#ミニマル
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カーテンを選びやすく。カーテンを提案しやすく。【ジャパンディ・スタイル】
「どういう基準で、カーテンを選べばいいんだろう」 「カーテン含めて、統一感のある部屋にしたいんだよね」 「とにかく、わかりやすいのがいいんだけど」 といった声にお応えするために生まれたのが、3stepオーダーカーテン『COORDE(コーデ)』です。
1 お部屋の床や家具などの木の色を確認する。 2 その木の色に合うインテリアスタイルを知る。 3 そのインテリアスタイルに合うカーテンをコーデする。 の3stepで、お部屋に合うカーテンが見つかる。 そして、すべてのアイテムがわかりやすい価格であることもポイントです。
そんな『COORDE』から、明るめのナチュラルウッドにおすすめの #ジャパンディ のコーデをご紹介。 いま世界で注目を集めるインテリアスタイル、ジャパンディ。 洗練された北欧家具をベースに和のテイストを取り入れた、ゆとりのあるシンプルな空間づくりが特長です。 こいあい、さびあさぎ、など。 ミニマル&シンプルがポイントとなる空間づくりに、美しい日本の色のカーテンをコーデしました。
カタログ:COORDE edit1 インテリアスタイル:ジャパンディ ドレープ品番:S1048 シアー品番:S1014 機能:遮光(2級S1052)、ウォッシャブル くわしくは、この投稿を「保存」してお近くの #インテリア専門店 へ
またはプロフィール @aswan_jp のリンクから『COORDE』をご覧ください
#インテリア#インテリアコーディネート#インテリアコーデ#コーディネート#カーテン#オーダーカーテン#コーデ#coorde#curtains#ジャパンディスタイル#ジャパンディインテリア#japandi#japandistyle#japandidesign#japandiinterior#カーテン選び#ミニマル#ミニマルライフ#アスワンのカーテン#アスワンのコーデ#インテリアショップ#インテリア専門店を元気にする#アスワン#aswan#アスワンのある暮らし#インテリア専門店
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プロンプト:アラビア風のiPodのミニマルな3DCG
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希少なチーク無垢材を使ったコンパクトなダイニング
#家具デザイン研究室#ミニマリスト#杉並区#USED品#ジャパン#北欧#阿佐ヶ谷#リサイクル#日田工芸#北欧家具#無料#北#ふるいち#青林製作所#テーブル#ミニマル#ショップ#used#古#Japanese#Modern#古一#furuichi#一#table#北欧インテリア#出張#北欧ヴィンテージ#ダイニング#モダン
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TonePad
yuriplus_demo
slow=〜=speedup created
impromelody
2024.3.24
PLUSplus09386...
#plus09386#artists on tumblr#yuriplus#tonepad#音楽アプリ#音楽#電子音楽#ミニマル#シンプル#アンビエント#エレクトロニカ#youtube#御殿場#art#フォントアート#デモ#未完成
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皆さん今日もお疲れ様でした。
新シリーズ、深夜の指定席から、こんばんは^^
今夜は、トラックのEQ調整を。
オヤスミナサイ Good night
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Delphi #3
アルバム Blue eye より
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おせちと雑煮
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Y CONCEPT TITANIKA チタンの良さをそのままカタチにした逸品。 #yconcept #チタニカ #titanika #ワイコンセプト #軽量 #日本製 #チタン無垢 #madeinjapan #メガネ #メガネ鑑賞 #メガネをもっと楽しく #ミニマルなメガネ #アイウェア #ミニマルなアイテム #シンプルなメガネ #オプティコモダ #桜ノ宮 #都島区 #大阪 #予約優先 #reservationpolicy #qr決済出来ます😊 #クレジットカード使えます #大阪市プレミアム商品券 #eyewear (オプティコ モダ(大阪府大阪市都島区中野町)) https://www.instagram.com/p/Covsih0hAo_/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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正社員じゃなくなったらどうしよう、◯歳までに結婚できなかったらどうしよう、スキルがないまま歳重ねたらどうしよう、今の恋人と別れたらどうしよう、適応障害で休職しちゃったけどこの後どうしよう… 結果、別にどうにもならなかったです。普通に生きています。
Xユーザーのしらたま|非正規週2のミニマル生活♨️さん
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(実在してそうなのに全部架空 「存在しない漫画の1コマ」だけを創作し続けるアカウントがSNSで人気 “中の人”に聞く発想の源(2/3 ページ) - ねとらぼから)
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俳句みたいなミニマル表現なんだけど、「架空の引用」という着想が新鮮。「架空の名言」みたいなものかな。
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完全な真空 - Wikipedia
1971年にポーランドの作家スタニスワフ・レムにより発表された、実在しない書籍に対する架空の書評集 実在しない書籍の書評というアイデアは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる『ハーバート・クエインの作品の検討』などに先例が見られるように、レム独自のものではないが、そういった架空の書評を集めた一冊の書評集というアイデアは、レム独自のもの
虚数|国書刊行会
ビット文学の歴史、未来言語による百科事典、細菌の未来学、コン��ュータGOLEMの講義録など、〈実在しない書物〉の序文を収録。
冬の夜ひとりの旅人が (ちくま文庫 か 25-1) | イタロ カルヴィーノ, Calvino,Italo, 功, 脇 |本 | 通販 | Amazon
読み手自身であるところの「男性読者」がカルヴィーノの新作小説『冬の夜ひとりの旅人が』を読みはじめると、突然その本が製本不良で途切れてしまう。交換してもらった本を読もうとするとまたそれが全く違った小説、でさらに追いかけるとその本が偽モノで、本物と渡された小説がまた全然違って。。。というストーリー部分とそれらの小説の出だしのみ(なぜならそれが必ず途切れてしまうから)が繰り返される実にカオスな小説。
本本堂未刊行図書目録|書物迷宮|書海放浪記|万象堂
坂本龍一 本本堂(1984年) 現実に刊行されていない本本堂の書物を目録化して何人かの手により装丁、その図案をカタログ化、さらにそれを書籍にして販売する
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Xユーザーの三遊亭 司さん:「何日目かのぐずぐず豚汁と鯵の塩茹で。『ミニマル料理「和」/稲田俊輔』のゆで魚は小イワシでしたが、イワシはなく立派な鯵が120円だったので。んまい。イナダさんのミニマル料理の本は前作も今作も、かなりの頻度で自分の日常のごはんに。レシピ本ではなく、読み物として好き。 #自炊 #落語家の食卓」
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3stepで、お部屋をジャパンディ・スタイルに。
カーテン選びを、たのしくやさしく。 そんな気持ちでつくったのが、オーダーカーテン『COORDE(コーデ)』です。
1 お部屋の床や家具などの木の色を確認する。 2 その木の色に合うインテリアスタイルを知る。 3 そのインテリアスタイルに合うカーテンをコーデする。 の3stepで、お部屋に合うカーテンをコーディネート。 そして、すべてのアイテムがわかりやすい価格であることもポイントです。
そんな『COORDE』から、明るめのナチュラルウッドにおすすめの #ジャパンディ のコーデをご紹介。 いま世界で注目を集めるインテリアスタイル、ジャパンディ。 洗練された北欧家具をベースに和のテイストを取り入れた、ゆとりのあるシンプルな空間づくりが特長です。 かきしぶ、しらゆき。 ミニマル&シンプルがポイントとなる空間づくりに、美しい日本の色のカーテンをコーデしました。
カタログ:COORDE edit1 インテリアスタイル:ジャパンディ ドレープ品番:S1049 シアー品番:S1007 機能:遮光(1級-C S1049)、ウォッシャブル
くわしくはお近くの #インテリア専門店 またはプロフィール @aswan_jp のリンクから『COORDE』へ
#インテリア#インテリアコーディネート#インテリアコーデ#コーディネート#カーテン#オーダーカーテン#コーデ#coorde#curtains#ジャパンディスタイル#ジャパンディインテリア#japandi#japandistyle#japandidesign#japandiinterior#カーテン選び#ミニマル#ミニマルライフ#マイホーム#一人暮らしインテリア#一人暮らし部屋#アスワンのカーテン#アスワンのコーデ#インテリアショップ#インテリア専門店を元気にする#アスワン#aswan#アスワンのある暮らし#インテリア専門店
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MOMO:
. TASAKIのホリデーコレクションは、ミニマルなbalance🦢
@tasaki_intl
TASAKI #TASAKIbalance
PR #JAPAN
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"Frost"ENSLAVED
ENSLAVEDって今日本にどれくらいファンがいるんだろう。LOUD PARKに招聘されていたところを見ると、近年はそれなり?昔はごく一部を除き、権威主義の下でしか評価されていなかったという認識だ。Norwegian Black Metalの礎を築いた代表格の一つというね(彼らは当初からViking Metalを標榜してたが立ち位置は完全にブラックメタルだった)。
その理由はひとえに、他のEMPERORとか、MAYHEMと比べてさえ、キャッチーネスが控え目だったからと思う。ミニマルだったEP~デビュー作に比べれば2作目のフルアルバムとなる本作は普通にメタルの曲作りになっているし、アコースティックの絡め方も含め良く出来ているとも思うが、それでもイーブルスラッシュメタル直系のバッキング主体の作りはかなり辛口と思う。何よりシンセサイザーだ。硬質なギターが主体であるべきスラッシーな音楽性なのに、何故随所でシンセサイザーが奇妙にクローズアップされるのか。
…言うまでもないだろう。そここそがポイントだ。そこでBATHORYを思い出そう。"Under the Sign of Black Mark"から"Hammerheart"までの作品群を。これらでシンセサイザーが及ぼした効果を置き換えれば、本作だって腑に落ちてくるのではないだろうか。特に"Hammerheart"を彷彿させるところが多いと思うし、これらBATHORYがやってきた試みを、本作上で総括しているともとれる。
そのように捉えることにより、私自身本作の本質が見えてきた気がする。とはいえこれらのシンセサイザーのアプローチは、少なくとも聴き専からすれば依然実験で終わってしまっているように取れるし後のViking/Pagan系への影響もそんなに大きいとは思えないのだが(単純なENSLAVEDフォロワーは多いのだが)。あと本作まで在籍したTrymの超絶ドラミングを堪能するアルバムですかね。次作"Eld"になるとキャッチーネスが一気に高まるので初心者はこちらから入るのがお勧めなのだが、ドラムがTrymじゃないのよねー。
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私の街、私の生き方 北村 道子と新宿
ファッションとは単なる装いの行為ではなく、その人のセンスや生き方を体現するもの。キャリアも生き方も自分らしさを貫く伝説のスタイリスト・北村道子が「自分らしい幸せ」を模索する女性のためのブランド、SA VILLE / SA VIEを纏い、思い出の街を歩く。人生を歩んだ東京・新宿で、自分だけのスタイルを築く秘訣を語ってくれた。
guest_MICHIKO KITAMURA photography_CHIKASHI SUZUKI
“街を歩くためのお洒落が存在していた。 それが東京のファッションを強くした”
北村道子の審美眼を磨くのは、データではなく分析の視点。
お歯黒にして頬には付けボクロをつけ、新宿のクラブへと通った。コム デ ギャルソンのサテンの寝巻きに晴れの日でも雨傘をさし、スキンヘッドで表参道を歩いた。オリジナルの鋭い審美眼で映画界やファッション界から愛される伝説のスタイリスト、北村道子さん。自らも強烈な個を示す彼女のスタイルを紐解くヒントを、20代後半を過ごした思い出の地、東京・新宿から紐解く。 現在76歳、いまも現役のスタイリストとして活躍する北村さん。10代の頃からサハラ砂漠やフランスで過ごした経験を持ち、映画や広告など多数の仕事を手がけながらキャリアを築いてきた彼女に、これまでの人生の中でいちばんの宝物は?と聞くとすぐに「ない」と、答えが返ってきた。「データというものに興味がなくて、私は1日が終わったら本当に忘れちゃう。唯一残っているデータは、20年くらい前に菊地凛子と撮影した時のポラロイド。それも忘れたままポケットにしまっていたのを何十年も経った後にたまたま見つけて、凛子がデータにして携帯に入れてくれたんです。けれど基本、私が興味があるのは分析できるものだけ。写真だって、どうして彼はあれを撮ったんだろうって、じっと見て分析するんです。私の時代はコピーばかりだったけど、オリジナルで本当にやっていると思った1人が、写真家の鈴木親くん」。そう名前が挙がる写真家の鈴木親さんとは20年来の付き合い。厚い信頼を寄せる彼の視点も交えながら、今回の撮影が行われた。
「新宿に来ると新宿のファッションがあったんです。それは明らかに銀座や他の場所では違うものだった」と、独自のカルチャーが生まれた当時の新宿と今の街の混沌を重ねて。
街から生まれるカルチャーが持つ力強いエネルギー。
降り立ったのは東京・新宿。そこは、人生でいちばん多忙な時期だった20代後半から30代を過ごした場所。「すごく忙しかった。けれど、やっぱり遊びたかったから朝までクラブで過ごして、スタッフにピックアップしてもらってそのまま撮影にいくことも。その時の私のスタイルは、前髪をパツンと切り揃えた黒のロングヘアーで、お歯黒にして頬には付けボクロ。もうめちゃくちゃですよ(笑)。特に30代は一心不乱に働いて、その分遊んでいましたね」当時は、熊野神社の近くの酒屋で下宿生活をしていた北村さん。その時の東京のファッションを振り返り「その街を歩くためのお洒落」が存在していたと語る。「東京に最初に出てきた70年代の頃は、ファッションに生きる人の熱意がすごかったんですよ。歩いている人たちの服を見るだけで、すごくドキドキしてた。その頃は自家用車がなくて、タクシーも今のように走っていない。地下鉄はなくて都電で移動をしていた時代。だからこそ、人に見せるという側面がお洒落の大切な部分だったんです。例えば���舞伎を見るために着る着物に銀座の三越に行くための服……。お好み焼きを食べるなら月島まで行って、その帰りに佃煮を買って帰るとか、卵焼きを買うなら室町へ行くとか……。当時は、その土地に行かないと買えないものや見られないものがあったから、みんなそこまで行くためのスケジュールを組み立てながら装っていたんだと思う。今は、そういう目的で着飾ることが少なくなったじゃないですか。街を歩くというカルチャーが、東京のファッションを作っていたんじゃないですかね」。
“今は、白髪が増えてきて
グレーのほうがしっくりくる”
変わることは当たり前。
今の自分が心地いいものを。
テーラリング技術が光るジャケットにレイヤードしたのは、ハイゲージのグレーのニット。ミニマルながらもその人の個性を引き出すデザイン設計。
新宿の十二社付近は、北村さんが20代後半に住んでいた思い出の場所。熊野神社を横目に西新宿4丁目の立体歩道橋を静かに、強く歩く。
パリの街とメゾンが教えてくれた洗練の美意識。
北村さんがファッションの世界に入ろうと思ったきっかけは?「もともと私は彫刻家を志していて、ファッションにはまったく興味がなかった。先に興味を持ったのは舞台のほうなんです。当時のパートナーが比較人類学の先生だったので一緒にフランスに行った時に『ここのシアターはすごいから』と観たのが太陽劇団(テアトル・デュ・ソレイユ)。衝撃を受けて、私も入りたいと伝えたら『ソルボンヌ大学の哲学科の人たちが中心に作っている舞台だから、もし本気ならソルボンヌ大学に入ってくれ』って。けれど大学に行くのは『嫌だ』って即答しました(笑)。ファッションとの初めての出合いもちょうどその頃。パートナーが『20歳のプレゼントにシャネルのオーダーはどう?』って。全部ではなく少しサポートしてもらって、シャネルから言われた日にちにお店に行くと、ただの汚い格好をしている20歳の私にもマダムが隅から隅まできっちり採寸してくれました。綺麗に磨き上げられた店の床に、スタッフたちの真珠の身につけ方や所作は、とにかく洗練されていて一種の怖ささえも感じるものでしたね。シャネルがあるサントノーレ通りも、通り全体が当時は白かグレーで統一され、それも本当に美しかった」。色が人に与える印象を左右し、心を大きく動かす。経験でそれを知る北村さんがこの日身に纏ったのは、SA VILLE / SA VIEが作るグレーの端正なジャケット。「若いころは黒い服ばかり着ていたけれど、それは髪の毛が黒かったから。今は、白髪が増えてきてグレーのほうがしっくりくる。だから今日のジャケットもグレーを選びました。このジャケットは作りがメンズ服のアプローチに似ていてシルエットと着心地がいい。ニュアンスカラーのグレーを締めるために、クリアフレームの眼鏡を。そうする���顔の輪郭がしっかり出てくるんだけど、それは電車の中で見た女の子がインスピレーションでした」。
常に開発が進む新宿駅前。丁寧にパターンがとられたジャケットには落ち感のあるトラウザーを合わせて、マニッシュなIラインを描く。
オリジナルの個性は“特殊”ではなく“普遍”がつくる。
経験によって磨かれた美学と変わらない信念があれば、変化を受け入れることは簡単で、今の自分にフィットするものへと恐れることなく変わっていける。「服は自分とのコミュニケーション」だと語る北村さんが考える、スタイルを確立するために必要なこと。「かつてコム デ ギャルソン・オムのビッグジャケットの中に白いTシャツを着てチノパンを合わせ、スニーカーを裸足で履くのが私の定番スタイルでした。そういう着こなしをしているのは当時、女性で私だけでしたね。一見すると特殊なことをやっているように見えるけど、ジャケットもチノパンもスニーカーもすべてベーシックなもの。私は、特殊なことをやるといつか飽きるということを知っているんです。だから、いつの時代も普遍であることがすごく大事」。緻密に計算され細部にまで行き届いた美意識が、北村さんの揺るがないスタイルを作る。そんな北村さんが“美しい”と感じることは?「一致していること。装い、空気、その街に住んでいる人々が一致することに美しさを見出します。石畳の多いヨーロッパを歩く装いと東京のコンクリートを歩く装いが変わるのは当然のこと。いい街だったらいい装いになってくる。美しさは、いろいろな要素がシンクロし、一致していくからこそ生まれるものだと思いますね」。 一方で「今の東京は、人々と街の装いが一致していないことが多い」と語る北村さん。未来を見据えて、今の私たちに必要なことを問うと「切磋琢磨する気持ち」だと返ってきた。「ミラノやパリで築かれているスタイルは、人々の志によって作られた��の。目的のために一致団結して、家族ご飯を一緒に食べたり、パーティーに出かけたりする。そこにはその場所に合う服が必要で、その土地の人々が一生懸命考えて作り上げてきた。東京はなんでもあるし、豊かだけど、物事や歴史の背景をきちんと分析して理解している人はごく一部なんじゃない? だから、今こそ切磋琢磨して、向上していく気持ちが大切なんだと思います」。
スタイリストという枠には収まりきらない才能と発想の持ち主。北村さんの世界観を凝縮した作品集からは、非常に日本的なものを感じると同時に、ジェンダーや国境、時代の価値観も超越する普遍的な「生きる力」が表現されている。〈上〉『Tribe』1995年(朝日出版社)〈下・右から〉『衣裳術』2008年『衣裳術2』2018年『衣裳術3』2022年(リトル・モア)
“ファッションのよさは自分自身で発見するもの” 装いを突き詰めることで見えてくる真の豊かさ。
緑色の電話ボックスは、時を経ても変わらずにあるもの。ひっきりなしに行き交うタクシーと人々は、時を経て変化したもの。その両方が存在する新宿に北村さんのオリジナルの人生を重ねて。
切磋琢磨せよ。次世代を担う若者たちへのメッセージ。
「今日、私は初めて日本人デザイナーが作るSA VILLE / SA VIEの服を着ました。初めてということは恥ずかしいことじゃなくて、考えなければいけないのはなぜ今までそれを知らなかったのかということ」と、北村さんは次の世代を担う若者たちへメッセージを続けた。「ファッションほどアートなものはないのだから、若い人たちがファッションを面白いと思わないと駄目だと思う。だからこそ、ブランドも若い人たちがファッションを面白いと思うように服だけではなくて、店では出口まで見送る時の佇まいまで、プライドを持ってブランディングしていく必要がありますよね。それは私がパリで過ごした頃に常々感じていたこと」。パリジャンのスタイルを着想源に、真摯な物作りをするSA VILLE / SA VIEのコートを纏う北村さんからは、置かれた居場所で、思考を止めずに人生を歩み続ける大切さを感じることができる。70歳を過ぎて彼女が確信を得たのは「ファッションのよさは、誰かに何かを言われて成立するものではなく自分自身で発見するもの」だということ。装うこと���ら見えてくる人の生きざまにこそ、真の豊かさが隠れている。北村道子さんのこれまでの歩みが、そう教えてくれる。
襟裏から鮮やかなロイヤルブルーが覗くハーフコートは、襟を立ててパリジャンのような志を纏う。ふっくらとした滑らかな生地が、強さを柔らかく包んでくれる。
“自分の目が届く範囲で分析する。
街も人もファッションも、広くなりすぎると
コミュニケーションがうまくとれなくなるのだから”
北村道子 MICHIKO KITAMURA
1949年生まれ、石川県出身。映画『それから』(1985)をはじめ、『アカルイミライ』(03)、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)など、数々の映画衣装を手がける。映画界だけではなく、鋭い審美眼で雑誌や広告などのファッションシーンでもアイコニックな地位を確立。出版物に作品集『tribe』(朝日出版社)、著書『衣裳術』『衣裳術2』(リトルモア)などがある。
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最新の街角セルフィで、こんばんは^^
今夜は、アルヴォペルトのミニマル作品を聴きながら。
オヤスミナサイ Good night
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Fanfare for the schoolage
吹奏楽作品 1994年
初演は2011年
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