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#バイク乗りたい病発症中
h-dkk · 2 years
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大寒波寒かったー🥶 先日の写真ですが一瞬で雪化粧に❄️ 幸い長くは降らなかったのでそこまで積もりはしなかったけど、凍結が怖くて完全インドア生活してました。 めんこい我が松も寒そうでした🥲 ✴︎ ✴︎ #盆栽 #メダカの水槽も凍る #無事に越冬してね #バイク乗りたい病発症中 https://www.instagram.com/p/Cn4AaNMhLCO/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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xf-2 · 5 years
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【武漢市(中国)】点滴をぶら下げた何人かの患者が待合室で立っている。空いている椅子がないのだ。倉庫では医療関係者用の防護服やゴーグルの数が不足していた。公共交通機関の閉鎖が続く中、熱を出した家族を病院に連れて行くためには、住民たちはワン・ホンギャンさんのように原付きバイクに頼るほかなかった。
 ワンさんの夫は70歳で、衰弱しきっていた。真夜中に病院へ向かう途中、バイクから転げ落ちた。「とにかく彼の命を救いたい」。ワンさんは7日、夫の横に座ってこう語った。夫は待合室の椅子に背中を丸めて座り、点滴を受けていた。
 中国内陸部の人口1100万人の都市・武漢は新型コロナウイルス感染の中心地となり、政府が感染阻止に乗り出す中、混乱が続いている。急ごしらえの病院など新たな施設で患者の受け入れが始まったが、既存の病院システムはまだ窮状にさられている。
 8日の中国当局の発表によると、中国でのコロナウイルス感染による死者数は722人に増え、感染者数は3万4546人に達した。
 かれこれ2週間というもの、武漢から遠く離れた中国の主要都市でさえ、不気味な静けさに覆われている。当局が感染の封じ込めを目指して春節(旧正月)の連休を延長し、人々に職場を避けて自宅で待機するよう促したためだ。国内至る所で多くのレストランや企業が休業状態となっている。
封鎖された武漢と、同市のある湖北省は、他に例を見ないほどの激変に見舞われている。湖北省の人口は6000万人近いが、これまで確認された感染者や死亡者の大半がこの地方に固まっている。当局は都市間の公共交通機関を閉鎖し、住民が同省の外へ出ることを禁じた。
 コロナウイルスの危険を警告し、後に当局から処分を受けた武漢の若い医師李文亮さんが死亡したことを受け、7日には中国各地で怒りの声が巻き起こった。
 ここ数週間ほど湖北省以外の省から、ウイルス性肺炎を発症した患者の治療を支援するため、医療チームが病院に派遣されている。国営建設会社や中国軍は急きょ、新施設を建設。そのうち2つは真新しいプレハブ式の病院で、武漢の郊外に建てられた。
 現地当局は医療システムにのしかかる負担を和らげようと、少なくとも他に公共施設11カ所を仮設病院として使用している。
 だが、ここ数日に記者らが武漢の医療施設を訪問した限りでは、医療システムは依然として極限状態に直面していた。患者の受け入れ準備が整っているだろうと中国国営メディアが報じた新病院の中には、ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の訪問時にまだ建設途中だったものもある。臨時病院となったコンベンションセンターでは、4日の夜遅くに作業員がベッドを運び込み、配線工事や掃除をしていた。
 武漢の既存病院では、7日も厳しい状況が続いていた。同市内の同済病院の外では気温7度の寒空の下、女性が座って点滴を受けていた。待合室ではマスクをつけた大勢の患者に点滴が投与されていたが、何人かは立ったままだった。さらに、廊下の折り畳み式ベッドには、酸素ボンベをつけて身動きもせず横たわる患者がいた。こうした患者たちの間を縫うように、使い捨ての青い防護服と白い手袋、靴カバーで頭からつま先までを覆った医療関係者が動き回っていた。
 この待合室にワンさんと夫もいた。バイクから転落した夫は、幸い大けがはしなかった。夫の点滴バッグが空になると、ワンさんは看護師に点滴を外してほしいと呼び掛けたが、看護師は別の患者で手一杯だった。
 66歳のワンさんによると、夫は4日にコロナウイルスの検査を受け、7日に検査結果を受け取った。結果は陰性だったが、咳(せき)、発熱、肺の感染症と、全ての症状があった。ワンさん自身もエックス線検査を受け、肺の感染症がみつかったが、症状は出なかった。家まで40分運転して帰るのは大変過ぎるので2人はその夜を病院で過ごすつもりだとワンさんは話した。住んでいる集合住宅の係員は、熱がある人の送迎を拒否していた。「連れて行ってと懇願したのに」とワンさんは語った。
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katsuyukisera · 4 years
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inhabit
noise
���の音、バイク、飛行機、烏の声、
何もかもが大きな雑音で逃げ出したくなる。
静かなここに3日もいると今まで気にならなかった音がとても耳障りだ。
今はここにして良かったと心から思える。
ここにはノイズは何一つとしてない。聞こえるのは綺麗なウグイスの声や風の音。
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note
純粋に理由がなくなった。
silence
ここで静かにひとり木々を見ていると、 どこででも首を吊れると思える。自殺願望はないが、後もう3億ぐらい保険をかければ誰にも迷惑をかけずに、自分がもった夢のほとんどを叶えて死ねる。
静寂とは良いものだ。
誰も知らない、
車も人も、誰もいない。
afternoon
少し遅く出発して、食材の買い出しをしただけで、寄り道もせずにここへ来た。
午後からは静かに仕事をして、庭の手入れはしないと決めて来た。 毎日が追われるかのように木を切り草をかり、せっかく静かなところにいてのんびりとできた日は1日もなかった。
here
Tumblrに投稿するのはこれが初めてなので、「ここ」ではわからない。
noteに書いたものを読み返しながら「ここ」について説明したい。
自閉的な分析
決して、自閉症を患っているわけではないが、 自閉症の特徴によく似た症状が幼い頃にあったように記憶している。 これは今でも時々感じることでもある。
特に周りとの協調性の部分では少し欠落しているように思う。大きくなるにつれて周囲との関係も改善されたように思いますが、それでも敵味方のような区別が特に強かったように思う。
公立の中学、高校へと進学したが、唯一幼稚園だけは私立へ通っていた。体が弱く喘息だったので親が無理して私立の幼稚園へ通わせていたようだ。 病院通いをしていたことも、幼稚園での楽しい時間もほとんど記憶にない。
小学生になると身長も伸び、体格が良かった僕は年上の子たちと遊んでいても、必ず「お前が一番年上やな!」と自分だけが殴られ、この理不尽な大人に対する敵対心が大きくなっていく。 殴られ怒られるのは悪いことをしたからだが、こんな大人が周りにいたことが人嫌いな性格になった要因の一つだと思っている。
両親ともに働きづめで遊びに連れて行ってもらった記憶も少なく、父親がたまに武庫川で鮒釣りをするのについて行ったり、母親が夏にプールに連れて行ってくれたことぐらいしかない。 当然のことながら家族みんなで旅行に行った記憶などはない。
中学に入り自分で行動できるようになった頃に始めた魚釣りは、それこそ冒険で電車を乗り継ぎ加古川や東播の野池などで野宿しながらバス釣りをして遊んだ。 中学では部活はサッカーをしていたが、単に不良の集まりのようなクラブだった。 練習もあまりしなかったので、弱いチームだったが、先輩にも可愛がられ楽しい学校ではあった。 スポーツは、野球やサッカーなどの球技、チームスポーツが好きだが、釣りのように孤独にひとり集中する方が自分にはあっているように思う。
早く社会人になり独立したかった僕は高校卒業後に就職し社会へと飛び込んだ。ちょうどその頃から田舎暮らしと言うもに憧れるようになっていた。 本をあまり読まない僕も「田舎暮らしの本」を買い読んでいたのを覚えている。もしかすると今でもどこか棚の隅っこにあるかも知れない。 田舎暮らしとは言っても、田畑を耕し自給自足に憧れていたのではなく、 人から、都会から離れ、静かな生活をしたいと思う漠然なものだった。
山や島が欲しいと思ったこともあった。住みたいと思うのでは無く、欲しいだった。これも人から遠ざかり交わりにくい環境にいたいと言う願望からだった。人や外部との境界線をもち、仲の良い友人や家族とだけの世界が欲しかった。
このような考えは今も変わりはないが、金銭的に現実的ではなかった。
ここは、遮断された環境ではないが、それでも道の先は行き止まりで道路も車1台が通れる幅しかなく、適度に離れた家がここを含めて4軒しかない。車が往来するのは奥に住む人の車か郵便か宅配便ぐらいで日に数度だけ。歩く人を見かけるのはほとんどない。
島や山一つでは無いが、自分の理想に近い環境がここである。
もう一つのここで良かったの意味は、 我が愛犬レスターも今月で3歳を迎える。彼が8ヶ月を迎える頃になるとそれからは毎月のように旅行に出かけ、楽しい時間を過ごし、多くの人と知り合うことができた。そして、いつの日かみんなが集まれる場所を作りたいと思うようになっていた。 先ほどまで書いていたこととは全く正反対のことを考えるようになっていたのは、それほどまでに犬に愛情を注いでいる人たちとの出会いが大きかったからだ。
とは言え、資金も限られ、ビジネスをしたいわけではなく、みんなと言っても誰でもと言うわけでも無い。
ここは、敷地のどこにもフェンスや囲いもなく、車の往来が少ないとは言え道路にも簡単に出ていくことができるし、 森の奥に行きたければすぐに入ることができる。 自然に囲まれた里山は多くの野生動物や虫もいる。ここで犬を遊ばせるにはそれなりの覚悟と信頼関係が必要である。 だから、誰でも来れる場所では無い。それが僕とレスターにとって他人との良い境界線になっている。事実、レスターとここで暮らし始めて彼は大きく成長したと感じる。
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自然は過酷であり、自由は困難と向き合わなければならない。
それが楽しいと思える仲間なら良い環境だと言えるだろう。
自然を楽しみ、生活を遊び、最後は何も残さない。
we were never here
これが僕の理想です。
at base917, Sasayama, Hyogo, Japan
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goda-world · 2 years
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ツーブロック&パーマとひまじろうとゴータマ・シッダールタと新海誠と他。
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   「 思い立ったが吉日です。」
アクリル絵の具、岩絵の具、シャーペン、パウダー
   
   
台風が去って、急に寒くなりだしたからなのですかねえ。
持病がまた発症しだしました。
  
んもう、ホンマにめんどくさいです。
  
それでも、今日はパーマをあてに美容院に行く日なので、多少のODは止むを得ないっていうことで薬を多めに飲んでいきました。
雨がたくさん降っていたので、どうせ人も少ないだろうと余裕をかまして店に着いたら、なぜかオッサンどもが朝早くから券をもらうために並んでいて、もう本当に参りました。(おれもオッサンやけどな! )
 
いやいや、
オッサンたちはQBハウスでも行ってくださいなあ。 激混みやろうけど。
あなたたち、べつに切るところないですやんか。
 
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ぼくは、ゴーダくんうるせえわ、って言われても何度でも言うよ。
こちとらツーブロックでパーマをあててるんだから美容院使ってるんですのよ。理容室行ったらたぶんパンチパーマにされるもん。(偏見)
それに比べると、おっちゃんらカットだけですやん。しかも裾の襟足の部分を切るだけやし。
   
まあ、襟足だけやし、時間は早いからいいんだけれどさ。
朝早く並んで5番目の札をもらっても、30分待たされるって。。
しかも、そのあいだ、他のお客の女性たちとぼくは、全員おっさんたちの襟足をカットしてるだけの状態を見せつけられるっていうこの地獄。
  
ここ一応、美容院なんですけど。
  
あっ
 
おれもオッサンやった。
 
  
  
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おはようございますGoda worldのゴーダです。
 
    
最近、読んだ文章の中に、
 『この世は地獄だ。』
というのと、
 
『 世の中は少しずつだけれど良くなっている。』
というのがあった。
  
どちらも的を射ている。そのとおりだと思う。
  
ぼくは最近、朝が寒くなってきたので半袖Tシャツの上にフード付きのネイビーのパーカーを着込んでバイクに乗って仕事に向かっていた。
バイクを運転し��がら上の二つの文章をずっと考えていて (いや、安全運転しろよ) 、こんなことを思った。
  
それは、
 
この世は地獄だけど、少しずつ良くなっているんならば、今日が一番地獄の日なんじゃないか、と。 ならば、今日の地獄を楽しもう、と。
最近、ちょっと疲れていたので、『今日の地獄を楽しもう』、という言葉の響きがなんとなく気に入った。
ちょっと嬉しくなって、がちゃがちゃと左足でギアをトップまで入れ、アクセルのスロットルをおもいっきり回しこんだ。(だから安全運転しろよ)
 
子どもを育てている時に、よく言われるのが
「いつだって今が一番小さい時だからね」と。
それに似ているなあ、と思った。
  
ポジティブに生きなさい、とか
あなたはしあわせそのものです、とか
世界は美しい、とか
不幸な現象は、その人自身が引き寄せている、とか
ネガティブ思考はダメだぞぅ、とか
明るく元気にたのしくハッピーに生きろよ、
などなど
  
それはそれでたぶん大事なことなのは百も承知なんだけれど、
そう言われても、なんだか素直に受け入れられなくて、正直しんどいのさ。
おれ、ルシファーやからかもな。
ゴータマ・シッダールタ(釈迦)がはっきりと言った、
「この世は苦である。」のほうが真理をついていると思う。
  
まずは、この真理を世界中で制定して認めようよ。
この世(ちきう)は苦である。
それを認めたうえで、どう生きていくかは各々が考えればいいと思うし、好きにすればいいじゃん。
  
ぼくのまわりは幸せなことに、どちらかというと平穏で落ち着いた世界に囲まれ出したとは思うのだけれど、
   
毎日流れてくるニュースなんかを見る限りでは、世界はやはりとてもたいへんな状況にあって、この流刑星でみんなが仲良く暮らすことが出来ているようにはとても見えないと思うんよ。 おれが盲目なのかな。
なんか暗い話してすまん。
でも、
これを、両手放しでこの世は素晴らしい世界だと喜べるほどおれは心が強くないんよ。
  
だから、自分の本音を言うならば、
このクソったれな世界に乾杯。 って感じかな。
  
  
とうとう語ってしまった。
 
画家は語りだしたら、もう終わりの合図さ。
ゴーダワールドさん、おつかれさまでした。
 
  
So I lit a fire.
灯火はまだ点いているかな
   
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図書館で借りてきた新海誠の映画。
映像はすごく綺麗だった。
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雨のシーンが多いので、のちの「天気の子」へと受け継ぐみたいな。
45分くらいの映画。
 
内容は、んー、正直なところ1mmもこころを動かされなかった。
自分には合わなかったのかな。
大江千里の「RAIN」? いや、知らんし。 
それを秦基博がカバー? いや、知らんねん。ごめん。
   
映像っていうか景色、風景の作画はめちゃくちゃ綺麗でした。
 
以上。
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この作品は、黒い額縁に入れようと思って作っていたのですが、
いや、これ、色を塗った方が雰囲気が出るんじゃないかな、と思って試行錯誤しながら一生懸命に塗ってみました。
あちらの黒額縁に入れる作品は、
純粋な初期衝動をカタチにする、っていう作品なので、ごちゃごちゃと消したり塗り重ねたりしない、
モノを作るうえでの一番最初のインスピレーションをそのままの状態で、生の、純粋なモノを、そのまま作品というカタチに落とし込む。
そういう作品です。
勇気と自信と大胆さとある意味の開き直りも重要になってくるのです。
   
でも、今回の絵は、塗り重ねた方が良くなると判断しました。
仕上がったので、額縁に入れようとしたら、デカすぎて入らなかったのです。いや、入るんだけれど、合わなかったのです。
だから、いつものアクリルフレームに入れることにしました。
いつもの白いフチのマスキングをしていないけれど、これはこれでいいじゃないか、なんて思いました。
 
こういうことはアドリブで。
思い立ったら即行動。それが吉日。
芸術や創作の、いろはの「い」。
 
ジンセーのいろはの「い」でもあるのです。
 
Goda world
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airinhishou · 2 years
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昨日 帰宅してから熱がある事に気が付き(めちゃくちゃ寒い 身体の節々が痛い) 病院を探すも全滅 保健所に電話しても繋がらず やっと繋がったと思っても盥回し 18時過ぎくらいに、ちょっと横になるつもりが 爆睡😅 今朝目が覚めると7時を過ぎた😅 部屋の前にTOMさんかアクエリやゼリー飲料置いてくれてました。 キッチンにも、冷蔵庫にも ありがたや〜(T ^ T) 朝 職場のオーナーさんからも電話を頂き 抗原キットならあるからとの事、そんな矢先に受け入れてくれる病院が見つかり 検査予約が取れ 行くとドライブスルー的に検査をやってくれるのですが、病院の先生曰く「抗原検査して、陽性出て また!PCR受けるなら二度手間になるので、PCR検査受けた方がいいでしょう」との事  唾液を5cc採取って😅 検査1時間前から、飲食禁止な上に 外は暑いんだろうけど、解熱剤飲んで行った私はエアコンなしで行ったのはいいけど、熱中症になりそうになりましたわ😅←帰りは熱がちゃっかり38.4度まで上がってて😅 結果は明日の遅くか明後日に出るそうです。 あれだけ 関節痛と寒気が続いていたのに、今は喉が痛くて 咳が😅 まあ これ以上は酷くなる事は無いと思う(色々薬とか貰ったし) 普段 熱が出ると物を食べれなくなるのですが 食欲旺盛です😅 ピーナッツバター塗ってバナナにローストシュガー乗せて 朝ごはん 杏仁豆腐もちゃっかり頂いてからの〜病院受診 帰宅して ロールケーキ独り占めして 爆睡😅 「夜何が食べたい」とTOMさんが言うので 即答で「肉‼️」言うと笑われました😅 「喰い力」大切‼️ 食べる事は生きること 病気しても、食欲ある人は治りが早い 食べない人は 中々 治るもんも治り難い 今 思う 酒やめて 良かった😅 やめてなければ 絶対!食べない アルコールに走ってたと思う😅 食べ物が美味しいのは、嬉しい事です😊 肉 たらふく食べれて幸せ❤️ とりあえず 安静第一 検査結果を待つしか無い 丁度、今日から3連休で良かったのかも 色々と思うんだけど 職場変わって TOMさんと顔を合わすのは休みの日くらいで、完全に逆転生活 どっちかが家にいる時に、片方がいないと言う😅 この2週間振り返っても、先週はお盆で、休み返上で私は仕事 顔を合わせたって バイクで出て行って incomeで会話する程度 そこまで濃厚接触者では無いと言う😅 検査結果が出るのを待とう #いきなりの熱に戸惑う #世間の言う通り保健所に繋がらない #発熱外来 #なかなか受け入れてもらえない #盥回し #pcr検査 #熱があっても食欲旺盛 #よく寝る #睡欲食欲大切 #安静第一 https://www.instagram.com/p/ChfOL49PQSQ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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wasite · 2 years
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WASITE.store 2022.05.21 now OPEN  今日の海 たまたまYotubeで ハーレーのバイクの修理をする動画を見ていた。 壊れていたのは「ダイナモ」という発電する部品。 それ、人間にもあるんです。 人間も発電してるんでっせ! と言うことで、 1860年の今日 ウィレム・アイントホーフェン誕生!(〜1927) オランダのお医者様で、 1924年にノーベル生理学・医学賞を受賞!!! その功績というのが、 みなさんもやるでしょ、 「心電図検査」 あれよ あれ!!! 1895年に世界初の実用的な心電図を発明!!! グレイト!!! Drウィレムの心電図ができる前から、 人間の心臓を鼓動させると電流が発生することが知られていた。 そう、人間の心臓は血液のポンプでもあり、 同時に発電もしているんです。 (筋肉は電気で動くし、動くと電気が出る  電気ウナギが発電しているのも筋肉) で、昔は心臓に直接電極を取り付けないと、 その電流は測れなかった。 なんか怖い そこでDrウィレム! 強力な電磁石の間に めっちゃ細〜い導線フィラメントを通す。 この導線フィラメントに心臓から発生した電流が通過すると 電流が電磁石の磁場を動かす! これが皮膚や骨が間にあっても探知できるってんだから 大したもんだ! で、磁場の様子を光で照らす! その影をスクロールする紙に記録していくってわけ。 シンプルに機構を説明したつもりだが、 機械に明るい人じゃないと想像しずらいよね、 すまん! で、この技術を土台にマシーンは進化! 人間ドッグとか学校や職場の健康診断で 病院や専用の車の中で検査ができるってわけ。 ちなみに心電図について理解を深めていただく。 心電図の検査によって、 不整脈・虚血性心疾患・狭心症 心筋梗塞・心肥大・心筋症 心不全・心房細動などの病気が分かります。 大事〜。。。 早期発見、早期治療! さて、そこで一冊の本を紹介。 「禅とオートバイ修理技術」 いつか挑戦しようと思って寝かせている一冊。 そしてこの本に影響を与えたというのが 「弓と禅」 スティーブ・ジョブズも愛読。 著者はドイツのヘリゲルという哲学教授。 体の動き・運動というのを、 それまでの西洋は完全に意識が コントロールしていると考えていた。 が、ヘリゲルは日本で弓道を修行! 気づいた! 長い練習によって体の活動は、 あたかも体・筋肉が記憶し、 複雑で難しい動きでも、 意識的にコントロールすることなく実行する。 それは精神的にも肉体的にも楽になる。 ヘリゲル「これは技術のぜん進的な研究では、       たどり着かんぜ!?」 まったくもって異なる秩序のなんかが、、、 ある! ってのがヘリゲル。 (あー、っちょっと話が難しくなってきた�� 禅は、なにも静かに座って、 周りの音もざわめきも感じず、 ひたすら何も考えずに、 ただ心静かにそこにいるだけ ってものじゃない。 それだと死んでるのと変わんないw 禅はアクティブです。 生きてる人間の活動ですよ。 無意識で動く・働くものとつながり、調和する。 (だから自然という大きな無意識に調和!) 箸、子供の頃に練習したでしょ? 初めは上手に使えませんよね。 で、だんだん上手になって、 普通に使えるようになる。 この普通の状態って意識してます? 普通=無意識 じゃない? で、大人になって普通にお箸で食事しますが、 その時、自分の箸使いを意識します? 普通に使えるのはヘリゲルさんの弓の禅理論でもそう。 で、さらに意識して綺麗に食事をする(箸使いも含む)が、 一種の禅でもあるわけですよ。 マナーはまた別の話。 無意識にできることであっても、 そこに意識をつなげて調和させることで 活動のクオリティを高めるって感じかなぁ。 弓の腕もそうだし、 オートバイを直すことも、乗ることもそう。 心臓は練習しませんでしたが、 無意識に動いてます。 「止まれよ!」 といっても動いてくれますw そこにも意識を向けて、 自分の体に向き合う・調和するのが、 健やかな生き方って感じじゃないでしょーか!? だから、必ず受けよう! 心電図検査!!! ってことで今日も ストーーーーーーップ!!!ロシア!!! では、今日も良い1日を! #WASITE #ワシテ (WASITE) https://www.instagram.com/p/CdznLT5vDAo/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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gunosy-news · 5 years
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人間、捨てたもんじゃない…知らない人から受けた「親切」に心あたたまる
集計期間:2020年3月4日~3月6日 回答数:14138
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 人間関係の希薄化が叫ばれる現代社会では、人の嫌な面ばかりが見えてしまいがちです。ニュースでも、毎日のように残酷で陰湿な事件が報じられ、思わず人間に絶望してしまいそうになるという人も多いのではないでしょうか。
 しかし、他者を信用できない世の中ほど寂しいものはありません。そして、そんな世の中だからこそ、人の親切に触れた時に受ける感動もひとしお。
 そこで今回は「知らない人から受けた親切」にまつわるアンケート調査を行いました!
Q1.知らない人から親切にされたことはありますか?
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 回答者14138名のうち、全体の約4分の3にあたる人々が「見知らぬ誰かから親切にされたことがある」という結果に。なんとも希望を持てる数字ですね!
 ここからは、具体的なエピソードを見ていきましょう。
<具体的な親切エピソード>
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【赤ちゃん・子供・妊婦のエピソード】
・小さい子供が二人いるので、電車に乗る時や電車を待っている時、道を歩いているだけでたくさんのひとから話しかけられ、譲っていただいています。
・子供が電車のドアに腕を引き込まれてしまった時に見知らぬ男性が助けてくれた。お礼をしようとしたらその電車に乗って去ってしまった。
・年子の赤ちゃん連れて買い物へ行った際に、スーパーや薬局などのレジでお会計しながら袋入れしてもらうことが結構あり助かりました!
・5カ月の子供と電車に乗ったとき、泣き出してベビーカーを嫌がる息子。その時若い10代のカップルが、『ベビーカー僕たちが見てるので、ここ座ってください』と席を譲ってくれた。都会も捨てたもんじゃないな
・妊娠中、電車で席を譲ってもらった。
・妊婦の私が電車に乗った時、腰が痛かったので座りたかったけど席が空いてなくて、優先席の人も見て見ぬ振りをされてしょうがないなと窓際に立っていたら、離れた場所に座っていた女性が、自分が座っていた席に荷物を置いてキープしたまま席を立って私のところまで座ってくださいと言いにきてくれました。とてもありがたくて、こういう事ができる女性になりたいなと思いました。
・レジに並んでる時、子供がぐずってたらあやしてくれたり、順番変わってくれたりしてくれた
・子供の頃、自転車のチェーンが外れて困ってたら助けてくれた
・子連れでいると、年配の方に「頑張ってるね」「いま大変かもしれないけど、頑張ってね!」と温かい言葉をかけてもらうことが多いです。妊娠中は電車の中で20-30代の男性がよく声をかけてくださり、席を譲ってくださいました。
・息子がまだベビーカーに乗っているとき、駅で乗り換え方がわからずそこにいた学生さんに聞いたら『私、時間あるのでその駅まで一緒に行きますよ(^-^)』と言ってくれて、更にマザーズバッグを持ってくれて一緒に電車に乗って私が行きたい駅まで同行してくれた!帰り際に名前聞いたけど教えてくれなかったー!どこかの学生さんに間違いないけど本当に感謝しています。世の中イイ人もたくさんいる(((*≧艸≦)
・子供が小さいときに席を譲っていただき、「何年か経って大変そうな子供連れの方がいたら、代わってあげてね。私もそうしていただきながら、子供を育てたのよ。」と言ってもらいました。今、親切はそうやって世の中を巡っていくのだと思っています。
・妊娠中に会社から帰宅中に、上の子を迎えに行き電車に乗ってすぐに気を失って倒れてしまいました。子供に後で聞いたところ、車掌さんに連絡をしてくれた方、上の子の手をずっと繫いでいてくれた方、ホームから担架でおろしている間もまわりの方々が親切にしてもらったようです。ありがとうございました。
・抱っこ紐を忘れて赤ちゃんを抱っこしたまま買い物した物を袋詰めしてたら、やってあげるわよと言って袋詰めしてくれ、車まで荷物を運んでくださった親切なおば様。
・電車で泣き止まない息子に焦っていたら、声をかけていただいて、あついのかなー?おなかすいたのかなー?ママも大変ねって笑ってくれて、本当に嬉しかった。人の目があったので、怒られたら、と心配になってましたが、おかげで注意や非難されることなく無事に目的地に着きました。
・このコロナ騒ぎの最中、買い物にでかけた先で大量の鼻血を出した息子回りは白い目で見てた中、おばちゃんがポケットティッシュをポンとくれたちょうどティッシュなどの紙類がなくなる中、気にしなくていいからと去っていった姿��ジーンとした 
【雨のときに…】
・野外ライブで雨が降り、傘しか持ってなかったのに使用禁止で困っていたら、隣りの人がゴミ袋をくれた。
・急な豪雨で雨宿りしていたら、傘をくれた方がいた。
・バス停でバスを待ってたら突然の雨、知らないおばさんに傘いれてもらった。
・子供と散歩中、急に雨が降ってきて傘を持ってなかったので濡れて帰ろうと遊びながら帰っていると、車で通りかかった男性がわざわざ降りてきてくれて『傘使ってください!もういらないので!』とビニール傘を差し出してくれました。結構な雨の量だったのですごく助かりました。
・足の骨折で片���葉づえ状態の時、腎臓病の猫の通院日が雨だった。右手杖、左手猫のかごなので、傘させず雨の中帽子だけかぶって濡れながら駅に向かっていたら、知らない方が傘をずっとさしかけてくれた
・雨の日、子供を抱っこして予防接種に向かう途中あと少しで病院というところで、さしていた傘が崩れ壊れた。通りかかった年配のご婦人が赤ちゃん濡らしちゃったら大変と、折り畳み傘をくれた。その後病院にいる間に雨が強くなってきたようで、ご婦人が折り畳み傘じゃ濡れると病院まで普通の傘をわざわざ持ってきてくれた。ご近所にお住まいだったようだが、わざわざそこまで気にかけて頂き親切にしていただいて、本当に助かりとても感謝しています。
【電車内で】
・電車に乗っていたら知らないおばちゃんからみかんもらいました。
・特に人が多い日に満員電車に乗った際、押しつぶされ倒れてしまいました。その時に男子中学生が手を差し伸べて大丈夫ですか?と聞いてくれました。毎朝イライラしてる人が多い電車の中で心優しい子もいるんだなと嬉しかったです。
・色々な方に親切にしていただいた事があります。中でも20年前くらいのことですが、仕事で現場に向かう途中の朝の通勤ラッシュの電車内で貧血と過呼吸に見舞われ、意識が遠のいてしまった事がありました。意識が薄れる中、微かに「大丈夫?」と女性の声が聞こえたのを覚えているのですが、気づいた時は降りる予定の駅で、ドアが開くと同時に駅員の方が二人で私を抱えてくださっていました。その時は駅員さんに御礼を言うのがやっとでしたが、きっとあの時の声の方が、駅に連絡をしてくださったりしたのではないかと思います。どれくらい意識を失っていたのかも分からないので、誰かに引き継いでくださっての到着だったかもしれないので、もしかしたらその方だけではなかったのかもしれません。どんな方だったのか、何人だったのか、なぜ降りる予定の駅で救護して貰えたのか、など分からない事がばかりですが、ただ一つはっきりとした事実は、その時その場所には人の善意しかなかったという事です。恥ずかしながら今の私は辛い状況の中にいるので、その時の事を思い出すと、もう少し踏ん張って見ようと思えます。
【海外で困ったときに…】
・海外旅行中、ケネディ空港で迷子になり、搭乗口がわからなかった時、たまたま日本人おばちゃんが前を通りかかったので声をかけた時、自分と同じ飛行機に乗るとの事で搭乗口まで一緒に行ってくれた。1人旅で心細かったのでとても助かった。
・学生時代、海外でテイクアウトのコーヒーを買った。飲み始めて現金があと1ドル足りないことに気付いた。もう飲み始めている上に後ろにも列が出来ていた。カードも何も無くて半泣きになっている私に見知らぬ男性が黙って1ドル置いて立ち去った。追いかけてお礼を言うのが精一杯でお金を返せなかった。あれから30年以上経つが未だに忘れられない思い出です。
・オーストラリアのシドニーでお店を探していたら男性が話し掛けてくれた。店の行き方を教えてくれた、すぐ近くの銀行員だったが本当にありがたかった。
・パリで乗る電車が分からないとき声をかけてもらいました。
・バスに乗り間違えてロサンゼルスの郊外で迷子になった時、その場にいたメキシコ出身と思われる男性が親切に正しい戻り方を教えてくれた。無事に帰れたお礼を伝えることができず、今でも連絡先を聞かなかった後悔と、見ず知らずの若い日本人を助けてくれた恩に感謝しています。
・子供の頃バンコクに家族旅行に行った際、つば付きのキャップが風に飛ばされ水上ボートだったのですが船頭の少年が川に飛び込んで取ってきてくれた。
・アメリカでガソリンが無くなって困っていた所ガソリンスタンドまで乗せて行ってくれて携行缶を借りてくれようとしたが借りられず、自分の家のガソリンを取りに行ってお金も受け取らず助けてくれました。
・韓国に行った時、行きたい場所にたどり着けず困っていたらその場所まで一緒に歩いて連れて行ってくれたり行きたい店が見つからずHPを見せたら携帯で電話して聞いてくれたりとにかくとても親切でした日本でいるとイメージが真逆でびっくりしました
・台湾で夜に道がわからなくなってコンビニに入って店員さんに聞いたら、店内にいる他の人達もそれに気づいて一緒に探してくれて、最後には「女の子1人で夜道は危ないから」ってタクシーも呼んでくれて、到着後支払おうとしたら「友達だから!」ってタクシー代まで支払ってくれていた。海外で言葉もなかなか通じないのに、こんなに親切にしてくれて、本当に感謝と感動が止まらなかった。連絡先を聞き忘れた事を未だに後悔している。また出会えないかなぁ、と台湾に行くたびに思う。
【お金がらみのエピソード】
・小さい頃、スーパーのレジで金が足りないとき、レジの人が足りない部分の金を払ってくれた。
・子供のころ、買い物で10円足りなかったところ、知らない高校生の男の子が10円くださり、買い物ができました。自分も、大人になって、困っている子供に同じ事をしたことがあります。
・所持金が5000円しかない状態で深夜にタクシーに乗った時、その旨と予算内ギリギリの所までの走行をお願いしたのですが、500円ほど予算オーバーにも関わらず、5000円で自宅前まできちんと届けて頂いたことがあります。
・高校生のとき友達とスーパーの惣菜コーナーをみていたら知らないおばあさんにお金をもらって好きなものを買いなさいって言ってもらった
・終電で寝過ごして、同じ状況の人とタクシーで相乗りして帰った。その人は先に降りられ、私が家に着いたら全額払っていてくれた。
・他人から何故か駅でSuicaチャージする時にどうぞって1000円渡されたことある、全く知らない男
・高校生の時に定期を忘れて、遅刻したくない勢いで駅員さんに相談したら、しょうがないなぁ、と個人的にお金を貸してくれた
【迷子になったとき…】
・学生時代、道に迷って困ってたら道案内してくれた
・知らない土地で迷っていると声をかけられて、車で道案内してもらった上に食事まで奢ってもらえた。
・道を聞いたら、言葉だけでなく、わかりにくい道なのでと、分かり易くなるところまで連れていってくれたこの人はお年寄りでした
【ケガ・体調不良のときに…】
・体調を崩している所に、お水を渡してくれた
・山でバイクで怪我をしたとき、車で通りかかった夫婦に麓の病院まで乗せて行っていただいた時
・銭湯でのぼせたときに冷たいタオルを首に巻いて、水を飲ませてくれた
・駅で派手に転んでしまったら、若い男性が大丈夫ですか?と手を差し伸べてくれて、余計恥ずかしかった。
・体調が優れずに駅のホームにうずくまっていたら、周りの人が駅員さんをよんでくれた。苦しい間励ましてくれた。
・花粉症で鼻水ズルズルのとき知らない人からティッシュもらった
・骨折して松葉杖で歩いていたら雨が降ってきて知らない大人が車で家まで送ってくれた中学生の時
・ 脚を手術し、しばらく松葉杖で歩いていたら駅の階段で荷物を上まで運んでくれたひとがいた。
・風邪を引いてる時に寄ったコンビニで店員の女性がのど飴をくれた
・酔っぱらって道端で苦しんでいたら、知らない人がお手拭きをくれて、私の背中をさすって、「がんばれー!」って介抱してくれた。
・泥酔して気持ち悪くなって駅のホームで休んでいたら 見ず知らずの方にお水を自販機で買っていただいて 大丈夫ですか?と声を掛けて頂いたことがありますとてもありがたかったです
・高校生の時、学校に登校する途中で派手に転んで膝から血が出た。でも一旦家に帰ると遅刻してしまうためそのまま電車に乗った。膝から出る血をティッシュで押さえながら電車に乗っていたら、知らないおばさんが声をかけてくれて絆創膏をたくさんくれた。
・貧血でふらついてて転んで怪我をした時、手当てをしてもらった。自分が持っていたハンドタオルを濡らして血を拭いてくれて、バンドエイドを貼ってくれました。ありがとうございますとしか言えなかった。その節は本当にありがとうございました。
・出勤のため雪道を自転車で走っていたら見事なくらい派手にすっ転んだ。歩行者の女性と、車からわざわざ男性が降りてきて自転車を起こしてくれたり助けてくれた。恥ずかしいやら申し訳ないやらで、ひたすらすみません!有難うございます!大丈夫です!を繰り返しながら全身ビッショビショで仕事場に向かったけど、嬉しかった。
・バイクで自損事故をした時に119番して救護をしてくれた人が居た。知らん顔して遠巻きに見てる人が集まる中、その方の車の中からバスタオルを数枚持って来てくれて頭の下に敷いてくれたり会社にまで連絡をしてくれたらしいけど、救急車が来て立ち去った。聞けば祖母の病院へ着替えやバスタオルを持って行く途中だったとのこと。助けられました。 
・足に釘が貫通した時、病院へ看護師さんを呼びに行って車椅子を持って戻ってきてくれた。 
【色んな意味であたたかい】
・寒いなか外で仕事してたら、ホッカイロもらった。ありがたかったです
・飛行機に乗っていて寒いのを我慢していたら、隣の紳士なおじさまがブランケットをCAさんに頼んで「良かったらどうぞ」と笑顔で渡してくれた
・子供と某テーマパークのアトラクションに並んで100分が経過した頃あまりの寒さに泣き出して帰る!と言われ半泣きしていると、後ろに並んでいたカップルがホッカイロをくれた。
・フェリーのざこ寝の大部屋で、有料で毛布を借りるのをケチってそのまま眠った。目が覚めたら毛布であたたかい。途中の港で早朝下船した隣のおじさんがそっと毛布をかけてくれたらしい。
【遺失物・忘れ物がらみのエピソード】
・財布落としたら交番に届けてくれた方、本当にありがとうございました!
・落とし物を拾ってもらい、さらに速達で自宅に送ってくれた。無記名で手紙付きで。感謝しかないです。
・先日買い物の際財布を入れた鞄をショッピングカートにかけていたのを取り忘れたまま帰宅‼️途中気づいて慌てて戻ったらサービスコーナーに届けられてました。届けて頂いた方は名前も言われず行かれたとか。入ってた財布は諦めてたけどホント届けていただいた方には感謝‼️
・財布を落としたら後ろを歩いてた人に声かけてもらって財布を拾ってもらいました。今の嫁です。
・北海道で一人旅をしていて、バスに乗るって時に少し前に立ち寄った所に手荷物を忘れたので取りに行こうとバスの運転手さんに忘れ物を取りに行くので先に行って下さいと伝えたら、『 わかりました��と言ってたんですが、約1時間後再びバス停に戻ると同じバスが待っていて不思議だなと思い乗り込むと、運転手さん初め乗客の皆さんから拍手喝采。『 荷物が見付かって良かったね』と。私の事が心配で待っていてくれていたのです。その場に居た皆さんには感謝しかなかったです。初めての場所で初めて会う方々なのにとても優しさを感じました。
・私が学生の頃、電車に飛び乗ったとき、電車のホームに定期券を忘れてしまいました。しかし、私は定期券に気がつかず電車の扉が閉まってしまいました。そこに見知らぬ男性が私の定期券を持ちながら「車掌さんにこれ(定期)わたすよ」という身振りをしてくれました。後からその駅に戻ると私の定期を車掌さんが持っていてくれ無事に手元に戻りました。あのときは、ほんとうにありがとうございます。
【何かをもらった】 
・ライブの当日券売り場に並んでいたら見知らぬ男性が良い席のチケットが余っているとただでチケットをくれました。
・イベントの入り口で入場券を買おうとしたら、余っている無料券を貰えた!
・スーパーで1000円毎に応募券もらえるっていうキャンペーンやってて、1000円いかなくてもらえなかった時に、おじさんが応募券いらないからあげるよって渡してくれた!すっごく嬉しかったです!
・牛丼屋でバカ食いしてたら、しらないオバサマから割り引き券を貰った。 
・部品がなくなったときに、ホームセンターの人に、無料で譲ってもらったこと
・先日ドラックストアで、買いそびれたマスクを見ず知らずのご婦人に、譲っていただいた。ただ、自分も多少ストックが家にあったので、更に必要に迫られている知人に譲りました。
・ウォーキングしてる時、向こうから歩いて来たおばあちゃんから、タケノコあげると言って呼び止められ、結構な量のタケノコ頂きました。
・潮干狩りでちっとも獲れなかったんだけど、幼かった子供にたくさん貝をくれた。美味しくいただきました。
・何年も前の話です。出先でレジ袋を置いていないスーパーで買い物をし、会計時にそのことに気づきました。段ボールは置かれていたので、それに詰めて持って帰ろうかと夫と話をしていたら、知らない女性が手持ちのビニール袋を渡してくれました。とても有り難かったです。日頃から人に親切にすれば、困ったときに返ってくると信じて私も親切にしようと心がけています。
【行列で】
・イベントの並ぶ列がわからず困ってたら教えてくれた
・飛行機の搭乗手続きで 間違えた列に並んでいたのに気づかずにいたところ、後ろに並んでいた方が気づいてくれて 正しい列の場所を教えてくれました。
【災害時に】
・311の大震災の時、仙台駅から地元まで歩いて帰りました。高いヒールで、立ち止まったりしながら寒い中歩いていた時に、渋滞している車に追い越し追い越されをしていました。その時に親切な方に乗りなよ!って声をかけてもらったのですが、人見知りだし好意に甘えることに抵抗があり断りました。が、また歩いていると先ほど声をかけてくれた奥様の車が追いつきやっぱり乗りな!高校生の息子とその友達しか乗ってないから!と、断った私にまた声をかけてくれました。私に気遣い安心させてくれる声がけ。また、再度声をかけてくれたのを断るのは違うと思い乗せていただきました。さらに、乗車後にこんなのしかないけど、とバナナとチョコを、くれました。きちんとお礼ができていないのが悔やまれます。が、本当に人の暖かさに触れた瞬間でした。
【何か手伝ってもらった】
・スーパーで箱入りブドウを買うつもりで持ち歩き他の買い物してる時にブドウを落としてバラまいた時に一緒に拾ってくれた一人の方がいたこと
・買い物で自転車からちゃんと縛ったつもりの買い物した物が沢山入った段ボールが落ちて道路に散乱。知らないおばあちゃんが転がった玉ねぎやキャベツ大根など拾ってくれて段ボールに入れてくれた。
・駅の駐輪場で自転車がずらーっと倒れていてその間に自分の自転車があり、ひとつひとつ立てていってたら知らないおじさんがスマートに手伝ってくれた
・病院の駐車場で父を車から車イスに乗せかえる時に、それを見て知らない男性が車からサッとおりて来て「お手伝いします!」と言われて大変感動しました!以来私も知らない人が困っているのを見かけたら迷わず親切にしています!
・小学1年生の頃、終業式の日に学校に置いていた教材などを全て家に持ち帰らなければならず、それらを入れた重い袋を引きずりながら歩いていた学校の帰り道。知らないおばさんが「重そうね〜ちょっと持ってあげようか」と声をかけてくれて、しばらく持って歩いてくれた。
・20年位前、大きなスーツケースを持って、通勤ラッシュの浜松町駅の階段を登っていたら、ふっと軽くなり、あれ?と思ったら後ろからきたサラリーマンの人が私のスーツケースを持って階段の一番上に。そのまま颯爽と行ってしまいました。振り返る事もなく、あっという間の事で後ろから「ありがとうございます」と言うのが精一杯。スマートでありがたかったです。
【事件に巻き込まれたとき】
・車で信号待ち中に当て逃げされた時 逃げた車の後を走ってたというカップルの方が前の車の様子がおかしかったからってナンバーも覚えてくれてて慌ててる私に直ぐに警察へ行き!とナンバーと車種を教えてくださったこと。おかげで直ぐに相手が判り認知症のお爺さんでした。
【車にまつわるエピソード】
・豪雪の夜中に車のチェーン着けるの手伝ってもらった!しかもご飯までご馳走になってしまった!トラック運転手さんありがとうございました!
・何年か前の母娘旅行で、船の時間間に合わない時、駅にいてた旅館送迎の運転手さん(宿泊してないです)が船着場まで送ってくれました!その旅館のお客さん乗ってたのに、その場のお客さんも文句言わず、無事間に合いました!
・早番の出勤で駅までのバス待ちをしていたら、大型トラックのドライバーさんが止まって「途中事故があって当分バス来ないから駅まで乗せてあげるよ」と親切に乗せて下さった。最初は知らない人の車で怖かったけど、とても良い方だった。
・免許取り立ての時 コンビニにいったら隣にトラック 後ろに街頭で 斜めに出る技術がなく 四苦八苦してたら知らない人が車を出してくれた。
・自分の車が脱輪したときに、周りの人が大勢助けてくれた。 
・車で走行中にマフラーが外れてしまい、知らずに走っていたら、すぐ後ろの車の人がわざわざ教えに来てくれた。その後、とりあえず応急処置をしようとしていたら、知らないお兄さんが声をかけてくれて、やり方を教えてくれたけど、あまり機械に詳しくないと言ったら、全部そのお兄さんがやってくれた。神!
・冬、国道から路肩の雪山に車が落ちて埋まった時、見ず知らずの方達が何台かとまってくれ、交通整理をしたり車を引き上げてくれた。
・田舎で一日数本のバスを乗りすごし歩いていた時に通りがかりのタクシーの運転手さんに駅まで料金を取らずに送ってもらえたことがあります。お金を払うって言っても回送中なので受け取れませんということでした。
・昔、友達にバイクを借りて家に向かう途中、カーブを曲がりきれずガードレールに突っ込んでしまい、借りたバイクは一発廃車私は血だらけ、、周りにたくさん人もいて恥ずかしさの余りその場から早く立ち去りたかったので、逃げる様にその場から急いで去ろうとした時に声をかけてくれた障害者のお兄さん、私がパンツ丸出しで倒れてるのを見てハンカチで隠してくれてました。あの時はお礼も言えなかったけど感謝です。
・仲間とドライブして山で迷子になり挙げ句ダブルでパンク、冬場で雪も降り始めガソリンも底をつき途方に暮れてたと頃、麓のおばあちゃんが通り掛かり自宅に招待してくれ食事から宿泊まで面倒をみてもらって修理���まで建て替えてくれた。その後何年間か交流してくれたけど、暫くぶりに伺ったら亡くなれて家もなかった。
・職場から自家用車で帰宅途中、ふと気づくとワイパーに小さなメモが挟まっていた。気になったので高速道路に乗る前に車を停めて確認すると、「恐らく右の後輪がパンクしてると思います。JAFを呼んだ方がいいです。」と。朝、確かに変な形の石に乗り上げていたのと、運転中右にハンドルが取られる気がしていたので即納得、JAFを呼びました。メモは、近所に住む車に詳しい警備員の方からでした。通りがかりに気になって教えてくれたそうです。あのまま高速に乗っていたらと思うとゾッとします。
【喫煙者同士の絆】
・何年も前の事ファーストフード店でタバコを吸おうとしたらライターを忘れていた恐縮しながら近くの人にライターを借り、一服していたら、『1つ余分にありますから』と借りた方がライターをくれました
【トイレを我慢しているとき…】
・子供のトイレが漏れそうな時、順番を譲ってもらった
・子供の頃、トイレに行きたくて我慢出来ず、近くの家に飛び込んだとき、見ず知らずの私を快く家に入れてくれた。もちろん、トイレも借りました。
【そっと教えてくれる人】
・電車でチャック開いてたのをそっとおばあちゃんがおしえてくれた
・スカートの後ろチャックが開いていたのを、こっそり教えてくれて、サッと去って行った紳士
・出先でトイレ後、トイレットペーパー引きずって歩いてたのをそっと教えてくれたご婦人。
・カーディガンを裏表着てた時に教えて頂きました、今の旦那のご両親に会う時だったので本当に感謝してます!
【その他】
・徳島県で遍路道を歩いていた時、様々な人に励まされ、親切にされた。ご年配の方からも小学生からも親身になっていただき、無事に歩き通しました。
・社員旅行で、まだ入社したてだったからか、休憩のサービスエリアに置き去りにされ、携帯で連絡はできたが移動手段がなく困ったので、駐車場の車に声を掛けて、次のサービスエリアまで乗せていってもらった。
・花火大会で普段着慣れない浴衣の帯が取れて困っていたとき、通りすがりの女性に締め直してもらった。
・幼少期にプールで溺れて知らない人に助けて貰った。その人がいなければ今生きてない。
・ケンカの仲裁をされました。他人なので冷静になりましたね。
・人ではないがネコ、喧嘩の仲裁をしたその後 お礼なのか仕留めた鳩を加えて玄関へお土産として置いった。複雑な気持ちになった。
・バスの中で変な人にからまれ、外国人の方に守って頂いた。
・初めて甲子園に行ったとき、席探してると、阪神応援団の方が席案内してくれて、初めてだと言うと、選手応援歌の歌詞が書かれた紙をくれたこと。阪神ファンは怖いとか言う人いるけど、いい人ですよ。
・買い物中に顔面蒼白だったらしく、見知らぬご婦人から鏡を貸して頂いた事がある 
・MonsterHunterWorldというゲーム内で慣れないことをやっている時、オンラインで他のプレイヤーがサポートしてくれたおかげで簡単に終わりました。そんプレイヤーは報酬を受け取らず、途中で離脱していったのが、またシブイです。
・昔、銭湯で知らない人に背中を洗ってもらいました
・子供が家出をしたが、知らない人が心配して連絡をくれた
・観光地でカップルでもじもじしてたら「撮りましょうか?」と。いい記念写真とれました。
・ジム行って機械の操作がわからなく色々なぶっていたら、このジムにいつも通っている人が近くに来てくれて操作を教えてくれた。
・蜂に刺された時、その場の近くの家の人がアロエを持ってきてくれて、刺されたところに塗ってくれた
・近所のスーパーで、お婆ちゃんが袋詰めの極意を教えてくれた
<まとめ>
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 以上が、皆さんの「見知らぬ他人から受けた親切エピソード」でした。どれもこれも、読んでいるだけで心あたたまる話ばかりでしたね。
 寄せられたエピソードの中でも印象的だったのは、親切にしてくれた人から「私も以前、人に助けてもらったことがある」と明かされ「次は自分も困ってる人を助けてあげたい」と決意する人が多かったことです。一人の親切心が、大きな輪を広げていくのがわかりますね。
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
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こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
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india-smalltalk · 5 years
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インドのコロナ対応について (その1 / 発生~3月24日)
本日、3月25日よりインド全土が21日間のロックダウンに入りました。
正直なところ、3月初旬までは中国大変なことになってるな、日本も自粛自粛で大変そうだな、というまさに対岸の火事という感じだったのですが、あっという間にインドでも厳戒態勢に入ったので、時系列で記録しておきたいと思います。 政府の発表とか詳細なやつはインド在住ブロガーの方が非常に分かりやすくまとめてくださっていて、情報もいち早く翻訳して提供されているので、あくまで私の目線でのコロナ対応です。
1月30日 在ムンバイ日本国総領事館よりコロナ関連のメール第一報。武漢大学から帰国した学生1名の感染が南インドケララ州で確認されたとのこと。翌日より主要都市の空港で、検温によるスクリーニングが始まる。
2月6日 領事館メールより。中国からの入国不可となる(ビザ無効)。1月15日以降中国渡航歴のある人は施設に停留される可能性がある。感染者数3名(武漢大学の学生)
2月13日 領事館メールより。中国、香港、タイ、シンガポール、日本、韓国からの直行便に対し、全乗客がスクリーニング対象となる。GWに友人が来てくれる予定は大丈夫だろうかと、少し現実味を帯び始める。 ピュアベジタリアンの知人より、コロナウイルスはノンベジから発症したから気を付けろと言われる。実際この噂のために、鶏肉の価格が急に2割くらい下がる。
2月25日 領事館メールより。スクリーニング対象国に、マレーシア、インドネシア、ベトナム、ネパールが加わる。17日に武漢より在留インド人650名が帰国するが、感染者数は依然3名。インド人たちから日本の家族は大丈夫かと聞かれたりする。
2月27日 領事館メールより。韓国、日本国籍者向けのアライバルビザ発行停止、韓国、日本、イラン、イタリア国籍のe-VISA申請不可となる。
3月2日 領事館メールより。イタリア及びドバイからの帰国者を含め、感染者が5名となる。感染者がデリーのハイアットリージェンシーで食事をしていたという追跡調査のため、レストラン従業員が自宅隔離となる。また、イタリアからの旅行者がアーグラー等を訪問していたという情報が入ってくる。
3月3日 領事館メールより。日本国籍者に発給されていたビザがすべて無効になる。つまり、一度インドから出たら取得し直さないと入国できなくなるという事態に。日本のインド大使館の窓口もシャットアウトらしい。
3月9日 領事館メールより。JALがデリー-成田便を減便。この一週間で感染者数が50名になっている。マスクをつけたインド人を見かけるようになってきた。この翌日がHoliというお祭りだったのだが、モディ首相からの外出しない宣言があった。 (実際のtweetはこちら)
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また、この頃から電話する際、呼び出し音の前に咳込む音声に続いてコロナウイルスに関する問い合わせ窓口の電話番号がアナウンスされるようになった。(現在も継続中。1でスキップできるw)
3月14日 マハーラーシュトラ州保健当局より、Epidemic Disease Act. 1897に基づき、映画館、ショッピングモール、プール、ジム、学校、大学等を3月31日まで閉鎖するという通知が出る。諸々のイベントも中止、自粛となる。 このEpidemic Disease Actというのは伝染病法とでも訳せるかと思うのですが、まさに1896年のペストの流行のあと制定された法律であり、都市の歴史を追っていたら、まさか100年後のインドで適用の真っただ中にいるとは…!という感慨深さがあります。そんなこと言ってる場合じゃないけど。。感染者数が100人を超える。 追跡調査により、陽性患者が数日前に結婚式に出席していました(100人規模)。だとか、長距離列車で移動していました、接触可能性のある1,000人をモニターしています。のようなニュースを見かけるようになる。まじか。 職場でPooja(お祈りのようなもの)が始まる。
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3月19日 この間も国際線の着陸を停止する等、鎖国状態の情報がちらほら入ってきており、実際グルガオンの友人は帰国してしまった。 この日、モディ首相より国民に対して緊急演説が行われ、主に以下のお願いがありました。
不要な外出を控え、外出時は人との距離を保つこと。
政府や医療関係、インフラ等を除く民間企業に対し、在宅勤務を依頼する。
10歳以下、65歳以上の方は原則室内に留まること。
病院にむやみにいかないこと。緊急以外の手術は延期すること。
日用品の買い占めを行わないこと。物品は十分にあるので、普段通りの生活を心がけること。
そして、
3月22日(日)7時~21時にJanta Curfewを実行する。Janta=人民とか国民という意味で、全国民に対し、外出禁止令が敷かれたということである。 また、同日17時には、みんなのために働いてくれている医療関係者、政府関係者、デリバリーサービスの方に敬意を表し、5分間鐘を鳴らしたり拍手を送りましょうという依頼があった。
3月20日 この日から私は在宅勤務に入り、個人のノートPCで作業をすることに。Autocad重すぎてどうにかならへんか。夜スーパーに行ったら入場制限していて、この線に並んで順番に入れるようになっていた。とりあえず東洋人めっちゃ見られる。
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3月21日 酒屋が閉まっている。アルコールのストックはゼロである。不覚
3月22日 外出禁止当日。外を見ても子供もバイクも誰一人見かけず、鳥のさえずりがやたら響いている。 17時から、このような感じで住民みんな窓の外に出て、拍手をしたり食器を鳴らしたりするという一種のお祭りのような出来事がありました。一日の外出禁止でも結構つらいなという感じだったのが、少し和らぐ一瞬でした。 ※家で撮った動画がどうにもアップできないため、借り物ですがご覧ください。1’45くらいから19日のモディ首相の演説も入っています。
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3月23日 インド80都市ロックダウンというニュースが。買い物等必要以外は不要不急の外出は控えること。電車は物資の輸送のみ。州境の道路も全面封鎖ということで、ナビムンバイどころか、ベラプールから出られなくなりました。幸いにも大型スーパーは徒歩圏内に2件あるし、個人商店もぽつぽつあるので、食べ物の心配は大丈夫かなと思っておりますが、見回ってみると個人商店は1割ぐらいしか営業しておらず、今後ロックダウンで営業を控えるよう警告があるのかどうなのか。鶏肉屋は全部閉まっていて大変ショックです。 この間、情報がすごい早さで更新され続けるため、領事館から鬼のようにメールが届いていました。本当にお疲れ様です。あとちゃんと在宅で働いています。
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3月24日 20時からモディ首相の演説。翌日より全土21日間のロックダウンが発表された。現在感染者数519名(外国人・回復済を含む)、死者10名。
というわけで、今日25日からどうなるのか分かりませんが、買い物に行くときに警察に怒られたりしないことを祈っております。フードデリバリーは生きているので、肉が買えなくても何とかなりそうです。
24日までのインドにおけるコロナウイルス感染者数グラフは以下になります。 (引用: 2020 coronavirus pandemic in India by wikipedia)
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まさに指数関数的に増え続けているところで、このロックアウトで封じ込めに成功するのかどうか、少なくとも接触は減ると思うので、増加数は緩やかになってもらわないと市民の頑張りが報われないという気持ちです。
モディ首相、ヒンドゥー教徒にかなり偏りのある政策を出したり本当に賛否両論という感じですが、この厳しい状況できちんと矢面に立ち、さらっと爆弾 (全土ロックダウン) を投下してくるあたり、統治者だなという感じがします。
基本ヒンディー語が分からないのと、状況が刻々と変わるので結構恐怖でもありますが、引き続きインドの現状をお伝えしたいと思います。私自身は元気です。
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xf-2 · 6 years
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 平成30年(2018年)6月21日(木曜日)          通巻第5729号  <前日発行> 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  華為技術(ファウエイ)の「スマートシティ」システムに潜む妖怪   ネット監視の都市を中国は「安全都市」と呼ぶらしい ****************************************  日本ではまったく伝わらなかった。いや、中国の主要メディアも報道せず、ネットに流れたストライキのニュースは当局がさっさと削除した。だから中国の国民も大規模なトラック業者のストライキがあったことを知らない。  中国ではトラック運転手が連絡を取り合い、拠点は安徽省の合肥と四川省の成都だったが、全国一斉のストライキとなり、波紋が広がった。 これは6月8日の事件で、原因は「ウーバー」への不満が爆発したからである。  何故か?  ウーバーはタクシーの空車が近くにいれば、スマホで呼び出せる新しいネットシステムで、日本のように空車が多い国では普及しないが、中国で急成長した。その結果、バイク、レンタサイクルにも及び、ついにはトラック業界にも影響が拡がる。  たとえば荷物がある。出入りのトラック輸送業者より、近くに空車のトラックがあれば、簡単に呼び出して輸送を頼める。つまりダンピングも起こり、業界の秩序と取引慣行までが攪乱される。  悲鳴を挙げたトラック運転手たちが、ネットで連絡を取り合って一斉に同盟罷業を提案し。実際に未曾有のストライキが行われた。  ところがネットを監視している全体主義国家の中国においては、「社会の安定」と「経済発展」が優先され、いかなるストライキも禁止されている。 ただちに当局が介入し、弾圧し、指導者を逮捕する。ストライキ参加者も罰金刑か、あるいは解雇という悲運が待ち受けている。中国共産党というビッグブラザーが禁止していることに刃向かったからだ。  こうした弾圧の先兵として、大活躍し、委細漏らさずに、その監視をおこなう装置がファウェイの通信機器と施設なのである。 だから「スマートシティ」だ。「共産党独裁にとって安全な装置」を張り巡らせた功績がある。監視カメラなどでストライキ参加のトラックを特定し、顔面認識システムは、運転手の顔を割り出す。  弾圧から逃れる手だては望み薄だろう。  ▲ウーバー・ビジネスの殆どを中国共産党系企業が抑え込んだ  トラックのウーバー・ビジネスは当初、ふたつの私企業が運営していた。 2017年四月に突如、ファンドが買収し、これら二社を合併させて「ムンバン」という会社に統合された。 つまりこの合併は共産党系列ファンドが表向き実行したことになっているが、自転車のウーバーを買収した手口と同じであり、すべてのネットビジネスも国家の監視下におく措置である。 国民に勝手な行動を取らせ、ストライキなど起これば、そのエネルギーは突然、反政府暴動に発展することになり、中国共産党は不安で仕方がないのである。 独裁システムとは、つねに過剰な監視を行うものであり、嘗ての密告制度と寸毫の変化はない。新兵器を用い、ネットシステムさえも、独裁政治の武器化しておこうという思惑からなされているのである。  かくてネットシステムは、中国においては中国共産党の安全のために酷使されるが、国民の安全のためではないことがわかった。  中国ばかりか、ファウェイの通信機器は「スマートシティ・ソルーション・システム」と銘打たれて、ロシア、アンゴラ、ラオス、ベネズエラに輸出されている。  西側は公務員の無駄を削減し、効率を上げるための「e政府」を謳っており、ドイツなどでは一部試験的にファウエイのシステムを導入しているが、米国とオーストラリアは、厳密にファウエイの通信設備、機器、システムの導入を禁止している。      ◇◎○△み○○○○や△○○○ざ□△◇○き◎▽◇□  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜    敗戦の直前にすべて焼却処分された筈の「秋丸機関報告書」がでてきた 戦前、陸軍は列強の経済比較を研究し、正確な情報分析をしていたのだった   ♪ 牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』(新潮撰書) @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@  副題に「秋丸機関『幻の報告書』の謎を解く」とあって、これが本書の骨格を示唆している。 「秋丸機関」とは日米開戦を前にして、敵側に回りそうな米国、英国、ドイツ、そしてロシア(ソ連)の国力、その資源、人力、産業のインフラ等を精密に事前調査し、分析し、その国力、戦力を経済の視点から分析し、戦争の勝ち負けを大胆に予測した陸軍の『有識者会議』とでも言おうか。 表向き軍傍系シンクタンクといえるかも知れないが、創設を発案し、学者を動員して組織化した中心にいたのは岩畔豪雄である。  もとより秀逸な官僚だった秋丸次朗を満州から呼びよせ、正確な情報にもとづく情勢判断と戦争の予測を集中して研究させたのは岩畔豪雄だった。  かれの率いた岩畔機関とは、あの時代に「藤原機関」「南機関」とかが軍内に存在したように、諜報謀略機関だ。登戸研究所創設、陸軍中野学校創設、偽札技術の導入と青幇を使っての後方攪乱など、あらゆる日本の謀略に岩畔機関が関与した。    しかしこの秋丸機関は岩畔がつくらせた頭脳集団(シンクタンク)であり、ボスが岩畔だったというアドホックな組織である。  しかもメンバーには裁判で保釈中だった有沢広己や中山伊知郎、竹村忠雄など経済学者が多数、加わっており、その研究成果をまとめたペーパーは、日本の敗戦直前にすべて焼却されたとされた。  ところが、そのうちの一冊が有沢の死後に、かれの蔵書の中から見つかった。  幻とされ、焼却処分された筈の「秋丸機関報告書」がでてきたことは、研究者にとっては朗報である。 この発見で戦前の陸軍が列強の経済比較を研究し、正確な情報分析がなされていたことが分かったからだ。    その時代背景を著者はいう。  「多くの資源を輸入に頼る『持たざる国』日本が経済力を超えた軍事費支出を行うことで経済統制が必要となり、それは日中戦争により一層深刻になっていた。そのために資本主義原理そのものを変革し、公益優先の原則の下で『資本と経営の分離』を実行して私益を追求する資本家から企業の経営を切り離して国家の方針に従って経営する『経済新体制』の実現」が志向されることになる。(42p)  なんだか、この表現、いまの中国みたいである。  日米開戦にいたった場合、資源供給はうまく行くのかというシミュレーションがなされた。  「英米とソ連に対して宣戦を布告し南方を占領した場合の経済国力の推移予測(応急物動計画試案)を策定していたが、その結果は鋼材生産額は三分の二に減少し、民需は殆どの重要物資が五割以下に切り下げされるという悲惨はものだった」(66p)  ならばと秋丸機関で熟慮された提言とは、次のようである。  「対英戦略は英本土攻略により一挙に本拠を覆滅することが正攻法だが、イギリスの弱点である人的・物的資源の消耗を急速化する方略を取り、『空襲による生産力の破壊』『潜水艦戦による海上遮断』を強化徹底する一方で『英国抗戦力の外郭をなす属領・植民地』に戦線を拡大して全面的消耗戦に導き、補給を絶ってイギリス戦争経済の崩壊を目指す」。  そのうえで「アメリカを速やかに対独戦へ追い込み、その経済力を消耗させて『軍備強化の余裕を与えざる』ようにすると同時に、自由主義体制の脆弱性に乗じて『内部攪乱を企図して生産力の低下及反戦気運の醸成』を目指し、合わせてイギリス・ソ連・南米諸国との離間に努める」(92p)  なるほど、合理的戦略だが、机上の空論である。ま、学者の研究と提言というのはいつの時代にもそうしたものだろう。  そして秋丸機関の戦争の結果予測だけはやけに正確だった。  すなわち「長期戦になればアメリカの経済動員により日本もドイツも勝利の機会はない」、ただし「独ソ戦が短期で終われば少なくともイギリスに勝つことはできるかもしれない」(102p)。  さて本書の主人公は秋丸次朗だが、評者(宮崎)から見れば、かれは歴史の駒でしかなく、あくまで中心人物は岩畔豪雄なのである。 ところが本書では岩畔のことは数カ所でてくるものの具体的には殆ど触れられていない。そればかりか「日中戦争」とか「太平洋戦争」とか、左翼用語が無造作に使われているので、その認識の怪しさが伴うのだが、そのことは措く。 岩畔豪雄は昭和の裏面史を知り尽くしていたばかりか、ノモンハンからシナ事変、大東亜戦争の背後で獅子奮迅の活躍をなし、「大東亜戦争」の名付け親でもある。日米開戦回避のために渡米して交渉したのも岩畔だった。 戦後も隠然たる影響力を保持したが、特筆すべきは京都産業大学の創始者であること。  知る人ぞ知るが、京都産業大学は設立当初、受験生の人気が薄く、こんにちの就職率ナンバーワンという現実とは乖離がある。岩畔は、京都産業大学に今日出海、岡潔、桶谷繁雄、村松剛、小谷豪二郎、福田恒存ら錚々たる保守系文化人を教授陣に招いて、刷新を図り、その一番の愛弟子が佐藤政権下で、 沖縄返還秘密交渉の密使だった若泉敬だった。  じつはその若泉の関係で評者も何回か、この伝説上の人物と会ったが、三島由紀夫事件の直前、1970年11月22日に忽然と世を去った。  岩畔には戦後に数冊の著作がある。その代表作が『戦争史論』だ。「昭和のクラウゼウィッツ」とも言われ、学生時代に評者も読んだ記憶がある。  戦後の高度成長をささえた日本経済のエンジン「財界四天王」といわれた鹿内信隆、水野成夫なども、岩畔の弟子筋であり、児玉誉士夫なども、岩畔機関に出入りしていた。  この伝説上の謎の人物、昭和史を裏側で支えた岩畔の評伝を、著者に次回作として期待したいものである。      ◎◎◎◎◎ ◎◎◎◎◎ ◎◎◎◎◎ ◎◎◎◎◎  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   ♪ 樋泉克夫のコラム @@@@@@@@ 【知道中国 1748回】                     ――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(4)   中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政?社 大正四年)    △  「滿洲に遊びて政治經濟を談ずる者、必ず我が都督府、南滿鐵道會社、外務省の鼎立」する「三頭政治」を日本の満州進出にとって最大の障害だと批判するが、奉天での批判が最も激しい。それというのも、「三頭政治」の総本山が揃いも揃って奉天に在るからだ。  先ず「滿鐵の外交機關」である満鉄公所は、「多額の交際費、機密費を費して盛んに活動し、外務省筋の總領事館など眼中に置かざる」の勢いだ。 「支那人も亦日本官省」の尊大ぶった対応を嫌って「一切の交渉を擧げて滿鐵公所に持ち込む」。公所に控えるのは早い時期の陸軍支那通の1人で「敏腕の聞え高き陸軍少佐佐藤安之助」で、問題をテキパキと処理するから、愈々以て「支那人をして領事館を輕」んずることになる。  また都督府は「久しく支那通であるは中外の認むる」陸軍大佐守田利遠を擁している。「参謀本部に直屬して、滿鐵を冷笑し、總領事館を��弄」する守田だが、実際に現地社会に入り込んで「適切なる調査」を重ねる点では彼の右に出る者はいない。 その点、「彼の巡査探偵等の怪しき報告」や「如何はしき新聞の切抜きなどを以て、表面の責任を果さんとする外務省系などゝ比較すべくもあらず」。昔も今も「如何はしき新聞の切抜き」・・・嗚呼。  総領事館は「民間受けの惡しきこと第一」ではあるが、満鉄のように「金錢を使ひ、大旦那然として支那人に接す」るほどの活動資金を持たない。都督府(参謀本部)のように「知識ある将校を處々に配布して、實際の調査をなさしむ」わけでもない。つまり「獨り領事館は滿鐵の金なく、参謀本部の人なく、動もすれば國民嘲笑の標的となりながらも」、なんとか「支那官憲を抱き込」もうとするが、本省は「例により愼重なる審議中とのみありて、何等の斷案を下さしめざるを常とす」。ここでも昔も今も優柔不断・・・嗟噫。  たとえば「南滿洲の利源を擔保として外國の借款を起こすは、我國将來の大陸政策に累を及ぼす事言を竢たず」。そこで「無能なりと稱せらるゝ我總領事」だが、関係各機関に掛け合って日本に有利に事を運んだが成約に至らなかった。外務本省は尽力したが「大蔵省の反對」に遭ってしまって計画は頓挫。閣内不一致なら「其責は直接山本首相にあ」るはずだが、非難されるは外務省であり出先の総領事館だ。金欠症は外務省の業病・・・嗚呼。  結局、鼎立する3機関のなかで総領事館が無能呼ばわりされるのは、「其本元たる参謀本部と、滿鐵と外務省との中に於て、最も外務省が無能なるに因れり」と。そうか、この時代、すでに国益毀損の要因は「最も外務省が無能なる」がゆえだったのか。呆れ果てた外務省の伝統といっては、はたまた言い過ぎか。いつから無能になったのか。  満州における三頭政治とは言うが、「都督府は領事を壓せんとし、領事は都督府に拗ねんとし、而して滿鐵は又都督府と領事とを無視せんと」しているのが実態だ。つまり関係機関相互に「適當なる聯絡なく、各自の計畫互いに齟齬矛盾して、我大陸經營の妨害となる所以のものは、我中央政府に定見なく、各省を統一して、一大方針に向つて進ま」せることが困難になっている。 「無定見、無方針、不統一」ではあるが、一たび政府が根本方針と確立したからには「各省及び其關係機關をして違ふあるを許さゞらしめば」、三頭政治を超越する統一した満州政策が実行できるはずだ。  なにやら、ここにみえる中野の指摘は「我中央政府に定見なく、各省を統一して、一大方針に向つて進ま」ない現在の日本における対外政策にも通じるように思える。だとするなら、これはもう特定の時代にのみ発生した問題というよりも日本政府のみならず、その政府を支えるべき日本人の振る舞いに起因すると考えざるを得ないだろう。  中野は日本政府が「無定見、無方針、不統一」だからだけでなく、「關東州及び滿洲」が「支那の領土にあらず、又日本の領土にあら」ざるから国益を守れないとも訴える。
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brygry · 7 years
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「ヤンキーって中二病なんですか」 「いや、だってよく考えてみてくださいよ。全然格好よくないのにいきなり見せつけるようにタバコ吸い出したり、自転車のハンドルをひん曲げてバイクみたいにして乗り回したり……中二病でしょ? それ」
やしろあずきの調査―― 中二病って本当に中学2年生で発症するの? 現役中学教師に聞いてみた!(前編) (3/4) - ねとらぼ
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honryu2 · 5 years
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第七章 天職を見つける
 しかし、馬でのキャラバンの旅はその後も苦労が続いた。旅が深まるにつれて、道状況、天候、通信など、予測しないこともたくさん起きていた。ある時は、出発してから天気が急変し、いきなり土砂降りになった。草原では身を隠す場所がなくて、一日中嵐の中の騎乗を強いられた。気象局の天気予報は近くの大都市の予報しかなく、草原の天気は赤ちゃんの顔だ。
 草原には建造物がないだけに、道に迷うとなかなか元の途に戻れない。どこまでも見えるけれど、裏返してどこでも同じように見える。時には、キャラバン隊と運輸部隊と合流できなくなることも最初の頃はよくあった。
 ある時、農耕地域の村の近くで宿泊する時のこと。馬は夜の間に自由に草原の草を食べさせるために、完全に縛ってはいけない、周辺で放牧するのだ。その日は偶々祭の日なので、子供たちは夜になると花火と爆竹をしていた。馬はもともと臆病な動物で、爆竹で驚き逃げた。夜の草原は真っ黒なので、とても集められない。朝になると、馬はかなり遠くまで逃げていて、全部の馬を見つけて連れ帰るには三日間もかかった。(具体的なエピソード二つくらいお書きください)
 またある時、洪水で河が深くなり、草原の道は拒まれ、街を通らざるを得なくなった。そこで街を通らせていただく許可を得て、キャラバン隊は何日も寄り道して街に到着した。しかし、入る時に止められてしまう。止められる理由として、政府がここは観光都市でない、まして日本人が馬でやってくると、侵略戦争など思い出され、政府に反発する機運が高まると困る、ということだった。事前に許可を得たのに、人間も馬も相当疲れていて限界に近い状態になっている。もう切り返せない状況であった。その時私も意地になった。“侵略戦争を言うなら、大都市も日本人を受け入れなければよい。確かに馬は特別だ。しかし、それこそモンゴル人の民族的誇りではないだろうか。モンゴルに対する愛着があるからこそ、馬で困難と苦痛を耐えて、ここまで来たのだから”と、涙を汲みながら訴えた。その後、許可してくれたが、それが私の訴えに意味があったか今も分からない。現地の友人が融通してくれたためかもしれない。日本ならすべてのことを前もって計画を練り確約を得れば問題がないだろうが、草原ではそうはいかない。たとえ確約を得たとしても、その時にならないと分からない。そもそも前の段階ではきちんと検討してくれていないかもしれない。責任を背負えない人は適当に快諾する。しかし、いざ実施となると、いろいろな人のメンツや責任問題が出てくる。中国やモンゴルでは、事前の確約より、現場での解決能力が大事なのだ。
 夏でも予想外に雪が降る時もあった。雪の中で安全に乗馬するには何を注意すべきか、馬の食糧をどう確保するか、車との連絡をどう取るかなど様々な問題を直面する際に、手本があるわけではない。臨機応変に対応しなくてはいけない。でもそういった問題は実はなればなっただけでたいしたことではないと今になって思った。真剣な気持ちがあればこの程度のことはいとも簡単に解決できる。勿論、その時その時、リーダーの人が正確に状況を分析・判断できるかの素質が問われるが。
 本当の困難はただ一つ。馬上で、人の安全を100%守れるかどうか、それに尽きるのだ。馬で旅するという発想は少しでも古代文明に対して憧れを持つ人ならだれでも思いつくはずだ。しかし、どう実現するかという段階になると、馬集め、調教、スタッフの育成など様々な困難に直面する。それが実現されない限り、馬での旅は続かない。今世界中、私の「奔流」以外、本格的な馬上の旅は存在しないことが何よりの裏付けかもしれない。発想ではなく、責任感と愛情を持って仕事を取り組めたことは私の本当の誇りであった。
 今になって言えることだが、最初の頃、自分でも馬との旅にはたくさんの危険が存在することを知らなかった。私は子供の頃から馬に触れる機会があったわけではない。20歳の時シルクロードに行って初めて馬に乗った。そのことは逆に、自分にとって大きな意味があった。子供から乗っている人は馬に乗る気持ちも当たり前になってしまうかもしれないが、大人になって初めて乗馬したからこそ感じられる心の喜びがあった。人は初めて馬に乗る時の恐怖も理解できた理由もそこにあるかもしれない。その後の何年間私は少しずつ乗馬の危険を知らされていた。ヒヤっとすることはたくさんあった。自分自身も危険な目にいっぱい遭った。今思えば、最初の何年間、未熟だった自分がやって来られたのは、一生懸命やったことによるところもあるだろうが、運もよかったとしか言えない気がした。自分自身が怪我していなかったのは、親に感謝するばかりだ。生まれつきの運動神経の良さで危険に合った時なんとか回避できて逃れたとしか言えようがない。それらすべてがそのまま自分の統率のやり方と教え方につながった。乗馬指導に携わる最初の何年間、毎年自分が大きな進歩を感じた。危険を認識すればするほど、責任を重く感じる。「一年前の自分にはとても任せられない」という思いがその時すごく強かったのを覚えている。後継者を育てないかとよく聞かれるけど、モンゴルでの乗馬指導はマニュアルを作ればいいという問題ではなく、自分自身が様々な危険を経験しないと分からないものだ。後継者を育てるということは、参加者をもう一度危険に放り出すことになる。
  *  *  *
 乗馬の危険は様々な場面に存在する。参加者の下手、うまいという前に、馬は動物なので、車やバイクと違い、自分の意志を持っている。日によって気分というのもある。また、一頭一頭調教する人、調教の仕方によって操り方は違ってくる上、体つきの違いにより乗り方も違うので、車の教習のように一概には教えられない。
 また、馬は一頭一頭性格が異なる。素直な馬、荒い馬、乗り手の技量を読む馬、まったく関係なくひたすら走る馬、人間と同じくらい大きく違うのだ。初心者の場合、最初に人間の性格に合った馬を与えなくてはいけない。たとえば自信や運動素質を持っていない人にひたすら走りたがる馬を与えると、怖く感じて恐怖症になったりしてその後の乗馬にずっと影響してしまうかもしれない。逆に自信のある人に、大人しい馬を与えてしまったら、物足りない感から、燃えないだけでなく、油断したりして同様に落馬の危険に晒される。
 また、人間が裸の馬に乗るのではなく、鞍と鐙、手綱という道具を使う。車なら一度点検すれば何百キロくらいは問題ないだろうが、馬食事の時間、走った道の状況によって30分くらいの間隔で点検が必要になってくる。乗馬のプロなら自分で点検できる上、たとえば、鞍が多少緩くなっても特に問題ないが、初心者の多いこのキャラバンの旅では、常にサポート側が神経を使ってチェックしなくてはいけない。特に初心者の場合、リズムがあっていないので、鞍のベルトも緩くなりやすい。その上、バランスをうまくつかめないため、ちょっと緩いだけでも落馬につながる。このように乗る前、乗っている最中の点検を手ぬいたらすぐにも事故につながるのだ。
 人間が手綱を通して馬に意思を伝える。人間と馬を結ぶ唯一なものは手綱なのだ。前の章では意思疎通など内面のことを書いていたが、その前に技術的なことだけでもなかなか難しい。たとえば、止める、スピードを遅くするには、手綱を引くと動作するのだが、馬が荒くなり本気で走る時に、手綱を引くことは「走れ」という合図にもなりかねない。全く同じというわけではない。「引く」リズムが違うのだ。それも結局馬によって違うもので、説明できるものではない。最初の内、全部教えてしまうと、参加者が混乱するだけで、最低限のことさえできなくなる恐れがある。どの段階に何を教えるかを考えなくてはいけない。また、参加者の進歩を見極めて教えなくてはいけない。どんな馬に乗っているかによって特別に教えなくてはいけないこともある。そういうところがだれでもできるものではない。また、初心者に教える時に、どこまで教えていいのか、どこまで呑み込んでくれるか、を考えるだけでなく、こちらのサポート体制としてどこまでのスリルを許せるか、そしてどれだけ乗り手に合った馬を与えているか、そういったことをすべてひっくるめて総合的に考えなくてはいけない。
 モンゴルの馬は馬の世界の中でもとりわけ難しい。モンゴルの馬は生まれて厩舎で育てるのではなく、草原を自由に駆けているため、人間めかしくなっていなく、野生本能が残っている。小柄ではあるが、走りは力強く、なにより、方向転換が素早く、リズムが非常に早い。かつて、マルコ・ポーロは旅行記『東方見聞録』の中に、「モンゴルの馬は兔のように走る」、と表現するほどだ。それゆえ、何十年も乗馬をやっている人もモンゴルの馬に乗れる人は稀にしかいない。モンゴル馬が力強く、性格も荒く、手に負えない時は、悪魔の翼のように、恐怖そのものになる。余所の国の競馬場で走っている馬に乗るより難しい。難しいけれど、モンゴルの馬だからこそ存在する世界があった。モンゴルの馬を乗りこなせるようになったら、馬が疾走する際に上下の振動がほとんどなくなり、途轍もない気持ちよさを味わえる。それが騎乗を越えた、人馬一体を越えた、もう一つスピリッツの世界なのかもしれない。鳥の翼に乗っているような大きな自由を手に入れたようなものかもしれない。そんな世界の存在を知れるのはモンゴルの馬だけなのだ。
  それが参加者たちにも触れてほしい。本来初心者で、ただ何日間乗るだけでそんな世界を触れられるはずはない。日本で10年間乗馬をやっている人でも届かない世界だから。しかし、私が長く乗馬指導する中で、一つやり方を見つけた。モンゴルの馬は乗り手が操れない時に、群れで走る傾向がある。群れ全体をうまくコントロールすれば、安全確保されている中で、乗り手に早くも馬の様々なリズムを体で覚えさせることができる。そうすることで、乗馬初めてという人でも二日くらいで駆け足(疾走の状態)を体験できる。それができれば、それより遅いリズムは自ら分かってくる。少なくても落ちることはない。大体三日か四日間くらいして、馬がたとえトップスピードの習歩(駆け足の上のリズム)になっても、参加者が慌てることはない。短期間でモンゴル馬の素晴らしい走り方を体感できるということだ。
 それを言うのは簡単だけれど、馬も実際のところ、一日中の気分の違いだけでなく、一瞬一瞬全体的な隊列の中の位置や置かれている状態で変わるのだ。例えば、同じ疾走させるとしても、並足、速足、少しずつスピードアップさせて疾走(駆け足)させれば、馬は荒い気持ちにならなく、おいて行かれるのを恐れる程度で走るので、乗り手は恐ろしく感じることはない。しかし、そういう段階をきちんと踏んでいない、または馬の状態を落ち着かない時に、疾走(駆け足)させてしまうと、我先行こうとして一気に競馬状態になる。同じスピードでも参加者が感じる恐怖は半端ではない。こういった馬全体の状態を読み取る上で指示を出さなくてはいけない。また、馬が一旦駆け足したりすると、興奮してくる。そうすると抑えるのは段々難しくなってくる時ある。そんな中で一頭走り出してしまうと、全体的に引っ張られて突進する可能性がある。経験のない人はその瞬間に無理に群れを止めようとすると、馬たちが左に行ったり右に行ったり、隊列が混乱する上、馬が衝突したり、参加者が馬に振り落される恐れがある。そんな時に、自分の焦る気持ちをおさえて、たとえ5秒間でも馬たちを恣意に走らせる時間を与えれば、5秒後にスタッフたち、参加者全員に止める合図を全体に出せば、馬は落ち着いた状態でまっすぐに止められる。
 馬だけでなく、乗り手の参加者たちも、そして現地の遊牧民スタッフたちも、その気持ちはどれも一枚の鉄板ではないのだ。例えば、初心者の場合少し進歩したところ、馬の危険をまだ知らないので、一番油断しやすい。また、例えばだれか落馬したら、それはそれで仕方ないが、一気に参加者たちの注意力は落馬する人に行ってしまう。しかし、落馬者が出ると、馬たちも一番動揺してしまう時なので、参加者が立ち止まって待っていると言っても、決して安全な状態ではない。落馬者の面倒を見るというより、連続の落馬者を出さないようにむしろ神経使わなくてはいけない。人間の性格にもよる。普段から集中力のない人や、ちょっと進歩したらすぐ満足する人は、常に注意喚起させる必要がある。人間を見抜く洞察力はここで問われてくる。その逆で、乗り手が余計に不安を感じる時もある。馬の状態が落ち着かなくなったら、それがまた乗り手に伝わる。そういう時に無闇に疾走したりすると、落馬者が続出する恐れがある。
 一方遊牧民スタッフたちも、もともと組織で働く人たちではないので、責任感は薄い。その上、自分たちにとって乗馬は当たり前にできた分だけ、参加者の怖さや能力を正確に判断できない。少し慣れて来たところ、彼らはまた慢心しやすい。サポート体制があるからと言って、結局体制というのは生き物だから、安心し切ってはいけない。それを仕切る人の姿勢、経験、責任感が問われる。最初の頃、落馬者が出る時に、参加者自身の油断や馬の不注意などいろいろ考えたけど、もちろんそれはそれで立派な理由なのだが、指導者としてはそれらがすべて自分の責任として考えなくてはいけないと思う。
 経験が積んできても、優秀なスタッフと体制があったとしても、私の中では昔よりもずっと真剣な気持ちで取り込んでいる。今では、馬を降りてからでは私は殆ど何もしない。すべてガイドやスタッフに任せてしまうが、一旦馬に乗ってしまえば、そこは私の戦場となる。騎兵隊のような人間の大群、馬が駆け上がる煙、高揚する人間の気持ち、瞬時に変化する状況。私は馬上ではいつも戦場の気持ちで臨む。
 キャラバン隊を集団として扱う時は、馬の集団、乗り手(参加者)の集団、スタッフの集団、それぞれに存在する集団心理的なものすべて理解する必要がある。一方、集団としてだけではなく、一個人一個人のレベルに合った指導とサポートも必要で、その切り替えも極めて重要だ。だから、軍隊のような厳しい統率だけでなく、自分自身の能力を高める必要もある。まず乗馬の技量が遥かに参加者より凌駕できなければ、彼らに適格な指導と注意を与えることができない。彼らの馬上の動きや姿勢を見るだけで彼らの技量を正確に読み取るためにも自分自身は常に上にいなくてはいけない。また、とっさのことが起きた時に、最適な対応を秒単位ですばやく打てなければ、参加者は危険に晒される。指導者自身の馬上の技量、経験、瞬時の判断力が問われる。
 日本では、柵の中の乗馬でさえ、ただ2,3人の安全を守るのは難しい。奔流のキャラバンは1997年以来、各隊では40人から60人、通算8千人を越える参加者がキャラバンの旅に加わった。その殆どが初心者。一人当たり平均150キロ以上荒野を駆け抜けてきた。これまで述べ事故人はゼロ。乗馬業界では信じられない実績である。
 ツアーとして考える人もいるが、私はこのキャラバンの旅をあくまでアドベンチャーとして考えている。そこに、旅行業的な考えや概念では所詮無理なのだ。飛行機や船の航海と似ているかもしれない。飛行機も船も今では車の運転よりも遥かに安全な時代だ。しかし、わずかな油断で大事故につながる。安全の裏にはどれだけの人がちっとも油断せずに取り込んでいるかは、考えてみればだれでも分かることだ。
 私は中国に帰る時に海を渡る際によく船を利用する。船長(キャプテンの方)とも仲良くしている。私は普通乗客と接している乗組員より、船の操縦するキャプテンや船員たちの気質が好きだ。
 航海では今の時代でも、「NEVEL SMILE TO SEA」という言葉が生きている。大海の中で、どんな穏やかな状況でも、一瞬たりとも油断してはいけないということだ。
 「Never Smile」は、この馬の旅のリーダーとしても欠かせないものだと強く感じている。馬上の技量、統���力、洞察力、人間の内面を知る力、そして燃え続ける情熱。この仕事ではこういった素質がすべて問われてくる。そういう意味で、日本留学の経験や会社経営、そして技術者としてのキャリアはここですべて生かされた気がする。15年も一日の如く、常に平常心と真剣さ、技術者的な気質で臨んでいるからこそ、一度も事故人を出さなかったと思う。(Good!)
 私は歴史が大好きだった。小さい頃に一つ夢があった。騎兵隊を率いて戦場を駆け抜ける夢。現代社会ではどう考えても現実でない夢だが、それに近いものをここで見つけた。馬上の旅人たちに存在する危険を自分ならすべて克服できるという自負ができた時に、この仕事は私にとってまさに天職だと感じた。
 *  *  *
 後に、日本屈指の旅行会社東武観光の社長(当時、日本旅行業業界会長を務めていた)に目にかかる機会があって、こんなうれしいお言葉を頂いた。「我々は様々な商品を扱っている。そなたは馬の旅一つだけ。我々はアンデルセンだとすれば、そなたは御木本(MIKIMOTO)なのだ。」丁度お会いに行く日は、日経新聞に世界で初めて真珠の養殖を成功させ、そのブランド化で富を成したMIKIMOTOの創業者、御木本幸吉の記事があった。
 東工大出身で、馬を仕事する人は、これまでもこの先もいないはずだとよく大学の友人に言われる。その都度、私は、「私の専攻は「制御システム」だから、今は機械や宇宙衛星の制御ではなく、馬の制御に変わっただけだと冗談めかして答えた。
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abraxas174 · 5 years
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『熊の皮』ジェイムズ・A・マクラフリン
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ライス・ムーアはターク山自然保護区の管理人。資産家が周辺の土地を買い集めて私有地とし、みだりに原生林に立ち入ることができないようにしている。しかし、私有地となる以前から住民は森に出入りし、熊猟を行っていた経緯があり、密猟が絶えなかった。ライスの前にいた管理人である女性生物学者サラは、密猟者を摘発したことを恨みに思う何者かによって暴行の上強姦された。ライスの雇い主はサラを治療させるとともに、後任としてライスを山に向かわせたのだった。
ライスにとっても、自然保護区は身を隠すには絶好の場所だった。ゲートに施錠すれば、私道を出入りすることはできない。もし、そこを突破されても山小屋まで来る間に迎え撃つ準備ができる。ライスは恋人を殺したカルテルの殺し屋を撃ち殺し、組織から追われる身だ。勤務地では。名を変え、人に交じることもめったにせず、山に籠っている。それでも、相手は必ず追ってくることは片時も忘れることはない。
そんな時、キノコを採取しに山に入った男から、熊の死骸を見つけたことを教えられる。熊は皮を剥がれ。頭と両手、両足首が切断されていた。調べてみると、中国で野生の熊が減少し、「熊の胆(い)」の材料として密猟されたアメリカグマの胆嚢と掌が、マフィアのルートを通じ大量に輸出されているらしい。ライスは山を下り、地元の無法者であるスティラー兄弟に探りを入れるが、確証は掴めない。
保護区の中には、管理人でも足を踏み入れることを禁じられている地区がある。自分の残した荷物を取りに山小屋を訪れたサラとライスは親しくなり、暗視カメラの取り付けのために森に入り、禁断の地に足を踏み入れてしまう。大古から誰も足を踏み入れることのなかった場所は、今では他の地域では見ることのできない稀少な生物の宝庫だった。それだけではない。ライスはそこで不思議な体験をする。森の自然と一体化したような、自分と森の生き物との間を隔てる壁がなくなったような奇妙な体験だった。
ライスはそれ以来、自作のギリースーツ(迷彩服)を身に纏い、夜な夜な森を徘徊するようになる。はじめは、ライスを警戒していた生き物たちも次第に奇妙な闖入者に対する警戒を解き、スーツをかぶって息をひそめるライスの前を堂々と歩きはじめるようになる。ある夜などは、密猟のあった場所に集まる熊たちの集会に誘われるような気がしたほどだ。ところが、そこにバイクに乗った密猟者が現れ、ライスは密猟者と格闘する羽目に。
ライスはかつて恋人とメキシコ国境を越えて荷を運ぶ運び屋をやっていた時、逮捕されて刑務所に入っていた。ライスはそこで同房の男から、生き延びるための知恵と技を伝授された。男は名うての殺し屋で、ライスはその眼鏡にかなったのだ。ところが、密猟者の方もただものではなく二人は取っ組み合いのはてに崖から転落。這う這うの体で小屋に帰ったライスは心配して訪れたサラの運転する車で病院に運ばれ、治療を受ける。
ライスは恋人を無残な手口で殺めた男を殺し、ライスに弟を殺された組織の殺し屋はライスをつけ狙う。サラは強姦した男たちへの復讐を願っている。物語を動かしているのは、それぞれの抱く復讐の思いである。密猟者との格闘が思わぬ騒ぎを生み、ライスの素性が外部に漏れるという事態が起きる。危機を察知しサラと二人で山を下りる準備をしているとき、討手が現れる。暗闇の中での死闘は息詰まる迫力。
追われる者と追う者の死闘を描くノワールであるのは勿論ながら、普通のノワールと異なり、ほとんどの舞台が山の中。それもチェロキー族の言い伝えで「あまたの異様(ことざま)の山」と呼ばれる神秘的な場所だ。どこからともなく現れるキノコ採りの片腕の男は、ライスを森の神秘的な世界へといざなう導き手のようでもあり、熊の化身のようでもある。一度人を殺す経験をしてから、自分の中にあるもう一人の暴力的な自分に対し、神経質になっているライスは不眠症を患い、起きている間も時間についての感覚が怪しく、長時間、意識を失っていることもあるらしい。
通常の時間軸から乖離した時間の中での出来事は、現実世界ではないファンタジーの世界の出来事のように感じられる。まるで、人間という迷惑な存在が我が物顔にのさばり出すようになる以前の大古の森の中に生きているような濃密な生命感覚が溢れている。人間に見られることで存在する「自然」などではなく、人間などが地上に登場する以前から存在する大文字の自然。すべてがその中にのみ込まれていて、大きな一体となっているそ��な世界だ。
麻薬組織の殺し屋として充分にやっていけるだけの能力を持つ男として、ライスの行動は悪辣ともいえるほどスマート。その一方で、自然の中に分け入り、その一部として生きているときの自然児ぶりには、警察犬のジャーマン・シェパードですら、鼻をくっつけ、舐めに来るほど。この二面性が魅力的だ。 チェロキー族 と黒人の血が混じる熊猟師のボージャー、DEA相手に一歩も退かない保安官ウォーカー、ライスの力量を認めるミラ、老ヒッピーの資産家スター、といったライスをとりまく登場人物も魅力的に描き分けられている。
何故なのか知らないが、近頃、世間から一歩身を引いたところで隠者のように暮らす人々の物語を立て続けに読んでいるような気がする。『セロトニン』もそうだったし、『オーバーストーリー』でもその種の人物が重要な役割を果たしていた。自分で選ぶのだからもとより理由はあるのだろうが、それだけでないような気もする。ひとは我欲に任せて他の存在を軽んじる人間の世の中に倦んでいるのかもしれない。せめて本の中くらい、人間などの出てこない自然の摂理の中で呼吸したいと思うのかもしれない。
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himatsubushini7 · 6 years
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働きすぎが「ふつう」になる前に 遺族50人取材の記者、新社会人へ伝えたい「過労死しないための7箇条」 働きすぎが「ふつう」になる前に 遺族50人取材の記者、新社会人へ伝えたい「過労死しないための7箇条」  4月から、それぞれの職場で新たな一歩を踏み出す新社会人。しかし、彼、彼女らが働く社会では「過労死」がいまだ大きな問題として残っています。働きすぎが「ふつう」になる前に、自分の身を守るためにはどうしたらいいか――。過労死問題の取材を長年続ける牧内昇平記者が、約50人の遺族から話を聞いた経験をもとに、「過労死しないための7箇条」をまとめました。 【漫画】過労自殺「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由 ツイッターに投稿された体験漫画に共感 日本にはびこる「過労死」  この春、新しい生活がはじまる人も多いのではないでしょうか。  どんな仕事を任されるのだろうか。初任給をもらったら何に使おうかーー。さまざまな期待を胸に、入社式の日を待っていることでしょう。  意欲をもって働くことは大事だと思いますが、ここで一つだけ、みなさんに覚えておいてほしいことがあります。  それは、仕事が原因で命を落とす「過労死」が日本にははびこっている、ということです。  過労による脳や心臓の病気で亡くなる人がいます。これが狭い意味で言う「過労死」です。また、仕事が原因でうつ病などの心の病にかかり、自死をはかる人もいます。私はこうした人々も広い意味で言えば「過労死」だと考えています。 過労自死した電通の新入社員  犠牲者の数はどのくらいでしょうか。労働基準監督署で労働災害(労災)と認められた人の数を見てみましょう。脳や心臓の病気で亡くなり、労災認定された人は2017年度だけで92人にのぼりました。心の病で自死をはかり、労災認定された人は98人でした(未遂を含む)。  遺族が労基署に申請して審査をパスしない限り、労災とは認められません。したがって、労基署に申請しない人、労災と認めてもらえなかった人などを合わせると、犠牲者の数はもっと多くなります。  若い人も安全とは言えません。2016年には大手広告会社の電通で新入社員が過労自死した事案が注目を集めました。  心の病による自死については、先ほどの98人の労災認定のうち、40歳未満が45%を占めています。体力があるのをいいことに若い社員を限界まで働かせようとする会社、経験の少ない若手社員にも心理的圧迫を加える会社が、残念ながら世の中にはあります。 過労死しないための7箇条  過労死問題を7年ほど取材しつづけている私は、こうした現状をぜひ多くの人々に知ってほしいと思っています。数字だけ紹介してもなかなかピンとこないかもしれません。そこで、新年度に合わせて一冊の本を出版しました。タイトルは「過労死 その仕事、命より大切ですか」です。  仕事によって命を奪われた人々の足跡を知りたくて、コツコツと遺族取材を続けてきました。これまでに直接話を聞かせてもらった遺族は50人ほどになります。その中から11人の方��を、本で紹介しています。    この記事では、遺族取材を続けてきた経験をもとに、私が皆さんに必ず覚えておいてほしいポイントを7つ挙げます。これだけは会社に入っても、忘れずにいておいてほしいと思っているものです。イメージを持ってもらうために、取材で出会った人たちの例を少しだけ紹介します。 (1)働いた時間をチェックしよう  自分の1カ月の残業時間は必ずチェックしましょう。国が定める「過労死ライン」は「月80時間超の残業」です。1カ月の残業が80時間を超えると過労死する危険が高まります。80時間未満なら大丈夫というわけではありません。  残業が月45時間を超えると、だんだん危険は高まっていきます。45時間以上で「黄信号」、80時間以上は「赤信号」なのです。毎日の始業・終業時刻を手帳にメモし、残業時間を定期的に計算しましょう。  特に注意すべきなのは、働いた時間と関係なく給料が支払われる仕事の人たちです。代表例は学校の先生です。給料の4%が実質的な残業代として一律で支払われています。残業がゼロでも80時間でも同じ金額が振り込まれてくるのです。給料に影響しないのですから、働いた時間に関心を失ってしまいがちです。  私の本では、2007年にくも膜下出血で亡くなった中学校の先生を紹介しています。授業やサッカー部の指導に明け暮れ、我が身をいとわず働いてしまいました。正確な労働時間は死後にご遺族が調べてはじめて判明しました。 (2)サービス残業はダメ  タイムカードを読み取り機に通した後の「居残り」残業や、自宅で明日の準備をする「持ち帰り」残業はするべきではありません。  賃金が支払われない労働はすべて、違法です。お金の問題ばかりではないのです。これが多いと自分が実際に働いた時間の把握が難しくなり、(1)で書いたチェックが不十分になります。スーパーの男性店員でサービス残業をくり返していた人の取材では、男性の死後に遺族が調べたところ、勤務記録と実際に働いていた時間に大きな食い違いがありました。 (3)パワハラに気をつけて  残業時間が短い人でも心の病による「過労自死」の危険はあります。心の病で労災認定された人のうち、最大の原因は「職場のいじめや嫌がらせ、暴行」、いわゆる「パワハラ」でした。  パワハラされていると感じたら、すぐに加害者以外の上司や同僚、労働組合などに相談しましょう。本では、上司からたたかれるなどの暴行を受けていた飲食店社員や、大声で叱られ続けた県庁マンのことを紹介しています。 (4)心の不調はすぐに受診を  心の病が重くなるのを防ぐ最大のポイントは、「早期発見・早期予防」です。「やる気が出ない」「最近だるい」などと感じる人は、なるべく早く医療機関にかかりましょう。そして、症状が重くなれば迷わず仕事を休みましょう。  これまで、心の病で自死した人の遺族を数多く取材してきました。たとえば、郵便局に勤めていた50代の男性は、5年間で3回も心の病で病気休職をくり返した末、自死をはかってしまいました。仕事の負担を軽くしたり、別の郵便局に異動させたり。男性が命を絶つ前に会社ができることはなかったのか。深く悔やまれます。 (5)睡眠不足での運転も危険  装飾関連の会社に勤めていた24歳の男性は、徹夜勤務が終わった後の午前9時ごろにバイクで帰宅する途中、交通事故を起こして命を落としました。  過労状態での運転は飲酒運転と同じくらい危険だという研究結果もあります。「飲んだら乗るな」だけでなく、「疲れたら乗るな」を自らのルールにしましょう。 (6)危なかったら、すぐ逃げて  取材を続けていて感じるのは、正常な状態であれば死を選ぶはずのない人たちが、自ら命を絶っていることです。  育ち盛りの子どもがいる人、妻が待望の赤ちゃんを妊娠した人。私生活では幸せいっぱいなはずの人々が亡くなっています。いったん重い心の病にかかると、どんどん視野が狭まり、最終的には「生きる」という選択肢さえ見えなくなってしまうようです。そのような状態になる前に、仕事から逃げなくてはなりません。  長時間労働やパワハラが横行する職場の風土は、そう簡単に変わりません。危ないと思ったら、すぐに退職を決断しましょう。転職活動は大変ですが、倒れてからでは遅いのです。 (7)退職後も注意を  レンタルビデオ店で働いていた27歳の男性は、夜勤つづきの生活に疲れ果てて会社を辞めました。しかし退職の半年後、くも膜下出血で亡くなってしまいました。会社を辞めてもすぐに心身が復調するわけではありません。  不調を感じる場合は病院で精密検査を受け、「過労時代」についた不規則な生活習慣も改めましょう。 働きすぎが「ふつう」になる前に 《人間が馴れることのできぬ環境というものはない。ことに周囲の者がみな自分と同じように暮しているのが分っている場合はなおさらである》  ロシアの文豪、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」に出てくる言葉です。「慣れ」というものほど、怖いものはありません。過労死ラインを超える残業は異常なはずですが、そんな状態にも人は慣れてしまいます。朝起きたときに体が鉛のように重くても、連日のことになればそれが「ふつうの朝」と感じるようになります。同僚たちも同じ状態で働いているならば、な���さらのことです。  スタートの時期が肝心です。働きすぎが自分の「ふつう」になってしまう前に、過労死がたくさん起きていることを思い出し、自分の働き方に常に目を配ってください。 Source: ネットで副業生活!いつでもどこでも
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carguytimes · 5 years
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中国の次は日本。すでに修羅場の兆候見えた。自動車産業への影響は? 人混みにいかないことを強く推奨します
●政府&厚労省の対応は? 通勤通学へも影響か!? もはや覚悟した方がいいかもしれません。政府&厚労省、感染しているかもしれない人の検査をずっと拒否していた。結果、感染しながらタクシーの営業運転を続けたり、患者さんを診るお医者さんだったり、発熱した状態で何度も違う病院に行ったり、電車で通勤していたり。1番恐れていたことが始まってしまっていた。遠からず日本は確実です! 人混み(イメージ) 検察を始めみな首相を忖度しちゃっているため、何にもできない。後手後手になってる。月末くらいには重症患者で病院がパンクするのが見えてきました。おそらく手当できず亡くなる方が相当数出るに違いない。ぬるま湯に浸かっている日本人の多くは飽和攻撃の怖さを知らないのだろう。どんな正確な迎撃ミサイル持っていても100倍打たれたら打つ手無し。 今罹患すると患者のピークに重なってしまう。病院がお手上げになっている時に呼吸困難となったら、治る可能性あってもアウト。できれば罹患するタイミングをズラしたらいい。厚労省や経産省が自宅で仕事することを推奨すればいいけれど、これまた100%後手後手になると思います。通勤電車に乗って会社へ行くと、相当の確率で新型コロナをいただく。 当然ながら自動車産業にも大きな影響出てくる。最初の段階として3月のイベントは全て中止になると考えておくこと。ただこれは10段階のうち、1段階目の対策に過ぎない。そもそも感染源は通勤電車だけではありません。感染者と一緒にいる時間の長い新幹線や飛行機、長距離バスなど超危険。2段階目は出張禁止措置だ。おそらく週明けにもそうなる? ちなみに国や大手メディアが「重症」と判定しているのは、集中治療室や人工呼吸器を使っている状況を示している。新型コロナウイルス、感染者の3%が呼吸困難になるという。対応できる患者数に限りあるため、何とか新たな感染者を減らさないければならなくなります。当然のことながら、通勤電車や混雑するバスは最も危険。もう手遅れだと思いますが。 2月末には通勤電車に制限掛かるようになる可能性出てきた。企業も活動停止に追い込まれるかもしれない。もちろん工場は稼働できなくなるだろう。経済的な損失は極めて大きいと思う。東日本大地震というより世界的規模で経済が停滞したリーマンショック級になることも想定しておくべきだ。もはや中国の問題でなく日本の問題になるし、やがて世界規模になる。 新型コロナウイルスの潜伏期は長く、しかも感染してから症状出るまで1週間くらい掛かっている。そこから重症化するまでさらに数日。日本で本格的な騒ぎになるのは3月に入ってからだと思う。4月と5月が修羅場か。イベントも経済活動も回復してくるのは早くて6月。もしかすると夏休み明けまでいかんともしがたい状況になるという覚悟を決めた方がいい。 (国沢光宏) あわせて読みたい * ホンダのバイクが熊本製作所に里帰り! 「ホンダでよかった」とライダーが感謝した1日【ホンダモーターサイクルホームカミング】 * さまざまな技術が盛り込まれるタチエスの新しいシートの開発も職人技の世界 * 世界の約5%のシートを製造。日本を代表するシートメーカー・タチエスの工場で職人技を見る * えっ、木工? モーガンの製作風景が素敵【動画】 * 手作業で行うポルシェ918スパイダーの組み立てに見とれる【動画】 http://dlvr.it/RQ4DBn
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ebycow · 6 years
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1/17 シャム配信メモ
以下、順平の発言の要約
代理人は施設の人間ではない お金について、交通費だけ出そうかなと? やっぱ一人じゃムリ、ここまでは来られなかっただろう、24日があったからこそ 猫夜叉との関係は続いていない ふわっちで配信した理由はスパムができんかった(Youtubeのスパム機能の件) 代理人の事は悪く言わないで 収益化はまだされていない 働いてはいない カラオケも、代理人がいたので、彼も反省しているので許してあげて欲しい カラオケの動画は、自分でも違和感があった、久々の動画ということであのような感じになってしまった 編集も一人でやりたい あんまり代理人の事は悪く言わないで Twitterでも言ったが、撮影はSyamu一人でやり、編集は代理人とやる 家族も、前は許可もらったと言っていたが、やっぱりネットでの活動は反対している 代理人に騙されているわけでは無い、彼は良い人 最悪、騙されててももういいんじゃないか 24日彼がいなかったらこの件は無かった、TwitterもYoutubeもインスタもやりたかったから 24日なかったら多分家にずっと居たと思う (代理人の)操り人形ではない 代理人についてはもう何も言えない 自分がやりたいことをやるには協力人が必要 自分でも面白くない事は自覚しているので、荒れても仕方がない 代理人にもプライバシーがあるので... 前の食品レビューや商品紹介はリメイクになってしまうので面白くないだろう 代理人とはそのうちお金がまとまったら関係を終わらせるつもりである、お金を渡して 逆に関係が続いているから、このようにして放送ができているので 向こうもサポートしたいと言っていたのでついて行った シバターには甘えたくない 昔の自分に戻ったら、それこそつまらないだろう 仮に代理人と関係を終わらせても、もう復活はムリだろう つまらないのが自分だ とにかく新しいことをするには協力者が必要 最終的には一人でやっていく予定 操り人形を思ってくれればいい (活動が順調になったら代理人に)お金を渡そうと思っている、交通費など のびハザはなんか引っかかる、小学館から苦情が来て消されたりするのでやらない ゲーム実況はやりたい 自分もまだ無知なので、いろいろYoutubeで引っかかってしまったのは申し訳なかった 親は今の状況を認めてくれていない、お金を入れて旅行などをプレゼントしたり、時短調理器をプレゼント、父にはバイクを買ってあげたい ネットの件で親に、家族に迷惑をかけたので、認めさせるには夢を掴み成功させるしか 年賀状は来たけど、怒られなかった まずは家族にお金を渡してから、代理人に渡す 一人暮らしすれば色々動画のネタが作れるので 妹はなんとか元気 代理人にはちゃんとお金を渡すつもりだ 東京にはそのうち行こうと思っている オフ会はやるつもりだ 料理は、時々というか考えている みんなオフ会と言っているが、こっちにもタイミングがある。そのうちやる 女何人で行きま~すというのはネカマやな 助詞100人で行きま~すとかいうのはね、ネカマやな 今やればオフ0じゃないのでは お金があれば、デートもできる 例えオフ会を開いて0人でも、また盛り上がる。あのオフ0があったから今の自分が続いているので シバターとは復縁しない オフ会をやる事には代理人と関係を終わらせているだろう 童貞はそのうち卒業するのでは アトピーの調子はいい 風俗は行かない 前の写真はアトピーがひどかった ホテル浦島食中毒起こしましたよね やっぱり、ネットの事で散々あったのでちょっと病んでいたが、やっぱりネットをやりたいなと 貝塚にお世話になったので、インスタで発信出来たらいいなと 嫌がらせがある度に親、家族に言われて苦しかった、本を読んでいて(ネットを?)やりたいなと AZKとはやりとりしてもいい、会うぐらいならいいのでは 作曲したい AZKは売名かもしれないが 赤川次郎先生の夫は泥棒で妻は刑事のシリーズを読んだ AZKを知っている 女性とやりとりするぐらいならいいのでは 引っ越ししたい 最近のネットは見ていないので知らない ゾッ帝は忘れてしまった、書くつもりはない、新しい物語を構想している 代理人の良いなりにはなっていない、大丈夫 ゾッ帝未完結で申し訳ない 好きなラーメンは、金ちゃんラーメン 出前一丁 ゾッ帝ほとんどの人読んでないのでは ゾッ帝そんなに好きやったんか ニコ生どうしよう 今年の目標は一人立ち ニコニコ、オファーあればやってみたい Youtubeの収益化は厳しいのでは、きついと思う シバターとは関わる気ない すごい盗撮されている?(このへん聞こえなかったので後で聞き直します) シバターは自分のこと好きかもしれないが、自分は嫌い 年賀状は結構届いた、もちろんお気づきかと思うが嫌がらせの年賀状もあった。丸山さん(丸山ほだか)とも相談した カツドンチャン���ルを知っている 丸山さんともやりとりしている 丸山さんにお世話になっている ホテルはいいもんですかね 親は相当参っているみたいだ まずはPCとケータイを揃えたい 実は撮ったけどアップしていない(多分質問動画) カツドンに対してだめな人間やな自分は aiueoは知ってる 障害者手帳は無い たれぞうは知ってる、いなくなった、自分は後釜と言われている ニートの人も引きこもりのひともいるかもしれないが、そう言う人が人材の宝庫、得意分野があると思うので頑張って下さい、自分も頑張ります ここで引退することも出来るが、そこで再び復活しろと言われ、復活すればつまらないの繰り返しだと思うので、引き下がらない 広島人だ (アンチは)ネカマにダマされてリークされた自分を見たいのでは (ホテルを)転々としていく え、なんで、別に両親に謝る必要はない、生きててごめんなさいではなく、100%悪い人は居ない、謝る必要は無い 彼女はいない また引退したら荒れる 一番はスパチャ(で稼ぐ) 引退することもできるが、 石付けている クラウドファンディングは、資金積むんやったっけ? 別に普通の人間なので アルトサックス(今)吹けると思う、クラリネットもトランペットも吹いていた 米津玄師(げんじ)知ってる、ニコ動で活躍していてメジャーデビューした、CMでワイヤレスイヤホンのに出ていた ジム・キャリー知ってる ふわっちやることになったのは、YoutubeLive出来るけど、今は投げ銭が出来ないから 最近はお正月にBSでミッションインポッシブルやっていた、3,4を見ていた Vtuberはキカイでしたっけ?PCでしたっけ?詳しくないので 阪神淡路大震災から24年ですね、被災した方々お悔やみ申し上げます (Twitter)重大発表というのは、まとめたら一人暮らししたいということだ 今年で35になった、中年ですわもう 普通に働こうと思ったが、一番はネットのことがありそれが引っかかっていて働きづらさ、生きづらさになっている 就労がゴールではない、ムリに就労しても心を壊しやめるのがオチではないか、本当に何をしたいか考えたときにネットしかないと思った、すいません 何を言われようが、自分の意志を貫き通すのがかっこいいのではないか、その考えの上ではネットしかないと 本スレ(2chのほう)は見たり見なかったり、エゴサしてもしょうがないけどね 自分の声は好きでは無い 昔は好きでは無かったが今は素直になれている サングラス(オーバーグラス)何処のやつか分からない 心はイケメンではない、それは昔の自分だ、人間どこか嘘をついている部分があるから 特定されても大丈夫です 去年の1月に坊主にしようと思った ゆゆうたは知らない 体重は五十何キロか? いくら罵倒されようが、好きなことをやっている人間がかっこいいのでは かっこいいんかねぇ... 免許はMT、最近大型二輪を取りたいなと思っている ドライブ動画もいい、軽自動車買って 自分の人生について考えている 告白した人数は0 AZKの事は話してみたいと思っているだけ いずれ、郵便物取られてアップロードされるやろなと思っていたら、アップロードされた。自分が無知でネットをやっていたので、それはしょうがない 郵便物撮って上げるのは犯罪だ、しょうがない、しょうがないよね カスゴリに謝る必要は無い、認めてくれないし、しょうが無い、でも父母に感謝はしている 焼肉動画はもう消した これからについて、どっかホテルから配信する 洗車動画も上げない 別に引きこもりでもいい 丘people!?はおかしいぞと言ったつもりなのに、ああなってしまった ライン工で良いことはなかった AV男優になるつもりはない (自分が)関西を盛り上げるのはムリ 日本を背負うというのはヨイショしすぎだろう 万博が決まってからだったので、タイミングが良かった 小説を書きたい 今後アップする動画は、オリジナルメニューなど、色々考えていきたい 商品紹介など 質問コーナを撮ったが、また撮り直す 一番嫌だった嫌がらせはなりすまし通報、なりすまし通販 引っ越すのはもしかしたら大阪市内 体を鍛えている 出会い系は出会えない系だ トロピカル無職なんかなあ... 腕立て、多いときで80回 彼女欲しい ウォンツの機材は使っていない AZKは別にお話したいと思っていて、デートしてもいい、その先はなし 物体Xは狙ってやった訳では無い 体は見せられない ウォンツは今関係ないので、お話することはない
以上
投げ銭
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当該配信のURL: https://whowatch.tv/viewer/9201846
第二ラウンド
以下、順平の発言の要約
身長は163ぐらい体重50ぐらい 血液型はOかな? ボカロはやっていない 元気ないというのは、こういう場だから 今年で35になる ドリフトシティは復帰する予定はある ギャンブルは出会い系サイトだ、結構投資した 服はユニクロ バイクは詳しくない、知っているのはハーレー位 好きな食べ物は寿司、ラーメン、焼肉 シーソー乗ってる動画ありましたっけ? 好きな色は白か青色系 ツイキャス系は申し訳ないが、ふわっち(でやる) ふわっち選んだのはやってみたかったからというものあるし、スパチャが使えないから、すいません 無色と無職(白色について) オーバーグラスは100均のものか? 昔犬に追いかけられて、転んで犬が嫌いになった、今は大丈夫だと思う 猫夜叉は元気でやっているんでしょうかね、どうなんでしょう 皆さんに聞きたいが、どんなゲーム実況のリクエストがありますでしょうか? バイオですか、バイオ2リメイクって最新作なんかな?ダークソウルか、エロゲはちょっと無理やな 猫夜叉とは連絡取れていない 僕と君の夏休みは途中で終わってしまった シャド様って誰や、自分のキャラクターやったっけ? (物体Xの作り方教えて下さいに対して)焦げ付きにくいやつで作ればよかったんでしょうかね? 明石に2017年?に行った鳴門海峡の渦潮が見れなかったのが残念だった 明石海峡の動画上げてたっけ?浦島は上げてたような気がする コラボはやれたらいいかなと思っている クラナドは引っかかるのでは 車系はニードフォースピード、2018に最新作が出た 好きなゲームはアンチャーテッド、トゥームレイダー、バイオ、マリオカートもやりたい 怪異症候群昔やってたよね アンチャーテッド一番やりたい Switch興味ある マリカーはやっぱキノピオ Youtubeはマイペースにやる ヨッシーアイランドってスーファミでしたよね オリジナルメニューは出来るが、撮って良いのかですよね 動画の投稿ペースを上げるのは無理かもしれない カラオケ動画のトレーニングをやっていこうかなと思っている、カラオケのトレーニング動画は見たいか? よろしいでしょうかね、じゃあやろうかな 動画はもう一人で撮る テクニックを磨いてから撮りたいと、動画的には 髪は黒い方が良い 親は反対していない、いいんじゃないかと諦めている タオルのアルバイトはしていた 作業所は本当に行っていた 反対はしているけれど、自分がやりたいんだったらやったらいいんじゃないかと思う お気づきかと思うが、ホテルで撮っている うつ病はガセではない、円形脱毛症になった 別にお世話になっていた先生もYoutubeを仕事にしたらいいんじゃないということは言っていた 物体Xは汚れてしまったフライパンで作ればいいのではないか 好きなスポーツというかやってみたいスポーツは、スケボー、パルクール、ロッククライミング、BMX、乗馬 一月の引きこもり支援施設の件はお騒がせしてすいません、もう施設には行っていない 休んでいた間は、本を読んでいた 焼肉の動画はあったが、消した 難しい本は読んでいない、オンラインという本を読んでいた 先ほどのAZKさんの件はすいませんでした 謝るのは大事かなと思う モンストはやってみたいと思う、でも友達が0だから 親友も0人、彼女は欲しいと思っている Wiiはもう売った 小中高校と暗い人生だった 猫夜叉は友達だけど、どうなんでしょうかね、今どうしてるんやろうね 猫夜叉と連絡がつけば謝りたい Amazon使ったことある 創作活動は物語を構想するぐらい 楽しかった思い出は無いかな DTM、パソコン作曲もやりたいかなと思っている 岬高校はなんとなく送っていた、クラブにも入らず オーバーグラス似合いますかね スーパーのお菓子コーナーによく行く 収益はちゃんと自分に入る やってみたいスマホゲームは、よく知らないがモンストやパズドラ 対馬(つしま)ですね ア→イ↑マ↓スってなんでしたっけ、ア→イ↑マ↓スって音ゲーでしたか
以上
投げ銭
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URL: https://whowatch.tv/viewer/9202750
幾ら稼いだんでしょうね
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kikuzu · 7 years
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「次に不良型。これはアレです、ただのヤンキーですね」 「ヤンキーって中二病なんですか」 「いや、だってよく考えてみてくださいよ。全然格好よくないのにいきなり見せつけるようにタバコ吸い出したり、自転車のハンドルをひん曲げてバイクみたいにして乗り回したり……中二病でしょ? それ」 「確かにめちゃくちゃ中二病だ!!!!! なんだ、怖いと思ってたアイツもアイツも実は中二病だったんだ……なんかかわいく思えてきちゃったな……」 「結局、周りと違う自分を演出したいって行為自体が中二病だと思うんです。不良型の子の場合はその演出の方法がちょっと暴力とか、非行行為に寄っちゃってる感じかな」 「なるほど~~~ピザ屋のバイク盗んで逮捕されたH君も行き過ぎた中二病だったわけか……」 「それは犯罪者です」
やしろあずきの調査―― 中二病って本当に中学2年生で発症するの? 現役中学教師に聞いてみた!(前編) (3/4) - ねとらぼ
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