#ワーキングクラス
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notokra · 1 year ago
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MR.High Fashion vol.110 Pina Bausch ミスター・ハイファッション 2002年10月号 ピナ・バウシュ
目次 MR’S SPECIAL ミラノ発信のメンズモードと、ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 トム・フォードが提案する、モダンフォーマルの再来。 by GUCCI Rosemary=写真 ラフでダンディな、ニューカントリースタイル。 by DOLCE & GABBANA 平間至=写真 ジル・サンダー。ウォーターカラーのエレガンス。 by JIL SANDER 戎康友=写真 エンポリオ アルマーニ。クラシカルなワークテースト。 by EMPORIO ARMANI 宮原夢画=写真 長瀬智也。ロメオ・ジリ。クールレジスタンス。 by ROMEO GIGLI 筒井義昭=写真 山下智久、生田斗真。ジリ。コントラスト&レイアード。 by GIGLI 筒井義昭=写真 バーバリー プローサム。ニュークラシシズムのシルエット。by BURBERRY PRORSUM 桐島ローランド=写真 ラフでラグジュリー、ヴェルサーチのニュールック。 by VERSACE 三枝崎貴士=写真 クールでラグジュリーな存在感。 by NEIL BARRETT 石坂直樹=写真 アレッサンドロ デラクア。アクティブでセンシュアル。by ALESSANDRO DELL’ACQUA 守本勝英=写真 エンニョ カパサが提案する、ダウンタウンシック。by ENNIO CAPASA FOR COSTUME NATIONAL HOMME 笹口悦民=写真 ディーゼルスタイルラブ。アーバンなクールカジュアル。 by DIESELSTYLELAB 川口賢典=写真 キーン・エトロと、エトロが生み出される場所。 矢島みゆき=取材・文 アーネスト・レヴィ=写真 MIUCCIA PRADA ミウッチャ・プラダのクリエーション。 二つのベクトルの均衡。/プラダ社の歴史と運営。 矢島みゆき=取材・文 西島秀俊。プラダ。半沢 健=写真/プラダ スポーツ。ニッキー・ケラー=写真/ミュウ ミュウ。半沢 健=写真 イタリア発信の革のツール。靴と鞄。 ミラノのデザイナーのフェースアルバム。 堀本洋一、畑口和功、牧田良輔、アーネスト・レヴィ=写真 ドメニコ・ドルチェ、ステファノ・ガッバーナ/ジョルジオ・アルマーニ/ドナテッラ・ヴェルサーチ、エンニョ・カパサ、ニール・バレット、ガブリエレ・ストレーレ、ミラン・ヴクミローヴィック、ア��トニオ・マラス、コンスエロ・カスティリオーニ、ロメオ・ジリ、ルカ・ミッソーニ、スコット・フェローズ、アレッサンドロ・デラクア、クリストファー・ベイリー、トーマス・マイヤー
FASHION PINA BAUSCH + YOHJI YAMAMOTO : Fusion Between the Two 同質のアビリティ。ピナ・バウシュが着るヨウジヤマモトのポートレート。松本康男=写真 イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ、ボヘミアンエレガンス。 半沢健=写真 ラージサイズでテンダーな6人のスタイル。 田中知之/長瀬哲朗/パラダイス山元/梶原由景/ジョン・ストーリー/三宅勝士 宮原夢画=写真 ポール・スミス氏と愛車ブリストルから始まる、クラシック&ストレンジワールド。 by PAUL SMITH COLLECTION アンソニー・クローラ、三枝崎貴士=写真 ヴィヴィアン・ウエストウッド マン、ワーキングクラスからの発想。 by VIVIENNE WESTWOOD MAN 守本勝英=写真 マーガレット・ハウエル。 クラシシズム&モダニティ。 by MARGARET HOWELL 筒井義昭=写真 クールで優しい、ステファン・シュナイダーというスタイル。 by STEPHAN SCHNEIDER 富岡春子=写真 進化するブリティッシュブランド、ダックス E1。 by DAKS E1 筒井義昭=写真 時を超越するSOのスタイル。 by SO BY ALEXANDER VAN SLOBBE 平郡政宏=写真 バーバリー・ブラックレーベル、ロックスターのように。 by BURBERRY BLACK LABEL 秦 淳司=写真 サンディー・ダラルがディレクションする、ICB menのアーバンエスニック。 by ICB men Rosemary=写真 ブライトンの自然と共生する、ポール・ハーンデンのクリエーションと暮し。 富岡秀次=写真 正岡雅子=取材・文 真木蔵人。ドレスダウンクロージング。 by RADMESS MEN’S BIGI 富永よしえ=写真 伊藤英明×オークリー。シャツとデニムパンツの、イージー&クールなスタイル。 by OAKLEY 三枝崎貴士=写真 A.A.R。ハードボイルドでクール。 by A.A.R 平郡政宏=写真 クールなインパクト。カスタム カルチャーのレザー。 by CUSTOM CULTURE 赤羽圭介=写真 東京発信のウォームスタイル。 川口賢典=写真 コンテンポラリーダンディズム。 富永よしえ=写真 DEPARTMENTS コム デ ギャルソンのラージサイズなコロン。 ニューショップ。ブリオーニ/コーチ/ラグビー ノース アメリカ/ フィラスポート・ライフストア/アディダス SOのオランダ通信。 Vol.13 パリのカルティエ現代美術館で再会した、村上隆と滝沢直己。 ミタ リツコ、森本美絵=写真 ビジュアルのコラム集。 ゴールドジュエリーの生産地、イタリア・ヴィチェ���ツァで開催された国際展示会。 11 トピックス。 PEOPLE 宇川直宏。34年分の記憶を押し込んだ、脳のような空間。 久家靖秀=写真 東谷隆司=取材・文 小林紀晴。幼いころから変わらぬ、アジアへの関心。 かばんの中身。一之瀬弘法。 男のカーライフ。ROLLY。 スーパースタイリストのリアルライフ。 祐真朋樹=写真・文 クレール・ドゥニが描いた、二人の怪物の物語。樋口泰人=文 伊東四朗。男の覚え書き。 沖山純久=文 松本康男=写真 小村和久(5351プール・オム)/リード・クラッコフ(コーチ)/リック・オウエンス ESSAY 犬の肖像。中川十内=写真 沖山純久=文 ハラショー・ボーイ。島田雅彦=文 記憶の中のカンヌ映画祭。秦早穂子=文 COLUMN COMING NOW カフェ・イン・水戸/BOOK 稲川方人=文/BOOK 佐伯誠=文/MUSIC 北中正和=文/CINEMA 樋口泰人=文/ART 椹木野衣=文/THEATER 渡辺美和子=文/NEWS 鳥越俊太郎=文 ETCETERAS INFORMATION/NEXT ISSUE/BACK ISSUES/PRESENTS/NEWS
編集長:田口淑子
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moznohayanie · 10 months ago
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映画「枯れ葉」公式サイト
2024年最初の観た映画紹介はアキ・カウリスマキ監督の新作です。ワーキングクラスのおっさんとおばさんのボーイミーツガール、王道のすれ違い。最低限の説明で淡々とすすむ中に、厳しい世界、つらい人生に負けない力強さを感じます。いつも通りオフ・ビートな笑いも健在。心温まるエンディングで、寒い冬にぴったりかと。
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cocoronoarikata · 2 days ago
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スティーブ ・ジョブズ・スタンフォード大・卒業式スピーチ・2005年
2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行われたスティーブ ・ジョブズのスピーチは、自らの生い立ちや闘病生活を織り交ぜながら、人生観を余すところなく語り、広く感動を集めました。「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」。
【全文】
皆さん、ありがとう
私は本日ここに世界で最も優れた大学の一校である貴校の卒業式に皆さんと共に同席することを光栄に思います。実は私は大学を卒業していないのです。そして、これが私の大学の卒業式に今までで最も近い経験です。
今日は、私は自分の人生からの3つの話をしたいと思います。それだけです。たした話ではありません。たった3つです。
1.点と点を結ぶ事についての話です。
私はリード大学を最初の6ヶ月を終えたときに中途退学しました。しかし大学を実際に辞めるまでその後1年半ほどで戻り学生として大学に留まっていました。それでは、私は何故大学を辞めたのでしょうか?
それは私が生まれる以前から始まっていました。私を生んだ母は若い未婚の大学院生で、私を養子に出すことを決断しました。彼女は、私が大学卒業者の養子に行くべきだと強く願っていました。
それで弁護士とその妻により、私の誕生と同時での養子縁組の手続きがすべてが整えられていました。ところが私がいざ、生まれるというときになり、そのわずかその出産の数分前に彼らは本当は女の子を望んでいたと言い出したのです。
そういうわけで。養子縁組待ちリストに記載されていた私の両親に真夜中に問合せの電話がかかってきました。
「私達に予定外の男の子が出来ました。この坊やを迎えたいですか?」
私の両親は言ったのです。「もちろんです」
後日、私の産みの母親は、私の母が大学を出ていない事を知りました。そして父は高校を卒業しておりませんでした。産みの母は最終の養子縁組の書類を拒否しましたが、 数ヶ月後に産みの母親は、私の両親が私を大学に入れると約束した時にやっと態度を軟化させ私を養子に出すことに応じたのでした。
これが私の人生の始まりでした。
そして17年後、私は実に大学に入学したのです。しかし、世間知らずにも私はスタンフォード大学と同じくらい学費の高い大学を選んでいたのでした。そして私のワーキングクラスの両親の貯えの全ては私の大学の学費に費やされておりました。
入学して半年後、私は大学に意義を見出せなくなっていました。 私の自分の人生で何かしたいかが分からず、そしてそれを見つけるために大学がどのように役立つのかまるで分からなかったのです。それなのに私は両親がその生涯にわたって蓄えてきた資金を使い果たそうとしていたのです。そこで私は大学を退学することを決意しました。これでいいのだ、全てこれでうまくいくのだと信じて。
そのときは大変不安な思いもしましたが、振り返ってみると、かつて私が下した最善の決断の一つでした。
退学した瞬間から、私は興味が持てない必修の課目をとるのをやめる事が出来、 はるかに面白そうなクラスに出戻り学生として講義を聴きに行き始めました。全てがロマンティックというわけにはいきませんでした。
私は学生寮に部屋を持っておらず、友人の部屋の床で寝泊りしました。私はコーク瓶を店に戻し、返金された5セントを貯めては食べ物を買っていました。 毎週日曜日のよるともなると、7マイル(11km)を歩いて町を横切り、ハーレ・クリシュナ寺院で週に1度のごちそうにありついたものでした。
あれは本当においしかった。そして、私が自分の興味と直感に従って巡りあった多くのものは、後に極めて貴重なものとなったのです。
ひとつの例を挙げてみましょう。リード大学は、当時においてはおそらく国内最高のカリグラフィ(書体)の授業を実施していました。キャンパスのいたるところにあるどのポスターも、どの引き出しのどのラベルも、美しい手書きされたカリグラフィがほどこされていました。
私は退学していて、通常科目を受講する必要がなかったので、私は、カリグラフィのクラスに出席して、このやり方を学ぼうと決めました。私はセリフとサンセリフの活字の字体や、異自体を組み合わせたときの文字間隔を調整することや、立派な活字印刷を立派に見せるものについて学びました。
それは美しく、歴史を有し、科学という意味では捉えきれない芸術的な繊細さを具えていました。 私は魅了されていました。
このどれもが、私には私の人生で実際の仕事に応用する希望すらなかったのです。しかし、10年後私達が最初のマッキントッシュコンピュータ��設計していたときに、それがすべて蘇ってきたのです。
そして私達は、それらすべてをマックに組み込んだのです。マックは美しい活字フォントを備えた最初のコンピュータとなったのです。
もし私が出戻り学生として、大学のあの単科目コースの講義を受けていなかったとしたら、マックには複数の活字フォント或いは文字の間隔を調整するフォントは決して備えることは無かっただろうと思います。
そして、ウィンドウズは単にマックをコピーしただけなので、それらを持つパソコンは無かっただろうとということはあり得たことなのです。
もし私が中退をしていなかったとしたら、私はこのカリグラフィのクラスに入る事は無かっただろうと思います。 そしてパソコンが現在のような素晴らしい活字フォントを備える事もなかったかもしれません。
もちろ大学にいたときは、将来を見据えて点と点を結びつけることは不可能な話でした。しかし、10年後に振り返ると大変はっきりと見えてきました。繰り返しますが、将来を見据えて、点と点を結びつける事は出来ません。後に振り返って見た時にしか点と点を結びつける事が出来ないのです。
それ故、あなた方は点と点がとにかくも将来に結びつくと信じなければならないのです。自分の根性、運命、カルマ、たとえそれが何であれ信じなくてはならないのです。
なぜなら点と点がいずれ将来に結びつくと信ずることは、あなたに自分の心に従う自身をもたらすからです。たとえそれがあなたを多くの人が通る道から外れる道へ導くとしても、大きな違いを作り出すのです。
2.愛と喪失について
私は幸運だった。人生の早い時点でたまらなく好きなことを見つけた。20歳のとき私は実家の車庫でウォズといっしょにアップルを始めました。私たちは懸命に働いて、10年でアップルは車庫のたった2人から4000人以上が働く20億ドル企業になりました。1年前に私たちの最高の創造物であるマッキントッシュを出したばかりで、私は30歳になったばかりだったのです。そして私は首になった。どうしたら自分が作った会社を首になれるかって?そう、会社が成長する過程で一緒に会社を経営するのにとても才能のあると思えた人を雇い、最初の1年ほどはうまくいった。しかしその後、将来のビジョンが分かれ始め最終的に仲たがいになりました。そうなったとき取締役会は彼の側に付いた。それで私は30歳にして失職した。しかも、とてもおおっぴらに。私は大人としての人生全体の中心だったものを失い、それは衝撃的でした。
何ヶ月か何をすべきか全く分からなくなりました。一世代前の起業家達を失望させたのではないかと感じた。私に渡されつつあったバトンを落としてしまったと。デービッド・パッカードとボブ・ノイスと会いました。そして、失敗してしまったことを謝ろうとした。私はよく知られた落伍者となり、シリコンバレーから逃げることも考えました。しかし、何かが徐々に私の中で湧き上がってきた。自分がしてきたことが、まだたまらなく好きでした。アップルでの出来事はほんの少しの���響も与えなかったのです。私は拒絶されたが、まだたまらなく好きでした。そして私はやり直すことを決意しました。
そのときには分からなかったが、アップルを首になることは私に起こり得る最善のことでした。成功していることによる重圧は、再び新参者となったことによる軽快さで置き換えられ、何事にも確信の度合いが減り、私は人生で最も創造性豊かな時期へと解き放たれました。
それから5年間、私はNeXTという会社を起こし、もう1つPixarという会社も起こし、素晴らしい女性と恋に落ち結婚しました。Pixarは世界初のコンピューターアニメーションの長編映画、トイストーリーを製作するまでになり、現在最も成功しているアニメーション制作会社です。
驚くべき事態の展開により、アップルはNeXTを買収し、私はアップルに戻り、NeXTで開発された技術は現在進行中のアップルのルネッサンスの中核をなしています。そして、ローレンスと私は素晴らしい家庭を築いています。
私がアップルを首にならかったら、これらのことは1つも起こらなかったと私は確信しています。ひどい味の薬だったが、この患者には必要だったのだと思う。人生は時にレンガで頭を殴ります。信じることを止めてはいけない。私は自分がしていることがたまらなく好きです。それが私を動かし続けている唯一のものだと堅く信じています。
たまらなく好きなことを見つけなければならない。そしてそれは仕事についても愛する人についても真実です。仕事は人生の大きな部分を占めることになり、真に満足を得る唯一の方法は偉大な仕事だと信じることです。そして偉大な仕事をする唯一の方法は自分がしていることをたまらなく好きになることです。
まだ見つけていないなら探し続けなさい。妥協は禁物だ。核心に触れることはすべてそうであるように、それを見つければ分かります。そして素晴らしい関係は常にそうであるように、それは年を経るにつけてどんどん良くなっていく。だから見つかるまで探し続けなさい。妥協は禁物です。
3.死について。
17歳のとき次のような一節を読みました。「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずその通りになる」。それは印象に残り、それ以来33年間毎朝鏡を見て自問している。「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。そしてその答えがいいえであることが長く続きすぎるたびに、私は何かを変える必要を悟りました。
自分が間もなく死ぬことを覚えておくことは人生の重要な決断を助けてくれる私が知る限り最も重要な道具です。なぜならほとんどすべてのこと、つまり、他の人からの期待や、あらゆる種類のプライド、恥や失敗に対するいろいろな恐れ、これらのことは死を前にしては消えてしまい、真に重要なことだけが残るからです。
いつかは死ぬということを覚えておくことは落とし穴を避けるための私が知る最善の方法である。何かを失うと考えてしまう落とし穴を。あなたはもう丸裸です。自分の心のままに行動しない理由はない。
約1年前私はガンと診断されました。朝7:30にスキャンを受け、膵臓にはっきりと腫瘍が映っていました。私は膵臓とは何かも知らなかったです。医者達はこれはほぼ間違いなく治癒しない種類のガンだと告げ、3ヶ月から6ヶ月より長くは生きられないと覚悟するように言いました。
医者は家に帰って身辺整理をするように勧めた。これは医者の言葉で死の準備をせよということです。子供にこれから10年間に教えようと思っていたことすべてをたったの数ヶ月で教えろということです。可能な限り家族が困らないように万事準備が整っていることを確か��ておけということです。別れの言葉を言っておくようにということです。
私は一日中その診断と共に過ごした。夜になって生体検査を受けました。つまり、内視鏡を喉、胃、腸を通して膵臓に針を刺し腫瘍から何個か細胞を採取したのです。私は鎮静剤で眠っていたが妻もそこに居たのでその時の様子を教えてくれました。
医者達は細胞を顕微鏡で見ると叫び出したそうでした。なぜなら非常に稀な形体の膵臓ガンで手術で治癒可能なものと判明したからです。私は手術を受け今は全快しています。
これはこれまでで最も死に接近した体験です。そして何十年かに渡ってこれが最接近であり続けて欲しいと願っています。この体験を経て、死が有用ではあるが純粋に概念上のものであった時よりはより自信を持って次のように言えます。
死を望む者はいない。天国へ行くことを望む人でさえ、そのために死にたいとは思わない。それでもなお死は我々すべてが共有する運命です。それを免れた者はいない。そしてそうあるべきなのです。なぜなら死はほぼ間違いなく生命による最高の発明だからです。死は生命に変化をもたらす主体です。古き物を消し去り新しき物に道を確保する。現在は皆が新しき物だが、いつかそう遠くない将来皆は徐々に古き物になり消し去られる。芝居がかった表現で申し訳ないが正に真実です。
皆の時間は限られているから誰か他の人の人生を生きることで時間を無駄にしてはいけない。教条主義の罠にはまってはならない。
教条主義とは他の人々の思考の結果に従って生きることです。他の人の意見という雑音に自分自身の内なる声をかき消されないようにしよう。そして最も重要なことは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。
心と直感は本当になりたい自分をどういうわけか既に知っています。その他すべてのことは二の次です。
私が若い頃、全地球カタログ��いう驚くべき出版物がありました。私の世代の必読書の一つでした。
スチュアート・ブランドという人物が、ここからそう遠くないメンロ・パークで制作し、詩を思わせる作風を施して世に送り出した1960年代後半でパソコンもそれによる印刷もなく、タイプライターとはさみとポラロイドカメラだけで作られていました。
グーグル誕生の35年前のペーパーバック版グーグルのようなものです。理想に満ちていて、巧妙な道具や偉大な概念が溢れています。
スチュアート達は全地球カタログの版を幾つか重ね、自然な成り行きとして最終版を迎えました。
それは70年代半ばで私は皆の年齢でした。最終版の裏表紙は朝の田舎道の写真で、冒険好きがヒッチハイクをしていそうな場面です。その下にこんな言葉があります。
「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」。
これはスチュアート達が活動を終えるに当たっての別れの言葉です。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。 そして私は常にそうありたいと願ってきました。
そして今、皆が卒業して新たに歩みを ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。
ご静聴どうもありがとう。
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shineheadz · 2 years ago
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beat down(ビートダウン)を日本語に訳すと、「殴り倒す、打ち負かす」という意味で、音楽用語では、テンポを落として曲の雰囲気を変える演奏手法のことを言う。その両方の意味を兼ねたのが、Beatdown Hardcore(ビートダウン・ハードコア)だ。多くのビートダウン・ハードコアのバンドたちはワーキング・クラス出身で、アメリカでタフガイと呼ばれる、暴力的なギャングのようなメンタリティーを持っている。 多くのビートダウン・バンドは、スキンヘッドで、タトゥーにベースボールキャップ、バスケットボールのユニフォーム、アーミーパンツといった格好で、筋肉隆々な肉体的な強さを強調し、超男性的なイメージを強調している。またJUDGE(ジャッジ)のように、ストレート・・エッジを心棒するバンドもいる。 歌詞は、団結や誠実さといった個人的な内容から、忍耐や禁欲といったストイックな要素、アンチカルチャーや富を搾取する政治への批判、ヤッピーと呼ばれた都会人富裕層への怒りなど。ワーキングクラスの日常から怒り、社会的な問題がテーマになっている。
BEATDOWN HARDCORE ビートダウン・ハードコアについて - NEW BREED SCENE
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juneabeppo · 2 years ago
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「ポピュリズムとポピュラリズム──トランプとスペインのポデモスは似ているのか」
2016年11月16日 Yahoo!
 米大統領選の結果を受け、スペインでは、ポデモスのパブロ・イグレシアス党首とドナルド・トランプを比較する人々が出て来たので、イグレシアスはこれに憤慨し、「ポピュリストとはアウトサイダーのことであり、似たようなメソッドを使うことはあるものの、それは右翼でも、左翼でもあり得るし、ウルトラ・リベラルの場合も、保護主義者の場合もある」と主張していると『エル・バイス』(El Pais)紙が伝えている。
 ポピュラリズムとは大衆迎合主義なのか
 パブロ・イグレシアスは、「ポピュリスト」の概念についてこう語っている。
ポピュラリズムとは、イデオロギーでも一連の政策でもない。「アウトサイド」から政治を構築するやり方のことであり、それは政治が危機に瀕した時節に拡大してくる。
ポピュラリズムは政治的選択を定義するものではない。政治的時節を定義するものだ。
(『エル・バイス』2016年11月11日)
 スペインは今年(2016年)6月に再総選挙を行ったが、昨年末の総選挙同様に議席が二大政党と新興二党に分裂したまま政権樹立に至らなかった。その上、最大野党の社会労働党が内部クーデターが起きるなどしてゴタつき、ラホイ首相続投の是非を問う信任投票で棄権したため、結局は国民党が政権に返り咲いている。イグレシアスは社会労働党のふがいなさを激しく非難しており、ポデモスは野党第一党になる黄金のチャンスを掴んでいるとも報告されている。「妥協をしながら国家制度のかなで地位を確立するポデモス」と「左派ポピュリズムとしてのポデモス」との折り合いをどうつけるかという以前からあった問題が、いよいよ切実なものになってきたようだ。イグレシアスはこう言っている。
これからの数カ月、議論しなければならないのは、ポデモスはポピュリストのムーヴメントとして存在し続けるべきか否かということだ。  (同前)
 「ポピュリズム」という言葉は、日本では「大衆迎合主義」と訳されたりして頭ごなしに悪いもののように言われがちだが、Oxford  Learner's Dictionaries のサイトに行くと、「庶民の意見や願いを代表することを標榜する政治のタイプ」とシンプルに書かれている。一九世紀末に米国で農民たちの蜂起から生まれた政党の名前がポピュリスト(人民党)だった。これは populace に由来する言葉だ。一方、 popular から派生したポピュラリズムは最近よく政治記事で使われるようになってきた言葉だが、昔から音楽関係の英文記事を読んでいる人は目にしたことがあると思う。クラシックに大衆音楽の要素を混入したり、インディー系の知る人ぞ知るアーティストがポップアルバムを出したりするときに、評論家たちは「ポピュラリズム」と呼んできた。
 「ポピュリズムの行き過ぎたものがポピュラリズム」という解釈もあるが、ポピュリズムは大前提として「下側」(イグレシアス風に言えば「アウトサイド」)の政治勢力たらんとすることで、テレビに出ている有名なタレントを選挙に出馬させたりする手法は単なるポピュラリズム(大衆迎合主義)だ。そのタレントが下側(アウトサイド)の声を代表するつもりかどうかはわからないからである。
 左派と地べたの乖離
 EU離脱、米大統領選の結果を受けて、新たな左派ポピュリズムの必要性を説いているのは『ガーディアン』のオーウェン・ジョーンズだ。
 「統計の数学を見れば低所得者がトランプ支持というのは間違い」という意見も出ているが、ジョーンズは年収三万ドル以下の最低所得者層に注目している。他の収入層では、2012年の大統領選と今回とでは、民主党、共和党ともに票数の���減パーセンテージは一桁台しか違わない。だが、年収三万ドル以下の最低所得層では、共和党が16%の票を伸ばしている(『ニューヨークタイムズ』2016年11月8日)。票数ではわずかにトランプ票がクリントン票に負けているものの、最低所得層では、前回は初の黒人大統領をこぞって支持した人々の多くが、今回はレイシスト的発言をするトランプに入れたのだ。英国でも、下層の街に暮らしていると、界隈の人々が(彼らなりの主義を曲げることなく)左から右に唐突にジャンプする感じは肌感覚でわかる。これを「何も考えていないバカたち」と左派は批判しがちだが、実はそう罵倒せざるを得ないのは、彼らのことがわからないという事実にムカつくからではないだろうか。
ラディカルな左派のスタイルと文化は、大卒の若者(僕も含む)によって形成されることが多い。〔中略〕だが、その優先順位や、レトリックや、物の見方は、イングランドやフランスや米国の小さな町に住む年上のワーキングクラスの人々とは劇的に異なる。〔中略〕多様化したロンドンの街から、昔は工場が立ち並んでいた北部の街まで、左派がワーキングクラスのコミュニティに根差さないことには、かつては左派の支持者だった人々に響く言葉を語らなければ、そして、労働者階級の人々の価値観やゆいへの侮辱を取り除かなければ、左派に政治的な未来はない。
(『ガーディアン』2016年11月10日)
 右派ポピュリズムを止められるのは左派ポピュリズムだけ?
 『エル・バイス』は、ポデモスとトランプは三つのタイプの似たような支持者を獲得していると書いている。
一 グローバル危機の結果、負け犬にされたと感じている人々。
二 グローバリゼーションによって、自分たちの文化的、国家的アイデンティティが脅かされていると思う人々。
三 エスタブリッシュメントを罰したいと思っている人々。
 「品がない」と言われるビジネスマンのトランプと、英語で言うならオックスフォードのような大学の教授だったイグレシアスが、同じ層を支持者に取り込むことに成功しているのは興味深い。
 マドリード自治大学のマリアン・マルティネス=バスクナンは、ポデモスとトランプが相似ている点は「語りかけ」だと指摘する(『エル・バイス』2016年11月11日)。「トランプには理念があるわけではなく、彼の言葉は、ヘイトや、オバマ大統領が象徴するすべてへの反動に基づいています。人々の感情を弄び、極左や極右がするように、共通のアイデンティティを創出しようとします。問題は、人々の情熱がどのように利用されているかということなのです」と彼女は話している。
 感情と言葉の側面については、英国のオーウェン・ジョーンズもこう書いている。
プログレッシヴな左派は、ファクトを並べて叫べば人々を説き伏せることができると信じている。だが人間は感情の動物だ。我々は感情的に突き動かされるストーリーを求めている。一方、クリントンの演説は、銀行幹部の役職に応募しようとしている人のように聞こえた。(略)左派も感情を動かすヴィジョンを伝えなけばならない。ただ事実を述べてわかってくれるだろうと期待しているだけでは、右派の勢いを鈍らせることも、プログレッシヴな勢力の連合も築けないとわかったのだから。
(『ガーディアン』2016年11月10日)
 ポデモスの幹部たちは「右派ポピュリズムを止められるのは左派ポピュリズムだけ」と言ったベルギーの政治学者、シャンタル・ムフに影響を受けているという。『エル・バイス』によれば、スペインは欧州国としては珍しく、英国のナイジェル・ファラージのUKIPや、フランスのマリーヌ・ルペンの国民戦線のような右派ポピュリズムがまだ出現していない。
 ちょっと希望の押しつけ過ぎではないかとも思うが、オーウェン・ジョーンズが「ポデモスが崩れたら欧州の左派に未来はない」と言うのも、右派ポピュリズムへの抑止力として機能している左派ポピュリズムが他に見あたらないからだろう。
『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ──社会・政治時評クロニクル 2014-2021』ブレイディみかこ 著 岩波現代文庫 2021年11月12日発行
著者 ブレイディみかこ(Mikako Brady)
ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。1996年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争──ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で新潮ドキュメント賞を受賞。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞、本屋大賞ノンフィクション本大賞などを受賞。『女たちのテロル』(岩波書店)、『ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain』(講談社)、『女たちのポリティクス──台頭する世界の女性政治家たち』(幻冬舎新書)、『他者の靴を履く──アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)など、著書多数。
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yanarchy072 · 6 years ago
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・ ノーザン・ソウルも漸く観れた。 というのも、公開までが長かった。 ・ 好きなコトを見つけた男のお話。 ダメなヤツ(いい歳こいた俺も ^^;)でも、いい出会いと勇気があればなんとか出来るし誰かはついてくる。 クラスで目立たないヤツやダサいと自分らが思い込んでたヤツほど虎視眈々としてるからね。 劇中思い出したのが某M県出身の某禅バンドの某ギタリストなんだけど、ヤツは高校卒業間際に「東京に行く!」と言って学ランを床に叩きつけ(ゲーセンだったけど)上京し紆余曲折WIKIにも載るくらい有名になった。 ・ 「嗚呼!ちゃんと勉強しとけばよかったぁ…」 「嗚呼!あの夜、兄貴をブットバシテ大阪に行ってればよかったぁ…」 「嗚呼!あの時、東京に踏みとどまればよかったぁ…」 後悔先に立たずで、そんなコト思っても後には戻れないから結局は「自分がどうするか?なんだよなぁ…」な〜んていい歳こいた俺は思った反面「10代で観てたら影響されてたかなぁ?…」と思いながらも「俺、飽きっぽいからなぁ…」と消化w ・ ところで、ジャンルとしてのノーザンソウルは知ってはいるが、正直レア過ぎて今まで触れていなかった。 友達の友達がw超有名ノーザンソウルDJだけど聴きに行った事もない。 一回聴きに踊りに行くべきなのは必定! つーか、ノーザンソウルの音源は未だに7インチしかないの? ・ ノーザンソウルは知っているが、 ・ #ノーザンソウル #northernsoul #エレインコンスタンティン #elaineconstantine ・ #エリオットジェームズラングリッジ #elliotjameslangridge #ジョシュホワイトハウス #joshwhitehouse #スティーブクーガン #stevecoogan #アントニアトーマス #antonialaurathomas ・ #1974年 #1974 #イギリス #england #ワーキングクラス #workingclass #カバーアップ #隠蔽 #coverup ・ #映画 #movie #cinema #ビバムビ #instagood #instamovie #instapic #moviestagram (新宿シネマカリテ) https://www.instagram.com/p/BuY6nVxg3nU/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1aor28k8ml5a4
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useyourimagination2020 · 3 years ago
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Trainspotting is perhaps one of the most ubiquitous cult films ever made, with its alluring aesthetic, thematic grunge and twisted wit. Irvine Welsh’s novel, upon which Danny Boyle’s cinematic interpretation is based, was criticised by many for glamourising heroin use and drug culture, as was the film.
映画"Trainspotting" 公開当時は、ヘロインやドラッグカルチャーの表現が批判されていたらしい。(glamourise : 魅力的にする)もちろんこの映画を愛する人間は、ドラッグの描写が本質的な問題ではないことを分かっているが。
Irvine Welshによる原作小説 "Trainspotting"は80年代後半を想定して書かれた。英国では失業率が常に高く、サッチャリズムが吹き荒れ、スコットランドでヘロインが蔓延していた時代。
Irvine Welshによる原作小説は、そんな時代の、絶望的なワーキングクラスのジャンキーの与太話がモザイクのように絡み合っている。しかしこの薄汚れたどうしようもない世界の与太話が、ダイヤモンドのような輝きを放つのだ。その光は20数年以上経過した今になって、極東のnon-conformistな一人の日本人にまで届き、その心を鷲掴みにしているのである。歴史は繰り返すのである。
non-conformist : 体制に従属しない、多勢と同じ考え・行動をとらない
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humantailjapan · 5 years ago
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夕方
赤灯回したパトカーがハザードをつけてゆっくり走っている
何か不審者の通報でもあったかな
パトカーにはあきらかに若い
青年と言っていいくらいの警官が二人
こちらを見てる
イブカシゲニ凝視してる
そんでそのまま行っちまえばいいのに
俺の前でパトカーを停めて
3メートルくらいの至近距離で
クラシックな決めスキルでいうところの 激!ガンたれてくさる
ダボがぁあ!
オイラもアゴを垂直くらいにあげて
どっさり目を細めて
アホアホお巡りコンビネーションを威嚇する
きっと
荒木飛呂彦先生の世界観でオーラが見える人には
中指おっ立っちんなスタンド『テイル アゲインスト ザ ヒューマン』が俺の背後に仁王立ちしてるのが見えたはず
こんだらぁくそっだらぁ!
その刹那
若ポリセスは去った
と思ったら数分後また回ってきて
また止まってガンたれてる
俺じゃないるれ!
もう勘弁してよ
ガンたれてるとか恥ずぃー文章書かせないでよ
雨の中
ヘルメットかぶって施工してるだけのヲヂサンヌに何を疑いかけてんのよ
ワーキングクラスに優しくないやっちゃのお
う~ん
俺の気のせいかなあ
被害妄想と始業式
日が短くなってきました
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kumamotomusicinfo · 3 years ago
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25万人を動員したバンド史上最大規模の野外ライヴを映像化した音楽ドキュメンタリー「オアシス:ネブワース1996」が9月23日から上映
1996年8月10・11日にイギリス・ハートフォードシャー州ネブワースで開催された野外ライブを映像化した音楽ドキュメンタリー「オアシス:ネブワース1996」が熊本ピカデリーで9月23日から上映されます。2日間で25万人超が参加したバンド史上最大規模の野外ライブは、当時のイギリス全人口の2%にも及ぶ250万人以上がチケットを申し込んだと言われています。マンチェスターの公団住宅に住んでいた若者が、バンド結成から5年という短期間でここまで上り詰めるというワーキングクラスにとって夢のような2日間。「インターネット誕生前、ライヴが携帯に侵食される以前の最後の盛大な人々の集会」 ��ノエル・ギャラガーが語った通り、今では当たり前となったライブ配信やスマホ画面越しのライブ鑑賞のなかった最後の時代に行われたライヴの映像化が、オアシス結成30周年、ネブワース公演25周年という記念すべき年に実現。監督はリドリー・スコットの息子で、レディオヘッド、ザ・ストロークス、オアシスなどのミュージックビデオも手掛けている映像作家・映画監督のジェイク・スコット。
【タイトル】
オアシス:ネブワース1996
【日時】
令和3年9月23日(木)~
【会場】
熊本ピカデリー
熊本県熊本市西区春日3丁目15番26号 アミュプラザくまもと 7階
Googleマップ
https://www.smt-cinema.com/site/kumamoto/index.html
【料金】
2200円均一
【関連リンク】
「オアシス:ネブワース1996」ウェブサイト
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rjlog · 4 years ago
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新感染 ファイナル・エクスプレス 2016
マ・ドンソク!ゾンビ映画。おもしろい。
ソウルのファンドマネージャーであるソ・ソグは、妻ナヨンと別居し、実母と娘スアンの3人で暮らしていた。娘が誕生日に何を欲しているかもわからない仕事人間のソグは、釜山に行って母に会いたいというスアンの希望を渋々承諾し、朝一番のソウル発釜山行きのKTX101列車の3号車に乗り込んだ。同列車には、ワーキングクラスのユン・サンファと身重の妻ソンギョン、高校生野球チームのキム・ジニとミン・ヨングクたち、高齢姉妹のインギルとジョンギル、高速バス会社の常務であるヨンソクなどが乗っていた。
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rocket-ship-kumagaya · 4 years ago
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品名:OLD SKINS RULE Tシャツ WHT ブランド:NEVERTRUST(ネバートラスト) サイズ:(2)身幅約52cm着丈約68cm肩幅約45cm袖丈約21cm     (3)身幅約55cm着丈約71cm肩幅約49cm袖丈約21cm        (4)身幅約60cm着丈約74cm肩幅約54cm袖丈約22cm 素材:コットン100% 価格:¥4400(税込) カラー:ホワイト クラシカルなロゴプリントのOLD SKINS RULE Tシャツです。 バックはワーキングクラスの象徴であるハンマーマークのプリント入り。 肌触りがいいのに型くずれしない程よい厚さで丈夫な6.2オンスのTシャツです。 NEVERTRUST(ネバートラスト) モッズ、スキンズ、ルードボーイ、パンクなど英国のサブカルチャーをベースに独自の解釈でデザインに落とし込むドメスティックブランド。 生地、生産は主に日本製にこだわり、常にハイクオリティーな物を作り出しているブランドです。 #ROCKETSHIP #rocketship #ロケットシップ #埼玉県 #熊谷市 #弥生 #Tシャツ #tシャツ好きな人と繋がりたい #tシャツ大好き #tシャツ #tシャツ販売 #tシャツコーディネート #tシャツ男子 #tシャツマニア #tシャツ好き #tシャツ女子 #tシャツデザイン #tシャツ好きと繋がりたい #tシャツコーデ #tshirtsonline #tshirtfashion #tshirtlover #tshirtsdesign #tshirts #tshirtstyle #tshirtonline #tshirt👕 #tshirts #tshirtcollection #tshirtstore #tshirtdesign (ROCKET SHIP) https://www.instagram.com/p/CEZAE_wATQy/?igshid=ir94w2smy82e
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mionatukilove · 8 years ago
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不自由を振りほどく象徴(natsuki)
イギリスのブランドで、マーガレットハウエル以外に、実はもう一つ好きなブランドがある。それはフレッドペリーだ。
大学生の時、ジャージ素材の黒いワンピースを買った。ツイッギーみたいなやりすぎないAラインで、(これがなかなか見つからない)素材はスポーティだが、襟が高く、少しクラシックで、さすが1952年から今に続くブランドの威厳がある。
スポーティなのにも理由がある。 フレッド・ペリーとは伝説のテニスプレーヤーの名前なのだ。
当時、テニスは貴族階級のスポーツだった。彼のように、ワーキングクラス出身者が活躍したことは大変画期的な出来事だった。階級をも振りほどく彼は、私生活も自由奔放。4度の結婚と7回の結婚式を上げるほどロマンスの絶えない人生で、コメンテーターの肩書きも。そして、本題のフレッドペリースポーツウェア社をも設立したのだ。
ベストドレッサーとしても認知されていた彼はだぶだぶのシャツが溢れていた時代に、体にフィットするテニスウェアを作った。���新的かつカッコ良い。そして1番大切な、動きやすさもあってだろう。多くのテニスプレイヤーたちに重宝がられた。
最近イギリスカルチャーを知りたくて、1979年に公開された、「さらば青春の光」という映画を見た。正直ストーリーには全く共感できなかった。しかし、モッズファッションがかっこよかった。
主人公の青年ジミーは活気のない現実から逃避し、敵対するロッカー達と争うモッズ。大きなスクーターに乗り、街を駆け巡る。そんな反骨精神たっぷりの青年が、大きなミリタリーコートの下に、1番上までボタンをかけたフレッドペリーのポロシャツを着ているのがなんともニクい。大きめのコートは、ジミーのオーバースペックな反骨精神、フレッドペリーのポロシャツは内に秘めた自由への憧れ、何にでもなれる、という若い気持ちを抱いているよう。
誰が着たにせよ、フレッドペリーは不自由なものを振りほどく、象徴のようだ。
そして、わたしはこの春、白いフレッドペリーのワンピースを買った。私は何を振りほどき、新しい自由を手に入れたいのだろう?いや、ただ春だから白いワンピースが着たくなっただけだ。きっと。
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arsemard · 8 years ago
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Dennis Lyxzén interview politics 1/3 | This town ain’t big enough for any of us >
Post about Dennis Lyxzén interview politics written by dayafterdaydc
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デニス・リクセゼンに過去の偉大なるフューチャーパンクバンド、Refusedが成し遂げた最大の功績は何かを尋ねればこう答えてくれる。
「このバンドの最大の功績は、93~97年の間、ひたすらツアーを繰り返して、スウェーデンにおいてバンドムーブメントを作り上げたことだ。それ以来今もシーンはアクティブだよ。それが成し遂げたことで一番でかいことだと思う。僕らはあの当時スウェーデンで、多くの人々にとって意味のあることをどうにかやり遂げたんだ。95~96年に回った”Songs to Fan the Flames of Discontent”(2ndアルバム)でのツアーはマジで凄かった。本当に多くの人がやってきて、そこに存在したんだ。それで俺たちは新しいものを作り上げていった。Refusedだけじゃなく、周りの多くの友達も含めてみんなでそういう大きなハードコアシーンを90年代のスウェーデンにおいて作り上げたんだ。
ツアーで回ったあらゆる都市で人々が姿を現した。めちゃくちゃクールだったよ。俺たちは現実に何かを作り上げたんだ。それから15年後、ニューヨークのデカい箱で、2日連続で5000人を前にライブをすることになるなんてね。」
***
2014年3月、Refusedのリユニオンライブ(2012年)から2年、そしてRefusedの結成から約四半世紀が経った今、フロントマンのデニス・リクセゼンはRefusedとは似ても似つかないバンド、INVSNを引き連れて再びここワシントンD.C.にやって来た。INVSNはサウンド的に近いバンドとしてthe Cureが挙げられるだろうか。
Refusedスタイルのパンク・メタルしか聴かない人にとっては、INVSNのサウンドはキラキラし過ぎているかもしれないが、2013年にリリースされたセルフタイトルのアルバムは、まるで義務かのように何度も繰り返し聴かせるような中毒性を持ち、私の中で着実に大きな存在になっていった。INVSNは忘れがたいフックで満たしたピュアポップを繰り出す。ミニマルでダーク、キラリと光る宝石のような曲は、ReplacementsやTom Pettyといった職人たちを彷彿とさせつつ、Joy Divisonなどの80’s サウンドを最も強く感じさせる。
DCでのショーは約30~50人といった入りだったが、リクセゼンは依然としてファンタスティックなロックンロールフロントマンであり、シンガーとしても素晴らしかった。オーディエンスはみな満足していた。
今回このインタビューでは、”親密な関係を築く”といった私のジャーナリスティックな戦略が思いがけず功を奏し、デニスに1時間以上のロングインタビューを行うことができた。私たちは、人間の性、資本主義、中年パンクスになること、幼少時代の話からInside Out、Fugazi、そして”予期していなかったこと、なりたくなかったもの、絶対になりたくなかったものに人生が引きずり込まれていくということ”について、率直に話をした。
***
・クラシック(と言われる名盤)は、古びていくのでしょうか?
いや、古びない。だからこそクラシックと言われるんじゃないかな。つまり、僕たちは”古びる”と言ったけど、人々がThe ClashやMinor Threat、Neil Youngとかに立ち返り続ける理由は、それらに時代を超越するものがあるからだと思う。とはいえ(あらゆる作品は)時間が経つにつれて文化的な重要性は間違いなく減衰していくとは思う。それでもなお残り続けるものがクラシックと言われる所以だね。
(この質問は、Refusedの3rdアルバム”The Shape of Punk to Come”の冒頭のスポークンワードからの引用。『クラシックは古びることはないと言われるけど、そんなことはない、古びていくんだ。まあでも、まさか俺たちも古くさくなっていくとは考えてもいなかったよ…』と言ってこのアルバムは始まる。���
・ということはクラシックは古びない?
古びるものもあるってことだ。面白いよね。あれは批評家や知識人への言及で、あいつらが「これはUK発の過去最高なバンドだ!」とか騒いでも、その2年後には完全に忘れ去られてたりする。常に新しいエキサイティングなものを探し続けるってメンタリティだ。でも本物の名盤っていうのは、長い時間をかけてゆっくりと一人でに画期的な作品になっていくものだ。Refusedっていうのはそういうアホみたいに大胆な声明でもあって ー ミュージアムを燃やしたりとかそんなことばかり話してたけど(笑)、ああいうことでロックの伝統を拒否しようとしたんだ。
バクニニスト的なアイデア ー「何かを作り出すためにまず破壊しなければならない」ってやつだ。あれは僕にとって多くのインスピレーションになった。「今あるものはクソだからぶち壊して新しいものを作る」っていうメンタリティは、今も完全にロックンロールのクリシェになってるよね。
(バクニニストとは、ロシアの哲学者バクーニン主義者のこと。近代の政治・思想史で最もラジカルなアナキズムの提唱者と言われる。)
・「クラシックは古びるものか」といった(過去の作品に言及した)質問をされるのは嫌いですか?
いや、そんなことないよ。実際初めて聞かれたことだしね。インタビューで嫌なのは「新作はどういった感じですか?」っていう類だね。あれは本当にムカつくよ…せめて「音源を聴きましたが、私はこう思います」っていうのが礼儀だろう。それくらいだね、嫌な気分になるのは。僕は考えがとても柔軟な方だし(笑)。あまり興味のない質問ならただ思いついたことを言うだけだよ。
・政治家みたいですね。
そうだね。上手いこと言い逃れする。政治家の話し言葉ってまずストレートに答えないだろう。どんな些細なことだろうと責任がついて回るからね。だから常にそういう喋り方ー政治的話法ーで、約束を避けたり、見解を示さなかったりする。僕はスウェーデンではテレビの討論番組にも出たりもするんだ。最近は考えを持ってるポリティカルミュージシャンっていう役割にちょっと疲れてきて、あまり出てないけどね。スウェーデンで受けるインタビューだとだいたい政治について話すしね。そしたら「そんなに政治を語るんだったら政治家になればいい」って言われる。『政治を語るのは、まさしく僕が政治家じゃないからこそだろ』っていうね。
僕の政治的な考えや意見は時に非現実的だし、アーティストっていうのはそうあるべきだとも思ってる。これだけ世界が複雑かつ分断されてい���ば、政治家としていいアイデアがあったとしても、結局それは妥協の産物にしかならない。ミュージシャン、アーティストとしての僕が目指すものはとてつもなく過大なものだ。僕の目的は見当違いな(くらい大きな)ことを言って、人々に考えるきっかけを作ることなんだ。だから、必要とあれば…
・主張を変えることもある?
そうだね。そういう(柔軟な)部分はアーティストの長所だと思う。アイデアが100%考え抜かれたものである必要はないし、アクションプランまで示さなければならないなんてこともない。ただのアイデアだからね。僕が音楽を好きな理由、音楽やアート、文字となった言葉のパワーに魅かれる理由はそこなんだ。「俺の言いたい事はこれだ」ってわざわざ説明する必要もないし、アーティスティクな表現だからね。多少大げさに言った方がいいんだと思う。
・つまり、社会におけるあなたの役割は、現実主義者ではなくアイデアリスト(理想主義者)ということですか。
そうだね。理想主義者でもあるけど、それ以上にミュージシャンとして人々に勇気やインスピレーションを与える存在でいることだ。というのは、僕自身何かを見たり読んだりして、自分自身に気づきを得たり、なんとか上手くやっていく方法とかそういうアイデアの種を見つけることが好きなんだ。そしてそれはアーティストの役目だと思ってる。
そう、僕は理想主義者だけど、実生活では現実主義者でもある。どういう風に物事が進んでいくかを知っている。でも自分のアートに限って言えば、常にオープンでいて「なんでもできる」っていう気持ちでいなきゃダメだ。僕がパンクロックから学んだことはこれだ。なんだってできる。どうして自分に限界を作る?なんだってできるんだ。
・“Hats off to hatred”(憎しみに敬意を)というあなたのリリックからはRage Against The Machine(以下RATM)の”Anger is a gift”(怒りは賜物)というリリックを連想しました。そこで聞きますが、RATMは好きですか?そしてもう一つ、このリリックには”Anger is a gift”と同じような感情がありますか?
RATMが現れたのは事件だったね。実は1stアルバムが出てすぐに彼らを見に行ったんだ。Inside Outのザックがいるからってだけでね。Inside Outはもうめちゃくちゃ好きで、Refusedみんなのフェイバリットだった。バンドでコピーもしてたしね。それでみんなでストックホルムまでRATMを見に行ったんだ。客は45人くらいだったと思う。そこで僕らはみんなハードコアのシャツを着てたから「お前らハードコアキッズか」って言われて、彼らと一晩中ハングアウトした。その三ヶ月後に彼らは世界一のバンドになってたね。だから彼らのことは追ったよ。彼らが出てきたのはRefusedを結成してすぐの頃だった。僕たちは別にRATMみたいになるつもりはなかったけど「メインストリームのバンドであれだけラディカルに政治に言及してて、シーンまで作ってる。マジかよ」とは思ったね。���らの音楽が100%良いとも思えなかったけど、それでも何曲かはすごいと思ったし、リリックにも素晴らしいものがあった。
だから(INVSNの)あの曲には同じような感情があると思う。アウトサイダーや変人、または疎外されたと思って育ってきた人ー僕みたいな人間は、そういうネガティブなエネルギーや憎しみを抱えてきた。教師、大人世代の人間、自分の周りの奴らやクソジョックス、いじめてくる奴ら、とにかく全員を憎んでいたからね。僕はそういうエネルギーを原動力にしてバンドを始めた。そういうエネルギーをクリエイティブなもの、ポジティブなものへ注ごうと思ってね。屈折した形の復讐だ。誰も僕を信用してくれないし、学校でも人気のある方ではなかった。女の子にもモテなかったしね。頭のおかしい奴だと思われていたんだ。
・味方は誰もいなかったということですか?
みんな「こいつはマジで狂ってる」って感じで僕を扱ってたからね。それでそういう(負の)エネルギーを何かクリエイティブで最終的にポジティブなものに転換させることにした。それが大きかった。あのリリックで書いた”憎しみ”というものが、今の自分という人間を形作ったと言える。僕は全然憎しみに満ち溢れた方じゃないし、むしろ正反対でかなり呑気な性格だけど、人格形成期だったあの頃に今の自分の基礎が作られたから、(自分を)いじめる奴がいたことには感謝してる。そういうクソな経験をしなければならなかったことに感謝してるし、そういう経験の積み重ねがこういう人格を形成した。僕は強い人間でいる必要があったし、「誰にも従わない」って感じだった。なんといっても学校では周囲からの同調圧力がとても強かったからね。そういう圧力には絶対に屈しなかった。それが生涯を通じて己の道を行くっていう自分を作ったんだ。この曲を書きたかったのは、多くの人がこういう「あいつらめ、ふざけんな。見とけよ」っていう感情を認めることに繋がればと思ったからだ。それでもし君が何かクリエイティブなことにそういう力を切り替えることができたなら、それはとても素晴らしいことだと思うんだ。
・周りに合わせることはしなかったということですか。
絶対にしなかった。俺は群れる奴らが大嫌いだったし、それは今もだね。子供の頃はずっと一人で、一人遊びをして育ったんだ。それに小さい頃から男グループのノリっていうのが肌に合わなかった。男根主義的な社会構造っていうのはこの世で最悪な考え方だと思う。男たちが一緒になって奇声を上げているのとか、そういうのは本当に気が滅入るしね。今でもアレルギーだよ。学校の頃はずっとそういうのに我慢できなくて、それが今の僕を作った。まあ僕は男だけどね(笑)。こんな感じで育って、小さい頃から普通とは違う感じでそれが今の自分になったんだ。それにはとても感謝してる。
・それでも少しは友達がいたのではないですか?
あんまりいなかったね(笑)。どうだったかな。12~13歳くらいに本気で音楽にハマりだしたんだけど、それまではほとんど一人だった。12、13歳でデヴィッドボウイにハマって、���ートルズも聴いていた。クラスのみんなはAC/DCとかを聴いてたから、変わった奴だったね。それからヘビーメタルにハマりだして、ついに誰もついてこれないくらいめちゃくちゃのめり込んだんだ。それから自分と同じくらいのめり込んでる奴を見つけてね。彼とは今でも友達だ。最近まで一緒にAC4っていうハードコアバンドを組んでいたんだ。だから彼が初めてできた本当の友達かな。14、15歳の頃だった。
実はクラスにも一人友達がいたな。ギターが弾ける唯一の奴で「君は友達だ、ギターが弾けるんだろ、一緒に音楽をやろうぜ」って感じで誘ったんだ。僕は楽器は全然弾けなかったけど彼はできたからね。彼にはパン���ロッカーになるように強要した。それで15歳のときかな、87年に一緒にパンクバンドを始めたんだ。そしたらある日、彼はボタンダウンのシャツに、ピアスも外して、髪も切って練習場所に現れてね。「どうしたんだ?」って聞くと「父親がもうパンクは辞めろって。パンクじゃなくなったら車を買ってやると言われた」と答えてね。それでバンドは解散した。あれはキツかった。
それから僕たちは89年に初めて本当のハードコアバンド(Step Forward)を結成した。僕とドラムのJensで、スケートボードとかヘビーメタルをやってる奴らに会って声をかけたんだ。「ハードコアバンドを始めたいから、入ってほしい」ってね。それで彼らにハードコアを聴かせるようになって、バンドでプレイしてもらうようになった。
そしてRefusedを結成する頃には、僕らと周りの友達を含めた小さなパンクシーンができた。僕は当時20とか21だったんだけど、その頃にいきなり初めて自分の属するコミュニティっていうものができたんだ。大きなグループの一員で、みんな自分と同じ物にのめり込んでる仲間っていうね。だからとても変な人生だと思うよ。僕はとても社交的な人間で、人と付き合うのが好きな方なのに、長いことそうはならなかったからね。いろんな友達をハードコアにハマらせようとしたよ、ストレートエッジを強要したりね(笑)。「よくわかんない」とか言ってる奴らには「おい、俺らはストレートエッジにならなきゃダメだろ」とか言ってね。そいつらは「いやよくわかんないけど」って感じだったけどね(笑)
・あなたの両親はどう思っていたのでしょうか?
両親は僕を最初から変わってる子供だと思ってたね。僕が音楽にハマりだした時、彼らは「そういう時期なんだろう」って感じだったし、僕がモヒカンにしたりキラーブーツを履いても「そういう時期なんだろう」って感じだったんだけど、ある日学校から帰ってきて、急に「ベジタリアンになる、俺はストレートエッジだ」って言ったら、そこで初めて「一体どういうことだ?」ってなってね。Refusedでツアーに行くとなった時にはとても心配していたよ。「音楽をやるのは構わんが、ちゃんとした仕事を見つけるべきだ。永遠にそんなことを続けるわけにはいかないんだ。」と言われたよ。
それがある日突然応援してくれるようになった。ライブにもたくさん来てくれてね。父はINVSNとRefusedのシャツも持ってるし、いつもサポートしてくれてる。僕には弟が二人いるんだけど、二人ともバンドをやってて、10歳も年の離れてる方はほとんど僕と同じことをしているよ。彼はINVSNのヨーロッパツアーの時にサウンド���ンもやってくれた。彼もパンクバンドを組んでて、スタジオも持ってるんだ。だから僕とかなり似たような生き方をしてるんだけど、両親はとても協力的だね。そうなるにはしばらく時間がかかったけどね。
父はワーキングクラスの人間だから、彼にとって成功っていうのはつまり金なんだ。「成功すればいい車、いい家を買えるだろう」っていう感じでね。長いこと理解してくれなかったよ。「お前はヒット曲を書け」って言われたりね(笑)
僕は「人生はそうじゃない。人生すべてがひとつのアートで、プロジェクトみたいなものなんだ」とか言っても「でも全然稼いでないだろ!」って言われる。僕は「稼ぎは関係ない。フリーエージェントみたいな生き方で、したいことをなんでもするんだ。」って感じだ。今はそれをとりあえずは受け入れてくれたよ。でもRefusedを再結成したときにちょっとした金が入ったことがあって、その時父は「イエス!」ってハッピーになってたけどね(笑)
・Refusedがまだ現役だった頃のあなたの言葉に「バンドはいつだって限界まで努力するべきだ」というものがありました。私はこれをとても気に入っているのですが、INVSNでもそうしていますか?そして今もこの言葉を真剣に捉えていますか?
ああ、今もそうしてる。これは音楽の境界線を壊すために前衛的なフリージャズプレイヤーのようになるとか、そういう音楽的な話ではないしそっちに興味はないんだ。興味があるのは常に、自分たちのできること、成し遂げられることを把握するために努力するってことだ。今までやってきたどのバンドでも僕はトライし続けてきたし、僕にとっては常に新しいものに挑戦してきた。つまり僕がパワーポップバンド(Lost Patrol Band)をやったのはパワーポップの曲を書けるかどうか試したかったからだ。あれがINVSNの前身だった。しばらくパワーポップもやって、Noise Conspiracyもやった。
INVSNを聴いて「これは新しい、画期的だ」とは誰も思わないだろう。でもプレイスタイルが違う。とても簡潔なんだ。多くのことはしない。フィルもなし、ギターソロもなし。いじくり回すこともない。「弾くのはコード二つ、この曲ではそれだけ。」っていう感じで、そこがチャレンジなんだ。歌い方やリリックにしても、絶えず創造的に自分自身を駆り立てること。それが僕のメインとなる目標だ。
もしも「よし、今まで誰もやったことのないことしかやらないぞ」っていう風にバンドを始めたとしたら、ただ最悪な結果にしかならないと思う。クソみたいなサウンドになるね(笑)。そうじゃなくて、自分自身を駆り立てること。今までよりうまく歌う。バンドの全体的なアイデアとしては、僕は今も自分を駆り立てようとしてるんだ。何かにトライしてたとえ上手くいかなかったとしても、それがどうした。じゃあ次はこうするぞっていうだけだ。僕のキャリアを追えばわかるだろうけど、同じ様に聞こえるレコードを2枚と作ったことはない。似たような傾向で、Noise Conspiracyでは以前やったことに改良を加えていく感じではあったけどね。INVSNも同じような感じだと思ってる。次のレコードは今やってることにもっと近くなるだろうけど、より改良を加え、自分自身を更に駆り立て続けるんだ。
・ワシントンD.C.での良い思い出は何ですか?それからイアン・マッケイと会ったことはありますか?
彼とは何度も会ったことがあるよ。ずっと昔にイアン・マッケイに初めて会った時のエピソードは気に入っててね。1991年、僕とDavid(Refusedのドラム)と、友達みんなでイェベレまでFUGAZIのショーを見に行ったんだ。カフェQっていう場所でライブをしてて、多分客は50人くらいだったと思う。それが普通だって僕たちは知らなくてね。FUGAZIのショーにたった50人?しかもそのうち20人はウーメアから来た自分たちだ。それで僕らはいつもウーメアでやってるようなことーステージまで駆け上がったり、マイクを掴んでFUGAZIの曲をシンガロングしたりしたんだ。それでショーが終わってから、楽屋に行ったことを覚えてる。Refusedの1stデモを持ってたから92年だったかもしれない。それで楽屋まで行ったとき、僕はもうビビり声になりながら「ヘイ、僕たちウーメアから来たRefusedってバンドで…」って入っていってね。そしたら皆フレンドリーに「ヘイ、元気か?」って言われて呆気にとられたよ。それで”あそこにイアンがいる!”と思ってまたビビりながら「スケートはまだしてるの?」って聞いたら彼は「ああ、たまにね」って返してくれた。それで僕は「本当ですか!」って言ってそのまま出ていったんだ。彼に初めて会ったのはその時だ。それからも何度も会ってるね。地元ウーメアでFugaziのオープニングアクトにNoise Comspiracyで出たこともあったね。もう僕にとっては一大事だったよ。彼はいつだってナイスガイだね。会う時はいつも感銘を与えてくれる。彼は「ヘイ、デニス。元気かい?」って感じだけど、僕は「マジかよ!」っていうね。
D.C.にも何度も来てるよ。こっちには友達もたくさんいる。RefusedはFrodusとBatteryのメンバーとも対バンしたんだ。Damnation AD(Batteryのギタリストが在籍するバンド)なんかとね。とにかく知り合いがたくさんいるし、クールな所だよ。たくさんの歴史があるしね。Discord Records周辺の現象にはとてもインスパイアされて、友達と一緒にバンドをスタートさせるきっかけをもらった。僕はNy Våg Recordsっていうレーベルもやってるんだけど、ローカルバンドしかリリースしないんだ。ローカルシーンしかサポートしない。これはDischordと同じアイデアだ。もし君の地元にローカルシーンが存在しているのなら、大切にして、育てて、記録していく必要があるんだ。
(パート2に続く)
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re-james007 · 4 years ago
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Favorite tweets: ワーキングクラス・ロウワークラスの人間なのに、「筋金入りの中産階級」である松任谷由実の挙動を真似るかのように「安倍さんお疲れ様(涙)」とか言ってるのはさすがにヤバ過ぎるだろ。社会構造を把握する力が、それこそ「生活世界における勘」みたいなレベルにおいても衰弱してるとしか言いようがない— コメカ (@comecaML) August 29, 2020
http://twitter.com/comecaML
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orihime-hikoboshi · 4 years ago
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瑞樹 @mizuki_windlow 2時間前 イギリスやアメリカは上流か下流かでやってもいいスポーツが決まるそうで、ジョギングはアッパークラスの趣味、サッカーはワーキングクラス、ラグビーはアッパークラスなんだとか……本物の階級社会は恐いねぇ~労働者階級の仕事をしつつ「ジョギングが趣味」とか言うと上からは「生意気」下からは「俺達とは住む世界が違う」で、孤立しちゃうとか…… 返信 36
「運ではなくて戦略」留学の時に対応の酷いホストファミリーを回避して裕福な家とマッチングする方法は"自己紹介のコツ"だった - Togetter
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lastscenecom · 6 years ago
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進歩派(プログレッシブ)が「労働者階級」について語る時、たいていは貧困層を指している。しかし米国世帯で下位30%を占める低所得者と、文字通り「中間」にいる人々は大きく異なる。中間50%を占める世帯の平均収入は、2008年には6万4000ドルであった。これこそ真の中間層であり、彼らは自身を指して「中間層(ミドルクラス)」と「労働者階級(ワーキングクラス)」のどちらの言葉も用いる。
トランプ勝利の必然:「白人労働者階級」の怒りを直視せよ | HBR.ORG翻訳マネジメント記事|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
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