#足踏みミシン映画
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🎼 01151 「圭子の夢は夜ひらく」。
いきなり白無垢姿の女性が映って 何の映画を観はじめたのか分からなくなりますけれど、すぐにガールズらの乱闘が始まります、赤城女子学園出のガールズたちが新宿の街で暴れ回る 東映アクション映画 「ずべ公番長 夢は夜ひらく」 を観ています。山口和彦監督作品。赤城女子学園の独房に入れられた 影山リカ (横浜出身、19才。傷害)、第2号の八尾長子 (大阪府八尾出身、19才。詐欺)、第3号のミラノのお春 (東京出身、18才。恐喝) らは 1年後、それぞれ街に繰り出していたりして、リカは ハレンチな親父のいたクリーニング屋を辞めて新宿東口をぶらぶら歩いています。歌舞伎町界隈では まだ映画館がワンサカ並んでいたころのお話ですから "グランドオデヲン" では 「地獄の艦隊」 や 「夕陽に立つ保安官」 が、位置的には ミラノ座でせうか 「好色・世界童話集」 と 「エベレスト大滑降」 が上映されています。"新宿東映オデヲン" かどうか、高倉健さんの 「昭和残俠伝」 も上映されています。そんな映画館の前で大立ち回りを演じたあと、とん平ブルース部長の紹介で "ばあ 紫" で勤め始めるのですけれど、ママも学園の先輩だったりして (渡辺梅子 東京出身、26才。傷害)、あらビックリ!同級生の八尾ちゃんも働いていたりして、八尾ちゃんに お店で働いている学園娘たちを それっ!と紹介してもらいます。ヤクボケな妹を持つ冬木マリ (名古屋出身、21才。傷害)、センミツこと 千本ミツ子 (東京出身、20才。詐欺)、グラマーな年増の湯島つた (福島県出身、23才。窃盗)、通��� はるみ (少年鑑別所出身。中性・オカマ)。それからそれから 夜になって ゴールデン・ハーフが "黄色いサクランボ" を歌い出したかと思ったら 流しな藤圭子さんが "命預けます" を流したりと (圭子チャンも赤城出身) とても賑やかなお店だったりしますけれど、ある日のこと、ヤクボケなシスターが事を起こして追われているところ、リカにぶつかって どうしたこうしたしたところで、お春とその子分と (なぜか) 決闘する羽目になるのですけれど、そんな場面にチラッと 「ワイルドバンチ」 と 「悪党」 のポスターが貼られていました。なんてことはさておき、訳あって300万円の返済に追われてしまったママは、更に にお店の権利書までも奪われてしまって えらいことになります。
つづいて
いつかの 沖縄 竹富島、沖縄 石垣島のあたり。東京の環境省から 石垣自然保護管事務所から赴任してきた とある自然保護官と "ラグーンブリッジ建設計画" なる大きな橋の建設に尽力する人々の日々を描いた 「サンゴレンジャー」 を久しぶりに観ています。中前勇児監督作品。海に広がるサンゴを守らうと どうのこうのする物語はさておき、東京から来た自然保護管に振り回される自然保護管キシタニを 田中圭さんが演じていて好いです。
つづけて
水辺で寝転び、空の青さと寒さに震えながら 「わたしたちこれでおしまいよ、何もかも」 と 囁く若い女性に唇を重ねる若い青年の 這い上がりの日々と それからを描いた 松竹映画 「甘い夜の果て」 を観ています。吉田喜重監督作品。大学出ではないことに劣等感を感じているっぽい津川雅彦さん似の 百貨店の店員テヅカは、川向こうの住宅地で住みたいんだって思いを抱えながら 小汚いアパートの2階で夢を膨らませているのですけれど、ある日 オートバイを疾走させて 18才の峠食堂の娘を後ろにヒョイと掴まえて 競輪場内をグルングルン走り回ったあとに娘をバーで働かせ、とある社長の奥様に名古屋で会いませうと言われて いい気になってワクワクしちゃって フラフラフラっと向かったら同窓会があるのって軽く遇らわれ、一昔前のデパートの屋上にあったやうな小ちゃめな観覧車で揺り揺られ、どこかの避暑地の湖でモーターボートを爆走させたと思ったら湖の真ん中���立ち往生させ、そんなこんなで いつの間にやら 絶望街道まっしぐらだったりするこの映画、劇中、テヅカが映画館の前を横切る場面、上映されているっぽい映画は 「バターフィールド8」 でした。
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📛 40) 黒いパスクルの群れ。
いつかの新文芸坐のちらしを片付けながら、いつかの名画座で観た以来かなって思いますけれど、森繁久彌さんがそこに映っているだけで違和感たっぷりだのに、そこに更に 二代目中村鴈治郎さんもいらっしゃったりして ドキドキさせられます東宝映画 「小早川家の秋」 を久しぶりに掛けています。小津安二郎監督作品。京都の老舗っぽい造り酒屋ではたらく人々がどうしたかうしたする物語はさておき、冒頭の 原節子似のアキコと司葉子さん似の女性ノリコさんが話している場面で 部屋の隅に佇む 足踏みミシンがチラッと映るのが好いです。
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バスの中
カーテンを吊るす。十センチほど長すぎるそれは春の風に揺れ、ずず、と床を掃く。
「わかってはいたけど、やっぱり長かったなあ」
「そうだねえ。でもとりあえず当分はこのままかな。部屋が片づいてきたらミシンでガーッとまつっちゃうから、悪いけどそれまでは我慢してね」
「急がなくていいよ。踏まないように気をつければいいんだし」
「うん、ありがとう」
日中は会社の彼、PCとインターネット環境さえあればどこでも行える仕事の私。
過ごす時間の長い瑞樹さんが好きな家具を買い揃えればいい、と言ってくれた彼に甘え、テーブルも椅子もチェストも、冷蔵庫も洗濯機もストーブも、何もかもかわいらしく女らしい色で揃えたが、カーテンだけは地味な薄灰色のものにした。彼には「防犯になるから」と伝えてあるが、本当の理由はそうじゃない。
揺れる、カーテンの裾を見ている。
頭の中で音楽が鳴る。
*
真冬のバスは暑い。異常なほど暖気された車内は雨に濡れた人々の熱気と混ざり合い、鉛のような質感になっていた。このバスは町はずれの住宅街にあるバスターミナルから、海沿いにある観光地を過ぎた駅前までを繋ぐ路線で、その途中には県立高校がある。普段どおりの朝ならば人の少ないこのバスも、雨や雪が降ると自転車通学の生徒でごった返してしまう。
幼いころからどうしても自転車に乗れない私は、毎日ターミナルから数えて二本目のバス停からこのバスに乗っていた。学校からは「他の利用者の皆さんのご迷惑にならないよう、できるだけ席には座らないようにすること」と言われてあるが、従順に守っている生徒なんて誰一人もいない。朝から疲れたくないのは、他の利用者さんも私たち生徒も同じだ。大抵の生徒はお年寄りや親子連れ、妊婦、具合の悪そうな人を見たら立ち上がって席を譲っているし、私もそのくらいで充分だろうと常々思っている。
ドアが開く。皆が一度携帯電話の画面から目を離しスペースを作る。できた空白に新たな生徒が乗り込む。運転手がぼそぼそと発進を告げ、それと同時にドアが閉まる。再びバスが動き出す。
入り口付近に目をやると同級生の女子がこちらを見て笑っていた。口の形で、おはよう、と伝えてくるのでそっくりそのまま返してやる。彼女は普段自転車通学で、天候の悪い日だけこのバスを利用するが、彼女の家の近くのバス停は路線の中頃にあって、そういう彼女が座席に座ることはなかなか難しい。
さらにしばらく進んで高校前。車内から一斉に生徒が吐瀉され、私もその中に混じる。運転手に惰性そのままの礼を伝え、もちろん運転手も何も言わない。校門まで傘を差すか迷っていると、
「おはよう」
歩道の隅で立ち止まっていた同級生がそっと私をその傘の内に誘導する。
「おはよう。寒いねえ」
ダッフルコートのポケットに両手を突っ込みながら素直に彼女の傘に入る。
「寒いねー。スカート穿くのがしんどいよ。わたし、きょうタイツ百二十デニール。しかも裏起毛だからね」
「いいなあ、私八十だ」
華奢な身体つきの彼女が細い脚にまとわせる肉厚なタイツは何となくアンバランスに思えたが、どのような状況であれ寒さには勝てない。自分も近々厚手のタイツを買おうか、しかしバスの中は蒸すように暑いし、などと考えながら私は彼女と共に校門をくぐった。
私たちはクラスが違う。C組の前で彼女と別れ、私はD組に入る。幾人かの友人たちと挨拶を交わし、机の上に鞄とコートを放って、スマートフォンだけを手に自らを招き入��てくれる輪に参加する。昨���観たテレビ、キュレーションサイトの情報、SNSのハッシュタグ、別クラスの噂話に街中の新店。自分でも、なぜこうも毎日話題に尽きないのか不思議に思う。
あるいは、「大人」という生き物から見たら私たちがこうして話している内容なんて「話題」とカウントするまでもない、取るに足らないものなのかもしれない。いや、事実そうなのだろう。だからといって私はこの時間を自ら切り捨てようとは思わない。良くも悪くも、今が楽しければそれでいい、それが子どもの特権で、子どもはそう在って然るべきなのだ。当時の私は、子どもとは得てしてそういう生き物であるのだと思い込もうと必死だった。
鐘が鳴り、各々席に着き始める。私も放り投げてあった上着と鞄を片し、携帯電話をサイレントモードに切り替えて机の中にしまう。しばらくすると教師がやってきて、代り映えしない話を普段通りの口調で話し始めた。
昼過ぎには雨も止み、下校時間になるとむしろ雲の透き間からは金色の光の筋がちらちらと見え隠れしていた。相変わらず校庭は水浸しだったが、陸上部は室内でのトレーニングを行うらしく、廊下ですれ違った同級生の女子生徒は「めんどくさいよー」と文句を垂れながら私に手を振った。部活動に参加していない私は、誰かに誘われない限りどこにも寄らず真っ直ぐ家へ帰る。きょうも誰からも声をかけられなかった。自分から声をかけることはまずない。
視界や道路が悪いわけでもないのに、バスはなかなかやってこなかった。土地柄なのか、遅延することは少なからずあるので十分程度は気にしないのだが、この日は十五分経ってもバスはやってこない。何度も時刻表を確認しながら首をひねっていると、
「あれ、もしかしてまだきてない?」
駆け足で近づいてきた新藤くんが嬉しそうに私に訊ねた。
「あ、うん、まだ。すっごい遅れてるみたい」
「おおー、ラッキー。雨のせいかな? でももう晴れてしばらく経つし、道路もそんなに水浸しって感じじゃないよね」
「ね、ほんとに。何かあったのかな」
新藤くんがポケットからスマートフォンを取り出し、何かを入力する。手際よく作業しながら、そうして、
「ああー、なんか事故っぽい」
「え? 事故?」
「うん、ツイッター。ほら」
彼が私に画面を見せる。映っていたのはツイッターに載せられた写真で、新藤くんは路線名とバス会社で検索をかけたらしい。本来であれば私たちを乗せていたはずのバスは、観光地付近の三車線道路の中央分離帯に突っ込み��前方がひしゃげていた。
【××前で×××のバスが事故ってた。フロントガラスぐちゃぐちゃだわー】
添えられた言葉の軽さと写真の重さが釣り合わない。新藤くんは画面を眺めながら、
「なんつーか、よくこういうの撮れるよなあとか思うわ。まあ情報としては助かっちゃってるんだけど」
まるで写真の中のバスみたいに顔面を顰める。
「まあこういうことなら仕方ない。歩くかあ」
新藤くんが歩き始める。少し行ったところには別路線のバス停があった。おそらく彼はそこに向かうのだろう。私も新藤くんの後をついていく。
新藤くんはB組の生徒だったが、去年同じクラスだったこともあり別段緊張することもなく話せた。彼は他の男子たちよりも頭半分背が高く、スラックスの裾がちょっとだけ短い。入学当初は平均的な身長だった新藤くんは、この一年半ほどでうんと背が伸びたようだった。道をショートカットするためコンビニエンスストアの駐車場を斜めに過ぎる。公衆電話の囲いに一瞬だけ映る私たちは、平均身長より五センチ小さい私の影響なのか何となくバランスが悪い。
目的のバス停に到着し、新藤くんと並んでバスの到着を待つ。新藤くんに倣い、ツイッターでこの路線で何か事故が起きていないか確認してみるが問題なさそうだった。新藤くんにそれを伝えると、
「三上さん、マメなんだねえ」
と、少しピントのずれた答えが返ってくる。
私たち以外にも、バスの事故を知ったのだろう生徒たちがぽつぽつと列に並ぶ。複数人で並ぶ子たちは各々お喋りに夢中で、ひとりの子は皆イヤホンを嵌め何かを聴きながらスマートフォンをいじっていた。私は新藤くんと並び、何を言うでもなく、聴くでもなく、ふたりじっと前を見つめていた。
しばらくしてバスがやってきて、先頭の新藤くんから順に乗り込む。新藤くんは後方の二人掛けの席に座り、私は前方の一人掛けの席に座った。鞄からイヤホンを取り出し、スマートフォンに繋ぐ。適当な音楽を流し、キュレーションサイトや有名人のインスタグラムなどを暇つぶしとして眺める。都会で流行っているという、いかにも合成着色料だろう毒々しい色合いの飲料はまだこの街までたどり着いていない。見つけたら買って写真を撮ろうと思っているけれど、きっと私が手にするよりも先に他の子たちが買って、各々のSNSにアップするのだろう。そこに示される、私の交友関係では賄いきれないほどの“いいね”を私は「羨ましい」と思ったりする。皆が承認欲求を満たすためだけに行う様々を鼻で嗤えるほど私は大人じゃなかったし、孤立を受け入れられるほど強くもなかった。
私が着席して数十秒後、耳元から流れる音楽のイントロが終わるとほとんど同時、バスは走り出した。雲行きが怪しい。今朝のような雨が降るのかもしれない。
「ありがとうございました」
イヤホンの片耳だけを外し、最寄りのバス停で降りる。なんとか空は持ちこたえていて、坂上の自宅までならば濡れずに済みそうだ。
新藤くんは七つほど前のバス停で降りて行った。私とすれ違った瞬間、彼は私へ向かって何かを言ったようだったが、その声は音楽に掻き鳴らされ聞き取れず、思わず発した、
「え?」
という私の言葉に新藤くんは苦笑しながら首を横に振り、そのまま料金を支払うとバスを降りてしまった。悪いことをしたと思い新藤くんにLINEで詫びでも送ろうかと考えたが、しかし私は彼の連絡先の一切を知らない。今度廊下ですれ違ったら、そのときにでも。そんなことを思いながら私はいつもより早足で緩やかな坂を上っている。確かに傘はあるが、だからといって冬の雨をすんなりと受け入れられるわけではない。湿っぽい冬の匂いは心理的にも寒さを加速させる。パート勤めの母はもう帰宅しているだろう。自室の暖房を点けてもらえるよう、バスの中で連絡を入れておくべきだった。いつもそのように思い、しかしいつも頼むのを忘れてしまう��
薄暗い住宅街、雨合羽を着た大型犬とすれ違う。犬は私の顔をじっと見つめながら通り過ぎ、私は無言で飼い主と会釈し合った。
翌日は快晴だった。いつも通りの時間にバスへ乗り込み、一人掛けの席に座り、イヤホンから適当な音楽を流している。通り過ぎる保育園ではすでに何人かの子どもたちが校庭を駆け回っていた。とりどりのコートを着た彼らはゼンマイ仕掛けかと思うほどぎこちなく走る。数年もすればあの不安定さもなくなってしまうのだろう。モップのような長い毛を持つ薄灰色の大きな犬が、飼い主と共に信号が青に変わるのを待っていた。その隣にはスーツ姿の男性、ジョギング中の老人は足踏みを繰り返している。
信号が変わり、バスが進み、しばらくして停車する。バス停から数人の人が乗り込んでくる。うち一人は新藤くんだった。彼は私の姿を捉えるとそのまま近づいてきて、私の座席の真ん前のつり革を掴む。私はイヤホンを外す。
「おはよう。今日もさみーね」
「あ、うん、おはよう」
車内は空席だらけだった。新藤くんは私の後ろの席に座るでもなく、他の席に座るでもなく、私の横に立ちつらつらと淀みなく話しかけてくる。
「三上さんってどこから乗ってるの?」
「×××××っていうところ。バスターミナルから数えて二本目」
「へえ、かなり遠いんだね。だからバス通だったんだ」
「ああ、それもあるけど、私自転車に乗れないの」
「え、マジ? バランス感覚的な?」
「うーん、どうだろう。でも確かに、あんまり運動は得意じゃないな」
新藤くんがしみじみと「大変だねえ」と言う。内心、そこまで困ったこともないのだけれど、と思いつつ適当に頷いてみせると、新藤くんは、
「三上さん、いま何聴いてたの?」
私の膝の上のイヤホンを指さ��そう言った。
思わず固まってしまう。中学時代の記憶が一気に甦る。
自分でいうのもなんだけれど、中学時代、私はクラスで浮いていた。当時両親の教育方針の影響で自宅にテレビはなく、やはり彼らの影響で海外バンドの陰鬱な音楽ばかりを聴いていて、流行りのポップソングなんて何一つも知らなかった。クラスメイトがアイドルだ、Jpopだ、邦ロックだ、ロキノンだと騒いでいるあいだ、私は教室でただ一人教科書を読んでいた。当時の私は彼らの聴く音楽のよさを理解しようとしていなかったし、理解したいとも思っていなかった。
テレビ番組なんてものは、低能な親が子どもへの躾を手抜きするためだけに流すものだと母は言った。父は「あれを見ていると頭が悪くなる」とばかり表現した。二人は今も昔も私以上にインターネットにのめり込んでいる。
今の私は邦楽も万遍なく聴くし、自室にはテレビだってある。クラスメイトの話題にも問題なくついていけている。スクールカースト上部の女の子から教えられたキュレーションサイトはくまなくチェックしているし、SNSだって皆が登録しているものにはちゃんと私も参加している。大丈夫、今の私は浮いていない。自分に強く言い聞かせる。
「えーっと、×××の新譜」
クラスメイトの大半が聴いているバンドが先月出したアルバムを挙げる。どうやら新藤くんも彼らの音楽は好きだったらしく、
「あー、すげえよかったもんね。俺、あのアルバムだと××が好き。何曲目だったかな」
彼はわかりやすく破願してみせた。
それほど好きでもないバンドの名前を挙げることにも慣れた。私は高校生として、問題なくクラスに馴染んでいる。環境に溶け込んでいる。何も問題はない、不安がることなんてない。新藤くんと話し続ける。他の乗客が眉をひそめて賑やかすぎる私たちを見ている。彼はそのことに気づいていないようだった。
以来、毎朝新藤くんは私とバスで会うたび私の座る席までやってきては、両手でつり革を掴み私に話しかけてくるようになり、私はできるだけ彼の話を聞く側として適切に相槌だけを打ち、淡々とその時間を過ごした。無暗に話を広げ、中学時代のように他者を見下す自分に戻るわけにはいかないと思っていた。知っていることも知らないと言うこと。何も知らない下等な道化で在ることで、私は怠惰な高校生活をここまで乗りこなしてきたのだから。
「ああ、そういえばさあ、これ、聴いてみてほしくて持ってきたんだよね」
信号待ちでバスが停車したと同時、新藤くんが鞄から一枚のCDを取り出す。彼が私に見せたのはイギリスのとあるバンドで、陰鬱な歌詞と、様々な音楽の旨みを適切にピックアップし再構築したような複雑なサウンドが響く、私が何年も愛聴しているそれだった。
「え、××××?」
思わずバンド名の愛称を口走ってしまう。途端、新藤くんはわかりやすく嬉しそうな顔をして、
「え! 三上さん××××知ってるの!」
と大声で言う。さすがに目に余る賑やかしさだったのだろう、いくらか離れた席のサラリーマンがわざとらしく咳払いをした。新藤くんが、「あ、やべ」と呟き、サラリーマンへ小さく頭を下げる。運転手は何も言わず、バスもまだ動かない。新藤くんは、
「三上さん、こっちきて」
と小声で私を誘いながら、私の座る席の斜向かい、二人掛けの席へと腰掛けた。歩行者用の信号が赤に変わる。もうすぐバスも動き出してしまう。私は慌てて立ち上がり、彼の隣に座る。断っていい流れだとは思えなかった。私が座ったと同時にバスは発進して、私は軽く体勢を崩す。新藤くんが私の前に自身の手を差し出し、私は思わず彼の手を掴んでしまう。
「あっぶね、大丈夫?」
「あ、うん……。ありがとう」
「座席、見てないのかな」
「まあ、信号が変わりかけてるのに動いた私も悪かったわけだし」
運転席のほうを見ながら睨むように新藤くんは目を細めている。私はコート越しに伝わってきた、女友達のそれとは明らかに違う彼の腕の逞しさにいくらか動揺していた。悟られないよう話題を音楽に戻す。ただ、あのバンドのファンだとは気づかれたくなかった。予防策として言い訳を並べておく。
「でも、新藤くんも××××とか聴くんだね。友達がこの人たち好きなんだけど、私は名前くらいしか知らないんだよね」
「あれ、うそ? えー、友達って誰?」
「他の高校の子。中学時代の同級生で、もう連絡取ってないけどね」
「ふうん……。なるほどね」
新藤くんは明らかに残念そうだった。私が彼らの愛称を口走ってしまったことに余程驚き、それと同時、余程嬉しかったのだろう。少し申し訳ない気持ちになる。しかしもう引っ込みはつかなかった。私が自らの嘘を暴くことはない。
「新藤くんはそのバンド大好きなんだね」
「うん、俺はきょうだいの影響で聴き始めたんだけど、もうめちゃめちゃ好きで。サブスクで聴けるからCD買う必要はないんだけどさ、なんか、中古屋とかで見かけるとつい買っちゃうんだよね」
「あはは、よっぽどなんだね」
新藤くんが私にCDを手渡す。受け取って、自分でも何度も眺めた歌詞カードをぱらぱらとめくる。全体的にボロボロになっているのが中古だからなのか、新藤くんが何度も読み返してきたからかはわからないが私は好感を覚える。
「これ、借りてもいいの?」
「あ、勿論もちろん! そのために持ってきたんだし」
「ありがとう。今日中にPCとスマホに取り込んで、明日には返すね」
「聴いたら感想教えてよ」
「うん。大したことは言えないと思うけど、それでよければ」
新藤くんが満足そうに笑い、私も彼に笑い返す。彼らの全アルバムがすでにPCにもスマートフォンにも入っていること、中学生時代は彼らの曲ばかり聴いて過ごしていたことを新藤くんが知ったら、はたして彼は喜ぶだろうか。それとも中学時代のクラスメイト達のように気持ち悪がるのだろうか。そもそも新藤くんはなぜこのCDを私に聴かせようと思ったのだろう。訊ねてみたい気持ちはあったが、結局切り出せないままバスは高校までたどり着き、私たちは下駄箱を過ぎたあたりで何となく別れた。
教室に入る。仲のいいクラスメイトの女子が私を見つけるや否や、出し抜けに私の腕を掴み、
「瑞樹、新藤と仲よかったんだ?」
と言った。彼女の顔はどこかせせら笑っているようにも見える。嫌な予感しかしなかった。
「えーっと、それってどういう?」
「いやあね? 瑞樹さんはああいうのが好みなんですねえってことです。ふふ、何回も見かけたよ、一緒に登校してきてるところ」
「はあ? なにそれ、飛躍しすぎ。毎朝バスで会うから話してるだけだよ。音楽が好きみたいでさ、私も俄知識で相槌打つしかしてないし」
「あのさあ、新藤さあ、ホントはバス通じゃないんだよ?」
「え?」
「新藤。アイツ、チャリ通」
思わず彼女の顔を凝視してしまう。今度こそ彼女はわかりやすくニヤニヤと笑いながら、
「瑞樹と一緒に通いたいからってことなんじゃないの?」
まあ、うまくやんなよ。アイツ友達少ないみたいだし、ちょっとオタクっぽそうだけどさ、たぶん悪い奴ではないと思うんだよね。そういって彼女は私の肩をパンと一度強く叩くと左腕を解放した。私は自らの両手を強く握りしめながら彼女の後姿を見ている。彼女がいう通り、きっと新藤くんは悪い人ではないと思う。
悪い人、ではない。
もし彼女が中学時代の私を見たら何と表現しただろうか。考えたくもなかった。
帰りのバスでは新藤くんに会わなかった。
鞄からCDを取り出し、ぼうっとジャケットを眺める。見慣れた写真、見慣れた文字、聴きすぎた曲。頭の中で音楽が鳴っている。イヤホンはつけていない。
翌朝、やはり新藤くんとバスで会う。昨日のようになってはたまらないと、私はあらかじめ二人掛けの席に座っていた。乗り込みながら新藤くんはきょろきょろと辺りを見回し、私を見つけると躊躇いなく隣に座る。簡単に挨拶を済ませ、バスの発進と同時、彼へCDを返す。五曲目が好きだった、と伝えると新藤くんも「俺も好き」と笑う。
「俺、クラスではできるだけメジャーどころの邦ロックとかの話するようにしてて。まあ別に××××の話したって『誰それ?』って返されるだけで否定されるとかじゃないんだろうけど、まあでもその誰それって返しも結構寂しくなっちゃうもんだから」
バスの中でも大声で笑えてしまう新藤くんは、私が思っていたよりもずっと繊細な人であるようだった。彼は手の中のCDを大切そうに親指で撫でながら、
「歌詞の和訳、読んだ?」
と私に訊ねた。短く頷いてみせる。彼は言葉を続ける。
「結構暗いよなあ。うつっぽいって言えばいいのかな。あんまり褒められた内容じゃないっていうか。『友達いないやつがこぞって聴いてそう』とかって悪評もあったりするらしいんだよね。はは」
私には彼へ返すべき言葉が見つけられなかった。一体彼がどのような言葉を求め、朝からこんな話をしているのか、皆目見当もつかなかった。だから、私には彼が次に切り出す言葉を全く予見できなかった。
「三上さんが××××を名前くらいしか知らないって嘘吐いたのも��そういう理由からだった?」
彼は知っていたのだ。
もちろん馬鹿にされるのだとは思わなかった。
彼が私を馬鹿にするためだけにわざわざバス通学に変え、私に話しかけ、自らCDを買い、それを私に貸したとは到底思えなかった。おそらく彼は、私のクラスメイトが言った通り友達が少なくて、暗くて、こういう音楽を好んでしまう側の人間なのだ。彼は私と同じような人間なのだ。
しかし、私はそれを受け入れられるほど強い人間ではなかった。
「はは……、やだな、どういうこと? 嘘吐いたって? どのあたりのこと? ちょっと新藤くんの言ってる意味がわかんないかも」
私はへらへらと笑う。新藤くんがあからさまに傷ついたような顔をしている。彼は小さな声で、「いや、もういいや」と呟き、口を開くことをやめた。
バスは進む。あと三つ、信号を越えたら学校だった。信号が赤に変わり、停車する。上半身が薄く揺れる。私のスマートフォンが震える。コートのポケットから取り出す。届いたLINEを読む。大した内容ではない。教室に行ったら口頭で返事をしよう。既読だけをつけ、そのまま画面を消す。再びバスが発進する。
「俺さあ、もうすぐ高校辞めるんだよね」
「え?」
「高校。辞めるんだ。引っ越すことになってさ。親が離婚するんだよね。親きょうだいは転入しろっていうんだけど、なんかもう、疲れちゃって。いろいろしんどくてさ、今さら別の高校で人間関係再構築するのも、まあ俺には無理だろうなあって。その場の空気読んで、他人と足並み合わせて、とか、そういうの向いていないんだよ、たぶん。俺」
新藤くんが笑う。少なくとも私には笑っているように見えていた。
「LINE、返してやんなよ。どんなメッセージであれ、既読スルーは寂しいもんだよ」
思わずスマートフォンを握り締める。同じように、新藤くんもCDを強く握っていた。
「画面。横からでも結構見えるんだよな。気をつけないとさ。同じ学校の男子生徒に覗かれて、ああ俺と同じバンド好きなんだ、とかって思われたりするんだから」
バスが停まる。気がつけば高校最寄りのバス停に着いていた。新藤くんが立ち上がり、それと同時に、
「これ、あげるよ」
CDを私の鞄に無理矢理ねじ込んだ。私が動揺しているあいだにも彼は運転席のほうへと歩き、料金を支払い、タラップを降りていく。私も慌てながら彼の後を追いかける。
「あの、新藤くん」
隣に並び、私は彼に話しかける。彼は構わず自らの話を続ける。
「俺、今は一軒家に住んでるんだけどさ、離婚後は母親についていくからアパートになるんだよね。もう内見は済ませてて。てか、もうすでに母親はそっちに住んでてさ、自転車ももうそっちに送っちゃってるから今はバス通なの。いや、そもそも予定ではもうとっくに高校辞めてるはずだったんだよなあ。ただ高校の退学手続きがなかなか進まなくてさ、やっぱ教師たちも辞めさせたくないんだなー。家庭の事情とかなんとか、最終的には無理矢理言いくるめてって感じだったけど。教師も、思ったより口出してくるんだなーってさ……、はは。で、その新しいアパートの部屋のカーテンがさ、寸足らずなんだよ。十センチくらいかな。一軒家のときに使ってた薄灰色のやつをそのまま持って行ったから仕方ないんだけど、なんかその十センチ足りないってのがすげえみすぼらしくて、ダサくてさあ。その透き間からちらちらって外の世界が見えるのがさ、時々無性に嫌になるんだよ。そういう気分のとき、俺、××××の曲聴いてるんだ」
玄関に到着する。靴を脱ぎ変えるため新藤くんが自身の下駄箱の前に向かう。私の下駄箱は四つ隣の棚だった。急いで履き替え、廊下で新藤くんの姿を探す。すぐに見つかる。彼は私のことをじっと見ていた。
「三上さんならこういう気持ち、わかるのかなあって思ったんだ。ただそれだけ」
そういうと彼はそっと笑い、踵を返して廊下を進んでいった。
この道の先には職員室があった。
ホームルーム後、新藤くんのクラスメイトに訊ねると彼が今日付で退学したと教えてくれた。新藤、誰にも相談していなかったんだよ。彼女が表情を暗くする。私はその表情の変化を肯定的に捉えられない。
「でも三上さん、新藤と仲よかったんだっけ?」
不意に彼女からそう言われ、私は少し考えて、それから、
「ううん。でも好きな音楽が一緒だったんだ。それだけ」
と返してやる。
彼女が「なんていう曲?」などと訊ね返してくることはなく、代わり、
「そのうちLINEでも出してやってよ」
私へそう提案してきた。うん、と短く言葉を返し、私は再び自身の教室へと戻る。連絡先一つ知らない私が彼の携帯電話を震わせることはない。一限目の開始を告げる鐘が鳴る。教科書とノート、筆記具を取り出すため鞄の中に手を突っ込む。指先にCDのプラスチックケースが触れて、私はそれをそっとなぞり上げていた。
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洛陽の一日
旅先で印象に残るのは名所旧跡よりも何気ない街角の風景であり、そこに暮らす人々の営み。
8月11日(火) 6日目
「8時にホテルの前で中国人と会う約束をしていたのに、起きたら8時10分。ダッシュで行ったけれど居なかった。ああ、日中友好にヒビが入ってしまった!」 と日記に書いてある。 記憶に無いが、前夜、ホテルの前で日本語学習した中国人と何かの約束でも交わしたのだろう。 そして昨夜の洪さんは今朝も可愛いままだった♪ 彼女に尋ねたのは北京への電話の掛け方。言われるまま先方の電話番号を伝え、イスに座って待っていると、「X番の電話ボックスへ入りなさい」と指示が来る。交換手が繋いでくれるシステムだ。 電話の向こうで楊さんの賑やかな声が聞こえるも、お互い何を言っているのか良く分からん状態で勝手に喋って電話は終わった。まぁ、いい、あの日本の若者が無事に洛陽に着いたことが分かれば目的は達成。 電話が終わって箱から出てくると、日本人��ら声をかけられた。洛陽の大学に留学中の岡山出身の男性で、僕の大学での映研サークルの友達、対木によく似ていた。 親切なその人は、洛陽の旅行情報を教えてくれた。面白かったのは、大学での専攻は「人口抑制学」だと言っていた。一人っ子政策の中国ならではの学問なので専攻しているとのこと。ふ~~む。
街へ出た。 でも観光ではない。明後日の鉄道切符の手配だ。当時の中国個人旅行者にとっての難敵は、この切符手配。これが済まないと、次の旅程が組めず、のんびり観光もできなかった。 ということで、洛陽駅の切符売り場に向かった。 切符売り場は長蛇の列。排隊(パイトゥイ)=行列という意味の中国語を学習したのは、この中国旅行だった。人民は立場によってはモーレツに親切でもあり、またモーレツに不親切でもあった。当然、駅で切符を売っている服務員はその優位性にモノ言わせて不親切極まりなかった。 おまけにほとんどの人民購入客が小さな切符売り場の小窓を隔てて大声で叫んでいるのだから、服務員も激高する。ほぼ鉄道切符は「買うもの」ではなく「買わせていただくもの」であった。そんな修羅場に言葉も良く分からないヒヨっこの僕が太刀打ちできるわけもなく、筆談用メモに、「乗車列車番号」、「乗車日」、「行き先」、「枚数」を中国語で書き、「買いたい!」「いくら!」と書き、ようやく回ってきた自分の順番に、僕は服務員のオバサンに尋ねた。オバサンは既に発狂モードで取り付く島もない。何を言ってるのかほぼ意味不明だが、大変残念なことに、今、ここで買えないことだけは理解できた。でも1時間以上並んでこの結果は悔しいので、後ろに並ぶ人民に助けを求めた。そして分かったのは「当日買え!」ということだった。 予想通りの敗戦、という残念な気分で僕は一度、駅舎の外に出て、昼前だが駅前の食堂で瓶ビール(大)を買い求めた。当然、ぬるいビールしかないが構わなかった。そのビールをラッパ飲みしながら駅に戻り、薄汚く暗い駅舎のベンチで絵葉書を書いた。 相手は少し前までお世話になり、想いを寄せていた年上の女性。彼女は僕の良き相談相手だった。その人と知り合った頃、無口で陰鬱な青年であった僕は異性と口をきくことなどできなかった。でも、彼女はどこか違った。強いて言えば、会話を引き出すのがうまかった。数年の時を経て、気づいたのだが、彼女は自分の失敗談を楽しく話すのが上手だったのだ。当時の僕は、自信も経験も無く、語るべき言葉を持たない暗闇のようなものだと自分を卑下していた。でも彼女の失敗談を聞��ていると、自分の悩みが小さなものに思えたり、そんなこともあるんだと共感を覚えたりで、自分のことも素直に言える時があった。そんな彼女と僕は、誕生日が同じだったこともあり、世間知らずの僕を勝手に「運命」とも感じさせていた。 彼女は「思慕」という言葉を時々使った。好き、とか、恋しいという意味のこの言葉は、当時の僕にとって詩的で、大人の言葉に聞こえた。そして、いつの間にか彼女に思慕の想いを抱く自分がいた。 でも、いろいろあって、その後、うまくはいかなかった。その状態が1年以上続いていた。そして、絵葉書にしたためたのは別れの言葉だった。 今となっては、何故、洛陽の駅でぬるいビールなどラッパ飲みしながら、その人に最後の手紙を書いたのか全く不明である。ただ、日記には「XXさんにお別れの手紙を書いた」とだけあるのみ。
青春の傷あと、とでも言うべきだろう・笑 その後、傷心の痩せた青年は自分が空腹であることに気づき、さっきビールを買った店に入り昼飯を注文した。 この店のお兄ちゃんは表に出て、歌うように「ララララ~~来々!!、ララララ~~来々!!」と叫んで客引きをしていた。 日記には「白飯、野菜炒めみたいなもの」を食べたと書いてある。笑えたのが白飯を食べていると、後から来た人民客で同じく白飯を食べていた男が、店主に文句を言い始めた。そして、同じものを食べている僕のところにもツカツカとやってきて、失礼にも白飯を取り上げ、どうも白飯の味がおかしい!傷んでる!食うな!という意味のことを訴えたのである。 今まで食べてきた中国の白飯は、日本のそれとはだいぶ違う。まず、艶やかではない、白くはなく、くすんでいて、ポソポソしている。だからあまり美味くはない。なので、こんなもんだろうと思って僕は食べていたが、改めてニオイを嗅いでみると、何か違う。。。 中国に来てまだ6日目ではあったが、僕はもうそういうことも段々、没有関係(メイヨ―クワンシー・どうでもいい、という意味)になっていた。 その後、洛陽観光をした。 バスで 中国三大石窟 の一つ、龍門石窟へ。 ここは唐代に造られた石窟寺院で、もっとも目を引くのが高さ17.14mの廬舎那仏。この石仏は中国唯一の女帝で、寺院建造に関わった則天武后をモデルにしたという説もある。ただ、こちらの日記には「やっぱり少し悪人面」とある。
↑ 廬舎那仏をバックに。この写真は日本人ツアーのお姉さんに撮ってもらったが、 廬舎那仏の全体が映っていなかった、残念。 今やユネスコの世界遺産に登録された龍門石窟でも、歴史や文化の香りを楽しむは、万里の長城同様、人民のパワーにかき消された。 龍門石窟は黄河の支流、伊河に面した河岸段丘にある。その伊河では夏の水遊びを楽しみ人民、洗濯をする人民がいる。それは想像に難くない風景だが、大型のトラックを川に突っ込ませ、洗車する人民たちもいるのには驚く(写真下)。
こんな扱い方されたらどんなに質の高い車であっても、すぐ壊れるだろうに。。。こちらの理解の外にあることが多い、こういうことを学ぶのも旅の面白さだ。 目の前にいた小姐も、スカートなのに大股さっぴろげ、パンツ丸見えで川で涼んでいて、こちらが恥ずかしい。 オレンジの缶ジュースも観光地価格で1元(約45円)と高い。そしてプルトップを開けて飲もうとするも、錆びていて千切れた。そんなことは日常茶飯の人民オバサン、動揺することも無く手持ちのドライバーで一撃必殺、缶に二か所、穴を開け、ニコリとこちらに差し出す♪ 僕はそのジュースをチビチビ飲みながら、真夏の川辺、柳の下の石垣でまどろみながら石窟よりも人民たちの喧騒や動きに目を奪われていた。 市内にある関林も同様である。 三国志でも有名な関羽を祀る関林、こちらも世界三大関廟として名高く、三国志ファン必見の名跡。何でもここは関羽の首塚とか、本人の首がここに眠っているということか?
祀られた赤面で長い口髭の関羽は迫力があり、左右に控えるのは張飛に劉備か? しかし、三国志ファンでもない僕にとって、更に迫力があったのは、この関林ではなく、ここにたどり着くまでの街並みや風景だった。 毛沢東主義のスローガンが街角のアチコチに掲げられているのは北京と同様。そして下の写真は、交通事故の悲惨さをプロパガンダする街角の風景だ。事故被害者の痛々しく、グロい写真や事故の経緯など。「あなたも気を付けないと加害者、被害者になるから注意せよ」という共産党からの啓蒙活動だ。
下の写真は、道端にミシンを置き、服の修理などを請け負ってると思われる、若いお母さんとその赤ん坊。踏み込み式の手動ミシンだから「どこでもミシン」だ。 がんばれ、働くお母さん。
次は街角のレストラン。 ミシュランの星が付くまではいかないが、自家用の窯を路上に出し、雨露をしのぎながら、今日もしたたかに商売商売。 若さゆえの好奇心で、こういう店で食事して何度、腹を壊したか♪学習能力無し~
関林からのバスで洛陽友誼賓館までの帰り道、乗り換えの広州広場でバケツをひっくり返したような土砂降り。足止めを喰らうも、雨が熱気を沈め、どこからか土や川のニオイを運んでくる。 仕事から帰宅途中の多数の人民とともに、土砂降りを眺めながらの雨宿り。気楽な旅人に贈られた非日常的な場面は、今でも映画のワンシーンのように心の奥の隅のほうに沈殿している。33年も経ったあの広州広場は、今、どんな風景となり、どんな時間が流れているんだろうか?
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心に穴が開いていることに気づいたのは、いつだっただろうか。幼稚園、小学校、中学、どこだろう。よく覚えてない。ただ漠然と胸の辺りに、存在を認識することすら悍しい、正体の分からない穴があった。
血が滴るわけでもなく、型抜きでただスコンと抜いたように向こうが見渡せる虚無。周りの人間にはそんなものが見当たらなかった。一時は頭がおかしくなったかと不安になり、心療内科へも行ってみた。医者の言葉は、「その不安を言葉にして、周りの人に助けてと手を伸ばしてみましょう。」。医者へは一度行って、それきりだった。
穴。幼い頃から、友人と呼べる友人はいなかった。作ろうと努力をしてみても、気付けばそれは風の前の塵の如く、何処かへ飛んで自分の知らない場所で、知らない塵とくっつき戯れていた。どうして、知りもしない繋がりもない塵と結びつくことが、そんなにも大事で大切で、出来なければまるで人間失格かのような嫌な目で見られるんだろうと、子供ながらに思っていた。どうして、どうして?それを説明出来る人間が果たして、いるのだろうか。否。結局、寂しいから。それしか言えない。じゃあ聞くが、���しいとは一体?
これを一時期、「孤独」と呼んでいた。友人も、親戚もいない。かろうじて血の繋がったただの保護責任者が二人。一人はアル中DV野郎、一人はセックスしか頭にない無職のアバズレ。交配の末に出来てしまった副産物に過度な期待をかけた彼らは俺を叱り、縛り上げ、期待し、媚び、そして見限った。人間ってのはつくづく、分かりやすくてありがたいと思う。高校を卒業する頃にはその穴は、心臓を遥かに超えるサイズまで育っていた。
学生時代、同級生が大麻にハマった。ある日クラブで怪しい外国人に手巻きのタバコを渡された。なんてお決まりのストーリーをぶら下げて、彼女は学校を去っていった。噂話が好きな連中は彼女のあることないことで会話に花を咲かせ、飯を食っている。
「お母さんが亡くなってから、寂しかったのよ。」「お父さんとはろくに口も聞いてなかったってあの子、言ってた。」「兄弟は?」「お兄さんは早くに家を出て、それきり疎遠になってたって。連絡先知らないって言ってたよ。」「誰もいなかったのね、あの子の周りには。」「私達がいたのにね。」
もしかしたら彼女にも、穴が開いていたのかもしれない。それを彼女は、みっともないとでも考えたのか、必死に埋めようと画策して、手当たり次第ハマって一時の多幸感を得られる大麻に手を染めたのだろうか。下衆の勘ぐり。希望的観測。何の意味もない。分かるのはただ一つ、彼女の社会的地位は著しく落ちたと、それだけだ。ああ、終わった。これで、たかが穴一つ埋めようと必死こいただけで、人生終わり。サヨウナラ。高笑いが漏れないように、ずっと口元を押さえていた。
ただ、彼女の着眼点は間違っていなかったのかもしれない。そう思えたのは、自分の穴が少し塞がれた瞬間を目の当たりにしたからだった。自分に友人としての好意を寄せている稀有な人間が、ある日ぽつりと「ルンバが欲しいんだよなあ。」と呟いた。部屋汚ねえけどルンバのためなら掃除するかも。そう言って笑った彼の横顔を見て、まるで受胎告知でも受けたかのような神々しい気持ちになった。神の啓示。進むべき道。人生における、唯一の光。そうか、これだ。その時の自分はきっと、今までで一番幸せな帰り道についていたはずだ。るんるんとまるでスキップでもしているかのような軽い足取りだ。生きてることを素晴らしいとすら思えた。
次に彼と会った時、自分は彼にルンバをプレゼントした。彼は驚いた表情でそれを受け取り、居酒屋にもかかわらずそれを開け、店員に自慢し、頬擦りまでして「ありがとう!」と一度、叫んだ。じわり、と濡れた感触に胸元を触ると、ただスコンと抜けていた穴��血が滲んでいるのが見えた。修復。頭の中で教材ビデオの如く、赤血球と血小板が瘡蓋を作り上げていく様が再生される。身体が、穴という異物を塞ごうとしている。この行為によって。何を意味してる?人の役に立てたこと?そんな簡単なことだったのか、と拍子抜けするくらいには、自分は単純、いや、単細胞だったらしい。
それから、友人、と呼べる存在がそれなりに出来た。思えば、人間としての上手い振る舞い方が出来るようになったからだった。19歳の、春だった。大学には行かずに働いた。稼ぎは少なかったが、物欲はなかった。だから、穴を埋める作業に没頭出来た。
喜ぶ顔、ありがとう、嬉しい、好き、ポジティブな言葉に何の意味もない、と思っていたのに、その言葉たちが今生きる活力になっていた。嬉しい。嬉しい。死ぬだけだと思っていた人生に、一つ、意味を見いだせた。
そう思っていた。あの時までは。
ルンバをあげた彼を街で見かけた。手には、そこら辺の道端でちぎったような花を一輪、握りしめていた。隣には、可愛らしい女がいた。「ありがとう、愛してるよ。ありがとう。」彼は女の頭を撫で、鼻先にキスをしてからその花を女の耳の上へと添えた。
ぼろり、そういってなにかが地面に汚く落ちて、それが無理やり剥がされて生乾きのままの瘡蓋だと気付いたのはしばらく経ってからだった。穴からは血も組織液もなにも滲み出てこない。身体が修復をやめた証拠だった。
2度、彼はありがとうと言った。自分の時は1度だった。価値があるのは自分の方だ。走馬灯のように駆け巡るのは、過去の思い出。皆、喜んでいたはずだ。何に?自分に対して。いや、違う。全部、その物が自身に舞い降りてきたラッキーに、喜んでいただけだ。誰から与えられようと、関係ない。
沈むな、と胸元を掴もうとしてもそこには何も無い。雑踏で立ち止まる自分に対して世間はドライアイスのような冷たい目を向けて、排除しようと右から左から押しのけてくる。
何が違う。何が、いったい。考えろ。そうして漸く、一つの答えを導き出した。そうか、愛だ。愛。相手をいとおしい、かわいい、と思う気持ち、守りたい思いを抱くさま。愛は、何事にも勝つんだ、そう気付いた時もまた、人生が素晴らしいと思いながら歩いた日だった。今なら、手術台の上のこうもり傘とミシンの出会いに歓喜の涙すら流せる。そう思った。
そうして、出会ったのが彼女だった。彼女は自由奔放で、ある意味馬車馬のように扱いづらく、ただ真っ直ぐでとても人間らしい生き物だった。彼女を見たときに抱く、この説明し難い溢れる瑞々しい思いを、最初に恋と名付けた人はいったい、どんな感性を持っていたのだろう。
自分は簡単に恋に落ち、彼女を愛した。彼女も同様に、自分を愛した。自分は彼女に対して、全てのものを捧げた。時間だって、お金だって、大切だと思えた物だって全て捨てた。当たり前だ。愛は唯一だと、そう説いてあった。唯一にしなければいけない。彼女を世界の唯一にして、空いていた穴を見る暇もないくらい、流れ込んでくる彼女を見ていれば、いつか存在すら忘れるのかもしれない。そう思った。邪魔だとは思ったことがなかったが、穴の無い世界を一度闊歩してみたかった。
そうしてその恋はあっけなく終わった。自分の代わりはどこにでもいた。変わらないものはただ一つ、この胸の穴だけになった。
卑屈だと、そう罵られた時、何が間違っているのかわからなかった。冷静に物事を考えた時、そこに自分が存在して、自分が成し遂げなければいけないことなんて世界に一つもない。なぜなら全て、死ねば終わりだから。そう考えると途端に無力になって、階段の最後の一段すら降りられずに世間にまた睨まれる。
こうして長々と止まることなく、変わるもので埋めてはいけない、人間で埋めてはいけない、その厄介な穴の話を聞かせたわけだが、君は呆れた顔で3本目のビールを開けてうんざりした声色も隠さず、「終わった?」とだけ呟いた。
「お、終わったよ、だいぶ、かいつまんだけど...」
「あーそう。ねえそれやめて、手遊び。チラチラ視界に入ってやだから。」
「ご、めん。あはは、はは、」
ほら、飲みなよ。と差し出されても、自分はビールが飲めない。何度言っても覚えてくれな��君の周りには、自分の代わりがあと何人いるのだろうか。
「寂しさなんてさあ、みんな持ってるよ。それを、友達とか、恋人とか、楽しいとか嬉しいで埋めるんじゃん。」
「楽しいも嬉しいも、その対象は自分じゃなく、自分が与える物や体験だとしたら、それを与える人間が他に現れたって構わなくなる。そしたら途端に...」
「もういいよ、分かった。だから死にたいんでしょ?死ねない癖に。優しいよね、見届けてあげるって、わざわざ来てあげたんだから。」
死ぬなら死ぬとこ見せて、と言った君が目の前であぐらをかき、話の途中だった自分から目を背けてテレビへと首を曲げた。ははは、と軽やかな笑い声を上げる君の目に、白いモニターがテラテラと写っている。
「最後にしたいこともなく、死ぬってのにビールとお菓子とご飯買ってもてなしてんだ。喜ぶ顔が見たいから?」
したい事。なんだろう。
「結局何したらうまるの。それ。もう諦めなよ。」
埋まる事、埋める物。埋められる物。
テーブルの隅にはバールが置かれている。
「あはは、この芸人スベってるけどたまに面白いんだよな〜。」
したいこと。したいこと。ああ。
「分かった、したいこと。」
「ん?何?」
君が最後に見た景色は、どんな景色だっただろう。中途半端な、何も残らない物で束の間の寂しさを紛らわせて、自分の人生かけて自慰しか出来なかったようなそんなくだらないものを抱えて、君は今、幸せにしんだ?
リビングにあったメモ帳に書き出してみた人数は、軽く30人を超えた。ルンバの彼、ブランドバッグを渡した女、君、母親、父親、祖母、友人だった者たち。32人。
取り掛かる前に胸元をさわれば、またいつか遥か昔のように血が滲み始めている。これは初めて、自分自身が自分自身の為に自分自身で生み出した、しあわせ、だ。しあわせ。叫び回って自慢したくなるこの高揚感。あと先のことなんて、理屈なんて、どうでもいい!心底どうでもいい!俺はただ今目の前にある君の死体を早く32個にそれぞれ分けたい。早く。
一つ一つに丁寧に竹串と彫刻刀で施す顔。そういえば俺は絵が下手だった。文章もろくに書けなくて、人を楽しませる能力が欠落していた。ああ、ホクロを描かないと。ダメだ待ちきれない早くぐちゃぐちゃに殺したい早く。垂れ目、つり目、太めの眉。人によっては記憶は小学生の頃。思い出して、バラバラにそれぞれの役割を割り振っていく。
指二本を纏めて輪ゴムで止めた。耳は引きちぎって踵で踏みつけて平らにした。頭蓋骨はバールで殻を割って地面に字を書いた。腕は関節を回し続けて捻じ切った。喉仏は拳で潰した。部位なのか形を留めないただのぐじゃぐじゃとした肉塊なのか分からないそれを32人に分けて、一つずつ気の済むまで殺した。ああ、楽しい楽しい楽しい楽しい楽しい!!!胸の穴は滝のように血を流して、心なしか穴が縮まったような気がしないでもない。
まだ足りない、そんなときに閃きがよく浮かぶ俺の脳味噌を、今ほど誇りに思ったことはない。手に掴んだそれには長い髪とどこかの骨のかけらが絡まっている。手にへばりつくヌルつきを胸の穴の淵へ塗りたくって、おにぎりを握るように肉を丸めた。ドキドキと、見えない心臓が高鳴る。ピタリ、縁に触れたそのどす赤い肉塊がモゾモゾと動いて、穴と同化しようと動いているのが視界に映った瞬間、歓喜のあまり失禁しそうになった。数十年抱えてきた、漠然とした寂しさ、虚無、痛み、憎しみ、嫉み、どれにも当てはまらない未知の感情が今目の前で、終焉を迎えようとしている。もぞりもぞり、肉塊はその色と形を保ったまま動かなくなった。端は穴の淵にくっついたまま、境界が曖昧になっていく。
しあわせとは。胸にあった悲しい穴が、他の何かによってうまること。
無意識に口に運んでいた肉塊の爪の歯応えが不愉快で床へと吐き捨てる。50キロ半ばの塊は半分近くを穴の修復へと費やしあと半数の��片と塊は床で自由を謳歌している。
しあわせはここにある。
このまま眠って、明日から穴のない、人間として新たに生きるんだ。
もう誰も、俺を卑屈だとか、歪んでるなんて言わない。言われたら、この満たされた胸をみせてやればいい。
今日はゆっくり眠ろう。おやすみなさい。
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ハセツネ(日本山岳耐久レース)まであと121日。身体作りも大切ですがそれだけでは走れない!トレイルランニングに必要なギア類を選ばなければ。 例えばメッセンジャーに必要なのがまず自転車とメッセンジャーバッグであるように、トレイルランにはシューズとトレラン用のバックパックなんですね。で、「何をどの様に背負い、運ぶか」は、単に機能性だけの問題ではなくて、そこに「なぜ走るか、なぜ運ぶか」の哲学が表現されるものだと思うのです。(メッセンジャーバッグにメッセンジャーの自意識と生き様が反映されるように。) さて、トレイルランニング用としてもいろんなメーカーのいろんな考え方のバックパックがありますが、その中でも私が個人的にグッと惹かれたのがPAAGO WORKSのRUSHでした。シンプルで曲線が美しい。街での日常からトレイルの非日常へと少しずつ足を踏み入れていこうとするときに、身につけて自然に感じられそうなスムーズで雰囲気、そして、研ぎ澄まされた競技用のモノじゃないちょっとした遊び道具をそこから取り出しても画になりそうな、わくわくさせる感じ!コレコレ、これですよ! というわけで、そんなRUSHへの思いをぶつけに(?)RUSHのデザイナー斎藤さんに会いに行ってきました!実は斎藤さんとは2010年頃に自転車つながり(東京ミッドタウンで開催されたペダルライフデザイン展での自転車展示関係、岡安製作所さんとの繋がりも!)でお会いして以来のお付き合い。(当時は「サイトウデザインの斎藤さん」だったような。)その後も(2012年だったみたい)その頃につながった人たちと一緒に檜原村をMTBで走ったりしましたね、もう��かしいな。その後も自転車のイベントでとか、裏山ベースに寄ってくれたりとかで時々お会いしていますが、遊び心のある優しい目の兄貴っていう雰囲気はずーっと変わりません。それでいて、作り出される物もアイディアもどんどん進化している! 初めてお邪魔しましたが、事務所にはミシンと自転車とたくさんのバックパックや試作品がズラリ。もう最高にわくわくする空間でした。プロダクトから漂う楽しそうな感じは、ここから生まれているんだなぁー!納得! 裏山ベースも、アウトドアで遊ぶ楽しさの敷居を下げていろんな人が気軽にそこを拠点にして出かけていける&帰ってこれるような場所を目指しているので、遊び心を忘れずに楽しく頑張ろうと改めて思いました。 ということで…私のハセツネチャレンジの相棒はRUSHに決めました!斎藤さんと記念撮影(ご本人も90年代に何度もハセツネ完走しているって聞いて、さらに勇気出ました!) #roadtohasetsune #paagoworks #rush12 (Kokubunji, Tokyo)
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11月の各地句会報
平成29年11月の特選句
坊城俊樹選
栗林圭魚選 栗林眞知子選 岡田順子選
平成29年11月2日 うづら三日の月句会 坊城俊樹選 特選句 小春日や誰れとは無しに立話 喜代子 九頭竜の昔訪ね来小春日に 牧羊 父母祖父母御堂の奥に報恩講 牧羊 一山に念仏溢れ報恩講 牧羊 人の世へ菊をまとひし菊人形 牧羊 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月4日 零の会 坊城俊樹選 特選句 如来また綿虫を享けたまひしや 順子 神留守の参道華やぎの子等よ 瑠璃 形よく黄の香を立てて菊の鉢 秋尚 袂には護摩の煙や七五三 佑天 水煙に空の透けゆく神送 瑠璃 人待たせ露店の柿を食べてゐる 順子 御仏の胸に秋思のラピスラズリ 眞知子 分骨の誓子へ紅葉明りかな 眞知子 供花として木洩日受くる木の実独楽 三郎 みつしりと菊供へたり観世音 和子 神境の緞帳として菊まつり 三郎 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月9日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句 枯芝の音なき中に子らの声 俊子 茨の実町の句展を彩れる 都 立冬の町に術後の身を晒す 幸子 老僧の月忌参りや懐手 幹也 高原の空に犬鷲飛ぶ勇姿 和子 幼子と爺と宮の椎の実と 栄子 鷲旋回爪痕の無き空残し 悦子 ごつた煮の粕汁旨し宿の膳 史子 窓開けて秋風と踏むミシンかな 立子 雨降つて軒借る奴浦祭 すみ子 音もなく降る仏恩も菩提子も 美智子 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月10日 芦原花鳥句会 坊城俊樹選 特選句 軒下のほの暖かき吊柿���由紀子 朝顔の残りの花も紫に 寛子 冬紅葉墓碑は伍長と刻まれし 孝子 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句 弔ひの花みな淡し冬薔薇 ミチ子 大枯野真赤な落暉呑み込めり みす枝 俯きし細き項や冬薔薇 ミチ子 菊人形ふと目ばたきをした様な 雪 霰魚恨めし顔に焼かれけり 越堂 帰路急ぐ全円の月背に負ひて 世詩明 愛犬を看とる三晩や神渡し ただし (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月11日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句 僧の掃く落葉の音も南無阿弥陀 雪 果もなく掃き寄す落葉つむじ風 希 観世音枯蟷螂をみそなはす 雪 観音の膝下に枯蟷螂となる 雪 櫨紅葉手に美しき人現るる 清女 一と時雨かつて織子の通ふ径 匠 女真族攻めきし碕や野菊枯る 千代子 ゴスペルを聞いたことなく神の留守 千代子 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月11日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句 小春日や影弾みては歩の進む 百合子 世田谷にはるか稜線冬めきぬ 陽子 山茶花や散りて艶めく花あかり 多美女 みどりごのくちびる柔き小春かな ゆう子 残菊にふと一呼吸促され 教子 小春日やブリキの玩具螺子を巻く ゆう子 浅漬を噛めばからだの目覚め出す 白陶 宴席は旧姓順や神無月 文英 待つ寺に石の静けさ石蕗の花 美枝子 珈琲と窓いつぱいの小春日と 白陶 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月13日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句 枯葉散る高き幹より鳥の影 エイ子 園児等の肩にリュックに枯葉舞ふ せつこ 乾びたる風に応へる枯葉かな 秋尚 絵馬鳴らす風の乾きて神の留守 秋尚 ただ枯葉落つる音のみ山の道 貴薫 枯葉よと唄ふやうには散りくれず 秋尚 枯葉踏む五十路女の無邪気なる 貴薫 大根の琥珀煮の香を大皿へ ます江 行き合ひの空見上ぐれば枯葉落つ 美貴 浮き腰のまま大根の大地引き 秋尚 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月14日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句 祈り道風やや硬くやや寒し ただし 恐竜の骨のまぶしき文化の日 ただし 老犬を見守る妻の柿編めり ただし 九頭竜の空に道あり雁渡る 越堂 林泉を統べ鵙の在所と云ふ一樹 越堂 掌の砂の重さや秋の浜 一仁 屏風岩凩びかりしてをりぬ 一仁 千枚の棚田に千の月映る スヱ子 穂芒のはらりと路をふさぎけり 富美 渋柿の熟れを残して風に吊る 世詩明 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月14日 萩花鳥句会 八代にははや五羽ほどの鶴ときく 牛子 賜りし時雨に松江らしくなる 小勇 卒寿とて心引き締め冬��入る 祐子 潮騒の城址は石蕗の花明り 孝士 吟行の行く先々の石蕗の花 七重 飛び石の落葉隠れを掃き出せり 美恵子 安芸しぐれ止む間に昼の穴子めし 健雄 書を捨てて書を買ひ足して秋深し 吉之 大根を旨いと思ふ歳になり 晴子 小春日や毛槍飛びかふ萩城下 圭三
平成29年11月15日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句 浦いくつ繋ぐ断崖野水仙 越堂 時雨るるや旅のカバンに陀羅尼助 越堂 此の職を得て制服の寒からず 世詩明 踏絵踏むごとくに銀杏黄葉踏む 世詩明 大津絵に睨まれてゐるおでんかな 嘉子 今年酒男衆提げる杉の玉 令子 紅葉踏む城主は隠れキリシタン 千代子 力つく所に枯蟷螂となる 雪 姫の待つ龍宮城へ潜る鳰 龍聲 ひんがしの白山に向き浮寝鳥 龍聲 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月19日 風月句会報 坊城俊樹選 特選句 枯葦の底より遠き水の音 久子 一女優野に立てば冬草の青 圭魚 罪だらうかふはりと踏みぬ朴落葉 三無 草枯れて谷戸田の果ては見捨てられ 眞知子 穭田を迷路のやうに鳥歩く 野衣 むじな池やら熊の池やら冬ざるる 炳子 (順不同 特選句のみ掲載)
栗林圭魚選 特選句 水鳥の水押し開く胸厚し 三無 菜園の冬日を蝶の低く舞ふ 斉 朴落葉みな白々と裏返り 芙佐子 枯葦の底より遠き水の音 久子 掘り立ての長葱ひさぐ山家かな 芙佐子 刈田ゆく風のうしろの風の音 三無 推敲を払つても払つても冬の蝿 斉 隠沼のぐるり鉄柵枯薊 炳子 山茶花や醤油焦しの鰻の香 亜栄子 葉を揺らし翅を閉ぢたる冬の蝶 亜栄子 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月21日 鯖江花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句 背表紙の柏翠自伝秋灯 雪 野菊摘む十月二十一日の虚子 雪 紅葉且つ散るいにしへの色重ね 一涓 日照雨していよよ北山時雨かな 一涓 笑む母の遺影の窓の柿簾 一涓 末枯るる奥に慈顔の地蔵尊 一涓 故里は苦し懐かし一茶の忌 越堂 文化の日文人顔で書画めでる 昭子 浮寝鳥ときには小さき声洩らし 信子 口切や金糸の帯を高く締め みす枝 セーターを着たる女教師後ろ向き 世詩明 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月26日 花鳥月例会 坊城俊樹選 特選句 まつ青な空を選んで銀杏散る 光子 腰細き国士や神の留守に佇つ 野衣 綿虫の湧いて映らず神の池 千種 九段坂描く北斎の銀杏降る みもざ 木の葉髪シベリアで父没せしと 眞知子 裘パリー帰りの脚を組み 順子 黄落す人���な黒き影なれば 和子 ほの暗きあの神鏡へ神還る 小鳥 大鳥居より放たるる黄落期 みもざ マフラーの中に少年ひとりゐる 千種 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月29日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句 貴賓館彩つてをり冬紅葉 阿佐美 夜は夜の光満たして冬の街 孝子 天神はよかとこ銀杏黄葉降る 洋子 一人負ひ一人手を引き黄落を 勝利 聖母像小さき教会冬木中 久美子 気後れのお洒落な街の落葉踏む ふじの からくりの時計はすでにクリスマス 孝子 であい橋気まぐれに買ふ冬帽子 洋子 (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月30日 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句 晴天を吸ひ切つて燃ゆ冬紅葉 桂 紅葉散る亭の回路は万華鏡 乱水 壮士らの焼べし炭火のしづかなる かおり 茅葺きを埋め尽くすや散紅葉 志津子 記紀の世も栄へし街の銀杏散る 由紀子 冬晴やピサの斜塔を手で支へ 千代 おもしろく住みなせし居や冬紅葉 桂 敗荷に風の唱名ありにけり 豊子 志士もまた望東尼も打ちし冬の雨 桂 冬浅し志士と尼僧のものがたり 寿美子 幕末の匂ひの残る大火鉢 佐和 身を隠す志士に二畳の寒さかな ひとみ (順不同 特選句のみ掲載)
平成29年11月 さくら花鳥句会 栗林眞知子選 特選句 母と子の童謡響く柚子湯かな 実加 遣り水の池に細かき秋の雨 令子 (順不同 特選句のみ掲載)
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トークイベント「ドローン大学」@高円寺円盤 20150722
畠山(以下、H):さて、始めましょうか。ええ、今日はですね、ゲスト講師に相田悠希さんをお招きしました。宜しくお願いいたします。 相田(以下、A):はい、宜しくお願いいたします。
H:今日はですね、ドローンの先史ということで、ヨーロッパ的な源流を遡ってみようと。それの第一回ということでね。このシリーズで、今後はアジアや民俗学的な源流も探ってみたいと考えているんですけど。今日は20世紀の美術から現代の音楽を時間の許す限り紹介していくっていう企画なんですけど。 A:前回のこの講義はギタードローンがテーマだったということを先ほどお聞きしたんですど、今日はまぁ、ドローン大学の番外編という位置付けでやらせて頂くので、ドローンに直接的に繋がらないかもしれないんですけど、そこはお許し頂ければ幸いと思います。
で、早速ですが、これは個人的な捉え方なんですけれど、ドローンっていうとそれこそ、スコットランドのバグパイプとか、オーストラリアのデジリドゥってありますね、あの長い縦笛ね、それから大陸から渡ってきた仏教の声明とかですね、そういったものにドローン的な要素は見ることが出来ると思うんですけれど、今日は一回それを脇へ置いといて、産業革命から見ていきたいんですね。僕がイメージするドローンってのはと言いますか、僕が興味を惹かれるのは機械によるドローンなんですね、或いは電気によるドローンですね。で、それを辿っていくとどうしても産業革命に辿り着かざるを得ないというところがあって、それで今日はマリー・シェーファーの「世界の調律」という本がありましたけれど、その流れに即した形でお話したいと思います。
それまで産業革命以前のドローンというのは、あくまでも通過儀礼であるとかお祭りであるとかですね、声明もそうですけど、所謂非日常のもの、柳田國男のハレとケと言う区別の仕方や、或いはデュルケムの聖俗二元論で言うところの聖なるもの、そういったものを演出する為に使われていた、と考えるんですね。 それで産業革命を用意した要因の一つに人口の爆発的な増加がありまして、その前の時代の農業革命によってイギリスの人口が増えていったわけですね。出生率が増加したわけでも、移民の数が増えたわけでもなくて、どうも単純に死亡率が低下したと言う事らしいんですけど、それで農村部で増えた人口が都市部に流入するようになり、雑踏や工場の機械の騒音が街に溢れるようになっていった。 その時にドローンをどう言う風に見るか、という事なんですけれど、僕は「機械音が連続して時間を持つとドローン化する」と考えているんですけれど、その頃からドローンが街を覆い尽くすようになって行くんですね。例えば、それまで馬車だったものが自動車に取って代わる。引いて見れば、人間の足が速度を持って連続してブーンと言うドローンに変わる。また、僕らが着ている洋服。それまでは手で縫っていたものがミシンによって大量生産できるようになった。これはシェーファーの言葉ですが、僕らが着ている洋服の縫い目の長さ分だけかつて世界にドローンが放たれていた。とまあ、こう言うようなロマンティックな言い方も出来るわけです。ですからね、僕にとっては速度、というのが一つのkeyなんですね。
古代ヨーロッパ世界においては「音」というのは、例えば嵐であるとか雷であるとか、何かこう人間の英知を超えて大きい音がどこかで鳴る。それは脅威であると共に敬いの対象だった。畏敬とでも言うんですかね。それが中世において、教会が出来始めると教会の鐘の音、これ面白いんですけど、当時のヨーロッパの町内区分はその鐘の音が届く範囲まで、と言う話があって(笑)、ま、それぐらい音の少ない、ポツポツと音があるような、そういう音環境の中で当時の人は暮らしてたわけです。 で、教会の鐘の音ってのは畏敬の対象であったと。それが工業化に伴って、権力の主体、つまり大きな音を出しても許されるという主体が自然から教会、教会から資本家へと移行していった。という見方をシェーファーは示唆しているわけですね。「騒音を権力に結びつける事が人間の想像力の中で真に打破されたことはない。その権力の所有者は、神から聖職者へ、そして産業家へ、もっとも最近では放送事業者や航空会社へと降りてきた。聖なる騒音を所有することは、単に最大の音を出すということではなく、検閲を受けずに騒音を出せ��権威を持っているという事が本質である。騒音が人間の感傷を免除されている所には、どこにでも権力を見出す事ができる」と、ここまで彼は言っているわけですね。で、工場が乱立するようになってですね、少年が労働に従事させられていまして、当然当時の人々もその騒音が耳に良くないってことは分かっていたわけなんですね。で、あ、ちなみに産業革命ってのは1760年代から大凡1830年代にかけてゆっくりと進行拡大していったわけですが、音楽史で言いますと、バッハが1750年に亡くなっていて、56年にモーツァルトが産まれて、えーと、モーツァルトと14歳違うから、えー、70年にはベートーベンが産まれている、そういうような時代です。で、その頃に先ほど申し上げたミシンですとか、タイプライター、鉄道、蒸気船、セメント、といったような工業製品が出てくるわけですけど、そこで働く少年達は皆難聴だったわけですね、サドラー工場調査委員会という所が1832年に調査した報告書によるとですね、少年の労働時間は一日35時間、仕事に遅れないように工場で眠る子供達、極度の疲労から崩れるように機械にもたれかかる労働者、子供のアルコール中毒、というような記述の中で、音に関する記述というのは「機械がガタガタ鳴っている」という文言と、労働者が鞭で打たれる音の記述だけだったと。そう言うような酷い労働状況の中、1831年の時点で100人のボイラー製造者を調査した時には何と一人も正常な聴力を持っていなかった、と言うんですね。しかし、その予防について真剣に考えられるように鳴ったのは、それから100年も後のことなんですけど、ああ、喋り過ぎですね(笑)ごめんなさい(笑)
H:いやいや、でもちょっとこのペースでいくと世界史の授業になってしまいそうなので(笑)ちょっと今のお話の中で重要なことをまとめると、とてもざっくりですけれど、産業革命によって耳の在り方、音の聴かれ方が、それ以前の時代とは大きく変わってしまったのではないか、ということですかね?
A:そうですね。で、今の感覚で考えると普通こういう、難聴とかですね、こういうことってのは反対抗議して然るべきだと思うんですけれど、これを賛成する向きが出てくるわけですね。で、それが未来派に繋がっていくと。
H:ああ、なるほど。その肯定的に捉えた人達ってのが未来派の下地になったと。
A:ええ。僕はそう考えます。
H:ではちょっとその頃の音楽作品を聴いてみましょうか。
A:では、未来派って言えば真っ先に浮かぶのがアントニオとルイージのルッソロ兄弟なんですけど、今日はルイージ・ルッソロの方の「awaking of the city」という曲と、それからプラテッラのイントルモーリを使ったオペラの抜粋音源を二曲聴いてみましょうか。
<曲>
H:はい。ではまず1曲目の「都市の目覚め」ですね。これは何年の作品になるんですか?
A:これが1913年ですね。(会場からため息)あ、良いリアクションですね!(笑)
H:これって録音は当時のもの?
A:あ、これはそうです。13年のもの。で、2つ目におかけしたプラテッラの「飛行家ドゥーロ」って作品、これは1911年から14年の間に書かれた作品ですね。
H:ルッソロの方は自作の楽器を使った作品ってことなんですか?
A:えー、ルッソロのアシスタントの、えーっとウーノ・ピアッティだ、元々ルイージは画家だったんですけれども、1909年のマリネッティの未来派の宣言に共感してその日のうちにルイージはサインするわけですけれども、でその後にイントナルモーリという自作のノイズ生成機のようなものを、そのアシスタントのウーノと一緒に作ったわけです。
H:イントナルモーリって、まあ、ご存知ない方は後で画像検索すれば出てくると思うんですけど、あの大っきなスピーカーみたいなやつですよね。しかし、この「都市の目覚め」って曲は今聴いてもノイズとしていけそうな、と言うか全然古びてないですね。
A:100年経って一回りして新しい、みたいな感じですよね。ちょうど今のこの時代の雰囲気に合っているような気がします。
H:一番面白いのは、イントナルモーリを使って、本当に都市を表現しようとしてるようなところがあるじゃないですか。なんかこう再現しようとしているような。今じゃあんまりしないですよね、なんかわざわざ自作楽器を作って、この中央線を表現しよう!みたいな(笑)その発想は、やっぱり出自が画家っていうのがよく分かる気がするんです。こう、風景画を描くような感じと言いますか。
A:うん、象徴的ですよね。ルッソロ兄弟というとお兄さんのアントニオが作った「コラール」という作品が有名で、そっちはもうちょっと音楽らしいんですけど、で、この作品が13年ですよね、今日お越し頂いた方はお好きな方ばかりだと思うんですけれど、13年ってストラヴィンスキーが「春の祭典」を初演した年なんですね。あれも、当時は大問題になった作品だったわけですけれども、ルッソロも初演した時は酷い大ブーイングだったらしいです。
H:それは今でも顰蹙買いそうな(笑)まあ落合のsoupとかね、ああいうとこでやる分には良いと思いますけど(爆笑)で、次の2曲目はオペラの一部なんですか?
A:あ、このプラテッラという人は、根っからの音楽家で、直接的に未来派の運動に参加していたわけではないんですけれど、ちゃんとした音楽も書いているし(笑)でもやはり新しい表現だという感じで彼のアンテナに引っかかったんでしょうね。ノイズを作品の中に取り入れるようになっていきまして、ちょっと面白いなと思ったんでおかけしました。
H:これってでも当時イントナルモーリが流行ったってことですかね?
A:みたいですね。かなりの影響力があって、それこそストラヴィンスキーもそうだし、サティが四十の手習いでスコラカントゥラムに対位法を習いに行ったのがこれの少し後なんですけれど、ベテランのサティがこれに腰を抜かして、そこからサティもダダに加わるようになっていくんですね。ま、直接的にルッソロにどうこうってのはないかもしれないんですけど、当時皆の度肝を抜いたってのはそうなんだろうと思います。
H:なるほどね。じゃあ改めて未来派の説明を簡単に(笑)相田さんにしてもらいましょうか。
A:未来派のちょっと前のイタリアってのは、1900年ってのが日本でいう明治33年なんですけども、日本より少し前に統一国家になってるんですね。だからまあ、近代国家という意味では日本とさほど永さは変わらない国なんですけれども、1860年に国家になったイタリアは、1900年になる頃にはドイツとオーストリアと三国同盟を結んでいて帝国主義になってたわけです。で、当時フランスがアフリカに侵攻してたんですね。イタリアは反仏でしたから、これに対抗する為にアフリカ、とりわけリビアに侵攻していくことになるわけです。この時ってのは、イタリアのカトリックでさえもリビア侵攻をこれはある種の十字軍だと言って擁護していたわけでして、この時に出てきたのがこのマリネッティという人物で、その前にはダヌンツィオって人がいるんですけれど、主にこの二人が当時のイタリアの若い青年たちを、そのカリスマ性でもって戦争賛美へと駆り立てていたわけです。ですので、未来派ってのはとにかく、機械とそれが生み出す工業製品の速度を最も重要視して、この頃の未来派の画家の作品、ジャコモ・バッラですとか彫刻だとボッチョーニとかカルロ・カッラ、写真だとプラガーリアなんてのもいましたし、この人たちってのは、今でいうところの手ブレ写真見たいな、ブワッと像が動いているのをそのまま作品に取り込んで速度を表現してたんですよね。まあ、そういうような美術運動ですね。
H:でそれがラ・モンテ・ヤングまで行くと(笑)それで、今日は僕の方でも曲を用意したんですけど、先程の「都市の目覚め」でもそうだったんですけど、ルッソロ兄弟は現実のものを模倣するっていうベクトルだと思ったんですよ。でそれとは逆に現実音から非現実のものを作るっていう方向があるのかな、と思いまして、フィールドレコーディングの素材からドローンをやってる人ってことで、今のお話の関連の中で出して見たいなと思ったんですけれど、Jana Winderenっていう人で2010年の作品のエナジーフィールドというアルバムの1曲目を聴いて頂きましょう。
<曲>
H:とまあ、こういう感じで20分ほどの曲なんですけど、ちょっと最後の方も聴いて見ましょうか。(CDをスキップする)うん、こういう感じですね。で、これは北極海の氷の中にマイクを突っ込んで録音したという気合いの作品です。もう頭が下がりますね。僕この人スーパーデラックスでライブ見たことあるんですけど、もうちょっと具体音が曖昧だったですね。で、まあルッソロの後に聴くとこれも違った見方が出来るというか、比較してみると面白いですね。
A:うーん、相変わらずかっこいいですね、この人は。録音ってことで言うと、やっぱり産業革命以後に録音技術も出てきたわけですよね。それ以前は音ってのは一回限りの、その場にいる人しか聞けなかったものだったわけですけど、それが何回でも聞けるようになったと、しかもそれを編集して作品を作る、まあ、今では当たり前のことですけど、それが可能になったわけですよね。でね、面白いのはね、その編集的と言うかコラージュ的な音楽の作り方ってのは、実は映像の方からかなりの影響を受けているんじゃないかと思ってて、録音でこう言う音楽っていうと「5つのエチュード」のピエール・シェフェールが有名ですけど、ヴァルター・ルットマンって人、この人映像作家なんですけれど、この人がシェフェールより20年も前に、映像編集の必然性から音楽作品を作ってたんですね。でこれから聴くのは「ウィークエンド」っていう、12分くらいの曲なんですけど、これは映像を伴わない音だけの映像作品ってことで、これちょっと聴いてみましょう。
<曲>
H:これね、さっきの話じゃないですけど、速度を感じますね。これは何年の作品ですか?
A:これがね、1930年ですね。でもう一曲いいですか?今日お客さんで映像やられてる方もいらっしゃったから、同じ30年の作品で、ジガヴェルトフっていうソビエトの映画監督なんですけど、ジガヴェルトフっていうとゴダールが政治映画やってた頃の集団の名前を思い出されると思うんですが、それの名前の元になった人物です。そのジガヴェルトフで「レディオプラウダ」と言う曲を。
<曲>
A:似てますよね。ま、同じ年だし、同じ映像作家だしってことで。こういう風に技術の側の要請で、新しい形の音楽が生まれるってことも30年には既に起こっていたわけですね。ベルグが「ルル」を書いていたのが28年ですよ。だから同時多発的にあちこちで様々なことが起こっていたということですよね、それが垣間見えますよね。
H:この講座の2回目がね、エリアーヌ・ラディーグだったんですけれど、彼女はシェフェールとかアンリの元で学んで、テープのフィードバックから自分の音楽をスタートさせてるんですね。と、いうところまでもうちょっとと(笑)いう感じですね。あと30年くらいか(笑)でね、そろそろまとめたいんですけれど、話を戻して未来派ってのはどのくらいの期間の出来事だったんですかね?
A:あ、収束するまでってことですか?それはもう早いですよ。ですから、1909年に宣言が出されて、まあ、マリネッティ自身が第一次大戦も二次大戦も戦地に行くし、その思想がムッソリーニ政権と結びついていくんですよね。で、その後18年にツァラがダダ宣言をしますので、で、ダダってのは、既存の価値観を茶化して破壊した、何にも属さない美術運動でしたので、まあ、そこまで続いたとみても9年足らずですよね。
H:うーん、美術の潮流って早いですね。
A:早いですね。ダダもものすごく早くて、この後ツァラとブルトンが大喧嘩をして、ブルトンの方はシュルレアリスムを立ち上げますからね。
H:今日ね、本当はダダまで話を進めるって話だったんですけれど(笑)全然時間が足りなかったですね。大戦後にね、ネオダダってのもあったり、ま、ヨーロッパから芸術のムーブメントがアメリカに一部移って行くっていう流れの中にフルクサスってのもあったりね、それがラ・モンテ・ヤングに繋がると(笑)まあそういう話もしたかったですね。やっぱり現代を知るには縄文から知らないと(笑)まあそれは置いといて、最近のドローンってアンビエントと結びついてるパターンが多いじゃないですか。だからなかなかコンセプチュアルというかな、そういう風にやる人って少数派だと思ったりもして、最後にコンセプチュアルなドローンをかけて終わりにしたいと思います。これは、マシーンファ��リックという人の「デュオトゥーン」というアルバムなんですけど、2010年の作品。
<曲>
H:というわけで、まとめになったでしょうかね?
A:あ、僕は全部繋がってると思ってますよ。今のこの情勢もそうですし、僕にとっては今日お話しした未来派からダダの辺りは参照することがすごく多くて、あ、誰かが良いこと言ってたな。えーっと、確か「現代美術や現代音楽の全てのジャンルの予告編だ」みたいな言葉だったな。ま、年数が少ないので掘ろうと思えばすぐ掘れるんですけど、面白いですね。今日地平さんがもう一曲用意してくれたケージの曲、ナンバーピースのTWOでしたよね。もしフルクサスまで話が行ければってことで括弧付きで用意して頂いていたんですけれども、例えばケージの偶然性にしたって、ダダの頃にデュシャンが既にグリーンボックスの中で偶然性を導入して曲を作っていたんです。デュシャンが音楽を作っていたなんて皆さんご存知でした?僕つい最近知りました。
H:いや、だから、未来派まとめてくれって言ってるのに、また相田さんが先言っちゃう(笑)
A:あ、そうか。ごめんなさい(笑)
H:てなわけで、もう時間いっぱいですので、続きはまた次回ということで。今日のゲスト講師は相田悠希さんでした。ありがとうございました。
A:ありがとうございました。
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🎼 00768 「Mystery Dance」。
町の閑静な場所にあった床屋に通う 床屋と空想好きの少年が過ごした 1947年6月、夏休みの直前の暑い日に起きたできごとから時は流れ、とある床屋の女主人と結婚した とある中年男性の日々を 過去を回想しながら描いた 「髪結いの亭主」 を久しぶりに観ています。パトリス・ルコント監督作品。一昔前の懐かしい感じがします、温かみのある床屋の内装が素敵すぎるこの映画、髪結いの亭主 ロシュフォールが こどものころ、パパにビンタをされる場面で その音に驚いた顔をする ネコの演技がとても素晴らしいです。
つづいて
1942年から1944年の間に ロシア戦線で行方不明になった兵士と妻のそれぞれの日々を追った イタリア映画 「ひまわり」 を十数年ぶりに観ています。ビットリオ・デ・シーカ監督作品。ロシア戦線から復員した兵士が列車でミラノに到着しても ソフィア・ローレン演ずる ジョバンナの夫 "アントニオ (演ずるは マルチェロ・マストロヤンニ)" は見つかりません。ですが 偶然にアントニオの写真を見た帰還兵から それなりの情報を得たジョバンナは、単身ロシアに渡り 言葉が不自由な中で 夫を探します。どこまでも広がる向日葵畑や木の下や麦畑には (ドイツ軍の命で) イタリア兵とロシア人捕虜、そして無数のロシア人の農民 (老人や女子供ら)が埋められているさうで、物語はさておき、突然に映る 実際の映像っぽいモノクロの映像には たくさんの悲惨な亡骸が映っています。とてもショッキングです。あ、さうさう、マーシャの家に 黒い足踏みミシン (メ���カー不明) がありました。
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🎼 01022 「Wolf Tickets」。
外は雨降り。テレビの中では 東宝映画 「おおかみこどもの雨と雪」 が始まりました。細田守監督作品。当時映画館に観に行った この映画は、ひとではないっぽいけれどひとっぽいニホンオオカミないきものが 人の住む世で ひとっぽく、けれどニホンオオカミとしていきることの難しさをどうのこうのしていたやうな作品だったやうに思うのですけれど、まったく違うかもしれません。とりあえず "世界は私の知らない事柄で満ちている" って劇中の誰かさんの台詞に いまを思います。今夜は夕食を抜いて横になります。
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🎼 01020 「きらきら星」。
まるで京都の大文字焼きのやうなタイトルが浮かび上がり、配役も何もかものクレジットが燃えあがっています 松竹映画 「不死鳥」 を観ています。木下惠介監督作品。海沿いにあるらしい 広い広いお屋敷で 割烹着姿の田中絹代さん似の女性サヨコは、バタバタとした朝を迎えているのですけれど、一息ついたところで、遠くの海をみつめながら過去を振り返ります。ある日のセーラー服姿で学校に通う お嬢さんサヨコは 下駄を履いた学ラン姿の佐田啓二さん似の学生さんが、ある雪の日に 飛鳥書房という書店で落とした 學生證 (東京市本郷区西片町ノ五番地 八坂眞一) を拾ったことから運命が切り開かれるのですけれど、お父様が脳溢血で突然に亡くなったり、弟の身体が弱まってしまったり、恋人のお父様にお付き合いを猛反対されたり、そんな恋人が (予定よりも早まって) 入営したりして、サヨコのジンセーはガラガラと崩れ落ちていきます。といった物語はさておき、田中絹代さんが テニスウェアを着てテニスをしたり、お嬢さまルックでドライブしたり、日本髪を結った着物姿で百人一首に挑んだり、どこかの遊園地で恋人と楽しんだり、足踏みミシンをガタガタと踏んだりしていて好いです。
つづいて
いつかの東京の風景をチラリと見せながら、父親が愛人の家に行ったっきりで帰って来なくて どうしたこうしたしています、とある家族の日々を描いた 「二人妻 "妻よ薔薇のやうに"」 を観ています。成瀬巳喜男監督作品。仕事で 2日ほど東京を訪れていた父親は、家にも寄らずに帰ってしまって ギャフンって感じの娘のキミコは、父のことで 周りから言われに言われるのもありますから、父のいる長野にビュッと飛んで 山にいた父に 母の元に帰って来て欲しいと懇願するのですけれど、父と父のそちらの家族と過ごしているうちに、父を東京に連れて帰るも何もを言うのもどうなのかしらって気持ちが ふっと芽生えてしまいます。それでも ガッと父を連れて東京に帰ったキミコは 隅田川を渡る前、映画で観た どこかの "クローデット・コルベール" の真似事を和服姿で披露したりするのですけれど、そんな或る夜の出来事も虚しく、父は また長野に帰ってしまいます。
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🎼 00393 「Good Morning Little School Girl」。
とある女学校に通う乙女たちが、家計簿をつけたり、意地悪な兄に机を取られたり、夢の中で 夢のやうな生活をし過ぎて寝坊と遅刻を繰り返したり、Janome のミシンでお裁縫をしたり、割烹着姿で洗濯板を用いたりしながら お洗濯をしたり、教室に現れた ナマイキなネズミ (チュウ子) をデッキブラシやホウキで打ちのめしたり、皆で体育着姿で歌いながら畑に向かって汗水を流したり、自分のと、妹やおとうさんの分まで せっせと お弁当を拵えたり、一両編成の電車が走る駅前で 千人針の結び目をつくって貰っていた 赤ん坊を背負った 山田五十鈴さんと出会ったり (お買い物かごがかわいい)、喜びや悲しみを分かち合いたいと 旅行に行けぬ同級生にお手紙を認めたり、旅行で泊まった旅館で お菓子を頂きながら眠れぬ夜を過ごしたり、夜の浜辺ではしゃいだり、学校を離れる恩師に涙したり、体操に励んだりする 東京発声映画製作所の 「女学生記」 を観ています。村田武雄監督作品。わたしのラブリー 高峰秀子さんが セーラー服な眼鏡っ子の "サチコさん" 役で出演していました。とても可愛らしかったです。そんなヒデコさんのサチコさんが 読書の時間で読んでいた本は "フランス 敗れたり" でした。
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🎼 00764 「Just A Little Bit」。
背広を着た就職活動中の青年の仕事探しの日々を描いているかもしれない 松竹キネマ作品 「大学は出たけれど」 を観ています。小津安二郎監督作品。原作は 清水宏さん。現存している映像が 本編70分のところ 10分ちょっとだので 何とも言いやうがありませんけれど、下宿先に 母と許嫁が訪れたことから、仕事を探しながら 仕事をしているふりをする場面などを見ることができますし、下宿先の場面では サンデー毎日や ハロルド・ロイドのポスターが貼ってあったり、わたしのラブリー 飯田蝶子さんがチラッと映ったりします。
つづいて
柴又村の道端に佇む 寅地蔵様にお供えをする心優しき娘 おさくが借金の方に身売りをされさうになったところに現るる 南無観世音寅地蔵尊が 数々の奇跡を起こすところからはじまります、シリーズ22作目 「男はつらいよ 噂の寅次郎」 を観ています。山田洋次監督作品。秋のお彼岸のころに ふらっと上野から お墓参りついでに帰って来た寅さんは、帰りの遅いタコ社長を心配し過ぎて 池袋からふらりふらりと帰って来た社長と大喧嘩をして またまた飛び出してしまいます。旅先の長い長い橋の上で 旅のお坊さん (演ずるは 大滝秀治さん) から "女難の相" が出ていると言われた寅さんは、通り掛かった 静岡県は 大井川ダムで ウィークエンダーしていた頃の 泉ピン子さんと出会います。ピン子さんが今作のヒロインかと思ってしまいますけれど、ピン子さんとは "千頭駅前" のバス停で別れます。到着したバスに乗った寅さんは 大井川鉄道の路線バス (下泉行き) で 志村喬さん演ずるヒロシのお父っつぁんと偶然に出会い、お父っつあんが宿泊中の温泉宿 (木曽 紅葉館) に泊まります。そんな頃、職安に求人を出していた とらやは 墨田の職安の紹介でアラカワサナエという女性が働きに来ます。と、そんなところに寅さんが帰って来たりして ひと騒動起きます。劇中、アラカワサナエさん (演ずるは 大原麗子さん) が訪れた 旧墨田区役所は 現在は跡形もありませんけれど、洋風なデザインがステキです。
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🎼 00762 「While My Guitar Gently Weeps」。
とある高校生 (女子) と 高校生 (男子) のそれぞれの17年の日々をそれぞれにそれなりに追った 恋愛映画 「好きだ、」 を観ています。石川寛監督作品。物語はさておき、瑛太さん演ずる 男子が川辺で (いっつも) ギターを爪弾いているのですけれど、インターネッターしたところ、秋田県大館市の辺りを流れる米代川らしいです。それと、瑛太さん演ずる男子が 夜な夜な 暗がりに光る エロい本の自動販売機に さっと飛び込んで さっと買って帰る場面が さっと映るのですけれど、わたしがこどものころ、近所にそんな自動販売機があったことを ふっと思い出し懐かしみました。わたしの家の近所の その自動販売機で本を買っている人を見たことは たったの一度もありませんでしたし、昼間は ふしぎな鏡の力なのかどうなのか どんな本が並んでいるのかさえ分からなかったりして くらくらするくらいに謎で溢れていました。その自動販売機の前を通る度に 妙にどきどきしたことを思い出して 妙にどきどきしました。
つづいて
劇場で観て以来、観ていませんでした、ママが亡くなってからの三人兄弟 (男子×2 女子×1) と 英語が通じない ばあちゃんと ニャン子センセーの日々を描いた やさしいスールキートス家族映画 「トイレット」 を観ています。わたしのラブリー 荻上直子監督作品。ママが使っていたらしい足踏みミシン (Singer製) と出会ったことで 4年もの間家から出ることがなかった モーリーと ばあちゃんのお話に ハートが ぽっかぽかする この映画は、手作り餃子と煙草とねこまるが恋しくなります。公開当時、荻上監督とほんの少しの間でしたけれど 同じ時間を過ごすことができましたし お話もさせて頂きました。とっても嬉しかったです。
..
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🎼 00960 「悲しい酒」。
とある海原で とある海賊船と奴隷船がどうのこうのして 20年ぶりにカツシカ島の兄妹 (タイガーとチェリー) が出会ったりする、そんな寅さんの夢から始まります シリーズ15作目 「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」 を観ています。山田洋次監督作品。フラっと とらやに遊びに来たリリーさん (演ずるは 浅丘ルリ子さん) は アラシ隊員と離縁されたさうで、再び 歌の世界に戻ったやうで 旅暮らしに戻らなくちゃっと ささっと 柴又を離れます。そんなころ、青森県のどこか "シンドバッド黄金の航海" か "海賊船悪魔号" か何かの豪華二、三本立てが掛かっている映画館で、居眠りをしながら映画を観ていた寅さんは、ある日の月曜日に 会社に行くと言ってフラっといなくなった とあるサラリーマンなパパ "ヒョウドウ (演ずるは 船越英二さん)" と偶然に八戸の駅で出会い、函館の北海ラーメンな屋台でラーメンを啜っていたり ウトウトと眠りこけたりしていたのですけれど、そんなところに フラっと現れたリリーさんと (一昨年の夏ぶりに) 出会って意気投合します。電車で向かった先は 北海道。札幌の中央公園で小銭を稼いだ三人は パパの初恋のひとが住んでいるかもしれない小樽に赴くのですけれど、訪ねた先で 夫に先立たれていた初恋の彼女は、こどもと引っ越されていたことを知り、みどり町で喫茶店を開いているという知らせを頼りに 30年ぶりに "軽食喫茶ポケット" というお店で珈琲を注文し、初恋のひとと出会います。そんなこんなで "ちょっとしたことばのやり取り" をしている間に 港で仲違いしてしまうリリーさんと寅さんが くっついたり離れたりする この映画、おしまいごろに カッと雷鳴が轟きます。
つづいて
どこかの山で チェーンソー片手に 木を切り倒していた男が、フラッと現れた男に 「あの、今本番中なんで、本番中なんで」 って作業を止められるところから始まります、山でいきる男と 映画でいきる男たちの心の交流を描いた 「キツツキと雨」 を久しぶりに観ています。沖田修一監督作品。ひょんなことから 映画の撮影の手伝いをしてしまっていることに気づいた キシカツヒコは "つかえないの" って思っている 若い映画監督 (25才) のことが ちょっと気になります。けれど、無職な息子のことも気になっていて 気になることがいっぱいです。映画の中の映画づくり (自主制作ふうな ゾンビホラー映画) をつくる映画って (その物語がどうであれ) 夢いっぱいで素敵だなって思います。現実の世界が "こんな" ですから、映画の中の映画が映画映画していても、映画っていいなって思ってしまうところが既にヤバミンです。あ、さうさう、劇中 "明和鉄道岩村駅" という駅が映るのですけれど、実際に存在する駅なのか、それとも映画の中にのみ存在する駅なのか ちょこっと気になりました。
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🎼 00808 「ほんとにさうなら」。
ある年の6月ごろ。海辺から水上バスで家路へ向かう、一人息子のために せっせと 海辺のバーではたらく とある女性の日々を描いた 松竹無声映画 「夜ごとの夢」 を観ています。成瀬巳喜男監督作品。監督補助を渋谷実さんが手掛けています。一人息子と暮らしています おみつの元に、いなくなった亭主が (靴下に穴を空けながら) フラッと帰って来たり、一人息子が怪我を負ったりして ごったごたするこの映画、お店の女将を わたしのラブリー 飯田蝶子さんが演じています(新聞を読んでいる様が可愛いらしい)。それと、おみつが働きに出ている間、息子の面倒を見て貰っている 吉川満子さん演ずる女性の後ろに 足踏みミシンが置いてあります。
つづいて
とある町工場で 同じ日に働き始めた マスダくんとスズキくんの日々を描いた 「友罪」 を、過去に観たことがあるやうな ないやうな気を持たせながら観ています。瀬々敬久監督作品。ある日の埼玉県入間郡にありますトンネルの中で 小学1年生の男の子の遺体が見つかり、町がざわつきますけれど、それより何より登場する人物のそれぞれに色々な過去があったりして 小学1年生の亡骸のことをすっかり忘れてしまいさうになります。といった物語はさておき、スズキくんが 富田靖子さん演ずる白石と落ち合った場所が 東急プラザ上の 屋上かまたえんで "幸せの観覧車" がくるくるしながら映っていました。
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