁ、  未来都市ですね、
 ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある���密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。  未来都市?  だってこんなの、見たことないですよ。  ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市?  ここは現在なのに?  ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
 おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
 わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。
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 ようやく気づいたか。  ああ。  それで?  おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと?  どうかな、  本当は都市なんか存在しないのか?  どうかな、  すべては幻想だった?  そうだな、  どっちなんだ。  まあ結論を急ぐなよ。  おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。  知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。  あんたは誰なんだ。  まあ息抜きに歩いてこいよ。  息抜き?  いつもやっているだろう。あの循環だよ。  ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
 もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。  キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする?  豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。  リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。  と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。
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 それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。  なあ、そうだろう?  応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。  コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤���繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。  さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN  Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。
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 ほら、  幕は上がらないだろう、  お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移���とき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ?  あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか?  それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか?  胸を抉られるような気持ちだったはずだ。  そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家という��のにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか?  もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。  では、お前は想像の世界に満足したか?  そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認��よう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。  結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう?  こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。  とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。
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 実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。  あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。  この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。  長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう?  一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。
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 まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。  わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
 あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。  どうかな、  で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう?  そうだな。
 もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。
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shodoshima-camera · 6 years ago
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小豆島カメラ企画の『生産者と暮らしに出会う旅』8回目が開催されました。 今回の舞台は、三都半島の神浦(こうのうら)地区にあるテマトカさんのアトリエ。 カメラを持って散策、海岸で拾った流木や石にペインティングワークショップ、撮った写真の発表会。 まだまだ小豆島には会いたい人、訪れたい場所がたくさんあります!
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mninmt · 2 years ago
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2022年に観てよかった映画の感想など○旧作 邦画(順不同)
乳房よ永遠なれ(1955)田中絹代 @配信
新聞記者 大月(葉山良二)の目に映る、ふみ子(月丘夢路)が美しすぎる。特に病室に“やっと”入れたときのシーンが印象的。美しさが輝いてた。抱いてほしくて胸が痛くなった。後半、観ていて頭の中ずっと早くキスして…って感じだった。おでこじゃ嫌、けどそれが優しくてまた苦しい。ふみ子が「抱いて」と言ったときボロボロ泣いてしまった。
他人の顔(1966)勅使河原宏 @シネマヴェーラ
武満徹が音楽を担当した映画という特集にて。激アツだった、もう少し通えばよかったと後悔している…。病室/手術室のセット、あまりにも謎でかっこよすぎるだろう。医者(平幹二朗)が看護師(岸田今日子)とどうやら不倫関係にあることは話の本筋と関係はないけれど、それの表現がなんともいえず良い。ビヤホールのシーンで武満が客として写っていたりするのがキュート!
砂の女(1964)勅使河原宏 @シネマヴェーラ
“砂”ってこんなにも怖くて、それでも引き込まれてしまう魅力のある物質なんだ、と思った。レネの「二十四時間の情事」を連想して、なぜかと思ったらどちらも主人公が岡田英次でした。でも主人公が女(岸田今日子)の家で一晩明かして目が覚めてうつる、その女の砂にまみれた肌の質感と、先の映画の、一瞬何が映っているのかわからないがしばらくすると情事だとわかるあのシーンの質感はすごく似ていると思った。それにしても岸田今日子が妖艶。諦めている、けどそれでもここでやっていくしかない、だから全て仕方のないことだ、みたいな全部を含んだ喋り方と表情と、忘れられない。
きらきらひかる(1992)松岡錠司 @国立映画アーカイブ
トヨエツかっこよすぎるっ…。もちろん主人公の薬師丸ひろ子も超可愛い、酒に酔ってリビングで(が)めちゃくちゃになっていくシーンが好き。笑子が誰に対しても、つっけんどんな感じが良い、だから睦月もこの人なら、ってなったんだろう。"おもしれー女"的な感じともまた違うけれど、それと似ている気がしている。原作未読だし、観てから原作小説なんだ…とか思ったくらいなにも知らない状態だったけど、めちゃくちゃ良かった。
avec mon mari アベック モン マリ(1999)大谷健太郎 @国立映画アーカイブ
タモツ(小林宏史)みたいな男が好きすぎるのですが、どうしたらいいですか?お伺いを立てる系の男性。フランス映画の食事シーンが好きなのだけれど、中崎(大杉漣)のアトリエでの食事シーンも同じものを感じてすごく好き。あと大杉漣のぶりっ子が見れて良い。みんな原色の洋服を着ていて、全員の思いが交錯しているのも、ロメールの「友だちの恋人」みたいで良い。会話劇だ〜いすき。恋愛の映画、または登場人物の言動に対しての"わかる""わからない"でその映画の良し悪しをあまり語りたくないのだが、こういった会話劇系ラブコメ映画(?)に出てくる女性全員(!)の気持ちに寄り添えてしまうので、”全然わからなかったから、わたしには合わない!”ってことがないのだろう。濱口竜介の「偶然と想像」を観たとき、3つの短編それぞれ、それこそ三者三様の女性たちが出てきたけれど、全部の話に自分の気持ちが乗っかってしまって号泣したくらいなので…。
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getrend · 2 years ago
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くら寿司で。私「注文したら向こうの人に取られるのですが…」店員『向こうの方を別のテーブルに移動させますね』 → これを友人に話すと、なぜか私...
くら寿司で。私「注文したら向こうの人に取られるのですが…」店員『向こうの方を別のテーブルに移動させますね』 → これを友人に話すと、なぜか私…
今日のピックアップ記事 【動画あり】 こういうTikTok女子の乳首ポロリが一番エ□い(ポッカキット) お姉さんの顎に釣り針がブッ刺さった時の対処法。いつか役に立つかもしれない動画。(1000mg) 「ライザのアトリエ2 ~失われた伝承と秘密の妖精 ライザ ー日焼けver.ー 1/6スケールフィギュア【完全受注生産・タイトープロダクツオンラインス…(ホビログ) A●女優・三上悠亜、整形の参考として自身の顔のサイズ表を写真集に掲載(動ナビブログ ネオ) 【速報】 岸田首相、統一教会との接点の疑惑を謝罪「自民党総裁として率直におわびを申し上げます」(保守速報) くら寿司で。私「注文したら向こうの人に取られるのですが…」店員『向こうの方を別のテーブルに移動させますね』 → これを友人に話すと、なぜか私…(基地沢直樹) 【エ□アニメ】 メスダチ The Animation…
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shintani22 · 3 years ago
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2022年4月16日
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2021-22 Yogibo WEリーグ第17節 ノジマステラ神奈川相模原 0-2 サンフレッチェ広島レジーナ@相模原ギオンスタジアム 791人/44分 上野真実、70分 上野真実
【N相模原vsS広島R】上野真実の2得点でS広島Rが8試合ぶり白星!【マッチレポート Yogibo WEリーグ 第17節】
初の連勝を狙うノジマステラ神奈川相模原は14分、CKからのこぼれ球を#6松原有沙が狙いますが、サンフレッチェ広島レジーナの守備陣が身体を張った守備で掻き出します。44分、S広島R#7川島はるなからボールを受けた#9上野真実がゴール右隅に決め、チームとして5試合ぶりの得点で先制すると、70分にも再び上野が決めリードを広げます。反撃したいN相模原は#22伊東珠梨のロングシュートでゴールを脅かしますが、得点には至らず。守り切ったS広島Rが8試合ぶりの白星を飾りました。
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広島駅北に大規模な病院整備案 県立広島病院とJR広島病院の統合検討も 県構想で検討委提言へ(中国新聞)
広島県による高度医療や人材育成を担う拠点づくりの構想で、県医師会や広島大、県、広島市などでつくる検討委員会がまとめた提言「拠点ビジョン」の概要が15日、分かった。JR広島駅北側の二葉の里地区(東区)を候補地に、千床程度の入院ベッドを持つ大規模な新病院の整備を提案。県立広島病院(南区)と同地区にあるJR広島病院を統合する案の検討を盛り込む見通しだ。
県は今後、実現できるかどうかを検討し、新病院の整備��可否を判断するとみられる。広島都市圏内の病院の今後の役割分担などを巡り、医療関係者たちを巻き込んだ幅広い議論が必要になる。
複数の関係者によると、検討委は3月下旬に非公開で会合を開き、主に県への提言である拠点ビジョンを大筋でまとめた。新病院の役割を「高度・急性期医療を担う基幹病院」と明示。整備候補地として、利便性の高さなどを考慮して二葉の里を挙げる。
病院の再編・統合が本格化(NHKニュース)
高齢化と人口減少が進む中、広島県などが病院の再編や統合を本格化させることがわかりました。
医師を集め、高度な医療を提供する拠点病院を整備するため、JR広島駅近くの候補地に県立広島病院とJR広島病院を統合する案が今後、検討される見通しです。
高齢化で医療ニーズが高まる一方、人口減少で医療を担う人材不足が懸念される中、広島県や医療関係者などでつくる協議会は今後の医療提供体制について検討を進め、3月、報告書をまとめたことが関係者への取材でわかりました。
この中では、医師を集め高度な医療を提供するとともに、人材を育成する拠点を新たに整備する構想が示され、JR広島駅から徒歩5分の広島市東区二葉の里を候補地として、この場所に立地しているJR広島病院と広島市南区にあり、老朽化が進む県立広島病院を統合する案が今後、検討される見通しです。
新たな病院はベッド数が1000床程度と大規模なもので、がんや小児救急など高度な医療を提供するとともに若手医師を育成して、県内各地に派遣する拠点を目指すとしています。
高齢化と人口減少が進む中、必要な医療を効率的に提供するため、国は全国の都道府県に対し病院の再編・統合を議論するよう求めています。
県内のうち特に広島都市圏では病院の数は多いもののそれぞれの病院が同じような診療を担い、医師なども分散して配置されているため、非効率な医療体制になっていると指摘されていました。
広島県はほかの病院についても、連携や機能の分担を検討することにしていて、病院の再編や統合が本格化することになります。
JR広島駅北口に「1千床規模」の大型拠点病院、設置を本格検討へ(朝日新聞 4月20日)
広島県は19日、JR広島駅近くで新しい大規模病院の設置を目指す方針を明らかにした。1千床を確保し、中国地方で初の小児救命救急センターも設ける計画で、早ければ県の9月補正予算案に関連費用を盛りこみたい考えだ。
県によると、候補地はJR広島病院(広島市東区二葉の里、275床)を含む約2万6千平方メートルの民有地。同病院と県立広島病院(広島市南区宇品神田、712床)を統合した上で、全国トップレベルの専門医療を受けられる拠点病院を建設する計画という。
この案は、県や医師会、広島大などでつくる検討委員会が策定。報告書では、広島市内で複数の基幹病院が同様の機能を持つ状況が「非効率だ」と指摘。医師がより多くの症例を経験できる大規模な拠点病院として統合することで、全国から若手医師を集めながら、中山間地域にも医師を派遣しやすくなる、とした。
ただ、この日の県議会では県の方針に理解を示す声が相次いだ一方、「(県立広島病院の近隣住民から)病院がなくなると困るという声が出ている。県立病院をどうするかを示さないと不安が広がる」との批判も出ていた。(大久保貴裕)
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23年G7サミット、広島が有力(中国新聞)
政府が、2023年に日本で行う先進7カ国首脳会議(G7サミット)の開催地に関し、岸田文雄首相の地元・広島市を有力な候補として検討していることが分かった。ロシアによるウクライナ侵攻を受け、核兵器の脅威と平和の重要性を訴える上で戦争被爆地・広島での開催に意義があるとの見方が背景にある。福岡市も候補に残っており、近く本格調整に入る。複数の政府関係者が15日、明らかにした。
今年6月下旬にドイツ南部バイエルン州のエルマウ城で開かれるG7サミットまでに、来年の開催地が発表される見通し。首相は選定へ詰めの協議を進め、関係国と調整した上で決定する。
来年日本で開催のG7サミット 有力候補地として広島市検討(RCCニュース 4月15日)
来年、日本で開催されるG7サミットをめぐっては、広島市、福岡市、名古屋市が立候補しているほか、仙台市も開催に意欲を示しています。
岸田総理としては被爆地・広島で開催し、「核なき世界」の実現をアピールしたい考えですが、核保有国であるイギリスやフランスなどが難色を示す可能性もあります。
政府内には、「警備面を考えると福岡の可能性も、まだ十分ある」との声もあります。
3地域が争うG7サミット開催地  広島は首相の地元(産経ニュース)
誘致に力を入れるのが福岡空港からのアクセスの良さなどをアピールする福岡市だ。高島宗一郎市長は福岡県を地盤とする自民党の麻生太郎副総裁らとの親密な間柄も強みにする。
その福岡市は、岸田首相の地元・広島市を強く意識。高島氏は今年1月、サミット誘致の要望のための首相との面会後、記者団に「ライバルは広島市だと思っている」と宣言した。被爆地の広島市は、首相のライフワークでもある核兵器廃絶を前面に打ち出したい考えだ。
ただ、G7には核保有国の米英仏が含まれており、こうした国々の賛同を得られるかが焦点となり、首相の働きかけが不可欠だ。首相は4月末からの大型連休での外遊や、5月の日米首脳会談の機会を通じ核保有国首脳の意向を探る。
名古屋市も自動車など「ものづくり王国」の産業力をアピールを続ける。(永原慎吾)
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マンションが芸術家の“巣”に 広島(広島ホームテレビ)
芸術家たちの活動拠点になっている賃貸マンションで工房や展示スペースとして活用中の部屋がお披露目されました。
広島市中区の築45年で4階建てのマンションでは16部屋のうち7部屋でアーティストらが活動しています。
2017年、リノベーション可能な賃貸を開始したところ、立地の良さや手ごろな家賃から若い芸術家が集まりました。
第2三沢コーポ 三澤正明さん「我々が部屋をつくると他にある部屋とあまり変わらないが、アーティストがつくることによって作品のような部屋ができる」
織り作家の平浜さんは約1年半をかけアトリエ兼ギャラリーに改装しました。
織り作家 平浜あかりさん「シンクもコンロもない状態だったが、染めの作業をするために中古の機材屋で探し購入して設置した」
5月にはウクライナ出身でアメリカ在住のアニメーション作家も入居するということです。
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文豪トルストイのひ孫、スイスでウクライナ難民受け入れ(AFPBB)
【4月16日 AFP】ロシアの文豪レフ・トルストイ(Leo Tolstoy)のひ孫、マルタ・アルベルティーニ(Marta Albertini)さん(84)はスイス・アルプス(Alps)近郊の小さな村に暮らしている。家族のルーツであるロシアによるウクライナ侵攻が起きるとすぐに、難民を助けなければという思いに駆られたという。
「本能的でした」と言うアルベルティーニさんはスキーリゾート、クランモンタナ(Crans-Montana)近郊のランス(Lens)に所有するアパートを、ウクライナから避難してきたアナスタシア・シェルドゥコ(Anastasia Sheludko)さん(24)と母親に貸している。
曽祖父のトルストイは、平和主義者だったことで有名だった。もしも、ウクライナの紛争を見たら「戦慄(せんりつ)」し、「完全に打ちのめされてしまうだろう」と述べる。
「戦争と平和(War and Peace)」や「アンナ・カレーニナ(Anna Karenina)」などの名作を書いたトルストイは、19世紀半ばのクリミア戦争(Crimean War)に従軍し、セバストポリ包囲戦(Siege of Sevastopol)を経験した。
アルベルティーニさん自身はイタリアとフランスで育ち、数年前にスイスを永住の地に選んだ。自身を含めトルストイの多くの子孫が、「私たち一族は、罪のない国を侵略するという現在の恐ろしい行為に反対します」と記した書簡に署名し、ロシアのウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領宛てに送ったことを明かした。
シェルドゥコさんと母親は、住んでいたウクライナ南部の都市ミコライウ(Mykolaiv)の自宅を後にし、先月13日にランスに到着。ウクライナ人家族の受け入れを支援している地元男性の仲介で、アルベルティーニさんのアパートに滞在する話がまとまった。
2週間が過ぎた今、シェルドゥコさんは新たな土地に落ち着いた様子だ。近隣の町シエル(Sierre)にある大学の授業も受け始めた。スイスに来て心底安心したと言う。
アルベルティーニさんと初めて会ったときは「とても感情的になりました」とシェルドゥコさん。ロシア語を話す家主が誰かを知ったのは、後になってからだった。偉大な作家の子孫に受け入れてもらえて「大変な名誉です」と言う。
シェルドゥコさんの言葉を押しとどめるように、アルベルティーニさんは「アパートを持っていたから、お手伝いができた。それだけのことです」と述べた。
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米のウクライナ支援で「予測できない結果」に ロシアが警告文 報道(AFPBB)
【4月16日 AFP】ロシアが、ウクライナへの軍事支援を続ける米国に対し正式に不満を表明し、先進兵器の供与を進めれば「予測できない結果」をもたらすと警告する文書を送っていたと、米メディアが報じた。
米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)によると、ロシアは今週、米国と北大西洋条約機構(NATO)に外交文書を送付。その中でロシアは、ウクライナに「最も高精度」な兵器を供与しないよう警告し、そうした行為は「火に油を注ぐ」ようなもので、「予測できない結果」を招く可能性があると記した。
米国のジョー・バイデン(Joe Biden)大統領は今週、ウクライナに対し、ヘリコプターやりゅう弾砲、装甲兵員輸送車など計8億ドル(約1000億円)相当の追加軍事支援を約束していた。
米国務省はこの外交文書についてコメントしていない。
ポスト紙は匿名で取材に応じた米高官の話として、「われわれがウクライナのパートナーに提供してきた膨大な支援が、極めて効果的であるという表れだ」と伝えた。
米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)が引用した当局筋の話によると、外交文書は通常のルートで届いたもので、ロシア政府高官の署名はなかった。
また米CNNによると、内容に詳しい関係者は、今回の警告はロシアがウクライナ侵攻を続ける一方で、米国とNATOに対し攻撃的な姿勢を強めようとしていることを示唆するものかもしれないと語った。
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【本日 (4/16)の広島県内の感染状況】(広島県)
【国内感染】新型コロナ 48人死亡 4万7598人感染(16日18:30)(NHKニュース)
山形県 新型コロナ 新たに192人感染確認(NHKニュース)
福島県 新型コロナ 新たに556人感染確認(NHKニュース)
東京都 新型コロナ 9人死亡 新たに6797人感染確認 前週比1300人余減(NHKニュース)
神奈川県 コロナ 7人死亡 4048人感染確認 前週土曜日比257人増(NHKニュース)
大阪府 コロナ 8人死亡 3644人感染確認 前週土曜日比500人余減(NHKニュース)
京都府 新型コロナ 新たに917人感染確認(NHKニュース)
兵庫県 新型コロナ 1人死亡 2040人感染確認 4日連続2000人超(NHKニュース)
鳥取県 新型コロナ 新たに111人感染確認(NHKニュース)
島根県 新型コロナ 新たに152人感染確認(NHKニュース)
高知県 新型コロナ 新たに147人感染確認(NHKニュース)
沖縄県 新型コロナ 1人死亡 新たに1439人感染確認(NHKニュース)
地方で「第7波入り」の見方 各自治体、対策に手詰まり感―コロナ感染、9県で最多更新(時事通信)
新型コロナウイルス感染が地方の一部で急拡大していることを受け、自治体の間では「第7波の入り口に立った」との見方が広まりつつある。厚生労働省によると、福島や長野、宮崎など9県で12日までの1週間の新規感染者が過去最多を更新。各自治体は若者にワクチン接種を呼び掛けるなど感染対策に注力するが、手詰まり感も漂う。
新規感染が過去最多となったのは3県に加え、岩手、秋田、新潟、愛媛、大分、鹿児島の各県。地方で急増していることについて、��労省専門家組織の脇田���字座長は「免疫の獲得で地域差が生まれている」とし、第6波でそれほど感染が広がらなかったためとの見方を示す。ただ、9県の間からは「無症状の人を含めた検査をしているわけではなく、仮説にすぎないのでは」と懐疑的な声も漏れる。
9県のうち、宮崎県の河野俊嗣知事は12日の会見で「過去最悪の感染状況。局面が全く変わってきている」と危機感を表明。「感染がさらにひどくなり、医療が逼迫(ひっぱく)すれば、より強い行動自粛をお願いせざるを得ない」と述べた。長野県の阿部守一知事は15日、「国レベルで都道府県別データをよく分析してもらいたい」と求めた。
福島県では国の「まん延防止等重点措置」が解除された先月7日以降、県民に家庭内や会食での感染対策徹底などを要請。今月18日からは街頭活動や防災無線を通じた呼び掛けも始めるが、長引くコロナ禍でこうした注意喚起の効果は薄れつつある。県の担当者は「呼び掛けをやめれば『じゃあ、いいんだ』となる。数字として効果は表れにくいが、発信し続けるしかない」と語る。
一方、全国的に見ても感染は高止まりしている。背景にはオミクロン株の別系統で感染力がより強いとされる「BA.2」の出現や、若者のワクチン接種率の低さがある。「BA.2は第7波の大きな原動力になる」(平井伸治鳥取県知事)、「第7波に入ったという前提で対応を」(丸山達也島根県知事)との指摘も相次ぐ。
東京都の小池百合子知事は15日の会見で「感染の連鎖を断ち切る効果が期待できるのがワクチンだ」と強調。愛知県の大村秀章知事も「コロナ以前の日常を取り戻すためにもワクチン接種を」と訴えた。
コロナ禍、4割が妊活に影響 「前倒しした」「やめた」(共同通信)
住友生命保険は16日までに、仕事と妊活の両立に関するアンケートの結果を公表した。新型コロナウイルス感染拡大で妊活中の人の4割に「前倒しした」「やめた」「延期・休止中」などの行動の変化があったことが分かった。
妊活を「前倒しした」は10.9%、「やめた」が10.5%、「延期・休止中」が9.1%、「延期・休止したが再開した」が8.8%となった。
妊活の延期や休止、やめた理由を複数回答で尋ねたところ「感染した場合の妊婦・胎児へのリスクの不安」が最も多く32.7%。「感染リスクの高い時期の出産は避けたい、乳児の感染が不安」の27.8%が続いた。
中国・西安が新たにロックダウン、市民1300万人に移動制限(ロイター)
[北京 15日 ロイター] - 中国北西部の西安市当局は15日、新型コロナウイルスの感染増加を受け、4月16─19日に部分的なロックダウン(都市封鎖)を行うと発表した。市民約1300万人の移動を制限する。
13日に南部の海南島を訪問した習近平国家主席は、深刻なパンデミック(世界的流行)の下で「ダイナミックゼロコロナ」政策を継続する考えを示している。
西安では昨年12月にもデルタ株拡大を受けてロックダウンを実施。今回のオミクロン株拡大では43件の市中感染が確認された。
市政府によると、導入するのは完全なロックダウンではないが、市民の行動は主に住居敷地内に制限され、企業には在宅勤務を推奨する。
レストランでの食事、娯楽施設や文化施設、学校の一部対面授業も停止される。また、タクシーなども市内から出られない。
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TMNまで届くのは時間の問題!? 団塊ジュニアは老人ホームで「Get Wild」を聞くという予想ツイートが未来視感(ガジェット通信)
2022年4月8日に発売35周年を迎えたTM NETWORKの大ヒット曲「Get Wild」。アニメ『シティ・ハンター』のED曲としても馴染み深く、カラオケで一度は歌ったという人も多いのではないでしょうか。
『3分診療時代の長生きできる受診のコツ』(世界文化社)の著者で神経内科医の高橋宏和氏(@hirokatz)が、団塊ジュニアの老年期に老人ホームで「Get Wild」がかかるようになるとツイートして話題を集めています。
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cotochira · 3 years ago
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3/3
 連日寝不足なので爆睡できた夜行バスで横浜駅に到着するとまだ六時も回っていなかった。とりあえずコインロッカーに大きい方の鞄を預けた、集合時間の十時までできれば喫茶店で時間を潰したいが、どこも開いていないのでしばらくは外をウロウロしていないといけないのだ。せっかくだから海の方へいこう、とみなとみらいとか赤レンガ倉庫とかそういう景色を想像して横浜駅の東口から歩き始めたのだが、Google Mapも見ずになんとなくで道を決めたのでどうやら方向を間違えたらしく、でっけえ工場が立ち並ぶ散歩道にはつまんなすぎる空間に迷い込んでしまい、コスモワールドの観覧車を見つけたころにはとっくのとうにスタバとか開いていた。
 それで三人と合流したときにはもう二時間くらいは普通に歩いていたのだが、結局ここからさらに三倍は歩く日になった。みんないちおうはじめて顔を合わせる相手ではあるんだけど何回も通話していたし三人が一緒に遊んだ話とかも聞いていたので主観的には普通に馴染んだ。JR小田急線に乗って藤沢まで向かう。戸塚くらいまで来ると建物の配置もまばらになり、だんだん大きなマンションやオフィスなどのビルが減りきれいな一軒家が増えていく感じ。横の鯖さんとしゃべっていたがずっと景色を見ていて声だけ聞こえてきたのでほぼ通話だ。早く寝るのに睡眠剤を飲んだらめちゃくちゃ悪夢を見たらしい。みんないつも夜更かしなのに早くから来てくれてありがたいことだと思った。
 藤沢駅自体には見向きもせず江ノ電に乗る。藤沢-江ノ島間はあんまり町の真ん中を走らないしわりあいすぐなので江ノ電らしい楽しみは少なめだが、それでも江ノ電に乗っているなあということだけでじゅうぶんに嬉しい気持ちになった。くる途中に「プレーンソング」読んできたんですよねえと庶民さんが言う。そういえばこうして、まあ各々離れてではあるが家でだらだら喋ってきた人たちと急に足を伸ばして海辺まで行くって、結構プレーンソングの最後のほうっぽいなあと言ったらそこまで読んでないかったらしい。保坂和志のネタバレについて、どれくらい本気で謝ればいいか不明だ。
 江ノ島駅に着いたら改札のところに「ご卒業おめでとうございます」と横断幕がかかっている。そういえば横浜駅で袴姿の女性とすれ違ったな。昼食をどうしようか相談しながら海へ向かう。さっきから家が近いsatooさんがだいたい案内してくれている。背の低い建物が思い思いに「西海岸っぽさ」「ハワイっぽさ」「鎌倉=京都っぽさ」などを主張する通りを抜け、海に出ると思わず声が漏れた。
 海はいい! 水辺っていいからな。なかでも海は一番でかいから一番いい。砂浜は見えないが島へと架かる橋の端っこには砂が溜まっていたりして、マスクで鼻の効かないなかでも潮の気配が感じられる。あっ、とsatooさんだか庶民さんが声を上げた、──海掘ってる! 見ると海の中に浮かぶ小さな浮島みたいなところに陣取ったショベルカーが、海にショベルを突っ込んで動かしていた。あれ独断でやってたらすごいですね。ウケると思ってやったら引かれちゃったんだろうな。そうなったらもう降りられない人っていますからね。
 江ノ島に来ることになったのは、僕が江ノ電に乗りたいと言っていたら庶民さんが江ノ島に行ったことがないらしいのでそうなった。ほか二人はそこまで積極的ではなかった、僕も前に一度来たことがあったが、そのときは島に入ってからいろんな土産屋を抜けて神社まで来たあたりでその導線のわざとらしい感じにさめて途中で帰っちゃったりしたのだ。それでもわざわざ約束まで取り付けて来たのだから僕も案外江ノ島に何かしらを期待しているのかも知れない。名前といいロケーションといい、大したことないと半ばわかっていつつも、もし少しでもよかったらすごくいいだろうなあと思わずにはいられなくて来てしまうのだろうと思う。
 そういうネガティヴなイメージを共有していたおかげか、上陸してみると立ち並ぶ店々の商売っけマンマンな感じに対してそれほど辟易するでもなかった。上機嫌でひとつ道を逸れて岩場に抜ける。岩に囲まれてるせいか波は穏やかで、まだ海という感じも薄い。
 良いパック寿司の醤油皿みたいなのが落ちていた。
 メインストリートへ戻ってくると雰囲気に飲まれてイカ串と一緒にたっけえビールを買った。無敵状態だ! 両手をそれでふさいでガンガン階段を上っていった。しかし最初の展望台みたいなスポットまで来て気づくのだが本当に全く酒が効いていない。年下でまだお酒に慣れていないsatooさん庶民さんもチューハイを買っていたのだがやっぱり普通にしていて、有料で入れる庭の手前の広場まで来たときにはみんな完全にニュートラルなテンションで椅子に納まり、クレミアを食べている鯖さんを見ていた。広場では大道芸人が爆音で音楽を流しながら、僕たちが来たときにはまだ準備体操をしていて、あのまま夜まで準備体操し続けていたらすごい、と言ったのが誰だったか分からない。
 ニュートラルなテンションで黙々と階段を上るのはしんどい。なんなら通常より下がりそうになっていたところで海の見えるスポットにさしかかる。ごつごつした岩場へ降りていくと足もとにすぐ波が来ていて、見上げると白い岩の崖があり、やっと背景でない目の前の出来事として海を感じることができた。白波が足下まで打ち上げてくる。金沢ではじめて海に行ったとき、この水平線の向こうに韓国や中国やロシアがあってそこでも、また違った様式の、でも同じようなふだんの生活が営まれているんだという、月並みの感慨が鮮やかに戻ってきたことを感じた。太平洋側だとそうはいかない。どっちにしろ向こう岸なんか見えないのだが、おそらく日本海側からユーラシア大陸までの二倍ではきかない距離を思うと、その果てしない広さがひたすら水で満たされているのだという果てしなさが迫ってきて、ゼリーのようにひとかたまりの海が目の前にあった。
 東映だ〜、といってはしゃいだ。
 蒸しパンのやつも落ちていた。
 蟹もいた。
 岩場から上がっていくと導線の先には洞窟があるらしい。しかも金取るらしい。でも今更引き返すのもあれなので頓着のスイッチを切ってチケット代を払い、ズンドコ進んでいく。天井が低くて怖いなか進んでいくと、最奥は紫色のライトで照らされている。近づいてみると、作り物の竜が待ちかまえていた。一同、うわ〜、やりすぎやりすぎ、いらね〜、とはしゃいだ。
 洞窟から出ると、さっき崖の下の水面に浮かんでいた果物がまだあった。楕円形でだいだい色と黄色がグラデーションになっていたので、ぼくはマンゴー説を推した。satooさんは柑橘系説を譲らなかった。釣りするときの浮きなんじゃないか、みたいなことをぼくが言ったが、夢がないので忘れた。
 どうやらここまで下ってきた階段を登って大道芸人のいた広場まで戻らなければならないらしい。マジか。いやすれ違うひとが割といたから薄々分かってはいたけど。とくに鯖さんは心配になるくらいイヤになっていて、おかげでほかの三人は比較的元気を保てていた感じがあった。とにかく広場までひいひい言いながら戻ってきて、商店の立ち並ぶ坂を通り過ぎ、橋の手前で十分くらいは座っていた。すごく大きな犬、たぶんセントバーナード? が通ってちょっと湧いた。来るときにいた大きな犬(トイでないプードルなど)の話をして、それもとぎれるとみんな疲れに任せて意識をTwitterへ沈めていった。  ひとしきりじっとしてから、よしっ!と庶民さんが柏手を鳴らした。行きましょう。いい区切りつけてくれましたね、とsatooさんが感謝して、立ち上がった。
 とにかくみんなおなかが空いてきたので、鎌倉まで行って何か食べましょうという話になる。庶民さんが、江ノ島って、と総括らしき感想を口にした。来てる人みんなちょっとずつ垢抜けてない感じがいいですよね、──垢抜けてないだったか間が抜けてるだったかなんて言ったかよく覚えていない。ドッチラケなこと言うなあ! とぼくやsatooさんが大きめに驚いてみせると、いやほめてるんですよ、いいとこだと思います、などと言った。なんかでもわかったかも。さっき書いた淡い期待が、なんとなく来る人みんなをぽやっとさせてしまうのかもしれない。
 駅へ戻ってホームへ入る。鯖さんが自販機で買った飲み物をすごい無感情に飲みきった。なんかむしゃくしゃしてお金が使いたかったから買っただけだったらしい。そんあことある?
 江ノ電の続きに乗る。ここからは鎌倉高校前とか、「季節の記憶」の舞台の稲村ヶ崎あたりとか(鯖さんがわりと最近「季節の記憶」を読んでいたので、案外ホットな話題だった)、見所のある箇所だ。江ノ島駅を出てすぐは特に、お寺とかも見える古い町並みの中を通っていくのでおもしろい。二時くらいを回り、比較的早く帰る制服姿なんかもいてそれなりに混んでいる。真ん中あたりの、別荘みたいな綺麗な家が立ち並んでいる感じが好きだ。生活感がない静けさが、降りて歩いていても簡単に親しめず、ひどく遠くに来た感じが強くする。
 鎌倉駅で下車。駅前でマクドナルドを見つけてしまい、マックでいいじゃん! と固まりかけるが、satooさんに導かれて一応小町通りをみて行く。しかしどれもこれも観光客価格で鼻につくし、ぼく以外はみんなちゃんと昼食代に頓着しているのでちょうど良いところがない。結局引き返してマックを食べた。しばらく足を休���ている間に、satooさんが古本屋に行くことを提案し、鯖さんが場所を調べてくれる。
 アトリエを改装したらしい古本屋は可愛らしく古びた一軒家で、小さいながらもおもしろそうな本が並んでいた。庶民さんが前から気になっていたという吉田健一の「舌鼓ところどころ」を見つけた。ぼくはヴァージニアウルフの自伝的な文章を集めた絶版本を三千円で買った。わりと勇気が要ったが、たぶん復刊されるにしても今年や来年の話じゃないだろうし、かなり良い買い物になったと思う。
 店を出てからコンビニへ行った。アイスが食べたいと言っていた庶民さんと半分こする約束でチョコモナカジャンボを買って出た。そこで待っていたsatooさんはジュースを買っていたのだが、鯖さんが棒アイスを手に戻ってきたのを見るや、みんなアイス買うなら言ってくださいよ! と自らの買い物を悔やんでいた。
 ぼくの荷物を回収しに、いったん横浜駅へ戻る。みんな疲れてぼんやりしていた。橙色の斜陽が雲の形を立体的に照らしていて、鯖さんがそれを庶民さんに教えてあげていた。こんなに広い空みたの久々かもしれません、と庶民さんがつぶやく。東京に来て以来、時節柄外もたいして出ないのでそういうことになるらしい。
 ついでに駅の近くのブックオフへ寄る。庶民さんがどうやら良い買い物らしい漫画を含めたかなりの大荷物をもって出てきたのも驚いたが、satooさんが解説目当てに何冊目か分からん「風立ちぬ」を買っていたのに驚いた。そんなに好きだったのか。フォローしてからも日が浅いから当たり前だけど、知らないもんだな。ぼくは、俺が買わなかったら誰も買わんだろといういいわけと共にフェルナンド・ペソアを買った。
 帰りの電車は果てしなく混んでいた。これが本当に正しいことなの〜〜!? 「よつばと」で東京の満員電車に乗ったときのよつばの台詞を口にすると、「よつばと」の話になったりした。
 今日は庶民さんちに泊まる予定だ。庶民さんたちの会話以外で聞かない駅名で下車し、お酒や食べ物などを買って庶民さんちへ向かった。本棚とベッド、机で八割埋まったワンルームにみんなして詰まって、鯖さん以外はお酒を飲み始めた。satooさんがすごい勢いで酔っぱらい、庶民さんもそれに続いた。ぼくは許可を得て換気扇をつけたキッチンでタバコを吸いながら、たぶん弱いとかじゃなくて酔っぱらってる状態に慣れてないだけだよ、と説明した。調理場は玄関上がってすぐのところにあったから、立って喫煙しているぼくが奥で座って飲み食べしている三人をみる形だ。なんか年上っぽい年上をやっているなあという自覚があった。三人とも僕より色々みて読んでいるしそう軽率なことを無自覚に言ったりしたりもしないので普段は年齢の上下を強く意識しないが、飲酒のこととなるとさすがにこうもなるか。酒飲むとイキりみたいになるのが嫌なんですよね、と庶民さんが言った。色んな味のものがあるから楽しみたいだけなのに。たしかに、ぼくも数年前なんとなく思ってたけど言葉にしてなかったことだ。
 庶民さんが吸ってみたいというので途中のたばこをあげたが、二回とも咳き込んで水を飲む羽目になっていた。こんなもんなんで平気になったのか、まだ常喫するようになってから一ヶ月くらいのはずなのにもうわからない。
 ぼくもべつに強くはないので何杯か飲んでそれなりにぼやっとしてきたころから、音楽を聞くターンになる。satooさんが教えてくれたタルトタタンというバンドが良かった。めちゃくちゃ同じフレーズを繰り返すボーカルが曖昧な意識にうまいことハマった感じがあった。庶民さんはゆらゆら帝国の「昆虫ロック」を自分の曲だと感じるらしい。おれの曲はなんだろ。飲んでないのもあって(べつに飲んでも良いだろと思ったのだが、ほかの二人がなんか執拗に止めるのでずっとコーラとか飲んでいた)鯖さんは常にやや蚊帳の外で、ヤケクソなんだか正常な判断なんだかしらないが、どっちにしてもすごいが、途中から性的なMMDの動画を流したりしていた。踊るキャラクターの局部を隠すモザイクがどんどん小さくなっていくのを見た。すごい文化だ。
 たいして飲みもしなかったが場酔いもあってなんやかんやわやくちゃになり、かなり良くない話や良くない言動をしたあといつの間にか寝ていた。起きると飲んでいた二人ももう起きていて、飲んでいなかった鯖さんは始発で帰ったらしかった。たらたら支度していたら庶民さんが友達と会う約束の時間になっていて、ちょっとあわただしく出発した。駅でsatooさんと別れると、ぼくは京都で見逃した映画を見に、下北沢に向かう電車に乗り込んだ。
 案外道中が長い。東京って狭いからどこからどこへも三十分圏内だと思ってた。江ノ島を出て橋を渡っている途中、鯖さんが言っていたことを思い出したりする。この辺に住んでる人って、みんなここが好きだからわざわざ住んでるんですよね、と言った。たしかに湘南くらいになるとそうだろう。こういう言い方をしてみると別に取り立てて好きでもない場所にあれこれの事情で住んでいることが妙なことにも思われる。僕は京都に好きで住んでいる、それを環境が許してくれている。ありがたいことだ、と思った。
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hiroshi-shimizu · 4 years ago
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アートインレジデンス 3日間滞在した 空間を開放しています。
たけのま2階  「YARD分室  -   痕跡」 
公開中です。 ------ 2021.7.7(木)-31(土) open: 月-木  13:00-17:00 ※12日(月)はお休みとなります。 ※23日(金)、31日(土)はopenいたします。 展示期間中は入場無料となります(カンパは歓迎いたします)。 ------ 15日(木)、19日(月)、31日(土)は清水が在廊いたします。  ------  2021年 夏 -シミズヒロシの脳内スキップ- たけのまの 2階の奥の角部屋を小さなアトリエとして使わせていただく機会を得た。 日頃、自宅の作業部屋をYARDと呼んでいるので この部屋をYARDの分室 とさせてもらうことにした。
 1, 箱庭 箱庭を設置することだけはすぐに決まった。前回の展示で使った砂があったから、、 実は部屋を丸ごと箱庭にしたかったがそれには砂が足りなかった。。 この部屋のサイズだったらおおよそ300kgの砂があればできるであろうことが わかったので、これはいつかやることにして、 今回は三つの箱庭を分散して配置することにした。 箱庭や枯山水、、10代の頃からずっと興味があったが 箱を用意して砂を入れて石を置くだけ、、なのに なかなか いざ実際にやってみるまでには至らないもので この歳になってようやく具体化した。 具体化してみてわかることがある
 改めて 砂のもつ無限力 流動性 触れた時のレスポンスの良さなどに驚かされる。 一瞬で砂遊びをした頃に戻る。スキップしてた頃の自分に戻る。 とにかく砂と戯れ、その上にモノを配置することの楽しさ これを共有しておこう。 滞在中時々砂と戯れることが作業の停滞をスキップしてくれる効果があった。 古い起源のこのアイディアは構成がシンプルだけに 奥が深くここから先がまだ永いと感じていて 今は盆石に注目している。 箱庭療法に関しても掘ってみる��もりだ。 2 , ノープランの制作  日常的にしている作業の断片を持ち込む。 身の回りに集まってくるもの 目の前に現れたものを使って 気になっていたことを実験してみる。 頭に浮かんだものや発想をそのままやってみる。 できたものを配置することで 空間にアクセスし何かしらの秩序を作ろうとする さて 展示するという行為とは一体なんだろう。 観せたいものってなんだろう やりたいことはなんだったろう などと考えながら そこにあるものを手に取り 陳列して見る  バランスを観る 配置は空間にリズムを与える 結局 自分の場合 絵を描くことも モノを置くことも リズムに集約していく。 
作りかけの制作や やりかけた作業も そのまま自分のリズム ーーーーーーーーーーーーー ーーーーーーーーーーーーー 日常の中に埋没している面白みや愉快なことを もう一度ほじくり返したい。 あちらこちらほじくり返して 分散・分裂する制作 散らかる、片付ける おもちゃ箱をひっくり返したような世界 ひとたび耳がひらけば世界は音楽そのものだ と 感じられ 感覚が開いてしまえば モノは語り出し、踊り出すことを知っている。  チャチャチャ おもちゃのチャッチャッチャーー♪ チャッチャ と やるのだと 脳内でスキップしてる人がいる  脳内で何かが滞ったら すぐに スキップ する  そして前に進む 人間は前進する生きモノ 人間は痕跡を残す生きモノ この部屋自体が未完成のコラージュで 滞在した三日間の 痕跡 です (それ以前の痕跡もあります) 作業は途中のままなので 引き続き変化していくでしょう。 あなたの痕跡も残しておいてください。 箱庭は自由に自分の庭を作ったり 砂紋を描いたり戯れてください。 
他のモノも破壊しなければ触れて構わないし 配置を自由に変えてもらって構わない。 椅子に座って時間の許す限り物思いに耽ったり、 作業をするのも良いのではないでしょうか。 机の上の紙と筆記用具もご自由に。。
たけのま tenjishitsu:Tür aus Holz 竹之丸 open:月〜木 13:00-17:00 231-0847横浜市中区竹之丸194 Instagram: tt.takenoma FB: tenjishitsu:Tür aus Holz ※感染症対策のため、窓を開けての空気の入れ替えを行います。 また、入場の際は手指の消毒、うがい、手洗いのご協力をお願いいたします。 ※入場料金¥500 たけのま会員・小中学生は無料です。  !!7/7-7/31は入場無料となります。!! -- --
◉ 山手駅(JR根岸線)より徒歩約10分 ◉ 桜木町駅(JR根岸線)または、日本大通り駅(みなとみらい線)より 横浜市営バス21系統(市電保存館行)「柏葉橋」下車徒歩約5分 * やまのうえからは徒歩10分ほどです * 駐車場はございません * 住宅街となっておりますので、近隣住民の方へご配慮くださいますようお願いいたします - たけのまは、竹之丸の住宅街にある築約70年の一軒家を元の造りを活かしながらリノベーションして生まれたスタジオ、ギャラリー、スペースです。1Fはキッチンと居間、2Fは下宿の造りになっており5部屋の空間があります。
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aarc2017 · 4 years ago
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2020年12月23日(水)水曜シェアリング・リポート
Wednesday Shearing 2020/12/23
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参加者(敬称略) ヒジョン・チェ(国際公募招聘アーティスト) アーロン・マクラフリン(国際公募招聘アーティスト) 荒木悠(アーティスト/映画監督、国際公募選考委員)Sunjin(アーティスト) 三橋紀子(アーティスト)千葉麻十佳(アーティスト、国際公募コーディネーター) 小田井真美(さっぽろ天神山アートスタジオ AIRディレクター) 小林大賀(さっぽろ天神山アートスタジオ コーディネーター) 松田朕佳(アーティスト) 
開催時間 19:00 - 20:50
  さっぽろ天神山アートスタジオ・オフィスより小田井真美さん。同じく天神山の滞在スタジオから千葉麻十佳さん。英語の発音がYou are lucky (Yu A Raki)になるという荒木悠さんは東京のご自宅から。荒木さんはこの後、コロナの様子を見ながら北海道の厚岸へ牡蠣漁の取材へ行かれるとのこと。ヒジュンさんはソウルのアトリエからの参加。「コロナにかかりたくない」と不安げな様子。制作の方ではコーディネータ・千葉さんと秘密のプロジェクトを遂行中だとか。「来年見せます」と焦(じ)らしてくれました。アーロンさんは昨日パリから9時間バス移動で現在アムステルダム。背後に掃除機が映り込む廊下のようなところからの参加。実はこの後アトリエを引っ越さなければならないとのことでソワソワ。「アムステルダムはコロナの影響で街はロックダウンしています。それでも人々はマスクをしていません」と町の様子を教えてくれました。明日の朝はコロナの検査を受けてイギリスへの一時帰国行の予定だそうです。
 アーロン「パリはとても良かった。旅行者がいない中、唯一の旅行者だったから、みんなにちやほやされたよ~」と嬉しそう。「ソーシャルディスタンスを保ちながらまだプロジェクトは継続できそう」とのことなので、良かったです。
 ソウルからもう1名。最近学校を卒業したばかりで天神山ファンだというサンジュンさんは、ソウルで絵を描いているアーティスト。
 Sunjin「アーロンさん、ロボットは一緒なの?」(←これはみんな気になるでしょう!)
アーロン「いや、ロボットと一緒にいると盗まれたりしそうで怖いから・・・でもスポンサーを見つけて日本に送ろうと思っている」
荒木「もうロボット買ったの?」
アーロン「いや、まだ。セグウェイと交渉を始めたところでロックダウンになっちゃって」
 ということで���ロボットはまだ手元にないけどリサーチは始まっている様子でした。
 小田井さんのご友人でロッテルダム在住のマンガラバーでもあるアーティスト、三橋紀子さん登場。背景にはベルギー生まれの柴犬「かきまる」(可愛いっ!)
 小田井「アーロンさんに何かマンガのお勧めを」
三橋「ドラえもん」
限定販売だったというタイムマシーンのイラストが描かれたメガネを見せてくれました。すると、ヒジュンさんもドラえもんのコップを出してきてくれました。ドラえもん普及率の高さ!しかし、アーロンさんは知らなかったようす。
 三橋さんさんは大学でマンガ家・石ノ森章太郎をテーマに、日本のマンガヒーローが西洋化していく過程についての卒論を書かれたそうです。
 アーロン「読みたい!」
三橋「当時は手で文字を書いていたから、、、、デジタル版はない!」
全員「ざんねーん(笑)」
三橋「90年代最後の時代で今とは違った。コンピューターを持っている友達は数人しかいな買ったから、貸してもらってタイプして印刷して、、、windows 95が出た後くらい。メディアコースにいたけど、生徒たちはコンピューターを持っていなかった」
 Sunjin「小田井さんとはどのようなお知り合いなんですか?」
小田井「北海道で会ったんです。インターナショナルアートフェスティバルのオフィスにいた時に一緒に仕事をしたのが最初。20年くらい前の話」
三橋「若かった」
 ヨーロッパ在住の日本人にインタビューをしているアーロンさんは、三橋さんにロッテルダムの日本人ソサエティーについて訊ねてみる。
 三橋「2006以来ロッテルダムにいるけど日本のソサエティーとは交流がない。日本人の友達はいるけどアーティストやアート関係者。精神科医の友人が言うには、日本でいう「普通」の範囲は狭い。オランダでは広い。私たちは日本の「普通」尺度にフィットしない文化難民だ」 
 マンガプロジェクトを遂行中のアーロンさんの見解によると、西洋が個人主義的なのに対し、日本はコレクティブ(集団的)だということはマンガを読んでいても伝わってくるらしい。
文化によって笑いの違いも当然あるようです。
そこで荒木さんの、日本におけるお笑いとアートの比重についての考察。
 荒木「M-1グランプリも終わって間もないですが、普段は社会風刺のようなものもあるのに今年のネタは”単に下らない”という笑いだった。このご時世だから、何も考えずに笑いたい、という心境なのでしょうか。ともあれ、日本ではお笑いの方が現代美術より需要があるし、芸人さんの地位が高い」
Sunjin「日本のテレビのお笑いにかけるお金のかけ方、すごいですよね」
アーロン「風雲!たけし城、見たことある。あの”くだらなさ”すごい。楽観的。イギリスもアメリカも、お笑いはポストモダンというか、もう、メタモダンになっていて。それでも芸人の地位はアーティストより低い」
 なるほど、たけし城は翻訳されていたんですね!
 話は変わって、ヒジュンさんとサンジュンさんがコロナ禍ソウルのアートシーンについて教えてくれました。
 ヒジョン「美術館は閉まっていますが、プライベートギャラリーはオープンしています。光州ビエンナーレは中止になるのか延期になるのかわからない状況です。日本だと東京オリンピックのこともありますよね」
日本人(苦笑)
小田井「札幌では札幌国際芸術祭2020もオンラインになりましたよ」
荒木「オンライン鑑賞するための仕事の依頼があるのですが、なかなか難しいです。私自身もそうですが、パソコンやスマホでは集中できない。鑑賞者の環境や集中力をコントロールできない中での作品の想定が難しいです。作品の時間を短くするか、ものすごく長くするか・・・」
松田「どのくらいがちょうどいい長さだと思いますか?」
荒木「多分、、1秒くらい」
全員(笑)
ヒジョン「オンライン展覧会の課題ってありますよね。インスタグラムとかレビューの方が実際のオンライン展覧会より評判が良かったり。まだまだこれから良くなってくのでしょうね。良い面もあるし。例えばオンラインで天神山をお散歩できたり」
小田井「さっぽろ天神山アートスタジオもVR、できたんです!」
https://my.matterport.com/show/?m=5GExMk2uu4T
最後はみんなでさっぽろ天神山アートスタジオの中をお散歩して解散しました。
 (松田)
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maison-malta · 5 years ago
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