#ナイロビ国立公園
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ケニア ワイルドライフ Wildlife in Kenya
ナイロビ 想定外に近代的な街
ちょっと町外れを歩けば、安全な野生動物くらいゴロゴロいるだろうと思っていた。 山川惣治の『少年ケニア』という古い絵物語を原作とするアニメ映画の微かな記憶もあった。 現実はと言えば、ナイロビは大量の人々で溢れ、物語に登場するマサイの酋長や大蛇など、野生のための安全なスペースは残されていない。 しかし市街中心部から10キロと離れていない場所にはナイロビ国立公園がある。
ケニアは広い。国内にはナクルやマサイマラ、トゥルカナなどたくさんの国立公園や保護区がある。しかし、ナイロビからは相当の距離があり、仕事でやって来た者には簡単に行ける場所ではない。 そんな中で、ナイロビ国立公園はジョモケニヤッタ国際空港の進入路の直下にあり、着陸時の機内からも見��ろせる。シマウマやキリンの向こうに市街地の高層ビルが見えるという、実にユニークな場所だ。
120平方キロという広大な自然公園内のでこぼこ道をゆっくりと走り、車内から動物たちを見て回る。象以外なら各種見ることが出来る。ただし広すぎるため運に左右される。ライオンが狩りに出る早朝か夕刻がおススメだ。公園内では車両同士が動物の目撃情報を交換し合い、熟練のガイドに当たればライオンやカバ、サイとの接近遭遇もある。 ホテルで頼めば貸し切りか相乗りでツアーがあるので、同行者が初体験ならまずはこの公園を訪れることになる。
何回目かの訪問時にタクシーをチャーターして、帰国���の夕刻に急ぎ足で回った。 そろそろ空港に向かわねばという段になって、何と運転手が公園内で道に迷った。日が傾き始め、閉園時間が近づき、冗談事で済まなくなった。 入園者が無事に退場したかなんて確認していないだろうから、ゲートを閉められてライオンでも現れたらシャレにならない。
ドライバーの顔色が心なしか青ざめた時、金網フェンス越しの外界にポツンと一軒の人家らしきものが見えた。車から降りるわけにはいかないので、ライトを点滅し、禁止されているクラクションを鳴らし、どうにか住民を呼び寄せて道を尋ね、閉門時間ギリギリにゲートに辿り着くことが出来た。 国際空港に隣接するとはいえ、陽が落ちれば漆黒の世界になる。公園を支配しているのは誰なのか、思い知らされたサファリだった。
近場にはもうひとつ、もっと手頃な場所がある。 そこは車でなく歩いて回る大きな公園で、藪の中を歩いていると、ホントに安全なのかという取り残され感が楽しめる。広いフェンスの中に動物たちが放し飼いにされているが、どちらがどちらを見物しているのか判然としない。 ガイドなしの徒歩では目当てのチーターは見つけられず、ぶつくさ恨みごとを言いながら帰路を歩いていると飼育員と思われる男に出合った。 『ドウシタ、何ガ見タイ?』 「チーターは何処よ。」 『見セテヤル、コッチ来イ。』 おおラッキーだ。 ついて行くとチーターエリアのフェンスを解錠して、どんどん中へ入って行く。「おいおいマズいぞ」と思ったが、一人で引き返すことも出来ず飼育員に貼り付いて進む。 小さな小屋に着いて、ここがチーターの檻かと思ったら実物が表の木製デッキで寝ているではないか! しかも放し飼いで!!
慌てて小屋に逃げ込もうとすると、 『騒グトアブナイカラ、ジットシテロ』 そう言って、手に持ったバケツから大きな肉塊を無造作に投げた。チーター君はガルガルと美味そうに食べ始める。 『 折角ダカラ、撫デテヤレヨ 』 「 冗談じゃねえ、齧られたらドースルのよ! 」 『 ダイジョーブ、ソノ鹿肉カジッテル間ハ安全ヨ 』 「 ほんとだろな、おい 」 恐る恐る撫でたチーターの毛皮は意外にソフトで、本物を触った日本人はそういないだろうな、などと思いつつ、鹿肉が切れる前に這う這うの体で退散した。
後になって、全く無茶な事をしたと大いに反省し、じっとり冷や汗が出た。 これは飼育員の闇バイトで、閉園間近の欲求不満の来園者相手に小遣い稼ぎをしているらしい。 案内した後すぐに退場させれば言いふらす時間も無く上司にバレないので、閉園時間直前に限った裏ツアーのようだ。絶対に漏らすなと口止めもされているので公園の名は伏せる。 ケニアの動物公園で閉園間近に言い寄ってくる飼育員がいたら、馬鹿な真似はしないようにくれぐれも気を付けて欲しい。
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[ナイロビ 13日 ロイター] - インド洋の島国・モーリシャスの周囲には、数世紀を生き抜いてきたサンゴ礁がある。それが今、座礁した日本の貨物船から流出した重油によって何日間も窒息状態にあり、一部は危機にひんしている。
科学者らは、重油流出による影響の全体像について、まだ見通せないと語る。重油やその塊の除去に奮闘するモーリシャスの住民らは、海中に浮かぶ死んだウナギや魚を目にしている。海岸には、油まみれの海鳥が足を引きずりながらはい上がってくる。
衛星画像を見ると、事故現場となり、ターコイズブルーの海が広がるブルーベイ海洋公園から、重油1000トンが海岸に沿うように北へと流れ出している様子が分かる。
観光に依存するモーリシャスの経済にとって、この事故は今後何十年にもわたって影響を及ぼしかねない、と科学者は言う。
モーリシャスで事故調査に当たる海洋学者のVassen Kauppaymuthoo氏は、ロイターの電話取材に対し「重油流出が起こったのは、影響の大きさという点でモーリシャスにとって非常に重要な海域だ」と言う。「被害からの回復には何十年も要するとみられ、中には二度と元に戻らないものもあるかもしれない」と指摘する。
危機にさらされている海洋生物は、浅瀬を覆う海藻、サンゴ礁を泳ぎ回るクマノミ、海岸を囲うように根を絡ませるマングローブ林、そしてモーリシャスの固有種で絶滅が危惧されるモモイロバトなどだ。
事故現場近くの小島・エグレット島の自然保護区は、巨大なウミガメがゆっくりと歩く島で、科学調査基地もある。ブルーベイ海洋公園全体でサンゴは38種類、魚類は78種を数える。
重油流出事故は「生態系に甚大なショックをもたらす」と語るのは、モーリシャス出身で英キール大学の講師を務める環境科学者のアダム・ムールナ氏。「油は、生命のネットワーク全体に連鎖的な影響をもたらすだろう」──。
<封じ込めできず>
重油は7月25日に海洋公園で座礁した日本の貨物船「わかしお」から流出した。なぜ、これほど海岸に近い場所を航行していたのかは、未だ不明。座礁から約1週間後、破損した船体から重油が流出し始めた。
ただ、当局者らによると、船内の油抜き取りを終えた後の流出は止まっている。
貨物船を保有・管理する長鋪(ながしき)汽船(岡山県)は13日、賠償��応じると表明した。
モーリシャス海洋保護協会のジャクリーヌ・ソージエ会長によると、影響を受けた海岸線は既に約15キロメートルに及ぶ。ソージエ氏はロイターに対し「われわれには重油除去の設備も専門知識もなく、被害を抑えるのは時間との勝負だ」と述べた。
地元住民は無防備な姿で有毒に汚染された海に入り、髪の毛やサトウキビ処理工場から出たキビのさやなどを使い、できる限りの油を急いで吸い取ろうと努めている。
環境毒物学者のクレイグ・ダウンズ氏は、人々と野生生物に「今後10年から20年、相互作用的な影響が出てくるだろう」と語った。
<悪循環>
真っ先に被害が及ぶのはサンゴ礁と魚だろう。観光業と漁業が経済を支えるモーリシャスにとって、とりわけ厳しい事態だ。
専門家によると、今生き残っているサンゴも、海洋熱波への抵抗力が衰えている可能性がある。海洋熱波は気候変動の結果、この海域を襲うようになっており、一部で既にサンゴ白化現象を引き起こしている。
これ以上、そうした状態が続けば、サンゴ礁の将来は非常に暗くなると専門家は懸念する。
マングローブ林への影響も懸念されている。マングローブの根は幼魚を育む場所を提供している。
英エクスター大学の海洋保護教授、カラム・ロバーツ氏は、重油がマングローブ周辺の堆積物の中にも沈殿し、カニや軟体動物や稚魚を窒息させる可能性があると指摘。「いったん堆積物の中に沈殿すれば、除去は非常に難しい。樹木は病気になって死ぬかもしれない」と言う。
マングローブに巣を作ったり、近くの干潟から飛び立ったりする渡り鳥も悪影響を受けやすい。重油を摂取したりしてしまった鳥は病気に弱くなり、飛べなくなる恐れすらあると、専門家は言う。
マングローブと同じく、大量の二酸化炭素を吸収する海藻は、海岸を波から守る上で不可欠の役割を果たしている。
また、陸地では打ち上げられた油が固まり、永続的な変化をもたらす恐れがある。
2010年のメキシコ湾岸原油流出事故のその後を研究した米ルイジアナ州大学の環境科学者、ラルフ・ポーティエ氏は「長期的には油はたまり、そこで散ったり劣化したりすることで、海岸がアスファルトのようになる可能性がある」と説明。 「悲劇そのものだ」と語った。
(Duncan Miriri記者、Omar Mohammed記者、Matthew Green記者)
私たちの行動規範:
トムソン・ロイター「信頼の原則」
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ナイロビ国立公園のライオンはまったく人や車を恐れない。恐れないどころかまるでそこに何もないかのごとく、眼もくれず、悠々と自分たちのペースをくずさない。その歩みの堂々たるや。
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HISオンライン体験「ナイロビ国立公園・オンラインサファリライブツアー」感想
これまで参加したオンラインツアーはいずれも参加人数10人前後だったので、テレビでも宣伝されているこのサファリツアー、参加者200人越えでちびっ子も多くてびっくりした。
■ナイロビ国立公園 アフリカが凝縮された姿といわれるほど様々な動物がいるが、ゾウはいない。ゾウが生息するには小さいところ��ビルが建ち並ぶ近代的なケニアの首都ナイロビの真ん中にあるので、周りを見渡すと電車が走っているのが見えたりする。檻がない自然動物園だが、動物が都市部に出て行ってしまうのを防ぐため電気柵を張り巡らせてある。しかし停電したときに脱走してしまうことも...
■アンボセリ国立公園 ナイロビ中継の途中で激しい雨天になり、様子を見ながらアンボセリ国立公園と交互に中継することに。キリマンジャロ山のふもとにある。ナイロビ国立公園より広く自然そのままに近く、ゾウが生息する。 アンボセリのガイドさん、突然美空ひばりを歌い始めたりしてノリがよくて面白い人だった。
■ケニアについて 1963年にイギリスから独立した赤道直下の若い国。日本との時差はマイナス6時間。推定42の民族がいる。あまり知られていないのは、世界最高品質の薔薇の産地だということ。カラフルなアフリカン雑貨・アートも豊富。気候は日本の初夏のようで、最低気温15℃、最高気温20℃(一番暑いのは1月)。雨季(4~6月)と乾季の2種類の季節しかない。最近では気候変動のため、乾季にも雨が降ることがある。
■見た動物 ツアー最後に頂いた「本日見た動物リスト」にライブで聞いた解説のメモをつけたもの↓
1. キリン。(種類はマサイキリン)。 首は2メートル。寝るときは立ったまま。頭のツノまわりに毛が生えていると♀、ないと♂。♂は♀をめぐり首ゲンカをするため毛が抜けてしまう。その長身で遠くにいる肉食獣に気付けるため、他の草食獣はキリンの近くにいたがる。
2. 水牛。バファロ。 寿命は15~25年。ライオンの餌にされることもあるが、逆に蹴り殺すこともある。常にアマサギという白い鳥にくっつかれている(バッファローが移動するときに飛び出す昆虫を食べているため)。
3. サイ。(種類は白サイ) 唯一の天敵は人間だが、仔サイは肉食獣に食べられることも。「サイのツノ」は貴重で高価、特に昔からアラビアや中国で需要があり、密猟者に狙われている。現在ケニアの国立公園には、密猟者を取り締まるパトロール隊がある。
4. ハートビスト。 レイヨウの一種。インパラなど他のレイヨウと似ているが、それぞれの見分け方はツノのかたち。
5. シマウマ。(種類はサバンナシマウマ) ケニアにはサバンナシマウマとグレビーシマウマの2種類がいる。天敵はライオン。キック力が強く、ライオンの顎を砕くことも。仔シマウマは茶色��ぽい。
6. サイ。(種類はクロサイ) 白サイより大きく(軽トラくらい)、あまり姿を現さない。見れたのはラッキー。
7. エランド。 レイヨウの一種。
8. ヌー。(大移動をする動物です) オグロヌー。川を渡るときワニに食べられることも。ヌーは神様が「あまりもの」で作ったという伝説があり、しっぽなど体の各パーツが他の動物に似ている。「ヌー」という名は鳴き声から。
9. イボイノシシ。 ライブ中、ライオンに狙われていた。スコールのような土砂降りのなか、狩りの様子が見られた。狩りは失敗し、イボイノシシは逃げ延びたが、ライオンは狩りに失敗するとその日はごはんにありつけない。イボイノシシとライオン、どちらの方を応援するべきか?という道徳問題が浮上。
10. セグロジャッカル。 イヌ科。
11. 象(アンボセリ国立公園) ♂は8トン、♀は6トンくらい。群れのリーダーは♀。天敵は人間のみ。密猟パトロールの取り締まりにより、密猟が減った。今では1000頭いて、公園で生息できる数を越し、間引きが必要なまでになった。ライブ中、ケンカか何かでキバが折れた30~35歳くらいの♂がいた。ゾウの歯は5年ごとに新しい歯が生えてくる。年齢は歯や耳のしわ、頭の大きさなどで分かる。
12. シマウマ(アンボセリ国立公園)
13. インパラ(アンボセリ国立公園) レイヨウの一種。レイヨウの中で一番美しい。インパラは一番強い♂一頭だけが♀と仔インパラたちを獲得できる。
14. ウォーターバック(アンボセリアンボセリ国立公園) 15. ウォーターバック(ナイロビ国立公園) レイヨウの一種。毛がフカフカで食べにくいため、肉食獣に狙われにくい。ツノがあるのは♂だけ。
16. ダチョウ(ナイロビ国立公園) いるのはマサイダチョウと、ケニア北部にいるソマリアダチョウの2種。2種は首の色などが異なる。♂と♀でも色が違い、夜は黒い♂が、昼は茶色い♀が交代でタマゴを温める。♂は150kg、♀は130kg。ライオンをキック&鋭い爪でやっつけることも。走るのは時速50kgだが、チーターにはかなわない。羽根がハンドバッグに使われる。
17. ホロホロチョウ。(野鳥ナイロビ国立公園) 現地で食用とされる。ニワトリより美味しいらしい。
18. ヒヒの大群。(アンボセリ国立公園) ライブで30頭くらいの群れに会い、可愛い赤ちゃんもいた。雑食で、肉や葉っぱを食べる。乾季のとき力を合わせてガゼルをハンティングすることも。大人の♂はなかなか強面。天敵はヒョウ。
19. エジプトガン。(野鳥ナイロビ国立公園)
あとはフラミンゴがいた。雨季にしか出現しない浅いけど巨大な水たまりに首をつっこみ餌を探していた。
■その他 「コロナ、今は我慢の時。コロナ禍が明けたとき、是非ともケニアでお待ちしています」とガイドさん。
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母の遺した「自分史」
自分史
飯島美智子
1、生い立ち
2、青春時代
3、結婚 三鷹 1959年
4、金沢 1960~62
5、野方 1962~64
6、熊本 1964~66
7、荻窪 1966~69
8、コロンボ 1969~1970
9、ヨーロッパ旅行 1970~71
10、麻布 1971~73
11、ジャカルタ 1973~77
12、東南アジア旅行 帰国 1977
13、池袋 1977~80
14、深大寺 1980~81
15、ナイロビ 1981~84
16、ドイツ旅行 1983 9月
17、エジプト旅行 1984 1月
18、カナダ旅行 1984 9月
19、深大寺 現在
結婚して26年になりますが、結婚3ヶ月目から転勤すること10回、引っ越しは13回となりました。日本国内はもとより、外国も任地や旅行を含めると20数カ国となり、様々な珍しい体験をしました。
その中でも、一番印象の深かったコロンボの生活をまず書いてみました。あまりにも多くのことがあり、何から書いていったらいいのかわからず、半分ほども表現できなかったのが残念です。
コロンボでの生活 1969~70年
私は生まれつき色が黒かったので、小さい時から南国じゃ美人とか、酋長の娘とかよく云われからかわれたもの��った。いつしかそれが、南の国に対する大きな夢と憧れに変わっていった。
小学生になってから、母はよく私に翻訳物の本を買ってきてくれた。インドの昔話とかロシアの民話とかグリム童��集とか・・・
そんな環境で育った私は、中学に入ってから英語、西洋史、世界地理などにとても興味を持つようになった。卒業して外国商社に勤めた私は、外国がまた一歩近づいたような気がした。
26歳の時に、電々公社に勤める夫と恋愛結婚をした。それまでは、夏休みの海山での生活以外、東京を離れたことのなかった私が、結婚3ヶ月目にして金沢に転勤となる。この時から私の人生は、引越しと旅行の繰り返しで今日に至ることになった。
初めての任地金沢で娘をもうけ、その後2年間ずつ金沢、東京、熊本と生活をし、また東京に戻った。もうこの頃になると、ひとつの場所で1年半を過ぎる頃になると、次の任地はどこかなと落ち着かなくなった。
そんなある日、夫に、セイロンで日本人のITU( 国際電気通信連盟 )専門家を求めているから試験を受けてみないか、という話があり、書類を提出する運びとなった。すぐに応募したものの、それから半年以上何の音沙汰もなく、だめかと思っていたら、1968年の大晦日に採用通知が来て、1週間以内にジュネーブの本部に出頭せよとのことだった。正月休みで手続きが遅れ、1月10日、夫はジュネーブに向け出発した。そこで採用決定となり、そのままコロンボへ赴任した。
セイロンは何もない発展途上国なので、あれもこれも買ってきてほしいという手紙を受け取るたびに買い物に奔走し、段ボール箱百個近い荷物を作り船便に出した。日本に置いていく家財は、親兄姉たちの家に預け、夫の出発からひと月遅れで、小1になった娘を連れて日本を後にした。
途中香港に2泊し、かつての勤務先の上司であったオーストラリア人女性を訪ね旧交を温めた。そして次の日夜遅く、シンガポールに着く。翌日ここで半日を夏物買いに費やし、ついに私は疲れから寝込んでしまった。39度5分ほどの熱があり、寒気もひどく、明日早朝の出発を危ぶみながら、祈る気持ちでアスピリンを飲み、早寝をした。
幸い次の日、熱はどうにか下がり、やっとの思いで空港へ。シンガポールは、熱隊の美しい木や花に囲まれた公園のような街で、私は一目で好きになってしまった。もっとゆっくり観たかったのに、本当に残念だった。( 後日、2度ほど訪れる機会があり、思う存分シンガポールのよさを味わうことができた )
数時間の空の旅の後、紺碧のインド洋に陸地が見えてきた。飛行機がだんだん降下していくと、そのあた��は遠浅なのか、水の色も薄青になり、長く続く白砂の浜辺に打ち寄せる波が幾重にも連なり、岸辺近くで次々と白く砕けていく。陸地は一面の椰子林で、海風で大きく揺らいでいた。その中に吸い込まれるように着陸した。
機内を出ると、焼けつくように照らす太陽、明るい真っ青な空、心地よい風、ああこれが南の国なのだ、そして今私はそこに立っている!
「エクスキューズミー、アーユー ミセス イイジマ? 」ハッとして我にかえる。見ると、真っ黒な顔に人懐っこい目をした人が、白い歯を見せて微笑んでいる。国連の職員で、我々を迎えに来てくれたそうだ。おかげで入国手続きも簡単に済み、出迎えに来た夫とひと月ぶりに再会した。
飛行場から40分ほどの道のりを夢見心地で車窓からの景色を眺めながら、当座の住まいのゲストハウスに向かう。道々、色とりどりのブーゲンビリアや真紅のカンナが美しい。肌に陽が当たると、ジリジリと焼けていくのがわかる。けれど一旦日陰に入ると、すっと涼しく快適だ。大きな木の下で昼寝をする人々があちこちに見られた。
翌日、ショッピングセンターに行く。たらたらと流れる汗をぬぐいながら、商店を覗く。がらんとした店内の棚のところどころに品物が置いてある。ラベルの色は褪せ、形のひしゃげた缶詰などが並んでいる。終戦後の物資のない時代を思い出した。底がでこぼこの鍋、ブリキでできたケーキ型、ホーロー引きの洗面器、分厚い不透明なガラスのコップ等・・・子どもの頃の記憶が甦ってくる、何とも懐かしい光景だった。
マーケットの肉屋に入ると、大きな骨つきの肉の塊が吊るされている。足元には皮や骨や蹄などが落ちていて、どこもかしこも真っ黒にハエで覆われている。魚屋はもっとひどく、マーケット全体が異様な臭気で満ちている。日本人の多くは不潔で嫌だと言っていたが、生来楽天家の私には、不潔ということに全く煩わされることがなかった。
街には、ヘッドライトの壊れた片目の車。雨が降ると立ち往生のワイパーの無い車。走ると足元から地面がちらちら見える床のめくれた車。道を曲がる時はウィンカーは壊れていることが多いので手を出して合図をする。ここではどんなに壊れていようと、走れば車なのである。
そういう車を大切に修理しながら、だましだまし使っている人たち。道路にも海岸にもゴミが無い。彼らは何でも拾って役立��ようとする。物質文明に浸って、物の有り難さを忘れていた私にはよい教訓だった。
削っても削っても折れている鉛筆。ロウが多くて描けないクレヨン。消しゴムでこすると破れてしまうざら紙のノート。娘は改めて、日本製品のすばらしさを知り、3センチぐらいに短くなった鉛筆どうし2本をお尻のところで貼り合わせて、大事に使っていた。日本から来た人に、消しゴム1個、鉛筆1本でもいただくと、それはそれは喜んで大切にした。
数十軒もの家探しの後、海岸に近い見晴らしのよい場所に家を決めた。千坪ほどの敷地の真ん中に、南北に長い2階建ての家が建っており、1階には家主が住み、東側の四百坪あまりの庭を芝生と美しい花壇にしている。入口が別の2階と、家を挟み反対西側四百坪の椰子の木と沢山の樹木に覆われている庭を我々が借りた。
我が家の西側のベランダに出ると、インド洋が見える。朝、昼、夕と太陽の光線の加減で、海の色も微妙に変わっていく。海岸に近い浅瀬は白っぽく、だんだん薄緑から濃い緑となり、ついに紺碧の海となる。
朝は夜明け前、いっせいにさえずり始める鳥の声で目が醒める。東の窓を開けると家主の庭に十数種類、数十羽の鳥が集まり、餌をついばんでいる。黒くて嘴だけオレンジ色の鳥、黄色の鳥、青い鳥、大きい鳥、小さい鳥・・・まさにこれがこの世の楽園ではないかと思われる光景であった。
西側の窓を開けると、椰子の木にリスたちがいて、尾をぴんと立て、小さな手で一生懸命顔をこすっている。朝の身だしなみが整うと、枝から枝に飛び移り、木の実を採って、両手でしっかり持って食べ始める。涼しい朝の風に吹かれながら眺める、何とも楽しい心温まるひとときである。
夫は、途中先生ひとりに生徒7名の日本人小学校に娘を送り、出勤する。私は友人の紹介で来たボーイに家の仕事を教える。初めはボーイの目の前で部屋や戸棚に鍵をかけることをためらい、ときおり小物が無くなった。鍵をしない私が悪いと、友人や家主に云われ、次のボーイからはしっかりと鍵をかけた。全部閉めると十数個の鍵の束となってしまった。その頃は、鍵のかかっていない処の物は盗まれてもこちらが悪いということもわかり、この鍵の生活にもすっかり馴れた。
自動車や引っ越し荷物が日本から届き、落ち着いたところで、今度は国連の人たちとの付き合いが始まる。WHOから派遣されていた日本人夫妻が、半年の間に我々を国連の皆に紹介し帰国された。その後日本人は我々一家族だけになった。
週���2、3回開かれる国連の���人の集まりに出席し、我が家にも月に1度は、20人ほどの婦人がたを招待しなくてはならない。出来合いのものなど無く、全てはホームメードだ。ケーキの作り方から勉強する。でも外国人との付き合い方は心の問題で、日本人のように食べきれないほどご馳走を作る必要はない。数ヶ月後には、コーヒーモーニングも、ディナーパーティーも、週に1、2回出来るようになった。
外国人との付き合いは、献立以上に話題を考えなくてはならない。女性同士の場合は問題はないが、男性との話題を見つけるのは難しい。何しろ、娯楽もテレビも無いこの国での楽しみは、人との交わりに尽きる。人懐っこいセイロン人も、呼んだり呼ばれたりが大好きだ。
日本と違い、パーティーは大人だけのもの。娘はセイロンに着いたその晩から留守番役となり、家でのパーティーも、始めの挨拶以外、顔を出すことは許されなかった。この習慣は、子どもの自立心を高め大変よいものだった。夫は夕方には戻り、夜の外出は夫婦同伴で、子どもとよりも夫と一緒にいる時間の方が長い生活など、日本では考えられなかった。
またその当時は、ほとんどの日本人は単身赴任で、この人たちに日本食まがいのものをご馳走するのも、私の務めだった。材料も無く、とろろ、さつま揚げなどすべて手作りだ。いただいた日本食の土産物なども、その日のためにとっておき振る舞った。大したものもできなかったが、皆が喜んで食べてくれると本当に嬉しかった。
来客の無い日は、家族3人で近くの浜辺に行き、日没前の真っ赤な夕日を浴びながら、お湯のように温かい海で波乗りを楽しんだ。空全体が茜色に変わっていく。海の水まで真っ赤に染まり、そして黒ずんでいく。あたりに夕闇がたちこめ、やがてひとつふたつと星が輝いてくる頃、海から上がり、家路をたどる。
平和な南海の島の大自然は、私の夢を十分に満たしてくれた。そしてそこでの生活は、宗教や人種によって、様々な暮らしや習慣のあることを教えてくれた。
街角の菩提樹の木の下には、必ず仏陀の像があり、花が捧げられている。月4回のポーヤデー( 新月、上弦の月、満月、下弦の月の日 )には、身を清め、お花を持ってお寺にお参りに行く人々。セイロン人の大半は仏教徒で、とても心が温かく殺生は一切しない。ハエも蚊もそっと追い払うだけである。
我々が失いかけている宗教心、動植物を愛する優しい心があり、物を大事にするセイロン人を、私は心から好きになった。
ちょっと長い夏休み、そんなぐらいにしか感じられなかった1年10ヶ月のコロンボの生活。それは故郷を持たない私にとって、心の故郷となった。
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【アングル:モーリシャスの生態系に重大な危機、重油流出の衝撃】 - ロイター : https://jp.reuters.com/article/mauritious-oil-damage-idJPKCN25A0FM : https://archive.is/TLQjh 2020年8月14日 / 13:59 / Reuters Staff
[ナイロビ 13日 ロイター] - インド洋の島国・モーリシャスの周囲には、数世紀を生き抜いてきたサンゴ礁がある。それが今、座礁した日本の貨物船から流出した重油によって何日間も窒息状態にあり、一部は危機にひんしている。
{{ 図版 1 }}
科学者らは、重油流出による影響の全体像について、まだ見通せないと語る。重油やその塊の除去に奮闘するモーリシャスの住民らは、海中に浮かぶ死んだウナギや魚を目にしている。海岸には、油まみれの海鳥が足を引きずりながらはい上がってくる。
衛星画像を見ると、事故現場となり、ターコイズブルーの海が広がるブルーベイ海洋公園から、重油1000トンが海岸に沿うように北へと流れ出している様子が分かる。
観光に依存するモーリシャスの経済にとって、この事故は今後何十年にもわたって影響を及ぼしかねない、と科学者は言う。
モーリシャスで事故調査に当たる海洋学者のVassen Kauppaymuthoo氏は、ロイターの電話取材に対し「重油流出が起こったのは、影響の大きさという点でモーリシャスにとって非常に重要な海域だ」と言う。「被害からの回復には何十年も要するとみられ、中には二度と元に戻らないものもあるかもしれない」と指摘する。
危機にさらされている海洋生物は、浅瀬を覆う海藻、サンゴ礁を泳ぎ回るクマノミ、海岸を囲うように根を絡ませるマングローブ林、そしてモーリシャスの固有種で絶滅が危惧されるモモイロバトなどだ。
事故現場近くの小島・エグレット島の自然保護区は、巨大なウミガメがゆっくりと歩く島で、科学調査基地もある。ブルーベイ海洋公園全体でサンゴは38種類、魚類は78種を数える。
{{ 図版 2 : Reuters Graphic : モーリシャス油流出事故 }}
重油流出事故は「生態系に甚大なショックをもたらす」と語るのは、モーリシャス出身で英キール大学の講師を務める環境科学者のアダム・ムールナ氏。「油は、生命のネットワーク全体に連鎖的な影響をもたらすだろう」──。
{{ 図版 3 : 8月13日、インド洋の島国・モーリシャスの周囲には、数世紀を生き抜いてきたサンゴ礁がある。それが今、座礁した日本の貨物船から流出した重油によって何日間も窒息状態にあり、一部は危機にひんしている。写真はわかしおから流出した油が浮かぶマングローブ林の海岸。ドローン画像(2020年 ロイター/Reuben Pillay) }} {{ 図版 4 : 8月13日、インド洋の島国・モーリシャスの周囲には、数世紀を生き抜いてきたサンゴ礁がある。それが今、座礁した日本の貨物船から流出した重油によって何日間も窒息状態にあり、一部は危機にひんしている。写真は座礁し、船体に亀裂が入った「わかしお」(2020年 ロイター/Reuben Pillay) }} {{ 図版 5 : 8月13日、インド洋の島国・モーリシャスの周囲には、数世紀を生き抜いてきたサンゴ礁がある。それが今、座礁した日本の貨物船から流出した重油によって何日間も窒息状態にあり、一部は危機にひんしている。写真は流出した油を封じ込めるため、手作りの策を設置するボランティア(2020年 ロイター/Reuben Pillay) }} {{ 図版 6 : 8月13日、インド洋の島国・モーリシャスの周囲には、数世紀を生き抜いてきたサンゴ礁がある。それが今、座礁した日本の貨物船から流出した重油によって何日間も窒息状態にあり、一部は危機にひんしている。写真はわかしおから流出した油が浮かぶマングローブ林の海岸。ドローン画像(2020年 ロイター/Reuben Pillay) }}
■《封じ込めできず》
重油は7月25日に海洋公園で座礁した日本の貨物船「わかしお」から流出した。なぜ、これほど海岸に近い場所を航行していたのかは、未だ不明。座礁から約1週間後、破損した船体から重油が流出し始めた。
ただ、当局者らによると、船内の油抜き取りを終えた後の流出は止まっている。
貨物船を保有・管理する長鋪(ながしき)汽船(岡山県)は13日、賠償に応じると表明した。
モーリシャス海洋保護協会のジャクリーヌ・ソージエ会長によると、影響を受けた海岸線は既に約15キロメートルに及ぶ。ソージエ氏はロイターに対し「われわれには重油除去の設備も専門知識もなく、被害を抑えるのは時間との勝負だ」と述べた。
地元住民は無防備な姿で有毒に汚染された海に入り、髪の毛やサトウキビ処理工場から出たキビのさやなどを使い、できる限りの油を急いで吸い取ろうと努めている。
環境毒物学者のクレイグ・ダウンズ氏は、人々と野生生物に「今後10年から20年、相互作用的な影響が出てくるだろう」と語った。
■《悪循環》
真っ先に被害が及ぶのはサンゴ礁と魚だろう。観光業と漁業が経済を支えるモーリシャスにとって、とりわけ厳しい事態だ。 Slideshow (3 Images)
専門家によると、今生き残っているサンゴも、海洋熱波への抵抗力が衰えている可能性がある。海洋熱波は気候変動の結果、この海域を襲うようになっており、一部で既にサンゴ白化現象を引き起こしている。
これ以上、そうした状態が続けば、サンゴ礁の将来は非常に暗くなると専門家は懸念する。
マングローブ林への影響も懸念されている。マングローブの根は幼魚を育む場所を提供している。
英エクスター大学の海洋保護教授、カラム・ロバーツ氏は、重油がマングローブ周辺の堆積物の中にも沈殿し、カニや軟体動物や稚魚を窒息させる可能性があると指摘。「いったん堆積物の中に沈殿すれば、除去は非常に難しい。樹木は病気になって死ぬかもしれない」と言う。
マングローブに巣を作ったり、近くの干潟から飛び立ったりする渡り鳥も悪影響を受けやすい。重油を摂取したりしてしまった鳥は病気に弱くなり、飛べなくなる恐れすらあると、専門家は言う。
マングローブと同じく、大量の二酸化炭素を吸収する海藻は、海岸を波から守る上で不可欠の役割を果たしている。
また、陸地では打ち上げられた油が固まり、永続的な変化をもたらす恐れがある。
2010年のメキシコ湾岸原油流出事故のその後を研究した米ルイジアナ州大学の環境科学者、ラルフ・ポーティエ氏は「長期的には油はたまり、そこで散ったり劣化したりすることで、海岸がアスファルトのようになる可能性がある」と説明。 「悲劇そのものだ」と語った。
(Duncan Miriri記者、Omar Mohammed記者、Matthew Green記者)
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モンバサからナイロビまで。聖路加から長崎まで。
今月号の有吉先生、むっちゃおもろかったです。 いままでで最高じゃないですか?
という声を大阪大学教授の仲野徹先生からいただいているのが、ドクターズマガジン「ドクター���肖像」、2020年6月号の有吉紅也先生の物語である。
長崎大学熱帯医学研究所の熱き教授の物語は、当時医学部4年生の氏が、ケニアの港町モンバサから首都ナイロビまで500kmを歩こうと決めたときに始まる。起伏が乏しく、サバンナやブッシュや低い丘ばかりの簡易舗装の一本道は、国立公園の中をひたすらまっすぐ続く。その間ホテルはほとんどない。3つだけ覚えたスワヒリ語ー「水をください、食べ物をください、泊めてください」ーで、現地の住民をたよった。
夜は人が家という名の檻に入る。なぜなら野生の動物に襲われるからだ。もちろん病気も危険だ。有吉青年もナイロビまであと60kmのところで体調をくずした。ある村に着いた途端、倒れて介抱された。ダ…
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Watch out !!⚠️ . . . これ何のシーンかわかりますか?🤔 みにくいけど、よーくみてみてください!👀 . . クロコダイルが🐊バード🦆を捕食しようとしているシーンです😱 . . まさに手に汗を握る展開!!! いっつぁしょーたいむ🤙🤙 . . のはずが、鳥をスルーしていったクロコダイルさんでした🤦♂️🤦♂️ . . マサイマラではワニのいる川へ近づく際には拳銃を持った兵士の付き添いが必要。それくらい野生のワニは危ないとのこと😱😱 当たり前か。笑 . . . 🇰🇪ケニア/マサイマラ国立公園 . . . #東京カメラ部#一眼レフ#世界の絶景 #一人旅 #カメラ旅 #retrip_global #朝焼け#travelphotography #カメラ男子#hubsplanet #wildlifepics #d750 #大阪カメラ部 #tabippo #jtbで旅したい #卒業旅行 #africanimals#kenya#masaimara#アフリカ #ケニア#マサイマラ国立公園 #ナイロビ#動物#大自然 #ワニ#masaimarasafari #wildlife #wildlifeplanet#wildlifephoto (Masai Mara Kenya) https://www.instagram.com/p/B_w9F4fgQpX/?igshid=eqdbzrh1wdx7
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【地球儀・超雑感】 先週、川越の奥地の公園でひっそり開催されていたフリーマッケトで地球儀を買った。¥200… 書いてある適当な地名を言って、どこの国の街か当てる遊びを妻とやっているが、俺の圧倒的強さよ。子供の頃は学校の授業が退屈過ぎてずっと地図帳か歴史の資料集を見ていたからな…。 自分が小学校に入学したのは1988年なので、戦後43年。漠然と『狭くイケてない日本⇆広くてイケてる世界』との対比が社会全体の文化的な人々のイメージの根底にあった気がする。内と外の劣等感と憧れの対比的なアイコンの出し入れに潤沢な資金を投入することで日本の文化産業は成り立っていた…気がする。 世界中の国と国の間のアクセスはどんどん良くなって、情報も人も技術もどんどん流動的になって、『グローバル』な世界観、経済観の萌芽は既に俺の幼い頃にはあったんだろうな。 で、今。『グローバル』な経済活動と技術革新と自由競争はその言い出しっぺの地域の経済的中間層を危機に追いやって破綻しかけいる。お金を持ってる"先進国"は軒並みブロック経済を彷彿とさせる閉じた態度。 かつて日本の豊田織機(TOYOTA)のイノベーションが産業革命後の紡績職人を中心とした中産労働階級の仕事を奪った事。 世界恐慌後の金本位制の放棄と、ブロックされた���れぞれの通貨圏の間に生じた格差。 授業中にぼんやり地図帳や社会科年表ばかり眺めてた身としては、1930年代に世界規模の大きな戦争を生んだ様々な社会的ストレスは、確かに現代の色んな事象と似通ってるな…と思わなくもない。一言で言うと、確かに近年結構キナ臭い気がする。良く解らんなりに。 …ただ、もし近い将来世界に大きな破綻が生じるとしたら、それは今、直感的に不安を感じてる皆さんが言うように、裏世界の黒幕や権謀術数や悪意が元で起きるのではなくて、 もっとキラキラした無邪気な希望や、壮大な理想や、加速し過ぎた一方的な善意で起こるんではなかろうか。 具体的に言えば、未来の歴史教科書には『自由主義』と『世界主義』の結託こそが、今現在そこに来ている破綻の主犯として記されているような気が、俺はぼんやりしてしまうのです。 …まあ、それはそれとして。やはり地球儀を回しながら広い世界を夢想する事は自分には楽しい。 大人にな���て色々な国に行って、仕事したり、遊んだりして驚いた事は、 人間世界は『日本⇆世界』の内と外の対比で成り立っているわけではなくて…自分と他人と、自分の国とその他のえらく沢山の国々との、それぞれ非常に複雑な関係とバランスで成り立っている。で、俺の生まれた日本と言う国は、単一の国としては結構規模はデカイ。島の中で生まれ育ったから、色々解んなかったな〜、知見を得たな〜、その中で生きてるの楽しいな〜、と単純に…。 と言うわけで、やっぱり閉じてる事がそうええ事とも思えんわけです。 色々面倒だし、矛盾を飲み込んで前に進まなあかん事も沢山あるし、そう皆が皆に都合の良い事ばかりもないけども、 少年少女がポジティブな気持ちで地球儀を回している状況は大切にしたいものだと思います。 まあ、こんな事を書いても何の解決にもならんけど。今日は家族でケニアの音楽を聴いていました。ナイロビのレコード屋さん行きてえー。
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光学83倍の超望遠デジカメ「ニコンCOOLPIX P900」でアフリカのサファリツアーに挑んでみた / ケニア・ナイロビ国立公園の巻
光学83倍の超望遠デジカメ「ニコンCOOLPIX P900」でアフリカのサファリツアーに挑んでみた / ケニア・ナイロビ国立公園の巻
広大なアフリカの大地を車で巡り、ワイルドな野生動物を観察するのがサファリツアーの魅力であるが、時として「遠すぎて見えない状態」になったりする。
すぐそこに動物がいればノープロブレムなのだが、ガイドが「あそこに●●がいる!」と教えてくれても、「あまりにも遠すぎて見えねえ〜!!」となったりするのだ。仮に写真を撮ったとしても、サファリの風景&豆粒である。
逆に、よくもまああんなに遠くの動物を見つけられるな……と、彼らの視力に驚いたりもするのだが、今回のサファリツアーは最強の望遠ウエポン持参で挑んでみた!
私が用意したのは、今から4年前の2015年3月19日に発売された光学83倍(2000mm相当)の超望遠デジカメ「ニコンCOOLPIX P900」である。月のクレーターまでハッキリクッキリと……なんなら “手持ち撮影” でも撮れてしまう��恐ろしく優秀なデジカメだ。
ちなみに約半年ほど前には待…
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@RocketNews24
光学83倍の超望遠デジカメ「ニコンCOOLPIX P900」でアフリカのサファリツアーに挑んでみた / ケニア・ナイロビ国立公園の巻 https://t.co/LvAMTlnUz1
— ロケットニュース24 (@RocketNews24) March 19, 2019
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ケニア 愛すべき人々 1 People in Kenya
しなやかに、したたかに
2013年に初めてケニアに降り立って以来、公私で様々な人に出会ってきた。 大半は都市の役人やビジネスパーソンたちだが、過疎の村で大地に生きる人、国立��園のガイド、観光業のマサイ族、スラム街の商店主たちのほうが性に合った。 敢えてビジネスパーソンと言った。当地は管理職に有能な女性が多く、実態はどうも男社会とは思えない。 ケニアはサブサハラ(サハラ砂漠の南地域)の優等生と言われて、ODAなどの潤沢な国際支援を得て発展してきた。支援馴れ、貰い馴れした国ということでもある。 賄賂や汚職も半端ではなく、大統領選挙のたびに流血騒ぎが起きる物騒な一面もある。政府機関に腐敗が無く、国際支援が正しく末端に届いていれば、当の昔に貧困から脱していたはずだとも言われる。
日本から来た者にとってアンダーテーブルとケニア時間は常に煩わしい問題だった。 仕事でケニア保健省を訪ねた時、入り口付近に看板が掲げられていて、 "CORRUPTION FREE" (腐敗脱却) と大書されている。思わず笑ってしまった。腐敗自由? 日本人にはブラックジョークに読めてしまう。
ケニアのビジネスパーソン、特に男性は風貌に似合わずジェントルな人物が多い。 例えばナイジェリア人のようなアクの強さは希薄だ。NOと強く拒否されることも少ない。どこか日本人に似た曖昧さがある。しかしこの曖昧さがなかなか曲者で、YESは約束が守られる保証では無い。表情が読み取りにくいので本音が分からず、お互い様かもしれないが、不安に駆られることも多い。 片やケニアにはたくさんの印僑(インド系商人)がいて、産業界に厳然たる影響力を持っている。 彼らの押しの強さと威圧感は格別で、ケニア人にはとても歯が立たないだろう。
どちらを選んだかと言うと、ゆっくり、まったりのナイロビ人。 滔々と流れるアフリカ時間に身をゆだねる快感に取りつかれてしまった。 基本的には気の良い連中なので、時間に追われて結論を急いだり、過度な期待をしなければ大きなしくじりをしたり、ひどい痛手を受けたりすることはない。 また幸いな事にケニアでの仕事相手は国際機関や医療施設の人々で、彼らはとてもよく働くし意識も高い。 多くの尊敬すべき人たちにも出会うことができた。
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はくなまたぁーーーた🦒🦁 . . . 空港の警備員に「この先からはこころしてかかれ!」って言われて、あっそ。ってかんじでながしてたけど、ナイロビの空港出た瞬間逆引きの嵐🤣 こっちのが安いとか荷物もったるわとかタクシーの運ちゃんで争いだすし、Uber待っとるねん言うても誘拐みたいにタクシー乗せられそうなるし、笑 ダウンタウンまでUberで行けたけど、ゲストハウスの場所でもない場所にポツンと下ろされ、迷うわ、コロナや言われるわ殺気のある目線で睨まれるわで、 . なにが言いたいかというと、ほんまにおもろかった!😂 . こんな刺激が欲しい🙋♂️🙋♂️ . 今思えばあんなとこよー1人で行ったなと思うけど🤣🤣 . . . 🇰🇪ケニア/マサイマラ国立保護区 . . . #東京カメラ部#一眼レフ#世界の絶景 #一人旅 #カメラ旅 #retrip_global #朝焼け#travelphotography #カメラ男子#hubsplanet #wildlifepics #d750 #大阪カメラ部 #tabippo #jtbで旅したい #卒業旅行 #africanimals#kenya#masaimara#アフリカ #ケニア#マサイマラ国立公園 #ナイロビ#動物#大自然 #キリン#masaimarasafari #wildlife #wildlifeplanet#wildlifephoto (Maasai Mara) https://www.instagram.com/p/B_pMUVYgfla/?igshid=18sc9uzqmxafd
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『百獣の王』という割に、狩りは雌がしたり、それを横取りしたり、昼間木陰で寝てたり、、、🦁 . どうなんですかね?😂😂 . . . この写真はだいぶ近くまで寄っているのですが、特に襲ってくるとかはないみたいです!!いかにも襲ってきそうな顔してますけどね😅😅 . . . 🇰🇪Kenya/Masai Mara NR . . . #東京カメラ部#一眼レフ#世界の絶景 #一人旅 #カメラ旅 #retrip_global #travelphotography #カメラ男子#hubsplanet #wildlifepics #d750 #大阪カメラ部 #tabippo #jtbで旅したい #卒業旅行 #africanimals#kenya#masaimara#アフリカ #ケニア#マサイマラ国立公園 #ナイロビ#動物#大自然 #ライオン#masaimarasafari #wildlife #wildlifeplanet#wildlifephoto#natgeowild (Masai Mara National Reserve) https://www.instagram.com/p/B8_OQZDAlj5/?igshid=1a4lwxvtrls5z
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タンザニアにやってきました!☺️☺️ . . . 🇰🇪Kenya/Masai Mara N.R . . . #東京カメラ部#一眼レフ#世界の絶景 #一人旅 #カメラ旅 #retrip_global #travelphotography #カメラ男子#hubsplanet #wildlifepics #d750 #大阪カメラ部 #tabippo #jtbで旅したい #卒業旅行 #africanimals#kenya#masaimara#アフリカ #ケニア#マサイマラ国立公園 #ナイロビ#動物#大自然 #象#masaimarasafari #wildlife #wildlifeplanet#wildlifephoto#natgeowild (Masai Mara National Reserve) https://www.instagram.com/p/B885lF3gbsD/?igshid=1rbxwsuyx1mm2
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この二週間フルタイムで各地を駆けまわってたから今日は朝からずーっとのんびりしてます🤗 . . . 明日は陸路でタンザニアへ!!🚌 . . . 🇰🇪Kenya/Masai Mara N.R . . . #東京カメラ部#一眼レフ#世界の絶景 #一人旅 #カメラ旅 #retrip_global #travelphotography #カメラ男子#hubsplanet #wildlifepics #d750 #大阪カメラ部 #tabippo #jtbで旅したい #卒業旅行 #africanimals#kenya#masaimara#アフリカ #ケニア#マサイマラ国立公園 #ナイロビ#動物#大自然 #ライオン#masaimarasafari #wildlife #wildlifeplanet#wildlifephoto#natgeowild (Masai Mara National Reserve) https://www.instagram.com/p/B86KyMrA16p/?igshid=qb63ri9tqxwy
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