#バロック音楽
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私が音楽を担当した約30年前の作品『トップをねらえ』 エヴァの庵野さんの監督デビュー作品。 先日、惜しくもこの作品のプロデューサーさんだったバンナムの高梨氏が お亡くなりになられて、同士が一人減り、悲しい思いをしたところですが、 今日は、それとは違う『キー』のお話を書きます。 この作品の第1作目と2作目には、物語上1万2000年の隔たりがあります。 つまり、2は1の1万2000年後のお話と言う訳です。 私が、この作品のエンディングテーマ『時の河を越えて』を1で、 そして『立つ鳥跡を濁さず』の題名で2で作曲しました。 それぞれのテーマは、お互いメロやハーモニーは似ているけど 微妙に違うように作りました。 これは、長い時間の間に、この曲が伝承されていく過程で、細部が変化した事 を意味します。 そして、(ここからが本題) 『1に比べて、2の方を、あえて半音高く作曲しました』 その訳は 今現在の標準の『 A 』の音を441ヘルツとすると、300年ほど前のバロックの時代は 415ヘルツをAの音(今なら、ちょうど半音下の A♭)で取っていました。 (今でも、チェンバロの調律はこの高さで行われている) それから少し時代は進み、ハイドンが残した音叉は422・5ヘルツ モーツアルト、ベートーベンもこの高さ。 そして、その何年か後に、ヴェルディが433ヘルツにA音を規定します。 その後も、どんどんピッチが上がり続け、現代の441ヘルツにたどり着いたという事です。 なぜ、こうなったかというと、ピッチが上がる事によって、より緊張感が増し、 楽器の特性も相まって、より音がキラキラ輝くように感じるからなのです。 300年かけて、我々人類の音を感じる感覚も、より現代的になって行ったからに 違いありません。 しかし、昨今の『デジタル』が中枢を占めるようになると その A音の固定化キーの固定化は絶対となり、もはや今後それ以上は 変化しないだろう事が予測されます。 しかし、私は考えました。(ここからが SF) 人間の耳は、未来にはもっと進化して、1万2000年も経てば、もっとデジタルの他に 違う概念が現れていて、それによって、またピッチの上昇は続く!と。 300年で半音上がったけれど、次の半音が上がるのには、 その変化にも伴い、1万年以上かかると仮定して(あくまで SF) わざと、半音上げて作曲しました。 (でも、未来のこの曲の楽譜は半音下になっているに違いありません、 もちろん楽譜も違う形になっているでしょうが) 1万2000年かけて、メロも変わり、キーもピッチが変わり、でもその曲は 残っていて、ノリコたちの帰還を讃える! 何とロマン溢れる展開でしょうか? ま、どんなお仕事でも、自分なりのロマンがあった方が楽しいので、 当時��、こんな事を考えて作曲しました。 1と2のエンディングを、こんな意図を感じながら聴き直してもらえると また違った味わいがでるかも?
トップをねらえ!キーのお話 | 田中公平のブログ My Quest for Beauty
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『四季』のビバルディ、20世紀半ばまで200年も忘れ去られていた | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
(『四季』のビバルディ、20世紀半ばまで200年も忘れ去られていた | ナショナル ジオグラフィック日本版サイトから)
ビバルディの『四季』と言えば、クラシック音楽のなかでも最も愛されている不朽の名作の一つだ。それぞれの季節を表す4つの協奏曲から成る音楽は、1725年に発表された当時と変わらず、今も人々の心を躍らせる。 ところが、第二次世界大戦前は、音楽家の間でもこの曲を聴いたことがある人は少なく、アントニオ・ビバルディという名前すら、音楽史の脚注で言及される以外ほとんど知られていなかった。
1800年代初頭、バッハの音楽への関心が改めて高まると、バッハがビバルディから影響を受けていたことが明らかになった。そのおかげでビバルディの作品も徐々に掘り起こされるようになったが、1900年代初頭まではまだ曲が演奏されることはめったになく、バロック音楽の専門家以外にはほとんど知られていなかった。 それが大きく変わったきっかけが、レコードの登場だった。『風と共に去りぬ』や『カサブランカ』などハリウッド映画のサウンドトラックでの演奏で有名な米国のバイオリニスト、ルイス・カウフマンが1947年、ニューヨークのカーネギーホールで『四季』を演奏し、録音した。人々が自宅の蓄音機で気軽に上質な音楽を楽しむようになっていたおかげで、ビバルディの名はほぼ一夜にして世界中に知れ渡った。 それ以来、ラジオ、テレビCM、映画のサウンドトラックなどで四季やその他の作品が広く聴かれるようになり、クラシック音楽の巨匠としてのビバルディの地位は不動のものとなった
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フリーの楽譜作成ソフト「MuseScore」
MuseScoreは、ベルギーのブリュッセルを拠点に開発されている無料の楽譜作成ソフトウェアです。
楽譜作成ソフトの中で最も有名なのが一般販売されている「Finale」ですが、それにも引けをとらないパフォーマンスを持つフリーソフトがこのMuseScoreです。
サンプル画像は英語表記ですが、日本語で表記・製作できます。
(マニュアルも日本語)
MuseScoreには、調号、拍子、臨時記号、移調、演奏時のアーティキュレーション指定、スゥイング、各種テキスト・歌詞表記(フォント指定含む)、アルベジオ、グリッサンド、スラー、各種強弱等のヘアピン記号、装飾音符、連譜、オクターブ線、繰り返し、ジャンプ反復番号括弧、楽器のチューニングやピッチ変更等、譜面作成に必要な記述系は全て揃っています。
また古典音楽よりも古い音楽である古楽(バロック、ルネサンス音楽)の譜面も製作できます。
(これは結構凄い)
ギター1本の弾き語り用から大編成のオーケストラ譜まで柔軟に製作できます。
弦楽器においてはタブラチュア(TAB譜)も作れます。
タブ譜は初心者用の楽譜指定と思われがちですが決してそうではありません。
弦楽器は弦やフレットの位置によって同じ音でも違う響きになります。 そういったマニアックで細かい指定を生かせるのがタブ譜の利点でもあります。 フォークギター用にカポ指定も出来ます。
このソフトは無料でありながら、フレットボードダイアグラムパレットというのがあり、そこにはダイア���ニックスケールトーンが装備されていて、標準でメジャー、マイナー、セブンスコードからなるダイアグラムがあり、それらを譜面に美しく表記できます。
(フレットボードダイアグラムとは、よくギターの楽譜にコードの押さえ方を書いたイラスト表のあれです。)
また、チューニングやピッチの変更表記も可能。
弦楽器、鍵盤楽器、ブラス・木管系を問わず、楽器ごとにフィンガリング(使う指)指定もでき、楽器初心者や和楽器にも優しい作譜が可能です。
リズムセクションではドラムセット、パーカッション類の細かい変更・指定もでき、ドラム譜(各種リズム含む)はMIDIキーボードやパッド、PCキーボードからリアルタイム入力もできます。
出来上がったスコアはMIDIでプレイバック再生が出来、ピアノロールエディターも装備、SFZといったサンプリング系サウンドフォント系フォーマットも普通に指定、再生できます。
ミキシングセクションでは譜表途中での音色変更も可能で、DAWソフトで使うような細かい指定をして音を鳴らすことができます。
「Community」といういわゆるクラウドサービスのようなサイトがあり、作成した楽譜をやり取りしあえるということができて、有名な曲をアレンジした作品やオリジナル作品のやり取りが活発に行われているようです。(一部有料)
DAWソフトと同じように覚える部分が膨大にある譜面作成ソフトですが、MIDIデータをインポートして譜面表記と再生も出来るので、市販のデータを読み込んで楽曲の解析・研究も出来る優れたフリー・ソフトウエアだと思います。
上記の楽譜「大きな古時計(おじいさんの古時計)」はこのソフトの楽譜から鳴らしたものです。下のアドレス 「Community」 で聞くことが出来ます。
(製作者にお礼)
https://musescore.com/k_kobayashi/my-grandfather-s-clock
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とっくの昔に旬を過ぎている質問と思われますが、面白そうなので回答します。 一般的に思われている「クラシック」とは、ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽です。古典派の時代くらいから市民階級を対象とした「コンサート」が行われるようになり、レパートリーとして交響曲をはじめとする器楽曲が数多く書かれ、19世紀を通じて隆盛を極めました。はじめは存命の作曲家の作品ばかりが演奏されていたようですが、コンサートの数が増えるにつれ、曲が足りなくなり、「すぐれた作品であれば、故人のものでも演奏しよう」ということになります。数々の音楽雑誌が創刊され、音楽に関する言論が盛り上がります。シューマンが創刊した「新音楽時報」が代表格で、これは現在も刊行されています。音楽雑誌の主要な関心は、「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定」でした。現在コンサートのプログラムを飾る数々のクラシックのレパートリーは、こうした中で選ばれてきたものです。バロック時代の作品はいわば「前史」として、後に発掘されたものです。メンデルスゾーンがバッハを発掘した例はあまりにも有名です。 作曲家たちは、こうした中で勝ち残りつつ、世俗的な成功をおさめようとしのぎを削っていました。みんな「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を目指していた、といっていいと思います。が、19世紀後半に爆発的な数の作曲家が出て、個性を追求しようにも、もはや音の組み合わせが尽きつつあるのではないか…その問題から逃れようがなくなっていきました。そもそもオクターブに12音しかないものを、多くの作曲家が競争して曲を書いて行ったら、可能性を汲みつくしてしまうのではないか…そういう種類の問題です。 その問題の処し方は、ヴァーグナーが切り開いた半音階和声の道や、国民楽派が切り開いた民族性追求の道、フランス人たちが切り開いた旋法や非機能的和声の活用の道でした。 20世紀に入っても、少なくとも第一次世界大戦まではこの延長上で数々の作曲がなされていました。民族性追求はジャズやガムランなど非ヨーロッパ音楽への関心を生み、そのよって立つ民族を広げながら続いていきます。フランス人たちの切り開いた道も、それはそれで継承されていきます。 が、半音階和声の追求の中からシェーンベルクが無調の道を開き、一般の聴衆と決別する傾向が出て来ます。複調を多用した作品でスキャンダルとなったストラヴィンスキーの春の祭典も、同じように言えるかもしれません。新しい作曲技法の追求は、第1次世界大戦前の段階で、「クラシック」の前提であった「市民階級を対象とした芸術音楽」から外れ始めたのです。簡単に言えば、「最新の技法で曲を書くと、市民に聞いてもらえない」「市民を置き去りにしないと、最新の技法を試せない」という状態に陥ったのです。 第1次世界大戦以降、ロマン的な感覚が毛嫌いされ(民族主義を盛り上げる=ナショナリズムに訴える=戦争に結果的に協力する部分があったのは否定できません)、クラシック界は新古典主義の時代となります。シェーンベルクは十二音技法を開拓しますが、これも言っ��ら無調のシステム化であり、理性的です。中には新古典主義の語法を適度に取り入れつつもロマン的な曲を書いた人もいますし(バーバーとか)、ルネサンス期の舞曲や民謡を編曲した懐古的な作品も見られますが、例外的です。 ただ、この新古典主義ですが、形式への回帰とロマン的な感情表現の否定、下手をするとオリジナリティの否定(民謡と現代的な作曲技法を結びつけたりしています)ですので、大物は出て来にくいです。最大の大物はラヴェルとバルトークだと思いますが、フランス6人組といっても一般的には知られていないでしょうし、コダーイやカゼッラやマリピエロも通常は知らないでしょう。 何より、第1次世界大戦が、それまでの「未来に遺すべき優れた音楽作品の選定を行う市民階級の共同体」に物理的・経済的に深刻なダメージを与えたことは間違いないでしょうし、それまでのようにナイ��ブに共同体の共同主観を信じることも難しくなったでしょう。ナイーブに自国の素晴らしさと誇りを信じた結果、破局的な大戦に至り、ドイツ・ロシア・オーストリア・オスマンの4帝国は解体となりました。フランスは人口構成が変わるほどの大ダメージです。ロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」という理想自体が、技術的にも理念的にも疑わしくなったと言えるのではないでしょうか。 悪いことは続くもので、ソ連では社会主義リアリズムが叫ばれるようになり、音楽は大衆に奉仕するものとして、人為的に古めかしい様式で書くことを強制されるようになりました。ナチスは実験的な音楽とユダヤ人の音楽を抑圧しつつ東方に勢力を広げました。ここでもロマン派音楽の前提だった「世界で自分にしか書けない、鮮やかな個性」を試みるための自由が奪われたわけです。結局、そうした自由が残っているのは実質アメリカだけのような状態になりました。ガーシュウィンやグローフェやコープランドやバーバーやケージなど、アメリカだけがかなり元気に見えるのは、絶対に偶然ではないでしょう。 要するに、戦間期の段階で、すでに「クラシック」を生み出してきた種々の条件が大幅に崩れています。オリジナリティの余地は狭まり、オリジナリティ自体の正当性が疑われ、クラシックを支えてきた市民階級の共同体は物理的・経済的・精神的に力を失い、やがては全体主義国家による抑圧も行われるようになった、ということです。こうした時代に、ベートーヴェンのような素朴な市民共同体の信奉者や、ショパンのような詩人や、ヴァーグナーのような誇大妄想狂が伸び伸びと作曲できたでしょうか。 さらに、凄惨な独ソ戦はドイツ以東を滅亡の淵に突き落とします。一応戦勝国のはずのフランスも、ドイツに率先して協力した者を糾弾するなどで戦後は内輪もめです。クラシックを支えてきた市民階級の(ある意味のんきな)共同体など、大陸諸国では崩壊したものと思われます。おまけに戦後は鉄のカーテンで、東欧は全てソ連の影響下となり、抑圧体制となります。社会主義リアリズムは粛清を伴う形になり、自由な創作は生命の危険を伴う状態にすらなりました。社会主義リアリズムとは「強制されたロマン主義音楽や民族主義音楽」と言えると思います(ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンを聞けばわかります)。ソ連の音楽界は、西側諸国から離れ、ガラパゴス的な世界となりました。 対抗上、西側諸国では、いわゆる前衛音楽が各国政府によってバックアップされ、自由のアピールとされました(ロマン主義・民族主義・新古典主義のどれをやっても、社会主義リアリズムと被ってしまいます)。前衛音楽は新しくていいのですが、一般市民にアピールする力はありません(ヨーロッパの音楽愛好者が、「前衛音楽は、風変わりな音が古い城の大広間などで演奏される様が最初は非常に新鮮で面白かったが、すぐ��飽きた」などと書いています。一番好意的な反応でこのくらい、と考えられます)。受け取り手の共同体が崩壊し、作品をつくる側が市民階級から背を向けていたとしたら、巨匠が出てくる余地があるわけがないではありませんか。 一応、メシアンだのブーレーズだのケージだのライヒだのと、主要な作曲家を挙げることはできますが、おそらく一番影響力があって楽壇をリードしていたブーレーズが、ある時期からほとんど作曲をしなくなり、指揮ばかりするようになってしまったのが象徴的です。要するに、「クラシック」を生み出してきた種々の条件が完全に崩れてしまったのです。質問に対する直接のお答えは、これです。 戦後に起きた大きな変化としては、世界の中心がヨーロッパからアメリカに移ったこと、旧体制(ナショナリズム的な国家体制)が若者世代から各国で猛反発を食らい無視できなくなったこと、貴族主義やエリート主義の崩壊(といって悪ければ地下化)などがあるでしょうが、これもすべてクラシックの首を絞めています。代わりに台頭した音楽が、アメリカ起源のロックで若者対象の音楽であることが象徴的です。 それでもクラシックに関心のある層は、クラシックの新作ではなく、指揮の巨匠によるレコードの演奏の違いに関心を寄せるようになりました。が、徐々に生演奏のハッタリ要素は自粛され、レコードにしても傷のない演奏をコンサートで行うのが当たり前になり、クラシックは新作という意味でも、演奏という意味でも、活力を削がれる形になっていきます。1960年代くらいのライブ録音など聴くと、相当にロマン的な無茶をやっていて楽しいですし、各国のオーケストラにもまだ明確にエスニシティがありますが、70年代以降どんどんそれは消え失せていきます。演奏に全く傷のない録音とそれとそん色ない生演奏の極北は、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団だと思いますが、あれはあれで尖った個性だったと思います。しかし、もはやその路線もありません。クラシックのCDは、どれをとっても似たような穏健な解釈とそこそこ傷のない演奏により、聴く人の「既存の曲のイメージ」をほぼ再確認するだけのものになっているように思います。おまけに値崩れも甚だしく、昔の巨匠と世界的オーケストラの録音が、500円くらいで投げ売りされていたりします。 それでも、宮廷料理に起源のある高級料理が滅びないのと同様、クラシック音楽が絶えることは一応ないでしょうし、また映画音楽などのネタ元として、クラシック音楽は活用され続けるでしょう。もしかしたら、一応西欧文明の影響下にある国々に普遍的に流行する音楽も書かれる余地はあるかもしれません(クラシックではありませんが、Let it goが世界43か国語に訳されて歌われたのはなかなかエポックメイキングだと思います)。が、その時に使われる作曲技法は絶対に最新の前衛的な技法などではなく、多くの人にわかりやすいロマン的あるいは民族的あるいは新古典的な様式でしょう。 クラシック的(あくまで「的」です��)な作曲法で大流行した例としては、パーシー・フェイスとか、ヘンリー・マンシーニとか、ポール・モーリアとかが挙げられるでしょう。映画音楽は後期ロマン的な様式で書くというルールがハリウッドで確立されており、ジョン・ウィリアムスはその巨匠です。日本だと久石譲ですね。こうした音楽は、おそらく今後も書かれ続け、一定程度の人気を得る曲も出てくると思われます。 が、クラシックの系譜に直接つながる音楽=ヨーロッパの市民階級を対象とした芸術音楽で、作曲家が世界で自分にしか書けない鮮やかな個性を目指して最新の技法で書き、多くの人に受け入れられた上、歴史の審判を経て残る音楽=はもはや、存在しえないと思います。
なぜ、現代に、クラシックの大作曲家が輩出されないのですか?大昔の作曲家のみで、例えば1960年生まれの大作曲家なんていません。なぜでしょうか? - Quora
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TEDにて
デビッド・バーン:いかにして建築が音楽を進化させたか!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
CBGBからカーネギー・ホールまでキャリア環境の広がりにつれ、デビッド・バーンは、さまざまな場所で演奏してきました。さまざまな場所である会場が音楽を作るのでしょうか?
野外ドラムからワグナーオペラハウス、アリーナロックまで。いかに、音楽のおかれた環境が音楽自体を進化させていったか!を探っていきます。
ヨハン・ゼバスティアン・バッハは、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家で、バロック音楽の重要な作曲家の一人。
日本では、音楽の父とも言われている。このバッハは、建築による環境や場所の制約をうまく活用して名曲を創造しました。ゴシック式の大聖堂も同様です。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、オーストリアの作曲家、演奏家で、古典派音楽の誰もが知るひとりであり、ハイドン、ベートーヴェンと並んでウィーン古典派三大巨匠のひとりである。
このモーツアルトも装飾的な曲を限定的な部屋から紡ぎだしました。反響音が響く環境では、曲は複雑ですが、うまくいっています。Jazzも同様です。
これはその少し後、こういう場所でモーツァルトは曲を書いてました。確か?1770年あたりだったと思います。
空間が小さくなり、反響音も少ないので本当に装飾的な音楽が書けました。複雑ですがうまくいってます(曲:ピアノソナタ第13番 作:モーツァルト)
空間にぴったり合っている。これはスカラ座です。ほぼ同時期の建物です。1776年に建てられたと思います。
これらのオペラハウスが建てられた頃の観客は、歓声をあげるのが普通でした。飲食をしながらステージに向かって歓声を送りました。
時代は、20世紀になり、演奏機器にイノベーションが起ったため、テクノロジーによるマイク録音。
電波の発見もあり、放送機器にもイノベーションが起こりました。ラジオの登場で、フランクシナトラやチェットベイカーなどの演奏方法を可能にしました。
マイクの存在が、ミュージシャンや作曲家。そして、特に歌手たちに全く違ったタイプの曲を書く事を可能にさせたのです。
ラジオで掛けられる曲の多くは生演奏でしたが、フランク・シナトラのようなシンガーには、マイクなしでは絶対出来なかったようなことが出来るようになりました。
シナトラ後のシンガー達には、変化はさらに顕著でした(曲:マイ・ファニー・バレンタイン 作:チェット・ベイカー)チェット・ベイカーです。
こういう風に歌うことは、マイクなしでは不可能でした。録音技術なしにも不可能だったでしょう。彼の歌声は右側から聞こえてきます。
彼のささやきが耳に入ってきます。この効果はマイクによるものです。まるであなたの横に座っているかのようにささやきが聞こえてきます。
ここから、ライブミュージックと録音ミュージックに分かれてきます。
そして、今、この写真のような会場もあります。ディスコですね。バーにはジュークボックスがあって、そこではバンドはもう必要ありません。
生バンドの演奏の類は、もはや必要ないのです。音響システムはいいですね。そして、ディスコや音響システムに特別に合わせた音楽が創られ始めました。
また、ジャズのようにダンサー達は、曲のある一部分を他の箇所より気に入ってました。初期ヒップホップが、曲の一部を繰り返すようになった所以です(曲:ラッパーズ・ディライト 作:シュガーヒル・ギャング)
ジャズ・ミュージシャンが即興演奏したように、MCも即興でラップするようになりました。また、ここで新しい音楽が生まれたのです。
その後、U2などのアリーナロックも創造されていきます。
ライブが人気を博すようになるとキャパ的理由から、音響的に地上最悪のスタジアムやバスケットボールアリーナ。ホッケーアリーナなどで演奏する羽目になります。
そうなったミュージシャン達は、全力を尽くしました。今では、アリーナロックと呼ばれるミディアムバラードを書き始めたのです。
彼らは曲作りに最善を尽くそうとしたのですね。ミディアムテンポで壮大に聞こえる曲です。これは音楽的状況からというより、社会システム的状況に迫られたものです。
こういった会場のために書かれた曲は、彼らの状況にもぴったりなわけです。そして、さらに新しい空間が出来ました。車の中もその一つですね。私はカーラジオと一緒に育ちました。
しかし、今はラジオも進化しました。車はライブ会場そのものですね(曲:フーユーウィズ 作:リル・ジョン&ザ・イースト・サイド・ボー��ズ )
私は、この音楽は車向けに作られたと言いたい。バッチリはまってますよね。家の中で聞きたいとは思わないかもしれないけど、車の中で聞くにはすごくいい。
周波数スペクトラムが広範囲で大きなベース音とハイエンドボーカルは、ミドルレンジで留まってる車で聞く音楽は友達とシェアできますからね。
今では。iPodなどや多種多様なMP3の情報圧縮テクノロジーのイノベーションが起こったためにその配信方法もミュージックプレーヤーなどのMP3に合わせて創造されています。
<おすすめサイト>
マット・ルッソ:宇宙の音を探る音楽の旅
バーニー・クラウス:自然界からの交響曲
スティーブン・ジョンソン:音楽がもたらしたコンピューターの発明
ジョン・グラハム=カミング:かつて存在しなかった最高のコンピューター
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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夜のin the forest---✴︎
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最終日も無事に終えました⭐︎
昨日も、近くから&遠方から◯
色々な嬉しい初めましてから、驚く再会なども✨
絵を介して楽しいお話しと時間を。
ありがとうございました✨
色々と全てが幸せだった会期…幸せなまま終えました😊◯
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プチ片付けをしながら、、
無事の終了を喜ぶプチ打ち上げ。。
(反省含めた振り返りはまた後日…😆)
この日も、店主さやかさんの魔法の手と感性はふんだんに放出されて、、、✨✴︎
私を含めて、皆さまを幸せに包んでいました👏
贅沢なお茶会で大忙しだった美しい器たちもお疲れさまです♡
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夜になると浮かび上がるお楽しみ色々を、最後まで楽しみました🙌
2年前に続いて…突如庭に浮かび上がる大きな映像。木と隣り合わせで面白い😍
窓絵も、映る布ととても楽しそうな♩
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また未来の2年後はどうなっているかな?
どんな絵を描いているかな⁇
…それからどうなるの?🌱
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私にとって特別に大好きな空間を、ご一緒ご覧頂き楽しい時間を過ごして頂きまして、、
誠にありがとうございました‼���🙌✨
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たじまひろえ展 -in the forest
「続 -それからどうなるの?」
TE HANDEL home & gallery
@tehandel
2023.1.27(金)-2.3(金)
11:00-16:00
*1/30(月) 休み
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森のお茶会
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森の音楽会
---バロックの夢
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「音楽のジャンル」に関するワクワク性格診断と深層心理の秘密!楽しさと面白さが詰まった診断結果とは?
音楽を聞くとき、あなたはどのジャンルに心惹かれますか?ポップのキャッチーなメロディー、ロックのエネルギッシュなビート、ジャズの即興的な自由さ、またはクラシックの荘厳な響き。音楽は私たちの心に様々な色を添えてくれます。今日は、その音楽のジャンルを通じてあなたの性格を楽しく診断してみましょう!さあ、どんな自分が見つかるのか、ワクワクしながら読み進めてくださいね。 まずは、音楽のジャンルにまつわるちょっとした雑学をお届けします。実は、世界には1,500以上の音楽のジャンルが存在するんです!中でも「バロックポップ」というジャンルは、16世紀のバロック音楽と現代のポップを融合させたもので、なんとオーケストラの楽器を使ったポップソングが特徴です。また、イタリアの「カンツォーネ」は、心を打つメロディーで、恋の歌としては外せないもの。しかし、個人的には「ディスコ」も捨てがたい!あのノリノリのビートで踊ら…
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ドラゴンクエスト3の音楽を古楽器で弾いてみた。【リコーダー/バロック・オーボエ/ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェンバロ】
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2024年印象に残ったアルバム
Fabiano do Nascimento, Sam Gendel - The Room
今年の一番リピ。次々と新しい音楽のフロンティアを探してきたサムゲンデルによる原点回帰のような音楽。
バッハのようなバロック音楽とブラジル音楽とポップとジャズと、、ジャンルを連想することはいくらでもできるが、ジャンルレスであることが当たり前になってきている今、ジャンルの列挙での説明では不十分だろう。
サムゲンデルが、各ジャンルを器用に歩き渡り、非音楽の側から音楽を探る活動の中で、どうしても解体したり見��すことのできなかった、核のようなもの。それは夕日の美しさのような、人の心に古くから響き渡る通奏低音のように優しく疑う余地のないもの。
バックグラウンド音楽にしてしまうにはとても惜しい、何とも穏やかで納得感のあるアルバム。
Mk.gee - Two Star & The Dream Police
こういうの、いくらでも聞きたい。
Jamezoo - Melkweg
オーケストラと電子音による壮大かつ新鮮なサウンド。初期ロマン派の交響曲のような古典的なサウンドと、コンピューターミュージックを共存させた曲作りがとても魅力的。
調べたら数年前のアルバムを、作曲家や演奏家を招いてリメイクしたセルフカバーアルバム。
かなり実験的なそのアルバムの音像が、今度はクラシカルに聞こえてしまうアレンジの妙。
カバーとリミックスは、元の盤と聴き比べると楽しいとは言いますが、それどころの騒ぎではないです。
Jack Sheldon - The Qualtet and the Quintet
義理の妹がトランペットを弾くので、いろいろ漁っていた一年だった。いろいろ聞いた中でも、収まりがよく、耳障りが良かった一枚。
Nicola Conte - Other Directions
展開が多く聞き飽きない一枚。随所に椎名林檎サウンドを連想する。
Anatole Muster - Wonderful now
旋律ひとつで聴衆をわかすことのできる演奏者が世の中にはいる。
どこまでもポップな音楽の上でかなでるメロディは天才のつくるそれ。
Sakura Fujiwara - wood mood
たまたま聞いたらとてつもなく良かった。世界中の音楽掘りまくったんだろうなと。藤原さくらの音楽の聴き方が感じられるアルバム。
Sam Gendel, Sam Wilkes - The Doober
あえてざっくばらんな言い方をするならば、サムゲンデルが闇の側から光を見つけるような演奏をするとするならば、サムウィルクスは光の側から闇を作り出すことのできる音楽家だと思う。
初めて足を運んだサムゲンデルのライブの録音とあって、LPも即購入。
往年の名曲Ponta de AreiaとRUGGED ROADのカバーは感涙もの。
Ou Shu - Town Dune
どこかの街をぶらり一周させてくれるアルバム。全体のバランスが心地よい。
Dawuna - Naya
Ou Shuと同じく、いろんな情景が思い浮かぶ音楽。作る世界観は、Ou Shuとは正反対で、かなりダウナーなコラージュで。暗い街角の中、懐かしさのあるメロディーを控えめに奏でる。
MC Lyte - 1 of 1
あまり探らないジャンルだが、たまたま見つけた一枚。何���もリピ。
DURAN - 30 Scratchy Backroad Blues
こういうの、いくらあっても良いです。
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2024年12月24日に発売予定の翻訳書
12月24日(火)には18点の翻訳書が発売予定です。
バロック音楽の基礎知識
カール・カイザー/著 白井美穂/翻訳
アルファベータブックス
信頼と不信の哲学入門
キャサリン・ホーリー/著 稲岡大志/翻訳 杉本俊介/翻訳
岩波書店
報いのウィル
カリン・スローター/著 田辺千幸/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
7人殺される
周浩暉/著 阿井幸作/翻訳
ハーパーコリンズ・ジャパン
OHTANI’S JOURNEY 大谷翔平 世界一への全軌跡
Los Angeles Times/編集 児島修/翻訳
サンマーク出版
聖ボナヴェントゥラ著作選集
ボナヴェントゥラ/著 フランシスコ会日本管区/監修 小高毅/編集・翻訳
教文館
ギリシャ語通訳
コナン・ドイル/著 小林司/翻訳 東山あかね/翻訳 猫野クロ/イラスト
金の星社
アドバンスト・ファイティング・ファンタジー第2版 シナリオ集 運命の森+火吹山の魔法使い
ブレット・スコーフィールド/著 スティーブ・ジャクソン��企画・原案 イアン・リビングストン/企画・原案 安田均/監修 こあらだまり/翻訳 柘植めぐみ/翻訳
新紀元社
チャーチ・レディの秘密の生活
ディーシャ・フィルヨー/著 押野素子/翻訳
勁草書房
ナルニア国物語2 カスピアン王子と魔法の角笛
C・S・ルイス/著 小澤身和子/翻訳
新潮社
戦車兵の栄光 : マチルダ単騎行
コリン・フォーブス/著 村上和久/翻訳
新潮社
UXライティングというビジネス : できるUXライターは「コピーを書く」だけじゃない! ビジネス目標の整理、成果の測定、社内のプロセスづくりまでをも網羅
Yael Ben-David/著 奥泉直子/翻訳 池田茉莉花/翻訳 UX DAYS PUBLISHING/監修・翻訳
マイナビ出版
レペルトワール
ミシェル・ビュトール/著 石橋正孝/監修・翻訳
幻戯書房
ユダヤ人の女たち
マックス・ブロート/著 中村寿/翻訳
幻戯書房
エントロピーと多様性の数理
Tom Leinster/原著 春名太一/翻訳
森北出版
ワンダードッグ 人に寄り添う犬たち : 日本初のファシリティドッグ“ベイリー”とその仲間たちの物語
モーリーン・マウラー/原著 ジェナ・ベントン/原著 特定非営利活動法人シャイン・オン・キッズ/監修・翻訳 齋藤めぐみ/翻訳
緑書房
TOUCH/タッチ
オラフ・オラフソン/著 川野靖子/翻訳
早川書房
第二次世界大戦の日本の航空機 大図鑑
トーマス・ニューディック/著 源田孝/監修・翻訳
ニュートンプレス
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ウィリアム・ブレイク風(Prisma)
父と子と聖霊(#キリスト教、#秘教哲学)
フレイムタンとフレイムロッド(#FF)
『ルーベンスの最後の審判』より
精神論
光だけではダメかもしれない。
曖昧な光の世界は其れ自体だけでは、
自然界の中に融解してしまうだけかもしれない。肉体を以て、生きることの当たり前の、大切さ価値が在ることが分かる。精神の形相のためであった。光と物質の間に音楽と夢幻の御霊を携えてー。『ロマン派とバロック感情』
ダリ風のキュビスム
彫刻家『ピカソ』と絵画の父『セザンヌ』はセンスあり。人間の『真我』の価値は同じだから何人も神の下に平等である。
金科玉条の上に胡座をかくあなたかも自分が神であるかの様な錯覚の中で、勘違いをしたセレブとブルジョア階級の愛と許しのなき退廃と傲慢と不遜と自己満足ー。
ムンク風
とろける様なフォービスムの絵ですね。
持って生まれた性格や個性は変えることが難しく、一生を懸けても第四光線の人以外は、其れほど変われる事が容易ではありません。『魂の表現』苦悩や苦心に苛めながらも、天才的な超絶の技法と練磨による奇跡的な人類の秘宝が創造される。#Prisma
Dr.モグ×2
ぼくが画家だったら🇮🇹の舌で潤された味覚は最高に心地よい気持ちで、其れ以上の喜びは人生の中で其れほどない。アストラル体の充実のためには適度な食事と適度な休憩が必要である。修行僧の様に探究する画家や哲学者の認識力は神的、美的表現の実相であり超絶的極致である。『霊的表現』
ティツィアーノ風のキュビスム
『Prisma』は電気仕掛けの神の様な筆緻です。(^ω^) ぼくはお金持ちではないので無料で使わせて頂いています。写真や絵画→効果の加工に最適です。✨💍✨『神の絵画』今のIT×AIの時代にダリが生きていたら���うでしょうね!誰でも写真家で絵画できる時代ー。『覚者方』
#ネオバロックの時代
科学文明のその先に魔法と霊性科学ー。
『ルネサンス』#ダ・ヴィンチ、#ルーベンス、#ベラスケス、から『現代芸術』の巨匠特に『様式』の創造者の方々には頭が上がらない。ITのその先に、#イエス覚者、#キリスト・マイトレーヤ、ぼくの『宇宙のキリストの道』が視える様ですー。
偶像崇拝のその向こう側へ
『#キリストと覚者方』科学🆚超科学
人類から見れば遥かに深淵で、遠大なテーマ。夜明け前の朝ほど暗いものはない。
信仰を取り戻す旅路の途中でー✨に成れたらー。#R覚者 #DK覚者 #イエス覚者 #仏陀 #ゾロアスター #クリシュナ #ヘルメス
#Apple #SONY #Google #TASHEN
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バッハ名曲セレクション | 心を満たす美しいバロック音楽 10曲集
バッハの名曲を一度に楽しめる、美しいバロック音楽10曲を集めました。ピアノ、パイプオルガン、チェンバロ、チェロ、ハープ、ヴァイオリンによる演奏が、それぞれの楽器の魅力を最大限に引き出し、心に深い癒しと感動をもたらします。リラックス、作業用BGM、音楽鑑賞、瞑想、そしてクラシックファンの方に最適です。バッハの時代を超えた音楽の世界をお楽しみください。 収録曲: 0:00 バッハ『ゴルトベルク変奏曲 アリア』ピアノソロ 5:16 バッハ『主よ、人の望みの喜びよ』ピアノソロ 8:59 バッハ『小フーガ ト短調』ピアノ演奏 13:31 バッハ『トッカータとフーガ ニ短調』パイプオルガン演奏 16:38 バッハ『無伴奏チェロ組曲第1番 プレリュード』チェロ演奏 19:27 バッハ『チェンバロ協奏曲 ニ短調 BWV 1052』 27:30 バッハ『ゴルトベルク変奏曲 アリア』ピアノソロ 32:02 バッハ『無伴奏ヴァイオリンのジーク』 33:28 バッハ『ブランデンブルク協奏曲第5番 第1楽章』 37:37 バッハ『平均律クラヴィーア第1番』ハープ演奏 #バッハ #クラシック音楽 #バロック音楽 #ピアノソロ #チェンバロ #チェロ #パイプオルガン #ヴァイオリン #ハープ #癒しBGM 「いいね」と「チャンネル登録」をよろしくお願いします!感想やリクエストもお待ちしています。
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(武満徹の「うた」から)
バッハの時代には、ある音楽を宗教的な場から世俗の場に転用することがおこなわれていた。原曲を変奏しつつ、個人的な感情をそこに忍ばせることもおこなわれた。それをバロック的と見ることもできるだろうし、啓蒙主義の兆しを読みとることもできるだろうが、表現はつねになにかを顕すことによって別なものを隠す。表現者の、そのバランスのとりかたに歴史のシステムがはたらいている。
高橋悠治
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《今日の新譜》28のイントラーダから第26曲 イタリア・バロックの流れるような美しいメロディの楽曲をどうぞ。 ぜひこちらからYoutubeで全曲視聴してみてください。 参考音源 https://youtu.be/tTty_WEAybw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ ご一緒に音楽の知識を豊かにしていきましょう。 チャンネル登録もよろしくお願いします。
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プロ奏者による60時間以上の録音と世界の名工の楽器で作られた、究極のリコーダー音源「The Recorder」。
バロックとルネサンスの調律に対応し、豊富なアーティキュレーションを搭載。
音楽制作の幅を広げるこのライブラリの詳細をご紹介します!
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失われた感覚を知る
何かに長けた感覚を身につけるというのは、同時に何かを失うことでもある。
― という言葉を何かで読んだときわたしは10代だったと思うが、学ぶ喜びに溢れ万能感すら抱いていたであろう田舎の優等生であったわたしは、これから先の人生で、都会に出て、もっと知を身につけていこうと息巻いていたところで、失うことは怖いことだと思った。また、身につけたものの反対側で失われるものに意識的であれるだろうか、とも思った。無意識のうちに何かを失いたくないという貪欲さから来る気持ちだ。
そののちわたしは、いわゆる”絶対音感”を持たない人たちを前にしたときに、自分が得た音感の裏側で失ったものを知ることになる。
話の時間軸を現代に移すと、わたしが今持っているヴァイオリンの生徒さんたちは相対音感がマジョリティーだ。自分自身はほとんど気がついた頃には絶対音感が身についていたので、こと音程の話をするときにここを自分の弱点のように感じている。
まだ音感が定まらないような子どもとの対話の中では、「こちらの音とあちらの音はどちらが高いと思う?」と尋ねて、自分が用意した答えと違うものを示されたときに説明の言葉を持てない。何かを説明しようとしても、「ほら…高いでしょう?」しか言葉が出てこなかった日には自分に対して愕然とした。ある子は、高いものと低いものを反対に答えたが、それはそのとき高いとされた音のほうが「暗く聞こえた」ので、低いと認識した��説明した。よほどわたしより豊かな感覚である。
あるいは、音の快・不快の感覚があまり敏感ではないと言う大人の人は、演奏中にたじろぐことなく不協和音を鳴らす。そのあまりの気持ち悪い響きに、わたしはだんだん理性のコントロールが難しくなりそうなところまで追い詰められたが、その感覚をその通り正直に「ずれた音程で強いストレスを感じてしまう」と打ち明けたら、相手の方はその感覚を持ち合わせないことがわかった。そこでわかったのは、もし何かのゲームやバトルでわたしを倒すなら、不協和音が鳴り続ける部屋に突っ込めば良いということだ。
ある日の生徒宅への道すがら、不意に訪れたひらめきがあった。自分は西洋クラシック音楽の十二平均律に基づく「ドレミ…」の値を記憶しているだけで、たとえば「長6度」が鳴り響いたときにそれを「長6度の響き」として認識していると言うより、ひとつひとつの音が何であるかが先で、「ソとミ」だから長6度と後から知識で補っているのではないか、と思った。すなわち、「ミとファの間の微分音」を鳴らされて、その上に正確に長6度上の音を見出せるかと言うと難しいかもしれない。わたしは先の微分音の絶対値をまず近似値のミとファから見出し、続いて長6度上の音の近似値としてド♯とレを思い浮かべ、その間の音はどのへんであるか、という道筋で答えを得るのだと思う。
それで言うと、完全5度については「そのインターバルの響き」で認識している可能性がある。楽典的な「音程」というものの知識を得る前から、鍵盤をいじって遊んでいたときに快感を覚えるインターバルがあり、のちに勉強する中でそれが完全5度だと知ったくらいであるから、そこに関しては「絶対音程感」があるかもしれない。高さの違う同じ音こと完全8度も然り。
しかしこう考えてみると、わたしが持っているものは本当に局所的な、「西洋クラシック音楽のしかもバロックから近代の隙間の十二平均律における12の音を人より正確に記憶している」だけの話で、真の絶対音感とは言い難い。こう書いていて気づいたが、わたしが完全5度には敏感であったのは、ヴァイオリンを3歳から弾いていたがゆえに、ピタゴラス音律的な音程の取り方をしていたからであろう。
先に書いたような、まるで「ミ」と「ソ」という階名の記号から音を手繰り寄せるような音感で「長6度」を割り出す方法を完全に悪とも思わない。なぜならわたしが「14-8」がすぐ解けるのは、もはやその答えを覚えるほどに百ます計算に取り組んだ時代があるからであって、その「14-8=6」という記憶のおかげで「54-8」も「74-28」もすぐに諳んじることができる。別に14と8の質量のようなものを体感して6を導き出しているわけではない。
その昔、夏休みか何かに、かつて平日昼間の定番の番組であった「ライオンのごきげんよう」を見ていたら、谷村新司がサイコロトークをしていた。トークのお題も忘れたが、音の高さと体の感覚について話していたシーンを妙に覚えている。
なぜオーケストラは「ラ」でチューニングをするのか。赤ん坊の産声を測った人がいるらしい。産科に何日もいてたくさんの産声を測ってみたところ、ラの高さに近い声が多かったらしい。あるいはこんな話もある。もし体の一部が音の高さと連動するとして、丹田からドを始めると、レがおへそ、ミが鳩尾と辿って、ラはちょうど口の高さになる。だからラはパッと出しやすい。ちなみにもっと登っていくと上のドはちょうど頭のてっぺん!というオチがついて会場は盛り上がった。
最近不意にそのシーンを思い出して、わたしはそういった感覚を媒介することで、生徒に音の高い低いを教えられないだろうかと考えているところだ。まだ答えは出ない。しかし、どんな習熟度の子でも共通して、歌えないものは弾けないし、歌えるものは弾ける。弾いている曲のうまくいかない箇所を試しに歌ってもらって、声がぶれる音は、楽器を持たせようともうまく出せないのだ。楽器という”道具”を用いようとも「音程」は補えないのである。このときの歌は別に音高(*音楽用語:ピッチのこと)が原曲と違ってもいい。ただ、次の音が今出した音より高いのか低いのか、それだけでもわかるかどうかで曲の出来栄えはずいぶん変わる。
わたしと生徒で持っている感覚は違う。もはやそれは使う言語が違うくらいのギャップであるのだろう。それでも、お互いの言語がわからない相手とも何かで共感できることがあるように、ていねいにすり合わせを続けた先で、相手の感覚を見出したり、わたしの感覚が伝わる日が来ると信じたい。よほど”言葉”は通じない猫と意思の疎通が叶うように。
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