#ミシン買取り東京
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工業用ミシン
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これ以上服をつくることはやめよう、と地元・宮城県にUターンしmege(めげ)というお店を営む内田麻衣(うちだ・まい)さん。
megeではすでにあるものを活かすことをしようと貸衣装を中心に営業することを決めます。「かわいい服には旅をさせよ」のコンセプトに共感した方から預かった衣装のみを扱い、レンタル代は持ち主と折半するというユニークな貸衣装屋さんです。
そんな彼女が立ち上げ当初から熱意をもって取り組んでいる「セーターを、はくセーターに」ワークショップを12月15日(日)に茅スタジオでやらせていただくことになりました。
今回は宮城・松島からはるばる、知恵のつまったリメイクを伝えに来てくれるmegeさんとの対談をお送りします。服が好き故にあたらしい服をつくることに疑問を覚えるというmegeさんの取り組みの一端に触れていただけれたら嬉しいです。
(以下、麻:内田麻衣さん/mege、茶:茶畑ゆか/茅スタジオ)
ーー
茶: megeさんはアパレル会社に勤められてたこともあるんですよね。
麻: アパレル会社のお店の方で販売員を3年間やって、岡山のもの作り部門の縫製業の方に2年いました。
茶: あの、めちゃくちゃ凝ってるブランドさんですよね。手作業が多いというか、いろんな技法を使われていて。フォークロアというか、民衣っていうのかな?
麻: 今はもしかしたらちょっとデザインとか方向性変わってるかもしれないんですけど、当時は民族調も強かったりしました。
茶: そうでしたね。各国の、日本もだし、いろんな国の民族的な技法をたくさん取り入れながら、刺繍もいっぱいしながら。縫製工場って生地に機械刺繍が入ってる感じだったんですか?手作業がめちゃくちゃ多い服��ちをどうやって量産で仕上げているんだろうなって思っていました。
麻: そうですね、もう生地の段階で仕込んでいるものもありました。
茶: それは機械刺繍ってことですか。
麻: そうですね。あと手刺繍とかになってくると生地の加工をボロにしたりとか、加工する部門があって、そこで主にやっていた感じです
茶: それは、そのアパレル会社さんの専門工場ですか?
麻: 会社内にそういう部署がありまして、自社工場もありました。染め加工とかと、刺繍とかそういうのをする部門ができてきてた頃なんですよね。私が居たのは本当にミシンがダーッて並んでるようなとか場所で。もう上の階にデザインチームがいて下に縫製工場があって、その下にまたさらに裁断とか、細かい加工をする人とかっていう感じで
茶: へえ。じゃ外注じゃなくて自社の工場なんですね、きっと。
麻: ほぼほぼそうですね。できないことは外注もあったんですけど、自分たちでやってることが多かったですかね。
茶: お店の中にもアトリエみたいなとこがありますもんね。
麻: あーそうですね。当時は上の階で生地も売ってたりして。
茶: すごい面白いブランドさんだなと思ってました。いくつも持ってます。
麻: 私が言うのもおかしいかもしれないけど、ありがとうございます。(笑)
茶: そのあと宮城に帰られたんですよね。
麻: そうです。3年東京で縫製をやって、2年岡山で縫製やったあとですね。半年ぐらいかけながら、岡山から車で旅をしつつ、宮城に帰りました。
茶: え!そうなんですか、各地の繊維産地とかを見てこられたんですか?
麻:そうですね、当時、麻(あさ)っていう繊維と、あと藍染がすごく好きで、それにまつわる場所は全部巡っていこうって思って。
茶: おおー!
麻: 当時は震災後で、日本全国に散った友人たちがいたので、その人たちを訪ね歩くっていう目的もあり。
茶: 良いですね。麻は大麻(たいま)とかもですか。
麻: そう、主に大麻を調べて。じつは専門学校の卒業研究でも大麻を調べていて、卒業後に福島の昭和村っていうところに、苧麻(からむし・ちょま)を育てて、糸づくりからする織り手を養成し���いるようなところに行こうかとかも思ってたくらいだったんですけど。
茶: それはなんでやめたんですか?
麻: その昭和村には学生時代から何年も通っていて、現地に友達もできる中で、織り手を「織姫(おりひめ)」っていうんですけど、織姫になられた人から「これでは食べていけないよ」っていうのをリアルに聞いていたのと、自分が織姫になったとて、その後、私はやっていけるのかとか考えたときにちょっと違うかなっていうのを感じて。その後はアパレル会社で働きはじめて、昭和村にお休みの日使って通ったりっていう感じで。
茶: 昭和村では何を作ってらっしゃるんですか、大麻関係?
麻: 麻の中の苧麻(からむし・ちょま)っていう品種をずっと育てられていて、���培から糸を紡いで織りまでできる人を育てていこうっていうので。年間4名ずつぐらい受け入れてるのかな?
茶: へえーなるほど。面白いな。なんで大麻が好きなんですか。
麻: なんか調べれば調べるほど、この植物が世界に広まったらすごくいいことしかもたらされないんじゃないかって思って。なんで禁じられているのかとか調べて、おかしいぞっていうふうに思って。
茶: うんうん。GHQ的なやつですよね(笑)。大麻すごい面白いなと思います。
でもなんか機械織にすごく適してないって聞きました。紡ぎにしても織りにしてもすごい機械に適してなくって、それもあって機械化の波に乗れなかったのも、多分GHQ以外にも要素としてあるのかなっておっしゃってる方がいて。
手紡ぎとか手の作業にすごく適してる繊維なんだろうなっていう。だからすごい細々とした生産の仕方が、「自分たちで作る」っていう分にはすごく合ってるんだろうなって思いながら大麻のことは見てます。
麻: ああ、そうですね。いまでも国に納める…
茶: そうですよね、神事とかで納めている大麻がありますよね、伊勢神宮とかに。
麻: 徳島の特定の家系だけで今も作り続けられているみたいですけどね。
茶: 神事用にですか。そうなんだ。へえ面白い。
麻: 謎ですよね(笑)
茶: 謎ですね、本当に。大麻って、なんか掘れば掘るほど出てくる感じが。
麻: そうなんです。
茶: じゃあ、一番好きな繊維は大麻なんですか。
麻: そうですね。
茶: 生地は持ってたりしますか。
麻: 大麻100%のものは…そうですね、生地でも好んで買ったり、そこから自分で作ったりとかしています。
茶: へえ!どこで買うんですか。
麻: 箪笥主様*の1人で大麻に関わられてる方がいて、ヘンプ系のブランドを持たれていて。布地の生産は中国なんですけど。
*「かわいい服には旅をさせよ」のコンセプトに共鳴した方が箪笥主となり、貸衣装の貸主となる取り組み。
茶: 生産が中国なんですか?
麻: そうですね。
茶: なるほど。いいですよね、私もちょこちょこ買って作っては、なんか、生地がねっとりしてんなと(笑)
麻: ああ、その感じがいいですよね。
茶: なんかねっとりしてますよね。結構針が、なんていうか抵抗が強いっていうか、強い繊維だなっていう感じを私は受けます。ただ、私の使っている生地は日本の古来の生産方法じゃなくて、それも中国産のものなので繊維が細かく切られた状態で機械紡績をされているみたいで、昔の手紡ぎで織られた大麻布と性質が同じかかどうかは分からないですけど。繊維の性質としてねっとり系なんだな、と。笑
megeさんはその旅を経て「これ以上服を作ることはやめよう」って思われたんですか。
松島にあるお店「mege」
麻: いや、縫製業やってる時点からそれは思い始めてましたかね。
茶: どうしてそう思ったんだろう。
麻: いいものを作ってる自負みたいなものはあったんですけど、もともとセールをしない会社だったんですけど、どんどん会社が大きくなるにつれてセール前提で作るようになってきたのも悲しくて。生地も大量に注文したり取り寄せたりするんですが、その生地の回収業者さんが毎月来て捨てられていくのを目の当たりにしてたので、個人的に縫製する人たちで分けたりもしてたんですけど、それでも全然追いつかないぐらいの量が出ていたんで。
茶: いや、膨大でしょうね。
麻: そうですね、それも悲しいなって。まあ作る人に向いてないんだろうなって、私が(笑)。つくること自体は好きなんですけども、生み出し続けるっていうのは多分向いてないのかなって。誰に届くかわからないものをたくさん作り続けるっていうのはちょっと違うのかな、と。
茶: ああ。わかります。
麻: 個人でこれ作ってほしいとかで作るのは、たまにしてるんですけど。
茶: それはつらくないんですね。
麻: そうですね。なんかまだ意味を見いだせるというか、顔も見えますしね。
茶: そうなんだ、なるほど。
麻: どちらかというと「あるものを生かす」っていう方が喜びを感じるかなって。
茶: アパレル会社を辞められたときは貸衣装っていうのは頭にあったんですか。
麻: それもちょっと私の記憶があっちにこっちに行ってて記憶が定かじゃないんですけど、当時出会ってた方曰く、「貸衣装」っていうワードはそのときから言ってたとのことでした。
茶: あ、そうなんですね。すごい。
麻: もしかしたらぽわんとは思ってたのかも知れない…
茶: 貸衣装っていうのは、普通のイメージだと「あるものを生かす」方向の貸衣装さんってすごく少ないので、効率重視で新しいものをつくって貸して廃棄するやり方が普通かなって思うんですけど、貸衣装=「あるものを生かす」っていう方向性に気づいたこと、そこに着目したのがすごいなって思います。
麻: いや全然すごくなくて、20代って結婚式呼ばれることが増える年代じゃないですか。だけどお金がなさすぎて、着たいものを着れないし、もうご祝儀包むだけでいっぱいいっぱい、みたいな。借り物競���じゃないですけど、知り合い当たって結婚式に着ていく衣装を借りまくってたんですね。
茶: そうなんだ、へー!すごくいいですね。笑
麻: なんかほんと、それぞれが持ってて、眠ってるものを生かし合えたらすごくいいのになみたいなことを思ってて。
茶: はー、私は全然借りるって発想がなかったですね。そうなんだ、面白いですね。
麻: 買えないのでそうせざるを得なかったっていうだけです。なんならその結婚されるご新婦から借りたりして(笑)
茶: そうなんだ!
麻: 着ていけるものが無いんだけどっていう相談したら、私のこれ貸してあげるからって。
茶: そういう経験があったから、貸し合えたりするのがいいなっていうのがイメージとしてあったんですかね。
麻: そうですね。でも、お洋服持ちの方っていっぱいいらっしゃいますけど、あの人の服、1回だけちょっと袖通してみたいな、とか、一度だけ着てみたい服ってありませんか。
茶: ありますね! megeさんがやられてることって今あるものを最大限に生かすことをなんだなっていうのがいろんな企画を拝見してても、ベースにすごくそれが強くあるんだなって思います。
一方で、新しい服を作るのは向いてないなって感じられたっておっしゃっていたんですけど、新しいものを作ること自体はどう思われますか。
麻: 作ることをやめてしまうと、技術的なものとかも途絶えてしまうので、新しいものをつくるのはやっぱり大事なことだと思うんですけど、生み出し方ですね。一生懸命作ってる方は応援したいなって思うし。
茶: うん。なるほど。私もたまに茅スタジオで「あたらしくない展」とか「スーパーリユース展」*っていうのをやってたりしてて。それはもう、あたらしくないものから作られたものだけで構成されている展示で。megeさんがおっしゃられているのと似たような感覚を私もアパレルで感じていたんです。私は商社やOEM会社にいたので、やっぱり大量生産で大量廃棄がものすごくされる中で、どうしてこんなにっていう思いがすごく強くなっていって。
*「あたらしくない展」2022年5月 「スーパーリユース展」2023年3月 「あたらしくないものへのエセー展」2023年5月
麻: もういらないって思いますよね(笑)
茶: 莫大な、そんな量が人類にとって必要なのかなって思うぐらいの量をぼんぼん作ってぼんぼん捨てるみたいなのを見てきて。megeさんがおられたK社さんは良心的な感覚を持ってますけど、私のいたところでは単にお金に向かうっていう感覚を私はすごく受けて。あーなんかすごくむなしいなって。
麻: 辛いですよね。
茶: すごい辛いですね。なんかやっぱ心が削られてく感じを受けるし、全く地球によくないなっていうのもすごく明確にあるし。服にも良くなくて。誰にいいんだろうって思うと、お金にとってはいいんだろうな、という感じ。経済にとってはいいんだろうなって思うし、でもそれは幻想だろうなと思うし。なんかもう作らなくていいよって思います。古布回収で捨てられたところの倉庫に行くと、大量に、毎日こんだけの倉庫が満杯になるよって。毎日こんな来るし、年末とかこれの◯倍ぐらいになるみたいな。
そういうのを見ると、えー!?って思う。OEMの頃の同僚はファストファッションで安い服買ってワンシーズンで捨てますよーとか言うし、なんで!?って。なんでワンシーズンで服を捨てる��要があるのだろう。服に至るための、植物を育てて、収穫して、よりわけて、紡いで、染めて、織って、洗って、縫ってとか、その工程全部がワンシーズンで捨てられるべきものじゃないと感じてて。
なのにそれが今のファッション界の価格の安さだったり縫製方法だと、ありえる感覚の話になっちゃってるんだなーって思うとなんだかすごく辛いので、なんか、あたらしくない、もうあたらしくないものだけでやろうかなと思って「あたらしくない展」とかをやって。
それは古布回収で排出された古着をもとに作った服たちとか、そこに共鳴するものを作ってらっしゃる方をお呼びしたり、染め替えしたりとか、あたらしくないものだけでいいんじゃないかっていう展示を私もやっているので、なんだかmegeさんのおっしゃられていることには共鳴する部分があります。でも同時に「自分で作る」っていうのはなんかいいなっていう感覚も徐々に持つようになってきてて。
麻: そうですね。
茶: ソーイング部もやってるんですけど、全然服作ったことない人たちが、その場で好きな服を作ってくんですけど。だんだん目がキラキラし出して、ものすごいハマる方はハマっていって。まったく作ったことなかった方なのに、半年以内で10着以上作ってたりする方もいて、ほんとすごいなと思って。
私は全然そんな作れないんですけど(笑)。 もう闇にまみれちゃったので。なんかもう呪いみたいな(笑)。アパレルの呪いみたいなのがいっぱいあって、すごい嫌になっちゃって、全然作れない状態だったんですけど、ソーイング部のみんなの100%楽しい!に向かう、趣味としての「つくる」を見てると、すっごくいいなと思って。見ててポジティブな感じに癒されています。
そして、あたらしいものを作ると言っても残布が集まってくるので、部員はその布を使って作ったりしてることが多くて。ソーイング部やってるよっていうことが伝わっていくと、これ使えなかったから、って布をくださる方がいっぱいいらっしゃって、それを使わせてもらっていろんなものを作ってくという流れになってたりします。だからあんまりみんなあたらしい布を買ってはいなくて、あたらしくない布であたらしい服を作っています。
麻: いい流れですね(笑)
茶: 必要な生地があるときは買うんですけど。なんかあるものでなんとかなっちゃうことも多くて、いろんなものが生み出されてて、はーすごいなと思って。なんかそれを見てると「自分で作る」っていうのもすごく大事なことなんだなって感じていて。
「つくる」っていうのが生活からなくなりすぎちゃってるのかなって感じるので、ゼロイチというか、生み出すことが、現代は単に「買って消費する」だけになっちゃってる部分が非常に大きいから、そうすると自分の頭で考えなくなっちゃうだろうなって思うし。「つくる」っていうのをやるとすごい考えるんじゃないですか、作るために。めちゃくちゃ考えなきゃいけないので、「考える」にすごい繋がりやすいんだなって思うと、「自分で作る」はすごくいいのかもなって見ながら思ってます。
だから両方やってる感じなんですけど、「あたらくないものだけで十分じゃん」っていう思いもあるし、でも、「自分で作る」を個々人がやるのはすごくいいなって思ってます。
麻: 私も同じ気持ちで。石徹白洋品店(いとしろようひん��ん)さんをフューチャーしたときは、最初は普通に販売会って形でやったんですけど、なんだかそれもちょっと違う、違和感あって、ただ売るだけじゃなくて、なんだろう、石徹白さんせっかく作り方を公開されてるので、ちょっとそこにフューチャーして、作る人口を増やすとこにいけないかなっていう形で、そっちの「作り方の販売会」をしました。
茶: すごい良いですね。ソーイング部でも石徹白洋品店さんのはめちゃくちゃ作ってて。megeさんで買わせていただいた「越前シャツの作り方」で作った方が 多分4~5人いて、たつけもその人たちは全員たつけを作ってから越前シャツに行ってるので、なんかすごい作ってます。笑
でも石徹白洋品店さんの作り方は独特なので、あれをやるともう技術力がいきなり上がって、もう大体何でも作れるみたいな、普通のパターンで作るやつなんか全然簡単だねみたいな感じになってくるので、なんか1個ハードルとしてたつけや越前シャツが成り立ってます。笑
麻: 石徹白さんのものを作って普通の洋装パターンとかでも作ると、その端切れの出方とかも比較的に見えてくるので、そこに考える部分が出そうですよね。なんかどっちもやるって大事だな。
茶: うん、あの無駄の出なさはすごいですよね。
麻: すごいですよね。
茶: すごい、ほんとすごいなって思います。ああいうのが各地にそれぞれが考えた感じであったんだろうなって。
麻: うんうん。
茶: なるほど。お話を伺っていると、難しいチャレンジをされてるんだなと感じます。でも、前回の石徹白さんの展示、すごく良いなと私は感じてます。
麻: あ、本当ですか。
茶: やっぱり、彼らの活動の中心がそっちじゃないかなって思うので。
麻: そうですね。
茶: だから作り手を増やすの大事だと思う。そして、その作り方の方にフォーカスする人って、できる人が限られると思うので。普通のセレクトショップさんとかだとそういう展示の仕方ができないんじゃないかな。なんかmegeさんだからこそできる、できるというかやってしまうというか(笑) すごいことだなと思いますそれは。
麻: ありがたいことに、あれをやったあとに、そのとき展示には来れなかった他県の方が、思い切って石徹白さんに行って、旅行してきましたって方がいたり。これまで2人くらい聞いたことあります。
茶: えー!すごいですね。
麻: 見えないところでそうやって石徹白さんに繋がってるんであればいいかなって思います。
茶: すごいふところの大きな話ですけど、そうですね。
そして、今度やっていただくワークショップのニットセーターを作り変えたものは「ももひき」って言っていいんでしょうか?「はくセーター」って言った方がいいのかな?
1枚のセーターがももひきや靴下に生まれ変わります。
麻: そうですね、ズボンの方は「ももひき」って考えた方が呼んでいたのでそのまま引き継いで「ももひき」って呼んでいて。「ももひき」と、あと「くつした」と、二つを総称して「はくセーター」って私は呼ばせもらっています。
茶: なるほど。茅スタジオでは、今回は「ももひき」にフォーカスを当てさせてもらいたいなと思ってるんですけど、ちなみに「くつした」だとどのぐらい必要なんですか?
麻: 人にもよるんですけど、1着から2足とれる場合もあります。
茶: 靴下でもセーター1枚必要なんですね。
麻: そうですね、前後ろ前後ろと、底と、で。
茶: ということは、無駄にならないのはももひきの方ってことですかね。
麻: あ、無駄にならないのはももひきの方ですね。
茶: なるほどね。靴下の方は割とこう、余り分が出ますよねきっと。
麻: そうですねカーブも多いので、本当にもうこれ着ないかなっていう最終到着地みたいな。
セーターをももひきにすることに見事成功した方々。いろんな柄や色がかわいい!
茶: セーターを、はくセーター(ももひき)にする ワークショップがいいなって思ったのは、どういうきっかけだったんですか?
麻: それは私の販売員時代にさかのぼるんですけど、お客様がご自身で作られてきた「はくセーター」を履いてこられていて、それがめちゃくちゃ...かわいくて。
お声がけをして、お手紙を書いたりしながら彼女の活動を追っていました。その後、私がお店を立ち上げ「あるものを活かす」という活動をやり始めたとき、すごく通じる部分を感じたので megeでも教えさせてくださいってお声がけして。
「はくセーター」を元々考���された方は高知に住んでいらっしゃるyumahareさんっていう方なんですけど、彼女をお呼びして、東北を巡りながら一緒にワークショップをやったりしました。
茶: 東北を巡ったんですか!
麻: ���う、それと私も彼女の住んでいるところを感じたかったので、最終目的地を高知にして。そのとき、それが自分が「はくセーター」を教える最後だ、とおっしゃられていて。 あとは私に引き継ぐと。
「教えまくっていた」という、日本各地で行われたワークショップ
その後は私が教えまくって、私の周りではほぼ全員知っている、みたいな状況になってしまって笑 「はくセーター」で生きてたんじゃないかっていう位、教えまくっていました。本当に、もう、これ着ないなっていうセーターの最終到着地だなと思っています。着古したセーターだったり、おじいちゃんが着てた古いセーターだったり、デザインが合わないなっていうセーターが 「はくセーター」、つまり、ももひきに生まれ変わることで、また着て。そうして使い切っていくような、ひとつの知恵を伝えていきたいです。
茶: きっと初めての西東京での開催ですよね。楽しみです。
最後に、衣や服についてもうひとつお聞きしたいです。「もう服をつくるのはやめよう」って思うほどの境地にいたりながら、なんで嫌いにならなかったのでしょう。
麻: 何ですかね、うまく言葉にできるのかな。そうですね、まず名前にもう衣(い)って入っちゃってるので、なんか…運命共同体じゃないですけど、 勝手に衣(ころも)についてやっていくべきなんじゃないかっていう使命感を持っていて。他にやりたいこともないですし。
茶: そうなんだ。
麻: はい。多分今、 そこへの執着をなくしてしまったら向かうところが何もなくなって、ちゃらんぽらんになっちゃうような気がして(笑)
茶: その執着の源泉はどこだと思いますか。
麻: 服…単に昔からいろいろ着るのが好きでっていう延長にいますね。切っては切り離せないものですよね、衣食住の衣っていう一番上にくる部分として。
茶: うん。でもそれはまあみんなにとってそうで、みんなの中には、なんか別に服とか選ばない人もいっぱいいると思うんですよね。で、そこまで執着して衣服をずっとテーマにし続けるって、やらない、やらないというかやれない人もいると思います。
麻: うん。そうですね。なんででしょうね(笑) ちょっと自分でもそこまで考えずにやってきたので。嫌じゃないから。
茶: 嫌いにならなかったんですか。
麻: そうですね、嫌いにはなってないです。服を作るのをやめようって思ったのは服が嫌いになったからではなく、私は職業としてこれは違うなっていう選択をしただけであって、服との気持ちの良い関わり方は何かないのかなっていうのをこうあれこれ探っているうちに今の形にちょっと落ち着いたのかな。
茶: 例えば新しいものを作ることは否定しないっておっしゃっていましたが、でもなんで自分にはそれを許さない、許容しないというのを決めたんでしょうか。
麻: うーん、そうですね。新しいものを完全に作らないということはないんですけど、そこを軸にはしたくない、自分はそこじゃなくていいっていう感じですかね。
新しいものを作るのも苦ではないんですけど、作る方って、もう湧いてきちゃってしょうがないって感じだと思うんですけど、私はあるものを、決まったものを作ることは向いてると思うんですけど、ゼロから作り出すっていうのは向いてないと思ってて。
茶: 職人タイプっていう感じなのかな。
麻: あ、そうですね。
茶: なるほど。いつぐらいに衣服、繊維関係に入っていきたいなって思われたんですか?
麻: ざっくりと思い始めたのは、中高生くらいですかね。 当時古着が流行っていて、ファッション雑誌が好きで読み漁ってたのもあるんですけど、私の世代ぐらいからゆとり教育が始まって「総合学習の時間」っていうなんでも好きなことを学びの題材にして勉強していい、みたいな時間に、民族衣装テーマにしてアオザイを作ったんですね。型紙買って、ちょっと縫える用務員さんをつかまえて縫っちゃったという位の簡単なものだったんですけど、なんかそれが面白くて。そこらへんからファッションの世界にずっと憧れていて、多分、中高生くらいからはもうずっとファッションの専門学校しか見てなかったです。でも当時は単なる憧れの要素が強かったですけどね。
茶: その中でずっとやられていく中で、衣服じゃないかもって感じたことはない?
麻: 一回、青年海外協力隊とかも興味出たことはありましたが、でもそれも繊維系のことを教える部門っていうのがあったから興味が出たので、衣服から外れたことがないのかもしれないですね。
茶: なるほど、ずっと衣服なんですね。なんで好きなんでしょうね。
麻: 人と繋がっていられる手段が私には服しかないのかもしれないです。
心地よく人とつながっていられるのはやっぱり衣服を通じてな感じがします。友人関係とか、いい人間関係を続けてこられるのも、だいたいK社の先輩後輩・同僚だったり、お店で知り合った人だったり。服は合うのかなと感じていて。
茶: いちばん上手にコミュニケートできる分野だという感じがあるんですね。
麻: うん、そういう気がします。
茶: なるほど。megeでは場づくりをしているっていう意識はありますか?
麻: そこはちょっと意識は��てるかもしれないですね。
茶: 場作りしてる上で大事にしてることってどんなことでしょう。
麻: 例えば展示会だったり販売会ってなったときには、ただ売るっていうことはできるだけしないようにしていますね。例えば、うちに服を預けてくださっている箪笥主様が生業としているものを扱わせていただくとか、まず人があってその方のやっていることを紹介しています。物からはじまるのではなく、「まず人があっての物」っていうのは意識していますね。
石徹白さんのときも、石徹白さんの主軸にしている、大事にされているところを伝わるようにやっていました。そういうふうに繰り返すことで、それを良いって思ってくださる方が集ってきてくれている実感があるので、このやり方を続けていこうかなと思っています。
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内田麻衣(うちだ・まい)/ mege(めげ) 宮城県石巻市北上町出身。服飾の専門学校で学び、アパレル会社に就職。東京で3年間販売員として勤めたのち、同社のものづくりを行う岡山工場へ。 2年間の縫製業を経て宮城へUターンし「mege(めげ)」を立ち上げる。服の貸し出しを中心に、服を長く、大切に着る生活を提案しつづけている。
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「セーターを、はくセーターに」ワークショップ 12月15日 (日)13時〜16時ごろ。 着なくなったセーターをももひきにリメイクしませんか。 参加費 3,000円+ 資材費 500円(資材必要な方のみ)。 こども連れも歓迎。冬におすすめです。
つかう資材: ・ニットを縫い付ける毛糸(できればセーターと同色の細番手のもの)*縫い目がちらちら見えてもかわいかったりするので、色は絶対ではないです。 ・ゴム(ウエスト用のもの。締め付けが嫌な方は紐でも可)
もちもの: ・裁縫セット(裁ちばさみ、小ばさみ、針、糸)
申し込み: [email protected] まで。
写真提供:mege
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台東区 掃除機回収 ミシン回収
HP:9:00~20:00 年中無休 不用品回収 Brainz 東京/埼玉/千葉 TEL:即日対応 フリーダイヤル:0120-335-282(見積り無料) は、東京都全域・埼玉県南部・千葉県西部と神奈川県北部で 家庭用/事業用の不用品回収 や 解体処分、引越し時の片付け・整理のお手伝い、��用品の出張買取・遺品整理・ゴミ回収などを行っている 不用品回収の専門会社です。 今回 お客様よりご依頼頂き、回収処分した掃除機・ミシン・パソコンモニターについてご紹介します。 ■ご依頼状況:不要になったミシンを買い取って欲しい。他に不用品もある。 ■ご依頼内容:掃除機・ミシン・パソコンモニター回収・処分 ■ご依頼地域:東京都台東区 ■お客様から頂いた声:買い取り希望でしたが今回は不可でした。他の要らないモノもお願いし、処分してもらう事にしました。ありがとうございます。 不用品回収…
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60代からのソーイング
最近、「60代からのソーイング」という本を教科書にして、服作りにはまっている。まあ、はまっている、というほど作ってはいないのだが、この夏2枚のワンピースを「いい感じ」で作ることができた。今までにも、ワンピースやブラウスは自己流で作ってきたのだが、この本の通りに作ると実にスムーズに作れる。
この本との最初の出会いは本屋さんで、まだ私は50代の終わりだったのだか、ふと手に取ったこの本の「作り方」のページがカラーで大きくて見やすかった。
当時東京に住んでいた私の楽しみのひとつは、大型書店の「手芸・ソーイング」コーナーに行って、最近の手芸・ソーイング事情を時々チェックすることだった。
手芸は刺繍でも編み物でもやり尽くされていると思いきや、後から後からいくらでも新しい切り口で、魅力的な写真とともに出版される。ソーイングの方はいかに簡単にステキな服が作れるか、ということに主眼が置かれて、やはり次から次へと出版される。
思えば、昔の服作りは大変なスキルを要求されていた。小さい頃から、母が服を作るのを横から見ていたのだが、まずスタイルブックを見てどの服を作るか決めたら、後ろに載ってる白黒の小さな製図の仕方を方眼ノートに書き写し、自分のサイズに計算して型紙を起こす。布地への印つけは、たいてい「切りじつけ」といって白い糸で型紙の輪郭やダーツを縫いながら印をつけていた。母は決してはしょったり手を抜いたりせずに、きちんと工程を踏んで、身体にフィットしたすばらしい服を作っていたと思う。昔の婦人服は胸のダーツをとって、ウエストも細くくびれさせた服が主流だったのだ。
母は服が出来上がると、残りぎれの一部を切手大に切って方眼ノートに貼り付けていた。私はその母の方眼ノートをパラパラめくって、色とりどりの小さなきれを眺めるのが好きだった。母が亡くなった後、押入れの奥から出てきた何冊もの方眼ノートは、パラパラとすると、変色したセロテープの跡のついた小きれがいくつも落ちてきた。どれも見覚えがあり、懐かしい若き母のワンピース姿が目に浮かんだ。
さて、「私はまだ50代なんだけど」と心の中��つぶやきながら、「60代からのソーイング」を買って帰った。スタイルブックを見ながら、どれを作ろうか、生地はどれにしようかと思いを巡らすのも、またたまらなく楽しい。こんな楽しいことがあるだろうか、と思ってしまう。けれど時間だけはどんどん経ってしまう。当時の私は週に2回は両親のいるホームに通っていたし、世の中ではコロナ騒動が始まっていた。両親は相次いで亡くなり、私たち家族は山梨に移住した。
山梨に来てから、買い物をする場所が少ないこともあって、生協に入った。いや、東京にいる時だって、子どもが生まれてからずっと生協に入っていたのだが。私はスーパーやらデパ地下で買い物するのは、時間がかかるのであまり好きではない。今までも、食べ物から日用品からパジャマや下着など、何もかも生協で買ってきた。いろんな本もまた生協で買ってきた。山梨で入った生協は、カタログを広げて見ると、東京で入っていたのとは品揃えがちょっと違うところがなんか新鮮だ。そして今度のカタログにも、わずかだが書籍のページもある。
ある日、その書籍案内のページに「60代からのソーイング」を発見した。春夏版だった。私が買ったのは秋冬版だった。へー、懐かしい友人に久しぶりに会った気持ちだった。調べてみるとその本は年2回出版で、私が最初に買ったのはVol.4だった。今度の新しいのはVol.7だ。
早速注文して、またあれこれ思いを巡らせる。春夏物だから、秋冬物より作りやすそうだ。母の遺した布地がいっぱいあって、どの生地でどれを作る? 楽しい時間の始まりだ。
そんなある日、我が家から車で20分ほどのところにある、「アフリカンアートミュージアム」に出かけた。展示品のアフリカの仮面もおもしろかったのだが、ミュージアムショップに色鮮やかな布が売っているのが気になった。布地はいっぱい持っているのに、新しいものを見るとまた欲しくなる、これは一種の病気だ。
その布は「カンガ」という、アフリカの女性が体に巻いて胸から膝までを覆う布で長方形の布で、太い額縁と中の絵があるような構図になっているのは、どの布も同じだ。そして絵のタイトルのように、スワヒリ語で「KUELEWANA KWA NDUGU NI UTAJIRI」とプリントしてある。意味は「親身になってくれる人がそばにいるのはいいものだ」とのこと。色も大好きなターコイズブルーで、これで何としてもワンピースが作りたいと思った。
家に戻って「60代からのソーイング」春夏版を広げる。どの型だったら、カンガの柄を生かせるか。これだったら、というのが見つかり、実物大型紙をハトロン紙に写す。母が洋裁をしていた時代のスタイルブックは製図しか載っていなかったのが、今の本は逆で、製図はまず載っていない。SMLのサイズのどれかの型紙を選んで写すのだ。
以前はそうした本の型紙をそのまま写して、生地に乗せて��ら周囲に縫い代を、ここは1センチ、ここは1.5センチとチャコペンで印をつけていた私だが、最近は( 以前からあった方法なのに、私が知らなかっただけかもしれないが)縫い代付きの型紙にして、縫うときにここは1.5センチの縫い代だからと、ミシンの針が落ちる板に刻印してある1.5センチの刻み線に沿って、布端から1.5センチのところを縫うというルールだ。母のやっていたような糸による切りじつけや、あるいはチャコペンで簡単に印をつけることさえ省略しているのだ。昔の服は身体にきちっと沿っていたから、厳密な印付けが必要だったが、現代はゆとりのある服を着るのが普通になっいるので、そうなったのだろう。
「60代からのソーイング」も大きめサイズをスポンとかぶるスタイルが多く、胸のダーツを取るスタイルは少なく、ボタン開きのデザインも少ない。普段はM~Lサイズを選ぶ私だが、「60代からのソーイング」ではSを選んだ。
縫い代付き型紙を作って布に乗せる。例の「親身になってくれる人が・・・」の文字が、ちょうど切れないようにスカートの幅いっぱいになるように置く。布のど真ん中で前身頃を取ったので、後ろ見頃は布の両端で取って、背中の真ん中ではぎを取る。でもそれを額縁の絵の両端同士をはぎ合わせて、背中にも新たな長方形を作るか、前身頃から続いているようにして、額縁の外側同士をはぐか迷ったが、前者にすることにした。残りのわずかな部分で、襟ぐりの見返しを取った。
こうして移住一年目にして、初の「60代からのソーイング」ができた。気づけば私もちょうど60歳になっていた。母のやり方に比べれば、随分ラフな作り方だが、サイズ感もちょうどよく、これが現代にマッチした服作りなのではないだろうか。
今までも自己流で作ってきた型紙は、一作ずつビニールに入れていた。タイトルも「何の本の何ページの服Lサイズ」などと書いたシールをビニールに貼って保存してきたが、いざ「あの型紙はどこだっけ」と探すとなかなか見つからない。みんなどうやって整理しているのかなとネットで調べると、出るわ出るわいっぱい参考になる整理法がある。
「とにかく人間は忘れやすいので、襟だとか見返しだとか小さい型紙の全部に、何の型紙か書くこと。一枚だけ部屋に落ちていてもどの型紙とセットかすぐわかる」なるほど。型紙は畳んで、A4のクリアファイルに収めている人が多いようだ。「作り方の順番も全部書いて型紙と一緒に保存して置くと、すぐ取りかかれる」なるほど。作り方のページをコピーして、自分なりのメモも忘れないうちに書き出しておく。「作った布地のはし切れを型紙に貼って置くと、次回あの服を作った型紙はと探すとき一目瞭然」なるほど。
こうして私の宝物のような型紙ファイルができた。同じ型の服を作るならすぐ作ることができる。そして最初のワンピースに続いて、次に秋冬物の本から、袖が七部丈のワンピースを作ることができた。布地は母が遺していたものだ。母がこの布を買ってから、40年ぐらい経っているのではなかろうか。でも、布の柔らかさとワンピースの型が���まくマッチしたようで嬉しい。山梨の風景にも合っている服だと思う。「60代からのソーイング」の新しい秋冬号も今から楽しみだ。
2021年8月
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🎼 00393 「Good Morning Little School Girl」。
とある女学校に通う乙女たちが、家計簿をつけたり、意地悪な兄に机を取られたり、夢の中で 夢のやうな生活をし過ぎて寝坊と遅刻を繰り返したり、Janome のミシンでお裁縫をしたり、割烹着姿で洗濯板を用いたりしながら お洗濯をしたり、教室に現れた ナマイキなネズミ (チュウ子) をデッキブラシやホウキで打ちのめしたり、皆で体育着姿で歌いながら畑に向かって汗水を流したり、自分のと、妹やおとうさんの分まで せっせと お弁当を拵えたり、一両編成の電車が走る駅前で 千人針の結び目をつくって貰っていた 赤ん坊を背負った 山田五十鈴さんと出会ったり (お買い物かごがかわいい)、喜びや悲しみを分かち合いたいと 旅行に行けぬ同級生にお手紙を認めたり、旅行で泊まった旅館で お菓子を頂きながら眠れぬ夜を過ごしたり、夜の浜辺ではしゃいだり、学校を離れる恩師に涙したり、体操に励んだりする 東京発声映画製作所の 「女学生記」 を観ています。村田武雄監督作品。わたしのラブリー 高峰秀子さんが セーラー服な眼鏡っ子の "サチコさん" 役で出演していました。とても可愛らしかったです。そんなヒデコさんのサチコさんが 読書の時間で読んでいた本は "フランス 敗れたり" でした。
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2021.1.25mon_okayama
6:50頃に目を覚ます。すぐ��に愛犬おむすびの寝顔。今日もかわいい。冬になって、彼も私も少しずつ起きる時間が遅くなってる。それでも大抵は気持ちよく起きられるのだけど、今朝は眠くてだるい。先週は遅くまで起きている日が続いたから、リズムがくるってるみたい。今日はやることをゆっくり進めながら、自分を調整する日にしよう、なんてぼんやり考えながら起きる。リビングへ移動して朝ごはんを食べて、着替えもすませたけどやっぱり眠い。そのまま犬くんと並んですこしウトウト。
アトリエ部屋へ入り、カーテンを開ける。朝の儀式。ここからの景色がとても好きだ。昨夜までの雨で湿気を含んだ池の土手から、白い蒸気がたち昇っているのが見える。池の方から白鷺がぐんぐん飛んでくる。いろんな鳥の飛び方を間近で見られるのは、この部屋のいいところの一つ。種類によって明らかに違ってすごく面白い。先日は、カモと白鷺が池に着水するところを見た。カモは旋回しながら少しずつ周回を小さく、高度を低くしていって、滑るように水上に降りる。白鷺は羽ばたかず風に乗りながらまっすぐ進んで、池の手前で翼をm型に湾曲させ、急降下して池の端にある直径1mほどの小さな浮島へ見事に着地してみせた。「あれ、かっこよかったなあ」と思い出しながら、しばし景色を眺める。
日がさして暖かくなってきたので、犬くんと散歩へ。寒いからか、ここのところ彼はショートコースしか歩かなくなっていたのだけど、分岐点で久しぶりにロングコースを選んだ。「おっ、今日はちょっとやる気があるみたい」と喜ぶのもつかの間、自転車ですれ違った人が「あら、かわいい~」と声をかけてくれて、気を良くした犬くんは追いかけようと踵を返し、結局ショートコースに戻る。散歩から帰って、玄関を掃いて、洗濯物を干す。今日は貴重な晴れ間らしい。
ついでに裏山のゆるやかな坂道を上がってみる。土も草もまだ湿ってる。高台にある我が家は眺めがいいのだけれど、坂を上がるともっと開けた景色が見えて、胸がすうっとする。坂の途中で鳥の羽が散乱しているのを見つける。灰色の長細い羽。なんの鳥だろう。それなりの枚数が落ちているし本体が見当たらないから、多分イノシシか猫かイタチあたりに捕食されたんだろう。雨上がりは鳥が活動的。庭でメジロやシジュウカラが飛び回っていて、とてもかわいい。裏庭にはジョウビタキの雌が来ていた。コロンと愛らしい姿に朝からときめく。
お昼ご飯を食べて、犬くんと一緒にアトリエへ。窓際ですこし本を読んでから、作品の発送準備をしたり、事務作業をしたり、作品の撮影をしたり。水彩のドローイングがたまってきたので、何らかの形にしたい。日記のように描いているものと、朗読とのセッションで描いたもの。水彩は最初のうちは使い慣れなかったけど、続けていると絵がどんどん良くなってきた(と自分では思っている)。撮った写真の整理をしていたら、作品か展示か本のかは分からないけど、しっくりくるタイトルが二つ浮かんだ。メモしながら、そこから広がるアイデアを書き留める。ふと思いついて山をスケッチし始めたら思ったより大変で、少し疲れて眠くなってしまった。
眠気覚ましにリビングへ移動して15時のおやつ。今日はざくろ。ガーネットでできたとうもろこしみたいな粒がたくさん詰まってて、ゾワゾワしながら食べる。赤紫色の果汁が綺麗。
時間があるうちにと思って、先日買ったミシンを触ってみる。といっても上糸と下糸を付け替えて試し縫いしただけ。小学生の時に糸がもつれて困ったことを引きずっていて、ミシンにはずっと苦手意識がある。天敵のボビンと向き合って消耗したので、今日はここまで。アパレル関係の友人たち、これを日常的にやってるのすごいな。その人にとっては当たり前でも、はたから見ればすごいねって思われるもの、いろいろあるはずだよなと考えながら、洗濯物を取り込む。
ちょうどいい時間になったので、犬くんと一緒に夕日を眺める。今日はほとんど雲がなくて、黄砂か湿度のために山ぎわが赤くぼうっと霞んでいる。おかげで真っ赤な夕日がはっきり見られた。黄昏の時間は、遠くにいる会いたい人、会えない人のことが胸に浮かぶ。おむすびの瞳に黄昏が映る。
夕飯を食べて、アトリエの机の上の片付け。先週はライティング仕事の仕様にしていたので、絵に取り掛かりやすいように整える。お風呂へ入ってからアトリエへ戻って、お茶を飲みながら日記を書き始める。23時半くらいにリビングへ戻り、歯磨きをしつつ湯たんぽの用意。おむすびを抱えて湯たんぽと一緒に寝室へ運ぶ。アトリエへ戻って日記の続き。そろそろおしまい。せっかくだから、今夜もドローイングを描いてから寝ようかな。
-プロフィール- 林雅子(ハヤス) 岡山 美術作家/ライター 2020年夏に東京から岡山へ居を移す。 https://masakohayashi.tumblr.com/
Instagram:@hayashi_hayasu
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Vol.01【2020SS】風を感じる春夏。
ーー明けましておめでとうございます。
辻 遅いやろ(笑)。
ーー今年初めての更新なので一応(笑)。
辻 展示会の準備とか東京店の引っ越しとかでバタバタしてて、なかなか公開トークができなくてすみません。3月のどこかではやりたいと思ってますので、もう少々、お待ちください。
ーーそんな中、春物がどんどんデリバリーされてますね。
德田 されてますよ~。店がどんどん華やかになっていく感じは、やっぱり春ならではよね。
辻 そうですね。春物の革とかはなかなか好評で、もう結構動いてますよ。
ーー革と言えば、新しいデザインのジャケットが今シーズンはありますね。
德田 『スカイジャケット』でしょ。久しぶりに革でデコラティブなデザインをしたよね。
辻 とことんデザインしました。左右非対称の。もともとインスピレーションを受けたのが凄く無骨なモーターサイクルジャケットだったんですけど、それをファニーにしたというか、洗練させたというか。
德田 パッと見た瞬間に「あ、カッコいい!」ってなるデザイン。そういう強さのある革ジャンって久しぶりに作った。
ーー『アランジャケット』とは対照的ですもんね。
德田 『アランジャケット』は静かに革の魅力を引き出してたけど、『スカイジャケット』にはディテールが多いっていうカッコ良さがある。
ーー確かにディテールが多いですね。
德田 ベルトもあって、ちっちゃいポケットもあってさ。フロントの折り返しもピタッと折れるわけじゃないから、ボタンを留めても立体的になる。なんかこう、ファッションしてる! って感じがあるよね。
辻 あるある。街で着てたら目立つやろしね。
ーーグリーンはもちろんなんですけど、黒もなんか雰囲気ありますよね。
辻 革と縫製糸の色が違う、配色ステッチにしてるっていうのもあるんちゃうかな。
德田 革で配色ステッチって、なかなかやらないもんね。
ーー難しいんですか?
辻 難しい。同色とは比べものにならないぐらいアラが目立つからね。革って縫い直しができないのよ。特にシームをまたいで2本ステッチを入れる部分とかは、左右をバランスよく揃えるのが難しい。
德田 デニムとかだったら2本針のミシンがあったりするけど、そうじゃないから。
ーーえ、2本針で縫ってないんですか!?
辻 全部シングルステッチ。1台のミシンで全部縫う。
ーーそれはかなり腕が問われますね。
辻 めちゃくちゃ問われる。失敗したらもう一回、革を裁断してやり直さなあかんから。ようやってくれはったと思うわ。裁断も革を一枚一枚見て、ここのパーツにはこの部分をとか、もの凄く細かくやっていただいてる。
德田 お安いジャケットではないのでね、その辺はキチッと丁寧に作らせていただいております。ちなみに裏地はレオパンダちゃんです。
辻 革と言えば、BUTも新作がございますねん。
德田 そうそう。革のベスト(BRITT)とスエット(BEHATI)が。
ーーなかなかファンキーなチョイスですね。
德田 でしょ(笑)。特に革のベストが思ってた以上に好評で。
辻 フロントに飾りが付いてるんです。民族衣装みたいな。
德田 面白いのは、BUTの革って製品にしてから洗い加工をかけるんだけど、その飾りも一緒にエージングされるから、いい表情が出てくるのよ。
ーー革のベストって無骨なイメージがありますけど、ちょっといままでにない感じですよね。
德田 でしょ。ルックブックでも革のベストでスタイリングを組んだけど、Tシャツに羽織るだけでも雰囲気出たもん。
ーースエットはどうですか? 革のスエットって、なかなか聞いたことないんですけど。
辻 ぶっちゃけ展示会では、まったく評価してもらえませんでした(笑)。でも『アランジャケット』も、11年前に初めて作ったときはそんな感じやったわ。「何これ?誰が買うん?」みたいな。ファーストオーダーなんか笑ってしまうぐらい少なかったし。
ーーそれがいまや「ブルーナボインの革と言えば」なアイテムですもんね。
德田 革のスエットってだけ聞くと「?」だけど、着るとほんとにカッコいいのよ。個人的にも、これは欲しい!
ーーそもそもどうして革でスエットを作ろうと思ったんですか?
辻 德田さんのリクエスト(笑)。
德田 そうなんです。どうしてかって言うとね、子供の頃に祖父母が海外旅行のお土産に、スエットみたいなプルオーバーの革のジャンパーを買ってきてくれたの。それがあまりにもカッコよくて、凄いお気に入りだったんだけど、その当時の革って「革です!」みたいな独特のニオイがあったのよ。
辻 あったあった。
德田 それが子供の頃は耐えられなくて、お気に入りなのにあんまり着れなかったの。で、そのニオイが大丈夫になったときには、もうサイズが小さくなってて…。だからいつか革のスエットが欲しいってずっと思ってたので、今回ラインナップに入れてみました。
ーーまさにBUTの真骨頂的なアイテムじゃないですか! 面白いことに、とにかくチャレンジしてみるっていう。
辻 ただ、「革でスエット作ろ」って言われても、そんなに簡単にできるものではないんですよ。
德田 スエットのカタチをそのまま革に落とし込むだけではできないから。
ーー革でスエットを作るっていう案が出たとき、「これは難儀やぞ」って思いました?
辻 いや、革の取り方とか���ちょっと工夫がいったけど、心が動かされたから楽しかった。
ーーどういうところに心が動かされたんですか?
辻 革でスエット、なるほどな。誰も作ってないわな、って。でも春夏やしな。ちょっとでも長く着てもらえるにはどうしたらいいのかな。あ、そうや風が通るようにしよ。というわけでスエットなんですけど、いろんなとこが開くようになってます。
ーーどこが開くんですか?
辻 肩も開くし、脇も開くし、腕も開く。あとは背中も。
德田 これはゴツめのストールとかとコーディネートしてもらったら抜群よね。
辻 抜群です。革はいいよ。真夏以外いつでも着れるしね。特にいまからゴールデンウィークぐらいまでは、革を着るのに一番いい季節。
ーー開くと言えば、今シーズンは背中にベンチレーションの付いたアイテムが多いですよね。
辻 そうなんです。『ウエンティ ゴッサマージャケット」とか、アイテム名に「ウエンティ」ってついてるのは全部、背中が開いてるんです。
ーー「ウエンティ」ってどういう意味なんですか?
德田 ローマ神話に登場する風の神の名前で、古典ローマ語では「風」っていう意味がある。
ーーどうしてまた、いろんなアイテムにベンチレーションを付けたんですか?
辻 背中開いてたら、なんか楽しいでしょ。バックプリントのTシャツが見えたりして。尚且つ去年の夏ってめちゃくちゃ暑かったやん。
ーー暑かったですね。
辻 もちろんTシャツとかシャツ1枚でも、それはそれでいいんですけど、やっぱりファッションって楽しんでなんぼですからね。だからもうちょっと重ね着を楽しみたいとも思ってて、じゃあ背中開いてたら涼しいんちゃうかと。それやったらベンチレーション付けたら風も通るし、服の表情も変えられるし、着こなしの幅も広がるし、いいこと尽くめ。岡本太郎じゃないけど、"背中にディテールがあってもいいじゃないか"というね。
德田 だから今年は『ブレーメン ロンT』とか、バックプリントが入ったアイテムもいろいろ作りました。
辻 みんな鏡に向かっても、ほとんど前しか見ないでしょ。でも、背中からプリントが見えたりしたら楽しいから。1回試してみて。
德田 あとウエンティシリーズには『ウエンティ ストレージャンパー』とか『ウエンティ メルシュベスト』みたいに、丸カンが付いてるアイテムがあってね。そこにじゃらじゃらとキーホルダーを付けてもらっても楽しいよ。
ーーそのためにキーホルダーもいろいろ作ったんですよね?
德田 作ったよ。『ドリームホルダーシリーズ』っていう。
辻 やっぱりメンズのアクセサリーって、リングとかバングルが多くなってしまうでしょ。でも、キーホルダーってアクセサリーになるなと思って。で、パンツにはベルトループがあるからすぐ付けられるけど、トップスに付いてた方が面白いやん。
ーー確かに。
辻 そんなことをいろいろ考えてるうちに、そういえばフィッシングジャケットとかベストってDカンが付いてて、いろいろ装備できるようになってたなぁ…ていうところからのインスピレーションです。
德田 『リアルシュリンクバッグ』に付けても可愛いし、楽しい用途は他にもいろいろとございますので。
ーーそろそろお時間ですね。東京店の移転以外で、なにか近々にイベントの予定とかないんですか?
辻 あります! 4月の上旬に大阪店でワコールのイベントやります。
ーーワコールって、女性用の下着メーカーじゃないんですか?
辻 それがメンズもあるのよ。ボクも愛用してるんですけど、もの凄くいい。詳しいことはまたSNSか次回のスペシャルページで告知するけど、どっかでパンツを買おうと思ってた人は、ちょっと待っててください!
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2019年を振り返る。前編。みたいな。
何だか人生の中で最も予定がギュウギュウな一年だった気がします。だって全然ブログ書けてないじゃないですか。お久しぶりです。おまたせ(?)しました。トップ画像は橋(だったと思う)から撮った綺麗な夕暮れの写真です。LEDも相まって幻想的な気がしないでもない。
今年は自分の個性才能が何であるのか神様に祈り尋ねつつ、興味のある分野を開拓する年だったように思います。私��神様に出会ってから一応電気系分野に行った身ですが、それまで医療従事者に囲まれていたこともあり、人体を神様の設計製作物として考えて日々を過ごすなどしました。
これは夏休みに実験したモンスターエナジー(近年若人が飲んでるのをよく見かける)で発電した(溶かしている)ときのお写真(インターネットで実験してる人を見かけたのでやってみようということになったため)。0.3Vレンジで0.05Vくらいまで針が振れた。
実験に使った歯は、歯親知らずとか、顎に収まりきらなくて仕方なく抜いたとかそういう、要らなくなった歯を使いました。抜かないと横の歯を圧迫してやばい場合もあるので、痛い人はちゃんと歯医者に行ったほうがいいと思う。あと歯医者は当たりはずれ多いから、事前にリサーチしたほうがいいです。というか、まずは祈りましょう。神様に相談しよう。
紙パックの100%オレンジジュースでやったときもまあまあ発電できたんだけど、水でバシャバシャしたらゆるやかに0Vへ近付いた(しかし完全に0Vまで下がったわけではない)。けれどモンスターエナジーは添加物のせいか水でなかなか落ちなくて歯を磨かないかぎりずっとこんな調子で歯が溶け続けてしまうっぽいことがわかった。やばくないですか。ちなみに一番発電できたのは白ワインでした。神様がお酒を飲むなって仰るのは脳を守る為ですが、歯にもよくないんですよね。
ネットで有名な重曹水洗口はどうなんすかね?ということで重曹水でバシャバシャしたら、一旦0.05Vまでガッと振れたあとに一気に0Vまでしっかり下がった…からまあ確かに、水でゆすぐより効果あるんだと思う。だってニュートラルになって発電が止まるわけだから。
テスタは自分ではんだ付するキットのやつで、アナログなんだけど、電気系の学校行ってた人は授業で作った思い出あったりすると思う。ちなみに私はブザー付けなかった派です。最近は鉛フリーはんだが主流なんだけど、このキットについてくるはんだは鉛入りなのであった。
これも夏の写真なのですが、都内を散歩していたときに遭遇したカレー屋さんの天井で回っていたミラーボールの画像です。いつか行ってみたいなと思っていたカレー屋さんでもあったんだけど、まさか出くわすとは思っていなかったし、こんなにカオスな店内だとも思っていませんでした。ランチタイムで食べ放題だったのですが、オクラが一番美味しかった気がする。
これが店の看板(?)だったんですが、確かに野菜の甘味が効いていておいしかった。お肉は底の方に肉ブロックが沈んでいるので行った人は頑張って発掘してください。
これはビックサイトで開催されたファッション産業機器展に行ったらめちゃめちゃいい天気で、こんなにいい天気なのに私はこれから室内で過ごそうというのか…とか思いながら撮った青空の画像です。
主にミシンとか刺繍���とか裁断機とか編み機とか、ステッピングモータでガガガガガッて感じの展示会です(あ、でもプリンタで有名なブラザーはDCモータ使って制御して費用を抑えてるとかいう噂を聞きました)。もちろん服飾用のCADもあります。ホールガーメントで有名な島精機あるじゃないですか?そこのCADの布の質感表現はものすごかったです。5GになったらYouTuberとかVTuberはもう服買わなくていいんじゃないかしら。好きな服をデザインして取っ替え引っ替えをバーチャルでできるようにすれば楽しそうだと思いました。
こういう規模の大きな会社が集まる会場ではこの先この国はどうなるんだろうねって話をすることが多い。私はもう普通に誰とでも神様の話をしたい気持ちでいっぱいなんだけれど、まあまずはRAPT理論に辿り着いてもらわないと世界について真剣に考えるなんて無理なので、とりあえず政治経済から宗教史までの話を振ったりします。
大体の大人たちが、「勉強になります」とか、「そんなふうにちゃんと未来のことを考えてる若い人たちがいるってわかって安心しました」とか言ってくるんですけど、いや、そこで終わらせないでほしい。自分でも突っ込んで調べてほしい。あと昨日神様が言及されていた老害問題はどこの会社も一緒でした。そして毎回お互い明るい未来のために頑張りましょうって解散する。
ずっと立って喋って過ごすとお腹がすきます。展示会ではみんな水分も摂らずに喋り続ける傾向があるので、私はちょいちょい相手に水分補給を促すんだけど、プロ意識なのか社畜根性なのか水分補給をすると怒り出す老害が身近にいるせいなのか、彼らいつも目の前では絶対に飲まない。脳が…脳が…神様…
あと酸素。酸素超大事だ��らみんな積極的に酸素を吸っていきましょうね。
ビックサイトからはどういうわけか東京駅に向かうバスが充実しているので東京駅経由で帰ることが多い気がする。東京駅は目的をもってサカサカ動いている人が多いので繁華街の人混みよりは虚無感薄くて気分が楽です。
これは私が東京駅で一番好きな食べ物で、にしんそばっていうんですけど、京都のメニューらしい。でも京都とか修学旅行で一度行ったきりだし、私はこの蕎麦を東京でしか食べたことがない。でも美味しいんですよ。ただ若干高いから2~3年に一度食べるか食べないかって感じです。おまけに瓦せんべい?(ニッキ味)がついてきます。東京駅に寄るまでこのお店の存在忘れてたけど好きな味です。自分で作るとコレジャナイ感する料理の一つといいますか。神様ありがとう。
今年やった普段やらない初めての作業で最も入魂できた作業は溶接だったと思います。熱を入れると金属は熱に引っ張られて曲がってしまうので冶具(じぐ)で固定して溶接する。冶具はだいたいオリジナルで、これは溶接の先生が考案したものなんですが、普通どんな冶具を使うかは公にはしないというか、企業秘密に入るらしい。ふーん。
今回は試作機の車体の溶接だったわけですが、なんだかRAPT理論を学びたての人たちが見たら「うわっ…」ってなりそうなデザインなんですけど、普通にトラス構造です。3が本来神様の数であることと、3つポイントがあるとバランスが取れるという現実には何か意味があると思う。イルミナティが三角を多用したり三位一体にこだわるのは単に神様のパクリなので、そこまでアレルギーになることはないです。
前にもどっかで言った気がしますが、例えばイルミナティが赤や青を使っているからといって(李家なら黄色)、その色を作ったのは神様なのだし、別にイルミナティが使っているからといって好きな色を嫌いにならなくてもいいんです。好きな色を着ればいいってRaptさんも以前仰っていました。イルミナティなど便利な技術を残して滅びゆく人たちなんですし。問題は彼らが滅んだ後どうするか?なのであって。
どうですか。白いボディカラーにすることで鋼材のずっしり感が軽減された気がしませんか…?
しませんか。そうですか。
今年の7月に神様が変化があるよって前もって仰ってくださった回があったのですが、そのひとつに(個人的なことではありますが)、成立した東京都受動喫煙防止条例により都の施設が全面禁煙になったというものがあります。都の関係施設に行ったとき、環境整備かなにかで喫煙所が使えないとかで、どういうわけかエントランスが阿片窟みたいになっていたことがあって、辛みだったんですが、それが無くなったんですよね。正直小躍りするくらい嬉しかったです。だって煙草産業の壊滅はしょっちゅう祈っていることでもあるんだもの。Twitterでも一瞬叫びましたが他のツイートの邪魔になる気がして一旦消しました。神様ありがとうございます!!!
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2019年10月12日
【新入荷・新本】
えがしらはなこ『なかめのnew lagoon』(pct/oubon、2019年)
価格:1,500円(+税)
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南魚沼のマンガ作家・えがしらはなこによる 初マンガ・モノグラフ「new lagoon」の 発売記念展示「なかめのnew lagoon」が 2019年5月に中目黒のdessinにて開催されました。 えがしらは会期中毎日ギャラリーに滞在し ひまな時間にデイリー・マンガを描き 壁に貼り出しました。 毎日のように更新されたそのデイリー・マンガを 1冊にまとめた作品集です。
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[仕様]
B5/32ページ/アイレット中綴じ 透明とさくら色のテキストシート付き 日本語/英語
[内容]
デイリー・マンガ13編 大和田悠樹氏によるテキスト「えがしらはなこの印象」 表紙はえがしらの東京滞在スナップ写真 表紙裏には展示の様子とえがしらが本を包む姿の写真入り
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大和田悠樹氏「えがしらはなこの印象」より: ───ある日、小学4年生の女の子が お母さんの付き添いでdessinに来店した。 お母さんが用事をすませている間 その女の子は『new lagoon』を見つけて、 じっとそれを読んでいた。 そして帰りに、自分のお小遣いでそれを買ってくれた。 マンガを楽しみ、おまけを喜んでいたのが、 遠目からも見て取れた。 会期終了後だったので 彼女は2階で好きなマンガを選ぶことができなかったが、 彼女にとって『new lagoon』は、新しいもの、 わくわくするもの、だったに違いない (家に帰ってすぐにトレースしたそう!)。 懐かしさとは反対の、未知の新しさを感じた女の子へ 『new lagoon』を手渡したことに、 静かに興奮した。───
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[えがしら・はなこ] 1992年新潟県南魚沼生まれ。 シルクスクリーン捺染、縫製工場でのミシン修行を経て、現在南魚沼にてマンガ/裁縫/絵を描く。 2016年「ice town」展、2019年「アート/ブックのとても大きな部屋:読む・作る・考える」展、「なかめのnew lagoon」展、「new bathroom」展など。 山のほう中心に展示をしている。 触れないが、毛量が多い犬が大好き。
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#051 手ぬぐい長方形衣いろいろ
量産しよう
ワタシの職場は結構田舎の方にあり、クルマ通勤の人が多いためか、通勤時の服装はかなりゆるくても大丈夫。職場に着いたら着替えるし、Tシャツとジーンズで通勤してても別にどうってことなさそう。でもワタシとしてはもう少し爽やかさが欲しいと思うわけ。結構歩くし…。
去年の夏から作っていた手ぬぐい長方形衣は風通しもいいし、綿100パーセントなので汗も良く吸ってくれてTシャツよりも快適だ。体型も拾いにくくてボテッとした尻や太腿を見せなくてすむ。色つきのタンクトップと長方形衣を重ねて出勤して、職場では長方形衣を脱いでタンクトップの上に仕事着を着ればちょうどいい。今年の夏服はこれをメインにすることにした。
すいか柄の手ぬぐい
去年から目をつけていたのがかまわぬのすいか手ぬぐい。これは服としてはあまり売ってない柄だ!
だいぶ慣れたのでフリクションでちょいちょいと印をつけてささっと作成。裁断の手間が一切ないってほんとお手軽でいいですね。
薄手の布はミシンの縫い目を小さくして縫うべし!ということでデフォルトの2.5mmから1.4mmにした。たしかにこの方がきれい。
作り方はSOU-SOUのサイト内のかんたん!まっすぐ縫いの服の最初で取り上げられている手ぬぐい長方形衣を参照。長さが違うことと、肩のところで2枚の手ぬぐいを袋縫いする1工程が加わるという違いがあるけど。
柑橘柄の手ぬぐい
西瓜柄と同時に買ったのが、同じくかまわぬの柑橘づくし。
これもとても爽やか。
Suicaペンギン
上野駅のNewDaysで見かけたのが、Suicaペンギンの手ぬぐいハンカチ。35cm×90cmの手ぬぐい標準サイズだが、専門店のものと違って600円ちょっととお手頃価格だ。
Suicaのペンギン 手ぬぐいハンカチ・東京見物
ただ結構薄いんだよね…まぁ重ね着するからいいけど。
こちらもささっと縫って完成。
う〜ん、水平線が際立つ絵は長方形衣に向いてなかったかな。上に行くほど柄が大きく歪む…。
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革漉き機のお買取り
NIPPY���NP-2 のお買取りです。 放置されていた物ですがきれいになりました。 今は製造されていない型式ですが、問題なく使用出来ます。 あまり大きな物ではありませんが、ミシン2個分の重さがあります。 捨てる前に、御一報いただければ、ニコニコ査定致します。 ***********************************東京都足立区保木間5-39-5-501電話 03-6661-2714メール [email protected] https://shobunya.jpSTサービス 下 稔昌 ***********************************
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“626 名前:1[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:31:44 ID:U1MRPLbx0 鞄作りの同業者として俺が体験したことを書いておきたいから ちょっと長くなるが聞いてくれ。 2年半くらい前にヤフオクである工作機械をいくつか落札した。 結構大きさのあるもので普通なら送料も相当かかるのだが たまたま住所が近い人がまとめて出品していたので 自分でトラックで引き取りに行くつもりでその出品者から落札したんだ。 その工作機械っていうのは皮革の裁断機やミシンなどで 家庭で使うような代物じゃなく、プロが工場で使うものだ。 新品で買うと相当な値段だが、当時鞄デザイナーとして独立して 新たに工房を構えようとしていた俺には新品など手が出るはずもなく、 中古の物でも格安で手に入ることになったのは大変ありがたかった。 格安といっても全部で20万円ほどかかったが。 631 名前:2[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:37:02 ID:U1MRPLbx0 約束した日時にトラックに乗って指定された住所まで行ってみると 通りからは普通のこじゃれた新しい一軒家に見えるが、やはり庭の奥に小さな工房が有る家だった。 ヤフオクに出品していた人は女の名前だったが、伺った家で対応してくれた人も女の人で、 しかも想像より若く、俺の少し下で25,6才といったところか。 職人系の人の持ち物だとばかり思っていたので意外に思って聞いてみると 亡くなった父親が仕事で使っていたものらしい。 一年ばかりそのまま置いといたが残しておいても使わないので処分することにしたらしい。 前の工房の持ち主は几帳面だったらしく全てが整頓され片付いていた。 俺は落札した機械いくつかを苦労してトラックに積み込み、 そのほかにもこまごまとした道具や、余ったらしき革などの材料(これは持って帰っても使えなかったが)を おまけで頂いて、ついでに少し工房内の掃除をして 丁寧にお礼を言って家に帰った。 思いのほか時間がかかってしまったのでトラックから荷物を降ろしたのは次の日だった。 自分の工房といったところで雨風を辛うじて凌げるくらいの小さな貸家の小さな庭に これも中古で買ったプレハブがひとつ置いてあるだけの本当に小さな工房だ。 床だけは重い機械が乗せられるように強化してあるが、ドアひとつ、窓ひとつのプレハブで 夏は相当暑くなるだろう。 その工房に買った機械を運び終え、ホームセンターで買ってきた材木で棚や作業代などを 作りつけ、やっと製作にかかる準備が整った頃、 工作機械の出品者からメールが来た。 635 名前:3[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:39:33 ID:U1MRPLbx0 メールに書いてあったのは 彼女は高校まで実家で暮らし、大学、就職ともに東京だったので1人暮らしをしていて、 実家に帰ってきたのは去年父親が死んで母親1人だけになってしまったからだということ、 無口だった父親とはあまり仲が良くなく、子供の頃は仕事場も住んでいた家とは違う場所に構えていたので あまり仕事をしているところを見たことも無く、 父親の作った鞄もあまり使わずにブランド品ばかり使っていたこと。 等等が言い訳のように書いてあって、そして最後のほうに 父親が使っていた機械をどういう風に使うのか、それでどういうものが出来上がるのかもう一度みたいので 一度俺の工房に伺ってもいいか。というようなことが書かれていた。 俺にはまったく断る理由も無く、家もそんなに離れていないので 週末に約束をして迎えにいき、家もボロい所だよ、とあらかじめ言い訳めいたことを言って 工房に連れて来た。 まだ準備ができたばかりだったので作りかけのものすらなく、貰った革を使って 買った機械や、工程の説明をしながらキーホルダーを作ってあげた。 それでもそんなに時間もかからなかったので、インスタントのコーヒーを出して なんとなくお互いのことを話し始めた。 最初はお互いの年齢など当たり障りのないことを話していたが(ここで彼女が同い年だと言うことがわかった) 彼女はメールに書いてあったような経歴を話し、俺になんで鞄デザイナーになろうと思ったかと聞いてきた。 641 名前:4[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:44:01 ID:U1MRPLbx0 俺の実家は隣の県にある。工房の場所を探していたときに今の土地に移ってきたのだが 実家にいた小学3年生くらいの頃、軽いいじめにあった。といってもそんなに深刻なものではなく、 すぐにいじめの対象がほかに移り、それもすぐに無くなってしまった位のものだったのだが その過程で俺のランドセルに傷がつけられた。今思うとたいした事ではないのかもしれないが 当時の俺は泣きじゃくって学校に行きたくないと散々ごねた。 親はランドセルを買った近所の小さなお店に行き、もう買ってから年数が経ってしまっているが 直してもらえないだろうかと頼むと、店のご主人は快く引き受けてくれた上に ランドセルが無いと学校に行くのも大変だろうから最優先でやってあげようといってくれたらしい。 驚いたことに、次の日の朝早く、店のご主人がランドセルを自宅まで届けに来てくれた。 傷を直した場所は新しい革に変わっていたが、目立つことも無く、まるで最初からそこにあったかのように馴染んでいた。 全く魔法のようだった。 俺は喜んでランドセルを背負って学校に行き、その日家に帰ると母親と一緒に かばん屋までお礼と、代金を支払いに行った。かばん屋は小さなお店兼工房になっていて 男の人数人が働いていた。代金を支払ってお礼を言うと作業中だったご主人が よかったな、と俺に言った。 母親がお店の中に陳列してある鞄を見てまわる間、俺はご主人の仕事をずっと見ていた。 革を切ったり金槌みたいなので叩いたりしているのを見るのは楽しかった。 この日以降も何回かこのお店に遊びに行った。たいてい友達と一緒に行ってただ見てるだけだったが ご主人は嫌がりもせず、他の職人さんたちも優しくしてくれて たまに余った革の切れ端なんかをくれたりした。 この時くらいからはっきりとした物ではなかったが漠然と鞄職人にあこがれていた。 647 名前:5[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:46:07 ID:U1MRPLbx0 そんな話をしていると彼女が実は…と切り出した。 少し前から考えていたそうだが、彼女も父親のような職人になりたくて 専門学校に行くことを検討しているという。 そこで独立したての俺にいろいろ聞きたかったらしい。 俺も大学を中退したあと専門学校に2年通い、その後ひとの工房に入って数年修行したあと独立した。 そのことを話すともう資料も取り寄せてあり、入るならここかなとあるデザイン形の専門学校の名を口にした。 もともと鞄作りを勉強できる専門学校なんてそんなに多くない。 ある程度予想していた通り、そこは俺が出た学校だった。 彼女は誰かに最後の一押しをして貰いたかっただけらしく、そこそこいい学校だったことを言うと もう入学することを決めたみたいだった。 651 名前:6[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:48:27 ID:U1MRPLbx0 彼女が専門学校に入学すると俺たちはなんとなく付き合うようになっていた。 俺の仕事は独立したてにもかかわらずそこそこ順調で、営業をかけたいくつかのお店で取り扱ってくれていた。 個人工房の強みでお客さんの要望に有る程度答えてセミオーダーのような形で鞄を作ることもあり、 結構な値段がするにもかかわらず独立して一年ほどで固定客も付き、利益を出せるようになっていた。 その頃には彼女も頻繁に工房に来るようになっていたし、ちょっとした作業を手伝ってくれることもあった。 逆に俺が彼女の実家に遊びに行き、たまに彼女の母親と三人で食事をするようなこともあった。 あるとき、三人で食事をしていたとき、俺の小さい頃の話になった。 俺が住んでいた町の名前を言うと彼女の母親はあらっというような顔をして 父親の工房もそこにあったと言う。デパートなどの店卸が主な仕事だったが 工房にも少し商品を置いて販売していたらしい。はっとして彼女の顔を見たがまだ気づいていないようだった。 俺はどきどきしながら工房の場所と様子を聞いた。遠い記憶でお店の名前は忘れてしまっていたが 話してくれた工房の場所は間違いなく俺が子供の頃に通ったあのかばん屋さんだった。 俺がこの仕事に就くきっかけを作ってくれたのは彼女の父親だったのか。 654 名前:7[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:51:38 ID:U1MRPLbx0 それから俺は興奮して思い出すままにいろんなことをしゃべり続けた。 ランドセルを直してもらったこと、彼女の父親が仕事しているのを見ていたこと、 革の切れ端を貰って大事にしていたこと。 彼女はそういった話はまだ母親にはしていなかったらしく、また彼女も父親の仕事場にあまり行ったことが無かったので いままで結びつかなかったらしい。 聞くところによると彼女と両親は今よりも隣の県に近いところに住んでいて、父親は俺の実家の近くの工房まで通っていた。 60歳を過ぎて今までの工場は人に譲り、今住んでいる所に家と小さな工房を建てて移り住み、 鞄作りは小さな規模で細々とやっていくつもりだったらしい。 それが引っ越してそう日も経たないうちに残念なことに亡くなってしまった。 小さな工房はそれから一年くらいそのままだったが機械類は置いておくよりも使ってもらったほうがうかばれると思い、 ヤフオクに出品したところ買いに来たのが俺だった。 そのあたりまで話した頃にはもう三人ともぼろぼろ泣いていた。 母親なんか俺の手を握って娘をおねがいしますみたいなことを言ってるし。 でもさすがの俺もこれには運命的なものを感じずにはいられなかった。 今までより彼女が大切に思えたし、亡くなった職人であった父親から 意思をついで立派な職人になれって言われている気がした。 658 名前:ラスト[sage] 投稿日:2006/03/29(水) 00:54:19 ID:U1MRPLbx0 この春、専門学校を卒業した彼女と結婚します。 俺の実家につれて帰ったときに彼女の父親の昔の工房を見に行ったら 名前を変え、店舗部分を少し大きくしてまだ営業してた。 今の店主に彼女は昔のこの店の主人の娘であることや、結婚すること、俺が小さい頃遊びに来ていたことなどを話した。 驚いたことに今のご主人は彼女の父親の元で働いていた職人さんの1人で、 小学生の俺に革の切れ端なんかをくれていた人で、ご主人は俺のことも覚えていた。 世間の狭さにまたひとしきり感動して、同業者としてこれからよろしくお願いしますと挨拶をして店を後にした。 狭い工房と貸家だけど4月から彼女と夫婦二人での製作と生活をスタートします。 手作りの良さと、彼女の父親から受け継いだ職人の心を忘れずにこれからもがんばろうと思う。 書いているうちにだらだらと長文になって申し訳ない。 才能のある作家なら小説がひとつ書きあがるくらいの、作り話みたいな話だが どうみても作り話です。ありがとうございました。”
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コピペ運動会 - No.5024 鞄職人 (via pdl2h) (via yuco)
ポルコロッソという店の製品が好き
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《「子どもたちに服を買ってあげる余裕もありません。子どもたちは物乞いをするしかないんです」》…😡😡😡😡😡😡
コロナ禍と資本主義 見えざる鎖(1) 「格安服」の裏 子ら物乞い 2021年7月14日【1面】
巨大衣料品ブランド企業が操る国際供給網(グローバル・サプライチェーン)は、利益の最大化のため縫製労働者を極限まで搾取し、用済みとなればゴミのように捨てる―。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大がサプライチェーンの構造的問題をあぶりだしています。(金子豊弘、小村優)
衣料品の9割を輸入に依存する日本。7月、東京・原宿にあるスウェーデンの衣料品大手、ヘネス・アンド・マウリッツ(H&M)の店内へ入ると、純白の生地に青い花をちりばめたロングワンピースが真っ先に目に飛び込んできます。奥には鮮やかなパステルカラーに彩られた夏物の洋服が色ごとに陳列され、客の目を引きつけます。
小売価2% 壁一面に並ぶ300~400着のTシャツのほとんどに「メード・イン・バングラデシュ(バングラデシュ製)」の文字。税込み「599円」「999円」の値札が購買欲をそそります。
安い労働力を強みに中国に次ぐ世界2位の衣料品輸出国へと成長したバングラデシュ。現地の労働者が受け取るのは、洋服の小売価格のうち、たったの平均2%です。
5月中旬。日本から約5千キロメートル離れたバングラデシュでオンライン取材に応じるファティマさん(33)=仮名=。
「子どもたちに服を買ってあげる余裕もありません。子どもたちは物乞いをするしかないんです」
大粒の涙が頬をつたいます。
14歳から20代半ばまでミシンを踏んでいたファティマさん。数年前に夫と離婚。一家の大黒柱であるファティマさんの収入だけでは4歳の息子と13歳の娘、そして両親の5人の生活を支えることはできません。その仕事すらコロナに奪われたのです。
「コロナで工場を閉じることになった。辞めてもらう」
数カ月前のことです。突然、工場主から解雇を通告されました。
退職金6500円 給仕係として働いていたファティマさんを含め20人ほどいた従業員は全員退職を余儀なくされました。退職金として渡されたのは5000タカ(約6500円)のみ。
生きるために何とかしなければ―。道端で食料品を売って生計を立てています。稼ぎのない日は物乞いをするしかありません。こう語るファティマさんは、何度も何度も袖で涙をぬぐいました。「私はもう縫製工として働けない」のです。
(しんぶん赤旗、2021年7月14日)
(1面のつづき)
暴力・飢えへの恐怖 ブランド企業の利益のために命の危険も 8年前の2013年4月24日午前9時。ファティマさんはバングラデシュの首都ダッカ近郊にある8階建てビルの最上階でミシンを動かしていました。ビルの名は所有者の男性ソヘル・ラナにちなみ「ラナ・プラザ」と呼ばれます。欧米のブランド服を受注する五つの縫製工場が入り、3千人以上が働いていました。
始業からおよそ1時間後、ビルがごう音とともに突然、倒壊。ファティマさんはがれきの下敷きになります。全身に重度のけがを負い1年以上入院しました。後遺症の残ったファティマさんの体ではミシンを動かすことはおろか、長時間の工場労働に耐えることさえできません。
「娘が学校へ行きたがっているのに、私にはどうすることもできないんです」
多くの親は子どもたちの教育費をまかなうため必死で働きます。よりよい教育を受け大学へ進学すれば貧困から抜け出せると信じているからです。しかし、ファティマさんには育ち盛りの子どもにわずかなコメと野菜を食べさせてあげることしかできません。
過剰な目標 バングラデシュでは縫製産業の労働者を守るルールが不十分です。彼らは命の危険と隣り合わせの日々を過ごしています。千人以上が亡くなったラナ・プラザ事故では、ビルが工場設備に耐えられる構造になっていませんでした。違法建築を認識しながら運営していたビルの所有者や発注元であるブランド企業の責任が厳しく問われました。
繊維・縫製業の国際労働団体であるアジア最低賃金同盟(AFWA)は指摘します。
「ブランド企業と小売企業が操るファストファッション産業では、工場の安全性や労働環境への投資が抑制される。生産コストが高くなるからだ」「労働者の命はブランド企業の利益を増やし続けるため、危険にさらされている」
衣料品の質や量、価格設定においてブランド企業の力は絶大です。過剰なノルマを受注業者へ課し、その圧力は末端の労働者へと向かいます。
ファティマさんと共に取材に応じたスミさん(50)=仮名=は昨年3月、都市封鎖(ロックダウン)に伴う工場閉鎖を理由に突然解雇されました。退職金は1カ月分の給料8000タカ(約1万400円)だけです。
縫製工として働いていた当時、スミさんの1日は朝4時30分に始まりました。
家族の朝食を用意して身支度を整え、工場の開く午前7時30分までに出勤します。それから10時間、ひたすらシャツの襟にタグを縫い付けるのです。
納期に間に合わせるため最低2時間の残業は事実上義務でした。週に1度の休日が何度もなくなりました。
「目標を達成できなければ企業は賃金を払わないんです」
トイレさえ わずかな休憩さえろくに与えてもらえません。工場の指揮をとる男性監督官はトイレから戻ってきたスミさんの顔を平手でたたき、大勢の前で怒鳴りました。
「なぜ10分もかかるんだ。なぜ5分で戻ってこられないんだ」
未完成の服を投げつけられたり、後頭部を殴られたこともあります。「トイレへ行くのが怖かった」。精神的なプレッシャーをいつも感じていました。トイレ休憩を避けるため水分を取らず、体調を崩す労働者も少なくありません。
スミさんは、監督官から体を触られるなど性的な嫌がらせを受けたこともあります。たまらず抗議すると「やってない」と言い返され、「そんなことを言うと給料を払わない」と逆に脅されました。仕事を失う恐怖から泣き寝入りするしかありませんでした。
唯一の希望 34歳から縫製工場で働き始めたスミさん。中学生になる2人の娘の将来だけが唯一の希望です。「どんなに大変でも2人にちゃんと教育を受けさせ続けたい」。別の縫製工場で働く夫の月給およそ1万3000タカ(約1万7000円)を全額教育費に充てています。子どもに自分たちと同じ苦労をさせたくないという思いで過酷な労働に必死で耐えています。
世界労働者権利センター(CGWR)によれば先進国の発注企業による一方的な注文キャンセルや支払い停止に伴い、昨年3月、バングラデシュで100万人以上の縫製労働者が解雇��一時解雇にあいました。縫製業に従事する労働者のおよそ4分の1に相当します。現状について、同国最大の労働組合であるバングラデシュ衣料品産業労働者組合連合(NGWF)のアミルル・ハク・アミンさんは本紙のオンライン取材に、「再開する工場も増え徐々に再雇用が進んでいるが、いまだ数万人が失業状態にある」と語りました。
先進国の発注企業は優越的な立場を利用して途上国の受注業者へコスト削減を押し付けます。最も安く、大量に作れなければ発注しません。受注業者は常に競争を強いられます。無謀な生産目標を課された労働者の心身をむしばむのは、失業、飢え、そして家族を養えなくなるという「恐怖」です。
自社工場を持たず生産を委託するだけの発注企業は、製造過程に直接の責任を負いません。世界上位250社のアパレル企業の小売売上高は19年に約5兆ドル(約550兆円)を記録。14年から19年までの年平均成長率は5%にも上ります。
多国籍企業が構築したこのグローバル・サプライチェーンは、まるで労働者を縛り付ける“見えざる鉄の鎖”です。生産者、地域、そして国家をも競争の渦に巻き込み、飢えや死と隣り合わせの低コストを追い求める「底辺への競争」へ駆り立てます。
(つづく)
(11回連載です。次回から経済面に掲載します)
(3面)
(しんぶん赤旗、2021年7月14日)
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🎼 00161 「Woman」。
大正の始め、男運がまるでない女性の生きざまを描いた 成瀬巳喜男さんの 「あらくれ」 を観ています。脚本は わたしの大好きな 水木洋子さんです。テキトーに書き留めておきます。
・おシマ (この映画のヒロイン。強い。演ずるは わたしのラブリー 高峰秀子さん)
・浅井商店のツル (眼鏡を掛けた 東京にある缶詰屋の若旦那。口煩い。おシマと取っ組み合いの末、手紙を破かれる。演ずるは 上原謙さん)
・おシマのパパ (演ずるは 東野英治郎さん)
・おシマの兄 (男前。演ずるは 宮口精二さん)
・旅館浜屋の若旦那 (兄の借金のカタに おシマさんが女中として働いていた、どこかの雪国にある旅館の若旦那。眼鏡男子。演ずるは 森雅之さん)
・精米所の旦那 (演ずるは 志村喬さん。出番は短め。物語後半に中村是好さんと再登場)
・旅館浜屋より更に山奥にあるらしい温泉旅館の主人 (演ずるは 中村是好さん。出番がかなり短い)
・金色夜叉 (おシマさんが 浜屋の旦那と映画館で観ていた無声映画。フィルムが途中で切れる)
・足踏みミシン (おシマが工場で働いていた場面でかたかた言わせながら登場)
・小野田洋服店 (千葉にあるらしい)
・小野田 (おシマと作った小野田洋服店の主人。演ずるは 加東大介さん。おシマと取っ組み合いの喧嘩を起こす。挙げ句の果てには ホースの水を浴びせられる。おシマからヒゲダルマと呼ばれている)
・お爺さん (おシマが間借りしていた家のお爺さん。演ずるは 左卜全さん)
・足踏みミシン (おシマが月賦で買ったミシン)
・小野田洋服店(二軒目。場所は不明)
・キムラ (小野田洋服店で働く青年。演ずるは 仲代達矢さん)
#蒼藍の誓い ブルーオース#blue oath#tokyo#あらくれ#高峰秀子#宮口精二#森雅之#中村是好#志村喬#加東大介#左卜全#成瀬巳喜男#えーが#john lennon#アドミラル・ヒッパー#admiral hipper#水木洋子#足踏みミシン映画
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2020.7.17fri_tokyo
起きる、梅醤番茶を飲む。朝のおまじないだ。 少し筋トレをする。尻を上げるために。
朝ごはん、いつも通り。 生卵、納豆、白いごはん、お味噌汁。
すこし離れた駅まで自転車を15分こぐ。 裁縫の材料を急いで買いに行かなくては。 明日には納品だ!
コロナ禍で歌の仕事は忙しくないのだから、 コツコツ縫い貯めておこうと思っていたのに、 なぜこうも〆切前にならないと動けないのか。 困ったもんだ。
その上、昨夜遅くになってから手持ちの材料が足りないことに気づき、 近くの店に電話したがないと言われ、 4軒電話してようやく、1時間かかる場所にある店に在庫を確認できたのだ。
下り列車に乗った。 空いている朝の下り列車。 慌てた買い物道中だが、 いつもと違う景色を見ながら普段は行かない町に降りるのはすこしうきうきするものだ。
駅からほどないスーパーの2階の店。 開店時刻を過ぎて間もない。 めあてのものがありそうな棚にたどり着きながめる。 よしよし、あったぞ、懐かしのリリアン糸。 小さなパーツなれども、これがないとこまるのだ。
見慣れない町を散策したい気もするが、 帰って作業しないと。上り列車に乗りこむ。
もときた道、自転車をこぐ。 昨夜電話で「ない」と言われた店の前を通ると、何やら胸さわぎ。 「・・・いいのか光子、見ていいのか?」 自転車を止め、恐る恐る店のなかをのぞくと、 そこにはたしかに、リリアン糸が鎮座していた・・・。
そういえば昨日電話口で「ない」と言った店員さんは若い男性で、 「リリアン糸」なんて初めて聞いたような口ぶりだったなぁ。 などと思いながら、思わずフッと笑って、天を仰ぎ、 「あるやん」と東京ッ子のくせになぜか関西弁が出てきた。 おい、楽しいぞわたしのジンセイ。 焦ったりいらいらしたりしても、つまらんからやめよう。
家に帰って、ラジオアプリで好きな深夜番組を聴きながら、ひたすら作る。 音楽家のくせにこういう時音楽を聴かない。 耳が一生懸命になり、あまり捗らないのだ。 きょうは「おぎやはぎ」「シソンヌ」「伊集院光」を聴いた。 笑いながら縫うと楽しい。
ツアーに出るとアルバイトを休まねばならなかった頃、 すこしは足しになるかとライブの物販のために作り始めた3、4センチほどの布製のピアス、イヤリング。 かれこれ10年作り続けている。 ずいぶん上手に作れるようになったものだ。
布を切って、アイロンかけて、 ミシンをかけて、裏返して、 ワタをつめて、 細針で縫って←このときにリリアン糸が必要! 金具をつける。
できたー。ああ肩がこった腰もこった! さあ明日は展示会へ持っていくぞ。
-プロフィール- 小池光子 東京生まれ。 音楽家、歌手、作詞作曲家。 ビューティフルハミングバードのボーカル。
現在初めてのソロアルバム制作に取り組み中。 好きな童謡のプロジェクト「みみずくの家」もスタート。
Instagram @mitsukokoike Twitter @mitsuko_bhb https://www.koikemitsuko.com/
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洛陽の一日
旅先で印象に残るのは名���旧跡よりも何気ない街角の風景であり、そこに暮らす人々の営み。
8月11日(火) 6日目
「8時にホテルの前で中国人と会う約束をしていたのに、起きたら8時10分。ダッシュで行ったけれど居なかった。ああ、日中友好にヒビが入ってしまった!」 と日記に書いてある。 記憶に無いが、前夜、ホテルの前で日本語学習した中国人と何かの約束でも交わしたのだろう。 そして昨夜の洪さんは今朝も可愛いままだった♪ 彼女に尋ねたのは北京への電話の掛け方。言われるまま先方の電話番号を伝え、イスに座って待っていると、「X番の電話ボックスへ入りなさい」と指示が来る。交換手が繋いでくれるシステムだ。 電話の向こうで楊さんの賑やかな声が聞こえるも、お互い何を言っているのか良く分からん状態で勝手に喋って電話は終わった。まぁ、いい、あの日本の若者が無事に洛陽に着いたことが分かれば目的は達成。 電話が終わって箱から出てくると、日本人から声をかけられた。洛陽の大学に留学中の岡山出身の男性で、僕の大学での映研サークルの友達、対木によく似ていた。 親切なその人は、洛陽の旅行情報を教えてくれた。面白かったのは、大学での専攻は「人口抑制学」だと言っていた。一人っ子政策の中国ならではの学問なので専攻しているとのこと。ふ~~む。
街へ出た。 でも観光ではない。明後日の鉄道切符の手配だ。当時の中国個人旅行者にとっての難敵は、この切符手配。これが済まないと、次の旅程が組めず、のんびり観光もできなかった。 ということで、洛陽駅の切符売り場に向かった。 切符売り場は長蛇の列。排隊(パイトゥイ)=行列という意味の中国語を学習したのは、この中国旅行だった。人民は立場によってはモーレツに親切でもあり、またモーレツに不親切でもあった。当然、駅で切符を売っている服務員はその優位性にモノ言わせて不親切極まりなかった。 おまけにほとんどの人民購入客が小さな切符売り場の小窓を隔てて大声で叫んでいるのだから、服務員も激高する。ほぼ鉄道切符は「買うもの」ではなく「買わせていただくもの」であった。そんな修羅場に言葉も良く分からないヒヨっこの僕が太刀打ちできるわけもなく、筆談用メモに、「乗車列車番号」、「乗車日」、「行き先」、「枚数」を中国語で書き、「買いたい!」「いくら!」と書き、ようやく回ってきた自分の順番に、僕は服務員のオバサンに尋ねた。オバサンは既に発狂モードで取り付く島もない。何を言ってるのかほぼ意味不明だが、大変残念なことに、今、ここで買えないことだけは理解できた。でも1時間以上並んでこの結果は悔しいので、後ろに並ぶ人民に助けを求めた。そして分かったのは「当日買え!」ということだった。 予想通りの敗戦、という残念な気分で僕は一度、駅舎の外に出て、昼前だが駅前の食堂で瓶ビール(大)を買い求めた。当然、ぬるいビールしかないが構わなかった。そのビールをラッパ飲みしながら駅に戻り、薄汚く暗い駅舎のベンチで絵葉書を書いた。 相手は少し前までお世話になり、想いを寄せていた年上の女性。彼女は僕の良き相談相手だった。その人と知り合った頃、無口で陰鬱な青年であった僕は異性と口をきくことなどできなかった。でも、彼女はどこか違った。強いて言えば、会話を引き出すのがうまかった。数年の時を経て、気づいたのだが、彼女は自分の失敗談を楽しく話すのが上手だったのだ。当時の僕は、自信も経験も無く、語るべき言葉を持たない暗闇のようなものだと自分を卑下していた。でも彼女の失敗談を聞いていると、自分の悩みが小さなものに思えたり、そんなこともあるんだと共感を覚えたりで、自分のことも素直に言える時があった。そんな彼女と僕は、誕生日が同じだったこともあり、世間知らずの僕を勝手に「運命」とも感じさせていた。 彼女は「思慕」という言葉を時々使った。好き、とか、恋しいという意味のこの言葉は、当時の僕にとって詩的で、大人の言葉に聞こえた。そして、いつの間にか彼女に思慕の想いを抱く自分がいた。 でも、いろいろあって、その後、うまくはいかなかった。その状態が1年以上続いていた。そして、絵葉書にしたためたのは別れの言葉だった。 今となっては、何故、洛陽の駅でぬるいビールなどラッパ飲みしながら、その人に最後の手紙を書いたのか全く不明である。ただ、日記には「XXさんにお別れの手紙を書いた」とだけあるのみ。
青春の傷あと、とでも言うべきだろう・笑 その後、傷心の痩せた青年は自分が空腹であることに気づき、さっきビールを買った店に入り昼飯を注文した。 この店のお兄ちゃんは表に出て、歌うように「ララララ~~来々!!、ララララ~~来々!!」と叫んで客引きをしていた。 日記には「白飯、野菜炒めみたいなもの」を食べたと書いてある。笑えたのが白飯を食べていると、後から来た人民客で同じく白飯を食べていた男が、店主に文句を言い始めた。そして、同じものを食べている僕のところにもツカツカとやってきて、失礼にも白飯を取り上げ、どうも白飯の味がおかしい!傷んでる!食うな!という意味のことを訴えたのである。 今まで食べてきた中国の白飯は、日本のそれとはだいぶ違う。まず、艶やかではない、白くはなく、くすんでいて、ポソポソしている。だからあまり美味くはない。なので、こんなもんだろうと思って僕は食べていたが、改めてニオイを嗅いでみると、何か違う。。。 中国に来てまだ6日目ではあったが、僕はもうそういうことも段々、没有関係(メイヨ―クワンシー・どうでもいい、という意味)になっていた。 その後、洛陽観光をした。 バスで 中国三大石窟 の一つ、龍門石窟へ。 ここは唐代に造られた石窟寺院で、もっとも目を引くのが高さ17.14mの廬舎那仏。この石仏は中国唯一の女帝で、寺院建造に関わった則天武后をモデルにしたという説もある。ただ、こちらの日記には「やっぱり少し悪人面」とある。
↑ 廬舎那仏をバックに。この写真は日本人ツアーのお姉さんに撮ってもらったが、 廬舎那仏の全体が映っていなかった、残念。 今やユネスコの世界遺産に登録された龍門石窟でも、歴史や文化の香りを楽しむは、万里の長城同様、人民のパワーにかき消された。 龍門石窟は黄河の支流、伊河に面した河岸段丘にある。その伊河では夏の水遊びを楽しみ人民、洗濯をする人民がいる。それは想像に難くない風景だが、大型のトラックを川に突っ込ませ、洗車する人民たちもいるのには驚く(写真下)。
こんな扱い方されたらどんなに質の高い車であっても、すぐ壊れるだろうに。。。こちらの理解の外にあることが多い、こういうことを学ぶのも旅の面白さだ。 目の前にいた小姐も、スカートなのに大股さっぴろげ、パンツ丸見えで川で涼んでいて、こちらが恥ずかしい。 オレンジの缶ジュースも観光地価格で1元(約45円)と高い。そしてプルトップを開けて飲もうとするも、錆びていて千切れた。そんなことは日常茶飯の人民オバサン、動揺することも無く手持ちのドライバーで一撃必殺、缶に二か所、穴を開け、ニコリとこちらに差し出す♪ 僕はそのジュースをチビチビ飲みながら、真夏の川辺、柳の下の石垣でまどろみながら石窟よりも人民たちの喧騒や動きに目を奪われていた。 市内にある関林も同様である。 三国志でも有名な関羽を祀る関林、こちらも世界三大関廟として名高く、三国志ファン必見の名跡。何でもここは関羽の首塚とか、本人の首がここに眠っているということか?
祀られた赤面で長い口髭の関羽は迫力があり、左右に控えるのは張飛に劉備か? しかし、三国志ファンでもない僕にとって、更に迫力があったのは、この関林ではなく、ここにたどり着くまでの街並みや風景だった。 毛沢東主義のスローガンが街角のアチコチに掲げられているのは北京と同様。そして下の写真は、交通事故の悲惨さをプロパガンダする街角の風景だ。事故被害者の痛々しく、グロい写真や事故の経緯など。「あなたも気を付けないと加害者、被害者になるから注意せよ」という共産党からの啓蒙活動だ。
下の写真は、道端にミシンを置き、服の修理などを請け負ってると思われる、若いお母さんとその赤ん坊。踏み込み式の手動ミシンだから「どこでもミシン」だ。 がんばれ、働くお母さん。
次は街角のレストラン。 ミシュランの星が付くまではいかないが、自家用の窯を路上に出し、雨露をしのぎながら、今日もしたたかに商売商売。 若さゆえの好奇心で、こういう店で食事して何度、腹を壊したか♪学習能力無し~
関林からのバスで洛陽友誼賓館までの帰り道、乗り換えの広州広場でバケツをひっくり返したような土砂降り。足止めを喰らうも、雨が熱気を沈め、どこからか土や川のニオイを運んでくる。 仕事から帰宅途中の多数の人民とともに、土砂降りを眺めながらの雨宿り。気楽な旅人に贈られた非日常的な場面は、今でも映画のワンシーンのように心の奥の隅のほうに沈殿している。33年も経ったあの広州広場は、今、どんな風景となり、どんな時間が流れているんだろうか?
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