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多様な人々が暮らしやすいまちに! 金千秋さん
(FMわぃわぃ 総合プロデューサー)
JR鷹取駅の近く、カトリックたかとり教会にあるたかとりコミュニティセンターでは、阪神・淡路大震災以降、多文化共生のまちづくりを行う様々な団体が活動しています。その中の一つで、外国人への災害情報の提供と安否確認のためのラジオとしてスタートし、現在は多文化・多言語の情報発信を行っているコミュニティ放送局のFMわぃわぃ総合プロデューサーの金千秋さんにお話を聞きました。(2018年6月26日にインタビュー)
ベトナムのビール333(バーバーバー)を飲みつつ、生春巻きや揚げ春巻き、バインセオ(ベトナムのお好み焼き)を食べつつ、のんびりな雰囲気とパワフルさが同居する金千秋さんのお話に聞き入ってしまいました。
ご出身は長田区ですか。
いいえ。3歳から結婚するまで阪急六甲に住んでいました。北野に住んでいた祖母の家によく遊びに行っていたので、知り合いの外国人が経営する店や外国人向けの雑貨・食料品店、回教寺院が近くにあり、近くに住むインド人、台湾人、ドイツ人と接することも多く、多文化の中で育ちました。結婚してからは須磨寺の近く���住んでいました。
子どもの頃は何になりたかったのですか。
お姫様とか魔法使いとかになりたかった。夜中に合わせ鏡をして、鏡の奥から出てきた悪魔が鏡の間を飛び移る瞬間に尻尾を捕まえて、自由にする見返りに願いを叶えてもらうって話があるでしょう。そんな事ばかり考えていました。
小学校では、かなり困った子どもだったと思います。小学1年生から髪にパーマをあてたり、母に作ってもらった金色のレインコートを着て行ったり。土日はお父さんと遊ぶので、月曜はだいたい休んでいました。
私の誕生日に、父が自分のセスナ機から私の小学校の校庭にバラを落としてくれたこともありました。小学校を空から撮影するというちゃんとした目的が一応あったんですけど。父親は私にすごく甘かった。
旦那様との出会いは。
乗馬クラブで出会いました。彼は在日コリアン3世で、それまで接してきた外国人とは全く違っていて、在日として生きることの屈折した思いを感じました。当時の私にとっては、それまで見たことのないミラクルな世界を彼が見せてくれました。焼肉を一緒に食べた時、タルタルステーキが出てきて驚きました。それって、つまりはユッケなんですけど、オリエンタルホテルとかで特別な時に食べるタルタルステーキが、煙がもうもうとしている焼肉屋で出てきて、しかもそれがすごく美味しかったことが新鮮でした。彼が在留カードを見せてくれた時は、初めて見たこともあって、番号とかが書いてあるので、「きゃー、この人はスパイじゃないの!」って思ったこともありました。在日を生きるコリアンの世界の苦しさを、真剣で真面目な彼が見せていたにもかかわらず、なぁんにも知らない私にとっては刺激的なわくわくワールド。本当に困った人だったと思います。
親は結婚には大反対だったので、大学を卒業する前のクリスマスの日に駆け落ちしたんです。レストランで「今日は帰りたくない」って言ったら、「おうちに電話します」って言って、あれあれ?と思う内に駆け落ちすることになりました。彼はとても真面目で、これは自慢でもなんでもなく私のことを本当に愛していたんだと思います。日本人とは絶対に結婚しないと心に誓った掟を破っての結婚!それがどんな決意をもってのものか、今になれば理解できますが、その時の私は本当にお馬鹿で、「ドラ��みたい~っ」て感じでしたね。一昨年、彼が亡くなってからやっと「人を愛する」という意味を考えるようになりました。
FMわぃわぃと関わることになったきっかけは何でしょうか。
阪神・淡路大震災までは専業主婦だったんです。社会的オンチでした。大震災で、須磨の自宅は古かったので全壊になりました。
大震災後の1月末から新長田の民団西神戸支部で、在日コリアンの安否確認のためのラジオ放送(FMヨボセヨ)を始めていたので、それを手伝っていました。今でこそKPOPはメジャーですが、当時はそんなことなかったので、ラジオからアリランが聴こえてきた時は不思議な気持ちでした。放送では、CDで音楽を流し、それからマイクで呼びかけ、それが終われば再びCDをかけるという繰り返しでした。
その数ヶ月後にカトリックたかとり教会でベトナム人向けの放送(FMユーメン)が始まり、FMヨボセヨと一緒にやろうということで場所を移ったのです。当時、教会には炊き出しをする人や家の修理をする大工さんや、色々な人が集まっていて梁山泊みたいな雰囲気だったので驚きました。毎日、色々な人が情報を持って集まり、話し合って、自分たちでできることをやる、ということを繰り返していました。
当初は電波法の免許を取っていなかったんですが、当時の長田区長が「市民メディアとして、今FM局がスタートしました。」ってマスコミとかに堂々と話をしていたのは今でも印象に残っています。市民と行政が近い関係にありました。電波管理局から連絡があった時はついにバレたか…と思ったのですが、免許をぜひ取ってくれと言われて、その後に免許を取りました。電波管理局もとても協力的でした。市民と行政が一体となった世界初の災害ラジオのスタートです。
FMわぃわぃを通じて、様々な社会問題を知ることができました。そして、長田が障がいを持つ人が住んでいる、様々な国の人が住んでいる、それは@その人たちにとってとても住みやすいまちである、ということが分かりました。何事も顕在化させることが必要です。
いつもパワフルですが、その源泉はなんでしょうか。
結婚するまでは全く何も考えていなかったからでしょう。在日コリアンと結婚して、差別される人のことを知って、色々な立場の人のことも知ったからでしょうか。人生の最初が人としてマイナスで始まり、今上昇中?
長田のまちの好きなところはどこでしょうか。
おせっかいな人が多いところ。色々なものをくれる。しかも、こそっとくれる感じ。目くばせして「とっとき!」って言ってくれるような。気にかけてくれる人が長田には多いです。
長田をどんな風にしていきたいですか。
長田がどういう地域だったのか知りたくて、FMわぃわぃで「長田今昔物語」という番組を作っています。そこで、長田は何事も豊潤に受け止め、いろんなものを吸収して、共に生き、それが自分たちの力になり、魅力になるまちだとわかってきました。長田神社も色々な神様を祀っていて多様性があります。
長田のまちでは絵干会(えぼしかい)というのがあるのですが、これは高取山の麓から海までの一本の川沿いの4つの地域の人が1年に一度集まって、古地図を見ながら農業用水の確保について話し合うというものでした。他の地域のことにも気を配っていたのです。今では、田畑がほとんどなくなったこともあり、古地図を見ることはなくなったそうですが、地域間の情報交流の場となっています。
長田は震災や文化がミルフィーユのように積み重なっていて、新しい環境を作れるまちです。もちろん負の歴史も様々あるのは確かです。それを隠すのではなく、住んでいる人達が各々の立場で自由に話し合えるまちにしたいです。そして、新しいまちづくりを発信していきたいと思います。
金千秋さんに会うにはここへ
FMわぃわぃ 神戸市長田区海運町3丁目3-8
http://tcc117.jp/fmyy/
インタビュー会場は、金千秋さんおススメの多くのネイティブが通うベトナム料理店
ハーロン ベイ 神戸市長田区久保町3丁目7-6
このお店の生春巻きのたれは、ナッツが入ったどろっとしたタイプなのですが、これはベトナムの南の方のものだそうです。
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