#パピルス柄
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本日4/15 #技術評論社 さまより 発売されました #山崎陽子 さま著 @yhyamasaki #おとなの浴衣はじめます に #紅型ナワチョウ半巾帯 を掲載いただきました✨ ・ 忘れられない 2022年3月のこと 来沖された陽子さまに はじめてお目にかかり 反物と型紙を ご覧いただきながら どの柄で どんな配色で…と 打ち合わせしつつ 制作させていただきました ・ #月桃紋様 の半巾帯は #全通 にて #前柄 は紅型らしく 艶やかな配色で #タレ先 #手先 は #藍型 でシックに✨ ・ #パピルス柄 は #ポイント柄 の柄行 前柄・手先・タレ先に 多めに柄を配して (パピルスは古くは 紙の材料として 重宝されました 本を書かれる陽子さまに ピッタリですね!!っと✨) ・ ・ 昨今の気候 時代に合わせた 浴衣の楽しみ方を TPO含め 様々な角度から探られた👘 素晴らしい一冊です ・ QRコードで 帯結びの動画も ご覧いただけたり👀✨ 楽しみ方が満載!! ・ ぜひ手に取って ご覧くださいませ✨ ・ 今年は春〜秋まで 浴衣を気軽にもっと 楽しまれる方が きっと増えるはず!! わたしも自身の浴衣と 半巾帯を たくさん着ようと思います♪ ・ ・ #紅型 #紅型ナワチョウ #縄トモコ #半幅帯 #半幅帯コーデ #半巾帯 #ゆかた #浴衣 #yukata #すごいぞ浴衣 #掲載いただきました #ゆかたコーディネート #きものコーディネート #沖縄 #okinawa #bingata #tomokonawa #nawachou https://www.instagram.com/p/CrDoO3pLGNK/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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シャンバラテール
【第一話】プロローグ
『かの地をゆく諚』
シャン、シャンと豪奢なその籠には赤、黄色、緑、白、黒の五色の布で飾られ大ぶりなものから小ぶりなものまで沢山の鈴がついていた。
その籠を六人の男達が支えて運び、うやうやしく行列を作って運んでいたがみな男達は修行僧のような貫頭衣でその籠をみた人々は籠に向かって祈るようにお辞儀をして行列を見送った。
俺は、その籠の中身がなんなのか知っていて行列に加わり道具を運ぶ役目を担っている。
あの籠の中には、少女が入っていた。齢14の女の子で、神の子と崇められ、今から神の住まう土地に行きそこで生涯神の元で御役目を果たすのだ。
この土地ではなんら不思議ではない昔からの風習がまだ根強いしきたりを俺は恨んでいた。
どうして彼女が、これは人身御供ではないのか。この地に生まれなければ、ここで人間でなければ、どんなによかった事だろう。
男は彼女が好きだった、彼女も同じように好いていてくれたが、村の決まりで神の子と決まってからこのしきたりのため決意を固めてしまった。
「ごめんなさい、さようなら」
泣きながら最後に交わした彼女の口づけが震えていた事を男は知っている。
なにが神だ、何が神の子だ、好きな女一人守れなくて、生涯を誓い合うこともできなくて、俺は何をしているのだ。
絶対に、彼女を救ってみせる。
男は密かにその機会を虎視眈々と狙っていた。
『もうひとつの扉の向こう』
フリスクはさくさくとその黄色い花畑を歩く。
大切な友達と別れを告げて、自分の名前はフリスクなのだと伝えた時に「いい名前だね」と泣きそうな笑顔の彼は優しい表情だったのがとても印象的だった。
この地底世界ではもうお別れなのだと思うと寂しくて、ルインズの仕掛けの壁に書かれたトリエルの文字をなぞったり、スノーフルにあるパピルスとサンズが作った雪像を見たり、ウォーターフェルのピアノを弾いたり、ホットランドの研究所のモニターを見たり、ニューホームの棺の部屋をお辞儀した。
「よう、みんなに挨拶は済ませたか?」
謁見の間に行く所の花が咲き誇る庭のような室内で、スケルトンのモンスターであるサンズが待っていた。
フリスクより少し背が��いが、サンズは小柄な方のモンスターなので目線が合わせやすい。
あまり顔に表情を出さないフリスクよりもニンマリとシニカルに笑う顔が印象的だが、今はもっとにんまりしているように見える。
「うん、みんな新しい地上が楽しみだって。嬉しそうだった」
「そうか、そうだよな。みんなの念願だ、その顔の様子だとみんなも良い顔してたんだな」
「みんなと話し合って、一緒にでられるんだもの、僕だって嬉しいよ」
地底世界では初めて出会ったモンスター達とどうやってコミュニケーションをとればいいのかルインズでトリエルに教えてもらった。
その後も色々な事があったけれど、おかげでみんなとこうして仲良くなれた事で外に出ることができるのだ。
それと、もう一つわかったこともある。
「そうか、よかったな」
「!」
手袋で包まれた手が優しく頭を撫でる。どうあったって子ども扱いなのだが、照れとは明らかに違う胸のときめきに顔に熱があつまる。
いろんな経緯があるが、フリスクはこのサンズに恋をしている。ただ、きっとまだ子どもだし。何より……
「さ、いつまでもこんな所でボーンとつっ立ってたらパピルス達に怒られるから行こうぜ」
「……寒い」
サンズはコメディアンもしていたところから、ダジャレが止まらないちょっとサムイモンスターなのだった。
自分でも、どうして好きなのかと思ってしまうが、彼に優しくしてもらわなければ助からなかった事も沢山あるのだ。
この地底世界での思い出は、フリスクには何よりも宝物だから。
「さあ、みんな。そしてフリスク、準備はいいかい」
アズゴア王の言葉にうなずくみんなの表情を見て、フリスクは扉を開ける。
バリアーのあった扉は大きく重たくて、それでもゆっくりと開いてゆく。
さあっと吹き抜ける風が、フリスクはこれまでも嗅いだことのない空気の匂いがしている。
明るい陽光と、肥沃な大地、地上を夢見たモンスター達はこの明るい世界に歓喜の声で感動していた。
しかし、サンズはフリスクの様子がおかしい事に気づく。
「どうした?フリスク」
フリスクの隣に立ち、顔を覗くと明らかな戸惑いと焦燥の入り混じった雰囲気が見てとれた。
フリスクを見たサンズの様子にも気づいたのはトリエルやアンダイン達だ。
「……ちがう、ここは」
「違う?」
「ここは、僕の知ってる地上じゃない……!」
>つづく
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今んとこの設定
地下世界:ある日の戦争でモンスターが負け地下世界に封印される 地下の教育で人間=悪とされている トリエル女王があの事件以来怠惰で暴力的になり何もしなくなった その代わりアンダイン署長率いるA警察が市民を統治している
キャラ説明
人間:地上は金暴力セ○クスという犯罪まみれの世界で生まれた郊外に住む貧乏な家庭の少女 盗まなきゃ食っていけないくらい貧困 両親は物心ついた時には亡くなっていた ある日街中で泥棒を行い大人から逃げていた時近くで開いているマンホールを見つけそこに入って間一髪で大人から逃げ切った しかしそこは掴めるところが何も無くそのまま落下して地下世界に落ちていった…
テミー:UTのフラウィーポジション 人間と初めて会ったモンスター 悪戯好きでアホ 人間にこの世界の生き方を教えてくれる テミーフレークスを投げてくる 当たると1ダメージ いつも説教してくるアズゴアが嫌い アホそうに見えるが何かを企んでいる…
アズゴア:遺跡の管理者 UTのトリエルポジション 元U警察の署長であり警察を初めて作った人 トリエルと夫婦だったがあの事件以来トリエルが病みそれを止めようとした時に女王命令で遺跡へ幽閉されてしまった 遺跡の出口の扉の鍵がとっくの昔に壊れているのは知ってるが外に出る様子はない 性格は温厚で優しい 人一倍正義感が強く現役時代は早撃ちの名人と言われていた 格好はチェック柄のTシャツと緑のズボンでいかにも休日のおじさんみたいな格好をしている
あの事件:トリエルとアズゴアの間にアズリエルが生まれる前の話 親がいないモンスターの子供(名前は考え中)をトリエル達が我が子のように育てていた そこに1人の人間が落ちて来た モンスターの子供と人間はすっかり仲良くなり仲良く4人で暮らしていたしかし幸せもそう長くは続かずに終わった 地下世界のみんなは人間が嫌いで人間はいろんな嫌がらせを受け自殺してしまいモンスターの子供は嘆き悲しみ怒りで魔力が暴発し人間の死体を魔法の力で作った手で優しく包んで外に飛び出て行ってしまいました トリエルは狂いました…
パピルス:UTのサンズポジション悪をかっこいいと思ってる18歳のスケルトン 悪戯が生きがい Bloodinに住む骨兄弟のお兄ちゃん 好きなものはタバスコ めっちゃ陽気だけど怠惰で暴力的な<UnderFell>って本に出てくるスケルトンに憧れてる 下の歯が2本が異常発達して少し前に出ながら鼻のしたくらいまで伸びている 片方の歯が���回折れて金歯にする時に本当は普通の歯と同じようにできたがパピルスの希望で元の歯と同じ形になった ギャグは好きだけどあんまり思いつかないので本家UTサンズとは違ってあんまり言わない バイクに乗れる 悪知恵が働く ショートカットが出来ることを知らない 喧嘩強いらしい 目は今のところ光らない(Gではあるキャラの助けにより開花する) 人間=悪が地下世界の常識なので人間を自分の仲間と思っていて優しく接してくれる 服は赤いパーカーに焦げ茶のパーカーを羽織っている ズボンや靴に所々稲妻模様が入っている 身体能力は化け物級であり銃の弾良けれるらしい…
サンズ:警察官に憧れたUTのパピルスポジション Bloodinに住む骨兄弟の弟 Bloodinに引っ越してきた時に町にいるならず者に襲われ殴られそうな時に警察官のアルフィーが助けてくれたのでそこで警察官に憧れるようになった Bloodinに来るまでは兄と一緒にイタズラしてた 今ではアルフィーの所に毎日訓練してもらってる 黄色い目で片方が六芒星の方をしている また歯がギザギザで左側の歯が1本金歯になってる 人間を捕まえて部長になりたいと考えてるがまだ警察見習いで警察官にさえなっていない ギャグは嫌いじゃない トリエルと扉越しに時々世間話をするらしい 私服は警察の制服
Bloodin:無法者だらけの街 喧嘩とかが頻繁に起き血が沢山色んなとこに落ちてるって意味で血溜まりつまりBloodinって名付けられた 人間=悪なので人間には優しいところがある みんな警察が嫌いである マフェットが営むBARはパピルスが大好きである BARってのは表向きの話で武器の取引やクスリの取引などが裏で行われているマフェットは腕が2本無くなっている どうやら子供の頃の借金を返すために売ったらしいのだがマフェットは邪魔くさいのが2本なくなって最高と言っていた…
今んとここんな感じどんどん作ってく
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【涼む】 . 暑い毎日が続きますね〜 🌞❤️🔥 . こんな時は畳にゴロンと寝転がりたくなりませんか?? これ日本人の性⁉️🤔 . このタンザニア🇹🇿のフェアトレード認証団体 "Womencraft “ による草編みバスケットは、 現地で自分達で育成管理も行なっている畳によく似たスターグラス&パピルスを使用して、 伝統の手編み技術で女性職人が1つを数日間かけて作り上げたものです🤟 . このアフリカ布:キテンゲを編み込んだデザインが可愛すぎです!😍 . この団体は国境近くの内陸部で他国からの難民流入地域にあります。 仕事も頼りも無く様々な問題から避難してきた女性が多いそうで、そんな彼女たちに技術を学ぶ過程で自尊心の回復を促しながら仕事へ繋げて生活の安定へと導いていく☝️ そんな素敵な団体です☺️ . こんな見てるだけで涼めて、色柄で気分を上げれて、誰かの生活の糧にもなるインテリア。素敵じゃないですか? . 他の形もあるのでぜひ一度WEBSHOP をご覧下さい😉🇹🇿 . #涼しい #フェアトレード #フェアトレード雑貨 #タンザニア #草編みバスケット #伝統工芸 #自然素材 #アフリカ布 #キテンゲ #イロのある生活 #アフリカ雑貨 #kwamalogo (アフリカ雑貨&オリジナル 『kwa Malogo/クワァ マロゴ』) https://www.instagram.com/p/CSEtkzSHpoE/?utm_medium=tumblr
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#076 ナビゲーター(袋小路でやぶから棒に)
あの、すみません。まずは、あの、はい。お、お、落ち着いて。あ、すみますみすみすみません。とりあえずは、まずは、なにをおいても、こういう時は、ええ、絶対的、可及的、速やかに、落ち着くことが大前提かつ大事ですから。はい。とにかくまずは、深く、ふかく、ふか……げええっほんえふんげふんごめんなさいんんんっ。はい。深呼吸から……はあ、深呼吸から始めましょう。それから、すべてはそれからです。息をすう〜、はあ。すう〜、はあ、して。……そう、そーうですはいはい。はい。はい。よくできました〜。あっすみませんすみません。怒らないでください。馬鹿にしているわけではないんです。けっして、断じて、誓って、そんな失礼なこと、あなたにするわけないじゃありませんか。そう思いません? 思いますよね? よかったよかった。それでですね、まずはそのー。あっ、挨拶がまだでしたね。えと、おはようございます。あ違うか違いますね。はじめましてですねこういうときは。人と人がはじめて、こう、顔面を合わせると言いますか。初対面。そう、初対面、ですよね? 満員電車の中ですとか、信号待ちの間ですとか、もしかしたらもしかすると、偶然ばったり出会っていたのかもしれませんけど。あ、こういう場合――つまり、まだちゃんとした初対面の挨拶を交わすより以前に、あなたを見かけていた場合――も、ばったり、とか、偶然、って、使うんですかね? そこんところ、ちょっとよく���かんないんですけども。でも、そうですね、とりあえずは、はじめましてにしておきましょうか。しておいてください。どうか。どうか……。 えと、それでですね。あなたの頭には今、たくさんのハテナが浮かんでは消え浮かんでは消え――あ、消えてはいないですか。それは失礼しました――、していると思うんですよ。そりゃ思いますよ。思うことでしょう。誰だってこんな、非常時にはそういう思考回路が働くものです。誰だこいつら、と。なんでこんなに腰が低いんだ、と。そもそもなんで部屋にいるんだ、と。こんな早朝に、と。まだアラームが鳴る二時間も前なのに、と。得体の知れない輩に安眠を妨げられたぞ、と。今日は祝日なのに、と。小鳥のさえずりしか聴こえないくらい早朝じゃないか、と。チュンチュク鳴いてるあの小鳥はスズメだろうか、と。そうですおそらくスズメです。それにしても最近、スズメを見かけなくなりましたよね。なんでも年々スズメの数が減っているらしいですよ。ええ。ええ。本当ですとも。こんな所で嘘なんかついてなんになるんですか。こんな、高層ビルの裏の、袋小路の、ゴミ臭い、陽の当たらない場所で。……そうですとも、まだ寝ぼけてますね。大丈夫ですか? もう一度深呼吸しますか? コンコンコン、おーるーすーでーすーかー? いえいえ冗談ですってすみませんってばふふふ。ああ失礼。とにかく、今一度、辺りを見回してください。たっぷり、首を左右上下に、三往復くらい、動かしてみてください。首の運動には眠気をふきとばす効果もあります。そうしたら、けっして慌てずに、まずはこの文章に目線を戻しましょう。 これでようやくお分かりになりましたでしょうか。ああ、よかった。ホッとしました。とりあえず、ホッ、とさせてください。この仕事も、いろいろと気苦労が絶えないのです。ほら、その、あなたのように、イレギュラーな状況で浮空期に突入した場合、パニック障害を併発することもめずらしくないのです。ええ、ええ、ここだけの話。そうなんですよ。 まさか俺が。そう思ってますか? ついにきたか。そう思ってますか? なんでまたこんな時期に……。そう思ってますか? まあ、災難ですね、としか言いようがないですね。五年間、学生のころから付き合っている人と別れて、しかもその人には二年前から別の恋人がいて、つまりあなたは二年間浮気をされていて、しかも付き合っている人的にはあなたより浮気相手のほうが本命で要するにあなたは浮気されていたと言うよりあなたが付き合っている人にとっては浮気相手のようなもので、お荷物で、ただのヒモ野郎で、ノータリンで、……みたいなことを昨日の夜付き合っている人と付き合っている人の浮気相手に一方的にまくし立てられて、あなたは驚きすぎてなにも言い返せなくて、むしろ驚きを通り越してなにも感じなくて、なにも感じな��のだから当然言うべき言葉も言いたい言葉もなにも浮かばずただあなたは「ふうん」という心持ちで冷蔵庫から缶チューハイ――夏みかん味の五〇〇ml――を取り出してグビグビ飲んで、飲んでいるうちにやっぱりなんだかムシャクシャするなあとぼんやり思い始めて、特に暴れもせず泣きわめきもせずに、無表情のまま付き合っている人の浮気相手の頭頂部に残りの缶チューハイをダバダバと注いで、付き合っている人も付き合っている人の浮気相手もなぜだかまったく動じずに「なにこいつ」といった眼をあなたに向けるだけで、缶チューハイを注ぎきったあなたは「ほいじゃ、俺はこれで」とでも言い出しかねないくらい気さくな身のこなしで玄関の百円ショップで買ったオレンジ色のサンダルを履いて、行きつけの、駅前のおでんの屋台にでも行こうかなと足を動かしはじめたはいいものの、途中でそっか今日日曜日だわおでん屋やってねーわってことに気づいてしばらく迷いながら歩いた結果駅前のカラオケ館に足が進んで、人生初の一人カラオケというものでもしてみようかという気持ちにだんだんなってきて、「一名で」なんて少しぶっきらぼうに、顔を横にぷいっとそむけそうなくらいそれはそれはぶっきらぼうな「一名で」を店員に向かって投げ捨てて、二〇一の札を笑顔の店員に渡されてあなたは仏頂面のまま二〇一号室までペチペチ――サンダル履いてますからね――歩いて、着いて、固いんだか柔らかいんだかはっきりしないソファーに体を沈めたあとに「別に俺、歌いたい曲ねえや」ってことに気づいてその言葉を実際に口に出して、何回か舌打ちしながらメニュー表をめくって少し迷った末にあなたは生ビールを頼んで、パリパリという音と共に今にも剥がれ落ちそうなくらい乾いた笑顔で店員がそれを運んできて、あなたは痙攣のような会釈だけして店員が去るのを待って、一息で飲んで、頼んで、飲んで、頼んで……、午前三時――つまり日付的には今日、ですね――の退出コールギリギリまでそれを繰り返して、千鳥足で、階段で二、三度転けそうになりながら、爪先立ちみたいな体勢で一階のレジまで歩いて、店員に番号札を渡してから「そういや俺財布持ってきてねーじゃん」ってことに気がついて、「やべ」と口から出かけて、千鳥足のまま操り人形みたいなぎこちない動きで右向け右をして、そのままダッシュで逃げて――お客様! おい! お客様! という声を後ろで聞きながら――この路地裏まで逃げて逃げて逃げて、倒れ込んで、眼を閉じて、そして眼を開けたら見知らぬタキシード姿のおっさんがいて、こんなあなたのプライベートな情報をペラペラと喋られているんですからね。ほんと、災難でした。いや、現在進行形で��残念ですね。ご愁傷さまです。あ、死んでないですね。しかしながらですね、もうちょっとクサい言い方をさせていただきますとあなた、あなたの心はもう死んでいるようなものです。あなたの半分、半身は、ご愁傷さまって感じですね。ほんと。ところでご愁傷さまってあなた、実生活で言われたことあります? 初めて言われたんじゃありませんか? とりあえず、あなたは今、立ち上がっています。いますよね? まあ、地に足は着いていませんが――いえいえあなたの生き方がというわけではありません、ですからどうか、その握りこぶしを解いてください……そう、そう、ゆっくり、ゆっくりね――、とりえあず、〈立ち〉上がってはいます。ね。そうでしょう? あなたみたいなケースはわりかしめずらしいのです。ですから、ええ、さきほどから再三、口をこれ以上ないというほどすっぱくして申し上げておりますが、どうか、落ち着いて、冷静に、行動なさることが肝要なのです。浮空期の初期段階に不慮の事故等で死亡してしまうケースはままあります。ですから、あなたのこれまでの人生の、常識の枠は一旦、外していただいて、どうか、説明委員会の言葉に耳を傾けていただきたい。いいですね? はい。いい返事です。そうしましたらまずは、説明委員会の名に恥じぬよう、簡単かつ簡潔に、ご説明のほう、させ���いただきます。 まずはそう、あなたの足元、ゆっくりと、再度確認してみましょう。はい、そうです。そうですね。浮いています。宙に浮かんでいますね。重力から解き放たれて。歩こうとしても足がスカスカッと空を切って歩けませんね。ええ。そうです。浮空期の間、通常の方法で――つまり、左右の足を交互に、前後に動かして体全体を前に押し進めるという方法のことですね――歩くことができません。ええ、ええ、仰りたいことはわかります。不便ですね。とーっても不便です。エスカレーターに乗ってもあなたの足の下で段差が動くだけです。エレベーターは……、ふふ……、ああ、いえ失敬。すべてを説明してしまっては興も冷めるというもの。わたくしども説明委員会は、過剰な説明は過剰な愛、を社訓――委員会の場合も社訓って言うんでしょうか――に掲げて日々浮空期の方々へのツボを押さえた適切かつ適度な説明――そう、それはほとんど愛――を心がけております。ああっ、そこそこ、その説明。あーちょうどいい、いやあいいわあ。きもちいい……。という声をいただくこともままあります。というわけで、あなたには、肝心要の部分のみ、ご説明させていただきます。あなたもこの宇宙の、この地球の、つまり、宇宙船地球号の乗組員である人間ならば、今、ご自分の体に起こっている現象、そしてその現象の名称、ある程度は理解しているはずです。なにしろ今は朝の七時。人間の脳みそが一番活発に動く時間帯です。もっとも、その三〇分前までに朝ごはんを食べていればの話ですが。あっ、そういえばタキシードの右ポケットに、あなたに会う前にコンビニで購入したおにぎり――焼きたらこ――が入ってい���す。説明と、あなたの練習がてら、このタキシードの右ポケットから、自力で、おにぎりを取ってみてください。安心してください。取って食おうってんじゃないんですから――それに、取って食おうとしているのはあなたですよ――。さあ、指示通りに、体を動かしてみてください。まずはお尻の穴……肛門付近に力を入れてください。なかなか出てこないイケズな大便をひり出すように――もちろん、本当にひり出してはいけませんよ。そういう人、案外多いんです――。そして右人差し指の爪を甘咬みしてください。それが体を動かす方法です。車に例えると、肛門に力を入れることが、エンジンを吹かす行為、右人差し指の甘咬みが、エンジンとハンドルを操作する行為です。甘咬みしたまま手首を左右に動かすと、その動きに連動して……おお、そうそうそうです! その調子です! そのように、体が左右に回転します。そのまま手首を動かして、こちらに体を向けるようにして、はいはいその調子ですよ、そして、その状態で肛門に力を……そーうです! これで前進はわかりましたね。ちなみに後進――バック、ですね――したい場合は、おヘソの辺りに力を込めてください。腹筋を鍛えるような感じで……おおー、いいですね、いいですよ。はい、では、もう一度、前進して、近づいてみましょう。ちなみに力を入れれば入れるほど、スピードは速くなります。はい、これであなたとタキシードの距離は限りなくゼロになりました。ちょっと、その、気まずい距離感ですね。吐息がかかる距離、と、言いますか。恋人でないと許されない距離、と、言いますか。あっ、いえ、別にその気はありませんのでご安心を。では、右ポケットからおにぎりを取ってみてください。はい、よくできました〜! 何度も言うようですがバカにしているわけではありませんよ。なので、どうかその、怒髪天を衝くかのような肩の上下運動を辞めてくれませんか。ちなみにですね、浮空期の間は、自分の体重、身長以下の物なら、一度触れれば宙に浮かせる事ができます。ですから、その、おにぎりを口いっぱいに頬張るのを一旦中断していただいて――ええ、ええ、ほんと、すみません。お願いですからそんな怖い顔しないでください――その練習も、一応、やっておきましょう。万が一、ということがありますからね。その力が誰かの命を救う。なんてことが、無いとも限らないですから。例えばこの、二五階建てのビルが火事になって、逃げ遅れた人が外に面した窓ガラスに追いやられていたら、窓ガラスを割ってもらって、あなたはそこら辺にある――ああ、あそこにちょうどいいベニヤ板がありますね――ベニヤ板を触って、逃げ遅れた人がいる階まで浮かせて、エレベーターの要領でサラリーマンやOLの方々を救い出すことが出来ます。素晴らしいじゃありませんか。浮空期の特権です。もちろん多くの人から感謝されます。ありがとう。ありがとう。君がたまたまこんな路地裏で、酔いつぶれて寝ていたおかげで助かったよ。助かりました。握手。握手。さらに固い握手。そして感謝状の授与。嗅ぎつけたマスコミがあなたをネタに記事を書く。あなたは一躍有名人。街中でサインなんか���められたりして。ああ、はい。そうです。ええっ、サインですか。いやいやそんな。サインするほどの人間じゃあ……、ああ、そうですか……? じゃあ、まあ、はい。えっと、ここに? はい。はい。サラサラサラ、っと。あ、ちょっと、カメラはちょっと。恥ずかしいっていうかなんていうか。いやはは、まいったなこりゃ。そしていそいそと人混みをかき分けて目的の場所へ進むあなた。目的の場所――川沿いに最近オープンした小洒落たヴィーガンレストラン――には、ビル火災の中、果敢にも人々を救ったあなたのことが書かれている記事を読んだ元恋人。再会を喜ぶ二人。微笑みを交わす二人。まずはグラスワインで乾杯をしようではないか。注文をしようと手を上げたあなたを元恋人は優しく止める。ワインはちょっと。だって、私のお腹には、もう……。あなたの耳には聴こえないはずの、命の、微かだけれど確かな鼓動が聴こえてくる。そう、あなたと元恋人の――現、伴侶の――。……なんてことにもなるかもしれないのです。あ痛い。いたた。ごめんなさいごめんなさい。まだ一応、正式には、面と向かって、別れを告げられてはいなかったですね。元恋人ではありませんでしたすみません。すみませんってば。 えと、それで、なんでしたっけ。ああ、説明がまだ途中でしたね。触れた物を浮かせたい場合は、左人差し指の爪を甘咬みします。はい。そうです。甘咬みした瞬間から、物は浮きます。あとは、基本的な動作は先程の、体の操作と同じです。肛門に力を入れると前へ、おヘソに力を入れると後ろへ進みます。上へ上へと浮かせたい場合は、甘咬みしたまま腕を上げてください。上げている間、物は上昇し続けます。落下させたい場合は甘咬みをやめるか、腕を下げてください。その他、細かい動きはすべて、甘咬みしている間、左腕の動きと連動します。簡単でしょう? 最初のうちは微調整が難しいでしょうが、すぐに慣れるはずです。あなた、なかなか筋がいい。いや、本当ですよ。浮かせることすらままならない人も、最近は多いのです。……ああ、そうそう言い忘れていました。浮かせることができる物は、最後に触った物だけです。複数の物を同時に操作することは出来ません。気をつけてください。くれぐれも。 そうそう、これは最初に説明しておくべきでしたが――いやほんと、説明委員会失格ですね――。男性の生理と言われるくらいですから、女性同様、浮空期の前後、浮空期の間で心身に様々な変化が起こります。顕著に現れるのは性欲の減退ですね。浮空期の間、睾丸の機能は著しく低下します。常に射精直後のような状態になる、と言ったら、わかりやすいでしょうか。浮空期の間は女性を――ゲイセクシャルの場合ですと男性を――見るだけで苦痛に感じる人もいるそうです。いやはや、そこまでいくとちょっと理解し難いですね。とにかく、どんなにお盛んな人でも、浮空期の間は射精することが困難になります。ま、大体の人は射精をする気も起こらないので、大丈夫でしょう。 先程、常に射精直後のような状態になる、と説明しましたが、浮空期が近づいてくるにつれて、段々とそういった精神状態になっていきます。落ち着いて、冷静に、物事を判断できるようになる、ということですね。あなたは昨日、���――……失礼――恋人とその浮気相手に散々ひどいことを言われたにも関わらず、ある程度は平静を保てていました。今になって考えてみると、それは浮空期直前特有の症状だったのかもしれませんね。そして、安定した精神状態に移行してから大体三日後、夢精を合図に浮空期が始まります。……ええ。ええ。そうです。あ、気づいていませんでした? あなた、夢精したんですよ。この、高層ビルの裏の、袋小路の、ゴミ臭い、陽の当たらない場所で。あ、ちょっと、ごめんなさい、ごめんなさいってば。 ちなみに浮空期は、月一回ペースでやってきて、およそ一週間で終わります。終わる時は夢精も何も起こりません。目が覚めたとき、体が地面にピッタリくっついていれば、それが終了の合図です。性欲も、精神状態も、通常に戻ります。もう、ビンビンの、グングンです。その、あなたの、スカイツリーに負けじとそそり勃つイチモツを、存分に振り回していただきたい! まあでも、今はとりあえず、精子が乾いてカピカピにならないうちに、ティッシュ――あ、ポケットティッシュ、持ってたんでさしあげます――で綺麗に拭き取ってください。大丈夫です。後ろを向いておきますから。どうかお気になさらずに、あなたのペースで、慌てることなく、精子と、そのぬめり気のあるパンツを処理してください。ここにはあなた以外誰もいない、誰も来ない。袋小路なのですから。栗の花の匂いが染み付いたパンツの一つや二つ、ポイ捨てしてしまっても何ら問題ありません。ええ、ええ。本当ですとも。さあ、一刻も早く――されどあなたのペースは乱さずに――その青いチェック柄の、ゴムが伸びきっていて、歩くと少しづつずり落ちてしまう、三年前に――そう、恋人と付き合い始めたころ、ユニクロで――買ったトランクスを、どうぞ、地面に叩きつけてください。そして、彼がトランクスを力の限り地面に叩きつけたのとほとんど同時に、今までピーチクパーチクしゃべり続けていたタキシード姿の男の隣にただただ突っ立っていただけのもう一人の男――もう一人の男は、ジーパンに半袖シャツというラフな格好だった――が、やぶから棒に、口を開いた。川城さん、も、いっすかね僕しゃべっても。いっすかね。やっぱり〈あなた〉とか言われたってピンと来ないっすよ正直言って。えっと、矢野さんでしたっけ? わかんないっすよね。いやいや、誰だよ。みたいな。そう思いません? ……あ、ちなみに自分、宇城っす。ままま、川城さん、ちょっとここからは、もうちょいわかりやすく、僕が説明しますんで。だ〜いじょぶっすよ川城さ〜ん。これでも自分、説明の成績はトップなんで。川城さんは僕の隣で、ドシンと構えてくれてればいっすから。はい。はい。 矢野は自分の体の感覚を取り戻しつつあった。この袋小路で、怪しげな説明委員会の男二人組に揺り起こされて、ついに自分が浮空期になったということを知らされてから、ずっと、自分の体を見知らぬ誰かに操られているような気分だった。歩く動作をしているのに、前に進まない。体の向きを変えることもできない。これが浮空期か。タキシード姿の男、川城の説明を聞きながら、矢野は昨日の出来事や恋人の浮気相手のこと���サンダルで家を出たのに今は裸足だということ、雨が振りそうな雲行き、何枚も溜まっている公共料金の請求書のこと、などなど、とりあえず現時点でわかる限りの問題や不安、悩みを頭の中でリストアップしようとしてすぐにやめた。そんなこと考えてなんになるというのだろう。自分だって、恋人との生活に限界を感じていたはずだろ。職だってそろそろ本気で探さなくてはいけない。バイトでも内職でも、コンビニでも工事現場でもディーラーでも汚染処理でもなんでもいい、恋人とすっぱり縁を切るからには――やはり、そうするしかないのだろうか――、自分の時間を売ってお金に替える方法を、早いとこ見つけるしかない。それ以外のことを考えるのはやめよう。やめよう。 川城の説明通り、今の矢野には性欲がまったく無かった。まるで最初から存在していないみたいに、きれいさっぱり、消え去っていた。なるほどこれが生理か。矢野は、二八歳という、あまりにも遅咲き過ぎる自分の心身の変化を、戸惑いつつも楽しんでいた。浮空期は女性の生理と違い、始まる時期が人によって大きく異なる。五歳で浮空期が始まった宇城――今、川城の隣でしゃべり続け、言葉を書き連ね続けているジーパン姿の男――のような人もいれば、矢野のように成人してから浮空期が始まる人もいる。死ぬ間際、病院のベッドなどで始まるようなケースも極稀にだが、存在する。その点だけ見ると、生理というよりむしろ水疱瘡やおたふく風邪に近い。矢野は宙に浮かせっぱなしだったおにぎりを口に投げ入れ、というより口の中まで移動させ、ゆっくりと咀嚼した。 携帯を見ると不在通知が何件も届いていた。知らない番号だ。おそらく昨日行ったカラオケ館からだろう。なんでてきとうな番号をでっちあげなかったんだ。名前も、きっちり矢野とバカ正直に書いてしまった。いや、それよりも、なんであのとき逃げてしまったんだ���いやいや、そもそも、なんで恋人の部屋で自分はあんなに落ち着いているかのようにふるまってしまったんだ。なんで外に出たんだ。なんで財布を忘れたんだ。これもすべて浮空期の前兆がもたらした行動なのか。考えてもきりがない。どうせもう身元はわれているのだ。説明委員会の二人ですら知っている情報ばかりだ。自分があれこれ案じても何も変わらないのだ。矢野は携帯で一週間の天気を調べた。次に晴れるのは四日後か。ふん。 矢野は左人差し指を甘咬みし、携帯を宙に浮かせた。左腕を思い切り上げると携帯は物凄いスピードで上へ上へとグングン昇っていく。このまま昇り続けるとどうなるんですかね。甘咬みした状態で矢野が宇城に話しかける。まあ、大気圏は余裕で越えるっす。それでもさらに昇り続けたら、どうなりますかね。だんだん、空気が無くなっていくんじゃないっすか、詳しくは知らないっすけど。空気が無くなっても、さらにさらに、昇り続けたら、どうなりますか。宇宙まで行きますね。宇宙を進み続けたら、どうなりますかね。あーそれ、たしか、どっかで読んだか聞いたかしたんすけど、それで、どんどんどんどん進み続けて、何光年も先の宇宙まで進み続けて、そうやって浮空期の人たちが飛ばした物が星になって、星と星を人が繋げて星座にして、だから僕らがこうして星空を見て、おうし座だとかふたご座だとか言っているものは元々遠い昔の人々が宇宙に飛ばした貝殻とか、お椀とか、槍とか、弓とか、筆記具とか、パンケーキとか、ガラス瓶とか、綿棒とか、お相撲さんのマゲとか、レコードとか、煙草とか、パピルス紙とか、羊の毛とか、豆電球とか、画鋲とか、死んだ人の骨とか、貞操帯とか、トランペットとかで、だから、死んだ人がお星様になるっていうのはあながち間違いじゃないと思うんすよね。あれ、なんか、語っちゃいましたね。つまり、俺が今操作している携帯も、いずれは星になるんですね。あー、多分、そっすね、なると思います。矢野の左人差し指は唾液でふやけはじめていた。身元がわれているということは、きっと今頃、警察にも連絡がいっているだろう。早くも捜索が始まっているかもしれない。恋人の家に連絡が行っているかもしれない。いや、連絡では飽き足らず、実際に警察官が恋人の家に押し入っているのかもしれない。別れの瀬戸際でも迷惑をかけてばかりだ。昨日は恋人と恋人の浮気相手にひどい仕打ちをされたが、付き合い始めてから今までの五年間、ずいぶん恋人にひどい仕打ちをしてきた。喧嘩ではすぐに手をあげてしまうし、お金は勝手におろすし、酔って暴れて食器を割った数なんて数え切れない。もう恋人の部屋には戻れないし、戻りたくないし、警察から逃げ続けなければならない以上、職を見つけることすらままならない。財布も携帯も身分を証明するものもなにもない。あるのはポケットでくしゃくしゃになっている煙草とライターだけ。矢野はポケットから煙草を取り出し、火をつけた。吸って、吐いて、一呼吸置いてから甘咬みをやめてしまったことに気づいたが、遥か彼方まで昇っていった携帯は一向に落ちてこなかった。灰が落ちそうになっていることに気づいた宇城は矢野に素早く携帯灰皿を差し出す。ああ、悪いね。いいんすよ。心中、お察しするっす。煙草はまだ充分吸えるだけの長さで燃え続けていたが、矢野はそれを無理やり携帯灰皿に押し込んで、宇城に返した。宇城は渡された携帯灰皿を、また矢野の手のひらに戻す。いいっすよいいっすよ、その携帯灰皿はあげますんで。その灰皿見るたびに、なんとなくでいいんで、僕のこと、思い出してください。って、気持ち悪いっすね自分。よく言われるんすよ、お前は説明対象に情が移りやす過ぎる、って。ま、僕、携帯灰皿何個も持ってるんで、大丈夫っすから。矢野は口元を緩めて、ありがと、とぼそぼそ声でお礼を言った。携帯は落ちてこなかった。おそらく大気圏を越えて、地球の周回軌道にでも乗ったのだろう。それとも周回軌道すら超えて、いずれどこかの惑星にたどり着くであろう隕石やスペースデブリの一つとして宇宙空間を漂っているのだろうか。矢野にも、もちろん宇城にも川城にも、それは分からなかった。ぽつりぽつりと降り出してきた小雨に、傘をさすか否か、三人はそのことばかり考えていた。傘なんてないのに。 同時刻、矢野の恋人は住処である二階建ての軽量鉄骨アパートの部屋で、浮気相手と二人で、穏やかな寝息をたてていた。いや、眠っていたのは浮気相手だけで、恋人は一時間ほど前に目が覚めてから、どうにも寝付けずに、浮気相手の寝息を自分の前髪に当てたり、脇腹をくすぐったりして、再び眠気がやってくるのを待っていた。マヌケそうに口をぼんやりとあけて眠る浮気相手を見つめる恋人の表情は柔らかく、その表情からは、矢野と接するときの冷たさや無感情さをうかがい知ることは困難である。今夜はなにか好きなものを食べに行こう。朝目覚めた時にベッドの中で今日の夜のことを考えるのは恋人の幼少期からの癖みたいなもので、それが、二四時間のうちでもっとも愛おしい時間なのだと、以前、恋人は矢野に言ったことがあった。眠気は一向にやってこない。二度寝を諦めて、恋人は台所で細かく刻んだベーコンとタマネギを炒めた。昨日、矢野が部屋を出ていってから作り置いてあったなめこのみそ汁を温めている間、恋人は矢野が買い置きしていた煙草一カートンをまるまるゴミ袋に捨てて、灰で底が見えなくなった灰皿を捨てて、毛先が開いた矢野の歯ブラシを捨てて、LOFTで買ったペアのマグカップを捨てて、ここぞというときに食べようと思っていた矢野のエクレアを食べて袋を捨てて、捨てて捨てて捨てて、ゴミ袋を二重固結びできつく結んで、玄関の隅に置いた。ベッドでは、浮気相手がフワフワと宙に浮いていた。ああ、今月もきたか。いっつも症状重いみたいだし、大丈夫かな。みそ汁からは湯気がもうもうとたちこめている。恋人はコンロの火を消してお椀にみそ汁を入れ、ベーコンとタマネギの炒めものを小皿によそい、ラップにくるんで冷凍保存してあったご飯をレンジで解凍して、一人きりの朝ごはんを堪能した。今日の夜はなにを食べに行こう。脂っこいものが食べたいかも。チキン南蛮とかいいかもしれない。かつ吉のトンカツもいいかもしれない。いやいやそれより、脂とかいいから、少し足を伸ばして、川沿いに最近オープンした小洒落たヴィーガンチレストランに二人で行くのもいいかもしれない。考えながら箸を動かしているうちにお椀も小皿もお茶碗もキレイに空になり、満足そうに唇の周りを舌で舐めてから、恋人は洗い物を始めた。 どこかで誰かと誰かが話している声がする。向かいの公園から犬の鳴き声が聞こえる。通り沿いにある中学校から野球部の掛け声と吹奏楽部がホルンやユーフォニウムやサックスやフルートを吹く音が聞こえる。携帯がさっきからずっと震え続けているけど私はそれを無視し続けている。冷蔵庫の稼働音がわからないくらい微かに部屋を揺らしている。数分前についたばかりの脂を洗い流す水の音が規則的に聞こえてくる。油は泡と共に水で洗い流され、食器棚に置かれていたときより綺麗に���ったお椀と小皿とお茶碗の、キュイキュイっという、清潔さの証明のような音が部屋に響く。私はベッドで浮かぶ木下が起きたらまずなにを話そうか、考えている。ヴィーガンレストランなんて、かっこつけ過ぎだ。今日の夜は、近所のスーパーで豆乳でも買って、豆乳鍋にしようか。私も木下も湯葉が大好きなのだ。脂っこいものが食べたいのかも、という気持ちは不思議と消えていた。台所のまな板置き場のそばに、矢野の携帯灰皿が置いてあるのを見つけて、私はそれをからにしたばかりのゴミ箱にシュートした。 木下の寝息は聞こえてこない。 洗い物を終えた私は濡れた手を拭くのも億劫になって、ポタポタと指から水が滴っている状態のまま、ベッドにもう一度もぐった。手についた水は布団やまくらに吸収されて私の手は潤いを失っていく。叩いても突っついても木下は起きる気配すら見せない。私はすぐにまた起き上がり、ベッドの上で体育座りをして、自分の膝に顔をうずめながら、隣で、空中で、ゆりかごに揺られているように漂いながら眠っている木下の、静かな寝息に耳を傾ける。 五年後、矢野の携帯は地球の周回軌道を外れ、凄まじいスピードで大気圏に突入し、地表にたどり着く前に跡形もなく燃え尽きてしまう。
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かため号食物誌①
作家の吉田健一は「旅の途上で味わう酒と飯ほど美味なものはない(大意)」と書いている(ほんとうは実際の著書から文章を引用したかったのだが、いくら本棚を探しても案外そのような文句はみつからず、仕方がないので吉田健一がそう書いたということにする)が、なるほどこれには大いに賛同するところである。いまはむかし、夏の苗場山でJ店のタイカリーを食し、これがあまりに美味しかったので、山に登った本来の目的など忘れて日に七度、八度とおかわりをし、平地に帰ってからもその味が忘れられず、ついには洒落た(当時の収入からは少々お高めの)実店舗にまで出向いたのだった。が、ひと口食べ、ふた口食べ、なんだ、こんなものだったか、となった。あの時の落胆はいまでも忘れまい。つまりは旅の気分というやつが魔法のスパイスが如く働いていたのにちがいない。いっしょにJ店に行った当時の恋人はデートだ、デートだ、とはしゃいでいたが、私のほうはといえば、落胆のあまりもの凄く不機嫌になり、不機嫌になると無口になる質なのでブスッとして喋らなくなり、帰りの道中でもまるで口をきかず、恋人を怒らせ、向こうのほうでも口をきかなくなり、そっちがその気なら本当に美味いカリーに出会うまでは金輪際いっさい言葉を発すまいと心の内で神に誓いを立てたのだった。帰宅してから、なんて大変な誓いを立ててしまったものだと後悔した。うっかりJ店なんかに行くんじゃなかった! が、災いを転じて福となす、という言葉のその通り、この厄災がかえって「カリーへの道」という新たなる旅の扉をひらかせ、なんとその翌月にも運命の出会いを果たしてしまったのだ。
その日は、先輩E氏の誘いで、先輩O氏も交じえて博多ラーメンを食べていた。辛味が好きだし、高菜も好きなので、はしたないこととは承知で卓上の辛子高菜をドバドバ入れて食べる。が、どうやらこれがあまりよろしくなかったらしく、白く美しかったスープは汚ならしく濁ってしまうし、少々味がくどい。これでは替え玉どころではなくなってしまう。ふと隣を見ると、同じく辛党のはずのE氏は辛子高菜なんぞにはまるで目もくれず、紅生姜をちょこんと添えただけで、いかにもお上品にラーメンを啜っている。白色のスープは紅生姜の色を溶かして薄桃色を帯びている。私のドブ色のスープとは雲泥のちがいだ。さてはE氏、なかなかの食通だな、と感じ入り、例のカリーについて相談してみる(もちろん神に誓いを立てているので、声帯は震わさず、紙ナプキンにペンで書いた)。するとE氏はその下にP店とだけ書き殴り、また麺をズルズルと啜りはじめる。そして、全ての麺を啜り終えるすこしまえに替え玉をあらかじめ注文しておき、ひと玉めを食べ終えたところでふた玉めがタイミングよく���供される。達人芸! と私は唾を呑んだ。いっぽうで反対隣のO氏(なかなかの大食いである)が食べ終わっているようなので、替え玉いかないんですか?(もちろん神に誓いを立てているので云々)と尋ねると、O氏は急に鼻息を荒立てて言うのだった。
「いままでよぉ、飯といえば、大盛りにするのが当たり前だったけどよぉ、このあいだ気づいたんだよ。飯なんていくら食っても数時間後にはまた腹が減るじゃんか。だから俺はもう飯なんか食わねえ! そんなんじゃ、金がいくらあっても足らねえじゃん」
私はいきなり極端なことを言いはじめるO氏がけっこう好きである。その後、この店は二回までは替え玉が無料なのだと教えてあげると(もちろん神云々)、O氏は残り少ないスープで二回の替え玉をしっかりあつらえたこと、ご馳走してくれるはずだったE氏の財布にお金がまったく入っておらず、結局O氏が三人分の料金を支払ったことは吹聴しにくいのだが。ちなみにお金を出してくれたO氏をおだてるために、さっきのアイデアは天才的ですね、と太鼓を叩くと、
「だろぉ、お前ももう何にも食わないほうがいいぜ」
と、得意そうに言うのだった。
何はともあれ、E氏の殴り書いたP店である。あんな名人芸を見せつけられたうえに、お支払いまでO氏に譲ってしまう手腕、只者ではあるまい。さっそく翌日にもP店に出向いた、苦い思い出のよぎるタイカリー屋である。が、そこで私は運命の出会いを果たし、ひと月ぶりに言葉を発することを許されたのだった。P店については多くを語るまい。というより語りはじめたらキリがない。じっさいにある夜、24時間営業の飲み屋で偶然P店好きと出会ってしまい、そこでP店の素晴らしさを語らい合っていると、いつのまにか三日三晩が過ぎていた。なのでここではいくつかのエピソードを書き記すのみに留めることにする。まず第一としてはアレであろう。ある日のバイトの休憩中、P店でカリーを食すと、あまりの美味しさに自分がバイト中の身であることを忘却し、無意識のうちに帰宅していたのだった。バイト先から電話がかか���てきて、ようやくバイト中だったことを思い出し、まさかカリーで我を失っていたとはいえず、咄嗟に口からでたデマカセが轢き逃げにあって気絶していた、だった。いやいや、まさか、さすがにこれは作り話だろうと思われる方もいるかもしれないが、P店のカリーを食べたことのある人に話すと、誰しもが、わかる、だよな、と当たり前のように頷くのである。私はつくづく言っている、P店のシェフはいにしえのファウスト博士のように地獄の神メフィストフェレスと禁断の契約を交わし、あの悪魔のようなカリーのレシピを手に入れたのにちがいあるまい、と。これも突拍子のない夢物語などではなく、P店を知っている者であれば、誰しもが首を大きく縦に振って頷く話なのである。
ちなみにこれはカリーの味とはまったく無関係なのだが、店は悪魔と契約を交わした枯れ枝のように身細い店主と、そのチンチクリンな奥様と、学生アルバイトの三人でまわしていて、この学生アルバイトとというのが代々美男美女揃いで有名である。チンチクリンな奥様も大変クセのある人物として名が通っており、カリーの美味しさに対してお客が集まり過ぎないための一役を買っているらしい。私は週に七度、八度と店に通っていたから、ついにクセのあるチンチクリンな奥様とも心を通わすことができ、ある日、アルバイトの誘いがあった。私は冷静を装って、ちょっと考えさせてくださいと言いつつ、心の内では歓喜乱舞の騒ぎだった。もしかすると私は、自分でそうと気づいていなかっただけで、じつは美男美女に類する顔つきなのではないか、と。かくして、店休日を挟んだその翌々日、満を持して誘いを受けようと店に出向くと、チンチクリンの奥様はぶっきらぼうに言うのであった。
「まあ、その話ならもう決まっちゃったのよ。紹介するわ、彼よ」
屈辱であった。厨房から出てきたのは、私の顔面などとは比べものにならない誰しもがそうと頷くであろう美男子であった。その日はさすがに悔し涙をのみながらの食事となったが、さすがは悪魔のレシピというべきで、その効用はあらゆる万病にきき、店を後にする頃にはそんな悔しなどどこかへ消し飛んでしまい、カリーの素晴らしいあと味に唯々満足して鼻唄をふいているのだった。
しかし、まあ、かのような屈辱を味合わされても尚、私は最期の晩餐を食べるのならP店と心に決めている。最期の晩餐といえば、友人のK氏が以前におもしろい遊びを教えてくれた。K氏という人物は、ものをあまり知らぬうえに、とんでもない味音痴でもあり、ついでにファッション音痴でもあり(K氏宅のクローゼットには奇怪な柄のシャツがズラリと並んでいる)取り柄といえばパワプロがめちゃくちゃ強いのと、誰にでも人当たりがいいことぐらいである。まあ、だからこそ偏屈極まりない私のような人間とも難なく付き合うことができたようで、いつしか私は自身の外交のほとんどをK氏に委託するようになり、そのお陰もあってK氏の家に居候していた時期はたいへ��充実した時間を過ごすことができた。また、そうかと思えば、ただ単にひとを嘲笑って楽しみたいという理由だけで、私のことを邪悪な罠に嵌めようする。俗にいうハニートラップや結婚詐欺まがいな罠を平気な顔で張り巡らせるのである。しかし、埋まった骨を探り当てる犬のような私の嗅覚は、罠の数々をすぐに見破り、毎度のことK氏の鼻を明かしてみせる。いまとなってみれば、一度くらいは罠にかかってK氏を笑わせてやってもよかったのかもしれない。彼は不運なことに突発的な心臓発作で死んでしまったのだから(もしK氏がこれを読んだら、ちょ、ちょ、勝手に殺さんといてー。しかも、そんなデスノートみたいな殺し方で、などと、ちょっと時代遅れな冗談をかますことだろう。せめて、鬼滅の刃に当て込めるぐらいのことはしてほしい)。まあ、とにかく、私はそんな明け透けのないK氏を真の友ぐらいには思っていた(天国にて安らかに眠れ)のだが、彼が唯一教えてくれた面白いことというのが、最期の晩餐の日の朝ごはんという遊びだった。じっさいには遊びというほどのものではなく、最期の晩餐はそれとしてあり、じゃあ、その日の朝食はいったい何にするか、これを考えて話のネタにするだけのことである。が、私にはこれが頗るおもしろく、ちょっとした哲学談義ほどの熱を帯びた。K氏の話はだいたい内容がパピルスほども薄く、いまとなっては何ひとつとして憶えていないのだが(天国にて安らかに眠れ)、最期の晩餐の日の朝ごはんのことだけはよく憶えている。
「なあ、最期の晩餐の日の朝ごはんやで、つまり最期の朝食や、朝からいきなりカレーとかラーメンとかステーキとか、そんなんアカンに決まっとるやんか。朝食には朝食らしさってもんがあるやんな。野球がな、9回まであるように、1日だって朝昼晩とあるんやで。初回は様子をみるとか、バントで着実に一点を狙うとか攻め方ってもんがあるやんか。初回から大振りしてラーメンなんか食べたらつぎに繋がらんやろ。胃がもたれてしもうて万事休すや」
なるほど、K氏の言うことはもっともである。それに私は朝食というものが大好きである。朝食が好きすぎて、一日に二度朝食をたべることすらあるぐらいなのだ。私はK氏ととも最期の晩餐の日の朝ごはんを夢想した。ベーコンエッグ、だしのきいたお味噌汁、納豆、お漬け物、紅鮭、ほうれん草のおひたし、昨晩の残りもののカレーを小鉢で出すのもいい。あるいは趣向を変えて、焼いた食パンの上にベーコンと目玉焼き、いわゆるラピュタ飯である。路面店で朝そばという手もある、何かのせるとするなら、やはり春菊か。まったく想像するだけでよだれが出る。K氏は何が食べたいの? ときくと、同様に色々と挙げつらったが、ふぁんてん丼も捨てがたいよなあ、と最後にボソリと言う。なるほどなあ、確かにふぁんてん丼も捨てがたい。ふぁんてん丼は朝食の部類では最強の種族に属するだろう。白亜紀でいうところのティラノサウルス、昆虫でいうところのジャイアントテキサスキリギリス、日本プロ野球でいうところの江夏豊みたいなものである。この「ふぁんてん丼」という珍妙な名前に聞き覚えのないひとのために一応説明しておくと、これは某ラーメン店にて朝食限定で提供される特別メニューである。丼ぶり飯に刻んだネギと海苔が敷かれ、その上に得体の知れない角煮のような肉塊が乗り、さらにその上から大量の花かつおが山盛りに被せられるという奇天烈な丼ぶりで、これにラーメンの白湯スープと柴漬けが付く。朝食というにはずいぶん豪胆な丼ぶりで確実に胃もたれを引き起こすのだが、なぜか朝食としか言いようない独特の雰囲気を帯びている。おそらく、ネギ、海苔、花かつおの三種薬味が朝食の性質を備えているためだろう。私もK氏もこのふぁんてん丼をいたく気に入ってしまい、昼にも食べに行ったことがあるが、あれは朝限定なのだと店員に言われ、けんもほろろに追い返されてしまった。さて、話が若干それたが、そんなK氏をP店に初めて連れていった日のことである。彼は最期の晩餐の日の朝ごはんを引き合いに出して言うのであった。
「アカン、こんなん先頭打者ホームランやん! 」
ここらへんでP店のメニューについて記しておく。兎にも角にもいの一番に触れておきたいのがパネンカリーである。これこそ悪魔のレシピの筆頭といえよう。タイカリーといえば、グリーンやレッドが定番だが、パネンはいかにもカリーらしい赤黒い色をしている。具は鶏肉、しめじ、ピーマンの厳選され尽くされた三種からなる、まさに三種の神器である。しかしながら、安徳天皇とともに壇ノ浦に沈んだあの宝物を我が胃に納めるのには並々ならぬ苦労を伴うだろう。まず私たちのもとにチンチクリンの奥様が注文を取りにくるだろう。そこでパネンと応えると、必ずひと言の断りを入れられる。パネンは時間がかかるので、他のメニューにしたほうがいいですよ、と。いや、ぜんぜん大丈夫です。すごーいお時間かかりますけど、大丈夫ですか。はい、大丈夫です。すると、チンチクリンの奥様は厨房のなかの店主に向かって「すごーいお時間いただきました! 」とイヤミったらしく言うのである。しかも、なかの店主からは大きな溜息がきこえてくる。パネンはほかのカリーよりひと手間かかるので、店主があまり作りたがらないのだ。パネンカリーを頼むには毎回このやりとりに耐えなければならない。不屈の魂とめげない根性が必要になってくるのだ。精神力に一抹の不安のあるひとはパネンを頼まないほうがいいだろう。それこそ心臓発作で死ぬかもしれない。しかも、このやりとりはチンチクリンの奥様と知合になろうとなるまいとお構いなしに続けられる。最近ではよっぽど作りたくないのか、パネンはディナーだけの限定メニューとなり、さらに元々はほかのカリーと同様に800円ぐらいの値段だった���が1200円にまで高騰してしまった。
さればランチはどうしようということになる。そこでオススメしたいがカントリーカリーと激辛カリーである。カントリーはココナッツミルクを使わない爽やかなカリーで、茄子、インゲン、ヤングコーン、えのき、ふくろたけ、香菜、生姜等、野菜が豊富なカリーである。これはグリーンやレッドにもいえることだが、P店の茄子は控えめに言って神がかっている。タイカリーは瞬間芸と言われるが、まさに油をひいた鉄鍋でサッと炒められた茄子がサクッサクッのホクホクでほっぺがいくらあっても足りはしない。ゲキの愛称で親しまれる激辛カリーはP店定番のチキンカリーのいわば上位互換である。チキンの代わりに豚の角煮が入っており、フライドオニオンが軽くまぶされている。その辛さもさることながら、その味の深さはマリアナ海溝より深いと言われている。
卓上の小壺にはフレッシュナンプラーの青唐辛子漬けが入っている。ぜひともこれをライスに振り撒いて食べよう。香り高いナンプラーの塩味のあとから新鮮な青唐辛子の辛味と渋味が追ってくる。正直これだけでご飯三杯はいけてしまう。目利きの店主が辛い個体のみを選りすぐっているため入れ過ぎには注意が必要だが、ゲキこと激辛カリーに限っては青唐辛子が甘く感じられるようになるアンビバレントな逆転現象が起こる。
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学問の普及と継受
はじめに ― 一九六九年 ―
筆者は現在、東京大学文学部西洋古典学研究室に所属しているが、この研究室が独立したのは、一九六九年(昭和四四年)のことである(以下、『東京大学百年史 部局史1 文学部』に従う)。もっとも、大学院では既に一九五三年に(駒場に)西洋古典学専門課程がおかれ、また学士課程では一九六三年に文学部第三類(語学文学)の中に西洋古典学専修課程が設けられている。日本の大学の目的が西洋の学問の継受であることを思うと、これらの動きはいかにも遅いという印象を拭えない。もちろん、かのケーベル先生(Raphael von Koeber 一八四八―一九二三)をはじめとして、戦前から西洋古典学の受容は盛んに行われた。詳細は、上記の『東京大学百年史』四〇二―四〇九頁を参照されたい。 ところで、一九六九年という年はどのような年であったか。二〇一一年度の東京大学入学式は東日本大震災のため日本武道館での開催が中止となり別のところで開催されたが、その模様はインターネットで配信された。来賓祝辞の中で久保正彰先生は、西洋古典学研究室の設立と「大学紛争」、特に「安田講堂事件」が同時であったと述べられた。当時、高等教育が大きな曲がり角を迎え、学生運動は全世界的な広がりを見せていた。「西洋古典学(Classics)」という、貴族とは言わないまでも、「ミドル・クラス」以上の階層のための学問の代名詞のように響くこの学問は西洋諸国では「危機」に瀕し、学問の民主化が声高に叫ばれていたころである。その象徴的出来事が、わが国では「安田講堂事件」であった。 この二つの事柄の同時代性をどのように解釈すればよいのか。筆者にはよくわからないが、一つ言えることは、哲学(プラトン・ア��ストテレス)や歴史学(「アテネの民主制」)は普及していたが、西洋古典学という学問は日本にはまだ遠い存在だったのである。いや、もしかしたら、哲学や歴史学を通じて「古典古代」研究が普及していたゆえに、かもしれない。換言するならば、西洋の学問継受が近代日本の高等教育の目的であるが、少なくとも公教育レベルでは、その過程で宗教(キリスト教)を「脱脂」した。他方、西洋諸学問全体のもう一方の基礎である古典古代の学問遺産は「脱脂」はしなかったが、何かを意識的、無意識的に、「濾過」してきたのではないか。この濾過される前のいわば「原酒」を求めて、筆者は西洋古典学の周辺を三〇年間さまよってきたことになる。オデュッセウスの旅が帰郷の旅だとすると、筆者の旅は離郷の旅である。
法学部研究室と西洋古典学研究室
「生まれながらの古典学者(born classicist)」というのが珍しくないこの学問分野で、筆者のようなギリシア・ラテンの世界に無縁の学生が「本山」に近づいていくには、多くの偶然があった。その中で、特に三人の先生との出会いを忘れることはできない。 「どうぞ。」第一のそれは、ノックに対するこの返事から始まった。本郷に進学して三年生の夏学期(一九七六年)、筆者は法学部教授、片岡輝夫先生の「ローマ法」の演習に参加した。参加者は驚いたことに、私一人であった。後でわかったことだが、ローマ法の演習では一人というのは珍しいことではなかった。この年、先生は病気療養から復帰されたばかりであり、研究室での演習に際して、時々横になられることもあった。ラテン語はおろか、ドイツ語もおぼつかない筆者に対して、先生は実に寛容に、丁寧に接して下さった。当時はローマ法研究の最後の輝きともいえるドイツ語の体系書・研究書が現れた時期であったが、先生は、ごく少数の例外を除いて、それらの研究動向に非常に批判的であった。先生が自らに課していることが、恐ろしいほどに大きく、厳しいものであるということは、学部三年生の筆者でも推測できた。演習の教科書は、フリッツ・シュルツ(Fritz Schluz)の『ローマ法の原理』であった。筆者が最初に知ったローマ法学者がこのシュルツであったことは、筆者の研究関心に決定的な影響を及ぼした。 演習に参加するために、毎週法学部研究室に赴き、受付で誰何され、名前と要件を告げて中に入っていく。最初のうちは極度の緊張を強いられたが、慣れるにつれて次第に職業としての研究者に対するあこがれを抱くようになった。当時、法学部には学卒助手制度があり、地方出身者である筆者には魅力的というよりも、この制度無くしては研究者への道は考えられなかった。学業成績の芳しくない筆者は大学四年生の夏休みに一種のエッセイを書いて、先生の助手にしていただいた。しかし、その後の道がいかに���しいか、筆者は愚かにも知らなかったのである。無知ほど怖いものはない。先述のシュルツの主要研究領域の一つは、古代ローマ法学の学問史・思想史である。その中で筆者が選んだ研究テーマはローマ法学とギリシア・ヘレニズム思想の影響関係である。当然のことながら、ギリシア(語)の勉強の必要性を痛感し、文学部西洋古典学研究室の門をたたくことになった。ところで、シュルツがナチズムの難を逃れて亡命した先は、オクスフォード、しかも、彼を支援したコレッジはクライスト・チャーチとベイリオル・コレッジであった。今思えば、筆者とオクスフォード、特に両コレッジとの縁はこの時に既に始まっていたように感じる。先年、シュルツのオクスフォードでの住所を尋ねて探し当て、その建物の写真を撮った。この建物にシュルツが住んでいたかどうかを確かめはしなかったが、彼がこのあたりを歩いていたかと思うと、感慨ひとしおである。 二番目の出会いが、西洋古典学研究室の初代教授久保正彰先生である。一九七八年、筆者は先生の「プラトン『ゴルギアス』」そして翌年「アリストテレス『弁論術』」の授業に出席させていただいた。久保先生の第一印象は、「この先生は何か他の先生と雰囲気が違うなあ」というものであった。それもそのはず、先生は大学教育をハーバードで受けられたのだから。昨今、大学の国際化・グローバル化が叫ばれているが、一対何人の日本人の大学教員が学士課程教育を外国の大学で受けているだろうか(久保先生のハーバード・カレッジ時代の回想については、鈴木佳秀・葛西康徳(編)『これからの教養教育―「カタ」の効用』東信堂を参照されたい)。我々がみな魅了されたのは、「原酒」が放つ芳香が原因である。鼻が悪ければ、酔うことはなかったのだが。 一九八二年、幸運にも筆者は新潟大学教養部に職を得ることができたが、研究の方針は定まっていなかった。つまり、ローマ法学とギリシア思想の関係を考察するといっても、まずどちらか一方から勉強しなければいけない。当時の筆者は、助手論文で扱った「説得(peitho)」というギリシア語で頭が一杯だった。そこで考えた挙句、久保先生に留学について相談に伺った。そこで読むように薦められたのが、『イーリアス第九巻』とブリストル大学ギリシア語教授ジョン・グールド先生の論文「嘆願(hiketeia)」である。この二つを読破するのにひと夏を費やした。筆者にとって、西洋古典学はまだまだ「遠い世界」であった。
古典学の展開
一九六八年から一九六九年にかけ、大学紛争の嵐は世界中を駆け抜けたが、イギリスでは何も起こらなかったのだろうか。最後に、イギリス留学時代の恩師であるジョン・グールド先生(John Gould 一九二九―二〇〇一)の紹介をしながら、この時代が西洋古典学研究と教育に対して持った意義を考えてみたい。最近先生の回想録が公刊されたので、詳細はそちら��譲りたい(Biographical Memories of Fellows of the British Academy, IX 239-263, 2012 By Nick Fisher)。
グールド先生の父親は有名なラテン語教科書の著者であり、先生は、典型的な「生まれながらの古典学者(born classicist)」である。ケンブリッジのジーザス・コレッジを卒業し、兵役の後、古典研究者の道を選ぶ。先生はプラトン研究から出発したが、処女作『プラトン倫理思想の展開』(The Development of Plato's Ethics, CUP 1955)の中で、当時では珍しくプラトンの『法律』に注目している。この著作がオクスフォードの欽定ギリシア語講座教授ドッズ(E.R.Dodds)の目に留まり、一九五五年、ドッズは彼を自分のコレッジであるクライスト・チャーチの古典学のフェローに据える(クライスト・チャーチはフェローを「Student」と呼ぶ)。クライスト・チャーチ時代のほとんど唯一とも言える研究業績は、Arthur Pickard-Cambridge, The Dramatic Festivals of Athensの共同改訂である。この改訂版は実質的には二名の改訂者(もう一人は、碑文学の泰斗David Lewis)のオリジナル作品と言ってもよいほどの大幅改定であり、現在でもアテナイ演劇研究の基本文献である。この著作では、ギリシア悲劇・喜劇を歴史的現場において理解するための基本資料を、文学作品、歴史碑文、壺絵など絵画・考古学資料から網羅する方針が貫かれている。一九六〇年代初め、先生は新設のハーバード大学付属ギリシア研究センターのフェローとしてワシントンD.C.に一年滞在し、ここで久保先生と出会う。久保先生によれば、二人は来る日も来る日も、ギリシア悲劇と能の比較、仮面の意味などについて議論したそうである。留学先として久保先生が筆者にグールド先生を紹介してくださった遠因は、ここにあると思われる。
他方、教育面ではグールド先生は、オクスフォードの古典学コース(「Literae Humaniores」)のカリキュラム改革をドッズとともに提唱した。つまり、改革派であった。オクスフォードの古典コース(一年三学期全四年一二学期)は、前半五学期を「Mods」、後半七学期を「Greats」と通常呼んでいる。伝統的に前者は「語学・文学」、後者は「哲学・歴史」を内容とする。改革派は後半を「哲学・歴史学・文学」の中から二科目選択に変更しようとしたが、強い抵抗に遭い、挫折した。改革が実現したのは、グールド先生がオクスフォードを去り、ドッズが退職してからずっと後のことであった。
この改革の意図するところは、「文学」を「哲学」および「歴史学」と対等な科目にすることである。ではどのようにすれば「対等」になるのか。ドッズは著作『ギリシア人と非理性』によってそれを示唆した。しかし残念ながら、グールド先生は在職中それを具体化することなく、クライスト・チャーチを去っていったのである。
一九六八年、先生はスウォンジー(Swansea)大学古典学教授としてウェールズに移る。ここでまた古典教育の改革に大きく関与する。大学での古典コースに「翻訳」を導入したのである。抵抗勢力の怒りは想像に難くない。当然のことだが、本音では誰も賛成していないこの「改革」は、皮肉なことに今日では、少なくともイングランドでは広く普及している。教育の民主化が進む中で、大学入学時の学生の古典語の知識はもはや前提にはできないので、古典学科を維持しようとする限り、一定程度の翻訳利用はやむを得ない。とはいえ、大学入学後に初めて古典語に接する学生に対しても、古典語の習得を必修とする従来のコースを開設しなければならない。では、どうすればよいのか。
その方法は、ギリシア語・ラテン語サマースクールの開設と、そのための教材作成である。このプロジェクトを推進したのがグールド先生であり、かの古代史家モーゼス・フィンレイもその支援者の一人であった。このコースの履修者は、高校生、大学生そして社会人など様々であるが、この試みのおかげで、ヨーロッパ大陸諸国と異なり、イギリスは大学での古典学習者の減少を食い止めることができた。クライスト・チャーチとスウォンジー、このイギリス的意味で最も対照的な二つの教育機関で教えた教員は、おそらく後にも先にもグールド先生くらいではないだろうか。もっとも、このサマー・コースが先生個人の人生に、大きな転機をもたらすこ���になった。
スウォンジー時代、グールド先生が世に問うた研究成果が、前述の「嘆願(hiketeia)」論文である。ドッズへの賛辞で始まるこの論文の中で、先生はギリシア文学とそれを生み出した社会の間の、一筋縄ではいかない、しかし無関係ではない対応関係を、伝統的な西洋の価値と社会にではなく、文化人類学的知見によって当時明らかにされつつあった非西洋社会との間に探求することを通じて、ギリシア文学研究理解に新平面を開いたのである。ギリシア文学と西洋人の関係は、従来は親と子供の関係と同じように考えられていた。これに対してグールド先生は、西洋人とは異質なギリシア人が異質な社会に対して語り、さらに不可解で矛盾する物語や詩の中で語っている、と理解する。多くの場合、ギリシア文学(特にギリシア悲劇)は主人公の社会への適応の失敗と挫折を記述している。一方、西洋人がそれらを「理解」しようとする場合、その試みは多くの場合、自らの価値観や社会観を持ち込もうとして、挫折し失敗する。この「二重の挫折」こそが西洋古典学を学ぶ意義である。先生が学生に伝えたかったのは、このようなことではなかったかと、筆者は考えている。
一九七四年、グールド先生はスウォンジーからブリストル大学のギリシア語教授に迎え入れられた(一九九一年退職)。古典学教授ではなく「ギリシア語教授」という講座を持つ大学はイギリスでは、オクス・ブリッジを入れても、現在ではほんの一握りになってしまった。筆者が留学した一九八〇年代後半、先生はヘロドトス研究に没頭されていた。一九八九年出版された『Herodotus』という本は「妬ましいほどスリム」で、非常に高い評価を受けた。先生は一般に時間の費消を厭わずインフォーマルな会話を好まれた。また、古巣のオクスフォードに講演その他で行かれる折は、必ずと言ってよいほど筆者を連れて行って下さった。非西洋からやってきた「外人(xenos)」である私は先生にとって格好の情報提供者であり、実験材料だったに違いない。とりわけ、日本人にしては例外的に「おしゃべり」である筆者の場合は。ただし、我々は、古典テクストを「共有」する。この共有物の解釈をめぐって(お互いに)情報提供するのである。
筆者が学位論文で主張したことは、ホメロスにおける「説得」を意味するギリシア語動詞の中動相と能動相の相違を、単に文法的意味において求めるのではなく、関係当事者のスピーチや社会関係の文脈で把握すること、そしてこのようにして理解された両者の相違点からホメロスの両詩を読むことによって、ホメロス及びそれ以降のギリシア文学の世界に新しい知見を提供できるのではないか、というものであった。「結論先取り(begging the question)」、つまり、この両者の相違を前提にしてホメロスを解釈するというファウルをしているのではないかをめぐって論文指導はよく中断した。ここにレフェリーとして割って入ってくださったのは、もう一人の論文指導教員のリチャード・バクストン(Richard Buxton)先生である。この先生抜きでは、グールド先生とは別の意味で、私の学位論文は絶対に完成しなかったと思う。「共同指導(joint-supervision)」が私の場合は幸運なことに、理想的な形で行われたと思う。しかし、バクストン先生について紹介するのは残念ながら別の機会に譲りたい。さらにもう一人、学位論文の私の英語を最初から最後まで見てくれた、ライブラリアンのデイヴィッド・ヒューズ(David Hughes)氏にも、名前を挙げることだけでお許しいただきたい。
この「結論先取り」がもっと高次のレベルで問題となっていたのは、ヴェルナン(Jean Pierre Vernant)やヴィダル=ナケ(Pierre Vidal-Naquet)らの構造主義的古典解釈であった。グールド先生もバクストン先生も、この学派の功績をおそらく当時のイギリスの学会の中では最も評価していたと思う。次頁の写真は、一九八七年の夏、グールド先生の推薦でヴェルナンにブリストル大学名誉博士号を授与したときのものである。尚、ヴィダル=ナケには後年、バクストン先生の推薦により同じく名誉博士号が授与された。
しかしながら、大変印象深かったのは、グールド先生はこの学派の「結論先取り」的論法にはいつも懐疑的だったことである。その一番良い例は、ギリシア悲劇におけるコロス(合唱隊)の研究である。よく先生は会話の中で「may be, I am not sure」などと連発されて、指導を受けている身��しては大いに困った経験がある。また、先に述べた中動相と能動相の区別では上手く説明できない例が出てきて、私が不幸な顔をすると、「そのような例がある方が立論の説得力は増す」と言われたことがあった。今ではある程度納得できるが、当時は非常に困惑したのを覚えている。
一九九二年の年明けに行われた学位論文の口頭試問を何とか通過した後、筆者はお礼を兼ねて、当時フランス(ル・マン近郊)在住のグールド先生夫妻を訪ねた。先生は退職後、筆者から見れば貴族の館のような大きな家を購入して自分で改修していた。夕食後、筆者は今後の進路について、「できればオクスフォードに行って勉強したい」と素直に告げた。西洋古典学を志したものならば、誰もがいつかはこの「本山」にあこがれる。
グールド先生は、その場でただちに電話をかけた。「ピーター」と呼びかけたその相手は、クライスト・チャーチの世界的パピルス学者、欽定ギリシア語教授ピーター・パーソンズ(Peter Parsons)先生であった。筆者は、二人の間に師弟関係があることをこの時初めて知ったのである。「本山」オクスフォードへの道が見えた瞬間であった。
翌朝筆者は、フランスからそのままオクスフォードに向かい、クライスト・チャーチでパーソンズ先生に面会した。翌年、留学は実現した。しかし、オクスフォード大学とは無縁の筆者は、最初はなかなか居場所が見つからなかった。「あなたのコレッジはどこですか」という質問ほど残酷な問いはない。雨宿りする軒先がないのと同じである。それゆえ、軒先どころか、種々の便宜を図ってくださったパーソンズ先生にはいくら感謝してもしすぎることはない。さらに筆者は幸運にも、一九九九年、今度はベイリオル・コレッジという、クライスト・チャーチとは非常に対照的なコレッジにアタッチすることができた。両コレッジからうけるベネフィットの大きさを、この二〇年間オクスフォードを訪問するたびごとに実感している。
結びにかえて ― 二〇一一年 ―
二〇一一年、筆者ははからずも大妻女子大学から東京大学文学部の西洋古典学研究室に移ることになった。もし、グールド先生がクライスト・チャーチを去ることなく、ずっとオクスフォードに留まっていたらどうなっていただろうか。私はおそらく先生に出会うことはなかったであろう。そして、現在につながるほどに西洋古典学にコミットすることは多分無かったと思う。他方、先生がオクスフォードに留まっていれば、ドッズの目指した古典学の新しい可能性をもっと早く、そして大きく展開していたであろう。また、結局果たされずに終わった二つの企画が実現していたのではないだろうか。即ち、一つはペンギン・ブックスの『ギリシア悲劇』、もう一つは、ケンブリッジ大学出版局から出る予定だった『比較演劇史』のシリーズの中の古代ギリシアの巻である。これらの著作の中で、能や歌舞伎との比較が縦横に展開され、また久保先生が深く関与された昭和三〇年代の「東大ギリシア悲劇研究会」の資料が収録されていたかもしれない。もちろん、グールド先生の意思(遺志)は受け継がれ、ギリシア演劇研究の分野ではオリヴァー・タプリン教授やピーター・ウィルソン教授などにより、研究の方法、領域、水準が格段に拡大・向上した。他方、上記の二冊の代わりということにはならないが、先生の論文集(Myth, Ritual, Memory and Exchange -Essays in Greek Literature and Culture-, Oxford 2001)が死の直前出版された。思えば、先生は私が留学中の一九八七年、片方の目を失明し、またその後は種々の病気に悩まされ、車椅子使用を余儀なくされた。それでも死の直前まで意識ははっきりしていた。見舞いに来た家族が大声で話していたので、静かにするように咎めた夫人に対して、「話し続けてくれ。私は聞きたい」これが先生の臨終の言葉だったそうである。
筆者の手許には、ペンギンから出る予定だった『ギリシア悲劇』の最初の三〇ページのタイプ印刷原稿がある。夫人の話ではコンピュータにある(はずの)他のデータは、残念ながら結局取り出せなかったそうである。この三〇ページの原稿は筆者の宝であり、他人に見せることはない。
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vol.04【2017aw】ビビッドとナチュラル。
ーー本日のお題はシャツです。
徳田 今シーズンはバラエティに富んでるよ~。プリントもあればロンスト(ロンドンストライプ)もあるし、カラフルなのもあればシンプルな無地もあるし。
ーーじゃあまずは無地のタイプからお願いします。やっぱり『カラリーシャツ』が目立ちますよね。
徳田 思い切ったカラー展開したもんね。
ーー赤と黄色が特に。どうしてこの色を選んだんですか。
徳田 それはもう単純なことでね。その色のシャツがあったらカッコいいと思ったから(笑)。あと、一般的に秋冬の立ち上がりとかって、夏物のシャツを秋カラーで作ったりするのよ。でも、そんないきなり秋カラーのシャツ着たい?
ーー気分的にはまだ夏寄りですよね。
徳田 でしょ。だから今シーズンは明るくて元気な色目から提案してみるのも新鮮かな、と思って。
辻 ��ンズの服ってどうしても、黒、紺、グレー、ベージュ、カーキが中心になってくるやんか。
ーー確かに。
辻 だから、これから寒くなってきてアウター着るようになって、インナーに赤とか黄色とかのビビッドな色のシャツ着てたら、ちょっとハッとできるやん。
徳田 例えば、ずっと穿いてるインディゴのパンツがあったとして、それに黄色いシャツをあわせてもらったら、また新しい感じを出せたりもするしね。
ーーなるほど。ネービーとかチャコールグレーとか、その2色に比べると落ち着いた色目も展開してますよね。
徳田 ネービーはブルーナボインのアイテムとすごく相性がいいので、そこは外せないかった。チャコールグレーは、今シーズンのレザーラインの『ガルジャケット』にグレーがあってね。それと合わせてもらったらコントラストがすごくいい感じになると思って作った。
ーーまさかの『ガルジャケット』専���(笑)。
徳田 そういうわけでもないけどね(笑)。まあ『ガルジャケット』じゃなくても、ダークなトーンのアイテムとはすごく相性がいい。グラデーションが効いて。
ーー素材はなんですか?
辻 80双のサテン。軽い着心地でシャリ感もあるから、これからの季節にちょうどいいと思うわ。
ーー背中のヨークのカッティングとかがウエスタンぽいですけど、シルエットは結構タイトなんですか?
辻 全然そんなことない。ボックス型。だからウエスタンシャツというカテゴリーではないかな。
ーーわかりました。で、『カラリーシャツ』とは対照的な色目なのが『パーチメントシャツ』なんですけど。
徳田 ちょっと生成りっぽいというかベージュでしょ。
ーーですね。
徳田 実はこれ、綿のナチュラルな色なのよ。
ーーえ、染めとかも一切なしですか?
徳田 なしなし。綿の色そのまま。上質な綿は白いと思われてるけど、細番手の超長綿になればなるほど、実は色が付いてるのよ。これは160双のバックサテン。ナチュラルでここまでの生成りって面白いでしょ。
ーーすごいですね。ビックリしました。
辻 まあ世間には、なかなかわかってもらわれへんねんけど(笑)。
徳田 そやねん(笑)。でもこのシャツは、クタクタになるぐらいまで着込んでもらったら、めちゃくちゃいい雰囲気になると思うのよ。
辻 そやね。長いこと付き合えば付き合うほど、手放されへんようになると思いますよ。
ーーちなみに「パーチメント」ってなんですか?
徳田 羊皮紙のこと。
ーーそれって、エジプトのパピルスとかと同じですか?
徳田 そうそう。そのイメージ。上品でしょ。バックサテンやねんけど、シルケット加工してるから光沢もあって。
『ジャンシャツ』という提案。
徳田 今シーズンは『ジャンシャツ』をいろいろ作っててね。
ーー『ジャンシャツ』、ですか?
徳田 そう。ほら、ここ何年かって、秋がなかったり春が短かったり、心地いい時期っていうのがどんどん短くなってきてるでしょ。だからシャツとしてもアウターとしても、ツーウェイで着てもらえるように作ったのが『ジャンシャツ』。
ーーなるほど。「ジャン」はGジャンとか革ジャンとかと同じ「ジャン」なんですね。
徳田 そう。どっちで着てもらっても大丈夫なように、全体のバランスを絶妙に整えて作った。
ーーボクもジャケットっぽいシャツ好きなんですけど、これは使えますね。いろんなシーンで活躍しそうなですもん。どんな生地で作ったんですか?
徳田 まずはロンスト。カジュアルアップにも使えるし、メンズのアイテムとして個人的にめちゃくちゃ好きでね。そのロンストをどうやったら新鮮に見せられるかっていうのを考えて行き着いたのが『ニミュー ジャンシャツ』の生地。
ーーこれは生地の上から染め��るんですか?
徳田 そう。もともとは白地にネービーのロンスト。その上から「流し染め」っていう日本の伝統的な技法で、ブルーからグリーンに変わるグラデーションに染めてもらった。
辻 水がサーッと流れてるイメージ。境界線を自然にぼかすのが、結構技術いるのよ。職人技やで。
徳田 これはレギュラーカラーのシャツもある。あとは『カテキストシリーズ』。
ーーどんな生地ですか?
辻 赤と青の先染めのギンガムチェック。
徳田 これは『ジャンシャツ』もあるけど、久しぶりに『スナフシャツ』の形でも作ったよ。
ーー脇に貼り付けのポケットがあるタイプのシャツですよね。
徳田 そう。キッズ的というかスモッグみたいな雰囲気でね。
驚異の版数を使うプリント。
ーー「百虎」の『ジャンシャツ』もありますよね。
辻 あるある。コットンネルの。
ーールックブックでおじいさんモデルが着てるのを見て、気になってたんです。めちゃくちゃ迫力あって。
辻 あれは生地屋さんのオリジナル柄やねんけど、20版近く使ってプリントしてはるからね。
ーーえ、インクジェットじゃないんですか?
辻 違うねん。すごいやろ。
徳田 その生地屋さんはプリントも専門でやっててね。パッと見は5色ぐらいにしか見えなか��ても、陰影を付けるために、その倍ぐらいの版を使ったりしはる。
辻 惜しみなく版を使いはるよね。
ーーやっぱり版が多ければ多いほど、プリントって難しくなるんですか?
辻 生地によっては刷る度に縮んでいったりするから、それをコントロールするのがだいぶ難しいんちゃうかな。
徳田 『アメリア シャツ』の花柄も、同じ生地屋さんが作っててね。それも10版以上は使ってるもん。
ーーえげつないですね(笑)。そういえば、花柄って毎シーズン何かしら展開してますよね?
徳田 やってる。男の人が花柄のシャツを着るっていうのが、すごくカッコいいと思うから。で、今季の『アメリア シャツ』は、前身頃、左身頃、両袖&後ろ身頃に同じ花柄でもプリントの色が違う生地を使ってる
ーーいわれてみると、確かに違いますね。
徳田 で、このシャツは、最後にアカネで草木染めしてコントラストを整えてる。だから花柄っていっても、そんなに派手なイメージではないよ。
ーーそれにしても、ホントに今シーズンのシャツはバラエティに富んでますね。もうだいぶ喋ってもらったんですけど、まだありますもん。
辻 ウソや���ん。展示会サンプルの仕込みあるから、そろそろ解放してくれへん(笑)。
ーー次の『ムルジム シャツ』で最後なので、もうちょっとだけお願いします(笑)。
辻 わかった…。『ムルジム シャツ』はね、ジャガード織りに見えるペイズリー柄をコットンネルにプリントしてる。
ーーえ、ちょっと待ってください。情報が多すぎます(笑)。
徳田 普通にペイズリー柄をプリントするだけだったら、つまらないでしょ。
ーーいっぱいありますもんね。
徳田 そう。だから、もうひとつ組織感というかギミックを組み込めないかな、と思ってね。ジャガード織りの組織の雰囲気も入れ込んでプリントしてみた。「パッと見たらジャガード織りっぽいのに、ネルかよ!」って、なったほうが面白いやん。
辻 同じ手法でヘリンボーンにもプリントした。
徳田 『ムルジム パンツ』ね。ヘリンボーンでジャガードの組織ってあり得ないもんね。
ーー面白いこと考えますね~。では、今回はこの辺りで。
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