#ポロック
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2022
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(エクス・マキナ (2014) - Trivia - IMDbから)
トリヴィア
映画に出てくる家のロケ地は、ノルウェーのジュヴェット・ランドスケープ・ホテル Juvet Landscape Hotel in Norway ケイレブがネイサンのコンピュータの前に座り、コーディングを始めると、彼が打ち込んだコードは「エラトステネスのふるい」と呼ばれる素数を求めるアルゴリズムだった。しかし、ISBN=9780199226559を形成する素数も選ぶ。このISBNは、書籍『身体性と内的生命』のISBNである: このISBNは、人工知能の歴史について書かれた本 "Embodiment and Inner Life: Cognition and Consciousness in the Space of Possible Minds "のISBNです。 映画の序盤で、ケイレブはOrchestral Manoeuvres in the Darkの曲 "Enola Gay"(1980)を聴く。エノラ・ゲイは、第二次世界大戦末期に広島に原爆を投下するために使われた飛行機だ。その後、AI(人工知能)がどのように世界を変えるかについてネイサンと話す中で、ケイレブはJ・ロバート・オッペンハイマーが原爆の製造についてバガヴァッド・ギーターから引用した言葉(「私は死となり、世界の破壊者となる」)を披露する。 オーストリアの画家グスタフ・クリムトが描いたマーガレット・ストンボロー=ヴィトゲンシュタインの肖像画がネイサンの部屋に飾られている。肖像画の対象はルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの妹で、彼のノートと講義はやがて『青い本』に綴じられた。 脚本の初期の草稿では、ネイサンはケイレブに、自分のジャクソン・ポロックの絵が本物かどうかわからないと明かしている。ネイサンは、原画を購入し、それを使って完璧なレプリカを作った後、絵の中から無作為に1枚を選んで燃やしたと述べている。 ネイサンが3台のモニターの前に座っているとき、ポスト・イットが貼られた壁の左側には、ティツィアーノが描いた有名な三重の絵画「分別の寓意」がある。ティツィアーノは1576年にペストで亡くなる直前にこの作品を描いた。絵の中の3つの頭は、人間の3つの時代を暗示している。左はティツィアーノの自画像で、過去と老年を表している。中央は息子のオラツィオで、現在と成熟を表している。右は従兄弟のマルコで、未来と青年を表している。 ネイサンが所有し、ケイレブに見せているジャクソン・ポロックの絵は1948年のNo.5だ。制作後、この絵はひどく傷つき、ポロックによって大がかりな手直しが施された。これは、映画の中でネイサンがエヴァの改良版(そして以前のAIの運命)を常に作り直していることの、さりげない伏線である。
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テーマ発表会のコメントについて
◆新兵長:「モチーフの輪郭と空間の境界」に悲哀を表せるかもしれないとのこと。自身はユラユラとした輪郭でモノを見るのでとてもその通りだと感じた。大抵の作品はキワを締めるほど完成度が高く見えがちだが、これは見る側の視点なので、ここら辺とどう折り合いをつけて完成度を高めていけるかが課題になってきそうだと感じた。 ◆J兵長:キャンバスを木枠から外し、布をそのまま台の上において展示というように解釈されたのかもしれないが、実際は木枠からは外さず浅い箱型の台にキャンバスごと入れて展示するという感じを想定している。プレゼンの力不足。 ただ要点が少しズレるが、キャンバスを寝かせて展示した場合、四角いキャンバス本来の効果である「「窓」」の役割がなくなってしまい平面性が強調されるのではないかと感じた。写実的な絵を描かないにしても、P12などに描かれたキャンバスを寝かせて検証する必要がある。またキャンバスの「窓」の役割に変革をもたらしたジャクソン・ポロックの作品の考え方は少し大事かもしれないと感じた。(下記コンポジションA17などは床で描かれたようなので、見え方の状況が似ていると感じた。)
引用元:ジャクソン・ポロックとは?ドリッピングで描かれる代表作品やオークションでの落札価格を解説 (kaitoriart.com) ◆限界系兵長:恐らく実態のない「宗教的」「神話的」なモチーフを用いることが多かった、ルネサンス・バロック時代の16~17世紀に類似性を感じられたようです。知識不足で不確かなのですが、その時代はミケランジェロの「ピエタ」の様に実態のない空想物をいかに「ある」かのように創造するかが大切だったように思います。そういった点でも「描画対象」に特徴があるように感じますし、写実描写の中に細密で実態のないモノを絵描く幻想絵画もそれらに近いと思われるので、こういった「モノ(対象)を描く」既成概念をいかに取り払えるかを、より一層意識しながら夏の制作に取り組みます。リヴァイ兵長がいつも「まだモノを描いている」と言ってくださるのはそういうことだと考えています。 ◆アフロ兵長:成果物次第だと言われている気がしました。出来た時「ふーん、頑張ったね。」と言われない様に頑張ります。 ◆ハッカー兵長:「伝えたいことがきちんと伝わるか心配」とあり、危惧されているのは恐らく「意味はあんまり伝わってこないけど、まぁ頑張ったね」という成果物にならないように。ということだと考えますが、今回の卒制で自己表現が確立することはリヴァイ兵長が言っていた様に無謀であり、解決がやや難しい様に感じますが、これも自分がいかに対象を描画することに対しての既成概念を取り払えるかにヒントがあると思いました。 ◆リヴァイ兵長:思考しながら話す癖があったので、練習で整理はされたようですが、プレゼンの精度自体はまだまだの様です。教えて頂いた鴨居玲さんの作品の様に「画面から訴えかけてくるレベルの表現」を自身も目指していますが、これに至るには圧倒的に試行回数が足りていません。幼い頃からそうなのですが、「やってみたい」より「不安」が上回るとビビって先送りにする癖があり、一度やりだすと夢中になるのですが、そこまでがいつも遅いという制作スタイルが問題だと感じました。春に行っていた背景自主制作や5月に取り組んでいたイメージスケッチ時には「描いてから考える」というスタイルを取っていた所、恐怖が消えていたので何よりまず「毎日制作に取り組む姿勢を切らさない」という体制を維持する為に「描いてから考える」スタイルを取っていこうと思います。��を使うのはそれからです。
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DIC(旧大日本インキ)は佐倉市にある研究所の一角に川村記念美術館を所有している。30年ほど前、この美術館の学芸員と話したことがあった。美術館は財団法人のような会社の別組織ではなく、大日本インキの一部門なのだという。なぜかと問うと、会社が不景気で困ったときに所蔵品を売却するためですと言われた。 2013年に川村記念美術館が、所蔵するバーネット・ニューマンの「アンナの光」を海外に103億円で売却したと発表した時、このことを思い出した。大日本インキの初代社長が日本の古美術を集め、その息子の2代目社長がヨーロッパの名品を収集し、孫にあたる3代目社長がアメリカの現代美術を集めた。ロスコの代表作やポロック、そしてステラのコレクションは世界1だという。バーネット・ニューマンは日本での知名度は低いが、抽象表現主義の第一人者で、アメリカでは一番人気があるという。その代表作「アンナの光」は縦274.3cm、横609.6cm、ほとんど一面赤で塗られ、左端に数cm白が、右端に30cmほど白がある。それ以外滑らかな赤一色。赤い壁の前に立った感じだ。これを当時60億円で購入している。 社長と言えども60億円をポケットマネーで買えるとは思えない。おそらく会社の資金で買って、株主や従業員向けには、会社が困ったら売れば良いのだと弁解したのだろう。初代から3代までの社長は創業家出身で、会社は自分の財産だと思っていただろう。困ったらコレクションを売れば良いとはつゆ思ってもいなかっのではないか。 しかし、1999年2代目と3代目が亡くなってしまう。経営は創業家から離れる。印刷インキが主体だった会社の業績は印刷業界の不振に伴い悪化していく。創業家を継いだ経営者たちにはもう美術館への特別な思い入れはない。そのとき、先代が言った「困ったら売れば良い」の言葉が蘇る。まして株主たちには会社の文化への思い入れなど全くないに等しいだろう。 2018年、DICは所有する安土桃山時代の絵師・長谷川等伯作の国の重要文化財を含む日本画の名品を、すべて譲渡(売却)する方針を決めたと発表する。 今回の発表はそれらの方針の延長線上にあることは不思議ではない。株主の意向に逆らうことはできないだろう。株主こそ自由主義経済の代表格であり、強欲資本主義そのものだから。
川村記念美術館休館か - mmpoloの日記
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念願だった大原美術館へ!
倉敷美観地区のど真ん中にあるのね。私立の西洋美術館としては日本最古。
館内は撮影禁止だったのだが、コレクションがなかなか良くて、セガンティーニ、ゴーギャン、エル・グレコ、モネ、ルソー、シダネル、カディンスキー、ミロ、ピカソ、ポロック、ジャスパー・ジョーンズなどなど。
決して大きくはない美術館(おまけに分館が工事中)だが、満足感は非常に高い。
もう一つの軸は日本の洋画家コレクション。そもそもこの美術館は大原孫三郎がパトロンとして児島寅次郎を支援したところから始まっている。関根正二、左白祐三、藤田嗣治、青木繁、河原温、岸田劉生、古賀春江などなど。こっちはあまり期待して無かったのだが、児島寅次郎との同時代性という観点で、却って日本勢熱のようなものを改めて感じた。
観光地ど真ん中にあるので、普通の美術館とは客層が違うのだが、そういう非日常含めてイイ美術館でした。
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千瑛さんの「新時代」。ジャクソン・ポロックを思わせる筆遣いですが,背景にしっかり色が塗られているためにポロックよりもずっと親しみ易く魅力的な作品になっていると思いました。背景の暖色系の色は新時代への期待・寒色系は不安を表しているのでしょうか😯❔
#大宴会的美術展kenzan
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佐伯光(Saeki Hikaru) → 雪村光(Yukimura Hikaru) W小学校→M中学校 最終学歴、おそらく高卒 36歳前後 11月5日生まれ 蠍座 身長143㎝ 体重32kg B型 夫・雪村真澄 息子・雪村絢 (亡父・佐伯岬 亡母・佐伯昴 義父・佐伯春輝) (※小学生の頃に、父・岬が海外のテロで死亡。その後、昴が春輝と再婚。昴が岬のあとを追うように持病を悪化させて死亡。血の繋がらない春輝は光を代理ミュンヒハウゼン症候群の犠牲者に選んだ) 髪の色:黒 目の色:黒に近い焦げ茶色、陽にあてると薄くなる(水っぽい体質。涙や体液で眼球が常にキラキラ光る) イメージ:りす(By絢)、人形、鈴、七五三の着物を着た童女、ハーバリウム(液体に漬けられた標本)、レオナルドダ・ヴィンチ、ポロック(後期)、ダリ「ポルトリガトの聖母子」
天真爛漫。素直。 自我が強く、いつも謎の自信を持って迷いなく行動する。 快感や快楽を好む。作り出すことも好むが作ったあとのことを考えていない。 向こう見ずで、危険を想定するより前に好奇心と興味が大きく優って動いてしまう。高いところに登って降りられなくなる猫のような感じ。 物怖じしない大胆な性格。毎度やらかしが大規模だったり派手。 斜め上の天然ボケを地でいくが本人はいつもいたって真剣。 澱みなく普通に話すが、自分の思考や頭の中のものを言語化して言葉で表現するのが下手で、顎が小さく弱い体質・口調と相まって、どこか舌足らずだったり突飛な発言になることがある。 身体能力は高い。運動神経抜群で逃げ足が速い。教えれば経験がないが教えれば運動はなんでも簡単にマスターする。 誰も入ってこれないベッドの下や狭い場所に入るのが好き(必ず見つけてくれる父・岬との思い出から) じっとしていてもエネルギー消費が激しい体質。知らない間に水分が足りなくなって熱中症になってすぐ熱を出す。→雪村家にきてからはほぼ絶え間なくなにかいつも水分を摂って補っている。 噛み癖(自傷癖)、拒食、味覚障害、睡眠障害(��眠)がある。 つけ狙われやすいほう。
外見/
施設内: 外見は髪型から服まですべて養父・春輝の決めたとおりに整えている 厚めに切りそろえられた眉上までの前髪 量が多く腰より長いまっすぐな黒髪に鈴をつけている 全身白いレースのワンピースやロングスカート(逃走防止も兼ねている?)
雪村家内: 前髪も後ろ髮も真澄に梳いてもらって量がすっきりしている。一番長くて髪はお腹くらいまでの長さ(今後髪型や髪色で遊ぶ可能性) 逃避行中に真澄に着せてもらった「三つ編み・彼シャツ・サロペットスカート」の姿がお気に入り。真澄に選んでもらうものはだいたいお気に入り。 三つ編みはほぼ毎日固定? きつい三つ編みにして解いてもうねったり跡のつかないハリとコシのあるまっすぐな強い黒髪、染髪経験なし処女髪、キューティクルで天使の輪ができる 頭が丸い。顎が小さくて細い。 歯の数や体の骨がところどころ足りない。 未発達な印象の童顔。 実際に肉体的に、実年齢にそぐわずいびつに未発達で未成熟。生活に支障が出ているという意味では病的といってもいいライン。 黒くて艶めいた長くて太い睫毛。化粧なしでもアイラインを引いてるような目元。 口小さめ、唇だけ少しぽってりめ、鼻低くて小さめ。 髪や肌が全体的に水分と油分多めで乾燥知らず。いつも全身艶々している。睫毛や目や唇もいつも少し濡れたように光る。 ちいさな子供のような体躯。 (逃避行後に初潮や第二次性徴が始まって体型が僅かにだが女性らしくなる) 頭、顔、肩幅、手、足、耳、爪、すべて規格外に小さい。すべて小さいので全体のバランスは普通。集合写真を撮ると一人だけ縮小加工したみたいになる。 痩せ型で細め、とくに腰・首・手首・足首が折れそうなほど細い。 真澄の手で一周できるウエストサイズ。
佐伯岬/春輝視点・過去編 光視点・過去編
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超zakki
ゲームできてないので、今日はただの雑記を書きます。でも、ブレワイのちょっと腹が立つ場面(でもちょっとだけだヨ)を動画に撮ってあるので、それは次回絶対インターネット��アップロードする。
その1
tumblrを利用することにしたのは、ここがなんか居心地よさそうだったから、だけどもそれはたぶん錯覚で、私がダッシュボードをあんまり見てないからでしょうね。何人かイラストとか描く方をフォローしてるくらいで、その人たちが投稿をしてくれるとだいたいは通知が来て(たまに来ないけど…)、見に行って、すてきだ~😍と思ったらハートのボタンを押してます(だいたいは押してます)。そのくらいで、あとは私は主に、何か書きたいときだけtumblrを開いています。
書く時のtumblrと見るときのtumblrは、おおむね、別物。として扱っています。
しかしSNSっていうのは、ユーザーにつながりあうことを奨励してきますよね。そういう意味ではtumblrも同じです。(オススメユーザーを通知してくる。でも、あんまり見てません。)そしてそれは、たぶんつながりが多いほうが、私がtumblrを見る時間が増えて、広告をクリックしたり金を払ったりしやすくなるからなのでしょう。
でも私は別につながりとかは求めていないな~と思って。すてきな投稿をする人を知ることができるのは楽しい&うれしいけど、それと自分の発信は別でいいな~と思いました。twitter(あ、Xになったんでしたっけ?)とかは自分の投稿も他人の投稿もフォーマットは同じなので、自分よりスゲー人も自分と同じ土俵で舞っているように見えてしまい、なんかいろいろ頑張りがちになっちゃうんじゃないかなーと思いました。
じゃあ、つながりを求めてないんだったら、SNSじゃなくて個人のホームページ的なものを作ってそこに引きこもってろよ、と言われそうなのですが、いまって昔みたいに誰でも一般人がホームページを持ってて自分の日記とか趣味のくだらないこととか発信している時代ではないじゃないですか。そういう素敵なインターネット時代は終わったじゃないですか。価値ある発信をするものだけがホームページを持ってるみたいな雰囲気あるので、私はそんな自信なくて、ある程度アノニマス化できる場所に逃げ込んでしまいます。
でも、個人ホームページで日記や考えを書いている人たち、プロじゃなくても作品をアップロードしている人たちが本当に好きで、見つけると本当にうれしいです。一人一人に意味があるんだよ……
ホームページが一軒家だとしたらブログはアパートかマンションみたいな感じ?とりあえずマンション買ったような気持ちでtumblrに日記を書き続けます!
その2(読書リストについて)
私は中学生のころから読書リストをつけています。それは月ごとにくぎって、本のタイトル、著者名、レーベルを書いておくだけのものです。一時期は感想も書いたりしたけど、やめて、一行で収まるように、罫線太めのノートに書いています。今は読了日と一文字で補足情報を書いています(図書館で借りた=L、再読=A、超めちゃくちゃ面白かった=☆など)。
で、一時期、「こんな本のリストに何の意味があるのか、自分はこれだけの本を読んできたという増長を招くだけの自己満足にすぎないのではないか、読んできた本が血肉と化しているならば、こんなリストには何の意味もない、こんなリストをつけていること自体が恥だ」と思いつめ、リストをやめるばかりか、資源ごみに出してしまいました。
今思い返すともったいないな~~と思って……。「このころどんな本を読んでいたのかな」とか、「このころ仕事で悩んでるな」とか、振り返って楽しいときもありますよね。意味とかなくていいので、読書は血肉にも化さなくていいので、一行しかない、ちょっと無口な自分の記録に楽しさを見いだせなかった自分の愚かさが、思い出グッズ捨てちゃったな…という気分です。
その3 いま今年のリストを振り返って、毎月1冊分オススメ本を紹介します!!!!
1月 『僕の狂ったフェミ彼女』←痛快たのしいフェミ小説です
2月 『侍女の物語』←現代の名作ディストピア小説!
3月 『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』←資本主義!
4月 個人的に面白かった本はあれどみんなにオススメ本はとくになし。。。しいて言えば『母は死ねない』でも重いです
5月 同上。。。『ポロック生命体』は面白かった
6月 『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』←マジでタイトルのまま(読むと「自分だけの部屋」という言葉が脳裏をよぎります)
7月 大好きな本(『葬儀』)を再読していたのでおすすめは特になし
8月 『プロジェクト・ヘイル・メアリー』←かわいい!
『ある行旅死亡人の物語』←ミステリー小説など不要!
『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』←画期的な漫画!
以上、今月面白い本ばっかりだったのでこの話題を書きました
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「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」展(その2)
アーティゾン美術館「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィズム、キュビズムから現代へ」(その1)の続き。
次は7番目のセクション「抽象表現主義」。並ぶ作品は、アーシル・ゴーキー、ハンス・ホフマン、ウィレム・デ・クーニング、ジャクソン・ポロック、マーク・ロスコ、サム・フランシス、アド・ラインハート、アドルフ・ゴットリーブ、エレイン・デ・クーニング、ヘレン・フランケンサーラー、リー・クラズナー、ジョアン・ミッチェル、イサム・ノグチら。
ゴーキー。
ウィレム・デ・クーニング。
ポロック。
ロスコ。こういう色彩のロスコ作品は初めて見た。
マーク・トビー。
ヘレン・フランケンサーラー。
岡田謙三。
立体もある。アレクサンダー・コールダー《単眼鏡》。
イサム・ノグチ《独り言》。
このあと再び日本の抽象絵画の登場。山口長男、オノサト・トシノブ、草間彌生、桂ゆき、斉藤義重、川端実、杉全直、猪熊弦一郎、岡田謙三、瑛九ら。
村井正誠。
オノサト・トシノブ。
山口長男。
草間彌生。
斎藤義重。
猪熊弦一郎。
岡田謙三。
次いで具体美術協会の登場。
白髪一雄《白い扇》。確かに筆遣いの跡が扇状になっている。
白髪富士子。白髪一雄の妻もアーティストだったことはこれを見るまで知らなかった。美術界のジェンダーアンバランスを感じる。
村上三郎。
上前智祐。
正延正俊。
(その3へ続く)
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ポロック 2人だけのアトリエ (2000) - Trivia - IMDb
Ed Harris often is shown portraying Pollock in the act of painting, so he is actually doing the painting. The large number of Pollock art works shown in the galleries was created by five art department scene artists, who jokingly were called 'The Jackson Five'. エド・ハリスは、ポロックが絵を描いているところをよく演じている。ギャラリーに展示されている多数のポロック・アート作品は、冗談で「ジャクソン・ファイブ」と呼ばれた5人の美術部門の現場アーティストによって制作された。
映画 ポロック 2人だけのアトリエ (2000) - allcinema
アメリカ Color 123分 初公開日: 2003/11/01 公開情報:SPE 監督:エド・ハリス 出演:エド・ハリス | マーシャ・ゲイ・ハーデン
ジャクソン・ポロック - Wikipedia
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2023/07/10
BGM: The Rolling Stones - Start Me Up
ああ、今日はことによるとぼくの人生において「運命的な1日」になるのかもしれない……というのはもちろん大げさだが、でもあらためて「こんな1日」がありうるのだと思えたことは秘めておきたくない。今日はぐずついた空模様だったので職場近くのイオンのフードコートまで歩いて通った。そしてそこで、いつものことではあるのだけれどとりたてて何もする気が起���ないまま時間を過ごした。英会話教室の宿題も、契約面談のための書類やぼくが木曜日に行うプレゼンのための資料作成もぜんぜん進まずただぼんやりと……ふと持ち歩いていた谷川俊太郎の詩集『二十億光年の孤独』のことを思い出し、そして英会話教室の宿題の一環でぼくも詩を書いてそれを先生方にお見せしたいという気になった。少なくともそうすればやるべきタスクは1つは片付くし、ぼくの内発的な衝動・情動も静まる。それで、ぼくは詩を書くことにした。ただの詩というのもつまらないので、ぼくなりに韻を踏んだ本格的なものにしたいと思って粘ってみた。ソネット(14行詩)にするのはどうだろうと思い、リズムに気を配って書いた……というか「書きなぐった」というか、言葉をジャクソン・ポロックの絵のように撒き散らして書いてみた。
書きながら、こんな風にしてぼくにもミューズが微笑んでくれる時が来たのだなと思った。「ある��、突然書き始める」「ある日、作家になろうと思い立つ」……例えばぼくが尊敬する村上春樹は、29歳の時にプロ野球の試合を観戦していてふと「小説を書いてみよう」と思い立ったのだそうだ。それが彼の今に至る作家としての道のり・旅程の始まりだった……いや冷静に考えればこれはあまりにも「かっこよすぎる」話だ。少なくとも彼がその天啓を感じ取った日までまったく何もしてなかったとは考えづらい。読書だってしていただろう。チャンドラーやフィッツジェラルド、ブローティガンやヴォネガットを読んで彼らの気韻・グルーヴを自家薬籠中の物にする修業を重ねていたと考える方が現実的だ……と「今なら」ぼくは考えられる。でも、過去にこの話を読んだ時のぼくはただのうつけ者だったので「そうか、ぼくにもいずれこんな風にして『天啓』『インスピレーション』が降りてくる日が来るのか」と思ってしまったのだった。そして、ぼく自身が書けるようになる日、ぼく自身にとっての『風の歌を聴け』となるべき作品の始まりが降りてくる日を待ちわびて過ごした。日々酒に溺れて、そして「いつかぼくも書けるようになる日が来る」と夢見て。
そして今日……そのようにして書いた詩を友だちにシェアした。すぐにロシアのビクトリアさんから「署名を入れてシェアしましょう!」とオファーをいただいた。ああ、ありがたいことだ。すぐに「throbbing disco cat/踊る猫」と署名を入れてそれをFacebookやDiscord、MeWeなどに投稿した。すぐにコメントが殺��……なんてことが起きるわけもなく終わったのだけれど、でももちろんそれは致し方ないことだ。書いてみて、韻を踏むのは思っていた以上に難しく奥が深いことに気づき、同時にその醍醐味・面白さも感じ取ることができた。これからも書けるようならこうしてソネットや自由詩、散文詩を書いてみたいと思った。そうなってくるとぼくの発達障害ゆえの凝り性が疼き始める。谷川俊太郎の詩をもっと読みたいと思い、同時にこれまでぼくが影響を受けてきた詩人や作家から学び直したいとも思い始めた。ぼくが影響を受けてきた書き手たち……村上春樹や高橋源一郎、長田弘や田村隆一といった人たちから学び直すことを考え始めたのだ。女性の詩人や作家からも学びたいとも思う。そうして夢・野望はどんどん膨らんでいく。その意味では今日はまさに「始原」「ジェネシス」的な1日だった。
そして、ここに至るきっかけについても思い至ったのである。一旦は英文学を学んでみたけれど、その頃は自分でこんな風にしてソネットを書いてみるなんてこともまったく考えなかった。酒に溺れていた時期を経て、今の人間関係を築いていく中で英語を褒められたことがきっかけで短文を英語で書いてみたりして……そしてこの日記を英語で書くようにもなった。その帰結として今日のソネットがある。こうして考えると「天は自ら助くる者を助く」というけれど、自分は自分なりに努力をしてきたと言えるのかなとも思った。日々自分なりに日記を書いたり本を読んだり、人と話したり仕事をしたり、そうしてていねいに自分なりに生きて、そして楽しんできたことが積み重なって今日の爆発的な詩作の開花があったのかな、と。もちろんこれは「まぐれ」「ラッキーストライク」で終わる可能性もあるけれど……だけど今日、詩を書いてみて感じた喜び自体まで否定したいとは思わない。詩作が続かなくても、今日の経験は何かの形で残るのではないかと思う。今日はFacebookで疎遠だった友だちとも再会できて、実に「得難い」1日だった。次の詩のテーマを考えつつ床に就いた。
"A Bridge From A Fridge"
It seems my mind is like a fridge At last, I've found a dream of becoming a bridge A bridge, where people can encounter each other They might call them as a sister or a brother
Yes, that must be too enormous to carry I can see, and TBH I feel really scary But why? It must bring me the life like a party All I need is just a certain will to start it
Today, lunchtime, I wanna have a lunchbox of sushi Will I be able to say as a rockstar, "Can't you see"? Or I'm just trying sewing seeds into the sea?
This is the first sonnet poem I've done in my life. I wrote this one by myself. I'm now actually alive! Yes, this one is also coming from my mind's archive
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ポロック浜バージョン Pollock's beach version
Art on the Beach tripple080701 Toguchi Beach Irabu Island
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2023年6月26日に発売予定の翻訳書
6月26日(月)には17冊の翻訳書が発売予定です。 珍しく、2巻本を除けば複数点の発売を予定している版元はない……と思ったら、柏書房から2点出ます。
生きた労働への闘い
ウェンディ・マツムラ/著 増渕あさ子/訳 古波藏契/訳 森亜紀子/訳 冨山一郎/解説
法政大学出版局
もしニーチェがイッカクだったなら?
ジャスティングレッグ/著 的場知之/翻訳
柏書房
サイコロジカル・ファーストエイド
ジョージ・S・エヴァリー/著 ジェフリー・M・ラティング/著 澤明/監修 神庭重信/監修 ほか
金剛出版
異能機関 上
スティーヴン・キング/著 白石朗/翻訳
���藝春秋
異能機関 下
スティーヴン・キング/著 白石朗/翻訳
文藝春秋
図解 はじめて学ぶ物理のせかい
レイチェル・ファース/著 ミンナ・レーシー/著 ダラン・ストッバート/著 エル・プリモ・ラモン/イラスト ほか
晶文社
後漢書 本紀[二]
范曄/著 李賢/著 渡邉義浩/翻訳
早稲田大学出版部
ステルス ―ステルス機誕生の秘密―
ピーター・ウェストウィック/原著 高田剛/翻訳
プレアデス出版
七十人訳ギリシア語聖書 ヨブ記
秦剛平/翻訳
青土社
帝国の追放者たち 三つの流刑地をゆく
ウィリアムアトキンズ/著 山田文/翻訳
柏書房
昼と夜 絶対の愛
アルフレッド・ジャリ/著 佐原怜/翻訳
幻戯書房
月のボールであそぼうよ パンダとリスのはなし
エド・フランク/著 テー・チョンキン/イラスト 鵜木桂/翻訳
徳間書店
[ヴィジュアル版]ダンスの歴史
ロバート・ヒルトン/著 高尾菜つこ/翻訳
原書房
数学の文化史
モリス・クライン/著 中山茂/翻訳
河出書房新社
新版 サードカルチャーキッズ 国際移動する子どもたち
デビッド・C.ポロック/著 ルース=ヴァン・リーケン/著 マイケル・V.ポロック/著 ほか
スリーエーネットワーク
困った上司・やっかいな同僚 職場のストレスに負けない人の考え方
エイミー・ギャロ/著 加藤智子/翻訳
二見書房
ワイルド・アイデア
エリン・ケルシー/著 ソイアン・キム/イラスト 光橋翠/翻訳
新評論
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ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館へ。
20世紀初頭のフォーヴィスム、キュビスムから抽象表現の動向と、日本の実験工房や具体など、世界中で同時多発的に興った抽象絵画の歩みを辿る展示。
150点の石橋財団コレクションに、国内外の美術館や個人コレクションからの作品を合わせた264点を集結。抽象絵画を得意とするアーティゾン美術館の本気が伝わってくる強力な内容であった。
入り口正面にドーンとセザンヌ、続いてモネ、ゴッホ、ゴーギャン、ルドンと来て、マティス、ドラン、ドラマンク、デュフィ、ブラック、ピカソ、レジェなど。抽象絵画のアヴェンジャーズだわ。
正にオールスターキャスト。その多くが所蔵作品で、初めて見た作品も結構あって、アーティゾン強いな、という感じ。
もちろんドローネやカディンスキー、クレーなども多数。バウハウス特集コーナーもあって抜かりなし。
まだまだ、オキーフ、ミロ、デュビュッフェ。そしてポロック、デ・クーニング、そして萬鉄五郎、古賀春江、岡本太郎、草間彌生・・・お腹いっぱい。
3フロアぶち抜きの大規模展示。今年見た中では一番の展覧会だった。
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とても興味深い展覧会ですね。是非,アーティゾン美術館に鑑賞にお邪魔したいと思っています。
以前の僕は美術に興味が無く,現代美術には反感すら抱いていたお話は以前にも致しましたね。その中でも特に反撥を感じていたのが抽象画です。美術に興味の無い僕であっても時には絵画を観て「可愛いな」「素敵だな」と感じることがありましたが,一体何が描かれているのかすら理解出来ない抽象画を観てもそれはありません。当時の僕は「上手な絵とは正確に描かれた絵のことである」と確信していたので「わざわざ下手に描くというのは悪ふざけに他ならない」と決めて掛かっていたような気が致します。 大人になって美術鑑賞に興味を持ち始めてからはさすがにそのような愚かな考え方からは脱却しておりました。しかしそれでもしばらくの間は「抽象絵画は判らない。苦手だ」という感覚を抱いていて,それから脱却出来たのは友人達とテキスタイル作品を鑑賞した直後に抽象絵画を観に行った時のことです。緑の地に白い縦線と横線のみが描かれた抽象絵画を観て「先日観た素敵だな反物の柄と似ているな」と思った瞬間「同じ柄なのにテキスタイルだと素敵に感じ,絵画だと苦手だと感じるのは筋が通らない」「織物の柄と同様,抽象絵画についても『何となく素敵』と感じれば良いのだ」ということに気付かされ,それ以来一転し��僕は抽象画をはじめとする現代美術を積極的に鑑賞するようになりました。つまり僕が美術に関心を持つようになったのはかなり最近のことですが,現代美術に興味を持ち鑑賞を始めたのは更にそれよりも後になってからのことといえるでしょう。僕が「ジャンルを問わぬ美術鑑賞を」と考えつつも現代美術については重点的な鑑賞を心掛けていること,それが「現代美術を好きになるように」という理由であることついては以前にも申し上げましたが,その他に「遅れを取り戻そう」という僕の意欲も含まれているに違い無いと改めて感じました。
冷静に考えてみると,僕が抽象画を毛嫌いするのは全く筋の通らないことです。僕は中学生の頃からクラシック音楽が大好きなのですから。音楽も美術と同じく芸術であり芸術である以上は演奏家による表現であることは美術と何も変わりませんが,音楽における表現というのはほぼ例外無く,作者の思ったことや感じたことを著しく抽象化したものです。たとえば芸術家が花を観て「綺麗だな」という喜びを感じたとして,美術においてはその花の形をそのまま再現することが可能なのに対し,音楽でそれを行うことは不可能です。「絵画のように具体的な描写を実現した」と評価される作品であってもそれは全く変わりません。それは作曲家モデスト・ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」を聴いてみれば明らかでしょう。この組曲はムソルグスキーが友人であった画家ヴィクトル・ハルトマンの遺作展を訪ねて幾つかの絵画作品を音楽化したもので「音楽で絵画を的確に表現した」として高く評価されています。しかしこの組曲の終曲である「キエフの大門」を聴いただけで具体的な門の形が判るでしょうか。せいぜいが「何か壮大な雰囲気を感じさせられるな」といった程度でしょう。この曲の元になったハルトマンの絵画「キエフ市の門」は全くの具象画であり,それを見れば一体どんな形の門なのかは一目瞭然なのですが。 なお,音楽が実際に存在する音を取り入れ「具象化」に舵を切ったのは1940年代以降のことです。実際に世の中に存在する音を録音して音楽に使用する「ミュジーク・コンクレート」という取組は,しかし現代においても音楽界の主流とはなっていません。「音楽とは抽象的なもの」という考え方は,今日においてもなお妥当するといえるでしょう。
(※全くの余談ですが「キエフの大門」とはキーウ市にある「黄金の門」のことですが,現在存在するのは1982年に再建されたものでハルトマンの絵画とは全く違った形をしています。絵画「キエフ市の門」は当時存在しなかった門の復元プランとして描かれたものです)
こちらの展覧会「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」では,僕のような無知の者にとっては美術史を学ぶ上でも非常に有益な展示が行われているようです。展示が印象派から始まるということで,これは僕のような無知な者の蒙を啓くのに非常に有り難い展示といえるでしょう。印象派においては描くものの画題の正確な形状よりも画家の目に捉えられた光や空気を描くことが重視された訳で,具象からの離脱という抽象画の第一歩であることは間違いありません。特にセザンヌの作品は「一つの作品内に複数の視点を盛り込む(=前から見た姿やら横から見た姿やらを同じ作品内に同時に盛り込む)」キュビズムの先駆者ともいうべきものであり,まさに印象派こそが抽象絵画の第一歩であったといえるでしょう。そしてフォーヴィズムやキュビズムを経て西洋美術の中心がパリからニューヨークに移って行く過程やその後についても数多くの作品が展示されているということで,その中にはジャクソン・ポロックやマーク・ロスコなど僕でも名前を知っている画家の作品が含まれていると聞けば,これはいよいよ興味津々です。一方で「日本における抽象絵画の萌芽と展開」というコーナーも設けられているということで,これは美術に限らず「世界の中における日本の動き」という事柄全般に興味のある僕にとっては非常に嬉しくまた心惹かれる展示だと感じられます。
こちらの展覧会にお邪魔して,果たして僕が展示されている抽象画を理解出来るか。恐らく出来ないでしょう。しかしそれが何だというのか。これは抽象絵画に限った話ではありませんが,僕は理解出来ないなりに美術鑑賞を大いに楽しんでいます。あたかも自動車や鉄道の車両の名称やその特徴を知らずとも,それらを観て大いに喜んでいる小さな子供のように。美術鑑賞が勉強であり人格陶冶であることは決して否定しないし,そうした効果があれば勿論嬉しいことですが,僕にとって美術鑑賞は何よりも喜びであり楽しみです。或いは将来理解出来るようになるのかもしれないし,ならないかもしれない。そんなことは判りませんが,とにかく観てみたいし大いに楽しみたい。そのように願いながら,僕はアーティゾン美術館に足を向けようと思っています。
美術館丸ごと使った抽象絵画の抽象化。「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開」に見る美術館の使命 https://news.yahoo.co.jp/articles/6ae72356906d9074419d7f5fc792adb3318698b1
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