#ルポルタージュ
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破滅-梅川昭美の三十年 毎日新聞社会部・編 ルポルタージュ叢書-17 晩聲社 装幀=杉浦康平+鈴木一誌
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栗浜陽三 写真集『海からの光』より
栗浜陽三 海からの光 好きな写真だよ!
栗浜陽三 海からの光 写真集『潮の響き』からのものとしてUPした画像の中に、これを後向きにした様なものがあったんだよ。 ウェブ上の情��に基づいて書いているので、時には収録写真集名や掲載雑誌名・号数に間違いがあるかも知れないよー! ごめんね! 中には栗浜の作品を矢頭保の物だとしている記事もあったよ! 見たら判りそうなものだけど。
栗浜陽三 海からの光
栗浜陽三は均整の取れた体やポーズ、情景が好きだったんじゃないかと思うんだ! 俺の個人的な好みを書いても仕方ないけど、俺はちょっと乱暴な感じが好きなんだよ! 歩いていても、ついて行きたくなる様な俺好みの男に出合うことなんてめったにないし、平成~平成以後のモデルさんや男優さんでも、お気に入りと言う程の人はいないんだ。 でも、栗浜も雑誌に書いたお祭りのルポルタージュ記事や写真からは野性的な物を愛したとも見える。動的な祭りの実況と、どうしても静的になるポーズをとった写真では、違って当然なのかもしれないね! 栗浜が雑誌の記事で取り上げた二つの祭りは俺の大好きな祭りなので、彼が取り上げてくれている、彼の写真で眺められるのがとてもうれしい。 栗浜の写真集の中で、渾遊の中の好きな写真が何枚か残ってるのでその内UPするよ! それと彼がお祭りを取り上げた雑誌の記事も早くUPしなきゃね!
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内容に対してタイトルが軽率すぎる。が、そうでもしないと興味を持ってもらえないというのもわかる。死刑囚のルポルタージュでは、「教誨師」がおすすめ。
[B! 事件] 衝撃!やまゆり園障害者殺傷事件の植松聖死刑囚が獄中結婚! しかも何と相手は障害を持つ女性(篠田博之) - ���キスパート - Yahoo!ニュース
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わたしはいつも、まにあわない
先日、注文していた本が届いたから取りに来いと、いつもの書店から電話があった。小学生のころからずっと通っていた地元の本屋は、安定した収入が得られるようになってからは、月給の一割ぶん、かならず本を買うようにしていた。この日もその注文の品が届いたという電話だった。いつものように、「はいはい、行きます」と返事をして、そこで電話が切れるかと思ったら、「今月の末で閉めます」と言われた。 「えっ」という声は出たが、��を言えばいいのかわからなかった。「e-honで頼んである本があるから、また行きます」そう言って、電話を切ってしまった。
外食に行く金があるなら本を買ってくれと言っては親の機嫌を損ねるような子どもで、お小遣いをもらえばすべて本につぎこんでいた。
「なかよし」やコバルト文庫を買いに通った日々。 小学六年生のころ、お年玉で国書刊行会の「黄金の夜明け魔術全書」を買った。「こどもが一万円を超える本を注文するなんて、怒られたらどうしよう」と思いながらした注文はすんなりとできて、一ヶ月後、分厚い箱入りの本が届いた。 そこから興味が広がって、あの頃はまだ背表紙が黄色くなかった河出文庫の『黒魔術の手帖』を買った。あれが、長く付き合うことになる澁澤龍彦との出会いのはじまりだった。 中学生のときには、新聞の書評欄で見た高原英里の『無垢の力』を注文した。この本が紹介している本を全部読もう、と注文できる本は全部注文し、やっぱりそこから興味が広がって――森茉莉の『薔薇食い姫/枯葉の寝床』の講談社学術文庫を取り寄せてもらったとき、1000円を超える「文庫本」が存在することに衝撃を受けた。いまでは文庫も1000円を超えるのが当たり前だけれど、当時は4~500円で買えたのだ。 十代半ばは、熱心に投稿をしているころでもあった。コバルト本誌に詩や小説を投稿していたから、投稿作が採用されているかどうかをたしかめにもかよっていた。自分の作品や名前が載っているコバルト本誌を買って帰るとき、いつも、「いつか小説家になって、この書店にも本が並ぶのだ」と思っていた。
車、カメラ、服飾品、三ヶ月に一度のアフタヌーンティ……それなりのものに金を使ってはきたけれど、わたしは、人生でいちばんなにに金を使ったか、それも「どこに」金を使ったかと聞かれれば、きっとこの書店に違いない。それくらいに、とにかくここで本を買いつづけてきた。 生活費を除く可処分所得のほとんどが、この書店で買う本に変わった。
地方の書店で本を注文して届けてもらうと、一ヶ月はかかる。新刊本は、発売日には届かない。Amazonで本を買えば、取り寄せなんてしなくてもいい。インターネット書店も充実していて、一ヶ月近く待ってどうしてそこで本を買っているのか、と言われれば、わたしはただもう、「この町から本屋がなくなってほしくなかったから」としか言いようがない。 インターネットを使いこなして本を買うことは、だれもができることではない。子どもや、老人。本が欲しいと思ったら、書店へ行かなければならないひともいる。わたしもそういう「子ども」だった。Amazonというシステムが自由に使えるようになったのは、大学生か、社会人になってすぐか……それくらいだけれど、それまではわたしは本へのアクセスは、実際の書店へ行って本を買うしかできなかった。そんなひとはまだこの土地にはたくさんいて、そんなひとたちが「本を買う場」を、保ちたかった。わたしは本を買いつづけた。
今日は給料日だった。今月の給料の、「使える金」はすべてこの店で本を買うために使おうと思っていた。薄っぺらい給料袋を持って店に行き、本を腕に積み上げた。『トランスジェンダー男性学』と『これからの男の子たちへ』が面陳されていて、最後まで誠実な書店であろうとしているのだなと思う。地元の島を描いたルポルタージュが刊行されたときも、この書店は、丁寧に丁寧に、好奇心に抵抗するようなPOPをつけて売っていた。 レジに並んだ。 わたしのまえに並んでいたひとが、「高校生の頃から通っていたから、なくなってしまうのがさみしい」と店主のおじさんに話していた。だから、わたしは、なんだか何も言えなくなってしまって(二連続でそんな話をされたらおじさんもきっと困るだろうと思って)いつものように、ただ黙って本を買った。 「しおり、ほしいだけ持ってって」とおじさんに言われた。たくさん本を買った。いつもだいたい、1冊の本につき、3つくらいしおりを入れてくれる。今日もおじさんはひとつかみくらいしおりをいれてくれて、わたしはレジの横にならべてある、きれいなしおりを1枚だけもらった。
書店がなくなるのだ。わたしはこれから、どこで本を買えばいいんだろう。――新しい職場が書店なので、本は買おうと思えばそこで取り寄せてもらえる、だからこんなことを思わなくてもいいのに、「わたしはこれから、どこで本を買えばいいんだろう」とずっと考えている。 町から本屋がなくなってしまう。本が欲しいと思ったとき、インターネットにアクセスできず、この書店に行って「あの本が欲しい、この本が欲しい」と言っていた子どものわたしが途方に暮れる。
書店を出る。車に乗る。 まにあわなかったな、と思う。 今年の九月に、同人誌じゃない本が出る。日本全国、いろんな書店にこの本は旅立っていくのだろう。だけど、どこよりも、この本を、わたしはこの書店に並べてもらいたかった。 わたしの本との出会いを支え、そして、わたしの小説の資料を、物語の血肉を、つねにわたしに与え続けてきてくれたこの書店に、「わたしの本ができたんです」と言って帰りたかった。 わたしの本を、きっと丁寧に丁寧に売ってくれただろう書店に、わたしは間に合わなかった。
もう一週間ある。 なんとかお金の算段をつけて、もう一度ここで本を買いたい。
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Art and Fashion Photography: A Japanese Renaissance Hayashi Fumihiro 今の日本に、本当の意味でのファッション・フォトグラファーは、僅かな例外を除いて存在しない。広告写真の影響力が強い日本の写真界では、広告、芸能といった商業写真での成功が、ほとんどの写真家の目標であるといっていい。ファッション写真は、広告カメラマンになるためのプレゼンテーションに過ぎない場合が多く、ファッション写真だけを撮り続ける写真家は皆無といっていい。さらに、欧米の文化、セレブレティーに対してコンプレックスの根強い日本のファッション写真界は、海外でこれほどまでに日本文化が注目されているにも関わらず、欧米の有名写真家の表層的な模倣に執着する。そのことは、東京の街に氾濫するファッション企業のビルボードや広告ポスターを見れば一目瞭然だ。日本人の白人コンプレックスは根深い。また、最近のファッション誌は、ユニークな才能を持つ新人のファッション・フォトグラファーの作品よりも、素人の芸能人、スタイリスト等の知名度のほうに価値を感じるようである。大多数の日本の雑誌のファッション・ページは、美意識やクオリティーに対する判断力を利益至上主義で失ってしまい、さもしいカタログ的な自己顕示欲の坩堝と化してしまった。 ただ、これは90年代後半、バブル経済崩壊から続いた経済的不況に影響された、日本の“失われた10年間(ジャパニーズ・ロスト・ジェネレーション)”時代の話である。この10年間で、日本人の美意識、倫理観、価値観は、大きく変化、堕落し、虚無主義と拝金主義が世の中全体を覆っていった。そして、壊滅的なモラルの崩壊、無秩序な混沌が極まった今やっと、日本文化は、ルネッサンス的な新しい変革の時代を迎えようとしている。その最も大きな流れは、まず白人コンプレックスからの脱却から始まった。子供たちを熱狂させるマンガ、アニメーション、コンピューター・ゲームなどのオタクカルチャー、健康志向からの日本食や禅、高性能のハイテクノロジー、海外の人々が伝統文化のみならず、日本の現代文化に大きく影響を受ける現状を実際に感じた、欧米(特にヨーロッパ)で教育を受けたクリエイター達の帰国は、その変革の重要なきっかけとなった。彼らは、海外の地において、“オリジナリティーとは何であるか”という事を徹底的に教え込まれる。そのことは、自分は日本人であるという事を強烈に再認識させることになる。欧米文化への憧れ、模倣ではなく、欧米文化との違いが創造の源であることに気づくのである。彼らが、影響を与える時代、ポスト・ロストジェネレーションが始まったのである。今考えれば、“失われた10年間”は、DJ的なサンプリング・カルチャーとアメリカ的な大量消費文化に、日本のファッション界が大きな影響を受けた時代であったと言えるのではないか。サンプリング、コラボレーションという心地よい英語のフレーズによって、模倣に何の疑問を持たなくなった日本のファッション界は、オリジナリティーを片隅に追いやり、業界自体を異形で未熟な物質主義に変容させてしまった。 このような、現在の日本のファッション写真界���取り巻く状況を理解した上で、読んでもらいたい。 日本のファッション写真の大きな転機は、やはり90年代であった。そして、この90年代の東京のイメージを決定付け、その後の日本の写真界全体に、最も影響を与えたのがホンマタカシであろう。日本人独自のロリータ趣味を全面に押し出した現実感溢れるポートレイト風のファッション写真は、アートとファッション写真、ドキュメンタリーとファッション写真の融合であり、彼の写真から強烈に感じられるニヒリズムは、近未来の日本への警鐘のようであった。無機質に殺菌されたシステムの中で、自らのアイデンティティーを見失い、凶暴なグローヴァリズムに翻弄される日本への、誰しもが持つ漠然とした不安、終末の予感。ホンマタカシの写真は、ジャンルを超えて多くの人々に支持され、多くのフォロワーを生み出す。今や日本を代表する作家となった、ヒロミックス、佐内正史、本城直季らは、多かれ少なかれホンマタカシが切り開いたスタイルの延長上に独自の世界観を築き上げたといっていい。そして、彼の広告、アート、ファッション、ヌード、グラビア、建築、編集、映画等のあらゆる分野へボーダレスな進出は、良しにつけ、悪しきにつけ多くのカメラマンの指針となったのである。 もう一つ、90年代の日本のファッション写真に大きな影響を与えたファッション誌が、パリで出版されるPURPLE誌である。アートとファッションの融合をテーマに、一貫したインディーズ・スタイルで数多くの新しい才能を世に送り出してきたこの雑誌は、日本のカルチャー、サブカルチャーにも早い段階から興味を示している。そのため、日本人アーティストも多く参加しているが、その中でも別格なのが、このPURPLE誌で創刊以来、ファッション写真をとり続けている鈴木親であろう。鈴木親は、今の日本では数少ない純粋な意味でのファッション・フォトグラファーであり、世界に通用するオリジナリティーを持ち合わせている。彼のファッション写真は、マルタン・マルジェラに代表されるアントワープ系の内向的なデカダンスの影響を色濃く受けながらも、日本の伝統的な文化の品と静謐さを感じさせる。そこには日本人しか表現する事の出来ない情緒がある。彼は、ファッション写真家であることにこだわり、ファッション写真と作品以外は、ほとんど撮影しない。商業主義一辺倒の今、鈴木親の隠者のような撮影のスタイルは、彼のオリジナリティーを磨き上げた。その独特の色彩と間を感じさせる作風は、世界に影響を与えるファッション写真家になることを予感させるに十分である。 ただ、このような日本のファッション写真界の曖昧なあり方は、決して悪い事ばかりでもない。その、通過儀礼的なポジションから、様々な分野の写真家がファッション写真を撮るために非常に多様性のあるものになっている。例えば、アフリカ、中東、東南アジア、南米等の“滅びゆく少数��族”のポートレイトの作品で、ファビアン・バロンに絶賛され、写真集“TRIBE”を出版した小林 響は、欧米のファッション界では、90年代最も評価された日本人写真家であろう。荒木経惟、植田正治、ヒロミックス、新津保建秀、富永民生、久家靖秀、佐内正史、石坂直樹、ザ・グレート・ザ・歌舞伎町、平野太呂、本城直季、米原康正、井賀孝といったアート、グラビア、広告、ルポルタージュ、スポーツ等のジャンルで活躍するファッション写真家以外のファッション写真をこれほどまで沢山見る事のできるのは日本だけだろう。そして、ファッション写真を変革するのは、実は、他のジャンルから来た異端者の価値観である。マーティン・ムンカッチは、スポーツカメラマン。アーヴィング・ペンは、画家。ヘルムート・ニュートンは、報道カメラマン。スティーヴン・マイゼルは、ヘア&メイク。マリオ・ソレンティは、モデルであった。そう考えると日本のファッション写真界は、可能性に満ち溢れている。止まれる者の出現。。日本人としてのオリジナリティーを追求して、美意識と技術を極めた上で、ファッションという世界に魅せられ、美の本質を探究したい写真家が現れたときに、きっと日本のファッション写真界はドラマティックに変わるはずである。サンプリングの達人から、オリジナリティーへ、欧米コンプレックスからジャパニーズ・ルネッサンスへの意識の変化。それが、近い将来であることだけは間違いない。
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2022/11/28
BGM: Paul McCartney "Coming Up"
今日は遅番だった。朝、ジョン・アーヴィング『オウエンのために祈りを』を読み進める。いつも本を読む時は音楽を聴くのだけれど、今日はポール・マッカートニーやブライアン・ウィルソンを聴いた。あとはビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』などを……そうした音楽に懐かしさを感じる。ロクなことがなかった私自身の幼少期だったけれど、こうした優れた音楽を聴いているとそれでも悪くなかったのかもしれないなと思えてきた。ちょうど『オウエンのために祈りを』で書かれている主人公たちの幼少期のように。
『ペット・サウンズ』は何度か聴いてみたことがある。確かに素晴らしい、凄味すら感じるアルバムではあると思ったけれど私の肌には合わなかった。これまで、私は結局ライバルだったビートルズのポップセンスの方を選んでしまっていたのだった。だが、今聴くと実にしみじみと楽しめる。多分これは(昨日も書いたことだが)自分の人生が新しいステージに移ったからでは��いかと思う。50代に差し掛かったから……これから『オウエンのために祈りを』を読み進めながらブライアン・ウィルソンに浸る。それもいい過ごし方ではないかと思えてきた。
その後英語研究会の課題で英訳された柳美里の小説『JR上野駅公園口』を読み進める。ホームレスの主人公の目線から捉えた上野駅の情景が目を引く。私自身、もし大学を出たあとそのまま東京に留まっていたら確実にホームレスになっていただろうな、と思う。稼げず、酒も止められず……雨宮処凛のルポルタージュで、都市部でホームレスに身をやつした人たちの日常が綴られているのを読み居た堪れなくなったことを思い出す。ああ、仕事を始めてからもいずれ自分はホームレスになるんだと思い込んで、ずいぶん���けっぱちな日々を送ったものだ。
昨日調べ物をしていて、「凡事徹底」という言葉を知った。平凡な事柄を平凡なやり方でこなし、それを徹底することが非凡に通じるというのが骨子である。今の仕事に関しても自分は「こんな誰にでもできる仕事」と思い込んで腐っていた時期があったけれど、考えてみればイチローがバットを振ってヒットを飛ばすことですら「誰にでもできる仕事」である。そんな仕事を、自分なりの流儀でこなして徹底することが奇跡を呼び起こすのではないか。わからないけれど、私なりに徹底したいと思って仕事をこなしている。今日もうまくいったと思うのだけど、どうだろうか。
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ちくま日本文学を全部読む:024 開高健
開高健は初めて読んだ。このシリーズの巻ごとの構成にはいくつかのパターンがあるんだけど、開高健の場合ははっきりと内容が分かれていて、かつそれが作家としてのキャリアと概ねリンクしているので、変わっていくものと変わらないものを感じながら読むことができてなかなかない読書体験だった。
読み始めてまず感じたのはその濃密な文体で、正直読みにくいくらいだった。初めは古代中国で時代に翻弄される男を描いていたその文体は、やがて作家自らを投影した若者を描き、ルポルタージュという形でリアルな戦場を描く。そして後半に置かれているのが、釣りについてのエッセイだ。
一見軽い題材に移行したように見えるが、釣りに向き合うときの描写の緊迫感は戦場のそれと比べて劣らないものだ。そこにこの作家が追い求めたものの正体があるのかもしれない。
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【2024】今年見たエンタメ作品
・バチェロレッテ シーズン3
・推しの子 2期
・ダンジョン飯
・姫様”拷問”の時間です
・葬送のフリーレン
・明け方の若者たち
・ある夜、彼女は明け方を想う
・夏へのトンネル、さよならの出口
・忘却バッテリー
・怪獣8号
・黒執事 -寄宿学校編-
・鬼滅の刃 柱稽古編
・2.5次元の誘惑
・逃げ上手の若君
・ロシア語でデレる隣のアーリャさん
・オーイ!とんぼ
・ラーメン赤猫
・狼と香辛料
・負けヒロインが多すぎる!
・小市民シリーズ
・日本怪奇ルポルタージュ
・ストグラ
・にじGTA
・ある行旅死亡人の物語
・ルックバック
・ゴジラ-1.0
・地面師たち
・シンデレラグレイ
・ダンダダン
・サカナクション 幕張ライブ
・離婚伝説 1stライブツアー LIQUIDROOM
・宇多田ヒカル さいたまスーパーアリーナライブ
・シン・仮面ライダー
・ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 NEXT SKY
・映画 ラブライブ! 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第1章
・タコピーの原罪
・愚かで勤勉な私たちは
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筑豊坑夫塚 林えいだい ルポルタージュ叢書8 晩聲社 装幀=杉浦康平+鈴木一誌
#筑豊坑夫塚#eidai hayashi#林えいだい#ルポルタージュ叢書#kohei sugiura#杉浦康平#hitoshi suzuki#鈴木一誌#anamon#古本屋あなもん#あなもん#book cover
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【乃木坂46】可愛いwww 筒井あやめ『日本怪奇ルポルタージュ』オフショット&コメント動画公開
【乃木坂46】可愛いwww 筒井あやめ『日本怪奇ルポルタージュ』オフショット&コメント動画公開 Source: まとめクロラ
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2020年3月、兵庫県神戸市西区の精神科病院「神出病院」の看護師や看護助手ら6人の男が、患者への虐待容疑で一斉に逮捕された。看護の道を志して集まった彼らは、なぜ卑劣な犯行に手を染めたのか。閉ざされた病棟ではいったい何が起きていたのか? ここでは、事件の背景に迫った神戸新聞取材班の渾身のルポルタージュ『 黴の生えた病棟で ルポ・神出病院虐待事件 』(毎日新聞出版)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/ 2回目 に続く) ◆◆◆ 神出病院の看護助手を強制わいせつ容疑で逮捕 神戸をイメージさせる海もなければ、ハイカラな洋風建築も、石畳もない。市の最西部に位置する西区は、台地の上にニュータウンが広がり、緑豊かな谷あいに田畑や果樹園、牧場が点在している。静かで、のどかで、犯罪発生件数も少ない。そんな一帯を管轄する兵庫県警の神戸西警察署で、署員たちは2019年夏からピリピリしていた。 というのも、その頃から若い女性が襲われる強制わいせつ事件が相次いでいた。お盆中の8月13日午後11時頃、帰宅してきた女性が自宅マンションのエントランスに入ろうとすると、後ろから近づいてきた男に突然、顔を手で押さえつけられた。かろうじて悲鳴を上げると、男は下半身へと手を伸ばす。だが、女性はショートパンツだったことから、男は胸を触って走り去った。 1カ月後の9月、そして11月にも、帰宅中の女性が背後から男に抱きつかれ、下着の中に手を入れられたり、尻を触られたりした。 神戸西署が捜査を進める。すると、11月の犯行現場で不審な動きをする男を、近くの防犯カメラが捉えていた。さらに8月の事件で、犯行現場に近い建物のドアに掌紋(しょうもん、手のひらの紋)が付着していたことがわかった。 一連の事件の容疑者として1人の男が浮上する。それが神出病院で、看護助手をしていた当時27歳の田村悠介(たむらゆうすけ、仮名)だ。 田村には、女性の悲鳴を聞くほど興奮が高まるという性的嗜好があった。最初はスカートの中にスマートフォンを差し込んで盗撮行為を繰り返していたが、やがて物足りなくなり、女性を直接襲うようになった。神出病院で看護助手としての仕事を終えた帰りに車で駅前など���立ち寄り、ターゲットを定める。女性が人通りの少ない場所に入ったことを確認すると、スマホの録音ボタンをオンにして、後ろから歩いて尾行した。 その年の12月、神戸西署は強制わいせつ容疑で田村を逮捕する。押収したスマホには女性の悲鳴が多数収められていた。しかし、その悲鳴よりも捜査員を驚かせたのは、それとは別に保存されていた動画の数々だった。 押収したスマホから見つかったおぞましい動画の数々 「○○君、口、口」 「早すぎる、早すぎる。もう1回」 「舌入れな」 再生すると、はやし立てる数人の男の声がした。 50~60代の男性2人が襟をつかまれ、キスをさせられている。2人が神出病院の入院患者であることはすぐに察しがついた。 別の動画では、再び同じ男性がベッドに仰向けになり、陰部にジャムを塗られていた。これにもあざ笑う声が入っている。 「ちゃんと吸ってや」 「ちゃんとなめてよ」 「ここ、ちゃんとくわえろって」 別の男性患者がその陰部をなめる様子が映っていた。 看護師らが患者を集団虐待する前代未聞の事件 事件の端緒が女性への強制わいせつだったこともあり、神戸西署には当初、これらの動画も田村が性的目的で撮影したのではないかという見立てがあった。ただ、動画から聞こえる嘲笑の声は、明らかに複数の人物が関わっていることを示しており、わいせつ行為よりも人間の身体をもてあそぶことが目的のように思われた。 神戸西署は県警本部の捜査1課から応援を得て、捜査態勢を強化することを決めた。わいせつ事件をはじめ、殺人、放火、強盗、誘拐、立てこもりといった凶悪犯罪を専門に扱う捜査1課の捜査員を投入し、最先端の捜査技術も駆使して指揮命令系統を一本化させる。 看護師らが患者を集団で虐待するという前代未聞の事件捜査はこうして始まった。 60代の男性患者を長期間にわたって監禁し… 田村はスマホに全部で約30点の動画を残していた。 このうちの1つには、逆さまにひっくり返された重さ100キロ近い柵つきベッドの中で、長時間にわたって監禁されている60代の男性患者の姿も映っていた。男性は檻(おり)のようになったベッドの落下防止柵のすき間から 「出してーな」 「何するんや」 と悲痛な声を上げている。 男性は食べ物への関心が極度に強いという特有の症状があった。 田村たちが柵のすき間からポテトチップスの袋を見せると、体をばたつかせ、顔をゆがめて必死でもがく。別のすき間からは何やら尖(とが)った紙状のものを差し込み、男性の体を何度も突っついていた。 よく見ると、わざわざ包丁の形に作った厚紙の模型だ。男性がおびえ切った表情で体をよじって暴れると、ベッドの床板が外れ、男性の体が押しつぶされた。 スマホに残された撮影時間から、警察は監禁時間を26分間としたが、実際には少なくとも1時間半にわたって監禁は続けられたという。田村たちはひとしきり患者をからかった後、現場を離れ、時折様子をうかがいに来るだけだった。男性を助け出したのは同じ部屋の別の患者だった。 虐待行為は手を替え品を替え続けられていた 動画に映っていた被害者は全員で7人。いずれも男性で重度の精神疾患があり、されるがままの状態だった。 看護師らによる虐待行為は他にも手を替え品を替え続けられていた。 ・病院のトイレで患者を裸にし、椅子に座らせて顔にホースで水をかけ、嫌がると洗面器で湯をかける。 ・車いすの患者の頭に粘着テープを四重に巻きつける。 ・球状に丸めた粘着テープを患者の頭めがけて投げつけておびえる様子を面白がる。 ・患者の頭にゴム手袋をかぶせ、嫌がって外そうとする患者の両腕を2人がかりで引っ張ってもてあそぶ。 ・シリンジ(注射器)を水鉄砲のようにして患者の顔に水をかけ、悲鳴を上げて嫌がる様子を見て楽しむ。 ・患者の腕を引っ張って別の患者を殴らせたり、ベッド上で患者の体に別の患者を乗せたりし、抵抗すると押さえつけたり、鼻に指を突っ込んで引っ張ったりする。 県警は動画を解析し、右のような、 「7つの暴力行為、3つの性的虐待」 を特定した。病院から撮影日の勤務態勢がわかる資料を提出させ、行為に関わったとみられる人物を絞り込む。起訴するか否かを判断する検察と打ち合わせをして、送検容疑を確定させた。 「体を押さえ、無理やりキスを…」神戸の精神科病院で、看護師が患者に強制わいせつ→事件発覚後に病院側が取った“驚きの対応”とは へ続く
「ちゃんとくわえろ」「舐めてよ」精神科病院の看護師が、患者に“おぞましい性的暴行”…神戸・神出病院で起きた“前代未聞の虐待事件”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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人生で一度もカッパを見たことがない
年が変わってすぐの三連休。 年末年始がごろごろしているだけで終わったから、なにかしたい…と思っていたが、家のことがバタバタしていて遠出や、友人のワンオペ育児のお手伝いなど、「できたらいいなあ」と思っていたことは一つもできなかった。
土曜、日曜は、母親が「夕日を撮りたい」というので、地元の有名な橋へ出かけた。 母親は登山が趣味で、休みの日はほとんど山にでかけているのだが、目の手術をしたのでどこへもいけない。自分で車にも乗れないので、わたしがあちこちつれていくしかない。 土曜日は曇りで、撮影をしているひとはひとりしかいなかったが、日曜日はたくさんのカメラマンがいて、みんな夕日というよりは夕焼けと橋を撮っているようだった。 月曜も、いろいろな買い物のついでに「散歩がしたい」というので、わたしのいつもの鳥写コースを母親と一緒に回った。 日曜日に夕焼けスポットにいたひとが鳥写コース(カワセミが近くで見られる穴場)にふたりもいて気まずい。かれらはカワセミを狙っていたようだが、わたしはその向こうの猛禽ポイントへ行きたかったので立ち止まらずにポイントへ。 猛禽はミサゴすらみられず、退屈する母親が「もう帰ろう」と言い出してひきあげることに。また夕日のカワセミおじさんたちと顔を合わせるのがいやで、別ルートで帰った。
家の仕事をちょこちょこやってから、文フリの荷物の出荷をする。 前回の文フリ大阪は手搬入だったのだが、今回は宅配搬入だ。久しぶりだし、荷物の作り方や、何を入れていたかの記憶もあやしい。 「本と敷布さえ入っていればなんとかなるはず」と本と敷布、あとお品書きをいれた。 お品書きはネットワークプリントで出力したのだが、ネットワークがとても混雑していて、一つ目のコンビニで20分粘り��まくいかず、母親の美容院(目の手術をするとお風呂に入れないし髪は美容院で洗ってもらわないと行けない)のためいったん帰宅して、洗髪のあとでまたコンビニで20分くらい格闘してなんとか出した。 「こんなに苦労したかなあ…」と思いながらも、見本誌もちゃんと帯を巻いて値段も入れてつくったし、本と敷布は入れたから大丈夫。120サイズの段ボールが、重たくて140サイズの値段になった。
宅配を出し終えて、ちょっとゆっくりしようとしていたら、つらいことがあった。これはまだいまの時点では「何」とは言えない(顛末がどうなるかわからないので)のだけれど、それがとてもつらくて、文フリにも行けないかも…ということもあって、いろんな人に連絡をした。 約束をしていたひとびとにはとても心配をされてしまったし、迷惑をかけてしまうことになるので、なんとか文フリにいけるようになりたい。 12月頭の事故から、じつはいろんな不運があった。これがとどめのような気がして、恐くなって地元の神社にお参りにいく。 前にも書いたがわたしは信仰心のある人間なので、「なにか」があるときは神社にいくのである。 地元の氏神様は、わたしが小学生のころはお社にコウモリが住み着いていた。祖父、父、私と、三代、この神社の池(底なし沼だとまことしやかにささやかれている)でカッパを見たという同級生がいるのだが、弟たちの代ではカッパの目撃例はない。祖父は大正・父と私は昭和、弟は平成で、カッパは平成の時代には絶滅していたのかもしれない。 そういえば、もうひとつ「底なし沼だ」と言われていた古墳がある山のふもとの底なし沼はいつのまに���埋め立てられてしまって、底なし沼でないことがわかった(もしかしたらアスファルトの下では地盤沈下?が進んでいるのかも知れないが)。 かつてはコウモリとカッパが棲んでいた氏神様だが、手水に花が活けられていて、社の中もきれいに掃除されていて、いまではコウモリもいない。神社の裏にすんでいるおじさんが、きれいにしてくれているのだ。 カッパ池にカルガモがいたので眺めていたら、おじさんが「ここ、いろんな鳥が来るよ」と教えてくれた。 カモはやすみに来るし、コゲラもいる、わたしはここでヤマガラを見た。とても近くまでやってくるのだ。 そういえばこの神社で、父親が小さいころにフクロウを見たことがあると言っていた。 「フクロウ、いたんですか」と尋ねると、 「いまもいるよ」と。「姿は見ないけど、鳴声が聞こえる」 カッパもコウモリもいなくなったが、フクロウは父の世代から連綿といのちをつないでいるらしい。 夏にまた探しに来ようと思った。 「守っていきたいんや」とおじさんは言いながら見送ってくれた。 小さいころからいろんなときに、用があってもなくても訪れている神社だから、わたしも「守られていきたい」と思っている。
氏神様にお祈りをしたおかげか、いまのところ不運続きのとどめみたいな出来事は落ち着いている。小康状態……というか、予断は許されない状況だが、このままうわむいていって、文フリにもいけて、日常がもどってくればいいと思う。
その日の夜は本を読んだ。 石牟礼道子の『苦海浄土』だ。水俣病のルポルタージュ、といえばいいのだろうか。水俣病のことをなにもしらないので、病気のことも調べながら読んでいる。
「”文明”に閉ざされている都市市民たちには、もはや天地自然の中での原理的な生活法や、そのような生活者の心情がわからない。」『苦海浄土』石牟礼道子(講談社文庫)
まだすべてを読み終えていないし、水俣病について知っていることはなにもないのだが、文明と文化の衝突・葛���を感じている。 読んだものを自分の作品や人生につなげてしまうのは乱暴だと思うが、『浜辺の村でだれかと暮らせば』を書いていた時にもどかしく思っていた「文明」への葛藤に重なる部分がある。 もうすこしで読み終わってしまう。これを読み終わったら、世界全集版に手を伸ばそうと思う。
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「虚子への俳話」173
「花鳥」令和5年7月号より転載
「七宝会」
魚鼈居る水を踏まえて水馬 虚子
昭和十年七月十一日七宝会。井ノ頭公園茶店
七宝会は大正十一年に設立された宝生流の能楽者たちの会。主立ったところでは、近藤ゐぬい、池内たかし、松本長、松本たかしなどが居た。 ふだんは能楽堂などで行われたようだが、この日の句会は少し歩をのばした吟行句会であるらしい。
日よけ巻いて涼しき日なり沼の茶屋 虚子
同日の句にこれがあるが、ルポルタージュ的な付属の句であるばかりか、「日除け」「涼し」などの季節の言葉がうるさくて、なんともいただけない。
たぶん今でも公園の西側にある御殿山のふもとあたりに一軒の茶屋がある。また、池を横切る七井橋のたもとにも売店と茶屋がある。はたしてどちらが当時からの存在かはわからぬが、今でも井の頭池をぐるりと廻りながら見るとこのような景色がある。
魚鼈(ぎょべつ)とは魚とスッポンのこと。現代でも、ここで言う魚(おそらく鯉くらいしか居ないだろう)もスッポン(ただし大型の亀)もミズスマシも井の頭池には生息している。
風景としてはあたりまえのようだが、魚鼈とくると水底に潜んでいるおどろおどろしい魚類と両生類の雰囲気が出ている。それらをミズスマシが足をふんばって押さえ込んでいる雰囲気もなかなか愉快。
景色の方向としては、茶屋の奥に虚子らが居てそこで休息をとりながら池の汀、あるいは池の果てを遠望している。まことにのんびりとした景だ。 が、宝生流の親子、とくに松本たかしが能楽を病気によって挫折したこと。あるいは池内たけしが「ホトトギス」発行所の仕事に暇をもてあましていたようなことを思うと、こんな好き日に壮年男子の俳人たちがのろのろと散策する姿は滑稽のような哀しいような雰囲気になってくる。
余談だが、後の宝生英照という家元は私の小学校からの同級生であった。小さい頃はとても親しくし、家を行き来した。しかし二十年くらい前に外国で不慮の死を遂げたという。彼は俳句はしなかったのだが、しておればそんな事にもならなかったのかなと思う事もある。
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