#ミヒャエル・エンデ
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三つの鏡-ミヒャエル・エンデとの対話 ミヒャエル・エンデ、井上ひさし・安野光雅・河合隼雄 朝日新聞社 装丁=安野光雅
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その名の意味は、と問う者があれば、インディカヴィアはこう答えるのが常だった。道しるべとは、それだけでは一片の板であり、値打ちもない。雨風にさらされ、朽ちているかもしれない。道しるべはそこに書かれたことを自分では読めず、読めたとしても、何かわからないだろう。それに、道しるべはそれが指ししめすところへ決して自分では行けない。それどころか、道しるべの意義とは、それが立つところに留まることにあるのだ。それはどこでもいい。ただ一箇所をのぞけばどこだって適所なのだ。その例外とは、それが指ししめすところである。そして、道しるべはそれが指ししめすところに立たないからこそ、そこへ通じる道をさがす人々の役に立つのだと。
ミヒャエル・エンデ.“道しるべの伝説”.『自由の牢獄』.田村都志夫.岩波書店,2007年,p.272
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✍モモ/ミヒャエル・エンデ
可愛らしい世界観だけどかなり鋭い。これは確かに過去のことでもあり未来のことでもあり現在のことでもある。気持ちに余裕がないとどんどん心が貧しくなっていくね。毎日(良い一日だった!おやすみ!)の精神で眠りにつきたいね。休日に昼寝ばっかしてても、配偶者と明日には忘れてるであろうくだらないことをああだこうだ話すのも、私にとっては大事な時間の使い方。
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この瞬間、バスチアンの受けた衝撃は大きかった。何かを望んで、それがとうていかなえられない望みであるとわかっているうちは、おそらく何年でも、自分がそれを望んでいると固く信じている。ところが突如、その夢の望みが現実にかなえられそうになると、ただもうあんなことを望まなければよかったと思うものだ。バスチアンの場合がそれだった。
事が仮借ない真剣みをおびてきた今、バスチアンはできることなら逃げだしてしまいたかった。だが、もう逃げだせなかった。
──ミヒャエル・エンデ作、上田真而子・佐藤真理子訳『はてしない物語』(1982、岩波書店)
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実家の小さな庭に出て煙草を一本吸い、それから庭や玄関の植物に水をやる。やり方が完全に合ってるかどうかわからない。けど多分あってるであろうやり方で水をやった。ここの描写にこんなに文字数を使う必要は正直言ってない。
玄関に出る前は台所で焼飯を作って食べる。
にんにく、玉ねぎ、人参、豚バラ、塩、塩こしょう、黒こしょう、醤油、キャノーラ油、ラー油、昨日か一昨日使った青ねぎの残り、冷蔵庫の刻みねぎ、胡麻。
庭の家の土台の通気孔的な空間に蜜蜂が巣を作っているらしくかなりの数の蜜蜂が窓の辺りに飛び交っていてやや異様な光景。駆除、と一瞬考えたけれど群をなしているのは危険な害虫などではなく蜜蜂な訳だし放っておいてもいいと考える。人間同士の共存や非戦を類推する。
狭い敷地で、学生生活を送るには恥ずかしく思ったりしたのだけれど、ミニマルな目線で見ると植物や虫、地面など何というか広い世界、情報量の多い庭世界、とは言えど、町内や校区から眺めてみて狭い敷地の小さくて外観のボロい家という客観的事実は変わらず書き手を憂鬱にさせる。小さい家と尊大な父親と気力を欠いて反抗心の乏しい息子。繰り返し書いているのだが別の街での大学生活を終え実家に帰省している。
部屋に戻り木村カエラの武道館ライブの続きを観る前にこの文章を書いている。PCのSpotifyから自分の選んだハイセンスな音楽を流しながら。今流れているのは電化マイルス。ブラック・ミュージックを聞くのがハイセンスというのはしかしどういう算段なんだろうか、でも実際お洒落であるし、音楽的に栄養価が高い感じがする。自分と同世代やちょっと上の世代のユースがはまっていたヒップ・ホップもやはり黒人音楽であって、今こうやって電化マイルスを聞きまくってい��自分の現況への伏線であった。
注いで時間の少し経った緑茶(ペットボトル)はマズい。ちゃんと味が劣化する。当たり前だけどそういうのちゃんと認識すべきだ。気付かない時が自分は時々ある。注いでから少し時間が経った緑茶(ペットボトル)はマズい。しっかりと味が劣化するのだ。飲まないでおこう。認識せねばならない。
文字を書いたり読んだりする時だけに訪れる感覚の変化、推移。人間、じっくり文字を書いたり読んだりしない局面も時にはある。この現代社会。じっくり文字を書いたり読んだりしない局面も時にはあるのである。
庭の、敷地狭いながらも情報量の多いミニマルな庭世界。植物、虫、地面、それから台所で自分が料理し、胃袋に投げ込んだ食材・調味料たち。調理器具類。水、ガス、空調。親の労働とサラリー。この家や庭の外側の世界で行われる労働の賜物。図鑑。水道を作ったりガスを家庭に引いてきたり、エアコンを開発、改良したり、食材を発見したり狩ったり飼ったり屠ったり、出荷したり、運送したり、流通させたり、スーパーで売ったり、僕この手の話苦手なんすよね(^_^;)
虫を図鑑まで移送したり、植物の中で食べられるものを育て、育て方を改良し、刈り取り、出荷し、運送し、流通させ、スーパーで売る。
食べられない植物も一応図鑑に移送する。
肉や植物の料理の仕方を発明し、改良する。
水やガスを家庭まで引いてきて、改良する。
調味料を発見し、交易し、生産・流通・販売・購入・消費する。
庭の地面は砂漠やカリフォルニアみたいに乾いていて、もしここを耕そうという気持ちで庭の地面を見てみたとしたならば、かなりがっかりしただろうと思う。この乾いた地面、庭の乾いた地面がどこか別の遠くの場所の地面のアナロジーだとしたらという映画的論理の飛躍に映画鑑賞者的な興奮をしてしまう。
この庭の乾いた地面と同じく乾いたどこか遠い国の遠い場所の地面では今この時何が起こっているのだろう。そこに人間はいるんだろうか。
人間がいたとすれば、人間は、複数いるならば人間たちは何をやっているのだろうか。
今この瞬間にせよ、もう少し長い時間感覚で人間たちは、うちの庭みたいに乾いた地面の上で人間たちは今この瞬間、あるいはもう少し長い時間感覚でどのような営みを送っているのだろう。あるいは人間の性質ゆえに戦い、あるいは年齢や��別に基づく序列を形成したり、家族、町を作り、政治体系を形成し、暮らしているのかも知れない。自分はメシと庭の水やりを終えたのち自室に戻りSpotifyでハイセンスな音楽を再生し聞きながらこの文章を書いてます。ギャラは発生してない。趣味で自主的に文章を書いている。文学部にいたし、時々文章を読んだり書いたりするのが好きだから。ギャラは現時点では発生してないが村上春樹とかロッキンオンとか映画とかその他諸々ありがたい現代的な視点から見てありがたいイコンや話法を参考にし下敷きにして書いている文章なので、その文学的価値を認めて誰かギャラを払ってくれても良い。払ってもらえる場合は、ケチな額よりも派手な値段の方がいい。と自分は思う。
デカいマンションやテレビの中の芸能界、バブル景気や高度経済成長期の残骸が生んだ経済的な価値観。金はないよりある方がいい。ないならないで極限みたいな貧困状態でなければ別にいい。ブックオフでCD買っても、晩酌発泡酒でも、別にいい。とは言え少し気力が削がれる気がしなくもない。ブックオフでCD買うことや晩酌を発泡酒で済ますことが、自分の何かを騙している感じがしなくはない。
極限的な貧困状態でなければいいと書いたが、人間の本質は極限的な貧困状態にあるのかもと最近ちょっと思う。自分はお笑いや笑うこと自体が好きなんでよく笑っている。テレビや本や歌や映画や自分の頭の中とか。そうすると貧しさや弱さ、暗さから一時的に目を逸らすことができる。「お笑い」というのは笑うしかない、笑えないほどしんどく、タフで過酷な状況、笑いがないと、笑いでもないとやっていけない状況に対する救い、救援物資のようなものだと自分は考えている。偉そうに言わなくてもそうなのかも知れない。その辺自分は時々よくわからんでズレてしまう。昔、何かのお笑いの芸で初めて笑った時以来。タフな状況にいる人々のための救援物資。
極限的な貧困状態。将来設計。社会問題とそれを自分の問題としてしまう想像力。他者や社会の問題に使う想像力とは言わば免疫の低下であって、引きこもりには引きこもらせておき、いじめられっ子にはいじめられさせておき、援助交際、レ◯プ、セクハラなど女性に関するセックスの諸問題も放っておけば精神衛生はもっとずっと綺麗に保たれたままなのである。
極限的な貧困状態、将来設計、社会問題と精神衛生。企業ロゴ、テレビ的幸福、テレビ的コモンセンス。排除されるマイノリティ。天才テレビくんたち。マンション建設によって奪われる心の豊かさ的なお話。ヒューマン・ビヘイビア、ミヒャエル・エンデ、金八先生、カッコいい仕事とダサい仕事。映画。
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機械が仕事しているとき、いったい厳密に言うと何が仕事をしているのか?出資者の頭脳ではない。それは明らかだ。機械において仕事をしているのは、全人類が蓄積してきたテクノロジーに関する知恵だ。それは、僕たちみんなが共有している遺産なわけだから、僕たち皆に役立つべきである。
ミヒャエル・エンデ on Twitter: "機械が仕事しているとき、いったい厳密に言うと何が仕事をしているのか?出資者の頭脳ではない。それは明らかだ。機械において仕事をしているのは、全人類が蓄積してきたテクノロジーに関する知恵だ。それは、僕たちみんなが共有している遺産なわけだから、僕たち皆に役立つべきである。『オリーブ』" / Twitter
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see you 2024 𓂃 𓈒𓏸
皆さま、2025年が始まって2週間が経とうとしております。 年末年始はバタバタでマイベストを書く気力も無く⋯ ただ、これを書かないと俺の2025年は始まらねえ!と思ったので重い腰をついにあげました。簡単な感想です。
映画
・夜明けのすべて(2024年) 「3回に1回くらいなら助けられる」という言葉を心に留めながら生活してる ・僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ユアネクスト(2024年) ジュリオ・ガンディーニ!ジュリオ・ガンディーニ!ジュリオ・ガンディーニ!大事なことなので3回言いました。 ・劇場版ハイキュー‼ ゴミ捨て場の決戦(2024年) 孤爪研磨「面白いままでいてね」←怖すぎ ・きみの色(2024年) 水金地火木土天アーメン♪ ・ロボット・ドリームズ(2024年) Septemberを無限リピート ・ギヴン 海へ(2024年) 「1人でいっぱい考えたんだ。普通に、すごいよ」←泣いてしまう ・HAPPYEND(2024年) 緊急事態条項絶対反対… あらゆることは政治と地続きである
ドラマ
・燕は戻ってこない(2024年) 「心が叫んでる 踏み躙られるな 奪われるな 人並みになりたいんじゃない 私は私でありたい」 ここの台詞頷きすぎて首痛めた ・SHUT UP(2023年) 「許しちゃいけないことがある」「傷つけられた人が直接戦わなきゃいけないわけじゃないから」 こ��姿勢を大事にしていきたい
本
・ミヒャエル・エンデ『モモ』 新自由主義的な資本主義社会の象徴みたいな物語。大切な本になった。 ・アーシュラ・K・ル=グウィン『いまファンタジーにできること』 相変わらずの切れ味 ・あさのあつこ『NO.6』 今起こってる戦争や虐殺に通ずる物語だと思った。世界を切り離してはいけない ・永井玲衣『水中の哲学者たち』 考えよう。哲学しよう。 ・大森美佐『恋愛ってなんだろう?』 中学の時にこの本があれば良かった〜!いま読んでも新たな発見があった。
漫画
・ドンドン『夢で逢えたら覚悟して』(BL) マジで面白すぎるから全員読んでください! ・ダヨオ『最終電車の恋人たち』(BL) 「デモ行って帰りにうまいもん食ったりしよう!」 ダヨオ先生ありがとう!!! ・柴田文『スキップしたいな』(BL) 漫画読んでスキップしたくなったのは初めてです! ・ハトリアヤコ 『私たちのブルーアワー 上/下』 人との繋がり方/怒りとどう向き合っていくかという話をしていた。空気感が好きです。 ・スケラッコ『ここは鴨川ゲーム製作所(2)』 キャラクターの関係性が好きです。
舞台
・舞台「魔法使いの約束 エチュードシリーズ Part1」 ・舞台「魔法使いの約束 エチュードシリーズ Part2」 まほステを観に行けて良かった!エチュードシリーズ全部好きです。(part2の感想も書きたい…)コリンの歌声が忘れられません。何よりも特別な世界一のきみ… ・ミュージカル「NO.6」 配信で観ましたが、ネズミの「このまましゃがみこんで眠ってしまおうか?もう諦めて… 雨の匂い 外が近い 足が前に出る 肉体が抗う 一歩一歩一歩 困ったもんだ どうやら俺は生き延びたいらしい」という言葉と歌声が頭から離れません。 ・迷宮歌劇「美少年探偵団」 歌詞が面白い(「美ショータイム」「飛んで美にいる夏の虫」など) 演出もキャンプみがあって楽しめました。
音楽
ジャンルごちゃ混ぜだけど全部好きな曲!2025年もたくさんの曲に出会いたいです!
年初めから絶賛体調崩し中ですが、今年の目標は ・家計簿をちゃんとつける ・自分と相手のペースを理解する ・嫌でめんどくさい作業から始める でいこうと思います!
皆さま、今年もよろしくお願いします^^
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世界線と私
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年末なので昔の仲間と飲む機会が多くあります。昔からの仲間と飲むと、その当時の年齢に引き戻されて今の環境や立場を忘れることが出来ます。
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ただ問題なのは、その当時のように毎日顔を合わせるような環境では無いのと体力も確実に落ちているので、驚くほど泥酔してしまうことです。
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毎日楽しく仲良く過ごしていたのに今ではそれぞれの環境で過ごしている現実がありますが、ひょっとしたら今でも毎日一緒に過ごす世界線もあるのかなとも思ったりもします。
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そんな世界線に想いを馳せるのは一種のファンタジーですが、空想に耽る少年を題材にした映画と言えば「ネバーエンディング・ストーリー」。
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ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」が原作ということで有名ですね。エンデ作品で他にも有名なのは時間泥棒に立ち向かう少女の作品はこちらでした。
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というわけで本日のランチは #百 #串焼き百 です。インスタで見かけた焼き鳥丼が気になってやって来たのですが、12:05ですでに売り切れ。
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丁度左隣の人が頼んだ炭火焼きとり丼でラス1だったようです。それなら #カキフライ を食べたかったので #ミックスフライ にしました。
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湯呑みのフクロウが福来朗というのを見てなんだかほっこりした13分後にやって来ました。 #チキンカツ がメインのフライがいい感じです。
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まずはチキンを頂きます。カリカリのサクサクの食感のフライが美味しくって、ソースの甘さにもよくあっています。カキフライは半生で小さいけれどもしっかりと海の味。
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サクッとした後に押し寄せる波の数々にグッときます。甘めの卵焼きがお菓子のようで美味しいですね。白菜の漬物もタップリとあっていい味わい。
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ご飯は大盛りにしてなくても数々のフライと一緒に食べるのにふさわしい分量。葉野菜はドレッシングも美味しくていいですね。
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味噌汁もシンプルながらも、三つ葉の味わいなども感じられていいですね。相当早く行かないと頼めない焼き鳥丼が気になるので、また訪れたいと思います。
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#麹町ランチ #麹町グルメ #麹町フライ #麹町和食 #麹町定食 #麹町洋食 #四ツ谷ランチ #四ツ谷グルメ #四ツ谷フライ #四ツ谷和食 #四ツ谷定食 #四ツ谷洋食 #とa2cg
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2025.01.02
「何年生になったの?1年生?2年生?」と尋ねる彼女は、3日目にして、ようやく私が25歳だということがわかったようで、笑うしかないという表情で驚いていた。ついで、「私は何歳なんだい」と隣に座る母に聞き、96と告げられると、またそんな冗談をとでも言うように笑っていた。 不思議な世界なんだろうと思う。小学生だと思っていた女の子は、急に目の前で大人の女性に変身するし、穏やかに日々を過ごしていた自分は、いきなり100歳近い老人になってしまう。老いるとは、過去と未来が常に様変わりしながら、現在として立ち現れる世界に生きるということなのだろう。かつてもこの先もごちゃ混ぜになりながら、時空間はメタモルフォーゼし続ける。直線的な時間を生きる者からすれば、���気じゃいられないことだ。しかし本来的に世界は躍動し更新し続けているから、過去と現在と未来が混在した時空の中で生きるということは、世界の根源的な部分に近づいているのかもしれない。我々が忘れかけている世界のしくみを、彼女は今まさに体感しているのだ。
ミヒャエル・エンデの『モモ』では、一人ひとりの心の中に、時間が生まれる場所があるとされていた。振り子が揺れるたび、この世界で最も美しい花が咲き、枯れる。つぎの振り子が揺れると、また新しい花が咲き、枯れていく。簡単には辿り着けない所だ。9月、夢の中でK先生は、「静かな場所」の話をしてくれた。あの時と昨日をつなぐ場所だという。師はそれを「空」と言った。わからないけれど、確かに知っている気がした。あれからずっとそのことを考え続けている。 日々を生きていると、その断片に触れる瞬間があるように思う。はっきりと形は捉えられないけれど、なんとなくそれだと思う時がある。 彼女のことも、そうしたかけらの一つなのだろう。きっと彼女は「静かな場所」のことを知っていて、時間が生まれる場所にも行ったことがあるに違いない。だけど、彼女にそのことをぶつけてみても、きっと返事は返ってこないだろうから、細く骨ばった指先や、変わらず魔女のように高い鼻、淡い色をした瞳をただ、見つめていた。
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なんとなくミヒャエル・エンデのwikipedia項目見てたら、著作リストに「ゴッゴローリ伝説」なくてびっくりした 記憶違いかと思って検索しちゃった
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「少子高齢化問題って、そもそもはね?」(どうぶつしみんのぞうさんのおはなし)
高齢者が増えてるって言うけれどもさ、高齢者って、増えるもんなの?w
少子高齢化なんでしょ?
でもさ、高齢化って、ほっときゃ誰でも高齢化するでしょ、高齢化しない人なんていないでしょ?w
なに、その高齢化って言葉w
高齢化???高齢化って言葉の表現自体がおかしいんじゃないのかね?
英語を日本語に翻訳して海外からコピーして言っている日本国民というのは、だいたい言葉というものを根本的に理解していないし、履き違えた認識を大衆的に基本にしている民族になっているので、自分たちの用いる言語認識が既に狂っている事にも、もう誰も気づけないくらい、むしろそれとは逆に、言語を主体にした認識をしなくなってしまっているのではないだろうか?
元々、日本の人々は昔から言語に頼った認識をしない人々であり、言語よりもむしろ全感覚や感情などを主体にした認識を主体に生きてきた人々なので、西洋人や東洋人のようには「文化」しきれない人々だったのだと私は思っています。私は日本の人々に対してはその様に理解している。私は、自らも日本人の一人でありながら日本以外の人々の世界から同時性を持って日本人を捉えるというちょっと変わった捉え方ができるようになってきているある種の動物人間なので、そういった同時性をもった超越した捉え方を身につけるようになってきているのが最近の私の捉え方の進化といえるかもしれない。
私が若い頃から目指していたのはミヒャエル・エンデのベッポじいさんやモモのような人間の「人と世界の捉え方」なので、コーマック・マッカーシーの「越境」に出てくる老人や老女などのおじいさんやおばあさんたちの話し方やその独特の不思議な示唆に富む直感的な本質を突いた言葉の表現にも「モモ」の登場人物たちの言語表現と通ずるものがあると思いますが、なにより今の日本市民の日常社会生活の中では、誰もが身近に高齢者の老人たちと生きている社会になってきています��で、若者も中年もなくてね、人口の年齢構成の急速な変化が少子化してきた経過を経てきているので、当然、人口に占める高齢者の割合はどんどん多くなり、みんな高齢者と共に生きる社会環境へと変化してきているという実態がありますのでね、若者も中年もなく、みんな高齢者と共に生きなきゃ人間社会的に成り立たなくなってしまう事になってきているのです、それが現実社会を直視した日本の人々の今の社会的な生き方なので、そこはちゃんと人間社会的に個々人がシフトさせて生きていかなければならないところです。
現代の日本社会の現状では、既に老人たち、高齢者たちの多くが、みんな生きられなくなってしまっていますから、みんな社会生活的にも高齢者を大事にして生きなければなりません。高齢者よりも若い世代は、みんないずれ自分たちも同じような年代に入っていく高齢者になって、誰もがいずれは老人になっていくのですからね、何十年も先に経験してきた先輩高齢者をもっともっと大事にして、共に生きて生き方を学んでいかないと、自分達が高齢者になってきてから国民社会をどうこうしようなんて不満に耐えなければならないなんて事じゃ遅いんですからね。
今の高齢者が遭遇している生きられなくなるような困難よりも多くの困難を抱えて生きられなくなる社会を今の高齢者よりも若い年代を生きる人々が自ら作り続けている社会経験的な生き方をし続けているようでは、人口減少問題以前に日本の様々な国民社会問題は介護業界も含めた社会的な人手不足問題も含めてなにも本質的に根源的に改善しません。そんな事は当たり前の事なのです。
ではどうすれば良いのか?といえば答えはシンプルです。人間社会を形成していく基本的に当たり前の事を個々人が自ら取り組めば良いだけの事なのです。少子高齢社会問題を含めて現状の日本社会の様々な社会問題を改善解決していくためには、まず根本的に日本の人間社会に生きる日本の人口社会の構成員である我々一人一人の個々人が、自ら社会的に生きる生き方を、社会的に人々との関わり合いの学び合いを重視して生きる人間社会にしていくという事を大切にしていく、自ら地域社会の人々やすれ違う人々同士が共に養い合い育て合う社会をつくっていく社会的な生き方を大切にしていくという事に尽きると私は思います。それは人間社会にとって最も基本的なごくごく当たり前の事です。
実際に日常的に実践している人ならば誰もがわかっている事だとは思いますが、より率先してそれを取り組む必要がある危機的な現状にある人々が一般社会的にどこでも見かけるように多く生まれてきている現状の国民社会状況の悪化増大傾向がありますので、そういった支え合いや助けが必要な人々に対してより頻繁に適切に関われる人間を増やすことや、関われる人々を増やしていくという事を、個々人が適切に自ら取り組んでいくという事が個人レベルで全国各地で必要になっているというのが今の日本の国民社会の問題のとても大きな根本的な現実的解決策に必要不可欠な基礎を成す対策として必要になっていると私は思います。ではどうすれば良いかというと、基本的にはシンプルな事です。
高齢者と共に生きてみんなで学びましょう。つまり助けるということです。高齢になれば誰もが記憶力も短期記憶障害的になりやすく、認知症等になるのは大昔から基本的には変わっておらず���昔はそれを「ボケる」などといっていましたが、今ではそれを認知症と言い換えているだけであり、昔から年を取れば誰でも脳は衰えてボケるのは当たり前に��かった現実がありました。身体の衰えは心体の衰えとしてだれにもおとそれでもそれぞれ必死に生きて生を全うして最後にはなるべく自然に死ねたら幸せだと誰もが思って生きているのです。なるべく若い内から高齢者の人生を共に経験しておくことは重要ですが、中年以降になってから高齢者と生きる経験や若者と生きる経験から離れている人々なども、意外とそれぞれ沢山いるので、世代間格差なんて言いますけれどもね、それって一人一人個々人自らが自分の世代とは異なる世代との関わり合いを自らしないように生きているからに他なりませんからね、単に自分と異なる世代の人々とも一人くらいは自ら関わり合いを持って共に生きていく経験をつくるようにして、なるべく自分と同じ世代ばかりとの交流だけではなく、自分の世代とは異なる人々である地域社会の中で高齢者や若者との交流を少しだけでもよいので自ら挑戦して持つようにして、地域社会の中で助け合って生きていける地域社会の人間社会を形成していけるように、それぞれの助け合いや共に生きて過ごす時間を共有して生きる経験を共にする人間社会を自らつくっていく事が必要になっているのが今の日本社会の標準なのです。これが日本の国民社会のありのままの現実現状の社会的実態ですからね。
その事を認識できない日本市民というのは社会常識として、人間社会的に多種多様な人との関わりが不足している為に生じている無知な社会的人生を歩んでいるという事なのであり、それによる人間社会的弊害は差別社会や不寛容な人間社会を形成する根本的な原因になってしまうという事に対して、人々の多様性を内包して自ら作ってきている社会の成り立ちを自ら自覚していない事が多過ぎるせいで、分かり合えない人々を自ら温存して増やし続けてしまうという国民社会を自らの人生の上で自ら助長させて作り続けてしまっているに他ならないと思います。
急激に人口減少化してきている日本社会では、人口減少しているから人口に占める高齢者の割合が増えていくことになっているだけであり、その原因は人口を減少させている出産率が低くなって出生数が減っているのが原因なのです。当たり前の事ですが、高齢化問題なんていう原因の捉え方はその根本的原因が出生数の減少にあるわけですから、高齢化社会なんていう問題認識を続けているようでは30年間経てきても、未だにまったく改善されるわけがないのです。
高齢社会化の問題というのは、まず根本的に対策に必要な若い人手を継続して増やしていく事が何よりも基本対策に必要な根本的必須条件となりますので、老老介護社会体制なんてものを拡大させているようにでは、そもそも何も対策していないのと同じなのであります。まず高齢社会化のその原因となっている出産率を死亡率よりも上げていけるようにしていかなければ、人口減少は止まらないのであり、出産率を自然にあげていく事こそを保たなければならないのかこの人間社会人口減少問題なのです。この当たり前の事が最優先に実施していない国政体制では、この国の問題は人間社会の原理的に、何も改善せず悪化増大していく問題をどんどん増やしていく事にしかならないでしょう。
私は日本社会には国土の生存圏と環境要因の適性から考えて���、人口はこれまでの一億人くらいが限度なのではないかと思っていますので、一億人くらいか8000万人くらいを保ち続けられるように自然に少しづつでも人口を増やしていける社会政策を調整しながら施していく必要があると考えています。いずれにしても日本社会では自然大災害が絶えない社会なので、それだけでも年間通して度々、人口が一気に減少する大被災が起こることからは大昔から逃れられない地理的環境要因がありますので、年間通して毎年度々多くの天災犠牲者が出てしまう事からは逃れられない社会だということが日本社会の大昔からの特徴と言えます。
ですから何も無くてもこの国の国民は年がら年中天災等による多くの死傷者が出続けている国なので人口は毎年の死亡者数よりも常に増産し続けていなければ増えることはなく、むしろ全国各地で頻繁に発生する自然災害により人口減少する特性をもっているのが日本社会の標準的特性でもあるのです。これは災害対策だけでは防ぎきれない年間通して頻発な天災大被災による自然現象の死亡者数になりますので人口減少要因の一つとして根本的に防ぎ切ることはできない日本社会特有の基本的な人口減少要因の一つとなります。
日本社会では、常に新しい世代の誕生数を死亡者数よりも多く誕生し続けていかなければ、その種族の子孫が生まれる数が死亡率よりも減っていれば必然的に人口減少は急激に加速して減っていく事になるでしょう。災害原因だけではなく病気などの原因やパンデミック災害なども起こっていますし、いずれやってくる大災害による大きな死傷者数が、人口減少を一気に加速してしまうもう一つの自然現象要因というものがありますので、現状のこの30年間でも日本の人口は社会的に減少に転じて人口減少を無策な社会政治的に加速させてきているのが歴史的実態ですから、社会政治政策的にも必要な対策を施していかなければ、どんどん人口減少していきながら、人口の死亡率よりも子孫の誕生率が減り続けているかぎり、人口に占める高齢者の割合が高まっていくのは必然の結果です。これでは人間社会はどんどん、人口に占める高齢者の割合が増えていき、子孫達が創造的に支える人間社会構造が保てなくなってしまうのは目に見えている根本的な現実問題なのです。
人口に占める各年齢構成というのは、人間社会の継続において根本的に重要な役目を各年齢が果たしているので、その各年齢構成の割合のバランスを崩し過ぎて偏ってきてしまうと人間社会として保つことが根本的に困難になってしまいます。赤ちゃんから若者・中年・高齢者・老若男女多種多様な人間の人口に占める各年齢構成それぞれの人間が人間社会に果たしている役割というものが如何に重要なバランスを保った人間社会の安定した形成の役割を果たしているか?という事をちゃんと理解していない国民というのは、人間社会を崩壊させてしまうことになります。
これは私からの警告であり、啓発でありますが、この事をもっとちゃんと考えて全ての国民がちゃんと自覚していかなければ、日本社会は人間社会的に崩壊していく道を歩んでいくばかりとなってしまいます。みんな自分たちの人間社会に主体的に生きていくようにしていかなければならないのが現状を打破する為に必要不可欠な打開策として欠かせない事になります。
誰でも、地域社会のみも知らずの赤の他人の問題を抱える事は大変な事ですが、今や日本市民の社会は、自分たちの事だけで精一杯になっている人々の社会なのではなくて、とっくの昔から自分たちの事だけでもままならなくなっていて、身近に触れ合える地域住民たちを支えあって相手が生き続けられるように助け合うことにより自らの困難を共に乗り越えていくという事をしていかなければ、人間社会として個々人の人間社会生活自体が成り立たなくなっている現状が山程増えてきている現状に気付かされるというか、気付いていない日本市民の方が社会にとって人間社会的に危険な存在になってしまっているのが現状なのです。だからといって、多くの地域社会の市民との交流を持つようにしましょうという無理はしなくても良いのです、一人一人困難を抱えながら生きられなくなっている市民であっても、というかむしろ生きられなくなっている市民こそ、誰か一人でも良いので地域社会の同じような境遇に苦しみながら生きている人々を一人でも支えあって共に生きていけるように、孤立している高齢者であっても、たった一人でも共に生きる地域社会の共生者となれる人との交流を増やして、お互いにささえあうことによって生きていけるように、個々人が自ら取り組んでいくという些細な事からでも始められる人間社会的交流支援、人間共生社会のあり方を自らつくっていく事が、日本社会の一億数千万人の人々それぞれに必要になっている生き方だと私はもはや確信して取り組みを進展させ続けています。無理してやる必要があるとは決して言いませんが、できる人からやっていく事が必要不可欠な地域社会的現場の危機的現状が沢山あることに、もう少し実直に目を向けて助けあって自ら共に生きていけるように支え合って生きていってください。ということが私が今、切に願っている事です。
社会改革も社会政治改革も全ては一億数千万人のこの国に生きる一人一人の人々が自らの地域社会生活の中で取り組む地域住民との支え合い救い合う小さな人間社会関係による人間社会づくりをお互いに大切に養い育てあっていけるように、お互いの距離を保って、お互いに相手と、経験の異なる人間同士がお互いに違いを認め合いながら相手の生き方を常に尊重し、程よく交わりあい関わり合っていける範囲からでも良いので、お互いに悩みや困難を共有しあいながら、より末永く改善していける道をお互いに協力しあいながら支え合いながらつくっていく事を手助けしあって生きていくということが、お互いに生きていきやすい人間関係を主体にした人間社会を創造していく不可欠な唯一の創造的な人間社会創造の道となります。日本の人間社会に残されている道というのは、もうそういう根源的な対策を実践していく以外に無いという、日本国民社会の問題の本質を私は既に実践を共にして気づき確信しています。
足腰が悪くなって思うように歩くことさえままならなくなっているにも関わらず、若者ならば10分で着く駅までの道のりを1時間もかかって早朝始発に待ち合わせて辿り着き学校施設などのトイレなどの清掃の仕事を続けなければ生活継続できないという80歳のおばあちゃんとおにぎり1個を物々交換しあって地域社会の中で生きていく事が困難な人々を助け合い支え合う取り組みからでも良いので、自らの地域社会の中でそのようなほんのちょっとの優しい救いあいの交流からお互いに支え合って生きていけるように支え合う人間社会を、自分の暮らす地域社会の身の回りから一人でも多く自ら形成していくということが、全ての人々に必要とされている社会、それが今の日本社会の現実的な実態であると益々実感しているところです。
「気づいた者から声上げろ!」と、10数年前にある若者が選挙に立候補して日本市民にうったえかけて伝えました。今はそれだけでは済まなくなっている社会が進展悪化してきている現状があり、「気づいた者から救いあう」という日本社会の人々の現実に直面している段階へと進展悪化し続けて耐え続けている人々が増大悪化しているのが日本市民社会の実態であるということに対して、市民社会の中で誰もが自らも関わっていかなければならないところにきているのが、現在の日本の国民社会の市民一人一人に求められている事だと私はつくづく思い知らされる毎日を送っています。
見も知らずの第三者を救うということは並大抵の事ではありません。決して簡単に気軽に出来ることでもありません。場合によっては自らトラブルを起こしてしまう原因をつくってしまうという場合も起こり得ますので、経験のない人が軽はずみに見も知らずの他者に関わるというような軽率過ぎる乱暴な関わり方をしてはならないことは、常識として言っておかなければならない事ですが、見ず知らずの人々の中でも助けが必要な人々や困難を抱えて潰れそうな人々を見かけたら、誰でもとはいえませんが、必要な経験があって出来る人ならば、手を差し伸べて共に生きる隣人や知人となる事くらいは、見て見ぬふりをするばかりではなく、時にはやってみるように自らの生き方をより豊かに発展させていく人生を歩んでみることも、今の人々には必要ではないかとつくづく思います。
なぜならば、そういう人間社会創造的な生き方をする人々が地域社会の中でもどこでも増えていけば、人間社会自体が根本的に改善していく新たな人間社会が必然的に個々人のレベルでお互いに育みあって創造されていきますので、人間社会問題は根本的に改善されていく人間社会関係が必然的に新たに形成されていきます。
それは例えば今の裏バイト問題や特殊詐欺問題などの発展増大社会問題もそうですが、根本的に解決する為に必要な社会的措置であり、最も必要不可欠な対策となるということは、改めてここに言い沿えておきたい事でもあります。
社会改善というのは、政治政策で行うものではありません。社会政治改革というものも、そもそもは、それらの問題は、人間社会の人々が、人間社会的に人々とどのように関わり合って生きていけるかという関わり方の学び方を新たに関わりあってお互いに習得していく取り組みの課程が全ての人間社会問題の根本的起源となって改善していく実直な現実なので、政治政策がどうあろうと生きるのは人間一人一人との関係性や社会的共生の生き方そのものがどう取り組まれていくのかという一億数千万��のこの国の国民一人一人の生き方関わり方にかかっている問題なのでありますので、個々人の人間社会的生き方の取り組みがなければなにも改善しませんし、政策も意味をなしません。これが人間社会の本質であり、全ての始原であり問題の起源であり、解決策の起源なのであります。それが人間社会問題や政治問題の改善解決策における全ての起源となっていることは大昔から変わらないあらゆる人間社会問題の本質なのです。
私は自分にできる限りではありますが、自分と同じような経験や境遇に生きてきた人々と共に生きるということも生涯の人生経験の中でできる限り取り入れて、一人でも良いので入れるようにして生きていくようにしています。
そうすることが自分にとっても、自らの人生をより豊かにし、自らも生きていける社会を他者との交流を共に創造的に取り組みながら自ら形成していく人間社会創造の一つの実直現実的な直接民主行動の初歩的な一手として常に行い続けていかなければならない現実社会を生きている一市民としての生き方そのものだと実感してきた歴史的経験が自らにもあるからです。
豊かさというのは金ではありません。金よりも活きる時間を豊かにすることが重要なのです。重要な事は、時は金なり、なのではありません。時は命なのです。当たり前の事です。金というのは紙っぺらに過ぎません、貨幣は単なる道具に過ぎません。金は現代社会ではデジタル通貨などの数字に過ぎません、最も大事なのは「活きる命の時間を豊かにする」事だと思います。時は金なり、などという人間を私は信じません。時は命なり!ということが、私が見てきた人間社会の実態であり現実です。その現実的本質を自覚していないのが、現代人だと思います。
私はその人間社会の本質を子供のころにミヒャエル・エンデの「モモ」という児童文学から学びました。あれはただの児童文学ではなく人間社会経済を含めた人間社会学と言っても良いような、実験的人間社会形成学の取り組みの基礎を成している人間社会の本質を物語の根底に据えて実験した人間の未来社会のあり方を表している作品だと私は捉えています。そのことを理解してくれた政治家がいるとすれば、おそらく共産党の志位和夫元代表でしょう。彼はおそらくその事にも気付いています。今回の衆院選でもその本質に通底する主張をしていました。そういう意味でも彼らから学ぶことはまだまだ沢山ありますね。
同時性を持って学ぶということは地域社会や自分と他者との人生経験の関係においても重要な事であり、そのようなバランスを認識しながら人々と活きていけるようにしていくことを私は何よりも大切にしていきたいと考えています。それは例えば、次のようなある種現代社会に生きる人々がそれぞれ相反するような話も含めたバランスをそれぞれの人生の中で同時性を持って自覚していく生き方をしていく事が何よりも必要だと私は思います。
「知識をいくら詰めこんだって」
子供に知識ばかり詰めこんで
子供のなかの成長力を奪う時
その子がどんなに不幸になるか、
みんな知っている。
それでもある人びとは
子供に知識を詰めこむことを止めない。
国のことだって同じさ。
国民にやたらに情報をばらまいたって、
そしてますます小利口にしたからって、
人びとは平安なライフを持てるわけじゃない。
それはただ競争心をあおり
先への不安を深めるだけなのだ。
国や会社のトップ・リーダーだって
もっと素朴な原理に従わねば駄目なのさ。
私は愚民政治や愚者の天国を勧めてやしない。
あくまでバランスの問題なんだ。
昔は違っていたのだがね、
いまは情報過多だ、それも
気狂いじみるほどなのに、
タオの自然のエナジーは
ますます無視されている。
だから強く言うのだがね、
このタオの自然、タオの創成の力は
実に深くて、実に遠くまで
ゆきわたっている。だから
私たちはもう一度。
この大きなタオの働きに戻って、
このエナジーに従ってみることだ。
そうすれば、世界はいつか
大きな調和の途(みち)へ向かうだろう。
物や名誉を争うために
知識をいくら詰めこんだって
世界の平安も人びとの幸福も
やってはこないよ。
(「タオ──老子」加島祥造 著 2000年3月25日筑摩書房発行より)
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2024年10月23日に発売予定の翻訳書
10月23日(水)には21点の翻訳書が発売予定です。
The Living Dead 上
ジョージ・A・ロメロ/著 ダニエル・クラウス/著 阿部清美/訳
U-NEXT
The Living Dead 下
ジョージ・A・ロメロ/著 ダニエル・クラウス/著 阿部清美/訳
U-NEXT
進化論の知られざる歴史
レベッカ・ストット/著 高田茂樹/翻訳
作品社
モモ(絵本版)
ミヒャエル・エンデ/著 シモーナ・チェッカレッリ/イラスト 松永美穂/翻訳
光文社
ADHDかな?と思ったら読む本
アリス・ゲンドロン/著 加藤輝美/翻訳
かん��出版
ゆきだるまむらのアイスクリームやさん
ソン・ホジョン/著 ヒョットゥン(イ・ヒョギョン)/イラスト こまつようこ/翻訳
パイ インターナショナル
信頼性の高い機械学習 : SRE原則を活用したMLOps
Cathy Chen/著 Niall Richard Murphy/著 Kranti Parisa/著 ほか
オライリー・ジャパン
人類の都 : なぜ「理想都市」は闇に葬られたのか
ジャン=バティスト・マレ/著 田中裕子/翻訳
NHK出版
スマートシティはなぜ失敗するのか : 都市の人類学
シャノン・マターン/著 依田光江/翻訳
早川書房
謎のチェス指し人形「ターク」
トム・スタンデージ/著 服部桂/翻訳
早川書房
なぜ悪人が上に立つのか : 人間社会の不都合な権力構造
ブライアン・クラース/著 柴田裕之/翻訳
東洋経済新報社
クレオパトラの短剣
キャロル・ローレンス/著 中山宥/翻訳
早川書房
三つ編み
レティシア・コロンバニ/著 齋藤可津子/翻訳
早川書房
AI経済の勝者
アジェイ・アグラワル/著 ジョシュア・ガンズ/著 アヴィ・ゴールドファーブ/著 小坂恵理/翻訳
早川書房
無限病院
韓松/著 山田和子/翻訳
早川書房
ミセス・ポッターとクリスマスの町 上
ラウラ・フェルナンデス/著 宮崎真紀/翻訳
早川書房
ミセス・ポッターとクリスマスの町 下
ラウラ・フェルナンデス/著 宮崎真紀/翻訳
早川書房
恋のスケッチはヴェネツィアで
リース・ボウエン/著 矢島真理/翻訳
早川書房
ゴッド・パズル-神の暗号-
ダニエル・トゥルッソーニ/著 廣瀬麻微/翻訳 武居ちひろ/翻訳
早川書房
ほんのささやかなこと
クレア・キーガン/著 鴻巣友季子/翻訳
早川書房
ウウレマの遺伝子奴隷
K・H・シェール/著 ペーター・グリーゼ/著 長谷川圭/翻訳
早川書房
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小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。
なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。
話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。
ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。
ミヒャエル・エンデ 作・ 大島 かおり 訳『モモ 』(岩波少年文庫)よりー
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「それは、あなたさまが真に欲することをすべきだということです。あなたさまの真の意志を持てということです。これ以上にむずかしいことはありません。」
「ぼくの真の意志だって?」バスチアンは心にとまったそのことばをくりかえした。「それは、いったい何なんだ?」
「それは、あなたさまがご存じないあなたさまご自身の深い秘密です。」
「どうしたら、それがぼくにわかるだろう?」
「いくつもの望みの道をたどってゆかれることです。一つ一つ、最後まで。それがあなたさまをご自身の真に欲すること、真の意志へと導いてくれるでしょう。(中略)この道をゆくには、この上ない誠実さと細心の注意がなければならないのです。この道ほど決定的に迷ってしまいやすい道はほかにないのですから。」
──ミヒャエル・エンデ作、上田真而子・佐藤真理子訳『はてしない物語』(1982、岩波書店)
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