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#フラナリー・オコナー
anamon-book · 4 months
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フラナリー・オコナー 楽園からの追放 ジュヌヴィエーヴ・ブリザック、香川由利子・訳筑摩書房 装幀=岡田和子
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m12gatsu · 8 months
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無題
死ぬ夢を見た。宇宙空間で安楽死する夢。宇宙船は全長50メートルくらいあるL字型の座椅子みたいな形だった。志願者たちはその座面に乗り込んで、背もたれの部分に備えつけられた把手をめいめいつかみ、出発の時を待っていた。効率がいいな、と思った。床と背景しかない部屋。舞台装置のようでもあった。出発前にインスタグラマーみたいな男が、手すりに寄りかかって写真を撮り、何か辞世の句めいたことをブツブツ口走っていた。馬鹿かと思った。身投げとか銃で撃たれる夢も見たことがあるけれど、今までで一番臨終する瞬間の感覚が生々しかった。これが死か! と思った。観念的な死ではなくて、実感としての死を体験した。視界は真っ暗で、一点に強い力で意識ごと吸い込まれていく感覚。『すべて上昇するものは一点に集まる』っていうフラナリー・オコナーの短編があった。全身麻酔に抵抗するみたいに、ちょっと堪えようとしたけれど、ほどなく意識が飛んだ。その瞬間目が覚めた。入口が出口だった。寝る前に着けた蒸気でホットアイマスクが視界を覆っていて、一瞬パニックになった。心臓がバクバク鳴っていた。
母方の祖母が死んだ。認知症を患って久しく、年明けに施設で胸の痛みを訴えてそのままだった。前後のことはあんまり憶えていないし詳しく書く気力ももうないんだけど、長らく献身的に面倒を見続けていた母の苦労と悲しみと喪失感が果たして幾許のものか、おつかれさまでしたって心から母にいった。あとは安心して自分の人生を生きていってほしい。祖父が死んだ時はコロナ禍只中で火葬にも立ち会えなかったけれど、今回はちゃんと収骨にも立ち会えた。骨上げってマジで常軌を逸した風習だと思うんだけど、でも、あれがあるから遺族は死を実感として受容していけるんだな、と骨になった祖母を見て思った。萎縮した脳を覆っていた頭蓋骨は、卵の殻みたいだった。昔父方の祖父が死んだ時、焼き場で祖母ちゃんが「これで本当にいなくなっちゃった」といって泣いていた。
寝しなに神の訪問を受けた彼女が、2024という数字は2で割り続けられるような感じするけど253で割れなくなる、そして253は素数である、という天啓を授けてくれた。俺はお返しに、「猫の恋」って春の季語なんだよ、と教えてあげた。
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ryotarox · 1 year
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Do you know me now ? on Vimeo directed by yuka fujii . music and lyrics david sylvian
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Badlandsな風景と音楽、小説
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Rain Tree Crow – Rain Tree Crow (1991, DADC AUSTRIA, CD) - Discogs 1991年4月20日
Shinya Fujiwara – cover photography
モハーヴェ砂漠 - Wikipedia
モハーヴェ砂漠(モハーヴェさばく、Mojave Desert)は、アメリカ南西部のカリフォルニア州、ユタ州、ネバダ州、アリゾナ州にまたがる砂漠。 面積は35,000 km2 以上。 テハチャピ山脈、サンガブリエル山脈(英語版)、サンバーナディーノ山脈が西と南の境界になっている。 標高は1,000から2,000 m程度で年間降水量は150 mm以下である。
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Shinya Fujiwara: American Roulette, Joho Center Shuppankyoko, 1990 | Bookshop Le Plac'Art Photo
アメリカン ルーレット 藤原新也 写真集 AMERICAN ROULETTE Shinya Fujiwara 写真家・藤原新也の新たなる漂流「全西洋街道」の第一歩となった著書『アメリカ』を写真で表現した作品集。アメリカ全土をぐるりと一周した壮大な試み。
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BADLANDS (1973) Director: Terrence Malick
(Badlands - Joyless Creaturesから) テレンス・マリック「地獄の逃避行」(1973)
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"「地獄の逃避行」のモデルとなった連続殺人犯チャールズ・スタークウェザーの事を歌ったのがブルース・スプリングスティーンの「ネブラスカ」。 その同じアルバムに収録されていた「ハイウェイ・パトロールマン」を元にストーリーを紡いだのがショーン・ペン初監督作「インディアン・ランナー」。 それに出演し、実際に出産シーンまで見せて(東京ファンタでは無修正上映)注目を浴びたパトリシア・アークェットが、2年後ヒロインを演じた「トゥルー・ロマンス」は、テーマ曲からして「地獄の逃避行」にオマージュを捧げた映画だった。 僕はこれを“バッドランズ・サークル”と呼んでます、勝手に。"
— 映画 地獄の逃避行 - allcinema
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(Amazon.co.jp: Bruce Springsteen : Promise [12 inch Analog] - 音楽から)
The Promise (Bruce Springsteen album) - Wikipedia
Eric Meola – photography
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Bruce Springsteen – Nebraska (1982, Vinyl) - Discogs
"スプリングスティーン自身は後年、本作の制作前よりフラナリー・オコナーの小説に傾倒したと語っている"
ネブラスカ (アルバム) - Wikipedia
フラナリー・オコナー - Wikipediaオコナー短編集 (新潮文庫 オ 7-1) | オコナー, 須山 静夫 | 本 | Amazon.co.jp
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逃避行 - Wikipedia ジョニ・ミッチェル(1976年)
写真はノーマン・シーフとジョエル・バーンスタインが撮影
「コヨーテ」和訳
途中で私というヒッチハイカーを拾い上げたのね。 ハイウェイの白線の囚われ人を You just picked up a hitcher A prisoner of the white lines on the freeway
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Wikipedia: 南部ゴシック
南部ゴシック(なんぶゴシック、Southern Gothic)は、ゴシック小説様式のサブジャンルで、アメリカ文学特有のものである。 南部ゴシックでは概して、作中に不気味なことや皮肉なこと、あるいは異常な出来事が起こり、それがプロットを左右する要素として機能する。それは典型的なゴシック小説の特徴のひとつでもあるが、元来のゴシック小説とは異なり、南部ゴシックではサスペンスのためにこれらの特徴を使うわけではなく、社会問題を掘り下げたり、アメリカ南部の文化的な雰囲気を明らかにするために使われる。(略) このジャンルの作品は、以下の著名な南部作家の作品のなかに見られる。 ウィリアム・フォークナー、アースキン・コールドウェル、 フラナリー・オコナー、カーソン・マッカラーズ、ユードラ・ウェルティ 、テネシー・ウィリアムズ、トルーマン・カポーテ���、ハリー・クルーズ(英語版)、Lee Smith、John Kennedy Toole、コーマック・マッカーシー、バリー・ハンナ(英語版)、キャサリン・アン・ポーター(英語版)、ルイス・ノーダン(英語版)、William Gay、ウォーカー・パーシー(英語版)などである。 バージニア州出身のウィリアム・スタイロンの作風も、同じ南部出身であるフォークナーの影響を色濃く受けている。
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yotchan-blog · 5 months
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2024/5/5 12:00:47現在のニュース
(新書・文庫)『母娘短編小説集』フラナリー・オコナーほか著 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/5 11:45:09) 子どもたちや絵本、図鑑の今昔 30周年の児童書店主はどう見た?(朝日新聞, 2024/5/5 11:40:25) (新書・文庫)『労働法はフリーランスを守れるか』橋本陽子著 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/5 11:40:12) (短評)『老化のプログラムを書き換える! Breaking the Age Code』ベッカ・レヴィ著 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/5 11:40:12) (短評)『アジアの独裁と「建国の父」』根本敬・粕谷祐子編著 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/5 11:40:12) パインと移民 廣本由香著 逆境乗り越え固有性獲得 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/5 11:40:12) 「実感ない」「もの足りない」 18歳の成人式はどう?会場で聞いた(毎日新聞, 2024/5/5 11:34:32) AIが音声無断使用…中国裁判所が違法認定、損害賠償命令 女性ナレーターの人格権侵害([B!]産経新聞, 2024/5/5 11:33:26) 「日本人は外国人嫌い」バイデン氏、3月にもラジオで発言 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/5/5 11:33:26) 推しの殺人 遠藤かたる著 あふれる新人作家の気迫 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/5/5 11:33:18)
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qots · 2 years
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 読者に何かを求めようとしてもむだだ、と言う人がいる。読者は芸術について何も知らないのだから、もし読者を動かそうと思ったら、そのレベルまで下りていけるくらいに謙虚でなければならぬというのである。この考え方からすると、芸術の目的は教えることになるが、芸術はそんなことではありえない。もう一つ察せられることは、ただそれ自体で優れたものを創造するなどは時間の浪費であるという考え方である。芸術は、これを民主的なものにしようという人の企てに決して従順に応じたりはしない。芸術は、あらゆる人間のためにあるのではなくて、それを理解するのに必要な努力を進んでする覚悟のある人のためだけにあるのだ。自分を低めるために必要な謙遜さについて、非常に多く聞くが、自分を向上させ苦しい労働を経て、より高い水準に達するためにだって同じくらいの謙遜さと真理への本物の愛が要るのである。これこそが、カトリリック教徒の義務だろう。向上のための謙遜さは、人生のあらゆる分野で彼の義務となるが、もっと絞ればとくに彼が敢えて判断を下す事柄に関して、絶対的な義務であろう。無知は、それが十字架のように負われているなら、許せもする。 しかし、それが道徳的怒りをもって斧のように振り回されたりすれば、まさに許しうるもの以外の何かになってしまう。われわれカトリック教徒がするどんなことにも、教会が影を落としていると一般の人びとは思うものである。だから、芸術に関わる事柄についてのわれわれの判断が誤っているとはっきり見てとる人が、宗教問題についてもわれわれの判断は疑わしいと言ったとしても、それを責めるわけにはいかないのだ。
「神秘を視る目」フラナリー・オコナー著 上杉明訳『秘義と習俗』春秋社刊所収 178-179P
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literaturespace · 2 years
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第1回 架空談話室
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日時:2022年11月26日(土) 13:30~17:00 場所: 〒131-0046 東京都墨田区京島3-18-3 (レンタルスペースcghg)
第1回架空談話室では、フラナリー・オコナーの作品を取り上げます。 語る内容は、作者についてでも、作品についてでも構いません。 当ホームページの「概要」をお読みの上ご参加下さい。 参加される方は、事前にある程度話す内容を考えておいて下さい。 見学のみでも構いません。 質問等がある方は、下記アドレスまでメールを下さい。[email protected]
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nusumigaki · 5 years
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「おなかすいてる。」ベヴェルは自分の心の満たされなさをどうあらわしたらいいか迷ったあげく、この言葉に決めた。
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rakuhoku-kyoto · 5 years
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いえいえ、そんなたいしたものではございません。 フラナリー・オコナーの言う「日課」のようなものです。
「毎日、同じことを同じ時間だけやれば、落ち込みから自分を救うことができます。日課は生きのびるための必要条件なのです」
蜂飼耳『秘密のおこない』からの孫引き。
ランシエールの「夜のプロレタリアート」とも共振するかも。
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copyoffice · 5 years
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20世紀の作品ベスト10 1『ロリータ』 – ウラジーミル・ナボコフ 2『グレート・ギャツビー』 – F・スコット・フィッツジェラルド 3『失われた時を求めて』 – マルセル・プルースト 4『ユリシーズ』 – ジェイムズ・ジョイス 5『ダブリン市民』 – ジェイムズ・ジョイス 6『百年の孤独』 – ガブリエル・ガルシア=マルケス 7『響きと怒り』 – ウィリアム・フォークナー 8『灯台へ』 – ヴァージニア・ウルフ 9『フラナリー・オコナー全短篇』 – フラナリー・オコナー 10『青白い炎』 – ウラジーミル・ナボコフ 19世紀の作品ベスト10 1『アンナ・カレーニナ』 – レフ・トルストイ 2『ボヴァリー夫人』 – ギュスターヴ・フローベール 3『戦争と平和』 – レフ・トルストイ 4『ハックルベリー・フィンの冒険』 – マーク・トウェイン 5『チェーホフ全集』 – アントン・チェーホフ 6『ミドル・マーチ』 – ジョージ・エリオット 7『白鯨』 – ハーマン・メルヴィル 8『大いなる遺産』 – チャールズ・ディケンズ 9『罪と罰』 – フョードル・ドストエフスキー 10『エマ』 – ジェーン・オースティン
海外の有名作家125人が選ぶ、「史上最高の小説」トップ10 - e-StoryPost
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beso · 2 years
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暴力とは、別のビリヤードの球に当たるビリヤードの球のなかだけにあるものではない。収穫物を台無しにする嵐のなかだけに、奴隷を虐待する主人のいなかだけに、市民を頽落させる全体主義国家のなかだけに、人々を隷属させる軍事的侵略のなかだけにあるわけでもない。おのれひとりだけが行動するものであり、宇宙の自余のものはその行動を受け入れるためにのみそこにいるかのようにしてなされる行動は何であれ暴力的である。ということは、すべての点においてわたしたちがその協力者であることなしに私たちが蒙ることになる行動は何であれ暴力的だ、ということになる。(レヴィナス『困難な自由―ユダヤ教についての試論』)
暴力と恩寵の弁証法―フラナリー・オコナーを読んで « I am the vine; you are the branches
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m12gatsu · 7 years
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無題
スリービルボードを観た。みんなみんな悲しんでいた。連鎖する悲しみが悲しかった。悲しくてやりきれなくなった人が暴力に走るのが何より悲しかった。悲しくてボロボロに泣いた。感動とか嬉し泣きとは違う、悲しくて泣いたのはすごく久しぶりな気がした。
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ならば、これまで、いかなる状況で彼は悲しみを感じてきたのか。しっかり握っていたはずの風船が飛んで行ってしまったとき。夜店で買ったヒヨコが一晩で死んでしまったとき。予防接種が想像していたほど痛くなかったとき。友人に裏切られたと感じている自分の愚かさに気づいたとき。おなじ本を二冊買ってしまったとき。自販機の珈琲の紙コップが熱くて持てなかったとき。山道で自転車がパンクしたとき。サンドイッチ弁当にお手拭きがついていなかったとき。うつぶせに寝て顔が腫れてしまったとき。大切なひとと会話がはずまず、言葉が途切れたあと同時に口を開いてしまったとき。手紙に切手を貼り忘れたとき。お年寄りに誤った道を教えたとき。起き��いる夢を見て、それが夢だと意識したまま、地つづきのように目がさめたとき。
堀江敏幸『河岸忘日抄』
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以下、ネタバレってほどでもないけれど。
犯されて焼き殺された娘の部屋の壁にNIRVANAのIn Uteroとジミヘンのポスターが貼ってあるのを発見した。Rape meと、燃えるギターと。伏線とか暗示にしては少し趣味が悪いと思った。思い過ごしかもしれないけれど。
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フラナリー・オコナーを読み返そうと思う。
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ryotarox · 2 years
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ヒントがね、1つあってですね。これ、この警官、ウィロビーっていう警官(警察署長)がいつも読んでいる本があるんですね。それがね、「フラナリー・オコナー」という南部の作家の『善人はなかなかいない』っていう本を読んでいるんですよ。 これね、フラナリー・オコナーっていう人はジョージアなんですけど、やっぱり南部の人たちの生活を描いてきた人なんですね?で、もう1つ『善人はなかなかいない』という短編集の中に『田舎の善人』っていうタイトルの小説も入っているんですよ。全くその通りでアメリカの南部の田舎の善人たちの生活を描いてきた作家なんです、フラナリー・オコナーっていう人は。 1964年ぐらいに39才で亡くなった女性なんですけども。田舎の善人の生活を描きながら、必ずものすごい暴力が入ってくるんですよ。 (海保知里) えー・・そうなんですか。 (町山智浩) 突然、突拍子もない暴力が入ってくるんですよ、この人の小説は。でも、ほのぼのとしてるんですよ。で、おかしいんですよ。
町山智浩「スリー・ビルボード」解説(ラジオたまむすび書き起こし) | 映画ポップコーン
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フラナリー・オコナーの本あったんだ。
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追記:話題のようだ。ウィロビー署長は本を読んでたっけ? 下記記事だと冒頭の広告社の人が読んでるそう。
「『スリー・ビルボード』は本当にフラナリー・オコナーなの?」を考える。 - 名馬であれば馬のうち
「スリー・ビルボード」とフラナリー・オコナー 善という名の傲慢について - 君と夏の夢 将来の終わり
町山さん、署長のウィロビーさんBill Willoughby と広告社のウィルビーさんRed Welby を混同してない? 書き起こしのミス?
警官って言ってるなあ 【町山智浩の映画時評】アカデミー脚本賞確実?『スリー・ビルボード』 - YouTube
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Three Billboards Outside Ebbing, Missouri (2017) - Trivia - IMDb
When we first meet Red in the office, he is reading "A Good Man Is Hard to Find", the short story collection by Flannery O'Connor.
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to-omotta · 4 years
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2020/12/25(金)
きょうから冬季休暇(早いな!)。昨日、木25ドラマ「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」が最終回(12話)を迎えた。あくまで個人の感想だけど、11〜12話は単に脚本も演出も映像もクオリティが低かった。1~10話において丁寧に積み上げてきたエピソードや人物造形やらをラスト2話で派手に崩壊させた、という印象。脚本家やプロデューサーが視聴者に伝えたいメッセージ、監督が撮りたい絵、それらを前面に出しすぎて、ピントのぼけた最終回となったのは残念だった。
フラナリー・オコナーは物語の定義として、以下のように述べている。
「物語とは、ある人が人間であり、同時に個としての人であるがゆえに、すなわち一般的な人間状況を共有し、さらに特定の個人の条件も兼ねて所有するがゆえに、そのある人間を巻きこむ劇的出来事である、と。物語は、つねに劇的な方法で人格の神秘に関わるものなのだ。(中略)ある特定の人たちがどうしても自分に従って行動し、どんな支障があろうとも本来の自分なりに動いて行く様を示すことーー物語を書こうと思ったら、まさしくこんなつまらぬことから始めるのだと覚悟しなければならない」(「秘義と習俗」より)
「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」の原作者である豊田悠先生は、インタビューでは、以下の通り発言されている。
「(この作品は)キャラクターが重要な作品なので、話のためにキャラを動かすことはしていません。この人の性格だったら話通りに動いてくれないなと思ったら、試行錯誤した上でどうしてもダメだったら最悪、話の方を変えます。」
また、ツイッターでは「原作は黒沢と安達の恋愛の話で、それ以上でもそれ以下でもない」ともおしゃっている。
「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」は、荒唐無稽の設定を持ちながらも、中身は王道のラブストーリーである。豊田先生は自分はただ、ただラブストーリーを描いているだけだ、そして、登場人物たちは作者の思い通りには動かないと堂々とおしゃっている。主題や物語の意味を見つけるのを読者に委ねているのである。これこそ、物語を紡ぐひとの真の発言である。
一方、ドラマの脚本家とプロデューサーの発言はどうだろうか。脚本家の吉田恵里香さんはインタビューでこのようなことを述べている。引用ではなく概要である。
自分がされたくないことは、登場人物にはさせない(当事者ファースト←もはやこの言葉の意味がよくわからないけど。当事者って誰?)
アセクシュアルもしくはアロマンティックなど、多様性のあるキャラを物語のための都合のいい存在として消費するのではなく、個々の背景までしっかりと描いた上で登場させていくことが、自分のひとつの役目(多様性のある世界を描きたい)
フラットな世の中を作っていきたい。
10年後にはわざわざ「BLドラマです」と言わなくても、「また次のクールで新しい恋愛ドラマが始まるんだ」「主演は俳優の◯◯くんと△△くんなんだ」と何でもないことのように受け止めてもらえる社会にしたい。今はまさにその過渡期で、そこに向けてのステップをひとりの書き手として築いていきたい。
BLとラベリングすることに引っかかりを覚える(これはインタビュアーの発言だが)
プロデューサーの本間さんの発言はどうだろう。 「(最終回は)フィナーレ感だったり、温もりのある連鎖で世界が回ってるということを描きたい」
あくまで物語の枠組み、登場人物を語る原作者の豊田先生に比較し、自分の役割、描きたい世界、主題を話すドラマの脚本家とプロデューサー。 登場人物の行動や心情、セリフあるいは出来事の積み重ねなどから主題やメッセージを探したり、感じたりするのは受け手側に任せてほしいと、個人的にはおもう。もちろん、原作があるからと言って、プロデューサーや脚本家のメッセージを割愛しろ、と言っているわけではなく、そのメッセージあるいはテーマありきで「物語」を構築するのは本末転だと言いたいのだ。いや、クリエイティブな人だから言いたいことがあるのはわかるよ、でも、なんかもっと自然なやり方ってあるとおもうわけです。また、プロデューサーと脚本家へのインタビューが最終回前に公開されことは、非常に残念だった。
ここで、またフラナリー・オコナーの言葉を引きたい(いま、再読してて)
物語の主題についてなんかより、私は物語の意味について語りたい。(中略) ある物語についてその主題を論じられる場合、すなわち物語の本体から主題を引き離せるとき、その作品はたいしたものではないと思っていい。意味は、作品の中で体を与えられていなければならない。具体的な形にされていなければならない。物語は、他の方法では言えない何かを言う方法なのだ。作品の意味が何であるかを言おうとしたら、その物語の中の言葉がすべて必要である。声明の形では不適切だから、物語で表すのだ。」
彼らは、人間についてではなく問題について書きたい。具体的状況ではなく抽象的問題について書きたいのである。(中略)世間に自分の知恵を与えたい。しかも、世間の吸収能力に合わせて、単純極まるやり方で分かち与えたい、というのである。いずれにせよ、彼らは物語を持っていず、持っていたにもしてもそれを書くのはいやなのだ。こうして物語の部分は空白のまま、彼らは理論や公式、技術を探しに出かけるのである。 しかし、以上のように言ったからといって、物語を書くときに、日ごろの道徳的姿勢を忘れろだとか捨てるべきだとかいうのでない。信念は、ものを見るさいの明りである。だが、明りは、見るべき対象ではないし、見る行為のかわりになれるものでもない。
原作は、主人公の安達と黒沢の恋愛物語でそれ以上でもそれ以下でもない。主題やメッセージを言語化するのは難しいし、それらを物語から切り離すことはできない。(最新刊は電子版で買い、既刊はレンタルしてしまった)。一方、ドラマの11〜12話は、主人公安達が他者の優しさや生き方に触れ、成長してく姿や、温もりの連鎖で世界が回っていること、多様的で誰も傷つかない世界を描くこと、人間ドラマ(よくわからない日本語)が主題で、その部分を物語と切り離して、目の前に提示された気がした。
よって、最終回、本来描かれるべき主人公安達と黒沢の二人のシーンを丁寧に描くことができなかった。二人がすれ違ったこころを再び通い合わせるシーンや、「傷つくことよりずっと君と分かり合えない方が怖い」って気づく安達の心情や、建前なんか脱いでわがままを言う黒沢を描いてほしかった。 OP曲「産声」の歌詞「未来はまだ不確かでいい/僕は君といま泣き笑い合いたい」、そしてED曲「Good Love Your Love」の「どんな感情もすべて分け合っていたい」。安達、黒沢がその点に気づいたことをセリフではなく行為、出来事(シーン)で描い��ほしかった。それは陳腐なプロポーズもどきのシーンではない。未来は不確かでいいの、ふたりの今を描きなさいよ! 同僚のわかりやすい(いや、ちょっと説教くさい)励ましの言葉や、フィナーレ感たっぷりの花火のシーンや、青春映画のように自転車で疾走する主人公の姿ではなく、安達と黒沢が自分に従って行動し、どんな支障があろうとも本来の自分なりに動いて行く様を示してほしかった。
最後に原作者、豊田先生のインタビューでの発言を引用したい。
黒沢と安達の恋愛をじれったいほど丁寧に、そして誠実に描いているのがこのドラマの良さだと思います。魔法が使えるというファンタジーな設定はあれ、2人の男性が互いを好きになり、付き合って、どう変わっていくかというシンプルなチェリまほの世界観を、監督をはじめ役者さんやスタッフの皆さんが丁寧にドラマへ落とし込んでくださり、こんな贅沢なことはないですよね。純粋に相手を思って行動したり、いつもより少し勇気を持って踏み出したら、何かが変わるかもしれないと思わせてくれる魔法のようなドラマです。
1〜10話までは、豊田先生の発言通り、丁寧に描かれいただけに、また、安達役の赤楚衛二および黒沢役の町田啓太というキャスティングが神がかっている点、OP曲、ED曲の世界観の見事さなど、素晴らしい点をあげればキリがないので、ラスト2話の出来と、物語の着地点が残念でならない。
だけど、変わり映えのない毎日にプレシャスな時間を与えてくれたのは確かで、本当にそれは感謝している。 ほんと、長くなったのですが、これが、わたしのOmoinotakeです。
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fujimoto-h · 6 years
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3月25日とフラナリー・オコナーと『秘義と習俗』と
 3月25日がフラナリー・オコナーの誕生日だったとかで、私がmixiのプロフ内の「好きな言葉」に挙げている一節の一部分がtwitterのRTでまわってきた誰かの投稿で引用されていて懐かしかったのでここに挙げておく。この本についてはクジャクの話も印象に残っている。
 人がよくいう不満に、現代作家は希望を持っていず、その手になる世界地図はとうてい我慢がならない代物だ、というのがある。これに答えるには、希望のない人間は小説を書かないというしかない。小説を書くことは、恐ろしい経験である。その間に、髪は抜け落ち、歯はボロボ���になることがよくある。小説を書くことは現実の逃避になるだろうと、暗に言う人たちには、私はいつも非常に腹がたつ。創作は、現実への突入なのであって、体にひどくこたえるものなのだ。もし小説家が、書いている間、金銭報酬の希望によって己れを支えているのでないとしたら、あとは、魂の救済の希望によって生きていくほかはない。でなければ、本当に書く苦しみに負けてしまう。 希望を持たぬ人びとが、小説を書くことはない。それどころか、小説なぞ読みもしないといったほうが適切である。彼らは、勇気がなくて、あるものを長いこと見ていられないのである。絶望に至る道は、いかなる経験をも拒むことであり、小説は、もちろん、経験を持つ一つの方法である。 [フラナリー・オコナー『秘儀と習俗』(春秋社)より。]
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honyade · 5 years
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【京都岡崎 読書日和 7月】―休日にみんなで小説を読むコミュニティ― コンシェルジュ:鵜飼慶樹
今日は読書日和。手ぶらで気楽に小説について話しましょう。
読書日和は手ぶらで参加できる、小説をきっかけにみなさんでお話しするコミュニティです。 京都岡崎 蔦屋書店のコンシェルジュが選んだごく短い小説をその場で読んでいただき、みなさまと自由にお話しする時間を共有できればと思っています。 小説が好きな方はもちろん、普段あまり小説を読まない方や、読書会が気になっていたけどまだ参加したことのない方、ただただお話がしたい方でも大歓迎です。 京都岡崎 蔦屋書店で休日のお昼に気軽にお話しましょう! みなさまぜひお気軽にご参加ください。
【プロフィール】 鵜飼慶樹(うかいよしき) 1986年生まれ。京都在中。 京都岡崎 蔦屋書店BOOKコンシェルジュ、京都裏寺の極楽寺の副住職、京都造形芸術大学 文芸表現学科 非常勤講師の三足のわらじで生きています。 好きな作家は内田百閒、ディーノ・ブッツァーティ、フラナリー・オコナー。
会期 / 2019年7月13日(土) 定員 / 10名(先着) 時間 / 14:00~15:00 場所 / パークプラザ1階 共通ロビー 主催 / 京都岡崎 蔦屋書店 参加費 / 無料 申込 / 店頭、または電話にて承ります。当日参加可。 問い合わせ先 / 京都岡崎 蔦屋書店(075-745-0008)
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イベント情報の詳細はこちら
from honyade.com https://ift.tt/2XHd9QB
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takashimatsui1960 · 6 years
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【読了】『孤独な娘』(岩波文庫 ナサニエル・ウェスト 丸谷才一訳)
 筑摩の世界文学大系版(三段組が読みにくい! でもかつてはそれくらいしか容易に入手できる翻訳がなかった)で同じテキストを読んだことがあるから再読となる。「ミス・ロンリーハーツ」というのは、ある男のペンネームだ。男の本名はさいごまであきらかにされない。
 新聞に身の上相談の回答記事を書く仕事を彼はしているが、さまざまなどうしようもない悩みを書きつけた投書が彼のもとに送りつけられる。彼の運命は投稿者によって次第に歪んでいく。都市生活とメディアと信仰が現在のような状況を呈する、その予兆を描いた古典ではあるが不朽の傑作である。ウェストは、寡作のまま若くして事故死した。『いなごの日』『クール・ミリオン』も文庫化されたけど、おれは失敗作だとおもう。はっきりいってしまえば、この「一発」で文学史に名を残している。
 雑誌編集時代、読者投稿ページを担当して、日々ギャル字でファンシーな便箋に書かれたえぐい内容の手紙を読み続けたおれには、まったく名作中の名作としか思えない。これとフラナリー・オコナーの『善人見つけがたし』があれば、アメリカ文学はおなかいっぱいだ。ただしいずれにしても後味はあまりよろしくない。
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