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Art and Fashion Photography: A Japanese Renaissance Hayashi Fumihiro 今の日本に、本当の意味でのファッション・フォトグラファーは、僅かな例外を除いて存在しない。広告写真の影響力が強い日本の写真界では、広告、芸能といった商業写真での成功が、ほとんどの写真家の目標であるといっていい。ファッション写真は、広告カメラマンになるためのプレゼンテーションに過ぎない場合が多く、ファッション写真だけを撮り続ける写真家は皆無といっていい。さらに、欧米の文化、セレブレティーに対してコンプレックスの根強い日本のファッション写真界は、海外でこれほどまでに日本文化が注目されているにも関わらず、欧米の有名写真家の表層的な模倣に執着する。そのことは、東京の街に氾濫するファッション企業のビルボードや広告ポスターを見れば一目瞭然だ。日本人の白人コンプレックスは根深い。また、最近のファッション誌は、ユニークな才能を持つ新人のファッション・フォトグラファーの作品よりも、素人の芸能人、スタイリスト等の知名度のほうに価値を感じるようである。大多数の日本の雑誌のファッション・ページは、美意識やクオリティーに対する判断力を利益至上主義で失ってしまい、さもしいカタログ的な自己顕示欲の坩堝と化してしまった。 ただ、これは90年代後半、バブル経済崩壊から続いた経済的不況に影響された、日本の“失われた10年間(ジャパニーズ・ロスト・ジェネレーション)”時代の話である。この10年間で、日本人の美意識、倫理観、価値観は、大きく変化、堕落し、虚無主義と拝金主義が世の中全体を覆っていった。そして、壊滅的なモラルの崩壊、無秩序な混沌が極まった今やっと、日本文化は、ルネッサンス的な新しい変革の時代を迎えようとしている。その最も大きな流れは、まず白人コンプレックスからの脱却から始まった。子供たちを熱狂させるマンガ、アニメーション、コンピューター・ゲームなどのオタクカルチャー、健康志向からの日本食や禅、高性能のハイテクノロジー、海外の人々が伝統文化のみならず、日本の現代文化に大きく影響を受ける現状を実際に感じた、欧米(特にヨーロッパ)で教育を受けたクリエイター達の帰国は、その変革の重要なきっかけとなった。彼らは、海外の地において、“オリジナリティーとは何であるか”という事を徹底的に教え込まれる。そのことは、自分は日本人であるという事を強烈に再認識させることになる。欧米文化への憧れ、模倣ではなく、欧米文化との違いが創造の源であることに気づくのである。彼らが、影響を与える時代、ポスト・ロストジェネレーションが始まったのである。今考えれば、“失われた10年間”は、DJ的なサンプリング・カルチャーとアメリカ的な大量消費文化に、日本のファッション界が大きな影響を受けた時代であったと言えるのではないか。サンプリング、コラボレーションという心地よい英語のフレーズによって、模倣に何の疑問を持たなくなった日本のファッション界は、オリジナリティーを片隅に追いやり、業界自体を異形で未熟な物質主義に変容させてしまった。 このような、現在の日本のファッション写真界を取り巻く状況を理解した上で、読んでもらいたい。 日本のファッション写真の大きな転機は、やはり90年代であった。そして、この90年代の東京のイメージを決定付け、その後の日本の写真界全体に、最も影響を与えたのがホンマタカシであろう。日本人独自のロリータ趣味を全面に押し出した現実感溢れるポートレイト風のファッション写真は、アートとファッション写真、ドキュメンタリーとファッション写真の融合であり、彼の写真から強烈に感じられるニヒリズムは、近未来の日本への警鐘のようであった。無機質に殺菌されたシステムの中で、自らのアイデンティティーを見失い、凶暴なグローヴァリズムに翻弄される日本への、誰しもが持つ漠然とした不安、終末の予感。ホンマタカシの写真は、ジャンルを超えて多くの人々に支持され、多くのフォロワーを生み出す。今や日本を代表する作家となった、ヒロミックス、佐内正史、本城直季らは、多かれ少なかれホンマタカシが切り開いたスタイルの延長上に独自の世界観を築き上げたといっていい。そして、彼の広告、アート、ファッション、ヌード、グラビア、建築、編集、映画等のあらゆる分野へボーダレスな進出は、良しにつけ、悪しきにつけ多くのカメラマンの指針となったのである。 もう一つ、90年代の日本のファッション写真に大きな影響を与えたファッション誌が、パリで出版されるPURPLE誌である。アートとファッションの融合をテーマに、一貫したインディーズ・スタイルで数多くの新しい才能を世に送り出してきたこの雑誌は、日本のカルチャー、サブカルチャーにも早い段階から興味を示している。そのため、日本人アーティストも多く参加しているが、その中でも別格なのが、このPURPLE誌で創刊以来、ファッション写真をとり続けている鈴木親であろう。鈴木親は、今の日本では数少ない純粋な意味でのファッション・フォトグラファーであり、世界に通用するオリジナリティーを持ち合わせている。彼のファッション写真は、マルタン・マルジェラに代表されるアントワープ系の内向的なデカダンスの影響を色濃く受けながらも、日本の伝統的な文化の品と静謐さを感じさせる。そこには日本人しか表現する事の出来ない情緒がある。彼は、ファッション写真家であることにこだわり、ファッション写真と作品以外は、ほとんど撮影しない。商業主義一辺倒の今、鈴木親の隠者のような撮影のスタイルは、彼のオリジナリティーを磨き上げた。その独特の色彩と間を感じさせる作風は、世界に影響を与えるファッション写真家になることを予感させるに十分である。 ただ、このような日本のファッション写真界の曖昧なあり方は、決して悪い事ばかりでもない。その、通過儀礼的なポジションから、様々な分野の写真家がファッション写真を撮るために非常に多様性のあるものになっている。例えば、アフリカ、中東、東南アジア、南米等の“滅びゆく少数民族”のポートレイトの作品で、ファビアン・バロンに絶賛され、写真集“TRIBE”を出版した小林 響は、欧米のファッション界では、90年代最も評価され���日本人写真家であろう。荒木経惟、植田正治、ヒロミックス、新津保建秀、富永民生、久家靖秀、佐内正史、石坂直樹、ザ・グレート・ザ・歌舞伎町、平野太呂、本城直季、米原康正、井賀孝といったアート、グラビア、広告、ルポルタージュ、スポーツ等のジャンルで活躍するファッション写真家以外のファッション写真をこれほどまで沢山見る事のできるのは日本だけだろう。そして、ファッション写真を変革するのは、実は、他のジャンルから来た異端者の価値観である。マーティン・ムンカッチは、スポーツカメラマン。アーヴィング・ペンは、画家。ヘルムート・ニュートンは、報道カメラマン。スティーヴン・マイゼルは、ヘア&メイク。マリオ・ソレンティは、モデルであった。そう考えると日本のファッション写真界は、可能性に満ち溢れている。止まれる者の出現。。日本人としてのオリジナリティーを追求して、美意識と技術を極めた上で、ファッションという世界に魅せられ、美の本質を探究したい写真家が現れたときに、きっと日本のファッション写真界はドラマティックに変わるはずである。サンプリングの達人から、オリジナリティーへ、欧米コンプレックスからジャパニーズ・ルネッサンスへの意識の変化。それが、近い将来であることだけは間違いない。
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【旅×アート×仕事をテーマにお話します】
キャリアカフェという企画にてゲストスピーカーとして呼んで頂きました😊(生配信も予定)
今まで沢山旅をして作品を残してきました。
インド、イタリア、スロベニア、アメリカ、イギリス、インドネシア、ノルウェー...etc
どうやって旅先で絵を描くのか?
他人の日常に入り込んで描くって何?
それが仕事とどう繋がるの?
卒業後の美術界に抱いたコンプレックスなどの苦悩も含めて
色々ぶっちゃけ話出来たらと思ってます
そんな草の根で続けてきた絵描きとしての道を少しでもお伝え出来たら。
私の歩みを面白がって声をかけてくれた、かれこれ20年ほどの付き合いになるミオにはSpecialThanks✨
これから社会に出ていく学生さん
所属しない生き方が気になる人
旅に興味ある人
アーティストって生きていけるの?
と思っている人
どなたでも是非お気軽にどうぞ!
以下詳細です◎
🌿-----------------------------🌿
キャリアカフェ
「旅×アート×仕事」
ーsaki tanaka アーティストとして見つけた道ー
何も決めずに美大を卒業
アーティストとしての生き方は
誰も教えてくれなかった
お金はなくとも時間はあった20代
好奇心のままあらゆる土地へ
現地の人々に出会い
寝食を共にしながら絵を描いた
「日常を移動させる」ことによって
旅先に絵を残していく創作活動
『stay & work 』
他人の日常に入り込むことで
人種や国を超えた心地よさを求め続けている
もがきながら進んできた道にも
種は転がっていた
アトリエでの制作活動に加え、国内外、さまざまな土地で滞在制作をしてきた紗樹さん。
近年では、様々な企業とのコラボレーションやワークショップも手がけており、プライベートでは1歳のお子さんを育てるお母さんでもあります。
そんな紗樹さんにとっての「旅とアートと仕事」とは��彼女がこれまでどのように「旅」をし、作品を創り続けてきたのか。
どのように「仕事」を捉えてきたのか。
美大卒〜現在に至るまでのキャリアを振り返ると共に、紗樹さんの思い描く未来についても、語ってもらいます。
会の終わりには、ミニワークショップも。
紗樹さんカラーの入ったカードにアレンジを加えてお持ち帰り頂けます。
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日 時:1月28日(土)15:00ー16:30
場 所:さんさき坂カフェ
https://instagram.com/sansakizaka?igshid=YmMyMTA2M2Y=
参加費:1500円(ワンドリンク+お土産ミニカード付)
→お申込はこちら
Live配信&アーカイブ視聴:500円
→お申込み方法は後日お知らせします。
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内 容:ゲストトーク(対談含む)
質疑応答
参加者同士の交流
ミニミニワークショップ
持ち物:紙とペン
人 数:15名まで
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ゲストプロフィール
田中紗樹
アメリカ・サンフランシスコ生まれ
女子美術大学 絵画科洋画専攻卒業
東京在住
幼いころから続ける書道の影響により、
間の取り方・余白のバランス・リズム、大胆な筆致が主な作品の特徴。
光や周りの環境など、空間を意識した制作を得意とする。
アメリカで生まれ香港に住んだ幼少期の経験から、様々な土地や文化に興味をもち
世界各地に滞在し絵を残す「stay&work」プロジェクトを続ける。
その他、壁画・パッケージ・テキスタイル・ロゴ・ワークショップ・ライブペイント等、活動は多岐に渡り、多くの企業にアートワークを提供している。
【活動】
2017 個展・滞在制作 / Creative Impact in Asia vol.3 台湾・華山1914
2018 滞在制作 / 星野リゾート 界 仙石原
2018 パッケージ / 株式会社ライオン NONIO
2019 公��制作 / 上海デザインウィーク APLUS企画
2019 ワークショップ/文化庁 Artist In the Office/ 野村ホールディングス
2019 壁画 / ファイザー株式会社 本社オフィス
2019 企画展 /「Stay」 星野リゾート 界 仙石原
2020 壁画 / 三菱地所企画 ワーキングシェアオフィスSAAI
2020 キービジュアル・展示 / 丹後ちりめん300周年記念企画 / NEWoMan 新宿
2020 ライブペイント / 渋谷PARCO 1周年イベント / OIL by 美術手帖
2020 個展 / ARFLEX 二子玉川店 蔦屋家電内
2020 壁画 /「香りのアート展」ロート製薬・ベレアラボ
2020 舞台美術 /「re-connectするシルクロード」/紀尾井ホール
2022 テキスタイル / オンワード樫山 ICB
2022 壁画 / 野村不動産オフィス
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#art #滞在制作 #artistinresidence #muralart #旅 #制作 #abstractart
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2019年に買ったボードゲームのまとめ
2019年に届いたものが対象。ミニ拡張は除く。
オーディンの祝祭:ノース人 日本語版 (Ein Fest Fur Odin: Die Norweger) 7.5: 上手になりたいゲームのひとつ。ヘタすぎて手に余る不動産を手に入れて、最後に大きな負債を背負いこむのがお約束……
パンドリア (Pandoria) 未プレイ:手グセで買ったテンデイズのゲームは積みがち。
ATLANTIS: Island of Gods 未プレイ:いざ届いて、ルール詳細を読み込んだら、小箱のくせに処理量が生意気だな! トロワ系言語まで使ってんじゃねーよ!と思って積んだ。
ウィングスパン (Wingspan) 6.5: 寂しい4人が集まって、同時にソリティアを遊ぶゲーム。そのソリティアはおもしろい。その事実をどう評価するか?
Crusaders: Thy Will Be Done 7.5: マンカラでアクションを決めて遊ぶ陣取り。プレイヤーボードでの誰にも邪魔されないこねくり回しとメインボードでのインタラクションの組み合わせというトレンドをしっかりフォローしつつ、 4人でも90分以内で終わる非常に優秀なゲーム。ルールもシンプルで出しやすい。
ロストシティ・ライバルズ (Lost Cities: Rivals) 未完走:どんなゲームにも、そばに置いてる子どものマネージメントに失敗してゲームが完走できないっていう協力ゲームの要素、ありますよね……
リワールド 日本語版 (Reworld) 未プレイ:駿河屋で「うわー 3,000円切ってる!」というノリで買ったゲームはうるさ目おじさん界隈では評価がもう定まっており、誰も遊んでくれずに積む。
西フランク王国の建築家 (Paladins of the West Kingdom) 7.0: KS(のAdd-on)。人数制限のないワーカープレイスメントを身代金目当てに他プレイヤーのワーカーを拉致って解決するシステムが最高。ゲーム展開は想像した倍の速さで中量級。
西フランク王国の聖騎士 (Paladings of the West Kingdom) 7.5: KS。プレイヤーボード上でちまちま色違いのワーカーを組み合わせてアクション計画をしていくソリティア味とカードの早取り・泥棒あぶり出しでインタラクションを付けていくバランスが現代的。テーマの乗せ方も上手い。一方でこちらはプレイ時間が長く、ベストは3人。
フォールアウト ボードゲーム:ニュー・カリフォルニア 日本語版 (Fallout: New California) 未プレイ:まぁまぁの内容でも、フレーバーで遊べるだろう!と思って買ったゲーム、の拡張。ふだん一緒に遊んでる人、ほどんどFalloutを遊んでねえ!
Mointaineers 未プレイ:KS。パーティーゲームにしてはデカすぎるし、言語依存もありすぎる! 作者が妻の出産を理由にプロジェクトの遅延を説明していて、しゃーないな!と思った記憶が……
ブラックアウト���香港 (Blackout: Hong Kong) 7.0: 評価に悩むゲーム。モンバサから毒を抜くと、きっとこの形になる。面白いけど、ちょっとお上品すぎの感が。あまり褒めると安いおじさんだと思われちゃうわ…… 手抜きか!というくらいボードが黒い。停電テーマにすればアートで楽できる!
世界の7不思議:艦隊 (7 Wonders: Armada) 未プレイ:ルールを読まずに買ってから、ルールを読んで、どんな風にゲームが変化するか、自分の中ではほぼパーフェクトにイメージできた(と思ってしまった)結果、積む。
メナラ 完全日本語版 (Menara) 6.5: 私が協力ゲームで好きな要素は、失敗時の戦犯の吊るし上げ。その点でこのゲームは及第点に達しております。
ヌスフィヨルド:カレイデッキ (Nusfjord: Plaice Deck) 8.0: 面白いゲームのゴミみたいな1金がコインになりました。
Nētā-Tanka: Deluxe Edition 6.5: KS。バランス調整で遊ばせるタイプのワーカープレイスメント。隣接するアクションを叩いてボーナスをいかに得るか? シェイクスピアのデザイナー作と聞いてBackして、遊んでみたら予想通りのシブさ。作家性!
グレンモアII:クロニクルズ (Glen More II: Chronicles) 7.0: あのゲームの重さとコンポーネントの質が合っていないグレンモアが今度はオーバーキル! KS発の不用意にデカすぎるゲームがだんだん嫌いになってきた…… 旅マップの追加によるケチケチ作戦強化はよいカウンター調整。
バス:20周年記念版 (Bus: 20th Anniversary Edition) 6.0: ここまで一手が重くインタラクションが強いと、もう笑っちゃうしかない。現代的な感覚だと「鋭い」とか言うよりも、もうパーティーゲームの範疇に捉えてしまう。90分で終わるパーティなので楽しく遊べます。
バニーキングダム:イン・ザ・スカイ 日本語版 (Bunny Kingdom: In the Sky) 未プレイ:うっすら気づいていたけど、拡張ほとんど遊ばねえ!
クアックサルバー:薬草の魔女 (The Quacks of Quedlinburg: The Herb Witches) 7.0: ポン付け拡張の範囲かな? ゲームがより派手に、逆転しやすくする方向の調整なので、このゲームに合っていると思う。
深い谷の酒場 (Die Tavernen im Tiefen Thal) 6.5: 平たく言うとクアックサルバーカード版+ダイスドラフト。勝ち筋が複数あり、積み込みができるのでめくり運も多少は緩��。��ちらのほうがよりコントローラブルな調整。個人的には、袋引きのほうが最後まで可能性がプレイヤーに委ねられているという緊張感があって好きかな? 万人受けしそうな面白いゲームだけど、セットアップが面倒くさいのが玉に瑕。
Gentes Deluxified™ Edition 8.0: このエディションでは未プレイ!
イリュージョン 完全日本語版 (Illusion) 6.5: カード内の4色の塗り面積順を予想するだけなのに、答え合わせでは意外性があり、さっと取り出してしっかり盛り上がる優秀なカードゲーム。
チームプレイ 日本語版 (Team Play) 5.0: 一度手放したゲームがなぜかまだ戻ってきました。半分以上の局面で手なりでプレイするゲームだよね、これ。
Improvement of the POLIS 7.0: RftG方式のアクションの同時プロットでサクサク進む文明発展ゲーム。コンパクトにテーマ再現できているのがすばらしい。同人版からアートワークおよびUIがほとんど進化してないバッドプロデュース案件。
Tussie Mussie 6.0: Wingspanの作者。カード2枚をめくって、一枚は表向き、一枚は裏向きに置いて、次手番のプレイヤーに1枚選ばせて、残った1枚を自分のものにするだけ。全員で行う花占いと思えば合点が行く。
Sprawlopolis 6.0: カード配置で行うシティビルディングソリティア。ゲームごとに得点ルールの組み合わせが異なるため、たった18枚のカードでさまざまな展開が楽しめるようになっている。
キーフロー (Key Flow) 7.0: あの楽しいキーフラワーの上澄みがブースタードラフトで気軽に楽しめるように!
Raiders of the North Sea: Fields of Fame 7.0: ボスキャラを殴って拉致ってパワーアップ!
Raiders of the North Sea: Hall of Heroes 7.0: 見えてるカードを買える!
レース・フォー・ザ・ギャラクシー (Race for the Galaxy) 7.0: 大量のカードスリーブをかどまりたいという欲求に駆られ購入。自分くらいの練度だと基本のみ2人戦でちょうど良いかな?
レース・フォー・ザ・ギャラクシー:嵐の予兆 (Race for the Galaxy: The Gathering Storm) 7.0: 目的先取りって良いよね!
レース・フォー・ザ・ギャラクシー:帝国対反乱軍 (Race for the Galaxy: Rebel Vs. Imperium) 6.5: 軍事が強くなった! 侵略のルールって面倒くさくないですか?
レース・フォー・ザ・ギャラクシー:戦争の影 (Race for the Galaxy: The Brink of War) 6.5: 自由度を増す方向の拡張。好みが分かれそう。見てカードが買える!
レース・フォー・ザ・ギャラクシー:エイリアン・アーティファクト(Race for the Galaxy: Alien Artifacts) 未プレイ:既かどまる
レース・フォー・ザ・ギャラクシー:ゼノの侵略 (Race for the Galaxy: Xeno Invasion) 未プレイ:既かどまる
エジツィア 新版 (Egizia: Shifting Sands) 未プレイ
ストックパイル:エピックエディション (Stockpile: Epic Edition) 7.0: 5人で遊びたいパーティー経済ゲーム。より良いインサイダー情報を引けるかという運の要素はあるものの、他人のオークションのビッド傾向からある程度市場予想をすることもできる。このバランスが絶妙。
タイニータウン (Tiny Towns) 6.0: スバラシティ:ボードゲームで殺し合い。たぶんベストは3人。2人だとガチガチの絞りあい、4人以上だとビンゴ味が強く出すぎる。モジュール式で組み合わせる建物のバランスには懐疑的で、事故りにくいコテージを連打するのが結局一番安定して勝てる気がする。
Mopsen 6.0: たくさん取りに行くか、取らないかをラウンドごとに迫られるトリックテイキング。トリックごとにトランプが変わるので、パーティー味がある。絵がかわいい。
Hadara 5.5: 文明発展テーマってのがピンと来ない変則ドラフト&パラメーター管理ゲーム。宝石の煌めきフォロワーとして見るとお上品で手堅くまとまっている。
パールズ (Pearls) 6.0: 多人数ジャイプル。多人数だとどうしても出ちゃう、お仕事のターン。ジャイプルが2人専用ゲームになっている理由がわかる。
ラマ (L.A.M.A.) 6.0: クニツィアが15年前に作ったカードゲームが発掘されました、新作として出しましょう!みたいなゲーム。両替で生まれた黒10金を、上がって清算するカタルシスがすべて。
雲の上のユニコーン:ビンゴゲーム (Einhorn Glitzerglück: Funkel-Bingo) 5.0: 「雲の上のユニコーン」が好きな娘のために買ったもの。まごうことなきビンゴです。
雲の上のユニコーン:フレンズカルテット (Einhorn Glitzerglück: Freunde-Quartett) 未プレイ:カルテットは娘には早すぎました。
ブラックエンジエル 日本語版 (Black Angel) 5.5: レビュー
ピクショナリー エアー 日本語版 (Pictionary Air) 6.0: お題カードにチャレンジングなものが必ず含まれていて、意外と難易度は高い。エアコンが緑色のLEDを光らせてるとゲームにならないので注意。
十二季節の魔法使い 日本語版 (Season) 6.5: 大量のカードスリーブをかどまりたいという欲求に駆られ購入。ドラフトとダイスピックと二段階の選択を経るので、ある程度コンボルートを知っていないとちょっと厳しい。
十二季節の魔法使い:運命の行方 日本語版 (Seasons: Path of Destiny) 未プレイ:既かどまる
十二季節の魔法使い:魅ノ国 日本語版 (Seasons: Enchanted Kingdom) 未プレイ:既かどまる
ロレンツォ・イル・マニーフィコ:パッツィの陰謀 (Lorenzo il Magnifico: The Pazzi Conspiracy) 未プレイ:KS。ビデオゲーム版ロレンツォのプレッジ。ビデオゲームのほうはボードゲームのコンポーネントを踏襲していないUIデザインになっているため、非常にプレイしにくい。まだアーリーアクセスなので、どこかで全部ぶっ壊してほしい。
バラージ (Barrage) 7.0: 水力発電というテーマの再現度がすばらしい。インタラクションは今日日のゲームとしては強烈で、一手のズレで水が上流でせき止められたり、流れが変わって自分のダムにやってこなかったりと、丁寧に仕込んだ計画がムダになることもザラ。しゃがむにしても5ラウンドしかなく地獄!
バラージ:レーフワーテル計画 (Barrage: The Leeghwater Project) 7.0: 得点行動の幅が増えて、複雑&マイルドになるタイプの拡張。本業でヘコったときのリカバリーが効きやすくなるものの、水力発電というテーマから遠ざかっていってしまうという問題も。私は基本の上級ルール入りくらいでちょうど良いかな?
クマ牧場:がんばれグリズリー! 日本語版 (Bärenpark: The Bad News Bears) 7.5: 400メートル走が400メートルハードルに変わる拡張。急いで走り抜けないといけないパズルゲームにぐっと悩ましさが増す。早取り要素が増えるので、他プレイヤーの動向もより良く見なければいけない。
マグナストーム 日本語版 (Magnastorm) 未プレイ
クラスク (KLASK) 8.0: テーブルトップスポーツ。※評価はセクビス使用時
ラグーサ (Ragusa) 6.5: KS。ネットワーク構築の陣取りで、駒を置く行為自体が多数あるアクションの選択になっているため、少ないアクション数で複数のことを決めていく今どきのスタイルに陣取りがアップデートされている。
ドミニオン 異郷 日本語版 (Dominion: Hinterlands) 未プレイ:これで日本語版(旧版)ドミニオンがコンプリートしました!
チーム3 (TEAM 3) 6.0: お題カードをジェスチャーで伝える人、ジェスチャーを見て指示を発話する人、目をつぶりながら指示を信じて積み木パズルを組み立てる3人組の協力ゲーム。もう1人、それを眺めてゲラゲラ笑う人がいた方がよいので、プレイ人数は4人~という理解です。リクルート���身者が興した研修支援の会社がチームビルディングのワークショップで似たようなことをやらせそう。(偏見)
スノードニア (デラックスマスターセット)(Snowdonia Deluxe Master Set) 6.5: KS。バランス調整で遊ばせるタイプのスタンダードなワーカープレイスメント。モジュール型の拡張がもりもり。大箱サイズでほぼ立方体の大きさの箱の中身を開いて、ほとんど遊ばずに自分は死ぬんだろうなーと思いま��た。KSプロジェクトとしては超優秀。ダイスセトラーズとかテオティワカンのところね。
テオティワカン:後期先古典期 日本語版 (Teotihuacan: Late Preclassic Period) 7.0: バランス調整+予言と種族というツォルキンを踏襲した内容の拡張。建築弱体化、仮面と装飾強化になるので、今後は必ず入れて遊んだほうが良いです。
パンドリア:アーティファクト (Pandoria: Artifacts) 未プレイ
テラミスティカ:商人たち 日本語版 (Terra Mystica: Merchants of the Seas) 未プレイ:今さらテラミスティカを誰と遊ぶのかまったくイメージできない。
コンコルディア:バレアリカ/キプロス (Concordia: Balearica/Cyprus) 未プレイ:この手の拡張はプライオリティが低くて翌年以後に遊びがち。ヴィーナスは良かったです!
ブリュッセル1897 (Bruxelles 1897) 未プレイ:ルールを読んで、ブルゴーニュ:カードゲームだ!と納得したところで終了。
アンダーウォーター・シティーズ:新たなる発見 (Underwater Cities: New Discoveries) 8.0: 公式のプレイヤーボードオーガナイザー。せっかくなのでモジュール方式の追加ルールも足してみました。
パンドリア:レルム (Pandoria: Realms) 未プレイ
ハチエンダ(第2版)(Hacienda second edition) 6.5: やりこんでないので、新マップでも特に新鮮な気持ちにはならないかな…… 新オプションルール(収穫タイルのオールマイティ土地利用)もヴァリアントの範疇という感じで、旧版と大きな差は感じられず。
Cities Skylines 5.5: 面倒くさい処理はコンピュータに処理させたいソリティアシティービルディングパズル。そこまで悪くはないんだけど、セットアップの面倒くささになかなか広げる気にならない。
PARKS 5.5: かわいいけど、ルールを読む限り、自分が「ふーん、あっそ」と言うタイプのゲームっぽいなーと思ったら、本当にその通りでした。無味のセッコレすごろく。3人専用ゲームっぽい気がする。人数を変えてリプレイしたい。
マルコポーロの旅路 2 (Marco Polo II: In the Service of the Khan) 7.5: より遊びやすくするために編集者の手が強く入ったマルコポーロという感じ。バランス調整として、契約を達成するのではなく、こういうゲームなんだから旅をせよ!という強いメッセージが感じられる。
Die Crew: Reist gemeinsam zum 9. Planeten 7.0: トリックテイキングを協力ゲーム化したら、感想戦での戦犯吊るし上げが楽しいに決まってるじゃないですか~ なかなかプレッシャーがある。
バーゲンハンター (Bargain Hunter) 6.0: Miniature Marketで$1で売っていたやつ。カード絵が大好き。3人専用ゲームだと思っております。
Heaven & Ale: Kegs & More 7.0: ビール配達業の追加により、90分遊んでいたけど、結果、3点でした!みたいなことは起こらなくなったものの、勝つためには樽と干し草、配達アクションと、追加の3要素を見なければいけなくなったため、プレイングはより悩ましくなった気がする。こんなしょぼくれた追加コンポーネントでここまで味を足せるのかと感心した拡張。
天下鳴動 未プレイ:200円で遊ばせてくれるプレイスペースがなくならないように、定期的に3,000円くらいのゲームを購入する活動を行っております。
雅 (Miyabi) 6.5: 俺が望んでいたジンジャーブレッドハウスがここに! 高さで得点を稼ぐには、その土台となるタイルが必要、でも、それを置くとマジョリティ争いをしているアイコンが隠れてしまう…というジレンマがゲームシステムの根幹としてしっかり機能している。HABAっぽくもなければ、手抜きみたいなアートワークが解せない。大人は汚い!
どんぐりやま 未プレイ:これもショバ代。娘は引き算ができませんでした。
今年初めて遊んだゲームベスト5(拡張とKLASKを除く)
1位 アンダーウォーターシティーズ
2位 クルセイダーズ
3位 バラージ
4位 西フランク王国の聖騎士
5位 マルコポーロ II
次点は以下タイトル。
Q.E.
エマラの王冠
アズール:サマーパビリオン
総評としては、続編や新版ばかりを購入・Backする超保守的ムーブが印象的な年でした。ちょっと疲れたのかもしれません。
ボードゲームも今後は市場が熟成化して、ビデオゲーム同様に予算を掛けた新規IPをローンチすることが難しくなると予想!
また、2019年はピーヨツのボードゲーム棚(formally known as ルンペンゴリラ)がオフライン環境(Blogからフィジカルなノートブック)に移行した年でもありました。
Evernoteにさえメモを残さなくなったのは、最終アウトプット(=Blog)との距離が近すぎて、カッチリ書かなければ、という思いが強くなって億劫になったが原因です。みなさまにも手帳へボードゲームの感想を書くことをお勧めします。文にまとまりが無くとも、肩に力を抜いてスラスラと書けます。マジで。後から思い返すには十分です。
うるさ型のおじさん(ヨッ、同士!)は同時にクッソ高い万年筆を買っておくと、気分がアガるのでお勧めです。値段が高ければ良いというものでもありませんが、書き味、見た目ともに自分の気に入ったものを用意してください。
なお、舶来物の万年筆は���産よりも1~2段階ペン先が太くなっているのでご注意ください。アルファベットと漢字の差なんですね~ 安い買い物ではないので、専門店に足を運んで納得するまで試し書きをさせてもらうと良いでしょう。
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アートフェスティバル/震災/少女像
8月上旬。仙台出張から足を伸ばして石巻市へ向かった。
目的はリボーンアートフェスティバルの志賀理江子である。 私には3.11が何年前の出来事だったのかさえわからない。
震災を黙殺する
業務を終え、仙台駅で車を借り、石巻を目指してアクセルを踏む。 自分が3.11を無視し続けてきたことについて、高速道路で140km/hの恐怖に手汗をかきながら考える。ハンドルを切り間違えて塀に衝突する様を想像しながら、震災のことを思う。「考える」ができるほど知識がないので、ただただ、思う。無視し続けてきた長い時間のことを思う。
青い案内板に気仙沼の文字が現れると、びく、と体がこわばった。何も知らない私ですらその土地がその場所だと知っている。 今、私が土地の名を見て胸を痛めているのは欺瞞にすぎないかもしれない。それでも胸は痛み、泣きそうになって眉根を寄せた。 これは悼みではないかもしれない。これは後悔と恥の苦痛かもしれない。私はどこまでいってもみっともないほど自分本位のはずで、涙する権利をもっていない。
高速道路を降りると景色は一気に変わり、のどかな山の緑と広々と若稲を揺らす水田に囲まれた。新しく造られたらしいきれいな二車線道路をゆるゆると走る。 すれ違う車のほぼ半数が大型トラックだった。車体の正面に目立つオレンジ色のゼッケンをつけている。漁港や道路を修繕するための資材を載せている旨が書かれていた。すれ違うたびに、うおんと車体が揺れる。
アートフェスティバルの小積エリアをめざして、仙台駅から車で2時間弱、公共交通機関なら3時間。バスの本数がとても少ない。
居住する者のごく少ない土地らしかった。少なくとも現在は。 小積浜に近づくにつれ、普通車は減り、大型トラックが増える。3台に2台が大型トラックになった。まだ壊れたままの港があるのか。壊れたまま、何年経ったのだろう。
*
これまで私は私の人生から、徹底的に3.11を排除してきた。震災をないものとしてきた。あの出来事に対して、一切の思考を割かずに暮らしてきた。一切の感情を動かさずに過ごしてきた。 情報は、自ら取りにいこうとしない限り、ほとんど入ってこなかった。あんなにも大きな出来事について、私は何も知らずにいられた。津波の映像を見たことすらない。何も知らない。 3.11について考えることを放棄して、私は安全な場所でのうのうと暮らしてきた。 自ら放棄しさえすれば、これほどまでに無知でいられるのだ。意識的に避けてきたわけでさえない。考えようとしなければ、知ろうとしなければ、これほどまでに「なかったこと」にできるのだ。無知でいられる。おぞましいことだ。ぞっとする。
3.11を放棄したことに何か確固たる理由があったわけではない。ただ、すごく面倒だった。たくさんの人が亡くなったという現実に向き合うことができなかった。たくさんの人が亡くなったことにきちんと思いを馳せるのが、ただ、とても重荷に感じられて、いやだった。息苦しかった。しんどくなりたくなくて逃げた。逃げて、3.11以前と変わらない生活をのうのうと送った。 震災と関係なく就職し、震災と関係なく失恋し、震災と関係なくペンを握った。震災と関係なく友情を育み、震災と関係なく本を読み映画を観た。震災と関係なく病気をし、震災と関係なく仕事をした。 それが、可能だった。
小積エリア、〈鹿に導かれ、私たちを見るとき〉
ようやく目的の小積エリアに辿り���くも、人っ子一人いない。 狼狽えて立ち尽くしていると、黒い犬が首輪の鈴を鳴らして出迎えにきてくれた。後で聞いたところによると、猟犬なのだという。人懐こい黒犬で、私の足の周りをくるくる回って来訪を歓迎してくれる。
唯一扉の開いていた小屋を覗き込むと、山で鹿を狩猟して暮らしている小野寺さんが招き入れてくれた。今日はフェスティバルの定休日だよ、と笑う。まあ、せっかくきたし、涼んで行きなよ。そう言ってとても美味しいアイスコーヒーを出してくれた。 志賀理江子を観るためにはるばる来たのだと話すと、彼女の作品は屋外インスタレーションだから観れるよ、と教えてくれた。よかった、としゃがみこんだ。小屋には《ヒューマン・スプリング》展の図録があったので、めくりながら小野寺さんの狩猟の話をきいた。
せっかくだから鹿でも見ていく? と冷蔵庫に誘われて、喜んでついて行く。狩られて解体された鹿が吊るされてあった。 首も内臓も取り除かれた鹿は、それでもまだ生命の輝きを宿しているようだった。正しく循環しているためだろう。生命の循環が健康で、過不足のない土地。 ある生命にとっての死が他の生命にとっての幸福として迎えられる、そのような場が醸す見慣れぬ生の輝きが、そこにはあるように思えた。
エリアのテーマは〈鹿に導かれ、私たちを見るとき〉である。鹿を狩り、首を落とし、血を抜き、内臓を落とし、食して生きている小野寺さんの生き方をその言葉が言祝いでいるように思える。
志賀理江子のポストヒューマニズム
〈私たちを見るとき〉、私たちを見ているのは何者なのだろうか。
志賀理江子の作品は山の斜面を広々と利用していた。 《Post humanism stress disorder》と題されている。「人間主義のその後の、重圧による無秩序」?
山の斜面に砕いた牡蠣の殻を敷き詰めている。会場の小積浜が、位置と標高からみて、波に飲まれた土地だったことは明らかだ。木々の表皮は剝されて白く塗られ、黒々と無数の穴が穿たれている。津波の激しい力になすすべもなく剝ぎ取られた生。
山肌に敷き詰められた牡蠣の殻もまた、生命を剝ぎ取られた死骸である。死してのち波に粉々に砕かれて海底の砂へと戻る、はずが、山へ打ち上げられてなすすべもなく干からびている。海は奪っただけではなかった。海もまた、奪い取られたのだった。天災は自然がわれわれに振るう暴力ではない。自然もまた天災という暴力に晒される。
先ほどの小屋に居合わせた二人組の女の子たちもこの作品を観ていた。 なんかすごい、けど、どんな意味なんだろう、わかんないね、と話し合っているのが聞こえる。 彼女たちも定休日だとは知らずにここまで来たのだという。小野寺さんの小屋でコーヒーを飲みながら、定休日のうっかりを慰め合っていたとき、「私たち、毎年こうして、旅行でアートフェスティバルに出かけているんです、二人で」と話してくれた。 「志賀を観にきたのに」とへたりこんだ私を励ましてくれた彼女たちは、わざわざこれを観に来たくらいなら何かわかっているのだろうと期待したらしい。二人がじっとこちらを見るので狼狽えた。ええと、これは多分震災のことで、森にあるはずのない牡蠣がね、と自分の解釈をしどろもどろに説明すると、それで少しは合点がいったようで感謝された。 そっか、ここ、震災のとこかあ。二人はその時初めて気づいた様子だった。
*
仙台出張が決まった時、私もまた、何も気づいていなかった。 せっかく行くから何か美術を観ようと調べていたら、アートフェスティバルをやっているらしい。ふーん、���ボーンアートフェスティバル。って何だろ。再生ねえ。開催地がやけに仙台市街から遠いな。名和晃平の鹿、見たいけど遠い、行くか迷う。微妙かも。 まあいいや、あ、せっかく行くなら土地のうまいものも食べたいな。食い道楽の年長者に相談したら、それこそ鮨だよぜひ貝を食えと言って、すらすらと店の名前がでてきた。 詳しいねと驚く。仙台は何度も行ったよ、特に通っていた時期もあったんだ、震災のことがあったからね、と言う。 それで初めて、自分はかの地に行くのだと気がついた。愚かなことに、私はそこでようやくリボーンの意味に気づいたのだった。
そのとき初めて3.11が、向き合うべき現実として目の前に現れた気がした。
芸術祭についてよくよく調べてみると、志賀理江子が出展している。恵比寿で観た《ヒューマン・スプリング》の衝撃はいまでも生々しく甦る。 あれもまた震災後の東北の姿を写した作品群だった。3.11にかんする情報をほとんど持っていない私は、志賀理江子が写真で突きつけるものを言語に落とし込むことが一切できず、それがゆえにかえって肌に焼きついていた。
言葉では拙い表現しかできなかったが、こういう衝撃だった。 志賀が用いたように思われたその「人間にとっての春、人間の春、人間的春、春(人間の場合)」という視点は、リボーンアートフェスティバルの《Post humanism stress disorder》においてのびのびと拡張されて表現されていた。 実際の場所、実際の大地を用いて、荒々しく、力強く。
何か驚異的なものを表現できる人だ。そして私はそれを感受したい。 志賀理江子だけは観なければと思って、新幹線の時間をずらしてレンタカーに乗り込んだ。
私は志賀理江子が出展してくれていたから石巻市に行けた。 逃げはじめてから何年たったかわからないが、何年もたって、何年も何年も逃げて、逃げてそれで、ようやく今。
「それに心を割くことも、思考を費やすことも、今の自分の能力では難しい」と判断して、あのとき以来ずっと避け続けてきた震災のこと。
巷はあれほど震災にかんする情報と言説であふれかえっていたのに、私はそれらを一切無視することができた。拒絶することができた。 考えたくなければ、無視してしまえるのだ。誰がどんなに大きな声をあげていようとも。どんなに悲痛な叫びを発していようとも。
その黙殺の無慈悲と無知性を、私は身をもって知っている。 人は、耳をふさぎ心を閉ざし、考えるのをやめることができる。自分の意志で。とても身勝手な、とてもいいかげんな、自分の意志ひとつで。 それなりにものを考えることができるはずなのに、その考える力を、こうやって「排除」のために使えてしまう。こういうことがあって、私は自分の知性を一切信用しない。保身のために、自己都合で、この世界の姿をいくらでも捻じ曲げて受け取れるのだと、身をもって知っている。 そしてこれは、私だけではなくて、誰にでも起こりうることだと思っている。
アートツーリズムへの反省
小積エリアで偶然出会った女の子たちが口にした、「そっか、ここ、震災のとこかあ」という言葉が、猛烈な自己反省を呼んだ。 あのとき気づかなければ、私もまた、「そっか、ここ、震災のとこかあ」であった。いや、それすらなかった。「野生の名和晃平ちょっと見たいかもー」だったわけで、「なんで牡蠣が敷き詰めてあるの(笑)」だったわけだ。でもって、「わ、鹿思ったよりおっきい!夏空と海に映え♡」であり、「あー楽しかった、海と空とかっこいいアート♡」である。最悪すぎる。
アートが綺麗だったり美しかったり写真映えしたりするのは、鑑賞者を作品に引っ掛けるための手段であって、それ自体は目的ではない。 というか、そもそもアートは別に美しいものではない。衝撃的なものだ。グロテスクであったり、不気味だったり、異様だったりと、つい目を背けたくなるようなものであることの方がずっと多い。作品は違和であることを至上命題として造られ、為される。 日本において地域振興の手段として奨励されたアートフェスティバルは、より多くの旅行客を招く事業として成功をおさめた一方で、日本におけるアート鑑賞の倫理あるいは方法を毀損した。破壊し尽くしたと言ってもいい。
地域振興を謳う「善性にあふれた」(より正確には「善性にあふれることを強制されがちな」)アートフェスティバルに訪れる人々は、綺麗なものと美しいものと真剣な応援を期待して、旅行的に・観光的に・快いものであることを誂えられたツーリズムとして、その地に足を向ける。 あいちトリエンナーレもまた、そこに巻き込まれたように思える。アートの本来的な存在意義からして、『表現の不自由』展のコンセプトは快哉をもって迎え入れられるはずのものだった。しかしそれも「市民」によって「不快である」として却下された。 反射的・感情的に、かつ妙な正義感を確信したような態度でなされた《平和の少女像》への反発は、この国においてアート鑑賞の倫理が取り返しもつかないほど破壊され骨抜きにされてしまったことの現れだったのかもしれない。
*
《平和の少女像》を展示することにアレルギー反応を起こすように反発していた人々は、なぜあんなにも怒り狂っていたのたろうか。事件当初から今に至るまで、私にはその理由がわからないままだ。 しかし、アートの存在意義について問い、考え、曲がりなりにもその意義を肌身で感じたことがなかったとしたら、あるいは、人が表現することについて身を以て向き合った経験をもたずに生きたとしたら、私もまた確固たる理由をもって反発を表明したのかもしれない。 人間が信を置く先は本当にさまざまだ。 「わからない」に応えてくれて、話し合うことが叶うとすれば、《平和の少女像》が果たした役割はアートの本懐であると思う。
対話をよぶ装置として
今回のリボーンアートフェスティバルで、志賀理江子が震災から逃げていた私を動かしてくれたことは、特殊な偶然がいくつも重なって生じた、ごく個人的な出来事だった。 特殊で個人的な出来事ではあったが、アート作品を介して、誰にでも起こりうる出来事でもあると思う。
アートが対話をよぶ装置であることは、さまざまなレベルで機能する。 志賀理江子がその作品によって、震災と対峙することから逃げ、震災と対話することを拒否してきた私をようやく震災と向き合わせてくれたことも、その一例にかぞえられるだろう。
私たちが芸術作品を好むのは、それが自身との深い対話を導いてくれる、その気持ちよさがゆえではないだろうか。 それは、「綺麗」とか「かわいい」のような表層的な気持ちよさとはまったく異なる、潜水の心地よさ、暗闇を沈む心地よさ、輪郭から解放されてゆく心地よさではないだろうか。
感覚に訴えかけるアート作品に対峙して、表層的なところにとどまってしまっては、その作品の与えてくれるはずの快楽の本質的な部分を取り逃がしてしまう。そんなふうに終わってしまうことは、表現者にとっても、鑑賞者にとっても、作品にとっても、このうえなく悲しいことに違いない。 そして、それは往��にして起こりうる悲しい事態だ。考えることを拒絶すれば、人は一切考えずにいられてしまう。考えるのをやめることで、軽んじてはならないものを軽んじ��毀損し、破壊してしまうことだってできる。
その作品を場として、一体何が起こっているのか。その作品を場として、自分に一体何が起こるのか。 感じた先に進んで、考えて、考えて、考え抜いたところに新たな世界が広がる。そこにいる新たな自分に邂逅する。 その歓びをアートの存在意義とすることを、その存在への感謝とともに、私は現在の新たな私をもってごく個人的に表明したい。
おまけ 2014年に震災に乗り遅れたことについて書いた記事がありました。情けない限りです。 ☞窓から虹色の吐瀉物を投げ捨てた
(2019/08/14 17:14)
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アルコール依存症に苦しんだ過去から復活、フランス漫画界から高い評価を受ける高浜寛。今年は、手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞した。自分の仕事を「過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと」という。天草島の緑深い山あいの家で、話を聞いた。(取材・文:長瀬千雅/撮影:宮井正樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)
異色の作家の受賞
今年4月、『ニュクスの角灯(ランタン)』(リイド社、全6巻)で、第24回手塚治虫文化賞のマンガ大賞を受賞した。年間通じて最も優れたマンガ作品に贈られる賞で、最終候補作にはベストセラー作品『鬼滅の刃』も挙がっていた。
もともと「地味な作風」(本人談)で、高い画力と物語作りのセンスから玄人筋では評価が高かったものの、一般的な知名度が高かったわけではない。選考委員の一人で仏文学者の中条省平もこの作品を、「高浜寛という作家を、知る人ぞ知る異色の存在から、もっと大きなスケールの、普遍的な物語の面白さと感動とをあたえてくれるマンガ家へと脱皮させ」たと評した(2020年5月20日付「朝日新聞」夕刊より)。
「40歳をすぎて、私も中堅の自覚ができてきました。自分のことばかりではなく、全体のことを考えていく責任が出てきていると思います。その世代なりにあげていかなければいけない成果があるとも思いますし」
たかはま・かん/熊本県天草生まれ。筑波大学芸術専門学群卒。著書に『イエローバックス』『まり子パラード』(フレデ���ック・ボワレとの共著)、『泡日』『凪渡り――及びその他の短篇』『トゥー・エスプレッソ』『蝶のみちゆき』『SAD GiRL』『エマは星の夢を見る』『ニュクスの角灯』『愛人 ラマン』など。ほぼ全ての作品がフランス語訳され、イタリア、スペイン、ドイツでも多くの作品が出版されている。今月28日に、『扇島歳時記』第1巻が発売される
主な舞台は、19世紀末の長崎とパリ。西南戦争で親を亡くした美世は、「私なんか」が口癖で、自分の意見を言うことに慣れていない。長崎の輸入道具屋で働き始めた美世が店主の百年(ももとし)をはじめ、まわりの大人たちの導きで、人生を切り開いていく。随所に、豊かな線で表現される当時の衣装や習俗が挿話として登場する。
しかしこれが単に美世の成長物語にとどまらないのは、百年の恋人、ジュディットの存在だ。パリの高級娼婦であるジュディットは社交界の花形だが、生活は荒れていて、アルコールに依存している。物語の終盤、美世との出会いによって、ジュディットが「光の方へ」歩き出す勇気を得るシーンが美しい。
作家性が強く、扱う題材も地味だった初期作品群と比べて、この作品は娯楽としてのマンガの楽しさにあふれている。
「エンターテインメントですよね。みんなに『少女マンガだ』って言われます。ラストのドタバタも少女マンガらしい。若い人を励ますような気持ちで描いたかな」
その気持ちの裏側には、アルコール依存に苦しんだ、若いころの経験がある。
「若いころは家族と離れて、北関東の学園都市で生活していたので、問題を相談できるような年上の女性が少なくて、健康なほうにいけなかった。幸いにしてサポートしてくれる人たちと出会うことができたし、考え方も成熟してきて、かつての自分がなぜ生きづらかったのかがいまはわかる。そうすると、同じように苦しんでる若い人たちのことが見えるようになってきて」
フランス漫画界との出会い
もともとマンガ家になろうとは思っていなかった。大学2年生のとき、飲み会でさらっと描いたマンガを面白がった友人が、あるメジャー青年誌に持ち込んだ。
「私の知らない間に見せにいく約束を取り付けてきた。面白いけど上質紙に描いてあるから、ケント紙に描き直して持ってきませんかと言ってもらって、持っていったら賞を取ったんですよね」
担当編集者がつき、デビューを目指して準備を始めるが、途中で編集長が代わり、作品が採用されなくなった。
「私は、老人を主人公にしたりして、なにげない日常のストーリーを描いていた。でも、編集部から売れるものを描い��ほうがいいと言われて。売れるものってなんだって聞いたら、若者が主人公でとか、恋愛要素があったりとか、ひと夏の成長物語だったりとか。当時はそういうものにあまり興味がなかったんですよね」
「対極のところに行ってみよう」と、青年誌「ガロ」に持ち込むと一発で賞を取り、掲載が決まった。大学卒業目前の冬のことだ。
マンガアシスタントの経験はない。そのころ、フランス人マンガ家フレデリック・ボワレが「ヌーベルまんが」を提唱し、バンドデシネ(フランス語圏のコミック)とマンガの中間のような作品を発表していた。高浜は、日本に住んでいたボワレにメールを送った。
「『ヌーベルまんが』は、『日常を描く』という活動だったんですよね。SFとか、非日常的なものではなく。そのときの私はそうだそうだと思って、私もマンガ家だし、チャンスがあったら誘ってくださいって言ったんです。そうしたら、何か一緒にやりませんかという話になって」
「海外でも評価されるマンガ家」と形容されることがあるが、より正確には、日本とフランスのハイブリッド。フランス語圏ではバンドデシネ作家として受け入れられている
高浜は、ボワレとの合作『まり子パラード』を描き上げる。そして、出版社を探すためにフランスの国際的なマンガマーケットであるアングレーム国際マンガ祭に持ち込んだ。大手出版社カステルマンが興味を持ち、ボワレとの共著だけでなく、高浜自身に描くチャンスを与えてくれた。
「あとはずっとカステルマンで描いてて、気心の知れた人が別の出版社に移籍するとそっちでもまた仕事をくれるようになって。常に何か仕事をしているような感じになりました」
アルコール依存症に
若くて才能のある作家の登場にフランスのメディアも注目し、渡仏するたびにいくつもの雑誌やテレビの取材を受けた。その中には、ファッション誌の「ELLE」など、高浜自身が憧れて読んでいたような有名な雑誌もあった。
「がんばったらその先にあるような世界がいきなりやってきて、しかも思っていたのと違ったから、パニックになってしまったんですよね。長旅で疲れた頭で、同じような質問に何度も答えて。知らない人ばかりで気も使うし、通訳をはさんで何日も何日も、テレビやって雑誌やってラジオやって。そのたびにお酒を飲んでた。そうしないとこなせなくて」
日本でも、「ガロ」で描いた短編が高く評価された。「ガロ」が休刊したあとは、「マンガ・エロティクス・エフ」などのオルタナティブなマンガ雑誌で連載を持ち、締め切りに追われて徹夜が続く。
お酒を手放せなくなっていたころ、あるアート誌の取材を受けた。いつものように徹夜明けで、アルコールをキメてから出かけていった。掲載号が発売されたとき、自分の写真にショックを受けた。
「1ページまるまるの写真は、すごいむくんだ顔をしてて。適当に着ていった服の胸元がけっこう深く開いてて、こんな服着ていかなきゃよかったとか、いろいろ思ったりしましたね。別のときは、頭がハゲかけたこともあったし。20代の女性としては『これは厳しい』と思いました(笑)」
不眠にも悩まされ、睡眠導入剤を服用するようになった。だるくてだるくて、起き上がれない。1日に2時間ぐらい仕事ができればいいほうで、連載が続けられなくなった。
「まだ準備ができていないうちに、過大な評価をされてしまったんですね。少女時代が終わって、女性としての人生が始まったばかりのころに」
崩れていく自分を観察
お酒と薬をやめることができたのは、32〜33歳のときだ。何年も深い底をただよう間には、発作的に薬を過剰摂取して救急車で運ばれ、一命を取り留めたこともあった。いっぺんにやめられたわけではなく、当初は薬をやめてもお酒はやめられず、むしろ増えたときもあった。
「最終的にはちょっと幻覚みたいなのを見たときに、もうこれは浮上しなければまずいと思って。そこからパタッとやめて上がってきたんですけど」
自立への第一歩として、親元を離れ、熊本市内に家賃1万2000円の激安アパートを借りた。自助グループと病院に通い、うなぎ屋でアルバイトをしながら、『四谷区花園町』という作品を描き上げた。
2013年に『四谷区花園町』を刊行。翌年に『蝶のみちゆき』を描き上げ、さらに翌年、『ニュクスの角灯』の連載をスタートさせた
「(アルコール依存から回復する前とあとでは)180度変わりましたね。その前は一人では立てない状態、そのあとは一人でちゃんと立ってる状態。以前は、何かに依存しないと立てなかった」
高浜は、「お酒を飲んだ自分」を観察したことがある。
水底で暮らした長い年月を経て、断酒に成功したのが2011年ごろ。それからお酒は一滴も口にしていなかったが、2016年の熊本地震に遭い、古いアパートは全壊。翌月に住む場所は見つかったが、しばらくして半年ほどスリップ(再飲酒)した。
「どんなふうに崩れていくのかを、興味を持って観察している自分がいたんですよね。最初の1、2カ月は仕事ができていたけど、3カ月、4カ月と経つうちに、長編の構成を頭の中でキープすることが困難になってくるんです。パースがゆがんで絵もうまく描けなくなる」
『愛人 ラマン』執筆へ
スリップから抜け出したころ、大きな仕事が高浜のもとに舞い込んできた。フランスの作家マルグリット・デュラスの自伝的小説『愛人 ラマン』の漫画化だった。
旧知のフランス人のエージェントから「小説の漫画化をやってみない?」と提案された。「『愛人 ラマン』はどうかという話になったとき、私も『それしかないよね』という感じだったんですよね」
デュラスの『愛人 ラマン』が日本でベストセラーになったのは、1992年のことだ。ジェーン・マーチ、レオン・カーフェイの主演で映画化もされている。デュラスが仏領インドシナ(現在のベトナム)で過ごした少女時代を振り返る。貧困家庭の白人の少女と裕福な��国人青年との性愛は、センセーショナルだと話題を呼んだ。
デュラスは1996年に亡くなったが、フランス文学に詳しい野村昌代(アンスティチュ・フランセ東京メディアテーク主任)によれば、「フランスでは現在も評価が高く、その恐るべき才能、作品のクオリティーの高さから、よく読まれている」という。
高浜は高校生のころ、デュラスにはまってよく読んでいた。
「(小説の)少女とあまり変わらない年齢で読んだんですね。面白かった。『自分たちのことが書かれている』と思って読んでいました。『少女が年をとるとこうなるんだ』というのを見せられたような気がして。なんとなく自分もその呪いにかかったような感じがしました」
40歳をすぎて読み返すと、違う感想を持った。
「あの少女のことを、自分よりも経験があって、大人の世界を知っていて、しらけた感じで生きてるんだと思ってたけど、ほんとうは絶望的な状況に置かれていて、そのせいであんなにはすっぱでつっぱってたんだってことが、いまわかったという感じでしたね。当時はよくわからなかった」
高浜版『愛人 ラマン』は今年1月にフランスで発売された。翌月日本語版を刊行。高浜が描く少女はやせていて目の下にクマがあり、とても美少女には見えない。映画でジェーン・マーチが演じた、未成熟な色気がただよう少女ともまた違うキャラクターだ。最初から最後まで、登場人物のほとんど誰も笑顔を見せず、うだるような暑さの中で、行き場のない思いと苛立ちが沈殿していくさまが、オールカラーの独特な色彩で表現されていく。
「つらい状況って、どうやって耐えるか、どのくらい耐えればいいのかがわからないから、怖い。人が亡くなったときは心の痛みはこれぐらい続くんだ、でも耐えていれば絶対に薄れていくんだとか、そういうことを教えてくれる人を見つけるのが難しい。昔だったら、母親がいて父親がいて、祖父母がいて、両親が機能しなくてもおじさんおばさんとか、いろんな大人が身近にいたからなんとかなったけれども、いまはそういう環境のほうが珍しくなっている」
「単純に希望を持つことって大きいですよね。で、希望を持ってる人のそばにいるっていうことも大きいかもしれない。誰か牽引力のある人がそばにいれば、その人に引っ張られてみんないいほうにいくってこともあるだろうし。でも都会ではなかなかそうなりにくい気がします」
山あいの仙人のような暮らし
昨年、仕事場を熊本市内から天草に移した。山あいの一軒家に夫と二人で住み、マンガを描く。犬2匹と猫3匹、山羊2匹を飼い、井戸の水を飲む。
「(コロナの影響は)ここにいる分にはあまり感じないですね。もともと週に1、2回、町へ買い物に出るくらいで。DVDを借りに行ったりはしますけど」
「山に住まないといけない���と思った理由をこんなふうに話す。
「このあたりは植林された山じゃなくて、原生林が残っているんです。過去に健康を害して仕事ができなくなった経験があり、それを元ど���りに修復するのにとても時間がかかったので、最初から害になる要素の少ないところで暮らしたいと思いました。それに、町にいると絶対必要なわけではない、細かな予定が入りすぎてしまう。仙人みたいな人は必ず山に住むでしょ?」
月の半分は、「月刊コミック乱」と「トーチweb」に連載中の新作「扇島歳時記」の執筆に集中する。主に使うのはシャープペンシル。基本的にペン入れはせず、黒鉛の芯の硬軟を自在に操って、ニュアンスに富んだ線を描く。
連載中の「扇島歳時記」の舞台は、『ニュクスの角灯』から10年ほどさかのぼった長崎。共通する人物も登場する
もともと、描きたいことはどんどん浮かぶほうだ。アルコール依存から回復してからは、生まれ故郷の天草と、自身のルーツがある長崎を、歴史をさかのぼって丹念に取材している。
「扇島歳時記」のために長崎・出島の詳細な見取り図を作成し、『ニュクスの角灯』では大浦慶という実在した女性実業家を登場させるなど、フィクションの中に綿密に取材したノンフィクションを巧みに織り交ぜる。
「最近はもう、マンガ家といっても歴史マンガ家なので。歴史マンガ家のすることは、過去に生きていた名もない人たちの足跡を掘り起こして、その人を生かすこと。歴史を調べていると、向こうから飛び込んでくるんです。人知れず亡くなった人とかが、描いてほしいとメッセージを送っているのかもしれない」
「扇島歳時記」のノートの1ページ。絵や演出のうまさに定評があるが、本人は「取材してシナリオをつくる作業が好き。絵を描くのは2番目」と言う
次回作の構想を楽しそうに話す姿を見ていると、描けない時期があったとは思えない。「描けないことは苦しかったですか」と聞くと、少し考えて、「待たせていることがしんどかったですね」と答えた。カステルマン社が「描き下ろしで」と依頼してくれた中編は、描き上げるのに5年かかった。
どの時代を描いていても、高浜の作品には「いま」がにじむ。『愛人 ラマン』で描かれた少女の絶望は「いまもあまり変わらないと思う」と言う。
「20年前よりも状況が悪くなっているかもしれません。どこか依存症みたいな子がたくさんいますよね。ツイッターを見ていると、いろんな人の不安定な情緒がぽんぽんぽんぽん目に入ってくる」
ただ、そこで感受するつらさや病みを、そのまま作品にしようとは思わない。
「そういうのを描けばいまの人たちの共感を得られるのかもしれないけれども、私はそれが必ずしも良いことだとは思わないんです。それより、過去に生きていた人たちがどういうふうに健康的な暮らしをしていたかとか、どういう考え方をしていたかとか、そういうことを描いたほうが、読んでくれた人が本当の意味で前向きになれるんじゃないかと思っています」
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somewhere not here TOKYO MOON 10th Anniversary Exhibition
BRICK & MORTAR 中目黒店では8月1日(土)~8月12日(水)の期間、DJ・選曲家・ブロードキャスター、音楽プロデューサーの松浦俊夫の音楽選曲活動を支援するプロジェクトと連動する形で、彼が手掛けるInterFM897の人気ラジオ番組「TOKYO MOON」の10周年を祝うアートのグループ展「somewhere not here」を開催いたします。
長引くコロナ禍によりイベント、フェスティバルの延期や中止、ショップ、飲食店やクラブ、バーなどの営業やパーティーの自粛・集客激減などによりDJ・選曲活動に大きな影響を受け、活動の継続が危ぶまれる状況が続いている松浦が、自身の手掛けるラジオ番組InterFM897「TOKYO MOON」と連動した購入型クラウドファンディングをCAMPFIRE内にて実施しております。(終了予定は2020年8月30日(日) *プロジェクトはスタートから2週間でSUCSESSしました。現在も継続中です。 ) https://camp-fire.jp/projects/view/306871
本展では、クラウドファンディングのリターンであるコラボTシャツ制作をサポートしている松浦と縁が深いイギリスのアーティスト集団Tomatoのサイモン・テイラーやロンドン在住のドイツ人フォトグラファー、ノーバート・ショルナー、またNYで活躍する日本人フォトグラファー TAKAY、そしてアーティスト村上周の4名に加え、伊藤桂司、石浦克、悳祐介、長谷川踏太、丸山新らがTOKYO MOONをそれぞれのアートで表現した作品を発表いたします。また、合わせてクラウドファンディングのリターンのプロダクトの展示も行います。 会場では作品、プロダクトの展示のみとなり、販売(決済)は全てCAMPFIRE内にて行います。 なお、会期中営業終了後に会場にて、作家による作品紹介や松浦によるDJを無観客インスタライブにて配信いたします。
■開催概要 タイトル:TOKYO MOON 10th Anniversary Exhibition somewhere not here 会期 :2020年8月1日(土)~8月12日(水) 12:00~19:00 会場 :BRICK & MORTAR 中目黒店 〒153-0061 東京都目黒区中目黒1-4-4 TEL :03-6303-3300 Instagram @brickandmortar_nakameguro ※オープニングレセプションの予定はございません。
◆来場時のお願い ・マスクの着用、入店時の検温、ご入店時の手指の消毒にご協力をお願いいたします。 ・混雑時の入場制限へのご協力をお願いいたします。 ・体調がすぐれない場合のご来場の自粛をお願いいたします。 ・ソーシャルディスタンスへご協力をお願いいたします。 ・店舗では消毒液の設置、また、店内換気および定期的な消毒作業の実施、またスタッフはマスクの着用、手洗いうがいを徹底いたします。
<インスタライブ> ※無観客配信(無料)となります。 配信アカウント Instagram @toshiomatsuura
①2020年8月1日(土)19:00-20:00 オープニング記念 参加アーティストとのトークセッション 出演者:松浦俊夫、TAKAY、村上周、伊藤桂司、石浦克、長谷川踏太、丸山新
②2020年8月9日(日) 19:00-20:00 松浦俊夫(DJ) x 石浦克(VJ) サウンド&ヴィジュアルセッション
<出品アーティスト>
■Simon Taylor (サイモン・テイラー) 1965年イギリス生まれ。Bath Academy of Art & London College of Printingにてグラフィックデザインを学ぶ。Tomato the celebrated art & design collectiveの創設メンバー。 1990年より国際的な活動を開始し、ウェアのデザインや「Johnny Conquest(ジョニー・コンクエスト)」名義での音楽プロデュースやTVコマーシャルのディレクティング、Danny Boyle(ダニー・ボイル)やMichael Caton-Jones(マイケル・ケイトン=ジョーンズ)といった映画監督等の作品のタイトルシークエンスなどを手掛けた。そのほか、世界的に名高いバンドであるUnderworld(アンダーワールド)のミュージックビデオやビジュアルプロジェクトをディレクション、2004 Barcelona Expo on Cultural identity、the 2008 International Expo in Zaragoza, Spain等への執筆やフィルムプロジェクトのディレクションを行っている。最近ではTomatoの活動としてLondon Olympic parksへのインスタレーションをデザインした。 一方で定期的にワークショップやレクチャーの依頼を受け、活動拠点であるロンドンはもとよりイスタンブールやロッテルダムなどでのフェスティバルやイベントで講義や講習を行っている。また彼はウェアブランドのWORK NOT WORKのディレクションを行っている。 http://www.tomato.co.uk
■Norbert Schoerner (ノーバート・ショルナー) フォトグラファー/フィルムメーカー。ドイツ生まれ、1989 年からロンドンを拠点に活動。「The Face」、「New York Times」、「Foam」などの雑誌や、COMME des GARÇONS、PRADA などの広告キャンペーン を手がける。これまでに 3 冊の写真集「The Order of Things」(02’ / Phaidon 刊)、「Third Life」(12’ / Violette Editions) 、アートディレクターSteve Nakamuraとの共作「Nearly Eternal」(17’ / Chance Publishing 刊)を出版している。 http://www.dayfornight.tv/
■TAKAY 1973年生まれ。 1996年渡英、イギリスのファッション誌「i-D」でキャリアをスタート。現在はニューヨークを拠点に「Harper's Bazaar Germany」「L'UomoVogue」といったファッション誌から「ArmaniJeans」「Y-3」の広告など、ワールドワイドに活躍。主な出展歴として、2001年にヴィクトリア&アルバート博物館で開催された展覧会の拡大版「Bravehearts: Men in Skirts」(メトロポリタン美術館、ニューヨーク、2003年)やシャネルの歴史とクリエイティブな側面に焦点をあてた作品を出品した「CULTURE CHANEL」(上海当代芸術館、上海、2011年)、2011年から2016年にかけて世界中の12都市を巡回した「The Fashion World of Jean Paul Gaultier: From the Sidewalk to the Catwalk」、「PUNK: Chaos to Couture」(メトロポリタン美術館、ニューヨーク、2013年)等多数。2016年に『ECHOS』を出版。 2020年、TAKAYが尊敬する⽇本⼈デザイナー・ヨウジヤマモトの創造��とそれを纏った様々な被写体を克明に写し出す作品を収録した『Fluence: The Continuance of Yohji Yamamoto』を出版したばかり。 https://takayphotography.com/
■村上 周 (Amane Murakami) 1975年生まれ。神戸芸術工科大学在学時にシルクスクリーンと出会い、イラストレーション、グラフィックデザインを学ぶ。 同大卒業後、創作活動を始め、またデザイン事務所「AMDR」を立ち上げ、アートディレクターとして活動。 後に村上美術株式会社を設立し、同社オリジナルブランド「amabro」の監修を手がける。 また、ライフスタイルセレクトショップ「BRICK & MORTAR」とベビーギフトセレクトショップ「GIVING STORE」を運営。 http://www.murakamiart.jp instagramアカウント @amane_murakami
■伊藤 桂司 (Keiji Ito) UFG(Unidentified Flying Graphics)Inc. 代表 京都芸術大学教授 1958年、東京生まれ。グラフィックワーク、アートディレクションを中心に活動。2001年東京ADC賞受賞。キリンジ、テイ・トウワ、スチャダラパー、高野寛、ohana、ボニー・ピンク、愛知万博EXPO2005世界公式ポスター、イギリスのクラヴェンデール、SoftBank キャンペーン、KEIJI ITO × graniph Collaboration 他多数のヴィジュアルを手掛ける。個展多数。数々の国内外の展示にも参加。作品集に『LA SUPER GRANDE』(ERECT LAB.)、『DAYS OF PAST FUTURE』(Alex Besikianとの共著)他多数。
■石浦 克 (Masaru Ishiura) グラフィックユニットTGBdesign.の一員として、90年代よりファッション、音楽、アートなど 東京発のカルチャーに携わり、その後プロダクトデザインや自動車、ロボットなど様々 な分野に活動の幅を広げている。近年個人のライフワークとしいてART作品をミラノ万博や 展覧会などで発表している。
■悳 祐介 (Yusuke Isao) 1983年生まれ 武蔵野美術大学 映像学科卒業 フリーランスで映像制作を行っている。 心のバランスを取る為、絵を描くようになりライフワークとなる。 様々な太さのペンを使って点描する手法が特徴。 昔の個人写真から発想を得て架空の人物を描くシリーズと無意識に描いたラインから形を見つけ点で質感をつけていく抽象的なシリーズがある。
■長谷川 踏太(Tota Hasegawa) 1972年東京生まれ。1997年英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA)修士課程修了。その後、ソニー株式会社デザインセンター、ソニーCSLインタラクションラボ勤務などを経て、2000年ロンドンに本拠を置くクリエイティブ集団tomatoに所属。広告やブランディング、デザインだけでなくプロダクト開発、教育、アート、文筆業、創作落語まで、そのアウトプットは多岐にわたる。2011年から2019年9月までワイデン+ケネディトウキョウのエグゼクティブ・クリエイティブ・ディレクターを務める。2020年same galleryを立ち上げる。
■丸山 新(Arata Maruyama) &Form 代表 Benetton主催によるFabrica招待生を経て、渡英。Central Saint Martins美術大学コミュニケーションデザイン科にて文学士号を取得。英国にてPhaidonの装本等で活躍するハンズ・ラハイトに師事後、南スイスへ移住。市立美術館のアートディレクターとして国内外にて数々の展覧会デザインを手掛ける。州立大学Supsiのデザインコラボレーターを経て2012年帰国、&Formを設立し多岐に渡るデザインプロジェクトを手がける。グローバルデザインプラットフォーム「Form」主宰。 www.andform.jp www.formtokyo.com
松浦俊夫 TOSHIO MATSUURA 1990 年、 United Future Organization (U.F.O.) を結成。 5 作のフルアルバムを世界 32 ヶ国で発表し高い評価を得る。 2002 年のソロ転向後も国内外のクラブやフェスティバルで DJ として活躍。 またイベントのプロデュースやファッション・ブランドなどの音楽監修を手掛ける 。 2013 年、現在進行形のジャズを発信するプロジェクト HEX を始動させ、 Blue Note Records からアルバム『 HEX 』をリリース。 2018 年、イギリスの若手ミュージシャンらをフィーチャーした新プロジェクト、 TOSHIO MATSUURA GROUP のアルバムをワールドワイド・リリース。 InterFM897 “TOKYO MOON" (毎週日曜 17:00 ) Gilles Peterson’s Worldwide FM ”WW TOKYO” (第 1&3 月曜 19:00) 好評オンエア中 。 http://www.toshiomatsuura.com https://www.mixcloud.com/toshiomatsuura
TOKYO MOON 2010年1月にスタートし、現在までのべ500回以上に渡りオンエアしてきた好奇心旺盛な大人のための音楽番組。 『ふと耳にした音楽がその人の人生を大きく変えてしまうかもしれない…。』 日本のクラブカルチャー創世記の礎を築き、今もなお変わらない速さで音楽シーンを揺さぶるDJ・ブロードキャスター、松浦俊夫。日本発でありながら、世界水準で瞬間瞬間を切り取る、類まれなる才能に恵まれた彼が、InterFM897から送るプログラム。
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Landscape × Lines
久しぶりに企画展やります。 と言ってもちょっと緊急なので準備不足な部分だらけかもしれませんが。
Landscape×Lines 青原恒沙子、児玉香織 2020/6/23(火)-28(日) 11:00-20:00(最終日17:00) 場所:gallery G 〒730-0012 広島市中区上八丁堀4-1公開空地内 tel: 082-211-3260 fax: 082-211-3261
広島を拠点に活動を続ける青原恒沙子と児玉香織による初の二人展を開催します。
青原恒沙子はこれまで風景や光といったモチーフを使い、 残像のようにも見える、時間や空間性が揺らぐような作品を発表しています。 今回の展示では風景を飛び越えて微生物から星や風といった森羅万象も取り込んだ新作も披露します。
児玉香織は、方眼紙に黒いペンで精緻な線画を描く作品で県内外でも 注目される作家ですが、近年では青く塗られたキャンバスに 白の線画を描くシリーズも手掛けています。 いずれも描くのは盛り付けられた料理であったり、野菜や乾物など の食品がモチーフですが、モノトーンで執拗なまでに重ねられる線は モチーフ本来のスケールを遥かに超えるような大きさ、或いは 逆に肉眼では見えないほどの小さな世界にも感じられます。
青原が削ぎ落としていくのは対象そのものの具体性ですが、 児玉は色彩を排して描くという真逆の方法です。
それぞれの線や形に何が見えてくるのかを感じ取っていただければ幸いです。
企画:92project.
平石もも(ex.横川創苑)
【青原恒沙子/Hisako AOHARA】
1993 広島に生まれる
2013-2014 ドイツ連邦共和国 ハノーバー専科大学にて交換留学生となる
2017 広島市立大学 芸術学研究科 造形芸術専攻 博士前期課程 修了
個展
2017 「Camera Obscura」ギャラリー交差611、広島
2016 「It’s already far away.」7Tgallery、大邱、韓国
2016 「遠い風景」galleryG、広島
グループ展
2018 「Media, Human, Landcape」Daegu Art Factory、大邱、韓国
2018 「☁︎と/と◯」広島芸術センター、広島
2018 「SWING SPRING」ギャラリー桜林、茨城
2017「虹」広島芸術センター、広島
2017「Life&Art 光 身近に潜む科学とアート」東広島美術館、広島
2015 「-theōrein-」広島芸術センター、広島
2014「PUNKT」ハノーファー、ドイツ
2014 「How to look at it」、ハノーファー、ドイツ
アートフェア
2019 「3331 ART FAIR」アーツ千代田、東京
収蔵
常陸国出雲大社
受賞、助成
2016 公益財団法人佐藤国際文化育英財団 平成 28 年度 第 26 期奨学生
【児玉香織/Kaori KODAMA】
1986 広島県に生まれる
2009 尾道大学芸術文化学部美術学科卒業
広島県在住
個展
2020 「特別限定展示」横川創苑、広島
2020 「話す会#4」Creative lab node Yokogawa、広島
2016 「方眼紙と線」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
2015 「方眼紙と線」アートギャラリーミヤウチ、広島
2012 「方眼���と線」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
2009 「立体/半立体」ギャラリーcassaforte、尾道
2008 「画用紙と線」ギャラリーcassaforte、尾道
グループ展
2020 「Still Life in Mobile Homes」 ホテルナゴヤキャッスル、名古屋
2019 「Femmes Fatales III」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
2018 「Radi-um: Lounge Re-mix」 スパイラル、東京
2018 「In Focus 9」 尾道市立大学美術館、尾道
2017 「常設展 2017-Ⅱ」アートギャラリーミヤウチ、広島
2016 「俊傑~巧術其之柒[しゅんけつ~こうじゅつそのしち]」ギャラリー点、金沢
2016 「半 肆半」スパイラル、東京
2015 「濫觴~巧術其之陸[らんしょう~こうじゅつそのろく]」ギャラリー点、金沢
2014 「巧術・デパート・リミックス・其之貳」新宿高島屋、東京
2014 「縹渺~巧術其之伍」スパイラル、東京
2014 「700nm」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
2013 「Christmas Show 2013」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
2013 「巧術・デパート・リミックス・其之壱」新宿高島屋、東京
2013 「韜晦~巧術其之肆」スパイラル、東京
2013 「巧術3.50 KO-JUTSU3.50」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
2012 「蠱惑~巧術其之参」スパイラル、東京
2011 「児玉香織・澤柳英行 展」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
2011 「手練~巧術其之貳」スパイラル、東京
2011 「掌10」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
2009 「メークリヒカイト II」ラディウム-レントゲンヴェルケ、東京
アートフェア
レントゲンヴェルケより出品
2020 「ART NAGOYA 2020」ホテルナゴヤキャッスル、名古屋
2019 「ART NAGOYA 2019」ホテルナゴヤキャッスル、名古屋
2018 「アート大阪 2018」ホテルグランヴィア大阪、大阪
2016 「ART TAIPEI 2016」台北世界貿易センター、台北
2015 「ART FAIR ASIA / FUKUOKA 2015」ホテルオークラ福岡、福岡
2014 「アートフェア東京 2014」東京国際フォーラム、東京
2013 「神戸アートマルシェ 2013」神戸メリケンパークオリエンタルホテル、神戸
2012 「アート大阪 2012」ホテルグランヴィア大阪、大阪
2011 「アート大阪 2011」ホテルグランヴィア大阪、大阪
2011 「神戸アートマルシェ 2011」神戸メリケンパークオリエンタルホテル、神戸
2011 「行商 ~ギャラリー・サーカス」スパイラル、東京
2011 「ART HK 2010」香港コンベンション・アンド・エキシビション・センター、香港
2010 「ART HK 2010」香港コンベンション・アンド・エキシビション・センター、香港
収蔵
高橋コレクション
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Photo
NOW”ONE”SALE
LIXTICK PAPER WALLET – FACE by MASAGON
アーティスト MASAGON によるキャンバス作品を基に制作されたGARAから進化を遂げたFACEシリーズ。
MASAGONのトレードマークでもあるPIKAPIKAのコインケースがセットとなります。
・耐久性・耐水性に優れた特殊な素材を使った財布です。 ・バリエーションも豊富で、気分に合わせてセレクトできます。 ・普段使いに、アウトドア・レジャー・旅行や、第二の財布としても使えます。 ・収納 : カード用ポケット×4 (計約18枚) / お札用ポケット×2 (計約20枚) ・サイズ : 102mm×90mm×3mm (二つ折り時) ・重量 : 11g
2Large pocket for Cash and Receipts 2Credit card pocket that expand to hold lots of cards 2Quick access business card pocket
Lixtick Paper Wallet (ペーパーウォレット)はデュポン社の開発した画期的な特殊紙材を使った財布です。耐久性に優れ、突き刺しに強く、角ばった物や尖った物を入れても破損しにくく穴を開けても強度が落ちないので簡単に破れることもありません。また耐水性にも優れているため、ポケットに入れて汗をかいたり、テーブルの上においていてドリンクをこぼしたり、誤って水の中に落としてしまっても大丈夫です。収納においてもカードやお札などを入���る量に合わせて厚みが変化するので、コンパクトなのに十分な収納力もあります。ついつい増えてしまいがちなポイントカードも必要な時に取り出せるようにしまっておけます。普段使いはもちろん、第2の財布として旅行やアウトドアにもお薦めです。ペンやマジックでお友達へのプレゼントの寄せ書きや、自分だけのオンリーワンカスタムに挑戦したり、気分に合わせてお楽しみいただけます。リサイクル可能で環境にも優しい財布です。
MADE IN JAPAN
《MASAGON》
“ HELLO!! MYNAME IS MASAGON ”…. スプレー缶とビーズ、そしてビールを手に世界中のアート&ファッションシーンに“ポップ”をボムし続ける。グラフィティの手法をベースとし、洋服、カンバス、ときにはカラーコーンまでが彼のターゲットとなる。ユーモアの中にシニカルを併せ持つその作品と活動は「FACE」、「VOGUE」や「SHOW STUDIO」、「UKADAPTA」など様々なメディアでも取り上げられ、 近年は友人でもあるアーティストのMARK JENKINSとの共同制作なども精力的に行う。2010年の本年度は、雑誌“IN/SECTS magazine”のサポートによる個展「100bears living in my head」を開 催、アパレル大手の「and A」からの依頼を受け商品デザインとアートピースの製作、MARK JENKINSがキュレートするフランスのアートフェス「lesgrandestraversees」に 日本人としてただ一人参加するなど、国内外問わず活動の場を拡大。そんな彼を一言で言い表すなら、アーティスト?デザイナー?!いいや“HELLO!!MYNAME IS MASAGON”。
He has bombed “POP-graffiti” to the fashion & art scene in the world by beading and spray. He use clothes,canvas and construction cone instead of graffiti-wall. His works are not only humor but also cynical.Those are introduced by 「FACE」,「VOGUE」,「SHOWSTUDIO」,「UKADAPTA」and so many media.Recently,he collaborates with his friend’s MARK JENKINS(ARTIST).This year,he already had some big projects.He had a solo-exhibition that titled 「100bears living in my head」supported by “IN/SECTS magazine”,he designed some marchandising for Japanese famous fashion store “andA” and then he was curated by MARK JENKINS for French Art Festival「lesgrandestraversees」.It’s difficult to express him at a word.He is artist,fashion designer?!I think,it’s best words for him.”HELLO!!MY NAME IS MASAGON”.
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BIRDY: THE MAKING OF THE FILM, EGG BY EGG.
私は1978年にウィリアム・ウォートンの小説のギャリー校正刷りをエージェントから送られてきたのですが、そのときはいつものようにこう言っていました。「急いで行動しないと、本は選択されません。」すぐに私たちからではなく、そうなってしまいました。
次にこのプロジェクトに出会ったのは1983年のことで、私はまだサバティカルと呼ばれる派手な催しを楽しんでいた。基本的には、『フェイム』、『ピンク・フロイド・ザ・ウォール』、『シュート・ザ・ムーン』を連続して撮影するのをやめて、一年間休むことにした。1978年の話題を集めた小説『バーディー』は、1983年にやや冷め、A&Mレコードの映画部門がこのオプションを選んだ。彼らはレコード会社なので、彼らの好みはちょっと変わっているのではないかといつも思っていたし、メインストリームの映画会社は、CMのストレートジャケットにずっとボタンを留めていたが、その中にはなかったことを見ていたのかもしれない。この脚本の執筆は、ロサンゼルス在住の2人の脚本家、サンディ・クルップ��とジャック・ベア氏に依頼されていた。彼らの脚本は1983年の初めに私に送られ、私は彼らのやったことがすぐに気に入った。彼らはバーディーの頭の中の内面化を最小限に抑え、過去と現在を巧みに織り交ぜた。この本の「一人」統合失調症は映画のような物語を容易にするために明確に定義されていたのでこの物語は明らかに少年同士の友情であった。彼らはまた、この物語が私たちの時代により適したものになるように話を進め、今では第二次世界大戦よりもベトナムの恐怖に心を寄せている。
偶然にも、私は新しく作られた 「メジャー」 スタジオであるTri-Star Picturesと、彼らの設立間もない会社と映画制作の可能性について話をし、彼らがそのプロジェクトに参加することに同意したので、私はサンディとジャックと脚本の仕事をするために、ロサンゼルスに正式に出かけた。脚本家たちは、脚本も書いている監督をいつも疑っているが、脚本を作りたい映画の近くに引っ張ったり、伸ばしたり、ジャグしたりすると、このコラボレーションは友好的で実り多いものだった。
論理的には、映画はさまざまな方向に進んだ。この本を読んでいると、フィラデルフィア市庁舎の屋上にあるビリー・ペンの銅像から3000マイル離れた、私の育ったノース・ロンドンの労働者階級の階段を連想した。当初、私はオークランドの荒れた地域で撮影することを考えていたが、その本のフィラデルフィアを一度訪れたことで、それが独特であること、それがワートンの物語により真実をもたらすであろうことを確信した。荒れ果てた家の列や、かつては美しい都市に散らばった1エーカーの荒廃した都市の列は、私たちにはひねくれた誘惑であった。誰もが空高く舞い上がることを切望する絶望の背景である。
最近のほとんどの米国の都市と同様に、市長室にはハリウッドのセルロイド資金を巻き込むために、表向きは撮影を容易にするための 「映画部門」 があった。市庁舎の人たちは皆、非常に協力的でしたが、実際のところ、フィラデルフィアの通りの現実と戦う手助けをすることには、ほとんど効果がありませんでした。私たちの脚本では24の異なる場所を指定しましたが、私たちの優先順位はBirdyの家とすぐ近くの環境を見つけることでした。最初の訪問で完璧に見えた何千もの空家や壊れた通りの中で、私たちの物語が必要としたバーディーの家、通り、裏庭、野球場の完璧な幾何学を私たちに与えてくれたものはなかった。
制作デザイナーのジェフリー・カークランドは街の地図をブロック単位で徐々に描き、私がキャスティングしていたニューヨークから週末に訪れる際の提案をしてくれました。数週間が過ぎたが、彼らがどんなに懸命に探しても、それは私たちが考えていた以上に難しいことだった。ほとんどの場合、下宿された家は不法占拠者に占拠されていた。誰も認めないようなホームレスの目に見えない軍隊であったが、それでも私たちが波型の鉄を越えて突撃すると、彼らの家を守る準備ができていた。「警察の方ですか。映画会社ですか。-自分たちで。」
幸運なことに、映画の半分は北カリフォルニアで撮影され、地元の人々が家と呼んだ瓦礫の中からフィルムセットを探してフィリーのぬかるみを歩き回っていた惨めな12月の日に、わずかな日差しを加えた。サンノゼのアグニュー精神病院が私たちの撮影の重要な部分を占め、 「シュートザムーン」 以来、この地域での撮影が快適になったので、この映画はサンフランシスコをベースにすることにしました。私は地元の技術者が好きで、ベイエリアが私たちの 「家から離れた家」 になっていた―そしてもっと実際的に言えば、地元の組合は私の英国の撮影監督、マイケル・セレジン、オペレーターのマイク・ロバーツ、編集者のジェリー・ハムブリングの輸入に応じてくれた。
Agnew's Hospitalでは、Midnight ExpressのSagmalVilar刑務所で行ったのとほぼ同じ方法で、既存の建築物を利用して適合させ、実際の建物の中にセットを構築しました。映画の大部分はバーディーの独房の中で撮影されたもので、カメラはこの部屋のすべての亀裂とタイルを探さなければならず、それはそれ自身の個性を持たなければならなかった:奇妙なバットレスとコーナーは、バーディーの静かな記憶のために集中するようになった。
カリフォルニア州北部では、ゴミ捨て場とガスタンクがある 「フィラデルフィア」 の場所も見つけた。また、カリフォルニアの中央渓谷にあるモデストのベトナム拠点も撮影する予定です。地域全体が浸水し、私が行った5回の訪問では地下水位が下がり、地点を特定することが困難になりました。撮影までには十分な時間があったが、これから数ヶ月は熱帯草を植えて栽培しなければならなかった。
フィラデルフィアに戻って、私たちはバーディーの家と裏庭を見つけ、通りの間のオープンエリアを即席の野球用ダイヤモンドと荒地に変える計画を立てた。狭い間仕切りのある家は、60年代初期のアイルランドとイタリアの共同体を私たちに与え、一方、もちろん30年前に設定されたウォートンの本で記述されていた地元の色の多くを保持するだろう。
40年間 「バーディハウス」 に住んでいた老婦人は、映画クルーが自分の家に降り立つという考えに同意しているようだったが、親族が弁護士を呼び、突然必要な二カ月分の家賃を提示したので、三度家を購入したことになる。彼らが要求していたものを支払う余裕がなかったので、代わりのものを探したが、取引が成立し、休暇中の高齢者をグルジアの姉に送り、彼女の家を借りた。
Birdyのバックロットは、当初計画されていたものよりもはるかに大きなアート・ディレクション・タスクだった。それは 「スカイカム」 と呼ばれた。
優れたカメラ技術者であるギャレット・ブラウンが考案した 「スチーディカム」 は、ほとんどの映画に標準装備されている。バランスとジャイロのシステムによって、操作者の腰に固定され、面倒な車輪の台車を必要とせずに完全に滑らかなトラッキングショットを達成することができる。Garrettはニューヨークの地下鉄で連続撮影をしていたことで有名だ。「スカイカム」 と呼ばれる彼の最新の発明品は、彼の最近のほとんどの年月と彼の現金のほとんどを消費しました。映画の中で、バーディーの想像力が飛び交う中で、私は彼の視点を示す必要があったので、このシステムはすぐに私にとって魅力的になった。これまで誰もこれを成し遂げたことがなく、私たちが最初になるはずだった。「私たちはモルモットです。」と私はアラン・マーシャルに言った。「モルモットは飛べない。」と予言的に答えた。
革命的なシステムは四つの巨大な柱(100フィート以上)から成り、そこから吊り下げられたワイヤーがコンピューター制御のモーターによって動く。4本のワイヤーの中央の接合部には、特別に作られた軽量のパナビジョンのカメラがかかっていた。映画『バーディーA』に登場するスカイカムは、ジャイロの複雑なシステムがすべてを均等なキールの上に置いていた。バーディーのファンタジーのフライトに参加する可能性は非常に刺激的だった。私はバーディーの地元の教会の尖塔を越え、廃品が散乱した荒れ地を越え、裏庭を越え、野球場を越え、バーディーの通りを抜け、最後に空の大きな自由の中に入っていくショットを打った。
“飛行機です。上から持ち上げられたようにそびえ立つ。白さを通して。真っ青な空気の中に。”
これは、半平方マイルの面積を、60年代に合わせて正確に建設し、身なりを整えなければならなかったことを意味している―これは難しい注文だが、Birdyの「飛行」が作品の中心であり、Birdyの想像力の中に入り込むチャンスだったので、価値はある。
“高い空に向かって。どこにも触れていない。”
詩に必要なのは鉛筆だけだ。映画は別のものだ。
私は場所とキャスティングを求めて東海岸と西海岸の間を飛んだ。われわれが検索したのは、ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ、サンノゼ、フィラデルフィアだった。バーディーとアルを探すことは、明らかに私たちの優先事項であり、私は役を演じることができるすべての可能な若い俳優と会った。私たちはまた、いくつかの 「オープンコール」 をした。「フィラデルフィアでは、一日に2000以上の人が脚本の数行を読み、��ラロイドにほほ笑み、裏口を見せられていました。私たちは、サンフランシスコとニューヨークで同じプロセスを経験しました。
フィラデルフィアでは、地元のレストランのウェイトレスが演じるロザンヌと、愛でていた夫の鳩が飼われていたバーディーのママ(Doloresページ)がいました。サジェサさん、マリオさん、コーラーさん、クレアさん、そしてバーディーのお父さんが、私たちの電話に出ました。
私たちのテープを選りすぐって、やっとMatthew ModineをBirdyに選んだ。最初はアルの部分を一緒に読んでいましたが、彼の穏やかで内向的で正直な性格は 「バーディー」 と言っているようでした。彼は素晴らしい自然の俳優であり、内蔵された音声検出器を持っているため、不正な行動をとることは難しい。動機付けのために鳩のぬいぐるみや亡くなった親戚の写真を持ち込もうとする、いかがわしい方法俳優の変わり者にうんざりしていた。
ニコラス・ケージは、とても早い時期に、外向的なアルのために私のお気に入りになりました。彼が初めて私のために本を読んでくれたとき、彼はとても強く、とても自信に満ちていたので、彼が彼の人格の傷つきやすい側面を明らかにできるかどうか、私には確信が持てなかった。中に入れば入るほど、弱ったバーディーが寄りかかるのに十分な肩を持って人生を乗り切ったアルのように見えたが、心の底では、バーディーが必要とする以上にバーディーが必要だった。ニコラスは、有名な叔父の名前がもたらした職業上の禁止を避けるために、名前をコッポラからケージに変えた。不思議なことに、私は彼を投げてから、彼がフランシスの甥だということを初めて知った。
開始日は5月15日(’84年)と決められていたのですが、マシューがソフェル夫人を終えるために、製造が六週間遅れました。これによって、私たちは理解できない「フィルチデルフィア」(それは芸術部によって愛情を込めて名付けられた)を整理し、小説から最後の宝石を選び出して、私の最終的な撮影スクリプトを書くことができました。
アラン・マーシャルは、扱いにくいことで有名な地元のフィリー労働組合と交渉するという、みじめな仕事をしていた。もちろん、動いているものすべてにチームスターが必要で、動かないものもあった。私たちを訪ねてきた現地の副大統領は、過去の意見の相違から、まだ2、3発の銃弾を持っていました。映画に登場するチームスターの 「キャプテン」 は、チームスターローカルプレジデントの兄弟だと言われた。
“私はその車を姉の妹の友達に売った。その男といちゃつくと、コンクリートのシャツがシュイルキル川の底に落ちてくる。” ーーアルの父親
私たちの動物トレーナーであるGary Geroは、今年の1月からこの鳥たちと仕事をしていて、「訓練」の様々なステージで80の異なるカナリアを飼っていた。;良いチラシ;ベル・リンガーと良いホバー。カナリアはいつも神経質で神経質なので、普通のスピードで撮影するのはイライラするほど難しかった。脚本「ペルタ」のメインのカナリアは、最終的には、ロマンチックではないがと呼ばれるカナリアによって演奏されることになるが、彼女の 「スタント」 の多くは、あまり魅力的ではないが、より完成度の高い「クエーパーズ」と呼ばれる鳥によって行われた。多くの鳥が卵の上に座っていました。
カナリアだけでなく、Garyはハト、トロピカルスズラン、ネコ、18匹の犬、カモメも訓練していた。
5月8日までに、私たちは主要な写真撮影の開始から一週間たった。リハーサルの時間がもう少しあればよかったのだが、Nic、Matthewと私は地元の教会ホールで1週間一緒に過ごすことができた。Birdyの家から少し歩いたところにあるBirdyの家で、床にBirdyの病院の部屋をテープで叩き出した。時間は十分ではないので、映画のリハーサル期間は探究的なものに過ぎない。完成した演技を磨き上げたり発展させたりするのではなく、各部分を理解する始まりに過ぎない。最も重要な仕事は、これからの数か月間、私たち3人の仕事上の関係を決めることだったと思います。
撮影初日、私たちはウェストフィリーの中心にあるバーディー街にいました。初日はいつも大変です。残りの100枚の写真は脳の後ろにある記憶ディスクに保存されていますそして旅の最初の一歩を踏み出すと彼らは時間も場所も関係なく駆け出します。最初の映画で、ある賢明なスタッフに言われたように、 「最初の日から一日遅れることも珍しくない。」
今週の残りの時間、私たちはBirdyの庭や隣接する球場を撮影した。『バーディーのママ』を演じるドロレス・セージは、これまで一度も演じたことがなかったので、私の時間の大半は、彼女に必要な自信を与え、脚本が求めていることを彼女にさせることに費やされたが、彼女自身にさせることに費やされた。彼女の素晴らしいフィリー訛りは、彼女の神経をすり抜けた。
私たちは2週目にもう一度家にいた。バーディーは猫と格闘し、あごをこじ開けてペルタを救わなければならなかった。この方法はうまくいきましたが、何度か試してみると、猫は自然と少しふらふらしていました。残念なことに、この日の撮影(猫によってなされない)では、まれにネガティブな傷がありました。映画がどれ���け技術的に間違ったものになり得るのか、そしてどれだけ技術的に間違ったものになるのかということに、私はいつも驚かされる。したがって、私は映画を撮っている間にばかげた迷信を信じているが、これは次の四日間の予兆であり、スカイカムがデビューしようとしていたからだ。
私たちは、子供たちがストリートホッケーをしていたり、野球をしていたり、子供と母親がいたり、老人が犬を散歩していたり、裏庭でおしゃべりしていたり、何十台もの車を走らせていたり、60年当時の状況はすべて正しかった。
スカイカムは4台のクレーンに張られたワイヤーにぶらさがり、両腕を空中に向けた。私たちは正確に射撃を行うために縮尺模型を作り、地元の木や電柱から6フィート離れていた。私たちの信仰は絶対的で、開拓者としての熱意には限界がありませんでした。まず、雨が降ってガイドワイヤーを制御するモーターが汚れた。列車のセットで科学者たちが遊んでいるのを見て、私たちは1日損をした。このキティホークのカメラには多くのマスコミが興味を示しました。雨の中でコーヒーを飲みながら映画が飛ぶのを待っていたとき、 「映画の全体的な力学が変わる」 などのフレーズを口にした。あるジャー���リストは、「20個のアイモス(安いカメラ)を買って、空中に放り投げるショットパターを買う方が簡単ではないだろうか?」と皮肉った。私たちは皆、彼の言葉にあるであろう英知に触れないように、神経質に笑った。
スカイカムのコントロールコンソールには従来のホイールハンドルがあり、小さなモニターを見ながらレンズの方向を変えることができます。もう一人のスカイカム「チラシ」は、模型飛行機を操縦するのと同じように、ジョイスティックでコンピューターを操作した。2日目の終わりには、ついにボフィンたちはそれを飛ばすことができた。私が試してみたかったのは、燃え尽きた車の近くで、上から石のように落下し、ジャンクヤードに沿って、地面から3フィートのところで跳ね、フェンスの上に上がり、野球の試合を見て空に向かって上昇する子どもたちを観察することだった。最初のテイクでは、奇跡的にうまくいきましたが、もっと速くしたかったのです。2回目の撮影は、下に向かって急にモニターが真っ白になった以外は、すばらしく見えた。スカイカムはコンピューターに乗っ取られ、地面に激突した。
“白さを通して。真っ青な空気の中に。それ以上です。空に向かって。どこにも触れていない。”
そうですね、どこかに触ってみます。主に地面です。われわれのカメラアシスタントが要約すると、廃墟を飛び越えてマシンが跳ね返るとき、彼は「そうですね、シャベルとしては絶対に使えません。」と言った。スカイカムのオペレーターは泣き崩れた。
そのような状況では、大声を上げたり叫んだりすることはできません。これまでのところ、缶に入っていたスクリーンタイムはわずか40秒だった。鳥は飛ばなければならなかったし、私たちは彼と一緒に飛ばなければならなかった。その結果、私たちは信頼できるSteadicamを出て、路地を走り、瓦礫を渡り、通りを下って、ゴルフカートに乗って、自転車に乗った私と一緒に自転車の台車の上を走り始めた。私たちは高さ20フィート、長さ30フィートのスロープを素早く作り、カナリアの視点を窓に衝突させました。必要は発明の母であり、その結果はスクリーン上で見ることができる-それは私たちの事業に関しては、ジェリー・ハムブリングの編集とピーター・ガブリエルの音楽のおかげでもある。
いつも俳優の演技の外で変数を巧みに操っていたので、映画には簡単なシーンがないように思えた。ー鳥を撮影する際の神経を切断するような困難さであれ、狭い梁の上に立ち、頭上から4フィートのところを生きた電車が通過する高架鉄道の下で、高く打ち上げる危険性であれ、何であれ。
正直言って、私がこれまで働いてきたハンディキャップの一つは、鳥があまり好きではなかったことです。一度に一つずつでも良いのですが、ミセス・プロヴォストの飼鳥園のシーンには150個ものものがありました。雨の中はしごに乗ってベランダの外でメガホンを使ってガラス越しに聞こえるようにしました。どうしようもなかったし、鳥小屋に勇気を奮い立たせなければならなかったし、テイト氏がショー鳩をまるでパーティー風船のように口元で吹き飛ばしているのを見るのは悲しげだった。
私はまた、別の鳥の飼い主とのシーンもしたが、そのシーンは(『リーサル・ウェポン』で有名なダニー・グローバー氏)という本に出てくる愛らしい人物だった。
次の週は、犬たちの番であり、カナリアの歓迎すべき休憩だった。屠殺場のシーンのために、私たちは地元の食肉処理場から死んだ馬を借りましたが、匂いとハエはあまり快適ではありませんでした。私は、一日中幸せな気持ちで切り刻んできた本物の肉屋を、牛肉のかたまりやヤギの死骸の中に投げ込んでいたのですが、私たちの不機嫌さには全く動じませんでした。その日の終わりまでに、乗組員にはさらに20人の菜食主義者がいた。
警察は私たちに、ノース・フィリーのより困難な地域での撮影を控えるように警告した。しかし、私たちが必要としていた通りはそこにありました。地元テレビのインタビューで、私はフィラデルフィアで働いた経験が楽しくなかったと述べていたので、市役所の広報担当者がすぐさまフィラデルフィア初の黒人市長ウィルソン・グードを説得し、「トリビュートプラーク」を見せてくれた。私たちは、市長がぼろぼろの椅子やバルコニーに沿って歩きながら、巧みに肉体を圧迫している間に、発砲を止めました。彼は私たちのメガホンを借りて短いスピーチをして地元の人々に語りかけました。彼は優秀なセカンドディレクターになれただろう。
新しいカジノと近代的な超高層ビルのおかげで、アトランティック・シティ・ボードウォークでの撮影は不可能になりました。そこで私はワイルドウッドに落ち着きましたが、その粘着性のある魅力は40年変わりませんでした。ここでの課題は「ジミー・ザ・ヒューマン・フィッシュ」でした。それを弾いていた紳士、職業は宝石商で、地元のプールで募集されていたのですが、かわいそうな男が息を止めて、タンクいっぱいの魚に噛まれてしまい、ひどく惨めでした。
私たちの撮影の後半のために、サンフランシスコに飛ぶ時間でした。
“飛びたい?彼はあなたを飛ばせる。彼は、ずっと精神病院の籠の中に航空貨物を送ります。” ーーアル
サンタクララにあるアグニューのメンタルホスピタルでは、バーディーのフィリーの寝室のレプリカをアグニューのメンタルホスピタルの一角にある仮設スタジオに建てました。間に合わせであろうとなかろうと、街の物流と狂気があなたのすべての動きを支配していない、正気の撮影場所に戻ることは楽しいことでした。
バーディーがガスタンクの頂上から飛び立ったとき、ベイの北岸にあるヘラクレスの使用されていないガス工場で撃たれた。100フィートの高さにある波形の傾斜した屋根での撮影は、私たちのような高所恐怖症の人にとっては特に不安でした。鳥や高所恐怖症の監督が飛ぶ映画を作るんですか?スタントマンが砂の山に落ちる音をリハーサルして、骨を砕くような音を何度も聞いた。私はいつもこういうものを何度も撃つのは気が進まないのですが、スタントマンは喜んで撃ってくれます、自分の椎骨に打撃を与えるたびに報酬が「調整」されるからです。いつものように、マシューは恐れを知らなかったが、ニコラスは恐れていなかった。「私は登場人物です。」と聞くと、彼はかすかに答えたものだった。
バーディーが自分の羽ばたき機を飛ばすゴミ捨て場は、サンノゼの郊外にあり、かなりロマンチックに「ニュービー島」と呼ばれていた。われわれはヘリコプターから100フィートのワイヤーを吊り下げて実験し、ごみの山の底に作った池にBirdyを「飛ぶ」させた。当初はさらに30ヤード先の貯水池に着水する予定でしたが、テストの結果、水が俳優の健康に有害であることがわかりました。ワイヤマンはパインウッド出身の専門家で、スーパーマン映画の制作から「飛行」における奇妙な専門知識を培ってきた。目の届く範囲までゴミが散乱していてもよかったのですが、健康上の理由から数時間後にはゴミを出すべきなので、法的な問題がいくつかありました。私たちが立っていたごみの山から、メタンガスの優しい匂いがして、その後何週間も咳が出ました。
アグニューの病院に話を戻すと、私たちが描いた細胞、病棟、廊下の複合体の中で、老化し、湿り気があり、パッチを当て、欠け、すり減って、できるだけ生活しているように見える―私たちは多くの角度から撮影できるセットを必要としていた。これは特にBirdyの細胞の場合で、やや風変わりな構造のおかげで、ステージングの幅を広げることができた(部屋での2つの手回しのシーンは、最も撮影が難しく、視覚的に興味深く、映画的である−連続して話す頭を避ける)。私たちは、NicolasとMatthewのキャラクターの発達(崩壊や)を助けるために、連続して撮影することにした。ニコライは、彼の性格を変えるために最も大きな一歩を踏み出した。まず、顎の両側に2本の歯を引っ張らせ、顔の破片によるダメージをシミュレートした。第二に、彼はこの4週間、セットの上にも下にも、包帯を連続して巻き続けることに決めた。これは、食事の妨げになるだけでなく、社会生活の妨げにもなるという彼の勇気ある決断だった。しかし、包帯の裏に閉じ込められたアルが抱いていたかもしれない感情を感じ取るのに役立った。毎朝、新鮮な包帯を巻くたびに、ニックは目を閉じていた。
“俺はフォートディクスで、ミディアムレアのチーズバーガーのような顔をした男を見た。(鏡の中で)朝にひげを剃っているのが誰なのかわからなくて、ちょっと怖いんだ。” ーーアル
これらの病院のシーンを撮影することは、おそらく劇的に、撮影全体の中で最も強烈で満足のいくものだった。ニコラスは独白のために周到に準備し、不気味なほどに本文に忠実にすることで、物事を簡単にした。アメリカの若い俳優たちは、せりふを知らないために、とりとめのない即興を煙幕として使うことがあまりにも多い。マシューは、アルの感情的な爆発を静める役を演じなければならなかった。一日が終わると、しわくちゃになった体はしびれるだろう。根気よく、何度も何度も反応した。ニコラスは、人としても俳優としても、ほんの数週間前にウエスト・フィラデルフィアの通りをうろうろしていた生意気な若者とは似ても似つかなかった。私たちが独房の中のシーンに取り組んでいると、バーディーにほとんど吸い込まれて移送されたNic/Alの活力が彼から失われていくのが見えた。他の取締役がどのように指示しているかを把握している取締役はいません。私たちはそれぞれ自分のやり方で成功したり失敗したりする。ニコラスとマルトゥと一緒に、私は無弁派、教訓派、悪魔派の間を揺れ動いた。
私たちの最後の撮影は、ベトナムのシーケンスのためにモデストで行われた。私たちはヘリコプターを持っていて、実際の戦争のための完全な装備を持っていたが、食事休憩のために立ち止まって、爆発を再現することができた。3ヶ月の間、私たちは熱帯の灌木を植え、自分たちのナパームの森を作っていた。私たちはBirdyの墜落したヘリコプターの周りの焦げた体のおぞましいテーブルを丹念に再現し、特撮クルーはナパーム弾を思わせる20ガロンのガソリンのドラム缶15個の料金を請求した。私たちは四台のカメラで爆発を撮影したが、爆発の熱は非常に高く、ステージの血が私たちの「死んだ」エキストラにたっぷりかかって沸騰し始めた。これは私たちの最後のシーケンスで、いつもの安堵と満足のデモを伴った。煙の中から白いタキシードと黒い蝶ネクタイを身につけた男がやってきて、トレイにカプチーノを運んでいた。(1984年はスターバックスの前だった!)Birdyを作るのがとても楽しかったです。
これまでの3本の映画、特に最後の1本の映画を見て、映画監督は正気の人間が追求すべきものなのだろうかと思い始めた。バーディをきっかけに、映画への興味が湧いてきました。
“Dr.Weiss: あなたの症状を聞いて、良い治療法ではないかと思いました。”
“アル: バーディーですか、私ですか?”
MUSIC
ピーター・ガブリエルは最初、A&Mレコードのトップ、ギル・フリーセンによって提案されました。(ピーターは他のレーベルと契約していたので、とても寛大でした。)初めてピーターに会ったとき、私は撮影を終えて、60分ほどフィルムをカットし終えていました。私はすでにピーターのソロ・アルバムから選りすぐりの曲を載せて彼の音楽を実験していた―特に当時の現代音楽では見られなかったパーカッシブなリズム。独特のリズムは編集者の夢であり、同時に彼の音楽は音楽が終わった後も長く残る神秘的な存在であった。
私はデイビッド・ゲッフェンに電話をして「借用する」ピーターにサウンドトラックの曲を(ゲフィン・レコーズの)してもらえないかと頼んだ。当時のピーターは、ニューアルバム(幸いにも、それが「だから」であることがわかったので、待つだけの価値はあった。)のリリースが少し遅れていた。Geffenは 「幸運を祈る」 と言ったが、Peterが自分のペースで動く中、映画の締め切りに間に合うようにサウンドトラックを手に入れることはできなかった。
しかし、この映画でうまくいく曲をピーターに示していたので、私たちは彼の元の24人のトラック・マスターのところに戻り、彼はバースの近くの彼の自宅のスタジオでボーカルなしで個々にトラックごとに演奏しました。曲は信じられないほど豊富で―何十層もの完全にオリジナルなサウンド―その多くは以前のアルバムにはミックスされていなかった―私にとっては、��ーターとダニエル・ラノワが映画の個々のシーンのためにリミックスしたユニークなサウンドの宝庫だった。ピーターがバーディーのサウンドトラックアルバム「警告:このレコードには再生材料が含まれています。」の表紙を飾ったように
AFTERWARDS
ニコラスとマシューは二人とも俳優として大成功を収めた。バーディーはカンヌ国際映画祭で審査員グランプリを受賞しました。聴衆の中で私の隣に座っていたのはパリから南フランスに飛びセーヌ川の屋形船で暮らしていたウィリアム・ウォートンでした。長年、彼が実際にJDサリンガーであるという不合理な噂があった。私はこの映画を見て、私たちが彼の本から作った映画を彼がどう思うか、少し心配になった。
Whartonの本名はAlbert Duaime。子どもの頃、彼は友人たちからアルと呼ばれていましたが、彼の家族は彼をバーティと呼んでいました、つまり発音では「バーディ」と。映画の最後に明かりがともり、非常に長く寛大なスタンディングオベーションを楽しんだ後、私は彼の方を向いた。「どう思いますか?」、「ああ、とても気に入りました。でも、どうして2人で作ったの?」
Text From: http://alanparker.com/film/birdy/
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【フランク・パターソンという存在2】 - 英国式自転車生活 : https://blogs.yahoo.co.jp/tenzen194/30745406.html : https://archive.is/uit8l 2013/4/15(月) 午後 11:21
実���の話、私は小学校5年のときにフランク・パターソンに取り付かれまして、早々にサドルバッグ派にあこがれ、中学1年の時にはすでにフロントバッグをやめていました。
英国へはじめて留学した時、まず自転車が気になったのですが、残念ながらパターソンの絵にあるような自転車は最初のころは眼にすることがありませんでした。
ただ、私が漠然と感じていたこと、パターソンの絵によく出てくるサドルバッグがブルックス製でないというのは、ある田舎町のバザーではっきりした。
そこで私は始めて、「あっ!これだ。」というサドルバッグを見つけたのですが、売っていた老人が、 「これはなんだかわかるか?ブルックスじゃない。戦前のチョシーだ。これはな、輪転機の外側に貼る樹脂布を使っているからちょっとやそっとのことでは切れない。時代によってはうっすらと表面に文字が見えるものもあるんじゃ。パターソンがよく絵に描いているのはこれじゃ。」 さっそく、付けて帰りました。しかし、このチョシーのサドルバッグは、身長が175cm以上ないとタイヤに擦れる。手には入ったもののしばらく使う機会がありませんでした。
しかし、その老人から、そういえばEにあるアンティック屋がフランク・パターソンの絵を常時置いていたな、というので、行ってみたのでした。たいへんな量がありました。棚に一杯あった。残念なことは、それらがすべてリプロであったことです。しかし、リプロがあるということは本物もあるということ、そこからたどって、行き着いたところはフランク・パターソンの研究家だったムーア氏でした。
彼は細長い書斎の片側の壁面すべてを引き出しにして、年代別に分類していて、もう片方の壁面には部品ごと、主題別に分類していて、私はちょっと舌を巻きました。
一般にはまったく知られていませんが、パターソンは水彩画をかなり残しています。大きいものは30号ぐらいある。これらはまったく複製されたことがありません。私は別々の人のところで計30枚ほど見ましたが、パターソンの絵を編纂して何冊か画集を出版した故ジム・ウイリスも「見たことがない」と言っていました。大迫力です。あれを見るとペン画はしょぼく思える。私の見た30枚ほどはすべてクロード・ロランの絵やニコラ・プッサンのようにセピア・インクによる淡彩でした。
ムーア氏もそうした巨大なセピア淡彩の作品を見ていませんでした。
もうあれから25~30年ほど経ったわけで、作品のその後をトレースするのは難しいでしょう。再評価でスポットライトを浴びるまで、まだ20年ぐらいは埋もれ続けるのではないか。
じつは私とジムの共通の友人の一人がパターソンのふすまぐらいの大きさのセピアの絵を三枚持っていました。ジムはそれを見たことがなかった。 「またジムは画集を出版するらしいじゃないか、これも貸すのかい?」 「見せるわけないじゃないか。自転車関係者で��れを見せたのはお前が最初だ。ジムにはナイショだぞ。」 「なんで?」 「お前さんは美術館の仕事もしてただろう。だから見せたんだ。オレは思うんだが。そこにただ自転車が描いてあるっていう、ただそれだけの理由でパターソンの絵を騒ぐのは、亡くなったパットも喜ばないように思うんだ。世の中の彼の絵のほとんどは、雑誌のためのものじゃないか。ところがこれらは作品として描かれている。コマーシャル・アートじゃないんだ。そうは思わないか?パット自身が、雑誌や画集に出すチャンスがいくらもあったのに、生きている間は一切これを発表しなかったんだ。それは、彼自身がこの絵を複製画や絵葉書にして、大量複製生産してしまうのをこころよく思っていなかったからに違いないよ。彼は自分の全存在をかけた、indisputable masterpieces を残すのを考えた。だから、これらの巨大なデッサンは、世の中の美術館が、パットを自転車界に君臨したレッサーアートの重要な画家として認知して、作品を買い始めたあとに、人目に触れさせようと思っている。それまでは、知られざる傑作として埋もれさせておくのが、パットのためじゃないのかな。」
フランク・パターソンの全貌があきらかになるのは、まだまだ先のことのようです。
写真右端は故ムーア氏。左端の2台はパターソンにあこがれてほとんどスクラップ同然のところからサイクリングに使えるまでに戻したもの。
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【シロップが からなんて】 北澤平祐 個展「インテリア・ストーリー」 (12/14〜12/27)
10:00-21:00 (最終日のみ18時クローズ) シロップボトル 「ががーん、ぜんぶ かんぺきだと おもったのに。 まさか シロップが からなんて」 「ずどーん、まさか こんなことが おきるなんて。くちが ぱさぱさで たべられぬ」 さあ大変!シロップボトルが空でした! 買いに行かなきゃ!でも2人は外に出たことがありません。。。どうしよう。 DMOARTSは本日も営業しております! 「外を怖がり、内で静かに暮らす双子。ふたりを優しく見守る執事。てんで気ままな飼い猫。あるささいな出来事がきっかけで、そんな彼らの暮らしに変化が。家具や調度品を通して語られる小さな物語」 インタビューはこちら https://dmoarts.com/interview/201812kitazawa/ [Profile] 北澤平祐 横浜市生まれ。魚座。東京都在住。アメリカに16年間在住後、帰国。イラストレーターとしての活動を開始。多数の書籍装画やCDジャケットから、広告、パッケージ、プロダクトまで国内外の幅広い分野でイラストを提供しています。「これはペンです/円城塔著」(新潮社)の装画で、講談社IN☆POCKET 文庫装幀大賞を受賞。 https://digmeout.net/artists/北澤平祐/ 同時開催:北澤平祐 仕事原画展「エクステリア・ワーク」
@salon_mosaic_ #DMOARTS #ART #LUCUA1100 #ルクアイーレ #7F #gallery #アート #ギャラリー #FM802 #FMCOCOLO #osaka #大阪 #梅田 #japan #日本 #exhibition #イラストレーター #illustration #北澤平祐 #インテリア #インテリアストーリー #シロップボトル (DMO ARTS) https://www.instagram.com/p/BrrW2N3nV5F/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=aps211ynjdk0
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戦略会議 #07 アートな本読み勉強会/ 「20世紀美術 シュルレアリスム」
20世紀美術 :pp.127-141 ■シュルレアリスム Surrealism シュルレアリスムは荒廃したダダを建て直そうという積極的な行動への欲求から生まれた。 ダダはあらゆるものを否定するうちにダダ自身を否定して終わらねばならなかった。 シュルレアリスムは政治的にはブルジョアを敵として受け継ぎ、少なくとも理論上は伝統的な芸術を攻撃した。 アルプ、エルンスト、あるいはマンレイの作品が一夜にしてシュルレアリストになったとは言い難い。シュルレアリスムはいわば、ダダの代用品であった。 両者の根本的な違いはダダの無政府主義に対して、シュルレアリスムが理論と原理を打ち立てたことにある。 ■主な作家: アンドレ・ブルトン ポール・エリュアール ルイ・アラゴン ロベール・デスノス ルネ・クルヴェル
マックス・エルンスト 初期のシュルレアリスト ジャン・アルプ マンレイ ■時代背景: ・1922年:近代精神の方向を決定するための国際体系を計画、ダダを美術史に登録することで事実上引導を渡す。 ・1922−24年:運動という形を取るまでの2年間「冬眠の時代」として知られる。 ・1924年:シュルレアリスム研究所設置、シュルレアリスム宣言(アンドレ・ブルトン) シュルレアリスムはパリを中心としたフランスの運動であり、実際には1936年まで国際化はしていない。 ■概要 シュルレアリスムは初期からオートマテスムの可能性を探り、夢の探求をしていた。 1922−24年のころは催眠術と薬物の使用によって注目されていた。 しかし、さまざまな不祥事によってこれらの実験は放棄された。 1924年のシュルレアリスム宣言、シュルレアリスト革命の刊行には浮き立つような期待感が広がり、多くの若い画家や作家がこの運動にひきつけられた。 シュルレアリスムは「自然発生的想像行為」の力を認めることによって、ダダが芸術に課した拒否権と、皮肉なダダの立場の必然性を取り除いた。シュルレアリスムは芸術家に新しい美学上の法則を課することなく、その存在意義を取り戻させたのである。 シュルレアリスムは 理性の支配を全く受けないオートマティスムとある種の連想形態である超現実と、夢の全能性に信を置くというふたつの方向性を持っていた。 ブルトンも「シュルレアリスムの芸術における発生と展望」(1941年)にて オートマティスムと夢の記録を、シュルレアリスムに開かれた二つの道であると定義している。 どちらも「向こう側(超現実)」を目指したものであったと思われる。 オートマティスムへの関心はフロイトに起因する。 可能な限り早く発せられた独白は、精神の判断を帯びていないのでほぼ正確に語られた思考と言える。 オートマティスムはどんな意識的想像よりもはるかに完全に真実をあばき、人なりを表すとされた。 1925年、シュルレアリストの詩人マックス・エルンストはフロッタージュの発見した。 「これはすでに自動記述として知られているのと全く同じものだ」彼は行っている。 オートマティスム(フォロッタージュ)の作家: ジョアン・ミロ アンドレ・マッソン 「1923−24 ペンとインクによる素描(マッソン)」 マッソンはのちにオートマティスムを離れ、秩序立ったキュビズムへ戻って行った。 一方、夢のイメージの固定(トロンプ・ルイユ)は睡眠中は意識の支配が緩められていることに着目した。 ブルトンによれば、トロンプ・ルイユはダリに悪用され、シュルレアリスムの信頼を危うくした。 夢のイメージの固定(トロンプ・ルイユ)の作家: ダリ(のちに追放) ルネ・マグリット ジャン・アルプ、ジョアン・ミロ、マックス・エルンストは作品全体としても、一枚の絵としても両者をうまく混合していた。 1938年にパリにてマルセル・デュシャンが企画した「シュルレアリスム国際展」 戦争によってシュルレアリストはパリから追い散らされた。 そのご、多くはニューヨークに渡り、戦後の抽象表現主義やポップアートのようなアメリカの芸術運動の種をまく助けとなった。 生と死、現実と幻想、過去と未来、伝わるものと伝わらないもの、高さと深さ。これらを矛盾と感じない、ある種の精神の一点が存在することこそ、あらゆるものが示している。この一点を決定する望み以外に
シュルレアリストの活動の動機を探っても無駄なことだ。 シュルレアリスムは、例えば夢と覚めた現実のような、明らかに相容れない状態を、対立させるのではなく、両者を超現実(現実の向こう)へと溶解させることを目指した。 「戦略会議 #07 アートな本読み勉強会」
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IROAS(イロアス)のパターンを覚えて人生を前向きにしよう
皆さんはIROAS(イロアス)という言葉をご存知でしょうか。アメリカの神話学者が、世界中の神話を研究して辿り着いたパターンのことで、そのパターンはハリウッド映画など様々なエンターテインメントで今も応用されています。このパターンをシンプルに説明すると、別離、試練の道、帰還の��つでできています。
童話やロールプレイングゲームのストーリーを思い出してみましょう。日本のものでも海外のものでも���いません。それらは基本的に英雄となる主人公が日常世界を離れ、何かをきっかけに旅に出ることになり、試練を乗りこえ目的を果たし、報酬を得て故郷に帰ってくるようなストーリーがほとんどです。
例えば小さな村に住むごく普通の青年が、偶然伝説の武器を発見し、村を脅かす竜を倒すため討伐の旅に出たりします。また祖先に英雄がいたことを周囲に知らされ、国を救う役割を与えられることもあります。しかしこれらのストーリーは簡単にいかないのが特徴で、経験不足や自信のなさから、旅の冒頭で困難に突き当たることも決して珍しくありません。例えば洞窟で突然の戦闘、謎かけ、仲間が見つからない、武器を買うお金が貯まらないなどがあります。しかし戦闘に勝つことで自信を持ち、村人に勇気づけられることで前進していきます。戦いの経験は経験値となり、戦いのコツや回避方法も覚えていきます。
この経験値というのも、実際の人生に似ているのではないでしょうか。IROAS(イロアス)は、翻訳すると、勝利の女神という言葉になります。神話やゲームの世界だけでなく、現実世界の人間の人生も、勝利の女神に似ています。現実世界では中世のように剣を携えて旅をする戦士ではないですが、現代の武器はパソコンなどに置き換えられます。パソコンで仕事をし、洞窟を抜けるかわりに商談を成功させるなど、現代に設定を変えることができます。権力を持つ強い竜も上司に置き換えて考えると、仕事をこなして上司を納得させ、報酬をもらって自宅に帰る、つまり物語で言うと国に帰るということが言えます。
IROAS(イロアス)は、時代や性別、国を問わず誰にでも当てはまるものです。有名人の伝記やプロフィールを読むと、そのパターンに該当する人生を歩んできた人が数多くいます。貧しい家庭に生まれ、学校も通えなかったが才能を見いだされじょじょに開花させて行く人もいます。例えば音楽関係だと、音楽が好きなのになかなか才能を認めてもらえない、または才能を見せる機会に恵まれず何年も苦労する人がいます。しかしついに楽曲が注目される日が来て、世界的なスーパースターになることがあります。
またIROAS(イロアス)の中で大切なことの一つに、味方との出会いがあります。神話なら敵を共に倒しに行く仲間だったり、傷を癒してくれる魔法使いだったりしますが、現代世界だとバンド仲間だったり、プロデューサーだったりします。主人公が苦手な分野をサポートしてくれたり、落ち込んだ時に勇気づけてくれるバンド仲間、または才能を引き出してくれるプロデューサーです。映画界なら俳優の才能を引き出す監督や演出家です。この味方との出会いは、人生を大きく左右します。
例えば有名なハリウッドスターはスカウトで映画界に入った人も数多くいます。ピザ屋で食事をしていたらスカウトされた女優もいますし、映画祭を見に行ったらスカウトされた俳優もいます。もしその時間にその場所にいなかったら、映画界に入ってなかったこともありえます。運命的な出会いと言えます。しかし映画界に入ることは、旅で言うと旅に出たばかりになります。せっかく映画の話が来ても、きちんと台詞と演技を覚えなければ前進することができません。仕事ができなければ報酬をもらうこともできません。また非常に難しい役や長編映画もあり、体力や気力も駆使します。
英雄のようにスターになるには、与えられた課題をこなして信頼を得ることも重要です。どの職業であっても、勝利の女神に当てはまる部分はたくさんあります。現代社会では不景気から突然職を失うことも珍しくありませんし、洞窟やダンジョンと言える困難が継続することもあります。しかし人生は必ずしも困難ばかりということはなく、人生には波があります。もっと自分に合った仕事が見つかったり、求職中や離婚後など悩んでいる時に素晴らしい人物と出会うこともあります。そして受けた傷から復活し、試練を乗りこえていきます。
しかし中には、生まれつき人生が優位にある人もいると言う方もいます。確かにお金持ちの家に生まれて親に学費を簡単に出してもらえたり、開業医の元に生まれて病院を継げる方もいます。しかしそれはあくまでスタート地点が整備されてるようなもので、その後の人生は本人次第になります。元々お金を持っていることから��けがちになり、親の後を継がなかったり、やり始めたことやチャンスを放棄し、もったいない人生を送るケースもあります。最初から最高の装備で旅を始められる戦士がいても、装備で謎解きができるわけではありませんし、装備を使いこなす技術がなければ最高装備も意味がありません。
例えば安いペン一本でも、写実画のような素晴らしい絵を描くことができる人もいれば、廃棄品で素晴らしいアートを作り上げる人もいます。なので人生において大切なことは、スタート地点には個人差があるが、その後の人生は本人次第ということになります。塵も積もれば山となりますし、試練を乗り越えることは本人の自信と周囲の信頼に繫がります。
また試練に見合った報酬を得ることや、成功のタイミングは様々です。大器晩成型の人もたくさんいます。若いうちに成功して満足してしまうと、旅を終えてそれ以上の進展がないことも見受けられます。現代社会は中世の頃と大きく生き方が変わり、男性が多い職場で働く女性もいますし、結婚という形にとらわれず生きる人もいれば、自宅でインターネットを使った仕事をする人もいます。趣味で作った動画で大成功する人も多く、人生の送りかたや成功の仕方の種類が増えています。
インターネットによって豊富な知識をつけられる時代なので、試練の乗り越え方や、チャンスの見つけ方が探しやすいと言えます。誰もが英雄になれるチャンスを持っているわけです。もし苦難を感じたら、成功者の伝記やインタビューを読むと良いでしょう。一見華やかに見えても、過去は大変苦労したとい人が数多くいるからです。複雑な家庭で育ったり、差別や戦火によってチャンスに恵まれなかったり、信頼していた人に裏切られたという方も多くいます。その時どうやって乗り越えたかを知って、参考にしましょう。
人生という旅を放棄せず続けていれば、新たなチャンスや出会いが生まれます。船は漕ぐのをやめて波に任せるよりも、漕ぎ続けるほうが新たな島を見つけやすいからです。自信を失った時はIROAS(イロアス)のパターンを思い出しましょう。勝利の女神には困難がつきもので、最初から最後まで何もなくスムーズに終わったというお話はありません。英雄のお話には困難や別れ、一人旅、出会いや復活があります。現代の人生を送っていくために、勝利の女神のパターンは常に頭に入れておきましょう。人生のサイクルを理解すれば、困難に突き当たってもその後の流れが想像できるため、ポジティブな気持ちになれます。
勝利の女神について、ぜひ一度調べてみてはどうでしょうか。
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立馬の若者が乗り、
彼女のターバンを持ってセンター装着されている探している Dorelia
故人の Ida ネトゥルシップで「 右」の上に立って
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1909 年 4 月には、アウグストゥス帝があった
エフィンハムで組み立てたものです。
6 つの馬のお褒めの言葉を
2 つの バン、 1 つのカートは、 6 人の子供、
アーサーの悲惨なのが、新郎新婦、
野良の男の子、
が、 破損したワゴン、
Dorelia と彼女の
妹の イーディ。
の護送船団方式の外に移動した
エプソムは、ケンブリッジに
と ノーウィッチ 1909 年 7 月します。
アウグストゥスの時代 には、花婿の悪い態度を与えられたアーサーの有名な殴り合いしていた
ケンブリッジを離れる。
アウグストゥス帝の馬にダイオフが始まった後に彼を解雇しています。
この異常な大きさのに
と まれ、図面
アウグストゥス帝の幻想の引き分け
調和のとれた ファミリーグループ
Ida と Dorelia とします。
井田は 1907 年 3 月に悲劇的に死んでいた。
この図は、 IDA の肖像画ではない
ジョンの 彼女 の溌剌さが不足しているについて説明した記憶しています。
1908 年に、ジョン は大規模な オイルを塗られた
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Ida 、 Dorelia と子供
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家族 Augustus John によるグループ( 1908 年)
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お座りください。ありがとう、親愛なる皆さん。おゆるしください、先週末、叫んだり嘆いたりして声が出ないんです。それから、この1年の途中で、正気も失ってしまったので、書いてきたものを読ませてください。 「ハリウッド外国人映画記者協会」の皆さん、ありがとう。ヒュー・ローリーが先ほど言ったことを続ければ、ここにいる皆さん、私たち全員はいま、米国社会のなかで最も中傷されている層に属しています。だって、ハリウッド、外国人、記者ですよ。 それにしても、私たちは何者なんでしょう。ハリウッドとはそもそも何なんでしょう。いろんなところから来た人たちの集まりでしかありません。 私はニュージャージーで生まれ育ち、公立学校で教育を受けました。ヴィオラ・デイヴィスはサウスカロライナの小作人の小屋で生まれ、ロード・アイランドのセントラルフォールズで世に出ました。サラ・ポールソンはフロリダで生まれ、ブルックリンでシングルマザーに育てられました。サラ・ジェシカ・パーカーはオハイオで8人兄弟のなかで育ちました。 エイミー・アダムスはイタリアのヴィチェンツァ生まれです。ナタリー・ポートマンはエルサレム生まれです。 この人たちの出生証明書はどこにあるんでしょう。 あの美しいルース・ネッガはエチオピアのアディス・アババで生まれ、ロンドン��育ち──あれ、アイルランドだったかしら──今回、ヴァージニアの片田舎の女の子役で受賞候補になっています。 ライアン・ゴズリングは、いい人たちばかりのカナダ人ですし、デヴ・パテルはケニアで生まれ、ロンドンで育ち、今回はタスマニア育ちのインド人を演じています。 そう、ハリウッドにはよそ者と外国人がうじゃうじゃしているんです。その人たちを追い出したら、あとは、アメフトと総合格闘技(マーシャルアーツ)くらいしか見るものはないですが、それは芸術(アーツ)ではありません。 こうした皆さんが私に3秒間くれたのは、次のことを言うためです。 役者の唯一の仕事は、自分たちと異なる人々の人生に入っていくことで、それはどんな感じなのかを見ている人に感じさせることです。まさにその役目を果たした力強い演技が、この1年もいっぱい、いっぱい、いっぱいありました。息をのむ、心のこもった仕事ばかりです。 しかし、この1年の間に、仰天させられた一つの演技がありました。私の心にはその「釣り針」が深く刺さったままです。 それがいい演技だったからではありません。いいところなど何ひとつありませんでした。なのに、それは効果的で、果たすべき役目を果たしました。想定された観衆を笑わせ、歯をむき出しにさせたのです。 我が国で最も尊敬される座に就こうとするその人物が、障害をもつリポーターの真似をした瞬間のことです。 特権、権力、抵抗する能力において彼がはるかに勝っている相手に対してです。心打ち砕かれる思いがしました。 その光景がまだ頭から離れません。映画ではなくて、現実の話だからです。 このような他者を侮辱する衝動が、公的な舞台に立つ者、権力者によって演じられるならば、人々の生活に浸透することになり、他の人も同じことをしていいということになってしまいます。 軽蔑は軽蔑を招きます。暴力は暴力を呼びます。力ある者が他の人をいじめるためにその立場を利用するとき、私たちはみな負けるのです。 さあ、やりたければやればいいでしょう。 さて、この話が記者につながります。私たちには信念をもった記者が必要です。ペンの力を保ち、どんな暴虐に対しても叱責を怠らない記者たちが──。建国の父祖たちが報道の自由を憲法に制定したゆえんです。 そういうわけで、裕福で有名な「ハリウッド外国人映画記者協会」とわが映画界の皆さん、私と一緒に、「ジャーナリスト保護委員会(Committee to Protect Journalists)」の支援をお願いします。ジャーナリストたちが前進することが私たちにとって必要だし、彼らが真実を保護するために私たちが必要だからです。 最後に一言。あるとき、私はセットの周りで、何かについてグチをこぼしていました──ほら、私たちは夕飯も食べずに長時間働いたりなんだりするでしょう。そのときに、トミー・リー・ジョーンズが私に言ったんです。 「役者でいられるって、すごい特権じゃない?」 ええ、そうです。私たちはその特権と、共感する役目の責任をお互い確かめ合わなければなりません。私たちはみんな、ハリウッドが今夜ここで栄誉を授ける仕事に誇りをもつべきです。 私の友人で、親愛なる去りしレイア姫が、かつて言ったように、砕かれたハートをもってアートにしましょう。
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