#パースCG
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TAKAHIRO YASUDA 10th Solo Exhibition ‘Catalog’ 2024.12.7 Sat - 12.29 Sun
この度VOILLDは、安田昂弘の新作個展「Catalog」を開催致します。本展は2023年に開催された個展「9」に続く十度目の新作個展となります。
アートディレクター、グラフィックデザイナー、ムービーディレクターなど、多彩な顔��持ち幅広い分野で作品制作を行う安田昂弘。���のエッジーな表現は様々な分野から支持を得ており、広告やプロダクトのアートディレクション、グラフィックデザインをはじめ、企業やブランドへの作品提供や、国内外でも作品の展示を行うなど精力的に発表をし続け、多岐に渡り活躍の場を広げています。
安田の作品は、シンプルに削ぎ落とされていながらも遊び心のあるデザインや、緻密に組み重なった線や面、独自の配色やモチーフなど、彼の思考とコンピューターグラフィック(CG)としての視覚的な刺激や表現を最大限に利用し構図化したものを、グラフィックデザインと切り離すことのできない出力という手法を用いて制作されます。まるでキャンバスに絵の具を重ねていくような作業を、データのレイヤーで構成されるCGという枠の中で物質的にいかに解釈し、作品として具体化していくかという事に挑戦し、CGとしての存在意義、絵画とのギャップについての思索を続け、絶えず作品制作を行う安田は、グラフィックデザイナーとして他に類を見ない随一の存在と言えます。
本展は、個展を始めて十年間一貫して、グラフィックの在り方や印刷という媒介に疑問を投げかけ、可能性を模索し続けてきた安田の總括とも言える展示です。なかでも代表的な、活動初期から継続してモチーフとしている「石」。これまでに作品を制作するにあたり、身近な物質でありながら奥深いロマンを感じさせる石という成り立ちそのものに共感を覚え、膨大なデータを集積することで、架空の石とも考えられる多様な作品を生み出してきたと言います。アナログとデジタルそれぞれがもつ要素を両側面から考察しながらCGに具体化させ、作品が構成されています。これまでの制作において3DCGを一切用いない姿勢も、表面的な美しさや簡易さを追求するのではなく、見えない工程やプロセスを大切にし、質量を感じさせる表現を追求するという強い意志の現れからです。インクがただ紙に乗るだけで終わるようなどれだけ簡素なアウトプットであっても、背景には作家の思考や感情が隠されており、それらがひとつひとつの作品に魂を宿していると考え、自身の心を支えていると断言しています。一見するとシンプルで大胆なパターンや構図に見えるこれらの作品群には、そのときどきで起きた壮大なスケール感の出来事や感傷的な想いが複雑に織り込まれているのです。抽象的な感覚に見合う表現を常に模索し、迷い、彷徨う中でたどり着いた独自のグラフィックは、表現の方法論を超えた「作った者にしかわからない感情」を内包しており、観る者に多様な解釈の余地を与えながら、作家自身の人間的な想いを浮かび上がらせることでしょう。
会場では、こうした作家の制作過程や思考の破片とも言える作品群を集積し切り出した、新作となるグラフィックをベースにした平面作品の約60点を展示いたします。背後にある膨大な感情や見えない熱量から生まれた安田の作品を介し、ただの模倣や反復では辿り着けない作家の美学を感じ、観想する時間をもつことを願っております。是非ご高覧頂ければ幸いです。
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いよいよ十年が経とうとしている。すっかり暗くなってしまった新小川町の印刷会社の屋上で飯田橋の夜景をぼけっと見ながらこの文章を書き始めたところだ。
ビルの窓の光はとてもグラフィカル。夜の景色にランダムに照らされた幾何学パターンをまとい、どっかのタワマンに住む若者や、心が浮かれる者たちに今日もロマンチックな己の存在感をアピールしている。観察を進めていくと、その奥には天井、壁面、床から設計された空間があり、表面から中身まで無数のパースが見えてくる。美しく整頓されたオフィス照明器具と、それによって照らされたパースの集合体。そうなのよ。これは光によるロマンなんて良いものではなく、ただ単に誰かがまだ仕事を粛々としている労働の証であり、彼らを照らす最新の直管LEDはその器具の中で発生させた素子と素子の衝突を繰り返す。小規模な爆発を連続させることで、文字通り自虐的な光という現象を生み出している。光だって残業しているのだ。 空に溶ける暗い窓は、発生前の素子たちがスヤスヤと眠っている空間。っていう見方もできる。そっちのほうがよほどロマンチックかもしれない。
まさしく無限を感じてアレレと自分を見失うわけだけど、いちいちそんなこと言っていてもキリがないものだから、宇宙からみたら俺なんてクソちっぽけな存在ですわ。なんて今更言う必要もない月並みな話だが、マジでそれに尽きるし、多分いまがこのベタの正しい使い時だ。
壮大な山々から森を感じ、一本一本の木につく葉に近づいていく。膨大な葉脈の���ターンから、葉緑素ってなんか昔習ったよなあ。もう全然覚えてないわ。そういえばカナダで撮影したとき、森でカメラを持ったジョナがBロール撮りながら戻るっつって森に残ったまま全然帰ってこなくて。戻ってきたらマジ大量の木の映像素材撮ってきた事あったな。あれどこいったんだろ。あー。もっと英語勉強しておけば良かったなあ。アレレ。俺いまなに考えてたんだっけかー。みたいな。
しかし、ある種の集合体であり地球の破片でもある石ころは、もちろんその存在感と成り立ちから同じような無限を想起させる地獄の入り口を垣間見せつつも、普段は地球の重さなど微塵も感じない失礼な自分に、大小あれど僅かながら自分たちがいる環境の質量とリアリティ、スケール感を与えてくれる。関係ないけど岩と石の定義って曖昧だよね。それ筋力によるじゃん。って感じ。
オリジナリティとはなにかという難問を、おそらく意図していない母から気付かされ36年。自分はいわゆるサンプリングや気の利いた類いのモチーフが思い浮かばない身体になってしまった時間の長さの分、自分の破片を削り続け、学者でも研究者でもなんでもないが、まだ人間の眼とにらめっこしてる。
自分から削り落としたグラフィックを地球の破片と重ね合わせた時、自分の石はなにか質量を帯びているのだろうか。それがたとえ簡単な市松模様であっても、あの石のように決して表面的ではない。ぎっしり詰まった中身を下りながら人知れず丸めていくような。そんな膨大な時間を付帯した存在になっているんだろうか。
個展をはじめて今年で十年。あの手この手で変わろうとし続けて変われなかった自分に。思えばろくな発明もできなかった膨大な時間に。もはや愛おしさすら感じながら。伝えたいから感情定める。 適当やればグラフィックも舐められる。
つか石の上にも三年とかウソじゃんね。 これ言ったやつ、出てこいや。
ー安田昂弘
安田昂弘|TAKAHIRO YASUDA 1985年生まれ。獅子座。名古屋市出身。2010年に多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業後、株式会社DRAFTにデザイナーとして勤務。 2015年に同社より独立し、クリエイティブアソシエーション「CEKAI」にアートディレクターとして所属。ブランディング、アートディレクション、グラフィックデザインを軸に、デジタル領域やプロダクトデザイン、映像、空間などの領域の仕事にも広く携わる。2015年より自身のグラフィックの新作展示を毎年開催するなど、セルフワークによる国内外での作品制作、発表も行う。身長190cm。
HP / IG
2023年 個展「9」at VOILLD 2022年 個展「Braing Braing」at VOILLD 2021年 個展「Drive My Car.」at VOILLD 2020年 個展「Do the Light」at VOILLD 2019年 個展「FIVE / Fat isn’t very easy」at VOILLD 個展「EMERGING」at ISETAN SHINJUKU “ART UP” 2018年 グループ展「WILD」at CALM & PUNK GALLERY 個展「Concrete」at VOILLD 2017年 個展「EMERGE」at VOILLD ソウル国際タイポグラフィビエンナーレ「Typojanchi」招待作家 2016年 個展「The end of watch」at VOILLD グループ展「謎のグラフィック展」at CALM & PUNK GALLERY グループ展「ピクセルアウト」at pixiv Zingaro 2015年 個展「shere_me」 at VOILLD >> 安田昂弘 Biography
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TAKAHIRO YASUDA 10th solo exhibition ‘Catalog’ 2024年12月7日(土)~12月29日(日) Reception: 2024年12月6日(金) 18:00-21:00 開廊時間:12:00-18:00 休廊日:月曜日、火曜日
7th Sat - 29th Sun Dec 2024 Open: 12-6pm Closed: Mon, Tue
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建築パース制作
CGパース制作:効果的なプレゼン資料 CGパースは、クライアントに完成イメージを視覚的に伝えるための効果的なプレゼン資料となります。設計図面や模型だけでは伝わりにくい空間の広がりや雰囲気、そしてデザイン性を、リアルな画像で表現することで、クライアントの理解と共感を深め、プロジェクトの成功に繋げることができます。地域社会への貢献Seeker Creationは、地域社会への貢献活動にも力を入れています。地域イベントへの参加やボランティア活動などを通して、地域社会との繋がりを大切にしています。常に進化を続けるCGパース制作スタジオSeeker Creationは、常に新しい技術や表現方法を研究し、CGパース制作の質向上に努めています。クライアントに最高のサービスを提供するため、日々進化を続けています。
「建築CGパース制作 料金」ならここ!
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【CGパース 制作】CGパースの制作会社を知りたいあなたへおすすめはこちら。CGパースの制作方法や制作会社の選び方を知りたいあなたへ!
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DIV都市開発有限会社は、日本で専門のcgパース、インテリアパース、外観パース、3dパースのソリューションを提供する会社です。当社のチームには、計画アーキテクト、建築アーキテクト、バーチャルリアリティグラフィックデザイナー(VR360、UE4、3D背景(CGI)、動画など)、プログラマー、翻訳者など、国際市場で多年の経験を持ったスタッフが含まれています。 ベトナム、ホーチミン市、1区、DA KAO町、VO THI SAU通り45 0935466979
Website: https://div-arc.com/jp
Instagram: https://www.instagram.com/div.arc2019/
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インテリアパースの制作事例 今回は商施設です。 ホテルの高層階レストラン&バー Interior rendering portfolio This time is commercial space. Restaurant and Bar space in the Hotel. #render #rendering #rendering3d #modeling #3dcg #建築パース #cgパース #パース屋 #growluck #グローラック #vray #3dsmax #3dsmaxvray #品川のパース屋さん#cg制作 #パース制作 #growluckshinagawa #グローラック品川支店 #グローラック 品川オフィス https://www.instagram.com/p/B2DTXPCAvFF/?igshid=14892ku0rcbp8
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みなさま、大丈夫ですか? 新型コロナの関係で、沢山の方が色んな事に苦しんでいる事と思います。
こんな時期ですので、何かしたいけどウズウズしている方にお役に立てればと思って、私はCGパースのレタッチ講座の教材作りを進めています。全部オリジナルデータですので、お勉強したい方には渡せるように考えて作っていますので、もうちょっと待っててくださいね。また、お知らせしますので・・・ どうぞ、心と身体にお気をつけてお過ごしください
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【CGパース 新卒】CGパースを新卒募集している会社を探しているあなたへおすすめはこちら。CGパースの仕事を新卒で募集している会社を紹介
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視覚化の基本
現状、タルパの訓練法はいろんな人が提唱しているけれど、バラバラに情報が分散��れているので収集するのが困難である。
なので、タルパの視覚化について検索をかけて共通項がないかと探っていたのですが、思ったより内容が似通っているなと感じたのでここにまとめることにしました。 もちろん、自分の意見もふんだんに含まれています。ご了承を。 (とはいえ、主軸は多くの視覚化記事に沿っていると思います)
【最大公約数的なタルパの視覚化について】
タルパの視覚化の訓練法を探っていると、多角的なアプローチがされていることに気づいた。 それでも、ある程度のパターンが見られるのでそれを以下にまとめてみる。
タルパのイメージを明確にする系 └タルパの姿を構築する └リアリティを付与する
イメージのアウトプット系 └イメージを脳内で形にする訓練 └イメージを外界に投影する訓練
これらには明確な区別があるわけではない。タルパの姿を構築する訓練のなかには、結果的にイメージを脳内で形にする訓練も兼ねている場合もある。あくまでも、このような傾向や軸があるというだけ。
では、どの訓練から始めればいいのか。
オート化初期に「タルパの姿を構築する」
「リアリティを付与」しつつ「イメージを脳内で形にする訓練」
ある程度上記のことができるようになったら同時進行で「イメージを外界に投影する訓練」
個人的にはこのような流れでやればいいのではないかと思う。視覚化を急いでいるわけでないのなら、2番以降はオート化がある程度済んでから着手してもいい。 それでは、それぞれの訓練の具体的な内容と、それらの意味合いについて考えていこうと思う。
タルパのイメージを明確にする
・タルパの姿を構築する これについてはタルパ構築の初期の初期にみなさんやっているかと思います。人間タルパなら人間の、人外タルパならその種族としての、見た目や体の構造について設定することである。これは、創作活動をしている人にとっては日常茶飯事なのかもしれない。 身長は?体型は?触り心地は?服やアクセサリー、人外ならば肌やツノなどの質感はどんなものだろうか?そういうものを設定としてとりあえずまとめておく。最初は無理に書き出したすべてを意識する必要はない。メモをする段階でそのような細かい質などについて考えるということ自体に意味があるので。とりあえずメモするだけメモをしておくこと。
そして、そのイメージをアウトプットする。具体的には絵を描いたり3DCGなどで製作することになるだろうか。もともとそのようなアウトプット��慣れている人は自分でどんどん作ってみよう。作る段階で設定し忘れた物事に気づけるし、そこで新しく設定を増やすことができる。 もちろん、上手く作ることが目的ではない。製作を通じてタルパの姿を明確にすることに意義があるので、絵が描けない人でもとにかく描いてみるといい。参考になりそうなキャラクターや人物写真の模写から入ってもいいだろうし、本当に描けない人はタルパの輪郭でなく色を再現することに集中するといいと思う。色だけでも、サイズ感や比率がなんとなくわかるだけでも進展しやすくなるので。
人間のタルパの場合、無料でキャラメイクできるサイトやゲームがかなり豊富なので、とりあえずそっちに手を出すのも手段のひとつである。最近よく見かけるPicrewなどの2Dキャラクターメーカーや、カスタムキャストなど3DCGとして出力できるアプリなどがたくさんあるので、絵やCG製作が苦手な人はこれ��使ってみよう。 ドンピシャな見た目が作れたという場合をのぞいて、とにかくいろんな画像メーカーやサイトを駆使してたくさんのパターンを作ることをオススメします。それぞれのサイトで再現度が高い部分・そうでない部分があると思うので、改めてそれらを見つつ絵を描くなりするといい。それでもやっぱりどうしても描けない人は、自分のタルパの概念を作るような気持ちでとにかくたくさんのキャラメーカーを試してみてほしい。なんとなく、イメージが掴みやすくなるかと思う。
人外タルパの場合は、そういう外部ツールの選択肢が極端に減ってしまいがちである。ピッタリ合うようなキャラメーカーに出会えたら奇跡だと思ったほうがいいだろう。そういう意味でも、人外タルパは人間タルパよりも視覚化の難易度が上がってくるのだと思われる。 なので、絵が描けなくとも参考になりそうな写真やイラストの模写から始めるのがベターなのかもしれない。実在する動物などをモチーフとしているのなら、たくさん写真や動画を検索して脳内イメージを固めていくといい。獣人のような人らしさのある人外や、ドラゴンなどの架空の生物の場合は、ピッタリイメージの合うものは見つかりにくくても、動きや質感が似ているものはいくつか見つかることがあるだろう。それを元にイメージを膨らませてみること。
かなりしつこく言及しているが、構築においてアウトプットはもはや必須だと思っている。なにも描かずにゼロからイメージングするよりも、似ているなにかがあったほうが足掛かりになって幾分イメージを固めやすくなるので。
・リアリティを付与する さて、リアリティと表現してもピンと来なかったりするかもしれない。要は、現実に投影するわけなのでタルパの姿を現実にいても違和感のないようにする必要が出てくる。具体的には、体の比率とか動きとか、パースを意識するようなことなどが挙げられる。こういうものはタルパ自身に付与するというよりかは、自分の中に知識や感覚としてインプットするものであるように思われる。
【タルパの身体構造を知る】 【タルパの動きを知る】 タルパの腕や足の長さ、頭の大きさなどの身体の比率を意識する。その上で、歩きかたやちょっとした動作などを具体的にイメージできるようになるとよい。動作といっても身体の動きに限らず、表情もそこに含まれる。よりイメージできるようになるために、外に出てみたり動画を見るなどして人間観察をすること。動物型の場合は該当する動物を見に、動物園や水族館に足を運んでみるのもいいかもしれない。
慣れてきたら、タルパのディテールをもっと観察してみよう。髪の質感や揺れかた、服のシワ、衣服や体に模様がある場合は動きによって模様がどのように動くかなど… 脳内でイメージングするたびにそこまで細かく見る必要はないけれど、そのような細かい現象について一度じっくり考えたり観察してほしい。自分の中に感覚として取り込むきっかけになるので。
【パース感覚を養う】(ヤマメ流) パース、それは絵を描く人にとっては嫌になるほど目にするであろう言葉である。パースってなに?という人は、とりあえずこのサイトを見てほしい。
イラスト上達本「風景デッサンの基本」でパースをマスター【おすすめ】:つめつめも
このページの「パース無視・パースを意識」の画像でなんとなく感覚的にパースというものをわかってもらえたと思います。現実に投影する上で、違和感のない角度や位置というものを軽く頭に入れたほうがいいと自分は考えている。 そのための訓練として、タルパに立った状態でじっとしてもらい自分がその周りを舐め回すように観察することが挙げられる。現実でやってもいいし脳内でやってもいい。3DCGでタルパの姿を構築した人は作ったものがかなり参考になると思う。作った3DCGを自由な角度で観察できるのならより良く、作ったアプリにAR機能があるのなら言うことなし。それを大いに活用しよう。
そうでない場合はひたすら感覚を養うしかない。外に出て、これぐらい離れている人の足はどのあたりに着くのか、あの身長の人の目線はこのあたりにくるなど、よく見てみること。 個人的にオススメな方法が、家の中や外にあるものでタルパの身長に近い物を見つけてそれを参考にするというもの。机や冷蔵庫、ポストや自販機など。角度ということを考えると、なるべく四角いものがいいのかもしれない。その隣に立ってもらって、自分が角度や距離を変えながらどう見えるかをよく観察する。よく見えなかったらその位置での写真を撮ってみて、その角度から本来どう見えるかをデッサン人形やマネキンなどで再現してみる。実物でもいいし、3DCGでもいい。
人間型の場合は使えるツールがたくさんあるので、ここでは動物型タルパに使えそうなサイトをちょっとだけ紹介。角度を知るということであれば「GitHub」というツールをオススメします。頭部のみの画像ではあるけれども、サイト内の頭蓋骨を動かして検索をかけると似たような角度の画像が表示される仕組みになっている。動物の種類を絞って調べることもできる。
このようなリアリティを追い求める訓練は人によってどれぐらい必要か変化してくるものである。リアリティを突き詰める過程で飽きてしまってはいけないので、リアルに見えなくて立ち止まってしまったときに回帰するための方法として捉えてもらったほうが気が楽になるのかもしれない。
イメージのアウトプット系
イメージのアウトプット系の中にある2つについてですが、脳内で形にするのと外界に投影するのはまったく別の技術だと考えています。タルパの視覚化はこのふたつの技術のハイブリッドなのではないか、というのが自分なりの見解です。魔術における視覚化といえば後者の「外界に投影する」のみなのでしょうが、タルパのような自律している他者を投影する場合はある一定以上のイメージ力も必要な気がしています。
・イメージを脳内で形にする訓練 ここからは実践的な話になってくる。 多くの場所で解説される視覚化を自己流にまとめると「脳内にあるイメージを眼前にある現実世界に投影すること、及びそれが恒常的にできること」というものになる。それができるようになるためには、まず脳内イメージを上手く作れるようになる必要がある。
白い空間にポツンと置かれたリンゴを想像してみよう。色、皮の模様、質感、大きさ感、形状などなど…パッと想像してどれぐらい脳内で見えるだろうか?不明瞭だと感じたらリンゴの画像を検索したり、実際にリンゴを手に取って観察すること。リンゴという物体や概念を脳内に定着させて慣らす。 慣れてきたら脳内でくるくる回転させてみよう。どれぐらいイメージが持続するだろうか?
・イメージを外界に投影する訓練 ここから本格的な視覚化の訓練になってくる。とはいえ、タルパにおける視覚化よりも魔術における視覚化について検索したほうが具体的な情報がたくさん出るので、そちらを参考にするとよいと思われる。
魔術における視覚化について調べたなかで多く見られたのは、まぶたにイメージを投影する訓練だった。わかりやすいと思ったサイトの訓練法を例にして考えてみる。
残像の保持
1 ある程度の大きさを持つ風景画や写真を多く用意してください。
2 呼吸を整えリラックスして頭をすっきりとさせてください。
3 用意した風景画などから無作為にどれかを選び出し、それを一瞬だけ見つめてから目を瞑って下さい。
4 瞼の裏に残った風景画などの残像の大まかな輪郭をよく観ます。この修行をはじめた頃はあまり目の前に残らないかもしれませんが、練習を積んでいけば、やがて結構残ってくるようになります。
5 残像の大まかな輪郭がよく観えるようになってきたら、次はその残像をなるべく長時間残せるように練習します。この辺のコツはなかなか言葉では現わしにくいものなのですが、自分で「残る」又は「残そう」と思えば、結構、残ってくるのであまり力む事無く頑張ってください。
引用元:視覚化1 - anima mystica
まぶたの裏という場所は、眼球の真ん前にあるものだが脳よりも先の外界に位置している。この外界に投影する上で、簡単に暗いスクリーンを用意できるためにまぶたの裏がよく使われるのだろう。人によっては薄暗い部屋のほうがいいと言う人もいるが、投影の初期の段階ならばノイズの少ない真っ暗な状態のほうが望ましいと思われる。訓練が進んで比較的大きなものやタルパなどを投影するようになってからであれば、薄暗い部屋のほうが周りのものとサイズ感を比較しやすくなるのでいいのかもしれない。
そして、「まぶたの裏」と同じくらい出てきた言葉が「補色残像」である。補色残像とはなにか。赤い図形をまばたきせずにじっと見つめたあとで、白い壁に目を写すと赤の補色(反対色)である青緑色の図形がぼんやりと現れてくる。あれが補色残像と呼ばれるものとなる。 こちらはどちらかというとタルパ界隈における視覚化の話で挙げられることが多い。とはいえ、魔術にも「タットワヴィジョン」という補色残像現象を利用したものがあるので、なにもタルパにかぎった方法ではないのだろう。 この手法が有効なのは「脳内イメージでなく、眼前に投影するという感覚を知る」という意味合いもあるからなのだろうと思われる。上記のまぶたの裏の訓練がピンとこない人は、いちど補色残像を体験してみるといい。
タットワヴィジョンでもそうなのですが、やはり補色残像を利用する場合でも現れた残像をできるだけ長く保持できるように訓練するのが良いようだ。まぶたの裏でも補色残像でも、現実に直接像を投影するにせよ、共通する流れは「まずは簡単な図形でやってみて、そこからだんだん複雑なものにチャレンジする」というもの。紙に描かれた図形(紙ごとイメージするのがいい)から、リンゴのような手のひら大のもの、そこから発展してタルパのような人物へとどんどんレベルを上げていくのが無難。もちろん、定期的に実力チェックとしてタルパの投影をするといい。 補色残像を利用してタルパの姿を見たいのなら、自分で画像の色調を反転するなどの加工が必要になる。手間はかかるが実感はつかみやすいので、出来そうであればまずはここから入ってみるといいのだろう。
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190407
ディープラーニングを使って落書きから写真のような画像を生成する「GauGAN」 [LINK] https://twitter.com/NVIDIAGeForceJP/status/1114331947038314497
↑これな。
業務内容:背景生成ソフト「GauGAN」を使った簡単なお仕事です。実写映画用の背景画像を作成して頂きます。5枚×日。納品サイズは8K。 作業フローとしましては「GauGAN」にてベースを作成、Photoshopで違和感のある箇所をタッチアップという流れになります。月給:20~30万円(土日祝休み希望の場合 月給18万円〜)…
―的な仕事を生みそう。このソフトが生成する画像の細部の精度がどのレベルかによるけど、パっと見の印象では1~2時間くらいタッチアップすればイメージボードとして��十分なクオリティになりそうなので、1枚約3時間として6枚×日を上げる事も不可能では無さそう。4~5枚が妥当だろうけど。
今現在のテクノロジーでこの「印象」の風景をCG会社にオーダーしたら、人月換算的にふつうに1枚10万以上かかるんじゃなかろうか。僕も、普通のテンション感ならこの手の背景描けと言われたら3~4日は欲しいので、日給換算だと6~7万もらわないと割に合わない。しかし、NVIDIAの「GauGAN」があるなら、ものにもよるが開発段階の現バージョンを使用したとしても1枚1日かからないだろう。
「木、水、岩肌のテクスチャがしっかり乗っている」「光源に目立つ破綻がない」「パースがあっている」「空気遠近がしっかりしている」時点で、ほぼ実写背景としての絵作りは8割完成しているからだ。あとは機械処理特有の「不自然な境界のボケ」を人間が見てしっくり来る「誤魔化しかた」に加工すればいいだけ。
とにかく凄まじいコストダウンだ。画力が無くとも、写真と絵画の構図の基礎と空気遠近について学んだ人間ならば、エンタメ仕事で使える的確な風景画像を生成できるだろう。絵コンテやレイアウトが用意されているならさらに難易度は下がる。
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ド素人が描いてもそれっぽく描けてしまうのだから、元からこの手の仕事を舐めてる発注者だったらどんどん値切るだろう。そしてそれが世の中の常識になる。
「下手さの最低ライン」が鬼のように下駄履かされた状態となる。
ほとんどの一般人や、絵作りにこだわりが無い発注者は「写実的か否か」「画面にゴージャス感があるか否か」くらいでしか絵の良し悪しを見ない。そんな人達からすれば、自然の風景などGauGANを使ってオペレーターが生成したような画像で十分、という事になるだろう。
―が、それよりも何よりもこんなソフトを使って時短しながら絵が描けたら気持ちいいに決まってる。早く使いたい。懸念事項めいた事をあえて一生懸命書いてみたものの、正直ワクワク感しかない。
【ぱ】
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鈴木健也さんのツイート: "これについては「宮崎アニメの背景には消失点がない」「消失点を点でなく円で取ってる」みたいな話を聞くけど、一番わかりやすいのは湖川友謙さんのアニメーション作画法にある「二支点透視画法」かな。絵の支点を複数置くことで意図的に錯覚現象を起こし空間を広く見せてる。https://t.co/KZVzvXf0JC" これについては「宮崎アニメの背景には消失点がない」「消失点を点でなく円で取ってる」みたいな話を聞くけど、一番わかりやすいのは湖川友謙さんのアニメーション作画法にある「二支点透視画法」かな。絵の支点を複数置くことで意図的に錯覚現象を起こし空間を広く見せてる。 この「パースを一点で取らない(もっと言うと製図的でなく人間の目で見た空間に近く見せる)」技法というのはヤン・ファン・エイクが有名で、およそ600年前の絵画『アルノルフィーニ夫妻像』ですでに用いられている。この絵の室内、パースが一点で揃わないのだけど、CGで加工してパースを合わせたら→ 室内の空間が狭く見えるようになり、絵としても窮屈になってしまった。一点透視のパース技法が開発されていなかったの���はなく、すでに意図的にパースを崩している、という解説をむかし美術番組で見た記憶。赤毛のアンのレイアウトとかも定規でパース合わせると合わないんだけど、空間をすごく感じる。 僕は美術もアニメも素人だし宮崎駿監督本人でもないのであとは推測でしかないのだけれど、おそらくハイジとかの短時間で大量にレイアウトを描かなければならない物量仕事の中で、経験則的に発見したのではないかなあと思ったりします。完全に自分のあてずっぽうですけど。
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品川オフィス開設しました。 詳細はwebにて、プロフィールにリンクがあります。 http://www.growluck.jp 品川スタッフのポートフォリオを続々とアップしていきます。 まずは高層階の優雅な Bar Lounge を演出した商業施設のインテリアパース。 #render #rendering #rendering3d #modeling #3dcg #建築パース #cgパース #パース屋 #growluck #グローラック #vray #3dsmax #3dsmaxvray #品川のパース屋さん#cg制作 #パース制作 #growluckshinagawa #グローラック品川支店 #グローラック 品川オフィス (サーブコープ (Servcorp) 品川インターシティ A棟) https://www.instagram.com/p/B173XBKgu54/?igshid=1qj5p2ol2iq24
#render#rendering#rendering3d#modeling#3dcg#建築パース#cgパース#パース屋#growluck#グローラック#vray#3dsmax#3dsmaxvray#品川のパース屋さん#cg制作#パース制作#growluckshinagawa#グローラック品川支店
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Hikawa Ryusuke’s Akira Article(jp)
Hikawa Ryusuke is probably the most famous Japanese anime critic. He wrote an extensive article on the anime industry before and after Akira, articulating what lead to Akira and how Akira influenced the industry thereafter. This article was published in "Akira Animation Archives” which is rather hard to find in good condition, so I thought I might copy the article somewhere. It’s in Japanese nonetheless, as I’m not capable of translating such a sophisticated text, but I hope me publishing this article would lead to someone being interested in translating it. I believe it contains some pretty useful and valuable information.
‘80時代----「Akira」が”ANIME”にもたらしたもの
本書では、アーカイヴよしてアニメーション映画「AKIRA」の現存する制作資料を句能な限り良好な状態で収録した。完成フィルムとは異なるプロセス上熱気や思いが、そこに見えたことと思う。では、こういった成果物を生んでいった周囲の状況はどうだったのだろうか。あるいは歴史の中で「AKIRA」という作品はどう位置ずけられるのだろうか。あとがきにかえて、ここにその俯瞰図をまとめてみた。
アニメ史から見た’80年代
アニメーションは今や会社にとって、子供のための娯楽映像という存在のみの状態から完全に脱皮し、広く青年、大人へ、あるいは世界へと観客層の拡がりを見せている。
そのきっかけは、1977年、「宇宙戦艦ヤマト(映画版)」の巻き起こした”アニメブーム”である。ところが「AKIRA」の上映された1988年。。。それかれあ約10年が過ぎたころには、原初のアニメブームが持ってータ熱は冷め、明らかに大きな陰りと断層が見えていた。富野由悠季監督作「機動戦士ガンダム」(1979年作品)を産み、アニメブームを牽引した巨人ロボットアニメ作品がTVから一時撤退しているのがそれを象徴しており、オリジナリティや作家性に期待されたビデオアニメもぱっとせず、時代の節目となる兆候がいたるところに見られた時期である。
ブームを陰らせた原因は、大きく以下のつではないかと推定される。
1つ目は学生時代に「ヤマト」や「ガンダム」でアニメに目覚めたいわゆる第1世代(1960年生まれ中心)が、だいたい1982年ごろから「卒業」し始めて会社人になり、’80年代中盤ごろにはほど全員の「卒業」が完了したこと。2つ目は、娯楽性を持った新メディアとして家庭用ゲーム機(ファミコン)が五すぐ急成長したこと。これによって「ドラゴンクエスト」(’86)など高い物語性を有るし、観客が参加する句能なRPGという、アニメよりもおもしろいものを購買層が見つけてしまう。3つ目は、この時期にレンタルビデオが300~500円という価格で全国配備完了したこと。これ以後アニメはハリウッド娯楽大作と同額という、激しいコンペティションに常時さらされていくようになる。
こういった状況下では、アニメ企画も変化さざるを得ない。作品企画をたくさん回して何本か当たるものがあれば良いという風潮よりは、いわゆる”選択と集中”が行われ、セグメンテーションがシフトしていく。ひとつの例がビデオアニメの変化だ。1987年ごろまで、オリジナルビデオアニメ(OVA)の主流は「プチ劇場アニメ」であった。つまり興業規模や尺の観点からすると映画館にかけられるほどではないが、スター性のあるスタッフやキャストを前面に押し出してセールスする方向性だった。これが輝きを失った対抗策として、1988年の「機動警察パトレイバー」が30分6本シリーズの新フォーマットとブロックバスター価格(4,800円)を提示し、逆転ヒットを果たす。結果、OVAは「プチ劇場」から「デラックスなTVアニメ」へとセグメンテーションをシフトさせていった。「AKIRA」が登場した1988年は、日本のアニメーション界自体が、こういった大きなパラダイム・シフトにされされていた時期であった。この周囲状況の変化を念頭におくと、なぜ「AKIRA」がこのような作風となったか考えるとき、理解の一助となるだろう。
’80年代前半、劇場アニメの新時代到来
ビデオアニメという、”TVアニメ以上劇場アニメ以下”というジャンルが新設されたことは、逆に劇場アニメに要求される価値レベルを上げた。それと呼応するように、劇場用アニメーションは’80年代前半に新時代を迎えている。
1983年末に、成人向け以外で初のOVA「ダロス」がバンダイビジュアルから発進する。同年春には角川書店がアニメ制作に進出、マッドハウス制作「幻魔大戦」を公開する。それがキャラクターデザインに大友克洋を起用した初の作品であるのも因縁めいている。1984年には、それを迎撃するような動きがある。講談社が夏に同じマッドハウスで「SF新世紀レンズマン」を制作。だがこれは慘敗に終わる。一方、徳間書店は春にアニメージュ誌に連載されていた「風の谷のナウシカ」を原���者・宮崎駿目身が監��という形で劇場アニメ化、大ヒットとなる。
結果、東映長編漫画映画の血脈を持つ宮崎駿監督と盟友・高畑勲監督の作品をつくる目的で徳間書店の出資によるスタジオジブリが結成され、1986年の「天空の城ラピュタ」を経て1988年には「となりのトトロ」が「火垂るの墓」と2本立て興行で公開、”ジブリ” ”宮崎アニメ” というブランドこの時期に完成した。
玩具や出版に携わる会社は、アニメブームの当初は著作権のニ次使用者であった。ところがその利用側だった会社が発信側に回って一次著作者となるとともに、コンテンツを多彩な展開に使うことを開始、勝者を生み始めていった時期と見ることができる。
「ナウシカ」と同じ1984年春には、押井守監督の名を一躍有名にした「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」が公開、その作家性を世に知らしめた。同年春には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が劇場公開。河森正治が弱冠24歳で監督し、それまで版権イラストでしか描かれなかったような細密な描き込みを行ったことで、大きな話題を呼んだ。
こういった”作家性” ”緻密さ” ”リアリティ重視” ”若手” ”新規参入会社” という流れの頂点に立つのが、1987年の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」である。この映画はバンダイ制作による劇場アニメの第1作で、のちに「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を制作するガイナックス初の作品でもある。山賀博之監督以下、中核スタッフは大阪でSF大会用映像をつくっていたアマチュア集団ダイコンフィルムの出身で、いわゆるオタク第一世代にあたる若手だ。
彼らの劇場映画「王立宇宙軍」は、そういうパロディ色の強いフィルムになるというおおかたの予想を裏切り、市井の若者が持つ等身大の挫折と野心を当時としては画期的なリアリティをこめて描ききった野心作として公開された。
リアル系作品を貫く人の流れ
このように、’80年代の動きを追っていくと、やがて’90年代になって世界に日本発の”ANIME"の名をとどろかせるべき、ほとんどの役者(アニメクリエイターと会社)が出そろいつつある様が見えてくる。
この流れに、’80年代後半の2つの出来事を追加したい。一つはビデオアニメの覇者「機動警察パトレイバー」が1989年に映画化され、その制作現劇が後に「攻殻機動隊」(’95)をつくるプロダクションI.Gになって、ビデオシリーズから格段にアップグレードした映像を見せたこと。そしてもう一つが本書で取り上げた作品「AKIRA」---そのもたらしたアニメ映像への考え方と、人の流れである。
’90年代につながる流れを見ておこう。「AKIRA」制作末期には、スタジオジブリで「となりのトトロ」を終えたばかりの原画マン(高坂希太郎、 二木真希子、金田伊功)が参加。その”お返し”という意味か、ジブリの次回作「魔女の宅急便」(’89)には森本晃司、井上俊之らが原画で参加している。ここで森本晃司と当時ジブリの制作デスクを担当していた田中栄子が出会い、片渕須直や佐藤好春らとともにスタジオ4Cを結成。大友克洋原作・監督「MEMORIES」(’95)や大友克洋XX成・総監修の「スプリガン」(’98)生む母体となっていく。
また、「AKIRA」における出会いが北久保弘之監督作品「老人Z」(’91)を生み、大友克洋は原作・脚本・メカニックデザインを担当している(キャラクターデザインは江口寿史)。この作品には緻密な絵を描く漫画家として知られていた今敏(こん・さとし)が美術設定でアニメ初参加。今敏は大友克洋のアシスタント経験もあり、実写映画「ワールド・アパートメント・ホラー」(’91)を漫画化した作家だ。「MEMORIES彼女の想いで。。。」の脚本を経て、マッドハウスで「パーフェクトブルー」(’98)、「千年女優」(’02)を監督する今敏は、「老人Z」で北久保弘之、沖浦啓之と机を並べていたという。
インタビューページにもあるように、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」(’00)、北久保弘之は「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(’00)と、90年代未にプロダクションI.Gの成表作を監督することになる。
ここでこういった流れを全部追うことはできないが、「AKIRA」を振り出しにした連鎖反応は多い。人と人に展する技術は流れ、人の進団たる会社を媒介として継承されていくという認識は重要だ。そのように見ていくことで、作品と作品の間に血が通い、ときに遺伝子のように形質を移し替えながら進化をうながす、そういった有機的な結合が見えてくるからだ。この認識を持った上で、アニメーション映画「AKIRA」の位置ずけと、この作品がもたらしたものへの考察をもう少し進めていこう。
アニメーション界に到来した二度の”黒船”
こういう説はどうだろうか。日本のアニメーションは、”黒船”の到来を二度受けているというのは?
非常の失礼な考え方かもしれないが、鎖国をしていた日本が欧米から開国させられ、欧米文化を取り入れて”近代日本”になったように、”アニメーションの国”に”漫画の国”から黒船がやってきて、大変革があったーーーそういうイメージが、どうしても脳裏に浮かぶのである。
一度目の”黒船”とは、手塚治虫のTVアニメ「鉄腕アトム」である。手塚漫画の功績は、乱暴にまとめると、描き割りじみた平面的な日本の戦前漫画に、映画的・映像的なカット割りと構図を連想させるコマ割りを導入し、エポックをも��らしたということになる。
しかし、手塚がアニメ版「アトム」で導入したのは、逆に電気紙芝居と揶揄されたほど非映画的で、止め絵のズームや強引なカットバックでフィルムをつないだものだった。これは、漫画のコマ割りの間にある断層をそのまま持ち入んだような作法である。TVシリーズ予算の問題に対する解決案として、よく槍玉にあげられる3コマ打ち(★1)の導入よりも、このカット割りの方が後世に対する影響は強いのではないか。よく動かそう、アニメ―トしようと見せ場をつくるよい、1枚絵の密度を上げ、少ない枚数、場合によっては止めの積み重ねで見せていくという”アニメ”(呼称も省略形が似合う)の手法は、これは現在でもTV作品の主流になっている。
こう考えて来ると、二度目の”黒船”が大友克洋の本作「AKIRA」という���え方も、何となく成立するように思えてる。”アニメ”は、ここで”ANIME"(★2)への第一歩を踏み出した。。。というと、作り手側は違和感を覚えるかもしれないが、観客サイドからのこういう整理もアリと思って大目に見て欲しい。
1980年前後、大友克洋が漫画界へもたらしたショックは、かつての手塚治虫に匹敵するものがった。日本人の”日本人らしさ”を骨格、骨相とも正確にとらえた人物造形、メカニズムやビル群といったものを緻密に描き込んで厚みを加えられた世界観、映画的な構図とコマ割りなど、漫画に新しい潮流をもたらした。実際、大友克洋以前と以後では、漫画全体に密度感やリアル感という要素は、もし定量化できるとすれば明らかに増大しているであろう。
「AKIRA」以前以後の変化とその要因
問題は、アニメーション「AKIRA」の場合に何が起きたか、「AKIRA」以前以後で何がどう変化したかということに紋られていく。
まず、「AKIRA」の公開時によく言われた「2コマ打ち、リップシンクロ」については、新規技術でも何でもないフルアニメーションの本来的な定義である「画面内にあって動くべきものはすべて自然に滑らかに動かす」という観点からすれば、対費用効果を無視すれば当然の手法である。クイックアクションレコーダー(★3)も制作プロセス上の省力の問題であり、表現には影響しない。黎明期のCG導入(スペシャルパターンの回転)も、光学合成の代用的な使われ方しかしておらず、見せ場となったわけでもない。
こういった宣伝向けに言われてきたことではなく、もっと表現の根幹部分に、むしろ本質的な変革があったように思われる。
キーワードとしては、大友が漫画に与えた影響の劇合と同じく、密度感とリアル感(リアリティ)が中心に来るのでないか。
「AKIRA」で新しい試みのように言われていることは、実はディズニーを代表とするフルアニメーションの作法であった。では、それを導入して「AKIRA」がディズニーのようなアニメーションになったかというと、それとはまた違うところがおもしろい。ここで密度感とリアル感の問題が浮上してくる。ディズニー的なアニメーション作法は、教科書の1ページ目に「スクオッシュ&ストレッチ(漬しと伸び)」と書いてある。つまり、実際の自然現象を省略と誇張することによって、人間の動体に対する感覚をブーストしてある種のトリップ感を引を出すということが、彼らのアニメーション哲学というか、大前提の考え方として存在しているわけである。
ところが、これがわれわれの目からすると、このゴムのような動きはリアリティを損なうものと映る場合が多い。これはディズニー的なものを貶めているわけではなく、文化・作法の差の問題だ。では、「ゴムのようにグニャグニャしないフルアニメーション」があるかというと、それはある。太平洋戦争中のフライシャーによる短編アニメ「スーパーマン」がまさしくそうだ。ここに登場するメカニカル・モンスターは、重心を移動させながら足を出して歩くと、一瞬遅れて手がぶらつくといった、破綻なくもっともらしいアニメートを見せることで確保されたクオリティが、リアリティの震源地である。
だが、それと比較しても「AKIRA」は異なっている。「AKIRA」の場合、ショット全体が抱える重みと、それがフィルムの流れの中で生み出していくリズムが、密度感とリアリティを発生させているように思えるのである。その重みの大半は、作画(原画)段階のモーション部分もあるが、大半はそれ以前の画面の設計図であるレイアウトの段階で盛り込まれている。
ここで大きく要求されるのは、情報量の盛り込み方と取捨選択、すなわちコントロールである。
仮想映画的な考え方
アニメーションの構図は、実はアニメート優先で考えられてきた歴史がある。連続的に絵を積み重ね、軌跡を追って描くときに有利なアニメ的画面構成というものが存在する。歪みのないやや広角気味のレンズ、ピントはパンフォーカス、ライティング位置下明(平行光線の屋外)、そして足が地面につかないようややアオリ気味にして背景が楽になる空、室内なら天井が大きく映り、人物の傾きはシチサン(7:3)でという、ひどくスタンダード臭の漂う画面である。
「AKIRA」原作者の大友克洋は、自主映画で監督をつとめるほど実写映画のフィルムメイキングの演出に詳しく、漫画にもそれを仮想映画的なものとして反映してきた作家である。対して当時のアニメの水準では、そのような”仮想映画的に撮る”という考え方は、まだ主流ではなかった。レンズを意織した構図をとり、フレームを決め、ショット内に重みをもたらす飾りつけを行い、観客のエモーションを巻き込む求心力となる役者やメカの芝居といったものを細かく指定し、極力雑多な情報を少しでも多く取り込み。。。という、実写的な姿勢、考え方は、「AKIRA」の絵コンテからレイアウトいたる段階まで通底している。
そして集ったアニメーターは、その考え方に基づくレイアウトが次にアニメーション段階で求めるもの。。。当時としてはまだ夢のようであった”仮想的リアリティ”という要求条件に対して苦闘し、スタジオが解散��た後も見果てぬ夢のようにそれを望み続け、各々の作品で各人なりの咀嚼で追求することを始めていったにちがいない。もちろん、そこから離れる場合もあったろうか、しかし何かを意識して離れるということは、実はその何かを求めることと、そんなに遠い行為ではないはずである。
ここで言う要求条件とは、作品に臨場感をもたらすためのものである。なぜ臨場感が必要かとさらに突っ込めば、”絵で描いた世界”に没頭して物語を世界ごと”そこにいる感覚で”楽しむためである。
ごく当たり前のことだ。だが、その一番当たり前のことも、すべて
が作り物のアニメーションのフィルム中では、実は非常にいろんなことを意識的に考え、実行しないと違成できないということなのかもしれない。
15年目の 「AKIRA」
こういった考え方がスタッフにじわじわと浸透しながら完成したフィルムが、「AKIRA」なのだろう。クリエイターたちがそこで夢見ながら違成できなかったことを追求し、続く作品でどんどnアニメーション表現を深化させ、リアリティ追求をエスカレートさせていったのが、その後15年の”ANIME”の歩みと総括できるかもしれない。
もちろん「AKIRA」だけが単独でこういう考え方をとっていたわけではない。恐らくそれは時代の要求だったのだろう。「王立宇宙軍」が代表するように、同時代的にいくつもの作品、何人ものスタッフが挑戦していった果てのことだ。だとしても、世界的知名度やセールスの成功事例として、「AKIRA」がきっかけであり分水嶺であったとは確実に言えるだろう。
結果的に作画や背景の描き込みは年を追うごとに幾何級数的に増え、人間のアクションは細かい関節部まできちんと追われ、レイアウトはパースに狂いがなく、光源は常に意識され、特殊な仕上げや撮影効果は常時ふんだんい。。。と、青天井のようにアニメーション作品の密度は濃くなる一方だ。初公開時にはあれほどリアルに思えた「AKIRA」が、今観ると非常に漫画的にも見えるのが、何よりの証拠だろう。
臨場感のせいで「リアルな作品」呼ばれるようになったがゆえに、レアリティ追求のため、底なし沼のようにアニメ作品は情報量を飲み込むようになっていた。情報量とはアニメの場合は人手そのものであり、金であり時間である。そして、スキルやノウハウは人に溜まるから、「リアル作品」とは非常に属人性の強いものとなる。その状況は、この種の作品リストから原画マンやレイアウトマンの名前を横に並べたりすれば、すぐに理解できることだろう。
15年を経過して、「AKIRA」に匹敵する新たら分水嶺は、はたしてどのような形で来るのだろうか。それには大友自身の新作「スチームボーイ」がある回答を提示してくれるのだろうか。非常に楽しみである。
次の15年を考えるために、15年前のブレイクスルーがヒントになるかもしれない。
そのためにも、本書が役立てば幸いである。
★1「3コマ打ち」---同じ絵を3コマずつ撮影して動きを設計するアニメーション技法。「打つ」というのはアニメーターがタイムシートに番号を書き込む行為を感常的に表したもの。それ��でのアニメーションは、2コマ打ちが標準で速い動きのみ1コマ打ちだった(フルアニメーション=1コマ打ちは誤った定義)。3コマ打ちだと滑らかさは喪失するが、当初TVはブラウン管自体に残像があるので良い等とされたという。ところがこれはコスト削減にも直結するため、やがて劇場作品も経営者によって3コマをスタンダートとするようになっていく。
★2「ANIME」---マスコミで使われる”ジャパニメーション”という単語は、X称(ジャップのアニメーション)という説がある。事実、米国の雑誌や店頭ではほとんど目にしないため、ここでは”SAMURAI”のように日本語がそのまま英語化した”ANIME”を用いた。
★3「クイックアクシオンレコーダー」---’80年代から導入きれるようになった機械。アニメーターは何枚かの原画・動画が完成するごとに、指でパラパめくって動きに狂いがないかをチェックする。通称、「指パラ」と呼ばれる作業で、これは動きをチェックする第一段階だ。当然「指パラ」だけでは確認しきれない、複雑な動きも出てくる。米国でのフルアニメーション制作にはライン・テスト(ペンシル・テスト)という工程があり、ペイントする前に動画にブレ等の破綻がないかチェックする。フィルム撮影を使用するため、コストの関係で国内ではほとんど省略されていた(間に合わせのダミーとして線画を撮影することはあるが、目的が違う)。それを擬似的に行う装置がこれで、ビデオによってタイムシート通りに動画をビデオに取り込み、完成フィルムではどう見えるか、ペイント前にチェックする機械である。「AKIRA」のクイックアクションレコーダーによる画像が、「AKIRA DVD SPECIAL EDITION」(バンダイビジュアル)に特典映像として収録されている。
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