#ロシア黒海艦隊
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#ウクライナがまた大戦果を挙げました
#シーザークニコフ大型揚陸艦がUSV攻撃され撃沈されました ※無音のショート動画です
#ロシア黒海艦隊#シーザークニコフ大型揚陸艦撃沈#ウクライナがまた大戦果#MAGURAV5USV#Ukrainian#ウクライナ軍参謀本部も沈没確認#ウクライナ情報総局#MAGURAV5USVがシーザークニコフ揚陸艦撃沈#複数USVがシーザークニコフにシャチのように襲い掛かる#シーザークニコフが爆発し艦体に大損傷#ウクライナの新鋭USVマグラV5#ウクライナのUSV#マグラV5USV#マグラV5レンジ800kmの自爆型USV#タラントゥルIII級#ミサイルコルベット艦イワノヴェッツ撃沈#シーザークニコフはロプチャ級揚陸艦
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住民被害の懸念で大火力が使えない瀬戸内や東京湾に入ってきた敵への備え、として、ドローン中心の戦力を整えるかどうかについて学ぶところがありそう。
[B! ロシア] ロシア黒海艦隊の艦船1隻を撃沈 ウクライナ国防省発表
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ウクライナ戦争の結果、黒海艦隊(黒海をトルコが封鎖しているので外洋に出れない)とバルト艦隊(北欧三国がEUに加盟するとバルト海が封鎖され外洋に出れない)が機能せず 結果、極東のウラジオストクがロシア海軍の最前線、ということになる。台湾での混乱に乗じてロシアが良からぬことをしないという保障はない
中露艦の航行活発化で護衛艦不足、ほぼ丸腰の補給艦や多用途支援艦も投入…監視能力の底上げ急務 : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/national/20231105-OYT1T50176/
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我が国の未来を見通す(86)
『強靭な国家』を造る(23)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その13)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
話題が少し古くなりましたが、ウクライナ戦争をめ
ぐる最近の動きとして、9月19日、ゼレンスキー
大統領が国連に乗り込み、初めて対面で演説し、
「侵略者ロシアを打倒するための団結」を訴えまし
た。
しかし、ビデオ参加した昨年に比べて出席者の数は
減って、空席も目立ちました。これについては、ウ
クライナに対する“支援疲れの表れ”との分析に加
え、発展途上国は「アメリカとロシアの対立に巻き
込まれたくないという思いから欠席する国が多かっ
た」とする見方もかなりありました。
しかし、最大の問題は、拒否権を持つ常任理事国の
ロシアが戦争の当事者であることから、ウクライナ
やアメリカなど西側諸国の立場を反映した提案は、
ロシアと中国によって全て葬り去られる公算が大で
あること、すなわち、国連が“平和の維持のための
機能を果たさなくなった”という“現実”を改めて
さらけ出したことにあると考えます。
ロシアによるウクライナ侵攻から1年半以上が経過し、
ウクライナ東部3州への反攻は、黒海艦隊司令部へ
のミサイル攻撃などが話題になっていますが、当初
の計画よりかなり遅延していることは間違いないで
しょう。その主な原因は、戦術行動としての「攻撃」
自体が難しいオペレーションであり、そのための物
心両面の準備が十分でなかったことにあると考えま
すが、最近は、ウクライナ国内に汚職が蔓延し、国
防相や国防次官らが更迭されるなどウクライナ軍の
“タガ”の外れていることやポーランドとの関係も
��くしゃくし始めたことなども背景にあるのかも知
れません。
アメリカやカナダは、さらなるウクライナ支援を約
束したようですが、反攻の進展は不透明ですし、国
連が“機能不全”になっていることなどを考えれば、
「停戦合意」などはますます遠のくことを覚悟しな
ければならないでしょう。
ウクライナ戦争の経緯を分析すると、今回、本文で
取り上げる「文明の衝突」を回避したり、拡大を防
止する“特効薬”はなかなか見つからないと認識す
る必要があると考えますが、虎視眈々と様々な企み
を計画している国は、“同じ失敗をくりかえさな
い”ことを最重視しつつ、戦争に絡む軍事・非軍事
あらゆる視点から詳細な分析をしていることでしょ
うから、将来はまた違った“様相”になることも頭
に入れておかなければならないでしょう。
このたび岸田首相もまた、国連で「人間の尊厳」と
か「核軍縮」とか「国連改革」など“理想論”のオ
ンパレードのような演説を行ないました。「理想」
とか「正義」に対して誰も表立って反論はできませ
んが、大多数の国はそれらよりも自国の「国益」確
保を優先しますし、時に「理想」や「正義」さえも
“したたかに活用する”ことを躊躇しないでしょう。
それが「普通の独立国の本質である」と認識した上
での演説なのかどうかは不明ですが、立場を異にす
る国々にはどのように響いたのでしょうか。
話は変わりますが、若干、前回の「教育」を補足し
ましょう。9月27日付の「正論」で藤岡信勝氏が
教科書検定制度の歴史を取り上げ、最後に「今日ほ
ど文科省官僚の権限が強大化し、しかもその官僚機
構に左翼・反日勢力が浸透してしまった時代はない」
と結んでいました。
信じたくないですが、その結果として、我が国の
「国力」増強にさえ反対するような若者が大量に輩
出されるようなことが続けば、「国家100年の計」
として“我が国の未来はますます危うくなる”と感
じざるを得ません。日本の大学の国際的なレベルダ
ウンについては(武士の情けで)あえて取り上げな
かったのですが、それらの改革を含め、「教育改革」
も“任重く道遠し”であることがわかり、気が重く
なっています。
▼「文化」が「国力」に及ぼす影響
さて「文化」です。「文化」こそ、私など素人が立
ち入ることができない分野なのかも知れませんが、
「歴史」を学ぶ過程において、「歴史」と「文化」
が互いに“影響し合っている”ことを何度も実感し
ました。歴史的な出来事や変化が「文化」を形成し、
一方で「文化」がその社会の歴史的経験や進路に影
響を与えているようなことです。
たとえば、大東亜戦争を境に我が国の「文化」が大
きく変わったことなどからもわかるように、戦争と
か革命はしばしば「文化」の変化を引き起こし、逆
に、芸術や音楽などの「文化」が「歴史」に反映さ
れたり、時に社会変革の“触媒”になっているよう
なこともしばしば発見しました。
それでは、この「文化」とはどのようなものか、か
ら入っていきましょう。一般に、「文化」は「人間
が作り出した全てのもの」を指す場合が多いようで
すが、具体的には、「食生活・暮らし方・文字・言
語・農業」など社会の仕組みを担うものから、「哲
学・芸術・道徳・宗教・科学・価値観」など、具体
的な形がない精神的なものまで「文化」と呼ばれて
います。
歴史の例を挙げれば、毛沢東が「文化大革命」とい
う名前をつけた理由は、当時、毛沢東は、中国が資
本主義の復活の危険に直面していると認識し、共産
主義という社会制度やイデオロギーのみならず、
“人間がつくりだす”価値観、つまり「文化」その
ものを根本的に変革することを目指したためと言わ
れております。
さて、「文化」としばしば混同される「文明」は、
「人々の生活を豊かにするための物質的なもの」を
指し、具体的には、「建築・工業製品・交通手段」
などが含まれます。したがって、「文化」は“心を
豊かにするため”のものであり、「文明」は“生活
を豊かにするためのもの”とも定義されていますが、
一般的には、「文明」は“「文化」を含むもっと広
範な概念”であると解釈されているようです。
冷戦が終焉した時、フランシス・フクヤマは、『歴
史の終わり』を上梓し、「リベラルな民主主義が普
遍的になる」ことを主張し、一世を風靡しました。
そのような考えの対極にあったのがサミュエル・ハ
ンチントンの『文明の衝突』でした。ハンチントン
は、「西欧的な民主主義が普遍的になることはなく、
西欧と非西欧、合わせて8つの『文明』が時に対立、
または共存していくのが人類の未来である」と説き
ました。日本版は550ページに及ぶ大作ですが、
私も当時、夢中になって読破したことを覚えていま
す。
ハンチントンは、国際政治の視点から、「文明」は
「広範な『文化』のまとまり���ある」と解釈しつつ、
「社会制度や宗教など、人間が社会の中で自らのア
イデンティティを定義する決定的な基盤を含む」と
捉えました。一方、「文化」は、「『文明』より具
体的な概念であって、特定の地域やコミュニティに
おける生活様式や価値観を指す」と解釈していたよ
うです。
したがって、「文明の衝突」という表現は、「異な
る社会制度や価値観を持つ大きな集団間の対立」を
強調するために用いられ、国際政治における対立は、
“単なる文化的な違い以上のものである”というハ
ンチントンの視点が反映されているようです。
実際の冷戦後の国際社会は、ハンチントンが予告し
たとおり、異なる「文明」の対立や衝突、時には、
ウクライナ戦争のように「文明内の衝突」を繰り返
しながら、現在に至っていることは説明を要しない
と思います。
さて、ハンチントンが分類した8つの「文明」とは、
西欧、中国、日本、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、
ラテンアメリカ、アフリカを指します。つまり、日
本を独立した1つの「文明」として扱っています
(この点も、同書が日本で人気があった理由でもあ
ると考えます)。
ハンチントンは、「日本文明」を日本という中核国
と同一(つまり、“一国家一文明”)として捉え、
その理由として「日本の独特な文化を共有する国は
なく、他国に移民した日本人がその国で重要な意味
を持つほど人口は多くないし、かといって、日系ア
メリカ人のように移民先の国の文化に同化すること
もない。日本の孤立の度がさらに高まるのは、日本
文化は高度に排他的で、広く支持される可能性のあ
る宗教とかイデオロギーを伴わないという事実であ
り、そのような宗教やイデオロギーを持たないため
に、他の社会にそれを伝えてその社会の人々と文化
的な関係を築くことができない」と解説しています。
まさに“しかり”でしょう。
さて、読者の皆様は、「日本文明」を構成している
「日本文化」というと何を思い出すでしょうか。だ
れもが真っ先に日本人が持つ精神性を表現する言葉
として使われる「和の文化」を思い出しそうですが、
具体的には、歌舞伎、茶道、華道などの「伝統芸能」、
寿司、天ぷらなどの「食文化」、地域ごとに行なわ
れる「祭り」がお盆や正月などの「行事」、神道や
仏教などの「宗教」、木造の伝統建築や庭園などの
「建築」、それに最近は、アニメ、マンガ、ゲーム
などの「ポップカルチャー」でしょうか。
最近、「食文化」や「ポップカルチャー」などは世
界各地に普及し始めていますが、その他の「文化」
が国内から外に出ることはほとんどないでしょう。
よって、ハンチントンは、このような日本を「最も
重要な孤立国である」とも付け加えています。
改めて、「国力」を構成する要素としての「文化」
や「文明」の国際��較は、これらが非常に複雑で多
面的なものであり、その全てを包括的に比較するこ
とは難しいことがわかります。
つまり、その国や地域のアイデンティティや価値を
他の国や地域から区別することは可能であっても、
特に「日本文化」の「孤立性」のような特性を有す
る場合、他の国や地域に対する「影響力」とか「地
位」を高めることなどは不可能に近いのです。
一方、中国のように、「中華民族の偉大なる復興」
を掲げ、東アジア地域のみならず、国際社会に対す
る影響力を“力づくでも”拡大しようとすると目論
む国も存在しています。その中には、社会制度や経
済的影響力に加えて、中国の「文化」まで包含され
ていると考える必要があるでしょう。
▼「文明の衝突」を回避する要件と日本の役割
もう少し続けましょう。私の読み込みが足りないせ
いかも知れませんが、ハンチントンは、ウクライナ
戦争のような“「文明内の衝突」を回避する処方
箋”については具体的な提案をしていません。
『文明の衝突』という書籍名からして、“異なる
「文明」間の衝突”に焦点を絞り、「文明内の衝突」
については、それぞれ相対する国が知恵を絞って解
決しろ、ということなのだろうと推測しています。
一方で、ウクライナ戦争は、ロシアの立場からすれ
ば「文明内の衝突」でしょうが、ウクライナはNA
TO加盟をめざす、つまり、「文明圏の移動」を望
んでいるのですから、この戦争は「文明の衝突」と
も解釈できるでしょう。
同じことは台湾問題についても言えるでしょう。中
国からみれば台湾は国内問題ですが、台湾はすでに
西側の一員とも解釈できますので、かつて「台湾は
中国の一部」と認めた事実はあっても、アメリカや
日本は「中国の国内問題」と簡単に割り切ることは
できないのです。その背景には、中国の野望が“台
湾に留まらず”、やがて世界を2分するような「文
明の衝突」に発展することを警戒し、何としてもそ
れを阻止したいと考えていることもあるのでしょう。
話を戻しましょう。ハンチントンは、来るべき時代
の「文明の衝突」を避けるために重要な3つの要件
を提案しています。
第1の要件は「それぞれの文明国が他の文明内の衝
突への干渉を慎むこと」、第2の要件は「それぞれ
の中核国が交渉を通じて文明の断層線で起こる戦争
を阻止すること」、そして第3の要件は「それぞれ
の文明の普遍主義を放棄して文明の多様性を受け入
れ、その上であらゆる文化に見いだされる人間の
『普遍的な性質』、つまり共通性を追求していくこ
と」としています。
その上で、「それぞれの文明に基づく国際秩序こそ
が、世界戦争を防ぐ最も確実な安全装置である」と
結論づけました。
昨今の国際情勢をみるに、現実の世界はこの提言を
全く無視していることがわかります。第1と第3に
反することは、冷戦終焉後、アメリカが先頭に立っ
て何度も繰り返し、その反作用が今日の対立を生ん
でいるという見方もできるでしょう。また、そのよ
うな歴史的事実をなんら顧みず、近い将来、手段を
選ばず、同じよう干渉を目論んでいるように見える
国もあります。
私は、「文化」や「文明」自体が大きな影響力を持
たない日本が果たすべき役割は、ハンチントンが提
案する第2の要件の「粘り強く交渉を続け、文明の
断層線で起こる戦争を阻止すること」にあるのと考
えます。
歴史をさかのぼってみても、覇権国・中国に「日出
ずる国」との書簡を送り、「日の本」から「日本」
という国名の由来にもなったことをはじめ、福沢諭
吉がアジア諸国との連携を諦め、「脱亜入欧」を唱
えたことなど、我が国は建国以来、中国や朝鮮半島
とは別の“路線”を歩んできました。
昭和初期には確かに“行き過ぎた”部分もありまし
たが、我が国は今後とも第2の役割を演じる宿命に
あるのではないでしょうか。それこそが、東アジア
の東端に位置し、依然、他の文明と違い、孤立した
“一国家一文明”の「日本文明」を8文明の1つと
して残したハンチントンの国際政治学者としての理
性を超えた、ある種の期待感さえあるような気がす
るのです。
実際に、ハンチントンは、『文明の衝突』に続いて
上梓した『引き裂かれる世界』の中で、「日本は、
その文明の境界が国家の境界と一致している唯一の
国だ」として「自動的に助けてくれる“家族”がい
ない」とする一方で、「日本は独立した調整者とし
ての役割を果たせるユニークな位置にある」と「世
界は日本に『文明の衝突』を調整する大きな機会を
もたらしている」との期待感を滲ませ、「日本はも
っと外向きにならなければならない」と強調してい
ます。
しかし、文明的な孤立国の日本がその自覚と能力を
保持し、“調整者”として役割を果たせるかという
観点に立つと、相当厳しいことも明白です。実際に
は、「文明」は孤立していても、価値観や志を共有
できる「同志国」と連携しつつ、経済力、政治力
(外交力)、そして軍事力など「国力」の他の要素
を存分に活用できるか否かにかかっているのでしょ
うが、「文明」は異なっても“アメリカ寄り”にな
っており、それによって“独立性”を確保できない
ということも足かせになる可能性もあるでしょう。
現下の情勢をみるに、ハンチントンの予想した「文
明の衝突」が現実のものになっていますし、近い将
来、日本自体が当事国になる東アジア地域の「衝突」
も覚悟しなければならないでしょう。
とは言え、まだまだ本格的な「衝突」には至ってい
ませんので、「文明の断層線で起こる戦争を阻止す
る」ため、「日本文明」の中核国として責任の行使
ができるか否か、我が国は人類社会の未来を左右す
る“重要なカギ”を握っているのかも知れないので
す。
▼「日本社会」の現状と課題
繰り返しますが、実際問題として、我が国が上記の
ような意思や資格を含めた“能力”があるかどうか、
について真剣に考えるととても悩ましくなります。
再度、「文化」の定義に戻りますと、冒頭に紹介し
ましたように、「文化」には「哲学・芸術・道徳・
宗教・科学」など、具体的な形がない精神的なもの
まで含みます。我が国にあっては、「自由」「民意」
「平等」「ヒューマニズム」のような形に見えない
ものが「日本文化」を支配しています。つまり、日
本の「社会全体」を指すと言っても過言でないでし
ょう。
作家の三島由紀夫氏は、割腹自殺をする約半年前に、
「このまま行ったら日本はなくなって、その代わり
に、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間
色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東
の一角に残るのであろう」との言葉を残し、将来の
日本を憂いました。
あれから50年余りが経ち、日本はなくなりはしま
せんでしたが、今の日本は、三島氏の予言以上に国
家の基盤も経済状態も一層苦しくなって、日本社会
や国民全体が向かうべき方向を失い、混乱している
ようにも見えるのです。
また、前回も引用した京都大学名誉教授の佐伯啓思
氏も2013年に『日本の宿命』を上梓しましたが、
その動機として「今日の日本社会のありように対す
る絶望的なまでのいらだちを感じ、その真因がどこ
にあるのかを自分なりに確かめてみたかった」と
「あとがき」に本音を披露しています。本書の帯に
は「偽善栄えて、国滅ぶ。」とありましたが、それ
らの細部は省略します。ただ、当時の私には、佐伯
教授の“いらだち”がどこから来ているのか、明確
には理解できませんでした。
しかしこのたび、『我が国の未来を見通す』と題し、
可能な限りのデータを逐一明らかにして、我が国の
未来を見通そうとしましたが、「このままでは、我
が国は人類社会の救済はおろか、数年先の未来さえ
“見通せない”」ことを私なりに発見してしまいま
した。
その原因こそは、「日本社会」そのものにあり、そ
の“ありよう”に対する“むなしさ”とか“やるせ
なさ”がほぼ頂点に達していることも偽らざる心境
なのです。
三島由紀夫氏の“憂い”から50年あまり、佐伯教
授の“いらだち”から10年余りが過ぎ、「日本社
会」は当時よりもはるかにひどくなっており、もは
や限界に近づいているとさえ思うように���って、今
では、両氏の“憂い”や“いらだち”にほぼ完全に
共感できる自分がいるのです。
さあどうしましょうか。次回以降、「国力」を構成
する「ハード・パワー」を総括し、いよいよ「ソフ
ト・パワー」としての「国家戦略」と「国家意思」
を取り上げたいと考えています。「日本社会のあり
よう」の次元を超えて、「国の形」そのものを議論
する必要性を感じています。一個人の知見をはるか
に超えるテーマですが、少なくとも、「問題提起」
まではトライしてみたいと考えています。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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※ ウクライナのミサイル、ロシアの黒海艦隊司令部を直撃
https://www.bbc.com/japanese/66899587
*ロシア黒海艦隊司令部にウクライナが攻撃、ロマンチュク大将ら複数の将官が重傷
https://www.yomiuri.co.jp/world/20230923-OYT1T50193/
ロマンチック司令官? 単発だと思ったら時間差攻撃なのね。なんでそういう所の防空すら出来ないのだろう。
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2024/10/21 18:00:16現在のニュース
楽勝ではなかった前回衆院選 次期勝敗ライン「自民過半数下回る」の予想も 有元隆志 ニュース裏表([B!]産経新聞, 2024/10/21 17:54:22) 岩手3区 小沢一郎氏は「最後の戦い」 迎え撃つ藤原崇氏の三重苦 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/21 17:54:21) 選択的夫婦別姓、賛成6割 自民は3割 自公の隔たりも浮き彫りに(毎日新聞, 2024/10/21 17:53:44) 袴田巌さん再審:袴田さん姉「巌は謝りに来たこと分かった」 県警本部長が直接謝罪(毎日新聞, 2024/10/21 17:53:44) 精華女子と東海大札幌が金賞に 全日本吹奏楽連盟が審査結果を修正(朝日新聞, 2024/10/21 17:49:22) 米国防長官ウクライナ訪問 ゼレンスキー政権の「勝利計画」議論か(毎日新聞, 2024/10/21 17:39:11) 北九州6人焼死火災 犯罪被害給付金の申請、特例で認める 福岡県警(毎日新聞, 2024/10/21 17:39:11) ロシア黒海艦隊は「拠点変更」 有力議員が明言、無人機攻撃受け | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/10/21 17:36:31) 新機構がお金の無料相談 家計見直しや資産形成に中立的な助言(朝日新聞, 2024/10/21 17:34:24) 楽天モバイル、契約回線数800万突破 法人顧客の増加が寄与(毎日新聞, 2024/10/21 17:31:35) イスラエル、終戦条件を米に提示 レバノン上空での空軍作戦の自由要求 米メディア報道([B!]産経新聞, 2024/10/21 17:30:40) 「らんま1/2」約30年ぶりの再アニメ化 原作は高橋留美子 時代超え、なお色��せず ポップカルチャー最前線([B!]産経新聞, 2024/10/21 17:30:40)
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『龍馬が通る!』
~明治維新と欧米化~
■2012年6月9日 - 高知にて撮影
■坂本龍馬 - Wikipedia 1836年に坂本龍馬は、土佐藩下級武士の次男(末っ子)として生まれた。子供の頃の龍馬は泣き虫で、周りの友達によくからかわれていたそうな。
12歳の頃、龍馬は塾に通い始めたが、上士の同級生と喧嘩をして喧嘩両成敗という名目で父に塾をやめさせられた。その年に母が亡くなり龍馬は継母の伊与(いよ)に教育を受けた。
家族の中で龍馬と最も仲の良かった三歳年上の姉・乙女(とめ)と、よく二人で「ヨーロッパ」というあだ名を持つ“川島猪三郎”(いさぶろう)の家に遊びに行き、欧州の話を聞かされていたのだとか。
龍馬が姉の勧めで剣術を習い始めると、その天賦を早くも発揮し始めた。
1853(嘉永6)年に、龍馬は18歳より剣術を学ぶ為に江戸に留学。その時、偶然にもアメリカ合衆国より艦隊を率いたマシュー・ペリー提督の黒船が来航し、藩の命令で品川の警備を命じられた龍馬もそれを間近に見る機会があったのだ。
黒船のあまりの大きさに龍馬は慄きながら、同時に「日本の剣術では海外とは渡り合えない」と即座に覚り、龍馬は西洋式の技術を学ぶことを決意した。
江戸時代の町人は「江戸が最も文明の発達した国」と考えていた。しかし、この黒船来航により、西洋の文明が予想以上に進んでいると流石に気付くこと���なった。
ペリー提督が提出した開国の要求書は「漢文」「オランダ語」「英語」の三種類で書かれたもので、貿易で馴染みのある漢文とオランダ語に関しては解読できたが、当時の日本人にとって英語だけは見慣れない文字だったようだ。
ちなみに「オルゴール」はオランダ語(英語ではミュージック・ボックス)だが、これは鎖国時代もオランダから来る商船は受け入れていたため、江戸にオルゴールが持ち込まれた際そのままオランダ語で定着したもの。
また、鎖国の背景にはオランダが日本貿易を独占するため、スペインやポルトガル等の《カトリック教》の国が日本植民地化の意図を持っており、危険であることを徳川幕府に助言していた事情もあるようだ。
▲「キリスト教を信仰しない異教徒は野蛮」として先住民を大量虐殺を決行するスペイン軍
戦国時代の日本は「ヨーロッパ全土に匹敵する数の火縄銃までも保持する戦闘部族」という評判もあり、当時は太陽の沈まない国と呼ばれるほど世界各地を植民地支配していたスペインさえも、日本を警戒して侵攻までには至らなかったとされる。
そうして、今の幕府では日本を護れないと考えた龍馬は「打倒、江戸幕府」を掲げ奔走することになる。
安政元年(1854年)6月23日、龍馬は15か月の江戸修行を終えて土佐へ帰国。在郷中、日根野道場の師範代を務めながらも、絵師“河田小龍”宅を訪れて国際情勢について学び、海運の重要性について説かれて大いに感銘し、後の同志となる“近藤長次郎”や“長岡謙吉”らを紹介されている。
27歳で脱藩した後に幕臣・勝海舟を訪ね、海軍を作ってアジア諸国と連帯するという話を聞いた龍馬は、そのスケールの大きさに感激し、海舟の弟子となって神戸海軍操練所の創設の為に行動を起こした。
その後、1864年以降に何度か長崎を訪れ、慶応元年(1865年)に幕府機関である神戸海軍操練所の解散に伴い、薩摩藩や商人(長崎商人小曽根家など)の援助を得て、長崎の亀山に日本初の会社となる「亀山社中」が結成された。
ちなみに"西郷隆盛"の勧めにより日本で初めて新婚旅行をしたのは坂本龍馬だが、その時の出来事をイラストも交えて手紙に書いて姉の乙女に送り続けたらしく、連絡がマメな龍馬の手紙は実に130通以上も残っているという。いやはや、驚愕である……。
ところで1841年にアメリカ合衆国を目指して航海中だった"ジョン万次郎"は、生まれて初めて世界地図を見た時に、世界における日本の小ささに驚いたという。
このように大きく広い世界の中の「小さな自分」に気付くことは、客観的に自己認識することに直結する。世界地図による世界認識の拡大=地理教育は、人々の視野を広げ、人を積極的な思考に変える力を持つのだろう。
ちなみに坂本龍馬の逸話として、初めて世界地図を見せられた時に「日本はどれだと思う?」と問われ「これが日本じゃろう!」とアメリカ大陸を指さしたという話がある。 黒船来航の前にペリーは琉球王国と交流し、江戸幕府の情報を収集しており、それにより江戸との開国交渉に至った。当時は鎖国していた江戸と異なり、琉球王国は長崎や神戸と同様に欧米・日本・中国・韓国・東南アジア等を相手に貿易を行う東洋経済の中枢だったのだとか。
ある日、坂本龍馬は「土佐の海が世界に通じていると思うと愉快ぜよ」と語ったという。
✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽ * * * * ⋆ ⋆ ⋆ ✽.。.:*·゚ ✽.。.:*·゚ ✽
欧米化について
youtube
日本の近代化、つまり西洋化は「明治維新」より本格的に始まりました。
西洋化の手始めに、まずはヨーロッパ(特にドイツとイギリス)の言語、及び学問が片っ端から翻訳されましたが、現代の日本において馴染みのある「技術水準(technical level)」「概念(concept)」「哲学(philosophy)」「芸術(art)」「愛(love)」「変態(abnormal)」等の単語は、当時の日本語に該当する語彙がなく、この翻訳過程で新たに作られた語句でありました。
夏目漱石は英語、森鴎外はドイツ語の翻訳に貢献しました。
当初の日本では病院のカルテはドイツ医学に則り、ドイツ語で書かれていたのは有名でしょう。
たとえば「技芸」や「恋」等の単語は江戸時代の日本にもあったようですが、「芸術(art)」や「愛(love)」は本来の日本語にはなかった語彙なので、上辺だけは理解したふりをできたとしても、これらの概念や価値観が日本男児にとって根深く馴染まない根本的な理由が、遺伝子と文化的な要因にあると解釈できるのではないでしょうか。
明治維新以降、日本政府は先進国(白人の国々)の技術水準に比肩したいがために西洋化を推し進めてきましたが、「アキレスと亀」という詭弁があるように、追い続けるだけではどこまで行っても追い抜くことはできないと慮る次第であります。
medicine (西洋)医学 physics 物理学 philosophy 哲学 geography 地理学 psychology 心理学 economics 経済学 politics 政治学 mathematics 数学 chemistry 化学 biology 生物学 astronomy 天文学 ethics 倫理学 archeology 考古学 linguistics 言語学
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森鴎外
"森鴎外"は、夏目漱石と並び「明治の二大文豪」と称される作家です。ドイツ語の翻訳家としても活躍し、西洋文化を感じられる作品を手掛けました。
当時の日本社会や思想を客観的に描写した物語も多くあり、見識の広い森鷗外ならではといえます。
森鴎外がドイツ留学の実体験をもとに書いた日本人留学生とドイツ人女性の非恋『舞姫』は森鷗外の代表作です。
森鷗外の作品は古文で書かれたものが多く、さらに文中にフランス語やドイツ語が織り交ぜられるなど、格調高い文体が特徴。
西洋文化を取り入れた言葉や文体は、後の多くの作家に影響を与えました。
夏目漱石『吾輩は猫である』
日本の教員・小説家・英文学者"夏目漱石"の著書「吾輩は猫である」読了後、どうしても腑に落ちなかった点があります。
それは主人公の吾輩君が最後は酩酊して水瓶に落ちて溺死することに他なりません。
『吾輩は猫である』は、明治維新以降の急速に西洋化する日本を猫の視点から描いた風刺・滑稽噺ですが、それにしてもこの終わり方は死を美化する日本文化の象徴とも言えなくもありません。
また、私が二十代の頃に読んだドストエフスキーと比較して、日本文学はロシア文学より劣っているのではないかと落胆したこともありました。
しかしながら夏目漱石が三十代の頃に国費で英国留学したものの人種差別に遭い、己の醜さから鬱になり自室に引きこもっていたら、「外に出て自転車にでも乗ったらどうだ」と勧められて自転車に乗る猛特訓をしたのに、結局は乗れなかったという訳の分からない滑稽なエピソードを読んで、どうしても夏目漱石を嫌いになれず、吾輩君の死も無駄には思えなくなりました。
きっと吾輩君は読者諸君の心の中で生き続けているのである。
それはさておき、推奨されるがままに始めた自転車の猛特訓中に"英国紳士"から「チン・チン・チャイナマン!」と侮辱された夏目漱石も、日本に居た頃は自他共に認めるほど容姿がいい部類だとされながらも英国の街を歩いた際に「背の低くて醜い奴が歩いていると思ったら、硝子窓に映った自分の姿で落胆した」とのこと。
それでも"英国淑女"からは「ハンサム・ジャップ。ご一緒にサイクリングでもいかがかしら?」と誘われたので、「怒るべきか喜ぶべきか悩んだ」と悲痛な葛藤を手記に残していたそうな。
日本の英文学者で初めて英国に渡航した上で、有色人種に対する人種差別を体験した夏目漱石ですが、江戸時代末期に生まれた上役達には、このような人権にかかわる諸問題についての理解は当然ながら及ばなかったのだと慮る次第であります。
ちなみにスマホや腕時計もない明治以前の日本人にとって、例えば「2時集合」とは「大体2時~3時までの間に集合しよう」というウチナーのような寛容なニュアンスでしたが、鉄道の運用が開始されてから新聞などで大々的に「文明社会にとって時間の厳守は重要」と宣伝され、そうして現代の「5分前集合」が浸透したようです。
「おはよう」と「さようなら」の語源
「おはよう」の語源は、「今日もお早うございます」の略なのは有名です。
海外で最も有名な日本語の「さようなら」の語源は、「左様ならば、これにて御免」というお侍さまの別れの挨拶の略です。
今もなお、お侍さまの語感が残されるとは、まさに《武士道》の本場だからだといえるでしょう。
ちなみに"I Love You"を中国語で言うと、英文法と品詞の並びが一致する"我爱你"(ウォー・アイ・ニー)になるようですが、日本語だと“私はあなたを愛してる”と非常に多くの文字数を消耗するので140文字以内に収めるのも困難かと慮る次第です。
いずれにしても、中国の"爱"には心がありませんが、日本の"愛"には友がおりません。
ステレオタイプの欧米のように、"愛と友"に恵まれないものでしょうか……?
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「です」の変遷
◆江戸時代から��った助動詞「-でござる」「-でござります」は次第に「-でございます」に変化し、さらに明治時代に「-であります」から「-である」に縮まり、そうして現代の「-です」に落ち着きました。
一人称の「吾輩」は「私」のへりくだった言い方。 明治時代から活用され始めた「-である」は「-であります」の略。
つまり「吾輩は猫である」を現代風に書くと「わたくしめは猫であります」というへりくだった言葉使いということになります。
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芥川龍之介『あばばばば』
大正時代の文豪"芥川龍之介"著『あばばばば』という短編があります。この小説を読んで、情緒を感じて芥川龍之介を見直した思い出があります。
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ある日のこと、学生の保吉は行きつけの煙草屋に足を運びました。ところがい��もの店主の親父の姿はなく、代わりに若い女が店番をしていました。 不慣れなのか彼女は恥ずかし気な初々しい接客で、注文とは違う煙草を取り出して赤面してしまうほどでした。 その後いつ行っても彼女が店番でしたが、応対はつかえ、品物は間違え、時々赤い顔をされました。しかし、保吉はだんだん彼女に好意を感じたようです。といっても恋愛感情ではなく、いかにも人なれないところに気軽いなつかしみを感じたとのこと。 ところがある日から突然、彼女が姿をくらまします。わざわざ不愛想な店主の親父に行方を尋ねるわけにもいかず、その後は何事もなく過ごしました。 それからさらに歳月の流れた後、大学の授業(英語講演会)のあと煙草屋の前を通ると、両手に赤子を抱えた若い母親がいました。 「あばばばばばば、ばあ!」 現代でいうところの「いない、いない、ばあ!」の意です。 女は店の前を歩き、面白そうに赤子をあやしています。そうして保吉と目が合いました。保吉は赤面する彼女を想像しましたが、しかし彼女は澄ましたままでした。のみならず、揺り上げた赤子に目を移すと、人前も恥じずに繰り返し「あばばばば」とあやしたのです。 「女はもう『あの女』ではない。度胸の好い母の一人である。一たび子の為になつたが最後、恐ろしい『母』の一人である」
そういえば、子供の頃に常連だった個人サイトのチャットでよく「あばばばばば!」と書くお調子者がいましたが、元ネタが芥川龍之介だと気付くのに十数年ほどかかりました。
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作家を大きく分けると、毎回異なる性質の登場人物が多種多様な物語を繰り広げるシェイク・スピアタイプと、毎回同じような登場人物が同じような問題に直面して一つの題材を深く掘り下げて行くドストエフスキータイプに大別できるようです。
ドストエフスキー著 『カラマーゾフの兄弟』
『カラマーゾフの兄弟』◆あらすじ ある日の朝、修道院の見習い僧侶"アリョーシャ"(アレクセイのあだ名)のもとに、14歳の"リーズ"(リーザ)という車椅子の少女が訪れました。リーズはここ最近に病を患い車椅子に乗っていますが、修道院の長老から治療を受けて順調に快復に向かっていました。 アリョーシャは子守りとして、二年前にリーズと接したので久しぶりの再会でもありました。 再会 リーズは事実、ずっと悪戯に夢中だった。彼女はアリョーシャと顔を合わせた時から、彼が自分を見るとひどくどぎまぎし、なるべく目を合わせないようにしているのに気付いた。彼女はそれが面白くて、相手の視線をとらえようとじっと身構えていた。 するとアリョーシャは、自分にそそがれる視線に堪えきれなくなり、自分からふいにリーズにちらりと目をやると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、彼の方をまっすぐ視線を向けてくるのだった。 アリョーシャは、またどぎまぎして、ついにリーズからすっかり顔をそむけて修道院の長老のうしろに隠れた。しばらくして自分を見ているのか確かめると、彼女は車椅子から身を乗り出すようにして、こちらを振り返るのを一心に待ち受けているのがわかった。そうしてアリョーシャの視線をとらえると��た大声で笑った。 それを見た長老がリーズを注意すると、彼女は顔を赤らめ、きらりと目を輝かせ、真面目な顔つきになった。そして今度は熱っぽい訴えをこめて、早口で話し始めた。 「どうしてアリョーシャはぜんぶ忘れちゃったの? 前は小さなあたしを抱っこしてくれたり、一緒に遊んでくれたりしたのに。だって、あたしに読み書きを教えてくれたのはアリョーシャよ。二年前にさようならをした時に、アリョーシャは『ぼくたちは永遠の友だちだよ。永遠の友だちだからね。ぜったいに忘れないから』って言ってくれたわ。なのにあの人、今になって急にあたしのこと怖がり出して。あたしがあなたのこと、取って食べちゃうとでも思ってるのかしら? どうしてそばに寄ってくれないの、どうしてお話してくれないの? どうしてうちに来たがらないのかしら」 リーズはこらえきれなくなって顔を手で覆うと、急にはげしく笑い出した。長老が話を聞き終えると優しさをこめて十字を切った。 すると今度は彼女がいきなり泣き崩れたのだった。 リーズの手紙 その日の夜に、アリョーシャが道中でリーズの母の使者から手渡された封筒を開くと、そこには「リーズ」と署名のある手紙が入っていた。 「アレクセイさま。誰にも内緒でこの手紙を書いています。ママにも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしもわかっているつもりです。でも、わたしの心に生まれたこの気持ちを告げずに、わたしはもう生きられないんです。このことはわたしたち二人以外は、その時期が来るまで誰にも知られてはいけません。でもわたしの気持ち、どうやってあなたにお伝えしたらいいでしょう? 便箋は赤くならないって言いますよね。でも本当を言うと、それって嘘なんです。便箋だって、わたしと本当に同じように赤くなるんです。 大好きなアリョーシャ、あなたを愛しています。小さい時から、ずっと好きでした。あなたが今とはまるで違っていたモスクワ時代から、ずっと好きでした。わたし、あなたを心の友って決めたんです。あなたと一緒になって、年を取って、一生を伴に終えると。もちろん、修道院から出ていただくことが条件ですわ。年齢のことを言うと、わたしたち、法律で許される時まで待ちましょう。それまでにわたしも必ずよくなって、ちゃんと歩けるようになるし、ダンスもできるようになります。そんなこと当然ですよね。これでわたしがずっと何を考えていたかおわかりになったでしょう。ただ一つだけ、わからないことがあります。この手紙を読んだら、あなたはわたしのことをどう思うのかしら。わたしはいつも笑ったり、ふざけてばかりいるんですもの。今朝もあなたを怒らせたでしょう。でも本当を言うと、こうしてペンを執る前に、わたし聖母さまの像にお祈りしたんです。そして今もお祈りをしながら、ほとんど泣き出しそうなんです。 わたしの秘密はもうあなたの手に握られてしまいました。明日おいでになった時、どんなふうにあなたにお目にかかったらよいか、わたしにはわかりません。アレクセイさま、わたしまた馬鹿みたいに自分が抑えられなくなって、今朝みたいにあなたを見つめるうちに、吹き出したりしたらどうしよう。だってあなたはわたしのことを、いやらしい冷やかし屋って思うでしょうし、この手紙だってまともには受け取ってくださらないでしょうから。ですからお願いがあるんです。もしこのわたしをかわいそうって思ってくださるなら、明日わたしの家にいらっしゃった時、どうかわたしの目をあまり見つめないでください。だってわたし、あなたと目が合ったらぜったいに笑い出してしまうし、おまけにあなたはあんなに長い服を着ているし……今でもそのことを考えると、体が冷たくなってしまうくらいなの。ですから家に入ってくる時は、わたしのことはしばらく見ないでくださいね。ママか窓の方を見てくださいね。 わたしとうとうラブレターを書いてしまいました。ああ、なんてことをしてしまったのかしら! アリョーシャ、どうか軽蔑しないでくださいね。何かひどく馬鹿なことをしてあなたを怒らせても、どうか許してくださいね。こうしてわたしの秘密はあなたに握られてしまったのです。わたしの評判は、もしかしたら永久に地に落ちてしまったのかもしれません。わたし、今日はずっと泣いてしまうでしょう。さようなら、次のおそろしい出会いまで。 P.S. アレクセイ、ぜったいに、ぜったいに、ぜったいに来てくださいね! リーズより」
あとがき
その後、アリョーシャとリーズがどうなったのかは、各自でドストエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』を読むか、グーグル検索をしてご確認くださいませ。
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自己実現や己の幸の為もあれば、自己犠牲を冒してまで目的を成す為に時間・労力・生命を捧げる者も居ます。人は生まれた瞬間から死を迎えることが確定しています。どれほどの富や名声を得ても最期を迎えれば遺産相続者が居なければ「財産はすべて銀行の資産」となります。
誰もが"エジソン"並みの発明王である必要はないし、"レオナル・ド・ダヴィンチ"ほどの叡智が必要な訳でもありません。誰か一人が発見して突破口を拓けば後続が可能なのだと思います。
どこかには人々を導く為に生まれた者も居るのでしょう。
■2012年6月9日 - 高知にて撮影
《和》の中に《個》はあるから、どちらか一方を尊重するべきか独断は出来ません。
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怖
会長のエッセイ
大津事件と大泉黒石
いま住んでいるわが家は、鎌倉の稲村ガ崎の姥谷(うばがや)と言う谷の中ほどにある。谷を見下ろした先には逗子の海岸が見える。更に、眼を凝らすと湘南国際村が遠望できる。左右は森で、たくさんの蝶が飛び、野鳥の声がこだますると言う自然豊かな地である。しかも、文化の香りもする。谷の一番奥には彫刻家の高田博高のアトリエ、すぐ下は経済学者の大内兵衛の別荘だった家があり、その左側の家には哲学者の西田幾多郎が住んでいた。また、少し下った所にはエリザベスサンダースホームの澤田美喜の自宅、谷を出て海に面した所には有島生馬のアトリエがあった。以上の方々は故人であるが、最近は桑田佳祐、小林克也、TOKIOの山口達也などが近くに越して来ている。 この家は、大泉さんと言うご婦人から購入した。 購入する前に父を連れて下見に行った。鎌倉の宮大工が建てたというなかなか凝った家で、父は大いに気に入った様子であった。一通り見た後、話好きの父は大泉婦人となにやら話し込んでいた。帰り道で、父が「あの人は大泉黒石の娘さんだということがわかった」と言った。 大泉黒石(おおいずみ こくせき)については知らなかったのだが、調べてみると1920年代(大正時代)にベストセラーになった『老子』、その続篇『老子とその子』、『人間開業』『人間廃業』などの小説とゴーリキーの『どん底』の翻訳を執筆している。『人間廃業』は、太宰治の『人間失格』に影響を与えたと言われている。父の話では、大泉黒石と父は早稲田大学の講師をしていた時に面識があり、大泉黒石は父の実家にしばらく滞在していたこともあったと言うことである。つまり、現在の家は妙な縁(えにし)で結ばれた家なのである。
大泉黒石は実に数奇な人生を送った人物なのである。
話は遡るが、明治24年(1891年)に、来日したロシアのニコライ皇太子が斬りつけられるという「大津事件」があった。滋賀県大津で皇太子を警護していた巡査が突然皇太子を襲ったのである。この時、神戸港にはロシア海軍の艦隊が停泊していた。ことと次第によっては、艦隊が砲撃を始めるかもしれない。明治政府は慌てたが、明治天皇が直接謝罪に赴くなどしたため、それ以上の問題にはならず皇太子は帰国した。しかし、ニコライ皇太子は大の日本嫌いになり、日本人を黄色い猿と呼ぶようになった。その後、皇太子はロマノフ王朝の皇帝ニコライ二世なり、やがて、この大津事件は日露戦争へとつながって行く。日本とロシアの間で朝鮮半島を巡って争いが起こると、ニコライ二世はバルト海��艦隊を日本派遣した。ニコライは当時最新鋭の蒸気船を揃えたバルチック艦隊があの猿の国日本を一蹴することに何の疑いも持っていなかった。しかしながら、ご存知の通り東郷平八郎率いる日本海軍がバルチック艦隊を殲滅した。この痛手がロシア王朝を弱らせ、共産革命が起こり、ロマノフ王朝は消滅した。 この大津事件の時、皇太子に随行していたロシア人アレクサンドル・ステバノヴィチが世話役だった日本人女性を見初めて、子を生した。その子が大泉黒石なのである。 黒石は、長崎で生まれたのであるが、幼少期はロシアやフランスで過ごし、ロシア革命が始まると日本に戻り、日本で高校と大学の教育を受けた。当時、混血児は白い目で見られていた。そのため、社会的には恵まれず様々な職業を転々とする。だが、自らの数奇な生い立ちを綴った自叙伝が評価され作家になり、前述のようにベストセラーも書いた。 その黒石の子供が大泉婦人なのであるが、もう一人の子の大泉滉は俳優になった。テレビにも出ていたので、ご記憶の方もいるかと思うが、大泉滉はいわゆるクオーターで外国人風の顔立ちであった。主役級は少なかったが、非常に多くの映画に登場していた。元家主の大泉婦人は姉なのか妹なのかは聞き漏らしたが、大泉滉と同じクオーターで顔立ちは似ていた。 その後、大泉婦人との音信はないが、俳優の大泉滉は1998年に73歳で亡くなっているので、もう他界されているかもしれない。
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【キーウ=共同】ウクライナ海軍の報道官は21日、ロシアが併合したウクライナ南部クリミア半島セバストポリで同日、ロシア黒海艦隊の艦艇「コムーナ」を攻撃したと明らかにした。火災が発生したという。損傷の程度を確認中だが、通常航行ができない状態という。ウクライナメディアが伝えた。
セバストポリのラズボジャエフ市長は21日、同日朝に艦艇に対してミサイル攻撃があり、撃退したと通信アプリに投稿した。破片が落下し小規模な火災が起きたが、すぐに消し止められたと主張した。
ロシア国防省は21日、ロシアが占領地を拡大しているウクライナ東部ドネツク州で新たにボグダノフカ集落を制圧したと発表した。
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わずか6機でロシア軍艦を撃沈、操縦士が語る水上ドローンの威力(CNN.co.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース #最新ニュース
わずか6機でロシア軍艦を撃沈、操縦士が語る水上ドローンの威力(CNN.co.jp) – Yahoo!ニュース – Yahoo!ニュース わずか6機でロシア軍艦を撃沈、操縦士が語る水上ドローンの威力(CNN.co.jp) – Yahoo!ニュース Yahoo!ニュース ロシアの「エースドローン操縦士」殺害を機にウクライナは南部で攻勢に転じる Forbes JAPAN ウクライナ国防省「ロシア黒海艦隊のミサイル艇撃沈」…水上無人艇が体当たり攻撃 読売新聞オンライン ウクライナのドローンがロシアの戦車を撃破…退避してきた別の車両も破壊…2分の映像がネットで話題 ニューズウィーク日本版 “ロシア軍のミサイル艇を撃沈” ウクライナ国防省発表 | NHK nhk.or.jp イスラエル首相 “完全勝利まで戦争やめず” ハマス壊滅を強調 | NHK –…
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戦争の引き金の一つが、ロシア黒海艦隊の為にクリミア半島の占拠だった筈なのに、ボコボコ沈められて黒海艦隊が半壊状態なのを見ると、ロシアが何の為にウクライナと戦争してたのか、だんだん判んなくなる
[B! war] ロシア海軍揚陸艦「ツェーザリ・クニコフ」がウクライナ自爆水上ドローンの攻撃で撃沈(JSF) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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日本の立場的には難しそうだけど、日本も軍事関連のドローン技術やノウハウを手に入れなければならないのは喫緊の課題だから、なにかしらの取引が結ばれそうな気がする。
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おっそろしい周到さ…
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これは巧みな心理戦術だな。クリミアに混乱を招き入れ、背後から補給と退路を断たれかねない南部戦線にい��ロシア兵たちは震え上がって士気が乱れるだろう。
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※ ロシア黒海艦隊 ウクライナ軍の攻撃により「ノヴォロシースクまで撤退」しかし依然として脅威
https://trafficnews.jp/post/132350
ノヴォロシースクって全然安全じゃないのよねw。しかし、艦隊もいず、制空権も持たない国がドローンだけで敵艦隊を撃退して港に閉じ込めたなんて、5年前、それを言っても誰も信じなかったでしょうね。
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乃木将軍への誤解
あの日郎戦争で勝利した話で、東郷平八郎と乃木希典を思い出しますが、この乃木希典さんを調べても、その戦歴は、名将と言うには、全滅を繰り返している。何という事か?将軍というのは、実績ではないのか? 何なのだろうか? 元自衛隊員に聞いたが、どこにでも書いてあるフレーズしか言わない。詳しく聞き返すと、機嫌が悪くなるそんな感じで、ある時、東京を自転車で、ふらついて、青山霊園どーんな所なんだろ?思い向かった。そんな時に、乃木神社を見つけ、あの乃木なのか?
そう思い寄った記憶がありますが、ここでも、よくわからなかった。
何年、前だろうか?私は、中国の大連、路順に行った事があるが、その時、あの203高地に行った事があります。有名な乃木将軍をおもいだしたからです。頂上に、弾丸の形のモニュメントに、乃木希典の文字、そんな写真を目にしました。203高地どんなところだろ? 標高203なのか? 私は、現地を歩き、半分以上、回ってから、全体が薄っすら見えてきた。 凄い要塞だ、それにロシア軍は、世界初の機関銃に世界初の手榴弾を持ち、これは無理と思えるコンクリートの要塞に、日本の城にある□、△の穴が並び、そこに機関銃だが、その要塞に近かづくには、断崖絶壁をくだらないといけない作りだが、降りた下に、串が並んでいる。絵があり、それを見ると、断崖絶壁を降りるとき、機関銃がが火を吹き、少しでも当たり、断崖絶壁を転がり落ちると、串刺しになる構造で、
その串と要塞の前が通路で、そこを歩き、日本軍が開けた穴が、床にあり、そこから、日本軍が侵入し、占領した事が書かれていました。203の全体図には2重の塹壕に、所々、コンクリートの蓋の写真に、図がある。これは、全滅だ。 それが良く、わかりました。要するに、日本軍は通常の戦闘を行いながら、穴を堀り、気づかれない様に、堀り進めて、多くの部隊が、全滅を繰り返して、乃木将軍の次男さんも、そこで亡くなっている。確か8年とか穴を堀、要塞内部に侵入。
この、穴を堀り、表面では、通常に攻め込み、これは言えない負の部分だろう。 語られない、悲しい話である。そしてこの203高地から、路順艦隊が見える。路順港があり。ロシア軍の2つの艦隊の1つが、ここにあり、黒海艦隊、路順艦隊の挟み撃ちを避けるため、明治天皇からの命令で203高地を攻撃して、占領し、そこから、路順港に停泊中の路順艦隊を砲撃、壊滅させたとあります。
これが、日本海海戦、勝利のキーであり、半年かけて、到着した。黒海艦隊を迎え打ち、逃げたと思う、その時
真横になつた、三笠を始めとする、日本軍は一斉に砲撃。壊滅させたと言う話であります。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)1月21日(金曜日)
通巻7193号
ロシア黒海艦隊、六隻の強襲艦をウクライナへ
海軍は140隻、60機を動員して「軍事演習」
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ウクライナに嘗てない軍事緊張が高まっている。
バイデン大統領は1月20日に「もしウクライナ侵略がなされたら、ドルとの通貨交換停止を含む強力な制裁措置をとる」とし、EU議会も同様な強硬発言をなした。
NATOも警戒態勢を敷いている。
ウクライナ周辺に駐屯するロシア軍は、1月20日現在およそ12万7000人。
くわえてロシアは黒海艦隊所属の六隻の強襲艦(ミンスク、カリニングラード等)をウクライナ方面へ向かわせている。兵力は一万。またロシア海軍は、近く軍艦140隻、航空機60機を動員して「軍事演習」を行うと発表した。
一気に戦雲が広がり、トルコのエルドアン大統領もプーチンに冷静を呼びかけた。
ロシアの論調を見ると「緊張を造りだしたのは西側であり、英国は武器供与を行ったし、ロシアの『生存圏』を脅かしているのはヌーランド国務次官等の策謀によるものだ」としている。
この『生存圏』(レーベンスラウム)はナチスドイツの愛用した地政学用語。国家が自給自足体制を確保するために政治的支配が及ぶ領土、領海を指す。
戦前の日本でも嘗て『満州は日本の生命線』という標語があったように、ロシアにとって、ウクライナは生存圏という解釈をしていることになる。
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