#ルポタージュ
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小江戸の町並み 佐原研修旅行
●イラストルポ
毎年5月に行われる学校行事「研修旅行」のイラストルポを制作しました。
千葉県佐原市にある「小江戸の町並み」を中心にモダンなデザインにしました!色鉛筆と水性ペンで優しく懐かしい雰囲気に仕上げ、細かい花の模様を描きました。
校内で行われたコンペの結果、銀賞を頂きました。ありがとうございます。
▲こまちちゃん
イラストルポのために描き下ろしたオリジナルキャラクター
明るく、人当たりが良い性格。丁寧に町の魅力を紹介します♪
制作年:2018年5月
制作期間:2週間
サイズ:B4(257×364mm)
使用画材:色鉛筆/水性ペン
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“絶対名著”という帯がついていた。同郷、大江健三郎著のルポタージュである。1963年、原子爆弾の投下から18年後の広島の様子を窺い知る。前半はとても読み辛く(多分私の見識が足りないだけ/そもそも原水爆禁止運動の内容がほとんどで私が欲していたものとは相違があった)、“やっぱり新書は…”と落胆していたが、後半はテンポ良くスラスラと頁を進めることができた。これは生涯忘れたくないなと思う描写の連続だった。大江健三郎の言葉を通してヒロシマを知る。一生辿り着くことができない1945年8月6日���被爆者という面で見るのではなく、あの日きのこ雲の下にいた一個人という店で見る。ヒロシマという街にどのように向き合うのか、個人的な視点も含めて素晴らしい名著。
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外は金木犀の香り
10月14日。できたことを中心に。 新学期の第1週が無事に終えられた。まだそこまでしないといけないことで一杯でもなく、淡々と進めて来られている。この調子で12月の冬休みまで歩んで行ければ。 今週の体組成計の結果は筋肉量+0.4kg、���脂肪量-0.8kgと出ている。順調である。少しずつでも前に進められるのであれば。 先ほどSho Fitnessの動画を見ていて、見たら確実に落ち込むだろうなという動画を見て、多少は落ち込んだ。筋トレを始めてどのぐらいの期間でベンチプレスで100kg持ち上げられるようになったかが、その人の筋トレにおける才能のバロメーターになるのではないかという内容だった。私は2016年に筋トレを始めて、今だにベンチプレス100kgに到達していないので、もうとても才能とは縁遠い人間であることを改めて直視して凹んだだけだった。結局はね、過去の自分と比べて今はどうかというところで続けていくしかないのだ。Shoさんのチャンネル登録を解除した。一旦、もういいだろう。またハウツー的なものを見直す必要がある時に検索して見てみれば。 預金残高は25万円と出ている。iPhone 15の請求がようやく反映されたようだ。 4月から9月までの半年分の賞与が出た。25000円ぐらいだった。なるほど、少しずつ高くなってきてはいるのだが、生活には足りない。そもそも平均月収が10万円で12ヶ月でも120万円に、賞与年2回で5万円プラスされても年間所得は125万円だ。低所得である。 転職のための本は読み進めている。43%ほど読んだ。 全く今更な話ではあるのだけど、将来どんな仕事に就くかというのを考えつつ学校を選び、大学の専攻を選んでおくべきだったなとは思っている。ただ、もちろん、一般的な家庭とは違って、平たく書くが、我が家は中々の毒親の家系なので、そう先々のことまで見越した行動が取れなかったことはもう認めている。とにかく今を生き延び、かつまともな感性を取り戻すというか、維持するために全力を出さないといけないという呪いは今現在も引っ被っている最中だ。 だから、もう比較はしない。他の人と比べて云々みたいなことはしない。 で、それでもちゃんと自活できる収入が得られるようにならないとダメだよね、ということなのである。 父は今、京都の美術館の・・・父のアートマネージメント人生最後(?)の大仕事に追われている。開催まで半年を切り、準備は佳境のようである。大円安時代にこの個展が始まることは幸か不幸か。もしかしたら、現代美術の個展としては驚くほどの観客動員数を記録して、何かしら次のア���ションに繋がるものにな��かもしれない。蓋を開けてみなければわからないけども。 私は新学期が始まり、音楽にさほど触ることができていない。この前の3連休の最後の方にUK Garageにしようと思った曲のビートをほとんど完成と言える状態にまで磨いたのが最後かな。明日は午前中に1時間ほどでも音楽に触れたら触ろうと思っている。 そのほか、直近のテストを2つ先生方に送り、来週の週予定を作って送った。仕事はそれぐらい。 今日はもう目覚ましなどの設定をせずに昼寝をした。いつ起きられるのかわからないぐらい深く眠ることができた。空調なしで生活できる季節は本当にいいものだ。 外は金木犀の香りがして、乾いた空気によく絡んで鼻腔をくすぐられる。 押す日はもりもりとこなした。件のベンチプレスは82.5kgで8/8/8とできた。形もいいと思う。100kgのベンチプレスというのは、1回持ち上がりさえすれば達成ということになるんだろうか。ディップスとかだったら84kgの体に27.5kgの重さをつけて8/8/8とかできているんだけどね。 オペラシティアートギャラリーに行ってきた。石川真生さんの写真展。お沖縄の苦難の歴史を紐解くための、写真絵巻だった。途中までは思い出話とフィクショナルな物語がないまぜになっていたが徐々にルポタージュのような様相に変わり、いい写真家のいい写真に包み隠さないメッセージを載せた説得力のある展示だった。イスラエルとパレスチナ自治区の紛争がまたも激化し、ロシアのウクライナ侵攻は出口が見えずと、そういう不穏さとも地続きな世界の中の日本の紛争の話であった。 寝よう。 明日はフランスのCくんに会う予定。午前中は音楽を作りたい。 これを読んでくれた方もどうかいい週末を。 来週もいい1週間になりますように。
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2023/08/22 ヒロシマ・ノート
大江健三郎『ヒロシマ・ノート』再読。本書は一応形式的にはルポタージュの体裁を取っているが、その内容は実質的にルポタージュの重要な要素である事実や事件の客観的な記述以上に大江氏の主観的な語りが前面に打ち出されたものとなっている。いわば本書の執筆過程において大江氏はイデオロギーという「他人の物語」を通すことなく、広島の置かれた現実そのものからから「自分の物語」を読み出していったのではないか。こうした意味で本書は原爆被害を伝える「資料」という側面や反戦平和を訴える「思想」という側面以上に、大江健三郎という作家の生を基礎付けた「物語」を詳らかにする作品であったようにも思える。
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久しぶりに谷山にある @lepotage1979 さんへ(^-^)/ 人気のお店さんなのでランチ予約も多いのですが、飛び込みで入れました。。ありがたや(^人^) (基本的には予約入れておいた方が良いです) 相変わらず(良い意味で)、なぜこの値段で出せるかわからないランチコース(^o^;) オーナーさんのお客さん一人一人を大切にする対応も相変わらず(同じく良い意味で) ディナーも含めてオススメのお店さんです✨ #鹿児島 #鹿児島ランチ #谷山ランチ #鹿児島パスタ #谷山パスタ #ルポタージュ (Le potage ル・ポタージュ) https://www.instagram.com/p/ByUxp_Qn2Ez/?igshid=1oqwnw34zvzq6
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元長知宏, 2019, 『レギュラーになれないきみへ(岩波ジュニア新書)』岩波書店.
元長知宏, 2019, 『レギュラーになれないきみへ(岩波ジュニア新書)』岩波書店. 読了。
当時レギュラーかどうかが、その後の人生にどう影響するのか。
控え時代が長かった高校野球経験者として。
■控えだったことと、その後どうなったか ・レギュラー/控え(ベンチ内外) ・その後の人生がうまく行った/そうでない
そういう見方にまとめるならば、4象限に無理やり分けられる。 1) レギュラー(当時上手く行ってた)・その後上手く生きてる 2) レギュラー(当時上手く行ってた)・その後失敗している 3) 控え(当時上手く行かなかった)・その後上手く生きてる 4) 控え(当時上手く行かなかった)・その後失敗している
自分はどこだ?道を踏み外したりはしていないため、3) 控え・その後上手く生きてる?(現時点ではね) 本書で取り上げられているのは、3)のケース。 そりゃあ4) 当時控えで今も苦しい・人の道を外している、ってとこを取り上げるなら、もっと深刻なルポタージュにしてほしいし、 2) 当時上手く行ってて今失敗したというのは各種感動ポルノのテレビ番組で消費済みだ。今更面白くもなんともないだろう。 大所帯・有名どころの野球部での控え経験者の談をまとめていて、いままであんまり、こういうピックアップのされ方って無かったのではないか。
■控えの重要性・控え経験により得たもの 控えを経験することの重要性、というのは確かにわかるかもしれない。 控えがいることでチームが回る、という「縁の下の力持ち」要素は、確かにどんなチームでもあるだろう。 控えじゃなかった時期のことが思い出すのが難しいくらい短いため、当たり前のことになってしまっていることもあるかもしれない。
ただしその影にある、「チームのために裏方にまわってくれ」とか、そういう役回りに徹してくれ、と言われたときの絶望感は、 レギュラーずっとやってたら経験できないわね笑
それでも自分ができることを探す、というのは、当時の自分にはかなりキツかった。 その経験が今役に立っているのかどうかはまだ分からない。
チームの最終戦を、何の手出しも影響力も及ぼせず見守るだけ、という経験の虚しさ。 試合に出ないまま最終戦に負けて高校野球が終わったときに、 同学年の中でおそらく1人だけ泣けなかった。 あれは、もう涙も出ない。 そういうことがあるんだよ、ということを知れたのは、控えならではなのかも知れぬ。
■レギュラーと控えの差 「試合で得るもの」は結構大きい。そこを経験できない人が、何も得られなかったなんて思いたくないのはわかる。 野球の技術的なものや考え方・見方は、試合でしか身につかないものがある。 試合に出る・出ないにより付いていく差��明白で、それはきっと控えである本人が一番よくわかる。 そして逆にレギュラーからは「そんな程度の野球観しかないなら、一生ベンチにいやがれ」って思われていたかもしれないな。
なんとか試合に出るために、何を磨くべきかを考えて練習するようになっていった。 私の場合はアンダースローで体が丈夫だったのもあって、オーバースローの他の投手陣の間で目線を変えるだとか、小雨降ってて怪我のリスクが高そうだなってときにすぐ投げれるようにしといたり(私なら壊れてもまあよかろうな)。 他のメンバは代打の一振りだとか、三塁コーチャーとしてだとか、そういう感じになってった。どうにかしてチームの中のピースとして残りたい、と思って。
ただ、それも「試合勘」が薄れていくなかでの工夫なので、本当にそれが自分にとって良かったのかが分からない。 一芸に特化するのは、過学習というか、過剰な適応の一形態だった。 やればやるほど、野球という全体像から離れていってしまう。 こうなってからの練習は、気持ち的にとても辛かったのだけは覚えている。 そして技術的に上手くなったのかが分からない。
■ゴールはどこか? 帯にある「ゴールは「いま」じゃない!」を受け入れられて前に進むことができる高校球児はどのくらいいるのか。
この言葉にはどうも共感できなかった。
今うまく行っていなくても、次のステージでは化けるかもしれない、と思って練習続けることには意味があるとは思う。そういうモチベーションの保ち方もあるだろう。 と同時に、それは目の前のゴールに対して真剣に取り組んでいないような印象を受けてしまう。
私は、本書の例で挙げられているような大所帯の強豪野球部出身でなく、進学校で1学年10人程度の野球部出身。 野球は高校野球までできっぱり辞めるつもりで始めた(偶然大学でも硬式でやることにはなったけど)。 高校のときの自分には、「いま」じゃないゴールなんて無かったと思う。 野球に真面目に取り組むことで、それまでできてたもの(学力的なもの)をある程度諦めることになったし、 それで将来の方向性も結構狭まってしまったとも言えるかもしれない。 このシチュエーションで、「いま」=甲子園を目指す、以外のゴールを設けることは、 それって野球はそこで辞めろ、ということだ。 進学校なんだからおとなしく勉強しとけ、と言われてるに等しい。
高校時代から20年近く経った私が、高校野球により得たと思っているものや控えの経験で得たものというのは、どれもあくまで「いま」に向かって真剣に取り組んだことによる結果であると思っている。 きっと高校時代の自分がこの言葉を見ても、何も響かないどころか、「水を差すな」「邪魔すんな」くらいなことを思って終わりだろう。
■結語 全面的に内容に賛同できるわけではないものの、どういうことを当時考えていたか、とか、それが今どう影響しているか、考え直すのにとてもよかった。
https://www.honzuki.jp/book/286750/review/246881/
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2018/5/2 wed. フランク ホーヴァット "Un moment d'une femme" . . . #kyotographie #kyotographie2018 #京都国際写真祭 #up #photo #photography #写真 #art #FrankHorvat #フランクホーヴァット #exhibition #ルポタージュ #reportage #嶋臺ギャラリー #gallery #kyoto #京都 #japan (しまだいギャラリー)
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戦略会議 #02 作家づくり・展示まわり/ はじまりも、終わりもない 時間の輪の中へ ー渡部さとる 「IN and OUT」ギャラリー冬青
ギャラリー冬青 2019年最初の展示は渡部さとるさんの写真展「IN and OUT」からはじまった。 今回の展示は3つの壁面にいくつかのシリーズから抜粋されたカラー写真によって構成された展示となっている。そのなかでも最新のシリーズとなる《In and OUT》について書きたいと考える。 渡部さんはギャラリー冬青において、実に今回で10回目の個展となる。筆者は2015年の《prana》の写真の印刷立会いにお邪魔させていたたいたところからはじまり、その後、2016年《demain》2017年《demain 2017》、2018年《2Bとマンデリンーそして僕はこの町を離れるー》と続く流れを見させてもらってきた。 今回の展示の新作部分《In and OUT》は《demain》以降の作品の流れを組んだ「時間」を取り扱う作品であると考える。 《prana》以前の渡部さんの作品はジェフ・ウォールが自身の論文『「取るに足らないものの印」コンセプチュアル・アートにおける/としての写真の諸相』1995 でいうところの「対象=物体(渡部さんの作品の場合は物体としての「場所」)」 を構成する写真の純粋性を用いて、日本人の集団的記憶を喚起させ、ノスタルジックな世界観を創りだすというルポタージュを延長させた先に芸術性を創造するものであった。 その本質はロラン・バルトが使った 『それは=かつて=あった』ロラン・バルト「明るい部屋」1985, p94 ということに基づく厳然たるリアルである。写真の純粋性は「リアルであること」つまり映し出されたイメージ、そのモチーフが「かつて・あった」リアルな存在であるということであり、ジェフ・ウォールがいうところの「対象=物体」であることだ。これが写真のモダニズムのである。これは何が写っているのか?ということそのものが作品における主題であり、作品のもっとも重要なファクターであることを意味している。 2017年《demain 2017》の作品展と同時に出版された同名の写真集『demain』(冬青社 2017)はその写真集の造り(造形)とともに素晴らしい展示であった。ただ、当時の筆者は写真集の造り以上にはこの作品群の何を素晴らしいとするのかを分析する言葉を持ち得てはいなかった。 とにかく「何か」に強く惹かれると思ったのだった。 2018年《2Bとマンデリンーそして僕はこの町を離れるー》の展示を観た時にその「何か」に気がつくことになった。 それは写真の表象を創るテクニックやテクノロジーの違��、もしくは何が写っているのかという眼差しの先ではなく、作品として扱う主題が「場所」から「時間」へと移行していることによる芸術性の移行であった。 《prana》までの作品の中で「ノスタルジーという時間への感覚」を取り扱ってきた渡部さんは作品のアップデートの繰り返しの中、写真のもつ「時間の概念」を素材とし「はじまりも、終わりもない」循環する時間の世界観、「時間の輪」を作品として創り出すことへと到達していた。 それは、極端な言い方をすれば、何が写っているのか、つまり「対象=物体」ということから明らかに離脱しているのだ。作品として扱うものが「場所」から「時間」になったということが何を示すのかは《demain》において明確に現れる。《demain》ではフランスの文化人類学者・クロード・レヴィ=ストロースが著書 『野生の思考』(1962年)で用いた「ブリコーラジュ」という考え方を作品に取り入れることにより「はじまりも、終わりもない」世界観を構築している。ここに、モダニズム的な考え方から、ポスト・モダニズム的への芸術的な思考のシフトが見られる。 今回の展示に関しての取材の中、ご自身の新聞社でのかつての仕事と比較する形で 「作品づくりとしては、役に立たない写真を撮ろうと思っている」 と渡部さんと話されたが、これは決して自虐的な意味を持った表現ではない。「芸術表現」が何であるかを渡部さんなりの芸術観を示した言葉であり、芸術が何であるのかを捉え、自覚的な思考のシフトを行っていない人からは出てこない言葉だ。 《2Bとマンデリンーそして僕はこの町を離れるー》の展示時には渡部さんとつながりの強い江古田の持つ場所性に再び表に戻ってしまうのではないかと思われたが、この展示も見事に「(事情により江古田を離れるという)終わりのある現実」とは違う「はじまりも、終わりもない」芸術的な作品の世界観を創り出していた。 事情を知らない初見の人にとってはまさに時間の輪の中に閉じ込められた感覚を覚えるであろう展示となっていた。 今回の《In and OUT》は電車の車窓からのイメージによって構成されている。 生まれ育った土地である米沢を撮りに行くという話だけは事前にうかがっていたこともあり、今回はどんな作品になるのだろうかと思っていた筆者としては、またやられたと感じる芸術的な世界観の構築であった。 「生まれ育った土地である米沢を撮りに行く」ということを「場所の持つ過去という時間性を撮りに行く」という考え方から見事にシフトさせた作品だと考える。 《In and OUT》は「今の生活のある東京(現在)」「生まれ育った土地である米沢(過去)」という二つの時間性を持つ場所を繋ぐ現在でも過去でもない「いま・ここから」というベクトルを撮ったのだ。 運動性を持った車窓からの眺めは「過去」か「現在」かのどちらかの場所へ向かっている(もしくは離れていっている)が、それはイメージからは容易には判断できないし、それ自体にそれほどの意味を持つものではない。「時間のもつ運動性のベクトル」を線路の上を走る電車、もしくはそれに乗る自分自身をメタファーとして表現しているとも捉えることができる。 当然に渡部さんご自身の「過去」と「現在」の行き来を表してはいると思われるが、写真というメディアの持つ目の前の今、現在���過去としてイメージに残す特性そのものを時間を行き来する様として《In and OUT》(出たり、入ったり)として表現しているとも考えられる。 渡部さんの一連の過去の作品も含めた主題として扱われる「場所(空間)」と「時間」について、ドイツの現代哲学者カントは経験的認識に先立つ「アプリオリ(先天的、自明的)」な認識や概念であるとしている。つまり、ここは解明せずに大前提として置いておくという考え方だ。 渡部さんは西洋的な考え方では横にいったん置いておくこの二つの概念に対して東洋的に特に日本人的な感覚を持って積極的にアプローチをし、作品の中でそれを素材として扱い、世界観を構築する。 今回も、イメージとして表現された「時間の輪」の中で彷徨う心地よさを感じられる展示である。 「IN and OUT」の展示は今週末までとなっている。 足を運んでみては。
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「サイケな関係」 青山蜂23周年共同企画
2018/11/22 Thu 18:00-23:50 at 青山蜂
Ent:2000yen
Discount:1500yen(フライヤーもしくはこのページを当日提示)
Student:1000yen (学生証当日提示)
会場・協力:青山蜂(2,3,4階)
Talk:成浩一、清野栄一、毛利嘉孝
DJ:SEI(bar bonobo)、Country Tamura、Toyoshi MEN、清野栄一
人類応援ドリンクインスタレーション:DAYDREAM THEATER
DJ/ミュージシャンコーディネーター(2nd-3rd floors):清水朗樹
フライヤーイラスト:岡田成生
フライヤーデザイン:村尾雄太
助成:武藤舞東京藝術大学音楽環境創造教育研究助成金
キュレーター:宮内芽依
「サイケな関係」
このパーティーは、自分自身と他者と、そして社会との「サイケデリックな関係性」を考えるために開かれる。トークのゲストは、成浩一氏、清野栄一氏、毛利嘉孝氏の三名。「サイケデリックとパーティーという場」について考えてみたい。この場は、私たちの身体や時間を消耗し流れゆくだけのものなのか。それとも、今の社会や未来に対して応答しているものなのか。DJは、〈物語〉を丁寧に作り上げていく「私」選曲家Country Tamura。さらにパフォーマーToyoshi MENを迎えたライブで当日の夜を盛り上げる。
Concept:
「サイケデリック」とは、個人的で物語性のある旅をミクロでマクロな規模でトリップすることだ。それは1960年代以降、私たちの日々の生活の中にテレビや映画、そして音楽を通じてあらゆるところに散りばめられた暗号のようだ―己のプリミティブな身体がどこかで「見つけ出してくれ」と沈黙な叫びを響かせているかのように。
今日の私たちが生きる社会で「サイケデリック」であることは、どういった意味を持つのだろうか。日々、膨大な量の情報に晒され儀礼化された「正解」を求め、イエスとノーの選択が迫られる。けれども、その先にあるのは正解か不正解か誰もわからない。フラットな形態の社会と私を、より立体的に、そして有機的な眼差しを向けるきっかけが「サイケデリック」なのかもしれない。そしてそこに希望を見出すのは自分自身の中の、そして他者や社会との対話でありネゴシエーションだ。
Talk:
【成浩一】
クラ��bar bonobo(原宿)オーナー/DJ。1990年代ニューヨークにてノイズバンド「のいづんずり」にてギタリストとして活動。帰国後2005年にbar bonoboをオープン。
【清野栄一】
作家/DJ。二十代前半から世界各地を旅しながら、小説、旅行記、ルポタージュなどを執筆。「ロード・ノヴェル」と名付ける。DJとしても活躍し”balearicsunrise-free style free party”をオーガナイズ。DJSEINO/S.E.O./SEINOISEとして国内外でプレイする傍ら、自らのユニット”BALESoUNd”を率いてライヴを行う。1995年「デッドエンド・スカイ」で第八十一回文學界新人賞。著書に『デッドエンド・スカイ』(河出書房新車)、『RAVE TRAVELLER - 踊る旅人』(写真家GeoffJohnsonとのコラボレーション/太田出版)、『地の果てのダンス』(同/メディアワークス)、『レイヴ力 Rave of life』(鶴見済他との対談集/筑摩書房)、『INTERVIEW』(ネオ・ファクトリー)、『ブラウン・バニー』(同名映画のノベライズ/河出書房新社)など。
【毛利嘉孝】
社会学者。東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授。専攻は社会学、文化研究、メディア論。著書に『文化=政治ーグローバリゼーション時代の空間叛乱』(月曜者、2003年)、『ポピュラー音楽と資本主義』(せりか書房、2007年)、『はじめてのDiYーなんでもお金で買えると思うなよ!』(ブルース・インターアクションズ、2008年)、『ストリートの思想ー転換期としての1990年代』(日本放送出版協会 NHKブックス、2009年)など。
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#Repost @hatchuck with @make_repost ・・・ ボー様編アップ致しました。スチャダラとソウルセットの関係性は僕らヘッズにとって特別としか言いようがなく、BOSEさんのコメントにいちいちグッときてしまいました。大好きなスリーワンレングスも登場し、BOSEさんとのやり取り中に笑い死ぬかと思いました😂 BOSEさん、どうもありがとうございました🙌 Posted @t1ss_official ・ 『JIVE MY REVOLVER』 from 「TRIPLE BARREL」 EDDR-10002 '95 ・・ 「1994年頃はソウルセットもスチャダラも忙しくなってきて、下北沢ZOOでイベントをやっていた時みたいにヒマな時間をダラダラ共有しているような余裕もなく、締め切りに追われながらそれぞれレコーディングに没頭していた時期だと思う。 ライバルってことでもないんだけど、ソウルセットがカッコいい曲作ったから、こっちはもっとオモロい曲作ったる!みたいな気持ちはあって、頻繁に会って遊ぶかわなべくんにも、手の内は見せないでこっそり制作を進めてるって感じだった。 どのタイミングで気づいたか忘れたけど、このソウルセットの「JIVE MY REVOLVER」と、自分達の作った「5th WHEEL 2 the COACH」のイントロが全く同じだということが発覚した時はマジでビックリした。2つのグループを好きなファンの人がいたら、仲が良いからわざとやったんだろうと思うかも知れないけど、これ、本当に、偶然のシンクロニシティで、別の場所でお互い一生懸命やってたら、完全に同じ気持ちになってたやつ、なんです。笑 ソウルセットの方は、「なんだか分からないけど劇的なことが起こりそうな予感」が続くイントロで、スチャダラの方はナオヒロックの「ヨーメン!ナインティファイブフレイバーメン!」というバカげた雄叫びから始まるイントロという、グループの特性による差はあれど、始まり方がほとんど同じ曲が、示し合わせた訳でもなく、同じ時期に産まれたというのは、本人たちにとっても不思議でしょうがない事実なのでした。 ともかくこの曲は、ソウルセットのカッコよさ、ユニークさ、色んな魅力が合わさって出来上がった、ひとつの完成形だと思う。かわなべひろし特有の長めなイントロ、トシミくんの独特のメロディ、ビッケの文学的な歌詞。サビに繋がる部分の「なんの役にもたちはし(バキューン)」という馬鹿馬鹿しくも劇的な仕掛けのところは、何回聴いても、大笑いしながら「うぉーーーっ!」と叫んでしまうぐらい、好き。 ・・・ Bose(スチャダラパー) 1969年岡山産まれ。桑沢デザイン研究所卒。職業はラッパーなど。NHKドラマ「今朝の秋」を書いた頃の山田太一と同い年の53歳。 *「古い写真から探してたら、ソウルセットの3人が並んでアルバムに収まっていた。スチャダラ3人のは同じ頃にアルバムの宣伝で何かのラジオに出た時。他の写真はシンコ25歳の誕生日に、スチャダラ、ソウルセット、スリーワンレングス他のメンバーで、バスを借りてディズニーランドに行った時のもの。ナマロイはこの頃から40代後半の雰囲気あったな笑」 ・・・・ *当シリーズは、思い入れのあるT1SS楽曲とその曲にまつわるエピソードをヒアリングする超接触型ルポタージ���。 #シリーズ現場を振り返るいまvol.10 #LittleBirdNation #スチャダラパー #Bose #sdp https://www.instagram.com/p/CexgTyNrbLN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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* 令和4年4月の獲モノ借りモノ🌸 暑かったり寒かったり、変動の四月。 相応に、買ったり借りたり。記録忘。 ってことで、現状ハイライトを✏️ 永野チャンネルにまんまと触発されて、 棚から引っ張り出してきたU2のベストたち。 『Joshua Tree』ヒットの頃が洋楽囚われ期真っ只中の自分にとって、U2は孤高の優等生だった。地味でモノクローム。すでに老成していた。暗闇に揺れるオールバックのボノ。「with or …」PVは謎に印象的だった。 それだけに、ビカビカの不良中年ロッカーに蘇生した90年代のU2には心底驚いたし、笑えた。シリアスの肩の重荷が、まるで無かったかのように派手でシニカルで。 そんなことを想い出しつつ聴くと、後期ベストは軽やかで楽しい。もちろん口ずさめるのは前期。 いやはや、偉大なんだなやっぱ。 桜庭女史の最新作は、随分と騒ついてるようで、早く読みたくなった。ということで。 自身のルポタージュ。だけに、これまでの作風とはまた一線を画す。東京と地方とコロナと。今読むべき、今の読み物と承知した。 まだ数頁なのに、スピーディーでスリリング。 2枚目は、運動しなきゃ対策の、 気分をあげるためのNewtype👟 年甲斐もなく派手に。 足が軽くなる。キモチ。 気恥ずかしさから、次項となりました。 カッコいいす。ニューバランス。 #ザベストオブ #U2 #桜庭一樹 #少女を埋める #文学界 #newbalance #ml373 #獲モノと借りモノ https://www.instagram.com/p/Cc2yjsnpJ6e/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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『Because I am a Girl』
世界各国の"女性"という事を原因に虐げられている人達。そのような人々を救おうとするプランというNGO団体がある。この団体の活動に賛同した��国の作家達のルポタージュや、小説として途上国の実態を書いたもの、それら��まとめた作品。
途上国では男尊女卑の文化が根強く、ある国では女性の性器を切り落とす儀式があるという。衝撃だった。これを前書きとして本書の翻訳を担当した角田光代さんが綴っている。タイトルから穏やかではなさそうだと察してはいたが、序盤からアッパーを喰らった気持ちになった。
男女雇用機会均等法が成立されたのは1972年。日本は戦後しばらくしてから男尊女卑文化を見直し、そして現在に至る。現在も育児休暇や給与格差など問題はクリアにはなってはおらず、試行錯誤中なものの、対等に扱われようとする姿勢は感じる。そう感じるのも、一重にこの本を読んだからかもしれない。現在の日本は、女性の社会進出の真っ最中という、歴史的に重要な転換点にいるんだと実感せざるを得なかった。
本書で扱われる途上国では、女性は充分な教育を受けられず性的に搾取され、子供を産み学校を辞め、貧しい暮らしをおくるもそれから抜け出す術がない、という負のループを繰り返している。
8歳の子供が売買させられていたり、食べ物がないから、成績を上げるから、という"手段"として性行為を強要させれている現状は、同じ時代を生きている者として受け入れ難かった。宗教のせいで避妊が許されない場合も多い。宗教って、何のためにあるんだろう。心の拠り所じゃないのか。何なんだ。住む場所が違うだけで、こんなにも女性の扱われ方が違うのかと。もし自分がその国に生まれていたら、どうなっていたんだろうか。考えたくなかった。
他の国の信じがたい現状を知り憤っていたが、別にこれは異国だけの問題ではないと思い直した。日本でも性被害は少なくはなく、性別によって搾取されるものがあるし、更に性別の問題でいえば女性に限った話ではない。
私もいち女性であるので、性別で役割を判断された経験は何度もある。SNSでは日常に潜む突然の恐怖、いつ被害者になるかも分からないと自身の経験を投稿している人もいて、平和ボケしていられない状況だ。
知らないという事は、知らぬが仏と言うように幸せな面もあるが、一方で知っていたほうが良いのに知らされていないという不都合な場合もある。それが明きらかになったときの心理状態は想像に易い。
本書でも、教育を受けていなかったために苦しい現状を仕方がない事だ、と受け入れるしかない女性が沢山いる事を知った。教育を受けることで現状の歪さを知り、怒り、声を挙げる事が出来る。それが増えれば増えるだけ大きい声になり社会が動かざるを得ない。日本もこうして変わっていったんだろうと想像��た。
日本がそうであるように、男女平等というのは法律で決まったとしても実際に平等に扱われるようになるまでは長い道のりだ。各国それぞれの根付いた文化や宗教もある。それらを加味しても「これっておかしいよね?」と気づけるように、比較できるものを学んだり、思考の元となる知識を蓄える環境が世界各国男女問わず必要なのだと感じた。
こうして思うだけは誰にでもできるが、実際私には遠い国の人のためや、同じ国の悩む人に何が出来るだろうかと考える。身近に出来るのは募金だ。これはもう団体を信じるしかない。それと、学ぶ事だなと感じた。仕事柄そう思う気持ちもあるが、知識を増やそう、知恵を貸せるようになりたいと素直に思った。
2021.12.5
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愛情編- 『50歳からの孤独と結婚』(金澤匠/フリーライター) 人生は一度きり。 - マイベストプロ
この著書は、増加傾向にある熟年結婚の現状を綴ったルポタージュであり、冒頭の名セリフは婚活中の57歳女性によるものです。 金澤匠氏によれば、1年間に50歳 ...
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あの日から10年
1986年 チェルノブイリの事故の年”日本一の原発ルポタージュ”
日本の安全神話の崩壊
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【読書:東京のヤミ市】 --- あるべきところにあるべきものがない敗戦直後の生活の中で、テキ屋のつくったヤミ市は、それ自身が法とはどこかで対決せざるを得ない運命を背負っていた。 1940年代末、庶民の生活が少し落ち着きを取り戻し、物が市場に出回るようになると、ヤミ市は消えていかなければならない。そして、それが消えていく先には、1950年6月の朝鮮戦争が待っていた。 松平 誠 著 「東京のヤミ市」より抜粋。 --- 不思議なもので、かつて「ヤミ市」だった場所にはいくら時間が経っても拭いきれない泥臭さと胡散臭さが漂う。 私は天邪鬼のせいか世の中のスマート化とクール化に逆行するように、そうした街に何故か惹かれる。 その日も怪しさと小洒落た感が入り混じった伊勢崎町モール内を歩き、老舗の古本屋に入った。 するとヤミ市フェアーだったのか、単なる偶然なのか、前回紹介した「東京の異界 渋谷円山町」と本書「東京のヤミ市」が並ん売られていた。 私は両方購入し、伊勢崎モールから黄金町にある創業40年の老舗喫茶店「TAKEYA」まで歩き、店に入った。 店内は全体的に煤けて薄暗く、年老いた二匹の雌猫がカウンターの上を自由に歩き回っている。 この辺が危険地帯だった時の面影を残す喫茶店のカウンター席に私は腰掛け、古本屋でもらった白いビニール袋から本書を取り出して、ページを開いた。 本書ではヤミ市が誕生した1945年から、物資が市場に安定供給されるようになってヤミ市が衰退し始める1950年までの様子を歴史、建築、人物、カストリやヤミ市で出される寿司やフランス料理などのレシピ、ヤミ市を支えるインフラ、娯楽など様々な角度から詳しく調べ、そこで生活する人々の目線で描かれている。当時を知る調査書として、またルポタージュとしても読むことができる内容だ。 そもそもこの「闇(ヤミ)市」とは、焼け野原と瓦礫の山となった戦後の東京で駅前や強制疎開地域をテキ屋達が勝手に陣取り、千葉や埼玉の農村や漁村から買い付けた農産物や海産物をゴザの上に並べて始まった、青空市場である。 戦後の統制経済の時代。生活物資は政府が定めた公定価格で売り買いされていた。 だが、多くの生産者は、公定よりも高く買ってくれるブローカーに卸していた。 農家ばかりでなく、この前まで国のために奉公していた軍人や軍需工場で働く工員らも、倉庫に眠る物資を横流していたのだから市場になどで回るわけがない。 そんな訳で公定(マルコウ)の物資は需要に対して品数、量とも圧倒的に足りなかった。 一般の市場に流れない商品はすべて「闇(ヤミ)」と言われ、それらは官憲の目を逃れる運び屋によって新宿、渋谷、新橋、有楽町、上野、池袋駅前の青空市場「ヤミ市」へと運ばれ、法外な値段で売られていた。やってる事は今の転売と同じだ。 ヤミ市には、食料品、衣料品、日用雑貨、電気機器、酒などの生活物資の他、麻薬や拳銃などのキナ臭いもの、軍人の勲章や紫綬褒章などの国から与えられた勲章まで売られていた。 誰もが、なりふり構わず、売れるものはなんでも売って、今日を生きるための糧を手に入れ、生き延びようと躍起になっていた。 やがて社会が安定し市場に商品が安定供給されるようになると、生活を支えていたヤミ市は徐々にその役目を失い、半グレ化して煙たがられる存在となった。 朝鮮戦争が始まり、笠置シヅ子の「買い物ブギー」が発売された1950年6月以降になると殆どの「ヤミ市」は強制的に解体された。 「ヤミ市」には、なりふり構わず、必死に生き抜こうとする醜悪な力が満ちていた。その力が私を惹きつけるのかもしれない。 生きるために醜悪さを全肯定して立ち上がったのが「ヤミ市」だ。 不安の中で人々がなりふり構わず生きようとする様を「梅崎春生」は短編小説「蜆」のなかで以下のように語っている。 --- 日本は敗れたんだ。こんな狭い地帯にこんな沢山の人が生きなければならない。 リュックの蜆だ。満員電車だ。日本人の幸福の総量は極限されてんだ。 一人が幸福になれば、その量だけ誰かが不幸になっているのだ。 ちょうどおっさんが落ちたために残った俺たちにゆとりができたようなものだ。 俺たちは自分の幸福を願うより、他人の不幸を願うべきなのだ。ありもしない幸福を探すより、先ず身近な人を不幸に突き落とすのだ。 俺たちが生物である以上生き抜くことが最高のことで、そのほかの思念は感傷なのだ。 ボタンを握った屍体と、啼く蜆と、舌足らずの女房と、この俺と、それは醜悪な構図だ。 醜悪だけれども俺は此処で生きていこう。 梅崎春生「蜆」より抜粋。 --- そこには生き抜くことだけを最上とした、ヤミ市で生きる人々の醜悪な姿がある。 その姿は醜くも逞しく、美しい。 #ヤミ市 #東京のヤミ市 #bookstagram #ブックスタグラム https://www.instagram.com/p/CLq2J5fjl9_/?igshid=x5o6m5wwro18
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青木弘「HEAL AFRICA」は何を示したのか?
先日、ギャラリー冬青で写真家の青木弘さんと作品について話をした。 去年から今年にかけて良く青木さんとはお話をする機会があったのだが、実は写真集を含めてしっかりと作品を拝見するのははじめてであった。 理由は簡単なことで、僕がジャーナリズム的な「ドキュメンタリー」が得意ではなく、勝手に少し苦手なのではないか?と思ってしまっていたからであった。 今回言いたいことは「ドキュメンタリー」と言ってしまうとそれで鑑賞者としては思考が停止して、終わってしまうのだなという経験をしたということ。 青木さんという人物はかなりかっこよく、とても明るく、人間味溢れる方で、僕は同世代といこともあって勝手に好印象を受けている。 しかし、作品は内戦つづくアフリカ諸国へ身を投じてそのことへ目を向けて撮影をしてきている。 そのこと自体とてもマネのできる話ではなく、すごいことをやっているな…とは思いつつもどうしても作品とは向かい合いにくいと思っていた。 22日(今日)に京都写真美術館でギャラリー冬青の高橋社長とトークショーをするその打ち合わせとしてギャラリーにいらっしゃっていた。 僕は少しやらなきゃいけないことがあったので、その話を少し耳にはさみながら自分の作業を進めていた。 話は新しい作品「Conflict Diamonds」についてであった。 トークショーの打ち合わせの内容が話半分で聞いていたせいで、全てが理解に達しなかったことも僕の興味を誘い、青木さんの作品と向き合いながら、手にとってページをめくりはじめた。 写真集「HEAL AFRICA」は中央から東側のアフリカ諸国を撮影してきた写真によって構成された写真集。 「ドキュメンタリー」という言葉と「内戦のアフリカ諸国」というふたつのキーワードは僕の脳内にある程度の勝手なイメージを膨らませる。 貧しく、悲惨で、目を背けたくなる 理解したふりをして対岸に立っていたくなるイメージが自分の中で溢れ出てきた。ある意味での良質なドキュメンタリー(フォトジャーナリズム)というのはたしかにそういうものだという固定概念からだろう。 しかし、一通り写真集を観てそいういう思いを少しは感じたがそれほどでもなかったのだ。 残ったのは不思議な「違和感」。 この違和感がどこからくるのだろう?ということを知りたくなるのは対話型鑑賞術を1年通してやってきたことからかもしれない。 ご本人も目の前にいるし、話を伺った。 フォトジャーナリズムを志した青木さんはロンドン��語学留学し、そこから直接パレスチナへ向かったということ。 そこで2003年のイラク戦争が起きる。 ある意味で、ジャーナリズムの最前線だ。 しかし、そこで青木さんは自分自身のやっていることに違和感を感じたそうだ。 意外とシステマチックでコントロールされたある意味での欧米主導のフォトジャーナリズム。 日本人である。日本人らしいジャーナリズムということはそこでは不利に働くだけであったらしい。 そして、2006年から自身の軸足をフォトジャーナリズムとしてあまり目を向けられなくなったアフリカへと移すこととなったという。 アフリカは無秩序で危険で、そこには欧米主導でコントロールされたシステムがそこにはなかった。 欧米の得にはならず、お金にならないからフォトジャーナリズムは目を向けないのだ。 しかし、青木さんはそこで自分自身が本来やりたいと思っていた取材ができるようになったという。 自分自身が日本人だと強く意識をしながら取材が進められたという。 このあたりまで話を聞いて、わかったようなわからないような気持ちに陥った。 「ドキュメンタリー」という言葉にひきづられた僕の中の固定概念にあまり当てはまらない…つまり作品をどう理解して良いのか?がますますわからなくなったのだった。 もしかしてこれは「ドキュメンタリー」じゃないのか? ふたたび頭からページをめくる。 いくつかのことに今度はポジティブな印象を受け始める。 作品が「貧しく、悲惨で、目を背けたくなるアフリカ」がもっとも表現しいという作品でないことが少しずつわかってきたのだ。 怒られても仕方ないという覚悟でご本人に聞いてみた。 「アフリカ」である必要があったのでしょうか?と この作品は「アフリカ」を通しているだけで、フォトジャーナリズムにありがちな変な「使命感」のようなものに突き動かされた感じを受けないと。 「良くそのことに!」という話になりますます話は盛り上がった。 僕はどうもドキュメンタリーというものを誤解していたようだ。 ありのままの世界を切り取ってくるのがドキュメンタリーであると思い込んでいた。 この話のあと、はずかしくなってドキュメンタリー写真について勉強し直した。 フォトジャーナリズムも当然にドキュメンタリーのひとつではあるが、それは雑誌や新聞などに編集を任せたもので作家の仕事ではない。 つまり写真家がコントロールした作品ではない。 青木さんは<作家(オトゥール)>としての写真家であるのだろう。 これは「編集者が語る物語」ではなく「写真家が語る物語」なのだ。 ドキュメンタリー写真(作品)は常にある視点を持っているのだ。 そして、ー 過程、出来事、状態 ーというイメージの連鎖によって短い物語を作り出すのだ。 つまり、青木さんの作り出した物語が伝えてくることはアフリカの悲惨さや貧しさではないのだ。 印象的な1枚のイメージの中に青木さん本人を見つけた。 その1枚をきっかけに話は進展する。 「HEAL AFRICA」の中の多くの写真に見られる傾向はその悲惨さや貧しさを象徴したものではなく、こちらを見ている「視線」だ。 中東で感じた青木さんの違和感はシステムの中で自分自身の「見てやろう」と世界を削り取るように向けた本人の視線にであったのではないか?と話を聞いていて思った。 世界を「見る」ということは世界からも「見られる」ということなのだ。 写真の中の「視線」からそこには「青木弘」という写真家が浮かび上がってくる。 どう見られているのかということから、当時の「不確かな青木さんご自身」を表現した作品である��さえ思える。 青木さんの作品は主観的で自分自身を現場から距離をとった対岸に置いてはいない。常に「見られている」ということを意識し、そのことで世界を見せてくれる。 相手からむけられた視線という「出来事」とそこへ近く「過程」から青木さんが見て感じてきた、見られているという「体験」をイメージの中に遺す。 とても主観的なドキュメンタリーで良質なルポタージュだ。 アフリカのドキュメンタリーだから「ドキュメンタリー=フォトジャーナリズム」という考えをいったん置いておくことで、その面白さは加速する。 アフリカである必要があったのか?と感じたことから聞いた「もう一度中東に行ってみる気持ちはないんですか?」という質問をもう一度してみた。 「アフリカにこだわってるかなら…」と最初は言っていたが長い時間話をしたことで僕の感じたことが伝わったようで少し答えが違っていた。 「また行きたい気持ちに少しなった」と。 アフリカでご自身のスタイルが確立した今の青木さんならば、場所はどこであってもシステムに流されて暴力的で一方的に視線を向け「見て来てやる」とはもうならないだろうと思う。 どこで撮ったとしてもそこに写真家青木弘がどう関わったのか?ということをイメージに痕跡として遺すのだろう。 危険が伴う仕事なので、中東行って来てくださいよ!とは気軽には言えない。でも、それを観てみたいと思った。 世界をどう見ているのか?そして、僕らは世界からどう見られているのか? 青木さんの作品は鑑賞者に理解したふりをして対岸に立ってはいられなくさせる。 ご本人は古いスタイルと言われますと笑っていたが、 かつてブレッソンが示してきたようにこれが本質的にドキュメンタリーということなのだろうと思う。 現在、京都写真美術館 展示スペース ギャラリー・ジャパネスクで青木さんはKYOTOGRAPHIEの関連展示KG+として展示をしている。 そして、今日トークショーもある。 僕のブログよりもご本人に話を聞いた方がずっと面白いかと思う。 近くにいる方は是非。 4月22日(日)14:00-15:00 青木 弘×高橋国博(冬青社/ギャラリー冬青) 青木弘 写真展「Conflict Diamonds」 2018.04.17(tue) ~ 04.29(sun) 京都写真美術館 展示スペース ギャラリー・ジャパネスク
http://www.artisan-tokyo.com/wp/news/conflict-diamonds
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