#ベトナム風���の肉団子入りうどん
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熊送り儀礼に使われる打楽器 北方民族博物館の館内映像(撮影可)
ウリチ/アムール川下流域 Ul'chi/Lower Amur
熊送り 熊を獣のなかで特別な存在とみなし、これを殺害するときに執行される儀礼の総称。この儀礼は、北方ユーラシア大陸を中心に、北アメリカ、ベトナム山地、バスク地方など、熊の生息する地域のほとんどの民族にみられ、俗に熊祭といわれることもあり、アイヌではイオマンテという。つまり、熊のすむ地帯では、他の獣を超えた力をもっていることから、熊は獣の王、野獣世界の支配者とみなされる。また、人間が森の中で遭遇するもっとも危険な存在であることなどから、森の主にも位置づけられる。この森と人間の村とが一つの宇宙を形成しており、儀礼の対象となる熊は、森の野獣世界から人間社会を訪問し、そこで手厚い歓待を受け、丁重な儀礼をもって殺害される。これによって初めて毛皮や肉などの仮装を脱ぐことができ、そして神のいる森へふたたび帰るために不可欠な霊的存在になることができるとされる。 熊送り(熊祭)|日本大百科全書・世界大百科事典|ジャパンナレッジ
この映像を見た時、何とも言えない恐怖と畏怖と神聖さを感じた。私は無宗教なのに何か軽々しく立ち入ってはいけない領域のような気がした。以前は「生贄」というと残酷な風習のように感じていたが、熊送りの映像を見た時「生贄は必ずしも残酷とは言えないのでないか」と感じた。もちろん犠牲になる熊にとっては残酷な行為��けれども。恐らく昔の人は熊を殺す時に命の重みを感じて儀式に臨んだのでないか。現代では考えられないような不条理な習慣もあっただろう。とてつもなく恐ろしいのだが、何か強烈に惹きつけられる魅力も感じた。
熊送りには熊を狩った時に行う儀式と、飼いならした子熊が大きくなって殺す時に行う儀式があるという。後者は特に残酷さが際立っている。写真を見るとまだ子供の熊も対象になっている。現代なら動物愛護団体の抗議の対象になりそうだが、私達だってまだ子供の生き物を食べ物として取り入れていることはあるし、残酷さには変わりないのだ。むしろ残酷さから目を背けない所に学ぶべき所もあるかもしれないと感じた。
仔グマ飼育型クマ送りはいつから 広く北部ユーラシアから北アメリカに至る北方地域における北方諸族の問では、山猟でクマをしとめた場合にその場で解体し、頭骨をはじめとする骨をその場で天の世界に送り返す儀礼を行っている。これは「オプニレ型」と呼ばれる動物儀礼である。これに対して「オマンテ型」とされる儀礼は「仔グマ飼育型クマ送り」を指し、きわめて特殊なもので厳格な規律の中で行われる最高のスタイルの儀礼とされる。
母グマは冬ごもり中に仔グマを出産する。アイヌの人たちは、春先にその母グマを殺し、山でその送りを行い、仔グマを集落に連れ帰るのである。北海道の場合はその仔グマが二歳になった冬に—樺太(サハリン)の場合は三歳まで育てることがあるというが—、それを殺して送りを行うのである。それが「仔グマ飼育型クマ送り」であり、一般的にいうイオマンテ(イヨマンテ)である。 オホーツク「クマ祀り」の世界 - OKHOTSK
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2022年12月22日(木) 先日のとても寒かった日のこと。 歯医者さんへ行く途中に鶴見橋商店街へ寄ってきました。 ここは、かつて駅から工場までを結ぶ長い商店街で、昔は仕事帰りの工員さんたちでとても賑やかだったとのこと。 現在はその工場はもうなくなってしまっていますが、今でも地域の方たちの食の調達場として賑わっています。 店主が初めて勤務した中学校がここの地域だったので、なじみの商店街でもあります。 先日弊店に来てくれた教え子たちの中の一人が、ここで店を経営しています。 「魚まつ」さん @sakanaya_uomatsu 木津卸売市場で仕入れた新鮮で美味しい魚やお惣菜が並びます。 この日店主が購入したのは、海鮮丼に子持ちカレイの煮つけ、そして貝柱の刺身です。 お箸は、先日ラオスからのおみやげとしてもらった���竹のお箸です。これはお勧め。とても使いやすいものです。 醤油は、弟の勤めるサンジルシさんの減塩さしみたまり。超特選は、伊達じゃない。 久々にビールを解禁し、とても優雅な晩御飯を堪能しました。 刺身も煮つけもとても美味しいです。 そして、慣れないお酒は、やはり眠りを誘う。机に突っ伏して寝てしまいました。 この日予定していたジャム作りは諦め、早々に布団を敷いて寝ました。 無理はしないタイプです。 「魚まつ」さんの近所には、肉屋の「小川商店」さんがあります。 @marutoku.horumon_ogawa 直接の教え子ではないのですが、教師時代の店主を覚えていてくれていて、少しだけですがお話しできました。店主が店に行ったのが遅かったので、残念ながら商品は売り切れ。次回はもう少し早めに行って、赤せんやツラミなどを買って一人焼肉大会でも開催しようかと思います。 そのもう少し先に、やはり肉屋の「浦上商店」さんがあります。ここもお勧めです。 さらにその先には「しっぽ」さん。こちらは、お酒を飲みながら料理を楽しめます。体操部の先輩と一緒に行きましたが、めちゃ美味しいです。炉端料理になりますが、テールラーメンの店でもあるみたいですね。次回はぜひ食べてみようと思います。 そして、忘れてはいけない名店「晴月」さん。鶴見橋商店街を26号線をはさんで東側、萩ノ茶屋駅のすぐ近くにあります。お刺身も美味しいですし、オムライスも絶品です。 これから、歯医者の帰り道はグルメの旅になりそうです。 【営業時間】 Tue-Sat 14:00-23:00 Sun 8:00-14:00 Mon Closed 年内は12月30日(金)まで営業いたします。 皆さまのお越しをお待ちしております。 5枚目の写真は、2005年12月に撮影。ラオス南部の町ປາກເຊ(パクセー)にある最も大きな市場、タラートダオフアンのタクシー乗り場。タイとの国境の町、チョメーック行でしょうか。その向こうに見えるソンテウ(乗り合いバス)も、近郊の村へ行きます。 #カフェ #バー #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #cafe #bar #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #ラオス #ベトナム #チキンライス #ベトナムコーヒー #ラオスの風景 #パクセー #ダオフアン市場 #刺身 #海鮮丼 #サンジルシ #ビアラオ #変わろう日本 https://www.instagram.com/p/CmduRq5yMu6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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No.36 Banh Canh Tom Thit Bam Vien (Vietnamese udon noodle soup with shrimp and pork meatballs), and No. 75 Banh Mi Thit Nuong (Grilled Pork Sandwich). 🍜🥪🇻🇳⭐️ #vietnamesefood #todaysvietnamesefood #vietnamesefoodoftheday #instavietnamesefood #food #phothanh #sean626phothanh #banhmi #banhmithitnuong #banhcanh #banhcanhtomthitbamvien #likeback #iphone12promax 今日のベトナム料理。バインカントムティットバムビエン(エビと豚肉団子の入りベトナム風うどん)と、バインミーティットヌオン(ベトナム風焼き豚のサンドウィッチ)。🍜🥪🇻🇳⭐️ #バインミー #バインミーティットヌオン #ベトナム風焼き豚のサンドウィッチ #エビと豚肉団子入りベトナム風うどん #バインカントムティットバムビエン #バインカン #ベトナム料理 #ベトナミーズフード #ベトナム料理部 #ベトナム料理部アリゾナ州支部 #今日のベトナム料理 #いいね返し (Pho Thanh) https://www.instagram.com/p/CTBt4S_LBUp/?utm_medium=tumblr
#vietnamesefood#todaysvietnamesefood#vietnamesefoodoftheday#instavietnamesefood#food#phothanh#sean626phothanh#banhmi#banhmithitnuong#banhcanh#banhcanhtomthitbamvien#likeback#iphone12promax#バインミー#バインミーティットヌオン#ベトナム風焼き豚のサンドウィッチ#エビと豚肉団子入りベトナム風うどん#バインカントムティットバムビエン#バインカン#ベトナム料理#ベトナミーズフード#ベトナム料理部#ベトナム料理部アリゾナ州支部#今日のベトナム料理#いいね返し
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大戦がもたらしたもの 「大戦が 齎 ( もたら ) したもの」と題する講演を聞きに行った。 講演内容の要旨は、次のとおり。 1939年9月に始まったドイツとポーランドの戦争は、近隣諸国を巻き込んで規模を拡大していった。 イギリス・フランスがドイツに宣戦布告する一方、ソ連軍は、火事場泥棒的に、東からポーランドに攻め込んだ。 翌年、ソ連は、フィンランドを攻撃して領土の一部を奪うとともに、バルト三国を併合した。 ドイツは、デンマーク、ノルウェー、ベネルクス三国、フランスなどを制圧した。ドイツは、イギリスを牽制するためイタリアと、ソ連を牽制するため日本と軍事同盟を結んだ。近衛内閣は、軍事同盟に応じ、且つ、翌年、日ソ中立条約を結んで南部仏印に軍を進めたが、これらはスターリン戦略[砕氷船テーゼ]に沿うものだった。
1941年6月、独ソ激突が始まった。 半年後、日本は、アジア植民地解放戦争を開始し、フランス領インドシナ、イギリス領ビルマ、オランダ領インドネシア、アメリカ領フィリピンを占領した。 それに触発された植民地独立宣言の動きは次の通り。
1942年2月、中国共産党の中央党学校開校式で、毛沢東が、学風(学習態度)・党風(党活動)・文風(文書類の表現)の三風を整頓し、党内の主観主義・セクト主義・空言主義を克服すべき旨、述べた。三風整頓運動が起こり、毛沢東 側近の張宗可(康生)は、関係者を拷問して自白を得たうえで、政敵を、スパイ,裏切り者,内通者等に仕立て上げた。拷問は本人だけでなく親族や縁戚にまで及び、拷問に耐えられず、身に覚えのない罪を自白する者も多かった。ソ連人脈の王明,博古,張聞天,王嘉翔,楊尚昆,陳昌浩,杜作祥,沈澤民,張秦秋,王宝礼,王盛荣,王運城,朱自舜,李元杰,汪盛荻,北海道特甫,殷剣,元嘉永,徐義新らは、失脚した。権威主義と官僚主義を率直に批判した王実味は、逮捕され処刑された。 1942年6月頃から、[砕氷船テーゼ]��予言通り、経済力と科学技術力を誇るアメリカを擁する連合国側が優勢に転じた。 1943年5月、ドイツと戦う連合国側に与する必要から、ソ連はコミンテルンを解散した。 1945年3月、日本軍がフランス軍を降してベトナムを独立させた。 1945年5月、イタリアが降伏し、ドイツも降伏した。8月には日本が降伏し、五千万(ソ連2060万,ドイツ950万,日本646万,ポーランド560万,中国318万,アメリカ113万,イギリス98万,フランス75万)人以上の犠牲者を出した第二次世界大戦は終了した。 しかし、「尊皇討奸」の志を受け継ぎ、資本家階級を倒して国家社会主義を目指す陸軍将校らは、敗戦受容れの詔を録音したレコード盤を血眼になって探し求めた。
彼らの狙いは、ソ連軍に依る日本民族解放を待つための時間稼ぎだった。 近衛文麿人脈が占める政権中枢から「ソ連仲介和平」という口実で情報を得ていたソ連軍は、日本降伏に先立って、軍を極東に集結させていた。 アメリカ軍に依る原爆投下を機に日本への攻撃を始めたソ連軍は、武器を持たない無抵抗の日本人を殺しながら、瞬く間に樺太や千島列島を占領した。
占守島 ( しゅむしゅとう ) で樋口中将が抗戦を命じなければ、北海道はソ連軍に 蹂躙 ( じゅうりん ) されていたのだ。
ソ連軍は、朝鮮半島も占領したが、アメリカ軍が上陸してくると、米ソ協定に従い38度線以北に退いた。 ソ連軍は、東ヨーロッパの占領地域でも、社会主義人民共和国政権樹立に力を注ぐようになった。 日本の敗戦でベトナムにはフランスの植民地支配者が戻ってきていたが、1945年9月に革命が起こり、ホー・チ・ミンがベトナム社会主義共和国の建国を宣言した。しかし、フランスは、それを認めなかった。 1945年10月、国際連合(本部:ニューヨーク)が発足した。 イギリスでは、大戦終了直前の選挙で勝った労働党政権が、「ゆりかごから墓場まで」の福祉充実策を実施し、銀行,石炭,通信,航空,電気,鉄道,ガス,鉄鋼などの重要産業を国有化していった。そのため、産業は競争力を失い、[イギリス病]とよばれるほど国力は衰退した。復活には、1980年代のサッチャー登場まで待たなければならなかった。
朝鮮半島では、信託統治(国際連合の信託を受けた国による統治)が検討されたが、まとまらず、アメリカとソ連による分割占領が行われた。 1945年10月10日、中華民国と中国共産党との間で、「内戦を避け、独立・自由・富強の新中国を建設」するための協議が行われたが、双方の思惑は、相手を潰す準備を整えるための時間稼ぎだった。 1946年6月、イタリアでは王制が廃止されて共和政となった。翌年2月にパリ講和条約を結んだイタリアは、エチオピア・アルバニア・リビア・ソマリランドなど総ての海��植民地を失った。 1946年6月、ベトナム南部で、フランス領コーチシナ共和国臨時政府の樹立が宣言された。 1946年7月、中華民国と中国共産党との間で、全面的な内戦が始まった。当初はアメリカの支援を受けた国民党軍が優勢なように見えたが、次第に、ソ連に降伏した関東軍の装備等( 就中 ( なかんずく ) 精鋭将兵の軍事指導)を利用できる中国共産党に形勢が傾いていった。 1946年12月、ベトナム軍とフランス軍の戦争が始まった。フランス軍が優勢だったが、ベトナム社会主義共和国軍はゲリラ戦を展開して頑強に抵抗した。 1947年2月、建国を悲願とするユダヤ人とアラブ人の紛争が絶えなかったパレスチナを持て余したイギリスは、委任統治を放棄し、国連にゲタを預けた。11月、国連総会は、パレスチナの土地の6割弱をユダヤ国家に、4割強をアラブ国家に分割する案を、可決した。倍以上の人口を抱え、殆どの土地を所有するアラブ人側に過酷すぎる不自然な決定は、アメリカ大統領トルーマンのゴリ押しによるものと言われている。
そこから、中東戦争が始まり、長く続くこととなった。 朝鮮半島では、統一政府樹立のための総選挙がソ連の反対で実施できなかったので、1948年5月にアメリカの占領下にある南部だけで総選挙が行われ、李承晩が大統領に当選した。8月15日、大韓民国第一共和国の樹立が宣言され、アメリカ軍政が廃止された。 1948年9月9日、朝鮮半島北部を実効支配する勢力(満州派、甲山派、南労党派、中国共産党、延安派、ソ連派など)が、朝鮮民主主義人民共和国の建国を宣言した。 1949年1月、中共軍が国民党軍を敗退させて、北京に入城した。10月1日、毛沢東が北京市で中華人民共和国の建国を宣言した。10月25日、中共軍八個連隊は、対岸の 厦門 ( アモイ ) からの砲兵隊の援護を受け、200隻のジャンクで三方向から包囲するようにして金門島に迫った。これに対する国民党軍(三個師団と保衛一個連隊)は、旧日本陸軍中将 根本博氏の指揮を受け、一発も反撃せず、中共軍を上陸させて島内に誘い込んだ。日没後、国民党軍は、ジャンクに火を放って上陸軍への補給と退路を断ち、総反撃に出た。中共軍は、混乱し、包囲網の開いた一方向に雪崩を打つように殺到して海岸に向かったが、追いかける国民党軍と島陰で待機していた海軍の挟み撃ちに合って壊滅した。以後、中共軍は、対岸から砲撃するだけで、金門島に上陸しようとしなくなった。
1949年4月、北米と西欧の30箇国は、軍事同盟NATOを結んで共産圏の脅威に備えた。 1949年6月、ベトナム王国ができ、ベトナム帝国皇帝だったバオ・ダイが国王になった。 1949年12月、南京から逃れ出た蒋介石らは、台湾島の台北に中華民国政府を移転させた。 1950年1月、イギリス労働党政権が、中華人民共和国を承認した。 1950年2月、フランス、アメリカ、イギリスがベトナム王国を承認した。 1950年5月、韓国の総選挙で、李承晩政権に対する不信任の結果が示された。2年後任期満了時の再選を危ぶんだ李承晩は、人気挽回策として、対日戦意を煽り「対馬侵攻」を名目に精鋭軍を南下させ釜山に集結させた。手薄となった首都ソウルは、「国土完整」を唱える朝鮮民主主義人民共和国軍にとって、格好の餌食に見えた。 1950年6月25日早朝、北朝鮮軍による総攻撃が、青天の霹靂の如く、何の前触れも無く始まった。防衛ラインは次々と突破され、韓国軍はひたすら敗走を続けた。韓国政府は非常閣僚会議で、ソウルを捨てて南にある水原への遷都を決め、李承晩は更に南の大田に逃れた。ラジオは「国連軍が助けてくれるから安心しろ」と大統領の肉声を放送し続け、新聞は事実と異なる韓国軍の反攻を伝えていた。大統領が逃げ、国民を欺き続ける中で、北朝鮮の南進を少しでも遅らせる為、韓国軍はソウルを東西に流れる漢江の人道橋を、多数の避難民もろとも、爆破した。後に、橋爆破の現場責任者だったチェ・チャンシク大佐が責任を問われて処刑され、真相は闇に葬られた。 米軍機動部隊が大田に到着し防衛線を築いたが、北朝鮮軍は韓国軍を攻め、それを崩壊させて横にいる米軍を包囲した。韓国軍は大量の米軍装備を放棄して逃げ、それを北朝鮮軍が使い、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況になった。 しかし、李承晩は、韓国軍が前線に立つことを主張し続け、状況は改善されなかった。 その結果、米軍主体の国連軍は敗北を重ね、8月末には、北朝鮮軍が釜山まで60キロメートル余の昌寧郡に迫った。 9月2日、マッカーサー元帥が国連安全保障理事会に「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出し、国連軍増強の必要を強調した。また「北朝鮮軍がカムフラージュの為に民家や民間輸送機関を利用しており、軍事目標を識別することは著しく困難である」旨説明し、民間人・施設に対する攻撃の正当性を説明した。民家人を装い、或は、民間人に紛れ込んで、民間人が攻撃しているように見せかけるのは、共産主義者の常套手段。民間人の犠牲を材料とするプロパンガは、彼らの強力な武器となる。9月15日、国連軍は、仁川上陸作戦を成功させ、ソウルを奪回した。
しかし、李承晩の主張に基づき韓国軍を前線に立たせた結果、米軍の装備で米軍兵が殺害される状況が再現され、翌年1月、中共軍にソウルを占領されてしまった。 その後、戦況は、一進一退を繰り返したが、国連は休戦への道筋を作り、両軍の捕虜送還協定が締結された。 6月18日、李承晩は、国連決議を無視し、アメリカに何の予告も無く、抑留中の朝鮮人民軍捕虜二万五千人を北へ送還せずに韓国内で釈放させ、国際世論の非難を浴びた。この釈放は、不法に抑留した日本人の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として日本の刑務所で収監されている韓国人受刑者に対する放免・日本永住許可付与を要求した手口に相通ずる処がある。 1951年9月、サンフランシスコで吉田茂首相が講和条約に調印し、日本は主権を回復した。朝鮮・台湾・南樺太・千島は放棄し、沖縄と小笠原諸島はがアメリカの占領下に置かれることとなった。調印したのは48カ国だった。同日、日米安全保障条約が結ばれ、アメリカ反共陣営に日本が組み込まれた。 1952年1月、韓国は、 所謂 ( いわゆる ) 李承晩ラインを一方的に設定した。 1953年3月、ソ連の最高指導者スターリンが病死した。 1953年7月、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国が、軍事境界38度線を挟む休戦に同意した。軍事委員会委員長に就任した金日成は、朴憲永、金枓奉、崔昌益、許貞淑、金昌満、武亭、朴一禹、朴孝三、方虎山、尹公欽、徐輝、李相朝、金雄、鄭律成、金元鳳、許哥誼、朴昌玉、金烈、朴義琓、総政治局長、崔遠、金七星ら他派の政敵を次々に追い落とし粛正して、権力を強化しいった。 1953年12月、韓国は、日本海で漁船数百隻を拿捕し、乗組員数千人を抑留した。
そして、抑留者の返還と引き換えに 日本の刑務所 で常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として 収監 されている韓国人 受刑者 の 釈放 を要求した。日本政府 はこれを飲み、在日韓国人犯罪者472人を放免し、日本での永住許可を与えた。 1954年2月、 嘗 ( かつ ) て中国西北部の陝西省で毛沢東らを迎え入れた高崗が「東北部を独立王国にしようとした」という濡れ衣を着せられて失脚し、半年後に毒殺された。 1954年、ベトナム国王バオ・ダイは、首相にゴ・ジン・ジェムを任命した。翌年、ゴ・ジン・ジェムが国民投票を実施し、ベトナムは共和国になった。ゴ・ジン・ジェムは大統領に就任し、アメリカの軍事援助を取り付けた。バオ・ダイはフランスに亡命した。 1955年、ソ連と東欧諸国は、NATOに対抗するため、軍事同盟WPOを結んだ。 1956年、ソ連での個人崇拝批判の影響受けて、北朝鮮でも金日成批判の動きが出てきたが、金日成は、甲山派と組んで政敵を除名し逮捕した。 1956年5月、毛沢東は、最高国務会議で「百花斉��� 百家争鳴」を��唱し共産党への批判を歓迎した。翌年2月の最高国務会議でも中国共産党に対する批判を呼びかけるとともに、翌月6日から1週間かけて全国宣伝工作者会議でもさらに中国共産党に対する批判を呼びかけた。知識人の間で中国共産党に対する批判が徐々に出始めるようになり、共産党の中国支配に異を唱えたり毛沢東の指導力を批判する者も出てきた。5月、毛沢東は、新聞に対して党の批判とあわせて「右派」に対する批判も行うよう命じたが、「右派らは有頂天になっている。まだ釣り上げてはならない」と述べた。6月、人民日報は「右派分子が社会主義を攻撃している」という毛沢東が執筆した社説を掲載した。10日後、人民日報は、毛沢東が 嘗 ( かつ ) て「百花斉放 百家争鳴」を呼びかけた演説内容を掲載したが、演説したという内容は、批判を制約するものだった。党を思い切って批判した知識人たちは社会主義政権破壊を画策した[右派]というレッテルを貼られ、知識人の粛清運動(反右派闘争)が始まった。以後、中国共産党批判は二度と行われなかった。
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中国語で得られる情報量の違い
新型コロナウイルス 感染の抑え込みで、台湾の強さが世界的に注目されている。台湾はなぜコロナに強いのか。日本との比較を中心に考察してみたい。
まず第一に、中国語による情報獲得の強さが挙げられる。中国政府は当初、新型ウイルスの発生に関する情報を出し渋ったが、武漢市、湖北省から、SNSなどを通じて個人による外部への情報発信は行われていた。そうした中国語による情報をリアルタイムで受け取っていたのが、台湾、香港などの中国語圏だ。結果的に、台湾、マカオ、シンガポールといった中国語圏で、ウイルスに対する封じ込めが最も早く起動した。
対する日本では政府、マスメディアとも、中国語による情報を日常的に受信し、分析する人材が圧倒的に不足している。公衆衛生を含めた安全保障の観点からしても、せめてCNNやBBCを日々チェックするのと同じレベルで、中国語メディアに触れられる人材を増やす必要が大いにある。
次に台湾は2003年のSARS禍を経験し、新型ウイルスの怖さを、政府も市民も身に染みて理解していた。香港の場合、特別行政区政府は圧倒的に中国寄りで、ウイルスから市民を守る政策を即時にとることができなかったが、それでも感染拡大が相当程度抑えられたのは、SARSの怖さを人々が記憶していて、自発的に予防的行動をとれたからである。
これに対し、当初、日本のメディアでは、「インフルエンザ程度」「正しく恐れることが大事」といった言説が多く流れ、結果的に国民に警戒感を持たせることができなかったことは、衆目の一致するところだろう。
第三に、日々中国からの統一圧力を受けている台湾では、官民とも「中国に気を許してはいけない」という意識が明確にある。特に蔡英文総統率いる民進党政権になって以降、中国からの観光客制限、友好国の切り崩し、国際機関への参加妨害などに加え、メディアの買収、フェイクニュースの流布など、あの手この手の攻撃を受けている。そのため、新型ウイルスの「生物兵器説」も、台湾では噂話のレベルにとどまらず、事実かもしれないという感覚で受け止められた。
同時に、台湾では、中国に故郷を持つ人、仕事で行き来している人も多く、心情的親中派も少なくない。このように中国の存在が生々しく感じられる中、蔡英文政権は、最初期に中国からの入境禁止、マスク輸出の禁止といった厳しい政策をとり、「台湾ファースト」の姿勢を明確に打ち出した。
同じ頃、日本では、武漢など中国各地に向けて大量のマスクや医療物資を贈る動きが見られた。漢詩で近隣友好の気持ちを表現したことで、中国社会から高く評価されもした。しかし、ウイルス感染がすぐに日本にまで広がってくることは明らかだったのだ。中国語圏の人たちから見れば、日本人のふるまいは、残念ながら、大変ナイーブに映ったと言わざるを得ない。
マスクの重要性を知っていた
第四に、マスク問題をめぐっても台湾と日本の間には大きな差があった。SARS禍を経験している台湾や香港では、官民ともにマスク着用が感染予防に役立つという確信を持っている。これは例えばSARS禍の際、ベトナムの医療団が「ウイルスを密閉して外に出すな」という国際常識とは反対に「病室の窓を開けて換気をよくする」ことで感染を抑え込んだ経験につながる。
つまり、欧米とアジアの間には、風土の差、文化の違いが事実として存在する。よって、欧米の常識をそのままアジアに持ってきたところで、必ずしも通用しない。しかし日本社会はむしろWHOの意見や欧米人の振る舞いを信じて、マスクの重要性をなかなか理解できなかった。
現在のWHOが、事務局長以下、中国寄りのスタンスをとり、結果的に新型ウイルスの封じ込めに失敗したことは明らかだ。しかし、国連機関であるWHO��対して、日本政府を初め多くの日本人は幻想に近い信頼感を持ち続け、アジアの隣人たちの機敏な動きを参考にできていない。
台湾は1970年代に国連代表権を中国に奪われてこのかた、WHOへの正式な参加を認められてこなかった。主に中国の反対によるものだが、WHOに対する不信感、裏切られたとの思いも台湾にはある。それがWHOに対する日本の幻想とは正反対に、現実的な判断を可能にしたとすれば皮肉だ。
台湾政府は当初からマスクの重要性を認識し、各家庭に行き渡らせるため、具対的な施策をおこなった。昨年まで、台湾でもマスクの多くを中国からの輸入に頼っていたが、今年に入って中台間の往来を制限すると、即座に国内の在庫や生産分を政府の管理下に置いた。そして、国内の製造業者に対し、他分野からの参入によって、マスク生産ラインを増やすよう協力を求めたのである。
同時���、限られた数のマスクを公平に配分し、高値での転売などを防ぐため、マスクは政府指定の薬局でのみ販売するものとし、さらに購入に際しては、保険証を提示するという「実名購買制度」が導入された。
この制度が機能したのは、台湾で国民皆保険制度が確立し、保険証がICカード化されたためだ。そして、台湾全島の指定薬局にそれぞれ何枚のマスクが在庫としてあるかを瞬時にスマホで見ることができるシステムを急遽導入できたのは、天才プログラマーとして名高いIT担当の唐鳳(オードリー・タン)大臣が自ら提案し、実行に移したからだ。
蔡英文総統の胆力
タン大臣のような天才は世界でも稀ではあろうが、日本にだって恐らくは存在していることだろう。しかし、中学中退の元有名ハッカーで30代、しかもトランスジェンダーであることを公言している人物をIT担当大臣に任命する、そうした政治的決断を行えるトップは、残念ながら日本には存在しない。
その意味では蔡英文総統のリーダーシップと胆力は際立ったものがあり、ウイルス対策がうまくいった大きな要因だと言える。
蔡英文総統〔PHOTO〕Gettyimages
新型ウイルスの前に、台湾が国際的に注目を浴びたのは、2019年にアジアで初めて同性婚を合法化した際だった。これでリベラルな台湾というイメージが一気に広がったが、必ずしも台湾社会全体が日本などと比べて格段にリベラルだというわけではない。儒教に基づく保守的な考え方、キリスト教に基づく厳格な態度等もあり、投票結果を見ても、同性婚に対する賛成と反対はほぼ拮抗していた。
しかし蔡英文総統は、自身の価値観というよりも、同性婚を合法化することが台湾の国際的イメージの向上に役立つという政治的判断で動いた。その結果、世界中の新聞やネットニュースに台湾という名前がポジティブなイメージとともに登場し、それによって、台湾の人々の自尊感情と政権への支持率をともに高めたのである。
2000年に台湾史上初の政権交代で、国民党から政権を奪った民進党は、2008年の総統選では国民党に敗北して下野。2016年に再度勝利したものの、2018年の統一地方選では大敗するなど、決して平坦な道を歩んできたわけではなかった。2018年秋に高雄市の市長に選ばれた国民党所属の韓国瑜氏は、中国寄りの政治的スタンスと庶民的なキャラクターで驚くほどの人気を集め、今年1月の総統選挙では、高雄市長のまま、国民党代表候補として出馬した。
再選を期して出馬した蔡英文氏は、当初、民進党の候補者資格を得るのさえ難儀したほどの劣勢に立たされていたが、2019年初頭、中国の習近平国家主席が台湾に対して「一国二制度」を提案した際、即座に明確な反対を表明したことで、風向きが大きく変わった。しかもその数か月後、すでに「一国二制度」下にある香港で、大規模なデモや反政府運動が展開されるに至り、さらなる追い風となった。
専門家を閣僚に迎えている
一見地味なキャラクターの蔡英文総統だが、中国の習近平国家主席を向こうに回して物怖じしないだけの胆力を持つ政治家は、WHOはおろか、世界中を見渡したところでいくらもいない。日本のコロナウイルス対策が、オリンピック開催と習近平氏の訪日予定のために出遅れたことを考えると、ここでも彼我の差が際立ったといえるだろう。
1956年生まれの蔡英文氏は学者出身で、国民党政権時代に李登輝元総統のもとで対中国政策に携わったことから政治に関わりをもった。民進党陳水扁政権下で国会議員にあたる立法院委員となり、続く野党時代の2008年に民進党主席当選。台湾本省人(閩南客家系)家庭の出身で、外祖母は台湾原住民族の一つパイワン族の出身。
実業家の父親には四人の妻がいたが、英文は合わせて11人の子どものうち末っ子として育った。旧帝大の一つだった台湾大学(旧台北帝大)法学部卒業後、アメリカに留学しコーネル大学で法律学修士、さらにイギリスに渡ってロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで法律学博士号を取得している。
超高学歴で女性、独身で愛猫と暮らす。戒厳令時代の反政府運動の中から生まれた民進党の中では新世代といえる存在で、前述のタン大臣以外にも、閣僚や主要ポストに民間出身の専門家を多く招いている。主に国会議員の中から、自民党派閥間の均衡を取るように閣僚を選出する日本とは、制度的にも政治文化的にも大きく異なるのだ。
例えば、陳建仁副総統は台湾大学医学部出身の公衆衛生専門家で、台湾の最高学術機関である中央研究院の副院長まで務めた。2003年のSARS禍の際に衛生署(日本の厚生労働省にあたる)のトップに招かれて感染対策に当たったことから政治との関係を深め、2016年に蔡英文が総統選挙に出た際、無党籍のまま副総統候補となって現在に至る。新型ウイルス対策の遂行で、大きな力を発揮していることは疑いない。
また日本の内閣にあたる行政院の副院長を務めている陳其邁氏も医師で、台湾大学医学部大学院時代には、陳建仁現副総統の指導を受けて公共衛生学修士号を取得している。他に、毎日生中継される記者会見で、政府を代表し、ウイルス禍の実情を丁寧に説明している陳時中衛生署長は歯科医で、医師会の理事として健康保険制度の確立に深く関わった経歴を持つ。
「後藤新平先生が健在だったら…」
このように高度な専門家を行政機関のトップに据えて、実務と政治的判断の両方を委ねる形は、総統制度を根拠とする一方で、蔡英文自身が超高学歴であることも要因の一つだろう。
特にIT化の推進に前向きで、IC化された保険証の活用だけでなく、海外帰国者の自主隔離状態をスマホの位置確認で行うなど、感染封じ込めのためには、日本でなら個人情報保護などの観点から問題視されかねない措置もためらわない。
また草の根の民主化運動出身ではなく、学術界から抜擢された女性政治家という意味では、日本で1980年代に「おたかさんブーム」を巻き起こした土井たか子元社会党委員長に通じる部分も持つ。
いずれにせよ、新型ウイルス禍で台湾が世界を刮目させる成績をあげているのは、国際社会における孤立の中で、難民政権でありながら長く独裁制を敷いた国民党統治を民主化で覆し、現在はまた強大化した中国の圧力を日々感じながらも、着実に国民国家建設を進めている台湾の政治、社会、文化的背景があることは間違いない。
今回、ダイヤモンド・プリンセス号に始まった日本政府及び社会の対応について、台湾の人々は豊富なニュースチャンネルを通じ、場合によっては日本人以上に深い関心を持って見つめている。それは19世紀末に遡る日本の台湾統治という歴史があってのことだ。
特に医師であり政治家でもあった後藤新平が割譲直後の台湾に民政局長として赴き、公衆衛生の改善に功績をあげたことは広く知られている。よって、今般のコロナウイルス に対する日本政府の対応を見た台湾の人から、SNS上で「後藤新平先生がご健在だったら、何とおっしゃることか」というコメントが上がるわけである。
ウイルスとの戦いは今後もしばらくは続くことだろう。アジアの隣人である台湾から日本が学べることは決して少なくないはずだ。
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たくみの里 ぬる塩ヨーグルト
道の駅「たくみの里」さんのヨーグルト、もういっちょ!
去年の11月にTBS「まるっと!サタデー」でアレンジをご紹介させていただいた思い出の品✨
スペック
地元で搾った新鮮な生乳と、ベトナム・カンホアの塩で作った水切りヨーグルト。
お塩の入った水切りヨーグルトはこれが日本初やねんて🇯🇵
料理研究家の林幸子先生が監修されてて、パンやフルーツに塗るのはもちろん、カレーやパスタに入れてコクをUPさせたり、お肉やトマト、サラダにもよく合うそうな。
ほんま、何に足しても合うから、これが冷蔵庫にあるうちは全ての食事で登場中😋
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
むにゅーーーーっと搾り入れた形がそのまま残ってる😍
わたしの大好きなギリシャヨーグルトのツノ、ぼってりしてて可愛い😂
すくってみるとネチネチネチって言いながら割れてくすんごい質感!!
表面はなめらかやったけど、中身はモツァモツァ。
見てるだけで口の中の水分が奪われそう。
香りはほとんどなし。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ひゃーーーーーー、しょっぱうま🤍
かなり強めの塩分🧂
クリームチーズみたいに濃ゆいヨーグルトが舌に絡みついて、じゅわじゅわじゅわーっと塩味が染み出してきて、そのまま食べたらあかんやつ!ってぐらいしっかりした味😳✨
ブルーチーズみたいに少量ずつとってお酒のアテにできそう🍷
あんぱんと
ヨーグルトとあんこの合わせ技大好き❤
今回は薄皮あんぱん���冷凍庫で寝かせたものへ塗り塗り。
ラップで包んで少し冷凍したら、パンの水分がしっとり詰まったような質感になるんやけど、これが塩ヨーグルトと相性抜群で🤝
半分に割ったところにたっぷり塗って一口。
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ🤍
甘いあんこと濃厚ヨーグルトの絡み合いの中から、塩味が波のように出てきたり、隠れたり。
抑揚のある味に振り回されて幸せ🤤💕
旨味100倍、コク1000倍!!!!!!!
大爆発!!!!!
おいしーーーーーー👏😭💕
ぜひ試してみて!!!
🛒 たくみの里 オンラインショップ
============================ 無脂乳固形分 23.8% 乳脂肪分 11.2% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 137kcal たんぱく質 8.1g 脂質 9.2g 炭水化物 5.4g 食塩相当量 1.5g カルシウム 100mg ※全量は150g ————————————————— 原材料名 生乳(群馬県)、塩 ————————————————— オンラインショップ価格 500円(税込) ————————————————— 製造者 一般財団法人 みなかみ農村公園公社 ============================
中身
2019年12月30日のレビュー
2017年5月に食べて感動したの、久々に見かけて再購入。
塗る系のヨーグルトも塩系のヨーグルトもそれぞれいくつかあるけど、塗る系×塩系はわたしが知る限りではこの商品のみ!! めちゃめちゃレアやし、すんごいおいしいからおすすめ💓
地元産の新鮮な生乳で作ったヨーグルトを水切りして、ベトナム・カンホアの塩を入れただけの超シンプルなもの。 甘みづけなどは一切なし。
料理研究家・林幸子先生監修の商品だそうで、パンやフルーツ、野菜のディップにも使えるみたい。
ただ、1つ注意点が。 めちゃ濃厚でしょっぱいからそのままは食べるのは難しいけど、あくまでヨーグルトやから賞味期限短い!
買ったら日々のメニューに使いまくって即消費💦
でもカレーやパスタの隠し味にも使えるらしいから、塗るのに飽きても大丈夫🙆🏻♀️ 飽きへんけども🤤💕
開封。
かなりしっかり水切りされて硬い! スプレッド!!!って感じ。
断面はざらざら。
鼻を近づけるとヨーグルトのめちゃめちゃいい香りがして、スプレッドっぽいビジュアルとのギャップがすごい。
まずはそのまま少しだけ、頂きます🙏
んーーー、しょっぱい!! しっかり塩気!
そしてめちゃめちゃ濃厚で舌にベターッとまとわりついてくれて、たまらんっ😍
お塩で引き出されたお乳の旨味がじゅわじゅわ!!! なんておいしいんや😭✨
もう一口だけ… うまーーーーー💓
かなりコクが強めで、芯のある強い味。 色んなものに勝ってくれそう。
前回はパンに塗ったけど、今回はちょっとリッチに、プロテインパンケーキ(メープルシロップ風味)に、無糖ゆで小豆とともに添えてみた🥞✨
頂きます🙏
わぁぁぁぁぁ💓 パンケーキの熱でとろけてて、めちゃうま!!!
普通のヨーグルト乗せたらべちゃべちゃになるやろうけど、これは硬いから、バターみたいにいい感じに固形のまま柔らかくなってる😍
無糖無塩のゆで小豆に絡めたら、コクと塩気がすんごいいい仕事する👏 クリームチーズで和えてるみたい!
モサモサしがちなマイプロテインのプロテインパンケーキも、この組み合わせなら最高のデザートになる💓💓💓💓💓
めちゃんこ強い子やけど、あくまでヨーグルトやから、後味があっさりしてるのがまた魅力的。 もたれずにたくさん食べれちゃう。
お砂糖も入ってないし、ヨーグルトやから、あんまりカロリー気にならんのも最高🙌 たまらーーーん!!!
============================ 無脂乳固形分 23.8% 乳脂肪分 11.2% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 137kcal たんぱく質 8.1g 脂質 9.2g 炭水化物 5.4g 食塩相当量 1.5g カルシウム 100mg ————————————————— 原材料名 生乳、塩 ============================
2017年5月31日のレビュー
生乳と塩のみで作った水切りヨーグルト。 乳脂肪分11.2%、無脂乳固形分は驚異の23.8%。
パンに塗る他、カレーやパスタに入れてコクをつけたり、お肉やトマトにつけてもいいらしい。
まずはそのまま舐めてみたら、かなーり口に残るぐらい濃厚!! そしてしょっぱーーーーい!!
お次にパンに塗って食べてみたら、うまーーーーーーーーっ!!!😍 バターともまた違う、クリーミーさと塩味とが主張して、旨味爆発💥 同じ生乳と塩でもチーズともバターとも違うものになるんやなぁ。
オススメされてたパン+これ+蜂蜜の組み合わせもおいしい! 塗るヨーグルトといえば小林牧場やけど、あっちは激甘系やったし、方向性が違ってどっちもいいわ♡
濃厚やから消費に時間かかるけど、あくまでヨーグルトやし賞味期限短いので注意!
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各地句会報
花鳥誌 令和4年1月号
坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和3年10月2日 零の会 坊城俊樹選 特選句
秋蝶のひと差し舞うて女坂 順子 筆塚に鏡花名残りの桔梗とも 要 秋草や妓楼のなごり今も濃く 悠紀子 筆塚に秋思の女佇ち替はり 順子 鉄の日時計錆びて天高し 要 蓮の実へ東天紅の影をひく はるか 女坂思ひありしか秋の蝶 三郎 蓮の実を飛ばせぬままに朽ちにけり 和子 実を抱きしままの蓮が水の底 和子
岡田順子選 特選句
実の飛んで慕情の蓮となりしかな 俊樹 蓮の実や弁財天の琵琶に飛び 眞理子 水澄んで鯉肉色の口開く 和子 野分後嘘つぽくなるりんごあめ きみよ 秋高き処に棲みて水のうへ いづみ 秋晴を細く傷つけ昼の月 小鳥 野の秋へからからと鳴る旅鞄 はるか 鶏頭を咲かせて人を葬りけり 和子 竜田姫広小路まで人力車 きみよ オレンヂのカンナの横が台東区 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月6日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
近松像離れぬ秋の蝶一つ ただし 啄木鳥や祈りの道の仏たち 同 切株の匂ふ日照りに秋の蝶 同 彼岸花終りし畦に道祖神 清女 夜の森静かにきのこ生まれけり 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月7日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
祝詞声秋風に乗り天に消ゆ 喜代子 蔵の戸を引くや新酒の香り立つ 都 長き夜や身を乗り出して艶話 同 鬼ごつこ影長くして秋うらら 同 山の辺の刈田に映ゆる入日かな 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月7日 花鳥さヾれ会 坊城俊樹選 特選句
九頭竜の水面芒と光り合ふ かづを 九頭竜に秋晴と云ふ寂しさよ 同 月見草サーカス小屋のたちし頃 清女 小鳥来よ玻璃を磨きて待つ我に 同 落葉舞ふ左内の像や江戸を向く 千代子 江戸を向く左内の像や身にぞしむ 同 河口より秋潮つれて虹屋まで 笑 少年の秋蝶追うて一乗谷 同 柏翠忌思ひおもひの星月夜 匠 忌の心持ちて迎ふる十月を 和子 秋潮の白波高し柏翠忌 啓子 柏翠忌墓石と知るや秋の蝶 希
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月8日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
新しき杉玉軒に新走り 益恵 秋の暮澪引く船に集魚灯 宇太郎 一人居の軒賑はひて吊し柿 すみ子 曼荼羅華とは雨跡の草紅葉 悦子 一面のすみずみ揺れて蕎麦の花 都 猪に荒れし跡ある法の庭 すみ子 人知れず烏瓜にもあをき時 美智子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月9日 札幌花鳥会 坊城俊樹選 特選句
中子逝くとしあつの待つ天の川 独舟 秋刀魚船銀波を超えて今寄港 同 大空を全て我が物鰯雲 晶子 母の字をなぞるノートや夜半の秋 のりこ 魔女の住む庭の真つ赤な唐辛子 岬月 拾ひたる木の実に森の物語 同 弾け出て校庭の子ら秋高し 慧子 一位垣途切れるところ野紺菊 同 時刻表より消えし駅秋桜 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月11日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
干されたる地下足袋に来る赤とんぼ 上嶋昭子 小鳥来て神なび鳥語弾みをり 時江 遠堤の紅は静かに曼珠沙華 三四郎 滅亡の火の色をして狐花 上嶋昭子 時空越えお伽の国へ菊人形 中山昭子 野にあれば力むがごとし男郎花 時江 したたかに生き残りたる蚊にさされ 英美子 猪垣に全校生徒十五人 清女 鶏頭の全身燃ゆる赤の庭 三四郎 松手入身を伸ばしつつ縮めつつ みす枝 街角のペンキの匂ひ秋の風 三四郎
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月11日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
採血の血管逃しうそ寒し 貴薫 目覚めれば仄かに香る菊枕 せつこ 木の実落つ音におびえしお留守番 和魚 木の実独楽いつとき影を正しうす 有有 うそ寒や日の傾ける山の翳 ます江 菊枕闘ふ君の息遣ひ 美貴 橡の実も薪も干されて山の宿 あき子 碧色の潜む湖あり木の実落つ 貴薫 傘寿なる姉に縫ひあぐ菊枕 三無 児童館木の実工作靴多彩 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月12日 萩花鳥句会
柿紅葉狭庭はんなり染めにけり 祐子 手を繋ぎ竹灯城下夜夜の月 美恵子 稲田へと鳥たち今は庭へ来ぬ 健雄 彼岸花年ふる毎にいとほしく 陽子 初紅葉抱きしみどりご目も見えて ゆかり 今年また総代のみの在祭 克弘
………………………………………………………………
令和3年10月12日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
秋潮や櫓を漕がずとも進む舟 登美子 秋の野にちらりと見えるかくれんぼ 裕子 黙祷は東の空の秋虹へ 登美子 ベトナムの友と見上ぐる渡り鳥 同 山装ふ街に住む子に電話する あけみ 車窓より刈田黄金に流れゆく 同 鳥覗き我も覗くや水澄めり 紀子 休みつつ鍬打つ母や千代見草 登美子 朝参褒美なるかな終の蓮 みえこ 次男坊白菊かかへ祖父の墓 令子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月16日 伊藤柏翠俳句記念館 坊城俊樹選 特選句
わが裳���翻しをり萩の風 千代子 わが里と連なる大河鮭のぼる 同 柿すだれ過疎の一戸を守りけり 真喜栄 荒磯みち名残りの句碑や野菊晴れ 同 月明り金星月に相寄りて 玲子 長き夜や肩を丸めて爪を切る 富子 暗闇を一枚にして虫時雨 みす枝 すがりたき女ごころや男郎花 世詩明 隠し田の稲も刈られてゐたりけり 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月17日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
末枯を見すゑ子育地蔵尊 慶月 本堂に秋灯暗く濡れてをり 斉 矢印に従ひ行けば秋の声 菟生 昨夜の酔ひ残して雨の酔芙蓉 秋尚 大寺にごつごつ競ふ青花梨 幸風 武士の鬨の声かと鵙鋭声(とごえ) 眞理子 秋雨の空白色に降り続く 貴薫 姦しく森はみ出してゐる小鳥 斉 瓢簞の細きくびれを打てる雨 圭魚 かくれんぼ鬼と芒の残さるる 千種
栗林圭魚選 特選句
秋雨の音聞くばかり年尾句碑 秋尚 濡れそぼつ幼の合羽のうそ寒く 斉 大寺にごつごつ競ふ青花梨 幸風 多重塔おほふ大樹や小鳥来る 芙佐子 白つつじ暗闇坂の返り花 文英 姦しく森はみ出してゐる小鳥 斉 かくれんぼ鬼と芒の残さるる 千種 年尾句碑静寂を好む小鳥来る 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月19日 福井花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
ひよんの笛吹きつゝ左内偲びをり 千代子 洒落れた街しやれた雲浮く洒落れた秋 和子 夫の忌や空いつぱいの鰯雲 令子 鉄塔の先つちよ点り星月夜 清女 金色の仏の流転秋の風 雪 菊に立ちふと薫陶と云ふ言葉 同 朝倉の世も金風のかく吹かん 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月22日 鯖江花鳥俳句會 坊城俊樹選 特選句
戸袋にひそんでゐたる名残りの蚊 上嶋昭子 名画座に清張ものや秋深し 同 母に付き落穂拾ひの遥けき日 一涓 小鳥来る私雨の只中を 同 巫(かんなぎ)のまたあるときは稲刈女 同 秋深む軒に干すもの吊すもの みす枝 鳴らぬまま秋風鈴となりにけり 洋子 耳たぶの大いなる子の帰省かな 世詩明 かぐや姫もしやと思ふ月夜かな 信子 風音も乾いて来たる刈田かな 同 朝は銀夕べ金波の花芒 同 雨よりも雨音淋し冬に入る 中山昭子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
双つ児の生声高し天高し 孝子 地図に読む夜長の旅の物語 ひとみ いぼむしり意図なく背の枯れはじむ 成子 いつしかに末枯の野に踏み入りぬ 光子 赤鬼も青鬼も棲む唐辛子 喜和 無花果の固き扉の半開き 千代 パンドラの箱の底より秋の声 ひとみ 虚空に日輪枯野には未来図 睦子 金風は檻のものらに吹いてゐる 佐和
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年10月 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
朝寒や鐘の音とよむ磧径 幸風 団栗を五百羅漢に配る子等 同 母の塔真赤に熟るる烏瓜 同 その中の尾花に乱れなかりけり 百合子 ほろほろと零るも雅式部の実 三無 持ち寄りの千草の彩や中子師に 亜栄子 朝寒にペダル踏み出す重さかな 白陶 盛り沢山秋草活けて師を偲ぶ 教子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和3年9月1日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
銀漢の尾に街の灯を繋ぎたし 世詩明 色白が七難隠す砂日傘 同 昼寝してしばし地獄を見に行きし 同 一乗谷無縁仏や茄子の馬 ただし 生き残りかけし秋蚊の刺しつぷり 清女 曼珠沙華蘂が派手や数少な 輝一 漕ぎ出だす柳橋より花火船 誠 遠き日の桑食む夏蚕みしみしと 同 線香の煙漂ふ終戦日 信義
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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【外国人労働者が絶望する「ニッポンのブラック工場」の実態 安すぎる給料、過酷な労働条件…】 - 現代ビジネス | 講談社 : https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49458 : https://archive.is/OAS9m : https://archive.is/PykOI : https://archive.is/4sj2M : https://archive.is/K4XHA : https://archive.is/ZYWVE : https://archive.is/eSV9I 出井 康博 { 2016.08.25 } {{ 図版 1 }} {{ 図版 2 : 〔PHOTO〕gettyimages }}
日本の低賃金・重労働に絶望を募らせる外国人が増えている。外国人労働者の実態を取材した『ルポ ニッポン絶望工場』から、その一部を公開する――。
■《外国人労働者の悲鳴が聞こえる》
近年、外国人の働く姿を見かける機会がますます増えてきた。
都会のコンビニエンスストアや飲食チェーン店では、外国人の店員が当たり前になった。建設現場でも、外国人作業員をよく見かける。田舎に行けば、農業や水産加工業などで外国人は貴重な戦力だ。
外国人が増えていることは統計でも明らかだ。
日本で暮らす外国人の数は昨年1年間で約11万人増え、過去最高の約223万人に達した。こうして増加した外国人の半分以上は「実習生」と「留学生」として日本にやってきている。実習生は15パーセント増えて約19万3000人、留学生も同じく15パーセントの増加で約24万7000人となった。私たちが普段見かける外国人労働者も、その多くは「実習生」や「留学生」として入国した人たちだ。
実習生と聞けば、日本に技術を学びに来ている外国人のように思われるかもしれない。しかし、実態は短期の出稼ぎ労働者である。留学生にも、勉強よりも出稼ぎを目的とする者が多く含まれる。
では、外国人の出稼ぎ労働者たちは、なぜ「労働者」ではなく、「実習生」や「留学生」として日本にやってくるのか。
私たちの”便利な生活”は低賃金・重労働に耐えて働く外国人がいなければ成り立たなくなっている。彼らが「利用されている」と気づいた時”復讐”が始まる…。 少子高齢化によって、日本の労働人口は減り続けている。とりわけ体力が必要で賃金の安い仕事は働き手が不足している。しかし、「単純労働」を目的に外国人が入国することは法律で許されない。そこで「実習生」や「留学生」と偽って、実質的には単純労働者が受け入れられているのだ。
私が「外国人労働者」をテーマに取材を始めたのは2007年、ある月刊誌で連載を始めたことがきっかけだった。
すでに当時から、一部の職種で人手不足は深刻化しつつあった。外国人実習生の数は15万人を超えていた。実習生と同様、バブル期の人手不足によって受け入れられ始めた日系ブラジル人の出稼ぎも、全国で30万人以上に上っていた。翌2008年には、東南アジア諸国から介護士・看護師の受け入れも開始されることになっていた。
そうやって外国人労働者はどんどん増えているというのに、世の中の関心は現在にもまして低かった。
欧米諸国を見れば、外国人労働者や移民の受け入れは、国論を二分するテーマになっている。やがて日本でも、外国人労働者や移民の受け入れが大きな議論���なるに違いない。そう考え、以来私は、10年にわたって外国人が働く現場を訪ね歩いてきた。
≫――――――≪
■《生臭さが充満する職場で…》
私には今も忘れられない光景がある。外国人労働者の取材を始めた際、最初に訪れた北海道猿払村で目にした光景だ。
猿払村は、日本最北端の宗谷岬からオホーツク海沿いに少し下った辺りにある。人口は3000人に満たないが、ホタテの水揚げ量で全国一を誇る「ホタテの町」だ。ホタテの殻を剥く作業には人手が要るが、地元では確保できなくなっていた。そこで村では、約100人の実習生を中国から受け入れ、人手不足を補うことにした。
実習生の働くホタテの加工場は、殺風景な海岸にポツンとあった。そこに足を踏み入れた瞬間、私は思わず息を止めた。加工場には潮の香りとホタテの生臭さが充満していて、むせ返りそうだったのだ。
そんななか、中国人実習生たちは顔色ひとつ変えず、黙々とホタテの殻剥きに励んでいた。皆、20代の若い女性である。一緒に働く地元の日本人女性たちは60~70代で、作業のスピードは明らかに実習生たちのほうが早い。
「実習生なしでは、この加工場、いや村はもうやっていけない」
加工場の経営者が漏らした言葉に、私は軽い衝撃を受けた。外国人労働者なしでは「やっていけない」職場が、日本のあちこちで増えていくに違いないと悟ったからだ。少子化による人手不足は、なにも猿払村や水産加工業に限った話ではないのである。
あのときの私の予感は現実のものとなった。コンビニや飲食チェーン店のような目につく職場だけではない。外国人頼みの現場は、むしろ私たちが普段、目にしない場所に数多く存在する。コンビニやスーパーなどで売られる弁当やサンドイッチの製造工場、宅配便の仕分け現場、そして新聞配達……。いずれも日本人が嫌がる夜勤の肉体労働ばかりである。
コンビニは24時間オープンしてもらいたい。
弁当はできるだけ安く買いたい。
宅配便は決まった時間にきちんと届けてもらいたい。
新聞は毎朝毎夕決まった時間に配達してほしい。
しかし、私たちが当たり前のように考えているそんな“便利な生活”は、もはや低賃金・重労働に耐えて働く外国人の存在がなければ成り立たなくなっている。いや、彼らがいなくなれば、たちまち立ちゆかなくなる。
そうした実態は、日本人にほとんど知られていないのではなかろうか。
≫――――――≪
■《「反日化」と「復讐」》
取材を続けながら、私が強く実感することがある。それは就労先としての「日本」という国の魅力が、年を追うごとに低下しているという現実だ。
かつての日本は、世界第2位の経済大国として君臨していた。途上国の人々にとって日本は「夢の国」であり、その日本で働くことには憧れもあった。
しかし近年、アジア諸国を中心として多くの途上国が急速な経済成長を遂げた。ひとことで言えば、経済格差が縮まったのである。日本は「夢の国」から「安い国」へと転落し、カネを“稼ぐ”ための場所から“使う”ための国へと変わった。“爆買い”で有名になった中国人観光客を見れば、そのことがよくわかる。
日本に出稼ぎにやってくる外国人の顔ぶれも大きく変化した。かつて実習生や留学生の7割を占めた中国人は減少が止まらない。中国の経済発展で賃金が上昇し、日本への出稼ぎ希望者が減ったからだ。そして日系ブラジル人も、ピーク時の半分近くまで激減している。
代わって増えているのが、経済発展に乗り遅れた国の人々だ。
たとえば、ベトナム人である。
2010年末には約4万2000人に過ぎなかった在日ベトナム人の数は、わずか5年で約14万7000人と、10万人以上も急増した。ネパール人も約1万8000人から約5万5000人へと増えている。さらには、ミャンマーやカンボジアといった国々の出身者も増加中だ。彼らが今、「実習生」や「留学生」として増えている外国人労働者の正体なのである。
職業に貴賎はない。とはいえ、誰もがやりたがらない仕事はある。そうした最底辺の仕事を彼らが担っている。今後も、外国人頼みの職種は増えていくことだろう。老人の介護は外国人が担い、外国人の力なしにはビルや家も建たない時代が近づいている。
日本人の嫌がる仕事を外国人に任せ、便利で快適な生活を維持していくのか。それとも不便さやコストの上昇をがまんしても、日本人だけでやっていくのか。私たちは今、まさにその選択の岐路にいる。
貧しい国に生まれ育った外国人であろうと、彼らも同じ人間である。日本人にとって嫌な仕事は、彼らも本音ではやりたくない。これまで私は、日本に憧れてやってきた若者たちが、やがて愛想を尽かして去っていく姿を何度となく目の当たりにしてきた。“親日”の外国人が、日本で暮らすうち“反日”に変わっていくのである。
「実習生」や「留学生」だと称して外国人たちを日本へと誘い込む。そして都合よく利用し、さまざまな手段で食いものにする。そんな事実に気づいたとき、彼らは絶望し、日本への反感を募らせる。静かに日本から去っていく者もいれば、不法就労に走る者もいる。なかには凶悪な犯罪を起こす者すらいる。
自分たちを食いものにしてきた日本社会に対し、彼らの“復讐”が今まさに始まろうとしているのだ。
≫――――――≪
■《“奴隷労働”が支える新聞配達》
「外国人技能実習制度」(実習制度)で来日した実習生が、日本でひどい待遇を受けているとの報道は多い。「実習」という名のもと低賃金・重労働の仕事に就き、しかも残業代の未払いやパスポートの取り上げといった人権侵害を受け、悪い企業の餌食になっているというのだ。欧米の人権団体などには、日本の実習生を「現代の奴隷」と呼ぶところまである。
しかし私に言わせれば、出稼ぎ目的の留学生たちが置かれた状況のほうが、実習生よりもずっとひどい。彼らは多額の借金を背負い入国し、実習生もやらない徹夜の重労働に明け暮れる。そうして稼いだアルバイト代も、留学先の日本語学校などに吸い上げられるのだ。
現在、日本で最底辺の仕事に就き、最も悲惨な暮らしを強いられている外国人は、出稼ぎ目的の“偽装留学生”たちだと断言できる。
実習制度の問題については頻繁に取り上げる新聞やテレビも、留学生の実態についてはほとんど報じない。確かに“偽装留学生”たちは「留学」と偽って日本で働こうとしたかもしれない。だが、そんな彼らを餌食にしているタチの悪い輩が存在する。日本語学校は留学生たちからボッタクり、企業は“奴隷労働”を強いている。にもかかわらず、メディアは知らんぷりである。
新聞やテレビが留学生問題に触れないのには理由がある。それは、そもそも新聞が、留学生たちの“奴隷労働”に支えられているからだ。
新聞配達は、人手不足が最も進んだ職種の1つになっている。留学生の存在なしには、配達すらできない現場も少なくない。とりわけ都会では、配達員がすべて留学生という新聞販売所まであるほどだ。
かつて都会の新聞配達といえば、地方出身の日本人苦学生によって成り立っていた。大手紙の新聞奨学生となれば、大学や専門学校の学費は負担してもらえ、そのうえ衣食住も保証された。しかし、最近では希望者が激減している。新聞配達の仕事では、真夜中から早朝にかけて朝刊、加えて午後には夕刊の配達も待っている。人手不足でアルバイトなど選び放題の時代、若者に敬遠されるのも当然だろう。
そうした日本人の働き手の減少を補っているのが、ベトナムをはじめとする途上国出身の留学生たちなのである。
もちろん、留学生が新聞を配達しようと構わない。しかし、新聞配達の仕事は「週28時間以内」では終わらない。つまり、留学生たちは初めから違法就労を強いられることになる。
こうした留学生の問題を紙面で取り上げれば、みずからの配達現場で横行する「違法就労」にも火の粉が及ぶ。そのことを恐れ、新聞は「留学生」がいくら日本でひどい目に遭っていようが、記事にしようとはしない。そして、新聞社と資本関係のあるテレビ局も、新聞に気を遣い、留学生問題については触れない。
新聞配達の現場で今、何が起きているのか。私は東京都近郊の朝日新聞販売所の経営者と交渉し、ベトナム人留学生の新聞配達に密着取材させてもらうことにした――。
≫――――――≪
■《ベトナム人が支える新聞販売所》
午前3時、シーンと静まり返った住宅街に原付バイクのエンジン音が響いていた。ハンドルを握るアン君(20代)は、1年前にベトナムから来日し、日本語学校に通いながら新聞配達を続けている。
奨学生としての生活は厳しい。午前2時に起きて朝刊を配り終えた後、午前中は日本語学校で授業を受ける。そして午後から夕方にかけては夕刊の配達がある。その後、アパートに戻って夕食を食べ、日本語学校の宿題と向き合う。睡眠時間は毎日3時間ほどだ。仕事が休みになるのは月4日と新聞休刊日だけで、大晦日も元旦も配達があった。
「スピード、大丈夫ですか?」
バイクを後ろから自転車で追いかける私を気遣い、アン君がマスク越しに声をかけてきた。柄モノのマスクはベトナムに残した彼女からのプレゼントだ。
気温は零度近くまで冷え込んでいた。アン君の顔はマスクとマフラー、ヘルメットで隠れている。新聞配達の姿を見ても、彼が外国人だとわかる人はほとんどいないだろう。
配達する朝刊は約350部、夕刊が200部以上に及ぶ。外国人であっても、配達部数は日本人と変わらない。バイクのカゴと荷台に分けて積む新聞の重さは約20キロ。1回ではすべて積みきれず、配達の途中で販売所に戻って積み直さなくてはならない。
「朝、起きるのは大丈夫です。でも、雨の日は大変。風の(強い)日も大変です」
アン君はベトナムでも日本語学校に通っていたが、言葉はまだ流暢とは言いがたい。配達先の表札にも読めない漢字は多い。そのため仕事中は、いつも「順路帳」が手放せない。絵と記号を使って、配達の順路が記された帳面である。
バイクを止めては前のカゴから新聞を抜き取り、配達先のポストに入れていく。そんな作業が延々と続く。
4時半頃になると、空が白んできた。しかし、道行く人は皆無だ。聞こえてくるのは、他紙の配達員が運転するバイクの音だけである。そんななか、1軒の配達を終えたアン君が、踵を返して私に尋ねてきた。
「新聞配達がいちばん楽しい日は、いつか知っていますか?」
≫――――――≪
■《日本人の友だちは1人もいない…》
答えに窮していると、彼は笑顔で言った。
「雪の日です。配達に10時間もかかりました」
最初は皮肉かと思ったが、配達を終えた後に話を聞いて理解した。
アン君は以前、大雪のなかで配達したことがあった。ベトナムの故郷では、ほとんど雪は降らない。何度もバイクで転んでしまったが、それでも配達をしないわけにはいかない。仕方なく歩いて配達していると、見かねた近所の人たちが次々と手伝ってくれたのだという。
日本にやってきてからずっと、アン君は販売所と日本語学校の往復だけの生活を送っている。接する機会のある日本人といえば販売所の従業員と日本語学校の教師や職員くらいで、日本人の友だちも一人もいない。そんな彼にとって、思わぬかたちで経験することになった日本人のやさしさが身にしみたのだった。
アン君が働く販売所では、数年前からベトナム人奨学生を受け入れてきた。販売所を経営する男性は、彼らの働きぶりに満足しているという。
「ベトナム人の若者は皆、真面目です。不着(配達漏れ)もほとんどなく、むしろ日本人よりも優秀。ベトナム人抜きでは、うちの店はもう成り立ちません」
男性の販売所には10の配達区域があるが、そのうち8つはベトナム人留学生の担当だ。確かに、ベトナム人抜きでは「成り立たない」状況である。
アン君は、朝日新聞販売所に奨学生を送り込む「朝日奨学会」に採用された後、この販売所に配属された。朝日奨学会では、彼のような外国人奨学生のことを「招聘奨学生」と呼ぶ。招聘奨学生となると、日本人の奨学生と同様、学費を負担してもらえ、アパートも提供される。
一方、販売所にとっては、日本人よりも外国人の奨学生を採用したほうが金銭的なメリットがある。日本人奨学生の場合、奨学金と給料、アパート代などで月25万~26万円程度の負担となるが、外国人だと月4万~5万円ほど少ない。外国人が通う日本語学校は、大学よりも学費が安いからだ。
そもそも、最近では日本人の若者で新聞奨学生を希望する者は少ない。珍しく希望者がいて採用しても、仕事が嫌になって短期間で辞めてしまうケースが多い。販売所を逃げ出しても、ほかにアルバイトはいくらでもある。
その点、外国人の場合は、途中で逃げ出す心配がない。人生をかけて来日している彼らは、簡単に日本を離れるわけにもいかない。販売所を辞めたところで、学費が免除され、しかも衣食住の心配もない新聞奨学生を上回るアルバイト先など、そうそう見つからないからだ。
社会人の日本人を雇えば、奨学金の負担はなくなる。ただし、販売所の仕事はアパート付きが基本だ。フルタイムで一人雇えば、首都圏では最低でも月30万円前後はかかってしまう。それでも日本人を雇いたい販売所は多いが、希望者は現れない。そのため仕方なく、外国人に頼る状況が生まれている。
新聞販売所で働く外国人留学生のなかでも、際立って多いのがベトナム人だ。とりわけ朝日新聞の販売所では、ベトナム人頼みの状況が著しい。朝日奨学会東京事務局が、組織的にベトナム人を奨学生として採用しているからだ。この2~3年は毎年春と秋、100人単位での受け入れが続いている。ちなみに同事務局で採用する日本人奨学生は、1年で100人にも満たない。つまり、ベトナム人奨学生の数が日本人の2倍以上に達しているのだ。
「朝日奨学会」制度の功罪と、さらに過酷な新聞配達の実態に迫る後編は {{ こちら : https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49460 : https://archive.is/9cAK3 : https://benediktine.tumblr.com/post/618784835381723136/ }}
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2019年12月の夢
- 2020年1月1日 水曜日 1:04 12/29夢 久々の同級生に会う。
12/30夢 Nくんち。忘れた。
12/31夢 忘れた。
実家に帰るといつもと環境が違うので忘れる。
- 2019年12月28日 土曜日 8:18 夢 桃。
- 2019年12月27日 金曜日 8:20 夢 丸くてかわいいものを撫でる。 コピー用紙を運ぼうとして箱が裂ける。
- 2019年12月26日 木曜日 7:28 夢 昔の家の台所 カレンダー いとこなどがいる。 料理を作ったことを思い出す。
ポケモン 三匹の黄色い鳥を出す。止まる。 なかなかブレーキがきかない。 ほんの少しだけ残ってる牛乳が腐って分離してる 廃屋に溜めてた要らんものダンボールの搬出 要るものはトランクに詰めたのでこのままゴロゴロして持って帰れるよ。遠くないし(家からGSくらいの距離なので)
- 2019年12月25日 水曜日 8:20 昨日の夢 夜行バスのためあんま寝れてない。
- 2019年12月25日 水曜日 8:19 夢 窓の外でウルトラマンの格好した人たちが乱闘している。乱闘の激しさから公式ではない。 起きる。 引き出しの中はやらなくていいからね。 紙類。 Aさんが原稿を仕上げており、それを印刷したものを人に読ませている。それを見守っている。
- 2019年12月23日 月曜日 6:58 夢 見たけど忘れた。 家鳴りが怖かったのでギャバ飲んだ。 はんてん。
- 2019年12月22日 日曜日 8:41 夢 猫を飼っている ハムちゃんのこと考える 処刑するとエレベーターが動く。アプリが黄色くなってると止まる。 薬草茶を飲む
- 2019年12月20日 金曜日 6:48 夢 Aさんの結婚式。 Jとの式だ。 なんだかいろいろ見たけどあんまり楽しい夢ではない。
- 2019年12月19日 木曜日 13:44 12/18の夢 眠りが浅くて夢らしい夢は見なかった。
- 2019年12月19日 木曜日 4:53 夢 キッチンに大粒のピスタチオ、母のもの。 おじいちゃん。 いとこがいる。 牛乳の小パックを買おうとするが見当たらない。 知らないスーパー、すごい人並んでる。 風俗街。 ルネサンス風の丸屋根のキラキラした夜景寸前の風景が見える。青っぽい空気。 コンクリ階段にすごい売り文句がペンキで書いてある。エロ広告、女性向け広告など。 どこかのレズ風俗に行く。 妹と行ってる。 33000円とか支払う。多く紙幣を出してしまい財布に引っ込めると失笑された気配がある。 Aさんと話す。 エグザイルの人とエレベーター乗り合わせになり、何か仕組まれた罠だと感じる。
- 2019年12月17日 火曜日 6:58 夢 生コンを落とす。 作業員風の人 この曲いいね。シャザムで調べる 飲食店 女性といる。気の強そうな人。 タイマー ジョジョ風のきらびやかな服 店名が変更されてる。 さらさらの雪を踏み抜く。
- 2019年12月16日 月曜日 7:00 夢 母が病気。 紅茶を探す。 人の大量の紅茶ストックを見つけ、叔母に渡す。 母と妹と寄り合いながら眠る。 マラソンに出ることに。 荷物の準備が整わず、出発が遅れる。 汗を拭くためのハンカチとか無い。みんな探してくれる。
夢の中でショートショートにありそうなネタを見つけた……と思っている、夢の中で。 団地の外に住んでいる人。奥に行けば行くほど家電が豪華になり、電子レンジだけ、電子レンジとこたつ、それにオーディオセット……とどんどん増えていく。わりとみんなスーツ姿の会社員風。
原宿さんが定食食べてる。 まだ四時とかで、とにかく夕食とるのが早い。混む前に済ませたいポリシーらしい。 三層ある船みたいなところ。 一番奥にうどんといなりの定食屋がある。
- 2019年12月15日 日曜日 8:21 夢 妹の通う塾かなにかのキャッシュバック費用の申請をしようとしている。 どこかのスーパーのレジ台みたいなところ。 着替えている。ワンピースにレザージャケット。 結局期限は切れていたらしく、母が怒る。 母が死ねばいいのにと言い、慌てて幼い妹の顔を見る。 白いデータバンク。
- 2019年12月14日 土曜日 6:56 夢 ポリゴンの肉食べる。 ようかんみたいなテクスチャー、形はレンガくらい。ハイチュウみたいに外側だけ色が付いていて内側は白。 ゴムっぽい感じでそれほど美味しくない。 すき焼き屋の女将が万事仕切ってくれる。 最初から肉を投入すると良くないのでまずはくずきりと野菜を煮て先に食べるよう言われる。 おいしい。 男性陣がどこかへ行ったまま戻らない。 女芸人。
ベトナムみたいなところ。大阪駅前第1ビルみたいな細長い商業施設。5人くらい。 たしかこの地下のどこかに良い店があったはずだ。店名にGがついた気がするんだけど…… 地図を見るがそれらしきものはない。動物園になってる。全部潰れたのか? 水族館を足早に通り抜ける。でかいウミガメがいる。 最地下でコアラの赤ちゃんが動くのを見る。 細長い飲食店の間を通り抜ける。 お店の人に凝った形の落雁みたいなものを勧められ、皆思い思いに席に着きはじめる。 一回座ったらもう出られなくなっちゃうよ……と思っている。
- 2019年12月13日 金曜日 7:32 夢 貴利矢がエロい。
- 2019年12月12日 木曜日 7:04 夢 モンゴルナイフが温泉街に移住することにしたらしい。何となく身内の雰囲気。 となりに私と似たような年恰好の誰かいて、一緒にお椀に入ったまずい生のキノコを食べている。モコモコした形で、醤油。生の菌のにおいがする。 温泉施設の温泉に入る権利を売ってるらしい。中の様子が見られる。
自転車で大学に行き、自転車と靴をパクられる。いつもの自転車とオールブラックのマーチン。特徴がなく見つけられない。しばらくうろつく。 あたりは緑が多く、高台にある感じ。 相談室へ。軽く地下みたいな感じな入り口から中をのぞく。扉はなく、中の教諭が見える。すみませんと声をかけるともう一つの入り口から入るよう促される。I先生に似た人が話を聞いてくれるが、相談は自分の専門じゃないので……と及び腰。目がさめる。
- 2019年12月11日 水曜日 9:07 夢 小学校の同級生がいる。久々に会ったなあ。白っぽいワンピース着てる。 冷凍庫の整理をする。裸のままの生姜などが出てくる。裸のままでしまうの良くないよ……という話題を提起しようとする。 道端の側溝脇に丸い糖衣のチョコレート粒が定期的に落ちており、それを拾って歩く。白い。手のひらいっぱいにため、食べる。 細長い室内、駅ビルのような感じ、昔の同僚の女の子がエステで足の施術を終えたところに鉢合わせる。 歩く。美容院とか。 納屋。何か毒性のある物質を浴びてしまった後の対処法を聞く。石灰の中で寝るとか。おじいちゃんが近くにいる気配。駐車場に小さいかがり火がいくつも付いている。消したほうがいいのかな。農機って車だから燃えたら爆発するよなあ。 誰かに話しかけようとする。 髪をアップにしようとする。 ピアスを選別する。
- 2019年12月10日 火曜日 7:21 夢 キーライムパイを食べ損ねる。上にはキャビアライムが乗っていた。
- 2019年12月9日 月曜日 7:05 夢 目と目で通じ合う♪ 通じ合う♪ 麻婆春雨定食を作る。
- 2019年12月8日 日曜日 7:40 夢 シャワーの順番待ち 椎の実 kh たれびん ブランド品店のトイレ 白い大理石 ハンドメイド店
- 2019年12月7日 土曜日 7:14 夢 麻婆豆腐を作る 火事になる 役に立たないおじさん、消化器 フーミーの化粧品
- 2019年12月6日 金曜日 6:58 夢 大学の先生。 明るいクラブ グラフィックアート 課題提出 図書館ほとんどからになっている 植木鉢の木が枯れている バケツにスズメバチがかたまっている 蓋をして処理しようとする
- 2019年12月5日 木曜日 8:03 夢 ジロ��とあとべのまんがを考える。
- 2019年12月4日 水曜日 7:43 夢 ディズニーの英語教材を不動産屋から斡旋 風呂に水を溜め、脱衣所にも貯める ハワイのハンバーガー屋 くるくる回るシャボン玉
- 2019年12月3日 火曜日 7:04 夢 コートを洗ってくれているが、泡だらけ。 母がレジのビニール袋をパチっている。 小学校の同級生が数人いる 美しい着物姿
- 2019年12月2日 月曜日 7:07 夢 このテーブルいいよね。100年経ってもありそう 実家のダイニングテーブルが正方形になっている 非常階段で女子といる。 これからはあっちのテーブルで勉強しなよ こっちじゃなく。といわれていてかわいそう 川西さんなのか澤田さんなのか分からなくて封筒が出せない。川べりにいる本人に確かめに行く 斉田さんと澤田さんは同じだった
- 2019年12月1日 日曜日 8:04 夢 加藤さんがいる 皆で料理をしている。どこか薄暗い業務用キッチン、鶏肉を薄切りにする。トムヤムクンに入れる気がする。昔のカレンダーのことを思い出す。
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【8話】 弁護士に言われたとおり取調べで黙秘してみたときのレポ・前編 【大麻取り締まられレポ】
前回のあらすじ 僕とプッシャーと友人の3人で、共謀の上に大麻を所持した容疑で捕まった僕は、接見で当番弁護士に「50パーの確率で不起訴を狙える」と言われていた。
僕は「どういう理屈で50パーなんでしょうか?」と弁護士に尋ねると、弁護士は「共謀の罪での逮捕は、他の方が自白してしまうケースが多いんです」と答える。
僕は「一緒に捕まった2人は自白しないと思うので、大丈夫だと思います」などと言うと、弁護士は「ところが、いざ捕まってみると喋っちゃうんですよ、これが。そういうケースを何件も見てきましたから」と恐ろしいことを言うので、僕は少し勘ぐって黙りこくる。
弁護士は続けて「むしろ、ほとんどの人が喋っちゃいます。黙秘を続けられる人はサイコパスみたいなひとしかいませんね」と笑いながら言う。僕が「まぁ…2人はサイコパスっぽい感じはあります」と応えると、弁護士は「そうですか。いずれにせよ、不起訴を狙うのであれば、現段階では2人を信用するしかないですからね」と身も蓋もないことを言う。
しかし弁護士は、僕が気落ちしているのを見てか「まあ、売人の車で大麻が見つかっていて、持ち主が判明していないという状況ですから、このままいけば、犯行の主体を立証できず、証拠不十分のために不起訴となる可能性は高いでしょう」などと僕に期待を持たせてくれた。
それから1時間ほど、弁護士に今後の対策について色々と教えて貰った。ただ、僕がやるべきことは、黙秘と署名押印拒否ということであった。不起訴を狙うにあたって、黙秘は自分の利益にはならないが、不利益にもならない。また、調書の署名押印を拒否すれば、調書を証拠資料として使用することを防ぐことができるのである。
また弁護士は、国選弁護人として就いてくれることになり、僕が黙秘を続けるメンタルを保てるよう、頻繁に接見に来てくれると言うので、とても心強い味方がついてくれたと思った。
※このときに弁護士に貰った「取調べをウケる心がまえ」というプリントがよく出来ていたので、pdfのURLを貼っておきます。
接見を終えると、消灯・就寝時間の21時が過ぎ、22時をまわっていた。場内は暗くなっていたが、監視のため蛍光灯がついており、居室内も天井の蛍光灯3本中1本だけ明かりがついていた。
居室に戻ると、留置官が「今日は5番の布団敷いといたから。あと寝る前の薬あるから、このコップに水入れてきて」などと言うので、僕は洗面で水を入れ、鉄格子の前に行く。留置官は配膳口を開き、僕に手を出すように言って、薬の包装シートのプラスチック部分を押して、中の薬でアルミ部分を破り、僕の手の上に直接薬を落とす。
僕はマイスリーとデパスを飲むのは久しぶりだったので、少しわくわくしていた。僕は薬を水で流し込み、コップを留置官に返すと、布団の中に入り込む。布団は非常に粗末なもので、敷き布団はこれぞ煎餅布団といった具合に入れ綿の少ない薄く固い布団で、掛け布団は薄い割に重く、ちりちりしていて触り心地の悪い毛布であった。
寝具は粗末、天井の蛍光灯は眩しい、加えて隣室からはいびきが聞こえるので、この環境で寝るのは、睡眠に神経質な僕には難しいことであったが、こんなこともあろうかと、あらかじめ睡眠薬をゲットしておいたのである。
薬を飲んでから、1分ほどでデパスが効いてきて、強ばった筋肉が弛緩し、あらゆる不安が和らいでくるので、(今日は本当に長い一日だったけど、未体験のことばかりで結構おもしろかったな…)などと天井を見つめながら前向きな回想をしていた。
さらに10分ほど経つとマイスリーが効いてきて、眠たくなってくると同時に、思考が少し加速し、個人的におもしろい発想が連続して生成されているように感じるので、結構楽しい。そうして自分の思考にニヤけたり感心したりしていると、次第に意識が遠のき、いつの間にか眠っていた。
――逮捕から2日目。朝、起床時間とされる6時30分の10分前に目が覚めた。6時30分になると、消えていた蛍光灯が点灯するとともに、留置官が「起床―!」と大声を出して、まだ眠っている収容者を起こす。
布団を畳み、右隣の居室のベトナム人と入れ違いで布団置き場に布団を置いてから居室に戻ると、配膳口にブラシと雑巾の入った桶が置かれており、トイレと洗面を掃除するように指示をされた。
トイレと洗面はステンレス製で、水垢や尿石もなく清潔であったが、パフォーマンスとして掃除をし、ブラシと雑巾を桶に入れて配膳口に戻した。留置官がその桶を回収すると、今度は扉を開けて掃除機を渡し、床を掃除するように指示をしてきた。床は誰かの抜け毛が多く落ちていたので、割と丁寧に掃除機をかけておいた。
掃除機をかけている間、留置官が配膳口にタオルと石鹸、コップに歯ブラシと歯磨き粉を置いていたので、僕は掃除機を留置官に返してから、洗面で歯を磨き、顔を洗った。
タオルなどを抱え、鉄格子の前で待機していると、昨日左隣の居室でいびきをかきながら寝ていた、ガタイがよく目がギョロリとした50代くらいのヒゲの男が、ロッカーに向かう際にこちらを見てきた。
ギョロ目の男は僕と目が合うと、30度くらい頭を下げて「こんにちは!」と大声で挨拶してきたので、僕は少し萎縮して「あ、ちわ…」とぼそぼそした声で挨拶を返しておいた。ギョロ目の男は続いて、僕の右隣の居室にいるベトナム人にもかしこまって大声で挨拶をしていた。
↑ギョロ目の男は清原を老けさせてもう少し色白にさせた感じ
ロッカーにタオル等をしまい、自分の居室に戻ると、すぐに朝食の支度が始まった。今回の朝食は、コンビニ弁当のようなプラスチック製の容器の中に、白米、きゅうりの漬物少々、マカロニサラダ少々、千切りされたたくあん少々に、メインのおかずとして野菜の入った薄く丸い形をした小さい天ぷら1つが入っている質素なものであった。
朝食を終えると、時刻は7時15分だった。本を読めるのは8時かららしく、仕方がないので文字通りゴロゴロしていると、「点呼開始―ッ!」という爆音が留置場内に響き渡った。
点呼の合図からすぐに、遠くの方で「第6号室!27番!」という大きなかけ声の後、「ハイ!」という収容者の声が聞こえ、「以上1名!」という大声の後、4人の留置官が「「「「おはようございます!」」」」と大声で挨拶をし、隣の居室へ移っていく。
それから、留置官らは僕の居室の前に立ち、「第2号室!5番!」と大声を出すので、僕は寝っ転がりながら「あい」と応えると、居室の後ろの小窓の前に立っていた暗い色のレンズの眼鏡をかけたヤクザ風の留置官が「座れぇ!!」と大声で怒鳴ってくる。
僕はまぬけ面で「はい?」と言ってみると、ヤクザ風の留置官は「座れ!座って返事しろ!」と大声で指図してくるので、僕は仕方なしに上体を起こし、「はーい」と間の抜けた返事をする。
しかし留置官からのリアクションはなく、3秒ほど無音の空間になる。僕は少し戸惑った感じで「はい…」と言い直すと、留置官は「以上1名!」「「「「おはようございます!」」」」と大声を出し、次の居室へ移っていく。僕は彼らを人間らしくふるまっているNPCだと思う。
7時30分になり、“運動”の時間になる。この運動の時間とは、留置場の敷地内にある屋根のない狭い場所に出られるというだけの時間である。また運動場では、貸し出しの爪切りや電動ひげ剃りを借りることもできる。
僕はなんとなく日差しを浴びたかったので、運動場で伸びをしていると、隣の居室にいる若いベトナム人が「何で捕まりましたか?」と急に話しかけてきた。僕は「ああ。大麻持ってたのが見つかったんだよね」と応えると、ベトナム人は「ハハ。日本人はだいたいドラッグです。若い人は大麻ですね」と言う。
僕は「そうなんだ。よく知ってるね。ここに来て結構経つの?」と聞くと、ベトナム人は「6ヶ月います」と言うので、僕は驚いて「何をしたらそんなに拘留されるの?」と聞くと、ベトナム人は「ビザが切れて不法滞在で捕まりましたが、コロナのせいで入管は人がいっぱいですから、入管が空くまでここで待機させられています」と言う。
僕は「へえ。それは不憫だなあ。辛くない?」と聞くと、ベトナム人は「もう辛くないです。ここに来て日本語が少し上手くなりました」と言う。話を聞くと、ベトナム人はこれを機に、留置場内で積極的に日本人と喋り、日本語を上達させようとしていたらしい。立派だ。
また、運動の時間が終わる寸前に、左隣の居室にいるギョロ目のじじいとも少しだけ会話をした。ギョロ目のじじいは、僕とベトナム人の会話を聞いていたようで、「おう、5番は大麻か。おれは覚醒剤だよ。よろしく」と言いながら、僕と握手をして去って行った。
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つづく
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この物語はフィクションです。また、あらゆる薬物犯罪の防止・軽減を目的としています( ΦωΦ )
#フィクション#エッセイ#大麻#大麻取り締まられレポ
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[テキストアーカイブ] 新長田で“共生”について考える 現在→これから 第2部:新長田で<在日外国人>と共に歩む活動から
2019年7月7日(日)に開催したキックオフミーティング「新長田で“共生”について考える 現在→これから」のテキスト記録です。
こちらでは、第2部の内容を掲載します。
第2部 登壇:野上恵美(ベトナム夢KOBE)、パク ウォン&趙恵美(スタジオ・長田教坊)、金信鏞(神戸コリア教育文化センター)、ファン・チォン・クォン(VIAN)、近藤美佳(ベトナム語通訳) 進行:角野史和(ことデザイン)
第2部
文:第2部の進行は、角野(かどの)史和さんです。角野さん、よろしくお願いします。
角野:お願いします。第2部は「新長田で在日外国人と歩む活動から」ということで、僕、これ、変なん持ってきてますけど、さっきまでダンスパフォーマンスをしてましたから、テンションあげるのが大変なんですよ。なので、お酒を入れないとアガらないんですね。で、新長田はちょっと行けばベトナム料理屋さんがあったりして、これはココナッツのお酒で25度あるらしいんですね(会場「へー」)。それをグッとみんなでやって、この場にきております。ということで、お酒入っておりますが、よろしくお願いします。それではみなさんご紹介させてもらいます。…これって、順番に出てくるんですか、まあ、ではどうぞお上がりください。座り方はだいたいでお願いします。どうぞどうぞ。もう、だいたいでいきましょう、さっき事前の打ち合わせでね、結局、こんなん打ち合わせしたってわからへんから、現場の即興でやりましょうかということになって、全員、ノープランで来てますんで。じゃあ、座りましょうか。はい、これはこちらに画像が出てるんですよね。この写真は、神戸コリア教育文化センターの活動写真だと思いますが、いちばん舞台左端に座っておられます、キム シニョンさん。神戸コリア教育文化センター…これは一般社団法人でよろしいんですかね?
シニョン:はい。
角野:はい、先に簡単に僕の方から活動をご説明させていただきますと、在日コリアンの9割の子どもが日本の小学校に通っていて、その教育課題ももちろんあるということで、そういったことの活動支援をやられてるというのがひとつ。もうひとつは、在日コリアンの歴史、100年以上あるんですかね、シニョンさん? はい、その歴史を記録していったりとか、そういうこともされておられます。住んでおられる方から古い写真を探してこられたりとか、歴史、生活史料、ライフヒストリーの聞き取り調査…そういったことがふたつめ。もうひとつ、交流の場だったり、学びの場としての「長田在日大学」。あと、コミュニティカフェ「ナドゥリ」。シニョンさん、ごめんなさい、ちょっと、このナドゥリ、正しい発音だと…。
シニョン:ナドゥリ。
角野:あ、シニョンさん、お名前も正しい発音でお願いできますか。
シニョン:キム シニョンといいます。ナドゥリというのは韓国語で、ちょっと気分をリフレッシュして外にお出かけするくらいの、そういう意味があります。
角野:もう1枚、画像があったと思うんですが、これが在日大学ですね?
シニョン:そうですね。
角野:そういう子どもの教育支援、歴史文化の記録、で、交流の場学びの場をつくるという、ざっくりいうと3つの場をつくっていると。ひきつづき、他の方もご紹介させてもらいます。こちらは、長田教坊(キョバン)のパクさん、趙恵美(チョウ ヘミ)さんです。
ウォン:パク ウォンです。よろしくお願いします。
趙:チョウ ヘミです。よろしくお願いします。
ウォン:こちらは息子のパク キョンと、その下がパク ランといいます。
角野:キョンくんと、ランちゃん?
ウォン:くんです
角野:ランくん。えー、スタジオ・長田教坊、こちらも僕の方から簡単にご紹介します。韓国の伝統芸能を、打楽器や舞い、歌だったりとか、そういったことを学ぶ教室ですね、最近はピラティスだとかもやられているということで、教坊という言葉は、朝鮮王朝時代に、宮廷音楽を勉強する音楽学校みたいなもので、そこが教坊と言われてたそうです。その名前をとって、スタジオ・長田教坊ということでやられております。新長田の地理がわかる人は、本町商店街のずっと南のほう、ポット(※スーパー)の向かいですね?
ウォン:そうです。
角野:写真が他にもあるかもしれない、ちょっと見ましょうか。
ウォン:これが教坊の様子です。こういうところでやってます。
角野:地域のフェスティバルとかにも参加されて。
ウォン:そうですね。神戸祭り、長田フェスティバルに出演したときには、うちの教坊に通う生徒さんと、地域の長田に住まれてる方や、よく長田に来られてる方と一緒に舞台に上がって、サムルノリという演奏ですけども、それをやったりしました。
角野:国籍関係なくいろんな人が入ってますね?
ウォン:在日コリアンから日本人、アフリカ人…で、アートマフィアの方も入って。いろんな方がいます。この写真は、ダンスボックスさんをお借りしまして、去年、スタジオ・長田教坊が3周年で発表会をさせていただきました。そのときの様子ですね。鶴舞、ハクチュンというんですけど、それをやっているときの写真です。
角野:ありがとうございます。次は、ベトナム夢KOBEから野上さんです。野上さん、正しい発音でフルネームで言ってもらっていいですか。
野上:野上恵美です(笑)。よろしくお願いします。
角野:漢字だともしかしたら同じですかね?
趙:そうですね、私と。
野上:はい。
角野:ベトナム夢KOBEの説明をします。震災をきっかけに、被災ベトナム人の支援をする活動が原点になっておられます。それがきっかけになって現在も続けておられるんですが、在日ベトナム人のコミュニティの支援や、地域のまちづくりに貢献していこうということもされておられます。こちらの写真は、その前者ですね。これは勉強のシーンですか。
野上:そうですね。ノートに文字を書いてる男の子が来日してまだ数年で、それでも義務教育の年齢であれば、もういきなり日本の学校に入らないといけない。そうなると宿題をこなしていくのが大変なので、土曜日に宿題を持ってきてもらって、ベトナム語で教えながら宿題を一緒にやっていくという、学習支援教室になります。
角野:他にも写真が…。
野上:これは母語教室ですね。真ん中の女性が共同代表のディエップです。ディエップは、結婚を機にベトナムから日本に来たんですけども、周りにいる子どもたちは、いわゆる在日ベトナム人2世といわれる子どもたちで、親はベトナムでずっと生まれ育って、いろんな理由で日本に来て、子どもたちは日本で生まれて育ちます。そうなると母語であるベトナム語が全然話せない、書けない、聞き取れない…かろうじて、お父さんお母さんのベトナム語は聞き取れるんだけども、なかなかベトナム語能力が伸びないということで、自分のルーツである母語、継承語を大事にしてもらいたいなということで、母語教室を開催しています。
角野:母語は僕だったら日本語、母の語ですね、母語教室。はい、こちらの写真はFMわぃわぃ。今日は、金(キム)さん来られてますかね? あ、ありがとうございます。FMわぃわぃは地域のコミュニティFMですね。このラジオを通して、ベトナムの方が日本で住みやすくなるための情報発信をしていくためのコーナーもされているということですね。
野上:はい、すこし補足説明させていただきます。私たちベトナム夢KOBEは、私が日本人であるということで、みなさんにも想像していただけると思いますが、ベトナム人のための団体ではあるけれども、ベトナム人と日本人がいっしょになってコミュニティをつくっていくということを大事な目的にしています。それは、ベトナム人がリーダーシップをとるとか、日本人がリーダーシップをとるというのではなくって、お互いなるべく対等に意見を出しあってやっていこうというスタンスで活動していまして、ひとつ、これは象徴的な活動になるかなと思います。タイトルとしては、住みやすい日本を…あれ?
角野:住みやすい日本をつくるための情報番組、ですね。
野上:はい。日本人の男性とベトナム人の女性が一緒に意見を出し合って、じゃあ、どうしたらいいか、どうすればベトナム人にとって住みやすいか。ベトナム人にとって住みやすい地域、社会というのはおそらく日本の人にとっても住みやすいものになるはずだろうということで、そういったことを日々、アイデアを出しあいながら、わぃわぃの金千秋さんにもお力を借りながら番組制作をしています。
角野:他にも写真ありますか? 春巻きの写真ですね。これ、僕が最初にご説明しました、地域に貢献することもやっておられますね。
野上:野田北部というところに、私たちの活動拠点があるんですけども、毎年8月にそこの地域のお祭に出店させてもらってます。やっぱりベトナムの人が住んでいるということをわかってもらうために、いちばんみなさんに興味関心をもっていただける食べ物ということで、毎年、ベトナムの揚げ春巻きとバナナ春巻きを販売しております。
角野:揚げ春巻きってなんて言うんですか、向こうの言葉で?
野上:私はちょっと発音がきれいではないですけど、Cha Gio(チャーヨー)。
角野:チャーヨー。チャーヨー、ノウン
野上:ノウン?
角野:チャーヨー、ノウン。
クォン:Ngonです。
角野:Ngonがおいしいですね。すいません、今ちょっとお手伝いしていただいたクオンさん。正しい発音でフルネーム言っていただいてよろしいでしょうか。
クォン:みなさん、ファン・チョン・クォンです。よろしくお願いします。
角野:ファン・チョン・クォン。僕はクオンさんって呼んでますけど。
クォン:クオンも大丈夫です(笑)。
角野:クオンさんはVIAN(ビアン)を最近立ち上げて、ベトナムの子どもたちが日本で育つと、日本の伝統とかそういったものが自分のなかに蓄積していくばかりなので、ベトナムの文化や音楽とかを引き継いでいくためのライブとかもされてるそうです。この写真はこの場所、ダンスボックスですね。クォン:はい、そうです。
角野:ベトナムの方ってカラオケめちゃくちゃ大好きなんですよね? レストランにもカラオケコーナーがあったりとか、旅行先ではスマホで音楽を流して、お手製のカラオケを使ったりして。
クォン:そうです。
角野:そんなにカラオケが大好きで、なんとここ(ダンスボックス)をカラオケ会場にしてしまったと。この写真に写ってるのはどんな方々?
クォン:すいません、今日はベトナム語で話しますね。
角野:そうだ、お隣りの紹介を。今日、サポートでついておられる近藤さんです。
近藤:近藤と申します。今日はクォンさんの通訳をさせていただきます。また4部でもお目にかかりますのでよろしくお願いします。
角野:クオンさん、先ほどの質問ですが。
クォン:(ベトナム語で話す)
角野:クオンさん、ひと言が結構長いですね(笑)。
近藤:通訳させていただきます。このプログラムは、日本にいるベトナム人のコミュニティに向けて、そういった方々に対して開かれたプログラムです。ダンスボックスのような、プロフェッショナルなすてきな劇場があるにもかかわらず、どうしてみなさん来ないんだということで、ベトナム人を集めようということで開催しました。そこで演奏をできる方を探して、クォンさんが連絡をして、そういった方を集めました。ただ、集めるのには苦労しまして、それで見つかったのが楽器ができる人、歌が歌える人、ということでしたので、そういった方々に来ていただいて、この回を開きました、先ほどカラオケの話も出ましたけど、なぜベトナム人がカラオケ好きなのか、それは、他に娯楽があまりないのかなという気がしています。手軽にできて、パッと発散できるというのがカラオケに凝縮されているのかなと感じています。
角野:なるほど。で、VIANというのは、VIがベトナムを表現して、ANがジャパン、日本を表現してまして、ベトナムと日本の交流を目的にしている。交流の鍵になるものとして音楽や食、あとは言葉。そういったことで交流をはかっていこうというのがVIANのこれからの活動になるかな。いま現在、クオンさんとダンスボックスの横堀さんの2名でされていて、どんどん膨らんでいく予定、というか、可能性があるということですね。
クォン:(ベトナム語で話す)(近藤通訳):まずは、こういった娯楽といいますか、みんなで楽しめるステージのプログラムをつく���ていくことを考えています。たとえば、日本のゴールデンウィーク、お盆、それからベトナムの旧正月。こうした年中行事にあわせてステージを使っていきたい、その際にはここで開催したいなと思っています。それからもうひとつの活動として、若いベトナム人、たとえば来日したばかりの学生を対象に、日本の生活に慣れるためのサポートをしていきたいなと考えています。たとえば、自分で日本の食材を使ってつくりやすいご飯のつくり方ですとか、そういったことを紹介することによって、学生たちが元気に勉強できたり、元気に仕事ができたり、そういったことを支えていきたいと思っています。あとベトナム人はSNSをものすごく使うんですが、特に普及しているのがFacebookになります。ですので、こちらのファンページなどをつくることによって活動を広げていきたいと考えています。
角野:ありがとうございます。あと10分くらいですね。ということで、ごめんなさい、シニョンさんの活動のこと、僕から話すばっかりだったので、ちょっと補足的に。今回、共生というのがひとつのテーマになってるので、たとえば、日本人コミュニティとかまちとの関わりとか、そういったところで補足説明があれば。
シニョン:ご存知のように在日コリアンの歴史は、とても長い歴史があります。そのことをなかなか、長田にたくさん住んでいる…たとえば長田の小学校中学校で外国の子どもといったら、かつては在日コリアンだったんですけども、いまはむしろベトナム人の子どもたちが、ものすごい数でいるんです、ひとつの小学校に何十人という単位で。一方、国籍を保持している在日コリアンの子どもたち、朝鮮籍の子どもたちというのは、この我々の活動をはじめて30年くらいになりますけど、かつての10分の1くらい。国籍だけでみるとね。もちろん、ルーツを持っている子どもたちはたくさんいるんですけど。そんな中でこのまちに暮らしてきて、たくさん住んでいること、ほんとにそのことで民族的なアイデンティティを大切にしたり大切にされたり、そういう風にされてよいのかということで。そうではない現状があるんじゃないかということが、今日、私がひとつお話ししたかったことです。私は、年齢的には今日来られてるみなさんのだいぶ上の世代にあたりますけども、長田というのはとても居心地がいいという話が1部でもたくさん出てきました。確かにそういう部分があるかなとは思います。そのことを、私から皮肉っぽく言わせてもらうなら、すごくぬるま湯のなかにいるなと。だからとっても体がほぐれるし、浸かっていて心地はいいんですけども、その心地よさはずっと続くものではないし、そのぬるま湯の心地よさで忘れてしまうものがたくさんあるんじゃないかなと思いながら、ずっと生きてきているところがあって…話が長くなりすぎてごめんな。
角野:いいです。すごくいい話をしていただいてます
シニョン:たとえばこんなことがあったんですよ。これは、もう20年くらい前のことですけど、ある学校現場の教員が「在日コリアンの子どもたちにどんな課題があるんですか」って言うんですよね。「日本語もできるし、地域に溶けこんでいるし、場合によっては長田で成功された方もいるしで、どんな課題があるんですか」っておっしゃった方がおられて。「一方、ベトナム人の子どもたちは心配です。日本語を覚えると同時にどんどん母語を忘れていくから、とても心配です」って。在日コリアンの子どもたちがはるか以前に母語を忘れるどころか、獲得することすらできなかった、そのことにはぜんぜん思いが至らない。そういう経験を、現場で感じたことがあって。それからずっと、いま、学齢期の子どもたちってほとんど4世5世ですけど、その子どもたちのアイデンティティをどういう風に培っていくのかというのが、ずっと私たちの大きな課題のひとつで。…ごめん、話が長くなるのですぐに終わります。そのことを、長田のなかでどういう風に取り組んでいったらいいのか、向き合っていったらいいのかと考えながら、歴史をしっかりと記録して…それをどう記録していくのかということで、家族写真を集めようという取り組みをして、家族アルバムから家のなかでのいろんな対話が生まれ、1枚の写真に何が写っているのかという、そういう取り組みからどんどん若い世代が集まってきたりもしたので…大きな歴史は、本から学ぶことができても、まさに、この地域の歴史や、自分たちの家族の歴史というものは、何かのキッカケでそこにたどり着かないとなかなか出てこないものだったりするので、この地域の歴史を掘り起こす取り組みもしています。長くなりそうなのでこのへんで。
角野:はい。いま、みなさんのお話を聞かせてもらって、日本で生活していくなかで、自分たちのルーツとしている国のアイデンティティをどう将来に引き継いでいけるのか、そういった意識はなんとなく共通する部分かなと思いました。新長田はよく多文化共生と言われるまちになってきてますけど、いま、シニョンさんがおっしゃられたように、それはぬるま湯じゃないかという話もありました。今日のテーマは「新長田で“共生”について考える」ということで、あえて共生はかっこつきに、おそらくなってるんだと思います。みなさんから見える新長田における共生はいま現在、どういう状況なのか。いきなりぐっと難しい質問になっちゃいますが、どなたか答えられる方がいれば先に。
趙:うちの子が行ったり来たりしていてすいません。えっと、いま、この場に座らせてもらっていて、ぱっと思ったことも含めてなんですが…ベトナム、そしてコリアン、で、私は在日4世、彼は在日5世で、シニョンさんがおっしゃったような歴史について、これからこの子たちが何を受け継いで、どう生きていくのかということは、親としてすごく目を向けているところです。ベトナムとコリアンの共通する点としては、戦争というものを経験しました。なので、私たちの、ここに渡ってきたおじいちゃんおばあちゃんたち、そしていま、ベトナムの若い人たちがたくさんここに出稼ぎに来られて、新しく住まれているその活力を見ていたら、すごく、なんだろう…負けん気というか、なんていうんですかね。私も日本に生まれて4世ですから、ほぼ日本の生活になじんでいるけど、なにくそ根性といいますか、そういったものをいい意味で持っていて。
ただ、それも日本にいると、ぬるま湯という言葉を借りるなら、平和ボケしてしまうところがあって。でも、この子たちも同じ学校や園に通っていると、カタカナの子どもたちがたくさんいる中で平和に暮らしているんですが、これがいつ国の情勢によって戦争が起きるかわからないという現状で…すごく重くなってごめんなさい。というところを傷口としてはお互い共有していて、新長田という大きなこのまちが、その傷もこの傷も新たな傷も、一緒にちゃんとなであえるというところが、私にはこの地域のありがたさで。コリアンとしてって肩張らなくてもいいし、ベトナムの人がいようが、ミャンマーの人がいようが、日本の人がいようが、横並びで生きていけるこの地域のスタイルを、この子たちにはなぜそうなのかということも含めて…この子たちは戦争があると韓国に兵士として呼び出される義務を持っているので、そういう部分でもこのまちで生きたことによる、ちゃんとしたものの見方を育てられればいいな…共生をしてくれればなと思っています。
角野:もっと先に共生があるという感じでしょうか。クオンさん、いけますか。
クォン:(ベトナム語で話す)(近藤通訳):先ほどの件に続いてのことですけども、溶け込むということについて考えてみたいと思いました。ベトナム人も長く日本にいる人はだんだん日本語が上手になって、日本の生活に慣れてきていると思うのですが、やはり若い人たちはまだ難しいのかなと思います。その若い人たちも、たとえば5年後にはベトナムに帰るのか、あるいは、ずっと日本にいるのか、というところでも分かれ道が出てきますから。そういった現状のなか、どう共生をしていくのかが問題かなと考えています。
野上:ちょっと話がずれるかもしれませんが、私自身はこういう活動をしながら、多文化共生とは一体なにかということを文化人類学をもとに研究をしています。最近、ある人類学の先生からいただいたコメントで、「あ、なるほど」と思ったのが、この長田での共生の実践について、お話しさせていただいたときに、「これは忍耐の政治ですね」と言われたんです。私は日本人という立場で、まさにぬるま湯に浸かっている立場ではあるけど、それでもあえて言わせていただくと、やはりベトナム人の方といっしょに活動をしていくなかで、いかに我慢を強いてきたか…決して私が我慢しろと言ってるわけで��ないですけど、無言の圧力というのか、が、きっとあったんだろうなと思います。それを遡って考えると、それは、在日コリアンの人たちにも何も言わないことによって、すごく忍耐を強いてきたんだろうな、と。我慢という言葉はあまり使いたくないですけども、こちらが勝手に押し付けてきた我慢というものを、どれだけマジョリティである日本人が…我慢というのも、よく言えば譲り合いなのかもしれないけど、そういったことをどれだけみんなで分配していけるかなというのが、共生のあり方を考えることにつながるのかなと…ちょっと漠然とした話をしてしまいましたが、長田での活動を通して、そういったことを考えています。
角野:ではシニョンさん、時間的にこれが最後になってしまうかもしれないですけど。
シニョン:最後、短く終わりますね。ほんとに自分のなかで思うのは、別に長田に限らず、やっぱり一人ひとりが大切にされるということやし、一人ひとりは見える存在として、いるということじゃないかなと思います。それともうひとつだけ。これは、在日コリアンのいまの子どもたちに対するメッセージとしてこの1~2年思ってることは、在日コリアンの子どもたち、4世5世のアイデンティティということを考えるときに、いつも過去からアイデンティティを学ぶみたいなところが私にはありましたけど、そこから次、アイデンティティの次を…どう言うたらいいかね…その次の光を自分たちがどう提示できるのかなって。ごめんなさい、めっちゃ抽象的ですけど、いま、そういうことをちょっと考え、悩んでおります。
角野:パクさん、ちょっとうなずいておられましたが、次の光みたいなことで何か。
ウォン:私たちは、スタジオを構えて伝統芸能を教えていますけど、息子にもね、そろそろ本格的に教えたいと思っているんです。それをどう捉えるか、ですよね。僕らの場合は在日コリアンで、僕は日本の学校出身で、高校生になってから韓国の伝統芸能に出会って、始めたんですけども、私の息子の場合は生まれたときからすでに楽器がある状態で。それをどう伝えていこうかというのは、僕ら夫婦で考えているところなんです。伝統芸能については、フラットに全世界の方々に、国籍や老若男女も関係なく広げたいと思ってやっている教室なので、そこはどんな方でもオープンにやっているんですけど…家庭の話として考えると、そういうところはすごく課題といいますか、いろいろ考えていかなあかんなと思います。
角野:ありがとうございます。もう終わりますからね(笑)。シニョンさんから一人ひとりが見える存在に、という言葉があったんですが、僕、散歩活動家としてよく、まちなかを歩くんですけど、多文化というテーマも意識しないとなかなか見えてこないんです。こないだ、視点を変えて、多文化というテーマで歩いてみたら、全然これまでと見え方が違うくて、いろんなものが目に飛び込んでくるんですよね。ですので、いまはかっこつきの共生ですけど、僕たち、日本のマジョリティの側の人たちも、譲り合いというか、理解しあう感じ��すかね…見ようとするとか、そうやってもう少しでも一歩前に踏み込んだ共生ができるのかなって。僕ね、ほんとに全然知ってるわけじゃないのに、こんなことを言うのはおこがましいんですが、そんなことを感じました。ということで第2部、終了させていただきたいと思います。みなさん、どうもありがとうございました。
・・・・
登壇者プロフィール
■角野史和 一級建築士事務所こと・デザイン。暮らしとともにある建物やまちを愛する散歩活動家・建築士・まちづくりコンサルタント。場所愛と1対1のお付き合いに基づいた建築設計、住民主体のまちづくり支援・地域計画・地域振興に携わる。ちいきいとでは駒ヶ林担当。マップ狂が高じて2018年 マップライブラリーGNUを開設。モットーは「つっかけで会いにいける距離感でとにかく顔をつき合わすんや!」。
■野上恵美 ベトナム夢KOBE共同代表。神戸大学大学院国際文化学研究科博士後期課程修了。主な研究テーマは、在日ベトナム人の生活戦略について。ベトナム夢KOBEでは、生活相談、通訳・翻訳、母語教室、日本語教室、学習支援教室、インターネットラジオ番組制作などを行なっている。2015年に「ベトナム難民一世・二世たちの震災の記憶ー阪神・淡路大震災から20年を迎えて」を発行した。
■パク ウォン サムルノリ奏者。神戸市生まれの在日コリアン3世。1997年より韓国伝統芸能の舞台活動を始め、日本全国、海外で演奏を重ねる。2006年Korea×Japanの伝統芸能を融合させた遊合芸能 親舊達/チングドゥルを結成。三重大学、神戸甲北高校、コリア国際学園講師。2010年 神戸長田文化賞受賞。2015年 スタジオ・長田教坊設立。
■趙恵美 舞踊家(コリアンダンサー)。ピラティスインストラクター。京都生まれの在日コリアン4世。9歳から舞踊を始め、日本、韓国で様々な舞台に出演。現在はコリアンダンサーとして朝鮮と韓国舞踊に軸を置き、創作活動を行なう。韓国伝統打楽器奏者としても音楽講師を務める。遊合芸能 親舊達/チングドゥルメンバー。スタジオ・長田教坊講師。
■金信鏞(キム シニョン) 在日コリアン2世。下関市生まれ。30年ほど前から公立学校に通う在日コリアンの子どもたちの教育課題に取り組む。近年は在日コリアンの古い写真や生活史料などを収集し、写真展を開催したり、長田在日大学やコミュニティカフェ「ナドゥリ」を運営し、交流拠点作りを進めている。一般社団法人神戸コリア教育文化センター代表理事。
■ファン・チォン・クォン ベトナム共和国・フンイエン出身。2001年ハノイ映画演劇大学卒業。国立青年劇場の所属俳優として、演劇やコメディ等の様々な舞台に立つ。その後、同劇場の音響スタッフを15年にわたって務める。また、イベントの企画や音響も務め、ベトナム国内各地の劇場などで活動。2015年、結婚を機に来日。新長田在住。現在は尻池水産にて漁師もしながら、様々な在日ベトナム人コミュニティに関わる。
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2021年7月20日(火)
【お知らせ】
蔓延防止等重点措置の延期を受け、営業時間、内容を次のようにします。
2021年7月12日~8月22日
営業時間
火~金 11:30~20:00
(ラストオーダーは19:00, テイクアウトのみ19:45)
土 8:00~14:00, 17:00~20:00
(ラストオーダーは19:00, テイクアウトのみ19:45)
日 8:00~13:00
(ラストオーダーは13:00)
お酒の提供については、11:00~19:00までとし、同グループ4名様までのお客さまに限ります。
ご迷惑おかけしますが、なにとぞご協力の程よろしくお願いします。
モデルをやってみました。
商品は、恐竜がモチーフのサンダルzAURUsです。 @modena_osakaさんの作品です。ちょっと店主には大きかったのですが、ひもを調節すると見事フィットしました。デザインが他になく、面白いです。上下に重ねると恐竜の卵というデザインも凝っています。小んまい店主が正直に告白すると、ほんのちょっぴり背が高くなるところも嬉しいです(自虐)
あ、モデルですか?もちろん頼まれていませんよ。Saxの野外スタジオ(淀川河川敷)でよくモデルさんを撮影する風景を目にするので、感化されています。勝手にモデルやってみました笑
カメラマンは店主です。企画、プロデュースももちろん店主です。弊店、超零細企業につき、始めから終わりまで店主がこなすのです。
学生時代に購入した革ジャンのパンフレットに載っていた西洋人のイケメンお兄ちゃんを目指してみましたが、うまく再現できているでしょうか?この際足の短さは目を瞑りましょう。本人はすっかりその気ですから、そのまま夢を見させてあげてください。それが優しさというものです。
前側と後ろ側を写し、次は激しい動きにもついていくところを表現するためにジャッキーチェンになってみました。
モデル業にノッてくるとやってみたくなるのが、ジョジョ風ポージング。言わずと知れた「ジョジョの奇妙な冒険」のキャラクターたちが魅せる人間離れしたポージングのことです。
ポーズをとっている店主はかなりジョジョのキャラクターになり切っていますが、こうして見ると全然ですね。立っているのがかなり難しいポーズでした。
ちなみに、新体操ウクライナの団体チームが見事なジョジョ立ちを披露しています。ご興味ある方は、「新体操 ウクライナ ジョジョ立ち」で検索してみてくださいね。
ちなみに、靴下はケンビースポーツソックス研究所さんのものです。こちらの靴下は店主がこれまで履いてきた靴下の中でダントツに丈夫な靴下で、値段は決して安くはないものの、長持ちするためにコストパフォーマンスに優れた逸品です。店主の中では最強の靴下です。片方に穴が開いてしまっても、片方だけの購入が可能というのも、嬉しいサービスです。まあ、店主の場合は両足同じ程度にヘタレちゃうんで、片足だけ購入したことはまだありませんが。
8枚目の写真は、2006年7月、ラオス北部の町ເມືອງສິງ(ムアンシン)にて撮影。ゲストハウスから見た、近所の子どもたちのお遊戯。「London bridge is falling down」ですかね?残念ながら歌声までは聞こえませんでした。
【テイクアウト アジア飯】
東南アジアで食事をされた方なら、思わず懐かしいと声に出してしまう美味しさを。アジア料理が初めての方にも、ぜひ!
新嘉坡チキンライス ¥500
ベトナム人も認める美味しさ!新鮮な朝引き鶏もも肉を使ったチキンライスです。
叉烧饭(チャーシューライス) ¥650
香港育ちの店主の友人もお気に入りの美味しさ!自家製叉焼によるチャーシューライスです。
お薦めのデラックスシリーズ!野菜をたくさん摂りたい方に!唐揚げ好きな方に!
新嘉坡チキンライス 【デラックス】 ¥780
サラダ、香港風味唐揚げ、デザート付き
叉烧饭(チャーシューライス) 【デラックス】 ¥930
サラダ、香港風味唐揚げ、デザート付き
ベト・オ・レ ¥500
パウンドケーキ(1枚) ¥200
#大阪 #福島区 #東南アジア料理
Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー )
大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26
📞06-6136-7474
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No.33 Banh Canh Thit Bam Vien (pork udon soup with pork meatballs), and No.3 Cha Gio (deep fried egg rolls). 🍜🇻🇳⭐️ #banhcanh #banhcanhthitbam #banhcanhthitbamvien #phothanh #sean626phothanh #vietnamesefood #vietnamesefoodoftheday #instavietnamesefood #todaysvietnamesefood #likeback #iphone12promax バインカンティットバムビエン(豚の肉団子入りベトナム風うどん)とチャージオ(揚げ春巻き)。🍜🇻🇳⭐️ #チャジオ #チャージオ #バインカン #バインカンティットバム #バインカンティットバムビエン #豚の肉団子入りベトナム風うどん #揚げ春巻き #ベトナム料理 #ベトナミーズフード #今日のベトナム料理 #ベトナム料理部 #ベトナム料理部アリゾナ州支部 #いいね返し #フォータン (Pho Thanh) https://www.instagram.com/p/CSREUdoLizQ/?utm_medium=tumblr
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いよいよ始まる米陸軍の第1列島線への機動展開
米太平洋陸軍司令官ロバート・ブラウン大将は2019年3月26日、アラバマ州ハンツビルで開かれた米陸軍「グローバル・フォース・シンポジウム(Global Force Symposium)」の会合において、2020年に南シナ海で大規模な米本土からの機動展開演習「太平洋の守護者(Defender Pacific)」を計画している旨発表した。
同司令官は、我々は韓国(朝鮮半島)へは行かない。南シナ海シナリオそして東シナ海シナリオに備えるために行くのだと明言した。
演習は、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、インドネシア、タイなどでの実施が予定されており、まさに中国の海洋侵出の脅威に対抗することを目的とした第1列島線への機動展開演習である。
この演習は、2018年1月に発表された「国防戦略(NDS2018)」で述べられているように、米国の長期的かつ戦略的競争相手(「ライバル強国」)である中国によって焚きつけられたものであると説明されている。
米陸軍は、インド太平洋地域に約8万5000人の兵員を駐留させ、すでに同盟国や友好国と「太平洋通路(Pacific Pathways)」のような演習を行っている。
今回計画中の演習は、米本土から太平洋への緊急展開を目標に、師団司令部と数個の旅団が30日から45日間にわたって実施するものである。
国家にとって、逃げ足の速い海空軍と違って、軍事介入の大きなターニングポイントとなる陸軍を展開させる意味は極めて重く、いよいよ米国が、対中冷戦体制を本格化させているシグナルとして注目される。
米国防情報局の「中国の軍事力」発表と
中国に関する「危機委員会」の設立
他方、あまり話題になっていないが、米国の対中冷戦体制の本格化を示すものとして、さらに2つの事象が挙げられる。
一つは、米国防情報局(DIA)が「中国の軍事力」という報告書を発表したことであり、もう一つは連邦議会に「現在の危険に関する委員会:中国(Committee on the Present Danger : China)」が設立されたことである。
◆DIAによる「中国の軍事力」報告書の発表
米国防省は毎年、議会に対して「中国の軍事力」と題する報告書を提出している。しかし、それとは別に、米国防省傘下の情報機関であるDIAが2019年1月に「中国の軍事力」に関する報告書をまとめ発表したのは、今回が初めてである。
東西冷戦間、DIAは「ソ連の軍事力」という報告書を発表した。
今般の「中国の軍事力」の発表は、それ以来の出来事であり、この文脈から推察すれば、米国にとって、中国の脅威が冷戦に突入したソ連の脅威と同じレベルに到達したことを示唆していると言えよう。
報告書は、中国軍は設立当初から政治化された「党の軍隊(party army)」であり、中国共産党政権の存続を保証することを第一義としているとし、米軍や大多数の西側諸国の軍隊との異質性を指摘する。
そのうえで、下記の諸点について、懸念を表明し、あるいは指摘や警告を行っている。
一、中国共産党は、中国と同じ独裁モデルを世界中に打ち立てようとしており、他国の外交、経済、安全保障の決定を否決する権利を獲得しようとしている。
一、世界覇権を握るため、中国共産党は綿密な計画を立て、軍事衝突ギリギリのところまでの「戦争」(グレーゾーンの戦い)を仕かけている。
一、中国は、台湾の統一を視野に東アジア全域での覇権確立に関心を抱いている。この際、台湾統一の意思こそが中国軍の近代化の主要な要因となっており、台湾への外国軍(米軍)による介入を阻止するため、中国軍はあらゆる方法を発達させている。
一、アフリカ北東部のジブチや南シナ海での軍事拠点構築を通じ、地球規模の軍事勢力の地位を築き上げ、米国の軍事的優位を脅かしつつある。
一、日本が紛争をエスカレートさせる行動をとったと中国が判断すれば、尖閣諸島周辺に展開する自衛隊への攻撃を正当化することもあり得る。
一、中国は、ミサイル防衛システムでは防げないとされる極超音速滑空機(HGV)開発と準中距離・中距離ミサイルの領域において、すでに米国をしのぐほどで、世界をリードしている。
昨年実戦配備を始めた「グアム・キラー」と呼ばれる核搭載可能な中距離弾道ミサイル「東風26」については、(台湾)独立勢力の動きの抑止につながることを企図するとともに、アジア太平洋地域の目標に対する一連の軍事オプションを可能とする。
一、中国は、人工衛星を攻撃・破壊し、無力化させる技術を研究・発展させており、対人工衛星レーザーの研究も行なっている可能性がある。
また、中国は情報戦分野での優位性確保を現代戦に勝利する前提としており、サイバー攻撃とサイバー偵察、サイバー防衛の部門について、電子戦などを専門とする「戦略支援部隊」の下に統合した可能性がある。
一、初の純国産空母の建造や新型戦略爆撃機の開発、南シナ海の人工島の軍事拠点化などを通じ、新たな形での戦力投射を可能にしている。
以上のような報告書を作成したDIAのロバート・アシュリー長官は、その序言の中で、「中国は空や海上、宇宙、情報の各分野に及ぶ能力を備えた頑強で破壊的な力を構築しており、これにより自らの意思を他国に押しつけることが可能になる」と述べ、関係国に対しても警鐘を鳴らしている。
◆連邦議会に中国に関する「危機委員会」設立
米国の報道によると、米連邦議会は2019年3月25日、「現在の危険に関する委員会:中国(Committee on the Present Danger : China)」を設立した。
危機委員会は、米国が直面する危機に応じて設立され、1回目はトルーマン政権の1950年代に、2回目はレーガン政権の1970年代に、それぞれソ連に関する危機委員会が設立された。2004年の3回目となる設立は反テロを目的としていた。
今般、15年ぶり4回目となる中国に関する「危機委員会」は、その設立を連邦議会で発表し、米国で浸透工作を行う中国共産党政権の戦略に対して、より強力な外交、防衛、経済措置を取らなければならないと提言した。
それほどまでに、米国の対中観は悪化しているようである。
委員には、ペンシルベニア大学の中国専門家アーサー・ウォルドロン教授、戦略ミサイル防衛の専門家ヘンリー・クーパー氏、中国のクリスチャン活動家ボブ・フー氏、ほか前政権の情報高官、連邦議会議員、シンクタンクの研究員ら、外交、国防、政治、宗教の専門家や人権活動家など40人以上が参加している。
設立発表において、委員会は知的財産の窃取などに関する米中貿易交渉について警告を発するとともに、各委員は、それぞれの専門的立場から次のような発言を行ったことが、「The EPOCH TIMES(大紀元、2019.3.30付)」などで明らかにされている。
一、通信機器大手・ファーウェイ(HUAWEI)による5G通信技術の拡大を通じた中国によるインターネットの占拠を見逃してはいけない。
一、米国の国防省や大学、ハイテク企業は、中国政府の代理人による何らかの浸透工作を受けている。例えば、中国から派遣された研究員は、米国の技術を入手することに注力している。
一、中国共産党は、すでに冷戦を始めている。号砲などはない。すでに(冷戦は)始まっており、米国社会に工作は浸透している。米国は立ち上がって戦わなければならない。
一、中国共産党による実際的な脅威は、最終的に、全世界を支配する野心的な計画の一つだ。
一、過去のソビエト連邦と同様に、共産主義の中国は、米国と自由主義に対するイデオロギーの脅威がある。我々は、最終的に共産主義体制の性格から生じるこれらの問題に対処しなければならない。
一、中国は、古代中国の戦略家・孫子の理論に基づいて、大きな紛争を発生させることなく、米国を敗北させようとしている。
一、中国の核兵器は、新型ミサイル、爆撃機、潜水艦など急速に最新化している。中国の核兵器は「地下の万���の長城」と呼ばれる長さ3万6000キロのトンネル複合施設に建設され、保管されている。実際の兵器庫内の弾頭数はわかっていない。
以上の発言から分かるように、危機委員会は、中国の脅威を政府の政策策定者と国民に認識させることを目的としている。
委員会発表文書によれば、中国共産党は政治的、経済、軍事、科学、人権、イデオロギー、宗教、さらには中毒性のある薬物(フェンタニル)輸出など、枠にはまらない超限戦(Unrestricted Warfare)を展開していると危機感を募らせている。
トランプ大統領の「原則ある現実主義」
2019年2月27・28日にベトナムで開催されたドナルド・トランプ米大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による2回目の首脳会談は、物別れに終わった。
会談に当たって、米国の外交・安全保障関係者のみならず、国際社会の多くの識者は、トランプ大統領が北朝鮮からほんの少しの合意を引き出すために過度に譲歩する結果となることを恐れていた。
特に日本では、米大陸を射程に収める弾道ミサイル(ICBM)の脅威は取り除かれても、日本を含むアジア地域の同盟諸国に対するミサイルの脅威には効力が及ばない合意を結ぶのではないかとの懸念が強まっていた。
結局、米朝首脳会談が物別れに終わったことに、むしろ安心感が広がった。そして、その背景が次第に明らかになった。
北朝鮮側は、寧辺の核施設廃棄と引き換えに、主要な国連制裁解除を求めた。
これに対しトランプ大統領は、北朝鮮の金正恩委員長に核兵器と核物質の米国への引き渡しを求め、核計画の完全放棄を迫る「ビッグディール(大きな取引)」を持ちかけたが両者の隔たりは大きく、決裂したのである。
第1回米中首脳会談の共同声明で「北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて取り組む」と記されていたが、非核化の定義は不明であった。
今回、米国はその定義を明記した文書を手渡したことをボルトン米大統領補佐官(国家安全保障担当)が認めており、その内容は、いわゆる「リビア方式」を原則とした北朝鮮に対する非核化の要求であったとされる。
トランプ大統領は、2017年1月に第45代大統領に就任し、その対外政策の遂行にあたって「原則ある現実主義(principled realism)」を掲げたが、その方針が貫かれた事実が明るみに出たことが、実は、第2回米朝首脳会談の隠れた成果の一つである。
トランプ政権下で、2017年12月に発表された「国家安全保障戦略(NSS2017)」や前述の「国防戦略(NDS2018)」では、中国を「力による現状変更勢力」、すなわち「米国の価値や利益とは正反対の世界への転換を図る勢力」として名指しで非難し、米国に挑戦し、安全や繁栄を脅かそうとしている「ライバル強国」であると定義した。
そして、中国は、インド太平洋地域で米国に取って代わり、国家主導の経済モデルの範囲を拡大し、地域の秩序を好きなように再編成しようとしていると指摘している。
そのうえで、「我々は新たな対立の時代に入っている」と述べ、米国は中国に対抗して世界各地の係争地域において、米軍の増強や近代化そして同盟国との連携などによってこうした脅威に立ち向かい、「このゲームで米国は勝利する」と宣言している。
つまり、これらの大原則に基づき、今後の米国の対中政策・戦略は遂行されると見ることができ、第2回米朝首脳会談の決裂を通して、その方向性、信頼性、予測可能性を再確認できた意義は決して小さくないのである。
日本は、本格化する米中冷戦に油断なく備えよ
DIAが発表した「中国の軍事力」や連邦議会に設立された中国に関する「危機委員会」が示した警告の通り、日米などの西側諸国と比較した中国の体制の違いと、中国が外交、経済、安全保障などあらゆる分野で戦略的攻勢、すなわち覇権的拡大を追求している実態から、米中冷戦が本格化の様相を呈しつつあるのは明らかである。
その中で、日本がとるべき道は、日本の立ち位置を再確認し、米中の構造的・長期的対立に油断なく備えることにほかならない。
日本は、自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値を理念として掲げている国(「国家安全保障戦略」)であり、それらを否定する中国とは対極に位置している。
その基本認識を堅持して、日本は、普遍的価値や戦略的利益を共有する米国との同盟関係を深化させるとともに、オーストラリア、インドなどの友好国やASEAN(東南アジア諸国連合)との協力関係を強化し、わが国の安全およびインド太平洋地域の平和と安定を確保する覚悟を持ち、揺るぎない決意を示さなければならない。
相互依存関係にある中国との経済問題は、複雑である。
今後、冷戦体制が強まれば、米中間の確執は、経済から、政治外交、そして安全保障・防衛へと問題の重点が移ることになろう。
そうなると、日中関係も「政冷経熱」から「政冷経温」、「政凍経冷」へと事態悪化の傾向が強まるだろうから、それを想定したシミュレーションを行い、中国からの脱出・移転を含めた周到な準備が必要になる。
また、「一帯一路」構想への参入などには、しっかりと歯止めをかけるなど、経済も安全保障を考慮した対応を迫られることになろう。
外交では、日米同盟の深化を基軸として、普遍的価値や戦略的利益を共有し、インド太平洋地域で重要な役割を果たすオーストラリア、インドをはじめ、ASEANや中国の「一帯一路」構想の沿線国、さらには、本地域で戦略的利害を共有する英国やフランスなどのNATO(北大西洋条約機構)/EU加盟国などへウイングを広げ、インド太平洋地域を中心に、グローバルに広がる同盟・友好国のネットワークを構築することが重要である。
冷戦下の最大のテーマは、安全保障・防衛であり、冷戦を熱戦化させない抑止が最大の課題である。
昨年12月18日に閣議決定された新防衛大綱( 「平成31年度以降に係る防衛計画の大綱」)で述べている通り、抑止を主眼とした日本の防衛目標を達成する手段は、(1)我が国自身の防衛体制(2)日米同盟の強化、および(3)安全保障協力の3点に集約される。
まず、わが国自身が自主防衛力を強化することが第一である。しかしながら、中国の強大な軍事的脅威に直面するわが国の平和と安全は、核ミサイルの脅威までを考慮に入れた場合、わが国一国では確保できない。
そのため、日米同盟の強化、特に米国の核による地域抑止の回復、域内外のパートナーとの信頼・協力関係の強化、実際的な安全保障協力の推進により、アジア太平洋地域の安全保障環境を改善し、わが国に対する直接的な脅威の発生を予防し、削減しなければならない。
そこで、安倍晋三総理のイニシアティブで構想されたのが、「自由で開かれたインド太平洋戦略」である。
本戦略の目的は、「自由で開かれたインド太平洋を介してアジアとアフリカの「連結性」を向上させ、地域全体の安定と繁栄を促進する」とされ、米、豪、印との間でコンセンサスが得られている。
これまでの「自由で開かれたインド太平洋戦略」に関する議論では、日米豪印を4本柱として、基本的価値や戦略的目標・利害を共有する努めて多くの国・地域を有機的に連結した多国間主義による安全保障ネットワークを構築することが考えられてきた。
さらに、日米などと基本的価値観を共有し、インド太平洋地域に強い戦略的な利害関係をもつ英国とフランスを本構想に加え、「4本柱」を、さらに英仏が提供する「2本の支柱」によって補強できれば、安全保障のアーキテクチャーが一段と強化される。
そして、日米印豪と英仏によって構築される「4+2」の安全保障協力体制を基盤とし、台湾やフィリピン、マレーシア、ベトナム、シンガポールなどの力を結集すれば、中国の海洋侵出の野望を抑え込む、国際的な多国間枠組みを一段と強化・発展させることができる。
今後、「自由で開かれたインド太平洋戦略」が、新大綱によって防衛・軍事戦略の立場から裏づけされ、肉づけされ、強化されることが大いに期待される。
そこではまず、領域警備の態勢強化が喫緊の課題である。
とういうのも、ロシアのクリミア半島併合に見られるように、サイバー攻撃やプロパガンダ、特殊作戦などを巧妙に組み合わせた「ハイブリッド戦」によって、軍事機能や国家機能が混乱・低下した隙を衝いて、戦う前に、領土を掠め取られてしまう恐れがあるからだ。
中国が尖閣諸島を焦点として東シナ海で仕かけている「グレーゾーンの戦い」は、まさに「ハイブリッド戦」に類似した事態である。
その延長線上で、中国は対日侵攻シナリオをエスカレートさせる恐れが十分にあり、早急に警備態勢を強化しなければならない。
そのうえで、中国の本格的な侵攻に備えるため、ゲーム・チェンジャーとして、宇宙・サイバー・電磁波領域でわが国の優位性を追求することが新たな領域における課題である。
同時に、文頭で述べた米陸軍のインド太平洋への機動展開などの動きと戦略的連携・調整を密にしつつ、領土保全能力と機動・展開能力、海空領域における対処能力、総合ミサイル防衛(MD)能力、スタンド・オフ防衛能力など従来の領域における能力強化を図らなければならない。
そして、新たな領域と従来の領域を含めた全領域を横断的に組み合わせるシステム化・ネットワーク化に予算を振り向け、破壊的イノベーションによって近未来のマルチドメインの戦い���実効性をもって対処できる防衛体制を構築することが望まれる。
その取り組みいかんで、本格化する米中冷戦の渦中にあって、日本の行方が左右されることになると言っても過言ではないのである。
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多様な人々が暮らしやすいまちに! 金千秋さん
(FMわぃわぃ 総合プロデューサー)
JR鷹取駅の近く、カトリックたかとり教会にあるたかとりコミュニティセンターでは、阪神・淡路大震災以降、多文化共生のまちづくりを行う様々な団体が活動しています。その中の一つで、外国人への災害情報の提供と安否確認のためのラジオとしてスタートし、現在は多文化・多言語の情報発信を行っているコミュニティ放送局のFMわぃわぃ総合プロデューサーの金千秋さんにお話を聞きました。(2018年6月26日にインタビュー)
ベトナムのビール333(バーバーバー)を飲みつつ、生春巻きや揚げ春巻き、バインセオ(ベトナムのお好み焼き)を食べつつ、のんびりな雰囲気とパワフルさが同居する金千秋さんのお話に聞き入ってしまいました。
ご出身は長田区ですか。
いいえ。3歳から結婚するまで阪急六甲に住んでいました。北野に住んでいた祖母の家によく遊びに行っていたので、知り合いの外国人が経営する店や外国人向けの雑貨・食料品店、回教寺院が近くにあり、近くに住むインド人、台湾人、ドイツ人と接することも多く、多文化の中で育ちました。結婚してからは須磨寺の近くに住んでいました。
子どもの頃は何になりたかったのですか。
お姫様とか魔法使いとかになりたかった。夜中に合わせ鏡をして、鏡の奥から出てきた悪魔が鏡の間を飛び移る瞬間に尻尾を捕まえて、自由にする見返りに願いを叶えてもらうって話があるでしょう。そんな事ばかり考えていました。
小学校では、かなり困った子どもだったと思います。小学1年生から髪にパーマをあてたり、母に作ってもらった金色のレインコートを着て行ったり。土日はお父さんと遊ぶので、月曜はだいたい休んでいました。
私の誕生日に、父が自分のセスナ機から私の小学校の校庭にバラを落としてくれたこともありました。小学校を空から撮影するというちゃんとした目的が一応あったんですけど。父親は私にすごく甘かった。
旦那様との出会いは。
乗馬クラブで出会いました。彼は在日コリアン3世で、それまで接してきた外国人とは全く違っていて、在日として生きることの屈折した思いを感じました。当時の私にとっては、それまで見たことのないミラクルな世界を彼が見せてくれました。焼肉を一緒に食べた時、タルタルステーキが出てきて驚きました。それって、つまりはユッケなんですけど、オリエンタルホテルとかで特別な時に食べるタルタルステーキが、煙がもうもうとしている焼肉屋で出てきて、しかもそれがすごく美味しかったことが新鮮でした。彼が在留カードを見せてくれた時は、初めて見たこともあって、番号とかが書いてあるので、「きゃー、この人はスパイじゃないの!」って思ったこともありました。在日を生きるコリアンの世界の苦しさを、真剣で真面目な彼が見せていたにもかかわらず、なぁんにも知らない私にとっては刺激的なわくわくワールド。本当に困った人だったと思います。
親は結婚には大反対だったので、大学を卒業する前のクリスマスの日に駆け落ちしたんです。レストランで「今日は帰りたくない」って言ったら、「おうちに電話します」って言って、あれあれ?と思う内に駆け落ちすることになりました。彼はとても真面目で、これは自慢でもなんでもなく私のことを本当に愛していたんだと思います。日本人とは絶対に結婚しないと心に誓った掟を破っての結婚!それがどんな決意をもってのものか、今になれば理解できますが、その時の私は本当にお馬鹿で、「ドラマみたい~っ」て感じでしたね。一昨年、彼が亡くなってからやっと「人を愛する」という意味を考えるようになりました。
FMわぃわぃと関わることになったきっかけは何でしょうか。
阪神・淡路大震災までは専業主婦だったんです。社会的オンチでした。大震災で、須磨の自宅は古かったので全壊になりました。
大震災後の1月末から新長田の民団西神戸支部で、在日コリアンの安否確認のためのラジオ放送(FMヨボセヨ)を始めていたので、それを手伝っていました。今でこそKPOPはメジャーですが、当時はそんなことなかったので、ラジオからアリランが聴こえてきた時は不思議な気持ちでした。放送では、CDで音楽を流し、それからマイクで呼びかけ、それが終われば再びCDをかけるという繰り返しでした。
その数ヶ月後にカトリックたかとり教会でベトナム人向けの放送(FMユーメン)が始まり、FMヨボセヨと一緒にやろうということで場所を移ったのです。当時、教会には炊き出しをする人や家の修理をする大工さんや、色々な人が集まっていて梁山泊みたいな雰囲気だったので驚きました。毎日、色々な人が情報を持って集まり、話し合って、自分たちでできることをやる、ということを繰り返していました。
当初は電波法の免許を取っていなかったんですが、当時の長田区長が「市民メディアとして、今FM局がスタートしました。」ってマスコミとかに堂々と話をしていたのは今でも印象に残っています。市民と行政が近い関係にありました。電波管理局から連絡があった時はついにバレたか…と思ったのですが、免許をぜひ取ってくれと言われて、その後に免許を取りました。電波管理局もとても協力的でした。市民と行政が一体となった世界初の災害ラジオのスタートです。
FMわぃわぃを通じて、様々な社会問題を知ることができました。そして、長田が障がいを持つ人が住んでいる、様々な国の人が住んでいる、それは@その人たちにとってとても住みやすいまちである、ということが分かりました。何事も顕在化させることが必要です。
いつもパワフルですが、その源泉はなんでしょうか。
結婚するまでは全く何も考えていなかったからでしょう。在日コリアンと結婚して、差別される人のことを知って、色々な立場の人のことも知ったからでしょうか。人生の最初が人としてマイナスで始まり、今上昇中?
長田のまちの好きなところはどこでしょうか。
おせっかいな人が多いところ。色々なものをくれる。しかも、こそっとくれる感じ。目くばせして「とっとき!」って言ってくれるような。気にかけてくれる人が長田には多いです。
長田をどんな風にしていきたいですか。
長田がどういう地域だったのか知りたくて、FMわぃわぃで「長田今昔物語」という番組を作っています。そこで、長田は何事も豊潤に受け止め、いろんなものを吸収して、共に生き、それが自分たちの力になり、魅力になるまちだとわかってきました。長田神社も色々な神様を祀っていて多様性があります。
長田のまちでは絵干会(えぼしかい)というのがあるのですが、これは高取山の麓から海までの一本の川沿いの4つの地域の人が1年に一度集まって、古地図を見ながら農業用水の確保について話し合うというものでした。他の地域のことにも気を配っていたのです。今では、田畑がほとんどなくなったこともあり、古地図を見ることはなくなったそうですが、地域間の情報交流の場となっています。
長田は震災や文化がミルフィーユのように積み重なっていて、新しい環境を作れるまちです。もちろん負の歴史も様々あるのは確かです。それを隠すのではなく、住んでいる人達が各々の立場で自由に話し合えるまちにしたいです。そして、新しいまちづくりを発信していきたいと思います。
金千秋さんに会うにはここへ
FMわぃわぃ 神戸市長田区海運町3丁目3-8
http://tcc117.jp/fmyy/
インタビュー会場は、金千秋さんおススメの多くのネイティブが通うベトナム料理店
ハーロン ベイ 神戸市長田区久保町3丁目7-6
このお店の生春巻きのたれは、ナッツが入ったどろっとしたタイプなのですが、これはベトナムの南の方のものだそうです。
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