#ハワイ火山国立公園
Explore tagged Tumblr posts
Text
ECCジュニア田村町教室、なんかこう、なんだろな、中村です。 夏の消え方がえげつないですね。
教室ネタもボチボチ出てくる頃合い、色々混ぜながらアップしていかねば。
さて、今回のハワイネタはハワイ火山国立公園。 今も活発な活動を続けているキラウエア火山を有する国立公園です。
ちょうど旅の前に火山の噴火が始まり、もしかしたら噴出する溶岩が見えるかも!というタイミング。 でも、見に行く日のこれまた直前に噴火は収まったとのこと。 今回は6日間という超短い期間の噴火だったようです。
この火山国立公園内、現在立ち入り出来る場所と出来ない場所があります。 それは火山活動のため、危険な場所もあるから。 2012年の写真と比べると、クレーターが全く違う様相を見せていました。 火山活動と共に、大地が動いているんですね。
ハワイ島では昨年、マウナロア山という別の活火山の噴火があったそうです。 タクシーに乗った時、運転手さんがこの話をしてくれたのですが、「とても美しく、そして怖かった」とおっしゃっていました。 多くの人が、見物に行き、その美しさに言葉をのんだとともに、もしかしたら溶岩が自分の街の方へやってくるかもしれない、という不安もあった、と。
火山の噴火、などと聞くと、私なんぞは、ただただ怖いというイメージですが、、、 ハワイ島の人々は、この抗えない自然の営みを、受け入れながら生きるしかないんだろうな。
そして、その土地に生きる植物たちも、過酷な環境に適応しながら生きています。 乾燥した溶岩の上でも育っていけるハワイ固有種の植物、オヒアレフア。 生命力が強く、生育環境に合わせて姿を変えながら生きていける逞しい植物ですが、赤い花は可憐です。
雄大な風景、うごめく大地、過酷な環境でも逞しく生きる植物。 過去から現在まで、その場に立って先住ハワイアンの人たちは何を感じてきたのか。 ここから先の未来、これからもハワイで生きていく人々と、この場へ訪れる私たちは何を大事にしていくべきなのか。
写真を見るたび、そんな大きな事に思いを馳せます。 色々と考える事の多い旅です。
#ハワイ火山国立公園#hawaiivolcanoesnationalpark#キラウエア火山#kilauea#オヒアレフア#ohialehua#火山と生きる#ハワイ島#bigislandhawaii#hawaiinature#ハワイ旅行#hawaiistagram#英語#英会話#英会話教室#丸亀#多度津#ecc#eccジュニア#田村町教室
1 note
·
View note
Text
ハワイ火山国立公園
キラウェア火山のトレイルを歩くつもりだったけど、
お財布事情で
現地で予定変更。
火山国立公園の端っこのカフクエリアのトレイルを歩くことにする
1時間ばかりのトレッキングで、
だだっ広い溶岩台地を歩いていると
地球の大きな力を感じるわけで
自分がちっぽけな存在なんだと気づくわけで
だけど、それは爽快な気分
44 notes
·
View notes
Text
📍Hawai'i Volcanoes National Park
Hawai'i Volcanoes National Park is one of my favorite places. It's rainy every now and then, but also sunny. I find it beautiful, and the flowers and clouds and scenery makes it all the more pretty, don't you think?
ハワイ火山国立公園は私のいちばんだいすきです。ときどき、あめがふります。も、はれです。美しいですよ、はなとくもりはきれいですね。
0 notes
Quote
ラハイナの歴史的重要性とは、いったいどのようなものだったのだろうか。山火事で失われてしまったものを以下で見ていこう。 ラハイナのシンボルであるバニヤンツリー。この街独特の文化的遺産と、困難に耐え抜く力を象徴する存在だ。この木は、マウイの歴史に大きく関わったキリスト教宣教師の到着50周年を記念して、1873年にインドから輸入されたもの。それ以来、2.4メートルだった樹高は18メートルにまで成長した。(PHOTOGRAPH BY BILLY MCDONALD, ALAMY STOCK PHOTO)[画像のクリックで別ページへ] 王家の住居 海岸沿いの街ラハイナは、近代的な観光地になるずっと前からすでに多くの人々を引き寄せていた。「太古の昔から、ラハイナはマウイの王や首長のお気に入りの居住地であり、また島を行き来する旅行者にとっては便利な港だった」。米国立公園局の歴史学者ジョン・A・ハッセーは、1962年にこの街が国定歴史建造物地区に指定された際の報告書にそう記している。 カメハメハ大王がラハイナに強く惹かれたのも不思議なことではない。18世紀半ばに王族に生まれたカメハメハは、優れた戦士としての実力を示し、やがて大王の座に就いた。 当時のハワイでは、敵対する王国同士が近隣の島々の支配権を巡って衝突するのが常であり、戦争は珍しいことではなかった。カメハメハ大王もこの争いに加わり、1795年にマウイとオアフを制圧し、1802年にラハイナに王族の住居を築いた。その後1810年にはハワイ諸島の統一を成し遂げた。 しかし、カメハメハ大王は王国の発展を長く見届けることはできなかった。1819年に大王が他界すると、息子のリホリホが王座を継いだ。現在はカメハメハ2世として知られる彼が、ラハイナを正式にハワイ王国の首都とし、この街に大きな社会的変革をもたらした。 レンガの宮殿:ハワイ諸島において最初期に建てられた西欧スタイルの建物であり、カメハメハ大王はここで1年あまりを過ごした。はるか昔に破壊されたが、1960年代に基礎部分が発掘された後は、旅行者が訪れることのできる名所となっていた。歴史あるフロント通り付近にあり、山火事で焼失したラハイナ公共図書館の裏手に位置している。 2023年8月10日の空撮写真。火事は8月8日早朝に発生し、数平方キロメートルの範囲を全焼させ、3万5000人の命を危険にさらした。(PHOTOGRAPH BY PATRICK T. FALLON, AFP/GETTY IMAGE)
【解説】ハワイ王国の古都ラハイナで焼失した歴史的遺産 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
1 note
·
View note
Text
2022年11月28日
youtube
【速報】マイナンバーカード申請率60%突破…総務省が発表 交付開始から約7年で…「マイナポイント第2弾」「健康保険証との一体化」でさらなる普及急ぐ考え(TBS NEWS DIG)
総務省はきのう時点でのマイナンバーカードの申請件数の割合が60%を超えたと発表しました。
総務省によりますとマイナンバーカードの申請件数はきのうまでに7568万件あまりとなり、人口に対する申請件数率は60%を超えたということです。
2016年1月に交付が始まったマイナンバーカードは6割普及するのにおよそ7年かかった形です。
政府は今年度中にほぼ全ての国民にカードを普及させたい考えで、カードの取得などで最大2万円分のポイントが還元される「マイナポイント第2弾」を実施しています。また、現在の紙などの健康保険証を2024年秋にも原則廃止し、マイナンバーカードとの一体化を発表するなど普及を急いでいます。
松本総務大臣は「年内の申請件数8100万件の達成、さらなる普及の加速化に向け全力で取り組む���とコメントしています。
高額転売防止へ、チケット販売にマイナカード活用…購入・入場時に本人確認
政府が、プロスポーツやコンサートのチケット販売に、マイナンバーカードの活用を検討している���とがわかった。購入時と入場時に本人だと確認し、第三者への高額転売を防ぐ。マイナカードが活用できる機会を増やすことで、幅広い普及を狙う。
河野デジタル相が、デジタル庁に対し、プロスポーツを始めとする関係団体と具体的な協議を始めるよう指示した。すでに、チケット販売にマイナカードが使えるかどうかを調べる実証実験を行っており、課題を検証して早期の導入を目指す。
この仕組みは、本人であることを証明する電子証明書機能を使う。チケット購入時に、利用者がマイナカードをスマートフォンにかざせば、内蔵したICチップを通じて情報を確認できる。転売を防ぐために、入場時もマイナカードをかざして第三者ではないかを調べる。
現在は、インターネットで予約し、コンビニエンスストアなどで紙のチケットを受け取って入場する例が多い。紙を使わずに、マイナカードを活用すれば、本人確認が徹底でき、第三者の入場を食い止められる。
政府は、マイナカードの普及が行政のデジタル化のカギを握るとして、2022年度末までに、ほぼすべての国民が持つことを目指している。所定の登録をすれば、健康保険証代わりになる。24年秋には現行の保険証を廃止し、マイナカードに一本化することを決めた。
運転免許証との一体化も進める方針を掲げており、持ち歩かずにすむよう、機能をスマホに搭載することも進めている。ただ、取得にメリットが感じられないとの声もあり、申請率は6割にとどまっている。
イベントチケットを巡っては、19年にチケット不正転売禁止法が施行され、営利目的での転売が禁じられた。その後もネット上で高値転売する事例は後を絶たない。チケット仲介サイトによれば、アイドルグループのチケットが正規料金の数十倍で取引される例もあるという。
新しい仕組みを導入すれば、イベント主催者は、会場にマイナカードを読み取る端末を設置する必要がある。スマホを持っていない人や家族の分をまとめて購入した時に、どうやって本人を確認するのかという課題もある。個人情報の漏えいを恐れる人も多く、情報管理の徹底が欠かせない。
マイナカードで自動車手続き 国家資格、在留外国人も(共同通信 11月29日)
デジタル庁は29日、マイナンバーカードによるオンライン手続き拡大に向けたマイナンバー法改正案の概要を明らかにした。新たに自動車や国家資格、在留外国人に関する手続きで番号を使った個人情報のやりとりを可能にする。現在は社会保障、税、災害対策の3分野の事務処理に限っている。同日、有識者らによる作業部会で示した。
カードの利便性を高めて普及を図る狙いがある。来年の通常国会に改正案を提出する。
改正案の概要によると、自動車の所有者による住所変更、調理師や行政書士といった国家資格の取得や更新などの手続きをオンラインでする際、戸籍謄本や住民票の写しの取得が不要となる。
セルフレジで酒・たばこ、年齢確認にマイナカード利用を検討(11月30日)
政府は、酒やたばこの販売時に必要な年齢確認について、客が商品のバーコードを読み取らせて決済する「セルフレジ」でマイナンバーカードの利用を認める検討に入った。人手不足に悩むコンビニエンスストアなどの省力化を後押ししつつ、マイナカードのさらなる普及につなげる。
30日に開かれるデジタル臨時行政調査会の作業部会で了承される見通し。コンビニやスーパーはセルフレジの導入を進めているが、年齢確認が必要な酒やたばこを販売できないのが課題だった。セルフレジにマイナカードの読み取り機を設置し、カードをかざすことで年齢確認ができるようにする想定だ。一部のコンビニなどでは、運転免許証を読み取って年齢確認を行うセルフレジの実証実験がすでに行われている。
youtube
五輪談合、電通など7社関与か テスト大会巡り、博報堂も捜索―東京地検・公取委(時事通信)
東京五輪・パラリンピックのテスト大会を巡る入札談合事件で、広告最大手「電通」など少なくとも7社が大会組織委員会発注の計画立案業務で受注調整していた疑いのあることが28日、関係者への取材で分かった。
東京地検特捜部と公正取引委員会は同日、独禁法違反(不当な取引制限)容疑で新たに広告大手「博報堂」など4社を家宅捜索した。電通など2社を25日に捜索したほか、広告大手「ADKマーケティング・ソリューションズ」(旧アサツーディ・ケイ)は公取委の課徴金減免制度に基づき、談合を自主申告している。
新たに捜索を受けたのは、博報堂と広告大手「東急エージェンシー」、イベント会社「セイムトゥー」、同「フジクリエイティブコーポレーション」(FCC)。25日には電通やイベント大手「セレスポ」が捜索を受けたほか、テスト大会を取り仕切った組織委大会運営局元次長の自宅も捜索対象となった。
youtube
ハワイで世界最大の活火山噴火 38年ぶり、住民に注意喚起(AFPBB)
【AFP】米ハワイ州ハワイ島にある世界最大の活火山マウナロア(Mauna Loa)が27日深夜、38年ぶりに噴火した。緊急対応当局は、近隣住民が被害を受ける恐れもあるとして警戒態勢を取っている。
標高4168メートルのマウナロアは、ハワイ火山国立公園(Hawaii Volcanoes National Park)内に位置している。噴火は27日午後11時30分(日本時間28日午後6時30分)ごろ発生した。
米地質調査所(USGS)は噴火から15分後の発表で、溶岩の流れは山頂のカルデラ内におおむね収まっているが、状況が変わった場合、周辺住民に被害が及ぶ可能性があると警告した。
USGSの火山監視室は噴火から数時間後の28日早朝、「山頂からは今も溶岩が噴出しており、カルデラからあふれ出ている。今のところ、住居地域への脅威はない」とした上で、火口がカルデラ壁の外に移った場合には溶岩が山腹を急速に移動する可能性もあるとして、周辺住民に注意を喚起した。
今後、ハワイ火山観測所(Hawaiian Volcano Observatory)が緊急事態管理当局と連携し、早急にマウナロア上空から調査を行う予定だという。
地元当局によると避難命令は出ていないが、山頂付近への立ち入りが禁止され、周辺の道路数本が閉鎖されたほか、予防措置として避難所2か所が開放された。
マウナロアの噴火は1984年以来。当時は22日間にわたって噴火が続き、溶岩流が人口4万4000人のヒロ(Hilo)から約7キロ離れた地点まで達した。映像は27、28日撮影・提供。
【速報】“出生数”過去最低ペース「危機的状況���総合的な少子化対策進める」松野官房長官(FNNプライムオンライン)
2022年1月から9月までに生まれた子どもの数が、速報値で59万9636人と前年と比べて約3万人減少のマイナス4・9%と調査開始以来最低のペースとなったことについて、松野官房長官は28日、「危機的な状況であると認識している」とした上で、総合的な少子化対策を進める考えを示した。
松野長官は28日の会見で、9月までの出生者数が過去最低だった2021年より約3万人減少していることについて「調査開始以来、最も少なかった昨年の出世数を下回るペースとなっており、危機的状況であると認識している」と出生者数の減少に危機感を示した。
その上で松野長官は「少子化の背景には個々人の結婚や出産、子育ての希望の実現を阻む様々な要因が複雑に絡み合っていると認識している」と指摘した上で、結婚支援・妊娠出産への支援・男女ともに仕事と子育てを両立できる環境整備・子育て世帯への経済的な支援などを挙げて「ライフステージに応じた総合的な少子化対策を進めていきたい」と強調した。
日本初 学校給食にコオロギ導入 食料不足の救世主となるか(ABCニュース)
徳島県の高校の給食に、食用コオロギを使ったメニューが登場しました。コオロギは「食料問題の解決策」とも期待されていて、学校給食への活用は国内初の試みだといいます。
徳島県小松島市にある県立小松島西高校の28日の給食、「カボチャコロッケ」には、食用コオロギのパウダーが練り込まれています。
鳴門市にある徳島大学発のベンチャー企業・「グリラス」と、高校の食物科の生徒が協力して開発しました。
食用コオロギを活用��たメニューの学校給食は、日本で初めてだということです。
徳島駐在・住友聖カメラマン 「全然、違和感ないです。おいしいです。香ばしい味もしますね」
食用コオロギは、牛や豚などと比べて少ないえさで育てることが可能で、環境問題や食料不足の解決策として注目が集まっています。
給食を食べた生徒 「かぼちゃの甘みとコオロギの、エビやカニのような香ばしさが合ってすごく美味しかったです」
小松島西高校では、今後もコオロギを活用した給食のメニューに挑戦したいとしています。
youtube
新型コロナ「5類」含め引き下げ検討へ 厚労省(TBS NEWS DIG)
新型コロナウイルスの感染症法上の位置付けについて、厚労省が近く「5類」への引き下げ含めて見直しの検討を始める方針であることが分かりました。
感染症法では重症化リスクや感染力に応じて感染症を「1類」から「5類」に分類していて、コロナは現在、患者の隔離などが行える2類相当の措置がとられています。
ワクチンの接種などが進み症状がインフルエンザに近づいてきているとの指摘もあることから、厚労省が近く、分類の見直しについて検討を始める方針であることが政府関係者への取材で分かりました。
現在のコロナの致死率や重症化率などについて、専門家も交えて議論をしていく見通しで、ある厚労省の幹部は国会で審議されている感染症法の改正案が成立すれば「出口に向けた議論をしていく」と話しています。
youtube
新型コロナ「2類相当」→「5類」で医療費が“自費”になったら?飲み薬が約3万円に?【解説】(TBS NEWS DIG)
厚労省が、新型コロナウイルスの分類について「5類」への引き下げを含め、見直しの検討を始める方針であることが分かりました。仮に「5類」になった場合、医療費の“負担増”が指摘されていますが、一体何がどう変わるのでしょうか?詳しく解説します。
■“インフル並み”の扱いで、検査も新薬も入院費も“自費負担”に?
日比麻音子キャスター:新型コロナの分類の見直し検討について、背景にはこういったデータもあるということです。
「“コロナ”と“インフル”の重症化率」厚労省アドバイザリーボード資料よ���
新型コロナ(オミクロン株)…60歳未満 0.03% 60歳以上 2.49%
季節性インフルエンザ…60歳未満 0.03% 60歳以上 0.79%
やはりオミクロン株の重症化率が60歳以上では2.49%ということで、季節性インフルエンザよりも高いわけですが、60歳未満に関しては0.03%、インフルエンザと同じということなんですね。そこで季節性インフルエンザと同じ分類に、という検討がされるわけですけれども、現在はこのような分類となっています。
1類…エボラ出血熱 など
2類相当…新型コロナウイルス感染症
2類…結核、SARS など
3類…コレラ など
4類…デング熱、サル痘 など
5類…季節性インフルエンザ など
新型コロナに関しては2類相当から5類への見直しということなんです。では、分類が変わったら、具体的に何が変わるのか?大きく2つ変わります。
まずは検査や治療にかかる費用についてです。現在は2類相当ですから、全額公費での負担ということになっていますが、5類になりますと、公費での負担はなし。つまり自費になるということです。
現在は2類相当ですから、検査キットは、自治体などによって異なりますけれども、お金がかからないところもあります。医療機関を受診した場合、診察費は約4000円かかります。解熱鎮痛剤など薬についても数百円かかっています。新しい薬、軽症者の人にも処方される飲み薬「ゾコーバ」、11月28日から本格的に供給されるということですが、これに関しても、公費負担ということですから実質0円となっています。
検査キットは、種類によって異なりますが約1500円かかります。医療機関を受診した場合、診察費は同じだけかかりますが、PCR検査などで、プラスで2500円ほどかかります。解熱鎮痛剤などは同じくらいの値段ですけれども、新しい薬「ゾコーバ」5日分、3割負担で考えますと、約3万円かかるということです。自費がかなり増えるなといった印象があります。
入院費に関して、2類相当ですと公費負担ですから自費はなし。ところが、5類相当ですと入院費、1日約2万円かかります。状況によって異なりますから一口には言えませんがお金がかかっていきます。さらには新型コロナの治療薬について、2類相当ですと、公費負担で自費はなし。中等症以上になりますとレムデシビルなどが処方されますが、3割負担と考えますと、11万4000円ほどということですから、かなりの高額になってくるわけです。
■「どうしても新型コロナの患者が忍びやすくなる」医療現場の懸念
ホラン千秋キャスター:分類を変えるときに、医療費だけは今の扱いと同じにしましょうなど、さまざまな案があるとは思うんですけれども、5類にしたときに、一体どんな懸念があるのか?
東京歯科大学市川総合病院 寺嶋毅 医師:医療機関でも、通常医療がやりやすくなるとか、どこの医療機関にも発熱のときにアクセスできるとか、便利になる部分もあると思います。けれども、今のままでは厳しい立場になるところもあります。というのは、1つは、例えば濃厚接触者であっても、入院前にPCR検査を行っているところもありますが、それもなくなると、医療機関のガードが下がって、どうしても新型コロナの患者が忍びやすくなること。それから、インフルエンザの致死率に近づいてきましたけれども、広がりやすさということでいうと、新型コロナの方がまだずっと高いこと。
最後に、致死率は近づいても、やはり日中の患者さんというのは抗がん剤治療を受けていたり、体力の弱い患者さんがいたりしますから、それほど致死率がまだ下がっていないということを考えると、病院は今、ゼロコロナを目指してやっていて、どうしてもウィズコロナに近づいていかざるを得ないというところがある。
実際、入院中に予定通りがんの治療を受けられなくて病状が厳しくなった場合に、そういう人たちから、厳しい言葉を聞いたり、やりきれない思いを聞いたりするということは度々ありました。ですから、そうなってもその施設やスタッフを責めることがないように、また、当事者や社会がそれを受け入れるということにしていただかないと、医療機関はまだ厳しいのかなと思います。
井上貴博キャスター:そのしわ寄せが医療従事者のみなさんにいきますので、社会の考え方が変わっていかないといけないんだと思う。よく医療機関の人がおっしゃるのが、分類がどうであれ、今、現場はかなり柔軟に対応しているんだというふうな話を聞きます。今、一部の医療機関��全部の患者さんを受け入れているのを、全ての医療機関に増やせないのはなぜなのか?医師会の働きかけが弱いのか、政府の本気度なのか、ほかに何か要因があるのか?
寺嶋 医師:今、新型コロナ患者を見ていないところにも裾野を広げるということは大事だと思いますが、マンパワーやスペースの面で、今やっているところほどできないというところもどうしてもあると思います。ですから、そこまで厳密な感染対策ではなくても、感染が広がった分、やはり受け入れるということが大事なのかなと思います。
井上キャスター:税金でどこまで賄うのか、新型コロナには湯水のごとく税金使っていいという考え方を変えるべきではないかという考えもありますが?
寺嶋 医師:もう3年近くなってますし、いつまでもこのままっていうわけにいきませんから、ある程度は自分で負担したりとか、検査も治療もそうなっていくのは流れかなと私も思っております。
【本日(11/28)の広島県内の感染状況】(広島県)
新型コロナ 県内で1324人感染確認 1人死亡 28日発表(NHKニュース)
広島県では28日、新たに1324人が新型コロナウイルスに感染したことが確認され、1人が亡くなったと発表されました。
感染が確認されたのは、▼広島市で561人、▼福山市で221人、▼東広島市で122人、▼尾道市で68人、▼三原市で49人、▼廿日市市で47人、▼呉市で46人、▼府中町で41人、▼庄原市で27人、▼三次市で26人、▼神石高原町で16人、▼安芸高田市と府中市でそれぞれで15人、▼熊野町で14人、▼海���町で11人、 ▼大竹市と竹原市、北広島町でそれぞれ10人、▼世羅町で7人、 ▼江田島市と坂町でそれぞれ4人のあわせて1324人です。
1週間前の月曜日を52人下回りました。これで県内での感染確認は、のべ52万9515人となりました。
また、県内では患者1人が亡くなったと発表されました。県内で新型コロナウイルスに感染し、その後、死亡した人は863人となりました。
新型コロナ 県内の病床使用率 61.6%(27日)(NHKニュース)
27日時点で病床の使用率は61.6%です。(確保病床523床、入院患者322人)。
このうち重症患者用の病床使用率は19.5%です。
(確保重症病床41床、重症の入院患者8人)。
軽症の人や症状がない人が入る宿泊療養施設は1022室を確保し、314人が過ごしています。
(利用率30.7%)。
直近1週間の人口10万人あたりの新規感染者数は711.24人です。
現在、広島県の感染状況はレベル0から4の5段階のレベルのうち、医療体制への負荷が生じはじめていることを示す「レベル2」です。
【新型コロナ 厚労省まとめ】103人死亡 4万9117人感染 (28日)(NHKニュース)
厚生労働省によりますと、28日に発表した国内の新たな感染者は、空港の検疫などを含め4万9117人となっています。また、国内で亡くなった人は103人で、累計4万9281人となっています。
新型コロナ 北海道内で3509人感染確認 30人死亡(NHKニュース)
道内では新たに3509人が新型コロナウイルスに感染していることが確認され、30人の死亡が発表されました。一日の新規感染者数は先週の月曜日に比べておよそ300人減りましたが、依然として高い水準が続いています。
北海道は11月の死者が465人。東京138人。大阪126人。広島76人。
東京都 新型コロナ 6人死亡 5767人感染確認 前週比1148人増(NHKニュース)
大阪府 新型コロナ 8人死亡 新たに2102人感染確認(NHKニュース)大阪府内の感染者の累計は227万5542人となりました。府内で感染して亡くなった人は合わせて6736人となっています。
0 notes
Photo
久々のツアーラッキーでした。 #車内で吐くときは言ってくれれば車止めます。吐いた後も何も言わないのやめてください笑 #新婚さん . . . Lucky day. #goodday . . . #ハワイ島 #ハワイ #キラウエア #自然 #虹 #火山 #国立公園 #世界遺産 #ツアー #bigisland #hawaii #kilauea #volcano #nationalpark #worldheritage #naturelovers (Hawai'i Volcanoes National Park)
#ハワイ#kilauea#自然#naturelovers#goodday#火山#虹#ツアー#ハワイ島#新婚さん#世界遺産#車内で吐くときは言ってくれれば車止めます#nationalpark#国立公園#hawaii#キラウエア#bigisland#volcano#worldheritage
1 note
·
View note
Photo
回顧録:ハワイ・マウイ島 1997夏 Memoirs :Maui Island, summer 1997
ずいぶんと昔の話になってしまいますが、1997/8/8-/8/14 初めてハワイ・マウイ島に出かけました。初めてでしたが、観光客の多いオアフ島(ホノルル)よりも、多分観光客が少なく自然が豊かなマウイ島を選んだ記憶があります。オアフ島ホノルル経由でマウイ島へ到着です。
ウェスティン・マウイ(The Westin Maui, KAANAPALI BEACH)に5泊しました。このホテルは、現在ではウェスティン マウイ リゾー�� & スパ カアナパリ (The Westin Maui Resort & Spa, Ka'anapali)と名前が変わっているようです。部屋のテラスから見えるのはラナイ島。眼下にはたくさんのヤシの木に覆われたホテルのプール。
ホテル前のビーチからはモロカイ島を望みます。ホテルからほど近い小岩礁ブラックロックにはたくさんのお魚が集まり、絶好のダイビング&シュノーケリング スポットでした。この頃はシュノーケリングに凝っていたので、毎日ブラックロックに出かけました。富士写真フイルムの「写ルンです」などのレンズ付きフィルム(いわゆる「使い捨てカメラ」)+水中撮影用簡易防水カメラケースでお魚の写真を撮っていました。浅いところで太陽光が十分入れば、通常の35mmフィルムでそれなりの写真が撮れていました。「写ルンです」に満足できなくなってくると、NIKONOS VやCANON IXY-D5(防水タイプ・ダイビング用途、1999年11月発売、APSフィルム、水深5m防水機能)が欲しくなってきましたが、けっきょく購入までは至りませんでした。
オプショナルツアーでハレアカラ国立公園(HALEAKALA NATIONAL PARK)に出かけました。ハレアカラ山(標高3,055m)山頂からは雄大な噴火口が望めますが、ちょっと月世界のような荒涼とした光景です。遠くにはハワイ島のマウナケア火山とマウナロア火山も見えました。山頂からの急勾配の道を、自転車で猛スピードで駆け下りる人たちが大勢いました。バスの車中からハラハラしながら見ていましたが、ダイナミックでした。
ホエールビレッジ(ショッピングセンター)では買い物やサンセットディナー(レイラニ、ザ・ビーチサイド・グリル)を楽しみました。当時ハワイにはそれほど興味があったわけではありませんでしたが、まだ若かったし、いろいろと楽しんできました。懐かしいですね。
Maui Island USA, August 1997, New Mamiya 6 MF/ G75mm F3.5L, Fuji Velvia/REALA, EPSON F3200 We can look at the enlarged images clicking the original ones.
1 note
·
View note
Quote
怪しいインビテーション・フロム彼方 夏休みに、知らない人に誘われて、知らない人たち5人と、知らない国の知らない場所を旅することになった。twitterで、今まで全く交流がなかった人から突然誘われたのだ。なぜ誘われたのかもわからないし、なぜ、自分がその誘いに応じたのかもわからない。 当時の私は、激務で有名な会社の、最も激務と噂される部署で働いていた。会社の机で眠り、近くのジムでシャワーを浴び、充血した目でエクセルを叩く。正月もゴールデンウィークもなかった。ウイグル旅行の誘いが届いたのは、そんな折だった。 メッセージが目に入るやいなや、発作的に行きたいと返事をしてしまったが、後になって疑念が湧いてきた。メッセージの主は、いったいどんな人なんだろう。私は当時、人と絡まない���高のスタイルでtwitterをしていたのでDMがきたこと自体初めてだった。 とにかく、行くと言ってしまったのだから、休みをとらなければならない。その時点で夏休みを取得する予定はなかった。取得できるのかもわかっていなかった。 どうしてウイグルなんかに行くんですか 休暇取得を申し出る私に対し、職場のみんなはやさしかった。みんな忙しいのに、「仕事は引き取るから」「ゆっくり休んで」と言ってくれた。しかし、旅行の詳細を聞くと、同僚たちの善良な笑顔はさっと曇った。 彼らは問う。 「どうして、ハワイでもセブ島でもなく、ウイグルなのか」 「どうして、親しい友人や家族と行かないのか」 もっともな疑問だ。私は、どうして、気が合うかわからない人々と、楽しいかわからない場所に行こうとしているのだろう。自分にもわからない。どちらかといえば、こちらが問い返したいくらいだ。 「どうして私は、知らない人とウイグルに行くのでしょう?」 私は、夏休みまでに仕上げなければいけない書類の山を見つめた。 羽田からウルムチへ 早朝の羽田空港国際ターミナルで、私は疲れ果てていた。休暇を目前にひかえる中で押し寄せる仕事の波に飲み込まれ、家に帰れない日々が続いていたからだ。最終日も仕事が終わらず、徹夜で職場から直接空港に向かう羽目になった。 今回の旅行メンバーは、男性3人・女性3人。私以外は、大学時代のサークルを中心としたつながりのようだった。それだけ聞くと、「あいのり」や「テラス��ウス」のような、青春の匂いただよう若い男女の旅行なのだが、グループからはそれをかき消す不穏なバイブスが満ち満ちていた。 なかでも完全におかしいのは、グループの中に「尊師」と「レーニン」を称する人物がいることだ。通常、「尊師」というのは、オウム真理教教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)を意味し、「レーニン」というのは、ロシア社会民主労働党の指導者であり、ソビエト連邦を建国した人物であるウラジミール・イリイチ・レーニンを意味する。 テロ、あるいは革命という形で、国家体制の転覆をめざした宗教的・政治的指導者が、なぜ一同に会しているのだろう。空港前で集合しているだけで、破壊活動防止法(通称・破防法)の適用対象団体となってしまいそうだ。 ともあれ、この時点で、今回の旅行が恋と友情の甘酸っぱい青春旅行になる可能性は限りなくゼロだ。麻原彰晃とウラジミール・レーニンが旅を通じて友情を深め、それがいつしか愛に変わる……。そんな突飛な話は、両者の思想的相違点を考慮すればおよそ考え��れないだろう。 私は、国家転覆を試みる宗教家でもなければ、社会主義の革命的指導者でもない。どうしてこの旅に誘われたのだろう。ぷくぷくとふくらむ疑問と不安を乗せて、飛行機は羽田を旅立とうとしていた。 尊師とレーニン 羽田からウルムチへの長い移動中に分かったことがある。尊師は、工学の修士号を持つ知識人であり、特定の宗教とのつながりはないということだ。「尊師」というのは、極めて不謹慎なあだ名にすぎない。 では、旅の同行者にふさわしい安全な人物かというと、そんなことは決してなかった。尊師は、無邪気な下ネタをガンガン投下してくるという反社会的な性質を有していた。 例えば、北京の空港でのことだ。 「マーン・コーヒーだ!見てください!マーン・コーヒーですよ」 尊師は、北京空港内のオシャレなカフェチェーンを指差し、目をキラキラ輝かせて写真を撮りはじめた。そのとき、私は「どこにでもあるチェーン店になぜ興奮しているのだろう」と不思議だったのだが、後になって、それが低レベルすぎる下ネタであることに気がついた。もっと早く気づいてしかるべきだったのだが、工学の修士号を持つ知識人が、そんな知性ひかえめのジョークを言うとは思わなかったのだ。 他の同行者もまた、尊師の被害を受けていた。 尊師 「ちんマ!? ちんマ!?」 同行者「ちんマってなんですか?」 尊師 「ちんマというのは、ちんちんマッサージのことです」 同行者「……」 それ以来、その人は、尊師には何も質問しないと決めたという。 尊師が、大きな身体のうるさいお兄さんである一方、レーニンは、小柄でツインテール姿の、無口でちょっぴりエッチな美少女だった。 ちなみに、ちょっぴりエッチというのは、彼女が尊師の下ネタをときどき拾ってあげていたのを私が面白おかしく書き立てているだけだ。実際には、彼女は、渾身の下ネタをたびたびスルーされ、ときにはうるさいと一喝される尊師を気遣っていたのだと思う。 なので、正確には「レーニンは、小柄でツインテール姿の、無口で心優しい美少女」ということになる。それでいてソ連のコミンテルンを率いる革命的指導者であり思想家だなんて、今すぐアニメの主人公になれそうだ。 それにしても、尊師もレーニンも、私の凡庸な日常生活には絶対にあらわれないタイプのキャラクターだ。二人とも、普段は善良な労働者として社会に潜伏しているらしいので、本当は自分のまわりにもいるのかもしれないが、それを知るすべはない。 「ずいぶん遠いところにきちゃったなあ……」 あまりの非日常感にめまいがした。まだ、目的地にさえついていない。 謎の秘密結社・うどん部 新疆ウイグル自治区は、中国の最西部に位置しており、国境を接して南にはインドがあり、西にはカザフスタン・キルギス・タジキスタン・パキスタンが連なる。古くからシル���ロードの要衝として栄え、ウイグル人・カザフ人などの多民族が住む、ムスリムが多い中央アジア文化圏だ。 今回の旅程は、新疆ウイグル自治区の玄関口であるウルムチを経由し、前半は電車でトルファン、カシュガルを巡り、後半は車でパキスタンとの国境であるタシュクルガンまで足を伸ばすというものだ。 羽田からウルムチまでの移動にまる一日かかるため、実質的な旅のスタートは二日めのトルファンからになる。隣の国のはずなのに、移動の体感的にはヨーロッパと同じくらい遠い。 私たちがトルファンに到着して最初に向かったのは、ウイグル料理店だった。 「やはり我々うどん部としては、まずはラグメンの調査からですよね」 旅行の主催者である女性は、ニコニコしながらそう言った。ラグメンとは、中央アジア全域で食べられている麺類で、うどんのような麺に、トマト味のソースがかかった食べ物だ。 なんでも、今回の旅行は「某大うどん部」という、大学のうどん愛好家サークルの卒業生を中心としたメンバーで構成されているらしい。旅の目的のひとつも、ラグメンを食べることで古代中国で生まれたうどんの起源を探ることにあるのだという。 「うどん部……?」 私は思わず考え込んでしまった。特にうどん好きというわけでもない自分が誘われた理由がわからないと感じたこともあるが、一番の理由は、今回のメンバーが「うどん部」という言葉がもつ牧歌的かつ平和的な響きからはおよそかけ離れた集団のように思えたからだ。 先程言及した「尊師」と「レーニン」が名前からして不穏なのはもちろんだが、他のメンバーたちの話題もとにかく不穏だった。 「前進チャンネル」の話 中核派Youtuberが、警視庁公安部のキャンピングカーを紹介したり、不当逮捕された同志の奪還を訴えたりしている番組の話。 北朝鮮脱北ノウハウの話 中国と北朝鮮の国境地帯に住んでいたことがあるうどん部員による、脱北ノウハウの話。北朝鮮脱北者が、国境近辺に住む中国人民を襲い、金品と身分証を奪いとることで中国人として生きようとするが、中国語が話せないことからバレてしまい、強制送還されるという救いのない事件が多発しているらしい。 スターリンに乾杯した話 「ヨシ」という名前のうどん部員が、スターリンの故郷であるジョージアを訪ねたところ、「ヨシ」は同志スターリンの名前だと歓迎され、「ヨシフ・スターリンに乾杯」と密造酒をすすめられた話。 一言でいうと、うどんは関係ない。 うどんは関係ない上に、思想的にかたよっている。うどんを愛する心に右も左もないと思うのだが、一体どういうサークル勧誘をすればこんなことになるのだろう。世界がもし100人のうどん愛好家の村だったら、中核派は0名、教祖も0名、スターリンの故郷を訪ねた人も0名になるのが普通だ。 今回の旅行メンバーはたった6人なのに、公安にマークされそうな発言をする人しかいない。思想・良心の自由が限りなく認められたコミュニティであるともいえるが、うどんを隠れ蓑とした何らかの過激な団体である可能性も捨てきれない。謎の秘密結社・うどん部だ。 「こうした旅行は、よく企画されるんですか?」 私は、うどん部の背景を探るべく、おそるおそる尋ねた。 「主催者さんは、旧ソ連圏に関する仕事をしているんです。その関係で、旧ソ連の珍しいエリアへの旅行をよく企画しますよ」 「でも、どういうわけか、たまに、その旅行に行った人たちが仕事や学校を辞めてしまうんですよ」 「この前の旅行では、社会主義国家によくある、労働を賛えるモニュメントをめぐっていたら、一緒に旅行していた学生の友人が『労働意欲が湧いてきた。学校はやめるぞ』と言って、突然中退してしまったんです」 「僕も仕事を辞めたしね」 社会主義国家を旅することで、反社会性が養われてしまうとは……。 「旧ソ連圏への旅行は、うどんとは関係あるんですか?」 「うどんとは関係ありません。ただ、うどん部員には、真っ赤な血が流れているんです」 これまでの話をまとめると、「うどん部」とは、うどんの絆で連帯し、ときに資本主義社会から人をドロップアウトさせる赤い集団ということになる。なにがなんだか、全くわからない。 主催者の女性は、旧ソ連圏に関する仕事をしているだけあって、中央アジア文化に詳しかった。彼女は、うどん部員らしい話題として、シルクロードにおける麺の広がりについて話をしてくれた。 「トルクメン人も、カザフ人も、ウズベク人も、友人たちは口を揃えてラグメンはウイグルが一番美味しいというんですよ」 全中央アジアの人民が認めるウイグルラグメンは、たしかにおいしかった。もちもちした手延べ麺の感触と、オイリーなソースに絡まるたっぷり野菜のバランスがよく、濃い味なのにいくらでも食べられてしまう。 特に、ニンニクでパンチを効かせたラグメンは癖になるおいしさで、そのジャンクかつ中毒性が高い味わいから、勝手に「ウイグルの二郎」と命名されていた。 内装も異国情緒が爆発していた。天井から階段までいたるところがタイルやステンドグラスで彩られている。細やかな幾何学模様を見ていると、確かに中央アジア文化圏に来たのだということを実感する。 中央アジアを旅行するたびに思うのだけれど、彼らの、あらゆる場所を「美」で埋め尽くそうとする情熱はすごい。衣服やクッションの細かな刺繍、木彫りのアラベスク、色とりどりのランタン……。よくみると、料理に使うボウルまで鮮やかな矢絣模様がついている。 私は、ステンドグラスが貼られた天井を見つめた。 「遠い場所に場所にきたんだ」 そう思ったが、どういうわけか実感がなかった。足元だけが、なんだかふわふわしている気がした。 砂漠は空中浮遊する尊師の夢をみるか 午後から本格的な観光がスタートした。最初に訪れたのは、交河城址という遺跡だ。紀元前2世紀頃に作られ、14世紀まで実際に街として使われてい要塞都市だ。地平線が見えそうなほど広い。 地面の上にレンガを重ねるのではなく地面を掘って街を作ったところに特徴があるらしいのだが、これだけの土地を彫り抜くなんて、想像もつかない労力だ。中国の圧倒的なマンパワーを感じる。 遺跡が広すぎる一方で観光客があまりいないため、とても静かだ。どこまでも続く風化した街並みを歩き、静謐な空気に触れ、かつては賑わっていたであろう都市の姿を想う……そんな触れ込みの場所なのだけれど、正直言って、そうしたロマンチックな思い出は一切残っていない。 なぜなら、悠久の大地を包む静寂を切り裂くように、尊師がマシンガントークを繰り広げていたからだ。麻原彰晃がおしゃべりだったのかは知らないが、少なくともウイグルの尊師は非常におしゃべりで、一人で優に5、6人分は話していた。観光中、常にニコニコ動画の弾幕が飛んでいるような状況であり、センチメンタルな旅情の入り込む隙はない。 尊師の話は、基本的にどれも「興味深いがどうでも良く、とにかく怪しい」内容で統一されている。 ・中国の深センで売られている「Android搭載のiPhone」の話 ・中国貴州省の山奥に住むラブドール仙人の話 ・中国の内陸部では旅行カバンの代わりに尿素袋が使われているという話 ・中國の伪日本製品に書かれている怪レい日本语が好きだという話……。 気がつくと、夕暮れ時になっていた。 乾いた大地は茜色に染められて、民族音楽の弾き語りが響く。旅行者としてのセンチメンタリズムが刺激され、私はこの地の長い歴史に思いを馳せる。しかし、次の瞬間には、そんなセンチメンタリズムを切り裂くように尊師の怪しい話が炸裂し、安易な旅情に回復不可能な一撃を加える。 たちまち、私の心の中で放映されていた「NHK特集 シルクロード」の映像は乱れ、テーマソングを奏でる喜多郎は、へなへなと地面にへたり込む。 砂漠で果敢にも空中浮遊を試み転落する尊師、唐突に尊師マーチを歌い始める尊師、中国の怪しいガジェット情報に詳しい尊師……。 トルファンでの私の思い出は、尊師色に染め上げられていった。 遊牧民が住む砂漠の街で不慮のノマドワーカーになる まさかウイグルで徹夜をすることになるとは思わなかった。 観光を終えてホテルに戻った私を待っていたのは、職場から送られてくる容赦ないメールの数々だった。 「夏休み中恐縮ですが、添付の資料につき18時までにご確認お願いします」 「確認が終わるのは何時頃になるでしょうか」 「こちらも限界です、連絡ください」 休暇を申し出たときの「ゆっくり休んでください」はなんだったのか。そも��も、今日、日本は日曜だし明日は月曜で祝日のはずだ。私が旅行にでかけたのは土曜日なので、まだ夏休みは始まってさえいない。どうしてこんな惨状になっているのだろう。 ひとつ断っておきたいのは、私の職場の同僚たちは、基本的に優しく善良な人たちであるということだ。本当に仕事が回らなくなり、やむを得ずメールをしてきたのだろう。 今回の夏休みは「正月がなかったのはあまりにも気の毒だから」と上司が、わざわざチームに根回しをしてくれてようやく取得に至ったものだ。上司のただひとつの誤算は「現場に人が足りていない」という根本的な問題は、根回しでは決して解決��ないということだ。 私はその夜、ホテル近くの雑貨店でレッドブルとコーヒーを買い込み、目を真っ赤にしてキーボードを叩き続けた。 空が白み、まばゆい朝日がきらきらと射しこむ時間になっても、私の仕事は終わらなかった。他の人々には私を置いて観光に行ってもらい、一人で仕事を続けた。そんな私を気遣って、尊師が食事を買ってきてくれた。 ようやく仕事が終わったのは、太陽が高くのぼり、熱された大地が蜃気楼で揺れるころだった。 鳥の声しかしない場所 午後、観光に出ていた他のメンバーと合流し、タクシーで訪れたトルファン郊外はのどかな場所だった。乾いた土地に葡萄溝やバラ園が広がっていて、木陰で商売をするスイカ売りやぶどう売りが、こちらにおいでと手招きをする。 ぶどうはいつも無料だった。一房分を買おうとするのだが、安すぎてお金を受け取ってもらえないのだ。口に含むと、雨の降らない土地で育つ果物特有の凝縮された甘みを感じる。 観光名所とされている遺跡にはだれもおらず、車の音も人の声もしない。絶え間なく響く鳥の声を聞き、強い光が地面に落とす影を見ていると、数時間前まで仕事に追われていたのが、遠い昔の記憶のように思えてくる。 静かな場所だった。太陽が眩しくて、あたまがぼんやりした。 ふと見ると、道端でビニール袋に入れられた羊の頭蓋骨が風化していた。その後も、私たちは、農地の側溝や休憩所のトイレ等、そこかしこで羊の頭蓋骨を見つけることとなる。この土地で暮らす人々には、お弁当がわりに羊の頭を持ってくる風習があるのだろうか。 私は、以前、イランのホームステイ先で「イランでは朝ごはんに羊の脳みそのスープを飲む」「日本でいうと、みそ汁的な存在」と言われたことを思い出した。「羊の頭がみそ汁の具として扱わている地域があるなら、お弁当がわりに羊の頭をぶらさげる人々がいても不思議はない」と思う。 私は、強い日差しから逃れ、木陰に座ってこの土地で暮らしてきた人々のことを思った。日本にはまだ神話の神様さえいなかった遠い昔に、砂漠のオアシスで暮らし、羊を���い、ときには西瓜で喉を潤していたかもしれない人々のこと。彼らの聞いていた鳥の声と、私たちが聞いている鳥の声は同じだろうか。 夏の光にまみれてきらきらする西瓜の皮と、そばに落ちる暗い影を眺めていると無気力が押し寄せてきて、労働の意義も経済成長の意味もわからなくなった。 私はふと、今回の旅行について話したときの、同僚たちの反応を思い出した。 「どうしてウイグルなんかに行くんですか」 彼らの疑問は、要するに「その夏休みの使い方に、確かな価値はあるのか」という点に集約できる。たまの休みなのだから、確実に楽しく、気分良く過ごせる場所に行くべきだ。彼らはそういっていたのだろう。 同僚たちの疑問に対し、そのとき私は答えることができなかった。 職場の同僚たちは「この先、生き延びるにはどうすればいいか」という話をよくしていた。真夜中から始まる飲み会で、明け方の6時や7時まで話す人もいた。生き延びるとはなんだろう。 生産性が自分の人生を覆い尽くし、人間性がわかりやすい価値で塗りつぶされていくのを受け入れること。「使える」人とだけつるみ、評価されること。夏休みはハワイに行くこと。 生き延びるとは、きっとそういうことだった。 忙しいことには慣れていた。仕事に慣れてしばらくたったあるとき、もう必要がないからという理由で、少しずつ集めていたアンティークの食器や学生時代に好きだった小説を捨てた。重要なのは、「役割」を果たすことであり、社会の共通言語で話すことだと考えた。 でも、私は突然、久しぶりの夏休みを、確実に楽しい場所ではなく、楽しいかよくわからない場所で過ごしてみたくなったのだ。知らない人に誘われて、どういうわけか、そういう気持ちになったのだ。 農家のおばさんからもらって持て余していたぶどうを一粒、口に含んだ。日本のものとは全く違う、知らない味がした。 星降る夜行列車に乗って 疲れからか、やたらと物憂げな気持ちになっていたところに、尊師の「バ〜ニラ、バニラ高収入〜!」という歌声が響いてきて、現実にひきもどされた。そろそろ、この街を離れる時間だ。 それにしても、すっかり考え込んでしまった。私は、「うどん部の旅行に参加した人は社会からドロップアウトしがちである」という話を思い出した。 葡萄溝の木陰で、やたらとメランコリックな気持ちになったのも、この旅行の危険な効果だろうか。このままでは、謎の秘密結社・うどん部の陰謀の思う壺だ。 夜行列車で過ごした夜は、楽しかった。 トルファンのぶどうで作った珍しい白酒をたくさん飲んで、加熱する仕掛けが施されたインスタントの火鍋をつついた。 普段は飲まない強いお酒にはしゃぎすぎて寝てしまい、気がつくと真夜中だった。 夜行列車の窓から空を見上げると、満天の星空だった。肌寒い寝台で、毛布をだきしめながら、流れていく星空を見つめた。まばたきも、呼吸もできなかった。体中の神経が粟立ち、スパークした。 私は、冷凍されていた自分の人生が、急激に自分の身体に戻ってくるのを感じた。 もしかして、私は、生き延びることから遠ざかっているのだろうか。 このときの私はまだ、自分がその数カ月後、仕事を辞める運命にあることを知らなった。 (カシュガル編につづく) 補足とおしらせ ウイグル旅行記は、長くなってしまったので数回に分けて書きます。今後の予定はこんな感じです。 ・ カシュガルで公安警察から"重点旅客"として熱烈歓迎されてしまった話 ・ ウイグルの果てでゾロアスター教の遺跡を探し、廃墟の温泉に入った話 ・ 突如の軍事パレード開始により限界帰国チャレンジを強いられた話 旅の写真は、twitter(@eli_elilema)にもあげているので、よかったら見てみてください。 ※ 尊師はとても良い人でした。
https://note.mu/elielilema/n/nb8baf42077cd
10 notes
·
View notes
Photo
【12/14@フェニックスホールin大阪】 2日前にハワイから到着して大阪もついにファイナルへ。 この日は戻って来た、という意識がとても強かった。 名前の通りフェニックスの両翼の様に広がる座席は満員。 前半は少し集中力に欠けた部分もあったが、 後半は持ち直し最近掴んだスタイルを実践出来たのが収穫。 白寿と真逆でピアノは動きが鈍めのスタインウェイ。 「一期一会」の前に南先生との出会いのエピソードを、想いが強く喋り過ぎたが、あの時を語らずして大学の青春時代はありえない。 紀伊半島から来てくれた仲間も沢山いて「神宿る道」の演奏にぐっと熱がこもる。 「火の鳥」で本編が終わり、今自分が感じてる事、未来の事を皆に話す。そしてアンコールはその全てを音にした即興。 2曲目は「4手の為の火の鳥」を芳村由記さんと。 短い準備期間なのに最後まで誠心誠意弾き切ってくれた事に感謝! ラストは手をムチのようにしならせフレイムで終幕。 サイン会、凄い行列でまるで第三部の様(笑) 10年応援して下さった皆様、来て下さった皆様心からありがとうございます。 今日は朝6時に出発し飛行機に乗り沖縄で夜公演。 初沖縄、そしてこれにより今年度の全都道府県を巡る全国行脚達成! そして、来年欧州長期ツアーの前の関西最終公演にして新しい試み【ピアノと幻想バレエによる 組曲「クロード・モネと私」】。 ↓詳しくは下記をご覧下さい! https://t.livepocket.jp/e/20190205 2018/2/5(火)19:00 兵庫県立芸術文化センター(小ホール) 【ピアノと幻想バレエによる 組曲「クロード・モネと私」】 Ticket : 前売 ¥5,000 / 当日+¥1,000 (全席自由) Contact : [email protected] E-Ticket : https://t.livepocket.jp/e/20190205 ------------------ 【↓Tickets】 http://tempei.com/?p=2015 【全国行脚ツアー】 12/15/沖縄県宜野座村, がらまんホール 12/16/沖縄県中城村, SEPTETTO 12/18/沖縄県那覇市, Kanon 12/22/愛知県, カワイ名古屋【9/30の��替公演】 12/23/大阪府, 天王寺動物園 12/25/香川県高松市, ほのほ【クリスマス公演with上原ヨシュア】 12/26/愛媛野村町(復興支援公演)【with上原ヨシュア】 12/27/愛媛宇和島(復興支援公演)【with上原ヨシュア】 【2019】 1/10/福岡県, コスメイト行橋 1/11/福岡市, もも庵 1/19/神奈川県茅ケ崎市, MKホール 1/20/東京, 山王オーディアム 1/21/東京(ボランティア非公開公演) 1/27/佐賀県有田町 2/3/滋賀県, 守山市民ホール 2/5/兵庫県立芸術文化センター【幻想バレエによる 組曲】 2/9/三重県尾鷲市, 熊野古道センター 【Europe Tour from May to October】 【日本ツアー】 10/26/北海道札幌市 10/27/北海道南富良野市 10/30/北海道幕別町 11/9/滋賀県長浜市 12/8/香川県三木町 #piano #concert #Classical #Jazz #Rock #Pianist #天平 #ピアノ #ピアニスト #コンサート #旅人 #世界人 #日本 #日本人 #Japan #Japanese #全国行脚 #AllOverJapanTour #日本全国 #寅さん #旅行 #旅 #絶景 #Travel #Trip #View #クラシック #ジャズ #ロック https://www.instagram.com/p/BrYbnCdn2Zl/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=d7nat0nc78st
#piano#concert#classical#jazz#rock#pianist#天平#ピアノ#ピアニスト#コンサート#旅人#世界人#日本#日本人#japan#japanese#全国行脚#alloverjapantour#日本全国#寅さん#旅行#旅#絶景#travel#trip#view#クラシック#ジャズ#ロック
1 note
·
View note
Quote
秋篠宮さまの53歳の誕生日にあたり、今月22日にご夫妻で臨まれた記者会見は次の通り。 (質問1)殿下にお伺いします。殿下は来年5月の代替わりに伴い、皇位継承順位第1位の皇嗣となられます。新たなお立場への抱負をお聞かせください。公務の在り方や分担について新天皇となられる皇太子さまとどのような話し合いをされ、殿下がどのようにお考えになられているのか、あわせてお聞かせください。 秋篠宮さま 最初の抱負ということについてですけれども、私は今まであまり抱負ということは、語ることは、口に出して言うことはありません。ただ、何かの節目というよりも、折々にその抱負のようなものを考えることというのはあります。これは、抱負になるのかどうかは分かりませんけれども、これからも様々な公的な仕事をする機会があります。時として、例えば毎年のように行われているものなどについては、どうしても、前年度とか、その前の機会と同じようにすればいいと思いがちです。これは私自身もそうなんですけれども、やはり、それら一つ一つを、その都度その都度考えながら、自分の仕事、若しくは務めを、進めていくようにしたいと思っています。あと、公務そのものについては、これは、例えば、天皇が海外、外国訪問中とかには臨時代行ということをするわけですね。私は今までそれをしたことがありません。今の皇太子殿下は、昭和時代に1度その経験があるわけです。私はしたことがありませんけれども。今後はそういう機会は、必ず出てまいります。一方、公的な活動について、来年の5月以降、今まで皇太子殿下が行ってきたものというのが、今度は天皇になられると、それを併せてするということはできなくなります。一方、これは昨年のこの場でもお話をしましたが、私も自分で行っていることがあります。総裁とか名誉総裁をしているものもあります。それらをそっくり誰かに今度は譲る、引き渡すということ、これも、それを受ける先はありません。そのようなことから、今、宮内庁として考えていることは、一旦全て皇太子殿下のお仕事を宮内庁の方で引き取って、それを整理をして、それで次に私がどのものをその後行っていくか、というのを検討しているところです。おそらくそれはそう遠くないうちに、発表されるのではないかと思っています。また、在り方については、公的な活動については、今お話ししたようなことについての了解を皇太子殿下と取った、ということです。在り方というものについては、恐らく、今後もっといろいろ話をしていかなければいけないんでしょうけれども、分担というか、今の皇太子殿下と私のものというのは、ある程度こう今お話ししたように分かれるわけですが、例えば宮中で行われる行事等については、それは平成の時代にも、行い方が変わったり、今の両陛下が変えられたものもあるわけです。そういうものについては随時話し合いを、既にしているものもありますが、(今後も)していく必要があろうかと考えています。 (質問2)殿下にお伺いします。天皇陛下の退位まで5か月となりました。この30年を振り返り、平成とはどのような時代であったと考え、象徴としての務めを果たしてこられた天皇陛下と支えてこられた皇后さまには、どのような思いを抱かれているのでしょうか。 秋篠宮さま 平成も30年、かなり長い期間になります。それをこう振り返って総括するというのは、なかなか私にはできません。例えば平成の初めの頃、私も日本にいなかった時期もありますし、例えばそういう時に、ニュースでベルリンの壁の崩壊であったりとか、そういうものを見て、驚いたことはあるわけですが、平成ということですので、日本のことになろうかと思います。そうすると、いくつか思い浮かびますけれど、例えば、バブルが崩壊して、経済の低迷といいますか、失われた10年とか、その後も含めて20年とか言われますけれども、ちょうどそのバブルの頃、それからその後でもって、人々の生活のパターンというのが変わったなというのは、私なりに何となく感じております。また、これは大変残念なことではありますけれども、自然災害が非常に多かった。震災もありました。そしてまた近年は、豪雨であったり豪雪もあります、台風などでも大きな被害が出ています。そういう自然災害が、非常に多い時代だったなという印象があります。あとこれは、恐らく1992年のリオデジャネイロのいわゆる「地球サミット」後になるのではないかなと思いますが、企業であるとか、もちろん自治体もそうですね、それから個人が、非常に環境という���のに関心を持つようになり、それぞれが、環境に対してどういうことができるかというのを、真剣に考えるようになった時代だったのではないかと思います。そして、いろいろなITの発達、これは、それこそ私などは、昭和時代はワードプロセッサですね、昭和の終わりぐらいですよね、で文章を作っていた。それがいつの間にか、もういわゆるパーソナルコンピュータが普及する、そしてさらに、スマートフォンだいろいろと出てきました。以前では考えられないぐらい、情報が入ってくるようになり、それからまた、海外と連絡する際も、極めて迅速に、それが行えるようになり、また例えば、海外の事情なども、容易に知ることができるようになる。ある意味では、国の国境がボーダレスの時代になったなという印象があります。私自身はまだ、追い付いていかないところが少しありますけれども、そういう時代だったなと思います。そして、もう一つ挙げるとするならば、日本人が学術や芸術、それからスポーツなど様々な分野で目覚ましい活躍をしている時代かと思います。 その次の両陛下のことについてですが、天皇陛下は即位以来、象徴とはどのようにあるべきかという、その象徴としての在り方について、常に模索し考えてこられ、そして、一昨年の8月に、今のお気持ちというものを表明されましたが、その中に全身全霊という言葉がありました。まさしく、その全身全霊でお務めを果たしてこられたと、私は思います。そして皇后陛下は、その陛下のお務め、それから立場を重んじ、更に宮中に伝わる伝統を守り継承してゆくことに心を砕かれながら、ご結婚以来、非常に長い期間、60年近くにわたって陛下を支えてこられました。これはなかなかできることではないと私は思い、お二方に深く敬意を表するところです。そして、これは少し質問の趣旨から外れると思いますけれども、息子の立場として言わせていただければ、私は、二十何年、一緒に過ごしていましたからですけれども、常に笑いのある、そういう温かい家庭を築いてくださいました。そのことに感謝したいと思います。 (質問3)両殿下にお伺いします。眞子さまと小室圭さんとのご結婚に関する行事が2年延期され、小室さんはこの夏から3年の予定でアメリカに留学しました。小室家を巡るさまざまな報道もありますが、小室さんからどのように聞き、どう受け止めていらっしゃいますか。眞子さまの最近のご様子とともに、お二人の結婚についてのお考えや今後の見通しをお聞かせください。 秋篠宮さま 小室さんに関わること、これが毎週のように週刊誌等で報道されていることは、私も全てをフォローしているわけではありませんが、承知はしております。(記者に質問を確認されて)小室さんからの連絡ですか、どうでしょう。2、3か月に1度くらいでしょうか、時々もらうことがあります。これは、娘と小室さんのことではありますけれども、私は、今でもその二人が結婚したいという気持ちがあるのであれば、やはりそれ相応の対応をするべきだと思います。まだ、婚約前ですので、人の家のことについて私が何か言うのははばかられますけれども、やはりその今お話ししたような、それ相応の対応というのは大事ですし、それから、これは、二人にも私は伝えましたが、やはり、今いろんなところで話題になっていること、これについてはきちんと整理をして問題をクリアするということ(が必要)になるかもしれません。そしてそれとともに、やはり多くの人がそのことを納得し喜んでくれる状況、そういう状況にならなければ、私たちは、いわゆる婚約に当たる納采の儀というのを行うことはできません。私が今お話しできるのはそれぐらいのことになります。娘の、長女の様子についてですが、(妃殿下をご覧になって)どうでしょうか。 紀子さま (殿下を振り向かれて)私は後でお話ししても。今でよろしいでしょうか(殿下に確かめられる)。 記者 眞子さまのご様子についても、ぜひ殿下から。 秋篠宮さま 私は、最近はそれほど、娘と話す機会がないので、よく分かりませんけれども、公の依頼されている仕事、それは極めて真面目に取り組み、一所懸命行っていると思います。また平日は、博物館の方で仕事をしつつ、自分の関心、研究テーマを深めていっているのだろうと思っております。 記者 質問の中でございました、様々な報道に関して、小室さんからどのように聞いていらっしゃるかということについてはいかがでしょうか。 秋篠宮さま 小室さんから、報道について、その報道についてうんぬんという、それ自体について、私は聞いておりません。もちろん、ただその中に、今までにあった中で、これは事実とは違うことだ、ということについて説明があったということはあります。ただそれについて、じゃあ何か行動を今するのかどうか、その様子については、連絡からうかがうことは、知ることは私はできておりません。 記者 同じ質問になりますけれども、妃殿下いかがでしょうか。 紀子さま 今、宮様から質問に対して具体的にお話をされているところもございますので、もしできましたら私は母親としてどのように受け止めたか、また、娘の様子、そして、どのように感じているかについてお話をしたいと思いますが、よろしいでしょうか(記者にお尋ねになり、確認される)。 紀子さま 昨年の夏から、様々なことがあり��した。そして折々に、私たちは話し合いを重ねてきました。そうした中で、昨年の暮れから、だんだん寒くなっていく中で、長女の体調が優れないことが多くなりました。そうした状況が長く続き、長女は大丈夫だろうか、どのような思いで過ごしているだろうかと、私は、大変心配でした。 しかしこのような中でも、長女は与えられた仕事を懸命に果たしてきました。今年の7月には、公的な訪問、ブラジルへ行きました。それは、日本人のブラジル移住110周年の行事に出席するためでした。(殿下を振り向かれて)私たち自身も、以前にブラジルへ仕事で行きましたが、その時よりも長い距離を移動し、大変な日程であったと思いますが、日本人の移住地でもある所も含めて14都市を回り、多くの人々と交流を深められました。それからも、都内や地方での幾つもの行事に出席し、それを一つ一つ心を込めて大切に全力で務めてきたように私は思います。私は、本当によく頑張っているなと長女のことを思っております。 長女は、美術や音楽が好きなものですから、そして私も好きで、一緒に誘い合って展覧会や音楽会に出かけることがあります。小さい時から、このように一緒に芸術にふれたり、語り合ったりする時間を持ってきましたが、今以前にも増して、このように長女と過ごす時間をとても大切に感じています。 家族として非常に難しい状況の中にありますが、私は、長女の眞子がいとおしく、かけがえのない存在として感じられ、これからも、長女への思いは変わることなく、大切に見守りたいと思っております。 記者 殿下から添えられることは、お言葉はございますか。 秋篠宮さま 今、妻が話しましたように、先ほどの私の抱負ではありませんけれども、本当に一つ一つ丁寧に仕事をしている印象は私もあります。 (質問4)両殿下にお伺いします。佳子さまの最近のご様子や大学卒業後のご活動、ご結婚についてどのようにお考えかをお聞かせください。皇位継承順位第2位となられる悠仁さまは今年広島を訪問するなど戦争の歴史と向き合う機会を多く持たれましたが、成長をどのように感じていらっしゃいますでしょうか。今後の成長に寄せる期待と中学校の進学先についてのお考えもあわせてお聞かせください。 秋篠宮さま 最初に次女のことですけれども、今大学の4年生になりまして、現在は卒業論文の作成に忙しくしているところのようです。私は細かいことは知りませんけれども、夜遅くまでそれについての作業をしている様子がうかがえます。それから……(妃殿下をご覧になる)。 紀子さま (殿下を振り向かれて、確認されて)ふり返りますと、次女の佳子は、今年の6月に英国から元気に帰国しました。約9か月だったと思います。英国の滞在生活では大学で幅広い分野の講義を受けたり、また休みのときには海外、英国も海外ですが、近くの行きたいと思っていた国、スペインやポルトガルへ友人と一緒に旅行したり、様々な経験をしました。それを通して、次女は自分の視野を広げたり、また、自分の考えを深めたりする貴重な機会となったと思います。 この数か月をふり返りますと、次女も幾つかの公的な行事に携わりました。9月には国際情報オリンピックの開会式、その後に手話パフォーマンス甲子園の行事に出席し、そして今月は中学生たちが自分たちの経験を語る少年の主張の発表を聴きました。大学を卒業してからは、宮中行事に出席することも多くなると思います。これからも、公的な仕事を心を込めて大切に果たしていけるように願っております。 秋篠宮さま 少しダブってしまいますけれども、大学卒業後はですね、次女にもいろいろな公的な仕事の依頼が来ることが予想されます。長女がそうしているように、次女にも一つ一つ大切に思いながらそれらに取り組んでいってほしいと思います。もう一つ、これは既にそういうことがあるのかもしれませんし、私は知りませんけれども。大学卒業後に大学院への進学の希望を持っているかどうかも私は存じませんけれども、公的私的は別にしてですね、何かこう、ライフワークになるようなもの、それを持ってもらいたいなと思っています。結婚についてですが、親の勝手な希望としては、それほど遅くなくしてくれたらいいとは思いますが、こればかりは、やはり御縁の関係もありますので、別に私からせかしたりすることもしません。いずれ本人から何か言ってくるかもしれません。そのような状況です。 紀子さま 結婚についてですが、これから先、もし次女がそのような話がありましたら、次女の考えやその先の将来のことについての考えを聞いて、私も必要なところ、大事だと思うことがあれば、お互いの話し合いの中で、気持ちや考えを伝えていきたいと思います。 秋篠宮さま (記者に質問を確認されて)その次は、長男のことでしたかね。長男の成長。 記者 広島を訪問されたり、戦争の歴史と向き合っていかれたりとか、いろいろありましたので。その成長をどのように感じていらっしゃるのかという点と今後の成長に寄せる期待と中学校の進学先についてお聞かせください。 秋篠宮さま (妃殿下をご覧になって、悠仁親王殿下のことをお尋ねになって)今年、学校であれですか。戦争のことについて。 紀子さま (殿下を振り向かれて)夏休みの社会の宿題で、歴史について調べたときだと思います。 秋篠宮さま それで、今まで長男は沖縄、長崎、小笠原に行っていますけれども、広島には今まで行ったことがなかったんですね。そういう何かまとめるに当たって、本人自身がぜひ広島に行きたいという希望を持って、それで、家内と一緒に行ったわけですね。そのように、かなり自主的に動くということをするようになってきたと思いますし、自分の��見もはっきり言うようになったなという印象は私にもあります。一方、自分の主張だけをどんどんするのではなくて、人の話にもきちんと耳を傾けるようになってきたなと思います。その延長線上にあるのかもしれませんが、人のことを思いやる気持ちというのは、以前よりも増してきたなと思います。私が非常におおざっぱではありますけれども、感じる成長というのはそのようなところですね(妃殿下をご覧になって)。 紀子さま (記者に質問を確認されて)成長についてでしょうか。 先ほど宮様がお話をされていましたように、学習に対しての取り組みがとても熱心だと感じています。小学校の6年生でも夏休みの宿題・課題が多く出され、それは7月に入ってからでしょうか、(長男は)この課題をどのように進めていこうかと、自分で考え、広島はいつか機会があったときに家族で訪れることを考えておりましたが、今年の夏ということは特に予定しておりませんでしたが、長男が、できれば(この夏に)広島を訪れて、資料館や関係者から話を聞いてみたいとのことだったので、参りました。他にも理科の課題も出まして、火山、地震、防災がテーマだったのですが、それに関わる幾つかの場所にも出かけました。自分の夏休みの過ごし方を、長男が自分で早めにいろいろと計画を立てて見通しを持って行動する、そのようなことができるようになったと、感じました。 成長というのかどうか分かりませんが、すてきだなと感じていること、以前よりも変わったこととして、学校で帰りの時間ですが、授業が終わった後の下校するまでの間の時間を使って、子どもたちと先生方がお互いのいいところに気づいて言葉にする、これは「いいとこ見つけ」というのでしょうか、をしています。そういうこともあるからでしょうか、家でも私たちのいいところに気づいて教えてくれたり、ちょっと困ったり、どうしようかなと考えているときには言葉をかけたり、助けたりしてくれることがあります。 秋篠宮さま (妃殿下をご覧になって)さっきの人を思いやるところともつながるかもしれないですね。 紀子さま (殿下にうなずかれて)大事なときに言葉にすること、思うことも大事ですが、言葉にして相手に伝えることの大切さを私たちが学んでいるような気もいたします。後もう一つお話をしますと、長男は学校の家庭科の授業でお弁当実習を始め……(とお考えになる)。 秋篠宮さま (妃殿下を向かれて、お尋ねになって)調理実習じゃない? 紀子さま (殿下を振り向かれて)調理実習かしら。(長男が)お弁当を友達と一緒に作る機会がありました。授業で学んだ料理や他にもいろいろな料理を作ってくれることが多くなりました。私たちも素直に、「とって���おいしい」、「これはどうやって作ったのかしら」と話しますと、長男は本当にうれしそうに、この食材とこの調味料を使って作ったんだよと……(そのときのことを思い起こされる)。 秋篠宮さま (妃殿下をご覧になって)あと自家製の野菜も。 紀子さま (殿下とうなずかれて)野菜作りしていますので、そうした野菜を取り入れたり。私たちがリクエストをすると、それにけなげに応えてくれます。 いくつかお話をしましたが、学習の面、生活の面で様々な成長が今年も感じられました。 秋篠宮さま あと、進学先については、今もう11月の末になりますので、そう遠くないうちに発表されることと思います。それこそ進学先はいい教育をしてくれるところだといいなと、親としては思っています。 紀子さま 進学先についての考えということですが、進学先については4年生、5年生頃からでしょうか、少しずつ話し合って、長男自身の考えや希望などを聞くことがありました。 学校でも進路について、様々に考える機会を設けてくださいました。例えば、5年生のときにはお茶の水女子大学付属小学校の卒業生である大学生が小学校を訪ねて、そして自分たちが進路に対してどういう考えを持ったか、進んだ中学校、高校、大学でどういう生活をしていたか、そのように語る時間がありまして、そのときに子どもたちは、卒業生、自分たちの先輩にいろいろな質問をして、それにお兄さん、お姉さんたちが丁寧に答えてくださいました。小学校のこのような時間以外にも、いろいろな中学校があって、特徴があって、カリキュラムや課外活動があることも知る機会がありました。 こうした中で、長男が自分の考えを深めることを大事にしてまいりました。中学校でどのようなことを学びたいか、どのような活動をしたいか、今、学校や家庭でどのように過ごしたいか、そのようなことを長男はいろいろと考え、その意見や希望を聞きつつ、話し合い、進学先について考えてきました。これからも長男の語る言葉に耳を傾けて、思いや気持ちを大事に受けとめられるよう、成長を見守っていきたいと思っています。 秋篠宮さま (記者に質問を確認されて)あとは期待? 記者 今後の成長への期待。 秋篠宮さま いろいろあると思いますし、なかなか期待というと本人にも重荷になることもあるので、どっちかというと、こうなってくれたらいいなと私が思っていることとして、その中の一つを挙げますと、どうしても何か物事を見るときに一面的に見がちなことがあると思います。やはり様々なことというのは、いろいろな視点を変えて見ると全然違うところというのが出てきます。私は長男には、何か物事を見るときに一面的ではなくて広い視野、多角的に見られるようになってほしいなという希望があります。 紀子さま 小学生から中学生へと、恐らく学習環境や生活環境が大きく変わるところ、また、心身面の成長でも変化が見られる時期でもあると思いますので、少しずつ新しい生活に慣れていけるよう、また、子どもの成長を支えていけるように努めたいと思っています。 (質問5)殿下にお伺いします。この1年を振り返り、印象に残る出来事とご感想をお聞かせください。 秋篠宮さま この1年もいろいろありました。まず先ほどと少し重なりますけれども、自然災害が非常に多い年でした。それは地震もありましたし、台風もありましたし、それから豪雨もあったわけですね。私自身はそれらの災害があった場所としては広島県に参りました。まず最初に驚いたといいますか、広島の空港を出て、それから行った場所が坂町になります。済生会病院ですけれども。高速に乗ったときにいろいろなところで土砂崩れ、大きい土砂崩れがあって、しかも道にも流されてきた木があって。こういう場所だということをですね、普段なにげなく広島の空港から街中に出るときに高速道路に乗っていますが、改めてその地形をそのときに認識しました。また、被害が大きかった小屋浦の方にも行きまして、そこで避難している人たちとも話をする機会がありました。やはり避難している人たちにとってもこれほどの大きい災害になるとは思ってもいなかったという声が、何人かの人からありました。確かに川の脇を歩いていると、その川の水量が上がって、しかも流木が流れてきたり、その他でもって大きい被害が出たわけですが、水の力というのがこれほどまでにすごいのかということを改めて私は認識しました。そして、今後どのようにして防災そして減災をしていくかというのを、今、日本中どこでもその可能性はあるわけですので、それを考えていかないといけないということを再度思いを新たにしました。 また、今年は日本人がハワイに移住して150年になります。私は今までハワイはホノルルの空港しか知りません。トランジットのため。ですから今回現地に行って、それから日系社会の人たちと話をし、その人たちが小さかった頃の話(を聞いたり)、それから(日系社会の人たちは)今8世までいるわけで、8世はまだ小さいお子さんでしょうけれども、いて、その人たちが日本について思っていることであったりとか、様々なことを聞く機会になるとともに、本当にホノルルの近辺だけですけれども、かなり音楽であったりとか、歌であったりとか、それから植物利用であったりとか、様々なことを私自身知ることができて大変良い機会だったと思います。いろいろその他ありますけれども、今年はノーベル生理学・医学賞、本庶佑さんの受賞が決まりました。最近は日本人で受賞する人も多くて、「今年も」ということになってくるんだと思いますが、もちろんそのいわゆる免疫チェックポイント阻害剤ですね、オプジーボ。まだまだおそらく課題はたくさんあると思いますけれども、今後の悪性新生物に対する一つの柱になっていくことが期待されるのではないかと思います。そして後は、先ほども日本人の活躍ということをお話ししましたが、若い世代の人が非常に活躍した年だったなと思います。少しだけ例を挙げれば将棋で藤井聡太さんもそうですし、15歳でしたかね。それから、オセロゲームも大幅に記録が更新されて11歳の福地啓介さんですか、が世界タイトルを取られたという、そしてテニスの大坂なおみさんが日本人としては初めてですかね、グランドスラムの全米のシングルス優勝、その他もろもろオリンピック・パラリンピックもありましたし、いろいろな分野で若い世代の人たちの活躍が目立ち、これはほんとに明るい話題だったと思います。 (関連質問1)殿下にお尋ねいたします。お代替わりに関する日程や規模について、いろいろ宮内庁の方でも発表があり、決まりつつありますが、先ほど殿下には皇嗣となられる公務の在り方についてのお考えをお聞きしましたが、即位の行事や儀式についてもお考えがあればお聞かせいただきたく思います。 秋篠宮さま 行事、そういう代替わりに伴う行事で、いわゆる国事行為で行われる行事、それから皇室の行事として行われるものがあります。国事行為で行われるものについて、私が何かを言うことができるかというと、なかなかそういうものではないと思います。そういうものではないんですね。一方、皇室の行事として行われるものについてはどうか。これは、幾つかのものがあるわけですけれども、それについては、ある程度、例えば私の考えというものもあっても良いのではないかなと思っています。 記者 具体的に。 秋篠宮さま 具体的にもし言うのであれば、例えば、即位の礼は、これは国事行為で行われるわけです、その一連のものは。ただ、大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色が強いものになります。私はその宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども、その頃はうんと若かったですし、多少意見を言ったぐらいですけれども。今回も結局、そのときを踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています。整理の仕方としては、一つの代で1度きりのものであり、大切な儀式ということから、もちろん国もそれについての関心があり、公的性格が強い、ゆえに国の国費で賄うということだと。平成のときの整理はそうだったわけですね。ただ、今回もそうなわけですけれども、宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。今でも。ただ、それをするためには相当な費用が掛かりますけれども。大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。少なくとも皇室の行事と言っていますし。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思いますし、そのことは宮内庁長官などにはかなり私も言っているんですね。ただ、残念ながらそこを考えること、言ってみれば話を聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念なことだったなと思っています。 (関連質問2)眞子さまと小室さんのご結婚に関する質問のお答えの中で、「相応の対応」ということを仰られましたけれども、これは、お二人の結婚の意思が今も非常に堅くて、そのお気持ちを今後も支えていかれるというふうに受け止めてもよろしゅうございますでしょうか。 秋篠宮さま それとは少し違い、それを支えていくという意味でお話ししたのとは違います。あの時の質問は、恐らく小室さんについての報道のことと、それから連絡を受けてというそれについての私の答えでしたけれども、やはりそれ相応の対応というのはこちらの対応ではなく相手側の対応ですね。その後にお話ししましたように、やはりきちんと、どういうことなんだということを説明をして、そして多くの人に納得してもらい喜んでもらう状況を作る、それが「相応の対応」の意味です。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20181129-OYT1T50081.html
1 note
·
View note
Video
youtube
Hawaii’s Kilauea Volcano Is Erupting Again
本日、レッスン再始動!
クウレイアロハクラス。数ヶ月ぶりのレッスンで皆様のお顔がみれて安心しました。 踊って笑って、汗かいて。高揚したあとの帰り道の疲労感、たまらく幸せを感じました。
今日のレッスン曲は Ka Hinano O Punaです。
3番の
'Ena'ena Puna i ke ahi a pele 'U'ina la ka hua'ina i pu'u 'O'o Pu'o ke ahi lapalapa i luna Punohunohu i ke ano ahiahi
和訳 プナ(地名)で赤く染まるペレ(火山の女神)の炎 噴き出すように流れるオーオーの丘を 炎は次から次へと立ち昇る 煙の渦は夕暮れまで続く
この歌詞、まさにこの景色。
ハワイ島にある世界最大級の活火山キラウエア火山が9月30日までに噴火した。現時点で噴火はハワイ火山国立公園内にとどまっており、住宅がある地域に溶岩が流れ出る兆候は見られないという。(ニュースより)
このまま被害がない事を祈ります。
10/2/2021
0 notes
Text
祝開幕! シーズンを目前にして、日本のNFL放送の歴史を振り返る
増田隆生の放送席から眺めたNFL・第8回
NFL 2020年シーズンの開幕まで一週間を切りました。アメリカでの新型コロナウイルスの感染拡大状況を考えると、無事に開幕を迎えられることに、私も一人のNFLファンとして安堵しています。
1989年シーズンのスタジオ
そんな中、先日スポーツ配信のDAZNがNFLからの撤退を決めたという報道がなされ、「今季から私たち日本在住のファンがNFL観戦する選択肢が一つ減ってしまう」と残念な気持ちになりましたが、DAZNのホームページで開幕週は4試合の配信があることが確認できました。昨年の開幕週は7試合の配信があったことから考えるとスケールダウンにはなりますが継続はされたようです。
一方、放送に関していえば、2015年シーズン限りでGAORAが撤退したため、2016年以降はNHK-BSと日テレジータスになっていて、この体制に変化はありません。
以上のファクトだけ見ると、日本でのNFLの状況は楽観できませんが、それでも昭和の時代からのNFLファンからすれば贅沢な視聴環境にあるといえます。
そこで今回は、世相と放送の歴史とともに日本でのNFLブームを簡単に振り返ってみます。
若者に人気のアパレル企業VAN(株式会社ヴァンヂャケット)が青山にVAN99ホールを開設し、NFL FILMSのハイライト番組を購入して上映を始めたのが1972年、昭和47年のことでした。またVANは実業団チームVANGUARDSを設立し、翌年にはハワイに遠征してハワイ大と親善試合をするなどフットボールを格好良いアメリカのシンボルとしてキャンペーンを張ったのです。
そして、同時期に、若者のフットボール人気に着目した東京12チャンネル(現テレビ東京)が、NFL FILMSの素材を使用した番組をスタート。火曜の21:00~22:00「ワールドスポーツ」という番組で不定期に放送。番組内容は、決して即時性の高いものではなく話題の選手やチームにスポットをあてたものが多く、一例を挙げると73’年12月25日に放送された東京五輪100m金メダリストで、後にカウボーイズのWRとなったボブ・ヘイズに焦点を当てた「金メダルのタッチダウン」です。この時は、12月9日に行われたワシントン@ダラスの映像素材で制作されていました。
その後まもなく、日本教育テレビ(現テレビ朝日)で、当時人気だったドルフィンズを中心とした試合中継番組が日本で初めて放送され始めたことが第1次NFLブームに拍車をかけました。因みにフットボール専門のタッチダウン誌を創刊した故後藤完夫さんが初めて解説者としてテレビ出演された番組でもあります。
1976年は、NFLだけではなくフットボールにとって画期的な年になりました。
NFL日本初上陸となった「毎日スターボウル(カージナルス×チャージャーズ)」が後楽園球場で開催され、NCAA公式戦「パイオニアボウル(後のミラージュボウル→コカ・コーラボウル)」が始まりました。さらにNCAAのオールスター戦「ジャパンボウル」もスタートしました。さらにMagazine for City Boysのキャッチフレーズで平凡出版(現マガジンハウス)から創刊され若者の心をつかんだ「POPEYE」も創刊号からフットボールを頻繁に特集するなど、フットボールにとってエポックメーキングな出来事が立て続けに起きたのです。その要因の一つは、当時の10代、20代にとってアメリカは世界で最も憧れる国だったことがありますが、建国200年を迎えたアメリカを題材にしたコンテンツには大量のスポンサーマネーが投下され、その象徴がフットボールだったのです。
1978年シーズンからは、TBSで「スーパーボウルへの道」と題してプレーオフの録画中継がスタート。スーパーボウルは当日夜に放送されるようになりました。
TBSは第13回スーパーボウルから第22回大会までの10大会を21:00~23:30に放送、地上波のゴールデンタイムでスーパーボウルが放送されていたのです。
第23回スーパーボウルから日テレに放送権が移りましたが(その経緯については、このコラムの第2回で詳述しています)、特に大きかったのはレギュラーシーズンゲームの放送が毎週1試合か2試合、深夜とはいえ地上波で放送されるようになったことと、スーパーボウルが生中継になったことです。1980年代には、NHKも衛星放送でNFL中継を始めていますので、日本にいながら9月のシーズンインからスーパーボウルまで、正確に言えばプロボウルまで試合を楽しめるようになったのは驚くべきことでした。
ここまで書いてきて、私自身、心がワクワクするほどフットボールに成長性を感じていたことを思い出します。限られたカードではありますが、毎週複数の試合がテレビで見られるなんて80年代前半までは考えられなかったのです。
さて現在は、NFL GAMEPASSを契約すれば、好きなカードをリアルタイムで観戦することが可能です。ただしNFL GAMAEPASSは実況、解説がすべて英語になります。またネット配信ですから基本的にブルーレイディスクなど他メディアに録画保存してお好みのライブラリーを作ることは出来ません。
一方、NHK-BSと日テレジータスは放送ですから録画保存が可能ですし、日本語の実況、解説がつきます。ただし、録画をしておかないと好きな時間に視聴することは出来ませんし、NHK-BSはマンデーナイト、日テレジータスはサーズデーナイトとサンデーナイト中心ですから私たちにカードの選択権はありません。
日テレジータスについては、先週ようやく番組表にNFLがアップされました。
一方のNHK-BSはスポーツ番組の放送予定をまとめたNHK sports onlineで確認すると、この原稿を書いている9月8日時点で開幕週の放送予定がアップされていません。
ページ上部のタブに、昨年まであったNFLが見当たりませんし、放送予定ページの<競技別に見る>のプルダウンメニューのアメフトをクリックしても、開示されている10月5日までの間は「この期間に放送予定はありません。他の期間をご覧下さい。」と表示されますので少々心配しています。
このように現在は、1980年代と比べると視聴可能な試合数は増えている夢のような環境にあるにもかかわらず、冒頭で記した「楽観はできない」という相反する感情が生まれてきてしまうのです。
※当初、私たちが入手したDAZNのNFL撤退情報をもとに原稿を執筆しましたが、結果的にDAZNはNFLの配信を継続することが分かりました。発信者として、誤った情報を伝えてしまったこと、関係者にご迷惑をおかけしてしまったことをお詫びし、9月10日時点での事実をもとに原稿を修正いたします。
0 notes
Text
【今すぐ】旅行に行きたい絶景ベスト3♪♪
こんばんは!
Haaaanaです😆🌸
先日、友人の向山雄治さんと
佐山沙理奈ちゃんと
旅行に行くならどこに行きたいかと言う
話をしていました😃✨
その中で、
私が今、行きたい絶景の場所ベスト3を
発表したいと思います✨
•第3位
「キルギス共和国のイシククル湖」
なんと、こちら琵琶湖の約9倍の大きさ✨
そして、最遊記に登場する
三蔵法師も立ち寄ったことがある場所で
別名「アジアの真珠」・「キルギスの海」と
呼ばれるほど綺麗だとか🎶
こちらは沙理奈ちゃんが、他の友人から
行ってよかった✨と教えてもらって
自分で調べたところ、すごい写真が綺麗で
行ってみたいと言ってました😄
それを聞いて調べたところ、
私も行きたい😍✨と、思うほど綺麗なので
ぜひ下のURLから見てみてください✨
•第2位
「ハワイのハワイ火山公立公園」
こちらは、向山さんが、
ハワイはすごいいいよ✨
芸能人が何回も行く理由がわかる😄✨
と、言うのを聞いてから
私もハワイに行きたい‼️😆
と、思って行ってみたいと思って調べました🌈✨
私自身、茨城県出身で関東平野なので
山に興味があり、さらに火山に馴染みがないので
1度は行ってみたいところです🎶
•第1位
「モルディブの水上コテージ」
こちらも、向山さんが先日行かれて、
また、水上コテージの中でも
五つ星ホテルに泊まられたとのこと💡
モルディブの五つ星ホテル専用の
ホームページがあるみたいで、
もうホームページでもすごい綺麗なホテルで
1泊何万円〜とのこと😳
ちなみに、向山さんは10日間ぐらい行って
飛行機代なども含んで、
旅費だけで270万円かかったと
言っていました😵😵😵
おそらく、会社員だったら
貯金をしたとしてもお金を使うことに
抵抗があって使えないんだろうなと思いました😂
しかし、むかいさんはお金の稼ぎ方も
お金の使い方も教えていただく方がいて
その方に直接ではないですが、
学んできたと言っていました😃☘️
私もお金の使い方を向山さんのように
かっこよく使っていきたいと思いました✨
金額は違えど、日々、
お金の使い方をきちんと考えて
使っていこうと思います🌈✨
0 notes
Text
最高の思い出が一転…旅行中に起きたヤバすぎる「恐怖体験」
集計期間:2019年1月19日~1月21日 回答数:10846
楽しい旅行には危険やトラブルもつきもの。最高の思い出を作るはずが、一転して最悪の思い出になってしまったという人もいるでしょう。
今回はそんな「旅行中に起こった恐怖体験」に関するアンケートの調査結果です。
Q1.旅行中に恐怖体験をしたことはありますか?
回答していただいた10846名のうち、旅行中に恐怖経験をした人の割合は
ある:2156 ない:8690
という結果になりました。
Q2.具体的なエピソードなど
回答いただいたエピソードをまとめると、
・犯罪や事故、その他トラブルに巻き込まれる ・心霊体験 ・自然災害 ・乗り物(主に飛行機)への恐怖
といったものが主な内容でした。ここからは地域別に事例を見ていきましょう。
<国内>
・熱海で牡蠣フライにあたった。貝は、怖いよ~。 ・伊豆に行って船釣りをしていたら、海に落ちてしまいました。直ぐに船に乗れたのですが、2〜3分後ハンマーヘッドシャークの群れが。ホントにゾッとしました。 ・数人で石和温泉に行き、コンパニオンを呼びまくったら会計が30万位に ・指宿温泉の外れの〇〇ホテルの和室の部屋にある古い姿見が不気味で何度もバスタオルを掛けたが誰がが引っ張る様な感じで落ちた ・大阪で何かの犯人がビルの屋上から飛び降りた。 ・沖縄旅行でスリにあって、所持金がゼロに ・沖縄の防空壕に入る機会があった。入って明かりを消したら真っ暗で何も見えなくなった。1分程経ったらフラッシュを同時にたくさん焚いたようにあたり一面が光で眩しくなった。誰も明かりを付けてないのに。 ・北海道の雪道で乗っていた乗用車がスリップして数mの崖下に落下した ・北海道のクマ牧場で、スマホで子供の写真を撮っていたら、近くにいた人が動いた時に手に当たり、スマホがクマの檻に落下した ・夜の城址公園の駐車場。車の中で当時の彼と仮眠をとっていた��、車を落武者に囲まれた夢を見た ・高野山の寺院で火の玉を見た! ・立山に旅行した際に、登山道に血で真っ赤になったハンカチがあった ・道後で悪質な客引に追いかけられた。 ・東北自動車道で夜中に、赤いスポーツカーとすれ違ったが、そこに運転手の姿はなかった。 ・富士山が綺麗に見えるホテルに宿泊。朝起きて窓を見たら、昨晩にはなかった小さい手の痕が、くっきりあった。 ・富士の樹海で自殺者を発見。 ・弓ヶ浜のホテルで落ち武者の幽霊を見た
<海外:アジア編>
・インドに旅行中、知らない人数名に囲まれた ・韓国でタクシーぼられた。 ・韓国に行った時、何かしゃべりながら笑ってずっとつけられた。言葉がわからないから余計に怖かった。 ・ジャカルタで空港職員にビザの半券?をすられて、これじゃ通せないからと現金を要求された。 ・タイ旅行したとき、殺人事件の現場を通って後から吊り下げられていた麻袋が遺体だったと聞いた事があった。 ・タイの島で海辺のコテージに宿泊した時バスルームにヤシの実が屋根を貫通して落ちて来た ・タイに旅行中、バイクのお兄さんに道を塞がれた。可愛い友人がいたから、ナンパ目的だったと思う。 ・タイ旅行中、国内線で着陸失敗した飛行機の為に空港が使えなくなり、訳のわからないホテルで一泊 ・台湾で物乞いに追いかけられた ・台湾で散策していたらローカルな夜市に迷い込み、お腹も空いていたのでそこめ夕食を取ることに。すると、四方八方からおじさんたちの私たちを上から下まで舐め回すような視線を感じました。はじめは日本人観光客が珍しいのかな?と思ってましたが、あとから調べたら、そこは低所得者層の集まる夜市でした。また、すぐ近くには売春婦たちがいる通りがあり、彼女たちも夜市を利用するらしく、その夜市に来る女性は売春婦と間違われて襲われることもあるから絶対に近づいてはいけないと言われました。でも、そこの魯肉飯が一番美味しかった。。。 ・中国北京空港で、代理店を通じて予約していた筈の席がブッキングが通っていなかった。 ・ベトナムのタクシーでボッタクリにあった挙句、どこかに連れて行かれそうになった。 ・ベトナムで、現地ガイドにパスポートを預けたまま返してくれなくなった ・香港デモ ・香港でフェリーどうしが衝突しそうになり、ぎり回避できたとき。 ・マニラ空港からセブ島へタクシーで移動中、ドライバーが突然強盗に変身した
<海外:アフリカ編>
・エジプトの市場にある民族衣装店で、買わずに出ようとしたら閉じ込められた。 ・エジプトのタクシーで、頼んでない行き先に連れて行かれてラクダ乗りをすすめられた。
<海外:アメリカ・カリブ編>
・アメリカのとある州で、向かいから歩いて来た人にいきなりお股を叩かれた。 ・ハリウッドで押し売りに絡まれた ・ハワイ旅行の時、空からガラス瓶が降ってきた。 ・ハワイで人力車の運転手にお金をぼられた。 ・ハワイの海で溺れた。たまたま通りかかったボートに助けられた。 ・元カレと婚前旅行(当時は結婚したかった)に行った先のハワイで、相手のお母さんが後から着いてきて2日目の朝、違うホテルにチェックインさせられてベッドの上で手首縛られて1週間くらい身動き取れなかった ・NYでタクシーに乗っていてぶつけられた。むちうちになった ・ジャマイカのホテルの玄関にガイドをしたい人が行列していた。そしてずっとついてくる。
<海外:ヨーロッパ編>
・イタリアの地下鉄でスリにあいかけた。 ・イタリアに行った時、仮装した人に写真を取ろうと言われて撮ったら高額なチップを要求されました。 ・ ウイーン国際空港で、ジプシーに囲まれ、お金やバウチャーの入ったバッグを取られそうになった。 ・ギリシャでタクシーで下ろしてくれず何十倍もの料金を吹っ掛けられた ・ケルン(ドイツ)で人気の少ない通りを歩いている時、フランスから国外退去させられた移民の3人にマークされつけられたが、空手の動きで脅かし、逃げた事がある。 ・スペイン旅行の時泊まってたホテルで銃撃があった ・トルコで警官に全財産、すられた ・フランスで腕にミサンガを巻かれ、金を要求された ・車の窓ガラスを割られて盗難にあった。フランスのニースでのこと ・パリでピエロにお金をせびられた
<海外:オセアニア編>
・グアムで、夕飯を食べに行って、帰りに、タクシーを探しても、中々、つかまらず、途方にくれていたら、外人の車に無理矢理乗せられそうになりました ・グアムでのことです。パーティーやるから集まれみたいなノリで行ったらマリファナパーティーでした。参加せず帰りました。 ・グアムに行った時にマグニチュード7の地震があった。津波が来る可能性があったので、ホテルの近くの丘に避難した。 ・サイパンで、津波警報が出て避難させられた ・タヒチで、小島にモーターボードで行く時、波が高くて、海水が入ってきて、あっという間に、沈み、船から投げ出された時です。 ・モルディブで浅瀬をシュノーケリング中に2mくらいの大魚が目の前に現れてパニックになり、慌てて桟橋の階段を登ろうとしたらデカイ蟹がおり、近くをエイがジャンプしたこと。
アンケートにご協力いただきありがとうございました。
グノシーの「アンケート」タブにて、毎日新しいアンケートを更新しています。ポイントが手に入るものもあるので奮ってご参加ください。
こちらの記事に関するお問い合わせは [email protected] までお願いします。
0 notes
Photo
ハワイ火山国立公園 https://www.instagram.com/p/B2LGzxIjnDT/?igshid=4ayzgq328s91
0 notes
Link
[全訳] 第100周年3.1節記念式 文在寅大統領演説(2019年3月1日) 尊敬する国民の皆さん、 海外同胞の皆さん、 100年前の今日、私たちは一つでした。 3月1日正午、学生たちは独立宣言書を配布しました。 午後2時、民族代表たちは泰和館で独立宣言式を持ち、 タプコル公園では、5000余人と共に独立宣言書を朗読しました。 タバコを止め貯蓄し、金銀のかんざしや指輪を寄付し、 さらに切った髪の毛まで売って、国債補償運動に参加した 労働者と農民、婦女子、軍人、人力車夫、 妓生、白丁、作男、零細商人、学生、僧侶など 私たちの張三李四(平凡な庶民の意)たちが3.1独立運動の主役でした。 あの日、私たちは王朝と植民地の百姓から 共和国の国民として生まれ変わりました。 独立と解放を超え 民主共和国のための偉大な旅程を始めました。 100年前の今日、南も北もありませんでした。 ソウルとピョンヤン、鎮南浦や安州、宣川と義州、元山まで 同じ日に万歳の喚声が溢れ出し 全国津々浦々に野火のように広がっていきました。 3月1日から2か月の間、南・北韓地域にまたがり 全国220の市郡のうち、211の市郡で万歳運動が起こりました。 万歳の喚声は5月まで続きました。 当時、朝鮮半島の全人口の10%におよぶ 202万人が万歳運動に参加しました。 7,500余人の朝鮮人が殺害され、16,000余人が負傷しました。 逮捕・拘禁された人の数は、46,000人に達しました。 最大の惨劇は、平安南道の孟山で起きました。 3月10日、逮捕、拘禁された教師の釈放を求めた54人の住民を 日帝は憲兵分所の前で虐殺しました。 京畿道華城の提巌里では教会に住民たちを閉じ込め火を放ち 幼い子どもを含む29人を虐殺するなどの蛮行が続きました。 しかしそれとは対照的に、 朝鮮人の攻撃により死亡した日本の民間人はただの一人もいませんでした。 北間島・龍井と、沿海州のウラジオストクで、 ハワイとフィラデルフィアでも私たちは一つでした。 民族の一員として、誰でも示威を組織し参加しました。 私たちは共に独立を熱望し、国民主権を夢見ました。 3.1独立運動の喚声を胸に秘めた人々は 自身と同じような平凡な人々が独立運動の主体であり、 国の主人であるという事実を認識し始めました。 それがより多くの人々の参加を呼び起こし 毎日のように万歳を叫ぶ力になりました。 その初めての果実が民主共和国の根である、大韓民国臨時政府です。 大韓民国臨時政府は、臨時政府憲章1条に 3.1独立運動の意を込め「民主共和制」を刻みました。 世界の歴史上、憲法に民主共和国を明示した はじめての事例でした。 尊敬する国民の皆さん、 親日の残滓を清算することは、あまりにも先送りにしてきた宿題です。 間違った過去を省察するとき 私たちは共に未来へと歩んでいけます。 歴史を正すことこそが 子孫が堂々といられ���道です。 民族精気の確立は、国家の責任であり義務です。 今になって過去の傷を掘り起こし分裂を起こしたり 隣国との外交で葛藤となる要因を作ろうということではありません。 すべて望ましくないことです。 親日残滓の清算も、外交も、未来志向的に行われなければなりません。 「新日残滓の清算」は、 親日は反省すべきことで、独立運動は礼遇されるべきことであるという 最も単純な価値をただすことです。 この単純な真実が正義で、 正義がただされることが公正な国の始まりです。 日帝は独立軍を「匪賊」と、 独立運動家を「思想犯」と見なし弾圧しました。 ここで「アカ」という言葉も生まれました。 思想犯とアカは 本当の共産主義者だけに適用されたのではありませんでした。 民族主義者からアナキストまで すべての独立運動家に烙印を押す言葉でした。 左右の敵対、理念の烙印は 日帝が民族の間を離間させるため受け入れた手段でした。 解放後にも親日清算を邪魔する道具となりました。 良民虐殺とスパイでっちあげ、学生たちの民主化運動にも 国民を敵と見なす烙印として使われました。 解放された祖国で日帝下の警察出身者が 独立運動家をアカと見なし拷問することもありました。 多くの人々が「アカ」と規定され犠牲となり 家族と遺族は社会的な烙印の中で 不幸な人生を送らなければなりませんでした。 今も私たちの社会で 政治的な競争勢力を誹謗し攻撃する道具として アカという言葉が使われ、 変形した「色分け論(レッテル貼り)」が吹き荒れています。 私たちが一日も早く清算すべき代表的な親日の残滓です。 私たちの心に刻まれた「38度線」は 私たちの中を分ける理念の敵対を消す時に 共に消えることでしょう。 互いに対する嫌悪と憎悪を捨てるとき 私たちの内面の光復は完成するでしょう。 新しい100年は、その時こそ真に始まることでしょう。 尊敬する国民の皆さん、 過去100年、私たちは公正で正義が実現する国、 人類みなの平和と自由を夢見る国に向けて歩んできました。 植民地と戦争、貧困と独裁を克服し 奇跡のような経済成長を成し遂げました。 4.19革命と釜馬民主抗争、5.18民主化運動、6.10民主抗争、 そして、ろうそく革命を通じ 平凡な人々が各自の力と方法で 私たち皆の民主共和国を作り出しました。 3.1独立運動の精神が、民主主義の危機を迎える度によみがえりました。 新たな100年は真に国民の国家を完成する100年です。 過去の理念に振り回されず 新しい考えと気持ちで統合する100年です。 2017年7月、ベルリンで「朝鮮半島平和構想」を発表するとき、 平和はあまりにも遠くにあって掴めないもののようでした。 しかし私たちは機会が来た時に跳び出し、平和を掴みました。 ついに平昌の寒さの中から平和の春がやってきました。 昨年、金正恩委員長と板門店で初めて会って 8千万同胞の想いを集め 朝鮮半島に平和の時代が開いたことを世界の前で明かしました。 9月には綾羅島スタジアム(平壌)で15万の平壌市民の前に立ちました。 大韓民国の大統領として、平壌の市民たちに 朝鮮半島の完全な非核化と平和、繁栄を約束しました。 朝鮮半島の空と陸、海で銃声が去りました。 非武装地帯から13体の遺骸と共に和解の想いも発掘しました。 南北の鉄道と道路、民族の血脈がつながっています。 西海5島の漁場が広がり、漁民たちの大量の夢が大きくなりました。 虹のように思われた構想が 私たちの眼の前にひとつひとつ実現しています。 もうすぐ、非武装地帯は国民のものになるでしょう。 世界で最もよく保存された自然が、私たちにとって祝福となるでしょう。 私たちはそこで、平和公園を作るなり、国際平和機構を誘致するなり、 生態平和観光をするなり、巡礼の道を歩くなり、 自然を保存しながらも南北韓の国民の幸せのために 共同で使うことができるでしょう。 それは私たちの国民の、自由で安全な北朝鮮への旅行につながっていくでしょう。 離散家族と失郷民たちが、単純な再会を超え 故郷を訪問し、家族親戚を会えるように推進していきます。 朝鮮半島の恒久的な平和は 多くの山を超えてこそ確固たるものになるでしょう。 ベトナム・ハノイでの第二次米朝首脳会談も 長時間の対話を交わし、相互の理解と信頼を高めたことだけでも 意味のある進展でした。 特に二人の首脳の間に連絡事務所の設置まで議論が行われたことは 両国の関係正常化のために重要な成果でした。 トランプ大統領が見せてくれた、持続的な対話の意志と楽観的な展望を 高く評価します。 より高い合意に進む過程だと考えます。 これから私たちに役割がより重要となりました。 わが政府は米国、北朝鮮と緊密に疎通し協力し 両国間の対話の完全な妥結を必ず成し遂げることでしょう。 私たちが手に入れた朝鮮半島の平和の春は 他人が作ってくれたものではありません。 私たち自らが、国民の力で作り出した結果です。 統一も遠い所にある訳ではありません。 差異を認め、心を統合し、 互恵的な関係を作るならば、それこそが正に統一です。 これから新しい100年は 過去と質的に異なる100年になるでしょう。 「新朝鮮半島体制」へと大胆に転換し、統一を準備していきます。 「新朝鮮半島体制」は 私たちが主導する100年の秩序です。 国民と共に、南北が共に、 新しい平和協力の秩序を作り出していくことでしょう。 「新朝鮮半島体制」は 対立と葛藤を終わらせた、新しい平和協力共同体です。 私たちの一途な意志と緊密な韓米協調、 米朝対話の妥結と国際社会の指示を土台に 恒久的な平和体制の構築を必ず成し遂げます。 「新朝鮮半島体制」は 理念と陣営の時代を終わらせた、新しい経済協力共同体です。 朝鮮半島で「平和経済」の時代を開いていきます。 金剛山観光と開城工業団地の再開方案も米国と協議していきます。 南北は昨年、軍事的敵対行為の終息を宣言し 「軍事共同委員会」の運営に合意しました。 非核化が進むならば南北間に「経済共同委員会」を構成し 南北すべてが恩恵を受ける、 経済的な成果を作り出せることでしょう。 南北関係の発展が米朝関係の正常化と日朝関係の正常化につながり、 東北アジア地域の新しい平和安保秩序に拡張していくことでしょう。 3.1独立運動の精神と国民の統合を土台に 「新朝鮮半島体制」を耕していきます。 国民の皆さんの力を合わせてください。 朝鮮半島の平和は、南と北を超え 東北アジアとASEAN、ユーラシアを包括する 新しい経済成長の動力となるでしょう。 100年前、植民地となったり 植民地に転落する危機に陥ったアジアの民族と国は 3.1独立運動を積極的に支持してくれました。 当時、北京大学教授で、新文化運動を率いた陳独秀は 「朝鮮の独立運動は偉大で悲壮であると同時に明瞭で、 民意を使いながらも武力を使わないことで 世界の革命史に新たな起源を開いた」と語りました。 アジアは世界でもっとも早く文明が栄えた地域で 多様な文明が共存する所です。 朝鮮半島の平和をもってアジアの繁栄に寄与します。 相生を求めるアジアの価値と手を結び 世界の平和と繁栄の秩序を作ることを、共に行います。 朝鮮半島の縦断鉄道が完成するならば、昨年の光復節に提案した 「東アジア鉄道共同体」の実現を引き寄せることになるでしょう。 それはエネルギー共同体と経済共同体として発展し、 米国を含む多者平和安全保障体制を強固にしていくことでしょう。 ASEANの国とは 「2019年韓−ASEAN特別首脳会議」と 「第1次韓−メコン首脳会議」の開催を通じ 「人間中心の、平和と繁栄の共同体」を共に作っていきます。 朝鮮半島の平和のために日本との協力も強化していきます。 「己未獨立宣言書」は3.1独立運動が排他的な感情ではなく 全人類の共存共生のためのものであり 東洋の平和と世界平和へと歩む道��あることを明らかに宣言しました。 「果敢に永い間違いを正し 真の理解と共感を土台に、仲の良い新たな世界を開くことが 互いに災いを避け、幸せになる近道」であることを明かしました。 今日にも有効な私たちの精神です。 過去は変えることはできませんが、未来は変えることができます。 歴史を鏡にし、韓国と日本が固く手を結ぶ時 平和の時代がはっきりと私たちの側に近づいてくるでしょう。 力を合わせ、被害者たちの苦痛を実質的に治癒するとき 韓国と日本は心が通じる真の親友になることでしょう。 尊敬する国民の皆さん、 海外同胞の皆さん、 過去100年、私たちが共に大韓民国を呼び起こしてきたように 新しい100年、私たちは共に幸せに生きなければなりません。 全ての国民が平等で公正に機会を持てなければならず。 差別されず、仕事の中で幸せを探せなければなりません。 共に幸せに生きるため私たちは 「革新的包容国家」というもう一つの挑戦を始めました。 今日、私たちが歩んでいる「革新的包容国家」の道は 100年前の今日、先祖たちが夢見た国でもあります。 世界は今、両極化と経済不平等、 差別と排除、国家間の格差と気候変化という ��地球的な問題解決のために新たな道を模索しています。 「革新的包容国家」という、私たちの挑戦を見守っています。 私たちは変化を恐れず むしろ能動的に利用する国民です。 私たちは最も平和で文化的な方法で 世界の民主主義の歴史に美しい花を咲かせました。 1997年アジア外貨危機、2008年グローバル金融危機を克服した力も すべての国民から出たものです。 私たちの新たな100年は 平和が包容の力につながり 包容が、共に良く暮らす国を作り出す100年になることでしょう。 包容国家への変化を私たちが先導することができ、 私たちが成し遂げた包容国家が 世界の包容国家のモデルになれると自信を持っています。 3.1独立運動は依然として私たちを 未来に向けて押し出しています。 私たちが今日、柳寬順烈士の功績審査を再び行い 独立有功者の勲格を高め新たに褒賞したことも 3.1独立運動が現在進行形であるからです。 柳寬順烈士はアウネ市場の万歳運動を主導しました。 西大門刑務所に収監されても死を恐れず 3.1独立運動一周年の万歳運動を行いました。 そして何よりも大きな功績は 「柳寬順」という名前だけで 3.1独立運動を忘れないようにしたことです。 過去100年の歴史は 私たちが直面する現実がいくら困難であっても 希望を捨てないかぎり 変化と革新を成し遂げられることを証明しています。 これからの100年は 国民の成長が、すなわち国家の成長になることでしょう。 中では理念の対立を超え統合を成し遂げ 外では平和と繁栄を成し遂げる時 独立は真に完成することでしょう。 ありがとうございます。 출처 : コリアン・ポリティクス(The Korean Politics)(https://www.thekoreanpolitics.com)
0 notes