#マハン
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)2月5日(月曜日)
通巻第8118号
孫子を読まずして政治を語る勿れ。派閥解体、政治資金浄化????
吉田松陰の代表作は、じつは孫子の研究書(『孫子評註』)だった
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自民党の派閥解消を聞いて、日本の政治家は政治の本質を理解していないことに唖然となった。派閥はまつりごとのダイナミズムを形成する。パワーの源泉である。それを自ら解体するのだから、政治は星雲状態となる。となると欣喜雀躍するのは中国である。国内政治にあっては、その「代理人」たちである。
孫子が言っているではないか。「謀を伐ち、交を伐つ」(=敵の戦略を見抜き、敵戦力を内訌させ、可能なら敵の一部を取り込め、それが戦争の上策である)。そうすれば、闘わずして勝てる、と。
高杉晋作も久���玄瑞も、松下村塾で吉田松陰の孫子の講議を受けた。松陰亡き後の門下生だった乃木希典は、師の残した『孫子評註』の私家版を自費出版し、脚注もつけて明治天皇に内奏したほど、心酔していた。世にいう松陰の代表作はその辞世とともに有名な『講孟余話』と『留魂録』だが、現代人はすっぽりと『孫子評註』を忘れた。これは江戸時代の孫子研究の集大成である(『吉田松陰全集』第五巻に収録)。
松陰は山鹿素行を師と仰ぐ兵法家から出発している。毛利長州藩の軍事顧問だったのである。
もとより江戸の学問は官学が朱子学とは言え、新井白石も山鹿素行も荻生徂徠も山崎闇斎も、幕末の佐久間象山も西郷隆盛も孫子は読んだ。しかし江戸時代の二百数十年、太平の眠りにあったため、武士には、読んでもその合理的で非情な戦法に馴染めなかった。
その謀(はかりごと)優先という戦闘方式は、日本人の美意識とあまりに乖離が大きく、多くの日本人は楠正成の忠誠、赤穂浪士らの忠義に感動しても、孫子を座右の書とはしなかった。
明治以後、西洋の学問として地政学が日本に這入り込み、クラウゼウィッツは森鴎外が翻訳した。戦後をふくめてマキャベリ、マハンが愛読され、しかし誤読された。吉田松陰の兵法書はいつしか古書店からも消えた。
しかし戦前の指導者にとっては必読文献だった。
吉田松陰が基本テキストとしたのは魏の曹操が編纂した『魏武註孫子』で、考証学の大家といわれた清の孫星衍編集の平津館叢書版を用いた。そのうえで兵学の師、山鹿素行の『孫子諺義』を参考にしている。
もともと孫子は木簡、竹簡に書かれて、原文は散逸し、多くの逸文があるが、魏の曹操がまとめたものが現代までテキストとなってきた。
▼孫子だって倫理を説いているのだが。。。
孫子はモラルを軽視、無視した謀略の指南書かと言えば、そうではない。『天』と『道』を説き、『地』『将』『法』を説く。
孫子には道徳倫理と権謀術策との絶妙な力学関係で成り立っているのである。
戦争にあたり天候、とくに陰陽、寒暖差、時期が重要とするのが『天』��ある。『地』は遠交近攻の基本、地形の剣呑、道は平坦か崖道か、広いか狭いかという地理的条件の考察である。戦場の選択、相手の軍事拠点の位置、その地勢的な特徴などである。
『将』はいうまでもなく将軍の器量、資質、素養、リーダーシップである。『法』とは軍の編成と将官の職能、そして管理、管轄、運営のノウハウである。『道』はモラル、倫理のことだが、孫子は具体的に「道」を論じなかった。
日本の兵学者は、この「道」に重点を置いた。このポイントが孫子と日本の兵学書との顕著な相違点である。
「兵は詭道なり」と孫子は書いた。
従来の通説は卑怯でも構わないから奇襲、欺し、脅し、攪乱、陽動作戦などで敵を欺き、欺して闘う(不正な)行為だと強調されてきた。ところが、江戸の知性と言われた荻生徂徠は「敵の理解を超える奇抜さ、法則には則らない千変万化の戦い方だ」と解釈した。
吉田松陰は正しき道にこだわり、倫理を重んじたために最終的には武士として正しい遣り方をなすべきとしてはいるが、それでいて「敵に勝って強を増す」とうい孫子の遣り方を兵法の奥義と評価しているのである。
つまり「兵隊の食糧、敵の兵器を奪い、そのうえで敵戦力の兵士を用いれば敵の総合力を減殺させるばかりか、疲弊させ、味方は強さを増せる」。ゆえに最高の戦闘方法だとし、これなら持久戦にも耐えうる、とした。
江戸幕府を倒した戊辰戦争では、まさにそういう展開だった。
「孫子曰く。凡そ兵を用いるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之れに次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之れに次ぐ。旅を全うすると上と為し、旅を破るは之れに次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之れに次ぐ」
つまり謀を以て敵を破るのが上策、軍自作戦での価値は中策、直接の軍事戦闘は下策だと言っている。
▼台湾統一を上策、中策、下策のシミュレーションで考えてみる
孫子の末裔たちの国を支配する中国共産党の台湾統一戦略を、上策、中策、下策で推測してみよう。
上策とは武力行使をしないで、台湾を降伏させることであり、なにしろTSMCをそのまま飲みこむのだと豪語しているのだから、威圧、心理的圧力を用いる。
議会は親中派の国民党が多数派となって議長は統一論を説く韓国瑜となった。
宣伝と情報戦で、その手段がSNSに溢れるフェイク情報、また台湾のメディアを駆使した情報操作である。この作戦で台湾には中国共産党の代理人がごろごろ、中国の情報工作員が掃いて捨てるほどうようよしている。軍の中にも中国のスパイが這入り込んで機密を北京へ流している。
軍事占領されるくらいなら降伏しようという政治家はいないが、話し合いによる「平和統一」がよいとする意見が台湾の世論で目立つ。危険な兆候だろう。平和的統一の次に何が起きたか? 南モンゴル、ウイグル、チベットの悲劇をみよ。
中策は武力的威嚇から局地的な武力行使である。
台湾政治を揺さぶり、気がつけば統一派が多いという状態を固定化し、軍を進めても抵抗が少なく、意外と容易に台湾をのみ込める作戦で、その示威行動が台湾海峡への軍艦覇権や海上封鎖の演習、領空の偵察活動などで台湾人の心理を麻痺させること。また台湾産農作物を輸入禁止したりする経済戦争も手段として駆使している。すでに金門では廈門と橋をかけるプロジェクトが本格化して居る。
下策が実際の戦争であり、この場合、アメリカのハイテク武器供与が拡大するるだろうし、国際世論は中国批判。つまりロシアの孤立化のような状況となり、また台湾軍は練度が高く、一方で人民解放軍は士気が低いから、中国は苦戦し、長期戦となる。
中国へのサプライチェーンは、台湾も同様だが、寸断され、また兵站が脆弱であり、じつは長期戦となると、中国軍に勝ち目はない。だからこそ習近平は強がりばかりを放言し、実際には何もしない。軍に進撃を命じたら、司令官が「クーデターのチャンス」とばかり牙をむくかも知れないという不安がある。
下策であること、多大な犠牲を懼れずに戦争に打って出ると孫子を学んだはずの指導者が決断するだろうか?
▼孫子がもっとも重要視したのはスパイの活用だった
『孫子』は以下に陣形、地勢、用兵、戦闘方法などをこまかく述べ、最終章が「用間(スパイ編)」である。敵を知らず己を知らざれば百戦すべて危うし」と孫子は言った。スパイには五種あるとして孫子は言う。
『故に間を用うるに五有り。因間有り。内間有り。反間有り。死間有り。生間有り。五間倶に起こりて、其の道を知ること莫し、是を神紀と謂う。人君の宝なり』
「因間」は敵の民間人を使う。「内間」は敵の官吏。「反間」は二重スパイ。「死間」は本物に見せかけた偽情報で敵を欺し、そのためには死をいとわない「生間」は敵地に潜伏し���その国民になりすまし「草」となって大事な情報をもたらす。
いまの日本の政財官界に中国のスパイがうようよ居る。直截に中国礼賛する手合いは減ったが、間接的に中国の利益に繋がる言動を展開する財界人、言論人、とくに大手メディアの『中国代理人』は逐一、名前をあげる必要もないだろう。
アメリカは孔子学院を閉鎖し『千人計画』に拘わってきたアメリカ人と中国の工作員を割り出した。さらに技術を盗む産業スパイの取り締まりを強化した。スパイ防止法がない「普通の国」でもない日本には何も為す術がない。
(十年前の拙著『悪の孫子学』<ビジネス社>です ↓)
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1158 ハローワーク
この島の方言を聞いていると、訳の分からない事が沢山出てくる。 足の事をパンと呼び、ハブの事もパンという。 畑に使うクワの事をパーイと呼ぶ。 このパーイはペルーの山奥の原住民が使う言葉だと言われている。 インドネシアを旅行したおり、ところどころ車窓に、MAKANというローマ字の看板が出てきたのでガイドに聞いてみると、レストランの意味だという。 島の方言で、旨いは、まーはんと言うが、インドネシアのマカンと発音イントネーションがぴったりだったのには驚いた。 ちなみに島では、食器のちゃわんもマハンと言う。 また島の方言で、殆んど当てはまる事だか、複称、総称の場合、単称の単語に、ERをつければ事が済む。 その点は、どうも英語と同じだ。 例えば、バカな奴、阿保な奴を方言でいうと、プリムン、になる。 複称、あるいは総称して言うと、それはERを付けて、プラーにり、プリムン達という意味だ。 わんぱく小僧の事を、ヤマング、と言う。 複称、ないしは総称��ると、ERをつけてヤマンガアー、になり、やマング達との意味だ。 太る、というのは、パンタル、と表現する。 太った人達、と総称すると、やはりERをつけて、パンタラーになる。 逃げるは、ピンギルだが、逃げ足の速い奴、ピンギヤーだ。 極めつけ方言は、働くだ。 働く事は、石器時代の昔からあっただろう。その言葉が、ものの見事、英語のワークと同じだ。 働く、それは、方言でも「ワーク」である。 屁理屈こく前に「働けば」の方言は 屁理屈こく前に「ワーキバ」になる。 日本南端の島は、ERだらけだ。 日本国内に、理解しがたい日本人がいた。 しかし、日本人のルーツかもしれない・・・ 島の爺ジーに、なんで働くが、ワークなんだと聞いたら、お前は、ヤマトウへ行って、屁理屈屋になった。 そんな事、ワシに聞いても分からない。昔からそうなっているのだから、しかたないさ! ごちゃごちゃ屁理屈ばかりこいてないで、「ワーキバ !」、(働けば !)、と怒られた。 まあ まあと言って、泡盛をつぐと、全て円満解決。 飛び交う方言を聞いていたら、いにしえの昔へタイムスリップ。 島の年寄りは、性根が正直で優しい。 私は島の年寄りが大好きだ。
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A.T.マハンは1912の「Armaments and Arbitration」の中で「武力は存在していても、誇示しなければ効力をもたない」と言っているそうである。
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オランダの絹さやエンドウに、広州のシイタケ、フランスの厚揚げが手に入ったので、炒めものを作る。絹さやなんて日本では高級野菜で茶碗蒸しの上とかお澄ましにとかしか見ないざます。移民達に育てさせた絹さやは輸入食材にも関わらず、250グラムでおよそ300円足らず位(1.95ユーロ位
)。他の野菜を思うと格安なのです。
こちらでは、GMO食品に反対しているフランスが隣国なので、GMO大豆アレルギーのワシでも、気をつけて品を選ぶと豆腐や厚揚げを食べる事ができる。日本も早く、GMO大豆アレルギーが問題にならないかしら。医者の伯父伯母でさえ、GMOによるタンパク質組成が異なるためのアレルギーだと思う、と説明しても、なぜ味噌や醤油を食べられるのかと詰問してきよった。あー。日本の大学教育はマジで終わっている。発酵過程において大豆タンパクが分解されるからじゃん。。。と答えて始めて納得しよった。うーむ。まぁ、醤油も味噌も発酵食品であることを知っている事が大卒の証なら、もう話しにもならんわい。
日本では、大学に行く奴ほど頭悪くなるのが恒らしい。頭悪くなるだけなら良いけど、たいがい性格も悪なるから、日本の大学なんて行く必要性をワシは余り感じない。恵泉女学園も学生募集中止したらしいが、これからは経営破綻しとる癖に破綻したと正直に言えないゾンビ大学と、それに群がる、バカセ様達の目くそ鼻くそ試合が、ますます展開されゆくんやろうなぁ。可哀想なのは、構築された社会システムから抜け出せないと、自分自身を縛り、親に縛られる、中間所得層の凡人の子供達ですな。お気の毒この上ない。
ワシは最近、分かってきた。ワシが二十代後半の頃、気候変動ビジネスが心底、嫌になったのは、兎に角、あれは文句いう事で成立してしまうビジネスだからだ。つまり、自分の事は棚に上げて、社会のエネルギー消費量の多さや非効率性を、社会悪のように言いながらも、自らは、文句ぶーたれているだけで、その恩恵にどっぷり預かって、ぬくぬくと、寒けりゃ暖房、暑けりゃ冷房つけて、やれ国連会議だのなんだのと、世界中を飛行機で飛び回って、おマハン一人がいなくなる方が、よっぽどアレよ、二酸化炭素排出量減るわよ、という事実に気付かないで、他人の文句ばかり言っているオメデタイ馬さん鹿さんグループなのだ。グレタさんの顔付きを見ていると、良く分かるが、自分だけが偉くて、他人は、みんな馬鹿と心底信じて文句言える強さと無知が成立させるビジネスなのだ。
っで、最近分かってきたのは、この事ではありません事よ。だって、ワシは二十代の後半で、気候変動ビジネスの闇とパラドクスに気付いてたから。しかしヤクザと同じで、足を洗うのにもタイムラグっちゅーもんが生じるんすなぁ。話を元に戻すと、最近分かってきたのは、他人を批判的に見る人の多くは、その批判内容の殆どが、その人自身の潜在的意識において問題だ、と無意識に認識している事を、他人にいとも簡単に投影する事で、他人を批判できた気になっているという事だ。つまりだ、天にツバしているようなもので、気候変動ビジネスと全く同じ構造なのだ。まぁ仰る事はドエライ事ですけんども、まずは、御自分をよう見なはれっちゅーこっちゃ。人は誰でも、良い人でいたいのだ。
つまり、あれよ。批判する対象は自己の外部にあるようで、実は自己の内部の問題点を、他人様を道具にして、批判する事で、自分があたかも上位にいるような錯覚を感じつつ、自己優位の感覚に浸りながら、他人様を道具に自己批判を展開しているのだ。まぁ毛沢東時代の中華人民共和国の自己批判と同じで、自己批判なんだけど、今は平和なので、自己批判を自らが自らに隠蔽し、他人様を批判する事で無意識の自己批判を公に展開されておられる方が多いってこったね。具体的には、例えば、怠惰が問題の場合、自己の内部の怠惰性を、他人様の怠惰を批判する事で、自己の隠蔽された怠惰性を、自らが追認しているのと同じ事だ。今の論客達の話を聞いていると、批判内容に応じて、その人の人と成りが分かってしまう。実に口は災いなのだ。ガハハ。
ドイツ人は、一般的に、メチャクチャ権威主義で、権力志向が強い。貧しい国なので致し方ないだろう。日本も同じだ。魚の目鷹の目で、常に他者より優位である点を探りあっとる。実に下らん。ワシは平和主義者なので、批判とか止めれば良いのにと思う。批判は自己と他者を比べて判断を下す。それが嫌じゃ。ワシは批判ではなく、批評をしたい。比べて評価する。批判じゃなくて批評、其れくらいでえーんちゃうん?と思う。評価するなんて、何様のつもり?!?とツッコミが聞こえてくるが、評価は、別に必要だろう。ワシにとって価値あるか、無いか。それができん奴はアホやろ。誰しも価値基準にのっとった価値判断をしよるやろ。
ベムでさえ、ウンチ匂わないクッキーよりも、ぴよっちサブレの方が美味しいと評価しとったわい。不味いもんも美味いもんも、同じやったら、アカンやろ、とワシは思う。そう思うワシの価値判断が、そこにあるだけの事で、それを偉そうに、他人様に押し付けるつもりは毛頭無い。つまり、あれだ。白トリュフと黒トリュフを並べて、どっちがどうとか言って、まぁかまへんけどな、ワシにしたら、同じキノコなら王様はシイタケやと思うてるって言ったって良いのだ。
マキちゃんはすぐ他人に価値観を押し付けてくるよね!とワシを批判するそこのチミ。チミが一番、他人様に自分を押し付けとるだけかもしれんという、パラドクスに、自らが陥っとるだけっちゅーこっちゃ。ワシは〇〇が美味いと思う。そやから食べてみ、という感想と、食べてみ、という小さなお節介でさえ、価値観の押し付けだとキレる奴は、了見が狭すぎだと、今までのワシは思っておったのだが。ちゃうねん。了見が狭いんじゃなくて、自分が一番、他人にそうしているから、ワシにそうされると思い込んだ途端に、キレたくなる衝動を感じ���のだ。マキちゃんに、偉そうに言えるんわ、ボクの方だ!というヒガミというか、負け犬根性というか。。。メンドクセ。
ドイツ人の場合、白色人種優位論、white supremacistを公に否定している奴ほど、優位性を信じている。LGBTQ rightを声高に言う当事者じゃない人間ほど、LGBTQを心の底で差別しているという構造と同じですね。みんな、ネジレているんですねぇ。LGBTQなんて、どーでもえーわって心底思ってる奴は、お前がベッドの中でどうなろうと、ワシの知ったこっちゃね~と思っているから、その人の性別だけで話をしない。性に囚われている隠れエッチ度200%位の奴が、LGBTQ権利がどーたらこーたら言って騒ぐ。白色人種であろうが黒人であろうが、バナナであろうが、お前は人間としてどーなん?と思うてる奴は、白いからとか、黒いからとかでは判断せんわなぁ。アーリア人種だとか、ボヘミアンだとか、だから何? 人非人は人非人だし、アホはアホ。性別も人種も学歴も、関係ありまへんねん。
司馬遼󠄁太郎が、日本人はすぐ裸になりたがるらしく、古代から韓国や中国では、野蛮だとされていたが、日本人の美しさとは、逆に、スッポンポンになっても、仁王立ちできる純粋さというか、素朴さにあるのでは無いかと、分析していた。ワシは、純粋ジャパニーズなので、ドイツの北部で、寒風吹きすさむ中、スッポンポンで思考する。だから、気楽にできる。失うものなんて何一つ無いし、常に気持ちは裸一貫。身ぐるみ剥いでやったぜと、エウロッパ人が思うてるもんがあるんやとしたら、ワシのチンゲをくれてやったもん程度やろうと思うてる。
残念なんは、日本、否、代表的日本の人心こそ、ワシを裏切り続けるという事だろうか。そんな、スッポンポンでドイツ人の前で仁王立ちなんて、日本人として、恥ずかしいわー、という苦情が聞こえてきそうだ。内村鑑三の描いた代表的日本人は、もはや幻想である時代、ワシはもう、浦島太郎で絶滅した日本なのじゃ、多分。時代は、多分、スマートな、先祖は侍でも無かった、何なら小作人程度だった、軽やかなサムライジャパンを求めちょる。ワシは開き直ろう。ワシは、倭寇じゃけん。瀬戸内を荒らしまくった水軍じゃけ。エウロッパ人どもに、チンゲ見せびらかしながら、スッポンポンで仁王立ちして、野蛮に生かせてもらいまっさ。あの、上、飽くまでも比喩ですので、御心配無用。
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サッカー元イラン代表のレジェンドで、反政府デモを支持しているアリ・ダエイ(Ali Daei)氏(53)は26日、首都テヘランからアラブ首長国連邦(UAE)のドバイ(Dubai)に向かっていた航空機のルートが変更され、搭乗していた自身の家族が到着先で降機を命じられたと明らかにした。 クルド系イラン人女性マフサ・アミニ(Mahsa Amini)さん(22)が、女性に課されている厳格な服装規定に違反した疑いで逮捕された3日後の9月16日に死亡して���降、イランでは抗議デモが起きており、政府はこれを「暴動」と呼んでいる。 イラン学生通信(ISNA)はダエイ氏の話として、同氏の妻と娘がマハン航空(Mahan Air)でイマーム・ホメイニ国際空港(Imam Khomeini International Airport)から飛び立ち、ドバイへ向かっていたと伝えた。 しかし、国営イラン通信(IRNA)によると、航空機はルートを変更してイランのキシュ島(Kish Island)に着陸させられ、そこで同氏の家族が降ろされたという。一方、司法当局の情報として、同氏の妻が「イラン革命の反対派や暴徒と関わり、ストライキを呼び掛けた」ことを受け、「出国する際には関係機関に届け出ることを誓約していた」とも伝えた。
元イラン代表ダエイ氏、家族が降機命じられる 抗議デモ支持が理由か 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
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(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)
「一帯一路一ウイルス?」 こんなタイトルの論文が米国・ワシントンの論壇で注視を集めた。中国が推進してきた「一帯一路」構想を、ヨーロッパのメディア関係者や学者が様々な角度から論じる「一帯一路ニュース(BRN)」という情報サイトに3月末に掲載された論文だった。
論文は欧州の数人の専門家が匿名で執筆した。専門家たちは、イタリア、イラン、パキスタンなど新型コロナウイルスの大規模な感染が起きた諸国はいずれも中国主導の「一帯一路」構想に参加していたことを指摘し、その因果関係を説明していた。一帯一路は、中国が各国と共同で、中国と欧州を結ぶ一大物流インフラを構築する構想である。結果的に「一帯一路」がウイルス感染の大きな原因になってしまい、不運にも同じウイルスを共有する破目になってしまった、という。
記者会見に臨む保健省次官が感染していた
米国でも中国の「一帯一路」をコロナウイルスの国際的な感染拡大に結びつける指摘は多い。そんな指摘のなかで、イランについての実例を報告しよう。イランの場合も「一帯一路」がウイルス感染の背景として大きな影を広げていた。
イランでのコロナウイルス感染の広がりは国際的にみて異様だった。中国とは地理的な隔たりがあるが、世界各国の感染のなかできわめて早い時期から多数の感染者が報告されたからだ。中東地域全体でもイランは突出した感染国となった。
世界への感染拡大が始まった当初は、イラン��感染者数は中国を除いてイタリアに次ぐ第3位となっていた。4月20日時点では感染者数は8万868人で世界9位、死者は5031人である。だが米国では、イランが公表しているこの感染者数は実際よりもずっと少ないとする見方が多い。ウイルス検査の数がきわめて少ないことがその主な理由である。
イランでの新型ウイルスの異常な拡散状況を印象づける出来事がある。イラン政府のイラジ・ハリルチ保健省次官が2月24日、テヘランで記者会見して、イラン国内のコロナウイルス感染状況について説明を始めたときのことだ。説明を始めたハリルチ次官が白いハンカチを取り出して、しきりと顔をぬぐうのだ。メガネを外して額から噴き出す汗をふき始め、そのうちに苦しそうに咳をし始めた。だれの目にも保健省次官本人が病気であることは明らかだった。そして、すぐに彼のコロナウイルス感染が発表された。
政府の防疫対策の実務責任者が公式の場で対策を語ろうとしたその瞬間に、本人に感染の症状が表れ、実際に感染が確認されたのである。イランの政府幹部の感染は、保健省次官だけに留まらなかった。副大統領までが中国発の新型ウイルスに感染していたのだ。さらに閣僚のなかにも、国会議員のなかにも、多数の感染者が出ていた。
なぜそんな事態が起きたのか。その原因に「一帯一路」が大きく絡んでいる。
経済が悪化、政権批判も強まっていたイラン
イランといえば“閉鎖された国”というイメージが強い。実際に国際的に孤立してきたといってよいだろう。
イランは、イスラム原理主義の聖職者が最高権限を持つ世界でも珍しい宗教独裁国家である。対外的にはイスラエル抹殺を基本政策とし、アメリカとも激しく対立してきた。さらに近年のイランは核兵器の開発を目指してきた。アメリカのオバマ政権時代に核開発を凍結する国際合意に調印したが、「イランの核武装を結局は許してしまう」と猛反対していたトランプ大統領が合意を破棄した。
イランは国内的にはイスラム教の厳しい教えを保ち、政権への批判を一切許さない。また同性愛者は死刑に処すなど、その人権弾圧ぶりは国連からも再三警告を受け、経済制裁も受けてきた。国民の海外渡航も厳しく規制し、外国人の入国も同様に大幅に制限してきた。いわば国際孤立に近い状態の国だった。
そうした異端の国家で中国からのウイルスが広まったのは、ひとえに中国との特殊なつながりがあったためである。
中国はかねてからイランに接近を図ってきた。ともに米国との関係が敵対的であることが大きな要因だった。また中国は長年にわたりイランの石油を大量に購入してきた。ここ数年、両国の対米関係が険悪化したことで、両国の関係は一層緊密になった。互いに「戦略的パートナー」だと宣言するようにもなっていた。
イランは中国の「一帯一路」構想にも当初から協力してきた。2019年には同構想へのフル参加を明記した公式合意書を中国との間で交わした。
イランはイタリアと同様に、国内経済が深刻に悪化していた。2019年前半にはイランのインフレは40%にも達した。経済成長も低迷し、肉類が不足して、国民一般に肉類の配給という事態まで起きた。失業率は一般が15%、若年層は40%以上に達した。
経済が落ち込むとともに、国民の政府への不満は高まっていた。政府の抑圧にもかかわらず、一般国民の間で政府の腐敗や、テロ組織への支援などに抗議するデモが起きた。市民たちは宗教最高指導者のハメネイ師の辞任や、政権を支える「革命防衛隊」の解体をも求めた。
そうしたなか、イラン政権にとっての救命策は中国への依存だった。中国の「一帯一路」に協力することこそが苦境を脱する有効な手段だったのだ。
「一帯一路」構想にイランが果たす役割
このへんの事情を、米国のシンクタンク「センテニアル研究所」のヘレン・ローリー研究員が鋭く論評していた。
ローリー氏は中国の対外戦略の分析を専門とする中国系の米国人学者である。米国の政治外交ネットメディア「フェデラリスト」に3月17日に掲載されたローリー氏の論考「イランとイタリアは共産主義の中国との緊密な絆のために莫大な代償を払う」の概要を紹介しよう。要点は以下のとおりである。
・イラン政権は国内の経済的苦境や政治的脅威、さらには国際的な孤立に直面して、中国に助けを求めた。まずは米国という敵への防御策として、また経済的な協力と支援を得る相手として、さらには軍事的な協力の相手として、中国への依存度を高めた。その狙いのなかには、中国の手を借りて、米国のイランへの経済制裁をなんとか弱めようという期待もあった。
・中国は、イランにある程度のパワーを保たせ、米国への牽制のカードとして自陣営に引き込むことに意義を見出していた。そのため中国はイランから石油を購入し、貿易や経済面で援助を続け、さらには兵器輸出や原子力技術の売却まで多角的に関与してきた。
ローリー氏によると、イランと中国にとって、米国という大きな存在を意識して相互協力することが重要だった。その協力では「一帯一路」が核心となったという。ローリー氏は次のように説明する。
・中国にとってとくに重要なのは、自国の野心的な構想「一帯一路」でのイランの役割だった。中国は、アジア大陸を抜けて中東からヨーロッパまで通じる陸上ルートの確立を目指していた。その鉄道を建設する際は、イランからトルコに通じる路線の建設がきわめて重要だったのだ。
・そこで中国は2016年の習近平主席のイラン訪問時からイランを「一帯一路」構想の事実上のパートナーとしてきた。イランの公式の「一帯一路」参加は2019年に実現し、多方面でさらなる協力を進めてきた。
誰が中国からウイルスを持ち帰ったのか
では「一帯一路」への参加は、新型コロナウイルスの感染拡大にどうつながったのか。
その点について、ウォール・ストリート・ジャーナル(3月12日付)がイランでの取材を基に次のように報告していた。感染ルートは2種類だという。
・中国のイランでの「一帯一路」構想は、首都テヘランの南130キロほどにある人口約100万の都市ゴムを抜けて通る高速鉄道の建設が主眼となった。ゴム地域では中国人の技術者、労働者が多数居住して鉄道建設に従事していた。そのなかに新型コロナウイルス感染者がいてイランに拡散したとみられる。
ゴムにはイスラム教の聖地とみなされる礼拝施設がある。そこにはイラン全土からの信徒が集まるが、当局はゴム地区でのウイルス感染が明らかとなった2月後半まで、宗教集会を停止しなかったという。同時に、ゴムで中国主導の鉄道建設プロジェクトに関わるイランの技術者のなかには、中国側との協議のために武漢や北京、上海に出張してイランに戻る者も多かった。こうしたイラン人技術者たちも多くが感染したという。
第2の感染ルートは、イラン政府の高官たちが絡んでいた。ウォール・ストリート・ジャーナルの同記事は以下のように伝えていた。
・イラン政府は自国内でのウイルス感染が顕著となった2月1日、イランと中国との航空便を禁止した。ただし革命防衛隊とつながりのある「マハン航空」だけは例外とし、中国との往来便の飛行を許した。
・マハン航空は2月1日から9日までの間にイラン・中国間で合計8便を飛ばした。それらの便にはイラン政府の高官や国会議員を含む要人が多数搭乗しており、次々にコロナウイルス感染が確認された。それらの要人の多くは、「一帯一路」に関連する公用のために中国を訪れていた。
ウォール・ストリート・ジャーナルは、このように「一帯一路」に関わる交流が原因となってイラン側に国会議員20人以上、閣僚数人の感染者が出たと報じる。感染者のなかには最高指導者ハメネイ師の顧問モハンマド・ミルモハマディ氏も含まれ、同氏は死亡したという。さらに国営イラン通信は2月末、女性指導者のマスーメ・エブテカール副大統領も新型コロナウイルスに感染したことを発表した。イラン政権の最高指導層がほとんど中国発のウイルスに感染してしまったと言っても過言ではない。
イランにとって、中国とのトップレベルでの交流が政権を揺るがす事態にまで発展した。その交流の基盤がまさに「一帯一路」だったのである。
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※ 中国は日本のシーパワー及び海上自衛隊をどのように見ているのか。(その1) https://ift.tt/2ABmhR7 *中国が4日以内に尖閣奪取……米シンクタンクが描くシナリオ、8フェーズ https://ift.tt/2UBY2cs >「戦略予算評価センター(CSBA)」は5月、「Dragon Against the Sun: Chinese Views of Japanese Seapower」と題する論文を発表した。執筆したのは、CSBAのシニアフェローのToshi Yoshihara氏< ここしばらく、斯界を賑わしている論文です。恐らく中国は、大学から軍、あらゆるレベルで、チームを編成して、この論文の分析と、日米で発生するハレーションの研究に当たっていると思います。 尖閣をどうやって奪いに来るかというのは、テクニカルな話はどうでも良い。これまで散々���い尽くされた話であって、「日米安保の発動はない」ということも私がずっと書いて来た通りです。 問題は、海自幹部学校が注目したテーマです。さすがプロ集団です。何がポイントかが良く解っている。これが、米海軍はコーベットからマハンに帰ると昨今議論されている問題の核心です。私はちと異論があるけれど。 ただ、それを踏まえた上で、日本側の当事者として、海自も外務省もきちんと米側に主張すべきだと思う。以下2点を! 1.防衛力を増強せよ! と米側は圧力を掛けてくるが、終わって見れば、それは常に戦略問題から日米貿易問題へと変質し、優先順位を全く無視した、米製兵器の大量購入で終わって仕舞う。そのせいで、日本の軍事力がむしろ弱体化している例すらある。 そうなることが解っているから、当事者である日本側に、防衛力整備のベクトルと計画性が作用しない。 2.日米同盟の強化を訴えるならば、見通しが暗い辺野古の埋め立て工事は、米側からこそ中止を求めるべきである。技術的に極めて困難で、完工の目処も無い、青天井の予算を喰っている現状では、日本政府の政策決定の無謬性を誇示するためだけの建設工事になっている。 日本国民、とりわけ沖縄住民の反米感情を考慮しても、もはや目的を喪失している。 国家予算の著しい無駄遣いでもあり、これは明らかに日本の国防予算に影響を及ぼす。これは米側から工事の中止を求め、普天間部隊は、嘉手納への移設か、沖縄からの撤退を考慮すべきである。その工事費用を普天間部隊の移設に当てた方が遙かに同盟の軍事力は強まる。 この論文を巡っては、元帥@AERAや文谷さん@Japan In-depthらの分析もぜひ読みたいですね。恐らく、この論文を巡って、戦略界隈は暑い夏になることでしょう。ことは島嶼防衛にも絡んで、陸自も無関心で済ませられない。
http://eiji.txt-nifty.com/diary/2020/06/post-adb5ca.html
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#マハン海上権力論集 ◎ * #秋山真之 の師匠は伊達じゃない。気を抜いていると一瞬でちぎられてしまう。国際情勢なんかは当然時代遅れなんだけど、その根底に流れる理念は未だに錆びついていないように思う * 守勢兵力と攻勢兵力の役割は、どこぞの禁軍総帥も苦労していたからよくわかる * #マハン #読了 #読書 #読書記録 #読書倶楽部 #本 #book #instabook #本好きさんと繋がりたい #フク書見1705 #caffe #coffee #カフェ #喫茶店 #nikon #nikon1J3
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『黄禍論とは何か』松岡正剛1423夜
まるで今日にも通じそうな話だが、黄禍論はそのころのアジアの力が��激に増大してきたことへの過剰な警戒から生まれた。それは中国や日本からすれば黄禍ではなくて「白禍」(ホワイトペリル)というものだった。 どんなふうに黄禍論が沸き上がっていったのか、重要なのはその異常発生の背景なので、そのアタマのところを紹介しておこう。
日清戦争が勃発した1894年、ジョージ・ナサニエル・カーゾンというイギリスの政治家が『極東の諸問題』という本を世に問うた。イギリスこそが世界制覇をめざすというジョンブル魂ムキムキの本で、斯界ではこの手の一級史料になっている。 カーゾンは、イギリスがこれからは世界政策上でロシアと対立するだろうから、その激突の最前線になる極東アジアについての政治的判断を早くするべきだと主張して、それには中国の勢力をなんとかして減じておくことが必要だと説いた。対策は奇怪だが周到なもので、ロシアを抑えるには中国を先に手籠めにしておくべきで、それには日本を“東洋のイギリス”にして、その日本と中国を戦わせるほうにもっていけば、きっと日本が中国に勝つだろうというものだった。「タイムズ」の編集長のバレンタイン・チロルも『極東問題』を書いて、この路線に乗った。 カーゾンやチロルの期待と予想は当たった。なんと日清戦争で日本が勝ったのだ。 しかし、これで問題が広がった。ひょっとしたら中国だけではなく、日本こそが世界の脅威になるのではないか。いや、日本は御しやすい。むしろ中国が戦争に負けたからといって中国の経済力が衰えることはないのではないか。さまざまな憶測が広まるなかでの1895年、イギリスの銀行家トーマス・ホワイトヘッドは『アジア貿易におけるイギリスの危機的状況』という講演をロンドンでぶちあげ、中国の銀本位制にイギリスの金本位制がたじたじになっていることをこそ解決すべきだと訴えた。
一方、こうした極東状況を横目で見ていた二人の皇帝が、まことに勝手なことに、突然にある邪悪な符牒を示し合わせた。 有名な話だが、“カイゼル”ことドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がロシア皇帝ニコライ2世に手紙を書いて、そこで「黄禍」という言葉を使い、ポンチ絵で黄色人種を揶揄ってみせたのだ。「黄色い連中を二人で叩きのめそうよ」というポンチ絵だった。 これが「黄禍」という言葉の誕生の現場だが、むろんこの言葉だけが一人歩きしたのではなかった。実際にも、まずは日本にちょっかいを出して、牽制することにした。ドイツとロシアがフランスを誘って三国干渉に乗り出したのである。 翌年、ベルリンの雑誌「クリティーク」は「黄色人種の脅威におびえる白色人種」という特集を組んだ。2年後には東アジア��経済事情を調査するドイツ委員会が結成され、むしろ伸長する日本の経済力をうまく巻き込んで利用すべきだという報告がなされた。
ここで事態はアメリカに飛び火する。イギリスに始まった優生学がアメリカに飛び火して断種政策の拡張になっていったのと同様に、アメリカはしばしばこのように、最後尾から登場してまずは自国の情勢をまとめあげ、ついではあっというまに事態を全世界化してみせるのだ。 すでにアメリカは移民問題に悩んでいた。アメリカがサラダボウルの国で、どんな移民も受け入れる“自由の国ユナイテッドステート・オブ・アメリカ”だというのは、今も昔も半分でたらめで、アメリカほど移民問題をたくみに国際情勢の天秤目盛として活用してきた国はない。この時代もすでに中国移民のコントロールが問題になっていて、カリフォルニアでは中国移民制限と中国人排斥の気運が高まっていた。 そもそも帝国主義大好きの大統領セオドア・ルーズベルトが、中国人追放には手放しで賛成している始末だったのだ。 そこへジャパン・パワーの噂が次々に届いてきた。折しも多くの日本人たちがカリフォルニアに次々に移住もしていた。問題はイエロージャップらしいという声が高まってきた。とりあえずルート国務長官と高平駐米公使のあいだで日本人のアメリカ入植を自発的に縮小することにしたのだが、コトはそれではおさまらない。1900年、カリフォルニア州で日本人排除法が提案された。 加えて名門兄弟のヘンリー・アダムズとブルックス・アダムズが『文明と没落の法則』と『アメリカ経済の優位』をそれぞれ刊行して、次のようなロジックを提供した。 ①文明化するとはすべてを集権化することだ。②集権化とはすべてを合理化することだ。③集権化と合理化を進めれば欧米の品物よりもアジアの品物のほうが安くなる。④世界は集権化と合理化に向かっている。⑤だからアジアが生き残り、これに気が付かないヨーロッパは滅びるにちがいない。⑥アメリカはここから脱出しなければならない。
アダムズ兄弟のロジックは明解で、強力だった。すでに『海上権力史論』を世に問うて、アメリカ中で万余の喝采をもって迎えられていたアルフレッド・マハン提督は、⑥の「アメリカはここから脱出しなければならない」を達成するための、新たな方針を打ち出した。 中国を門戸開放させ、その管理を列強が示しあわせてコントロールするべきだと言い、今後のパワーポリティックスは「北緯30度から40度のあいだ」に集中するだろうから、トルコ・ペルシア・アフガニスタン・チベット・揚子江流域の中国・朝鮮半島・日本、および南米のとくにアマゾン河流域のブラジルに注意しなければならないと力説したのだ。けっこう当たっている。 ところが、そこへおこったのが、またまた世界中を驚かせた日本による日露戦争勝利だったのである。驚きばかりではない。イギリスがちゃっかり日英同盟を結んでいたことは、アメリカには癪のタネとなった。
1905年にカリフォルニアに反日暴動がおこり、アメリカはロシアに勝った日本と反日の対象となった日本とをどうあつかうかという二面工作を迫られた。その工作がポーツマス条約に対するアメリカの斡旋というかっこうをとらせた。 しかしむろんのこと、アメリカはこのまま日本をほうっておくつもりはない。血気さかんな将軍ホーマー・リーはさっそく悪名高い『日米必戦論』と『アングロサクソンの時代』を書き、これからはロシアはきっと中国と手を結ぶだろうから、アングロサクソン連合としては中国と同盟を結び、将来における日米決戦に備えておかなくてはならないと“予言”した。 当時、京都大学で比較宗教学を講していた親日派のシドニー・ギューリックはさすがにこの“予言”に呆れて、急遽『極東における白禍』を執筆したが、もはや焼け石に水だった。このあとアメリカの排日主義はますます強固に、ますます拡大のほうに向かっていった。
日露戦争に破れたロシアでは、かなり複雑な反応がおこっている。この国はもともと徳川日本に関心をもっていて、プチャーチンをはじめ何度も日本沿岸に出没し、折りあらば交易や開港を迫るつもりだったのだが、それをペリーとハリスのアメリカに先を越されたわけだった。 つまりロシアには「ロシアのアジア主義」ともいうべきものがあったのである。けれども、その外交政策がなかなか軌道にのってこない(今なお北方領土問題がくすぶっている)。 そういうロシアにとって、それを邪魔するのは仮想敵国のイギリスだった。それゆえ19世紀末、ブルンホーファーやウフトムスキーといった言論派は、たえず「ロシア・アジアの統合」というお題を掲げ、ときにはなんと、「仏教世界制覇の計画が日中韓の連合によって進むことがありうるかもしれないから、ロシアはそれに遅れをとってはならない」というような、やや誇大妄想なアジア対策を練ったりもしていた。 それがニコライ2世のころから「黄禍」に走り、そうこうしているうちに日露戦争で辛酸を嘗めた。ほれほれ、だからロシアン・アジアを早く確立すべきだったじゃないかと言ったのは、ウラジーミル・ソロヴィヨフの『汎モンゴル主義』だった。
ドイツはどうか。アーリア神話や優生学や断種政策でもそうだったように、おっちょこちょいのカイゼル(ヴィルヘルム2世)こそ黄禍のお囃子の先頭を切ったものの、国全体としてはあいかわらず微妙な立場にいた。 三国干渉、膠州湾占領、義和団事件への出兵までは、まだ日本をからかっていればよかった。だからドイツ財界の重鎮で社会進化論者でもあったアレクサンダー・ティレは1901年の『黄禍』では、���色人種によって「ドイツの労働市場が水びたしになることはないだろう」とタカをくくっていた。しかし日露戦争以降、どうも雲行きがあやしくなっていく。 アウグスト・ベーベルは中国に莫大な地下資源が眠っている以上、ドイツはこれを取りに行く列強との競争で遅れをとってはならないと警告し、フランツ・メーリングは中国や日本の脅威を防ぐには、もはやかれらの資本主義の力を社会主義に転じさせるしかないだろうと弱音を吐いた。 しかしドイツの黄禍論が他の列強と異なっていたのは、やはりそこに反ユダヤ主義がまじっていったことだった。ドイツの黄禍論はしだいに民族マキャベリズムの様相を強くしていった。
ざっとは、こんなふうに列強世界を黄禍論が走ったのだ。 では、ここまであれこれのイジメを受けた日本はどうだったのかというと、黄禍論は当然、明治の日本にも衝撃を与えた。ただし、当時の日本人は黙っているわけではなかった。たとえば象徴的には鴎外(758夜)、天心(75夜)、漱石(583夜)が反論していた。 鴎外については、明治36年11月の早稲田大学課外講義『黄禍論梗概』の記録がのこっている。そのなかで鴎外は、黄禍論は「西洋人が道徳の根幹を誤って社会問題を生じて、商業・工業の上で競争ができないようになりそうだと、不安がっているにすぎない」と断じ、「西洋人は日本と角力を取りながら、大きな支那人の影法師を横目で睨んで恐れて居るのでございます」「所詮黄禍論というものはひとつの臆病論なのです」と言った。鴎外はジョセフ・ゴビノーの人種差別論にもかなりの批判を展開した。 天心は『日本の目覚め』の第5章を「白禍」とし、「東洋民族が全面的に西洋を受け入れたのは問題だった。帝国主義の餌食になった」と述べ、「かれらの渇望の犠牲になってはならない」と強く訴えた。 漱石が『それから』の代助に言わせたセリフは、まさに黄禍と白禍の問題の本質をついていた。こういうものだ。最近のニートやフリーターにも聞かせたい。 「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。日本対西洋の関係がダメだから働かないんだ。第一、日本ほど借金をかかえて貧乏震いをしている国はありゃしない。この借金が君、いつになったら返せると思うか。そりゃ外債くらいは返せるだろう。そればかりが借金じゃありゃしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底たちいかない国なんだ。それでいて一等国を以て任じている。無理にでも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向かって奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。なまじ張れるから、なお悲惨なんだ」。
田口卯吉のように黄禍に対抗するあまり、敵のロジックをむりに日本にあてはめた例もある。田口は『日本人種論』『破黄禍論』に��いて、なんと「日本人=アーリア人」説を説いたのだ。 これが『日本開化小史』を書いて、福沢諭吉や天野為之と並び称された自由主義経済学の導入者とは、とうてい思えない。そこには「史海」の発行者であって、『国史大系』『群書類従』の編纂に当たった田口のほうの顔が強く出ていた。 もっとも、このように日本人を優秀化するためにアーリア人やユダヤ人をその流れに牽強付会させようというめちゃくちゃな論陣は、この時期は田口だけでなく、黒岩涙香(431夜)、竹越与三郎、木村鷹太郎、小谷部全一郎などにも共通していて、かつて長山靖生の『偽史冒険世界』(511夜)を紹介したときにもふれておいたように、それ自体が黄禍に対する過剰防衛になってしまっていた。小谷部は、例の「義経=ジンギスカン」説の発案者である。 いずれにしても、当時の日本人にもたらした黄禍論の影響は、かなり面倒なものとも、危険なものともなっていったと言わざるをえない。 橋川文三は、日本に「国体」論が浮上し、天皇唯一主義が受け入れやすくなったのも、また孫文に代表される大アジア主義が流行して日本の国粋主義者がこれに大同団結しようとしたのも、どこかで黄禍論に対する反発がはたらいていたにちがいないと見た。この見方、いまこそ肝に銘じておくべき見方であろう。
黄禍論。 まことに厄介な代物だった。それは今日のアメリカのWASP主義、中国や韓国の反日感情、インドとパキスタンの憎悪劇などの厄介さを思えば、想定がつくだろう。 しかし、ほんとうに厄介なのは、アーリア神話、ゲルマン主義、優生学、断種政策、黄禍論が、すべて一緒くたに20世紀の劈頭を荒らしまわっていたということだ。 ぼくはこのあと、ユーラシアにおける民族の交代劇をその制覇と没落を通して案内していくつもりだが、そしてそこにイスラム主義やモンゴル主義やトルコ主義がどのような光と影をもたらしていったかを、できるだけわかりやすく、できれば順よく案内し、そこから東アジアの盟主となった中国という国がどんな民族ネクサスを演じてきたかを書くつもりだが、それにあたって、スキタイから派生したアーリアン・コメディの長期にわたった脚色劇が20世紀にまで続行していたことを、あらかじめ伝えておきたかったのである。
メモ
ヴィルヘルム2世とロシア皇帝ニコライ2世
https://kusanomido.com/study/history/western/30129/
黄禍論と日本人差別
https://history.ceburyugaku.jp/88054/
GWF(Great White Fleet)
https://ja.wikipedia.org/wiki/グレート・ホワイト・フリート
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マハンの「海上権力史論」の概要 マハンがこの本に込めた思い マハンが、この本を書いた目的や意図は何だったのだろうか。マハンは、「海上権力史論」の刊行に当たって、次のように書いている。 「海軍大学で海軍史の講義の依頼を受けた時、最近の技術的発展の著しい海軍で役に立つにはどうすればよいかを直ちに考えました。第一に、歴史の流れの中にある、数多くの海軍力の影響を提示すること、第二に、海上、陸上を問わず、戦争を指導する原理を示すこと――でありました」 マハンの言う海軍とは、米国海軍を指すのは当然だろう。筆者がマハンの心を推察するに、「①国家の行く末を思う海軍軍人として、当時世界の超大国になり得る基盤を確立した米国の発展をどのように方向付けるか、②自ら奉職する米海軍の発展をどのようにして意義・論理付けるか、そして③この二つの課題をどのように並立させるか」の3点を、潜在的かつ当然のモチーフとして考えていたものと思う。 マハンの戦略・戦術研究の前提・手法 マハンの戦略・戦術研究の前提は、「歴史上の基本原理は、不変なものであって、これを基礎として戦略は策定されるべきものだ」と、言う考えであった。マハンは、このような考えをもとに、シー・パワーとは何であるのか、海軍は何のためにあるのか、シー・パワーはどのように行使・運用されるべきか、を歴史から帰納しようとした。 マハンは「パクリ」の名人でもあった。「海上権力史論」の中味は、マハン独自のオリジナルなものだけではなく、多くの人々の思想を巧みに総合したものだった。一例を挙げれば、マハンが挙げた「シー・パワーに及ぼす主要な条件」は、当時、米海軍協会誌の懸賞論文に入賞したデービッド少尉(1877年海兵卒)の論旨そのものである。 実は、音楽の神童モーツアルトの作品も「パクリ」によるものだと言われる。モーツァルト自身「模倣は創造の唯一の母」と言っている。モーツアルトは幼少期に父から特訓を受け、あらゆる音楽の様式を模倣、咀嚼し、自分のものとする“天才”を見に付けた。モーツアルトは、バッハやハイドンの1小節を借用して、見事に創造的な音楽を組み立てる超能力を持っていた。 同様にマハンも、様々なシー・パワーに関する論説を、組み立て、総合して「海上権力史論」を書き上げたわけだ。 マハンの海洋戦略理論のエッセンス マハンが、過去の歴史(イギリス・オランダ・フランス・スペイン間の闘争)を分析 した海洋戦略理論のエッセンスは、最も簡潔に要約すれば――「海軍は商船によって生じ、商船の消滅によって消えるものである」というもの。これを少し補足すれば、「『生産』『海運』『植民地』という循環する三要素が、海洋国の政策のカギであり、それを支えるために必要な商船隊と海軍力と根拠地をシー・パワーと総称する。即ち、シー・パワーとは、海軍力の優越によって制海権を確立し、その下で海上貿易を行い、海外市場を獲得して国家に富と偉大さをもたらす力である。」――と表現できる。 マハンの戦略思想の核心について更に別の表現をすれば、「国力、国の繁栄、国の安全にとって、シー・パワーは不可欠のものであり、制海権が戦局にとって決定的な要素である。それゆえ、制海権を握り、戦略的に重要な地点を確保した国が歴史をコントロールした。歴史の示すところでは、国力、富、国家の威信、安全は、巨大なシー・パワーの所持と、その巧みな運用の副産物である」――とも言える。マハンは、この証左として、「ローマの海上支配がハンニバルをして長途の危険な陸路の進軍を余儀なくさせ、英海軍の英仏海峡支配がナポレオンに英国上陸を断念させたこと」などの史実を挙げている。因みに、シー・パワーとは、国家が海洋を支配して活用する能力の総称であり、海軍力のみならず商船隊や港湾・基地なども含まれる。 また、「海上戦略の本質は、基本的には、『通商のための制海権の争奪』であり、もっとも迅速かつ効果的な戦略(具体的方策)は、決戦海域での敵海軍の撃滅、敵植民地の孤立化、敵港湾の封鎖、重要海峡の封鎖、である」と述べている。 マハンは、父デニス・マハン(陸軍士官学校教官)の影響で、ナポレオンの参謀の経験を下に書いた「戦争概論」を研究し、これをヒントとして、「海軍の戦略・戦術の根本原則は、『勝敗を決する場所(決勝点)に敵に優越するだけの戦力を集中し、他の戦闘正面では決勝点での勝利が決するまで、敵が兵力を決勝点に移動できないように牽制・持久すること』である」結論付けた。また、陸上戦闘における兵站補給の重要性を念頭に、海軍にとっての基地の重要性を指摘し、カリブ海や太平洋に、貯炭所や弾薬集積所などの基地を設けることを主張した。後に、ハワイがその理論を実現した。 マハンの米国海軍建設についての主張 このようなマハンの考え方に立てば、当時の米国海軍の現状は憂慮すべき状況であった。当時の米国海軍の伝統的な考え方は、「沿岸防衛と商船護衛」を重視するものであった。マハンは、この考え方を改めて、「米海軍の主目的・目標は、敵の海軍そのものであり、制海権を確保するためには何よりも『戦艦』が必要であり、従来の防衛的な『巡洋艦』中心の海軍の編成や海軍力の造成を改めるべきだ」、と事ある毎に主張して止まなかった。 マハンは、「イギリスの政治家が歴史におけるシー・パワーの役割について正確に理解してい��から、世界最大で最良のイギリス海軍を作り上げることができた」とし、暗に米国の政治家にシー・パワーについての理解を求めた。 中国の海軍力増強に関するマハンの予言 今日、中国の海軍が急速に台頭しつつあるが、これに関しマハンは興味深い予言(中 国を名指しするものではない)を残している。「歴史を見るに、例え一箇所でも大陸と国 境を有する国(A)は、仮に人口も資源も少ない島国(B)が競争相手国であれば、海 軍の建設競争ではAはBに勝てないという決定的事実を歴史は示しえいる。」と。Aを「中 国」Bを「日本又は米国」と読み代えれば、今後、マハンの予言が的中するのかどうか 見物だ。 マハンの「海上権力史論」が米国の国家戦略に及ぼした影響 米国は、マハンの「海上権力史論」が出るまでは、欧州列国の脅威を恐れ、育成途上の工業を保護するために高い関税障壁を設けいわば「守勢」乃至は「引きこもり」状態だった。マハンの信奉者のセオドア・ルーズベルト大統領(1901 – 09年)は、就任以降、マハンの理論・政策を積極的の取り入れ、米国の国家戦略を180度転換し「攻め」の方針を採用した。米国は、遅ればせながら帝国主義国家として、アジアに植民地・市場を求めて乗り出すことになる。これについては、「マハンの『海上権力史論』を米国の政策として採用・実現した男」と題し次回改めて稿を起こしたい。
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〈期間・数量限定〉ウィグモア・ホール・セール〈17タイトル〉 - TOWER RECORDS ONLINE (プレスリリース)
〈期間・数量限定〉ウィグモア・ホール・セール〈17タイトル〉 TOWER RECORDS ONLINE (プレスリリース) マハン・エスファハニ、マキシム・ヴェンゲーロフ、ミエチスラフ・ホルショフスキ、ミア・パーションなど名演奏家たちのライヴ録音が発売されています。 期間限定スペシャル・プライスで、ご提供致します。数に限りがあり、在庫の無くなったアイテムからセール終了です。お買い得の ...
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マハンいわく。道義的思想に対し、根をおろす時間を与えるのは、力の義務である。
兵頭二十八の放送形式 – 兵頭二十八ファンサイト 半公式
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【改造実装】 明日のメンテナンス後、マハン級駆逐艦 「カッシン」「ダウンズ」の改造が実装されます! ドックの詳細確認の「改造」を是非チェックしてみてください!#アズールレーン http://pic.twitter.com/FDY5j9J0Gr
— アズールレーン公式 (@azurlane_staff) November 29, 2017
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ペルシャ湾で作戦遂行中の米海軍駆逐艦マハンにイラン革命防衛隊船の船舶が挑発…警告の照明弾を発射!
ペルシャ湾で作戦遂行中の米海軍駆逐艦マハンにイラン革命防衛隊船の船舶が挑発…警告の照明弾を発射! Source: だめぽアンテナSP
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【名将言行録-26】アルフレッド・セイヤー・マハン
【名将言行録-26】アルフレッド・セイヤー・マハン 得た知識を分解し、自分で編成しなおし、自分で自分なりの原理原則を打ち立てることです。 アルフレッド・セイヤー・マハンはアメリカの軍人です。海洋戦略(シー・パワー)の研究者として知られ、彼の著作である「海上権力史論」は世界各国で研究されています。 軍事論の世界では陸のクラウゼウィッツ、海のマハンと呼ばれています。 本を読んだり、人から学ぶことで知識を得ることが出来ます。 今回の言葉は、そうして得た知識を最大限に活かす方法になります。 得た知識をそのまま実践することでも知識を活用することにはなり得ています。 ですが、それだけでは、知識を最大限に活かしてはいないということになります。 得た知識を、自分自身の知識へと加工すること。 原理原則を打ち立てるというと大げさですが、得た知識を鵜呑みにしないで、その知識に対しての分析と再構築(ここが自分なりの原理原則を打ち立てるステップ)が大切だということを強調しています。 得た知識はあくまでも人から聞いたり���を読んで得たものに過ぎません。 では、得た知識を加工するにはどうすればいいでしょう? 一番簡単なことは「その知識に対しての裏づけを取ること」です。 今の時代は、ネットで検索すれば大抵のことは調べることが出来ます。 自分が得た知識が正しいものなのか、はたまた違った解釈や手法があるのかを調べることで、得た知識に対する理解が深まります。 そうやって加工された知識を次のステップでは、実践し、本当に有効なのかを検証します。 そして、検証した内容を元に知識に対して自分なりの理解を加えて再構築して自分の知識にします。 フロー化すると… 知識を得る ↓ 内容の分析(その知識に対する裏づけを取る) ↓ 実践 ↓ 実践した内容を元に再構築 こうなります。 内容的に難しく思えますが、身近な例で例えるとそう難しいことではありません。 例えば、パスタの最適な茹で時間を知ったとしましょう。 そのまま実践することもありますが、ここで自分が知ったパスタの最適な茹で時間が正しいのかネットなどで調べて確認します。 そして、自分が調べた情報を加味しながら実際にパスタを茹でて確かめます。 最後に茹でたパスタを食べて、最適な茹で時間だったかどうかを確認し、柔らか過ぎたら茹で時間を少し短めにしようとします。 このように身近な場面でも知識を得た後に自分の知識へと再構築する行為は自然と行われています。 大切なことは、得た知識を鵜呑みにしないこと。本当に正しい知識なのか、他にも解釈があるのかなどを確認する意識を持つことではないかと思います。 知識を確認する意識があれば、自然に得た知識を自分なりに解釈して再構築することが出来ますから。
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米イージス駆逐艦が急接近のイラン艦艇4隻に機関銃で警告射撃、猛スピードで約800メートルの距離まで接近…ペルシャ湾!
1: ここん ★ 《 アメリカ国防総省の当局者によりますと、今月8日、中東のペルシャ湾のホルムズ海峡を航行していた、アメリカ海軍のイージス駆逐艦マハンに対し、イランの革命防衛隊の艦艇4隻が猛スピードで接近してきたということです。 マハンは無線を使って警告しましたが、イランの艦艇はこれを無視して、およそ800メートルの距離まで接近してきたため、機関銃で警告射撃を行ったということです。 》 ここまで一部引用、続きは記事ソースをご覧ください。 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170110/k10010833851000.html?utm_int=news-international_contents_list-items_003引用元: ・http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1484006204/ 続きを読む…
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